新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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今日は友人と「志の輔らくごinACT」に行ってきます。twitterなどで演目を知ってしまった(汗)のですが、まだライブで聴いていない作品ばかりなので楽しみです。
福島
京都「容保桜」苗木を来春、若松に植樹
会津まつり:「藩公行列」が雨で初の中止 /福島
白虎隊士らを慰霊 若松で墓前秋季祭礼
神奈川
勝海舟の肖像画も披露 咸臨丸遣米150周年式典
石川
見る者圧倒 力強い書 羽咋・永光寺 山岡鉄舟の4点初公開
富山
そろばん侍、直之が記した幕末加賀藩 磯田氏が文書確認
兵庫
幕末の砲台保護へ 兵庫県教委が現地調査開始
広島
竜馬にふんして観光客ご案内
書簡や絵図で幕末の福山紹介
鳥取
鳥取城下の変化一目
佐賀
佐賀15人の偉人伝
長崎
これが本物 実録・坂本龍馬展・6 異国船図
腰掛け龍馬の写真10月公開 大浦慶の縁者から県が購入
鹿児島
西郷さんに一筆絵付け 鹿児島中央駅
福島
京都「容保桜」苗木を来春、若松に植樹
幕末に京都守護職上屋敷があった京都府庁旧本館中庭(上京区)の「容保(かたもり)桜」の苗木が来春にも会津若松市に植樹されることになり、命名者である京都府の桜守・佐野藤右衛門さんが24日、同市の鶴ケ城を訪れる。
容保桜は旧本館の中庭にあるヤマザクラのうちの1本で、オオシマザクラの特徴も併せ持つ珍しい品種であることが佐野さんの調査で分かっている。
府庁は京都守護職上屋敷跡地で、幕末に会津藩主・松平容保公が京都守護職を務めていたことから今春、佐野さんが「容保桜」と命名した。
桜守として知られる佐野さんは「容保桜」の種子から苗を育てていて、苗を容保公ゆかりの地である会津若松市に移植したいと申し出ている。
24日は佐野さん自ら桜の名所でもある鶴ケ城などを訪れ、植樹に最適な場所を探す。
佐野さんによって適地が決まれば、来春にも「容保桜」の植樹が行われる見通しという。
会津まつり:「藩公行列」が雨で初の中止 /福島
会津若松市の「会津まつり」で23日、メーン行事の「藩公行列」が雨天のため中止になった。事務局の会津若松観光物産協会によると、58回目で初の中止という。
同まつりは、戊辰戦争で鶴ケ城を明け渡した9月23日を中日にした3日間、戦死者の慰霊を兼ねて同城や中心市街地で開かれる同市の秋祭り。1953年に始まった。
今年も22日、子供たちによる稚児行列で開幕。しかし、雨が降り続き、23日も回復が見込めなかったため、事務局が同日朝、行列の中止を決めた。行列は、市民らが歴代の藩主や戊辰戦争を戦った白虎隊、娘子隊などにふんして、市内を行進する。今年は青森県むつ市など会津藩ゆかりの県外勢も含め、約460人が参加予定だった。【太田穣】
白虎隊士らを慰霊 若松で墓前秋季祭礼
戊辰戦争で散った白虎隊士ら少年武士の霊を慰める墓前秋季祭礼は24日、会津若松市の飯盛山で行われた。
会津弔霊義会の主催で毎年春と秋に催している。
神事で少年らを追悼した後、同会の芳賀公平理事長が「白虎隊士の『国や古里を守る』という精神を伝えていきたい」と祭文を読み上げた。
菅家一郎市長ら関係者が墓前に玉ぐしをささげた。
続いて多くの参拝者が見守る中、会津高剣舞委員会の生徒が厳かに伝統の剣舞を奉納した。
市中心部では同日、会津まつりのフィナーレを飾る日新館童子行列も繰り広げられ、武者姿などに扮(ふん)した子どもたちが行進した。
神奈川
勝海舟の肖像画も披露 咸臨丸遣米150周年式典
江戸時代末期の一八六〇(万延元)年、幕府の遣米使節団を乗せた咸臨丸の太平洋横断から百五十周年を祝う記念式典が二十五日、横須賀市本町で開かれた。操船を手伝うため咸臨丸に同乗した米海軍大尉のひ孫で、米国の陸軍大学で歴史学を教えているジョージ・ブルック三世さん(65)が、咸臨丸と日米交流をテーマに講演した。
ブルックさんの曾祖父ジョン・ブルック大尉は幕末当時、米海軍の測量技師として日本近海の海底調査のため来日。「日本人単独の初の太平洋横断」を目指す遣米使節団の操船技術を心配し、自ら同乗を申し出て幕府に許可されたという。
ブルック大尉は航海中に艦長の勝海舟と交流を深め、米国に到着後、海舟の肖像画を記念に描かせた。ブルック家が今も保管する肖像画は、スライドで映し出され、来場者から驚きの声が漏れた。 (新開浩)
石川
見る者圧倒 力強い書 羽咋・永光寺 山岡鉄舟の4点初公開
羽咋市酒井町、曹洞宗永光(ようこう)寺は二十三日から二十八日まで、所蔵する山岡鉄舟の書四点を特別公開する。能登半島広域観光協会が主催する能登ふるさと博事業の「能登秘宝めぐり」の一環。
山岡鉄舟は幕末から明治にかけて活躍した武士、政治家で、剣、禅、書の達人としても知られる。
同寺によると、書はそれぞれ縦百八十センチ、横九十五センチ。四点は「金毛」「獅子」「奮威」「出塵」と記されており、「金毛の獅子 威を奮い 出塵す」という禅語。明治時代、困窮していた同寺が鉄舟に書を依頼し、一八八六(明治十九)年に額や軸一万枚の寄進を受け寺の再建費用に充てたとされ、今回公開される四点は当時のもの。これまで公開はしておらず、初公開になるという。
屋敷智乗監寺(57)は「見るものを圧倒する力強さがある。気迫が伝わってくる」と話している。特別拝観料は五百円。 (島崎勝弘)
富山
そろばん侍、直之が記した幕末加賀藩 磯田氏が文書確認
映画「武士の家計簿」の原作者、磯田道史茨城大准教授は25日までに、加賀藩士・猪 山直之が最後の藩主・前田慶寧(よしやす)の発言を書き抜きした文書を、金沢市立玉川 図書館近世史料館で確認した。文書には、旧幕府軍と新政府軍が戦った鳥羽・伏見の戦い に出兵する藩士に対し、新政府軍と一戦する覚悟で粉骨を尽くすよう、慶寧が命じる場面 もある。幕末加賀藩の実態と、直之の忠実な仕事ぶりを示す史料として注目される。
磯田氏が確認した文書「御意之趣書抜(ぎょいのおもむきかきぬき)」には、14代藩 主慶寧が1854(嘉永(かえい)7)年1月から68(慶応4)年10月までに発言し た内容を抜粋して記してある。
表紙に書き手として「猪山」の名があり、猪山家の家計簿を研究する磯田氏は「筆跡か ら、藩主の御次執筆(おつぎしっぴつ)役(書記官)を務めた直之が記したものに間違い ない」と指摘した。
1868年の鳥羽・伏見の戦いでは、1月6日から8日にかけて藩軍の隊長らをグルー プ別に「御居間書院」に呼び出し、皇国のために内府公(15代将軍徳川慶喜(よしのぶ ))と協力し、軍を派遣する旨を伝えている。慶寧は「必ず一戦に及ぶだろうから、粉骨 を尽くして忠勤に励め」という趣旨の発破を掛けている。
鳥羽・伏見の戦いでの加賀藩の立ち位置については、本気で戦闘に参加する意思はなく 、深い縁戚(えんせき)関係にある徳川側に配慮して消極的に出兵したとの研究分析もあ るが、磯田氏は「薩長(さっちょう)と相まみえる覚悟だったことをはっきりさせる重要 な史料」と指摘した。
文書は明治に入り、直之が藩主の発言をまとめた資料を基に重要な部分を抜粋してあら ためて書き残したものとみられる。磯田氏は「新政府が権勢を振るっている時期、前田家 にとっては都合の悪い文書だったのではないか」と推測。それでも直之が書き残したこと について「歴史にうそをつかず、記録係としての仕事を忠実にこなそうとした。直之のま じめな性格が出ている」と話した。
兵庫
幕末の砲台保護へ 兵庫県教委が現地調査開始
兵庫県沿岸部に残る幕末の砲台、台場(だいば)跡について、県教育委員会が現地調査を始めた。文献などから、勝海舟ゆかりの和田岬砲台(神戸市兵庫区)など約50件があったとみられるが、国の史跡として保護されているのは4件のみ。県教委は「緊迫した歴史情勢や当時の海外知識が読み取れる歴史文化遺産」と位置づけ、今後3年で現状を把握し、保存活用に弾みをつけたい考えだ。
幕末の砲台、台場は強固な石垣や土塁で防護した要塞(ようさい)。県沿岸部では外国船の脅威が高まった1850~60年代、幕府のほか尼崎、明石、姫路、徳島、豊岡など諸藩が相次いで築造した。由良要塞本部(洲本市)のように明治時代に陸軍が築いたものもある。
しかし、国や地方自治体の文化財保護が長らく近世以前を中心に扱ってきたため、大正時代に和田岬砲台と西宮砲台(西宮市)、2006年に松帆(淡路市)、07年に舞子(神戸市垂水区)の台場跡が国史跡に指定されたのみ。ほかは保護対象ではないため、開発から遺跡を守るために行政が遺跡のある場所を示す地図に記載されていない例も多く、中には破壊されたものもある。
ところが近年、近代化の歩みを伝える遺産として国の評価が高まったことなどから、県教委文化財室は研究者らによる調査研究検討会を7月下旬に結成。現存する数さえ把握されていないため、淡路地域から調査を始めた。
県教委は「日本海と瀬戸内海の双方に面した兵庫県は多様な形状の砲台、台場がある“博物館”。調査の成果を住民に分かりやすく還元したい」と話している。
(仲井雅史)
広島
竜馬にふんして観光客ご案内
幕末の志士坂本竜馬にふんして10~11月に福山市鞆町で観光客と交流する「鞆龍馬おもてなし隊」の研修会が25日、福山市役所であった。
おもてなし隊は女性1人を含む市内の20~70代計20人。うち13人が研修会に参加した。市観光課の職員は「記念撮影には積極的に応じましょう」などと指導。名所や土産物を説明する際の想定問答も紹介した。
全員が現場で着る黒の羽織とはかまを試着。竜馬の写真を見ながら、襟元は詰めて、はかまのすそは低めにするなど、竜馬らしい着こなしを研究した。
おもてなし隊は、近くNHK大河ドラマ「龍馬伝」で鞆町を舞台としたシーンが放送されるのを受け、福山市などでつくる福山観光キャンペーン実行委員会が公募した。期間は10月2日から11月29日まで。毎週金曜日から月曜日までと祝日に、午前10時半から午後3時半まで2人が交代で町内を回る。
【写真説明】竜馬をイメージした衣装を試着するメンバー
書簡や絵図で幕末の福山紹介
企画展「幕末の福山藩」が、福山市丸之内の福山城博物館で開かれている。幕府の老中として日米和親条約を結び、開国に大きな役割を果たした7代藩主阿部正弘(1819~57年)を中心に紹介する。11月14日まで。
正弘が着た「紺糸菱綴五枚胴具足(こんいとひしつづりごまいどうぐそく)」、アメリカ使節との交渉について部下に指示した書簡など計約120点を展示している。幕府側として長州藩に敗れた第2次長州戦争、明治に入っては幕府を相手に戦った福山藩の歩みも絵図でたどる。
阿部家が藩主となった1710年から300年の記念展。月曜日休館。500円。同館=電話084(922)2117。
【写真説明】阿部正弘が着用したよろいなどに見入る来館者
鳥取
鳥取城下の変化一目
幕末地図と航空写真対比 やまびこ館
幕末の鳥取城下の精巧な測量図を、現代の航空写真と対比して見ることができる特別展「ここはご城下にござる」(読売新聞鳥取支局など後援)が、鳥取市上町の市歴史博物館「やまびこ館」で開かれている。10月31日まで。
測量図は、鳥取藩が1857~59年の安政年間に下級武士に作らせた「鳥取城下全図」(県立博物館所蔵)。2005年に市が撮影した航空写真を6メートル四方の樹脂シートに印刷して床いっぱいに広げ、分割してフィルムにコピーした城下全図と重ね合わせると、150年間のまちの変化が一目で分かる。
自分が住む地域にフィルムを重ねた来館者は、鳥取地震(1943年)や鳥取大火(52年)に遭いながらも幕末当時の道が残っていたり、堀が道路に姿を変えていたりすることに関心を示していた。
人口が増えた城下町で、藩がごみの回収や処理に悩んだり水道施設の整備に力を注いだりしたことを紹介する資料も展示。同市新町、小売業柴田太一さん(39)は「これまでにない視点で歴史を体感できる」と興味深そうに見入っていた。
10月9、30日の午後1時から学芸員による解説、同17日午後2時から講座がある。祝日の翌日と月曜は休み。問い合わせは、やまびこ館(0857・23・2140)。
(2010年9月24日 読売新聞)
佐賀
佐賀15人の偉人伝
県教委と佐賀城本丸歴史館(佐賀市)が、幕末~明治期に活躍した佐賀の偉人たちを、1人1冊ずつのシリーズで出版する事業に今年度から取り組んでいる。毎年度3冊出版し、5年間で15冊、計15人の偉人たちをとり上げる予定。郷土の偉人たちの業績を知ってもらい、地域の観光や文化振興に役立ててもらうのが狙いだ。(吉村治彦)
出版が決まっているのは、佐賀藩主の鍋島直正、北海道開拓に貢献した島義勇、日本赤十字社を創設した佐野常民、外務卿などを務めた副島種臣、教育制度を整備した大木喬任、司法制度の基礎を作った江藤新平、早稲田大学を創立した大隈重信の「佐賀の七賢人」と、画家として第1回の文化勲章を受けた岡田三郎助の8人。
郷土史家や学者らでつくる編集委員会が7月に開かれ、今年度は11月に鍋島直正、1月に大隈重信、3月に岡田三郎助を出版することが決まった。初回に鍋島直正を選んだのは、佐賀藩の近代化を主導し、多くの人材を育てた功績のためで、元佐賀大教授の杉谷昭・佐賀城本丸歴史館長が執筆する。同館によると、出版が決まった8人以外では、種痘普及を進めた伊東玄朴や東京駅の設計を担当した辰野金吾も有力という。
同館は今年度、来館者や県高齢者大学の受講生ら計約560人に、代表的な偉人30人の氏名と簡単な業績を記したアンケート用紙を利用し、興味のある偉人などを尋ねる調査を実施。大隈や江藤のほか、佐賀の砲術のリーダーだった平山醇左衛門や、知的障害児の教育に尽力した石井亮一は認知度が低いにもかかわらず、関心度は高かったという。編集委員会は今後、アンケートの結果を参考にしつつ、地域性も考えて残りの偉人を選定する方針。
本はA5判の112ページで、1冊千円の予定。全国の主要書店で販売する。また、紙の本だけではなく、電子書籍も発行し、インターネット上の電子書店で販売することも検討している。
出版事業を担当している本丸歴史館の古川英文副館長は「できるだけ読みやすいものにしたいが、最新の研究成果も盛り込みたい。日本の近代化に尽力した偉人に関心をもってもらい、地域の振興に利用してもらいたい」と話している。
長崎
これが本物 実録・坂本龍馬展・6 異国船図
妖怪に例えられた黒船
19世紀半ば、東アジア市場での自由貿易拡大を図る欧米列強の使節が長崎に来航するようになり、これを拒絶する徳川幕府との間で駆け引きが続いた。江戸から遠く離れた長崎での交渉は日数がかかるため、交渉はいつも不調に終わった。
嘉永6(1853)年、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーは、軍艦4隻を率いて江戸湾に近い浦賀へ寄航。長崎での交渉に限界を感じ、直接交渉を企図していた。このとき若き龍馬は江戸で剣術修行に励んでいた。周辺は緊迫し、龍馬も戦争のときには異国人の首を取ると意気込んでいた。この「黒船来航」が龍馬そして日本の運命を大きく変えることになる。
「異国船図」は、幕末の風刺画である。不気味に黒い煙をはきながら大砲を放ち、船首と船尾には鬼の顔が付いている。ペリー来航をきっかけに、幕府は欧米諸国と通商条約を結び貿易を開始する。しかし、この開国はインフレという経済混乱と、攘夷(じょうい)テロという治安悪化を招いた。社会不安をもたらした黒船来航は「異界からの妖怪」として庶民の心に映ったのである。
NHK大河ドラマ特別展「実録・坂本龍馬展」は10月2日~11月3日、長崎歴史文化博物館3階企画展示室で開催。問い合わせは同館(電095・818・8366)。
腰掛け龍馬の写真10月公開 大浦慶の縁者から県が購入
長崎歴史文化博物館(長崎市立山1丁目)は24日、幕末の長崎で活躍した女性商人大浦慶の縁者が所有していた坂本龍馬の写真など2枚を、10月に期間限定で公開すると発表した。
公開するのは、坂本龍馬と洋装の男性がそれぞれいすに腰掛けている写真。いずれも同時期に撮影されたとみられ、大浦家の親類に当たる長崎市の竹谷家が慶の遺品として保管していた。県が8月、同家から250万円で購入した。
龍馬の写真は縦7・7センチ、横4・8センチ。長崎歴文博は龍馬暗殺後の1868(慶応4)年ごろに焼き直されたものと推測している。
洋装の男性の写真は縦9・2センチ、横5・7センチ。同様の格好をした肖像写真が残っている海援隊士沢村惣之丞(そうのじょう)の可能性もあるとみて、今後調査を進める。
竹谷家所有の龍馬写真は昨年存在が明らかになり、龍馬と慶の交友関係を示唆する新資料として話題を呼んでいた。一般公開は初めてとなる。
写真は10月15~17日の3日間、「実録・坂本龍馬展」(10月2日から)で展示する。
鹿児島
西郷さんに一筆絵付け 鹿児島中央駅
鹿児島が生んだ幕末の偉人、西郷隆盛(1828-77)の命日に当たる24日、鹿児島市中央町のJR鹿児島中央駅の利用者に、西郷さんの似顔絵に一筆ずつ色を付けてもらうイベントがあった。
西郷隆盛の顕彰を続ける同市の市民グループ「城山林間研修会」(礒城泉会長)が十数年前から毎年続けている。これまでは、同市城山町の西郷銅像前や城山展望台で行っていたが、九州新幹線全線開通をにらみ、初めて中央駅で開いた。
今年の下絵は、西郷さんの顔と噴煙を上げる桜島のデザインに、全線開通で鹿児島と大阪を結ぶ「さくら」も新たに加わった。この日は、改札口前の通路の一角に下絵を飾り、買い物客や通勤・通学客にクレヨンを渡して、自由に色を付けてもらった。
礒会長は「新幹線開通でたくさんの観光客が鹿児島に来る。楽しみながら西郷さんの魅力を知ってもらいたい」と話した。完成した絵は、来年3月の全線開通に合わせ、中央駅に展示する予定という。
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