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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
佐野次郎左衛門に故・勘三郎、八ツ橋に玉三郎、繁山栄之丞に仁左衛門と、孝玉コンビに勘三郎という豪華トリオによる籠釣瓶。2010年の歌舞伎座さよなら公演のひとつ。

花魁はなぜ心変わりを? 『籠釣瓶花街酔醒』
あらすじ
佐野(現在の栃木県)の絹商人・佐野次郎左衛門は下男とともに江戸へ商用で来たが、ついでにうわさの吉原仲ノ町の夜桜見物にやってきた。田舎者と一目でわかる言動のため、客引きにもつかまるが、引手茶屋立花屋・長兵衛に助けられる。

そこへ、吉原でも全盛を誇る花魁・兵庫屋八ツ橋の道中に出会い、その嫣然たる微笑を見て心奪われてしまう。以来、次郎左衛門は吉原の常連となり、きれいな金の使い方で、佐野の大尽とまで呼ばれるようになり、八ツ橋との身請け話が進む。

ならず者・釣鐘権助は八ツ橋とは義理ある関係で、立花屋を通じて何度も金の無心をする。断られた腹いせに、八ツ橋の情人である繁山栄之丞へ、八ツ橋と次郎左衛門の身請け話をたきつけ、栄之丞は八ツ橋を問い詰め責める。その場で八ツ橋は次郎左衛門に愛想尽かしをすることを約束させられる。

身請けの準備に余念のない次郎左衛門は、自分の大尽ぶりを自慢したく、同郷の仲間を吉原へ案内する。だが、八ツ橋は思いのほか冷たい愛想尽かし。満座の中で恥をかかされた次郎左衛門は、怒りをこらえて理由を問うが八ツ橋は間夫がいるためと答えて去っていく。同郷の仲間たちのいやみやあざけりに堪え、次郎左衛門は国許へ帰る。

四ヶ月後、次郎左衛門は再び兵庫屋へ顔を出し、八ツ橋と再会し、恨みに思っていないことを告げ、八ツ橋も心から詫びる。だが座敷に二人きりになったとたんに次郎左衛門は遺恨を述べ、妖刀・籠釣瓶をふりかざし、花魁初め次々に兵庫屋の人々を次々に惨殺していく。    
花魁はなぜ心変わりを?『籠釣瓶』 その2

 見た目が美しい演目ではあるけど、ストーリー重視の自分にはちょっと単純過ぎるかな。でもまぁ、端整な仁左様、美しい玉様、醜男役もこなす勘三郎さんと楽しませていただきました。
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東京
絵画と写真が混在、幕末から明治の表現を辿る ── 江戸東京博物館で「浮世絵から写真へ ─ 視覚の文明開化 ─」
2015年10月14日(月)、東京・墨田区の江戸東京博物館で「浮世絵から写真へ ─ 視覚の文明開化 ─」が開催されている。

幕末から明治にかけ、従来からあった浮世絵をはじめとする絵と、新たにもたらされた写真が、それぞれの枠を超えて展開していった様子を紹介する企画。

江戸時代の浮世絵に触発されたと思われる明治初期の風景写真や、浮世絵と写真の双方で行われた「百美人」企画などを展示。泥絵やガラス絵、そして現在では見ることができない幻の技法である「写真油絵」など、明治時代に生み出された新しい絵画も紹介し、日本文化の近代化の一面を明らかにする。

「浮世絵から写真へ ─ 視覚の文明開化 ─」は江戸東京博物館で、2015年12月6日(日)まで開催。観覧料は一般 1,350円、大学生・専門学校生 1,080円、小学生・中学生・高校生・65歳以上 680円。
 

発信:インターネットミュージアム

>江戸東京博物館 施設詳細ページ
>「浮世絵から写真へ ─ 視覚の文明開化 ─」情報ページ
>江戸東京博物館 公式ページ

幕末、もうひとつの交代劇…。
古写真と浮世絵の特別展「浮世絵から写真へ – 視覚の文明開化」開催中

幕末から明治の浮世絵を眺めてみると、写真への並々ならぬ関心がにじみ出しています。逆に、当時の写真には浮世絵にインスパイアされたと思われる様子が見られ、互いに意識し合い、絡み合いながらさまざまな面白い作品を生み出されていました。


内田九一「小川泰堂居士夫妻肖像」

江戸東京博物館で開催中の特別展「浮世絵から写真へー視覚の文明開化ー」は、幕末から明治にかけて互いに影響を与えあい、生み出された不可思議な作品や接点について注目した展覧会となっています。


「和装西洋男女図」絹本彩色 海外土産として量産されたものだそう。顔は写真を使用してリアルに仕上げられています。

本展では、浮世絵・錦絵と写真とが織りなした多彩な表現を紹介し、日本文化の近代化の一面を明らかにしていきます。当時の最先端技術である写真と、超絶技巧が確立していた浮世絵の意外な共通点が見えてきます。

当時は白黒写真だけだったはずなのに、なぜカラー写真が?の秘密も解明。当時の日本人が関心を寄せた油絵などの舶来のテクニックをとりいれた作品、泥絵、ガラス絵、写真油絵などの不思議な作品たちも並びます。


「富士山風景図」 写真貼付ガラス絵 絵の中に写真が貼り込まれています。

気軽にスマホやデジカメで写真を撮影できる今だからこそ、写真が特別だった時代の作品を振り返ってみてはいかがでしょうか。



特別展「浮世絵から写真へー視覚の文明開化ー」
会期:2015年10月10日(土)~12月6日(日)
会場:江戸東京博物館 1階特別展示室
開館時間: 午前9時30分~午後5時30分(土曜日は午後7時30分まで)
休館日:月曜日休館(月曜日が祝日または振替休日の場合は翌日)

浮世絵から写真へー視覚の文明開化ー – 江戸東京博物館

日本の文化と「今」をつなぐ – Japaaan
山口
山口県萩市、観光の起爆剤「大河ドラマ」と「世界遺産」が同時にきた町の経済効果とは
日本全国の観光地にとって、「観光まちおこし」の起爆剤になる存在といえば「NHKの大河ドラマ」と「世界遺産の登録」だろう。大河ドラマは昔に比べれば視聴率が落ちて効果が薄れたと言われるが、世界遺産のほうは外国人観光客の呼び込み効果も大。平泉も、富士山も、富岡製糸場も、登録直後は観光客が激増している。今年、その大河ドラマと世界遺産登録がダブルでやってきた町がある。それは山口県の萩市。はたしてその経済効果はどれぐらい大きかったのだろうか?
執筆:経済ジャーナリスト 寺尾 淳
大河ドラマの経済効果、世界遺産の経済効果

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 1963年の『花の生涯』に始まるNHKの日曜日夜の大河ドラマはほとんどが時代劇で、時代は戦国時代と幕末が多い。歴代平均視聴率の最高は1987年の『独眼竜政宗』で39.7%、2位が1988年の『武田信玄』で39.2%、3位が1984年の『春日局』で33.1%だった、最高視聴率の『独眼竜政宗』は大河ドラマ観光ブームの先駆けになり、主人公の伊達政宗に縁が深い山形県米沢市、宮城県仙台市には大勢の観光客が押し寄せた。

 しかし、最近の大河ドラマの平均視聴率は2010年の『龍馬伝』以来、5年連続で10%台で低迷し、観光誘発効果も地元が期待するほどは大きくなく「大河ドラマはもう頼りにならない」とも言われている。

 日銀の支店が推計した最近の大河ドラマの経済効果は、2009年の『天地人』は204億円(新潟支店)、2010年の『龍馬伝』は234億円(高知支店)、2012年の『平清盛』は150億円(神戸支店)、2013年の『八重の桜』は113億円(福島支店)で、バブル経済の時代で経済効果が300億円とも500億円とも言われていた歴代視聴率1位の『独眼竜政宗』や2位の『武田信玄』と比べると、スケールが小さくなっている。

 それと比べると、ずっと頼りになる存在がユネスコの「世界遺産」だろう。自然遺産も文化遺産も、登録されれば国際的に著名な観光地に一変し、ガイドブックに載って外国からの観光客も大きく増加する。

 記憶に新しいのが群馬県富岡市の富岡製糸場で、2014年6月に世界遺産に登録されると、2013年は31万4516人だった入場者が2014年は133万7720人へ一気に4.25倍になった。経済効果は34億円(群馬経済研究所)。

 富士山(2013年登録)の場合は、2014年の山梨県の観光客数が初めて3000万人を超え、日銀甲府支店は経済効果を194億円と推計した。これは、同じ2013年に日銀福島支店が算出した大河ドラマ『八重の桜』の経済効果推計113億円の約1.7倍にのぼる。

 日本銀行も、今や地域の観光振興には大河ドラマよりも世界遺産のほうが効果が大であることを、数字ではっきり示している。平泉(2011年6月登録)は観光客が約3割増で、岩手経済研究所は経済効果を63億円と推計した。

 だが今年、その大河ドラマも世界遺産登録も両方、半年の間隔をおいてやってきた都市がある。それは長州藩の城下町だった山口県萩市。2015年の大河ドラマは吉田松陰の妹が主人公の『花燃ゆ』で、その吉田松陰が教えた松下村塾など市内5か所の史跡が7月5日、ユネスコの世界遺産委員会で「明治日本の産業革命遺産」に登録された。

萩市の生産人口の半分以上が観光に関わりを持っている

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萩・江戸屋横町
 大河ドラマ『花燃ゆ』の経済効果は昨年、日銀下関支店が観光客が5%増加して215億円になると推計している。会津若松市が舞台だった『八重の桜』の113億円の1.9倍あり、最近では坂本龍馬が主人公の『龍馬伝』234億円(高知県分)に次ぐ規模。それに世界遺産登録の経済効果が加わることになる。

 世界遺産の構成遺産でもある萩市中心部は、幕末の歴史に名を刻んだ長州藩士の武家屋敷も商家も寺社仏閣も、まるで映画のセットのように時代劇の舞台そのままに残り、しかも規模が大きい。

 江戸時代の大きな藩の城下町は明治以降は県庁所在地になり都市の近代化が進められたため、萩のように江戸時代の町並みがそのまま残っているのは他に例がない(出石や津和野などは小藩)。歴史的な町並みが多く残っていると言われる金沢市や松江市も、それは中心市街地面積のごく一部。県庁が萩ではなく山口に置かれたこと、大火や戦災にあわなかったことが幸いして、今では貴重な観光資源になっている。

 それは裏返せば、近代的な産業がなかなか育たず、都市の近代化が進まなかったことを意味する。萩市や、安倍首相の父祖の地の長門市、青海島がある山口県の日本海沿いの北浦地方は、石油化学コンビナートも貿易港もある瀬戸内海沿岸の山陽地方に比べると製造業や商業の集積が遅れている。そのため萩市の経済は、史跡や歴史的町並みを活かした観光業に大きく依存している。

 2010年の国勢調査によると生産人口の16.2%が第一次産業、19.6%が第二次産業、64.1%が第三次産業に従事し、第三次産業の大部分は宿泊、飲食、交通など観光との関連が深いので、「萩市の生産人口の半分以上は観光と関わりを持っている」と言っても決して過言ではない。

 その観光客数は2014年は前年比5.3%増の約230万人で、市の人口約5万人の46倍もあった(山口県観光振興課「平成26年・山口県の宿泊者及び観光客の動向について」)。だからこそ、大河ドラマも世界遺産も、町の経済へのインパクトは大きくなる。
大河ドラマと世界遺産で景況に二つの山が出現

 景気がダイレクトに反映しやすく、地域経済の毎月の動向を把握しやすい経済指標に有効求人倍率がある。各都道府県にある厚生労働省の出先機関「労働局」が、各ハローワーク別の数値を集計・発表している。

 山口労働局のハローワーク萩の有効求人倍率のデータを見ると、2012年平均は1.00、2013年平均は1.07、2014年平均は1.15で、2014年12月も1.27だったが、年が明けて大河ドラマがスタートすると1月にいきなり1.55にはね上がり、2月も1.55を維持した。この地域がいかに観光産業に依存しているか、大河ドラマ効果による観光客増を当て込んで、人を採用してそれに備えようとしたかがわかる。

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「大河ドラマの年」のドラマの舞台のハローワークの有効求人倍率の推移
(単位:倍)
(出典:山口、福島、高知の各労働局の統計資料より/パートを含む常用)

 ところが、『花燃ゆ』はこれまでの大河ドラマにはなかったほど視聴率が不振で、1ケタの回が9月までに5回もあった。ゴールデンウィークが終わると観光客の増加も一段落し、ハローワーク萩の有効求人倍率は5月、前年平均を下回る1.13まで急降下した。

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松下村塾。「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産のうち萩市は5か所もある
 そこへもたらされたのが、7月5日にユネスコの世界遺産委員会で「明治日本の産業革命遺産」が登録されたというニュースだった。全国23か所の構成遺産のうち萩市は松下村塾など5か所あり長崎市の8か所に次いで多い。大河ドラマが低調でも、もう一つの観光の起爆剤「世界遺産の登録」がもたらされ、ハローワーク萩の有効求人倍率は7月は1.23、8月は1.26と回復をみせはじめた。

 それは地元の金融機関が中小企業を対象に実施する景況感調査にも反映している。山口県下関市にある西中国信用金庫調査室が10月16日に発表した「しんきん景況レポート」第43回によると、萩市、長門市が含まれる山口県北部地域の景況感指数は、2014年7~9月期は-17.4、10~12月期は+8.7、2015年1~3月期は-8.7、4~6月期は+13.0、7~9月期実績は当初予想の-4.3がプラスマイナスゼロに上方修正され、10~12月期の予想は+17.4の大幅増を見込んでいる。

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山口県北部地域の景況感指数の推移(萩市、長門市)
(出典:西中国信用金庫調査室「しんきん景況レポート」第43回)

 有効求人倍率よりやや遅れて4~6月期に今年第1のピークがきて、踊り場を経て10~12月期に第2のピークを迎えようとしている。西中国信用金庫調査室では「大河ドラマ効果に世界遺産効果が加わり、観光関連の卸売業、小売業、サービス業を中心に大幅に改善することが見込まれている」とレポート。現状、「山口県で最も景況感が良い地域」と話している。いま、萩の観光関連企業は「世界遺産登録で今年二度目の観光ブームが来る」と意気込み、いったん落ち込んだ採用意欲を取り戻しているところだろうか?

 萩の今年の景況が「ツインピーク」になっているのは、やはり約半年の間隔をあけて大河ドラマと世界遺産登録が同じ年にやってきたから。大河ドラマだけでは、そうはならない。NHKの大河ドラマの視聴率は毎年、第1回の頃が最も高く、春から夏にかけてだんだん低下する傾向がある。

 しかし「ご当地」のハローワークの有効求人倍率はそれに反比例して、尻上がりに少しずつ上昇する傾向がある。会津若松も、2010年の『龍馬伝』の高知県もそうだった。その点、ハイレベルのスタートダッシュを切り、夏前に中だるみして再び上昇に転じた萩は、特異なパターンを描いている。

 ただ、怖いのは反動減。隣県島根県の石見銀山は2007年に世界遺産に登録され、観光客数が2006年の40万人から2007年は71万人、2008年は81万人に増加したが、その2年後の2010年は40万人と元に戻ってしまった。世界遺産といっても、いつまでも観光客がゾロゾロやって来るわけではない。

 なお、2年前に大河ドラマの舞台になった会津若松市の産業別生産人口は、5.5%が第一次産業、24.7%が第二次産業、65.9%が第三次産業に従事している(2010年国勢調査)。富士通系などの進出企業も多い。2014年の観光客数は289万人で萩の230万人よりも多いが、人口(12万6200人)比でいえば約23倍で萩の半分。大河ドラマ効果で前年比100万人アップの396万人の観光客が訪れた2013年でも、約31倍どまりだった。観光産業への依存度は萩ほどは高くない。

 2016年のNHKの大河ドラマは真田幸村が主人公の『真田丸』で、主な舞台は長野県上田市。北陸新幹線や北信越自動車道が通る人口約16万人の長野県第3の都市で電気機器、自動車部品など工場が立地し、製造品出荷額は安曇野市に次ぐ長野県第2位という工業都市でもある。菅平高原や別所温泉があり年間観光客数は約400万人と多いが、地域経済の観光への依存度は萩市や会津若松市ほどは高くない。世界遺産の候補になりそうな史跡や自然も見当たらないが、上田市の経済は来年、どれぐらい潤うのだろうか?
 私は『花燃ゆ』挫折組なのでドラマについてはノーコメントで(^_^;)。

エンターテインメント
宝塚版『るろうに剣心』がガチすぎて話題に 「クオリティぱねぇ」「カッコよすぎる!」
宝塚歌劇団が和月伸宏原作の『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』の初ミュージカル化を公演、この度宝塚公式twitterで作品の画像が投稿され、そのあまりのカッコ良さがネット上で話題となっている。
今回公演する浪漫活劇『るろうに剣心』は、1994年4月に「週刊少年ジャンプ」にて連載開始後、シリーズ売上累計5900万部を超える大ヒットコミックとなりアニメや実写映画でも次々と大ヒットとなった作品である。そして今回、宝塚歌劇が小池修一郎脚本・演出により、この作品の初のミュージカル化に挑戦。幕末に伝説の人斬りとして恐れられ、明治維新後は"不殺"を誓った剣客・緋村剣心を主人公に、新たな登場人物を加え華麗に繰り広げられる浪漫活劇 〈アクションロマネスク〉となっている。

宝塚歌劇団雪組トップスターの早霧せいなが主人公・緋村剣心を、咲妃みゆが神谷薫を、望海風斗がオリジナルキャラクターの加納惣三郎を演じる。

今回公開された完成度の高すぎる画像にネット上では、「綺麗すぎる」「男前すぎるw」「宝塚、すごいのぶっこんで来るなあ」「再現度高過ぎだろ・・・マジパネェ・・・」「うおおおおかっこいい!!!」「宝塚のるろ剣これは期待!」「てかみんなイケメンすぎる!!!」「すごくるろ剣の雰囲気とキャストがマッチしてて良い」「違和感ない気がする」「クオリティぱねぇw」「宝塚るろうに剣心ぱねぇ・・・」「結構見たい」と多くの反響を見せている。

雪組公演『るろうに剣心』は2016年2月5日(金)より公演
 私も昨日、画像を見て同感でした(笑)。きっとヒットするでしょう。
 ちなみに、今週金曜日から3週間、映画版「るろうに剣心」3作がテレビ放映されます。
大河ドラマ『新選組!』から11年、『新選組!!土方歳三 最期の一日』から9年9ヶ月。あの土方歳三がNHK朝ドラにお出ましするとは……「待たせたな!」の名台詞とともに。

 10月14日の放送はリアルタイムでは見損ねましたが、ちゃんと録画していました。刀を構えて後光がキラーンは山本耕史さんが同じくNHKの時代劇『陽炎の辻』で演じた坂崎磐音様のオマージュですね、今回の朝ドラを担当したプロデューサーが『陽炎の辻』も担当していて山本耕史さんの朝ドラ出演を交渉したようです。
 そして、『新選組!』屈指の名台詞「待たせたな!」……私達、組!ファンへのメッセージを込めた一言、しびれます。
 組!当時の衣装とかつらが今でも使えるという山本耕史さんのフィットネスぶりもすごい。そして、台詞回しももちろん、目つきが山本土方まったく変わってない。お肌も相変わらずきれいだし(笑)。

 今日16日の放送では、慶応一年十二月に、あさが嫁いだ加野屋に新選組が400両(現在の貨幣価値では2000万円)の借金をした証文が残っている史実をうまく活用し、山本土方が加野屋に乗り込む展開。近藤正臣さん(日テレ『白虎隊』で土方歳三を演じた時のはまりぶり素敵でした。あと、『陽炎の辻』では磐音様を支える両替商の元締で、今回の役どころとも似ています)演じる番頭さんが震えながらお金を用意しようとすると、あさが立ちはだかって、土方に借金を返す気があるのかと問いかけます。
 その場面で、あさを下から上に、人物を見定めるように凝視(これ山本土方の特徴)。婿の信次郎が子供と思って床入りしていないあさを、肝のすわった「いい女だな」と評します。
 「金は、返す。俺が生きていればの話だがな」と、当時、大政奉還で幕府が消滅したばかりか、王政復古のクーデターで西軍(薩長諸藩)と旧幕府軍が一触即発になっていた時代背景と、その後の戊辰戦争で戦死する土方さんの今後を予見するような一言。
 目の演技が、言葉の間の取り方が、唇に運んだ指が、素敵でした。
 素敵なゲスト出演でした。史実ファンとしては、慶応一年十二月の時点で土方さんが「幕府再興」を大義名分とするのはちょっとなと思うこと、「薩長新政府」を政府認定してしまうのは史実的にはないだろうと思うのですが……でもまぁ、それはさておき。
 本当に、11年ぶりに、このお姿が見られただけで、そして、大河当時に比べると、おそらくは史実の土方歳三さんが30代半ばで備えていたであろう貫禄を身につけた山本土方の勇姿を再び見られたことが、とても幸せです。眼福眼福。

【11年ぶり】「待たせたな」土方歳三=山本耕史「あさが来た」に登場、「新選組!」ファンは3回視聴するお祭り騒ぎ中

NHK「あさが来た」に山本耕史演じる土方歳三が後光とともに「待たせたな」と登場に盛り上がる

「借りに来た」土方歳三の再登場に二度目の祭が始まる #あさが来た

#あさが来た 山本耕史さん演じる土方歳三登場で『土方祭り』が止まらない!

「待たせたな!」山本耕史の土方歳三が11年振りに帰ってきた!

山本耕史の土方歳三が登場、キメ台詞「待たせたな」にネット民も歓喜

待たせたな! 『あさが来た』に土方歳三登場もナレーションが一刀両断w

「あさが来た」番組最高21・5% 山本耕史が土方役で登場
 組!ファン、11年経っても熱いよね。私も(汗)。


史実つながりはこちら。
大同生命保険借金は返された? 大同生命所蔵の新撰組借用書
今週後半、朝ドラに大河ドラマ『新選組!』の土方副長がカメオ出演(……でいいんだよな?)が予定されています。ちょうど出張中なのでリアルタイム視聴できるかどうかわかりませんが、留守録はスタンバイできてます。

宮城
旧仙台藩士の奮闘紹介 亘理伊達家当主が講演
 旧仙台藩士が現在の北海道伊達市に入植し、テンサイ栽培を始めた歴史に焦点を当てた講演会「北の大地で砂糖を作る-仙台藩士の甘い企て」が11日、仙台市青葉区の東北大片平さくらホールである。「朝敵」の汚名をそそごうと奮闘した武士集団の野望。そのてんまつは-。

 講師は亘理伊達家の第20代当主で伊達市噴火湾文化研究所学芸員の伊達元成さん(36)が務める。亘理伊達家は戊辰戦争に敗れて領地を没収され、家臣ら2700人を従えて1870(明治3)年以降、北海道有珠地方に集団入植した。
 当時の北海道は稲作ができず、寒冷地に適したテンサイの栽培を始めた。札幌農学校にいたクラーク博士の勧めもあったという。
 屯田兵のように国から給与が支払われることもないため「早く商品作物を生産し、利益を上げ続けなければならなかった」と伊達さん。馬に引かせた耕運機など当時としては最新だった西洋技術の導入を図ったが、「武士の商法」で苦境に陥った時期もあった。
 現在では、全国で生産されるテンサイのほぼ全量が北海道で栽培されている。2014年には356万トンを出荷。道内では精糖会社3社の計8工場が稼働する。
 伊達さんは「北海道に渡った彼らに、古里へ帰るという選択肢はなかった。砂糖生産を成功させ、仙台藩の功績として内外に認めさせようとした」と話す。
 入場無料。午後4~5時。連絡先は東北大東北アジア研究センター022(795)6009。

福島
元白虎隊士・山川健次郎の直筆書簡発見
 元白虎隊士で、東京帝大などの総長を歴任した物理学者山川健次郎(1854~1931年)の自筆の書簡が見つかった。寄贈を受けた山川健次郎顕彰会(宗像精会長)によると、山川の直筆の文書は珍しい。
 会津藩士の家に生まれた山川は、戊辰戦争(1868~69年)当時、白虎隊の隊士だった。明治に入って米エール大で学んだ後、東京帝大理学部で物理学を教え、東京、九州、京都各帝大の総長を務めた。
 見つかったのは、水戸学の第一人者である深作安文東京帝大文学部教授に宛てた手紙やはがきなど計5点。8月に福島市のデパートで開かれた骨董(こっとう)市で販売されていた。顕彰会副会長の武田修若松ガス社長が30万円で購入して会に寄贈した。
 1916年の毛筆の手紙では、旅行で不在のため、深作の見送りをできないことを伝えている。このほか、深作が自著を送ってくれたことに礼を述べたはがきや、大正天皇の大嘗祭(だいじょうさい)を祝うため、皇室に送ったとされる印刷物の文書もある。
 今後、同市の観光・研修施設「会津藩校日新館」に展示する予定。山川健次郎顕彰会の森武久事務局長(71)は「気持ちの優しさが感じられる字。会津に先生のような偉人がいたことを多くの人に知ってほしい」と話す。
 顕彰会は31日午後2時から会津若松市の会津若松ワシントンホテルで「山川健次郎顕彰フォーラム」を開催。会員や小学校教諭ら専門家が書簡の内容を解説する。入場無料。連絡先は森さん090(2279)1795。

二本松の菊人形開幕 幕末維新テーマ 平成27年11月23日まで
 第61回二本松の菊人形は平成27年10月10日、福島県二本松市の県立霞ケ城公園で開幕した。
 二本松菊栄会(会長・新野洋市長)の主催。「幕末維新伝」をテーマに「文明開化」「池田屋騒動」など8場面で構成され、幕末や明治維新の有名人物が菊人形で表現されている。千輪咲きなどが並ぶ菊花展ゾーンやガーデンゾーンもあり、色とりどりの計3万株の菊が飾られている。
 初日から多くの来場者でにぎわった。郡山市から家族で訪れた岩沢ゆみ子さん(54)は「久しぶりに観賞したが、規模に驚いた」と話していた。
 会期は11月23日まで。入場料は一般700円。中学生以下無料。問い合わせは菊栄会事務局 電話0243(55)5122へ。
(2015/10/11 09:38カテゴリー:愛でる)

群馬
長沢理玄:生誕200年 幕末に種痘接種、天然痘根絶の先駆 館林に顕彰碑、市民ら寄付募り /群馬
 幕末期に天然痘の種痘を上州で初めて施し、多くの命を救った館林藩医・長沢理玄(りげん)(1815〜63年)の業績をたたえる顕彰碑が館林市本町に建立された。館林出身のデザイナー、田中茂雄さん(63)=東京都=が歴史に埋もれていた名医に再び光を当てようと寄付を募り、生誕200年の今年、建立にこぎつけた。【阿相久志】

 山形出身の理玄は、藩主・秋元家の国替えとともに館林に移った。江戸で種痘接種法を学び、1851(嘉永4)年、館林で種痘を実施。当初は牛痘法への理解が進まず受け入れられなかったため、山形で種痘を広めた後、翌年になって藩主の協力の下、館林で本格的な種痘接種を始めた。

 理玄は約9000人に種痘を施し、うち山形で1500人、館林では7500人に上ったという。天然痘は1980年に世界保健機関(WHO)が根絶を宣言したが、幕末期にはまだ感染力が強く、死亡率も高い感染症として恐れられ、民間信仰で長く「疱瘡(ほうそう)神」があがめられていた。

 田中さんは館林城再建を目指す活動の中で理玄を知ったが、「館林に育ちながら子どものころ習ったこともなく存在を知らなかった」と驚いた。2012年に調べ始め、理玄の苦闘を小説「疱瘡長屋の名医」(02年)に描いた地元の作家、石村澄江さん(77)と出会った。

 石村さんを会長に顕彰会が発足。勉強会を重ね、14年5月に企画展を開いた。理玄に関する資料を保管していた館林市邑楽郡医師会や地元経済界の協力も得て、建立が実現した。

 顕彰碑は、理玄が歩いた幕末期の城下町の道筋をとどめる道と、東武館林駅と市役所を結ぶ幹線道が交差する角地に建てられた。碑の正面は、理玄が自費で建てた病院の跡地を向いている。碑には理玄が初めて種痘を藩家老の子どもたち4人に施す様子を再現した彩色画をはめ込んだ。田中さんは「文字だけだと子どもが読んでくれない。学校教育にも生かしてもらおうと絵を入れた」と話す。

 4日の除幕式には長沢博さん(64)、滋さん(59)の兄弟をはじめ長沢家の子孫たちも参列。地元で商店を経営する博さんは「館林が歴史遺産のまちであることでも有名になってほしい」、小学校教諭の滋さんは「社会科の学習で使える大きな資料となる」と顕彰碑の完成を喜んでいた。

島根
幕末の津和野伝える百景 日本遺産センター11日オープン
 島根県津和野町は9日、「津和野百景図」に基づく歴史文化ストーリーの日本遺産認定に伴い、同町後田に11日オープンする「津和野町日本遺産センター」の報道関係者向けの内覧会を開いた。実物の百景図やパネルを展示し、津和野の歴史や文化を伝えている。
 同センターは、町出身の浮世絵研究家・永田生慈さんから無償で譲り受けた旧葛飾北斎美術館を改修した。
 センター内には、栗本里治(さとはる)(号・格斎)が、江戸末期の津和野藩の風景や鷺舞(さぎまい)などの伝統行事、人々の暮らしを描いた津和野百景図の一部を展示。百景図全100枚の絵を解説付きパネルで紹介している。
 同じく里治が幕末期の城下を描いた絵図のパネルや、津和野の魅力を四季、自然、歴史文化、食文化の4テーマで紹介するコーナーも設けた。
 入場は無料で、開館時間は午前9時~午後5時。町商工観光課の米本潔・歴史まちづくり推進係長(47)は「多くの人に寄ってもらえる新たな観光拠点になればうれしい」と話した。

長崎
江戸ー幕末期の城下町・大村 キリスト信仰の名残り色濃く
キリスト教弾圧の哀史の遺跡

ORCを使った「しま旅」の時間調整に便利な歴史のまち・大村は、肥前大村藩2万7千石の城下町。中世から江戸時代を経て、明治維新に至るまで大村地方を治めてきた大村氏に関わる観光素材が点在している。

日本で最初のキリシタン大名となった大村純忠は、大友宗麟、有馬晴信と共に「天正遣欧少年使節」をローマに派遣したことで知られる。

大友純忠終焉の居館跡は「大友純忠史跡公園」として整備され、泉水の庭園跡も残っている。「本教寺」は大村藩初代藩主・大村喜前がキリスト教禁止後に建てた日蓮宗の寺院。歴代藩主を祀った6メートルを超す巨大な墓塔が立ち並び、その大きさには驚かされる。キリスト教から改宗した後も密かに信仰を続け、墓所のすべての石垣には十字架がつくなど大村藩の宗教政策がよくわかる。

「旧楠本正隆屋敷」は幕末に活躍した楠本正隆の屋敷だったところ。建物を含め石垣、庭園、家財道具に至るまで当時のまま残る貴重な施設だ。

このほかにも城下町の佇まいを残す本小路、上小路、小姓小路、草場小路、外浦小路といった武家屋敷通りあり、今でも重厚な石垣が風格を漂わせている。なかでも色とりどりの海石を漆喰で固めた大村地方独特の「五色塀」は見ごたえがある。

四代藩主の純長が創建した「円隔寺」の庭園は江戸時代初期様式の石組み庭園で、東西50メートルの斜面を利用し、400個以上の石を組み合わせた造りは雄大だ。

豊臣秀吉から始まり江戸時代まで続くキリスト教弾圧の哀史の遺跡は、現在でも市内各地に数多く残っている。

コラム
かなりの画力の高さ!幕末の浮世絵師「尾形月耕」桃太郎を鬼のアングルから描いた作品も
 主に明治時代に活躍した浮世絵師 尾形月耕(おがたげっこう)。まったく名前も知らずノーマークだった絵師なのですが、尾形月耕による作品集「月耕随筆」の中の1枚を見て秒速で大ファンになってしまいました。
 その1枚というのがこちらの「龍昇天」。

尾形月耕「月耕随筆 龍昇天」

これはかっこいいですね!龍が天に昇る姿というのはよく描かれる題材だとは思うのですが、尾形月耕がかなりの画力を持っていることがうかがえる作品ではないでしょうか。

浮世絵師 尾形月耕は安政6年に江戸に生まれ、本名は名鏡正之助。独学で絵を学んだ後に絵師 菊池容斎に教えを受けました。提灯屋を営みながら絵を描くことは続け、明治10年には錦絵を自費出版して見事ヒットすることとなります。

尾形月耕と同時期に活躍した絵師としては月岡芳年が有名ですが、尾形月耕の絵のテイストは月岡芳年にどこか似ている気がします。月岡芳年が描く男性はとても男臭く好きなのですが、尾形月耕の描く男性もまた男らしさが溢れていて素敵ですよ。

尾形月耕「月耕随筆」
尾形月耕「月耕随筆 桃太郎」

鬼、めちゃくちゃかっこよろし!主人公にしてもいいレベルですw
鬼のアングルから桃太郎御一行様を見下ろした作品というのはなかなか見ないのでとっても新鮮。昔話を主人公ではない別の視点から描くっていうのはなかなか面白いですね。

最後に月耕随筆より作品を幾つかご紹介します。繊細な線の使い方や力強さなどその画力の高さを堪能してみてください。

画像出典: 古典籍閲覧ポータルデータベース 資料番号MM0629

日本の文化と「今」をつなぐ – Japaaan

作品集「月耕随筆」の中でもう一つ好きな作品があるのですが、それがこの桃太郎。
アニメ版『幕末Rock』キャストによる伝説の雷舞再演、ということで「超超絶頂★雷舞」決定。

「幕末Rock」のライブ再び。「超超絶頂★雷舞」が2016年2月28日に開催
伝説の雷舞(ライブ)再び!
『幕末 Rock』
超超絶頂★雷舞(ウルトラエクスタシーライブ)の公演が決定!

 弊社より好評展開中の『幕末Rock』シリーズにて、2016年2月28日(日)にTVアニメ『幕末Rock』内のバンド「超魂團(ウルトラソウルズ)」が全員集合する雷舞(ライブ)「BREAK OUT presents 幕末Rock 超超絶頂★雷舞(ウルトラエクスタシーライブ)」の公演が決定いたしました。
 こちらチケット先行一次受付を2015年10月13日(火) より iOS/Android向けアプリ『幕末Rock 極魂(アルティメットソウル)』の全パック購入者限定で、チケット先行二次受付を2015年12月3日(木) より12月2日(水)発売『超★超歌劇『幕末Rock』DVD&Blu-ray』購入者対象にて開始させて頂きます。どうぞ宜しくお願い致します。

★公演概要

<タイトル>
BREAK OUT presents 幕末 Rock 超超絶頂★雷舞
<出演者>
超魂團(ウルトラソウルズ):谷山紀章、鈴木達央、森久保祥太郎、森川智之、小野賢章
<公演日>
2016年2月28日(日)
<会場名>
パシフィコ横浜 国立大ホール 会場住所:横浜市西区みなとみらい 1-1-1
<開場・開演>
一部 開場:13:00、開演:14:00 / 二部 開場:17:00 、開演:18:00
<チケット代>
VIP席(特典付き) 10000円(税込) / 一般席 6900円(税込)
<券売スケジュール>
先行一次受付
10月13日(火)アップデート完了後~11月23日(月・祝)23:59
※iOS/Android向けアプリ『幕末 Rock 極魂(アルティメットソウル)』の全パック購入者対象
アプリ詳細はこちら:http://bakumatsu.marv.jp/sp/news/article/20150910_01.php
先行二次受付
12月3日(木)15:00~12月25日(金)12:00
※12月2日(水)発売『超★超歌劇『幕末 Rock』DVD&Blu-ray』購入者対象
舞台公式 HPはこちら:http://bakumatsu.marv.jp/stage/

※一口2名まで購入可能
※《一部》《二部》それぞれ第2希望までのお申込が可能
※チケット引換日:2/13(土)予定
※先行受付は運営上の都合により、予告なく早期終了する場合がございます。
※未就学児童、入場不可
※出演者および内容は変更になる可能性がございます。

 超魂團全員のスケジュール合わせるだけで大変だったと思うのですが、再集合かなって嬉しいです。MCは安元さんと斎賀さん、飛び入りゲストは諏訪部さんを期待してしまうのですが……まぁ、それがなくても昼の部夜の部両方のチケット確保を頑張りたく思います。

 そして、歌劇再演と雷舞再演で幕末Rock続編つくる資金を貯めているのだと思いたいです。
昼の部と夜の部連続は腰がきついんだけど、なんとか。

音羽獄だんまり
 松也の夜叉五郎、児太郎の小式部、右近の鬼道丸と若手が見られたのが自分的にはツボ。

矢の根
 松緑の曽我五郎。ちょい出で曽我十郎に藤十郎。

一條大蔵譚
 仁左さまが今日の眼福。阿呆役もかわゆく、後半の真のお姿は……うっとり。

文七元結
 落語でおなじみの文七元結。

壇浦兜軍記 阿古屋
 玉三郎にしかできない阿古屋。

髪結新三
 裏長屋に住まって廻り髪結いであくせく働いていた新三が大店の娘をかどわかし、店から大金をせしめた上に娘もいただいちゃう(ひでぇ)悪事を働き、ついでに江戸で幅を利かせていたヤクザをコケにして一気に裏社会で成り上がるというピカレスク。でも家主の方が一枚上だったり、笑いやシニカルな要素も入れている。
 明治になって薩長らが幅を利かせる東京になって、てやんでぃ、昔は悪党だって意気だったんだってのが白浪ものなんだなぁ。

2016年2月4日追記
大賞に片岡仁左衛門さん 読売演劇大賞
 第23回読売演劇大賞の各賞が4日付で発表され、大賞と最優秀男優賞に歌舞伎俳優の片岡仁左衛門さん(「菅原伝授手習鑑」「新薄雪物語」「一條大蔵譚」)が選ばれた。贈賞式は29日、東京都千代田区の帝国ホテルで。
10月に入り、秋本番という気候になりました。週末は25度超える暑さだったり、この週末はまた台風来襲が見込まれたり、ゆっくり秋に浸れないのが残念です。

青森
弘前で「ひとりミュージカル」公演 元劇団四季俳優が「幕末の志士」演じる
 「津軽弘前屋台村かだれ横丁」(弘前市百石町)で10月11日、劇団四季出身の俳優・伊藤丈雄さんが「坂本龍馬×ひとりミュージカル」を開催する。

酒蔵を舞台に行われた黒石公演の様子(関連画像)

 能楽師を祖父に持ち、大学在学中に2年間米国留学を経験したという伊藤さん。留学時に本場ブロードウェイのミュージカルに接したことから俳優を志し、卒業後、著名テーマパークのダンサーや劇団四季での舞台出演を経て、現在は脚本から作詞まですべてを伊藤さんが手掛ける「ひとりミュージカル」という新ジャンルを開拓。全国各地で巡業している。

 青森県内での公演は2015年5月に行った青森市と黒石市に続いて3回目。13日には八戸市でも開催する。弘前公演について、伊藤さんは「四季それぞれの美しさを持つ青森県の中でも、弘前市は名高いお城を持つ伝統ある町。歴史とかかわりのある町で、日本史をテーマにした『ひとりミュージカル』とはどういうものなのかを皆さんの目と耳で感じ取ってもらえれば」と話す。

 「初めての土地での公演は不安ばかり。しかし終わってみると地元の人たちの温かい声援に救われる」とも。「弘前で最高の舞台を届けたい」と意気込む。

 12時開場、12時半開演。チケット=3,000円。問い合わせは(担当・境さん、TEL 090-1935-5527)まで。

福島
<白虎隊士>生家跡に石碑建立プロジェクト
 戊辰戦争で新政府軍と戦い、集団自刃した会津藩の白虎隊の調査研究に取り組む「白虎隊の会」は、隊士の生家跡に石碑を設置するプロジェクトを始めた。第1弾として隊長代行を務めた篠田儀三郎と、唯一生き残った飯沼貞吉の生家の場所を調べ、会津若松市の跡地に石碑を建てた。今後、他の隊士の石碑も順次整備する計画だ。

 会は隊士の子孫や歴史ファンら全国の約150人がメンバー。義を重んじた隊士の思いを後世に伝える目的で活動する。2011年に会津若松市の飯盛山にある自刃の地に説明板、14年に強清水地区の白虎隊が戦った地に案内板を設置。それぞれで新たに分かった史実を書き記した。
 白虎隊を追悼する行事は多いが、どのように招集され、登城したかは知られていない。出陣までの経緯を明らかにしようと、ことしは生家跡の整備事業を企画。福島県の地域づくり総合支援事業に採択され、補助を受けた。
 調査の結果、篠田の生家は米代地区の建設会社の敷地、飯沼の生家は西栄町の生花店の敷地にあったことが判明。磐梯石で作った高さ1メートルの碑を建てた。
 22日は篠田の生家跡で除幕式を行い、関係者ら約30人が出席した。会津若松市の劇団「び~ひゃらら」が、出陣命令を白虎隊が受けるまでの経緯を劇で再現した。
 飯沼の孫で、白虎隊の会事務局長を務める飯沼一元さん(72)=東京都=は「白虎隊の自刃は約150年前の話だが、石碑のある場所に来ることによって、当時彼らがどういう気持ちだったかを感じ取ってもらえればうれしい」と話した。
会津まつり:武者行列に18万人超 過去最高の人出
 シルバーウイーク最終日となった23日、福島県内の観光地はにぎわいを見せた。会津若松市では、会津まつりのメインイベント「会津藩公行列」があり、過去最高の18万3000人(前年比3000人増)が来場し、武者姿の行列に沿道から声援が送られた。

 会津まつりは、戊辰戦争(1868年)で落命した会津藩士などの霊を慰め、先人をしのぶ行事として1953年から始まり、63回目。今年は鶴ケ城天守閣の再建50周年を記念し、従来の松平時代だけではなく、歴代の全藩主で編成した行列を組んだ。

 藩主に加え、新選組や白虎隊などに扮(ふん)した500人が、ほら貝や和太鼓の音に「エイエイオー」と掛け声を乗せながら市内約6.5キロを3時間半かけて練り歩いた。

 2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で主人公の新島八重を演じた綾瀬はるかさん(30)も、昨年に続き参加。沿道の観光客らに笑顔で手を振っていた。

 友人と訪れた会津若松市城南町の主婦、高柳友子さん(70)は「会津が盛り上がってくれてうれしいね」と手をたたいていた。同協会の渋谷民男事務局長(68)は「今年は初めてボランティアを募り、祭りを運営した。今後も市民による手作りの祭りにしていきたい」と話した。【宮崎稔樹】

<綾瀬はるか>出迎えてくれてありがとなし
 福島県会津若松市の会津まつりのメーン行事「会津藩公行列」が23日あり、歴代領主や白虎隊、新選組など会津ゆかりの人物に扮(ふん)した市民ら約500人が市中心部を練り歩いた。
 幕末の会津が舞台となったNHK大河ドラマ「八重の桜」で主人公山本八重を演じた俳優の綾瀬はるかさんが昨年に続いてドラマの衣装を着て参加。「ことしもたくさん出迎えてくれてありがとなし。皆さんの笑顔を見ることができて幸せです」と会津弁であいさつし、大きな拍手を受けた。
 鶴ケ城天守閣再建50周年のことしは、葦名直盛、伊達政宗、保科正之、松平容保ら歴代の領主や藩主の行列を編成。家臣を従え、勇壮に行進した。むつ市など、会津と交流が続く自治体の関係者も参加し、まつりを盛り上げた。

群馬
館林に長沢理玄顕彰碑
 群馬で天然痘の予防に貢献した幕末の館林藩医、長沢理玄(1815~63年)の功績を伝える顕彰碑の除幕式が4日、館林市本町で行われた。

 理玄は山形出身で、国替えになった藩主と共に館林に移住した。多くの死者を出した天然痘の予防接種「種痘」を江戸で学び、1851年、館林で初めて実施した。山形と館林で計約9000人に施したとされている。

 「館林城の再建をめざす会」の田中茂雄会長(63)が、城下の歴史を調べる中で理玄に着目。理玄の生誕200年に合わせて、顕彰碑を建てることを呼びかけた。碑は、理玄が館林に設立した種痘所の方角を向いており、初めて種痘を子供たちに施した場面を描いたカラーの絵と、功績を紹介する文章が刻まれている。

 除幕式には理玄の子孫や関係者ら約50人が集まった。子孫の長沢博さん(64)は「先祖の功績が見直されて感激している」と語った。田中さんは「碑を小学校の社会科の課外学習などに活用してもらい、子供たちに理玄の功績を伝えたい」と話している。


福井
梅田雲浜:実像探る 幕末に活躍、小浜出身の勤王の志士 郷土研究会発刊 /福井
◇徳富蘇峰も評価

 幕末に尊皇攘夷(じょうい)運動のさきがけとなった小浜出身の勤王の志士、梅田雲浜(うんぴん)(1815〜59年)の生誕200年にあたり、民間団体の小浜市郷土研究会が書籍「明治維新の扉を拓いた 梅田雲濱の実像に迫る」(A5判、196ページ、税別1800円)を発刊した。研究会が今年設立60周年を迎えたことを記念して、2013年に「生誕二百年へ」をテーマに開催した文化展の内容を基にまとめた。

 書籍では、明治から昭和のジャーナリスト徳富蘇峰が梅田雲浜を高く評価していたことに光を当てた。徳富は主宰していた国民新聞で「崎門学(朱子学の一派)の正統」として「(吉田)松陰や(橋本)左内には立派な全集が出ているのに、雲浜にはない。ただ、前者はよき背景を多く持ったがために広く高く評価されたから」と報じており、今回の書籍でもこうした人物評を詳しく紹介している。

 編集協力者で自身も「梅田雲浜の人物像」(A5判、205ページ、税別1200円)の著書のある前小浜市長の村上利夫さんは「幕府が最も恐れた人物だったためと思うが、講演録など歴史的資料があまり残されていない。そんな中、よくまとめられたと感じる」とコメントした。【高橋一隆】

宮崎
都城六烈士:戊辰戦争前、京都で自害 慰霊碑計画 市民グループが募金 /宮崎
 都城市の市民グループ「都城島津を温(たず)ねる会」が、薩摩藩などと幕府が争った戊辰戦争前に自害した「都城六烈士」を顕彰する慰霊碑の建立を計画している。六烈士は、京都・伏見の警備に派遣された都城島津家「私領一番隊」(121人)の隊士で、20歳前後の若者6人全員が身の潔白を示すために切腹した。同会は慰霊碑建立などの寄付(目標額300万円)を募っている。【重春次男】

 ◇「不遇の若者たちを知ってほしい」

 同会によると、一番隊は戊辰戦争前年の1867年12月、伏見で幕府軍の動きを偵察する斥候や警備に当たっていた。同21日夜、一番隊の隊士6人が市中を見回り、幕府側の新撰組(しんせんぐみ)らしき約30人の武装行軍を発見し、本隊へ報告に戻る途中で、武装行軍側から銃声も聞こえたという。6人は逃げ帰ったと誤解され、斥候の任務は戦わずに報告するのが本命と釈明したが、同27日未明に6人全員が京都・東寺で自害した。隊士の大峰壮之助は「武士(もののふ)の義の一筋に思い立ち、命は露も思はざりけり」との辞世の句を残した。

 当時、薩摩藩から軍律違反とされて遺骸は都城に戻されず、6人の墓碑は京都市の狐塚墓地にある。後年、任務を果たして義心に殉じたと名誉回復され、都城島津家の歴代当主が墓参しており、都城での慰霊碑建立は同会の悲願だという。

 会の平井泉会長(61)は「明治維新で近代国家を築く礎となった若者たちが都城にもいた。その途上で、不遇にも亡くなった六烈士のみたまを里帰りさせ、六烈士のことを多くの人に知ってほしい」と話した。六烈士没後150年を迎える2017年に都城市都島町の島津墓地に慰霊碑建立と、京都市の墓碑改修を目指している。問い合わせは、同会事務局の都城市の旭丘(ひのお)神社0986・25・7150。

史実
龍馬の手紙草稿に登場、「林」との交流明らかに
 坂本龍馬が暗殺される直前、土佐藩重臣の後藤象二郎宛てに書いた手紙の草稿に名前が記されていた「林市郎右衛門いちろううえもん」と、龍馬らとの交流の様子が明らかになった。

 NPO法人の京都龍馬会が20日、発表した。林は、新選組が尊皇攘夷じょうい派の長州藩士らを襲撃した池田屋事件との関わりもあったとされ、同会は「さらに裏付け調査を進めたい」としている。

 林は、龍馬が1867年(慶応3年)10月、福井藩で三岡八郎に会い、新政府への協力を要請した際の様子を記した手紙の下書きに登場。下書き裏面に「■江国塩津 宿 林市郎右衛門」の記載があり、龍馬の新たな人間関係と注目された。

 今回、同法人が滋賀県長浜市西浅井町の「塩津」で現地調査を行い、林が宿屋を営んでいたことが判明。林の子孫らが保管する掛け軸や、幕末から明治維新にかけての功労者への贈位の際に、林が政府に自己申告した「贈位申請書」も国立公文書館で見つかった。

 贈位申請書によると、林は1862年、龍馬の仲間で土佐藩藩士の北添佶摩きつまらに請われて活動を開始。翌年に龍馬と出会い、「汽船購入のために金5万両を借り入れてほしい」などと依頼されたと記している。

 また64年の池田屋事件では、北添の命を受け、事件直前に捕らえられた古高俊太郎の家に忍び込み、重要書類を焼き捨てたと記述。龍馬とは暗殺直前にも会い、龍馬が福井へ赴いた際、雪で塩津には寄らず、西近江路で帰京したことなどを話したとの記載もあった。

 ただ、史実と申請書記載の時期が異なる部分もあり、さらに裏付け調査が必要だという。京都国立博物館の宮川禎一・学芸部列品管理室長は「幕末・明治維新は、武士だけでなく、知られざる市井の人々らも支えていたことがわかる貴重な発見」としている。
エンターテインメント
柳楽優弥&瀬戸康史、幕末の男たちのギャップはまだ理解できない
 第39回モントリオール世界映画祭ワールド・コンペティション部門に正式出品された映画『合葬』。杉浦日向子さんの傑作漫画を映画化した本作で、幕末という時代の波に翻弄(ほんろう)された侍を演じた柳楽優弥と瀬戸康史が、役柄を通して感じた幕末の若者たちへの思いを明かした。

【写真】過激ではかない…彰義隊の美しき男たち

 本作は、慶応4年、300年近くにわたる徳川幕府が終わり、明治維新を迎えようとするときに、それを良しとせず、幕府の解体に最後まで抵抗した彰義隊に加わり、数奇な運命をたどることになった三人の若者を描いた物語。強い意志を持って彰義隊に入る極を演じた柳楽は、「時代劇自体、遠い存在のように感じるところがありましたが、杉浦さんの原作を読み、テーマが青春ということもあって(クランク)インする前からワクワクしていました」という。

 一方、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」で長州藩藩士を演じるなど幕末づいている瀬戸が演じたのは、養子先を追い出され、行くあてもなく極に引きずられて彰義隊に入る柾之助。「ふわふわっとしているキャラクターで、時代に流されているような役。こんな人があの時代にいたのかと驚きながら、自分と近いものも感じました」と話す。

 撮影は昨年、全編真夏の京都で敢行。ほぼ同世代だけに「食事を一緒にしたりして仲良くなりました。年上の瀬戸さんは柾之助のようにふわっとして、場をまとめてくださいました」と柳楽が言えば、瀬戸は「(悌二郎役の岡山天音を含めて)生まれてきた環境も性格も違う三人の微妙で絶妙な空気感が、作品の世界観とどこか似ていて。うまく行ったのは二人のおかげです」とフォロー。抜群のチームワークが生まれ、激動の時代の中での男たちの友情と絆の物語を紡ぎ出している。

 そんな男たちの刹那的な生きざまに対し、「彼らの生き方というのは現代の僕達にしてみれば本当の意味で理解しづらい部分もありますよね。国のため将軍のために一生懸命になり、死んでいくというのは切ないし、自我がないということにもなるような気がするんです。誰かのために生きるという考えは、僕が親にでもなったらわかるんでしょうか」と悩みながら答える瀬戸。柳楽も同じように、「同じ時代を描いた『許されざる者』にも出演しましたが、幕末にロマンを感じるというより、もっとその時代を知りたいですね。で、35歳ぐらいになったら、その境地に至りたい」と冗談っぽく語る。

 わからないなりに、現代を生きる彼らが役柄を通して感じ取った激動の時代の青春。懸命に生きようとする若者たちの姿に、わたしたちも何か感じ取るものがありそうだ。(取材・文:前田かおり)

映画『合葬』は9月26日より新宿ピカデリーほか全国公開
 見たいなぁと思っている作品ですが、先週から今週は落語と歌舞伎が優先で……(^_^;)。

コラム
牧太郎の大きな声では言えないが…:「薩長史観」は大嫌いだ!
 断っておくが、江戸っ子である。

 実家は東京・柳橋の「深川亭」という料亭。戊辰戦争で旧幕府軍を率いて蝦夷(えぞ)地を占領、一時は「蝦夷共和国」の総裁となった榎本武揚と縁が深く、箱館戦争で降伏、その後、明治政府に仕えた榎本は「深川亭」を拠点に「江戸っ子会」を起こし「江戸の思想」を守る同志を糾合していた。

 そんな家柄だから、母は「勝てば官軍!」の薩長(さっちょう)が大嫌い。薩長のイナダイ(田舎代議士)は客にせず!がモットーで、結局、昭和38(1963)年に店を潰した。

 僕はそんな環境で育ったから「明治維新は日本の夜明け」とは思わない。薩摩や長州の勤皇の志士が正義。皇国にあだなす徳川幕府の賊軍を撃破し、美しい皇国をつくった!というストーリーなんて……。

 母は「明治時代、薩長の官僚は遊びが下手くそで、すぐ芸者を乱暴する。だから、柳橋の花柳界には薩長は来るな! 明治政府は遊ぶ場所がないので、新橋に新しい花柳界を作った」と教えてくれた。

 勝てば官軍? たとえ道理にそむいていても、戦いに勝った者が正義となり、負けた者は不正。この「薩長史観」が日本国の戦争の背景には常に存在した。

 天皇陛下は「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切」と述べられた。恐れ多いことだが、陛下は「勝てば官軍」の人々が、薩長史観を皇国史観と偽って暴走した、と看破されていらっしゃるのでは?

 断っておくが、鹿児島県(薩摩)、山口県(長州)に悪感情を持ってはいない。でも、政治家の「薩長史観」には腹がたつ。

 山口県出身の8人目の首相、安倍晋三さんは「勝てば官軍」の申し子だ。「美しい国」というキャッチコピーで「戦勝国から押し付けられた価値観を大事にする自虐的な歴史観から脱却しろ!」と言い続ける。「正しい戦争(=集団的自衛権行使)」に勝利しろ!と言わんばかりだ。

 物事は勝敗によって正邪善悪が決まる!と信じ、「他国の戦争に巻き込まれることはない」などと平気でうそにうそを重ね、安保関連法を強行採決した。

 江戸っ子は「正義」を装い「うそ八百」を並べるやつらが大嫌いだ。(客員編集委員)
ドラフトにいろいろ書いていたのだけどパソ不調で保存できなかった(涙)。もう一度書き直す気力が失せたので、メモ的に書き散らす。

高野聖
 女性の聖性と魔性を描く作品として、対比したら面白そうなのは。
 ドイツオペラから、モーツァルト『魔笛』夜の女王とワーグナー『タンホイザー』のヴィーナスとエリザベートかな。でもドイツオペラはあまり詳しくない。
 ラテンアメリカの小説からは、ガルシア・マルケスの『エレンディラ』『族長の秋』『百年の孤独』。こちらは聖なる処女と娼婦と大地の母の生命力と暴力的な魔性と。

海神別荘
 アールヌーボーと和のテイストが混じった舞台装置や小道具、衣装が素敵。奥女中の金魚のような袂のぷっくりしたラインの着物っぽいドレスっぽいデザインに目が惹かれた後、黒潮公子と地上の美女の衣装とビジュアルだけでうっとり。海老蔵と玉三郎の美しさに眼福。
 財宝と引き換えに愛娘を泣きながら海に沈める父親や郷里の者たちに対する美女の未練や恋しさは理解できる。そして、海に沈められた自分は実は生きていて、海の底の御殿の女王になったことを知らせたいという見栄も、理解できる。でも同性として共感できない気持ちが、この作品世界に100%浸ることを許さない(苦笑)。この辺が、歌舞伎見てて難しいとこ。
11年ぶりですよ。ほぼ干支で一回り。
 その間に山本耕史さんは数々の舞台やテレビドラマに出演し、堀北真希さんと結婚し、来年の大河ドラマで堺雅人さんと共演予定。堺雅人さんも数々のドラマで活躍し、来年の大河ドラマに主演するだけでなく、菅野美穂さんと結婚し、一児をもうけています。中村勘太郎さんは、亡き父親の中村勘九郎の名を襲名し、弟の七之助さんとともに歌舞伎界で活躍しています。谷原章介さんはドラマだけでなくバラエティやクイズ番組の司会としても活躍し、6人の子供のお父さんです。

 そして、何と11年ぶりに、山本耕史さんが、新選組土方歳三を演じます。朝ドラで。
〈速報〉山本耕史「あさが来た」で04年大河以来土方歳三役
 6年間の片思い、手紙40通を送り続け、女優堀北真希と結婚した山本耕史(38)が、放送が始まったばかりのNHK連続テレビ小説「あさが来た」(月~土曜、午前8時)に約4カ月オファーを受け続けて出演することになり、1日、制作の同大阪放送局が発表した。

 役柄は、04年大河ドラマ「新選組!」でも、山本が演じた土方歳三役。大河と同じ役、同じ衣装、同じカツラで登場し、10月14、16日放送分に出演する。

 ドラマは、幕末に豪商の娘に生まれ、後に女性事業家として大成する広岡浅子さんをモデルに、ヒロインが成長していく物語を描く。山本演じる土方は、ヒロインの嫁ぎ先の商家に金を借りに来る設定で登場する。

 佐野元彦エグゼクティブ・プロデューサーによると、実際に広岡家には新選組の借用書が残っており、昨年、同番組の企画を進め始めた時点で「土方を出そう。土方なら、平成以降で最もぴったりのイメージの山本耕史さんしかいない」と考えついたという。

 山本はおりしも、来年1月スタートの大河ドラマ「真田丸」には石田三成役で出演が決まっており、佐野氏によると「長年の交渉の結果」出演オファーを受けてくれたという。

 収録は6月16~17日の2日間、同大阪放送局のスタジオで行い、山本は波瑠演じるヒロインあさと“対決”。あさが豪胆さを見せ、嫁ぎ先の商家に認められる場面になる。

 佐野氏は「無理やり作った場面ではない。いい場面になっています」。また、11年前と同じ衣装を身につけた山本には「僕なんか11年前のスーツは入りませんが、山本さんのフィットネスのすごさですよね」と感心した。

 佐野氏によると、朝ドラと大河の両方に同じ配役で出演したケースは「過去を思い起こしても、記憶にない」という。

 またこの日の発表はNHK大阪放送局の局長定例会見で行われ、正籬聡(まさがき・さとる)局長は、新婚の山本起用と、視聴率反映への期待感について「プライベートなことですので、どう影響するかは分かりません」と話していた。

山本耕史が土方歳三役、11年前と同じ衣装&カツラ
 NHKは1日、04年大河ドラマ「新選組!」で土方歳三を演じた山本耕史(38)が、放送中のNHK連続テレビ小説「あさが来た」(月~土曜午前8時)に土方役で出演すると発表した。11年前と同じ衣装、カツラを着用して登場する。

 「あさが来た」は幕末期から物語が始まる。波瑠(24)が演じるヒロインあさは豪商の娘として生まれ、明治維新後に事業家として成功した広岡浅子さんがモデル。ドラマでは、土方が活動資金捻出のため、あさの嫁ぎ先の商家に借金に来る場面などが描かれる。佐野元彦エグゼクティブ・プロデューサーによると、広岡家には新選組の借用書が残されているという。史実を知った昨年の企画段階から、土方役に山本という構想を練り、今年に入って交渉を続けてきた。4カ月に及ぶ猛アタックが実って、実現にこぎつけた。

 山本は6月16、17日に借金に訪れる場面などを11年前と同じ装いで収録。「懐かしくもあり、楽しい体験でした」と話している。

 大河ドラマと同じ配役で朝ドラにも出演するのは、佐野氏が「記憶にない」と言うほど異例のこと。しかも、山本は来年1月スタートの大河ドラマ「真田丸」に石田三成役で出演することが決まっており、これも「非常に珍しい」と話す。

 山本は堀北真希(26)との電撃結婚が話題になったばかり。公私ともに充実の生活を送っている。今回の出演場面は今月14、16日に放送予定。【村上久美子】

山本耕史が朝ドラ「あさが来た」に大河と同じ土方歳三役で出演
 9月28日にスタートした女優・波瑠(24)がヒロインを務めるNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」に、俳優・山本耕史(38)が土方歳三役で出演することが1日、同局から発表された。

 山本は2004年に放送された大河ドラマ「新選組!」にも土方歳三役で出演。当時、使用した衣装で、今度は朝ドラに登場することになった。山本は波瑠が演じるあさの嫁ぎ先の両替屋に、お金を借りに来るシーンで登場する。「あさが来た」のモデルとなった両替屋の子孫の家に新選組の借用書が残っており、今回の演出が決まったという。大河と朝ドラに同じ役で出演するのは極めて異例。担当者は「おそらく過去にないと思う」と話した。

 同局を通じて山本は「大河ドラマ『新選組!』で土方歳三を演じた時と同じ衣装、同じかつらを身につけて今回『あさが来た』に出演できたことは懐かしくもあり、楽しい経験でした。ヒロインあさが家族に認められていくきっかけとなる人物、土方の存在感を感じていただければ光栄です」とコメントを寄せた。

 山本が出演したシーンは6月に撮影され、佐野元彦制作統括は「あのクールな山本さんが鏡の前で『これ毎日、着てたな』と感慨に浸っていましたね。大河を見ていた人も楽しめると思う」と見どころを語った。

 佐野統括によると、今年に入ってからオファーを受けた山本は当初、乗り気じゃなかったそうで、なんとか口説き落として出演が実現したという。山本といえば、女優・堀北真希(26)への6年にわたる片思いを実らせ、8月に結婚を発表したが、自らは佐野統括の熱烈ラブコールに根負けした形だ。

 山本の出演は14日と16日に放送される予定。

山本耕史、大河と朝ドラで土方歳三役「懐かしかった」
 俳優の山本耕史(38)が、現在放送中のNHK連続テレビ小説「あさが来た」(月~土曜・前8時)に新撰組副長・土方歳三役で出演することが、大阪放送局の局長定例会見で1日、発表された。山本は2004年の大河ドラマ「新撰組!」でも土方を演じており、大河と朝ドラを同じ役柄で出演するという異例のキャスティングとなった。
 山本が登場するのは今月14、16日放送分。幕府再興への資金集めのため、ヒロイン・あさ(波瑠)の嫁ぎ先の両替屋を現れるというシーンとなっている。ドラマのモデルである広岡家に、新撰組がお金を借りに訪れた証文があることを聞いた佐野元彦エグゼクティブ・プロデューサーは「平成に入ってから、これほどうまく土方を演じた人はいない」と出演をオファーしたという。
 6月中旬に行われた収録では、衣装とカツラは大河ドラマで着用していたものをそのまま使用。山本は「『新撰組!」で演じた時と同じ衣装、同じカツラを身に着けて出演できたことは懐かしくもあり、楽しい体験でした」とコメントした。

 大河ドラマ史上初めてのスピンオフドラマだった正月時代劇『新選組!!土方歳三最期の一日』に続いて、11年ぶりの異例のスピンオフ出演。『新選組!』、特に山本耕史さんの土方歳三が本当に特別な存在なんだなぁ、と感じます。

 そして、11年前の衣装もカツラもちゃんと残して手入れしてくれているNHKにも、11年前の衣装が着られる山本さんにも、感謝感謝。
3年連続の志の輔@ACTシアター。本多劇場の「牡丹灯籠」と同じく、ACTでは「忠臣蔵」「中村仲蔵」。4年連続同じ演し物だそうですが、私は3年連続。毎年同じ演目でも飽きないのは、自分の記憶力が悪いせいもあるのだけど、それ以上に一回こっきりのライブでの完成度の高さゆえ。
 1300人のキャパを一日一回4日連続公演でフルにする志の輔は、立川談志の「伝統を現代に」を体現する演劇感覚が、落語ファンとは限らない志の輔ファンを引きつけていると思う。

大忠臣蔵/志の輔
 初日なので、いつもの「今日のために昨日までリハーサルは万全です」というネタはなし。中秋の名月が旧暦の8月15日になるのは太陰暦がどういうつくりなのか、そして2日後の今年の中秋の名月はいつもより2割増しのスーパームーンであることのご案内。
 大序から始まる忠臣蔵の11段解説。広重はじめとする浮世絵を使って歌舞伎の名場面を各段1枚か2枚で紹介し、史実の赤穂事件とフィクションの仮名手本忠臣蔵の違いや仮名手本忠臣蔵ならではのドラマの見どころを解説。また、それは初代中村仲蔵が歌舞伎史上に前例のない稲荷町から名代への出世を果たしての初めての役が名代にはふさわしくない小さな役であったことの壮大な前振り(苦笑)。でも毎回聴いててホント楽しい。

中村仲蔵/志の輔
 特に、歌舞伎を見始めた今年、「中村仲蔵」は歌舞伎役者が今までにない役の解釈を世に問うライブ感覚がひりひりする。
 稲荷町からスタートした仲蔵が四代目團十郎に見出されて異例の名代出世を遂げる前半、これが歌舞伎界全体からの妬みとなって、名代の初めての役が忠臣蔵五段目の斧定九郎一役となった苦境、新しい貞九郎像を生み出すまでの産みの苦しみとセレンディピティ、斬新な役作りゆえに観客から何の反応も得られない時の落胆、そして観客の無反応の理由を後で知った時の驚き、たぶん志の輔さん自身が新作落語をつくっているからこそできる表現なんだと思う。そして、仲蔵が名も知れない浪人と出会ってインスピレーションを得る場面、そのインスピレーションをもとに工夫した貞九郎を舞台にかけた時のリアルな場面、好きだ。
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