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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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大河ドラマ『真田丸』が残り10回を割っているとは。『新選組!』以来、こんなに毎週楽しみなNHK大河ドラマは久しぶりです。山本耕史さん演じる石田三成人気からすると、『新選組!!土方歳三最期の一日』のように続編というか単独で派生作品が製作されそうな。いや、欲しいかも。

北海道
箱館戦争で敵味方なく傷病兵治療 高松凌雲の足跡紹介 函館
【函館】幕末から明治期に医師として活躍した高松凌雲(1836~1916年)の没後100年記念講演会「高松凌雲と箱館」が15日、函館市中央図書館(五稜郭町)で開かれた。地元在住の日本近代文学会会員、桜井健治さんが、箱館戦争で敵味方の別なく傷病兵を治療し、日本の赤十字活動の先駆けとなった凌雲の足跡を紹介した。

 函館文化会などの主催で、約70人が参加。桜井さんは、現在の福岡県小郡(おごおり)市で生まれた凌雲が江戸で蘭学や医学を学んで医師となり、幕府の派遣で渡仏中、戦争で傷ついた人たちには敵味方なく医療が施されるべきだという精神を学んだことを説明した。

 さらに、凌雲が箱館戦争で1340人もの負傷者を自ら治療し、当時の手術器具が市立函館博物館で保管されているなど、函館との関わりに言及。戦争後は貧しい人に医療を施す同愛社を結成したことを解説し、「凌雲に限らず、函館の地で生死を分け合う戦いの後、後世の日本にさまざまな影響を与えた人たちに敬意を表したい」と話した。(矢崎弘之)

福島
<戊辰戦争150年>会津若松市が記念事業委
2018年の戊辰戦争150周年に向け、福島県会津若松市は17日、市内の経済、文化団体などと「会津若松市戊辰150周年記念事業実行委員会」を設立した。先人顕彰などの事業を通して会津地方の歴史的意義を再認識し、観光客の誘致や文化振興につなげる。
 18年に記念式典や講演会を開催するほか、記念誌の発行、誘客宣伝の映像製作、旅行商品開発、ロゴマーク作成といった事業を検討している。
 市内であった設立総会には、観光商工、教育・文化、交通関連など加盟する約130団体・個人の関係者が出席。会長に室井照平市長を選出し、顧問に会津松平家14代当主の松平保久氏、内堀雅雄福島県知事が就いた。
 室井市長は「会津の思いを広く発信する重要な機会。全市的な取り組みにして市民の機運醸成につなげたい」と話した。
 総会後、市内の観光施設「会津藩校日新館」の宗像精館長が「戊辰150年を世界へ」と題し講演した。
「戊辰戦争」150周年で式典 会津若松で記念事業委の発起人会
 戊辰戦争から150周年にあたる2018(平成30)年に、記念事業などを繰り広げる「会津若松市戊辰150周年記念事業実行委員会」の発起人会が12日、同市で開かれ、記念式典の開催など事業の概要を確認した。節目の年に歴史的意義を再確認しながら、先人の顕彰を通して文化振興や観光誘客につなげる。

 実行委は17日に設立され、約140団体が加盟する予定。

 実行委は17年度に情報発信に向けて専用ホームページを開設する。また機運醸成に向けたのぼり旗やロゴマークを作り、記念誌や映像も制作する。このほか複数の部会に分かれて、さまざまな取り組みも進める。

 発起人会には市や会津若松商工会議所、会津若松観光ビューローなど10団体の代表が出席。議事では「戊辰の歴史とともに、新時代を誇り高く生きた会津人の功績と思いに光をあて、会津の歴史や伝統文化を広く発信する」との設立趣意を決めた。

 同市では実行委とは別に、市民有志による「会津戊辰戦争150周年事業実行委員会」(会長・阿部隆一歴史春秋出版社長)が設立され、今年から3年計画の事業に着手している。
若松で「みらい学会」 徳川、松平氏ら鼎談 戊辰戦争150周年へ結束
 徳川時代の知恵や歴史的意義を研究・発信する「徳川みらい学会in会津」は6日、会津若松市の会津若松ワシントンホテルで開かれた。徳川宗家18代当主の徳川恒孝(つねなり)氏と会津松平家14代当主・松平保久(もりひさ)氏らが徳川家と会津について思いを語り合い、2年後の戊辰150周年の節目への意識を高めた。
 静岡商工会議所と徳川みらい学会の主催、会津若松商工会議所の協力。会津若松市や会津美里町、静岡市、青森県むつ市、山形県米沢市、栃木県日光市、愛知県岡崎市などから合わせて約400人が出席した。
 徳川氏と松平氏は「徳川家に息づく会津の魂」と題する鼎談(ていだん)に臨んだ。国際日本文化研究センターの磯田道史准教授がコーディネーターを務めた。徳川氏は、会津藩が幕末以前から開国論を唱えていたのは、北方警備など外国船対策に多く携わり、「日本は海岸線が長過ぎて防備には向かない」と実感していたからと説明。戊辰戦争で最新の武器を調達していなかったからといって、時代に疎いという認識は当たらないと主張した。
 松平氏は厳しい自分の父の教育を振り返り、「平和だからといって教育はたるみがあってはいけない」と語った。会津藩の若殿の教育も一般藩士と変わらないほど厳しかったと解説。徳川氏も「会津藩の教えを今の学生につないでほしい」と継承の大事さを説いた。
 東大名誉教授の芳賀徹徳川みらい学会会長が講演し、徳川幕府による約200年の平和が文化や学問、芸術を開花させたと説明した。

( 2016/10/07 11:11 カテゴリー:主要 )
幕末の兵学者「赤松小三郎」来秋に企画展 上田市立博物館
 上田市立博物館(同市二の丸)は二〇一七年秋に、上田藩出身の幕末の兵学者、赤松小三郎(一八三一~六七年)の企画展を開く考えだ。同館の近くで赤松小三郎記念館を運営する市民の有志も、新館を建てて展示の内容を充実させる。一八年に明治維新から百五十年を迎えるのを機に、郷土が輩出した志士の事跡を、市内外に周知する狙いだ。

 赤松は上田藩の下級武士の子に生まれ、江戸や長崎で勝海舟らに師事。蘭学や英学、航海術などを習得した。

 英国の歩兵操典を原書から翻訳し、兵学者としての名声を高めた。京都で開いた私塾には薩摩藩士で後の海軍提督・東郷平八郎ら、各地の藩士や新撰(しんせん)組の隊員ら、幅広い門下生が集まったとされる。

 政治思想家でもあり、二院制の議会政治を導入するよう提案する建白書を幕府や薩摩藩主の父・島津久光、福井藩主松平春嶽らに提出。春嶽は坂本龍馬と親しく、建白書は春嶽を介して龍馬が近代国家の形を提示した「船中八策」に影響を与えた、との見方もある。

 一八六七(慶応三)年に、上田への帰途で薩摩藩士・桐野利秋に斬殺(ざんさつ)された。同藩邸でも藩士らに兵学を教えており、薩摩が軍事情報の流出を恐れて暗殺した、とも言われる。

洋装の赤松小三郎の写真=上田市立博物館提供
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 土佐藩の龍馬らとは違い、明治政府の主流ではない上田藩士の赤松の業績には日が当たらなかった。だが、上田市民の有志らが二〇〇三年に赤松小三郎顕彰会(事務局・同市緑が丘)を設立して功績の周知を始めるなどして知名度が向上した。

 京都市が実施している「大政奉還百五十周年記念プロジェクト」のホームページでは約五十人の「幕末維新の群像」の中で、赤松は西郷隆盛や大久保利通、木戸孝允ら「三傑」と並んで紹介されている。

 上田市立博物館が来年秋に赤松の企画展を実施するのは、再評価の機運をさらに盛り上げる狙い。洋装の写真や鍔(つば)をサーベル風にあつらえた愛用の日本刀など常設の約三十点に加え、上田藩士の兄・芦田柔太郎に宛てて「皇国(みくに)(日本)の御為(おんため)にも相成(あいな)り候様仕(そうろうようつかまつ)り候」などと改革への熱意を語った書状など、今は公開していない数十点も展示に出す予定。

 顕彰会が上田城跡公園(同市二の丸)の中にある土蔵を改装し、赤松の旧墓石などを展示している赤松小三郎記念館も、一七年四月ごろまでに、平屋の新館(約二十三平方メートル)を土蔵の前に建てる。赤松の国政改革の建白書に焦点を当て、内容が理解しやすいようパネルなども増やして展示したい考えだ。

 上田市立博物館の倉沢正幸館長は「真田親子だけでなく、赤松も重要な郷土の先覚者。多くの方に業績を知ってほしい」。林和男・顕彰会長も「展示を充実させて、新時代を見据えた赤松の姿勢に学びたい」と話した。

 (林啓太)
新選組の隊員も通っていたのですか……慶応三年に暗殺されたのが残念です。

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国立劇場開場50周年記念ということで、3ヶ月連続で全幕通しの仮名手本忠臣蔵。

11時開演16時終演、うぅ早い、長い……と遅刻してしまい、大序の最初の3分の2は見られず。

 梅玉の塩冶判官、秀太郎の顔世御前が素晴らしい。幸四郎の大星由良助は登場するだけで空気を変える存在感があるのだけど、ちょっと違和感があった。力み過ぎ? 力弥の中村隼人、小浪の米吉は初々しいカップルなんだけど、あれれん、何かちょっと隼人君が固いように思う。扇雀の早野勘平、髙麗蔵のおかるカップルはさすがでございます。
昼の部、夜の部続けて見ました。

【昼の部】
ん廻し/けん玉
 兼好さんのところの前座さん。

ホームランの約束/百栄
 いきなり破壊力の強い百栄。野球選手が病院に慰問に来るのだが、少年が野球に関心がないひねくれ坊主で……。

地下鉄親子/白鳥
 さらに破壊力ある白鳥。ひとり息子を育てるために地下鉄の工事現場で働いている母ちゃんが、息子を元気づけようと工事現場をロールプレイングゲームの現場に。

粗忽長屋/白酒
 中入まえに白鳥師が「この後白酒が『抜け雀』やります」と言ったけど、前のネタで遊ぶのはいいが後の人にネタふりするのはタブーだから、と言って、楽しい粗忽長屋。

厩火事/兼好
 キャンキャンキンキンうるさいおさきさん(苦笑)だが、兼好さんらしい。
 圓生の後継者問題は立ち消えとなってますが、芸風こそ違うものの三遊亭から圓生を出すとすると、今のところ候補者は兼好さんじゃないかと私は思います。

【夜の部】
子ほめ/市若

芝居の喧嘩/松之丞
 破壊力ある。ただ、前のホール落語会のお客様をくさしたのはいただけなかった。昼間その落語会を見て、夜この落語会に来てるお客様だっているかも知れないんだから。

笠碁/一之輔
 一之輔さんの『笠碁』はじいちゃん達がキャッキャッと喧嘩しちゃってかわゆいのぅ。

普段の袴/市馬
 さすが市馬さん、特に武士の出てくる噺はホントうまい。

三枚起請/三三
 今日は私が疲れていたので全部消化しきれてないのだけど、三三さんの出来はよかったと思う。

『真田丸』で治部刑部ロスに加えてパッパロス、虎之助(清正)ロスと忙しく、でもいよいよ終盤なので奮い立ち、新国立劇場でとてもよかった舞台『真田十勇士』をもう一度見ておこうと神奈川県まで遠征することにしました(爆)。

福島
新選組ファン集う!斎藤一の実像解説 会津若松で全国サミット
 全国の新選組ファンや関係団体が一堂に会して意見を交わす「第17回全国新選組サミットin會津」は24日、会津若松市で開かれ、2018(平成30)年の戊辰150周年に向けて、各団体が会員制交流サイト(SNS)を活用して情報発信に取り組んでいくことを確認した。会津新選組まつり実行委員会(委員長・佐藤功武會津新選組同好会局長)の主催。

 新選組ゆかりの各地で開かれ、同市開催は09年以来3度目。新選組屈指の剣客として知られる斎藤一(藤田五郎)の墓がある阿弥陀寺が会場になった。各団体が戊辰150周年について意見を交わした。佐藤局長は「さらに新選組が注目されるよう取り組んでいきたい」と話した。

 同日は「会津新選組まつり」も阿弥陀寺で開かれ、「斎藤一忌法要」を墓前で行った。記念講演会では、斎藤一のひ孫藤田太郎さん=埼玉県=と佐藤局長が講師となり、残された写真を使って斎藤一の実像について解説した。藤田さんは幕末の会津藩主松平容保との深い関係を例に「斎藤一は会津とのつながりを大事にしていた」と語った。

全国の新選組関係団体団結 若松でサミット 情報発信強化へ
 新選組に関係する団体が一堂に集う全国新選組サミットin会津は24日、会津若松市の阿弥陀寺本堂で開かれた。情報発信の強化として、統一の会員制交流サイト(SNS)アカウントを作成し、それぞれのイベントや事業を紹介することを決めた。
 会津新選組まつり実行委員会の主催、七日町通りまちなみ協議会、会津新選組同好会の主管。ひの新選組同好会、宇都宮新選組同好会、宮古海戦組、戊辰白河新選組など全国の団体の代表ら約10人が参加した。今年で17回目で、県内での開催は4年ぶり。阿弥陀寺には新選組幹部だった斎藤一の墓がある。
 佐藤功武会津新選組まつり実行委員長が「戊辰戦争150年に向けて連携を深めていきたい」とあいさつした。渋川恵男七日町通りまちなみ協議会長が歓迎の言葉を述べた。サミットでは各団体が「新選組まつり」などの顕彰事業や取り組みを報告した。イベントに歴史好きな観光客だけではなく、高校生などの若い世代も参加しやすくする工夫が必要などの意見が出た。
 次回は東京都日野市で行われる。

静岡
ヘダ号
日本初の本格洋式帆船に思いはせ 幕末建造、沼津でシンポ 再建プロジェクト会 /静岡
 「ヘダ号再建プロジェクト会」による初のシンポジウムが沼津市のサンウェルぬまづで開かれ、約100人が出席。幕末に現在の沼津市戸田(へだ)で建造された日本初の本格洋式帆船「ヘダ号」に思いをはせた。

 元東海大海洋科学博物館主任学芸員の岡有作さん(69)は、船大工が1989〜91年にヘダ号の10分の1模型を造った模様を紹介。「ヘダ号オリジナルの4枚の設計図の他、(ヘダ号を元に造られた)君沢形帆船も参考に模型は造られたはず」などと説明した。

 また、江川文庫学芸員の橋本敬之さん(64)は、ヘダ号建造における江川英龍(坦庵)の役割について講演。お台場建設のため江戸へ向かう途中で韮山に引き返したこと、遭難したロシア人に鶏3000羽、アヒル500羽、卵1万5000個を提供したことなどを紹介。「君沢形帆船建造には6隻で1万772両かかっている。1両は現在の約5万円。6で割れば再建費用が算出できる」と話し、笑わせた。

 ヘダ号は日露国交樹立のため下田来訪中だったロシア提督プチャーチン乗船のディアナ号が1854年の安政東海地震の津波で損傷、その後沈没したため、ロシア帰国のため建造された代船。

 会は今年4月に発足した。【石川宏】

新潟
小林虎三郎 よみがえる顔立ち写真あり頭蓋骨から筋肉や皮膚再現
 戊辰戦争からの復興を担い、米百俵の故事で知られる小林虎三郎(1828~77年)の現存する頭蓋骨を基に、その頭部が精密に復元された。...
 ここから先は有料になります(苦笑)。

靖国「賊軍」合祀計画に会津出身者「戊辰戦争の総括が必要」
2019年に創立150周年を迎える靖国神社に祀られるのは「国のために殉じた人々」だけである。つまり神社がつくられた当時の「国=明治政府」に刃向かった幕府軍・会津軍や、西南戦争で敗れた西郷隆盛らは「賊軍」となるため、祀られる“資格”がない。

 だが、彼らの合祀を求める会を国会議員らが立ち上げ、靖国神社に申し入れをするというのだ。発起人を務めるのは保守派の重鎮、亀井静香・衆院議員。そのほか森喜朗氏や福田康夫氏ら首相経験者、二階俊博・自民党幹事長ら与党幹部、さらに、野党議員など70人を超える政治家の賛同を得ているという。

 政界重鎮たちによる申し入れは無視できない重みがありそうだが、そもそも靖国神社への合祀は可能なのか。靖国神社は、この動きについて「存じておりません」とした上で、「当神社は明治2年の御創建から終戦に至るまで、当時の国の合祀判断に基づき、その都度合祀が重ねられてまいりました。当時に遡り、その基準を変更することはございません」と否定的だ。

 だが戦後、靖国神社は国家機関から民間の宗教法人となった。そのため、合祀の可否は神社の最高責任者である宮司の判断に委ねられる部分が大きい。1978年10月には、当時の松平永芳宮司の判断で、A級戦犯14人が合祀されている。亀井氏は自信を見せる。

「A級戦犯とは異なり、中国も文句は言わないだろう。神社と一体となって事業を行なう靖国神社崇敬奉賛会の理解が必要なので、同会の扇千景会長(元国交相)にも根回しを進めている。ただし、最終的な権限は宮司にあるはずなので、徳川(康久)宮司の背中を押したい」

 今回の申し入れについて、当事者の受け止めは様々だ。明治維新後、司法卿として司法制度確立に尽力した江藤新平は征韓論を唱えた西郷隆盛に同調して下野した後、「佐賀の乱」を起こして敗れた「賊軍」だが、佐賀県選出の原口一博・衆院議員(民進党)は合祀に賛同し、提出者を買って出た。

「『乱』という表現は支配者サイドからの観点であり、佐賀県民は江藤の反乱を『佐賀の乱』ではなく、『佐賀の役』と言います。支配者側の一方的な見方ではなく、日本の夜明けのために命を失った方々を改めて評価するのは重要なことです。英霊を鎮魂する場である靖国に敗者を合祀することで、平和への祈りにもなるはずです」

 一方、戊辰戦争の「賊軍」代表、会津出身の小熊慎司・衆院議員(民進党)は、「合祀には賛成」としつつも、複雑な思いをのぞかせる。

「戊辰戦争では会津側の戦死者が長期間、放置されるなど非人道的行為もあった。1864年の蛤御門の変では、会津と薩摩が御所を守り、長州が御所に発砲した賊軍です。それなのに維新後、その長州で維新への功績もない人物までが祀られたのは明らかにおかしい。単なる官軍と賊軍の戦いという見方を改めるためにも、合祀の前に戊辰戦争の総括が必要です」

 会津藩が戊辰戦争で降伏した9月22日に会津で行なわれる会津戊辰戦争慰霊の集いでは、さっそくこの話題が上がったという。しかしながら、合祀は靖国神社の意義を揺るがしかねない問題を孕む。『靖国誕生 幕末動乱から生まれた招魂社』の著者で歴史家の堀雅昭氏が指摘する。

「靖国神社は紛れもなく、明治維新の官軍vs賊軍という戦いの延長線上にある神社です。西郷以下、西南戦争を戦った面々は鹿児島の照国神社に祀られている。それぞれの故郷で祀られ、語り継がれることで、賊軍として戦った意味や、維新の『負の側面』が語り継がれます。安易な合祀は、賊軍側の行為まで蔑ろにしかねない。なによりこれを認めたら、靖国神社が依って立つ歴史的基盤がおかしくなってしまいます」

 賛否両論が渦巻く靖国合祀。当の亀井氏も敗者側の複雑な思いを認める。

「新たに合祀する側の遺族の意向は聞きません。なかには、複雑な感情を抱えて、『もう触れないでくれ』という方もいるだろうが、これまでも合祀に遺族の了承は取っていない。われわれが崇敬の心をもってお祀りするということ。合祀については、あとは宮司の対応を待つのみです」

 折しも2018年の大河ドラマが「西郷隆盛」に決まり、賊軍側に注目が集まっている。靖国神社の歴史観と自らの信念の間で、宮司はどのような判断を下すのだろうか。

※週刊ポスト2016年10月14・21日号


エンターテインメント
食べて生きよ!『ゴールデンカムイ』作者・野田サトル
今年もっとも活躍した男たちを讃えるアワード「GQ Men of the Year」の季節がやってきた。本連載では小誌執筆陣が“極私的”に推薦する2016年の顔を紹介する。第2回は本誌シニア・ウェブ・エディターの冨田秀継が推薦する漫画家、野田サトル。

文・冨田秀継(GQ)

映画や文学がなぜ楽しいのかというと、そこに描かれているのが人の営みであり、そうした人々の生を想像の上で体験できるからだ。

そうした楽しさを甘受できる最良のメディアのひとつが漫画であることに、異論を挟む読者はいないだろう。

そして、さまざまな人の生を体験できる漫画として『GQ JAPAN』が2016年に最も推したいのが野田サトルの『ゴールデンカムイ』(集英社)である。

明治後期の北海道を舞台に、日露戦争を生き残った元兵士・杉元とアイヌの少女・アシㇼパが、網走監獄の死刑囚が秘匿している黄金を探し当てようとする物語。アイヌや軍だけでなく、新撰組の残党からヤクザまでが争奪戦に参入し、それぞれの信念を貫くため、時に非道に、時にコミカルに黄金の手がかりを奪い合う。

今年3月には「マンガ大賞2016」を受賞し、名実ともに現代の漫画文化を代表する作品となった。

群雄活劇とも言える本作品だが、コミカルな料理の描写も魅力的だ。アシㇼパが杉元たちにアイヌの伝統的な狩猟と料理を教える様子が頻繁に描かれており、本作で見られる野趣に溢れたジビエのファンも多い。『ゴールデンカムイ』がグルメ漫画とも言われる所以だ。

たとえば、鳥獣や魚のたたきを意味する「チタタㇷ゚」は、本作ではアシㇼパがリスやウサギをチタタㇷ゚(=つみれ)にし、それをオハウ(=汁)に入れて杉元に振る舞った。このほかにも、北海道生まれでもなかなか食べたことがないであろう「ルイベ」(鮭を冷凍した保存食)から、現在も多くの人に食されている「ニシン蕎麦」(本作では身欠きニシン蕎麦)まで、時々の状況を踏まえながら魅力的に描かれている。

9月下旬には、本作に登場する料理を食べられる「ゴールデンカムイ軒」が東京・渋谷にオープン。1日限りの体験とあって、応募が殺到したことでも話題となった。

──と、このように書いているだけでも楽しいのは、アイヌの言葉が魅力的に響くからだろう。作中でも現代の日本語にはないアイヌ独特の響きが効果的に使われており、軍人の話す規律正しい言葉、新撰組残党の緊張感に溢れた言葉、暴力を背景にしながらも人なつっこさを感じさせるヤクザの言葉とうまく対比している。

最後に、本作のもうひとつの魅力を紹介したい。それは作者・野田サトルのTwitterやブログでの活動だ。

とくに「野田サトルのブログ」では本作のための取材として、樺太アイヌ系のハンターとともに狩猟を体験し、鹿を撃って解体し、そして食する様子がリポートされている。

生きることと食べることの大切さを教えてくれる本作。未読の方には是非ともお勧めしたい。

新撰組とその刀たちが再会するとき ミュージカル『刀剣乱舞』が2作目で描く刀剣男士の心理描写
ミュージカル『刀剣乱舞』 ~幕末天狼傳~が、9月24日にAiiA 2.5 Theater Tokyo(東京都渋谷区)で初日を迎えました。2016年5~6月に上演された阿津賀志山異聞公演に続く2作目となった今作のテーマは幕末。新撰組にゆかりのある加州清光や大和守安定といった刀剣を中心に、彼らのかつての主との物語を描いていきます。刀剣男士の心の揺れ動きを、前作以上に繊細に描き出した今作。演出家が「フランス映画のような作りになっている」と表現するその内容とは。
ミュージカル『刀剣乱舞』は、パソコン・スマートフォン向けゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」を題材とした、ネルケプランニングが制作するミュージカル作品。2015年10~11月のトライアル公演を経て、本公演に当たる阿津賀志山異聞公演を2016年5~6月に上演。1部は舞台本編、2部はペンライトを持って観客が応援できるライブという斬新な構成が話題を呼び、人気を広げていきました。
今作は、熱狂のうちに幕を下ろした阿津賀志山異聞公演に続く2作目の本公演。前作からは加州清光のみ続投し、初登場となる大和守安定、和泉守兼定、堀川国広、蜂須賀虎徹、長曽祢虎徹の5振りを加え、新たな部隊として“刀の時代”が終わる幕末の世へと出陣します。
加州清光と大和守安定は沖田総司の刀。和泉守兼定と堀川国広は土方歳三の持ち刀として知られています。長曽祢虎徹と蜂須賀虎徹はともに江戸時代の刀工・虎徹によって打たれた刀剣で、いわば“兄弟”のような関係。しかし近藤 勇の愛刀として戦場で活躍した長曽祢虎徹は贋作(がんさく)で、名家の家宝として飾られていたとされる蜂須賀虎徹は真作。対局にいるこの2振りの複雑な関係性も、物語に大きな影響を与えていきます。
刀剣男士たちの使命は、歴史修正主義者によって過去に送られた時間遡行軍がもくろむ歴史の改ざんを防ぐこと。しかし、今回の敵の狙いは新撰組。戦いの場でかつての主を目撃することになる刀剣男士は、悲しい結末を知っているからこそ、歴史を守る立場にいながら「ここで主を救うことができれば」と心が揺らぎはじめます。
ゲネプロ前の囲み取材で「すごく泣ける作品になっています」と語るのは、前作に引き続き演出を担当した茅野イサムさん。短い動乱の時代を駆け抜けた新撰組の持ち刀たちが、再びかつての主たちのそばに行くことで、苦しい思いをする物語だと話します。
また、弁慶と義経の物語を軸に展開した前作を「アメリカの大作映画」とすると、今作は刀剣男士の心の部分に迫る「フランス映画のよう」と表現した茅野さん。前作とはまったく異なる作りのため、今作から見る観客にとっても楽しめる内容だと説明しました。
見た目も立ち位置も他の刀剣男士とは一線を画する蜂須賀虎徹役の高橋健介さんは、「新撰組の(持ち刀である)5人と異質な私。それがどう化学変化を起こしていくのか、楽しみにしてください」とコメント。6振りの中で唯一新撰組と関連せず、贋作である兄弟刀の長曽祢虎徹を疎んじている蜂須賀虎徹が、かつての主たちと再会した彼らを見てどのように心を動かしていくのかも見どころの一つです。
加州清光を演じる佐藤流司さんは「刀剣乱舞の面白さは、連れていく刀剣男士によってストーリーが変わるところ」と語り、前作とは違った雰囲気を楽しめると約束しました。
今作でも本編の後に用意されているライブは健在。6振りのコンビネーションが生み出すダンスナンバーやしっとりとしたデュエットなど、幅広い構成で“この時代ならではの戦い”を繰り広げていきます。
前作でも話題となったライブでしか見られないきらびやかな衣装も注目したいポイント。メディアの撮影はNG、物販ページでもライブ衣装をまとった写真だけは非公開という“プレミア感”は劇場でしか味わえません。前作とのつながりを感じさせられるMCでは、阿津賀志山異聞公演に出演していた刀剣男士のファンにとっても盛り上がること間違いなしです。
千秋楽に当たる11月27日(日)午後6時公演は、全国の映画館でライブビューイングを実施。ここでしか見られないヒストリー映像や開演前のコメント映像も上映されます。チケットの一般販売は11月19日(土)午前10時から。先行販売のスケジュールや上映劇場などは公演ページをどうぞ。


「これは迫力あるシーンが見られそう!」『ちるらん 新撰組鎮魂歌』アニメ化決定でファン大興奮
 天下最強を目指す男・土方歳三の人生を描いた大人気漫画『ちるらん 新撰組鎮魂歌』が2017年1月よりテレビアニメとして放送されることが決定した。新選組を舞台に描かれる骨太の歴史漫画のアニメ化に、ファンからは「マージーかぁああ!! めちゃくちゃ大きい楽しみ出来た!」「ちるらんアニメ化、ありがとうございます! メルシー! シェイシェイ! 超絶アツイぜ!」と大興奮の声が上がっている。

 原作を梅村真也、作画は橋本エイジが手掛けている同作。実はこの2人、以前もタッグを組んでおり、幕末を舞台にした漫画『天翔の龍馬』を2009年より『週刊コミックバンチ』にて連載していた。同作は“もしも坂本龍馬が死んでいなかったとしたら?”という斬新な切り口で多くの歴史漫画ファンをあっと言わせたのだが、掲載誌の休刊という不運に見舞われ、惜しまれながらも連載終了となった。

 しかしその後『コミックゼノン』にて再びタッグを組み、『ちるらん 新撰組鎮魂歌』を連載スタート。主人公は薬売りの行商をしながら、己の強さを極めようと道場破りを繰り返す若き青年・土方歳三。ある時、天然理心流・試衛館の門を叩いたのだが、近藤勇に挑みかかり圧倒的な強さでねじ伏せられる。このことにより、かえって奮起した土方はさらなる高みを目指す――。

 新聞記者が、かつて新選組で活躍した永倉新八に土方について話を聞くというスタイルで語られる同作。読者からは「泥臭い土方の姿が迫力満点のタッチで描かれていて面白い!」「打ちのめされてもめげることなく突っ込んでいく土方! 最高にグッとくる」「ちるらんは、キャラデザとストーリーぶっ飛んでてホント面白い」「沖田にボコボコにされたり、近藤に遊ばれたりしながらも最強を目指す姿に惚れた…」と絶賛の声が上がった。

 そして同作のアニメ化が決定。スタッフやキャストなどの詳細の発表はまだされていないが、原作ファンからは「これは無茶苦茶迫力あるアクションシーンが見られそう!」「ちるらんアニメ化とか鳥肌立ったわ! 録画するしかないっしょ」「ヤバい! アツイ! 動くトシさん達を見れるの楽しみすぎ…」と期待の声が。

 『天翔の龍馬』から幕末の動乱の時代を描いてきた梅村と橋本の渾身の作品『ちるらん 新撰組鎮魂歌』のアニメ化。放送までまだ少しあるが、読み応え抜群の原作を読み返しつつ続報を楽しみに待とう。

■アニメ「ちるらん 新撰組鎮魂歌」
放送開始:2017年1月
原作:梅村真也
作画:橋本エイジ
キャスト:未定
北沢タウンホールが9月末で改築されるということもあり、何度も親しんできた「別冊談笑」の特別復刻版へ。

饅頭こわい/笑二
 今日は私の相性がよくなかった。ヘビとか蜘蛛とか苦手なんで。。

佃祭/談笑
 談笑さんらしい改作。でも、そのトリックのところに、余韻が欲しかったんだなぁ。大ネタ2本の時間制限の中では難しいんだけど。

帯久/談笑
 法学部出身の談笑さんが拘ったのは奉行の取り調べかー。志の輔さん版より帯屋が卑屈で悪党な造型。

広瀬和生・談笑対談
 楽屋から名人会のネタ帳を出してきて、喜多八師匠を偲んだり、広瀬さんが『この落語を聴け』を書いた以前の寄席がどうだったかという話だったり、面白かった。次の談笑さんへの宿題もシリーズ化楽しみ。
映画「真田十勇士」公式サイト

ドラマ「真田丸」では描けない、次世代エンターテインメント時代劇! 「真田イヤー」で増殖した《真田男子&女子》の“大本命”

「真田十勇士」は日本版「スーサイド・スクワッド」!戦隊ライダー好きも必見!
2014年に上演された大ヒット舞台劇、「真田十勇士」を映像化したのが、22日より劇場公開中の大作時代劇映画「真田十勇士」だ。

監督は舞台版も演出した堤幸彦監督、主演に中村堪九郎・松坂桃李を中心に人気若手男優が結集しているだけに、普段時代劇に馴染みの無い若い観客層の間でも、話題となっている本作。

実は映画の公開に先駆けて、映画と同様のストーリーを描く舞台版も現在絶賛上演中なので、映画に出演している俳優陣の演技を生で観ることも出来るという、まさに絶好のタイミングの中で公開された本作を、今回は公開初日の昼の回で鑑賞してきた。果たしてその出来はどうだったのだろうか?

ストーリー

世に名高い名将である真田幸村。しかし、その実態は単に持ち前の顔の良さと、幸運に恵まれただけの男だった。自身の実像と虚像とのギャップに嫌気がさしていた幸村は、ある事件を通して知り合った猿飛佐助の提案によって、最後の大勝負=本物の天下一の武将になる!賭けに打って出ることに。
佐助の抜け忍仲間である霧隠才蔵を筆頭に、一癖も二癖もある男たちを次々に仲間に引き入れ、ついに有名な「真田十勇士」がここに誕生!徳川VS豊臣の最終決戦の場、「大阪夏の陣」の最前線に立つことになった、幸村と真田十勇士!男たちそれぞれの思惑を孕んで、戦いの幕は切って落とされたのだが・・・。

映画のOPから意外性の連続、仕掛けられた工夫の数々に注目!

「超高速!参勤交代リターンズ」の記事にも書いたのだが、実は本作でも、普段時代劇に馴染みの薄い若い観客層の獲得に向けての、様々な工夫と試みが盛り込まれている。

特に映画OPから冒頭にかけての「ある仕掛け」には、意表を突かれた方も多いのでは?観客が「あれ、これっていつまで続くんだ?」と思い始めた頃に、絶妙のタイミングで現れる「字幕スーパー」!さすが堤幸彦監督ならではの仕掛けと工夫であり、違和感無く観客を時代劇の世界に入り込ませることに成功している。

この他にも、霧隠才蔵と女忍者火垂との恋の行方や、十勇士の一人がオネエキャラであるなど、観客に向けてのサービス度重視の内容となっているので、難しい理屈は抜きにして幅広い観客層が楽しめる作品だと言えるだろう。

戦隊&平成ライダー好きには堪らない、夢の対決が実現!

実は、本作には時代劇として楽しむ以外に、もう一つの裏の楽しみ方がある。

映画の中では、霧隠才蔵役の松坂桃李VS筧十蔵役の高橋光臣の対決が見られるのだが、これを脳内変換すれば、あら不思議!「侍戦隊シンケンジャー」のシンケンレッドVS「轟轟戦隊ボウケンジャー」のボウケンレッドの夢の対決となる。それに加えて、由利鎌之助役に仮面ライダードレイクこと加藤和樹、海野六郎役には二代目仮面ライダークウガこと村井良太、更には敵の徳川忍者・仙九郎役で強烈な印象を残す石垣佑磨は、二代目宇宙刑事ギャバン!特に、ラストの徳川軍への総攻撃シーンで展開する、これらの歴代ヒーロー経験俳優が入り乱れての大アクションは、ファンにとっては正に「夢の対決」と言えるので、ここは是非劇場の大スクリーンで!

その他、若干のオネエキャラが入った筧十蔵が由利鎌之助に惚れる!、という設定も、ある種の「夢の対決」と言えなくもないのだが、邦画ファンには「ソロモンの偽証」で俳優デビューを果たした望月歩が、真田雪村の息子である真田大助役で出演しているのも見逃せないところだろう。

ちなみに上演中の舞台版では、霧隠才蔵を加藤和樹が演じ、由利鎌之助役は「獣電戦隊キョウリュウジャー」のキョウリュウゴールドこと丸山敦史が、海野六郎を「牙狼 GARO」で道外流牙役だった栗山航が演じているなど、更にヒーロー要素がパワーアップしているので、ファンの方にはこちらも是非オススメしたいところだ。

舞台劇で描けなかった部分が楽しめるのが、映画版の魅力!

今回舞台版が先行して上演されている、この「真田十勇士」だが、舞台では決して描けない馬を使った合戦シーンや、CGで描かれる大阪城を舞台としたスケールの大きい場面こそ、映画版ならではの見所だと言えるだろう。

特に最後の合戦シーンでの、実際の馬を駆け巡らせた徳川の軍勢との対決など、広大なロケ地を生かした撮影はもちろんだが、大阪城に大砲の砲弾が打ち込まれるシーンや、大火に包まれて焼け落ちる大阪城をロングから捕らえたカットなどは、CGと分かっていながらもその美しさに目を奪われるほどだ。しかし、逆に舞台版でしか味わえないであろう、生の役者の迫力や躍動感もあるので、両者を補う関係としての今回のメディアミックスは、既に何度となく演劇を映画館で上映してきた「劇シネ」と並んで、これからの映画興行形態の新たな方向性・可能性を示したものとして評価出来るだろう。

実は日本版「スーサイド・スクワッド」だった!

いや、実はラストに出て来る、真田幸村自らが考え出した奇襲戦法を観て、「これって、完全に自殺行為じゃないか!」と感じ、その時に「あ、そう言えばこの映画自体、スーサイド・スクワッドに似てる!」と思ったわけです。

確かに鑑賞後に思い返して観ると、霧隠才蔵が見せる「ある特技」が完全に「バットマン」だし、石垣佑磨演じる仙九郎は若干ジョーカーっぽい。ただ惜しいのが、火垂役の大島優子にマゴット・ロビーほどの露出度が無い点なのだが、まあ、ここは忍者という性格上、仕方が無いところだろう。

もしもお時間があれば、この両作品を見比べてみるのも面白いかも知れない。(これは、あくまでも個人の見解です。念のため)

最後に

実は、今年1月に千葉県鋸南町で撮影された、徳川軍VS真田軍の真田丸での合戦シーンに、個人的にエキストラとして出演してきたのだが、とにかく寒くて震えていた!、との記憶しかない。真冬の冷たい強風が吹き荒れる、過酷な環境の中で撮影された迫力あるアクションシーンが、スクリーンではいったいどの様な風に映し出されているのか、是非とも劇場でご確認を!

(文:滝口アキラ)

 舞台版を先に見てしまったので、うーん順番を間違ったかなという印象。スペクタクルな場面はお金かかってるロケだなぁと思うけど、他の部分はというと……。

 オープニングのCGアニメはしょぼい。舞台版では十勇士が集まるまでに時間をかけてキャラ立てもしていたのだけど、5分でアニメで要約されたら誰が誰だか、舞台版見てなかったらわからないわ。

 クロージングクレジットの紙芝居も蛇足。そんな小手先で描いたような後日談、チラシの裏にでも描いてろって言いたくなるような、スタッフ内の遊びみたいな、コミケのファンの薄い冊子でももちっとクオリティ高いわと言いたくなるような、そういう内容。

 よかったのはロケの合戦場面。勘九郎の佐助と松坂桃李の霧隠才蔵。才蔵がマントで空を飛ぶ場面は何だかよくわからなかったが(舞台のワイヤーアクションの方が迫力あった)。
福島
新選組ファン集う!斎藤一の実像解説 会津若松で全国サミット
 全国の新選組ファンや関係団体が一堂に会して意見を交わす「第17回全国新選組サミットin會津」は24日、会津若松市で開かれ、2018(平成30)年の戊辰150周年に向けて、各団体が会員制交流サイト(SNS)を活用して情報発信に取り組んでいくことを確認した。会津新選組まつり実行委員会(委員長・佐藤功武會津新選組同好会局長)の主催。

 新選組ゆかりの各地で開かれ、同市開催は09年以来3度目。新選組屈指の剣客として知られる斎藤一(藤田五郎)の墓がある阿弥陀寺が会場になった。各団体が戊辰150周年について意見を交わした。佐藤局長は「さらに新選組が注目されるよう取り組んでいきたい」と話した。

 同日は「会津新選組まつり」も阿弥陀寺で開かれ、「斎藤一忌法要」を墓前で行った。記念講演会では、斎藤一のひ孫藤田太郎さん=埼玉県=と佐藤局長が講師となり、残された写真を使って斎藤一の実像について解説した。藤田さんは幕末の会津藩主松平容保との深い関係を例に「斎藤一は会津とのつながりを大事にしていた」と語った。

全国の新選組関係団体団結 若松でサミット 情報発信強化へ
 新選組に関係する団体が一堂に集う全国新選組サミットin会津は24日、会津若松市の阿弥陀寺本堂で開かれた。情報発信の強化として、統一の会員制交流サイト(SNS)アカウントを作成し、それぞれのイベントや事業を紹介することを決めた。
 会津新選組まつり実行委員会の主催、七日町通りまちなみ協議会、会津新選組同好会の主管。ひの新選組同好会、宇都宮新選組同好会、宮古海戦組、戊辰白河新選組など全国の団体の代表ら約10人が参加した。今年で17回目で、県内での開催は4年ぶり。阿弥陀寺には新選組幹部だった斎藤一の墓がある。
 佐藤功武会津新選組まつり実行委員長が「戊辰戦争150年に向けて連携を深めていきたい」とあいさつした。渋川恵男七日町通りまちなみ協議会長が歓迎の言葉を述べた。サミットでは各団体が「新選組まつり」などの顕彰事業や取り組みを報告した。イベントに歴史好きな観光客だけではなく、高校生などの若い世代も参加しやすくする工夫が必要などの意見が出た。
 次回は東京都日野市で行われる。

「新選組」斎藤一の肖像写真発見 当時最強の剣士の一人
 幕末の京都で治安維持にあたった「新選組」の三番隊組長を務め、沖田総司らと並んで、当時最強の剣士の一人と言われた斎藤一(はじめ、1844~1915)。その確実な肖像写真が見つかり、福島県会津若松市の県立博物館で30日まで展示されている。

 斎藤は、戊辰戦争には旧幕府軍の一員として参戦。同戦争の後半は会津藩とともに新政府軍と戦った。その後、敗れた会津藩が転封された斗南(となみ)藩(現青森県東部など)の藩士となり、明治維新後は警視庁の警察官となって西南戦争に従軍した。

 写真は、面長で端正な人物が羽織を着ている肖像写真と家族4人の集合写真の2枚で、子孫が先ごろ、蔵の整理をしていて発見した。肖像写真に名前などの記載はなかったが、集合写真には息子たちの名前と明治30(1897)年11月14日という撮影日時が記入されており、羽織の家紋も一致したことから、斎藤と判明した。いずれも警視庁退職後、高等師範学校(現筑波大)に勤めていた時に写されたものとみられる。

 子孫から写真の寄託を受けた県立博物館によると、これまで斎藤が写っているとされる写真は存在したものの、「集合写真などのため鮮明ではなく、確実と考えられる肖像写真は今回が初めて」という。(編集委員・宮代栄一)

コラム
斎藤一の実像(9月22日)
 新選組の斎藤一は「今、落城せんとするを見て志を捨て去る、誠義にあらず」と語り、戊辰戦争で土方歳三らが会津を離れても、戦乱の地に残った。新選組と関わりの深い会津藩のため、戦い抜くことが自らの使命と考えたのか。
 斎藤は剣の腕が立ち、新選組局長の近藤勇から絶大な信頼を得た。若くして幹部に登用され、池田屋事件や禁門の変など幕末の政局を左右する場面に居合わせた。謎の多い人物でもある。出生は東京とされるが、会津藩への忠誠の強さから「会津生まれではないか」との説もささやかれる。
 風貌も明らかになっていなかった。「無口で眉毛がふさふさとしており、目がけいけいと光る。いかめしい感じ」と伝えられてきた。今夏、60歳前後とみられる肖像写真が見つかった。鋭い眼光を放つ。写真は30日まで会津若松市の県立博物館で展示されている。
 斎藤は最近、アニメやゲームに豪腕剣士として登場し、若者の人気を集める。実像を目にしたファンの感想はどうか。「男の中の男。ますます好きになった」との声が届く。斎藤が眠る市内の阿弥陀寺で24日に法要が営まれる。会津藩に忠義を尽くした誠の武士の冥福を祈る。

( 2016/09/22 09:06 カテゴリー:あぶくま抄 )
舞台と映画が同時進行というあまりない興行、しかも主役は勘九郎とあっちゃ見に行かないわけには行くまい。

舞台 真田十勇士
 2014年の再演で、勘九郎の猿飛佐助ほか何人かが初演と映画版と再演舞台版全部に出演していたり、加藤和樹は初演と映画版が由利鎌之助で今回は霧隠才蔵(美男ってことね)、など、同じ役を演じていたり、作中演じる人物が微妙に入れ替わったり。

役名 2014舞台 2016舞台 映画
猿飛佐助 中村勘九郎 中村勘九郎 中村勘九郎
霧隠才蔵 松坂桃李 加藤和樹 松坂桃李
火垂 比嘉愛未 篠田麻里子 大島優子
真田幸村 加藤雅也 加藤雅也 加藤雅也
根津甚八 福士誠治 村井良大 永山絢斗
三好伊三 鈴木伸之 荒井敦史 荒井敦史
三好清海 駿河太郎 駿河太郎 駿河太郎
由利鎌之助 加藤和樹 丸山敦史 加藤和樹
筧十蔵 高橋光臣 高橋光臣 高橋光臣
海野六郎 村井良大 栗山航 村井良大
望月六郎 青木健 青木健 青木健
真田大助 中村蒼 望月歩 望月歩
仙九郎 石垣佑磨 石垣佑磨 石垣佑磨
淀殿 真矢みき 浅野ゆう子 大竹しのぶ
徳川家康 平幹二朗 平幹二朗 松平健

見づらいですがキャスト比較表です。

舞台は音響とCGを使いまくり、ワイヤーアクションも随時入れながら身体と身体がぶつかり合う躍動感溢れるものでした。勘九郎はさすが、歌舞伎役者ならではの身体能力と演技力です。加藤和樹は、猿飛佐助が陽なら霧隠才蔵は陰、太陽と月といった好対照さです。

最後はスタンディングオベーションでした。高いだけあってたっぷり娯楽性高い作品になっていました。

北海道新聞にて、戊辰戦争中に会津・庄内両藩が蝦夷の所領をプロイセンに99年の貸与を行い、連携を図ろうとしていたことが報道されました。
「蝦夷地99年間貸与」 会津・庄内両藩、戊辰戦争で独に打診
 戊辰戦争さなかの1868年(明治元年)、新政府軍(官軍)と戦っていた会津・庄内両藩が、プロイセン(ドイツ)から資金を借りる担保として「蝦夷地(えぞち)の領地を99年間貸与すると申し出た」と記した駐日公使発本国向けの外交書簡を、五百旗頭(いおきべ)薫東大教授らの研究チームがベルリンで発見した。内容通りなら、ドイツの蝦夷地租借構想が水面下で具体化していたことになる。東大史料編纂(へんさん)所の箱石大(はこいしひろし)准教授は「戊辰戦争が長引いていれば実現していた可能性がある」とみる。

 これまでは、日大のアンドレアス・バウマン教授が1995年にドイツ連邦軍事文書館で見つけた文書から、1868年7月に両藩から蝦夷地の土地売却の打診を受けたものの、10月に本国のビスマルク宰相が却下し、交渉は立ち消えになったとみられていた。

 その後、ボン大学の研究者と箱石准教授が同文書館で、宰相が3週間後に一転、交渉を認可していた文書を見つけ、本国側ではゴーサインが出ていたことが明らかになっていた。

 今回見つかった外交書簡を書いたのは、横浜にいた駐日プロイセン公使マックス・フォン・ブラント。貸与期間を具体的に盛り込むなど、両藩との間で交渉妥結の下地が整っていたことがうかがえる。

 とはいえ、ブラントが横浜から本国の宰相に新発見書簡を発信した日付は68年11月12日で、すでに会津藩の降伏から6日、庄内藩主が降伏を申し出てから5日経過しており、現実には交渉そのものが意味をなさなくなっていた。

 書簡の保管先はベルリンの連邦文書館。五百旗頭教授らが2013年に着手したドイツの史料発掘プロジェクトの中で、国立歴史民俗博物館(千葉県)の福岡万里子准教授が読み解いた。

 それによると「シュネル(当時東北にいたプロイセン人の仲介役)が、借り入れに対して蝦夷地の領地を99年間、担保として与えるとする会津・庄内領主の(シュネルに対する)全権委任状を持ってきた。100平方ドイツマイル(5625平方キロ)の土地を得るのに30万メキシコドルで十分だ」などと書かれているという。

 幕末期の会津藩の領地は現在のオホーツク、根室管内の一部、庄内藩は留萌、上川管内の一部など。書簡には「会津・庄内藩の蝦夷地の領地に良港はないが、ひとたび足がかりをつかめば他の地の購入が容易になるだろう」ともつづられており、海軍拠点確保に向けた意図が読み取れる。

 当時のプロイセンは2年前の1866年に対オーストリア戦争に勝利して北ドイツ連邦の盟主となっており、ドイツ帝国の形成に向かう軍備拡張期だった。(報道センター編集委員 小坂洋右)
 ビスマルクが却下しなかったら、ガルトネル事件と同じような展開が考えられたのでしょうね。
 
 土方さんが会津戦争末期に「この上は洋夷に頼る他なし」と言ったとされていますが、おそらくは、この同盟を前提に言っていたのでしょうね。

新潟
『越後戊辰戦争と加茂軍議』の出版記念講演会、著者稲川明雄氏が講演
 加茂商工会議所は、25日午後2時から加茂市産業センターで『越後戊辰戦争と加茂軍議』の発行を記念して、著者で河井継之助記念館館長の稲川明雄氏による出版記念講演会を開く。
著者の稲川氏は1944年、長岡市生まれ。長岡市立互尊文庫司書・長岡市史編さん室長、長岡市立図書館館長などを歴任し、現在は長岡市河井継之助記念館館長。河井継之助をテーマにした歴史講演会で、午後4時に終わる。

同商議所は2011年度から中心市街地の活性化支援を最重点事業に掲げ、加茂市の観光資源の調査研究、歴史を生かしたまちづくりに取り組む。これまでに「加茂山古道散策マップ」の発行や史跡モニュメントの設置などを行っている。
2011年に三条市諸橋轍次記念館で講演したときに稲川氏
2011年に三条市諸橋轍次記念館で講演したときに稲川氏
その一環として、戊辰戦争における奥羽越列藩同盟と加茂市のかかわりや、長岡城奪還への道のりなどの歴史的背景を記した書籍『越後戊辰戦争と加茂軍議』を9月10日に新潟日報事業社から出版した。

入場は無料。事前申し込みを受け付けているが、当日会場でも受け付ける。問い合わせは、同商議所(電話:0256-52-1740)へ。

高知
高知県の香美史談会が戊辰戦争従軍の宮地団四郎など調査
展覧会企画への資料提供を
 高知県香美市の歴史や文化を研究している香美史談会(今久保約雄会長)が、幕末に現在の香美市土佐山田町植から戊辰戦争に従軍した郷士、宮地団四郎(1838~1917年)を軸に、明治新政府のために戦った先人たちの調査を進めている。2018年の明治維新150年を前に展覧会を企画しており、香美市から従軍した人物の子孫らから資料を募っている。

 団四郎は、土佐藩の前哨隊や迅衝隊に所属し、戊辰戦争に従軍した。慶応3(1867)年11月に土佐を出発し、京都や大阪、江戸を経て会津若松まで転戦した。

 土佐をたってから明治元(1868)年11月に凱旋(がいせん)するまで、団四郎は一日も欠かさず詳細な日記を書いており、当時の様子や土佐藩の軍の仕組みを知る上で重要な資料となっている。2014年には幕末史研究家の小美濃清明氏が、日記の現代語訳と解説をまとめた「宮地團四郎日記―土佐藩士が見た戊辰戦争―」(右文書院)を出版している。

宮地団四郎が残した日記の原本と団四郎の写真
宮地団四郎が残した日記の原本と団四郎の写真
 香美史談会は日記を参考に、団四郎や、共に土佐山田町から従軍したと記述がある「高芝新二郎」「森尾林之助」の子孫宅を8月に訪問。宮地家では団四郎の写真や日記の原本を確認し、森尾家では林之助とみられるガラス湿板式の写真2枚とその原版を発見した。

 史談会は、団四郎らを紹介するパネル展を2017年10月ごろに開くことを目指している。香美市から戊辰戦争に従軍した人物の資料提供を市内外に呼び掛けており、今久保会長は「調査によって、香美市の歴史研究が大いに発展する。心当たりがある人は連絡を」と話している。

 問い合わせは今久保会長(090・3189・9560)へ。

福島
【Visit Fukushima外国人の目 会津若松編(上)】 ネットより面白い
 年間およそ300万人を誘客する観光都市・会津若松市。会津大大学院修士2年のファム・バン・タインさん(25)=ベトナム=が、市内の観光スポットを巡った。

 まずは会津を代表する観光スポット・鶴ケ城。観光ボランティアガイドの松本幹子さん(67)の解説で外郭を回る。歴史に興味があるタインさんは「インターネットの情報とは比べものにならないほど面白い」とガイドの説明を喜んだ。

 城内も見学し、歴代城主や白虎隊などについての展示を見学。母国でベトナム戦争があった際は、父親も出兵したというタインさんは、戊辰戦争当時の生活を学び「どこの国でも戦争は大変」と国境を超えて平和の大切さに思いをはせていた。

 タインさんは日本に住んで4年目だが「日本語が話せる外国人は少なく、歴史の専門用語も難しい」と指摘する。言葉が分からない時、頼りになるのは英語が併記された案内板。「名所だけでなく人が多い所に案内板を置いて、離れた所でも名所の魅力が分かるように工夫したらいい」と提案した。

 次に向かったのは、着物で街を散策できるサービスを提供する同市の「きものべんりやとしの坊」。市内には同様の着物屋が数軒あり、同店では会津の伝統産業「会津木綿」の着物で市内を歩ける。今回は風通しの良い浴衣を選んだ。初の着付け体験で、階段の上り下りの難しさなど動作に苦労した点もあったが「涼しくて快適。冬は会津木綿だと暖かそう」と日本の伝統衣装を楽しんでいた。

 【ひとくちメモ】 ビザの要件緩和 国が指定する重点20カ国のうち、訪日にビザが必要な5カ国(中国、フィリピン、ベトナム、インド、ロシア)をインバウンド観光の潜在力が大きい市場と位置付けて緩和を実施。観光庁の宿泊旅行統計調査(6月、第2次速報)によると、本県の外国人延べ宿泊者数は5700人で前年同期比12.6%増。

コラム
平和をたずねて軍国写影 反復された戦争/2 対外危機演出の原型=広岩近広
 江戸時代は徳川家康が幕府を開いた慶長8(1603)年から、第十五代将軍の徳川慶喜(よしのぶ)が大政を朝廷に返還する慶応3(1867)年まで続いた。元特攻隊員の岩井忠正さん(96)と忠熊さん(94)の祖父、忠直さんは江戸時代の弘化2(45)年に山形・米沢藩の家に生まれた。忠熊さんによると、忠直さんは上杉藩主が設立した学問所「藩校興譲(こうじょう)館」に入った。

 「祖父の経歴に、助教と書かれていた記憶があるのですが、学問や文事に関する書物は家に伝わっていません。軍事関連の訓練が行われていて、その助教をしていたのなら理解もできます」。忠熊さんは笑顔を見せて続けた。「姉たちから聞いたのは、祖父は両手をついて『姉上様にはご機嫌よく』と言って、芝居を見るようなあいさつをしていたそうです」

 忠直さんが22歳のときに幕末を迎える。53年に米国の東インド艦隊司令長官ペリーが黒船で来航し、開国を迫ってきた。米国との不平等な日米修好通商条約の調印をめぐる論争は、行き詰まっていた幕府政治の追及へと向かう。その勢いは尊王攘夷(じょうい)論へと発展し、そして倒幕論に至る。

 薩摩藩と長州藩を中心にした討幕派は68年1月、佐幕藩の武力制圧に乗り出し、戊辰(ぼしん)戦争が始まった。米沢藩は朝敵とされた会津藩への信義から「東北諸藩同盟軍」(奥羽越列藩同盟)に加わる。米沢藩士の忠直さんは、東北戊辰戦争に従軍した。

 戊辰戦争の最中、新政府は「王政復古の大号令」を発して、当時16歳の天皇を担いだ。天皇は「五箇条の誓文」を宣布するが、そこには「知識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし」との文言がみられた。明治新政府が天皇を前面に押し出したことについて、立命館大学名誉教授で近代史研究者の忠熊さんは、こう説明する。

 「戊辰戦争の折に奥羽越列藩同盟は、薩長は少年の天皇を擁して私意を遂げようとしている、と非難しました。これに対して新政権は、天皇の親政として政策を執り行っていると宣伝する必要から、五箇条の誓文を支配層や諸外国に向けて発表したのです」

 忠熊さんは「五箇条の誓文」と同じ日に出された「国威宣布の宸翰(しんかん)」を重視する。宸翰は天皇直筆の国民向けの手紙で、そこに「万里の波濤(はとう)を開拓し、国威を四方に宣布し」とある。忠熊さんはこう説き明かす。

 「国家の大方針として、海外に進出するというのですから、異常な国威宣揚です。新政府があえて宸翰を発表したのは、国民の関心を戊辰戦争から国外に向けさせる目的があったからでしょう。近代の日本は常に対外的危機を演出し、国内の矛盾から国民の目をそらしてきた。そうして国内一致を訴える原型が、ここに出現しています」

 戊辰戦争に勝利した新政府は、この年の9月から、天皇一代を元号とする一世一元の制により、年号を明治と改めた。明治元年だった。(次回は27日に掲載)
だって「落語の仮面」をつくった三遊亭白鳥師匠が見に行って感激したって感想書いていたから……というわけだけではない、ね。

 少女マンガの金字塔的作品で、さえなくて何の取り柄もない少女が舞台で天才的な才能を発揮し、ライバルで芸能界のサラブレッドな美少女が実は努力の人という設定は、結構美味しいと思う。自分にもマヤ的な才能が何らか眠っているのではないかと夢というか幻想を抱きたくなるものですよね、若い時は。そして、「マヤ、おそろしい子……」など、キラーフレーズの数々。それでいて、才能と努力と情熱と執念と慕情と嫉妬と悲哀と憎悪と歓喜と栄光と……人生の縮図がちゃんと込められている。

舞台『ガラスの仮面~惹かれあう魂~』

「マヤ…恐ろしい子…!」舞台『ガラスの仮面』観劇レポート!
原作マンガと演劇への愛とリスペクトが詰まった舞台!『ガラスの仮面』
貫地谷しほり主演「ガラスの仮面」東京開幕、真澄と2ショット撮れるパネルも
貫地谷しほり、先代“マヤ”安達祐実からの祝い花に気合入る

 貫地谷しほり、マイコもよかったですが、何と言っても白眉は一路真輝さんの月影千草先生でしょう。月影千草先生だけでなく紅天女まで見せていただけて、至福です。
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幕末、特に新選組や旧幕府関係者の歴史を追っかけています。連絡先はmariachi*dream.com(*印を@に置き換えてください)にて。
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