新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
滅多にこういう番組に出演されない野田秀樹さん、『スタジオパークからこんにちは』にキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!
そして、唯一のNHKドラマ出演番組として大河ドラマ『新選組!』第9回「すべてはこの手紙」の勝海舟!
野田秀樹さん、私の映像作品における勝海舟はいまだにあなた様がデフォルトでございます(^^)。風貌もそうなのですが、言葉のアクセントや歯切れの良さが好きです。
そして、唯一のNHKドラマ出演番組として大河ドラマ『新選組!』第9回「すべてはこの手紙」の勝海舟!
野田秀樹さん、私の映像作品における勝海舟はいまだにあなた様がデフォルトでございます(^^)。風貌もそうなのですが、言葉のアクセントや歯切れの良さが好きです。
鳩山首相の辞任表明スピーチを聴きながら書いています。小沢幹事長にも辞任を求め、小沢氏も「わかった」と言ったとのこと。
京都
幕末扮装パレード:龍馬はん「集合」--東山・霊山護国神社 /京都
山口
市立東行記念館が開館…遺品訴訟で1か月半遅れ
福岡
糸島高文化祭で 巨大“竜馬”登場 3年生がモザイク画
ブックレビュー
ブックウオッチング:歴史好きの女性にとっておきの3冊 さよなら、おじさん史観
京都
幕末扮装パレード:龍馬はん「集合」--東山・霊山護国神社 /京都
坂本龍馬ら幕末の志士約300人が眠る京都市東山区の京都霊山護国神社で、「幕末扮装(ふんそう)パレード~うちと龍馬はん」があった。約85人が参加し、観光客でにぎわう三年坂などを練り歩いた。
これまでも龍馬に扮(ふん)して同神社に参拝する観光客がいたが、今年はNHK大河ドラマ「龍馬伝」が放映されている影響からか、急増しているという。このため、神社が作る志士ファンの同好会「霊山社中」が初めて企画した。衣装も龍馬10人分、妻のお龍(りょう)10人分、太夫37人分を準備。公募すると「歴女ブーム」もあってたちまちいっぱいに。自前の衣装の参加者を合わせ、約20人の“龍馬”が集まった。
和歌山県有田市の橋本聖也君(10)は「大好きな坂本龍馬の格好ができて、うれしい。機会があればまた参加したい」と満面の笑みだった。【望月亮一】
山口
市立東行記念館が開館…遺品訴訟で1か月半遅れ
幕末の志士、高杉晋作の菩提(ぼだい)寺、下関市吉田の東行庵に1日、ゆかりの品々を展示する市立東行記念館が開館した。
「幕末維新期の下関」をテーマに、晋作の書や奇兵隊隊士の書状、晋作が愛人おうのに贈った外国製のかばんなど54点を陳列。資料やパネルで、奇兵隊の創設時の歴史背景なども紹介している。今後、2~3か月おきに展示替えをする。
同館は、宗教法人の東行庵が運営していたが、資料の保存設備が不十分だったため、市が1700万円かけて空調や照明などを整備。晋作の命日の4月14日に開館する予定だったが、遺品の所有権を巡る訴訟が起きたことから、1か月半ほど遅れた。愛用の三味線など、訴訟の対象になっている資料は当面、展示しない。
開館について、東行庵の松野實應・兼務住職は「素晴らしい施設。これをきっかけに、高杉先生のことを多くの人に知ってもらえれば」と喜び、同館学芸員の溝口純一さんは「これまで日の目を見なかった資料も多く展示しているので、ぜひ見てもらいたい」と話していた。入館料は大人300円、大学生200円、18歳以下と70歳以上は無料。
福岡
糸島高文化祭で 巨大“竜馬”登場 3年生がモザイク画
糸島市の糸島高校で5月29日、文化祭が開かれ、幕末の志士、坂本竜馬を描いた巨大モザイク画(横12メートル、縦7・5メートル)がお目見えした。
巨大モザイク画は昨年に続き、2年連続の企画で、3年生280人が「全員参加で一つのものを作り上げよう」と、一人一人がB4判用紙に引かれたマス目(2・5センチ四方)に指定された色紙(6色)を張り、実行委員会のメンバーが1221枚の用紙をブルーシートの上で合わせて完成させた。
昨年同様、何を描くのか、全体像については実行委メンバーなど一部しか知らず、校舎に張り出された竜馬の姿を見て、生徒からは「迫力たっぷり」と驚きの声が出ていた。3年の学年主任古川浩光教諭は「力を合わせて、大きなことを成し遂げたことが実感できたと思う」と話していた。
ブックレビュー
ブックウオッチング:歴史好きの女性にとっておきの3冊 さよなら、おじさん史観
●「乙女の日本史」(堀江宏樹、滝乃みわこ著・東京書籍・1470円)
●「平安朝の父と子 貴族と庶民の家と養育」(服藤早苗著・中公新書・777円)
●「歴女おすすめ! 戦国武将の美味しい旅」(歴女委員会著・KKベストブック・980円)
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何事にもがつがつしない「草食系」男子が話題になる一方で、力強い男子像を歴史に求める女子が増えている。歴史好きの女性=「歴女(レキジョ)」とも呼ばれ、おじさん史観に代わる「乙女史観」や子育てに共同参画する平安の男子像など、女性目線を意識した歴史本が出版され、新しい風となってきた。
「歴史能力検定」を運営する歴史能力検定協会によると、2001年度に5252人だった女性受検者が、09年度は1万2997人と2倍以上にはね上がり、全受検者に占める比率も35・15%から39・27%と4ポイントアップ、歴女の躍進が顕著だ。
歴史関係の書籍に力を入れる書店として有名な「時代屋」の新百合丘オーパ店(川崎市)の店員、大内学さんは「女性たちは勝者よりは敗者により関心を持つ傾向がある」と指摘する。
「乙女の日本史」は6万部のベストセラーとなった歴女の入門書だが、幕末を彩った「人斬(き)り以蔵」や源義経に倒された木曽(源)義仲など、歴史上の敗者も手厚く取り上げた。
「歴女たちのトークを本にしたい」(編集者の藤田六郎さん)と企画され、神話の時代から昭和まで「さよならおじさん史観」の視線で歴史をみる。たとえば、戦国武将については、「おじさん」ならば彼らの統率力や決断力、合戦の上手下手や人身掌握術などに関心がゆきそうだが、「乙女」の視線は「戦国のイケメン」へと向かう。遺物や遺骨、同時代の記録など「史実のみで、誰がいい男だったかをジャッジ!」とユニークで、おじさんの歴史ファンでも楽しめそうだ。
坂本龍馬の評価もおもしろい。司馬遼太郎は「竜馬がゆく」で、明治維新の立役者にして剣の達人、男も女も惚(ほ)れさせる人たらしとして描いた。しかし「乙女」は「愛してくれた女を不幸にしてしまう体質」と分析する。
何が女性を歴史に向かわせているのか。
埼玉学園大教授の服藤(ふくとう)早苗さんは「男子と同じように、女子も『草食系』が増えているのではないでしょうか。実際の恋愛で傷つきたくないから、歴史の世界でバーチャルな恋を体験している」と語る。
◇平安の子育て男子
歴史家、網野善彦の教えを受け「歴女の先輩」でもある服藤さんの最新作が「平安朝の父と子」。服藤さんはこの中で、約1000年前、平安時代の男たちが出産に立ち会い、育児や教育など子育てに深く関与していたことを明らかにする。現代の父親に子育てへの積極的参加を呼びかけるメッセージでもあるという。
時代屋の大内さんも共同執筆者に名を連ねる「歴女おすすめ! 戦国武将の美味しい旅」は、武将の人となりだけでなく地元の名物やグルメの情報を満載、史跡めぐりに役立ちそうだ。【栗原俊雄】
ここのところ『ゲゲゲの女房』以外に面白いと思って見ているドラマがないのですが、これは見ようかな。
堺雅人が“2つの顔持つ”暴走刑事役で連ドラ主演!
堺雅人が“2つの顔持つ”暴走刑事役で連ドラ主演!
俳優・堺雅人が7月13日スタートの新ドラマ『ジョーカー 許されざる捜査官』(フジテレビ系 火曜・午後9時)でゴールデンタイムの連続ドラマに初主演することが1日、わかった。昼は温厚な刑事ながら、夜は凶悪犯に怒りの鉄槌を下す冷酷な制裁者となる伊達一義を演じる堺は「最初、“刑事役を”と言われた時、戸惑いと違和感を覚えました。体力とか、正義感とか、刑事にはそうしたイメージがあったもので…。けれども お話を聞いていると、そうした要素は、伊達という人物の隠し味に使えそうです。戸惑いと違和感を大切に演じたいと思います」と意気込みを語っている。
火曜9時ドラマに“正義”と“背徳”という相反する二面性を併せ持つニューヒーローが登場。神奈川県警捜査一課の警部で、昼間は、温厚な人柄と物腰の柔らかさから“仏の伊達さん”と呼ばれている伊達。癒しの笑顔と天然ボケから部下からもイジられる彼だが、夜は一転して、冷酷な“無法の番人”となり、凶悪犯に怒りの鉄槌を下す制裁者となる。そんな表裏一体の難役に演技力に定評のある堺がゴールデンタイム連ドラ初主演で参加。人間の憤怒や悲哀、情愛を巧みな心理描写で描き、善悪の彼岸、人が人を罰することの是非に迫る新たなピカレスク・エンターテインメントとなるようだ。
共演陣にも豪華出演者が集結。心に傷を持つ暴走気味の鑑識官・久遠健志役に人気グループ・関ジャニ∞で、NEWSでもある錦戸亮が出演。“悪”に対して過剰に反応し、時に凶暴性すらも心の奥底に秘めた役に錦戸は「素敵な役者の方々と共演できることを今から楽しみにしています。単純に“面白い!”と言えるドラマになるよう、精一杯がんばりますので皆様も楽しみにしていてください」とコメント。また、伊達の同期で親友だった刑事・宮城夏樹の妹で伊達とコンビを組む新人女性刑事・宮城あすか役に女優の杏を起用。杏は「私の演じる宮城あすか、新人の警部補は男性社会の中、猪突猛進な正義感に燃える女性です。 周りのキャストの方々のパワーをいただきながら、熱い夏を駆け抜けたいと思います。連続ドラマ初の刑事役です。がんばります!」と意欲満面だ。そのほか、ノンキャリアで叩き上げの神奈川県警捜査一課の課長・井筒将明役に俳優・鹿賀丈史、伊達が通うバーのマスター・三上国治役に俳優・大杉漣、伊達の昔の恋人で元同僚刑事であり、現在はルポライターの片桐冴子役にりょうが出演する。
堺の起用についてフジテレビ編成部の立松嗣章氏は「映画や舞台で活躍する堺さんの怪演ぶりに以前から惚れこんでいました。特に今回は、昼の顔と夜の顔のギャップ、優しい表情の中のある種の狂気を表現できるのは、堺さんをもって他にいないと思いお願いしました」と説明。さらには「連続ドラマ初主演の堺さんが醸し出す新鮮さと重厚さに、錦戸さんと杏さんの若いパワーが加わり、どんな化学反応が生まれるのかが大変楽しみです」と期待を寄せた。
堺は、1992年に早稲田大学演劇研究会を母体にした劇団『東京オレンジ』旗揚げに参加し、看板俳優として活躍。以降、テレビや映画に出演し、2004年大河ドラマ『新選組!』(NHK総合)で、新選組総長山南敬助役を熱演。2008年に大河ドラマ『篤姫』(同)で徳川家定役を演じ、人気を博す。映画では、『壁男』『南極料理人』『クヒオ大佐』『ゴールデンスランバー』『武士の家計簿』などに主演を果たしている。
6月になりましたが、今日はいい天気ですねぇ。爽やかなので快適です。
群馬
小栗上野介:ねじくぎ150年ぶり里帰り 米国から持ち帰る /群馬
神奈川
下岡連杖が撮ったガラス写真と判明
静岡
県立図書館に鉄舟の書簡を寄贈 東京・ゆかりの寺院
兵庫
県内ファン会長楠本さん 龍馬の紙芝居披露
山口
伊藤・山縣 素顔まざまざ
熊本
豊後街道に「龍馬」呼ぼう
阿蘇市観光協会などが会を設立
エンターテインメント
docomo、SoftBankより『防衛ゲーム剣豪 土方歳三』他、新作ゲーム3本を配信開始!
群馬
小栗上野介:ねじくぎ150年ぶり里帰り 米国から持ち帰る /群馬
◇遣米使節記念展に展示
幕末に遣米使節のメンバーとして渡米した小栗上野介忠順(ただまさ)が米国から持ち帰ったとされ、小栗の墓がある高崎市倉渕町権田の東善寺(村上泰賢住職)に収蔵されている「ねじくぎ」が、150年ぶりに里帰りすることになった。ニューヨーク市立博物館で開催される「遣米使節150年記念展」に展示するため31日、現地に向けて発送された。
小栗は1860年、日米修好通商条約の批准書交換使節団の目付として米軍艦で渡米した。村上住職によると、ワシントン海軍造船所を見学した際、蒸気機関を駆使した総合工場に驚き、「こういうのを作れる国になりたい」との思いから多数のねじを持ち帰った。小栗の提唱で横須賀造船所が造られたが、築造が決定されるまで、ねじを配って近代化を説いて回ったという。同寺に収蔵されているのは、真ちゅう製で長さ4・3センチ、頭部の直径が1・1センチのマイナスねじ。
ニューヨーク市立博物館での記念展は、同館と在ニューヨーク日本総領事館広報センターの共催で、6月25日から10月11日まで開催される。同博物館から「小栗が近代文明のシンボルとして持ち帰ったものであり、展示したい」との要請があったという。
村上住職は「日本の工業近代化は、小栗の提唱で造られた横須賀造船所で始まった。ねじが小栗の行動のシンボルとして米国の人たちにも認識してもらえてうれしい」と話している。【増田勝彦】
神奈川
下岡連杖が撮ったガラス写真と判明
1854(安政元)年にペリーから置き時計が贈られたとされる下田奉行所与力の山本謙兵衛の肖像写真が、日本写真の開祖ともいわれる下岡蓮杖が横浜で撮った1枚であることが分かった。敷物の柄から横浜開港資料館元調査研究員の斎藤多喜夫さん(62)が突き止めた。
ガラス板に溶液を塗って感光性を持たせて撮影されたガラス写真。縦8センチ、横7センチほどで、置き時計とともに横浜市港北区の但馬惟義さんが保管していた。但馬さんの祖父の海軍中佐が、1890年に山本本人から譲り受けたという。
写真には帯刀したまげ姿の山本が写っている。下岡撮影と判断した決め手になったのが敷物。肖像写真をパソコンに取り込んで、敷物の柄を分析、写真集に収録されている作品と同じ敷物であることを突き止めた。現存する下岡撮影のガラス写真としては5例目という。
斎藤さんによると、下岡は静岡・下田の出身で、山本と同じ時期に下田奉行所で働いていたという。その後、下岡は1862(文久2)年に横浜で写真館を開設。同じころ山本も異動し、神奈川奉行所で働いていた。写真は幕末の横浜で撮られたらしい。
山本は写真や置き時計を譲るときに、どのような経緯で時計を手に入れたかをまとめた和紙5枚の「時計来歴」も渡した。そこには日米交渉の山本の働きに対し、感謝したペリーから時計をもらったと記されていた。
分解、洗浄し、再び動き出した時計は、短針を除き当時の部品を使った。少し速い「カチカチ」、1時間ごとに鳴る振り子の「ボーン」はペリーが聞いた音色と同じ。ゼンマイを一度まわすと、約30時間動き続けるという。
斎藤さんは「下岡の名前は有名だが、現存する作品は非常に少ない。特にガラス写真は希少で、今後もそれほど出てこないだろう」と話していた。6日まで、開港資料館で展示される。
(佐藤善一)
※写真説明・・・米国ペリー艦隊から時計を贈られた下田奉行所与力・山本謙兵衛の肖像写真。敷物から下岡蓮杖のスタジオで撮影されたガラス写真であることが分かった=横浜開港資料館提供
静岡
県立図書館に鉄舟の書簡を寄贈 東京・ゆかりの寺院
幕末に日本の近代化に貢献した山岡鉄舟ゆかりの寺院「全生庵」(東京都、平井正修住職)が31日、静岡市駿河区の県立中央図書館に、関口隆吉初代県知事と鉄舟が交わした書簡など9点を寄贈した。
関口知事が鉄舟あてにしたためた書簡は4通。静岡市の徳川屋敷を地元の名士に払い下げるよう要望したり、静岡を訪問中に体調を崩していた鉄舟を案じて帰京を勧めたり。書簡を通じて二人が親交を深めていた様子がうかがえる。鉄舟が1883年、関口知事に書簡を送る際に書いた下書きも寄贈された。清書の書簡はすでに同館に所蔵されていて、127年ぶりに下書きと並んだ。
平井住職は「下書きまで残っていたことに驚いた。貴重な資料を多くの人に見てもらいたい」と話し、土屋光永館長に目録を手渡した。
鉄舟は西郷隆盛と駿府(現静岡)で交渉し、江戸城の無血開城に貢献した。牧之原茶園開拓への資金集めにも協力するなど、静岡との深いかかわりが知られている。土屋館長は「鉄舟と静岡のつながりを示す資料はさまざまな所に残されている。1カ所に集めて解読を進めれば、新たな歴史の一面が浮かび上がるかもしれない」と期待を述べた。
寄贈された資料は1~14日、入り口のインフォメーションホールで一般公開する。
兵庫
県内ファン会長楠本さん 龍馬の紙芝居披露
高知で来年1月まで開かれている「土佐・龍馬であい博」。JR高知駅前のイベント会場では、週末を中心に坂本龍馬の活躍を描いた紙芝居が披露されている。制作したのは尼崎市大西町3丁目の会社員楠本剛(くす・もと・たけし)さん(45)。兵庫県内の龍馬ファンらでつくる「兵庫龍馬会」の会長だ。
長いひげと袴(はかま)をつけて三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎に扮した弁士が、紙芝居をめくりながら土佐弁で語りかける。「西郷さん、ニッポン人同士いくさをしても、誰っちゃあ得はせんろう?」。龍馬の仲介で実現した薩長同盟の場面だ。
ほかにも幼少期から脱藩までの「青春篇(へん)」、脱藩後から暗殺されるまでの「波濤(は・とう)篇」がある。「幕末に龍馬が何をしたか、とても分かりやすい」と評判で、人だかりが出来るほどの人気だという。
楠本さんが龍馬に初めて夢中になったのは大学生のころ。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み始めたら止まらなくなった。「けんかの仕方や交渉術、失敗してもめげない根性……。読む度に新たな魅力を発見できる」。1997年ごろからは、高知県立坂本龍馬記念館(高知市)が主催する絵手紙展に、龍馬のイラストとメッセージを添えてほぼ毎年応募。2001年には兵庫龍馬会も立ち上げ、史跡巡りのルポなど幕末の歴史をたどる年3回の会報作りをしている。
「紙芝居をつくってほしい」と依頼されたのは昨年9月。ファンでつくる高知市の「坂本龍馬倶楽部(く・ら・ぶ)」の会員がゆかりの地を巡るツアーで神戸市を訪れた際、一行を迎えた楠本さんに同倶楽部の事務局長が頼んだ。
楠本さんは大阪の広告会社で15年間ほどデザインの仕事をしていた。この経験を生かし、紙に下絵を描いたうえで、パソコンのデザインソフトで彩色しながら今年3月に完成させた。来月には紙芝居の絵本化を予定しているほか、幼少期の龍馬が土佐の妖怪を退治するという創作紙芝居「少年篇」も制作中だ。
楠本さんは「怒ったり泣いたり、ときに格好悪かったり。いろんな表情の龍馬をこれからも描いていきたい」と話している。(山下龍一)
山口
伊藤・山縣 素顔まざまざ
◆周南の書店、秘書著作の復刻版出版
幕末や明治維新の歴史資料の復刻出版などを手掛ける周南市の「マツノ書店」が、山口出身の明治期の元老2人を描いた「伊藤公と山縣公」の復刻版を出版した。伊藤博文(1841~1909)と山縣有朋(1838~1922)を中心とした逸話集で、伊藤の秘書などを務めた文筆家、小松緑が昭和に入って執筆した。日露戦争など歴史上の大事件を、政界の内部から顧みた貴重な資料という。
(小暮純治)
◆歴史の舞台裏 生き生きと
伊藤と山縣は、明治維新期に身分の低い出自から首相にまで上り詰めた代表的な元老。小松は本のなかで、2人を「性格の違ったしかし力量の似寄った一対」とし、伊藤を「宰相の器」、山縣を「統軍の帥」と評している。2人の公私の様々なエピソードが盛り込まれている一方、歴史の舞台裏を当時の政治家たちの発言を通じて生き生きと描き出している。
復刻出版は、同書店の松村久店主(77)が10年ほど前に、1934(昭和9)年刊行の小松の著作「春畝公と含雪公」を東京の古書店で手に入れたのがきっかけ。
小松が当時の新聞に長期連載した記事をまとめた本だったが、36年には、この本を別の出版社が漢字に読み仮名を振って写真を鮮明にするなど読みやすくして「伊藤公と山縣公」の題名で再刊行していたことを松村さんが知り、インターネットで手に入れて復刻の計画を温めてきたという。
「2年後に再出版とは、当時かなり人気があったに違いない」と松村さん。昨年9月に行った常連客らへのアンケートでも、一番人気だったことで刊行を決めたという。
同書店としては通常より多めの400部を発行。特別価格の6千円で販売する。松村さんは「政治への関心が高まっている昨今。当時の大政治家たちと比較してみるのも面白いのでは」と話している。問い合わせは同書店(0834・21・2195)。
熊本
豊後街道に「龍馬」呼ぼう
阿蘇市観光協会などが会を設立
江戸時代、肥後藩が参勤交代で使い、幕末には坂本龍馬や勝海舟らも歩いた豊後街道について学び、地域おこしに役立てようと、阿蘇市観光協会などが、NHK大河ドラマ「龍馬伝」で龍馬、勝の役を演じる福山雅治さんと武田鉄矢さんを阿蘇市に呼ぶ会を設立した。市民による「ラブレター作戦」で2人を招き、豊後街道を歩いてもらう。(田川憲一)
「山上より阿蘇嶽(あそだけ)を見る。この嶽に並び立ちたる高峯あり。猫(根子)が嶽という。人跡到らず。山の頂上、大石、剣の如く成るもの直立す」(「海舟日記」より)。
1864年(文久4年)、米英仏蘭から開国を迫られ、攘夷(じょうい)派の突き上げにもあっていた徳川幕府は、外国公館のある長崎に、勝ら50人前後を派遣、水面下で交渉に当たらせようとする。龍馬もその中にいた。
豊後・佐賀関に着いた一行は、鶴崎、久住、阿蘇、熊本と九州を徒歩で横断し長崎へ渡る。阿蘇では往、復路とも内牧でわらじを脱いだ。「内の牧に宿す。この地もまた山中、山泉自由なり」と、勝は日記に記している。
呼ぶ会は、阿蘇市観光協会、同市、阿蘇火山博物館などで構成。5月30日には手紙作戦を手伝うサポーターらが、活動拠点となる同市内牧に集合した。市の人口約2万9000人と観光客に呼びかけ、「豊後街道を歩いて」という2人への思いをつづってもらう。
会世話役の一人、高木立(たつお)・市商工会事務局長(54)は「豊後街道は九州の参勤交代道の中でも特に険しい『男道』。そこを勝、龍馬だけでなく吉田松陰、伊能忠敬らも歩いた史実を多くの人に知ってもらい、誇りに思ってほしい」と話す。
活動に協賛する飲食店では、資料などを基に再現した当時の料理を提供することも計画。関連行事として、阿蘇市内で▽龍馬とジオパーク展(阿蘇火山博物館、7月11日まで開催中)▽坂本龍馬&勝海舟の足跡展(仮称)(あそ街角ギャラリー、7月20日~8月末)▽海舟&龍馬散策案内(うちのまき案内人協会、6~8月)などを実施、予定している。
【豊後街道】 熊本城下から大津、阿蘇、久住を経て豊後・鶴崎(大分市鶴崎)まで31里(約120キロ)を結ぶ。阿蘇の山道は急で、二重峠、滝室坂(ともに阿蘇市)、弁天坂(産山村)と難所が続いた。参勤交代では5日かけ歩いたとされる。石畳の道が保存されているところもある。
(2010年6月1日 読売新聞)
エンターテインメント
docomo、SoftBankより『防衛ゲーム剣豪 土方歳三』他、新作ゲーム3本を配信開始!
元気モバイル株式会社(本社:東京都中野区、代表取締役社長:津守正樹)は、docomoにて展開中の『定番スポーツ大集合』『元気SゲームランチDX』と、SoftBankにて展開中の『定番スポーツ☆大集合』『元気ゲームランチBOX』にて、2010年6月1日(火)より新作ゲーム3本を配信開始致します。
『防衛ゲーム剣豪 土方歳三』は、土方歳三、斎藤一、市村鉄之助など、戊辰戦争時の新撰組隊士が登場し、新政府軍の侵入を防ぐ防衛ゲームです。敵のタイプや行動ルートに合わせてキャラクターを配置し、入口から侵入してくる敵キャラを出口に到達するまでに撃退します。防衛ゲームの醍醐味である奥深い戦略性と、オリジナリティ溢れるド派手な必殺技の爽快感をお楽しみいただけます。
『超高校級バッテリー』は、プレイヤーがキャッチャーとなり、強烈な魔球を投げてくるピッチャーの球を受け止めるアクションゲームです。タイミングよくキーを押して球を受け止めます。球種は消えたり、蛇行したり、分裂したり等様々あり、どんな球が来るかわからない、緊張感溢れるゲームをお楽しみいただけます。ネットワークランキング対応で、全国のユーザーとアウトを取った数を競えます。
『脱出ゲーム王墓の扉』は、古代エジプトの王墓の部屋を調べ、閉ざされた扉を開ける脱出ゲームです。謎がふくらみ、冒険心がかき立てられる仕掛けが満載です。
当社は今後も幅広いジャンルのゲームを追加し、サイトの更なる認知度アップ、ユーザーの増加を狙います。
NHKゆうどきネットワークで紹介されていました。
龍馬からの恋文(ラブレター) もちづき製紙
遊び心があって面白い製品ですが、龍馬ファンは喜んで使ったりする……のかな?
自分は、フィクションであっても、土方さんからのメッセージをお尻に当てるなんて……あわわ、めっそうもないっ(イグアスの滝汗)。
龍馬からの恋文(ラブレター) もちづき製紙
遊び心があって面白い製品ですが、龍馬ファンは喜んで使ったりする……のかな?
自分は、フィクションであっても、土方さんからのメッセージをお尻に当てるなんて……あわわ、めっそうもないっ(イグアスの滝汗)。
『龍馬伝』に先週から新選組が登場してますが、「基本、記号なのね……(苦笑)」という感想です。あまり作品に入れ込んでないんで本気で悔しがれない……^_^;。
東京
明治維新展:勝海舟、慶喜の書も 台東・東本願寺慈光殿で展示 /東京
仙台弁のハムレット「破無礼」 早稲田大学で無料公演
神奈川
お城バックに和装コスプレ、”なりきり武将”ら100人が集合/小田原
岐阜
大垣市史:第1、3巻発刊 「古代・中世」と「近世2」 /岐阜
京都
龍馬やお龍になりきり80人、京都で幕末扮装パレード
山口
高知名産展:龍馬ゆかりの地、下関でイベントPR /山口
鹿児島
講演:土佐と同様に民権の気風 鹿大の原口教授、鹿児島の歴史を /鹿児島
ブックレビュー
「史実の採り入れ巧み」 マンガ大賞『へうげもの』
コラム
特集ワイド:歴史に学ぶ 河井継之助 民を守る冷静さを--作家・半藤一利さん
東京
明治維新展:勝海舟、慶喜の書も 台東・東本願寺慈光殿で展示 /東京
勝海舟直筆の弔文や徳川慶喜の書など、幕末から明治にかけての志士の書画を展示する「明治維新展」が、台東区西浅草1の東本願寺慈光殿ギャラリーで開かれている。
東本願寺は、大政奉還後に徳川慶喜を護衛するため、「彰義隊」が結成され、明治初期に現在の全国知事会にあたる「地方官会議」が初めて開催された場所であり、明治維新とのかかわりは深い。
江戸城の無血開城に尽力した勝海舟が、5000人の弔問のあったとされる山岡鉄舟の葬儀で読んだ弔文を東京で初公開する。勝は弔文の中で「清爽(せいそう)の心瞻(しんたん)を以て、勇剛の気象を吐露す」と鉄舟の性格と功績を称賛している。
また、大政奉還直前の慶喜の胸中が読み取れる書や、皇女和宮、福沢諭吉らの作品も展示されている。
6月7日まで。入場無料。午前10時~午後4時。問い合わせは東本願寺展覧会企画室(電話03・3843・9512)。【小泉大士】
仙台弁のハムレット「破無礼」 早稲田大学で無料公演
東北地方の方言を駆使したシェークスピア劇に取り組む仙台市の劇団「シェイクスピア・カンパニー」が、東京都新宿区の早稲田大学大隈記念講堂で、代表作「破無礼 奥州幕末のハムレット」を上演する。幕末の奥州を舞台に、仙台藩主の嫡男・破無礼の葛藤(かっとう)と狂気を、古典的な仙台の言葉で激しく、哀(かな)しく語る。
◇
「すっか、すねがだ。なじょすっぺ」。≪To be, or not to be, that is the question≫。ハムレットに登場する有名なこのせりふ。「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」など、多様な訳がなされ、いまなお研究されているが、仙台弁にするとこんな響きになる。
劇団は東北学院大学の下館和巳教授が旗揚げ。平成7年の「ロミオとジュリエット」をはじめ、「恐山の播部蘇(マクベス)」などを国内外で公演している。下館教授は宮城県出身。自身の方言を「恥ずかしい」思ったこともあったが、英国留学を通し、多彩な方言の魅力を知ったという。
「シェークスピアの世界は、人間の喜怒哀楽、生死を描いている。表現する言葉は違えども、普遍的な物語であることに変わりはない」と下館教授は指摘する。劇団はシェークスピアの新たな魅力を発見し、東北地方の言葉の魅力、文化・歴史を発信している。
公演第1部では、下館教授がシェークスピア翻訳のパイオニアである坪内逍遥について講演。その後、第2部で「破無礼」を上演。
6月19日午後4時半から。入場無料、全席自由。問い合わせは早稲田大学文化推進部文化企画課TEL03・5272・4783(平日午前9時~午後5時)。
神奈川
お城バックに和装コスプレ、”なりきり武将”ら100人が集合/小田原
小田原市城内の小田原城址(じょうし)公園で30日、和装コスプレーヤーが集合するイベントが開催された。アニメやテレビゲームに登場する戦国武将や新撰組などのキャラクターに扮(ふん)した若者たち100人が天守閣や城門を背景に思い思いのポーズをとり、撮影し合った。FMおだわらなどが初めて企画。遠く石川県や福島県からの参加もあった。
手作りした衣装を着てキャラになりきった姿を撮影、作品に残すコスプレ。「お城など日本的なところで写真を撮りたかったが、合成で我慢するしかなかった」と企画者の一人で市内の自営業の男性(35)は話す。FMおだわらを巻き込み、市に要望すると「批判はあるかもしれないが、それを恐れていては文化は生まれない」と許可が出た。
特に大がかりな告知はしなかったが、「本物の城でできるなら」と10代から30代の女性を中心に100人が集まった。「こんなに来るとは思わなかった」と市も驚く人気だ。
参加者は参加料1500円を支払い、テントなどで化粧と着替えを済ませ、あこがれのキャラに変身。観光客でにぎわう公園内に繰り出した。福島県から新幹線で来たという女性会社員は忍者の格好で「往復で1万8千円だったが、お城で写真が撮りたかった」。甲冑(かっちゅう)風や着物風の衣装は観光客にも好評で「頑張ってね」、「一緒に写真を撮って」と声を掛けられていた。
”先輩格”で、観光ボランティアを務める北條手作り甲冑隊とも交流が生まれた。一緒に写真に収まり、「新旧のコスプレだね」「どうやって作ったの?」と話が弾んでいた。
岐阜
大垣市史:第1、3巻発刊 「古代・中世」と「近世2」 /岐阜
大垣市が編さんを進めている市史のうち、第1巻の資料編「古代・中世」と第3巻の資料編「近世2」が発刊された。太閤検地が高福寺村(現在の興福寺町)でも行われたことや、幕末に始まったとみられていた水郷地帯独特の「堀田」が江戸時代中ごろまでさかのぼることなど、多くの新しい資料が盛り込まれている。
03年から新しい市史編さんのための調査を進めており、08年に第2巻の資料編「近世1」と第10巻の「民俗・輪中編」、09年に第5巻の資料編「近代」を発刊。13年までに全10巻を発行する予定。
資料編「古代・中世」は、古代から慶長年間までの文献史料や木簡などの出土資料、仏教絵画などを体系的に収録。重点的に真宗寺院を調査し、年代が記録された絵像裏書きや円興寺に残る過去帳の全記録を掲載した。
資料編「近世」は地域別に1~3巻あり、今回の「近世2」は1589(天正17)~1868(慶応4)年の旧安八郡を中心とした村々の資料を収録。大垣藩の支配や村人の生活の様子が分かる資料や県内22カ所目となる太閤検地帳の新資料などを収めている。
コラム欄も26カ所設け、古文書の内容を分かりやすく解説。村絵図や朝鮮通信使の宿舎図など6枚の付図を別冊とした。
いずれもA5判ケース入り。本文約1000ページ。各巻2000部作成、各3000円。市スイトピアセンター内の市史編さん室や市役所売店などで販売。電話やファクスなどでも注文できる。問い合わせは市史編さん室(0584・81・1803)。【子林光和】
京都
龍馬やお龍になりきり80人、京都で幕末扮装パレード
幕末から明治期にかけ活躍した志士らの衣装を身にまとって行進する「幕末扮装(ふんそう)パレード~うちと龍馬はん」が30日、京都市東山区の京都霊山護国神社(木村隆比古宮司)付近で行われた。坂本龍馬や妻のお龍、京太夫などにふんした約80人が一年坂から産寧坂にかけてを約1時間かけて練り歩いた。
同神社には龍馬の墓があり、龍馬の格好をした参拝者もいることから、「龍馬ファンで一堂に会そう」と初めて企画。同神社の崇敬団体「霊山社中」が主催した。
はかまにブーツ、腰刀姿の龍馬を先頭に、あでやかな衣装の京太夫、質素な着物姿のお龍らが行進。観光客は盛んにカメラを向け、拍手を送った。
お龍になった中京区の会社員、河合優さん(24)は「いつもと違って景色が新鮮に見え、楽しかった」と笑顔。木村宮司(45)は「新緑の中、石畳の続く風情ある街並みを堪能してもらえた。天国の龍馬もきっと喜んでいるはず」と話した。
山口
高知名産展:龍馬ゆかりの地、下関でイベントPR /山口
下関市豊前田町の海峡メッセ下関で29、30日にあったオール電化フェスティバル(中国電力下関営業所主催)に、高知市観光協会が「土佐まるごと!うまいもの市」を出展。高知県の名産品の展示即売や、幕末の志士、坂本龍馬関連のイベントなどをPRした。
高知県を知ってもらおうと、全国の龍馬ゆかりの地を巡回中で、下関は妻お龍と暮らした地。会場には、ユズやカツオ、鯨の加工品など約200品がずらり。舞台ではミス高知観光キャンペーンレディの吉松絵美さん(26)が、高知市で開催中の「土佐・龍馬であい博」(来年1月10日まで)をPRした。協会主事の吉野秀樹さんは「龍馬を温かく迎えてくれた山口の人々に、高知の良さをお伝えしたい」と話していた。
6月19、20日には、龍馬が脱藩後に船で上陸した防府市の「デザインプラザHOFU」でも開催予定。【尾垣和幸】
鹿児島
講演:土佐と同様に民権の気風 鹿大の原口教授、鹿児島の歴史を /鹿児島
郷土の歴史や文化、産業などを学ぶ生涯学習講座「かごしま学舎」の10年度の1回目の講座が30日、鹿児島市の県民交流センターであった。「かごしまの心を伝える」をテーマに鹿児島大の原口泉教授を講師に招き、約100人の聴講生が坂本龍馬と鹿児島の縁や離島の歴史について学んだ。【川島紘一】
鹿児島の情報発信の一翼を担う人材を養成しようと、かごしま県民大学中央センターが開催。原口教授は、龍馬が妻お龍と共に、新婚旅行で霧島を訪れ、犬飼滝やキリシマツツジを楽しんだエピソードを披露。「33年の人生の中で濃密な、幸せな時を過ごしたというだけで、鹿児島の良さが表れている」と話した。
また、1816年に徳之島の村民が板付舟で本土に来て、税の高さを藩に強訴しようとした「母間(ぼま)騒動」を引き合いに「薩摩にも政府に対してものを言う民主主義の根本があり、土佐藩と同様に民権の風が吹いていた」とも。
講演では時折、現代社会の問題への言及も。感染が広がる口蹄疫(こうていえき)で、行政の対応が遅れたとされることに触れながら郷中教育を説明。「鹿児島では昔から問答を繰り返し、考える訓練をしていた。先を読む力など『段取り』の良さが幕末での藩の運命を分けた」と解説した。
さつま町から出席した淵之上三男さん(70)は「西郷さんや離島の歴史を興味深く聞けた。もっと勉強しないと」と意欲を新たにしていた。
ブックレビュー
「史実の採り入れ巧み」 マンガ大賞『へうげもの』
第14回手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催)の記念トークショーが28日、東京都内で開かれた。作家の荒俣宏さんと陶芸に詳しい永青文庫館長の竹内順一さんが、マンガ大賞を受賞した山田芳裕さんの『へうげもの』(講談社)について「数寄とひょうげ――古田織部から現代へ」と題して語り合った。
『へうげもの』は織部焼の生みの親とされる武将茶人、古田織部が主人公。茶道具に熱を上げる「数寄者」で、ひょうきんな「へうげ(ひょうげ)もの」として描かれている。
トークショーではまず、竹内さんが「織部焼は流行を採り入れて何でもありの焼き物。その頂点に織部がいた」と解説。「『へうげもの』は自己表現が初めて解放された時代を活写している。巧みに史実を採り入れている」と評価した。
荒俣さんは織部が表情豊かに描かれていることに触れ、「戦国時代は荘園から解放され、日本人が大きく変わった。そんな表情を表している」と述べた。
続いて、作品に登場する場面の現実性を史実に照らして検討した。例えば織部がハート模様を使ったのぼりを掲げる場面。竹内さんは「のぼりまでは(使って)ないだろうが、あってもいい」、荒俣さんは「耶蘇(やそ)会が使っていたこともあり、ありえた」。ともに表現の大胆さをたたえた。
最後は作品の今後の展開を語り合った。史実だと織部は徳川家康に切腹させられる。
竹内さんは、家康が茶の湯に否定的な人物として描かれていることに注目。「お茶は金持ちが農民のような暮らしをする遊び。農本主義の家康は、都会人が農民の顔をすることを受け入れられなかった」と指摘した。
荒俣さんは「家康は奔放な人物を排除し、武士を文化人にした」と受け、竹内さんが「その幕府に対して、(幕末期に)薩長は武器の近代性を認識した。そこまで予感させる展開になれば、すごいマンガになる」と述べて対談を締めくくった。(高津祐典)
コラム
特集ワイド:歴史に学ぶ 河井継之助 民を守る冷静さを--作家・半藤一利さん
<この国はどこへ行こうとしているのか>
戦後初の本格的な政権交代から8カ月。雇用、年金、福祉--日本の政治課題は依然として山積し、閉塞(へいそく)感も漂う。羅針盤が失われたような時代。歴史上の人物たちはどう生き、どう動いたか。識者と共に考える。
それが何の音かを理解するのに時間はかからなかった。新潟県石津村(現長岡市)にある父の実家で目を覚ました半藤一利さんは、急ぎ2階の屋根によじ登る。「真ん前を流れる信濃川の下手が真っ赤に染まって(7キロ先の)長生橋が炎の中に浮かび上がって見えました」。1945(昭和20)年8月1日深夜。米軍機による爆撃は長岡中心街の8割を焼き尽くし、1476人を犠牲にした。
当時15歳の半藤少年はこの年3月の東京大空襲を生き延び、疎開先の茨城県でも米戦闘機の機銃掃射に狙われる。石津村には7月中旬に移って来たばかりだ。「僕は花火が嫌いなんです。ごう音と共にパパーッと開く様子が焼夷(しょうい)弾そっくりでね。花弁は38発のクラスター型弾。下に広がるのは地獄絵ですよ」
惨禍の2週間後、玉音放送が流れる。無謀な戦争の末の無条件降伏。同時に半藤さんは勤労動員から解放され、旧制長岡中で初の授業に臨んだ。そこで教えられたのが、河井継之助だった。
1868(明治元)年の北越戊辰(ぼしん)戦争で、長岡城下が焼け野原になった際の上席家老。「侍の誠を貫いた人物」として昨今の歴史ブーム前からファンがいる。私もその端くれだ。「しかし」と、半藤さんは言う。
継之助は財政の実理を学ぶ一方、ペリー来航以来の尊皇攘夷(じょうい)の嵐の中で横浜の異人商館に寝泊まりし、世界の動向を探る。役職に恋々としない「出処進退」の潔さは、司馬遼太郎の「峠」などに詳しい。
目指したのは一藩「武装中立」。明治新政府にも旧幕府にもくみしない。最新鋭の西洋銃で装備を固め、フランス式の訓練を実施する。日本に3門しかない機関銃「ガトリング砲」2門も購入し、専守防衛態勢を成し遂げた。
間もなく錦の御旗(みはた)を掲げた数万の官軍が、越後の地にも現れる。諸藩が次々従う中、藩兵1500人足らずの長岡にも恭順を迫ってきた。
「はは。『官軍』なんて片腹痛い。幕府に不平不満を持つ公家を利して若い天皇を抱き込み、政権奪取の野心を抱く薩長の暴力集団です」。半藤さんが解説する。越後人には単なる「西軍」。「官軍」とはおこがましい。長岡では、今日も変わらぬ認識だ。
「そうだとしても」。半藤さんは続けた。「薩長軍の目的は革命です。いやが応でも敵を武力で倒し、政権交代を天下に知らしめる。革命戦争では、恭順でも主戦でもない中立なんてありえません」
かもしれない。だが継之助は恭順に傾きかけた藩意をより戻し、佐幕・中立に統一した。「徳川家の主恩に報い義に生きる」侍の道を選んだのである。戦は避けたいと考えたが、西軍との交渉は30分で決裂。3カ月の攻防の末に弾も尽きて落城し、自身も非業の死を遂げる。享年42。
かつて城があったJR長岡駅から徒歩5分。継之助の生家跡に「河井継之助記念館」が立つ。06年暮れに開館し、来館者は4万人。館長の稲川明雄さん(65)によると、そのほとんどが県外からだ。継之助も見ていた庭に深呼吸しに来るファンも多いという。「人としての美を感じ取りにおみえになるようです」
しかし長岡で、継之助評は二分される。誠と筋を通した英雄と、故郷を灰じんに帰した男。継之助の墓は何度も倒され、ところどころが欠けている。歴代市長も記念館建設には足踏みしたといい、完成しても館長のなり手がいない。「仕方なく引き受けた」稲川さんも、実は反・継之助派だ。
「一市民なら義や情に生きてもいい」。再び半藤さんが語りだす。「河井継之助の生き様は鮮やかですよ、個人としては。しかし為政者は冷静で合理的なリアリストであるべきです。己の正義と思想に陶酔し、歴史の流れに抗して国を滅ぼしてしまった。為政者として認めませんね」
辛らつである。親・継之助派が聞いたら怒るだろう。謀略を尽くした薩長に隷属しろと言うのかと。「そうです。徳川のためといっても、既に慶喜は恭順していましたよ。屈辱的だが焦土となるより良い」。空襲の体験が、継之助を反面教師にさせるのだ。
「民を守る」ことが最上の為政者という視点に立つと、鳩山由紀夫首相はどうか。沖縄の普天間飛行場移設問題では、結局県内移設に回帰した。
「米国や他県との談判を始める前に『最低でも県外』と言ってしまった。沖縄への『思い』という自身の情緒に酔ったのでしょうが、成算も覚悟もなく結果として沖縄県民の期待と希望を葬ってしまった」
半藤さんは、鳩山首相は辞任すべきだと主張する。
「鳩山さんは『対等な日米関係』を目指すと言ってきた。聞こえは良いし、私もそうありたいと思いますよ。ただ戦後の日本が、米国に安全保障を頼ってきたのは事実です。首相という職に居座るのなら、米国のアジア戦略を踏まえた中での日本の立ち位置を改めて定めて、国民に説明すべきです。抑止力とは何かも含めてです。でなければ口八丁の美学、正義に終わる」
普天間の県外移設について鳩山首相は「命懸け」で取り組む、と言ってきた。半藤さんは「小学生並み」と切り捨てる。
「継之助は西軍との交渉が決裂した後、非戦派だった親友に『戦が嫌なら我が首をはね敵に持っていけ』と言っている。少なくとも捨て身の覚悟はあったわけです」
もし覚悟なき者が首相の座にあるとしたら、民にとって大きな不幸である。【根本太一】
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◇かわい・つぎのすけ(つぐのすけと呼ぶ説もある)
戊辰戦争で、越後・長岡藩を率いて新政府軍に徹底抗戦した家老。行・財政改革にも秀で、藩士の禄高(ろくだか)是正や門閥解体を断行し、為替取引や江戸で買った米を需給逼迫(ひっぱく)の北海道・函館で売るなど商人顔負けの才覚も。司馬遼太郎が短編「英雄児」や1966~68年の毎日新聞に「峠」を連載するなど多くの作家が取り上げる。
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■人物略歴
◇はんどう・かずとし
1930年、東京・向島生まれ。「文芸春秋」編集長などを経て作家活動に。93年に「漱石先生ぞな、もし」で新田次郎文学賞。「昭和史」戦前篇・戦後篇で06年に毎日出版文化賞特別賞。
NHK-BS2『アニソンのど自慢』を見ながら幕末ニュースをまとめています。
東京
龍馬ゆかりの地巡り心地よい汗 500人が産経大江戸ウオーク
神奈川
横浜開港祭スタート、魚に触れるイベントなど開催
新潟
龍馬伝にも登場 輸送船の部品
愛媛
【美人女将の宿】300年守り続けるぬか床 愛媛・松屋旅館
広島
キャンドルに龍馬や「いろは丸」、福山の喫茶店主が手作り
高知
近江屋対談:「龍馬と啄木」で絆 高知、岩手知事が生き残りへ共通ビジョン /高知
山口
志士に愛された温泉宿【百年企業】
長崎
龍馬に会いたい:/17 土佐商会跡 /長崎
龍馬伝に合わせ東京で「長崎学講座」 講演や検番の踊りで魅力発信
ブックレビュー
【書評】『日本力』松岡正剛、エバレット・ブラウン著
文化芸能
<歌舞伎>新解釈の『佐倉義民伝』 来月、コクーン歌舞伎で中村勘三郎
エンターテインメント
【プレミアムシート】“出会い”に恵まれた大沢たかお「俺ってしょぼい」
東京
龍馬ゆかりの地巡り心地よい汗 500人が産経大江戸ウオーク
東京の風情と歴史を楽しみながら歩く「産経大江戸ウオーク 幕末・龍馬が駆けた江戸」(主催・産経新聞社、共催・メタボリックシンドローム撲滅委員会)が29日、東京都千代田、中央、港区内の史跡などを巡る約12キロのコースで行われ、ウオーキング愛好家ら約530人が心地よい汗を流した。
今年は幕末の風雲児・坂本龍馬がテーマ。午前9時すぎ、日比谷公園を班ごとにスタート。銀座を経て、龍馬が剣術修行のおりに寄宿した築地の土佐藩邸跡(中央区役所)や千葉定吉道場跡などを巡り、彦根藩主・井伊直弼屋敷跡の憲政記念館では龍馬の息遣いが感じられる薩摩、長州両藩の軍事同盟の裏書きなどについて説明を受けた。
午後からは龍馬の人生を大きく変えた勝海舟邸跡、桜田門外の変で水戸藩浪士らが集結した愛宕神社など回り、浜離宮恩賜庭園にゴールした。
長男に誘われて参加した江戸川区の主婦、平川祐子さん(51)は「歩きながら息子とゆっくり話ができて楽しい一日でした」と話していた。
神奈川
横浜開港祭スタート、魚に触れるイベントなど開催
幕末の横浜開港を記念する「横浜開港祭」がみなとみらい地区の臨港パークなどで29日に始まり、横浜港で当日釣った魚に触れる「タッチプール」や、自衛隊護衛艦「しらゆき」への体験乗船など各種のイベントが行われた。
タッチプールは、身近な海の環境保全の大切さを伝えようと、NPO法人の水辺基盤協会東京湾支部などが実施。スズキやクロダイなど大小さまざまな魚に触れ、集まった子供たちは歓声を上げていた。タッチプールは無料で、30日も開催される。
新潟
龍馬伝にも登場 輸送船の部品
江戸幕府の輸送船で、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」にも登場する「順動丸(じゅんどうまる)」の部品の一部が、新潟県長岡市で展示されています。
「順動丸」は江戸時代の末期に、幕府がイギリスから購入した当時の最新鋭の蒸気輸送船で、戊辰戦争の際に長岡市の寺泊沖に停泊中、薩摩藩や長州藩らの攻撃を受けて幕府側がみずから爆破しました。長岡市では、地元と関係のある船を知ってもらおうと「順動丸」のシャフトと呼ばれる部品を展示しています。シャフトは船に動力を伝える回転軸で、海に沈んでいたものを地元の人たちが引き上げ保存してきたということです。「順動丸」には、坂本龍馬や勝海舟も乗ったとされ、長岡市では大河ドラマ『龍馬伝』にも登場する船で観光客を呼び込みたいとしています。展示は長岡市の旧寺泊町役場の車庫で、来年1月末まで行われています。
愛媛
【美人女将の宿】300年守り続けるぬか床 愛媛・松屋旅館
江戸中期から昭和初期の古い町並みが残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれた愛媛県西予市宇和町卯之町。その一角にある「松屋旅館」のたたずまいは旅人をいにしえの世界へ誘う。女将の大気(おおき)洋子さん(74)は6代目の夫を支えながら、風情ある江戸時代の建物と創業当時から受け継がれた“ぬか床”で作った漬物で宿泊客をもてなしている。(松山支局 浅野幸治)
創業は江戸中期。客室には犬養毅や尾崎行雄の書がさりげなく飾られており、幕末から昭和初期にかけて多くの政治家や文人、画家が宿泊していたことをうかがわせる。
松屋の玄関に家紋の入った紺色の幕が張られると要人が泊まったことを示し、「頭を下げて前の通りを通らなければならなかったと聞いています」というエピソードを披露。「歴史と一緒に松屋も栄えてきました」とのれんの重さを語る。
保存地区には、明治15年に建てられた、洋風でモダンな校舎の開明学校(国指定重要文化財)や蘭学者、高野長英の隠れ家などが残っており、古き日本の散策が楽しめる。
代々の女将が守ってきたのはのれんだけではない。「300年近く続いたものはほかにないと聞いています。絶対におわけすることのできない松屋の家宝です」と話すぬか床だ。「毎日毎日、子供を育てるように慈しんでいます」という。大学の研究者は「やわらかな風味があり、酵母菌や乳酸菌など良質な菌がたくさんある」と折り紙をつけた。
ぬか漬けは宿泊客らが食べる時間にあわせて、四季折々の野菜などを夏は4時間から6時間、冬は15時間から27時間と、その時の気温、湿度によって漬け込んでいる。
テレビの取材で宿泊した女優の菅井きんさんは、自身も40年のぬか床を持っているといい「自分が辞めるまでに一度は松屋にきて漬物を食べたかった」と喜んでいたという。
「受け継いだ昔の料理や宿屋のイメージを大切に、家族的な旅館経営を心がけ、人のつながりを大事にしてきました」という大気さんは「もてなしは、お金のかからない心のこもったサービスです」が持論。「『また来るから元気におってよ』と言っていただけるのがうれしい」と話す。
ドイツに留学していた四男が7代目を継ぐことも決まった。建物も「大工さんに『あと100年はもつ』と太鼓判を押された」と、伝統は着実に受け継がれている。
重要伝統的建造物群保存地区と松屋旅館 重要伝統的建造物群保存地区とは各地に残る歴史的な集落、町並みを保存するため、国が選定し、市町村への財政的援助や技術的指導を行う。江戸時代の卯之町は、宇和島街道沿いの宿場町や四国遍路43番札所明石寺の門前町として栄えた。明治後期から宇和島街道の南に県道(現市道)や鉄道などが並行して開通。商業施設や官公庁などがそれらの沿線に集まるようになり、宇和島街道沿いは商家や宿屋、酒屋、住宅、寺院などが混在する歴史的な町並みが残った。
松屋旅館は宿泊客60人。200人収容の会議や宴会もできる。1泊2食付き7350円から。食事だけの利用も可能で1575円から。問い合わせは(電)0894・62・0013。
広島
キャンドルに龍馬や「いろは丸」、福山の喫茶店主が手作り
坂本龍馬ら海援隊が乗った蒸気船「いろは丸」が沈没した事件の舞台・広島県福山市の鞆の浦で、龍馬やいろは丸をあしらった手作りのキャンドルが発売され、観光客らに好評だ。
喫茶店「友光軒」の店主武田典子さん(64)が自作販売。球形(直径6センチ)と立方体(高さ5センチ)のキャンドルに龍馬などを描いた和紙を張り、溶かしたロウで表面を包み込んだ。
今春、店内に飾ったところ「土産に」との要望があり、販売を決めた。1個作るのに約30分かかるといい、武田さんは「龍馬が世の中に希望の灯をともした時代をしのんで」。
(2010年5月29日 読売新聞)
高知
近江屋対談:「龍馬と啄木」で絆 高知、岩手知事が生き残りへ共通ビジョン /高知
石川啄木と父一禎の歌碑が高知市に建立されたことが縁で交流を深めている岩手、高知両県の知事による「近江屋対談」が28日、同市浦戸の国民宿舎「桂浜荘」であった。ひざをつき合わせた達増拓也知事と尾崎正直知事のやりとりは、坂本龍馬からお国自慢、国との関係にまで及び、「地方が生き残るには、地方同士の結びつきを強めていかねば」と共通のビジョンを確認し合った。【千脇康平】
両県は昨年9月の歌碑建立を契機に今年度の交流事業を企画。歌などから龍馬と啄木の共通点を探る「龍馬と啄木展」や、物産展の相互開催などが予定されている。
会場に集まった観客は約100人。別の時代に生きた龍馬と啄木に通ずることとして、達増知事は「国のあり方について正面からぶつかっていった」、尾崎知事は「思想家であり人間味にあふれている」とそれぞれ分析した。
また、尾崎知事は、江戸幕府を倒した後の国家像を考えていた龍馬にならい、「旧弊を打ち壊した後に新しい時代をどうつくるかが重要」と提言。達増知事も「日本はグローバル化に対応できていない」と指摘し、「幕末、戦国時代の日本にもグローバル化はきていたが、見事切り抜けて強い国をつくった。それは地方が強かったからだ」と述べた。2人は最後に「今度は岩手県で対談を」と約束し、握手を交わした。
◇啄木と一禎の歌碑で一首--岩手県知事
また、達増知事ら訪問団はこの日、高知市のJR高知駅南口広場にある啄木と一禎の歌碑を訪問。歌碑建立を実現させた「啄木の父 石川一禎終焉(しゅうえん)の地に歌碑を建てる会」(代表、高橋正・高知ペンクラブ会長)のメンバーや尾崎知事らが出迎えた。
達増知事は「直接来たいと楽しみにしていた」とあいさつし、得意という短歌で「大空と海を越え来て友に会い光の中で啄木を見る」と詠んだ。同会事務局長の梶田順子さんも「啄木の父のえにしに岩手人土佐人つどふ父子の歌碑に」と返歌。高橋代表は「岩手県と高知県がますます交流を強め、社会に貢献していけたら」と期待を込めた。
山口
志士に愛された温泉宿【百年企業】
◆ 松田屋ホテル ◆
龍馬も入った温泉宿――。そんなロマンのある旅館が山口市にある。創業335年の「松田屋ホテル」。西郷隆盛や木戸孝允らも訪れ、館内には明治維新の資料室を備える。幕末ファンには以前から知られた存在だ。最近は「歴女」と呼ばれる若い女性の姿も多い。「土地の歴史を伝えるのが使命」。8代目当主の松田康義さん(66)は、ホテルに残る歴史の足跡を、自ら宿泊客らに説明する「語り部」でもある。
(小西宏幸)
◆歴史の足跡「維新伝承」
傷ついた白キツネが見つけたという伝説が残る山口市の湯田温泉。市中心部に位置し、温泉街というより、どこにでもある地方都市の風情だ。そんな中、松田屋ホテルの4千平方メートル近い敷地は、白壁と、5階建てのビルぐらい高い山桃や松などに囲まれている。庭園に、オシドリが羽を休める池や滝まであるとは、外から想像もできない。薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通と、長州藩の木戸孝允や伊藤博文らが会ったとされる東屋風の「会見所」が残る。
「履信居仁(りしんきょじん) 己亥6月2日 博文」
ロビーにある揮毫(きごう)額は、明治32(1899)年に伊藤博文が書いたと伝わる。「『礼にもとづき、思いやりの気持ちで』という意味があり、私たちの心得としています」と松田さん。
創業は延宝3年(1675年)。当初は部屋を提供しながら、旅人からお茶代を受け取っていたという。幕末には本格的な旅籠(はたご)となり、勤王の志士が集った。
松田屋の名を幕末ファンに知らしめているのが、坂本龍馬も入ったとされる「維新の湯」だ。1860年に造られたもので、本来の場所から移設されたが、浴槽と洗い場、天井は当時のままだ。
「あなたが坂本さんでありますか」
何度も宿泊した作家の故・司馬遼太郎は小説「竜馬がゆく」で、高杉晋作との出会いの場に湯田温泉の旅館を持ってきた。「フィクションでしょうが、私たちはうちで2人が出会い、維新の湯で親交を深めたと信じてます」
◇ ◇ ◇
「家業に縛られず、好きな道を歩みなさい」。1988年に亡くなった7代目の父に、松田さんはそう言われてきた。小さいころは敷地内の自宅で育ち、客だった三波春夫や長谷川一夫に遊んでもらった思い出がある。慶応大を卒業後、旧住友銀行に入社したが、70年、山口に戻った。
父の背中を見て当主業を学ぶなか、父からホテルに代々伝わる話を初めて聞かされた。「祖母は、酔うとすぐに刀を抜く高杉晋作を恐れていたそうだ」。そんな話がたくさん残っていた。繰り返し行われた改装も最小限に抑えられ、志士たちが書き残した書なども大切に保管されていた。
「維新」を前面に出し始めたのは、維新百年にあたる67年以降だ。71年に明治維新資料室を設置し、高杉晋作が刻んだ文字が残る「憂国の楓(かえで)」などを展示。75年に山陽新幹線が開通した。2年後には、大村益次郎や吉田松陰など山口ゆかりの人々が登場する大河ドラマ「花神」が放映され、高視聴率を記録。萩(はぎ)や津和野(島根県)を訪れた観光客が、湯田にも足を伸ばすようになり、にぎわいをみせた。「代々、自然な形でこの宿に残されていたものが、時代に求められ、利用されたお客様に愛されてきたのでしょう」
◇ ◇ ◇
湯田温泉に来る客は、減り続けている。湯田温泉旅館協同組合(25旅館が加盟)によると、宿泊客は91年度の約67万人をピークに、ここ数年は40万人をきった状態だ。旅行業界の厳しさを何とかしたいと、松田さんの次男で従業員の健慈さん(30)は2年前からホテルのホームページでブログを始め、周辺のイベントや飲食店の情報などを紹介。今年はツイッターも始めた。1泊3万円前後と安くはないがネット予約も増えているといい、「今の若者が何を求めているかを知り、ホテルに還元できれば」との思いからだ。
「微々たる存在感ですが、これからもホテルを続けていければうれしいですね」と、取材には終始、控えめだった松田さん。受け取った名刺には、「維新伝承」の文字があった。「志士たちが愛した湯田温泉に誇りはあります」と、客に求められれば自然と、伝える言葉が口をついて出てくる。
「歴史を鑑(かがみ)として未来に、という気持ちを忘れず、この土地の語り部になれれば」と、何度も繰り返し語った。
■ 松田屋ホテルの歩み ■
1675年 創業。家系図には「初代は徳川中期、宝暦年間の直之進」と書かれているという
1860年 「維新の湯」の浴槽を建造
67年 西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允が倒幕について協議
87年 新客室棟を増築。初代総理大臣・伊藤博文が来泊
1932年 法人化。「松田屋」から「松田屋ホテル」に
■ 松田屋ホテル ■
本社所在地 山口市湯田温泉3丁目
従業員数 約60人(2010年5月、パート含む)
客室数 33室(全て和室)
長崎
龍馬に会いたい:/17 土佐商会跡 /長崎
◇海援隊の活動を支援
三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎(1835~85年)が雄飛したのが、幕末の開港でぼっ興する長崎だった。
1867年、土佐藩が長崎に設置していた商社「開成館長崎商会」、通称「土佐商会」の主任となり、その手腕を発揮。外国人居留地のグラバーら貿易商と丁々発止渡り合って蒸気船や洋式銃を次々買い付け、激動の時代に経営感覚を磨いた。坂本龍馬の海援隊の活動も陰から支えたことでも知られる。
三菱史アナリストの成田誠一さん(68)=東京都文京区=は「土佐では得られなかった国際ビジネスのセンスが長崎で得られ、龍馬や海援隊のやり方も吸収できた。長崎は弥太郎の『ビジネススクール』だった」と分析する。
その土佐商会跡(長崎市浜町)にこのほど市などが新たにモニュメントを設置した。東彼杵町立千綿中教諭で彫刻家の藤原健太郎さん(35)=大村市=が、土佐藩船「夕顔丸」の銅製モニュメント(高さ50センチ)を作製。夕顔丸は、坂本龍馬が大政奉還を提案した「船中八策」の舞台とされるが、弥太郎は、龍馬が乗った夕顔丸が長崎から出港するのを涙を浮かべて見送ったという。
藤原さんは「夢や志を持つことの大切さを感じてほしい」と語った。【錦織祐一】
龍馬伝に合わせ東京で「長崎学講座」 講演や検番の踊りで魅力発信
東京・両国の江戸東京博物館で開催されているNHK大河ドラマ特別展「龍馬伝」に合わせ、長崎の歴史の魅力を発信する「旅する長崎学講座 龍馬が生きた時代~幕末長崎へ旅に出よう」が29日、同博物館で開かれ、歴史ファンら約450人が詰め掛けた。
県の主催。開会に際し、中村法道知事が亀山社中記念館など多彩な歴史スポットを紹介し「長崎の魅力は和華蘭。古くから海外と交流を重ね文化を育ててきた。ゆっくり堪能してください」などとあいさつ。
県文化振興課の石尾和貴氏が「なぜ龍馬は長崎をめざしたのか」と題し講演。龍馬が妻お龍とカステラを持って鹿児島県霧島へ新婚旅行に出かけたり、お龍が長崎で「月琴」を習ったりしたエピソードに触れながら、「長崎は近代化の学校。西洋だけでなく、国内の諸藩の情報も集まった」などと龍馬が長崎を目指した歴史的背景を説明した。
幕末長崎の古写真をめぐる姫野順一氏(長崎大教授)と本馬貞夫氏(県参与)の対談や、長崎検番の芸妓(げいこ)衆による踊りの披露などもあった。
ブックレビュー
【書評】『日本力』松岡正剛、エバレット・ブラウン著
知のフェロモンを刺激
この本は私の内なる何かを刺激する。まず、表紙である。単なる白黒写真とは明らかに違う。読み進めて157ページ目で、日本に22年間住むエバレット・ブラウン氏が、対談相手の松岡正剛氏を撮ったものとわかる。安易に答えを教えないのは、文化はじっくり味わうものというメッセージであろうか。
湿板写真という幕末・明治に使われていた技法を使用して、大型カメラで5分、10分と時間をかけて撮影すると、薬品や場所の湿度や季節や光など自然の要素が仕上がりに大いに影響し、「偶然とか予想外のもの、いわゆる不安定で不完全なものが写真に現れる」とブラウン氏は言う。さらに、この撮影方法を「千利休などが進めた『不完全な美』の世界に一番近い」と表現する。なるほど、日本文化研究の第一人者である松岡氏が「日本人以上に日本の本来を感じさせる思索力や観察力を持ったとびきりのガイジン」とブラウン氏を高く評価するわけである。
松岡氏が「ガイジン」と言うとき、異質な人間を排除しようとする閉鎖性は皆無だ。異文化からきた人間だからこそ、日本に生まれ育った日本人が見逃しがちな日本本来の文化の水流をガングロなどの若者文化の中にも見いだす力を持つ者として捉(とら)えている。
2人が「謎めく」日本について縦横無尽に語り合う熱気は、私がアメリカで「ガイジン」だったとき、どんなテーマで取材をしても、良くも悪くも開拓精神あふれるアメリカの根っこにつながっていることを実感できて面白くて面白くてたまらなかった興奮を思いださせた。私の場合、13年の異国での生活後、改めて日本を知りたくなって帰国したが、取材や日常で会う日本は、アメリカ制度の後追いであったり、閉塞(へいそく)的であったりした。ところが、この本には私が求めていた日本が凝縮されていた。松岡氏は「日本人から日本を感じるための『知のフェロモン』のようなものが希薄になり、衰退している」と言う。冒頭、この本は私の内なる何かを刺激すると書いたが、それは弱った私の知のフェロモンだったのだ。(パルコ・1680円)
評・井口優子(評論家)
文化芸能
<歌舞伎>新解釈の『佐倉義民伝』 来月、コクーン歌舞伎で中村勘三郎
中村勘三郎が串田和美の演出、鈴木哲也の脚本で、新しい解釈の「佐倉義民伝」を六月三日から東京・渋谷のシアターコクーンで上演する。江戸時代前期、領主の圧政に苦しんだ下総佐倉(今の千葉県)の名主・木内宗吾が将軍に直訴して、家族とともに処刑された凄惨(せいさん)な実話に基づく狂言。勘三郎は「宗吾の怒りを小さな私憤に終わらせないように筋や結末を大胆に変えた。十分納得してもらえる出来」と自信を見せれば、串田も「見たこともない宗吾伝になる」と語る。 (藤英樹)
「佐倉~」は歌舞伎には珍しい農民劇。三世瀬川如皐の作で幕末の一八五一年に江戸中村座で初演され好評を博した。当時は幕府を憚(はばか)り室町時代の設定にしていた。その後河竹黙阿弥が追補し、明治時代になると舞台を江戸時代に改め、現在の形となった。
全七幕だが、これまで頻繁に上演されてきたのは、宗吾が将軍への直訴のため江戸に赴く前、累が妻子におよぶのを避けようと離縁しに自宅に戻る「子別れ」と、寛永寺に参詣する将軍家綱に宗吾が駆け寄り願書を渡す「直訴」。
勘三郎は二〇〇二年に歌舞伎座で初演しており、今回二度目。勘三郎と串田が組んだコクーン歌舞伎としては五年ぶりの新作となる。
「実は僕は別の作品を温めていて、『佐倉~』と聞いて最初は難題と感じ、少したじろいだ。でも味付けを考えるうちにアイデアが次々とわいてきた」と串田。宗吾の悲しみや苦しみを描く従来の世話物的な要素に、農民の実情など客観的な話を加えて「もう少し乾いた心理描写になる。それを軽快なリズムで伝えたい」と言う。
宗吾を演じる勘三郎は「農民一揆を起こそうという周囲の声を押さえて領主と話し合い、最後まで平和的な解決を目指した宗吾は理想主義者で、悲しくて強い人。すぐ感情を発散する僕とは正反対の性格かな。舞台では抑えに抑えて勤めたい」と語る。
今回の新解釈の中で特に注目されるのは、新たに登場させる「駿河弥五衛門」(中村橋之助)。幕府転覆を謀った歴史上の人物由比正雪を自称する大道芸人という設定で、宗吾のやり方を批判し一揆をあおるなど対極のキャラクター。人間の醜さを肯定し、理想主義を軽蔑(けいべつ)しながらも宗吾に引かれていく。
「実は宗吾の中にも葛藤(かっとう)がある。弥五衛門という人物を登場させることで、宗吾の“化身”かもしれないということを観客に感じてもらえれば。僕が宗吾と二役でこの人物を勤めるという話も出たが、訳が分からなくなるのでやめましたが」と勘三郎。
今回の舞台では、領主に裏切られ一緒に処刑されるわが子に向かって、宗吾が「成仏などするな。恨みを残して死ね」と呼び掛ける壮絶な最期や、宗吾の霊に取りつかれた領主が家臣を斬殺(ざんさつ)し、藩改易となる場面までも描かれる。そしてあっと驚く結末。勘三郎は「見てのお楽しみ。現代にも通用する新鮮なドラマになった」と力を込める。
時間を節約しドラマをテンポよく進めるため義太夫は使わず、歌舞伎史上初めてラップ音楽を使う。ほかの出演は中村七之助、坂東弥十郎、中村扇雀ら。二十七日まで。一万三千五百~五千円。(電)0570・000・489。七月二~八日には、串田が芸術監督を務める長野県松本市の市民芸術館でも上演される。一万五千~五千円。(電)0570・02・9999。
エンターテインメント
【プレミアムシート】“出会い”に恵まれた大沢たかお「俺ってしょぼい」
「危険な香りがするよね。誰もやったことない舞台だから怖いけど、自分でもドキドキするほど楽しみ」。さらりと言い放ったかと思うと、真っ白な歯を見せて笑った。
来月、奈良・薬師寺の特設舞台で、朗読活劇「一期一会『義経』」を上演する。壇ノ浦で平家を滅ぼしたものの、兄・頼朝との不仲から奥州に落ち、ついに悲劇の最期を遂げる源義経。その生涯を、朗読と芝居と音楽で描きあげる野外劇で、原作は司馬遼太郎。
「義経は血と運命に翻弄(ほんろう)された人。僕は大好きだし、そんな義経の思いを、司馬さんの文体を大切に読ませていただきながら現代に伝えたい」
本を手にしながら、ときに義経、ときに弁慶、ときに静御前と、すべての人物になりきり、語り分け、叫び、苦悩し、演じる。表現のルールなどない。
「飛び出す絵本みたいになれば。薬師寺という特別な場所がインスピレーションを与えてくれそう。スリリングな舞台にしたい」
× × ×
昨年、主演したドラマ「JIN-仁-」は、最終回が25・3%と、平成21年度の連続ドラマの最高視聴率を記録。幕末にタイムスリップした脳外科医の苦悩を自分の血と肉とする好演で橋田賞も受賞した。
しかし当人は、「もう、忘れちゃった」といたってクール。「過去はどうでもいい。いま、しかない」
大学在学中からモデルとして活躍。俳優に転向した当初はトレンディードラマなどにも主演。181センチの長身、整った容姿で一躍人気俳優になった。
「デビューして数年は、俺ってすごいなと思ってた」と打ち明ける。「でも、あるときから、『あ、俺ってしょぼいな』って。俳優としての演劇的才能がそれほどあるとは思えない。ただ、人に出会う才能だけはとびっきり恵まれてる」
近年は映画「解夏(げげ)」で人間の内面に分け入るような繊細な演技を見せる一方、激しいアクションもこなし、硬派な人間ドラマにも存在感を発揮。映像のイメージが強いが、社会派劇「ディファイルド」やミュージカル「ファントム」など舞台にも意欲的だ。
「役者は不特定多数の人に自分を認めてもらえて、喜んでもらえて、愛してもらえるすごい職業。仕事以上の欲を満たしてもらってるのに、人生に安定なんて求めない」
× × ×
40代を迎え、「役者としてこれからおもしろくなる」と自分に期待をかける。
今秋には、幕末の水戸藩士にふんした主演映画「桜田門外ノ変」も公開。
「いつも心がけていることは現場に本気で立つこと。そして作品や周りの人に誠実であり続けること」
額にかかる髪を長い指でさりげなくかきあげる。危険な男の香りにぐらりときた。(文・亀岡典子、写真・頼光和弘)
■おおさわ・たかお 昭和43年、東京生まれ。大学在学中からモデルとして活動。平成6年に俳優に転向してからは映像、舞台などで幅広く活躍。代表作にテレビ「深夜特急」、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」、「解夏」(日本アカデミー賞優秀主演男優賞)など。
舞台「朗読活劇一期一会『義経』」は6月5、6日いずれも午後6時半から、奈良・薬師寺の特設舞台で上演される。
昨日は画像しか投稿できなかったので。
市馬落語集 第三夜
柳家市助「道灌」
パンフレットに「初見得得」とあり、デビュー。市馬師匠の解説によると、今年2月21日に入門した(偶然にも、市馬師匠が小さん師匠に入門したのもちょうど30年前の2月21日とか)ばかりの18才。
途中つっかえ、また数秒止まってしまった。市馬独演会のファンはとても優しいので「頑張れ!」と声がかかったり励ましの拍手が後押ししたり。 途切れたところを思い出して、ちゃんと最後までやり切った。
初高座ということで、場内から花束贈呈……微笑ましいなぁ。
柳亭市馬「木乃伊取り」
市馬さん登場。市助さんの紹介がマクラ。「30年後には落語協会の会長になっているかも知れないですよ。その時あたしは……歌手協会の理事になっているかも知れません」と笑わせる。
市馬師匠の『木乃伊取り』かぁ、と、わくわくしてしまう。
落語あらすじ事典千字寄席 木乃伊取り
飯炊きの清蔵が、ど迫力。田舎者で実直で堅物(ただし酒好き)が、吉原に居続ける若旦那を連れ帰そうとして吉原に乗り込むのだが、酒と花魁の老練な手管に籠絡されていく過程がまた、一番の見所。爆笑に次ぐ爆笑。
市馬師匠、見た目は大柄でごついんだけど、女性を描くのも上手なのだ。若旦那の敵娼で老練なかしく花魁が清蔵を心にもないお世辞でたらしこんでいくところ、心にくい。
両親が甘いことをいいことに、吉原に居座る若旦那。市馬師匠の落語では今まで見ていないタイプなのだが、にやっとふてぶてしく笑う表情に、ちょっとときめいた(笑)。
ちょろっとだけしか台詞がないが、幇間の一八が番頭の佐兵衛を「よぉよぉ」と持ち上げるかけ声が、どきっとするほど談志家元に似てた。
中入り
三浦滉一「踊り子」
司会者(オフィスM'sの方でしょうか?)が登場。「三浦滉一さんの登場なのですが、市馬たっての願いで三浦さんの前に一曲歌わせて欲しいと……」場内爆笑、大拍手。市馬ファンは「歌いたがる市馬師匠」も大好きなんですよね。
市馬師匠「弁天小僧」を熱唱。何て幸せそうなんだ師匠(笑)。市楽さんが出てきて踊る^_^;。
三浦さんが登場、市馬師匠とトーク。昭和3年生まれの82才、歌手デビューは昭和28年。昭和歌謡の大スターを次々に輩出した「吉田学校」の門下生でヒット曲多数。
「踊り子」、82才とは思えない声の伸びと声量です。
柳亭市楽「桑名舟」
「鮫講釈」という題もあるらしい。江戸者ふたりが金比羅参りの帰り道で舟に乗り、そこで上方ものと謎かけをして暇つぶし。ところが舟が動かなくなり、鮫をしずめるためにひとり犠牲にすることに。当たってしまったのが講釈師で、今生の別れに一席ぶつのだが……。
謎かけは東西落語家特集。小三治、扇橋、米朝は記憶に残っている。
赤穂浪士の討ち入りの場面だったはずが、次々とネタが入り交じり、すさまじい講釈に。「今政岡」とか「信太の森」とか「鈴ヶ森」とか「石川五右衛門」とか「曽我兄弟」とか、ぱんぱん張り扇叩いて出てくること出てくること。爆笑。
柳亭市馬「厩火事」
三夜の締めは「厩火事」。
落語あらすじ事典 千字寄席 厩火事
落語って歴史的にどうしても男目線の噺が中心になるのだけど、この噺は女髪結いのおさきさんが主人公なので女性にも共感
しやすいと思う。髪結いの腕はいいんだけど、おしゃべりで早合点で、仲人さんの滋味あるお話にくだらないツッコミをいれまくる。でも7つも年下の夫が自分と一生添い遂げてくれるかどうか心配で心配でたまらない、同性からみてかわいい女なんだよなぁ。
昔は真打ちでないと稽古をつけてもらえなかったネタなんだそうだ。登場人物は仲人とおさきさんと亭主しかいないのだが……女心を表現するのが難しいんだろうなぁ。
市馬師匠のおさきさん、気の強さの裏にあるかわいさが出てました。
途中、仲人さんが「麹町のさる旦那」のエピソードを紹介していた時に、周囲のおじさま方が、日頃の家庭での言動を振り返ったのか、空気に何となく「しんみり」感が出ていたのが、ひそかかに笑えました。
☆★☆★
周囲の会話で「昨日もよかったのよ。講談師の国元武春さんが盛り上げてくれて~」というのが聞こえてきて、第二夜も着たかったなぁと思うことしきり(その日は落語研究会で、これまたいい高座だったのだけど)。
来年こそは、三夜コンプリートしたいです(^^)。
市馬落語集 第三夜
柳家市助「道灌」
パンフレットに「初見得得」とあり、デビュー。市馬師匠の解説によると、今年2月21日に入門した(偶然にも、市馬師匠が小さん師匠に入門したのもちょうど30年前の2月21日とか)ばかりの18才。
途中つっかえ、また数秒止まってしまった。市馬独演会のファンはとても優しいので「頑張れ!」と声がかかったり励ましの拍手が後押ししたり。 途切れたところを思い出して、ちゃんと最後までやり切った。
初高座ということで、場内から花束贈呈……微笑ましいなぁ。
柳亭市馬「木乃伊取り」
市馬さん登場。市助さんの紹介がマクラ。「30年後には落語協会の会長になっているかも知れないですよ。その時あたしは……歌手協会の理事になっているかも知れません」と笑わせる。
市馬師匠の『木乃伊取り』かぁ、と、わくわくしてしまう。
落語あらすじ事典千字寄席 木乃伊取り
飯炊きの清蔵が、ど迫力。田舎者で実直で堅物(ただし酒好き)が、吉原に居続ける若旦那を連れ帰そうとして吉原に乗り込むのだが、酒と花魁の老練な手管に籠絡されていく過程がまた、一番の見所。爆笑に次ぐ爆笑。
市馬師匠、見た目は大柄でごついんだけど、女性を描くのも上手なのだ。若旦那の敵娼で老練なかしく花魁が清蔵を心にもないお世辞でたらしこんでいくところ、心にくい。
両親が甘いことをいいことに、吉原に居座る若旦那。市馬師匠の落語では今まで見ていないタイプなのだが、にやっとふてぶてしく笑う表情に、ちょっとときめいた(笑)。
ちょろっとだけしか台詞がないが、幇間の一八が番頭の佐兵衛を「よぉよぉ」と持ち上げるかけ声が、どきっとするほど談志家元に似てた。
中入り
三浦滉一「踊り子」
司会者(オフィスM'sの方でしょうか?)が登場。「三浦滉一さんの登場なのですが、市馬たっての願いで三浦さんの前に一曲歌わせて欲しいと……」場内爆笑、大拍手。市馬ファンは「歌いたがる市馬師匠」も大好きなんですよね。
市馬師匠「弁天小僧」を熱唱。何て幸せそうなんだ師匠(笑)。市楽さんが出てきて踊る^_^;。
三浦さんが登場、市馬師匠とトーク。昭和3年生まれの82才、歌手デビューは昭和28年。昭和歌謡の大スターを次々に輩出した「吉田学校」の門下生でヒット曲多数。
「踊り子」、82才とは思えない声の伸びと声量です。
柳亭市楽「桑名舟」
「鮫講釈」という題もあるらしい。江戸者ふたりが金比羅参りの帰り道で舟に乗り、そこで上方ものと謎かけをして暇つぶし。ところが舟が動かなくなり、鮫をしずめるためにひとり犠牲にすることに。当たってしまったのが講釈師で、今生の別れに一席ぶつのだが……。
謎かけは東西落語家特集。小三治、扇橋、米朝は記憶に残っている。
赤穂浪士の討ち入りの場面だったはずが、次々とネタが入り交じり、すさまじい講釈に。「今政岡」とか「信太の森」とか「鈴ヶ森」とか「石川五右衛門」とか「曽我兄弟」とか、ぱんぱん張り扇叩いて出てくること出てくること。爆笑。
柳亭市馬「厩火事」
三夜の締めは「厩火事」。
落語あらすじ事典 千字寄席 厩火事
落語って歴史的にどうしても男目線の噺が中心になるのだけど、この噺は女髪結いのおさきさんが主人公なので女性にも共感
しやすいと思う。髪結いの腕はいいんだけど、おしゃべりで早合点で、仲人さんの滋味あるお話にくだらないツッコミをいれまくる。でも7つも年下の夫が自分と一生添い遂げてくれるかどうか心配で心配でたまらない、同性からみてかわいい女なんだよなぁ。
昔は真打ちでないと稽古をつけてもらえなかったネタなんだそうだ。登場人物は仲人とおさきさんと亭主しかいないのだが……女心を表現するのが難しいんだろうなぁ。
市馬師匠のおさきさん、気の強さの裏にあるかわいさが出てました。
途中、仲人さんが「麹町のさる旦那」のエピソードを紹介していた時に、周囲のおじさま方が、日頃の家庭での言動を振り返ったのか、空気に何となく「しんみり」感が出ていたのが、ひそかかに笑えました。
☆★☆★
周囲の会話で「昨日もよかったのよ。講談師の国元武春さんが盛り上げてくれて~」というのが聞こえてきて、第二夜も着たかったなぁと思うことしきり(その日は落語研究会で、これまたいい高座だったのだけど)。
来年こそは、三夜コンプリートしたいです(^^)。
「近く正式に要請する予定」とのこと。
横浜にぎわい座の館長後任に桂歌丸さん浮上、近く正式要請へ
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司会者の玉置宏さんが2月に死去し、空席となっていた大衆芸能専門館「横浜にぎわい座」(横浜市中区)の館長後任として、落語家の桂歌丸さん(73)が浮上していることが28日までに分かった。同館を管理・運営する横浜市芸術文化振興財団が現在、調整を進めており、近く正式に要請する方針だ。
財団は、館長後任の重要な条件として「出演者が偏らないよう、複数存在する落語団体に顔が利くこと」を挙げる。歌丸さんは落語団体の一つ、落語芸術協会の会長を務めているが、業界全体の信望が厚い。
財団は「『歌丸さんなら皆が納得する』と業界関係者からの助言も得た。横浜出身でもあり、最有力候補者だ」と話す。現在のところ、ほかに候補者はいないという。
歌丸さんは、玉置さんらとともに、にぎわい座の立ち上げに貢献した一人。玉置さんの「お別れの会」では実行委員長も務めた。
歌丸さんは「財団からはそのような話があったが、まだ返事はしていない」とコメントしている。
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圓生名跡襲名問題について、東京新聞が圓丈師にインタビューしています。
当事者のひとりである圓丈さんの見方ではありますが、「止め名」署名の存在、「この時、総領弟子で同席した五代目円楽(昨年十月に死去)が封印を無視して、鳳楽に昨年秋、七代目襲名に名乗りを上げさせた」と先代圓楽の行為をはっきり書いている点が気持ちいいです。
<落語>『円生襲名問題』 円窓も名乗り 渦中の円丈に聞く
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<落語>『円生襲名問題』 円窓も名乗り 渦中の円丈に聞く
来年の三十三回忌を前に七代目襲名問題が浮上している落語の大名跡「三遊亭円生」。直弟子の三遊亭円丈(65)と孫弟子の三遊亭鳳楽(63)が、三月に“円生争奪杯”落語会を繰り広げたが、ここに来て円丈の兄弟子の三遊亭円窓(69)が名乗りを上げ、三つどもえの様相に。当事者の一人、円丈に胸の内を聞いた。 (田中冴子)
六代目円生は一九七九年に七十九歳で他界した。長く空席だったのは、夫人ら五人の署名で誰にも永久に名跡を継がせない「止め名」にしてあったから。この時、総領弟子で同席した五代目円楽(昨年十月に死去)が封印を無視して、鳳楽に昨年秋、七代目襲名に名乗りを上げさせた。
これに円丈は「止め名は最近まで知らされていなかった。それに直弟子が手を上げないのはおかしい」と異議を唱え、オープンに話を進めようと直接対決の場を設けた。
この時、表だっては静観の構えだった円窓が五月十七日、所属する落語協会(鈴々舎馬風会長)の定例理事会で「円生の長男(90)に推された」と、襲名に前向きであることを表明した。
「この世界は兄弟子は絶対ですから」と言いつつも、「毎朝仏前で手を合わせるたびに、自分が継ぐことを師匠は望んでいるのでは」と感じてきたという円丈。
この問題では「遺言がなかったので仕方がないが、師匠はどう考えていたのかという問い掛けがないことが、一番合点がいかない」と語気を強める。生きている者の理屈で止め名にしたり、孫弟子に継がそうとしたり…。「鳳楽君はほとんど教わっていないし、円窓さんは最初の師匠が亡くなって来た人。実力主義の師匠が子飼いの弟子で真打ちと認めたのは円楽、円丈の二人しかいないんですから」。かわいがられたという自負もある。
「今後は皆で話し合うしかないのでは。そのために来月一日、鳳楽君と遺族の一人に会って、僕もその意思があることを伝える。一度は名乗りを上げたのだから、了解を取りたい」
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