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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
初日に行ったのは初めてです……そして第三部の「狐忠信」は、ニコニコ超会議の初音ミクと中村獅童さんとのコラボ「千本桜」が当たったせいか、猿之助が新歌舞伎座で初の宙乗りをするせいか、3等席が全日売りきりで買えません(; ;)。

六月大歌舞伎
義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)

流転する義経に翻弄された三人の男たち―長編歴史ロマンを三部制で初上演―
 『義経千本桜』は、『菅原伝授手習鑑』、『仮名手本忠臣蔵』と並ぶ歌舞伎三大義太夫狂言の一つとして知られており、現在でも上演を重ねる人気作品です。
 源平争乱の後、源義経がたどる数奇な運命を軸に、平知盛、いがみの権太、狐忠信の三人の物語が描かれています。
 当月は、三人の男に焦点を当て、三部制でご覧いただくことにより、それぞれの人物を取り巻く物語を一層わかりやすく描き出します。源平争乱後の時代を舞台に繰り広げられる三者三様の人間ドラマをご覧いただきます。
第一部
義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)

流転する義経に翻弄された三人の男たち―長編歴史ロマンを三部制で初上演―
 『義経千本桜』は、『菅原伝授手習鑑』、『仮名手本忠臣蔵』と並ぶ歌舞伎三大義太夫狂言の一つとして知られており、現在でも上演を重ねる人気作品です。
 源平争乱の後、源義経がたどる数奇な運命を軸に、平知盛、いがみの権太、狐忠信の三人の物語が描かれています。
 当月は、三人の男に焦点を当て、三部制でご覧いただくことにより、それぞれの人物を取り巻く物語を一層わかりやすく描き出します。源平争乱後の時代を舞台に繰り広げられる三者三様の人間ドラマをご覧いただきます。
〈渡海屋・大物浦〉
義経への復讐を図る知盛の壮絶な最期
 兄頼朝に都を追われた義経一行は、大物浦の船問屋の渡海屋で出船を待っています。実は渡海屋の主人銀平は、壇ノ浦の合戦で死んだはずの平知盛で、典侍の局や安徳帝と共に素性を偽り、平家の恨みを晴らす機会をうかがっていたのでした。知盛は船出した義経一行を襲いますが、返り討ちにあってしまいます。典侍の局は義経に帝の守護を頼んで自害します。それを見た知盛も体に碇綱を巻きつけ、海中へと身を投げるのでした。

 染五郎さんの知盛、割と細身な方ではありますが大きく演じてよく見えました。
 義経の尾上松也さんが、美しいです。そして船宿の女将お柳実は典侍の局、猿之助さんの演じ分けが光ってました。
 また安徳帝を演じたのは市川右近の6歳タケル君。かなり長い台詞回しもありましたが、なかなか頑張っていました。
〈時鳥花有里〉
義経主従のため披露される賑やかな舞踊
 義経は、母常盤御前にゆかりの大和国へ向かおうと、家臣の鷲の尾三郎とともに奈良街道にさしかかります。そこへ、白拍子や傀儡師たちが通りかかり、義経を慰めるため、賑やかに踊ってみせます。実は、白拍子や傀儡師たちは龍田明神の使者で、義経に吉野の川連法眼を頼るようにと神託を下すのでした。

 染五郎さんが今碇を巻いて海に飛び降りたばかりの知盛、静御前、義経、弁慶と踊り分ける軽妙な舞がいいですね。
いがみの権太(いがみのごんた)

〈木の実・小金吾討死〉
権太親子の情愛と小金吾の勇壮な大立廻り
 下市村の茶屋へ、平維盛の行方を探す御台の若葉の内侍と若君の六代、その家来の主馬小金吾がやって来ます。そこへ「いがみ」と呼ばれる無法者の権太が現れ、小金吾に因縁をつけて金を巻き上げます。その後、追手に囲まれた小金吾は奮戦して内侍と六代を逃しますが、ついには討死してしまいます。偶然そこへ通りかかった権太の父の弥左衛門は、小金吾の首を持ち帰ります。

 小金吾の松也さん、哀れなり。
〈すし屋〉
一家を見舞う悲劇と権太の思い
 すし屋を営む弥左衛門は、旧恩ある平重盛の子 維盛を奉公人の弥助として匿っています。弥助に思いを寄せるこの家の娘お里は、若葉の内侍の来訪により真実を知り三人を逃しますが、その様子をうかがっていた権太は、訴人しようと駆け出していきます。そこへ詮議に現れた梶原景時に、維盛の首を携えて再び戻った権太が、内侍親子の身柄を差し出してしまいます。弥左衛門は怒りのあまり、権太を刺してしまいますが…

 いがみの権太の正音が分かるのは最後の最後。このためにある二幕といっていい。幸四郎さんが権太を江戸前のちんぴらなひねくれ者として憎々しく演じてきたから、最後は……。

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4年連続の志の輔らくご@ACTシアターです。何といっても千人の観客にガッテンさせるわかりやすさ、そしてACTシアターという演劇空間に合った演出力(パルコ劇場、本多劇場とそれぞれ劇場の特性に合わせて趣向を変えている)。

赤坂ACTシアタープロデュース 恒例「志の輔らくご」

[第一部] 大忠臣蔵~仮名手本忠臣蔵のすべて
 お値段外のサービス(苦笑)。
 史実の赤穂事件と仮名手本忠臣蔵の違いを中心に、史実をもとにしたフィクションである仮名手本忠臣蔵の見どころを全幕通して解説。鉄板。

[第二部] 落語 中村仲蔵
 中村仲蔵が稲荷町出身の役者としては異例中の異例な出世を遂げて名代となるも、最初の興行は忠臣蔵五段目の斧定九郎だけ一役。苦しみながらも役柄を革新する演出を行い、後世に残る。
 今年は特に、仲蔵の葛藤や驚きなどの表現がひとり演劇を強調するように感じた。

 又、来年もチケット取れますように。
オバマ大統領の歴史的な広島訪問を生放送で観た後で。

北海道
函館・五稜郭祭、熱演競う 女子アナ“土方歳三”が優勝
 戊辰戦争最後の舞台となった北海道函館市で21日、「箱館五稜郭祭」が始まり、戦死した新選組副長の土方歳三に扮して寸劇を披露するコンテストが開かれた。29回目の今年は地元のケーブルテレビ局「NCV」のアナウンサー、高橋ともみさん(26)が優勝した。

 コンテストには北海道のほか、川崎市や愛知県春日井市、福岡市などから男女20人が出場。身のこなしやせりふで土方らしさを表現し、詰め掛けた観衆約400人を楽しませた。

 寸劇は土方が故郷の東京・日野への手紙を仲間に託した後、戦いに臨み、銃弾に倒れる設定。

土方歳三の最期 華麗に演技 名物コンテストで函館の高橋さん優勝
【函館】箱館戦争で旧幕府軍に加わり、戦死した新選組副長の土方歳三らしさを競う「土方歳三コンテスト全国大会」が21日、函館市の五稜郭タワーで開かれた。道内外の男女21人が出場し、函館市内のケーブルテレビ(CATV)アナウンサー、高橋ともみさん(26)が初出場で優勝した。

 コンテストは29回目で、この日から2日間の日程で始まった箱館五稜郭祭(同祭協賛会主催)の名物イベント。出場者がそれぞれ独自のシナリオで土方になり切り、銃弾に倒れる土方の最期を演じた。勇ましい殺陣のほかに、コントで笑いを誘う出場者もいた。

 高橋さんは札幌市豊平区出身。アナウンサーとして昨年のコンテストを取材する中で出場を決めたといい、高橋さんは「劇団に所属していたこともあり、殺陣の経験もあった。優勝は本当にうれしい」と笑顔を見せた。他の成績は次の通り。(敬称略)

五稜郭祭開幕 土方コンテストは高橋さん優勝
 戊辰戦争の最後の戦地となった五稜郭を後世に伝える「第47回箱館五稜郭祭」(協賛会主催)が21日、2日間の日程で開幕した。初日は箱館戦争ゆかりの地を巡る「碑前祭」や「土方歳三コンテスト全国大会」が行われた。

 碑前祭は「中島三郎助父子最後之地」碑(中島町)、「碧血碑」(谷地頭町)、「土方歳三最期之地」碑(若松町)、「五稜郭タワー箱館戦争供養塔」で行い、戦没した無名兵士らの冥福を祈った。

 午後から五稜郭タワーアトリウムで記念式典、引き続き今年で29回目となった土方歳三コンテスト全国大会を開催。今年は函館や道内のほか関東、福岡県から20~48歳の21人(男性15人、女性6人)がエントリー。本紙で連載中の漫画「幕末観光ヒジカタ君」のヒジカタ君も審査対象外で初出場した。

 出演者は、土方が最期を迎える場面を、自身で考えた演出でパフォーマンスを披露。容姿や演技、土方への思い入れなどが審査され、優勝は地元ケーブルテレビ局「NCV」のアナウンサー高橋ともみさん(26)が初出場で見事に栄冠に輝いた。
 高橋さんは出身地札幌で演劇活動をしていたといい、凛とした雰囲気を醸し出す中、勇ましい殺陣と、はっきりとしたせりふの言い回しが高く評価された。高橋さんは「出るからには優勝と思っていたが、まさかという気持ち。コンテスト出場を通して、あらため土方が愛されている理由が分かった」と話した。

 22日は午後1時から「維新行列・音楽パレード」で、本町の行啓通りでは旧幕府軍と新政府軍の戦闘シーンが繰り広げられる。同3時ごろから五稜郭公園の特設ステージで「開城セレモニー」を行う。

21、22日「五稜郭祭」 維新行列や土方コンなど
 箱館戦争の舞台となった五稜郭の歴史を伝える「第47回箱館五稜郭祭」(協賛会主催)が21、22の両日、特別史跡・五稜郭跡周辺などで開かれる。函館の初夏の風物詩としても親しまれ、パレードや土方歳三コンテスト全国大会などを行う。

 初日は午前10時から市内各地を巡る「碑前祭」で、午前10時に「中島三郎助父子最後之地」碑、同10時50分に「碧血碑」、同11時に「土方歳三最期之地」碑、正午に「五稜郭タワー 箱館戦争供養塔」で行う。
 午後1時から五稜郭タワーアトリウムで記念式典があり、続いて「第29回土方歳三コンテスト全国大会」。全国から集まった土方ファンがパフォーマンスを演じる。

 2日目は、箱館開港や榎本政権誕生などの歴史物語や、すべてが五稜郭へ集結する様子を表現する「維新行列・音楽パレード」から始まる。維新行列は午後1時に中島町廉売通りからスタート、音楽パレードは同1時15分に千代台公園を出発する。行啓通りの戦闘シーンパフォーマンスの後、五稜郭公園特設ステージで榎本武揚が黒田清隆に「海律全書」を手渡すシーンなどを再現する「開城セレモニー」(午後3時ごろ予定)を行う。

 22日のパレード開催時は交通規制を実施。問い合わせは実行委事務局(TEL0138・51・4785、五稜郭タワー内)へ。

「五稜郭おもてなし隊」復活 歴史実感、観光客に好評
【函館】幕末の衣装に身を包んだ函館市民による「五稜郭おもてなし隊」が大型連休中、函館・五稜郭公園内の箱館奉行所前で観光客を出迎え、人気を呼んでいる。21、22の両日、市内で開催される「箱館五稜郭祭」(箱館五稜郭祭協賛会主催)のPRを兼ねて2年ぶりに結成されたもので、外国人観光客らの記念撮影の求めにも気軽に応じている。

 おもてなし隊は2014年の五稜郭築造150年祭の目玉企画として登場。今回は大型連休が始まった4月29日に復活した。市内の会社経営者や公務員らのボランティアで組織し、ペリーや土方歳三など幕末の函館にゆかりの深い8人の歴史上の人物に扮(ふん)している。

 大型連休後半を迎えた4日も、観光客らが記念撮影を求めて列をつくった。兄弟と写真に納まった秋田市の中学1年菅野泰雅さん(12)は「ペリーの帽子がかっこいい。タイムスリップしたみたい」と笑顔を見せた。外国人観光客も幕末の衣装に興味津々で、サクラを見に初めて函館を訪れたという英国の薬剤師ジェシカ・コリングスさん(30)は「歴史を感じられておもしろい」と話していた。

 おもてなし隊の復活は、北海道新幹線で道内外から訪れる観光客に、今年で47回目の箱館五稜郭祭をPRする狙いがある。

 同祭は箱館戦争ゆかりの碑を巡る「碑前祭」、土方歳三のなりきり度を競う「土方歳三コンテスト」、幕末当時の衣装で市内を練り歩く「維新行列」など多彩な催しが市民に親しまれている。しかし、大型連休直後とあって「市外の人には祭りの存在があまり知られていない」と同祭実行委事務局の野寺正樹さん(62)。おもてなし隊を通じて函館の歴史都市としての一面を観光客に知ってもらい、再び新幹線で足を運んでもらおうという狙いだ。

 おもてなし隊は8日までの毎日と、月内の土日に箱館奉行所前で観光客を出迎える。(岩崎あんり)

坂本龍馬の手紙に貿易構想 「黒龍丸」で北海道開拓など
 坂本龍馬の貿易構想が読み取れる手紙の写しと推測される新史料が、松田和晃・杏林大学教授の調べでこのほど確認された。龍馬が外国と通商を行おうとしていたことは知られているが、その具体的な記述は珍しい。龍馬は幕船「黒龍丸」を使っての北海道開拓に加えて、さらに上海や朝鮮などを視野に入れた航海も考えていたことがうかがえる内容となっている。

 坂本龍馬は、北方を視察した土佐勤王党の北添佶磨(きつま)らに影響を受け、防衛・交易面などから北海道開発を提言した。勝海舟の日記に、尊皇攘夷派の志士たちを黒龍丸に乗せて移住させる龍馬の計画も記されている。

 しかし1864(元治元)年6月5日に新選組が尊攘派志士を襲撃した池田屋事件が起き、北添ら攘夷派が多数殺された。龍馬の支援者だった海舟の幕府内における政治的影響力も失われたことから、黒龍丸による通商計画はかなわなかった。

 新史料の手紙は池田屋事件から間もない6月29日付で、龍馬から海舟に宛てられている。松田教授が20年以上前に知人から入手した巻物の中に、西郷隆盛ら海舟宛て書簡5通とともに収められていた。松田教授が内容を分析し、論文にまとめて大学内の紀要に発表した。

 手紙の右上には、海舟と思われる筆跡で、龍馬の手紙である旨を記した紙片が貼られている。

 手紙の中で、黒龍丸を交易などに活用したい龍馬の考えに反し、幕府の中に軍艦にしたいという意見があることを指摘し、「上海朝鮮ハいふも更也、津島(対馬)箱館(函館)にさへ自由に行事を得さるべし」(そうなれば、上海や朝鮮のみならず対馬や函館へも自由に行けなくなる)と具体的な地名を挙げて警戒している。

 「先生(海舟)の龍に御委有し事(委ねてくれていること)と相違し、大に諸生の英気を挫(くじ)かむ事を恐れ、此(この)歎願を申候(もうしそうろう)」と協力を懇願している。

 そして池田屋事件で犠牲になった望月亀弥太らを「大ニ遺憾」と悼む記述もある。

 龍馬の黒龍丸に関する記述はこれまでにも見つかっていたが、龍馬の筆跡とは異なる印象もあり、手紙の写しではないかともみられている。今回の手紙も直筆ではなく写しと推測され、松田教授は以前見つかった手紙と筆跡や紙のサイズに類似点があることを指摘し、その後半部分ではないかと考えている。

 松田教授は「海商計画が頓挫した経緯に再検討が加えられる契機となれば」と期待している。

 今回の発見について、三浦夏樹・高知県立坂本龍馬記念館主任学芸員は「龍馬が書いたとは断言しにくいが、内容的に面白い。今後の研究材料になると思う」と話す。

 高知市の歴史家、松岡司さんは「龍馬が書いたものの写しだろう。龍馬は有能な志士たちを北海道へ送りたがったが、思うようにならない時期にきていた。維新史に触れる重要な史料」としている。 


◆黒龍丸◆
 米国製の木造蒸気船。幕府が1864(元治元)年7月、所有していた越前福井藩から買い上げ、勝海舟の建議によって新設された神戸海軍操練所に配置された。1864年11月、勝は軍艦奉行を罷免され、翌年、神戸海軍操練所も閉鎖。黒龍丸は民間に払い下げられた。



静岡
国際色豊かに黒船祭 22日まで下田
 ペリー艦隊の来航にちなんだ日米親善イベント「第77回黒船祭」(同執行会主催)が20日、下田市内で始まった。幕末に開国の舞台となった港町の同市で22日まで、国際色豊かな催しを繰り広げる。
 市観光交流課によると、3日間で約20万人の人出でにぎわう市内最大のイベント。初日は記念碑のある下田港のペリー上陸記念公園で、献花式が開かれた。市立下田中吹奏楽部が日本と米国の国歌を演奏し、ペリー出生地で国際姉妹都市の米国ニューポート市の訪問団や、地元の園児らが花を供えた。
 下田市の楠山俊介市長は「今後も日米の友好関係が絶え間なく続き、相互理解が深まることを祈念します」とあいさつした。
 ペリー艦隊乗組員の菩提(ぼだい)寺である玉泉寺では、米海軍主催の墓前祭が営まれた。米海軍派遣艦隊の乗組員と、ニューポート市の訪問団は下田市内の全小学校7校を訪れ、児童と交流した。夜間は海上花火大会があり、約1200発の打ち上げ花火が夜空を彩った。
 21日は記念式典や、主要行事の公式パレードなどが行われる。


鹿児島
幕末薩摩の外交資料120点 黎明館で企画展
 幕末の薩摩藩の外交に関する資料などを展示する企画展「幕末薩摩外交―情報収集の担い手たち―」が鹿児島市の県歴史資料センター黎明館で開かれている。9月11日まで。

 薩長同盟150年を記念した企画。薩長同盟の成功や薩摩藩が幕末に政治的指導力を発揮した背景に、優れた情報収集、分析の能力があったことを紹介しようと、関係資料を集めた。

 展示されているのは、資料約120点とパネル約80点。薩長同盟が締結された場所ともされる京都の近衛家別邸の絵図、薩摩藩英国留学生の町田久成が西郷隆盛と大久保利通に宛てた書簡などが並ぶ。前野良沢らが翻訳した医学書「解体新書」も来館者の目を引いている。

 灰床義博館長は、「薩摩藩は海外から直接情報を入手するなど、情報収集に力を入れていた。国内外の情報ネットワークを駆使した藩の外交について、関心を深めてもらいたい」と話している。

 月曜休館。入館料は常設展と共通で、一般310円、高校・大学生190円、小中学生120円。問い合わせは黎明館(099・222・5100)へ。



佐賀
寄稿 「幕末佐賀藩の科学技術」上巻・下巻の刊行によせて
■多くの新事項を解明

 三重津海軍所の世界遺産登録を目指して、佐賀市・佐賀県などによって幕末期の佐賀藩の科学技術に関する遺跡の発掘と分析が行われ、多くの新しい事項が解明された。これらの成果を基に「幕末佐賀藩の科学技術」上巻・下巻(岩田書院、平成28年2月)を刊行した。

 上巻は「 ...
 以下を読むには有料登録が必要だとのこと。

高知
「志国高知 幕末維新博」は2018年4月から第2幕
 2017年から高知県内各地で展開する「志国高知幕末維新博」の推進協議会の設立総会が25日、高知市内のホテルで開かれた。県内34市町村や商工、観光など各分野の関係者ら約150人が出席し、推進協議会が博覧会の運営主体となることや博覧会の実施方針などを確認した。

 2017年は大政奉還、2018年は明治維新からそれぞれ150年に当たることから、高知県は2017年3月からと2018年1月からの2部制で博覧会を企画している。...
 この続きは有料登録が必要だとのこと・汗。

栃木
ビビる大木、世界遺産・輪王寺で無料の幕末トークライブ開催
ビビる大木の無料トークライブ「TAN-SU presents ビビる大木 世界遺産で幕末のお話 in日光山輪王寺」が7月9日(土)に栃木・日光山 輪王寺 常行堂にて開催される。

大木が自身の大好きな幕末時代について語り尽くす「お寺で幕末のお話」シリーズ。普段は有料の同ライブが、今回は定員80名の無料イベントとして実施される。ゲストは歴史にも精通している精神科医の名越康文。世界遺産の輪王寺で繰り広げられる、大木と名越の幕末トークを堪能しよう。

TAN-SU presents ビビる大木 世界遺産で幕末のお話in日光山輪王寺

日時:2016年7月9日(土)16:00開場 17:00開演
会場:栃木・日光山 輪王寺 常行堂
出演:ビビる大木
ゲスト:名越康文
料金:無料
定員:80名
予約方法:専用予約フォーム(https://www.watanabepro.co.jp/enq/4KMNP/)にて申し込み。

ブックレビュー
新選組 粛清の組織論」菊地明著
  殺した敵は26人、粛清した同志は40人。幕末を駆け抜けた漢(おとこ)たちには、表に出ない内部粛清の歴史がある。司馬遼太郎の『燃えよ剣』などの小説から入った人の多くは、近藤勇や土方歳三ら“新選組内の勝者”のファンなのではないだろうか。
 一方で彼らは鉄のおきてを作り、厳しく隊内を取り締まっていた。食い詰め浪人を最強組織に育て上げたのが、世にいう「局中法度」と呼ばれるものだ。脱走や金策は厳しく処罰され、切腹に追い込まれている。本書ではその40人にスポットを当てて論じている。
 そこには近藤勇グループが覇権を掌握していくという過程が含まれており、粛清された大幹部である芹沢鴨、山南敬助、伊東甲子太郎らは、「新選組の敵」として描かれがちである。本書は“粛清された敗者”の視点、そして幕末動乱期の思想変化という視点を加えて、新しい新撰組論に挑戦している。
東京都美術館生誕300年記念 若冲展The 300th Anniversary of his Birth: Jakuchu
生誕300年記念 若冲展

 最大5時間待ちとか聞いていたので、諦めかけていたのです。

 でも、今日最終日の公式ツイッターに、チケット購入5分、入り口まで120分待ち、と流れてきたので、2時間超えるようならすっぱり諦める覚悟で行ってみました。

 そしたら、1時間ぐらい待ちで入れました。

 来てよかった。30枚の動植綵絵と3枚の涅槃図が同じフロアに並んでいる空間にいたというだけで、もう満足です……やはり激混みで、ゆっくり見られず、駆け足で回っただけですが。

若冲展、激混みで絶望。伊藤若冲 動植綵絵(どうしょく さいえ)大きな画像で見たい人用 まとめ

 印象派に影響を与えた浮世絵の流れとはまた違った、欧米人に通じる構図と色彩感覚をもっています。マンガ世代の自分としては、描き込みと省略のどちらの描き分けも凄い〜って軽い感想で。次にゆっくり見る機会が欲しい。。
この三人が出るホール落語って、素晴らしすぎる人選。よくやった、地元きゅりあん@品川区。そして、よみうりホール並みの約1000席が満杯。年齢層は60代以上が多いかな。

手紙無筆/はまぐり
 白酒さんのお弟子さん。師匠からでなければ、文左衞門師から稽古つけてもらったのかな。
 この噺をかけられるぐらいには前座さんとして経験値は積んでいるのだけど、あまり笑い処がないというぐらい、まだまだ。そして前座は笑いを取る以前にメロディとリズムで噺を自分のものにしなければならない、その点はしっかりしているように感じた。

宿屋の仇討/白酒
 あれ、最初は落語界のカーストからいって一之輔さんが最初かなと思っていたのに、白酒さん? でも、よく聞くと、浅い出番をこなして浅草でトリを取る予定だったそうだし、中入前のポジションだと思えば、ここでもおかしくはない。
 そして、一番手としては、「宿屋の仇討」なんてトリねた、楽しすぎる。修学旅行で一緒の部屋に泊まる組で、怪談や恋バナ話に花が咲くような青春時代とは無縁だったので、疑似体験と思って、楽しみます。

中入り
 え、もう中入り? ま、確かに7時開演で9時終演だと、このタイミングで中入りなんだな。。

鰻の幇間/一之輔
 やっぱり笑点で歌丸さんが司会引退して昇太さんが司会を引き継いだ後の座布団利権が話題に。芸協枠とはいえ、瀧川鯉昇さんが候補って高齢過ぎないか、とか。いくら地方での興行のギャラが上がる座布団利権の魅力があるとはいっても、あのキャラわけの中に入って演じきることを死ぬまでやる気はない、悪魔に魂は売らない、とか。新メンバー発表の29日には青森興行なので多分自分は入っていないけど、中継って手段はある、とか。
 いいですね、一之輔さん味にすっかり消化された「鰻の幇間」。鰻屋に勤続25年の店員さんが、客を小馬鹿にしたように笑うところが。

井戸の茶碗/喬太郎
 キョン師は大井町にはJRのウルトラ怪獣スタンプラリーで下車したことしかないそうです。笑
 一之輔さんと同様、29日は地方巡業中だそうです。
 そして「井戸の茶碗」。この人数の観客のせいか、地方巡業という位置づけだからか、正直言って、かなりクサイ演じ方です。そして、キョン師ナイズされています。正直清兵衛さんが、自分の欲望に「正直」清兵衛さんになってます。
 キョン師には美空ひばりメドレーの「歌う井戸の茶碗」もありますので、その日のお客さんによって自在に演じられるし、古典を古典通りに演じることも現代のテーストをどの程度ブレンドするかも自在ですね。みんなよく笑いました。
 ただ、私の好みからすると、崩したところがちょっと「地方巡業のお客様向きに変えました」的なところが鼻についた感じです。うーむ、もっとキョン師の冒険を生暖かい目で見られるようにならないといけませんね。
例年のことですが、和泉守兼定を拝観できるこの時期に日野をみつねさんと散策。

土方歳三資料館
 今回はTwitterだけで9時開館を告知していただいたため、早めに並ぶ客がやや少なめ。おかげさまで、第一陣に混じって兼定をじっくり拝見できました。ありがとうございます。

石田寺&とうかん森
 通常なら、必ず土方さんのお墓(空墓ですが)にご挨拶してから関連史跡を訪れるのですが、今回は順序が逆でも特に天候に異変は起こりませんでした(スーパー晴れ女のみつねさんパワーのおかげで、雨女な私がいても一日天気がもちました)。

佐藤彦五郎資料館
 モノレール万願寺駅から高畠不動に出て、バスで生活消費センター下車で徒歩2分。
 特別拝観で、あの、市村鉄之助が持参したという土方歳三の写真オリジナルを見ました。何度見ても、あの頃の貴重品、時と共に劣化するのを止められない、あと何度拝見できるでしょうか……これを伝えてくださる関係者の方々にお礼申し上げます。

新選組のふるさと歴史館
 「描かれた新選組Ⅲ 新選組創作温故知新」。去年に引き続き、新選組が創作作品にどう描かれたかを明治から現代にかけて。先頃亡くなった望月三起也さんの『俺の新選組』を見た時には、ちょっとしんみり。
 土方歳三にスポットを当てた『燃えよ剣』と新選組一連の群像劇『新選組血風録』によって歴史の日陰者だった新選組に注目させた司馬遼太郎の功績は大きいと思います。特に、明治維新以来、歴史的には敗者であったものの英雄だと描かれた近藤勇でなく土方歳三にスポットを当てたことの功績はあると思います……私も、この作品が入り口でしたので、否定はしません。
 でも、司馬史観で貶められた史実の人物もいるのですよね。この作品でいえば、土方歳三に祭り上げられて舞い上がる近藤勇、粛清される伊東甲子太郎、江戸から脱走した陸軍を連れて会津や箱館を連戦する大鳥圭介が割を食っています。
 それは別として、私的に好きな作品が多く取り上げられてました。『幕末Rock』はハイパーですがまだまだ面白くなりますよ。 

以下、引用は歌舞伎美人の團菊祭五月大歌舞伎「みどころ」より。
【昼の部】
一、鵺退治(ぬえたいじ)

伝説を元に描かれた時代狂言
 時の帝が、毎夜物の怪に悩まされていることから、源頼政にこれを退治する勅命が下ります。頼政が、邪気を払うために弓の弦を鳴らす鳴弦の法を行うと、凄まじい響きとともに現れたのは、頭は猿、躰は狸、尾は蛇、手足は虎に似た鵺でした。激しい闘いの末、見事鵺を退治した頼政に対し、九条関白はその武勇を愛で、勘当の身となっていた頼政を許したうえ、恋仲であった宮中の美女菖蒲の前を妻とすることを許します。そして恩賞として、皇室に伝わる宝刀を授けるのでした。
 54年ぶりの上演となる新歌舞伎をお楽しみください。
 NHK大河ドラマ史上初の続編、『新選組!!土方歳三最期の一日』で試衛館時代の土方歳三が仲間と「この世で一番強い生き物は何か」という談義でにぎわっていた時に「一番強いのは鵺だ」と結構自信たっぷりに言っていました。箱館で市村鉄之助を土方の故郷の日野に落とす際にも言っていましたが、ここでは薩長土肥を初めとする、時代の勢いで膨れあがった討幕勢力を鵺にたとえてました。「頭は猿、躰は狸、尾は蛇、手足は虎に似た鵺」を見ながら思いを巡らせてました(つなみに原田左之助は虎を退治した加藤清正が一番強いと主張してましたが、今年の大河ドラマ『真田丸』で三谷さんは加藤清正を真田信繁の大坂時代におけるキーパーソンのひとりとして描いてます……かつて土方を演じた山本耕史さんが演じる石田三成とバチバチ火花を散らす加藤清正を新井浩文さんが演じ、毎週の楽しみになっています)。

 作品を書いたのは福地桜痴なんですね。語学のスペシャリストとして幕府役人にとりたてられ、明治維新後はジャーナリストとして活躍した人です。明治になってから、かつて市谷にあった試衛館を訪ねた時の思い出話を書き残してますが、本当に面識があったのかどうかは他の資料や証言など裏付けがないのでなんとも……いずれにしても、福地桜痴作なら、史実の土方歳三がこの作品を見ることはなかったのですね。

 おっと、つい新選組絡みの話に脱線してしまいます(^_^;)。そして、本編に関していえば、スペクタクルではあるけれど、伝説のまんまやん(^_^;)。
二、寺子屋(てらこや)

忠義に苦悩する夫婦の姿
 武部源蔵は、妻戸浪と寺子屋を営みながら、菅丞相の子・菅秀才を匿っています。このことが敵の時平方に発覚し、菅秀才の首を差し出すよう命じられた源蔵は、悩んだ末、その日寺入りしたばかりの小太郎という子どもの首を検分役の松王丸に差し出します。なんとか窮地を切り抜け安堵する源蔵夫婦のもとに、小太郎の母千代が迎えに現れ、源蔵が千代に斬りかかるところに、最前の松王丸も姿を見せます。すると、松王丸は、自らが検分した菅秀才の首について語り始め…。
 重厚な義太夫狂言の一幕にご期待ください。
 海老蔵の松王丸、松緑の源蔵、菊之助の千代と、かつての「三之助」揃い踏み。歌舞伎の名作だそうですが私は初見。時代感覚の違いか、『先代萩』といい『寺子屋』といい主君のために我が子を犠牲にする価値観がしっくりしない……3人の中では、比較的に菊之助にリアリティを感じたのだけど。
三、十六夜清心(いざよいせいしん)

情緒あふれる清元と清心の名せりふ
 鎌倉極楽寺の僧である清心は、遊女の十六夜と深い仲になったため、女犯の罪で寺を追われてしまいます。清心と十六夜は心中を決意し、手を取り合って入水しますが、十六夜は舟遊びをしていた俳諧師白蓮に助け上げられてしまいます。一方の清心も、水練に堪能であったために死に損ないます。川から上がった清心が再び入水すべきかどうか思案するところへ、寺小姓の恋塚求女が通りかかり、癪を起こして苦しみます。介抱した拍子に求女の懐にある大金に触れた清心は、抵抗する求女と揉み合ううちに、はずみで求女を殺めてしまい…。
 名せりふにあふれる河竹黙阿弥の世話物をご覧ください。
 河竹黙阿弥作品って七五調の美しさもあるのだけど、市井の犯罪をリアルに描いてぐっと引きつけられる。心中を図った僧侶と遊女が死にきれなくて共に悪の道に……というのは、死んだはずだよお富さんのパターンだよね。
 菊之助さんの清心が寺小姓の松也さん演じる求女と絡む場面は美しかったです。
四、楼門五三桐(さんもんごさんのきり)

絢爛さと豪快さにあふれる一幕
 桜の咲き誇る南禅寺の山門の楼上。天下の大盗賊石川五右衛門が煙管をくゆらせながら景色を眺めていると、一羽の白鷹が血染の遺書を咥えて飛んできます。これは、大明国の宋蘇卿の遺書で、これを読んだ五右衛門は、実は自分が宋蘇卿の遺児で、宋蘇卿と、大恩ある武智光秀がともに真柴久吉のために命を落としたことを知ります。そこへ楼門の下を一人の巡礼が通りかかり、五右衛門に声をかけてきます。実はこの巡礼こそ真柴久吉で…。
 歌舞伎らしい色彩美と様式美満載の舞台をお楽しみください。
 吉右衛門の石川五右衛門、菊五郎の真柴久吉。最新入院したばかりの菊五郎さんがこの一役と夜の部の一役だけなのは仕方ないですよね。

【夜の部】
一、勢獅子音羽花籠(きおいじしおとわのはなかご)

初お目見得を祝う華やかな舞踊
 江戸庶民の憧憬の的である鳶頭や芸者たちが勢揃いし、祭りの華やかな雰囲気の中で変化に富んだ舞踊が繰り広げられます。
 尾上菊之助の長男、寺嶋和史が初お目見得し、豪華な顔ぶれが揃う賑やかな一幕です。
 豪華です。「じゅふたん」こと寺島和史くんの初お目見え。祖父が菊五郎と吉右衛門という人間国宝なんてすごい家系。
 2才6ヶ月なんで、こんなものでしょう。パパ菊之助に抱かれて花道を行き、吉右衛門さんに手伝ってもらったけど舞台で正座はできず、眩しいのか両手で両目を覆って、嫌々モード。挨拶は菊之助さんと祖父ズが仕切る。でも、三三一拍子の後、手を振ってくれました。いつか、それなりの役者となって舞台に立った時に、この場面を思い出すのが楽しみです。
二、三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)

黙阿弥の名せりふで知られる江戸情緒あふれる一幕
 節分の夜更け、大川端にやって来た夜鷹のおとせに、美しい娘姿の盗賊、お嬢吉三が近づき、おとせの懐から百両を奪い取ったうえ、大川へ突き落とします。その様子を駕籠の中から見ていたお坊吉三は、その百両を巻き上げようとしてお嬢と争い始め、そこへ通りかかった和尚吉三が、二人を仲裁します。お嬢とお坊は百両を和尚に預けることにし、互いに同じ吉三の名前を名のる三人は、この出会いをきっかけとして、義兄弟の契りを交わすのでした。
 季節感あふれる言葉が散りばめられた七五調の名せりふをお楽しみください。
 これが今日一番の楽しみだったかも知れません。菊之助のお嬢吉三の台詞。
「月も朧(おぼろ)に白魚の篝(かがり)も霞む春の空、冷てえ風も微酔(ほろよい)に心持よくうかうかと、浮かれ烏(うかれがらす)のただ一羽塒(ねぐら)へ帰る川端(かわばた)で、棹(さお)の雫(しずく)か濡手で粟、思いがけなく手に入(い)る百両、[御厄(おんやく)払いましょか、厄落し(やくおとし)、という厄払いの声]ほんに今夜は節分か、西の海より川の中、落ちた夜鷹(よたか)は厄落し、豆沢山(まめだくさん)に一文の銭と違って金包み、こいつぁ春から縁起がいいわえ」
 やはり河竹黙阿弥の七五調は素晴らしいです。たぶん私は落語を音で捉えるタイプ(とは言え、一度聴いたら覚えるという特技があるわけではありません)なので、河竹黙阿弥がはまるのでしょう。
 菊之助のお嬢吉三、海老蔵のお坊吉三、松緑の和尚吉三、全幕見たいキャストです。
三、時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)

暴君春永の恥辱に堪える光秀の忍耐と執念
 中国の毛利討伐のため出陣した小田春永は、本能寺に陣を構えています。春永をもてなすため、真柴久吉から馬盥(ばだらい)に轡(くつわ)で留めて活けた錦木が献上されていますが、春永は、武智光秀にこの馬盥で酒を呑めと突きつけます。屈辱に耐え、馬盥で酒を呑み干す光秀ですが、春永に、満座の中で生活苦にあえいでいた頃の辛い過去を暴かれ、密かに意を決して本能寺を去ります。愛宕山へ戻った光秀は、上使から切腹を申し渡され、覚悟の白装束に着替えますが…。
 重厚かつスケールの大きな時代物の舞台をご堪能ください。
 ……えーと、名作だと思うけど、ひたすら虐めに耐える光秀がつらかった(; ;)。空気が重い〜。
四、男女道成寺(めおとどうじょうじ)

大曲『道成寺』を男女二人で踊る趣向の舞踊
 かつて恋に狂った清姫が焼き尽くして以来、久しぶりに鐘が再興されることとなった道成寺。その鐘の供養に、美しい白拍子の花子と桜子が現れます。二人が奉納の舞いを舞ううちに、桜子の烏帽子が取れ、女性と見えたのが実は左近という男性の狂言師であることがわかります。そして、花子が一人踊るところへ左近が加わり、恋仲の男女の様子を艶やかに描きます。その後、二人は…。
 長唄と常磐津の掛け合いの演奏で踊る華やかな舞踊です。
 今日の出色は三人吉三と男女道成寺かな。海老菊の華やかコンビがひたすら美しかった。
ども、今年のGWは宿題があって遠出できない白牡丹です(涙)。気晴らしに最近の幕末ニュースを。

京都
 会津藩贔屓には嬉しいニュースです。
京都守護職の屋敷跡発見=幕末に会津藩士ら駐屯-京都
 幕末に京都の治安維持を担った京都守護職の屋敷跡が見つかったと、京都府埋蔵文化財調査研究センターが26日発表した。会津藩士らが駐屯していたとみられる建物の基礎部分や、瓦などが発掘された。
 同センターによると、屋敷は絵図の記録に残っていたが、実際の遺構が発掘されたのは初めて。中川和哉・調査課係長は「新撰組が出入りしていた可能性もあり、京都の幕末の歴史を示す貴重な発見」と話した。
 発掘場所は、京都市上京区の府庁敷地内。約2600平方メートルの区画から、建物3棟分の遺構が見つかった。うち東西約6メートル、南北約6メートルの遺構では、建物の基礎である13個の根石がほぼ等間隔に配置され、その上に柱が建っていたと考えられるという。(2016/04/26-19:10)

栃木
戊辰戦争の官軍旗2旗、宇都宮で発見 「白生絹」は全国初、貴重な史料
 1868年の下野戊辰戦争で新政府軍が使った「菊花紋官軍旗」2旗が宇都宮二荒山神社から発見されたと26日、県立博物館が発表した。長さ3メートルを超える薄絹製の「白生絹(しろすずし)御紋之旗」は全国で初めて、正方形に近く紅色が鮮やかな「菊御紋紅大四半(くれないだいしはん)」は国内で2旗目。

 同館は「激戦だった下野戊辰戦争を研究する上で大変重要な史料となる」としている。いずれも29日から同館で開く企画展「宇都宮藩主・戸田氏その歴史と文芸」で公開する。

 白生絹は墨で菊紋が描かれており、縦332・4センチ、横58・9センチ。上部に金具の輪が二つあり、つり下げられるようになっていた。下部には白糸で碁盤目状の縫い目があり、中央から下にかけて9カ所修理した跡が残る。収められていた木箱の表には「招魂社(しょうこんしゃ)(現・県護国神社)宝器」、裏に「宇都宮及び諸所の戦争に用いた」と記されている。書付には「宇都宮藩奉納」とあり、同藩に下賜されたことが分かる。

 大四半は縦164・8センチ、横154・9センチで、中心には墨で菊紋が描かれている。

 箱には会津戦争で用いたと記され、書付には「野津(のづ)参謀奉納」と書かれている。宇都宮城などをめぐる戦いで薩摩藩士の野津鎮雄(しずお)(後の陸軍中将)、道貫(みちつら)(後の陸軍元帥)兄弟が従軍していたことから、戊辰戦争後、招魂社へ奉納したとみられる。

 【下野戊辰戦争】 新政府軍と旧幕府軍が、1868年4月から閏(うるう)4月を含めて約6カ月間、県内各地で戦った。小山をはじめ宇都宮、壬生、藤原、那須などで交戦。新政府軍は大山巌(おおやまいわお)、板垣退助(いたがきたいすけ)、一方の旧幕府軍には大鳥圭介(おおとりけいすけ)、土方歳三(ひじかたとしぞう)らが指揮官として参戦していた。

京都
「鬼の副長」土方の愛刀、霊山歴史館が展示へ
戊辰戦争で使用

 幕末に活躍した新選組副長の土方歳三(1835~69年)が戊辰戦争で使ったと伝わる愛刀を京都市東山区の「霊山りょうぜん歴史館」が入手し、常設展示することになった。土方の刀は数本しか現存せず、公開される機会も少なかったという。

 土方は新選組局長の近藤勇らと京の治安維持にあたり、徹底した組織の引き締めと勇猛果敢な戦いぶりから<鬼の副長>と恐れられた。

 刀の銘は「大和守源秀國やまとのかみみなもとのひでくに」。長さ約70センチで、京都守護職の会津藩主・松平容保に随行して京に入った刀鍛冶に土方が制作を依頼した。根元には「土方義豊」と本名などが刻まれている。

 刀の波模様「刃文はもん」が刃先から真っすぐ入っているのが特徴。刃にムラがなくなり切れ味が良くなるという。刀はその後、会津藩士が譲り受け、複数人を経て東京の刀剣収集家が所有していた。

 同館の木村幸比古副館長は「切れ味を追求した実戦主義の刀で、名より実を取る土方の性格をしのばせる貴重な品」と話している。刀は29日から同館で一般公開される。

栃木
初公開の官軍旗など150点 戸田氏ゆかりの企画 栃木県立博物館
 29日に開幕する県立博物館の企画展「宇都宮藩主戸田氏-その歴史と文芸」の内覧会が28日、開かれた。全国で初めて見つかった官軍旗など、初公開の展示品も多い。企画展は6月12日まで。

 展示総数は約150点。初代藩主忠真(ただざね)が宇都宮二荒山神社に奉納した太刀や、幕府で老中になった忠温(ただよし)が宇都宮城修復の寄付の返礼として贈った家紋入りの盃(さかずき)などが公開される。南蘋(なんぴん)派の画人として知られる忠翰(ただなか)の作品30点も並ぶ。花鳥図「白鸚鵡(おうむ)図」、水墨画「風牡丹(ぼたん)」は名品とされる。

 初公開される官軍旗は、宇都宮二荒山神社に保管されていた「白生絹しろ(すずし)御紋之旗」と「菊御紋紅大四半(くれないだいしはん)」。「白生絹」は全国初、「大四半」は2例目の発見で、下野戊辰戦争を知る第一級の史料という。

 5月8日と22日には無料講演会が開かれる。いずれも定員は200人。(問)同館028・634・1312。

 そう言えば、半年前のニュースですが拾い忘れていた(爆)のが。
兵庫
大鳥圭介検定、初開催へ 出身の上郡町で10月
上郡町商工会(兵庫県上郡町大持)は、同町出身で明治維新後、日本の近代化に貢献した大鳥圭介(1832~1911年)に関する知識を問う「大鳥圭介検定」を10月10日に初めて開く。軍人、政治家、文人などさまざまな側面を持つ、郷土が生んだ異色の偉人の魅力を知ってもらおうと、受検を呼び掛けている。(杉山雅崇)

 同町岩木地区の医師の家に生まれた大鳥は、大阪の適塾などで学び、才能を認められ幕臣に上り詰めた。戊辰戦争で新政府軍に敗れて投獄された後、明治政府に登用され、清国・朝鮮国公使などとして活躍。文人としても名声を得た。

 検定は全30問。うち25問は、大鳥の生涯を紹介するために昨春、住民有志が作製した冊子「かえで」の記述から出題するという。

 20問以上正解で合格となり、正解数に応じて1~3級の級位を授与する。「かえで」は同町商工会などで無料配布しているほか、同商工会のホームページでも閲覧できる。

 検定は10月10日午前10時半から、同町生涯学習支援センター(同町上郡)で実施。小学5年生以上が対象。受検料千円(中学生以下は無料)。郵便やファクス、同町商工会ホームページで応募を受け付ける。8月31日締め切り。同町商工会TEL0791・52・3710

岡山
箕作阮甫の「幕末外交」語り合う 岡山で「蘭学の群像」シンポ
 連続シンポジウム・岡山蘭学(らんがく)の群像(山陽放送学術文化財団主催、岡山日蘭協会共催、山陽新聞社後援)第4回が18日、岡山市北区柳町の山陽新聞社さん太ホールで開かれた。開国を巡って緊迫する幕末外交の舞台裏で奔走した津山藩医箕作阮甫(みつくり・げんぽ、1799~1863年)の生涯や業績について議論を深めた。

 津山に生まれた阮甫は江戸に出て洋学を学び、幕府の翻訳機関に登用された。ペリーが携えた米国親書を翻訳し、ロシアのプチャーチンとの交渉でも長崎や伊豆下田へ赴いて通訳を務め、鎖国政策の転換に立ち会った。東京大の源流となる教育機関で初代教授を務め、多くの子孫が大学教授や学者として名を残した。

 講演した岩下哲典東洋大教授は日露外交史を中心に解説し「日本が国際社会にデビューするきっかけになったロシアとの交渉に関わったのが阮甫」と役割を評価。津山洋学資料館元館長の下山純正さんは箕作家の系譜を示して「時代背景とともに周囲がみんな学者という家族環境があった」と強調した。2人は対談でも阮甫の肖像写真から読み取れるエピソードなどを語り合った。

 次回の「岡山蘭学の群像」は8月4日、新聞を創刊し実業家として活躍した岸田吟香(岡山県美咲町生まれ、1833~1905年)を取り上げる。
(2016年04月18日 22時34分 更新)

北海道
高田屋嘉兵衛の功績後世に 顕彰会発足、6年ぶり事業
 函館発展の基盤を築いた江戸後期の豪商高田屋嘉兵衛(1769~1827年)の偉業を顕彰する「箱館高田屋嘉兵衛顕彰会」の設立総会が25日、函館商工会議所で開かれ、今年8月1日に顕彰・追悼式典を開催するなどの事業計画を決めた。

 函館では、1976年から顕彰事業として夏に「箱館高田屋嘉兵衛まつり」を開催してきたが、2010年を最後に休止。昨年、函館商工会議所創立120周年記念事業の一環で同氏の顕彰事業を行ったことから顕彰会設立の機運が高まり、総会開催に至った。

 冒頭、発起人を代表して函館商工会議所の松本栄一会頭があいさつし「嘉兵衛翁なくしては現在の函館はあり得ない。函館の恩人の顕彰事業を再開できることは地域にとって大きなお喜びだ」と述べた。

 会長に十字街商盛会の松田俊司理事長を選任したほか、顧問に工藤寿樹函館市長、松本会頭、函館国際観光コンベンション協会の渡邉兼一会長を選んだ。松田会長は「微力ながら精いっぱい務めていく。小学校高学年を対象に嘉兵衛翁の功績を記した副読本を配布し、函館の未来を担う人材育成の一助に努めたい」と決意を述べた。

 顕彰・追悼式は8月1日、宝来町の高田屋嘉兵衛像前で開催予定とし、献花や舞踊奉納を行うとした。翌2日午後4時半には、嘉兵衛の出身地である兵庫県洲本市の関係者らと港まつりのメーン行事「ワッショイはこだて」の十字街・松風コースにパレード参加する予定などを確認した。

 高田屋嘉兵衛は、1796(寛政9)年、当時国内最大級の1500石積みの船辰悦丸(●しんえつまる)に乗り、箱館を拠点に活動。国後島・択捉島間の航路開拓や、摂津池田(現・大阪府池田市)のマツやスギの苗を運び、函館山で最初の植林を行った。1806(文化3)年の函館大火では私財を投げうって物資を提供、井戸を掘削してポンプを寄贈するなどした。1811(同8)年、ゴローニン事件に巻き込まれてカムチャツカに連行されるが、日露交渉に尽力し事件を解決へ導いた。

東京
新選組のルーツを探る 第3回・井上源三郎資料館
 幕末の京の都で反幕府勢力を取り締まり、戊辰戦争では幕府軍として転戦した末に時代の中へ消えていった新選組。歴史ファンのみならず、ドラマ、アニメ、ゲーム、小説など創作の題材としても人気を集める新選組のルーツを訪ねる。源三郎や、その兄・松五郎にまつわる各種資料を展示する「井上源三郎資料館」は、松五郎から数えて5代目の子孫にあたる井上雅雄氏(61)が館長を務めている。

文武両道の新選組6番隊組長


2004年1月、蔵を改装して資料館を開館した
 JR中央線日野駅を下車し、目の前を走る甲州街道の横断歩道をわたって静かな集落の中へ。大体5分ほど歩けば、青地ののぼりと、白壁に赤い文字で「誠」と書かれた蔵が見えてくる。そこが、井上源三郎資料館だ。

 平成16年(2004)1月、蔵を改装して資料館を開館した契機となったのは、NHKの大河ドラマ「新選組!」の放映開始。源三郎を演じた小林隆氏について、井上館長は「温厚かつ誠実な源三郎を演じてくれて、女性ファンが増えました」と振り返る。

 井上源三郎は文政12年(1829)、江戸幕府の家臣団である八王子千人同心の家に生まれた。天保5年(1834)生まれの近藤勇よりも5歳、天保6年(1835)生まれの土方歳三よりも6歳年上になる勘定だ。

 その後、日野宿金子橋にあった日野嘉蔵義貴の寺子屋で学問を学ぶとともに、弘化4年(1847)ごろには、松五郎に伴われて天然理心流の近藤周助に入門した。それから10年あまりの鍛錬を経て、万延元年(1860)に免許を受けた。資料館には、源三郎が授かったという天然理心流の免許が展示されている。


井上雅雄館長
 文久3年(1863)2月、時の将軍・徳川家茂の上洛に際し、近藤勇や土方、沖田総司らとともに警護役の浪士として上洛。警護には八王子千人同心も加わっており、松五郎がその旅の記録を記した「文久三年御上洛御供旅記録」が資料館にある。この中には、松五郎が仕事の合間に近藤勇や源三郎と会ったという話も記されているという。松五郎関連ではこのほか、近藤勇から贈られた刀・大和守源秀国も所蔵する。

 上洛後、源三郎は新選組に参加。新選組副長助勤・六番隊組長となり、元治元年(1864)6月の池田屋事件、同年7月の蛤御門の変などで活躍した。新選組では、局長である近藤勇のSPのような役割も担っていたという。

 「源三郎のことを『文武劣等』と書く人もいますが、実際にはきちんとした教育を受けていますし、天然理心流の免許も授かっています。文武両道なのです」と井上館長は強調する。
鳥羽・伏見の戦いで銃撃により戦死


資料館には、源三郎が授かったという天然理心流の免許が展示されている
 時代は、やがて倒幕の流れとなり、慶応4年(1868)の鳥羽・伏見の戦いが起こる。激闘のなか、源三郎は布陣していた淀堤千両松(今の京都市伏見区)において、銃で撃たれて戦死した。戦闘に参加していたおいの井上泰助が、源三郎の首と刀を運ぼうとしたが断念し、途中にあったある寺の門前に埋めたというエピソードも残されている。泰助は日野に戻り、源三郎の最後の姿を伝えた。館内には、泰助晩年の写真も掲示されている。

 「源三郎は、隊士から慕われた人だったそうです。最後の戦いでは、他の隊で手足をわざと斬って戦闘から逃れる隊士もいるなかで、この隊では誰一人逃げなかったと言われています」と説明する井上館長。

 この源三郎の存在が、若い時はプレッシャーに感じた時期もあったという。小学校の時に剣道を習い始めた井上館長は、試合の際、先生からよく「源三郎の子孫、勝てよ」とゲキを飛ばされたとか。それでも、成長とともに、文武に秀でて人望も厚い源三郎の姿を知るにつれて、見る目が変わっていった。

 剣道の流派は、源三郎や松五郎と同じ天然理心流。現在は、館長としての務めのかたわら、天然理心流の演武を披露する機会もある。直近では、日野市で開かれる「第19回ひの新選組まつり」のプログラムの一環として、5月7日(土)に市内の八坂神社で演武を行う予定。

(取材・文:具志堅浩二)

栃木
言い伝え本当だった」 御神刀160年ぶり発見 葵紋入り、水戸から拝受の伝承 那珂川
【那珂川】矢又の鷲子山上(とりのこさんしょう)神社の宮司を代々務める長倉(ながくら)家で、「水戸徳川(とくがわ)家から拝受した」と言い伝えられきた葵紋入り御神刀が約160年ぶりに見つかった。幕末、太平洋戦争の動乱期などを経て、現代に姿を現した御神刀に、長倉樹(たてる)宮司(66)は「言い伝えは本当だった」と喜んでいる。4月29日から5月8日まで、鏡、勾玉(まがたま)とともに「御神宝」として初めて一般公開する。

 同神社は江戸時代、水戸藩領内にあった。2代藩主徳川光圀(みつくに)や9代藩主徳川斉昭(なりあき)が訪れた記録が残る。

 長倉家には「水戸徳川家から鏡、珠、短刀などの御神宝を拝受した。刀は光圀公、鏡は斉昭公から頂いた」との口伝があった。23代目の長倉宮司は「祖父はよく『世が世ならすごいこと』と言っていた」という。

 幕末、先祖の長倉秀丸(ひでまる)は、水戸藩内の派閥争いで佐幕派の諸生党に属し、戊辰戦争に身を投じ敗れた。その後は明治政府を逃れ、御神宝を持って全国を転々とした。以降、御神宝の所在は分からなくなった。

 刀を発見したのはことし3月。長倉宮司が亡母の茶室を整理していると、天袋の収納棚奥から、刀袋を見つけた。中には、銀製の拵(こしらえ)に徳川家の葵紋が入った短刀があった。

福島
 久しぶりにお名前拝見。
迫力の歌声響く ジョン・健・ヌッツォさんコンサート
 テノール歌手ジョン・健・ヌッツォさんのミニコンサートは16日、二本松市竹田の大七酒造エントランスホールで開かれ、迫力ある歌声がホールに響き渡った。

 ヌッツォさんは日本育ちの米国人で、NHK大河ドラマ「新撰組!」のメインテーマを歌ったことで知られる。震災後は被災地を訪れて音楽を通じた交流を繰り広げている。その際に同社を見学して感銘を受けたことからコンサートが実現した。

 同日は、地域住民や招待者ら約80人が集まった。ヌッツォさんは、イタリアのカンツォーネや歌劇「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」などを披露。ホールに心地よく響く歌声に聴衆が聞き入り、何度も「ブラボー!」の声が上がった。

 ヌッツォさんは同市岳温泉の「桜坂」で満開の桜を堪能したといい、「満開の桜を見て日本に帰った実感が湧いた」と語った。

エッセイ
なぜ混成の新政府軍が幕府軍に勝ったのか?時代が切り替わる今こそ学びたい幕末の組織変革
幕末の軍師・大村益次郎は、寄せ集めの混成軍を率いて軍事集団だった幕府軍に勝利する。そこには自軍の核となる強みを見抜き、新時代に合わせた軍制につくり変えた革新的な組織改革があった。今も昔も変わらない不変の勝利の法則を、ビジネスでも応用できるようにまとめた新刊『戦略は歴史から学べ』から一部を抜粋して紹介する。

【法則11】変革は「核となる強み」を見抜けるかどうかで決まる

混成の新政府軍が、なぜ軍事集団の幕府軍に勝てたのか?
阿片戦争で清がイギリスに敗れたことは、日本に伝わり海防への危機感を高めた。日本最後の内戦である戊辰戦争で、徳川幕府と維新勢力の薩摩・長州が激突する。元医者の大村益次郎を参謀に、庶民との混成軍である維新側は、なぜ軍事集団の幕府軍に勝てたのか?
海外列強の脅威に直面した、徳川幕府と薩摩・長州の駆け引き

 1600年から続く徳川幕府は、鎖国政策で通商条約などの締結を拒絶していました。しかし1853年に、アメリカ海軍のペリーが艦隊を率いて来航、流れが変わります。幕府は各藩に陸・海上を警備させますが、剣術修行で関東にいた若き日の坂本龍馬も召集に応じています(翌年の再来航でアメリカと条約を結び、日本の鎖国が終わった)。

 京都の治安が乱れて、幕府は1862年に会津藩を京都守護職に任命、浪人組織の新撰組と共に治安維持を命じます(江戸には同様な“新徴組”という浪人組織があった)。権威のゆらぐ幕府は、朝廷と結びつき権力を一本化して、徳川家を存続させる「公武合体」を目指します。有力藩だった薩摩藩は会津藩と同盟して公武合体派を強化、倒幕派の長州藩はこれに危機を感じ、1864年に京都で会津藩と交戦します(禁門の変)。

 会津・桑名・薩摩(西郷隆盛が指揮)・新撰組などの“幕府側”が長州軍を撃退する中、長州側の弾丸が御所に入ったことで長州は朝敵となり、わずか2日後に第1次長州征伐が行われ、長州藩は戦わずして降伏します。

 長州藩の劣勢を逆転させたのが坂本龍馬です。イギリスの貿易商トーマス・グラバーの後ろ盾を得た龍馬は、遺恨のある薩摩と長州を結び付け、1866年に薩長同盟が成立。龍馬の会社、亀山社中は軍艦や西洋の武器を両藩に調達します。

 長州の不穏な動きに幕府が行った第2次長州征伐は、薩摩藩が参加せず、さらには長州藩(高杉晋作が指揮)が龍馬の調達した洋式武器を装備したことによって失敗し、幕府の権威が完全に失墜したことを示すことになりました。

 1867年、ついに大政奉還が行われますが、薩長は旧幕府勢力を一掃するために挑発を重ねます。挑発に耐えかねた旧幕府軍は薩摩藩邸を焼き討ちし、大坂の徳川慶喜を中心に京都への上洛を決定。長州藩は朝廷から赦免を受け、旧幕府軍が上京すれば「朝敵」とするとの布告を得て、今度は薩長が旧幕府軍を“朝敵”にする立場の逆転に成功します。

村医の息子、大村益次郎が幕末維新を生み出す軍師となった理由

 第2次長州討伐を含め、長州軍の度重なる勝利に貢献したのが軍略家の大村益次郎です。大村は医者を目指し当時有名だった広瀬淡窓や緒方洪庵に学びます(1846年)。しかし洪庵の「上医は国の病を治す」との言葉から、帰藩後、西洋兵術の翻訳・研究に従事。やがて彼は長州藩の軍制改革の指導者となっていきます。

 大村を軍略家に押し上げたのは、西洋兵学の核心をつかんでいたことです。大村の戦略の根幹には「最新式の銃・火砲の性能を最大限に活用する」という発想がありました。最新の銃や大砲は命中精度が高く射程距離も長いので、上野の彰義隊との戦いのアームストロング砲のように、相手の攻撃が当たらない距離で敵に打撃を加えられたのです。

 欧州では1800年代初頭のナポレオン戦争から火力を中心とした兵制の三兵戦術(歩兵・騎兵・砲兵を統合して指揮)が研究され、大村もオランダ人クノープの兵学書を翻訳して長州藩で講義に使いました(書籍名は『兵家須知戦闘術門』)。

 大村は自らのつかんだ核心を元に、新時代の軍制をつくり戊辰戦争で勝利を重ねます。

・武士だけでなく農民も武装・訓練を施して戦力とした
・すべての兵士に銃を持たせ、年式を統一して弾薬の補給を効率化した
・新式銃を使い、うつ伏せの体勢で物陰に隠れて敵を攻撃
・敵の攻撃が届かない遠方から撃ち、優勢な火力で一方的に打倒する

 京都の鳥羽・伏見の戦いの旧幕府側の指揮官は竹中重固でした。彼は秀吉の軍師として有名な竹中半兵衛を先祖に持ち、桑名軍には12代目服部半蔵が率いる部隊もありました。 幕府側は、当時最強の会津、桑名藩でも武装は刀や槍を重視しており、一部に最新鋭の銃砲隊があるも、指揮官が古い戦闘法しか知らず、合理主義の薩長に敗退します。

 同時代に最新式の銃や大砲、西洋兵学に触れた者は何人もいましたが、大村の軍事指揮と兵制改革は群を抜いて優れていました。彼は勝利を左右する要素を正しく見抜いており、重火器の最大活用以外に目もくれず、兵士が差した刀を無駄と断じていました。

 長州討伐で幕府軍を迎え撃つとき「大村の出で立ちは、草履ばきに浴衣姿、渋団扇を手にするという型破りのものだった」とされています(NHK取材班・編『その時歴史が動いた〈18〉』より)。

 これは西洋の武器に敗北を続けた新撰組の土方歳三などが、のちに洋風の服装に切り替えたことと、ある意味で対極を成す姿ではないでしょうか。オランダに軍事留学していた幕臣、榎本武揚も戊辰戦争では有名な人物です。彼は最新の戦艦「開陽丸」をオランダから日本に運んでいます。全長73メートルの巨大戦艦、開陽丸はオランダ軍にも同じ船はないと言わしめた当時の最新鋭艦でした。

 しかし開陽丸は、小さな海戦で圧倒的な威力を見せたものの、最大限活用をすれば戦局を逆転するほどの威力がありながら、最後は北海道の江差港で座礁して沈没。阿片戦争でイギリス海軍がわずか数隻の戦艦で達成したことを考えると、当時薩長軍にもない強力な開陽丸は鳴かず飛ばずだったといえるでしょう。

 最新鋭艦という強力な武器も、相応しい運用方法がわからず宝の持ち腐れとなった一方、最新の用兵術を学んだ大村は、ゲベール銃からアームストロング砲などの威力を存分に活用して、古い軍事常識にしばられた旧幕府軍を瓦解させることに成功したのです。

核となる強み、守るべき点と大変革をすべき点を見抜く

 大村は、戦略(ストラテジイ)と戦術(タクティクス)の違いを理解していました。

「江戸湾の防禦として幕府が品川に台場を築いたことは知っておろう。あれはタクチックだけで、ストラトギイということを知らない人間がこしらえたものである」(木本至『大村益次郎の生涯』より)

 右の言葉は、自らの門下生に言ったものですが、大村は本質を理解したことで、変革すべき点や無駄な点を見抜く力をもっていたのです。

 スイス製の安価でファッショナブルな腕時計として有名なスウォッチは、1985年にニコラス・ハイエクという技術コンサルタントの発案から始まりました。彼はスイス製でありながら、日本の独占する低価格腕時計の市場を奪い返す新製品がつくれないかと考えたのです(当時のスイス製のシェアは低価格0%、中級3%、高級品97%)。(ゲイリー・ハメル、C・K・プラハラード『コア・コンピタンス経営』より)

 彼はアジアの競合企業にマネできない、しかしヨーロピアン感覚と落ち着きをテーマにした低価格の腕時計を企画し、一方で設計・製造・流通などは大変革に挑戦しました。スイスの古い伝統を打破し、労務費を小売価格の1%程度まで削減したのです。

 さらにスウォッチの成功による利益をスイス製高級腕時計のオメガ、ブレゲなどに投入して、最新の生産管理と直営店舗を導入。高品質のイメージを維持しながら高収益を達成しています。ハイエクは守るべきものと変革するものを正しく見抜き、良き伝統の中に大変革を内包させたのです。前出『コア・コンピタンス経営』には、「市場は成熟するが、企業力は市場を超えて伸びる」という言葉があります。

 大村やハイエクは異業種から参入し、その本質を捉える能力を新たな舞台で発揮した一方で、榎本武揚や旧幕府軍人は、徳川幕府という伝統と古い思考の枠に囚われており、最新の武器を手にしても、その威力を引き出すことができなかったのです。

(第13回に続く 4/20公開予定です)


ブックレビュー
 『風雲児たち』最新刊発刊でプレスリリースが出るんですね。でもその価値があるだけの作品です。『真田丸』ファンにはお勧めです。
みなもと太郎「風雲児たち〜幕末編〜」 最新単行本第27巻発刊のお知らせ
株式会社リイド社(所在地:東京都杉並区、代表取締役社長:斉藤發司)は2016年4月27日(水)にみなもと太郎による単行本『風雲児たち〜幕末編〜 第27巻』を発売いたしました。

■本作の概要
みなもと太郎「風雲児たち 〜幕末編〜」最新単行本第27巻が4月27日に発売されました。

外国船の来航、攘夷運動の高まり、安政の大獄、そして桜田門外の変……
260年に渡る泰平が破られ、大きく揺らぐ徳川幕府に追い討ちをかけるように、筆頭老中安藤信正が坂下門外で襲撃されます。
この大事件は、薩摩をはじめとする各国の雄藩を巻き込んだ一大倒幕運動の火種となり……


月刊コミック乱で絶賛連載中の歴史大河ギャグ漫画、待望の最新刊です。

実に35年以上に渡り熱狂的な支持を受け、錚々たる著名人も虜にし続ける同シリーズ。
今回は女優の杏さんが帯に推薦コメントを寄せています。

ワイド版 1巻 推薦文なし
ワイド版 2巻 推薦文なし
ワイド版 3巻 タレント ラ・サール石井
ワイド版 4巻 漫画家 平田弘史
ワイド版 5巻 作家 夢枕貘
ワイド版 6巻 マンガ・コラムニスト 夏目房之介
ワイド版 7巻 作家 小松左京
ワイド版 8巻 東京大学大学院教授(日本史専攻) 三谷博
ワイド版 9巻 マンガ評論家 米澤嘉博
ワイド版 10巻 作家 藤本由香里
ワイド版 11巻 作家 田中芳樹
ワイド版 12巻 元東映プロデューサー 平山亨
ワイド版 13巻 シーボルト7代目子孫 堀内啓子
ワイド版 14巻 歌手 泉谷しげる
ワイド版 15巻 中国文学者・エッセイスト 高島俊男
ワイド版 16巻 俳優・タレント 松尾貴史
ワイド版 17巻 ゲーム作家 さくまあきら
ワイド版 18巻 映画評論家 三木宮彦
ワイド版 19巻 脚本家 倉田英之
ワイド版 20巻 思想家・評論家 呉智英
幕末編 1巻 アニメ監督 富野由悠季
幕末編 2巻 脚本家 三谷幸喜
幕末編 3巻 アニメ・映画監督 庵野秀明
幕末編 4巻 作家 辻真先
幕末編 5巻 コピーライター 糸井重里
幕末編 6巻 作家 荒俣宏
幕末編 7巻 漫画家 いしいひさいち
幕末編 8巻 劇作家/マンガ評論家 高取英
幕末編 9巻 ヴィジュアリスト 手塚眞
幕末編 10巻 ジャズ評論家 平岡正明
幕末編 11巻 棋士 先崎学
幕末編 12巻 京都国際マンガミュージアム研究員 表智之
幕末編 13巻 水道橋博士
幕末編 14巻 マンガ家 しりあがり寿
幕末編 15巻 評論家 岡田斗司夫
幕末編 16巻 学習院大学教授 中条省平
幕末編 17巻 現代マンガ図書館 館長 内記稔夫
幕末編 18巻 漫画家 安彦良和
幕末編 19巻 小説家 京極夏彦
幕末編 20巻 作家 関川夏央
幕末編 21巻 国宝犬山城城主末裔 貸本漫画研究科 成瀬正祐
幕末編 22巻 漫画家 ちばてつや
幕末編 23巻 漫画家 かわぐちかいじ
幕末編 24巻 漫画研究家 同志社大学社会学部教授 竹内オサム
幕末編 25巻 俳優 井浦新
幕末編 26巻 堀江貴文
幕末編 27巻 女優 杏

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■「風雲児たち 〜幕末編〜」第27巻
著:みなもと太郎
定価:552円+税
発行:リイド社
発売日:4月27日(水)
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■みなもと太郎がライムスター宇多丸のラジオに生出演!

『風雲児たち 幕末編』のみなもと太郎が
TBSラジオの人気番組「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」に生出演!
さいとう・たかをが日本マンガ界にもたらした“知られざる革命”について語る!


空前絶後の歴史大河ギャグマンガ『風雲児たち〜幕末編〜』の作者みなもと太郎が、4月30日(土)22:00からTBSラジオの人気番組「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」に生出演します。

現役マンガ家であり日本屈指のマンガ研究家でもあるみなもとが、『ゴルゴ13』『鬼平犯科帳』で今なお最前線を走り続ける劇画家・さいとう・たかをについて語ります。

『劇画1964』を紐解くと、マンガがいまだ“子供のためのもの”とされていた1960年代に、さいとう・たかをは「青年向けコミック」の可能性をいち早く主張、業界内外からの反発の矢面に立ち“体を張って”そのジャンルを開拓してきたことがわかります。みなもと太郎はこう言います、「さいとう先生がいなければ、今の日本のマンガ文化の隆盛はありえなかったし、そのことを本当の意味で理解できている人は少ない」と。

さいとう・たかをがいかにアヴァンギャルドかつ先見の明に富んだ作家か、そして日本のマンガ文化にどれだけの変革をもたらしたか……巨匠の“知られざる革命”について、みなもと太郎が熱い思いを込めて語りつくします。老若男女すべてのマンガ家、出版関係者はもちろん、マンガを愛する全日本人必聴の特集です。

■TBSラジオ 「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」 
4月30日(土)22:00〜24:00 生放送
※「radiko」を使えば全国どこでも生放送が聞けます
※特集は後日、ポッドキャストとしてパソコンやスマホで聞けます
■みなもと太郎 プロフィール
1947年、京都府に生まれる。高校卒業後に呉服店で働いた後、漫画同人誌活動などを経て、1967年「別冊りぼん」に『兄貴かんぱい』を発表し雑誌デビュー。1970年、上京し「週刊少年マガジン」に『ホモホモ7』を連載。『風雲児たち』など歴史漫画の新境地開拓などに対して、2004年第8回手塚治虫文化賞を受賞した。現在「コミック乱」で連載中の『風雲児たち〜幕末編〜』で第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。日本屈指の漫画研究家としても知られ、自宅の書庫には貴重な資料が山積している。


■さいとう・たかをゴリラセレクション 劇画1964

著:さいとう・たかを
価格:1,800円+税
発売日:絶賛発売中
出版社:リイド社

■会社概要
社名:株式会社リイド社         
所在地:〒166-8560 東京都杉並区高円寺北2-3-2
代表:代表取締役社長 斉藤發司     
創業:1960年4月
設立:1974年11月
事業内容:出版事業
URL:http://www.leed.co.jp/

『PEACE MAKER 鐵』アニメ化企画決定!「これは見るっきゃないな!」とファン歓喜
『PEACE MAKER 鐵』のアニメ化企画が発表された。ファンからは、「おおー、懐かしい! めっちゃ楽しみ」「懐かしすぎる! これは見るっきゃないな!」「大学生の時ハマって読んでた。青春の頃を思い出すなぁ」と、思い出をかみしめて歓喜する声が上がっている。

 女性漫画家・黒乃奈々絵が描く『PEACE MAKER 鐵』は、『月刊少年ガンガン』で連載されていた『新撰組異聞PEACE MAKER』の続編。舞台は元治元年、弥生三月の艶やかな桜舞い散る京都。両親のかたき討ちのために「強くなりたい」と新撰組の門戸を叩いた15歳の少年・市村鉄之助が土方歳三の小性として幕末を描く抜ける姿が描かれている。

 同作は歴史上の人物を題材に扱っていることから歴女から絶大な人気を誇り、特に登場キャラクターへの愛を語るファンが続出。新撰組随一の剣の使い手・沖田総司には「おちゃめな笑顔と人を切る時の冷酷な表情…そのギャップがたまらない」「美男子で優男の沖田さんが冷徹に剣を振る姿やばす」といった声が。また「鬼の副長」という異名を持ち、冷徹な性格の土方歳三には「いぶし銀過ぎて結婚したいくらい!」「一見冷徹に思えるけど、心の奥にある熱さみたいなのに胸キュン」と大興奮。

 特に主人公の市村鉄之助に対しては多くのファンが黄色い声をあげている。新撰組に入隊するため屯所の玄関先に座り込み、雨に濡れながら必死に訴え続けるシーンがあるのだが、これを見たファンからは「ちっちゃい男の子が頑張ってる姿っていいよね」「めっちゃ応援したくなる」「弟にしたい」と称賛を受け、また変装のため女装するシーンでは「かわいすぎる」「ほんとの女の子みたい!」と歓喜の声が上がった。

 今回アニメ化される『PEACE MAKER 鐵』は、過去に市村鉄之助の青年役を梶裕貴、少年期役を小林由美子、土方歳三役を中田譲治、沖田総司役を斎賀みつき、永倉新八役を山口勝平と超豪華な面々でドラマCD化されている。

 ドラマCDの反響は凄まじかったようで、今回のアニメ化でも「声優陣はドラマCDを引き継いでほしい!」「梶さんの鉄之助ドハマり過ぎた! あの人以外鉄之助役は考えられん!」「絶対に小林さんは外さないで!」と続投を希望する声が上がっている。声優陣などの情報はまだ公開されていないようだが、ドラマCDの声優陣が引き続き続投となれば、それだけでファンの期待は高まりそうだ。

 2016年4月14日(木)には単行本10巻が発売された『PEACE MAKER 鐵』。気になるアニメ化企画の続報を楽しみに待とう。

■『PEACE MAKER 鐵』10巻
著:黒乃奈々絵
価格:617円(税込)
発売日:2016年4月14日(木)
出版社:マッグガーデン
 ますます鬱展開なんですが、見守るしかないですね。。
ども、白牡丹です。ほんの何年か前、ホームページにhtmlファイルをアップロードするのも、その時に写真画像のファイルサイズを小さくするために加工するのも当たり前のようにやっていたのですが、facebookとかインスタグラムとか撮影した画像をそのままアップできるSNSツールが増えたせいで、ブログに画像アップするのが億劫です。
 哀しいですが、一度楽になってしまうと手間暇かけるのがしんどくなってしまうんですね(°°;)。

 2014年10月に友人の友人が幕末医学史ツアーで近代の種痘所に関わる史跡めぐりをプロデュースしてくれました。
幕末医学史ツアー —近代医学の始まり「種痘所」ツアー—
 第2回が小石川養生所関連史跡めぐりだったのですが、残念ながら私は行けず。第3回は伊能忠敬関連史跡巡りです。


 深川の富岡八幡宮で伊能忠敬像を見たあと、境内の相撲関連の碑などを見学。

 住居碑にはよらず、門前仲町から地下鉄で日本橋乗換え、田原町で下りて伊能忠敬の墓【源空寺】へ。忠敬の遺言で、忠敬は天文学の師匠であった年下の高橋至時の傍に眠っています。そして、至時の息子で、シーボルト事件で逮捕されて獄死した景保も至時の隣に眠っています。
 立川志の輔師匠「大河への道」を思い出しつつ、手を合わせました。

 同じ源空寺には、幕末の日本画壇で第一人者であった谷文晁(江川坦庵公の画の師匠)、江戸初期の町奴で時代劇や歌舞伎などで有名な幡随院長兵衛の墓もあります。

 そして、私達はJR上野駅まであるいて(入谷口って初めて使った)、鶯谷で下りて、笹乃雪でランチしました。

 『風雲児たち』の伊能忠敬パートを読み返したくなる散策でした。
歌舞伎美人 明治座 四月花形歌舞伎

 昼の部見ました。
一、芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)

葛の葉 
女房葛の葉/葛の葉姫 中村 七之助
安倍保名 中村 梅枝
柵 中村 歌女之丞
信田庄司 片岡 亀蔵
 安倍保名に一命を助けられた白狐が、保名の許嫁の葛の葉に化け、子をもうけます。しかし本物の葛の葉姫が現れ…。人を愛してしまった狐の悲しみや子別れの愁嘆など、親子の情愛あふれる名作『葛の葉』。
 七之助さんのお姫様と女房それも狐の変化という二役が見どころ。葦手書きを左手で鏡文字で書いたり、最後は子供を抱きながら口にくわえた筆で書いたり、なかなかすごい。

大沼信之 作
二、末広がり(すえひろがり)

太郎冠者 中村 勘九郎
万商人 中村 国生
宝斉娘福子 中村 鶴松
分限者宝斉 片岡 亀蔵
 続いては、末広がり(末広の扇子)を買い求めるよう命じられた太郎冠者が、商人の口車に騙されて傘を売りつけられたことから起こる大騒動。賑やかで軽妙洒脱な舞踊『末広がり』。
 勘九郎さんの太郎冠者が愛らしい。お嬢様に振られて(´・ω・`)としたり、商人の口上にごまかされて唐傘を買ってしまったり。
近松門左衛門 作
片岡仁左衛門 監修
三、女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)

河内屋与兵衛 尾上 菊之助
お吉 中村 七之助
豊嶋屋七左衛門 中村 勘九郎
太兵衛 坂東 亀寿
芸者小菊 中村 梅枝
小栗八弥 中村 萬太郎
おかち 坂東 新悟
白稲荷法印 市村 橘太郎
綿屋小兵衛 片岡 松之助
河内屋徳兵衛 嵐 橘三郎
おさわ 上村 吉弥
山本森右衛門 河原崎権十郎
 放蕩三昧で親にも勘当された河内屋与兵衛は、金の工面に困り、同業の油屋の女房お吉を訪れますが…。実際に起きた事件を題材にした近松門左衛門の名作『女殺油地獄』。刹那的に生きる青年が引き起こす悲劇をご覧いただきます。
 片岡孝夫時代のニザ様で与兵衛見たかったなぁ。

(評・舞台)明治座四月花形歌舞伎 「浮かれ心中」役者生き生き
 2011年に復活した明治座での歌舞伎公演も8回目。中村勘九郎・七之助兄弟に尾上菊之助の珍しい顔合わせと初役揃(ぞろ)いに魅力があり、劇場の客層を見込んだ演目が功を奏した盛況。昔は三代目市川猿之助(現猿翁)が数々の実験を繰り広げた劇場だけに、さらなる冒険も望んでみたくなる。

 昼は七之助の「葛の葉」ログイン前の続きからで、研ぎ澄まされた美しさだが、子別れの愁嘆には母性の温(ぬく)もりもほしい。障子への曲書きは普段が出るところだが、筆をくわえて書く難所が最もうまい。中村梅枝の保名が古風な雰囲気。

 勘九郎の「末広がり」は父中村勘三郎が自主公演で試演した作品で、本興行ではこれが初演。太神楽の毬(まり)の芸を鮮やかに見せる。もう少し表情を抑えるとおおらかさが増すだろう。

 菊之助の「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」は、家の芸系にない挑戦で注目される。近世の新作風演出を、古典のように受け継ぐ真摯(しんし)な姿勢はいいが、明晰(めいせき)で理性的な持ち味は、不条理な不良の行跡とは少し遠い。七之助のお吉、勘九郎の七左衛門で3人が顔を揃えるのはいい。

 夜は勘九郎が父の衣鉢を継ぐ「浮かれ心中」。井上ひさしの「手鎖心中」を43年前に東京宝塚劇場で劇化、歌舞伎版は1997年に初演された。戯作(げさく)の道に生きようとする若者群像の狂騒物語は少々古めかしく、そこを客席を巻き込んだ熱量でカバーしてきた作品である。無邪気な父とは異なる篤実な資質を秘めた勘九郎がいま受け継ぐべきなのか、考えさせるが、俳優陣は、昼夜を通して最も生き生きとしている。父そっくりに見せる勘九郎はもちろん、菊之助の女房が可愛らしい。坂東亀三郎や片岡亀蔵ら、周囲も揃う。

 静と動の対照も劇的な舞踊「二人椀久(ににんわんきゅう)」は菊之助と七之助で、今が盛りの美しさだが、ゆったりしたものに変わった。(児玉竜一・早稲田大学教授)

 26日まで。
 明治座は座席にエアーウィーブ配られているので腰に負担が少なく、ありがたい。。
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