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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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幕末rockの再演、チケット入手できませんでしたが映画館でのライブビューイングは確保できました(^^)。普通はペンライト振れないのですが幕末rockはペンライト振っていい場面にヒジゾーさんが案内してくれるはず。楽しみにしています。

函館
夏彩る歴史絵巻 函館野外劇が開幕
 市民創作函館野外劇の第28回公演(実行委主催)は18日、開幕した。今年は舞台としている国の特別史跡、五稜郭跡が崩落した堀の石垣修復工事中のため、初めて郭外の五稜郭タワーアトリウムなどに舞台を移して開催。初日は観光客ら約450人がコンパクトにまとまった函館の歴史絵巻を楽しんだ。

 開催場所の変更に伴い、今までの75分間の内容をダイジェスト版にまとめ40分に短縮。開始時刻もこれまでの夜間から昼間とし、1日2回上演。観覧無料で投げ銭方式の募金公演とした。

 劇には役者や裏方のスタッフら約130人が参加。テーマ曲「星のまちHakodate」に合わせたコロポックルの登場で始まり、ペリー提督の来函や五稜郭築造、函館大火などのシーンが次々と展開された。箱館戦争のシーンでは土方歳三ら旧幕府軍と新政府軍との迫力ある殺陣が繰り広げられ、客席から拍手が沸き起こった。

 3年ぶりに野外劇に出演したペリー提督役の加藤清郎さん(80)は「舞台に立つと役になりきってしまう。気持ち良かった。次につながる舞台だった」と話した。

 公演をめぐっては石垣の修復工事のため中止も取り沙汰されたが、NPO法人市民創作「函館野外劇」の会の里見泰彦事務局長は「やって良かった。どんな形でも続けることが大事だと実感した。今後の公演も一丸になって頑張りたい」と話した。

 18日以降の公演日は19、20、25、26日、8月1、2、8、9、15、16日。上演時間は午後2時からと同3時半から。

野外劇あす開幕、本番へ準備万端
 18日開幕する市民創作函館野外劇の総合練習が16日夜、会場の五稜郭タワーアトリウムで行われた。幕開けからフィナーレまで通して行い、出演者らが公演に向け士気を高めた。

 舞台として活用している国の特別史跡・五稜郭跡が、崩落した堀の石垣修復工事中のため、今回初めて五稜郭タワーアトリウムなどに舞台を移して上演。75分間の内容を40分程度に短縮し、1日2回上演する。投げ銭方式の募金公演とし、劇には100~150人が出演する。

 総合練習ではオープニングのコロポックルの登場やペリー提督の来函、箱館戦争の激しい戦闘などのシーンが展開され、衣装を着た出演者は本番さながらの演技を繰り広げた。

 NPO法人市民創作「函館野外劇」の会の里見泰彦事務局長は「昼間の公演で修学旅行生や観光客が観劇しやすくなった。40分と短縮したが、1日2回公演となったので多くの人に見てほしい」と話していた。17日も総合練習を行い、18日の開幕に備える。

 8月16日までの11回公演で、上演時間はいずれも午後2時からと同3時半から。問い合わせは同会(TEL0138・56・8601)へ。


佐賀
幕末佐賀藩の技術力に思いはせ “復元”蒸気機関車、快走
■久留米高専製作、佐賀城本丸歴史館

 1855年に佐賀藩が日本で最初の蒸気機関車模型を製作したことにちなんだ雛形模型の試走実演が18日、佐賀市の佐賀城本丸歴史館であった。来館者は機関車の姿を楽しみながら、幕末佐賀藩の技術力に思いをはせていた。

 三重津海軍所跡の世界遺産決定を記念する特別展「幕末佐賀藩の挑戦(チャレンジ)」の関連イベントで、化学実験や研究を行っていた佐賀藩・精煉(せいれん)方にちなんだ「ちびっ子精煉方の実験&体験教室」の第1弾。試走には久留米高専の職員、学生が復元した全長約70センチの機関車を使用した。

 試走は、学生がボイラー内の水を熱して生じる蒸気の力を利用して車輪を回すことなど仕組みを説明した後、スタート。機関車内のタンクの水をバーナーの火で熱すると車輪が回り始め、約16メートルのレールを軽快に周回した。鳥栖市の本村大成さん(31)と潤君(3)親子も興味深げに眺め、潤君は「電車が好き。機関車はすごかった」と喜んでいた。

 「実験&体験教室」では今後、ペットボトルロケット(8月8日)、ポンポン蒸気船(同13~16日)、ソーラーバルーン(同22日)などがある。予約・問い合わせは佐賀広告センター内の同体験イベント係、電話0952(28)3888。

※佐賀新聞電子ビューア(http://www1.saga-s.co.jp/viewer/plan.html)に動画

蒸気で動く“幕末機関車”に驚き 佐賀城本丸歴史館でイベント [佐賀県]
 夏休み初日の18日、県内は晴天に恵まれ、各地で子ども向けイベントが催された。佐賀市城内2丁目の佐賀城本丸歴史館では、幕末に作られたミニ蒸気機関車(SL)の復元模型を走らせる催しがあった。
 ミニ蒸気機関車は、福岡県久留米市出身の発明家田中久重が幕末、西洋技術導入に熱心だった佐賀藩に招かれて作った。模型は長さ30センチの原寸大で、久留米高専の教職員が約20年前に忠実に再現した。
 子どもたちは、蒸気で動くミニSLを驚きの表情で見詰めていた。吉野ケ里町の松木義裕さん(4)は「楽しい」と笑顔を見せた。
=2015/07/19付 西日本新聞朝刊=

エンターテインメント
映画『幕末太陽傳』が舞台化、主演は青木崇高&演出は江本純子
舞台『幕末太陽傳』が、9月4日から東京・下北沢の本多劇場で上演される。

1957年に公開された川島雄三監督の映画『幕末太陽傳』を舞台化する同作。幕末に吉原と並ぶ色町として知られた品川にある町を舞台に、一銭も持たずに相模屋という遊郭で豪遊した主人公の佐平次が、「居残り」と称して相模屋で働きながら様々なトラブルを解決していく様を、『居残り佐平次』をはじめとする複数の古典落語のエピソードを交えて描く。

キャストには、佐平次役を演じる青木崇高をはじめ、田畑智子、MEGUMI、小林且弥らが名を連ねている。また、上演台本と演出は劇団「毛皮族」「財団、江本純子」の主催を務める江本純子が手掛ける。チケットの一般販売は、8月9日からスタートする。
 居残り佐平次ファンなので見に行くと思います。私のイメージする佐平次はフランキー堺じゃなくて立川談春と立川談笑が高座にかける佐平次なんですが(^_^;)。

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本格的に暑くなりましたね……ぐったりしてます。

福島
旧会津藩士の裁判記録 10日から若松で展示
 会津若松市の会津幕末史研究会は、明治から大正時代にかけて旧会津藩士が集団で政府を相手取り、給金の代わりに発行された公債の給付を勝ち取った裁判の記録など、貴重な史料を10日正午から市文化センターで展示する。
 史料は明治42年から大正9年ごろまでのものとみられ、裁判を起こすための申立書や旧藩士の署名がある約定書、公債の金額の計算書からなる。市内の旧会津藩士の子孫に伝わっていたのを会員が見つけ、借り受けて調査を進めていた。同研究会によると、当時の一連の裁判の動きが分かる史料は大変珍しいという。
 公債は全国の士族に向けて発行されたが、旧会津藩士は当初、除外された。簗田直幸同研究会長は「会津の武士の誇りをかけて勝ち取った記録であり、戊辰戦争からの復興を示す貴重な史料になる」と話している。
 展示は12日までで、入場無料。時間は11日以降は午前9時から午後5時(最終日は午後3時)まで。

東京
青梅・津雲邸で「幕末維新展」 近藤勇の借用書、ブーツをはいた竜馬像など
 青梅の津雲邸(青梅市住江町)で現在、明治維新に活躍した俊傑らの書・手紙・遺品などを展示する「幕末維新展」が開かれている。

 近藤勇の借用書やブーツをはいた坂本龍馬の画像など約30点を、当時の佐幕、勤皇、中間派など茶室、応接室、大広間などに分けて展示。展示品の中には、同展を訪れた学識専門家の間に貴重な歴史資料も含まれるとする見方もある。

 津雲邸は西多摩が生んだ政治家、津雲國利(1893~1972)の邸宅で、昭和初期に流行した和洋折衷の名建築。展示品は津雲國利の戦前の所蔵品で、孫の津雲薫さん(66)が管理。青梅市の活性化の一助になればと同邸を開放するとともに、膨大な所蔵品の一部を随時、特別展示する。

 借用書には、新撰組局長、近藤勇が大阪の豪商「加嶋屋」の樋口重郎兵衛から200両を借り、来辰3月に返済する旨が記されている。近藤の刑死により返済はかなわなかったが、その後、野津道貫侯爵などの手を経て1934(昭和9)年、津雲國利が譲り受けたことなどを記した箱書きも展示。親交のあった勇の養子・勇五郎から譲り受けた幼少時の勇が使った木刀なども展示している。津雲薫さんは「祖父は近藤勇や勇五郎さんの生き方に三多摩人として相通じるものを感じていたのでは」と津雲國利の蒐集の動機について語る。

 2階にはブーツをはいた坂本龍馬画像が武市半平太、中岡慎太郎の肖像画と三幅対で見られる。応接室には木戸孝允(桂小五郎)の版籍奉還の計画書、久坂玄瑞が西郷隆盛に宛てた書簡、三条実美の和歌、伊藤博文の漢詩、廊下には幕末の三舟と言われた勝海舟、鉄舟、泥舟らの掛け軸、茶室には徳 川慶喜公晩年の「月可悦」書などを展示している。

 開館は金曜・土曜・日曜・祝日の10時~16時。入館料は、大人=500円、小中学生=200円。7月20日まで。

佐賀
世界遺産:三重津海軍所を設置、幕末佐賀藩の挑戦に焦点 きょうから佐賀城本丸歴史館で特別展 9月23日まで /佐賀
「明治日本の産業革命遺産」の一つ、三重津海軍所跡(佐賀市)が世界遺産に登録されたことを受け、同市の県立佐賀城本丸歴史館で10日、三重津海軍所を設置した幕末佐賀藩の挑戦に焦点を当てた特別展が始まる。

 約60平方メートルの畳の間では四方を囲う障子に映像を投影する「プロジェクションマッピング」が見られ、英国の軍艦フェートン号がオランダ国旗を掲げて長崎港に侵入した1808年の「フェートン号事件」から、佐賀藩が三重津海軍所で65年に国内初の実用蒸気船「凌風丸」を完成させるまでの歴史を紹介。日本の近代化をリードしたとされる佐賀藩の技術などを約5分間の映像にまとめた。

 また、凌風丸や現存する日本最古のドライドック(蒸気船の修理施設)の仕組みや機能が分かるジオラマが展示されている他、凌風丸を完成させるまでの三重津海軍所の変遷を古文書や出土物など40点で示す企画展も同時に開かれている。

 特別展、企画展ともに9月23日まで。入場無料。【岩崎邦宏】

鹿児島
薩摩の英留学生派遣から150年 軍艦設計図など300点、黎明館で企画展 [鹿児島県]
 幕末に薩摩藩が英国へ留学生を派遣して150年となるのを記念した企画展「幕末薩摩の留学生-日本近代化の若き先駆者たち」が、鹿児島市城山町の鹿児島県歴史資料センター黎明(れいめい)館で開かれている。留学生が英国から薩摩藩に送り、藩が買い付けようとした最新鋭軍艦の設計図など300点を展示。留学生の活動から帰国後の活躍ぶり、派遣前後の国内外の情勢を詳しく紹介している。26日まで。
 留学生は、後に初代文部大臣となる森有礼(ありのり)(1847~89)や大阪商工会議所初代会頭の五代友厚(1836~85)、米国でワイン事業を成功させ「ブドウ王」と呼ばれた長沢鼎(かなえ)(1852~1934)ら13~32歳の19人。薩英戦争(1863年)で敗れ、西洋技術を取り入れる必要性を痛感した薩摩藩が派遣を決めた。19人は1865年4月17日、英国商人グラバーを通じて手配した蒸気船で現在のいちき串木野市を出発。甑島や奄美群島を調査する名目の密航で、全員が変名を使ったという。
 展示で目を引くのは、初公開された当時最新鋭の鋼鉄製軍艦の設計図。艦内の大砲の位置が詳細に書かれている。留学生が英国の植民地を巡る汽船便を使い、薩摩藩に送った。藩は留学生に軍艦の購入交渉を命じていた。結局、購入しなかったが、巨額の購入費が捻出できた藩の資金力がうかがえる。こうした資金が奄美の農民から黒糖の利益を収奪して調達されていたことも紹介している。
 留学生が滞在中に藩に送った産業視察の報告書や、西郷隆盛や大久保利通宛ての手紙、幕府に密航が発覚した場合に備え、五代友厚が藩に対応を促した文書、渡英後に撮影した集合写真も展示した。黎明館の灰床義博館長は「先人たちが異国で何を考え、いかに日本の近代化に貢献したかを知ってほしい」と話す。
 入館料は常設展示と共通で一般310円、高校・大学生190円、小中学生120円。黎明館=099(222)5100。
=2015/07/12付 西日本新聞朝刊=

近代化支えた幕末の紅茶再現 鹿児島市の仙巌園 [鹿児島県]
 世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の反射炉跡がある鹿児島市の観光施設「仙巌園」で11日、登録を記念し、反射炉と同じく近代化を支えた幕末の紅茶を振る舞う催しがあった。来園者は、当時の人々の意気込みに思いをはせた。12日まで。
 薩摩藩は1860年代、殖産興業の資金獲得のために紅茶の欧州輸出を研究。後の大阪商工会議所初代会頭、五代友厚(1836~85)らが商品化のために苦労を重ねた。今回は、鹿児島県志布志市の「東八重(とうばえ)製茶」が当時の記録を元に2年がかりで再現。茶葉を手摘みし炭火でいるなど、五代同様に試行錯誤を繰り返したという。福岡県春日市の会社員(58)は「幕末にこんなにうまい紅茶があったのは驚きだ」と話した。
=2015/07/11 西日本新聞=

全国各地
幕末~明治へタイムスリップ 「産業革命遺産」に観光客ドドッ
 「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録から初の週末を迎えた11日、関係各地には大勢の観光客が押し寄せた。施設は全国8県にまたがっており、地元はわが街へ呼び込もうとガイドの充実や交通アクセス改善で受け入れ態勢を整える。

 端島炭坑(軍艦島)などを抱える長崎市は4月、JR長崎駅の改札前に専用案内所をつくった。女性スタッフ3人が常駐、英語や韓国語でも対応できる。11日、夫婦で立ち寄った静岡県磐田市の公務員鈴木智久さん(55)は「事前にネットで調べたけど、スタッフの話を聞けて良かった」と満足そう。

 地下遺構のため、実物を見られない三重津海軍所跡(佐賀市)には、佐賀県と市が双眼鏡型の機器を配備した。跡地を歩きながら機器をのぞくと、大砲訓練や蒸気船の再現画像が映し出され、福岡市の会社員藤元正二さん(62)は機器を手に「幕末に戻った気分を味わえた」。

 韮山反射炉と最寄り駅を結ぶ無料シャトルバスを週末と祝日に出している静岡県伊豆の国市は、25日から8月末までは毎日運行する。土産店を営む近田典子さん(73)は「この人波がずっと続いてくれれば」と願った。
呼ぶ男/天どん

茄子娘/三三

奇術/ダーク広和

堀の内/一之輔

漫才/ホンキートンク

落語の仮面シリーズ第一話「三遊亭花誕生」/白鳥
 美内すずえ先生も来ていた由。
友人が寄席に行きたいというので、鈴本の喜多八師匠トリと浅草の市馬師匠トリを秤にかけて、私の好みの出演者が多い浅草にしました。浅草演芸ホールに来たのは3年ぶり(^_^;)……東京都23区では南部の出身となる私は、北関東からのお客さんが多い浅草はアウェーですから。

手紙無筆/小多け 小里んさんのところに弟子入りした前座さん。道理で堂々としているわけです。大柄な身体と三白眼が、なかなか迫力ある前座さんです。
真田小僧/市楽 市馬さんの惣領弟子。明るい高座が身上です。
○○/天どん 相変わらず不思議な圓丈一門の天どんさん。
漫才/ホームラン 寄席の漫才でおすすめをきかれたらホームランとロケット団とホンキートンク、あとにゃん子金魚と答えます。ナイツと陽・昇は協会が違うせいかあまり見てないです。
狸の札/市助改め市童 市馬さんの四人目の弟子も二つ目に。着々と成長してますね。狸が似合うくりくり目なので、大師匠の小さんの狸芸を継いでくれることと思います。
ざる屋/三平 しばらく楽屋噺っぽかったですが、古典一作かけました。お兄ちゃんの影響を受けているのかな。まぁ、いつまでも漫談だけでは一席もたないと思います。
マジック/世津子 今日はひもがおもろかったです。
動物園/鬼丸
目薬/志ん輔 
粋曲/小菊 両国風景とか、粋ですねぇ。
粗忽長屋/小里ん 中入り前にしっかりした「粗忽長屋」聴くと嬉しくなります。
(中入り)
実録・鶴の恩返し/白鳥 わーい、短かったけど破壊的でない程度の白鳥さん。
曲芸/仙三郎社中 今日は若いせんのぶ(?)さんと仙三郎さんのコンビ。
辰巳の辻占/燕路 ここでちょっと色っぽい芸者さんが出てくる噺。
鰻の放生/伯楽 季節柄、四万六千日の言われと、ちなんだ噺。
漫才/ニックス 姉妹の落語コンビ。
棒鱈/歌奴 声が大きい歌奴さんによる「もずのくつばし」「じゅうにがーち」
紙切り/正楽
笠碁/市馬 雨続きの空模様に似合う、市馬さんの「笠碁」。先日、談春さんが落語会の最右翼を行く(最左翼は白鳥)と表現したけど、柳派の、柳家小さん譲りの芸をまっすぐに受け継いでいくという意味では、その通りと思った。
当ブログでは土方さんだけでなく大鳥圭介も推してますので、独立記事で。

大鳥圭介検定、初開催へ 出身の上郡町で10月
 上郡町商工会(兵庫県上郡町大持)は、同町出身で明治維新後、日本の近代化に貢献した大鳥圭介(1832~1911年)に関する知識を問う「大鳥圭介検定」を10月10日に初めて開く。軍人、政治家、文人などさまざまな側面を持つ、郷土が生んだ異色の偉人の魅力を知ってもらおうと、受検を呼び掛けている。(杉山雅崇)

 同町岩木地区の医師の家に生まれた大鳥は、大阪の適塾などで学び、才能を認められ幕臣に上り詰めた。戊辰戦争で新政府軍に敗れて投獄された後、明治政府に登用され、清国・朝鮮国公使などとして活躍。文人としても名声を得た。

 検定は全30問。うち25問は、大鳥の生涯を紹介するために昨春、住民有志が作製した冊子「かえで」の記述から出題するという。

 20問以上正解で合格となり、正解数に応じて1~3級の級位を授与する。「かえで」は同町商工会などで無料配布しているほか、同商工会のホームページでも閲覧できる。

 検定は10月10日午前10時半から、同町生涯学習支援センター(同町上郡)で実施。小学5年生以上が対象。受検料千円(中学生以下は無料)。郵便やファクス、同町商工会ホームページで応募を受け付ける。8月31日締め切り。同町商工会TEL0791・52・3710
 がんばって製作したアニメ「けいすけじゃ」の町内上映会で入場者が3名しかなかったとか、とほほな知名度ですが、ぜい頑張っていただきたいです。東京でも受検できたら私受けるのに。

 検定サイトはこちら。大鳥圭介読本もダウンロードできます。4コマまんがを軸にわかりやすく大鳥圭介の生涯を解説してるし、カラーだし、頑張ってるなぁ。
こんなことがあったとは。

【兵庫】郷土の偉人のアニメ「けいすけじゃ」入場者3人、最後まで見たのは1人だけ
幕末、明治の日本の近代化に貢献した兵庫県上郡町出身の軍人、政治家大鳥圭介(1832~1911)を紹介するアニメーション「けいすけじゃ」の特別上映会が13日、同町光都、光都プラザ内のPR施設「オプトピア」で始まった。

「けいすけじゃ」は同町が2012年に大鳥の知名度アップを狙って製作したアニメ。しかし、112人収容の会場を訪れたのは3人。全員が途中入場で、最後まで見たのは1人だけだった。同町は「PR不足。週末には大勢の町民が来てくれると思う」と釈明している。「けいすけじゃ」は、町が09年に大鳥の没後100年を記念し、アニメ化を決定。町出身のプロアニメーターらが中心になり製作を開始した。大鳥の生誕地・赤松地区の子どもたちが登場人物の声を担当するなど約100人がボランティアで参加。12年には、大鳥の幼少期から明治維新までの半生を全20話約100分にまとめDVDに収録した。大鳥は江戸時代後期に大阪で当時の先進的な学問だった蘭学を学んだ。戊辰戦争では幕府方として榎本武揚らと函館・五稜郭に籠もり、薩長中心の天皇方と戦った。文人としても知られるが、西郷隆盛や木戸孝允、坂本龍馬らに比べると知名度の低さは否めない。

http://www.yomiuri.co.jp/culture/20140514-OYT1T50100.html
 でも、ネットでちゃんと公開してくれてます。

アニメ『けいすけじゃ』の制作について
アニメ「けいすけじゃ」オープニング映像
アニメ「けいすけじゃ」第1話から4話(上郡町出身の偉人・大鳥圭介)
アニメ「けいすけじゃ」第5話から8話(上郡町出身の偉人・大鳥圭介)
アニメ「けいすけじゃ」第9話から12話(上郡町出身の偉人・大鳥圭介)
アニメ「けいすけじゃ」第13話から16話(上郡町出身の偉人・大鳥圭介)
アニメ「けいすけじゃ」第17話から20話(上郡町出身の偉人・大鳥圭介)

マンガ版の「けいすけじゃ」も関係者のご厚意でウェブ公開されています。
http://www.town.kamigori.hyogo.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=9727

 これも参考に。
上郡町の偉人 大鳥圭介 「真摯の人」
敬愛している江川坦庵こと江川英龍さまが建造された韮山反射炉が世界遺産に登録されました。
お祝いに、特集記事あっぷします。

世界文化遺産登録:韮山など…一夜明け観光客も感慨
 ドイツのボンで開催されている国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は5日午後3時(日本時間同10時)から、日本が世界文化遺産に推薦する「明治日本の産業革命遺産」について審議し、登録することを決定した。産業革命遺産は、通称「軍艦島」で知られる「端島(はしま)炭坑」(長崎市)▽薩摩藩が手がけた機械工場や反射炉の遺構で構成する「旧集成館」(鹿児島市)▽幕末に実際に稼働した反射炉で国内で唯一現存する「韮山(にらやま)反射炉」(静岡県伊豆の国市)−−など、日本の近代工業化を支えた炭鉱、製鉄などの23施設で構成される。

          ◇

 静岡県伊豆の国市の韮山反射炉では6日朝、あいにくの雨にもかかわらず開場前から20人近い観光客が列を作った。一番乗りは、来年用の年賀状に使う写真を撮ろうと午前5時半に到着した同市田京の農業、殿守忠男さん(66)。近くの県立韮山高に在学中はバレーボール部に所属し、反射炉はランニングでよく来た思い出の場所だ。「同じ世界遺産の富士山と一緒に写真に収めようと思った。天気が悪く富士山は見えなかったが、登録は本当にうれしい」と感無量の様子だった。

 初めて訪れたという愛知県蒲郡市の女性会社員(32)は歴史が好きで、「中学か高校時代に韮山反射炉を知り、いつか見たいと思っていた。思ったより小さかったが、レンガの保存状態が良くとてもきれい」と話した。

 橋野鉄鉱山のある岩手県釜石市も祝賀ムードに包まれた。午前9時から市庁舎前でセレモニーがあり、集まった市民を前に野田武則市長が「橋野鉄鉱山は日本の近代製鉄の発祥で、八幡製鉄につながる日本の鉄鋼業にも大きく関与した。登録をきっかけに釜石人としての誇りをもう一度、取り戻したい」とあいさつした。セレモニーに参加した同市野田町の千葉由紀子さん(67)は、東日本大震災で自宅を流された姉が今も仮設住宅暮らしをしている。「4年たっても苦しんでいる人はいる。前に進めるきっかけになれば」と期待していた。【長谷川隆、中田博維】

          ◇

 官営八幡製鉄所旧本事務所(北九州市八幡東区)そばの眺望スペースでは、これまで禁止されていた写真撮影が6日から解禁された。見物客は赤れんがの建物を携帯電話のカメラに収めていた。

 1899年に建設された旧本事務所は製鉄所長官室や外国人顧問技師室があった。午前9時半の開場15分前に一番乗りした近くの看護師、武田英代さん(60)は「歴史を感じさせる建物ですごい。地元の誇りにしたい」と話した。

 三池炭鉱の地元、福岡県大牟田市では市立大正小学校の6年生が、朝のJR大牟田駅と西鉄大牟田駅で手作りの号外を配った。

 総合学習で学んだ内容を基に登録に合わせて2週間かけて作り、B4判の両面カラーで1000枚を印刷した。「やったぁ。世界遺産!」「私たちの大牟田が世界遺産に」などの大きな見出しに、宮原(みやのはら)坑などの挿絵も。児童の一人は「世界遺産を知ってもらうために絵も大きくした」と話していた。

 三池炭鉱の万田坑(熊本県荒尾市)近くの万田坑ステーションでは、記念セレモニーに観光客ら約100人が詰めかけた。

 万田坑の有料区域の入場券購入者には、世界文化遺産登録を記念した一日限りの入場証明書が配られた。「1号」を手にした地元の松藤ちずるさん(63)は亡くなった父親が炭坑マンだった。「登録は父ちゃんたちが頑張ったおかげ。証明書は宝物として額に入れて飾る」と笑顔だった。【宍戸護、井上和也、井川加菜美】
韮山反射炉 世界遺産 技術の礎 志継ぐ
 この時を待っていた-。「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録された五日、構成施設の韮山反射炉がある静岡県伊豆の国市は、歓喜に包まれた。歴史問題をめぐる日韓協議の難航で審議の開始が見込みより遅れたことで、不安視しながら待ちわびた分、登録の瞬間、関係者は思いを爆発させた。価値を信じ、朗報を待ちわびた技術者らも、喜びをかみしめた。 (山田晃史、山下葉月、斉藤明彦)
 伊豆の国市四日町の韮山時代劇場では世界遺産委員会の審議を中継するパブリックビューイング(PV)が開かれた。市民ら四百人が集まり、大型スクリーンに注目し、通訳に耳を傾けた。概要を紹介するスライドで、韮山反射炉の写真が出ると、会場からは大きな拍手が。
 「承認されました」。午後十時四十分前、通訳が興奮気味に伝えると、市民らは立ち上がって拍手したり、「やったぞー」と叫んだりした。小野登志子市長ら二十人が壇上でくす玉を割ると、紙吹雪が舞い、会場は熱気に包まれた。
 小野市長は反射炉を造った江川坦庵(たんなん)の名前を叫び、「世界の宝になりました」と涙を流した。
 世界遺産登録を支援する市民でつくる韮山反射炉応援団の渡辺解太郎(かいたろう)理事長(77)は、登録がなかなか決まらなかった二日間に触れ「会員も目標の一万人以上が集まり、四年間の活動が実った」と話した。
     ◇
◆技術者、「鉄溶ける」証明
 静岡県伊豆の国市の韮山反射炉の傍らに、長さ三・五メートルの鉄製の大砲が備えつけられている。反射炉の価値がまだ広く知られていなかった一九九〇年代、近隣の清水町の木村鋳造所が幕末の大砲を復元し、寄贈した。開発部長の菅野利猛(かんのとしたけ)さん(60)は復元をきっかけに反射炉に興味を抱き、鉄鋼工学の専門家が主張した「韮山で鉄は溶けなかった」とする説を覆した。 (小佐野慧太)
 大砲の場所はかつて、コンクリート製の大砲のモニュメントがあった。「鉄の歴史を伝える場所にコンクリートはまずい」。反射炉を見学した鋳造所の来客が菅野さんに苦笑いした。鋳造所は創業七十周年事業で復元に取り組み、一九九八年に市提供の図面を頼りに鋳造所の炉で再現に成功した。だが、製法にこだわったわけでなかった。
 韮山反射炉の稼働は一八五七年の完成から七年間。江戸湾(東京湾)の品川台場などに設置する目的で鉄製と青銅製の大砲を製造したが、残っている実物は確認されていない。さらに、反射炉はアーチ状の天井に熱を反射させ、一点に集中させて高温を実現するが、韮山は構造上、溶解に必要な一六〇〇度の熱を出すのは不可能だった。このため、二〇〇〇年代まで「韮山で鉄は溶けなかった」説が支配的だった。
 「本当だろうか」。せっかく造った大砲を思うと、反発心がわいた。菅野さんは家族ぐるみで史料集めに奔走。鋳造所の炉を使って実験を始めた。結果、材料の銑鉄(せんてつ)に含まれる元素の割合次第で、韮山反射炉が出せる一二五〇度の熱で鉄が溶けることを実証した。
 〇六年に学術誌に投稿した論文の冒頭、菅野さんは「韮山反射炉は世界に唯一残された鉄を溶かせる反射炉で、世界遺産にも匹敵する」と記した。当時を振り返り、「まさか本当に登録されるとは」とほほえむ。
 菅野さんは一三年から年数回、反射炉で「こども鋳物教室」を開き、ものづくりの楽しさを伝えている。反射炉を眺めると、建造の中心人物だった韮山代官・江川坦庵の姿が心に浮かぶという。「技術者の一人として、彼らの志を子どもたちに伝えたい」と話した。
 <韮山反射炉> 1853(嘉永6)年のペリー来航を受け、江戸幕府が江戸湾の防備を固める目的でつくった、大砲を鋳造するための鉄や青銅を精錬した溶解炉。韮山代官の江川坦庵(たんなん、1801~55年)が海上砲台の品川台場築造とともに建造を進めた。54年に着工し、57年に完成。炉の天井がアーチ状になっており、熱を反射して一点に集中させる構造から反射炉と呼ばれる。炉は全部で四つあり、煙突を合わせた高さは15・7メートル。稼働は7年間だったが、実際に稼働したもので国内で唯一、完全な形で現存している。

「雨だけど、心は晴れ晴れ」 静岡の韮山、世界遺産登録で
「明治日本の産業革命遺産」を構成する韮山反射炉の地元、静岡県伊豆の国市では6日、世界遺産登録決定を記念するセレモニーが開かれ、小野登志子市長は「天気は雨だけど、心は晴れ晴れとしている」とあらためて喜びを語った。

 市役所玄関前で開かれたセレモニーには市議や職員ら約50人が参加。小野市長は「次世代に引き継ぐという大変な役目をもらった。一つになって前進していきましょう」と呼び掛けた。

 韮山反射炉では観光客の姿が見られ、ボランティアガイドの柴昭浩さん(73)は「今まで見に来ていたのは、歴史に興味のある人たちばかり。これからは分かりやすさを心掛けて案内したい」と話していた。〔共同〕

韮山反射炉 世界遺産審議250人見守る
 ドイツ・ボンで開催中の国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会は3日、韮山反射炉を含む「明治日本の産業革命遺産」など世界遺産候補の審議を始めた。韮山反射炉の地元・伊豆の国市は同日夜、審議を生中継するパブリックビューイング(PV)を市内の「韮山時代劇場」で開き、集まった市民ら約250人は深夜まで、登録決定の瞬間を待ち続けた。

 世界遺産の新規案件の審議は現地の3日午前~5日夕、時差7時間の日本では3日夕~6日未明に行われる。「明治日本」の審議予定は全体の13番目で、順番通りだと4日の見通しだが、短い時間での審議が続けば3日の可能性もある。

 深夜、未明の登録決定に備え、市は3、4日ともにPV(20歳以上対象)を開くことにした。3日は午後8時に始まり、市民を始め、小野登志子市長や官民一体の「韮山反射炉応援団」、伊豆の国歴史ガイドの会などが生中継を見守った。

 会場には、祝いのくす玉が設置されるなど、登録決定に向け準備は完了。新規案件の審議が進む中、来場者は大型画面を見つめながら、明治日本の審議入りを心待ちにした。関係者は順番と時計を見比べ、「3日に決まるか、4日になるのか」などと気をもんでいた。

 坦庵の組織した、韮山笠に足袋、着物の農兵姿で来場した同市の農業辻村幸久さん(36)は「古里自慢が、世界遺産にあと一歩に迫った。どうか夢がかなってほしい」と興奮気味に話した。

 「韮山反射炉応援団」の渡辺解太郎・理事長(77)は「登録に向け、4年間できることはやってきた。今夜は歴史的瞬間に酔いたい」と画面を見つめていた。

 市は審議が4日になった場合、PVを午後4時から再開する。6件目の審議を終えた段階で、小野登志子市長は「伊豆の国の宝が世界の宝になる瞬間を早くみたい。今夜は長丁場になるが、登録を信じて審議を見守りたい」と話していた。

 登録が決定したら様々なイベントが行われる予定だ。登録が決定した日、または翌日の午後0時半から、県は県庁前でセレモニーを開き、くす玉割などを行う。6日には伊豆の国市の市庁舎に「世界文化遺産登録」の垂れ幕を下げる式典がある。また、県と伊豆の国市は「世界遺産登録感謝のつどい」を今月26日午後2時から、韮山時代劇場で共催する。小野市長が登録に向けて尽力した関係者に感謝状を贈る。夜には反射炉までの約2キロで提灯行列を行う。

世界の韮山へ盛り上がり 伊豆の国市
◆周辺清掃や祝賀準備

清掃で韮山古川もきれいになり、世界文化遺産登録を待つ韮山反射炉=伊豆の国市中で
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 国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会が二十八日、ドイツ西部のボンで始まり、七月三日深夜にも「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録の可否が決まる。構成施設の韮山反射炉がある伊豆の国市では、世界遺産登録を祝う準備が進んでいる。

 「三日か四日に登録が決まれば、大勢の観光客が来る。きれいにして、おもてなしをしたい」。韮山反射炉のそばを流れる韮山古川で二十五日、草刈りをした市建設業協会員の長谷川泰(ゆたか)さん(54)は汗をぬぐいながら語った。反射炉では鉄製大砲を鋳造するため、川の水を水車に引いて動力とし、砲身をくりぬいていた。韮山古川も世界遺産として保存する範囲に含まれている。登録が決まれば観光客が増えると見込み、協会から清掃活動を市に申し入れた。

 市は三日午後八時から、同市四日町の韮山時代劇場で、世界遺産委の審議の様子を映像で中継するパブリックビューイング(PV)を実施、小野登志子市長と公募した市民ら四百人で見守る。三日の審議で決まらない場合は、四日午後四時からPVを再開する。登録決定の翌日午後零時半からは、県庁で県と共催の祝賀会を開く。

 七月二十六日には韮山時代劇場で記念イベントを予定。太鼓の演奏といった伝統芸能の発表や、伊豆の国市商工会が認定する反射炉ブランドの地場商品の販売がある。感謝のつどいも開き、記念講演と、世界遺産登録の運動で功績のあった人や団体に感謝状を贈る。夕方からは、韮山反射炉まで二・五キロを練り歩くちょうちん行列をし、反射炉を市民が持つちょうちんの明かりで照らす。

(山田晃史)

世界文化遺産:日韓協力 伊豆の国市長「ホッと」 韮山反射炉、登録へ膨らむ期待 /静岡
 21日の日韓外相会談で、「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録に向け韓国政府が協力する方向に転じたことを受け、韮山反射炉を抱える伊豆の国市の小野登志子市長は、22日の定例記者会見で「ホッとした」と述べ、安堵(あんど)の表情を見せた。

 韮山反射炉を含む産業革命遺産は5月4日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関「国際記念物遺跡会議」(イコモス)から、世界文化遺産への登録勧告を受けた。しかし韓国は登録を巡って、23施設のうち三池炭鉱(福岡県)など7施設について「戦時中、朝鮮人が強制徴用された」と問題視し、登録への影響が懸念されていた。

 小野市長はこの日、「勧告をいただき大変喜んでいた。韮山反射炉にも大変なお客さまがいらしてくださったが、その後、国際情勢に厳しいところがあって大変心配していた。今朝、報道を見て少しホッとしているところです」と心中を吐露。「確実に世界遺産への登録が決定するまではまだ何かあるのではという思いもあるが、日本政府の取り組みを見守っていきたい」と述べた。

 一方、韮山反射炉でボランティアガイドを務める「伊豆の国歴史ガイドの会」の小松逸夫会長(78)も、韓国の方向転換を歓迎。「今朝の新聞・テレビを見て、(登録は)間違いないと確信を持った。これで、自信を持って説明ができる」と声を弾ませた。

 この日も韮山反射炉で観光客の対応にあたっていた小松さん。「韓国が反対していたため、登録されなかったらどうしよう」という不安がガイドをしている最中でも胸をよぎる時もあったというが、「今日からは100%の自信を持ってガイドをすることができる」と目を輝かせた。

 ◇韮山古川で草刈り、来場者おもてなし 25日、市建設業協会

 世界文化遺産への登録の可否は28日からドイツ・ボンで始まる世界遺産委員会で決まる。25日には、同市建設業協会の会員約50人が、反射炉の環境を美化し来場者をもてなすため、近くを流れる韮山古川で雑草の草刈りをする。

 登録が決定した場合は、7月26日に韮山時代劇場(同市四日町)の日だまり広場で世界遺産登録記念イベントを開催。会場に設けたステージで太鼓の演奏や子どもたちによるチアダンスなどが行われる。記念イベント終了後の午後5時すぎから、市民が同時代劇場からちょうちんを手に反射炉までの約2キロの道のりを練り歩く。

 問い合わせは同市世界遺産推進課(055・948・1425)。【長谷川隆】



世界の韮山」誕生見守ろう 遺産登録審議を中継
◆伊豆の国で来月3日

7月上旬の世界文化遺産登録を待つ韮山反射炉=伊豆の国市中で
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 韮山反射炉(伊豆の国市)を含む「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録の可否を決める国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会に合わせ、伊豆の国市は七月三日、同市四日町の韮山時代劇場で、審議の様子を中継で視聴するパブリックビューイング(PV)を開く。登録決定の瞬間に喜びを分かち合う機会にしようと、二十二日まで参加者を募集している。

 世界遺産委員会はドイツ西部のボンで開かれ、世界遺産の新規案件を七月三~五日に審議する。自然遺産、文化遺産、複合遺産の三種類あるが、例年、文化遺産から審議するため、市は日本時間の三日深夜に産業革命遺産の登録が決まると見込み、午後八時に開場する。

 ただ、委員国のうち韓国は、産業革命遺産を構成する七施設で朝鮮人の強制徴用があったとして登録に反対している。三日に決まらなかった場合は四日午後四時からPVを再開する。

 審議の日程が直前まで確定せず、深夜となる可能性があるため、参加は事前申込制。二十歳以上の二百五十人を募集している。参加費は無料。氏名、住所、年齢、電話番号を記入した往復はがきかメールで申し込む。問い合わせは、市世界遺産推進課=電055(948)1425=へ。
はい、もののおりにいろいろ考えるのですが、やっぱ夫には向きません。

夫には向かない職業 ――女性視点の新選組小説
7月といえば池田屋事件。幕末好き・新選組好きの女子がコンチキチンのリズムに胸躍らせ、お店に入るたびに心の中で「御用改めである!」と叫び、来客があるたびに心の中で「お二階のお客様、旅客改めでございます!」と叫ぶ季節の到来です。私だけですかそうですか。
 歴史上の人物というよりもキャラクターとして一人歩きしている部分はあるにせよ、新選組は女性人気が高い。負けゆく者の美学と並んで、「いい男各種あり〼」的キャラの豊富さが乙女心にロックオン。カリスマ、クール、天真爛漫、猪突猛進、知的、ミステリアス……どんな読者にもストライクど真ん中のメンバーが必ず一人はいる、それが新選組なのだ。
 まだ歴女なんつー言葉のなかった頃、幕末好き女子高生だった私は同好の士と「沖田くーん♡」「いややっぱり土方さんが」などとはしゃいでいたものだが、そんなミーハー女子高生に頭から水をぶっかけたのが北原亞以子『降りしきる』(講談社文庫)だった。芹沢鴨の情婦・お梅の視点で書かれた表題作には、それまでセクシー・ウエポンのイメージしかなかったお梅のまったく違った面が描かれていたのだ。

 お梅、可愛い! と思ったのが、新選組屯所となった八木家の女中・お清との会話。「うちの睨んだとこでは、土方はんも、お梅はんに気があるな」「うちはいやや、あんな男はん」とまあ、女子高生がクラスの男子の噂をしているのと変わらないのである。でも当然だよなあ。だって京の田舎にいきなり若い男たちが大勢来たんだもの、そりゃ騒ぐよ。
 でも呑気に騒いでもいられなくなる。土方とお梅がなんとなく互いを意識してるという状況で、お梅ははからずも芹沢の情婦にさせられる。そして新選組が暴れ始めたとき、北原亞以子はお梅にこう独白させるのだ。

「志」を言い訳に、人に迷惑をかけるな

「ほんまに、何が尊王攘夷や、何が佐幕や。偉そうなことを言うんやったら、人の金をあてにせんといて欲しいわ。うちらは異人さんが来はったかてかまへん。将軍さんがいはったかてかまへんのえ。そやのに、何でうちらを巻き添えにせんならんの」
 女の本音である。おそらくは、あの時代の京都に暮らしていたすべての女たちの本音でもあったろう。男たちの勝手な「志」とやらに、なぜ女が巻き込まれねばならないのか。それをさらに複数の女性の視点で描いたのが浅田次郎『輪違屋糸里』上下巻(文春文庫)だ。

『輪違屋糸里』でのお梅は切ないし、輪違屋の太夫・糸里はとことんかっこいい。その中でも、八木家の主婦であるまさの視点が印象的だ。いきなり見知らぬ男たちを団体で預かってくれと言われ、2~3ヶ月のはずがすっかり居座り、こいつらいつまでおんねん、とウンザリする。しかも人の家で斬り合いをしようとしている。母がいて子どもがいる、平和で平凡な家族の家の中で。
 芹沢粛清の夜、まさは敢えて芹沢のいる隣の座敷に子どもたちを寝かせる。ここは私の家ですよ、と言わんばかりに。そして世間話のついでのように、言うのだ。「どないな悪人にも産んだ母親はいてます。(中略)よろしおすか、沖田はん。誰それの命も、うっとこの二人の倅の命も、母にしてみれば同じもんやと思うとくりゃす」
 それを聞いた原田左之助が「どうやら女というのは、剣を持たずに斬り合いができるらしい」と呟く。蓋し名言ではあるが、そうさせたのはあんたらだ。『輪違屋糸里』は、糸里が、お梅が、まさが――振り回されるばかりのこの時代の女たちが、そろって勝負に出た夜の物語なのである。

隊士の妻たち、恋人たち

 北原亞以子『埋もれ火』(文春文庫)は、幕末を駆けた男たちの妻や思い人を主人公にした短編集である。中でも近藤勇の妻ツネを描いた「武士の妻」がいい。百姓の出で町道場の主に過ぎなかったはずの夫が家を出て帰ってこず、武士になったと思ったら罪人になり、斬首。自死して勇の後を追った妾・おさわは「武士の妻らしい立派な最期」と褒められた。
「ツネは、町道場の主に嫁いできたのである。その道場主が、新選組局長となり、幕臣となってしまったのだ。ツネは、いったいどうすればよかったのだろう。/『おさわさんが自害したから、わたしもそうせよだなんて』/わたしは、町道場の主の女房だった」
 たまったもんじゃない。たとえば自分の夫を殺した松原忠司に、そうとは知らずほだされるお茂代(司馬遼太郎「壬生狂言の夜」・講談社文庫『アームストロング砲』所収)。山南敬助に夢だけ見させられて勝手に切腹された遊女・明里(徳永真一郎「新選組異聞 悲恋の明里」・徳間文庫『江戸妖女伝』所収)。正式に結婚したのに鳥羽伏見で負けたら妻子を残して江戸へ行ってしまった原田左之助の妻・まさ(池波正太郎「ごろんぼ左之助」・文春文庫『剣客群像』所収)。やたらと感動話に仕立てられるが、彼女たちにしてみれば「はあ?」と言うしかない話ばかりだ。
細々ながら、幕末ニュースは2004年から続いています……おぉ、10年以上になりますね。

北海道
碧血碑慰霊祭、榎本武揚子孫ら参列
 箱館戦争で戦死した旧幕府軍兵士の霊を慰める「碧血碑(へっけつひ)慰霊祭」(箱館碧血会主催)が25日、函館市谷地頭町の碧血碑前で行われた。今年は1875(明治8)年の同碑建立から140年の節目で、子孫や関係者、市民の約150人が参列。碑前に手を合わせ、祭られている約800人の兵士を偲んだ。

 69(明治2)年の箱館戦争終結後、放置されていた旧幕府軍兵士の遺体を、侠客・柳川熊吉らが集めて埋葬し、このことを知った榎本武揚らの募金によって同碑が建立された。明治から大正にかけて法要日が定まっていなかった時期もあったが、初代市立函館図書館長・岡田健蔵氏の意見で、千代ケ岡陣屋の激戦により中島三郎助が最期となった旧暦の5月16日とした。

 慰霊祭では、実行寺(船見町)の望月伸泰住職らが読経する中、子孫、会員、一般の順に焼香。同会の大谷長道会長は追悼として「兵士には牛伏せ山で安らかに眠ってほしい。今後も会員一同が助け合い、慰霊祭を続けたい」と述べた。最後に1982年から折り鶴など作り参列している谷地頭保育園や園児に対し、同会から感謝状が送られた。

 榎本武揚の曾孫・榎本隆充さん(80)は「140年もの間、亡き兵士の魂や碑を守ってくれていることに感謝でいっぱい」、土方歳三の兄の6代目・土方愛さん(43)は「節目の慰霊祭は必ず参加しようと思っていた。歳三とともに戦った人のめい福を祈りました」。伊庭八郎の弟、武司の曾孫・金田秀昭さん(70)は「碧血碑慰霊祭は日本人魂の表れ。園児たちが参列して、この文化を継承することも素晴らしい」と話した。

 式典後、市内で直会を開き、子孫と会員、市民が交流を深めた。

箱館戦争:子孫が集結…土方らの冥福祈る 北海道
 箱館戦争(1868〜69年)で戦死した旧幕府軍兵士を弔う慰霊祭が25日、北海道函館市の石碑「碧血碑(へっけつひ)」前で営まれた。今年は碑建立から140年にあたり、新選組副長で戦死した土方歳三などの子孫や市民ら約150人が参列し、歴史に翻弄(ほんろう)された先人に思いをはせた。

 ◇「碧血碑」建立140年

 この日の慰霊祭ではお経があげられ、参列者が焼香。主催した函館碧血会の大谷長道会長(77)は「先人たちの志を受け止め、碧血碑を守り続けることを誓います」と追悼文を読み上げた。

 土方歳三の子孫にあたる土方愛さん(43)や、榎本武揚のひ孫の榎本隆充さん(80)なども参加。土方さんは「こんなに多くの子孫が一堂に会するのは初めて。函館で亡くなった方たちに祈りをささげたい」と話した。

 碑は1875年に建てられた。以来、旧幕府軍の敗戦が決定的となった6月25日に毎年、慰霊祭が実施されてきた。過去には函館市が慰霊祭を主催したこともあり、幅広い市民が参加していたが、近年は同会関係者の高齢化が進み、参加者も減少傾向だった。

 同会の関尚彦事務局長(80)は「五稜郭は知っていても碧血碑は知らないという人が多い。ぜひもっと多くの人に知ってもらいたい」と話した。【遠藤修平】

 ◇碧血碑◇

 北海道函館市の函館山のふもとに、旧幕府軍の中心人物だった榎本武揚らの協力などで建てられ、約800人を弔う。碑名は「義に殉じた武士の血は3年たつと碧色(みどりいろ)になる」という中国の故事にちなむ。

福島
「八重の短歌」29日から募集
 会津若松市の八重顕彰事業実行委員会(委員長・宮森泰弘会津若松商工会議所会頭)は第3回「八重の短歌」コンクールの作品を29日から募集する。激動の時代に希望を捨てず、自分らしく生きた新島八重のひたむきな精神を見詰め、顕彰する。
 県内の小、中、高校生が対象で、小学生は「夢」「友」、中学生は「挑戦」「友」、高校生は「道」「友」の題を設ける。五・七・五・七・七の31文字の中に題の言葉を入れるか、題から思い浮かぶイメージを詠み込む。1人二首まで応募可能。同じ題で二首詠んでも、異なる題で一首ずつ詠んでもよい。
 福島市出身の歌人駒田晶子さんが審査委員長を務め、入賞作品は福島民報紙上で発表する。10月31日に鶴ケ城の「八重之像」前で献花祭を催し、市内でコンクールの表彰式を行う。各部門の最優秀1人に賞状と図書カード2万円分、優秀2人に賞状と図書カード1万円分を贈る。
 応募方法は、はがきに作品と郵便番号、住所、氏名、学校名、学年、年齢、電話番号を明記して、郵便番号965-0804 会津若松市花春町三ノ一 福島民報社会津若松支社内「八重の短歌」コンクール係に郵送する。締め切りは8月20日(当日消印有効)。問い合わせは同係 電話0242(28)6900へ。
 新島八重は会津若松に生まれ、戊辰戦争で銃を手に奮戦。同志社大の創立者新島襄と結婚し、会津の教えを忘れずに生き抜いた。一昨年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で描かれた。

( 2015/06/28 10:12 カテゴリー:主要 )

東京
青梅・津雲邸で「幕末維新展」 近藤勇の借用書、ブーツをはいた竜馬像など
 近藤勇の借用書やブーツをはいた坂本龍馬の画像など約30点を、当時の佐幕、勤皇、中間派など茶室、応接室、大広間などに分けて展示。展示品の中には、同展を訪れた学識専門家の間に貴重な歴史資料も含まれるとする見方もある。

 津雲邸は西多摩が生んだ政治家、津雲國利(1893~1972)の邸宅で、昭和初期に流行した和洋折衷の名建築。展示品は津雲國利の戦前の所蔵品で、孫の津雲薫さん(66)が管理。青梅市の活性化の一助になればと同邸を開放するとともに、膨大な所蔵品の一部を随時、特別展示する。

 借用書には、新撰組局長、近藤勇が大阪の豪商「加嶋屋」の樋口重郎兵衛から200両を借り、来辰3月に返済する旨が記されている。近藤の刑死により返済はかなわなかったが、その後、野津道貫侯爵などの手を経て1934(昭和9)年、津雲國利が譲り受けたことなどを記した箱書きも展示。親交のあった勇の養子・勇五郎から譲り受けた幼少時の勇が使った木刀なども展示している。津雲薫さんは「祖父は近藤勇や勇五郎さんの生き方に三多摩人として相通じるものを感じていたのでは」と津雲國利の蒐集の動機について語る。

 2階にはブーツをはいた坂本龍馬画像が武市半平太、中岡慎太郎の肖像画と三幅対で見られる。応接室には木戸孝允(桂小五郎)の版籍奉還の計画書、久坂玄瑞が西郷隆盛に宛てた書簡、三条実美の和歌、伊藤博文の漢詩、廊下には幕末の三舟と言われた勝海舟、鉄舟、泥舟らの掛け軸、茶室には徳 川慶喜公晩年の「月可悦」書などを展示している。

 開館は金曜・土曜・日曜・祝日の10時~16時。入館料は、大人=500円、小中学生=200円。7月20日まで。

浮世絵師が描いた戦争の姿 ── 太田記念美術館で「浮世絵の戦争画」
太平洋戦争が終結してから70年の節目にあたる今年、東京・渋谷区の太田記念美術館で「浮世絵の戦争画 ─ 国芳・芳年・清親」が開催される。

浮世絵は泰平の世を描いた享楽的な印象が強いが、江戸から明治にかけては戦争を題材とした浮世絵が数多く出版されていた。

展示されるのは源平時代や戦国時代といった歴史上の合戦を題材としたものから、幕末の戊辰戦争、明治時代の西南、日清、日露戦争など、同時代に勃発した戦争を題材としたものまで60点。

絵師は歌川国芳、月岡芳年、小林清親など有名絵師も多いが、これまで戦争画に注目が集まることがなかったため、ほとんど紹介される機会が無かった知られざる作品が並ぶ。

「浮世絵の戦争画 ─ 国芳・芳年・清親」は太田記念美術館で、2015年7月1日(水)~7月26日(日)に開催。観覧料は一般 700円、大学・高校生 500円、中学生以下は無料。
 

発信:インターネットミュージアム

静岡
反射炉の関連商品続々 伊豆の国市など
 世界文化遺産登録を目指す韮山反射炉を、地域経済の活性化に生かそうという動きが、伊豆の国市などで目立ち始めた。市商工会は関連商品を「反射炉ブランド」に認定して販売を後押し。大砲にちなんだユニーク商品も登場した。製造量の確保などの課題はあるが、世界遺産効果にあやかろうと知恵を凝らしている。

(大須賀軒一)

 洋菓子の「大砲ロール」と「カノンパン」、「大砲ドーン(丼)」、反射炉築造の江川坦庵にちなむ「パン祖のパン」。さらには「ペリーの黒船うどん」、「江川太郎左衛門ごまそうめん」。ブランド認定の118品は独自色にあふれる。

 反射炉ブランドは、伊豆の国市商工会が昨年7月に設けた。地元の歴史や自然などの特徴を反映した、主に市内事業所の商品を認定している。担当者は「世界遺産に登録されれば、新商品開発はさらに加速しそう」と期待を込める。

 昨夏、焼き菓子「反射炉の煉瓦」がブランド認定を受けた市内の菓子店「佳月園」の西原宏幸社長(53)は「20年来の商品だが、昨夏以来、販売量が4~6倍に急増した」と話す。反射炉の注目度がアップしたことと、5月に認定品の販売を目的とする「反射炉屋」が「道の駅 伊豆のへそ」に新設された効果が表れたという。「各店で単品販売しても限界があるが、一堂に集めることで相乗効果がある」と西原さんはみている。

 ただ、多くは地元の個人店の商品。伊豆のへその販売リーダー・武士達也さんは「製造量の確保が難しいので、扱う認定品は20程度。品ぞろえを拡充させたくても、思うようにそろわない」と課題も指摘する。

 昨秋、ちくわの天ぷらを大砲に見立てた「大砲ドーン(丼)」を商品化した市内の飲食店「来い来い」の木村裕樹さん(36)は「まだまだPRが必要。地元客だけでなく、観光客を取り込めば販路は拡大する」と話す。

     ◇

 三島市の伊豆箱根鉄道と伊豆箱根バスは、反射炉までの運賃と伊豆長岡温泉の入浴料をセットにした「湯ったりきっぷ」の販売を始めた。切符は、駿豆線の乗車駅から反射炉最寄りの伊豆長岡駅間の運賃、駅から伊豆長岡温泉周辺までのバス代、ホテルなどの日帰り温泉入浴料を含む。反射炉と温泉を組み合わせ、乗客増を狙う。料金は、740~1000円。

 熱海市の富士急マリンリゾートは6月13日~7月18日の毎週土曜、世界遺産登録応援企画と銘打ち、熱海湾の周遊クルーズを特別運航。反射炉の入場券を提示した人、伊豆の国市民、熱海市内での宿泊客は割引料金で乗船できる。中学生以上は200円引きの800円、小学生は100円引きの400円。
 熱海湾の周遊クルーズとか、行ってみたいです。長岡温泉の入浴料とのセットもいいですね。

 ただ、審査は先送りされたような……。
世界遺産登録審査、韓国の“わがまま”で日本は先送り
 日韓国交正常化50年の6月22日の前日に行われた日韓外相会談後、岸田文雄外相は両国の推薦案件の世界遺産登録に向け協力することで「完全に一致した」と明言。産業革命遺産をめぐる対立は決着したとみられていた。

 だが、外相会談の時点でボタンの掛け違いは起きていた。韓国政府当局者によると、産業革命遺産の7施設に朝鮮半島出身者が徴用された歴史について、韓国が世界遺産委で言及することを日本側が納得したと認識していたという。

 関係筋によると、今月3日の世界遺産委開幕後、日本政府の要請に応じて韓国側が意見陳述の草稿を開示したところ、日本側が徴用の歴史が強調されることを懸念し、事前の擦り合わせを要請。韓国側は、日本の姿勢は両国が交わした約束に反すると反発している。

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 韓国政府当局者は「関係改善の努力を帳消しにするもので、窓ガラスに石を投げ込んで割るような約束破り」と非難。しかし“約束”の内容は明らかにしていない。

 一方、日本側は“外相会談での約束”に従い、4日午前の審査で韓国が推薦した「百済の歴史地区」を全面的に支持。こちらの登録は委員国の全会一致で決まった。

 日本政府は徴用の歴史を否定する立場は取っていないが、「遺産登録の対象は幕末から明治で、徴用があった時代とは異なる」と各国に理解を求めている。

 登録は全会一致が通例だが、紛糾した場合は投票で採決する。その場合、登録には投票総数の3分の2以上の賛成が必要。政府の要請で自治体関係者もロビー活動に動員されており、ある県の幹部は「ここに来て多数派工作をすることになるなんて」とこぼした。

(紙面から)

新潟
米百俵の精神 旧三根山藩で体現祭りで募った義援金「教育に役立てて」
「米百俵」の故事で米を長岡藩に送ったといわれる三根山藩があった新潟市西蒲区峰岡の有志が23日、まき夏祭りの「米百俵パレード」で集めた義援金約4万円を、区内の2小学校に贈った。「米百俵の精神で、子どもたちの教育に役立ててほしい」という思いを込めた。

 義援金を贈ったのは、三根山藩跡が残る峰岡の地域おこしグループ「平成三根山藩」。戊辰(ぼしん)戦争に敗れ困窮した長岡藩が、三根山藩から送られた救援米を基に学校を設立した米百俵の故事を、巻地区の小学校で紹介するなどの活動に取り組んでいる。

 パレードは、まき夏祭り最終日の14日に行われた。米俵を積んだ山車を引いて商店街を練り歩き、パレードを見に来た人に峰岡地区で収穫したコシヒカリ2合を袋詰めにして振る舞った。今年は配るだけでなく、米百俵の精神で子どもたちの教育のために役立てたいと考え、コメと引き替えに義援金を募った。

<2小学校に贈呈>

兵庫
大鳥圭介検定、初開催へ 出身の上郡町で10月
上郡町商工会(兵庫県上郡町大持)は、同町出身で明治維新後、日本の近代化に貢献した大鳥圭介(1832~1911年)に関する知識を問う「大鳥圭介検定」を10月10日に初めて開く。軍人、政治家、文人などさまざまな側面を持つ、郷土が生んだ異色の偉人の魅力を知ってもらおうと、受検を呼び掛けている。(杉山雅崇)

 同町岩木地区の医師の家に生まれた大鳥は、大阪の適塾などで学び、才能を認められ幕臣に上り詰めた。戊辰戦争で新政府軍に敗れて投獄された後、明治政府に登用され、清国・朝鮮国公使などとして活躍。文人としても名声を得た。

 検定は全30問。うち25問は、大鳥の生涯を紹介するために昨春、住民有志が作製した冊子「かえで」の記述から出題するという。

 20問以上正解で合格となり、正解数に応じて1~3級の級位を授与する。「かえで」は同町商工会などで無料配布しているほか、同商工会のホームページでも閲覧できる。

 検定は10月10日午前10時半から、同町生涯学習支援センター(同町上郡)で実施。小学5年生以上が対象。受検料千円(中学生以下は無料)。郵便やファクス、同町商工会ホームページで応募を受け付ける。8月31日締め切り。同町商工会TEL0791・52・3710
エンターテインメント
天下人・信長や鬼の副長・土方が愛した刀たち……。次回の「歴史秘話ヒストリア」は日本刀特集!
 歴史上の人物や事件などにおける、今まで知られていなかった部分にスポットを当てて紹介するNHK放送の歴史情報番組「歴史秘話ヒストリア」。7月8日(水)第224放送回は 「あなたのココロを一刀両断 日本刀ものがたり」と題した日本刀特集を放送! 

 現在、"刀剣男士"を育成する大人気ソーシャルゲーム『刀剣乱舞』などの影響で、若い女性を中心に日本刀ブームが到来。古くは天下人・織田信長や新撰組"鬼の副長"土方歳三を始め、多くの日本人が美しい日本刀に心囚われている。なぜ日本刀は人々を魅了するのか?

 番組では国宝級の刀剣を用いての鑑賞法(入門編)を紹介。さらに、「戦国時代、名刀ブームを仕掛けたのはあの武将!?」「新選組“鬼の副長”土方歳三の刀を打った男とは?」など刀にまつわる歴史物語も登場! この放送を見て美しき日本刀の魅力に触れてみてはいかがでしょうか?

■放送情報
2015年7月8日(水)22:00~
再放送:翌週水曜14:05~(お昼すぎ)
※放送時間変更や休止の可能性があります。


“ミュージカル『薄桜鬼』藤堂平助篇”DVD発売記念イベントで「いまだから言える」裏話が続出!?
●「これからも『薄ミュ』は続きます」とキャストが思いを語る!

 本日2015年7月4日、都内にて“ミュージカル『薄桜鬼』藤堂平助篇”のDVD発売記念イベントが開催。藤堂平助役を演じた池田純矢さんを始めとするキャスト陣が登壇した。
2015年初旬に東京・大阪で上演された“藤堂平助篇”は、ミュージカル『薄桜鬼』シリーズの第5弾作品(ゲネプロリポート記事はこちら)。その名の通り、新選組の藤堂平助を主役に据えた物語で、5月には公演DVDがリリースされている。今回のイベントは、このDVD購入者を対象に開催されたもの。藤堂平助役の池田純矢さんはもちろん、土方歳三役の井澤勇貴さん、原田左之助役の五十嵐麻朝さん、近藤勇役の井俣太良さん、山崎烝役の高崎翔太さん、天霧九寿役の郷本直也さん、そして雪村綱道役の江戸川萬時さんが登壇した。こちらの記事では、14時30分開始の部をリポート!

 最初のトークテーマは、本DVDの見どころ。「公演から日が経ったから言えるんですけど」との前置きで、井俣さんが「仙台城のセットの転換は、カミシモ(上手・下手)で僕と郷本直也が転換してます!」という裏話を明かした。転換の合図は平助と千鶴のキスシーンだったとのことで、感動的なワンシーンの裏では、ふたりが裏方として活躍していたそう(笑)。そしてつぎに見どころを訊かれた井澤さんは、池田さんから「お好み焼きの歌、歌って!」というムチャぶりを受け、美声で「♪井澤家の味を継ぐ……」と替え歌を披露(井澤さんのご実家はお好み焼き屋さんだそう)。そんな井澤さんから「平助の最初の歌大好きなんですよ~」とムチャぶり返しを受けた池田さんは、劇中化を朗々と歌い上げ、見事に応戦。公演から日が経っているにも関わらず見事に再現した池田さんは「終わってからも、“ひとり『薄桜鬼』”してたんで……」と語っており、本作への熱い思い入れが垣間見えた。

 江戸川さんが語る本作の見どころは、特典映像として収録されている“雪村綱道篇”。これはなんと本作脚本・演出・作詞の毛利亘宏氏がじきじきに台本を書いたという、かなり手の込んだ代物。江戸川さんを始めとしたキャスト陣の奮闘は、ぜひDVDをゲットして堪能していただきたい。

 続いてのトークテーマは、座長・池田純矢さんの印象。ここでは平助同様にアツい魂を持った池田さんへのラブコール(?)が続出した。井澤さんが「座長は支えるタイプとついていきたくなるタイプがいますが、純矢くんはついていきたくなるタイプ」と分析すると、五十嵐さんも「付き合いは8年くらいになりますが、『薄桜鬼』で観たときに、すべて尊敬できると思った」と絶賛。劇中では“3バカ”として絆を深めていた平助、左之助、永倉新八だが、五十嵐さんと新八を演じた宮崎秋人さんが、池田さんに毎日日替わりで手紙を書いていた……というエピソードも飛び出した。

 そして高崎さんは、ハードな公演だったことから「純矢くんの体が心配になっちゃった」と公演当時の印象を吐露。池田さんは本作のために、稽古前に5日断食してウェイトを落としたそう。その理由はといえば、「平助は小柄なイメージだから、最初に(体重を)落とさないと、そう見えない」とのこと。役者魂が滲むエピソードに、高崎さんも「超カッコイイ座長でした」と語っていた。

 おつぎは客席から質問を募る質問コーナーへ。「いちばん楽しかった曲は?」という質問では、それぞれが回答した曲を歌う流れになるというムチャぶりも頻発。また、「皆さんの筋肉を見せてください」というリクエストには、井俣さんがその鍛え上げられた肉体美を披露するというファンサービスも飛び出し、キャスト陣の和気あいあいとした仲の良さがにじみ出る。さらに本日の出演が叶わなかった廣瀬大介さん、橋本祥平さん、宮崎秋人さんからのビデオメッセージもお披露目。改めて、ミュージカル『薄桜鬼』が生んだキャストどうしの絆を感じさせるイベントとなった。

 最後のメッセージでは、池田さんが「めちゃめちゃ楽しかったです。“藤堂平助役の”と名乗るのは、もしかしたらこの挨拶が最後かもしれないですけど、我々“ミュージカル『薄桜鬼』”を背負ってきた人間も、この先“ミュージカル『薄桜鬼』”がどんどん大きくなっていったときに、その礎になれていたらいいなと思いました。これからも“ミュージカル『薄桜鬼』”は続きます。そして、それぞれの役者にもそれぞれの道があります。これからも末永く応援していただけたら」と熱く語り、イベントを締めくくった。5月にはキャストをほぼ一新して開幕した“黎明録”が上演され、新たな歴史が幕を開けた“ミュージカル『薄桜鬼』”。歴代キャストが紡いできた歴史を噛みしめながら、今後の展開にも期待しよう!
前売り買うほど、この作品には期待してしました。期待に違わず、面白かったです。

シネマ歌舞伎 三人吉三

 現代の渋谷あたりをたむろす勘九郎・七之助・松也が印象的な予告動画です。本編も舞台そのままでなく、「記憶映画」だと串田和美監督がリーフレットでいってますように、すごく斬新なカット割りがあったりして、たぶん舞台をリアルタイムで見た人も見る意味があると思います。
――三人だから、 生きられた

節分の夜、同じ吉三の名を持つ三人の盗賊が出会い、義兄弟の血盃を交す――
僧侶崩れの和尚吉三、男に生まれながらも振袖姿のお嬢吉三、浪人のお坊吉三。
数奇な運命に導かれ翻弄されながらも、がむしゃらに命を賭して生きる三人。
名刀「庚申丸」と「百両の金」が様々な人々の手を巡りもたらす悲劇の連鎖......。

 歌舞伎の先輩は、勘三郎・福助・橋之助でライブにご覧になっていたとか。ひえ〜。

 勘九郎・七之助・松也のこのセッションは、若さが前面に出ている感じ。確かに、渋谷か六本木か、意気投合したワル3人が、悪事に手を染めた挙げ句、捕り方に囲まれて3人が刺し合って自死するって、現代にあってもおかしくはないストーリー(勘九郎演じる和尚吉三は自分の弟妹を殺すなど、少なくとも4人が殺されている……いろいろ因果応報が絡んでいるとはいえ、陰惨です)。

 見たことはないんだけど、たぶん「俺たちに明日はない」の江戸版ですね。男だけど女として育てられたお嬢吉三と、お坊吉三はほとんど恋愛モードだし。

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