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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
福島
新選組ファン集う!斎藤一の実像解説 会津若松で全国サミット
 全国の新選組ファンや関係団体が一堂に会して意見を交わす「第17回全国新選組サミットin會津」は24日、会津若松市で開かれ、2018(平成30)年の戊辰150周年に向けて、各団体が会員制交流サイト(SNS)を活用して情報発信に取り組んでいくことを確認した。会津新選組まつり実行委員会(委員長・佐藤功武會津新選組同好会局長)の主催。

 新選組ゆかりの各地で開かれ、同市開催は09年以来3度目。新選組屈指の剣客として知られる斎藤一(藤田五郎)の墓がある阿弥陀寺が会場になった。各団体が戊辰150周年について意見を交わした。佐藤局長は「さらに新選組が注目されるよう取り組んでいきたい」と話した。

 同日は「会津新選組まつり」も阿弥陀寺で開かれ、「斎藤一忌法要」を墓前で行った。記念講演会では、斎藤一のひ孫藤田太郎さん=埼玉県=と佐藤局長が講師となり、残された写真を使って斎藤一の実像について解説した。藤田さんは幕末の会津藩主松平容保との深い関係を例に「斎藤一は会津とのつながりを大事にしていた」と語った。

全国の新選組関係団体団結 若松でサミット 情報発信強化へ
 新選組に関係する団体が一堂に集う全国新選組サミットin会津は24日、会津若松市の阿弥陀寺本堂で開かれた。情報発信の強化として、統一の会員制交流サイト(SNS)アカウントを作成し、それぞれのイベントや事業を紹介することを決めた。
 会津新選組まつり実行委員会の主催、七日町通りまちなみ協議会、会津新選組同好会の主管。ひの新選組同好会、宇都宮新選組同好会、宮古海戦組、戊辰白河新選組など全国の団体の代表ら約10人が参加した。今年で17回目で、県内での開催は4年ぶり。阿弥陀寺には新選組幹部だった斎藤一の墓がある。
 佐藤功武会津新選組まつり実行委員長が「戊辰戦争150年に向けて連携を深めていきたい」とあいさつした。渋川恵男七日町通りまちなみ協議会長が歓迎の言葉を述べた。サミットでは各団体が「新選組まつり」などの顕彰事業や取り組みを報告した。イベントに歴史好きな観光客だけではなく、高校生などの若い世代も参加しやすくする工夫が必要などの意見が出た。
 次回は東京都日野市で行われる。

「新選組」斎藤一の肖像写真発見 当時最強の剣士の一人
 幕末の京都で治安維持にあたった「新選組」の三番隊組長を務め、沖田総司らと並んで、当時最強の剣士の一人と言われた斎藤一(はじめ、1844~1915)。その確実な肖像写真が見つかり、福島県会津若松市の県立博物館で30日まで展示されている。

 斎藤は、戊辰戦争には旧幕府軍の一員として参戦。同戦争の後半は会津藩とともに新政府軍と戦った。その後、敗れた会津藩が転封された斗南(となみ)藩(現青森県東部など)の藩士となり、明治維新後は警視庁の警察官となって西南戦争に従軍した。

 写真は、面長で端正な人物が羽織を着ている肖像写真と家族4人の集合写真の2枚で、子孫が先ごろ、蔵の整理をしていて発見した。肖像写真に名前などの記載はなかったが、集合写真には息子たちの名前と明治30(1897)年11月14日という撮影日時が記入されており、羽織の家紋も一致したことから、斎藤と判明した。いずれも警視庁退職後、高等師範学校(現筑波大)に勤めていた時に写されたものとみられる。

 子孫から写真の寄託を受けた県立博物館によると、これまで斎藤が写っているとされる写真は存在したものの、「集合写真などのため鮮明ではなく、確実と考えられる肖像写真は今回が初めて」という。(編集委員・宮代栄一)

コラム
斎藤一の実像(9月22日)
 新選組の斎藤一は「今、落城せんとするを見て志を捨て去る、誠義にあらず」と語り、戊辰戦争で土方歳三らが会津を離れても、戦乱の地に残った。新選組と関わりの深い会津藩のため、戦い抜くことが自らの使命と考えたのか。
 斎藤は剣の腕が立ち、新選組局長の近藤勇から絶大な信頼を得た。若くして幹部に登用され、池田屋事件や禁門の変など幕末の政局を左右する場面に居合わせた。謎の多い人物でもある。出生は東京とされるが、会津藩への忠誠の強さから「会津生まれではないか」との説もささやかれる。
 風貌も明らかになっていなかった。「無口で眉毛がふさふさとしており、目がけいけいと光る。いかめしい感じ」と伝えられてきた。今夏、60歳前後とみられる肖像写真が見つかった。鋭い眼光を放つ。写真は30日まで会津若松市の県立博物館で展示されている。
 斎藤は最近、アニメやゲームに豪腕剣士として登場し、若者の人気を集める。実像を目にしたファンの感想はどうか。「男の中の男。ますます好きになった」との声が届く。斎藤が眠る市内の阿弥陀寺で24日に法要が営まれる。会津藩に忠義を尽くした誠の武士の冥福を祈る。

( 2016/09/22 09:06 カテゴリー:あぶくま抄 )
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舞台と映画が同時進行というあまりない興行、しかも主役は勘九郎とあっちゃ見に行かないわけには行くまい。

舞台 真田十勇士
 2014年の再演で、勘九郎の猿飛佐助ほか何人かが初演と映画版と再演舞台版全部に出演していたり、加藤和樹は初演と映画版が由利鎌之助で今回は霧隠才蔵(美男ってことね)、など、同じ役を演じていたり、作中演じる人物が微妙に入れ替わったり。

役名 2014舞台 2016舞台 映画
猿飛佐助 中村勘九郎 中村勘九郎 中村勘九郎
霧隠才蔵 松坂桃李 加藤和樹 松坂桃李
火垂 比嘉愛未 篠田麻里子 大島優子
真田幸村 加藤雅也 加藤雅也 加藤雅也
根津甚八 福士誠治 村井良大 永山絢斗
三好伊三 鈴木伸之 荒井敦史 荒井敦史
三好清海 駿河太郎 駿河太郎 駿河太郎
由利鎌之助 加藤和樹 丸山敦史 加藤和樹
筧十蔵 高橋光臣 高橋光臣 高橋光臣
海野六郎 村井良大 栗山航 村井良大
望月六郎 青木健 青木健 青木健
真田大助 中村蒼 望月歩 望月歩
仙九郎 石垣佑磨 石垣佑磨 石垣佑磨
淀殿 真矢みき 浅野ゆう子 大竹しのぶ
徳川家康 平幹二朗 平幹二朗 松平健

見づらいですがキャスト比較表です。

舞台は音響とCGを使いまくり、ワイヤーアクションも随時入れながら身体と身体がぶつかり合う躍動感溢れるものでした。勘九郎はさすが、歌舞伎役者ならではの身体能力と演技力です。加藤和樹は、猿飛佐助が陽なら霧隠才蔵は陰、太陽と月といった好対照さです。

最後はスタンディングオベーションでした。高いだけあってたっぷり娯楽性高い作品になっていました。

北海道新聞にて、戊辰戦争中に会津・庄内両藩が蝦夷の所領をプロイセンに99年の貸与を行い、連携を図ろうとしていたことが報道されました。
「蝦夷地99年間貸与」 会津・庄内両藩、戊辰戦争で独に打診
 戊辰戦争さなかの1868年(明治元年)、新政府軍(官軍)と戦っていた会津・庄内両藩が、プロイセン(ドイツ)から資金を借りる担保として「蝦夷地(えぞち)の領地を99年間貸与すると申し出た」と記した駐日公使発本国向けの外交書簡を、五百旗頭(いおきべ)薫東大教授らの研究チームがベルリンで発見した。内容通りなら、ドイツの蝦夷地租借構想が水面下で具体化していたことになる。東大史料編纂(へんさん)所の箱石大(はこいしひろし)准教授は「戊辰戦争が長引いていれば実現していた可能性がある」とみる。

 これまでは、日大のアンドレアス・バウマン教授が1995年にドイツ連邦軍事文書館で見つけた文書から、1868年7月に両藩から蝦夷地の土地売却の打診を受けたものの、10月に本国のビスマルク宰相が却下し、交渉は立ち消えになったとみられていた。

 その後、ボン大学の研究者と箱石准教授が同文書館で、宰相が3週間後に一転、交渉を認可していた文書を見つけ、本国側ではゴーサインが出ていたことが明らかになっていた。

 今回見つかった外交書簡を書いたのは、横浜にいた駐日プロイセン公使マックス・フォン・ブラント。貸与期間を具体的に盛り込むなど、両藩との間で交渉妥結の下地が整っていたことがうかがえる。

 とはいえ、ブラントが横浜から本国の宰相に新発見書簡を発信した日付は68年11月12日で、すでに会津藩の降伏から6日、庄内藩主が降伏を申し出てから5日経過しており、現実には交渉そのものが意味をなさなくなっていた。

 書簡の保管先はベルリンの連邦文書館。五百旗頭教授らが2013年に着手したドイツの史料発掘プロジェクトの中で、国立歴史民俗博物館(千葉県)の福岡万里子准教授が読み解いた。

 それによると「シュネル(当時東北にいたプロイセン人の仲介役)が、借り入れに対して蝦夷地の領地を99年間、担保として与えるとする会津・庄内領主の(シュネルに対する)全権委任状を持ってきた。100平方ドイツマイル(5625平方キロ)の土地を得るのに30万メキシコドルで十分だ」などと書かれているという。

 幕末期の会津藩の領地は現在のオホーツク、根室管内の一部、庄内藩は留萌、上川管内の一部など。書簡には「会津・庄内藩の蝦夷地の領地に良港はないが、ひとたび足がかりをつかめば他の地の購入が容易になるだろう」ともつづられており、海軍拠点確保に向けた意図が読み取れる。

 当時のプロイセンは2年前の1866年に対オーストリア戦争に勝利して北ドイツ連邦の盟主となっており、ドイツ帝国の形成に向かう軍備拡張期だった。(報道センター編集委員 小坂洋右)
 ビスマルクが却下しなかったら、ガルトネル事件と同じような展開が考えられたのでしょうね。
 
 土方さんが会津戦争末期に「この上は洋夷に頼る他なし」と言ったとされていますが、おそらくは、この同盟を前提に言っていたのでしょうね。

新潟
『越後戊辰戦争と加茂軍議』の出版記念講演会、著者稲川明雄氏が講演
 加茂商工会議所は、25日午後2時から加茂市産業センターで『越後戊辰戦争と加茂軍議』の発行を記念して、著者で河井継之助記念館館長の稲川明雄氏による出版記念講演会を開く。
著者の稲川氏は1944年、長岡市生まれ。長岡市立互尊文庫司書・長岡市史編さん室長、長岡市立図書館館長などを歴任し、現在は長岡市河井継之助記念館館長。河井継之助をテーマにした歴史講演会で、午後4時に終わる。

同商議所は2011年度から中心市街地の活性化支援を最重点事業に掲げ、加茂市の観光資源の調査研究、歴史を生かしたまちづくりに取り組む。これまでに「加茂山古道散策マップ」の発行や史跡モニュメントの設置などを行っている。
2011年に三条市諸橋轍次記念館で講演したときに稲川氏
2011年に三条市諸橋轍次記念館で講演したときに稲川氏
その一環として、戊辰戦争における奥羽越列藩同盟と加茂市のかかわりや、長岡城奪還への道のりなどの歴史的背景を記した書籍『越後戊辰戦争と加茂軍議』を9月10日に新潟日報事業社から出版した。

入場は無料。事前申し込みを受け付けているが、当日会場でも受け付ける。問い合わせは、同商議所(電話:0256-52-1740)へ。

高知
高知県の香美史談会が戊辰戦争従軍の宮地団四郎など調査
展覧会企画への資料提供を
 高知県香美市の歴史や文化を研究している香美史談会(今久保約雄会長)が、幕末に現在の香美市土佐山田町植から戊辰戦争に従軍した郷士、宮地団四郎(1838~1917年)を軸に、明治新政府のために戦った先人たちの調査を進めている。2018年の明治維新150年を前に展覧会を企画しており、香美市から従軍した人物の子孫らから資料を募っている。

 団四郎は、土佐藩の前哨隊や迅衝隊に所属し、戊辰戦争に従軍した。慶応3(1867)年11月に土佐を出発し、京都や大阪、江戸を経て会津若松まで転戦した。

 土佐をたってから明治元(1868)年11月に凱旋(がいせん)するまで、団四郎は一日も欠かさず詳細な日記を書いており、当時の様子や土佐藩の軍の仕組みを知る上で重要な資料となっている。2014年には幕末史研究家の小美濃清明氏が、日記の現代語訳と解説をまとめた「宮地團四郎日記―土佐藩士が見た戊辰戦争―」(右文書院)を出版している。

宮地団四郎が残した日記の原本と団四郎の写真
宮地団四郎が残した日記の原本と団四郎の写真
 香美史談会は日記を参考に、団四郎や、共に土佐山田町から従軍したと記述がある「高芝新二郎」「森尾林之助」の子孫宅を8月に訪問。宮地家では団四郎の写真や日記の原本を確認し、森尾家では林之助とみられるガラス湿板式の写真2枚とその原版を発見した。

 史談会は、団四郎らを紹介するパネル展を2017年10月ごろに開くことを目指している。香美市から戊辰戦争に従軍した人物の資料提供を市内外に呼び掛けており、今久保会長は「調査によって、香美市の歴史研究が大いに発展する。心当たりがある人は連絡を」と話している。

 問い合わせは今久保会長(090・3189・9560)へ。

福島
【Visit Fukushima外国人の目 会津若松編(上)】 ネットより面白い
 年間およそ300万人を誘客する観光都市・会津若松市。会津大大学院修士2年のファム・バン・タインさん(25)=ベトナム=が、市内の観光スポットを巡った。

 まずは会津を代表する観光スポット・鶴ケ城。観光ボランティアガイドの松本幹子さん(67)の解説で外郭を回る。歴史に興味があるタインさんは「インターネットの情報とは比べものにならないほど面白い」とガイドの説明を喜んだ。

 城内も見学し、歴代城主や白虎隊などについての展示を見学。母国でベトナム戦争があった際は、父親も出兵したというタインさんは、戊辰戦争当時の生活を学び「どこの国でも戦争は大変」と国境を超えて平和の大切さに思いをはせていた。

 タインさんは日本に住んで4年目だが「日本語が話せる外国人は少なく、歴史の専門用語も難しい」と指摘する。言葉が分からない時、頼りになるのは英語が併記された案内板。「名所だけでなく人が多い所に案内板を置いて、離れた所でも名所の魅力が分かるように工夫したらいい」と提案した。

 次に向かったのは、着物で街を散策できるサービスを提供する同市の「きものべんりやとしの坊」。市内には同様の着物屋が数軒あり、同店では会津の伝統産業「会津木綿」の着物で市内を歩ける。今回は風通しの良い浴衣を選んだ。初の着付け体験で、階段の上り下りの難しさなど動作に苦労した点もあったが「涼しくて快適。冬は会津木綿だと暖かそう」と日本の伝統衣装を楽しんでいた。

 【ひとくちメモ】 ビザの要件緩和 国が指定する重点20カ国のうち、訪日にビザが必要な5カ国(中国、フィリピン、ベトナム、インド、ロシア)をインバウンド観光の潜在力が大きい市場と位置付けて緩和を実施。観光庁の宿泊旅行統計調査(6月、第2次速報)によると、本県の外国人延べ宿泊者数は5700人で前年同期比12.6%増。

コラム
平和をたずねて軍国写影 反復された戦争/2 対外危機演出の原型=広岩近広
 江戸時代は徳川家康が幕府を開いた慶長8(1603)年から、第十五代将軍の徳川慶喜(よしのぶ)が大政を朝廷に返還する慶応3(1867)年まで続いた。元特攻隊員の岩井忠正さん(96)と忠熊さん(94)の祖父、忠直さんは江戸時代の弘化2(45)年に山形・米沢藩の家に生まれた。忠熊さんによると、忠直さんは上杉藩主が設立した学問所「藩校興譲(こうじょう)館」に入った。

 「祖父の経歴に、助教と書かれていた記憶があるのですが、学問や文事に関する書物は家に伝わっていません。軍事関連の訓練が行われていて、その助教をしていたのなら理解もできます」。忠熊さんは笑顔を見せて続けた。「姉たちから聞いたのは、祖父は両手をついて『姉上様にはご機嫌よく』と言って、芝居を見るようなあいさつをしていたそうです」

 忠直さんが22歳のときに幕末を迎える。53年に米国の東インド艦隊司令長官ペリーが黒船で来航し、開国を迫ってきた。米国との不平等な日米修好通商条約の調印をめぐる論争は、行き詰まっていた幕府政治の追及へと向かう。その勢いは尊王攘夷(じょうい)論へと発展し、そして倒幕論に至る。

 薩摩藩と長州藩を中心にした討幕派は68年1月、佐幕藩の武力制圧に乗り出し、戊辰(ぼしん)戦争が始まった。米沢藩は朝敵とされた会津藩への信義から「東北諸藩同盟軍」(奥羽越列藩同盟)に加わる。米沢藩士の忠直さんは、東北戊辰戦争に従軍した。

 戊辰戦争の最中、新政府は「王政復古の大号令」を発して、当時16歳の天皇を担いだ。天皇は「五箇条の誓文」を宣布するが、そこには「知識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし」との文言がみられた。明治新政府が天皇を前面に押し出したことについて、立命館大学名誉教授で近代史研究者の忠熊さんは、こう説明する。

 「戊辰戦争の折に奥羽越列藩同盟は、薩長は少年の天皇を擁して私意を遂げようとしている、と非難しました。これに対して新政権は、天皇の親政として政策を執り行っていると宣伝する必要から、五箇条の誓文を支配層や諸外国に向けて発表したのです」

 忠熊さんは「五箇条の誓文」と同じ日に出された「国威宣布の宸翰(しんかん)」を重視する。宸翰は天皇直筆の国民向けの手紙で、そこに「万里の波濤(はとう)を開拓し、国威を四方に宣布し」とある。忠熊さんはこう説き明かす。

 「国家の大方針として、海外に進出するというのですから、異常な国威宣揚です。新政府があえて宸翰を発表したのは、国民の関心を戊辰戦争から国外に向けさせる目的があったからでしょう。近代の日本は常に対外的危機を演出し、国内の矛盾から国民の目をそらしてきた。そうして国内一致を訴える原型が、ここに出現しています」

 戊辰戦争に勝利した新政府は、この年の9月から、天皇一代を元号とする一世一元の制により、年号を明治と改めた。明治元年だった。(次回は27日に掲載)
だって「落語の仮面」をつくった三遊亭白鳥師匠が見に行って感激したって感想書いていたから……というわけだけではない、ね。

 少女マンガの金字塔的作品で、さえなくて何の取り柄もない少女が舞台で天才的な才能を発揮し、ライバルで芸能界のサラブレッドな美少女が実は努力の人という設定は、結構美味しいと思う。自分にもマヤ的な才能が何らか眠っているのではないかと夢というか幻想を抱きたくなるものですよね、若い時は。そして、「マヤ、おそろしい子……」など、キラーフレーズの数々。それでいて、才能と努力と情熱と執念と慕情と嫉妬と悲哀と憎悪と歓喜と栄光と……人生の縮図がちゃんと込められている。

舞台『ガラスの仮面~惹かれあう魂~』

「マヤ…恐ろしい子…!」舞台『ガラスの仮面』観劇レポート!
原作マンガと演劇への愛とリスペクトが詰まった舞台!『ガラスの仮面』
貫地谷しほり主演「ガラスの仮面」東京開幕、真澄と2ショット撮れるパネルも
貫地谷しほり、先代“マヤ”安達祐実からの祝い花に気合入る

 貫地谷しほり、マイコもよかったですが、何と言っても白眉は一路真輝さんの月影千草先生でしょう。月影千草先生だけでなく紅天女まで見せていただけて、至福です。
ネタの大小にかかわらず、江川英龍ネタは保存したいので。

【古式銃のテクノロジー・後編】重工業技術の基礎として
日本に伝わった鉄砲は、当地の職人たちに「鉄鍛造の限界」という課題を与えた。

日本の刀鍛冶たちは、初めて目にした火縄銃をたった1年でコピーしてしまったばかりか、ネジ製造の技術まで習得した。あとはひたすら、銃の大型化に邁進したのだ。ポルトガル人は確かに日本へ鉄砲を持ってきたが、それを巨大にする方法など教えたことはない。何しろ、ポルトガルにもそのような技術は存在しなかった。

日本の火縄銃は、今でも海外のマスケットガンナーの間で人気を博している。「射程が長く命中精度もいい」という定評がある。それはすなわち、尾栓ネジの隙間から漏れる燃焼ガスの量が極めて少ないという意味だ。発射機構の改良に重点を置いたヨーロッパの鉄砲鍛冶とは違い、日本人はこうした「表からは見えない点」にいつも注目し続けていたのである。



江戸時代以降の「進化」

長く続いた戦乱期が終わり、徳川幕府の統治下による安定期が到来すると、火縄銃の生産も縮小された。

だがそれは、銃の開発を一切諦めたというわけではない。実は江戸の富裕層の間で、火縄銃射撃がブームになったことがある。この頃になると命中精度が最重要視されたため、銃は小口径化が進んだ。兵器としての使用ではないため、銃身や銃床に華美な装飾が施された銃も多い。

その頃のヨーロッパでは、先述の通り発射機構の改良を中心にした新式銃開発が行われていた。18世紀に入ると主流は火打ち石銃になっていたが、実を言うと「球形の弾丸を使った滑腔銃」という点では火縄銃とまったく変わっていない。

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ヨーロッパの場合は、両軍が歩兵の密集陣形をぶつけ合うため、日本の銃ほど命中精度を求められなかった。代わりに兵士が集団の中にいても扱いやすいよう、着火媒体を火縄から火打ち石にしたのだ。

つまり銃というのは、ざっと見ても300年は基本構造が変化しなかった武器なのだ。ただその300年の間に、銃は日本人の工業技術力を大いに飛躍させた。

ひとつ例を挙げれば、自転車製造大手のミヤタサイクルはもともと常陸笠間藩お抱えの鉄砲鍛冶が立ち上げたものだ。もちろん当初は銃を生産していたが、息子の代になって銃の規制法案が成立し、また同時に自転車の需要が増加した。ならば看板を換えてしまおうということで、自転車生産を始めたのだ。

鉄で銃身を作る技術は、そのまま自転車のフレーム生産に応用できる。実はこうしたことはミヤタサイクルだけの話ではなく、欧米各国を見ても銃器製造で栄えた町は自転車や二輪車の生産拠点になっている場合が多い。



反射炉が世界遺産になった理由

静岡県伊豆の国市に韮山反射炉がある。去年世界文化遺産に指定されたばかりの史跡だ。

この反射炉は、ペリー提督の来航を受け急遽建設されたものである。黒船が積んでいた鉄製の大口径砲にショックを受けた江戸幕府は、ようやくながら鉄生産の重要性に気付いた。鉄の鍛造でできるのはせいぜい二百匁筒で、中には芝辻理右衛門という職人が徳川家康の命を受けて製造した一貫五百匁砲という化物も存在するが、さすがにこれは量産ができない。兵器というのは、常に量産可能であることが前提である。

いずれにせよ、鉄製の大砲を量産するとしたら鋳造技術が欠かせない。具体的に言えば、鉄に摂氏1,500℃以上の熱を与える技術である。

そのためには反射炉が必要だ。だからこそ幕府は、選りすぐりの官僚である江川英龍に反射炉の建設を命じた。江川は幕府に先行して反射炉を建設していた佐賀藩の力を借りつつ、幕命を受けてから4年ほどで韮山反射炉を完成させた。ちなみに江川は、この反射炉を見ることなく道半ばで他界している。

韮山反射炉が世界遺産に指定された時、「意外な物件が世界遺産になった」と言われていた。それ以前からどちらかといえばダークホース扱いされていた韮山反射炉だが、以上に挙げた歴史的背景と「世界唯一の現存製鉄反射炉」という点がユネスコで評価されたのだ。

種子島にやって来たポルトガル人の鉄砲は、今も我々現代日本人に多大な影響を与えている。そう、すべては「種子島」から始まったのだ。


身近なところにある古式銃

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世界的にも厳格な銃規制が施されている日本だが、古式銃に関しては誰でも所持できる。

1867年より前の銃は、各地域の教育委員会が発行する登録証を添付することで売買及び譲渡が可能だ。江戸時代に製造された古式銃も、今やショッピングサイトで購入できる。

筆者がざっと見た計算だが、30万円もあればそれなりの品を買い求めることができる。これを高いか安いかと考えるのは各人によるが、もっと安価で済ませたいのであれが10万円台からでも商品はある。

古式銃保存会も、全国各地に存在する。特に戦国時代に関連するイベントなどでは、その保存会が射撃演舞をよく行っている。

我々が考えている以上に、火縄銃というものは非常に近しい距離にあるのだ。

静岡
農兵節継承へ、体育祭で披露 三島・中郷西中 /静岡
 「富士の白雪ノーエ…」で始まる農兵節を継承しようと、三島市立中郷西中学校(同市梅名、野口厚校長)が24日の体育祭で全校の生徒らが農兵節を踊る。体育祭本番を控え、12日、三島農兵節普及会の指導で全校生徒が約50分間踊りの振り付けを習った。

 中学校周辺は伊豆の穀倉とも呼ばれる田園地帯。かつて地域の農民は江川英龍(坦庵)創設の農兵隊に加わった。農兵隊にちなむ農兵節を継承してほしいという地域の要望を受け、中学校は2014年から体育祭に農兵節を取り入れた。三島市教委によると、市内中学校の体育祭で農兵節を踊るのは同校だけ。

 24日は午後1時からのPTA種目で農兵節を披露する予定。三島農兵節普及会の三味線や歌に合わせ、全校生徒や保護者、住民ら約500人が踊る。全学年がそろって踊るのは今年が初めて。

 同校の土屋康徳教頭(55)は「地域ぐるみで伝統を継承していきたい。一般の方もぜひ参加してほしい」と話している。【垂水友里香】

福島
松平容保公にスポット 鶴ケ城の博物館で企画展
 会津若松市の若松城天守閣郷土博物館の秋季企画展「松平容保」は9月16日、鶴ケ城内で始まった。11月7日まで。
 平成30年の戊辰戦争150年に向けた企画で、京都守護職を務めた幕末の会津藩主・松平容保公に焦点を当てた。
 容保公が肌身離さず持っていた孝明天皇の手紙「御宸翰(ごしんかん)」や一緒に賜った御製(和歌)をはじめ、「禁門の変図屏風(びょうぶ)」、京都の金戒光明寺が所蔵する和歌の短冊など約35点を展示している。
 午前8時半から午後4時半まで入館できる。入場料は天守閣と茶室麟閣との共通券で大人510円、小中学生150円。

(2016/09/17 11:30)
山口
幕末の諜報組織の存在示す 亀山八幡宮であす開催の文化講座、下関市・大浜さんが初公開 /山口
長州・清末藩から幕府に送り込む
 江戸幕府と長州が激しく対立した幕末期、萩藩の支藩・清末藩から幕府に送り込んだ諜報(ちょうほう)組織の存在を示す資料を下関市の大浜博之さん(70)が、亀山八幡宮で開催される文化講座で初めて公開する。大浜さんは「下関で発見されること自体あり得ないくらい貴重な資料。興味のある人はぜひ見てほしい」と話す。【仲田力行】

 大浜さんは1984年、幕末期の神奈川奉行支配組頭、脇屋卯三郎の子孫で千葉県に住む女性から手紙を受け取った。手紙には、脇屋が清末藩と関わりがあることが記されていた。その5年後、市立長府博物館の職員だった大浜さんは、清末藩士の家系で下関市内に住む故渡辺ノブさん方にあった大量の資料を譲り受けた。資料は、江戸城の土手や塀の位置を示す詳細な絵図、品川台場の砲台図などを描いた幕末期の幕府の機密資料だった。

 大浜さんは、清末藩士の手元に幕府の機密資料があったことと、千葉県の女性から受け取った手紙を基に、同藩の渡辺家と脇屋の関係が深いと推測。明治時代にまとめられた幕末・維新期の史料や清末藩の研究資料などを通じて長年調査してきた。

 その結果、資料を譲り受けた渡辺ノブさんの4代前の蘭学者、渡辺澄(きよし)が39歳だった1838(天保9)年、江戸藩邸から突然姿を消したことが判明。更に、澄の3人の息子が清末藩を追われ、日出(ひじ)藩(現大分県)に送られた次男が脇屋ということも分かった。澄の行方不明や3人の追放理由は明らかでないが、清末藩が幕府に対する諜報活動を展開するための措置だった可能性もある。

 脇屋は幕末、米国の初代駐日領事、ハリスの接待役にもあたったが、萩藩に機密を漏らした罪で1864(元治元)年10月、48歳で切腹させられた。幕府は脇屋と通じた罪で、江戸萩藩邸にいた遠藤太一郎を京都以西に追放処分とした。大浜さんの調査で、遠藤が澄の三男であることも確認された。幕府側と萩藩側に兄弟が分かれて機密情報を扱っていたとみられる。

 文化講座で大浜さんは、脇屋を中心とした清末藩士の人間関係や当時の藩の事情などを資料を示しながら話す予定だ。講座は9日午前10時から開かれる。問い合わせは亀山八幡宮(083・231・1323)。

佐賀
史跡巡り、工作で幕末佐賀を楽しく学習 19日まで本丸歴史館
 世界遺産に登録された三重津海軍所跡や佐賀藩の取り組みを体験する「幕末佐賀藩の歴史体験」が17日、佐賀市の県立佐賀城本丸歴史館で開かれた。来場者はツアーや工作を楽しみながら、佐賀にまつわる歴史に理解を深めた。19日まで。

 歴史体験は、三重津海軍所跡が世界遺産に登録されて1周年を記念して開いた。この日は、佐賀市柳町周辺の散策した後、バスに乗って佐賀市諸富町の筑後川昇開橋に向かい、海軍所跡までウオーキングなどして史跡を巡った。館内では海軍所跡に関連したかるたや缶バッジ作りがあった。

 きょうだいに連れられ来場した佐賀市の香月椋さん(9)は「かるたが楽しかった。佐賀城が2回、火事になったことを初めて知れてよかった」と話した。

 18、19日は午前10時半~正午、午後3時~同4時半まで、鯱の門の中を見学できる。館内では、世界遺産を学べる子ども向け講座のほか、蒸気船や箱カメラを作る幕末科学技術体験(先着30人)ができる。

【誰かに教えたくなる話】幕末のエラい人が残した、ちょっとハズカシイ手紙
江戸時代は「恋にドはまりすること」は、粋でないこと、野暮で格好悪いこととされました。だからほとんどの人がやせ我慢をし、自分はそんなに恋には夢中になってないと、涼しい顔をするのが「江戸っ子」だったのです。でも、実際はそんなにうまくはいきません。いつの時代も、男性をひきつけてやまない魅力的な女性はいるものです。そんな女性を前にすると、どんなにエラい人もただの人……。今回は、そんな幕末の偉人のエピソードをご紹介します。

頼山陽(らい・さんよう)という人物をご存知でしょうか。
幕末の歴史家であり、思想家。江戸時代後期の日本を代表する漢学者です。
彼の書いた歴史書『日本外史』はベストセラーとなり、幕末から明治初期の人々に大きな影響を与えました。
そんな偉大な歴史家である山陽が、夢中になった女性がいます。
江馬細香(えま・さいこう)という、女詩人です。

細香は、詩人としての才能もさることながら、見た目も大変美しい、いわゆる「才色兼備」の女性。
ひと目会ったときから、山陽は細香に夢中だったといいます。
その証拠が、彼が友人へあてた手紙の中に残されているのです。

「薄化粧で質素ではあるが品のいい身なりをしており、清楚にして秀麗なる外見にくわえ、その才能はまことにすぐれたものである。芸術的なもの・道徳的なもの・文化的なもの……すべて山陽にとって不足なものはない。この女性を得ずして他に誰があろう」

これはベタ惚れです。
細香は山陽に漢詩を師事していたので、詩の添削をしてもらっていたのですが、山陽はこんなことも書いています。

「細香は詩の添削などをしてほしいと頼んでくるが、私は詩よりも彼女の全身を添削したいと思っている」

まさに、公私混同!
これだけ惚れた女性ですが、細香側の両親に大反対され、山陽は別の女性と結婚。
ですが結婚後、二人の愛人関係は30年以上も続いたのだそう。

情熱的な手紙は素敵ですが、真面目な歴史家がこんなことを書いていたかと思うと、ちょっと笑ってしまいますね。

文/岡本清香
 どうかこのシリーズに土方さんのモテ自慢レターが取り上げられませんように……。


大河ドラマ『真田丸』がいよいよ佳境に入ってきましたが、かつて12年前に『組!』『組!!』を応援してきた仲間(通称『組!』残党)がツイッターにコンタクトしてくれました。干支が一回りしても「忘れられぬ熱き思い」抱えている残党たちが愛しいです。「倒木タン」の一言でわかっちゃう残党にも出会いました……泣き笑い(^^)。
 また、待ちに待った2.5次元ミュージカル『幕末rock 黒船来航』が予想以上に激しい「幕ロ」ロスを起こしてまして……その9割以上は輝馬さん演じる誠仮面様が予想以上に役にはまっていたことです。なのに、公式グッズが会場に併設されたコラボカフェのくじ引き型コースターだけだなんて、あまりにもな扱い。まぁ、確かに、「派生商品」であることは間違いないのだけど(^_^;)。舞台を見に行った煌がどれだけ誠仮面に心を奪われ、熱狂したかはツイッターをちょっと検索してみればわかりますよ、公式様。
 
福島
斎藤一の写真初公開=新選組で活躍-福島・会津若松
 幕末に新選組隊士として活躍した斎藤一の肖像写真など5点が、福島県会津若松市の県立博物館で初めて公開されている。これまで斎藤の鮮明な写真は見つかっていなかった。
 斎藤は1844年に江戸で生まれ、新選組の三番隊組長として池田屋事件などに参加。沖田総司らと並び最強の剣士の一人とも伝えられる。会津藩が新政府軍との戦いで敗色濃厚となる中、「(会津を去るのは)誠義にあらず」と戦い続けた。その後、会津藩士の娘と結婚。警視庁に勤務し、1915年に没した。
 5点は、昨秋に見つけた子孫が今年7月に寄託。本人の肖像のほか、妻や息子と写った写真もある。15日、同館を訪れた佐藤みち枝さん(62)は「最後まで会津を愛してくれていたのかなと思う」と話していた。 【時事通信社】

斎藤一の写真初公開=新選組で活躍-福島・会津若松
 幕末に新選組隊士として活躍した斎藤一の肖像写真など5点が、福島県会津若松市の県立博物館で初めて公開されている。これまで斎藤の鮮明な写真は見つかっていなかった。
 斎藤は1844年に江戸で生まれ、新選組の三番隊組長として池田屋事件などに参加。沖田総司らと並び最強の剣士の一人とも伝えられる。会津藩が新政府軍との戦いで敗色濃厚となる中、「(会津を去るのは)誠義にあらず」と戦い続けた。その後、会津藩士の娘と結婚。警視庁に勤務し、1915年に没した。
 5点は、昨秋に見つけた子孫が今年7月に寄託。本人の肖像のほか、妻や息子と写った写真もある。15日、同館を訪れた佐藤みち枝さん(62)は「最後まで会津を愛してくれていたのかなと思う」と話していた。 

斎藤一の写真初公開
 幕末に新選組隊士として活躍した斎藤一の肖像写真など5点が、福島県会津若松市の県立博物館で初めて公開されている。これまで斎藤の鮮明な写真は見つかっていなかった(福島県立博物館提供)

 会津に「帰還」した藤田五郎こと斎藤一の写真にまつわる裏話が、歴史研究家のあさくらゆうさんに語られています。
ようやく話せる新選組・斎藤一写真のアレコレ~あの写真が県博に入るまでの顛末を関係者が語る2016.09.13
ようやく公開された福島県立博物館での寄託

 9月12日(月)県政記者クラブ宛に福島県庁より、斎藤一(藤田五郎)の写真7点が同月14日(水)より30日(金)まで展示されると発表されました。これらの写真は藤田家子孫の寄託によるものです。こうして写真を寄託していただいたことにより、一般の眼に触れる機会が出来ました。

福島県立博物館 初公開 斎藤一の肖像写真
きっかけは子孫から筆者への連絡でした
ある方の紹介で、写真所蔵者(藤田家子孫)から筆者あてに電話があったのは6月下旬のことでした。翌週、筆者の地元まで足を運んでいただいたご子孫2名と会い、写真を拝見いたしました。


写真を見たときは、なんか納得した、という感じで、感動というよりは安堵した、という気持ちになりました。4人で写っている写真は鶏卵紙なのですが、経年劣化で台紙からはずれており、慎重に確認しました。台紙の裏には明治30年(1897)に長男の勉さんが陸軍士官学校を卒業した記念に撮影し、次男の剛さんの所持が確認できる裏書がありました。

勉さんの履歴書を見ると、確かに明治30年に卒業していたことが確認できます。

藤田勉の履歴書

寄託までのやり取り
お話によると、当初はある公的機関と交渉していたそうです。しかし、相手方はあまり興味も示さず、「くれるなら貰ってもよい」というような対応に感じてしまい、交渉が決裂したそうです。

それでも子孫の意向として、藤田五郎が恩恵を受けた会津に預けたい、とのことでしたので、会津若松市の施設に預けたい、となりました。

ポイントとしては、寄贈ではなく寄託という方法を教示して、後日、一番ふさわしい場所を紹介したいとして、また、写真ですので劣化することもあり、保存が確実に出来るところ、ということも含め、お話を預かりました。

それと、藤田家が懸念することとして、過去に藤田剛の結婚写真について、子孫の意向とは関係ない虚説を流布されたことです。藤田家としては無視したのですが、それが逆にネット上では虚説が広まってしまいました。そうしたことも含めて公正公平な取扱いをしてくださる施設でなければいけない、ということもありました。

そして、最大の懸案として、藤田家が認めていない、まったく根拠もなく藤田五郎とされている西南戦争の凱旋写真を駆逐し、藤田實(まこと)氏をモデルとした想像画(藤田勉さんはモデルではない)ではない、確かな写真の認知していただきたいことも大きな要因としてありました。この経緯から、寄託中にあって写真を公開した訳です。
速攻で県博からOKが出る
6月28日(火)、寄託をお願いするにあたって、写真について、鑑定していただく必要を感じました。そこで、日本カメラ博物館で鑑定していただきました。

まず4人の写真は間違いなく明治30年撮影のもので間違いなく、ところが単身写真は大正初年以降の写真と判明しました。おそらく撮影自体は東京女子高等師範学校(現在の御茶ノ水女子大学)を退職した明治43年(1910)以前と考えられ、原本から焼き増したのではないかと思われました。おそらくオリジナルは本家にあり、戦災で焼失したのでしょう。筆者は「おそらく遺影ではないか」と子孫には伝えました。

このようにして、寄託先を探しました。やはりツテを頼るのが一番と、まず懇意にしている足立区立郷土博物館に連絡しました。長年のお付き合いのある方の部下だった方が福島県立博物館に転職していたのを知っていたからで、もちろん本人とも顔見知りだったこともあることから、まずは仁義を通してから、福島県立博物館に連絡しました。そしてその方を通じて歴史担当者を紹介されました。

その方に趣旨を説明したところ、寄託であってもよいと、そして企画展も考慮してくださるという、好意的なお返事をいただいたので、他候補もあるなか、こちらにお願いすることになりました。
写真発見記事の後に起きたアレコレ
こうして県博への寄託は進み、ご子孫もわざわざ会津若松まで出向いて写真を預け、手続きに入りました。これと併行して写真発見の記事を先行させました。先述の理由のほか、社会的反響がどうなのか、という実験もありました。記事が出たときはご存じの通り、各メディアがこぞって伝え、筆者もいくつかインタビューを受けました。

特にハフィントン・ポストの記事は遥かウクライナ版まで作られるという、まさに斎藤一が世界を飛び回った、大騒ぎでした。

斎藤一の鮮明な写真見つかる「これが死線くぐった目だ」【新撰組幹部】http://www.huffingtonpost.jp

幕末に新撰組の幹部として活動した斎藤一(さいとう・はじめ)の鮮明な写真が、初めて発見された。
こうしたなかで、浮かれてばかりはいられずに、虚説を報じる勢力の反発もあり、ご子孫のひとりが迷惑を蒙るという事態が発生いたしました。そのため、当初は広く公開する予定が、約1名の行為により、公開範囲に制限が発生してしまいました。このままでは結婚式の写真の二の舞になるからです。

それと、個人情報を伏せている関係で、県博が受け入れ手続き中は筆者が対応しなければいけない状況となりました。この間、出版社やマスコミから掲載許可申請や、所蔵者の詳細を教えろ等、連絡が来ましたが、そう遠くないうちに県博の受け入れが叶うと信じ、ご子孫の意向と重ね、取り急ぎマスコミ対応のみすることにいたしました。
ようやく念願が叶う
このように、寄託、および発表されるまでは、その情報は限られた方々のみ知る内容とし、問い合わせがあってもお答えしませんでした。そして先週ようやく準備が整ったということで、連絡がありました。
今回は四人の写真以外はほぼ原本で展示する予定で、長男勉と次男剛の写真、藤田勉の結婚式のペアの写真、孫の素子等、初出しの展示がされることになっております。入場者の如何によって次の企画も決まるでしょうから、是非とも福島県立博物館に足を運んでいただけたらと思います。

これをもって筆者の役目も終了しましたので、イチ研究者として、利用する際は掲載許可を得て使用することとなります。出版社各位におかれましても、県立博物館での手続きで、利用されますよう、お願い申し上げます。

*一部指摘を受け、展示予定の写真に誤りがあったので修正いたしました。
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幕末維新期の人物史を専攻する在野の歴史研究家です。
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社会問題 カルチャー コラム ニュース
 「虚説を報じる勢力の反発」というのが気になります……おそらくは西南戦争に出征する兵士の写真から伝・藤田五郎としてきた方々だと思うのですが。
 思った以上にいいお顔をされているのがファンには嬉しいですね。

<戊辰戦争>150周年前に会津でシンポ 検定も
 2018年に150周年を迎える戊辰戦争(1868~69年)の真実を伝えようと活動する会津若松市の市民グループ「会津戊辰戦争百五十周年事業実行委員会」は9日、市内の会津稽古堂で、シンポジウム「戊辰と明治」を開く。
 テーマは「会津にとって戊辰戦争とは何であったのか、そして明治へ」。明治維新史学会事務局長で明大文学部教授の落合弘樹氏、実行委副会長の井上昌威氏、「幕末史を見直す会」代表の鈴木ひろみ氏が、簗田直幸実行委事務局長の司会で意見を交わす。
 11月13日には「会津戊辰復興検定」を市内で実施する予定。初級、中級、上級の3クラスで、戊辰戦争を中心に、ペリー来航から第1次世界大戦以前までの会津に関する100問を四者択一形式で出題する。
 初級は60問正解、中級は80問正解、上級は90問正解が合格ラインとなる。
 実行委は「シンポジウムや検定をきっかけに、戊辰戦争について深く知ってほしい」と話す。
 シンポジウムは9日午後1時~3時半で入場無料。検定は10月28日までに、受験料(初級と中級各2000円、上級4000円)を郵便為替で振り込んで申し込む。
 連絡先は実行委090(4555)7347。

茨城
“芹沢鴨の地”ファン集結 行方、18日「新選組まつり」隊士行列や演武
新選組初代筆頭局長の芹沢鴨と、副長助勤の平間重助の出身地とされる行方市で18日、「第12回なめがた新選組まつり」が開かれる。幕末の新選組隊士に扮(ふん)した参加者の行列や演武、音楽ライブなどの催し多彩。主催する同実行委員会の委員長で、長年、芹沢の顕彰活動に携わってきた須田剛さん(49)は「“芹沢鴨の地”行方をもっとアピールしたい。多くの人にまつりに来て楽しんでほしい」と呼び掛けている。


同まつりが始まったのは2005年。全国各地の新選組ゆかりの地の関係者が集う「全国新選組サミット」が同市で開かれたことがきっかけ。商工会青年部員としてサミット開催に関わった須田さんは「最初は芹沢鴨のことはよく知らなかった」と当時を振り返る。しかし、それでも新選組の地をPRする「新選組!茨城玉造隊」を仲間たちと結成し、サミットに合わせて公民館で演劇公演を開き、それが同まつりの第1回だった。

芹沢の忌月の9月に合わせて毎年開いてきたまつりは、次第に規模が拡大。他の新選組ゆかりの地の仲間も駆け付けて盛り上げに協力してくれるようになり、全国から新選組ファンが集結するほどに成長した。同時に、幕末の志士に扮し、高齢者施設や児童施設への慰問公演も続けてきた。

須田さんのまつりへの思い、新選組への興味は年々深まる一方。「芹沢鴨の出自に関しては、いろいろな研究がある。行方出身とされる鴨がどんな人物だったのか。荒くれ者のイメージもあるが本当はどうだったのかなど興味は尽きない。この田舎から『今の日本では駄目だ』と立ち上がった鴨に憧れる」と思いを語る。

まつりでは、午前9時半から、法眼寺(行方市芹沢)で追善供養、市内の新選組ゆかりの地めぐりを開催。同11時45分からは同市玉造甲の霞ケ浦ふれあいランドを会場に、隊士パレードや、北総新選組や新選組滝野川隊などゆかりの地の演者による演武、かすみがうら市出身の歌手のオニツカサリーさん、和装侍系音楽集団ミストによる音楽ライブ、「第5回芹沢鴨杯ちびっこチャンバラ大会」など実施する。

問い合わせは市観光協会(電)0299(55)1221。


関連催事として、石岡市府中の香丸資料館で15〜19日、「写真と資料で語る『常陸国と新選組』」展が開かれる。入場無料。

(三次豪)

東京
幕末師弟、晴れやか 赤坂で勝海舟と坂本龍馬像、除幕
 幕末に江戸城の無血開城に尽力し江戸のまちを戦火から救った勝海舟(一八二三~九九年)の銅像が、東京・赤坂の旧居宅跡に建立され、十日に除幕式があった。勝の像の傍らには弟子の坂本龍馬(一八三六~六七年)も設置。銅像建設に尽力した地元の人ら百五十人以上が集まり、勝の「地元への帰還」を祝った。
 像が立つ場所は、小学校を経て現在、特別養護老人ホームになっている。除幕式で地元出身の飲料メーカー会長、石渡光一さん(80)が「赤坂は海舟が五十年間住んだ街。銅像を末永く愛してほしい」とあいさつ。関係者が像にかかった幕を取ると拍手がわいた。
 式典後には、勝の玄孫でフリーライターの高山(こうやま)みな子さん(54)が、勝と彼を取り巻く人々との交流について講演した。
 勝の像は座像で台込みの高さは一・六メートル、龍馬は立像で一・九メートル。尊王攘夷に燃える若い龍馬は、開国派の勝を刺殺しようと赤坂を訪れたが、逆に世界情勢を説かれて翻意し、門下生にしてほしいと申し出たとされる。

高知
高知県の香美史談会が戊辰戦争従軍の宮地団四郎など調査
展覧会企画への資料提供を
 高知県香美市の歴史や文化を研究している香美史談会(今久保約雄会長)が、幕末に現在の香美市土佐山田町植から戊辰戦争に従軍した郷士、宮地団四郎(1838~1917年)を軸に、明治新政府のために戦った先人たちの調査を進めている。2018年の明治維新150年を前に展覧会を企画しており、香美市から従軍した人物の子孫らから資料を募っている。

 団四郎は、土佐藩の前哨隊や迅衝隊に所属し、戊辰戦争に従軍した。慶応3(1867)年11月に土佐を出発し、京都や大阪、江戸を経て会津若松まで転戦した。

 土佐をたってから明治元(1868)年11月に凱旋(がいせん)するまで、団四郎は一日も欠かさず詳細な日記を書いており、当時の様子や土佐藩の軍の仕組みを知る上で重要な資料となっている。2014年には幕末史研究家の小美濃清明氏が、日記の現代語訳と解説をまとめた「宮地團四郎日記―土佐藩士が見た戊辰戦争―」(右文書院)を出版している。

宮地団四郎が残した日記の原本と団四郎の写真
宮地団四郎が残した日記の原本と団四郎の写真
 香美史談会は日記を参考に、団四郎や、共に土佐山田町から従軍したと記述がある「高芝新二郎」「森尾林之助」の子孫宅を8月に訪問。宮地家では団四郎の写真や日記の原本を確認し、森尾家では林之助とみられるガラス湿板式の写真2枚とその原版を発見した。

 史談会は、団四郎らを紹介するパネル展を2017年10月ごろに開くことを目指している。香美市から戊辰戦争に従軍した人物の資料提供を市内外に呼び掛けており、今久保会長は「調査によって、香美市の歴史研究が大いに発展する。心当たりがある人は連絡を」と話している。

 問い合わせは今久保会長(090・3189・9560)へ。


エンターテインメント
「PEACE MAKER 鐵」アニメ制作はWHITE FOXが担当 新撰組を題材にした人気マンガ
先日アニメ化が発表された、黒乃奈々絵によるマンガ『PEACE MAKER 鐵』。最新第11巻が9月14日に発売されて間もない本作だが、そのアニメーション制作を『Steins;Gate』や『Re:ゼロから始める異世界生活』などを手掛けるWHITE FOXが担当することが判明した。

『PEACE MAKER 鐵』は『新撰組異聞PEACE MAKER』の続編にあたる作品。安政から明治にかけて実在した新選組隊士・市村鉄之助を主人公に、『新撰組異聞PEACE MAKER』では彼の新撰組入隊から池田屋事件まで、『PEACE MAKER 鐵』は池田屋事件の3ヶ月後からを、細部にアレンジを加えつつも史実に沿うストーリーで描き出している。既に一度アニメ化を果たしているほか、俳優の須賀健太主演で2010年にドラマ化。2007年以降から幾度となく舞台化も行われている。シリーズ連載開始から15年以上を経た今もなお、根強く支持され続けている作品だ。

今回再アニメ化を担当するWHITE FOXは、2007年4月設立のアニメ制作会社。『ポケットモンスター』や『妖怪ウォッチ』で知られる制作会社のオー・エル・エムにて、チーム「OLM TEAM IWASA」のプロデューサーを務めていた岩佐岳が独立し、2006年の『うたわれるもの』メインスタッフらとともに立ち上げた。難解かつ複雑な内容の原作を見事にまとめ、劇場アニメ化も果たした人気作『Steins;Gate』のほか、魔王・勇者ジャンルにお仕事コメディを組み合わせた異色のファンタジー『はたらく魔王さま!』、喫茶店を舞台とした美少女系の日常コメディ『ご注文はうさぎですか?』といったヒット作を多数手掛けている。10月には同社初の完全オリジナルアニメとなる『装神少女まとい』が放送予定。勢いに乗る制作会社だけに、『PEACE MAKER 鐵』がどのようなアニメーションとして描かれるのか、いっそうの注目を集めそうだ。

最新第11巻では、市村鉄之助が幕臣・勝海舟と会話するという気になる展開を見せた本作。アニメ情報は今後さらなる詳細が公開されていくだけに、ますますの盛り上がりとなりそうだ。

『PEACE MAKER 鐵』
(C)黒乃奈々絵/マッグガーデン

ブックレビュー
"銭形平次の賞”を、新撰組が受賞決定!
[株式会社NHK出版]
吉川永青氏の『闘鬼 斎藤一』(NHK出版刊)が、「第4回野村胡堂文学賞」受賞!10/2神田明神での授賞式に取材者をご招待します。

「銭形平次」の生みの親で国民作家と呼ばれた野村胡堂を顕彰する「野村胡堂文学賞」(日本作家クラブ主宰)の第4回受賞作品が、『闘鬼 斎藤一』(吉川永井青著・NHK出版刊)に決定しました。いま脂がのっている気鋭の歴史小説家・吉川永青氏(48歳)が、新撰組幹部にして無敵の剣士、斎藤一の生き様を描き切った意欲作です。映画や漫画、ゲームでも人気の斎藤一。無口なイメージが定着している剣士が、仲間と触れ合う一面や、闘いの有り様が変化する時代のうねりの中で揺れ動く心情を描き、国民的人気の新撰組群像劇に新たな視点と境地を切り開きました。今年は、江戸の岡っ引き・平次ゆかりの賞を、新撰組剣士で明治の世では警察官となった斎藤が受賞という面白い巡りあわせに。授賞式は、野村胡堂の誕生日10月15日にちなみ10月2日に、平次ゆかりの神田明神の明神会館で行われます。  
『闘鬼 斎藤一』 
(とうき さいとうはじめ)  
吉川永青(よしかわ・ながはる)
発行:NHK出版 2014年4月25日 
定価:本体2000円+税
体裁:四六判 400ページ 

■「野村胡堂文学賞」とは
『銭形平次捕物控』等の作品で国民作家と賞賛された野村胡堂を顕彰する目的で「一般社団法人日本作家クラブ」が2012年に創設。商業出版された時代小説と歴史小説を対象に、同クラブ会員による投票を経て上位3作品を選考し、審査委員会で受賞作を決定。
(社)日本作家クラブ公式ウェブサイトhttp://nihonsakkaclub.org/


コラム
「近代戦の目覚め」戊辰戦争 あなたはどちらに味方する?
「天下分け目の戦い」と聞いたら、大抵の人は関ヶ原の合戦を連想するだろう。

だが、1868年に勃発した戊辰戦争も忘れてはいけない。

この戦争は、数年前までアメリカで行われていた南北戦争の焼き直しのような出来事だった。南北戦争時に大量に生産された武器が余剰ストックとなり、それが日本に輸出されたのだ。だから使用火器もほとんど同じだし、戦法も非常に似通っている。

そして戊辰戦争が、列島を分断したというのも事実だ。西の新政府軍と東の幕府軍。まさに天下分け目の決戦だった。

■東北では案の定...
ここで、現代人に聞いてみよう。「戊辰戦争が始まったら、どちらの勢力に味方するか?」という内容である。

じつに60.5%の人が「新政府軍につく」と答えている。ちょうど6対4の割合だ。だがこの調査もまた、地域差がある。

次に、東北在住者に絞った調査結果を見てみよう。

やはり奥羽越列藩同盟のお膝元。54.4%の人が幕府軍支持という結果になった。

■兵器市場が戦場を左右する
戊辰戦争とアメリカ南北戦争の類似性は先述の通りだが、戊辰戦争は「兵器市場」の存在を明確にした出来事でもある。

江戸時代を通じて、日本は兵器の進化を放棄していた。火縄銃は的撃ちの競技銃と化し、「兵器」としては使い物にならない。だから幕末に入る頃、火縄銃の後継として管打式のゲベール銃を導入。これは火縄銃と同じく先込め式の滑腔銃だが、撃発機構が進化している。

ところが黒船がやって来たころ外国は、すでにライフル銃の時代だった。弾丸は球形ではなく椎の実型で、銃身内部で回転が加えられて飛距離が増す構造。南北戦争で主に使用されたエンフィールド銃は、戦後大量の在庫となってしまい、日本や中国へ売り飛ばされた。

すると日本国内の兵器市場に変化が出る。ゲベール銃の値段が暴落し始めたのだ。さらに元込め単発式のスナイドル銃、そしてNHK大河ドラマ『八重の桜』で有名になった連発式スペンサー銃が導入されると、ゲベール銃は非常にチープな武器と化した。

■八重とスペンサー銃
要するに、日本人はこの時初めて「武器の性能差」を知ったのだ。

そしてそれが、戊辰戦争の勝敗に直結することになる。

ここで、なぜ女性である新島八重が最新鋭のスペンサー銃を持ったか考えてみよう。「あの銃は兄の山本覚馬から送られたもの」という事実は、答えになっていない。彼女だけが最新の装備で身を固めることを、他の会津藩士(とくに上級武士)は苦々しく思わなかったのか疑問が浮かぶだろう。

意外だが、位の高い武士ほど「銃は卑しい武器」と考えており、八重のことなど気にかけなかったという。銃は足軽が持つものであり、武士は槍と刀を持って勇ましく敵陣に突撃する。だから会津藩の郷土防衛組織である婦女隊も、銃ではなく薙刀を選ぶ。

誇り高い武士は「武器の性能差」など考えてはいけなかったのだ。だが、結局は「銃を持った足軽」が「剛槍の武士」を駆逐した。こうして日本は、過酷な近代戦争の基本を学んだのである。

・合わせて読みたい→関ヶ原の合戦ではどちらに加勢? 大阪の半数以上が「西軍」

(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一)
【調査概要】
方法:インターネットリサーチ「Qzoo」
調査期間:2016年8月26日~2016年8月29日
対象:全国20代~60代の男女1,368名(有効回答数)

 そしてまたひとつ、心乱れるニュースが。
NHK18年大河は「西郷どん」 原作・林真理子の描く西郷隆盛は「愚直でうかつ」 あらすじは?
18年大河は西郷隆盛 原作・林真理子×脚本・中園ミホ「女の視点で切り込みます」

NHKは8日、2018年に放送する大河ドラマを『西郷(せご)どん』(第57作)と発表した。作家・林真理子氏が『本の旅人』(KADOKAWA)で連載中の『西郷どん!』を原作に、連続テレビ小説『花子とアン』(同局)、『Doctor X外科医~大門未知子~』(テレビ朝日)などを手がけた中園ミホ氏が脚本を執筆。「勇気と実行力」で時代を切り開く“愛に溢れたリーダー”として、明治維新のヒーロー・西郷隆盛の生涯を描く。17年夏、クランクイン予定。18年1月から全50回放送。

隆盛は、2度の島流し、3度の結婚を経て、類まれな「勇気と実行力」で徳川幕府を転覆し、維新を成し遂げるが、最期は明治新政府と戦いに散った。東京・上野公園の銅像はよく知られているが、肖像写真は1枚も残っておらず、その生涯については謎も多い。

そんな隆盛に魅せれられた人の一人が、林氏。「以前、最後の将軍徳川慶喜とその妻美賀子を書いたときに、幕末の複雑さにつくづく苦労しました。しかしそれゆえに歴史の主役たちにすっかり魅了されてしまったのです。その中でも一番難解で面白いのが、西郷さんです。彼をめぐる女性たち、流された島々を深く描くことによって、いままで誰も書かなかった西郷どんを作り上げているという自負があります」と語っている。

林氏が描く隆盛の素顔は、脇は甘く、愚直でうかつ。けれど、彼に出会ったものは皆、隆盛が好きになり、愛嬌あふれる男の周りには、いつも“笑いと愛と波乱”が満ちている。極貧の家に育ったがゆえ、「すべての民が幸せに暮らしてこそ日本国は強くなる」と信じ、人を愛し、故郷を愛し、国を愛し、民を愛し、“見返りを求めない愛”を与え続けた。そんな彼のことを、人は親しみを込めて「西郷どん(セゴドン)」と呼んだ。

大河ドラマとして映像化されることが決まり、林氏は「中園ミホさんが、生命を与えてくれるのです。会った誰もが愛さずにはいられなかった西郷どん。彼はもう、私たちの前で呼吸をし始めているのです」と期待を寄せている。

中園氏も「西郷隆盛という人物は謎に満ちています。決して聖人君子ではない。太った愚鈍な男でもない。戦の天才で革命家。一つ確かなのは、男にも女にも大層モテたということ。子どもも学者も侍も殿様も彼と触れ合い、語り合った者は皆、西郷に惚れた。一体どんな魅力だったのか!?」とコメントを寄せ、「セゴドンという男の魅力に、女の視点で切り込みます」と意気込んだ。

■あらすじ

西郷隆盛(小吉、吉之助)は、薩摩(鹿児島)の貧しい下級武士の家に育った。両親を早くに亡くし、家計を補うため役人の補佐として働くが、困った人を見ると放っておけず、自分の給金も弁当も全部与えてしまう始末。西郷家はますます貧乏になり、家族は呆れかえるが、西郷は空腹を笑い飛ばす。

そんな愚直な西郷に、カリスマ薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)が目を留めた。「民の幸せこそが国を富ませ強くする」と強く主張する斉彬に、西郷も心酔する。西郷は、斉彬の密命を担い江戸へ京へと奔走。薩摩のキーパーソンとなっていく。

生涯の師・斉彬との出会いと別れ。篤姫との淡い恋。仲間との友情と反目。多感な青年期を経て、3度の結婚、2度の島流し。極貧の下級武士に過ぎなかった素朴な男は、南国奄美で愛に目覚め、勝海舟、坂本龍馬ら盟友と出会い、揺るぎなき「革命家」へと覚醒し、やがて明治維新を成し遂げて行く。

 原作と脚本の方々が……。えーと、「女性目線」強調して良作になったのは最近では『篤姫』と『八重の桜』ぐらいでは。去年の惨敗は「女性目線」じゃなかったっけー。
 そして「男にも女にも大層モテた」西郷どん……って、大河ドラマでBLですか〜(汗)。私それ一番嫌なんだよ〜(´д`)。

最近、twitter上で「組!」残党の方と久しぶりに再会しました。「倒木タン」で通じるということはともに2chで感想を書き込んでいた方ですね。そのキーワードが12年以上もの歳月の流れを吹き飛ばす、魔法の言葉でした。

福島
新選組・斎藤一の写真、会津へひ孫が県立博物館に寄託
 江戸時代末期に新選組の幹部として活動した斎藤一を明治時代に撮影した鮮明な写真などが、ひ孫に当たる子孫の男性(69)から、ゆかりのある福島県会津若松市の県立博物館へ寄託された。博物館が12日に発表した。14日から始まる展示会で一部を一般公開する。

 寄託は7点で、うち1枚は明治30年の1897年11月14日に、自宅があった東京・本郷の写真館で撮影されたと記載が残る家族写真。当時53歳の斎藤が羽織はかま姿で妻トキヲといすに座り、後ろに長男の勉と次男の剛が並ぶ。勉の陸軍士官学校卒業を記念したとみられる。

 家族写真は、昨年秋に関係者宅の蔵を整理した際に見つかった。新選組・斎藤一の写真、会津へ ひ孫が県立博物館に寄託江戸時代末期に新選組の幹部として活動した斎藤一を明治時代に撮影した鮮明な写真などが、ひ孫に当たる子孫の男性(69)から、ゆかりのある福島県会津若松市の県立博物館へ寄託された。博物館が12日に発表した。14日から始まる展示会で一部を一般公開する。

 寄託は7点で、うち1枚は明治30年の1897年11月14日に、自宅があった東京・本郷の写真館で撮影されたと記載が残る家族写真。当時53歳の斎藤が羽織はかま姿で妻トキヲといすに座り、後ろに長男の勉と次男の剛が並ぶ。勉の陸軍士官学校卒業を記念したとみられる。

 家族写真は、昨年秋に関係者宅の蔵を整理した際に見つかった。
 最近話題になった斎藤一の写真ですね、会津に戻るのはきっと本望でしょう。

京都
英公使襲撃の刀公開
戊辰戦争さなかの1868年、京都で駐日英国公使ハリー・パークスが襲われた事件で襲撃犯が使った日本刀が京都市内の神社で見つかり、京都国立博物館が5日、報道陣に公開した。
大山崎町の活性化 天王山PR「勝負の分かれ目」
 京都府大山崎町にそびえる天王山。豊かな歴史と自然、人気のハイキングコースを備え、地元住民の憩いの場でもある。町はこれまでその魅力をうまく発信できていなかったが、最近は観光施策の中心に位置付け、古戦場を縁に岐阜県関ケ原町と歴史観光事業で連携するなど天王山PRに力を入れている。大山崎町の観光消費額は低迷しており、地域が活性化できるか「勝負の分かれ目」を迎えている。
 天王山は標高約270メートル。1582(天正10)年の「山崎の合戦」で羽柴秀吉が明智光秀と対決した地であり、「天下分け目の天王山」で知られるように勝負の代名詞となっている。山中には、幕末の禁門の変で敗走し、新撰組に追われて自害した志士をまつった十七烈士の墓や、山崎城跡など各時代の名残がある。近年の登山ブームの中、比較的登りやすい山として老若男女の人気を集めている。
 大山崎町は今、その天王山を切り札にする。関ケ原町役場で6月、共同会見した両町長は甲冑(かっちゅう)姿で登場。「どちらが真の天下分け目の地か」と互いの町自慢を繰り広げ、切磋琢磨(せっさたくま)して観光を盛り上げる宣言をした。その後のイベントも盛況だった。天王山夢ほたる公園(大山崎町)で初開催された「大山崎天下取り決戦祭り」には光秀ゆかりの地・亀岡市から火縄銃の演武隊が招かれ、歴史好きの吉本芸人も話芸を披露。多彩な催しがあり、2日間で計約6千人(主催者発表)が訪れた。
 普段は静かな町役場にも報道各社の取材が相次いだ。情報発信には「分かりやすさ」と「ユニークさ」の掛け合いが肝なのだと感じた。
 町民サイドも少しずつだが、天王山をPRする動きが見られる。今年から祝日に制定された「山の日」の11日には、住民団体「天王山をまもる会」が初企画した歴史登山クイズラリーがあった。参加した親子連れらが道中に設置されたポイントを巡り、かつてこの地で繰り広げられた合戦や歴史に思いをはせた。
 町は関ケ原町以外にも、他府県の自治体とのコラボを仕掛け、観光相乗効果を狙う。茶人・千利休ゆかりの茶室「待庵」(国宝)があることなどから堺市との連携に着手。首長同士が協力を確認しあい、今後、町歴史資料館で両市町の共通点をテーマにした企画展を開催する予定だ。
 府の調査では、2015年度の町の観光消費額は1億2800万円と府内6番目に低い。だが、町内には天王山の他、大正―昭和期の実業家加賀正太郎の別荘を改築した「アサヒビール大山崎山荘美術館」、昭和期のエコ住宅「聴竹居(ちょうちくきょ)」など魅力ある資源は多い。インバウンドツアーの需要が高まり、全国的に増えている外国人観光客の取り込みも含め、まちの地域資源を最大限生かすことで、さらなるにぎわいが生まれることを期待したい。
[京都新聞 2016年8月31日掲載]
東京
幕末師弟、晴れやか 赤坂で勝海舟と坂本龍馬像、除幕
 幕末に江戸城の無血開城に尽力し江戸のまちを戦火から救った勝海舟(一八二三~九九年)の銅像が、東京・赤坂の旧居宅跡に建立され、十日に除幕式があった。勝の像の傍らには弟子の坂本龍馬(一八三六~六七年)も設置。銅像建設に尽力した地元の人ら百五十人以上が集まり、勝の「地元への帰還」を祝った。
 像が立つ場所は、小学校を経て現在、特別養護老人ホームになっている。除幕式で地元出身の飲料メーカー会長、石渡光一さん(80)が「赤坂は海舟が五十年間住んだ街。銅像を末永く愛してほしい」とあいさつ。関係者が像にかかった幕を取ると拍手がわいた。
 式典後には、勝の玄孫でフリーライターの高山(こうやま)みな子さん(54)が、勝と彼を取り巻く人々との交流について講演した。
 勝の像は座像で台込みの高さは一・六メートル、龍馬は立像で一・九メートル。尊王攘夷に燃える若い龍馬は、開国派の勝を刺殺しようと赤坂を訪れたが、逆に世界情勢を説かれて翻意し、門下生にしてほしいと申し出たとされる。
漱石から子規へのハガキ、幕末志士の署名 著名人120人の「直筆」を国会図書館がデジタル資料で公開特集サイト「あの人の直筆」。あの歴史上の偉人は、文字もイメージ通り?
 夏目漱石が学友の正岡子規に追試を受けるようハガキを送ったとき、どんな字を書いたか。日本の近世から昭和にかけて活躍した有名人約120人の直筆資料をまとめた特集サイト「あの人の直筆」を、8月30日に国立国会図書館がオープンしました。書簡やハガキなどあらゆる直筆資料のデジタル版が無料で閲覧できます。

 2014年秋の企画展「あの人の直筆」をもとに作成。公開されている直筆資料は、幕末の志士・西郷隆盛や大久保利、木戸孝允の書簡や、日本国憲法を公布する官報号外に吉田茂らが寄せた署名などさまざま。どんな背景で書かれたのか想像しやすいようにと、それぞれに人物の肖像や履歴、解説文も掲載されています。

 また、手紙の体裁や筆記具に関する「豆知識」といったコラムも充実。蘭学者の高野長英が勝海舟に手渡した自筆写本をもとに、実は江戸時代にも現代の修正液(ホワイト)のようなものが存在していた……など、興味深いトリビアが並んでいます。

(黒木貴啓)
中野で幕末・明治の浮世絵師・豊原国周展 歌舞伎役者作品中心に50点
展示作品の説明文には英語表記も
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 中野区立歴史民俗資料館(通称=れきみん、中野区江古田4、TEL 03-3319-9221)で9月9日、浮世絵師・豊原国周(とよはらくにちか)「THE役者絵」展が始まる。

(関連フォト)大学生に説明をする学芸員の石村篤史さん

 1835(天保6)年江戸京橋生まれで、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師・豊原国周の「役者絵」の展示を中心とした同展。「俳優白浪当達者 岩井紫若の女乾助」(1864年)、「沢村田之助のけいせい敷嶋」(1869年)、「白波五人男 中村翫雀(かんじゃく)の赤星重三」(1884年)、「歌舞伎十八番之内勧進帳 市川団十郎」(1893年)などの作品50点を展示する。

 同2日には帝京平成大学の学生ら10人に対して「特別内覧会」も実施。学芸員である三嶋和美さんや石村篤史さんによる当時の物価、作品の特徴や価値、作り方、豊原国周の生活などが説明された。石村さんは「外国人にもすぐに分かる絵や音楽は観光資源となる。これから東京オリンピックを控え、このような文化財が重要」と話した。

 開館時間は9時~17時。月曜・第3日曜休館。入館無料。10月9日まで。
ふるさと納税「日野ゆかり」続々 返礼品にPC、時計 /東京
 日野市は「ふるさと納税」推進のため、9月から新たに返礼品の品目をパソコンや時計など市内産業に関連する製品を加えると発表した。市内ゆかりの土方歳三所属の新選組関係のグッズを返礼品としたところ、効果があがったため。大坪冬彦市長は「返礼品はいずれも地元関係。これをきっかけに日野への関心を持ってほしい」と期待している。

 同市は6月から、同市出身の土方歳三が副長をつとめた新選組のファイルなどの「土方歳三セット」や多摩地域最古のビールとして復刻された「TOYODA BEER(豊田ビール」などを返礼品としたところ、ふるさと納税額が昨年度の4件22万円から、今年度は25日までの約3カ月間で、80件81万円に増加したという。

 9月から新たに加わるのは、市内に工場があるエプソン生産の腕時計や流通センターのある日本ヒューレット・パッカード生産のパソコンなど。8万〜30万円の寄付額に応じて贈られるという。

 市はふるさと納税の目標額を300万円から1500万円に上方修正したが、他の自治体へのふるさと納税額はすでに1億円を超えており、大幅な“赤字状態”は変わらない。大坪市長は「少しでも納税につながればいい」と話している。【黒川将光】

〔都内版〕
福島
<戊辰戦争>150周年前に会津でシンポ 検定も
 2018年に150周年を迎える戊辰戦争(1868~69年)の真実を伝えようと活動する会津若松市の市民グループ「会津戊辰戦争百五十周年事業実行委員会」は9日、市内の会津稽古堂で、シンポジウム「戊辰と明治」を開く。
 テーマは「会津にとって戊辰戦争とは何であったのか、そして明治へ」。明治維新史学会事務局長で明大文学部教授の落合弘樹氏、実行委副会長の井上昌威氏、「幕末史を見直す会」代表の鈴木ひろみ氏が、簗田直幸実行委事務局長の司会で意見を交わす。
 11月13日には「会津戊辰復興検定」を市内で実施する予定。初級、中級、上級の3クラスで、戊辰戦争を中心に、ペリー来航から第1次世界大戦以前までの会津に関する100問を四者択一形式で出題する。
 初級は60問正解、中級は80問正解、上級は90問正解が合格ラインとなる。
 実行委は「シンポジウムや検定をきっかけに、戊辰戦争について深く知ってほしい」と話す。
 シンポジウムは9日午後1時~3時半で入場無料。検定は10月28日までに、受験料(初級と中級各2000円、上級4000円)を郵便為替で振り込んで申し込む。
 連絡先は実行委090(4555)7347。
会津藩士の冥福祈る 「戦死四十人墓」で初の慰霊祭、福島・会津美里
 福島県会津美里町本郷地域の関山地区のNPO法人あいづ関山倶楽部(五十嵐賢次代表)は4日、関山地区にある戊辰戦争での会津藩士の戦死者40人を弔う「戦死四十人墓」の前で初めて慰霊祭を行い、地元住民が祈りをささげた。

 戊辰戦争時の1868(慶応4)年9月3、4の両日にかけて、下野街道沿いにある同地区周辺で会津藩と新政府軍の戦闘があった。会津藩士40人が戦死し、関山集落も焼かれた。地元住民は周辺に点在していた遺体を集めて弔い、後に現在の墓石を建てた。

 慰霊祭は地元住民約10人が参加。全員で般若心経を読み上げて焼香し、戦死者の冥福を祈った。

 五十嵐代表(66)は「今後も慰霊祭を続けていきたい」、鈴木昭一理事(66)は「戦いの歴史を多くの人に知ってほしい」と話した。

 同NPOは昨年10月、関山での戊辰戦争を知ってもらおうと、「戦死四十人墓」の近くに約4メートルの墓標を設置している。
コラム
「近代戦の目覚め」戊辰戦争 あなたはどちらに味方する?
「天下分け目の戦い」と聞いたら、大抵の人は関ヶ原の合戦を連想するだろう。

だが、1868年に勃発した戊辰戦争も忘れてはいけない。

この戦争は、数年前までアメリカで行われていた南北戦争の焼き直しのような出来事だった。南北戦争時に大量に生産された武器が余剰ストックとなり、それが日本に輸出されたのだ。だから使用火器もほとんど同じだし、戦法も非常に似通っている。

そして戊辰戦争が、列島を分断したというのも事実だ。西の新政府軍と東の幕府軍。まさに天下分け目の決戦だった。

■東北では案の定...
ここで、現代人に聞いてみよう。「戊辰戦争が始まったら、どちらの勢力に味方するか?」という内容である。

じつに60.5%の人が「新政府軍につく」と答えている。ちょうど6対4の割合だ。だがこの調査もまた、地域差がある。

次に、東北在住者に絞った調査結果を見てみよう。

やはり奥羽越列藩同盟のお膝元。54.4%の人が幕府軍支持という結果になった。

■兵器市場が戦場を左右する
戊辰戦争とアメリカ南北戦争の類似性は先述の通りだが、戊辰戦争は「兵器市場」の存在を明確にした出来事でもある。

江戸時代を通じて、日本は兵器の進化を放棄していた。火縄銃は的撃ちの競技銃と化し、「兵器」としては使い物にならない。だから幕末に入る頃、火縄銃の後継として管打式のゲベール銃を導入。これは火縄銃と同じく先込め式の滑腔銃だが、撃発機構が進化している。

ところが黒船がやって来たころ外国は、すでにライフル銃の時代だった。弾丸は球形ではなく椎の実型で、銃身内部で回転が加えられて飛距離が増す構造。南北戦争で主に使用されたエンフィールド銃は、戦後大量の在庫となってしまい、日本や中国へ売り飛ばされた。

すると日本国内の兵器市場に変化が出る。ゲベール銃の値段が暴落し始めたのだ。さらに元込め単発式のスナイドル銃、そしてNHK大河ドラマ『八重の桜』で有名になった連発式スペンサー銃が導入されると、ゲベール銃は非常にチープな武器と化した。

■八重とスペンサー銃
要するに、日本人はこの時初めて「武器の性能差」を知ったのだ。

そしてそれが、戊辰戦争の勝敗に直結することになる。

ここで、なぜ女性である新島八重が最新鋭のスペンサー銃を持ったか考えてみよう。「あの銃は兄の山本覚馬から送られたもの」という事実は、答えになっていない。彼女だけが最新の装備で身を固めることを、他の会津藩士(とくに上級武士)は苦々しく思わなかったのか疑問が浮かぶだろう。

意外だが、位の高い武士ほど「銃は卑しい武器」と考えており、八重のことなど気にかけなかったという。銃は足軽が持つものであり、武士は槍と刀を持って勇ましく敵陣に突撃する。だから会津藩の郷土防衛組織である婦女隊も、銃ではなく薙刀を選ぶ。

誇り高い武士は「武器の性能差」など考えてはいけなかったのだ。だが、結局は「銃を持った足軽」が「剛槍の武士」を駆逐した。こうして日本は、過酷な近代戦争の基本を学んだのである。

・合わせて読みたい→関ヶ原の合戦ではどちらに加勢? 大阪の半数以上が「西軍」

(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一)
ブックレビュー
今週の本棚・新刊『自由民権運動 <デモクラシー>の夢と挫折』=松沢裕作・著
(岩波新書・886円)

 近代日本の「デモクラシー」の時代は、戦争の後の時期に現れるといわれる。日露戦争後の「大正デモクラシー」、15年戦争後の「戦後デモクラシー」。明治の自由民権運動も戊辰(ぼしん)戦争という「二百数十年ぶりの全国的軍事動員」により、江戸時代の身分制秩序が揺るがされて起きた「戊辰戦後デモクラシー」だった。

 ただし自由民権運動は、今の「デモクラシー」イメージでは捉えにくい。出発点には、戊辰戦争の勝者として「しかるべき処遇を求め」、得られない不満から運動を起こした人々が存在した。中にはかつての武士もいれば都市下層民も博徒もいた。

 各地にさまざまな結社が生まれたが、撃剣会を売り物にし、国会が開設されれば苗字(みょうじ)帯刀を許されるといった勧誘の仕方で組織を拡大した結社もあった。著者は、参加することがただちに人々の苦しい現状からの解放に結び付くという「『参加=解放』型の幻想」が働いていたと論じる。同様の幻想は、農民が蜂起した秩父事件にも見られた。

 近世社会に代わる新しい秩序が生まれる前の移行期に、多様な人々の理想と不安が交錯した運動の実相を描き出している。(壱)

エンターテインメント
佐藤流司ら、ミュージカル『刀剣乱舞』~幕末天狼傳~大千秋楽ライブビューイング開催
大人気PCブラウザゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」をミュージカル化、今秋9月から11月にかけて上演されるファン待望の新作公演「ミュージカル『刀剣乱舞』 ~幕末天狼傳(ばくまつてんろうでん)~」より、早くも大千秋楽のライブビューイング開催が決定! なんと全国100館の映画館にて、11月27日開催の大千秋楽公演が同時生中継されることが明らかになりました。
名だたる刀剣が戦士の姿になった、“刀剣男士”を育成するシミュレーションゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」(DMM GAMES/Nitroplus)を原案に、2015年秋に初上演されたミュージカル『刀剣乱舞』。2015年10月に上演されたトライアル公演では、1部は刀剣男士が激しく闘い、歌い、優雅に舞うミュージカル、2部ではオリジナルの衣裳を纏った刀剣男士が華麗なライブパフォーマンスを繰り広げるという斬新な二部構成で展開し、大きな話題を呼びました。

この出演キャストが“刀剣男士 team三条 with加州清光”としてCDデビューを果たすなど、大きな盛り上がりを見せる中でトライアル公演に続いて2016年5月末より上演された「ミュージカル『刀剣乱舞』 ~阿津賀志山異聞~」は大盛況のうちに閉幕。そしていよいよ、ファン待望の新作公演が「ミュージカル『刀剣乱舞』 ~幕末天狼傳(ばくまつてんろうでん)~」として、2016年9月24日より上演を迎えます。

サブタイトルにもある通り、幕末を舞台に描かれるこの最新作。初演から引き続き刀剣男士のうちの一振り・加州清光役を演じる佐藤流司さんのほか、新たな刀剣男士として大和守安定役の鳥越裕貴さん、和泉守兼定役の有澤樟太郎さん、堀川国広役の小越勇輝さん、蜂須賀虎徹役の高橋健介さん、長曽祢虎徹役の伊万里有さんが出演決定。また、幕末の動乱を生き、歴史に名を刻んだ新撰組隊士たちを演じるキャストとして、近藤勇役に郷本直也さん、土方歳三役に高木トモユキさん、沖田総司役に栩原楽人さんが登場。この新撰組隊士たちが、新たな物語を創り上げます。

そして今回、このステージを映画館で楽しめるライブビューイングが開催決定! 11月27日(日)18時より東京・AiiA 2.5 Theater TOKYOで上演される大千秋楽公演が、日本全国の映画館100館へ生中継されます。今回このライブビューイング限定特典として、本編上映前にスペシャル映像の上映予定も。この特典映像の詳細は後日発表とのこと、大千秋楽の公演チケットをゲットできなかった方も、遠方にお住まいの方も、全国で刀剣男士の活躍を楽しめるこのチャンスは見逃せません!

■ライブビューイング ミュージカル『刀剣乱舞』 ~幕末天狼傳~
【日時】2016年11月27日(日)18:00開演
※開演時間の前よりライブビューイング限定特典映像の上映予定。(詳細は後日発表)
※開場時間は劇場により異なります。
【会場】全国各地の映画館
※大阪府では16歳未満の方で保護者同伴ではない場合、終映が19:00を過ぎる回にはご入場いただけません。予めご了承ください。
【チケット料金】全席指定 3,600円(税込)
【チケット最速販売】公式ファンサイト プレミアム会員先行抽選
申込受付期間:9月3日(土)12:00~9月11日(日)23:59(PC・モバイル共通)

さらに、2016年11月にはユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている、広島県宮島の国宝・嚴島神社にて世界遺産登録20周年記念奉納行事としての特別公演も決定。続いて2016年12月には大阪・大阪城ホール、東京・両国国技館でのライブも控えているなど、ますますミュージカル『刀剣乱舞』の世界は広がりを見せています。

ミュージカル『刀剣乱舞』 ~幕末天狼傳~は、9月24日より東京・AiiA 2.5 Theater Tokyoを皮切りに、福岡・大阪を回り、東京凱旋公演までの上演。公演チケットは好評発売中です。また11月27日開催のライブビューイングのチケットは、公式ファンサイト プレミアム会員先行抽選が9月3日12時よりスタート。以降、順次公式HP先行抽選、ローソンチケット先行、一般発売、劇場窓口での販売となります。ほか詳しい情報はInformationから公式サイトをチェックしてください。

Ⓒミュージカル『刀剣乱舞』製作委員会

■郷本直也 出演動画はアプリで好評配信中↓■

☆Information

ミュージカル『刀剣乱舞』 ~幕末天狼傳~
【東京】2016年9月24日(土)~10月10日(月・祝) AiiA 2.5 Theater Tokyo
【福岡】2016年10月15日(土)~10月16日(日) キャナルシティ劇場
【大阪】2016年10月21日(金)~10月30日(日) サンケイホールブリーゼ
【東京凱旋】2016年11月17日(木)~11月27日(日) AiiA 2.5 Theater Tokyo
チケット料金:8,800円(前売 ・当日共/全席指定/税込) 好評発売中
・ライブビューイング ミュージカル『刀剣乱舞』 ~幕末天狼傳~
2016年11月27日(日)18:00開演 全国の映画館にて開催
≪公式サイト≫
http://musical-toukenranbu.jp/
「刀剣乱舞-花丸-」先行上映会のライブビューイングが決定 京まふでのブース出展も
10月の放送を目前に控えた『刀剣乱舞-花丸-』。9月24日(土)に「第一話先行上映会-出陣式-」の開催が決定している本作だが、チケットの応募多数から同イベントのライブビューイングが実施される運びとなった。また、9月17日(土) から18日(日)に開催の「京都国際マンガ・アニメフェア2016」(京まふ)でのブース出展も決まった。

『刀剣乱舞-花丸-』は、DMMとニトロプラスの共同制作によるブラウザゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」が原作。名立たる刀剣が姿を変えた戦士「刀剣男士(とうけんだんし)」を率いて、歴史改変を目論む敵を討伐していく刀剣育成シミュレーションだ。2015年1月のサービス開始以降、のべ150万人以上が利用登録。女性を中心に支持を獲得し、「とうらぶ」の愛称で全国各地に刀剣ブームを巻き起こした。

「出陣式」のライブビューイングは、全国19の映画館で実施。本会場と同じく、入場者プレゼントのクリアファイル付きだ。イベントでは『刀剣乱舞-花丸-』第一話の先行上映ほか、大和守安定役の市来光弘、加州清光役の増田俊樹、へし切長谷部役の新垣樽助、燭台切光忠役の佐藤拓也ら主要声優陣によるトークショーが開催される。いずれも生中継なので、現地のライブ感そのままに楽しめそうだ。

そして「京都国際マンガ・アニメフェア2016」(京まふ)にも『刀剣乱舞-花丸-』が出陣。ブースの出展が決定した。最新PVの上映だけでなく、ビジュアルの展示や撮影コーナーの設置など盛りだくさんの内容となる。また、会場先行グッズとして「京まふ2016オリジナルTシャツ」の販売も明らかに。税込み2000円で枚数限定での取り扱いなので、要注目となりそうだ。このほか、新撰組ゆかりの「刀剣男士」が登場する本作ならではのコラボグッズや展示もあるという。

『刀剣乱舞-花丸-』の次には2017年の『刀剣乱舞(仮題)』も控える、アニメ版「とうらぶ」の世界。最寄りの映画館から、華々しい出陣を見届けたい。

「アニメ『刀剣乱舞-花丸-』第一話先行上映会-出陣式-」ライブビューイング概要
【開催日】
9月24日(土) 開演17:00~
【開催劇場】
札幌シネマフロンティア(北海道)
TOHOシネマズ仙台(宮城)
TOHOシネマズ日本橋(東京)
TOHOシネマズ六本木ヒルズ(東京)
TOHOシネマズ新宿(東京)
TOHOシネマズ川崎(神奈川)
TOHOシネマズ海老名(神奈川)
TOHOシネマズららぽーと船橋(千葉)
TOHOシネマズららぽーと富士見(埼玉)
TOHOシネマズ宇都宮(栃木)
TOHOシネマズ浜松(静岡)
TOHOシネマズ名古屋ベイシティ(愛知)
TOHOシネマズ梅田(大阪)
TOHOシネマズなんば(大阪)
TOHOシネマズ二条(京都)
TOHOシネマズ西宮OS(兵庫)
TOHOシネマズ岡南(岡山)
TOHOシネマズ緑井(広島)
TOHOシネマズ天神(福岡)
【チケット料金】(チケットぴあでの販売)
2,500円
【チケット発売スケジュール】
ぴあプレリザーブ 9月9日(金)11:00~9月11日(日)23:59
ぴあ一般販売 9月18日(日)10:00~9月22日(祝・木)23:59
※一般販売はなくなり次第終了

(C)2016 アニメ『刀剣乱舞-花丸-』製作委員会
【イベント】超歌劇『幕末Rock』黒船来航 熱いパッションが迸るウルトラミュージカルの東京公演がついに開幕
マーベラス<7844>は、9月3日に超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』黒船来航の東京公演を、東京・六本木EX THEATER ROPPONGIにて開演した。

原作ゲーム『幕末Rock』は、2014年2月にリリースされるや大ヒットし、7月にはTVアニメが放送され、“幕末”という時代設定のもと、志士(ロッカー)たちが音楽で新しい時代を創る、斬新で魅力的なキャラクターにあふれた大人気コンテンツ。舞台版の『幕末Rock』は2014年12月に、[超歌劇=ウルトラミュージカル]として、吉谷光太郎氏の脚本・演出で舞台化され、本格Rockの楽曲の数々と圧巻の雷舞(ライブ)演出を若手実力派俳優たちがミュージカルで表現し、全公演満席。立見もでる注目作となった。原作ゲーム、アニメの世界観をそのままに、劇中の演出シーンの一部として、観客が実際にペンライトを振りながら公演を楽しむという観客参加型のライブ要素を取り入れた演出が大好評を得た。

そんな超歌劇『幕末Rock』が、超歌劇『幕末Rock』黒船来航と題して、8月20日に京都劇場にて新たに開幕。そして9月3日には東京公演が開始される。

本稿では、公演に先駆けて行われた囲み取材及びにゲネプロの様子をお伝えする。

STORY
太平洋──。他国へと繋がる大海の荒波を突き進む四隻の蒸気船があった。「イッツロケンロゥ!ゴキゲンな荒波だ」メリケンの使節の一人、ペリー・ジュニアが一人、船の舳先に立ち逆巻く荒波を楽しげに眺めている。黒船は浦賀の港へ突き進む。これが後の世に黒船来航と呼ばれる出来事の始まりだった。時は経ち、ロック修行の旅へと出ていた坂本龍馬が、久しぶりに江戸の地へと訪れるとそこでお登勢と再会を果たす。お登勢とともに、高杉晋作、桂小五郎の住む老中・勝海舟の邸宅に向かう龍馬。二人とも再会した龍馬のもとに、帰宅した勝海舟がこう告げる。「雷舞(ライブ)でペリー・ジュニアに勝ってほしい」と。龍馬たちは 超魂(ウルトラソウル)の誇りを胸に戦いを決意する。雷舞(ライブ)当日、新選組の土方歳三、沖田総司とも再会を果たした龍馬たちは、超魂團(ウルトラソウルズ)再集合を果たしジュニアに戦いを挑む。だが、超魂團はジュニアの本場のロックに全く太刀打ちできなかった。ジュニアの胸元にはなんと複数の 超魂が光り輝いていた…。

■この夏よりも熱く演じる! 意気込みを語った囲み取材

公演に先駆けて行われた囲み取材では、:坂本龍馬 役:良知真次さん、高杉晋作 役:糸川耀士郎さん、桂小五郎 役:三津谷亮さん、土方歳三 役:輝馬さん、沖田総司 役:佐々木喜英さん、マシュー・カルブレイス・ペリー・ジュニア 役:兼崎健太郎さんが登場した。

京都公演を終えた感想を聞かれた面々。良知さんは、京都で作った熱さをそのまま東京公演にぶつけていきたい、パッションを届けたいと語った。糸川さんは、板の上でたくさんのはじめましての景色を見たと語り、お客さんの温かい声援が嬉しかったとし、糸川さんと同様、今回の新キャストの三津さんは、新キャストとして舞台に立つことに不安もあったが、お客さんが温かく迎えてくれたことを嬉しく思うとした。佐々木さんは、今回ソロでのナンバーがあることから、会場中のペンライトの色が沖田色に染まるのを初めて体験したと話、その光景を東京でも見たいと話した。新キャラクターのペルーを演じる兼崎さんは、お客さんがエネルギッシュにこの舞台を観劇することに圧倒されたと話した。

続いて東京公演への意気込みを語り、三津さんは、舞台が火事になるほどの熱いパッションをもって挑みたいと話した。糸川さんは、高杉晋作というキャラクターを誰にも負けないくらい愛しているとし、誰にも負けないロックを歌いたい「俺色に染めてやる」と決めた。

最後に良知さんが、お客さんの声として再演よりも続編を望まれていたことを明かし、熱く応援してもらったことで続編ができたことに感謝を述べた。また、新キャスト、新ストーリーで演じることには不安があったが、前作のキャスト陣が今回の舞台を見たときに「出演したかった」と感想を持つような舞台にしたい、京都で熱くなった、この夏に負けないくらい熱い超歌劇『幕末Rock』黒船来航を演じると意気込みを語り、囲み会見を締めた。


■熱いパッションが迸る! ライブのように楽しめる超歌劇『幕末Rock』黒船来航!

物語は、幕末の江戸。修行の旅に出ていた坂本龍馬が江戸に久々に戻り、黒船でやってきたメリケンのロックミュージシャン、ペリー・ジュニアの噂を聞くところから始まる。圧倒的なパワーを持ち日本中の女性やオカマを虜にするペリー・ジュニア。彼はメリケンから日本と条約を結ぶためにやって来ていた。日本に不平等な条約を結ばそうとするペリー・ジュニア。そんな横暴さを見かねた勝海舟は、坂本龍馬、高杉晋作、桂小五郎に、彼を「雷舞(ライブ)」で倒して欲しいと頼む。ライブでは、新選組の土方歳三、沖田総司とも再会、超魂團(ウルトラソウルズ)としてペリー・ジュニアに戦いを挑むが、複数の超魂(ウルトラソウル)を持つペリー・ジュニアには歯が立たず、高杉晋作、桂小五郎の超魂も奪われ、敗れてしまう。彼はなぜ複数の超魂(ウルトラソウル)を持つのか。そして、ペリー・ジュニアと前の大老・井伊直弼との関係、将軍徳川慶喜の決断とは。そして、超魂團(ウルトラソウルズ)はどうなるのか。そういった物語が展開される。

物語の中では、男らしくもセクシーなペリー・ジュニア、そんな彼に女性に間違われた沖田総司の妖艶さ、また、土方歳三扮する誠仮面や、お登勢のパワフルなお母さんぷりなどをコミカルに演出、そして、坂本龍馬、高杉晋作、桂小五郎三人のペリー・ジュニアへ挑むパッションが熱る表現されている。
新しいのは物語だけでなく数々の新曲も登場。そのどれもがロックに満ち溢れており、会場全体で楽しめるものばかりとなっている。また、この超歌劇『幕末Rock』黒船来航では、ペンライトの使用も決まった場面で許可されており、さらに、手拍子や声をあげる場面も存在している。舞台の上、観客席の垣根なくライブのように熱く楽しめる。
そんな超歌劇『幕末Rock』黒船来航。当日券は毎公演用意されている。残暑の厳しく暑い日々を、さらに熱く、そしてパッションに満ち溢れたものにできるこの公演をぜひ体験して欲しい。



超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』黒船来航

​​■公演日程
【京都】京都劇場 2016年 8月20日(土)~8月21日(日)
【東京】 EX THEATER ROPPONGI 2016年 9月3日(土)~9月9日(金)​

■キャスト
坂本龍馬 役:良知真次 高杉晋作 役:糸川耀士郎 桂小五郎 役:三津谷亮​ 土方歳三 役:輝馬 沖田総司 役:佐々木喜英/お登勢 役:山岸拓生 勝海舟 役:岩﨑大/井伊直弼 役:吉岡佑 徳川慶喜 役:Kimeru /マシュー・カルブレイス・ペリー・ジュニア 役:兼崎健太郎 ​他
 2.5次元の世界では『薄桜鬼』『刀剣乱舞』のミュージカルが新選組・幕末関係ではメジャー作品ですかね。私は『幕末Rock』一本でもう満足です……あの誠仮面を輝馬さんに演じてもらって、十分に目の保養になりましたから。

青木玄徳初主演舞台『瞑るおおかみ黒き鴨』が開幕!2000手超の圧巻の殺陣で魅せる!
 舞台 もののふシリーズ『瞑るおおかみ黒き鴨』が9月1日に、東京・天王洲銀河劇場にて開幕!!
初日公演前に公開ゲネプロが行われ、マスコミ向けの挨拶&フォトセッションには、前作『もののふ白き虎』でも新撰組・斎藤一を演じ、今回が舞台初主演となる青木玄徳さんをはじめ、鈴木勝吾さん、早乙女友貴さん、斉藤秀翼さん、佐伯大地さん、伊崎龍次郎さん、内海光司さん、林田航平さん、山谷花純さん、村田洋二郎さん、長友光弘さん(響)、松田凌さん、荒木宏文さん、大澄賢也さんが登壇。初日に向けて意気込みを語りました。

斎藤一 役/青木玄徳さん
「前作『もののふ白き虎』は青年たちの若い魂の話でしたが、今回は前回に比べて少し濃厚な大人のストーリーになっています。非常に殺陣の数も多く、話の方もなかなか一筋縄ではいかないような、少し難しいものになっていますが、たくさんの方に楽しんでいただける作品になっています」

西郷隆盛 役/長友光弘さん(響)
「今回、西郷隆盛役を演じます。顔も小学校の頃からずっと西郷隆盛に似ていると言われてきたので、適役じゃないかと思ってます(笑)。本番でもかわいい、そしてかっこいい西郷隆盛が出来ればいいなと思っております」

中村半次郎 役/松田凌さん
「前作からある”熱き男たちの物語”という芯の部分は変わらないですが、今作ではそれに加えて殺陣の一手や、それぞれの持っているセリフやシーンの裏に隠されたものを丁寧に作ってきたつもりなので、そういった部分を注目していただけたらうれしいです。一人一人の言葉にならない想いが描かれている作品だと思うので、そういった部分を感じていただけたらと思います」

土方歳三 役/荒木宏文さん
「前作『もののふ白き虎』で描かれた戊辰戦争の裏で、大人たちが抱いていた葛藤であったり苦悩だったりというのが、本作ではさらに深く描かれているので、前回観た方も全体を通して深く知ることも出来ると思います。幕末~明治にかけての混沌の時代が、タイムスリップというか時間系列が戻ったり様々な角度から描かれていて、その時に抱いたものと、それから数年後に抱いているものっていうのが変わったり変わらなかったり、大人だからこそ感じる心境の変化というものが、とても面白く表現出来ているんじゃないかなと思います」

山縣有朋 役/内海光司さん
「僕は普段、年上の方とお仕事する機会が多いのですが、今回はみんな若くて、パワフルで、エネルギッシュで、僕も刺激をもらいながら毎日楽しんでいます」

大久保利通 役/大澄賢也さん
「今の日本は幸せなことが当たり前ですが、その時代にこのような幕末から明治という混沌とした時代の中で、みんなが国を良くしようと思って熱く生きた男たちのドラマを繰り広げるのは、とても意味のあることだと思います。”景色のいい男たち”が描く熱いドラマを観て欲しいと思います」

その後行われた公開稽古では、2000手を超える激しい殺陣と共に、激動の時代を生きた男たちの熱い魂のぶつかり合いに最後まで目はステージにくぎ付け!
戊辰戦争の場面では、前作『もののふ白き虎』で白虎隊メンバーが悲劇的な最期と遂げたシーンが蘇るセリフもあり、会場のあちこちからすすり泣く声も聞かれました。
青木玄徳、舞台初主演で斎藤一役「濃厚な大人のストーリー」
 俳優、青木玄徳(28)の舞台初主演作「瞑るおおかみ黒き鴨」(作・演出/西田大輔)の公開舞台稽古が1日、初日公演前に東京・東品川の天王洲 銀河劇場で行われた。

 昨年上演の「もののふ白き虎」に続く“もののふシリーズ”の新作。明治初期、西南戦争を軸に新しい時代を生きる男たちの生き様を描く。

 新撰組の斎藤一役を演じる青木は、「濃厚な大人のストーリー。殺陣の数も多く、たくさんの皆さんに楽しんでいただける作品」とアピール。

 長州藩士、山縣有朋役で出演する元光GENJIの内海光司(48)は「僕は普段年上の方とお仕事をする機会が多いですが、今回はみんな若くてパワフルでエネルギッシュ。刺激をもらいながら毎日楽しんでいます」とニヤリ。「こういうコメントをすると好感度があがると最近(佐伯)大地くんが教えてくれました(笑)。楽しい現場です」と話した。年内解散するSMAPについては触れなかった。

 東京公演は11日まで同劇場で。大阪公演は森ノ宮ピロティホールで9月19、20日。9月22日に北九州芸術劇場で。
凄いものを見たはず、なんだけど、何だろうこの違和感は。やはり、幕末rockの世界からいきなり別の舞台空間に切り替えることに無理があったのかしら。

歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」 鬼気迫る名演「吉野川」
(略) 夜の「吉野川」は「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」の名場面。吉右衛門の大判事、坂東玉三郎の定高(さだか)の大顔合わせ。舞台中央にくるくる流れる滝車で見せる吉野川。両花道、両床の配置で、右に大判事、左に定高。両家の仲違いゆえに見舞われる大判事の子息、久我之助(こがのすけ)(市川染五郎)と定高息女、雛鳥(ひなどり)(菊之助)の悲恋。客席を挟み、交わし合う吉右衛門、玉三郎の心中の叫びは嘆き、怒り、祈りの礫(つぶて)となって鬼気迫る。名演である。「ハムレット」か「ロミオとジュリエット」か。シェークスピア悲劇に通底する。

togetter秀山祭「吉野川」感想など

 吉右衛門の大判事、玉三郎の定高《さだか》という人間国宝の二枚看板。この二人が突出した迫力だからこそ、成り立つ芝居。左右の義太夫の掛け合いも凄い。

 ただ、大絶賛の舞台なのに、私にはちょっと、もやもやが。たぶん玉さまの表現力に対して、吉右衛門が伝統の型(今回初めて初代の型を使われたそうだが)で応じたところで、様式的に見えてしまったのかも知れない……まだ浅い歌舞伎ファンがこう言うのはおこがましいのかも知れない。

らくだ
 落語の「らくだ」が好きなので楽しみにしていたのだけど、ちょっと笑えない感じだった。たぶん手斧目半次の松緑さんの演技が私の好みじゃないからなんだろう。べらんめえなんだけど空回りしている感じ。
 久我之助で切腹した後に屑屋の久六を演じる染五郎さん、死んでるのにすごくユーモラスな駱駝の馬吉を演じた亀寿さんはすごくよかった。ケチな大家さんの歌六と女房の東蔵、はすっぱな半次郎の妹おやすを演じた米吉ちゃんも。

元禄花見踊
 玉三郎と若手が絢爛に踊りこなす。これは華やかで美しい。
千秋楽の全日のソワレ。噂によれば収録日。

 お登勢さんの日替わりは『スケスケミラージュ』。いいのだろうか、これ収録されて。

ジュニア登場
 土方さんに吹き飛ばされたソウちんの後をジュニアが前転するんだけど、距離間違えたのかヒデちんのお尻に顔面激突してた……その後を良知龍馬くんが転がって真似をする横で「坂本オオオオ!!!!!!!戻れ!!!!!!!」って高速で放つてるぞーさん(笑)
 「ヒデちんのお尻ジュニア兼崎くん触ってたよ!?撫でてたよ!?!?そしてヒデちんのお尻になんか鼻ぶつけてるように見えたよ??」という目撃談あり

誠仮面登場
「それでーもー名ー乗ーれーとーいうのならっあえてー名乗ろう私の名はーせーの!「「「誠仮面だッ!!!」」」

誠アップダウンクイズ
 晋作「…俺様の経験値!」
仮面「惜しいかもしれない!」

桂「土方さんの………羞恥心!」
→華麗にスルー

 龍馬が山沖さんにかなり強い力で殴られて痛かったり、あちこちでグダグダな場面があった模様(日替わりで見たい)

 誠仮面はみつセンのY字バランスに拍手してるしそこから「超えてみせろ俺という高い壁」とか歌い始めるし、サビは志士組はエアペダル漕ぎ始めて客席通路走り回るし舞台上では青いメガホン振り回してママチャリ乗り回す誠仮面(自転車のサイズ全然合ってない)……そして、ふうと溜息ついて一休みする誠仮面可愛い

誠仮面をバックに置きざりにして、4人と勝海舟が手を重ねる
 「近藤さん!僕はひとりぼっちですっ!!!」

静まれ!のくだり
 良知龍馬「何だ誰でもできるじゃん♪」
 てるゾー「(しょぼん)」
 客席「あーー!!」
 てるゾー「(もっと言ってやれ!のしぐさ)」
 良知龍馬「だってできるじゃん、センセーやってみ!」
 みつセン「静まれ!(慌てて止めるてるゾー)
 静まりましょう…」

ペリーと超魂團が友情を確かめる場面
 晋作が名前を呼ばれる前に先回りして「俺の名前は高杉晋作、しっかり刻みつけておけ!」って言って観客から大喝采を浴びる糸ディ、でも兼ペリの「よく聞こえなかった」で撃沈。晋「あいつもうだめだ助けてくれ」龍「困った時だけわしに助け求めるのやめろ」ペ「アキラメルノカ?(煽りの上手い兼ペリ)」


カテコ
 逃げようとするヒジゾーさんを龍馬が捕まえて、ヒジゾーさん、龍馬に見つからないようにお腹をゴソゴソ、誠仮面に変身。
誠「私は土方ではない誠仮面だ!」
皆「キャー!」
誠「皆楽しかったか?」
皆「楽しかった-!」
誠「また観たいか?」
皆「観たいー、観る-!」
誠「明日も来るか?」
皆「来るー!」
誠「皆に私からお願いがある。」
皆「なーにー?」
誠「せーのといったら♪誠仮面だ!
といってほしい。」
皆「キャー!」
誠「誠'sミュージックスタート!」
流れ出す登場音楽
誠「♪しーかーしー名乗れというのならあえて名乗ろう人呼んでせーの」
誠&皆「キャー!誠仮面だ!」
誠「ありがとう!さらばだ!!!」
シャキーン!!

らち龍馬「わしもいつか龍馬仮面やりたいぜよ〜」

トリプルカテコ 龍馬仮面登場
仮面取られて、左手の拳を口元につけてアワアワし、右手を龍馬に伸ばして無念さを表現するヒジゾーさん

アナウンスは桂センセー
超歌劇 幕末Rock 黒船来航 公式サイト

 考えてみたら、2.5次元は幕末Rock以外には興味がない。声優さんたちの超雷舞は皆勤してるんだけど、超歌劇の方は一度もライブで見たことがなかった。
 初演→DVDで見る
 再演→ライブビューイングで見る、その後DVDで見る

 なのに、アウェー感はまったくなし。観客席のリスポンスはライブビューイングで一回経験していたせいか、開演前のお登勢さんと勝さんのペンライト講座から、すっかり馴染んでしまった。ペンライトのスイッチオンオフ、色替えは結構機種によって微妙なので手間取った(超雷舞のペンライトと超歌劇のペンライトは配色が違うみたいだし、黒船来航は新キャストに合わせて色が増えていた)。

 良知龍馬くんあっての再演だと思う。そして、超魂團で初演から一緒にやっているソウちん@佐々木喜英くんとヒジゾーさん@輝馬の3人が軸になって、新キャストとなった長州組のシンディ@糸川くんと桂センセー@三津谷くんを取り込んでいたというか、龍馬とソウちんとヒジゾーさんが核になってペリージュニア@兼崎さんと対峙するストーリー展開になってました。

 そして、初演再演も見てきたヒジゾーさん煌としては、輝馬の飛躍に目からウロコでした。

 で、何といっても誠仮面です……いったい何方何三さんだっけ(汗)。期待はしていましたが、まさか、こんなに大活躍するなんて。

 詳しくは、8日にもう一度見てきますので、その時に。
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