新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
3月2日から4日にかけて、渋谷区文化総合センター大和田に落語ファンが出たり入ったり。
渋谷に福来たる〜落語フェスティバル的な〜
毎日新聞社と博報堂が仕掛けている落語イベントらしい。土日に集中していろいろな趣向の落語会をまとめて開催してくれるのは、ありがたい。
まずは、扇辰・小せん・文左衞門の3K辰文舎にゲスト一之輔。ある落語ファンのブログに、渋谷に福来たるイベントの中では一番地味みたいに書かれていたが、土曜の午後にこのメンツ(三月後半にひとり真打ち昇進する一之輔さんも入れて4人)ならコスパいいと思う。

まずは私服で3人トーク。ちょっとくたびれたジーンズ素材を入れた着こなしがほどよく似合う扇辰師匠と小せん師匠に、黒のダウンでちょっと異質な文師。文師のいる、左端だけが何となく、ぴりぴりと緊張感。
一之輔さんが着物で登場して、演奏したがる・歌いたがる三人にギターを持ち込む。一之輔さんがマイクでギターの音拾いに使われてしまう(^_^;)。扇辰師匠の奥さんのお母さんの誕生日だということで、会場全員でハッピーバースデーを歌う。300人からの人にハッピーバースデー歌われるって、照れくさいだろうなぁ。
「鈴ヶ森」一之輔
この春にひとり昇進する一之輔さん、端正な見かけなのに、とぼけた登場人物がうまくて、地にはちょっと毒がある感じ。自分でチケットを売るのがイヤでたまらなかったのに文左衞門師匠ががんばっているのを見て自分も頑張ってみたら結構面白いからと、中入りと終演にチケット売りますと宣言……ひとり真打ち大変だろうなぁと、つい中入りで買ってしまった(^^ゞ。
「鈴ヶ森」はドジで間抜けな追い剥ぎの子分がアホらしくて笑える噺。食いつきからばんばん笑ってしまった。
「片棒」扇辰
二人目でもう中入り前かと感じてしまうのは、しばらく寄席に通っていて落語会ご無沙汰だからかな。
お囃子の実況が派手で楽しい。息子が金と銀しかいないとネタの「片棒」に行き着かないのだけど、番頭さんが締めるパターンの「片棒」は初めて。
「金明竹」小せん
仲買の弥一さんのお遣い、関西弁がメリハリあって楽しい。でも二回三回と繰り返すところでちょっと言い立てがくぐもったかな。
「寝床」文左衞門
強烈に破壊力があって楽しい。
店の者の中に、扇辰さん小せんさん「あいつら何でそんなに歌いたがる」とか白鳥「おごられる時には高いものばかり食う。おごる時は池袋の安い居酒屋」とか喬太郎「○○通い」とか、噺家のくすぐり。野田谷垣「極秘会談って何でお前が知ってる」とか、オセロ中島、ダルビッシュも。お腹痛い。
そして、義太夫の会は野戦さながら、弾丸をかいくぐるかのごとく義太夫を避けながら、匍匐前進して芋の煮っ転がしを手に入れる。腰に被弾して大騒ぎ。
あー、楽しかった。文師、いいねぇ。
渋谷に福来たる〜落語フェスティバル的な〜
毎日新聞社と博報堂が仕掛けている落語イベントらしい。土日に集中していろいろな趣向の落語会をまとめて開催してくれるのは、ありがたい。
まずは、扇辰・小せん・文左衞門の3K辰文舎にゲスト一之輔。ある落語ファンのブログに、渋谷に福来たるイベントの中では一番地味みたいに書かれていたが、土曜の午後にこのメンツ(三月後半にひとり真打ち昇進する一之輔さんも入れて4人)ならコスパいいと思う。
まずは私服で3人トーク。ちょっとくたびれたジーンズ素材を入れた着こなしがほどよく似合う扇辰師匠と小せん師匠に、黒のダウンでちょっと異質な文師。文師のいる、左端だけが何となく、ぴりぴりと緊張感。
一之輔さんが着物で登場して、演奏したがる・歌いたがる三人にギターを持ち込む。一之輔さんがマイクでギターの音拾いに使われてしまう(^_^;)。扇辰師匠の奥さんのお母さんの誕生日だということで、会場全員でハッピーバースデーを歌う。300人からの人にハッピーバースデー歌われるって、照れくさいだろうなぁ。
「鈴ヶ森」一之輔
この春にひとり昇進する一之輔さん、端正な見かけなのに、とぼけた登場人物がうまくて、地にはちょっと毒がある感じ。自分でチケットを売るのがイヤでたまらなかったのに文左衞門師匠ががんばっているのを見て自分も頑張ってみたら結構面白いからと、中入りと終演にチケット売りますと宣言……ひとり真打ち大変だろうなぁと、つい中入りで買ってしまった(^^ゞ。
「鈴ヶ森」はドジで間抜けな追い剥ぎの子分がアホらしくて笑える噺。食いつきからばんばん笑ってしまった。
「片棒」扇辰
二人目でもう中入り前かと感じてしまうのは、しばらく寄席に通っていて落語会ご無沙汰だからかな。
お囃子の実況が派手で楽しい。息子が金と銀しかいないとネタの「片棒」に行き着かないのだけど、番頭さんが締めるパターンの「片棒」は初めて。
「金明竹」小せん
仲買の弥一さんのお遣い、関西弁がメリハリあって楽しい。でも二回三回と繰り返すところでちょっと言い立てがくぐもったかな。
「寝床」文左衞門
強烈に破壊力があって楽しい。
店の者の中に、扇辰さん小せんさん「あいつら何でそんなに歌いたがる」とか白鳥「おごられる時には高いものばかり食う。おごる時は池袋の安い居酒屋」とか喬太郎「○○通い」とか、噺家のくすぐり。野田谷垣「極秘会談って何でお前が知ってる」とか、オセロ中島、ダルビッシュも。お腹痛い。
そして、義太夫の会は野戦さながら、弾丸をかいくぐるかのごとく義太夫を避けながら、匍匐前進して芋の煮っ転がしを手に入れる。腰に被弾して大騒ぎ。
あー、楽しかった。文師、いいねぇ。
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今日は長めの読み物記事が多めです。
千葉県
首都圏きってのミニ路線…流鉄流山線途中下車(後編)
静岡
幕末のパン再現、商品化へ 江川坦庵の製造書基に(2/21 14:46)
京都
愛用品から直弼の実像知る展示 東山の井伊美術館
ブックレビュー
『西郷の貌(かお) 新発見の古写真が暴いた明治政府の偽造史』
社会
第1回「新選組検定」申込締め切り迫る
激動の幕末期、「誠」の旗のもとに集い「義」のために戦った新選組について学ぶ、第1回「新選組検定」を2012年3月18日(日)に東京と京都で開催いたします。企画・運営は日本出版販売株式会社(本社:東京都千代田区 代表取締役:古屋 文明、略称:日販)とヒューマンリソシア株式会社(本社:東京都新宿区、代表取締役:桑原 加鶴子)が行います。
第1回目は初級者向けの3級、中級者向けの2級を実施し、3級合格者は「組長」、2級合格者は「副長」としてそれぞれ認定、合格認定証を付与します。また、合格者限定の有料特典として合格認定カードと合格認定名刺を販売します。合格認定カードは裏面に土方歳三の写真、もしくは人気沸騰中の新選組をモチーフにした恋愛アドベンチャーゲーム「薄桜鬼」カズキヨネのキャラクターイラスト5種(土方・沖田・斎藤・藤堂・原田)から好きな絵柄(コメント入り)を選べる特別仕様になっており、生粋の歴史ファンからゲームやマンガをきっかけに新選組ファンになった若い女性まで満足いただける内容になっております。詳細については、合否結果通知に同封いたします。
新選組検定は書店店頭に設置される願書(郵便払込票)( http://www.kentei-uketsuke.com/shinsen-gumi/popup/entry_store.html )もしくは日販が運営するWebサイト「検定、受け付けてます」( http://www.kentei-uketsuke.com/shinsen-gumi/ )にて2月16日まで申し込みを受け付けております。受験者特典として受験者全員に松平容保ピーを贈呈します。
日販は一昨年実施した「坂本龍馬 幕末歴史検定」を皮切りに、幕末歴史検定シリーズの第二弾として「新選組検定」を実施し、今後も幕末歴史ファンのコミュニケーション活性化に役立つ検定として発展させてゆきます。
◆「新選組検定」合格対策講座開催決定
2月24日(金)に早稲田予備校13時ホール6階にて100名限定で「新選組検定」合格対策講座を実施します。当検定の問題監修者である菊地 明先生、土方歳三の子孫にあたる土方 愛さんをお迎えし、問題解説から新選組にまつわるエピソードまで盛りだくさんの内容となっております。お申込み、詳細は検定オフィシャルサイト( http://www.kentei-uketsuke.com/shinsen-gumi/ )をご確認ください。
◆ 第1回新選組検定 概要
検定名 :第1回新選組検定
主催 :新選組検定運営事務局
後援 :日野市/日野市観光協会/日野市商工会/会津若松市/函館市/
流山市/調布市/調布市観光協会
特別協力:歴史街道(株式会社PHP研究所)
協力 :新選組友の会/全国新選組サミット
運営 :日本出版販売株式会社/ヒューマンリソシア株式会社
実施日 :2012年3月18日(日)
実施都市:東京・京都
申込締切:2012年2月16日(木)
受験料 :3級(組長) 4,700円/2級(副長) 5,400円(すべて税込)
※2・3級は併願受験可能 併願割引9,800円(税込)
受験資格:新選組を愛する方ならどなたでも。何級からでも受験可能です。
問題形式:3級・2級/マークシート4者択一方式
合格基準:2級/全100問中、70問以上正答者は合格
3級/全100問中、70問以上正答者は合格
公式ホームページ: http://www.kentei-uketsuke.com/shinsen-gumi/
◆ 合格者有料特典カード 裏面案(薄桜鬼 土方版)
http://www.atpress.ne.jp/releases/25458/A_1.jpg
◆ 合格者有料特典 認定名刺案
http://www.atpress.ne.jp/releases/25458/B_2.jpg
◆ 松平容保ピー
http://www.atpress.ne.jp/releases/25458/D_4.jpg
■運営事務局 日本出版販売株式会社
日販は、当検定の運営業務全般をサポートいたします。新選組検定の運営事務局として、書店店頭を使った受験者の募集から、検定ポータルサイト「検定、受け付けてます」での受験者獲得、受験者からの問い合わせ対応や受験票の発送、受験会場の運営、また合否結果の通知まで、検定運営にまつわるすべての業務を総合的にサポートいたします。
※日販の検定ポータルサイト 「検定、受け付けてます」
http://www.kentei-uketsuke.com/
※日販の検定事業トータルパッケージに関してはこちら
http://www.kentei-uketsuke.com/business/index.html
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】
幕府最初の防衛大臣
野田首相はどうして、こうも能力の低い防衛大臣を立て続けに任命したのであろうか。
民主党幹事長の属する参議院対策などの党内事情もあるのだろうが、防衛大臣はどの国においても外務大臣とコンビで同盟国や関係各国と交渉することも多い“国の顔”である。この人事だけはいただけない。
一川保夫前大臣も田中直紀現大臣も、陳情受け付けなどでは、たぶん人情味あふれる地方政治家の一面をもつのであろう。しかし、安全保障環境が激変している北東アジアの危機対応や、アメリカの新防衛戦略への弾力的対応をこなせる国際通の人材とは到底思えない。
毛並みのよい人材
外交安全保障と防衛力の基盤整備はいつの時代も国の命運を左右する領域である。幕末でも改革は、防衛力の整備強化から始まった。
徳川幕府は、文久の改革によって西洋式兵制(歩兵・騎兵・砲兵の三兵制度)の導入や、兵賦令(旗本から石高に応じた農兵の供出や金の徴収)を発した。注目すべきは、文久2年12月(1863年2月)に、阿波藩主蜂須賀斉裕を陸軍総裁に任命したことである。斉裕は海軍総裁も兼任した。いわば幕府初の防衛大臣に就任したのである。
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外様大名ながら幕府の陸海軍総裁となった蜂須賀斉裕の肖像(徳島城博物館蔵)
この人事は多くの点で異例ずくめであった。第一に、蜂須賀家は禄高こそ25万7千石の国主であったが、幕政に関与しなかった外様大名だったことである。第二に、幕府が満足な陸海軍予算を計上できないのに、果たして斉裕に陸海軍総裁を務める力があったのかという疑問である。
蜂須賀斉裕に白羽の矢がたったのは、家柄よりも血筋からである。彼は11代将軍家斉(いえなり)の二十二男であり、幕末動乱期の13代将軍家定の叔父にあたる。徳川幕府危急のときに軍制改革を託するに足る毛並みのよい人材であり、徳川宗家への忠誠心も抜群だったからであろう。
蜂須賀家は歴代従四位上侍従を極官としたが、斉裕は正四位上参議に上り中将を兼ねている。外様大名で代々参議と中将とを兼帯し「宰相中将」と称せられたのは、加賀藩前田家だけであったから、阿波藩の家格は一挙に跳ね上がったことになる。
しかし幕府の真意はどこにあったのだろうか。赤字財政に苦しむ一方の幕府もしたたかなのだ。阿波と淡路の2国を領し実高が40万石以上といわれ、藍や染料などの物産交易でも潤っていたのが、裕福さでは外様大名屈指の阿波藩であった。蜂須賀家の財力をあてこんだのかもしれない。とはいえ、斉裕はいくばくもなく総裁職を辞任した。あまりにかさんだ財政出費に藩が音をあげたという説も無視できない。
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外様大名ながら幕府の陸海軍総裁となった蜂須賀斉裕の肖像(徳島城博物館蔵)
藩の軍制をイギリス式に改めるなど開明的な君主だった斉裕ほどの人物である。淡路島の岩屋や由良の砲台新設など海防においても成果を挙げていた。斉裕が陸軍総裁を辞したのは、公武合体論者として幕政への独自の抱負ももっていたのに、伝統的な老中合議体制のもとで自らの意見がほとんど顧みられないのに嫌気がさしたこともあるのだろう。
独自の意見と信念
彼には譜代大名や旗本官僚とは違う生まれへの矜持(きょうじ)も大きかったことはいうまでもない。その構想力や実行力も平凡でなく、家斉の子としては出色の部類だったのである。
その子もオックスフォード大学で学び、駐仏大使から貴族院議長になったり、ひ孫は世界的な鳥類学者にもなっている。斉裕の血に流れていた政治家としてのセンスや知的な聡明(そうめい)さを受け継いでいたのだろう。
その斉裕にしても、淡路洲本城代の家老稲田氏など家臣内部の尊皇攘夷(じょうい)派を無視できず、藩論を統一できぬままに慶応4(1868)年1月に死去したのである。斉裕のいない阿波藩が明治維新の激流を乗り切るのはむずかしく、積極的に新政府に関わることはできなかった。それでも蜂須賀家が前田家と同じく侯爵になったのは、斉裕の余薫(よくん)ともいうべきだろうか。
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外様大名ながら幕府の陸海軍総裁となった蜂須賀斉裕の肖像(徳島城博物館蔵)
彼は、育ちの良さにもかかわらず、大名としては海防や兵制改革に独自の意見をもち、公武合体論ながら内外の危急に対処する信念をもっていたからだ。斉裕なら、優秀な防衛官僚やブレーンに補佐されると、現代日本の安保政策でも失言を犯さずに対処できたであろう。
しかし、ここ2代の防衛大臣が幕末にタイムスリップしても、斉裕ほどの安定感をもち実績を挙げられるとはかぎらないあたりが平成の日本人にはつらいところだ。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】蜂須賀斉裕
はちすか・なりひろ 文政4(1821)年、第11代将軍徳川家斉の二十二男として生まれる。同10年、阿波(徳島県)藩主の蜂須賀家の養子となり、天保14(1843)年家督を継ぐ。藩主として軍制改革に注力。文久2年12月(1863年2月)に幕府の陸軍総裁。海軍総裁も兼ねたが、3年辞任。慶応4(1868)年、死去。
「征韓論」生んだ西郷のストレス太り 病気が変えた幕末維新
(日経新聞サイトのリンク先アドレスがMacだとうまく読めないようなのでリンク省略します)
エンターテインメント
「新選組血風録」俳優の左右田一平氏が死去
自分にとっては、大河ドラマ『新選組!』以前の映像作品の中ではベスト作品だった『新選組血風録』の斎藤一、『燃えよ剣』の裏通り先生。飄々とした風貌だけど芯は侍な斎藤像をありがとうございました。合掌。
今春スタートの薄桜鬼「スタンプリー」,2月26日開催イベントで事前登録実施
龍之介と新選組隊士達はどう関わっていくのか!?「薄桜鬼 黎明録 DS」オープニングムービー公開!
千葉県
首都圏きってのミニ路線…流鉄流山線途中下車(後編)
旅情は甘いヨーグルト風味
「美しまや」に並ぶ流山にゆかりの菓子
「流山旅情」「しあわせの流山焼」「流山銘菓 新撰組 誠」……。流鉄流山線の鰭ヶ崎
ひれがさき駅前。東洋学園大学に続く道沿いの「流山せんべい」のご主人に教えられ細い路地に入り、上生菓子の店「美しまや」を訪ねると、流山名義の品を中心に菓子が並んでいた。ご主人は白い調理服、調理帽姿で満面の笑み、白い歯が覗のぞく。店はもう創業から30年以上経たつという。
「この辺りも続いている店が少なくなりました。すぐそこにトンカツ屋があったけど、ご主人が亡くなられて。ほかに昔から続いているのは、クリーニング屋くらいかなあ」
「美しまや」の主人。笑顔が温かい
「流鉄は意外と便利ですよ。都心へのアクセスもいいし、終電は0時20分過ぎまであるしね」
店に入った早々から会話が弾み、ご主人は笑顔を絶やさない。そして店の外を近所の知り合いが通るたび「こんにちはー」「今日は寒いね」と必ず声をかける。
鰭ヶ崎駅は小さくて、駅前の街もこぢんまり。でも素朴な菓子と笑顔の主人が、ここに降り立つ者を立て続けに迎えてくれる。
ヨーグルト入りの「流山旅情」を買い、店を出た。どうしてもひとつ食べたくなり、路上で包みを解き一口パクリ。優しい甘さが口いっぱいに広がり、その名の通り「旅情」がこみ上げるのを感じずにいられなかった。
新撰組が再起を懸けて集結
鰭ヶ崎駅に戻ると「青空」号がちょうどやって来て、再び乗車。続く平和台駅前は大手スーパーがデンと立ち、新興住宅街の雰囲気だ。ここでは降りず、その先へ。列車はあっという間に終点・流山駅に滑り込んだ。
車庫から出て流山駅のホームに向かう「青空」号
「足元にお気をつけください」
ホームでは到着した列車を駅員さんが総出で出迎え。車庫には色とりどりの2両列車が並び、さながら鉄道博物館のようだ。そして赤い三角屋根の駅舎は民家のように小さく、駅前ロータリーはシンと静か。片田舎のローカル線の終着駅に降り立った気分になる。
「ようこそ下総流山へ」と書かれた看板が立っている。その近くには「近藤勇・土方歳三 離別の地」の案内版も。
幕末。新撰組は鳥羽・伏見の戦いや甲州勝沼の戦いで新政府軍に敗走を重ね、総勢227人が再起をかけて流山に集結、醸造家・永岡三郎兵衛方を本陣とした。しかし形勢は逆転できず、近藤は土方と別れ流山を離れるが、板橋宿で捕まり斬首された。
駅前の地図に従い、今も残る本陣跡へ。流山街道から閻魔えんま堂横丁に入ると、民家に挟まれ本陣跡はひっそり残っていた。この日の気温はわずか5度。日曜日だが、寒さのせいか訪れる人の姿はない。それでも鉄の扉や格子に守られた重厚な外壁を見上げるほどに、激動の幕末の空気が伝わってきて――寒風に耐えて僕はしばらく、本陣跡を眺め続けた。
江戸川に向かうと、新政府軍が三手に分かれた三叉さんさ路から流山広小路に出る。街灯に「しにせぞろいの広小路」と書かれた看板が下がり、小京都の風情に誘われ、平和台方面に向け歩いてみる。……とはいうものの歩道はなく道幅も狭く、交通量は多い。時おりトラックが肩先をかすめヒヤッとするが、そんな中で見つけたのが、歴史を感じる木造の「清水屋」。引き戸のガラスに「陣屋もなか」と書かれた貼り紙も。中に入ると作務衣さむえ姿のご主人に迎えられ、もなかと「流山羊羹ようかん」を1棹さお買う。
古風なたたずまいの「清水屋本店」。看板は右書き
「店も建物も明治35年からで、110年になります」
そしてご主人はもう4代目――そこまで聞いたところで店の前をトラックが走り抜け、引き戸がガタガタと揺れた。「交通量が増えてね……」とご主人は苦笑い、そして「昔はこんな感じでした」と、大きく引き伸ばした白黒写真を見せてくれる。昭和5年に店の前の通りを写したもので、道は土、電柱は木製。道筋は当時から変わっていないという。
店内の戸棚には、鯛たいや海老えびを象かたどった木型がズラリ。
「昔は結婚式やお祝いがあると、お菓子の注文を受けて、この型で作ったものです。餅を砂糖で味付けして……当時は今のようにお菓子もいろいろなかったから、喜ばれましたね」
「でも、結婚式を家じゃなく式場でやるようになって、祝い菓子の注文も徐々に少なくなって」――木型を使う機会はめっきり減った。時代の流れ。しかし、その波を一身に浴びながらも、この店は110年間、変わらぬ姿でここにあり続けている。
「待ってー」って電車に叫べば
店を出てさらに道を進むと、道端に木の立て札の道案内が。消えそうな文字で「←平和台駅」と書いてある。ひと駅分歩いてしまったようだ。川を背にして左折し、流山街道に続く道を進む。
……ここに店?
極細の路地沿いにある「さくら」。のれんやお品書きがなければ普通の民家のようだ
人がスレ違うのも難儀する極細の砂利道に「お好み焼」のノボリが揺れている。砂利を踏みしだいて向かった「お好焼 もんじゃ焼 さくら」は、どう見ても普通の民家だ。靴を脱いで中に入ると、畳の部屋に鉄板を装着したテーブルが3卓。先客はご近所らしいご婦人が2人、ちょうど食べ終わったところで、僕に「ごゆっくり」と声をかけ席を立った。
お好み焼きはボリュームたっぷりで500円。食べ終わり茶をすすっていると、店の奥さんが食器を下げにくる。
「つくばエクスプレスが通って、流鉄のお客が減った? この辺は、それはないですね。平和台駅がいちばん近くて便利だし」
よかった。この界隈
かいわい
では電車といえば、まず流鉄のようだ。
「最近はもう、こういう電車も少ないでしょうね。目の前で電車が出そうになっても〈待ってー〉って叫べば待ってくれるの。今どきは珍しいわよね、そういうのも」
「昔、映画で何だったかしら、舞台は北海道だけど、北海道まで行かず流山駅でロケをしたって聞いたことがありますよ」
確かに流山駅はポツンと佇たたずむ姿が、どこか日本の果てに来た雰囲気を感じさせる。そんな話が尽きなくて、お茶を片手にしばし、畳の部屋にグズグズと居座ってしまった。
「乗っちゃってください」と優しい駅員
外に出るともう夕暮れ、流山街道沿いの居酒屋で、駅前散策旅・恒例の一杯。大きな店で客も満杯、店の人と話す暇はなかったが、料理はボリューム満点で値段も安い。客はオジさん、オバさんばかりで、どう見ても僕が最年少。頼んだ料理がなかなか来なくて(満員だから仕方ない)先に出てきた熱燗かんを飲み干してしまうと、
夜の静寂に包まれる流山駅
「来ないね。(熱燗が)2本目行っちゃうね」
と隣の見知らぬオジさんが言って、穏やかに笑った。100点満点。
店を出て、千鳥足で流山駅に向かう。自動改札はないので、財布から小銭を出し切符をグズグズ――買おうとしていると「ジリリ」と発車のベルが鳴る! あわてて財布の中の小銭をまさぐると、
「乗っちゃってください。降りる駅で精算してください!」
駅員さんが僕にそう言った。お言葉に甘えて改札を通り抜け、無事に乗車。僕が乗ったのを見届けると、扉はスルルと閉まった。
優しい駅、優しい駅前の街。列車はゆっくり動き出し、車窓の闇の中を、点々と灯ともる住宅の明かりが右から左へ流れていく。
「待ってーって叫べば待ってくれる」
お好み焼き屋の奥さんの言葉を噛かみ締めながら、ガタンゴトンと列車に揺られ、僕は流山をあとにした。
静岡
幕末のパン再現、商品化へ 江川坦庵の製造書基に(2/21 14:46)
日本のパン製造の開祖とされる幕末の韮山代官江川坦庵(1801~1855年)が記したパンの製造書が新たに見つかった。これまでにも当時の兵糧用のパンなどを再現した函南町上沢の製パン会社石渡食品が、商品化しようと試行錯誤を続けている。
新たに見つかったのは「カーネルコックカステイラ」と呼ばれるパンの製造書。江川家に伝わる史料を保存している江川文庫(伊豆の国市)の史料総合調査で発見された。兵糧用のパンは酒種で発酵させ、塩で味付けした長期保存が可能のパンに対し、カーネルコックカステイラは砂糖や卵の分量などが記されていた。名前は日本に伝来していたカステラに、オランダの外交官の名前を付けたものとみられる。
同社は昨年7月に試作品をつくり、8月に静岡市駿河区で開かれた展覧会「江川坦庵とゆかりの人々」で来館者500人に配布。その後、現代風の味付けにするため砂糖の量を増やすなど手を加え、今年1月21、22日に伊豆の国市で開催された「第6回パン祖のパン祭」で1個100円で千個を販売し、好評を得た。江川坦庵が兵糧用のパンを初めて作った日とされる4月12日の「パンの日」の発売を目指し、改良を続けている。同社の石渡浩二社長は「幕末のパンの味を多くの人に味わってもらい、地元の活性化に貢献したい」と話している。
京都
愛用品から直弼の実像知る展示 東山の井伊美術館
幕末の大老、井伊直弼に焦点を当てた特別展「人間 井伊直弼 生涯の実像」が、京都市東山区の井伊美術館で開かれている。恋心を詠んだ歌が書かれ、同館が直弼の自筆と判断した書状をはじめ、茶道具などの愛用品を展示し、直弼の実直な一面を伝えている。
「安政の大獄など政治家としての側面が注目されてきた直弼の人柄を想像してほしい」と同館が企画した。
書状は、後に倒幕派の情報を集める役割を担った村山たか宛てとみられ、会えない寂しさなどがつづられている。直弼が愛用した後に茶道の弟子に譲った茶わんや、素振りで使い込んだという刀など約100点が並び、来館者が直弼の人となりに思いをはせている。
11月15日まで。午後1時~5時。不定休。大人1500円。井伊美術館TEL075(525)3921。
ブックレビュー
『西郷の貌(かお) 新発見の古写真が暴いた明治政府の偽造史』
■「長身の若侍」が若き日の…
その「写真」を著者とともに初めて見たときは、まさに衝撃的でした。居並ぶ13人の武士。とりわけ向かって右端に立つ若侍の精悍(せいかん)な顔つきと、180センチはあろうかという長身が目を引きます。「薩摩藩の島津公 慶應年間の記念写真」というキャプション。幕末の古写真が数ある中で、この衝撃は「フルベッキ写真」以来のものでした。
「フルベッキ写真」は維新の志士たちの集合写真といわれ、かつて著者は『幕末 維新の暗号』(文庫版と合わせ累計12万部)で題材にしています。今回の写真が衝撃的なのは、「長身の若侍」が、著者が「フルベッキ写真」で西郷隆盛に比定した大男と酷似していたからです。
よく知られるように、西郷隆盛その人を撮影した写真は一枚も確認されていません。私たちになじみのある肖像は西郷の死後、外国人技師が親族(実弟と従兄弟(いとこ))の顔からモンタージュした想像の産物です。この肖像画が元になり、「西郷の顔」と言えば、どんぐり眼(まなこ)に太い眉が定着しました。
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「西郷の貌」
しかし歴史の定説は、いつも覆されます。とくに時の権力者が都合よく書き換えていた場合に綻(ほころ)びが見えやすくなります。著者はその綻びを見抜きました。
明治政府には西郷の本当の顔を封じ込めなければならない理由があった--本書はその謎を解読しながら「長身の若侍」が若き日の西郷であることを立証してゆきます。そして13人の武士たちの素性も明らかになりました。
明治維新の裏面を描く上質の歴史ミステリーです。(加治将一著/祥伝社・1890円)
祥伝社書籍出版部 岡部康彦
社会
第1回「新選組検定」申込締め切り迫る
合格者有料特典 薄桜鬼のイラスト付き認定カードの販売が緊急決定!
激動の幕末期、「誠」の旗のもとに集い「義」のために戦った新選組について学ぶ、第1回「新選組検定」を2012年3月18日(日)に東京と京都で開催いたします。企画・運営は日本出版販売株式会社(本社:東京都千代田区 代表取締役:古屋 文明、略称:日販)とヒューマンリソシア株式会社(本社:東京都新宿区、代表取締役:桑原 加鶴子)が行います。
第1回目は初級者向けの3級、中級者向けの2級を実施し、3級合格者は「組長」、2級合格者は「副長」としてそれぞれ認定、合格認定証を付与します。また、合格者限定の有料特典として合格認定カードと合格認定名刺を販売します。合格認定カードは裏面に土方歳三の写真、もしくは人気沸騰中の新選組をモチーフにした恋愛アドベンチャーゲーム「薄桜鬼」カズキヨネのキャラクターイラスト5種(土方・沖田・斎藤・藤堂・原田)から好きな絵柄(コメント入り)を選べる特別仕様になっており、生粋の歴史ファンからゲームやマンガをきっかけに新選組ファンになった若い女性まで満足いただける内容になっております。詳細については、合否結果通知に同封いたします。
新選組検定は書店店頭に設置される願書(郵便払込票)( http://www.kentei-uketsuke.com/shinsen-gumi/popup/entry_store.html )もしくは日販が運営するWebサイト「検定、受け付けてます」( http://www.kentei-uketsuke.com/shinsen-gumi/ )にて2月16日まで申し込みを受け付けております。受験者特典として受験者全員に松平容保ピーを贈呈します。
日販は一昨年実施した「坂本龍馬 幕末歴史検定」を皮切りに、幕末歴史検定シリーズの第二弾として「新選組検定」を実施し、今後も幕末歴史ファンのコミュニケーション活性化に役立つ検定として発展させてゆきます。
◆「新選組検定」合格対策講座開催決定
2月24日(金)に早稲田予備校13時ホール6階にて100名限定で「新選組検定」合格対策講座を実施します。当検定の問題監修者である菊地 明先生、土方歳三の子孫にあたる土方 愛さんをお迎えし、問題解説から新選組にまつわるエピソードまで盛りだくさんの内容となっております。お申込み、詳細は検定オフィシャルサイト( http://www.kentei-uketsuke.com/shinsen-gumi/ )をご確認ください。
◆ 第1回新選組検定 概要
検定名 :第1回新選組検定
主催 :新選組検定運営事務局
後援 :日野市/日野市観光協会/日野市商工会/会津若松市/函館市/
流山市/調布市/調布市観光協会
特別協力:歴史街道(株式会社PHP研究所)
協力 :新選組友の会/全国新選組サミット
運営 :日本出版販売株式会社/ヒューマンリソシア株式会社
実施日 :2012年3月18日(日)
実施都市:東京・京都
申込締切:2012年2月16日(木)
受験料 :3級(組長) 4,700円/2級(副長) 5,400円(すべて税込)
※2・3級は併願受験可能 併願割引9,800円(税込)
受験資格:新選組を愛する方ならどなたでも。何級からでも受験可能です。
問題形式:3級・2級/マークシート4者択一方式
合格基準:2級/全100問中、70問以上正答者は合格
3級/全100問中、70問以上正答者は合格
公式ホームページ: http://www.kentei-uketsuke.com/shinsen-gumi/
◆ 合格者有料特典カード 裏面案(薄桜鬼 土方版)
http://www.atpress.ne.jp/releases/25458/A_1.jpg
◆ 合格者有料特典 認定名刺案
http://www.atpress.ne.jp/releases/25458/B_2.jpg
◆ 松平容保ピー
http://www.atpress.ne.jp/releases/25458/D_4.jpg
■運営事務局 日本出版販売株式会社
日販は、当検定の運営業務全般をサポートいたします。新選組検定の運営事務局として、書店店頭を使った受験者の募集から、検定ポータルサイト「検定、受け付けてます」での受験者獲得、受験者からの問い合わせ対応や受験票の発送、受験会場の運営、また合否結果の通知まで、検定運営にまつわるすべての業務を総合的にサポートいたします。
※日販の検定ポータルサイト 「検定、受け付けてます」
http://www.kentei-uketsuke.com/
※日販の検定事業トータルパッケージに関してはこちら
http://www.kentei-uketsuke.com/business/index.html
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】
(150)東大教授・山内昌之 蜂須賀斉裕
幕府最初の防衛大臣
野田首相はどうして、こうも能力の低い防衛大臣を立て続けに任命したのであろうか。
民主党幹事長の属する参議院対策などの党内事情もあるのだろうが、防衛大臣はどの国においても外務大臣とコンビで同盟国や関係各国と交渉することも多い“国の顔”である。この人事だけはいただけない。
一川保夫前大臣も田中直紀現大臣も、陳情受け付けなどでは、たぶん人情味あふれる地方政治家の一面をもつのであろう。しかし、安全保障環境が激変している北東アジアの危機対応や、アメリカの新防衛戦略への弾力的対応をこなせる国際通の人材とは到底思えない。
毛並みのよい人材
外交安全保障と防衛力の基盤整備はいつの時代も国の命運を左右する領域である。幕末でも改革は、防衛力の整備強化から始まった。
徳川幕府は、文久の改革によって西洋式兵制(歩兵・騎兵・砲兵の三兵制度)の導入や、兵賦令(旗本から石高に応じた農兵の供出や金の徴収)を発した。注目すべきは、文久2年12月(1863年2月)に、阿波藩主蜂須賀斉裕を陸軍総裁に任命したことである。斉裕は海軍総裁も兼任した。いわば幕府初の防衛大臣に就任したのである。
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外様大名ながら幕府の陸海軍総裁となった蜂須賀斉裕の肖像(徳島城博物館蔵)
この人事は多くの点で異例ずくめであった。第一に、蜂須賀家は禄高こそ25万7千石の国主であったが、幕政に関与しなかった外様大名だったことである。第二に、幕府が満足な陸海軍予算を計上できないのに、果たして斉裕に陸海軍総裁を務める力があったのかという疑問である。
蜂須賀斉裕に白羽の矢がたったのは、家柄よりも血筋からである。彼は11代将軍家斉(いえなり)の二十二男であり、幕末動乱期の13代将軍家定の叔父にあたる。徳川幕府危急のときに軍制改革を託するに足る毛並みのよい人材であり、徳川宗家への忠誠心も抜群だったからであろう。
蜂須賀家は歴代従四位上侍従を極官としたが、斉裕は正四位上参議に上り中将を兼ねている。外様大名で代々参議と中将とを兼帯し「宰相中将」と称せられたのは、加賀藩前田家だけであったから、阿波藩の家格は一挙に跳ね上がったことになる。
しかし幕府の真意はどこにあったのだろうか。赤字財政に苦しむ一方の幕府もしたたかなのだ。阿波と淡路の2国を領し実高が40万石以上といわれ、藍や染料などの物産交易でも潤っていたのが、裕福さでは外様大名屈指の阿波藩であった。蜂須賀家の財力をあてこんだのかもしれない。とはいえ、斉裕はいくばくもなく総裁職を辞任した。あまりにかさんだ財政出費に藩が音をあげたという説も無視できない。
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外様大名ながら幕府の陸海軍総裁となった蜂須賀斉裕の肖像(徳島城博物館蔵)
藩の軍制をイギリス式に改めるなど開明的な君主だった斉裕ほどの人物である。淡路島の岩屋や由良の砲台新設など海防においても成果を挙げていた。斉裕が陸軍総裁を辞したのは、公武合体論者として幕政への独自の抱負ももっていたのに、伝統的な老中合議体制のもとで自らの意見がほとんど顧みられないのに嫌気がさしたこともあるのだろう。
独自の意見と信念
彼には譜代大名や旗本官僚とは違う生まれへの矜持(きょうじ)も大きかったことはいうまでもない。その構想力や実行力も平凡でなく、家斉の子としては出色の部類だったのである。
その子もオックスフォード大学で学び、駐仏大使から貴族院議長になったり、ひ孫は世界的な鳥類学者にもなっている。斉裕の血に流れていた政治家としてのセンスや知的な聡明(そうめい)さを受け継いでいたのだろう。
その斉裕にしても、淡路洲本城代の家老稲田氏など家臣内部の尊皇攘夷(じょうい)派を無視できず、藩論を統一できぬままに慶応4(1868)年1月に死去したのである。斉裕のいない阿波藩が明治維新の激流を乗り切るのはむずかしく、積極的に新政府に関わることはできなかった。それでも蜂須賀家が前田家と同じく侯爵になったのは、斉裕の余薫(よくん)ともいうべきだろうか。
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外様大名ながら幕府の陸海軍総裁となった蜂須賀斉裕の肖像(徳島城博物館蔵)
彼は、育ちの良さにもかかわらず、大名としては海防や兵制改革に独自の意見をもち、公武合体論ながら内外の危急に対処する信念をもっていたからだ。斉裕なら、優秀な防衛官僚やブレーンに補佐されると、現代日本の安保政策でも失言を犯さずに対処できたであろう。
しかし、ここ2代の防衛大臣が幕末にタイムスリップしても、斉裕ほどの安定感をもち実績を挙げられるとはかぎらないあたりが平成の日本人にはつらいところだ。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】蜂須賀斉裕
はちすか・なりひろ 文政4(1821)年、第11代将軍徳川家斉の二十二男として生まれる。同10年、阿波(徳島県)藩主の蜂須賀家の養子となり、天保14(1843)年家督を継ぐ。藩主として軍制改革に注力。文久2年12月(1863年2月)に幕府の陸軍総裁。海軍総裁も兼ねたが、3年辞任。慶応4(1868)年、死去。
「征韓論」生んだ西郷のストレス太り 病気が変えた幕末維新
(日経新聞サイトのリンク先アドレスがMacだとうまく読めないようなのでリンク省略します)
西郷隆盛はストレス過多、高杉晋作や木戸孝允らも体調を崩しがちで、坂本龍馬は風邪に悩まされていた――。幕末・維新史をキーパーソンの健康状態から読み解こうとする研究が始まっている。幕末の日米修好通商条約から王政復古、明治の征韓論など転換期に体調問題がどんな影響を及ぼしたのか。残された史料、書簡から専門医が精神分析するなど真相を一段階深くえぐった近代史の構築を試みている。
■大久保利通にも「持病の下痢」
明治維新を主導した西郷隆盛。実はさまざまなストレスと体調不良に悩まされていた
「西郷隆盛は感情量が豊かで、緻密・繊細な性格。ストレスもためやすかった」とみるのが大阪経済大学の家近良樹教授だ。「度量の広い東洋的な大人物」といった従来のイメージとは異なった西郷像を著書の「西郷隆盛と幕末維新の政局」(ミネルヴァ書房)で描きだした。西郷関連の書簡を分析すると「対象相手に感情移入しやすいタイプ。部下への指示も細かく念入りだった」(家近教授)という。
西郷には喫煙の習慣もあったという。さらに日本医史学会理事長の酒井シヅ・順天堂大名誉教授は「風土病のフィラリア症にも悩まされていたようだ」と指摘する。
一方、ストレスの原因は事欠かない。2度の遠島暮らし、主君の島津久光との不和、徳川慶喜の政略には度々翻弄され、自ら樹立したはずの明治政府にも不満が高まった。西郷は書簡では下痢に悩まされた事を吐露する一方、「恨を生じ」「憤怒に胸を焦がし」などの表現もみられる。思うように活動できず自らのストレス太りを自嘲している文面もあるという。
ただ西郷周辺の人物も健康良好とはいえなかったようだ。大久保利通には「持病之下痢」があり、島津久光は脚気(かっけ)、薩摩藩家老の小松帯刀もは足痛の持病があったという。
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■「王政復古」は協調派の病気も遠因に
こうした各人の体調不良が大きく影響したのが、慶応3年12月(1868年)の王政復古のクーデターと家近教授は説く。徳川慶喜の大政奉還後、幕府側も含めた新体制に移ろうとする政局の流れを、京都にいた西郷、大久保ら薩摩急進派が半ば強引に朝廷を倒幕方針へ転換させてしまったケースだ。幕府と協調を目指す久光は帰国中。脚気からくる腰痛が悪化し藩政にすらタッチできない病状だった。倒幕方針から距離を置くようになっていた小松帯刀も鹿児島県から動けず、協調派の主軸が病気で政治の中心にいなかったことが「西郷らが主導権を握ることを容易にさせた」(家近教授)
さらに明治6年(1873年)の「征韓論」では逆に西郷の健康状態が影響しているという。肥満対策で下剤を常用していた西郷は、加齢もあって時に閣議に出られないほど体調が悪かった。「自分が韓国に赴いて殺害されるのをきっかけに開戦する」という無謀に見える西郷の論理は今でも近代史学の議論の対象になっている。家近教授は「健康悪化が死の誘惑につながったのではないか」と推測する。
「江戸時代は特に胃腸病などの多かった時代」と酒井名誉教授は指摘する。白米食の普及につれ脚気も多く、古くは貞観4年(862年)から記録されているインフルエンザも世界的な流行期と同調して度々江戸を襲った。
一坂太郎・山口福祉文化大学特任教授は幕末の高杉晋作も度々風邪で休んだという。「同僚が風邪で休んだことをどう思っているか気にしている日記も残っている」(一坂氏)。上海視察に渡航した際も現地で風邪に悩まされた。
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■坂本龍馬の暗殺、風邪で刺客の接近容易に
坂本龍馬暗殺の時、風邪で体調不良だったという(高知県高知市)
一坂氏は「高杉は藩の重役に就いたり、奇兵隊を率いたりといった活動期と隠退期を交互に繰り返した。健康問題も関係したのではないか」とみる。明治に入ってから急激に健康を悪化させたかにみえる木戸孝允も慶応年間に下痢などを訴える書状があるという。
一見病気とは無縁に思える坂本龍馬。しかし高知県立坂本龍馬記念館の前田由紀枝学芸員は「風邪の事などを記した手紙がある」としている。さらに龍馬のメモ日記には慶応元年(1865年)に山口県で「曽病アリ」と病気で宿を代えた記述がある。ちょうど龍馬が薩長間の仲介に奔走していた時期で、西郷と木戸を会わせ薩長同盟が成立する約半年前だ。
「船中八策」を構想し、大政奉還が実現した同3年に龍馬は京都・近江屋で暗殺された。この時、龍馬は風邪だったという。用心のため潜伏していた土蔵から温かい母屋に移っていたことが暗殺者の接近を容易にさせた。歴史に「イフ」はないが龍馬が健康な状態だったら維新史はどうなっていただろうか。
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一方、日米修好通商条約を締結した徳川幕府の大老・井伊直弼を臨床医の立場から分析したのが大阪精神科診療所協会の大原和雄名誉会長。井伊家の史料、書簡を渉猟し井伊が精神医学で扱う「自己愛性パーソナリティー」だと推論した。
自己愛性パーソナリティーは成功や賞賛、理想的な愛を求める一方、完全主義で批判を受け入れられず、他人の気持ちを推し測るのが苦手なため「世渡りベタ」とされるケースが多い。大原氏は井伊に詩人の石川啄木、作家の太宰治らに共通する性格を見出せるとしている。
井伊にもストレスが多かった。青年期を不遇の部屋住みで過ごし跡継ぎの「世子」になってからも藩主の兄の干渉に悩まされた。江戸城内では老中、奉行らに軽視され孤立することもあった。大老になってからは開国問題と次期将軍選びの2大課題に忙殺された。
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■「自己愛」が強かった井伊直弼
それでも完全主義の性質と逆境をバネに茶道、和歌、禅に上達し、大老就任の初日から幕僚らと議論を始めた。従わない老中は解任、政敵は弾圧し「安政の大獄」を徹底するものの、必ず裁判を通す原則は崩さなかった。手紙には「火中に」と燃やすよう付け加えて証拠を残さないように用心することもあったという。こうした井伊の行動は自己愛性パーソナリティーの一面を表しているという。
万延元年(1860年)3月3日の「桜田門外の変」では以前から暗殺情報が井伊にも伝えられていた。しかし周囲から勧められた様々な対抗策は全く採らなかったという。大原氏は「自己愛性障害抑うつ」の可能性を指摘している。
酒井名誉教授は「ストレスの原因は現在と過去で異なるから慎重に考えるべきだ。しかしストレスが身体に与える影響は昔も今も変わらない」と歴史学と医学のコラボレーションの展開に期待を寄せる。政治、経済界トップの健康問題はいつの時代でも重要なテーマになる。過去の歴史を新たな視点で掘り返すことで今日につながる教訓を得られるかもしれない。
(電子整理部 松本治人)
エンターテインメント
「新選組血風録」俳優の左右田一平氏が死去
左右田一平氏 81歳 (そうだ・いっぺい、本名・廣田信夫=ひろた・のぶお=俳優)10日、S状結腸がんで死去。
告別式は近親者で済ませた。喪主は長男、圭一朗氏。
札幌市出身。1956年「真昼の暗黒」で映画デビューし、味のある脇役として活躍。テレビ時代劇「新選組血風録」の斎藤一役で人気を集めた。
自分にとっては、大河ドラマ『新選組!』以前の映像作品の中ではベスト作品だった『新選組血風録』の斎藤一、『燃えよ剣』の裏通り先生。飄々とした風貌だけど芯は侍な斎藤像をありがとうございました。合掌。
今春スタートの薄桜鬼「スタンプリー」,2月26日開催イベントで事前登録実施
大人気アニメ“薄桜鬼”がついに今春“スタンプリー”に登場!
オリジナルWebMoney カードをプレゼントする
事前登録キャンペーンを併せて実施!!
http://www.stamplly.jp/
株式会社インフォ・クエスト(本社:東京都文京区、代表取締役社長:家永慎次郎)は、フィーチャーフォン(携帯電話)やスマートフォン・PC にて、現在地や時間、そして日付などさまざまな条件のもとに発行されるスタンプを探し出して集めるモバイル/PC 向けリアルトレジャーゲーム『スタンプリー』におきまして、大人気アニメ「薄桜鬼」とのコラボレーションが決定したことをお知らせいたします。
また、2月26日(日)にパシフィコ横浜にて開催されるイベント『「薄桜鬼 雪華録」~春の夢~』にて、今春スタート予定の「薄桜鬼」スタンプリーの事前登録を実施させていただきます。
龍之介と新選組隊士達はどう関わっていくのか!?「薄桜鬼 黎明録 DS」オープニングムービー公開!
オトメイトは、2012年4月26日発売予定ニンテンドーDS専用ソフト「薄桜鬼 黎明録 DS」公式サイトにて、オープニングムービーを公開した。
公式サイト「スペシャル」ページに、「薄桜鬼 黎明録 DS」のオープニングムービーが公開。PSP版のオープニングムービーとはひと味違う仕上がりになっている。
また、「主題歌」ページでは、オープニング曲とエンディング曲を確認することができる。どちらの曲もPSP版とは違う曲に変更されているので確認してみてほしい。
よりにもよって白鳥さん主任の鈴本に三回目って、落語好きとしてはどういう趣味なのかと問い詰められても仕方ないと思うのだけど……白鳥トリで鈴本がほぼ満員、喬太郎師匠が「皆さんそんなに白鳥が好きですか」と吠えた(爆)ぐらいですから、私だけが変人というわけではなさそうな(^^ゞ。
「初天神」彦兵衛
「銀座なまはげ娘」粋歌
歌る多さんの弟子、歌隅(かすみ)から二つ目になって粋歌(すいか)さん。
銀座のパリ何とかって超高級宝飾店に勤めていた主人公が、パリ留学のために店を辞めたんだけどダメ男に留学資金を持ち逃げされて、生活費にも切羽詰まった挙げ句にゲットしたアルバイトが銀座の秋田ふるさと館のなまはげモデル。DVDのなまはげ講座で予習し、思い切ってなりきるが、かつての職場にお遣いを頼まれ……というストーリー。
随所に笑いのタネがあり、とても楽しかったのだけど、残念なことにサゲが面白くなかったというか、よくわからなかった(汗)。次に寄席でお目にかかる時には、是非最後まで笑わせて欲しい。
太神楽/鏡味仙三郎社中
今日は寄席の吉右衛門こと仙三郎様と仙花ちゃんのふたりでした。
「金明竹」馬石
黒門亭から菊之丞師の代演で来て、アウェー感を感じつつも、兵庫県出身であることをカミングアウトしてすぐ、加賀屋の仲買の弥一のお遣いが関西弁で口上を述べる場面から入るのはインパクト大。しかも、関西弁ネイティブなだけあって、口上場面にメリハリがあって笑える笑える。
「弟子の強飯」百栄
アメリカで寿司店でバイトしていたところから落語家に弟子入りした経緯をちょっとだけ語って、ネタ入り。
昭和の大名人の口調そのまま(?)の高校生を逸材と見た落語家が弟子になって欲しいと三顧の礼でスカウトするというストーリーなのだけど、その高校生が「てへっ」とか言ったり、キセルをはたいたりして、もぉ爆笑。わずか十歳の頃から髪結い床での会話が江戸時代って、どんな子供(^_^;)。○生師匠の物まねは決してうまくはないものの特徴つかんでるので、笑った笑った。
漫才/ロケット団
冒頭の文左衞門師ツッコミねたが引き金で、ダウンジャケット着た文左衞門師匠が高座に殴り込んで来て、ロケット団に手当たり次第にものを投げるという大波乱(^_^;)。寄席でなくては見られないサービスなので、客席はやんややんやでした。
「時そば」喬太郎
さん喬師匠の代演だし、前半は新作が続いているんでキョンキョンは古典で来るだろうなと予想した通りではありますが……ほぼ満席の客席を見回して「皆さん、そんなに白鳥が好きですか?」と質問。えーと、好きでごめんなさい(^_^;)。
喬師の「時そば」は初めてだったので嬉しかったのだけど、「キッチンいなば」ネタ以外はこの高座では普通だったかも。
「千早ふる」文左衞門
ロケット団の漫才で乱入した師匠、風邪で高熱を発しているらしく、薬を打ってふらふららしいです(°°;)。でも、「千早ふる」から「からくれないに水くくる」まで爆笑解説……そして「とは」は白鳥師に振ってしまう寄席ならではの無茶ぶりブラボー!!
中入り
粋曲/小菊
「徂徠豆腐」琴調
紙切り/二楽
「鉄砲のお熊」白鳥
白鳥師匠、大女で相撲に強いお熊の描写に、まさかの色っぽさを感じます……進境著しいですね。去年の池袋の三題噺で誕生したネタ、誕生の瞬間には立ち会えなかったのですが、古典っぽく入りつつ限りなく白鳥ワールドが楽しいです。
……座布団放り投げる展開も愉しいし(爆)。
「初天神」彦兵衛
「銀座なまはげ娘」粋歌
歌る多さんの弟子、歌隅(かすみ)から二つ目になって粋歌(すいか)さん。
銀座のパリ何とかって超高級宝飾店に勤めていた主人公が、パリ留学のために店を辞めたんだけどダメ男に留学資金を持ち逃げされて、生活費にも切羽詰まった挙げ句にゲットしたアルバイトが銀座の秋田ふるさと館のなまはげモデル。DVDのなまはげ講座で予習し、思い切ってなりきるが、かつての職場にお遣いを頼まれ……というストーリー。
随所に笑いのタネがあり、とても楽しかったのだけど、残念なことにサゲが面白くなかったというか、よくわからなかった(汗)。次に寄席でお目にかかる時には、是非最後まで笑わせて欲しい。
太神楽/鏡味仙三郎社中
今日は寄席の吉右衛門こと仙三郎様と仙花ちゃんのふたりでした。
「金明竹」馬石
黒門亭から菊之丞師の代演で来て、アウェー感を感じつつも、兵庫県出身であることをカミングアウトしてすぐ、加賀屋の仲買の弥一のお遣いが関西弁で口上を述べる場面から入るのはインパクト大。しかも、関西弁ネイティブなだけあって、口上場面にメリハリがあって笑える笑える。
「弟子の強飯」百栄
アメリカで寿司店でバイトしていたところから落語家に弟子入りした経緯をちょっとだけ語って、ネタ入り。
昭和の大名人の口調そのまま(?)の高校生を逸材と見た落語家が弟子になって欲しいと三顧の礼でスカウトするというストーリーなのだけど、その高校生が「てへっ」とか言ったり、キセルをはたいたりして、もぉ爆笑。わずか十歳の頃から髪結い床での会話が江戸時代って、どんな子供(^_^;)。○生師匠の物まねは決してうまくはないものの特徴つかんでるので、笑った笑った。
漫才/ロケット団
冒頭の文左衞門師ツッコミねたが引き金で、ダウンジャケット着た文左衞門師匠が高座に殴り込んで来て、ロケット団に手当たり次第にものを投げるという大波乱(^_^;)。寄席でなくては見られないサービスなので、客席はやんややんやでした。
「時そば」喬太郎
さん喬師匠の代演だし、前半は新作が続いているんでキョンキョンは古典で来るだろうなと予想した通りではありますが……ほぼ満席の客席を見回して「皆さん、そんなに白鳥が好きですか?」と質問。えーと、好きでごめんなさい(^_^;)。
喬師の「時そば」は初めてだったので嬉しかったのだけど、「キッチンいなば」ネタ以外はこの高座では普通だったかも。
「千早ふる」文左衞門
ロケット団の漫才で乱入した師匠、風邪で高熱を発しているらしく、薬を打ってふらふららしいです(°°;)。でも、「千早ふる」から「からくれないに水くくる」まで爆笑解説……そして「とは」は白鳥師に振ってしまう寄席ならではの無茶ぶりブラボー!!
中入り
粋曲/小菊
「徂徠豆腐」琴調
紙切り/二楽
「鉄砲のお熊」白鳥
白鳥師匠、大女で相撲に強いお熊の描写に、まさかの色っぽさを感じます……進境著しいですね。去年の池袋の三題噺で誕生したネタ、誕生の瞬間には立ち会えなかったのですが、古典っぽく入りつつ限りなく白鳥ワールドが楽しいです。
……座布団放り投げる展開も愉しいし(爆)。
ノー残業デーなので特急に乗って頑張って鈴本に向かいました。中入り前の途中から。
「四段目」白酒
白酒さん版は蔵に閉じ込められた定吉がこまっしゃくれ度高いですね。
中入り
粋曲/小菊
「忠臣蔵 赤垣源蔵徳利の別れ」琴調
紙切り/二楽
「明日に向かって開け」白鳥
聴きたかったネタ、来ました(^^)。転がりオチで下座に向かってごろんごろん♪
「四段目」白酒
白酒さん版は蔵に閉じ込められた定吉がこまっしゃくれ度高いですね。
中入り
粋曲/小菊
「忠臣蔵 赤垣源蔵徳利の別れ」琴調
紙切り/二楽
「明日に向かって開け」白鳥
聴きたかったネタ、来ました(^^)。転がりオチで下座に向かってごろんごろん♪
昨日今日あたり、日差しが春めいてきました。土方さんの好きな梅の花の季節ですね。
千葉
歴史の波にのまれ忘れ去られ 戊辰戦争時に沈没の米蒸気船 13日に初の米国人慰霊祭 千葉・勝浦市
神奈川
幕末に思いはせ、「中島三郎助まつり」開催/横須賀
幕末藩士の生涯
盛本さんの文化講演会
京都
NHK大河ドラマ:「八重の桜」 新島八重が愛したひな人形、同志社女子大・今出川で展示 /京都
元気に変身! 三条会商店街でおばけパレード
愛媛
明治維新の立役者・大村益次郎宅跡地の民家全焼
鳥取
鳥取城の橋脚出土 大手登城路・擬宝珠橋
佐賀
幕末の西洋砲ずらり モルチール砲…
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】
(148)東大教授・山内昌之 橘曙覧(上)
【幕末から学ぶ現在(いま)(147)】
松平主税助 政治家の貴種伝説(東大教授・山内昌之)
【決断の日本史】
(109)1868年9月22日 会津藩、降伏す
江戸の町のB級グルメは?
エンターテインメント・海外
「壬生の狼」ロシアを駆け巡る
手塚治虫「陽だまりの樹」市原隼人&成宮寛貴主演で実写化
上川隆也×吉川晃司 W主演で手塚マンガを舞台化
千葉
歴史の波にのまれ忘れ去られ 戊辰戦争時に沈没の米蒸気船 13日に初の米国人慰霊祭 千葉・勝浦市
戊辰戦争中の明治2(1869)年2月13日に千葉県沖で沈没した米蒸気外輪船の米国人犠牲者22人を弔う慰霊祭が13日、同県勝浦市の津慶寺で初めて開催される。地元有志が約140年という歴史の波にのまれ忘れられていた事故の詳細を調査した成果の一端だ。有志らは遺族を捜す努力も続けており、「慰霊を通じて日米友好に少しでも貢献できれば」と話している。
慰霊はこれまで、他の事故の水難者らも合わせて同寺で8月に行われていた。
沈没した米船は木造蒸気外輪船ハーマン号で、米海運会社が運航し日本国内で輸送事業に従事。官軍側の肥後藩が函館・五稜郭に籠城する榎本武揚軍討伐のため、藩士や武器弾薬、軍資金を輸送する目的で傭船した。明治2年2月12日に肥後藩士ら350人と米国人乗組員80人を乗せ高輪沖(現品川沖)を出航。だが、13日夜に暴風雨により現在の勝浦市川津沖で座礁、沈没した。水死・行方不明者は日本人200人以上、米国人22人とされる。
事故後、明治11年には事故現場が見渡せる丘に慰霊碑が建立され、現在も「官軍塚」として勝浦市の歴史文化財に指定されているが、米国人乗組員が犠牲になったことは碑文に表記がなく、22人の名前も分かっていない。米国人犠牲者の存在自体が「完全に忘れ去られていた」(市社会教育課)という。
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ハーマン号を描いた油絵の写真(大野幹雄さん提供)
元外国航路船長の大野幹雄さん(68)は、勝浦市への転居を機に水中考古学者から関連の資料を入手。米国人犠牲者がいたことを知り、「他国の内戦に巻き込まれて亡くなったのに、きちんと慰霊されないのは気の毒だ」と身元調査を始めた。だが、ハーマン号を運航していた海運会社の売却先などに調査を依頼したものの、資料は現在のところ見つかっていない。
ただ、肥後藩士が作らせた絵巻物に地元の漁師らが救助にあたっている様子が描かれていることなどから、「当時の日本人が懸命に米国人を助けようとしたハーマン号事件を多くの人に知ってもらう契機になれば」と奮起。先祖が旧川津村の網元で救助に携わったといわれている子孫らの有志とともに、事故が起きた今月13日に日米双方の犠牲者を弔う慰霊祭を開くことを決めた。
慰霊祭には、肥後藩士の遺族を招く予定で、来年以降は米国の関係者にも参加を呼びかけるという。(田中靖人)
神奈川
幕末に思いはせ、「中島三郎助まつり」開催/横須賀
幕末20+ 件にペリー艦隊が来航した際にアメリカ側との折衝に当たった浦賀奉行所の役人・中島三郎助の功績をたたえるイベント「中島三郎助まつり」が29日、横須賀市浦賀の住友重機械工業浦賀工場(浦賀ドック)で開かれた。
市民グループ「中島三郎助と遊ぶ会」などの共催。三郎助の誕生日に合わせて毎年開催している。
特設ステージには三郎助を描いた垂れ幕が掲げられ、郷土史家の山本詔一さんが講演したほか、日本舞踊やフラダンス、ブラスバンド演奏などが披露された。ペリー艦隊来航にちなんだ「黒船シチュー」は用意した300食が昼すぎに完売する人気ぶりだった。
遊ぶ会の大内透会長は「三郎助の素晴らしい人間性や功績を地元の人に広く知ってもらいたい」と話していた。
幕末藩士の生涯
盛本さんの文化講演会
金沢の文化講演会「武州金沢藩・上級家臣 萩原唯右衛門則嘉」が2月18日(土)、金沢公会堂(区役所隣)で開催される。午後1時30分から3時30分。
講師は文学博士・歴史研究家の盛本昌広さん。1853年、米国のペリー提督来航時に乙艫浜と浦賀製鉄所の警備にあたり、江戸藩邸や浦賀奉行所との連絡・情報収集に活躍するなど、幕末動乱期に生きた萩原唯右衛門の生涯について講演する。定員は先着400人(予約不要)。参加費は200円(資料代)。
問い合わせはNPO法人横浜金沢文化協会【電話】045・781・8665(白井さん)へ。
京都
NHK大河ドラマ:「八重の桜」 新島八重が愛したひな人形、同志社女子大・今出川で展示 /京都
◇穏やかで優しかった「女傑」の人柄知って
来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」のヒロイン、新島八重(1845~1932)ゆかりのひな人形が京都市上京区の同志社女子大今出川キャンパスで展示されている。同志社の創設者・新島襄の妻であり、よきパートナーとして女子教育にも尽くした八重の人となりを知ってもらおうと企画した。
会津藩砲術師範の家に生まれ、戊辰戦争では自らも銃を執り戦った女傑といわれる八重だが、おひな様の道具類をいくつか持っていたという。「毎年三月になると押し入れからお人形を大事にとりだして、久しぶりに会う人に話しかけるようにあいさつしながら、一つ一つ丁寧に顔を絹のきれでふき、ひな壇にかざって楽しんでおられた」と、晩年を知る人が回想している。
今回は新島家と親交があり、同志社女学校校長などを務めた末光信三(1885~1971)に八重が贈ったひな人形を特別に借り受け、展示した。
会場を訪れた信三の二女清子さん(88)は「八重さんは女傑と言われるが、私たちには穏やかで優しい女性でした。“新島のおばあちゃん”と呼んでずいぶん甘えさせてもらった。ひな人形を通して、今の若い人にも八重さんの人柄を知ってほしい」と話していた。
女子大と女子中学・高校、同志社同窓会の共催。4月25日までの平日午前10時~午後4時、ジェームス館1階史料室で一般の見学も可能。問い合わせは同史料室(075・251・4200)。【榊原雅晴】
元気に変身! 三条会商店街でおばけパレード
節分の夜に老若男女が扮装する風習「おばけ」を現代に復活させた、おばけパレードが4日、京都三条会商店街(京都市中京区)で行われ、大学生ら約100人が練り歩きました。
年齢や性別を飛び越えて異装する「おばけ」の面白さを知ってもらおうと京都精華大学人文学部教授の真下美弥子さん(京都学)が提唱したもので、同大学生らでつくる「精華おばけ会」が主催し、今年で3回目。
この日は、巫女に扮した男性や新選組隊士姿の女性をはじめ、アンパンマン着ぐるみ、アニメキャラのコスプレなど多彩に扮装した大学生や中京女性会のメンバーら約100人が参加。800メートルある商店街の中を阿波おどりの曲や中京音頭にあわせて踊りながら歩きました。
「生徒会長」の金文字が入った学ラン姿で元気よくパレードの先頭を歩いた上田製菓本舗店主の上田昇さん(63)は、「50年前にタイムスリップしたつもりで歩きました。恥ずかしかったですが、楽しかったです」と話していました。
愛媛
明治維新の立役者・大村益次郎宅跡地の民家全焼
11日午前10時15分頃、愛媛県宇和島市神田川原の無職松本百合子さん(80)方から出火、2階建て約130平方メートルを全焼した。
松本さんは逃げ出して無事だった。
宇和島署の発表では、一人暮らしの松本さんが同7時30分頃から、1階にある仏壇のろうそくに火をつけたままにしていたという。同署は、その火が何かに燃え移ったのではないかと見て調べている。
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宇和島市などによると、松本さん方は、幕末から明治期にかけて日本軍隊の基礎を築いた大村益次郎(村田蔵六)の住居跡地。作家司馬遼太郎が、大村を主人公に描いた小説「花神」がNHKの大河ドラマで放送された1977年には、観光バスで見学に訪れる人も多かった。
大村ファンだった松本さんの祖父が、約100年前に土地を購入。現在は市指定史跡になっているが、当時の面影は残っていない。
(2012年2月12日10時14分 読売新聞)
鳥取
鳥取城の橋脚出土 大手登城路・擬宝珠橋
鳥取城の大手橋に当たる擬宝珠(ぎぼし)橋の橋脚が出土したと9日、鳥取市教委が明らかにした。江戸から明治時代にかけて3回の架け直しが確認され、市教委が復元を目指している幕末期の橋脚の幅は約5・4メートルで、材種はマツだったとみられる。復元する際の資料となる。
幕末期の擬宝珠橋の橋脚。左の高い橋脚は明治以降、その右にある低い橋脚は幕末期以前のもの=9日、鳥取市東町2丁目の大手橋下
明治初期の写真に写る擬宝珠橋。この橋脚の一部が見つかった=鳥取市教委提供
擬宝珠橋は、幅が約30メートルの内堀に架かり、正門である中ノ御門につながる。幕末期には、明治初期の写真からアーチ橋だったことが分かっていた。
大手登城路の復元整備の一環で鳥取市教委が昨年12月から擬宝珠橋跡を発掘。橋脚の一部が62本出土した。
橋脚が打ち込まれた堆積部分の新旧関係や橋脚の並び方などから、幕末期(マツ材)▽幕末期以前(クリ材)▽明治以降(マツ材)-の橋脚が確認された。
このうち幕末期の橋脚は、直径30センチ前後のマツを横に3本並べたものが4列出土。幅は5・4メートルほどだった。現在の橋脚の下にあと2列があったと想定され、全部で6列だったとみられる。
幕末期以前の橋脚の年代は不明。明治以降の橋脚は、1889年ごろに幕末期のアーチ橋から架け替えられ、1963年に現在のコンクリート橋に架け替えられた木造橋のものとみられる。
市教委文化財課の坂田邦彦文化財専門員は「調査前には残っていないと思っていた橋脚が、意外に良好な形で残っていた。これほど大規模な城の橋跡の調査は珍しい」と話している。
現地説明会は11日午後1時から開かれる。
佐賀
幕末の西洋砲ずらり モルチール砲…
江戸後期から幕末にかけ武雄での西洋砲の鋳造などの取り組みが、佐賀藩や日本の近代化に果たした役割を探る武雄市図書館・歴史資料館(愛称、エポカル武雄)の特別企画展「武雄の時代 西洋砲術導入の軌跡」が11日から始まる。3月20日まで。無料。
28代武雄領主・鍋島茂義(1800~1862)は1830年ごろ、長崎警備を担当した際にオランダ船を見学し、西洋の進んだ科学力に感銘した。その後、積極的に蘭学(らん・がく)の導入に踏みきり、西洋砲術の習得や大砲鋳造に取り組んだ。
領主命で、武雄領の下級武士の平山醇左衛門(じゅん・ざ・え・もん)に、長崎の西洋砲術の第一人者の高島秋帆(しゅう・はん)から砲術を学ばせた。自らも砲術の基本原理などを習得。1835(天保6)年4月には、秋帆の指導で日本初の野戦砲「モルチール砲」を鋳造。試射にも成功している。
1840年9月、神埼・岩田射的場(現在の神埼市神埼町尾崎)であった砲術訓練で、上覧していた第10代佐賀藩主・鍋島直正から武雄武士の砲術は高い評価をうけた。その技術は佐賀本藩にもたらされ、反射炉建造や鉄製大砲の鋳造成功につながったとされる。
特別展では、初めて日本で鋳造され、武雄鍋島家の「抱銀杏(だき・い・ちょう)」の家紋がはめ込まれた「モルチール砲」や「ボンベン野戦砲」「ナポレオン式四斤野砲」「カノン砲雛(ひな)型」などを展示。大砲鋳造絵巻や大砲設計図など含め約150点を集め、佐賀藩や幕末期の幕府に武雄領がどんな影響を与えたのかをたどっている。
11日、25日、3月11日、20日の午後1時半から学芸員による展示解説が予定されている。今回の特別展図録(千円)もある。開館は午前9時~午後5時。休館日は毎週月曜日と第3木曜日。問い合わせは武雄市図書館・歴史資料館(0954・20・0222)。(長沢豊)
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】
(148)東大教授・山内昌之 橘曙覧(上)
楽観と人間愛の幕末歌人
2月最初の週末、越前は福井に2日ほど遊んだ。セーレン社長の川田達男氏とご夫人の案内で訪れた福井市橘曙覧記念文学館は小ぶりであったが、市民が橘曙覧に寄せるほのぼのとした尊敬心が控えめに発露された施設で、福井人の奥ゆかしさが好ましく感じられた。
「独楽吟」52種の連作陳列
なかでも、曙覧の「独楽吟(どくらくぎん)(ひとりたのしめるうた)」52種の連作が照明スタンドに浮かび上がるように陳列されているのは、郷土の生んだ偉大な国学者歌人の名作を現代の若者にも近づけようという工夫なのだろう。
曙覧は、歌道や学問ですぐれていただけでなく、人柄でも幕末越前の名士たちに愛された。藩主、松平春嶽(しゅんがく)やその重臣、中根雪江(せっこう)らとの交流もあり、その門人の一人が三岡八郎(由利公正(きみまさ))であった。
明治に改元される直前の慶応4(1868)年に56歳で物故したために、維新の事業には関わらなかった。また、たとえ明治維新を生きて迎えたとしても、城への出仕と進講を求めた春嶽の誘いを歌で婉曲(えんきょく)に断ったくらいだから、政治に関わる可能性は少なかったかもしれない。
それでも曙覧がいまの日本人の心を引き付けるのは、幕末という動乱期にあって、歌のモチーフとして素直に人間や家族の愛を取り上げ、日々のかけがえのない生活をつつましく読み込んだ楽観主義にあるのではないか。
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福井市橘曙覧記念文学館内に再現された、曙覧の住居「藁屋」のジオラマ=福井市(山内昌之撮影)
現代人慰謝するエスプリ
「たのしみは~とき」の形で詠まれた作品の独楽吟には、歌人や国学者だった曙覧が家庭人としても円満だったことを知る歌が多く収められている。それらは公人と私人の領域をいかに円滑につなげるかで苦労する現代人の心を慰謝するエスプリにあふれている。
たとえば、日ごろは質素な食事に甘んじている曙覧も、たまには子供の喜ぶ姿を見たくて、奮発した魚を煮物にして夕餉(ゆうげ)をとった。すると、「父上おいしい、おいしい」と子供が喜ぶさまを詠った作品がある。
たのしみはまれに魚烹(いおに)て児等(こら)皆(みな)が
うましうましといひて食ふ時
歌だけでも楽しそうな情景が浮かび上がる。橘曙覧記念文学館に出かけられる人なら、2階の陳列室のすぐ入り口に飾ってある一家団欒(だんらん)の人形を見て顔がほころぶ人も多いだろう。この歌の情景がありありとしのばれる曙覧の家族団欒の絵模様だからである。
米大統領、歓迎式典で引用
橘曙覧の作品には洋の東西を超えて人の心を打つ要素が秘められているようだ。有名なのは、平成6年6月の天皇皇后両陛下のアメリカご訪問の折、クリントン大統領が歓迎式典のスピーチで曙覧の歌を引用したことであろう。
たのしみは朝おきいでて昨日まで
無かりし花の咲ける見る時
朝早く寝床から起き出して、庭にふと目をやると、昨日まで咲いていなかった朝顔が美しく咲いていることに明日ひいては未来への希望を託したともいえる歌なのだろう。
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福井市橘曙覧記念文学館内に再現された、曙覧の住居「藁屋」のジオラマ=福井市(山内昌之撮影)
クリントンはこの歌を引いて、「その伝える心は時代を超えたもの」だとした。「一日一日新たな日とともに確実に新しい花が咲き、ものごとが進歩し、日米両国民の間の友好をはぐくむのです」というスピーチの内容は、橘曙覧の詩想からさほど隔たったものではないだろう。
さて私は東大教養学部の新入生に対して、橘曙覧もたたえた楽しい読書の世界に没入するように勧めたことがある。ある読書ガイドを岩波文庫の『橘曙覧全歌集』を紹介しながら結んだのである。
たのしみは珍しき書(ふみ)人にかり
始め一ひらひろげたる時(「古典の力--和漢洋印回の魅力」『教養のためのブックガイド』東京大学出版会)
その結果は、曙覧ぶりを発揮するとすれば、次のようなものでもあろうか。
たのしみは紅顔可憐の若者が噴水背にし
曙覧耽読(たんどく)するをひそかに見る時(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】橘曙覧
たちばなの・あけみ 文化9(1812)年、越前国(福井県)福井城下の商家に生まれる。天保10(1839)年、家督を弟に譲り隠棲(いんせい)。国学者・本居宣長の弟子の田中大秀に国学や歌を学ぶ。福井に居を構えて清貧の生活を送り、歌作と学問研究に没頭。慶応4(1868)年、死去。その歌風は正岡子規らに大きな影響を与えた。
【幕末から学ぶ現在(いま)(147)】
松平主税助 政治家の貴種伝説(東大教授・山内昌之)
政治家は、有権者にまず名前をおぼえてもらわないと仕事が始まらない。時に国会議員に会う機会もあるが、異様に大きな活字で名前を印刷した名刺をもらって仰天することも多い。時にはカラー写真付きの名刺をもらうこともある。学者間の付き合いでは写真の付いた名刺をもらったこともなく、名前の印字も互いに慎ましやかなものだ。
政治家は一種の“人気稼業”という点で芸能人とも似ている。何かで出自や家系が誤解された場合でも、自ら詐称したものでない限り、全員が正確に訂正するわけではないらしい。貴種(きしゅ)の評判や名門の伝説も、集票の役に立てば、それもよしというところなのだろう。
伝説をつくりやすい家系
似たようなことは幕末史にもある。文久2年12月(1863年1月)に、幕府の武芸訓練機関である講武所(こうぶしょ)の剣術教授方(きょうじゅかた)と兼任する形で新選組の前身、浪士組をとりまとめる浪士取扱に就任した松平忠敏もその類であろう。松平主税助や上総介(かずさのすけ)として知られる人物である。
彼が長沢松平家の出身であり当主の地位を継いだのは事実であるが、彼が徳川家康の六男、松平忠輝(ただてる)の血を継ぐというのは怪しい。しかし、新徴組支配を命じられた主税助は、京の浪士たち、なかでも新選組の近藤勇や土方歳三(ひじかた・としぞう)などの活躍と二重写しになって高貴な“家門”として人気を呼んだのだろう。
長沢松平という家系が実にスター伝説をつくりやすい仕掛けになっていた。江戸幕府が開かれてまもなくその家の養子となった松平忠輝は、伊達政宗の娘五郎八(いろは)を妻に迎え前途洋々にも見えながら、兄の将軍秀忠に嫌われて改易(かいえき)されてしまった。
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しかし、忠輝には別に娘がいたらしく、分家の人物が彼女を迎えて長沢松平家を再興したとされるが、幕府はこの流れを嫌い、公に認められたのは享保4(1719)年のことらしい。しかも無易(むろく)であり、どうにか幕府から俸禄が下されたのは天保5(1834)年であった。
それも10人扶持(ぶち)だったというから御家人の軽輩身分くらいの待遇であった。このあたりが佐々木味津三(みつぞう)の小説『旗本退屈男』の「ぐずり松平」の殿様のモデルになった所以(ゆえん)であろう。東海道は三河国長沢村(現在の愛知県豊川市)に陣屋を構える由緒正しき貧乏殿様の松平源七郎が、将軍家からの書き付けを根拠に道中往還の大名家から石高相応の貢物(こうもつ)をせしめとる話である。
退屈男の早乙女主水之介(もんどのすけ)は源七郎のために、薩摩の島津家から3万両を葵の御紋と口舌でまんまと取り立てた。もとより源七郎は実在の人物でなく、忠輝と同じように兄の将軍家光に盾突いて改易された駿府藩主、徳川忠長(ただなが)の伝説上の長男なる長七郎の名からヒントを得たものだろう。しかし現代ともなれば長七郎の実在自体が疑わしい。ともかく、この不遇の名跡には、どこか歴史伝説をつくらせる魅力があったのだろう。
主税助忠敏はこの長沢松平家当主親芳の三男として文政元(1818)年に長沢に生まれ、後に兄の忠道の養子となって家督を継いだのである。
天保13(1842)年に江戸へ出たというから、貴種とはいえ都市型の柔弱な殿様ではなかった。幼少から柳剛流剣術を修め、後には心形刀流(しんぎょうとうりゅう)の伊庭(いば)軍兵衛にも学んだようだが、近藤勇ら浪士のように本物の剣士だったわけではないだろう。
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文久3(1863)年正月に講武所の剣術師範役並に昇進し、上総介に任官して80人扶持を給されたあたりからやや生活も安定しはじめる。同年の将軍家茂上洛に際し、治安が悪化した京都での警護役として募った浪士組を指揮する浪士取扱の役にも任じられたが、集まった過激な面々を見て何らかの不都合を感じたためか、この職は早々に辞している。その後、大政奉還後の慶応4(1868)年に2千石をもらう小普請支配となったのが家運の絶頂であった。
血筋の割には恵まれず
主税助は血筋や家格の割には恵まれない生涯を過ごした。封建社会でも家柄だけでは何ともならない不条理が作用して、禄高や公職に恵まれない才人もいたのである。
後世の時代小説家たちは、その家系を忠長や長七郎の伝説と知ってか知らでか混同し、また貴種にしては達者だった剣術の才を近藤や土方レベルの腕前と思いこみ、一大スターに仕立て上げたのである。これも幕末という動乱の時代が背景になければ起こりえなかったことだ。
つくられた伝説や思い込みも、政治家にとっては大切な武器であろう。ただし行き過ぎると、“宇宙人”などと自他ともに面白がった末に、日本の国を危うくしかねない“貴種”政治家も現れる。
いつの時代でも、育ちと実力が整合して、胆力も兼備する政治のリーダーを見いだすのはむずかしいことなのだ。(やまうち まさゆき)
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【プロフィル】松平主税助
まつだいら・ちからのすけ 本名は忠敏(ただとし)。文政元(1818)年、三河国(愛知県)生まれ。長沢松平家の当主となり、天保13(1842)年に江戸に出る。安政3(1856)年、講武所剣術教授方。文久2年12月(1863年1月)、浪士取扱に就任したが、翌3年に辞任。慶応4(1868)年、小普請支配。明治15(1882)年、死去。
【決断の日本史】
(109)1868年9月22日 会津藩、降伏す
京都守護職・松平容保の意地
会津23万石の第9代藩主、松平容保(かたもり)(1835~93年)ほど維新動乱の悲劇を体験した人物はいないのではないか。文久2(1862)年、京都の治安を担う「京都守護職(しゅごしょく)」が設けられると、その任に就いた。重臣たちは「薪を負い火中に飛び込むつもりでしょうか」と大反対した。
当時の京都は尊王攘夷(じょうい)を叫ぶ志士たちが集結し、暗殺や略奪が横行する無法地帯となっていた。容保は千人の家臣団のほか新撰組も配下に置き約5年間、難しい職を務めた。働きぶりは孝明天皇からも深く信頼された。
しかし、薩摩・長州の同盟により倒幕という大きな流れができあがった。「鳥羽・伏見の戦い」で敗れた容保は最後の将軍、徳川慶喜とともに江戸へ逃げ帰る。慶喜がひたすら恭順の姿勢を示したのに対し、容保は徹底抗戦の意思を捨てず、会津に戻った。
会津は藩祖・保科正之が徳川家光の異母弟にあたり、「将軍家への忠勤」を藩是(はんぜ)としていた。その将軍が降伏したのに、容保はなぜ矛(ほこ)を収めなかったのだろう。彼の目には、薩長勢力が天下の大権を私物化しているとしか映らず、許せなかったのではないか。
明治元(1868)年8月23日、新政府軍が会津に攻め込んだ。容保は藩士ら約5千人とともに鶴ケ城(つるがじょう)に籠もった。少年兵が自刃した白虎隊の悲劇などは知られる通りである。
新政府軍約3万の猛攻の前に、籠城軍はよく耐えた。しかし1カ月後の9月22日、容保は降伏を申し出た。京都時代以降、戊辰(ぼしん)戦争での会津藩の死者は約2500人にものぼる。
将軍に裏切られ、「朝敵」の不名誉も受けた容保だったがのち許され、東照宮宮司などを務めた。しかし自らの思いを口にすることはなく、藩士らの菩提(ぼだい)を弔いつつ、明治26年12月5日、59歳で亡くなった。(渡部裕明)
江戸の町のB級グルメは?
江戸の四大グルメといわれた、うなぎ、そば、天ぷら、すし。
これらは元々、町の屋台で売られたものでした。つまり、B級グルメの出身だったのです。
うなぎは、万葉集にも登場する、古くからの食べ物です。江戸の初期には、うなぎを丸ごと串刺しにして、火であぶったものを屋台で売っていました。脂っこくて、まずいのですが、「精がつくから」と主に肉体労働に従事する人たちが食べていました。
それが、江戸中期に「蒲(かば」焼き」という調理法が考案され、さらに「土用の丑(うし)の日」(平賀源内の発案と言われていますが、確証はありません)が定着したため、爆発的に普及したのです。B級屋台を卒業して、特Aクラスのうなぎ専門店へ。文字通り、うなぎ登りの出世です。
落語の「時そば」に登場するのは、そばの屋台です。二八の16文で売っていたので、通称「二八そば」。当時のそば1杯は、現在よりもかなり量が少ないものだったようで、メーンの食事というよりも、おやつ、あるいは間食という位置づけです。大きな商家の奉公人や、夜鷹などが夜中に小腹を満たすのに絶好の軽食でした。
天ぷらや、すしも、始まりは屋台のメニューでした。揚げたての天ぷらや、目の前でにぎってもらうすしは、気の短い江戸っ子にぴったり。早くて安直なファストフードだったようです。
ただ、どちらも幕末には、料理店、専門店のメニューに加わり、あっという間に、庶民には手の届かない高級料理になってしまいました。
江戸のB級グルメは、そのほとんどが、屋台から生まれたものでした。
(編集委員・長井好弘)
エンターテインメント・海外
「壬生の狼」ロシアを駆け巡る
2月6日は演劇「壬生のオオカミ」の誕生日です。この作品の初演はちょうど2年前にニージニー・ノブゴロドで行われた。
ニージニー・ノブゴロドは、ヴォルガ川とオカ川が合流する場所に位置する。壬生は、前世紀の中ごろまで日本の都だった京都の郊外に位置地する場所となっている。まさにこの京都で、江戸幕府と尊皇派が激しい戦いを繰り広げた。新選組は将軍を守護するために集められた若い侍たちだった。新選組は「壬生の狼」との別名を取っていた。
遠い日本の遠い昔の出来事にロシアの若者が関心を持つのは不思議なことだ。皮膚科医のアラ・グリゴリエワさんと技師のエレーナ・ペレヴェルタイロさんは、ヘリガ・エン・ケンチとエニドという名前のもと、演奏家と若者向けフェスティバルのオーガナイザーを務め、個性的な音楽劇を作り上げた。この音楽劇は、日本の宝塚と芸者と舞妓の舞台をもとにして作られている。このチャンバラを含む音楽劇は、ロシア国内の多くの都市で大成功を収めた。インターネットにはこの劇のファンサイトまで作成された。
このビデオの提供者はヘリガ・エン・ケンチ
「壬生の狼」公演2周年を記念して、ヘリガ・エン・ケンチさんは「ロシアの声」の記者、ヴェロニカ・クリモワのインタビューに答えた。
「ヘリガさん、このお芝居の特徴はなんだと思いますか?」
「『壬生の狼』は音楽劇です。上演時間は2時間で、19世紀の幕末の日本でおきた史実に基づいて構成されています。この劇のもっとも重要なテーマは「誠」です。すべての登場人物には、自分の誠と正義の考えがあります。でも、彼らは遅から早かれ、運命を決する決断を下し、難しい選択をしなければなりません。ある者は、大義のために自身の誠を曲げ、ある者はその反対に、死を選びます。そのどちらが正しいのかは、観客が決めることです。
私たちの演劇では、女性がすべての役を演じます。これは、ロシアの演劇の伝統には背きますが、日本の演劇からヒントを得た演出です。
この劇の演出は、京都の「都踊り」から直接的な影響を受けています。幕が開くと、女性の衣装を身に着けた俳優が、劇の歴史的背景を物語り、これから上演される場面について観客に語ります。そして、その間に、女性の衣装を着た何人かの俳優は、様式的な男性の衣装に着替え、物語の始まりが様式的に示されます。」
「観客の『壬生の狼』への反応はいかがですか?」
「この劇は2年間上演されていますが、その間にファンクラブができて、ファンたちは毎回の上演に通い、感想を書き、似顔絵を描き、劇のモチーフをもとにしたヴィデオクリップを作成してくれています。毎年私たちは大晦日に観客の創作作品のコンクールを行っています。もちろん私たちは自分たちがプロの劇団だと名乗るつもりはありませんし、まだまだ練習を積まなければならないと思っていますが、今既に達成していることを誇りに思っています。
今日、ロシアには幕末に関心を持つ人が増えており、情報を探したり、翻訳を発表したりしています。そして、それらの人々の多くは、ミュージカル「壬生の狼」を観てから幕末に関心を持ったと話しています。」
「坂本竜馬に関する演劇を準備中だと伺いましたが。」
「3月10日にモスクワで、幕末を特集したフェスティバルを開催することを計画中です。このフェスティバルでは、幕末のファンが出会い、交流し、知識を交換し、舞台に出演することが可能です。私たちのミュージカル「壬生の狼」も上演予定ですし、新作品も公開に向けて現在準備中です。新作品は「袖の中の龍」と名付けられており、幕末の志士、坂本竜馬に捧げられています。
「壬生の狼」の初演の時から、観客から、「どうして坂本竜馬はでてこないんですか?」との質問がありました。そうしたとき、私たちは、坂本竜馬は日本を大きく変えた人物なので、別個の作品で取り上げますと答えてきました。私たちの観客はとうとうこの偉大な人物を舞台で見ることができるのです。
「袖の中の狼」では、「壬生の狼」とは異なる演出方法が採られます。この新しい作品を私たちの常連の観客が気に入ってくれて、さらに新しい観客が集まることを期待しています。」
手塚治虫「陽だまりの樹」市原隼人&成宮寛貴主演で実写化
手塚治虫の「陽だまりの樹」が実写化される。NHK BSプレミアムのTVドラマとして、4月から放送が始まる予定だ。
「陽だまりの樹」の舞台は幕末。開国、戊辰戦争15 件、明治維新と大変革の時代に、友情で結ばれた対照的な2人の若者を描いた時代劇だ。主役の伊武谷万二郎役は市原隼人、手塚の曽祖父に当たる手塚良庵役は成宮寛貴が演じる。
そのほかにも、おせき役は黒川芽以、藤田東湖役は津川雅彦、伊武谷千三郎役は西岡徳馬、おとね役は池上季実子、手塚良仙役は笹野高史、お中役は古手川祐子、おつね役は大塚シノブ、お品役は笛木優子、綾役は大塚千弘と発表された。
上川隆也×吉川晃司 W主演で手塚マンガを舞台化
手塚治虫の長編歴史漫画の代表作として知られる『陽だまりの樹』が、上川隆也と吉川晃司のダブル主演で上演される。ふたりの共演は今回が初めてで、吉川はストレートプレイ初挑戦となる。今年4月の上演に先立ち、1月19日に制作発表記者会見が行われ、意気込みを語った。
『陽だまりの樹』チケット情報
『陽だまりの樹』は、テレビアニメ化や過去4回の舞台版をはじめ、数多く上演されている作品。太平の世の中にあり、いつの間にか内部が腐ってしまった徳川幕府が終わりを迎えようとしている幕末の時代に、エリートだが夢想家でノンポリな医者の手塚良庵(上川)と、無骨で真面目な性格で模範的な武士の伊武谷万二郎(吉川)の、対照的なふたりが絆を深めながら混乱の時代を生き抜く物語だ。種痘所開設や黒船来航、戊辰戦争、西南戦争と激動する時代の中で、理想と現実にもがき苦しみながらも精一杯生きるふたりの姿が描かれる。
女にだらしなく情に厚い良庵を演じる上川は「こういった軟派な役がらは、実は今まであまりやらせてもらったことがなく、新鮮な気持ちでお受けしました。僕は殺陣もなく体力的な心配はありませんので、良庵の人となりをしっかり考えながらやってみたい」と語った。自身の役について質問を受けた吉川は「知力面は上川さんにおまかせして、僕は体力面かなと。セリフが少ないと(下手が)バレなくていいな」と冗談をとばしつつも「ミュージカルの経験はあるが、ストレートなお芝居は初めてなので、とにかく無心で真っ白なキャンバスとして余計なものを持ちこまないようにしたい。練習では恥をかきにいけることが嬉しいし、ありがたい。胸をお借りして学ばせてもらう」と謙虚な姿勢をみせた。そんな吉川について上川は「何をしてくれるかの方が楽しみ。他にも経験豊かな役者が揃いますが、皆さんが刺激を受けるのはやっぱり吉川さんからだろうと思います」とコメント。また、初共演については「僕とは同い年なので、舞台の上以外でのコミュニケーションも楽しみです。同じ時代感を持っているというのは、きっと舞台にも現れてくるでしょうね。主に音楽をやってこられた吉川さんと、芝居しかやってこなかった僕とで生まれる異文化交流もあるでしょうし、共通する部分と異なった部分からのハイブリッド感が出ればいいなと思っています」と期待を語った。
現代日本にも通じる激動の時代背景で展開する本作。舞台経験の豊富な上川と、音楽での実績をもつ吉川。ジャンルは違えど生のステージを得意とするふたりが、手塚マンガをどのようなコンビネーションで舞台化するのか見ものだ。
東京公演は4月13日(金)から23日(月)まで東京・サンシャイン劇場、大阪公演は5月4日(金・祝)から20日(日)まで新歌舞伎座、名古屋公演は5月24日(木)から27日(日)まで中日劇場で上演。チケットは東京・大阪公演は1月28日(土)10:00より、名古屋公演は3月26日(月)より発売開始。
上野広小路亭で立川流夜席があって、龍志師匠がトリで談笑師匠も出演というのに、近くの鈴本で白鳥トリの夜席に行ってしまうという自分は、緩い寄席の空気に癒されたいのかも知れない。
前座 扇「元犬」
柳亭こみち 「ん廻し」
……こみちさん、女流の中では声の低さ加減が大好きなんですが、今日はあいにく私の方がコンディション不良で意識が途切れてしまいまして……すみませんm(__)m。
翁家和楽社中 太神楽
古今亭菊之丞「幇間腹」
鈴本の客席がよかったのか、菊之丞さんがさらに一皮剥けたのか、寄席の空気の緩急とか静寂と声のバランスかがとてもよく、たくさん笑いどころがありました。伊勢屋の若旦那の無茶っぷりと振り回される幇間の一八、色っぽい女将さんと、菊之丞師匠お得意の一席というところで盛り上がりました。
林家彦いち「睨み合い」
お得意の新作落語ですが、何度聴いても面白い。その現場を再現するレポーターのようでありながら、当事者でもあるという噺を絶妙の視点で進行。菊師がつくった緩急メリハリのきいた空気のせいか、シャカシャカ音の漏れる若者のイヤフォーンとか、おばちゃんの「人身事故」への反応とか、いつも以上に盛り上がった。
ホームラン・漫才
柳家さん喬「短命」
白鳥さんトリでこの位置でのさん喬師匠を聴こうとは……(^_^;)。でも、さらっと「短命」をやって笑わせるなんて、やっぱり流石。
橘屋文左衛門「笠碁」
菊師「幇間腹」からずっとこっち、皆さん得意のネタをかけている印象……客席は一部馬鹿笑いなお客さんがいましたが、全体に反応がよく、師匠たちを盛り上げたのかも知れません(白鳥師が主任なのに、こんなに古典全開ネタでいいんですか皆さん^_^;)。
文左衞門師、馬生が得意としていた「笠碁」をぐぐっと現代に引き寄せてくれた感じがします。強情とわがままが一歩も引かないっちゅーか。
(中入り)
柳家小菊 粋曲
都々逸とか好きなので癒されます。
宝井琴調「大岡政談 人情匙加減」
林家二楽 紙切り
桃太郎・ひな祭り・チョッパー。まんが『ONE PIECE』のチョッパーを知らなくて、学校寄席でリクエストされた時に切ったものが何だったのか……というのは爆笑ものでした。
三遊亭白鳥「青春残酷物語」
鈴本二月夜席の主任10日間は、白鳥師創作落語を若い時につくった作品からかけるということで、初日は初めて聴きました「青春残酷物語」。
貧乏な大学生と中国からの留学生が一生一度でいいから豪遊したいと歌舞伎町に繰り出したらその筋の人々と誤解されて歓待されるという話(ってまとめ方でいいんだろうか(°°;))。
ストーリーに多少無理があっても、ノリノリな白鳥さんにつられて白鳥ワールドで遊んでしまった気がする。
大満足の鈴本夜席でした。
前座 扇「元犬」
柳亭こみち 「ん廻し」
……こみちさん、女流の中では声の低さ加減が大好きなんですが、今日はあいにく私の方がコンディション不良で意識が途切れてしまいまして……すみませんm(__)m。
翁家和楽社中 太神楽
古今亭菊之丞「幇間腹」
鈴本の客席がよかったのか、菊之丞さんがさらに一皮剥けたのか、寄席の空気の緩急とか静寂と声のバランスかがとてもよく、たくさん笑いどころがありました。伊勢屋の若旦那の無茶っぷりと振り回される幇間の一八、色っぽい女将さんと、菊之丞師匠お得意の一席というところで盛り上がりました。
林家彦いち「睨み合い」
お得意の新作落語ですが、何度聴いても面白い。その現場を再現するレポーターのようでありながら、当事者でもあるという噺を絶妙の視点で進行。菊師がつくった緩急メリハリのきいた空気のせいか、シャカシャカ音の漏れる若者のイヤフォーンとか、おばちゃんの「人身事故」への反応とか、いつも以上に盛り上がった。
ホームラン・漫才
柳家さん喬「短命」
白鳥さんトリでこの位置でのさん喬師匠を聴こうとは……(^_^;)。でも、さらっと「短命」をやって笑わせるなんて、やっぱり流石。
橘屋文左衛門「笠碁」
菊師「幇間腹」からずっとこっち、皆さん得意のネタをかけている印象……客席は一部馬鹿笑いなお客さんがいましたが、全体に反応がよく、師匠たちを盛り上げたのかも知れません(白鳥師が主任なのに、こんなに古典全開ネタでいいんですか皆さん^_^;)。
文左衞門師、馬生が得意としていた「笠碁」をぐぐっと現代に引き寄せてくれた感じがします。強情とわがままが一歩も引かないっちゅーか。
(中入り)
柳家小菊 粋曲
都々逸とか好きなので癒されます。
宝井琴調「大岡政談 人情匙加減」
林家二楽 紙切り
桃太郎・ひな祭り・チョッパー。まんが『ONE PIECE』のチョッパーを知らなくて、学校寄席でリクエストされた時に切ったものが何だったのか……というのは爆笑ものでした。
三遊亭白鳥「青春残酷物語」
鈴本二月夜席の主任10日間は、白鳥師創作落語を若い時につくった作品からかけるということで、初日は初めて聴きました「青春残酷物語」。
貧乏な大学生と中国からの留学生が一生一度でいいから豪遊したいと歌舞伎町に繰り出したらその筋の人々と誤解されて歓待されるという話(ってまとめ方でいいんだろうか(°°;))。
ストーリーに多少無理があっても、ノリノリな白鳥さんにつられて白鳥ワールドで遊んでしまった気がする。
大満足の鈴本夜席でした。
年明けて初めての談笑師。前座で上がったのは吉笑さん。

「11月46日」吉笑
無意識に安住していた自分のアイデンティティを揺すぶられる、ちょっと怖いネタを笑いにオブラートして投げかける吉笑ワールド。新作改作の落語家は若い時につくる作品が鉄板ネタになるので、今後も楽しみ。
「堀の内」談笑
遭遇率が高い鉄板ネタ。サゲがちょっとエロいけど談笑ワールドとしてはソフト(^_^;)。
対談: なぎら健壱・立川談笑
とりとめもなく、でも楽しい下町談義。談笑さんの30年ぶりの同窓会、亀戸周辺のもんじゃ焼き屋マップ、駄菓子屋の商品の話など。紙芝居屋とか、駄菓子屋の紐で引く飴(円錐形で砂糖がまぶされたようなやつね)、梅ジャム、抜き、など懐かしいネタ。
会場の好意で、今回はうまい棒がもれなく配られてました(^^)。
ロビーで駄菓子屋が出店されていたので、中入りに缶入りのお茶100円と麩菓子20円を買った。
「子別れ・改」談笑
ウルトラマン、ウルトラホーク1号、サンシャインビル、出て来いシャザーンなど、昭和40年代前半を子供としてリアル体験した自分にはぐっと来るアイコンが沢山出てきて、古典落語とはまた少し違ったノスタルジーを感じる。大好き。
「11月46日」吉笑
無意識に安住していた自分のアイデンティティを揺すぶられる、ちょっと怖いネタを笑いにオブラートして投げかける吉笑ワールド。新作改作の落語家は若い時につくる作品が鉄板ネタになるので、今後も楽しみ。
「堀の内」談笑
遭遇率が高い鉄板ネタ。サゲがちょっとエロいけど談笑ワールドとしてはソフト(^_^;)。
対談: なぎら健壱・立川談笑
とりとめもなく、でも楽しい下町談義。談笑さんの30年ぶりの同窓会、亀戸周辺のもんじゃ焼き屋マップ、駄菓子屋の商品の話など。紙芝居屋とか、駄菓子屋の紐で引く飴(円錐形で砂糖がまぶされたようなやつね)、梅ジャム、抜き、など懐かしいネタ。
会場の好意で、今回はうまい棒がもれなく配られてました(^^)。
ロビーで駄菓子屋が出店されていたので、中入りに缶入りのお茶100円と麩菓子20円を買った。
「子別れ・改」談笑
ウルトラマン、ウルトラホーク1号、サンシャインビル、出て来いシャザーンなど、昭和40年代前半を子供としてリアル体験した自分にはぐっと来るアイコンが沢山出てきて、古典落語とはまた少し違ったノスタルジーを感じる。大好き。
近くの蕎麦屋でゆっくり昼を食べて、浅草ホールへ。
昼席(途中から)
小袁治「王子の狐」
順子「漫談〜相方;駒松」
あした順子さん、前座の駒松くんをいじり倒してました。駒松くん、前座の中では割と落ち着いていたかな。
百栄「漫談」
ボケの症状、耳が遠くなった夫婦などの話で湧きました。
才賀「台東区の老人たち」
これも爆笑編。台東区役所の窓口に来る老人たちのスケッチ。
仙三郎社中「太神楽」
ひな太郎「たいこ腹」
睡魔の中にいました。
小燕枝「長短」
やっぱり味があるなぁ。顔芸がステキ。
【仲入】
一九「たらちね」
輿入れ前の八っつぁんの妄想が楽しい。
ひびきわたる「キセル漫談」
初めてでした。キセル芸楽しい。
小里ん「親子酒」
さすがの爆笑噺。
文生「酒飲みの漫談」
「親子酒パート2」といってました。橘屋圓蔵師匠関係で札幌の落語会に出るはずがうっかり忘れて池袋昼席に出てしまい、そこから札幌に向かうという……。
小菊「粋曲」
小満ん「夢金」
みぞれ混じりの寒い日に聞く「夢金」、 引き込まれました。「百両欲しい〜」という熊公の金銭欲に満ちた面、でも金のために人殺しには荷担しないという面。雪の大川の夜の風景描写がいかにも寒そうだけど水墨画のよう。
夜の部
まめ平「真田小僧」
三木男「新聞記事」
龍玉「道灌」
さすが真打ちの「道灌」。
笑組 漫才
志ん輔「強情灸」
一瞬にして顔を真っ赤にした志ん輔師匠の顔芸が素晴らしい。
川柳「高校野球賛歌」
今日は小満ん師匠「夢金」と志ん輔師匠「強情灸」で十分に満足。
近くのどぜう飯田屋でどぜう鍋を肴に一杯やって、いい気分で浅草をでました。
昼席(途中から)
小袁治「王子の狐」
順子「漫談〜相方;駒松」
あした順子さん、前座の駒松くんをいじり倒してました。駒松くん、前座の中では割と落ち着いていたかな。
百栄「漫談」
ボケの症状、耳が遠くなった夫婦などの話で湧きました。
才賀「台東区の老人たち」
これも爆笑編。台東区役所の窓口に来る老人たちのスケッチ。
仙三郎社中「太神楽」
ひな太郎「たいこ腹」
睡魔の中にいました。
小燕枝「長短」
やっぱり味があるなぁ。顔芸がステキ。
【仲入】
一九「たらちね」
輿入れ前の八っつぁんの妄想が楽しい。
ひびきわたる「キセル漫談」
初めてでした。キセル芸楽しい。
小里ん「親子酒」
さすがの爆笑噺。
文生「酒飲みの漫談」
「親子酒パート2」といってました。橘屋圓蔵師匠関係で札幌の落語会に出るはずがうっかり忘れて池袋昼席に出てしまい、そこから札幌に向かうという……。
小菊「粋曲」
小満ん「夢金」
みぞれ混じりの寒い日に聞く「夢金」、 引き込まれました。「百両欲しい〜」という熊公の金銭欲に満ちた面、でも金のために人殺しには荷担しないという面。雪の大川の夜の風景描写がいかにも寒そうだけど水墨画のよう。
夜の部
まめ平「真田小僧」
三木男「新聞記事」
龍玉「道灌」
さすが真打ちの「道灌」。
笑組 漫才
志ん輔「強情灸」
一瞬にして顔を真っ赤にした志ん輔師匠の顔芸が素晴らしい。
川柳「高校野球賛歌」
今日は小満ん師匠「夢金」と志ん輔師匠「強情灸」で十分に満足。
近くのどぜう飯田屋でどぜう鍋を肴に一杯やって、いい気分で浅草をでました。
新選組検定を決めてブログ発見しました。横田淳さんは新選組の史跡研究でいくつか著作を読んでおり、蝦夷地で土方歳三が実際に歩んだ行軍ルートを研究しているも〜さんの案内で現地踏査もしていると聞いています。
週刊 新選組!!!
大河ドラマ『新選組!』ファンには、じわーんと来るタイトルです
土方歳三最期の一日から始まる連載記事、楽しみながら読ませていただきます。
第十三回 一本木関門跡
次に函館を旅行する時には必ず訪れたい場所です。
週刊 新選組!!!
大河ドラマ『新選組!』ファンには、じわーんと来るタイトルです
土方歳三最期の一日から始まる連載記事、楽しみながら読ませていただきます。
第十三回 一本木関門跡
次に函館を旅行する時には必ず訪れたい場所です。
大河ドラマ『新選組!』で山南さんを演じた堺雅人さんが、男女逆転『大奥』続編で有功と右衛門佐の二役とは。原作ファンとしては、ちょとビジュアルイメージは違うものの、高潔な有功と曲者な右衛門佐を堺さんがどう演じるか楽しみ。
『大奥』続編が連続ドラマ&映画の2部作に!堺雅人が大奥総取締、将軍は多部未華子と菅野美穂
女将軍の「大奥」ドラマと映画で続編…主演は堺雅人
菅野美穂の魔性の女的な綱吉が楽しみだったりする。
『大奥』続編が連続ドラマ&映画の2部作に!堺雅人が大奥総取締、将軍は多部未華子と菅野美穂
2010年10月に公開され興行収入23億円のヒットとなった映画『大奥』の続編が、連続テレビドラマ『大奥[有功・家光篇]』(TBS系2012年10月クール)と映画『大奥[右衛門佐・綱吉篇]』(2012年12月22日公開)として描かれることが決定した。前作では、柴咲コウが8代将軍・徳川吉宗、人気グループ・嵐の二宮和也が吉宗に仕える水野祐之進を演じたが、それぞれ時代が異なる続編のドラマ版と映画版では、堺雅人が大奥に仕える大奥総取締の一人二役で主演。ドラマ版では、多部未華子が3代将軍・徳川家光。映画版では、菅野美穂が5代将軍・徳川綱吉を演じる。
ドラマ版は、前作で描かれた吉宗の時代からさかのぼること90年、3代将軍・家光の時代が舞台。幼き少女が世継ぎのため初の女将軍の座を手にするなか、汚れなき心を持つ院主で大奥に仕えることになった有功(ありこと)を堺が演じる。ドラマ版の最終回直後に公開される映画版は、ドラマ版で描かれた家光の時代から30年後の犬将軍、綱吉の時代が舞台。有功と瓜二つの男、右衛門佐(堺演じる)が大奥の前に現れる。自らの野望を秘めた右衛門佐に翻弄されながらも、女将軍・家光は国のために身をささげる。
男女の立場が逆転する人気SF時代劇での大役への起用となった堺は、「大変なお役をいただきました。ドラマ、映画と、半年近いご奉公になります。精一杯、つとめさせていただくつもりです」とコメント。さらに、「『男女逆転』という設定以外は、とても硬派な歴史劇でした。歴史上の人物や、事件が丁寧に描かれています。大河ドラマに参加する時のような、意気込みと緊張感でのぞみたいと思っています」と撮影前の心境を語っている。
また、この日発表されたメインキャスト3人は、ドラマ版、映画版ともに本作が初共演となる。堺はふたりとの共演が待ち遠しいとしながら「多部さんの運命を見据えた強いまなざし。菅野さんの悲しげな悩ましい吐息。お二人の演じる将軍を通して徳川家をみると、江戸時代にまた違った光があてられるのではないでしょうか?」と作品への期待をにじませる。さらに「華やかな世界ですが、(僕の役は)あくまでも裏方。いい作品になるよう、お二人を支えながら粉骨砕身力の限りを尽くす所存です」と決意を語った。
一方、将軍役を演じるふたりからもコメントが到着。多部は「大きなプロジェクトで重要な役柄を担うことにとても緊張しています。不安でいっぱいですが、大奥の世界観を乱すことなく、精一杯がんばりたいと思います。堺さんをはじめ、たくさんのキャストの皆さんとお芝居をさせていただくことも、とても楽しみにしています」。菅野は「まさか自分が将軍の役をやらせて頂く機会があるなんて、夢にも思いませんでした。鬘合わせ、衣装合わせなどが終わり、少しずつイメージを膨らませている段階です。将軍の葛藤、孤独、やり切れない運命、そして、生きている人間だからこそのどうにもならない弱さ、愚かさを、エンターテインメントとして演じられたら良いなと思います。イケメン大奥版にしかない世界観を、美しい着物と共に楽しんで頂けるようがんばります」と意気込みをコメントしている。
前作に続いてメガホンを取る金子文紀監督は、「前作『大奥』では男女の立場が変わっても、変わらない「男とは、女とは?」「男らしさ、女らしさとは?」を描くことが僕自身の一つのテーマでした。今回の映画では、そこからさらに一歩踏み込んで「人にとっての幸せとは何か?」「心が満たされるとは?」「心の解放とは?」を大きなテーマとして描いていこうと思っています。男女逆転『大奥』は時代劇というジャンルに入る作品ですが、気持ちの中では、これは紛れもない現代劇です。主演の堺さんをはじめ、ドラマでは多部さん、映画では菅野さんという素晴らしいキャストの皆さんと共に、このドラマと映画のプロジェクトを通して“時代が変わっても変わらないもの”を見出していこうと思っています」と語っている。『木更津キャッツアイ』『タイガー&ドラゴン』などの話題作を手がけ、人間ドラマの演出に定評がある金子監督の江戸時代が舞台の“現代劇”に期待が集まりそうだ。
同続編は、1月11日から2月下旬にかけて撮影が行われ、7月下旬に完成予定。ドラマ版は10月クールのTBS系ドラマとして放映され、映画版はドラマ最終回直後となる12月22日より全国公開される。
原作コミック『大奥』は、謎の疫病により男女の役割が逆転した江戸時代の大奥という斬新な設定を、緻密な時代背景を構成することでリアリティーを追求して描き、高い評価を受けている。
女将軍の「大奥」ドラマと映画で続編…主演は堺雅人
男女の立場が逆転した徳川幕府の内部を描いた映画「大奥2 件」(2010年公開)の続編が、テレビドラマと映画の両方で製作される。主演は、2作品ともに堺雅人(38)。10月クールにTBS系でドラマ「大奥2 件〔有功・家光篇〕」として放送した後、映画「大奥2 件〔右衛門佐・綱吉篇〕」が12月22日から公開される。堺は別々のキャラクターで、女将軍に仕える主人公を演じる。ヒロインはドラマ版では多部未華子(22)、映画では菅野美穂(34)が務める。
病気の流行により世の中の男性の数が激減し、男女の立場が逆転したために女性が将軍に就き、3000人の美男子がその将軍に仕える―という大胆な構成で注目を集めた「大奥2 件」。2年前の映画では8代将軍・吉宗の時代が描かれたが、今度は堺が2作品で「3代・家光」と「5代・綱吉」の時代を演じる。
過去にもヒットした映画のドラマ化や、その逆パターンは数々見られるが、続編のドラマ化と映画化の同時発表、しかも間隔をあけずに公開されるのは、極めて異例。製作側は「家光の話はエピソードが多く、2時間に収めるのが困難なためドラマに、綱吉の派手な時代を描くのは、映画の方が向いていると思った。見る側の気持ちが変わる前に、続けて楽しんでいただこうということで、このような形になりました」と説明している。
堺が演じるのは、テレビ版では、ある事件がきっかけで還俗し、家光の側室となる万里小路有功(までのこうじ・ありこと)。映画で演じるのは、権謀術数を駆使し大奥2 件総取締役に就く右衛門佐(えもんのすけ)と、全く異なる人物だ。ただし、両者はうり二つという設定で、“1人2役”となる。いずれも女将軍の側近中の側近ということで、菅野・多部とのラブシーンも用意されているという。
2つの役を演じ分けられる力を持ち、「雅(みやび)」の雰囲気を持っていると白羽の矢が立った堺は、「大変な役を頂きました」とコメント。「華やかな世界ですが、あくまでも裏方。菅野さん、多部さんとも初めての共演ですが、お二人を支えながら粉骨砕身、力の限りを尽くす所存です」と意気込みを見せている。
前作でもメガホンを執った金子文紀監督がドラマ、映画ともに手掛ける。映画はすでに11日にクランクイン。ドラマは夏に撮影が予定されている。
◆「大奥2 件」 原作は、よしながふみさんの漫画。謎の疫病のために世の中の男子が激減し、男女の立場が逆転した江戸時代。将軍家も女子が継ぎ、大奥2 件に3000人の男が仕えていた様子を描く。2010年に嵐の二宮和也(28)、柴咲コウ(30)が出演して映画化され、興収23億円のヒット。今回のドラマ版では、家光の時代に将軍家が男子から女子に変遷した謎を、映画版では右衛門佐が権力を握っていく過程と、綱吉が“悪法”といわれる「生類憐れみの令」を発令した経緯などが描かれる。
菅野美穂の魔性の女的な綱吉が楽しみだったりする。
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