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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 今年は一回も談春を見ていない……チケット取れねぇ(涙)、という状態だったので、何としてもと取った朝日ホール3日間連続公演のうち一枚。その前の日が「らくだ」ネタ出ししてて、それも見に行きたかったけど、先に談笑「芝浜」取っていたから、涙を呑んで断念。そしたら談春師、マクラで昨日の「らくだ」は我ながらなかなかだったと……口惜しいなぁ。

黄金の大黒/談春
 私の記録では談春さんで聴くのは初めて。そんなにひねりのある話じゃないので面白いとは思わなかったが、談春さんで聴くとやっぱり面白いんだな、これが。

富久/談春
 競艇にかなりの財産を注ぎ込んできた博打打ちな談春さんが二つ目でお金がなかった頃の年末から年明けにかけて一発逆転を狙って競馬や競艇に通う思い出話が面白かった。そして、能動的に選んで賭ける博打を好んできた自分は、宝くじみたいに運だけをたよりにするものは好きじゃない、と。
 というところで、旦那をしくじった幇間の久さんの描写が、いまいち談春さん納得ずくではないような(汗)。賭け事全般に興味ないし宝くじも買わない自分としては、旦那をしくじった幇間が右往左往する様が面白ければそれでいいか、ぐらいの期待なんだけど……「むー、昨日の『らくだ』行っておけばよかった」と思った。
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 広瀬さんとの対談を終えたらもう22時近いという、たっぷりな会。

「風呂敷」談笑

 途中からだったんで、「紙入れ」入れごとをしていたらしいが聴きそびれた。
 押し入れに閉じ込められた色男の形態模写が笑えた。

「芝浜」談笑
 「掛け取り」市馬さんに続いて、年の暮れにこれ聴けてよかったと思う談笑版「芝浜」。ちなみに、3年後の魚勝夫妻の年越しの回想で、2年前に掛け取りに助太刀してくれたのが市馬の旦那ということになっている(笑)。
 談笑さんの「芝浜」は妻がしっかり者で、かわいいので好き。
 いろいろ楽しんだはずが、メモをなくしてしまい、頭から記憶が飛んでしまった。でも、トリだけは忘れない。

掛け取り美智也/市馬
 あぁ、今年も市馬さんの「掛け取り」を聴いて年を越すことができる……と嬉しくなる、このネタ。狂歌と、芝居と、美智也。
 借金に追われてにっちもさっちもいけないどん底の貧乏暮らしが、落語的に楽しく見える。
 柳亭こみちさんの『兵庫舟』には間に合いませんでした(汗)。

稽古屋/古今亭文菊
 五目のお師匠さんの所作が色っぽいなぁ……お師匠さんの清元のお手本も難しそうだけど、もっとむずかしいのは下手な素人の調子っ外しな節回しの方かも知れない。二十八人抜きの真打ち、伊達ではないなぁと思う安定した運びだった。

寝床/立川生志
 家元の一周忌ということで思い出話から。割とスタンダードな『寝床』かな……でも50分はちょっとしんどかった(汗)。

六尺棒/三遊亭小遊三
 小遊三師匠、芸協なので家元とは寄席でお会いする機会はなかったが、東宝名人会の立前座をしていた時に家元の方から「何かひとつ教えてやる」と言われ(笑)、リクエストしたのが『六尺棒』だったそうな。家元に習った通りに演じてくれたおかげで、確かに、家元の面影を感じた。
 生意気で放蕩者の息子が親父に一杯食わせて終わるこの噺、もしこの後に続きがあるとしたら一体どうなるんだろうと思いながら聴いてしまう。商家の中から番頭さんだのが出てきて息子を取り押さえてくれたらほっとするのにな。

掛取り/桂文治
 亡き師匠の思い出話の後、落語協会ではもっぱら市馬師匠の専売特許ですが、芸協では自分が……と振ってスタート。
 狂言、芝居、落語家、さらに喧嘩と続いてちょっと重たくなってきたなと思ったら喧嘩の途中で切ってサゲ。

 落語好きになってくれた友人を初めての寄席にご案内。

中入り後

漫才/昭和のいるこいる
 いきなり、のいるこいるで笑える友人を隣に、安堵したことは言うまでもない。

蝦蟇の油/一之輔
 わーい、一之輔「蝦蟇の油」初めて聴いた。一之輔さん風味はちょっと薄かったかな……酔っ払った先生の口上で蝦蟇に鏡で己の下半身を見せるって辺りぐらいか(以下自粛)。

身投げ屋/雲助
 さすがの雲助師匠。この季節らしいネタ。

三味線漫談/紫文
 富山の薬売り、虫屋、横綱、宇宙人……そして、長谷川平蔵でなくて大岡越前編。

佐々木政談/白酒
 こまっしゃくれたシロちゃん、もとい四郎ちゃんの頓知が好きになれるか、だな。私はこんなガキ嫌だ(爆)。

 ほとんど落語ブログとなってますが、細々と、たまには幕末ネタを振ります。

北海道
「箱館戦争」の記念碑除幕 函館
 【函館】榎本武揚ら旧幕府軍と新政府軍が戦った箱館戦争の終結について、両軍が協議した場所として知られる亀田八幡宮(函館市八幡町)に市民が建立した記念碑が完成し、11日、除幕式が行われた。石碑に揮毫(きごう)した武揚のひ孫にあたる榎本隆充・開陽丸子孫の会会長(77)も参列し、完成を祝った。

 亀田八幡宮は箱館戦争終戦前日の1869年(明治2年)5月17日、総裁の武揚と新政府軍の陸軍参謀黒田清隆らが話し合った場とされる。旧社殿の壁には、直前の戦闘でついた弾痕が残る。

 石碑は刀の先端をモチーフにし、高さ2・3メートル、幅90センチ。「箱館戦争降伏式之地」と彫られている。旧社殿前に設置され、亀田八幡宮の藤山敬広祢宜(ねぎ)が神事を行った。

 石碑を建てた市内の松山一郎さん(77)は「境内のそばに生家があり、ここで育ったようなもの。恩返しがしたかった」と感慨深げ。祖母の父が黒田清隆という隆充さんは「戊辰戦争を終結させた意義ある協議が行われた地という歴史を確認する良い機会になってほしい」と話していた。(内山岳志)


箱館戦争「終戦協議の地」知って 亀田八幡宮に記念碑
 箱館戦争(1868~69年)で、旧幕府軍が降伏する協議を整えたとされる亀田八幡宮(八幡町)に、市民による記念碑が建立され、11日に除幕式が行われた。建立に尽力した市内上湯川町の松山一郎さん(77)は「子供のころの思い出がある亀田八幡宮への恩を返せた」と感無量の表情だった。

 元市職員の松山さんは宮前町で生まれ、同八幡宮を通り、函館八幡小に通った。「亀田八幡宮は人間形成の原風景。報恩を込めて、お返しをしたかった」と記念碑建設を志した。

 松山さんは同小学校などで1年後輩に当たる、南北海道史研究会会員の近江幸雄さんに建立を相談。「箱館戦争降伏式之地」碑とすることを決め、題字は旧幕府軍(榎本軍)の蝦夷島総裁榎本武揚の曾孫・榎本隆充さん(77)が揮ごうした。説明文は近江さんが制作した。

 完成した碑は高さ2メートル、幅90センチで、除幕式には松山さん、榎本さん、近江さんら約15人が出席。同八幡宮の神職が祝詞を奏上し、松山さんらが玉串をささげた。式後には、武揚と新政府軍の陸軍参謀として会談した黒田清隆が、誓約後に冷酒を交わしたことにならい、社務所内に同様の座を設けた。

 松山さんは「“貧者の一灯”を示すことができたのは、皆さんのご支援のおかげ。心から感謝している」、榎本さんは「五稜郭明け渡しの前に、この地で協議があったことを、市民や観光客に知ってもらえる碑となる」と喜んでいた。

 近江さんによると、12月には梁川公園(梁川町)に、軍服姿の榎本像が建立される。近江さんは「箱館戦争の戦跡めぐりに役立ってくれることを願う」と話していた。

 次回の函館旅行の際、久しぶりに亀田神社に立ち寄ってみたいと思います。

小さな奉行所が登場! 館内に模型展示
 奉行所ってこんな形をしているんだ―。箱館奉行所(五稜郭町)内に復元工事の材料として製作した小型模型がこのほど展示され、子どもたちの興味を引いている。

 復元工事前に製作され、オープン後は市教委が管理する倉庫で保管。開館から2年たち、「話題作りのために」と倉庫から取り出した。

 サイズは本物の50分の1ほどで、高さ35㌢、横70㌢、奥行きは1㍍。木を削って作り、最上部の太鼓櫓(たいこやぐら)など細部にまでこだわった。足軽詰所に展示している。

 沼崎孝男館長は「本物と同じくらい精巧な作り。ぜひ見比べて」とPR。小学校の課外授業で来館した島倉実里さん(中の沢6年)は「太さの違う木がいっぱいある。すごく細かくてびっくりした」と興味津々だった


子母沢寛の自筆原稿公開 石狩
 【石狩】旧厚田村出身の歴史小説家、子母沢寛(1892~1968年)の生誕120周年を記念し、石狩市民図書館が1日から同館で「厚田日記」の自筆原稿を初公開した。120周年特別展示の締めくくりで、同館の丹羽秀人副館長は「郷土の作家の息吹を自筆原稿から感じ取ってほしい」と来館を呼び掛けている。

 子母沢寛は「座頭市」をはじめ、代表作の多くが多数映画化されたことで知られる。「厚田日記」は、7人の旧幕臣たちが箱館戦争に敗北して厚田へ落ち延びた後、孤独で厳しく暮らす様子が描かれている。

 1961年に小説新潮10月号に掲載され、翌年、単行本「脇役」に収録された。主人公のモデルは子母沢寛の祖父とされている。

 自筆原稿は、400字詰めで計61枚。保存状態も良く、文章に斜線が引かれたり、欄外に書き加えられた部分を読み取ることができ、作家の推敲(すいこう)の跡がうかがえる。

 石狩市内や札幌市内の経営者らでつくる「札幌はまなすロータリークラブ」が設立20周年の記念事業で今年9月に同図書館に贈った。

 丹羽副館長は「郷土出身の作家が厚田について執筆した作品を、地元で保存できてうれしい」と喜ぶ。

 会場には厚田日記以外に、代表作「木曾の花道」や、「名月記」「晩秋」の自筆原稿も展示されている。

 入場無料。展示は12月2日まで。(田島工幸)




福島
「八重の桜」を復興の力に 若松と京都商議所交流協定へ
 京都商工会議所の立石義雄会頭(オムロン名誉会長)は23日の記者会見で、福島県会津若松商工会議所と相互交流協定を締結すると発表した。京都と会津を舞台とする2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」にちなみ、観光振興や東日本大震災からの復興を支援するのが狙い。来年初めに立石会頭らが会津若松商工会議所を訪ね、協定を結ぶ予定だ。 
 NHK大河ドラマ「八重の桜」は、幕末の会津藩に生まれ、戊辰戦争で銃を手に自ら戦い、後に同志社大学(京都市)創立者の新島襄の妻となる新島八重が主人公。八重の実兄である山本覚馬は京都商工会議所のトップを務めるなど、京都と会津は歴史的に関係が深い。 
 立石会頭は会見で「(京都と会津の)会議所同士の交流事業を通じ、観光資源のアピールや歴史の再認識につながると期待している」と抱負を語った。 
 宮森泰弘会津若松商工会議所会頭は「京都との連携協定はうれしい限りでありがたい。会津若松も京都に見習うべきことは見習い、互いに連携して頑張っていきたい」と今後の交流に期待を寄せた。


歴史ファン全国から 21日まで白河大会
 全国の歴史愛好家が集う歴史研究会全国大会奥州白河大会は19日、福島県西郷村のホテルサンルート白河で開幕した。21日まで。 
 実行委員会の主催、白河市と同市教委などの共催、福島民報社などの後援。約300人が参加している。 
 式典で、実行委員長の和知繁蔵白河商工会議所会頭があいさつした。鈴木和夫市長が歓迎の言葉を述べた。 
 佐川庄司市都市政策室長が「白河関跡周辺の歴史とロマン」と題し、基調講演した。
 白河と縁が深い大名家子孫のパネルディスカッションも行われた。丹羽家第18代当主長聰氏、松平(奥平)家第16代当主忠昌氏、阿部家第22代当主正靖氏がパネリスト、阿部家家老平田家14代当主重樹氏がコーディネーターを務め、各家の歴史や戊辰戦争白河口の戦いを振り返った。 
 歓迎のアトラクションで、しらかわ語りの会の鳴島あや子さんが安珍清姫伝説を語り、白河根田安珍歌念仏踊り保存会員が安珍歌念仏踊りを披露した。 
 20、21日は見学会を開き、参加者は市内や周辺の史跡や名所、戊辰戦争の激戦地を巡っている。 


群馬
「八重と襄」で観光交流 安中市、会津若松市と
 来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」のヒロイン新島八重と夫、新島襄の夫婦愛にあやかろうと、襄が一時期過ごした群馬県安中市が、八重の故郷・福島県会津若松市との観光交流に力を入れている。

 東日本大震災や東京電力福島第1原発事故で打撃を受けた福島への応援も兼ねて、11月下旬に開く朝市で会津若松の農産物を販売。ドラマのタイトルにちなみ「桜が見ごろとなる来春にはバスツアーを実現させたい」と意気込む。

 かつては安中藩士だった襄。安中には米国留学後に両親らと約10年ぶりに再会し、ともに過ごしたかやぶき屋根の旧宅や、没後30年を記念して建設された教会堂、八重が訪れた際に宿泊した創業180年のしょうゆ屋が現存する。

 旧宅では今春、安中で撮影された八重の写真や手紙の複製などを展示し、会津若松の情報も紹介。8~9月の来館者は約1800人で、昨年同時期より千人以上増えた。ボランティアガイドの代表田中栄さん(66)は「大河ドラマの効果が早くも出た」と好感触を得ている。

 バスツアーは、戊辰戦争の舞台となった鶴ケ城などを1泊2日で回る予定。安中市商工観光課は「ドラマをきっかけに両市のつながりを多くの人に知ってもらい、現地にも足を運んでもらいたい」と期待している。〔共同〕


神奈川
激動の幕末・明治 横浜起業家列伝 中区で企画展
 幕末の開港から明治期に横浜で活躍した起業家を紹介する企画展「事業を興せ!-近代ヨコハマ起業家列伝-」が、横浜市中区の横浜開港資料館で開かれている。原則月曜休館、来年一月二十七日まで。
 鮮やかな輸出用陶磁器「真葛(まくず)焼」で知られる宮川香山(一八四二~一九一六)、三渓園を開いた原富太郎(一八六八~一九三九)ら二十一人を、写真や商品の実物など百四十点の史料で紹介。ほかには、最大規模の生糸商で、薬や呉服も扱うなど多角的な経営をした茂木惣兵衛(一八二七~九四)、ユリなどを売る商社「横浜植木商会」を興した鈴木卯兵衛(一八三八~一九一〇)、不二家の創業者・藤井林右衛門(一八八五~一九六八)も特集している。
 担当の平野正裕・主任調査研究員は「開港後、横浜はビジネスチャンスにあふれ、多くの起業家がいた」と解説する。しかし、成功を収めたのはごく一部で、「生き残るのが難しいのは、今も当時も変わらなかったようです」と解説する。
 一月十二、十九日には「横浜シネマ商会」が手掛けた映画の上映会、二十六日には「いま、近代起業家たちを語る」と題したシンポジウムがある。問い合わせは、横浜開港資料館=電045(201)2100=へ。 (志村彰太)


長野
幕末期の高札見つかる 西春近公民館で展示
 伊那市西春近沢渡の橋爪平治さん(71)宅の土蔵から、幕末期の高札が3枚見つかった。江戸幕府が発令した奉行高札とみられ、キリスト教や、徒党・強訴・逃散、にせ金づくりなど、民衆に対する禁令が墨書きされている。西春近公民館は、この高札を借り受け、文化祭に合わせ18日までロビーに展示している。

 大きさは最大で縦約40センチ、横約1.2メートル、板の厚さは約5センチ。いずれ も雨よけの破風(屋根)があり、和釘で止められている。傷みや汚れがほとんどなく、きれいな状態で保存されているのが特徴だ。

 橋爪さんの知人で茨城県小美玉市で史料館長を務めていた池上昭さん(71)=同市西春近下牧=によると、墨書きは江戸時代の公文書の書体「御家流」によるもので、いずれも文末に最後の高遠藩主、内藤頼直(在任1859~69年)を表す「若狭」の名が記されているほか、高札の裏側に「沢渡村」の記述があることから、殿島村からの分村が許された慶応3(1865)年前後、明治維新直前の高札の可能性が高いという。

 キリスト教を禁じる高札では、信者の通報も要請。司祭は銀500枚、宣教師ら銀300枚などと賞金を設け、かくまった場合にはそこの名主や五人組も連帯責任を問われるなどと記している。

 年貢米などを保管したとされる宝蔵庫が残る橋爪さん宅の西側は、伊那街道と高遠方面へ向かう街道などの交差点となっていることから、この場所に高札場があったのではとしている。

 高札は老朽化した土蔵を取り壊した際に発見された。橋爪さんの曽祖父は、明治時代に西春近村の2代目村長を務めた飯島鎮平氏。橋爪さんは「何らかの理由で、曽祖父が預かったものかもしれない」と推測している。

 池上さんは「板肌に損傷がなく、これだけきれいな状態で残っているのは驚き。何らかの事情で実際には掲げられなかった可能性もあり、幕末期の混乱をうかがうことができる」と話している。

 同公民館の文化祭は17、18の2日間。


兵庫
はばタンと学ぼう:大鳥圭介ってどんな人? 殖産興業に尽力した学者 /兵庫
 「おおとり・けいすけ」って知ってるかい?と尋ねられ、「“ポテチン”がギャグで漫才師の鳳啓助」と答えた人は普通の人。「江戸から明治時代の軍人・学者で殖産興業(しょくさんこうぎょう)にも尽力した大鳥圭介だよ」と答えた人は相当の歴史通だね。今回はその圭介について出身地の上郡町郷土資料館の島田拓(ひろし)・学芸員(36)に解説してもらおう。

 圭介は1832(天保3)年、細念(さいねん)村(現・上郡町岩木)で、医者の長男として誕生。勉強好きで、岡山藩の学問所・閑谷(しずたに)学校(岡山県備前市)や大坂(大阪)では緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾(てきじゅく)で学び、江戸に出て幕府の歩兵奉行(ほへいぶぎょう)に登用されました。

 戊辰(ぼしん)戦争では、土方歳三(ひじかたとしぞう)らと共に箱館(函館)・五稜郭(ごりょうかく)で明治政府軍と徹底抗戦したが、敗れました。本来は「死刑」のはずですが、語学が堪能だったことから政府に取り立てられ、米英に留学。帰国後は産業の発展に尽力し、活版印刷を導入。また写真機を作ったとも言われ、いわば「日本版のレオナルド・ダビンチです」。

 どう、島田学芸員の話で、圭介の人となりが分かったかな。町役場前に立派な銅像があるのに、町の人たちもあまり圭介のことを知らなかったんだ。でも、町はアニメ「けいすけじゃ」のCDを作ったり、有志が「けいすけ塾」も設立して知名度もアップしつつあるよ。

 今、資料館では「生誕180年記念特別展」(12月2日まで、無料、月曜休館)も開き、圭介の漢詩(かんし)が書かれた屏風(びょうぶ)や掛け軸、額を展示してるよ。【小泉邦夫】

 日本のレオナルド・ダビンチって何となく榎本さん+大鳥さんかなと思います。

山口
特別展:「薩長盟約」 幕末の息遣い感じて 龍馬の「八策」など125点−−下関市立長府博物館 /山口
 幕末史上、重要な転機となった「薩長和解」と下関との関わりを明らかにしようと、下関市立長府博物館(長府川端、古城春樹館長)で、特別展「薩長盟約と下関 長府藩士と龍馬・慎太郎のキセキ」が開かれている。

 下関で「薩長和解」に向けた会談があったことを示す当時の日記や、長府藩士で坂本龍馬の活動を支えた三吉慎蔵が西郷隆盛に贈った赤間硯(すずり)、中岡慎太郎の書状など125点を展示している。

 中でも、龍馬が起草した大政奉還後の政体案「新政府綱領八策」の書は、これまで二つが確認され、国立国会図書館と長府博物館にそれぞれ所蔵されているが、20年ぶりにそろって公開。二つの資料の微妙な差異を確かめることができる。

 課外学習で来館した市立長府中の林純郎君(13)、諸井克哉君(12)、福間千大君(13)は「これを龍馬が書いたと思うとすごい。もっと下関の歴史を知りたいです」と興味津々だった。

 古城館長は「今展示は本館の幕末展示の集大成ともいうべき企画です。下関の幕末の息遣いを感じてほしい」と来場を呼びかける。

 今月18日までで、午前9時半〜午後5時。一般500円、大学生300円、18歳以下や市内の65歳以上などは無料。同博物館(083・245・0555)。【平川昌範】

〔下関版〕


鹿児島
12月、鹿児島市などで初の幕末歴史検定
 2016年の薩長同盟締結150周年を記念した第1回薩長幕末歴史検定が12月16日、鹿児島、山口の両県と東京都、大阪府の4カ所で開催される。検定を通し、両県の歴史観光の情報を発信し観光客誘致を図る。
 主催は同検定運営事務局(日本出版販売内)で、両県の観光連盟が後援する。
 試験は2級(中級、5600円)、3級(初級、4700円)。いずれも50分間で、マークシート80問の4者択一方式。正答55問以上が合格となる。
 郵送の申し込みは25日まで。全国主要書店や両県の観光施設に置いている願書(郵便払込票)で申し込む。公式サイト=http://www.kentei-uketsuke.com/satcho/=は12月2日が締め切り。日本出版販売=03(3233)4808。


ブックレビュー
幕末維新変革史(上・下) 宮地正人著 転換期の諸相を多角的に叙述
 かつてある高名な歴史学者が、「通史を書くのは地獄だ」と語っていた。一次史料による実証を旨とする専門史学は、往々にして、史料批判による通念の打破や個別的単発的事象の緻密な考証に専心する傾向がある。かくして、歴史を長期的な視野で把握する「通史」は、良心的研究者からは敬遠される。だがそれは、歴史(history)の奥底にある「物語」(story)という原義を喪失させかねない。その時代の人や社会を包み込み突き動かす歴史の奔流を総体的につかみ取ろうとする営みは、学とは異質な“詩”の領分として、小説など文学の世界に委ねられる。

(岩波書店・各3200円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
 著者は厳密な実証的手法で著名な日本史家である。その仮借ない史料批判は、世間で流布する歴史像を時に厳しく指弾してきた。本書は、そのような学界の大御所である著者が満を持して送り出した物語的歴史学の大作であり、著者自身が強く意識している島崎藤村の『夜明け前』への学問的オマージュともいえる。本書を繙(ひもと)けば、幕末維新の歴史的転換期の諸相が国際関係、政局、思想、文化、社会運動、民衆意識といった網羅的な観点から、そして政治外交史や社会史さらにはグローバルヒストリーの手法も動員して多角的に叙述され、しかもいずれの論述も豊かな史料的裏付けをもって綴(つづ)られていることに驚嘆させられる。読者は、あたかも有機的に織りなされた歴史の一大タペストリーを展覧したかのような読後感に浸れるだろう。

 一次史料がふんだんに引用された本書を読むことは、よほどの歴史好きでなければ難しいかもしれない。だが、国際環境の激変と資本主義の世界化という外圧のなかで、それに対抗し対応するかたちで民族観念が醸成され、下からの社会変革の運動となって湧きあがるも、やがては上からの国家の論理によって挫折を余儀なくされる辛酸の物語は、極めて今日的でもある。評者としては、やはりこの時期の時代精神を刻印する公議公論の理念が維新後の国家建設に化体していくという別個の物語にも関心があるが、それもこの雄編が与えてくれた歴史学への宿題といえるだろう。

(国際日本文化研究センター准教授 瀧井一博)

エンターテインメント
綾瀬はるか主演『八重の桜』ポスター完成 “幕末のジャンヌ・ダルク”披露
 女優の綾瀬はるかが主演する来年のNHK大河ドラマ『八重の桜』(1月6日スタート、毎週日曜 後8:00)のメインポスターが21日、公開された。綾瀬演じる主人公・八重が「幕末のジャンヌ・ダルク」と言われる所以でもあるスペンサー銃を手にした凛々しい姿を見せている。

綾瀬はるか、『八重の桜』クランクイン「一歩一歩、大事に」

天然キャラのイメージがある綾瀬が、女優としての本領を発揮。タイトルにもある桜を大きく描いた鮮やかなピンクの打掛けをまとい、美しくもありながら、真剣なまなざしは、強い意志で時代を切り開くヒロインを表現している。

 コピーの「この時代、咲いてみようじゃないの●」(●=ハートマーク)には、「どんな時代であろうと力強く悔いなく生き抜いてみようじゃないの!」といった強い思いが込められている。

 同ポスターは、12月から全国のNHK放送局ロビーや、ドラマの舞台地である福島県などで掲出される予定。

 大河ドラマは歴史の再現ドラマでなく史実ネタのエンターテインメントだと割り切ってお迎えしようと思います。
 それでも会津側が主役のドラマは嬉しかったりして。

伊藤英明の渾身新作、今度は大島優子に感動の涙を
 [映画.com ニュース] テレビ東京新春ワイド時代劇「白虎隊~敗れざる者たち」の発表会見が11月21日、都内で行われ、主演の北大路欣也はじめ、黒木瞳、国仲涼子、伊藤英明、小林稔侍、岸谷五朗ら主要キャストが役衣装でそろった。北大路が「全シーンにスタッフと出演者が全身全霊を込めた」という渾身作。先日、主演映画「悪の教典」をAKB48の大島優子に全否定される憂き目にあった伊藤も「1月2日の7時間(の放送の間は)、永遠に感動の涙を流させる自信がある」と胸を張った。

【フォトギャラリー】「白虎隊~敗れざる者たち」発表会見の模様はこちら

 正月恒例の長尺時代劇。来年は幕末に散った白虎隊を描く。北大路演じる会津藩家老、西郷頼母とその家族の物語を中心に、時代に敗れ去った会津の運命から、命の尊さを紡ぐ。物語の舞台であるとともに東日本大震災で甚大な被害を受けた福島を応援する思いも込め、時代劇ながら撮影は同県など関東だけで行っている。北大路は会津若松ロケを「熱いものがこみあげてきた」と感慨深げに振り返り、残りわずかのスケジュールに「最後まで真心を込めて務めたい」と力を込めた。

 伊藤は会津藩主、松平容保役を演じる。凛々しい陣羽織姿で「肖像画にある病弱そうな感じと違い、強そうな感じになってしまった」と笑わせながら、「同じ岐阜出身ということで縁深いものを感じながら演じた」と話した。黒木が主人公・頼母の妻・千重子役、国仲が頼母の妹・眉寿子役、小林が頼母の親友・萱野権兵衛役、岸谷は土方歳三役。白虎隊士役は須賀健太、中村蒼ら。

 黒木は、演じた会津女性について「潔く、強いですよね」と心打たれたよう。国仲は、監督から恋愛担当を任されたと言い、「思いっきり恋愛しました。ドキドキしっぱなしでした」とはにかんだ。念願の土方役を演じた岸谷は、初共演となった年下の伊藤から「頼れる兄貴分で、是非お酒を酌み交わしたい」とラブコールを送られ快諾していた。主題歌「風歌 KAZEUTA」を書き下ろした加藤登紀子も駆けつけた。脚本はジェームス三木。放送は、来年1月2日午後5時から一挙7時間。テレ東系列各局のほか、福島中央テレビでも1~2月にかけ放送される。(映画.com×文化通信.com)

 テレビ東京の新春時代劇も白虎隊なんですね。でも西郷頼母一家とその家族を中心って……白虎隊ってタイトルがいいのかしら……(汗)。
 伊藤英明さんの容保様、とてもお似合いです。岸谷五朗さんが土方歳三なんですね、かつて日本テレビの年末年始の時代劇『白虎隊』で土方さんを演じた近藤正臣さんが自分的には映像的にデフォなのですが、コメント見るとかなり熱演されているのでちょっぴり期待してみます。
 久しぶりに立川流三昧。昼の部は立川流誕生前の巻、夜の部は立川流誕生後の巻。豪華なメンバーでたっぷり愉しんだ。

一門挨拶
片棒/談幸
家見舞/龍志
粋曲/小菊
バールのようなもの/志の輔
中入り
谷風情相撲/文字助
対談/毒蝮三太夫&左談次
人情八百屋/談四楼

(一門挨拶)
(宮戸川/談修)
リレー踊り/安来節 平林→かっぽれ 談慶
(ん廻し/雲水)
初天神/生志
鼎談/野末陳平・志らく+高田文夫
中入り
デモ大好き/松元ヒロ
饅頭怖い/志らく
棒鱈/談春


 一門挨拶の後、初っ端が談幸さんかというぐらい、充実したラインナップ。

片棒……ケチの噺で葬式ネタってところから始まるところが家元の追善落語会っぽい。おもてなしに凝る長男が春太郎で、祭り好きな次男が楽次郎で、ケチな三男が正三郎って名前なのは初めて聴いた。軽く演じてくれたのが良かった。

家見舞……戒名が立川雲古斎に敬意を表してか、○んこネタ。

粋曲……いつもの寄席スタンダードへの八番、都々逸などなど。

バールのようなもの……志の輔師匠、チケット取れなくてパルコ以来(;_:)。師匠の思い出話。仙台に行く時に運転手やってた志の輔さんがスピード違反でチケット切られて、家元が議員つながりで元防衛庁長官に話をつけようとしたけど結局はまったく影響力なくって、家元が「免停ひとつもみ消せなくて、国が守れるか」と毒づいたという。そこから、師匠の「やかん」は弟子でも真似ができなくて、志の輔さんは「バールのようなもの」という新作落語にして、家元にも認められたという。よみうりホールが爆笑に次ぐ爆笑で、笑ってホカホカ温かくなった。

谷風情相撲……真っ白い髪にあごひげの、日本昔ばなしに出てくる翁という風情。でも、声はよく通る。自分は「佐野山」という名前で覚えていたネタ。

毒蝮三太夫・左談次の対談……まむちゃんは小学校の先輩(有名人はそれだけって小学校^_^;)。毒舌が過ぎてあんまり好きって訳じゃなかったが、家元の思い出話は面白かった。お互いの結婚式で司会をやった時の話では、先に式したまむちゃんがお金がなくて千円の会費制で式をした時、金が亡くて引き出物を揃えられないから、くじ引き制にして、家元がそれぞれの景品に一ひねりした解説をつけたとか。むちゃくちゃ面白かった。

人情八百屋……談四楼師匠の高座は、たった二度目。でも、何か、懐かしい。発声とか表情とかに、家元の面影がある。とは言え、家元だと脂っこくてもたれそうなネタを、軽く心地よく。

夜の部はうっかり蕎麦屋酒してて冒頭の一門挨拶(談笑さんが抜けてて直弟子コンプリートしなかったそうな……その談笑さんが遅刻して楽屋入りするエレベーターに乗り合わせて、至近距離の談笑師匠にドキドキしてしまった^_^;)。

蕎麦屋酒が回って、ちょっといい気分。安来節とかっぽれはやんやの拍手で見物したけど、その後の「ん廻し」の最中に熟睡してて、気がついたら「初天神」の途中。明るくパワフルな生志で、目が覚めた。

野末陳平と志らくの対談で始まった……陳平師、爆笑もの。志らくが振り回されている(^_^;)。そして、冥土から戻ってきた高田文夫、圧倒的な面白さ。さすが明大落研で志らくの先輩だけあって、志らくも絶句するほど。

粗忽長屋……談笑師、鼎談の後に出てくるのはとっても大変だったそう。でも「正蔵師匠の人情噺が始まるよ〜」「三平師匠の(以下略)」とか、普通は「抱かれている俺は確かに俺だが、抱いてる俺は誰だろう」ってオチで終わらないのが談笑流。何度聴いても笑える。

饅頭怖い……私にとって落語は音楽に近いようで、声の質や間の取り方で合う合わないがあるようだ。立川派でも恐れ多いことながら家元と志らく師が自分の波長に合わないんだよなぁ……。

棒鱈……うわ〜、談春師で「棒鱈」が聴けた!! 赤べろべろの醤油漬け、えぼえぼ坊主のそっぱ漬け。「十二月(じゅうにがち)」、「おしょうがちいが、松飾り、にがちいが、テンテコテン♪」酔っ払った町人が田舎侍の顔にマグロの刺身盛りを皿ごとちゃぶ台返しして、「武士の面体に」と田舎訛りたっぷりで田舎侍が怒る。筋らしき筋はないんだけど、要は明治維新以来、田舎侍が幅をきかせている時代を面白くないと思った江戸の町衆が意趣返しする噺ね。向こうっ気の強い春師のニンに合った噺。









今年の落語通いも40回を超えましたなぁ……落語研究会は定連席を確保しているので確実に毎月見られます。今日はトリが権太楼師の予定だったんだけど、半月板の師手術のためピンチヒッターでさん喬師が代演。寄席で代演は珍しくありませんが、落語研究会での代演は初めてらしいです。権師に代わって喬師って、いいチョイスですね。
 ただ、今日の私は風邪を誰かに移されたようで、咳をしないようにこらえつつ、ついくしゃみをし、微熱にぐったりしつつ、頭ボーっとしてて……落語向きではありませんでした。

「千早ふる」桂三木男
 先々代と先代(叔父さん)についてちょっと触れる。まぁ淡々とした「千早ふる」でした……逆にいえば、この出番ではさらっとできてよくできましたというところか。

「碁どろ」志ん陽
 滅多にかからないネタなので聴きたかったが……途中から意識が朦朧となってしまいました、すみません。

「大工調べ」圓太郎
 志ん朝師に習ったんですって。志ん朝さん、あまり得意でないと思っていたそうで「お前、俺のどう思う?」「…お上手です」という微妙な間のやりとりで志ん朝師が顔真っ赤にして怒っちゃったんですって。あの志ん朝師にもそんなところがあったんだなぁとにやにやしちゃいます。
 棟梁が啖呵切るまえのタメがたっぷりあって、お裁きの場面もついた長講版。棟梁の啖呵は3つほどのパートに分けられていた。

「死ぬなら今」鯉昇
 わーい、初めて生で聴く。あかにし屋ケチ兵衛さんが死んで、息子がずだ袋に入れてくれた地獄の獄吏を買収する三百両(実は偽金)が地獄に出回って、突如バブル景気に見舞われる地獄……それを天国が取り締まって。
 鯉昇さんは、ほんと、座布団にちょこっと座っているだけで可笑しい。

「お若伊之助」さん喬
 声の質の好みの問題で、語り口や人物描写は丁寧だと思うのだがそれが鼻につくと感じてしまう自分なので、さん喬師のいいところをうまく見いだせない……m(__)m。
 「お若伊之助」初めて聴いたのが談春さん版だったし。
 あまり後味のいい噺じゃないんだよね。さん喬師版では、身ごもったことは後の風の噂ということにして、いくらか後味を和らげてくれた。





 
 めぐろパーシモンホール、初めて。駅から少々歩くが、赤や黄に色づいた木々のある公園の中にあり、ホールも立派。

初天神/ろべえ
錦の袈裟/三三
(中入り)
寄席囃子/そのじ
禁酒番屋/小三治

初天神/ろべえ
 喜多八門下。喜多八の「喜多さん」に対応して「弥次さん」弥次郎兵衛と名付けるところを、まだ未熟なので半分の「ろべえ」と師匠に付けられたのだそうだ。
 「初天神」は最近ではやっぱし一之輔さんが好き。ろべえさんのは金ちゃんがやかまし過ぎて、ちょっと入り込めなかった。

錦の袈裟/三三
 「錦の袈裟」初めて生で聴いた。三三さんのでよかった。吉原での女郎買いを題材にしているから、軽やかで、テンポよく、もたれずにさっぱり。

寄席囃子/そのじ
 普段はお囃子さんとして裏方で三味線を弾いている方。小三治門下。
 端唄「梅は咲いたか」のほか、リクエストで鯉昇師匠の出囃子「鯉つかみ」を弾いたり(志ん生とか圓生とか、今は亡き昭和の巨匠の出囃子でなかなか生で聴けないのを聴きたかったなぁ……)、「お伊勢参り」に「伊勢音頭」。

 そのじさんが下がる間もなく、小三治師匠が現れて会場沸く。そのじさん入門の経緯を説明するなどして、その後に都々逸を一節(わーお!!)。そして、背中を丸めてちょこちょこと歩いて高座を下がる小三治師匠に思わず「かわいい……」と呟いてしまった(^_^;)。

禁酒番屋/小三治
 気候の話、小三治師にしては短めなマクラの中、三三さんの弟子入りの経緯を語り、三三さんにはまだふたつコメントしただけで細かいことは教えていない、自分自身が師匠の小さんにほとんど教えられていない中で唯一稽古をつけてもらった時に「お前の噺はつまらねぇ」と言われてトラウマになったという体験談。その一言のおかげで、今の歳になるまで自分に満足せずに努力を続けてこられたと。そう言えば、去年談志師匠の特別番組で「蒟蒻問答」を小さん・談志・小三治が登場人物を分けて口演していたのがあって、当時26才の小三治(当時は「さん治」)が天才肌の兄弟子を前にちょこっと力み過ぎかなと思える沙弥托善を演じていたが、最近はなかなか見かけることのない濃い男前っぷりが素敵なんだけど、小さん・談志と競演するのは凄いプレッシャーだったんだろうなぁ。
 酔った人と酔ってない人の言動はあべこべという話など振って、禁酒番屋へ。ライブで聴いているのは談春師と市馬師、これに小三治師が加わるとなると……耳が贅沢になる一方(苦笑)。
 何というか、立川談春は落語家で、柳家小三治は噺家なんだな。談春さんは言葉の編集力とメロディとリズムでその噺の世界に連れてってくれるのに対して、小三治さんはその場で人の可笑しさ可愛さを見せてくれる。権限を振りかざして酒を取り締まる禁酒番屋の武士たちに威勢よく反抗する酒屋の若者に眼目を置く談春、突然の禁酒令に商売の根幹を揺るがされて困った挙げ句にあれこれ知恵を働かせる商家の人々にも禁酒令ゆえ隠れて呑んだり取締りの役得に預かって呑んだりする武家の人々にも可笑しさと可愛さを描いて見せてくれる小三治。もちろん市馬さんは小三治寄り。どれが一番優れているかではなくて、その時その時にしか聴けない高座を堪能させていただくだけ。




 

 ようやく秋らしい青空に恵まれた一日。一年で一番過ごしやすい秋と春が年々短くなっているような気がするのは、私の気のせいでしょうか……(汗)。

北海道
伝統「御徒士行列」 上ノ国八幡宮渡御祭
 【上ノ国】大名行列をほうふつさせる上ノ国独自の「御徒士(おかち)行列」が16日、町内で行われた。若者が左右の足を高く振り上げて進む姿に、沿道の町民が見入った。

 この行列は、江戸時代中期にルーツを持つとされる古里の伝統で、上ノ国八幡宮渡御祭の中で行われている。松前藩が上ノ国の民衆に敬意を表し武士だけに認められた裃(かみしも)の着用を、お祭りに限り許したことが始まりという。昭和40年代に一時途絶えたが、同55年ごろに町民の熱意で復活、以来伝統をつないでいる。

 行列を先導する猿田彦命に付き従い、裃姿で八幡宮の境内を出発した15人は「やあー、きたり」の掛け声で町内を巡行。日暮れまで練り歩き、沿道の民家でお神酒の振る舞いを受けた。

 夜には同八幡宮で町内の子どもと大人が神楽を奏上し五穀豊穣や地域安全・発展を願った。

 御徒士行列に参加した、桧山振興局の原田吉信さん(37)と青柳剛さん(40)は「歴史と文化に触れられる貴重な経験で参加できてうれしい。今後も桧山振興局などから参加者が続くことを期待したい」と話していた。


福島
「歴ドル」会津親善大使に 小日向えりさんに任命証
 歴史好きアイドル「歴ドル」の小日向えりさん(24)が17日、福島県の会津若松観光物産協会の会津親善大使に任命された。来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公・新島八重らを取り上げた著書「会津に恋して」が発刊される予定で「会津のPRのお手伝いができるよう頑張ります」と、観光復興を期す会津の応援を誓った。 
 小日向さんは奈良県出身。女性芸能人で唯1、三国志検定1級の資格を持ち「イケメン幕末史」などの著書がある。NHK・Eテレの「高校講座世界史」の司会を務めている。 
 会津若松市役所で任命式が行われ、室井照平市長が任命証を手渡した。小日向さんは「ありがたき幸せです」と笑顔で受け取った。全国の歴史ファンに対するPRを通じ、会津を訪れる人を増やす役割が期待される。 
 「会津に恋して」は八重や兄・山本覚馬、夫・新島襄ら幕末の会津に関わる25人の生涯と魅力を分かりやすく紹介した。1冊1470円で、23日に発売される。 


東京
最後の浮世絵師「没後120年記念 月岡芳年」 「血みどろ絵」で閉塞感を打破

■「血みどろ絵」で閉塞感を打破

 折れたやりが足に突き刺さり、血が足を伝わり床に流れ出る。壁には血染めの手形。そんな状況で平然とおけのお湯を飲む男。挾客(きょうかく)の元祖ともいわれる幡随院長兵衛(ばんずいいん・ちょうべえ)が、丸腰の風呂場で刺殺された場面とされる。なんとも残虐でおぞましい。

 「最後の浮世絵師」といわれた月岡芳年の絵だ。その作品は、切腹などで血が噴き出た過激な表現が特徴で「血みどろ絵」とも「残酷絵」ともいわれている。作家の江戸川乱歩、谷崎潤一郎、三島由紀夫らが絶賛。芥川龍之介にいたっては「血みどろ絵」を一時期所蔵していたほどだ。

 没後120年を記念した「月岡芳年」展が、東京の太田記念美術館で開催されている。

 首がスッパリと刀で切られたり、身体中に矢を受けていたり、妊婦が逆さづりにされたり…。あまりにもショッキングなシーンに、ドキドキしてしまう。歌舞伎や講談の刃傷場面を題材にした「英名二十八衆句(しゅうく)」というシリーズは、画面に血があふれ、凄惨(せいさん)極まりない。ではなぜ芳年は、それほどまでに生臭い血に執着したのか。

 「血を多用することで場面を盛り上げたのでは」と、太田記念美術館主幹学芸員の日野原健司さん(37)は解説する。確かに鮮烈な血は人目を引く。

 芳年は若くして才能を発揮した。浮世絵師の歌川国芳(1797~1861年)に入門し、3年がたった15歳のころに描いた「源平合戦」の絵が高く評価される。20歳のころには売れっ子絵師として活躍した。「血みどろ絵」の一方で、「芳年武者无類(むしゃぶるい) 源牛若丸 熊坂長範」といった軽快でさわやかな絵もある。ひらりと宙に舞って太刀を振るう牛若丸の劇的な構図は、現代の劇画のようでもある。

 芳年が生きた幕末は不穏な時代だった。1853年には黒船が来航。55年には安政の大地震、60年には桜田門外の変が起きた。一揆が多発し、暗殺が横行。そうした不安な時代にあって、人気を博した。

 芳年は昨年あたりから雑誌などで特集されたり、本が出版されるなど隠れたブームとなっている。新人物往来社では昨年6月に『衝撃の絵師 月岡芳年』(平松洋解説、2205円)を出版。担当編集者は「現代の劇画に通じる現代性が受けているかも」と、好調な売れ行きの背景を推測する。一方、美術評論家の平松洋(ひろし)さん(49)は「芳年は実際の死体を見て描いているのでリアリティーがある。先が見えない現代も幕末と似ていてリアルな表現が求められているのかもしれない」と話す。

 閉塞(へいそく)感に包まれた時代には、平穏な絵よりも、むしろ血のほとばしるリアルで激しい色彩の絵の方が刺激的で、好まれるのかもしれない。(渋沢和彦)

 ■幕末が生んだ特異な3絵師

 月岡芳年の師匠は、江戸時代末期に活躍した浮世絵師の歌川国芳(くによし)だった。高い塔のある風景を描き、現代では「江戸のスカイツリー」などといわれて話題になった鬼才だ。「宮本武蔵と巨鯨」という作品では、鯨と戦う武蔵を描き、強さを強調。巨大な骸骨や鋭い爪を持つ化け猫を描くなど、奇想天外な作品を送り出した。芳年は、この特異な絵師に師事したことも自身の芸術に大きな影響を与えたようだ。

 国芳の門人には、河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい)(1831~89年)という個性的な絵師もいた。川で拾った生首を写生したという伝説も持つ。目が飛び出たような人物を描写するなど奇怪さが特徴。幕府と長州藩の対立を無数のカエルの兵隊に見立てた風刺的な作品も多い。

 3人の絵師は、おどろおどろしい画風から、これまでは芸術的な視点ではあまり認められていなかったが、近年は研究者の間で再評価の機運が高まっている。

 【プロフィル】月岡芳年

 つきおか・よしとし 天保10(1839)年、江戸に生まれた。歴史画、美人画、武者絵など多様な浮世絵を制作。浮世絵が需要を失いつつあった時代の中で売れっ子になった。神経衰弱に悩まされながら制作を続け、明治25(1892)年に53歳で死去した。

 【ガイド】「没後120年記念 月岡芳年」は11月25日まで、太田記念美術館(東京都渋谷区神宮前1の10の10)。代表作や新発見を含む240点で全容を紹介する。休館日は月曜と展示替えの29日~31日。入館料一般1000円、大学生700円、中学生以下無料。問い合わせは、ハローダイヤル(電)03・5777・8600。


京都
 記事の見出しに「新選組旧屯所」と紹介され、どきーん。八木邸のことでしたか。
 7年間で1億8千万とは、巨額な(汗)……歴史的な建物を先祖代々維持していくことの大変さに敬意を抱いているからこそ、内ほんのいくばくかを投じた身としては「私達歴史好きから集めた所得をちゃんと申告しないで税金を浮かすなんて(涙)」という気持ちを抱かずにいられません。
新選組旧屯所が所得隠し 大阪国税局指摘、拝観料少なく申告
 幕末に新選組が最初に活動拠点となる屯所を置いたことで知られる八木家が経営する和菓子店「京都鶴屋鶴寿庵」(京都市中京区)が大阪国税局の税務調査を受け、2010年9月期までの7年間で約1億8千万円の所得隠しを指摘されたことが19日、分かった。追徴税額は重加算税を含め約6千万円とみられ、全額納付したという。

 京都鶴屋鶴寿庵は1990年に株式会社として設立。幕末時のまま残る八木家の住宅を「壬生屯所旧跡」として茶菓子代込みで1人当たり千円の拝観料で公開している。

 関係者によると、入場者数を実際より少なく計上し、拝観料収入の一部を除外して申告しており、国税局は重加算税の対象となる「仮装・隠蔽」行為があったと判断したとみられる。除外した売り上げは建物の修繕費などに充てていたという。

 京都鶴屋鶴寿庵は取材に対し、税務調査を受けたことは認めた上で「そのような(所得隠しの)指摘を受けたことはない」としている。

 八木家は新選組の前身となる浪士隊の宿舎となり、1863年に新選組が発足すると、最初の屯所になった。初代局長、芹沢鴨が暗殺された場所としても知られる。〔共同〕

新選組ゆかりの菓子店が所得隠し=1億8000万円-大阪国税局

 幕末に新選組が活動拠点「壬生屯所」を置いたことで知られる八木家が経営する和菓子製造・販売会社「京都鶴屋鶴寿庵」(京都市中京区)が大阪国税局の税務調査を受け、2010年9月期までの7年間で約1億8000万円の所得隠しを指摘されていたことが19日、分かった。追徴課税は重加算税を含め約6000万円で、既に納付した。
 関係者によると、同社は八木家住宅を「壬生屯所旧跡」として、茶菓子代込みで1人1000円の拝観料で公開。入場者数を実際より少なく計上、収入の一部を売り上げから除外しており、仮装・隠蔽(いんぺい)を伴う悪質な所得隠しと判断されたもようだ。(2012/10/19-18:13)


新選組ゆかりの和菓子店、1億8千万円所得隠し
 幕末の京都で新選組の活動拠点となった八木家が経営する菓子製造販売会社「京都鶴屋鶴寿庵
かくじゅあん
」(京都市中京区)が大阪国税局の税務調査を受け、2010年9月期までの7年間で約1億8000万円の所得隠しを指摘されていたことがわかった。


 同社は重加算税を含め追徴税額約6000万円を全額納付したという。

 関係者によると、同社は幕末時のまま残る八木家住宅を「壬生
みぶ
屯所旧跡」として、茶菓子代込み1人1000円の拝観料で公開している。入場者数を実際より少なく計上し拝観料収入の一部を売り上げから除外していたといい、同国税局は、仮装・隠蔽を伴う所得隠しと判断したとみられる。

 同社は「拝観料収入を建物修繕費などに使っていたが、現在は適正に処理している」としている。

(2012年10月19日11時48分 読売新聞)


新選組旧屯所、1億8000万円所得隠し 大阪国税局が指摘
 幕末に新選組が最初に活動拠点となる屯所を置いていたことで知られる八木家が経営する和菓子店「京都鶴屋
つるや
鶴寿庵
かくじゅあん
」=京都市中京区=が大阪国税局の税務調査を受け、2010年9月期までの7年間で約1億8千万円の所得隠しを指摘されたことが18日、分かった。

 追徴税額は重加算税を含め約6千万円とみられ、全額納付したという。

 京都鶴屋鶴寿庵は1990年に株式会社として設立。幕末時のまま残る八木家の住宅を「壬生屯所旧跡」として茶菓子代込みで1人当たり千円の拝観料で公開している。

 関係者によると、入場者数を実際より少なく計上し、拝観料収入の一部を除外して申告しており、国税局は重加算税の対象となる「仮装・隠蔽
いんぺい
」行為があったと判断したとみられる。除外した売り上げは建物の修繕費などに充てていたという。

 八木家は新選組の前身となる浪士隊の宿舎となり、1863年に新選組が発足すると、最初の屯所になった。初代局長芹沢鴨が暗殺された場所としても知られている。

 京都鶴屋鶴寿庵は取材に対し、税務調査を受けたことは認めた上で「そのような(所得隠しの)指摘を受けたことはない」としている。

 それにしても鶴屋鶴寿庵側のコメントが所得隠しの事実を否定するものから認めた上で改善していると述べているものまでぶりまくりなんですが(汗)……取材時期や取材者によって違うのでしょうか。

兵庫
明石でも幕末「新撰組」活躍 神戸大大学院が古文書調査
幕末期、大阪湾に入る外国船に備える役割を担った明石藩が、西洋式砲術を学んだ農兵隊「新撰組」を組織していたことが、神戸大大学院人文学研究科地域連携センター(神戸市灘区)の古文書調査で明らかになった。文書には兵への給与や褒賞を示す記述もあり、同センターは「明石藩の軍制改革を知る貴重な手がかり」と注目している。(小林良多)
 明石藩に関する史料は太平洋戦争中の空襲などで多くが失われた。そんな中、家老・黒田家の関係者が今年6月に明石市に寄贈した当時の当主日記や、藩領だった神戸市北区の旧家で見つかった文書などから「新撰組」について解明が進んだ。
 史料によると、藩主の命で1863(文久3)年ごろに農民が集められ、月2度の砲術訓練が課せられた。翌年には「新撰組」と命名され、京で長州藩兵が幕府側諸藩と戦った「禁門の変」が起きると、兵庫津(現在の神戸市兵庫区)の警衛に15人が参加。城下で鉄砲の試し撃ちを行う様子も記され、西洋式砲術を学んだ部隊が幕末期の動乱の中で運用された様子がうかがえる。
 また、藩発行の紙幣による給与支払い▽農作業を理由に嘆願すれば脱退できたこと▽褒美として名字を名乗ったり帯刀が許されたりしたこと‐など、待遇面についても記されていた。
 新撰組は4年後の67(慶応3)年に解散しており、同センターの前田結城研究員(29)は「軍事は武士の特権だけに、農民を取り込む西洋化には藩士の反発もあったはず。最初は農兵を区別したが、このころには配慮が不要になったのかもしれない」とする。
 同時期に京で治安維持に当たった“本家”の「新選組」も農民出身者を含む部隊。名称が同じ点について、前田研究員は「民衆から新たに選んだ部隊という意味で自然に名付けられたのでは」と分析している。
【農兵】江戸末期、開国に伴う外国船来航や頻発する一揆への対策として、幕府や各藩などが農民を軍事徴用した。兵庫県内では姫路藩や赤穂藩などが部隊をつくったとされる。


鳥取
幕末の鳥取藩題材 市民ら自主制作映画 「維新の魁」ロケ始まる
幕末の鳥取藩史を描く市民らの自主制作映画のロケが始まり、1作目の最も重要なシーンが20日、国指定名勝の庭園で知られる鳥取市の古刹(こさつ)、観音院で撮影された。役者からスタッフまですべて市民らの手作りで10~20分の短編を10話制作し、通して見れば2時間半ほどの大作になる予定。スタッフらは、年内にも1作目を完成させたいとしている。

 撮影が始まったのは、全編完成時の第4話で、佐幕派の藩の重鎮、黒部権之介と勤王派の堀庄次郎が、藩政の行方をめぐって京都の本圀寺で激論を繰り広げたエピソードの場面。堀は、水戸藩主だった徳川斉昭の5男で父譲りの尊王攘夷論を唱えていた藩主、池田慶徳の意をくんでいたとされるが、議論は決裂し黒部らは後日、勤王派に襲撃されて命を落としている。

 「維新の魁(さきがけ)」と名づけられたこの映画は、同市の元県立図書館長、森本良和さん(55)の呼び掛けに協力者が結集。

 難航していたキャスティングは、今回撮影分に登場する黒部役に酒類販売会社「林兼太郎商店」の林憲二社長(59)、堀役にNHKアナウンサーの田中逸人さん(32)が決まり、撮影に臨んでいる。


山口
全国龍馬ファンの集い:幕末の志士に思いはせる 安倍・自民総裁が講演−−下関 /山口

 「第24回全国龍馬ファンの集い下関大会」が20日、下関市豊前田町の海峡メッセ下関であった。全国から約360人の龍馬ファンが集まり、幕末の志士の生き方に思いをはせた。

 集いは2部構成。第1部では「龍馬と長州−−長府と萩と幕末日本」と題して▽市立長府博物館の古城春樹館長▽京都国立博物館の宮川禎一企画室長▽長崎シーボルト記念館の織田毅館長−−が意見を交わした。

 第2部では、自民党の安倍晋三総裁が登壇。講演で「龍馬が問題意識を持って行動したからこそ、日本は明治という黄金時代を迎えることができた」と龍馬の行動力を評価。また、龍馬が起草した8条の国家構想「船中八策」について、「海軍力を強くするというのは、領海が脅かされている現在にも当てはまる」などと指摘した。【平川昌範】

〔下関版〕


雑記帳:萩で幕末の勉強の様子を体験
 山口県萩市須佐の益田(ますだ)館で19日、幕末の勉強の様子を体験するイベントがあった。地元の市立育英、弥富(やどみ)両小の6年生計24人が袴(はかま)や和服姿で机に向かったり、刀抜きを学んだ。

 益田館は、毛利藩永代家老で須佐領主の益田家の旧宅。体験は同家の郷校「育英館」で若者が勉学に励んだ歴史を知ってもらおうと始められ、今回20回目の節目を迎えた。

 授業は書道や刀の抜き方、論語の唱和などで、幕末の育英館をほうふつとさせたが、やはり現代っ子。慣れない正座でしびれた足をさすり「昔でなくてよかった」。【川上敏文】


佐賀
世界遺産フェスタ:「三重津海軍所跡」紹介 登録へ催し--佐賀 /佐賀
 世界遺産登録を目指す九州・山口の近代化遺産の一つ「三重津海軍所跡」を紹介して気運を盛り上げようと、「世界遺産フェスタ」が20日、佐賀市川副町早津江の同海軍所跡や佐野常民記念館などで始まった。21日まで。

 県や市などでつくる実行委の主催。海軍所は幕末の佐賀藩が船の建造や修理に使った施設で、国内初の実用的木造蒸気船「凌風丸」を完成させた。
 フェアでは市が進める海軍所跡の発掘の様子が公開され、担当者が歴史的価値などを解説した。市によると、遺跡の内容確認のための発掘は今年度で終了となるため、「これまで発掘された遺構の全体を見学できるのは最後の機会になる可能性もある」として、来場を呼びかけている。
 21日は午前10~11時と午後1~3時に計5回説明会がある。問い合わせは実行委0952・25・7253。【田中韻】
10月21日朝刊


エンターテインメント
宝塚歌劇雪組トップスター・音月桂の笑顔輝くサヨナラ公演、雪組『JIN-仁-』開幕!
輝く笑顔が魅力的な宝塚歌劇雪組トップスター音月桂(おとづき・けい)、舞羽美海(まいはね・みみ)のサヨナラ公演が10月12日(金)、兵庫・宝塚大劇場で開幕した。ラストステージを飾る演目は、ミュージカル『JIN-仁-』と、ショー『GOLD SPARK!-この一瞬を永遠に-』だ。

宝塚歌劇雪組『JIN-仁-』の写真

漫画家・村上もとかの大ヒット作で、大沢たかお主演のドラマも記憶に新しい『JIN-仁-』。幕末の江戸を舞台に、現代からタイムスリップした医師・南方仁と町の人々との人間模様を描いた作品だ。江戸の町に蔓延するコロリ(コレラ)、花街・吉原の感染病、花魁・野風の病気など、数々のエピソードをアレンジしながらテンポ良く展開。仁の恋人・結命と、江戸で出会う橘咲を舞羽、坂本龍馬を早霧(さぎり)せいな、橘恭太郎を未涼亜希(みすず・あき)、勝麟太郎(海舟)を専科・北翔海莉(ほくしょう・かいり)……と、さまざまな人物が登場し、舞台を彩る様子を眺めるだけでも面白い。さらには、艶やかさや華やかさ、殺陣の躍動感など和物ならではの美と粋が堪能できる。

現代で恋人を亡くし、空虚な心を埋められないでいた仁が活力と笑顔を取り戻していく様を、緩急つけて表現する音月。咲と結命のふた役を、どちらも意志の強さを持たせながら、真っ直ぐな咲と知的な結命として演じ分ける舞羽。熱く豪快な龍馬を豊かな表情とアクションで表現する早霧。そして北翔や未涼が、どっしりと安定感のある落ち着いた演技と歌唱で舞台の空気を締める。

突然タイムスリップしたことに戸惑いながらも、病や怪我、災難に苦しめられる江戸の人々を笑顔に変え、慕われ、愛されていく仁の姿は、“トップスター音月桂”の姿に自然と重なり、ぐっと胸に迫る。咲との絶妙な距離感、龍馬との友情、恭太郎や勝との信頼関係を描く中で、サヨナラ公演を意識したセリフや演出が散りばめられる。仁を中心に、舞台がどこか温かい空気に包まれているのは、その存在で周りを明るくしてきた音月を中心とする雪組だからこそ出せる空気感だろう。

第2幕のショーは、煌めく衣装をまとった音月のソロからスタートし、心躍るようなリズムのナンバーで躍動感あふれるダンスが繰り広げられる。ダークファンタジーのようなストーリー性のあるシーンに、“イケメン”たちがスタイリッシュなダンスと歌で魅せるシーン、赤い鳥たちが歌い踊るシーンなど、彩り豊かに展開。中でも、音月自らが希望したという大階段での黒燕尾の群舞は惚れ惚れするカッコよさ。舞羽と音月のデュエットも美しく、ずっと観ていたくなるほどだ。ショーでもまたサヨナラ公演ならではの演出に心揺さぶられる場面もあるが、雪組生があふれる笑顔で放つイキイキとした輝きに、自然と笑みがこぼれる。

兵庫公演は11月12日(月)まで上演。また、11月23日(金・祝) ~ 12月24日(月・祝)まで、東京宝塚劇場にて上演。東京公演のチケットは10月21日(日)一般発売開始。

取材・文:黒石悦子


 
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