新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
また明日から天気が崩れそうなので、別記事の通り、ぼたん園に夏牡丹を見に行ってきました。
北海道
【白老】連休は目の保養に 短刀の魅力展
胸を張り旗振り練習【野外劇】
山形
命日に近藤勇の143回忌供養祭 頭部埋葬説ある米沢・高国寺
浮世絵展:北斎ら、幕末描写の150点--天童市美術館 /山形
福島
戊辰戦没者供養祭典/会津若松市
埼玉
郷土の偉人の足跡知って 熊谷・根岸家で友山まつり
千葉
武者や姫君200人練り歩く
歴代藩主や稚児行列も 佐倉で時代まつり
東京
龍馬ゆかりの品 展示会開催
神奈川
咸臨丸の業績顕彰、塩飽水夫も紹介/横須賀でフェス
山梨
龍馬と新撰組 県内の足跡たどる
山梨文化学園が史跡めぐり
滋賀
鮮やかに行列再現/草津宿場まつり
広島
博物館で備後の歴史学ぶ
愛媛
龍馬が乗った「いろは丸」オランダ購入説覆る
坂本龍馬:「いろは丸」購入契約書、実像解明へ「宝物」--大洲 /愛媛
高知
容堂へ上洛要請、長州征伐で慶喜が書状
ブックレビュー
明治維新 1858-1881 坂野潤治・大野健一著 ~江戸期の民間経済は通説以上に発展していた
文化芸能
堺雅人、龍馬に迫ってバランスがとれた
IT
docomoより、『防衛ゲーム剣豪 近藤勇』他、サッカー、アドベンチャー等、話題のゲームアプリが6本登場!
北海道
【白老】連休は目の保養に 短刀の魅力展
仙台藩白老元陣屋資料館で、春のテーマ展「日本刀の輝き~短刀の魅力」が始まった。日本製鋼所室蘭製作所の刀匠・堀井一門の作品をはじめ、美しい短刀30振りが展示されている。5月9日まで。
日本刀展は7度目で、短刀は初登場。日鋼製作所瑞泉鍛刀所4代目刀匠として、作刀技術の継承に取り組む堀井胤匡さんが監修し、明治時代に宮内省(当時)御用刀匠も務めた堀井胤吉の作品や、白老元陣屋の統括者であった幕末の仙台藩士・三好監物の短刀も見ることができる。
開幕の24日は、室蘭市のむろらん刀談義主宰・鳥羽達一郎さん(80)が会場を訪れ、作品を解説した。鳥羽さんは、短刀の用途には護身用以外に、一家繁栄のお守りや髪を切るものとされた、と紹介し、「刀身」「さや」「つか」「つば」の各部に専門の職人がいて、「(製作を)分業化することによって、刀は一つの作品として芸術性を高めた」と解説した。
胸を張り旗振り練習【野外劇】
7月9日に開幕する第23回市民創作「函館野外劇」に向け、全体オリエンテーションが25日、函館千代田小学校体育館で行われた。フラッグダンスシーンの出演者30人が初めて顔を合わせ、旗の持ち方などの基本を覚えた。
開港シーンで繰り広げられるフラッグダンスは、アメリカ、イギリス、フランス、ロシアの4カ国の旗で、華やかに舞台を彩る。今年は小学3年生から70代までが出演。全体でのダンスのほか、4カ国別にそれぞれダンスシーンがある。
練習では演出コーディネーターの石川泰隆さんが「旗を持つ時は胸を張って、斜め45度に傾けて」などと基本姿勢から指導。旗を左右に振ったり回転させたりする技にも挑戦した。練習後、石川さんが「日本一、世界一の野外劇にしたいので頑張っていきましょう」と励ました。
昨年に引き続き、劇の進行を担う妖精「コロポックル」役でも出演する千代ケ岱小6年の岡元駿介君(12)は「旗は重いけど思ったより簡単で思いっきり振ると気持ちいい。今年もなるべく多く出演したい」と笑顔で話していた。
この日は、コロポックル役や、殺陣のけいこも行われた。公演まで毎週末けいこに励み、6月初旬には会場の五稜郭公園の堀に設営される水舞台での練習に移る。出演希望者は事務局TEL0138・56・8601へ。
山形
命日に近藤勇の143回忌供養祭 頭部埋葬説ある米沢・高国寺
新選組局長の近藤勇(1834~68)の頭部が埋葬されているという米沢市鍛冶町の高国寺(西山啓志住職)で25日、近藤の143回忌の供養祭が行われた。
命日(旧暦4月25日)にちなみ、近藤勇のロマンを語る会(大友久太郎会長)が2005年から毎年営んでいる。処刑された近藤の頭部をめぐっては、京都・三条河原にさらされた後、行方不明になったというのが通説。その後について諸説あり、同会によると、米沢で織物業を営んでいた親せきの近藤金太郎が持ち出して焼き、同寺に埋葬したという。
この日は会員ら約40人が参加。法要後、首が葬られたとされる墓に手を合わせ、剣豪の遺徳をしのんだ。29日の米沢上杉まつり・米沢時代行列で近藤勇に扮(ふん)する、飲食店経営宇井清美さん(40)=同市舘山5丁目=は「尊敬する歴史上の人物。しっかり演じてみせると墓前に誓った」と話していた。
浮世絵展:北斎ら、幕末描写の150点--天童市美術館 /山形
江戸時代の大衆文化を生き生きと描写した「幕末浮世絵アラカルト 大江戸の賑(にぎ)わい 北斎・広重・国貞・国芳らの世界展」(天童市、テレビユー山形など主催)が天童市美術館で開かれている。画家で国際浮世絵学会常任理事の中右瑛(なかうえい)氏のコレクションから約150点を展示した。
幕末に流行した旅行、芝居、怪奇物語、風刺画などの文化を鮮やかな色彩と自由な発想で紹介している。葛飾北斎の富嶽三十六景、歌川広重の東海道五十三次のシリーズや初公開となる広重の肉筆画「両国の月」などがある。5月30日まで。入場料は一般500円。【湯浅聡】
福島
戊辰戦没者供養祭典/会津若松市
戊辰戦争の犠牲となった会津藩士らを弔う春季祭典は23日、会津若松市の阿弥陀寺と長命寺で行われた。
会津弔霊義会の主催で毎年、春と秋に慰霊の式を執り行っている。
阿弥陀寺の祭典では石州流宗家会津支部による献茶献菓の後、読経に続き、会津弔霊義会の芳賀公平理事長があいさつした。
また、会津吟詠会が詩吟を奉納した。
引き続き、長命寺でも祭典が行われ、会津藩士の霊を慰めた。
埼玉
郷土の偉人の足跡知って 熊谷・根岸家で友山まつり
幕末から明治にかけて政治・文化面で活躍した根岸友山・武香親子の業績を広く知ってもらおうと、熊谷市冑山の根岸家で「友山まつり」が24日行われた。地元商工会などが実行委員会をつくって開催しているもので、今年で4回目。
天保年間(1830-1844年)に建てられた長屋門を会場に、根岸友山と武香の資料写真などを展示。庭では大正琴や尺八を演奏。タケノコ狩りや、熊谷産小麦を使ったケーキや郷土料理のフライの販売なども行われた。この日は天気にも恵まれ、大勢の人たちが春ののどかな一日を楽しんだ。
根岸友山は江戸後期に名主の家に生まれ、治水や近郷の子弟の教育に力を注いだ。尊皇攘夷派の志士との交流もあり、新選組の前身の浪士組に参加。長州藩への出入りも許され、吉田松陰の門下生の久坂玄端も根岸家を訪れたことがあるという。武香は友山の次男で、埼玉県議会第2代議長。吉見百穴の発掘や「新編武蔵風土記稿」の刊行など、文化面でも多大な足跡を残した。
実行委員会会長の大久保照夫さんは「友山は北辰一刀流の門人だったので、(同門の)坂本竜馬も根岸家に来たことがあるかも」と想像を膨らませる。長屋門は市の助成も受けて改修中だが、子孫の根岸友憲さんは「地域の皆さんの協力を得て、守っていきたい」と話していた。
千葉
武者や姫君200人練り歩く
歴代藩主や稚児行列も 佐倉で時代まつり
「佐倉11万石時代まつり」が25日、佐倉市の新町通りをメーン会場に開かれた。さわやかな青空の下、殿様や姫君、武者などの装束に身を包んだ市民約200人が練り歩き、城下町・佐倉を再現した。
同まつりは市制45周年を記念し1999年にスタート。12回目の今年は、佐倉藩初代藩主・土井利勝が入封してから400年目に当たることから、利勝をはじめ、日米通商修好条約締結に尽力した堀田正睦ら歴史上にも名を残す歴代藩主20人の行列が登場。江戸型山車を引く、かわいらしい稚児行列とともに注目を集めた。
時代行列にはほかに、勇ましいよろい武者、大砲隊、新撰組と官軍、華やかな着物姿のお姫様などが参加。旧城下町通りはカメラを手にした観光客でにぎわった。
東京
龍馬ゆかりの品 展示会開催
幕末の志士で今も幅広い世代に人気がある坂本龍馬の直筆の手紙や写真など、貴重なゆかりの品を一堂に集めた展示会が27日から東京の江戸東京博物館で開かれます。この展示会は、ことし6月6日まで東京で開かれたあと京都や高知、長崎でも開かれます。
神奈川
咸臨丸の業績顕彰、塩飽水夫も紹介/横須賀でフェス
幕末に塩飽諸島の水夫らを乗せ、日本の軍艦として初めて太平洋を横断した咸臨丸。その業績を顕彰する「咸臨丸フェスティバル」(同実行委主催)が24日から神奈川県横須賀市で始まり、各種の資料展や体験航海などさまざまなイベントが市民を楽しませている。
咸臨丸がサンフランシスコに渡ったのは1860年。フェスティバルは毎年、出発地となった同市浦賀で開かれているもので、横断から150年の今年は、例年1日だけのフェスティバルを2日間に拡大。25日までの日程で、咸臨丸の横顔を紹介する資料展や巡視船による体験航海、艦船ウオッチ、水運びレースなど盛りだくさんな催しを予定している。
このうち、咸臨丸ゆかりの土地を紹介する友好都市のブースには、咸臨丸に乗船した35人の水夫の出身地である丸亀市、坂出市、多度津町のPRコーナーも設けられ、愛好家が作成した水夫の墓地マップや研究報告、観光パンフレットなどを展示。
会場には多度津町から咸臨丸子孫の会の西山市朗さんらも訪れ、立ち寄った市民に塩飽の島々の様子や水夫の経歴などを丁寧に説明していた。
秋には多度津町などで150年の記念イベントが予定されており、西山さんは「こういう機会に県外の人に興味を持ってもらって、塩飽を訪ねてほしい」と話していた。(東京支社)
山梨
龍馬と新撰組 県内の足跡たどる
山梨文化学園が史跡めぐり
山梨文化学園(野口英一理事長)の2010年4月史跡めぐり「坂本龍馬と新撰組の足跡を訪ねて」が25日、行われた。
35人が参加し、石川博山梨郷土研究会理事が同行し講師を務めた。一行は、甲府市の清運寺や舞鶴城・小田切謙明の碑、甲州市のぶどうの国文化館、大日影トンネル、ワインカーブ、柏尾坂戦場跡、近藤勇像、護念寺などを訪ねた。
清運寺では、龍馬と婚約したといわれる千葉佐那の墓などを参拝。柏尾坂戦場跡付近では、会津藩士柴田八郎の墓参もした。参加者は幕末の時代に思いをはせながら、石川講師の解説に熱心に耳を傾けていた。
次回は5月28日に「江戸城と国立博物館、根津美術館」と題し、萩原三雄山梨郷土研究会事務局長が同行して行う。
滋賀
鮮やかに行列再現/草津宿場まつり
旧東海道と中山道が合流する宿場町として江戸時代に栄えた草津市の旧街道筋かいわいで25日、「草津宿場まつり」が開かれ、約7万人(主催者発表)の観光客でにぎわった。
メーンイベントの「草津時代行列」は、幕末に京から江戸へ向かった皇女和宮ら一行の行列を再現。市内外から公募で選ばれた参加者約150人がきらびやかな衣装に身を包み、商店街などを練り歩いた。行列を見るのは初めてという同市平井2丁目の小川初美さん(30)は「行列はきれいだし、沿道の出店もにぎやか。町全体が元気になるのがうれしい」と話していた。
広島
博物館で備後の歴史学ぶ
広島県立歴史博物館(福山市西町)は25日、博物館大学「変革期の歴史を学ぶ」を開講した。初回は、広島大大学院の西別府元日教授(59)が講演し、市民たち約120人が聞き入った。
西別府教授は「安芸・備後地域における律令(りつりょう)国家の成立」と題して、7~8世紀に安芸国と備後国が成立した経緯を紹介。「備後国が安芸国を統括していた」と話し、両国の関係性を解説した。
本年度の博物館大学は、古代と幕末をテーマに11月までの全5回。2回目以降からでも参加できる。無料。同館=電話084(931)2513。
愛媛
龍馬が乗った「いろは丸」オランダ購入説覆る
幕末の志士・坂本龍馬らの乗船で、航海中、広島県福山市鞆町沖で沈没した幕末の蒸気船「いろは丸」について、これまで通説とされていたオランダ人から購入したものではなく、長崎のポルトガル領事から購入していたことが、愛媛県大洲市が進めていた購入契約書の翻訳でわかった。
船は契約の翌年に沈んだため、資料はあまり残っておらず、翻訳にあたった専門家は「非常に重要な史実」と評価している。
イギリスで造られた「いろは丸」は、大洲藩が購入して土佐藩に貸し出し、1867年、龍馬が率いる海援隊の操船で長崎から大阪へ向かう途中、鞆町沖で紀州藩の「明光丸」と衝突して沈没。龍馬が巧みな交渉で、紀州藩から多額の賠償金を勝ち取った“日本初の海難審判”を行ったことで知られる。
購入契約書は昨年12月、東京都内の個人宅で見つかった。包み紙に当時の大洲藩主らの名があるが、中身はポルトガル語で書かれていたため、大洲市は東大史料編纂(へんさん)所の岡美穂子助教(近世初期対外関係史)に翻訳を依頼していた。
岡助教によると、1866年9月22日に在長崎ポルトガル領事館事務局で契約が交わされ、売り主は在長崎ポルトガル領事のジョゼ・ダ・シルヴァ・ロウレイロ、買い主は大洲公代理人の国島六左衛門で、代金は4万メキシコ・パタカ(約1万両)などと記されていたという。
これまで、いろは丸は、大洲藩がオランダ人から購入したとされるなど、購入の経緯がはっきりしていなかった。これについて岡助教は「当時、各藩の外国船購入は長崎奉行の許可を得て行わなければならなかったはずで、虚偽の届け出が行われた可能性もあるのでは」と推測している。
坂本龍馬:「いろは丸」購入契約書、実像解明へ「宝物」--大洲 /愛媛
◇地域おこしに期待
謎多き龍馬の船に一歩近づいた--。海援隊が操船中に事故で沈んだ蒸気船「いろは丸」の購入契約書から新事実が明らかになった23日、大洲市関係者は地域おこしへの期待を寄せ、専門家も「俗説に包まれた船の実像を解き明かす手がかり」と評価した。
大洲市の依頼を受けた東大史料編纂(へんさん)所がポルトガル語の契約書を解読。大洲藩がオランダ商人から購入したとの通説を覆し、領事兼任のポルトガル商人・ロウレイロから買ったことが判明した。岡美穂子・同編纂所助教は「長崎奉行所にも薩摩藩が船をロウレイロに売却した記録があり、大洲藩への売り主で間違いない」と述べた。
この他、代金は通説の3万~4万両とかけ離れた1万両だったことや、契約時に代金が完済していたとの記述も通説を覆し、龍馬が活躍した損害賠償交渉にかかわる新事実。
河野達郎・おおず街なか再生館専務は「市民に元気を与えてくれる宝物」、清水裕市長も「歴史の大きなピース」と喜んだ。また、保谷徹・東大史料編纂所教授(幕末維新史)は「大洲藩の入手経緯を示す根幹文書」、現代龍馬学会の渋谷雅之理事も「積み荷など不明点が多い『いろは丸』を知る手がかり」と評価した。
契約書の写真などは来年3月31日まで、大洲歴史探訪館(大洲市大洲)で公開される。入場無料。【中村敦茂、門田修一】
高知
容堂へ上洛要請、長州征伐で慶喜が書状
〈幕末の四賢侯〉として名高い第15代土佐藩主、山内容堂(豊信)(1827~72)の足跡をたどる企画展が、高知市丸ノ内の県立文学館で開かれている。
同市鷹匠町にある土佐山内家宝物資料館の開館15周年を記念して開かれ、初公開資料19点を含む54点が展示されている。6月27日まで。
初公開資料は、坂本龍馬が、長州藩の志士・久坂玄瑞から預かり土佐藩に持ち帰った武市瑞山(半平太)あての書状をはじめ、14代将軍・家茂の名代だった一橋慶喜が容堂に、長州征伐のため上洛(じょうらく)を要請する書状など。
慶喜の書簡からは、土佐藩が西南雄藩の一つとして注目される一方、徳川家一門が外様大名にまで助力の書状を送らなければならなかった幕末の混乱ぶりが読み取れる。
容堂の豪快な人柄をしのぶ展示物には、巨大な数珠をあしらった緋(ひ)色の陣羽織がある。「鯨海酔候(げいかいすいこう)」(南海の酔いどれ大名)とも号し、酒豪で知られる容堂自らが描いた、酒を入れるひょうたんの掛け軸には「世の中は只(ただ)このもの(酒)がありてこそ」と書き添えられており、昔も今も酒に親しむ土佐の気質を感じさせる。
企画展初日の23日には、文学館近くの高知城ホールで、資料館開館15周年の記念式典が開かれ、山内家19代当主の豊功さんや尾崎知事ら約100人が出席し、節目を祝った。渡部淳館長は「ひたすら前を向いて走ってきた。これからも学芸員と一緒に資料に向き合っていきたい」と決意を新たにした。
ブックレビュー
明治維新 1858-1881 坂野潤治・大野健一著 ~江戸期の民間経済は通説以上に発展していた
評者 河野龍太郎 BNPパリバ証券チーフエコノミスト
途上国が世界システムに組み込まれる際、経済、社会システムは大きく変容する。これがグローバリゼーションの衝撃にほかならないが、150年前に途上国であった日本もその例外ではなかった。開国をきっかけに、武士階級を中心に政治改革が始まり、それが徳川軍事政権の崩壊だけでなく、封建制や身分制を否定する明治革命にまで至る。本書は、日本政治史の泰斗と気鋭の開発経済学者が、歴史上類まれな、途上国の変革の成功例である幕末維新期の政治メカニズムを解明したものである。
通説では維新期を、天皇を戴いた排他的な藩閥政権が、憲法・議会の設置をできるだけ遅らせ、経済と軍事の近代化に邁進した時代とし、戦後のアジア型開発独裁の原型ととらえることが多い。本書はこれを否定する。幕末維新期には複数のリーダーが登場し、自らの掲げる目標を達成すべく、互いに競合した。アジア型開発独裁が一人のカリスマによる単一目標型の硬構造を持つのに対し、著者らが「柔構造」と呼ぶ幕末維新期の政治構造は、極めて複雑な局面展開をもたらすモデルである。
幕末期には、富国強兵と公議輿論の二つが中心的な目標として掲げられ、それが維新期には富国(大久保)、強兵(西郷)、憲法(木戸)、議会(板垣)の4派に分かれる。各派とも単独で主導権を獲得し得ないため、他派と連携し、自派の目標を追求するとともに、数年ごとに訪れる状況変化に対応して連携を組み替える。
幕末維新期に多くの逸材が現れ、複雑な展開を見せ、わかりづらいのは、この柔構造に原因があったのである。複雑な展開は幕末維新ファンにとり、たまらない魅力の一つと言えるが、「柔構造」仮説でそれを読み解くことも新たな楽しみとなる。
ところで開国直後の日本がなぜスムーズに産業革命を成し遂げたのか、評者はずっと疑問に思っていた。政治的統一性や安定性だけでなく、農業の発展、物流システムの発展、商業・金融の発展による富裕層の台頭、各藩による産業振興、手工業の発展、教育の普及などが、すでに19世紀後半に整っていたという。これらは成長のための条件というよりも、成長の成果そのものと言えないか。現代の新興工業国でも、これらすべての条件を満たしている国は少なく、サブ・サハラアフリカではすべてを欠く途上国も多いという。
江戸期の民間経済は多くの人が考える以上に発展していたのである。徳川軍事政権の旧来型の重農主義や規制主義は成長の足かせになり、人々は新体制・新政策を求めていたのであろう。ペリー来航はきっかけに過ぎなかったのかもしれない。
ばんの・じゅんじ
東京大学名誉教授。専門は日本近代政治史。1937年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。文学修士。東京大学社会科学研究所教授、千葉大学法経学部教授を経る。
おおの・けんいち
政策研究大学院大学教授。専門は開発経済学、産業政策論。1957年生まれ。一橋大学経済学部卒業後、スタンフォード大学にてPh.D.取得。筑波大学助教授、埼玉大学教授を経る。
講談社現代新書 777円 227ページ
文化芸能
堺雅人、龍馬に迫ってバランスがとれた
俳優の堺雅人が23日、神奈川県内でナビゲーターを務めたフジテレビ系「知られざる“龍馬伝” 世紀の英雄・坂本龍馬 最大の謎と秘密の暗号」(5月8日、後9・00)の会見を行った。龍馬暗殺の謎に迫った堺は「演じ手から見たら、龍馬ほど出来すぎたキャラはいない」と分析。過去に大河ドラマ「新選組!」で山南敬助、「篤姫」では徳川家定と“幕府側”の人間を演じてきたが「(龍馬を取材して)ようやくバランスがとれたかな」と笑顔をみせていた。
IT
docomoより、『防衛ゲーム剣豪 近藤勇』他、サッカー、アドベンチャー等、話題のゲームアプリが6本登場!
元気モバイル株式会社(本社:東京都中野区、代表取締役社長:津守正樹)は、docomoにて展開中の携帯ゲームサイト『定番スポーツ大集合』『元気SゲームランチDX』にて、2010年4月26日(月)より新作ゲーム6本を配信開始致します。
『防衛ゲーム剣豪 近藤勇』は、幕末時代に活躍した新撰組の近藤勇や土方歳三などが登場する防衛ゲームです。敵のタイプや行動ルートに合わせてキャラクターを配置し、入口から侵入してくる敵キャラを出口に到達するまでに撃退します。防衛ゲームの醍醐味である奥深い戦略性と、オリジナリティ溢れるド派手な必殺技の爽快感をお楽しみいただけます。
(以下略)
結構大きな扱いなので、いくつかの紙面をクリッピングします。
時事通信
竜馬の「いろは丸」契約書発見 瀬戸内で沈没
朝日
海援隊の「いろは丸」、実はポルトガルから購入
読売
「いろは丸」購入先 実はポルトガル人
契約書に長崎領事の名
MSN産経
龍馬ゆかりの「いろは丸」、実はポルトガル人から購入 愛媛・大洲歴史探訪館
愛媛
いろは丸をめぐって新事実 大洲市
いろは丸つながりで、以下おまけ。
広島
いろは丸事件にちなみ 図案化ネクタイ 天満屋福山店発売
怖い?凛々しい? 鞆の浦PR、龍馬の着ぐるみデビュー
怖がる子供もいたんですか(苦笑)……もう少し、ゆるキャラにしておけばよかったかな。
時事通信
竜馬の「いろは丸」契約書発見 瀬戸内で沈没
坂本竜馬が瀬戸内海で乗船中に衝突して沈没した蒸気船「いろは丸」を、大洲藩が購入した際のポルトガル語の契約書が見つかり、愛媛県大洲市が23日、内容を翻訳して発表した。
これまで、オランダ人から購入したと言われていたが、ポルトガル人領事からの購入だったと判明。衝突時に大洲藩の代金の支払いが済んでいなかったとの説もあったが、購入時に全額支払っていたことも分かった。
契約書は縦約30センチ、横約40センチ。1866(慶応2)年、長崎でポルトガル領事ロウレイロから大洲藩の元郡奉行、国島六左衛門が蒸気船「アビゾ号」を購入し、この船を「いろは丸」とすると大洲藩が宣言。購入時に藩が代金を全額支払ったとの内容が書かれていた。
個人が所有しており、大洲市が資料の提供を受け、東京大に依頼して翻訳した。
朝日
海援隊の「いろは丸」、実はポルトガルから購入
坂本龍馬の海援隊が使った蒸気船「いろは丸」は、海援隊に貸し出した大洲藩がポルトガルから購入していたことがわかったと、愛媛県大洲市が23日発表した。大洲藩がオランダから購入したというのが通説だったが、1866(慶応2)年9月の購入時にポルトガル語で書かれた売買契約書を東京の個人が所有していたという。
契約書は二つ折りで縦32.5センチ、横20.5センチ。翻訳した東京大学史料編纂(へんさん)所の岡美穂子助教によると、長崎にいたポルトガル領事ジョゼ・ダ・シルバ・ロウレイロと大洲藩の郡奉行国島六左衛門の間で交わされ、代金の「4万メキシコ・パタカ」は支払い済みであることなどが記されている。
いろは丸は翌年4月23日に瀬戸内海で紀州藩船と衝突して沈没、龍馬が紀州藩と交渉し、賠償金を得たとされる。その際、大洲藩がオランダに購入代金を完済しておらず、紀州藩との交渉で問題になったという話も伝わっているが、今回の発見でこれも覆されることになるという。
岡助教は「(幕末期の)外国との売買契約書で残っているのは日本語のものが多いが、ポルトガル語の契約書があったこと自体、非常に興味深い」と話している。(広川一)
読売
「いろは丸」購入先 実はポルトガル人
契約書に長崎領事の名
大洲藩から坂本龍馬らが借りて航海していて沈んだ幕末の蒸気船「いろは丸」が、これまで通説とされていたオランダ人から購入したものではなく、長崎のポルトガル領事から購入していたことが、大洲市が進めていた購入契約書の翻訳でわかった。船は、契約の翌年、広島県福山市沖で沈んだため、資料はあまり残っておらず、翻訳にあたった専門家は「非常に重要な史実」と評価している。
イギリスで造られた「いろは丸」は、大洲藩が購入して土佐藩に貸し出し、1867年、龍馬が率いる海援隊の操船で長崎から大阪へ向かう途中、紀州藩の「明光丸」と衝突して沈没。龍馬が巧みな交渉で、紀州藩から多額の賠償金を勝ち取った“日本初の海難審判”として知られる。
購入契約書は昨年12月、東京都内の個人宅で見つかり、大洲市が市役所近くの大洲歴史探訪館で、複写を公開していた。包み紙に当時の大洲藩主らの名があるが、中身はポルトガル語で書かれていたため、同市は東大史料編纂(へんさん)所の岡美穂子助教(近世初期対外関係史)に翻訳を依頼していた。
翻訳結果は、いろは丸が沈んだ日にあたる23日、岡助教や同市の清水裕市長らが同市で記者会見して発表。1866年9月22日に在長崎ポルトガル領事館事務局で契約が交わされ、売り主は在長崎ポルトガル領事のジョゼ・ダ・シルヴァ・ロウレイロ、買い主は大洲公代理人の国島六左衛門で、代金は4万メキシコ・ドル(約1万両)などと記されていた。
これまで、いろは丸は、大洲藩がオランダ人から購入したとされるなど、購入の経緯がはっきりしておらず、岡助教は「当時、各藩の外国船購入は長崎奉行の許可を得て行わなければならなかったはずで、虚偽の届け出が行われた可能性もあるのでは」と推測している。
清水市長は「これを機に様々な歴史的な解明が進み、新たな事実が出てくると期待する」と話し、会見に同席した、街おこしに取り組む第3セクター「おおず街なか再生館」の河野達郎専務は「大洲藩が幕末の歴史に名を残すような活躍をしていたことが伺える」と満足そうに話していた。
大洲歴史探訪館は午前9時半~午後4時で無休。契約書(複写)の閲覧は、解説付きで300円。問い合わせは街なか再生館(0893・24・7060)。
MSN産経
龍馬ゆかりの「いろは丸」、実はポルトガル人から購入 愛媛・大洲歴史探訪館
坂本龍馬が中心となり結成した海援隊が運航していた蒸気船「いろは丸」について、同船を所有していた大洲藩(愛媛県大洲市)が、これまで定説とされていたオランダ人ではなく、ポルトガル人から購入していたことが、当時の購入契約書から明らかになった。23日、愛媛県大洲市の「大洲歴史探訪館」が発表した。
ポルトガル語で書かれた契約書には、慶応2(1866)年9月、ポルトガル人のロウレイロから大洲公代理人、元郡奉行の国島六左衛門が購入したと記されていた。
いろは丸が慶応3年4月に紀州藩の軍艦と衝突した「いろは丸事件」の際には、「オランダ人から購入した」という話が流布し、それが定説化していた。
契約書は東京都内に住む個人が所有。翻訳した東京大学史料編纂所の岡美穂子助教は「定説を覆す史料だと思います」と話した。
当時は、外国船の購入主体は藩に限られていたが、契約書に名前のあった国島六左衛門が後に切腹していることから、岡助教は幕府の許可を得ずに個人名義で購入したため、責任を取らされた可能性もあると指摘している。
清水裕市長は「この契約書を契機にさまざまな研究が進められ、新たな事実が出てくるのでは」と期待を寄せていた。
愛媛
いろは丸をめぐって新事実 大洲市
坂本龍馬が運用した大洲藩所有の蒸気船「いろは丸」のポルトガル語による購入契約書の翻訳を東京大史料編纂所に依頼していた大洲市は23日、内容を発表した。同編纂所によると、売り主がオランダ商人ではなく、ポルトガル商人だったことが判明。これにより、当時幕府から義務付けられた外国船の売買報告を巡り、大洲藩が偽装をしていた可能性も浮上してきた。
通説では、大洲藩郡中奉行の国島六左衛門は長崎に小銃を買い付けに行ったにもかかわらず、1866(慶応2)年、坂本龍馬らの仲介でオランダ商人ボードウィンから蒸気船を購入したとされている。
いろは丸つながりで、以下おまけ。
広島
いろは丸事件にちなみ 図案化ネクタイ 天満屋福山店発売
天満屋福山店は23日、福山市鞆町を舞台にした坂本龍馬の「いろは丸事件」を題材にした<ご当地ネクタイ>の春夏物を発売した。絹製で青とピンクの2色。いろは丸の絵と事件を説明した英文を組み合わせている。
龍馬ファンの女性社員を中心に開発し、昨年11月に同じ柄で売り出した秋冬物は、グレーや紺系の7色、計300本がほぼ完売する人気ぶりだったという。
1本5040円で、40本限定。同店は「女性社員が『龍馬さんに付けてほしい』とこだわった品。福山土産にもどうぞ」とPRしている。
怖い?凛々しい? 鞆の浦PR、龍馬の着ぐるみデビュー
坂本龍馬率いる海援隊の蒸気船と紀州藩の軍艦が衝突した「いろは丸事件」の談判の舞台・広島県福山市の鞆(とも)の浦をPRする着ぐるみが21日、広島市内でデビューした。
その名も「鞆龍馬」。はかま姿にブーツを履き、腰に長さ1メートルの模造刀を差す。福山市などが約100万円で製作し、職員らと並んで通行人に手を振った。
高知県で作られた着ぐるみが笑顔なのに比べ、眉毛をつり上げて凜々(りり)しさを強調したが、怖がる子どもも。「談判に臨むところなので表情は真剣なんです」と担当者。
怖がる子供もいたんですか(苦笑)……もう少し、ゆるキャラにしておけばよかったかな。
ようやく真冬並みの寒さから一段落しましたね。出かけたいところですが、昨日の外出でお腹を冷やしてしまったようで(汗)ちょっと休息します。
北海道
観光客に歴史解説 「てくてく函館」始まる
福島
憂楽帳:会津の春
茨城
企画展:幕末活躍の志士の書集め--守谷 /茨城
東京
調布の居酒屋がランチ営業開始-地元密着店として存在感アピール /東京
調布の居酒屋「料理居酒屋 新撰組」(調布市布田4、TEL 042-485-6768)は4月26日から、25周年を記念してランチ営業を始める。(調布経済新聞)
神奈川
横須賀で24、25日に咸臨丸フェス開催
伝統の「横浜スカーフ」展示やアレンジ教室
京都
北垣国道 疏水建設の熱
京の研究者ら日記を本に
大阪
生き方、考え方を龍馬から学ぼう
高知
幕末権力者の息づかい
坂本龍馬:龍馬が届けた玄瑞の半平太あて手紙、あすから公開--県立文学館 /高知
文化芸能
堺雅人「龍馬は出来すぎたキャラ」
堺雅人が“龍馬特番”でナビゲーター初挑戦 龍馬暗殺の謎にせまる
『龍馬伝』美術スタッフの誇り 「職人力」が生んだ“汚し演出”
北海道
観光客に歴史解説 「てくてく函館」始まる
函館市内の観光ボランティア団体が、元町地区の散策をサポートする「はこだて街歩きガイド『てくてくはこだて』(函館観光コンベンション協会主催)が23日にスタートした。この日は出陣式の後、さっそく観光客らを対象にしたガイドを行った。
同ガイドは、観光客へのサービス事業の一環として2年前から実施。今年は「愛」(小島洋一会長)、「一會(いちえ)の会」(佐藤喜久恵会長)、「愛NO.1」(加地律子会長)の3団体が案内役を担当する。
元町観光案内所(元町12)で行われた出陣式では、同協会の吉田明彦専務理事が「今年は箱館奉行所オープンなど、観光への追い風となるニュースが多い。みなさんの力で函館を盛り上げてほしい」とエールを贈った。
この日は6人がガイドを利用し、丁寧な解説に耳を傾けながら、旧函館区公会堂の歴史などを学んだ。市内の交通関係会社に勤務する男性は「普段あまり足を運ぶことのない地域なので、とても勉強になった」と話していた。
同ガイドは12月25日まで、金・土・日・祝日を中心に午前10時から実施する。利用希望者は開始10分前まで元町観光案内所に集合する。問い合わせは TEL0138-27-3535。
福島
憂楽帳:会津の春
戊辰戦争最大の悲劇といわれる会津・鶴ケ城の落城の時、城の屋根は赤瓦だったというのは意外だった。解体された城跡の調査や史料から推定されるという。黒瓦では厳しい冬の寒さでしみ割れてしまうため、うわぐすりをかけて焼き、寒中の水に浸した瓦に表れた赤い色で、国内の城では極めて珍しい。
福島県会津若松市は、幕末当時の鶴ケ城を復元しようと、この春から1年がかりの改修工事を始めた。赤瓦を再現するため、城跡から出土した瓦の土やうわぐすりを分析して試作を重ねた。完成品は鈍い赤褐色を放ち、市の担当者は「一枚一枚が微妙に異なる、味わい深い仕上がり」と胸を張る。
天守閣は屋根瓦のふき替えのため、大型連休明けには足場がかけられ、シートで覆われる。周辺の桜は今週末が見ごろといい、黒瓦の天守閣とのコントラストは今年が見納め。あす24日には、この城を守ろうと戦った白虎隊の少年たちが最期を迎えた同市内の飯盛山で、毎年恒例の慰霊祭が行われる。会津の歴史が、ひときわしのばれる春だ。【笹子靖】
茨城
企画展:幕末活躍の志士の書集め--守谷 /茨城
守谷市御所ケ丘の市民交流プラザで、坂本龍馬や西郷隆盛ら幕末から明治維新に活躍した志士の書などを集めた「龍馬と志士達 書幅+書学展」が開かれており、歴史愛好家らでにぎわっている。
同展には龍馬直筆の書幅や肖像画、はいていたブーツのレプリカなどをはじめ、吉田松陰や伊藤博文ら近代日本の礎を築いた志士たちの書や額、屏風(びょうぶ)など約100点を展示。間近で鑑賞できる。
竜ケ崎市の歴史研究家、橋本秀孝さんが所蔵する貴重な古文書や資料を公開した特別展。入館者は「その時代を駆け抜けた、先駆者の意気込みを感じる」と熱心に見入っていた。5月1日まで。入場無料。問い合わせは、同プラザ(電話0297・45・2278)。【中野秀喜】
東京
調布の居酒屋がランチ営業開始-地元密着店として存在感アピール /東京
調布の居酒屋「料理居酒屋 新撰組」(調布市布田4、TEL 042-485-6768)は4月26日から、25周年を記念してランチ営業を始める。(調布経済新聞)
同店は市内の東京ジューキ食品(国領町7)が展開するチェーン店として25年前にオープン。居酒屋として営業を続けているが、同チェーン店10店舗の中でランチ営業は調布店が初めての試み。今年で25周年を迎えることや近隣の居酒屋がランチ営業を開始したことから、開始を決めた。
メニューは、青森県産ニンニクを飼料に配合した奥入瀬ガーリックポークを使用した生姜焼き定食(800円)、ロースカツ定食(800円)、稲庭うどん・小丼のセット(700円)、刺身定食(850円)、本日の魚定食(750円)の5種類を提供する。
同店の曽我さんは「自分も市内に住んでいるが、この10年で調布は大きく変わってきた。調布駅の立体交差事業が始まり、駅前に大きなオフィスビルなどもできる中、地元密着の居酒屋としてランチでも存在感をアピールしたい」と話す。ランチ営業開始の4月26日は全品100円引きで提供する予定。
営業時間は、平日=11時30分~14時、17時~24時、土曜=17時~24時、日曜=16時~23時。
神奈川
横須賀で24、25日に咸臨丸フェス開催
浦賀港(神奈川県横須賀市)を幕末に出発し、日本人初の太平洋横断を成し遂げた「咸臨丸」を記念する「第12回咸臨丸フェスティバル」が住友重機械工業浦賀工場(同市浦賀町)周辺などで24、25の両日に開かれる。
今年は咸臨丸出航から150周年を迎えるため、例年の倍の2日間に拡大。25日には特別イベントとして、海上自衛隊の掃海艇「つのしま」と海上保安庁の消防艇「たかとり」の艦上・艦内一般公開や、防衛大学校吹奏楽部などが参加するコンサートが行われる。
そのほか、浦賀港を巡るスタンプラリーや無料のジャズコンサートなど、恒例イベントも開かれる。
市の担当者は「艦船が一般公開される貴重な機会を多くの人に楽しんでほしい」と話している。問い合わせは(電)046・841・4155。
伝統の「横浜スカーフ」展示やアレンジ教室
横浜の伝統的な地場産品「横浜スカーフ」の展示などを行う「2010年横浜ファッションウィーク」が5月1~16日、横浜赤レンガ倉庫(横浜市中区)で開催される。
横浜スカーフは、幕末の開港で生糸が輸入されるようになり誕生した。100%シルクで、職人の手作業で染めているのが特徴となっている。
今回で9年連続の開催となる。スカーフを展示するほか、使い方を紹介するアレンジ教室、スカーフ織りの体験なども楽しむことができる。
京都
北垣国道 疏水建設の熱
京の研究者ら日記を本に
明治期の京都府知事北垣国道の20年分の日記「塵海(じんかい)」を、京都の近代史研究者でつくる「塵海研究会」が本にまとめ、このほど出版した。琵琶湖疏水の建設に反対の住民らを自宅に呼んで説得した逸話など、対話を重視した姿勢を紹介。同会は「近代の地方政治家でこれだけ日記を残している人は少なく、質量ともに一級の史料」としている。
■反対住民、自宅に招き説得
北垣は第3代府知事に就任した1881年に日記を始め、北海道庁長官などを務めた20年間の地方官としての日々を記録した。疏水の整備を進めた際、伊藤博文らへの陳情で補助金を引き出したことなどがつづられている。
88年の日記には「琵琶疏水工事ノ疑問者エ、三週間解釈ノ事ヲ約ス」と記し、多額の費用がかかる疏水工事に反対する住民に対し、新聞紙上で「3週間の間、自宅に来れば説明する」と呼びかけたことを紹介。訪れた42人に、工事の必要性を熱心に説いたという。
幕末の北垣は攘夷(じょうい)派の志士で、坂本龍馬や勝海舟らと交流があったとされる。勝海舟が死去した99年の日記では、幕末時に、坂本龍馬らと蝦夷(えぞ)開拓を夢見たことを記している。
日記の原本は原稿用紙をとじた冊子で、府立総合資料館に約40冊が残されていた。大学教授ら研究者約20人が15年間かけて手書きの文字を読み解き、1冊にまとめた。主に携わった京都市歴史資料館の小林丈広主任歴史調査員は「現代の政治家や行政にとって、温故知新の部分もあるのでは」と話している。
「北垣国道日記『塵海』」は、思文閣出版が600部を刊行した。A5判で640ページ。定価は1万290円。
大阪
生き方、考え方を龍馬から学ぼう
テレビなどで話題の幕末の志士、坂本龍馬がはたした役割や生き方を語る講座「坂本龍馬に学ぶ」が、5月20日午後7時から大阪市中央区の楽問塾セミナールームで開かれる。
国際生涯学習文化センターによる春のスペシャルレクチャーとして、幕末維新研究家の木村幸比古氏が「現代に生かす龍馬の生き方、考え方」というテーマで講演する。
参加費は一般1500円。定員150人で要予約。問い合わせは同センター(電話06・6764・1282)。
高知
幕末権力者の息づかい
15代目の土佐藩主で、幕末に大政奉還を徳川慶喜に提案したとされる山内容堂の企画展が23日、県立文学館2階企画展示室(高知市丸ノ内1丁目)で始まった。坂本龍馬が山口県萩市から土佐の武市半平太に届けた手紙のほか、大政奉還建白書の長さ約2メートルある写し、慶喜が容堂にあてた手紙が初公開されている。6月27日まで。
同展は、土佐山内家宝物資料館(同市鷹匠町2丁目)の開館15周年を記念して企画された。04年に山内家の資料約3万点が県に移され、同館学芸員らが整理にあたっている。企画展で、龍馬が生きた時代に権力者は何を考え、生きていたのかを彼らの視点でとらえ、魅力を伝える。
1866年、京都にいた慶喜が土佐にいる容堂にあてた直筆の手紙は「国家の一大事時期で、どうかすぐにでも京都に上京して朝廷と幕府を安心させて欲しい」という意味の文が書かれている。当時、慶喜は将軍になる前で朝廷と幕府の仲介役。自分が将軍になると両者を取り持つ人がいなくなることを心配し、力になって欲しいと考えたのではないかという。
大政奉還建白書の写しは巻いた状態で見つかった。「慶応3(1867)年9月」の書き込みがあり、大政奉還は同年10月。提案を受け入れた慶喜は政権を朝廷へ返し、約260年続いた江戸幕府が終わることになる。
藤田雅子学芸員(32)は「激動の時代、どの立場の人も世を憂え、考えていたことが人々の筆遣いからもわかる気がする。人々の息づかいを感じて欲しい」と話す。
会期中は無休。入場料は400円(高校生以下無料)。
坂本龍馬:龍馬が届けた玄瑞の半平太あて手紙、あすから公開--県立文学館 /高知
◇山内家資料から、80年ぶり見つかる
◇攘夷へ決起を
尊皇攘夷派の長州の志士、久坂玄瑞(1840~64)がしたため、坂本龍馬(1835~67)が武市半平太(1829~65)に届けた手紙が約80年ぶりに見つかり、23日から県立文学館(高知市丸ノ内1)で初公開される。長年行方不明とされていたが、山内家が県へ寄贈した資料の中から偶然発見された。調査にあたった土佐山内家宝物資料館(同市鷹匠町2)の藤田雅子学芸員は「攘夷の機運の盛り上がりを象徴する、重要性の高い資料」と見ている。【千脇康平】
手紙は文久2(1862)年に書かれ、縦24・3センチ、横67・3センチ。久坂が、攘夷のため奮起を促そうと書いた武市あての手紙で、剣術修行の名目で萩(長州)に滞在した龍馬に託したものとみられる。展示準備の過程で、古文書だけでも約2万点に上る04年度の寄贈資料を調べる中、見つかった。
前半部分には、「此度坂本君御出浮被為在、無腹蔵御談合仕候」(今回、龍馬がこちらへ出かけてきたので、腹を割って話をした)と、対面した2人が率直に話し合ったことを伺わせる内容が記してある。
続いて、「諸侯不足恃、公卿不足恃、草莽志士糾合義挙の外には迚も策無之事」(大名も公家もあてにならない。草の根の志士が力を合わせて行動を起こす以外に手段はない)と、決起を促す核心部分へ。大義のためなら土佐、長州両藩が滅びてもいいという趣旨の記述もある。藤田学芸員は、「この時代の基本教養は儒学。上の者に逆らうことはあり得ないとの教育を受けている。(手紙にある)発想が生まれたからこそ、明治維新が実現できたのだろう」と指摘する。
また、「坂本君へ御申談仕候事とも篤く御熟考可被下候、尤沈密を尊ふハ申迄も無之候」(龍馬に話したことについてもよく考えてください。当然のことながら秘密は守ってください)とも。重要な内容が証拠として残らないよう、字にせず龍馬に口頭で伝えさせていたことから、龍馬を使者として信頼していたことも伺える。武市に手紙を届けた後、龍馬は間もなく脱藩した。
手紙は、県立文学館での企画展「山内容堂」(23日~6月27日)で一般公開される。一橋(徳川)慶喜が第15代将軍に就任する直前、前土佐藩主・山内容堂へあてた自筆の手紙や、容堂が使者の後藤象二郎を通じ、慶喜へ提出した大政奉還建白書の写しなども初公開される。
文化芸能
堺雅人「龍馬は出来すぎたキャラ」
俳優の堺雅人(36)が23日、神奈川県内でナビゲーターを務めたフジテレビ系「知られざる“龍馬伝” 世紀の英雄・坂本龍馬 最大の謎と秘密の暗号」(5月8日、後9・00)の制作発表に出席した。龍馬暗殺の謎に迫った堺は「演じ手から見たら、龍馬ほど出来すぎたキャラはいない」と分析。過去に大河ドラマ「新選組!」で山南敬助、「篤姫」では徳川家定と“幕府側”の人間を演じてきたが「(龍馬を取材して)ようやくバランスがとれたかな」と笑顔をみせていた。
堺雅人が“龍馬特番”でナビゲーター初挑戦 龍馬暗殺の謎にせまる
俳優の堺雅人 が、5月8日(土)放送のフジテレビ系『知られざる“龍馬伝” 世紀の英雄・坂本龍馬 最大の謎と秘密の暗号』(後9:00~)で初のナビゲーターに挑戦することが23日、都内スタジオで行われた会見で発表された。龍馬を理解するべく自ら各地へ取材に足を運び「高知や長崎は行ったことなかったし、一人の歴史を辿るのにロンドンまで行った。いかに世界中を旅して人間関係を築きあげてきたか、そのフットワークの軽さ、凄さを感じました」と気合い十分にもう一つの龍馬伝に挑んだ。
同番組は幕末の一大事件「坂本龍馬暗殺」に秘められた謎を追跡。龍馬が愛する人に送った手紙から、恋愛・夢・野心と、誰も知らない龍馬の苦悩と孤独に迫る。堺は龍馬の謎を追って全国各地に取材に走り、龍馬直筆の資料や龍馬の歩いた場所を通じて、その知られざる人間性に触れていく。
取材陣から龍馬の魅力を尋ねられた堺は「(最初は)どうしてこんなに人気があるのかわからなくて、正直やっかみ半分があって参加しました。でも各地をまわっていくうちに、(龍馬が)何を考えていたのか、ものすごく考えてしまっている自分がいて。演じ手として、ここまでおあつらえ向きな人物はいない」と自らもすっかり魅了されてしまったようだ。
数々の俳優が演じてきた龍馬を自分でも演じてみたいか?という問いには「(龍馬は)太陽みたいな人。魅力がありすぎて、逆に演じにくいと思うから、自分でやってみようとは思わない」と遠慮がち。代わりに他局ではあるものの「視聴者として見る目を養えたので、今は毎週ドラマを観るのが楽しみになってきた」と、“福山龍馬”の視聴者だと明かしていた。
『龍馬伝』美術スタッフの誇り 「職人力」が生んだ“汚し演出”
第2部に突入したNHK大河ドラマ『龍馬伝』。龍馬(福山雅治)と妻・お龍(真木よう子)、勝海舟(武田鉄矢)らとの出会いや海軍創設までの奔走ぶりを描き、舞台はいよいよ大海原へと移行する。「海をどう視聴者に感じさせるか」と語るのは同作の美術監督・山口類児氏だ。このほどインタビューに応じた山口氏は、放送開始時から話題を呼んでいるキャストを取り巻く“空間”について「職人力がテーマ。デジタルと言われるこの時代に、スタッフの技で勝負します」と力説。香川照之演じる岩崎弥太郎の容姿を象徴とする「“汚し”にはこだわりがあります。糸のほつれやホコリ、キズとか。表現の中において重要ですね」と美術にかける職人たちの誇りを、代表して語ってくれた。
宮崎あおい主演の大河ドラマ『篤姫』でも大きな反響があった美の世界観も手掛けた山口氏は、『龍馬伝』において「龍馬伝的」といった言葉を多用してポイントを挙げる。「幕末と言っても、そんな昔でもないよねって思う。写真でも顔とかが残ってて、建物も残ってて、時代の“気分”みたいのが残ってる。時代劇だけど、もっと生々しさを出していきたい」という狙いだ。
表現すべきは『龍馬伝』らしさと熱弁する。「博物館にある展示物を忠実に再現する“リアル”じゃなく、『こうだったかも』みたいな感覚を大事にしている。いろんな資料、写真から雰囲気の欠片(かけら)を見つけて、それを増幅して作っていますね」と当時の人々が抱いたイメージや心情を、現代人も共有できるような世界観作りを徹底。黒船来航の際も、座礁するしないをまずは取っ払い「目の前に現れたかのようなインパクトを見せたかった」と解説した。
『篤姫』の時とは違い「同じセットを建てっ放しにしないんです。1週間あり続けることはなくて、セットを考え続けないといけない。休む暇がないです」と悲鳴を上げる一方で「大変ですけど、楽しく、厳しく」がモットー。第2部で登場する軍艦・咸臨丸は実際の船を塗装、演出して施しているが「本当の船を作りたかったな~」と、物づくりが好きでたまらない。
「美術の世界において、それぞれたくさんのスペシャリストがいるんです」と、絶大な信頼を寄せるスタッフの話になると終始口は滑らか。「見どころでもなんでもないんだけど、スタジオのセットに照明スタッフが“空”を開発してね。単にブルーシートを天井に吊ってるだけなんだけど、スモークを焚いたり、みんなの合わせ技を駆使して本当の空のように見える。みんなが挑戦している。今までにないリアルな映像ができてくるんですよ」と自然と言葉に力が入る。
もちろん自己満足には終わらない。「福山さんをはじめとする役者さんが不満を持たないような作りはもちろんのこと、特にエキストラの子供たちが、楽しそうにセットに見入って、いたずらっ子のような顔になったら嬉しいね」と役者を喜ばせる空間作りに全身全霊を込める。
「そうだったかもしれない」と視聴者を納得させるように、様々な試作、大胆なアプローチに挑んでいると胸を張る山口氏。さらに幕末時代を“リアル”に再現すべく「動物にもこだわってます。ペリーの肩にオウムがいたりとか、鶏や猫、野良犬とかにも。特に長崎の舞台はね、珍しいものが輸入されているのではって思っていて、こうご期待。『龍馬伝』にしかできない長崎をお見せしますよ」。
25日(日)午後8時から放送の第17回『怪物、容堂』では、龍馬と千葉佐那(貫地谷しほり)の別れのシーンや、勝麟太郎(武田鉄矢)と共に海軍塾を開いて日本の海軍を作ろうと奮闘する姿を描く。
柳亭市馬師匠の美声、脳内がアルファ波いっぱいになります(うっとり)。
とりあえず、本日の番組のみでも。
「五月幟」は、「万病円」が短めに終わったのことでサービスだそうだ(笑)。このサービスがなかったら、今日は市馬師匠の歌(酔っぱらった熊さんの♪「めでた めでたぁ~のぉ~ わか~ま~つ さまよぉぉぉぉぉぉ」だった)を聞けなかったかも知れない……うぅ、ありがとうございます~(^_^)。
詳しくは明日にでも。
☆★☆★
4/24追記。日本橋人形町の会場は席数200ほどで落語にはちょうどいい。座席の勾配が高くなっているので後方でも見やすくなってる。自分は前から5列以内の中央近くで、市馬師とほぼ真向かい(*^_^*)。
周囲はずっと長く市馬師を見てきている年配のファンばかりで、立川流の観客席とは空気感が違う。どちらがどうこうというのではない……自分はいろいろな空間を味わっていきたいと思う。
☆★☆★
「万病円」はあまり高座にかけられない噺らしい。今回の市馬師の噺は三代目金馬のパターンを踏襲しているようだ(そういえば、マクラで「先代の金馬師匠」「当代の金馬師匠」に言及していた)。
たちの悪い「りゃんこ(侍)」の噺だが、市馬師の人柄ゆえか、嫌みはない(後半、町人にやりこめられるから、すっとするし)。
嫌がらせを受けても、少々のことでは奉行所に訴えにくいと泣き寝入りしかける町人の気持ちがよくわかる。金さんは何かと忙しいからといったくすぐりが入って、わはは。
特に楽しかったのは餅屋の場面、侍が小僧にからむところは「居酒屋」を連想したが、それもそのはず、「居酒屋」は「万病円」から独立した噺だそうだ。なるほど~。
侍は餅菓子を四品注文。うぐいす餅、蕎麦まんじゅう、きんつば、腰高まんじゅうの四つだが、口の動きを四種変えて食べ分けて見せるところにツボった(笑)。うぐいす餅の少しねちっとした感じとか(きなこが膝に飛ぶのを払ったり)、きんつばは口の中で小豆あんが崩れる感じとか(わざと食べ方は汚くするのだが^_^;)。
サゲにつながる紙屋での「万病丸」に関わる地口は、現代の聞き手にはわかりにくくなっている。四百四病(しひゃくしびょう)とは人間がかかるすべての病気。百日咳は昔予防接種にあったなぁ。産前産後は「三千三」か「三千三五」に、疝気(男性のシモの病気全般をさす)は「千」、腸満(腸が膨満した状態)は「兆万」に引っかけている。
☆★☆★
「万病丸」が予定より早く終わったらしく(苦笑)、サービスの一本はこの季節にぴったりでやや軽めの「五月幟」。これも高座にかける人が少ないそうで、お得感高し。
飲んだくれの熊さんが主人公。坊やの初節句に人形を買う金もなかろうと見かねたおじさんが、女房に人形代にと五円をくれた。
五円を懐にした熊さんが人形を買いに行く途中、弟分たちがどこぞの二階屋から声をかける。湯屋で取っ組み合い喧嘩沙汰になったのを手打ちしているところで、「熊兄ぃが一言言ってくれないと格好がつかない」と引き入れられ、ついつい飲まされる熊さん。
で、「めでた めでたの わか~ま~つ~ さ~ま~よぉぉぉ」と、熊さん@市馬師の花笠音頭が炸裂。このサービス「五月幟」がなかったら、今日は市馬師の歌が聴けなかった(爆)。
人形買いに行くはずだった熊さん、すっかりいい気分になって、懐の五円を酒宴の足しにとわたしてしまう。帰宅して、我が家にたどりつく直前になって、我に返る。えぇいままよと開き直り、女房は涙目。
いやな予感がしたのか、立ち寄ったおじさんが女房から事情を訊き、二階でとぐろを巻く熊さんに意見しようと上がってくる。そこをごまかそうと、五月の節句にからめた地口をとばす熊さん。
……と書くと後味が悪そうだが、布団にはさまって柏餅を演じ、ごろごろ床を転がる熊さんを描く市馬師がキュートだった! 三遊亭白鳥師だったら、本当に座布団にくるまって舞台を(あの丸い身体で)ごろごろ転がるだろうが、市馬師はさすがにそこまでやらない(爆)。でも、座布団をまとって床に転がったように感じさせる話芸と表情と身振りなのだ。
これもサゲの地口がいろいろわかりにくい噺ではあったが、勢いで窮地にはまり勢いで窮地を乗り切ろうとする熊さんがどうも憎めない。
自分的には、酒席にひっぱりこまれた熊さんが一杯二杯と湯飲み酒を気持ちよく飲み干す場面、続いて膳のものに箸を伸ばして一口二口つまむ場面が受けた。膳に何がのっていたのかはよくわからないが、「お前らが用意したのか?」という熊さんの問いがあったので、どうやら持ち寄りの酒宴らしい。二品めにはネギがあしらってあるのを熊さんが褒めるので、アジのたたきとか、刺身なのかなと思った……って、何かを食べる場面についてディテールにこだわってしまう自分は、食い意地が張ってるのかな^_^;。
☆★☆★
中入り後は「崇徳院」。上野の花見に行った若旦那が出会ったお嬢さんに一目惚れするという噺なので、この季節にふさわしい。ポピュラーな演目なのだが、いただいたパンフレットの解説によると、市馬師が高座にかけるのは5年ぶりだとか。
市馬師だったらこの季節は「長屋の花見」「百年目」という鉄板ネタがあるし……でも、二つめ以上の落語家がたいてい持ちネタのひとつとしてる「崇徳院」、やっぱり上手な人がやると一言一言ごとに笑えるんだなぁと実感。
印象に残ったのは、恋煩いに衰弱する跡取り息子を見かねた大旦那が息子の幼なじみの熊さんに一目惚れ相手のお嬢さんを捜させる場面。普通は熊さんを頼みの綱とする大旦那なのだが、市馬師版の大旦那は結構強気。お嬢さんを見つけなかったら、息子を死に追いやったとお前を訴えるからねっと、強硬に迫る。それが嫌みでも因業でもないと感じられるのは、市馬師の人柄だからかな。
さらに、大旦那が成功報酬に三軒長屋の大家にしてやると聞きつけた熊さんの女房が、熊さんの尻を叩く場面も笑える笑える。「五月幟」の女房が泣きの入るところに対し、こちらは亭主のお嬢さん捜しの尻を叩くし知恵も授けるしとたくましい。
サゲも明るく、笑って笑って、雨の人形町を後にした。
今日もありがとうございましたm(__)m。五月上旬にまた市馬師匠を聴きにに伺う予定をもう入れております(爆)ので、またよろしくお願いします。
とりあえず、本日の番組のみでも。
一、「粗忽の釘」 柳亭市江
一、「万病円」 柳亭市馬
一、「五月幟」 柳亭市馬
中入り
一、「崇徳院」 柳亭市馬
「五月幟」は、「万病円」が短めに終わったのことでサービスだそうだ(笑)。このサービスがなかったら、今日は市馬師匠の歌(酔っぱらった熊さんの♪「めでた めでたぁ~のぉ~ わか~ま~つ さまよぉぉぉぉぉぉ」だった)を聞けなかったかも知れない……うぅ、ありがとうございます~(^_^)。
詳しくは明日にでも。
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4/24追記。日本橋人形町の会場は席数200ほどで落語にはちょうどいい。座席の勾配が高くなっているので後方でも見やすくなってる。自分は前から5列以内の中央近くで、市馬師とほぼ真向かい(*^_^*)。
周囲はずっと長く市馬師を見てきている年配のファンばかりで、立川流の観客席とは空気感が違う。どちらがどうこうというのではない……自分はいろいろな空間を味わっていきたいと思う。
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「万病円」はあまり高座にかけられない噺らしい。今回の市馬師の噺は三代目金馬のパターンを踏襲しているようだ(そういえば、マクラで「先代の金馬師匠」「当代の金馬師匠」に言及していた)。
噺の幕開きは銭湯。侍が湯船で褌を洗っていると、客から番台に苦情があがる。侍は怖いが渋々とがめに行くが、侍は屁理屈をならべ、挙げ句には湯銭も払わずに出てしまう。湯からの帰り道、侍は餅屋に立ち寄る。そこで小僧の言葉を逆手に取り、余分に餅を平らげ、これも銭もそこそこに立ち去ってしまう。調子に乗った侍は古着屋へ行くが、ここでは逆にやりこめられてしまい、悔しい侍は江戸の仇を長崎でと向かいの紙屋へ入るが、ここでもうまくいかない。ふと目に入ったのは、店に預かり置く2、3の薬。「万病円」とした薬に言いがかりをつけるが・・・。
たちの悪い「りゃんこ(侍)」の噺だが、市馬師の人柄ゆえか、嫌みはない(後半、町人にやりこめられるから、すっとするし)。
嫌がらせを受けても、少々のことでは奉行所に訴えにくいと泣き寝入りしかける町人の気持ちがよくわかる。金さんは何かと忙しいからといったくすぐりが入って、わはは。
特に楽しかったのは餅屋の場面、侍が小僧にからむところは「居酒屋」を連想したが、それもそのはず、「居酒屋」は「万病円」から独立した噺だそうだ。なるほど~。
侍は餅菓子を四品注文。うぐいす餅、蕎麦まんじゅう、きんつば、腰高まんじゅうの四つだが、口の動きを四種変えて食べ分けて見せるところにツボった(笑)。うぐいす餅の少しねちっとした感じとか(きなこが膝に飛ぶのを払ったり)、きんつばは口の中で小豆あんが崩れる感じとか(わざと食べ方は汚くするのだが^_^;)。
サゲにつながる紙屋での「万病丸」に関わる地口は、現代の聞き手にはわかりにくくなっている。四百四病(しひゃくしびょう)とは人間がかかるすべての病気。百日咳は昔予防接種にあったなぁ。産前産後は「三千三」か「三千三五」に、疝気(男性のシモの病気全般をさす)は「千」、腸満(腸が膨満した状態)は「兆万」に引っかけている。
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「万病丸」が予定より早く終わったらしく(苦笑)、サービスの一本はこの季節にぴったりでやや軽めの「五月幟」。これも高座にかける人が少ないそうで、お得感高し。
飲んだくれの熊さんが主人公。坊やの初節句に人形を買う金もなかろうと見かねたおじさんが、女房に人形代にと五円をくれた。
五円を懐にした熊さんが人形を買いに行く途中、弟分たちがどこぞの二階屋から声をかける。湯屋で取っ組み合い喧嘩沙汰になったのを手打ちしているところで、「熊兄ぃが一言言ってくれないと格好がつかない」と引き入れられ、ついつい飲まされる熊さん。
で、「めでた めでたの わか~ま~つ~ さ~ま~よぉぉぉ」と、熊さん@市馬師の花笠音頭が炸裂。このサービス「五月幟」がなかったら、今日は市馬師の歌が聴けなかった(爆)。
人形買いに行くはずだった熊さん、すっかりいい気分になって、懐の五円を酒宴の足しにとわたしてしまう。帰宅して、我が家にたどりつく直前になって、我に返る。えぇいままよと開き直り、女房は涙目。
いやな予感がしたのか、立ち寄ったおじさんが女房から事情を訊き、二階でとぐろを巻く熊さんに意見しようと上がってくる。そこをごまかそうと、五月の節句にからめた地口をとばす熊さん。
……と書くと後味が悪そうだが、布団にはさまって柏餅を演じ、ごろごろ床を転がる熊さんを描く市馬師がキュートだった! 三遊亭白鳥師だったら、本当に座布団にくるまって舞台を(あの丸い身体で)ごろごろ転がるだろうが、市馬師はさすがにそこまでやらない(爆)。でも、座布団をまとって床に転がったように感じさせる話芸と表情と身振りなのだ。
これもサゲの地口がいろいろわかりにくい噺ではあったが、勢いで窮地にはまり勢いで窮地を乗り切ろうとする熊さんがどうも憎めない。
自分的には、酒席にひっぱりこまれた熊さんが一杯二杯と湯飲み酒を気持ちよく飲み干す場面、続いて膳のものに箸を伸ばして一口二口つまむ場面が受けた。膳に何がのっていたのかはよくわからないが、「お前らが用意したのか?」という熊さんの問いがあったので、どうやら持ち寄りの酒宴らしい。二品めにはネギがあしらってあるのを熊さんが褒めるので、アジのたたきとか、刺身なのかなと思った……って、何かを食べる場面についてディテールにこだわってしまう自分は、食い意地が張ってるのかな^_^;。
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中入り後は「崇徳院」。上野の花見に行った若旦那が出会ったお嬢さんに一目惚れするという噺なので、この季節にふさわしい。ポピュラーな演目なのだが、いただいたパンフレットの解説によると、市馬師が高座にかけるのは5年ぶりだとか。
市馬師だったらこの季節は「長屋の花見」「百年目」という鉄板ネタがあるし……でも、二つめ以上の落語家がたいてい持ちネタのひとつとしてる「崇徳院」、やっぱり上手な人がやると一言一言ごとに笑えるんだなぁと実感。
印象に残ったのは、恋煩いに衰弱する跡取り息子を見かねた大旦那が息子の幼なじみの熊さんに一目惚れ相手のお嬢さんを捜させる場面。普通は熊さんを頼みの綱とする大旦那なのだが、市馬師版の大旦那は結構強気。お嬢さんを見つけなかったら、息子を死に追いやったとお前を訴えるからねっと、強硬に迫る。それが嫌みでも因業でもないと感じられるのは、市馬師の人柄だからかな。
さらに、大旦那が成功報酬に三軒長屋の大家にしてやると聞きつけた熊さんの女房が、熊さんの尻を叩く場面も笑える笑える。「五月幟」の女房が泣きの入るところに対し、こちらは亭主のお嬢さん捜しの尻を叩くし知恵も授けるしとたくましい。
サゲも明るく、笑って笑って、雨の人形町を後にした。
今日もありがとうございましたm(__)m。五月上旬にまた市馬師匠を聴きにに伺う予定をもう入れております(爆)ので、またよろしくお願いします。
最高気温が10度を割るという、この季節にしては寒いですね……日替わりで気温が10度前後上下するということで、体調を崩しがちです。今日は私も鼻が緩み気味(汗)。
北海道
坂本龍馬のジッポー
山形
「西郷ドンのお茶」130年ぶり実現か
西郷隆盛ゆかりのお茶栽培に再挑戦 鶴岡で約130年ぶりに
茨城
龍馬ら志士の書100点 茨城・守谷で企画展
福井
【福井】
県境越え観光振興 県、歴史遺産活用図る
愛知
大須の芸妓甚ふくの顕彰碑を確認
正調名古屋甚句普及に貢献 27日に「拡める会」が奉納演奏
和歌山
住民の整備・保護実る 雑賀崎台場 県史跡に
紀州藩、幕末に巨大砲台
岡山
井原市文化財センターが年報発刊 発掘調査や講座など紹介
高知
藩重役吉田東洋碑に花
龍馬ブーム商店街の外れにも 「こんなこと初めて」
ブックレビュー
岩崎弥太郎と三菱四代 [著]河合敦
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(59)東大教授・山内昌之 大隈重信
エンターテインメント
「銀魂」“大江戸SFギャグ漫画”誕生のきっかけは、面倒くさかったから!原作者が明かす裏話!
TVアニメ『薄桜鬼』、オープニング/エンディング曲が4/21に同時リリース
北海道
坂本龍馬のジッポー
市内本町1丁目にある「大野時計店」(℡22-0949)に、ことしはNHK大河ドラマでも話題沸騰中の 『坂本龍馬』 のジッポーが入荷したよ
坂本龍馬はいうまでもなく幕末に活躍した武士で、 倒幕のきっかけを作った人といえる。 大きな仕事を成し遂げるために柔軟な考えと行動力、 優れた人脈を幅広く持ち、 さらに龍馬は自分の夢に向かって動いた人でもあった。 そんな彼が残した名言 『おまんら日本の夜明けは近いぜよ』 が刻印されており、 龍馬ファンにはたまらない逸品となっている。 ニッケル古美・真鍮古美/5040円 (税込) 。 ぜひお買い求めを。
また、 『阪神タイガース 2010年シーズンロゴ (球団創立75周年記念ロゴ) 』 が近日入荷予定。 2010年ロゴマークのコンセプトは伝統を受け継ぎながら新たないぶきを吹き込み、 猛虎の名に恥じぬプレイに集中し、 頂点をめざす阪神タイガースの姿勢を表現している。 価格は7875円(税込)。
山形
「西郷ドンのお茶」130年ぶり実現か
∞鶴岡の松ケ岡開墾場/茶の苗植える
鶴岡市羽黒町にある松ケ岡開墾場(山田鉄哉理事長)で狭山茶の苗が植えられた=写真。明治初期にも栽培に挑み、西郷隆盛から「茶銘」までもらったが、商品にはならなかった。約130年ぶりの「西郷ドンのお茶」は果たして実現できるか。
松ケ岡では1872(明治5)年、戊辰戦争に敗れた庄内藩士3千人が開墾を始め、養蚕とお茶栽培を試みた。3年後、庄内藩と親交のあった鹿児島の西郷に届けられ、西郷は求めに応じて、開墾場の小隊長の名前を1字ずつ使って「林月・水蓮(すい・れん)・都山・敦本・原泉(げん・せん)・白露」と6種の茶銘を付けた。その書状は開墾場に保存されている。
お茶栽培はあきらめていたが、昨年、狭山茶の生産地、埼玉県の入間市博物館の黒澤一雄館長が「寒冷地に強い品種なら可能ではないか」と勧めた。庄内藩酒井家の18代当主・酒井忠久さん(63)も「茶には先人の思いが込められている」と動きだした。寒さに強い「ゆめわかば」「ほくめい」「さやまかおり」の苗を計600本用意し、黒澤館長の指導で19日、山田理事長らが2アールの畑に長さ50センチほどの苗を植え付けた。
収穫は早くて3年後だが、酒井さんは「成功すれば、観光と組みあわせて新しい産業も生まれる。西郷さんの付けた茶銘で商品化して、特産品を目指したい」と語った。
西郷隆盛ゆかりのお茶栽培に再挑戦 鶴岡で約130年ぶりに
鶴岡市羽黒町松ケ岡の東北振興研修所で19日、地元住民団体によるお茶の試験栽培が始まった。明治初期、庄内藩士が国指定史跡「松ケ岡開墾場」を開いた際に栽培を試みたが、気候条件が合わずに断念。温暖化などで条件が変化していることもあり、約130年ぶりに挑戦することになった。開墾時、庄内藩と親交の深かった西郷隆盛からお茶の名前を受けており「栽培に成功したら、その名前を付けたい」と関係者は意欲を見せている。
試験に臨むのは、庄内藩酒井家第18代当主の酒井忠久致道博物館長が総長を務め、地元農家ら53戸で組織する「松ケ岡開墾場」(山田鉄哉理事長)。酒井館長の知り合いで、お茶の産地として有名な埼玉県入間市の同市博物館長を務める黒沢一雄さんから昨年秋、「寒冷地に強いお茶もあるので、もう一度植えてみたら」とアドバイスを受けたことを機に、再び栽培に取り組むことになった。黒沢館長を通して埼玉県農林総合研究センター茶業研究所から、寒冷地用の「ゆめわかば」「ほくめい」「さやまかおり」の3品種計600本の提供を受けた。
19日には、試験栽培の苗の植え付け作業が行われ、酒井館長や山田理事長、黒沢館長らが2アールほどの畑に長さ約50センチの苗を丁寧に植えた。収穫できるのは3、4年後で、山田理事長は「茶業研究所などの指導を受けながら取り組んでいきたい」と話していた。
戊辰(ぼしん)戦争で降伏した庄内藩に寛大な措置をした西郷から授かった茶名は6つ。酒井館長によると「林月(りんげつ)」「水蓮(すいれん)」「都山(つやま)」「敦本(とんほん)」「原泉(げんせん)」「白露(はくろ)」で、栽培にあたった庄内藩士の隊長の名前と風流な言葉を掛け合わせたものだという。酒井館長は「栽培を成功させることで、開墾当時の人々の思いを遂げることが出来るのではないか。この6つの名を商品名にし、特産品化を目指したい」と目標を語った。
茨城
龍馬ら志士の書100点 茨城・守谷で企画展
大河ドラマの影響もあってブームになっている坂本龍馬の書などを一堂に集めた「龍馬と志士達-書幅+書額展-」が、茨城県守谷市御所ケ丘の市民交流プラザで開かれている。5月1日まで。
同展では、龍馬をはじめ西郷隆盛や吉田松陰ら幕末から明治維新にかけて命を賭けて近代日本の礎を築いた志士たちの貴重な書や額、屏風など約100点が展示されている。会場の一角には龍馬のパネルや珍しい書も展示されており、熱心に見つめる市民の姿も見られた。
同展を主催している北島産業電機専務の北島徳一さん(41)は「(偉人たちの)魂のこもった書から、日本の将来を見つめ直す契機になってほしいと思っています」と話していた。
福井
【福井】
県境越え観光振興 県、歴史遺産活用図る
県が地域の観光活性化のため、歴史遺産を生かす方針を徹底させている。来年のNHK大河ドラマ「江(ごう)~姫たちの戦国」の舞台となるなど、「客を呼べる機会」を逃さないように知恵を巡らし、県境を越えた連携も動き始めている。
「滋賀県との(JRの)周遊きっぷをつくれないだろうか」。西川一誠知事は3月、滋賀県の嘉田由紀子知事との懇談で提案した。大河ドラマ「江」は両県が主要な舞台になるからだ。
両県に岐阜、三重県を加えた4県は「江」を生かした観光振興で連携する方針を決めた。関係する史跡を選んで観光ルートを設定するなど、大型連休前後にも具体的な話し合いを始める。
今年の大河ドラマ「龍馬伝」の関連では、県観光連盟が2月、龍馬と福井とのつながりを紹介するパンフレット「熱き幕末の福井へ」を1万部発行。連盟ホームページにも同じ内容を掲載した。
直接福井と関係する史跡は、龍馬と由利公正が語り合ったとされる莨(たばこ)屋旅館跡ぐらい。そのほかは主に、龍馬が京都から福井へ向かう街道沿いの観光スポット、グルメ情報で、限られた“資源”の効果を広げたい狙いがある。
研究者の間では「一級」とされてきた一乗谷朝倉氏遺跡も、一般的な知名度は高くはないが、著名なCMディレクターの目に留まった。福井市が撮影に全面協力し、“お父さん”役の白い犬が登場する携帯電話の人気CMの舞台として、2月からの放映ではたびたび遺跡が登場した。
県観光振興課は「福井に来ていただくきっかけを何としてもつくりたい」と強調。一方で、福井市の歴史研究者は「客を呼びたいと思うあまり、史実を軽視して『いいかげんな伝承でも何でもOK』とならないかが、少し心配」と指摘している。
(渥美龍太)
◆大河ドラマ「江」PRの協議会設立
三姉妹にちなんだ地域おこしの取り組みなどを話し合う出席者=県庁で
県や関係市町、商工会議所など18団体は20日、来年のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」に合わせ、福井の歴史や文化を広く発信しようと、推進協議会を設立した。ポスターやのぼり旗などを作り、連携してPR活動を展開する。
「江」は、近江(滋賀県)の戦国大名・浅井長政と、織田信長の妹・お市の間に生まれた3姉妹の物語。三女のお江は母とともに福井市の北庄城に滞在したことがあり、次女のお初は当時の小浜藩主・京極高次に嫁いだ。
県庁での設立総会で、会長に選ばれた五十嵐嘉也・県観光営業部長は「放映を機に福井を全国に発信し、地域の活性化、誘客につなげたい」とあいさつ。滋賀県と連携してインターネットなどで三姉妹ゆかりの地や逸話を発信し、土産物の開発や広報イベントも進めることを決めた。
県は滋賀県と共同で、ドラマにちなんだキャッチフレーズの文字デザインと、三姉妹をモチーフにしたキャラクターのデザイン、名前を募集している。応募は5月14日まで。問い合わせは、県ブランド営業課=電0776(20)0227=へ。
(平井一敏)
愛知
大須の芸妓甚ふくの顕彰碑を確認
正調名古屋甚句普及に貢献 27日に「拡める会」が奉納演奏
幕末に大流行した座敷唄(うた)「正調名古屋甚句」を今に伝える「拡(ひろ)める会」主宰の甚富華(じんとみか)さん(63)(名古屋市西区)が、名古屋市中区伊勢山の洞仙寺境内で、明治時代に甚句の普及に貢献した女性の顕彰碑を見つけ出した。女性は大須の芸妓(げいこ)、甚ふく(本名・荒川ふく、1864~1937年)。甚さんは「先人の功徳を敬うため、ささやかな法要を」と、8月27日に亡くなった甚ふくの月命日の27日、同寺で甚句の奉納演奏を行う。(渡辺康史)
正調名古屋甚句は、前唄「恋の鯉(こい)」に続いて、「宮の熱田の二十五丁橋で 西行法師が腰をかけ(中略)これほど涼しいこの宮を 誰が熱田と名をつけた」などと歌う本唄「宮の熱田」をはじめ、何種類もの替え唄で構成する組曲。甚さんは伝統文化としての伝承に努め、現在は約30人の弟子に教えている。
甚さんが甚句のルーツを調べるうち、同市昭和区の鶴舞中央図書館で、今月に入って正調名古屋甚句について書かれた昭和40年代の豆本を発見。甚ふくの碑について、死後、その芸の素晴らしさをたたえるとともに、「永遠に名古屋に名をとどめよう」と、弟子が立てたと記されていた。
甚さんは8日に洞仙寺を訪ね、碑に名前が残っているのを確認したが、同寺でも、その来歴などを知る人はすでにおらず、逆に甚さんに教えられたという。
27日は午前11時から甚句を演奏し、同11時半から法要を行う。甚さんは「この唄を愛し、後世に伝えた先人に敬意を表し、今の私たちの活動を報告したい」と話している。
和歌山
住民の整備・保護実る 雑賀崎台場 県史跡に
紀州藩、幕末に巨大砲台
幕末に紀州藩が築造した和歌山市雑賀崎の砲台跡「雑賀崎台場」が、県指定文化財の記念物(史跡)に指定された。十数年前まで、人知れず木々に埋もれていた砲台跡を、地元の市民グループが専門家に依頼して調査、周辺を整備するなどして、保護を呼びかけた成果が実った。
雑賀崎台場は、紀伊水道に突き出た「トンガの鼻」にあり、周囲の海を見渡すことができる。県教委文化遺産課によると、南北21メートル、東西12メートルの範囲に高さ50~180センチの石垣が張り巡らされている。その上に50~140センチの土塁が築かれており、城の構造とよく似ている。中心部にはV字型の遺構があり、異国船に対して、海上防衛のための巨大な砲台が設置されていたとみられる。
『南紀徳川史』には、ペリーが黒船で浦賀に来航した翌年の1854年(安政元年)に、紀州藩の各家老が海岸を防御する持ち場を決め、各台場に砲術を担当する砲術方を置いたとの記述があり、雑賀崎台場もこの頃に造成されたと推測される。砲台は、水軒堤防や和歌浦など和歌山城近くの沿岸部に未完成のものも含め、計33か所設置されていたとされる。雑賀崎台場が最も保存状態が良いという。同課は「紀州藩の海防政策について知ることのできる数少ない遺跡」と評価している。
雑賀崎で生まれ育った松川由喜子さん(60)は、トンガの鼻に砲台跡があるという話を地元の人に聞き、1998年、現場に初めて足を踏み入れた。5、6メートルの木々が生い茂るなか、石垣や土塁の一部を見つけた。
松川さんは、和歌山大の教授に調査を依頼し、紀州藩の遺構であることを確認。環境省の許可を得て周辺の整備を始めた。2002年12月には「トンガの鼻自然クラブ」を結成し、定期的に見学会を開き、草刈りなどの作業を続けている。
松川さんは、「史跡指定は、ずっと望んでいたことで、本当にうれしい。これをきっかけに、身近な場所に歴史を伝える遺構があったということを、県民に知ってもらえたら」と話している。
岡山
井原市文化財センターが年報発刊 発掘調査や講座など紹介
埋蔵文化財や古文書の保護、研究などに取り組む井原市文化財センター(同市井原町)は、2005年度から08年度までに実施した発掘調査や講座などの事業をまとめた「市文化財センター年報1」を発刊した。同センターや市内公民館、井笠地域の公立図書館などで閲覧できる。
05年11月に開設した文化財センターの活動成果を広く知ってもらおうと300部作製。A4判、29ページ。センターの組織、事業概要▽発掘調査▽文書調査―など5部で構成した。
事業概要では「興譲館と阪谷朗廬」「幕末の動乱と井原」など計12回行った企画展、ガラス玉作りや地域探訪など定期講座の内容を列記。発掘調査は、古墳時代の墳墓・無量寺2号墳(同市七日市町)、14世紀ごろの山城・青蔭城跡(同市西江原町)など発掘2件と試掘・調査9件の経過などを紹介した。
閲覧できる場所などの問い合わせは文化財センター(0866―63―3144)。
高知
藩重役吉田東洋碑に花
龍馬ブーム商店街の外れにも 「こんなこと初めて」
幕末、土佐勤王党によって暗殺されたとされ、NHK大河ドラマ「龍馬伝」にも登場した土佐藩参政・吉田東洋の記念碑(高知市追手筋)に、大きな花束が添えられているのを、近くの帯屋町筋商店街のブティック経営有光美代子さん(63)が見つけた。記念碑は商店街の外れにひっそりと立ち、地元でも知る人が少なかったといい、有光さんは「こんなことは初めて」とびっくり。迫真の暗殺シーンなど、ダンサーで俳優の田中泯(みん)さんの熱演が話題を呼び、一気に東洋の名が知れたためと考えられ、「これも龍馬効果。時代の犠牲になった東洋も喜んでいることでしょう」と有光さんはしのんだ。(沢本梓)
藩主・山内容堂に重用された東洋は藩政改革を進めるとともに、公武合体政策を貫いたため、武市瑞山率いる土佐勤王党とも対立。文久2年(1862年)4月8日、暗殺された。「吉田東洋先生記念之碑」は1958年、暗殺現場とされる場所近くに市教委が建立。繁華街に近いものの、見過ごしてしまうほどひっそりと立つ。
「龍馬伝」では田中さんの重厚な演技が注目され、観光客が訪れることが増えたという。暗殺シーンは3月28日に放映。花束は有光さんが今月18日に見つけ、コップの水につけた。
有光さんは市商店街振興組合連合会の女性部会長も務めており、歴史の勉強会を重ねていたが、4月8日の命日でも記念碑を訪れる人が見られず、気になっていたという。「きっと、ドラマを見た観光客が弔ってくれたのでしょう。龍馬だけではない、土佐の偉人を慕ってくれる気持ちがありがたい」とうれしそう。
花を供えられたことを聞いた田中さんは「悪役として描かれることが多いが、土佐を愛し、藩を立て直そうと努めた非常に優れた人。もう少し若ければ、龍馬のように世に飛び出したはず。新鮮な東洋像が演じられて、とても良かった」と話した。
ブックレビュー
岩崎弥太郎と三菱四代 [著]河合敦
■情緒的な「明治はよかった」
いま放送しているNHKの大河ドラマ「龍馬伝」で香川照之が演じ、重要な役割を与えられている三菱財閥創始者、岩崎弥太郎。本書は彼を巧みな経営で乱世をのし上がった傑物として描く。
その描写には違和感はないが、散見される著者の歴史観、人生観が実にステレオタイプだ。
弥太郎の青年期の苦難をひきあいに、現代の起業家は「営業不振が続くと、すぐにダメだと思い込み」「足掻(あが)くことをせずに投げ出してしまうから、成功に至らない」。当時の三菱社員とくらべ、「残念ながら戦後の日本の教育界は、弥太郎が役に立たないと見捨てた従順な若者を大量に生産してきた」。さらには国家の繁栄を目指した弥太郎に対して「企業人から公共心が失われて久しい」「個人主義・自由主義が誤って浸透した日本の社会」とぶち上げる。
変動しつつある今の日本社会を、本書のように幕末から明治にかけての大変動期になぞらえるのは最近の流行だ。しかしこのような情緒的な「明治は良かった」論からは、何も生まれない。そもそも三菱が富国強兵を求めたのは、政商として会社の利益と国の利益が徹底的に一致していたからだ。経営と政治の接近は利権腐敗とも表裏一体で、決して「公共心」などという安易な言葉でくくられるべきではない。
テクノロジーとグローバリゼーションによる激変という、幕末や終戦と同じぐらいの社会の岐路に、いまわれわれ日本人は立たされている。歴史から構造的に学ぶことはたくさんあるはずだが、「あのころは日本人も凄(すご)かった」などという情緒に浸っていても、何も変わらない。本書を読み、バブル時代によくいた「秀吉や家康の偉人伝を読んで社内遊泳術に心めぐらす中間管理職サラリーマン」を思い出した。でも、彼らもとうにいなくなった。そういう時代は終わったのだ。
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(59)東大教授・山内昌之 大隈重信
威圧と大衆人気
鳩山内閣の特徴は、昔なら閣内不一致で総辞職しかねない局面でも、政治家の個性がぶつかる侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が外にも聞こえてくることだ。亀井静香金融相や前原誠司国土交通相だけでなく、最近では仙谷由人国家戦略担当相の発言も目立っている。
ようやく成立した予算を酷評し、財政規律論者めいた姿勢を見せたかと思えば、消費税率の見直しにも積極的な発言をするなど筋とメリハリが目立つのだ。なかでも、普天間問題と連動して鳩山首相が辞職する際には衆参同時選挙を、という発言には驚いた人も多いだろう。
仙谷氏のように、弁護士出身の大臣には、自前の論理を構築できる自信があるのかもしれない。自民党でも弁護士経験をもつ大臣には説得力に富む議論をする人が多かった。こうしたタイプの政治家は、どの時代であっても、群れずに一人で論を構えるほうが得意なのだろう。
一人で堂々と論陣張る
一人でも堂々と論陣を張った幕末明治の政治家といえば、すぐに大隈重信を思いだす。大隈は代言人や弁護士を生業にしなかったにせよ、独特の雄弁術と辺りを睥睨(へいげい)する押しの強さに、とうてい人の下に立つのを潔しとしない自信が満ちあふれていた。演説会場に行けば、口を「へ」の字に結んで、まず最初に聴衆を威圧するように睨(にら)みつけドギモを抜いてしまう。
それから、「したんである」「なんである」果ては「であるんであるのである」という弁舌を聞くと、これはファンにはたまらなく愉快な半面、政敵には鼻持ちならぬショーと映ったに違いない。
坪内逍遥は大隈の座談に晩年まで「威圧的な覇気」や「恫喝(どうかつ)的な衒気(げんき)」が抜けなかったと述べたことがある。
また、陸奥宗光も大隈が自分の「伎倆(ぎりょう)品格」を相手に認めさせようとするあまり「虚飾大言」に陥りがちだったと指摘する。
ウケた「場当たり主義」
大隈は佐賀藩300石取りの堂々たる上士身分の家に生まれながら、よく言えば融通無碍(むげ)、悪く言えば成金趣味めいた俗っぽい個性を生涯失わなかった。謡曲や能より浪花節や講談を好んだというから、相当に庶民受けもした。
政治学者、岡義武の名著『近代日本の政治家』の表現を借りるなら、その「臨機応変主義」や「場当たり主義」は、何よりもこむずかしい理論やイデオロギーよりも分かりやすかった。
民衆政治家を自任した大隈の個性は、生得の面もあったに違いないが、薩長閥から排除された佐賀人特有の一個の自分をたのむという覇気の強さや闘志の表れと無縁でなかった。
明治6(1873)年に参議兼大蔵卿となった大隈のあけっぴろげな性格は、長州の伊藤博文や井上馨も引き付けたが、近代国家の早期建設を図った大久保利通や木戸孝允の緻密(ちみつ)な術策に及ぶところでなかった。脇の甘さをつかれ、北海道開拓使官有物払下げ事件をめぐって、盟友だった伊藤はじめ薩長勢と対立し、明治14年の政変で参議を免官になってしまう。
薩長から最初の政権交代
しかし、大隈の凄(すご)いのはその後の歩みである。大隈はめげずに立憲改進党や東京専門学校(現早稲田大学)をつくり、孜々(しし)として政権奪取を目指したのだから根性がどこまでも据わっている。
伊藤に大隈の外交手腕を再認識させ、外相の地位に返り咲いただけでなく、明治31(1898)年には薩長藩閥以外から最初となる首相の地位を射止めた。
これこそまごうかたなく最初の政権交代というべきであろう。4カ月後、星亨に離反されて総辞職したのは不本意であった。しかし、彼の粘りは驚異的である。
15年余の時を経て、第1次護憲運動の波に乗じ、2度目の首相になったからだ。改造内閣を経て退任した時、彼は満78歳6カ月であった。これは日本の憲政史上最高齢の記録にほかならない。
現代の政治家に限らず、人はどうも群れに入らないと、安心できないところがある。鶏口となるも牛後となるなかれ、という言葉もある。時には党内や閣内に波風を立てても、必要な時には信念や主張を曲げないのも、宰相の座を射止める必要条件の一つであろう。(やまうち まさゆき)
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【プロフィル】大隈重信
おおくま・しげのぶ 天保9(1838)年、佐賀生まれ。長崎で米国人宣教師に英学を学ぶ。維新政府の要職を歴任し、主に財政をつかさどり、地租改正を推進。明治14年の政変で下野すると、立憲改進党を結成し、東京専門学校(早大)を創立した。のち外相となり条約改正交渉に当たるが、反対派に爆弾を投げつけられ負傷。明治31年、板垣退助と憲政党を結成して日本初の政党内閣を組織。大正3年には第2次内閣を組織し、第一次大戦に参戦した。大正11(1922)年、死去。享年85。
エンターテインメント
「銀魂」“大江戸SFギャグ漫画”誕生のきっかけは、面倒くさかったから!原作者が明かす裏話!
[シネマトゥデイ映画ニュース] 24日、週刊少年ジャンプの看板コミック「銀魂」の初映画化作品『劇場版銀魂 新訳紅桜篇』が公開される。映画の公開に先立って、原作者の空知英秋がコミック「銀魂」誕生の軌跡を語ってくれた。
映画『劇場版銀魂 新訳紅桜篇』写真ギャラリー
「銀魂」は、“大江戸SFギャグ漫画”という今までにないジャンルのコミックだが、何とその設定は「面倒くさい」という理由で生まれたそうだ。そもそもの始まりは、担当者に「君の漫画は地味で華がないから時代劇をやれ」と言われたことだったという。しかし、「時代考証が面倒くさかったんです。セリフやネタにも制約が出るし」と時代劇は受け入れられなかった空知。そんな彼にインスピレーションを与えたのは、歴史小説界の巨匠だった。「司馬遼太郎さんの本に幕末の鎖国状態だった日本に黒船が来たことは現代で例えるとUFOがやって来たほどの衝撃だったみたいなことが書いてありまして。あっじゃあホントにUFOが来たことにして、好き勝手やれるように歴史をメチャクチャにしようということになったんです」と明かした。
またシリアスとギャグが絶妙なバランスで両立している「銀魂」だが、その書き分けも何と気分次第だそうだ。飽き性だという空知は、「ふざけていると暗い話が描きたくなって、またふざけたくなっての繰り返しです。力の入れどころは違うけれど、両方ともその時僕ができる最善のことはやっているつもりです」と話してくれた。「銀魂」原作者は、実に自由気ままな性格の持ち主だったようだ。
そんな空知のコミック「銀魂」が今回映画化となったわけだが、空知は、アニメ版に関してはノータッチ、もちろん映画も丸投げ状態だったという。「僕はアニメに関しては何もしていないんで、彼ら(アニメスタッフ)を信じて丸投げですから、おれやったぜというよりは、ここまでしてもらってなんかスイマセン的な出来の悪い子どもに親戚のオッさんがスゴイお年玉をくれたようなカンジです」とファンとアニメスタッフに感謝しきりの様子だった。
最後に「僕の悪ふざけに長いこと付き合ってくれた戦友たちの最期の? 全力投球の? 悪ふざけをぜひ劇場でご覧になってください。そして最終的に全員原作に流れ込んで単行本を買ってください。ちょっとでいいから、先っちょだけでいいから」とちゃっかり宣伝を付け加えていた。
なお、今回の原作者・空知英秋氏のインタビューについては、3月20日に発売されているT.(全国のTOHOシネマズグループ57館のみで限定発売)に、超ロングインタビューとして掲載されている。
TVアニメ『薄桜鬼』、オープニング/エンディング曲が4/21に同時リリース
2010年4月より放送開始となったTVアニメ『薄桜鬼』。そのオープニングテーマで吉岡亜衣加が歌う「十六夜涙」とエンディングテーマでmaoが歌う「君ノ記憶」が2010年4月21日に同時リリースされた。
吉岡亜衣加「十六夜涙」 - TVアニメ『薄桜鬼』OPテーマ
TVアニメ『薄桜鬼』の原作ゲーム『薄桜鬼 新選組奇譚』の主題歌「はらり」でデビューを果たした吉岡亜衣加が、TVアニメでもオープニング曲を担当。吉岡亜衣加ならではの切なくも力強い歌声が『薄桜鬼』の世界観をさらに深く、鮮やかに表現する。タイトルトラックに加えて新曲「優しく包めたら…」、さらにそれぞれのインストを同時収録。
(中略)
mao「君ノ記憶」 - TVアニメ『薄桜鬼』EDテーマ
TVアニメ『薄桜鬼』のエンディングテーマは、実力派シンガー・maoが歌う「君ノ記憶」。しっとりと歌いあげ、作品の魅力を存分に伝える。タイトルトラックに加えて新曲「センチメント」、さらにそれぞれのインストを同時収録。
空気が春らしい柔らかさと明るさを帯びています。
東京
龍馬の波乱に満ちた生涯を堪能できる展覧会
神奈川
リニューアルした横浜開港資料館で「勝海舟と横浜」展-無料公開
横須賀・浦賀ドックで「咸臨丸フェスティバル」-設計図展示、ジャズライブも /神奈川
富山
木製井戸枠 初の発見 富山城址、幕末期に使用?
愛知
豊橋商議所青年部が総会
銀輪電車(サイクルトレイン) 渥美路へ
京都
リーガロイヤルホテル京都:龍馬ゆかりの地巡る 宿泊プラン2種売り出し /京都
和歌山
和歌山県指定文化財に新たに和歌山市の雑賀崎台場
IT
共同日記で、野間みつねさんが紹介していたアレです。
ジャストシステム、歴史ファン向けのメールソフト2種を発表
製品紹介スペシャルサイト
倒幕側だとデータを削除する時に「天誅!」って声がでるわけですね^_^;。新選組モードだと「成敗!」かな。
……調子に乗って必要なメールまで削除してしまいそう(爆)。
ブックレビュー
サンデーらいぶらりぃ:細谷 正充・評『命もいらず名もいらず』(上・下)山本兼一・著
龍馬を愛した妻の後半生 「波枕 おりょう秘抄」
ビジネス
「龍馬ブーツ」大人気、注文1か月半待ち
<お~い!竜馬>黒ラベルにコラボ缶が登場 四国、中国、九州で数量限定 サッポロビール
東京
龍馬の波乱に満ちた生涯を堪能できる展覧会
福山雅治が坂本龍馬を演じ、ことしのNHK大河ドラマとして好評放送中の「龍馬伝」。その放送と連携した展覧会「2010年NHK大河ドラマ特別展『龍馬伝』」が4月から開催される。
海援隊の組織をはじめ、幕末の歴史に数々の名を残しながらも、33歳という若さで命を落とした坂本龍馬。いまなお多くの人々に愛される彼のゆかりの品々を展示。故郷の高知や京都などに伝わる龍馬の手紙や遺品、幕末の様子を伝える歴史資料などが並ぶ。
さらに、龍馬の写真として有名な「坂本龍馬像オリジナルガラス板写真」を4月27日(火)~29日(木・祝)の3日間限定で展示(その後はレプリカを展示)。本物が飾られる貴重な機会だけに必見だ。
会期は4月27日(火)~6月6日(日)、江戸東京博物館にて。チケットは発売中。ほかにも6月19日(土)~7月19日(月・祝)に京都、7月31日(土)~8月31日(火)に高知、10月2日(土)~11月3日(水・祝)に長崎で開催される。
みどころ
龍馬暗殺の舞台となった近江屋の2階を実物大で復元し、全期間で展示している。
神奈川
リニューアルした横浜開港資料館で「勝海舟と横浜」展-無料公開
横浜開港資料館(横浜市中区日本大通3)で、勝海舟と横浜のかかわりを振り返る展示「勝海舟と横浜」が無料公開されている。
横浜開港の翌年1860年、「神奈川台場」が勝海舟の設計のもと築造された。台場は海岸警備と監視のため大砲14門を備え、かつて国内外の貴賓や外交団に祝砲を放っていた史跡。現在、工業化で周辺部が埋め立てられている台場は今年築造150周年を迎え、横浜市神奈川区内の地下にほぼ完全な形で埋もれていることが確認されている。
同展示では、アメリカから里帰りした神奈川台場の彩色写真をはじめ5点の貴重な資料を紹介する。
展示作品は、彩色写真「明治初年の神奈川台場」(山本博士さん蔵)、「勝海舟肖像写真」(木村家蔵・横浜開港資料館保管)、「咸臨丸難航図」(木村家蔵・当館保管)、「ベルスライケン(長崎の海軍伝習所で教官を務めたオランダ人)が勝に贈った本」(当館蔵)、オランダ語の文法書「カッテンディーケ(ベルスライケンの後任)が勝に贈った本」(当館蔵)。
勝海舟は1823年、旗本勝小吉の長男として生まれ、1838年に家督を継いだ頃から蘭学を学び、その後、蘭学者・兵学者として活躍した人物。坂本龍馬や西郷隆盛らの幕末の志士とも親交があったことでも知られている。勝海舟と横浜との関係は深く、横浜有数の外国商館ウォルシュ・ホール商会の番頭の熊谷伊助と深い親交があった。さらに、咸臨丸がアメリカに渡航した1860年1月13日、咸臨丸は品川を出航した後に横浜に寄港し、浦賀を経由してアメリカに向かった。
昨年度末に改修工事を終えた「神奈川台場公園」(神奈川区神奈川1)には現在、埋蔵文化財の調査結果の概要と神奈川台場の歴史を案内するサインが設置されている。同公園の南側約100メートルには、開港100年を記念して造られた石碑があり、神奈川台場跡を記した記録とともに、建設当時の石積みを確認することができる。
関連商品として、同館の受付では「神奈川台場」の独特の形状をモチーフにした縁起菓子「勝サブレ」(1枚126円、10個入1,260円)や、冊子「地図と絵に見る神奈川お台場の歴史」(400円)を販売している。また、3月31日に発行した「横浜もののはじめ考」(第3版、2,000円)などの書籍や新商品も提供。
横浜開港資料館の西川武臣さんは「今は土中に遺跡が眠っていますが、かつて横浜にも台場が存在したということ。そして、今もなお、かなりの石垣が残っているという事実を知ってもらいたい。この地域は再開発されるだろうが、その際には台場を生かした形で保存できればと思う」と話している。
会場は横浜開港資料館・常設展示室2の特別資料ケース。開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)。月曜休館(月曜日が祝日の場合は翌日)。入場料は大人200円、小中学生100円。毎週土曜は高校生以下無料。無料展示は4月23日まで。
同館は空調設備工事を終了し、4月10日にリニューアルオープンした。企画展示室と閲覧室の展示は4月24日から再開する。
横須賀・浦賀ドックで「咸臨丸フェスティバル」-設計図展示、ジャズライブも /神奈川
横須賀の浦賀ドック跡地・浦賀港周辺(横須賀市浦賀)で4月24日・25日、幕末に浦賀港を出航し日本人初の太平洋横断を成し遂げた「咸臨丸」を記念した「第12回咸臨丸フェスティバル」が開催される。今年は咸臨丸浦賀出港150周年に当たり、2日間にわたって多彩なイベントを行う。(横須賀経済新聞)
昭和初期の建造物が残る旧浦賀ドック特設会場には「ONE DAY ミュージアム」が設置され、咸臨丸設計図のほか、咸臨丸乗組員・鈴藤勇次郎が残した図版、浦賀ドックの歴史写真展、浦賀小学校6年生約100人のスケッチ画などを展示。レンガ積みドライドックではジャズコンサート(24日=15時~16時)も。
米国・オランダ大使が出席する「咸臨丸フェスティバル式典」(24日)、海上自衛隊・海上保安庁艦船の一般公開・体験航海、市民が参加する「水恋乞いレース」、浦賀史跡案内、浦賀港一周スタンプラリー、「アスパイア号」ヨットクルー体験、渡船「愛宕丸(あたごまる)」乗船、浦賀港歴史クルーズなども実施される。
1859(安政6)年、浦賀に日本初のドライドックが完成し米国へ向かう咸臨丸の整備が行われた。咸臨丸は1860(安政7)年1月、日米修好通商条約の批准書を取り交わすために遣米使節の随伴艦として浦賀港を出港。37日間の航海の後、サンフランシスコに到着した。軍艦奉行・木村摂津守を指揮官に、勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎などが乗り組んだとされる。
1969(昭和44)年、ロッテルダム海事博物館で咸臨丸の設計図が発見され、同設計図によると、咸臨丸は全長49メートル、幅7メートル、排水量625トン、百馬力、大砲12門、スクリューを持つ3本マストの木造蒸気船で、通常の航海は帆走だった。
開催時間は10時~16時。入場無料。問い合わせは浦賀行政センター(TEL 046-841-4155)まで。詳細は同フェスティバルサイトで確認できる。
富山
木製井戸枠 初の発見 富山城址、幕末期に使用?
実物の一部展示も
富山城址(じょうし)公園の発掘調査で発見された井戸跡から、新たに木製の井戸枠も見つかったことが分かった。富山城で幕末期に使われたとみられる。富山市埋蔵文化財センターによると、城郭内で井戸枠の発見は初めて。同市婦中町安田の安田城跡資料館が二十日、発掘速報展で一部展示を始めた。
同センターは昨年十一月からの調査で直径約三・五メートルの井戸跡を見つけ、三月末に発表した。その後、約三メートル下まで掘ったところ、木の板(長さ百四十センチ、幅十二センチ、厚さ四センチ)をおけのように組み竹製のたがを巻いて固定した井戸枠が見つかった。
井戸枠は井戸水をためる役割があり、直径約八十センチとみられる。野垣好史主任学芸員は「実際に使われていた井戸の様子が分かる貴重な資料」と意義を話している。
速報展では、井戸枠の写真や実際の枠の一部を展示。ほかに同市八幡の今市遺跡から出土した弥生時代終末期(約千八百年前)の絵画土器も紹介している。
展示は五月九日まで。午前九時~午後五時(入館は午後四時半まで)。入館無料。問い合わせは同館=電076(469)4241=へ。 (渡辺ゆり)
愛知
豊橋商議所青年部が総会
豊橋商工会議所青年部の平成22年度通常会員総会は、19日夜、豊橋商工会議所で開き、竹内宏和新会長が「ええじゃないか豊橋!~愛と誇りとチャレンジの地域活性」を年度方針に掲げた。
就任した竹内会長は「何事も積極的でないと言われる豊橋だが、幕末のええじゃないかは、全国発信のすごいパワーだった。このパワーで地域への愛と誇りとチャレンジ精神を持って活性化に挑みたい」と語り、会員一丸の挑戦を訴えた。
年間事業では、「ええじゃないか推進委員会」を「ええじゃないか祭好(さいこう)委員会」に衣替え、7月に実施する第5回ええじゃないか豊橋行脚隊による渥美半島と伊勢志摩への観光ルート確立を目指す。
新委員会の「祭好」は、祭り好きと最高(サイコー)をもじった。8月の飯田人形劇フェスティバル、9月の炎の祭典、10月の豊橋まつり―とええじゃないか精神で盛り上げ、活性化を目指す。
また、次年度の創立20周年に向けた準備を新筆頭副会頭・本多英司氏を中心に進める―などを決めた。
(樋口育造)
銀輪電車(サイクルトレイン) 渥美路へ
●豊橋鉄道 GWに試行
【持ち込み無料、全駅OK】
大型連休は自転車と一緒に電車に乗りませんか――。
豊橋市と渥美半島を結ぶ豊橋鉄道渥美線で自転車を積み込める「サイクルトレイン」が試験的に運行される。同半島には伊良湖岬など観光スポットが多く、サイクリングコースも整備されている。新しい移動スタイルによる休日利用の促進をねらって、この連休に様子をみる。(山田雄介)
「サイクルトレイン」は29日~5月9日の土・日曜日と祝日に試験運行する。新豊橋駅を午前9時~午後3時15分に出発する列車と、三河田原駅を午前9時2分~午後3時17分に出発する列車の計52本。三河田原寄りの車両の一部に自転車専用スペースを設ける。自転車はどの駅からも持ち込め、特別の料金はかからない。
原則として事前の申し込みはいらないが、1列車に5台以上の自転車を乗せるグループは、前日午後6時までに高師駅(0532・45・4927)に乗車時間と区間を申告する必要がある。
渥美線の年間利用客は約760万人。そのほとんどを通勤、通学客が占めているが、沿線は観光スポットの多い土地柄でもある。
田原市は「田原ウォーキングマップ」を作って、三河田原駅などで配布している。幕末の田原藩家老で、思想家、画家としても知られる渡辺崋山と同市の歴史を知るコースやホタル、シデコブシの花など自然を満喫するコースなど散策コースをPRしている。伊良湖岬から豊橋までの太平洋沿いには、「日本の道100選」にも選ばれた渥美サイクリングロードを県が整備している。
豊橋鉄道の戸田昌裕・企画課長は「豊橋から伊良湖は約40キロもある。そのうち18キロを渥美線を利用してもらえば、自転車で渥美半島をより気軽に楽しめるようになるはず」と期待する。
東海地方でサイクルトレインは、三重県桑名市と岐阜県揖斐川町を結ぶ養老鉄道が1998年から実施。2008年度は年間で約4500人が利用している。愛知県内では、07年3~5月に名鉄西尾・蒲郡線が一部の区間で試験運行した。
京都
リーガロイヤルホテル京都:龍馬ゆかりの地巡る 宿泊プラン2種売り出し /京都
◇「歴女」にもお勧め
リーガロイヤルホテル京都(下京区)はNHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなみ、幕末の志士・坂本龍馬ゆかりの地を巡る1泊の宿泊プラン2種類を売り出している。同ホテルは「『歴女』(歴史好きな若い女性)にもお勧め」と話している。
観光タクシーで史跡を訪ねる「感動舞台コース」(2~3人、8万7000円~11万2500円)は、龍馬が暗殺された「近江屋跡」(中京区)や、襲われた「寺田屋」(伏見区)などを半日で回る。龍馬も足を運んだとされる料亭「鳥彌三(とりやさ)」のコース料理も付く。
「霊山歴史館&京都霊山護国神社 共通入場券付きプラン」(1~3人、1万1500円~3万3000円)は、幕末の資料を数多く収蔵する同歴史館、龍馬の墓がある同神社の入場券に市バス1日乗車券が付く。
両プランとも、龍馬はがきセット(6枚)などのグッズを参加者にプレゼントする。予約、問い合わせは同ホテル宿泊予約センター(075・361・3333)へ。【入江直樹】
和歌山
和歌山県指定文化財に新たに和歌山市の雑賀崎台場
きょう(20日)開かれた和歌山県教育委員会4月定例会で、和歌山市の雑賀崎台場(さいかざきだいば)が、新たに、県指定文化財の記念物(史跡)に指定されました。
雑賀崎台場は、雑賀崎北端にあり、紀伊水道に突出した通称「トンガの鼻」にあります。雑賀崎台場は、紀州藩が江戸時代の幕末期に、異国船に対する海上防御のために築いた砲台(ほうだい)跡です。 県教委は、「開発にさらされている文化財が多い中で、雑賀崎のこの史跡は保存状態がいい。」と話しています。
IT
共同日記で、野間みつねさんが紹介していたアレです。
ジャストシステム、歴史ファン向けのメールソフト2種を発表
ジャストシステムは2010年4月20日、戦国武将や幕末の志士をモチーフにした歴史ファン向けメールソフト「歴史メール 戦国武将の密書」と「歴史メール 幕末志士の密書」の2製品を発表した。2010年5月21日に発売する。歴史上の人物のデザインやセリフで気分を盛り上げる。希望小売価格はいずれも2838円(税抜き)。
同社のメールソフト「Shuriken 2010」がベース。ゲームソフトのキャラクターデザインなどで知られる諏訪原寛幸氏による背景デザインを、それぞれ24種類収録する。起動・終了時、メール受信時などには、歴史上の武将などの名セリフや、効果音が流れる。2011年1月まで、毎月新しい人物の背景デザインをダウンロード提供する予定。
「戦国武将の密書」に登場する戦国武将は、伊達政宗、真田幸村、織田信長、武田信玄、上杉謙信、直江兼続、前田慶次郎、明智光秀の8人。セリフは「出陣」「わしに続けい」「ごゆるりとお休みくだされ」など。
「幕末志士の密書」では、「龍馬ゆかりの人物」や「薩摩藩士」、「幕府の要人達」などの8カテゴリーを用意。それぞれの代表的な人物が登場する。「日本の夜明けは近いぜよ」「いざ参る」などのセリフが流れる。
動作環境はWindows XP SP2/Vista/7。「Windows メール」や、「Outlook」「Outlook Express」「Becky! Internet Mail」など主要メールソフトのアカウント情報とメール、アドレス帳のデータをインポートできる。
製品紹介スペシャルサイト
倒幕側だとデータを削除する時に「天誅!」って声がでるわけですね^_^;。新選組モードだと「成敗!」かな。
……調子に乗って必要なメールまで削除してしまいそう(爆)。
ブックレビュー
サンデーらいぶらりぃ:細谷 正充・評『命もいらず名もいらず』(上・下)山本兼一・著
◆山岡鉄舟の人生を真っすぐに描く
◇『命もいらず名もいらず』(上・下)山本兼一・著(NHK出版/税込上1890円・下1995円)
安土城築城を織田信長から託された棟梁父子を主人公にした『火天の城』や、信長・秀吉・家康に仕えた鷹匠を通じて戦国を活写した『白鷹伝』。現在から過去へと時間を逆回転させながら、多数の人物の視点で千利休の生涯を描いた、直木賞受賞作の『利休にたずねよ』。こうした主要作品を見れば分かるが、山本兼一は、ちょっと癖のある題材や手法を好んで採用する作家である。だが、本書は違う。幕末から明治を生きた、ひとりの人間の人生を、きわめてストレートに描いているのである。なぜ作者が、オーソドックスな歴史小説のスタイルを起用したのか。その理由は主人公の山岡鉄太郎そのものにあると思われる。
後に号を鉄舟と称し、勝海舟・高橋泥舟と並んで・幕末の三舟・と呼ばれることになる鉄太郎は、幕府旗本の小野家に生まれた。飛騨高山で暮らした少年時代から、剣・禅・書に励む彼は、真っすぐな心を育んでいた。その純粋な生き方は、江戸に出てきてからも変わらない。縁あって御家人の山岡家に婿入りし、剣の修行に没頭するのだ。その一方で、清河八郎との付き合い、講武所への出仕、京都へ向かう浪士の世話など、さまざまな体験を経て、大きく成長していく。そして官軍が江戸へと迫る中、徳川慶喜の意向を受け、単身、西郷隆盛と会談。江戸無血開城への道筋をつけるのだった。
本書のタイトルは、西郷隆盛が山岡鉄太郎を評していったと伝えられる「命もいらず名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るもの也。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬ也」から採られている。作者の描き出す鉄太郎は、まさにこのような人物だ。己を愚鈍と思い、他人が一回やるならば、自分は百回やる。困難を避けることなく、真正面からぶつかっていく。生涯を費やし、どこまでも己を磨き、精神の高みを目指す。このような生き方をした人間がいたという事実に、感動せずにはいられない。
などと書くと自己啓発本のようだが、もちろん本書は歴史小説である。主人公が歴史と切り結ぶ面白さも抜群だ。最後の将軍である徳川慶喜のために奔走した鉄太郎は、明治になってから明治天皇の侍従となった。ふたつの時代の最高権力者と、これほど深くかかわった人物は稀であろう。その他にも、清河八郎・勝海舟・西郷隆盛を始め、剣の千葉周作・浅利又七郎、禅の星定・滴水と、歴史上の人物が登場してくる。鉄太郎を中心にして、多士済々が織り成す歴史の流れも、本書の大きな読みどころになっているのだ。
ここまでくれば、なぜ作者がオーソドックスな書き方をしたのか、理解していただけるだろう。真っすぐな生を貫いた人物を描くのに、凝った技巧は必要ないのだ。ただ、軌跡を追いかけていくだけで、山岡鉄太郎の魅力が、くっきりと浮かび上がってくる。本書のスタイルそのものが、幕末から明治を誠実に生きた侍の姿を、十全に表現しているのである。
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やまもと・けんいち 1956年京都市生まれ。同志社大美学・芸術学専攻。歴史小説家。「信長を撃つ」でデビュー。『火天の城』松本清張賞、『利休にたずねよ』直木賞ほか、作品多数。
龍馬を愛した妻の後半生 「波枕 おりょう秘抄」
講談社から2010年2月19日に発売された新刊本「波枕 おりょう秘抄」(著・鳥越碧)が好評を博している。
「おりょう」とは、言うまでもなく坂本龍馬の「妻」の楢崎龍(ならさき りょう)。天保12年(1841年)、医師・楢崎将作の長女として京都で生まれた彼女が龍馬と出会い、妻として陰ながら支え、33歳の若さで夫を失いながらも、最後まで「龍馬の妻」であり続けた女の半生が描かれている感動の書き下ろし長編だ。
おりょうの後半生は、再婚した行商人・松兵衛との暮らしにあったが、それは、心の片隅につねに「龍馬」を抱き、少ないながらも至福の思い出を糧としたものだった。「坂本龍馬」という大きすぎる人物を愛し、妻となったがために味わう非情の運命。幕末から明治への激動期を生きた一人の女の生き方が、鳥越さんらしい深みある表現力によって描かれている。<モノウォッチ>
ビジネス
「龍馬ブーツ」大人気、注文1か月半待ち
幕末の志士、坂本龍馬が履いていたブーツを再現した「龍馬ブーツ」が、人気を集めている。
長崎市浜町の靴店「ドン・シューズ」が、龍馬が写った写真を基に製作、販売中。全国から熱心な龍馬ファンが購入に訪れるが、生産が追い付かず、注文しても約1か月半待ちの状態だ。ゆかりの観光施設にも展示されている。
高さ約20センチの焦げ茶色で、オーダーメード。幕末当時、米国帰りの日本船の乗組員が履いていたブーツを参考に、米国産のバファローの皮を材料にしている。靴底には、坂本家の家紋も入っている。
楠本逸雄社長(79)が2002年頃、龍馬ファンの知人から「どうしても履きたい」と頼まれて製作に着手。ブーツを履いた龍馬の写真を参考にしたが、ブーツの大部分がはかまに隠れていたため、わずかに見える部分の形状や文献から全体像を想像した。
約3年前に販売を始め、これまでに約120足が売れた。大河ドラマ「龍馬伝」放映に伴う龍馬ブームの到来で、急激に販売数が増加。昨年夏から靴底に入れ始めたシリアルナンバーはすでに103番になった。注文の約8割は県外からで、北海道や大阪などからも客が訪れる。「神棚に飾る」と言って買い求めた人もいたという。
完成度の高さが評判となり、現在、長崎市内では亀山社中記念館と長崎まちなか龍馬館で展示されている。数年前には、高知市の坂本龍馬記念館の企画展にも出展された。
楠本社長は「幕末の雰囲気が味わえるブーツ。龍馬を愛する人に履いてもらいたい」と話している。1足4万5000円。問い合わせは、ドン・シューズ(095・822・9010)へ。(財津翔)
(2010年4月20日16時23分 読売新聞)
<お~い!竜馬>黒ラベルにコラボ缶が登場 四国、中国、九州で数量限定 サッポロビール
坂本竜馬の生涯を描いた人気マンガ「お~い!竜馬」と「サッポロ生ビール黒ラベル」のコラボレーションが実現した。サッポロビールは21日から「サッポロ生ビール黒ラベル『お~い!竜馬』コラボレーション缶」を四国、中国、九州地方で数量限定発売する。
「お~い!竜馬」は、武田鉄矢さん原作、小山ゆうさん画でマンガ化、86~96年、「少年ビッグコミック」「週刊ヤングサンデー」(ともに小学館)で連載された作品。幕末を駆け抜けた坂本竜馬の生涯を、フィクションを交え、コミカルかつシリアスに描き、単行本は累計1500万部を発行している。
「黒ラベル」は今年のコンセプトに「大人の☆生」を掲げており、信念をもって時代を駆け抜けた「大人」として坂本竜馬に共感して、コラボレーションが実現した。コラボ缶には、竜馬の顔と海を渡る船のイラストを描き、「自ら信念を持ち、時代を駆け抜けた竜馬、サッポロ生ビール黒ラベル、竜馬の大志に乾杯」とのメッセージも表記。四国、中国、九州地方限定で21日から数量限定で発売する。350ミリリットル入り。オープン価格。(毎日新聞デジタル)
去年に続いて、パートⅡを見に行った。主な展示物の画像リンク先はこちら。
印象に残った展示について。
近藤重蔵 荷闌馬具図……近藤重蔵というと『風雲児たち』の印象があって、個人としてはとても仕事ができたけど出世志向が強すぎて「上司にしたくない人」というイメージが強い。今日見た展示は、そんな近藤重蔵の違う側面を見た感じ。丁寧に彩色された絵の中で躍動する白馬の鞍は西洋風。個人的に好き嫌いはあるものの、少なくとも当時の幕府で西洋風の軍事技術を入れなければならないという意識があった人なんだろうなという点で理解。
川路聖謨 外国奉行の俸給を辞退……川路聖謨といえば、『風雲児たち』『風雲児たち 幕末編』にわたるキャラのひとりで、特にプチャーチンとの開国交渉における人となりが西洋人にも尊敬される人物だったという印象。でも、その一方で、家族内では下ネタというか艶笑系の話におおらかだったり、奈良奉行時代に配下の子女で口達者でおませな女の子のエピソードを書き残していたり、とっても幅の広い人物。能力も高かったのだと思う。それが将軍継承問題で一橋派について、井伊直弼ににらまれて地方に飛ばされて、呼び戻されて外国との交渉で辣腕をふるったのに晩年は恵まれず、でも江戸城無血開場の日に自決したほど幕府と運命を共にしたという硬骨漢。この展示の書状も、重職に任じられたことを光栄と思いつも、年齢的にも健康的にも重職につくにはしんどくなってきていて、そんな状態で重職についているのは給料泥棒といわれかねず、それが嫌だから俸給を辞退するという内容。つくづく、昨今の日本にはこういう価値観はなくなったなぁと思う。
大鳥圭介……今日の特別展に足を運んだのは、大鳥圭介関係の資料を直接見たかったから^_^;って、マニアックですか?
歩兵頭並大鳥圭介明細短冊 歩兵頭として幕臣に取り立てられた当時の身上書。こんな文書を見てワクワクしてしまう自分^_^;。
明治七年大鳥圭介報文 箱館戦争の土壇場で「この際は降伏としゃれようじゃないか」と言い放ったという、箱館で戦死した土方さんとは対極の人生観や価値観を持っていたと思われるケースケも、土方さんほどではないにしても(汗)、好きだ。そして、明治五年まで投獄されて(幕府の歩兵奉行並時代に自分がつくった刑務所に収監されてトホホと思ったり、お腹にサナダムシを持っていて七転八倒していたり、そういう自分を後ほどに笑い飛ばしているような感覚が好きだなぁ)、釈放されるとヨーロッパに派遣された。その派遣団報告書の、特に画図の緻密なこと。日本で産業を興すためにどれだけ観察力を発揮しようとしていたかという意識が感じられる。
大鳥圭介建言(岩倉具視関係文書)……華族の財産管理をする財団の責任者になっていた岩倉具視に、資産運用にお得だからと鉱山への出資をすすめるケースケ! いったいどんな営業トークで、あの岩倉具視に出資させたのか(笑)、教えて欲しい!! 今日は、このエピソードを知っただけで、足を運んだ甲斐がありました。
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印象に残った展示について。
近藤重蔵 荷闌馬具図……近藤重蔵というと『風雲児たち』の印象があって、個人としてはとても仕事ができたけど出世志向が強すぎて「上司にしたくない人」というイメージが強い。今日見た展示は、そんな近藤重蔵の違う側面を見た感じ。丁寧に彩色された絵の中で躍動する白馬の鞍は西洋風。個人的に好き嫌いはあるものの、少なくとも当時の幕府で西洋風の軍事技術を入れなければならないという意識があった人なんだろうなという点で理解。
川路聖謨 外国奉行の俸給を辞退……川路聖謨といえば、『風雲児たち』『風雲児たち 幕末編』にわたるキャラのひとりで、特にプチャーチンとの開国交渉における人となりが西洋人にも尊敬される人物だったという印象。でも、その一方で、家族内では下ネタというか艶笑系の話におおらかだったり、奈良奉行時代に配下の子女で口達者でおませな女の子のエピソードを書き残していたり、とっても幅の広い人物。能力も高かったのだと思う。それが将軍継承問題で一橋派について、井伊直弼ににらまれて地方に飛ばされて、呼び戻されて外国との交渉で辣腕をふるったのに晩年は恵まれず、でも江戸城無血開場の日に自決したほど幕府と運命を共にしたという硬骨漢。この展示の書状も、重職に任じられたことを光栄と思いつも、年齢的にも健康的にも重職につくにはしんどくなってきていて、そんな状態で重職についているのは給料泥棒といわれかねず、それが嫌だから俸給を辞退するという内容。つくづく、昨今の日本にはこういう価値観はなくなったなぁと思う。
大鳥圭介……今日の特別展に足を運んだのは、大鳥圭介関係の資料を直接見たかったから^_^;って、マニアックですか?
歩兵頭並大鳥圭介明細短冊 歩兵頭として幕臣に取り立てられた当時の身上書。こんな文書を見てワクワクしてしまう自分^_^;。
明治七年大鳥圭介報文 箱館戦争の土壇場で「この際は降伏としゃれようじゃないか」と言い放ったという、箱館で戦死した土方さんとは対極の人生観や価値観を持っていたと思われるケースケも、土方さんほどではないにしても(汗)、好きだ。そして、明治五年まで投獄されて(幕府の歩兵奉行並時代に自分がつくった刑務所に収監されてトホホと思ったり、お腹にサナダムシを持っていて七転八倒していたり、そういう自分を後ほどに笑い飛ばしているような感覚が好きだなぁ)、釈放されるとヨーロッパに派遣された。その派遣団報告書の、特に画図の緻密なこと。日本で産業を興すためにどれだけ観察力を発揮しようとしていたかという意識が感じられる。
大鳥圭介建言(岩倉具視関係文書)……華族の財産管理をする財団の責任者になっていた岩倉具視に、資産運用にお得だからと鉱山への出資をすすめるケースケ! いったいどんな営業トークで、あの岩倉具視に出資させたのか(笑)、教えて欲しい!! 今日は、このエピソードを知っただけで、足を運んだ甲斐がありました。
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定期的に通っている整体院で、やっと人並みの肩凝りにまで軽減されたと太鼓判押してもらいました(苦笑)。一番ひどかった時に比べて、ずいぶんと首肩が軽くなりました。
東京
27日から「特別展 龍馬伝」江戸東京博物館
神奈川
湘南の風 古都の波】希望の舞いに託す再生
静岡
鉄舟邸址の記念碑、9年ぶりに再建 静岡
京都
【龍馬を慕(おも)う】(3)京都・百万遍 白川陣屋に集う隊士の覚悟
関西
造幣局 ハイテク機械と秘蔵貨幣にため息
山口
時空超える舞台に傾注
下関市文化協会:芸術色豊かに「海峡文化の華」 きょうまで40周年イベント /山口
高知
龍馬と啄木展:手紙と歌、結ぶ2人“共演” 岩手県との交流事業 /高知
佐賀
佐賀の大名行列、米で披露 「侍パレード」に歓声
長崎
大村で「龍馬伝」パネル展始まる ロケ使用の伝馬船きょうまで展示
鹿児島
ひと・ヒト・人:薩摩琵琶弾奏者・島津義秀さん /鹿児島
◇伝統普及へ「歌集」復刊--島津義秀さん(46)=姶良市加治木町
ブックレビュー
京都・読書之森:イラストで歩く京都 風雲幕末、龍馬が走る /京都
東京
27日から「特別展 龍馬伝」江戸東京博物館
高知や京都に伝わる坂本龍馬の遺品や書類、幕末の混乱を伝える歴史資料などを通し、龍馬の波乱の生涯に迫る「2010年NHK大河ドラマ 特別展『龍馬伝』」が27日から6月6日まで、東京都墨田区の江戸東京博物館で開催される。
展示は4部構成。第1章は龍馬の思想の原点を探る「土佐に生まれて」。第2章は勝海舟との出会い「坂龍飛騰」。第3章は人間的魅力も紹介する「薩長同盟成る」。そして第4章「夢は世界へ」では、海援隊の本質に焦点をあてる。
龍馬ら5人の若者が寄せ書きした胴掛(高知県立歴史民俗資料館寄託・個人蔵)や、重要文化財の龍馬が姉の乙女にあてた書簡(京都国立博物館蔵)などが展示される。
また、慶応3年(1867)年11月15日、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された近江屋の部屋を実物大で復元。27~29日の3日間は、高知県立歴史民俗資料館に収蔵されている、現存する唯一の龍馬像ガラス板写真が限定公開される(30日からは複製展示)。
特別展専用券は一般1200円、大学生・専門学校生960円、高校生・65歳以上600円。問い合わせはTEL03・3626・9974。
神奈川
湘南の風 古都の波】希望の舞いに託す再生
■シーン1
日本人はもともと権勢をほしいままにする者におもねったり、なびいたりすることを潔しとしない。最近の世の中の動きを見ていると、やや自信がなくなってくるが、本来はそうだったのではないか。
たとえば、判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉がある。ひいきされるのはもちろん、九郎判官義経である。幕末の坂本龍馬あたりと並び、最も人気の高い歴史人物の一人だろう。
(以下略)
静岡
鉄舟邸址の記念碑、9年ぶりに再建 静岡
幕末に江戸城無血開城の礎を築き、明治維新後は静岡で役人を務めた山岡鉄舟の邸址(ていし)記念碑除幕式が18日、静岡市葵区水道町にある鉄舟の住居跡で開かれた。記念碑は9年前に老朽化で撤去された石碑を復元したもの。再建を心待ちにしていた鉄舟ファンや地域住民が完成を祝った。
記念碑は25センチ四方で高さ1・2メートルの石柱。静岡・山岡鉄舟会(松本検会長)と地元の水道町町内会(伊東博会長)が昨秋から準備を進めてきた。以前の石碑は1924年に建立されたが、亀裂が入るなどして倒壊の危険性が生じたため、2001年に撤去された。
式典には鉄舟会と町内会のメンバー計約70人が出席。伊東会長が「復元を心から感謝したい」とあいさつし、松本会長は「鉄舟の功績をしのんでもらえればうれしい」と話した。
鉄舟会によると、鉄舟は1868年に徳川慶喜の指示を受け、駿府(現静岡市)で西郷隆盛と会談。官軍への江戸城引き渡しなど実質的な協議に当たった。翌年から2年間は今の副知事にあたる静岡藩権大参事を務めた。
京都
【龍馬を慕(おも)う】(3)京都・百万遍 白川陣屋に集う隊士の覚悟
ひさしぶりに京都大学のキャンパスを歩いた。すっかりサマ変わりしていた。シンボルだった時計台本部は建てかえられ、「百周年時計台記念館」という建物になっていた。1階には、フレンチレストランが入っていた。
道路を隔てた教養部の学舎もなくなっていた。「総合人間学部」という学部になっていた。「総合」という名前を冠した学部はあちこちの大学にできているが、たいていは意味不明である。
東大路通に出た。左手にある京大西部講堂の木造建築は、見たかぎり、当時のままだった。すでに文化財的な建物になっているが、いまでも演劇やコンサート会場として使われているのだろうか。
前衛舞踊や映画、コンサートなど、なんどか通った。先に亡くなった浅川マキの、ノドの奥底から微妙にバイブレートさせて出てくる暗くて低い歌声を、この講堂で初めて聴いた。
●「陸援隊」誕生の地
百万遍(ひゃくまんべん)の交差点から今出川通に出て、さらに東に行くと、北側に理学部と農学部の広いキャンパスがある。
江戸期、吉田キャンパス一帯は、尾張徳川家の京都屋敷であった。理、農両学部あたりには畑地がひろがっていた。幕末になって土佐藩が購入したが、京の中心部から離れていたため、放置されたままであった。
これに目をつけたのが、中岡慎太郎である。死の年にあたる慶応3(1867)年7月、ここに「陸援隊」を設置した。白川陣屋と呼ばれた。坂本龍馬の「海援隊」に対する、陸戦用の部隊であった。
藩の了解も取りつけ、慎太郎自らが隊長となった。隊員も土佐だけでなく、水戸、肥後、薩摩などから集まり、100人ほどにのぼった。副隊長は田中顕助、のちに宮内大臣として権勢をふるった田中光顕(みつあき)である。
長屋ふうの兵舎で、1人に8畳の部屋があてがわれた。現在の農、理学部のどのあたりに建てられたかは不明だが、相当に大規模な建物群であったはずである。
いつ戦が始まるか分からない情勢で、武闘訓練も欠かさなかった。慎太郎は「蛤(はまぐり)御門の変」で、長州藩兵として戦い、負傷もしている。高杉晋作の奇兵隊の活躍ぶりも目の当たりにしていた。
それだけに、いつまで経(た)っても進まない土佐藩の兵制改革には、イラだちを覚えていた。9月には藩の同志にあてて、こんな手紙を送っている。
「諸隊なる者は陪臣(ばいしん)足軽百姓を論ぜず、器(うつわ)により卒となり、長となり、全く有志家の心の儘(まま)に取立てたるもの故、将卒一致、追々(おいおい)強兵となり--」
明治の軍制にちかい発想をしている。薩長同盟に対しても、龍馬が薩摩側を主に説得したのに対し、もっぱら長州側の工作に奔走した。
●岩倉具視の号泣
土佐から10月9日に入京した龍馬も、さっそく白川陣屋をたずねた。龍馬発案による、徳川慶喜の大政奉還申し入れの5日まえである。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』によると、龍馬は陣屋を見てまわり、隊士の食事まで食べたうえ、
「貧(ひん)なるかな」
と大笑いしたという。たしかに慎太郎は資金に困っていた。食事は河原町にあった土佐藩邸で炊き出しし、弁当箱にいれて届けてくれた。おかずなどなく、香の物をそえている程度であった。隊員たちは、ちかくの村人から牛肉などを買っていたという。
一方で、死を覚悟した隊員たちのカネ遣いも荒かった。先斗町(ぽんとちょう)に遊びにくりだす隊員もいたが、勘定など払わない。
困り果てた慎太郎は、藩の重役、後藤象二郎らにカネを無心する手紙を送った。洛北・岩倉にいた岩倉具視ら顔見知りの公家たちからも融通してもらった。
龍馬が白川陣屋をたずねてから1カ月半後、ふたりは暗殺された。幕府との戦いが始まるのは翌慶応4年正月からであった。
慎太郎の死については、とりわけ岩倉が「自分の片腕をもがれた」と言って、泣いたという。慎太郎の尽力によって、幽棲(ゆうせい)中の岩倉は中央政界に復帰することができたからである。
陸援隊の設置から100年後の1960年代後半、百万遍はへルメット姿の学生部隊に席巻された。京大パルチザンという遊撃隊も結成された。だが陸援隊ほどには根性がすわっていなかったためか、たいていはあっさりと蹴散らされた。
--土佐高知には、いちども行ったことはない。龍馬、慎太郎というふたりの傑物を生み出した土地のにおいをかぐためにも、そろそろ重い腰をあげなければならない。(文 福嶋敏雄)
◇
≪メモ≫
百万遍は今出川通と東大路通の交差点を指し、法然ゆかりの百万遍念仏を伝統とする知恩寺があることから地名にもなった。京都大学の吉田キャンパスが東側一帯に広がる。交通は京阪鴨東(おうとう)線「出町柳」駅から徒歩5分。JR京都駅から、市バス銀閣寺方面行き「百万遍」下車。陸援隊の兵舎跡の正確な場所ははっきりしない。京大を見下ろすように、第三高等学校逍遥歌「紅萌ゆる岡の花…」で知られる吉田山がある。
◇
≪きょうの「龍馬伝」≫
■NHK総合 午後8時~ ほか
土佐を脱藩した龍馬(福山雅治)は、江戸の千葉道場に現れる。佐那(貫地谷しほり)は、龍馬をいちずに待ち続けていた。佐那の兄・重太郎(渡辺いっけい)も龍馬が戻ってきたことを喜ぶ。しかし、龍馬は軍艦奉行並の勝麟太郎(武田鉄矢)に会うため、江戸に来たのだった。重太郎と龍馬は前の越前藩主・松平春嶽(夏八木勲)に会い、勝への紹介状を書いてもらうことに成功する。龍馬は紹介状を携え、赤坂にある勝の屋敷を訪れる。龍馬は、勝の弟子になりたいと申し出るが、勝は拒否する。三条実美(池内万作)を警護して江戸に来た半平太(大森南朋)が、以蔵(佐藤健)と収二郎(宮迫博之)を連れて勝の屋敷を訪れる。
関西
造幣局 ハイテク機械と秘蔵貨幣にため息
普段何気なく使っている貨幣はどのように造られているのだろうか。そんな素朴な疑問を胸に、貨幣の製造などを行う独立行政法人造幣局(大阪市北区)の見 学会に参加した。工場で全自動化された製造工程に驚いた後は、造幣博物館で貴重なコレクションを前に思わず嘆息。非日常感たっぷりの施設内をリポートす る。(林佳代子)
◆1日で11億9千万円分
造幣局は明治4年、偽造貨幣の流通など幕末期に乱れた貨幣制度を立て直すため、明治政府によって設立された。本局は大阪市にあるが、東京都と広島市に支 局があり、それぞれ五百円〜一円までの6種類の貨幣を製造。ほかにも勲章や褒章など、多種多様な金属工芸品を手がけている。
まず案内されたのは製造工場。広島支局で加工された板状の金属を丸く打ち抜き、機械で模様をつけて貨幣に仕上げた後、納入のために袋詰めにするまでの工 程を見て回った。
工場内はすべてオートメーション化されていて、ハイテク機械がずらりと並ぶ光景は圧巻のひと言。見学した日は主に五百円玉を造っており、機械の間を銀色 に光る玉が次々にくぐり抜けていくのが見えた。
とりわけ印象的だったのが、貨幣に模様付けをする「圧印」の工程だ。「五百円玉を1枚作るには、体重が80キロ近い人が1千人集まり、一斉に全体重をか けるほどの力が必要なんです」と案内役の山口志代さん(39)。それが、圧印機だと1分間に700枚以上製造できるというから、性能の高さには驚く。
ちなみに、この日製造された五百円玉は実に238万枚で、金額に換算すると11億9千万円に及ぶ。貨幣が詰まった袋がひっきりなしに通り過ぎていくのを 見ていたら、いささか現実感が遠のいた。
◆太閤さんが造った大判も
続いて向かったのは造幣博物館。展示室では、造幣局の成り立ちのほか、古代から現代に至るまでの国内外の貨幣の歴史を紹介しており、約4千点のコレク ションを見ることができる。
間もなく、昭和10年に大川(旧淀川)で偶然発見され、大阪城が落城した際の遺物とされる「竹流金」に目が留まった。金の含有量が73%と高純度を誇 り、菊や桐の模様も繊細で美しい。実物は造幣局にしかないという貴重な品だ。
ほかに豊臣秀吉が造った貨幣史上最も豪華とされる「天正菱大判」や、長さが17.5センチもある世界最大級の貨幣「天正長大判」も見どころ。材料の調達 が困難だった戦時中に瀬戸物で造ったという“幻の貨幣”や、世界のユニークな貨幣も多数展示されており、時間を忘れて見入ってしまった。
◆貨幣の重さを実感
展示室を抜けると最後は体験コーナーへ。慶長小判が1千枚入っていたといわれる千両箱や、日本銀行に納入される際の貨幣が入った袋(中身はレプリカ)が 用意され、実際にその重さを確かめることができる。
五百円硬貨が2千枚入った布袋を持ち上げてみたが、約14キロもあって両手でもなかなか持ち上がらない。やはり100万円は重かった…。
最後に、博物館を案内してくれた塩川幸男さん(64)に、ずっと気になっていたことを聞いてみた。一円を造るのに原価はいくらかかるのですか?
「具体的には言えませんが、たとえ一円でも造るのには相当な労力がかかります。多くの人に造幣局に見学に来てもらって、貨幣を大切に扱う心を学んでほし いですね」
一円を笑う者は一円に泣く−。そんな教訓を学ぶためにも、造幣局見学をおすすめしたい。
山口
時空超える舞台に傾注
日本舞踊と和ろうそくの明かりを組み合わせ、幽玄の世界を舞台で表現してきた。「現代とは違う時空に飛び込むための一つの鍵」。魅了されてやまない和ろうそくの明かりを、そう形容する。
江戸時代末期に発展した花柳流の舞い手だった母の影響で、幼い頃から「気がついたら踊っていました」と言う。師範の資格を得て、弟子の指導に当たりながら「伝統を守るには、常に何かを追加していかなければいけない」と考え続けてきた。ろうそくに注目したのは、一般の照明器具に頼らない舞台を作りたいと考えたのがきっかけ。7年ほど前から和ろうそくを使ったイベントを試みてきた。
当初は「ろうそくとは舞台を明るくするもの」という考えにとらわれていたという。だが、はぜの実から採ったろうや和紙を使って作られた日本古来のろうそくは、独特の炎の揺らめきをみせる。「和ろうそくは暗さを強調するもの。ゆったりとした世界を生み、時間の流れも変えてしまう」。次第にそう思うようになった。
2006年には、山口市とゆかりの深いフランシスコ・ザビエルの故郷、スペインの聖堂で奉納舞踊を踊り、好評を博した。今年3月の山口市での公演では、幕末の思想家吉田松陰の辞世の句をモチーフにした創作舞踊も舞い、松陰の家族を思う心と、米国への密航を試みた行動力との葛藤(かっとう)に思いをはせたという。
夜でさえ人工照明にあふれた現代社会。「踊りを見てくれる人が、つかの間、別の世界にいざなわれて遊ぶ。そういうことがとても大事だと思っています」と話す。
(青山直篤)
下関市文化協会:芸術色豊かに「海峡文化の華」 きょうまで40周年イベント /山口
◇舞台や展示、活動の成果披露--市生涯学習プラザ
下関市文化協会創立40周年記念事業「きらめく海峡文化の華」(同協会主催、市・市教委共催、毎日新聞社など後援)が17日、細江町の市生涯学習プラザで始まった。合唱や詩吟、謡曲、ダンスなど多くの文化団体が最終日の18日まで、舞台や展示会場で日ごろの活動の成果を発表する。【尾垣和幸】
市文化協会は1970年に「市の文化力向上」を目指し、58団体でスタート。現在、104団体が加盟する。
オープニング式典で、野村忠司会長(73)が「40年といえば孔子曰(いわ)く『不惑』の年。下関の芸術文化に、更に貢献していきましょう」と、思いを新たにしていた。
この日の舞台には下関少年少女合唱隊や舞踊、奇術愛好会など16団体が登場。繰り広げられるさまざまな舞台芸術に、観客は見入っていた。長州が生んだ幕末の思想家で、今年生誕180年となる吉田松陰の詩を吟じた「市吟剣詩舞道連盟」顧問の一木湖舟さん(80)=毎日吟士権大会審査員=は「創立40年を記念する品のよい吟詠ができました」と満足そうだった。
また、開演前、会場ロビーで、下関市豊浦町室津下の書家、津田峰雲さん(75)が和紙(縦2メートル、横5メートル)に力強く「疾風怒濤(どとう)」と書き、オープニングを盛り上げた。
18日は午前11時、開演。能楽や合唱、フラダンスなどの15団体が舞台で、練習の成果を披露。絵画や書、生け花、キルト、模型クラブなども作品を展示する。
〔下関版〕
高知
龍馬と啄木展:手紙と歌、結ぶ2人“共演” 岩手県との交流事業 /高知
幕末の志士・坂本龍馬(1835~67)と、明治の歌人・石川啄木(1886~1912)の歌や手紙からその共通点を探る「龍馬と啄木展」が17日、高知市浦戸の県立坂本龍馬記念館で始まった。石川啄木記念館(盛岡市)との共催。7月16日まで、一般500円(高校生以下無料)。【千脇康平】
昨年9月、啄木の父一禎(1850~1927)=岩手県出身=が晩年を過ごした高知市に、啄木父子の歌碑が建てられたことなどから、高知、岩手両県が今年度の交流事業を企画。その一環として同展が実現した。尾崎正直知事と達増(たっそ)拓也・岩手県知事の対談や、百貨店などでの物産展などが予定されている。
「新しい時代を見つめていた所に共通点がある」(石川啄木記念館・山本玲子学芸員)という龍馬と啄木。会場では、龍馬の「日本を今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願ニて候」との言葉と、啄木が詠んだ「新しき明日の来るを信ずといふ自分の言葉に嘘はなけれど--」(歌集『悲しき玩具』)という短歌を比較するなどした表が掲げられている。
また、ピストルやブーツを持っていた龍馬とのもう一つの共通点として、当時では珍しい、カレーライスや牛鍋など、西洋料理を好んで食べていたという啄木のおしゃれな一面も紹介。時代を先取りした2人の一面が伝わってくる。
このほか、坂本家が歌を好んだことがうかがえる資料や、啄木が友人らにあてた直筆の書簡など計約120点、石川啄木記念館の手作りというカレーライスやてんぷらといった料理の模型も展示している。
坂本龍馬記念館の前田由紀枝学芸主任は「共に言葉が愛されている2人だから、合わせてみたらおもしろいと思う」と解説する。会場を訪れた広島県安芸高田市、会社員、繁村秀之さん(62)は「想定がつかない組み合わせ。お互いに自分の感情を、心を込めて表現していたことを感じた」と話していた。
同展は、8月1日~10月17日、石川啄木記念館でも開催される。
佐賀
佐賀の大名行列、米で披露 「侍パレード」に歓声
【サンフランシスコ共同】幕末の軍艦「咸臨丸」来航から今年で150周年を迎えた米サンフランシスコで18日、佐賀市のNPO法人や地元日系人らが記念行事として大名行列を披露、威風堂々の「侍パレード」に沿道から歓声が上がった。
大名行列は現地の日系人街ジャパンタウンで毎年開催されている桜祭りのパレードの中で実現。祭りの実行委員会が佐賀市のNPO法人「鍋島三十六万石大名行列まつり推進委員会」の理事長、野中弘義さん(65)に呼び掛け、日本から5人が訪米した。
「下に、下に」の掛け声に合わせ、お姫さまや殿様、家臣など装束姿の約30人が坂の街サンフランシスコ市内の約2キロを練り歩いた。
アイスランドの火山噴火の影響で足止めされている英国人ロバート・ロールズさん(50)は「本当は今ごろ帰国しているはずだったが来て良かった。侍の衣装が興味深かった」。行列の先頭を歩いた野中さんは「(咸臨丸で来航した)勝海舟になった気分。できれば毎年続けたい」と語った。
長崎
大村で「龍馬伝」パネル展始まる ロケ使用の伝馬船きょうまで展示
NHK大河ドラマ「龍馬伝」番組パネル展(NHKサービスセンター主催)が18日、大村市本町の浜屋百貨店大村店で始まった。30日まで。入場無料。大村湾ロケで使われた伝馬船もオープニングイベントとして同店前に19日まで展示、訪れた子どもたちが龍馬になりきり、乗船していた。
大村湾での海上ロケは2月24、25の両日。坂本龍馬役の福山雅治さんや勝海舟役の武田鉄矢さんが咸臨丸(ハウステンボス所有の観光丸)に乗り込むシーンを撮影。18日から5月2日にかけて放映される。
パネル展では、大村市街をバックに船上でロケをする様子や物語を紹介。ロケ誘致の記録写真や幕末から明治維新にかけて活躍した大村の偉人を紹介するパネル展も大村市と市教委が同時開催している。
市商工観光部は「ロケ地として大村の知名度を高め、観光客誘致につなげたい」と意気込んでいる。
鹿児島
ひと・ヒト・人:薩摩琵琶弾奏者・島津義秀さん /鹿児島
◇伝統普及へ「歌集」復刊--島津義秀さん(46)=姶良市加治木町
4本の弦を、手のひらほどの大きなバチで、たたくように激しく弾く。16世紀以降、武士のたしなみとして広まったという言葉通り「豪快で男性的」な演奏に、周囲の空気が震えた。
「自分が明日死んだら、薩摩琵琶の伝統が途切れるという危機感があった。目の前で県民の宝が滅びるのはやるせない」
加治木島津家十三代当主。東京で育ったが、祖父母が住む鹿児島を度々訪れ86年、薩摩琵琶に出会った。研さんを積み、現在は薩摩琵琶同好会、龍洋会の加治木道場主宰を務める。県内で弾奏者は十数人程度。その上、多くが高齢。伝統断絶の危機感が、普及に駆り立てる。
薩摩琵琶の歴史は、郷中教育の基となった「日新公いろは歌」にさかのぼる。子供たちに歌を広めるために用いたのが起こり。薩摩琵琶は、薩長同盟でも大きな役割を果たした。薩摩と長州の志士は新撰組の目を盗むため、演奏会を口実に密会した。その後、東京に進出した多くの薩摩出身の政治家の影響で、国民的人気を博すまでになったという。
だが戦後、一気に衰退した。「戦の際に士気を鼓舞することに使われたことで、GHQから危険思想として見られたことが大きな原因ではないか」と推測する。琵琶の作り手も次第に減り、材料となるツゲやクワも足りなくなった。「ないない尽くしが現状」と嘆く。
普及の第一歩として3月、絶版となっていた『注解 薩摩琵琶歌集』を44年ぶりに復刊した。64曲の歌詞が収められており、薩摩琵琶のいわば教科書。「細かい弾き方や間の取り方は師匠からの口伝だが、教科書がないとどうしようもない」。絶版本がインターネット上で4万円で取引された形跡もあり、新たな弾奏者開拓の足かせになっていた。
巻末には、県指定無形文化財保持者で、79年に亡くなった萩原龍洋氏の演奏を収録したCDも付けた。「余韻の渋さが伝わってくる本物の音。薩摩琵琶の勢いを知ってほしい」
ブックレビュー
京都・読書之森:イラストで歩く京都 風雲幕末、龍馬が走る /京都
(監修・木村武仁 イラスト・ながたみどり 淡交社編集局編 1365円)
幕末に活躍した志士・坂本龍馬と、龍馬を巡る人々の京都での足跡を、霊山歴史館学芸員の木村武仁さんの監修で、京都・壬生出身のながたみどりさんのイラストを交えて分かりやすく紹介する。
龍馬以外にも、薩長同盟の主役、西郷隆盛や桂小五郎、新選組の近藤勇など、幕末を語る上で欠かせない人物を明るく親しみのわくタッチで描写。カラーページも多く、描かれた名所のイラストを眺めるのも楽しい。
京都を「三条-四条」「二条-壬生-島原」「伏見」など七つのエリアに分類。各章のはじめに当時の事件が起きた場所や、志士たちゆかりの旧跡などを現在の地図に重ね合わせて掲載している。「池田屋事件」「蛤(はまぐり)御門の変」といった歴史的事件以外に、逃亡中の西郷隆盛と入水(じゅすい)を図った僧月照の従者、大槻重助が始めた清水寺境内の「忠僕茶屋」の話など、さまざまなエピソードも盛り込んだ。愛らしいイラストだが、事件の背景や当時の世情などは詳しく解説している。観光ガイドとも、歴史書とも異なる仕上がり。市内のあちこちに龍馬ゆかりの地があることに気付かされる。幕末に思いをはせながらの市内散歩が楽しくなる一冊だ。【田辺佑介】
くじ運には恵まれていない方だが、珍しく抽選でいいものを当ててしまった。月に一回、国立劇場小劇場で開催されるTBS落語研究会の年間常連席。何が凄いかって、年間3万5千円の会費を払い続ける限り、年間12回の興行をその席で見ることが保証されているだけでなく、次年度に更新できるのだ(もちろん自分の席で更新することができるが、よりよい席が空いていたら抽選枠で応募できるらしい)。
第502回「落語研究会」のご案内
日時:4月30日(金)夜6時開場/6時30分開演
場所:国立劇場小劇場
金額:指定A:3,500円/指定B:3,000円(当日券のみ)
お問合わせ:TBS落語研究会 電話03-3746-6666
【演目】
「崇徳院」 三遊亭きん歌
「甲府い」 柳亭左龍
「ねずみ」 立川志の輔
「蛙茶番」 橘家圓太郎
「粗忽長屋」柳家小三治
一回で5本も聴けるのは嬉しい。志の輔さんの「ねずみ」も入ってるシ。トリは小三治師匠。うーむ贅沢。
第502回「落語研究会」のご案内
日時:4月30日(金)夜6時開場/6時30分開演
場所:国立劇場小劇場
金額:指定A:3,500円/指定B:3,000円(当日券のみ)
お問合わせ:TBS落語研究会 電話03-3746-6666
【演目】
「崇徳院」 三遊亭きん歌
「甲府い」 柳亭左龍
「ねずみ」 立川志の輔
「蛙茶番」 橘家圓太郎
「粗忽長屋」柳家小三治
一回で5本も聴けるのは嬉しい。志の輔さんの「ねずみ」も入ってるシ。トリは小三治師匠。うーむ贅沢。
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