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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
このメンバーだったらグダグダでも楽しいという、一之輔と白鳥と彦いちと白酒の落語会。しかも口上つき。



口上
 下手から一之輔、彦いち、白酒、白鳥。ソニーのCDジャケット撮影で使ったらしく、それぞれのカラーに合わせた座布団。一之輔イエロー、彦いちブルー、白酒ピンク、白鳥グリーン。なんだか戦隊ものみたい(笑)。
 一之輔の司会もグダグダなら、それぞれの挨拶もグダグダ。皆すぐに白酒の前座名(五街道はたご)と二つ目名(五街道喜助)が思い出せない。初めて会った場面を思い出せない。
 でも白鳥が、去年談春兄さんが30周年でゲストに白酒や白鳥を呼んだ会で、楽屋で「30周年ぽっちで記念落語会なんて、けっ」みたいなことを言ったとチクったのを始め、みんなろくでもない挨拶(褒め言葉)。白鳥の三本締めも入りの口上が締まらず。

代書屋/一之輔
 「代書屋」といえば権太楼なんだけど、一之輔版は吉さん本名は中村吉右衛門、母はメイ子さんという同姓同名バージョン。

黄昏のライバル/白鳥
 Q蔵の師匠は桃月庵白酒、池袋のおでん屋をやっているかつてのライバルは白鳥で。対決場面では60分の「ざるや」と「マキシム・ド・呑兵衛」で勝った方が「芝浜」をするということになってました。

ねっけつ!怪談部/彦いち
 この時期には一度は聞きたいネタなんだけど、新作聞きたいなぁ。でも今年初めてというくらい寄席に行ってない私じゃ当たらないよな。

井戸の茶碗/白酒
 熱血な屑屋さんで話がテンポよかった。

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昨日ニュースを知って興奮がやまない白牡丹です。

三谷幸喜、1年ぶりにNHKで時代劇!
正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命(れぼりゅうし)篇~」

大河ドラマ「真田丸」より1年――。
三谷幸喜が満を持して送る究極のエンターテインメント時代劇、制作開始!

あの三谷幸喜さんが「真田丸」以来、1年ぶりにNHK時代劇に帰ってきます!

今度のお題は、前野良沢と杉田玄白による“蘭学事始”。史上初の西洋医学書の和訳に一心同体で取り組んだ二人は、鎖国ど真ん中の江戸中期に革命的な翻訳を成し遂げます。しかし、刊行された『解体新書』になぜか良沢の名は載らず、名声は玄白だけのものとなりました。二人の間にいったい何が起きたのか…。

みなもと太郎さんの大河歴史ギャグ漫画を原作に、笑いとサスペンスに満ちた新しい三谷流歴史ドラマが誕生します。

原作者・みなもと太郎さんより
拙著『風雲児たち』は私のマンガのなかでも愛着のある作品で、だからこそ30数年、飽きもせず描き続けています。私のギャグスピリットを最も良くご理解されている三谷幸喜氏の手でNHKでドラマ化されることを、大変うれしく楽しみにしております。

脚本・三谷幸喜さんより
僕の大学時代に連載が始まった、みなもと太郎さんの『風雲児たち』。僕はこの作品で、歴史の新しい見方を学びました。『風雲児たち』には、今の日本を築き上げた先人たちの感動的なエピソードがぎっしり詰まっています。今回、そのほんのちょっと一部分をドラマ化しました。歴史ファン、みなもとファンとしてこれ以上の喜びはありません。

正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命(れぼりゅうし)篇~」

【放送予定】平成30年1月初旬[総合]

【原作】みなもと太郎『風雲児たち』

【脚本】三谷幸喜

【音楽】荻野清子

【出演】片岡愛之助(前野良沢)、新納慎也(杉田玄白)、
山本耕史(平賀源内)、草刈正雄(田沼意次) ほか

【演出】吉川邦夫

【制作統括】陸田元一、中村高志

※「れぼりゅうし」はオランダ語の「革命」
三谷幸喜、「風雲児たち」ドラマ化!片岡愛之助&山本耕史ら出演
NHK大河ドラマ「真田丸」や「新選組!」など数々の作品を手掛ける三谷幸喜が、来年1月に放送されるNHK正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命(れぼりゅうし)篇~」の脚本を手掛けることが決定。みなもと太郎の「風雲児たち」を原作に、究極のエンターテインメント時代劇を作り上げる。

原作「風雲児たち」は、全20巻が刊行されている大河歴史ギャグ漫画。現在は「コミック乱」(リイド社)にて続編「風雲児たち 幕末編」が連載中だ。

「真田丸」以来、1年ぶりにNHK時代劇に帰ってくる三谷さん。今回のテーマは、前野良沢と杉田玄白による“蘭学事始”。史上初の西洋医学書の和訳に一心同体で取り組んだ2人は、鎖国ど真ん中の江戸中期に革命的な翻訳を成し遂げるも、刊行された「解体新書」になぜか良沢の名は載らず、名声は玄白だけのものとなった。一体、2人の間に何が起きたのか…。

三谷さんは、「僕はこの作品で、歴史の新しい見方を学びました。『風雲児たち』には、いまの日本を築き上げた先人たちの感動的なエピソードがぎっしり詰まっています。今回、そのほんのちょっと一部分をドラマ化しました。歴史ファン、みなもとファンとしてこれ以上の喜びはありません」とコメント。

一方、原作者のみなもと氏は今回のドラマ化決定に関して「拙著『風雲児たち』は私のマンガの中でも愛着のある作品で、だからこそ30数年、飽きもせず描き続けています。私のギャグスピリットを最も良くご理解されている三谷幸喜氏の手でNHKでドラマ化されることを、大変うれしく楽しみにしております」と喜びを語っている。

また、製作決定とあわせてキャストも発表。前野良沢役を片岡愛之助、杉田玄白役を新納慎也、平賀源内役を山本耕史、田沼意次役を草刈正雄と、「真田丸」にも出演した役者たちが揃った。

正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命(れぼりゅうし)篇~」は2018年1月初旬、NHK総合にて放送予定。
 『組!』『組!!』の頃からミタニンがみなもと太郎『風雲児たち』好きだと知ってた(『風雲児たち』か『風雲児たち』幕末編のいずれの巻の帯にお勧めの言葉と写真が掲載されているし、みなもと先生の『冗談新選組』が復刊された時もコメントあったし)。
 だから、まさかのみにゃもと大河歴史ギャグマンガのNHK時代劇化、しかもミタニン・吉川Pのコンピで、発表された配役が『組!』『組!!』『丸』と縁が深くて。

 このよろこびは……

前野良沢先生と杉田玄白先生と中川淳庵くんと一緒に「ひしっ!!」と抱き合って望陀の涙を流すレベル。

https://twitter.com/ProducerKUMA/status/897809277213040649

今年前半はいろいろあって心身ともに辛い状態もあったけど、このニュースのおかげで「放映までは絶対死ねない!」と生きることを固く固く胸に誓ったもの。

で、先生方にお願い。「蘭学革命(れぼりゅうし)篇」と銘打つからには好評なら続編もというお気持ちでありましょう。以下、続編でお願い。
・大黒屋光太夫篇
・最上徳内篇
・高田屋嘉兵衛篇
・伊能忠敬編
・高野長英篇
・江川太郎左衛門篇
スピンオフで時代を遡って関ヶ原篇と保科正之篇と平田靱負篇と……

 海外ロケとか全国ロケ沢山ありそうな主人公を多めですね。正月時代劇枠だけで足りなかったら、いっそ大河枠で『風雲児たち』『風雲児たち 幕末編』やって欲しいぐらい。

 あぁぁ、ラブりんの前野良沢先生、ニイロさんの杉田玄白先生、ヤマコーが八面六臂の天才で口が軽くて移り気でホモで悲惨な死を遂げる平賀源内、でいろいろな作品の中で一番好きな田沼意次像であるところの『風雲児たち』田沼意次を何と真田昌幸を演じた草刈正雄さんなんて何てナイスなキャスティング。。

歌舞伎美人八月納涼歌舞伎より。
演劇史上に輝く珠玉の名作がついに歌舞伎に!
坂口安吾作品集より
野田秀樹 作・演出
  野田版 桜の森の満開の下(さくらのもりのまんかいのした)
耳男 勘九郎
オオアマ 染五郎
夜長姫 七之助
早寝姫 梅枝
ハンニャ 巳之助
ビッコの女 児太郎
アナマロ 新悟
山賊 虎之介
山賊 弘太郎
エナコ 芝のぶ
マネマロ 梅花
青名人 吉之丞
マナコ 猿弥
赤名人 片岡亀蔵
エンマ 彌十郎
ヒダの王 扇雀
野田版 桜の森の満開の下(さくらのもりのまんかいのした)
現代演劇史に輝かしい軌跡を残した戯曲が、待望の「野田版」歌舞伎として蘇る
 深い深い桜の森。満開の桜の木の下では、何かよからぬことが起きるという謂れがあります。それは、屍体が埋まっているからなのか、はたまた鬼の仕業なのか…。
 時は天智天皇が治める時代。ヒダの王家の王の下に、三人のヒダの匠の名人が集められます。その名は、耳男、マナコ、そしてオオアマ。ヒダの王は三人に、娘である夜長姫と早寝姫を守る仏像の彫刻を競い合うことを命じます。しかし、三人の名人はそれぞれ秘密を抱えた訳ありの身。素性を隠し、名人と身分を偽っているのでした。そんな三人に与えられた期限は3年、夜長姫の16歳の正月までに仏像を完成させなければなりません。ところがある日、早寝姫が桜の木で首を吊って死んでいるのが見つかります。時を同じくして都では天智天皇が崩御。娘と帝を同時に失ったヒダの王は悲しみに暮れます。やがて3年の月日が経ち、三人が仏像を完成させたとき、それぞれの思惑が交錯し…。
 野田秀樹が坂口安吾の小説「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」を下敷きに書き下ろした人気作『贋作・桜の森の満開の下』を、『野田版 研辰の討たれ』、『野田版 鼠小僧』、『野田版 愛陀姫』に続く、「野田版」歌舞伎の4作目として、満を持しての上演です。人間と鬼とが混在し、時空間を自由に操りながら展開する物語をお楽しみください。
長谷部浩の劇評より
【劇評81】『野田版 桜の森の満開の下』七之助の夜長姫の残酷
歌舞伎劇評 平成二十九年八月 歌舞伎座

八月納涼歌舞伎、第三部は、満を持して『野田版 桜の森の満開の下』が上演された。野田秀樹がかつて主宰していた夢の遊眠社時代の代表作であり、平成元年の初演以来、京都南座、大阪中座を含む伝統的な様式を持つ劇場でも上演されてきた。

十八代目中村勘三郎が健在のとき、この『贋作・桜の森の満開の下』の上演が企画され、勘三郎(当時・勘九郎)の耳男、福助の夜長姫を前提に、歌舞伎化する脚本がすでに進行して、三分の一が書き上がっていたと聞いている。結果として、勘三郎と野田の歌舞伎での共同作業は、平成十三年の『野田版 研辰の討たれ』が先行して、野田は歌舞伎座六度目の演出となる。

現・勘九郎の耳男、七之助の夜長姫の配役でこの舞台を観て、野田三十歳の若々しい文体には、この若い歌舞伎役者の肉体がふさわしいと思った。

この物語は、アーティストの耳男が、芸術の源泉となる力を追い求める物語である。彼にインスピレーションを与えるのは、夜長姫の美と残酷である。夜長姫は妖艶な美しさを放つばかりか、耳男の耳を切り取り、耳男のアトリエに火をつけることも辞さず、妹の早寝姫(梅枝)を自殺に追い込んでも平然としている。この二人の関係性が、勘九郎、七之助の踏み込んだ演技によって鮮明になった。

芸に一心に打ち込む耳男の真摯、そして酷いまでの残酷で他者を狂わせていく夜長姫がいい。特に、これまで女優によって演じられてきた夜長姫が、女方に替わって、その残酷を躊躇なく表現している。野田の歌舞伎作品のなかでも、もっとも、人間の精神性を深く描ききり、しかも国作りと歴史の改ざん、敗北した国の民を「鬼」として排斥していく人間の身勝手さが背景となっている。

染五郎の天武の大王(オオアマ)が大らかでありながら野心に燃える姿を活写。猿弥のマナコが野人の貪欲な欲望を精緻な演技で浮かび上がらせる。また、(片岡)亀蔵の赤名人、巳之助のハンニャロ(ハンニャ)が対となって狂言を回していく。彌十郎のエンマ、扇雀のヒダの王に、異界と現実界を支配する男の大きさがある。

Zakの音響と田中傳左衞門の作調がすぐれたコラボレーションを実現した。重低音の表現、また、笛による自転車のブレーキ音など、細部まで見どころがおおい。歌舞伎はまぎれもなく音楽劇であるが、空気感を創り出し、劇場を埋め尽くす音の力が大きい。それもまた、歌舞伎なのだと考えさせられた。二十七日まで。
 野田版歌舞伎は『鼠小僧』をビデオで見ただけし、原作の坂口安吾作品は読んでない。そんな私でも、30年前に現代演劇として成功した作品が歌舞伎になっても違和感がない、ただし中村勘三郎・中村勘九郎・中村七之助という親子リレーがあって初めてなんだろうと思う。坂口安吾原作だからか野田30才の作品だからか、込められた寓意を表現できないとならないからだ。

 歴史好きな私は天智天皇から天武天皇にかけての時代と聞くと、ああ壬申の乱だなと思う。古事記と日本書紀の時代だなと思う。青銅から鉄の剣に替わった時代だなと思う。ヒダの王は天智天皇に滅ぼされた蘇我石川麻呂かな。早寝姫は大田皇女、夜長姫は後に持統天皇になる鸕野讚良皇女。歴史劇としては大友皇子が出てこないとしまらないのだけど、まぁ歴史劇でなく寓意劇だし、テーマはむしろアーティストである耳男とミューズであり破壊神である夜長姫の関係だろう。

 『阿弖流爲』で立烏帽子と鈴鹿とアラハバキ神の三役を演じることで女性の三面を描いた七之助さんが一役で女性の神性(この場合はミューズと破壊神・戦争神)、あどけなさ無垢さと非情さ残酷さの二面性がよく表現されていた。

 勘九郎さんは相変わらず高い身体性で報われないミッションをひたむきに果たそうとする役が似合う。そしてオオアマの色悪ぶり(国崩し級)は染五郎さん似合う。歴史は勝者のものであり、勝者に都合の悪いものは改竄され隠蔽されないことにされる、というのは現代に通じた。

 戦または空襲や原爆の寓意である「青いおおきな空が落ちてくる」。人は突然の雨に降られたように雨宿りして「ああ、まいったなぁ」という、というのは、数え切れない焼夷弾や原爆2発を日本に落とした米軍を天災と理解しないと対米従属の日米地位協定を受け容れられない国民になってしまうからだと思う……受け容れられないと沖縄県民のようにまつろわぬ民になるしかない。自分は今限りなく沖縄民に近い心証にあるのだけど。

 七様がゆっくり倒れていく最後の場面が息を呑む美しさだった。

☆★☆★

追記。朝日新聞評
(評・舞台)歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」 愛の破壊衝動、三つ巴
 第三部野田秀樹作・演出「野田版 桜の森の満開の下」は、お盆興行のせいか、亡き十八代目勘三郎をしのばせる。

 古代の飛騨の国で、ヒダの王(扇雀)は耳男(勘九郎)、オオアマ(染五郎)、マナコ(猿弥)に、娘夜長姫(七之助)の守護仏ミロク像を彫らせる。

 彼らは3人で1人の匠(たくみ)を形作る分身たちである。耳男は師匠殺し。オオアマは壬申(じんしん)の乱の大海人皇子。マナコは山賊。

 大海人は権力を奪い、山賊は滅び、耳男は仏を彫って、夜長姫を殺す。バルザックの「知られざる傑作」の画家のように、芸術家は自分の作品を破壊したい衝動を抱く。芸術家に限らず人は、愛する者に対して同じ衝動を持っている。

 夜長姫は耳男の恋人で、作品の寓意(ぐうい)である。全ては耳男が桜の下で見た夢だった。坂口安吾の原作では耳男が主役(シテ)で、他の2人は主役に随伴する役(ツレ)の匠に過ぎない。

 それをオオアマとマナコという独自の性格に書き換え、3人が対等の主役として、三つ巴(どもえ)になる舞台に仕立てたのが、野田版の特徴である。十八代目勘三郎が上演を望んだが果たせず、遺児たちに手渡された。

 舞台の命は絵よりも短い。愛する者による破壊の手さえ待たずに消えていく。終幕耳男が独り夢から覚める寂しさは、演出家の思いであろうか。

 第一部「刺青奇偶(いれずみちょうはん)」は、中車の直情径行さが、手取りの半太郎の命がけの生き方によくはまっている。七之助の病身の女房お仲の情愛の濃(こま)やかさ。他に舞踊「玉兎」「団子売」。

 第二部は「修禅寺物語」。弥十郎の面作師夜叉(やしゃ)王のスケールが大きい。染五郎と猿之助の弥次喜多コンビで、娯楽本位の「歌舞伎座捕物帖」。

 (天野道映・評論家)

 27日まで。

東京新聞
<評>心弾む「団子売」 歌舞伎座「八月納涼」
歌舞伎座は舞踊を除き、新歌舞伎・新作尽くしの「八月納涼歌舞伎」。
 第一部「刺青奇偶(いれずみちょうはん)」では市川中車の半太郎、中村七之助のお仲が、世間の片隅に生きる男女の純愛を描き出す。市川染五郎の政五郎。市川猿弥の熊介に軽みがあっていい。「団子売(だんごうり)」は中村勘九郎、市川猿之助の踊りがともに小気味よく充実していて気持ちが弾む。ほかに中村勘太郎の「玉兎(たまうさぎ)」。
 第二部はまず坂東好太郎、坂東吉弥の追善狂言「修禅寺物語(しゅぜんじものがたり)」。坂東弥十郎の夜叉(やしゃ)王は、自ら打った面にじっと見入る姿に、芸術家の狂熱とはまた違う、愚直な職人像が浮かんだ。猿之助の桂がまことに巧緻(こうち)で、職人を侮り「関白大臣将軍家のおそば」を望む気位の高さ、気性の激しさが鮮やかに表れる。坂東巳之助の春彦、坂東新悟の楓(かえで)も好演。勘九郎の頼家、秀調の修禅寺の僧、片岡亀蔵の金窪兵衛。
 次は昨年に続き染五郎、猿之助の「東海道中膝栗毛」。今回は「歌舞伎座捕物帖(こびきちょうなぞときばなし)」と題し、舞台稽古中の歌舞伎座で殺人事件が起きるというミステリー仕立て。旅をしない弥次喜多という趣向だが、その分二人の影が薄く、さらに推理劇、バックステージ物としての興味が欲しかった。
 第三部は「野田版 桜の森の満開の下」。故中村勘三郎と野田秀樹とが上演を約束していたという企画が実現。もとより屈指の名作であり、勘九郎ら役者の技量には舌を巻くが、少なくともこの戯曲の目も眩(くら)むような疾走感には、歌舞伎の感覚は必ずしも適していないのではないだろうか。二十七日まで。
 (矢内賢二=歌舞伎研究家)

渡辺保
2017年8月歌舞伎座野田版「桜の森の満開の下」
野田秀樹が歌舞伎の歴史に新しい一頁を書き加えた。

その一頁は、今月三部制の歌舞伎座の第三部「野田版 桜の森の満開の下」の

大詰、勘九郎の耳男が七之助の夜長姫を殺すシーンの、幻想的な美しさである。

むろん歌舞伎にはこういう美しさはなかった。しかし在来の野田秀樹の「贋作 

桜の森の満開の下」にもなかった。その意味では単に歌舞伎の歴史の新しい一

頁であるばかりでなく、野田演劇の新しい特異なページでもあるだろう。 

染五郎のオオアマの政治体制が、扇雀のヒダの王を滅ぼし、勘九郎の耳男も桜

の森に追い詰められる。そこで耳男が七之助の夜長姫を殺す。満山の桜―――

堀尾幸男の墨の強く入った、一風変わった桜の森の装置のなか、桜吹雪が激し

く降る。高鳴る音楽。そこで展開する「殺し場」が官能滴るばかり。その美し

さは幻想的で、ぼってりとした厚みのある豊かさで、しかも儚く、これまでの

歌舞伎の「殺し場」とは一味も二味も違う新しい美しさであり、同時にこれぞ

歌舞伎という本質的な歌舞伎そのものの造形性の極北を示している。

さらに殺された夜長姫は薄衣一枚を残して消え、舞台上手奥から般若の面をつ

け、黒の薄衣を着た鬼たちが、枝垂桜の大きな枝を手に手に二列に並んで、舞

台を横切り花道へ入って行く。それと同時に舞台奥の下手から上手に向かって

鬼たちと逆行するように、影のようにオオアマの輿が朧に消えて行く。御承知

のように歌舞伎はページェントの面白さをその特徴の一つとする。この二組の

行列はこの作品の世界の構造を示すと同時に「殺し場」の余韻であり、背景で

もあった。

私はその美しさを堪能し、陶酔に浸った。今までにない美しさである。

しかしそこへ行くまで、ことに第一幕は大変だったし、見ていてくたびれた。

野田秀樹の言葉遊び、彼方へ飛び、此方へ行って時代の感覚に触れていくせり

ふの面白さが歌舞伎調になると失速し、ほとんど死んでいる。そうなると言葉

の方向性が見失われて、本来ならば舞台に浮かび上がるはずのもの―――たと

えばヒダの王の作ろうとした体制が少しもイメージとして成立しない。

全体のテンポも遅い。歌舞伎の造形性は「キマル」ところにあるが、この「桜

の森」は耳男に象徴されるように「キマ」らない疾走感にある。その二つの表

現の落差、違和感が強いのである。第一幕が終わったところで私はほとんど

「桜の森」の歌舞伎化は失敗だとさえ思った。

 しかし二幕目になるとその違和感がなくなり、ついに冒頭にふれた「殺し場」

に至って、第一幕とは全く違う一頁を開くことに成功した。

 この作品を歌舞伎化しようという話は、勘三郎生前、いや「野田版」三作以

前にあったというが、もしそうだとすれば勘三郎がやりたかったのも野田秀樹

がやりたかったのもこの第二幕にあるのだろうという気がした。そして今は亡

き勘三郎に代わってその夢を実現した野田秀樹の、勘三郎への深い愛情を思わ

ずにはいられなかった。

 「桜の森」の第三部に対して、第一部は中車、七之助の「刺青奇偶」と舞踊

の上下二幕。上の巻は勘太郎の清元「玉兎」、下の巻が猿之助、勘九郎の竹本

「団子売」。第二部が坂東好太郎、坂東吉弥追善で、好太郎の三男、吉弥の弟

である施主弥十郎の夜叉王で「修禅寺物語」と去年当たった染五郎、猿之助の

弥次喜多の新作「歌舞伎座捕物帖」。

 第一部の見ものは「団子売」である。猿之助の女房がほんのわずかな手ぶり

―――たとえば餅を取ってトントンとおこつく振りが絶妙の面白さで、この踊

りでやっと溜飲が下がった。対する勘九郎の亭主は、さすがに亡き三津五郎の

仕込みだけあってキッチリ踊って、猿之助の曲せ球に対して直球の対照的な面

白さ。この踊りくらべが第一部唯一の見ものである。

 勘太郎の「玉兎」は教わった通りに踊ってご愛嬌。

 さて「刺青奇偶」は玉三郎、石川耕士の共同演出。そのためだろう。七之助

の酌婦お仲は玉三郎生き写し。目をつぶって聞いていると玉三郎がやっている

のかと思うほどである。しかしそうなると玉三郎ではそう見えなかった序幕の

ふてくされ具合が、七之助だと実に嫌な女に見えてくる。七之助の個性が死ん

でいるためにお仲という女のイメージがつかまえられていないからである。

 その点、中車の手取りの半太郎は、それなりの独自の人間像を作っている。

ことに大詰の

鮫の政五郎とのやりとりの、こんな瀕死の状況でも性根を失わないところがう

まい。

 猿弥の熊介がユーモラスでうまい。

 勘之丞の医者、芝のぶの近所の女房ともに生活感がない。錦吾と梅花の半太

郎の親夫婦も平凡。

 染五郎が鮫の政五郎を付き合うが、まだ年配が足りないのは是非もない。

 かくして総体に水っぽい「刺青奇偶」になった。

 第二部の「修禅寺物語」は、弥十郎の夜叉王が抑えた心理的な芝居でいいが、

その分この男に潜んでいる職人としてのプライドの高さ、そのプライドゆえに

先の将軍頼家にも楯突く激情が薄い。これはのちにふれるせりふの朗誦法にも

かかわるだろう。

 幕開き、例の如く砧を打つ桂と楓姉妹のせりふで始まるが、猿之助の桂が観

客の気持ちを一気にとらえるリアリティがあってうまい。この女の生まれ、育

ち、そこから来る性格の権高さ、生き方の理想手に取る如くである。新悟の楓、

巳之助の春彦がこの猿之助に食いついていい。

 勘九郎の頼家は、この人ならばいま一息鋭いだろうと思ったが、意外に穏や

かである。

 亀蔵の金窪兵衛が本役。秀調の修禅寺の僧、万太郎の下田五郎。

 さてこのメンバーの一座過不足のない出来、リァリティは十分であるが、私

には大きな不満がある。いずれもせりふの歌うべきところを歌わないことであ

る。綺堂作品を歌舞伎役者が歌わなくなってからすでに久しい。おそらく幸四

郎歌右衛門の、久保田万太郎演出の「番町皿屋敷」以来だろう。しかしそれは

せりふを歌うことによってリァリティを喪失したことへの反省のためであった。

そのリァリティがこれだけ濃くて、しかもうまく表現されるようになったから

は、歌うところは歌ってもいいのではないかと私は思う。それが歌舞伎であり、

岡本綺堂の戯曲だろう。弥十郎の夜叉王にも猿之助の桂にも、今一歩激情が出

ないのはそのためである。考えてみればいくら芸術至上主義者でも、断末魔の

娘の死に顔をスケッチしようというのは異常だろう。父も父、娘も娘の狂気で

あるが、その狂気こそ歌うアリアに支えられているのであって、歌わなければ

夜叉王は唯の老父になってしまい、スケッチも芸術のためではなく、唯の遺品

を残すに過ぎなくなってしまう。それでは作者が書こうとした芸術にのみ生き

る人間の悲劇は意味を失うのではないか。 

 この後が、去年ラスベガスまで行った「弥次喜多」の第二編。杉原邦生構成、

戸部和久脚本、猿之助脚本演出。

 歌舞伎座で殺人事件が起きる。犯人はだれが。思い付きは面白いが、サスペ

ンスとしてはすぐ犯人がわかってしまうので面白くなく、ドラマとしての見せ

場もなく、喜劇としても爆笑とはいかなかった。劇中劇に「四の切」があって、

化かされの法師にバイトで出ていた弥次喜多が、間違いで宙乗りになるのが面

白いだけの芝居になった。構成も台本も芝居のツボを外しているからである。

 中車の座元、児太郎の女房、大道具の棟梁に勘九郎、鑑識の女医に七之助、

竹本に門之助、笑三郎、役人に亀蔵、猿弥、役者に巳之助、隼人、新悟、竹三

郎、弘太郎という、ほとんど一座総出なのにもったいない。

 

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『渡辺保の歌舞伎劇評』http://homepage1.nifty.com/tamotu/

河村常雄の新劇場見聞録 八月納涼歌舞伎評
<見>恒例の三部制。大看板は姿を見せず、若手花形で大歌舞伎座を賄う。今回の芝居は、若手花形だと勉強会になりがちな古典物がなく、新歌舞伎2本に新作喜劇、野田版。それだけに出演陣は存分に持ち味を発揮、三部とも概ね充実した舞台になっている。

第一部は長谷川伸の新歌舞伎「刺青奇偶」から。玉三郎と石川耕士の演出。
渡世人半太郎(中車)と元酌婦お仲(七之助)の哀しくも純な夫婦愛を描く。中車は元来芸達者、古典でなければうまい。渡世人のいなせな感じがよく出ている。お仲を病から救うために賭場荒らしに手を染めた経緯を語る件がうまい。七之助は薄幸の女性が仁に叶う。自暴自棄の前半から亭主思いで病弱の女房になる後半への切り替えも鮮やか。初役の2人の好演で見応えのある舞台になった。
染五郎が鮫の政五郎。最後に親分の貫禄を見せる役だが、貫禄を見せるにはあと一歩。錦吾演じる半太郎の父・喜兵衛、梅花の母・おさくが、情味を出している。
舞踊は勘太郎があどけなさの残る「玉兎」。猿之助のお福、勘九郎の杵造でテンポのいい「団子売」。勘三郎、三津五郎亡き後の踊り手。暗い芝居のあと、舞台を明るくして第一部の幕を下ろした。

第二部は岡本綺堂の新歌舞伎「修禅寺物語」。猿翁の監修。映画スターであった初代坂東好太郎の三十七回忌、その長男で二代目坂東吉弥の十三回忌の追善演目である。好太郎三男の彌十郎が夜叉王を勤め、その息子・新悟が妹娘・楓。
近年、彌十郎は脇役でありながら存在感を増しているが、期待通り主役を無事勤めた。相手が将軍といえども納得できない面は渡せないという芸術家としての気概、二人の娘への情愛、瀕死の姉娘の顔を写し取ろうとする芸術家魂など的確に表現している。
猿之助が姉娘・桂。上昇志向の強さを浮き彫りにして好演。勘九郎の源頼家、已之助の春彦。
もう一本は戸部和久脚本、猿之助脚本・演出の新作喜劇「東海道中膝栗毛・歌舞伎座捕物帖」。昨夏、染五郎の弥次郎兵衛、猿之助の喜多八がクジラに乗ったり、ラスベガスで遊んだりの破天荒な「膝栗毛」を上演した。本作はその続編で、ラスベガスから帰った弥次喜多が活躍するのは江戸の歌舞伎座の舞台裏。「義経千本桜・川連法眼館」の初日を前に役者が殺され犯人を推理していく。舞台の仕掛けや舞台作りの過程が見られて楽しめる。宙乗りで出て、宙乗りで引っ込む染五郎と猿之助。今回も喜劇のセンスを発揮している。
共演は人気花形、若手、御曹司が大挙出演。勘九郎、七之助、已之助、児太郎、隼人、千之助、虎之介、新悟、片岡亀蔵。超若手の金太郎、團子から超ベテランの竹三郎。中車、門之助、笑也、笑三郎、猿弥らおもだか勢などなど。大挙出演で薄味にしているが、にぎやかな舞台にはなった。
第三部は「野田版 桜の森の満開の下」の一本立て。坂口安吾の2作品をベースにした野田秀樹作品の歌舞伎化。壬申の乱を背景にして権力、国家、恋愛,芸術を民話風にかつダイナミックに描く。演出も野田。
特有の言葉遊びで分かりにくくなりがちな野田戯曲であるが、歌舞伎俳優の強い台詞がそれをカバーする。勘九郎の耳男。染五郎のオオアマ、七之助の夜長姫。梅枝の早寝姫、猿弥のマナコ、片岡亀蔵の赤名人、彌十郎のエンマ、扇雀のヒダの王。いずれも好演である。
11日所見。
――27日まで歌舞伎座で上演。





渡辺保
2017年7月歌舞伎座
海老蔵奮闘劇 

 海老蔵が昼の部の「加賀鳶」「連獅子」、夜の「秋葉権現廻船噺」の通しと

昼夜六役のほとんど出ずっぱりの奮闘興行である。

 なかでもっともいいのは「連獅子」の親獅子。花があって下手揚幕から出た

ところの、余裕のある風格の大きさ、スッキリした姿で堂々たる歌舞伎座の座

頭である。踊りよりも役者の持ち味で見せる花やかさ。

 対する子獅子は巳之助。踊り始めると自然にそっちへ目が行くのは、この人

の踊りのうまさ、体を十二分に使う、その呼吸のよさである。男女蔵、市蔵の

間狂言をふくめて完成度からいえば、昼夜一番の見ものである。長唄は日吉小

間蔵杵屋勝松。

 この前に右団次の「矢の根」、海老蔵初役の梅吉と道玄二役の「加賀鳶」。

 まず海老蔵の梅吉が序幕木戸前一場だけだがいい。上手町木戸を出た梅吉が、

かつて見た十一代目団十郎(当時海老蔵)の、一寸暗い影があって、しかも色

気と貫目があって、さっそうたる梅吉に生き写しである。せりふが歯切れがい

いのは十一代目以上だが、いささか早口すぎて趣に乏しく、引込みももう一杯

しっかりと見せてほしい。

 二役道玄は目がよく利く御茶ノ水の殺しがいいが、世話物の芸としては、滑

稽さ、愛嬌、太々しさはまだ未完成。しかし二ついいところがある。一つは不

思議な実在感があること。もう一つは松蔵に見顕されてから恐れ入るまでのプ

ロセスが、松緑、勘三郎、富十郎、十二代目団十郎ととかく不明確だったとこ

ろがスッキリしてわかりやすいこと。すなわち松蔵がお朝の書置きを偽筆と見

破ったところでの思い入れでこれが強請であることを認めてしまい居直って

「もとより話の根なし草」になるのがハッキリしていてわかりやすい。松蔵の

指摘に思わず口にくわえていて煙管をポロリと宙ぶらりんにしてしまうところ

がそれである。道玄の「もとより話の根なし草」になる心理が手に取るように

明確になる。これは海老蔵が道玄という人間の行為をキチンと組み立てた結果

である。

そのあとの松蔵に御茶ノ水で拾った煙草入れの証拠の書き出しを突きつけられ

る件でも手を大げさに上下しないのがいい。

 対する松蔵は中車。御茶ノ水の幕切れで煙草入れを闇にかざすのに両手で持

つのはおかしいだろうし、姿が悪い。質見世は面白いとまではいかないが一応

の出来になったのは大進歩である。

 この舞台のおさすりお兼で、右之助が二代目斎入を襲名した。

 勢揃いは、右団次を筆頭に、巳之助、男女蔵、亀鶴以下、九団次、市蔵、権

十郎、団蔵、左団次と手揃いである。

 家橘の伊勢屋与兵衛、お朝は児太郎、太次右衛門は辰禄、猿三郎の大家。

 さて、この狂言の傑作は、笑三郎の道元女房おせつである。しっとりした持

ち味、芝居がしっかりしていて役をうまく仕生かしている。

 右団次の「矢の根」は、揚げ障子が揚がったところで、その隈奴をとった顔

が現代的に見えるのが損である。いずれ芸が進めば隈取が生きて輝くようにな

るだろう。明晰な調子の人なのにせりふ廻しに独特の癖があって、そのために

おせち料理の言立てや七福神の店おろしが聞きとりにくいのは残念。

 十郎は笑也、大薩摩文太夫は九団次。弘太郎の馬士がとぼけた味でいい。

 夜の部は竹田治蔵の「秋葉権現廻船噺」を台本作りのベテラン四人織田紘二、

石川耕士、川崎哲男、藤間勘十郎が集まって補綴演出した通し狂言。原作から

かなりはなれての新脚本といってもいい。

 発端に月本始之助(巳之助)と傾城花月(新悟)の駆け落ちを見せ、月本家

所蔵の紀貫之直筆の秘宝「古今集」を盗んだ日本駄右衛門(海老蔵)と女道楽

のため兄玉島逸当(中車)に勘当をうけた玉島幸兵衛(海老蔵二役)の立ち廻

りがある。発端からして海老蔵が二役早替りを見せるが、長い割には手際が悪

く、さして面白くない。

 序幕が月本館。上使(海老蔵)に化けた駄右衛門が月本家の当主月本円秋

(右団次)に切腹を迫る。そこへ玉島逸当がかけつけて上使が偽せ者と見破ら

れるが、円秋にかわって陰腹を切るという大芝居。

 海老蔵は上使に化けて来たところは、烏帽子、大紋まことにすっきりして駄

右衛門が化けているとは思えず、それが芝居だといえばそれまでだが別人のよ

う。正体をあらわしての御簾斬りが見ものというほかはない。駄右衛門はお家

横領の叔父月本祐明(男女蔵)も殺す。この祐明の側室と見えたのは駄右衛門

一味の女賊牙のお才(児太郎)で、駄右衛門の御簾切りのあと緋無垢の着付の

肌脱ぎになると弁慶縞の浴衣という奇抜さで、児太郎がのびのびとやってこの

幕第一の収穫。

 他では右団次の月本円秋が立派。

 しかし盛沢山すぎて役者の芸の仕どころが少ないのが難である。

 二幕目第一場は、始之助と花月の「落人」を真似たような長唄の道行。ここ

といい前幕の月本円秋の切腹で四段目の判官切腹の真似といい、とかく歌舞伎

の名場面をそのまま持ち込むのが問題である。もとを知らない観客にはなんの

ことかわからず、知っている観客にはああ二番煎じかと思われてオリジナリテ

ィを失う。もっと抽斗ばかり使わずに本当の創造をして貰いたい。

 第二場がお才の茶屋で、やっと芝居らしくなるが、かつて前進座で瀬川菊之

丞が哀愁漂う玉島幸兵衛を見せたのとはかわって、ここも「伊勢音頭」の丸取

り。海老蔵の幸兵衛は、福岡貢のようである。三階立ての大仕掛けの道具もさ

して働かずにつまらぬ。

 第三場が秋葉権現、海老蔵の三役中、この大権現が一番の出来。

 勸玄の白狐がパパの秋葉大権現に抱かれて客席を指さしたりするあどけなさ。

「成田屋」の掛け声、拍手、それこそ超満員の劇場も崩れるばかりで、この父

子宙乗りが、この通し狂言第一の見どころになった。

 大詰三場は例の如き大団円。火事場、亡者の襲撃と趣向沢山の割にはつまらず。

 海老蔵が汗みどろになっての大奮闘にもかかわらず、竹田治蔵の原作がよく

ないために以上の結果。海老蔵の努力、意欲は十分わかるが、今後はもっと骨

格のしっかりしたドラマの原作を取り上げてほしい。               

 

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『渡辺保の歌舞伎劇評』http://homepage1.nifty.com/tamotu/

長谷部浩
【劇評79】海老蔵を活かす復活狂言
歌舞伎劇評 平成二九年七月 歌舞伎座夜の部

歌舞伎座夜の部は、海老蔵と長男勸玄が宙乗りを勤める『駄右衛門花御所異聞』を通す。竹田治蔵作の芝居を復活させた台本(織田絋二、石川耕士、川崎哲男、藤間勘十郎 補綴・演出)で、海老蔵の魅力の源泉をよく理解している。
海老蔵がなぜ歌舞伎で突出した人気を誇るのか。それは荒事の暴力性と和事の柔らかさのあいだを自在に横断する力がそなわっているからだ。また、その振れ幅が大きく、まるで目くらましにあっているかのような幻を観客にもたらす。
海老蔵は、発端から廓遊びに入れ込んだ玉島幸兵衛を演じたかと思うと、一転して、日本駄右衛門に替わって骨太な悪党振りをみせる。この振幅こそが海老蔵の真骨頂だろう。
二幕目第一場は、大井川の場。巳之助の月本始之助と新悟の傾城花月の道行。富士を望む街道をいく。この色模様を所作事で見せるだけの力をふたりがそなえつつあるのに目を見張る。
第二場のお才茶屋で児太郎お才の名にふさわしく才気走った女の魅力を発散する。「こんな金の亡者は見たことがない」との評言が笑いを誘うだけのしたたかさがあって、底を割らない。
九團次のお才の兄長六が金をせびるときのせこい様子、廣松の寺小姓采女の色気もよい組み合わせとなっている。弘太郎の駄右衛門子分早飛もさまになっている。海老蔵の幸兵衛は、ここで廻国修業の僧となって現れるが、やがて殺し場になって、血が流れ、小判が手水鉢からあふれ出る。人間の欲望が全開となる場で、『伊勢音頭恋寝刃』の貢が二重写しになる。
海老蔵を中心に、若手の力を引き出す台本と演出で、新しい世代の歌舞伎を予感させる舞台となった。
さて、お待ちかねは、海老蔵と勸玄の宙乗り、私が見た日は客席に親しい人を見つけたのか、勸玄が指をさして海老蔵に知らせ、手を振る余裕を見せた。花道の出といい舞台度胸がよく満場の喝采を浴びた。これも歌舞伎なのだ、いやこれが歌舞伎なのだと実感させれらる。
大詰は、東山御殿の場から奥庭に続き、さらに御殿にいってこいとなる構成。焔に包まれるなか、ゾンビのような亡者があふれる演出がおもしろい。
繰り返しになるが、海老蔵という役者を活かし抜いた舞台であった。
七月大歌舞伎は独立した記事を立てて特集する意味のあるもの。六月に海老蔵さんの妻麻央さんががんで亡くなって早々、4歳の勸玄くんが宙乗りデビューしたのだから。

「駄右衛門花御所異聞」は市川海老蔵の集大成「昔ながらの歌舞伎」を「昔ながらの方法」で、かつ新しく
中川右介
二代目市川齋入襲名披露

 7月の歌舞伎座の昼の部は「矢の根」で始まる。これには海老蔵は出演しないが、この演目は、市川家の「家の藝」たる「歌舞伎十八番」のひとつだ。主役の曽我五郎は1月に襲名したばかりの市川右團次がつとめた。

市川海老蔵(右)と市川齊入を襲名する市川右之助
拡大市川海老蔵さん(右)と市川齊入を襲名した市川右之助さん
 次が「加賀鳶(とび)」で、海老蔵は2役。父・十二代目團十郎が何度も演じた役で、海老蔵としては初役だ。この演目は、海老蔵の一門の重鎮で名脇役の市川右之助の二代目市川齋入(さいにゅう)襲名披露でもある。
 市川右之助は、二代目右團次の孫にあたる。祖父が1936年に亡くなった後、父が役者を廃業したこと、女形となったことなどの理由で、右團次を襲名していなかった。その名跡を、市川右近に譲ったのが、今年の1月の右近の三代目右團次襲名だった。これは海老蔵が思いつき、父十二代目が存命中に決めたのだという。

 こうして右團次は復活したが、そうなると右之助がいつまでも右之助というのもおかしい。「右之助」の名は「右團次」より格下だからだ。そこで初代右團次が晩年に名乗った齊入を二代目として襲名することにしたのだ。

 昼の部最後は「連獅子」で、海老蔵が親獅子、坂東巳之助が子獅子。巳之助もまた父・十代目坂東三津五郎を2015年に失くしている。海老蔵は何度か三津五郎とは共演し、新境地を開かせてくれた恩人でもあるので、その恩返しとしての起用だろう。巳之助は夜の部も活躍する。

一門のトップ・海老蔵が推し進めていること

 このように昼の部では、1時間前後の、何の関係もないものを3演目並べるという、ここ100年くらいで作られた伝統的な興行形態をとった。

 しかし、夜の部ではひとつの作品を最初から最後まで見せるという、他の演劇では当たり前だがいまの歌舞伎では珍しく、あえて「通し狂言」と銘打つ興行とした。もっとも、徳川時代にはこれが当たり前だったので、真の伝統へ回帰したとも言える。

「駄右衛門花御所異聞」。海老蔵の日本駄右衛門 (C)松竹
拡大「駄右衛門花御所異聞」より。市川海老蔵の日本駄右衛門 (c)松竹
 夜の部「駄右衛門花御所異聞」は、ここ数年の海老蔵の活動のひとつの集大成となるものだった。
 父を失くしてからの海老蔵は、着々と自分の劇団ともいうべき一座をつくるべく布石を打っている。

 一門のトップ、そして座頭たる者は、自分の藝を磨くだけではだめなのだ。一門や客演してくれる役者の置かれているポジションを見極め、配慮し、盛り立てていかねばならず、いわゆる「役者バカ」ではつとまらない。

 海老蔵が推し進めているひとつは、一門以外の役者を公演ごとに引き入れ、一座として役者の層を厚くしていくことで、右團次、市川中車をはじめとする澤瀉屋一門を組み入れ、今月は巳之助や中村児太郎も入れている。本来は中村獅童も出るはずだったが、病を得て、出られなくなった。

 もうひとつは、歌舞伎以外の演劇人とのコラボで新作をつくることでのレパートリーの拡充である。

 今年に限っても、2月にEXシアター六本木でリリー・フランキー脚本、三池崇史演出で「座頭市」を作り、寺島しのぶが相手役をつとめた。6月には自主公演ABKAIで樹林伸作、松岡亮脚本、藤間勘十郎演出・振付で「石川五右衛門外伝」をつくっている。

 その一方で、3月に歌舞伎座で「助六」をつとめ、5月の歌舞伎座の「伽羅(めいぼく)先代萩」では仁木弾正と、古典の大役もしっかりつとめた。

最大の見せ場、勸玄君の宙乗りを融通無碍に

 こうした布石を打った上での、7月の歌舞伎座に集まった役者の層は、大幹部がいない割には厚い。

 そのメンバーで昼は古典、夜は新作「駄右衛門花御所異聞」をやる。しかも、その新作は、新進気鋭の劇作家に依頼したのではなく、これまでの新作とは別のアプローチで作るものだった。

 タイトルにある駄右衛門は実在した大泥棒、日本駄右衛門のこと。歌舞伎では白浪五人男の「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」でもおなじみだ。

 250年前に、それとは別に「秋葉権現廻船語」という駄右衛門を主人公にした芝居があったが、長く上演が途絶えていた。徳川後期に七代目團十郎が演じたことがある。

 この芝居の当時の台本をベースに、まったく新しく書き換えて復活させたのが、今月の「駄右衛門花御所異聞」で、実質的には新作だ。

 歌舞伎はいまも新作が作られている。十八代目勘三郎が野田秀樹や宮藤官九郎と組んでまったく新しいものを作ったり、串田和美の演出で古典を新解釈していたり、市川猿之助が「ワンピース」を歌舞伎にするなどがその代表だ。先代の猿之助のスーパー歌舞伎も新作路線の代表である。

 海老蔵も前述の「座頭市」「石川五右衛門」では歌舞伎外の演劇人と組んでいたが、今回の新作は、歌舞伎専門の補綴・演出家である織田紘二、石川耕士、川崎哲男、と海老蔵の盟友たる藤間勘十郎が協同してつくる。この4人は歌舞伎の熱心なファン以外には、ほとんど知られていないだろう。

 複数の座付き作家が協同で作ることが、まず昔ながらの歌舞伎の作り方だ。

 基本のストーリーは歌舞伎でおなじみのお家乗っ取りの話で、さまざまな古典の名場面を模した場面でつないでいく。

 つまり海老蔵のコンセプトは「昔ながらの歌舞伎」を「昔ながらの方法」で作るというものなのだが、単なる復古調ではない。ストーリーもセリフも古典なのだが、舞台装置や照明には最新技術を使い、テンポもはやくして、飽きさせないようにするというものだ。

 海老蔵は一人3役で、そのうちの2役は早替わりで演じる。

市川海老蔵さん(右)と長男・堀越勸玄君の宙乗り=松竹提供
拡大市川海老蔵さん(右)と長男・堀越勸玄君の宙乗り=松竹提供
 そして最大の見せ場となるのが宙乗りだ。

 勸玄君の出演は当初はなく、チケット発売の直前になって松竹の要請で出ることになったという。だから最初の台本には彼の役はなく、まさに取ってつけたような役なのだ。

 ストーリー上は、勸玄君演じる「白狐」はいなくてもいい。しかしそれが結果的に最大の見せ場となってしまう、この融通無碍なところが、歌舞伎らしいといえば歌舞伎らしく、これもまた「昔ながらの歌舞伎」である。

世代交代期の息吹が凝縮された歌舞伎座

 「駄右衛門花御所異聞」には人生とは何かとか、家とは何かとか、そういう深刻なテーマは何もない。緻密なストーリーもない。その場その場が面白ければいいという作り方だ。

 悪く言えばパッチワークのように、いろいろな歌舞伎の名場面を、つなぎ合わせているので、歌舞伎を見た、という満足感も味わえる。

 前述の巳之助に加え、中村児太郎(彼の父・福助も病に倒れてずっと休んでいる)も重要な役に起用され、見事にこなしている。

 海老蔵は自分よりも若手に、活躍の場を与えてもいるのだ。

 この7月、同世代の市川染五郎(来年、松本幸四郎を襲名)は大阪松竹座、尾上菊之助は国立劇場でそれぞれ主役、大役をつとめている。

 平成から新時代に代わるのにあわせるようにして、歌舞伎界は大きな世代交代期に突入した。

 その息吹が凝縮されているのが、7月の歌舞伎座だ。

市川海老蔵・座頭「七月大歌舞伎」で起きた大事件祖父、十一代目團十郎も果たせなかった「静かなる革命」
中川右介
幸福感に満ちていた舞台

 2017年7月3日、歌舞伎座は「七月大歌舞伎」の初日を迎えた。

舞台の安全を祈願する市川海老蔵さんと長男の堀越勸玄ちゃん=29日午後、東京都中央区20170629
拡大「七月大歌舞伎」の舞台前に、安全を祈願する市川海老蔵さんと長男の堀越勸玄君=2017年6月29日
 私はめったに初日には行かないのだが、この月は「市川海老蔵が歌舞伎座で座頭となり、実質的な新作の通し狂言をやる」記念すべき月なので、初日に行くべきだと思い、6月7日のチケット発売日に、夜の部は初日を買っておいた。
 そうしたら、6月23日のあの悲報となった。

 チケットを買った日とはだいぶ状況が変わり、「市川海老蔵が歌舞伎座で座頭となり、実質的な新作の通し狂言をやる」という歴史的意義よりは、4歳の長男・堀越勸玄君が史上最年少で宙乗りをすることに話題は集中していた。

 勸玄君については、すでに洪水のように報じられている。

 初日に客席にいた者としては、そこには湿っぽさは微塵もなく、人びとは、何か浄化される思いとなり、幸福感に満ちていたと、伝えておく。

海老蔵と猿之助のクールな「盟友関係」――正統と異端、『柳影澤蛍火』の「悪人」から見えた二人の距離
[3]「開拓」を続ける市川海老蔵、九團次の選択
[1]市川海老蔵が座頭を勤めた理由――戦後70年、「孫たちの時代」はどう展開していくのか
海老蔵の祖父の孤独な闘い

 初日が無事におわり、毎日のように公演は続き、12日、日本歌舞伎史上の大事件が起きた。歌舞伎座で「夜の部」がなかったのだ。

 と言っても、役者の誰かが急病で倒れたとか、劇場に事故があったわけではない。

 最初から、12日は昼の部だけの興行で夜の部はなかったのだ。同様に、このあと19日は昼の部が休演となる。

 何かが起こればニュースだが、「何もなかった」のはニュースにはならないので報じられなかったが、これは実は大事件なのだ。

 歌舞伎座は、おそらくこの規模の劇場としては世界で最も稼働率の高い劇場だ。

 毎日11時から3時頃まで「昼の部」、4時か4時半から9時頃まで「夜の部」が上演され、原則として「25日間」、休むことなく昼夜の公演が続く。昼と夜はまったく別の演目だ。

 これは歌舞伎座だけでなく、松竹による歌舞伎公演はみな昼夜・25日間を基本としている。

 なかには昼夜とも出ずっぱりの役者もいるから、体力的にも精神的にも負担はかなり重いだろう。裏方のスタッフも、休みはない。

 松竹としては休演日を設ければ収入減となるので、休みたくない。昼の部か夜の部のどちらかを休めば、チケット代だけで約3000万円の減収となり、弁当や食堂、お土産屋の売上も減る。そのため、ずっと昼夜2部制・25日間興行が伝統となっていた。

 だが半世紀前、この昼夜2部制に異議申し立てをした役者がいた。海老蔵の祖父、十一代目團十郎である。

 しかし、他の役者たちは、松竹に気兼ねしたのか十一代目に同調せず、彼は孤独な闘いを強いられ、結局、この体制は維持され、團十郎は1965年に胃ガンとなり56歳で亡くなった。

海老蔵が座頭となった歴史的な月に

 以後、誰も昼夜2部制・25日間興行に異を唱える者はいなかった。少なくとも、表にはそういう声は出なかった。

 それが十一代目團十郎の死から半世紀が過ぎて、その孫によって、歌舞伎座に休演日を設けるという大改革が実現したのだ。

 これは何かを「する」のではなく、「しない」という改革なのでまったく目立たないが、静かなる革命と言える。

 海老蔵は7月12日のブログに、

 「今日は/歌舞伎座史上初の夜の部お休み。/歴史的快挙と私はおもう。/そして/これが続く事が/未来の歌舞伎役者のためであり/お客様のためでもある。/そうおもいます。」

 と綴った。

 公にはなっていないが、この休演日が海老蔵の強い要請で実現したことは、このことからわかる。

 何よりも、海老蔵が歌舞伎座で座頭となったこの月が最初で、その月で初めて休演日が設けられたのだ。海老蔵の意向以外には考えられない。

 そう――長男・堀越勸玄君の出演が話題になっているが、冒頭に記したように、7月の歌舞伎座は「海老蔵が座頭となった」という点で、記念すべき、歴史的な月なのだ。

「働き方改革」も後押し?

 歌舞伎座は12か月のうち、8月の納涼歌舞伎は若手だけが出て、5月は團菊祭で現在は團十郎がいないので菊五郎が座頭となり、9月の秀山祭は吉右衛門が座頭となるが、それ以外の月は、菊五郎、幸四郎、吉右衛門、仁左衛門、梅玉という大幹部のうち2人か3人が交互に出ている体制が続いている。

 そのなかにあって7月は、長年、猿之助一座が年に一度歌舞伎座に出る月だったが、三代目猿之助(現・猿翁)が病に倒れてからは玉三郎が座頭をつとめ、海老蔵が客演することが多かった。

 昨年(2016年)は猿之助が座頭で海老蔵が客演したが、今年は海老蔵が文字通りの座頭として、昼夜に奮闘(たくさん出演するという意味)する、名実ともに「成田屋の月」となった。

 澤瀉屋(猿之助)とどのように話し合ってこうなったのか、あるいは何も話し合いはなかったのか、その裏の事情は不明だが、松竹は今年の7月の歌舞伎座を海老蔵に預けたのである。それも、「花形歌舞伎」と銘打つのではなく、「大歌舞伎」として。

 座頭となった海老蔵は、公演内容や出演者を決める立場を得ると、昼夜1回の休演を求め、松竹としてもそれを呑まざるをえなかったということだろう。

 世の中全体が「働き方改革」の流れにあるのも、後押ししたのかもしれない。

 噂では、2020年の東京五輪に海老蔵は團十郎として関わるので、その前に襲名披露興行があるようだ。それへ向けての助走が始まっているとも言える。

歌舞伎座の時代転換が始まった

 歌舞伎座は、唯一、1年中、大歌舞伎を上演する劇場であり、歌舞伎役者にとっては、歌舞伎座でその役を演じなければ本当に演じたことにはならないという、絶対的な権威を持つ劇場だ。

 さらにその劇場で座頭となるのは、本当に限られた役者しかできない。海老蔵もこれまで他の劇場では何度も座頭となっていたが、歌舞伎座では7月が初めてだ。

 いよいよ海老蔵が歌舞伎座で座頭となり、自分で一座を組んだことは、時代転換の歯車がまわりだしたことを意味する。

 勸玄君との宙乗りは、それに花を添えるものであり、それは大輪の花ではあるが、興行の芯ではない。

 家庭における悲劇と初の座頭とが重なったのは偶然に過ぎないが、そのおかげもあり、6月の悲劇の日から連日報じられたので、勸玄君の出る夜の部は早々と完売し、昼の部もごく僅かしか残っていない。

 歌舞伎座は新開場直後の賑わいもなくなり、空席が目立つ月もあったので、興行的成功はありがたいだろう。そうなるとますます、興行サイドとしては休演日があるのはうらめしいところかもしれないが、時代はもう前へ進んでいるのだ。 (つづく) 

勸玄くんが天に向かって投げキッス 市川海老蔵も驚いたサプライズ
海老蔵も驚嘆!麻央さん誕生日に勸玄くんが見せたサプライズ

7月19日の昼下がり。自宅近くの公園で虫とりに精を出していたのは市川海老蔵(39)と、麗禾ちゃん(5)、勸玄くん(4)のきょうだい。

元気いっぱい虫取り網を振り回していた子どもたちだったが、35度近い猛暑がこたえたのか、1時間ほどで自宅へ。この日は、小林麻央さんの母親の誕生日だった。姉の小林麻耶(38)ら5人でケーキを囲み、麻央さんのお母さんの誕生日を祝ったという。12日の麻耶の誕生会に続くお祝いに、子どもたちは笑顔が耐えなかったようだ。

そして7月21日。麻央さんが生きていたならば、35歳の誕生日を迎えるはずの日だった。海老蔵は、自身のブログにこう綴っている。

《今日は麻央見てる感じします。なんかあったかい。満席の中、ポツンと席が空いているところが、なんとなく感じます。みんな頑張ってます》

7月3日から「七月大歌舞伎」の舞台に立っている勸玄くん。史上最年少で挑戦し、話題を呼んでいる宙乗りは、闘病を続ける麻央さんを元気づけるためのプレゼントだった。勸玄くんの宙乗りを楽しみに、誕生日まで生き抜こうとしていた麻央さん。その願いはかなわなかった。

夜の部第二幕の幕切れ。海老蔵に抱かれた白狐に扮した勸玄くんが3階席まで昇っていく――。

「勸玄くん! 成田屋!」

これまでにない大向の声が、客席に響き渡った。

初日から物怖じせず、高い虚空から手を振る余裕を見せていた勸玄くん。万雷の拍手のなか、暗幕に消え失せようとするそのとき。客席が揺れたのではないかと錯覚するほど、悲鳴にも近い大きな歓声が上がった。

勸玄くんが天に向かい、投げキッスをしたのだ。それは天国から今まさに見守ってくれている麻央さんへの最大限のお祝いだった。

「これには海老蔵さんも驚いたようです。そして、この投げキッスは『ママに』と麗禾ちゃんと勸玄くんが話し合って決めたことだったそうです」(歌舞伎関係者)

ふたりで考えた、とっておきの誕生日プレゼント。きっと、天国の麻央さんにも届いているはずだ。
海老蔵 勸玄くんとの公演が千秋楽…2000人の観衆に宙から手を振る
 歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)と、長男の堀越勸玄くん(4)が共演した東京・歌舞伎座の「七月大歌舞伎」が27日、千秋楽を迎えた。勸玄くんは、母・小林麻央さんを6月22日に亡くしたばかりのなか史上最年少で宙乗りに挑んだ。観劇を楽しみにしながら果たせなかった母に姿を見せるように、華麗に宙を舞った。
 想像を絶する悲しみと不安を乗り越え、4歳の幼子が、父とともに1カ月の長丁場を必死に駆け抜けた。
 母を亡くしてわずか11日後の今月3日、初日は波乱の幕開けだった。勸玄くんは当日の朝に突然、舞台出演を渋った。海老蔵は自宅から歌舞伎座までの車中で「ママが見てるよ」と説得。勇気を振り絞って宙乗りを成功させた勸玄くんを、市川中車(51)ら共演陣も絶賛した。
 この日は千秋楽とあり、勸玄くんは海老蔵に伴われ、羽織姿で関係者にあいさつ回りを行った。最後となった宙乗りでは、父の懐にしっかりと抱かれながら2000人の大観衆に手を振り、母に届けとばかりに、堂々と高さ10メートルの宙を舞って見せた。
 海老蔵はこの日、自身のブログで、歌舞伎座入りする勸玄くんを後ろから撮影した写真とともに「一か月前と比べてみたら デカくなりました 背中」と、たくましさが増した息子の成長を喜んだ。
市川海老蔵と勸玄君出演「七月大歌舞伎」が千秋楽
歌舞伎俳優市川海老蔵(39)と長男勸玄(かんげん)君(4)が出演してきた東京・歌舞伎座「七月大歌舞伎」が27日、千秋楽を迎えた。

 先月22日に海老蔵の妻小林麻央さん(享年34)が乳がんで亡くなり、悲しみ癒えぬまま始まった公演だったが、25日間を走り抜いた。

 夜の部は1日休演日があったため、勸玄君は24日間すべて「駄右衛門花御所異聞」に出演、史上最年少の宙乗りをこなした。この日も花道から出て「勸玄白狐、御前(おんまえ)に」と大きな声でせりふを言うと、海老蔵と一緒に宙乗りを見せ、満員の約2000人の観客に手を振った。
海老蔵から勸玄くんへ「これから君のドラマが始まる」(スポニチ)
 東京・歌舞伎座で上演されていた「七月大歌舞伎」が27日、千秋楽を迎え、歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が長男の勸玄(かんげん)くん(4)とともに25日間を完走した。

 最愛の妻、小林麻央さん(享年34)が6月22日に他界。わずか11日後の7月3日に開幕した公演。夜の部の通し狂言「駄右衛門花御所異聞」では、この日で最後となった父子での宙乗りを精いっぱい務めた。勸玄くんの宙乗りは歌舞伎史上最年少。神の使い・白狐(びゃっこ)を演じた勸玄くんが宙を舞いながら客席に手を振ると、大きな拍手が巻き起こった。海老蔵はこの日、自身のブログを更新。息子に「これから君のドラマが始まるんだよ。千秋楽は終わりではない始まり」とエールを送った。

 終演後は楽屋口に500人近いファンが集まった。海老蔵が車に乗り込む際には、麻央さんが15年11月に歌舞伎座で初お目見えの舞台に立った勸玄くんに送った言葉「えいえいお~」も響いた。海老蔵父子は車の窓を開けて何度もファンに手を振った。

 8月には名古屋と大阪で六本木歌舞伎「座頭市」(2~14日)を上演。その後は11月25日まで地方公演が断続的に組まれている。(スポニチ)
歌舞伎美人サイトより。
一、歌舞伎十八番の内 矢の根(やのね)

曽我五郎
大薩摩文太夫
馬士畑右衛門
曽我十郎

     右團次
     九團次
     弘太郎
     笑也

一、歌舞伎十八番の内 矢の根(やのね)

荒事ならではの豪快で華やかな祝祭劇
 初春を迎え、紅梅白梅が咲き誇るある日。曽我五郎が父の仇工藤祐経を討つために矢の根を研いでいると、大薩摩文太夫が年始の挨拶に訪れます。五郎は縁起の良い初夢を見ようと、文太夫が持参した宝船の絵を枕の下に敷きうたた寝を始めます。しかし、その夢に現れたのは五郎の兄十郎。十郎は、工藤の館で捕らわれの身となったことを告げます。飛び起きた五郎は、兄の窮地を救うべく工藤の館へと急ぐのでした。
 江戸狂言の洒落っ気と豪快さに満ちた荒事の一幕にご期待ください。


河竹黙阿弥 作
盲長屋梅加賀鳶
二、加賀鳶(かがとび)

本郷木戸前勢揃いより
赤門捕物まで
二代目 市川齋入襲名披露
天神町梅吉/竹垣道玄
日蔭町松蔵
春木町巳之助
魁勇次
虎屋竹五郎
昼ッ子尾之吉
磐石石松
お朝
数珠玉房吉
御守殿門次
道玄女房おせつ
金助町兼五郎
妻恋音吉
天狗杉松
伊勢屋与兵衛
御神輿弥太郎
女按摩お兼
雷五郎次
     海老蔵
     中車
     右團次
     男女蔵
     亀鶴
     巳之助
     廣松
     児太郎
     男寅
     九團次
     笑三郎
     市蔵
     権十郎
     秀調
     家橘
     團蔵
右之助改め齊入
     左團次

二、加賀鳶(かがとび)

粋な鳶と小悪党が織り成す江戸世話物の名作
 本郷界隈の家々では、加賀藩お抱えの加賀鳶と旗本配下の定火消しの大喧嘩を恐れ、人々が町木戸を閉め切っています。そこへ血気に逸る加賀鳶が勢揃いしますが、それを止めたのは頭分の天神町梅吉。日蔭町の松蔵が皆の説得にあたり、一同はその場から引き揚げます。
 一方、盲長屋に住む竹垣道玄は、女房おせつと姪のお朝にひどい仕打ちをする小悪党。道玄はお茶の水の土手際で百姓太次右衛門を殺害し、懐中の金を奪います。その場に通りかかった松蔵は、道玄の落とした煙草入れを拾います。その後、お朝の奉公先への強請を思いついた道玄は、言いがかりをつけて金を出させようとしますが、そこへ松蔵が現れ…。
 河竹黙阿弥ならではのせりふ回しで展開する、世話物の名作をご堪能いただきます。

河竹黙阿弥 作
三、連獅子(れんじし)

狂言師右近後に親獅子の精
狂言師左近後に仔獅子の精
僧蓮念
僧遍念
     海老蔵
     巳之助
     男女蔵
     市蔵

三、連獅子(れんじし)

獅子の親子が魅せる迫力のある舞踊
 天竺の霊地、清涼山の麓の石橋では、狂言師の右近と左近が手獅子を携え、石橋の謂れ(いわれ)や、親獅子が仔獅子を谷底へと蹴落とし、それでも這い上がってきた子だけを育てるという故事を踊って見せます。その後、満開の牡丹の中に親獅子と仔獅子の精が現れ、長い毛を振りながら豪放華麗な狂いを見せ、勇壮に舞い納めるのでした。
 能の「石橋」をもとに、獅子親子の厳しくも温かい情愛を描いた、数ある舞踊のなかでも人気の高い作品をお楽しみいただきます。
 矢の根はゆるーりとした江戸の荒事の一幕を楽しむ。
 加賀鳶はいいところで睡魔が……えーと、どんな話だったか、気付いた時には悪党の家に女房おせつがしばられてて、道玄が愛人と飲んでいたわ……そこから捕り物が始まって、後は一件落着。
 連獅子は、親獅子の海老蔵と子獅子の海老蔵のどちらもが踊り上手なので迫力ある美しい踊りが見られた。
千穐楽のひとつ前。

歌舞伎美人より
日本駄右衛門を中心に、宙乗り、大立廻りで
繰り広げる圧倒的スケールの奇想天外な物語
竹田治蔵 作
織田紘二 補綴・演出
石川耕士 補綴・演出
川崎哲男 補綴・演出
藤間勘十郎 補綴・演出
秋葉権現廻船語
通し狂言 駄右衛門花御所異聞(だえもんはなのごしょいぶん)

市川海老蔵 宙乗り相勤め申し候
堀越 勸玄
発 端
序 幕
二幕目

大 詰 遠州月本城下浜辺松原の場
遠州月本館の場
大井川土手の場
遠州無間山お才茶屋の場
同 秋葉大権現の場
都東山御殿の場
同  奥庭の場
元の御殿の場
日本駄右衛門/玉島幸兵衛/秋葉大権現
月本円秋
月本祐明
奴浪平
月本始之助
傾城花月
寺小姓采女
奴のお才/三津姫
白狐
駄右衛門子分早飛
長六
逸当妻松ヶ枝
馬淵十太夫
東山義政
玉島逸当/細川勝元

     海老蔵
     右團次
     男女蔵
     亀鶴
     巳之助
     新悟
     廣松
     児太郎
     堀越勸玄
     弘太郎
     九團次
     笑三郎
     市蔵
右之助改め齊入
     中車
通し狂言 駄右衛門花御所異聞(だえもんはなのごしょいぶん)

大悪党を描く名作を、現代の英知を集結させ堂々の復活
 『弁天娘女男白浪』の白浪五人男の首領として知られる日本駄右衛門。日の本六十余州を股にかけたこの大盗賊は、実在した浪人あがりの盗賊浜島庄兵衛をモデルとしており、その名は人形浄瑠璃『風俗太平記』に登場する賊徒日本左衛門に由来するとされています。この日本駄右衛門を描いた今作は、宝暦11(1761)年に初演された『秋葉権現廻船語』(あきばごんげんかいせんばなし)をもとに、市川海老蔵が現代の息吹を取り入れた復活狂言です。

 遠州月本家を足がかりに天下を狙う日本駄右衛門。月本家城主月本円秋を亡き者にするため、将軍家への献上品である家宝の古今集と、月本家に伝わる火伏の神「秋葉権現」の三尺棒を盗み出します。そこに現れたのは月本家家老玉島逸当。自らの命と引き換えに円秋と月本家の人々の命を救うのでした。駄右衛門の企てにより家を追われ、落ち延びた円秋の弟月本始之助、傾城花月、逸当の妻松ヶ枝は、逸当の弟である玉島幸兵衛と出会い、月本家の再興のため駄右衛門に立ち向かいます。ところが、「秋葉権現」の三尺棒の力により、妖術を手にした駄右衛門の力は強大で、天下奪取の大望成就がいよいよ目前に迫りますが、その前に立ちはだかったのは…。
 海老蔵が日本駄右衛門、玉島幸兵衛、秋葉大権現の3役を早替りにて勤め、大立廻りなどみどころ満載の演出で上演いたします。また、海老蔵の長男、堀越勸玄が、秋葉権現の使わしめである白狐の役で出演。海老蔵・勸玄親子二人での宙乗りも披露します。江戸後期に七世市川團十郎も演じたゆかりの演目にどうぞご期待ください。
 三幕通しは久しぶり。菊之助『子狐礼三』とか、コクーン歌舞伎『四谷怪談』ぐらいかな、見たのですぐに思い出すのは。

 ストーリーは上に引用してあるが、ちょっと入れ子構造になっているのが面白い。たとえば第一幕の月本始之介と傾城花月の道行きの場は心中ものだし、第二幕で月本円修が日本駄右衛門ふんする室町幕府の上使に切腹申しつけられる場面は忠臣蔵の四段目、第三幕で井戸を斬ってお才が貯めた二千九百両を取り出すところは石切平三、などなど、歌舞伎を知っている人ほどいろいろ思い出すよう。

 海老蔵は伸び伸びと演じていると思うけど第一幕の駄右衛門と玉島幸兵衛との早変わり乱闘は切れが悪かった(私が最初に見た早変わりが勘九郎『怪談乳房榎』なのでレベルが高いかも知れない)。後はよかった。特に秋葉権現の人ならぬ神の表現は素晴らしかった。
 中車さんは時代物にも中堅で出られる役者になった。
 今回特に素晴らしかったのは児太郎さん。ついこの間まで赤姫のような可憐な役が多かったのに、悪婆と呼ばれるようなお才を声の色を使い分けて演じていた。しかも性根は夫を一途に思うという。
 カンカンこと堀越勸玄くんは若干四歳ながら、ちゃんと「勸玄白狐、御前に」と台詞をこなし、パパ海老蔵の秋葉大権現と一緒に宙乗りで三階の鳥屋へ。怖がりもせず、時々小さく手を振るのが可愛い。先月に母を亡くしたと思えないほどしっかりと出演していた。これが、成田屋さんに生まれた男子の宿命であるかのように、ごく自然に舞台を楽しんでいるように見えた。
 駄右衛門(大盗賊)、市川右之助改め斎入が扮する将軍東山義政(直垂)、児太郎演じるその娘三津姫'(赤姫)、中車演じる細川勝元(生締め)、巳之助演じる始之助(若衆)が並ぶ大団円は、これこそ特撮戦隊ものに通じる五人組の立ち姿。
志の輔「牡丹灯籠」、2010年に一度見た直後に公演が途絶え、2013年に再演を見に行き、以後2014、2015、2016、2017と今年は6回目です。毎年チケットは大激戦なのですが、今年は前売りで2枚が確保できず1枚だけ買えました。チケットは別口で入手するから同じ公演を見た後に酒を呑もうと誘ってくれた友人がいて、下北沢で志の輔談義をしながら酒を酌み交わしました。

本当に、いつも暑い夏の盛りで、それも猛暑というほどの日で。牡丹灯籠で暑気払い、というのが習慣になってしまいました。

「前説」「さわり」の二段構成はいつもの通り。30時間にも及んだであろう三遊亭圓朝の口演を、プロの速記者ふたりが筆記していた。それが二葉亭四迷の明治の言文一致体運動に結びつき、テクストとして確立した。

今年は、弟と母を続けて亡くして、新盆だったんだけど、東京にいるとあまりその習慣がなくて(実家でも血の繋がってない祖母の新盆の記憶があまりなく、五年前に父が亡くなった時も新盆とてとりたててしなかった)。でも今月前半にお墓詣りには行っているので、八月の旧盆までちょっと待ってもらいましょうか。身近に死者が出ると、「さわり」の後に志の輔さんがオリジナルで付け加えたお盆の夜の場面がすごく心に沁みます。剣の師匠で父とも慕う(が実は実父の仇でもあった)殿様に「幸助、よくやってくれた、これからは幸せに暮らせ」涙する幸助。子供の頃から父の、そして師匠である殿の敵討ちに二十何年も生きてきた幸助は、やっと仇討ちから解放されて自分の人生を生きることができるのですね。師匠もそれを何より望んでいるでしょう。

そして、伴蔵おみね夫婦が悪党に転落していく様が、恋ゆえに萩原新三郎を取り殺すお露とお米の幽霊より怖い。また、もうひとりの悪党、お国もまた大悪女。




来年は明治維新150周年というキャンペーンが政府主導で行われるようですが、旧幕府側に思い入れのある私は戊辰戦争150周年と思っています。
 さて、そんな150年前の史実が、今でも新たに発見されるというワクワクなニュース。

新選組、野営でなく豪農に宿陣 禁門の変の新史料
 1864(元治元)年7月の「禁門の変」で、新選組の動向を記した新史料が見つかり、18日、京都女子大の中村武生非常勤講師(幕末政治史)が発表した。当時の東九条村(現京都市南区)の豪農・長谷川家当主の日記で、新選組が村の農家に下宿しながら街道警護に当たったことが分かったという。

 禁門の変は、京都での勢力挽回を目指す長州藩と、京都を守護する会津をはじめ在京諸藩が京都御所などで軍事衝突した事件で、京都は大規模な火災に見舞われた。日記は同家の蔵で2015年に見つかり、中村講師が調査した。

 6月25日付には、会津勢と行動を共にしていた「壬生浪士組」(新選組)が、東九条村の農家に分かれて「御下宿」したとあり、別の日付で「非番」の記述もあった。従来は長州勢の北進を食い止めるため、竹田街道と鴨川が交わる「九条河原」に約1カ月間野営したと考えられていたが、村を拠点に交代制で警護したとみられる。

 禁門の変が起きた7月19日付には、長州勢約30人が正午ごろ、京都中心部から退いて東九条村に迫り、新選組が鉄砲を撃ち合って追い払ったと記されている。

 中村講師は「禁門の変は京都中心部での戦争と思われがち。新選組の京都南部における開戦前の行動や戦闘の様子が初めて分かった」と評価している。

新選組、京の南部で長州藩士迎撃…禁門の変
 幕末の政変で京を追われた長州藩の尊王攘夷派が権力奪還を狙い、御所を守る会津藩などと衝突した禁門の変(蛤御門はまぐりごもんの変、1864年)で、会津藩配下の新選組が長州藩士を京の南部で迎撃していたことなどが記された日記が、京都市内の旧家で見つかった。

 現在の京都市南区にあった東九条村の豪農、長谷川軍記(1822~71年)の日記で、2年前、軍記ら歴代当主が暮らした長谷川家住宅(国登録有形文化財)の土蔵で発見され、京都女子大の中村武生・非常勤講師(幕末政治史)が解読していた。通説では新選組は禁門の変の直前、鴨川の九条河原に野営していたとされるが、日記には新選組と会津藩の兵は河原近くの東九条村の農家に下宿、交代で警戒に当たり、御所で戦闘が勃発した後は、敗走する長州藩士を東九条村の新選組が鉄砲で迎え撃ったことなどが記されていた。

 中村氏は「東九条村でも衝突があったことは新発見。当時の状況が生々しく伝わる」としている。

新選組の動向、日記に=蛤御門の変「鉄砲打合」-京都
 幕末の1864年に京都で長州藩と薩摩・会津両藩が戦った「蛤御門の変(禁門の変)」の頃、新選組や会津藩士の動向を記録した豪農の日記が発見された。新選組の宿営地や出陣状況、当時の京都近郊の村の様子などが書かれている。国登録有形文化財の長谷川家住宅(京都市南区)を管理する財団が18日、発表した。
 日記は幕末の豪農、長谷川家当主が1871年に亡くなるまで27年間の出来事を記録している。2015年に発見され、京都女子大非常勤講師の中村武生氏が調査した。
 日記によると、元治元(1864)年6月、長州勢から御所を警護するため、京都の南の玄関口に当たる旧東九条村に展開した会津藩士と新選組が、長谷川家と村内の農家に1カ月ほど滞在した。
 日記には「会津様御下宿」「壬生浪士組御下宿」などと書かれ、村内の寺や農家が滞在先になったことや、混雑で村の行事が中止されたことが記録されている。蛤御門の変が起きた同年7月19日の項には「新選組立向ひ鉄砲打合」など、村内で長州勢と戦った様子も記されていた。(2017/07/18-21:08)

新選組「蛤御門の変」参戦の新史料 長州勢を鉄砲撃退
 幕末に起きた武力衝突「蛤御門(はまぐりごもん)の変(禁門の変)」で新選組が戦闘に加わっていたことを示す日記が、京都市南区の国登録有形文化財「長谷川家住宅」で見つかった。「池田屋事件の研究」などの著作がある中村武生・京都女子大非常勤講師(幕末政治史)が18日、発表した。都の入り口だった要の場所に布陣して長州藩と激突し、鉄砲で撃ち破ったことなどが生々しく記されていた。
 蛤御門の変では、長州軍が京都に出兵。新選組が従っていた京都守護職の松平容保(かたもり)の軍と戦って敗れ、朝敵となった。しかし、各地の浪士が集まった新選組が当時果たした役割や待遇は諸説あり、明確になっていなかった。
 日記は、当時の住宅の当主、長谷川軍記が文政5(1822)年~明治4(1871)年に見聞きした出来事をまとめたもの。2015年に土蔵のタンスの中から見つかった。

 蛤御門の変が起きた元治元年7月19日(1864年8月20日)には「新選組が立ち向かい鉄砲を撃ち合い、長州方は撃ち負けて、当村の野辺を西へ逃げ去った」などと記載されていた。住宅は蛤御門から約5キロ南で都の南の入り口だった旧東九条村にある。

 また戦闘が始まる約1カ月前には、「会津様御下宿」「壬生浪士組御下宿」の文字と共に、具体的に泊まった農家などの名が記載されていた。壬生浪士組は新選組を指すとみられる。

 中村さんは「新選組が旧東九条村で長州勢と鉄砲を撃ち合い勝利した事実はこれまで知られていなかった。また、通説では鴨川の河原に野営したとされており、農家に泊まっていたことも当時の具体的な動向を知るうえで興味深い」としている。【宮川佐知子】


もう一度大きなスクリーンで観たかったので『銀魂』に続けて観た。

もう、大迫力。染五郎も勘九郎も七之助も。スクリーンから汗が飛び散るような大迫力。見栄の切り方とか顔のつくり方は歌舞伎なんだけど、殺陣とかスピード感あって大迫力。勘九郎は勘三郎さんが半分乗り移っているんじゃないかと思う(出たかったんだろうなぁ)。七之助さんの殺陣烏帽子・鈴鹿の二役(アラハバキも加わって三役か)も素晴らしかった。蛮甲の亀蔵さん、くまこ、市村萬次郎さんの御霊御前、坂東彌十郎さんの藤原稀継、新悟さんの阿毛斗、市村橘太郎さんの佐渡馬黒縄、澤村宗之助さんの無碍随鏡、大谷廣太郎さんと中村鶴松さんの飛連通と翔連通、ほんとよかったー。
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