新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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ミシュランガイド北海道2017特別版に函館から34軒掲載!
担当するライターさんも懐かしや……。
一つ星
鮨処 美な味 寿司 函館市
天ぷら 田ざわ 天ぷら 函館市
冨茂登 日本料理 函館市
鮨 おおね田 寿司 森町
ロワゾー・パー・マツナガ(新) フランス料理 函館市
エノテカ・ラ・リコルマ(新) イタリア料理 函館市
ビブグルマン
華京 中華料理 森町
常寿司 寿司 函館市 ☆
居酒屋 兆治 居酒屋 函館市
鮨処 木はら 寿司 函館市 ☆
蕎麦彩彩 久留葉 蕎麦 函館市 ☆
蕎麦蔵 蕎麦 函館市
寿し処 かきた 寿司 八雲町
阿佐利本店 すき焼き 函館市
そば蔵やまげん 蕎麦 江差町
ビストロ ハク フランス料理 函館市
星龍軒 ラーメン 函館市
うなぎ処 高はし(新) うなぎ 函館市
とり辰(新) 焼鳥 函館市
コルツ(新) イタリア料理 函館市
その他の掲載店
味処 鮨金 分店 寿司 函館市
エビス軒 ラーメン 函館市
ラ・コンチャ スペイン料理 函館市 ☆
常寿し 寿司 函館市 ☆
地場 炭小屋(新) 居酒屋 函館市
割烹 魚清 日本料理 函館市
うに むらかみ 函館本店 海鮮料理 函館市 ☆
トウイ イタリア料理 函館市
手打そば おぐら 蕎麦 松前町
やの 日本料理 松前町
ラ クチーナ ヴェンティトレ イタリア料理 函館市
唐草館 フランス料理 函館市
亀や 寿司 八雲町
懐石の里 煌 日本料理 函館市
伊勢屋 日本料理 八雲町
かね久 山田 蕎麦 函館市 ☆
四季 粋花亭 日本料理 函館市
割烹あべ(新) 日本料理 函館市
二代目佐平次(新) 居酒屋 函館市
手打ち蕎麦処 北の玄庵(新) 蕎麦 森町
コム・シェ・ヴー(新) フランス料理 函館市
炭火焼肉 ひび屋(新) 焼肉 北斗市
ビアンキ(新) ピッツェリア 函館市
くずし割烹和のふ(新) 居酒屋 函館市
バスク(新) スペイン料理 函館市
すでに来店したことある店に☆打ってあります。自分用のメモとして。
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気分は新選組隊士 日野で800人パレード
東京都日野市で「新選組まつり」参加者約400人が隊士パレード
新選組「私が土方だ」…日野でまつり
「ひの新選組まつり」のメインイベント、新選組隊士パレードが十四日、日野市のJR日野駅東側の甲州街道周辺で行われた。隊士や同時代の歴史上の人物らの衣装を身に着けた約八百人が練り歩き、沿道の声援に応えた。
パレードでは、日野出身の新選組副長・土方歳三役を務めた岡安綾希子(あきこ)さん(35)=埼玉県久喜市=が馬上から「楽しんでるか!」「声が小さいぞ!」などと観客を鼓舞。声援が高まると笑顔を見せた。
パレード終了後、岡安さんは「土方というヒーローで重圧があったが、皆で盛り上げてくれて心強かった。まつりがずっと続くようにと思っています」と話した。
第二十回の節目を迎えた今年のまつりのパレードは、昨年までの近隣の小学校の児童だけでなく、市内全小学校から参加するなど裾野も広がった。日野駅のほか高幡不動尊の周辺でも各種イベントが開かれた。
まつりは実行委員会(三浦盛良委員長)の主催で十三日から開催。土方の命日(五月十一日)に合わせて、毎年この時期に開いている。 (水谷孝司)
東京都日野市で「新選組まつり」参加者約400人が隊士パレード
新選組ゆかりの地、東京都日野市で13日、14日の両日、恒例の「第20回ひの新選組まつり」が開かれました。メイン行事の新選組隊士パレードでは、公募で集まった参加者約400人が隊士に扮し、市内を練り歩きました。
隊士パレードの幹部役9人を決める隊士コンテスト。熱心なアピールで会場を沸かせた
13日は、高幡不動尊で隊士パレードの幹部役9人を決める隊士コンテストが行われました。パレード参加者のなかから45人が立候補。1次審査の1分間PRでは、居合いを披露する人や役への思いを語る人など、それぞれ熱意を訴えました。恐竜時代にタイムスリップした沖田総士を演じた男性など、熱心なアピールで会場を沸かせました。
2次審査に進んだ9人は、戊辰戦争での榎本武揚と土方の別れを描いた台本をもとに、土方役を演じました。審査の結果、土方歳三役に選ばれたのは、埼玉県久喜市の会社員・岡安綾希子(あきこ)さん(35)。元気で迫力ある声が特徴の岡安さんは、パレードへの意気込みについて「もう気合ですね。気合いれて、みんなが楽しく笑顔で帰れるように」と話していました。
土方歳三役に選ばれた岡安綾希子さん
14日朝、新選組の衣装を身にまとったパレード参加者は高幡不動尊内に集結し、出陣式を挙行。土方役の岡安さんとともに威勢良く「エイエイオー」と勝どきの声をあげました。その後、一行は高幡不動尊を出発。市内を通る甲州街道などで隊士パレードを行いました。
このほか、山車の曳行も行われ、見物客は、焼きそばや日野名物のカレーパンなどを販売する沿道の出店で好みの食べ物を買い求めたり、パレードの撮影に熱を入れたりするなど、思い思いに祭りを楽しんでいました。
境内でパレードを見送った会社員・古井詩織さん(30)は、友人からこの祭りを知らされ、名古屋市港区から訪れました。歴史好きで、新選組のなかでは近藤のファンだという古井さんは、近藤役の参加者を見て「愛嬌があって良いですね。史実に合っているキャラクターだと思いました」と笑顔で話していました。
日野市は、新選組の副長・土方歳三や6番隊隊長・井上源三郎の出身地。局長の近藤勇も含め、彼らが若き日に剣術の稽古で集った日野宿本陣など、新選組ゆかりの史跡もあります。この祭りは、こうした新選組の歴史をまちづくりに生かそうと、1998(平成10)年にはじまりました。毎年、土方歳三の命日の5月11日に合わせて、5月第2土曜日・日曜日に開かれています。
(取材・文:具志堅浩二)
新選組「私が土方だ」…日野でまつり
新選組ゆかりの地・日野市で13日、「ひの新選組まつり」が始まった。同市出身の副長、土方歳三(1835~69年)の命日にあたる5月11日に近い土日に開かれており、今年で20回目。
初日は、まつりの目玉「隊士パレード」を率いる土方や局長の近藤勇、各隊の隊長などを決める「隊士コンテスト」が、高幡不動尊金剛寺で開かれた。同寺は土方の菩提ぼだい寺で、全国から集まった48人が隊士になりきり、14日に行われるパレードの花形の座を競い合った。
参加者たちは、おなじみのだんだら模様の羽織などに身を包み、「日野に来るたび隊士が好きになります」「永倉新八にあこがれて剣術を修業しました」などと“新選組愛”を熱く語り、鮮やかな剣舞などを披露。2次審査に進んだ9人は、死を目前にした土方の芝居を演じ、会場を沸かせた。
審査の結果、今年の土方役は埼玉県久喜市の岡安綾希子さん(35)に決まった。岡安さんが「待たせたな、私が土方だ。あしたは盛り上がれるか」と呼びかけると、観客たちも一緒に勝ちどきを上げた。
パレードは14日午後1時半にスタートし、JR日野駅近くのコースを練り歩く。
続きです。
北海道
5月11日に合わせ市内で慰霊 箱館戦争
福島
<秋月悌次郎>幕末の会津藩士しのび詩吟
戊辰戦争150年ロゴ決定=福島県会津若松市〔地域〕
<戊辰戦争>剣舞奉納 会津藩の女性を慰霊
観光の「列藩同盟」 来年の戊辰150年、本県誘客図る
栃木
真岡にも刀剣女子 「さむらい刀剣博物館」来館者が5倍超、8割女性
高知
「志国高知 幕末維新博」が無料アプリ「城巡り」と連動
佐賀
幕末の絵地図、謎多い山城跡も…武雄鍋島家資料
幕末の蒸気車走った 佐野常民記念館、佐賀藩「精煉方」の技術再現 [佐賀県]
コラム
街にあふれる行商は、ネット通販より便利? 幕末から明治の買い物事情
北海道
5月11日に合わせ市内で慰霊 箱館戦争
箱館戦争で新政府軍が旧幕府軍に対し総攻撃を行い、勝利を収めた1869(明治2)年5月11日に合わせ、函館市内では戦没者を慰霊する供養祭が開かれた。
参列者 手合わせ焼香 戦没者供養祭
〇…五稜郭タワーで開かれた戦没者供養祭には、同社社員や観光業者、近隣住民ら約60人が参列し、箱館戦争に殉じた大勢の戦士たちの冥福を祈った。
新選組副長だった土方歳三の命日に当たる旧暦の11日に合わせて毎年実施しており、今年で46回目。5月20、21日に開催される「第48回箱館五稜郭祭」の協賛行事。
祭主の中野恒・同タワー社長が祭文を奏上。観音寺(富岡町)の中村裕康住職らが読経を上げたあと、参列者が焼香し手を合わせた。
中野社長は「供養祭は毎年戦没者の冥福を祈るとともに、箱館五稜郭祭の成功も祈願している。今年も大勢のお客さまに楽しんでほしい」と話していた。
会津藩士しのぶ 福島県人会
○…函館福島県人会(小山直子会長、会員41人)は、函館市船見町の高龍寺を訪れ、境内の「傷心惨目の碑」で碑前祭を行った。箱館戦争で犠牲となった会津藩士をしのんだ。
1869(明治2)年5月11日、新政府軍が箱館病院の分院だった高龍寺を襲撃し、傷病兵を殺害して寺に放火。碑は、この時命を落とした犠牲者を供養するため、旧会津藩士によって建てられた。
1980年から続けられている碑前祭には、会員13人が参列。一人一人碑に向かって手を合わせ、母県へ思いを巡らせた。
小山会長は「東日本大震災から6年が経ったが、避難先でのいじめや復興大臣の発言などが悲しい。福島県民や子どもたちの心の復興が必要なことを忘れないようにしたい」と話していた。
福島
<秋月悌次郎>幕末の会津藩士しのび詩吟
幕末の会津藩重臣、秋月悌次郎(1824~1900年)が戊辰戦争後に藩の行く末を思って漢詩を詠んだ福島県会津坂下町の束松(たばねまつ)峠で4月29日、悌次郎をしのぶイベントがあった。
悌次郎は戊辰戦争後、猪苗代に謹慎したが、親交があった長州藩士奥平謙輔に会津藩の善処と優秀な少年の教育を頼むため、ひそかに越後に行った。帰り道に束松峠で焼け跡に立つ鶴ケ城を眺めながら「北越潜行の詩」を詠んだ。少年の1人が、後に東京帝大総長となる山川健次郎だった。
2013年に会津若松市の秋月悌次郎顕彰会や住民組織「束松峠を護(まも)る会」などが実行委員会を立ち上げ、束松峠に漢詩の碑を建てた。
イベントは、会津坂下町観光物産協会が来年の会津戦争終結150年のプレイベントとして実施した。約40人が参加し、顕彰会の桑原勇蔵副会長(78)が詩を解説。会津吟詠会の女性会員5人が詩吟を披露した。
桑原さんは「悌次郎は政府軍と交渉し、一生懸命に敗戦処理に当たった。陰で働いた会津人のことを知ってほしい」と語った。
悌次郎は戊辰戦争で会津藩の軍事奉行添役を務め、戦後に終身禁固刑を受けたが、特赦となり、教育者として活躍。熊本の第五高等中学で同僚だった文学者小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、悌次郎を「神のような人」と敬った。
戊辰戦争150年ロゴ決定=福島県会津若松市〔地域〕
福島県会津若松市は、来年が戊辰戦争150周年になるため、その記念事業のロゴマークを決定した。今後、記念ポスターやチラシ、缶バッジなどで使用する予定。
今年3月から4月上旬まで一般公募した104作品の中から選ばれたのは、東京都千代田区に住む須賀裕明さんのデザイン。「150」の中に会津藩を治めた松平家の家紋と戊辰戦争を戦った白虎隊にあやかって虎が入っている。マークの下部には「SAMURAI CITY AIZU」の文字を表示した。
キャッチフレーズは、応募点数375の中から福島県本宮市在住の仁井田京子さんの「『義』の想い つなげ未来へ―。戊辰150周年」を選んだ。
市では、市内外の約140団体で構成された戊辰戦争150周年記念事業委員会を立ち上げている。記念誌作成や特別番組の制作、記念展示事業などを行い、市文化の振興や観光誘客を狙う。
<戊辰戦争>剣舞奉納 会津藩の女性を慰霊
戊辰戦争(1868~69年)で犠牲になった会津藩の女性たちの霊を慰める「奈与竹之碑」の碑前祭が1日、福島県会津若松市門田町の善竜寺であった。
主催する嫋竹(なよたけ)会の会員ら約150人が参列。吉田幸代会長が「戊辰戦争で会津の全ての人々は大きな困難を被ったが、戦後、素晴らしい人材を輩出した。東日本大震災の爪痕で困難を極めている私たちも、強い精神力で頑張らないといけない」と祭文を読み上げた。
読経、焼香の後、同市の謹教小合唱部の児童9人が学校で歌い継がれている「なよたけの歌」を奉納。葵高の舞踊部となぎなた部の生徒15人が剣舞を披露し、郷土のために戦った女性たちに祈りをささげた。
戊辰戦争では会津藩士の妻や娘ら233人の女性が犠牲になった。戦争の足手まといになると考えて自刃した女性も少なくなかった。奈与竹之碑の名称は、一族21人が自刃した会津藩家老西郷頼母の妻千恵子が詠んだ辞世の句から取られた。
観光の「列藩同盟」 来年の戊辰150年、本県誘客図る
国内を二分し歴史の転換点となった「戊辰戦争」から来年で150年を迎える。激戦地となった福島県では会津若松市や白河市が記念事業に向け動きを本格化させている。
一方、新政府軍として本県に入った薩摩、長州など諸藩のあった西日本では「維新150年」として各県が手を握り、一足先に事業を進めている。
本県の魅力発信に向け「平成の奥羽越列藩同盟」のような広域観光が実現できるかが鍵を握りそうだ。
県は6日までに、会津藩のおひざ元・会津若松、白河藩のあった白河、二本松少年隊の悲劇で知られる二本松の3市との情報交換会を初めて開き、3市連携の周遊ツアーの実施を確認した。
県は「150年を契機に『サムライ』をテーマにした魅力発信を国内外にしていきたい」と昨年度まで展開した大型キャンペーン・ふくしまデスティネーションキャンペーンに代わる観光の軸として期待を寄せる。
広域連携の中心となるのは会津若松市。同市は昨年10月、市内の約140団体で戊辰150年に向けた実行委員会を設立。同委副会長の渋川恵男さん(70)は県内外の列藩同盟ゆかりの自治体、会津藩士が移住した青森県むつ市など全国ゆかりの地との広域連携を通し「全国への発信力を強めて、注目を集めるようにしたい」と意気込む。
白河市は歴史の発信を軸にした各種事業を計画。会津若松、二本松両市などとの連携に加え、新政府軍の長州藩ゆかりの山口県萩市に「白河踊り」が伝承されている経緯から、2018年に同市と盆踊り交流を進める。記念事業実行委員会会長の人見光太郎さん(74)は「市民と歴史を共有したい」と語る。
戊辰戦争で落城まで奮闘した二本松藩の霞ケ城がある二本松市は18年に企画展や記念事業を計画中。新政府軍に降伏した三春藩の本拠・三春町も同年秋、同藩が戊辰戦争で直面した状況などを紹介する企画展を開く予定。
県内には幕末に計10以上の藩があり、各地に戦場や史跡が点在するため、関連自治体と団体の取り組みや連携の動きが今後活発化しそうだ。
◆「平成の薩長土肥連合」西日本4県
新政府軍の中心の藩があった山口、鹿児島、高知、佐賀の4県は広域観光推進のため2015年に「平成の薩長土肥連合」を設立、既に共同キャンペーンを展開している。
12年から事業を繰り広げる鹿児島市と同じく14年からの萩市は16年1月、薩長同盟150年を契機に盟約を結び、観光PRに取り組んでいる。
薩摩藩の西郷隆盛の生涯を描く来年の大河ドラマ「西郷どん」の放映や、国の「明治150年」に向けた施策が追い風となり、勢いは増している。
栃木
真岡にも刀剣女子 「さむらい刀剣博物館」来館者が5倍超、8割女性
【真岡】足利市立美術館が今春実施した国重要文化財の刀「山姥(やまんば)切国広(ぎりくにひろ)」に人気ゲーム「刀剣乱舞」の女性ファンらが殺到した“刀剣女子ブーム”の中、大根田の「さむらい刀剣博物館」にも若い女性の来館者が急増している。ゲーム配信が始まった2015、16年の年間来館者は、それまでの5倍以上となる2千人超になったという。柳田律夫(やなぎだりつお)館長は(69)は「8割は女性」とかつてないブームに驚いている。
同館は1994年、柳田館長が「刀剣の魅力を一般の人にも知ってもらいたい」と自費で設立。主に収集した刀剣約4千点を収蔵している。
開館から数年の年間来館者は1千人前後で推移していたが、2012~14年は約400人ほどに低迷。そこにブームが起き、新選組の沖田総司(おきたそうじ)も所有したとされる「清光(きよみつ)」、「大和守安定(やまとのかみやすさだ)」などが見られるスポットとして全国からファンが訪れるようになったという。
このため同館は15年から、普段はガラス越しにしか見られない刀剣数本をケースから出し、スタッフの解説を受けながら実際に触れることができる特別展示の実施に踏み切った。
午前9時~午後5時。月曜休館。
高知
「志国高知 幕末維新博」が無料アプリ「城巡り」と連動
「志国高知 幕末維新博」をさまざまな視点から楽しんでもらおうと、志国高知幕末維新博推進協議会は無料ゲームアプリ「発見! ニッポン城巡り」と連動した企画を始めた。スタンプラリー形式のゲームを通じて、愛好者ら新たな客層を呼び込む狙いだ。...以降は有料版の記事にて。
佐賀
幕末の絵地図、謎多い山城跡も…武雄鍋島家資料
佐賀県武雄市が所有する武雄鍋島家資料の中から、唐津藩一帯の様子が描かれた幕末の大型絵地図が見つかった。
江戸時代以前の姿の記録が残っていない県史跡の山城跡・岸岳きしだけ城跡の姿も記されている。調査した佐賀大の宮武正登教授(日本中世史、城郭史)は「県内の今後の文化財調査で役立つ貴重な史料になる」と指摘している。
市が9日、市歴史資料館で報道陣に公開した。宮武教授によると、「唐津之図」と名付けられた絵図は縦3・15メートル、横3・91メートル。唐津藩領内の主要道や河川、岸岳城跡を始めとする山城跡などが記載されている。図中に描かれている墓所の記述などから、幕末の1860年代に作製されたとみられている。
作者は不明。幕末には、時代の変化に対応するために多くの藩が他藩の情報を集めたといい、佐賀鍋島家が実地調査して作った可能性があるという。ただ、宮武教授は「作製の理由は特定できない。これからの研究課題」と話している。
標高300メートル超の岸岳城跡は唐津市南部にそびえる。戦国時代に肥前北部の代表的な領主となった波多氏が居城としていた。西九州最大級の山城とされ、城郭の全長は約1・3キロ。記録が乏しく謎が多かったが、絵図では「本丸」や「水ノ手矢倉」、地下通路にあたる「穴蔵」などの配列が詳細に記されている。
武雄鍋島家資料は、江戸時代に佐賀藩主・鍋島家の重臣として武雄地方を治めた武雄鍋島家に伝わる約1万6000点の古文書、絵画などで構成。武雄市に寄贈されており、一部は国重要文化財に指定されている。
唐津之図は資料の目録リストに入っていたが、詳しい内容はわかっていなかった。同市歴史資料館から「大きな絵図がある」と報告を受けた宮武教授が約4年前から調査を進めていた。
一般公開については「展示設備を整え、実現する方向で検討したい」としている。(渡辺直樹)
幕末の蒸気車走った 佐野常民記念館、佐賀藩「精煉方」の技術再現 [佐賀県]
佐賀藩の科学技術研究所「精煉方(せいれんかた)」が製作した「蒸気車ひな型(模型)」のレプリカの走行実演が5日まで、佐野常民記念館(佐賀市川副町早津江)で開かれている。訪れた人は、日本の近代化を支えた佐賀藩の歴史に思いをはせていた。
記念館によると精煉方の主任だった佐野常民(1822~1902)は、発明家として知られる田中久重(1799~1881)らと1855年頃、模型ながら日本で初めて蒸気車を完成させ、藩主鍋島直正に走行する姿を披露した。レプリカは長さ約42センチで、久留米高専(福岡県久留米市)の教職員が製作。蒸気で車輪を動かす当時の仕組みをほぼ再現した。
4日の実演では、一周約17メートルのレール上を蒸気車が勢いよく走行。訪れた人は「すごい」と歓声を上げていた。福岡県糸島市の中学2年生(13)は「160年も前にこんな技術力があったなんてすごい」と驚いていた。5日は午前11時と午後2時から走行実演がある。
=2017/05/05付 西日本新聞朝刊=
コラム
街にあふれる行商は、ネット通販より便利? 幕末から明治の買い物事情
森田健司 大阪学院大学経済学部教授(専攻:社会思想史・日本哲学)
カタログやネット通販の普及も活況ですが、なくなりそうでなくならないのが移動販売です。個人店が営んでいたり、フランチャイズ展開がなされていたり、取扱い商品や形態はさまざまです。そんな移動販売の元祖といえば行商です。
時代劇でよくみる棒の先についた桶に商品を入れて売り歩く江戸の行商から、明治中期頃は写真のようなより多くの商品を荷車に載せる行商スタイルへは、どのように発展していったのでしょうか? 当時の貴重な資料である彩色古写真から見える、行商人の商売の様子や庶民の暮らしについて、大阪学院大学経済学部教授 森田健司さんが解説します。
【連載】古写真で知る幕末・明治の日本
町に溢れていた行商人
今の日本は、とにかく便利である。買い物をするにしても、そのほとんどをネットショッピングで済ませることさえできる。スマホやパソコンで画像を見て、欲しいものをクリックすれば、宅配業者が自宅の玄関まで商品を運んでくれるわけである。ものぐさにとって、極上のサービスだ。
それに対して、江戸時代はどうだったのだろう。きっと、買い物は大変だったに違いない。このように考えてしまいがちだが、実はそうでもないのである。それどころか、もしかしたら今よりもっと「便利」と言ってもよいかも知れない。
その秘密は、江戸時代に町に溢れていた行商人にある。彼らは魚や野菜などの生鮮食品から、重量のある什器に至るまで、様々な商品を取り扱う専門業者たちだった。だから、毎食の買い物はもちろん、日用品でも家財道具でも、自宅の目の前で購入することができたのである。商品を天秤棒で担ぎ、声を出して売り歩く彼らは、「棒手振り(ぼてふり)」と呼ばれた。棒手振りは許可制で、幕府公認の仕事でもあった。
この棒手振りたちは、明治に入っても元気に活動していた。ただし、少しずつ見た目が変わっていく。肩に天秤棒を担ぐものから、大きな二輪の荷車「大八車(だいはちぐるま)」に商品を載せるスタイルに移行したのである。大八車自体は江戸時代前期から存在したが、個人の行商人が普通に利用し始めたのは、明治の中期頃からと言われる。この背景には、人力車の普及によって道幅が広げられ、整備されたことがある。
はじめに掲載した写真は、大八車を利用する行商人の姿を撮影したものである。驚くべきは、その商品の数である。まさに、店ごと移動している感がある。
日本文化に寄り添った素材=竹
ところで、大八車を引っ張る行商人が扱っている商品は何だろうか。よくよく眺めてみると、笊(ざる)に籠、箒など、木で作られた大小様々な品が確認できる。
明治時代中期の「竹細工行商人」写真・商品部分のアップ(筆者所蔵)
彼が運んでいる商品が木製であることは間違いないが、それらには、もう一つ指摘できそうな共通点がある。それは、木の中でも、「竹」を主たる材料としたものがほとんどであることだ。笊や籠をはじめ、これら商品のほとんどは、竹細工である。
現代の日本では、竹細工の需要はそれほど多くない。しかし江戸から明治時代にかけて、家財道具の相当な割合は、竹で作られたものだった。これほど竹が多用されていた理由の一つは、大変軽量なことである。写真の行商人が、これほど多くの商品を持ち運びできているのも、竹製で軽いためだった。また、竹はただ軽いだけではなく、加工しやすい上に、強度が高い素材でもある。
おそらく、外国人旅行客の目には珍しく映ったのだろう。行商人だけではなく、竹細工を作る職人の手彩色写真も、数多く残されている。それも載せておこう。
明治時代中期の「竹細工職人」写真(筆者所蔵)
背中を向けている竹細工職人は、地面に座り込んで作業を行っている。彼の手には、驚くことに何も道具が持たれていない。そう、竹細工は基本的に、文字通りの「手作り」だった。この工房の外に置かれているのは、職人が手で編み上げた竹細工の籠だが、どれも溜息が出るほどに美麗な仕上がりである。
湿気の多い日本という地に適応した竹細工が、各家庭の中で主役の座を追われ始めたのは、それほど昔の話ではない。第2次大戦後、それも昭和30年代以降のことだった。新しい素材であるプラスチックの実用化によって、竹細工は少しずつ姿を消していったのである。
売価は交渉次第
話を行商人に戻そう。家のすぐ前まで商品を運んでくれる行商人たちは、確かに便利ではあった。しかし、今の売り買いと大きく違うこともある。それは、商品の「定価」が存在しなかったことである。実際の売価は、売り手と買い手の交渉にかかっていた。
イギリスの旅行作家であるイザベラ・バードは、1878(明治11)年に初めて日本の地を踏んだ。彼女は、当時の鉢石宿(現在の栃木県日光市鉢石)における買い物の経験を、次のように記録している。
「50銭という言い値があまりに法外だと思って店を出ると、後から女将がちょこちょこと追いかけてきて、20銭でいいですと言ったことがいくつかの店であった」
― 金坂清則訳、イザベラ・バード著『日本奥地紀行(1)』(平凡社)、187ページ
江戸時代以来、日本の小売店では、商品の価格は基本的に掛値(かけね)で提示され、その後、客との交渉の中で売値が決まっていくシステムが採用されていた。つまり、同じ商品であっても、買う人間によって値段が違ったのである。これは、普通の店舗であっても、行商であっても同じである。
今の日本では(一部地方の小売店を除いて)考えられない話だが、こういった商法は、海外ではまだまだ残っているところがある。特に、観光客が多い地域においては、少しでも多くの利益を得るため、値段を吹っかけてくることは少なくないようだ。
いくら家の前まで運んでくれるとはいえ、売値が交渉によって決まるのが普通であった時代は、あまり羨ましいと思われないかもしれない。何事においても、今よりずっとコミュニケーション能力が必要とされたのが、江戸、および明治という時代だった。それを「人間らしい」と取るか、「煩わしい」と取るかは、その人の感性次第である。
(大阪学院大学経済学部教授 森田健司)
久しぶりの幕末ニュースです。
歴史
百五十回忌の近藤勇 首は「会津埋葬」最有力? 愛刀のメモ調査、歴史館も支持
徳川埋蔵金:発掘SPで幕末の新資料発見 “黒幕”英国の関与示す 小栗忠順の“新証拠”も
東京
本日5月11日は土方歳三の命日 / 土方歳三資料館では愛刀「和泉守兼定」が期間限定公開中
日野で「新選組まつり」 土方歳三の命日に合わせ隊士集結
ひの新選組まつり土方役に岡安さん 隊士に扮し甲州街道行進 日野できょう /東京
日野で新選組まつり 「隊士パレード」配役決定
「屯所」で豚肉と芋…新選組まつりに創作料理
品川ゆかり 幕末、明治の偉人 区がリーフレットで紹介
散った若者へ思いはせ 幕末の彰義隊 15日に150回忌法要
福島
「奥羽越列藩同盟」ゆかり自治体連携へ 若松・戊辰150周年実行委
<新撰組>「局長」50回目の慰霊
北海道
【ボクらの維新通信社 連載】なりきりコンテストに迫力のパレード!
三重
幕末の藤堂藩の活躍知って 市郷土資料館で企画展
高知
知っちゅう?高知城歴博「幕末・維新の言葉」展 人情味と愛らしい一面 /高知
神奈川
三宝寺幕末期の住職・弁玉を学ぶ 文化命日ちなみ講演会
歴史
百五十回忌の近藤勇 首は「会津埋葬」最有力? 愛刀のメモ調査、歴史館も支持
江戸末期に結成された新選組の局長、近藤勇。戊辰戦争で新政府軍に敗れて処刑された後、その首が葬られた場所は京都説が最有力だが、百五十回忌を迎える今年、一般の研究家の調査で福島・会津説が“急浮上”している。幕末史料を多数所蔵する京都の霊山(りょうぜん)歴史館もこの説を支持し、根拠となる近藤の刀を入手、展示している。
「下僕首を盗み生前の愛刀になりし此(こ)の刀を持ちて会津に走り密かに葬る」
近藤の愛刀とされる「阿州吉川六郎源祐芳(あしゅうきっかわろくろうみなもとのすけよし)」の鞘(さや)に貼り付けられたメモ書きの文面の一部だ。内容は刀の来歴で、京都の三条河原にさらされた近藤の首を「下僕」が盗み出し、この刀とともに会津に持ち去って首を埋葬したというもの。寺社などから聞いた話といい、書いた主として「陸軍少将 若松市(現会津若松市)長 松江豊寿(とよひさ)」と署名されている。
新選組の刀剣を約50年研究している東京都品川区の焼き肉店経営、権東品(ごんとうしな)さん(65)は平成27年7月、前の刀の持ち主から依頼され、来歴の事実確認を始めた。松江は地元・会津出身の第9代若松市長。松江自筆の履歴書を入手し、メモの筆跡と比べたところ、特徴が酷似していたという。
次に「下僕」とは誰か。会津藩の下で雑務に当たっていた上坂仙吉(こうさかせんきち)という侠客(きょうかく)がおり、同藩預かりの新選組とも関わりがあったといい、権さんは、雑務の礼に近藤から愛刀を贈られた上坂が生前の恩義から近藤の首を持ち去り、刀とともに会津へ運んだと考えた。
上坂は通称「会津小鉄(あいづのこてつ)」として知られ、京都市の西雲(さいうん)院に墓がある。権さんが同院に手掛かりの有無の確認を依頼したところ、子分が書いた伝記「会津小鉄伝」が見つかり、「近藤勇の首級奪取、会津へ運ばす」との記述を発見した。橋本周現(しゅうげん)住職(61)は「本当なのかどうか。歴史のロマンですね」と語る。
ほかにも元会津藩士らが会津・天寧(てんねい)寺に近藤の首塚が残っていることに言及したとの記録などもあり、公益財団法人が運営する霊山歴史館も調査を実施。木村幸比古(さちひこ)副館長(68)は「京都説は言い伝えられている場所周辺に墓らしきものがない」と指摘した上で、会津説について「一番有力になったのは明確」と話す。
近藤の愛刀とされる「阿州吉川六郎源祐芳」。鞘には来歴が書かれたメモが貼り付けられていた(霊山歴史館提供)
幕末維新史に詳しい花園大学の松田隆行教授は「歴史学の観点では、近藤の首がどこにあるかは関心が薄く、民間の研究とは史料の評価も異なるので断定的なことは言えない」と冷静な見方だ。ただ、権さんは「日本人特有の『忠義』を表す一つのエピソード。研究家や歴史ファンらは確証高い説を望んでおり、その一角を提示できたのではないか」と話している。
■近藤勇 文久3(1863)年に京都で結成された浪士隊に土方歳三、沖田総司らと参加。同隊の一部が京都の治安維持を担う新選組となり、後に近藤が局長に。幕臣として参加した慶応4(1868)年の戊辰戦争で新政府軍に敗北し、東京・板橋で斬首された。首の埋葬地は最有力の京都説、会津説のほか、愛知説、山形説などもある。
徳川埋蔵金:発掘SPで幕末の新資料発見 “黒幕”英国の関与示す 小栗忠順の“新証拠”も
27年間にわたって「徳川埋蔵金」の謎を追い続けている歴史バラエティーの最新版「林修の歴史ミステリー 徳川家260年最大の謎 3000億円埋蔵金大発掘 最終決戦スペシャル」(TBS系)が6日午後6時55分(一部地域午後7時)から、3時間スペシャルで放送される。今回は、舞台となる“幕末の謎”に焦点を当て、英国と薩摩藩、徳川の関係を示す新資料を英ケンブリッジ大学で発見、埋蔵金の“証拠”につながる古文書の記述も新たに紹介される。成田雅仁プロデューサーに見どころを聞いた。
「徳川埋蔵金」は1990年、TBSのバラエティー番組で、コピーライターの糸井重里さんを中心に、群馬県の赤城山中で発掘に挑戦。以来、断続的にスペシャル番組が放送されてきた。昨年12月に予備校講師の林修さんをMCとして8年ぶりに新シリーズが放送され、最新機器を駆使した発掘調査では、巨大な長方形の“影”を確認したながら、発掘には至らなかった。
新シリーズから番組を担当する成田プロデューサーは「協力プロデューサーの那須田淳さんはじめ、発掘の現場スタッフは番組スタートからのベテランぞろいで、みなすごい知識を持っている。少しでも追いつこうと50冊以上の専門書を読みあさりました」と語る。新シリーズのポイントについて「MCの林先生は、みんなの知らないことを分かりやすく解説させたら日本一だと思う。歴史学者の磯田道史さんも明治維新の“敗者”である徳川の歴史の解明に全面協力してくれています」という。
徳川幕府の大政奉還から150年を機に、今回は“幕末の謎”を追うため、埋蔵金の首謀者とされる幕臣・小栗忠順(おぐり・ただまさ)と対抗した倒幕側の動きを、舞台となった京都を中心に探る。さらに幕府と薩摩、長州藩の黒幕とされる英仏の関係を調査。その過程で、英ケンブリッジ大に残る、英国が薩摩藩と幕府の双方に資金を支援していたことを示すという文書を発見。また、番組収録後に磯田さんが古書店で見つけた古文書の中に、当時勘定奉行だった小栗が横浜での生糸貿易の関税を樽に詰めて送っていたという記述を発見。埋蔵金の資金ではないか、という新事実も紹介される。
発掘では、番組の大ファンというタレントの佐々木健介、北斗晶夫妻が、現場での作業にも参加。留学を控える長男・健之介さんも出発日をずらして加わるという熱の入れようだった。前回、存在を確認しながら現場の安全のために掘り進めなかった“巨大な影”に迫っていく。
成田プロデューサーは「埋蔵金を追う過程で、歴史に埋もれた事実が次々と発掘されてくる。今回は、埋蔵金の実行者とされる林鶴梁(はやし・かくりょう)も登場します。林先生の解説で誰にでも見やすい構成にしているので、歴史のロマンにワクワクしてほしい」と話している。
東京
本日5月11日は土方歳三の命日 / 土方歳三資料館では愛刀「和泉守兼定」が期間限定公開中
江戸時代の末期、約260年の歴史と新しい時代の潮流が混ざり合う激動の日本において、時代の波に翻弄された男たち・新選組。田舎のゴロツキから当時の首都「京都」の守護職にまで成り上がった彼らのストーリーと、悲しい最期にロマンを馳せる人は少なくないだろう。
本日2017年5月11日は、そんな新選組の鬼の副長・土方歳三の148年目の命日だ。よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも魂は東(あずま)の君やまもらむ──。
・新選組に見る破滅的な美
土方歳三と言えば、新選組において1、2を争う有名人。局長の近藤勇の死後も、その意志を貫き瓦解する新選組と心中した姿には、破滅的な美しさがあると言っても過言ではないだろう。
思えば、肺炎で病死したと言われる沖田総司、正義の味方のつもりが悪者の親玉となってしまった近藤勇にも、それぞれに破滅に向かう悲しさや美しさがあって、そこが日本人の琴線に触れるのかもしれない。
・愛刀「和泉守兼定」が期間限定公開中
それはともかく、東京都日野市にある「土方歳三資料館」では、毎年、命日に合わせ愛刀「和泉守兼定」の刀身が期間限定で公開されている。2017年は4月2日から5月21日までの公開となっており、開館日は残り13日、14日、21日の3日間。新選組のファンは、訪れてみるのも良いのではないだろうか。
参照元:土方歳三記念館、wikimedia
執筆:中澤星児
▼今朝、歳三さん時代からのザクロの木の花が咲きました
土方歳三資料館 @toshizoofficial
本日は歳三さんの148年目命日です✨土方家過去帳には「歳進院殿誠山義豊大居士 行年三拾五才 明治二巳年五月十一日 箱館一本木関門に戦死す 俗名土方歳三 土方義諄の末子幼年より剣術を学び近藤勇と共に京師へ至り終に箱館に戦死す」✨今朝、歳三さん時代からのザクロの木の花が咲きました
▼これは妖刀・村正
▼『徳川に祟る』という伝説を持つ村正は幕末志士の間でげんかつぎで使われていたという
カテゴリー 知識, 国内 (命日 • 和泉守兼定 • 土方歳三 • 土方歳三記念館 • 幕末 • 新選組 • 期間限定)
日野で「新選組まつり」 土方歳三の命日に合わせ隊士集結
日野市内の各所を会場に5月13日・14日、新選組をテーマとした恒例イベント「ひの新選組まつり」が行われる。
今年で20回目を迎える同祭り。毎年、新選組の副長で、武蔵国多摩郡石田村(現在の日野市石田)で生まれた土方歳三の命日である5月11日に合わせて開催。土方の菩提(ぼだい)寺でもある高幡不動尊(日野市高幡)などを会場に、さまざまなイベントを繰り広げる。
今回は日野市立第1小学校(日野本町2)に新たなイベントスペース「日野宿だんだら村(新選組日野宿屯所)」を展開。スポンジ製の刀で相手の腕に付いた玉を落とす「新選組チャンバラ合戦」の会場となるほか、市内の飲食店などが出店する「新選組ひのうまいもんストリート」、アロマやブレスレット作りなどを体験できる「だんだら市」なども開催。ステージも設け、さまざまな催しも行う。
メインイベントともいえる土方歳三や近藤勇、沖田総司など新選組各組の組長などをコンテストで選び、各組の隊士と共に練り歩くパレードのほか、新選組に関わる市町村の連携を目的とした「全国新選組サミット」、土方や近藤の位牌を拝観できる「高幡不動尊新選組隊士慰霊祭」、今回で5回目となる「土方歳三の恋人・高幡不動きものクイーンコンテスト」なども行う。
開催に伴い、14日は甲州街道・川崎街道入り口~日野駅前東交差点の区間が車両全面通行止めになる。通行止めは10時~16時。
ひの新選組まつり土方役に岡安さん 隊士に扮し甲州街道行進 日野できょう /東京
新選組の副長を務めた土方歳三の出身地、日野市で14日行われる「第20回ひの新選組まつり」のパレードの幹部役を選ぶ「隊士コンテスト」が13日、同市の高幡不動尊であり、埼玉県久喜市の会社員、岡安綾希子(あきこ)さん(35)が土方役に選ばれた。以降は有料版の記事でご参照ください。
この祭りは土方の命日の5月11日に合わせて、毎年この時期に開かれ、市内外から4万5000人以上が集まる日野市最大の祭り。メインイベント…
日野で新選組まつり 「隊士パレード」配役決定
「新選組」ゆかりの地の日野市で十三日、恒例の「ひの新選組まつり」が始まった。十四日にJR日野駅周辺などを練り歩くメイン行事「隊士パレード」の配役を決めるコンテストが高幡不動尊金剛寺であり、隊士ファンらが思い思いのパフォーマンスで会場を沸かせた。 (水谷孝司)
約五十人のコンテストの参加者が、衣装やせりふ回しなどまで隊士になりきり、居合の型や演舞、自作の歌などを披露した。雨で屋外のイベントが中止されたり、場所が変更されたりしたが、コンテスト会場の五重塔内のホールは熱気に包まれた。
審査の結果、日野市出身の「副長・土方歳三」役に埼玉県久喜市の岡安綾希子(あきこ)さん(35)、「局長・近藤勇」役に杉並区の安田友亮(ゆうすけ)さん(35)などが選ばれた。安田さんは昨年のパレードでも「土方」役で参加した。
これに先立つ「高幡不動きものコンテスト」では、パレードに土方の恋人「お琴」役で参加するきものクイーンに八王子市の工藤麗加さん(25)が決まった。
ひの新選組まつりは、五月十一日の土方の命日に合わせて毎年この時期に開かれ、今年は二十回の節目となった。十四日は午前十時~午後四時、パレードなどの会場となる川崎街道入り口から日野駅までの甲州街道は車両通行止めになる。
「屯所」で豚肉と芋…新選組まつりに創作料理
幕末に活躍した新選組の隊士にふんした人々でにぎわう「ひの新選組まつり」が13、14日、東京都日野市内で開かれる。
節目の20回目を迎えた今回は、新選組にちなんだ創作料理が登場するなど、全国から集まる新選組ファンのおもてなしに工夫を凝らした。
ひの新選組まつりは、同市に生まれ、新選組副長だった土方歳三の命日(5月11日)の近くに毎年開催されている。JR日野駅周辺や、土方の菩提ぼだい寺・高幡不動尊などが会場となり、メインイベントの「隊士パレード」をはじめ、様々な行事が楽しめる。
今年は、日野駅周辺の飲食店12店舗が、新選組にちなんだ「屯所とんしょ料理」を提供する。屯は豚、所は薯しょ(芋)を意味し、隊士が休憩する「屯所」とかけて、豚肉と芋類を使った創作料理が各500円(税込み)で味わえる。
料理を注文すると、新選組がモチーフとなった人気ゲーム「薄桜鬼はくおうき」のキャラクターが描かれた特製コースターがもらえるといい、ファンには注目のアイテムだ。日野市の担当者は「新選組ゆかりの地として、多くの人々をおもてなしするとともに、街おこしにつなげたい」と語る。
まつり期間中、飲食店が屯所料理を提供するのは13日のみ。14日は、市立日野第一小学校に開設する交流スペース「日野宿だんだら村」で、豚肉と芋を使った特製の弁当が味わえるという。屯所料理や弁当は、なくなり次第終了。
14日は午前10時~午後4時、日野駅周辺で交通規制が実施され、午後1時半からは隊士パレードが行われる。会場周辺は幕末を再現したかのような独特の雰囲気と、多くの新選組ファンの熱気に包まれそうだ。
品川ゆかり 幕末、明治の偉人 区がリーフレットで紹介
坂本龍馬ら幕末、明治維新期に活躍した人物の足跡を紹介するリーフレット「品川ゆかりの幕末・明治の偉人たち」を品川区が作製し、観光客らの人気になっている。
A4判カラー3枚つづり。12人の人物像のほか、山内豊信(容堂)、伊藤博文、板垣退助らの墓などを記した地図を掲載。東大井に土佐藩の下屋敷があった関係でペリー来航時に江戸警護に当たった龍馬の像や、高杉晋作らによる英国公使館焼き打ち事件の舞台、御殿山の場所も分かる。
区立品川歴史館の資料を基に、郷土史家の坂本道夫さんと区観光ガイドの渡辺瑞枝さんが執筆した。編集した、しながわ観光協会の大嶋秩佐さんは「品川には幕末、維新期の歴史舞台が詰まっている」と話す。
区役所や区内の図書館、観光案内所などで無料配布している。問い合わせは同協会=電03(5743)7642=へ。 (梅村武史)
散った若者へ思いはせ 幕末の彰義隊 15日に150回忌法要
幕末、無血開城後の江戸で徹底抗戦を叫び、新政府軍の猛攻撃に半日で敗れた彰義隊(しょうぎたい)。上野公園(東京都台東区)にある墓を、生き残った隊士の子孫が守り続け、十五日に百五十回忌の法要を迎える。墓の由来を知る人も少なくなる中で、大きな歴史の転換期にはかなく散った若者たちに思いをはせてくれるよう、子孫の一人は願っている。 (神谷円香)
上野公園のシンボル、西郷隆盛像の裏手にある、樹木に囲まれた墓石。彰義隊の文字や隊士の名前はない。生き残った隊士小川興郷(おきさと)が建てた。「戦死之墓」の文字は、興郷と交流のあった剣術家山岡鉄舟の筆による。
「子どもの頃は夜が怖くてね」。興郷の孫、東京学芸大名誉教授の小川潔さん(70)は、墓の隣にある家で生まれ育った。小川家は代々、墓守として十四年前までここに住んでいた。
興郷は最後の将軍徳川慶喜が出た一橋家の家臣で、彰義隊結成の中心人物の一人だった。無残な死に方をした仲間への責任から、隊士の遺体が埋葬された上野に墓を建てようと奔走し、一八七四(明治七)年、新政府から許可を得た。
だが「賊軍」への冷たい視線が苦境を招く。寄付が集まることを見越し七五年に銅製の墓を建てたものの支援は得られず、墓を借金のかたに取られてしまう。墓が荒れ放題になるのを案じた日蓮宗の支援で九年後、現在の墓を再建。興郷は墓の隣に家を構えた。以来、小川家が墓守をしてきた。戦後にできた都市公園法を機に、曖昧な土地の所有権をはっきりさせることが必要になり、都から立ち退きを求められたこともある。住むことは認められたが、土地は都の所有となった。
潔さんは三十五歳で家を出た。公園の自然を愛し、大学でタンポポを研究しながら、近代史も独自に学んだ。二〇〇三年、墓守を継いだ長兄の彰さんが体調不良で転居し、家はなくなった。自宅内の資料室に展示していた隊士の遺品や資料は、地元台東区に寄贈。一部は潔さんが保管する。
彰義隊は小説やドラマでさまざまに描かれる。幕府への忠義を貫いた英雄、あるいは動乱に乗じて一旗揚げようとした「烏合(うごう)の衆」とも見なされる。
潔さんはどちらにもくみしない。「事実だけを知ってほしい。一方的な評価ではなく、一人一人の隊士や関わった人のことを伝えたい。行動を美化も、否定もしたくない」。ただ、新政府軍の指導者だった西郷の像が、墓に背を向けているのには複雑な感情を抱く。
隊士の子孫という人からは今も問い合わせを受ける。「記録は残しておく必要がある」と、墓と小川家の歴史を書き残す作業を進めている。
<彰義隊> 徳川慶喜の生家、一橋家の家臣らで1868(慶応4)年2月に結成。慶喜の護衛や江戸の警備を掲げ、隊士は2000人を超えたともいわれる。同年5月15日の上野戦争では1000人前後が戦った。最新鋭の大砲を備えた新政府軍の圧倒的な軍勢を相手に、半日で敗戦。戦場の寛永寺はほぼ焼失し、隊士の遺体は野ざらしにされた。後に266体が埋葬され、その場所に墓が建てられた。
福島
「奥羽越列藩同盟」ゆかり自治体連携へ 若松・戊辰150周年実行委
来年の戊辰150周年に向け、会津若松市戊辰150周年記念事業実行委員会は、戊辰戦争時に新政府軍に対抗するため東北と越後の諸藩で結成された「奥羽越列藩同盟」にゆかりのある自治体関係者を参集した広域連携事業を展開する。実行委が同市で開いた総会で決めた。
広域連携事業では、今年11月上旬に講演会を中心としたシンポジウムを開く。さらに今夏に開設する予定の特設ホームページで全国のゆかりの地を紹介する。
このほか戊辰150周年PRの顔となる「ミスター新選組コンテスト」を開き、新選組の近藤勇や土方歳三、斎藤一などを決める。
来年度は記念式典を行うほか、同市内を周遊するクイズラリー「戊辰ミステリー宝探し」も実施する。
また、戊辰150周年記念宣言を策定して多言語で世界に発信していく。室井照平市長は「会津の精神文化を正しく伝え、先人の活躍を顕彰し、次代に引き継いでいく」と語った。
<新撰組>「局長」50回目の慰霊
幕末に活躍した新選組で局長を務めた近藤勇を慰霊する墓前祭が、近藤の墓がある会津若松市の天寧寺で開かれ、新選組ファンら約20人が参列した。
墓前祭は近藤の命日に当たる4月25日に執り行われた。会津若松ライオンズクラブが毎年の命日に開き、今回で50回目。同クラブの宮沢吉英第1副会長は「クラブが存続する限り墓前祭を続けていきたい」とあいさつ。読経の後、一人一人が焼香した。
近藤の兄の子孫である宮川清蔵さん(78)、清志さん(41)=茨城県牛久市=親子も参列。清志さんは「50年も墓前祭を開いていただき、縁者としてありがたく思う。会津の人との絆を感じる」と話した。
新選組は京都守護職を務めた会津藩主松平容保の配下で、京都の警備に当たった。組のリーダーだった近藤は戊辰戦争の時、江戸で処刑されたが、天寧寺には会津に逃れた副長の土方歳三が建てたと伝わる近藤の墓がある。葬られているのは、遺髪という説や首という説がある。
北海道
【ボクらの維新通信社 連載】なりきりコンテストに迫力のパレード!
■ 戊辰戦争最後の地・五稜郭で開催される 見どころ盛りだくさんのお祭り!
【写真を見る】開城セレモニー。礼砲を担当する額兵隊に扮するのは、函館駐屯地の陸上自衛隊。さすがのリアリティと迫力!
連載第3回は、土方歳三や榎本武揚、中島三郎助父子、大鳥圭介など戊辰戦争を旧幕府方として戦ったスターが勢ぞろいの五稜郭で、毎年行なわれている有数のお祭りをご紹介!
徳川海軍の気鋭・榎本武揚、伝習隊を育てた男・大鳥圭介、新選組の鬼の副長・土方歳三、額兵隊隊長・星恂太郎など、旧幕諸将と東北諸藩の雄が戊辰戦争を最後まで戦い抜いた地・箱館。現在の函館市では、毎年『箱館五稜郭祭』が開催されています。戊辰戦争で命を落とした旧幕府方の人々を慰霊し、その志と歴史を後世に伝えるため、昭和45年(1970)から始まったこのお祭り。今年は5/20(土)、21(日)に開催予定です。初日の碑前祭では、例年、中島三郎助父子最後之地碑、碧血碑、土方歳三最期之地碑、箱館戦争供養塔を回り、諸将と兵士を弔います。榎本武揚に扮した実行委員の献花や、自衛隊による礼砲、そしてこのお祭りの名物、土方歳三コンテストが開催されるのも初日です。女性も参加どころか優勝することもあるこのコンテストでは、土方になりきった参加者がパフォーマンスを披露してしのぎを削ります。 2日目は、そのコンテスト優勝者も加わる維新パレードに大注目! 旧幕軍や新選組、新政府軍に扮した参加者や、黒船を模した山車が堂々行進する様は一見の価値アリ。アクションパートでは、迫真の殺陣に砲声まで上がる派手なパフォーマンスも。パレードは明治2年(1869)5月の五稜郭明け渡しを再現した、五稜郭公園の開城セレモニーで大団円。規模もにぎやかさも全国有数のこのお祭りは、旧幕府や土方ファンはもちろん、幕末好き全員にオススメです。【東京ウォーカー編集部】
三重
幕末の藤堂藩の活躍知って 市郷土資料館で企画展
名張藤堂家邸(同市丸之内)に残る古文書などから幕末の藤堂藩の活躍を紹介する企画展「大政奉還150年 名張藤堂家資料から見る幕末の藤堂藩」が名張市安部田の郷土資料館で開かれている。【天誅組の変を描いた絵図を見ながら藤堂藩の活躍を紹介する山口さん=名張市安部田で】
大政奉還から150年の節目にあわせ、幕末の動乱期の歴史的な出来事に藤堂藩や伊賀地域の人々が関わっているのを知ってもらおうと企画した。
会場には土佐藩が幕府に大政奉還するよう求めた建白書の写しなどの古文書8点と、家臣宅に残されていた洋式銃「エンフィールド銃」、生き人形師安本亀八が天誅組の変を描いた「和州騒動絵図」の拡大写真も並べた。
解説パネルでは、天誅組(1863年)の変から戊辰戦争終結(1869年)までの藤堂藩の活躍や、鉄砲隊などで活躍した半農半士の「無足人」と呼ばれる人々について紹介した。新政府軍と旧幕府軍が争った鳥羽伏見の戦い(1868年)では、当初幕府軍側だった藤堂藩が官軍となった新政府軍に翻り鉄砲隊が攻撃したことで旧幕府軍総崩れの要因を作ったことなども解説している。
資料館職員の山口浩司さんは「展示をきっかけに現地に足を運ぶなど興味を持ってもえたら」と話している。
企画展は5月28日までの午前9時30分から午後4時30分。月・木休館。
問い合わせは同館(0595・64・7890)へ。
高知
知っちゅう?高知城歴博「幕末・維新の言葉」展 人情味と愛らしい一面 /高知
土佐藩十五代藩主の山内豊信(とよしげ)(容堂、1827~72年)は「幕末の四賢候(しけんこう)」に数えられる偉人だが、土佐勤王党を弾圧した歴史などから、坂本龍馬らと比べ「非情な権力者」のイメージが強い。そんな殿様を題材にした「幕末・維新の言葉 山内容堂の主張」展が県立高知城歴史博物館(高知市追手筋)で開かれている。史料からは意外な一面も垣間見え、渡部淳館長は「愉快な男」とさえ語る。その実像に迫った。【岩間理紀】以下は有料版記事にて。
神奈川
三宝寺幕末期の住職・弁玉を学ぶ 文化命日ちなみ講演会
幕末から明治初年にかけて浄土宗三宝寺(樋口芳宏住職)=台町7の1=の第21世住職だった大熊弁玉の命日にちなみ、同寺で4月29日、第2回「ゆらむろ忌」講演会が催された。
弁玉は雅号を「由良牟呂」といい、長歌集『由良牟呂集』(1879年刊)を残し翌年63歳で他界。その作品は新体詩の先駆けと位置づけられ、変貌する横浜の歴史文学として高く評価された。しかし、時代遅れとなっていた万葉古語を用いていたため、その後語り継がれることはなかった。
横浜大空襲で焼けた際、弁玉に関する多くの資料も焼失した。同寺は郷土史家らに協力をあおぎ、収集作業を進め、2014年には弁玉の史料を展示するコーナーを開設。これをきっかけに、シンポジウム開催の機運が高まった。
同講演会には、区内外から180人が参加。歴史研究家などを講師に招き、激しく変わる世の中の動きや世相、文明開化の事物などを庶民の視点で詠い続けた弁玉の業績を学んだ。2回目の開催にあたり樋口住職は「弁玉を知ってもらうため、ゆらむろ忌を継続していきたい」とあいさつした。
広瀬和生さんプロデュースのシリーズ。ちなみに第1回は「文七元結」だったそうだ。文七と「ある人物」のエピソード……佐野槌の女将だと嬉しいんだけど聴けなかったので残念。
談笑さんの「居残り佐平次」には思い入れがある。大金がかかるお大尽遊びを一晩ぱっとやって、後で居残りとわかると自分を叩きのめすはずの若い衆《わかいし》になけなしのお金を全部渡して、手心を加えさせる、というプロっぽい手口がまずいい。そして、女郎たちを取り巻くところに化粧の仕方だけでなく新興宗教ちっくな笑顔の大切さが入ってきたり、夜の実技指導をしたり。今日は特に「品川甚句」の踊りの指導をする場面が入ったり、ご内証では複式簿記もつけたり、八面六臂。そして、この女郎屋の全員をたらし込み、旦那を追い出してしまう凄腕ぶり。旦那の捨て台詞が落ちなのもいい。
今回かけられたのは本編よりだいぶ軽いが、本編が幕末設定となるよう脳内で時間を巻き戻すようアナウンスがあり、そこから御殿場での花見。うん、御殿場の吉宗公お手植えの桜が削られたという幕末設定だね。
何と佐平次は徳川家側の隠密で、幕府の御用金を盗んだりする不逞の下級幕臣を「お化け白木」(「品川心中」の舞台)の主人として情報収集し、時にはお庭番衆と協力して始末する。店は解散するが、どこまでもついていくと言った女房に明かした次の任務とは……という話。
幕末大好きな私としてはこれでオチ、はちょっともったいない。もう少し引っ張ったエピソードにできるのに。もう少し練り込めば幕末にあったかも知れない裏話エピソードいいんじゃないかな。
そして第3回は「井戸の茶碗」。フィーチャーされるのは千代田のご老人の過去か、はたまた高木佐久左衛門と祝言を挙げたご老人の令嬢か、それとも屑屋か。これも楽しみ。
談笑さんの「居残り佐平次」には思い入れがある。大金がかかるお大尽遊びを一晩ぱっとやって、後で居残りとわかると自分を叩きのめすはずの若い衆《わかいし》になけなしのお金を全部渡して、手心を加えさせる、というプロっぽい手口がまずいい。そして、女郎たちを取り巻くところに化粧の仕方だけでなく新興宗教ちっくな笑顔の大切さが入ってきたり、夜の実技指導をしたり。今日は特に「品川甚句」の踊りの指導をする場面が入ったり、ご内証では複式簿記もつけたり、八面六臂。そして、この女郎屋の全員をたらし込み、旦那を追い出してしまう凄腕ぶり。旦那の捨て台詞が落ちなのもいい。
今回かけられたのは本編よりだいぶ軽いが、本編が幕末設定となるよう脳内で時間を巻き戻すようアナウンスがあり、そこから御殿場での花見。うん、御殿場の吉宗公お手植えの桜が削られたという幕末設定だね。
何と佐平次は徳川家側の隠密で、幕府の御用金を盗んだりする不逞の下級幕臣を「お化け白木」(「品川心中」の舞台)の主人として情報収集し、時にはお庭番衆と協力して始末する。店は解散するが、どこまでもついていくと言った女房に明かした次の任務とは……という話。
幕末大好きな私としてはこれでオチ、はちょっともったいない。もう少し引っ張ったエピソードにできるのに。もう少し練り込めば幕末にあったかも知れない裏話エピソードいいんじゃないかな。
そして第3回は「井戸の茶碗」。フィーチャーされるのは千代田のご老人の過去か、はたまた高木佐久左衛門と祝言を挙げたご老人の令嬢か、それとも屑屋か。これも楽しみ。
野間みつねさんと毎年恒例、日野の散策。
石田寺 土方さんの墓前で手を合わせる
とうかん森 お稲荷さんにご挨拶
土方歳三資料館 特別公開の和泉守兼定を拝む。ヒジカタ君の限定グッズを購入。
日野館 鴨焼き、天ぷら、蕎麦をいただく。私は升酒とともに。
佐藤彦五郎資料館 特別公開の越前康継ほか展示品を鑑賞。
日野本陣 通過
八坂神社 通過
井上源三郎資料館 グーグルマップさんがとんでもない裏道を指図してくれた。残念、休館
宝泉寺 源さんの墓前で手を合わせる
かなり直射日光の厳しい一日で日焼けに肌が火照る。
みつねさん、今年もお付き合いありがとうございました。
石田寺 土方さんの墓前で手を合わせる
とうかん森 お稲荷さんにご挨拶
土方歳三資料館 特別公開の和泉守兼定を拝む。ヒジカタ君の限定グッズを購入。
日野館 鴨焼き、天ぷら、蕎麦をいただく。私は升酒とともに。
佐藤彦五郎資料館 特別公開の越前康継ほか展示品を鑑賞。
日野本陣 通過
八坂神社 通過
井上源三郎資料館 グーグルマップさんがとんでもない裏道を指図してくれた。残念、休館
宝泉寺 源さんの墓前で手を合わせる
かなり直射日光の厳しい一日で日焼けに肌が火照る。
みつねさん、今年もお付き合いありがとうございました。
ACTシアターの志の輔らくごも5年連続。初日。
第一部 大忠臣蔵〜仮名手本忠臣蔵のすべて
今回は顔世夫人についての言及はなし。桃井若狭助について強調しておいて、終幕の解説で引き立てる。家老の加古川半蔵については逆にトーンダウンし、山科の段では大石親子とのやり取りも省略され気味。
後半の五段目を理解するための通し解説といいつつも、本筋のところをしっかり押さえて。討ち入りは武士の敵討ちの話だけど、おかるの父与惣兵衛夫婦に象徴される農民、天川屋利兵衛に象徴される商人を登場させて武士以外の身分の観客にも共感性が持てるようにフィクション部分を膨らませている、というメッセージ。
第二部 落語 中村仲蔵
五段目の塩冶判官切腹の場にも太棹を鳴らして演出性を高めたところが新演出のようで、とてもよかった。中村仲蔵が演じる斧定九郎の部分も芝居性を高め、ライティングを強調し、志の輔が描写する様子は色彩のコントラストを強調し、あたかも芝居を見ているような。
芝居の歴史の一ページを刻む、役の革新。血筋や身分など伝統に縛られた制約、名人團十郎や師匠の夫婦とお岸を除いて周囲は敵という苦境からの産みの苦しみ、偶然出会った浪人から得られるセレンディピティ。それが舞台に結びついた時の新しさや洗練。
いろいろなものを感じたけど、「生きる勇気」をもらった、とまとめたい。
第一部 大忠臣蔵〜仮名手本忠臣蔵のすべて
今回は顔世夫人についての言及はなし。桃井若狭助について強調しておいて、終幕の解説で引き立てる。家老の加古川半蔵については逆にトーンダウンし、山科の段では大石親子とのやり取りも省略され気味。
後半の五段目を理解するための通し解説といいつつも、本筋のところをしっかり押さえて。討ち入りは武士の敵討ちの話だけど、おかるの父与惣兵衛夫婦に象徴される農民、天川屋利兵衛に象徴される商人を登場させて武士以外の身分の観客にも共感性が持てるようにフィクション部分を膨らませている、というメッセージ。
第二部 落語 中村仲蔵
五段目の塩冶判官切腹の場にも太棹を鳴らして演出性を高めたところが新演出のようで、とてもよかった。中村仲蔵が演じる斧定九郎の部分も芝居性を高め、ライティングを強調し、志の輔が描写する様子は色彩のコントラストを強調し、あたかも芝居を見ているような。
芝居の歴史の一ページを刻む、役の革新。血筋や身分など伝統に縛られた制約、名人團十郎や師匠の夫婦とお岸を除いて周囲は敵という苦境からの産みの苦しみ、偶然出会った浪人から得られるセレンディピティ。それが舞台に結びついた時の新しさや洗練。
いろいろなものを感じたけど、「生きる勇気」をもらった、とまとめたい。
今月はチケットが取りやすかったので千穐楽に昼の部・夜の部を連続で見てきた(腰に悪いが)。
<評>染五郎、はまり役 歌舞伎座・四月大歌舞伎
2017年4月歌舞伎座
こういうプロの劇評を見ているとやはり重みが違う。誰からどういう芸を引き継いだ型で、どうふう工夫があって、それがニンに合っているのかどうかまできっちり評価している。
では、拙くも、私も。
昼は染五郎の福岡貢がまだ荒削りだけどよかった。幸四郎の熊谷直実はちょっと力み過ぎている感じがあった。相模を猿之助がやっていて、この人は女形もいけるのかと感心した。
夜は上方者が二本続いてちょっと辛かった。吃又は芸的に凄いのだろうけど私的にはちょっとオーバーリアクション気味。菊之助の女房おとくがいい女やった。桂川連理は主人公の長右衛門が姑と小姑の嫌がらせを我慢して我慢して、一回の過ちで隣のお嬢さんを孕ませちゃって、女房がよく出来た人なんだけど養子の悲しさで強く店と家族を仕切ることができない。あぁ見ててストレス溜まる。
最後のスーパーダンサー猿之助の奴道成寺が華やかで、大向こうも盛り上がって、そうそうこれがいいんだよなと楽しんだ。
<評>染五郎、はまり役 歌舞伎座・四月大歌舞伎
歌舞伎座昼の部の「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」は「追駈(おっか)け」から「奥庭」まで。市川染五郎が福岡貢(みつぎ)を片岡仁左衛門の型で演じる。初役だけに手いっぱいだが、柄にぴったりのはまり役で、キリリと引き締まった姿かたちの爽やかさが第一。やはり初役の市川猿之助の仲居万野は憎々しさがやや表層的。いずれも再演に大いに期待したい。片岡秀太郎の今田万次郎が春風駘蕩(たいとう)、独自のおもしろさで秀逸。嵐橘三郎の大蔵、市村橘太郎の丈四郎が現今難しい上方風の喜劇を腕で見せる。渡辺保の歌舞伎劇評
「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき) 熊谷陣屋」、松本幸四郎の熊谷はスケールが大きい。市川左団次の弥陀六(みだろく)が、武将の手づよさ、悔恨の情、義経・熊谷への複雑な思いをせりふで明瞭に描き出す。猿之助の相模はぐっと抑えた芝居に母の情がにじみ出す上出来。染五郎の源義経、市川高麗蔵の藤の方はともに品格があっていい。昼の部はほかに「醍醐(だいご)の花見」。
夜の部「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」の中村吉右衛門の又平は、サラサラと自然に演じているのにその境涯の悲哀の重さがひしひしと伝わってくる。中村歌六、中村東蔵の土佐将監(とさのしょうげん)夫婦が情愛に富み、尾上菊之助初役のおとく、中村又五郎の雅楽之助(うたのすけ)、中村錦之助の修理之助(しゅうりのすけ)まで好演ぞろいの一幕。
「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ) 帯屋」は坂田藤十郎の長右衛門の、真っ赤な鼻緒の木履を抱いて花道を引っ込む姿がしたたるように官能的。中村壱太郎(かずたろう)がお半と長吉の二役。上村吉弥のおとせは意地悪さの中に程よいおかしみがある。ほかに猿之助の「奴(やつこ)道成寺」。二十六日まで。 (矢内賢二=歌舞伎研究家)
2017年4月歌舞伎座
円熟の「吃又」
「吃又」は吉右衛門の当たり芸の一つであるが、今度は前回と違って一変している。むろんやっていることは前回と同じだが、その芸の心境が違うのでま
るで新しいものを見ているようであった。
どう変わったのだろうか。
第一に前回まではここぞという仕どころが目立って面白くもあり、よかったのだが、今回は総体に流れる如く自然でリアルでサラサラ運んで、それでいながら前回に倍増して見る者の心を抉る深さを持っている点。
たとえば花道の出。いつもの型通りだが、そこに深い思いが潜んでいて目が離せない。あるいは将監が修理助に名前をやったというのを聞いてスーッと顔をあげる。そのあとおとくに「こなたを吃りに産み付けた親御をうらみなさんせいな」といわれてのなんとも言えない表情。さらに必死のお願いの吃音もうまいが、その表情たるやいうにいわれぬ思いつめた無限の思いがあって引き込
まれる。あるいはまた「親もない、子もない」の寂しさ、孤独の翳が広がる。あるいは「(吃りでなくば)こうもあるまい」という悲痛さ。「斬らっしゃりませ」と階段を上がる必死の覚悟の姿。いずれもスッと肩の力が抜けていながらはるかに深く強い力が出ている。自分の運命に呆然としている表情が印象的で忘れられない。
第二にそのために余韻が出ている。
たとえば筆をもって手水鉢へ歩いて行くところ。なんでもなく歩いていているようで、今までになかった味わいが滲んでいる。芸の光彩である。これを円熟というのだろう。
第三に、以上の結果、又平という人間の悲劇が私たち現代人の身近な鮮やかさで迫ってくる。それでいていかにも歌舞伎的なのは、型が身体の身内に消化されて、この人が自由になったからである。しかも自然と型の本質にはまっている。手水鉢に絵を描く瞬間の、「名は石魂に止まれと」の必死の形相の凄さでも、力がだれよりも入っていながら軽くて快い。その快さが観客の共感を呼
ぶ芸の艶である。
たとえば「さりとはつれないお師匠様」や「嚊、抜けた」というところが前回までは多少の型の堅さがあったのに、今回はすんなりして一分の違和感もないのもそのためである。
以上三点。吉右衛門の芸の心境、長足の進歩である。
菊之助初役の女房おとくは、しっとりと嫌味の微塵もないいい出来である。吉右衛門を向こうに回して必死に情を出そうと大奮闘である。しかもこのおとくは独特なところがある。たとえば花道の出。普通は七三で本舞台を見て思わず足が止まるところへ又平が突き当たる。大抵はそうである。ところが菊之助は七三で俯いて思案に暮れるから足が止まる。おとくはおとくなりの思いに沈
んでいる。そういうおとく。この女には又平とはまた違った人生があるのだろう。しかしただ一ついけないのは、冒頭のしゃべり。ここは亭主の吃り を庇おうとしてしゃべるのはむろんだが、同時に女形独特のしゃべりの芸でもある。
女形にしゃべりの芸が生まれたのは、しゃべらずにはいられない女形独特の生理による。そのモチーフが菊之助に全くないのは菊之助が最近立役に手を染めているからだろう。
歌六の、きびしさと優しさの両面を描いて貫目もあるいい将監。前月の「岡崎」の幸兵衛女房に続く東蔵の北の方が品よく、気配りもいいふくよかさ。役者によってこうも役が膨らむものか。加えて錦之助一代の傑作修理助。前回よりも年を取ったのを考えて、白粉も厚く若返って色気も加味しているが、相変わらずこの役にピッタリ。将監が又平を手討ちにするというのを聞いて恐れて
平伏する芝居のほどよさ、手に入ったものである。
この三人がいい上に、吉三郎吉五郎以下の百姓までそろって、この連中が引込んで葵太夫寿治郎で「ここに土佐の末弟」とくると、さすがに広い間口の歌舞伎座の大舞台がピーンと一本綱を張ったように引き締まるから恐ろしいものである。これだからこそおとくと又平の出が新鮮になる
キッパリと歌舞伎味十分の又五郎の雅樂助も含めて、全員のイキがあって水も漏らさぬチームワークの近来稀な舞台。吉右衛門チームの勝利である。
夜の部はこの後の「帯屋」も見ものである。
藤十郎東京初役の長右衛門。私ははじめて見た。前半いささかたどたどしいところもあり、後半で布団に蹴躓いてハラハラしたが、今日はまだ二日目ゆえ是非もない。しかし長右衛門としてのニンは天下一品。私がかつて見た初代吉右衛門や寿三郎と違って柔らか味と色気のある持ち味は独特の上方風である。ことに幕切れ、死に行くお半を追って表へ出て、木履をもっての引込みは、濃厚
な持ち味で見ものであった。
扇雀の女房お絹が控えめでしっとりとしていい女房ぶり。ことに百両の金の使い道が自分の弟のためと聞いての驚きがうまい。ただ少し気の強そうに見えるところがあるのが玉にキズ。壱太郎の長吉とお半の二役は、長吉が意外にも舌足らずなところがあって滑稽味が薄い。お半は可愛らしさを出そうとして背を盗むのが丸見えで困る。一月の静御前の大当たりに大いに期待して行ったが
期待外れで残念。染五郎の儀兵衛は、全員大阪役者のなかでたった一人東京役者。ネイティブで
ない不利をなんとか器用にこなしてはいるが、何分ともにニンにないのは如何ともしがたい。ことに悪が効かずゲスっぽさがないのは是非なし。その点、吉弥のおとせはお手の物。手強いうちに滑稽味があって面白い。藤十郎を除けばこの幕第一の出来。壽治郎の隠居繁斎は、気の弱いのはいいが芸も弱いのは困る。
この後に猿之助の「奴道成寺」。器用に踊ってくどきの三つ面も鮮やかだが、どういうわけか終始不機嫌そうに見えるのは、愛嬌が足りないせいか。右近隼以下の所化、長唄は今藤尚之稀音家祐介、常磐津は兼太夫文字兵衛。
昼の部は幸四郎の「熊谷陣屋」。
花道へ出たところ、いつもより顔が赤く濃くニンは立派な熊谷だが、七三で珠数を刀にあててチャリンとさせたり、木戸の外で草履を脱いだりするのは困りものである。
しかし「妻の相模を尻目にかけ」でハッとする具合のうまさ、「オーイオーイ」の凛凛たる調子、物語の前後のカドカドで細かく相模の反応を伺う細緻さ、「討ち奉る」で二重の肚を効かせるうまさはさすがである。
二度目の出から制札の見得はスケールが大きいが、三度目の出からは味が急に薄くなり、ことに花道七三で編笠を被った後もう一度笠を揚げて観客に大きく泣き顔を見せるのは過剰な当ッ気。つづいてこらえかねての泣き過ぎのオーバーさはかえって余韻を失い、前半の好演が帳消しになりかねない。
どうかと思った猿之助の相模は、思いがけなくも神妙で、この人今月の三役中第一の出来。情もあり、色気もあり、「国を隔てて十六年」のくどきまで立派にやってのけた。真女形はだしのうまさである。
高麗蔵の藤の方は度重なるお勤めでおつとりとした品格が出て来て、猿之助の相模を向こうに回して確かにその女主人と見えたのは大手柄。
左団次の弥陀六が本役。述懐がさすがに聞かせて飽きさせない。
染五郎の義経、錦吾の梶原、松江の軍次。
幕開きの花褒めに高麗五郎の庄屋なる役が出て、梶原が弥陀六を連れて詮議に来ているという筋を売る。一見親切なようだが、そうなれば藤の方、相模の入込みもいわねばならず、結句無駄か。
この「陣屋」の前に舞踊劇「醍醐の花見」と染五郎初役の「伊勢音頭」。
役者の都合だろうが、本当は時代物の「陣屋」、世話物のくだけた「伊勢音頭」という狂言建が順当で、観客の生理からいえばこの立て方は疲れるし、役者も損をしている。
さてその「伊勢音頭」はいきなり追っ駆けから。ない例ではないが観客にはわかりにくい。
橘三郎の大蔵、橘太郎の丈四郎は今日では最上の配役。リアルで可笑し味があっていいのだが、私が昔見たたしか璃珏と九団次の大蔵丈四郎の上方風追っ駆けの面白さに比べると物足りない。あの時は満員の歌舞伎座の客席が抱腹絶倒で揺れたのである。あの狂熱がほしい。一つは時代が理に詰んで、野放図な喜劇が少なくなって来たせいだろうが、もう一つは下座の合方が東京風で淡泊なのと、役者の体がそれに乗りきっていないために両者一体の相乗効果が出ないためだろう。隼人の奴林平は真面目過ぎて硬い。この役にも実はとぼけた味がいる。
廻って二見ヶ浦。染五郎初役の福岡貢は、花道から出たところ、黄八丈の着付けがいくらか黒っぽ過ぎるように見えるが、まずは本役。いい貢である。秀太郎の万次郎は体の柔らかみ、仁左衛門や故人団十郎や梅玉の大舞台でも立派に通用する万次郎である。
さて二人が本舞台へきて丈四郎に突き当たっての、貢の「とんと気違いのようじゃ」は味も素っ気もないが、密書を口咥えた立身の姿はまことにいい味である。
だんまりになる。これに限ったことではないが、最近のだんまりは誰もが闇の中で人の気配を感じるという感覚がないために味も面白さもない。染五郎の貢も密書を読もうとするだけで、この闇、この人の気配への表現がないためにただの踊りじみた動きになってしまう。むしろ磯辺の白波の光で透かして読もうというキザな演出があった方がいい。したがって「嬉しや日の出、読めた」
が引き立たず、愛嬌不足で見ているこっちはちっとも「嬉しく」ない。まずは部分的に上出来。いい貢だけに再演に期待したい。
油屋になる。
染五郎の貢は、仁左衛門に教わったとかで道具がまず仁左衛門型。音羽屋型の上手二階の障子屋体ではなく、平舞台一階の簀戸の屋体である。奥庭の殺しも上手二重に丸窓がある。芝居も仁左衛門型。しかし仁左衛門型にしては大事な性根を覚え損なっている。仁左衛門の貢はあくまで女たちにやさしく、見栄っ張りでもあるところ。だから滅多に怒らない。それをいいことに女たちが付け込む。万野にいじめられた貢が思わずカッとなって立ち上がる、腰の刀を手で探す。ない。そこで菊五郎型ならば癇癪を起して扇を引き裂く。仁左衛門で行けば腰を探った時点でハッと気が付いて照れ隠しに手を後ろへ廻して帯を締め直すふりで胡麻化す。優しさとテレ性で見栄っ張り。仁左衛門の貢はそういう男なのであり、その性根はここにある。染五郎だとそれがあいまい。この人にはおっとりした仁左衛門型よりも本当は癇性の強い菊五郎型があっているのかもしれない。しかしこの点を別にすれば、姿のすっきりしたよさといい、柔らか味といい、いい貢。将来この人の当たり芸になるだろう。万野を斬ってののれんを肩に掛けた形、奥庭の殺しになってカドカドのキマリの形といい、まことに貢ぐらしいよさである。
猿之助初役の万野は、パッとのれんを揚げると突っ立つて居る姿といい、ものすごい怖い目つき、意地悪そうな唇の歪め方、全て現代風で観客大受けであるが、「伊勢音頭」の芝居らしくない。顔だけの現代式だからであり、主役の染五郎の貢とも釣り合いが取れていないし、芸の面白さになっていないからである。
万次郎のお鹿は、出て来たところお定まりの古風な拵えでさぞいいだろうと思いの外に面白くない。一つは染五郎、猿之助、梅枝に囲まれては浮いているからである。役者の看板、人気を別にすれば、芝居としてはこの人こそ万野、猿之助がお鹿に廻った方がずっといい舞台になったに違いないし、万次郎も猿之助も得だったに違いない。
梅枝のお紺はきれいだが、女郎ではなく芸者っぽい。仁左衛門型だから愛想尽かしの後の出はカット。いきなり奥庭の幕切れに出る。米吉のお岸も梅枝同断に芸者。伊勢古市の油屋はどうやら花柳界らしい。
松也の喜助は無暗に江戸ッ子がっている割には江戸前のすっきりしたところがない。
秀太郎の万次郎はここでも光っているが、米吉のお岸とはバランスが悪い。
京妙の千野が客を迎えて「舞の会」の演目は「伊勢音頭」と「保名」だというのは下座で「保名」を使うからだが、要らぬ説明。そんなことをしたら殺しは「山姥」だといわなければならなくなる。第一「保名」をいいたいならば「小袖物狂」というべきだろう。
桂三、由次郎、錦一の阿波のお客一行。
「醍醐の花見」は中内蝶二の作詞、吉住小三郎が曲をつけた長唄の人気曲。
これに今度はじめて勘十郎が振りをつけた舞踊劇。今井豊茂補綴。
鴈治郎の秀吉、扇雀の北の政所、壱太郎の淀殿、右近の三条殿、笑也の松の丸殿、笑三郎の前田利家夫人まつ、歌昇の大野治長、松也の秀次の亡霊、右団次の石田三成、種之助の大野治房、万太郎の曽呂利新左衛門という歴史上の大人物を集めてわずか三十分で全員を裁いたのは器用ともなんとも言いようがない。しかしそれにしても昔の有名人揃いも揃って踊りがうまくなかったらしい。
もつともその頃は歌舞伎踊りは存在しなかったが。
Copyright 2017 Tamotsu Watanabe All rights reserved.
『渡辺保の歌舞伎劇評』http://homepage1.nifty.com/tamotu/
こういうプロの劇評を見ているとやはり重みが違う。誰からどういう芸を引き継いだ型で、どうふう工夫があって、それがニンに合っているのかどうかまできっちり評価している。
では、拙くも、私も。
昼は染五郎の福岡貢がまだ荒削りだけどよかった。幸四郎の熊谷直実はちょっと力み過ぎている感じがあった。相模を猿之助がやっていて、この人は女形もいけるのかと感心した。
夜は上方者が二本続いてちょっと辛かった。吃又は芸的に凄いのだろうけど私的にはちょっとオーバーリアクション気味。菊之助の女房おとくがいい女やった。桂川連理は主人公の長右衛門が姑と小姑の嫌がらせを我慢して我慢して、一回の過ちで隣のお嬢さんを孕ませちゃって、女房がよく出来た人なんだけど養子の悲しさで強く店と家族を仕切ることができない。あぁ見ててストレス溜まる。
最後のスーパーダンサー猿之助の奴道成寺が華やかで、大向こうも盛り上がって、そうそうこれがいいんだよなと楽しんだ。
千穐楽のチケットを押さえていたので2回目に挑戦。前回は弟と母を亡くした直後で、特に太郎が転生する中で一部の太郎に弟を思い出させる設定があったので見るのが辛かった。
今回も多少辛くはあったが、よく出来ていると思った。
なぜ赤坂大歌舞伎は「ドラえもん」借用を明示しなかった
赤坂大歌舞伎「夢幻恋双紙」 作者、俳優が「現代」模索した傑作
ドラえもんに着眼点、大絶賛の「赤坂大歌舞伎」 セリフは現代語、歌舞伎初心者でも聞き取れる
千穐楽とあってスタンディングオベーションあり。二回目だったのでいくらか落ち着いて見られた。歌舞伎のようでもあり、センスは現代劇で、SF的でもあり。
今回も多少辛くはあったが、よく出来ていると思った。
なぜ赤坂大歌舞伎は「ドラえもん」借用を明示しなかった
そうは書かれていないが、「ドラえもん」の歌舞伎化である。もっともドラえもんは出てこない。ドラえもんのいない世界で、のび太はどう生きるのかという話だ。作・演出は若手劇作家の蓬莱竜太で、初めて歌舞伎に挑む。ドラえもんの世界から人間関係を引っ張ってきて、それが転生によってどう変化するかを見せるのはなかなか巧い手だと思う。でも私もちょっと引っかかった。
歌舞伎とは何かという答えのない質問には、「歌舞伎役者がやれば歌舞伎」という乱暴な、それでいて的確な回答もあるが、赤坂大歌舞伎「夢幻恋双紙~赤目の転生~」はまさにそういう歌舞伎だ。セリフは現代語でテンポよく進む。舞台装置の転換も鮮やか。ピアノ音楽も違和感がない。何よりも演劇として出色の出来だ。
舞台は江戸時代。どこかの原っぱで、子供たちが遊んでいるシーンから始まる。子供時代から大人までを同じ歌舞伎役者が演じるのだが、子供に見えるからさすが。とくにジャイアン(剛田武)にあたる「剛太」役の市川猿弥がうまい。
中村勘九郎演じる主人公「太郎」は、のんびりしているので「のび郎」というあだ名。「静」は中村鶴松、スネ夫にあたる「末吉」は中村いてう。この4人は幼馴染で、大人になってもその関係が続く。ヒロインは静ではなく、最近引っ越してきた「歌」で、中村七之助が演じる。その兄を中村亀鶴、父を片岡亀蔵。歌の父は病床にあり借金もあって苦労している。太郎はそれを助け、2人は夫婦になるが、うまくいかない。太郎は殺され、気がつくと子供時代に戻っている。
冒頭のシーンが繰り返されるが、今度の太郎は性格が異なっていた。太郎は前の記憶を持ったまま、前とは異なる人生を歩み、そしてまた……と劇中、3回ループする。この芝居はどうやって終わるのだろうと引き込まれる。見事な結末を迎えるが、それは真の結末ではない。だから、幕は下りないで終わる。観客が劇場を出た後も、太郎は延々とループしているはずだ。
赤坂大歌舞伎「夢幻恋双紙」 作者、俳優が「現代」模索した傑作
人間生き直すことができたら! 今の不運をリセットしたい。失恋のつらさを消去して、今度こそもっと巧みに彼女を誘導しよう。現代演劇界の気鋭劇作家で演出家の蓬莱竜太が、中村勘九郎・七之助兄弟の要請を受け、初めて書き下ろした新作歌舞伎「夢幻恋双紙(ゆめまぼろしかこいぞうし)-赤目の転生」は、幼き日の恋のファンタジーを、成人してリアリティーで終局させる物語である。
江戸時代。貧しい長屋の子供たちが集う原っぱ。不思議な異空間のように子供たち(太郎=勘九郎、剛太=市川猿弥(えんや)、末吉=中村いてう)が転生を繰り返す。核となるのは、長屋へ引っ越してきた歌(七之助)への、太郎の恋心の行く末だ。
人物設定に巧妙な伏線が張られ、太郎や歌だけでなく、長屋のもう1人の娘の静(中村鶴松)や、歌の兄で酒浸りの源乃助(中村亀鶴(きかく))の描き方も変化する。現代劇で人間心理の複雑さを活写する、蓬莱の真骨頂が貼りつく。
太郎は最初、グズでのろまで気弱だが、転生によって粗暴な人格に変貌する。一方、源乃助は常に太郎への敵意をむき出しにする。太郎は右目が赤く、源乃助は右目に眼帯をしている。歌の太郎への愛は涼しいが、実の兄へ向けるまなざしは熱い。最後に成人した歌の口からもれる一言が衝撃的。口語せりふにも違和感はなく、歌の父(片岡亀蔵)も含め、作者、俳優全員による歌舞伎の現代を模索した傑作である。25日まで、東京・赤坂の赤坂ACTシアター。(劇評家 石井啓夫)
ドラえもんに着眼点、大絶賛の「赤坂大歌舞伎」 セリフは現代語、歌舞伎初心者でも聞き取れる
東京・TBS赤坂ACTシアターで上演中の赤坂大歌舞伎「夢幻恋双紙(ゆめまぼろしかこいぞうし)赤目の転生」。演劇記者は「面白い話だが、登場人物が人気アニメのキャラクターのオマージュというか」と大絶賛する。太郎は歌を幸せにするために転生を続け、しかしいずれも性格に何らかダメ男の要素があるためにうまく行かず、時には剛太に恋を譲るが諦めきれずに悲劇を起こす。さらに、太郎の転生を断罪し殺してやり直させる源乃助は太郎の合わせ鏡的存在で、歌とは……。
歌舞伎俳優の中村勘九郎(35)が気鋭の劇作家、蓬莱竜太氏(41)に作・演出を依頼した作品。
江戸時代、憧れの歌(中村七之助)を幸せにするために輪廻転生を繰り返す太郎(勘九郎)の物語だが、登場人物の性格付けや呼び名が「ドラえもん」を彷彿とさせると、前出の演劇担当者は指摘する。
「太郎のあだ名はのび太郎、市川猿弥は合田ならぬ剛太、中村鶴松が静、中村いてうが末吉。のび太、しずかちゃん、ジャイアン、スネ夫です」
物語は4人の子供時代から始まる。弾けるように遊ぶ姿をみせ、子供という設定を伝えるため、「僕たち、こう見えても12歳だから」というせりふで笑わせる。
そこに歌が登場することで、仲間内のパワーバランスが崩れ出す。以前はアイドル的存在だった静ちゃんは歌への不満をぶつくさ。すかさず剛太と末吉が「時代は変わるんだよ」と突き放すと、どっと笑いが起きる。
「印象深いのは猿弥が演じる剛太。子供時代の剛太はまさにジャイアン。ガキ大将っぽいせりふ回しも猿弥の大柄な体形もぴったりの役です」(前出・演劇担当記者)
子供時代の関係性のまま大人になるケース、子供時代の関係性が逆転するケースなど、時間をうまく遊ぶ物語を構築しているが、「ここが蓬莱さんの巧みなところ。時間を描くために、観客に『ドラえもん』を意識させる。『ドラえもん』は未来を良くするために過去をきちんとしなきゃという話ですからね。本当に着眼点がうますぎる」(エンタメライター)
せりふはすべて現代語で、歌舞伎初心者でも聞き取れる。音楽は義太夫は一部だけで、ほとんどがピアノ。「エリック・サティのようなけだるさを内包した音楽で歌舞伎にも合っていた。物語もいろんな見方ができる。『ラ・ラ・ランド』のように、かなえられなかった別の物語の持つ切なさが描かれています」(前出・エンタメライター)
2008年に勘九郎と七之助の父、故中村勘三郎さんが始めた赤坂大歌舞伎。今回が5回目。確実に根付いている。
千穐楽とあってスタンディングオベーションあり。二回目だったのでいくらか落ち着いて見られた。歌舞伎のようでもあり、センスは現代劇で、SF的でもあり。
毎回、出演者がはっちゃけたり、くすぐりを次の演者が拾ったり、いろいろ楽しい「よってたかって」。
やかん泥/あおもり
三遊亭白鳥門下。これがなかなかしっかりした古典をする。白酒さんに「白鳥の下にいる意味あるのか?」といじられる。
短命/白酒
「週末でお子様もいるのに」と言いながらバレ噺をかける白酒さん、さすが羊の皮をかぶった狼。女房が亭主のためにご飯をよそうのは普通じゃない、とか、ハッつぁん夫婦の生活ぶりが見える仕込みがよかった。
母恋いくらげ/喬太郎
前半は街の擬人化。京橋にへつらい、日比谷は(皇居があるから)微妙に丁寧に接し、築地や新橋にはぞんざいな銀座。大塚と目白に挟まれる池袋は、目白が半分豊島区半分文京区で上から目線。デパートの擬人化も面白い。三越本店、三越池袋店、西武池袋店と東武池袋店。
それでかなり時間を使ったけど、後半は母恋いくらげでちゃんと落語。しかも、くらげの仕草はさん喬師匠が仕込んでくれてパワーアップされたとか。はける時もタコの擬態で爆笑。
かぼちゃ屋/一之輔
さすが一之輔、与太郎がかぼちゃを荷売りする途中で、唐茄子を売り歩く元若旦那に出会って、「そっち誓願寺店の方には行かない方がいいよ」とアドバイスし、「よしっ、歴史を変えた」というくすぐりが入って大笑い。
豆腐屋ジョニー/白鳥
中入前に喬太郎師が新作ではっちゃけた後なので古典っぽい新作で来るかと思ったけど、空気読まずに豆腐屋ジョニー。
殿様と海/三三
「何やっても三三がきっちり古典やってくれるから」と暴れた白鳥師の後に上がった三三、ここで古典でなくて白鳥の新作「殿様と海」かけちゃうんですね。
そして、浅草の釣り名人、魚鱗堂の助三を三太夫が訪ねるところで、唐茄子を売り歩く元旦那に誓願寺店の方に行くよう促して歴史修正。
六代目助三から借り受けた釣り竿が左甚五郎作で初代助三の魂が宿っているスーパー釣り竿なのが白鳥作らしい。そして、殿様がご機嫌で釣り竿を垂らす仕草に「野ざらし」がちょっと入ったり、役立たずの船頭さんが「船徳」の徳さんだったり、くらげの母子が登場したり、三三も遊んでます。そして最後は座布団をマグロに見立てて殿様が担ぎ上げ、マグロに乗って無事にご帰還。
喬太郎師以降は擬人化まつり。大笑いできました。
やかん泥/あおもり
三遊亭白鳥門下。これがなかなかしっかりした古典をする。白酒さんに「白鳥の下にいる意味あるのか?」といじられる。
短命/白酒
「週末でお子様もいるのに」と言いながらバレ噺をかける白酒さん、さすが羊の皮をかぶった狼。女房が亭主のためにご飯をよそうのは普通じゃない、とか、ハッつぁん夫婦の生活ぶりが見える仕込みがよかった。
母恋いくらげ/喬太郎
前半は街の擬人化。京橋にへつらい、日比谷は(皇居があるから)微妙に丁寧に接し、築地や新橋にはぞんざいな銀座。大塚と目白に挟まれる池袋は、目白が半分豊島区半分文京区で上から目線。デパートの擬人化も面白い。三越本店、三越池袋店、西武池袋店と東武池袋店。
それでかなり時間を使ったけど、後半は母恋いくらげでちゃんと落語。しかも、くらげの仕草はさん喬師匠が仕込んでくれてパワーアップされたとか。はける時もタコの擬態で爆笑。
かぼちゃ屋/一之輔
さすが一之輔、与太郎がかぼちゃを荷売りする途中で、唐茄子を売り歩く元若旦那に出会って、「そっち誓願寺店の方には行かない方がいいよ」とアドバイスし、「よしっ、歴史を変えた」というくすぐりが入って大笑い。
豆腐屋ジョニー/白鳥
中入前に喬太郎師が新作ではっちゃけた後なので古典っぽい新作で来るかと思ったけど、空気読まずに豆腐屋ジョニー。
殿様と海/三三
「何やっても三三がきっちり古典やってくれるから」と暴れた白鳥師の後に上がった三三、ここで古典でなくて白鳥の新作「殿様と海」かけちゃうんですね。
そして、浅草の釣り名人、魚鱗堂の助三を三太夫が訪ねるところで、唐茄子を売り歩く元旦那に誓願寺店の方に行くよう促して歴史修正。
六代目助三から借り受けた釣り竿が左甚五郎作で初代助三の魂が宿っているスーパー釣り竿なのが白鳥作らしい。そして、殿様がご機嫌で釣り竿を垂らす仕草に「野ざらし」がちょっと入ったり、役立たずの船頭さんが「船徳」の徳さんだったり、くらげの母子が登場したり、三三も遊んでます。そして最後は座布団をマグロに見立てて殿様が担ぎ上げ、マグロに乗って無事にご帰還。
喬太郎師以降は擬人化まつり。大笑いできました。
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