忍者ブログ
新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
以下、引用は歌舞伎美人の團菊祭五月大歌舞伎「みどころ」より。
【昼の部】
一、鵺退治(ぬえたいじ)

伝説を元に描かれた時代狂言
 時の帝が、毎夜物の怪に悩まされていることから、源頼政にこれを退治する勅命が下ります。頼政が、邪気を払うために弓の弦を鳴らす鳴弦の法を行うと、凄まじい響きとともに現れたのは、頭は猿、躰は狸、尾は蛇、手足は虎に似た鵺でした。激しい闘いの末、見事鵺を退治した頼政に対し、九条関白はその武勇を愛で、勘当の身となっていた頼政を許したうえ、恋仲であった宮中の美女菖蒲の前を妻とすることを許します。そして恩賞として、皇室に伝わる宝刀を授けるのでした。
 54年ぶりの上演となる新歌舞伎をお楽しみください。
 NHK大河ドラマ史上初の続編、『新選組!!土方歳三最期の一日』で試衛館時代の土方歳三が仲間と「この世で一番強い生き物は何か」という談義でにぎわっていた時に「一番強いのは鵺だ」と結構自信たっぷりに言っていました。箱館で市村鉄之助を土方の故郷の日野に落とす際にも言っていましたが、ここでは薩長土肥を初めとする、時代の勢いで膨れあがった討幕勢力を鵺にたとえてました。「頭は猿、躰は狸、尾は蛇、手足は虎に似た鵺」を見ながら思いを巡らせてました(つなみに原田左之助は虎を退治した加藤清正が一番強いと主張してましたが、今年の大河ドラマ『真田丸』で三谷さんは加藤清正を真田信繁の大坂時代におけるキーパーソンのひとりとして描いてます……かつて土方を演じた山本耕史さんが演じる石田三成とバチバチ火花を散らす加藤清正を新井浩文さんが演じ、毎週の楽しみになっています)。

 作品を書いたのは福地桜痴なんですね。語学のスペシャリストとして幕府役人にとりたてられ、明治維新後はジャーナリストとして活躍した人です。明治になってから、かつて市谷にあった試衛館を訪ねた時の思い出話を書き残してますが、本当に面識があったのかどうかは他の資料や証言など裏付けがないのでなんとも……いずれにしても、福地桜痴作なら、史実の土方歳三がこの作品を見ることはなかったのですね。

 おっと、つい新選組絡みの話に脱線してしまいます(^_^;)。そして、本編に関していえば、スペクタクルではあるけれど、伝説のまんまやん(^_^;)。
二、寺子屋(てらこや)

忠義に苦悩する夫婦の姿
 武部源蔵は、妻戸浪と寺子屋を営みながら、菅丞相の子・菅秀才を匿っています。このことが敵の時平方に発覚し、菅秀才の首を差し出すよう命じられた源蔵は、悩んだ末、その日寺入りしたばかりの小太郎という子どもの首を検分役の松王丸に差し出します。なんとか窮地を切り抜け安堵する源蔵夫婦のもとに、小太郎の母千代が迎えに現れ、源蔵が千代に斬りかかるところに、最前の松王丸も姿を見せます。すると、松王丸は、自らが検分した菅秀才の首について語り始め…。
 重厚な義太夫狂言の一幕にご期待ください。
 海老蔵の松王丸、松緑の源蔵、菊之助の千代と、かつての「三之助」揃い踏み。歌舞伎の名作だそうですが私は初見。時代感覚の違いか、『先代萩』といい『寺子屋』といい主君のために我が子を犠牲にする価値観がしっくりしない……3人の中では、比較的に菊之助にリアリティを感じたのだけど。
三、十六夜清心(いざよいせいしん)

情緒あふれる清元と清心の名せりふ
 鎌倉極楽寺の僧である清心は、遊女の十六夜と深い仲になったため、女犯の罪で寺を追われてしまいます。清心と十六夜は心中を決意し、手を取り合って入水しますが、十六夜は舟遊びをしていた俳諧師白蓮に助け上げられてしまいます。一方の清心も、水練に堪能であったために死に損ないます。川から上がった清心が再び入水すべきかどうか思案するところへ、寺小姓の恋塚求女が通りかかり、癪を起こして苦しみます。介抱した拍子に求女の懐にある大金に触れた清心は、抵抗する求女と揉み合ううちに、はずみで求女を殺めてしまい…。
 名せりふにあふれる河竹黙阿弥の世話物をご覧ください。
 河竹黙阿弥作品って七五調の美しさもあるのだけど、市井の犯罪をリアルに描いてぐっと引きつけられる。心中を図った僧侶と遊女が死にきれなくて共に悪の道に……というのは、死んだはずだよお富さんのパターンだよね。
 菊之助さんの清心が寺小姓の松也さん演じる求女と絡む場面は美しかったです。
四、楼門五三桐(さんもんごさんのきり)

絢爛さと豪快さにあふれる一幕
 桜の咲き誇る南禅寺の山門の楼上。天下の大盗賊石川五右衛門が煙管をくゆらせながら景色を眺めていると、一羽の白鷹が血染の遺書を咥えて飛んできます。これは、大明国の宋蘇卿の遺書で、これを読んだ五右衛門は、実は自分が宋蘇卿の遺児で、宋蘇卿と、大恩ある武智光秀がともに真柴久吉のために命を落としたことを知ります。そこへ楼門の下を一人の巡礼が通りかかり、五右衛門に声をかけてきます。実はこの巡礼こそ真柴久吉で…。
 歌舞伎らしい色彩美と様式美満載の舞台をお楽しみください。
 吉右衛門の石川五右衛門、菊五郎の真柴久吉。最新入院したばかりの菊五郎さんがこの一役と夜の部の一役だけなのは仕方ないですよね。

【夜の部】
一、勢獅子音羽花籠(きおいじしおとわのはなかご)

初お目見得を祝う華やかな舞踊
 江戸庶民の憧憬の的である鳶頭や芸者たちが勢揃いし、祭りの華やかな雰囲気の中で変化に富んだ舞踊が繰り広げられます。
 尾上菊之助の長男、寺嶋和史が初お目見得し、豪華な顔ぶれが揃う賑やかな一幕です。
 豪華です。「じゅふたん」こと寺島和史くんの初お目見え。祖父が菊五郎と吉右衛門という人間国宝なんてすごい家系。
 2才6ヶ月なんで、こんなものでしょう。パパ菊之助に抱かれて花道を行き、吉右衛門さんに手伝ってもらったけど舞台で正座はできず、眩しいのか両手で両目を覆って、嫌々モード。挨拶は菊之助さんと祖父ズが仕切る。でも、三三一拍子の後、手を振ってくれました。いつか、それなりの役者となって舞台に立った時に、この場面を思い出すのが楽しみです。
二、三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)

黙阿弥の名せりふで知られる江戸情緒あふれる一幕
 節分の夜更け、大川端にやって来た夜鷹のおとせに、美しい娘姿の盗賊、お嬢吉三が近づき、おとせの懐から百両を奪い取ったうえ、大川へ突き落とします。その様子を駕籠の中から見ていたお坊吉三は、その百両を巻き上げようとしてお嬢と争い始め、そこへ通りかかった和尚吉三が、二人を仲裁します。お嬢とお坊は百両を和尚に預けることにし、互いに同じ吉三の名前を名のる三人は、この出会いをきっかけとして、義兄弟の契りを交わすのでした。
 季節感あふれる言葉が散りばめられた七五調の名せりふをお楽しみください。
 これが今日一番の楽しみだったかも知れません。菊之助のお嬢吉三の台詞。
「月も朧(おぼろ)に白魚の篝(かがり)も霞む春の空、冷てえ風も微酔(ほろよい)に心持よくうかうかと、浮かれ烏(うかれがらす)のただ一羽塒(ねぐら)へ帰る川端(かわばた)で、棹(さお)の雫(しずく)か濡手で粟、思いがけなく手に入(い)る百両、[御厄(おんやく)払いましょか、厄落し(やくおとし)、という厄払いの声]ほんに今夜は節分か、西の海より川の中、落ちた夜鷹(よたか)は厄落し、豆沢山(まめだくさん)に一文の銭と違って金包み、こいつぁ春から縁起がいいわえ」
 やはり河竹黙阿弥の七五調は素晴らしいです。たぶん私は落語を音で捉えるタイプ(とは言え、一度聴いたら覚えるという特技があるわけではありません)なので、河竹黙阿弥がはまるのでしょう。
 菊之助のお嬢吉三、海老蔵のお坊吉三、松緑の和尚吉三、全幕見たいキャストです。
三、時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)

暴君春永の恥辱に堪える光秀の忍耐と執念
 中国の毛利討伐のため出陣した小田春永は、本能寺に陣を構えています。春永をもてなすため、真柴久吉から馬盥(ばだらい)に轡(くつわ)で留めて活けた錦木が献上されていますが、春永は、武智光秀にこの馬盥で酒を呑めと突きつけます。屈辱に耐え、馬盥で酒を呑み干す光秀ですが、春永に、満座の中で生活苦にあえいでいた頃の辛い過去を暴かれ、密かに意を決して本能寺を去ります。愛宕山へ戻った光秀は、上使から切腹を申し渡され、覚悟の白装束に着替えますが…。
 重厚かつスケールの大きな時代物の舞台をご堪能ください。
 ……えーと、名作だと思うけど、ひたすら虐めに耐える光秀がつらかった(; ;)。空気が重い〜。
四、男女道成寺(めおとどうじょうじ)

大曲『道成寺』を男女二人で踊る趣向の舞踊
 かつて恋に狂った清姫が焼き尽くして以来、久しぶりに鐘が再興されることとなった道成寺。その鐘の供養に、美しい白拍子の花子と桜子が現れます。二人が奉納の舞いを舞ううちに、桜子の烏帽子が取れ、女性と見えたのが実は左近という男性の狂言師であることがわかります。そして、花子が一人踊るところへ左近が加わり、恋仲の男女の様子を艶やかに描きます。その後、二人は…。
 長唄と常磐津の掛け合いの演奏で踊る華やかな舞踊です。
 今日の出色は三人吉三と男女道成寺かな。海老菊の華やかコンビがひたすら美しかった。
PR
ども、今年のGWは宿題があって遠出できない白牡丹です(涙)。気晴らしに最近の幕末ニュースを。

京都
 会津藩贔屓には嬉しいニュースです。
京都守護職の屋敷跡発見=幕末に会津藩士ら駐屯-京都
 幕末に京都の治安維持を担った京都守護職の屋敷跡が見つかったと、京都府埋蔵文化財調査研究センターが26日発表した。会津藩士らが駐屯していたとみられる建物の基礎部分や、瓦などが発掘された。
 同センターによると、屋敷は絵図の記録に残っていたが、実際の遺構が発掘されたのは初めて。中川和哉・調査課係長は「新撰組が出入りしていた可能性もあり、京都の幕末の歴史を示す貴重な発見」と話した。
 発掘場所は、京都市上京区の府庁敷地内。約2600平方メートルの区画から、建物3棟分の遺構が見つかった。うち東西約6メートル、南北約6メートルの遺構では、建物の基礎である13個の根石がほぼ等間隔に配置され、その上に柱が建っていたと考えられるという。(2016/04/26-19:10)

栃木
戊辰戦争の官軍旗2旗、宇都宮で発見 「白生絹」は全国初、貴重な史料
 1868年の下野戊辰戦争で新政府軍が使った「菊花紋官軍旗」2旗が宇都宮二荒山神社から発見されたと26日、県立博物館が発表した。長さ3メートルを超える薄絹製の「白生絹(しろすずし)御紋之旗」は全国で初めて、正方形に近く紅色が鮮やかな「菊御紋紅大四半(くれないだいしはん)」は国内で2旗目。

 同館は「激戦だった下野戊辰戦争を研究する上で大変重要な史料となる」としている。いずれも29日から同館で開く企画展「宇都宮藩主・戸田氏その歴史と文芸」で公開する。

 白生絹は墨で菊紋が描かれており、縦332・4センチ、横58・9センチ。上部に金具の輪が二つあり、つり下げられるようになっていた。下部には白糸で碁盤目状の縫い目があり、中央から下にかけて9カ所修理した跡が残る。収められていた木箱の表には「招魂社(しょうこんしゃ)(現・県護国神社)宝器」、裏に「宇都宮及び諸所の戦争に用いた」と記されている。書付には「宇都宮藩奉納」とあり、同藩に下賜されたことが分かる。

 大四半は縦164・8センチ、横154・9センチで、中心には墨で菊紋が描かれている。

 箱には会津戦争で用いたと記され、書付には「野津(のづ)参謀奉納」と書かれている。宇都宮城などをめぐる戦いで薩摩藩士の野津鎮雄(しずお)(後の陸軍中将)、道貫(みちつら)(後の陸軍元帥)兄弟が従軍していたことから、戊辰戦争後、招魂社へ奉納したとみられる。

 【下野戊辰戦争】 新政府軍と旧幕府軍が、1868年4月から閏(うるう)4月を含めて約6カ月間、県内各地で戦った。小山をはじめ宇都宮、壬生、藤原、那須などで交戦。新政府軍は大山巌(おおやまいわお)、板垣退助(いたがきたいすけ)、一方の旧幕府軍には大鳥圭介(おおとりけいすけ)、土方歳三(ひじかたとしぞう)らが指揮官として参戦していた。

京都
「鬼の副長」土方の愛刀、霊山歴史館が展示へ
戊辰戦争で使用

 幕末に活躍した新選組副長の土方歳三(1835~69年)が戊辰戦争で使ったと伝わる愛刀を京都市東山区の「霊山りょうぜん歴史館」が入手し、常設展示することになった。土方の刀は数本しか現存せず、公開される機会も少なかったという。

 土方は新選組局長の近藤勇らと京の治安維持にあたり、徹底した組織の引き締めと勇猛果敢な戦いぶりから<鬼の副長>と恐れられた。

 刀の銘は「大和守源秀國やまとのかみみなもとのひでくに」。長さ約70センチで、京都守護職の会津藩主・松平容保に随行して京に入った刀鍛冶に土方が制作を依頼した。根元には「土方義豊」と本名などが刻まれている。

 刀の波模様「刃文はもん」が刃先から真っすぐ入っているのが特徴。刃にムラがなくなり切れ味が良くなるという。刀はその後、会津藩士が譲り受け、複数人を経て東京の刀剣収集家が所有していた。

 同館の木村幸比古副館長は「切れ味を追求した実戦主義の刀で、名より実を取る土方の性格をしのばせる貴重な品」と話している。刀は29日から同館で一般公開される。

栃木
初公開の官軍旗など150点 戸田氏ゆかりの企画 栃木県立博物館
 29日に開幕する県立博物館の企画展「宇都宮藩主戸田氏-その歴史と文芸」の内覧会が28日、開かれた。全国で初めて見つかった官軍旗など、初公開の展示品も多い。企画展は6月12日まで。

 展示総数は約150点。初代藩主忠真(ただざね)が宇都宮二荒山神社に奉納した太刀や、幕府で老中になった忠温(ただよし)が宇都宮城修復の寄付の返礼として贈った家紋入りの盃(さかずき)などが公開される。南蘋(なんぴん)派の画人として知られる忠翰(ただなか)の作品30点も並ぶ。花鳥図「白鸚鵡(おうむ)図」、水墨画「風牡丹(ぼたん)」は名品とされる。

 初公開される官軍旗は、宇都宮二荒山神社に保管されていた「白生絹しろ(すずし)御紋之旗」と「菊御紋紅大四半(くれないだいしはん)」。「白生絹」は全国初、「大四半」は2例目の発見で、下野戊辰戦争を知る第一級の史料という。

 5月8日と22日には無料講演会が開かれる。いずれも定員は200人。(問)同館028・634・1312。

 そう言えば、半年前のニュースですが拾い忘れていた(爆)のが。
兵庫
大鳥圭介検定、初開催へ 出身の上郡町で10月
上郡町商工会(兵庫県上郡町大持)は、同町出身で明治維新後、日本の近代化に貢献した大鳥圭介(1832~1911年)に関する知識を問う「大鳥圭介検定」を10月10日に初めて開く。軍人、政治家、文人などさまざまな側面を持つ、郷土が生んだ異色の偉人の魅力を知ってもらおうと、受検を呼び掛けている。(杉山雅崇)

 同町岩木地区の医師の家に生まれた大鳥は、大阪の適塾などで学び、才能を認められ幕臣に上り詰めた。戊辰戦争で新政府軍に敗れて投獄された後、明治政府に登用され、清国・朝鮮国公使などとして活躍。文人としても名声を得た。

 検定は全30問。うち25問は、大鳥の生涯を紹介するために昨春、住民有志が作製した冊子「かえで」の記述から出題するという。

 20問以上正解で合格となり、正解数に応じて1~3級の級位を授与する。「かえで」は同町商工会などで無料配布しているほか、同商工会のホームページでも閲覧できる。

 検定は10月10日午前10時半から、同町生涯学習支援センター(同町上郡)で実施。小学5年生以上が対象。受検料千円(中学生以下は無料)。郵便やファクス、同町商工会ホームページで応募を受け付ける。8月31日締め切り。同町商工会TEL0791・52・3710

岡山
箕作阮甫の「幕末外交」語り合う 岡山で「蘭学の群像」シンポ
 連続シンポジウム・岡山蘭学(らんがく)の群像(山陽放送学術文化財団主催、岡山日蘭協会共催、山陽新聞社後援)第4回が18日、岡山市北区柳町の山陽新聞社さん太ホールで開かれた。開国を巡って緊迫する幕末外交の舞台裏で奔走した津山藩医箕作阮甫(みつくり・げんぽ、1799~1863年)の生涯や業績について議論を深めた。

 津山に生まれた阮甫は江戸に出て洋学を学び、幕府の翻訳機関に登用された。ペリーが携えた米国親書を翻訳し、ロシアのプチャーチンとの交渉でも長崎や伊豆下田へ赴いて通訳を務め、鎖国政策の転換に立ち会った。東京大の源流となる教育機関で初代教授を務め、多くの子孫が大学教授や学者として名を残した。

 講演した岩下哲典東洋大教授は日露外交史を中心に解説し「日本が国際社会にデビューするきっかけになったロシアとの交渉に関わったのが阮甫」と役割を評価。津山洋学資料館元館長の下山純正さんは箕作家の系譜を示して「時代背景とともに周囲がみんな学者という家族環境があった」と強調した。2人は対談でも阮甫の肖像写真から読み取れるエピソードなどを語り合った。

 次回の「岡山蘭学の群像」は8月4日、新聞を創刊し実業家として活躍した岸田吟香(岡山県美咲町生まれ、1833~1905年)を取り上げる。
(2016年04月18日 22時34分 更新)

北海道
高田屋嘉兵衛の功績後世に 顕彰会発足、6年ぶり事業
 函館発展の基盤を築いた江戸後期の豪商高田屋嘉兵衛(1769~1827年)の偉業を顕彰する「箱館高田屋嘉兵衛顕彰会」の設立総会が25日、函館商工会議所で開かれ、今年8月1日に顕彰・追悼式典を開催するなどの事業計画を決めた。

 函館では、1976年から顕彰事業として夏に「箱館高田屋嘉兵衛まつり」を開催してきたが、2010年を最後に休止。昨年、函館商工会議所創立120周年記念事業の一環で同氏の顕彰事業を行ったことから顕彰会設立の機運が高まり、総会開催に至った。

 冒頭、発起人を代表して函館商工会議所の松本栄一会頭があいさつし「嘉兵衛翁なくしては現在の函館はあり得ない。函館の恩人の顕彰事業を再開できることは地域にとって大きなお喜びだ」と述べた。

 会長に十字街商盛会の松田俊司理事長を選任したほか、顧問に工藤寿樹函館市長、松本会頭、函館国際観光コンベンション協会の渡邉兼一会長を選んだ。松田会長は「微力ながら精いっぱい務めていく。小学校高学年を対象に嘉兵衛翁の功績を記した副読本を配布し、函館の未来を担う人材育成の一助に努めたい」と決意を述べた。

 顕彰・追悼式は8月1日、宝来町の高田屋嘉兵衛像前で開催予定とし、献花や舞踊奉納を行うとした。翌2日午後4時半には、嘉兵衛の出身地である兵庫県洲本市の関係者らと港まつりのメーン行事「ワッショイはこだて」の十字街・松風コースにパレード参加する予定などを確認した。

 高田屋嘉兵衛は、1796(寛政9)年、当時国内最大級の1500石積みの船辰悦丸(●しんえつまる)に乗り、箱館を拠点に活動。国後島・択捉島間の航路開拓や、摂津池田(現・大阪府池田市)のマツやスギの苗を運び、函館山で最初の植林を行った。1806(文化3)年の函館大火では私財を投げうって物資を提供、井戸を掘削してポンプを寄贈するなどした。1811(同8)年、ゴローニン事件に巻き込まれてカムチャツカに連行されるが、日露交渉に尽力し事件を解決へ導いた。

東京
新選組のルーツを探る 第3回・井上源三郎資料館
 幕末の京の都で反幕府勢力を取り締まり、戊辰戦争では幕府軍として転戦した末に時代の中へ消えていった新選組。歴史ファンのみならず、ドラマ、アニメ、ゲーム、小説など創作の題材としても人気を集める新選組のルーツを訪ねる。源三郎や、その兄・松五郎にまつわる各種資料を展示する「井上源三郎資料館」は、松五郎から数えて5代目の子孫にあたる井上雅雄氏(61)が館長を務めている。

文武両道の新選組6番隊組長


2004年1月、蔵を改装して資料館を開館した
 JR中央線日野駅を下車し、目の前を走る甲州街道の横断歩道をわたって静かな集落の中へ。大体5分ほど歩けば、青地ののぼりと、白壁に赤い文字で「誠」と書かれた蔵が見えてくる。そこが、井上源三郎資料館だ。

 平成16年(2004)1月、蔵を改装して資料館を開館した契機となったのは、NHKの大河ドラマ「新選組!」の放映開始。源三郎を演じた小林隆氏について、井上館長は「温厚かつ誠実な源三郎を演じてくれて、女性ファンが増えました」と振り返る。

 井上源三郎は文政12年(1829)、江戸幕府の家臣団である八王子千人同心の家に生まれた。天保5年(1834)生まれの近藤勇よりも5歳、天保6年(1835)生まれの土方歳三よりも6歳年上になる勘定だ。

 その後、日野宿金子橋にあった日野嘉蔵義貴の寺子屋で学問を学ぶとともに、弘化4年(1847)ごろには、松五郎に伴われて天然理心流の近藤周助に入門した。それから10年あまりの鍛錬を経て、万延元年(1860)に免許を受けた。資料館には、源三郎が授かったという天然理心流の免許が展示されている。


井上雅雄館長
 文久3年(1863)2月、時の将軍・徳川家茂の上洛に際し、近藤勇や土方、沖田総司らとともに警護役の浪士として上洛。警護には八王子千人同心も加わっており、松五郎がその旅の記録を記した「文久三年御上洛御供旅記録」が資料館にある。この中には、松五郎が仕事の合間に近藤勇や源三郎と会ったという話も記されているという。松五郎関連ではこのほか、近藤勇から贈られた刀・大和守源秀国も所蔵する。

 上洛後、源三郎は新選組に参加。新選組副長助勤・六番隊組長となり、元治元年(1864)6月の池田屋事件、同年7月の蛤御門の変などで活躍した。新選組では、局長である近藤勇のSPのような役割も担っていたという。

 「源三郎のことを『文武劣等』と書く人もいますが、実際にはきちんとした教育を受けていますし、天然理心流の免許も授かっています。文武両道なのです」と井上館長は強調する。
鳥羽・伏見の戦いで銃撃により戦死


資料館には、源三郎が授かったという天然理心流の免許が展示されている
 時代は、やがて倒幕の流れとなり、慶応4年(1868)の鳥羽・伏見の戦いが起こる。激闘のなか、源三郎は布陣していた淀堤千両松(今の京都市伏見区)において、銃で撃たれて戦死した。戦闘に参加していたおいの井上泰助が、源三郎の首と刀を運ぼうとしたが断念し、途中にあったある寺の門前に埋めたというエピソードも残されている。泰助は日野に戻り、源三郎の最後の姿を伝えた。館内には、泰助晩年の写真も掲示されている。

 「源三郎は、隊士から慕われた人だったそうです。最後の戦いでは、他の隊で手足をわざと斬って戦闘から逃れる隊士もいるなかで、この隊では誰一人逃げなかったと言われています」と説明する井上館長。

 この源三郎の存在が、若い時はプレッシャーに感じた時期もあったという。小学校の時に剣道を習い始めた井上館長は、試合の際、先生からよく「源三郎の子孫、勝てよ」とゲキを飛ばされたとか。それでも、成長とともに、文武に秀でて人望も厚い源三郎の姿を知るにつれて、見る目が変わっていった。

 剣道の流派は、源三郎や松五郎と同じ天然理心流。現在は、館長としての務めのかたわら、天然理心流の演武を披露する機会もある。直近では、日野市で開かれる「第19回ひの新選組まつり」のプログラムの一環として、5月7日(土)に市内の八坂神社で演武を行う予定。

(取材・文:具志堅浩二)

栃木
言い伝え本当だった」 御神刀160年ぶり発見 葵紋入り、水戸から拝受の伝承 那珂川
【那珂川】矢又の鷲子山上(とりのこさんしょう)神社の宮司を代々務める長倉(ながくら)家で、「水戸徳川(とくがわ)家から拝受した」と言い伝えられきた葵紋入り御神刀が約160年ぶりに見つかった。幕末、太平洋戦争の動乱期などを経て、現代に姿を現した御神刀に、長倉樹(たてる)宮司(66)は「言い伝えは本当だった」と喜んでいる。4月29日から5月8日まで、鏡、勾玉(まがたま)とともに「御神宝」として初めて一般公開する。

 同神社は江戸時代、水戸藩領内にあった。2代藩主徳川光圀(みつくに)や9代藩主徳川斉昭(なりあき)が訪れた記録が残る。

 長倉家には「水戸徳川家から鏡、珠、短刀などの御神宝を拝受した。刀は光圀公、鏡は斉昭公から頂いた」との口伝があった。23代目の長倉宮司は「祖父はよく『世が世ならすごいこと』と言っていた」という。

 幕末、先祖の長倉秀丸(ひでまる)は、水戸藩内の派閥争いで佐幕派の諸生党に属し、戊辰戦争に身を投じ敗れた。その後は明治政府を逃れ、御神宝を持って全国を転々とした。以降、御神宝の所在は分からなくなった。

 刀を発見したのはことし3月。長倉宮司が亡母の茶室を整理していると、天袋の収納棚奥から、刀袋を見つけた。中には、銀製の拵(こしらえ)に徳川家の葵紋が入った短刀があった。

福島
 久しぶりにお名前拝見。
迫力の歌声響く ジョン・健・ヌッツォさんコンサート
 テノール歌手ジョン・健・ヌッツォさんのミニコンサートは16日、二本松市竹田の大七酒造エントランスホールで開かれ、迫力ある歌声がホールに響き渡った。

 ヌッツォさんは日本育ちの米国人で、NHK大河ドラマ「新撰組!」のメインテーマを歌ったことで知られる。震災後は被災地を訪れて音楽を通じた交流を繰り広げている。その際に同社を見学して感銘を受けたことからコンサートが実現した。

 同日は、地域住民や招待者ら約80人が集まった。ヌッツォさんは、イタリアのカンツォーネや歌劇「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」などを披露。ホールに心地よく響く歌声に聴衆が聞き入り、何度も「ブラボー!」の声が上がった。

 ヌッツォさんは同市岳温泉の「桜坂」で満開の桜を堪能したといい、「満開の桜を見て日本に帰った実感が湧いた」と語った。

エッセイ
なぜ混成の新政府軍が幕府軍に勝ったのか?時代が切り替わる今こそ学びたい幕末の組織変革
幕末の軍師・大村益次郎は、寄せ集めの混成軍を率いて軍事集団だった幕府軍に勝利する。そこには自軍の核となる強みを見抜き、新時代に合わせた軍制につくり変えた革新的な組織改革があった。今も昔も変わらない不変の勝利の法則を、ビジネスでも応用できるようにまとめた新刊『戦略は歴史から学べ』から一部を抜粋して紹介する。

【法則11】変革は「核となる強み」を見抜けるかどうかで決まる

混成の新政府軍が、なぜ軍事集団の幕府軍に勝てたのか?
阿片戦争で清がイギリスに敗れたことは、日本に伝わり海防への危機感を高めた。日本最後の内戦である戊辰戦争で、徳川幕府と維新勢力の薩摩・長州が激突する。元医者の大村益次郎を参謀に、庶民との混成軍である維新側は、なぜ軍事集団の幕府軍に勝てたのか?
海外列強の脅威に直面した、徳川幕府と薩摩・長州の駆け引き

 1600年から続く徳川幕府は、鎖国政策で通商条約などの締結を拒絶していました。しかし1853年に、アメリカ海軍のペリーが艦隊を率いて来航、流れが変わります。幕府は各藩に陸・海上を警備させますが、剣術修行で関東にいた若き日の坂本龍馬も召集に応じています(翌年の再来航でアメリカと条約を結び、日本の鎖国が終わった)。

 京都の治安が乱れて、幕府は1862年に会津藩を京都守護職に任命、浪人組織の新撰組と共に治安維持を命じます(江戸には同様な“新徴組”という浪人組織があった)。権威のゆらぐ幕府は、朝廷と結びつき権力を一本化して、徳川家を存続させる「公武合体」を目指します。有力藩だった薩摩藩は会津藩と同盟して公武合体派を強化、倒幕派の長州藩はこれに危機を感じ、1864年に京都で会津藩と交戦します(禁門の変)。

 会津・桑名・薩摩(西郷隆盛が指揮)・新撰組などの“幕府側”が長州軍を撃退する中、長州側の弾丸が御所に入ったことで長州は朝敵となり、わずか2日後に第1次長州征伐が行われ、長州藩は戦わずして降伏します。

 長州藩の劣勢を逆転させたのが坂本龍馬です。イギリスの貿易商トーマス・グラバーの後ろ盾を得た龍馬は、遺恨のある薩摩と長州を結び付け、1866年に薩長同盟が成立。龍馬の会社、亀山社中は軍艦や西洋の武器を両藩に調達します。

 長州の不穏な動きに幕府が行った第2次長州征伐は、薩摩藩が参加せず、さらには長州藩(高杉晋作が指揮)が龍馬の調達した洋式武器を装備したことによって失敗し、幕府の権威が完全に失墜したことを示すことになりました。

 1867年、ついに大政奉還が行われますが、薩長は旧幕府勢力を一掃するために挑発を重ねます。挑発に耐えかねた旧幕府軍は薩摩藩邸を焼き討ちし、大坂の徳川慶喜を中心に京都への上洛を決定。長州藩は朝廷から赦免を受け、旧幕府軍が上京すれば「朝敵」とするとの布告を得て、今度は薩長が旧幕府軍を“朝敵”にする立場の逆転に成功します。

村医の息子、大村益次郎が幕末維新を生み出す軍師となった理由

 第2次長州討伐を含め、長州軍の度重なる勝利に貢献したのが軍略家の大村益次郎です。大村は医者を目指し当時有名だった広瀬淡窓や緒方洪庵に学びます(1846年)。しかし洪庵の「上医は国の病を治す」との言葉から、帰藩後、西洋兵術の翻訳・研究に従事。やがて彼は長州藩の軍制改革の指導者となっていきます。

 大村を軍略家に押し上げたのは、西洋兵学の核心をつかんでいたことです。大村の戦略の根幹には「最新式の銃・火砲の性能を最大限に活用する」という発想がありました。最新の銃や大砲は命中精度が高く射程距離も長いので、上野の彰義隊との戦いのアームストロング砲のように、相手の攻撃が当たらない距離で敵に打撃を加えられたのです。

 欧州では1800年代初頭のナポレオン戦争から火力を中心とした兵制の三兵戦術(歩兵・騎兵・砲兵を統合して指揮)が研究され、大村もオランダ人クノープの兵学書を翻訳して長州藩で講義に使いました(書籍名は『兵家須知戦闘術門』)。

 大村は自らのつかんだ核心を元に、新時代の軍制をつくり戊辰戦争で勝利を重ねます。

・武士だけでなく農民も武装・訓練を施して戦力とした
・すべての兵士に銃を持たせ、年式を統一して弾薬の補給を効率化した
・新式銃を使い、うつ伏せの体勢で物陰に隠れて敵を攻撃
・敵の攻撃が届かない遠方から撃ち、優勢な火力で一方的に打倒する

 京都の鳥羽・伏見の戦いの旧幕府側の指揮官は竹中重固でした。彼は秀吉の軍師として有名な竹中半兵衛を先祖に持ち、桑名軍には12代目服部半蔵が率いる部隊もありました。 幕府側は、当時最強の会津、桑名藩でも武装は刀や槍を重視しており、一部に最新鋭の銃砲隊があるも、指揮官が古い戦闘法しか知らず、合理主義の薩長に敗退します。

 同時代に最新式の銃や大砲、西洋兵学に触れた者は何人もいましたが、大村の軍事指揮と兵制改革は群を抜いて優れていました。彼は勝利を左右する要素を正しく見抜いており、重火器の最大活用以外に目もくれず、兵士が差した刀を無駄と断じていました。

 長州討伐で幕府軍を迎え撃つとき「大村の出で立ちは、草履ばきに浴衣姿、渋団扇を手にするという型破りのものだった」とされています(NHK取材班・編『その時歴史が動いた〈18〉』より)。

 これは西洋の武器に敗北を続けた新撰組の土方歳三などが、のちに洋風の服装に切り替えたことと、ある意味で対極を成す姿ではないでしょうか。オランダに軍事留学していた幕臣、榎本武揚も戊辰戦争では有名な人物です。彼は最新の戦艦「開陽丸」をオランダから日本に運んでいます。全長73メートルの巨大戦艦、開陽丸はオランダ軍にも同じ船はないと言わしめた当時の最新鋭艦でした。

 しかし開陽丸は、小さな海戦で圧倒的な威力を見せたものの、最大限活用をすれば戦局を逆転するほどの威力がありながら、最後は北海道の江差港で座礁して沈没。阿片戦争でイギリス海軍がわずか数隻の戦艦で達成したことを考えると、当時薩長軍にもない強力な開陽丸は鳴かず飛ばずだったといえるでしょう。

 最新鋭艦という強力な武器も、相応しい運用方法がわからず宝の持ち腐れとなった一方、最新の用兵術を学んだ大村は、ゲベール銃からアームストロング砲などの威力を存分に活用して、古い軍事常識にしばられた旧幕府軍を瓦解させることに成功したのです。

核となる強み、守るべき点と大変革をすべき点を見抜く

 大村は、戦略(ストラテジイ)と戦術(タクティクス)の違いを理解していました。

「江戸湾の防禦として幕府が品川に台場を築いたことは知っておろう。あれはタクチックだけで、ストラトギイということを知らない人間がこしらえたものである」(木本至『大村益次郎の生涯』より)

 右の言葉は、自らの門下生に言ったものですが、大村は本質を理解したことで、変革すべき点や無駄な点を見抜く力をもっていたのです。

 スイス製の安価でファッショナブルな腕時計として有名なスウォッチは、1985年にニコラス・ハイエクという技術コンサルタントの発案から始まりました。彼はスイス製でありながら、日本の独占する低価格腕時計の市場を奪い返す新製品がつくれないかと考えたのです(当時のスイス製のシェアは低価格0%、中級3%、高級品97%)。(ゲイリー・ハメル、C・K・プラハラード『コア・コンピタンス経営』より)

 彼はアジアの競合企業にマネできない、しかしヨーロピアン感覚と落ち着きをテーマにした低価格の腕時計を企画し、一方で設計・製造・流通などは大変革に挑戦しました。スイスの古い伝統を打破し、労務費を小売価格の1%程度まで削減したのです。

 さらにスウォッチの成功による利益をスイス製高級腕時計のオメガ、ブレゲなどに投入して、最新の生産管理と直営店舗を導入。高品質のイメージを維持しながら高収益を達成しています。ハイエクは守るべきものと変革するものを正しく見抜き、良き伝統の中に大変革を内包させたのです。前出『コア・コンピタンス経営』には、「市場は成熟するが、企業力は市場を超えて伸びる」という言葉があります。

 大村やハイエクは異業種から参入し、その本質を捉える能力を新たな舞台で発揮した一方で、榎本武揚や旧幕府軍人は、徳川幕府という伝統と古い思考の枠に囚われており、最新の武器を手にしても、その威力を引き出すことができなかったのです。

(第13回に続く 4/20公開予定です)


ブックレビュー
 『風雲児たち』最新刊発刊でプレスリリースが出るんですね。でもその価値があるだけの作品です。『真田丸』ファンにはお勧めです。
みなもと太郎「風雲児たち〜幕末編〜」 最新単行本第27巻発刊のお知らせ
株式会社リイド社(所在地:東京都杉並区、代表取締役社長:斉藤發司)は2016年4月27日(水)にみなもと太郎による単行本『風雲児たち〜幕末編〜 第27巻』を発売いたしました。

■本作の概要
みなもと太郎「風雲児たち 〜幕末編〜」最新単行本第27巻が4月27日に発売されました。

外国船の来航、攘夷運動の高まり、安政の大獄、そして桜田門外の変……
260年に渡る泰平が破られ、大きく揺らぐ徳川幕府に追い討ちをかけるように、筆頭老中安藤信正が坂下門外で襲撃されます。
この大事件は、薩摩をはじめとする各国の雄藩を巻き込んだ一大倒幕運動の火種となり……


月刊コミック乱で絶賛連載中の歴史大河ギャグ漫画、待望の最新刊です。

実に35年以上に渡り熱狂的な支持を受け、錚々たる著名人も虜にし続ける同シリーズ。
今回は女優の杏さんが帯に推薦コメントを寄せています。

ワイド版 1巻 推薦文なし
ワイド版 2巻 推薦文なし
ワイド版 3巻 タレント ラ・サール石井
ワイド版 4巻 漫画家 平田弘史
ワイド版 5巻 作家 夢枕貘
ワイド版 6巻 マンガ・コラムニスト 夏目房之介
ワイド版 7巻 作家 小松左京
ワイド版 8巻 東京大学大学院教授(日本史専攻) 三谷博
ワイド版 9巻 マンガ評論家 米澤嘉博
ワイド版 10巻 作家 藤本由香里
ワイド版 11巻 作家 田中芳樹
ワイド版 12巻 元東映プロデューサー 平山亨
ワイド版 13巻 シーボルト7代目子孫 堀内啓子
ワイド版 14巻 歌手 泉谷しげる
ワイド版 15巻 中国文学者・エッセイスト 高島俊男
ワイド版 16巻 俳優・タレント 松尾貴史
ワイド版 17巻 ゲーム作家 さくまあきら
ワイド版 18巻 映画評論家 三木宮彦
ワイド版 19巻 脚本家 倉田英之
ワイド版 20巻 思想家・評論家 呉智英
幕末編 1巻 アニメ監督 富野由悠季
幕末編 2巻 脚本家 三谷幸喜
幕末編 3巻 アニメ・映画監督 庵野秀明
幕末編 4巻 作家 辻真先
幕末編 5巻 コピーライター 糸井重里
幕末編 6巻 作家 荒俣宏
幕末編 7巻 漫画家 いしいひさいち
幕末編 8巻 劇作家/マンガ評論家 高取英
幕末編 9巻 ヴィジュアリスト 手塚眞
幕末編 10巻 ジャズ評論家 平岡正明
幕末編 11巻 棋士 先崎学
幕末編 12巻 京都国際マンガミュージアム研究員 表智之
幕末編 13巻 水道橋博士
幕末編 14巻 マンガ家 しりあがり寿
幕末編 15巻 評論家 岡田斗司夫
幕末編 16巻 学習院大学教授 中条省平
幕末編 17巻 現代マンガ図書館 館長 内記稔夫
幕末編 18巻 漫画家 安彦良和
幕末編 19巻 小説家 京極夏彦
幕末編 20巻 作家 関川夏央
幕末編 21巻 国宝犬山城城主末裔 貸本漫画研究科 成瀬正祐
幕末編 22巻 漫画家 ちばてつや
幕末編 23巻 漫画家 かわぐちかいじ
幕末編 24巻 漫画研究家 同志社大学社会学部教授 竹内オサム
幕末編 25巻 俳優 井浦新
幕末編 26巻 堀江貴文
幕末編 27巻 女優 杏

-------------------------------------
■「風雲児たち 〜幕末編〜」第27巻
著:みなもと太郎
定価:552円+税
発行:リイド社
発売日:4月27日(水)
-------------------------------------

■みなもと太郎がライムスター宇多丸のラジオに生出演!

『風雲児たち 幕末編』のみなもと太郎が
TBSラジオの人気番組「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」に生出演!
さいとう・たかをが日本マンガ界にもたらした“知られざる革命”について語る!


空前絶後の歴史大河ギャグマンガ『風雲児たち〜幕末編〜』の作者みなもと太郎が、4月30日(土)22:00からTBSラジオの人気番組「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」に生出演します。

現役マンガ家であり日本屈指のマンガ研究家でもあるみなもとが、『ゴルゴ13』『鬼平犯科帳』で今なお最前線を走り続ける劇画家・さいとう・たかをについて語ります。

『劇画1964』を紐解くと、マンガがいまだ“子供のためのもの”とされていた1960年代に、さいとう・たかをは「青年向けコミック」の可能性をいち早く主張、業界内外からの反発の矢面に立ち“体を張って”そのジャンルを開拓してきたことがわかります。みなもと太郎はこう言います、「さいとう先生がいなければ、今の日本のマンガ文化の隆盛はありえなかったし、そのことを本当の意味で理解できている人は少ない」と。

さいとう・たかをがいかにアヴァンギャルドかつ先見の明に富んだ作家か、そして日本のマンガ文化にどれだけの変革をもたらしたか……巨匠の“知られざる革命”について、みなもと太郎が熱い思いを込めて語りつくします。老若男女すべてのマンガ家、出版関係者はもちろん、マンガを愛する全日本人必聴の特集です。

■TBSラジオ 「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」 
4月30日(土)22:00〜24:00 生放送
※「radiko」を使えば全国どこでも生放送が聞けます
※特集は後日、ポッドキャストとしてパソコンやスマホで聞けます
■みなもと太郎 プロフィール
1947年、京都府に生まれる。高校卒業後に呉服店で働いた後、漫画同人誌活動などを経て、1967年「別冊りぼん」に『兄貴かんぱい』を発表し雑誌デビュー。1970年、上京し「週刊少年マガジン」に『ホモホモ7』を連載。『風雲児たち』など歴史漫画の新境地開拓などに対して、2004年第8回手塚治虫文化賞を受賞した。現在「コミック乱」で連載中の『風雲児たち〜幕末編〜』で第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。日本屈指の漫画研究家としても知られ、自宅の書庫には貴重な資料が山積している。


■さいとう・たかをゴリラセレクション 劇画1964

著:さいとう・たかを
価格:1,800円+税
発売日:絶賛発売中
出版社:リイド社

■会社概要
社名:株式会社リイド社         
所在地:〒166-8560 東京都杉並区高円寺北2-3-2
代表:代表取締役社長 斉藤發司     
創業:1960年4月
設立:1974年11月
事業内容:出版事業
URL:http://www.leed.co.jp/

『PEACE MAKER 鐵』アニメ化企画決定!「これは見るっきゃないな!」とファン歓喜
『PEACE MAKER 鐵』のアニメ化企画が発表された。ファンからは、「おおー、懐かしい! めっちゃ楽しみ」「懐かしすぎる! これは見るっきゃないな!」「大学生の時ハマって読んでた。青春の頃を思い出すなぁ」と、思い出をかみしめて歓喜する声が上がっている。

 女性漫画家・黒乃奈々絵が描く『PEACE MAKER 鐵』は、『月刊少年ガンガン』で連載されていた『新撰組異聞PEACE MAKER』の続編。舞台は元治元年、弥生三月の艶やかな桜舞い散る京都。両親のかたき討ちのために「強くなりたい」と新撰組の門戸を叩いた15歳の少年・市村鉄之助が土方歳三の小性として幕末を描く抜ける姿が描かれている。

 同作は歴史上の人物を題材に扱っていることから歴女から絶大な人気を誇り、特に登場キャラクターへの愛を語るファンが続出。新撰組随一の剣の使い手・沖田総司には「おちゃめな笑顔と人を切る時の冷酷な表情…そのギャップがたまらない」「美男子で優男の沖田さんが冷徹に剣を振る姿やばす」といった声が。また「鬼の副長」という異名を持ち、冷徹な性格の土方歳三には「いぶし銀過ぎて結婚したいくらい!」「一見冷徹に思えるけど、心の奥にある熱さみたいなのに胸キュン」と大興奮。

 特に主人公の市村鉄之助に対しては多くのファンが黄色い声をあげている。新撰組に入隊するため屯所の玄関先に座り込み、雨に濡れながら必死に訴え続けるシーンがあるのだが、これを見たファンからは「ちっちゃい男の子が頑張ってる姿っていいよね」「めっちゃ応援したくなる」「弟にしたい」と称賛を受け、また変装のため女装するシーンでは「かわいすぎる」「ほんとの女の子みたい!」と歓喜の声が上がった。

 今回アニメ化される『PEACE MAKER 鐵』は、過去に市村鉄之助の青年役を梶裕貴、少年期役を小林由美子、土方歳三役を中田譲治、沖田総司役を斎賀みつき、永倉新八役を山口勝平と超豪華な面々でドラマCD化されている。

 ドラマCDの反響は凄まじかったようで、今回のアニメ化でも「声優陣はドラマCDを引き継いでほしい!」「梶さんの鉄之助ドハマり過ぎた! あの人以外鉄之助役は考えられん!」「絶対に小林さんは外さないで!」と続投を希望する声が上がっている。声優陣などの情報はまだ公開されていないようだが、ドラマCDの声優陣が引き続き続投となれば、それだけでファンの期待は高まりそうだ。

 2016年4月14日(木)には単行本10巻が発売された『PEACE MAKER 鐵』。気になるアニメ化企画の続報を楽しみに待とう。

■『PEACE MAKER 鐵』10巻
著:黒乃奈々絵
価格:617円(税込)
発売日:2016年4月14日(木)
出版社:マッグガーデン
 ますます鬱展開なんですが、見守るしかないですね。。
ども、白牡丹です。ほんの何年か前、ホームページにhtmlファイルをアップロードするのも、その時に写真画像のファイルサイズを小さくするために加工するのも当たり前のようにやっていたのですが、facebookとかインスタグラムとか撮影した画像をそのままアップできるSNSツールが増えたせいで、ブログに画像アップするのが億劫です。
 哀しいですが、一度楽になってしまうと手間暇かけるのがしんどくなってしまうんですね(°°;)。

 2014年10月に友人の友人が幕末医学史ツアーで近代の種痘所に関わる史跡めぐりをプロデュースしてくれました。
幕末医学史ツアー —近代医学の始まり「種痘所」ツアー—
 第2回が小石川養生所関連史跡めぐりだったのですが、残念ながら私は行けず。第3回は伊能忠敬関連史跡巡りです。


 深川の富岡八幡宮で伊能忠敬像を見たあと、境内の相撲関連の碑などを見学。

 住居碑にはよらず、門前仲町から地下鉄で日本橋乗換え、田原町で下りて伊能忠敬の墓【源空寺】へ。忠敬の遺言で、忠敬は天文学の師匠であった年下の高橋至時の傍に眠っています。そして、至時の息子で、シーボルト事件で逮捕されて獄死した景保も至時の隣に眠っています。
 立川志の輔師匠「大河への道」を思い出しつつ、手を合わせました。

 同じ源空寺には、幕末の日本画壇で第一人者であった谷文晁(江川坦庵公の画の師匠)、江戸初期の町奴で時代劇や歌舞伎などで有名な幡随院長兵衛の墓もあります。

 そして、私達はJR上野駅まであるいて(入谷口って初めて使った)、鶯谷で下りて、笹乃雪でランチしました。

 『風雲児たち』の伊能忠敬パートを読み返したくなる散策でした。
歌舞伎美人 明治座 四月花形歌舞伎

 昼の部見ました。
一、芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)

葛の葉 
女房葛の葉/葛の葉姫 中村 七之助
安倍保名 中村 梅枝
柵 中村 歌女之丞
信田庄司 片岡 亀蔵
 安倍保名に一命を助けられた白狐が、保名の許嫁の葛の葉に化け、子をもうけます。しかし本物の葛の葉姫が現れ…。人を愛してしまった狐の悲しみや子別れの愁嘆など、親子の情愛あふれる名作『葛の葉』。
 七之助さんのお姫様と女房それも狐の変化という二役が見どころ。葦手書きを左手で鏡文字で書いたり、最後は子供を抱きながら口にくわえた筆で書いたり、なかなかすごい。

大沼信之 作
二、末広がり(すえひろがり)

太郎冠者 中村 勘九郎
万商人 中村 国生
宝斉娘福子 中村 鶴松
分限者宝斉 片岡 亀蔵
 続いては、末広がり(末広の扇子)を買い求めるよう命じられた太郎冠者が、商人の口車に騙されて傘を売りつけられたことから起こる大騒動。賑やかで軽妙洒脱な舞踊『末広がり』。
 勘九郎さんの太郎冠者が愛らしい。お嬢様に振られて(´・ω・`)としたり、商人の口上にごまかされて唐傘を買ってしまったり。
近松門左衛門 作
片岡仁左衛門 監修
三、女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)

河内屋与兵衛 尾上 菊之助
お吉 中村 七之助
豊嶋屋七左衛門 中村 勘九郎
太兵衛 坂東 亀寿
芸者小菊 中村 梅枝
小栗八弥 中村 萬太郎
おかち 坂東 新悟
白稲荷法印 市村 橘太郎
綿屋小兵衛 片岡 松之助
河内屋徳兵衛 嵐 橘三郎
おさわ 上村 吉弥
山本森右衛門 河原崎権十郎
 放蕩三昧で親にも勘当された河内屋与兵衛は、金の工面に困り、同業の油屋の女房お吉を訪れますが…。実際に起きた事件を題材にした近松門左衛門の名作『女殺油地獄』。刹那的に生きる青年が引き起こす悲劇をご覧いただきます。
 片岡孝夫時代のニザ様で与兵衛見たかったなぁ。

(評・舞台)明治座四月花形歌舞伎 「浮かれ心中」役者生き生き
 2011年に復活した明治座での歌舞伎公演も8回目。中村勘九郎・七之助兄弟に尾上菊之助の珍しい顔合わせと初役揃(ぞろ)いに魅力があり、劇場の客層を見込んだ演目が功を奏した盛況。昔は三代目市川猿之助(現猿翁)が数々の実験を繰り広げた劇場だけに、さらなる冒険も望んでみたくなる。

 昼は七之助の「葛の葉」ログイン前の続きからで、研ぎ澄まされた美しさだが、子別れの愁嘆には母性の温(ぬく)もりもほしい。障子への曲書きは普段が出るところだが、筆をくわえて書く難所が最もうまい。中村梅枝の保名が古風な雰囲気。

 勘九郎の「末広がり」は父中村勘三郎が自主公演で試演した作品で、本興行ではこれが初演。太神楽の毬(まり)の芸を鮮やかに見せる。もう少し表情を抑えるとおおらかさが増すだろう。

 菊之助の「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」は、家の芸系にない挑戦で注目される。近世の新作風演出を、古典のように受け継ぐ真摯(しんし)な姿勢はいいが、明晰(めいせき)で理性的な持ち味は、不条理な不良の行跡とは少し遠い。七之助のお吉、勘九郎の七左衛門で3人が顔を揃えるのはいい。

 夜は勘九郎が父の衣鉢を継ぐ「浮かれ心中」。井上ひさしの「手鎖心中」を43年前に東京宝塚劇場で劇化、歌舞伎版は1997年に初演された。戯作(げさく)の道に生きようとする若者群像の狂騒物語は少々古めかしく、そこを客席を巻き込んだ熱量でカバーしてきた作品である。無邪気な父とは異なる篤実な資質を秘めた勘九郎がいま受け継ぐべきなのか、考えさせるが、俳優陣は、昼夜を通して最も生き生きとしている。父そっくりに見せる勘九郎はもちろん、菊之助の女房が可愛らしい。坂東亀三郎や片岡亀蔵ら、周囲も揃う。

 静と動の対照も劇的な舞踊「二人椀久(ににんわんきゅう)」は菊之助と七之助で、今が盛りの美しさだが、ゆったりしたものに変わった。(児玉竜一・早稲田大学教授)

 26日まで。
 明治座は座席にエアーウィーブ配られているので腰に負担が少なく、ありがたい。。
ここのところ歌舞伎が増えてその分落語にかける時間が割を食います。仕事で忙しくしてチケットを買ってたのに断念したイベントが続き、何と3ヶ月ぶりの落語。

【昼の部】
真田小僧/はまぐり
 すみません、爆睡してました。

人形買い/一之輔
 不覚にも一之輔師匠のお話なのに記憶が無い……(汗)。

青春残酷物語/白鳥
 わりと初期の作品だそうです。貧乏な若者が3人で歌舞伎町で無銭飲食やらかそうとして、さまざまな偶然から組関係者と見られるという噺。けっこうよくできてると白鳥師は自称されてましたが、うーん、『トキそば』とか『チバ浜』から白鳥ファンになった私にはちょっと安易かなぁ。

フェルナンド/百栄
 『露出さん』と『船越くん』は聴き飽きてしまったので別の作品でよかった。
 うーん、『大工調べ』の因業大家がイタリアセリエAの審判に、八五郎がフェルナンドに、与太郎がガルシアになった設定で、オフサイドを巡る喧嘩といったらいいでしょうか。ただ、『大工調べ』のパロディを期待していたら、啖呵がなかったんで、ちょっと違ったかなと。

幾代餅/白酒
 新作が2作続いたせいか、ちょっとグダグダになった空気を締める古典。白酒師の『幾代餅』は古今亭の本寸法なのか、搗き米屋の主人とおかみさんがかなりデフォルメされていたり、清蔵さんがデレたりイケボ化したり、しっとり聴く噺ではなく爆笑噺に。

【夜の部】
金明竹/市丸
 すみません、爆睡して意識なかったです。

元犬/三三 ○
 前座もかける『元犬』を真打ちがかけるとこんなに面白くなるというお手本のような。とても犬らしいアクションが随所にあって、「お手」してあげたくなる可愛いところもあり。爆笑しつつ、タダシロウくんの変人ぶりが可愛くて可愛くて。
 そして、おもとさんの設定がまさかの伏線回収で、これは初めての目からウロコ。

締め込み/兼好 ◎
 この会ではサラ口で出ることが多い兼好師が中入り前のポジションで。そして、たっぷり聴かせてくれました。「うんか、出刃か、うん出刃か」、すごくよかったです。

粗忽の使者/市馬 ○
 小さん師匠の粗忽ぶりをちょこっと。そして、市馬さんも粗忽ものはとことんおかしい。

へっつい幽霊/喬太郎 ○
 マクラは小さん師匠の粗忽な留守番電話メッセージ。談志師匠で録音で何度か聴いていた『へっつい幽霊』を喬太郎版で初聴きとは。ちょっとおかまっぽい若旦那がいいアクセントになってる。
北海道新幹線開通で地元は歓迎ムードのようです。私の好きなキャラクター、幕末観光株式会社のヒジカタ君が今年の土方歳三コンテストに出場するとの噂もあり、今年の五稜郭祭は楽しみです。
 
北海道
幕末の英雄、包装資材に 第1弾は土方歳三、道南3町の魅力PR
【江差】江差、上ノ国、松前3町の観光協会でつくる北海道歴史倶楽部(打越東亜夫会長)が3町ゆかりの幕末の人物をあしらった包装資材を作り、歴史を題材に地域の魅力を発信しようとしている。北海道新幹線開業で近くなった東北からの集客を狙い、仙台で2月に行ったPRイベントで特産品を包んだところ好評で、事務局は「3町を知ってもらうきっかけになる」と手応えを感じている。

 包装資材はビニール製で29センチ×23センチ。袋状で中に品物を入れることができ、表面には幕末の人物を紹介した漫画を印刷する。第1弾として箱館戦争で戦死した新撰組副長の土方歳三を取り上げ、土方が松前城を陥落させた後、上ノ国から江差に向かったという史実を基に3種類を製作した。

 このうち「松前 攻略編」は、土方率いる旧幕府軍が松前城を攻め、江差方面に逃げる松前藩兵を追う場面を描いた。「上ノ国 追撃編」は、上ノ国町で松前藩兵の激しい抵抗に遭いながらも、土方らが勝利したストーリーを伝える。

 さらに「江差 嘆きの松編」では、最強と言われた軍艦「開陽丸」が江差沖で沈没する様子を見た土方が、江差の名所「土方歳三・嘆きの松」として残っている松の木をたたき、悔しがるシーンを描いた。作画はいずれも札幌市内のデザイン会社に依頼した。

 約90万円かけて9千枚を作り、物産展などで利用する。2月にJR仙台駅構内で開いたイベントでは包装資材にスルメなどを入れて無料で配ったところ、用意した1500枚がすべてなくなった。来場者からは「土方といえば函館というイメージしかなかったが、勉強になった」など反応が良く、旅行代理店にも好評だったという。

 事務局は土方に続く第2弾の人物を選考中で、大坂敏文事務局長(江差町追分観光課長)は「幕末の人物と3町の関わりをPRして観光客を呼び込みたい」と話している。(藤本陽介)

歴史的偉人、25人の書 札幌で「幕末維新展」開催 /北海道
 幕末から明治にかけて活躍した人たちの遺墨を集めた「書に探る激動の幕末維新展」が小原道城書道美術館(札幌市中央区北2西2 札幌2・2ビル2階)で始まった。

 明治維新の原動力となった思想家、志士、元勲らいずれも歴史をダイナミックに動かした25人の書が一堂に展示されており、書道ファンばかりではなく、歴史好きの人にとっても圧巻な内容となっている。

 第9期展として特別企画したもので、同館所蔵作品群の中から条幅、扇面、扁額など43点を選び、公開している。

 揮毫(きごう)者は、生年順に頼山陽、梁川星巌(やながわせいがん)、藤田東湖(とうこ)、勝海舟、高橋泥舟(でいしゅう)、山岡鐵舟、横井小楠、佐久間象山、吉田松陰、榎本武揚、岩倉具視、山内容堂、松平春嶽、西園寺公望、副島種臣、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、松方正義、富岡鐵齋、板垣退助、後藤象二郎、井上馨、山縣有朋、伊藤博文。

 内容は自らの志や信念、決意などを記した漢詩文が多く、書体にそれぞれの個性がよく表れており、各人の人間像を知る上でも興味深い。

 会期は7月31日まで(火曜日は休館)。入館料は300円。大学生以下無料。問い合わせは日本書道評論社(011・552・2100)。【坂本智尚】

静岡
「パン祖=江川英龍」がパンを焼いた韮山「江川邸」のパンまつり
幕末の韮山代官江川太郎左衛門英龍(坦庵)に関する資料などを管理する公益財団法人江川文庫が、江川邸でイベント「江川邸パンフェスタ」を開催します。兵糧食としてパン製造に取り組み、「パン祖」と呼ばれることにちなんだイベントです。当日は邸内のかまどを使って英龍のレシピを基にパン焼きを再現し、200個限定(1個100円)で販売します。その他、信濃の真田家と江川家の交流を伝える秘蔵資料や通常非公開の内庭などを見ることができる特別観覧が行われます。
江川邸裏門前にて、パン屋さん・特産品の即売も行われます。
※邸内への入場には入場料が必要です。

高知
2017年春の歴史博の名称決定「志国高知 幕末維新博」
 2017年春から県内各地で開催予定の歴史を中心とした博覧会の名称が8日、「志国高知 幕末維新博―時代は土佐の山間より―」に決まった。

 2017、2018年は、大政奉還と明治維新からそれぞれ150年に当たるため、高知県は歴史を中心とした観光資源の魅力をPRする博覧会を企画。歴史資料などの展示施設がある県内自治体や観光関係者らと準備委員会を組織し、協議を進めていた。...
 この続きは有料記事にて。

幕末の絵師・絵金の絵馬2点を公開 高知県香南市の絵金蔵
 幕末の絵師、絵金こと金蔵の描いた絵馬「天岩戸図」と「牛若丸図」が、高知県香南市赤岡町の絵金蔵で展示されている。いずれも高知市内の神社が所有している作品で、絵金蔵で公開されるのは初めて。5月22日まで。

 「天岩戸図」(縦約82センチ、横約99センチ)は高知市土佐山菖蒲の白山(しらやま)神社が所有。絵金が44歳ごろに手掛けた作品で、天照大神が天岩戸から連れ出され、神々が喜ぶ瞬間を細やかに描いている。

 「牛若丸図」(縦約80センチ、横約105センチ)は高知市愛宕山の愛宕神社が所有し、牛若丸がなぎなたを手に、高げたで立つ様子を描いている。両足を広げて立ち、衣が翻った様子などから、横田恵副蔵長は「(絵金も技術を学んだ)狩野派が取り入れた牛若丸のモチーフを忠実に再現している」と話す。

 牛若丸の絵馬の寄進者は、絵金が生まれ育った新市町(現在の高知市はりまや町2丁目)近くに住んでおり、当時の両者の関係もうかがえるという。

 絵金蔵は月曜日が休館。問い合わせは絵金蔵(0887・57・7117)へ。
翻訳作業でテンパってますが、ちょっと休憩ついでに。

静岡
幕末のパン再現、初めて作った江川坦庵の屋敷で
 静岡県伊豆の国市韮山の代官屋敷「江川邸」(国重要文化財)で9日、幕末のパンを再現する「パンフェスタ」が開かれる。

 伊豆韮山代官の江川坦庵たんなんが1842年(天保13年)4月12日、国内で初めてパンを作ったとの史実にちなんだイベント。江川家史料を管理する公益財団法人「江川文庫」が開催する。

 同文庫などによると、世界文化遺産に登録された韮山反射炉を築造した坦庵は、幕末の緊迫した外交情勢を受け、戦時携帯食の兵糧パンも製造した。私塾「韮山塾」の塾生がパン作りを続け、幕府と水戸藩などが軍用食糧に採用したという。

 江川邸にはパン作りに使った当時のかまどと鍋が残る。9日は、江川家に伝わる坦庵直筆の製法書を基に、小麦粉に塩や水などを加え、このかまどを使って焼き上げる。幕末の兵糧パンは水分をとばした堅焼きだったが、今回は少し軟らかくする。「幕末パン」作りは午前10時半以降、1時間ごとに5回行われ、各回とも先着順で30人が参加できる。

 同文庫の橋本敬之学芸員は、「邸内のかまどで、パン作りを再現する機会はめったにない。韮山で試行錯誤の末に誕生したパンが、どう広まったのか分かるはず」と話している。

 パン作りの参加者には、焼き上がったパン1個と、坦庵と反射炉の小冊子各1冊が配られる。また、製法書と、塾生宛てのパン作り文書の展示、解説も行われる。参加費は高校生以上が1000円、中学生500円で、小学生以下は無料。一般の来場者には、幕末パンの販売も行われる。

 問い合わせは同文庫(055・940・2200)へ。

東京
「第六台場」へ上陸。フジのFODでお台場の歴史を紐解く4Kドキュメンタリー
 フジテレビは、4K歴史ドキュメンタリー番組「TimeTrip御台場」を、映像配信サービス「フジテレビオンデマンド」(FOD)内の公開実験室「FOD LABO」において、4月1日11時より配信開始する。東京都の協力のもと、大正15年以来立入禁止となっている「第六台場」へメディアとして初上陸。4Kドローンで空撮された映像などを交え、御台場建造の歴史とその背景に迫る。

 有料のFOD会員であれば視聴可能で、視聴環境としてパソコン用Google Chromeの最新バージョンを推奨している。スマートフォンやタブレットには非対応。


4K歴史ドキュメンタリー「TimeTrip御台場」
 江戸時代末期に建造された御台場は、現在は第三台場が国指定公園として公開。第六台場は都が管理する野鳥保護区として立入禁止になっている。同番組では、東京都による25年ぶりの学術調査の模様を、鮮明な4K映像で残すために密着取材。第五台場の発掘調査取材のほか、第六台場では4K空撮ドローンなどを使った撮影も行ない、学術的に貴重な史跡記録を収録できたという。

 番組では、御台場と静岡・韮山反射炉('15年ユネスコ世界文化遺産に登録)、そして江戸幕末の伊豆韮山代官・江川太郎左衛門英龍の関係を掘り下げて紹介。長崎・出島や佐賀・鍋島藩、千葉・鋸山などの4K映像も交えながら、幕末のペリー来航から開国までの史実と江川英龍の功績を解き明かしていく。


千葉・鋸山

嘉永7年(1854年)の砲台場イメージ
 番組統括プロデュースの大村卓氏(フジテレビ デジタル技術推進部)は「フジテレビ本社屋の眼下に浮かぶ御台場は、ペリー来航に備えてわずか1年4カ月で人力で築造。そこには壮絶な歴史的背景があった。大都会に残る手つかずの江戸の史跡、台場の研究が急速に進む今、高精細4Kで撮影した映像は必見」とコメントしている。ナレーター出演は亀岡真美。制作著作はフジテレビ。

 FOD LABOは、ユーザーが次世代の映像配信技術を体感できる“研究開発コーナー”として'15年に開設。4K配信インフラとして、Mist TechnologiesのP2P型CDNサービス「MistCDN」を採用しており、専用のソフトウェアやプラグインを使わず、Webブラウザの標準技術であるWebRTCを使用している。

URL

フジテレビオンデマンド
http://fod.fujitv.co.jp/
FOD LABO
http://fod.fujitv.co.jp/s/fodlabo/
関連記事

福島
会津藩士に祈りささげる 戊辰戦争150周年に向け「3年計画」
 2018(平成30)年に迎える戊辰戦争150周年にちなみ、会津若松市民有志が設立した「会津戊辰戦争150周年事業実行委員会」(会長・阿部隆一歴史春秋出版社長)は21日、会津藩の戦死者が眠る東軍墓地がある同市の阿弥陀寺で祈りをささげ、3年計画の事業をスタートした。

 同実行委は、明治期以降に元会津藩士らが、政府を相手に裁判を起こし、公債発行(復禄)を勝ち取った「復禄運動」に注目している。

 昨年、元藩士の子孫宅から復禄運動の史料が大量に発見されたことで調査が進み、復禄運動が「元会津藩士が誇りを失わずに勝利をつかんだ証し」だったことを再確認、取り組みを広く知ってもらう狙い。

 東軍墓地脇には、勝訴を記念して元会津藩士らが1929(昭和4)年に建立した復禄記念碑がある。

 この日は碑前祭を行い、阿部会長が「150周年を機に、戊辰戦争や明治維新を考えてほしい。正しい歴史を後世に伝えていこう」とあいさつした。新年度は9月9日に市内でシンポジウム、6、12月に展示会を開く。

千葉
近藤勇の最期に思いはせ 新選組まつり・勇忌 流山で10日開催
 幕末の新選組を率いた近藤勇局長をしのぶ催しが八日から、ゆかりの流山市で開かれる。十日の「流山新選組まつり・勇忌」では法要や講演会がある。近藤が流山で新政府軍に捕らえられた状況を記した新史料の古文書の写しや、近藤と土方歳三副長の離別に焦点を当てたパネルなどを展示する記念展もある。 (飯田克志)
 催しは、愛好家グループの「新選組友の会」や「新選組流山隊」などが、一八六八(慶応四)年四月に近藤が捕らえられ、処刑されたことにちなみ、毎年この時期に開催している。
 近藤が捕らえられた経過は、新政府軍の幹部だった薩摩藩士の有馬藤太などが書き残している。新史料は有馬に同行していた旧岩田村藩(長野県佐久市)の藩士による記録で、四月三日に大久保大和と名乗っていた近藤を捕らえたことなどを記している。藩士の子孫らが昨年、自宅で保存していた文書を整理して見つけた。幕末の歴史を研究する流山隊の松下英治隊長(54)は「これまでの史実を裏付ける内容。近藤が銃八十七丁を引き渡したという、知られていない記述もあった」と話している。
 「流山新選組まつり・勇忌」は、長流寺での法要や、史跡をめぐる「巡察会」(予約先着三十人、参加費五百円)、流山福祉会館での講演会(参加費二千円)がある。記念展は八~十九日、杜のアトリエ黎明(れいめい)。無料。月曜休館。十六日には松下さんのミニ講演(二回、各回予約先着二十人、参加費五百円)もある。問い合わせは松下さん=電090(3041)7051=へ。

神奈川
横須賀の歴史しのぶ「龍馬と海舟の幕末牛鍋カレー」 文明開化コンセプトに
 横須賀の幕末史をしのぶカレー「龍馬と海舟の幕末牛鍋カレー」が3月24日、食品卸会社ヤチヨ(横須賀市日の出町1)より発売された。レトルトパック(200グラム)で1個500円。

 同カレーは、浦賀を出航して初めて太平洋横断を成し遂げた「咸臨丸(かいりんまる)」をキーワードに、「幕末の偉人をクローズアップできないか」と郷土史家・斎藤秀一さんらと企画を練っていたもの。

 横須賀名物のカレーと文明開化の象徴ともいえる牛鍋をコンセプトに、長ネギと牛肉を甘辛く煮込んで仕上げた。

 パッケージには、咸臨丸艦長・勝海舟と愛弟子・坂本龍馬の写真を使用。監修者には、海舟の玄孫・高山みな子さんを起用した。

 文久2(1862)年、龍馬は土佐藩を脱藩し、江戸で海舟と出会った。その後、長崎で亀山社中を設立。2人の出会いが明治維新の原動力になったとされる。「2人が食べたと思われる牛鍋が文明開化のシンボルとして普及していった」(同社)とも。

 横須賀海軍カレー本舗(同市若松町1)ほか市内3店舗で販売予定。

高知
幕末の絵師・絵金の絵馬2点を公開 高知県香南市の絵金蔵
 幕末の絵師、絵金こと金蔵の描いた絵馬「天岩戸図」と「牛若丸図」が、高知県香南市赤岡町の絵金蔵で展示されている。いずれも高知市内の神社が所有している作品で、絵金蔵で公開されるのは初めて。5月22日まで。

 「天岩戸図」(縦約82センチ、横約99センチ)は高知市土佐山菖蒲の白山(しらやま)神社が所有。絵金が44歳ごろに手掛けた作品で、天照大神が天岩戸から連れ出され、神々が喜ぶ瞬間を細やかに描いている。

 「牛若丸図」(縦約80センチ、横約105センチ)は高知市愛宕山の愛宕神社が所有し、牛若丸がなぎなたを手に、高げたで立つ様子を描いている。両足を広げて立ち、衣が翻った様子などから、横田恵副蔵長は「(絵金も技術を学んだ)狩野派が取り入れた牛若丸のモチーフを忠実に再現している」と話す。

 牛若丸の絵馬の寄進者は、絵金が生まれ育った新市町(現在の高知市はりまや町2丁目)近くに住んでおり、当時の両者の関係もうかがえるという。

 絵金蔵は月曜日が休館。問い合わせは絵金蔵(0887・57・7117)へ。

 【写真1】絵馬「天岩戸図」などが公開されている絵金蔵(高知県香南市赤岡町)

宮城
船岡城址の歴史、一冊に 戊辰・白鳥事件も考察
 宮城県柴田町の船岡城址公園周辺の歴史をたどる冊子「柴田町の文化遺産 船岡編」が今月中旬に発行される。住民有志でつくる町文化遺産活用実行委員会が制作中で、日下龍生元しばたの郷土館館長がまとめた。

 城址公園は仙台藩家臣の原田家や、その後の柴田家の館があった場所。原田家は家中屋敷や足軽屋敷の数の変遷から、現在のしばたの郷土館付近だったと推測した。柴田家は1694年、公園中腹の三ノ丸に館を築造した。
 1868年の戊辰戦争時、柴田家領内であった白鳥事件についての考察も記した。一般的には進駐してきた新政府軍が、地元住民が神の使いとしてあがめる白鳥を鉄砲で撃ち、やめるよう訴える住民たちの声を聞かずに続けたため柴田家家臣が発砲したと伝わる。
 新政府軍に参画した広島藩の正史「芸藩志」には、部隊は交代で来た第2陣や若い足軽衆だったとの記述がある。日下氏は「武器を扱った経験のない武士が、敵地で面白半分に白鳥狩りをできるほど余裕はないはず。訓練の銃声や掛け声だったのではないか」と結論付けた。
 冊子はA4判、12ページ。完成後はしばたの郷土館で配布する。概要版も制作する。連絡先は郷土館0224(55)0707。
エイプリルフールでなく、その前日の発表です。

「超歌劇『幕末Rock』」新作が今夏上演!ペリー・ジュニアも来航
超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』」の新作が、今夏、京都・東京にて上演されることが決定した。

本作は“幕末”という時代設定のもと、志士(ロッカー)たちが音楽で新しい時代を創るゲーム、アニメ「幕末Rock」が原作。舞台版は2014年12月に初演され、観客が実際にペンライトを振りながら公演を楽しむという、ライブ要素を取り入れた演出が好評を博した。

新作には新キャラクターとして、マシュー・カルブレイス・ペリー・ジュニアも“来航”するという。さらなる詳細は続報を待とう。
超超絶頂雷舞、夜の部レポも発見。写真画像一杯。

超絶頂(エクスタシー)のさらに上をゆく興奮がここに!! 谷山紀章さん鈴木達央さんら出演「幕末Rock 超超絶頂★雷舞」夜の部レポ
2014年の原作ゲーム発売から、アニメ化、ミュージカル(超歌劇)化など、爆速で駆け抜けている『幕末Rock』。2016年2月28日(日)には、一昨年11月以来となるライブイベント「BREAK OUT Presents 幕末Rock 超超絶頂★雷舞(ウルトラエクスタシーライブ)」が行われました。

 前回の会場ZeppTokyoから一気に規模を広げ、パシフィコ横浜での開催となった今回。超魂團(ウルトラソウルズ)の5人のほか、徳川慶喜役の斎賀みつきさんまで出演し、熱情(パッション)が吹き荒れるすさまじい1日となりました! 本稿では、夜の部の模様をお届けします。

【出演者】
★超魂團
谷山紀章さん(坂本龍馬役)
鈴木達央さん(高杉晋作役)
森久保祥太郎さん(桂小五郎役)
森川智之さん(土方歳三役)
小野賢章さん(沖田総司役)

斎賀みつきさん(徳川慶喜役)

■ 本作史上最大規模の雷舞で超超絶頂(ウルトラエクスタシー)は起こったのか!?
 開演を告げる煽りVTRで、観客のテンションはすでにトップギア! そんななか、森川さんと小野さんが一番手として登場し、客席の贔屓(ファン)と戯れました。“土方さんのお約束”である「静まれ! ……静まるんじゃない!!」はもちろんのこと、小野さんのリードによる“ブーブーコール”も発動。観客はこれをよどみなくキメてみせ、一体感は高まる一方です!

 そして「君たちを音楽の天国(ヘブン)へ導いてあげるよ!」という小野さんの言葉をキッカケに『黒曜蝶』がスタート! ついに雷舞が幕を開けました。青と紫というクールな灯りに包まれながらも、テクノポップでアツく会場を支配する新選組。贔屓の心をしっかりと掴んでいきます。
 そんな状況に、黙っていられない!とばかりに現れたのは、谷山さん。「お前らに本当のRockを見せてやるぜ!!」と新選組の牙城に殴りこみ、3人による『INTERSECT』へ! この流れは、前回の「超絶頂★雷舞(夜の部)」でも見られた、アニメ本編を彷彿とさせるもの。観客もこれには煽られっぱなしで、大ボリュームのオイコールを重ねました。さらに、間髪入れずはじまった『xxxing』でついに6人全員がステージに登場! 慶喜演じる斎賀さんも加わったこの日限りのスペシャルバージョンで、よりダイナミックな楽曲へと昇華させました。魂を揺さぶられた観客たちは、早くも超絶頂(エクスタシー)状態!!
 MCでは、出演者がひとりずつあいさつ。「『これが終わったらお酒が飲めるんだ!』というモチベーションです」(谷山さん)と夜の部ならではの意気込みを告げたほか、おそろいの黒いマスクの話題などに花を咲かせました。また「次誰が歌う?」「俺が」「俺が!」「じゃあ僕が」「どうぞどうぞ」と、かのギャグで順番決め。ここからは、小野さんからはじまる各キャラのソロ楽曲パートへと移っていきます。
 オープニングからずっと背負っていた翼をおろすも、「つけてー!」との声に再度装着した小野さん。『共鳴進歌』歌唱中には羽ばたくジェスチャーまで見せ、沖田のあふれる想いを全身で体現しました。その後は、スカジャンに黒マスクという「ギャング」(本人談)の出で立ちで現れた鈴木さんの『REACTION』、森川さんのハイトーンボイスと観客のコールが融合した『モット!!!』、アップテンポで繰り出されるリリックにタテノッた森久保さんの『重力のない世界』と、休む間を与えない楽曲が次々に放たれました。
 ソロの次は、デュエットも。先陣を切ったのは谷山さんと斎賀さんの『絶頂SPIRAL』! なんでも、本作MVのNo.1を決定する「極★楽曲(アルティメットソング)総選挙2015」でぶっちぎり1位を獲得した曲なのだとか。それもあってか雷舞初披露ながらハンパない盛りあがりっぷりで、飛んだり跳ねたりコールしたりと、場内大揺れ!! まさしく“絶頂の渦”に巻き込みました。観客からも思わず「楽しい!」と声がもれていた同曲。今後も雷舞があるとしたら、欠かせない1曲となるかも?
 2度目のMCは、マスクをつけたまま歌った鈴木さんが「息がね、吸えないの!」と後悔を吐露するなど、ここまでのパフォーマンスを振り返る内容に。また「言葉の頭に“絶頂”をつける」という流れになるやいなや、小野さんが沖田のお家芸「サプライズ」を「“絶頂”サプライズ」として披露。いままでにないハイなテンションで場内の熱気を一層引き上げました。さらに「(前日から泊まっていた)ホテルで、部屋のカギを持って出たと思ったら、家の鍵だった」(森久保さん)といった裏話も飛び出すなど、笑いの絶えない時間に。トークでも観客を惹きつけます。
 次なるデュエット曲は、そんな森久保さんと鈴木さんが『L or R』を披露。旧知の仲である高杉と桂の絆の歌を、力強いハモリとともに聴かせました。歌唱後「(ステージで)はじめて歌いました」と告げ、感慨深げなふたり。“雷舞”と銘打った本作のステージには何度か立っているふたりにとっても、新鮮に感じられたようです。
 そして『RIDE ON THE WAVE』で谷山さんが加わり、続く『五色繚乱』で新選組のふたりも入って超魂團に。『五色繚乱』は、5人の想いがひとつになった歌詞をユニゾンで歌い上げました。まるで、5人の出会いをたどるかのような構成に、観客もまた感慨に浸っていたかもしれません……。そして「ラスト行くぞ!」(谷山さん)の声からスタートした『絶頂DAYBREAK』で本編はシメ。すべてを出し切るかのような5人のパフォーマンスに観客も全力で応え、ボルテージは限界!! 爆発寸前!! 5人がステージを去ってからも、場内の熱気は「Rockコール」によりますます上昇していきます。
アンコールは、もちろん6人で! 頭にタオルを巻いた谷山さん、誠仮面をつけた森川さんなど、思い思いの姿で登場し、まずはバンドメンバー&ダンサーの紹介やキャスト陣のあいさつが行われました。「(ZeppTokyoでの雷舞の)興奮がまたデジャヴのように蘇って。でも変わっているのは、仲間が増えている。そんな感じがします」とは、森川さん。前回よりも大きな規模で贔屓とふれあえた喜びを明かしていました。また「あっという間の一日」と振り返った斎賀さんからは、「『絶頂SPIRAL』のサビのところ、実は紀章くんが(ハモリの)上を歌ってくれていた」という秘話が。谷山さんを大いに照れさせるという一幕も見られました。

■SETLIST
M01. 黒曜蝶(土方、沖田)※オケ
M02. INTERSECT(龍馬、土方、沖田)
M03. xxxing(6人)
¯MC(6人)¯
M04. 共鳴進歌(沖田)
M05. REACTION(高杉)
M06. モット!!!(土方)
M07. 重力のない世界(桂)
M08. 宙ノ翼(慶喜)
M09. LAST SCREAM(龍馬)
M10. 絶頂SPIRAL(龍馬、慶喜)
¯MC(6人)¯
M11. L or R(高杉、桂)
M12. RIDE ON THE WAVE(龍馬、高杉、桂)
¯MC(5人)¯
M13. 五色繚乱(超魂團)
M14. 絶頂DAYBREAK(超魂團)

¯アンコール(6人)¯
M15. What's This?(6人)

 森川さんが誠仮面をつけてアンコール出演された画像が素晴らしい!! 再演歌劇でもテルゾー誠仮面が見られるのかどうか、楽しみにしています〜(でも初演再演キャストのうち、長州組は別の舞台が入っているので、どちらか、または両方がキャスト変更になりそうなので、不完全パズルが初演キャストでなくなりそうなのが残念)。
アニメ「昭和元禄落語心中」第2期制作決定!舞台は現代へ
雲田はるこ原作によるアニメ「昭和元禄落語心中」の第2期制作が決定した。

1月より放送され、4月1日にオンエアされた第13話にて最終回を迎えた「昭和元禄落語心中」。石田彰演じる菊比古と山寺宏一演じる助六、落語のために生きた2人の過去を中心にこれまで描かれてきたが、2期では舞台をいよいよ現代に移し展開していく。放送時期などは続報に期待しよう。

なお4月25日には東京・池袋演芸場にて、「昭和元禄落語心中寄席~作中の根多を聴く~」と題した落語会を開催。劇中に登場した根多(ネタ)の数々を、プロの落語家が実演する。「落語心中」で落語に興味を持ったが寄席にはまだ行ったことがないという人は、この機会に足を運んでみては。

 特に第1期はエキサイトのレビューが面白かったです。下記は第11話の「野ざらし」解説つき。
「昭和元禄落語心中」11話。これは見事な「野ざらし」
「助六さん。後生です。八雲を継いで落語をなさい」

「昭和元禄落語心中」、前回の11話は姿を消した助六とみよ吉を追って旅に出た有楽亭菊比古が、二人の間の子である小夏に会う場面で終わっていた。その小夏から家を聞き出し、ついに助六との再会を果たす。
助六の背中をずっと追い続けてきた菊比古は自分のために落語をやるのだと割り切った。対する助六は、客がいなければ落語などできたものではないという考えの持ち主だ。にもかかわらず、今は客の顔が見えないのだという。その助六に対して、他の誰でもなく自分、有楽亭菊比古のためにもう一度落語をやれ、と菊比古は迫った。両者の落語観、そして芸に対して自信を喪った者と逆に貪欲にそれを極めようと決意した者との違いが浮き彫りにされた、いい場面である。

雲田はるこの原作は今回で4巻分が終了。どうやらシーズン1は、5巻半ば、第2部「八雲と助六編」の終わりまでは続くようである。

今回の噺
第2話、七代目八雲に2人の少年が入門を願った日に初太郎(のちの助六)が最初に口演したのも「野ざらし」だった。第10話で菊比古が小夏に出会ったとき、彼女は父・助六から教わった噺を蕎麦屋で披露していた。その噺も「野ざらし」である。
そして今回、小夏にせがまれた菊比古はうろ覚えで怪しい「野ざらし」を語り始める。案の定つっかえると、割って入った助六が後を続ける。途中からはまるで夫婦漫才のように2人の合作となり、他にはない素敵な「野ざらし」が出来上がった。
以前も書いたが「野ざらし」は昭和の落語家・三代目春風亭柳好の得意根多であった。半ばで入るサイサイ節などを歌い調子で演じたのである。その賑やかな部分を助六、噺が本来持つ怪談の要素と、妖艶な幽霊のキャラクターを菊比古が分担することで、水と油が乳化して1つになるように、バラバラな要素がまとまったのだった。「昭和元禄落語心中」きっての名演である。

寄席という場所
シーズン1も終わりに近づいてきたので、これまで触れなかったことも書いておきたい。

現在東京には落語の定席が5つある。上野・鈴本演芸場、浅草演芸ホール、新宿末廣亭、池袋演芸場、そして唯一の公的施設である国立演芸場だ。このほかに二ツ目による落語会を平日はほぼ毎日行っている神田連雀亭など、常設に近い会場がさらに両手に余るほどある。場だけを見れば、20年前からすれば考えられないほどに恵まれている。番組を観て気になった人が1人でも多く足を運んで落語を聴いてもらえれば幸いである。

ちなみに、東京に寄席がもっとも多かったのは大正時代だったと思われる。そのころの状況を豊かに伝えのが、六代目三遊亭圓生の『寄席切絵図』だ。
圓生はわずか6歳にして義太夫の豊竹豆仮名太夫として寄席に出演、さらに10歳で落語家に転身して橘家圓童を名乗った。明治の末から昭和にかけて寄席芸人として生きた人であり、『寄席切絵図』はその記憶を現在の地図と照らし合わせるような形で綴った1冊だ。浅草、入谷、神田といった現在も定席や落語を聴ける場所がある土地だけではなく、京橋、芝、赤坂など、そんなイメージが無くなってしまった街にもかつては寄席があったことに驚かされる。地域寄席や個人主催の落語会が増えたことで、状況はそれに近づきつつあるわけだ。

さらに興味深いのは戦前の寄席の構造が克明に描写されていることである。アニメ「昭和元禄落語心中」に登場する寄席は、現在の新宿末廣亭をモデルにしている。末廣亭は戦前からある寄席だが、戦争で焼け、1946年に現在の場所に再建された。木造建築で一部桟敷席に畳敷きもあるが、椅子席が基本になっている。
『寄席切絵図』を読むと、戦前の寄席は畳敷きが主だったことがわかる。一階が経営者宅で二階に客席、という構造も多かったが、その階段は梯子であったりした。
以下は1970年に閉場されるまで東京の演芸の中心であった人形町末広の描写である。ここもやはり畳敷きだった。

──入口の左手にテケツ(入場券売場)があって、はいると土間になっていて、右手のほうが下足をあずかるところになっている。(中略)なくなるまでずっと、客席は畳のままでした。それで、左右の両側に、二階桟敷というんではなく、二尺ほど高くなった桟敷があって、そのうしろ側は戸があって、更にその外が両側とも廊下になっていました。(後略)

地方寄席はまだまだ可能性がある
東京の寄席は空襲でも焼かれたが、それ以前に関東大震災でも甚大な被害を受けた。有名どころの寄席の多くも焼けてしまい、そのために落語家たちも仕事を失った。名古屋を拠点として活動していた雷門福助によれば、彼が東京から移住したのもやはり、震災の影響で仕事が減少したためだという。地方のほうがむしろ食える時代だったのだ。

──たまに寄席へ出たところで、一軒か二軒。七十人か八十人ぐらいしか客がこないんですからね。七厘五毛の割りィもらったって三十銭ぐらいなもんでしょ。商売になんかなっりゃァしません。
 ところが名古屋へ行ってみると、一日の給金が二円!! 一カ月で六十円になったン。しかも別に”乗金”として十円札をくれたんです。こっちァうれしくて飛び上がりましたね。(後略)(川戸貞吉編『初代福助楽屋話』冬青社)

前述の『寄席切絵図』にも東京だけではなく、圓生がかつて巡業で訪れた地方都市、静岡、博多、金沢、高崎などの寄席の様子が活写されている。
第10話で、助六を探しに旅に出た菊比古が街の人に、このへんに落語を聴ける場所はないか、と訊ねる場面があった。地方の繁華街などにそうした演芸を見せる小屋が設けられていた時代も、かつては存在したのだろう。
現在では落語芸術協会が草津温泉に若手落語家を派遣し、毎日温泉寄席を開いている。そうした場所がもっと増えることを期待したい。「昭和元禄落語心中」ゆかりの噺を持って落語家が各都市を回り、その土地に地方寄席の芽が吹くのを助けるのもいい試みだと思うのだが。

さて、今夜放送の第12回では、ついに助六が高座に復帰し、菊比古との兄弟会を実現させる。その模様と、みよ吉を交えた関係の行きつく先が描かれるはずだ。最終回まであと2話。どうかお見逃しなく。
(杉江松恋)

おまけ
本稿筆者の杉江松恋も、落語会をお手伝いさせていただいております。
よろしければお立ちよりください。場所はすべて新宿5丁目・CAFE LIVE WIRE。
3/31(火)午後6時半(開演午後7時)「笑福亭羽光単独ライブ3〜私小説落語家族編」
4/8(金)午後6時半(開演午後7時)「立川談慶独演会 談慶の意見だ#10」
4/17(日)時間 午前0時半(開演午前1時)「立川談四楼独演会 オールナイトで談四楼#14」
4/20(水)午後6時半(開演午後7時)「ぼくらのあにさんが帰ってきた! 瀧川鯉八独演会#2」
 柳好の「野ざらし」か、「野ざらし」の柳好か。助六の「野ざらし」もこんな陽気な調子だったんでしょうね。
 「野ざらし」は小三治もお勧めです。

 『昭和元禄落語心中』の影響らしく、若い人に落語がブームになっているらしいのですよ。
「昭和元禄落語心中」がブームの火付け!シブラクこと「渋谷らくご」4月公演案内と関連動画
ジワジワとクチコミで観客が増えてきたシブラクこと「渋谷らくご」!キュレーターのサンキュータツオによるベストセレクション!ニューウェーブな若手二つ目から熟練した真打までたっぷり楽しめる5日間!4月は8日(金)、9日(土)、10日(日)、11日(月)開催!関連動画はWOWOWプラストにて配信中。

現在放送中、人気アニメ「昭和元禄落語心中」が火付け役となっているのか、ちかごろ若い世代に落語が来ているらしい。東京には新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場、上野鈴本演芸場、国立演芸場という「寄席」がある。ここではほぼ、毎日落語や漫才、コント、マジックが披露されている。

しかし、今注目されているのはこれらの寄席ではなく、渋谷。渋谷のミニシアターを牽引してきたユーロスペースが、毎月第2金曜日から5日間、劇場で落語会を開催中。2014年スタート時には客席もガラガラ…ということも多々あったが、今では人気落語家が出演する会はSOLD OUT。客層も20代、30代と若い人たちが中心である。

特に注目なのが、落語芸術協会の若手落語家10名と講談師1名で構成されたユニット「成金」。メンバーは柳亭小痴楽、昔昔亭A太郎、瀧川鯉八、春雨や雷太、三遊亭小笑、春風亭昇々、笑福亭羽光、桂宮治、春風亭柳若、春風亭昇也、そして講談師の神田松之丞。特に神田松之丞、柳亭小痴楽、はそのイケメンぶりから若い女性のファンが急増。シブラクでも、両名が出演の会はチケット入手困難になるほどである。

YouTubeはニコ動で古いものから新しいものまで落語の動画はアップされているが、ぜひ一度「生(なま)」の落語を聞いていただきたい。落語なんて、おじいちゃん、おばあちゃんが聞くものでしょ? 落語って「笑点」みたいなもんでしょ? と思っているアナタ! その固定観念がガラガラと音を立てて崩れ落ちること間違いなし! お笑い芸人、サブカルチャー好きの方なら、なおさら「生」の落語に触れてみてほしい。

■シブラク
毎月5日間公演されるシブラクには、6つのスタイルがある。

・渋谷らくご:3、4人の実力派真打から二つ目の落語家が登場。
・ひとりらくご:1人の落語家に小一時間、たっぷり語ってもらう。ご贔屓の落語家ができたら、その人の独演会でたっぷり楽しむのも満足度が高い。
・ふたりらくご:2人の落語家が30分ずつ語る。
・創作らくご:落語家がつくった新作落語の会。
・しゃべっちゃいなよ:林家彦いち主催、創作らくごのネタおろし(初上演)
・まくら王:「まくら」とは本題の前に披露される軽い小咄など。面白い落語家はまくらからして面白い。4人の落語家がまくらだけを披露し、最後に落語を一席披露。

■4月出演者
4/8:立川志ら乃、桂春蝶、春風亭昇々、古今亭志ん八、立川生志、神田松之丞(講談)
4/9:瀧川鯉八、立川吉笑、橘家文左衛門、柳亭小痴楽、瀧川鯉斗、隅田川馬石、入船亭扇里、柳家喜多八
4/10:桂三木男、春風亭百栄、入船亭小辰、橘屋圓太郎、笑福亭羽光、柳家わさび、玉川大福(浪曲)、春風亭一之輔
4/11:入船亭扇里、立川こしら、瀧川鯉八、柳家ろべえ、神田松之丞(講談)、立川左談次
4/12:入船亭扇辰、隅田川馬石、桂三四郎、昔昔亭A太郎、三遊亭粋歌、春風亭昇々、林家彦いち

毎月第2金曜日から5日間、渋谷ユーロスペースで開催、シブラクこと「渋谷らくご」。4月は8日(金)、9日(土)、10日(日)、11日(月)、12日(火)。タイムテーブルは「渋谷らくご」公式サイトを参照。WOWOWプラストにてサンキュータツオ、立川吉笑が「古典落語」について熱く語る動画配信中。
 嬉しいですね、若い落語家さんたちも知られるようになるのは。私も落語行きたい。
寒の戻りのような天気ですが、この寒さをしのげば……春はもうすぐですね。

北海道
新撰組・幕末ファンなら必ず行くべき函館の歴史観光スポット
2016年3月26日(土)北海道新幹線が開通し、「新函館北斗駅」から函館ライナーで最速15分の函館。そんな大注目の函館で、幕末の歴史に思いを馳せる旅はいかが?新撰組の副長土方歳三が新政府軍との激戦の末戦死した地である函館。桜の名所でもある五稜郭も、歴史を学びながら巡ると楽しさも倍増します♪幕末のロマンを感じられる函館の観光スポットをご紹介します。

1.土方歳三最期の地碑
土方歳三は新撰組副長として近藤勇を助け、のちに幕府主戦派の参謀格として連戦しながら北上した。蝦夷共和国を立ち上げるという大きな夢を掲げて函館に向かったが、明治2年(1869)に五稜郭の戦で戦死した。壮絶な最期を遂げたとされるゆかりの場所に記念碑が立てられている。
【土方歳三最期の地碑DATA】■住所:北海道函館市若松町33 、■TEL:0138-27-3333 (函館市元町観光案内所) 、■公共交通:JR函館駅→徒歩15分、■車:道央道大沼公園ICから国道5号、道道96号、国道227号経由30km50分、■駐車場:なし、■料金:見学自由

2.土方・啄木浪漫舘
大森浜の啄木小公園隣にある土方歳三と石川啄木のテーマ館。新撰組副長として活躍した後、箱館戦争で戦死した土方歳三の激動の生涯を、貴重な幕末の資料と映像などで紹介。土方「兼定」「国廣」などの愛刀や函館戦争において旧幕府軍将兵が実際に使用した武具や掛け軸、新撰組所用の品などが展示されている。また、実像ロボットによる啄木先生の授業風景と超ワイドスクリーンの映像で石川啄木の世界を再現。みやげ店も併設している。所要1時間。
【土方・啄木浪漫舘DATA】■住所:北海道函館市日乃出町25-4 、■TEL:0138-56-2801 、■公共交通:JR函館駅→函館バス日吉営業所前行きで10分、バス停:啄木小公園前下車、徒歩すぐ、■車:函館空港から道道63号、国道278号経由3km10分、■駐車場:あり、■料金:入館800円、■時間:9~18時、■休み:無休

3.五稜郭公園
榎本武揚や土方歳三らが明治新政府軍と戦った、戊辰戦争最後の地。張り出した五つの稜堡[りょうほ]が美しい星型を形作る、わが国初の洋式城郭だ。25.2haという広大な五稜郭全域は公園として整備され、春には満開の桜が咲き誇る。入口の五稜郭タワー展望台(1階86m、2階90m)からは、函館市街や津軽海峡も眺望可。公園を散策する前にまずタワーへ上り、周辺の地形を頭に入れておくと歩きやすい。

【五稜郭公園DATA】■住所:北海道函館市五稜郭町44、■TEL:0138-40-3605、■公共交通:JR函館駅から徒歩1分の函館駅前電停→市電湯の川行きで16分、五稜郭公園前電停下車、徒歩15分、■車:函館空港から道道63号、国道278号、道道83号経由7km15分、■駐車場:なし、■料金:入園自由、■時間:5~19時(11~3月は18時)
参考ウェブサイト:五稜郭公園の桜・お花見情報はこちら

4.五稜郭タワー
五稜郭公園入口にある、高さ107mのタワー。展望台からは、五稜郭の特徴である星形城郭のほぼ全景を見下ろせる。箱館戦争で戦死した新選組副長、土方歳三のブロンズ像や竣工当時の五稜郭の姿を再現した模型、函館と五稜郭の歴史をパネルで展示。1階には売店、2階には和食レストランやジェラートの店もある。
【五稜郭タワーDATA】■住所:北海道函館市五稜郭町43-9、■TEL:0138-51-4785、■公共交通:JR函館駅から徒歩1分の函館駅前電停→市電湯の川行きで16分、五稜郭公園前電停下車、徒歩10分、■車:道央道大沼公園ICから国道5号経由32km50分、■駐車場:なし、■料金:タワー展望料金大人840円、中・高校生630円、小学生420円、■時間:8~19時(10月21日~4月20日は9~18時)、■休み:無休

5.箱館奉行所
1864年(元治元)に執務を開始した箱館奉行所は、開港に伴い設置された江戸幕府の役所。箱館戦争を経て明治4年(1871)に解体されて以来、長く空き地になっていたが、約140年の沈黙の後、平成22年(2010)に当時の建物全体の3分の1にあたる約1000平方mを完全復元。現在はその内部が公開されている。4間からなる72畳の大広間、奉行の執務室であった表座敷などみどころが満載で、五稜郭から発掘された遺物の一部も展示している。
【箱館奉行所DATA】■住所:北海道函館市五稜郭町44-3、■TEL:0138-51-2864、■公共交通:JR函館駅→徒歩1分の函館駅前電停→市電湯の川行きで16分、五稜郭公園前電停下車、徒歩18分、■車:函館空港から国道278号経由7km15分、■駐車場:なし、■料金:一般500円 学生・生徒・児童250円 未就学児無料、■時間:9~18時(11月~3月は~17時)

6.箱館五稜郭祭(2016年5月21日~5月22日)にも注目!
箱館五稜郭祭は、箱館戦争をモチーフとした歴史祭。維新行列をハイライトに当時を再現した数々の催しが、歴史絵巻のように繰り広げられる。土方歳三コンテスト全国大会は女性に人気のイベント。
【箱館五稜郭祭DATA】■開催期間:2016年5月21日(土)~5月22日(日)、■会場:五稜郭公園(北海道函館市五稜郭町44)、■TEL:0138-51-4785 (箱館五稜郭祭実行委員会(五稜郭タワー内)) 、■公共交通:市電五稜郭公園前電停→徒歩10分、■車:函館新道函館ICから国道5号経由6.5km20分、■駐車場:あり(約300台、料金は駐車場により異なる)、■料金:無料

7.ひとあし伸ばして…「四稜郭」
明治2年(1869)4月、榎本武揚らが北の防備のために築いた土塁作りの城郭。五稜郭公園の北側約3kmの場所にあり、東西104m、南北66m、4つの稜をもつ蝶のような形をしている。同年5月、官軍と旧幕府軍がここで戦ったという歴史をもち、現在は復元された土塁だけが残り、一帯は公園として整備されている。大規模な五稜郭に比べて規模ははるかに小さく、あまり知られていないが、静かな公園の緑の芝生を散策しながら歴史に想いを馳せてみるのもいい。
【四稜郭DATA】■住所:北海道函館市陣川町、■TEL:0138-27-3333 (函館市元町観光案内所) 、■公共交通:JR函館駅→函館バスループ系統で30分、バス停:亀田支所前下車後、徒歩3分の循環バスリングに乗り換え、中央小学校前から乗車で6分、バス停:四稜郭入口下車、徒歩10分、■車:函館空港から道道63号、国道278号経由20分、■駐車場:なし、■料金:入園無料
 まぁ、ずいぶん微妙なスポットが上位にあがっているのですね(汗)。白牡丹個人の意見ですが、個人の方が運営されている記念館は、運営されている方の思い入れに共感できないと、ちょっと寒い思いをすることもあるので、あらかじめその点を踏まえて行かれることをお勧めします。

ブックレビュー
幕末の鬼才絵師・歌川国芳とその系脈の浮世絵を一挙に紹介する『国芳イズム』【NADiffオススメBOOK】
各ブックストアがFASHION HEADLINE読者に向けて「今読むべき1冊」をコンシェルジュ。毎週木曜日は、アート・ブックショップ「ナディッフ(NADiff)」各店がオススメする1冊をご紹介。今回は東京・渋谷の支店 NADiff modern(東京都渋谷区道玄坂2-24-1 Bunkamura地下1階)です。

■『国芳イズム―歌川国芳とその系脈 武蔵野の洋画家 悳俊彦コレクション』

本書は、4月10日まで練馬区立美術館にて開催中の「国芳イズム―歌川国芳とその系脈 武蔵野の洋画家 悳俊彦コレクション」の展覧会図録を兼ねて制作され、出展作品の全点を掲載する。悳のコレクションは、国芳の浮世絵のみならずその門人や小林永濯、尾形月耕、山本昇雲など国芳の系統とは違う絵師たちにまで及び、幕末・明治期の浮世絵界、風俗画界にとって国芳という存在がいかに大きなものであったのかを窺い知ることができる。

国芳は武者絵でその名を広く知らしめる一方で、影絵や寄せ絵・嵌め絵、動物や植物、器物を擬人化したものなどのバラエティーに富んだ戯画をはじめ、陰影の付け方に洋風画の表現技法を取り入れた風景画など、常に新たな表現を模索し続けた。流行や社会情勢に敏感であり続け、改革、禁令などの制約の中にあっても新機軸を打ち立ててきた国芳の仕事があってこそ、それを引き継いだ次世代の絵師たちの展開がある。

国芳の絶大な影響力は当時の絵師たちの間だけにとどまらない。実在した侠客らをモデルとし、歌舞伎などに登場する「ならず者」を描いた武者絵や、表情豊かで躍動感溢れる群像表現からは、任侠ものに憧れるヤンキー文化や、アニメーションなどで用いられる「モブシーン」の表現など、現代の日本人にも通じるルーツを感じとることができるだろう。

3月19日からは新たに、Bunkamura ザ・ミュージアムにおいて「ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞」が開幕。本展では、兄弟弟子でありながら対照的な作風で国芳と共に一世を風靡した歌川国貞の作品と併せて展示することにより、江戸のポップカルチャーであった浮世絵の世界を体感することができる。

【書籍情報】
『国芳イズム―歌川国芳とその系脈 武蔵野の洋画家 悳俊彦コレクション』
著者:練馬区立美術館
監修:悳俊彦
出版社:青幻舎
ソフトカバー/276ページ/B5変型
発刊:2016年2月
価格:税込2,700円

【展覧会情報】
「国芳イズム―歌川国芳とその系脈 武蔵野の洋画家 悳俊彦コレクション」
会場:練馬区立美術館
住所:東京都練馬区貫井1-36-16
会期:2月19日~4月10日
※会期中展示替えあり。(展示替え日程:3月14日、3月28日)
開館時間:10:00~18:00(入場は閉館の30分前まで)
料金:一般800円、高校・大学生および65~74歳600円、中学生以下および75歳以上無料、障害者(一般)400円、障害者(高校・大学生)300円、団体(一般)600円、団体(高校・大学生)500円、ぐるっとパスご利用の方300円(年齢等による割引の適用外になります)
休館日:月曜日(ただし、3月21日は開館、翌22日休館)

「ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞」
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
住所:東京都渋谷区道玄坂2-24-1地下1階
会期:3月19日~6月5日
開館時間:10:00~19:00(金・土曜日は21:00まで、入場は閉館の30分前まで)
料金:一般1,500円(前売り・団体1,300円)、大学・高校生 1,000円前売り・団体800円)、中学・小学生 700円(前売り・団体500円)
※障害者手帳のご提示で割引料金あり。詳細は窓口でお尋ねください。
 うーむ、歌舞伎と落語に凝り過ぎて美術館に行けてないです。。

「新選組と刀」伊東成郎著
「今宵、虎徹は血に飢えている」という名ぜりふで知られた近藤勇の佩刀(はいとう)・虎徹については諸説がある。虎徹には偽物が多く、一流の刀工・山浦清麿の打った刀に虎徹の偽銘を入れたものを売りつけられたとも、将軍家からの拝領刀だともいわれている。だが伏見の戦いで肩を銃で撃たれた近藤は、徳川慶喜が兵を捨てて大阪から逃げ出したことに失望し、虎徹を手放したと伝えられる。虎徹は後に明治政府の官僚として活躍した金子堅太郎が手に入れ、関東大震災で焼けてしまったが、打ち直して銘刀の姿を取り戻した。

 他に土方歳三が愛した会津の銘刀・和泉守兼定など、新選組ゆかりの刀について検証した一冊。(河出書房新社 1600円+税)

コラム
新選組のルーツを訪ねる(上)日野宿本陣、近藤勇や沖田総司らが武術を稽古
 幕末の京の都で反幕府勢力を取り締まり、戊辰戦争では幕府軍として転戦した末に時代の中へ消えていった新選組。歴史ファンのみならず、ドラマ、アニメ、ゲーム、小説など創作の題材としても人気を集める新選組のルーツを訪ねる。新選組の中心人物らを育んだ東京・日野市にあるこの宿は、彼らの落日の時をも見つめてきた。

近藤勇や沖田総司、土方歳三らが武術を稽古


日野宿本陣の門
 JR中央線・日野駅の改札を出て、目の前にある甲州街道を右(新宿側)へ約12分ほど歩けば日野宿本陣がある。その名の通り、この地は江戸時代における五街道の一つ、甲州街道の宿場町だった。

 門をくぐり、客が出入りに使用したという「式台」を右手に見ながら建物の左側に回り込んで入室すると、今は展示室となっている土間と、その向こうに広間が見えた。当時、この土間と広間およびその左側の部屋は、宿の主である佐藤家が住居として使用し、式台より向こう側の居室が宿として使われていた。

 現存する建物は、当時の当主・佐藤彦五郎俊正が文久3年(1863)4月に上棟し、翌年の元治元年(1864)12月から住み始めたもの。佐藤彦五郎の妻・ノブは、新選組副長・土方歳三の姉であり、佐藤彦五郎と土方歳三は義理の兄弟の関係にあった。なお、この日野宿本陣は、都内に現存する唯一の本陣建築であることから、平成22年(2010)に東京都指定史跡として指定されている。

 嘉永3年(1850)、佐藤彦五郎は天然理心流の近藤周助に師事。その後、宿の敷地内に武術の道場を開く。ここに集ったのは、のちの新選組局長・近藤勇、同一番隊組長・沖田総司、地元出身の同六番隊組長・井上源三郎や土方歳三たちだった。

 その後、彼らは文久3年(1863)1月、幕府の浪士組募集に応じ、江戸を経て京へ向かう。本陣の完成を待たずに若き日の彼らはこの地から旅立っていったが、大工が扱うつちの音を耳にしたり、柱や梁が組み上がっていく様を見ていたのかもしれない。

時代の逆風吹く中、甲陽鎮撫隊として日野へ


日野宿本陣
 新選組となった土方歳三は、隊士募集のため3回ほど日野に一時戻ったことがあるという。その際、彼がこの宿へ勝手に上がりこんで昼寝をしたとされるエピソードがあるが、日野市立新選組のふるさと歴史館の学芸員・松下尚氏は、「当時はすでに地位も高くなっており、この建物に仕事で来ても遊びでは来ないと思います。昼寝をした可能性は低いでしょう」との見方を示す。『歳三昼寝伝説』ともいうべきこの逸話は、若きころ悪ガキだったという土方歳三のキャラクターイメージが生み出した架空の話の可能性があるという。

 やがて、新選組に時代の逆風が吹き始める。幕府軍として戦った慶応4年(1868)1月の鳥羽・伏見の戦いに敗れ、京から江戸へ。近藤勇らは、新政府軍を甲府で迎え撃つため甲陽鎮撫隊を編成して甲州街道を西進、慶応4年(1868)3月2日に、ここ日野宿本陣で休憩を取った。なお、井上源三郎は鳥羽・伏見の戦いで命を落とし、すでにいない。


ガラス戸の先にはかつて上段の間があった。
 新選組幹部は、式台や玄関の間を経て、大名ら身分の高い賓客が泊まる上段の間で休憩したとされる。上段の間はその後、明治時代に別の家へ移築されて今はなく、そこは庭になっているが、式台や玄関の間は残されており、当時の雰囲気をしのぶことができる。戦いを控えた近藤勇や土方歳三らは、ここを通って上段の間へ行き、しばしの休憩を取ったのだろう。

 宿を出て西へ向かった甲陽鎮撫隊は結局、甲州勝沼の戦いに負け、敗走する。その後、近藤勇は流山で政府軍に捕まり、板橋宿外で処刑。残る面々は、北関東、会津、仙台へと転戦する中で数を減らし、ついに明治2年(1869)5月、土方歳三が箱館で落命、戊辰戦争もほどなく終結する。

 同年7月、市村鉄之助と名乗る人物がこの宿を訪れ、佐藤家の人々に土方歳三の函館での模様を伝えて写真を手渡したという。武士の時代が終わり、明治の世になっていた。

新選組のルーツを探る(中)「将来我武人となりて…」土方歳三資料館
 幕末の京の都で反幕府勢力を取り締まり、戊辰戦争では幕府軍として転戦した末に時代の中へ消えていった新選組。歴史ファンのみならず、ドラマ、アニメ、ゲーム、小説など創作の題材としても人気を集める新選組のルーツを訪ねる。この資料館には、土方歳三の若き日の姿や志、新選組副長としての日々にまつわる品々が展示されており、春の大型連休を中心に多くの人が集まり、歳三のありし日に想いを馳せる。

旧母屋の大黒柱
 京王電鉄高幡不動駅から北へ歩くこと約15分。多摩川の支流・浅川を経て静かな住宅街に入ると、土方歳三資料館が現れる。

 歳三は天保6年(1835)5月、武州多摩郡石田村(現在の日野市)の農家に、10人兄妹の末っ子として生まれた。弘化2年(1846)6月末、多摩川と浅川の洪水に見舞われて、土方家は元の家から現在の資料館の場所に移転。以来、文久3年(1863)1月に江戸、そして京へ旅立つまでの若き日をおおむねこの地で過ごした。

 歳三が暮らした母屋は平成2年まで存在したが、老朽化のため新しい住居に建て替えられた。以前から、歳三の家を見たいというファンがたびたび訪れたことや、歴史資料の公開を望む声も方々から寄せられたことから、土方家は住居の一部を資料館とすることを決め、平成6年に開館した。


歳三が植えたとされる竹
 資料館入口部の梁は、母屋を支えてきた大黒柱が用いられている。この柱に向かって、歳三はよく風呂上がりに相撲の張り手を行って体を鍛えたという。改めて漆黒の梁を見上げると、確かに張り手をしても十分受け止めてくれそうな重厚感を感じた。

 建物の右側には、歳三が17歳か18歳のころに植えたという茎の細い竹が、今も生い茂っている。これらは「矢竹」と呼ばれ、昔から矢に用いられてきた。植えた時、歳三が「将来我武人となりて、名を天下にあげん」と宣言したという。武士になりたい、という若き日の思いがひしひしと伝わってくるエピソードだ。

 また、館内には、歳三が家業である薬の行商で使用した薬箱が展示されている。これを背負って400件以上の客先を配達して回ったというから、家業の手伝いはしっかりする人だったようだ。このほか、歳三直筆の書簡や、池田屋事件で使用したとされる鎖帷子、8月18日の政変時に使用した鉢金、稽古に使用したという木刀などもあり、歳三の若き日から新選組時代までをしのぶことができる。

子孫にとっては「身近な身内のおじいさん」


資料館の土方愛館長
 「仏間には遺影が飾られていて、私にとっては身近な身内のおじいさん」と歳三の印象を語るのは、資料館の土方愛館長。歳三の兄・隼人喜六から数えて6代目の子孫にあたる。

 資料館の開館日は、原則として毎月第1・第3日曜日、時間は12時から16時まで。愛館長は「商売ではなく個人運営ですので、その中でできる限りのことをしようと考えています」としており、生活との両立を考えると月2回が精一杯とのこと。


敷地内にある土方歳三の像
 例年、来館者数のピークは4〜5月で、年間来場者数の約60%が集中。歳三の命日が5月11日であることなどが要因で、大型連休中についてはほぼ連日開館する。昨年の5月4日は、期間限定で歳三の愛刀・和泉守兼定を公開したことも影響してか、来館希望者が長蛇の列を作り、入館まで2時間以上かかった人もいたという。兼定は今年も4月3日から5月15日までの開館日に公開の予定。

 「歳三は人間味のある人だったのではないかと思います。京都では鬼の副長として荒くれたちを仕切りましたが、北海道まで転戦した時、隊士たちは赤子が母を慕うように彼を慕っていたということです」と語る愛館長。歳三の魅力は現在にも及び、今も多くの人を惹きつけるのだろう。

(取材・文:具志堅浩二)
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
[12/14 白牡丹(管理人)]
[12/14 ゆーじあむ]
[11/08 白牡丹(管理人)]
[11/07 れい]
[01/21 ゆーじあむ]
[11/15 白牡丹@管理人]
[11/15 ゆーじあむ]
[05/25 長谷川誠二郎]
[07/23 白牡丹@管理人]
[07/23 伊藤哲也]
最新TB
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
プロフィール
HN:
白牡丹
性別:
非公開
自己紹介:
幕末、特に新選組や旧幕府関係者の歴史を追っかけています。連絡先はmariachi*dream.com(*印を@に置き換えてください)にて。
バーコード
Livedoor BlogRoll
本棚
Copyright ©  -- 白牡丹のつぶやき --  All Rights Reserved
Designed by CriCri / Material by White Board

忍者ブログ  /  [PR]