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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 大河ドラマ『新選組!』で山南さんを演じた堺雅人さんが、男女逆転『大奥』続編で有功と右衛門佐の二役とは。原作ファンとしては、ちょとビジュアルイメージは違うものの、高潔な有功と曲者な右衛門佐を堺さんがどう演じるか楽しみ。

『大奥』続編が連続ドラマ&映画の2部作に!堺雅人が大奥総取締、将軍は多部未華子と菅野美穂
 2010年10月に公開され興行収入23億円のヒットとなった映画『大奥』の続編が、連続テレビドラマ『大奥[有功・家光篇]』(TBS系2012年10月クール)と映画『大奥[右衛門佐・綱吉篇]』(2012年12月22日公開)として描かれることが決定した。前作では、柴咲コウが8代将軍・徳川吉宗、人気グループ・嵐の二宮和也が吉宗に仕える水野祐之進を演じたが、それぞれ時代が異なる続編のドラマ版と映画版では、堺雅人が大奥に仕える大奥総取締の一人二役で主演。ドラマ版では、多部未華子が3代将軍・徳川家光。映画版では、菅野美穂が5代将軍・徳川綱吉を演じる。

 ドラマ版は、前作で描かれた吉宗の時代からさかのぼること90年、3代将軍・家光の時代が舞台。幼き少女が世継ぎのため初の女将軍の座を手にするなか、汚れなき心を持つ院主で大奥に仕えることになった有功(ありこと)を堺が演じる。ドラマ版の最終回直後に公開される映画版は、ドラマ版で描かれた家光の時代から30年後の犬将軍、綱吉の時代が舞台。有功と瓜二つの男、右衛門佐(堺演じる)が大奥の前に現れる。自らの野望を秘めた右衛門佐に翻弄されながらも、女将軍・家光は国のために身をささげる。

 男女の立場が逆転する人気SF時代劇での大役への起用となった堺は、「大変なお役をいただきました。ドラマ、映画と、半年近いご奉公になります。精一杯、つとめさせていただくつもりです」とコメント。さらに、「『男女逆転』という設定以外は、とても硬派な歴史劇でした。歴史上の人物や、事件が丁寧に描かれています。大河ドラマに参加する時のような、意気込みと緊張感でのぞみたいと思っています」と撮影前の心境を語っている。

 また、この日発表されたメインキャスト3人は、ドラマ版、映画版ともに本作が初共演となる。堺はふたりとの共演が待ち遠しいとしながら「多部さんの運命を見据えた強いまなざし。菅野さんの悲しげな悩ましい吐息。お二人の演じる将軍を通して徳川家をみると、江戸時代にまた違った光があてられるのではないでしょうか?」と作品への期待をにじませる。さらに「華やかな世界ですが、(僕の役は)あくまでも裏方。いい作品になるよう、お二人を支えながら粉骨砕身力の限りを尽くす所存です」と決意を語った。

 一方、将軍役を演じるふたりからもコメントが到着。多部は「大きなプロジェクトで重要な役柄を担うことにとても緊張しています。不安でいっぱいですが、大奥の世界観を乱すことなく、精一杯がんばりたいと思います。堺さんをはじめ、たくさんのキャストの皆さんとお芝居をさせていただくことも、とても楽しみにしています」。菅野は「まさか自分が将軍の役をやらせて頂く機会があるなんて、夢にも思いませんでした。鬘合わせ、衣装合わせなどが終わり、少しずつイメージを膨らませている段階です。将軍の葛藤、孤独、やり切れない運命、そして、生きている人間だからこそのどうにもならない弱さ、愚かさを、エンターテインメントとして演じられたら良いなと思います。イケメン大奥版にしかない世界観を、美しい着物と共に楽しんで頂けるようがんばります」と意気込みをコメントしている。

 前作に続いてメガホンを取る金子文紀監督は、「前作『大奥』では男女の立場が変わっても、変わらない「男とは、女とは?」「男らしさ、女らしさとは?」を描くことが僕自身の一つのテーマでした。今回の映画では、そこからさらに一歩踏み込んで「人にとっての幸せとは何か?」「心が満たされるとは?」「心の解放とは?」を大きなテーマとして描いていこうと思っています。男女逆転『大奥』は時代劇というジャンルに入る作品ですが、気持ちの中では、これは紛れもない現代劇です。主演の堺さんをはじめ、ドラマでは多部さん、映画では菅野さんという素晴らしいキャストの皆さんと共に、このドラマと映画のプロジェクトを通して“時代が変わっても変わらないもの”を見出していこうと思っています」と語っている。『木更津キャッツアイ』『タイガー&ドラゴン』などの話題作を手がけ、人間ドラマの演出に定評がある金子監督の江戸時代が舞台の“現代劇”に期待が集まりそうだ。

 同続編は、1月11日から2月下旬にかけて撮影が行われ、7月下旬に完成予定。ドラマ版は10月クールのTBS系ドラマとして放映され、映画版はドラマ最終回直後となる12月22日より全国公開される。

 原作コミック『大奥』は、謎の疫病により男女の役割が逆転した江戸時代の大奥という斬新な設定を、緻密な時代背景を構成することでリアリティーを追求して描き、高い評価を受けている。



女将軍の「大奥」ドラマと映画で続編…主演は堺雅人
 男女の立場が逆転した徳川幕府の内部を描いた映画「大奥2 件」(2010年公開)の続編が、テレビドラマと映画の両方で製作される。主演は、2作品ともに堺雅人(38)。10月クールにTBS系でドラマ「大奥2 件〔有功・家光篇〕」として放送した後、映画「大奥2 件〔右衛門佐・綱吉篇〕」が12月22日から公開される。堺は別々のキャラクターで、女将軍に仕える主人公を演じる。ヒロインはドラマ版では多部未華子(22)、映画では菅野美穂(34)が務める。

 病気の流行により世の中の男性の数が激減し、男女の立場が逆転したために女性が将軍に就き、3000人の美男子がその将軍に仕える―という大胆な構成で注目を集めた「大奥2 件」。2年前の映画では8代将軍・吉宗の時代が描かれたが、今度は堺が2作品で「3代・家光」と「5代・綱吉」の時代を演じる。

 過去にもヒットした映画のドラマ化や、その逆パターンは数々見られるが、続編のドラマ化と映画化の同時発表、しかも間隔をあけずに公開されるのは、極めて異例。製作側は「家光の話はエピソードが多く、2時間に収めるのが困難なためドラマに、綱吉の派手な時代を描くのは、映画の方が向いていると思った。見る側の気持ちが変わる前に、続けて楽しんでいただこうということで、このような形になりました」と説明している。

 堺が演じるのは、テレビ版では、ある事件がきっかけで還俗し、家光の側室となる万里小路有功(までのこうじ・ありこと)。映画で演じるのは、権謀術数を駆使し大奥2 件総取締役に就く右衛門佐(えもんのすけ)と、全く異なる人物だ。ただし、両者はうり二つという設定で、“1人2役”となる。いずれも女将軍の側近中の側近ということで、菅野・多部とのラブシーンも用意されているという。

 2つの役を演じ分けられる力を持ち、「雅(みやび)」の雰囲気を持っていると白羽の矢が立った堺は、「大変な役を頂きました」とコメント。「華やかな世界ですが、あくまでも裏方。菅野さん、多部さんとも初めての共演ですが、お二人を支えながら粉骨砕身、力の限りを尽くす所存です」と意気込みを見せている。

 前作でもメガホンを執った金子文紀監督がドラマ、映画ともに手掛ける。映画はすでに11日にクランクイン。ドラマは夏に撮影が予定されている。

 ◆「大奥2 件」 原作は、よしながふみさんの漫画。謎の疫病のために世の中の男子が激減し、男女の立場が逆転した江戸時代。将軍家も女子が継ぎ、大奥2 件に3000人の男が仕えていた様子を描く。2010年に嵐の二宮和也(28)、柴咲コウ(30)が出演して映画化され、興収23億円のヒット。今回のドラマ版では、家光の時代に将軍家が男子から女子に変遷した謎を、映画版では右衛門佐が権力を握っていく過程と、綱吉が“悪法”といわれる「生類憐れみの令」を発令した経緯などが描かれる。


 菅野美穂の魔性の女的な綱吉が楽しみだったりする。



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 昨日書店に立ち寄って、こんなものを見つけました。
新選組検定
 異説も多い新選組の歴史で検定がどこまで成り立つのかも興味あり、今日がインターネット割引の最終日でもあり、申し込んでみました。記憶力ががた落ちで暗記物には自信まったくありませんが、まずは体験してみます。

山口
山県有朋遺稿など復刻出版
 幕末・明治維新史に関する書籍を中心に扱うマツノ書店(山口県周南市)は、維新の元勲、山県有朋(1838~1922年)の戊辰戦争手記などの著作をまとめた『山県公遺稿・こしのやまかぜ』(1万2千円)など3冊を出版する。いずれも限定300部。『山県公遺稿・こしのやまかぜ』は昭和54年に東京大学出版会から原本が刊行され、古書店で数万円の値が付く入手困難本。

 ほかの2冊は、池田屋事件で新選組と斬り結んで死んだ松下村塾の俊才の手紙や日記を集めた『吉田年麻呂史料』(1万8千円)、維新三傑の一人、木戸孝允について明治30年という早い時期に刊行されたエピソード満載の本格的人物伝『松菊余影』(7千円)。

 今回の3冊については、20日までに予約すると2割程度割引した価格で購入できる。同書店(電)0834・21・2195。


長崎
幕末のゲベール銃初公開 まちなか龍馬館
 長崎の幕末の歴史を紹介する「長崎まちなか龍馬館」(長崎市浜町)に、坂本龍馬率いる亀山社中と英国商人トーマス・ブレイク・グラバーが取引したものと同型の洋式小銃「ゲベール銃」(長さ約1・7メートル)がお目見えした。同館が閉館する3月末まで展示される。

 龍馬は1865年、江戸幕府と対立し近代的な洋式船や武器の購入に苦慮していた長州藩のために、グラバーから薩摩藩名義で蒸気船ユニオン号を購入。同時に7300丁のゲベール銃もあっせんし、両藩の和解と薩長同盟を実現させた。

 ゲベール銃は江戸末期に大量に輸入され、各地の内戦に使われた。展示されているゲベール銃はグラバー園(同市南山手町)に長年保管されていたが、生産国や詳しい入手経路は分からず、今まで公開されたことはなかったという。

 このほか、龍馬を支援した幕末長崎の豪商で、篆刻(てんこく)家としても知られた小曽根乾堂が、明治初めに手掛けた天皇の印章「御璽(ぎょじ)」の印影なども展示物に新たに加わった。

 問い合わせは長崎まちなか龍馬館(電095・821・2112)。


エンターテインメント
陽だまりの樹 : 手塚治虫の名作 市原隼人主演でドラマ化 成宮寛貴が初共演
 幕末を舞台とした手塚治虫さんの名作マンガ「陽だまりの樹」が、俳優の市原隼人さん主演で、4月からNHKの衛星放送チャンネル「BSプレミアム」のBS時代劇枠でテレビドラマ化されることが15日、明らかになった。初の時代劇主演となる市原さんは、武骨で一本気な武士・伊武谷万二郎を演じ、万二郎と“恋敵”となる原作者の手塚さんの曽祖父で蘭方医・手塚良庵役で俳優の成宮寛貴さんが初共演する。

 市原さんは、万二郎を演じることについて、「改革を志す武士の生き様と葛藤、不器用だか真面目に物事をとらえ、考える姿に魅了され、殺陣の見せ方、集中、緊張感を大切にしています」と話し「日本人としてとても光栄な経験をさせていただける機会であり、現在を生きている皆さまに今の時代ができる前の自分の生まれた国の歴史や心構えを伝えたいと同時に自分自身も積極的に学んで生きたいと思います」と意気込んでいる。

 原作は、81~86年に「ビッグコミック」(小学館)で連載された手塚さんの代表作の一つで、00年にはテレビアニメ化されている。愚直なほど幕府に忠誠を尽くす万二郎と、女にだらしないが、情に厚い良庵が、幕末、戊辰戦争、明治維新という時代の流れの中、藤田東湖、福沢諭吉、西郷隆盛ら歴史上の人物たちとの交流を経て、成長し、友情を深めていく姿を描く。2人が思いを寄せるおせき役に女優の黒川芽以さん、万二郎が敬愛する水戸藩の政治家・藤田東湖役として俳優の津川雅彦さんが登場。万二郎の父・千三郎を俳優の西岡徳馬さん、母・おとねを女優の池上季実子さん、良庵の父・良仙を俳優の笹野高史さん、母・お中を女優の古手川祐子さんが演じる。

 成宮さんは「市原君との共演は初めてですが、いい形で化学変化を起こし、万ニ郎と良庵のライバルでありつつ戦友という関係性を表現できればと思います」と意気込み、「これからの自分の俳優人生において、糧となる作品になると思います」と作品への思いを語っている。

 ドラマの制作は19日にスタートし、放送は4月を予定している。(毎日新聞デジタル)


乙女ゲーム業界のウラに迫る
アイディアファクトリーが語る、『オトメイト』作品製作背景と乙女の"萌え"トレンド

 今やエンタメ業界からも注目される年末の一大イベントとなった「コミックマーケット81(コミケ81)」(2011年12月29~31日)の参加者総数が50万人を記録した。震災・超円高により海外から遠征する参加者や「本番の最終日」と呼ばれる3日目の来場者数は減少したものの、女性向けサークルが数多く参加・出展した初日と2日目の動員数はトータルで昨年より1万人増加したという。
 ところがゲーム好き女子にとって、今年の冬の本命は、コミケ会場の外にあった模様。新宿マルイワン(2011年12月30日に終了)と京都マルイ(1月6日~9日まで)にて開催の、女性向け恋愛ゲームブランド「オトメイト」(アイディアファクトリー株式会社)のイベント『薄桜鬼 冬の市&オトメイト ウィンターマーケット』だ。新宿マルイワンでは、シュシュやバッグチャームなどが入った数量限定の「トレンドグッズセット」が早くも完売し、異例の追加再販となった。また、同社の人気タイトル『薄桜鬼』は居酒屋チェーン・はなの舞とコラボメニューを展開、「隊士カクテル」のほか「薄桜鬼コース」までそろえた充実ぶり。まさに「オタ友(オタク友達)オンリー女子会」対応と呼べそうだ。
 乙女ゲーム業界の寵児となった「オトメイト」は創立以来、半期に3~4作品のハイペースで女性向けゲームをリリースしているブランドだ。中でも2008年9月の発売から現在もなお人気の高い『薄桜鬼』シリーズは、業界に新風を吹き込んだだけでなく、コミック・小説・ドラマCDなどのメディアミックス展開や、2010年のTVアニメ『薄桜鬼』『薄桜鬼 碧血録』放映によって、ゲームファン以外にも広く認知されるタイトルとなった。また、2012年2月には最新作『薄桜鬼 幕末無双録』(PSP対応)の発売も控えている。
 今回はオトメイト作品を手掛けるアイディアファクトリー(株)のプロデューサー氏に、乙女ゲーム業界の動向から女性の萌えの変遷、そして今後の展望と勝算をうかがった。

■メディアミックスが大きく当たった『薄桜鬼』
――『薄桜鬼』シリーズ以前と以降で、乙女ゲーム市場を取り巻く環境は変わったのでしょうか?
IFプロデューサー氏 身近なところだと、弊社から発売される乙女ゲームのタイトル数が増えましたね(笑)。というのも、それまで弊社は多くの乙女ゲームをコンスタントにリリースしていたのですが、他社様からも多くの乙女ゲームが開発されるようになり、それに比例して弊社のリリースタイトル数も増える結果になりました。よく、業界の転機として『薄桜鬼』が取り上げられるのですが、単純に乙女ゲームという市場が一般に認知され始めた時期に『薄桜鬼』を発表できたという幸運も手伝っていると思います(笑)。"オタク志向"の女性層が徐々に世間に広まってきた時期もこのあたりだと思いますし。
――「オトメイト」の歴史や、女性向けゲームブランドを立ち上げたきっかけを教えてください。
IFプロデューサー氏 2005年に発売されました『ふしぎ遊戯 玄武開伝 外伝 鏡の巫女』が、弊社で最初の女性向けタイトルですね。その後『星の降る刻』をリリースし、だんだんと女性向けゲームのノウハウや市場がわかってきました。そして『緋色の欠片』がリリースされます。『緋色の欠片』も、初めはまずまずのセールスでしたが、同タイトルのファンディスクの発売をきっかけに人気が伸びてきた印象です。そこからタイトル数を着々と増やしていき、その中で『薄桜鬼』が発売され、現在の体制になりました。
――「オトメイト」ブランドが得意とするゲームジャンルや世界観、他社ブランドとの差別化で気を付けている点は?
IFプロデューサー氏 「オトメイト」としては、高品質のアドベンチャーゲームをコンスタントにユーザーに供給することに気をつけています。また『薄桜鬼』シリーズや『緋色の欠片』シリーズをはじめ、長くユーザー様から愛されるシリーズタイトルが多くあるのも特徴だと思います。
 また、女性に受け入れられる「ゲーム難易度」というのを、常に気にしています。弊社のブランドの特色の一つとして、コンシューマーゲームに初めて触れる女性ユーザーの方が多数おります。ですので、それらの方々にも受け入れられやすい難易度で、なおかつ従来のユーザーの方にもご満足いただける難易度、といったようにゲームバランスの絶妙な調整に力を入れております。
――『薄桜鬼』シリーズの魅力とは?
IFプロデューサー氏 『薄桜鬼』シリーズの魅力として真っ先に思いつくのが、カズキヨネ氏がデザインしたキャラクターたちです。幕末の時代を生きた新選組隊士たちの、猛々しくもあり、それでいて優美なデザインは、多くのユーザーの方の心に響いていると実感しております。それに名実共に力をお持ちである声優の方々による甘いセリフも魅力の一つです。また、ストーリーも重要な魅力の一つです。隊士たちの生き様を儚く描いた本作は、単純に読み物としても完成度が高く、女性だけでなく多くの男性にもプレイしていただきたいですね。
――オトメイト作品のファン層(ターゲットおよびコア)について教えてください。
IFプロデューサー氏 弊社のタイトルは幅広い層の女性をターゲットとしております。その中でも10代から20代の比較的若い層、特に学生が多くを占めている印象です。オトメイトの場合、さまざまなタイプの作品がございますので、タイトルによってもファン層が違いますね。
 また、『薄桜鬼』のアニメ化によって男性ユーザーが増えました。そちらからはストーリーと女性キャラクターを評価していただいているようです。
――アニメ化をはじめとするメディアミックスによって、ファン層はどのくらい拡大したでしょうか?
IFプロデューサー氏 爆発的に拡大しましたね。『薄桜鬼』のアニメ化によって、"普段アニメは見るけどゲームはしない"という女子層が乙女ゲームへ興味を持っていただけたことが大きかったです。アニメを見てゲームの『薄桜鬼』をプレイしていただき、その後、他の「オトメイト」タイトルにも興味を持っていただくことができました。
■乙女の萌えトレンドと、ゲームブランド「オトメイト」の挑戦
――女性ユーザーから求められる「萌え」に流行はあると感じられていますか?
IFプロデューサー氏 女性向けキャラクターで流行の変化はあまり感じられませんね。昔も今もクールなキャラクターやドSキャラは人気がありますし。ただ今は、キャラクターの個性が一つだと飽きられてしまうので、「○○で××」のような「複合キャラクター」ですね。「普段はだらしないのに、いざという時は決める」や「普段は優しいのに、私にだけは鬼畜」のようなキャラクターは人気がある印象です。
――個人的に注目されている女性向けの「萌え」トレンドはありますか?
IFプロデューサー氏 ここ最近「オヤジ萌え」の女性が増えてきていると思います。オトメイト作品でも攻略キャラクターとしてオヤジキャラが何人かいますが、どのキャラクターも人気がありますね。ただ設定が30代のキャラクターは、それだけでオヤジキャラ認定されているようで、周りの男性スタッフはなんとも複雑な気持ちのようです(笑)。
――『薄桜鬼』など既にケータイアプリ化もされたタイトルもありますが、携帯電話やスマートフォン用アプリに対する可能性は感じていますか?
IFプロデューサー氏 モバイルコンテンツには多くの可能性を感じますね。現在進行形でスマートフォン市場が活性化していますので、今後も女性向けのコンテンツを発表していきたいです。やはり、携帯電話は今や生活の中でなくてはならないアイテムですので、そこに乙女ゲームが参入することは、業界にとっても重要なことだと思います。
――今後のリリース作品で挑戦してみたいことがあれば教えてください。
IFプロデューサー氏 『薄桜鬼』に続く、爆発的ヒットタイトルを生み出したいです。"アニメ化"はヒットの起爆剤として非常に有効な手段ですので、現在発売中のタイトルがアニメ化できればいいですね(笑)。また、2012年の春先から新作タイトルが多くリリースされるので、未来のヒットタイトルがこの中から生まれるのでは? とひそかに期待もしております(笑)。
――発売間近の『薄桜鬼 幕末無双録』への意気込みをひと言お願いします。
IFプロデューサー氏 シリーズ初のアクションゲームです。今回のタイトルで、初めてアクションゲームに触れるユーザーの方もいると思いますが、すべての女性ユーザーに受け入れられるゲーム難易度で調整しておりますので「アクションゲームは......」などと物おじせずに、ぜひプレイしてみてください。また、『薄桜鬼』本編とは違う"もしも"のストーリーが楽しめるのが特徴です。本作オリジナルの新キャラクター「西郷隆盛(CV:置鮎龍太郎)」と「桂小五郎(CV:KENN)」の二人も登場します。攘夷派の志士たちの登場で、薄桜鬼の物語がどう変わっていくのか、楽しんでください。
(※編集部注:「CV」とは、キャラクターの声を演じる声優のこと)
 硬派なやり込み型ゲームが流行したのも今は昔。気になるストーリーの中でイケメンからささやかれる「甘いセリフ」のご褒美に加えて、先に進みやすい難易度で最後まで遊べるゲームが多くのリピーターに支持されていたのだ。また、最新作を携帯ゲーム機対応ソフトのみで発売する点や、モバイル対応ソフトへの意欲からも、それらが"好きなものといつも一緒にいたい"という女心をくすぐる要素のひとつだということは想像に難くない。だが"財布の紐が堅い"とされる女性たちが、どのハード(ゲーム機)やキャリア(携帯電話端末)を支持するのかによって、乙女ゲーム業界の展開は大きく変わりそうだ。また「オヤジ萌え」という新たな萌えトレンドはどんな乙女ゲームに結実していくのかーー乙女ゲームの世界はまだまだ成長していきそうだ。
(山口小夏)

『薄桜鬼 ~幕末無双録~(通常版) 特典 設定ガイドブック付き』(PSP)

最新作『薄桜鬼 ~幕末無双録~』。薩長土を中心とした新政府軍と、徳川家臣を中心とした旧幕府軍との熾烈な争いが描かれる。









 3年連続で志の輔らくごinPARCOを見ることができました。考えてみれば、2009年の12月に「芝浜」が聴きたくなって落語に誘い込まれ、明けて2010年の志の輔らくごinPARCOで初めて落語ライブを体験して落語にはまったのですから、志の輔師は私を落語ファンの壷に突き落とした恩人(爆)であります。

 1ヶ月間同じネタでの公演なので、演目については書かないでおきます。

 2012年明けて初ライブ落語・初寄席は、白鳥代バネ目当ての鈴本。中入り終了直前にぎりぎり滑り込み。

奇術 伊藤夢葉
 初めて見た。高速でちゃちゃっとやって煙に巻いて次にいっちゃう、それをトークでつなぐ芸。最後のカードマジックは、最初から二回外すことを計算に入れた芸なんだろうな。

「浮世床」入船亭扇辰
 今年初の生落語が扇辰師の「浮世床」とはハイレベルな。半ちゃんの「っとわや!!」が江戸っ子だねぃ。

粋曲 小菊
 どどいつ、さのさ、品川甚句。

「火焔太鼓」三遊亭白鳥
 新春おめでたいから古典で、だそうな(^^)。ところどころの入れごとギャグが、立川談志、昨日の池袋演芸場の志ん輔師を「さすが三遊亭」と褒めた客(爆)、小沢一郎、池袋のカラオケスナックで働いた時に現金で報酬を取りはぐれたために働き損になった自身の体験、実家の自転車屋で父親がプラモデルを売った時の「ハッピーセット」の件、など……さすが白鳥版古典。
 今日は白鳥版古典を素直に笑って楽しむゆるい空間で、幕の時の拍手もけっこう長め。私も白鳥ワールドを楽しんだ。







 年明けて最初の幕末ニュースです。このブログも8年超えます。更新頻度は以前ほど頻繁ではありませんが、今年もよろしくお願いします。

北海道
奉行所写真 田本研造が撮った 中央図書館に本人示す台紙
 函館市の五稜郭にある箱館奉行所の復元の決め手となった古写真の撮影者が、函館の写真文化を築いた一人、田本研造(1832~1912年)である可能性が強まった。函館市中央図書館で台紙付きの古写真が見つかり、専門機関でも確認。関係者は「撮影者を示す原物が出てきたのは初めてで今後の研究に弾みがつく。写真の価値や田本の功績が改めて見直されるのでは」と喜んでいる。来る2012年は田本没後100年―。

 箱館奉行所の復元は、1983年からの五稜郭跡復元整備の一環で同年に試掘調査が始まり、2006年に復元整備工事を開始。市はその際、フランスで見つかり、戦前に日本へ戻った古写真を外観設計の参考とした。撮影者を割り出す根拠がなく、フランス人説などとこれまで謎だった。

 一方、台紙付きの古写真は、横浜市の小森恵己子さん(81)が2009年7月、同図書館に寄贈した複数の写真から見つかった。明治初期に函館で商人をしていた先祖から受け継いだものという。

 2枚の写真は非常に似ており、デジタル画像解析の結果、撮影角度や陰影などを含め全く同じものであることが分かった。台紙は縦6・3㌢×横10㌢で「田本研造製」の朱印が読み取れる。写真はフランスで見つかったものより鮮明で両側が数㌢長い。

 五稜郭跡復元整備に初期から関わる、市立函館博物館の田原良信館長は「自然に考えて田本撮影でほぼ間違いない」とし、文献から1868(慶応4)年に撮影された可能性が高いとみる。雪が写っており、同年10月26日に榎本武揚(蝦夷地仮政権総裁)や土方歳三(新選組副長)らが五稜郭を占拠した後が有力で「田本が榎本や土方を撮影したという記録があり、出張撮影の際に頼まれて奉行所にカメラを向けた可能性もある。田本が函館で写真館を創業する前に当たることから、事実とすれば写真活動の初期の様子を見てとれる貴重なもの」と話す。

 同図書館では、新しく見つかった古写真を新年早々に一般公開する予定で、主任主事の奥野進さんは「田本没後100年に公開できることに縁を感じ、この写真の意味合い、函館にどう関係してきたかを考えてもらえるきっかけになれば」と期待する。

 また道立函館美術館でも東京都写真美術館などの協力で13年に、田本作品を目玉の一つとする展覧会を開催する予定で、主任学芸員の大下智一さんは「台紙が意味するのは田本がこの写真に深く関わっていたという事実。展覧会開催への心構えも変わってくる」と準備に余念がない。 田本直系の写真館「谷杉写真館」(美原3)の谷杉アキラさんは「台紙の話を聞いて、改めて写真の力を感じた。田本が残してくれた財産、功績に敬意を示したい」と声を張る。

 そして、田本の子孫に当たる市内の自営業、田本英司さん(53)は奉行所の写真撮影者について「先祖の生きた証しが今の函館の魅力づくりに役立っていることが何より」と話している。 ◆田本研造

 三重県熊野市生まれ。幕府の通訳として1859年に長崎から来函後、凍傷で片足を切断した。治療したロシア人医師ゼレンスキーから写真技術を学び、66(慶応2)年ごろから写真師として活動。69(明治2)年に道内初の写真館を函館に創設、明治政府の依頼で北海道開拓の記録写真など多くの映像資料を残した。


「箱館奉行所」防寒強化 じゅうたんやプラスチック板設置
 昨年7月、国の特別史跡・五稜郭跡に復元オープンした「箱館奉行所」(五稜郭町44)は、昨冬観光客からの「館内が寒い」といった苦情を受け、防寒対策を強化している。風の通り道を防いだり、通路にじゅうたんを敷くなど、より快適な見学ができるようになった。

 同所は幕末に建てられた当時の工法で忠実に再現しているため、構造上、外の気温に左右されやすい。「歴史発見ゾーン」や一部の通路などには床暖房が入っているが、当時の空間を忠実に復元した「再現ゾーン」の部屋には10度以下になるところもあった。

 そのため、同所は「可能な限り、観光客の要望に応えよう」と、今月上旬に床暖房の入っていない主な通路に厚さ約1㌢のじゅうたんを敷いた。これにより、足元の寒さを軽減した。

 先月には、寒風の通り道だった同ゾーンの天井開口部に透明なプラスチックの「ポリカーボネート」材質の板を設置した。同所の沼崎孝男館長代行は「苦情は昨年度と比べて、格段に少なくなった」と手ごたえを口にする。

 また「暗い」という苦情にも対応。冬期間、再現ゾーンの外側通路は雨戸を閉めなければならず日光が遮られていたが、プラスチック板を2カ所はめ込むことで光を取り込んだ。

 沼崎館長代行は「再現ゾーンなどは床暖房を入れることができないため、寒い季節は厚めの靴下をはいて来館を」と呼び掛ける。

 市教委は「再現ゾーンの通路にはプラスチック板をもう1カ所設置する予定。今後も施設のコンセプトを守りつつ、来館者が満足できるよう工夫していきたい」としている。

 12月に来訪した時には、前より随分と過ごしやすくなってました。

「高龍寺」国登録有形文化財に
 函館市船見町21にある市内最古の曹洞宗寺院「高龍寺」所有の建造物10件が9日、国の文化審議会で文部科学大臣に答申され、登録有形文化財への登録が決まった。函館では6年ぶりの登録で、市内の登録件数は合わせて17件に。永井正人住職は「登録は昨年4月に亡くなった先代(永井康人前住職)の思いでもあった。先代も喜んでいると思う」と話している。

 登録は建設後50年が経過し、①国土の歴史的景観に寄与している②造形の規範となっている③再現することが容易でない―ことが基準。市は7月に登録へ向けた書類を文化庁に提出し、その後文化庁から文化審議会に諮問し、同日答申された。

 高龍寺は1899年ごろに建築された本堂や、1907年の火災後に新しく建てられた山門、金毘羅堂などで構成。道有形文化財の「釈迦涅槃図(しゃかねはんず)」を所蔵しているほか、毎年10月に開催する「金毘羅尊天例大祭」など、年間を通して多彩な行事が行われている。見学は無料。

 登録されたうち、「本堂」は良質なケヤキを使用した太い柱と梁(はり)で支え、力強い内部空間をつくる。周囲に下屋と縁をめぐらせ、東西に回廊を付属させる。堂内は9室あり、正面の向拝などには立体的で精巧な彫刻を飾るなど、大規模かつ装飾豊かな点が評価された。

 「山門及び袖塀」は境内正面に建つ木造八脚門で、門の左右には桟瓦葺の袖塀を延ばしている。東北以北最大の山門で、雲龍や獅子、花鳥などの彫刻が施されるなど、意匠をこらした外観が特徴だ。

 また、市内に現存する煉瓦造建築として代表的な「開山堂」や、延焼を防止するために設けられ、大火が頻発していた近代函館を象徴する「防火塀」、境内で最も装飾豊かな「金毘羅堂」などのほか、「水盤舎」「鐘楼」「宝蔵」「位牌堂」「土塀」が登録となった。

 正式登録は数カ月後の登録原簿登載を経て決まる。市教委文化財課は「函館の歴史を物語るお寺が国に認められてうれしい。これからも後世に引き継がれてほしい」と祝福。永井住職は「これまでと同じように地域に密着したお寺であり続けたい」と話している。


「箱館奉行所」が道赤レンガ建築賞
 国の特別史跡「五稜郭跡」に復元され昨年7月にオープンした「箱館奉行所」が、地域の発展に貢献する創造性豊かな建築物を対象とする北海道赤レンガ建築賞を受賞した。道南では2001年度の公立はこだて未来大学以来、10年ぶり。同館の沼崎孝男館長代行は「建築関係者もひと目見ようと訪れるほど。道を代表する建築物として認めてもらいとてもうれしい」と話している。

 箱館奉行所は道内最大級の木造建築物で、総工費約28億円をかけ、4年間の工事を経て完成した。幕末当時、約2700平方メートルあった同奉行所のうち、約1000平方メートルを復元した。建物は発掘調査結果などを基に、スギやヒノキなどの材質をはじめ、細部まで忠実に復元することにこだわった。

 入館者数はオープン後から今年11月末現在までで、44万3313人。生涯学習施設として道内外から修学旅行生も多く訪れ、函館観光を下支えしている。

 本年度は23の応募作品があり、10月下旬から11月上旬まで行った第二次審査の現地審査などを経て受賞が決まった。現代技術を駆使した伝統的工法によって復元された点や、北海道の建築創造活動の促進に寄与したこと、函館の文化振興に貢献したことなどが選考理由となった。

 市教委の山本真也教育長は「復元工事に携わった全国の職人に感謝の気持ちでいっぱい。入館者数も予想以上で、函館を代表する建築物をもっと多くの人に知ってほしい」と祝福する。

 沼崎館長代行は「これまで以上に全国から観光客が来てくれるよう、魅力をさらに発信していきたい」と意気込んでいる。


三重
「ええじゃないか」と社会の不安を跳ね返そうと江戸幕末の伊勢参り再現
 国会の空転、景気の停滞、東日本大震災、原発事故など今の世の人々の不安な気持ちを吹き飛ばそうと1月8日、「伊勢ええじゃない会」(石川雄一郎会長)が「ええじゃないか、ええじゃないか」と明るく騒ぎながら伊勢神宮外宮から内宮までの約3キロの距離を練り歩いた。

 同会は、幕末に「ええじゃないか」「ええじゃないか」と明るく騒ぎ、社会不安を吹き飛ばそうと民衆の間から巻き起こった社会現象を再現し、明るく楽しい世にしていこうと毎年仮装による伊勢参りを実施、今回で8回を数える。

 傾奇(かぶき)者や女装、忍者などに仮装し「ええじゃないか」と連呼しながら歩く集団が、内宮の門前町として栄え今も大勢の参拝客が行き交うおはらい町通りに差し掛かると、一般人も巻き込みながら楽しく「ええじゃないか、ええじゃないか」と盛り上がった。成人式を終えた新成人を見つけると取り囲み、「新成人、新成人」と掛け声で祝った。

 同集団に捕まった同市出身の新成人は「社会不安だらけのニッポンだけど、社会のために何か貢献し、私たち新成人が明るい社会を作っていかなければいけないと思った。捕まってビックリしたけど、とっても良い事が起こりそう」と感想を漏らした。


ええじゃないか!華のお伊勢参り:きょう再現、和装の参加者募集 /三重
 幕末に流行した熱狂的な踊り「ええじゃないか」を再現して、法被や着物の和装で伊勢神宮へにぎやかに参拝する催し「ええじゃないか!華のお伊勢参り」が8日、JR伊勢市駅前から伊勢神宮まで行われる。市民有志でつくる「伊勢ええじゃない会」(石川雄一郎会長)が参加者を募っている。

 伊勢ならではの初詣スタイルを再現し、景気の停滞ムードも吹き飛ばそうと、05年から続けている。

 当日は旅装束や侍姿などに仮装した人たちが午前11時にJR伊勢市駅前を出発。伊勢神宮外宮、古市街道を経て猿田彦神社、同神宮内宮までの約5キロを練り歩く。また、おはらい町通りの五十鈴塾左王舎前に午後1時ごろに集合し、成人式を済ませた若者たちにも呼び掛けて「着物でお伊勢参り」を繰り広げる。参加希望者は着物や法被など自前の和装で出発地に集合。予約不要で参加無料。問い合わせは石川会長(080・5103・0989)へ。【木村文彦】

〔三重版〕


京都
観光振興で相互交流 京都市と会津若松市 3月に「宣言」
 東日本大震災で落ち込む観光の振興を目指し、京都市と福島県会津若松市が「相互交流宣言」を3月にする。両市が舞台となるNHK大河ドラマ「八重の桜」の2013年放映が決まったことを受け、両市共同の観光PRのほか、小学校間の文化・教育交流も予定している。
■学校連携も
 福島県西部の会津若松市には猪苗代湖や鶴ケ城など県内有数の観光地がある。大震災による大きな被害はなく、福島第1原発からも100キロ近く離れているが、訪れる修学旅行生が9割も減少するなど観光客が大きく減っているという。
 放映が決まった「八重の桜」は同志社大(京都市上京区)を創設した新島襄の妻・八重の生涯を描く作品で、八重は現在の会津若松市に生まれた。新島夫妻でつながる京都、会津若松両市が震災復興や原発災害の克服に力を合わせようと、相互交流を進めることにした。
 今年3月に京都で催される「東山花灯路」に合わせて会津若松市の室井照平市長が京都を訪れ、相互交流宣言した後に特産品を展示即売する。また「八重の桜」放映にちなんだ共同観光PRを首都圏で展開する。幕末に京都守護職を務めた会津藩主・松平容保が本陣を置いた金戒光明寺(左京区)など京都市内の会津ゆかりの地を巡るツアーも企画。両市の学校をインターネット回線でつないで歴史や文化を学び合う学校間連携も行うことにしている。
 会津若松市総務課は「京都市とのつながりを生かし、息の長い交流を続けたい」。京都市政策調査課も「行政間だけでなく、幅広い市民の交流につなげて復興支援にとどまらない両市の発展を目指したい」としている。

香川
「幕末志士」倉庫で語ろう
香川のファン 「志持つ人 集まって」

坂本龍馬らの複製写真を展示した多目的スペース(香川県善通寺市で)
 坂本龍馬ら幕末の志士らの写真を展示した倉庫が、香川県善通寺市で話題を集めている。龍馬の大ファンという同市善通寺町、屋根工事業長田謙司さん(65)が会社倉庫を多目的スペースとして改装したもの。懇談会や同窓会などの会場として開放しており、「志を持った人たちの集まりに利用してもらえれば」と話している。

 長田さんは中学3年の頃、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んで龍馬の生き様に感動。その後も関係書物を読み続け、高知市の桂浜や資料館などに何度も足を運び、「異色でこんな大きな人はほかにはいない」と、魅力に取り付かれたという。

 龍馬らについて語り合える場がほしいと、会社敷地内の木造2階建て倉庫1階(約100平方メートル)を一人で改装。仕事で利用しなくなった木材などを使い、約1年かけて昨年1月に完成させた。

 畳敷きで壁は板張り。龍馬のほか、高杉晋作、中岡慎太郎、桂小五郎ら6人の複製写真(縦約60センチ、横約40センチ)を壁に飾り、高知市内の美術愛好家から購入した龍馬を模した陶製の像(高さ約60センチ)も配置。写真が浮かび上がるよう、照明も工夫している。

 龍馬好きの知人らを集めた懇親会や同窓会などを開催してきた長田さんは「龍馬だけでなく、幕末の歴史に興味がある人たちが自由に議論してほしい」と話している。

 最大約20人で利用でき、調理場も完備。使用料は相談に応じる。見学は無料。問い合わせは長田さん(090・1008・3455)。

(2012年1月8日 読売新聞)


龍馬伝・幕末志士社中:来館者10万人に 群馬の白波瀬さん夫妻に記念品 /高知
 JR高知駅前の「龍馬伝」幕末志士社中の来館者が5日、10万人に達し、群馬県渋川市から訪れた会社員、白波瀬雄一さん(44)と里香さん(41)夫妻に記念品が贈られた。

 白波瀬さん夫妻は、坂本龍馬の古里を見てみたいと、3日から3泊4日の予定で来県。雄一さんは「いきなり10万人目と言われてびっくりした。良い思い出になります」と笑顔。里香さんは「社中に展示されている龍馬生家のセットがリアルで感動しました」と話し、10万人目の認定証やカツオのたたきなどを受け取った。

 志士社中は、県観光イベント「志国高知 龍馬ふるさと博」の目玉施設として昨年7月に開館。県龍馬ふるさと博推進協議会事務局によると、181日目の10万人達成は、当初見込みより13日遅いという。事務局は3月末までに来館者15万人を目指してPRを続けている。【倉沢仁志】


鹿児島
益満休之助の戦傷死
■斥候中の負傷で破傷風

 幕末5 件維新期の薩摩藩で、隠密活動家として伊牟田いむた尚平しょうへいとともに異彩を放っているのが益満ますみつ休之助きゅうのすけ(行武ゆきたけ、一八四一~一八六八)である。
 益満といえば、直木なおき三十五さんじゅうごの「南国太平記」で縦横無尽の活躍をすることで知られる。しかし、小説の舞台は高崎崩れ(いわゆるお由羅ゆら騒動)のころで、益満はまだ少年であり、明らかに時代が違うから、直木が創作したフィクションである。
 益満は鹿児島城下高麗町の生まれ。父行充と母ヨシの二男である。益満家は小番こばん
の家格で御小姓組おこしょうぐみだった西郷隆盛や大久保利通などより少し上である。
 慶応三(一八六七)年十二月、幕府軍により江戸の薩摩藩邸(芝本邸)が焼き打ちにあったとき、浪士隊の江戸かく乱工作を指揮していた益満は捕虜となったが、勝安芳やすよし
(のち海舟)に保護され、九死に一生を得た。
 翌四年三月、東征軍が江戸に迫っているとき、益満は勝の計らいにより釈放され、旧幕府側の使者・山岡鉄太郎を駿府に先導して西郷吉之助との会見を実現、江戸開城の露払いの大役を果たしたことでも知られる。
 江戸開城後の五月十五日、上野に立てこもった彰義隊しょうぎたいとの戦いが始まる。薩摩藩は西郷みずから指揮し、苦戦が予想される正面の黒門口を担当した。益満は隊外斥候せっこう役となり、自由な立場での戦況偵察の任にあたった。
 早朝から始まった戦闘は激烈をきわめたが、夕刻に彰義隊の敗北で終わった。薩摩藩は彰義隊の抵抗に苦しみ、戦死者八名、負傷者四十名を出した。これは戦闘に参加した諸藩兵のなかで最多の死傷者数だった。
 この負傷者四十名のうち、八名がのちに死亡したが、そのなかに益満も含まれていた。政府軍の軍医・関寛斎の日記に益満の死亡記事がある(「奥羽出張病院日記」)。「右脚下部貫通創脛骨けいこつ挫傷、テタニユスにて廿六日死す、 益満休之助」
 益満は右脚のスネあたりに銃弾を受けた。テタニユスとは破傷風のことである。益満の負傷は致命傷ではなかったが、不運にも傷口から破傷風菌が入って死亡したのである(二十六日死亡は間違い)。当時、破傷風の治療法はまだなかった。不忍池しのばずのいけ近くの加賀藩邸(現・東京大学)周辺は破傷風菌が多いことで知られていたという(高山坦三「伝説史話の詮議誌」)。
 負傷した益満は関が病院長をつとめる神田小川町の野戦病院(旧幕府の講武所跡)に収容された。西郷は翌十六日、負傷者を横浜の軍陣病院に搬送するよう指示するとともに、益満の負傷を知って大変心配し、配下の小荷駄こにだ方(物資・兵糧係)にその収容先を探すよう命じ、「益満だけは別にお手当下さるべく候」と書いている。西郷は益満を特別待遇で治療させようとした(「西郷隆盛全集」二)。
 益満が横浜に移送されたのは二十日だったが、すでに手の施しようがなく、二日後の二十二日夕方七時に息を引き取った(「横浜軍陣病院日記」)。享年二十八歳。
 戦闘中、益満がどのような行動をとり、どこで負傷したのか、信頼できる史料には記されておらず不明である。本郷の切通きりとおし坂周辺で負傷したとか、千駄木から谷中やなか
に向かう団子坂で負傷したとか諸説ある。戦闘は正面の黒門口と長州藩などの本郷方面で同時に開戦する手はずになっていたが、西郷は本郷方面がなかなか開戦しないのを気にしていた(「慶明雑録」)。もしかしたら、益満は西郷の命で本郷方面に長州藩との連絡に出かけて銃撃され、負傷したのかもしれない。
(歴史作家・桐野作人)
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 立川談志家元の追悼番組@BS-TBSを見ながら書いています。

東京
映画「幕末太陽傳」復活、盛り上がる品川 東京
 旧東海道の品川宿を舞台にした映画「幕末太陽傳(でん)」(1957年)のデジタル修復版が23日、全国で公開される。公開に合わせ、品川宿のあった旧東海道沿いの商店街がキャンペーンを始めた。映画のパネル展を店で開いたり、品川の伝統野菜を使った料理を出したり。映画で品川宿に興味を持った人たちに、足を運んでもらおうという企画だ。

 映画の冒頭シーン。昭和30年代の旧品川宿の様子が映る。商店街の人たちが忙しく行き交う姿が映っている。現在の東京都品川区北品川1丁目辺りだ。

 この地で生まれ育った大越章光さん(49)は、生まれる前に亡くなった祖父に映画の中で初めて出会ったという。「子どもの頃、テレビかなにかで映画をやった時『これがおじいちゃんだよ』と聞かされたのを覚えている」という。

 「幕末太陽傳」は地元の人たちにとって、特別な映画だという。「今も商店街にいるような、おっちょこちょいで人のいい連中が大勢出てくる。昔からそういう連中がいたんだよね、と思ってしまう映画」と大越さんは言う。

 京急北品川駅から新馬場駅周辺の旧品川宿周辺の商店街は、フランキー堺や左幸子、石原裕次郎ら映画出演者が登場する旗100枚余りを掲げ、雰囲気を盛り上げている。

 映画冒頭のシーンを撮影したとみられる場所は今、家庭料理を出す畳敷きのカフェ「クロモンカフェ」になっている。

 店主の薄葉聖子さん(47)も地元で育った。「今も残る品川っ子気質がよく出ていて、私たちの映画と思っている人が多い」と話す。店では、地元の八百屋が復活させた江戸野菜「品川蕪(かぶ)」を使ったシチューを映画とタイアップしてメニューにのせた。「映画でも描かれた、品川の持つおもてなしのDNAを大事にしたい」と話す。

 旧品川宿周辺の居酒屋やレストランなど、6店で「映画公開記念」として特別メニューを出すなどしている。7店で映画のパネルを展示している。

 また、旧品川宿から少し離れた区立品川歴史館(大井6丁目)では、「幕末太陽傳に見る品川宿」と題し、映画の撮影風景などのパネルを1月29日まで展示している。

 デジタル修復版は、映画を製作した日活の創立100周年記念事業の一環だ。日活は「よみがえった映画を見て旧品川宿を歩いてもらい、今も残る雰囲気を体感してほしい」と話す。

 都内では、テアトル新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町、キネカ大森で上映する。(桑山敏成)


品川区で「幕末太陽傳」映画写真展を開催
 品川宿を舞台にした映画「幕末太陽傳(でん)」(昭和32年、日活)の写真パネル展が東京都品川区大井の品川歴史館で行われている

。来年1月29日まで。

 日活の協力で、映画内の場面写真や出演者のフランキー堺さん、石原裕次郎さん、南田洋子さん、左幸子さんらの撮影現場写真など53点を紹介。未定稿のシナリオなども展示されている。

 また、品川宿周辺の北品川本通り商店会、北品川商店街、京急新馬場商店街では、街路灯に「幕末太陽傳」のフラッグを合計約100本飾りPRしている。

 「幕末太陽傳」は江戸末期の品川遊郭を舞台に、主人公の佐平次(フランキー堺)が、遊郭の人々や勤王の志士らを巻き込んで織りなす喜劇映画で川島雄三監督の代表作とされる。

 開館は午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)。月曜、祝日、29日~1月3日と1月10日休館。観覧料は一般100円、小中学生50円。      



 「幕末太陽傳」のデジタル修復版が日活創立100周年記念として都内などで上映されている。


坂本龍馬ら幕末の志士がオススメするご当地カレーが発売中!
 坂本龍馬や武市半平太、岡田以蔵といった幕末の志士に扮した男女6人によるご当地アイドルグループ「土佐おもてなし勤王党」。JR高知駅前の広場でダンスパフォーマンスを繰り広げたり、様々なステージイベントに出演したり、多方面で大活躍中の彼らがパッケージにデザインされた「おもてなし勤王党オフィシャルカレー」が、ただいま高知県内の土産物店やホテルで好評発売中だ。
このカレーは、現在6種類が発売されていて、坂本龍馬のパッケージは「軍鶏カレー」、武市半平太は「鰹カレー」、岩崎弥太郎は「ナスカレー」、中岡慎太郎は高知県鶏が入った「土佐ジローカレー」といったように、それぞれに地元の特産品が入っている点が特徴だ。また、いずれの商品にも「土佐おもてなし勤王党」メンバーのブロマイドが1枚ずつ付いてくるので、コンプリートを目指して全種類食べ比べてみるのも面白いかも。
なお、商品は650円と735円の2種あり、いずれもネットでの販売が予定されているので、現地まで買いに行けない人はブログなどで彼らの活動を追いつつ、商品の発売を楽しみに待っておこう。【東京ウォーカー】


ブックレビュー
新選組 永倉新八のひ孫がつくった本
浅田次郎、黒鉄ヒロシ、立川談志ら著名人、
新選組隊士らの子孫、
研究家が永倉新八を熱く語る、アンソロジー。
ひ孫だからこそ聞き出せた話が満載!

【もくじ】より抜粋
・英雄像ではない、もっと身近な新選組の魅力
                 ……浅田次郎
・新選組に差す一筋の光明――永倉新八
                  ……黒鉄ヒロシ
・新八は江戸っ子だから照れるんだ!
                 ……立川談志
・新選組をスピリチュアル・カウンセリング!
 近藤勇と袂を分かった永倉新八
                  ……江原啓之
その他、近藤勇、沖田総司、土方歳三、池田屋惣兵衛らの子孫も登場!
《編著者プロフィール》杉村悦郎
昭和25年6月27日、北海道生まれ。大学卒業後、札幌に舞い戻り、タウン誌編集、企画制作会社イザに勤務。「新選組永倉新八外伝」(新人物往来社刊)「曾祖父・永倉新八と妻よね」(河出書房新社刊「新撰組11 件人物誌」掲載)他。
杉村和紀
昭和42年2月13日生まれ。札幌市在住。O型。テレビ番組制作会社ユープロダクション勤務。職種はディレクター。平成16年、北海道文化放送制作のテレビ番組「新選組。永倉新八からの伝言」でディレクターを担当。


コラム
【幕末から学ぶ現在(144)】
友誼と律義の政治家 勝海舟・番外編 【東大教授・山内昌之】

 福沢諭吉に「痩我慢(やせがまん)の説」で散々にやられた勝海舟であったが、江戸っ子らしい気風の良さや徳川の忠臣だった点では人後に落ちない。

 また、政治家に必要な義理堅さも相当なものだ。松浦玲氏の最新著『勝海舟と西郷隆盛』(岩波新書)を読むと、この2人の友誼(ゆうぎ)と信頼感の厚さが改めてしのばれる。

 2人が最初に出会ったのは、元治元(1864)年9月、大坂の海舟の宿を西郷が訪れたときのことだ。西郷はすぐに勝の器量に心服し、国許(くにもと)の大久保一蔵(利通(としみち))にあてて「ひどくほれ申候(もうしそうろう)」と手紙を書いている。数えで勝は42歳、西郷は37歳であった。西郷は大久保に向かって、勝は実に驚き入る人物、どれだけ智略があるやら底知れぬ英雄肌合(はだあい)の人と称揚している。

現場なら…西郷ベタ褒め

 面白いのは、佐久間象山(しょうざん)と比較していることだ。学問と見識では象山が抜群である。しかし、現場に臨みては「勝先生」だというのだ。象山よりも一層できるとべた褒めなのである。松浦氏は、もともと西郷の象山評価も高いので、それを上回る海舟への褒め言葉は最大級のものだと指摘する。

 氏の本を読み進めると、勝と西郷との個人的な友誼がなければ江戸無血開城がむずかしく、譲歩したことで西郷が新政府部内で苦しい立場に陥った状況も浮かび上がる。

 松浦氏はそれとは書いていないが、江戸城明け渡し交渉で得をしたのは勝だったような気がする。勝はこれを生涯、西郷の徳としたのかもしれない。不遇になった西郷の晩年や死後の遺族に対する勝の好意には、全然無理なところがない。

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 とにかく、2人は俗にいう「ウマが合った」のだろう。西南戦争が起こると、西郷贔屓(びいき)の勝には岩倉具視(ともみ)あたりから、鹿児島に行って収めてくれまいかと御馳走(ごちそう)を受けたりもするが、全権をくれたら出かけてもよいとうそぶく。「どンな事をするか、知れませんよ」と脅すと、岩倉がギクっとするのがおかしい。大久保や木戸孝允(たかよし)でも免職させるかもしれぬ、と人を喰ったことを言うのはいかにも勝らしい。

 とにかく西郷が好きな勝のもとには、薩軍に参加した父兄弟をもつ新納(にいろ)某なる人物はじめ多数の在京薩摩人がやってくる。彼らの無心に応じて気前よく金を貸与するが、徳川家から預かった金まで貸し出したのは、もし西郷が勝った暁には賭け金が倍になって戻ってくると当て込んだせいだろうか。だが、そこまで計算高いはずもなく、悲壮の極みにある薩人への素朴な同情心があったに違いない。

 それにしても、新納なるいかにも薩摩藩の上級家臣らしい姓を名乗った男が、実は偽者で信州人だったというのもおかしい。鹿児島にしばらくいたというから、薩摩弁もどきを話して勝をたぶらかしたのだろう。もっとも勝ほどの男が真贋(しんがん)を見極められないはずもないという気もする。嘘を承知で勝が金を出したと考えるのも、彼の幕臣に対する鷹揚(おうよう)な接し方を見れば、まんざら荒唐無稽とばかりはいえまい。

 勝は本当に西郷を好きだった。西郷が城山で自刃した明治10(1877)年にすぐ追悼集『亡友帖』の作成にとりかかり、翌年に発行している。まだ西郷を逆賊扱いする気分が強いときのことだ。勝は遠慮会釈せずに追悼集を出したが、この胆力には驚くほかない。

 そのうえ明治12年には西郷の記念碑建立を思いたって、勝が管理する徳川家の屋敷のあった木下川(きねがわ)(現葛飾区)の浄光寺に留魂碑(りゅうこんひ)を建ててしまった。この度胸もたいしたものである。

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 この碑の表面は西郷が沖永良部島に流罪になったときの詩で、勝が裏面に彫らせた文章のなかに西郷を思う有名な個所があるのだ。

 嗚呼君能知我 而知君亦莫若我

 「ああ君よく我を知れり、而(しか)して君を知る亦(また)我に若(し)くは莫(な)し」とは、何たる友情の発露であろうか。西郷の敵となった政府高官の薩人はもとより、日和見を決めこんだ薩人にとっても、西郷の記念碑をつくる資格や余裕はなかっただろう。だが、少なくとも英雄の死に忸怩(じくじ)たる思いがあったに違いない。そこで勝の出番となる。松浦氏のいうように、「独力で留魂碑を建てようとする海舟は、この自負を刻む資格があるだろう」とみるのは正しい。

一端しか伝えない福沢評

 勝の西郷への律義さはまだ続く。伊藤博文などに働きかけて嫡子の西郷寅太郎を参内(さんだい)させ、海外留学に明治天皇の手許金を下賜(かし)させた。勝は寅太郎の婚礼にも出席し、西郷未亡人の糸子とも会って愉快な句を詠んでいる。

 西郷の後家とはなすや夢のあと

 そのうえ、明治31年師走に上野の西郷銅像の除幕式に出たあと、年が明けてまもなく1カ月たらずで海舟も西郷のもとに旅立った。もはや、ただの大往生ではない。激動の歴史で敵味方として交差した西郷との友誼を律義に果たした死には、後世のわれわれも学ぶべき点が多い。

 やはり勝は只者(ただもの)ではない。福沢の勝評は事実の一端しか伝えていない。幽界で勝に感謝したはずの西郷の心持ちを思うとき、現代の政治家も祖父や曽祖父の代にはあったような、恩人や友人に感謝する心を忘れない律義さに思わず襟を正すかもしれない。

 勝海舟と西郷南洲との交誼に改めてスポットをあてた松浦氏も息の長い歴史家である。私は日本史専攻でなかったが、学生だった時分に、デビューしたばかりの松浦氏の著作にひかれて以来の読者である。また好きな氏の本が書棚に増えたことはうれしい。(やまうち まさゆき)


宮古湾海戦の顛末
■知られざる薩軍戦死者

宮古湾海戦の官軍墓地。左が墓石=岩手県宮古市鍬ヶ崎上町
 戊辰戦争の最後の戦いとなった箱館戦争。その一コマとして宮古湾海戦は比較的よく知られている。しかし、それは榎本艦隊から見た視点であり、攻撃された薩摩藩側の動向はほとんど注目されていない。
 慶応四(一八六八)年八月、旧幕府の海軍副総裁だった榎本武揚は幕府艦隊八隻を率いて品川沖を脱出、十月には箱館(現・函館市)に入り、蝦夷島
えぞとう
政府の樹立を宣言した。榎本艦隊旗艦の開陽(二五九〇トン、砲二六門)は当時、わが国最大の軍艦であり、明治政府の海軍でも太刀打ちできなかった。
 しかし、頼みの開陽が同年十一月、暴風のため江差沖で沈没してしまう。そのころ、旧幕府がアメリカに発注していた装甲艦ストーンウォール号が到着したが、翌明治二(一八六九)年二月、明治政府がこれを買い取り、甲鉄
こうてつ
と名づけて、箱館戦争に投入した。これにより、彼我の海軍力は逆転してしまった。
 榎本政府が起死回生の秘策として実施したのが、アボルダージュ(接舷戦法)だった。政府海軍が停泊する宮古湾(岩手県宮古市)に偽装して接近し、奇襲攻撃をかけて甲鉄艦を奪取してしまおうという作戦だった。
 この攻撃に投入されたのは回天、蟠龍、高雄の三艦だったが、暴風雨のため、作戦を実施できたのは回天だけだった。同艦には陸軍奉行並
なみ
で元新選組副長の土方歳三と兵士五十名ほどが乗り組んでいた。
 宮古湾には青森に向かう政府艦船八隻が停泊していた。そのなかに甲鉄艦のほか、薩摩藩軍艦の春日(艦長・赤塚源六)がおり、箱館攻めの参謀・黒田清隆や、のちの連合艦隊司令長官・東郷平八郎も士官として乗り組んでいた。陸兵は薩摩藩の兵具
ひょうぐ
三番隊(小隊長・恒吉休右衛門)が芸州藩の豊安丸と阿波藩の戊辰丸に分乗していた。
 三月二十五日早朝、宮古湾に忍び寄った回天は甲鉄艦に接舷したものの、外輪船のため、横付けできずに乗り上げてしまい、上甲板に三メートルの高低差が生じた。そのため、甲鉄艦への乗り移りが困難を極めた。
 その間に態勢を立て直した甲鉄艦は備え付けのガトリング砲(機関銃の前身)を猛射して回天の斬り込み隊をなぎ倒し、さらに回天の船橋にいた艦長の甲賀源吾も戦死させた。
 回天の決死のなぐり込みは失敗に終わった。回天側では甲賀のほか、元新選組の野村利三郎など十数名が戦死したという。
 一方、政府海軍側の死傷者は諸説あるが、「蝦夷戦記」(「復古記」十四)がかなり正確だと思われる。それによれば、甲鉄艦が負傷者八名、飛龍丸が負傷一名、戊辰丸が戦死三名、負傷五名、行方不明三名となっている。戊辰丸の被害が多かったのは甲鉄艦のすぐ近くに停泊していて、回天から激しく銃撃されたためだった。
 現在、宮古湾を見下ろす高台の本照寺に「官軍勇士墓碑」が立ち、一基の墓石がひっそりとある。そこには四名の戦死者の戒名が刻まれている。この四名は誰なのか。戊辰丸の戦死者三名は含まれると思われるが、行方不明者三名が含まれるとすれば数が合わない。
 それでは、薩摩藩の兵具三番隊の戦死者はいたのだろうか。上の死傷者一覧にはいないが、ほかにも豊安丸に乗り組んでいた同隊から三名の死傷者が出ている(「薩藩出軍戦状」二)。それによれば、戦死者が嶋田市次郎、負傷者が兵士の内藤直太郎と軍夫の仁助である。
 上の墓碑に刻まれたのは戊辰丸の三名と、豊安丸の嶋田ではないだろうか。
 土方歳三やアボルダージュで知られる宮古湾海戦だが、薩摩藩側の視点も忘れてはならない。
(歴史作家・桐野作人)


映画館で観た名作映画編 「幕末太陽傳」はフランキー堺の羽織をはおる仕草が粋で格好いい
 レンタル店の充実、BS放送の多チャンネル化などで、映画の古今東西の名作を観る機会は、年々確実に増えている。しかし、東京都内では、一部の名画座や映画祭などで、まだまだ、それら名作映画を楽しむことができる。2011年に映画館で観た名作映画の中から、珠玉の3本を紹介する。

(1)「幕末太陽傳 デジタル修復版」(12月23日、テアトル新宿=東京・新宿)

 日本映画黄金期の昭和32年に公開された川島雄三監督の代表作。川島監督は、45年の短い生涯の間に、51本もの映画を撮ったが、1本をあげろといわれれば、これになる。日本映画史上に残る傑作といっていい。

 落語をもとに、幕末の品川宿を舞台にした喜劇だが、物語のおもしろさというよりも、遊びの代金を踏み倒してわざと遊郭に居残った町人、佐平次を演じたフランキー堺の動きに注目してほしい。美術監督、中村公彦による遊郭のセットを、縦横無尽に走り回る。そして、着物を羽織る粋な仕草。何とも、格好いい。

 「風だ、風だ、こいつを見た奴は誰もいない」と、川島監督は言ったらしいが、フランキーが動くことで、周囲の空気が、ふわりとゆらぐ。まるで、風が見えるようだ。その空気感を、名手、高村倉太郎(くらたろう)が、カメラにとらえた。

 本作は、来年の日活100周年を記念し、デジタル技術で当時の鮮明な映像と音がよみがえった“リマスター版”だが、高村の映像の美しさが、本当によく分かる。

 ちょうど上映中なので、ぜひ、映画館で観てほしい。
(以下略)


エンターテインメント
新たな時代が幕を開ける、「薄桜鬼 幕末無双録」キャラクター衣装追加
オトメイトより2012年2月23日発売予定の爽快アクションゲーム「薄桜鬼 幕末無双録」公式サイトにて、キャラクター衣装が追加された。

公式サイト「キャラクター」ページにて登場人物の衣装を追加。それぞれのページで別衣装を見ることができる。新選組の衣装も見ることができるので是非チェックしてみよう。

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http://www.otomate.jp/hakuoki_musouroku/
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(by 玄米)


山南敬助と永倉新八も参戦!「薄桜鬼 幕末無双録」キャラクター・店舗特典追加
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公式サイト「キャラクター」ページにて登場人物・山南敬助(CV.飛田展男)と永倉新八(CV.坪井智浩)の2人を追加。どちらも操作可能キャラクターとなっている。

さらに、「製品情報」ページでは店舗特典情報を追加。購入される方は特典情報もチェックしておいてほしい。


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(by 玄米)







昨日の雪が積もる中、ホテルから無理せず、市電使って函館駅。歩いて土方歳三最期の地碑。

はこだて自由市場でゆで毛がにを実家に送る。市電で五稜郭公園前まで。ここから歩きが長い。途中一回滑ったが何とか転ばず踏みとどまる。五稜郭タワー、箱館奉行所をゆるゆる観光。

大門横丁隣の長月で小エビかき揚げ天せいろ。

バスでロープウェイ麓駅に出て、ロープウェイで函館山山頂へ。白い函館の街を一望。

降りて元町周辺を歩き、また土方歳三最期の地碑へ。ホテルに戻り、出直してクリスマスツリーを見る。はこだて海鮮倶楽部で軽く夕食。ホテルで露天風呂入って、クリスマスイブの夜を過ごす。

明日は午後雪が降るらしい。飛行機が飛びますよう。
第1回の函館旅行が、土方歳三最期の地碑にお伺いする途中で一天にわかにかき曇りスコールに見舞われたぐらいなので、ただでさえ雨女な白牡丹が函館旅行すると毎度のように悪天候ネタ^^;。

18回目の今回は、天気予報からして暴風雪…^^;。箱館の土方さんが「おらおら、これでも箱館館に来る根性があるか?」とチャレンジしてきてるようです(滝汗)。

で、羽田空港でチェックインした途端に、新千歳空港までは飛ぶけど乗り継ぎ便は欠航。ま、飛行機が駄目でもスーパー北斗で函館入りはできるはず、と腹括って飛びました。

新千歳空港でに着陸するまで3回旋回して1時間半遅れで着陸。

雪で欠航したので次の便に振替えられ、スノーブーツや帽子を買って、レシプロ機で函館に向かう。着陸できない時は引き返すという条件下で、がたがた揺れたフライトながら一発で強風の函館に着陸できたのはラッキー。

着いた途端に空港は地吹雪。でも何とか、当初予定から2時間半遅れながら函館入りできた。ホテルにチェックインした後、徒歩で土方歳三最期の地碑に着いた時には、とっぷり日が暮れてた。地吹雪後吹雪という天候^^;、まるで雪中行軍。

函館駅で函館の最新ガイドブックを入手した後、いつもの「うに むらかみ」で軽く夕食。雪満ちをえっちらおっちら歩いてベイエリアのクリスマスツリーを鑑賞…土方さん、吹雪きまくってます^^;。

ホテルが大浴場完備なのでたっぷり温まりました。今晩は土方さんゆかりの函館で熟睡できたらいいなぁ。

 昨日に続いて、また浅草に足を運びました。今日こそは市馬師匠の「掛け取り」に出会えるのではないかと、年賀状印刷しようとしたら絶不調だったプリンタを午前中に買い替えてセットアップして無線LAN接続設定して所定枚数印刷する作業に目処が立ち次第、浅草に駆けつけました。

歌る多「桃太郎」
 途中から鑑賞。言い立てをやりきったところで拍手。
 ちなみに圓歌師匠の弟子で落語協会初の女性真打だったのですね(今は「女真打ち」というタイトルなく、すべて「真打ち」)。今は落語協会理事であり、女性の弟子も取っているとのこと。パイオニアであられることに敬意を表します。

南喬「替り目」
 車屋さんをからかった後、女房に毒舌叩きながらも甘えている胸の内を告白する亭主が面白い。最後は「捨てないでー」、こっそり見ていた女房の顔が目に見えるよう(けっこう美形らしい。にんまり、ではなく、くすっと笑ったんだろうな)。

(中入り)

扇辰「子ほめ」
 お弟子さんが前座働きしているからか、中入り後に「子ほめ」とは。でも、前座が演じる噺でも扇辰師匠クラスがやるとまるで違うという手本のような高座。中入り後でちょっとざわざわしていた客席も、すっかりひきこまれた。

小袁治「犬の目」
 小満ん師匠の代演だということを説明し、マクラから漫談になるのかなと思ったあたりで、軽く「犬の目」。つい最近知った演目で、マジに聴いたらちょっと気持ち悪くなる噺なので馬鹿っ噺だというモードで聴く。
 浅草演芸ホールのお客さんたちは四つの寄席の中でも一番素直に受ける感じ。

扇遊「権助芝居」
 タイトルは知っているけど、ライブでも音源でも初めて聴くネタ。
 芝居好きが素人芝居で早野勘平をやりたがって30人ばかりが勘平で出てくるとか、伊勢屋の若旦那が当日に本番をサボるというところまでは「蛙茶番」と同じ。その代役に権助が呼ばれるところで、「蛙茶番」でなく「権助芝居」なのだなぁ。
 今日のバージョンは、権助が芝居の舞台に上がることなく、田舎で演じた仮名手本忠臣蔵でお軽を演じた模様をインタビューしていたところで終了。尻をまくって舞台から飛び降りたというところで、「蛙茶番」並みの下ネタにてサゲ。

市馬「掛取万歳(掛取美智也)」
 市馬師匠が「歳末」と一言言っただけで、私は客席でガッツポーズ。
 去年の暮れには独演会「市馬落語集」まで追いかけて聴けなかったネタです、今思えば市馬師匠の歌謡ショーにゲストで出演されて話された家元が、私には最初で最後の生家元かも知れません。プリンタのトラブルを乗り越えてもなお市馬師匠の「掛け取り」を聴かんとする私へのご褒美とばかり……。
 狂歌家主、喧嘩好きの魚屋の金公ときて、三橋の旦那登場〜(^^)。うーん、替え歌尽くしの三橋歌謡曲、気持ち良さそうに歌う八公と三橋の旦那に拍手〜。
 欲を言えば相撲甚句も芝居好きも三河万歳も聴きたかった(爆)けど、2年越しで追いかけていた「掛け取り美智也」が聴けただけで今年はよい年越しになりそうです……(*^_^*)。
 その勢いで、『柳亭市馬の懐メロ人生50年』著者サイン本を入手しました。私が生まれる前に流行った歌謡曲を市馬師匠がどうやってマスターしているのか、その謎はこの本にあると思います……(笑)。

 風邪で昨日まで寝込んでいたけど、今日はすっきり……って、浅草演芸ホールに行くか自分(汗)。市馬さんを生で見たかったからです。

辰じん「たらちね」
扇辰師のお弟子さんだけあって、前座にしてはなかなか聴かせる。そして、後の高座で順子さんとからんだ時は笑った。なかなかいいキャラ。

市江「ん廻し」
 市馬師匠のところの市江さん、一通りこなすんだけど笑えないのはまだまだ場数がたりないのかな。

三之助「堀ノ内」
 自分は「堀ノ内」って極端に粗忽過ぎてあまり笑えないんだけど、それでもうまい噺家さんの「堀ノ内」だと笑えたりする。

志げる アコーデオン漫談
 談志家元が認めたアコーデオン漫談、と家元の思い出話を少々。何をリクエストしてもOKだそうで今日は「赤城の子守歌」。

美るく 「牛ほめ」
 歌る美改め美るく。女性の師匠に弟子入りした女性のお弟子さんなんですね。
 場面の切り取り方がなかなか新鮮な「牛ほめ」なのだけど、与太郎がちっと馬鹿すぎないかな……与太郎は馬鹿ではなくて生産的でない奴という立川流の解釈が染みつき過ぎたかな(^_^;)。

さん吉 漫談
 談志家元が「小ゑん」で売れていた頃の話を含めて、どんだけ型にとらわれないかを話す。そして、人間国宝小さん師匠がその才能を愛したかも。じわーん。

にゃん子金魚 漫才

喬太郎「 家見舞」
 きゃー、キョンキョンを二列目正面から見上げる席で見られるなんて。でも「家見舞」がネタとはな(^_^;)。新築した兄ぃのプレゼントに瓶を見繕うとする弟分ふたりなんだけど、金がなくて、手に入れた瓶は……って尾籠な話。
 でもキョンキョンならいいか(爆)。

さん八 「小言念仏」
 小三治師匠だったら大好きな「小言念仏」。赤ん坊が這ってきたり、今日の味噌汁のネタにどじょう屋さんをつかまえようとしたり(え、そこで今日は終わりですか……鍋にどじょうを入れた後が面白いのに^_^;)。

仙三郎社中 曲芸
 いつものように、土瓶芸が見事。

はん治 「ぼやき居酒屋」
 新幹線車内の携帯マナーねたがちょっと長くて、ぼやき居酒屋はやや短め。でも、何度聴いても鉄板です。

小満ん 「蔵前駕籠」
 幕末のあの時代に蔵前に出没した強盗は、果たして本当に徳川家に味方する浪士の一味なのか、本当はただの浪人なのかと考えてしまう、幕末歴史ファン(^_^;)。

あした順子with辰じん
 前座の辰じんさんが、なかなかの味を見せてくれました。順子師匠から腰が引けてる感じとか、おかしかったです。

歌る多「熊の皮」
 甚兵衛さんネタは女性がやってもさまになりますね。オチは艶笑ネタになり過ぎず、このぐらいで。

南喬 「初天神」
 12月から初天神やるんですね。伸び伸びしてる金坊がかわいいというか小憎らしいというか。

中入り

扇辰「 紋三郎稲荷」
 中入り後で渋い、この演目。「へぇ~。人間は化かすのがうめえや」に、笑って拍手。

のいるこいる 漫談

小里ん 「睨み返し」
 白酒師でも正蔵師でもなく、小里ん師登場。歳末の掛け取り風景ってことは、市馬師の掛け取りはないんだなぁとしょぼーんとしつつ、でも「睨み返し」がおかしくって……とにかく顔芸がすごい。

扇遊「浮世床」
 半ちゃん大暴れ。楽しい浮世床です。

正楽 「紙切り」
 あいさつ代わりの相合い傘から、宝船、サンタクロース、餅つき。

市馬 「禁酒番屋」
 つい先日談春で聴いた気がするんですよ。でも市馬で聴くと、くどくなく、ほどほどに聴ける気がするんですよ。どっちも好きですが。
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