新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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福島
松平容保の貴重な写真展示 会津若松で11日まで「戊辰と明治展」
静岡
「ディアナ号」来館2万人 富士の歴史学習施設
京都
戊辰戦争中の目安箱訴状発見 京都で全国初
「これぞ暁斎」自由奔放に描く 京都で展覧会
徳島
幕末・牟岐沖漂着の異国船 英囚人強奪の海賊船か
熊本
幕末の志士 宮部鼎蔵の被災した顕彰碑再建
コラム
北斎や広重、幕末の横浜など、日本の貴重な浮世絵2500点が米議会図書館Webサイトで楽しめる
エンターテインメント
超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』 雷舞(ライブ)
松平容保の貴重な写真展示 会津若松で11日まで「戊辰と明治展」
会津若松市で発見された、幕末の会津藩主・松平容保の明治初期の写真などが並ぶ「第3回戊辰と明治展」は9日、同市文化センターで始まった。市内外から来場者が訪れ、国内を二分した戊辰戦争での重要人物の貴重な一枚に見入っている。11日まで。入場無料。
容保の写真は、写真を包んでいた紙に「明治七(1874)年四月に戴く」との書き付けがあり、撮影は74年4月より前とみられる。専門家は「身分の高く親しい旧会津藩士に贈った写真では」とみており、「撮影時期が推定でき、構図も珍しく貴重だ」としている。
郡山市から訪れた夫婦は「戊辰戦争への興味がますます湧いてきた」と語った。
同展は市民有志らでつくる会津戊辰戦争150周年事業実行委員会(会長・阿部隆一歴史春秋出版社長)の主催。会場には写真や書の新史料のほか、幕末明治期の会津の史料やパネルなどが並ぶ。時間は午前9時~午後8時(最終日は午後3時)まで。
静岡
「ディアナ号」来館2万人 富士の歴史学習施設
富士市前田のふじのくに田子の浦みなと公園内に整備された歴史学習施設「ディアナ号」がこのほど、来館者数2万人を突破した。公園を管理する県田子の浦港管理事務所によると、4月1日のオープン以来、48日で大台を超えたという。
施設は幕末の1854(安政元)年に同市沖で沈没したロシア軍艦を、実物の3分の1の大きさ(全長約25メートル、高さ約19メートル)で再現。地元住民が乗組員500人を救助した逸話を後世に伝えようと、1階の展示スペースは海底から引き揚げられたディアナ号の鎖の一部や当時の様子を紹介するパネルなどを展示している。2階は船のデッキを模していて、駿河湾や伊豆半島を一望できる。
公園は富士山の撮影スポットとして人気が高く、施設もオープン当初から家族連れや観光客でにぎわった。特に5月の大型連休は6千人余りの来館者があり、短期間で2万人を達成したという。
開館時間は午前9時~午後4時。月曜休館。
(2017/6/10 08:55)
京都
戊辰戦争中の目安箱訴状発見 京都で全国初
戊辰戦争中、明治新政府の統治下に入った京都で全国に先駆け置かれた目安箱に、京都の人々が入れた訴状の原本34通が8日までに見つかった。国際日本文化研究センター(京都市西京区)の磯田道史准教授(日本史学)が市内の古書店を通じ入手した。同時期の目安箱の訴状が見つかるのは全国でも初。幕末から明治への大転換期に、小学校建設や、物価高騰による窮状を訴えた書面が含まれている。
目安箱への訴えを指す「箱訴」や、1868(慶応4、明治元)年を意味する「戊辰歳」と墨書された冊子に、1通ごとに筆跡の異なる34通がとじられていた。王政復古の大号令や鳥羽伏見の戦い直後で、明治改元前の68年2月、明治新政府は徳川幕府にならって全国初の目安箱を京の三条大橋西詰に設置。その後、堀川竹屋町橋や京都府庁前にも置かれ、東京や大阪でも順次設置された。
見つかった訴状は主に68年6~12月の日付で、「堀川目安箱」との受領印がある訴状もあった。蛤御門の変(64年)などで荒廃した京の復興を建言する訴状が多く、「上京三十七番組」の住人は連名で公営の長屋建設を求め、その家賃を基に小学校を運営したいと要望している。
また、新政府が68年5月に出した国内初の紙幣・太政官札の発行に伴う物価高騰を受け「農民など零細な人が苦しんでいる」「天皇の威光が衰えるもとになる」と不満をしたためる書もあった。飢饉(ききん)に苦しむ浜松の人が助けを求める書状や、装甲車のような兵器を新政府に提案する絵入りの訴状もあった。
磯田准教授は「京都の庶民が明治維新と聞いた直後に何を思ったのか、生の声が分かる大きな発見。御一新をおおむね好意的に受け止め、京都の近代化に向けた前向きな提言が多い。今後調査を進めたい」としている。
「これぞ暁斎」自由奔放に描く 京都で展覧会
幕末明治期、自由奔放に絵筆を振るった絵師河鍋暁斎(きょうさい)(1831~89年)の傑作を集めた「ゴールドマンコレクション これぞ暁斎」展(京都新聞など主催)が10日、京都市下京区の美術館「えき」KYOTOで開幕する。報道内覧会が9日開かれ、おおらかな笑いと風刺にあふれる暁斎ワールドが公開された。
暁斎は浮世絵師歌川国芳に入門、狩野派にも学び、才能を花開かせた。英国の画商イスラエル・ゴールドマン氏の世界的なコレクションからよりすぐった肉筆画、版画、絵日記など計約180点を展示する。
暁斎の特徴は、強弱自在な筆の線と現代に通じる斬新な表現。鍾馗(しょうき)や達磨(だるま)のほか、得意としたカラスは当時から博覧会で外国人の人気を呼んだ。明治の役人や文明開化を動物たちにたとえて皮肉り、妖怪や鬼を劇画調に表し、薄明かりに浮かび上がる幽霊を情感たっぷりに描くなど、卓越した画力とユーモアがうかがえる。同展監修の及川茂・日本女子大名誉教授は「時代も国境も超えた絵師の魅力を楽しんでほしい」と話した。7月23日まで。有料。
徳島
幕末・牟岐沖漂着の異国船 英囚人強奪の海賊船か
幕末の1829(文政12)年、牟岐沖に現れた黒船は、イギリスの囚人が強奪した海賊船である可能性が高いことが分かった。有名な異国船漂着事件でありながら、当時は英国艦船としか分からず、実態は謎だった。英国出身の英会話講師ニコラス・ラッセルさん(51)=兵庫県芦屋市在住=が、約2年かけて歴史書や当時の新聞を調査し突き止めた。
事件は、徳島藩士浜口御牧(ぎょぼく)が30(文政13)年に著した挿絵付きの見聞記「異国船舶来話并(ならびに)図」(篠原家文書)に紹介されている。
牟岐町の出羽島に別荘を所有するラッセルさんが、見聞記を解読した史料「異国船牟岐浦漂着」(徳島の古文書を読む会)を読み、2015年から調査を始めた。英紙タイムズの記事(1830年10月18日付)や、オーストラリアの歴史書「キプロス号を盗んだ男」などと照合。その結果、船は英国の囚人収容所があった豪タスマニア島で、護送中の囚人が反乱を起こして奪った「キプロス号」と分かった。
船の大きさ、帆柱の高さ、乗員の服装と人数、漂着時期がほぼ同じだったほか、弾が撃ち込まれて開いた船の穴の位置が歴史書などと一致した。
今回の発見は、英紙ガーディアンが5月28日付で報道。調査に協力した徳島県立文書館の徳野隆館長は「黒船がキプロス号だった可能性は非常に高い。異国船の実態をつかみ、幕末の空白を埋める成果」と評価した。駐大阪オーストラリア総領事デイビッド・ローソンさんも「キプロス号の可能性が高い」とコメントした。
異国船問題に詳しい下関市立大の鴨頭(かもがしら)俊宏講師は「貿易船ではなく海賊船だった点で、想定を超える国際的な有事が発生する可能性があった」と話した。
ラッセルさんは「歴史解明の面白さを味わった。オーストラリアにはキプロス号を題材にした歴史書2冊と、民謡がある。ただ、徳島には触れていない。今後も調査を重ねたい」と語った。
◆異国船牟岐浦漂着事件
1829年12月20日午前9時ごろ、英国籍の黒船が日和佐沖に現れ、その後、牟岐沖に移動した。徳島藩士や多くの農民が沿岸を警備。23日、徳島藩は幕府の異国船打払令に従って発砲したところ、船は出港し、行方不明になった。
【写真説明】「異国船舶来話并図」に描かれた漂着船(県立文書館提供)
熊本
幕末の志士 宮部鼎蔵の被災した顕彰碑再建
熊本地震で被災し、地元住民が修復していた御船町上野の宮部鼎蔵[ていぞう]顕彰碑の工事が完了。4日、鼎蔵と親交のあった吉田松陰の生誕地・山口県萩市の住民3人が駆けつけ、碑の再建を喜び合った。
同町上野出身の鼎蔵は幕末の尊王攘夷[じょうい]派の志士。志を同じくする松陰とは、海防視察のため過酷な東北への旅を共にするなど親交が深かった。松陰は1859年の安政の大獄で処刑され、鼎蔵はその5年後、京都の池田屋で新撰組の襲撃を受け、自刃した。
昨年4月の地震では、同町上野の記念公園「鼎春[ていしゅん]園」に建つ顕彰碑(高さ約5メートル)が傾いたほか、歌碑が倒れるなどの被害が出た。地元住民でつくる宮部兄弟顕彰会(北川内宗郎会長)はネットで募金を呼び掛け、110万円を調達。今回来熊した山本貞壽さん(78)ら萩市の住民有志からは、これまで計100万円の支援金が寄せられた。
修復は1月下旬着工、3月25日完了。再建された顕彰碑を見上げた山本さんは「手助けしたい一心だった。松陰先生も涙を流して喜んでくれると思う」と目を潤ませた。顕彰会の北川内会長(80)は「萩市からの支援がなければこれほど早く再建できなかった。ありがたい」と話した。
山本さんらは、新たに65万円の支援金を顕彰会に贈った。同会は周辺の案内板の整備や萩市との交流資金などに活用するという。(久保田尚之)
コラム
北斎や広重、幕末の横浜など、日本の貴重な浮世絵2500点が米議会図書館Webサイトで楽しめる
アメリカの議会図書館の印刷物・写真部門には日本の浮世絵と木版画が所蔵されており、デジタルコレクションのページから浮世絵や木版画のデータ約2500点がダウンロードできるようになっています。
ダウンロードできる浮世絵や木版画は江戸時代の「東海道五十三次」の図をはじめ、北斎や広重、国貞の作品や、幕末に横浜が開港されたのち、日本で広まっていった西洋文化の様子を描いたものです。
そのうち100点は「ワシントン・イブニング・スター」紙のオーナーで編集長だったクロスビー・スチュアート・ノエス氏がコレクションしていたものだそうです。
「富嶽三十六景」や「東海道五十三次」が閲覧できる
ダウンロードできる作品を見ると「東海道五十三次」や「富嶽三十六景」などよく知られている作品が所蔵されていることがわかります。
葛飾北斎による「東海道五十三次」シリーズの中でも有名な作品もあります。東京・小石川の茶屋から雪が降ったあとの富士山を眺める人たちを描いた「礫川雪ノ旦(こいしかわゆきのあした)」も閲覧できました。
日本人から見た西洋の人たち
横浜の様子を描いた木版画では、洋装で歩く外国人を描いたものや外国の子どもたちが遊ぶ図版、当時のアメリカ人の上官の顔を描いたものなどが見られます。
アメリカ人、イギリス人、フランス人と日本人が集まって何かを話している様子の絵も。
所蔵コレクションを閲覧・ダウンロードするには議会図書館のWeb「オンラインコレクション」から「Fine Prints:Japanese,pre-1915」を選択します(このリンクから直接アクセスできます)。
江戸時代の浮世絵や西洋文化が流れ込んだ日本の姿がわかる貴重な資料。200年も経つと、世界中の人たちが自由に見られるようになることを当時の浮世絵師は想像していたでしょうか。
出典元:Download 2,500 Beautiful Woodblock Prints and Drawings by Japanese Masters (1600-1915) - openculture(6/8)
エンターテインメント
超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』 雷舞(ライブ)
[マーベラス]
第4弾公演日程発表!!
超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』待望の雷舞(ライブ)公演日程発表!!
新たなる、超歌劇(ウルトラミュージカル) 『幕末Rock』の動きに注目!!
原作の『幕末Rock』は、2014年2月にゲームがリリースされるや大ヒットし、7月にTVアニメが放送され、“幕末”という時代設定のもと、志士(ロッカー)たちが音楽で新しい時代を創る、斬新で魅力的なキャラクターにあふれた大人気コンテンツ。
舞台版は、超歌劇(ウルトラミュージカル)と銘打ち2014年12月に、吉谷光太郎氏の脚本・演出で上演され、本格Rockの楽曲の数々と圧巻の雷舞(ライブ)演出を、若手実力派俳優たちがミュージカルで表現し、全公演満席で、立見もでるほどの注目作となりました。原作ゲーム、アニメの世界観をそのままに、劇中の演出シーンの一部として、観客が実際にペンライトを振りながら公演を楽しむという観客参加型のライブ要素を取り入れた演出が大好評をいただきました。
その後、2015年8月超超歌劇(ちょう・ウルトラミュージカル)として、東京・大阪で再演し、全公演即SOLD OUT。千秋楽には全国でのライブビューイングも敢行。そして2016年8月、9月には新作で新キャラクターも登場した「黒船来航」を上演。そして、2017年3月には超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』待望の雷舞(ライブ)を東京・大阪で開催するこを発表、また公式Twitterでは、生誕祭企画など大きな盛り上がりをみせています。
そしてこの度、Rockの日(=6/9)に合わせて、公演日程を発表致します!!
■公演日程:
【大阪公演】
★日時:2017年11月24日(金)~26日(日)
★会場:大阪メルパルクホール
【東京公演】
★日時:2017年11月29日(水)~12月3日(日)
★会場:AiiA 2.5 Theater Tokyo
■スタッフ
原作:『幕末Rock』(マーベラス)
構成:吉谷光太郎
音楽制作:テレビ朝日ミュージック
ステージング:MAMORU
■キャスト
坂本龍馬 役:良知真次 高杉晋作 役:糸川耀士郎 桂小五郎 役:三津谷亮 土方歳三 役:輝馬 沖田総司 役:佐々木喜英/お登勢 役:山岸拓生 勝海舟 役:岩崎大/井伊直弼 役:吉岡佑 徳川慶喜 役:Kimeru/マシュー・カルブレイス・ペリー・ジュニア 役:兼崎健太郎
■主催/マーベラス テレビ朝日ミュージック NBCユニバーサル・エンターテイメント NAS
(C)2014 Marvelous Inc./幕末Rock製作委員会
(C)2014 Marvelous Inc./超歌劇『幕末Rock』製作委員会
■公式サイト:http://bakumatsu.marv.jp/stage/
■公式ブログ:http://www.marv.jp/message/bakumatsu.php
■公式twitter:https://twitter.com/bakumatsu69
■公演に関するお問い合わせ マーベラス ユーザーサポート
TEL:0120-577-405 (土日祝日 指定日除く 11:00~17:00)
企業プレスリリース詳細へ (2017/06/10-10:22)
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松平容保の「写真」発見! 幕末の会津藩主、明治初期に撮影
幕末期にもっとも近い容保様のお姿。。。(;o;)
幕末の会津藩主・松平容保(かたもり)を明治初期に撮影した写真が8日までに、会津若松市内で見つかった。写真を包んでいた紙の書き付けに「明治七年四月に戴く」とあり、専門家は「撮影時期が推定できる点が貴重で珍しい」としている。
戊辰戦争で会津藩が敗れた後、容保は東京などで謹慎。1869(明治2)年に会津藩再興が許され、現在の青森県に斗南藩が成立し、容保の嫡男・容大(かたはる)が斗南藩知事になった。容保は71年に斗南藩領に移るが、廃藩置県ですぐ東京に戻り、72年に蟄居(ちっきょ)が許され、しばらくは東京で暮らした。
同市の歴史家・野口信一氏(67)によると、容保は74年4月27日、会津で行われる戊辰戦争戦死者を弔う七回忌に出席するため東京を出発。5月初めに会津入りし、約1カ月を過ごした。野口氏は写真について「容保が身分の高く親しい旧会津藩士に贈ったもの」とし、「もしかすると慰霊に旅立つ姿を写した写真かもしれない」と想像を膨らませた。
写真は市内の収集家が入手したもので、74年時に容保から写真を贈られた人物は不明だ。このほか容大が12歳時に書いたという書「春濤(しゅんとう)」(春先、岸に打ち付ける穏やかな波の意味)、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の写真も見つかった。
幕末期にもっとも近い容保様のお姿。。。(;o;)
東京
新選組結成前の名簿、東大で発見 妻子持つ浪士多く
千葉
幕末の会津藩士弔う 富津の墓前 市長ら30人
京都
【寺田屋事件】龍馬かくまった薩摩藩屋敷、絵図が見つかる
幕末・牟岐沖漂着の異国船 英囚人強奪の海賊船か
佐賀
幕末の佐賀城下写真発見 直茂250年祭写す
幕末の志士 宮部鼎蔵の被災した顕彰碑再建2017年06月05日
コラム
(言葉の服)日本人のおしゃれ:上 土方歳三の「いき」 堀畑裕之
新選組結成前の名簿、東大で発見 妻子持つ浪士多く
幕末の京都で新選組の前身となった浪士組235人分の出身地や年齢、家族構成が記された詳細な名簿が、東京大法学部に保存されていることが29日までに、歴史研究家への取材で分かった。妻子を持った40代以上の者も多く、中には60代の浪士も。動乱の時代に立身出世を夢見た新選組の原点が垣間見える。将軍家茂の上洛に際しての護衛で、3ヶ月程度で江戸に戻ってくるプロジェクトという位置づけだったため、浪士組は妻子持ちや60代もいれば、博徒ややくざ者もいる玉石混淆でした。
見つかったのは「浪士姓名簿」と題された冊子で、これまで一部の存在しか知られていなかった。幕府の呼び掛けで江戸に集まった者の身上書を基に、浪士組取締役だった旗本が一覧を記したものとみられる。
後に新選組幹部となる沖田総司や永倉新八、藤堂平助が近藤勇の道場に同居し、山南敬助が門人の家に間借りしていたことが分かる。
父母や妻子の記載がなく、独り身とみられるのは80人足らず。63歳が2人おり、「孫」「祖母、母、妻子六人」「父母、兄弟十人」など多くの家族を抱える者もいた。
出身地は、武州(東京・埼玉)と上州(群馬)がそれぞれ50人以上を占め、甲州(山梨)や常州(茨城)などが続いた。
浪士組は将軍警護の名目で京に入った後、結成の黒幕だった清河八郎の策略で反幕府勢力に転換。9割以上が江戸に帰ったが、反発した近藤勇ら22人が京に残り、後の新選組になった。
新選組研究の第一人者として知られる菊地明さんは「これまであった名簿に比べて出身地や家族構成が詳細で、一番信頼度が高いのではないか」と話している。〔共同〕
千葉
幕末の会津藩士弔う 富津の墓前 市長ら30人
幕末に東京湾防備のため亡くなった会津藩士を弔おうと、房総半島会津藩士顕彰会は4日、藩士の墓がある富津市西川の正珊禅寺で慰霊祭を行った。同市の高橋恭市市長や会津若松市の斎藤勝副市長ら約30人が参 ・・・以降を読むには会員登録が必要です。
京都
【寺田屋事件】龍馬かくまった薩摩藩屋敷、絵図が見つかる
薩摩藩伏見屋敷の絵図発見 寺田屋事件で龍馬かくまう龍馬をかくまったのはどこ? 薩摩藩伏見屋敷の絵図発見
江戸時代、現在の京都市伏見区にあった薩摩藩伏見屋敷の絵図が見つかった。同区の神社・城南宮(じょうなんぐう)が3日、発表した。屋敷は、船宿・寺田屋で襲撃された坂本龍馬(1836~67)が避難したことで知られる。所在地は確認されていたが、図面が見つかったのは初めてという。専門家は「日本史に大きな影響を与えた舞台の詳細を示す貴重な発見」としている。
城南宮などによると、絵図は縦99センチ、横128・2センチ。東側を下にして、「天明六年」(1786年)と書かれている。屋敷の建物の配置や間取りを示し、東側には川から上がるための板橋も描かれている。屋敷の規模は南北99メートル、東西64メートルで、敷地面積は4973平方メートルと推定されるという。城南宮が5月、京都市の古書店から購入した。
薩摩藩と長州藩による「薩長同盟」を取り持った龍馬は1866年、寺田屋で幕府の奉行所の役人に襲撃され、深手を負いながらも寺田屋を脱出。北側の材木小屋に身を隠した後、薩摩藩に救出され、舟で伏見屋敷に運ばれたことが、龍馬の手紙や妻お龍(りょう)の証言などから明らかになっている。屋敷は68年の鳥羽伏見の戦いで会津藩に焼かれた。
(朝日新聞デジタル 2017年06月03日 20時46分)
幕末の寺田屋事件(1866年)で坂本龍馬をかくまった時期の薩摩藩伏見屋敷を示す可能性が高い、江戸時代後期の絵図が初めて見つかり、京都市伏見区の城南宮が3日発表した。研究者らは「幕末史の重要な舞台を知る上で貴重な資料」と注目する。徳島
絵図は「伏見御屋鋪(おやしき)惣絵図」(縦99センチ、横1・2メートル)。城南宮の鳥羽重宏宮司が京都市内の古書店で入手した。「天明6(1786)年12月16日」「大工方 儀兵衛所持」などと記され、建物配置や間取りが詳しく描かれる。中央に藩主らが泊まる御殿、東側に留守居役の建物や長屋門が配され、改築か新築時の工事用図面とみられる。鳥羽伏見の戦い(1868年)で焼失するまで建て替えなどの記録はなく、龍馬時代の屋敷の可能性が高い。
交通の要衝だった伏見には江戸時代、西国の諸藩が参勤交代の宿舎となる屋敷を設けていた。寺田屋事件では、薩長同盟を取り持った龍馬を伏見奉行所の役人が襲撃。負傷した龍馬は舟でこの屋敷に運び込まれた。龍馬の処遇をめぐって薩摩藩は奉行所と対立し、倒幕の機運が高まったとされる。
絵図に川の船着き場や橋も描かれており、屋敷跡に記念碑を立てたNPO法人京都歴史地理同考会の中村武生理事長は「川や屋敷の配置は他の古地図と矛盾しない」と分析する。絵図にはます目が刻まれており、敷地が約4900平方メートルと推計できるという。幕末史に詳しい京都国立博物館(東山区)の宮川禎一上席研究員は、「想像よりも敷地が広い印象を受けた。未解明な各藩の伏見屋敷研究の進展につながれば」と期待する。
絵図は4日~7月2日、城南宮で公開。7月25日~9月3日、同博物館の特集陳列にも出展される。ともに有料。
幕末・牟岐沖漂着の異国船 英囚人強奪の海賊船か
幕末の1829(文政12)年、牟岐沖に現れた黒船は、イギリスの囚人が強奪した海賊船である可能性が高いことが分かった。有名な異国船漂着事件でありながら、当時は英国艦船としか分からず、実態は謎だった。英国出身の英会話講師ニコラス・ラッセルさん(51)=兵庫県芦屋市在住=が、約2年かけて歴史書や当時の新聞を調査し突き止めた。
事件は、徳島藩士浜口御牧(ぎょぼく)が30(文政13)年に著した挿絵付きの見聞記「異国船舶来話并(ならびに)図」(篠原家文書)に紹介されている。
牟岐町の出羽島に別荘を所有するラッセルさんが、見聞記を解読した史料「異国船牟岐浦漂着」(徳島の古文書を読む会)を読み、2015年から調査を始めた。英紙タイムズの記事(1830年10月18日付)や、オーストラリアの歴史書「キプロス号を盗んだ男」などと照合。その結果、船は英国の囚人収容所があった豪タスマニア島で、護送中の囚人が反乱を起こして奪った「キプロス号」と分かった。
船の大きさ、帆柱の高さ、乗員の服装と人数、漂着時期がほぼ同じだったほか、弾が撃ち込まれて開いた船の穴の位置が歴史書などと一致した。
今回の発見は、英紙ガーディアンが5月28日付で報道。調査に協力した徳島県立文書館の徳野隆館長は「黒船がキプロス号だった可能性は非常に高い。異国船の実態をつかみ、幕末の空白を埋める成果」と評価した。駐大阪オーストラリア総領事デイビッド・ローソンさんも「キプロス号の可能性が高い」とコメントした。
異国船問題に詳しい下関市立大の鴨頭(かもがしら)俊宏講師は「貿易船ではなく海賊船だった点で、想定を超える国際的な有事が発生する可能性があった」と話した。
ラッセルさんは「歴史解明の面白さを味わった。オーストラリアにはキプロス号を題材にした歴史書2冊と、民謡がある。ただ、徳島には触れていない。今後も調査を重ねたい」と語った。
◆異国船牟岐浦漂着事件
1829年12月20日午前9時ごろ、英国籍の黒船が日和佐沖に現れ、その後、牟岐沖に移動した。徳島藩士や多くの農民が沿岸を警備。23日、徳島藩は幕府の異国船打払令に従って発砲したところ、船は出港し、行方不明になった。
【写真説明】「異国船舶来話并図」に描かれた漂着船(県立文書館提供)
佐賀
幕末の佐賀城下写真発見 直茂250年祭写す
■鍋島報效会「藩の技術 先進性裏付け」熊本
幕末の1867(慶応3)年、佐賀藩祖・鍋島直茂の没後250年を記念して佐賀市の松原神社で催された祭りを撮影したとみられる4枚の写真が見つかった。三味線を演奏しながら参道を練り歩く行列や大きな屋根のついた山車(だし)、見物客など佐賀城下のにぎわいを捉えている。江戸時代に佐賀城下で撮られた屋外写真が確認されたのは初めて。写真を所蔵する公益財団法人鍋島報效会の富田絋次主任学芸員は「佐賀藩の科学技術力の先進性を裏付ける発見」と話す。
鍋島家が2000年、鍋島報效会に1万点近くの写真を寄贈していた。報效会が今回、佐賀市松原の徴古館で開く企画展の準備をする中で江戸時代の写真を発見した。250年祭の様子を描いた版画「直茂公二百五十年祭礼図」(佐賀県立図書館所蔵)などと照合した結果、描かれた建物や鳥居、のぼり旗などの特徴が一致したことから、二つは同じ祭りと判断した。
撮影者は不明。幕末期に西洋科学技術などを研究する佐賀藩精錬方で写真やカメラを研究していたことから、精錬方の技術者や鍋島家の周辺人物である可能性が高いという。佐賀藩の写真では藩士が藩主を写した鍋島直正の肖像写真(1859年)が知られている。
確認された150年前の写真4枚は縦10・1~15・8センチ、横14・2~28・5センチ。29日開幕した企画展「藩祖鍋島直茂公と日峯社」で展示している。富田主任学芸員は「地元のお祭りを写真記録に残す例は珍しい。佐賀の基礎を築いた直茂公の功績をたたえる町民の熱気や、佐賀城下のにぎわいをリアルに感じられる貴重な資料」と評価した。企画展は7月29日まで。
幕末の志士 宮部鼎蔵の被災した顕彰碑再建2017年06月05日
熊本地震で被災し、地元住民が修復していた御船町上野の宮部鼎蔵[ていぞう]顕彰碑の工事が完了。4日、鼎蔵と親交のあった吉田松陰の生誕地・山口県萩市の住民3人が駆けつけ、碑の再建を喜び合った。
同町上野出身の鼎蔵は幕末の尊王攘夷[じょうい]派の志士。志を同じくする松陰とは、海防視察のため過酷な東北への旅を共にするなど親交が深かった。松陰は1859年の安政の大獄で処刑され、鼎蔵はその5年後、京都の池田屋で新撰組の襲撃を受け、自刃した。
昨年4月の地震では、同町上野の記念公園「鼎春[ていしゅん]園」に建つ顕彰碑(高さ約5メートル)が傾いたほか、歌碑が倒れるなどの被害が出た。地元住民でつくる宮部兄弟顕彰会(北川内宗郎会長)はネットで募金を呼び掛け、110万円を調達。今回来熊した山本貞壽さん(78)ら萩市の住民有志からは、これまで計100万円の支援金が寄せられた。
修復は1月下旬着工、3月25日完了。再建された顕彰碑を見上げた山本さんは「手助けしたい一心だった。松陰先生も涙を流して喜んでくれると思う」と目を潤ませた。顕彰会の北川内会長(80)は「萩市からの支援がなければこれほど早く再建できなかった。ありがたい」と話した。
山本さんらは、新たに65万円の支援金を顕彰会に贈った。同会は周辺の案内板の整備や萩市との交流資金などに活用するという。(久保田尚之)
コラム
(言葉の服)日本人のおしゃれ:上 土方歳三の「いき」 堀畑裕之
日本人はどう洋服を着始めたのだろう? 幕末の写真を見ると着こなせている人はほとんどいない。そんな中で抜群におしゃれなのが、元新撰組副長の土方歳三だ。着こなしが自然体でダンディーな印象を受ける。上襟がベルベットのフロックコート、ベストに懐中時計、そして首元の白いスカーフはエレガントに巻かれている。ロングブーツも足を長く強調して、いま見てもかなりハイセンスだ。
ただ気になる点もある。袖幅はダブついて袖丈も余っている。ズボンも腰回りが太すぎる。つまりこれはテーラーメイドの服ではなく、外国の古着だった可能性がある。それなのになぜこんなにも「いき」に見えるのだろう?
この写真を撮ったのは、函館の五稜郭の戦いで亡くなる半年前だったらしい。つまり新撰組が鳥羽伏見で新政府の洋式軍隊に惨敗してから、わずか1年しか経っていない。だから洋服を仕立てる暇などなかっただろう。
多摩の豪農の六男坊が、侍に憧れて京に上り、刀一つで幕臣にまで駆け上った。だが時代が変わったと見ると、洋服と散切り頭にさっと切り替える。それは洋式軍装の方が強かったからだ。この潔さに、土方歳三の近代的な合理主義を見る気がする。しかし同時に決して手放さなかった腰の刀が、最期は侍として散った彼の「意気地」をいっそう際立たせている。日本人と洋服の始まりを考える時、いつも思い出す鮮烈な1枚だ。
(matohuデザイナー)
北海道
土方役の夫×新選組の妻 函館のコンテスト、東京の杉田さんV
迫真の戦闘再現に声援 函館「五稜郭祭」最終日も盛況
福島
会津と越後の『絆』...北越戦争の砲弾 河井継之助記念館に寄託へ
「錦の御旗」霊山神社に 戊辰戦争で使用 岩倉具視 奉納か
兵庫
日本の産業革命に尽力 大鳥圭介の功績を冊子に
高知
映画化決定の「サムライせんせい」が高知幕末展とコラボ!等身大パネルも登場
コラム
松平定知氏「日本の礎を築いたのは明治政府でなく徳川幕府」
土方役の夫×新選組の妻 函館のコンテスト、東京の杉田さんV
【函館】箱館戦争で旧幕府軍に参加して戦死した新選組副長、土方歳三を演じる「土方歳三コンテスト全国大会」が20日、五稜郭タワー(函館市五稜郭町)で開かれた。函館をはじめ東京や名古屋から18~50歳の男女16人が出場し、昨年3位だった東京都三鷹市の自営業杉田晴信さん(29)が優勝した。“鬼の副長”土方熱演、函館 戊辰戦争舞台の五稜郭
コンテストは30回目で、20日開幕した箱館五稜郭祭の名物イベント。
優勝した杉田さんは、新選組隊士に扮(ふん)した妻と迫真の殺陣を披露。「土方の部下を思う強い気持ちを表現した。妻と練習を積んだ結果が出てよかった」と笑顔で話した。
北海道函館市で20日、戊辰戦争最後の舞台となった歴史を伝える「箱館五稜郭祭」が始まった。新選組の“鬼の副長”とうたわれ、戦死した土方歳三になりきって寸劇を演じる恒例のコンテストも開かれ、30回目の今年は東京・浅草で観光用人力車を引く杉田晴信さん(29)が優勝した。
寸劇は、土方が故郷の東京・日野への手紙を仲間に託した後、新政府軍に包囲され、銃弾に倒れる設定。戦いの前に仲間がおでんを差し入れたり、死んだはずの新選組局長近藤勇が登場したりするユニークな演出もあり、会場は拍手と笑いに包まれた。
コンテストには北海道や東京都日野市などから男女16人が参加した。
迫真の戦闘再現に声援 函館「五稜郭祭」最終日も盛況
箱館戦争や五稜郭の歴史を伝える「第48回箱館五稜郭祭」(同祭協賛会主催)は21日、最終日を迎え、メインイベントの「維新行列」や吹奏楽パレードが行われた。
吹奏楽パレード(同祭実行委、北海道新聞函館支社主催)には計約500人が参加。函館地区吹奏楽連盟に所属する市内の中高校生ら約320人などが、息の合った演奏で盛り上げた。
維新行列では、市民ら約500人が旧幕府軍と新政府軍の人物などに扮(ふん)して、中島町から五稜郭公園まで約2キロを歩いた。本町での戦闘パフォーマンスでは、箱館戦争の様子を寸劇と殺陣で再現した。
福島
会津と越後の『絆』...北越戦争の砲弾 河井継之助記念館に寄託へ
会津などが戦場になった戊辰戦争から来年で150年になるのを前に県内でも歴史を見直す動きが広がっている。須賀川市の歴史研究家松宮輝明さん(77)は所蔵する、戊辰戦争の局地戦の一つ「北越戦争」の際に使われた大砲の砲弾を新潟県長岡市の河井継之助記念館に寄託することを決めた。松宮さんは「戊辰戦争の節目に歴史を振り返るきっかけとしてもらえれば」と話している。
松宮さんは会津藩や長岡藩とつながりがあったとされる松宮家の子孫。松宮さんによると、松宮家は北越戦争当時、越後・観音寺村(現在の新潟県弥彦村)に屋敷を構え、長岡藩と連携し、会津に向かって進攻する新政府軍を迎え撃つ役割を担ったという。
同記念館に寄託するのは、松宮家が攻勢の新政府軍に押され、焼き払われた屋敷から見つかったとされる重さ約4.3キロの金属製の砲弾で、代々保管してきたものという。太平洋戦争の際にも松宮さんの祖母が国の金属供出に提供せず守り通したという。
松宮家には砲弾に加え、会津藩主松平容保から贈られた、江戸時代の刀工会津兼定の造った刀も残っている。兼定は容保が新選組の土方歳三に贈った刀も造った名工とされる。刀の銘には刀工の名前のほか、当時の松宮家の当主・松宮直秀の名前も刻まれ、会津藩との関わりを示しているという。
松宮さんは「守り続けてきた砲弾や刀は松宮家が戊辰戦争で長岡藩や会津藩とつながっていた証し。砲弾が展示されて脚光を浴び、多くの皆さんに見てもらうことで、賊軍の汚名を着せられたまま死んでいった先祖も喜んでくれるのでは」と展示開始を心待ちにしている。
「錦の御旗」霊山神社に 戊辰戦争で使用 岩倉具視 奉納か
幕末の戊辰戦争で新政府軍が使った「錦の御旗(みはた)」二旗が伊達市霊山町の霊山神社に保存されている。
錦の御旗は錦旗(きんき)とも呼ばれ、天皇を主君とする「官軍」であることを示す。長さは3.6メートル、横幅は60センチ。全体に草花の模様が描かれ、上部には天皇を示す「菊の御紋」が記されている。
霊山神社によると、2つの錦旗は討幕派の公家として新政府の中枢を担った岩倉具視が奉納したという。岩倉具視の次男具定、三男具経が戊辰戦争時に掲げたと伝えられている。これまで神社の宝物として奉納文とともに保管していた。
霊山神社は南北朝時代に霊山に陸奥国府を置いた武将、北畠顕家らをまつって明治14(1881)年に創建された。錦旗の奉納文は岩倉具視の名前で神社創建と同年に記されており、岩倉家と北畠家にゆかりがあることが示されている。足立正之宮司(71)は「北畠と岩倉の両家は村上源氏の流れを引く」と話す。
佐土原藩(現宮崎市)に伝わる錦旗を収蔵している宮崎県総合博物館学芸課の佐藤省吾主査(47)は「全国的にも錦旗の現存数は数本程度。もし本物ならば、激戦だった戊辰戦争を研究する上で大変貴重な資料となる」との認識を示す。
平成30年に北畠顕家生誕700年を迎える。伊達市は北畠顕家に関する展示会を企画中で、市教委の今野賀章文化財係長は「歴史を知ってもらうためにも今後、錦旗を展示する機会を設けたい」としている。
兵庫
日本の産業革命に尽力 大鳥圭介の功績を冊子に
兵庫県の上郡町郷土資料館(同町上郡)は、幕末から明治にかけて活躍した同町出身の大鳥圭介(1832~1911年)が、日本の産業革命に与えた影響をまとめた冊子を発行した。明治政府に登用され英国、米国で重工業を視察した後、日本の近代化を進め、人材育成に尽力した足跡を紹介。世界文化遺産にも登録された産業革命遺産群との関わりも記した。(敏蔭潤子)
昨年11月に町内であったシンポジウム「日本の産業革命遺産と大鳥圭介」の内容を詳述。大鳥を研究する資源工学技術士の中川由香さん=東京都=らが英米視察の成果を語った。
大鳥は、現在の上郡町岩木地区で生まれ、医学や蘭学を学んだ。幕臣として戦った戊辰戦争で敗れるが、明治政府に登用される。
視察では、石油精製所や炭坑など100カ所以上の工場を見学。帰国後に炭鉱の掘削に必要な技術や道具、方法をまとめた「石炭編」、石油の掘削や精製方法を記した「山油編」などを発行した。
東京大工学部の前身、工部大学校の校長に就任し、近代化を担う技術者を育成。八幡製鉄所で初代技術部長を務めた小花冬吉、琵琶湖疏水の開発を計画した田辺朔郎、東京駅や日本銀行本店を設計した辰野金吾らを輩出した。長崎造船局などの官営工場の設立に関わった。
登録された世界文化遺産には、官営八幡製鉄所や三菱長崎造船所など8県の23件がある。冊子では、大鳥が育てた技術者や設立した官営工場、海外から持ち帰ったエネルギーに関する知識などが、これらの遺産と深く関わりがあることも説明した。
A4判45ページ。シンポジウムの資料集付きで500円。同館TEL0791・52・3737
高知
映画化決定の「サムライせんせい」が高知幕末展とコラボ!等身大パネルも登場
高知県立歴史民俗資料館では、「志士 幕末を駆ける―半平太らの遺したもの―」展が5月27日(土)から7月2日(日)まで開催される。この展覧会と漫画「サムライせんせい」のコラボレーションが決定した。
「志士 幕末を駆ける」展は、明治維新を見ることなく散っていった土佐藩郷士・武市半平太ら土佐勤王党の主要メンバーを取り上げ、様々な遺品からその実像に迫る内容。黒江S介の漫画「サムライせんせい」は、その武市半平太が平成の世にタイムスリップし、見慣れぬ文明に右往左往しながらも塾講師として活躍するという内容のコメディだ。2015年にはドラマ化され、市原隼人主演での映画化も決定し話題を呼んでいる。このコラボでは、作者の黒江S介による描き下ろし告知ビジュアルや、「サムライせんせい」等身大パネルが展示される。また、「サムライせんせい」スタンプラリーも開催される。
コラム
松平定知氏「日本の礎を築いたのは明治政府でなく徳川幕府」
【今回取り上げる書籍】『明治維新という過ち【改訂増補版】 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』/原田伊織・著/毎日ワンズ/本体1500円+税個人的に原田伊織さんの本はあまり好きでない。実証的なアプローチから離れると、ドグマティックになるからだ。でも、ここで松平さんのコメントは冷静でバランスが取れていると思う。
【著者プロフィール】原田伊織(はらだ・いおり):1946年京都府生まれ。大阪外国語大学卒業。作家、クリエイティブディレクター。著書に『官賊と幕臣たち』(毎日ワンズ)、『三流の維新一流の江戸』(ダイヤモンド社)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など。
来年、明治維新150年を迎えるにあたり、維新をあらためて検証する本が書店を賑わしている。そのほとんどが維新を批判し、江戸時代を評価しているのが特徴だ。その流れを作ったのが、ベストセラーになっている『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』だ。
それ以外にも『官賊と幕臣たち 列強の日本侵略を防いだ徳川テクノクラート』、『三流の維新一流の江戸 「官賊」薩長も知らなかった驚きの「江戸システム」』、『明治維新という幻想 暴虐の限りを尽くした新政府軍の実像』、『徳川がつくった先進国日本』……といったタイトルが並ぶ。
元NHKアナウンサーで歴史に詳しい松平定知氏はこの「維新批判・江戸評価」をどう考えるか。
(インタビュー・文 鈴木洋史)
──松平さんはNHK時代に「その時歴史が動いた」の司会を担当し、戦国武将や維新の志士についての著書もあります。
松平:長年、歴史を勉強してきて感じることのひとつは、古今東西、歴史は勝者の視点で語られる、ということです。その最たるものが明治維新ではないでしょうか。本書の著者の原田伊織さんもお書きになっているように、薩長は自分たちを官軍、幕府側を賊軍とし、維新後は江戸時代を全否定しました。
しかし実は江戸時代にこそ世界に誇るべき社会が作られているのです。僕は久松松平(徳川家康の異父弟の家系)で、家康とは遠くでかすかに連なる者として、多少「江戸」に肩入れしているところはあるかもしれませんが(笑)。
たとえば明治維新以降、徳川幕府の鎖国政策は間違いで、鎖国ゆえに日本の近代化が遅れたと批判されました。しかし、実際は「江戸四口」と言って、長崎でオランダに、薩摩で琉球に、対馬で朝鮮に、松前でアイヌにと、必要に応じて門戸を開いていたのです。それ以外は閉じていたわけですが、そのことで外国からの脅威にさらされることなく、内政に力を注ぐことができたのです。
──そのおかげで作られた江戸の先進的なシステムとは?
松平:ひとつは舟運です。特に、日本海、瀬戸内海を通って北海道や日本海側の港と大坂、江戸との間で交易する北前船が盛んで、日本経済を大きく発展させました。陸では東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五街道。17、18世紀にあれだけ街道が整備されていた国は世界でもほとんどないでしょう。加えて多くの宿場が設けられ、伝馬、駕籠、飛脚が置かれ、通信も発達しました。
3つ目が新田開発。家康が江戸に入った頃、利根川は今のように太平洋ではなく東京湾に注ぎ、しょっちゅう氾濫を起こす暴れ川でした。そこで家康は、人工的に今のように流れを変え、堤防や農業用用水路を作りました。その「利根川東遷事業」によって水害が防がれ、北関東に新田が開発され、関東と東北との舟運が開かれました。
もうひとつは下水道の整備。玉川上水など「江戸の六上水」が敷かれ、下水道と区別された。そのおかげもあって江戸の町の衛生が保たれたのです。同時期のパリやロンドンが糞尿まみれだったのとは大違いです。長屋ごとに井戸があり、そこで米や野菜を洗い、洗濯するためにおかみさんたちが集まり、井戸端会議という地域コミュニティが形成されました。
──もっとも重要なインフラが江戸時代に構築されたわけですね。
松平:おっしゃる通りです。そして、繰り返しますが、それが可能だったのは、鎖国政策によって、原田さんがおっしゃる「パックス・トクガワーナ」が270年間も続いたからです。
──江戸時代の識字率は同時期のイギリスなどに比べてはるかに高かったというデータがありますね。
松平:そうした教育水準の高さを背景に、人材面でも素晴らしい幕臣が輩出しました。たとえば岩瀬忠震、水野忠徳、小栗忠順の「幕末の三傑」。岩瀬は日露和親条約、日米修好通商条約を締結し、水野は日蘭、日露、日英、日仏修好通商条約すべてで調印し、小栗は世界一周を経験し、軍事の要職を歴任し、海軍国日本を作るべしと提唱しました。
後に日露戦争に勝ったとき、東郷平八郎はわざわざ小栗の孫たちを呼び、「日本が勝ったのはあなた方のお祖父様のおかげだ」と称えました。明治以降、日本が列強に伍していく土台を作ったのは、彼ら徳川の優秀な官僚だったのです。
──精神面についてはどうですか。
松平:著者の原田さんは司馬遼太郎さんに批判的で、〈「維新」至上主義の司馬史観の罪〉と書いていますが、その司馬さんにして、「賊軍」会津の人の品格、武勇、魂の高潔さ、どれもが素晴らしいとして、「封建時代の日本人がつくりあげた藩というもののなかでの最高傑作」と絶賛しています。
歴史に詳しい黒鉄ヒロシさんも以前、番組でご一緒したとき、新撰組の土方歳三について、時流に上手く乗ることをあえて拒否し、「賊軍」側について戦死していった「そこに武士の魂を見る」とおっしゃったのを思い出します。
──「賊軍」側に立つと、歴史が違って見えてくるわけですね。
松平:半藤一利さんが『幕末史』という本の冒頭で、「自分は戦前、官軍、賊軍という薩長史観を仕込まれた。しかし、賊軍であった父の出身地長岡では、官軍は正義でも何でもなく、無理やり喧嘩を仕掛け、強奪していった泥棒だと言われている」という意味のことを書いておられます。
そのように立場が異なれば違う見方ができるのに、勝者の立場だけで見ると、敗者が築いてきた古い歴史は全て駄目で、勝者が築く新しい歴史だけが正しい、ということになってしまう。これは江戸と明治の関係だけではありません。時代がどんなに変わっても、いいものはいいんです。それをはっきり言える勇気を持つ人だけが歴史を語れるのだと思っています。
【PROFILE】1944年生まれ、東京都出身。早稲田大学商学部卒業。元NHKエグゼクティブアナウンサー。現京都造形芸術大学芸術学部教授。著書に『歴史を「本当に」動かした戦国武将』、『幕末維新を「本当に」動かした10人』(ともに小学館101新書)など。
※SAPIO2017年6月号
七世尾上梅幸二十三回忌
十七世市村羽左衛門十七回忌 で
坂東彦三郎改め坂東楽善
坂東亀三郎改め坂東彦三郎
坂東亀寿改め坂東亀蔵
坂東亀三郎初舞台 の夜の部
大向こうの掛け声の「音羽屋」率が9割以上。。まあ、目出度いのでよろしいのではないと。
一、壽曽我対面
イヤフォンガイドのおかげでこの様式美にもだいぶ慣れてきました。型どおり演じることが大事。
舞台終盤はお披露目のご挨拶に。楽善、彦三郎、亀蔵、亀三郎に菊五郎、時蔵、萬次郎、松也(だったかな? 萬次郎さんが記憶あやふや)。
一、伽羅先代萩
前半は菊之助演じる政岡が中心、後半は海老蔵演じる仁木弾正が中心。
……うーん、去年秋に玉三郎の政岡と吉右衛門の仁木弾正を見てしまったので、やはり雲泥の差と言わざるを得ない。特に仁木弾正は国崩しの存在感とか妖気がないなぁ。
一、弥生の花浅草祭り
亀蔵さんと松緑さん二人で四場踊りきる。
亀蔵さん、松緑さんと息が合った踊りを見せる。神功皇后と粋人がほっそりしてるので似合う。そして最後の石橋には赤白の獅子の毛振りが壮観。特に亀蔵さんは腰から回っているのがよく見えた。
十七世市村羽左衛門十七回忌 で
坂東彦三郎改め坂東楽善
坂東亀三郎改め坂東彦三郎
坂東亀寿改め坂東亀蔵
坂東亀三郎初舞台 の夜の部
大向こうの掛け声の「音羽屋」率が9割以上。。まあ、目出度いのでよろしいのではないと。
一、壽曽我対面
イヤフォンガイドのおかげでこの様式美にもだいぶ慣れてきました。型どおり演じることが大事。
舞台終盤はお披露目のご挨拶に。楽善、彦三郎、亀蔵、亀三郎に菊五郎、時蔵、萬次郎、松也(だったかな? 萬次郎さんが記憶あやふや)。
一、伽羅先代萩
前半は菊之助演じる政岡が中心、後半は海老蔵演じる仁木弾正が中心。
……うーん、去年秋に玉三郎の政岡と吉右衛門の仁木弾正を見てしまったので、やはり雲泥の差と言わざるを得ない。特に仁木弾正は国崩しの存在感とか妖気がないなぁ。
一、弥生の花浅草祭り
亀蔵さんと松緑さん二人で四場踊りきる。
亀蔵さん、松緑さんと息が合った踊りを見せる。神功皇后と粋人がほっそりしてるので似合う。そして最後の石橋には赤白の獅子の毛振りが壮観。特に亀蔵さんは腰から回っているのがよく見えた。
髑髏城の七人 Season花 公式
360°回転の客席と疾走する景色!「髑髏城の七人」小栗旬、新劇場に颯爽と登場
ステージウォッチャーじゃないけど360度回転シアターのこけら落とし公演なので、初めての劇団☆新感線の体験にはいいのではないかと。山本耕史出てるし。
と、ゆりかもめでゴトゴト揺られてIHIステージアラウンド東京へ。新市場という駅で降りたけど、駅前まだ空き地。豊洲新市場の移転問題次第によっては、この辺の開発は進まないかも。
360度回転するシアター、回転するのは観客席だし最初のガッタン感はあるんだけど、廻り舞台のように景色が回転する。プロジェクションマッピングが、さらに疾走感や場面転換を煽る。
舞台はとても展開が速く、間を置かずたたみ込むように台詞が入ってくる。漫画でいえば『北斗の拳』とか入っている感じ。歌舞伎で「付け」と呼ぶタタンッと畳みかける音や拍子木が台詞の決めに入るのは現代的な歌舞伎の感覚。時には役者同士が担ぎ合って殴られた奴が飛ばされる感のオーバーな演出。360度回転する大舞台には似合い。
んー、好きなんだけどなぁ、役者がずっと叫びっ放しの発声が苦手なの。もっとメリハリ効かせて声を響かせて欲しいの。低い声を響かせる山本耕史さんはさすがだったけど、叫びっ放しの人が多くて、前半1時間20分、後半1時間50分を聴き続けるのはしんどかった。
捨之介は小栗さんのニンにぴったりというか当て書きしたんじゃないかというキャラ。新感線名物の古田新太さんの贋鉄斎はシリアスも笑いもすばらしい。ムネムネの兵庫も当て書きみたいにぴったり。沙霧役の清野菜名さんはアクションが切れていたけど終始叫びっぱなしで演技力は(以下略)だった。
蘭兵衛様の月夜に白曼珠沙華を背景にした白の着流しが美しかった。
360°回転の客席と疾走する景色!「髑髏城の七人」小栗旬、新劇場に颯爽と登場
ステージウォッチャーじゃないけど360度回転シアターのこけら落とし公演なので、初めての劇団☆新感線の体験にはいいのではないかと。山本耕史出てるし。
と、ゆりかもめでゴトゴト揺られてIHIステージアラウンド東京へ。新市場という駅で降りたけど、駅前まだ空き地。豊洲新市場の移転問題次第によっては、この辺の開発は進まないかも。
360度回転するシアター、回転するのは観客席だし最初のガッタン感はあるんだけど、廻り舞台のように景色が回転する。プロジェクションマッピングが、さらに疾走感や場面転換を煽る。
舞台はとても展開が速く、間を置かずたたみ込むように台詞が入ってくる。漫画でいえば『北斗の拳』とか入っている感じ。歌舞伎で「付け」と呼ぶタタンッと畳みかける音や拍子木が台詞の決めに入るのは現代的な歌舞伎の感覚。時には役者同士が担ぎ合って殴られた奴が飛ばされる感のオーバーな演出。360度回転する大舞台には似合い。
んー、好きなんだけどなぁ、役者がずっと叫びっ放しの発声が苦手なの。もっとメリハリ効かせて声を響かせて欲しいの。低い声を響かせる山本耕史さんはさすがだったけど、叫びっ放しの人が多くて、前半1時間20分、後半1時間50分を聴き続けるのはしんどかった。
捨之介は小栗さんのニンにぴったりというか当て書きしたんじゃないかというキャラ。新感線名物の古田新太さんの贋鉄斎はシリアスも笑いもすばらしい。ムネムネの兵庫も当て書きみたいにぴったり。沙霧役の清野菜名さんはアクションが切れていたけど終始叫びっぱなしで演技力は(以下略)だった。
蘭兵衛様の月夜に白曼珠沙華を背景にした白の着流しが美しかった。
談春がかけるネタは廓もの特集、かつて観音様の裏っ手に吉原があった時代を偲んで。ただし、「五人廻し」は吉原が舞台だけど、「文違い」は新宿の宿が舞台ですね。
一、一目上がり
こはるちゃんがなぜか長めの自己紹介。「実は女です」「えーっ」みたいな。
妹弟子のちはるちゃんが奉公に出ているので今日は自分が前座働きです、というお断り。
ネタは安定の「一目上がり」。
一、五人廻し
この会の趣旨を軽く説明した後、ちはるの一件。何と一般の会社に預かってもらっているとのこと。落語家を目指す若者は、体育会系の経験がなく、師匠や先輩からいろいろ言われるタテの関係で叱られることに慣れてない、と、奉公に至った経緯を説明。談春師匠たちが築地の卸問屋で働いたように、かな。
五人廻しは、五人の登楼客の演じ分けがポイント。鯔背な職人、田舎もの、キザでサドっ気があるインテリ、軍人、お大尽。特にインテリは笑った。
中入り
一、動物園
上方落語の雲水さん、活き活きとダジャレ満載に。
一、文違い
談志が文楽のDVDを見ながら、最初はだらーっとしていたのに終盤は正座して最後に拍手、とか。
新宿宿のお杉が、馴染み客のせいさんには質の悪い義理の父親と縁を切るため、杢兵衛お大尽には病気のおっかさんに朝鮮人参を食べさせるため、多額の金を用立ててもらう。しかし、これは間夫のよしじろうの眼病を治すためで、実はこれはよしじろうが馴染みの女のためにおすぎを騙す手口だったという、入れ子構造。
先月、渋谷で桃月庵白酒のを聴いていたせいか、久しぶりではないのだけど(しかも白酒の文違いって、ひょっとして談春兄さんから習ってないかという気がする)、やっぱいいなぁ。談春は。
一、芋俵 春風亭きいち
学生落語? 口は回っているが発声が悪く、上下の切り方が悪い。
一、橋場の雪 柳家三三
先週、沖縄帰りの飛行機で出会った事件。
夢の酒も最近聴いた気がするが、どちらかというと夢の酒でおとっつぁんが夢の女に会いに行く後半が聴き所。橋場の雪は後半が盛り上がりが少ないかも。
一、化け物使い 春風亭一之輔
昨日の夜に三三さん白酒さんと佐世保で会をして呑んで、今日帰ってきたそうで、ちょっとお疲れ。もっと笑える化け物になると思うんだけど……。
一、錦の袈裟 柳家喬太郎
どうも声質が私の好みでないことがあるんだけど、与太郎の描き方も好きでない。馬鹿だけど愛される気質があって、特に「錦の袈裟」ではしっかり者の女将さんがいる上に吉原で(勘違いがあったとはいえ)町内の若い衆十一人で遊びにいって一人だけ花魁の接待を受けられるわけだから、愛されるところがないといけない。
学生落語? 口は回っているが発声が悪く、上下の切り方が悪い。
一、橋場の雪 柳家三三
先週、沖縄帰りの飛行機で出会った事件。
夢の酒も最近聴いた気がするが、どちらかというと夢の酒でおとっつぁんが夢の女に会いに行く後半が聴き所。橋場の雪は後半が盛り上がりが少ないかも。
一、化け物使い 春風亭一之輔
昨日の夜に三三さん白酒さんと佐世保で会をして呑んで、今日帰ってきたそうで、ちょっとお疲れ。もっと笑える化け物になると思うんだけど……。
一、錦の袈裟 柳家喬太郎
どうも声質が私の好みでないことがあるんだけど、与太郎の描き方も好きでない。馬鹿だけど愛される気質があって、特に「錦の袈裟」ではしっかり者の女将さんがいる上に吉原で(勘違いがあったとはいえ)町内の若い衆十一人で遊びにいって一人だけ花魁の接待を受けられるわけだから、愛されるところがないといけない。
板東楽膳・彦三郎・亀蔵襲名、眞秀《まほろ》ちゃん初お目見えの昼席。今回は知り合いのつてがあり、1階席3列目という良席。役者さんの姿も表情もよく見え、お芝居としての迫力満点。
石切梶原は梶原平三を演じる新彦三郎のお目見えの色が強かった。彦三郎を譲った楽膳の大庭三郎、憎まれ役の俣野五郎とのバランスがよく、また六郎太夫の團蔵と梶原の芝居もよかった。右近ちゃんの梢は、ちょっと芝居が過剰気味で浮いていた気がする。菊之助さんの奴菊平、祝い口上を読み込んだ囚人剣菱呑助を演じた松緑さんとお祝いムードも一段。
吉野山はひたすら海老蔵と菊之助の見た目にうっとりする。
芝居として面白かったのは、やはり魚屋宗五郞。菊五郎の宗五郞はこの人のニンに合っているし、妾奉公に出した妹が無実なのに不義の咎を受けて斬り殺されたと知って、金比羅様と約した禁酒を破ってどんどん呑んでいく様子がやっぱり巧い。そして、菊五郎劇団といわれるだけあって、おはまの時蔵さんはじめ前半の配役が素晴らしい。寺嶋しのぶさんの息子、眞秀《まほろ》ちゃん四歳で台詞をあそこまでこなすのは凄い。後半は武士たちに精彩がないように感じた。
歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」 好感度満点の新彦三郎
2017年5月歌舞伎座追善と襲名の団菊祭
【劇評75】菊五郎劇団のDNA 音羽屋坂東の襲名と寺嶋眞秀初お目見得。
石切梶原は梶原平三を演じる新彦三郎のお目見えの色が強かった。彦三郎を譲った楽膳の大庭三郎、憎まれ役の俣野五郎とのバランスがよく、また六郎太夫の團蔵と梶原の芝居もよかった。右近ちゃんの梢は、ちょっと芝居が過剰気味で浮いていた気がする。菊之助さんの奴菊平、祝い口上を読み込んだ囚人剣菱呑助を演じた松緑さんとお祝いムードも一段。
吉野山はひたすら海老蔵と菊之助の見た目にうっとりする。
芝居として面白かったのは、やはり魚屋宗五郞。菊五郎の宗五郞はこの人のニンに合っているし、妾奉公に出した妹が無実なのに不義の咎を受けて斬り殺されたと知って、金比羅様と約した禁酒を破ってどんどん呑んでいく様子がやっぱり巧い。そして、菊五郎劇団といわれるだけあって、おはまの時蔵さんはじめ前半の配役が素晴らしい。寺嶋しのぶさんの息子、眞秀《まほろ》ちゃん四歳で台詞をあそこまでこなすのは凄い。後半は武士たちに精彩がないように感じた。
歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」 好感度満点の新彦三郎
今年の團菊祭は、七代目尾上梅幸(おのえばいこう)二十三回忌、十七代目市村羽左衛門(うざえもん)十七回忌追善。羽左衛門長男・八代目坂東彦三郎の初代坂東楽善(らくぜん)、その長男・亀三郎の九代目彦三郎、次男・亀寿(かめとし)の三代目坂東亀蔵の襲名披露に加え、新彦三郎の長男(侑汰(ゆうた)、4歳)が六代目亀三郎で初舞台。梅幸のひ孫で尾上菊五郎の孫、菊之助のおい、寺嶋眞秀(まほろ)(4歳)が「魚屋宗五郎」の酒屋丁稚(でっち)役で初お目見得(めみえ)など盛りだくさんの興行となった。(評・舞台)歌舞伎座「団菊祭五月大歌舞伎」 菊之助、強さと優しさ
昼。「梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)」は、名刀の鑑定を依頼された梶原平三(新彦三郎)が、人間を2人重ねて刀の試し切りをする「二つ胴」や、手水鉢(ちょうずばち)を真っ二つに斬る見せ場で立役冥利(みょうり)の役。家伝といえる十五代目羽左衛門型が久しぶりに出た。手水鉢の背後に立ち、客席正面に向かって刀を振り下ろす豪快さに胸がすく。新彦三郎、生真面目過ぎるが、口跡のよさと潔さ、武士の面目かくやで好感度満点。楽善が大庭(おおば)、亀蔵が俣野(またの)で敵役。尾上松緑(しょうろく)が囚人で、常道の酒尽くしを3人への祝いぜりふに変えた。
次に市川海老蔵の狐忠信、菊之助の静御前が義太夫で踊る「吉野山」。菊五郎の宗五郎、中村時蔵の女房おはまとしみ込んだ熟成コンビで「魚屋宗五郎」。
夜。劇中で坂東家三代の襲名口上付きの「壽曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」。「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」は「御殿」から「刃傷(にんじょう)」まで。菊之助=政岡の艶(つや)、海老蔵=仁木弾正の悪の華、中村梅玉(ばいぎょく)=細川勝元の優麗さ。松緑、亀蔵による「弥生の花浅草祭」で打ち出し。27日まで、東京・銀座の歌舞伎座。(劇評家 石井啓夫)
「魚屋宗五郎」の菊五郎の宗五郎は、江戸の魚屋がそこにいるようだ。禁酒を破って最初の一杯を飲むと「いい酒だなあ」と、思わず酒に気をとられて、他のことは一切忘れてしまう。この表情は誰もかなわない。渡辺保の歌舞伎評
リアルで洗練された味わいは菊五郎劇団の芸風である。今月は同劇団の昭和の名優七代目梅幸と十七代目羽左衛門ログイン前の続きの追善公演。菊五郎のもうひとつの演目「対面」の工藤祐経も、自分を敵と狙う曽我兄弟に、傲慢(ごうまん)ではなく鷹揚(おうよう)に接する時、劇団の歴史がそこに結晶している。
坂東彦三郎が初代楽善を名乗り、長男の亀三郎が九代目彦三郎を、次男の亀寿(かめとし)が三代目亀蔵を襲名した。新彦三郎は「石切(いしきり)梶原」の梶原と「対面」の曽我五郎を演じて、真っすぐに通る癖のないせりふが快い。
新亀蔵は「弥生の花浅草祭」で、松緑と連れ舞をして、踊りの名手の腕を披露している。
「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」が面白い。菊之助の乳人(めのと)政岡は我が子を惨殺されても、びくともせず若君を守る。魁春(かいしゅん)の栄御前は、政岡が我が子を若君と取りかえていたと思い、悪人一味の連判状を渡す。六代目歌右衛門の政岡は花道付け際に座って栄御前を見送り、勝利の笑みを浮かべた。
菊之助は笑わず、立って花道七三へ進み、栄御前の後ろ姿をしばらく睨(にら)んでいる。この強い姿から一転して、我が子の亡骸(なきがら)を抱き上げる優しさは、祖父七代目梅幸を思わせる。海老蔵の仁木弾正はふてぶてしく、観客の心胆を寒からしめる。
「吉野山」は義太夫の地で、菊之助の静御前は舞台奥から出る。海老蔵の忠信。梅幸の静は清元と義太夫を使う型で、花道から出た。さりげなくて、しかも馥郁(ふくいく)たる香気があった。今月ばかりはその型が恋しい。
(天野道映・評論家)
2017年5月歌舞伎座追善と襲名の団菊祭
七代目梅幸二十三回忌、十七代目羽左衛門十七回忌。菊之助時代から見てき長谷部浩の劇評
た梅幸、彦三郎の時からの羽左衛門、その二人が逝ってもうこんな月日がたっ
たのかと思うと感無量である。
今年の五月恒例の団菊祭は、それに彦三郎の楽善、長男亀三郎の彦三郎、弟
亀寿の亀蔵、新彦三郎の長男が初舞台で新亀三郎にという坂東一家三代の襲名、
それに菊五郎の孫、寺嶋しのぶの長男寺嶋真秀の初御目見得まで加わっての一
大イベントである。寺嶋真秀が「魚屋宗五郎」の酒屋の小僧で酒樽をもって花
道を歩いてくると、この日一番の大きな拍手が起こった。まさかこの子を見る
ために超満員の観客が集まったとも思わないが、異様な熱狂ぶりであった。二
月の勘九郎の子供二人の初御目見得といい、大人の役者が子供に食われている
ようで情けない。
さて、坂東一家の襲名披露狂言は、昼が「石切梶原」、夜が「対面」。その
ほかに新亀蔵が松緑と組んで二人で踊り抜く四段返しの舞踊「弥生の花浅草祭」
がある。
まず「石切梶原」から。
新彦三郎の梶原は花道を出たところ祖父十七代目羽左衛門そっくりである。
いろいろな事情があって祖父が羽左衛門を継ぐことになって、この梶原も十五
代目羽左衛門型であった。今度の梶原もそれに従う。しかし芸風だけのことを
いえば祖父もそうだったが、新彦三郎も形容本位で派手な羽左衛門型よりもじ
っくり芝居を見せる吉右衛門型の方が似合っているのではないだろうか。
新彦三郎のいいところは三つある。
第一に口跡がいいこと。その深い声が広い歌舞伎座に響き渡っている。名調
子、美声、爽やか、凛凛としているというのではないが、観客の心にしみる深
さが独特である。もっともせりふ廻しは今日でまだ三日目、緊張していて緩急
に乏しく力み過ぎているが、日が立てば余裕が出来てうまさが出るだろう。こ
の深さでせりふ廻しがうまくなれば鬼に金棒である。
第二にいいのは、型を楷書でキッチリやっていること。教わった通り精一杯、
まだ余裕がないのは是非もないが、後半の物語はまことにキッカリしていい。
次にはこの型がどうしてこうなっているのかをよく考えることである。たとえ
ば石橋山で頼朝を引き起こせばというところで左手を高く上げて下を見込むが、
左手を上げるのは引き上げた瞬間で、下を見る時にはもう左手は下がっていな
ければいけないと思う。違和感があってリアリティを失うからである。あくま
で左手は引き起こす形容、下を見るのは頼朝を覗き込む芝居である。
第三にいいのは、これは羽左衛門型のいいところだが、たいていの人がカッ
トする物語のなかで後世自分は佞人讒者といわれるかもしれないが、実はそう
ではない、正義の士だという告白があること。この告白こそこの浄瑠璃一段の
いわば性根であって、義経を讒言して滅亡させた悪人梶原景時というイメージ
を逆転させたところに作者苦心の趣向がある。それをキチンとやっているのは
羽左衛門型のいいところである。
新楽善の大庭はさすがに立派。新亀蔵の俣野はこの人のニンで悪が効かない
のは仕方がない。この役が憎らしく突っ込まないと梶原が引き立たず、芝居も
盛り上がらない。
団蔵初役の六郎太夫は、世話な芝居のイキがうまく、リアルさがありながら
締めるところは締めて緩急自在、いい六郎太夫である。右近の梢は娘と人妻の
間を行くところがあいまいである。あどけなさを強調し過ぎるからである。性
根は人妻、姿は娘とハッキリ割り切った方がいい。巳之助が梶原方の大名の筆
頭だが、声を張るのはいいが怒鳴り声になるのは注意すべきだ。
新彦三郎のために松緑が呑助を付き合って、いつもの酒づくしのせりふの替
りに襲名に引っ掛けたせりふで笑わせる。菊之助が伊東入道からの使者の奴を
付き合う。
もう一本の襲名披露狂言は、夜の部の「対面」。今度は終わりに劇中口上が
付くためか、幕が開くと浅黄幕で、これを振り落とすと全員板付き、すでに菊
五郎の工藤が高座に座っているという変則。むろんこういう形は故人寿海、十
三代目仁左衛門でも見たが、それは二人とも老齢かつ足が悪かったからである。
ことに今度の菊五郎初役の工藤は苦味に加えて色気があって「さてこそ兄弟」
でほのかに笑みを含む当たりいい工藤なので、ぜひとも障子の内の第一声の
「園の梅」から、平舞台へ降りての「高座御免下さりましょう」というところ
が見たかった。それにこうして全員板付きの絵づらだけが揃ってみると「対面」
という芝居が実は異様な恰好をした連中がゾロゾロ動き回る一種のページェン
トに面白さがあることがわかる。それがないと盛り上がらないのである。
新彦三郎の五郎は、これも「石切」同様キッチリ型を守って手堅いが、緊張
のためか力の表現が足りないのと、五郎らしいふくらみがほしいところである。
十郎は時蔵で本役。
新楽善の朝比奈は可笑し味を含んでいい出来。大磯の虎が万次郎、鬼王新左
衛門が権十郎と三人兄弟が揃って坂東、市村、河原崎三家の当主が顔を揃える。
新亀蔵は近江小藤太、万次郎の長男竹松が秦野、権十郎の鬼王と共に新亀三
郎が友切丸を持ってくる。
他に松也の八幡、梅枝の化粧坂の少将、家橘と橘太郎の梶原親子。
工藤の「思い出だせばおおそれよ」で、二重後ろの襖を払うと富士山の書割
になるのは仁左衛門の時にも見たが、これは芝居が終わって最後の口上になる
ときの方がよかった。その口上に菊五郎はじめ主だった役者が平舞台に並ぶた
めに、ここでもいつもの幕切れの富士山と鶴の絵面の見得もないのが残念。
「石切」と「対面」のほかにもう一本の披露狂言は「弥生の花浅草祭」。実
をいうと今月昼夜を通して一番面白かったのはこの四段返しである。第一段が
常磐津で神功皇后と武内宿祢、第二段がいつもの清元の「三社祭」、第三段が
常磐津で通人と野暮大尽、第四段が長唄で石橋であるが、今まで「三社祭」は
面白くとも他の三段、ことに三段目の通人と野暮大尽がつまらなかった。とこ
ろが今度は四段ともに面白い。第一段は新亀蔵が神功皇后をそれらしく踊って
松緑の宿祢とともにキレイづくめ、居所替わりでの「三社祭」の善玉悪玉の踊
り比べが面白いのはいうまでもなく、また居所替わりでの亀蔵の通人が嫌味の
ない意外の面白さ、これに悪玉が絡んだ上に田舎侍風の野暮大尽に替わった松
緑がニンにピッタリ。二人のイキがあって面白い。最後に石橋の踊り比べの面
白さ。
感心したのは、亀蔵が今まであまり見たことがなかったが踊りがうまいこと。
松緑がその亀蔵を引き立て引き上げる踊りっぷり。二人が一緒に踊る時には上
手が下手に合わせるのが鉄則だが、その合わせ方がまことにいいばかりか、そ
のコンビのイキの合わせ方がまた踊りを一際面白くしている。力量均等火花を
散らすというのも面白いが、こういうイキの合わせ方、取り合わせの異色さも
面白い。かくてこの一幕の二人、今月第一等の出来である。
以上三本の他、昼の部は「石切」のあとに、海老蔵、菊之助の舞踊「吉野山」
続いて菊五郎の「魚屋宗五郎」。夜の部は「対面」と「弥生の花」の間に海老
蔵、菊之助の「先代萩」御殿、床下、対決、刃傷である。
まず「吉野山」は、これまたいつもとは違って清元抜きの竹本だけという演
出。幕が開くと一面桜の書割。「恋と忠義」の置き浄瑠璃が終わるとこれを左
右に割って正面桜の立木の後ろに高二重の桜の山、下手に吉野川だろうか御丁
寧に何の役にも立たぬ滝車までついた川の流れ。菊之助の静御前は高二重の桜
の奥から出てつづら折りの道を下ってくる。「弓手も馬手も」もカットでいき
なり「見渡せば」になって普通は忠信と二人で踊る「天井抜けて据える」も
「徳若にご万歳」も一人で踊り、いつもの「女雛男雛」もここにはない。いか
に本文通りとはいえ、静が未亡人になったようで寂しい。その上清元と違って
竹本の地でのりが悪く踊りにくそうである。やっとそれこそ「遅ればせなる」
忠信が出て二人の「雁と燕」になり、ここで「女雛男雛」の振りがあるのがせ
めてもである。
海老蔵の忠信は、源氏車を全体に散らした派手な衣裳の割には、狐というこ
とを強調するためか、衣裳の着方のせいか、猫背で、幽霊じみて色気が薄い。
竹本は愛太夫慎治ほか。
次の「魚屋宗五郎」が芝居としては今月もっともすぐれた出来である。菊五
郎の宗五郎は二月の「四千両」の富蔵とは全く違って余裕たっぷりの傑作。花
道から出たところの愁いの肚から始まって、例の長ぜりふが思わず知らず聞き
入ってしまうよさ。今日の歌舞伎の水準を代表する舞台である。酒を呑んでの
酔態から「矢でも鉄砲でも持ってこい」の引っ込みまで十分の出来である。廻
って玄関先は「喜びありゃあ悲しみと」は普通だが、何度かの笑いがうまい。
奥庭までサラサラ運んで聞かせるところは聞かせて秀逸である。
今度の菊五郎がいいのはむろん本人の芸のためだが、同時に周囲がいいから
でもある。幕開きに時蔵のおはま、万次郎の菊茶屋の女房、権十郎の三吉のや
り取りを聞いていると七五調が生きて、しかも芝居とは思えぬほど自然な生活
感が漂っている。ことに万次郎の菊茶屋の女房が「お大事に」といって門口を
出たところでフッと向こうを見る、思い入れがたまらぬよさ。
これが世話物の芸である。団蔵の太兵衛もいい。これといい、六郎太夫といい、
今月この人大当たり。梅枝のおなぎは神妙というまで。
廻って玄関先ではさすがに左団次の浦戸十左衛門、市蔵の岩上典蔵がよく、
以上の役がいずれもサラサラしていながら、自然な芝居の面白さがそれぞれツ
ボにピッタリはまる面白さ。ここらがこの一座のアンサンブルのよさである。
松緑の磯部主計助は一通り。
さて今月最大の問題は、すでに実験済みでもあり、さぞ進歩していてよかろ
うと思って大いに期待した「先代萩」の意外な期待外れ。
まず「御殿」から。
菊之助の政岡は、御簾が上がった立ち姿が思いもかけず空虚である。愁いの
肚もなく、二人の子供への愛情もなく、二人の子供をうまく操る乳母としての
才覚もない。「今、御屋形に悪人はびこり」の聞かせどころもただのせりふに
過ぎず、まことにあっけらかんとした「御殿」である。飯焚き抜きは祖父もそ
うだったから仕方がないが、さらに驚いたのは千松が刺された時に少しも驚か
ないことである。むろんそれらしい芝居はするのだが、それがとても驚いてい
るようには見えない。その上になによりも素早く鶴千代を抱かない。そっちへ
気が行かないから、若君大事という心が見えない。となると「涙一滴目に持た
ぬ」が空虚になるのは当然だろう。これでは栄御前が取り換え子と思うのも当
然であった。
鶴千代を沖の井に預けないのはある型だが、それもそそくさと上手奥へ連れ
て行って、また平然と出てくるのは問題だろう。大事な若君をどこへ連れて行
ってしまったのかと思ってしまうからである。
くどきは、悲しみ、狂熱、陶酔なにもなかった。一体どうしたのだろうか。
歌六の八汐は、憎々しいところ、手強さがいい。魁春の栄御前はいかにも人
が良く、とても毒入りの菓子を持ってくる人には見えなかった。
梅枝の沖の井、右近の松島。
床下になる。松緑の男之助は、せり上がったところ合引きにかかった姿が不
安定である。せりふ廻しにも語尾の伸びる悪い癖が出てよくない。
海老蔵の仁木は、掛け煙硝の白煙のなかにあらわれた顔が期待に反して、普
通の現代人、ただの人にしか見えない。凄味、妖しさがないのである。
対決になる。海老蔵の仁木は、額の傷もほくろもなく、凄味がない。額の傷
をつけないのは富十郎もそうだったがやはり損である。しかもきわめて無表情
で現代人がそのまま法廷に出てきたようである。観客はボードレールではない
が巨大な「悪の華」を見に来るので、実録の原田甲斐のような仁木では面白く
ない。勝元との芝居もほとんど受けず、それでいて「恐れ入り奉る」で急に右
足を立てガーッと口を開けてのオーバーぶり。白けるだけである。
気の毒なのは梅玉の勝元。この仁木相手ではどうにもならず、迫れば迫るほ
ど勝元の方が空転してバカに見えてしまう。刃傷ではじめて立派な勝元になった。
市蔵の渡辺外記、友右衛門の山名宗全、右之助の大江鬼貫、九団次の黒沢官
蔵。右団次が神妙に渡辺民部を勤めている。
刃傷。前回の海老蔵の仁木はこの場の殺気が凄愴、目を見張らせたが、今回
は余裕が出て却ってその殺気にたるみが見える。やたらに唸る、口を開ける、
というありさまだからである。
以上、この海老蔵、菊之助、松緑三人の「先代萩」の意外な不出来は、将来
の「団菊祭」を背負う世代だけに不安に駆られる。
Copyright 2017 Tamotsu Watanabe All rights reserved.
『渡辺保の歌舞伎劇評』http://homepage1.nifty.com/tamotu/
【劇評75】菊五郎劇団のDNA 音羽屋坂東の襲名と寺嶋眞秀初お目見得。
歌舞伎劇評 平成二十九年5月 歌舞伎座昼の部
五月の團菊祭は、七世尾上梅幸二十三回忌、十七世市村羽左衛門十七回忌追善の興行である。梅幸はもちろんだが、羽左衛門が亡くなってもう十七年も過ぎたのかと思うと溜息が出る。そのあいだに鬼籍に入った名優は数多く、梅幸、羽左衛門の時代と比較して歌舞伎がいやおうもなく変化しているのはいうまでもない。羽左衛門は自らの藝、一門の藝ばかりではなく、菊五郎劇団の若手たちに対しても厳しい指導を行ったことで知られている。こうした「怖いおじさん」が歌舞伎界にほとんど見当たらなくなってしまったのも、歌舞伎の現状に影響を与えているのだろう。
さて、昼の部は、亀三郎改め九代目彦三郎による『梶原平三誉石切』。もちろん彦三郎の名跡を長男にゆずった初代楽善、亀寿から三代目(坂東)亀蔵が、それぞれ大庭三郎、俣野五郎を勤める。もとより家の藝で、十五代目羽左衛門の型を採り、あくまで颯爽たる武者として演じている。新・彦三郎は、口跡、姿、所作いずれもこの役にふさわしい。生締の分別、思慮よりは、この場を鮮やかに切り抜け、六郎太夫(團蔵)とその娘、梢(尾上右近)の難儀を救う美丈夫としての色が強い。これから回を重ねるうちに、独特の光彩が与えられていくのだろう。囚人の剣菱呑助に松緑、奴菊平に菊之助がつきあう。
それにしてもこの演目、梢が六郎太夫の命により刀の折紙を取りに戻ってから、大庭三郎、俣野五郎が舞台を去るあたりまで、言い方が悪いが意識が遠くなる。もちろん寝ているわけではない。どこか台詞が入ってこない。このあたりの沈鬱な空気があってこそ、手水鉢を二つに割る大団円が生きてくるのだろう。劇作の難しさを思う。
新・彦三郎、亀蔵の世代が大きな役を勤めてこそ、将来の歌舞伎に展望が開ける。それだけの素質と努力がそなわっている。ふたりには楽善が健在なのがありがたいが、菊五郎劇団全体で考えれば、役の伝承にあたって三津五郎が欠けたのがあまりにも痛い。その損失の大きさを改めて考えさせられた。
次は、めずらしく義太夫の地による『吉野山』。いわずと知れた『義経千本桜』の道行だが、桜の満開に静御前(菊之助)と狐忠信(海老藏)が主従ながら道行をする情景を描いた舞踊である。
今日、数多く上演される清元の地と比べると重みがあり丸本物狂言の原型があり、語りといっても竹本と豊後節浄瑠璃の性格の違いを考えさせられる。男雛女雛として決まるときの陶酔感はないが、軍物語の描写に強く引かれる。静御前が舞台中央の大木から出て、狐忠信が花道のスッポンから出るが、義経の愛妾とその持ち物の鼓を慕う狐の関係性よりは、幻想の男女が桜が満開の吉野山、その雲の上で戯れに踊っているかのような気分が横溢していた。
切りは、菊五郎の『魚屋宗五郎』である。もはや名品とよびたくなるアンサンブルの充実がまずある。時蔵のおとく、團蔵の太兵衛、権十郎の三吉、萬次郎のおみつと揃って菊五郎の宗五郎を支えている。また、梅枝のおなぎ、丁稚の与吉の寺嶋眞秀まで菊五郎劇団のDNAが着実に伝えられている。
菊五郎の宗五郎は、飲み始めてから生酔いのあいだが特に自然で酒飲みの特長をよく捉えて自然である。また、磯部屋敷の玄関での悪態から一転して、庭先の場での照れまで、劇作上は荒唐無稽であるにもかかわらず、流れがよく、さらさらとした名人の趣が強くなってきた。
菊五郎孫の寺嶋眞秀は初お目見え。せりふもきちっと強く、なにより姿勢がいい。幼さで受けを取るのではなく、芝居で取ろうとする意志がある。花道の引っ込み、大向こうから「よく出来ました」と声がかかったのはご愛敬。客席のだれもがうなずいた。二十七日まで。
「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」
マルティン・ニーメラー
今日は「テロ等準備罪を新設する法案」の採決が国会で予定されています。
政府は東京オリンピックの開催に不可欠だと主張していますが、その前提としているパレルモ条約の批准に新たな法案は必要ありません。新設される法案は、むしろ、パレルモ条約の34条『自国の国内法の基本原則に従って必要な措置を講ずる』という条項、つまり、自国の憲法を尊重し、その範囲内で必要な法整備を行なうに反しています。
そして何より、数週間のイベントのために国民の基本的人権を恒久的に縛る法律には反対です。
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」
マルティン・ニーメラー
今日は「テロ等準備罪を新設する法案」の採決が国会で予定されています。
政府は東京オリンピックの開催に不可欠だと主張していますが、その前提としているパレルモ条約の批准に新たな法案は必要ありません。新設される法案は、むしろ、パレルモ条約の34条『自国の国内法の基本原則に従って必要な措置を講ずる』という条項、つまり、自国の憲法を尊重し、その範囲内で必要な法整備を行なうに反しています。
そして何より、数週間のイベントのために国民の基本的人権を恒久的に縛る法律には反対です。
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