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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
『真田丸』クランクアップおめでとうございます。過去回を録画再生しながら今日の放送を楽しみに待っています。

福島
福島の近現代史】後世にどう伝えるか(10月29日)
 【再来年の平成30年に放送されるNHK大河ドラマは、幕末から明治初期の西郷隆盛[さいごうたかもり]を主人公にした「西郷[せご]どん」に決まった。この年は県内各地が戦場となった戊辰戦争と、元号が慶応から明治と改められた改元(1868年)から150年に当たる。時代の変革に関わった人々の群像や、近代化の道筋に全国の関心が集まるとみられる。
 県民は「戊辰と明治」に対して、さまざまな思いを抱き続けてきた。高校で国内外の近現代史を学ぶ「歴史総合」を必修とする検討が進む。節目に合わせた観光交流や連携、地域おこしに加え、史料を掘り起こしたり、史実を問い直したりする努力を積み重ね、本県の近現代史を若い世代や全国にどう伝えるのかを工夫するべきだ。
 「明治100年」に当たった昭和43年10月23日、政府主催の記念式典が都内で行われ、本県も同じ日に福島市で記念式典を催した。県は記念事業に「ふ」を図案化した県章の制定、先覚者の顕彰、県内の学校に県の木(ケヤキ)の植樹、「県民の森」の造成(大玉村)、県文化センターと県歴史資料館の整備(福島市)などを掲げた。一方、会津若松市内では戊辰殉難者の追悼祭が行われた。
 「明治150年」を前に、政府は今月、関連施策の検討や、内閣官房への推進室の設置を明らかにした。「平成の薩長土肥連合」を構成する鹿児島(薩摩)、山口(長州)、高知(土佐)、佐賀(肥前)の4県知事は「連携を一層密にし、国と一体となって取り組みを進める」との共同コメントを出した。
 本県も先人の功績をどう受け継ぎ、敬意や慰霊の思いをどう表すのかを官民で話し合う必要がある。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故を経験した今、国の近代化政策と本県の関係を振り返り、将来像を描く営みにつなげてほしい。高度経済成長期に迎えた「100年」との時代背景の違いを踏まえる姿勢が大切であり、特定の史観、政治的な立場や思惑に左右されない信念と慎重さが欠かせない。
 「150年」は歴史教育や研究の在り方を考える機会でもある。歴史上の出来事や人物には複数の解釈や評価が存在する。史料の発見や研究の進展に伴い、定説や通説が見直しを迫られ、教科書の記述に影響する場合がある。県内外の研究者や教員への支援、全国規模のシンポジウムや学会の定期的な県内開催を通じて、本県から教科書の書き換えや補足を求められる研究成果の蓄積と発信力の高まりを期待したい。(安田信二)

( 2016/10/29 09:18 カテゴリー:論説 )

浮世絵企画展が開幕 幕末3大絵師の作品展示 県立美術館
 鮮やかな浮世絵の風景版画を集めた企画展「原安三郎(はら・やすさぶろう)コレクション 広重ビビッド」は10月29日、福島市の県立美術館で開幕した。
 県立美術館の主催、福島民報社、テレビユー福島の共催。故・原安三郎氏(元日本化薬会長)が集めた名品で、歌川広重を中心に葛飾北斎、歌川国芳の幕末3大絵師の作品を展示している。広重晩年の傑作「名所江戸百景」、「六十余州名所図会」などを鑑賞できる。
 11月20日までの前期と、22日から会期最終日の12月11日までの後期で作品を入れ替える。前後期を合わせた展示点数は約250点に上る。
 11月6日午後2時から栃木県の那珂川町馬頭広重美術館の市川信也館長が「名所江戸百景の今と昔」と題して講演する。11月11日と12月3日の午後2時から学芸員のギャラリートークがある。
 観覧は午前9時半から午後5時。月曜日と11月24日は休館。一般・大学生1000円、高校生600円、小・中学生400円。みんぽう伝次郎クラブの会員証を提示すると、一般・大学生は800円となる。問い合わせは県立美術館 電話024(531)5511へ。
   ◇  ◇
 初日に会場を訪れた伊達市の農業佐藤久さん(56)は「色がきれいで構図も斬新。日本人が昔から続けている細やかな仕事が感じられる」と話していた。

(2016/10/30 11:46)

ニッポン瞬・彩烈女きりり 会津藩公行列(福島県会津若松市)
 2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の舞台、福島県会津若松市の秋を彩る「会津まつり」。メインイベントの会津藩公行列には例年18万人が詰めかけ、華やかな歴史絵巻を堪能する。長年撮影を担当している同市職員、山内久良さん(51)は「行列には遠方のゆかりの地の方も参加いただいています。笑顔を絶やさず、祭りを盛り上げてくださり、ありがたい限りです」。「八重の桜」放送翌年の2014年、「誇り高き烈女たち“会津の華”」をテーマに行われた会津藩公行列を、山内さんの写真で紹介する。
 以下、写真はリンク先でお楽しみください。

戊辰戦争の西軍将兵慰霊 会津若松・西軍墳墓史跡保存会が墓前祭
 会津戊辰戦役西軍墳墓史跡保存会(山田悦史会長)は23日、会津若松市の西軍墓地近くのとうみょうこども園で墓前祭を行い、戊辰戦争で亡くなった西軍将兵の霊を慰めた。

 神式と仏式を合わせた法要が行われた。

 山田会長が祭文を読み上げ、関係者が玉串をささげて焼香した。会津吟詠会の詩吟奉納もあった。

 西軍墓地には薩摩、長州など西軍各藩の将兵約150柱がまつられている。

青森
弘前城(下) 幕末まで続いた「遺恨」 (1/2ページ)
津軽氏の居城である弘前城(青森県弘前市)には、東照宮がある。東照宮といえば、日光東照宮を総本宮とする徳川家康を祀った神社だが、日光以外で東照宮が初めて分祀(ぶんし)されたのは弘前城が第1号である。

 一外様大名でしかなかった津軽氏が、なぜ徳川御三家や親藩大名より先に東照宮を建てることができたのか。それは、家康の養女であった満天(まて)姫が2代藩主、信枚(のぶひら)の正妻になったからだ。

 東照宮が城内にあるということは、実は極めて大きな意味がある。徳川氏との友好関係は誰が見ても明らかであり、徳川幕府統治下の日本においては最高の「御家安泰の御守り」であった。

 戦国時代末期の津軽氏と南部氏との関係は、弘前藩と盛岡藩となっても「犬猿の仲」が続いた。だが、南部氏が遺恨から弘前城を攻めれば、家康の神霊(しんれい)に弓を引き、徳川幕府への反乱とみなされる。弘前藩にとって、盛岡藩を牽制するうえでも東照宮の存在は非常に大きかった。

 ところが、明治元(1868)年に起こった戊辰戦争では、弘前藩は幕府側である奥羽越列藩同盟には参加せず、新政府側として戦い、戊辰後は奥羽触頭(おううふれがしら)の地位に就いた。

 一方の盛岡藩は、仙台藩とともに最後まで奥羽越列藩同盟の中心的役割を果たしたため「賊(ぞく)軍」となる。おまけに同盟諸藩で最も遅く停戦した。津軽氏と南部氏にとって、戦国末期の因縁を残したまま明治という時代を迎えたのは歴史のいたずらだろうか。

 現在、弘前城(弘前公園)内には、約3000本の桜の木がある。正徳5(1715)年に弘前藩士が植えたのが始まりで、明治時代には約2000本が植えられた。大正4(1915)年に大正天皇、同10(21)年に秩父宮と高松宮が弘前を訪れて、陸軍大演習を統監したのを機に増殖され、「桜の名所・弘前城」が誕生した。

 弘前は、弘前城の春の桜だけではなく1年を通じて楽しめる。「夏はねぷた」「秋は紅葉と菊人形」「冬は雪燈籠と四季の景観」と豊かであり、生産量日本一を誇る「りんごのまち」としても有名である。

 現在、弘前城は本丸の石垣が外側に膨らむ「はらみ」がみられるため、天守を曳屋(ひこや)によって移動させ、天守真下から石垣の一部を修復中だ。 =次回は赤穂城(兵庫県赤穂市)

 【所在地】青森県弘前市下白銀町1
 【交通アクセス】JR奥羽本線「弘前駅」から弘南バス「100円循環バス」で約15分「市役所前」下車、徒歩すぐ

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学地方政治行政研究所客員教授、一般財団法人防災教育推進協会常務理事を務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)など。

山口
月性来年生誕200年 柳井出身、幕末維新の海防僧 地元顕彰会が講演会や本出版 /山口
 幕末に海防論を唱えた僧、月性(1817〜58年)の生誕200年を記念し、古里の柳井市で僧月性顕彰会(折中光雄代表理事)が、幕末維新の第一線の研究者による講演会や、月性の漢詩などを小中学生にも分かりやすく解説する読本の発行などを「月性さん顕彰プロジェクト」と名付け、来年から再来年にかけ実施する。【大山典男】

 月性は柳井市遠崎の妙円寺に生まれ、九州などに遊学し、帰郷後に私塾「清狂草堂(時習館)」を開いた。草…
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高知
幕末維新博開会式、来年3月4日に 推進協第3回会合 /高知
 来年の大政奉還150年と再来年の明治維新150年を機に県内で2年間開く「志国高知 幕末維新博」推進協議会の第3回会合が19日、高知市内であった。オープニングセレモニーを来年3月4日午前10時、高知市の高知公園で開くなど今年度事業計画や、高知城の石段改修などの関連予算を承認した。

 冒頭、会長の尾崎正直知事は、政府が「明治150年」関連施策推進室を開設したことや、2018年のNHK大河ドラマが「西郷(せご)どん」に決まり、舞台が幕末と明治維新…
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アート
北斎の作品だった!作者不明の6枚の絵画が浮世絵師・葛飾北斎の作品だったことが判明
 オランダのライデン国立民族学博物館所蔵の6枚の絵画作品はこれまで作者不明とされていましたが、調査の結果、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎が描いた可能性が高いことがわかりました。
北斎の作品である可能性が高い6枚の写真は医師で博物学者でもあったドイツのシーボルトによって持ち帰られたものなのだそう。シーボルトと北斎は当時交流があったと考えられています。

シーボルト直筆の作品の目録をシーボルトの子孫が所蔵しており、その目録と照らし合わせたところ「北斎が我々のスタイルで描いたもの」という記述が発見され可能性が高まったそうです。

これまで作者が分かっていませんでしたが、北斎研究で知られるライデン国立民族学博物館のマティ・フォラーシニア研究員などのチームが、シーボルトの子孫が所蔵していた目録と照らし合わせたところ、「北斎が我々のスタイルで描いたもの」という記述が見つかり、北斎の作品である可能性が高いことがわかりました。
NHKニュース

6枚の作品は水彩画のような西洋風の描き方が特徴で、このタッチは北斎が描いたものとしては異色のものなのだそう。北斎といえば木版画のイメージが強いですが、肉筆浮世絵も多く手がけており、国内外の様々な技法を自分のものにし作品に反映していたのでしょうね。

今年の新たな発見で印象的なものといえば、新選組の幹部・斎藤一の写真が発見されたり、真田丸の最古の絵図が発見されたりと色々とありましたが、

新撰組の新発見!謎の多かった新選組の幹部・斎藤一の写真が発見されました!

江戸時代 幕末に尊王派を取り締まっていた新撰組の幹部として活動していた斉藤一(さいとうはじめ)。…
斉藤一の経歴をはじめとする情報は今でも少なく、写真すらも残されていない人物とされていました。しか…真田丸、最古の絵図!「真田丸」出城の可能性を示す貴重な絵図が発見されました!

真田丸は、1614年の大坂冬の陣で戦国武将の真田幸村こと信繁が大阪城の南側に築いたとりでです。2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」のタイトルにもなっているので、今年はよく耳にしますね。この真…今回の北斎の絵画もなかなかビックリなニュースですね。

出典: NHKニュース, 西日本新聞

ブックレビュー
幕末、列強の日本侵略を防いだ本当の功績者は?「官賊と幕臣たち~列強の日本侵略を防いだ徳川テクノクラート~」足立倫行 (ノンフィクションライター)
 官賊とは「官」を名乗る「賊徒」のこと。本書では薩摩・長州藩の尊皇攘夷派。原田さんは1年前、『明治維新という過ち【改訂増補版】~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~』を発表し、読書界に一大センセーションを巻き起こした。明治維新は近代を招来した革命でも何でもなく、薩・長のテロリストらによる幼い天皇を人質とした姑息・卑劣な軍事クーデターに過ぎない、と検証してみせたのだ。

 本書は、その原田史観の第2弾。

 「列強の日本侵略を防いだのは、明治政府を作った薩・長勢力ではなく、徳川幕府の幕臣たちだった、という主張ですね?」

 「明治維新のずっと前に欧米列強と和親条約や通商条約を結んだのは誰か?徳川の幕臣たちです。に屈せず対応し、5カ国続けて条約締結することにより、いずれの国の抜け駆け侵略をも防いだ。したたかです。開国=近代化路線はその時に敷かれました」

 「倒幕の一因に、米英主導の小判流出策による徳川財政の弱体化があり、幕臣がそれを必死に食い止めようとした点も大きい?」

 「ええ。日本特有の為替レートを利用して米英は小判(金)を買い漁った。それが幕府倒壊の真の原因と見る研究者もいます。止めようとしたのが外国奉行の水野です」

 原田さんは、日英通商条約の署名者でもあった水野をはじめ、岩瀬、小栗、川路の4人を、幕末の優秀な徳川テクノクラート、幕臣の「4傑」とする。
 「本当は、老中・阿部正弘など彼ら幕臣の業績・名前こそが今日の教育の場で伝えられるべきなんです」

 さも残念そうに、腕組みをした。

 広告業界に身を置く原田さんは、若い時から作家志望で、大阪外大の先輩、司馬遼太郎の歴史小説などを愛読してきた。しかし、どうしても肯定できない部分があったという。

 「吉田松陰・坂本龍馬・勝海舟を過大評価して、その結果、明治維新を一大革命とみる視点です。それはどう考えても違うと思いました」

 例えば龍馬の仲介した薩長同盟。

 龍馬が宿敵薩・長を結びつけて結局維新に至ったというのが通説だが、文書は両藩の署名もない桂小五郎の私的書状で、会津・桑名藩をけん制する確認状にすぎない。大体、「同盟」の4カ月も前に伊藤博文、井上馨の両長州藩士が「薩摩藩士」を装って薩摩藩邸に滞在、活動していたのだ。

 「龍馬は言わばグラバー商会の営業マンです。亀山社中とは、英国・薩摩・長州の間で大量の新型武器を交易する組織でした」

 「驚いたのは、英国に政変がなければ、英国シナリオの明治維新になっていたかもしれないことです」

 「強硬なパーマストン首相が1865年に急死したために、〝死の商人〟グラバー商会もそれ以上の干渉を控えた。幕末の最終局面で、日本にとって神風が吹いた、と言えます」

 次は、原田史観の第3弾『大西郷という虚像』を刊行とのこと。
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落語好きの関西人の友人と一緒に末廣亭へ。いつもは5時開演の夜の部だけど、5時ちょうどに入ったら、既にたん丈さんが上がってました(苦笑)。

老人前座じじ太郎/たん丈
 白鳥さん作ですね。隣の友人も結構笑ってくれた。

鼓ヶ滝/歌奴
 たぶんTBS落語研究会の放送で見たことあるけど、生で聴いたのは初めて。歌奴さん声がいいし声量があるので、浅い出番だけどついつい聴き惚れてしまう。

漫談/ひびきわたる
 あれ、キセル漫談じゃなくて普通の漫談で下りた……珍しい。私的にはだだ滑りでした。

味噌豆/丈二
 真打昇進前の「小田原丈」に関するエピソードを語った後は、古典で来ました。

お題トリ/白鳥・丈二・ぐんま
 あぶないネタを含めた10から意外に無難な「タロット占い」「カーディガン」「酢豆腐」がクジで選ばれる。この時点で、昼席から入れ替わりなしで居残っていて、別に白鳥さんファンでもなければ三題噺イベントだということを知らないお客さんも意外にいることが判明。でも雰囲気はまったりしていて、白鳥さん自身の書き込みでも「アットホーム」と書かれてました。
 池袋での三題噺も見たけど、今回は持ち時間が2時間とさらに短く、白鳥さんのチャレンジャーぶりには感心する。

牛ほめ/一琴
 秋葉様が仕込まれていなかったのでちょっとハラハラしたが、牛ほめの場面で下げ。こういう落とし方もあるのかと感心。

湯屋番/一九
 けっこう好きなネタ。ポピュラーだと思うのだけど、意外に生で聴いていない。数えてみたら過去に3回しか生で聴いていない。妄想する若旦那って現代でもわかりやすいし共感しやすいと思うんだけど。

三味線漫談/紫文
 マンネリズムなところが寄席ではいいと思うのだけど、声が出てない感じ。もともと痩身な方だけど、ちょっと健康状態が気になる感じ。
 長谷川平蔵版の他に大岡越前版もあるのは、今日初めて知ってお得な気分。

真田小僧/小里ん
 白鳥さんトリの割に古典の名手が続く(苦笑)。前座もかける「真田小僧」だけど小里んさんレベルの渋い真打ちがかけるとじっくり聴き入って金坊の悪知恵にばかうけしちゃう。

時そば/小燕枝
 わー、中入前までは古典落語の見本市ってネタが続く。そして「時そば」は本当に好き。前半の夜鷹蕎麦の美味しそうなこと、後半の蕎麦のまずそうなこと(≧∀≦)。

犬の目/小せん
 ちょっとハイカラでポップな古典落語。でも中入り後、だんだん白鳥ワールドに近づいていくためのネタとして素晴らしい。

漫才/にゃん子金魚
 金魚ちゃんの髪飾りはハロウィン仕様。お客さんが本物のバナナを差し入れたので否が応でも盛り上がる後半。

掛け声指南/彦いち
 そして新作。しかも新宿駅前にかつてあった果物屋と、歌舞伎町のティッシュ配りと、新宿末廣亭に縁が深いネタ。

ぐつぐつ/小ゑん
 やった。好きなのよ、これ。鈴本で一度聴いているのだけど、おでんのネタが主人公って奇抜さと小ゑんさん力一杯「ぐつぐつ!!」が挟まったオムニバス形式な感じが何か好き。

紙切り/正楽
 さすが。「ぐつぐつ」も切れちゃう。

三題噺/白鳥
 今日は「カーディガンの由来」の一席になった。3つのキーワードだけでなく、糖尿病とか××××とか没になったキーワードもなるべく折り込もうとするサービス精神。そして2時間で作品としてちゃんとつくっちゃうところ、やっぱ凄い。






八代目中村芝翫(橋之助改め)、四代目中村橋之助(国生改め)、三代目中村福之助(宗生改め)、四代目中村歌之助(宜生改め)の4人襲名披露興行は前代未聞とのこと。国立劇場50周年で仮名手本忠臣蔵を三ヶ月連続興行してるのとモロにスケジュールがかぶってしまったけど、それでも番組は豪華だし、口上も賑々しいメンバーだった。
 しかも、運良く千穐楽のチケットが昼夜取れてしまったので本当嬉しい。
 息子さん三人と併せて四人の襲名披露興行というだけでなく、芝翫さんの兄福助さんの長男児太郎さん(福助さんは歌右衛門、児太郎さんは福助の襲名が決まっているが福助さんは病気療養中)、芝翫さんの義弟勘三郎さんの次男七之助さんも出演し(勘九郎さんは先日まで舞台「真田十勇士」で大阪興行中だったため上がっていないが)、大きな意味で成駒屋ファミリーの祝い事として番組ができていた。

引用は「歌舞伎美人」サイトより。

一、初帆上成駒宝船(ほあげていおうたからぶね)
橋彦 国生改め橋之助
福彦 宗生改め福之助
歌彦 宜生改め歌之助

襲名を寿ぐ祝儀舞踊
 中村国生改め四代目中村橋之助、中村宗生改め三代目中村福之助、中村宜生改め四代目中村歌之助襲名を寿いでつくられた新作舞踊です。
 成駒屋ゆかりの詞章で三兄弟が舞を舞う晴れやかな一幕です。
 新作で三兄弟や成駒屋にちなんだ詞が折り込まれた、宝船に乗り込んで海から歌舞伎座を目指す三兄弟という趣向。

二、女暫(おんなしばらく)
巴御前 七之助
舞台番松吉 松緑
轟坊震斎 松也
手塚太郎 歌昇
紅梅姫 尾上右近
女鯰若菜 児太郎
局唐糸 芝喜松改め梅花
東条八郎 吉之丞
江田源三 亀寿
猪俣平六 亀三郎
成田五郎 男女蔵
清水冠者義高 権十郎
蒲冠者範頼 又五郎
     
女方ならではの趣向でみせる荒事の様式美
 源平の合戦で功を立てた蒲冠者範頼が、家臣らを引き連れ北野天満宮へ詣でると、居合わせた清水冠者義高らは、権勢を誇る範頼の暴挙をたしなめます。怒った範頼は、成田五郎らに命じ、義高らの命を奪おうとします。そのとき、「しばらく」の声をかけて現れたのは、巴御前。女ながら武勇に優れた巴御前は、義高らを救い、紛失していた名刀倶利伽羅丸を取り戻します。そして範頼の仕丁を成敗すると、急にしおらしい姿を見せ、恥じらいながら去って行くのでした。
 歌舞伎十八番の『暫』を女方が演じる華やかな舞台をご覧ください。
 玉三郎さんで一度見ています。引っ込みで恥じらう姿がとても可愛かった。
 七之助さんはそこまで手弱女っぽくはせずに、舞台番松吉さんに立役の引っ込みを教わって引っ込む、という小芝居が面白かった。

三、お染 久松 浮塒鷗(うきねのともどり)
女猿曳 菊之助
お染 児太郎
久松 松也

身分違いの恋を描いたお染久松ものの舞踊
 浅草の大店のひとり娘のお染は、親の決めた縁談が嫌で家を飛び出し、隅田川の土手までやって来ます。その後を恋仲の丁稚の久松が追いかけて来て、家に戻るようさとしますが、お染は聞き入れません。そこを通りかかった女猿曳は、二人が噂のお染と久松であろうと察すると歌祭文に事をよせ意見をします。そして二人の気を引き立てようと万歳の様子をみせ、その場を後にします。しかし、二人は別れることができず、心中の覚悟を決め去っていきます。
 華やかで情感豊かな清元が、お染久松の心情と女猿曳の軽妙な味わいを盛り立てます。
 児太郎のお染、松也の久松、そして女猿曳は菊之助……と好きな役者さんが揃っていました。

河竹黙阿弥 作
四、極付 幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)
「公平法問諍」
幡随院長兵衛 橋之助改め芝翫
女房お時 雀右衛門
唐犬権兵衛 又五郎
伊予守源頼義 七之助
坂田公平  亀三郎 
御台柏の前 児太郎 
極楽十三 国生改め橋之助
雷重五郎 宗生改め福之助
神田弥吉 宜生改め歌之助
下女およし 芝喜松改め梅花
舞台番新吉 吉之丞
坂田金左衛門 男女蔵
渡辺綱九郎 権十郎
出尻清兵衛 松緑
近藤登之助 東蔵
水野十郎左衛門 菊五郎

男伊達の潔さと江戸の心意気
 大勢の芝居見物客で賑わう江戸村山座の舞台に、旗本水野十郎左衛門の家臣が乱入して騒ぎ出します。これを止めた幡随院長兵衛の様子を見ていた水野十郎左衛門が、長兵衛を呼び止めます。そこへ長兵衛の子分の極楽十三、雷重五郎、神田弥吉が駆け出して来て、一触即発となりますが、長兵衛がその場を収めます。後日、水野の屋敷に呼ばれた長兵衛は、この誘いが水野の企みだと悟りながら、出向くことを決意します。案じる女房子どもに別れを告げて、長兵衛は水野邸へ一人で乗り込み……。
 町奴の長兵衛と旗本の水野の対決を鮮やかに描いた河竹黙阿弥の名作です。襲名ならではの豪華顔合せ、そして新芝翫の長兵衛に、新橋之助、新福之助、新歌之助の子分で親子四人の共演の舞台をお楽しみください。
 長兵衛が女房子供と子分たちに別れを告げる場面で不覚にも爆睡してしまったけど、水野屋敷の場面はしっかり見ました。

夜の部

平成28年度(第71回)文化庁芸術祭参加公演
野口達二 改訂
一、歌舞伎十八番の内 外郎売(ういろううり)
外郎売実は曽我五郎 松緑
大磯の虎 七之助
曽我十郎 亀三郎
小林妹舞鶴 尾上右近
化粧坂少将 児太郎
近江小藤太 宗生改め福之助
八幡三郎 宜生改め歌之助
茶道珍斎 吉之丞
小林朝比奈 亀寿
梶原景時 男女蔵
工藤祐経 歌六

早口の言い立てが見どころの一幕
 遠くに富士山を望む箱根神社の社頭。工藤祐経が小林朝比奈やその妹舞鶴、大磯の虎たちを従え、休息をしているところへ、小田原名物の外郎売に身をやつした曽我五郎がやって来ます。五郎が、妙薬である外郎の故事来歴や効能を立て板に水のごとく披露しながら、工藤への敵討ちの機を狙っています。そこへ兄の十郎が駆けつけ、時節を待てと五郎をたしなめます。親を思う心を察した工藤は、狩場での再会を約束するのでした。
 曽我狂言お馴染みの人物が勢揃いする華やかな一幕です。
 外郎売の口上をボイストレーニングでいただいたので、言い立ての部分がとても楽しゅうございました。
 七之助さんの大磯の虎、児太郎さんの化粧坂少将はさすがだったけど、あとふたりのきれいどころの台詞回しがとても危うくて、ちょっとハラハラしました。配役に名前が出ていないのでそういう配役だったのだと思いますが。

八代目中村芝翫 四代目中村橋之助 三代目中村福之助 四代目中村歌之助 襲名披露 口上(こうじょう)

橋之助改め芝翫
国生改め橋之助
宗生改め福之助
宜生改め歌之助
     

     藤十郎
     幹部俳優出演

襲名を祝う一幕
 裃姿の俳優が舞台に並び、この度新たに誕生いたします八代目芝翫、四代目橋之助、三代目福之助、四代目歌之助が、皆様に襲名披露のご挨拶を申し上げる一幕です。
 山城屋さんの発声に始まり、今日出演の主立った俳優さんたち全員がご挨拶。児太郎さんは父の福助さんについても触れたし、七之助さんは亡き父勘三郎さんについて触れたばかりでなく、自分が出演していない来月の興行を息子さんたちフィーチャーで宣伝部長のように語りました。

一谷嫩軍記
三、熊谷陣屋(くまがいじんや)
熊谷直実 橋之助改め芝翫
相模 魁春
藤の方 菊之助
亀井六郎 歌昇
片岡八郎 尾上右近
伊勢三郎 宗生改め福之助
駿河次郎 宜生改め歌之助
梶原平次景高 吉之丞
堤軍次 国生改め橋之助
白毫弥陀六 歌六
源義経 吉右衛門

戦の世の無常と人生のはかなさ
 熊谷直実が自らの陣屋に戻って来ると、国元にいるはずの妻相模が陣屋を訪れています。熊谷は、相模と敦盛の母藤の方に一ノ谷の合戦で平敦盛を討った次第を語り、源義経のもとに敦盛の首を届けようとします。そのとき奥から義経が現れ、その場での首実検を命じます。熊谷が首を差し出すと、そこには熊谷の一子小次郎の首。義経は、後白河法皇の落胤である敦盛を救うよう密かに制札に託しており、その意を汲んだ熊谷は、我が子を身替りにしたのでした。そこへ梶原平次景高が頼朝へ言上すると駆け出しますが、石屋の弥陀六により梶原は絶命します。義経は、弥陀六が平家の残党、弥平兵衛宗清であると見抜き、救った敦盛を託します。そして熊谷は……。
 人生の儚さが胸をうつ義太夫狂言屈指の名作を、新芝翫が襲名披露狂言として、四世芝翫の型で演じます。
 「團十郎型」と「芝翫型」があって、数年前に「芝翫型」を復活させた功績で芸術院賞を受賞されていた、というのはイヤフォンガイドで知りました。
 すでに見たような気がして過去ログ探ってみたのだけど、生で観たのは初めてでした。たぶん飛行機内で見た「わが心の歌舞伎座」の中で吉右衛門さんで見たのが記憶に残っていたのでしょう。
 その吉右衛門さんが義経で若々しい主君を演じてまったく違和感がないというのが、歌舞伎というか演技の凄いところです。。
 團十郎型と比較して見るほど見慣れてはいないのですが、引っ込みで幕が下がるのは自然な感じでした。

四、藤娘(ふじむすめ)
藤の精 玉三郎
     
華やかで変化に富んだ優美な世界
 松の大木に藤の花が絡んで咲き乱れているところへ、塗笠をかぶり藤の枝を手にした愛らしい娘が現れます。大津絵から抜け出したように可憐な娘は実は藤の精。男心のつれなさを名所近江八景によせて踊り、恋のもどかしさを艶やかに踊っていきます。そして、松の大木に去っていった藤の精は、やがて小蔭から現れ、ゆったりと藤音頭を踊り始め、ほろ酔いの姿を艶やかに見せます。続いて娘の可愛らしさと、廓の女性の色気が織り混ざった華麗な手踊りとなりますが、やがて日も暮れ、いつしかその姿を消すのでした。
 華やかで可憐な舞踊をご堪能ください。

 吉右衛門さんの義経に続いて、玉三郎さんの藤娘もまた年齢を超越している……というか芸でちゃんと娘や若い女を見せているので凄いです。まるで生きた「紅天女」です。
2018年が戊辰戦争150年ということで、会津では記念事業の準備が始まりました。一方、薩長同盟を結ぶ前の桂小五郎の直筆書簡が見つかったりもして、幕末維新期からホットな歴史的発見がありそうです。

史実
「西郷の船来ず」桂が手紙に薩長同盟前年
 「薩蒸気船今以来り不申(薩摩の蒸気船がまだ来ない)」。桂小五郎(木戸孝允)が薩長同盟前年の1865年、下関で会談予定だった西郷隆盛の到着を待つ心情を記した直筆の手紙が19日までに、高知県立坂本龍馬記念館(高知市)の調査で見つかった。亀尾美香主任学芸員は「薩長同盟の舞台裏が分かる貴重な新史料」と話している。

 桂が同年の旧暦閏5月17日(西暦7月9日)と19日(同11日)、下関から長州藩上層部に宛てた2通と、68年7月の戊辰戦争の最中、参謀に戦線の状況などを伝えた1通の計3通。同館が今夏に京都の古書店で発見、筆跡鑑定などから桂本人の手紙と断定した。
福島
<戊辰戦争150年>会津若松市が記念事業委
 2018年の戊辰戦争150周年に向け、福島県会津若松市は17日、市内の経済、文化団体などと「会津若松市戊辰150周年記念事業実行委員会」を設立した。先人顕彰などの事業を通して会津地方の歴史的意義を再認識し、観光客の誘致や文化振興につなげる。
 18年に記念式典や講演会を開催するほか、記念誌の発行、誘客宣伝の映像製作、旅行商品開発、ロゴマーク作成といった事業を検討している。
 市内であった設立総会には、観光商工、教育・文化、交通関連など加盟する約130団体・個人の関係者が出席。会長に室井照平市長を選出し、顧問に会津松平家14代当主の松平保久氏、内堀雅雄福島県知事が就いた。
 室井市長は「会津の思いを広く発信する重要な機会。全市的な取り組みにして市民の機運醸成につなげたい」と話した。
 総会後、市内の観光施設「会津藩校日新館」の宗像精館長が「戊辰150年を世界へ」と題し講演した。

「戊辰戦争」150周年で式典 会津若松で記念事業委の発起人会
 戊辰戦争から150周年にあたる2018(平成30)年に、記念事業などを繰り広げる「会津若松市戊辰150周年記念事業実行委員会」の発起人会が12日、同市で開かれ、記念式典の開催など事業の概要を確認した。節目の年に歴史的意義を再確認しながら、先人の顕彰を通して文化振興や観光誘客につなげる。

 実行委は17日に設立され、約140団体が加盟する予定。

 実行委は17年度に情報発信に向けて専用ホームページを開設する。また機運醸成に向けたのぼり旗やロゴマークを作り、記念誌や映像も制作する。このほか複数の部会に分かれて、さまざまな取り組みも進める。

 発起人会には市や会津若松商工会議所、会津若松観光ビューローなど10団体の代表が出席。議事では「戊辰の歴史とともに、新時代を誇り高く生きた会津人の功績と思いに光をあて、会津の歴史や伝統文化を広く発信する」との設立趣意を決めた。

 同市では実行委とは別に、市民有志による「会津戊辰戦争150周年事業実行委員会」(会長・阿部隆一歴史春秋出版社長)が設立され、今年から3年計画の事業に着手している。

東京

北斎 ヨーロッパを魅了した江戸の絵師
オランダ、フランスから謎の風俗画40点 初の同時里帰り!!

北斎工房、オランダ国立民族学博物館蔵
(C)National Museum of Ethnology, Leiden
 葛飾北斎(1760~1849)は、日本の画家の中で最も早く西洋画法に習熟し、独自の絵画世界を作り上げた江戸の絵師です。しかし北斎の作品に魅了されたのは、日本人ばかりではありませんでした。激しいタッチと強烈な色彩を用いて感情を表出した作品を描いたゴッホは、「大好きな日本版画のコレクションをありったけ壁にピンで留めたい」と語り、その筆頭として北斎の名前をあげるほど、北斎の絵画世界に最も影響を受けた人物のひとりといえるでしょう。ゴッホをはじめ、日本の浮世絵が印象派をはじめとした西洋の近代絵画に大きな影響を及ぼしましたが、これ以前、江戸時代より日本の美術や世相、歴史、社会制度、物産などはヨーロッパで紹介されていました。
 最近の研究で文政年間(1818~1830)、長崎の出島に滞在したオランダ商館長たちは、 4年ごとに行われる江戸参府の時に北斎などの絵師に肉筆の風俗画を注文し、次の参府の際に注文した作品を祖国に持ち帰っていたことがわかりました。当時、50歳を過ぎた頃の北斎の関心は、人物や風俗、動植物などを漫然と筆の赴くままに描いたスケッチ集『北斎漫画』を出版するなど絵手本の制作にありました。
オランダ商館長の依頼を受け、北斎やその弟子たちが描いた作品も、江戸の人々の暮らしぶりが描かれています。これらの風俗画は、現在、オランダ国立民族学博物館とフランス国立図書館に所蔵されています。
 そして、今回、オランダとフランス、2箇所に分蔵されていたこれらの風俗画が初めて同時に里帰りすることになりました。特にオランダ国立民族学博物館に所蔵される<節季の商家>、<端午の節句>、<花見>などはオランダ商館の医官シーボルトが持ち帰ったものとして注目されています。本展では、オランダとフランスに残る北斎の風俗画から、これまで"知らなかった"北斎像を探るとともに、北斎とシーボルトの交流にも着目します。そして江戸で人気を博した「冨嶽三十六景」や『北斎漫画』に代表される、版画や版本、肉筆画、摺物など、初公開を含む北斎の名品を幅広く紹介します。 "知らなかった北斎"と"知っている北斎"―、ふたつの視点から迫る本展覧会で、ヨーロッパをも魅了した江戸の絵師・北斎の芸術をあらためてお楽しみください。


松陰神社で「幕末維新祭り」始まる 23日には奇兵隊パレードも
 松陰神社(世田谷区若林4)と松陰神社通り商店街で10月22日、「幕末維新祭り」が始まった。さわやかな秋晴れには恵まれなかったものの、大勢の来場者でにぎわっている。23日まで。

多くの屋台が出店する松陰神社内の様子

 幕末の思想家で、私塾「松下村塾」を率いた吉田松陰を祭る松陰神社を中心に、商店街周辺ではさまざまなイベントが行われている。今年で25回目。

 神社本殿前では11時30分よりオープニングセレモニーが行われ、今回のイベントを主催した「松陰神社通り松栄会商店街振興組合」の理事長で、維新祭りの佐藤勝実行委員長があいさつに立った。佐藤さんはまず、世田谷区とともに同祭後援を行う山口県萩市との1991年から始まるエピソードについて触れ、「『世田谷に小さな萩を作りませんか』というところから交流が始まった。今では、大きな萩が世田谷に根付いている」と述べた。続けて、佐藤さんは幕末動乱期を描いた2015年放送のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の影響についても説明。「昨年の来場者は5万人で、年々増えている。名実ともに『世田谷三大祭り』と呼べるぐらいに成長した。(吉田)松陰先生に負けないよう、来年再来年と続けていきたい」と抱負を語った。

 その後、保坂展人世田谷区長をはさみ、山口県萩市の野村興児市長があいさつ。野村さんは松下村塾について、「非常に多面性を持っていた。ある人は政治塾といい、またある人は教育を重視した塾という」とし、日本の近代化における吉田松陰の多大な貢献について、歴史を交えて説明した。最後に、国の登録有形文化財の指定を受けた「明倫小学校」を改修した施設「萩・明倫学舎」が、同市内に2017年3月オープンすることをPRした。その後、数名のあいさつを経て、鏡割りが行われ、セレモニー参加者に日本酒がふるまわれたり、地元・国士舘大学の吹奏楽部がディズニー映画「アラジン」で知られるバラード曲「ホール・ニュー・ワールド」など計2曲を披露するなどした。

 セレモニーは12時15分過ぎに終了し、スタート時はまばらだった会場も、この頃には親子連れを中心とした来場者でにぎわった。神社内にはさまざまな屋台が並び、入口付近には、幕末ファンに向けた書籍販売所も設けられた。

 商店街でも、各店舗が路上販売を行い、神社同様の盛り上がりを見せていた。商店街内の資料館「松下村塾學び館」の運営スタッフは、「イベントの行われない普通の週末にも、松陰神社を訪れる人が増えている」と話していた。

 22日18時からは本殿前にてジャズのビッグバンド演奏が、23日13時からは「奇兵隊パレード」が行われ、世田谷区役所をスタートし、神社や商店街周辺を練り歩く。

 開催時間は、22日=10時~20時、23日=10時~19時。 

(続々・江戸城今昔:2)動乱の幕末、黒船迫り急造
 江戸城は内郭と外郭の濠(ほり)に加え南に三十間堀、東は隅田川を要害として水に守られていた。しかし嘉永6(1853)年、ペリー艦隊が浦賀沖に来航。当時の防衛ラインだった富津(ふっつ、千葉県)と走水(はしりみず、神奈川県横須賀市)の間に迫った。

 幕府は急いで品川沖に砲台場を築造。勘定吟味役・江川太郎左衛門を中心に大棟梁(とうりょう)・平内(へいのうち)大隅らが工事を進めた。土砂は御殿山や八ツ山、泉岳寺から、石は伊豆半島の真鶴から運んだ。大型艦船を阻もうと澪筋(みおすじ、船が通る水路)や隠れ洲(す)も考慮し、台場6基が完成したが、幕末の動乱の中、実戦には使われなかった。

 左の第3台場と右の第6台場では80ポンドの大型カノン砲が試射で火を噴いている。それ以外の台場は1962年ごろまでに姿を消した。右に延びる細長い防波堤は貯木場区画としても使われた。手前の道路はレインボーブリッジ。奥の埋め立て地にテレビ局やホテルなどの高層ビルが見える。(建築家・画家 木下栄三)

皇室と新選組の品々公開 文化 旧多摩聖蹟記念館・旧富澤家で
 東京都は、文化の日を中心に10月29日〜11月6日までを「東京文化財ウィーク」とし、都内全域の文化財の公開や、文化財に関わる様々な企画事業を実施する。多摩市でも、市の文化財である旧多摩聖蹟記念館(都立桜ヶ丘公園内)と、旧富澤家(多摩中央公園内)で10月22日(土)から特別展を開催する。

皇室ゆかりのモノ展示

 旧多摩聖蹟記念館で開催されるのが、特別展「『聖蹟』を語るモノたち〜旧多摩聖蹟記念館所蔵の皇室ゆかりの品々〜」。

 同館の生みの親である田中光顕は晩年、同志であった幕末の志士たちや、宮内大臣として仕えた明治天皇を顕彰する活動を展開。同館には、幕末の志士たちの遺墨や明治天皇をはじめ皇室に関連する資料が残されている。その同館に残されている明治天皇が使用した杖や茶碗、大正天皇が田中光顕に宛てた手紙などを展示し、「聖蹟」がどのようなモノで語られてきたのかを紹介する内容となっている。

 展示期間は12月11日(日)まで。開館時間は午前10時〜午後4時。毎週月・水曜、11月24日(木)は休館(23日(祝)は開館)。入場無料。

新選組との関わりを

 旧富澤家では「旧富澤家ゆかりの人々〜富澤家と新選組を中心として〜」と題し、幕末の多摩連光寺の名主であった15代当主・富澤正恕、富澤家の役割と縁の人々との関係、特に新選組との関わりを中心に資料を展示する。

 展示期間は11月27日まで。開館時間は午前9時半〜午後4時半。毎週月曜、11月15日(火)・16日(水)は休館。入場無料。

 問い合わせは、多摩市教育委員会文化財係【電話】042・338・6883へ。

『薄桜鬼』と新撰組ゆかりの地、日野市がコラボ! ふるさと納税で描き下ろしタペストリーをプレゼント
●タペストリーのデザインも公開

 “オトメイト”の人気女性向け作品『薄桜鬼』と、新選組ゆかりの地である東京都日野市がコラボレーションを果たし、日野市限定の描き下ろしイラストを使用した描き下ろしタペストリーが、ふるさと納税の返礼品として贈呈されることが決定した。


タペストリー画像
 “日野宿本陣”を背景に新選組の面々が描かれている返礼品のタペストリーは非売品。ふるさと納税で日野市に10000円の寄附をすることで入手することができる。受付開始日は2016年11月1日予定。ふるさと納税の詳細や注意事項などは、日野市の公式サイトを参照のこと。

静岡
慶喜公も愛した幕末のつゆを再現 静岡市の老舗そば店が「150年前のそばの味楽しんで!!
【NEWご当地グルメ】

 最後の将軍・徳川慶喜公も愛した老舗そば店「安田屋本店」(静岡市葵区)が、幕末の創業当時の味を再現したそばつゆ「駿府江戸蕎麦つゆ」を来店客に無料で出すサービスを始めた。明治維新後、静岡には旧幕臣が多く移住し、そばも江戸前に変化したが、当時のそばつゆは、しょうゆやみその原型である「ひしお」を使用していた。5代目店主の安田裕さん(65)は「現代の江戸そばとはまた違う、150年前の駿河そばの味を楽しんで」と話している。

 慶応2(1866)年に創業した安田屋本店は、大政奉還後に駿府(現在の静岡市)に移封された徳川家ゆかりの旧幕臣でにぎわい、勝海舟ら“幕末の三舟”も訪れた。中でも慶喜公は散策や狩猟の帰りに店に立ち寄り、直筆の品書きを残すほどのひいきぶり。関西風だった同店のそばつゆも、客の好みに合わせて次第に江戸前の味に変わっていったという。

 創業当時のそばつゆは、カツオやサバなどの削り節とひしおだけを使ったもので、安田さんによると「みそとしょうゆの中間のようなしょっぱさ」。長野県のみそ問屋が保管していたひしおを仕入れ、代々の口伝に基づいて試行錯誤を重ねて完成させた。そばをつゆにたっぷりと浸すと、塩辛さのあまり食べられないほどだといい、安田さんは「なぜそばをつゆにちょんとつける食べ方が生まれたのか、理由がよく分かります」と苦笑する。
 それでも当時の味を再現したのは、「若い世代にそばの文化が伝わっていない」という危機感からだった。先代の父・貞男さんはそばにウコンやユズ、サクラエビといった多様な食材を混ぜる「変わりそば」の研究に明け暮れ、そば職人としては初めて現代の名工にも選ばれた。安田さん自身も「作り置きができないそばの魅力を生かしたい」と懐石仕立てのそば料理に取り組むなど、新しい味の追求に余念がない。しかし、その一方で同業者の組合に加盟するそば店は年々減りつつあるといい、安田さんは「お客さんだけでなく、若い職人たちにも昔の味を知ってもらい、そば業界を盛り上げていってほしい」と期待を込める。

 10月15日から始まった駿府江戸蕎麦つゆのサービスは、11月末まで、もりそばなどを注文した客に無料で振る舞う。問い合わせは安田屋本店(電)054・245・0981。 (静岡支局 村嶋和樹)

美術
葛飾北斎の新たな絵画か オランダの博物館が所蔵
日本に西洋医学を伝えたドイツ人医師、シーボルトが持ち帰りオランダの博物館が所蔵していた絵画が、江戸時代を代表する浮世絵師、葛飾北斎が西洋の技法を使って描いたものである可能性が高いことが分かり、北斎を研究するうえで貴重な資料として注目されています。
この絵画は、オランダのライデン国立民族学博物館が所蔵していた6点で、長崎を拠点に日本に西洋医学を伝えたドイツ人医師、シーボルトが持ち帰ったコレクションに含まれていました。

これまで作者が分かっていませんでしたが、北斎研究で知られるライデン国立民族学博物館のマティ・フォラーシニア研究員などのチームが、シーボルトの子孫が所蔵していた目録と照らし合わせたところ、「北斎が我々のスタイルで描いたもの」という記述が見つかり、北斎の作品である可能性が高いことがわかりました。

6点のうち5点は、和紙に、日本橋や品川など江戸の町並みが、遠近法など、浮世絵とは異なる西洋の技法を使って水彩で描かれていて、北斎が西洋の技法を理解していたことを示す資料ではないかとして注目されています。

マティ・フォラーシニア研究員は「当初は西洋人が描いたものと考えていましたが、シーボルトの目録を見て本当に北斎が描いたのかと非常に驚きました」と話しています。

この研究成果は、22日、長崎市で開かれるシーボルト研究者が集まる国際会議で発表されます。
エンターテインメント
「ちるらん にぶんの壱」テレビアニメ放送決定 新撰組の日常をコミカルに描く
月刊コミックゼノンで連載中の漫画作品『ちるらん にぶんの壱』がテレビアニメ化、2017年1月より放送開始予定であることが明らかになった。

本作は、同じく月刊コミックゼノンで連載中の『ちるらん 新撰組鎮魂歌』の著者・橋本エイジと作画・梅村真也が自らの手で描く公式スピンオフ作品である。
元となった『ちるらん 新撰組鎮魂歌』は若き日の土方歳三を中心にした熱いドラマが繰り広げられるが、アニメ化される『ちるらん にぶんの壱』は一転、新撰組の隊員たちをデフォルメ化し、彼らの日常を描いた作品に仕上がっている。

この発表に合わせて公式サイトが公開され、第1弾キービジュアルとロゴが披露された。キービジュアルではデフォルメ化されたキャラクターたちが早速登場。桜の花びらが舞う中で、土方歳三や永倉新八、斎藤一、沖田総司といった新撰組の隊員が凛々しくも愛らしい表情を見せている。原作コミックスの雰囲気も残しており、既存のファンにとってもなじみやすいデザインといえる。

これ以外の動きとしては、公式Twitterも開設され、すでにいくつかのツイートも確認できる。今のところはキービジュアル以上の情報はないものの、今後最新情報がここから発信されていく。
2017年1月からとすでに放送まで3ヶ月を切っているが、まだまだ謎に包まれた点も多い。今後はスタッフ、出演キャストに関する情報も続々公開されていくことだろう。コミカルな新撰組がどのように描かれていくのか、また土方歳三たちがどんな活躍を見せてくれるのか、これからの展開にも注目を集めそうだ。

『ちるらん にぶんの壱』
(C)橋本エイジ・梅村真也/NSP 2016,(C)アニメ「ちるらん にぶんの壱」製作委員会
 「ちるらん」アニメ化は本編でなく「にぶんの壱」SDキャラの方だったのですね。(^_^;)。
高知
高知県立坂本龍馬記念館が薩長同盟前の桂小五郎の手紙を発見
 江戸幕府による第二次長州征伐が迫る慶応元(1865)年。長州藩の桂小五郎(木戸孝允(たかよし))が、後の薩長同盟につながる薩摩藩・西郷隆盛との会談を待つ様子などを記した手紙が高知県立坂本龍馬記念館(高知市浦戸)の調査で見つかった。薩長同盟に奔走した土佐人の動きが垣間見られる貴重な新史料。高知県立坂本龍馬記念館で11月5日から始まる企画展「再検証・薩長同盟」で初公開される。

 桂小五郎の手紙は3通が1枚の巻物(全長約8メートル)に貼られており、高知県立坂本龍馬記念館が2015年9月に京都の古書店で購入。筆跡と内容から桂の手紙と断定した。


 3通とも未発見の手紙で、1通は昭和初期に書かれた桂の伝記に一部が引用されている。2通が1865年閏(うるう)5月に藩上層部の人物に宛てた手紙、1通が1868年7月の戊辰戦争時に参謀に宛てた手紙だった。

 1865年閏5月は、14代将軍徳川家茂が長州征伐のため江戸を発し、長州下関では中岡慎太郎や坂本龍馬らの仲介で桂小五郎と西郷隆盛の会談が画策されていた時期。

 会談は西郷隆盛が下関を通り過ぎて京都に向かい実現しなかったが、翌1866年1月に坂本龍馬の立ち会いで桂と西郷らが会談して薩長同盟が結ばれたとされる。

 2通の手紙からは西郷が下関に現れず、焦る桂の様子がうかがえる。1通目では「薩蒸気船がいまだに来ない」「会談の期限が遅れて藩内の国論が動揺してもいけない」。2日後の2通目の手紙では、蒸気船の故障による西郷の遅延を「土人」(土佐人)から聞いたと記している。

 高知県立坂本龍馬記念館の亀尾美香学芸員は、「薩長同盟に土佐の志士が仲介役として深く関わったことを裏付ける史料」と2通目の手紙に注目する。

 手紙には坂本龍馬や中岡慎太郎の名前は出てこないが、筑前や長州を行き来していた土佐の志士、土方久元が登場する。桂は土方に「西郷があまりに遅れるようなら、下関から山口へ引き返す」旨を伝えており、土方が薩長の仲介役をしていたことがうかがえる。

 また、2通の手紙には、長州征伐に備える長州藩の内情も細かに書かれている。藩が幕府軍を迎え撃つ布告を藩内に出したことや、後に龍馬らの仲介で長州が長崎のイギリス商人から購入する「小銃」の記述もある。

 亀尾学芸員は「薩長同盟に向かう過程や、長州征伐前の慌ただしい状況を記した当事者の手紙として重要な研究史料になる」と話している。


 桂小五郎(かつら・こごろう) 1833~1877年。山口県の藩医の家に生まれ、吉田松陰に師事。長州藩の倒幕の志士として活躍し、明治新政府では参議として政治の中核を担った。西郷隆盛、大久保利通と並ぶ「維新三傑」の一人。

 土方久元が言及されており、土佐藩が仲介している様子が伺われるそうです。
板橋区民会館は初めて。春師は志村三丁目で生まれて小学校1年生になるまで育ったそうです。そして、若い頃、志らく師とわちゃわちゃやっていたのがこの辺りだそうで(談志師匠の板橋の家が近いからね)いろいろ思い出があるそうです。

 そのせいか、はたまた体調的に悪いからこそテンションがハイなのか、今日は最初のまくらと中入り後のまくらがとても長く、それ自体が独立した噺としてもいいぐらいでした。特に中入り後の東日本大震災後のボランティア巡業のエピソードは、志の輔さんだったら新作の一本にしてしまうだろうという、泣かせ処と笑わせ処とオチがあるものでした。

おしくら/談春
 談春さんで聴いたのは二度目、通算でも三度目。三人旅の噺だとはすぐにぴんと来たのだけど、「おしくら」とわかったのは言葉が出て来てから。
 江戸から来た三人の男たちと中山道の宿場の馬子、宿に関係する少なくとも三人の女たちの言葉や性格の描き分け、スピード感あふれる言い立てのおかしみ、など。宿場町で女を買う噺なので自分の好みではないのだけど、談春さんの巧さに聴き入ってしまい、笑ってしまう。

人情八百屋/談春
 これも通算三度目だけど、実は談春さんで聴いたのは初めてだったわ。最初の夫婦の会話ですぐにわかったのだけど、談春さん版としては長屋の人々の会話が真骨頂。涙もしたし、笑いもした。
大河ドラマ『真田丸』が残り10回を割っているとは。『新選組!』以来、こんなに毎週楽しみなNHK大河ドラマは久しぶりです。山本耕史さん演じる石田三成人気からすると、『新選組!!土方歳三最期の一日』のように続編というか単独で派生作品が製作されそうな。いや、欲しいかも。

北海道
箱館戦争で敵味方なく傷病兵治療 高松凌雲の足跡紹介 函館
【函館】幕末から明治期に医師として活躍した高松凌雲(1836~1916年)の没後100年記念講演会「高松凌雲と箱館」が15日、函館市中央図書館(五稜郭町)で開かれた。地元在住の日本近代文学会会員、桜井健治さんが、箱館戦争で敵味方の別なく傷病兵を治療し、日本の赤十字活動の先駆けとなった凌雲の足跡を紹介した。

 函館文化会などの主催で、約70人が参加。桜井さんは、現在の福岡県小郡(おごおり)市で生まれた凌雲が江戸で蘭学や医学を学んで医師となり、幕府の派遣で渡仏中、戦争で傷ついた人たちには敵味方なく医療が施されるべきだという精神を学んだことを説明した。

 さらに、凌雲が箱館戦争で1340人もの負傷者を自ら治療し、当時の手術器具が市立函館博物館で保管されているなど、函館との関わりに言及。戦争後は貧しい人に医療を施す同愛社を結成したことを解説し、「凌雲に限らず、函館の地で生死を分け合う戦いの後、後世の日本にさまざまな影響を与えた人たちに敬意を表したい」と話した。(矢崎弘之)

福島
<戊辰戦争150年>会津若松市が記念事業委
2018年の戊辰戦争150周年に向け、福島県会津若松市は17日、市内の経済、文化団体などと「会津若松市戊辰150周年記念事業実行委員会」を設立した。先人顕彰などの事業を通して会津地方の歴史的意義を再認識し、観光客の誘致や文化振興につなげる。
 18年に記念式典や講演会を開催するほか、記念誌の発行、誘客宣伝の映像製作、旅行商品開発、ロゴマーク作成といった事業を検討している。
 市内であった設立総会には、観光商工、教育・文化、交通関連など加盟する約130団体・個人の関係者が出席。会長に室井照平市長を選出し、顧問に会津松平家14代当主の松平保久氏、内堀雅雄福島県知事が就いた。
 室井市長は「会津の思いを広く発信する重要な機会。全市的な取り組みにして市民の機運醸成につなげたい」と話した。
 総会後、市内の観光施設「会津藩校日新館」の宗像精館長が「戊辰150年を世界へ」と題し講演した。
「戊辰戦争」150周年で式典 会津若松で記念事業委の発起人会
 戊辰戦争から150周年にあたる2018(平成30)年に、記念事業などを繰り広げる「会津若松市戊辰150周年記念事業実行委員会」の発起人会が12日、同市で開かれ、記念式典の開催など事業の概要を確認した。節目の年に歴史的意義を再確認しながら、先人の顕彰を通して文化振興や観光誘客につなげる。

 実行委は17日に設立され、約140団体が加盟する予定。

 実行委は17年度に情報発信に向けて専用ホームページを開設する。また機運醸成に向けたのぼり旗やロゴマークを作り、記念誌や映像も制作する。このほか複数の部会に分かれて、さまざまな取り組みも進める。

 発起人会には市や会津若松商工会議所、会津若松観光ビューローなど10団体の代表が出席。議事では「戊辰の歴史とともに、新時代を誇り高く生きた会津人の功績と思いに光をあて、会津の歴史や伝統文化を広く発信する」との設立趣意を決めた。

 同市では実行委とは別に、市民有志による「会津戊辰戦争150周年事業実行委員会」(会長・阿部隆一歴史春秋出版社長)が設立され、今年から3年計画の事業に着手している。
若松で「みらい学会」 徳川、松平氏ら鼎談 戊辰戦争150周年へ結束
 徳川時代の知恵や歴史的意義を研究・発信する「徳川みらい学会in会津」は6日、会津若松市の会津若松ワシントンホテルで開かれた。徳川宗家18代当主の徳川恒孝(つねなり)氏と会津松平家14代当主・松平保久(もりひさ)氏らが徳川家と会津について思いを語り合い、2年後の戊辰150周年の節目への意識を高めた。
 静岡商工会議所と徳川みらい学会の主催、会津若松商工会議所の協力。会津若松市や会津美里町、静岡市、青森県むつ市、山形県米沢市、栃木県日光市、愛知県岡崎市などから合わせて約400人が出席した。
 徳川氏と松平氏は「徳川家に息づく会津の魂」と題する鼎談(ていだん)に臨んだ。国際日本文化研究センターの磯田道史准教授がコーディネーターを務めた。徳川氏は、会津藩が幕末以前から開国論を唱えていたのは、北方警備など外国船対策に多く携わり、「日本は海岸線が長過ぎて防備には向かない」と実感していたからと説明。戊辰戦争で最新の武器を調達していなかったからといって、時代に疎いという認識は当たらないと主張した。
 松平氏は厳しい自分の父の教育を振り返り、「平和だからといって教育はたるみがあってはいけない」と語った。会津藩の若殿の教育も一般藩士と変わらないほど厳しかったと解説。徳川氏も「会津藩の教えを今の学生につないでほしい」と継承の大事さを説いた。
 東大名誉教授の芳賀徹徳川みらい学会会長が講演し、徳川幕府による約200年の平和が文化や学問、芸術を開花させたと説明した。

( 2016/10/07 11:11 カテゴリー:主要 )
幕末の兵学者「赤松小三郎」来秋に企画展 上田市立博物館
 上田市立博物館(同市二の丸)は二〇一七年秋に、上田藩出身の幕末の兵学者、赤松小三郎(一八三一~六七年)の企画展を開く考えだ。同館の近くで赤松小三郎記念館を運営する市民の有志も、新館を建てて展示の内容を充実させる。一八年に明治維新から百五十年を迎えるのを機に、郷土が輩出した志士の事跡を、市内外に周知する狙いだ。

 赤松は上田藩の下級武士の子に生まれ、江戸や長崎で勝海舟らに師事。蘭学や英学、航海術などを習得した。

 英国の歩兵操典を原書から翻訳し、兵学者としての名声を高めた。京都で開いた私塾には薩摩藩士で後の海軍提督・東郷平八郎ら、各地の藩士や新撰(しんせん)組の隊員ら、幅広い門下生が集まったとされる。

 政治思想家でもあり、二院制の議会政治を導入するよう提案する建白書を幕府や薩摩藩主の父・島津久光、福井藩主松平春嶽らに提出。春嶽は坂本龍馬と親しく、建白書は春嶽を介して龍馬が近代国家の形を提示した「船中八策」に影響を与えた、との見方もある。

 一八六七(慶応三)年に、上田への帰途で薩摩藩士・桐野利秋に斬殺(ざんさつ)された。同藩邸でも藩士らに兵学を教えており、薩摩が軍事情報の流出を恐れて暗殺した、とも言われる。

洋装の赤松小三郎の写真=上田市立博物館提供
写真
 土佐藩の龍馬らとは違い、明治政府の主流ではない上田藩士の赤松の業績には日が当たらなかった。だが、上田市民の有志らが二〇〇三年に赤松小三郎顕彰会(事務局・同市緑が丘)を設立して功績の周知を始めるなどして知名度が向上した。

 京都市が実施している「大政奉還百五十周年記念プロジェクト」のホームページでは約五十人の「幕末維新の群像」の中で、赤松は西郷隆盛や大久保利通、木戸孝允ら「三傑」と並んで紹介されている。

 上田市立博物館が来年秋に赤松の企画展を実施するのは、再評価の機運をさらに盛り上げる狙い。洋装の写真や鍔(つば)をサーベル風にあつらえた愛用の日本刀など常設の約三十点に加え、上田藩士の兄・芦田柔太郎に宛てて「皇国(みくに)(日本)の御為(おんため)にも相成(あいな)り候様仕(そうろうようつかまつ)り候」などと改革への熱意を語った書状など、今は公開していない数十点も展示に出す予定。

 顕彰会が上田城跡公園(同市二の丸)の中にある土蔵を改装し、赤松の旧墓石などを展示している赤松小三郎記念館も、一七年四月ごろまでに、平屋の新館(約二十三平方メートル)を土蔵の前に建てる。赤松の国政改革の建白書に焦点を当て、内容が理解しやすいようパネルなども増やして展示したい考えだ。

 上田市立博物館の倉沢正幸館長は「真田親子だけでなく、赤松も重要な郷土の先覚者。多くの方に業績を知ってほしい」。林和男・顕彰会長も「展示を充実させて、新時代を見据えた赤松の姿勢に学びたい」と話した。

 (林啓太)
新選組の隊員も通っていたのですか……慶応三年に暗殺されたのが残念です。

国立劇場開場50周年記念ということで、3ヶ月連続で全幕通しの仮名手本忠臣蔵。

11時開演16時終演、うぅ早い、長い……と遅刻してしまい、大序の最初の3分の2は見られず。

 梅玉の塩冶判官、秀太郎の顔世御前が素晴らしい。幸四郎の大星由良助は登場するだけで空気を変える存在感があるのだけど、ちょっと違和感があった。力み過ぎ? 力弥の中村隼人、小浪の米吉は初々しいカップルなんだけど、あれれん、何かちょっと隼人君が固いように思う。扇雀の早野勘平、髙麗蔵のおかるカップルはさすがでございます。
昼の部、夜の部続けて見ました。

【昼の部】
ん廻し/けん玉
 兼好さんのところの前座さん。

ホームランの約束/百栄
 いきなり破壊力の強い百栄。野球選手が病院に慰問に来るのだが、少年が野球に関心がないひねくれ坊主で……。

地下鉄親子/白鳥
 さらに破壊力ある白鳥。ひとり息子を育てるために地下鉄の工事現場で働いている母ちゃんが、息子を元気づけようと工事現場をロールプレイングゲームの現場に。

粗忽長屋/白酒
 中入まえに白鳥師が「この後白酒が『抜け雀』やります」と言ったけど、前のネタで遊ぶのはいいが後の人にネタふりするのはタブーだから、と言って、楽しい粗忽長屋。

厩火事/兼好
 キャンキャンキンキンうるさいおさきさん(苦笑)だが、兼好さんらしい。
 圓生の後継者問題は立ち消えとなってますが、芸風こそ違うものの三遊亭から圓生を出すとすると、今のところ候補者は兼好さんじゃないかと私は思います。

【夜の部】
子ほめ/市若

芝居の喧嘩/松之丞
 破壊力ある。ただ、前のホール落語会のお客様をくさしたのはいただけなかった。昼間その落語会を見て、夜この落語会に来てるお客様だっているかも知れないんだから。

笠碁/一之輔
 一之輔さんの『笠碁』はじいちゃん達がキャッキャッと喧嘩しちゃってかわゆいのぅ。

普段の袴/市馬
 さすが市馬さん、特に武士の出てくる噺はホントうまい。

三枚起請/三三
 今日は私が疲れていたので全部消化しきれてないのだけど、三三さんの出来はよかったと思う。

『真田丸』で治部刑部ロスに加えてパッパロス、虎之助(清正)ロスと忙しく、でもいよいよ終盤なので奮い立ち、新国立劇場でとてもよかった舞台『真田十勇士』をもう一度見ておこうと神奈川県まで遠征することにしました(爆)。

福島
新選組ファン集う!斎藤一の実像解説 会津若松で全国サミット
 全国の新選組ファンや関係団体が一堂に会して意見を交わす「第17回全国新選組サミットin會津」は24日、会津若松市で開かれ、2018(平成30)年の戊辰150周年に向けて、各団体が会員制交流サイト(SNS)を活用して情報発信に取り組んでいくことを確認した。会津新選組まつり実行委員会(委員長・佐藤功武會津新選組同好会局長)の主催。

 新選組ゆかりの各地で開かれ、同市開催は09年以来3度目。新選組屈指の剣客として知られる斎藤一(藤田五郎)の墓がある阿弥陀寺が会場になった。各団体が戊辰150周年について意見を交わした。佐藤局長は「さらに新選組が注目されるよう取り組んでいきたい」と話した。

 同日は「会津新選組まつり」も阿弥陀寺で開かれ、「斎藤一忌法要」を墓前で行った。記念講演会では、斎藤一のひ孫藤田太郎さん=埼玉県=と佐藤局長が講師となり、残された写真を使って斎藤一の実像について解説した。藤田さんは幕末の会津藩主松平容保との深い関係を例に「斎藤一は会津とのつながりを大事にしていた」と語った。

全国の新選組関係団体団結 若松でサミット 情報発信強化へ
 新選組に関係する団体が一堂に集う全国新選組サミットin会津は24日、会津若松市の阿弥陀寺本堂で開かれた。情報発信の強化として、統一の会員制交流サイト(SNS)アカウントを作成し、それぞれのイベントや事業を紹介することを決めた。
 会津新選組まつり実行委員会の主催、七日町通りまちなみ協議会、会津新選組同好会の主管。ひの新選組同好会、宇都宮新選組同好会、宮古海戦組、戊辰白河新選組など全国の団体の代表ら約10人が参加した。今年で17回目で、県内での開催は4年ぶり。阿弥陀寺には新選組幹部だった斎藤一の墓がある。
 佐藤功武会津新選組まつり実行委員長が「戊辰戦争150年に向けて連携を深めていきたい」とあいさつした。渋川恵男七日町通りまちなみ協議会長が歓迎の言葉を述べた。サミットでは各団体が「新選組まつり」などの顕彰事業や取り組みを報告した。イベントに歴史好きな観光客だけではなく、高校生などの若い世代も参加しやすくする工夫が必要などの意見が出た。
 次回は東京都日野市で行われる。

静岡
ヘダ号
日本初の本格洋式帆船に思いはせ 幕末建造、沼津でシンポ 再建プロジェクト会 /静岡
 「ヘダ号再建プロジェクト会」による初のシンポジウムが沼津市のサンウェルぬまづで開かれ、約100人が出席。幕末に現在の沼津市戸田(へだ)で建造された日本初の本格洋式帆船「ヘダ号」に思いをはせた。

 元東海大海洋科学博物館主任学芸員の岡有作さん(69)は、船大工が1989〜91年にヘダ号の10分の1模型を造った模様を紹介。「ヘダ号オリジナルの4枚の設計図の他、(ヘダ号を元に造られた)君沢形帆船も参考に模型は造られたはず」などと説明した。

 また、江川文庫学芸員の橋本敬之さん(64)は、ヘダ号建造における江川英龍(坦庵)の役割について講演。お台場建設のため江戸へ向かう途中で韮山に引き返したこと、遭難したロシア人に鶏3000羽、アヒル500羽、卵1万5000個を提供したことなどを紹介。「君沢形帆船建造には6隻で1万772両かかっている。1両は現在の約5万円。6で割れば再建費用が算出できる」と話し、笑わせた。

 ヘダ号は日露国交樹立のため下田来訪中だったロシア提督プチャーチン乗船のディアナ号が1854年の安政東海地震の津波で損傷、その後沈没したため、ロシア帰国のため建造された代船。

 会は今年4月に発足した。【石川宏】

新潟
小林虎三郎 よみがえる顔立ち写真あり頭蓋骨から筋肉や皮膚再現
 戊辰戦争からの復興を担い、米百俵の故事で知られる小林虎三郎(1828~77年)の現存する頭蓋骨を基に、その頭部が精密に復元された。...
 ここから先は有料になります(苦笑)。

靖国「賊軍」合祀計画に会津出身者「戊辰戦争の総括が必要」
2019年に創立150周年を迎える靖国神社に祀られるのは「国のために殉じた人々」だけである。つまり神社がつくられた当時の「国=明治政府」に刃向かった幕府軍・会津軍や、西南戦争で敗れた西郷隆盛らは「賊軍」となるため、祀られる“資格”がない。

 だが、彼らの合祀を求める会を国会議員らが立ち上げ、靖国神社に申し入れをするというのだ。発起人を務めるのは保守派の重鎮、亀井静香・衆院議員。そのほか森喜朗氏や福田康夫氏ら首相経験者、二階俊博・自民党幹事長ら与党幹部、さらに、野党議員など70人を超える政治家の賛同を得ているという。

 政界重鎮たちによる申し入れは無視できない重みがありそうだが、そもそも靖国神社への合祀は可能なのか。靖国神社は、この動きについて「存じておりません」とした上で、「当神社は明治2年の御創建から終戦に至るまで、当時の国の合祀判断に基づき、その都度合祀が重ねられてまいりました。当時に遡り、その基準を変更することはございません」と否定的だ。

 だが戦後、靖国神社は国家機関から民間の宗教法人となった。そのため、合祀の可否は神社の最高責任者である宮司の判断に委ねられる部分が大きい。1978年10月には、当時の松平永芳宮司の判断で、A級戦犯14人が合祀されている。亀井氏は自信を見せる。

「A級戦犯とは異なり、中国も文句は言わないだろう。神社と一体となって事業を行なう靖国神社崇敬奉賛会の理解が必要なので、同会の扇千景会長(元国交相)にも根回しを進めている。ただし、最終的な権限は宮司にあるはずなので、徳川(康久)宮司の背中を押したい」

 今回の申し入れについて、当事者の受け止めは様々だ。明治維新後、司法卿として司法制度確立に尽力した江藤新平は征韓論を唱えた西郷隆盛に同調して下野した後、「佐賀の乱」を起こして敗れた「賊軍」だが、佐賀県選出の原口一博・衆院議員(民進党)は合祀に賛同し、提出者を買って出た。

「『乱』という表現は支配者サイドからの観点であり、佐賀県民は江藤の反乱を『佐賀の乱』ではなく、『佐賀の役』と言います。支配者側の一方的な見方ではなく、日本の夜明けのために命を失った方々を改めて評価するのは重要なことです。英霊を鎮魂する場である靖国に敗者を合祀することで、平和への祈りにもなるはずです」

 一方、戊辰戦争の「賊軍」代表、会津出身の小熊慎司・衆院議員(民進党)は、「合祀には賛成」としつつも、複雑な思いをのぞかせる。

「戊辰戦争では会津側の戦死者が長期間、放置されるなど非人道的行為もあった。1864年の蛤御門の変では、会津と薩摩が御所を守り、長州が御所に発砲した賊軍です。それなのに維新後、その長州で維新への功績もない人物までが祀られたのは明らかにおかしい。単なる官軍と賊軍の戦いという見方を改めるためにも、合祀の前に戊辰戦争の総括が必要です」

 会津藩が戊辰戦争で降伏した9月22日に会津で行なわれる会津戊辰戦争慰霊の集いでは、さっそくこの話題が上がったという。しかしながら、合祀は靖国神社の意義を揺るがしかねない問題を孕む。『靖国誕生 幕末動乱から生まれた招魂社』の著者で歴史家の堀雅昭氏が指摘する。

「靖国神社は紛れもなく、明治維新の官軍vs賊軍という戦いの延長線上にある神社です。西郷以下、西南戦争を戦った面々は鹿児島の照国神社に祀られている。それぞれの故郷で祀られ、語り継がれることで、賊軍として戦った意味や、維新の『負の側面』が語り継がれます。安易な合祀は、賊軍側の行為まで蔑ろにしかねない。なによりこれを認めたら、靖国神社が依って立つ歴史的基盤がおかしくなってしまいます」

 賛否両論が渦巻く靖国合祀。当の亀井氏も敗者側の複雑な思いを認める。

「新たに合祀する側の遺族の意向は聞きません。なかには、複雑な感情を抱えて、『もう触れないでくれ』という方もいるだろうが、これまでも合祀に遺族の了承は取っていない。われわれが崇敬の心をもってお祀りするということ。合祀については、あとは宮司の対応を待つのみです」

 折しも2018年の大河ドラマが「西郷隆盛」に決まり、賊軍側に注目が集まっている。靖国神社の歴史観と自らの信念の間で、宮司はどのような判断を下すのだろうか。

※週刊ポスト2016年10月14・21日号


エンターテインメント
食べて生きよ!『ゴールデンカムイ』作者・野田サトル
今年もっとも活躍した男たちを讃えるアワード「GQ Men of the Year」の季節がやってきた。本連載では小誌執筆陣が“極私的”に推薦する2016年の顔を紹介する。第2回は本誌シニア・ウェブ・エディターの冨田秀継が推薦する漫画家、野田サトル。

文・冨田秀継(GQ)

映画や文学がなぜ楽しいのかというと、そこに描かれているのが人の営みであり、そうした人々の生を想像の上で体験できるからだ。

そうした楽しさを甘受できる最良のメディアのひとつが漫画であることに、異論を挟む読者はいないだろう。

そして、さまざまな人の生を体験できる漫画として『GQ JAPAN』が2016年に最も推したいのが野田サトルの『ゴールデンカムイ』(集英社)である。

明治後期の北海道を舞台に、日露戦争を生き残った元兵士・杉元とアイヌの少女・アシㇼパが、網走監獄の死刑囚が秘匿している黄金を探し当てようとする物語。アイヌや軍だけでなく、新撰組の残党からヤクザまでが争奪戦に参入し、それぞれの信念を貫くため、時に非道に、時にコミカルに黄金の手がかりを奪い合う。

今年3月には「マンガ大賞2016」を受賞し、名実ともに現代の漫画文化を代表する作品となった。

群雄活劇とも言える本作品だが、コミカルな料理の描写も魅力的だ。アシㇼパが杉元たちにアイヌの伝統的な狩猟と料理を教える様子が頻繁に描かれており、本作で見られる野趣に溢れたジビエのファンも多い。『ゴールデンカムイ』がグルメ漫画とも言われる所以だ。

たとえば、鳥獣や魚のたたきを意味する「チタタㇷ゚」は、本作ではアシㇼパがリスやウサギをチタタㇷ゚(=つみれ)にし、それをオハウ(=汁)に入れて杉元に振る舞った。このほかにも、北海道生まれでもなかなか食べたことがないであろう「ルイベ」(鮭を冷凍した保存食)から、現在も多くの人に食されている「ニシン蕎麦」(本作では身欠きニシン蕎麦)まで、時々の状況を踏まえながら魅力的に描かれている。

9月下旬には、本作に登場する料理を食べられる「ゴールデンカムイ軒」が東京・渋谷にオープン。1日限りの体験とあって、応募が殺到したことでも話題となった。

──と、このように書いているだけでも楽しいのは、アイヌの言葉が魅力的に響くからだろう。作中でも現代の日本語にはないアイヌ独特の響きが効果的に使われており、軍人の話す規律正しい言葉、新撰組残党の緊張感に溢れた言葉、暴力を背景にしながらも人なつっこさを感じさせるヤクザの言葉とうまく対比している。

最後に、本作のもうひとつの魅力を紹介したい。それは作者・野田サトルのTwitterやブログでの活動だ。

とくに「野田サトルのブログ」では本作のための取材として、樺太アイヌ系のハンターとともに狩猟を体験し、鹿を撃って解体し、そして食する様子がリポートされている。

生きることと食べることの大切さを教えてくれる本作。未読の方には是非ともお勧めしたい。

新撰組とその刀たちが再会するとき ミュージカル『刀剣乱舞』が2作目で描く刀剣男士の心理描写
ミュージカル『刀剣乱舞』 ~幕末天狼傳~が、9月24日にAiiA 2.5 Theater Tokyo(東京都渋谷区)で初日を迎えました。2016年5~6月に上演された阿津賀志山異聞公演に続く2作目となった今作のテーマは幕末。新撰組にゆかりのある加州清光や大和守安定といった刀剣を中心に、彼らのかつての主との物語を描いていきます。刀剣男士の心の揺れ動きを、前作以上に繊細に描き出した今作。演出家が「フランス映画のような作りになっている」と表現するその内容とは。
ミュージカル『刀剣乱舞』は、パソコン・スマートフォン向けゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」を題材とした、ネルケプランニングが制作するミュージカル作品。2015年10~11月のトライアル公演を経て、本公演に当たる阿津賀志山異聞公演を2016年5~6月に上演。1部は舞台本編、2部はペンライトを持って観客が応援できるライブという斬新な構成が話題を呼び、人気を広げていきました。
今作は、熱狂のうちに幕を下ろした阿津賀志山異聞公演に続く2作目の本公演。前作からは加州清光のみ続投し、初登場となる大和守安定、和泉守兼定、堀川国広、蜂須賀虎徹、長曽祢虎徹の5振りを加え、新たな部隊として“刀の時代”が終わる幕末の世へと出陣します。
加州清光と大和守安定は沖田総司の刀。和泉守兼定と堀川国広は土方歳三の持ち刀として知られています。長曽祢虎徹と蜂須賀虎徹はともに江戸時代の刀工・虎徹によって打たれた刀剣で、いわば“兄弟”のような関係。しかし近藤 勇の愛刀として戦場で活躍した長曽祢虎徹は贋作(がんさく)で、名家の家宝として飾られていたとされる蜂須賀虎徹は真作。対局にいるこの2振りの複雑な関係性も、物語に大きな影響を与えていきます。
刀剣男士たちの使命は、歴史修正主義者によって過去に送られた時間遡行軍がもくろむ歴史の改ざんを防ぐこと。しかし、今回の敵の狙いは新撰組。戦いの場でかつての主を目撃することになる刀剣男士は、悲しい結末を知っているからこそ、歴史を守る立場にいながら「ここで主を救うことができれば」と心が揺らぎはじめます。
ゲネプロ前の囲み取材で「すごく泣ける作品になっています」と語るのは、前作に引き続き演出を担当した茅野イサムさん。短い動乱の時代を駆け抜けた新撰組の持ち刀たちが、再びかつての主たちのそばに行くことで、苦しい思いをする物語だと話します。
また、弁慶と義経の物語を軸に展開した前作を「アメリカの大作映画」とすると、今作は刀剣男士の心の部分に迫る「フランス映画のよう」と表現した茅野さん。前作とはまったく異なる作りのため、今作から見る観客にとっても楽しめる内容だと説明しました。
見た目も立ち位置も他の刀剣男士とは一線を画する蜂須賀虎徹役の高橋健介さんは、「新撰組の(持ち刀である)5人と異質な私。それがどう化学変化を起こしていくのか、楽しみにしてください」とコメント。6振りの中で唯一新撰組と関連せず、贋作である兄弟刀の長曽祢虎徹を疎んじている蜂須賀虎徹が、かつての主たちと再会した彼らを見てどのように心を動かしていくのかも見どころの一つです。
加州清光を演じる佐藤流司さんは「刀剣乱舞の面白さは、連れていく刀剣男士によってストーリーが変わるところ」と語り、前作とは違った雰囲気を楽しめると約束しました。
今作でも本編の後に用意されているライブは健在。6振りのコンビネーションが生み出すダンスナンバーやしっとりとしたデュエットなど、幅広い構成で“この時代ならではの戦い”を繰り広げていきます。
前作でも話題となったライブでしか見られないきらびやかな衣装も注目したいポイント。メディアの撮影はNG、物販ページでもライブ衣装をまとった写真だけは非公開という“プレミア感”は劇場でしか味わえません。前作とのつながりを感じさせられるMCでは、阿津賀志山異聞公演に出演していた刀剣男士のファンにとっても盛り上がること間違いなしです。
千秋楽に当たる11月27日(日)午後6時公演は、全国の映画館でライブビューイングを実施。ここでしか見られないヒストリー映像や開演前のコメント映像も上映されます。チケットの一般販売は11月19日(土)午前10時から。先行販売のスケジュールや上映劇場などは公演ページをどうぞ。


「これは迫力あるシーンが見られそう!」『ちるらん 新撰組鎮魂歌』アニメ化決定でファン大興奮
 天下最強を目指す男・土方歳三の人生を描いた大人気漫画『ちるらん 新撰組鎮魂歌』が2017年1月よりテレビアニメとして放送されることが決定した。新選組を舞台に描かれる骨太の歴史漫画のアニメ化に、ファンからは「マージーかぁああ!! めちゃくちゃ大きい楽しみ出来た!」「ちるらんアニメ化、ありがとうございます! メルシー! シェイシェイ! 超絶アツイぜ!」と大興奮の声が上がっている。

 原作を梅村真也、作画は橋本エイジが手掛けている同作。実はこの2人、以前もタッグを組んでおり、幕末を舞台にした漫画『天翔の龍馬』を2009年より『週刊コミックバンチ』にて連載していた。同作は“もしも坂本龍馬が死んでいなかったとしたら?”という斬新な切り口で多くの歴史漫画ファンをあっと言わせたのだが、掲載誌の休刊という不運に見舞われ、惜しまれながらも連載終了となった。

 しかしその後『コミックゼノン』にて再びタッグを組み、『ちるらん 新撰組鎮魂歌』を連載スタート。主人公は薬売りの行商をしながら、己の強さを極めようと道場破りを繰り返す若き青年・土方歳三。ある時、天然理心流・試衛館の門を叩いたのだが、近藤勇に挑みかかり圧倒的な強さでねじ伏せられる。このことにより、かえって奮起した土方はさらなる高みを目指す――。

 新聞記者が、かつて新選組で活躍した永倉新八に土方について話を聞くというスタイルで語られる同作。読者からは「泥臭い土方の姿が迫力満点のタッチで描かれていて面白い!」「打ちのめされてもめげることなく突っ込んでいく土方! 最高にグッとくる」「ちるらんは、キャラデザとストーリーぶっ飛んでてホント面白い」「沖田にボコボコにされたり、近藤に遊ばれたりしながらも最強を目指す姿に惚れた…」と絶賛の声が上がった。

 そして同作のアニメ化が決定。スタッフやキャストなどの詳細の発表はまだされていないが、原作ファンからは「これは無茶苦茶迫力あるアクションシーンが見られそう!」「ちるらんアニメ化とか鳥肌立ったわ! 録画するしかないっしょ」「ヤバい! アツイ! 動くトシさん達を見れるの楽しみすぎ…」と期待の声が。

 『天翔の龍馬』から幕末の動乱の時代を描いてきた梅村と橋本の渾身の作品『ちるらん 新撰組鎮魂歌』のアニメ化。放送までまだ少しあるが、読み応え抜群の原作を読み返しつつ続報を楽しみに待とう。

■アニメ「ちるらん 新撰組鎮魂歌」
放送開始:2017年1月
原作:梅村真也
作画:橋本エイジ
キャスト:未定
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