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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 3月末にして1月並みの寒さですか……5月並みの陽気で桜は例年より10日早く咲いてしまったと思えば、この寒さ。着るものに困りますなぁ。

福島
八重に思いはせ挑戦 第1回の「会津幕末検定」
 NHK大河ドラマ「八重の桜」で関心が高まっている幕末の会津に関する知識を審査、認定する「会津幕末歴史検定」の第1回試験は17日、会津若松市の会津大など全国3会場で行われた。
 同検定運営事務局、福島民報社の主催。東京の中央工学校、京都の同志社大でも試験を行い、9歳から81歳までの396人が受験した。
 会津大会場では2級30人、3級74人、2級と3級の併願50人の合わせて154人が受験した。2、3級とも4択の100問で70問以上の正解で合格となる。受験者は試験時間が始まると一斉に問題を開き、真剣な表情で問題に臨んでいた。
 結果は4月下旬に各自に通知される。

( 2013/03/18 11:15 カテゴリー:主要 )


福井
幕末福井藩士の人事資料集を発刊 県文書館、松平文庫をデータ化
 福井県文書館は28日、幕末福井藩の中・上級藩士の氏名や職歴など人事履歴を記した資料集「福井藩士履歴」第1巻を発刊したと発表した。県立図書館の松平文庫の史料を整理、活字化した。2017年度までに全6巻を編集する計画で、総勢約900家5千人の家臣についてまとめる。幕末の改革や維新後の日本を支える人材が、誰とどのような仕事をしていたかなど、歴史の全体像を知る基礎資料として活用が期待される。(松井理恵)

 県文書館は09年から始めた幕末の福井藩主松平春嶽の調査の過程で、藩の人事を詳細に記した公文書「士族」と「剥札(はぎふだ)」に着目。計8冊が現存しており、賞罰や任務内容まで分かる内容は「全国でも珍しい」(同館)という。

 「士族」は現役当主について、「剥札」は隠居・死亡した当主について記されている。11年度から家ごとの情報を統合したり、いろは順を五十音順に並び替える作業を進めてきた。

 第1巻には、名字が「あ~え」(五十音順)で始まる154家800人超を掲載した。「石川尚一郎」の項目には、1863(文久3)年10月7日に「勝麟太郎殿へ相手寄航海術致修行候様被仰付」とあり、勝海舟の下で航海術を学ぶよう命令があったことが分かる。「井原立二(なりかず)」「石川弼」の2人も同時期に同様の記述があり、福井藩が積極的に神戸の海軍操練所で技術を身に付けさせていたことが読み取れる。

 資料集はデジタルデータ化する。ほかの史料と情報を付き合わせることで、「藩のプロジェクトの全体像を復元することも可能」(同館)といい、政治史や文化史など多方面の研究に応用していくという。

 また、藩士ゆかりの県民が先祖のルーツを調べる上でも役立つとして、研究者以外の利用も期待している。

 千部発行。県や市町の図書館で閲覧できるほか、希望者には配布する。デジタルデータは、新年度の早い段階で県文書館のホームページで閲覧できるようにする。

 問い合わせは県文書館=電話0776(33)8890。


滋賀
旧井伊神社社殿:秘伝、初公開 鮮やか幕末の彩色−−彦根 /滋賀
 彦根藩主井伊家の先祖を祭った彦根市古沢町の「旧井伊神社社殿」が神社側から同市に寄付されたのを受けて、同市教委は24日、社殿内部を市民や観光客らに公開した。祖霊は旧社殿のそばに建てられた新社殿に移されており、参加した約330人は普段は公開されない本殿などの素晴らしさに見とれていた。【松井圀夫】

 井伊神社は、1842(天保13)年に第十二代当主の井伊直亮が井伊家の始祖共保(ともやす)を祭る「井伊八幡宮」として造営したのが始まり。3年後に社殿が建立され、入り母屋造りの本殿と拝殿が相(あい)の間で結ばれる権現(ごんげん)造り。

 旧社殿は平屋建て約56平方メートル。市教委文化財課の担当者の案内で見学した人たちは、華やかな彩色(さいしき)が随所に施され、江戸時代後期の高い技術の粋が垣間見られる本殿や拝殿内部に入り、説明を聞いて質問したり写真を撮るなどしていた。

 井伊家初代当主の直政好きという大阪市の女性3人グループは「色や装飾がきれいだし、旧本殿にも入れて感動しました」と話していた。


京都
八重の故郷 会津を紹介 同志社大 藩家訓や容保肖像画
 同志社を創立した新島襄の妻八重(1845~1932年)が生まれ育った福島県会津地方の歴史と文化を紹介する企画展「会津と八重」が26日、京都市上京区の同志社大今出川キャンパス・ハリス理化学館で始まった。
 学校法人同志社と福島県、会津若松市などの共催。江戸から明治時代の資料を中心に展示している。
 徳川幕府への忠誠を誓う会津藩の家訓や、幕末の藩主松平容保の肖像画と和歌、藩の軍事演習が描かれた屏風(びょうぶ)、八重の父や兄弟も通った藩校日新館の絵図や教科書も並べた。精巧な会津塗の漆器や刀のつばの装飾、名産品の番付表、会津地方の年中行事がまとめられた屏風図などが会津文化の奥深さを伝える。日本画家橋本関雪が描いた白虎隊の自刃図もある。
 この日は大谷實・同志社総長や室井照平・会津若松市長たちがテープカットを行った。
 無料。6月30日まで(火曜と祝日、ゴールデンウイークは休館)。展示替えあり。会津地方の伝統工芸品や観光パンフレットを集めたコーナーもある。


コラム
龍馬の“同士”ら9人切り捨てた新選組 幕末の伝説の「急襲」を詳報
 元治元(1864)年6月5日午後10時過ぎ、新選組局長の近藤勇が「主人はおるか、ご用改めである」と声を張り上げ、沖田総司らとともに三条小橋西詰の旅籠(はたご)屋「池田屋」に突入した。

 2階に約30人の尊王攘夷(尊攘)派の浪士がいたことから、池田屋主人、惣兵衛はうろたえながら階段を上がっていった。

 惣兵衛の慌てぶりに浪士の存在を確信した近藤は永倉新八、藤堂平助を1階に待機させ、沖田総司と裏階段を駆け上がる。

 そこで浪士とかち合った近藤と沖田。近藤は多勢に無勢と思ったのか、いきなり「手向かいすると切り捨てるぞ!!」と怒鳴って相手を威嚇。両者に一瞬、緊張感が走った。

 が、にらみ合いもそう長くは続かなかった。突然に切りかかった浪士を沖田がバッサリと切り捨てたところで戦闘が始まった。

 浪士の多くは池田屋から北約300メートルの長州藩邸を目指し、吹き抜けから1階の中庭に飛び降りて脱出しようと試みる。ここで「1階が主戦場」とみた近藤は2階に沖田を置き、1階へ下りる。

 1階の永倉と藤堂は土間付近で脱出を図ろうとする浪士を相手に応戦。藤堂は額を切られ、永倉も左手を負傷する。2階の沖田は無類の強さを見せたが、吐血をして倒れ、戦線を離脱してしまう。

 近藤も囲まれるなど苦戦の連続だった。だが、ここで三条小橋北詰の四国屋丹虎(たんとら)に浪士がいないことを確認した副長、土方歳三の隊が合流してきたため形勢は逆転。戦いは2時間で終了した。

 浪士集団のリーダー的存在だった肥後藩・宮部鼎蔵(ていぞう)や、勝海舟が創設した神戸海軍操練所で坂本龍馬と訓練を受けていた土佐・北添佶摩(きつま)ら計9人が死亡、4人が捕らえられたという。翌日も会津藩などによる掃討作戦でさらに多くの尊攘派を失う。

 北添が事件に加担していたため、幕府の反感を買った操練所は廃止を余儀なくされ、行く先を失った龍馬はこのあと、倒幕へ走り出す。

 一方、ダメージを受けた長州は報復のために挙兵すると、事件から1カ月半後の7月19日に蛤御門(はまぐりごもん)の変が勃発。京の街は一瞬にして灰になってしまうのだった。(園田和洋)  


【山本覚馬】動乱の渦中で常に日本を見据え、戦い続けた不屈の会津藩士〔1〕/中村彰彦(作家)
「今、日本にとって急務なのは、内戦ではない」。
戊辰戦争の最中、薩摩藩に幽閉されながらも、日本の近代化を進めるための方策を、新政府に建白した男がいた。会津藩士・山本覚馬である。
『管見』と題する、23項目にわたる詳細かつ具体的な内容はあの坂本龍馬の「船中八策」を遥かに凌ぐと評価される。
教育と物づくりを軸に、新時代の日本像を描く覚馬が、目指していたものは何であったか。

◆西郷らを瞠目させた意見書『管見』◆

 現在、大河ドラマの放送もあり、新島八重(山本八重)が注目を集めています。幕末の戊辰戦争では、当時最新鋭のスペンサー銃を手に鶴ケ城龍城戦を戦い抜き、維新後には京都で同志社大学の設立者であるキリスト者・新島襄と結ばれて、ともに理想の教育の実現に邁進した、まさに「女傑」です。

 そんな八重を語る上で避けて通れないのが、実兄の会津藩士・山本覚馬でしょう。八重が女性でありながら最新の洋式銃を自在に操り、しかも実戦で活躍できたのは、先見性に富んだ17歳上の兄、覚馬の薫陶を受けていたからなのです。

 私は、土佐の坂本龍馬がドラマや小説で取り上げられるたびに、「遥かに格上の男が会津にいたのに」と、常々感じていました。

 龍馬といえば慶応3年(1867)6月、議会政治の導入など新国家の骨組みを8項目で示した、「船中八策」が有名です。一方の覚馬は慶応4年(1868)6月、幽閉されていた薩摩藩邸で、『管見』と題する意見書をまとめています。その内容は三権分立や二院制をはじめ、商工業振興や税制改革、能力主義の人材登用など、日本の近代化を進めるにあたっての具体案を、23にわたる項目で論じたものでした。

 『管見』で感心させられるのは、「教育」と「物づくり」を重視している点です。覚馬は「欧米列強に対抗するには、先ず人材の育成が急務」と、学校建設の意義や女性教育の必要性を訴えました。また一方で、これからは農業ではなく商工業で国を富ませるべきとし、殖産興業に力を入れることを主張します。

 「教育」と「物づくり」を核にした国づくりという構想が、いかに的を射たものであったかは、その後の日本の発展が証明しているでしょう。

 龍馬の「船中八策」が「どんな体制の国をつくるか」という理念を述べた、いわば「総論」に留まっていたのに対し、覚馬の『管見』は大きなビジョンを掲げた上で、各分野で何をすべきか、具体的な方策を説く「各論」までを打ち出していたのです。その内容の充実ぶりに仰天したのが、新政府の西郷隆盛や岩倉具視らでした。彼らが瞳目したのも無理はありません。「討幕」にのみ心を奪われ、新国家の形も未だ手探りであった西郷たちにすれば、敵方の会津藩士が、目指すべき「近代日本のあり方」を明示したことに、ただ驚くしかなかったのです。
  
◆覚馬を培った会津の気風と象山◆

 それにしても、覚馬はなぜこれほど先見性に富んだ意見書を記すことができたのでしょうか。その背景には、故郷・会津の伝統と、江戸で出会った1人の男の存在があります。

 先ほど、『管見』は「教育」を軸の1つに据えていると述べました。私には、これは非常に腑に落ちるものです。というのも、覚馬が育った会津藩は、諸藩に先駆けて「教育立国」を実現した藩であったからです。

 始まりは、藩祖・保科正之の時代に遡ります。当時、無為庵如黙という僧侶が、会津城下に稽古堂という学問所を開きました。そこでは家老から一般の町民まで、身分に関係なく誰もが儒学を学んだといいます。この気風を昇華させたのが、5代藩主・松平容頌の時代に藩政改革を実行した名家老・田中玄宰でした。彼は享和3年(1803)、新たに藩校・日新館を設立。藩士は10歳から藩校に通い、充実した教育を受けることになるのです。

 また、藩士の子供は日新館に入る前から「什の掟」に親しみます。「ならぬことはならぬ」で知られるこの教えにより、誰もが幼い頃から「会津武士のあり方」を身につけました。こうした会津藩独特の雰囲気の中で成長した覚馬が、「教育は近代化の軸である」と考えるのは、ある意味で必然だったでしょう。

 また、覚馬が23歳の江戸遊学の折に出会った佐久間象山の影響は、極めて大きなものでした。後年、覚馬は尊敬する人物に「佐久間象山、勝海舟、横井小楠」の3人を挙げていますが、日本全体を俯瞰する眼と先見力は、象山に鍛えられています。

 当代随一の蘭学者であった象山は、日本を取り巻く世界情勢にも通じており、阿片戦争に敗れ、列強に蹂躙された清国の惨状も知っていました。そして日本がその二の舞にならぬよう、開国して西洋文明を取り入れ、列強に対抗できる国力をつけるべきと唱えたのです。「異国の侵略を防ぐ」点で、象山の狙いは積極的な攘夷です。そしてそれは、外国の圧力に屈しただけの開国論や、相手の実力も知らずに「夷狄など皆追い払ってしまえ」と説く夜郎自大の攘夷論とは一線を画すものでした。

 そんな象山が重視したのが、工業力です。当時の日本は新式の武器など最先端の工業製品を輸入に頼っていました。これでは列強から侮られ、攘夷は果たせない――象山はそう考え、最新の科学に基づいた工業力の強化を主張したのです。実際、象山は自ら電信機などを製作し、今も長野県松代の象山記念館には、彼が手がけた多くの機器が残っています。

 こうした象山の議論は、覚馬にはストンと胸に落ちたはずです。実は会津藩では、先述の田中玄宰が手がけた改革により、各地から進んだ技術を導入することで、漆や酒造業などが発展し、藩政の建て直しが実現していました。つまり、「自国の物づくり」の振興から富国強兵を実現することは、会津藩がすでに経験してきたことでもあったのです。

 覚馬が『管見』で「物づくり」を標榜したのは、このような背景があってのことでした。日本を守るために何をすべきか。象山の思想は、会津藩が経験した「人づくり」「物づくり」を肌で知る覚馬に受け継がれ、具体化されたのです。

(『歴史街道』2013年4月号総力特集「山本覚馬と幕末動乱」 より)

■ 中村彰彦(なかむら・あきひこ)作家
昭和24年(1949)、栃木県生まれ。出版社勤務を経て、文筆活動に専念。
平成6年(1994)に『二つの山河」で第111回直木賞受賞。『五左衛門坂の敵討』(第1回中山義秀文学賞)、『落花は枝に還らずとも』(第24回新田次郎文学賞)、『会津のこころ』など著書多数。


エンターテインメント
イケメン新撰組が旅案内。女子のためのガイドブック! 『るるぶ薄桜鬼』(ブックレビュー)
 アニメを絡めての町おこし。最近よく見かけるようになっているのは、実際にそうした観光地が元気いっぱいになっているからでしょう。この『JTBのMOOK るるぶ薄桜鬼』(JTBパブリッシング)もそんなブームにあやかって出されたものだと思われますが、今回の対象は主に京都。昔ながらの伝統を持つ町にアニメが介入してくるのを快く思わない人もいるかもしれません。しかし、それによって若い子がその地に愛着を持つ。おとーさんが年頃の娘と新撰組の聖地に行って盛り上がれる。これって素敵な事だと思います! アニメは日本を元気にする。この雑誌を見て、改めてそう思いました。

元記事はこちら

 薄桜鬼から京都などに興味を持つ人の多くは若い女子。ついはしゃぎすぎて住民や他の観光客に迷惑をかけることがないよう、冒頭でしっかりイケメンが指導しています。そんな気配りが作り手の愛を感じる出だし。

 続いて名所案内。例えば八木邸であるならば、その場所に絡めた薄桜鬼のワンシーンを引用して印象付けています。 基本的な情報はもちろん、普通のガイドブックではおそらく取り上げられない“廊下”なども紹介されているのが面白い。薄桜鬼ファンにとっては、廊下ですらも重要な“萌え”ポイントだということです。

 若者をターゲットにしているせいか、旅行雑誌としても分かりやすく説明が丁寧。事前申し込みが必要なスポットなどなど、Q&A方式で読みやすく紹介されていたり、あらゆるアクセス方法が検討されていたりします。

 そしてお目当ての薄桜鬼以外にも、女子の心を揺さぶる情報満載。おしゃれな宿泊先、ランチ、スイーツ、かわいい小物などは女子ならば食いつかずにいられません!

 京都の他に、日野、会津若松、函館や、幕末に絡めた名所も同様に紹介。また、斎藤一役の鳥海浩輔さん、風間千景役の津田健次郎さんのインタビューも好きな人にはたまらないページでしょう。

 実際に持ち歩くにも電子は便利です。普通の雑誌と違ってくしゃくしゃにならないし。ただ、スマフォだとかなり拡大しなきゃならないのは、ちょっと残念。タブレットだと快適です。

文=いちむら おま
(ダ・ヴィンチ電子ナビ「エディターレビュー」より)


オリジナルストーリーで展開される「薄桜鬼」の新作ドラマCD登場
5月22日に発売される「薄桜鬼 ドラマCD ~近藤さんの悩みの種~」の予約受付がAmazonで開始された。

ファン待望の「薄桜鬼」の新作ドラマCDで、このドラマCDでしか聞けないオリジナルストーリーを、土方歳三役の三木眞一郎さん、沖田総司役の森久保祥太郎さん、斎藤一役の鳥海浩輔さん、藤堂平助役の吉野裕行さん、原田左之助役の遊佐浩二さん、風間千景役の津田健次郎さん、近藤勇役の大川透さんら豪華声優陣が彩る。

また、数多くの「薄桜鬼」主題歌を担当してきた吉岡亜衣加さんが歌うドラマCDテーマソング(Short ver.)も収録される。

愛か誠か、生か死か。動乱の京都に芽吹く、甘く切ない恋の花――「新撰組恋遊戯 ~幕末幻想異聞~」女性向け恋愛シミュレーションゲーム「mixi」「Mobage」にて配信開始!
グノシステムジャパン株式会社は2013年3月14日(木)に「mixi」、2013年3月25日(月)に「Mobage」にて、女性向け恋愛ゲーム『新撰組恋遊戯 ~幕末幻想異聞~』をフィーチャーフォン版・スマートフォン版同時に配信開始いたしました。
ジグノシステムジャパン株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:沼尻 一彦)は2013年3月14日(木)に、ソーシャルネットワーキングサービス「mixi」、2013年3月25日(月)に、ソーシャルネットワーキングサービス「Mobage」にて、女性向け恋愛シミュレーションゲーム『新撰組恋遊戯 ~幕末幻想異聞~』をフィーチャーフォン版・スマートフォン版同時に配信開始いたしました。


『新撰組恋遊戯 ~幕末幻想異聞~』とは、あなたが主人公となって、誠の志のもとに生きる新選組隊士たちとの恋愛を楽しむ、女性向け恋愛シミュレーションゲームです。

<ストーリー>
元治元年、京都。
病弱な弟を救うため、長州藩の間者となったあなたは、
命令により新撰組に近づくことに。
しかし、彼らに隠されたある「真実」を知った時、
あなたの運命は、否応無く因果の渦中へと巻き込まれていく。

誠を貫く男達と共に駆け抜けたその先で、
淡い恋の花を咲かせるか、それとも徒花となって儚く散りゆくのか。

決めるのは、あなた次第――


<ゲームの特徴>
ゲーム中の選択肢に正解したりアバターを獲得することで、彼との「好感度」が上がります。好感度によって物語が分岐し、それぞれのエンディングを迎えます。
物語の途中には「蜜月ルート」が発生することも。「蜜月ルート」は、いつもより甘く胸の高鳴るシチュエーションが楽しめる、スペシャルストーリーです!
また、好感度がアップするアバターには、可愛いアイテムがいっぱい! ガチャで手に入る美麗アバターで、トータルコーディネートも楽しめます。
<キャラクター>


<『新撰組恋遊戯 ~幕末幻想異聞~』のサイト概要>

■アドレス :
Mobage(フィーチャーフォン・スマートフォン共通):http://pf.mbga.jp/12013935
mixi(フィーチャーフォン): http://ma.mixi.net/39666/
mixi(スマートフォン):http://mixi.jp/run_appli.pl?id=39666
■利用料金 : 無料(一部有料)
■対応端末 : フィーチャーフォン、スマートフォン
※機種により、非対応の場合がございます。詳細はサイトをご覧下さい。
■アクセス方法 :
 「Mobage」トップ > ゲーム > 恋愛
 「mixiゲーム」トップ > オシャレ・恋愛

<シナリオ企画制作>
ジグノシステムジャパン株式会社
<イラスト/キャラクターデザイン>
なま


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『八重の桜』の長州藩描写 山口県民は受け入れ難いの意見多し
 山口県下関市に住む70代女性は、長年にわたって大河ドラマの大ファンだ。特に今年の『八重の桜』は、綾瀬はるかが「孫の嫁によう似ちょる」ということもあり、楽しみにしていた。しかし、最近では、日曜夜8時のNHKにチャンネルを合わせようとするたび、気が重くなってしまう。

「まだまだ物語は始まったばっかり。それやのに、もうすっかり長州藩は悪者扱いじゃけえね。このままやったら、戊辰戦争で会津に攻め入った長州藩は、鬼のように描かれるでしょ。ちょっと見る気がせんのよね」

 大人気の大河ドラマ『八重の桜』。初回視聴率は2年ぶりに20%超えを果たした。物語の舞台である福島県への貢献は相当なもの。日本銀行福島支店の試算によれば経済効果は「113億円」ともいわれており、震災からの復興に一役かっている。

 このドラマは、明治維新を「敗者」である会津藩の視点から描いたものだ。

 綾瀬演じる山本八重の故郷・会津藩は、旧幕府勢力の中核と見なされ、長州藩・薩摩藩を中心とする新政府軍の仇敵となる。

 特に、長州藩との遺恨は根深い。会津藩主・松平容保が1862年から京都守護職となり、新撰組を麾下において尊王攘夷派志士たちの徹底的な取り締まりを行なう。さらに蛤御門の変では、壮絶な市街戦の末に長州藩を敗北させ、「朝敵」へと追いやる。

 大政奉還、王政復古後に戊辰戦争が勃発すると、今度は会津藩が新政府軍から「賊軍」の汚名を受け、徹底的な弾圧にあう。19人の少年たちが自刃した「白虎隊の悲劇」に代表されるように、数多くの犠牲者を出した。

 さらに新政府軍は会津戦争における犠牲者の埋葬を禁じたため、会津の人々は家族の遺体が野に晒され、鳥や獣に食い散らかされる悲惨な状況を目の当たりにしたとされる。

 これらの遺恨はまだ根深く残っており、2007年に山口選出の安倍晋三首相(前任時)が会津若松市を訪れた際、「先輩がご迷惑をかけたことをお詫びしなければならない」と語ったほどだ。

 会津出身の本誌女性編集者は小さい頃から「長州の男との結婚だけは絶対に許さん」と言われ続けて育ったという。そんな背景もあり、『八重の桜』における長州藩の描写は、「山口県民にとっては受け入れたくないもの」(山口県萩市在住の70代男性)という意見が多い。

※週刊ポスト2013年4月5日号


『八重の桜』描写 山口・福島県民の怒り温度差にNHKが配慮
 NHKで大人気の大河ドラマ『八重の桜』は、幕末の会津が舞台となっているが、戊辰戦争で会津に攻め入る長州藩が鬼のごとく描かれているため、山口県民の怒りを買っている。

 その一方で、「NHKサイドは山口県には相当気を遣っている」との分析もある。山口県萩市にある萩博物館の一坂太郎・特別学芸員(幕末維新史)がいう。

「吉田松陰役の小栗旬が、ストーリーの必然性と関係なく、会津を訪れたエピソードは印象的だった。松陰が会津に行ったのは史実ですが、八重や山本覚馬に会ったかどうかは分かっていない。松陰の魅力を伝える場面をあえて作ったという気がしますね。

 それに江戸の街や黒船襲来のシーンを撮るときにも萩市でロケをやっている。さしたる必要性がないのにやってきたのは、山口県からの反感を避けるためかもしれません」

 もちろん山口県民の「怒り」と福島県民の「怒り」に相当な温度差があることは事実だ。1980年代には萩市が会津若松市と姉妹都市を結ぼうとしたが、会津若松市の反対で頓挫した経緯がある。

 1996年に当時の萩市長が非公式に会津若松市を訪れた際も、会津若松市長は記者会見の場では握手に応じなかったといわれる。 萩市在住で「長州と会津の友好を考える会」代表の山本貞寿氏がいう。

「郷土に攻め入られた会津の方が持つ思いと、長州の人間が持つ思いとでは、重みが違うのは事実。過去の和解活動は全てうまくいっていないし、歩み寄ろうとしても会津の方には厳しいことをいわれてしまうことも多い。

 細かいことを議論しようとすると、堂々巡りになってしまうので、私はあまり悪口を言い合いたくない。お互いに日本を思う気持ちがあるんだから、少しずつ歩み寄っていければいいと思うんです」

※週刊ポスト2013年4月5日号
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