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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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生きている談志がステージに上がっているのを見るには間に合ったけど(市馬師匠の歌謡ショーのゲストだった)、談志の高座は聴けずじまいだった(行けなくてチケットを友人に譲ったのが、最後の高座「蜘蛛駕籠」だった)。そうか、亡くなって5年になるのか。
 2010年に落語を聴き始め、2012年の談志一周忌の立川流落語会から、11月のこの時期は談志まつりに毎年出向いている。立川流は志の輔・談春・談笑メインで聴いているので、一門の他の落語家さんを聴く機会でもある。

振り込め詐欺に気をつけろ〜安来節/平林

鮑のし/志遊

看板のピン/生志

慶安太平記〜吉田の焼き討ち/談春
 自分の前に上がった落語家たちは談志とは関係ないネタをかけている、談志の遺産で食っているというような趣旨(正確ではありません)のきついパンチを食らわせ、談志しかやっていなかったネタをやります、と。
 うん、小猿七之助とか慶安太平記をさらっとやっちゃう談春が好きです。

談志生誕80周年記念座談会/談四楼・談之助・談春・生志・志遊
 生前の談志の高座の録音が流れる。今回商品化された音源の一部から。2009年、亡くなる2年前。声は嗄れていたけれど、かなり出ていた。
 談志が選挙に出ていた頃の弟子である談四楼・談之助の思い出話が面白かった。

笑点史/談之助
 談志が立ち上げた笑点をリアルタイムで見ていた者にとっては、とても楽しいネタ満載。

歌謡漫談/東京ボーイズ
 寄席では30年でも40年でも同じネタで受け続ける落語家さんや芸人さんは結構います。たとえば圓歌師匠の「中沢家の人々」は何十年も同じネタですが、必ず笑わせます。
 それを思うと、私には全然ダメでした。

浜野矩随/談四楼
 しっとりと聴かせる。お母さんの自死を止めて間に合う圓楽版。
 息子の才能が開花して、なぜ死ななければならないのか。お母さんはたぶん、観音様に自分の命と引き換えに息子の才能が開花するように祈っていたのだと思う。だから、水杯で別れを交わした。
 講談ぽい話なので、昔は自死して死ぬバージョンがメインだったろうと思う。でも、現代人の感性には哀しすぎるので、自死するのを息子が止めて大往生というバージョンが受けいれられやすくなったのだろう。
 でもまぁ、やっぱり談四楼さんだから、しっとり聴かせて満足感。
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昨日BS11の「尾上松也の古地図で謎解き」で老中阿部正弘と第36代江川太郎左衛門(英龍、坦庵)と林述斎が取り上げられていました。

第55回 黒船来航~ペリーに立ち向かった3人の武士
今回のテーマは、「黒船来航」

▼ひも解く歴史の謎
①1年前に知っていた「ペリー来航」その時、幕府は・・・
②「江戸湾の砲台」黒船に向けられたものではなかった!?
③ペリーの脅しと対等に渡り合った男とは

今から約160年前、ペリー率いる巨大な蒸気船の艦隊が日本の海に現れました。いわゆる「黒船来航」は、日本を大きく揺るがし、江戸時代の「終わりの始まり」となりました。「突然やってきた」と思われている黒船ですが、実は幕府は来航の情報を1年前にはつかんでいました。事前にペリー来航を知った幕府がとった作戦とは。
2度目の来航に備え、江戸湾に砲台を作り始めた幕府。しかし、それは黒船に向けられたものではありませんでした。砲台の本当の目的とは。
そして、ペリーの強烈な脅しに屈せず、対等に渡り合い交渉をまとめた人物とは?
「黒船」に立ち向かった3人の活躍を、歌舞伎俳優・尾上松也と中村隼人が古地図でひも解きます。

古地図案内人:西川武臣(横浜市開港資料館)

 BSなので視聴率は低いかも知れませんが余り脚色せずに歴史を紹介する番組です。

 坦庵公関連で新聞記事もクリップ。

お台場生みの親「坦庵」PR 伊豆の国の小学生、都内で
 伊豆の国市立韮山小の6年生104人がこのほど、修学旅行先の東京都内で地元を紹介する手作りのパンフレットを配布した。江戸時代の韮山代官江川太郎左衛門英龍(坦庵)が現在の東京都港区に「台場」を築いた縁などをまとめ、韮山を広くPRした。
 児童は総合学習の時間で4月から地域の歴史を学んできた。世界遺産の韮山反射炉や江川英龍などについて調べ、7月にまとめた内容をパンフレットにして韮山反射炉と三島駅で配布。「韮山の宝を全国に広めたい」という思いから修学旅行先での活動を決めた。
 東京の人たちに興味を持ってもらうため、台場と韮山の関係を盛り込んだ内容で新たに製作。韮山にゆかりの深い北条政子も取り上げるなど関心を高める工夫を凝らした。5~6人の班ごとにB4判の紙の両面に説明文や絵などを手書きし、3クラスで計18種類のパンフレットを完成させた。
 配布活動はゆりかもめの台場や新橋など4駅で実施。児童は声を掛けながら駅を行き交う人たちに配り、約30分で用意した660部をほぼ配り終えた。受け取った人たちからは学校に電話やメールがあり、「新しいことを知る機会をくれてありがとう」「自分も高校時代に反射炉と江川英龍をテーマに作品を制作した」などの感想が寄せられたという。
 児童は今後、地元の魅力を直接伝える試みとして、市内の史跡でのボランティアガイドに挑戦する。担当の駒坂俊夫教諭は「活動をきっかけに子どもたちが地元に愛着を持ってくれたら」と話した。

偉人、武将隊姿でパレード 伊豆の国時代まつり
 伊豆の国市の歴史や文化を発信するイベント「伊豆の国時代まつり」(同実行委員会主催、静岡新聞社・静岡放送後援)が6日、同市の韮山時代劇場周辺で開かれた。仮装行列「時代パレード」やステージイベントが繰り広げられ、盛り上がりを見せた。
 パレードには団体や学校などの単位で市内外から約千人が参加。江川太郎左衛門英龍、源頼朝、北条政子などの市ゆかりの偉人や、武将隊、鉄砲隊などに扮(ふん)し、時代順に約850メートルのコースを練り歩いた。江川英龍が普及を図った高島流砲術の研究組織「西洋流火術鉄砲隊保存会」(東京都)など、他県からのゆかりの参加者も加わった。
 ステージでは、市内外の団体が伝統芸能や音楽演奏を披露。特産品などを販売するコーナー「楽市楽座」も設けられ、多くの来場者でにぎわった。
 まつりは市民の一体感や郷土愛を高める目的で2015年に初開催され、今年が2回目。
歌舞伎通のTwitter友が、10月から12月の仮名手本忠臣蔵の中でも、11月のが一番お勧めだという。すなわち、吉右衛門の大星由良助か。引用元は国立劇場特設サイトから。
浄瑠璃 道行旅路の花聟 清元連中
【道行旅路の花聟】
 早野勘平      中 村 錦之助
 鷺坂伴内      坂 東 亀三郎
 腰元おかる     尾 上 菊之助
 おかると共に落ち延びた勘平は、自分の不忠を悔み自害しようとします。しかし、忠義を果たす時を待つべきであると説得するおかるの言葉を聞き入れ、勘平はおかるの実家に身を寄せることを決意します。すると、師直の家来・鷺坂伴内が現れます。伴内は、勘平を捕まえて、おかるを自分のものにしようとしますが、勘平は見事にこれを退けるのでした。
五段目 山崎街道鉄砲渡しの場
      同   二つ玉の場
【五段目】
 早野勘平      尾 上  菊五郎
 千崎弥五郎     河原崎 権十郎
 斧定九郎      尾 上  松 緑
 勘平はおかるの実家に身を寄せ、猟師として暮らしています。
 山崎街道で、勘平が雨宿りをしていると、偶然にも、同輩だった千崎弥五郎と再会します。主君の大事に居合わせなかった(三段目)勘平は、その失態を恥じながら、師直館への討入りの計略に参加したいと伝えます。弥五郎は、判官の石碑建立の費用という名目で、討入りのための資金と徒党を集めていると伝えます。勘平は、金を用意することを約束し、弥五郎と別れます。
 その晩、おかるの父・与市兵衛は五十両を持ち、夜道を急いでいました。その五十両は、おかるの身売りの前金でした。おかるは、勘平を侍に戻してやりたいという気持ちから、勘平には内緒で、祇園の一文字屋へ身を売ることにしたのです。
 しかし、山賊の斧定九郎が与市兵衛を殺害し、五十両を奪います。その直後、定九郎は、勘平が猪を狙って放った銃砲に撃たれ、絶命します。暗闇の中、自分が撃ち殺したのが猪ではなく人間だと気付いた勘平は、動揺しながらも、亡骸の胸元にあった五十両を取り、その場を後にします。
六段目 与市兵衛内勘平腹切の場
【六段目】
 早野勘平       尾 上 菊五郎
 原郷右衛門        中 村 歌 六
 勘平女房おかる    尾 上 菊之助
 千崎弥五郎       河原崎 権十郎
 判人源六         市 川 團 蔵
 与市兵衛女房おかや 中 村 東 蔵
 一文字屋お才      中 村 魁 春
 勘平は、おかるが身を売ったことを知らず、家へ戻ります。すると、おかるを迎えに来た一文字屋のお才と判人源六に事の経緯を聞かされます。昨夜入手した財布と与市兵衛が前金の五十両を入れた財布が同じであると、勘平は気付きます。舅を殺害したと思い込み、絶望に打ちひしがれる勘平。おかるは、勘平と別れる悲しみを堪(こら)えながらも、両親の世話を頼み、祇園へと出立します。おかるに与市兵衛殺害を打ち明けようか迷った勘平ですが、何も言えずに見送るのでした。
 おかるが去った後、与市兵衛の亡骸が運び込まれます。突然の夫の死を嘆く妻のおかや。そして、与市兵衛が持っているはずの財布を勘平が持っていると知り、厳しく責め立てます。そこへ、塩冶家の家来だった原郷右衛門と弥五郎が現れ、勘平から渡された五十両を返却し、不忠者からの五十両を受け取ることはできないという由良之助の言葉を伝えます。勘平が与市兵衛を殺害したとおかやから聞かされた二人は、勘平を責めて、その場を立ち去ろうとします。亡君への恥辱と言われた勘平は、腹に刀を突き立て、「いかなればこそ勘平は……」と昨夜の出来事を語り始めます。
七段目 祇園一力茶屋の場
【七段目】
 大星由良之助    中 村 吉右衛門
 寺岡平右衛門    中 村 又 五 郎
 赤垣源蔵       坂 東 亀 三 郎
 矢間重太郎      坂 東 亀  寿
 竹森喜多八      中 村 隼  人
 鷺坂伴内       中 村 吉 之 丞
 斧九太夫       嵐   橘 三 郎
 大星力弥       中 村 種 之 助
 遊女おかる      中 村 雀右衛門
        ほか
 京都の祇園町にある一力茶屋。由良之助は遊興に耽っています。その噂を聞いた塩冶家の元家臣・斧九太夫が、師直の家来・鷺坂伴内を連れて現れます。九太夫は師直方に寝返っています。二人は、由良之助の様子を窺いに来たのです。由良之助の真意を知りたい塩冶の元家臣たちや、以前は判官の足軽で討入りに加わりたい寺岡平右衛門が訪れますが、由良之助は全く相手にしません。
 息子の力弥が届けた顔世からの密書を読もうとした由良之助のもとへ、九太夫が現れます。九太夫は、気の抜けた由良之助に討入りの意志はないと判断し、伴内を帰します。
 遊女になったおかるが、酔い醒ましのために二階の座敷に現れます。それに気が付かず、縁先で密書を読み始める由良之助。おかるは、恋文だろうと思い、手鏡に映して密書を盗み見ます。縁の下には、九太夫が潜んでおり、垂れ下がってくる密書を読み始めます。
 おかるが簪を落としてしまい、おかるに気が付いた由良之助は、慌てて密書を巻き取ります。しかし、その先がちぎれていたので、縁の下で何者かが密書を盗み見ていたと知ります。
 由良之助は、密書を全て読んだと言うおかるを身請けすると、いきなり言い出します。
 おかるの兄である平右衛門は、身請けと密書のことを聞くと、由良之助の真意を悟り、おかるを殺そうとします。果たして由良之助の真意とは?また、おかるや平右衛門の運命は?
先月の千穐楽を見に来た折に3階席で空いてるチケットを探したら2日の昼の部と某日の夜の部しかない。配役と見どころはお馴染み歌舞伎美人より。
一、四季三葉草(しきさんばそう)
翁 梅玉
千歳 扇雀
三番叟 鴈治郎

荘重さの中に清元の軽やかな名曲を乗せた祝儀舞踊
 翁、千歳、三番叟が登場し、それぞれの座に就くと翁がおごそかに舞い始め、四季折々の花を読み込みながら千歳とともに連舞となります。そして三番叟が鈴を手に五穀豊穣を祈り、拍子を取りながら軽快に踊ります。最後は三人そろってめでたく舞納めるのでした。
 数多くある「三番叟物」の一つで『式三番叟』の語音をもじり、四季の花々が詞章に巧みに織り込まれた晴れやかな襲名を祝う舞台に相応しい舞踊です。
  
二、歌舞伎十八番の内 毛抜(けぬき)
粂寺弾正 染五郎
秦秀太郎 松也
腰元巻絹 梅枝
小野春風 萬太郎
八剣数馬 廣太郎
錦の前 児太郎
小原万兵衛 亀鶴
小野左衛門春道 門之助
秦民部 高麗蔵
八剣玄蕃 彌十郎

奇抜な趣向が楽しいおおらかさが溢れる一幕
 小野春道の屋敷では家宝である小野小町の短冊が盗み出されたうえ、姫君錦の前が奇病にかかり伏せっています。そこへ、文屋豊秀の家臣粂寺弾正が、豊秀への輿入れが遅れている錦の前の様子を窺いにやって来ます。髪の毛が逆立つ姫の奇病を見て考え込んだ弾正ですが、手にした毛抜がひとりでに踊り出したことから、姫の奇病の仕掛けを見破り、悪人から小町の短冊も取り戻すと、意気揚々と引き上げていきます。
 愛嬌と知性を兼ね備えた弾正を描く古風な味わいの荒事をお楽しみください。

 弾正が頭良くて槍や剣も使えてヒーローなんだけど気に入った女にも男にも手をだす両刀遣いのセクハラ大魔王なのに驚いた。時代物なので平安時代の殿上人は男にも女にもまめなのがOKというのを時代観に取り入れているのかも知れないけど、予備知識がなかったので一瞬目が点になった。

河竹黙阿弥 原作より
今井豊茂 脚本
三、祝勢揃壽連獅子(せいぞろいことぶきれんじし)
狂言師後に親獅子の精 橋之助改め芝翫
狂言師後に仔獅子の精 国生改め橋之助
狂言師後に仔獅子の精 宗生改め福之助
狂言師後に仔獅子の精 宜生改め歌之助
長楽坊 萬太郎
萬年坊 尾上右近    
昌光上人 梅玉
慶雲阿闍梨 仁左衛門
文殊菩薩 藤十郎

親子がみせる情愛と勇猛な毛振り
 霊地清涼山の麓にある石橋では、四人の狂言師が手獅子を携え、石橋の謂れや親が仔を千尋の谷へ蹴落とすと、自力で這い上がってきた仔だけを助けるという文殊菩薩の霊獣の故事を踊って見せます。その後満開の牡丹の中、親獅子と仔獅子の精が現れ、豪放な狂いを見せ、勇壮な毛振りで舞い納めるのでした。
 能の「石橋」をもとに親子の厳しくも温かい情愛を描いた一幕。襲名披露狂言として、新芝翫、新橋之助、新福之助、新歌之助の親子四人で踊る舞台をご堪能ください。

 シネマ歌舞伎で亡き勘三郎と勘九郎・七之助の三人連獅子を見ているため、仔獅子の不揃い感は今いちだなぁと。
 オリジナルで加えた場面は仁左衛門様の阿闍梨が美し過ぎて溜息が出るばかりだ。

河竹黙阿弥 作
盲長屋梅加賀鳶
四、加賀鳶(かがとび)
本郷木戸前勢揃いより
赤門捕物まで
天神町梅吉/竹垣道玄 幸四郎
女按摩お兼 秀太郎
春木町巳之助 染五郎
魁勇次 松也
虎屋竹五郎 巳之助
磐石石松 尾上右近
お朝 児太郎
数珠玉房吉 国生改め橋之助
御守殿門次 宗生改め福之助
昼ッ子尾之吉 宜生改め歌之助
道玄女房おせつ 芝喜松改め梅花
おつめ婆 歌女之丞
伊勢屋与兵衛 錦吾
金助町兼五郎 男女蔵
妻恋音吉 松江
天狗杉松 亀蔵
御神輿弥太郎 友右衛門
雷五郎次 左團次
日蔭町松蔵 梅玉

粋な鳶と小悪党のやり取りを鮮やかに描く人気作
 本郷界隈の人々は、大名火消しの加賀鳶と旗本配下の定火消しとの喧嘩を恐れて木戸を閉め切っています。ここへ鳶頭の松蔵をはじめ若い加賀鳶たちが勢揃いしますが、親分の梅吉がこれを止めてその場を収めます。一方、盲長屋に住む竹垣道玄は、実直な按摩を装っていますが、実は人殺しも厭わない悪党ぶり。姪のお朝が奉公先の旦那に金を恵んでもらったことから悪巧みを思いつきます。伊勢屋へやって来た道玄は、店先で主人を脅しますが、そこに松蔵が現れて…。
 河竹黙阿弥が江戸の市井に生きる人々を巧みに描く世話物の名作をご覧ください。

 さすが河竹黙阿弥で、小悪党が人殺ししたり大店を恐喝したり姪を風俗に売ったりした挙げ句に捕まるという三面記事のようなストーリーをスタイリッシュかつリアルにドラマ化。七五調の台詞の美しさ、そして最後の場のだんまり捕り物の緊迫感とユーモラスな感じ。
『真田丸』クランクアップおめでとうございます。過去回を録画再生しながら今日の放送を楽しみに待っています。

福島
福島の近現代史】後世にどう伝えるか(10月29日)
 【再来年の平成30年に放送されるNHK大河ドラマは、幕末から明治初期の西郷隆盛[さいごうたかもり]を主人公にした「西郷[せご]どん」に決まった。この年は県内各地が戦場となった戊辰戦争と、元号が慶応から明治と改められた改元(1868年)から150年に当たる。時代の変革に関わった人々の群像や、近代化の道筋に全国の関心が集まるとみられる。
 県民は「戊辰と明治」に対して、さまざまな思いを抱き続けてきた。高校で国内外の近現代史を学ぶ「歴史総合」を必修とする検討が進む。節目に合わせた観光交流や連携、地域おこしに加え、史料を掘り起こしたり、史実を問い直したりする努力を積み重ね、本県の近現代史を若い世代や全国にどう伝えるのかを工夫するべきだ。
 「明治100年」に当たった昭和43年10月23日、政府主催の記念式典が都内で行われ、本県も同じ日に福島市で記念式典を催した。県は記念事業に「ふ」を図案化した県章の制定、先覚者の顕彰、県内の学校に県の木(ケヤキ)の植樹、「県民の森」の造成(大玉村)、県文化センターと県歴史資料館の整備(福島市)などを掲げた。一方、会津若松市内では戊辰殉難者の追悼祭が行われた。
 「明治150年」を前に、政府は今月、関連施策の検討や、内閣官房への推進室の設置を明らかにした。「平成の薩長土肥連合」を構成する鹿児島(薩摩)、山口(長州)、高知(土佐)、佐賀(肥前)の4県知事は「連携を一層密にし、国と一体となって取り組みを進める」との共同コメントを出した。
 本県も先人の功績をどう受け継ぎ、敬意や慰霊の思いをどう表すのかを官民で話し合う必要がある。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故を経験した今、国の近代化政策と本県の関係を振り返り、将来像を描く営みにつなげてほしい。高度経済成長期に迎えた「100年」との時代背景の違いを踏まえる姿勢が大切であり、特定の史観、政治的な立場や思惑に左右されない信念と慎重さが欠かせない。
 「150年」は歴史教育や研究の在り方を考える機会でもある。歴史上の出来事や人物には複数の解釈や評価が存在する。史料の発見や研究の進展に伴い、定説や通説が見直しを迫られ、教科書の記述に影響する場合がある。県内外の研究者や教員への支援、全国規模のシンポジウムや学会の定期的な県内開催を通じて、本県から教科書の書き換えや補足を求められる研究成果の蓄積と発信力の高まりを期待したい。(安田信二)

( 2016/10/29 09:18 カテゴリー:論説 )

浮世絵企画展が開幕 幕末3大絵師の作品展示 県立美術館
 鮮やかな浮世絵の風景版画を集めた企画展「原安三郎(はら・やすさぶろう)コレクション 広重ビビッド」は10月29日、福島市の県立美術館で開幕した。
 県立美術館の主催、福島民報社、テレビユー福島の共催。故・原安三郎氏(元日本化薬会長)が集めた名品で、歌川広重を中心に葛飾北斎、歌川国芳の幕末3大絵師の作品を展示している。広重晩年の傑作「名所江戸百景」、「六十余州名所図会」などを鑑賞できる。
 11月20日までの前期と、22日から会期最終日の12月11日までの後期で作品を入れ替える。前後期を合わせた展示点数は約250点に上る。
 11月6日午後2時から栃木県の那珂川町馬頭広重美術館の市川信也館長が「名所江戸百景の今と昔」と題して講演する。11月11日と12月3日の午後2時から学芸員のギャラリートークがある。
 観覧は午前9時半から午後5時。月曜日と11月24日は休館。一般・大学生1000円、高校生600円、小・中学生400円。みんぽう伝次郎クラブの会員証を提示すると、一般・大学生は800円となる。問い合わせは県立美術館 電話024(531)5511へ。
   ◇  ◇
 初日に会場を訪れた伊達市の農業佐藤久さん(56)は「色がきれいで構図も斬新。日本人が昔から続けている細やかな仕事が感じられる」と話していた。

(2016/10/30 11:46)

ニッポン瞬・彩烈女きりり 会津藩公行列(福島県会津若松市)
 2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の舞台、福島県会津若松市の秋を彩る「会津まつり」。メインイベントの会津藩公行列には例年18万人が詰めかけ、華やかな歴史絵巻を堪能する。長年撮影を担当している同市職員、山内久良さん(51)は「行列には遠方のゆかりの地の方も参加いただいています。笑顔を絶やさず、祭りを盛り上げてくださり、ありがたい限りです」。「八重の桜」放送翌年の2014年、「誇り高き烈女たち“会津の華”」をテーマに行われた会津藩公行列を、山内さんの写真で紹介する。
 以下、写真はリンク先でお楽しみください。

戊辰戦争の西軍将兵慰霊 会津若松・西軍墳墓史跡保存会が墓前祭
 会津戊辰戦役西軍墳墓史跡保存会(山田悦史会長)は23日、会津若松市の西軍墓地近くのとうみょうこども園で墓前祭を行い、戊辰戦争で亡くなった西軍将兵の霊を慰めた。

 神式と仏式を合わせた法要が行われた。

 山田会長が祭文を読み上げ、関係者が玉串をささげて焼香した。会津吟詠会の詩吟奉納もあった。

 西軍墓地には薩摩、長州など西軍各藩の将兵約150柱がまつられている。

青森
弘前城(下) 幕末まで続いた「遺恨」 (1/2ページ)
津軽氏の居城である弘前城(青森県弘前市)には、東照宮がある。東照宮といえば、日光東照宮を総本宮とする徳川家康を祀った神社だが、日光以外で東照宮が初めて分祀(ぶんし)されたのは弘前城が第1号である。

 一外様大名でしかなかった津軽氏が、なぜ徳川御三家や親藩大名より先に東照宮を建てることができたのか。それは、家康の養女であった満天(まて)姫が2代藩主、信枚(のぶひら)の正妻になったからだ。

 東照宮が城内にあるということは、実は極めて大きな意味がある。徳川氏との友好関係は誰が見ても明らかであり、徳川幕府統治下の日本においては最高の「御家安泰の御守り」であった。

 戦国時代末期の津軽氏と南部氏との関係は、弘前藩と盛岡藩となっても「犬猿の仲」が続いた。だが、南部氏が遺恨から弘前城を攻めれば、家康の神霊(しんれい)に弓を引き、徳川幕府への反乱とみなされる。弘前藩にとって、盛岡藩を牽制するうえでも東照宮の存在は非常に大きかった。

 ところが、明治元(1868)年に起こった戊辰戦争では、弘前藩は幕府側である奥羽越列藩同盟には参加せず、新政府側として戦い、戊辰後は奥羽触頭(おううふれがしら)の地位に就いた。

 一方の盛岡藩は、仙台藩とともに最後まで奥羽越列藩同盟の中心的役割を果たしたため「賊(ぞく)軍」となる。おまけに同盟諸藩で最も遅く停戦した。津軽氏と南部氏にとって、戦国末期の因縁を残したまま明治という時代を迎えたのは歴史のいたずらだろうか。

 現在、弘前城(弘前公園)内には、約3000本の桜の木がある。正徳5(1715)年に弘前藩士が植えたのが始まりで、明治時代には約2000本が植えられた。大正4(1915)年に大正天皇、同10(21)年に秩父宮と高松宮が弘前を訪れて、陸軍大演習を統監したのを機に増殖され、「桜の名所・弘前城」が誕生した。

 弘前は、弘前城の春の桜だけではなく1年を通じて楽しめる。「夏はねぷた」「秋は紅葉と菊人形」「冬は雪燈籠と四季の景観」と豊かであり、生産量日本一を誇る「りんごのまち」としても有名である。

 現在、弘前城は本丸の石垣が外側に膨らむ「はらみ」がみられるため、天守を曳屋(ひこや)によって移動させ、天守真下から石垣の一部を修復中だ。 =次回は赤穂城(兵庫県赤穂市)

 【所在地】青森県弘前市下白銀町1
 【交通アクセス】JR奥羽本線「弘前駅」から弘南バス「100円循環バス」で約15分「市役所前」下車、徒歩すぐ

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。陸上自衛隊、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学地方政治行政研究所客員教授、一般財団法人防災教育推進協会常務理事を務める。著書に『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅(上巻・下巻)』(青林堂)など。

山口
月性来年生誕200年 柳井出身、幕末維新の海防僧 地元顕彰会が講演会や本出版 /山口
 幕末に海防論を唱えた僧、月性(1817〜58年)の生誕200年を記念し、古里の柳井市で僧月性顕彰会(折中光雄代表理事)が、幕末維新の第一線の研究者による講演会や、月性の漢詩などを小中学生にも分かりやすく解説する読本の発行などを「月性さん顕彰プロジェクト」と名付け、来年から再来年にかけ実施する。【大山典男】

 月性は柳井市遠崎の妙円寺に生まれ、九州などに遊学し、帰郷後に私塾「清狂草堂(時習館)」を開いた。草…
 ここから先は有料記事で。

高知
幕末維新博開会式、来年3月4日に 推進協第3回会合 /高知
 来年の大政奉還150年と再来年の明治維新150年を機に県内で2年間開く「志国高知 幕末維新博」推進協議会の第3回会合が19日、高知市内であった。オープニングセレモニーを来年3月4日午前10時、高知市の高知公園で開くなど今年度事業計画や、高知城の石段改修などの関連予算を承認した。

 冒頭、会長の尾崎正直知事は、政府が「明治150年」関連施策推進室を開設したことや、2018年のNHK大河ドラマが「西郷(せご)どん」に決まり、舞台が幕末と明治維新…
 ここから先は有料記事で。

アート
北斎の作品だった!作者不明の6枚の絵画が浮世絵師・葛飾北斎の作品だったことが判明
 オランダのライデン国立民族学博物館所蔵の6枚の絵画作品はこれまで作者不明とされていましたが、調査の結果、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎が描いた可能性が高いことがわかりました。
北斎の作品である可能性が高い6枚の写真は医師で博物学者でもあったドイツのシーボルトによって持ち帰られたものなのだそう。シーボルトと北斎は当時交流があったと考えられています。

シーボルト直筆の作品の目録をシーボルトの子孫が所蔵しており、その目録と照らし合わせたところ「北斎が我々のスタイルで描いたもの」という記述が発見され可能性が高まったそうです。

これまで作者が分かっていませんでしたが、北斎研究で知られるライデン国立民族学博物館のマティ・フォラーシニア研究員などのチームが、シーボルトの子孫が所蔵していた目録と照らし合わせたところ、「北斎が我々のスタイルで描いたもの」という記述が見つかり、北斎の作品である可能性が高いことがわかりました。
NHKニュース

6枚の作品は水彩画のような西洋風の描き方が特徴で、このタッチは北斎が描いたものとしては異色のものなのだそう。北斎といえば木版画のイメージが強いですが、肉筆浮世絵も多く手がけており、国内外の様々な技法を自分のものにし作品に反映していたのでしょうね。

今年の新たな発見で印象的なものといえば、新選組の幹部・斎藤一の写真が発見されたり、真田丸の最古の絵図が発見されたりと色々とありましたが、

新撰組の新発見!謎の多かった新選組の幹部・斎藤一の写真が発見されました!

江戸時代 幕末に尊王派を取り締まっていた新撰組の幹部として活動していた斉藤一(さいとうはじめ)。…
斉藤一の経歴をはじめとする情報は今でも少なく、写真すらも残されていない人物とされていました。しか…真田丸、最古の絵図!「真田丸」出城の可能性を示す貴重な絵図が発見されました!

真田丸は、1614年の大坂冬の陣で戦国武将の真田幸村こと信繁が大阪城の南側に築いたとりでです。2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」のタイトルにもなっているので、今年はよく耳にしますね。この真…今回の北斎の絵画もなかなかビックリなニュースですね。

出典: NHKニュース, 西日本新聞

ブックレビュー
幕末、列強の日本侵略を防いだ本当の功績者は?「官賊と幕臣たち~列強の日本侵略を防いだ徳川テクノクラート~」足立倫行 (ノンフィクションライター)
 官賊とは「官」を名乗る「賊徒」のこと。本書では薩摩・長州藩の尊皇攘夷派。原田さんは1年前、『明治維新という過ち【改訂増補版】~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~』を発表し、読書界に一大センセーションを巻き起こした。明治維新は近代を招来した革命でも何でもなく、薩・長のテロリストらによる幼い天皇を人質とした姑息・卑劣な軍事クーデターに過ぎない、と検証してみせたのだ。

 本書は、その原田史観の第2弾。

 「列強の日本侵略を防いだのは、明治政府を作った薩・長勢力ではなく、徳川幕府の幕臣たちだった、という主張ですね?」

 「明治維新のずっと前に欧米列強と和親条約や通商条約を結んだのは誰か?徳川の幕臣たちです。に屈せず対応し、5カ国続けて条約締結することにより、いずれの国の抜け駆け侵略をも防いだ。したたかです。開国=近代化路線はその時に敷かれました」

 「倒幕の一因に、米英主導の小判流出策による徳川財政の弱体化があり、幕臣がそれを必死に食い止めようとした点も大きい?」

 「ええ。日本特有の為替レートを利用して米英は小判(金)を買い漁った。それが幕府倒壊の真の原因と見る研究者もいます。止めようとしたのが外国奉行の水野です」

 原田さんは、日英通商条約の署名者でもあった水野をはじめ、岩瀬、小栗、川路の4人を、幕末の優秀な徳川テクノクラート、幕臣の「4傑」とする。
 「本当は、老中・阿部正弘など彼ら幕臣の業績・名前こそが今日の教育の場で伝えられるべきなんです」

 さも残念そうに、腕組みをした。

 広告業界に身を置く原田さんは、若い時から作家志望で、大阪外大の先輩、司馬遼太郎の歴史小説などを愛読してきた。しかし、どうしても肯定できない部分があったという。

 「吉田松陰・坂本龍馬・勝海舟を過大評価して、その結果、明治維新を一大革命とみる視点です。それはどう考えても違うと思いました」

 例えば龍馬の仲介した薩長同盟。

 龍馬が宿敵薩・長を結びつけて結局維新に至ったというのが通説だが、文書は両藩の署名もない桂小五郎の私的書状で、会津・桑名藩をけん制する確認状にすぎない。大体、「同盟」の4カ月も前に伊藤博文、井上馨の両長州藩士が「薩摩藩士」を装って薩摩藩邸に滞在、活動していたのだ。

 「龍馬は言わばグラバー商会の営業マンです。亀山社中とは、英国・薩摩・長州の間で大量の新型武器を交易する組織でした」

 「驚いたのは、英国に政変がなければ、英国シナリオの明治維新になっていたかもしれないことです」

 「強硬なパーマストン首相が1865年に急死したために、〝死の商人〟グラバー商会もそれ以上の干渉を控えた。幕末の最終局面で、日本にとって神風が吹いた、と言えます」

 次は、原田史観の第3弾『大西郷という虚像』を刊行とのこと。
落語好きの関西人の友人と一緒に末廣亭へ。いつもは5時開演の夜の部だけど、5時ちょうどに入ったら、既にたん丈さんが上がってました(苦笑)。

老人前座じじ太郎/たん丈
 白鳥さん作ですね。隣の友人も結構笑ってくれた。

鼓ヶ滝/歌奴
 たぶんTBS落語研究会の放送で見たことあるけど、生で聴いたのは初めて。歌奴さん声がいいし声量があるので、浅い出番だけどついつい聴き惚れてしまう。

漫談/ひびきわたる
 あれ、キセル漫談じゃなくて普通の漫談で下りた……珍しい。私的にはだだ滑りでした。

味噌豆/丈二
 真打昇進前の「小田原丈」に関するエピソードを語った後は、古典で来ました。

お題トリ/白鳥・丈二・ぐんま
 あぶないネタを含めた10から意外に無難な「タロット占い」「カーディガン」「酢豆腐」がクジで選ばれる。この時点で、昼席から入れ替わりなしで居残っていて、別に白鳥さんファンでもなければ三題噺イベントだということを知らないお客さんも意外にいることが判明。でも雰囲気はまったりしていて、白鳥さん自身の書き込みでも「アットホーム」と書かれてました。
 池袋での三題噺も見たけど、今回は持ち時間が2時間とさらに短く、白鳥さんのチャレンジャーぶりには感心する。

牛ほめ/一琴
 秋葉様が仕込まれていなかったのでちょっとハラハラしたが、牛ほめの場面で下げ。こういう落とし方もあるのかと感心。

湯屋番/一九
 けっこう好きなネタ。ポピュラーだと思うのだけど、意外に生で聴いていない。数えてみたら過去に3回しか生で聴いていない。妄想する若旦那って現代でもわかりやすいし共感しやすいと思うんだけど。

三味線漫談/紫文
 マンネリズムなところが寄席ではいいと思うのだけど、声が出てない感じ。もともと痩身な方だけど、ちょっと健康状態が気になる感じ。
 長谷川平蔵版の他に大岡越前版もあるのは、今日初めて知ってお得な気分。

真田小僧/小里ん
 白鳥さんトリの割に古典の名手が続く(苦笑)。前座もかける「真田小僧」だけど小里んさんレベルの渋い真打ちがかけるとじっくり聴き入って金坊の悪知恵にばかうけしちゃう。

時そば/小燕枝
 わー、中入前までは古典落語の見本市ってネタが続く。そして「時そば」は本当に好き。前半の夜鷹蕎麦の美味しそうなこと、後半の蕎麦のまずそうなこと(≧∀≦)。

犬の目/小せん
 ちょっとハイカラでポップな古典落語。でも中入り後、だんだん白鳥ワールドに近づいていくためのネタとして素晴らしい。

漫才/にゃん子金魚
 金魚ちゃんの髪飾りはハロウィン仕様。お客さんが本物のバナナを差し入れたので否が応でも盛り上がる後半。

掛け声指南/彦いち
 そして新作。しかも新宿駅前にかつてあった果物屋と、歌舞伎町のティッシュ配りと、新宿末廣亭に縁が深いネタ。

ぐつぐつ/小ゑん
 やった。好きなのよ、これ。鈴本で一度聴いているのだけど、おでんのネタが主人公って奇抜さと小ゑんさん力一杯「ぐつぐつ!!」が挟まったオムニバス形式な感じが何か好き。

紙切り/正楽
 さすが。「ぐつぐつ」も切れちゃう。

三題噺/白鳥
 今日は「カーディガンの由来」の一席になった。3つのキーワードだけでなく、糖尿病とか××××とか没になったキーワードもなるべく折り込もうとするサービス精神。そして2時間で作品としてちゃんとつくっちゃうところ、やっぱ凄い。






八代目中村芝翫(橋之助改め)、四代目中村橋之助(国生改め)、三代目中村福之助(宗生改め)、四代目中村歌之助(宜生改め)の4人襲名披露興行は前代未聞とのこと。国立劇場50周年で仮名手本忠臣蔵を三ヶ月連続興行してるのとモロにスケジュールがかぶってしまったけど、それでも番組は豪華だし、口上も賑々しいメンバーだった。
 しかも、運良く千穐楽のチケットが昼夜取れてしまったので本当嬉しい。
 息子さん三人と併せて四人の襲名披露興行というだけでなく、芝翫さんの兄福助さんの長男児太郎さん(福助さんは歌右衛門、児太郎さんは福助の襲名が決まっているが福助さんは病気療養中)、芝翫さんの義弟勘三郎さんの次男七之助さんも出演し(勘九郎さんは先日まで舞台「真田十勇士」で大阪興行中だったため上がっていないが)、大きな意味で成駒屋ファミリーの祝い事として番組ができていた。

引用は「歌舞伎美人」サイトより。

一、初帆上成駒宝船(ほあげていおうたからぶね)
橋彦 国生改め橋之助
福彦 宗生改め福之助
歌彦 宜生改め歌之助

襲名を寿ぐ祝儀舞踊
 中村国生改め四代目中村橋之助、中村宗生改め三代目中村福之助、中村宜生改め四代目中村歌之助襲名を寿いでつくられた新作舞踊です。
 成駒屋ゆかりの詞章で三兄弟が舞を舞う晴れやかな一幕です。
 新作で三兄弟や成駒屋にちなんだ詞が折り込まれた、宝船に乗り込んで海から歌舞伎座を目指す三兄弟という趣向。

二、女暫(おんなしばらく)
巴御前 七之助
舞台番松吉 松緑
轟坊震斎 松也
手塚太郎 歌昇
紅梅姫 尾上右近
女鯰若菜 児太郎
局唐糸 芝喜松改め梅花
東条八郎 吉之丞
江田源三 亀寿
猪俣平六 亀三郎
成田五郎 男女蔵
清水冠者義高 権十郎
蒲冠者範頼 又五郎
     
女方ならではの趣向でみせる荒事の様式美
 源平の合戦で功を立てた蒲冠者範頼が、家臣らを引き連れ北野天満宮へ詣でると、居合わせた清水冠者義高らは、権勢を誇る範頼の暴挙をたしなめます。怒った範頼は、成田五郎らに命じ、義高らの命を奪おうとします。そのとき、「しばらく」の声をかけて現れたのは、巴御前。女ながら武勇に優れた巴御前は、義高らを救い、紛失していた名刀倶利伽羅丸を取り戻します。そして範頼の仕丁を成敗すると、急にしおらしい姿を見せ、恥じらいながら去って行くのでした。
 歌舞伎十八番の『暫』を女方が演じる華やかな舞台をご覧ください。
 玉三郎さんで一度見ています。引っ込みで恥じらう姿がとても可愛かった。
 七之助さんはそこまで手弱女っぽくはせずに、舞台番松吉さんに立役の引っ込みを教わって引っ込む、という小芝居が面白かった。

三、お染 久松 浮塒鷗(うきねのともどり)
女猿曳 菊之助
お染 児太郎
久松 松也

身分違いの恋を描いたお染久松ものの舞踊
 浅草の大店のひとり娘のお染は、親の決めた縁談が嫌で家を飛び出し、隅田川の土手までやって来ます。その後を恋仲の丁稚の久松が追いかけて来て、家に戻るようさとしますが、お染は聞き入れません。そこを通りかかった女猿曳は、二人が噂のお染と久松であろうと察すると歌祭文に事をよせ意見をします。そして二人の気を引き立てようと万歳の様子をみせ、その場を後にします。しかし、二人は別れることができず、心中の覚悟を決め去っていきます。
 華やかで情感豊かな清元が、お染久松の心情と女猿曳の軽妙な味わいを盛り立てます。
 児太郎のお染、松也の久松、そして女猿曳は菊之助……と好きな役者さんが揃っていました。

河竹黙阿弥 作
四、極付 幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)
「公平法問諍」
幡随院長兵衛 橋之助改め芝翫
女房お時 雀右衛門
唐犬権兵衛 又五郎
伊予守源頼義 七之助
坂田公平  亀三郎 
御台柏の前 児太郎 
極楽十三 国生改め橋之助
雷重五郎 宗生改め福之助
神田弥吉 宜生改め歌之助
下女およし 芝喜松改め梅花
舞台番新吉 吉之丞
坂田金左衛門 男女蔵
渡辺綱九郎 権十郎
出尻清兵衛 松緑
近藤登之助 東蔵
水野十郎左衛門 菊五郎

男伊達の潔さと江戸の心意気
 大勢の芝居見物客で賑わう江戸村山座の舞台に、旗本水野十郎左衛門の家臣が乱入して騒ぎ出します。これを止めた幡随院長兵衛の様子を見ていた水野十郎左衛門が、長兵衛を呼び止めます。そこへ長兵衛の子分の極楽十三、雷重五郎、神田弥吉が駆け出して来て、一触即発となりますが、長兵衛がその場を収めます。後日、水野の屋敷に呼ばれた長兵衛は、この誘いが水野の企みだと悟りながら、出向くことを決意します。案じる女房子どもに別れを告げて、長兵衛は水野邸へ一人で乗り込み……。
 町奴の長兵衛と旗本の水野の対決を鮮やかに描いた河竹黙阿弥の名作です。襲名ならではの豪華顔合せ、そして新芝翫の長兵衛に、新橋之助、新福之助、新歌之助の子分で親子四人の共演の舞台をお楽しみください。
 長兵衛が女房子供と子分たちに別れを告げる場面で不覚にも爆睡してしまったけど、水野屋敷の場面はしっかり見ました。

夜の部

平成28年度(第71回)文化庁芸術祭参加公演
野口達二 改訂
一、歌舞伎十八番の内 外郎売(ういろううり)
外郎売実は曽我五郎 松緑
大磯の虎 七之助
曽我十郎 亀三郎
小林妹舞鶴 尾上右近
化粧坂少将 児太郎
近江小藤太 宗生改め福之助
八幡三郎 宜生改め歌之助
茶道珍斎 吉之丞
小林朝比奈 亀寿
梶原景時 男女蔵
工藤祐経 歌六

早口の言い立てが見どころの一幕
 遠くに富士山を望む箱根神社の社頭。工藤祐経が小林朝比奈やその妹舞鶴、大磯の虎たちを従え、休息をしているところへ、小田原名物の外郎売に身をやつした曽我五郎がやって来ます。五郎が、妙薬である外郎の故事来歴や効能を立て板に水のごとく披露しながら、工藤への敵討ちの機を狙っています。そこへ兄の十郎が駆けつけ、時節を待てと五郎をたしなめます。親を思う心を察した工藤は、狩場での再会を約束するのでした。
 曽我狂言お馴染みの人物が勢揃いする華やかな一幕です。
 外郎売の口上をボイストレーニングでいただいたので、言い立ての部分がとても楽しゅうございました。
 七之助さんの大磯の虎、児太郎さんの化粧坂少将はさすがだったけど、あとふたりのきれいどころの台詞回しがとても危うくて、ちょっとハラハラしました。配役に名前が出ていないのでそういう配役だったのだと思いますが。

八代目中村芝翫 四代目中村橋之助 三代目中村福之助 四代目中村歌之助 襲名披露 口上(こうじょう)

橋之助改め芝翫
国生改め橋之助
宗生改め福之助
宜生改め歌之助
     

     藤十郎
     幹部俳優出演

襲名を祝う一幕
 裃姿の俳優が舞台に並び、この度新たに誕生いたします八代目芝翫、四代目橋之助、三代目福之助、四代目歌之助が、皆様に襲名披露のご挨拶を申し上げる一幕です。
 山城屋さんの発声に始まり、今日出演の主立った俳優さんたち全員がご挨拶。児太郎さんは父の福助さんについても触れたし、七之助さんは亡き父勘三郎さんについて触れたばかりでなく、自分が出演していない来月の興行を息子さんたちフィーチャーで宣伝部長のように語りました。

一谷嫩軍記
三、熊谷陣屋(くまがいじんや)
熊谷直実 橋之助改め芝翫
相模 魁春
藤の方 菊之助
亀井六郎 歌昇
片岡八郎 尾上右近
伊勢三郎 宗生改め福之助
駿河次郎 宜生改め歌之助
梶原平次景高 吉之丞
堤軍次 国生改め橋之助
白毫弥陀六 歌六
源義経 吉右衛門

戦の世の無常と人生のはかなさ
 熊谷直実が自らの陣屋に戻って来ると、国元にいるはずの妻相模が陣屋を訪れています。熊谷は、相模と敦盛の母藤の方に一ノ谷の合戦で平敦盛を討った次第を語り、源義経のもとに敦盛の首を届けようとします。そのとき奥から義経が現れ、その場での首実検を命じます。熊谷が首を差し出すと、そこには熊谷の一子小次郎の首。義経は、後白河法皇の落胤である敦盛を救うよう密かに制札に託しており、その意を汲んだ熊谷は、我が子を身替りにしたのでした。そこへ梶原平次景高が頼朝へ言上すると駆け出しますが、石屋の弥陀六により梶原は絶命します。義経は、弥陀六が平家の残党、弥平兵衛宗清であると見抜き、救った敦盛を託します。そして熊谷は……。
 人生の儚さが胸をうつ義太夫狂言屈指の名作を、新芝翫が襲名披露狂言として、四世芝翫の型で演じます。
 「團十郎型」と「芝翫型」があって、数年前に「芝翫型」を復活させた功績で芸術院賞を受賞されていた、というのはイヤフォンガイドで知りました。
 すでに見たような気がして過去ログ探ってみたのだけど、生で観たのは初めてでした。たぶん飛行機内で見た「わが心の歌舞伎座」の中で吉右衛門さんで見たのが記憶に残っていたのでしょう。
 その吉右衛門さんが義経で若々しい主君を演じてまったく違和感がないというのが、歌舞伎というか演技の凄いところです。。
 團十郎型と比較して見るほど見慣れてはいないのですが、引っ込みで幕が下がるのは自然な感じでした。

四、藤娘(ふじむすめ)
藤の精 玉三郎
     
華やかで変化に富んだ優美な世界
 松の大木に藤の花が絡んで咲き乱れているところへ、塗笠をかぶり藤の枝を手にした愛らしい娘が現れます。大津絵から抜け出したように可憐な娘は実は藤の精。男心のつれなさを名所近江八景によせて踊り、恋のもどかしさを艶やかに踊っていきます。そして、松の大木に去っていった藤の精は、やがて小蔭から現れ、ゆったりと藤音頭を踊り始め、ほろ酔いの姿を艶やかに見せます。続いて娘の可愛らしさと、廓の女性の色気が織り混ざった華麗な手踊りとなりますが、やがて日も暮れ、いつしかその姿を消すのでした。
 華やかで可憐な舞踊をご堪能ください。

 吉右衛門さんの義経に続いて、玉三郎さんの藤娘もまた年齢を超越している……というか芸でちゃんと娘や若い女を見せているので凄いです。まるで生きた「紅天女」です。
2018年が戊辰戦争150年ということで、会津では記念事業の準備が始まりました。一方、薩長同盟を結ぶ前の桂小五郎の直筆書簡が見つかったりもして、幕末維新期からホットな歴史的発見がありそうです。

史実
「西郷の船来ず」桂が手紙に薩長同盟前年
 「薩蒸気船今以来り不申(薩摩の蒸気船がまだ来ない)」。桂小五郎(木戸孝允)が薩長同盟前年の1865年、下関で会談予定だった西郷隆盛の到着を待つ心情を記した直筆の手紙が19日までに、高知県立坂本龍馬記念館(高知市)の調査で見つかった。亀尾美香主任学芸員は「薩長同盟の舞台裏が分かる貴重な新史料」と話している。

 桂が同年の旧暦閏5月17日(西暦7月9日)と19日(同11日)、下関から長州藩上層部に宛てた2通と、68年7月の戊辰戦争の最中、参謀に戦線の状況などを伝えた1通の計3通。同館が今夏に京都の古書店で発見、筆跡鑑定などから桂本人の手紙と断定した。
福島
<戊辰戦争150年>会津若松市が記念事業委
 2018年の戊辰戦争150周年に向け、福島県会津若松市は17日、市内の経済、文化団体などと「会津若松市戊辰150周年記念事業実行委員会」を設立した。先人顕彰などの事業を通して会津地方の歴史的意義を再認識し、観光客の誘致や文化振興につなげる。
 18年に記念式典や講演会を開催するほか、記念誌の発行、誘客宣伝の映像製作、旅行商品開発、ロゴマーク作成といった事業を検討している。
 市内であった設立総会には、観光商工、教育・文化、交通関連など加盟する約130団体・個人の関係者が出席。会長に室井照平市長を選出し、顧問に会津松平家14代当主の松平保久氏、内堀雅雄福島県知事が就いた。
 室井市長は「会津の思いを広く発信する重要な機会。全市的な取り組みにして市民の機運醸成につなげたい」と話した。
 総会後、市内の観光施設「会津藩校日新館」の宗像精館長が「戊辰150年を世界へ」と題し講演した。

「戊辰戦争」150周年で式典 会津若松で記念事業委の発起人会
 戊辰戦争から150周年にあたる2018(平成30)年に、記念事業などを繰り広げる「会津若松市戊辰150周年記念事業実行委員会」の発起人会が12日、同市で開かれ、記念式典の開催など事業の概要を確認した。節目の年に歴史的意義を再確認しながら、先人の顕彰を通して文化振興や観光誘客につなげる。

 実行委は17日に設立され、約140団体が加盟する予定。

 実行委は17年度に情報発信に向けて専用ホームページを開設する。また機運醸成に向けたのぼり旗やロゴマークを作り、記念誌や映像も制作する。このほか複数の部会に分かれて、さまざまな取り組みも進める。

 発起人会には市や会津若松商工会議所、会津若松観光ビューローなど10団体の代表が出席。議事では「戊辰の歴史とともに、新時代を誇り高く生きた会津人の功績と思いに光をあて、会津の歴史や伝統文化を広く発信する」との設立趣意を決めた。

 同市では実行委とは別に、市民有志による「会津戊辰戦争150周年事業実行委員会」(会長・阿部隆一歴史春秋出版社長)が設立され、今年から3年計画の事業に着手している。

東京

北斎 ヨーロッパを魅了した江戸の絵師
オランダ、フランスから謎の風俗画40点 初の同時里帰り!!

北斎工房、オランダ国立民族学博物館蔵
(C)National Museum of Ethnology, Leiden
 葛飾北斎(1760~1849)は、日本の画家の中で最も早く西洋画法に習熟し、独自の絵画世界を作り上げた江戸の絵師です。しかし北斎の作品に魅了されたのは、日本人ばかりではありませんでした。激しいタッチと強烈な色彩を用いて感情を表出した作品を描いたゴッホは、「大好きな日本版画のコレクションをありったけ壁にピンで留めたい」と語り、その筆頭として北斎の名前をあげるほど、北斎の絵画世界に最も影響を受けた人物のひとりといえるでしょう。ゴッホをはじめ、日本の浮世絵が印象派をはじめとした西洋の近代絵画に大きな影響を及ぼしましたが、これ以前、江戸時代より日本の美術や世相、歴史、社会制度、物産などはヨーロッパで紹介されていました。
 最近の研究で文政年間(1818~1830)、長崎の出島に滞在したオランダ商館長たちは、 4年ごとに行われる江戸参府の時に北斎などの絵師に肉筆の風俗画を注文し、次の参府の際に注文した作品を祖国に持ち帰っていたことがわかりました。当時、50歳を過ぎた頃の北斎の関心は、人物や風俗、動植物などを漫然と筆の赴くままに描いたスケッチ集『北斎漫画』を出版するなど絵手本の制作にありました。
オランダ商館長の依頼を受け、北斎やその弟子たちが描いた作品も、江戸の人々の暮らしぶりが描かれています。これらの風俗画は、現在、オランダ国立民族学博物館とフランス国立図書館に所蔵されています。
 そして、今回、オランダとフランス、2箇所に分蔵されていたこれらの風俗画が初めて同時に里帰りすることになりました。特にオランダ国立民族学博物館に所蔵される<節季の商家>、<端午の節句>、<花見>などはオランダ商館の医官シーボルトが持ち帰ったものとして注目されています。本展では、オランダとフランスに残る北斎の風俗画から、これまで"知らなかった"北斎像を探るとともに、北斎とシーボルトの交流にも着目します。そして江戸で人気を博した「冨嶽三十六景」や『北斎漫画』に代表される、版画や版本、肉筆画、摺物など、初公開を含む北斎の名品を幅広く紹介します。 "知らなかった北斎"と"知っている北斎"―、ふたつの視点から迫る本展覧会で、ヨーロッパをも魅了した江戸の絵師・北斎の芸術をあらためてお楽しみください。


松陰神社で「幕末維新祭り」始まる 23日には奇兵隊パレードも
 松陰神社(世田谷区若林4)と松陰神社通り商店街で10月22日、「幕末維新祭り」が始まった。さわやかな秋晴れには恵まれなかったものの、大勢の来場者でにぎわっている。23日まで。

多くの屋台が出店する松陰神社内の様子

 幕末の思想家で、私塾「松下村塾」を率いた吉田松陰を祭る松陰神社を中心に、商店街周辺ではさまざまなイベントが行われている。今年で25回目。

 神社本殿前では11時30分よりオープニングセレモニーが行われ、今回のイベントを主催した「松陰神社通り松栄会商店街振興組合」の理事長で、維新祭りの佐藤勝実行委員長があいさつに立った。佐藤さんはまず、世田谷区とともに同祭後援を行う山口県萩市との1991年から始まるエピソードについて触れ、「『世田谷に小さな萩を作りませんか』というところから交流が始まった。今では、大きな萩が世田谷に根付いている」と述べた。続けて、佐藤さんは幕末動乱期を描いた2015年放送のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の影響についても説明。「昨年の来場者は5万人で、年々増えている。名実ともに『世田谷三大祭り』と呼べるぐらいに成長した。(吉田)松陰先生に負けないよう、来年再来年と続けていきたい」と抱負を語った。

 その後、保坂展人世田谷区長をはさみ、山口県萩市の野村興児市長があいさつ。野村さんは松下村塾について、「非常に多面性を持っていた。ある人は政治塾といい、またある人は教育を重視した塾という」とし、日本の近代化における吉田松陰の多大な貢献について、歴史を交えて説明した。最後に、国の登録有形文化財の指定を受けた「明倫小学校」を改修した施設「萩・明倫学舎」が、同市内に2017年3月オープンすることをPRした。その後、数名のあいさつを経て、鏡割りが行われ、セレモニー参加者に日本酒がふるまわれたり、地元・国士舘大学の吹奏楽部がディズニー映画「アラジン」で知られるバラード曲「ホール・ニュー・ワールド」など計2曲を披露するなどした。

 セレモニーは12時15分過ぎに終了し、スタート時はまばらだった会場も、この頃には親子連れを中心とした来場者でにぎわった。神社内にはさまざまな屋台が並び、入口付近には、幕末ファンに向けた書籍販売所も設けられた。

 商店街でも、各店舗が路上販売を行い、神社同様の盛り上がりを見せていた。商店街内の資料館「松下村塾學び館」の運営スタッフは、「イベントの行われない普通の週末にも、松陰神社を訪れる人が増えている」と話していた。

 22日18時からは本殿前にてジャズのビッグバンド演奏が、23日13時からは「奇兵隊パレード」が行われ、世田谷区役所をスタートし、神社や商店街周辺を練り歩く。

 開催時間は、22日=10時~20時、23日=10時~19時。 

(続々・江戸城今昔:2)動乱の幕末、黒船迫り急造
 江戸城は内郭と外郭の濠(ほり)に加え南に三十間堀、東は隅田川を要害として水に守られていた。しかし嘉永6(1853)年、ペリー艦隊が浦賀沖に来航。当時の防衛ラインだった富津(ふっつ、千葉県)と走水(はしりみず、神奈川県横須賀市)の間に迫った。

 幕府は急いで品川沖に砲台場を築造。勘定吟味役・江川太郎左衛門を中心に大棟梁(とうりょう)・平内(へいのうち)大隅らが工事を進めた。土砂は御殿山や八ツ山、泉岳寺から、石は伊豆半島の真鶴から運んだ。大型艦船を阻もうと澪筋(みおすじ、船が通る水路)や隠れ洲(す)も考慮し、台場6基が完成したが、幕末の動乱の中、実戦には使われなかった。

 左の第3台場と右の第6台場では80ポンドの大型カノン砲が試射で火を噴いている。それ以外の台場は1962年ごろまでに姿を消した。右に延びる細長い防波堤は貯木場区画としても使われた。手前の道路はレインボーブリッジ。奥の埋め立て地にテレビ局やホテルなどの高層ビルが見える。(建築家・画家 木下栄三)

皇室と新選組の品々公開 文化 旧多摩聖蹟記念館・旧富澤家で
 東京都は、文化の日を中心に10月29日〜11月6日までを「東京文化財ウィーク」とし、都内全域の文化財の公開や、文化財に関わる様々な企画事業を実施する。多摩市でも、市の文化財である旧多摩聖蹟記念館(都立桜ヶ丘公園内)と、旧富澤家(多摩中央公園内)で10月22日(土)から特別展を開催する。

皇室ゆかりのモノ展示

 旧多摩聖蹟記念館で開催されるのが、特別展「『聖蹟』を語るモノたち〜旧多摩聖蹟記念館所蔵の皇室ゆかりの品々〜」。

 同館の生みの親である田中光顕は晩年、同志であった幕末の志士たちや、宮内大臣として仕えた明治天皇を顕彰する活動を展開。同館には、幕末の志士たちの遺墨や明治天皇をはじめ皇室に関連する資料が残されている。その同館に残されている明治天皇が使用した杖や茶碗、大正天皇が田中光顕に宛てた手紙などを展示し、「聖蹟」がどのようなモノで語られてきたのかを紹介する内容となっている。

 展示期間は12月11日(日)まで。開館時間は午前10時〜午後4時。毎週月・水曜、11月24日(木)は休館(23日(祝)は開館)。入場無料。

新選組との関わりを

 旧富澤家では「旧富澤家ゆかりの人々〜富澤家と新選組を中心として〜」と題し、幕末の多摩連光寺の名主であった15代当主・富澤正恕、富澤家の役割と縁の人々との関係、特に新選組との関わりを中心に資料を展示する。

 展示期間は11月27日まで。開館時間は午前9時半〜午後4時半。毎週月曜、11月15日(火)・16日(水)は休館。入場無料。

 問い合わせは、多摩市教育委員会文化財係【電話】042・338・6883へ。

『薄桜鬼』と新撰組ゆかりの地、日野市がコラボ! ふるさと納税で描き下ろしタペストリーをプレゼント
●タペストリーのデザインも公開

 “オトメイト”の人気女性向け作品『薄桜鬼』と、新選組ゆかりの地である東京都日野市がコラボレーションを果たし、日野市限定の描き下ろしイラストを使用した描き下ろしタペストリーが、ふるさと納税の返礼品として贈呈されることが決定した。


タペストリー画像
 “日野宿本陣”を背景に新選組の面々が描かれている返礼品のタペストリーは非売品。ふるさと納税で日野市に10000円の寄附をすることで入手することができる。受付開始日は2016年11月1日予定。ふるさと納税の詳細や注意事項などは、日野市の公式サイトを参照のこと。

静岡
慶喜公も愛した幕末のつゆを再現 静岡市の老舗そば店が「150年前のそばの味楽しんで!!
【NEWご当地グルメ】

 最後の将軍・徳川慶喜公も愛した老舗そば店「安田屋本店」(静岡市葵区)が、幕末の創業当時の味を再現したそばつゆ「駿府江戸蕎麦つゆ」を来店客に無料で出すサービスを始めた。明治維新後、静岡には旧幕臣が多く移住し、そばも江戸前に変化したが、当時のそばつゆは、しょうゆやみその原型である「ひしお」を使用していた。5代目店主の安田裕さん(65)は「現代の江戸そばとはまた違う、150年前の駿河そばの味を楽しんで」と話している。

 慶応2(1866)年に創業した安田屋本店は、大政奉還後に駿府(現在の静岡市)に移封された徳川家ゆかりの旧幕臣でにぎわい、勝海舟ら“幕末の三舟”も訪れた。中でも慶喜公は散策や狩猟の帰りに店に立ち寄り、直筆の品書きを残すほどのひいきぶり。関西風だった同店のそばつゆも、客の好みに合わせて次第に江戸前の味に変わっていったという。

 創業当時のそばつゆは、カツオやサバなどの削り節とひしおだけを使ったもので、安田さんによると「みそとしょうゆの中間のようなしょっぱさ」。長野県のみそ問屋が保管していたひしおを仕入れ、代々の口伝に基づいて試行錯誤を重ねて完成させた。そばをつゆにたっぷりと浸すと、塩辛さのあまり食べられないほどだといい、安田さんは「なぜそばをつゆにちょんとつける食べ方が生まれたのか、理由がよく分かります」と苦笑する。
 それでも当時の味を再現したのは、「若い世代にそばの文化が伝わっていない」という危機感からだった。先代の父・貞男さんはそばにウコンやユズ、サクラエビといった多様な食材を混ぜる「変わりそば」の研究に明け暮れ、そば職人としては初めて現代の名工にも選ばれた。安田さん自身も「作り置きができないそばの魅力を生かしたい」と懐石仕立てのそば料理に取り組むなど、新しい味の追求に余念がない。しかし、その一方で同業者の組合に加盟するそば店は年々減りつつあるといい、安田さんは「お客さんだけでなく、若い職人たちにも昔の味を知ってもらい、そば業界を盛り上げていってほしい」と期待を込める。

 10月15日から始まった駿府江戸蕎麦つゆのサービスは、11月末まで、もりそばなどを注文した客に無料で振る舞う。問い合わせは安田屋本店(電)054・245・0981。 (静岡支局 村嶋和樹)

美術
葛飾北斎の新たな絵画か オランダの博物館が所蔵
日本に西洋医学を伝えたドイツ人医師、シーボルトが持ち帰りオランダの博物館が所蔵していた絵画が、江戸時代を代表する浮世絵師、葛飾北斎が西洋の技法を使って描いたものである可能性が高いことが分かり、北斎を研究するうえで貴重な資料として注目されています。
この絵画は、オランダのライデン国立民族学博物館が所蔵していた6点で、長崎を拠点に日本に西洋医学を伝えたドイツ人医師、シーボルトが持ち帰ったコレクションに含まれていました。

これまで作者が分かっていませんでしたが、北斎研究で知られるライデン国立民族学博物館のマティ・フォラーシニア研究員などのチームが、シーボルトの子孫が所蔵していた目録と照らし合わせたところ、「北斎が我々のスタイルで描いたもの」という記述が見つかり、北斎の作品である可能性が高いことがわかりました。

6点のうち5点は、和紙に、日本橋や品川など江戸の町並みが、遠近法など、浮世絵とは異なる西洋の技法を使って水彩で描かれていて、北斎が西洋の技法を理解していたことを示す資料ではないかとして注目されています。

マティ・フォラーシニア研究員は「当初は西洋人が描いたものと考えていましたが、シーボルトの目録を見て本当に北斎が描いたのかと非常に驚きました」と話しています。

この研究成果は、22日、長崎市で開かれるシーボルト研究者が集まる国際会議で発表されます。
エンターテインメント
「ちるらん にぶんの壱」テレビアニメ放送決定 新撰組の日常をコミカルに描く
月刊コミックゼノンで連載中の漫画作品『ちるらん にぶんの壱』がテレビアニメ化、2017年1月より放送開始予定であることが明らかになった。

本作は、同じく月刊コミックゼノンで連載中の『ちるらん 新撰組鎮魂歌』の著者・橋本エイジと作画・梅村真也が自らの手で描く公式スピンオフ作品である。
元となった『ちるらん 新撰組鎮魂歌』は若き日の土方歳三を中心にした熱いドラマが繰り広げられるが、アニメ化される『ちるらん にぶんの壱』は一転、新撰組の隊員たちをデフォルメ化し、彼らの日常を描いた作品に仕上がっている。

この発表に合わせて公式サイトが公開され、第1弾キービジュアルとロゴが披露された。キービジュアルではデフォルメ化されたキャラクターたちが早速登場。桜の花びらが舞う中で、土方歳三や永倉新八、斎藤一、沖田総司といった新撰組の隊員が凛々しくも愛らしい表情を見せている。原作コミックスの雰囲気も残しており、既存のファンにとってもなじみやすいデザインといえる。

これ以外の動きとしては、公式Twitterも開設され、すでにいくつかのツイートも確認できる。今のところはキービジュアル以上の情報はないものの、今後最新情報がここから発信されていく。
2017年1月からとすでに放送まで3ヶ月を切っているが、まだまだ謎に包まれた点も多い。今後はスタッフ、出演キャストに関する情報も続々公開されていくことだろう。コミカルな新撰組がどのように描かれていくのか、また土方歳三たちがどんな活躍を見せてくれるのか、これからの展開にも注目を集めそうだ。

『ちるらん にぶんの壱』
(C)橋本エイジ・梅村真也/NSP 2016,(C)アニメ「ちるらん にぶんの壱」製作委員会
 「ちるらん」アニメ化は本編でなく「にぶんの壱」SDキャラの方だったのですね。(^_^;)。
高知
高知県立坂本龍馬記念館が薩長同盟前の桂小五郎の手紙を発見
 江戸幕府による第二次長州征伐が迫る慶応元(1865)年。長州藩の桂小五郎(木戸孝允(たかよし))が、後の薩長同盟につながる薩摩藩・西郷隆盛との会談を待つ様子などを記した手紙が高知県立坂本龍馬記念館(高知市浦戸)の調査で見つかった。薩長同盟に奔走した土佐人の動きが垣間見られる貴重な新史料。高知県立坂本龍馬記念館で11月5日から始まる企画展「再検証・薩長同盟」で初公開される。

 桂小五郎の手紙は3通が1枚の巻物(全長約8メートル)に貼られており、高知県立坂本龍馬記念館が2015年9月に京都の古書店で購入。筆跡と内容から桂の手紙と断定した。


 3通とも未発見の手紙で、1通は昭和初期に書かれた桂の伝記に一部が引用されている。2通が1865年閏(うるう)5月に藩上層部の人物に宛てた手紙、1通が1868年7月の戊辰戦争時に参謀に宛てた手紙だった。

 1865年閏5月は、14代将軍徳川家茂が長州征伐のため江戸を発し、長州下関では中岡慎太郎や坂本龍馬らの仲介で桂小五郎と西郷隆盛の会談が画策されていた時期。

 会談は西郷隆盛が下関を通り過ぎて京都に向かい実現しなかったが、翌1866年1月に坂本龍馬の立ち会いで桂と西郷らが会談して薩長同盟が結ばれたとされる。

 2通の手紙からは西郷が下関に現れず、焦る桂の様子がうかがえる。1通目では「薩蒸気船がいまだに来ない」「会談の期限が遅れて藩内の国論が動揺してもいけない」。2日後の2通目の手紙では、蒸気船の故障による西郷の遅延を「土人」(土佐人)から聞いたと記している。

 高知県立坂本龍馬記念館の亀尾美香学芸員は、「薩長同盟に土佐の志士が仲介役として深く関わったことを裏付ける史料」と2通目の手紙に注目する。

 手紙には坂本龍馬や中岡慎太郎の名前は出てこないが、筑前や長州を行き来していた土佐の志士、土方久元が登場する。桂は土方に「西郷があまりに遅れるようなら、下関から山口へ引き返す」旨を伝えており、土方が薩長の仲介役をしていたことがうかがえる。

 また、2通の手紙には、長州征伐に備える長州藩の内情も細かに書かれている。藩が幕府軍を迎え撃つ布告を藩内に出したことや、後に龍馬らの仲介で長州が長崎のイギリス商人から購入する「小銃」の記述もある。

 亀尾学芸員は「薩長同盟に向かう過程や、長州征伐前の慌ただしい状況を記した当事者の手紙として重要な研究史料になる」と話している。


 桂小五郎(かつら・こごろう) 1833~1877年。山口県の藩医の家に生まれ、吉田松陰に師事。長州藩の倒幕の志士として活躍し、明治新政府では参議として政治の中核を担った。西郷隆盛、大久保利通と並ぶ「維新三傑」の一人。

 土方久元が言及されており、土佐藩が仲介している様子が伺われるそうです。
板橋区民会館は初めて。春師は志村三丁目で生まれて小学校1年生になるまで育ったそうです。そして、若い頃、志らく師とわちゃわちゃやっていたのがこの辺りだそうで(談志師匠の板橋の家が近いからね)いろいろ思い出があるそうです。

 そのせいか、はたまた体調的に悪いからこそテンションがハイなのか、今日は最初のまくらと中入り後のまくらがとても長く、それ自体が独立した噺としてもいいぐらいでした。特に中入り後の東日本大震災後のボランティア巡業のエピソードは、志の輔さんだったら新作の一本にしてしまうだろうという、泣かせ処と笑わせ処とオチがあるものでした。

おしくら/談春
 談春さんで聴いたのは二度目、通算でも三度目。三人旅の噺だとはすぐにぴんと来たのだけど、「おしくら」とわかったのは言葉が出て来てから。
 江戸から来た三人の男たちと中山道の宿場の馬子、宿に関係する少なくとも三人の女たちの言葉や性格の描き分け、スピード感あふれる言い立てのおかしみ、など。宿場町で女を買う噺なので自分の好みではないのだけど、談春さんの巧さに聴き入ってしまい、笑ってしまう。

人情八百屋/談春
 これも通算三度目だけど、実は談春さんで聴いたのは初めてだったわ。最初の夫婦の会話ですぐにわかったのだけど、談春さん版としては長屋の人々の会話が真骨頂。涙もしたし、笑いもした。
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