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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
江川坦庵ファンとしては、格別に嬉しく思います。
 伊豆の国市に統合されて韮山という地名が地図から消えてしまったので、韮山反射炉、できるだけ長く受け継がれて欲しいです。ちなみにシャトルバスがあるのですね、私が行った時は徒歩でした。。

「反射炉守れ」100年の遺訓 韮山、稼働停止後も住民奔走
 世界遺産への登録が勧告された「明治日本の産業革命遺産」の構成施設の一つ、韮山反射炉(静岡県伊豆の国市)は、一八五七年の完成から百五十年以上たつ。二十世紀初頭に芽生えた地元住民らの保存の機運が脈々と引き継がれ、地震による崩壊の危機や建材の風化を乗り越えてきた。 (山田晃史、山下葉月)
 「反射炉は守らなければならない」。韮山反射炉近くの土産物店「蔵屋鳴沢」に伝わる教えだ。現在の女将(おかみ)稲村たみ子さん(86)は、二十一歳で嫁いでから六十年以上反射炉を見つめ続け、敷地内の清掃を欠かさなかった。
 「自分が見て育った反射炉は、北側の煙突の一部がない状態だった」。稲村さんの記憶に残るのは一九三〇年の北伊豆地震で、四つの煙突のうち二つの先端が崩れ落ちた姿だ。しばらく放置されたが、当時の韮山村が五七年、修理に着手して元の姿に戻し、れんがの耐震補強も完了。稲村さんは「ずいぶん新しくなった」と感心した。
 地元で最初に保存の機運が盛り上がったのは反射炉の建造を指揮した韮山代官・江川坦庵(たんなん)の没後五十年の一九〇五年ごろ。坦庵の五男の娘婿を中心に地元住民らが「韮山反射炉保勝会」を〇八年に設立。当時管理していた陸軍省に働き掛け、明治期の一回目の修理が実現した。学芸員の橋本敬之さん(62)は「放置されれば崩壊していたかもしれない。地域の有志の力によって今の姿がある」と評する。
 旧韮山町が一九八五~八九年に三回目の修理を行い、風化したれんがの一部を交換。いまも完成当時のれんがが八割残っている。
 反射炉の完成から廃炉までわずか七年。「産業施設は用がなくなれば取り壊すのが普通なのに、守った地元住民の活動は文化財保護の先駆けだ」。伊豆の国市民らでつくる韮山反射炉応援団の渡辺解太郎(かいたろう)理事長(77)は、先人の先見性をたたえた。応援団は活動を受け継ぎ、草むしりなど清掃活動に取り組んでいる。

世界遺産登録勧告から一夜明け 韮山反射炉にぎわう
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関による世界文化遺産への登録勧告から一夜明けた五日、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つ、伊豆の国市の韮山反射炉は、昨年の大型連休中一日当たりの四倍となる観光客が押し寄せた。

 「イコモス登録勧告・韮山反射炉世界遺産へ!」。開館時間の午前九時、反射炉の管理事務所に祝賀ムードを演出する張り紙がされ、入場待ちの観光客が五十メートルほどの列を作った。時間がたつにつれ人数は増え、スマートフォンやカメラで記念撮影する人が敷地を埋め尽くした。

 家族七人で伊豆を旅行中、ニュースを知って急きょ立ち寄った東京都葛飾区の私立中一年の池永翔一君(12)は「江戸時代からきれいに残っているなんてすごい」と驚いていた。

 管理事務所によると、五日の入館者数は四千六百二十六人。昨年の大型連休で最も多かった五月三日の千二百三十八人の四倍近くに上り、最近二~三年の一日の最高人数二千六百人を大きく超えた。最寄り駅の伊豆箱根鉄道伊豆長岡駅と反射炉を結ぶ無料シャトルバスはどの便も満席。市職員も反射炉の駐車場に立ち、交通誘導に大忙しだった。伊豆の国歴史ガイドの会はガイドを通常の五人から八人に増やして対応した。

 一方、伊豆の国市の小野登志子市長は五日、臨時の記者会見を開いた。登録を正式決定するため六~七月にドイツで開かれるユネスコ世界遺産委員会への出席は「政府の要請があれば検討する」と述べ、当日は市内で現地中継のパブリックビューイングを開く方針を示した。

 会見後、反射炉の建造を指揮した韮山代官・江川坦庵(たんなん)(一八〇一~五五年)の墓前で勧告結果を報告。「ようやくうれしさがわき上がってきたが、保全への責任の重さを感じている」と語った。

◆先人の活動に感謝 住民ら保全継続に期待

世界文化遺産への登録が勧告され「文化財保護の活動をした先人に報いることができた」と話す韮山反射炉応援団の渡辺解太郎理事長=5日、伊豆の国市韮山金谷で
写真
 韮山反射炉は、国内で唯一現存する実用炉だ。一八五七年の完成後、地震による崩壊の危機もあったが、三回の大きな保存修理とともに、住民や自治体による保存運動が現在につながった。保存に関わる住民らは五日、先人の活動に「報いることができた」と安堵(あんど)し、世界遺産登録で保全が続くことを期待した。

 「反射炉は守らなければならない」。韮山反射炉近くの土産物店「蔵屋鳴沢」の女将(おかみ)稲村たみ子さん(86)が二十一歳で嫁入り以来、店に伝わる教えだ。六十年以上反射炉を見つめ続け、敷地内の清掃を欠かさなかった。

 「自分が見て育った反射炉は北側の煙突の一部がない状態だった」。稲村さんの記憶に残るのは一九三〇(昭和五)年の北伊豆地震で四つある煙突のうち二つの先端が崩れ落ちた姿だ。しばらく放置された後、当時の韮山村が五七年、修理に着手して元の姿に戻し、れんがの耐震補強も完了。稲村さんは「ずいぶん新しくなった」と感心した。

 地元で最初に保存の機運が盛り上がったのは、反射炉建造を指揮した江川坦庵の没後五十年の一九〇五年ごろ。坦庵の五男の娘婿ら地元住民が「韮山反射炉保勝会」を〇八年に設立。当時管理していた陸軍省に働き掛け、明治期の一回目の修理が実現した。

 江川家の資料を管理する江川文庫が保管する明治期の写真は、れんがから草木が生い茂った反射炉の修理前の姿を収めている。学芸員の橋本敬之さん(62)は「放置されれば崩壊していたかもしれない。地域の有志の力によって今の姿がある」と評価する。

 旧韮山町が一九八五~八九年に三回目の修理を行い、風化したれんがの一部を交換。いまも完成当初のれんがが八割残っている。

 「産業施設は用がなくなれば取り壊すのは普通なのに、それを守った地元住民の活動は文化財保護の先駆けだ」。伊豆の国市民らでつくる韮山反射炉応援団の渡辺解太郎(かいたろう)理事長(77)は、先人の先見性をたたえた。応援団は活動を受け継ぎ、反射炉の草むしりなど清掃活動に取り組んでいる。

(山田晃史、山下葉月)

「韮山反射炉サミットを」 世界遺産内定で伊豆の国市長が意向
 韮山反射炉(伊豆の国市中)など23の構成施設からなる「明治日本の産業革命遺産」が4日に世界文化遺産への「登録勧告」を受けて一夜明けた5日、同市の小野登志子市長は市役所で会見し、構成施設のある8県11市と施設の維持管理に向けて連携を進める考えを明らかにした。また、韮山反射炉の耐火レンガが生産された河津町など、反射炉に関わった市町と協力して「韮山反射炉サミットを開き、伊豆半島全体の観光に役立てたい」と述べた。

 「登録勧告が出ると確信していたので『やっぱり』という気持ちが強かった」。小野市長は会見で、4日に登録勧告の連絡を受けたときの気持ちをこう述べた。そして、「7月の世界遺産委員会で勧告通りに登録されるように全力で取り組む」と話した。川勝平太知事も「勧告通り世界遺産一覧表へ記載され、富士山に続く本県2つ目の世界遺産となるよう、万全を期す」とコメントした。

 増加が見込まれる観光客について、小野市長は「反射炉建設の実績を知ってもらうのが一番うれしい」とした上で、反射炉の成り立ちなどを説明するビジターセンターを平成28年度末までに完成させる計画を明らかにした。

 また、明治日本の産業革命遺産の構成施設が全国に広がることから「スタンプラリーを観光客向けにやってみてはどうか」との構想を披露。すでに世界文化遺産に登録されている「富士山と一緒に世界に発信したい」との考えも示した。

 来場者が殺到した反射炉をこの日訪れた、市内に住む県立韮山高2年の室伏勇飛(はやと)さん(16)は「『登録勧告』でどれだけにぎわっているかと思って来た。何度も来ているので身近過ぎて、登録勧告されるとは思っていなかった。本当に意外だ」と驚いていた。

韮山反射炉「うれしさより、安堵感」
■世界遺産登録勧告、関係者沸く

 韮山反射炉を含む「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」が世界文化遺産へ――。国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の諮問機関・国際記念物遺跡会議(イコモス)の登録勧告に、伊豆の国市関係者は喜びに沸いた。

 同市世界遺産推進課には4日午後8時半頃、国を経由して「吉報」が入った直後から、職員6人が電話対応などに追われた。男性職員(40)は「うれしさより、安堵あんど感の方が大きいです」と笑顔をみせた。

 反射炉の歴史などを観光客に案内してきた「伊豆の国歴史ガイドの会」の小松逸夫会長(78)は、「多くの人が訪れ、ゆっくりと案内ができなくならないか心配もある」としながら、「近代日本産業の礎になり、世界文化遺産に推薦された経緯をきちんと説明したい」と強調した。

 「待ちに待った知らせ」。同市観光協会の鴨下記久枝会長は、登録の見通しになったことを手放しで喜んだ。4日も約1200人の観光客が訪れたといい、「例年にないほど盛り上がっている」と話した。

 同市中の地元自治会「中区」の松井周治区長(65)は「伊豆の山々を背にそびえ立つ反射炉は、昔から全国に誇れる古里の自慢だった。今はうれしい気持ちでいっぱい」と声を弾ませた。

世界文化遺産:韮山反射炉…「技術立国・日本の礎」 静岡
◇登録勧告の「明治日本の産業革命遺産」の一つ

 「地域の財産を次世代へ引き継ぐのに強みが加わった」。世界遺産への登録の可否を調査する諮問機関「国際記念物遺跡会議」(イコモス、本部・パリ)から4日、「登録が適当」と国連教育科学文化機関(ユネスコ)に勧告された「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」(福岡、長崎、静岡など8県)。構成資産の一つ、韮山反射炉(静岡県伊豆の国市)を築造した江川英龍(坦庵)の史料などを保存する江川文庫の橋本敬之学芸員(62)は笑顔で語った。江川家を研究し約30年。この日を待ち望んだ。「これで英龍の業績が世界に知られるようになれば」と期待する。

 韮山反射炉は、天井で熱を反射させて鉄を溶解し、大砲を鋳造する。江戸期には鉄製や銅製の大砲100門以上を作ったが、1864年に廃炉になった。実際に稼働した炉としては国内で唯一現存する。

 伊豆の国歴史ガイドの会の小松逸夫会長(78)は「案内した観光客に世界遺産登録への協力を呼びかけてきた。今後はお礼も込めてガイドしたい。反射炉は技術立国・日本の礎そのものだと伝えたい」と喜んだ。

 静岡県庁の富士山世界遺産課では、午後8時半に登録勧告が伝えられると、待ち構えた職員らに安堵(あんど)感が漂った。小坂寿男課長は「イコモスの現地調査では悪くない感触だった。6月の正式決定を目指して頑張りたい」と話した。

 川勝平太県知事は「大変喜ばしい。富士山に続く本県二つ目の世界遺産となるよう万全を期したい」とコメントした。【西嶋正信、石川宏】
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