忍者ブログ
新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 戦国時代がブームだそうで。

「レキジョ」急増中!武将のドラマ性にハマる女心
 「レキジョ(歴史好き女子)」「戦国乙女」と呼ばれる戦国武将ファンの女性が急増しているという。いかつい印象のはずの侍が今なぜ女心をひきつけるのか。

          ◇

 「これ、かっこいいよね」。東京・神田小川町の「歴史時代書房 時代屋」。戦国時代のグッズや漫画本が所狭しと並ぶフロアで、女性たちが商品のタオルに印刷された真田家の家紋、六連銭に歓声を上げていた。

 店は毎週末、若い女性客らであふれる。店内の茶屋で武将談議に花を咲かせるグループも多い。

 伊達政宗に関する小説を選んでいた世田谷区の会社員長谷川奈緒さん(27)は「天下統一を夢見て生き抜く姿が大好き」。店には歴史好きアイドル「歴ドル」として活動中の美甘子(みかこ)さん(24)の姿も。「それぞれの武将にドラマがあり、その知識を深めていく過程が楽しい」と話した。

 同店の広報・企画担当の宮本みゆきさんによると、2006年2月の開店当初、客のほとんどが中高年男性だったが、07年ごろから若い女性客が増え、今は4割を占めるという。新宿区にも昨年11月、戦国武将をモチーフにしたTシャツやシルバーアクセサリーなどを販売する店「もののふ 天守」がオープン。主宰の田中秀樹さん(37)によれば客の6割が女性という。

          ◇

 「レキジョ」急増の背景には、ゲームソフトの存在がある。宮本さんは「武将がイケメンのキャラクターとして登場する『戦国BASARA』『戦国無双』などのゲームで、はまる例が多い」と説明する。

 「戦国BASARA」は、武将らの中から主人公を選び、相手を倒していくアクションゲームソフト。シリーズは計約120万本を売り上げた。販売元のカプコンによると、ほかのソフトと比べ、関連イベントに集まる女性が多いという。4月にアニメ化され、テレビ放映されることになった。

          ◇

 ブームに目を付けた自治体もある。

 伊達政宗の忠臣で、やはりゲームで人気が出た片倉小十郎の地元、宮城県白石(しろいし)市。昨年1月に市職員16人が「小十郎プロジェクトチーム」を結成。ホームページ作成やグッズのデザインを手がけ、JR白石駅前に小十郎のTシャツやタオルなどを扱う「小十郎プラザ」を開設した。10月に開催した「鬼小十郎まつり」には、若い女性を中心に約3000人を集客。市企画情報課の橋谷田孝治係長は「これという特色がなかった白石市だったが、『小十郎のまち』として全国に売り込む」と張り切る。

 NHKの大河ドラマ「天地人」も戦国武将の直江兼続が主人公で、ブームは当分続く勢いだ。

          ◇

 ただ、これを「歴史ブームというより、キャラクターブーム」と指摘するのは、流行に詳しい東京富士大経営学部の岡本慶一教授(マーケティング論)。

 「今の日本の男性には少ない、戦国武将の男っぽさや野心に魅せられるのでは。かつての韓流ブームに似ている」と分析。「今後は、キャラクターに興味を持ったことを機に、若者も本格的に歴史を学んでくれれば」と話す。

 記者も昔、戦国時代のテレビゲームに熱中した。でも、戦国時代について身を入れて学んだ記憶はほとんどない。この際、勉強し直そうか。(松原靖郎)


 片倉小十郎に人気が出ているのは、母方の祖母が片倉小十郎の守った白石の出身だったので、ちょっぴり嬉しいのですが……うーん、元ネタを多少知っていると、複雑な心境(某ゲームでの伊達政宗の声を当てているのが、アニメ『銀魂』で土方十四郎の声を当てている中井和哉さんなんで、伊達政宗の声に陥落する可能性大だけに^_^;)。

 自分も「レキジョ」のカテゴリーに入りますが、「幕末ヲタ」と自称する方がしっくりきます(苦笑)。
PR
 私が日本史を習っていたウン十年前にはしっかり「源頼朝像」として教科書に載っていた肖像画。

源頼朝はニセものだった!? 浮上したナゾを追う
 初めての武士政権を樹立した平清盛は公家社会の頂点に立つことで、覇権を握った。その平氏政権を倒した源頼朝は、武家社会の頂点に立ちながら国を統治した。
 朝廷から独立した「幕府」の誕生だ。頼朝は鎌倉幕府初代将軍であり、江戸幕府崩壊までの700年に渡って続く幕府中心社会の始祖といえる。
 武士として覇業を成し遂げた頼朝の「顔」というと、誰もが思い浮かべる肖像画がある。教科書でもおなじみの国宝「絹本著色伝源頼朝像」だ。黒い束帯を身にまとう、りりしい姿は武士の頂点に立った男の顔にふさわしい。
 この頼朝像は同じ構図で顔の向きが違う平重盛像、藤原光能像とともに「神護寺三像」と呼ばれている肖像画シリーズの一つ。絵自体に作者や像主を示す証拠はないが、三像が3氏であるとする通説は寺伝に残る記述の数々を根拠に生まれ、語り継がれてきた。
 「神護寺略記」などによれば、三像以外にも後白河法皇像と平業房像の肖像画があった。法皇は文治4(1188)年、同寺に仙洞院を寄進している。4年後に法皇が死去すると同院には法皇像を中心に、4人の肖像画がかけられた。法皇像は室町時代に写されたものが残っているが、原本は何らかの原因で散逸したと考えられている。
 一定の年代以上の日本人は、通説に基づいた教科書で、これが頼朝の顔であると教えられてきた。しかし最近の教科書は、「伝頼朝像」と書かれていたり、単なる鎌倉時代の肖像画として紹介されているケースもある。日本人の脳裏にすり込まれた、りりしい頼朝の周囲に何が起きたのか。
 平成7年、当時東京国立文化財研究所に在籍していた米倉迪夫氏(現・上智大学教授)が唱えた仮説が社会に大きな反響を呼んだ。あの「源頼朝像」が別人であるとする仮説で、教科書の記述を揺るがしたきっかけの一つとなっている。
 制作年代や作者について、通説を疑問視する声は昔からあった。米倉説は目や耳の描き方から三像が14世紀中ごろの絵と推定したうえで、像主を覆すところまで踏み込む。「重盛像」が足利尊氏で「頼朝像」は尊氏の弟・直義、「光能像」は室町幕府2代将軍・義詮であると主張する。
 物的証拠として挙がったのが京都御所に残る足利直義の願文だ。願文には「征夷将軍(尊氏)ならびに予(直義)の影像を図き、もってこれを安置す。良縁をこの道場に結び、信心を末葉に知らしめんが為なり」と書かれていた。米倉説は、文中の「影像」こそ三像であるとしている。
 しかし直義願文で納めたとする肖像画は2幅。現存するもう1幅「伝光能像」の説明はつかない。
 米倉氏は、「納入事由にはおのずと直義の画像納入事情とは微妙に相違する背景があろう」(『肖像画を読む』角川書店)と説明。これに対し、文化庁主任文化財調査官を務めた宮島新一氏は『肖像画の視線』(吉川弘文館)の中で、「根拠薄弱と言わざるを得ない」と指摘、米倉説の問題点と通説の正当性を書き連ねている。
 米倉説は光能像を義詮像と推定した根拠に、足利家の菩提寺・等持院(京都市北区)に残る義詮木像を取り上げた。木像と肖像画を比較したところ、目やくちびるが似ているとする。似てはいるが、木像は制作年代がはっきりしておらず、比較対象としてふさわしいかについては批判もある。
 神護寺の谷内弘照住職も米倉説には冷ややかだ。「頼朝の娘が亡くなると、寺の住職がお悔やみ文を送っています。その返礼もありますし、頼朝の妻、北条政子からの手紙も残っています」。頼朝と寺との親密さを伝える史料がある一方、足利家との関係の深さもうかがわせる史料は見つからないという。
 仮説を補完する証拠はないが、通説を裏付ける完全な証拠もない。論争で積み上げられた状況証拠を並べると、今のところあの頼朝像は、頼朝ではないか。今まですり込まれてきた、りりしい姿であってほしいという思いもあるけれど…。(渡部圭介)

 ■神護寺三像 鎌倉時代の似絵(肖像画)の代表作で3幅で国宝指定を受けている。「神護寺略記」によると作者は藤原隆信となっているが、筆致などから複数の絵師が関わっているとみられ、隆信が総指揮をとる形で制作されたとの見方がある。米倉氏は神護寺略記に後白河法皇ら5人の名前の後に「等」という記述があることから、ほかにも多くの肖像画があった可能性を示唆しているが、この点については宮島氏も「傾聴すべき意見」と評している。


 足利直義説が確定しているわけではなかったんですね(汗)。
 京都を訪れる機会があったら、いっぺん寄ってみたい。

京都に出陣「戦国時代ショップ」 ちょっと気にならない?
2008年夏、歴史の街・京都にオープンした戦国時代関連商品の専門店「戦国魂(せんごくだま) 京町屋本陣」が、オープンから3か月ほどたち、観光客を中心に人気を高めている。市営地下鉄烏丸線「丸太町駅」から徒歩5分、二条城と御所のちょうど間にあるこのお店がなかなかユニークなものを売っていて…。

戦国時代をモチーフにした「新商品」

「戦国魂」は戦国時代専門家による有志団体で、歴史イベントのコンサルティングやネットでのグッズ販売などを行っており、「京町屋本陣」はその実店舗。店名から、戦国時代の骨董品的なものを販売しているのかと思いきや、ちょっと違った。落ち着いた雰囲気の店内に置かれているのは、「戦国時代」をモチーフにした新商品だ。

たとえば、全55の武将の家紋が彫ってある「京竹ストラップ」(1575円)。京都伝統の竹細工の技術を使って手作りで仕上げられているもので、戦国という時代がかもしだすロマンだけでなく、デザインそのものが"格好いい"と受け入れられている。実は、この商品が一番の売れ筋で、年配層よりも若い世代が注目しているらしい。店側もストラップというアイテムにはまだまだ魅力を感じているようで、今後は甲冑職人の手作りによる「甲冑ストラップ」などの販売を企画しているという。

また、「石田三成 出世飴」(399円)なんていうものもある。豊臣秀吉が量・熱さの違う3杯のお茶を出した三成の気配りに感心し、側に置くようになったという逸話に由来したお菓子だ。お茶にちなんでか、抹茶味になっている飴には三成の旗印がしるされている。作は尾張国(この店では当時の呼び方でいう)の飴職人の手作りというから、そのこだわりには敬服するばかりだ。

火縄銃講座などのイベントも

これらのほかにも、戦国武将の家紋や武具をモチーフにした品がたくさんあり、Tシャツやタオルはもちろんのこと、タンブラーや枡、果てはシルバーアクセサリーまでその種類は多彩。店内には談話スペースやゲームコーナー、専門書の閲覧コーナーなども設けられており、土日には、愛好家たちのコミュニケーションの場にもなっているという。

客層は広く男女も問わないが、若い世代、それも女性客が増えていることについて同店では

「男性は天下を獲った武将を好むようですが、女性は武将の生き様に惚れる傾向があるようです。真田幸村や伊達政宗とか。最近の若い男は弱々しい…みたいな(笑)」
と話している。

「戦国時代ショップ」らしいというか、「火縄銃鉄砲隊」による火縄銃講座などのイベントも充実。今後は、京都の歴史イベント情報を流すなど、情報発信源としての活動にも力を入れていくというので、京都を訪れた際は一度のぞいてみるのもいい。


 東京・神田神保町にある歴史時代書房時代屋さんの二階のグッズ売り場を戦国時代に特化させたような感じ?

戦国グッズ、戦国時代総合サイト「戦国魂」
戦国グッズ専門店「戦国魂」本店
戦国魂 京町屋本陣
『日本の近代 (上) 教養としての歴史』福田和也(新潮選書)


 かつては「明治維新=日本の夜明け」「江戸時代=日本の暗黒時代」という図式で語られてきた日本の近代史観。が、最近は、鎖国は国交や貿易をも完全に閉ざしていたわけではないし海外事情は伝わっていたから「鎖国」という表現は適切なのかという問題提起がなされたり(ちなみに「鎖国」という言葉は欧米で出版された日本の歴史を記述する本を翻訳する時に造られた造語で、徳川幕府が自ら用いた言葉ではない)、鎖国時代に発達した交通網や地場産業が明治維新以降の近代化の基礎になったという指摘がなされたり、明治維新前後の近代化を評価する視点が変わってきているようだ。

 私自身も、90年代初め、ニューヨークに滞在していた時に、当時リビジョニスト(対日関係見直し論者)のひとりであったジェームズ・ファローズ氏の講演を聴きに行った時に、明治維新前後の歴史への視点で目から鱗だったことがある。日本人の歴史の知識の「常識」といえば、近代から現代においては明治維新と太平洋戦争(呼び方は歴史観によっていろいろとあると思うが)における敗戦が日本の歴史の大きな転換点だというものだと思う。自分もそう思っていたのだが、ファローズ氏は、明治維新は政体の変化があったとしても経済的な発展についてはドラスチックな変化ではなかったのではないかというコメントをしてて、自分には目から鱗だった。近代化というテーマで日本の歴史を見た時、明治維新は大きな断絶・変革ではなく、日本が欧米の近代国家の標準に近づくことによって日本の独立を守ろうとするプロセスにおいては、漸進的な変化のひとつだったと捉えることもできるのではないかと、その時に気づかされた。

 その経験が、幕末の歴史好き、どっちかといえば旧幕府側好きという今の立ち位置につながっているようだが……そうでなくとも江戸に近い武蔵国荏原郡に生まれ育ったから幕府側に親近感があるわけで。

 個人語りはこのぐらいにしておいて、幕末から明治維新の歴史に強い関心を覚えるのは、つまるところ、日本の近代化の歴史に興味があるからだ。

 あとがきの冒頭で、著者は「日本における近代という時代は、『好むと好まざるとにかかわらず、西欧の圧倒的な力に直面させられ、自身の独立と尊厳を守ることを選択し、その苦闘の過程で、常に新しいものを求めて変貌しつつ変わることのない自分と出会う経験』」と表現している。

 近代化を構成する要素が何かという点ではまだ異論はあると思うが、ともあれ日本は幕末までに独自のやり方で近代化に追いつくインフラを備えることができた。だが、明治維新以降、近代化を推進していく経済力が追いつかなかったために、日清戦争・日露戦争・第一次大戦といった戦争を通じて経済力を伸ばしていった。一方で、その近代化のために誰が犠牲になったのかも問われなければならない……という感じの一冊。

 下巻も読みたい。日本の近代化とは何かという問いを、割とわかりやすく説明してくれていると思うので。ただ、下巻はさらに重苦しくなると思うので、読み切れるかな……?
 『新選組!』で山村氏とともに時代考証を担当された大石学先生の著書です。



 江戸時代に対する歴史的な評価が昨今変わってきています(かつては明治維新をより肯定的に評価するために江戸時代では農民を搾取しただとか封建的な側面を強調され過ぎてました……農民に対する税率は、実際のところ、現代のサラリーマンより優遇されていたみたいですよ^_^;)ので、この手の本を読むようにしています。東京生まれ東京育ちのせいか、現代の中にわずかに残った江戸時代のものごとを大事にしたいと思うので。

 一番面白かったのは田沼意次に関する記事でしたね。「田沼意次―賄賂政治家は国際的視野の持ち主」というタイトルで書かれた一章は、たとえば「株仲間」という業界ごとの横断組織をつくって現代の経済界の萌芽をつくったとか、対中国貿易の出超による金銀の流出を抑えるために蝦夷の海産物を輸出商品として育成したとか、田沼意次の突出した経済的なセンスを積極的に評価しています。

もし、もう少し田沼政権が続いたならば、ロシアと通商条約が結ばれ、日本が「開国」されていた可能性が高い。


 そうなっていたら、幕末から明治にかけての歴史はまったく変わっていたでしょうねぇ……うーん、想像もつかない。

☆★☆★

 そして、野口武彦の新刊も出ていたので、即買い。



 これまた、楽しみです。
 ネットをぶらぶら歩きしていたら、こんな記事が。

お燗超便利グッズ「ミニミニかんすけ」発売
 たまたまNHK大河ドラマ『風林火山』を見ていた時ですから、「かんすけ」というネーミングに立ち止まった、という訳ではありません(笑)。
 自分は、日本酒は辛口を冷やで頂く方が好きなんですが^_^;。

 より詳しい記事は↓こちら。
超便利、驚きのお燗グッズ発見! 蓋付き錫ちろり ミニかんすけ

 そう、「ちろり」なのだ。

 ウィキペディアの「日本酒」の項より。
ちろり
酒を燗するときに使う細長い金属性の入れ物、かつては銅または錫製、近年ではアルミ製の物もある。これに酒を入れ、湯に浸けて酒を温める。主に居酒屋・小料理店で使われる道具である。一般家庭で見られる道具ではないが、ちろりで暖めた酒に拘り、個人的に購入して使用する例も見られる。


 徳利で盃にお酒を注いで注がれて、ということが広まるのは江戸末期。それまでは「ちろり」でお燗をしていたんですよね。

 思いがけず、現代に「ちろり」が復活しているのを発見してしまいました(^^)。
『芸者と遊び 日本的サロン文化の盛衰』田中優子(学研新書)


 第一部は「江戸の芸者とその歴史」。芸者の歴史に関する本を沢山読んでいるわけではないのだけど、自分が読んだ範囲では、吉原芸者について書かれることが多いような気がする。この本では、芸者のルーツは江戸時代初期の女歌舞伎に連なる踊り子にあるとして、遊女と芸者に分化した吉原よりも、深川を初めとする町芸者にルーツの名残がなお強く残っているとしているところが面白い。また、水野忠邦による天保の改革における奢侈取り締まりの一環として飲食業や風俗業が弾圧され、盛時を誇った深川が衰え、深川芸者のかなりが柳橋に移ったことも知った。

 第二部は「明治の芸者 その栄華と終焉」。明治維新後、江戸の気風を引き継いだ柳橋の芸者は薩長土肥を中心とした明治政府の政治家や軍人を嫌い、代わりに政治家や軍人を受け容れた新橋や赤坂が料亭街として栄えた。江戸時代と断絶しつつもかすかに残る日本的サロン文化の気風を明治期の芸者と遊所に見る。

 芸と色というふたつの側面を江戸の文化に見るという切り口は、なかなか面白い。
 日帰り出張の往復で、新刊2冊を読み終えました。

『学校では習わない江戸時代』山本博文(新潮文庫)

 腰帯の「『鎖国令』は存在しなかった!?」に惹かれて、買いました。
 「鎖国」という言葉自体が、江戸時代もかなり後になって1801年(享和元年)にオランダ通詞の志築忠雄が『鎖国論』という本を書いて広まった言葉だということも初めて知りました。
 「鎖国」の時代にもオランダとは交易があったことを始め、朝鮮と明・新との交易が続いていたことはもちろん知っていましたし、外国との交易を制限するようになったのが島原の乱に見られるキリシタンへの危機感から始まったことだということも知ってましたが。それでも、外交上、諸外国(東アジア各国も含む)と武力で見劣りすることが幕府の失墜になることをおそれた結果として海外の武力と戦わないという姿勢の結果が「鎖国」になったという論は新鮮でした。

『徳川将軍家の演出力』安藤優一郎(新潮選書)

 こちらは、将軍家のご威光はいかに演出されたかという観点から江戸時代のイベントを見るエッセイ。あの、トロイの遺跡の発掘で知られる歴史かのシュリーマンが、第14代将軍徳川家茂さんを目撃していたとは(汗)、びっくりです。
 ただ、一番面白かったのは、江戸時代のほとんどを通じて、将軍は拝謁する諸大名にも尊顔を直接見ることを許さなかった礼儀作法によって幕府の権威を演出したことに対して、幕末には諸外国との関係もあってむしろ庶民に上様パレードを見物させることによって幕府の権威をアピールしたという、マーケティング戦略というかPR戦略の大転換があったということでした。幕府の誰が考えついたか知りませんが、発想の大逆転だったんですね。
 ドリコムRSSが不調で、相変わらず記事をクリップできません(汗)。

 高田屋嘉兵衛関係のニュースは「幕末」にはくくれないですね。でも、好きなのでご紹介します。

嘉兵衛まつり実行委表彰…沖縄北方担当相から
 「北方領土返還要求運動の推進に功績があったとして、函館高田屋嘉兵衛まつり実行委員会(高野洋蔵会長)が10日、東京で小池百合子沖縄北方担当相から表彰を受ける」……この辺りは政治絡みの感じなので、コメントは避けます。
 「函館ゆかりの江戸時代の豪商・高田屋嘉兵衛(1769―1827年)は、北方領土開拓の先駆者。国後島と択捉島の間に安全な航路を開き、漁場を開拓した。その功績を顕彰し、函館の一層の発展と北方領土の返還要求世論を高めようと、1976年に嘉兵衛まつりが始まった」……うーん、外交が確立されていなかった当時のロシアに拉致された身ながら、民間人の立場で幕府を動かし、外交レベルの懸案を解決したという事績がすっ飛ばされてしまうのはちょっと悲しいです。北方領土関係の事績といったら、航路の開拓は対ロシア交渉の成功という事績に次ぐ程度じゃないかと思う立場から「あれれ?」という印象でした。
『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』岩下哲典(洋泉社 新書y) リンク先はamazon.co.jp



 今日書店で見つけて買った本です。まだ5分の1ほども読んでいませんので、軽いご紹介のみ。



 腰帯の惹句。「ペリー艦隊の『来航予告情報』は、一年前にオランダから幕府へ届き噂になっていた。『情報史』の視点から幕末・開国史を書き換える試み! 情報を秘匿する幕府、一部情報をリークされていた雄藩大名、蚊帳の外の浦賀奉行所、幕府の海防政策を非難する吉田松陰――彼らは真実を知ろうと奔走する!」



 ……まぁ、『風雲児たち 幕末編』を読んでいれば驚くような内容ではないのですが(苦笑)。



 でも、教科書にも出ている有名な狂歌「太平の眠りをさますじょうきせん たった四はいで夜も寝られず」が明治に入ってからの偽作だったかも知れない、というツカミはなかなか刺激的。新書なんでとりあえず一気に読もうと思っている。
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
最新コメント
[12/14 白牡丹(管理人)]
[12/14 ゆーじあむ]
[11/08 白牡丹(管理人)]
[11/07 れい]
[01/21 ゆーじあむ]
[11/15 白牡丹@管理人]
[11/15 ゆーじあむ]
[05/25 長谷川誠二郎]
[07/23 白牡丹@管理人]
[07/23 伊藤哲也]
最新TB
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
プロフィール
HN:
白牡丹
性別:
非公開
自己紹介:
幕末、特に新選組や旧幕府関係者の歴史を追っかけています。連絡先はmariachi*dream.com(*印を@に置き換えてください)にて。
バーコード
Livedoor BlogRoll
本棚
Copyright ©  -- 白牡丹のつぶやき --  All Rights Reserved
Designed by CriCri / Material by White Board

忍者ブログ  /  [PR]