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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。

 ビッグコミックオリジナルで連載されている尾瀬あきら『どうらく息子』が連載100回&単行本第10集ということで記念落語会となりました。

 冒頭のトークによると、尾瀬あきらさんは友人知人を20人ぐらい集めてらくごカフェで開催する当初構想だったようですが、監修の柳家三三さん、慣習に声をかけられていたけど実現しなかったらしい談春さんのビックネームが収容千人規模のよみうりホールを満員御礼にしました。
初めて落語会にお誘いした友人、前日に『どうらく息子』10巻を読んで予習してきたとのこと。素晴らしい、そのパッションがあれば今日の落語会は十分に楽しんでいただけるでしょう。


鼎談

 当初20分の予定が50分に伸びるほどトーク炸裂。大ネタ2本を抱えている上、かの小三治師匠も超えられなかった「8時50分」終演の壁(延長できない)がよみうりホールに。トーク内容はあと1時間でも飽きなかったくらい弾けてました。

鰍沢/三三


 難易度の高い屈指の大ネタ、すでに三三師匠が何箇所かで口演していたのは知っていましたので、とても楽しみにしていました。四十代で『鰍沢』を聴かせる落語家さんは限られてます。
 突然の雪が旅人を深い山中に迷わせる情景の描写、旅人に一夜の宿を提供する苫屋の女主人がいろりの火に浮かび上がる様子、女主人が勧める玉子酒で暖を取った旅人が疲労と眠気に襲われて床をとる中で展開する、旅人に手持ちの酒を飲ませてしまったので近所に酒を買いに行くお熊→お熊とすれ違いに帰宅した亭主がお熊の不在と飲み残しの玉子酒に悪態をつきながら飲み干す→帰宅したお熊、迎え入れようとして倒れ、痙攣する亭主→お熊が旅人の旅銀を奪おうと玉子酒にしびれ薬を盛っていたことを告白、こときれる亭主→逃げ出す旅人、しびれ薬に苦労しながらも見延参りのため盛っていた毒消しでことなきを得る→しかし道に迷って鰍沢の川にそそり立つ断崖絶壁へ→亭主の仇討ちと口封じのために鉄砲を持ったお熊が旅人に照準を向ける、という火サスなみのサスペンス展開。そして、三三さん演じるところの「月輪のお熊」「鉄砲のお熊」の妖艶な悪女ぶりが際立ちます。いやー、はらはらどきどき。


 
紺屋高尾/談春

 談春版のマクラはおなじみ「日本に"I love you"という言葉が入った時、二葉亭四迷という作家は「あなたとならば死んでもいいわ」と訳したそうでございます」。
 そこまで言って突然「業務連絡」のアナウンス。トークタイムに行った抽選で案内した当選者の座席番号は実在しないものでした……(汗)。
 大爆笑させて、そこから「紺屋高尾」の世界に全員を戻してくれる談春師、いつも以上に久蔵と親方のやりとりは軽妙で、時々出てくる女将さんも久蔵の縁談を進めたがる取り持ち婆ぁで亭主に知恵をつける(でもダメだと白を切る)強烈なキャラクター。実直で働き者の紺屋の職人久蔵が、兄弟子に連れられて入った吉原で見た花魁道中で、最後に登場した当時全盛の花魁高尾に一目惚れ。現実的にあきらめさせようとする親方に失意で生きる気力をなくす久蔵。しかたなく親方は一生懸命に三年働いて金を貯めろと励ます(そのうちに忘れたりあきらめたりしてくれることを願いつつ)。しかし久蔵は三年経ったら高尾に会えるという思いだけで働きづめになり、三年で十八両二分を貯めてしまう。親方は、あと一両八分貯めたら、親元にいったん帰して晴れ姿を見せろ、それで千葉湊に住むのもいいが江戸に戻りたかったら久蔵に嫁を取らせて夫婦養子とし、店を継がせてやるという。しかし、久蔵はいまだ忘れられない高尾太夫に一目でも会えることを願って十五両を使うことを選ぶ。親方は長屋の裏手で医者としての腕は藪中の藪だが贔屓筋の付き合いで吉原は裏も表も知り尽くしているという藪井竹庵に相談する。竹庵の入れ知恵で、まげや着物を若旦那風にあらため、野田の醤油問屋の若旦那というふれこみで茶屋にあがろうということに。紺屋職人の証である藍色に染まった爪や指先は決して一目にださないこと。運よく、先客の突然のキャンセルで身が開いた高尾太夫は、いつも気の張るお客様ばかり相手をしているので「たまにはそのような初心な若旦那はんのお相手をしとおす」と久蔵に遭ってくれた上、初会は口もきかないというのが普通の作法であるにも関わらず、床をともに過ごすことに。高尾に身も心も惚れてしまった久蔵は、「今度はいつ来てくれるんざます」との問いかけに嘘がいえず、自分の身分を明かし、身を偽ったことを詫び、また働いて金を貯めて会いに来ますと頭を下げる。高尾は、嘘偽りの多い吉原に稀な純情さや一途さに心を打たれ、「来年三月十五日に年季《ねん》が明けたらぬしのもとにいきとうおざんすが、わちきのようなものでも女房はんにしてくんなますか?」と。そして年明けて三月十五日、眉を落として鉄漿《かね》で歯を染め、島田髷と質素な着物と職人の女房にふさわしい姿に身を変えた高尾が、吉原から引き手駕籠に乗って、神田お玉が池の久蔵のもとへやってくる。親方から暖簾分けしてもらい、高尾と夫婦になって紺屋をはじめた久蔵。吉原で全盛の花魁だった高尾が紺屋のおかみさんになって接客や染め物の手伝いをするという江戸中の男たちの噂になり、紺屋は大繁盛。久蔵と高尾は子宝にも恵まれ、末永く幸せに暮らしたそうです……。
 今日の談春さんはところどころに時事ネタのくすぐりを入れたり、三三「鰍沢」の出来を褒めてちょっと悔しがったり、いつもより軽めで笑いの多い仕上がりで聴かせてくれました。



 今年はまだ26席しか聴いていないのですが、トーク、両師匠の大ネタ、すべて今年一番の高座でした。会場との一体感も素晴らしく、落語の神様がどこかから下りてきたような一夜。

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 同じ番組に2回目ですが、前回はトリ代演の白鳥さん。今度は主任の一之輔がちゃんと登場する回。土曜日でもあり、入りはほぼ満員。

(「手紙無筆」つる子)
(「真田小僧」市弥)

太神楽/和楽社中 ここから途中入場。和助を間において和楽さんと小楽さんがナイフ6本を交換し合うというスリリングなナイフ投げの技。

「のめる」左龍
 今日のお客さんは反応がいいなーと感じる。

「相撲漫談」歌武蔵
 相撲ネタに加えて、今の若い落語家は干支を知らないというネタ。

漫才/ホームラン

「短命」一朝
 オーソドックスに。

「千早ふる」文左衞門
 「これ、誰の代演?」と客席に質問し、菊之丞さんと聴いて「色ボケしてねぇかな」みたいなクスグリ。
 得意ネタの「千早ふる」を演じ、サゲで「とはの由来は、一之輔が答えるから」と無茶ぶり。喬太郎さんは「とはの由来」という演目で答えたらしいですね。客席大受け。

〜仲入り〜

粋曲/小菊

「露出さん」百栄
 楽屋では一之輔さんが「とは」を振られてぴりぴりしてると楽屋速報してから、お得意の「露出さん」。

紙切り/二楽
 さらに一之輔師に「東亜国内航空とかじゃダメですよ」などと追い詰めてきたそうだ・笑。

「反対俥」一之輔
 さっそく文左衞門師の無茶ぶりを「千早テロ」だと怒り、「文左衞門め!」と二回吼える・笑。
 最近はじめてタイに行ってゴルフをやってきた経験をマクラに。寺島しのぶ似のキャディさんとの話をひとくさりし、女性プロゴルファー「涂阿玉(と あぎょく)」の名前を出していったん「とは」をクリア。
 タイの人力車トゥクトゥクから「明治・大正の頃に」と振って『反対俥』。
 だるだるで非力な車夫から威勢のいい車夫に変わって、土管だけでなく神田川を飛び越え、上野を超えて埼玉県の上尾まで。引き返す途中で芸者と衝突しかけるのをスローモーションで。さらに女乞食が出てきて、女乞食を「とーはー」と十和田湖まで飛ばしてしまった。
 いやー、見事に「とは」を回収してくれた。あっぱれ。面白かった。
 頑張って勤務先から駆けつけたのですが、中入り前の扇辰師匠の『甲府ぃ』を聞き逃して残念でした。

『熊の皮』古今亭志ん橋
 たぶん初めての高座。てかてか光るおつむがラブリー。
 元はバレ噺なのを、ほんわかした甚兵衛さん中心にやんわりしてくれたそうで、女性の自分にも聴いていて悪くはなかった。

『五人廻し』柳屋喜多八
 廓噺ですなぁ。でも喜勢川花魁は登場せず、五人の個性あふれる登楼客と、振り回される妓夫《ぎゅう》との噺。ひとりめは江戸の職人らしいが花魁が来ないところを見ると金回りがよくないらしい。ふたりめは権柄づくの警官か官吏。三人目はねちねちした、サドっ気ある奴。四人目は杢兵衛さん……あれ、五人目ってどんな人だっけ(汗)。

 そして花魁が登場しない。

 でも面白い。さすが喜多八師匠。

 昨日は野間みつねさんと東京都写真美術館を訪問して土方さん生写真を見てきました。みつねさんとはかれこれ2003年来のお付き合いで幕末維新の史跡やイベントをご一緒させていただいてますが、今年で満10年になりますね……この濃ゆいご縁に感謝です。

秋田
医学の道究める姿描く わらび座ミュージカル「幕末ガール」
 劇団わらび座のミュージカル「幕末ガール」の公演が13日、仙北市田沢湖のわらび劇場で始まった。ドイツ人医師シーボルト(1796〜1866年)の娘で、幕末から明治の激動期を生き抜いた産科女医・楠本イネの人生を描いた作品。

 2部構成。異人の娘に生まれた境遇や偏見にめげず、シーボルトの弟子・二宮敬作や、後に大村益次郎となる村田蔵六と出会い、命の尊さを学びながら医学の道を究めていく姿を、晩年のイネが回想する形で展開していく。

 公演は6月9日まで(休演日あり)。問い合わせはわらび劇場TEL0187・44・3939


福島
「八重の時代」に理解 若松・鶴ケ城で幕末テーマに企画展
 NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公で、会津出身の新島八重が生きた会津藩の「幕末」をテーマにした企画展示「会津人戊辰戦争のまえとあと」第1期は12日、会津若松市の鶴ケ城天守閣で始まり、観光客が“幕末の会津”に理解を深めている。同市観光公社の主催。
 第1期では、天守閣郷土博物館や同志社大が所蔵する書など38点を展示。会津の女性を紹介する展示では、新島八重の掛け軸や名刺、手記をはじめ、松平照や山川二葉らの直筆の書などが並ぶ。展示からは、武器を手に戦い、籠城戦で男を支え、明治期に活躍した会津女性の強さがうかがえる。展示品を眺めた来場者は「立派な文字に気品を感じた。会津への興味が強くなった」と話していた。第1期は5月15日まで。
 同展は、戊辰戦争の関係資料を紹介する企画展のメーン企画で第4期まで続く。期日は9月9日まで。第2期は「白虎隊」、第3期は「藩主を支えた重臣」、第4期は「会津藩公用人手代木直右衛門伝来品など」。特に第4期では東日本初公開となる貴重な資料が並ぶ。紙芝居「新島八重物語」の上演や、パネル展「会津藩と新島八重」も同時開催している。
(2013年4月13日 福島民友トピックス)


会津藩から17歳で渡米 「おけい」の志学び、未来開け
144年前、戊辰戦争で敗れた会津藩から米国に渡った移民の女性「おけい」を縁に、同国で東北の若者に東日本大震災の教訓を語ってもらう企画を米自然保護団体が進めている。関係者は「おけいの勇気を学んで未来へのばねとし、復興を国内外で語り継いでほしい」と期待する。

 おけいは17歳だった1869年、農園開拓を志した会津藩士二十数人とともに渡米した。会津藩の鉄砲指南役だったプロシア人宅で子守をして働いたが、開拓は2年で挫折。おけいは病を患い、71年に19歳で異境の地に没した。

 招待企画に取り組むのは、カリフォルニア州の日系移民でつくるアメリカンリバー自然保護団体(ARC)。3年前、会津藩士が入植した土地110ヘクタールを購入した。おけいの墓を保護しながら毎年5月、「若松コロニー祭」を開いている。

 今回は震災支援の一環として5月16~20日、東北在住の17~20歳の1人を招待する。期間中、現地の高校で震災体験を英語でスピーチしてもらうほか、コロニー祭に参加し、会津藩士やおけいの足跡を学んでもらう。

 ARCのメンバーで、元バンクーバー公立高校日本語学科教師の山根洋子さん=岡山県出身=は「おけいさんの精神と、復興に懸命に立ち向かう姿勢を風化させることなく、世界で語り継いでほしい」と話す。

 交通費やホームステイ滞在費はARCが負担。震災体験や復興に対する考え、おけいについて調べたことを400字程度にまとめ、電子メールで送る。締め切りは15日。


旅館業を通して会津のファンを増やしたい。くつろぎ宿 新滝・千代滝 女将・佐原香織(後編)
老舗の看板にも評価にも甘えず常にさらなる上を目指していく

会津藩主松平容保公ゆかりの温泉や、新撰組の土方歳三が戊辰戦争の傷を癒した温泉を有し、明治・大正時代には竹久夢二が逗留、与謝野晶子も訪れた歴史ある旅館。居心地の良さ、料理の上質さ、配慮の行き届いたもてなしには定評がある。


「ものづくりチーム」による第一号、新滝のダイニング「遊仙」。
「じゃらんnet」で3年連続「東北エリア売れた宿ランキング」の1位受賞、「楽天トラベルアワード2012 東北エリア・レジャー部門」で、新滝が銀賞、千代滝が敢闘賞のW受賞という快挙を果たしたのも、歴史ある老舗旅館の看板に甘えることなく、日々、切磋琢磨してきた結果だろう。

「評価されることはたいへん嬉しいです。でも、どれほど評価を得ようとも、常にさらなる上を目指していかねばと思うのです。今年は大河ドラマ『八重の桜』の影響で、お客さまも増えていますが、自分たちの軸足を太くしていき、次につなげることが大切だと考えています」

震災後、修学旅行などの団体客が戻っていないものの、一般客はほぼ戻りつつある。数日間の滞在や、何度も訪れるリピーターも増えてきた。

「私たちは旅館業を通して会津のファンづくりをしたいんです。会津をよく知っていただくことを一番のポリシーにしています。だから、どこでもあるようなことはしません。例えば温泉旅館のお料理というと、判で押したようにお刺身と天ぷらが出ます。でも当館では、あくまでも会津にこだわり、手づくりにこだわっています」


千代滝ないる和風ダイニング「本丸 鶴城」が「ものづくりチーム」の第2号となった。
地元の旬の食材をふんだんに、会津の伝統料理を取り入れた創作郷土料理は、旅人の旅情をも満たす。地酒と供に食せば、会津の伝統そのものをいただいているような気分になれる。「ふるさと」というものは単に生まれ故郷というだけでなく、その土地の風土をもってあたたかくもてなしてくれる場所でもあるのかもしれない。そこには何にも代えがたい「くつろぎ」がある。

「評価が上がってくるとお客さまのレベルもあがります。その対応のための勉強もさらに重ねなければなりません。会津へのこだわりもさらに明確化していきたい。課題は山ほどありますが、ひとつひとつ確実に乗りこえて、当館の魅力としていきたいですね」

震災時、「くつろぎ宿」に非難していた大熊町の人々は、今では宿泊客となって、何度となく訪れる。特別な思いをスタッフと共有した大熊町の人々にとって、忘れがたい宿であることは確かだ。

誰にとっても、そんな旅館となること。「くつろぎ宿 新滝・千代滝」は、さらなる高みを目指す。


神奈川
<新島八重>望郷の思い切々 自筆和歌見つかる
 同志社大の創立者・新島襄の妻、八重(1845~1932)が最晩年に会津若松(福島県)に里帰りした際に詠んだ自筆の和歌2首が、神奈川県二宮町の徳富蘇峰記念館で見つかった。明治維新後に会津を離れ、亡くなるまで約60年を京都で過ごした八重は、NHK大河ドラマ「八重の桜」で描かれているように戊辰戦争を戦った勇ましいイメージがあるが、和歌は古里への思いを切々と詠んでいる。研究者は「八重の直筆の和歌は現存するものが少なく、価値がある」と評価している。

【写真特集】「八重の桜」1~3話の場面写真

 同館が今年1月、資料を整理中に見つけた。B4判大の半紙1枚に墨で書かれていた。

 若松のわが古郷(ふるさと)に来てみれば さき立(つ)ものはなみだなりけり

 たらちねの御墓のあとをとふことも 今日をかぎりとなくほとゝぎす

 半紙を入れた封筒には、親交のあったジャーナリスト、徳富蘇峰(1863~1957)が赤鉛筆で「昭和五年初夏 新島未亡人和歌」と記している。

 1930(昭和5)年4月、84歳の八重は、実家の墓参のため会津若松を訪問。最後の里帰りとの思いがあったのか、到着するなり涙を流し、墓前でいつまでも別れを惜しんだという。2首は、その時の古里や親(たらちね)への敬慕の心情を詠んだもので、同年発行された同志社の同窓会報にも掲載された。

 蘇峰は同大の前身、同志社英学校に学んだ新島の教え子。学生時代の蘇峰は、勝ち気で進歩的な振る舞いを見せる八重を快く思わず「日本ともつかず、西洋ともつかず、所謂(いわゆ)る鵺(ぬえ)の如き形をなしてをり」(蘇峰自伝)と批判するなど、関係は良くなかった。

 しかし、新島が1890年に亡くなる間際、蘇峰は八重と和解。その後、八重を物心両面で支援する理解者となった。

 同館の塩崎信彦学芸員は「気心の知れた蘇峰に自作の和歌を見せ、帰郷を果たした感慨を伝えたかったのではないか」と推測する。

 八重の生涯をまとめた著書があり、同館の依頼で八重の直筆と鑑定した同志社女子大の吉海直人教授(国文学)は「八重の生涯を深く知る蘇峰が大切に保管していたのだろう」と話している。

【五十嵐和大】

新島八重:郷愁切々と 晩年の和歌、神奈川で発見
◇若松のわが古郷に来てみれば さき立ものはなみだなりけり

 同志社大の創立者・新島襄の妻、八重(1845〜1932年)が最晩年に会津若松(福島県)に里帰りした際に詠んだ自筆の和歌2首が、神奈川県二宮町の徳富蘇峰記念館で見つかった。明治維新後に会津を離れ、亡くなるまで約60年を京都で過ごした八重は、NHK大河ドラマ「八重の桜」で描かれているように戊辰戦争を戦った勇ましいイメージがあるが、古里への思いを切々と歌った作品で、研究者は「八重の直筆の和歌は現存するものが少なく、価値がある」と評価している。【五十嵐和大】

 同館が今年1月、資料を整理中に見つけた。B4判大の半紙1枚に墨で書かれていた。

 若松のわが古郷(ふるさと)に来てみれば さき立(つ)ものはなみだなりけり

 たらちねの御墓のあとをとふことも 今日をかぎりとなくほとゝぎす

 半紙を入れた封筒には、親交のあったジャーナリスト、徳富蘇峰(1863〜1957年)が赤鉛筆で「昭和五年初夏 新島未亡人和歌」と記している。

 1930(昭和5)年4月、84歳の八重は、実家の墓参のため会津若松を訪問。最後の里帰りとの思いがあったのか、到着するなり涙を流し、墓前でいつまでも別れを惜しんだという。

 2首は、その時の古里や親(たらちね)への敬慕の心情を詠んだもので、同年発行された同志社の同窓会報にも掲載された。

 蘇峰は同大の前身、同志社英学校に学んだ新島の教え子。学生時代の蘇峰は、勝ち気で進歩的な振る舞いを見せる八重を快く思わず「日本ともつかず、西洋ともつかず、所謂(いわゆ)る鵺(ぬえ)の如き形をなしてをり」(蘇峰自伝)と批判するなど、関係は良くなかった。

 しかし、新島が1890年に亡くなる間際、蘇峰は八重と和解。その後、八重を物心両面で支援する理解者となった。

 同館の塩崎信彦学芸員は「気心の知れた蘇峰に自作の和歌を見せ、帰郷を果たした感慨を伝えたかったのではないか」と推測する。

 八重の生涯をまとめた著書があり、同館の依頼で八重の直筆と鑑定した同志社女子大の吉海直人教授(国文学)は「八重の生涯を深く知る蘇峰が大切に保管していたのだろう」と話している。


京都
幕末の長岡京 浮き彫り 市立図書館で企画展
 幕末の動乱期における京都府長岡京市域での出来事を紹介する企画展が、同市天神の市立図書館で開かれている。集落を荒らす浪士への注意を促す高札や幕府と対立する長州藩の手勢が光明寺(同市粟生)に陣を敷いた記録など貴重な資料が展示されている。

  NHK大河ドラマ「八重の桜」の放映に合わせ、同じ時代で今からちょうど150年前にあたる1863年前後の資料を選んだ。

 伏見宮家が所領した下海印寺村(現在の長岡京市下海印寺地域)に掲げた高札は、浪士が金銭を要求したり、タケノコやマツタケを乱獲するなどの乱暴を働いているとして、実際に出会った場合は報告するよう求めている。

 光明寺の僧が記した「光明寺雑記」には入洛した将軍徳川家茂への面会を申し入れて許可されたことや、幕府と長州藩が戦った禁門の変に際して同藩の部隊が光明寺に陣取ったなどの内容が見える。

 「友岡村御触(おふれ)状写帳(じょううつしちょう)」は、第一次長州征伐に向かう幕府軍が淀(京都市伏見区)に立ち寄った際、友岡村(現在の長岡京市友岡地域)に炊き出しを命じたことが記されている。

 6月末まで。5月14日に展示資料を入れ替える。


エンターテインメント
大河視聴率 今季最低11・7%危険水域
 7日に放送されたNHK大河ドラマ「八重の桜・第14話」の視聴率が、関東地区で今年最低の11・7%(前週比2・6ポイント減)だったことが8日、ビデオリサーチの調べで分かった。

 同作は幕末の会津藩砲術指南の家に生まれ、1868年の戊辰戦争時にはスペンサー銃を手に新政府軍と戦い“幕末のジャンヌ・ダルク”と呼ばれた山本八重の物語。今年1月6日に視聴率21・4%で好スタートを切ったが、以降は徐々に数字を落とし、ここ5回は15%以下に低迷している。

 7日の同時間帯の他局番組は日本テレビ「日テレ系人気番組No.1決定戦」の13・8%がトップだった。


降谷建志 : 大河出演を決めた心境明かす 「勇気が必要だった」
 ミクスチャーロックバンド「Dragon Ash」の降谷建志さんがNHK大河ドラマ「八重の桜」で、新選組の斎藤一役として本格的な俳優に初挑戦している。出演を決めた心境を、「14歳くらいからロックバンドをやっていて、20年、これしかやっていない。バンドマンが世界一カッコいいと思っている。今までかたくなに(ほかのことを)やらなかった。もともとテレビに出ないことを美徳にしているので、(出演には)勇気が必要だった」と語る降谷さんにドラマへの思いを聞いた。(毎日新聞デジタル)

 「八重の桜」は、福島県出身で戊辰(ぼしん)戦争の落日、会津の鶴ケ城に500人の女たちと立てこもり、銃を持って戦ったことから“幕末のジャンヌ・ダルク”と呼ばれ、のちに同志社を創設した新島襄(オダギリジョーさん)の妻となる八重(綾瀬はるかさん)の生涯を描く。降谷さんが演じる斎藤一は、新選組三番隊組長で「局中一、二の剣客」と記した資料もあるほどの剣の使い手。新選組を率いて会津戦争に加わり、維新後、八重の幼なじみ・高木時尾(貫地谷しほりさん)と結婚。警視庁に入り、西南戦争にも従軍。晩年は東京女子師範学校の庶務係兼会計係となる。

 降谷さんは、内藤愼介エグゼクティブプロデューサーからオファーを受けた際、最初は「人生、初めての寝耳に水」と驚いたという。出演を決めた理由として、ドラマが東日本大震災の被災地である福島県を舞台にしていることを挙げ、「大河ドラマの舞台になると観光など大きなお金が動くと聞いて、(自分が出演することで)100円でも1000円でも上乗せできるのなら……と思ったら、『ノー』という度胸がなかった」と当時の思いを振り返る。

 降谷さんは、内藤プロデューサーからドラマに登場する斎藤一について「カミソリみたいに触るものを傷つけてきた男が、愛する女性と出会って変わっていく」と説明されたといい、「結婚して、子どもができて……というのは男にとっては階段。自分もそうなれたらと思う」と自身と重なるところがあったようだ。さらに、斎藤一への思いを「(04年放送の大河ドラマ)『新選組!』でオダギリジョーさんが斎藤を演じていたのを見ていたのと、『るろ剣』(斎藤が登場する「マンガ『るろうに剣心』)世代なので、そのイメージ。自分も仲間と群れて行動しているので、新選組にシンパシーを感じる」と語る。

 共演者には「17歳くらいのときにお話ししたことがある」という木戸孝允役の及川光博さん、「レジェンド。カッコいいし、メチャクチャうまい」と尊敬する西郷隆盛役の吉川晃司さんといったミュージシャンの顔を持つ人物も名を連ねる。撮影現場では、吉川さんに「こういうの初めて?」「(ドラマに)出ちゃうんだ?」などと声を掛けられたこともあるといい、「バンドマンはバンドマンに優しいですよ」とうれしそうに話す。

 「ルーキーですから、セットにいるだけで楽しいし、誰よりも一生懸命やっているつもり」とフレッシュな気持ちで撮影に 臨んでいる降谷さん。現在は、ドラマの撮影を1週間行った後、音楽制作に1週間費やす……という日々を過ごしているという。「(音楽制作の)スタジオワークってこんなに孤独だったんだ……と思った。それを感じるようになったのがデメリットかな? 20年間、ロックから片時も離れたことがなかったし、器用なタイプではないけど、盲目的にまい進しています」と撮影に音楽に前向きに語っていた。

 NHK大河ドラマ「八重の桜」はNHK総合テレビで毎週日曜午後8時から放送中。


 お誕生日ウィークもそろそろ終わりなので寄席に行こうかと思っていたのですが、夕方から夜にかけて爆弾低気圧が東京を通過しそうなので断念しました(;o;)。

福島
「八重の生き方」紹介 作家・藤本さんが猪苗代で講演会
 作家藤本ひとみさんの講演会「銃姫 八重という女性」は3月30日、猪苗代町体験交流館学びいなで開かれ、山本(新島)八重の生き方から、震災後を生きるヒントを考えた。
 学びを通じた被災地の地域コミュニティー再生支援事業の一環で、町教委の主催。120人以上が来場した。
 藤本さんは、戊辰戦争への参加、新島襄との結婚、日赤での活動などから八重の生き方を「一見、積極的に見えるが、よく見てみると何かに巻き込まれ、その中で最善を尽くす受け身の生き方」と分析。「運命から逃げない八重の受容の精神、与えられた中で精いっぱい自分を生かす生き方は参考になるのではないか」などと話した。


八重や幕末の会津藩紹介 会津武家屋敷特別展
 福島県会津若松市の会津武家屋敷の特別展「山本八重と会津藩の人々-幕末・明治、その群像-」は4日、施設内にある会津歴史資料館で始まった。11月30日まで。
 山本(新島)八重をはじめ幕末の会津の人々、秩父宮妃勢津子さまをゆかりの品とともに紹介。同志社社史資料センターが協力し、八重直筆の書など関連資料を会期途中の7月中旬まで展示する。信念を貫いた会津人の精神性を伝える。
 会津武家屋敷の入場料は大人850円、中高生550円、小学生450円。問い合わせは電話0242(28)2525へ。

(2013/04/05 09:37カテゴリー:歴史・伝統)


茨城
幕末、日本茶輸出第1号 「伝説のさしま茶」ペットボトル開発
坂東市観光協会は、市内のお茶生産農家「根本園」と共同で地元特産さしま茶のオリジナルペットボトル商品
「伝説のさしま茶」(三百五十ミリリットル、百五十円)を開発した。協会は「坂東の新しい顔として広く発信していきたい」とPRする。
 さしま茶は、一八五四年に黒船で来日したペリーが口にしたのがきっかけで一八五九年、日本茶輸出第一号として海を渡り、米国内で日本茶ブームを巻き起こした。当時の記録から木製の茶箱に豊臣秀吉の肖像画が描かれていたことも分かった。商品名はその歴史にちなんだ。
 ラベルには馬にまたがる武士の姿も描かれ、「BANDOU BUSHICHA」「坂東 武士茶」と刷り込んだ。上質な一番茶だけを使用し、温度管理など抽出方法にも気を使い、急須で入れたお茶の香りやうまみを再現した。
 さしま茶は、東京電力福島第一原発事故の影響で、一時、生産中止に追い込まれ、今も風評被害が続いている。逆境の中で今回、開発に携わった「根本園」経営の根本宏紀さん(29)は昨年、さしま茶の抹茶を使ったアイスクリームを製造して、販売した実績がある。「抹茶アイスは今も好調な売れ行き。同じ茨城産でも加工品は抵抗が少なく消費者は手に取ってくれる。ピンチをチャンスと考えたい」と話す。
 「伝説のさしま茶」は東京・銀座の県のアンテナショップ「茨城マルシェ」にも並ぶ。(原田拓哉)



千葉
流山本町の魅力僕らも知ったよ 北小児童がポスター展
 古い建物や旧跡が点在する流山市の本町界隈(ほんちょうかいわい)の魅力を紹介する「流山本町界隈再発見ポスター展」が、同市役所1階ロビーで開かれている。地元の同市立流山北小学校の児童が制作したアイデアあふれるキャッチコピーやイラスト、写真などを組み合わせた約160点が並んでいる。5日まで。

 ポスターは本町界隈(同市流山と加の一部エリア)にある神社・仏閣、流鉄流山線、新選組の近藤勇陣屋跡、万華鏡ギャラリー見世蔵など計12コーナーに分けて展示。

 ポスターの一部は取材した各店舗などに寄贈される予定だが、その前に一般にお披露目しようと市が同校側に持ちかけ、急きょ展示会が決まった。問い合わせは市商工課、電話04(7150)6085。


三重
小津清左衛門長柱日記:幕末の暮らしぶり鮮明 松阪市教委、第5巻を発刊 /三重
 松阪市教委は、江戸時代の豪商で、松阪商人として財をなした小津清左衛門家の11代当主、長柱(1811〜76年)が残した貴重な日記を解読した「小津清左衛門長柱日記」第5巻を発刊した。

 小津家は、紙の製造販売などを全国的に展開している「小津産業」(本社・東京)の基礎を築いた。松阪に残る旧家は「松阪商人の館」として公開されている。

 日記は長柱が家督を継いだ1840(天保11)年の翌年正月から、1871(明治4)年に隠居するまでの約30年間の貴重な記録だ。商売から日常生活までが克明に書いてあり、当時の暮らしぶりが分かる。松阪商人の姿を浮き彫りにしようと、03年から門暉代司・元本居宣長記念館長ら10人が「松阪古文書研究会」をつくって解読。これまでに4冊を発刊している。今回の発刊で、全体の約8分の1に当たる10冊を解読したという。

 第5巻は1849(嘉永2)年の1年分をまとめた。3月3日には射和の竹川家の息子吉三郎が小津家の養子となり、射和の延命寺から松阪の養泉寺に「宗旨送状」が出たことを記録。10月15〜18日には「山田岩淵(伊勢市)の御師・出口邸に手代数人と共に滞在、山田外宮、宇治内宮に絵馬を奉納し、歓迎を受けた」との趣旨をつづっている。

 一部700円。同市教委文化課、市立歴史民俗資料館、松阪商人の館で販売している。【橋本明】

〔三重版〕



コラム
旭堂南陽のブラリ講談 歴史あるき
自立した女性「新島八重」の巻

会津藩主・松平容保公の上洛

この立派な門をくぐると大きな駐車場がありとっても便利でした
 今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」は2年ぶりに20%超えの視聴率でスタートしたようです。今回、主人公の新島八重ゆかりの地、京都を歩いてみると多くの人々が「八重の事を知ろう」と関係地を訪れていました。しかも女性の方が多かったです。

 会津出身の八重が「なぜ京にきたか?」というと、兄の山本覚馬が松平容保(かたもり)公に随行し上洛(じょうらく)したのがきっかけです。

 そのころの京には反幕府の侍たちが脱藩して集まり、治安が急速に悪くなりました。幕府は京の警護をいずれかの藩主にさせなければなりません。しかし、これは誰もが嫌がります。死ぬ危険性があるところに自分だけでなく家来を連れ赴くようなものですから、なかなか決まらない。

 そんな時、徳川家と非常に深い関係のある会津藩に白羽の矢が立ちました。会津藩には初代から続く「徳川家をお守りしないといけない」という厳しい家訓がありました。それぞ誠の会津武士の本懐。これが後の会津戦争にまでつながる訳です。

 さて、幕府から京都守護職という役を与えられた藩主・容保。滞在地として本陣を構えたのが金戒(こんかい)光明寺。この寺は城構えで要所にも近く、千名の兵が滞在できました。

 丸太町通りから歩いて見ると、まさに要塞(ようさい)。なだらかな岡の途中や上に幾つかのお寺があり、下から歩くと結構高低差があります。しかもかなりの距離です。ここはそれまで壬生浪士組と言われていた浪人の集まりが、幕府公認の新選組として生まれる記念すべき場所。そんな事を考えながら訪れるのも楽しみの一つです。

 ここの周りには、ブラリ歩きスポットがたくさんあります。平安神宮に京都市美術館、京都国立近代美術館、京都市動物園、少し足を伸ばせば南禅寺と多彩です。

(大阪講談協会所属)
 ◇公演情報「みんなの講談」=9日午後2時、同4時(2回公演)、1500円、なんば徳徳亭、出演:太平洋、南陽。修羅場読みのワーックショップ付きの講談会。問い合わせはトリイホール、電話06(6211)2506


エンターテインメント
最旬男子が揃い踏み! 映画『幕末奇譚 SHINSEN5 ~剣豪降臨~』DVD発売
 旬な俳優陣の競演が好評の映画『幕末奇譚 SHINSEN5 ~剣豪降臨~』のDVD発売が決定した。

 同作はミュージカル『テニスの王子様』で注目を集めた豪華な俳優たちによるアクションハイブリッド時代劇。
 幕府転覆を狙う藩士と、それを影から操る陰陽師の力と謎に、熱き友情で結ばれた新撰組屈指の剣客5人が挑む。リーダー格の土方歳三を馬場徹、沖田総司を神永圭祐、斎藤一を馬場良馬、藤堂平助を八神蓮、原田左之助を広瀬友祐が務める。さらに、敵役の吉田稔麿に高崎翔太、土御門源春に佐々木喜英を配役し、まさに最高のキャスティングといえる。監督は、映画『RISE UP』『スイッチを押すとき。』の新鋭・中島良。

 今回のDVDには、初日舞台挨拶等の特典映像も収められており、2枚組での発売。今作の大好評を受けて、早くも第二弾となる「幕末奇譚 SHINSEN5~風雲伊賀越え(仮)~」の制作も決定しており、各方面から注目が集まっている。

 アクションと殺陣の魅力を存分に楽しめる、進化した時代劇。次作への期待とともに楽しみたい。

DVD『幕末奇譚 SHINSEN5 ~剣豪降臨~』は、5月24日から発売。


『八重の桜』の長州藩描写 山口県民は受け入れ難いの意見多し

 山口県下関市に住む70代女性は、長年にわたって大河ドラマの大ファンだ。特に今年の『八重の桜』は、綾瀬はるかが「孫の嫁によう似ちょる」ということもあり、楽しみにしていた。しかし、最近では、日曜夜8時のNHKにチャンネルを合わせようとするたび、気が重くなってしまう。
「まだまだ物語は始まったばっかり。それやのに、もうすっかり長州藩は悪者扱いじゃけえね。このままやったら、戊辰戦争で会津に攻め入った長州藩は、鬼のように描かれるでしょ。ちょっと見る気がせんのよね」
 大人気の大河ドラマ『八重の桜』。初回視聴率は2年ぶりに20%超えを果たした。物語の舞台である福島県への貢献は相当なもの。日本銀行福島支店の試算によれば経済効果は「113億円」ともいわれており、震災からの復興に一役かっている。
 このドラマは、明治維新を「敗者」である会津藩の視点から描いたものだ。
 綾瀬演じる山本八重の故郷・会津藩は、旧幕府勢力の中核と見なされ、長州藩・薩摩藩を中心とする新政府軍の仇敵となる。
 特に、長州藩との遺恨は根深い。会津藩主・松平容保が1862年から京都守護職となり、新撰組を麾下において尊王攘夷派志士たちの徹底的な取り締まりを行なう。さらに蛤御門の変では、壮絶な市街戦の末に長州藩を敗北させ、「朝敵」へと追いやる。
 大政奉還、王政復古後に戊辰戦争が勃発すると、今度は会津藩が新政府軍から「賊軍」の汚名を受け、徹底的な弾圧にあう。19人の少年たちが自刃した「白虎隊の悲劇」に代表されるように、数多くの犠牲者を出した。
 さらに新政府軍は会津戦争における犠牲者の埋葬を禁じたため、会津の人々は家族の遺体が野に晒され、鳥や獣に食い散らかされる悲惨な状況を目の当たりにしたとされる。
 これらの遺恨はまだ根深く残っており、2007年に山口選出の安倍晋三首相(前任時)が会津若松市を訪れた際、「先輩がご迷惑をかけたことをお詫びしなければならない」と語ったほどだ。
 会津出身の本誌女性編集者は小さい頃から「長州の男との結婚だけは絶対に許さん」と言われ続けて育ったという。そんな背景もあり、『八重の桜』における長州藩の描写は、「山口県民にとっては受け入れたくないもの」(山口県萩市在住の70代男性)という意見が多い。
※週刊ポスト2013年4月5日号

 長州を正義だと教えられてきた方々には会津とか、赤報隊とか、受け容れがたいでしょうね。

『八重の桜』描写 山口・福島県民の怒り温度差にNHKが配慮
 NHKで大人気の大河ドラマ『八重の桜』は、幕末の会津が舞台となっているが、戊辰戦争で会津に攻め入る長州藩が鬼のごとく描かれているため、山口県民の怒りを買っている。

 その一方で、「NHKサイドは山口県には相当気を遣っている」との分析もある。山口県萩市にある萩博物館の一坂太郎・特別学芸員(幕末維新史)がいう。

「吉田松陰役の小栗旬が、ストーリーの必然性と関係なく、会津を訪れたエピソードは印象的だった。松陰が会津に行ったのは史実ですが、八重や山本覚馬に会ったかどうかは分かっていない。松陰の魅力を伝える場面をあえて作ったという気がしますね。

 それに江戸の街や黒船襲来のシーンを撮るときにも萩市でロケをやっている。さしたる必要性がないのにやってきたのは、山口県からの反感を避けるためかもしれません」

 もちろん山口県民の「怒り」と福島県民の「怒り」に相当な温度差があることは事実だ。1980年代には萩市が会津若松市と姉妹都市を結ぼうとしたが、会津若松市の反対で頓挫した経緯がある。

 1996年に当時の萩市長が非公式に会津若松市を訪れた際も、会津若松市長は記者会見の場では握手に応じなかったといわれる。 萩市在住で「長州と会津の友好を考える会」代表の山本貞寿氏がいう。

「郷土に攻め入られた会津の方が持つ思いと、長州の人間が持つ思いとでは、重みが違うのは事実。過去の和解活動は全てうまくいっていないし、歩み寄ろうとしても会津の方には厳しいことをいわれてしまうことも多い。

 細かいことを議論しようとすると、堂々巡りになってしまうので、私はあまり悪口を言い合いたくない。お互いに日本を思う気持ちがあるんだから、少しずつ歩み寄っていければいいと思うんです」

※週刊ポスト2013年4月5日号

 3月末にして1月並みの寒さですか……5月並みの陽気で桜は例年より10日早く咲いてしまったと思えば、この寒さ。着るものに困りますなぁ。

福島
八重に思いはせ挑戦 第1回の「会津幕末検定」
 NHK大河ドラマ「八重の桜」で関心が高まっている幕末の会津に関する知識を審査、認定する「会津幕末歴史検定」の第1回試験は17日、会津若松市の会津大など全国3会場で行われた。
 同検定運営事務局、福島民報社の主催。東京の中央工学校、京都の同志社大でも試験を行い、9歳から81歳までの396人が受験した。
 会津大会場では2級30人、3級74人、2級と3級の併願50人の合わせて154人が受験した。2、3級とも4択の100問で70問以上の正解で合格となる。受験者は試験時間が始まると一斉に問題を開き、真剣な表情で問題に臨んでいた。
 結果は4月下旬に各自に通知される。

( 2013/03/18 11:15 カテゴリー:主要 )


福井
幕末福井藩士の人事資料集を発刊 県文書館、松平文庫をデータ化
 福井県文書館は28日、幕末福井藩の中・上級藩士の氏名や職歴など人事履歴を記した資料集「福井藩士履歴」第1巻を発刊したと発表した。県立図書館の松平文庫の史料を整理、活字化した。2017年度までに全6巻を編集する計画で、総勢約900家5千人の家臣についてまとめる。幕末の改革や維新後の日本を支える人材が、誰とどのような仕事をしていたかなど、歴史の全体像を知る基礎資料として活用が期待される。(松井理恵)

 県文書館は09年から始めた幕末の福井藩主松平春嶽の調査の過程で、藩の人事を詳細に記した公文書「士族」と「剥札(はぎふだ)」に着目。計8冊が現存しており、賞罰や任務内容まで分かる内容は「全国でも珍しい」(同館)という。

 「士族」は現役当主について、「剥札」は隠居・死亡した当主について記されている。11年度から家ごとの情報を統合したり、いろは順を五十音順に並び替える作業を進めてきた。

 第1巻には、名字が「あ~え」(五十音順)で始まる154家800人超を掲載した。「石川尚一郎」の項目には、1863(文久3)年10月7日に「勝麟太郎殿へ相手寄航海術致修行候様被仰付」とあり、勝海舟の下で航海術を学ぶよう命令があったことが分かる。「井原立二(なりかず)」「石川弼」の2人も同時期に同様の記述があり、福井藩が積極的に神戸の海軍操練所で技術を身に付けさせていたことが読み取れる。

 資料集はデジタルデータ化する。ほかの史料と情報を付き合わせることで、「藩のプロジェクトの全体像を復元することも可能」(同館)といい、政治史や文化史など多方面の研究に応用していくという。

 また、藩士ゆかりの県民が先祖のルーツを調べる上でも役立つとして、研究者以外の利用も期待している。

 千部発行。県や市町の図書館で閲覧できるほか、希望者には配布する。デジタルデータは、新年度の早い段階で県文書館のホームページで閲覧できるようにする。

 問い合わせは県文書館=電話0776(33)8890。


滋賀
旧井伊神社社殿:秘伝、初公開 鮮やか幕末の彩色−−彦根 /滋賀
 彦根藩主井伊家の先祖を祭った彦根市古沢町の「旧井伊神社社殿」が神社側から同市に寄付されたのを受けて、同市教委は24日、社殿内部を市民や観光客らに公開した。祖霊は旧社殿のそばに建てられた新社殿に移されており、参加した約330人は普段は公開されない本殿などの素晴らしさに見とれていた。【松井圀夫】

 井伊神社は、1842(天保13)年に第十二代当主の井伊直亮が井伊家の始祖共保(ともやす)を祭る「井伊八幡宮」として造営したのが始まり。3年後に社殿が建立され、入り母屋造りの本殿と拝殿が相(あい)の間で結ばれる権現(ごんげん)造り。

 旧社殿は平屋建て約56平方メートル。市教委文化財課の担当者の案内で見学した人たちは、華やかな彩色(さいしき)が随所に施され、江戸時代後期の高い技術の粋が垣間見られる本殿や拝殿内部に入り、説明を聞いて質問したり写真を撮るなどしていた。

 井伊家初代当主の直政好きという大阪市の女性3人グループは「色や装飾がきれいだし、旧本殿にも入れて感動しました」と話していた。


京都
八重の故郷 会津を紹介 同志社大 藩家訓や容保肖像画
 同志社を創立した新島襄の妻八重(1845~1932年)が生まれ育った福島県会津地方の歴史と文化を紹介する企画展「会津と八重」が26日、京都市上京区の同志社大今出川キャンパス・ハリス理化学館で始まった。
 学校法人同志社と福島県、会津若松市などの共催。江戸から明治時代の資料を中心に展示している。
 徳川幕府への忠誠を誓う会津藩の家訓や、幕末の藩主松平容保の肖像画と和歌、藩の軍事演習が描かれた屏風(びょうぶ)、八重の父や兄弟も通った藩校日新館の絵図や教科書も並べた。精巧な会津塗の漆器や刀のつばの装飾、名産品の番付表、会津地方の年中行事がまとめられた屏風図などが会津文化の奥深さを伝える。日本画家橋本関雪が描いた白虎隊の自刃図もある。
 この日は大谷實・同志社総長や室井照平・会津若松市長たちがテープカットを行った。
 無料。6月30日まで(火曜と祝日、ゴールデンウイークは休館)。展示替えあり。会津地方の伝統工芸品や観光パンフレットを集めたコーナーもある。


コラム
龍馬の“同士”ら9人切り捨てた新選組 幕末の伝説の「急襲」を詳報
 元治元(1864)年6月5日午後10時過ぎ、新選組局長の近藤勇が「主人はおるか、ご用改めである」と声を張り上げ、沖田総司らとともに三条小橋西詰の旅籠(はたご)屋「池田屋」に突入した。

 2階に約30人の尊王攘夷(尊攘)派の浪士がいたことから、池田屋主人、惣兵衛はうろたえながら階段を上がっていった。

 惣兵衛の慌てぶりに浪士の存在を確信した近藤は永倉新八、藤堂平助を1階に待機させ、沖田総司と裏階段を駆け上がる。

 そこで浪士とかち合った近藤と沖田。近藤は多勢に無勢と思ったのか、いきなり「手向かいすると切り捨てるぞ!!」と怒鳴って相手を威嚇。両者に一瞬、緊張感が走った。

 が、にらみ合いもそう長くは続かなかった。突然に切りかかった浪士を沖田がバッサリと切り捨てたところで戦闘が始まった。

 浪士の多くは池田屋から北約300メートルの長州藩邸を目指し、吹き抜けから1階の中庭に飛び降りて脱出しようと試みる。ここで「1階が主戦場」とみた近藤は2階に沖田を置き、1階へ下りる。

 1階の永倉と藤堂は土間付近で脱出を図ろうとする浪士を相手に応戦。藤堂は額を切られ、永倉も左手を負傷する。2階の沖田は無類の強さを見せたが、吐血をして倒れ、戦線を離脱してしまう。

 近藤も囲まれるなど苦戦の連続だった。だが、ここで三条小橋北詰の四国屋丹虎(たんとら)に浪士がいないことを確認した副長、土方歳三の隊が合流してきたため形勢は逆転。戦いは2時間で終了した。

 浪士集団のリーダー的存在だった肥後藩・宮部鼎蔵(ていぞう)や、勝海舟が創設した神戸海軍操練所で坂本龍馬と訓練を受けていた土佐・北添佶摩(きつま)ら計9人が死亡、4人が捕らえられたという。翌日も会津藩などによる掃討作戦でさらに多くの尊攘派を失う。

 北添が事件に加担していたため、幕府の反感を買った操練所は廃止を余儀なくされ、行く先を失った龍馬はこのあと、倒幕へ走り出す。

 一方、ダメージを受けた長州は報復のために挙兵すると、事件から1カ月半後の7月19日に蛤御門(はまぐりごもん)の変が勃発。京の街は一瞬にして灰になってしまうのだった。(園田和洋)  


【山本覚馬】動乱の渦中で常に日本を見据え、戦い続けた不屈の会津藩士〔1〕/中村彰彦(作家)
「今、日本にとって急務なのは、内戦ではない」。
戊辰戦争の最中、薩摩藩に幽閉されながらも、日本の近代化を進めるための方策を、新政府に建白した男がいた。会津藩士・山本覚馬である。
『管見』と題する、23項目にわたる詳細かつ具体的な内容はあの坂本龍馬の「船中八策」を遥かに凌ぐと評価される。
教育と物づくりを軸に、新時代の日本像を描く覚馬が、目指していたものは何であったか。

◆西郷らを瞠目させた意見書『管見』◆

 現在、大河ドラマの放送もあり、新島八重(山本八重)が注目を集めています。幕末の戊辰戦争では、当時最新鋭のスペンサー銃を手に鶴ケ城龍城戦を戦い抜き、維新後には京都で同志社大学の設立者であるキリスト者・新島襄と結ばれて、ともに理想の教育の実現に邁進した、まさに「女傑」です。

 そんな八重を語る上で避けて通れないのが、実兄の会津藩士・山本覚馬でしょう。八重が女性でありながら最新の洋式銃を自在に操り、しかも実戦で活躍できたのは、先見性に富んだ17歳上の兄、覚馬の薫陶を受けていたからなのです。

 私は、土佐の坂本龍馬がドラマや小説で取り上げられるたびに、「遥かに格上の男が会津にいたのに」と、常々感じていました。

 龍馬といえば慶応3年(1867)6月、議会政治の導入など新国家の骨組みを8項目で示した、「船中八策」が有名です。一方の覚馬は慶応4年(1868)6月、幽閉されていた薩摩藩邸で、『管見』と題する意見書をまとめています。その内容は三権分立や二院制をはじめ、商工業振興や税制改革、能力主義の人材登用など、日本の近代化を進めるにあたっての具体案を、23にわたる項目で論じたものでした。

 『管見』で感心させられるのは、「教育」と「物づくり」を重視している点です。覚馬は「欧米列強に対抗するには、先ず人材の育成が急務」と、学校建設の意義や女性教育の必要性を訴えました。また一方で、これからは農業ではなく商工業で国を富ませるべきとし、殖産興業に力を入れることを主張します。

 「教育」と「物づくり」を核にした国づくりという構想が、いかに的を射たものであったかは、その後の日本の発展が証明しているでしょう。

 龍馬の「船中八策」が「どんな体制の国をつくるか」という理念を述べた、いわば「総論」に留まっていたのに対し、覚馬の『管見』は大きなビジョンを掲げた上で、各分野で何をすべきか、具体的な方策を説く「各論」までを打ち出していたのです。その内容の充実ぶりに仰天したのが、新政府の西郷隆盛や岩倉具視らでした。彼らが瞳目したのも無理はありません。「討幕」にのみ心を奪われ、新国家の形も未だ手探りであった西郷たちにすれば、敵方の会津藩士が、目指すべき「近代日本のあり方」を明示したことに、ただ驚くしかなかったのです。
  
◆覚馬を培った会津の気風と象山◆

 それにしても、覚馬はなぜこれほど先見性に富んだ意見書を記すことができたのでしょうか。その背景には、故郷・会津の伝統と、江戸で出会った1人の男の存在があります。

 先ほど、『管見』は「教育」を軸の1つに据えていると述べました。私には、これは非常に腑に落ちるものです。というのも、覚馬が育った会津藩は、諸藩に先駆けて「教育立国」を実現した藩であったからです。

 始まりは、藩祖・保科正之の時代に遡ります。当時、無為庵如黙という僧侶が、会津城下に稽古堂という学問所を開きました。そこでは家老から一般の町民まで、身分に関係なく誰もが儒学を学んだといいます。この気風を昇華させたのが、5代藩主・松平容頌の時代に藩政改革を実行した名家老・田中玄宰でした。彼は享和3年(1803)、新たに藩校・日新館を設立。藩士は10歳から藩校に通い、充実した教育を受けることになるのです。

 また、藩士の子供は日新館に入る前から「什の掟」に親しみます。「ならぬことはならぬ」で知られるこの教えにより、誰もが幼い頃から「会津武士のあり方」を身につけました。こうした会津藩独特の雰囲気の中で成長した覚馬が、「教育は近代化の軸である」と考えるのは、ある意味で必然だったでしょう。

 また、覚馬が23歳の江戸遊学の折に出会った佐久間象山の影響は、極めて大きなものでした。後年、覚馬は尊敬する人物に「佐久間象山、勝海舟、横井小楠」の3人を挙げていますが、日本全体を俯瞰する眼と先見力は、象山に鍛えられています。

 当代随一の蘭学者であった象山は、日本を取り巻く世界情勢にも通じており、阿片戦争に敗れ、列強に蹂躙された清国の惨状も知っていました。そして日本がその二の舞にならぬよう、開国して西洋文明を取り入れ、列強に対抗できる国力をつけるべきと唱えたのです。「異国の侵略を防ぐ」点で、象山の狙いは積極的な攘夷です。そしてそれは、外国の圧力に屈しただけの開国論や、相手の実力も知らずに「夷狄など皆追い払ってしまえ」と説く夜郎自大の攘夷論とは一線を画すものでした。

 そんな象山が重視したのが、工業力です。当時の日本は新式の武器など最先端の工業製品を輸入に頼っていました。これでは列強から侮られ、攘夷は果たせない――象山はそう考え、最新の科学に基づいた工業力の強化を主張したのです。実際、象山は自ら電信機などを製作し、今も長野県松代の象山記念館には、彼が手がけた多くの機器が残っています。

 こうした象山の議論は、覚馬にはストンと胸に落ちたはずです。実は会津藩では、先述の田中玄宰が手がけた改革により、各地から進んだ技術を導入することで、漆や酒造業などが発展し、藩政の建て直しが実現していました。つまり、「自国の物づくり」の振興から富国強兵を実現することは、会津藩がすでに経験してきたことでもあったのです。

 覚馬が『管見』で「物づくり」を標榜したのは、このような背景があってのことでした。日本を守るために何をすべきか。象山の思想は、会津藩が経験した「人づくり」「物づくり」を肌で知る覚馬に受け継がれ、具体化されたのです。

(『歴史街道』2013年4月号総力特集「山本覚馬と幕末動乱」 より)

■ 中村彰彦(なかむら・あきひこ)作家
昭和24年(1949)、栃木県生まれ。出版社勤務を経て、文筆活動に専念。
平成6年(1994)に『二つの山河」で第111回直木賞受賞。『五左衛門坂の敵討』(第1回中山義秀文学賞)、『落花は枝に還らずとも』(第24回新田次郎文学賞)、『会津のこころ』など著書多数。


エンターテインメント
イケメン新撰組が旅案内。女子のためのガイドブック! 『るるぶ薄桜鬼』(ブックレビュー)
 アニメを絡めての町おこし。最近よく見かけるようになっているのは、実際にそうした観光地が元気いっぱいになっているからでしょう。この『JTBのMOOK るるぶ薄桜鬼』(JTBパブリッシング)もそんなブームにあやかって出されたものだと思われますが、今回の対象は主に京都。昔ながらの伝統を持つ町にアニメが介入してくるのを快く思わない人もいるかもしれません。しかし、それによって若い子がその地に愛着を持つ。おとーさんが年頃の娘と新撰組の聖地に行って盛り上がれる。これって素敵な事だと思います! アニメは日本を元気にする。この雑誌を見て、改めてそう思いました。

元記事はこちら

 薄桜鬼から京都などに興味を持つ人の多くは若い女子。ついはしゃぎすぎて住民や他の観光客に迷惑をかけることがないよう、冒頭でしっかりイケメンが指導しています。そんな気配りが作り手の愛を感じる出だし。

 続いて名所案内。例えば八木邸であるならば、その場所に絡めた薄桜鬼のワンシーンを引用して印象付けています。 基本的な情報はもちろん、普通のガイドブックではおそらく取り上げられない“廊下”なども紹介されているのが面白い。薄桜鬼ファンにとっては、廊下ですらも重要な“萌え”ポイントだということです。

 若者をターゲットにしているせいか、旅行雑誌としても分かりやすく説明が丁寧。事前申し込みが必要なスポットなどなど、Q&A方式で読みやすく紹介されていたり、あらゆるアクセス方法が検討されていたりします。

 そしてお目当ての薄桜鬼以外にも、女子の心を揺さぶる情報満載。おしゃれな宿泊先、ランチ、スイーツ、かわいい小物などは女子ならば食いつかずにいられません!

 京都の他に、日野、会津若松、函館や、幕末に絡めた名所も同様に紹介。また、斎藤一役の鳥海浩輔さん、風間千景役の津田健次郎さんのインタビューも好きな人にはたまらないページでしょう。

 実際に持ち歩くにも電子は便利です。普通の雑誌と違ってくしゃくしゃにならないし。ただ、スマフォだとかなり拡大しなきゃならないのは、ちょっと残念。タブレットだと快適です。

文=いちむら おま
(ダ・ヴィンチ電子ナビ「エディターレビュー」より)


オリジナルストーリーで展開される「薄桜鬼」の新作ドラマCD登場
5月22日に発売される「薄桜鬼 ドラマCD ~近藤さんの悩みの種~」の予約受付がAmazonで開始された。

ファン待望の「薄桜鬼」の新作ドラマCDで、このドラマCDでしか聞けないオリジナルストーリーを、土方歳三役の三木眞一郎さん、沖田総司役の森久保祥太郎さん、斎藤一役の鳥海浩輔さん、藤堂平助役の吉野裕行さん、原田左之助役の遊佐浩二さん、風間千景役の津田健次郎さん、近藤勇役の大川透さんら豪華声優陣が彩る。

また、数多くの「薄桜鬼」主題歌を担当してきた吉岡亜衣加さんが歌うドラマCDテーマソング(Short ver.)も収録される。

愛か誠か、生か死か。動乱の京都に芽吹く、甘く切ない恋の花――「新撰組恋遊戯 ~幕末幻想異聞~」女性向け恋愛シミュレーションゲーム「mixi」「Mobage」にて配信開始!
グノシステムジャパン株式会社は2013年3月14日(木)に「mixi」、2013年3月25日(月)に「Mobage」にて、女性向け恋愛ゲーム『新撰組恋遊戯 ~幕末幻想異聞~』をフィーチャーフォン版・スマートフォン版同時に配信開始いたしました。
ジグノシステムジャパン株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:沼尻 一彦)は2013年3月14日(木)に、ソーシャルネットワーキングサービス「mixi」、2013年3月25日(月)に、ソーシャルネットワーキングサービス「Mobage」にて、女性向け恋愛シミュレーションゲーム『新撰組恋遊戯 ~幕末幻想異聞~』をフィーチャーフォン版・スマートフォン版同時に配信開始いたしました。


『新撰組恋遊戯 ~幕末幻想異聞~』とは、あなたが主人公となって、誠の志のもとに生きる新選組隊士たちとの恋愛を楽しむ、女性向け恋愛シミュレーションゲームです。

<ストーリー>
元治元年、京都。
病弱な弟を救うため、長州藩の間者となったあなたは、
命令により新撰組に近づくことに。
しかし、彼らに隠されたある「真実」を知った時、
あなたの運命は、否応無く因果の渦中へと巻き込まれていく。

誠を貫く男達と共に駆け抜けたその先で、
淡い恋の花を咲かせるか、それとも徒花となって儚く散りゆくのか。

決めるのは、あなた次第――


<ゲームの特徴>
ゲーム中の選択肢に正解したりアバターを獲得することで、彼との「好感度」が上がります。好感度によって物語が分岐し、それぞれのエンディングを迎えます。
物語の途中には「蜜月ルート」が発生することも。「蜜月ルート」は、いつもより甘く胸の高鳴るシチュエーションが楽しめる、スペシャルストーリーです!
また、好感度がアップするアバターには、可愛いアイテムがいっぱい! ガチャで手に入る美麗アバターで、トータルコーディネートも楽しめます。
<キャラクター>


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ジグノシステムジャパン株式会社
<イラスト/キャラクターデザイン>
なま


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『八重の桜』の長州藩描写 山口県民は受け入れ難いの意見多し
 山口県下関市に住む70代女性は、長年にわたって大河ドラマの大ファンだ。特に今年の『八重の桜』は、綾瀬はるかが「孫の嫁によう似ちょる」ということもあり、楽しみにしていた。しかし、最近では、日曜夜8時のNHKにチャンネルを合わせようとするたび、気が重くなってしまう。

「まだまだ物語は始まったばっかり。それやのに、もうすっかり長州藩は悪者扱いじゃけえね。このままやったら、戊辰戦争で会津に攻め入った長州藩は、鬼のように描かれるでしょ。ちょっと見る気がせんのよね」

 大人気の大河ドラマ『八重の桜』。初回視聴率は2年ぶりに20%超えを果たした。物語の舞台である福島県への貢献は相当なもの。日本銀行福島支店の試算によれば経済効果は「113億円」ともいわれており、震災からの復興に一役かっている。

 このドラマは、明治維新を「敗者」である会津藩の視点から描いたものだ。

 綾瀬演じる山本八重の故郷・会津藩は、旧幕府勢力の中核と見なされ、長州藩・薩摩藩を中心とする新政府軍の仇敵となる。

 特に、長州藩との遺恨は根深い。会津藩主・松平容保が1862年から京都守護職となり、新撰組を麾下において尊王攘夷派志士たちの徹底的な取り締まりを行なう。さらに蛤御門の変では、壮絶な市街戦の末に長州藩を敗北させ、「朝敵」へと追いやる。

 大政奉還、王政復古後に戊辰戦争が勃発すると、今度は会津藩が新政府軍から「賊軍」の汚名を受け、徹底的な弾圧にあう。19人の少年たちが自刃した「白虎隊の悲劇」に代表されるように、数多くの犠牲者を出した。

 さらに新政府軍は会津戦争における犠牲者の埋葬を禁じたため、会津の人々は家族の遺体が野に晒され、鳥や獣に食い散らかされる悲惨な状況を目の当たりにしたとされる。

 これらの遺恨はまだ根深く残っており、2007年に山口選出の安倍晋三首相(前任時)が会津若松市を訪れた際、「先輩がご迷惑をかけたことをお詫びしなければならない」と語ったほどだ。

 会津出身の本誌女性編集者は小さい頃から「長州の男との結婚だけは絶対に許さん」と言われ続けて育ったという。そんな背景もあり、『八重の桜』における長州藩の描写は、「山口県民にとっては受け入れたくないもの」(山口県萩市在住の70代男性)という意見が多い。

※週刊ポスト2013年4月5日号


『八重の桜』描写 山口・福島県民の怒り温度差にNHKが配慮
 NHKで大人気の大河ドラマ『八重の桜』は、幕末の会津が舞台となっているが、戊辰戦争で会津に攻め入る長州藩が鬼のごとく描かれているため、山口県民の怒りを買っている。

 その一方で、「NHKサイドは山口県には相当気を遣っている」との分析もある。山口県萩市にある萩博物館の一坂太郎・特別学芸員(幕末維新史)がいう。

「吉田松陰役の小栗旬が、ストーリーの必然性と関係なく、会津を訪れたエピソードは印象的だった。松陰が会津に行ったのは史実ですが、八重や山本覚馬に会ったかどうかは分かっていない。松陰の魅力を伝える場面をあえて作ったという気がしますね。

 それに江戸の街や黒船襲来のシーンを撮るときにも萩市でロケをやっている。さしたる必要性がないのにやってきたのは、山口県からの反感を避けるためかもしれません」

 もちろん山口県民の「怒り」と福島県民の「怒り」に相当な温度差があることは事実だ。1980年代には萩市が会津若松市と姉妹都市を結ぼうとしたが、会津若松市の反対で頓挫した経緯がある。

 1996年に当時の萩市長が非公式に会津若松市を訪れた際も、会津若松市長は記者会見の場では握手に応じなかったといわれる。 萩市在住で「長州と会津の友好を考える会」代表の山本貞寿氏がいう。

「郷土に攻め入られた会津の方が持つ思いと、長州の人間が持つ思いとでは、重みが違うのは事実。過去の和解活動は全てうまくいっていないし、歩み寄ろうとしても会津の方には厳しいことをいわれてしまうことも多い。

 細かいことを議論しようとすると、堂々巡りになってしまうので、私はあまり悪口を言い合いたくない。お互いに日本を思う気持ちがあるんだから、少しずつ歩み寄っていければいいと思うんです」

※週刊ポスト2013年4月5日号
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