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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
オンライン学習プログラムgaccoで「歌舞伎の経済学」を修了し、対面学習コースを受けてきました。

朝9時50分までに受付

朝10時〜 歌舞伎座ギャラリーなどの見学
 歌舞伎座ギャラリーのチケットが入ってましたので、行ってきました。芝居の大道具、小道具などが展示されていたり、市川染五郎さんが裏方を紹介するビデオなどがあります。

朝11時〜4時 昼の部見学
 3階A席で昼の部を見学。
廓三番叟
義経千本桜
梶原平三誉石切
茨木
 1月2日の初見世感想をご参照ください。
 お昼ご飯は花籠でお弁当。内容的には歌舞伎幕の内相当でした。

4時〜5時 対面授業
 芝居がはねた後は、駒沢大学経営学部教授の代田純先生による基調講演、代田先生と松竹株式会社の武中常務によるトークセッション。時間の関係で質疑応答は限られていましたが、江戸時代に芝居を見に行くといくらぐらいかかったか、劇中でちんぴらが大店をゆすったりたかったりするといくらもらえるか、また借金や身売りの相場は、など、当時の経済事情を勘案したお話が盛り沢山でした。

 対面コースは確か2回目で、前回は確か10人ぐらいの募集だったと思います。今回は50人ほど参加されていました。私もいつもの歌舞伎鑑賞とは一味違う体験を楽しみました。


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1880(明治13)年に容保が明治政府宛てに送った嘆願書の草案だそうです。戊辰戦争から10年以上たった時点でも困窮している元会津藩関係者の苦境がしのばれます。

会津藩主・松平容保の嘆願書草案発見 秋月悌次郎が執筆
 藩政時代、最後の会津藩主・松平容保(かたもり)の側近として仕えた秋月悌次郎(1824~1900年)の遺物から、1880(明治13)年に容保が明治政府宛てに送った嘆願書の草案が3日までに見つかった。元藩士の復権に向け、安積開拓事業に参画して容保自らと元藩士の県内への移住を求める内容。戊辰戦争(1868年)で敗れ、困窮する元藩士を救うための書簡だったが、認められなかった。

 秋月悌次郎顕彰会(会津若松市)顧問を務める金城学院大名誉教授の中西達治さん(76)=岐阜県、中世日本文学=が、秋月家に残されていた文書から発見した。

 草案では「断然志ヲ決シテ開墾地ニ移住シ 旧臣等ト(中略)国家ノ万一ニ補アラン事ヲ期セリ」(意を決して開墾地に移住し、旧臣と国の大事業を補助したい)と事業参画への意欲を示した。また「士族ノ如キハ 既ニ困難ノ極ニ陥リ 奈何トモスベカラズ」(士族は困難の極みに陥り、どうすることもできない)と元藩士の困窮を訴え、安積平野の開拓地に移住することで元藩士の本県帰還を促そうとしたとみられる。

 秋月家から嘆願書の草案が発見されたことから、起草したのは悌次郎だったことが判明。容保が計画の実現に向け、文面からは、秋月らと連携して細心の注意を払った様子がうかがえる。中西さんは「容保の代弁者として草案を書いた秋月が、容保から、いかに信任を得ていたかを知ることができる」と述べた。

 旧会津藩は青森県で斗南藩として再興したが、元藩士や家族約1万7千人は苦しい生活を強いられた。多くの人が会津に戻るのは1871年の廃藩置県が行われて以降だ。

 初の国営開拓事業となった安積開拓では、人員確保のため全国9藩の士族約2千人が集められた。国策として士族が本格的に移住を始めるのは1878年から。容保が明治政府に嘆願書を出した事実は政府高官の日記に記されており、研究者には知られていた。しかし、移住が実現しなかったこともあり、一般的にはあまり知られていない。

 郡山市によると、安積開拓を先導した元米沢藩士の県典事(課長職)中條政恒が容保を誘い、大勢の元会津藩士を入植させようと計画した。容保もこれに賛同し移住の準備を進めていたが、元米沢藩士の県令山吉盛典が中條の計画を独断だとし、元会津藩士の大量帰還や容保の移住は頓挫した。
あけましておめでとうございます。2003年末から始めた当ブログ、干支で一回りを超えましたが、これからも細々と続けていきたく存じます。よろしくお願いします。

静岡
鉄の大砲 今どこに? 韮山反射炉で鋳造
◆靖国所蔵品 可能性あり

靖国神社に展示してある韮山反射炉製とされる大砲=東京都千代田区で
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 世界文化遺産に昨年登録された韮山反射炉(伊豆の国市)をめぐる謎がある。青銅製大砲が主流だった幕末、鉄製大砲を造るために建造されたが、韮山で鋳造した大砲と確認された現物が一つもない。反射炉を出発点に、韮山の鋳造と伝わる鉄製大砲を所蔵する靖国神社(東京都千代田区)、韮山の大砲設置を予定した東京湾の品川台場周辺を訪ね、韮山製大砲のありかを探した。 

 江戸幕府の韮山代官・江川坦庵(たんなん)(一八〇一~五五年)が中心となって建てた韮山反射炉の北側に大砲が設置してある。地元の木村鋳造所(清水町)が一九九八年に造った鉄製大砲の復元品だ。伊豆の国市によると、韮山反射炉では鉄製が少なくとも四門造られた記録がある。

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 反射炉から車で北へ五分の代官屋敷「江川邸」。韮山代官を代々務めた江川家の資料十万点以上を所蔵する。土間に展示している大砲も復元品だった。資料を研究する江川文庫の橋本敬之学芸員(63)は「多くの資料があるものの、大砲の実物はない」と打ち明ける。

 靖国神社の遊就館(ゆうしゅうかん)は、武器や美術品など十万点を所蔵する。幕末から戊辰(ぼしん)戦争(一八六八~六九年)の資料が並ぶ二階の展示室に、韮山製とされる大砲があった。茶褐色にさびており、全長一三二センチ、口径六・七センチと想像より小ぶり。砲口につけた六つの線で砲弾を回転させるライフルカノン砲だ。「三百匁玉旋條砲(もんめだませんじょうほう)」と表示し、解説に「幕末に韮山の反射炉で鋳造された前装火縄式のカノン砲」とある。遊就館の担当者は「大砲は鉄製で、一八八一年に旧日本陸軍の砲兵第一方面(東京)から奉納された」と説明する。

世界文化遺産登録から半年を迎える韮山反射炉=伊豆の国市で
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 韮山製大砲は海上砲台・品川台場設置のために造られた。大砲を江戸に送った記録はあるものの、品川歴史館(東京都品川区)の富川武史学芸員(36)は「台場にあった大砲の実物は見つかっていない」という。「明治期に台場を管轄していた軍が大砲を保管していて、靖国神社に奉納した可能性はある」と推測した。

 靖国神社所蔵の大砲は、韮山製なのか。伊豆の国市の工藤雄一郎学芸員(47)は「現段階では青銅製のライフル砲を造った資料しかない」と指摘する。一方で、江川文庫の橋本学芸員は「韮山で鉄製ライフル砲の製造を試みたと言う研究者もいる」と話す。富川学芸員は「伊豆の国市と江川文庫、靖国神社が協力して調査できれば成果が出るのでは」と期待した。

(山田晃史、写真も)

 <韮山反射炉> 1853(嘉永6)年のペリー来航を受け、江戸幕府が江戸湾(東京湾)の防備を固める目的で大砲を鋳造した溶解炉。54年に着工し、57年に完成。炉の天井がアーチ状になっており、熱を反射して一点に集中させる構造から反射炉と呼ばれる。炉は全部で4つあり、煙突を合わせた高さは15・7メートル。稼働は7年間だったが、実際に稼働したもので国内で唯一完全な形で現存している。2015年7月、「明治日本の産業革命遺産」の23施設のひとつとして世界文化遺産に登録された。
 靖国神社は、江川英龍の親友であり江川家の相談役でもあった斎藤弥九郎が練兵館を開いていた場所でもあるのですが、大砲の来歴とは繋がらないですよね……研究が進むといいなぁと思います。

東京
巣枝翁見聞夜話福生・酒蔵当主先祖、「幕末」生き生きと 飢饉、大地震を記述 研究会が読みやすく /東京
 福生市の老舗の酒蔵、田村酒造場の当主の先祖、田村金右衛門(俳名・巣枝(そうし))が1869(明治2)年に書いた「巣枝翁見聞夜話」を、中高生でも読めるよう書き改めた本が完成した。天保の飢饉(ききん)、安政の大地震と江戸城修復などの史実が金右衛門の目を通して描かれ、幕末の多摩の人々の息づかいが伝わってくる。【柴田朗】
 金右衛門は1809(文化6)年、福生村(現在の福生市)生まれ。名主の田村勘次郎の次男で、勘次郎の義弟の養子に。その後、勘次郎が所有する酒蔵の一つで、宮沢村(昭島市)にあった酒蔵を譲り受けた。
 酒蔵経営や酒の価格など、酒関連の記述が多いが、当時の人気の酒は「甘口」で、「からき酒は不造物(ふぞうもの)とて、う(売)れ申さず」など、江戸の人々の好みにも触れている。
 33(天保4)年から36(同7)年にかけての天保の飢饉は金右衛門が20代の頃。熱病が流行して「家内残らず死去いたし候者多し」「高石に爪(つま)づきころぶと、死すなり」などの記述も。
 55(安政2)年の安政の大地震では発生直後に江戸を訪ねて「人何万人とも無く死す」「御城石垣皆くずれ」などの状況を報告。しかし翌年にほぼ修復され、「公儀の御勢い、此(こ)の頃大そう成ることなり」と感心している。八王子市に落ちた隕石(いんせき)、竜巻なども詳細に記した。
 夜話の最終話は「打ち壊し」。押しかけた人々が66(慶応2)年6月16日に家屋や酒蔵を破壊し、その後、金右衛門はついに酒蔵経営を断念した。
 解読した福生古文書研究会会長の峰岸秀雄さん(80)は「夜話に記されているキツネに化かされた話などは、私が子供の頃、祖母から聞かされた。福生の民衆史としても興味深い」と話している。
 同書は全88ページ。問い合わせは同研究会会員の日野さよ子さん(042・552・7566)。
〔都内版〕

富山
国泰寺救った筆さばき 山岡鉄舟の千双屏風を展示
高岡市博物館
 高岡市博物館は、「幕末三舟」の一人、山岡鉄舟(一八三六~八八年)の筆で、同市太田の臨済宗国泰寺派大本山「国泰寺」に奉納された「千双屏風(びょうぶ)」と呼ばれる漢詩屏風(六曲一双)を展示している。二月二十八日まで。(武田寛史)
 屏風は二隻あり、一隻が縦百七十三センチ、横三百四十七センチ。右隻を展示しており、来年一月二十六日から左隻に展示替えする。
 鉄舟が、明治初期に国泰寺五十四世の越叟義格(えっそうぎかく)と親しくなり、廃仏毀釈(きしゃく)による寺の窮状を訴える越叟のために揮毫(きごう)し、奉納した千二百双の屏風が千双屏風。
 その後、同寺院五十五世、雪門玄松(せつもんげんしょう)が屏風を売り歩き、同寺の天皇殿や禅堂を再建。山門も改築して寺院の再興を遂げたと伝えられる。所有していた同市内の高林礼一氏が、同博物館に寄贈した。
 鉄舟は剣、禅、書の達人として知られ、戊辰戦争では勝海舟の使者として西郷隆盛に面会。六八(慶応四)年の江戸無血開城の道を開いた人物。書に優れた鉄舟の力強い筆さばき、洒脱(しゃだつ)な書体が見どころ。
 同博物館の仁ケ竹(にがたけ)亮介主査学芸員(40)は「高岡にとっては歴史的な価値がある。一歩踏み込んで、鉄舟や国泰寺の深い歴史を読み取れる資料なので、ぜひ見てほしい」と話している。年末年始の休館は二十八日~一月四日。一月五日から開館する。開館時間午前九時~午後五時。入館は無料。 

福岡
「幕末の山笠」伝える墨絵 博多・櫛田神社に奉納 安政5年、幻の舁き山の下絵か
 博多祇園山笠で知られる福岡市博多区上川端町の櫛田神社(阿部憲之介宮司)に、幕末の1858(安政5)年の作とみられる墨で描かれた山笠の絵2枚が奉納された。担いで走る舁(か)き山笠と飾り山笠の区別のなかった時代の山笠らしく、そびえ立つような威容。絵に残された筆書きから現在は無くなった「福神流」の山笠とみられる。山笠を作る人形師が関係者に構想を示すために描いた下絵とみられ、山笠の歴史を知る上で貴重な資料となりそうだ。
 奉納したのは、福岡県太宰府市観世音寺の高瀬利明さん(81)。かつて同区上呉服町で家具店を営んでいた高瀬さんの実家に伝わっていた品で、傷みが激しいため秋ごろから専門業者の元で修復が進められていた。
 歴代の山笠の記録を収録した「博多祇園山笠史談」によると、安政5年の福神流の山笠の題は「万貨一国富」で、当番町は現在の上呉服町の一角(山笠の運営単位では上魚町)に当たる「魚町上」。一方、2枚の絵にも「魚町上」の文字が記されており、片方には「中央榎木鉢蓬茂生 韓人王 安政五年四番見送り使用」と読める文字もある。
 2枚は、同じ山笠の「表」と「見送り(後方)」とみられ、その姿は、現在の飾り山笠のように高く、楼閣や橋が立体的に配置された典型的な江戸期の様式。中国風の衣装を着た男性の人形が表に2体、見送りに1体飾られ、宝物を満載した荷車が置かれるなど豪華な雰囲気を演出している。
 福岡市博物館の宮野弘樹学芸員によると、当時は山笠の飾り付けなどを決めるには藩の許可が必要で、藩に提出する正式な絵は鮮やかに彩色され「表」だけ描かれたケースが多いという。宮野学芸員は墨絵について「正式な許可申請の前に町内で打ち合わせた段階の絵だろう。当時の山笠の制作過程を明らかにする上で興味深い」と話す。上魚町の元町総代吉井利雄さん(85)は「こうした古い山笠の絵が残り、保存されるのはうれしいことだ」と話した。
いつもより一本多い番組で昼夜見たのでお腹一杯。

歌舞伎座「壽初春大歌舞伎」初日開幕

 NHKのEテレ特番「こいつぁ春から」で中継入っていたのですね。録画逃して残念……(°°;)。

【昼の部】
廓三番叟
 三番叟のバリエーション。傾城と新造と幇間。軽い舞踊。

義経千本桜 鳥居前
 初めて観る「千本桜」。いくら女が足手まといだからって、静御前を伏見神社の門前の木に縛り付けて自分たちは参拝って酷くないか義経主従(汗)。頼朝側の逸見藤太に静御前が囚われても仕方ないと思う。
 静御前の児太郎ちゃんがかわい過ぎて、うるうる。
 そして、スーパーヒーローは橋之助が演じる佐藤忠信、実は狐。殺陣の場面は、まるで仮面ライダーがショッカーの戦闘員たちと初戦を戦って強さを披露し、次に怪人と一騎打ちする展開……じゃ、なくて、特撮作品が歌舞伎を参考にしてるのね、ゴレンジャーは白浪五人男の名乗りの場面を参考にしているし。

梶原平三誉石切 鶴ヶ岡八幡神社頭の場
 続いては、なまじめ役の捌き役、立敵、など典型的な役が一同に会する作品。捌き役は吉右衛門、立敵は又五郎、老父の六郎太夫に歌六、娘に芝雀。
 酒尽くしの台詞を言う剣菱呑助に男女蔵。ビールの銘柄まで入ってて、笑った。

新古典劇十種の内 茨木

<歌舞伎>玉三郎 初春酔わす 歌舞伎座一月公演

 玉三郎が老いの表現に挑戦する作品。本当に枯れた感じで、終盤の茨木童子の鬼が対照的。
 渡辺源次綱は松緑。最後にくわっと目を見開き、真っ赤な口を開けるところが印象的。

【夜の部】
猩々
 梅玉と橋之助の猩々、酒売りは松緑。中国の揚子江を舞台にしているけど、まったく和物。

秀山十種の内 二条城の清正
 二条城大広間の場
 淀川御座船の場
 幸四郎が清正、孫(染五郎の息子)の金太郎が金太郎。まだ10歳ほどで

玩辞楼十二曲の内 廓文章 吉田屋
 玉三郎の夕霧太夫、鴈治郎の伊左衛門(仁左さまで一度観てみたい……)。
 上方のいい男ってなよなよしててちょっと自分の趣味ではないかも。
 一方、夕霧太夫はさすがの美しさ、麗しさ。そして踊りもきれい。

雪暮夜入谷畦道 直侍
 染五郎の直侍こと直次郎に尽きる。やっぱ江戸の男の粋はこれだわ。雪の日でも尻っぱしょりしてすっきりした脚を見せる。手ぬぐいのかぶり方、端のたらし方。蕎麦を美しくすする。小悪党なんだけど、三千歳花魁が惚れ込むのもわかる。
 三千歳には雀右衛門を襲名する芝雀。女役としては私の好みではないのだけど、吉原の花魁が間夫に入れあげる情の濃さがにじみ出ていた。

 いい作品と役者に恵まれて眼福な昼夜。

12月25日から27日にかけて、25回目の函館旅行してきました。

 25日、私が函館空港に降り立った時、雪がちらつき始めました……この冬の函館にはほとんど雪は降ってなかったそうなんですが。

 そして、私の雨女ぶりが爆発し、26日も27日も雪に見舞われました。特に27日は、アスピリンスノーの地吹雪と、吹雪が吹き荒れる天候に。帰りの飛行機は最終便だったのですが、あやうく欠航寸前、2時間遅れで何とか帰って来られました。



 去年の10月以来。1年2ヶ月ぶりに土方さんに御挨拶し、来し方を振り返り、行く末を見届けていただけますようお願いしました。

 はこだて自由市場で買い物したら、米1キロをいただきました。それを背嚢に背負い、吹雪の五稜郭の外濠に沿って歩きながら、雪中行軍の気分でウキウキしながら歩く私はヲタク以外の何物でもありません(爆)。

 函館では、土方歳三が歩いた道を掘り起こす、も〜さんこと毛利さんと会ってきました。も〜さんは、年明け1月7日に放送されるBS日テレ「解明!片岡愛之助の歴史捜査」に出演し、下二股口の戦いについて説明されるそうです(ただし番組全体のつくりはわからない、とのこと)。

解明! 片岡愛之助の歴史捜査
3年連続、個人的には暮れの風物詩となりました。市馬師匠が年ごとに歌謡ショーに力を入れ、今年は18曲も歌いまくり(^_^;)。さらに、いつもの恩田えりちゃんがゲスト出演するだけでなく、特別ゲストは権太楼師。珍しくスーツ姿の権師、写真撮影許可して歌い上げます。

掛け取り/市馬
 今年は歌舞伎に力を入れてしまって、年間30席しか落語に行けませんでした(´・ω・`)。なので、年の瀬の必聴である市馬師の「掛け取り」を聞き逃すかなぁと思ったら、こんな前座ポジション(笑)で市馬師匠の「掛け取り」を聴けるなんて。
 きっちり15分(笑)で、狂歌家主と芝居狂いの番頭さんが登場。さすがに美智也は出ませんでしたが、私には嬉しいクリスマスプレゼントです。

サンタ泥/一之輔
 天どんさんの新作落語「クリスマスの夜に(ネタ帳名・サンタ泥)」なのですが、何と……歌に凝り過ぎて、業を煮やした柳家三三にクーデターされ、落語協会会長から追放されたばかりか失業した市馬師匠(爆)が、サンタに扮装して泥棒するという設定に。市馬師匠いじりも一之輔さんにかかると何て剛胆な。
 泥棒が入ったのはシングルマザー家庭。お母さんが亀戸で「ミニスカサンタ」として働いているために不在の家を守る兄弟にほろりとして、泥棒はケーキとピザを差し入れ。それを4つに分けて(お母さんの分は冷蔵庫に保存)、3人で食べている(食べる仕草は柳家?)と、警官ふたりが乱入。ふだん男が出入りしない母子家庭に男が入ったので怪しいと近所から通報があったそうだ。
 泥棒を逮捕させまいと兄弟が父ちゃんだと言い張り、警官ふたり(「山さん」と「ジーパン」だったところもツボ)が引き下がる。
 いい話だ……と思ったのだけど、あれ、オチを覚えてない(^_^;)。

熊の皮/兼好
 兼好さんは大箱の落語会で浅い出番で聴くことが多いのだけど、とても軽やかに笑わせてくれて、もたれないところが素晴らしいと思う。独演会に行ったら大ネタも聴かせてくれるんじゃないかと思うけど、今は圓楽党まで手が回らないのでごめんなさい。
 甚兵衛さん設定でなかったので、おやっと思いました。圓楽党独自なのか、兼好師匠独自なのか、ちょっと気になります。
 艶笑噺ですが、上品な女性が多い市馬ファンに合わせて「かみさんに頭が上がらない振り売り八百屋」の程度でおさめています。

粗忽長屋/白酒
 持ち時間の15分でやっちゃえるのかと驚きましたが、やっちゃえるんですね。端折ってもさすがに白酒版のオチで決めてくれてます。

昭和歌謡大全集
 何で50代の市馬師匠が戦前から昭和にかけての歌謡曲を熱唱できるんだろう……と毎回思うのですが、それに輪を掛けて、もっと若いのに昭和歌謡のツボを踏んで司会できるたけ平さんも凄いです(来年3月、真打ち昇進おめでとうございます)。そして、後半の司会であるオフィスエムの加藤さん、相変わらず素晴らしいです。
 配っていただいたペンライトを振り振り、時には一緒に歌わせていただきました(でもうろ覚えで口パクが多いです……ただ「東京ラプソディ」はもっと大きな声で「都!」って声掛けして盛り上がりたかったです)。
 ゲストは恩田えりちゃん。そして特別ゲストは権太楼師匠。けっこう歌い込んでいる感じでした。

僕の青春《はる》
夜霧のブルース
別れのブルース
桑港のチャイナタウン
島の娘 恩田えり
十九の春 恩田えり・市馬
胸の振子
ダンスパーティの夜
憧れのハワイ航路

ガード下の靴磨き 権太楼

僕の東京地図
東京の人
東京の人さようなら
有楽町で逢いましょう
あゝ上野駅
銀座九丁目は水の上
東京の灯よいつまでも
東京ラプソディ
東京五輪音頭

 2016年は12月22日に品川きゅりあん(大井町)だそうです。地元なので市馬師匠を歓迎するためチケット取らなければ……。

一昨日、立川談笑さんの一番弟子、二ッ目の立川吉笑さんが出版した『現在落語論』が届いた。あっというまに読み切ってしまった。
立川吉笑『現在落語論』 リンク先はamazon.co.jp
 落語とは何か、大師匠である立川談志が『現代落語論』で感じた危機感は何だったのか、自分はなぜ新作落語にこだわるのか、擬古典という方法論、吉笑さん式の落語制作方法……見事だ。
 志の輔と談笑の落語に感激し、談笑さんに弟子入りした吉笑さん。京大卒で理系。作風は奇想天外で人の意表を突くのだが、その落語的ずれは緻密な理論構成からなるものだったりする。
 いやぁ、面白かった。

 そして、しばらく前から動向が心配されていた立川春吾さんが、9月に廃業することを報告するツイートが上がっていた。
立川 春吾 @tatekawashungo
今年9月に落語界から退きました。
ご報告できずにいてごめんなさい。
少しでも気にかけてくださった皆様、ありがとうございました。
思ってくださって、ありがとうございました。
もうすぐ新しい年が始まりますね。
また、どこかで。
 2013年9月ににぎわい座の立川談春一門会(当時は幕張で仕事していたから、すごい移動だったよ)で春吾さんの「お化けの気持ち」を聴いたり、フジテレビの「噺家が闇夜にコソコソ」の若手大喜利でいじられポジションになっていたのを応援の気持ちで見ていたんだよなぁ。

 吉笑さん「現在落語論」で気になる一節。
 落語界には「師匠選びも芸のうち」という言葉がある。
 客観的に見ても「才能がある」と思っていた仲間たちが、師弟関係の問題などで廃業するのを目の当たりにしてきた今となっては、身に染みてこの言葉の意味が理解できる。
 吉笑さんの言う「仲間たち」の中に春吾さんが入っているかどうかを示唆するものはないけど、春吾さんが立川一門の前座〜二つ目で吉笑さんと一緒に活動する機会が多かったのは確かだ。

 吉笑さん、春吾さんの分も前に進んでくださいね。
ほぼ一ヶ月ぶりの幕末ニュースです。
 2003年末に当ブログを開設し、干支で一回りしました。当初は大河ドラマ『新選組!』の感想と幕末関係ニュース中心にやってきました。最近は関心が落語と歌舞伎に移り、なかなか幕末関係ニュースをまとめられていませんが、細々ながらも十年以上続いているということが当ブログの特色と思い、引き続き細々とやっていきます。史実の土方歳三さまへの片想いは、16年続いておりますし。

埼玉
新選組「近藤勇」捕縛の古文書、熊谷では手控帳に 収集資料に同じ記載 郷土史家・佐藤さん /埼玉
 幕末期に反幕府勢力の取り締まりに活躍した新選組局長・近藤勇が千葉県流山市で捕らえられた状況を示す古文書が長野県佐久市の池田信二さん(76)宅で見つかったことを本紙埼玉版(11月17日付)が報じていたが、熊谷市でも同様の史実を記した文書が発見された。岩村田藩(佐久市)藩士らが、近藤ら「悪党共」を取り押さえたとする内容で、本紙記事を読んだ熊谷市新堀の郷土史家、佐藤繁さん(74)が自身の収集資料にも同様の記載があると、池田さんに連絡して判明した。【鴇沢哲雄】

 佐藤さんは江戸時代の武家社会の研究をしている。7年ほど前に前橋市の古書店で数百点の文書類を購入していたが、その中に含まれる大福帳型の「手控帳」に近藤が捕らわれた際の記述があった。

 手控帳は縦18センチ、横13センチ、厚さ2センチ。表紙には「慶応四年 辰二月」とあり、佐藤さんは、持ち主として記された「大林村(現越谷市)」の「弥五郎」は「名主」ではないかと推測する。内容は雑記帳で、日光・奥州街道を往来する大名や宿場間の連絡事項、人足への支払いなどさまざまな事項を記している。

 この中に「御官軍 池田権之助様 堀恭之進様」とあり、岩村田藩「家老代」と記されている「権之助」は、戊辰戦争の際に関東出兵した同藩の指揮官の一人。同藩の73人の行動として「辰四月一日夜千住宿御泊り 同二日当宿御通行粕壁宿御泊り 同三日当宿御通行にて流山ヘ来たり悪党共取り押さえ大沢町ヘ御立戻り 翌四日当宿御出立して粕壁宿へ」などと書かれ、近藤らを指す「悪党共」を取り押さえる前後の立ち寄り先として「当宿」(越谷宿)「粕壁宿」(春日部宿)「大沢町」(越谷)が登場する。

 佐藤さんは「手控帳は書状などの写しではなく、さまざまな情報の一部として官軍の動きを記録したものではないか」と分析。この内容は、佐久市の池田さん宅で見つかった古文書の内容と一致している。

 今月7日には、池田さんや、池田家文書を研究している川口市の郷土史家・伊澤隆男さん(74)、熊谷市で江戸時代から豪農として続いてきた根岸家第17代当主の友憲さん(72)が集まって文書の内容を確認。今回の新発見を喜び、今後も史実発掘で協力していくことを約束した。

北海道
新選組の歌冊子に 函館の湊さん、歳三の「辞世の句」含め32首
【函館】函館市美原2の「詩吟朗詠水月流賢心朗吟会」会長、湊賢心(みなとけんしん)=本名・賢一=さん(76)が、新選組副長で、箱館戦争で戦死した土方歳三の「辞世の句」とされる和歌を含め、新選組隊士の歌32首を詩歌構成吟「箱館新選組隊士たちの和歌集を詠む」として冊子にまとめた。

 詩歌構成吟は幾つかの漢詩や和歌をテーマに基づいて組み合わせ、吟じる方法。湊さんは毎年1冊、構成吟の冊子を作っており、今回で9作目となる。

 土方歳三の辞世の句はこれまで「たとひ身は蝦夷(えぞ)の島根に朽ちるとも魂は東(あずま)の君やまもらん」が広く知られており、湊さんも舞台でたびたびこの歌を吟じたことがあるという。

 しかし、知人から「別の辞世の句が見つかった」と聞かされて興味を持ち、幕末期の人物の書状などを展示している京都市の「霊山(りょうぜん)歴史館」から、その句が載った2013年発行の紀要を取り寄せた。

 紀要によると、土方の辞世の句は最後まで行動を共にした隊士島田魁がまとめたとする歌集の中にある。これには隊士32人の歌が収められ、このうち土方の歌は「鉾(ほこ)とりて月見るごとにおもふ哉(かな)あすはかばねの上に照るかと」。箱館戦争の総攻撃の前夜、旧幕府軍の幹部が集まって開いた宴席で詠んだ可能性が高いとしている。

 「本当に土方の辞世の句かはわからないが、こちらの方が最後の戦に向かう心象が歌われているように思う」と湊さん。この1首のほか、隊士31人の31首についても苦心しながら現代語に解釈し、1冊にまとめた。「函館にゆかりのある土方に、こういう歌もあると知ってもらえたら」と話す。

 冊子はA4判、36ページ。希望者は湊さん(電)0138・47・8625へ。(内田晶子)

「幕末の三筆」貫名菘翁展 来年3月まで札幌で /北海道
「幕末の三筆」の一人、貫名菘翁(ぬきなすうおう)(1778〜1863年)の書画作品を集めた特別展が小原道城書道美術館(札幌市中央区北2西2セコム損保札幌ビル2階)で開かれている。

 貫名菘翁は、江戸時代後期を代表する文化人で、四国・徳島で生まれた。高野山に入り、空海の書を学び、30代に儒学(朱子学)を教える私塾を京都で開いた。書画をはじめ儒学、漢詩に通じ、特に書は同時代に江戸を拠点とした巻菱湖(まきりょうこ)、市河米庵(いちかわべいあん)とともに「幕末の三筆」と称揚される。晋唐風の中国古典を追究した書風は、明治時代に活躍した書家、日下部鳴鶴(くさかべめいかく)、さらに鳴鶴の門人の比田井天来(ひだいてんらい)へつながり、現代書道に大きな影響を与えた。

 今回の特別展は、美術館所蔵の作品群の中から計44点を公開。蘇軾(そしょく)作の漢詩「赤壁賦」を記した六曲屏風(びょうぶ)をはじめ、漢詩に山水画を添えた掛け軸、扁額(へんがく)など快作が一堂に展示されている。同館の宮田成生事務局長は「貫名菘翁の作品がこれほどまとまって鑑賞できる機会は少ない。江戸時代一流の教養人による温雅秀麗な書画をぜひ堪能していただきたい」と話している。

 会期は来年3月31日まで(火曜日、26日〜1月12日は休館)。入館料は300円(大学生以下無料)。問い合わせは日本書道評論社(011・552・2100)。【坂本智尚】

高知
以蔵の合祀巡る文書 県護国神社で発見
◇明治政府の却下裏付け
 幕末に土佐勤王党に所属し、敵対する人物を暗殺したことから、「人斬り」との異名で知られる岡田以蔵(1838~65年)。明治期、旧勤王党員らが、以蔵を靖国神社や大島岬神社(高知県護国神社)に合祀ごうしし、顕彰するよう求めていたことを裏付ける資料が県護国神社で見つかった。このとき、以蔵の合祀は実現しなかったが、合祀を巡る具体的なやりとりの記録の原本が見つかるのは初めてという。

(畑本明義)

 武市半平太ら維新を巡って亡くなった土佐藩の関係者80人は、1883年(明治16年)、戊辰戦争の戦死者以外では初めて、靖国神社と大島岬神社への合祀が決まった。しかし、以蔵は勤王党員だったにもかかわらず、合祀されなかった。

 今回見つかった資料は、85年(同18年)に、田中光顕や土方久元ら中央で活動していた旧土佐藩関係者らから地元の旧勤王党員らに宛てた手紙と、旧勤王党員で後に警視総監も務めた西山志澄らが86年(同19年)に、現在の県知事にあたる県令の田辺良顕に宛てた手紙の控え。県護国神社宝物管理学芸員の松岡司さんが、神社に保管された「南海忠烈碑建碑関連文書」の中から見つけた。

 資料によると、田中らは「合祀からもれた諸士について、県令からまだ上申がないが、どうなっているか」と県令を通じて政府に合祀を上申するよう催促。これを受け、西山らは、以蔵や近藤長次郎ら6人について「国事に殉じたが、不幸にして栄典にもれ、いまだに安らかな眠りにつけないでいる」と、合祀を上申するよう田辺に願い出ている。また、その後89年(同22年)に、高知県知事名で「岡田以蔵を除くの外」として、以蔵を除く5人に合祀の許しが出たことを伝える公文書の写しもあった。

 以蔵は、京都で捕らえられ、土佐勤王党を弾圧する土佐藩の拷問を受けて自白したことが、勤王党の同志の逮捕につながったとされる。以蔵は、1983年になって県護国神社に合祀が認められたが、近藤長次郎らも名を刻まれる同神社内の顕彰碑「南海忠烈碑」には、今も名がない。

 松岡さんは、今回の資料について「以蔵の顕彰を政府側が却下したことの裏付けとなる資料だ」とし、「政府での顕彰作業の中心人物だった田中光顕はかつて勤王党員だった。以蔵の自白が武市半平太や、ほかの勤王党員を苦しめたことから、顕彰は認めることはできなかったのだろう」と話している。
ホラー苦手なんだけど、仮名手本忠臣蔵の外伝としての「東海道四谷怪談」に興味を持った。民谷伊右衛門は塩冶家の家臣だけど犯罪に手を染めてどんどん真っ黒になっていき、塩冶家元家臣で討ち入り四十七士のひとりに肉親の仇として討ち取られていく。単なる怪談話ではないんですね。

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 仕事でテレカンが入って最初の一時間をスキップ(; ;)したが、二幕目には間に合った。

 仕掛けに工夫があり、お岩の宙乗りは下半身がないように見える吊り方、逆さに吊って関係者を吊り上げて取り殺すなど、なかなかスペクタクル。二階席にいたのだが、中央付近のお客様がいじられたようで悲鳴が(汗)。

 忠臣蔵の討ち入りで幕になり、大団円というか恐怖譚で縮み上がった気持ちを晴れやかにする演出(現実は集団で老人を闇討ちする事件なんだけどな……)。
18時30分開演、21時30分過ぎ終演でサービスてんこ盛り。

赤めだかトーク・蝦蟇の油/談春
 「赤めだかトーク」はツイートできない面白ネタ満載。
 そして、蝦蟇の油を談春さんがかけるというのもレアで私は初聴き。きゃー。

トーク
 立川談春
 濱田岳(志らく役)
 宮川大輔(関西役)
 北村有起哉(談々役)

 濱田岳さんが、落ち着いて座っていられない、人の話をあまり聴いてない、などなど困ったちゃんでそれが一層爆笑を引き起こしてました。

芝浜/談春
 中入前も長く引っ張って大丈夫かと思ったけど、さらにこってりたっぷりな「芝浜」。特に、大晦日の夫婦の場面が長くたっぷりで、望陀の涙。
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