新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日も猛暑でしたが、陽が落ちて少しだけ涼しい気がしました。残暑はまだまだ続きそうですが……。

福島
早乙女貢さんの墓建立、会津若松・天寧寺
 「会津士魂」など歴史・時代小説で知られる直木賞作家・故早乙女貢さんの墓が会津若松市の天寧寺に建立されることになり、9月12日に現地で入魂式が行われる。
 会津藩士を曾祖父に持ち、敗者の側から幕末・維新史をとらえ直した早乙女さんの魂が、友人たちの手でゆかりの地に帰る。
市内に記念館を建てて早乙女文学を顕彰しようという計画もあり、早乙女さんが思い続けた「会津士魂」に再びスポットが注がれそうだ。


栃木
塩原温泉観光協会:凌霜隊の縁で岐阜・郡上市と交流へ /栃木
 幕末に結成された「凌霜隊(りょうそうたい)」の縁で、塩原温泉観光協会(田代茂樹会長)と、同隊ゆかりの岐阜県郡上市が交流を深めていくことになった。観光面での活用を狙っていくという。
 那須塩原市で和泉屋旅館を経営する田代芳寛さん(62)は7月28日、郡上市で開催された「郡上藩凌霜隊140年記念事業」に招かれ講師を務めた。この際、田代さんは観光協会会長の「凌霜隊を介して共通の体験をした住民同士の心の交流、ひいては観光などの経済交流まで実現できればと夢見るものです」とのメッセージを郡上市の日置敏明市長に手渡した。これに対し、市長は「よいお付き合いをしたい」と答えたという。
 田代さんは4日に開かれた観光協会の役員会で、郡上市側が塩原側との交流を希望していることを伝えた。田代会長は「これを機会に郡上市側の郷土史家を招いて凌霜隊について講演をしてもらったり、凌霜隊が塩原で地元民と踊ったという郡上踊りを視察して復活を図るなどして交流を進めていきたい」との考えを明らかにした。【柴田光二】


神奈川
かながわ遊ナビ:「神奈川歴史散歩」--来月25日・10月2日 /神奈川
◇旧東海道など探索
 神奈川区いまむかしガイドの会(横浜市神奈川区、大平修会長)は9月25日と10月2日、恒例の「神奈川歴史散歩」を開催する。
 9月25日は「旧東海道東戸塚から保土ケ谷宿を訪ねる」の5キロコース。JR東戸塚駅に9時集合、権太坂や保土ケ谷宿問屋場跡などをめぐり、JR保土ケ谷駅で12時半に解散する。10月2日は「激動の幕末を見つめた神奈川宿」として、京急神奈川新町駅に9時に集合し、金蔵院や熊野神社など4・5キロを回り、JR横浜駅西口で12時半に解散する。
 各コースとも参加費500円。はがきかファクスでコース名、開催日、氏名、住所、電話番号を明記して〒221-0802横浜市神奈川区六角橋1の10の11すぺーすろっかく内「神奈川区いまむかしガイドの会」(ファクス045・401・8320)へ。


山口
マツノ書店:「松陰先生と吉田稔麿」関連論文増補し再復刻--周南 /山口
 周南市銀座2のマツノ書店(松村久店主)が、「松陰先生と吉田稔麿(としまろ)」(A5判、430ページ)を再復刻した。初版は1938(昭和13)年で著者は来栖守衛(くるすもりえ)。90年に同書店が復刻したが、今回は巻末に増補している。【川上敏文】

 吉田稔麿(栄太郎)は萩藩の下級武士の家に生まれ、16歳で松下村塾で吉田松陰に師事。高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一と机を並べ、「松門四天王」の一人。脱藩して諸国を巡って幕臣に仕えた後、長州藩に復帰。その後、晋作が興した奇兵隊に参加。京都三条の池田屋事変で新選組と戦い負傷、自害した。24歳の若さだった。

 同書には、稔麿が両親や吉田松陰にあてた書簡などが多数収録されている。松村さんは「塾の様子や、松陰の教育方法、稔麿の人柄などが分かる本」と話す。増補部には「吉田稔麿の政治思想」など(三宅紹宣・広島大学大学院教育学研究科教授)▽「池田屋事変における吉田稔麿」(町田明広・佛教大学非常勤講師)の論文や、推薦文「吉田栄太郎(稔麿)の魅力」(一坂太郎・萩博物館特別学芸員)を収めた。

 本は後払いで8000円(税込み、送料300円)だが、残部は少ないという。同書店は、200点を超える明治維新史関係の復刻出版に取り組んでおり、07年、その文化的貢献が評価され菊池寛賞を受賞した。問い合わせは同書店(0834・21・2195)。


松陰門下の幕末志士、吉田稔麿の伝記を復刻
 吉田松陰の門下生で萩出身の幕末志士、吉田稔麿(1841~1864年)の伝記「松陰先生と吉田稔麿」の復刻本が、山口県周南市のマツノ書店から出版された。

 原本は1938年に県教育会から刊行され絶版になったあと、同書店が90年に500部の復刻本を出版したが完売、稔麿について書かれた唯一の評伝として再版が待たれていた。新たに論文を加えるなどし、400部を発行した。

 稔麿は、萩・松本村の下級武士の家に生まれた。江戸で黒船騒動を体験したあと、松下村塾で松陰に師事、高杉晋作、久坂玄瑞らとともに松陰門下生の四天王の一人とされた。幕府に勤王を説くために脱藩、江戸で幕臣に仕えたり、奇兵隊にも参加したりした。京都・三条の池田屋事変で新撰組と戦い、負傷して自害したとされる。

 著者は教育家でもあった来栖守衛で、松陰の愛弟子に対する教育のあり方を記録し、稔麿研究のための資料保存などを目的に執筆。昭和初期に当時、萩にあった吉田家に残されていた稔麿や松陰らの多くの書簡、文書類を調べ、吉田家で逸話などを見聞きするなどしてまとめた。松陰の教育現場が具体的に書き表されたところもあり、松陰や幕末史の研究者たちにとって貴重な必携図書になっているという。

 今回は三宅紹宣・広島大大学院教授と町田明広・佛教大非常勤講師の論文を載せ、内容の充実を図った。萩市特別学芸員の一坂太郎さんも巻末文を寄稿しており、「幕末の動乱に身を投じた、一人の若き草莽
そうもう
の息吹が伝わる好著」と記している。

 原本を拡大したA5判の上製箱入りで430ページ、8000円。注文や問い合わせはマツノ書店(0834・21・2195)へ。(横木稔郎)


長崎
「そうめん帆船」 長崎県庁に登場
 長崎県南島原市の特産「島原手延そうめん」で作った幕末の蒸気帆船が長崎県庁の玄関ロビーにお目見えした。南島原市の地域おこし団体「みそ五郎倶楽部(くらぶ)」(本多祥彦代表)が毎年製作しており、今回は坂本竜馬が乗った「いろは丸」をかたどった。
 全長2・3メートルで千食分。めんを加湿して軟らかくし、しめ縄や三つ編み状にして組み立てた。腰が強く切れにくい特徴を生かしたという。
 今月下旬まで飾った後、南島原市で11月にある「みそ五郎まつり」で披露し、解体して食べるイベントも検討中。冷やしうどんや冷製パスタに押され気味ともいわれるそうめん。本多代表は「粘り腰で消費拡大を目指します」。


帆船:ポルトガル海軍「サグレス」、長崎寄港 きょうから一般公開 /長崎
 ポルトガル海軍の練習帆船「サグレス」(1940トン)が3日、長崎港(長崎市)に入港した。世界一周航海中で、日本とポルトガルが幕末に修好通商条約を締結してから今年で150年となるため、その記念の寄港だ。8日まで滞在し、5~7日には船内が一般公開される。プロエンサ・メンデス船長(43)は「ぜひ多くの市民の皆さんに訪問してほしい」と述べた。
 サグレス号の長崎寄港は、17年ぶり4度目。ポルトガル人が鹿児島・種子島に漂着して鉄砲を伝来(1543年)してから450年となった93年以来だ。長崎とポルトガルとの関係は深く、1571年の長崎開港から1636年の出島築造に至るまで続いた。
 田上富久市長は「『世界一美しい帆船』と呼ばれるポルトガルの宝を市民に見せてもらいありがたい」と述べた。【錦織祐一】


文化芸能
これぞ九州男児の生きざま!ベテラン俳優・榎木孝明が自ら企画した『半次郎』!EXILE・AKIRAや白石美帆も出演
 [シネマトゥデイ映画ニュース] 自身の故郷である九州を舞台にした映画『半次郎』で主演を務めるベテラン俳優の榎木孝明だが、自ら企画段階からかかわり、プロモーションにも積極的に参加するなど気合の入った様子を見せている。ほかの出演者には、AKIRA(EXILE)、白石美帆、北村有起哉、主題歌を平原綾香が務めるなどそうそうたるメンバーがそろっており、激動の時代を見事に映像化した。
本作は、「鹿児島発の映画で日本を元気にしたい!」という榎木の思いがこめられた時代もので、明治維新から西南戦争に至る激動の時代を、西郷隆盛の右腕として戦った薩摩武士・中村半次郎の視点から描いた作品だ。自ら企画を立ち上げた榎木は、西郷役のオーディションにも審査員として参加するなど、精力的に作品にかかわった。それもすべては現代日本に活を入れるためだ。

 榎木演じる中村半次郎の盟友役にはこれが時代劇初挑戦となるAKIRA(EXILE)。殺陣の場面では監督が思わず「カット」と言うのを忘れるほど見事なアクションを披露し、天性のパフォーマーぶりを見せつけた。半次郎を慕うさとを演じる白石も、サトの墓前で撮影終了を報告するなど、この作品には並々ならぬ気合が入っている様子だ。

 主人公の中村半次郎は剣術に優れ、開けっ広げな性格で敵味方かかわらず愛された人物。40歳という若さで命を落としてしまうが、幕末から明治維新にかけての流れを生み出した一人として評価されている。ベテラン俳優、榎木が送る本作は、今だからこそ、人々に観てもらいたい作品に仕上がった。

映画『半次郎』は9月18日より九州先行上映 10月9日より全国公開


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(73)辻元清美と「黒豆」の政策転換

東大教授・山内昌之 姉小路公知
 辻元清美氏が社民党離党を表明した。辻元氏といえば、政策通でも知られた社民党の顔だっただけに、離党劇は残された社民党議員らにとってショックであろう。米軍普天間飛行場の移設問題をめぐる福島瑞穂党首との確執もささやかれている。
 社民党には、民主党や国民新党と連立政権を組んで政治のリアリズムに鍛えられた政治家ばかりいるわけではない。自己の信念を抱きながら柔軟に権力の責任に対応して成長を遂げた政治家、個人の信念だけで政治が動くと勘違いし政策を少しも動かせない(あるいは動かす気のない)政治家など、社会民主党の指導者群像には興味深いものがある。
 少なくとも、辻元氏は国土交通副大臣として前原誠司大臣の信頼も厚く、現実政治で何事かを進めようとする心構えや気迫が見えた。かつて議員給与の流用問題などで失職した体験を「半生の一大厄難」(陸奥宗光(むつむねみつ))として活(い)かしているのかもしれない。政治を現実に動かす与党の立場になれば、野党気質の無責任なイデオロギーを封印するか、清算し転換するか、いずれかの立場を強いられるのは当然である。
幕末政治における最大の政策転換は、攘夷(じょうい)から開国への国是の変化である。そこには大きな犠牲も伴う。代表例は、姉小路公知であろう。
 「白豆」と仇名(あだな)された三条実美(さねとみ)とともに、色黒のために「黒豆」と揶揄(やゆ)された姉小路は、文久2(1862)年9月、コンビを組んで江戸に向かい幕府に攘夷の早期決行を迫った。「皇国の武威」を奮い「攘夷の成功」を遂ぐべしという勇ましい勅旨(ちょくし)を伝えたのである。
 正使の三条と一緒に、勝海舟の案内で江戸湾岸を視察した。帰洛後、「黒豆」は国事参政になっても「白豆」とともに幕府を困らせる攘夷派の先鋒(せんぽう)であった。しかし翌年5月に深夜の朝議を終え帰邸する途中、朔平(さくべい)門外の猿ケ辻で刺客に襲われ、まもなく自宅で卒去したのである。
 これは幕末の暗殺テロでも謎の多い事件である。残されていた刀などの物証から、薩摩藩の田中新兵衛が下手人と目されたが、取り調べ中に田中が自刃したために真相は闇に沈んでいる。
◆勝海舟の説得で開国に?
 通説では、姉小路が勝海舟の説得にあって攘夷の不可なることを痛感したからだともいう。確かにテロは、文久3年に国事参政となってまもなく4月に摂海防備巡察の職を兼摂(けんせつ)した直後に起きた。
 姉小路公知は、4月23日から摂海巡視で初めて海に出たとき、勝海舟と論議を重ねて開国論を理解するようになったらしい。馬場文英の著した『元治夢物語』(岩波文庫)によれば、「公知朝臣(あそん)、天保山近海、御廻見有(あり)て、追日(ひをおって)御帰京」とある。姉小路の帰洛後すぐに、朝廷は幕府に「摂海防備三か条」の沙汰(さた)を下している。これは勝と姉小路との出会いの成果ではなかろうか。
 勝自身は、自分の意見を吸収した姉小路が朝議を動かした結果だと語っており、姉小路の盟友だった東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)も、摂海巡視の時に勝から「無謀の攘夷は出来ぬ」と説かれたことで帰洛後に「鋭鋒(えいほう)が挫(くじ)けた」と述べていた。姉小路の転向は武市半平太(たけちはんぺいた)などには癪(しゃく)の種であり、幕府にとっては心強い味方になる矢先の凶変である。孝明天皇の死とともに幕末政治の転回を決定づける事変だったことは間違いない。
◆強固な意志力と勇猛心
 姉小路公知の偉いのは、襲われた時に、太刀をもった侍臣の1人が卑怯(ひきょう)にも逃げたのに、肩に深手を負っても笏(しゃく)などで凶漢に立ち向かい、自邸に戻って絶息したことである。武士も及ばぬほどの勇気と闘争心ではなかろうか。攘夷運動の先駆となった天誅(てんちゅう)組の中山忠光といい、姉小路公知といい、公家にも強固な意志力と勇猛心をもつ者もいたのである。
 さて辻元氏には、姉小路のような決心をもって、日本政治を大転回させる機会として離党を活用してほしいものだ。だとすれば、有権者たちは「嘆くべきでない人々について嘆く」必要はないのだ。賢者は死者についても賢者についても嘆かぬ者だというインドの古典『バガヴァッド・ギーター』(上村勝彦訳)の一節は正しいのである。
 辻元氏の前途は姉小路のように多難かもしれない。しかし、そもそも政治の中核に入っても何一つ変わらず変わろうともしなかった福島瑞穂氏については、嘆くべきなのか、嘆かざるべきなのか、『バガヴァッド・ギーター』さえ答えてくれない。(やまうち まさゆき)
                   ◇
【プロフィル】姉小路公知
 あねがこうじ・きんとも 天保10(1839)年、京都生まれ。三条実美と親交を結び、尊攘派公家の中心人物として活躍。日米修好通商条約調印の勅許に反対した。和宮(かずのみや)降嫁に絡み、岩倉具視(ともみ)らを弾劾。勅使、三条実美のもと副使として江戸に赴き、幕府に攘夷を督促。国事参政となり、摂海(大阪湾)を巡視した。文久3(1863)年、御所からの帰途、暗殺された。享年25。





 今日は夕方に少し涼しい風が吹いて、一息つけました。

北海道
初の週末、箱館奉行所人気 2965人が入館【函館】
 箱館奉行所は31日、一般公開が開始されて初めての週末を迎えた。この日の函館市内の最高気温は28度。五稜郭公園で行われたオープン記念イベントや同奉行所には、夏の陽気に誘われて大勢の市民や観光客が訪れ、活気に満ちあふれた。
 五稜郭公園一の橋広場では奉行所開所を記念した「祝・復活市」が開かれた。祝いムードを盛り上げるもちまきや多彩なステージショーが行われたほか、軽食を販売する露店も出店。大勢の家族連れらが訪れ、楽しんだ。
 五稜郭地区のまちづくり団体「新都心五稜郭協議会」のやっぱり五稜郭プロジェクトの主催。オープニングセレモニーでは、西尾正範函館市長が「きょうは多くの道南の物産が会場に集まった。たくさん食べて、語り合って、遊んで、すばらしい復活祭にしよう」とあいさつ。続いて同協議会の中野豊会長らが壇上に立ち、景気よくもちまきをした。
 会場には同地区の飲食店が自慢の一品を安価で提供する露店や、その日道南で収穫したばかりのトマトやホウレンソウなどを生産者が直接販売する市「マルシェ」、往時の奉行所で薬として飲まれていたという「薬用珈琲」を振る舞うコーナーなど、道南の食や文化が一堂にそろった。このほかステージでは「函館子ども歌舞伎」による歌舞伎も披露され、祝いムードに花を添えた。
 七飯町から訪れた池田聡美さん(40)は「にぎやかなお祭りで楽しい。五稜郭に活気があると足を運びたくなる」と話していた。


歴史散歩に活用して 近江幸雄さんが案内本出版
 函館市白鳥町の郷土史家、近江幸雄さん(73)が、文庫サイズの歴史案内本「絵で見る函館の歴史」を出版した。縄文時代から2004年の5市町村合併までの函館の歴史トピックス55項目を絵入りでまとめ、紹介している。近江さんは「本を片手に歴史散歩をしてもらえれば」と話している。
 近江さんは昨年11月、優れた郷土史研究者に贈られる神山茂賞を受賞。授賞式や祝賀パーティーで「青少年に郷土史を啓もうする活動も続けたい」と抱負を語り、出版の準備を進めてきた。
 「コシャマイン戦争」「ペリー艦隊入港」などの歴史トピックスを、1項目あたり見開き2ページで簡潔にまとめた。幕末から明治にかけて函館に住んだ「ブラキストン」は①貿易商で、動物の採集と分類を行い②津軽海峡を境に動物の分布が異なることを説き③それをブラキストン・ラインといい④函館山山頂に記念碑がある―ことを紹介している。
 絵は市内の広告プロダクション「エージー」代表の内海治夫さん(63)が担当した。劇画調で人物や風景を描き、歴史の息吹が伝わる。内海さんも「絵からも郷土の歴史に関心を持ってもらえれば」と期待する。
 120ページ、定価840円。市内の文教堂書店、くまざわ書店などで扱っている。

福島
【この人】「会津魂」の真実伝えたい 「白虎隊の会」事務局長・飯沼一元さん
 2年前の6月、栃木県那須塩原市にある長兄の家で、祖父貞雄が書いた「白虎隊顛末(てんまつ)記」という文書が見つかった。
 貞雄(貞吉から改名)は戊辰戦争のとき、会津藩の少年で構成された白虎隊に属し、現在の福島県会津若松市の飯盛山で、ほかの隊士とともに自刃を図ったが果たせず、ただ一人生き残った人物だ。
 文書によると、白虎士中二番隊の少年たちが城下が燃えているのを見て、「城に戻って戦おう」「敵陣に突入しよう」などと激論を交わした。だが、圧倒的な敵兵力に追われ、飯盛山へたどりついていたことから、城下に向かえば捕虜になるおそれがあった。そこで、教導の篠田儀三郎が「何の名目やある。潔く自刃し、武士の本分を果たすべき」と提案。隊士たちはその言に従ったという。
 飯沼さんは「城下が燃える煙を見て、落城したと勘違いし、自刃したというのでは、説明が足りない」と訴える。県外の客が事情も知らずに、不十分な説明を受けただけで帰られたのでは、「議論した上で、“会津の教え”を忠実に守り、死んでいった白虎隊に失礼ではないか」とも。
 白虎隊が取った行動を史実として、後世に正しく伝えたい。そんな思いが今年4月の「白虎隊の会」発足につながった。
 メンバーは約100人。半数は福島県人だが、東京や京都、仙台のほか、会津の敵だった長州・下関の人もいる。実は、貞吉には長州に連行され養育された経緯があり、長州人の中には「会津に嫌われていることが何とかならないか」という心情を抱える人もいるようだ。
 会長は家老だった西郷頼母の筋に当たる山本英市さん。副会長は東京帝大総長などを務めた山川健次郎のひ孫の木下健さん。
 会は、(1)史実の調査(2)交流(3)企画-を主な活動としている。白虎隊が出陣し、飯盛山へ至るルートを歩き、隊がいつ、どんなことをしたかもほぼ解明。その結果を説明板や記念碑に表し、史跡として残したいと考えている。
 一方で、「国のため命をささげ、散るのはいいことと、後の戦争に利用された」との忸怩(じくじ)たる思いがある。会津も観光の素材としてのみ白虎隊を利用しているのではないかとの疑問も。
 ならぬことはならぬ。白虎隊が命をかけて示した「義」は、筋を通すことだった。「隊士たちがいまの世の中をみたら、どう思うか。筋を通す生き方を、強く訴えていく必要がある」と、飯沼さんは思っている。
 祖父については「まじめに生きた。会津魂そのまま。曲がったことは大嫌い。自刃に失敗し、長州の世話を受けたため、会津人から白い目で見られ、白虎隊のことは内面にしまい込んでいた。家ではタブーだった」と振り返る。
 入会は、ホームページ(http://byakko1868.web.fc2.com/)からでもできる。会費は年3千円。(土樋靖人)
                   ◇
【プロフィル】飯沼一元
 いいぬま・かずもと 仙台市出身。東北大大学院博士課程修了後、NEC入社。画像通信の研究などを担当した。退職後は、米ぬか原料食品の製造販売会社「ライステック」を創業。東京都在住。67歳。


茨城
全国歴史研究会、「水戸の歴史を応援する会」発会へ-水戸藩の役割再評価 /茨城
 全国歴史研究会(東京都品川区、TEL03-3779-3127)の「水戸の歴史を応援する会」(通称=水戸の会)の幹部が8月1日、発会式の事前調査のために水戸を訪れた。同会は明治維新の原動力となった水戸藩を再評価するために、県外の歴史研究者らにより結成する。(水戸経済新聞)

 「歴史研究」を発行する同会が、幕末に果たした水戸藩の役割について再評価。水戸の歴史に関心を寄せる研究者ら外野からの応援によって、水戸の歴史を語り合う場を作ろうと「水戸の会」が発足する。
 事前調査では、同会代表の吉成勇さんらが「幕末明治の博物館」「願入寺」「徳川博物館」「桜田門外の変オープンセット」「祇園寺」などを訪れ、8月29日の発会式を兼ねた「歴史を楽しむ会in水戸」のツアーの下見を行った。
 当日、水戸・祇園寺で行われる発会記念講演会では、「幕末水戸の文武道」をテーマに岩瀬秀敏さんが、「水戸と土佐の田中光顕」をテーマに竹村紘一さんが、それぞれ講演を行う。
 吉成さんは「明治維新の始まりとなった水戸の名誉を回復したい。水戸を応援して水戸を盛り上げたい」と発会の趣旨主旨を話す。
 発会記念講演会は13時50分から。会場は水戸・祇園寺。参加費500円。事前申し込みが必要。


東京
宮内庁の貴重図書 秋に初の公開
 宮内庁で保管されてきた貴重な図書や文書などを、初めてまとまった形で一般公開する催しが、ことしの秋に皇居で開かれることになりました。
 この催しは、皇室の図書や文書などを保管してきた宮内庁の書陵部が45万点を超える所蔵品の中から、特に歴史的価値の高い古代から近代までの日記や絵巻、文書などあわせて40点余りを選んで開きます。このうち、幕末の志士、坂本龍馬自筆の書は、薩長同盟の密約の立会人となった龍馬が、長州藩の木戸孝允に密約を保証した裏書きで、最後に龍馬の名前の一部が記されています。また、「かぐや姫」を題材に江戸時代に作られた絵巻物は、国語の教材としても使われているものです。宮内庁で保管されてきた貴重な図書などが、まとまった形で一般公開されるのは初めてで、宮内庁は「好評であれば展示内容を替えながら続けていきたい」としています。この催しは、ことし9月18日から皇居にある三の丸尚蔵館で、平日の月曜日と金曜日など一部の休館日を除いて10月17日まで開かれます。


新潟
「偉人館めぐりスタンプラリー」スタート 新潟
 連合艦隊司令長官、山本五十六や幕末の長岡藩家老、河井継之助ら長岡市ゆかりの偉人を紹介する記念館などを歩く「まちなか偉人館めぐりスタンプラリー」が始まった。
 長岡駅を軸とした中心市街地の活性化が目的で、山本五十六記念館▽河井継之助記念館▽如是蔵博物館▽駒形十吉記念美術館-の4館が参加。入館料の割引や景品などの特典も付き、2館以上シールを集めると「まちなか観光プラザ」で購入する土産品などが10%引きになる。11月30日まで。市観光課は「長岡駅周辺は見どころも多い。歩いて楽しんで」と話している。


山口
鉄道の父 没後100年で切手
 幕末に英国に密航し、近代技術を学んだ「長州ファイブ」の一人で、「日本の鉄道の父」とされる萩市出身の井上勝(写真・1843~1910年)の没後100年の記念切手が発売された。萩市内では8月、講演会などの記念事業がある。
 井上は長州藩士の三男として萩市土原で生まれた。1863年に伊藤博文や井上馨たちと英国へ渡り、ロンドン大で鉄道を研究。68年の帰国後は明治政府の鉄道頭に就き、72年、新橋―横浜間に日本初の鉄道を開通させた。
 記念切手は1500部の限定発売。80円切手10枚セット(1200円)で山口、萩、長門、美祢の4市と阿武町の全99郵便局で販売する。
 萩市の萩博物館では8月1日から9月26日まで記念展を開催。英国留学時の写真や書簡など23点を展示し、初日には道迫真吾主任研究員による記念講演会がある。命日の8月2日には萩市の田町商店街でミニSLの運行や写真展もある。

【写真説明】井上勝没後100年を記念して発売された切手


香川
咸臨丸:渡米150年で記念碑 塩飽の水夫35人たたえ--坂出 /香川
 幕末の1860年、日本の船として初めて太平洋を横断した咸臨丸。渡米150年を記念し、香川県丸亀市などの歴史愛好家4団体が同県坂出市の櫃石島に石碑を建てた。水夫の多くは、優れた操船技術で知られた地元・塩飽諸島の出身で、石碑には水夫35人の名が刻まれている。
 咸臨丸は江戸幕府の軍艦。遣米使節団を乗せた米国の軍艦に随行した。浦賀港(神奈川県)を60年1月に出発、同5月に帰港した。勝海舟や福沢諭吉、ジョン万次郎らが乗り組んだ。
 坂本龍馬を研究する「讃岐龍馬会塩飽社中」(丸亀市)などによると、水夫は50人のうち35人が瀬戸内海の塩飽諸島出身者。島の人たちは戦国時代は「塩飽水軍」と呼ばれ、操船技術に優れていた。江戸時代には御用船方(ふなかた)として、幕府の荷物を運んだり、戦に出たりした。丸亀市の本島にある国史跡「塩飽勤番所」を政所に自治も認められていた。
 咸臨丸の水夫には、龍馬が作った海援隊に入った佐柳島(香川県多度津町)の佐柳高次(1835~91)がいた。讃岐龍馬会塩飽社中の丸野忠義会長(70)らは01年ごろ、佐柳を通じ、塩飽の水夫たちの功績を知った。塩飽勤番所の保存資料などで乗組員の名簿を手に入れ、渡米150年の節目に35人全員を顕彰するため、他の歴史愛好会などと「咸臨丸水主を顕彰する有志の会」を結成。櫃石島の自治会や坂出市が場所を提供してくれたため、6月末に同島東部の旧港に石碑を完成させた。
 与島石製で高さ、幅各約2・5メートル。咸臨丸と塩飽の水夫の歴史を伝え、水夫の名前と出身の島などを記した。丸野会長は「使命感を持ち、命を懸けて未知の航海をした先人たちの功績を後世に伝えていきたい」と話している。【馬渕晶子】








 記事のタイトルを直そうとして、うっかり記事を消してしまいました……しくしく。

 箱館奉行所オープン記念の記事が多かったのに……ちょっとダメージが大きく、すぐに復元できません。しばらくお待ちください。
 復元された箱館奉行所のオーブン記念、嬉しいです。何と、あの方が140年ぶりに復活して箱館奉行所に降臨。



 ミニUFOに乗ってくるイカール星人もかわいい。空中戦艦ゴリョウカクが五稜郭に収納されるCGもかっこいい。そして、空中戦艦ゴリョウカクの司令官は、宇宙に脱出したせいか、140年後も老けてない土方さんなんですね(^○^)。

 これの続編を希望。ついでにグッズも増やして欲しいなぁ。




 期待通り……芸風はまるで違うんだけど、聴きに来る側も根っからの落語ファンが多いようで、落語家ネタ噺に受けるもんだから、両師匠ノリノリ。

市也「金明竹」
市馬「お化け長屋」
白鳥「天使がバスでおりた寄席」

中入り

市馬「鰻の幇間」


 時間の関係上か、市也さん「金明竹」は雨宿りの人が登場せずにいきなり上方言葉のお遣いが登場。市也さん、関西イントネーションは結構上手(関西ネイティブではないけど14年住んだ自分の耳には)。

 市馬師匠、高座に上がるや否や、TOKYO FMホールの音響の良さに、いかにも歌いたがりそうな雰囲気。聴く側もみんな、どこで歌い出すかを期待しているふしがあります(笑)。

 「お化け長屋」は威勢のいい職人さんが、女の幽霊が出ると聞いてかえって喜んで引っ越してくると宣言して出て行ったところでサゲ。長屋の古狸の杢兵衛さんがでっち上げた怪談噺に震え上がって逃げ出すどころか、ご〜んと鐘が鳴ると仏壇の鐘がち〜んと鳴るという辺りで節回しで応じるところに「歌いたがりの市馬師匠」の片鱗が見えました。全体には、軽めでしたね。

 飛来した白鳥さん、いつものジャージ着物の解説をした後で、もともと用意した噺もあったけど市馬師匠のマクラを聞いてて急遽ネタ変更とな……こういうサプライズが楽しいんですよね。
 そのきっかけになったのは、市馬師匠が寄席の出演システムについて解説したこと。普通は実力や人気で釣り合う落語家を代演にするところだけど、喬太郎の代演に(師匠の)さん喬が出演することもあるとか。池袋演芸場の番組だったか、市馬師匠と前後して白鳥さんと川柳川柳師匠が出演したこともあるとか(ギャップの激しさがすごい)。
 で、白鳥さん「天使がバスでおりた寄席」。自分は『砂漠のバー止まり木』で読んでいたので、あれかっとすぐにわかったのですが……中入り後の市馬師匠によると、市馬師匠の「お化け長屋」でのマクラを聞いて急遽このネタに変更し、楽屋でさらっていたとか、あまりかけるネタではないらしいとか。それはラッキー。
 まぁ、各方面に差し障りのあるネタと言えなくもないですからねぇ(苦笑)。閑古鳥が鳴く新宿すえぴろ亭に、忽然と現れたのは十年前に行方不明になった伝説の落語家、ソンブレロとギターがトレードマークのあの人……『ギターを持った渡り鳥』はリアルタイムでは知らないけど、宮内洋主演の『怪傑ズバット』好きでした、って脇道に逸れますが(苦笑)。
 落語通が多いらしくて、伝説の落語家「ニセ柳千竜」が大暴れするこのネタ、ぐわんぐわんとTOKYO FMホールに笑いの波動が反響する受けっぷり。何気にばらされる、酔っ払った某師匠の数々のエピソード(実話らしい^_^;)ともども楽しめました。

 中入り後、飛来した白鳥さんに沸いた客席に、市馬師匠はこの季節の土用の丑の日前後にふさわしい「鰻の幇間」。懐かしの昭和歌謡を紛れ込ませたり、ちょこちょこと遊びつつも、明るくヨイショに励んだ挙げ句がペテンにかけられていたと知った幇間が鰻屋の女中にいちいち文句をつける場面が人間臭いけど陰険にならないのが市馬師匠の持ち味なので安心して聞けた。

 笑いで暑気払いするにはもってこいの一晩でした。






 忙しくなり、幕末ニュースを更新するのが遅れてますが……楽しみにしてらっしゃる方々もいらっしゃるようなので、週一回ペース程度でも続けていきたいと思っております。
 史実に関連するニュースを中心にし、ゲームや芸能関係は自分の関心次第……という感じで選んで掲載してますので、その点ご了解ください。

北海道
箱館奉行所:幕末へタイムスリップ--29日にオープン /北海道
 函館市の国の特別史跡・五稜郭跡内に設置された「箱館奉行所」が29日にオープンする。1868(明治元)年に始まった戊辰戦争の際、土方歳三らが率いる旧幕府軍の拠点になった施設で、140年前の姿を精密に再現した。市は「幕末の動乱で散った建物にタイムスリップしてみては」とPRしている。
 奉行所を巡ってはさまざまな逸話が残る。奉行所には時報を告げる「太鼓櫓(やぐら)」が地上約17メートルの高さに設置されていたが、土方の死の翌日となる1869(明治2)年5月12日、新政府軍が函館湾に停泊中、銅板ぶきだった櫓に光が反射。これを元に新政府軍が正確に測量し、大砲で襲撃し、奉行所に命中したと言われる。奉行所は設置からわずか7年で明治政府によって解体された。
 今回復元された建物の広さは約1000平方メートル、総工費約27億円。細部までこだわって工期に4年を要した。館内は「歴史発見ゾーン」など五つのコーナーに分けられ、奉行所の歴史を詳しく知ることができる。
 29日は午前10時からオープンセレモニーが行われ、土方や榎本武揚の子孫も参加する。入館料は大人500円、学生250円。開館時間は午前9時~午後6時(11~3月は午後5時まで)。問い合わせは同課(0138・21・3456)へ。【佐藤心哉】


「箱館奉行所」29日から公開
 国の特別史跡「五稜郭跡」内に函館市が2006年から復元工事を進めてきた「箱館奉行所」が29日、オープンする。当時の古写真や絵図面を基に忠実に再現され、姿や形だけでなく往時の威厳も備える。同奉行所を守るために築かれた五稜郭が140年ぶりに“主”を迎え、本来の姿で函館の歴史・文化の新たな発信基地となる。

 復元工事は4年の工期を経て、6月30日に完了。総工費は約28億円。幕末当時、約2700平方メートルあった同奉行所の3分の1に当たる約1000平方メートルを復元。残りの部分は、建物が存在した部分の地面に線を引き、当時の規模を表した。

 建物は発掘調査結果などを基に、スギやヒバ、ヒノキなど使用した材質をはじめ、部屋の間取り、約3万8000枚の瓦の枚数まで検証。細部まで忠実に復元することにこだわり抜いた、道内最大級の木造建築物だ。

 内部の見学コースは、それぞれ見どころの違う5ゾーンに分類されている。風格のある玄関周辺の「ガイダンス」では建物案内映像を流す。続く「再現ゾーン」では、外国領事との会談や年中行事など限られた時に使用された72畳の大広間がある。

 中庭を挟んだ「歴史発見ゾーン」は同奉行所と五稜郭の歴史をパネルなどで紹介するほか、天井板を外して伝統的な小屋組みを見せる。「映像シアター」では歴史や復元工事の様子をハイビジョン映像で紹介し、「建築復元ゾーン」は発掘や古文書の調査結果、日本の伝統的建築様式で建設した同奉行所の構造など説明する。

 函館市教育委員会の多賀谷智教育長は「奉行所の建設は函館市民の悲願。建設に向け尽力したすべての人に感謝の気持ちでいっぱい」と振り返り、「次代を担う子どもたちが歴史や文化を学ぶ場になってほしいし、地域の活性化に結びついてくれれば」と期待を寄せている。


栃木
凌霜隊:赦免から140年 史実、語り継ぐ 岐阜・郡上市で記念フォーラム /栃木
◇那須塩原の和泉屋旅館経営・田代芳寛さん(62)、講師に招かれ講演へ
 岐阜県郡上市で28日、幕末に結成された「凌霜隊(りょうそうたい)」の史実を見つめ直そうと開かれる「郡上藩凌霜隊140年記念事業」のフォーラムで、那須塩原市塩原の和泉屋旅館経営、田代芳寛さん(62)が講師として招かれ、塩原で語り継がれる凌霜隊について講演する。【柴田光二】

 史料によると、「凌霜隊」は、幕末の戊辰戦争(1868~1869)で、会津藩救援の幕府軍として結成された。隊士45人。会津若松城に向かう途中、塩原温泉旅館の和泉屋と隣の丸屋旅館を宿に3カ月にわたって駐屯した。

 隊員たちは、白虎隊とともに戦ったが敗れ、生き残った隊士35人は国元に護送された。ところが、藩は新政府の処罰を恐れ、隊士たちを脱藩の罪で投獄。1年半後の明治3(1870)年に赦免された。隊士たちは反政府軍扱いされ、郡上から姿を消したとされる。

 記念事業は、赦免から140年を機に凌霜隊の史実を見つめ直し、関係者のネットワークを広げることを目的に計画された。講師に要請された背景には、田代さんの父で、詩人の泉漾太郎(ようたろう)氏(1908~1996)の存在もあった。

 74年8月、テレビの特集番組で、郡上おどり(国重要無形民俗文化財)、日光和楽おどりが紹介された際、漾太郎氏が解説者として登場したのがきっかけで郡上に招かれた。そこで、凌霜隊と和泉屋とのつながりが判明した。

 田代さんの演題は、「伝え聞く郡上藩凌霜隊」。凌霜隊は、塩原を去る際、塩原を焼き払う命を受けたが、後で組み立てられるように解体したり、寺は畳を燃やして煙を上げ、焼き払ったように取り繕ったとされる。こうした隊士の心温まる対応や地元民との人的交流などを紹介する。田代さんは、講演をきっかけに郡上市と交流を深めようと、塩原温泉観光協会長の親書を持参するという。


埼玉
山岡鉄舟:足跡を紹介、特別見学会 27・30日、小川の割烹旅館で /埼玉
◇八代目主人に贈った書「二葉楼」など紹介
 1748年創業の割烹(かっぽう)旅館「二葉」(小川町大塚)で、江戸城の無血開城に尽力した幕臣山岡鉄舟(1836~1888)の足跡を紹介する特別見学会が開かれる。鉄舟は実家の知行地だった小川町をしばしば訪れ、二葉にも足を運んだ。

 見学会は27日と30日午前11時から。鉄舟が二葉の八代目主人、忠七に贈った書「二葉楼」などを紹介し、十四代目にあたる八木忠太郎社長が鉄舟の生涯を解説する。鉄舟の助言を受けて忠七が考案し、鉄舟が命名した名物「忠七めし」も提供する。

 鉄舟は1868年、駿府(静岡)で新政府軍の参謀、西郷隆盛と面会。十五代将軍徳川慶喜の助命を取り付け、江戸で西郷が勝海舟と会談し無血開城に合意する素地を作った。維新後は西郷の推薦で明治天皇の侍従を務め、現代では書の名人としても注目される。

 坂本龍馬と幕末に関心が高まる中、八木社長は「鉄舟は後世に名を残すことに無頓着だったが、功績をしっかり伝えていきたい」と語る。

 昼食、資料付きで1人5000円。問い合わせは、二葉(電話0493・72・0038)。【大谷津統一】


東京
「深川江戸資料館」をリニューアル
 東京都江東区は、昨年から改修工事を進めていた「深川江戸資料館」を7月24日にリニューアルオープンする。これを記念して、同日から8月15日まで特別展「江東幕末発見伝!」を開催する。幕末維新期、江東区域では越中島に幕府の軍事調練場が置かれ、岩崎弥太郎や渋沢栄一といった著名人が活躍の場とした。特別展では、幕府の江戸沿岸防備の様子や、幕末から明治初期にかけて江東区で活躍した人物100人などを紹介する。
 資料館は、江戸時代の深川佐賀町の町並みを実物大で再現した展示室のほか、小劇場、レクホールを備えた文化施設として1986年11月に開館。展示室では、当時の長屋、舟宿、火の見櫓等を見ることができ、見学者は実際に建物内部に入り込んで、当時の生活で使用されていた様々な道具類に触れることができる。開館以来310万人が訪れた資料館が、1年ぶりに地域の歴史施設、深川の観光資源として復活する。
 「江東幕末発見伝!」の他にも、8月6日に元国立歴史民俗博物館館長の宮地正人氏による文化財企画講演会「幕末明治期深川の社会と自然」が開催されるなど、講演会やイベントを多数用意している。
 資料館の開館時間は9時30分から17時で、入場料は大人(高校生以上)300円、こども(小中学生)50円。問い合わせは深川江戸資料館(電話03-3630-8625)まで。

 久々に行きたいなぁ……ついでに高橋「伊せ喜」で夏のどぜうか、森下で蕎麦を食べたい(笑)。

深川江戸資料館 24日再オープン
大規模改修工事終え
深川江戸資料館内に再現されている江戸時代の町並み(同館提供)
 江戸時代の長屋や船宿などを再現したセットが人気を集めてきた江東区の「区深川江戸資料館」(白河1)が24日、1年間の改修工事を終えて再オープンする。

 同館のメーンは、1127平方メートルのフロアに、江戸時代の町並みを切り取って再現した大型セット。1840年代(天保年間)の「深川」の想定で、職人や船頭、三味線の師匠が暮らす長屋、船宿、八百屋、火の見櫓(やぐら)などが並んでいる。

 館内は約20分間で1日が経過する設定で、ニワトリの鳴き声とともに朝が始まり、夕刻になるにつれ、照明が落ち、あかね色の夕日なども演出される。

 江戸情緒を満喫しながら散策できる同館は、年間約10万人が訪れる人気施設だったが、1986年の開館から20年以上が経過して老朽化したため、昨年7月から大規模な改修工事が行われていた。

 同館では、再オープンを記念して、幕末・明治維新の頃の江東区の様子を浮世絵や資料などで振り返る特別展「江東幕末発見伝!」も開催される。同館は「増えている外国人観光客など新規の来場者を増やす工夫をして行きたい」としている。問い合わせは、同館(電)3630・8625へ。


江戸のオバケ絵鑑賞して怪談も… 足立区立郷土博物館
 夏といえばオバケの季節。ちょっと怖い思いをして涼もう!
 東京都足立区大谷田の区立郷土博物館は24日午後5時半から、「江戸のオバケを楽しもう」とのイベントを開催する。
 博物館が所蔵する浮世絵コレクションの中から、「幕末の奇想の絵師」といわれた歌川国芳が生霊や妖怪、化け物を描いた作品3点を展示。うち『竹沢藤次 独楽(こま)の化物』は、平成17年にパリで開かれたオバケの浮世絵展に出品された。
 イベントでは、これらの作品を鑑賞した後、学芸員から「怪談ばなし」を聞くことができる。対象は小学生以上で保護者同伴。定員40組。無料。申し込みは(電)03・3620・9393。


山梨
竜馬ゆかりの礎石“婚約者”佐那の元へ
甲府・清運寺でお披露目

坂本竜馬の婚約者といわれる千葉佐那の墓がある甲府市・清運寺(田中宏昌住職)は
 17日、清正公(せいしょこ)祭りを開いた。竜馬の像が立つ立会川(東京都品川区)で見つかった、竜馬にゆかりがある砲台の礎石をお披露目した。
 立会川は幕末に旧土佐藩下屋敷があった地域。1853年のペリー来航に伴って、土佐藩は防衛のため、砲台を築き、当時19歳の竜馬は砲台で湾岸警護に当たった。2004年2月、屋敷跡地から砲台の礎石が出土した。
 同寺の田中祐光副住職らが今年5月、竜馬の像を訪れた際、地元自治会から砲台の礎石(約16キロ)の寄贈を受けた。
 本堂に礎石をはじめ、佐那の生い立ちなどを解説したパネルを展示。佐那が竜馬と結納を交わしていたことを明かした山梨日日新聞の記事(1893年8月22日付)も紹介している。パネル展は8月いっぱいまで続ける予定。
 同寺は戦国武将・加藤清正を祭る。法要も営まれ、訪れた檀家(だんか)や地域住民の健康と所願成就を祈願した。


愛知
名古屋城のふすま絵と確認=二の丸御殿解体時に難逃れる-尾張徳川家ゆかりの寺所蔵
 明治時代に陸軍施設建設のため解体された名古屋城二の丸御殿にあったふすま絵が、難を逃れ名古屋市の八事山興正寺に所蔵されていたことが24日までに、徳川美術館(同市)の調査で分かった。同御殿は歴代の尾張藩主が執務や日常生活で使っていた場所で、本丸御殿と比べ記録が少なく、「幻の御殿」とも言われている。
 興正寺の伝承では、幕末に御殿が解体される際、所蔵品の散逸を憂えた尾張藩士が私費で購入。藩士の子孫から同寺が譲り受けたという。
 ふすま絵は中国の人物などを描いた「唐人物図屏風」と梨の木に鳥がとまっている様子が描かれた「梨木禽鳥図屏風」の2点。作者は分かっていないが、いずれも狩野派の17世紀の作品とされ、今年4月には市の有形文化財に指定された。
 徳川美術館は今月31日から「大名古屋城展」を開催する予定で、尾張徳川家ゆかりの興正寺の所蔵品などを調査していた。絵の特徴が名古屋城について記した古文書「金城温古録」の記録と一致することなどから、二の丸御殿のものと確認された。藩主が家臣と接見する「御対面所」にあったとみられる。二の丸御殿のものと伝えられるふすま絵は多数あるが、文献などで確認できたのは初めてという。(2010/07/24-15:21)


京都
幕末 すごおす…芸舞妓ら伏見の名所巡り
 五花街の芸舞妓らを対象とした「京都歴史文化研修バスツアー」が21日、京都市内で行われ、幕末の歴史を彩った伏見の名所を巡った。

 京都伝統伎芸振興財団(東山区)が主催。京都観光の顔として活躍している芸舞妓に、地方の出身者が増えており、京都の歴史や文化について知識を深めてもらおうと2007年から毎年、実施している。

 この日は、芸舞妓や、舞妓の見習いの仕込み、お茶屋の女将【おかみ】ら約70人が、浴衣や私服姿で参加。バス2台に分乗し、月桂冠大倉記念館や、坂本龍馬が襲撃されたことなどで知られる旅館「寺田屋」を訪ね、熱心に見学した。

 祇園東の舞妓、叶果【かのか】さん(18)は「大河ドラマの影響で、幕末の京都についてお座敷で話題になることも多いので、学んだことを役立てられたらうれしおす」と話していた。


容保桜「ふるさと」植樹へ 会津若松市長、京都府庁訪問
 京都市上京区の京都府庁で見つかったヤマザクラの変種が幕末の会津藩主にちなんで「容保(かたもり)桜」と名付けられたことを受け、福島県会津若松市の菅家一郎市長が23日、府庁を訪問して容保桜と対面した。名付け親で桜守の佐野藤右衛門さんとも会い、容保桜の苗木を同市に植樹するよう協力を求めた。
 容保桜は佐野さんが見つけ、会津藩主で京都守護職だった松平容保が府庁の建つ場所に上屋敷を構えた史実にちなんで命名。府が今年3月に案内板を立てた。ヤマザクラでありながら花が大ぶりで、表皮はオオシマザクラの特徴があるという。
 菅家市長は、応対した太田昇副知事に「容保公は激動の時代を生きた殿様。市民も容保桜の命名を喜んでいる」と感謝した。佐野さんが容保桜の種子から苗木を育てていることを聞くと、「ぜひ来春にでも地元の鶴ケ城(会津若松城)に植えたい」と依頼し、佐野さんから快諾を得た。


奈良
郡山藩の歴史展:「江戸中期~幕末資料40点--大和郡山・柳沢文庫 /奈良
 江戸中期から幕末までの資料を紹介する夏季常設展「郡山藩の歴史」が大和郡山市城内町の柳沢文庫で開かれている。9月19日まで。

 15万石の郡山藩は、近畿地方で井伊家の彦根藩30万石に次ぐ規模の有力藩。同展では、柳沢氏が藩主となった1724(享保9)年から幕末までの資料を中心に、約40点を展示している。

 柳沢・郡山藩二代藩主の伊信(これのぶ)が1765年に描いた鮮やかな花鳥図、最後の藩主の保申が郡山城の修復を願い出るために作った絵図(1865年)、明治維新の廃藩置県後に藩知事になった保申の書状などが目を引く。

 月曜と祝日、8月13~18日は休館。一般200円。問い合わせは柳沢文庫(0743・58・2171)。【熊谷仁志】


徳島
企画展:徳島藩医・関寛斎を紹介 直筆短冊など60点展示--県立文学書道館 /徳島
◇北海道の開拓
 徳島藩の藩医を務め、司馬遼太郎の小説「胡蝶(こちょう)の夢」などに描かれた医師、関寛斎(1830~1912)を紹介する企画展が、徳島市中前川町2の県立文学書道館で開かれている。生涯を追う年譜や使っていたかばん、直筆の短冊など約60点が並ぶ。10月7日まで。

 関寛斎は千葉に生まれ、長崎で蘭学、最先端の西洋医学を学んだ。その後、徳島藩医となり、約40年務めて北海道に開拓民として移住。戊辰戦争では日本最初の野戦病院の病院長にもなり、身分や貧富の区別なく患者を治療し「町医者」を貫いた。

 企画展では、こうした関の生涯や人となりを振り返る。

 同館は「関は三つの故郷があると言われるが、千葉、北海道では知らない人がいないほど有名。徳島でももっと多くの人に知ってもらえたら」と話している。【大原一城】


広島
秀策母子のレリーフ寄贈
 尾道市文化協会の因島地区因島文化協会(岡野巧三会長)は創設40周年の記念事業として24日、因島外浦町にある本因坊秀策囲碁記念館に秀策母子をかたどったレリーフ「母之教(ははのおしえ)」を寄贈した。

 レリーフは縦90センチ、横120センチのブロンズ製。因島外浦町出身で幕末の御城碁で無敗の19連勝をした秀策が、5歳のころ母カメから碁を教わっている姿が再現されている。背景に外浦町から見える向島。海には秀策が帰郷した際に乗ったとされる船が浮かんでいる。

 制作は比治山大短期大学部名誉教授で2年前に広島市から因島田熊町にUターンした吉田正浪さん(73)。

 レリーフは囲碁記念館の秀策の復元生家の土間の壁に掲げられ、関係者によって除幕された。岡野会長は「子の天分を引き出す母の態度と心情が伝われば」と話している。


誠之館開設功労者の遺品寄託
 幕末に福山藩の攘夷(じょうい)派を主導し、藩校誠之館の開設に尽力した安藤織馬(1805~85年)の遺品約千点が福山市に住む安藤家の子孫から広島県立歴史博物館(同市西町)に寄託された。重臣として藩主5人に仕え、長州藩の福山攻めを交渉で退けた人物。同館は「動乱期の福山をうかがい知る貴重な資料」とし、一部の公開を始めた。

 同館によると、安藤織馬は1853年、黒船来航に危機感を覚えた7代藩主阿部正弘の命で会津藩に派遣。当時主流だった兵法「長沼流軍学」を学び、福山藩に持ち帰った。

 正弘が藩校誠之館を開設した54年には文武総纏(現在の教育長)に就任。64年の「蛤御門の変」では攘夷派の長州藩と共に行動した。その縁で、長州兵が福山藩に攻め入った68年には藩を代表して交渉に臨み、戦火の回避に貢献したという。

 開催中の企画展「福山藩阿部家家老格・安藤家の資料」(29日まで)では、安藤織馬が自筆した長沼流証状の写しや、藩校誠之館の閉校時に譲り受けた8代藩主阿部正教の書など10点を紹介。「幕末の動乱と瀬戸内海」をテーマに今秋開く企画展では、安藤家の家紋が入った武具などの展示を予定している。

【写真説明】安藤織馬ゆかりの品の魅力を紹介する西村直城主任学芸員


山口
松陰を育てた家族愛 生誕180年企画展、至誠館で開幕
 この家族愛が松陰を育てた――。萩市出身の幕末の思想家、吉田松陰(1830~59)の生誕180年を記念した企画展「吉田松陰が生まれた杉家とその家族」の一般公開が17日、同市椿東の松陰神社宝物殿「至誠館」で始まった。来年1月16日まで。

 松陰は萩藩士、杉百合之助の次男(兄弟は3男4女)として生まれた。杉家の家禄(かろく)はわずか26石で、半士半農の貧しい生活だったが、勤労好学の父と仁愛勤倹の母による誠実一筋の家族だった。松陰は父や叔父の玉木文之進から、儒学や兵学の基礎を学ぶ一方、貴重な人間形成期の18年間を杉家の家族愛に支えられて暮らした。特によき理解者で支援者でもあった兄の民治(みんじ)(梅太郎)の存在は大きかったという。

 企画展では、松陰を育んだ家族などを紹介。母の滝を描いた唯一の肖像画(初公開)や、松陰に最も似ていたとされる弟の敏三郎の写真、松陰が着用していた裃(かみしも)、松陰が江戸送りになる際、妹らに「心得にもなることを授けて」と頼まれて書いた和歌、「こころあれや 人の母たる ひとたちよ かからん事は 武士の習(ならい)ぞ」などが展示されている。

 入館料は一般500円、中学・高校生250円、小学生100円。問い合わせは至誠館(0838・24・1027)。


高知
高知 田中光顕の肉声を公開
 幕末に土佐勤王党に参加し、維新政府の重鎮となった田中光顕の肉声が、出身地の高知県佐川町で公開されています。親交があった高杉晋作について語った部分などもあり、人気を集めそうです。
 田中光顕は、1843年に高知県佐川町で生まれ、武市半平太が率いた土佐勤王党に参加し、明治維新後は政府の要職を務めました。佐川町立青山文庫には、90歳のころのものとみられる田中の肉声を録音したテープが残され、23日からデジタル化したうえで公開が始まりました。田中はこの中で、親交があった長州藩の高杉晋作から「決して困ったということを言うものではない。また、困ることがないように考えなくちゃならぬ」と教えられたというエピソードを語っています。また、「どんなことでも、困ったということを言わんことにしておりまする」と話し、激動の幕末をともに過ごした晋作の教えを大切に守ったことを明らかにしています。青山文庫では「維新の志士の最後の生き残りと言われた田中の肉声をぜひ聞いてほしい」と話しています。


「お釣りは龍馬」 きょうにも完売
 幕末の志士・坂本龍馬をデザインした地方自治法施行60周年の500円記念硬貨(高知県版)が23日、県内の観光、文化施設7か所で釣り銭として使われ始めた。計1万枚余り用意したが、3か所ではまもなく〈完売〉。24日にはほとんどでなくなりそう。財務省によると、発行直後の記念硬貨を釣り銭として使用するのは初めてという。

 21日に全国で196万枚発行されたが、龍馬ブームで人気を集め、金融機関ではすでに在庫切れ。財務省には「どの金融機関に行っても残っていない」と問い合わせが殺到しているという。

 県立坂本龍馬記念館(高知市)では、開館前から約20人が列を作り、次々に千円札を出して入館券と硬貨を受け取った。夫婦で旅行中の広島県尾道市の主婦大前紀代美さん(43)は「昨日、高知市内の銀行を探し回ったけど残っていなかった。やっと龍馬さんに会えた」と大喜び。

 高知市の土佐・龍馬であい博メーン会場、県立美術館では昼頃にはなくなり、夕方になくなった県立文学館では「久しぶりに行列ができた」という。

 31日からは県立歴史民俗資料館(南国市)で1600枚、8月21日開所予定の東京・銀座の県アンテナショップでは1万枚を用意する。



コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(71)東大教授・山内昌之 津田出
権力から離れる勇気

 自民党から分かれた新党の党首たちは錚々(そうそう)たる顔ぶれである。「たちあがれ日本」「新党改革」「みんなの党」の代表たちは、いずれも自民党の総裁になってもおかしくない人材であった。しかし、「みんなの党」を除いて参院選の結果は芳しくなく、小泉純一郎元内閣の郵政解散で自民党から離れた「国民新党」の亀井静香氏の存在感もやや弱くなった。
 新党をつくっても政治は一人でやるものではない。幕末維新でも藩のリーダーが1人だけ優れていても、それを輔翼(ほよく)する人材がいないと天下をとることはできなかった。そうした一例は、紀州藩と津田出との関係に見いだすことができる。
 ◆新政府のモデル構築
 蘭学を修めた津田出は、幕末と明治初期に2度ほど藩政改革にあたり、家禄の大削減や無役藩士の農工商への従事を許した。津田の業績は、明治2(1869)年に和歌山藩大参事として、他藩が驚く「交代兵取立之制」なる志願兵に似た制度を採用した点から始まる。
 また、その直後に、プロイセン王国から下士官カール・ケッペンを招聘(しょうへい)し、ドイツ式軍制改革を遂行した大胆さにも驚く。さらに翌年には、交代兵要領を廃して、「兵制改革兵賦」の編成を目指し「兵賦略則」を布告したが、これは四民平等の国民皆兵による徴兵制にほかならない。
この藩政改革こそ近代国家をめざす明治新政府のモデルとなり、明治4(1871)年に実施された廃藩置県の先例となり、明治6(1873)年の新政府の徴兵令の先駆ともいうべきものだった。
 津田は、藩独自の徴兵検査を実行し、矢継ぎ早に徴兵制や郡県制度を整備したことになる。
 ◆出身藩の人材難で孤立
 参議の西郷隆盛に評価された津田は、廃藩置県後に中央政府の大蔵少輔に抜擢(ばってき)された。しかし、これほどの才幹だったにもかかわらず、津田の不幸は藩徴兵軍の都督職を譲った陸奥宗光(むつむねみつ)以外にこれといった偉才を欠いた紀州藩の人材難にあった。
 新政府が津田を中央に呼んだのも、彼ほどの麒麟(きりん)が地方にくすぶることを惜しむと同時に、奔馬(ほんば)になって威令(威光と命令)が行われないことを恐れたからだ。しかも、陸奥が西南戦争や土佐立志社の陰謀事件に連座して失脚したせいもあり、津田は頼るべき同輩や朋友をもたずに薩長政権の内部で孤立してしまった。
 大蔵省や会計監督局といった財政官庁から天才ぶりを発揮できる陸軍に移り、少将となった。しかし、陸軍省第一局長や第五局長などのデスクワークを務めただけで、鎮台や師団の司令官に任じられることはなかった。明治軍事史で本格的な兵制改革や徴兵制度を実現し近代陸軍の基礎をつくった人物にしては、失意のキャリアを重ねたのである。
◆偉才に似合わぬ閑職
 元老院議官などは、偉才津田には似合わぬ閑職にすぎなかった。鎮台兵や近衛兵の近代的な装備や編制を整えるために紀州藩兵を提供し、西郷隆盛や山県有朋に匹敵する業績を挙げたのに、才能を開花させる重要官職に恵まれなかったのは不幸であった。
 予備役に入る前から、千葉や茨城にまたがる地帯でアメリカ式大農法を試み、国内で最初の乳牛ホルスタイン種を導入したのも、政界や官界では志を得られないことを知ったからだ。偉材を腐らせる罪というものもある。藩閥外の有能な人間を国政に引き立てた西郷はやはり偉いのだ。
 さて、参院選で新党のリーダーの面々は、政治を動かす十分な数を得られなかったいま、同じ紀州藩でも陸奥宗光の道と、津田出の道のいずれを選ぶのであろうか。臥薪嘗胆(がしんしょうたん)、藩閥政権の内懐に入って権力への道を歩むのか、政治経綸(けいりん)への自信と自己への矜持(きょうじ)にかけて孤高の道に留まるのか。むずかしい選択を迫られている。(やまうち まさゆき)

 
 本連載をまとめた「幕末維新に学ぶ現在」(中央公論新社)が発売中。

【プロフィル】津田出
 つだ・いずる 天保3(1832)年、紀州(和歌山県)生まれ。江戸で蘭学を学ぶ。藩の御用掛取次・国政改革制度取調総裁に任命され、藩政改革に着手するが、保守派の抵抗にあい蟄居(ちっきょ)を命じられる。維新後再登用され、和歌山藩大参事となる。俸禄を削減し、徴兵制を施行。プロシア式軍事教練を導入し、近代的な軍隊を整備した。新政府に採用され、陸軍少将、元老院議官などを歴任し、貴族院議員に勅選。晩年は千葉県などで開墾事業に従事した。明治38(1905)年、74歳で死去。





 先月は海外旅行中で見られなかったので、何とか万障繰り合わせて……中途から。



「元犬」入船亭遊一
「お見立て」立川生志
「長者番付」柳家小満ん
中入り
「転失気」柳家喬太郎
「唐茄子屋政談」柳家権太楼

 前座は柳亭市也さん。

 「お見立て」途中からロビーのモニターテレビで視聴。生志さん、なかなか聴かせてくれる感じで、生で聴きたかったなあ。

 「長者番付」あまり演じられない作品らしい。江戸男ふたりが旅先でつくり酒屋に入って、つくり酒屋の主に切った啖呵の言葉の意味を問われて適当にでっち上げ、その場を切り抜けたものの……という話。終盤、ちょっと話がダレ気味なところがあるせいか、聴く自分、ちょっと集中力が続かない(汗)。初めて聴く小満ん師匠、何カ所か言い直しがあったりして、ベストな出来ではなかったような。

 「転失気」喬太郎師匠のことだからどんなオリジナリティを加えてくるのか期待して聴いた。温厚で大人物の風格があるのに、都合が悪くなると切れる和尚(笑)。最初は素直だったのに、大人たちの知ったかぶりに振り回された挙げ句、「仏に仕える身でありながら悪魔が宿りました♪」と腹黒くなる珍念くん(子供の仕草を表す動作なのか、腹回りに両手を揃えるので……つい、臨月のようなお腹に視線が行ってしまう・爆)。やっぱり爆笑する。

 「唐茄子屋政談」生の権ちゃん、初めて。マクラ、長崎に行ってきたけど『龍馬伝』一色ですごかったという話は、今までなかった長崎奉行所ができていたというところで大爆笑。福山雅治は若い頃の自分そっくり、というベタさも、権ちゃんのあの顔だから笑えるんだよね。前半を独立させた「唐茄子屋」「かぼちゃ屋」は何人かの噺家さんの音源で聴いていたけど、後半を含めた「政談」は今回初めて。ベタな演出ではあるが、元若旦那の徳さんが吉原田圃で「とうなすや〜」と声を張り上げる練習をしながら、かつて馴染みの遊女に「鬢ほつ」を聴かせたことを思い出す場面で端唄を聴かせてくれたり、零落した武家出身の母子の場面ではほろりと泣かせられたり、大満足。





 今日も暑かったですねぇ。日が落ちても、まだ30度ありますf(^ー^;。

NHK『名将の采配』 月曜日午後10時55分〜11時25分

 NHK番組たまごの時間で放送していた『名将の采配』が一人前の番組になりました。『タイムスクープハンター』の後番組ですね。

 番組の内容上、長寿番組にはなりにくいでしょうが……質の高い内容を期待しております。





 箱館奉行所公式ウェブサイトに期間限定ながらイカール星人画像が。

箱館奉行所 イカール星人特設ウェブサイト
 ただいま工事中です。

 期間限定のイカール星人ショップが朝市に進出してます。
イカール星人グッズショップ、オープンしました!
2010年7月16日、
イカール星人公式グッズショップが
函館朝市内にオープンしました!
日本一(当社調べ)
営業時間が朝早い、
キャラクターグッズショップです。

朝5時半から元気に営業!


皆さまのお越しをお待ちしています♪


イカール星人の店がオープン
 函館朝市”エキニ市場”内に16日、イカール星人の「オフィシャルショップ」がオープンした。イカール星人の映像サイトを作成したProject Ika-Rに参加し、同店を運営する映像制作会社シンプルウェイの阪口あき子社長がイカール星人らとともにテープカットを行い、カメラを持った大勢の観光客らからフラッシュを浴びていた。

 函館朝市協同組合連合会函館駅二商業協同組合の藤田公人理事長が「函館はイカの街。イカール星人の魅力で朝市から全国を『侵略』してほしい」とあいさつ。観光客、市場関係者から大きな拍手を受けた。テープカット後には、詰めかけた観光客が、イカール星人と記念撮影に興じる一幕もあった。

 同ショップは、午前5時から午後2時まで営業。トランクス(1580円)やステッカー(210円)携帯電話のストラップ(840円)などの雑貨から、いかめし(740円)、さきいか(420円)などの食品まで、多彩なキャラクター商品が並んでいる。

 ストラップを購入した東京都の自営業土屋秀一さん(52)は「動画共有サイトを見てイカール星人のファンになった。商品を購入できてうれしい」と顔をほころばせていた。阪口さんは「現在は約50種類を販売しているが、今月中には70種類に増やしたい」と話していた。
北海道
箱館奉行所で内覧会
 国の特別史跡「五稜郭跡」内に函館市が復元工事を進めていた「箱館奉行所」で16日、報道陣を対象とした内覧会が開かれた。当時の絵図面や古写真を基に、忠実に再現された雄姿と重厚な造りの内部が姿を現した。一般公開は29日から。

 復元工事は2006年に開始され6月30日に完了。総工費は約28億円。当時の発掘調査結果などを基に、内部の間取りや柱の材質、建物前に植えられた梅の木の位置など、最高の技術を駆使して往時を再現した。材質は東北産のスギやヒバなどを使用している。

 約2700平方メートルあった同奉行所の3分の1に当たる、約1000平方メートルを復元した。残りの建物部分は、地面に建物が存在した部分に線を引いて当時の威容を表現した。

 内部は一の間から四の間まで、小樽の畳職人が手がけた最高級の備後畳を敷き詰めた72畳の広さを誇る大広間や、箱館奉行の執務室の「再現ゾーン」や、五稜郭設計の経過や築城の情報などを紹介する「歴史発見ゾーン」など5ゾーンで構成されている。

 同奉行所は幕末の1864(元治元)年に北方警備の拠点として設置され、後に箱館戦争の舞台となった。旧幕軍降伏後の71(明治4)年に解体された。開館時間は午前9時―午後6時(11月から3月は午後5時まで)。入場料は大人500円、学生や生徒、児童は250円。


箱館奉行所オープン盛り上げろ/関連グルメ続々誕生
 函館市の五稜郭公園内に箱館奉行所が29日、復元オープンするのを目前に控え、市内の飲食・食品業者が手掛ける記念の関連グルメが続々と誕生している。大河ドラマの幕末ブームにも乗り、各社は駅弁にハンバーガー、ビールなど、あの手この手で商機をにらみ、新商品開発が熱を帯びている。

 弁当製造販売のみかど(若松町)は20日から、JR函館駅で函館ゆかりの幕末の志士にちなんだ「土方歳三おとこ飯」(1050円)を売り出す。赤色が好きだったとされる土方から連想し、はこだてわいん(七飯町)の赤ワインに付け込んだ赤べこのはこだて和牛を五穀米入りのご飯に巻いた。

 ロール中央には道南産のアスパラ3本で土方家の家紋「左三つ巴」をイメージ。おとこ飯の名の通りボリューム満点だが、企画担当者は「キウイソースを添えて女性にも受け入れられる味に仕上げた。そのままでもしょうゆをつけても楽しめ、土方のようにいろいろな『表情』を持っています」と売り込む。

 市内・近郊で外食チェーンを展開するラッキーピエログループは1日から、五稜郭公園前店(五稜郭町)限定で「箱館奉行所いにしえバーガー」(400円)を販売している。古くから道南で食べていたと推測されるイカやホタテ、玉ねぎのフライ3種が入り、「多い日では一日20個ほど売れるひそかな人気商品」と同店。

 地ビール製造販売などのマルカツ興産(豊川町)は10日から、140年前のビールを再現した「箱館奉行所麦酒」(350円)を数量限定で販売中。文献などを基に明治初期に流通し始めた「糖度が高く、苦味が強い」という味を目指した。同社によると、既に2000本弱が売れる好評ぶりで、売れ行き次第で増産も検討している。

 いずれの商品も開発担当者が往時に思いをはせ、想像力を頼りに生み出したたまものだが、「奉行所の完成を盛り上げたい」という思いは一つ。各社は「観光客だけでなく市民にも味わってもらい、まちを挙げて機運を高めたい」とPRに力が入っている。

福島
会津ゆかりのリンゴ品種 「緋の衣」ジュースいかが
 会津ゆかりのリンゴ「緋(ひ)の衣」などを使った3種類のジュースの詰め合わせが完成し、今月下旬に売り出される。「復古(レトロ)三兄弟」と銘打ち、福島県会津若松市内の栽培農家や加工業者でつくる「『緋の衣』ブランド化実行委員会」が約1年前から取り組んできた。

 「緋の衣」は戊辰戦争で敗れた会津藩士が、入植地の北海道余市町で苦労の末に栽培に成功したが、個体のばらつきが大きいなど、作りにくいこともあり、幻の品種となっていた。会津若松市の農家が2000年、現地から原木の枝を譲り受けて会津で復活、05年に結実させた。
 今回は「緋の衣」と同じく歴史の古い「紅玉」「国光」も加えた3種類の味を楽しめるセットにした。
 1本200ミリリットル。各3本ずつ計9本入りで3980円。200セット限定で今月下旬から売り出す。
 ラベルは、明治時代のリンゴの木箱に張ってあったデザインをそのまま生かし、レトロ調に仕上げた。
 実行委の白井康友副会長は「酸味や甘み、香りがいいのが特徴。苦労して育て、ここまで来たのが夢のようだ」と振り返る。実行委は「緋の衣」を通し、会津の歴史を伝えたいと願っている。
 連絡先は会津食のルネッサンス0242(25)1778。


大阪
福沢諭吉が生誕175年 大阪で記念碑に献花
 大阪生まれで慶応大を創立した福沢諭吉の生誕175年を祝って、同大関係者が16日、大阪市内にある誕生地の記念碑に献花した。

 市内のホテルでは記念式典も開かれ、清家篤塾長が「明治維新を生きた諭吉は、自分で物を考える力を大切にした。大きな変化を迎える現代、その力はますます重要になっている」とあいさつした。式典は25年ごとに大阪と東京で交互に行われている。

 福沢諭吉は1835年、大阪の中津藩(大分県)蔵屋敷で、下級武士の子として生まれた。緒方洪庵の開いた適塾(大阪市中央区)で蘭学を学び、明治を代表する知識人として活躍。73~75年には大阪市内に慶応大の分校が置かれていた。

 記念式典では、ひ孫にあたる福沢武氏(77)が「近ごろの日本人は内向きの人が多いが、大阪は『世界の中での大阪』として発展してほしいと見守っていると思う」と、諭吉を育てた地への思いを語った。


岡山
洪庵生誕から200年 地元顕彰会メンバーが誕生祭
 岡山市北区足守地区出身の蘭方医・緒方洪庵(1810〜63年)の生誕200年の誕生日に当たる14日、地元有志でつくる緒方洪庵顕彰会は同足守の生誕地(県指定史跡)で誕生祭を開いた。
 会員約20人が参加。生誕地にある洪庵のブロンズ像と顕彰碑に一礼した後、垪和陽子副会長が、幕末の大阪に蘭学塾・適塾を開き、多くの人材を育成した洪庵の偉業をあらためて紹介し、「業績は生誕から2世紀がたった今でも語り継がれている。功績をしのび大きくたたえたい」とあいさつした。続いて像の台座に花を手向けた。
 同会メンバーら地元有志でつくる実行委員会は今秋、生誕200年祭や石碑建立などの記念事業を計画している。


広島
桜田門外の変「居合わせた」 発見の証言資料を展示へ
 幕末に大老井伊直弼が殺害された「桜田門外の変」(1860年)に居合わせたとする証言が書かれた文書が、福山藩の儒学者・菅茶山(かんちゃざん)の子孫から県立歴史博物館(福山市)に寄贈された資料の中に含まれていることがわかった。同博物館の西村直城・主任学芸員は「桜田門外の変に関して、襲われた井伊側の資料は乏しいので貴重な資料」と話している。16日から8月1日まで、同博物館2階通史展示室で展示する。

 証言した人物は、事件直後に故郷の安芸国に戻る途中、福山の奉行所によって拘束されたらしく、事件に遭遇したときの心情がリアルに表現されている。

 文書は「骨董録(こっとうろく)」で、A5判と同じ大きさの和本。100ページ分あるうち、墨字で50ページまで書かれている。筆跡などから、菅茶山の後継者の養子で儒学者の菅晋賢が、1860年夏以降に書いたものと見られる。

 桜田門外の変について、当時流布されていた情報なども書かれていて、間違った史実も未整理のまま記されている。ただ、地元、福山の奉行所の情報として、安芸出身の中間(ちゅうげん=奉公人の意)の1人が、井伊大老の馬を引いて江戸城へ向かう行列に加わり、事件に遭遇したことについての証言が書かれていた。

 「松平大隅様之御屋敷前あたりニて殿様御駕籠へ誰に候哉、刀抜連切て掛り候者数人有之、其勢之烈しく……」などと、数人が井伊大老の駕籠(かご)に激しく切りかかったことや、大きな声が一声聞こえると警護の武士は逃げたこと、駕籠と馬は少し離れていて、雪のために状況がはっきりしなかったことなどが記録されている。

 この中間は恐ろしくなって屋敷に逃げ帰り、3日後に抜け出して故郷に戻る途中、福山市道三町で宿泊しているところを、不審人物として拘束されたことも記されていた。

 「中間は武士でもなく、いわば庶民。事件現場の証言としては、頼りない印象も受けるが、奉公の立場では仕方なかったのだろう」と西村主任学芸員。同館では、菅茶山の子孫から寄贈された約1万点の資料を順次、整理している。(甲斐俊作)



文化芸能
桜田門外ノ変
チェック:実行部隊の指揮官だった関鉄之介を主人公に、幕末の歴史に大きな影響を与えた井伊直弼暗殺事件「桜田門外ノ変」に迫る本格時代劇。『男たちの大和/YAMATO』の佐藤純彌が、吉村昭の同名小説を映画化。水戸藩の下級武士でありながら、世紀の大事件にかかわることになった関鉄之介を大沢たかお、その妻・ふさを長谷川京子、水戸藩の藩主・徳川斉昭を北大路欣也が演じる。歴史の動きに翻弄(ほんろう)される男たちと、その家族のドラマに注目だ。

ストーリー:水戸藩士の下級武士の家に長男として生まれ、30歳のときに迎えた12歳年下の妻・ふさ(長谷川京子)や長男の誠一郎(加藤清史郎)と共に穏やかな暮らしを送っていた関鉄之介(大沢たかお)。しかし、藩主父子が井伊大老(伊武雅刀)の専断により処罰されたという急報が、彼の日常に影響を及ぼし始める。


『龍馬伝』で岡田以蔵死に演者の佐藤健がしみじみ
 俳優・佐藤健(21)が放送中の大河ドラマ『龍馬伝』(NHK)で出演分の放送が全て終わったことをブログで報告した。佐藤演じる岡田以蔵は11日放送の28話で死亡。
「放送を見て、これで本当に終わりなんだなぁという実感がわいてきて少し淋しい気持ちになりました」「たくさんの大切なものを教えてくれたこの現場に、キャストのみなさん、スタッフのみなさん、支えてくださった全てのみなさんに心から感謝しています」と寂しさはありつつも、得たものは大きかったようだ。
 劇中で佐藤が演じた岡田以蔵は、幕末に我流の剣術を操り数度の要人暗殺をしたことで「人斬り以蔵」と恐れられた人物。幕末をテーマとした映像作品では過去に勝新太郎や哀川翔、長瀬智也ら錚々たる俳優陣が演じている。
『龍馬伝』原作の司馬遼太郎は「孤独、純粋で盲信的」という以蔵像を設定していたが、その難しい役柄を見事に演じ「あの瞬きせず流れ出した涙には鳥肌が立った。ヤバすぎる」「佐藤の以蔵には、せつない気持ちにさせられる」などその演技力を絶賛する意見がネットで続出していた。

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