忍者ブログ
新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
正直、年間定席を確保しているTBS落語研究会への出席率があまりよくない。勤務地が東京都心でないので、出演者と演目を見て諦めることが多い。寄席や他の落語会に比べると観客が「鑑賞」モードで反応が薄いせいか、特に去年今年、テレビ収録される割には演者も緊張感がなくなってきているんじゃないかと思う。

 解説の京須さんのスタンスが、昭和の名人が活躍した頃に比べたら最近の落語家は……って感じなので、テレビ放送も落語の今を伝えようという熱意が伝わってこない。もっともNHK『日本の話芸』なんかさらに漫然とした印象で、録画を見ても面白くないので見るのをやめた。

 自分が子供の頃は、NHKでも民放でも演芸番組がけっこうかかっていた。立川談志や前田武彦が司会していた「笑点」の初期の頃とか、牧伸二のウクレレ漫談が看板の「大正テレビ寄席」とか。金馬の『居酒屋』や『長屋の花見』がラジオに流れ、テレビでは、当時は歌奴といっていた今の圓歌師匠の「山のアナあな」、「反対俥」を得意とした月の家圓鏡・今の橘家圓蔵、もちろん林家三平や立川談志や先代圓楽が活躍していた頃。文楽や志ん生には間に合わなかったものの、圓生や小さんの晩年には触れていたはず。そして、志ん朝もどこかで見ていたはず。
 四年前の師走にふっと「『芝浜』聴きたい……」と思ったのがきっかけで落語を聴くようになったのだが、子供の頃に落語などの演芸がテレビの花形コンテンツだった時代を経験していたことをよかったと思う。今の落語は寄席でも落語会でも今の時代の空気をはらんでいるから自分の腹に落ちて笑いや涙を生むのだけど、落語や講談がもっと生活に密着した手軽な娯楽だった時代を知っているのだから。

 そして、風呂といえば町内の風呂屋に行き、トイレはアパートや長屋では共同で汲み取り式だった昭和の時代を経験したことで、かろうじて落語のご町内の長屋の暮らしを、リアルに感じられる手がかりがある……と、言うのは年寄りっぽいか(‥ゞ。

 でも、初めて映画館のスクリーンで観た昭和の名人たちは、思った以上に圧巻だった。

シネマ落語 スクリーンで観る高座「落語研究会 昭和の名人六」

「馬のす」「大仏餅」八代目桂文楽
 昭和45年(1970年)……万博の年なんだよなぁ。自分は万博に行けなかった夏だったけど「人類の進歩と未来」というキャッチフレーズに明るい未来を信じられた時代の空気を浴びていて、一方でベトナム戦争が泥沼化していて70年安保に大学生が盛り上がっていたから少ない小遣いの中から「サイボーグ009」を古本屋から調達して読みふけっていた頃。すみません、落語は週末の演芸番組に流れるもので、関心を集中させて見るものではなかったです。
 なのに、今見ると、白黒の画面なのに、落語家ってすごいなぁと思う……枝豆を食べる仕草を見て、枝豆が見える(汗)。

「三枚起請」三代目古今亭志ん朝
 今回の中で一番新しく昭和60年(1985年)のもの。バブル景気直前ですね……自分は高田馬場の6畳一間のアパートに住み、「神田川」よろしく銭湯に通ってました。その年の忘れられない出来事といえば、8月12日の日航ジャンボ機墜落事故です。
 2001年に亡くなった志ん朝師匠の高座に通う機会があったなら、私はきっと朝さまファンになっていたでしうょう……という確信をますます固くしてくれる、志ん朝師匠の映像でした。

「鰍沢」六代目三遊亭圓生
 今回見た中では一番古い映像。昭和60年(1975)、文楽師匠の映像は4月の回だが、圓生師匠のは2月。そうか、「鰍沢」の季節感あるなぁ。
 今回のシネマ落語を見に行く動機となったのは、圓生『鰍沢』に尽きる。録音された圓生師匠の口演はじめ音源として聴いているし、屈指の大ネタなので回数は少ないがライブでも聴いている、自分にとっては五本の指には必ず入るネタ。雪に迷った江戸の大商人が苫屋で出会った謎の女に翻弄される火曜サスペンスばりの噺なのだが、世の辛酸をなめた女の側から旅人の言動を見たら無知とか無邪気がどれだけ人を傷つけるものかを発見させてくれるのだ。
 大きな眼の演技が素晴らしい圓生の魅力を、この映像で堪能した。かつては吉原で一世を風靡したお熊が旅人に、自分の過去については亭主に言わないでくれと頼むため「ごくない(極内密)にね」と囁く場面で、圓生師匠の眼もとから女性の幻影が立ち上がってきて、ぞくぞくっとした。眼で演技するとは知っていたけど、スクリーンで大写しになる圓生師匠にいろいろな人物像を見て、やっぱり凄かったんだなぁとうっとり。

「時そば」五代目柳家小さん
 圓生師の「鰍沢」の後で見たら小ネタ過ぎると思ったのだが、これがやっぱりさすが小さんだなぁとうっとり。
 よく落語家は蕎麦をたぐる音とうどんをすする音を演じ分けるとかいうけど、小さんに限っては、細かいところはどうでもいい。蕎麦をたぐる奴の了見になってれば、それでいいじゃねぇか。
 ……って感じだ。限りなく前座ネタに近い「時そば」なんだけど、大師匠が演じたら全然違う……それが落語ってやつだね。

PR
鈴本の昼席トリが喬太郎さんでそれも魅力的だったが、鈴本に入れるのは昼席も途中からになるので、きっと立ち見になるだろうと思った。で、昼夜入れ替えなしの新宿末廣亭に、夜席トリの一之輔さん目当てに入った……その途中で千葉県北西部を震源とするマグニチュード5.2の地震が発生。新宿周辺の震度は3だろうが、木造建築の末廣亭はミシミシ揺れた。その場を収めた一之輔師匠は男前でした。

【昼席】

「片棒」歌る多
 女流落語家の歌る多姐さんの「片棒」は、金銀鉄が娘。女性落語家が古典ネタを自然に演じるには発声からネタ選び・演出などいろいろなハードルがあると思うが、女性の出番を多くするのもひとつのやり方だと思う。
 今回はお金とお銀のみ、お銀のど派手な葬式プランの手拍子で観客席が一体となる感じ。そこでサゲとなるのも、いい感じ。

都々逸漫談/小団治

太神楽/仙三郎社中

死神/小袁治
 風邪気味というのがサゲの伏線という「死神」。

【夜席】

転失気/しあわせ

権助魚/一蔵

キセル漫談/ひびきわたる
 すみません、ここのところお会いすることが多いせいか、マンネリなネタに笑えなくなってきています……m(__)m。

金明竹/木りん
 本来は二つ目に昇進した柳家かゑるさんの高座なのですが、他に出番があるようで、林家木久扇師匠の弟子でちょっと早く昇進した木りんさんの高座でした。
 相撲部屋の御曹司で、身長192センチで、なかなかのイケメン。大きい身体を表現力に活かせる作品をものできるといいですね。

新聞記事/歌奴

奇術/伊東夢葉

宮戸川/小満ん
 何でもすぐ呑み込んでしまう霊岸島のおじちゃんと安政二年を思い出すおばちゃんが好き。

松山鏡/左楽

紙切り/正楽
 「天どんとモアイ」に笑った。

親子酒/圓太郎
 すごーく爆笑編。かみさんにお酒をねだるオヤジがかわいい。

蛙茶番/一朝
 さすがは十八番、たっぷり笑わせてくれました。

インフルエンザ(仮)/天どん
 貧乏アパートにインフルエンザで寝ている男のところに、訪問販売員が。

漫才/ロケット団
 漫才でいま一番ノリがいいのはロケット団ですね。

にらみ合い/彦いち
 得意ネタを短めに、さらっと。

ぼやき居酒屋/はん治
 得意ネタを短めに、さらっと。歌謡曲は「月の法善寺横丁」どまり。

太神楽/勝丸
 インターネットに書かないでください、と頼まれてます(^_^;)。

短命/一之輔
 はばかりの辺りで縦揺れ、ついで横揺れ。予測したよりも横揺れは弱かったけど、ここは末廣亭。心の中で「私、末廣亭の柱につぶされて死んじゃうのかな……痛そう……落語ファンの鑑かも……でも一之輔さんの『短命』を聴きながら死ぬって、そんな落語みたいな死に方(苦笑)……」などと考えていたら地震収まりました。
 そして一之輔さんも「末廣亭は木造だから法隆寺みたいに揺れる(揺れて力を逃がすから倒れないという意味?)」などと言って場内を落ち着かせてくれました。男前。
 再開された「短命」、一之輔さんらしいくすぐりが冴えまくって、どっかんどっかん。しばらく「短命」は一之輔さん版が私の一番になりそうです。






せっかくの連休なので出掛けたかったのですが……あいにくの空模様なので自宅でまったり。


福島
鎮魂の歌声と花火 福島で3日「福幸祭」
 福島県二本松市の安達ケ原ふるさと村で3日、「福幸祭~希望の光~」が開かれる。戊辰戦争に出陣した「二本松少年隊」や東日本大震災の犠牲者への鎮魂の祈りを込めた祭り。

 地元団体による和太鼓や、津軽三味線(青森)など東北の伝統芸能が披露される。午後7時から、同市の中学合唱部生徒らの歌声と共に花火が打ち上げられる。詳しくは二本松青年会議所(0243・22・0556)へ。

坂下で詩碑除幕 秋月悌次郎「北越潜行の詩」
 幕末の会津藩士、秋月悌次郎が戊辰戦争後に詠み、会津三絶の一つといわれる「北越潜行の詩」の詩碑が会津坂下町の束松峠に建立され27日、除幕式が行われた。
 悌次郎は戊辰戦争の敗戦後、会津藩の善処と藩の若者の教育を懇願するため、旧友であった長州藩士奥平謙輔がいた越後にひそかに会いに行った。その帰り道に束松峠の頂上から故郷を眺め、藩の行く末を案じて「北越潜行の詩」を詠んだとされる。
 束松峠を生かした地域振興を図る地元のグループや秋月悌次郎顕彰会、歴史愛好者らは、悌次郎の功績を伝えようと詩碑建立を進めてきた。除幕式は悌次郎の子孫に当たる仙台市の秋月孝真さん、悌次郎の伝記「落花は枝に還らずとも」を執筆した直木賞作家の中村彰彦さんらを迎え、行った。
 実行委員会の目黒督朗委員長、秋月さんがあいさつした後、来賓とともに除幕した。出席者は会津盆地を望む峠の頂上に立つ詩碑を前に七言絶句の「北越潜行の詩」を吟じ、会津を愛した悌次郎に思いをはせた。
 除幕式後、会津坂下町中央公民館で中村さんの記念講演会が開かれ、悌次郎の生きざまを振り返った。

( 2013/10/28 10:27 カテゴリー:主要 )

千葉
激動の幕末を駆け抜けた千葉・東金出身の剣士 古文書が物語る波乱の人生
 千葉・東金出身の剣士が激動の幕末を駆け抜けた史実を物語る古文書が千葉県九十九里町の旧家で見つかり、茂原市の郷土史家、加藤時男さん(74)が解読・検証した。後に新撰組として活躍する近藤勇や土方歳三も名を連ねた浪士組や、新徴組の隊士として、歴史に翻弄されながら各地を転戦した1人の剣士の波乱の人生が明らかになった。

 この剣士は、上総山辺郡川場村(現東金市)出身の伊藤滝三郎。伊藤家当主の子孫、高山妙子さん(79)と結婚した九十九里町の幸洋さん(78)が妙子さんの荷物の中から伊藤の履歴書、江戸市中見廻り日誌、御用控えなど10点の古文書を見つけ、郷土史家の加藤さんに解読を依頼した。

 古文書や家伝によると、滝三郎は伊藤家の次男だった。体が大きく、若い頃から剣術修業に励んだ。江戸に出て品川に道場を開き、門弟は30人ほどいたという。

 文久2(1862)年、幕府は、京都警備を目的として浪士組を結成した。伊藤は志願し、隊士として京都にのぼった。近藤勇や土方歳三らも浪士組の隊士だった。

 その後、近藤らは新撰組を結成したが、浪士組の多くは、江戸にもどる。庄内藩預かりとなり、江戸の警備を担当する新徴組として再編された。

 新徴組は十数人の組に分かれ、昼と夜、分担して江戸の市中を巡回した。伊藤は5番組小頭として、江戸の治安回復に取り組んだという。

page: 2
浪士組や新徴組の隊士として、激動の時代を駆け抜けた伊藤滝三郎の人生を物語る古文書。高山幸洋さんと妙子さんが保管していた=千葉県九十九里町(塩塚保撮影)
浪士組や新徴組の隊士として、激動の時代を駆け抜けた伊藤滝三郎の人生を物語る古文書。高山幸洋さんと妙子さんが保管していた=千葉県九十九里町(塩塚保撮影)

 また、伊藤は見廻り日誌を書き残しており、巡回時の様子を克明に記録。日誌ではちょうちんをかざして神田、浅草、吉原、湯島などを巡回し、乱暴者を取り締まる様子が伺える。

 やがて、戊辰戦争が始まった。新徴組は庄内藩とともに東北に赴き、官軍と戦った。加藤さんが現地や文献を調査したところ、寄宿帳に伊藤の養子、民三郎の名前が記されていた。加藤さんは伊藤も庄内まで転戦し、現地で亡くなったのではないかと推測している。

 加藤さんは「激動の幕末、東金出身の剣士が浪士組、新徴組の隊士として波乱の人生を生き抜いたことを示す貴重な史料だ」と語る。高山妙子さんは「伊藤家にはたくさんの古文書がありましたが、多くはふすまの下張りに使いました。わずかに残った古文書で滝三郎のことが分かってよかった」と話している。

東京
坂本龍馬の直筆資料など、ネットで公開 宮内庁
 【島康彦】皇室ゆかりの古文書や和歌集、絵巻物などのデジタル画像約1万点と目録約31万点について、宮内庁は1日からホームページで公開を始めた。天皇直筆の書、世界に一冊しか残っていない「孤本」といった貴重な史料が多く、単語を入力すれば簡単に検索できる。

【写真】伏見天皇の直筆の書『伏見天皇御集(ぎょしゅう)』

 公開されたのは、有栖川宮幟仁(たかひと)親王が記した明治新政府の基本方針「五箇条御誓文(ごかじょうのごせいもん)」、後鳥羽上皇による写本「新古今和歌集」など。坂本龍馬が自筆した「薩長同盟裏書(うらがき)」は、桂小五郎(後の木戸孝允)に求められ、龍馬が朱字で保証の裏書きをしたものだ。

 鎌倉時代の日記文学「とはずがたり」の写本は、世の中に一つしかないとされ「天下の孤本」と称される貴重なものという。

 主に明治時代に撮影された古写真約500点も公開する。1888(明治21)年の福島県・磐梯山噴火などの災害写真のほか、幕末のパリ万国博覧会などの写真も。

 これまでは皇居内にある宮内庁書陵部で閲覧申請をする必要があり、年間400件ほどの申請があった。書陵部の図書寮文庫には約39万点の蔵書があり、今後も公開する数を増やしていくという。宮内庁ホームページは、http://www.kunaicho.go.jp/

静岡
「世界遺産登録推薦」で注目集める韮山反射炉 静岡
 伊豆の山々を背景に、れんが造りの4本の煙突が高く空に伸びている。幕末、韮山の代官で幕臣を務めた江川太郎左衛門(英龍)によって築かれた静岡県伊豆の国市の韮山反射炉(国指定史跡)だ。

 反射炉とは、内部で熱を反射させることで千数百度の高温を作り出し、鉄などの精錬を行う溶解炉のこと。鎖国政策をとっていた日本にも天保11(1840)年のアヘン戦争以降、列強の圧力が高まり、外国に対抗できる高性能の大砲が必要となっていた。そうした大砲を製造するため、質の高い鉄を供給する反射炉が必要だったのだ。

 煙突の高さは約16メートル。4つの炉を持ち、煙突の大部分は約160年前に積まれたれんが。外側に補強用の鉄枠を取り付けるなど幾度かの補修工事を経て、ほぼ当時のままの姿をとどめている。

 今年9月、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の構成資産の一つとして、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に推薦されることが決定。富士山に続いて県に2つ目の世界文化遺産が誕生する可能性が出てきた。

 この反射炉建設を手がけた英龍という人物は興味深い。川路(かわじ)聖謨(としあきら)、渡辺崋山、高野長英といった蒼々(そうそう)たる人物たちと交流を持ち、西洋式軍隊や洋式砲術を導入。品川の台場建設を指揮する一方で書や画、漢詩、陶芸などもたしなんだ。また、代官として剣豪・斎藤弥九郎とともに行商人に変装して隠密調査を行うなど、その活動は実に多岐にわたる。反射炉から2キロほど離れた場所に、英龍ら江川家が代々住んだ江川邸が今でも残されており、彼の残した書画などさまざまな足跡をたどることができる。

 その江川が日本の海防を深く憂い、先例主義・事なかれ主義に凝り固まった幕府の下で必死の思いで築き上げたのが、この反射炉だ。安政元(1854)年に着工したが江川は炉の完成を見ることなく、翌年に死亡。跡を継いだ息子の英敏が同4年に完成させた。

 伊豆の国市役所によると、昭和50年代には年間30万人以上が訪れていたが、少しずつ減り、平成22年には約5万人にまで減った。しかし、23年、世界文化遺産の構成資産候補となったことで注目が集まり、昨年は約8万人にまで回復。「今年は10万人に届きそうです」とうれしそうだ。

 現在、同市は来夏に控えた国際記念物遺跡会議(イコモス)の現地調査に向け、資料の整備などに大忙し。

 「今後の課題は反射炉の維持。前回の補修から25年がたっており、相当傷んでいる。オリジナルの状態をどうやって維持していくかが問題です」と話している。

 ユネスコの判断が下るのは2年後。幕末、韮山の地から世界を見据えていた英龍の反射炉は「世界の反射炉」となるのか。入り口に立つ英龍の銅像は、残された自画像そのままの大きな瞳を見開いて、今日も空を見上げている。(岡本耕治、写真も)

 ■韮山反射炉 伊豆の国市中鳴滝入268。伊豆の代官、江川太郎左衛門(英龍)が手がけた大砲鋳造用の金属溶解炉。実際に稼働した反射炉としては国内で唯一現存。開館は午前9時~午後4時半。12月31日と1月1日は休み。観覧料は一般100円、小・中学生50円(伊豆の国市民は無料)。問い合わせは(電)055・949・3450。
 また近々韮山に足を運びたいものです。

新潟
新潟・長岡藩と友好の芽 一関の郷土史会と初交流
 新潟県の越後長岡藩主17代当主の牧野忠昌さん(71)=神奈川県逗子市在住=ら藩士の子孫は27日、戊辰戦争(1868~69年)で敗走した藩士が一時滞在したとされる一関市内の寺を初めて訪問した。招待を実現させた同市の一関藩志会(小山真会長)は「古里の知られざる歴史を市民に伝えながら、新潟との交流にもつなげたい」と、世紀を超えて結ばれた友好の発展を期待した。

 一関藩志会によると、越後長岡藩は戊辰戦争で新政府軍に敗れた後、約600人の藩士と家族が会津や米沢、仙台を経て現在の一関市大東町や室根町などに46日間滞在したという。

 牧野さんと妻美和子さん(61)のほか、越後長岡藩藩士会「柏友(はくゆう)会」の会員ら計7人が来県。牧野さんは「長岡の方が滞在した具体的な場所は知らず、お世話になった方々に感謝したいと思っていた。戊辰戦争から約150年たつが、私には最近のように感じられる」と静かに手を合わせた。

【写真=越後長岡藩士の家族が亡くなった記録が過去帳に残る長泉寺で供養を行う牧野忠昌さん(手前右から2人目)ら】

(2013/10/28)

京都
龍馬好き、京に集まれ 11月16日「幕末祭」
 幕末の志士、坂本龍馬のファンらでつくるNPO法人京都龍馬会が11月16日に、創立20周年の記念イベント「京都幕末祭」を京都市中京区の市役所前などで開催する。龍馬や妻おりょうになりきるコンテストや歴史講演、堤灯行列など多彩な行事を通じて維新の英雄に思いをはせる。

 同会は同区の河原町商店街の青年会が、龍馬をテーマにまちづくりに取り組むため1993年に発足させた。おりょうの実家跡などに石碑を建て、会報を発行している。龍馬の命日の11月15日前後には慰霊の堤灯行列を催してきた。今年は20周年記念で行事を拡大し、市役所とゼスト御池の2会場で行う。

 コンテストでは「我こそは龍馬、おりょう」と思う人を募る。自己アピールを審査し、優勝者の男女各1人は、17日に伏見区の伏見竜馬通り商店街である「龍馬祭」のパレードに龍馬、おりょう役で参加できる。

 龍馬関連の曲を持ち歌にする歌手らが出演するコンサートのほか、研究者5人の講演やパネル展示で幕末史を紹介する。恒例の堤灯行列は午後4時半から市役所を出発する。地元商店や山口県の物産展なども繰り広げる。

 同会の赤尾博章理事長(61)は「会にこれほど大勢の人が集まったのは、龍馬さんだからこそ。これからも仲間を増やしたい」としている。

 堤灯行列は11月9日まで、「龍馬おりょうコンテスト」は10月末までに京都幕末祭のホームページから申し込む。京都龍馬会TEL075(211)3666。

<京都・金戒光明寺>山門修理終わり1日から特別公開
 京都市左京区の浄土宗大本山、金戒光明(こんかいこうみょう)寺で山門の修理が終わり、1日から特別公開が始まる。12月8日まで。同寺は幕末、京都守護職に任じられた会津藩主、松平容保が本陣を置いたことで知られる。

【写真特集】「平成の大修理」進行中 姫路城や平等院鳳凰堂など

 山門は1860(万延元)年の建築で高さ約23メートル。楼上には釈迦(しゃか)三尊像と十六羅漢像が安置され、天井一面に「蟠龍(ばんりゅう)図」が描かれている。午前9時から午後4時。拝観料は大人800円、小学生400円(山門のみの場合)。同寺(075・771・2204)。【花澤茂人】

京都御所、秋の一般公開が始まる
 京都御所(京都市上京区)の秋の一般公開が31日、始まった。観光客は、平安時代からの御所の歴史を伝える建造物や展示品に見入っていた。

 11月4日まで。

 江戸時代後期の画家・岸駒(がんく)が富士山を題材に墨で描いた屏風(びょうぶ)「墨絵山水」、幕末から明治に活躍した画家・塩川文麟(ぶんりん)がクジャクやモクレンなどを描いた襖(ふすま)絵、雅楽の舞装束を着た人形7体などを見学できる。

 北海道石狩市の男性(75)は「堂々とした建物や庭に、皇族の歴史を垣間見ることができた」。入門は午前9時~午後3時半。無料。

山口
錦絵:幕末に描かれたゾウ 2点を展示−−周南市美術博物館 /山口
 ゾウ2頭が周南市徳山動物園にやってきたのに合わせ、市美術博物館は150年前のゾウの錦絵2点を展示している。鋭い目をした巨体に、「昔は珍しかったゾウが人々の目にどんなふうに映ったか、現代のイメージと比べてほしい」と話している。

 「新渡舶来之大象」は、幕末の文久3(1863)年にインドから横浜に入港し、見せ物として江戸・両国へ向かう3歳の雌を歌川芳豊が描いている。ゾウは縁起の良い「霊獣」とされ、「一度これを見る人は、七難を滅し、七福を生ず」との文章が添えられている。

 ゾウを呼ぶ運動が盛んだった昨年、同博物館が購入した。11月1日からは、ゾウを描いた別の錦絵3点と入れ替える。【蒲原明佳】

〔山口東版〕

宮崎
特別展:「幕末維新」実像伝える 国重文含む65点展示−−都城・島津伝承館 /宮崎
 特別展「幕末維新 近代国家への飛躍」が都城市早鈴町、都城島津伝承館で開かれている。書簡や絵図などの資料を通じて、幕末維新期の都城島津家や薩摩藩の活躍、動乱期の実像を伝える。11月24日まで。

 展示品は、彦根城博物館(滋賀県彦根市)など所蔵の国指定重要文化財7点を含む65点。大老・井伊直弼の暗殺を描いた「桜田事変絵巻」や勝海舟の日記、大久保利通の書簡のほか、戊辰(ぼしん)戦争で戦死した薩摩藩士を追悼する西郷隆盛直筆の「東征戦亡碑下書」が九州初公開される。

 また、幕藩体制を揺るがす発端となった黒船来航に関する重文で、米国大統領の親書授受を描いた「ペリー浦賀来航図」は、11月6日から展示する。

 観覧料は▽大人300円▽高大生250円▽中学生200円▽小学生150円。【重春次男】


コラム
松尾多勢子 幕末駆け抜けた「おばさん力」 ヒロインは強し(木内昇)
 女と生まれたからには、最強の人類と名高い「おばさん」期を経ずしてなんとなる、と思うことがある。他人の目などお構いなし、やりたいことをし、思ったことを言う。恥じらい? そんなものはとうの昔に縁を切りました。仕事の場では誰しも理性で自分を律しがちだが、例えば現状を打破する場面などで、案外この「おばさん力」はものを言いそうな気もする。

■勤王家として活躍
 1811~1894年。信濃国伊那谷飯田城下の山本村(現・長野県飯田市)に生まれる。文久2年(1862年)に京に上り、彼の地で平田国学の門人と親交を結び、諸藩の攘夷志士の活動を助ける。足利三代の木像の首が何者かによって梟首(きょうしゅ)された事件に関与したとの疑いを受け、一旦は伊那谷に戻り、訪ねてくる勤王家を家に泊めて世話する。明治元年(1868年)再度入京。岩倉具視に仕え、国事に関わる。
画像の拡大
■勤王家として活躍
 1811~1894年。信濃国伊那谷飯田城下の山本村(現・長野県飯田市)に生まれる。文久2年(1862年)に京に上り、彼の地で平田国学の門人と親交を結び、諸藩の攘夷志士の活動を助ける。足利三代の木像の首が何者かによって梟首(きょうしゅ)された事件に関与したとの疑いを受け、一旦は伊那谷に戻り、訪ねてくる勤王家を家に泊めて世話する。明治元年(1868年)再度入京。岩倉具視に仕え、国事に関わる。
 さて、幕末の伊那谷に松尾多勢子なる女性がいた。豪農の家に育ちながら、畑仕事よりも書物が好きな少女だった。こと和歌に関心を持ち、当時の農村には珍しく、師について本格的に学んでいる。

 十八歳で嫁いだのちは七人の子を育て、舅(しゅうと)、姑(しゅうとめ)にも従順に仕え、胃弱な夫のために毎朝三十分按摩をする献身ぶり。要領も手際もよく、賢妻として評判が立つほどだったが、元来知識欲や好奇心が強い彼女は家の中だけに収まってはいなかった。

 子育てが一段落すると、夫を伴い旅するようになるのだ。松本、遠州(静岡)、さらには江戸まで。家が裕福だったこともあるだろうが、女性がこれほど旅するのは、当時としては珍しい。老いた夫が体力的問題から家に留まるようになると、今度は平田国学を学んで攘夷思想を育み、挙げ句、嫁いだ娘の家に遊びに行くと嘘をつき、尊皇攘夷の活動に勤しむため単身京へ上ってしまうのである。このとき五十二歳。普通なら隠居している歳である。

 ここから多勢子は、地縁も薄い京でよくぞこれだけ、と感嘆せずにはいられぬ人脈を着々と築いていく。長州や土佐の志士たちと国事を語り合い、公家の歌会にまで参加。一旦伊那に戻って勤王家をかくまう働きをしたのち、再度上京すると今度は岩倉具視と接触、その信頼を勝ち得て屋敷に住み込むことを許され、女参事のような仕事を任されたというから驚く。岩倉はこの頃、王政復古を成し遂げていた。多勢子の働きを認めたのだろう、維新後、中央政府の要職に就いたのちも彼女を東京に招いたり、西洋菓子を送ったりと、親交を続けたという。動乱の京でつちかった人脈は、のちのちまで彼女の人生を彩ったのだ。

 しかし、特別な地位にあったわけでもない普通の「おばさん」がなぜここまで活躍できたのか。それは、彼女の教養もさることながら、体裁を繕わない正直さが、海千山千の中で信頼を勝ち得たからではないか。こんなことをしたら恥ずかしい、格好悪いと物怖じする場面で、彼女は堂々と自分を貫いたのだ。

 周りを無視した厚顔は仕事に支障をきたす。だが、しがらみを取っ払い、真摯に本音を訴えて行動を起こすことは、物事を本質的に動かす上で不可欠だ。そしてこの能力は案外、建前や立場を重んじる男性より、「おばさん力」を内に秘めた女性のほうが長けている気もするのだ。

 家庭人としての務めを果たし、勤王家として活躍し、多くの要人と交流をした。多勢子の希有な人生は、正直に生きた道筋そのものなのだ。

[日本経済新聞朝刊女性面2013年11月2日付]


 木内 昇(きうち・のぼり) 67年東京生まれ。作家。著書に「茗荷谷の猫」「漂砂のうたう」(直木賞)「笑い三年、泣き三月。」「ある男」など。

※「ヒロインは強し」では、直木賞作家の木内昇氏が歴史上の女性にフォーカス。男社会で奮闘した女性たちの葛藤を軽妙に描きます。
トリ代演となると連休中の寄席でもかなり空席が目立ちます。でも代演が好きな師匠だったりすると、代演回が狙い目だったりします。

転失気/なな子

東北の宿/馬るこ
 作者がいらっしゃるようですが……何だか『マキシム・ド・呑兵衛』そっくり……白鳥さんは自分の作品を誰が演じてもいいと公言していますが……。

奇術/ダーク広和
 千円札、二回もテレポートした。

ん廻し/おじさん改め、さん光
 表情や仕草が権太楼師匠そっくり。

牛ほめ/一朝
 お得意なネタですね。

元犬/馬石
 こちらもお得意なネタですね。

寿司屋水滸伝/百栄
 生で初めて聴いたなぁ……不覚にも居眠りしてしまって前半を聞き逃した、残念。

中入り

太神楽曲芸/勝丸
 Twitterとかに書かないでくださいと懇願され。

長短/南喬
 姿や表情が市馬師の20年後を彷彿とさせるんだよなぁ……。

紙切り/正楽

天災/文左衞門
 文師の『天災』、ライブで聴いたのは初めて。やっぱり八五郎の喧嘩っ早さが図抜けているなぁ……。


8月以来。寄席も観客の平均年齢は高いと思うのだが、この落語会については私が確実に平均年齢を下げていると言える(汗)……しかも年間の定連席として購入して長年聴き続けている落語ファンが多いのだから、凄いよなぁ。
 ただ、寄席や落語会をいろいろ回るようになって、必ずしも落語家のベストパフォーマンスを聴ける場でもないのよねと思い始めている。テレビ収録も兼ねているので、とちったりするところも放送されてしまうかも知れないという緊張感があるし、芸術作品として鑑賞しましょうという態度で臨む観客は寄席のいい加減さ緩さとはまとう空気がちがう。
 勤め先から出そびれて、中入り前の花緑さんが「真二つ」をかけている途中だったのでロビーで聴いていたが、担当スタッフの雑談とか聞こえてくるので集中できない。花緑さんの声質もスピーカーを通してロビーで聴くにはちょっと辛いものがある。

三年目/圓太郎
 ご夫婦の縁を経験している方にこそ味わい深い噺なんでしょうね……。

試し酒/市馬
 今日は歌いませんでした。しかも「人前で歌う人の気が知れない」とか何とか、師匠自身のことを笑わせる一言で爆笑を誘いました。
 からっと明るい師匠の高座は、心のビタミン剤です。
シリーズ初の平日夜だそうで。私は土日に出向いてゆったりとした気分で豪華出演陣を全部楽しむのがいいなぁ。

市助/金明竹
 かなりこなれた感じの高座でした。特に、仲買の弥一さんの使いで来た人の関西弁はゆっくり喋っても違和感がないし、早口の言い立てもいい感じ(関西人ネイティブではないですが、関西在住14年なので、ちょっとは耳が慣れているつもり)。
 おかみさんの表現が課題でしょうか。松公と同じく関西弁に振り回される役どころとはいえ、ちょっと子供っぽく見えました。道具七品を買い付ける骨董商のおかみさんですから、最初に出てくるところに風格を感じさせる演技演出が必要では……だからこそ、関西弁ちんぷんかんで、戻ってきた主人にしどろもどろで説明するくだりが笑えるわけで。

尿瓶/白酒
 お得意の時事ネタにちょっと毒舌をかませて。某ホテルの偽装/誤表示問題に絡ませて落語会の「○○名人会」は誤表示だと言って笑わせました……その後に上がった三三さんが、白酒さんが浅い出番だったのはこの後に高円寺の秋の名人会に出るためだったと引き取って、また爆笑を買うのですが。
 骨董屋と道具屋の違いを説明して、道具屋のゆるさを強調して、江戸勤番を終えて明日帰郷する侍に尿瓶を五両で売りつける「しびん」に。ストーリーは知っていたけど、録音でもライブでも初めて聴いたかも。
 落語には多いんですよね、「家見舞」「肥瓶」とか、「汲み立て」とか、糞尿ネタ。まぁ江戸の庶民が笑えるネタとしてはひとつのジャンルと言っていいんじゃないでしょうか。
 白酒さんの場合、人品家柄よろしい侍が純粋で可愛いのがいいんじゃないでしょうか。

笠碁/三三
 秋雨の季節、「笠碁」はいいですね。「笠碁」は何度かライブで聴いてますが、三三さんで聴くのは初めてです。老人Aと老人Bのどちらも軽みがあって無理に爆笑させない諧謔調なのが三三さんですかね……って、花緑さんとか文左衞門さんとかとの違いを分析しようとしたのですが。
 小三治師匠の「笠碁」を聴いていないのだけど、仕草に小三治師匠の影を感じました。菅笠をかぶって、雨に濡れないように肩をすぼめて笠地蔵のようになるところなんて、三三さんの体型ならなではなんだけど。
 あと、サゲも三三さん以外では聴いたことなかったのでたぶんオリジナル。普通は、店に上がるなり碁に夢中で、菅笠を脱ぐのも忘れて碁盤に笠から雫が垂れるのに気づいて、笠かぶったままだで終わるんだけど。そこに一言、地口をからませる感じ。

夫婦で乾杯/喬太郎
 このメンバーでこの出番だったら新作かませるだろうなぁと思った通り、新作でした。学校寄席での苦労話をいくつか。特に面白かったのは、紙切りの二楽さんの実のお兄さん桂小南治師匠が学校寄席で「死神」をかけた時に、主人公が自殺しようかと迷う場面で、最前列の女子高生から言われた一言で心が折れまくりだったというエピソード。40分以上の大ネタをかけるには、そこでそのツッコミ台詞はあんまり……合掌。
 このネタも初めてだったので楽しめました。キョンキョンならではの会話のライブ感(一方でステレオタイプ感があるから多様な客層を同時に笑わせられるんだろうなぁ)。

三十石/市馬
 市馬師匠は「三十石舟 夢の通い路」と最後にネタ名を言われてました。元は上方落語、旅噺の「東の旅」の一部ですね。うち、京都の自慢話の部分は、独立させて「祇園祭」というネタにもなっています。
 私は先代の圓生師が得意にしていたので「圓生特選ライブ」というCD音源で聴いてました。圓生師は父親から継いだネタだったそうですが、子供義太夫出身で歌が得意でしたから、自慢の喉も聴かせたようです。市馬師匠も、いい喉を披露してくれます……船内でのエピソードでは、おばあさんが尿瓶を持ち込んだり、用を足そうとする女性客のお尻を見ようとして船頭が川に落ちたり、下っぽいところにネタがちょっとついてないかな……ま、そこはONE DAYスペシャル寄席なんで、目くじら立てないでおきましょう。

台風27号28号の進路がだいぶ東南にずれてくれて日本列島直撃を免れ、安堵しました。とはいえ風雨のピークはこれから午前中いっぱいですので、気をつけて過ごしましょう。

福島
会津・北塩原大使を委嘱 東京農大客員教授榎本さん
 北塩原村は村の歴史などの魅力を発信する「会津・北塩原大使」に東京農大客員教授の榎本隆充(たかみつ)さん(78)=東京都=を委嘱した。同大使の委嘱は初めて。旧会津・米沢街道などの歴史を広くPRしてもらい、東京電力福島第一原発事故の風評に苦しむ観光業の活性化につなげる。
 榎本さんは戊辰戦争で旧幕府軍の中心として戦い、東京農大を創設した榎本武揚(たけあき)のひ孫。幕末などの歴史に造詣が深く、歴史作家として多くの著書がある。大学、自治体、研究会などの講師を務める。
 小椋敏一村長が知人を通して榎本さんと知り合った。会津地方が舞台となった戊辰戦争に詳しいことから大使就任を依頼した。
 委嘱状交付式は24日、村役場で行われ、小椋村長が手渡した。榎本さんは「曽祖父は戊辰戦争で会津のために尽くした。自分も北塩原の知られていない歴史資源を掘り起こし、観光客を呼び込みたい」と語った。農業についても、同大から教授を派遣して栽培・販売方法を指導するなどの構想を明かした。
 小椋村長は「観光、農業両面で指導を願いたい。会津若松、米沢両市を含めた広域的な魅力発信に努める」と意欲を述べた。

「二本松の菊人形」開幕 “八重の桜”などテーマ
二本松市の秋の風物詩の一つ、第59回「二本松の菊人形」は12日、同市の霞ケ城公園で開幕した。初日から大勢の観光客らが訪れ、日本最大級の菊の祭典を楽しんでいる。11月17日まで。
 二本松菊栄会の主催。「八重と二本松少年隊」と題し、大河ドラマ「八重の桜」と戊辰戦争に散った二本松少年隊をテーマにした「荒城の月」や「ハンサムウーマン」「大壇口の戦い」など8場面で菊人形を展示した。約1100輪の千輪咲きなどを合わせて約3万株の菊が会場を彩っている。同市物産展と霞ケ城公園紅葉まつりも同時開催されているほか、週末には多彩なイベントを繰り広げる。入場料は震災後無料としていたが、今年は大人500円に設定した。高校生以下と18歳未満は無料。時間は午前9時から午後4時まで。

東京
江戸東京博物館(両国)で企画展「幕末の江戸城大奥」 開催 -会期:2013年10月29日(火)~12月8日(日)
 江戸東京博物館では、10月29日から12月8日まで、企画展「幕末の江戸城大奥」を開催。江戸城大奥について、公益財団法人徳川記念財団が所蔵する御台所や将軍生母に関する資料を中心に展示し、彼女たちの暮らしの実像を解き明かします。また、男役人、留守居にも注目し、江戸城大奥の運営についてもひもときます。
東京都江戸東京博物館(東京・両国)では、2013年10月29日(火)から12月8日(日)まで、企画展「幕末の江戸城大奥」を開催いたします。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/newtest////exhibition/project/2013/10/index.html


江戸城本丸御殿は、幕政の中心である表と、将軍やその家族たちが生活する場である奥とに分けられます。このうち奥空間の最奥に位置するのが大奥であり、その基礎が確立したのは、6代将軍徳川家宣の頃とされています。大奥は、将軍の正室である御台所(みだいどころ)とともに世子を養育して家の存続をはかるという役割をもち、また御台所や将軍生母たちが日常生活をおくる場でもありました。

本展では、この幕末まで存続した江戸城大奥について、公益財団法人徳川記念財団が所蔵する御台所や将軍生母に関する資料を中心に展示し、宮家や公家、武家など様々な身分を出自とした彼女たちの暮らしの実像を解き明かします。また、大奥の取締りをつかさどった男役人、留守居(るすい)にも注目し、華やかな江戸城大奥の運営についてもひもときます。

【みどころ】
■第1章 将軍と大奥 

幕末頃の江戸城大奥といえば、13代将軍徳川家定の御台所である天璋院(篤姫)や14代将軍徳川家茂の御台所である静寛院宮(和宮)がよく知られていて、ゆかりの品も多く残されていますが、その他の御台所や将軍生母たちも生活を営み、様々な所用品を残しました。

本章では、天璋院や静寛院宮に加え、旗本跡部正賢の娘に生まれ12代将軍家慶の側室となり13代将軍家定の生母となった本寿院と、紀州藩士松平晋の娘に生まれ紀州藩主徳川斉順の側室となり14代将軍家茂の生母となった実成院など、これまであまり知られてこなかった御台所や将軍生母の存在、その所用の品々をとりあげ、幕末という時代に江戸城大奥で暮らした女性たちの姿を紹介します。


■第2章 さまざまな風儀

御台所たちは、宮家や公家、武家など様々な身分を出自としていました。このため、江戸城大奥における彼女たちの生活は、多彩な〝風儀〟から成り立っていました。例えば、徳川将軍家は3代将軍徳川家光以降、宮家や五摂家出身の女性から御台所を迎えるのが慣例で、江戸城大奥の生活には自ずと上方の影響がみられます。

本章では薩摩藩島津家に生まれ御台所となった天璋院(篤姫)と、皇女に生まれ御台所となった静寛院宮(和宮)が所用した衣裳や身の回りの調度類などから、幕末の江戸城大奥における生活にまつわる風儀の実相について考えます。

■第3章 江戸城大奥と留守居

江戸城大奥は、御台所や将軍生母に仕えていた奥女中など、女性によってのみ運営されていたわけではありません。広敷役人と呼ばれる男役人たちもその運営に大きく関わっており、中でも広敷役人を取り仕切っていた留守居という役職はとくに重要で、大奥の年中行事には留守居が大奥に赴いて役目を果たすことで、成り立つものもありました。

本章では、留守居という大奥の運営を掌った男役人の職務に注目し、華やかな江戸城大奥の運営について、その仕組みを紹介します。


■■展覧会概要■■
【会期】
 2013年10月29日(火)~平成25年12月8日(日)
 開館時間:午前9時30分~午後5時30分(土曜日は午後7時30分まで) 
  ※入館は閉館の30分前まで

 休館日:月曜日(ただし、11月4日は開館、翌5日が休館)
  ※会期中一部展示替えあり
 
【会場】  
 東京都江戸東京博物館 5階常設展示室内 第2企画展示室
  JR総武線「両国駅」西口より徒歩3分/都営地下鉄大江戸線「両国駅」A4出口より徒歩1分
  都バス 錦27・両28・門33・墨38系統「都営両国駅前」下車徒歩3分

【観覧料】
 一般                 600円(団体480円)
 大学・専門学校生         480円(団体380円)
 中学生(都外)・高校生・65歳以上 300円(団体240円)
 中学生(都内在学または在住)・小学生・未就学児童 無料
  ※常設展観覧料でご覧になれます。
  ※( )内は20人以上の団体料金。消費税込。
  ※毎月第3水曜日(シルバーデー)は、65歳以上の方は常設展観覧料が無料
   (年齢を証明できるものを持参ください)
  ※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方と、
   その付き添い 
    の方(2名まで)は、常設展観覧料が無料です。

【問い合わせ】
 03-3626-9974(代表)

【主催】 
 東京都、東京都江戸東京博物館、公益財団法人徳川記念財団

 【関連イベント・その他】  
  ■ミュージアムトーク ※申込不要 
  【日時】11月1日(金)・8日(金)・15日(金)・22日(金) 午後4時から30分程度 
  【集合場所】5階常設展示室日本橋下  (展覧会担当者による展示解説です。)

  ■えどはくカルチャー ※要事前申込、有料。
   詳細URL:http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/event/culture/
  11月20日(水) 午後2時~午後3時30分  「江戸城大奥と留守居」(11月1日申込〆切)
  【講師】野本禎司(公益財団法人徳川記念財団専任研究員)
  【定員】200名
  【受講料】1,000円



企業名:東京都江戸東京博物館
連絡先:Tel:03-3626-9974
サイト:http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

京都
幕末の勤王十七烈士しのぶ 大山崎・離宮八幡宮
 幕末の勤王志士をしのぶ「天王山十七烈士招魂祭」が21日、京都府大山崎町大山崎の離宮八幡宮であった。子孫や町民でつくる奉賛会会員ら約30人が参列した。
 「禁門の変」(1864年)で、福岡県久留米市にある水天宮の宮司だった真木和泉守ら17人は、長州勢として幕府軍と戦った。敗れた後、天王山で自決した。
 招魂祭は、天王山十七烈士奉賛会が主催して毎年、命日の3カ月後にあたるこの日に営んでいる。祝詞の読み上げや和泉守の辞世の句と同志に贈った詩の朗詠などがあり、和泉守の子孫や水天宮の関係者らが玉串をささげていった。
 奉賛会の栢野治夫会長は「来年は和泉守たちの殉職から150年を迎える。記念碑を建てたい」と話した。

宮崎
特別展:「幕末維新」実像伝える 国重文含む65点展示−−都城・島津伝承館 /宮崎
 特別展「幕末維新 近代国家への飛躍」が都城市早鈴町、都城島津伝承館で開かれている。書簡や絵図などの資料を通じて、幕末維新期の都城島津家や薩摩藩の活躍、動乱期の実像を伝える。11月24日まで。

 展示品は、彦根城博物館(滋賀県彦根市)など所蔵の国指定重要文化財7点を含む65点。大老・井伊直弼の暗殺を描いた「桜田事変絵巻」や勝海舟の日記、大久保利通の書簡のほか、戊辰(ぼしん)戦争で戦死した薩摩藩士を追悼する西郷隆盛直筆の「東征戦亡碑下書」が九州初公開される。

 また、幕藩体制を揺るがす発端となった黒船来航に関する重文で、米国大統領の親書授受を描いた「ペリー浦賀来航図」は、11月6日から展示する。

 観覧料は▽大人300円▽高大生250円▽中学生200円▽小学生150円。【重春次男】

コラム
『八重の桜』新島八重以外にも多数 幕末のスーパー女性たち
 “幕末のジャンヌ・ダルク”と言われ、スペンサー銃と刀を片手に奮戦していた新島八重。綾瀬はるか主演で、NHK大河ドラマにもなってしまうほどの大人物だけど、幕末を駆け抜けた女傑は彼女以外にもたくさんいるんです!

まずは、村山たか(1809~1876)。大老・井伊直弼の愛人にして、安政の大獄の際には、芸妓の経歴を活かし倒幕派の情報を引き出す女性工作員として暗躍。53歳のとき、井伊が暗殺される桜田門外の変が起こるや、加担の罪で三条河原に三日三晩“生きさらし”に! 辛酸を知り尽くし、その後出家するという壮絶な人生を歩んでいる。

次に大浦慶(1828~1884)。日本茶輸出貿易の先駆者であり、楠本イネ、道永栄と並ぶ「長崎三女傑」の一人にして、儲けた金で龍馬率いる亀山社中の世話をしていたゴッドマザー! 維新後は詐欺被害に遭い三千両(約3億円相当)の借金を抱えてしまうものの、死ぬまでに完全返済したというから驚き!

高場乱(1831~1891)もすごい人物。医者である厳格な父に男子として育てられ、10歳で福岡藩から正式に元服を男性として受理されるや、15歳で帯刀! ベルばらもビックリ、“幕末のアンドレ”と呼びたくなる男装の麗人だ。

私塾「興志塾」(通称「人参畑塾」)を創設すると、乱暴者ばかりが集まり、塾はいつしか梁山泊と揶揄され、本人も「人参畑の女傑」の二つ名を頂戴することに。虚弱対質であったため表舞台に名を轟かすことはなかったが、思想の影響力は吉田松陰レベルだったとも。

最後に、文系路線で杉本鉞子(1873~1950・すぎもとえつこ)をご紹介。明治生まれではあるけど、育った長岡は江戸から遠く近代化からは程遠かった。それゆえ、鉞子は武家の娘として厳格に育てられたそう。結婚を機に渡米し、自身の経験を綴った「武士(さむらい)の娘」を発表すると、なんと9ヵ国語に翻訳されるほどの大人気作品に! 日本人初の米国におけるベストセラー作家であり、その後、コロンビア大学の講師にまでなってしまった武家の娘。朝ドラでもいけそうな波乱万丈人生です。

と、まぁ、探せばまだまだいる八重に負けないスーパーレディたち。次なる大河モチーフの栄冠は、誰の手に!?
北海道
五稜郭 来年築造150年 通年でイベント展開
 函館のシンボルともえいえる特別史跡「五稜郭」が来年、完成から150年を迎えるのに合わせ、五稜郭地区のまちづくり団体などが「築造150年祭」の開催に向けて準備を始めた。1年がかりで多彩なイベントを繰り広げ、地域を盛り上げていく考えだ。準備会の小笠原勇人代表は「来年は新幹線開業イヤーの前年でもあり、全国に函館、五稜郭をアピールしていく」と意気込んでいる。

 五稜郭は蝦夷地の防備強化を図るため、蘭学者の武田斐三郎がヨーロッパの城塞をモデルに設計。1857年から7年の歳月をかけ、64年に完成させた。星形の西洋式城郭は、箱館戦争の舞台にもなった。初代の五稜郭タワーは築造100年の記念に建設された。

 実行委の中心となるのが、同地区のまちづくり団体「新都心五稜郭協議会」。今後、市内の各団体に参加を呼び掛けていく。来月14日に実行委の設立総会を開き、イベントの概要などを発表するという。

 実行委発足に先立って準備会は11日、150年祭のシンボルマークとキャラクターの一般公募を開始した。ともに五稜郭のイメージにふさわしいもので、準備会は「キャラクターは150年祭終了後も五稜郭地区のイベントなどで活用していきたい。独創的なアイデアで応募してほしい」としている。

 採用者にはそれぞれ賞金10万円が贈られる。応募は1人3点までで、締め切りは31日。設立総会の場で決定したシンボルマークとキャラクターを発表する。

 小笠原代表は「新幹線開業を控え、函館が注目される時期。1年をかけて五稜郭を発信し、観光客誘致や地域活性化に弾みをつけたい」とした。

 応募の問い合わせは準備会(五稜郭タワー内、電話0138・51・4785、午前9時~午後6時)へ。
 私もてこ入れ応援したいですが、函館の観光キャラクターはもう十分ではないかという気が……(^_^;)。


栃木
黒羽藩 農兵隊遺族への見舞状発見 栃木・那須歴史探訪館
■8日から企画展で公開

 戊辰戦争(1868~69年)で戦死した農兵隊の遺族に黒羽藩が送った見舞状が那須町の民家で発見された。同藩は戊辰戦争で新政府軍に付き、会津藩との戦いなどで功績を挙げた。見舞状については、戊辰戦争に従軍した黒羽藩士の史料に記されているが、実物が確認されたのは初めて。(伊沢利幸)

                   ◇

 見舞状は、那須歴史探訪館(那須町芦野)で開かれる企画展「戊辰戦争と那須町」(8日~11月24日)で初公開される。

 黒羽藩は戊辰戦争で領内の農民らから兵を募り、農兵隊を組織、新政府軍として会津などを転戦した。那須町の一部は幕末まで同藩の領地で、多くの農民らが隊に参加。見舞状は戦死した兵の父親に宛て、見舞金を送り、名字を許すことなどが記されている。

 農兵隊は幕末、強力に軍制改革を推し進めた15代藩主の大関増裕(ますひろ)(1837~67年)が編制。藩士が記録した史料などによると、1866(慶応2)年から16歳以上50歳以下を対象に兵を募った。約300人が参加し、洋式銃の扱い方などを訓練。藩は領内各地に練兵場を設置し、那須町内には峰岸、逃室(にがしむろ)、松子(まつご)の3カ所に設けられた。

 今回、確認された見舞状は、同町寺子乙の小羽入(こばにゅう)地区の民家で保管されていた。この家から農兵隊に参加、23歳で戦死した源太郎の父、善八に対し、1870(明治3)年に黒羽藩から送られた。源太郎の労に報い、50両を送るとともに同家に名字を許すことなどがつづられ、同藩民政局の印が押されている。

 同家から今年7月、那須歴史探訪館に連絡があり、同館が調査。当時の見舞状と確認した。同館は「黒羽藩が戊辰戦争で戦った武士以外の農兵隊にも手厚く報いたことが分かる。極めて貴重な史料」としている。

 企画展では黒羽藩を主力とした新政府軍と会津藩などの旧幕府軍が激突し、戊辰戦争での町内唯一の戦場となった小谷村の民家(同町池田)に残っていた弾痕の柱の一部や黒羽藩の焼き印が入ったゲベール銃など貴重な資料44点が公開される。問い合わせは同館(電)0287・74・7007。

                   ◇

【用語解説】黒羽(くろばね)藩

 黒羽(大田原市前田)に藩庁(黒羽城)を置いた1万8千石の藩。那須郡、芳賀郡のそれぞれ一部を領有。藩主の大関氏は、かつて那須氏の重臣で那須七騎の一人。外様の小藩ながら15代藩主・増裕は海軍奉行など幕府要職を歴任。跡を継いだ16代・増勤(ますとし)は戊辰戦争で戦功を挙げた。明治4年、廃藩置県で廃止。

佐賀
戊辰戦争の佐賀藩士慰霊 県幹部も参加へ
戊辰戦争(1868年)で秋田藩の援軍として命を落とした佐賀藩士を慰霊するための20日の現地での慰霊祭に、これまで毎年参加していた武雄市民に加え、県幹部が初めて参加する。佐賀藩士の慰霊碑がある秋田市新屋に「葉隠墓苑」ができて、今年は25周年。武雄市民の有志は「戊辰戦争に参加したのは佐賀藩全体。本来の姿に近づきつつある」と喜んでいる。
 戊辰戦争では、新政府軍側につき、東北で孤立した秋田藩を救うために多くの佐賀藩士が出征。武雄領からは兵士約千人が出兵し、秋田城下を焦土になる寸前で守った。佐賀藩の戦没者は54人(武雄の犠牲者は14人)で、葉隠墓苑の石碑には54人の名前が刻まれ、秋田市民の手で毎年慰霊祭が営まれている。
 今年の慰霊祭には武雄市民の有志5人に加え、佐賀県首都圏営業本部の宮崎珠樹本部長が初めて参加する。
 同営業本部と秋田県東京事務所とが、このほど職員同士で交流会をした際に、葉隠墓苑と慰霊祭の話が出たという。宮崎本部長が武雄側に打診し、参加を申し出た。県は福島県会津若松市で毎年、官軍側の西軍(新政府軍)墓地での慰霊祭に、「薩長土肥」のかかわりから参加しているという。
 宮崎本部長は「戊辰戦争の爪痕は東北にたくさんある。佐賀の人がまつられているのなら、秋田の人たちの真心に応え、感謝の気持ちを伝えたい」と話す。武雄から参加する花田晴年さん(66)は「県が参加することで、慰霊が佐賀県全体に広がる。いつの日か、佐賀県民墓参団という形でお墓参りが実現できれば」と期待している。

ブックレビュー
時代小説で読む!北海道の幕末・維新
■時代小説で読む!北海道の幕末・維新 歴史を愉しむブックガイド

 鷲田小彌太《著》

■多彩な作品、歴史伝える

 本州に比べれば北海道に時代(歴史)小説は少ない。だが、幕末・維新期に目を向けると、実は多彩な作品がいくつもある。北海道出身作家を中心に、そんな幕末北海道を舞台とする小説の魅力を紹介した異色の時代小説ガイドである。

 敗者と勝者、北辺の防備とアイヌ、箱舘戦争・異聞などのテーマごとに、30人余の作家の作品の概略と読みどころを歴史的背景の解説も交えて紹介している。

 厚田村に落ち延びた祖父をモデルにした子母澤寛の「蝦夷物語」や、明治期北海道の風物を活写した三遊亭円朝「椿説蝦夷訛(ちんせつえぞなまり)」、開拓団の“武士魂”を描いた本庄陸男「石狩川」など古典ともいえる作品から、原田康子や三浦綾子ら著名作家の作品、そして、佐々木譲「武揚伝」や蜂谷涼「へび女房」など現代の北海道の作家まで実に幅広い。

 リアリティーある吉村昭「間宮林蔵」と異形の性格の林蔵をハードボイルドに描いた北方謙三「林蔵の貌(かお)」の比較などからも、歴史・人物を多様な角度から読み解くことの面白さや大切さが伝わってくる。

 時代小説は歴史の豊穣(ほうじょう)さを味わわせてくれる、と著者は書く。読書と歴史センスがいかに心を豊かにするか――その「効用」を説いた指南書でもある。

(亜璃西社・1680円)
 先日、函館旅行で入手しました。当地で入手したために、蝦夷に関わりのある作家たちに思い入れをもって読みました。

エンターテインメント
大人気タイトル「薄桜鬼」、ミュージカル第3弾は土方歳三篇、新撰組のキャラクターは不滅(1/2)
高浩美の
アニメ×ステージ&ミュージカル談義
[取材・構成: 高浩美]

■ 公演前のイベントでファンもキャストもテンションアップ

オトメイトの人気ゲーム『薄桜鬼~新撰組奇譚~』が発表されたのは2008年のことだった。それから様々なシリーズが登場、メデイアミックスも盛んで、テレビアニメはもちろん、劇場アニメ、OVA、カフェ、居酒屋メニュー、ツアー、そしてミュージカルと多彩に展開しているのは周知の通り。
現在、ゲームの累計販売数は70万以上だそう。来年、『劇場版 薄桜鬼 第2章 士魂蒼穹』も公開が決定している。現在、「カラオケの鉄人」歌舞伎町店ではミュージカル『薄桜鬼』の歌が唄える特別ルームがあるそう。

今回のミュージカル化は第3弾、土方歳三篇となるが、公演に先駆けて板橋文化会館にてファンに向けてのイベントが9月23日に開催された。トークでは稽古中のエピソード等を披露、ファンにとっては楽しい内容でハイタッチ会もあり、会場は大いに盛り上がった。
公演前のイベントはファンがキャストと触れ合う数少ない機会である。ミュージカルを観る前から盛り上がれる、という趣向で、公演自体もさらに楽しく鑑賞出来ること、請け合いである。さらにキャスト達もファンと触れ合うことによってテンションも上がるので、公演のパーフォーマンスにもさらに力が入りやすくなる。いずれにせよ、イベントは公演にとってプラスに作用、今後もこういったことは継続して欲しい。

現在、オトメイトの他のタイトルも次々と舞台化されており、オトメイトファンの嬉しい悲鳴が聞こえてくるようである。もともと演劇を支えている観客は女性が大半を占めている。女性向きのゲームの舞台化は日本の演劇界の活性化につながるであろう。
■ 座長としての貫禄十分、矢崎広演じる土方歳三は当たり役

時代劇でおなじみの土方歳三、新選組の副組長として辣腕をふるったとされ“鬼の副長”と呼ばれるようになる。また有名な池田屋事件では直ぐに突入せずにまず周囲を固め、新選組の手柄にするために後から駆けつけた会津藩や桑名藩の兵を池田屋に入れなかったというエピソードがある。なかなかの策士で組を大切にする姿勢が伺える。テレビや映画、芝居では不動の人気のキャラクターである。
『薄桜鬼』でも副組長というポジション、そして組のために行動する、というのは変わらない。史実に大胆なフィクションが入り交じる、そこが『薄桜鬼』の面白さである。

オープニングは和太鼓が鳴り響き、ミュージカル『薄桜鬼』の真骨頂である殺陣から始まる。流行りのコリオを取り入れたダンス×殺陣はこのシリーズの“お約束”、出演者のキメポーズも確かで見ていて気持ちよい。土方歳三演じるは3度目になる矢崎広。安定した演技でキャラクターを確かなものにしていた。
風間千景(鈴木勝吾)と相見え、戦う場面は美しくも激しく、まさに『薄桜鬼』そのもの。シンプルな舞台セットだが、回り舞台になっており、場面を効果的にダイナミックかつ立体的に見せる。細かいセットを作らないので、かえって想像力を膨らませることが出来る。カンパニーの面々も役にこなれており、芝居に安定感がある。千鶴役の菊地美香は可愛らしくもいじらしい。佐橋俊彦は場面毎にメリハリのある楽曲を提供、ストーリーに色彩を添えていた。完全新作、ファンにとっては必見の舞台となっている。

囲み会見では千景役の鈴木勝吾と千鶴役の菊地美香が土方歳三演じる矢崎広を「座長として頼もしい」と評していたが、座長としても“副長”としても貫禄もあり、引き続き、土方歳三を持ち役として欲しい。
幕末の誰もが知っているキャラクターをこれだけ独創的に大胆に脚色している『薄桜鬼』、ゲームから2.5次元の世界への移行も、スムーズにミュージカル化に成功している。ミュージカル『薄桜鬼』シリーズ、来年もきっと新しいシリーズで継続しつづけることだろう。

ミュージカル『薄桜鬼』 土方歳三篇
日本青年館大ホール
10月2日~11日

“薄ミュLIVE”決定
2014年1月4日~5日 日本青年館大ホール
ミュージカル『薄桜鬼』土方歳三篇
2014年1月4日DVD発売決定
http://www.maql.co.jp/special/m-hakuoki/
 先日、カラオケショップで番宣のビデオが流れてました。

ツンデレ鬼副長に胸キュン! ミュージカル『薄桜鬼』土方歳三 篇レポート
「新選組」と「恋愛」のコラボレーションで累計70万部を超えるヒットとなった恋愛アドベンチャーゲーム『薄桜鬼』を原作とした人気ミュージカルのシリーズ第3弾となるミュージカル『薄桜鬼』土方歳三 篇が10月2日(水)に開幕。初回上演前には報道陣を招いてのゲネプロが行われた。白熱の舞台の魅力をレポート!

「ウレぴあ総研」でこの記事の完全版を見る【動画・画像付き】

新選組および幕末の史実をベースにしつつも巧みに脚色を加え、鬼と呼ばれる一族の者たちとの戦い、および尊王・佐幕が入り乱れる京の騒乱、戊辰戦争を軸に新選組が歴史の渦に飲みこまれていくさまを描いた本シリーズ。第1弾では三番組組長の左利きの居合の達人・斎藤一を、第2弾では天才剣士・沖田総司を主人公としてきたが、今回の第3弾では満を持して、新選組の“鬼の副長”の異名をとった人気キャラクター土方歳三が主人公に! ヒロイン・雪村千鶴が故あって新選組で土方の小姓となって以降の鳥羽伏見に会津、蝦夷にいたるまでの戦い、2人の切なくも美しい恋模様を歌と激しいアクションと共に描き出す。

土方を演じるのは「斎藤 一 篇」「沖田総司 篇」に続いて矢崎 広。衣裳やメイク、小道具などのビジュアルも本作の大きな見どころだが、新選組には欠かすことのできない浅葱色(水色)に袖をヤマ形に染め抜いたおなじみの羽織姿はもちろん、戊辰戦争以降は、黒い洋式の洋装姿で数多くの戦に参戦している。和装、洋装、いずれも甲乙つけがたいカッコよさで女性ファンの胸を打つこと間違いなしの男っぷりである。

そしてもうひとつ、本作で欠かすことの出来ないアイテムと言えば、千鶴の父親・雪村綱道が開発した、超人的な身体能力と治癒能力を引き出す変若水(おちみず)。土方もまた、劇中で変若水を飲んで“羅刹(らせつ)”と化すが、その副作用としてそれまでの美しい黒髪から、妖しさを漂わせる白髪に変身を遂げることに。特に物語終盤、白髪を振り乱しながら剣をふるう姿は圧巻の美しさである。


土方のみならず、沖田(廣瀬大介)に斎藤(松田 凌)、永倉新八(宮﨑秋人)に藤堂平助(池田純矢)、山南敬助(味方良介)、原田佐之助(小野健斗)、山崎 烝(河原田巧也)に新選組局長にして盟友・近藤 勇(井俣太良)ら新選組の仲間たちも充実のひとこと。キャストのほとんどが第一作からの続投組だけあって、激しい立ち回りやダンス、本シリーズを象徴する楽曲「ヤイサ!ヤイサ!ヤイサ!」などのシーンでもすっかり息の合った様子で同胞の空気を醸し出している。前作、前々作を見ているファンには嬉しい、シリーズのつながりを示す描写も散りばめられているのでこちらも要チェック。

そして土方の前に常に立ちはだかる宿敵の鬼・風間千景を『斎藤 一 篇』『沖田総司 篇』に続き鈴木勝吾が演じており、幾度となく土方や隊士たちと刃を交える。土方を倒すことのみに執心し、やがて一族から離れ、狂気すら帯びていくさまは敵ながらも胸キュン必至!? 特にクライマックス、『薄桜鬼』というタイトルにふさわしく、桜の花びらが舞い散る中での土方との最後の一騎打ちはシリーズ屈指の名シーンに仕上がっている。

それ以外にも華麗な剣の舞が満載! いずれの面々もセリフや歌を乱すことなく激しいアクションを見事にこなしており見応えたっぷりの重厚なステージとなっている。土方は戊辰戦争の最後の最後、蝦夷地・箱館の戦いまで従軍しており、当然ながら一人、また一人と散っていく隊士たちの死を最後まで見届けた存在でもある。苦楽を共にした大切な仲間との今生の別れも美しさを伴う切ないシーンに仕上がっており必見だ。

そして、何よりファンが気になるのはクールな土方と千鶴の恋模様。鬼の副長とその小姓という立場ながらも、長きにわたる戦いを共にする中でその心の距離には徐々に変化が――。時に立場を超えて思いを訴える千鶴の言葉が冷徹な土方の心をも揺り動かしてゆく。千鶴役の菊地美香は「素直に正直に――真っ直ぐ演じていきたい」と語る。守ってやらなくてはと思わせる無垢なさまと、逆に彼女こそが土方を守っているのでは? と思わせるような芯の強さを併せ持っており、鬼の副長と互角に渡り合わねばならない今回の千鶴役にぴったりと言える。京都から江戸、会津、仙台を経て最北の地へと渡る2人のツンデレ(?)な恋の行方からも目が離せない。

武士を夢見て新選組を作り上げ、幕末の戦乱を踊り狂った男が辿り着いた先は――。

ミュージカル「『薄桜鬼』」土方歳三 篇は日本青年館 大ホールにて10月11日(金)最終日。
 「ツンデレ」なのですね、確かに。
考えてみたら、当ブログは2003年12月から営業してまして(バックデートした記事もあるので、実際には2004年1月に開始)、今年の12月で満10年になるんです。わーお、続いているもんですねぇ。

北海道
小樽市総合博物館運河館で企画展「幕末小樽のアイヌ社会」-貴重な資料を展示 /北海道
 小樽市総合博物館運河館(小樽市色内2)第1展示室で10月5日、「小さな企画展 幕末小樽のアイヌ社会」が始まった。(小樽経済新聞)

【画像】 小樽市総合博物館運河館の外観

 江戸時代後期の高島・忍路を中心とした地域に住むアイヌの人々に関する資料を紹介する同展。アイヌの人々の生活文化をうかがい知ることができる服飾品や和人(本州以南に住む人々。アイヌの人々と区別するために使われる呼び方)との交易の様子を伝える文献を紹介する。

 同館運河館は1893(明治26)年に建てられた「旧小樽倉庫」の一部を利用して開館。同市の歴史を伝える第1展示室と同市の自然の多様性を標本や写真、ジオラマなどで表現する第2展示室で構成される。同館に所蔵されている資料は10万点以上に上り、中でも2万点に達する古写真コレクションは、デジタルデータ化され、館内の備え付けパソコンで検索・閲覧することができる。

 開館時間は9時30分~17時。入館料は、大人=300円、小人(中学生以下)無料ほか。12月6日まで。

福島
山口・萩から「白虎隊」供養 会津に自刃の図を持参し初
 山口県萩市唐樋(からひ)町の町内会役員らは3日、会津若松市の飯盛山にある白虎隊士の墓を訪ね、花を手向けた。会津と長州は戊辰戦争で戦った間柄だが、唐樋町の地蔵堂には白虎隊の自刃の図が掲げられており、町内会役員らが初めて会津にその自刃の図を持参し、白虎隊士を供養した。
 地蔵堂は萩市の中心部にあり、自刃の図は1939(昭和14)年から掲げられているという。自刃の図が萩市にあった理由は定かではないが、毎年秋分の日には地元の地蔵講が中心となって慰霊祭を行っている。
 唐樋町内会の塩飽(しわく)利直会長によると、かねてから町内会として自刃図を会津に持参し、白虎隊を供養したい―と願っていたという。
 念願かない、萩市から9人が来県。自刃図を白虎隊士の墓前に供え、手を合わせた。また、萩市出身の吉田松陰が会津を訪れた際の足跡をたどったほか、「会津と萩との友好を考える会」の滝沢洋之さんらと交流を図った。塩飽会長は「会津の方々が白虎隊士をしっかりとまつっていることが素晴らしい。これからも自刃図を守る。会津と積極的に交流したい」と話した。

墓参りし白虎隊士の冥福祈る 山口・萩市の町内会 「自刃の図」持参
 山口県萩市の唐樋町町内会の会員は3日、福島県会津若松市の飯盛山を訪れ、地元の地蔵堂に奉納されている「白虎隊自刃の図」を持参し、隊士の墓前に手を合わせた。 
 萩市と会津若松市は戊辰戦争で長州藩、会津藩として戦った間柄。塩飽利直会長らによると、奉納された理由は明らかではないが、若くして命を落とした隊士を悼む人が、地蔵堂に奉納したと伝えられているという。地蔵堂では毎年9月、白虎隊士の慰霊祭を行っている。 
 塩飽会長ら9人が訪れた。墓前に線香を手向け、隊士の冥福を祈った。 
 一行は、長州藩士の吉田松陰が通った会津坂下町の束松峠など、松陰ゆかりの地も訪れた。

白虎隊士思い、りりしく剣舞 若松で墓前秋季祭典 
 会津弔霊義会(芳賀公平理事長)は24日、会津若松市の飯盛山で白虎隊士墓前秋季祭典を行い、戊辰戦争で散った少年たちの霊を慰めた。
 弔霊義会、同市関係者、白虎隊士の遺族らが参列。芳賀理事長が「会津の少年たちは武士として学ぶ前に人間として学んだ。人間としての基本を尊ぶ会津武士の精神を継承していく」と祭文を読み上げた後、関係者が玉串をささげた。
 会津高剣舞委員会が剣舞を奉納。生徒たちのりりしい表情と動きに多くの観客が見入った。

白虎隊士の霊慰める 墓前祭で剣舞披露
 戊辰戦争で自刃した白虎隊士ら少年武士の霊を慰める墓前秋季祭典は24日、福島県会津若松市の飯盛山で行われた。 
 会津弔霊義会の主催で、毎年春と秋の2回催している。関係者約200人が参列した。 
 芳賀公平理事長が祭文を読み上げ、参列者が玉串をささげた。 
 会津吟詠会の吟奉納に続き、会津高剣舞委員会の生徒が剣舞を披露した。 
 会場には市民や観光客も詰め掛け、息の合った舞に見入っていた。 

3年ぶり白虎隊ウオーク 若松で隊士の足跡探る
 戊辰戦争で西軍に追われた白虎隊士が通った飯盛山の洞門を歩くイベント「我ら!白虎隊ウオーク」は24日、福島県会津若松市の同所で行われた。 
 飯盛山商店会(飯盛康子会長)の主催。東日本大震災以降、毎年秋に開催していたイベントを中止していたが、復活を望む声に応え、3年ぶりに再開した。地域住民ら約100人が参加した。 
 近くの旧滝沢本陣で出陣式を行い、飯盛山裏手の洞門入り口に向けて出発。参加者は白虎隊士に思いをはせながら、懐中電灯を片手に約170メートルの洞門の中を歩いた。

“八重”たちに大声援 会津まつり「藩公行列」620人堂々と
 会津まつり最大のイベントとして23日に行われた「会津藩公行列」は会津藩歴代藩主や白虎隊に扮(ふん)した市民や会津ゆかりの地から駆け付けた協力者など総勢約620人の武者行列が市内を堂々と進軍した。
 会津藩公行列の当番校の若松三中は、3年生ら約70人が重要な役柄や白虎隊士に扮(ふん)して進軍し、沿道から大きな声援を受けた。
 会津藩の誕生から京都守護職、戊辰戦争、会津の復興と物語性のある内容を表現した行列。最後尾には、八重に扮(ふん)した内田朋実さん(喜多方市出身)をはじめ夫の襄、兄の山本覚馬、母の佐久による「八重の桜記念」が編成され、行列に参加した。震災からの復興の象徴となった八重たちに沿道からは大きな声援が寄せられた。

 池内さんと三根さん「特別ゲスト」
 大河ドラマ「八重の桜」で会津藩家老・梶原平馬役の池内博之さんと、山本覚馬の長女・山本みね役の三根梓さんは会津藩公行列に参加したほか、出陣・帰陣式のステージに立った。
 行列では、沿道に詰め掛けた観光客に手を振り、まつりを盛り上げた。帰陣式では、池内さんが「皆さんの会津に懸ける熱い思いを感じた」、三根さんが「参加できて楽しかった」と語り、爽やかな表情を見せた。

栃木
黒羽藩 農兵隊遺族への見舞状発見 栃木・那須歴史探訪館
■8日から企画展で公開

 戊辰戦争(1868~69年)で戦死した農兵隊の遺族に黒羽藩が送った見舞状が那須町の民家で発見された。同藩は戊辰戦争で新政府軍に付き、会津藩との戦いなどで功績を挙げた。見舞状については、戊辰戦争に従軍した黒羽藩士の史料に記されているが、実物が確認されたのは初めて。(伊沢利幸)

                   ◇

 見舞状は、那須歴史探訪館(那須町芦野)で開かれる企画展「戊辰戦争と那須町」(8日~11月24日)で初公開される。

 黒羽藩は戊辰戦争で領内の農民らから兵を募り、農兵隊を組織、新政府軍として会津などを転戦した。那須町の一部は幕末まで同藩の領地で、多くの農民らが隊に参加。見舞状は戦死した兵の父親に宛て、見舞金を送り、名字を許すことなどが記されている。

 農兵隊は幕末、強力に軍制改革を推し進めた15代藩主の大関増裕(ますひろ)(1837~67年)が編制。藩士が記録した史料などによると、1866(慶応2)年から16歳以上50歳以下を対象に兵を募った。約300人が参加し、洋式銃の扱い方などを訓練。藩は領内各地に練兵場を設置し、那須町内には峰岸、逃室(にがしむろ)、松子(まつご)の3カ所に設けられた。

 今回、確認された見舞状は、同町寺子乙の小羽入(こばにゅう)地区の民家で保管されていた。この家から農兵隊に参加、23歳で戦死した源太郎の父、善八に対し、1870(明治3)年に黒羽藩から送られた。源太郎の労に報い、50両を送るとともに同家に名字を許すことなどがつづられ、同藩民政局の印が押されている。

 同家から今年7月、那須歴史探訪館に連絡があり、同館が調査。当時の見舞状と確認した。同館は「黒羽藩が戊辰戦争で戦った武士以外の農兵隊にも手厚く報いたことが分かる。極めて貴重な史料」としている。

 企画展では黒羽藩を主力とした新政府軍と会津藩などの旧幕府軍が激突し、戊辰戦争での町内唯一の戦場となった小谷村の民家(同町池田)に残っていた弾痕の柱の一部や黒羽藩の焼き印が入ったゲベール銃など貴重な資料44点が公開される。問い合わせは同館(電)0287・74・7007。

                   ◇

【用語解説】黒羽(くろばね)藩

 黒羽(大田原市前田)に藩庁(黒羽城)を置いた1万8千石の藩。那須郡、芳賀郡のそれぞれ一部を領有。藩主の大関氏は、かつて那須氏の重臣で那須七騎の一人。外様の小藩ながら15代藩主・増裕は海軍奉行など幕府要職を歴任。跡を継いだ16代・増勤(ますとし)は戊辰戦争で戦功を挙げた。明治4年、廃藩置県で廃止。

静岡
韮山反射炉で坦庵の業績体験
 韮山反射炉の世界文化遺産登録実現に向け機運を高めようと、「坦庵(たんなん)フェア」が二十一日、伊豆の国市中の韮山反射炉であり、大勢の家族連れが反射炉を造った江川坦庵の業績を体験した。
 幕末に鉄製大砲を鋳造するために鉄を溶かした反射炉の理解を深めてもらおうと、子ども鋳物教室が開かれた。日本で初めてパンを焼いたとされる江川坦庵にちなんで全国有名店のパン販売会も。反射炉のステージでは、和太鼓や吹奏楽の演奏があった。
 市内の主婦佐藤いずみさん(36)は、息子の幸大君(6つ)と鋳物教室に参加した。「韮山反射炉が世界遺産になることを知ってほしい」と話し、熱心に粘土で鋳型を作った。
 韮山反射炉は「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の構成資産二十八カ所の一つ。政府は今月中に暫定の推薦書を国連教育科学文化機関(ユネスコ)に提出する。
 行きそびれた(涙)……坦庵フェアは、静岡県だけでなく、当時の所領だった多摩や相模や甲州も巻き込んでやって欲しいなぁ。

韮山反射炉 世界文化遺産に推薦
 二〇一五年の世界文化遺産登録を目指す「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」を、政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦することが十七日、正式に決まった。構成資産の韮山反射炉を抱える伊豆の国市では、低迷する観光業の起爆剤として期待が高まる。今後はユネスコの審査をはじめとした難関が待ち受けるが、登録実現に向けた地元住民の機運醸成はまだ十分といえない。
 「伊豆半島は基幹産業の観光が低迷している。反射炉を起爆剤に周辺市町とも連携して誘客を進めたい」。伊豆の国市観光協会の鴨下記久枝(きくえ)会長(55)は推薦決定を喜ぶ。
 韮山反射炉の入場者数は昭和五十年代の三十万人超をピークに減少を続け、二〇一〇年度に四万九千八百八十一人となった。翌一一年度に九州・山口の構成資産に追加されると回復を始め、一二年度は八万二千三百六十三人に増えた。鴨下会長は「伊豆半島のほかの観光地に比べて反射炉は目立たなかったが、今後は前面にアピールする」と意気込んだ。
 登録実現には、来年夏に予定される国際記念物遺跡会議(イコモス)の現地調査などで重要視される地元住民の意識を高める必要がある。反射炉の知名度向上に取り組む韮山反射炉応援団の柴順三郎理事長(75)は「今後の審査に向けて市民一丸となって取り組む」としている。しかし、現在の会員数は四千六百九十一人にとどまり、伊豆の国市(五万八十二人)や周辺市町に広げる余地は十分にある。
推薦を祝って掲げられた懸垂幕=17日、伊豆の国市役所で
写真
 市はこの日、推薦決定を祝う懸垂幕を市役所など五カ所に設置。小野登志子市長は「反射炉を造った江川坦庵(たんなん)の理解を深めるために応援団を中心に勉強会を開きたい」と、市を挙げて取り組む姿勢を示した。江戸時代の伊豆韮山代官だった江川坦庵は、現在の「お台場」として知られる品川台場を築造したほか、日本で初めてパンを焼いたとされ、多くの業績を残している。だが、江川坦庵を詳しく知る人は少ない。
 韮山反射炉の二キロ北に江川坦庵が住んでいた江川邸があり、公益財団法人「江川文庫」が資料を公開している。江川文庫統括主任の藤井孝俊さん(72)は「市民でも坦庵のことを正しく知っている人は多くない」と指摘。「市民も観光客も反射炉と一緒に江川邸を見学して、坦庵の功績を学んでもらいたい」と呼びかけた。
(山田晃史)
◆日本の発展に寄与
 川勝平太知事の話 政府からの推薦を心から喜んでいる。明治日本の時代に、奇跡的にも政治的独立を堅持しながら経済発展したアジアで最初の国の産業遺跡だ。構成資産に韮山反射炉が入っており本当に良かった。(同じ構成資産の)鹿児島の旧集成館事業も個人的に関わっていたので、これを機に鹿児島と静岡の関係もさらに深まるだろう。
 <韮山反射炉> 幕末に鉄製大砲を鋳造するため、伊豆韮山代官・江川坦庵(たんなん)=1801~55年=が建築を指揮した溶解炉。炉と煙突を合わせた高さは15・7メートルあり、息子の英敏が1857(安政4)年に完成させた。実際に使われた炉として唯一、完全な形で残っている。
 私は江川坦庵公がNHK大河ドラマの主人公となってもおかしくないクラスの、日本の歴史に貢献した人だと思っています。なので、もっと存在をアピールして欲しいと思っています。そのネックは、静岡県の偉人という枠組みではないかなぁ……坦庵公は、当時、多摩・相模・甲州・伊豆諸島に及ぶ広い天領を代官として預かっていたし、品川から三島までの東海道も管理していました。今の都道府県の枠組みにはまらない活躍をした方なので、たとえば韮山と多摩でタイアップした坦庵公の事績を掘り起こすキャンペーンとか、やって欲しいです。

香川
瀬戸内芸術祭、秋会期始まる 来場100万人超見込む
 【柳谷政人】瀬戸内海の島々などを舞台にした現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭2013」の秋会期が5日、始まった。春、夏と続いて今回がフィナーレで、11月4日まで。春夏で計69万人が来場しており、通期で100万人以上の来場を見込んでいる。

【写真】瀬戸内国際芸術祭2013の秋会期が開幕。初めて会場になった本島で本間純さんの作品「耳鳴り」を見る人たち=5日午前11時8分、香川県丸亀市の本島、恒成利幸撮影

 秋会期で初めて会場となった香川県丸亀市の本島(ほんじま)では雨の中、小学生らが小旗を振って観光客らを出迎えた。島は戦国時代に活躍した塩飽(しわく)水軍の本拠地で、子孫が幕末に太平洋を渡った咸臨(かんりん)丸の乗組員として活躍した。咸臨丸をモチーフにした石井章さんの鉄の彫刻の前で、子どもらがソーラン節を披露し開幕を祝った。

 「セトゲイ」の愛称で呼ばれる芸術祭は3年ごとに開催され、今年で2回目。秋は本島など3島が新たに会場となり、10島と高松港、宇野港(岡山県玉野市)の12会場。

 ビートたけしさんと現代美術家のヤノベケンジさんが制作した巨大オブジェ「ANGER from the Bottom」(小豆島)など22カ国・地域のアーティスト168組が170点を出展する。

鹿児島
「平和の薩長同盟を」 薩摩観光維新隊、下関で鹿児島をPR
 西郷隆盛、篤姫、大久保利通の3人に扮(ふん)した鹿児島市の「薩摩観光維新隊」が4日、山口県の下関市役所を訪れ、「維新のふるさと」鹿児島をPR、「平和の薩長同盟を」と呼び掛けた。
 同隊は2018年の明治維新150年に向け結成された。今年5月に隊員に選ばれた西忠昭さん、水流なつきさん、小野大樹さんらが2~6日の日程で、山口県内各地の催しに参加している。
 萩市では同市PR隊「奇兵隊士」らと一緒に活動。下関市役所では国重敦生副市長から「下関も維新との関連が深い。協力してPRし、交流も深めましょう」と熱い歓迎を受けた。
昼の部、トリから見ました。立ち見だと言われて覚悟しましたが、まさか客席入り口のドア半開きのところにも人が群がっているとは思いませんでした。さすがキョンキョンです。

竹の水仙/喬太郎
 マクラはNHK朝ドラ『あまちゃん』終了に伴う「あまロス」について。
  キョン師の『竹の水仙』は何度もライブで聴いていたような気がしてブログを掘ってみたら、実は初めて。市馬さんと歌之介さんでは聴いたことがあるのだけど、キョン師のを聴いたことがあるつもりになっていたのは、どうやらTBS落語研究会の放送を録画してけっこうヘビロテしていたかららしいです。
 ぎっしり詰まった観客へのサービスに、最前列のお客様にも見えるようにいつもより座布団ひとつ分ぐらいせり出して高座ぎりぎりで演じたり、オーバーアクションで笑わせたり。
 甚五郎、爽やかな・人を食った、貧乏神・福の神の二面性を持つキャラが立っている。宿屋の主人の小物ぶりと好対照。普通の人なのに途中でキレる宿場名主と毛利大膳守の使い。そして、ガミガミうるさい宿屋のおかみさん。
 宿屋の主人、「竹の団子?」と思っていた竹っぺらが三百両で売れて、経営難から首をくくろうと思っていたところを救われたのはよかったが、欲が出て甚五郎にさらに竹細工をつくらせようとしたところ……甚五郎は袖にしてまた旅に出る。設定がとてもよく似ている『抜け雀』と、最後の場面が違うので印象が変わるんだなぁ。

 夜の部は、女性陣が白鳥作品をかけたので白鳥ナイトって感じでした。

道具屋/扇兵衛

目薬/文左衞門
 えっ、こんな浅い出番で文師が? 後で出てくる方々の証言から察するに、どうやら文師に用事ができたらしく、順番を変わってもらったらしいです。
 昔は文字の読めない人が特に職人に多かった……んー、また『手紙無筆』かと思ったら、何と『目薬』でした。艶笑噺で下ネタですが、笑っちゃいました。

ナースコール/美るく
 白鳥さん作品。みどりちゃんの馬鹿っぷりを笑えるかどうかが、この作品を笑えるかどうかの分水嶺ですね。美るくさんのみどりちゃんは、かわいらしさがありました。

太神楽/勝丸
 Twitterでつぶやかないでくださいと頼まれましたので、書かないでおきます。

船越くん/百栄
 また『船越くん』に当たっちゃいました。そんな馬鹿な、とツッコミ入れながら笑っちゃう。

大発生/丈二
 ツボにはまりました。マクラの、刑事ものでよくある取り調べの場面で出てくる、あの丼ものに関する蘊蓄もよかったし。
 とある島で、とんでもないものが大発生。駆除しようと試行錯誤する知事と側近。ワナや駆除薬、さらに天敵。

漫才/ホンキートンク
 久しぶりに聴いたかしら。歌舞伎ネタ満載で新鮮。

橋場の夢/三三
 若旦那が炬燵で温まりながらうとうとして見た夢。その夢の話を聴いて悋気から泣く若女将のお花が、大旦那や定吉を巻き込んで大騒動。若旦那の話を聴くにつれて、悋気から顔半分がぴくぴく
始める、お花の表情を描くあたりがなかなか楽しい。

山奥カフェ/粋歌
 白鳥さん作品『山奥寿司』を女子向けにアレンジした作品だそう。山奥にハワイアンカフェを訪ねに獣道を五時間、絶壁を三百メートル上るファイトは、私にはありません……(^_^;)。

長島の満月/彦いち
 マクラに、二十代の頃に白鳥さんとミクロネシアを旅行した時のエピソード。それで彦いちさんは、兄さんである白鳥さんを「白鳥」と呼ぶのね……無理もない(^_^;)。
 彦いち師匠が国士舘大学の学生でコンパに参加した時の体験談? 田舎の島に育ったせいか、話題を振られてもことごとく都会の人と共有できない思い出が浮かんでくる……大変ですなぁ。

キセル漫談/ひびきわたる

隅田川母娘/白鳥
 先月リリースしたばかりのネタだそうですが、故郷の上越高田で酔っ払ったお爺さんにからまれた悔しさからこんな名品が生まれるんですね。白鳥さん公式サイトを見る限り、国立演芸場とか鈴本でかけても受けたようですが、落語ファンの秘密結社風な池袋演芸場ならではの受けっぷりだったのではないでしょうか。
 愛子ちゃんというお嬢さんが主人公……というところで止めておきます。おちょくっているのでもなく、揶揄しているのでもなく、愛ある取り上げ方がいいと思います。

☆★☆★

 文師が早く上がったのは、ぺぺ桜井さん生誕77年記念「ぺぺ祭り」ご出演のためでありました。




カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
最新コメント
[12/14 白牡丹(管理人)]
[12/14 ゆーじあむ]
[11/08 白牡丹(管理人)]
[11/07 れい]
[01/21 ゆーじあむ]
[11/15 白牡丹@管理人]
[11/15 ゆーじあむ]
[05/25 長谷川誠二郎]
[07/23 白牡丹@管理人]
[07/23 伊藤哲也]
最新TB
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
プロフィール
HN:
白牡丹
性別:
非公開
自己紹介:
幕末、特に新選組や旧幕府関係者の歴史を追っかけています。連絡先はmariachi*dream.com(*印を@に置き換えてください)にて。
バーコード
Livedoor BlogRoll
本棚
Copyright ©  -- 白牡丹のつぶやき --  All Rights Reserved
Designed by CriCri / Material by White Board

忍者ブログ  /  [PR]