新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
お年玉〈年始ご挨拶〉尾上松也
一、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)鳥居前
佐藤忠信実は源九郎狐 中村 隼人
源義経 中村 種之助
静御前 中村 梅丸
逸見藤太 坂東 巳之助
武蔵坊弁慶 中村 歌昇
真山青果 作
真山美保 演出
二、元禄忠臣蔵(げんろくちゅうしんぐら)御浜御殿綱豊卿
徳川綱豊卿 尾上 松也
富森助右衛門 坂東 巳之助
御祐筆江島 坂東 新悟
中臈お喜世 中村 米吉
上臈浦尾 中村 歌女之丞
新井勘解由 中村 錦之助
第二部
お年玉〈年始ご挨拶〉中村 歌昇
一、操り三番叟(あやつりさんばそう)
三番叟 中村 種之助
千歳 中村 隼人
後見 中村 梅丸
翁 中村 錦之助
双蝶々曲輪日記
二、引窓(ひきまど)
南与兵衛後に南方十次兵衛 中村 歌昇
女房お早 中村 米吉
平岡丹平 坂東 巳之助
三原伝造 中村 隼人
母お幸 中村 歌女之丞
濡髪長五郎 尾上 松也
銘作左小刀
三、京人形(きょうにんぎょう)
彫物師甚五郎 坂東 巳之助
京人形の精 坂東 新悟
娘おみつ実は義照妹井筒姫 中村 梅丸
女房おとく 中村 種之助
奴照平 中村 歌昇
ロビーで仁左さまを目撃した情報があります……残念orz
仁左さまから教えを受けた音羽屋の松也さんの綱豊卿がいつか歌舞伎座にもかかるのでしょうか、楽しみです。
一、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)鳥居前
佐藤忠信実は源九郎狐 中村 隼人
源義経 中村 種之助
静御前 中村 梅丸
逸見藤太 坂東 巳之助
武蔵坊弁慶 中村 歌昇
真山青果 作
真山美保 演出
二、元禄忠臣蔵(げんろくちゅうしんぐら)御浜御殿綱豊卿
徳川綱豊卿 尾上 松也
富森助右衛門 坂東 巳之助
御祐筆江島 坂東 新悟
中臈お喜世 中村 米吉
上臈浦尾 中村 歌女之丞
新井勘解由 中村 錦之助
第二部
お年玉〈年始ご挨拶〉中村 歌昇
一、操り三番叟(あやつりさんばそう)
三番叟 中村 種之助
千歳 中村 隼人
後見 中村 梅丸
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双蝶々曲輪日記
二、引窓(ひきまど)
南与兵衛後に南方十次兵衛 中村 歌昇
女房お早 中村 米吉
平岡丹平 坂東 巳之助
三原伝造 中村 隼人
母お幸 中村 歌女之丞
濡髪長五郎 尾上 松也
銘作左小刀
三、京人形(きょうにんぎょう)
彫物師甚五郎 坂東 巳之助
京人形の精 坂東 新悟
娘おみつ実は義照妹井筒姫 中村 梅丸
女房おとく 中村 種之助
奴照平 中村 歌昇
ロビーで仁左さまを目撃した情報があります……残念orz
仁左さまから教えを受けた音羽屋の松也さんの綱豊卿がいつか歌舞伎座にもかかるのでしょうか、楽しみです。
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家族ふたりを亡くして喪中のひとり寂しい年の暮れ。去年だったら近所で弟とそばをいただいて、母とふたりで紅白。そんな暮れを送れない今年は、違うことをしたくて、横浜にぎわい座の志の輔トリの寄席チケットを入手。
子ほめ/全楽
時そば/志の彦
権助魚/志のぽん
漫談/寒空はだか この日限定のウルトラマンのネタとか、歌のイントロじゃなくて中トロクイズとか、馬鹿馬鹿しさがいい。
看板のピン/生志 予想通りの相撲ねた。
漫談/松元ヒロ ウーマンラッシュアワー村本さん、寄席には松元ヒロがいます。あなたもテレビに出られようと出られなかろうと時事ネタ頑張ってください。鹿児島実業時代のジンサン、おもしかったです。うっかりネタが口からこぼれて、話が壊れてしまったけれど、芸人は最後まで。
歌とアコーデオン/遠峰あこ 両国風景のアコーデオン版がすごい。
三方一両損/志の輔 今年一年を締めくくるのが志の輔らくごで幸せ。
子ほめ/全楽
時そば/志の彦
権助魚/志のぽん
漫談/寒空はだか この日限定のウルトラマンのネタとか、歌のイントロじゃなくて中トロクイズとか、馬鹿馬鹿しさがいい。
看板のピン/生志 予想通りの相撲ねた。
漫談/松元ヒロ ウーマンラッシュアワー村本さん、寄席には松元ヒロがいます。あなたもテレビに出られようと出られなかろうと時事ネタ頑張ってください。鹿児島実業時代のジンサン、おもしかったです。うっかりネタが口からこぼれて、話が壊れてしまったけれど、芸人は最後まで。
歌とアコーデオン/遠峰あこ 両国風景のアコーデオン版がすごい。
三方一両損/志の輔 今年一年を締めくくるのが志の輔らくごで幸せ。
昨日はNHKプレミアム『明治維新150年スペシャル「決戦!鳥羽伏見の戦い 日本の未来を決めた7日間」』を楽しみました。
歴女のお供に「戊辰戦争・宇都宮攻防戦マップ」改訂 宇都宮の市民グループ
近藤勇や沖田総司、土方歳三の本当の姿は?
歴女のお供に「戊辰戦争・宇都宮攻防戦マップ」改訂 宇都宮の市民グループ
【宇都宮】宇都宮の魅力向上などに取り組む市民グループ「黄ぶな愉快プロジェクト」は、戊辰戦争をテーマにした観光マップを6年ぶりにリニューアルした。市内を舞台にした攻防戦を図解で紹介したほか、宇都宮城などゆかりの地をマップで案内。歴史好きの女性「歴女」に人気の高い新選組の副長土方歳三(ひじかたとしぞう)を前面に出し、宇都宮の戦跡巡りブームにつなげたい考えだ。
マップのタイトルは「新選組土方歳三と幕末の宇都宮へタイムスリップ」。布陣や戦況の推移を当事者らの日記や紀行文を参考に図解で紹介した。裏面には二荒山神社や簗瀬橋など戊辰戦争ゆかりの12カ所や、まちなかでお薦めの飲食スポットを掲載した。
市職員でメンバーの荒瀬友栄(あらせともしげ)さん(39)は「歴史に詳しい歴女から初心者まで楽しめる内容。宇都宮にはギョーザ以外にもたくさんの魅力があることを知ってほしい」と話している。
マップは折り畳みA6サイズで2千部製作。1月2日から宮カフェで「明治150周年記念のミヤリー缶バッジ」購入者に進呈する。
近藤勇や沖田総司、土方歳三の本当の姿は?
書名
歴史のなかの新選組
監修・編集・著者名
宮地正人 著
出版社名
岩波書店
出版年月日
2017年11月17日
定価
本体1360円+税
判型・ページ数
文庫・336ページ
ISBN
9784006003692
BOOKウォッチ編集部コメント
近藤勇や沖田総司、土方歳三ら錚々たるメーンキャラクターでおなじみの新選組。小説や映画、テレビドラマなどで盛んに取り上げられ、最近は漫画やアニメ、ゲームでも大人気だ。
登場人物たちは幕末の動乱で主役の一翼を担い、さまざまな事件に関与する。ただし大きな問題はどこまでが史実か、はっきりしないことだ。
「時代小説からの決別」
『歴史のなかの新選組』は、東京大学史料編纂所教授や、国立歴史民俗博物館館長などを務めた近現代史研究者の宮地正人さんが、学者の目で新選組について検証した本だ。もともとは2004年、単行本として出版され多数の書評で取り上げられた。NHK大河ドラマで「新選組!」が放映されたころだ。それを文庫化したのが今回の新版だ。
単にサイズをコンパクトにしたというものではない。この10年余りで新選組についての研究はかなり進んだという。特に新選組の母体となった浪士組や、江戸の新徴組に関する研究が進んだそうだ。それらをベースに補足や修正を加えているのが本書だ。
アカデミズムの世界にいる宮地さんが単行本のときからこだわっているのは、語られている様々な出来事が史実かどうかということ。本書でも「前置き」として、「時代小説からの決別」と、徹頭徹尾史料を基に論を展開することを強調している。
具体的には第10章「史実と虚構の区別と判別」に詳しい。新選組を多くの日本人に広めたのは子母沢寛の『新選組始末記』(1928年)だ。その「子母沢本」にはタネ本があった。西村兼文による評伝『新撰組始末記』(1889年脱稿)だ。ところがこの「西村本」をきっちり読んでみると、いくつものおかしいところが見つかる。ゆえに宮地さんは「西村本」についてこう記す。
「ある事実なり事件を手掛かりとして、彼の判断で事実の創作をおこなっていないか、という疑いがある」「一八六五(慶応元)年閏五月以前の記述に関しては、すべての点で、他の史料によって裏を取る必要がある」
「近藤勇書簡集」がない
このほか宮地さんが史料の不備を憂えるのは、新選組の中心人物、近藤勇についてだ。様々な伝説が残り、人物像が語られ、書状なども部分的に紹介されている。しかし、残念なことに、現在に至るまで「近藤勇書簡集」というものが編纂されていない。そのため、部分的に公開されている書状の全文を見ようと思っても見られない。これまでに新選組の本で儲けた出版社が、きちんとした校訂のもとに、書簡集を出版すべきではないかと提案している。
一方で、新選組の関係者は地方出身者が多いので、それぞれの地元などでは、独自にコツコツと実証的な研究が行われ、良書も出版されていることも伝える。とりわけ日野市立新選組のふるさと歴史館など各地域の資料館の取り組みを高く評価、本書では2004年以降のそうした研究について「補章」を立てて詳しく紹介している。現時点の新選組研究の、一つの到達点を示したものだろう。
かつては非情な殺戮者。その後、卓越した市井の剣客集団として再評価。さらに滅びの美学が加わり、沖田や土方がキャラ立ちして女性の人気も高まるなど、小説やドラマの世界での「新選組像」も時代とともに変化している。いったいどれが本当の新選組なのか。史料を基にした実像の構築に期待しているファンも多いのではないか。今後もさらなる研究の深化が待たれる。
2017年に行った落語209席。諸事情のため、2010年以来で一番少なかった。
2017/12/31クライマックス寄席
2017/12/19 志の輔らくごinEX2017
2017/11/29 晩秋、Wホワイト落語会19 in 成城
2017/11/21 立川談志七回忌特別公演 談志まつり2017
2017/11/21 立川談志七回忌特別公演 談志まつり2017
2017/10/9 創作落語30周年記念リロード 白鳥ジャパン雪月花
2017/9/19 柳家小三治一門会
2017/9/7 日本青年館オープニング記念公演 立川談春独演会
2017/8/23 毎日新聞落語会 渋谷に福来たる 2017 夏一番 〜桃月庵白酒25周年記念落語会的な〜
2017/7/22 志の輔らくご in 下北沢2017 恒例 牡丹灯籠
2017/5/23 立川談春「廓噺の会」
2017/5/22 柳の家に春風が…柳家喬太郎・柳家三三・春風亭一之輔三人会
2017/5/10 名作落語〜それまで・そのあと・スピンオフ〜 談笑『落語外伝』 第2回「居残り佐平次」
2017/5/4 TBS赤坂ACTシアタープロデュース 恒例 志の輔らくご
2017/4/22 よってたかって春らくご'17 21世紀スペシャル寄席 ONE DAY
2017/4/1 渋谷に福来たるSPECIAL〜落語フェスティバル的な〜 江戸暦
2017/4/1 渋谷に福来たるSPECIAL〜落語フェスティバル的な〜 春爛漫 白酒一之輔二人会
2017/2/28 立川談春独演会2017
2017/2/4 落語の仮面祭り in 下北沢演芸祭
2017/1/19 立川談春新春独演会「居残り佐平次」
チケット取れにくいながら今年も志の輔談春を追いかけ、またひとり友人をファンにした。
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チケット取れにくいながら今年も志の輔談春を追いかけ、またひとり友人をファンにした。
原作の長年のファンとしても、ミタニン&吉川Pコンビの『組!』『組!!』『丸』ファンとしても、楽しみな作品。
三谷幸喜、正月にギャグ漫画の時代劇
愛之助、『真田丸』キャスト再集結の『風雲児たち』現場満喫「同窓会みたい」
三谷幸喜、正月にギャグ漫画の時代劇
脚本家・三谷幸喜によるエンタテインメント時代劇『風雲児たち~蘭学革命(れぼりゅうし)篇~』(NHK総合)が1月1日に放送。漫画家・みなもと太郎による歴史ギャグ漫画『風雲児たち』を原作に、大河ドラマ『真田丸』のキャストを集めた三谷流歴史ドラマとなる。「風雲児たち」新納慎也“ほふく前進”の俳優人生 道しるべ三谷氏に感謝「期待に応えたい」
一心同体で「蘭学事始」に 取り組んだ前野良沢と杉田玄白だが、「解体新書」には良沢の名は載らなかった。2人の間にいったい何が
歴史ファン、みなもとファンだと公言する三谷は、「僕の大学時代に連載が始まった、みなもと太郎さんの『風雲児たち』。僕はこの作品で、歴史の新しい見方を学びました。『風雲児たち』には、今の日本を築き上げた先人たちの感動的なエピソードがぎっしり詰まっています。今回、そのほんのちょっと一部分をドラマ化しました」とコメント。
江戸幕府老中・田沼意次を演じる草刈正雄と博物学者・平賀源内を演じる山本耕史
本ドラマは、西洋医学書の和訳『解体新書』にまつわる物語で、三谷がNHK時代劇を手がけるのは『真田丸』以来1年ぶり。キャストには、片岡愛之助、新納慎也、山本耕史、草刈正雄、長野里美、岸井ゆきの、迫田孝也、大野泰広、栗原英雄、高木渉など、三谷の笑いのツボがわかっている『真田丸』の出演者が再集結する。放送は19時20分から。
NHK総合・正月時代劇『風雲児たち~蘭学革命(れぼりゅうし)篇~』
放送:2018年1月1日(祝・月)・19:20〜20:49
URL:https://www.nhk.or.jp/jidaigeki/fuuunjitachi/
昨年のNHK大河ドラマ「真田丸」で豊臣秀吉の甥・豊臣秀次を好演した俳優の新納慎也(42)が正月時代劇「風雲児たち〜蘭学革命篇(らんがくれぼりゅうしへん)〜」(来年1月1日後7・20、総合)に出演。「真田丸」に続き、劇作家・三谷幸喜氏(56)の作品を彩る。新納慎也“映像待ち”の20代“心が摩耗”の30歳も「芝居をしたいだけ」40代「真田丸」で飛躍
「真田丸」の脚本を担当し、ブームを巻き起こした三谷氏の新作脚本ドラマとして、さらに「真田丸」のキャスト23人(発表分)が再集結して注目される今作。「真田丸」の後、三谷氏の新作ドラマ脚本は今回が初。原作は今年、画業50年を迎えた漫画家・みなもと太郎氏(70)の同名大河歴史ギャグ漫画。今回は片岡愛之助(45)と新納を迎え、前野良沢と杉田玄白による“蘭学事始”のエピソードを描く。
西洋医学書「ターヘル・アナトミア」の日本初の和訳に一心同体で取り組んだ良沢(愛之助)と玄白(新納)の2人。鎖国ド真ん中の江戸中期に革命的な翻訳を成し遂げた。しかし、刊行された「解体新書」に良沢の名前はなく、名声は玄白だけのものとなった。2人の間に一体、何が起きたのか…。笑いとサスペンスに満ちた新しい三谷流歴史ドラマが生まれる。
新納にとって映像の仕事としては、これほど出番とセリフの多い役はなかったという今回の“大役”。人生初となる“剃髪”を敢行し、外見も気合の役作りをして臨んだ。11月に約20日間の撮影を終え「幸せな毎日だったという感謝の気持ちと、撮影前はプレッシャーもあって、途中でケガしたら…とか風邪をひいたら…とか、いろいろ不安もあったので、無事に終えられて、ひと安心しました」と振り返った。
翻訳の精度にこだわって完璧を目指した良沢とは対照的に、あまりオランダ語が分からなかった玄白は不完全でも医学発展のために「出しちゃえ、出しちゃえ」と「解体新書」刊行を急いだ“乗りだけ”の男。「お調子者の新納さんにピッタリでしょ?」という三谷氏からのオファーに、新納は「おいおい!」と笑ってツッコミを入れながらも「時代劇だからといって重くならず、とにかく軽快に演じてほしい」というリクエストに応えた。
具体的には、翻訳作業に打ち込んでいる良沢と中川淳庵(村上新悟)に対し「あまりオランダ語が分からない玄白は2人を手伝えない。2人がああでもないこうでもないとオランダ語と格闘していると、玄白はすぐに『先、行きましょう』と言うんです。そのセリフを、どう言えばいいか。良沢が『この男は…』とイラッとするように、時代劇にあり得ないトーンとテンポで、その部分だけ一種、現代っぽくしてみました。そこの現代感覚のスピード感とリズム感は大事にしました」と工夫を明かした。
三谷作品には2007年、ユースケ・サンタマリア(46)主演の舞台「恐れを知らぬ川上音二郎一座」で初参加。09年には、元SMAPの香取慎吾(40)主演のミュージカル「TALK LIKE SINGING」で4人の出演者の1人(主人公の親友役)に起用され、念願のオフ・ブロードウェーデビューを叶えた。
「真田丸」の時も、三谷氏について「僕の人生の連結部分で『さあ、この道を進みなさい』と言ってくれる、人生を変えてくれる人です」と語っていたが、再度尋ねると「僕、本当に、こうやって匍匐(ほふく)前進で進んできたような俳優人生なんです」と身ぶり手ぶりを交え、切り出した。
「今回も『風雲児たち』の共演者の方々に『新納君って、もともと何なの?』と聞かれたんですが、劇団にいましたとか特撮ヒーローでしたとか(笑い)、僕にはそういった“もともと”が何もないんです。ただただ、ミュージカルのカーテンコールで一番後ろの列の端っこで気付かれない程度にお辞儀をしていたところから、1個1個、こうやって匍匐前進で脇目も振らず進んできただけなのです。三谷さんは、そうやって先を見ず、今、目の前にあることを1つ1つやっている“腹ばいの僕”の横にたまにやって来て、匍匐前進する僕に『新納さん、今度はこっちに進んでください』『次はあっちに行ってみたら、どうかなぁ?』と進む方向を指さしてくれるみたいな、そんな存在。これ、うまく文章になります?」とジェスチャーを交え、少しおどけながら話して笑いを誘った。
「この距離感が僕と三谷さんの関係性を我ながら上手に言えていると思います。頻繁に連絡を取り合っているわけじゃなく、1年ぐらい音沙汰がない時もありますから。僕のどこをそんなに評価してくださっているのか、ちゃんと聞けていないんですが、それを言葉にせずとも、今回のような役を頂けることが三谷さんからの評価なんだと思い、これからも期待に応えられるように頑張っていきたいと思います」。モデルから俳優に転向し、20年以上。「来年の今頃、どうなっているんだろうか。役者を始めた当時はその不安しかなかったですし、今も拭えていないまま生きています」。暗中模索の役者道を、三谷氏という“道しるべ”が節目節目で明るく照らす。
[ 2017年12月30日 08:00 ]
昨年のNHK大河ドラマ「真田丸」で豊臣秀吉の甥・豊臣秀次を好演した俳優の新納慎也(42)が正月時代劇「風雲児たち〜蘭学革命篇(らんがくれぼりゅうしへん)〜」(来年1月1日後7・20、総合)に出演する。今や日本ミュージカル界を支える1人になったが、30歳の頃には「心が摩耗」し、休養を申し出た過去も。20代は映像の仕事に恵まれず、悔しい思いもしたが、40代になってドラマでも実力を発揮。「結局、僕はスターになりたいんじゃなく、芝居をしたいだけの人」。活躍のフィールドが増え、さらなる飛躍が期待される。
「真田丸」の脚本を担当し、ブームを巻き起こした劇作家・三谷幸喜氏(56)の新作脚本ドラマとして、さらに「真田丸」のキャスト23人(発表分)が再集結して注目される今作。「真田丸」の後、三谷氏の新作ドラマ脚本は今回が初。原作は今年、画業50年を迎えた漫画家・みなもと太郎氏(70)の同名大河歴史ギャグ漫画。今回は片岡愛之助(45)と新納を迎え、前野良沢と杉田玄白による“蘭学事始”のエピソードを描く。
西洋医学書「ターヘル・アナトミア」の日本初の和訳に一心同体で取り組んだ良沢(愛之助)と玄白(新納)の2人。鎖国ド真ん中の江戸中期に革命的な翻訳を成し遂げた。しかし、刊行された「解体新書」に良沢の名前はなく、名声は玄白だけのものとなった。2人の間に一体、何が起きたのか…。笑いとサスペンスに満ちた新しい三谷流歴史ドラマが生まれる。
16歳の時、出身の神戸でスカウトされ、モデルとして芸能界入り。この世界を目指したことはなく、モデルもアルバイト感覚で始めたが「結構、最近になって親から聞いて、僕は覚えていないんですが、小さい頃、縄跳びの切れた紐をマイク代わりにしてテーブルの上で歌っていたそうです。カギっ子だったので、親が帰ってくるまで映画館にいたり。当時は入れ替え制じゃなかったですからね。もともとエンターテインメントの世界は割と好きな子供だったと思います」と明かした。
とあるファッションショーのメインモデルに選ばれた時、リハーサルで「この衣装とメイク、この音楽と照明なら、このポーズとこの顔でしょ?と自分なりに表現したのですが、演出家さんから『真っすぐ立って。服がシワになるから』と言われて…。自分がやりたいことはモデルじゃないな、と。自分の中から湧き出るものを、ちゃんと表現したいと思いました」と俳優を志し、大阪芸術大学舞台芸術学科演劇コースに入学。2年生を終え、自主退学し、20歳の時に上京した。
その後、ミュージカルを中心に活動。2000年、25歳の時には大ヒットミュージカル「エリザベート」(東宝版初演)に初代トートダンサー(黄泉の帝王トートの分身)として出演。圧倒的な人気を集めた。02年にはミュージカル「GODSPELL」の主演に抜擢。三谷氏作・演出の「恐れを知らぬ川上音二郎一座」(07年)などでストレートプレイにも進出し、09年には三谷氏作・演出のミュージカル「TALK LIKE SINGING」に主人公(香取慎吾)の親友役で起用され、念願のオフ・ブロードウェーデビューを叶えた。
昨年の「真田丸」はインターネット上に“秀次ロス”が広がる大反響。着実に歩みを進めてきたように見えるが、30歳の頃には「絶対に人前に立ちたくない」と半年間の休養を申し出たことがあった。
「役者というのは、生身が評価されるわけじゃないですか。名指しで評価されることが怖かったですし、当時ありがたいことに、とにかく仕事が続いていて、アウトプットばかりで自分の中のストックが何もなくなって…。芝居というのは、日常生活に起こらないからこそ舞台やドラマになるわけで、普段の暮らしより感情が動いて精神をすり減らすので、心がどんどん摩耗していって、何も感じなくなってしまったんです。病気とかじゃないんですが、そんな精神状態の人間が役者なんかしていたらダメだと思い、仕事を全部空けてもらいました」。ただ「2カ月ほどでお金がなくなり、仕事を再開しました」と笑い飛ばしたものの、いい充電期間に。「やるしかない」と前向きになった。
来年、そして今後の目標を尋ねると、まず今年は後厄だったと切り出し「役者は“役が付く”のはいいことなので『厄払いしたらダメ』と言われていて。僕も前厄から厄払いはしていません。前厄の時は『真田丸』のお話を頂いて、本厄の時はまさに秀次を演じていましたし、後厄は今回の『風雲児たち』と、本当に役が付いているんです。2018年は厄年が終わりますが、役がもっと付く年になればいいなと思います」と抱負を語った。
「20代の頃はスターを夢見て、舞台のスケジュールを空けて映像の仕事を待ったりもしました。舞台は2年先とかのスケジュールが埋まってしまい、急にドラマのオファーがあっても応えられないので」。しかし、三十路を迎え「スターは来世で、と思ったわけです」と笑って振り返り「映像のオファーはなくても、舞台のお話は途切れなく頂いていたので、会社にも『もう舞台のオファーを断ってまで“映像待ち”はしない』『とにかく舞台の仕事はスケジュールさえ合えば、やる』と伝えて、その頃から自分のことを舞台俳優と言うようになりました。そんな僕が40歳を超えて、まさか、こんなにドラマに出るなんて、自分でも思っていなかったですね」と率直に打ち明け、自ら驚いた。
「結局、僕はスターになりたいんじゃなく、芝居をしたいだけの人。最近、映像の分野で芝居をするフィールドを増やしていただいたので、今後の目標としては、ありきたりですが、舞台に映像に垣根なく、いろいろな仕事を続けさせていただけたら、うれしいです」。取材の場が和む明るい素のキャラクターと語り口も魅力的。来年は「風雲児たち」を皮切りに、輪をかけて大暴れしそうだ。
[ 2017年12月30日 08:00 ]
愛之助、『真田丸』キャスト再集結の『風雲児たち』現場満喫「同窓会みたい」
歌舞伎俳優の片岡愛之助と俳優・新納慎也が、来年1月1日にNHKで放送される正月時代劇『風雲児たち~蘭学革命(れぼりゅうし)篇~』(後7:20)の撮影間の取材会に参加した。同作は脚本家の三谷幸喜氏が、2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』以来、1年ぶりに同局の時代劇脚本を手がけ、愛之助や新納のほかにも山本耕史や草刈正雄、遠藤憲一、小日向文世、高嶋政伸ら『真田丸』おなじみのキャストが集合。「本当に楽しく、和気あいあいと朗らかに、同窓会みたいな『久しぶり~』みたいないい雰囲気で入れる」と現場の雰囲気を明かした。
同ドラマは、みなもと太郎氏の大河歴史ギャグ漫画『風雲児たち』を原作に、史上初の西洋医学書の和訳に一心同体で取り組んだ前野良沢(愛之助)と杉田玄白(新納)らの物語を描く。新納は「三谷さんからは『坊主だけど、今時かつらの技術がすごいからいいよ、かつらで』とおっしゃっていただけたんですけど、こんなにいい役をいただけたんだから剃ります!と剃ったんです」と決意の剃髪姿を披露している。
ほぼ全員が真田丸キャストで、入れ代わり立ち代わりにクランクイン・アップしていくことから新納は「きのう、小日向さんがアップして『不思議な感じだね~』と言っていたんですけど、僕はまさにお正月に親戚のおじさんがやってきたみたい。僕や愛之助さん、村上(新悟)さん、迫田(孝也)さんは基本この家にいて、親戚の人が順番にあいさつにくるお正月みたいな。そこでちょっと昔話をして…みたいな、そんな気分です」と久々の再会をよろこび、愛之助も「確かに」と納得。
演出の吉川邦夫氏は「『真田丸』のメンバーに集まっていただいたんですが、むしろ『真田丸』とは違う役ですから、引き出しの多い皆さんなのでまた違った一面を見てほしい。新しい魅力を引き出したいし、役者さんたちには『真田丸』の時にやらなかった新しい一面を出してほしい。全体として魅力が倍に膨らむ感じになっていければ」と期待を寄せていた。
12月20日から22 日まで27回目の函館旅行に行ってきました。
例年より高く積もった根雪の中を土方歳三最期の地碑から五稜郭まで歩いたり、うにむらかみで生雲丹刺身をいただいたり、函館の厳しい寒さに生きるニャンの写真を撮ったり、満喫していたのですが……最終日の午前12頃、元町公園近くで凍った路面にすってんころりん、思わず手を突いてしまい、右手首を骨折してしまいました。
どうにも痛みがひかず、散策を中止して飛び込んだ末広町の函館市地域交流まちづくりセンターの方々が整形外科を調べてくださり、タクシーまで手配してくれたので、午後一の診療で右橈骨遠位端の骨折と診断され、応急処置を受け、予定通りその日の夜のフライトで帰宅することができました。
その後、地元の大学病院で診断を受け、外科手術による整復が必要と診断され、火曜日に入院、一昨日水曜日に手術、昨日無事に退院しました。抗生物質呑んで痛み止めしてますが順調に回復しています。ただ利き腕の手首を痛めたので生活に不自由しています。やっと今日スマホも左手入力から右手リハビリ兼ねた両手入力(ただしタイピング作法通りではなく、動く指を使う程度)になりました。
思えば過去の函館旅行でも同じところで凍結路面で転んでいたっけ……汗。
それでもまた行きたい函館です。
例年より高く積もった根雪の中を土方歳三最期の地碑から五稜郭まで歩いたり、うにむらかみで生雲丹刺身をいただいたり、函館の厳しい寒さに生きるニャンの写真を撮ったり、満喫していたのですが……最終日の午前12頃、元町公園近くで凍った路面にすってんころりん、思わず手を突いてしまい、右手首を骨折してしまいました。
どうにも痛みがひかず、散策を中止して飛び込んだ末広町の函館市地域交流まちづくりセンターの方々が整形外科を調べてくださり、タクシーまで手配してくれたので、午後一の診療で右橈骨遠位端の骨折と診断され、応急処置を受け、予定通りその日の夜のフライトで帰宅することができました。
その後、地元の大学病院で診断を受け、外科手術による整復が必要と診断され、火曜日に入院、一昨日水曜日に手術、昨日無事に退院しました。抗生物質呑んで痛み止めしてますが順調に回復しています。ただ利き腕の手首を痛めたので生活に不自由しています。やっと今日スマホも左手入力から右手リハビリ兼ねた両手入力(ただしタイピング作法通りではなく、動く指を使う程度)になりました。
思えば過去の函館旅行でも同じところで凍結路面で転んでいたっけ……汗。
それでもまた行きたい函館です。
大阪産経の連載記事が終わったようです。
相手が悪かった? 力士を血祭りにした「狼藉現場」蜆橋 新選組なにわを奔(はし)る(1)
謎広がる大坂与力暗殺、「殺人集団」をめぐる事件の真相は…維新150年大阪の痕跡・新選組なにわを奔る(2)
阻止された大坂城焼き討ち計画 新選組なにわを奔(はし)る(3)
大坂豪商からの借金も踏み倒し 新選組なにわを奔(はし)る(4完)
相手が悪かった? 力士を血祭りにした「狼藉現場」蜆橋 新選組なにわを奔(はし)る(1)
大正から昭和にかけて、幕末を描いた無声映画といえば、チャンバラだった。「東山三十六峰、草木も眠る丑三(うしみ)つ時…たちまち起こる剣戟(けんげき)の響き…」。活動弁士の口上で繰り広げられる尊王志士と新選(撰)組の死闘-。そう、新選組の舞台はいつも京都だった。
ところが彼らの行動を辿(たど)ると、意外にもその足跡は大阪に多い。理由はある。
ひとつには、新選組が京都守護職、会津藩預かり=直属の武闘集団、諜報機関であったこと。2つ目に、その京都守護職が京都所司代のみならず、大坂城代、大坂町奉行を支配していたこと。さらに彼らの資金源の多くが大坂にあったこと-。自然、新選組の行動範囲は大坂に及ぶことになる。
文久3(1863)年6月3日、新選組がまだ前身の「壬生(みぶ)浪士組」だったころ、事件は大坂で起きた。
近藤勇(いさみ)、芹沢鴨(せりざわかも)、沖田総司ら約10人が大坂町奉行の要請で不逞(ふてい)浪士取り締まりのため大坂にきていた。
さすがに仕事が早い。2日後には浪士2人を捕縛すると、近藤らを除く隊士8人は、定宿の八軒家(はちけんや)浜から夕涼みとしゃれて大川に川遊びに出る。
途中、隊士の一人が不調を訴えたため船を下(お)り、徒歩で北新地の住吉楼に向かうことになった。下船したのは、鍋島藩屋敷前の堂島川鍋島河岸(がし)、今の大阪市北区西天満2丁目、裁判所のあたりだ。
一行が新地に入り、蜆(しじみ)橋を渡ろうとしたとき、向こう側から大坂相撲の力士が渡ってきた。先頭の芹沢。「道を開けろ」「そっちこそ退(ど)け」。口論が始まり、激高した芹沢がいきなり鉄扇で力士を殴りつけた。
退散する力士。これでその場は収まったかにみえたが、8人が住吉楼に上がり、上機嫌で飲んでいると、八角棒を手にした力士の集団20~30人(一説では50人以上)が、仲間の意趣返しとばかり、押しかけてきたものだから、収まらない。酒が入り、血気にはやる隊士らは「返り討ちにしてしまえ」と抜刀(ばっとう)し、大乱闘になったのである。
数と力で勝る力士たちも剣客集団にはかなわない。結局、死者1人、負傷者十数人(死者5人、負傷者二十数人とも)の被害を出した。しかも「無礼討ち」が認められたため、翌日、大坂相撲側が酒1樽、金50両を添えてわびを入れ、落着したというから、相手が悪かったというしかない。
以後、壬生浪士組は「壬生浪(みぶろ)、壬生浪」と呼ばれ、京、大坂の市民を震え上がらせた。
× × ×
北区曽根崎新地1丁目。御堂筋と堂島上通りが交わる滋賀銀行ビルの外壁に「しじみばし」の碑が埋め込まれている。かつて堂島川から分岐した蜆川に架けられた小橋で、南から淀屋橋、大江橋、蜆橋と渡ればお初天神に至ることが、落語「池田の猪買(ししか)い」に描かれている。
江戸時代、川をはさんで南に堂島新地が開かれ、あの「曾根崎心中」の舞台にもなったが、後に米会所が設けられると、堂島はビジネス街に変わり、遊里としてのにぎわいは北の曽根崎新地に移っていく。
明治42(1909)年の大火(天満焼け)で川は埋められ、住吉楼の場所も不明だが、蜆橋は新選組の最初の狼藉(ろうぜき)現場としてその名を残している。(今村義明)
◇
壬生浪士組 文久2(1862)年、清川八郎の献策で募集された「浪士組」が、京都到着後に分裂した後、近藤勇、芹沢鴨ら京都残留組を中心に翌年3月に結成された武装組織。幕府の職制では非正規組織だったが、京都守護職だった会津藩の預かり=大名と雇用関係のある士分=となり、月3両が支給された。尊攘派志士の探索、検挙など京、大坂の治安維持を任され、文久3年8月、「8月18日の政変」の功績により「新選組」の名称を許された。
謎広がる大坂与力暗殺、「殺人集団」をめぐる事件の真相は…維新150年大阪の痕跡・新選組なにわを奔る(2)
本町通から松屋町筋を北に歩く。左手に都市型展示場「マイドームおおさか」(大阪市中央区)が現れる。屋根にアーチ型ドームを戴(いただ)くユニークな外観から視線を落とすと、植え込みの中に小さな石碑がある。「西町奉行所址」。江戸時代、東町奉行所とともに大坂市中を治めた役所の跡だ。
広さ約9600平方メートル。南に隣接する大阪商工会議所と西側のホテルもその敷地に含まれ、明治に入り初代大阪府庁舎にも使われたというからその大きさがうかがえる。ちなみに、東町奉行所は今の府立大手前高校の北、近畿経済産業局などが入る大阪合同庁舎1号館近くにあった。両奉行所の間は直線で1キロと離れていない。
元治元(1864)年5月20日夜、天神橋(天満橋という説も)で、西町奉行所与力、内山彦次郎が仕事帰りに襲われ、殺害された。67歳だった。
彼はただの与力ではない。天保8年(1837年)の大塩平八郎の乱の平定で功があったばかりでなく、経済・政策通で知られ、大坂の東西60騎の与力で初めて譜代御家人、つまり将軍へのお目見えも許される旗本格-に栄進した。旗本の町奉行が中央のキャリア組とするなら、与力は地元の“たたき上げ”の中級役人にすぎない。その中で、大出世を果たしたのが、内山だった。
現場には「天下の義士此(これ)を誅(ちゅう)す」との斬奸状(ざんかんじょう)=犯行声明=が残され、尊攘浪士による天誅(てんちゅう)=テロ事件=として世間を震え上がらせた。
それが明治になって、元新選組副長助勤(ふくちょうじょきん)の永倉新八が、晩年の口述記「新選組顛末(てんまつ)記」で、近藤勇(いさみ)、沖田総司、永倉ら5人で襲ったと暴露したことから、新選組犯行説が急浮上する。
動機に諸説がある。前年の文久3(1863)年6月の力士との乱闘事件で奉行所に届け出た近藤に対し、吟味に当たった内山の態度が高圧的で不遜だった-とする怨恨(えんこん)説。内山が尊攘派と結託して米や油の価格を不正に操作した-とする私刑説。新選組の強引な金銭借り入れに関し、内山が内偵を始めたことに先手を打った-とする証拠隠滅説など、新選組の犯行だとしても真相は藪(やぶ)の中だ。
一方で新選組犯行説を否定する研究も多い。たとえば、乱闘事件で近藤が届けたのは当番の東町奉行所で、内山の管轄外だったこと。永倉が顛末記の前に書いた日記では事件にまったく触れていないこと。さらに、顛末記には事実誤認、混同が多く、永倉自身の誇張や編集者の脚色も見られること-などから、坂本龍馬暗殺説と同様、新選組「濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)」説も根強い。
× × ×
ふたたび松屋町筋を北へ歩く。西町奉行所址から7、8分で天神橋に至り、ここからが天神橋筋。その橋を渡る。南行き5車線の橋の歩道からは、中之島公園の東端、剣先公園に下りることもできる。ただし、当時は中之島がもっと下流にあり、大きな木橋1本で今より広い大川の両岸を繋(つな)いでいたことになる。
天神橋筋商店街に入り、大阪天満宮を過ぎると、ほどなく国道1号に出る。国道を渡ると、その北東の辺りが「与力町」と「同心」だ。高層マンションに囲まれた「与力町グラウンド」では夕闇迫る中、子供らが野球の練習をしていた。
果たして新選組の犯行なのか、否か-。いずれにしても、天誅と称する殺戮(さつりく)が幕末の大坂で横行していたのは事実で、シロにせよ、殺人集団の新選組がいかに世間から恐れられ、嫌われていたかを示す事件の一つであることに間違いない。
(今村義明)
◇
大坂町奉行 江戸幕府直轄の大坂城下(大坂三郷)の民政、警察、および大坂、摂津、河内の訴訟を担当した江戸幕府の職制。老中支配の下に東西各1人の奉行が置かれ、月番交代制をとった。奉行は千~3千石の旗本から選任され、その下に与力各30騎、同心各50人が配属された。与力には80石(知行高200石)が支給され、しだいに地付(じつ)き(土着)、世襲の役職となる。大坂天満に屋敷地(与力500坪、同心200坪)が与えられ、現在、大阪市北区に地名として残る。
(10月31日掲載)
阻止された大坂城焼き討ち計画 新選組なにわを奔(はし)る(3)
美容室が1階に入るビルの前に、そのモニュメントはあった。人形と玩具のまち、松屋町(まっちゃまち)商店街を南へ歩き、空堀(からほり)商店街の1本南の交差点。「大利鼎吉(おおりていきち)遭難之地」(大阪市中央区瓦屋町)とある。新選組が土佐浪士の潜伏先を急襲した、世に言う「ぜんざい屋事件」の顕彰碑だ。大坂の“池田屋事件”ともいわれる騒動の地を訪ねると、幕末の志士の数奇な運命を知ることになる。
元治元(1864)年の晩秋。「蛤御門(はまぐりごもん)の変」を受けて、大坂城を拠点に長州征伐(第1次)が始まろうとしていたころ、松屋町のぜんざい屋「石蔵屋」に、大利鼎吉と田中光顕(みつあき)ら土佐勤王党出身の浪士5人が潜伏していた。老母と妻とで店を営む主人は、武者小路(むしゃのこうじ)家の元家臣、本多大内蔵(おおくら)の世を忍ぶ仮の姿、大利らの同志である。
長州シンパでもあるこの過激派グループはとんでもない計画を秘めていた。大坂市中に火を放ち、大坂城を焼き払うことで、征長軍の後方を撹乱(かくらん)し、一気に倒幕の先鋒(せんぽう)になろうというのだ。妄想にも近い書生論だが、これが幕末の熱というものだろう。田中も後に「当時は誰もが信じて疑わなかった。浪華(なにわ)城(大坂城)が炎に包まれるのを想像しただけで、意気は天を衝(つ)いた」と回想している。
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計画は露見した。明けて元治2年(慶応元年)1月8日、実行の12日前のことだった。おそらくは密告だろう。過激派の謀議(ぼうぎ)とアジトをつかんだのは、新選組隊士で、大坂・南堀江で道場を開いていた谷万太郎。さしずめ新選組大坂出張所長といったところ。兄は副長助勤(ふくちょうじょきん)で後に七番隊組長となる三十郎、弟は近藤勇の養子になった周平だ。
万太郎は、すぐさま大坂西町奉行所に連絡し、大坂城代の命令で定番(じょうばん)の藩兵が松屋町を幾重にも包囲する中、たまたま大坂にいた兄、三十郎と道場の門弟2人で石蔵屋を急襲した。
4人は功をあせったのか、手柄の独占をねらったのか、新選組本部には「火急のことゆえ、われらだけで討ち入る」と、飛脚を送るのみだった。が、さすがに準備不足は否めない。このとき石蔵屋には、大利と本多、それにその母と妻がいただけで、田中らほかの浪士4人が不在という情報を持っていなかったのだ。
万太郎らが突入した瞬間、本多は身を翻(ひるがえ)して逃走し、大利1人が4人を相手に奮闘したが衆寡敵(しゅうかてき)せず、1時間余の戦いの末、3人に深手を負わせたものの憤死した。大利24歳の時だった。
幕府側は大坂城焼き打ちを未然に阻止したとして万太郎ら新選組をたたえたが、土方歳三(ひじかたとしぞう)だけは「4人で乗り込んでたった1人か」と吐き捨てたという。
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碑には「昭和12年2月建立」と刻まれ、揮毫(きごう)は「田中光顕」とある。建てたのは「奥野伊三郎」氏と「前田重兵衛」氏。奥野氏の消息は判明しないが、前田氏は近くの製菓原材料卸販売「前田商店」社長、前田重兵衛氏(74)の父で、3代目重兵衛氏=平成8年逝去=だとわかった。前田商店は奇(く)しくも事件があった慶応元年の創業で、当初は和菓子店だったという。
3代目重兵衛氏と奥野氏は建碑の経緯を大略次のように伝えている。
《血なまぐさい事件に(近所)みな震え上がり、戸を閉ざして息をひそめていたことを父祖から伝え聞いていたが、事件が何か、誰もわからなかった。昨年(昭和11年)夏に伯爵の回想録が世に出て事件の真相を知る。折しも2年前に松屋町筋の拡張工事で石蔵屋が取り壊されたことから、伯爵に手紙を書いたところ、自ら筆を執って快諾してくれた》
4代目の前田社長が振り返る。「父からは、本多の母と妻はうちの便所に匿(かくま)ったと聞いています。伯爵が2回も家に来たことを大変喜んでいましてね。あれは私が小学校の時だったか、父ら有志がぜんざいを炊き出し、町中にふるまって志士らを偲(しの)んだことを思い出します」
24歳で新選組の凶刃に斃(たお)れた大利鼎吉。不在で難を逃れ、明治、大正、昭和を生き抜いた田中光顕。長寿の秘訣(ひけつ)を聞かれ、田中は「殺されざれしため」と答えている。(今村義明)
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田中光顕 天保14(1843)念、土佐(高知県)生まれ。通称・顕助。武市瑞山(たけちずいざん)の土佐勤王党に坂本龍馬らとともに参加、藩参政、吉田東洋暗殺にも関与したという説もある。ぜんざい屋事件後、十津川に潜伏したが、中岡慎太郎に見いだされ、陸援隊に幹部として参加する。維新後、警視総監、学習院長、宮内大臣を歴任。昭和14年、95歳で没。
大坂豪商からの借金も踏み倒し 新選組なにわを奔(はし)る(4完)
大阪市中央区を流れる東横堀川に架かる橋のうち、北から2つ目の「今橋」を起点に西に向かった。子育て世代などの都心回帰を象徴する高層マンションが目に入る。その足元の市立開平小学校前に、「天五に平五 十兵衛横町」と記された風変わりな碑があった。江戸時代の豪商、天王寺屋五兵衛(天五)と平野屋五兵衛(平五)の屋敷跡で、東西に軒を並べていたことから、五兵衛と五兵衛を足し算して十兵衛となった。
堺筋を渡り、さらに西へ行くと、大阪美術クラブが入るビルの脇に「鴻池本宅跡」とある。幕府公認「十人両替」の一人、鴻池善右衛門の屋敷跡だ。今や豪商らの面影もない今橋だが、証券会社や銀行、保険会社が集まる金融センターとしてのルーツがここにあったことは容易に想像できよう。
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新選組の足跡は、活動拠点の京都に集中するが、資金源が大坂にあったことはあまり知られていない。そもそも幕府も大名もお金に困っていた時代。富んでいたのは、全国から産物が集まり、米相場や為替相場を動かした大坂、いや大坂の豪商だった。天下の富の7割が集まったとされる大坂の財力を、新選組は見逃さなかった。
文久3(1863)年4月、結成直後の新選組、当時は壬生浪士組を名乗った芹沢鴨、近藤勇らは今橋の平野屋を訪れ、金100両(当時の米価換算で1両=約5万円)の借金を申し込む。
困り果てた平野屋は町奉行所に相談するが、奉行所は後難を恐れてか、今で言う「民事不介入」の態度だから泣く泣く応じるほかない。当時流行した“押し借り”である。もちろん、返済の形跡はない。500万円を手にした新選組は京の大丸呉服店で、あの浅葱(あさぎ)色で袖がだんだら模様の隊服をあつらえたとされる。
同年7月、新選組が続いて訪れたのが鴻池で、武器調達費などを名目に230両を出させている。ただ、交渉は穏便に行われたようで、その伏線(ふくせん)として、新選組が京の鴻池別邸に押し入った不逞(ふてい)浪士を摘発した礼に、善右衛門の方から近藤らを大坂に招いたという説が有力だ。近藤の愛刀「虎徹(こてつ)」もこの時、鴻池から贈られたものらしい。
鴻池の本心はわからない。近藤らに心酔してパトロンになろうとしたのか、ただ京大坂の治安を鑑(かんが)み、新選組を用心棒にしてみかじめ料として金品を提供したのか。いずれにせよ、新選組はこれを機に鴻池を窓口に、大坂商人から金を吸い上げることになる。
元治元(1864)年12月、近藤は大坂の富商22家から、長州征伐の軍費を名目に銀6600貫、金換算で7万両、約35億円を借用する。いくら新選組でも単独の軍費としては多額すぎる。この借金に限っては会津藩が新選組を使って集めさせ、藩の裏金として処理したとの見方が強い。
このあたり、大坂商人は先刻承知だったようで、鴻池はともかく、他の商家らは「会津公、大坂町人へお借り入れを浪人局長(近藤勇)と申す人、押しがり致され、誠に誠に市中だいめいわくなこと」(幕末維新大坂町人記録)と、怨嗟(えんさ)に似た恨み節を残している。
× × ×
肥後橋の大同生命ビル。NHKの朝ドラ「あさが来た」のヒロインのモデル、広岡浅子が嫁いだ豪商、加島屋がここにあった。2階の特別展示室に新選組の借用書が展示されている。
「預申金子之事(あずかりもうすきんすのこと)」で始まる証文には、金400両(約2千万円)を月4朱(0・4%)の利息で借り、翌年5月までに返す-とある。借り主として土方歳三(ひじかたとしぞう)が、保証人として近藤勇が署名、捺印(なついん)している。日付は「慶応3(1867)年12月」。鳥羽伏見の戦いの1カ月前で、他の多くの借金とともに反故(ほご)にされたのは疑いない。
維新の後、新政府は京大坂の豪商を二条城に集め、「御一新(ごいっしん)のため」と300万両(約1500億円)の拠出を要請した。浅子が「新選組の借金なんてかわいいもんや」と言ったとか、言わなかったとか…。(今村義明)
◇
鴻池善右衛門(こうのいけ・ぜんえもん) 江戸時代の大坂を代表する豪商。山中鹿介(しかのすけ)を祖とし、摂津・鴻池村(現・兵庫県伊丹市)で酒造業を興した幸元の八男を初代とする。海運業から両替商、大名貸しで財をなし、3代目が開発した新田は鴻池新田(大阪府東大阪市)として知られる。江戸後期、融資した大名は100藩以上に上り、参勤交代で大坂を通過する際、家老を挨拶(あいさつ)に行かせる大名もいたといわれた。幕末、維新時は10代目。
茨城
古河で「幕末・明治」展 高札や宿泊日記44点26日まで 戊辰戦争の史料公開
県歴博発表幕末の松山・ポルトガルつなぐ時計発見
大分
解体新書と前野良沢を探る 宝暦年中分限帳など初公開 中津市で特別展 [大分県]
古河で「幕末・明治」展 高札や宿泊日記44点26日まで 戊辰戦争の史料公開
古河市三和地区に残された戊辰(ぼしん)戦争(1868〜69年)や明治黎明(れいめい)期の史料に光を当てた「館蔵資料にみる幕末・明治」展が、同市仁連の三和資料館で開かれている。五榜(ごぼう)の掲示を知らせる高札や、大鳥圭介(1833〜1911年)率いる旧幕府軍が、日光への行軍途中で同地区に宿泊した際を記す日記などが興味を引く。会期は26日まで。
新政府と旧幕府の両軍が激戦を繰り広げた戊辰戦争は、鳥羽伏見の戦いや会津戦争、箱館戦争などが有名。現在の結城市などでも1868年4月16、17の両日、江戸を脱走した大鳥らの旧幕府軍と、宇都宮から駆け付けた新政府軍が4度の戦火を交えた(下野小山の戦い)。
同展はこれらの歴史を地元や県民に知ってもらおうと、来年の明治改元150年を記念して企画された。展示品計44点のうち、多くが初めての公開。
高札は4枚あり、いずれも現在の内閣府に当たる「太政官」の文字が目を引く。2枚は冒頭に永続的な決まり事を示す「定(さだめ)」と記され、徒党や逃散(ちょうさん)、キリスト教の禁止を示したもの。残りは一時的な決定を示す「覚(おぼえ)」と、国際法の順守や許可なく土地を離れることの禁止が示されている。
館蔵資料では、仁連新田の代名主や諸川宿の町名主が記した「当用雑手控書留(とうようざつてびかえかきとめ)日記」「戊辰年(ぼしんのとし)日記」などが並ぶ。小山の戦い直前の旧幕府軍の規模、大鳥らの宿泊の過程、軍勢の様子などが記されており、突然現れた数百人の軍勢に町が混乱する様子がうかがえる。
このほか廃藩置県により、1871年7月から4カ月間だけ存在した「古河県」を示す公文書なども展示した。
同館の白石謙次学芸員(44)は「古河市には当時の貴重な史料が多く残されている。身近にあった戊辰戦争などに触れて、歴史や地域への関心を高めてもらえたら」と話した。
開館は午前10時〜午後6時(入館は同5時半まで)。入場無料。問い合わせは(電)0280(75)1511。
(溝口正則)
県歴博発表幕末の松山・ポルトガルつなぐ時計発見
県歴史文化博物館(愛媛県西予市)は14日、明治時代初期にポルトガル領事が松山藩知事に贈った懐中時計が見つかったと発表した。松山市の個人から今年3月に寄贈され、調査を進めていた。同館の井上淳学芸課長は「幕末に松山藩が軍艦を購入した経緯や、ポルトガル領事との深いつながりを示す貴重な史料」としている。
大分
解体新書と前野良沢を探る 宝暦年中分限帳など初公開 中津市で特別展 [大分県]
明治の巨人・福沢諭吉が「文明開化の濫觴(らんしょう)(原点)」と評した解剖書「解体新書」を著した1人で、中津藩医前野良沢(1723~1803)。良沢の活躍を描くNHK正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命編」(来年1月1日)が放映されるのを前に、同市は大江医家史料館で特別展「『解体新書』と前野良沢」を開催中だ。「解体新書」のドイツ語原著をはじめ、今回発見された良沢の名が記された唯一の藩士一覧表「宝暦年中分限帳」など初公開史料4点を含む23点が展示されている。来年2月12日まで。
良沢は本道医と呼ばれる漢方医。中津3代藩主奥平昌鹿の母親の骨折を、長崎の大通詞(通訳)で蘭方医・吉雄耕牛(1724~1800)が見事に直した技術に衝撃を受ける。「宝暦年中分限帳」の記載では、藩医の3番目に位置。安定した身分が保障されているにもかかわらず、40歳を過ぎてから猛然と蘭学を学び始めた。今と違い、内科主体の漢方医と外科中心の蘭方医との間には明らかな格差があった時代。市教育委員会文化財室の曽我俊裕さんは「格下ともいえる蘭方医の高い技術力を素直に認め、自分のものにしようとした学問への探求心は良沢らしい」と話す。
昌鹿の庇護(ひご)の元、長崎遊学も果たし、吉雄にも師事。「解体新書」を著すきっかけとなるオランダ語版の「ターヘル・アナトミア」もこのとき入手したとされる。偶然、同書を持っていた小浜藩医・杉田玄白と江戸で死体の解剖を見学したことがきっかけで、同書の正確さに驚き、翻訳を決意する。良沢は、当時、医者の主流だった漢方医に向けた解剖書を目指した。例えば「神経」という用語は全ての生理活動の元を表す「神気」と、気や血の循環経路を表す「経絡」からの合成で、「漢方の考え方に基づく用語の創造は、多くの漢方医に違和感なく理解してもらうためでは」と曽我さん。
蘭日辞書などない時代。中津藩江戸中屋敷(東京都中央区)で始まった作業は、オランダ語が分かる良沢をしても困難を極めた。今回、展示されているフラソンワ・ハルマ著「蘭仏辞書」も良沢は駆使。訳出困難なオランダ語はフランス語に一度翻訳。それを長崎にいたフランス語にたけた知人の通詞に日本語への再翻訳を依頼する手法で一つ一つつぶしていった。
それでも翻訳不能な箇所は膨大だったことから問題が起きる。良沢は“不完全な”「解体新書」刊行を渋ったとされる。曽我さんは「完璧主義者の良沢は同書の不完全さを誰よりも熟知し、精度を高めることを主張。出版を急ぐ玄白と対立し、著者名の中に自分の名前を入れることを拒絶したのだろう」と想像する。
「解体新書」出版後、良沢は表舞台から姿を消す。今回展示されている良沢が著したロシア歴史書「魯西亜(ろしあ)本紀」に、曽我さんはヒントを見いだす。ロシアは18世紀後半から、樺太や千島列島(クリール諸島)への軍事的圧力を強化。江戸幕府は北方対策に追われる。ロシア対策に腐心した老中松平定信とじっこんだった4代藩主昌男を通じて、オランダ語のロシア関連書籍翻訳を指示されたのではないか。曽我さんは「弟子の大槻玄沢も幕府直属の蕃書和解御用(東京大前身の一つ)となり、ロシア関連書籍の翻訳にも当たっている。良沢の晩年は、ロシアの歴史やカムチャツカ半島の地理などに精通しており符合する」と話す。
同展では、16日午後1時半から、中津の医学史料の研究を行う九州大名誉教授のヴォルフガング・ミヒェル氏による記念ギャラリートークもある。火曜休館。午前9時~午後5時(入館は午後4時半まで)。28日から来年1月3日まで無料開放。一般210円、大学・高校生100円、中学生以下無料。
=2017/12/16付 西日本新聞朝刊=
まだ超歌劇『幕末Rock!』雷舞のストリーミング配信が続いているため、毎日のように視聴しています。ちゃんと覚えていたはずなのに、歌詞が出て来なくなったのは大丈夫か自分(汗)。
高知
幕末の志士 武市半平太 田畑など売却を示す直筆証文発見
尾道文治謎の落語家 高まる再発見の機運 広島
島根
浜田城跡に「葵の紋」入り鬼瓦としゃちほこ片発見
平田家住宅座敷棟「慶応2年建設」墨書発見 小郡市指定有形文化財 /福岡
高知
幕末の志士 武市半平太 田畑など売却を示す直筆証文発見
尊皇攘夷を唱えた幕末の志士、武市半平太が、後の「土佐勤王党」の一員となる志士などが通った剣術道場を開いたあと、田畑などを売ったことを示す直筆の証文が見つかりました。専門家は「資金を道場の運営などに充てたと見られ、当時の状況を物語る貴重な資料だ」と指摘しています。武市半平太、田畑売る証文/剣術道場の運営資金か
武市半平太は、坂本龍馬などとともに「土佐勤王党」を結成し、尊皇攘夷運動を展開しました。
ゆかりの深い地元の豪農の子孫が所有する高知市の蔵を調べたところ、嘉永5年(1852年)に当時24歳だった武市半平太が、田畑や山林を売ったことを示す証文が見つかりました。
「考えるところがあって売ります」という内容が、丁寧な字で記され、高知県の佐川町立青山文庫の松岡司名誉館長が鑑定した結果、直筆で署名と黒い印章も本人の物と確認されました。
この時期は、岡田以蔵など後に土佐勤王党の一員となる志士も通った剣術道場などを建てた2年後にあたるということです。
松岡名誉館長は「売却で得た資金を道場の運営や生活に充てたと見られる。暮らしに関連する直筆の資料が見つかったのは初めてで、当時の状況を物語るとともに、きちょうめんな性格がにじみ出た資料だ」と話しています。
このほか本人が使ったと見られる刃渡り55センチの脇差しや明治以降に描かれた珍しい立ち姿の肖像画なども見つかり、松岡名誉館長は、「本人の息づかいが感じられる貴重な資料だ」と指摘しています。
武市半平太 新たな発見は8点
今回見つかったのは、武市半平太に関係する8点の資料です。
このうち直筆と確認された証文は、嘉永5年、1852年の年末、田畑や山林を地元の豪農に売った際のものです。署名や黒い印章の「黒印」が添えられ、「考えるところがあって、あなた様に売ります」という内容が書かれ、「八十文銭三貫八百目」を受け取ったと記されています。
また本人が使ったと見られる刀は、刃渡り55センチの脇差しです。切腹で生涯を閉じたあと、生活に困っていた妻から買い取ったという話が、代々伝えられてきたということです。
松岡名誉館長は、両家の関係の深さから武市の刀である可能性が高いと見ています。
珍しい立ち姿を描いた肖像画も見つかりました。明治から昭和のはじめにかけて活躍し、坂本龍馬の肖像画をかいたことでも知られる高知市出身の画家、公文菊僊が手がけたもので、縦1メートル15センチ、横40センチで、りんとしたはかま姿が描かれています。
立ち姿の肖像画は初めてだということで、松岡名誉館長は「これまで見たことのない剣士の姿を描いていて、価値の高い資料だ」と話しています。
武市半平太とは
土佐の幕末の志士、武市半平太は、天皇を中心とした新しい国をつくろうと坂本龍馬などとともに「土佐勤王党」を結成し、尊皇攘夷運動に力を注ぎました。剣術の腕前でも知られ、地元で立ち上げた道場には、後に土佐勤王党の一員となった岡田以蔵なども通ったということです。
尊皇攘夷の気運が、一時衰えた際藩内の主導権争いをめぐって切腹を命じられ、明治維新を目前にした慶応元年(1865年)5月11日、志半ばで37歳の生涯を閉じました。出身地の高知市仁井田には、墓と生家が残り、業績を紹介する瑞山記念館が建てられています。地元の人たちは、毎年の命日に慰霊祭を行っています。
坂本龍馬らが参加した土佐勤王党を結成した幕末の志士武市半平太(瑞山)が1852(嘉永5)年、田畑などを売ることを示した直筆とみられる証文が見つかったことが7日、分かった。高知市の歴史研究家松岡司さん(74)が筆跡などから鑑定した。半平太は当時、剣術道場を開いており、松岡さんは「運営資金に充てた可能性がある」とみている。広島
証文によると、半平太は現在の高知市の生家近くにある豪農に田畑や山林を「思うところがあって」売り、資金を受け取ったとみられる。和紙に毛筆で書かれており、豪農の子孫が掛け軸にして保管していた。
尾道文治謎の落語家 高まる再発見の機運 広島
幕末から明治にかけ、「尾道文治」の名で知られた落語家、桂文治を再発見する取り組みが終焉(しゅうえん)の地となった広島県尾道市で進んでいる。怪談噺を得意とし、六代目桂文治(1843~1911年)と親しかったともいわれるが、その生涯は謎に包まれている。【渕脇直樹】以下は有料記事です。
「今夜はしっかり笑ってもらえれば、文治のためになる」。尾道市東土堂町の信行寺で11月26日に開かれた尾道文治をしのぶ落語会で、鶴山豊教住職は約80人の落語ファンに呼びかけた。寺には文治の墓があり、「丹頂文治藝姓桂 享年九十三才」と刻まれている。
市史編さん委員会事務局の林良司さん(40)によると、尾道文治は現在の尾道市久保1丁目付近に居を構え…
島根
浜田城跡に「葵の紋」入り鬼瓦としゃちほこ片発見
島根県浜田市殿町の浜田城跡で、天守に使われていたとみられる徳川家の家紋「葵の紋」入りの鬼瓦と、しゃちほこの目玉周辺部が見つかった。浜田城は幕末の第2次長州征伐の際に藩主が「自焼退城」し、天守は残っていないため、遺物は往時の城のしつらえを伝える希少な史料。鬼瓦は、藩主が代わった際に瓦替えが行われたことも示している。市は2019年の浜田藩開府400年に向けた機運醸成に活用する考えで、17日に一般公開する。福岡
【詳しくは本紙紙面をご覧ください】
平田家住宅座敷棟「慶応2年建設」墨書発見 小郡市指定有形文化財 /福岡
小郡市の市指定有形文化財「平田家住宅」の座敷棟で、建設年代が1866(慶応2)年であることを示す墨書が見つかった。座敷棟は主屋と同じ1879(明治12)年の建設と推定されていたが、10年以上さかのぼることになった。市文化財課は「建設時期を具体的に示す貴重な発見だ」と評価している。
墨書は座敷棟の玄関部分の壁板から発見さ…(以下、有料記事)
Gyao配信で見てました。初演はDVD視聴だし、再演はチケット入手できず映画館でライブビューイングで、初めてライブで見られたのは黒船来航なのに、長年見てきたよう。別れが惜しい。
とりあえず、詳細は後から入れるとして、セトリ。パンフレットにあった「セットリストA」「セットリストB」をもとに、当日視聴した時のメモを元に起こしてます。ひょっとしたら記憶違い・間違いがあるかも知れませんので、その点はよろしくお願いします。
12/3昼セットリストB
M1 What's this? 超魂團
M2 RIDE ON THE WAVE 龍馬・シンディ・センセー
M3 暁のFreebird 超魂團全員?
M4 黒曜蝶(ブラックバタフライ) ひじぞー&そうちん
M5 GOD BREATH—混式洋式— ジュニア&龍馬
M6 宙の翼 ヨッシー&直弼
=シャッフル歌合戦=
M7 INTERSECT 「晋作、幕府にもの申す」シンディ&ヨッシー&直弼 龍馬&ひじぞー&そうちん
M8 L or R 「新選組」ひじぞー&そうちん 「長州組」シンディ&センセー
M9 グラデーション 「大人のセクシー」龍馬&センセー ジュニア&そうちん
M10 不完全パズル 「完全パズル」ヨッシー&ジュニア&龍馬 「不完全」シンディ&センセー&誠仮面
=お伽話=
M11 GOD BREATH 「狼」ジュニア
M12 共鳴進歌 「赤ずきん」そうちん バックに「白うさぎ」ヨッシー「黒うさぎ」直弼
M13 REACTION 「ピーターパン」シンディ バックに「ワニ」勝 「フック船長」ひじぞー
M14 モット!!! 「フック船長」ひじぞー バックに「ピーターパン」シンディ 「ワニ」勝
M15 Crash My Head 「いかれ帽子屋(マジシャン?)」龍馬 バックに「トランプの女王」お登勢 「チェシャー猫」センセー
M16 ハチノジディストーション 「チェシャー猫」センセー バックに「いかれ帽子屋」龍馬 「トランプの女王」お登勢
M17 XXXing 超魂團
=お伽話終了=
M18 MASTER COMMUNICATION ジュニア&直弼
M19 LAST SCREAM 龍馬
M20 群青を射す光 ヒジゾー
M21 絶頂SPIRAL ヨッシー&龍馬
M22 五色繚乱 超魂團
=アンコール=
M23 What's this? 超魂團
カーテンコール
12/3夜セットリストA
M1 What's this? 超魂團
M2 Rolling Thunder 龍馬&シンディ&センセー
M3 WHITE 超魂團
M4 非常幻想—オーバーミラージュ— ひじぞー&そうちん
M5 GOD BREATH—混式洋式— ジュニア&龍馬
M6 宙の翼 ヨッシー&直弼
=シャッフル歌合戦=
M7 INTERSECT 「晋作、幕府にもの申す」シンディ&ヨッシー&直弼 龍馬&ひじぞー&そうちん
M8 L or R 「新選組」ひじぞー&そうちん 「長州組」シンディ&センセー
M9 グラデーション 「大人のセクシー」センセー&龍馬 ジュニア&そうちん
M10 不完全パズル 「完全パズル」ヨッシー&ジュニア&龍馬 「不完全」シンディ&センセー&誠仮面 近藤さんの隊服着たお登勢さん登場
=お伽話=
M11 GOD BREATH 「狼」ジュニア
M12 共鳴進歌 「赤ずきん」そうちん バックに「白うさぎ」ヨッシー&「黒うさぎ」直弼
M13 REACTION 「ピーターパン」シンディ バックに「ワニ」勝&「フック船長」ひじぞー
M14 モット!!! 「フック船長」ひじぞー バックに「ワニ」勝&「ピーターパン」
M15 Crash My Head 「いかれ帽子屋」龍馬 バックに「トランプの女王」お登勢&「チェシャー猫」センセー
M16 ハチノジディストーション「チェシャー猫」センセー バックに「トランプの女王」お登勢&「いかれ帽子屋」龍馬
M17 XXXing 超魂團
=お伽話終了=
M18 MASTER COMMUNICATION ジュニア&直弼
M19 LAST SCREAM 龍馬
M20 残響—feedback— そうちん
M21 絶頂SPIRAL ヨッシー&龍馬
M22 絶頂DAYBREAK 超魂團
=カーテンコール=
M23 What's this? 超魂團
M24 スペシャルカーテンコール 五色繚乱 超魂團
永遠の少年「ピーターパン」シンディは、糸ディの特徴をよく表してる。また「チェシャー猫」センセーはみつらさんの可愛セクシーな魅力を振りまいて決めポーズのたびに嬌声が飛んだ。いつもながら最初の瞬間から最後の瞬間まで完璧なヒデちん。誠仮面とひじぞーさんの二役(?)になって水を得た魚のようになった、てるぞー。悪魔バージョンも完璧にこなすKimeヨッシー。美しさ完璧なのにボケ台詞を吐きまくる佑弼。セクシーなスーパースターになりきった兼ジュニ。完全にみんなのパパとママになった勝&お登勢コンビ。そしてらちりょまは完璧にこの世界の龍馬。ありがとうありがとう。
とりあえず、詳細は後から入れるとして、セトリ。パンフレットにあった「セットリストA」「セットリストB」をもとに、当日視聴した時のメモを元に起こしてます。ひょっとしたら記憶違い・間違いがあるかも知れませんので、その点はよろしくお願いします。
12/3昼セットリストB
M1 What's this? 超魂團
M2 RIDE ON THE WAVE 龍馬・シンディ・センセー
M3 暁のFreebird 超魂團全員?
M4 黒曜蝶(ブラックバタフライ) ひじぞー&そうちん
M5 GOD BREATH—混式洋式— ジュニア&龍馬
M6 宙の翼 ヨッシー&直弼
=シャッフル歌合戦=
M7 INTERSECT 「晋作、幕府にもの申す」シンディ&ヨッシー&直弼 龍馬&ひじぞー&そうちん
M8 L or R 「新選組」ひじぞー&そうちん 「長州組」シンディ&センセー
M9 グラデーション 「大人のセクシー」龍馬&センセー ジュニア&そうちん
M10 不完全パズル 「完全パズル」ヨッシー&ジュニア&龍馬 「不完全」シンディ&センセー&誠仮面
=お伽話=
M11 GOD BREATH 「狼」ジュニア
M12 共鳴進歌 「赤ずきん」そうちん バックに「白うさぎ」ヨッシー「黒うさぎ」直弼
M13 REACTION 「ピーターパン」シンディ バックに「ワニ」勝 「フック船長」ひじぞー
M14 モット!!! 「フック船長」ひじぞー バックに「ピーターパン」シンディ 「ワニ」勝
M15 Crash My Head 「いかれ帽子屋(マジシャン?)」龍馬 バックに「トランプの女王」お登勢 「チェシャー猫」センセー
M16 ハチノジディストーション 「チェシャー猫」センセー バックに「いかれ帽子屋」龍馬 「トランプの女王」お登勢
M17 XXXing 超魂團
=お伽話終了=
M18 MASTER COMMUNICATION ジュニア&直弼
M19 LAST SCREAM 龍馬
M20 群青を射す光 ヒジゾー
M21 絶頂SPIRAL ヨッシー&龍馬
M22 五色繚乱 超魂團
=アンコール=
M23 What's this? 超魂團
カーテンコール
12/3夜セットリストA
M1 What's this? 超魂團
M2 Rolling Thunder 龍馬&シンディ&センセー
M3 WHITE 超魂團
M4 非常幻想—オーバーミラージュ— ひじぞー&そうちん
M5 GOD BREATH—混式洋式— ジュニア&龍馬
M6 宙の翼 ヨッシー&直弼
=シャッフル歌合戦=
M7 INTERSECT 「晋作、幕府にもの申す」シンディ&ヨッシー&直弼 龍馬&ひじぞー&そうちん
M8 L or R 「新選組」ひじぞー&そうちん 「長州組」シンディ&センセー
M9 グラデーション 「大人のセクシー」センセー&龍馬 ジュニア&そうちん
M10 不完全パズル 「完全パズル」ヨッシー&ジュニア&龍馬 「不完全」シンディ&センセー&誠仮面 近藤さんの隊服着たお登勢さん登場
=お伽話=
M11 GOD BREATH 「狼」ジュニア
M12 共鳴進歌 「赤ずきん」そうちん バックに「白うさぎ」ヨッシー&「黒うさぎ」直弼
M13 REACTION 「ピーターパン」シンディ バックに「ワニ」勝&「フック船長」ひじぞー
M14 モット!!! 「フック船長」ひじぞー バックに「ワニ」勝&「ピーターパン」
M15 Crash My Head 「いかれ帽子屋」龍馬 バックに「トランプの女王」お登勢&「チェシャー猫」センセー
M16 ハチノジディストーション「チェシャー猫」センセー バックに「トランプの女王」お登勢&「いかれ帽子屋」龍馬
M17 XXXing 超魂團
=お伽話終了=
M18 MASTER COMMUNICATION ジュニア&直弼
M19 LAST SCREAM 龍馬
M20 残響—feedback— そうちん
M21 絶頂SPIRAL ヨッシー&龍馬
M22 絶頂DAYBREAK 超魂團
=カーテンコール=
M23 What's this? 超魂團
M24 スペシャルカーテンコール 五色繚乱 超魂團
永遠の少年「ピーターパン」シンディは、糸ディの特徴をよく表してる。また「チェシャー猫」センセーはみつらさんの可愛セクシーな魅力を振りまいて決めポーズのたびに嬌声が飛んだ。いつもながら最初の瞬間から最後の瞬間まで完璧なヒデちん。誠仮面とひじぞーさんの二役(?)になって水を得た魚のようになった、てるぞー。悪魔バージョンも完璧にこなすKimeヨッシー。美しさ完璧なのにボケ台詞を吐きまくる佑弼。セクシーなスーパースターになりきった兼ジュニ。完全にみんなのパパとママになった勝&お登勢コンビ。そしてらちりょまは完璧にこの世界の龍馬。ありがとうありがとう。
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