新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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ドラフトにいろいろ書いていたのだけどパソ不調で保存できなかった(涙)。もう一度書き直す気力が失せたので、メモ的に書き散らす。
高野聖
女性の聖性と魔性を描く作品として、対比したら面白そうなのは。
ドイツオペラから、モーツァルト『魔笛』夜の女王とワーグナー『タンホイザー』のヴィーナスとエリザベートかな。でもドイツオペラはあまり詳しくない。
ラテンアメリカの小説からは、ガルシア・マルケスの『エレンディラ』『族長の秋』『百年の孤独』。こちらは聖なる処女と娼婦と大地の母の生命力と暴力的な魔性と。
海神別荘
アールヌーボーと和のテイストが混じった舞台装置や小道具、衣装が素敵。奥女中の金魚のような袂のぷっくりしたラインの着物っぽいドレスっぽいデザインに目が惹かれた後、黒潮公子と地上の美女の衣装とビジュアルだけでうっとり。海老蔵と玉三郎の美しさに眼福。
財宝と引き換えに愛娘を泣きながら海に沈める父親や郷里の者たちに対する美女の未練や恋しさは理解できる。そして、海に沈められた自分は実は生きていて、海の底の御殿の女王になったことを知らせたいという見栄も、理解できる。でも同性として共感できない気持ちが、この作品世界に100%浸ることを許さない(苦笑)。この辺が、歌舞伎見てて難しいとこ。
高野聖
女性の聖性と魔性を描く作品として、対比したら面白そうなのは。
ドイツオペラから、モーツァルト『魔笛』夜の女王とワーグナー『タンホイザー』のヴィーナスとエリザベートかな。でもドイツオペラはあまり詳しくない。
ラテンアメリカの小説からは、ガルシア・マルケスの『エレンディラ』『族長の秋』『百年の孤独』。こちらは聖なる処女と娼婦と大地の母の生命力と暴力的な魔性と。
海神別荘
アールヌーボーと和のテイストが混じった舞台装置や小道具、衣装が素敵。奥女中の金魚のような袂のぷっくりしたラインの着物っぽいドレスっぽいデザインに目が惹かれた後、黒潮公子と地上の美女の衣装とビジュアルだけでうっとり。海老蔵と玉三郎の美しさに眼福。
財宝と引き換えに愛娘を泣きながら海に沈める父親や郷里の者たちに対する美女の未練や恋しさは理解できる。そして、海に沈められた自分は実は生きていて、海の底の御殿の女王になったことを知らせたいという見栄も、理解できる。でも同性として共感できない気持ちが、この作品世界に100%浸ることを許さない(苦笑)。この辺が、歌舞伎見てて難しいとこ。
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11年ぶりですよ。ほぼ干支で一回り。
その間に山本耕史さんは数々の舞台やテレビドラマに出演し、堀北真希さんと結婚し、来年の大河ドラマで堺雅人さんと共演予定。堺雅人さんも数々のドラマで活躍し、来年の大河ドラマに主演するだけでなく、菅野美穂さんと結婚し、一児をもうけています。中村勘太郎さんは、亡き父親の中村勘九郎の名を襲名し、弟の七之助さんとともに歌舞伎界で活躍しています。谷原章介さんはドラマだけでなくバラエティやクイズ番組の司会としても活躍し、6人の子供のお父さんです。
そして、何と11年ぶりに、山本耕史さんが、新選組土方歳三を演じます。朝ドラで。
〈速報〉山本耕史「あさが来た」で04年大河以来土方歳三役
山本耕史が土方歳三役、11年前と同じ衣装&カツラ
山本耕史が朝ドラ「あさが来た」に大河と同じ土方歳三役で出演
山本耕史、大河と朝ドラで土方歳三役「懐かしかった」
大河ドラマ史上初めてのスピンオフドラマだった正月時代劇『新選組!!土方歳三最期の一日』に続いて、11年ぶりの異例のスピンオフ出演。『新選組!』、特に山本耕史さんの土方歳三が本当に特別な存在なんだなぁ、と感じます。
そして、11年前の衣装もカツラもちゃんと残して手入れしてくれているNHKにも、11年前の衣装が着られる山本さんにも、感謝感謝。
その間に山本耕史さんは数々の舞台やテレビドラマに出演し、堀北真希さんと結婚し、来年の大河ドラマで堺雅人さんと共演予定。堺雅人さんも数々のドラマで活躍し、来年の大河ドラマに主演するだけでなく、菅野美穂さんと結婚し、一児をもうけています。中村勘太郎さんは、亡き父親の中村勘九郎の名を襲名し、弟の七之助さんとともに歌舞伎界で活躍しています。谷原章介さんはドラマだけでなくバラエティやクイズ番組の司会としても活躍し、6人の子供のお父さんです。
そして、何と11年ぶりに、山本耕史さんが、新選組土方歳三を演じます。朝ドラで。
〈速報〉山本耕史「あさが来た」で04年大河以来土方歳三役
6年間の片思い、手紙40通を送り続け、女優堀北真希と結婚した山本耕史(38)が、放送が始まったばかりのNHK連続テレビ小説「あさが来た」(月~土曜、午前8時)に約4カ月オファーを受け続けて出演することになり、1日、制作の同大阪放送局が発表した。
役柄は、04年大河ドラマ「新選組!」でも、山本が演じた土方歳三役。大河と同じ役、同じ衣装、同じカツラで登場し、10月14、16日放送分に出演する。
ドラマは、幕末に豪商の娘に生まれ、後に女性事業家として大成する広岡浅子さんをモデルに、ヒロインが成長していく物語を描く。山本演じる土方は、ヒロインの嫁ぎ先の商家に金を借りに来る設定で登場する。
佐野元彦エグゼクティブ・プロデューサーによると、実際に広岡家には新選組の借用書が残っており、昨年、同番組の企画を進め始めた時点で「土方を出そう。土方なら、平成以降で最もぴったりのイメージの山本耕史さんしかいない」と考えついたという。
山本はおりしも、来年1月スタートの大河ドラマ「真田丸」には石田三成役で出演が決まっており、佐野氏によると「長年の交渉の結果」出演オファーを受けてくれたという。
収録は6月16~17日の2日間、同大阪放送局のスタジオで行い、山本は波瑠演じるヒロインあさと“対決”。あさが豪胆さを見せ、嫁ぎ先の商家に認められる場面になる。
佐野氏は「無理やり作った場面ではない。いい場面になっています」。また、11年前と同じ衣装を身につけた山本には「僕なんか11年前のスーツは入りませんが、山本さんのフィットネスのすごさですよね」と感心した。
佐野氏によると、朝ドラと大河の両方に同じ配役で出演したケースは「過去を思い起こしても、記憶にない」という。
またこの日の発表はNHK大阪放送局の局長定例会見で行われ、正籬聡(まさがき・さとる)局長は、新婚の山本起用と、視聴率反映への期待感について「プライベートなことですので、どう影響するかは分かりません」と話していた。
山本耕史が土方歳三役、11年前と同じ衣装&カツラ
NHKは1日、04年大河ドラマ「新選組!」で土方歳三を演じた山本耕史(38)が、放送中のNHK連続テレビ小説「あさが来た」(月~土曜午前8時)に土方役で出演すると発表した。11年前と同じ衣装、カツラを着用して登場する。
「あさが来た」は幕末期から物語が始まる。波瑠(24)が演じるヒロインあさは豪商の娘として生まれ、明治維新後に事業家として成功した広岡浅子さんがモデル。ドラマでは、土方が活動資金捻出のため、あさの嫁ぎ先の商家に借金に来る場面などが描かれる。佐野元彦エグゼクティブ・プロデューサーによると、広岡家には新選組の借用書が残されているという。史実を知った昨年の企画段階から、土方役に山本という構想を練り、今年に入って交渉を続けてきた。4カ月に及ぶ猛アタックが実って、実現にこぎつけた。
山本は6月16、17日に借金に訪れる場面などを11年前と同じ装いで収録。「懐かしくもあり、楽しい体験でした」と話している。
大河ドラマと同じ配役で朝ドラにも出演するのは、佐野氏が「記憶にない」と言うほど異例のこと。しかも、山本は来年1月スタートの大河ドラマ「真田丸」に石田三成役で出演することが決まっており、これも「非常に珍しい」と話す。
山本は堀北真希(26)との電撃結婚が話題になったばかり。公私ともに充実の生活を送っている。今回の出演場面は今月14、16日に放送予定。【村上久美子】
山本耕史が朝ドラ「あさが来た」に大河と同じ土方歳三役で出演
9月28日にスタートした女優・波瑠(24)がヒロインを務めるNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」に、俳優・山本耕史(38)が土方歳三役で出演することが1日、同局から発表された。
山本は2004年に放送された大河ドラマ「新選組!」にも土方歳三役で出演。当時、使用した衣装で、今度は朝ドラに登場することになった。山本は波瑠が演じるあさの嫁ぎ先の両替屋に、お金を借りに来るシーンで登場する。「あさが来た」のモデルとなった両替屋の子孫の家に新選組の借用書が残っており、今回の演出が決まったという。大河と朝ドラに同じ役で出演するのは極めて異例。担当者は「おそらく過去にないと思う」と話した。
同局を通じて山本は「大河ドラマ『新選組!』で土方歳三を演じた時と同じ衣装、同じかつらを身につけて今回『あさが来た』に出演できたことは懐かしくもあり、楽しい経験でした。ヒロインあさが家族に認められていくきっかけとなる人物、土方の存在感を感じていただければ光栄です」とコメントを寄せた。
山本が出演したシーンは6月に撮影され、佐野元彦制作統括は「あのクールな山本さんが鏡の前で『これ毎日、着てたな』と感慨に浸っていましたね。大河を見ていた人も楽しめると思う」と見どころを語った。
佐野統括によると、今年に入ってからオファーを受けた山本は当初、乗り気じゃなかったそうで、なんとか口説き落として出演が実現したという。山本といえば、女優・堀北真希(26)への6年にわたる片思いを実らせ、8月に結婚を発表したが、自らは佐野統括の熱烈ラブコールに根負けした形だ。
山本の出演は14日と16日に放送される予定。
山本耕史、大河と朝ドラで土方歳三役「懐かしかった」
俳優の山本耕史(38)が、現在放送中のNHK連続テレビ小説「あさが来た」(月~土曜・前8時)に新撰組副長・土方歳三役で出演することが、大阪放送局の局長定例会見で1日、発表された。山本は2004年の大河ドラマ「新撰組!」でも土方を演じており、大河と朝ドラを同じ役柄で出演するという異例のキャスティングとなった。
山本が登場するのは今月14、16日放送分。幕府再興への資金集めのため、ヒロイン・あさ(波瑠)の嫁ぎ先の両替屋を現れるというシーンとなっている。ドラマのモデルである広岡家に、新撰組がお金を借りに訪れた証文があることを聞いた佐野元彦エグゼクティブ・プロデューサーは「平成に入ってから、これほどうまく土方を演じた人はいない」と出演をオファーしたという。
6月中旬に行われた収録では、衣装とカツラは大河ドラマで着用していたものをそのまま使用。山本は「『新撰組!」で演じた時と同じ衣装、同じカツラを身に着けて出演できたことは懐かしくもあり、楽しい体験でした」とコメントした。
大河ドラマ史上初めてのスピンオフドラマだった正月時代劇『新選組!!土方歳三最期の一日』に続いて、11年ぶりの異例のスピンオフ出演。『新選組!』、特に山本耕史さんの土方歳三が本当に特別な存在なんだなぁ、と感じます。
そして、11年前の衣装もカツラもちゃんと残して手入れしてくれているNHKにも、11年前の衣装が着られる山本さんにも、感謝感謝。
3年連続の志の輔@ACTシアター。本多劇場の「牡丹灯籠」と同じく、ACTでは「忠臣蔵」「中村仲蔵」。4年連続同じ演し物だそうですが、私は3年連続。毎年同じ演目でも飽きないのは、自分の記憶力が悪いせいもあるのだけど、それ以上に一回こっきりのライブでの完成度の高さゆえ。
1300人のキャパを一日一回4日連続公演でフルにする志の輔は、立川談志の「伝統を現代に」を体現する演劇感覚が、落語ファンとは限らない志の輔ファンを引きつけていると思う。
大忠臣蔵/志の輔
初日なので、いつもの「今日のために昨日までリハーサルは万全です」というネタはなし。中秋の名月が旧暦の8月15日になるのは太陰暦がどういうつくりなのか、そして2日後の今年の中秋の名月はいつもより2割増しのスーパームーンであることのご案内。
大序から始まる忠臣蔵の11段解説。広重はじめとする浮世絵を使って歌舞伎の名場面を各段1枚か2枚で紹介し、史実の赤穂事件とフィクションの仮名手本忠臣蔵の違いや仮名手本忠臣蔵ならではのドラマの見どころを解説。また、それは初代中村仲蔵が歌舞伎史上に前例のない稲荷町から名代への出世を果たしての初めての役が名代にはふさわしくない小さな役であったことの壮大な前振り(苦笑)。でも毎回聴いててホント楽しい。
中村仲蔵/志の輔
特に、歌舞伎を見始めた今年、「中村仲蔵」は歌舞伎役者が今までにない役の解釈を世に問うライブ感覚がひりひりする。
稲荷町からスタートした仲蔵が四代目團十郎に見出されて異例の名代出世を遂げる前半、これが歌舞伎界全体からの妬みとなって、名代の初めての役が忠臣蔵五段目の斧定九郎一役となった苦境、新しい貞九郎像を生み出すまでの産みの苦しみとセレンディピティ、斬新な役作りゆえに観客から何の反応も得られない時の落胆、そして観客の無反応の理由を後で知った時の驚き、たぶん志の輔さん自身が新作落語をつくっているからこそできる表現なんだと思う。そして、仲蔵が名も知れない浪人と出会ってインスピレーションを得る場面、そのインスピレーションをもとに工夫した貞九郎を舞台にかけた時のリアルな場面、好きだ。
1300人のキャパを一日一回4日連続公演でフルにする志の輔は、立川談志の「伝統を現代に」を体現する演劇感覚が、落語ファンとは限らない志の輔ファンを引きつけていると思う。
大忠臣蔵/志の輔
初日なので、いつもの「今日のために昨日までリハーサルは万全です」というネタはなし。中秋の名月が旧暦の8月15日になるのは太陰暦がどういうつくりなのか、そして2日後の今年の中秋の名月はいつもより2割増しのスーパームーンであることのご案内。
大序から始まる忠臣蔵の11段解説。広重はじめとする浮世絵を使って歌舞伎の名場面を各段1枚か2枚で紹介し、史実の赤穂事件とフィクションの仮名手本忠臣蔵の違いや仮名手本忠臣蔵ならではのドラマの見どころを解説。また、それは初代中村仲蔵が歌舞伎史上に前例のない稲荷町から名代への出世を果たしての初めての役が名代にはふさわしくない小さな役であったことの壮大な前振り(苦笑)。でも毎回聴いててホント楽しい。
中村仲蔵/志の輔
特に、歌舞伎を見始めた今年、「中村仲蔵」は歌舞伎役者が今までにない役の解釈を世に問うライブ感覚がひりひりする。
稲荷町からスタートした仲蔵が四代目團十郎に見出されて異例の名代出世を遂げる前半、これが歌舞伎界全体からの妬みとなって、名代の初めての役が忠臣蔵五段目の斧定九郎一役となった苦境、新しい貞九郎像を生み出すまでの産みの苦しみとセレンディピティ、斬新な役作りゆえに観客から何の反応も得られない時の落胆、そして観客の無反応の理由を後で知った時の驚き、たぶん志の輔さん自身が新作落語をつくっているからこそできる表現なんだと思う。そして、仲蔵が名も知れない浪人と出会ってインスピレーションを得る場面、そのインスピレーションをもとに工夫した貞九郎を舞台にかけた時のリアルな場面、好きだ。
シルバーウィーク明けで働きに出る方々が多いのではないでしょうか、お疲れ様です。私は、昨日歌舞伎座で昼席と夜席を連チャンで見たら腰がかなり……。無理しない程度に仕事します。
福島
新選組・斎藤一の遺徳しのぶ 若松・阿弥陀寺で法要
<食卓ものがたり>甘みとツヤ 酔いしれて 本みりん(千葉県流山市)
龍馬の手紙草稿に登場、「林」との交流明らかに
明治維新150年 12施設タッグ
西郷と地元の関わり学ぶ 鹿児島・武地区の子どもたち
福島
新選組・斎藤一の遺徳しのぶ 若松・阿弥陀寺で法要
幕末の京都で反幕府勢力を取り締まった「新選組」屈指の剣客として知られ、副長助勤などを務めた斎藤一(藤田五郎)が眠る会津若松市の阿弥陀(あみだ)寺で22日、法要が営まれ、全国各地から新選組ゆかりの人や歴史ファンが詰め掛け、斎藤一の遺徳をしのんだ。藩公行列に綾瀬さん出陣・会津まつり
新選組は会津藩の支援を受けて幕末の京都で活躍。戊辰戦争では旧幕府軍として会津でも新政府軍と戦闘を重ねた。法要も兼ねた「会津新選組まつり」は2004(平成16)年の大河ドラマ「新選組」を契機に始まり、今年で12回目。墓前での法要では、斎藤一のひ孫藤田太郎さん=さいたま市=ら親族12人が焼香した。
引き続き、斎藤一が修めたとされる無外流居合道連盟寶祥会の居合奉納が行われ、演武が繰り広げられた。同寺本堂での記念講演会では、会津若松市出身のNHK解説主幹の柳沢秀夫さんが「世界から見た日本、世界から見た会津」を演題に講話した。
佐川官兵衛に祈り
戊辰戦争を戦い「鬼官兵衛」の異名をとった、会津藩家老佐川官兵衛の顕彰碑前祭は22日、会津若松市の鶴ケ城公園三の丸跡地の顕彰碑前で行われ、参列者が官兵衛の遺徳をしのんだ。
佐川官兵衛顕彰会(菅家一郎会長)の主催で、約20人が参列した。菅家会長は「佐川官兵衛は会津武士道を象徴する人物。後世に語り伝え、未来の創造につなげていく」とあいさつ。室井照平市長、目黒章三郎市議会議長らが祝辞を述べた。神事も行われ、熊本佐川官兵衛顕彰会の沢田健二さんが献花し、参列者が玉串をささげた。
会津若松市の会津まつりのメーン行事「会津藩公行列」が23日あり、歴代領主や白虎隊、新選組など会津ゆかりの人物に扮(ふん)した市民ら約500人が市中心部を練り歩いた。会津まつり:会津藩公行列に声援 18万3000人来場
幕末の会津が舞台となったNHK大河ドラマ「八重の桜」で主人公山本八重を演じた俳優の綾瀬はるかさんが昨年に続いてドラマの衣装を着て参加。「ことしもたくさん出迎えてくれてありがとなし。皆さんの笑顔を見ることができて幸せです」と会津弁であいさつし、大きな拍手を受けた。
鶴ケ城天守閣再建50周年のことしは、葦名直盛、伊達政宗、保科正之、松平容保ら歴代の領主や藩主の行列を編成。家臣を従え、勇壮に行進した。むつ市など、会津と交流が続く自治体の関係者も参加し、まつりを盛り上げた。
シルバーウイーク最終日となった23日、福島県内の観光地はにぎわいを見せた。会津若松市では、会津まつりのメインイベント「会津藩公行列」があり、過去最高の18万3000人(前年比3000人増)が来場し、武者姿の行列に沿道から声援が送られた。二本松城跡に「一夜城」 10月の菊人形に合わせ電飾
会津まつりは、戊辰戦争(1868年)で落命した会津藩士などの霊を慰め、先人をしのぶ行事として1953年から始まり、63回目。今年は鶴ケ城天守閣の再建50周年を記念し、従来の松平時代だけではなく、歴代の全藩主で編成した行列を組んだ。
藩主に加え、新選組や白虎隊などに扮(ふん)した500人が、ほら貝や和太鼓の音に「エイエイオー」と掛け声を乗せながら市内約6・5キロを3時間半かけて練り歩いた。
2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で主人公の新島八重を演じた綾瀬はるかさん(30)も、昨年に続き参加。沿道の観光客らに笑顔で手を振っていた。
友人と訪れた会津若松市城南町の主婦、高柳友子さん(70)は「会津が盛り上がってくれてうれしいね」と手をたたいていた。同協会の渋谷民男事務局長(68)は「今年は初めてボランティアを募り、祭りを運営した。今後も市民による手作りの祭りにしていきたい」と話した。【宮崎稔樹】
二本松市の霞ケ城公園の本丸天守台に21日までに、「一夜城」が出現した。「二本松の菊人形」の開幕に合わせて10月10日からイルミネーションがともるが、すでに発光ダイオード(LED)3万3000球を巻き付ける足場が組まれ、天守閣が数百年の時を超えて復活したような姿を見せている。鶴ケ城包む幻想の光 若松で平和の祈り
同公園は戦国時代以前から戊辰(ぼしん)戦争で落城するまで450年以上使われた城跡で「二本松城跡」として国史跡に指定されている。過去に天守閣を復元する動きもあったが、史実に基づかない復元は認められず、実現しなかった。
今回は合併10周年記念として10月10日から9日間、イルミネーションによる「一夜城」が現れる。期間中は本丸天守台の石垣と公園内もライトアップ、光の通路を設けて歩けるようにする。二本松観光ボランティアガイドによるガイドも行う。
会津の先人に感謝の思いを伝える「光と音楽による鎮魂と平和の祈り」は22日、会津若松市内で催され、鶴ケ城北出丸内堀に灯籠を流した。鶴ヶ城、再建50年祝う 会津若松で記念行事
実行委員会の主催で、会津まつりの協賛行事として開催した。お堀には約350の手作り灯籠が浮かび、市民が幻想的な風景に見入っていた。
会場には福島市出身のマリンバ奏者松本律子さんといわき市在住のフルート奏者市島徹さんが奏でる「星に願いを」などが流れ、雰囲気を盛り上げた。
灯籠の一部は同日、市内の園児らがそれぞれの願いや好きな絵を描き込んで作った。
郷土歴史研究家の石田明夫さんが戊辰戦争の歴史を語りながら町中を案内する散策イベントも併せて繰り広げた。
( 2015/09/23 08:37 カテゴリー:主要 )
会津若松市の鶴ヶ城の天守閣が今月、再建から50周年を迎えた。時勢に流されず、逆境に耐えて生きた先人たちの歴史を伝える象徴で、市民らの愛着は半世紀の歩みと共に一層深まった。19日には市内で記念行事が開催され、多くの市民らが節目を祝った。千葉
鶴ヶ城は、幕末から明治にかけての戊辰ぼしん戦争の激戦の舞台となり、新政府軍から激しく砲撃された。会津藩が敗れた後、1874年に取り壊された。再建の機運が高まったのは太平洋戦争後で、市民からの要望もあり、1965年9月17日に鉄筋5階の建物としてよみがえった。市によると、建設費約1億5000万円のうち約6800万円が市民らからの寄付で賄われたという。
天守閣は博物館として使われている。発掘調査や文献で、幕末には冬の寒さで割れるのを防ぐため、上薬を塗った赤瓦が使用されていたことが判明。ふき替えが決まり、2011年3月に完了した。ふき替え工事に関わった同市の弓田建設社長、弓田八平さん(63)は「鶴ヶ城の歴史に入れたことは光栄」と振り返り、「これからも地元の誇りである鶴ヶ城を守りたい」と語った。
19日午前には、鶴ヶ城内で、保育園児や幼稚園児らが歌や演舞で再建50周年を祝福し、最後に園児ら約600人が風船を空に放って祝った。演舞に参加した同市大戸町、佐藤周弥ちゃん(5)は「お誕生日おめでとうの気持ちを込めて舞いました」と笑顔を見せた。
同日午後には、同市城東町の会津風雅堂で記念式典が開かれ、約1100人が出席。記念講演したNHK大河ドラマ「八重の桜」の脚本を担当した山本むつみさんは「再建された天守閣を見ると、人間は何度でもやり直して歩いていけると感じる」と話した。
<食卓ものがたり>甘みとツヤ 酔いしれて 本みりん(千葉県流山市)
本みりんがつがれたワイングラスを、「どうぞ」と差し出された。千葉県流山市の「流山キッコーマン」で、遠藤善彦社長(56)に勧められ、本みりんを“試飲”した。「ん? おいしい!」。とろっと甘くて、体がほわ~んとしてきた。高知
本みりんにはアルコール分が14%前後も含まれている。アルコール分1%未満の「みりん風調味料」との違いは口に含めば歴然。実は、みりんは江戸時代にはお酒として飲まれていた。
話は江戸時代後期の一八一四年にさかのぼる。江戸川沿いで水源豊富な流山は、米作りも酒造りも盛んだった。酒造業者の堀切紋次郎は焼酎と、もち米などを原料にみりんを開発。当時は愛知県の三河地方などのみりんが主流で、売れるまで約十年かかった。
同じ頃、江戸でお酒として飲まれていたみりんが、うなぎのかば焼きのたれや、そばつゆに使われるように。紋次郎の濃厚なみりんも評判となった。みりんは紋次郎が詠んだ歌に含まれた「一」・「力」・「上」の三文字を組み合わせた言葉遊びで「万上」(マンジョウ)と名付けられた。
堀切家が興した会社は一九二五年に、「キッコーマン」の前身の「野田醤油(しょうゆ)」と合併。現在は、みりん製造部門としてキッコーマンから分社化した流山キッコーマンが、本みりん年間約二万八千キロリットルを製造する。
遠藤社長は約三十年、本みりん造りに関わってきた。もち米を蒸して米こうじと焼酎などを加えて「もろみ」を仕込み、タンクで一~二カ月熟成。もち米のでんぷんが酵素の力で糖に分解されるため、甘みが出る。「糖類がてりやつやを出し、アルコール分がにおい消しや味を染み込ませる働きをする」と遠藤社長。いちごとコトコト煮るのもおすすめとか。多彩な本みりんは何役もこなせる、甘いマスクの名脇役なのだ。 文・写真 細川暁子
写真
◆学ぶ
流山市は、幕末の京都で討幕派の取り締まりに当たった新選組の局長・近藤勇と盟友の副長・土方歳三が永遠の別離を迎えた地とされる。1868年、近藤らは別名を使い、流山の造り酒屋で陣営を敷いていた。だが新政府軍に包囲され、近藤は自首。後に江戸の板橋で斬首された。
流鉄流山線の流山駅から徒歩約5分の場所に、「長岡屋」と呼ばれる陣屋跡の土台が残る。隣接する酒屋「秋元」では、新選組にちなんだグッズや、芋焼酎と日本酒がある「本陣長岡屋」、限定品のマンジョウみりんなどを販売している。
龍馬の手紙草稿に登場、「林」との交流明らかに
坂本龍馬が暗殺される直前、土佐藩重臣の後藤象二郎宛てに書いた手紙の草稿に名前が記されていた「林市郎右衛門いちろううえもん」と、龍馬らとの交流の様子が明らかになった。高知
NPO法人の京都龍馬会が20日、発表した。林は、新選組が尊皇攘夷じょうい派の長州藩士らを襲撃した池田屋事件との関わりもあったとされ、同会は「さらに裏付け調査を進めたい」としている。
林は、龍馬が1867年(慶応3年)10月、福井藩で三岡八郎に会い、新政府への協力を要請した際の様子を記した手紙の下書きに登場。下書き裏面に「■江国塩津 宿 林市郎右衛門」の記載があり、龍馬の新たな人間関係と注目された。
今回、同法人が滋賀県長浜市西浅井町の「塩津」で現地調査を行い、林が宿屋を営んでいたことが判明。林の子孫らが保管する掛け軸や、幕末から明治維新にかけての功労者への贈位の際に、林が政府に自己申告した「贈位申請書」も国立公文書館で見つかった。
贈位申請書によると、林は1862年、龍馬の仲間で土佐藩藩士の北添佶摩きつまらに請われて活動を開始。翌年に龍馬と出会い、「汽船購入のために金5万両を借り入れてほしい」などと依頼されたと記している。
また64年の池田屋事件では、北添の命を受け、事件直前に捕らえられた古高俊太郎の家に忍び込み、重要書類を焼き捨てたと記述。龍馬とは暗殺直前にも会い、龍馬が福井へ赴いた際、雪で塩津には寄らず、西近江路で帰京したことなどを話したとの記載もあった。
ただ、史実と申請書記載の時期が異なる部分もあり、さらに裏付け調査が必要だという。京都国立博物館の宮川禎一・学芸部列品管理室長は「幕末・明治維新は、武士だけでなく、知られざる市井の人々らも支えていたことがわかる貴重な発見」としている。
明治維新150年 12施設タッグ
◇資料、博物館が連絡協 幕末日記や大江卓の企画展鹿児島
明治維新から150年の節目にあたる2018年を前に、幕末や維新に関連する県内12の博物館や資料館などが、16~18年度に連携して企画展を開こうと「明治維新150年県ミュージアム連絡協議会」を設立した。県は、明治維新150年に向けて鹿児島、山口、佐賀3県と観光などで連携する「平成の薩長土肥連合」に加わっており、今後、観光と歴史文化の両面で盛り上がりが期待される。(畑本明義)
大政奉還・王政復古がなされたのは1867年だが、68年は明治元年で、五箇条の御誓文が発せられるなど、明治政府が本格的に機能し始めた年とされる。
連絡協議会に参加する施設は、2018年度までの3年間にわたり、戊辰戦争などの維新期の出来事や地域と明治維新との関わり、維新期の人物などをテーマに企画展を実施する予定。このうち、高知市立自由民権記念館は幕末期の郷士の日記などを基にした企画展を、宿毛市立宿毛歴史館は志士として活動した後、政治家や実業家、人権活動家として活躍した大江卓の企画展などをそれぞれ検討している。
今年5月に、県から維新150年企画への協力依頼があり、関連資料を所蔵し、企画展を行うことができる施設が協議会を設立した。12の施設が連携することで、県から広報や印刷費などの支援を受けられるほか、同じテーマを扱う施設の学芸員が情報交換することで、企画に深みが出ることも期待されるという。
11日に高知市の山内会館で開かれた初会合では、会長に自由民権記念館を所管する高知市教委民権・文化財課の筒井秀一課長を選出。今後、2、3か月に1度、担当の学芸員らが会合を開いて、具体的な連携内容について検討を深める。初会合後、記者会見した筒井課長は「各館がそれぞれの切り口を工夫して展示し、できれば新資料の展示もしていきたい」と述べた。
自由民権記念館と宿毛歴史館以外の参加施設は次の通り。
▽安芸市立歴史民俗資料館▽北川村立中岡慎太郎館▽県立坂本龍馬記念館▽県立美術館▽県立文学館▽県立歴史民俗資料館▽高知城管理事務所▽高知市立龍馬の生まれたまち記念館▽佐川町立青山文庫▽土佐山内家宝物資料館。
西郷と地元の関わり学ぶ 鹿児島・武地区の子どもたち
西郷隆盛と鹿児島市武地区との関わりを地元の子どもたちに知ってもらう「武の吉きちの秋祭り」が23日、同所の西郷公園であり、約40人の子どもたちが西郷にまつわる逸話を聞いたり、銅像を磨いたりした。
西郷公園は西郷が「屋敷」を建てた場所。祭りは武小校区の父親らでつくる「武おやじの会」の企画で、西郷が「吉之助」とも呼ばれていたことから「吉」の字を冠した。
子どもたちはまず、西郷と庄内藩の家老・菅実秀との対座の様子を表した銅像をスポンジやたわしで磨いた。その後、維新ふるさと館(鹿児島市加治屋町)の歴史解説員・肥後秀昭さん(67)の講話を聞いた。
戊辰ぼしん戦争の際、新政府軍に敗れた庄内藩に対し、西郷は寛大な処置を取ったことで知られる。肥後さんは銅像について、「西郷さんの考えに感銘を受け、菅さんはこの場所で対話をしました」などと説明した。
さらに、子どもたちは薩摩の剣術・薬丸自顕流を学び、地元に伝わる踊り「武町音頭」にも挑戦した。
武中学校1年の牧野吏赳りきゅうさん(12)は「銅像の意味を初めて知り、西郷さんについてもっと興味が湧いた。ここに住んでいたと思うと誇らしく思う」と話していた。
頑張って昼席と夜席連チャンしました。腰がガタガタ言わされてます(;_:)。
双蝶々曲輪日記 新清水浮無瀬の場
梅玉の与兵衛(「ぴんとこな」、やわらかながらもきりっとした強さのある色男)、錦之助の与五郎(「つっころばし」、へなへなした色男の若旦那)。大阪の新清水寺の裏手にある浮無瀬《うかむせ》という料亭が舞台……今の四天王寺前夕陽ヶ丘の辺りで、昔は浅瀬の海が西側の崖の下に広がっていた。
与兵衛が清水観音の舞台から傘を差して飛び降りる場面に落語の「愛宕山」を重ねて見てしまった(笑)。まぁ、悪党からどろんと姿を消す正義のヒーローなんでいいか。
紅葉狩
竹本と長唄と常磐津の三方掛合が面白い。更科姫または戸隠の鬼女に染五郎、平維茂に尾上松緑、山神に松本金太郎(子役)。途中ちょっと意識抜けちゃったところがあったので更科姫の美しいところをあまり覚えてない。鬼女の迫力はやっぱ女形でない染五郎だから出るのかな。
競伊勢物語
紀有常に吉右衛門、絹売豆四郎と在原業平の二役に染五郎、娘信夫と井筒姫の二役に菊之助、小由に東蔵。
筋が複雑なので新聞記事引用。
「競伊勢物語」に挑む中村吉右衛門
通し狂言 伽羅先代萩
これがまた、「通し狂言」と名はついているのだけど、人形浄瑠璃や義太夫や歌舞伎の複数作品からいいところを抜いて構成しているので、逆に全編通して出てくる主人公がいない。見せ場も趣向も幕毎に違う。
ホームページ「歌舞伎への誘い」より「伽羅先代萩」作品紹介。
〈花水橋〉
足利頼兼に梅玉、相撲取りの絹川谷蔵に又五郎。廓通いの帰りがけ、お家乗っ取りを企む者達がやとった悪漢どもに囲まれるお殿様頼兼、助けにかけつける谷蔵。さすが殿様、立ち居振る舞いに品がある。
<竹の間>
頼兼が遊興に耽ったとされて隠居に追い込まれ、嫡男の鶴千代が世継ぎ候補になるが、執権の仁木弾正が亡き者にしようとさまざまな手を打ってくる。乳母の政岡(玉三郎)は鶴千代を男嫌いの病気と称して、息子千松をお毒味役兼小姓としてつける以外はすべて腰元で周囲を固め、弾正らを近づけない。
病気見舞と称して弾正の妹八汐(歌六)が家臣の妻沖の井(菊之助)をとして連れて来る。沖の井は鶴千代に膳を勧めるが、政岡が自分以外の者が用意する食べ物を口にするなと普段からしつけているので、若殿は「いらない」という。次に八汐は、男医者ではダメなら医者の妻で女医者としても名声を博している小槙(児太郎)の診断を受けろという。小槙は若君の脈を取り、竹の間では絶対死ぬ、廊下では健康体、と不思議な見立てをする。
不審な忍びの者が見つかり、詮議すると政岡の命だという。さらに八汐は政岡が若君を呪詛で殺そうとしていると証拠と称する手紙を出して追い詰めようとする。が、若君はそれでも政岡がいいとかばい、沖の井が八汐の主張に反論して、政岡は助けられる。
〈御殿〉
飯《まま》炊きの場面。毒殺が怖いので、政岡は茶道具を使ってわずかな握り飯をつくり、それを若君と千松に食べさせる。「腹はへってもひもじうない」と、一日一食それもわずかな飯だけで過ごす子供ふたりが哀れで泣けてくる政岡。
そこに、管領山名宗全(江戸幕府でいう老中に相当)の妻である栄御前が鶴千代の見舞いと称してやってきて、菓子を鶴千代に勧める。八汐の差し金っぽいが、管領の名代として乗り込んできた栄御前の勧めを断りきれない。そこへ飛び出てきた千松がお菓子を一口食べ、残りを子供の乱暴に見せかけて蹴散らしてしまう。途端に苦しみ出す千松。毒を仕込んだことを露見させるまいと無礼な振る舞いを咎めて、千松を嬲り殺しにする八汐。
政岡は、我が子が目の前で責め殺されるのを見ながら、顔色ひとつ変えずに若殿の鶴千代を守ろうとする。その姿を見て、栄御前は(あまり頭良くない設定)、自分の息子を世継ぎにするために若君と小姓をすり替えているに違いないと勘違いしただけでなく、お家乗っ取りをはかる仲間と勘違いして血判状を政岡に渡す。
栄御前が去って、ひとり変わり果てた息子と対面した政岡は身も世もなく泣き崩れる。
ひとりになった政岡を狙って八汐が刃をふるうが、政岡は返り討ちにして千松の仇を取る。さらに、沖の井が小槙を連れてやってきて、小槙の夫は弾正に若君を毒殺する毒薬を調合するよう強要されたが拒否して殺されたこと、仕方なく小槙は八汐の一味になったふりをして彼らの悪事を暴くつもりだったことを沖の井に告白したことを宣言。
これで政岡は何とか若君を守り抜いたが、決定的な証拠である血判状を鼠が咥えて持ち出してしまう。
とにかく八汐が憎々しいが、ことが破れて「それでもご名代だ」と言い張るところはユーモラスで、身分は高いけど兄ほど遣り手じゃないんだなーと実感できる何かがあった。
政岡はやはり玉三郎だけあって、茶道具でご飯を炊く様が哀しくもお手前のように優美。でも何だろう、他のお客様は涙涙でこの場を見てるんだけど、私はどうも入り込めてない。沖の井を演じた菊之助は凛々しくて爽やか。小槙の児太郎もよかった。
〈床下〉
御殿の床下で鶴千代を守る荒獅子男之助は、怪しい鼠を捕まえようとする。しかし、この鼠は仁木弾正が妖術で姿を変えたもので、弾正は中空へ姿を消す。
江戸歌舞伎ならではの荒事なんだけど、男之助チープ過ぎる。。対照的に仁木弾正は権力者で男前で実力もある「実悪」、歌舞伎でいうと最高ランクの悪役なんだそうだ。うん、さすが吉右衛門、暗い花道をロウソクで照らし出されて浮かび上がる、幻想的な、品がある悪役姿、花道に残る影ですら素敵でした。『幕末Rock』の井伊直弼みたい(爆)。
〈対決〉
お家騒動は幕府の問注所で裁かれることとなり、仁木弾正ら悪臣たち、渡辺外記左右衛門ら忠臣たちが管領山名宗全の前で対決する。しかし山名はすでに仁木に抱き込まれており、ことごとく仁木らに有利な判決を下す。
忠臣たちが敗訴したところ、間一髪で管領細川勝元が駆けつけ、弾正を持ち上げながら一筆書かせ、今書いたばかりの書状の筆跡と、渡辺外記左右衛門らが持っていた密書の半分、そして自分が持っていた残り半分を付き合わせてこれらが同じ筆跡であることを周囲の面前で証明し、弾正らの企みを退ける。
染五郎が颯爽とやってきて進退窮まる忠臣チームを救い出す感じはいい。話の筋として、最初は完全に余裕こいてた弾正が論破された後に大人しく敗訴されるのは、継ぎ接ぎ作品の弱点だなぁと思う。ここから妖術でしょ、人外に化けて大暴れするとか、人を惑わすお香とか妖術で洗脳するとか、ここで何かやってくれないと。そして、術敗れてから、荒獅子男之助みたいなマッチョと力対決して、ここでも敗れてから次の刃傷の場でないと……せっかく「床下」で素敵な悪役っぷりを予感させておいて、この為体はないんじゃないか(くすん)。
〈刃傷〉
お家乗っ取りどころか執権の座も何もかも奪われてキレた弾正が逆恨みして外記左右衛門に斬りかかる。外記左右衛門手負いとなるも、周囲の力を借りて何とか弾正を討ち果たす。
細川勝元が外記左右衛門を労い、鶴千代の家督相続を許した幕府書状を手渡し、扇を贈って健闘を称える。
外記は八汐との二役で歌六。お疲れ様という感じ。
……しかし、何かここでの細川の殿様はKY(空気読めない)感が漂っている。医者に薬湯を持たせて飲ませたのはいい(でも腹に手傷を受けていたら薬湯も気休めなんじゃないのか?)、自分の駕籠に乗って帰れと外記左右衛門にはとても身分違いで乗れない駕籠を提供するのもまだいいとしよう。
早く駕籠に乗って帰って養生しろと言うでもなく、あっぱれと褒めるために扇を下賜した上に、歌って踊れと命令するのはあんまりだよなぁ……これで命を縮めたという感じだ。せめて、もはや手の尽くしようがないので、誉れを称えて手向けにしてやりたいという意図が見えれば、あっぱれ殿様とも言えるんだけど。ここは染五郎だからなのかしら? KYという印象しか残らなかった(汗)。
全編通して何よりも残念だったのは仁木弾正の活躍が鼠に化けたことと空を飛んだということで、その後妖術使いという設定が何ひとつ活かされなかったのが勿体ない。裁判で負けたところで妖術で抵抗してくれるとか、宙乗りで逃亡してくれるとか、演出のしようでいくらでも盛り上げられるはずなんだけどなー(「幕末Rock」で井伊直弼が妖術使いのくせに自分が魂を売った徳川家代々の亡霊に魂を喰われてあっけなく死んじゃったのも惜しいことをした……あともう一回分尺があれば、もう少し暴れられたのに)。
双蝶々曲輪日記 新清水浮無瀬の場
梅玉の与兵衛(「ぴんとこな」、やわらかながらもきりっとした強さのある色男)、錦之助の与五郎(「つっころばし」、へなへなした色男の若旦那)。大阪の新清水寺の裏手にある浮無瀬《うかむせ》という料亭が舞台……今の四天王寺前夕陽ヶ丘の辺りで、昔は浅瀬の海が西側の崖の下に広がっていた。
与兵衛が清水観音の舞台から傘を差して飛び降りる場面に落語の「愛宕山」を重ねて見てしまった(笑)。まぁ、悪党からどろんと姿を消す正義のヒーローなんでいいか。
紅葉狩
竹本と長唄と常磐津の三方掛合が面白い。更科姫または戸隠の鬼女に染五郎、平維茂に尾上松緑、山神に松本金太郎(子役)。途中ちょっと意識抜けちゃったところがあったので更科姫の美しいところをあまり覚えてない。鬼女の迫力はやっぱ女形でない染五郎だから出るのかな。
競伊勢物語
紀有常に吉右衛門、絹売豆四郎と在原業平の二役に染五郎、娘信夫と井筒姫の二役に菊之助、小由に東蔵。
筋が複雑なので新聞記事引用。
「競伊勢物語」に挑む中村吉右衛門
豆四郎・信夫夫婦と老母の小由こよしが暮らす奈良の田舎に、公家の有常が訪れる。小由は、有常が失脚した時に世話になった相手。訳あって預けた一人娘の信夫を返してほしいと告げる。実は、有常は養女として育てた先帝の娘・井筒姫の身代わりに、信夫を殺そうとしていた。人に養育を頼んで預けた娘と20年ぶりに会ってその日に、主筋を守るために娘と娘婿を殺さなきゃならないという話。近代人の自分にはすぐに受け容れられない展開ではあるのだけど、吉右衛門が雅に悲愴さを演じて陰惨にならない感じ。それでも生首を包んだ布をふたつ取り出したりすると、やっぱ辛い。
通し狂言 伽羅先代萩
これがまた、「通し狂言」と名はついているのだけど、人形浄瑠璃や義太夫や歌舞伎の複数作品からいいところを抜いて構成しているので、逆に全編通して出てくる主人公がいない。見せ場も趣向も幕毎に違う。
ホームページ「歌舞伎への誘い」より「伽羅先代萩」作品紹介。
江戸時代の仙台藩伊達家(だてけ)のお家騒動に取材した作品で、奥州の足利家の執権(しっけん)仁木弾正(にっきだんじょう)や妹八汐(やしお)らが、足利家の乗っ取りを企む物語です。ダイジェスト版というか、名場面集と割り切って見ればいいのだけど、慣れていない私は見た当日の昨日はすごく疲れた。一晩寝て、なるほど仮名手本忠臣蔵のように幕毎にいろいろなご趣向があるからファンがつくんだなと理解。
乳母政岡(まさおか)が自らの子を犠牲にして、悪人一派から幼い主君鶴千代(つるちよ)を守る通称「御殿(ごてん)」、御殿の床下で警護をしていた荒獅子男之助(あらじしおとこのすけ)を鼠の妖術によって出し抜いた弾正が、悠然と去っていく通称「床下(ゆかした)」、弾正が細川勝元(ほそかわかつもと)による裁判に敗れ、抵抗の末に成敗される通称「対決(たいけつ)」・「刃傷(にんじょう)」などの各場面を中心に上演されます。
〈花水橋〉
足利頼兼に梅玉、相撲取りの絹川谷蔵に又五郎。廓通いの帰りがけ、お家乗っ取りを企む者達がやとった悪漢どもに囲まれるお殿様頼兼、助けにかけつける谷蔵。さすが殿様、立ち居振る舞いに品がある。
<竹の間>
頼兼が遊興に耽ったとされて隠居に追い込まれ、嫡男の鶴千代が世継ぎ候補になるが、執権の仁木弾正が亡き者にしようとさまざまな手を打ってくる。乳母の政岡(玉三郎)は鶴千代を男嫌いの病気と称して、息子千松をお毒味役兼小姓としてつける以外はすべて腰元で周囲を固め、弾正らを近づけない。
病気見舞と称して弾正の妹八汐(歌六)が家臣の妻沖の井(菊之助)をとして連れて来る。沖の井は鶴千代に膳を勧めるが、政岡が自分以外の者が用意する食べ物を口にするなと普段からしつけているので、若殿は「いらない」という。次に八汐は、男医者ではダメなら医者の妻で女医者としても名声を博している小槙(児太郎)の診断を受けろという。小槙は若君の脈を取り、竹の間では絶対死ぬ、廊下では健康体、と不思議な見立てをする。
不審な忍びの者が見つかり、詮議すると政岡の命だという。さらに八汐は政岡が若君を呪詛で殺そうとしていると証拠と称する手紙を出して追い詰めようとする。が、若君はそれでも政岡がいいとかばい、沖の井が八汐の主張に反論して、政岡は助けられる。
〈御殿〉
飯《まま》炊きの場面。毒殺が怖いので、政岡は茶道具を使ってわずかな握り飯をつくり、それを若君と千松に食べさせる。「腹はへってもひもじうない」と、一日一食それもわずかな飯だけで過ごす子供ふたりが哀れで泣けてくる政岡。
そこに、管領山名宗全(江戸幕府でいう老中に相当)の妻である栄御前が鶴千代の見舞いと称してやってきて、菓子を鶴千代に勧める。八汐の差し金っぽいが、管領の名代として乗り込んできた栄御前の勧めを断りきれない。そこへ飛び出てきた千松がお菓子を一口食べ、残りを子供の乱暴に見せかけて蹴散らしてしまう。途端に苦しみ出す千松。毒を仕込んだことを露見させるまいと無礼な振る舞いを咎めて、千松を嬲り殺しにする八汐。
政岡は、我が子が目の前で責め殺されるのを見ながら、顔色ひとつ変えずに若殿の鶴千代を守ろうとする。その姿を見て、栄御前は(あまり頭良くない設定)、自分の息子を世継ぎにするために若君と小姓をすり替えているに違いないと勘違いしただけでなく、お家乗っ取りをはかる仲間と勘違いして血判状を政岡に渡す。
栄御前が去って、ひとり変わり果てた息子と対面した政岡は身も世もなく泣き崩れる。
ひとりになった政岡を狙って八汐が刃をふるうが、政岡は返り討ちにして千松の仇を取る。さらに、沖の井が小槙を連れてやってきて、小槙の夫は弾正に若君を毒殺する毒薬を調合するよう強要されたが拒否して殺されたこと、仕方なく小槙は八汐の一味になったふりをして彼らの悪事を暴くつもりだったことを沖の井に告白したことを宣言。
これで政岡は何とか若君を守り抜いたが、決定的な証拠である血判状を鼠が咥えて持ち出してしまう。
とにかく八汐が憎々しいが、ことが破れて「それでもご名代だ」と言い張るところはユーモラスで、身分は高いけど兄ほど遣り手じゃないんだなーと実感できる何かがあった。
政岡はやはり玉三郎だけあって、茶道具でご飯を炊く様が哀しくもお手前のように優美。でも何だろう、他のお客様は涙涙でこの場を見てるんだけど、私はどうも入り込めてない。沖の井を演じた菊之助は凛々しくて爽やか。小槙の児太郎もよかった。
〈床下〉
御殿の床下で鶴千代を守る荒獅子男之助は、怪しい鼠を捕まえようとする。しかし、この鼠は仁木弾正が妖術で姿を変えたもので、弾正は中空へ姿を消す。
江戸歌舞伎ならではの荒事なんだけど、男之助チープ過ぎる。。対照的に仁木弾正は権力者で男前で実力もある「実悪」、歌舞伎でいうと最高ランクの悪役なんだそうだ。うん、さすが吉右衛門、暗い花道をロウソクで照らし出されて浮かび上がる、幻想的な、品がある悪役姿、花道に残る影ですら素敵でした。『幕末Rock』の井伊直弼みたい(爆)。
〈対決〉
お家騒動は幕府の問注所で裁かれることとなり、仁木弾正ら悪臣たち、渡辺外記左右衛門ら忠臣たちが管領山名宗全の前で対決する。しかし山名はすでに仁木に抱き込まれており、ことごとく仁木らに有利な判決を下す。
忠臣たちが敗訴したところ、間一髪で管領細川勝元が駆けつけ、弾正を持ち上げながら一筆書かせ、今書いたばかりの書状の筆跡と、渡辺外記左右衛門らが持っていた密書の半分、そして自分が持っていた残り半分を付き合わせてこれらが同じ筆跡であることを周囲の面前で証明し、弾正らの企みを退ける。
染五郎が颯爽とやってきて進退窮まる忠臣チームを救い出す感じはいい。話の筋として、最初は完全に余裕こいてた弾正が論破された後に大人しく敗訴されるのは、継ぎ接ぎ作品の弱点だなぁと思う。ここから妖術でしょ、人外に化けて大暴れするとか、人を惑わすお香とか妖術で洗脳するとか、ここで何かやってくれないと。そして、術敗れてから、荒獅子男之助みたいなマッチョと力対決して、ここでも敗れてから次の刃傷の場でないと……せっかく「床下」で素敵な悪役っぷりを予感させておいて、この為体はないんじゃないか(くすん)。
〈刃傷〉
お家乗っ取りどころか執権の座も何もかも奪われてキレた弾正が逆恨みして外記左右衛門に斬りかかる。外記左右衛門手負いとなるも、周囲の力を借りて何とか弾正を討ち果たす。
細川勝元が外記左右衛門を労い、鶴千代の家督相続を許した幕府書状を手渡し、扇を贈って健闘を称える。
外記は八汐との二役で歌六。お疲れ様という感じ。
……しかし、何かここでの細川の殿様はKY(空気読めない)感が漂っている。医者に薬湯を持たせて飲ませたのはいい(でも腹に手傷を受けていたら薬湯も気休めなんじゃないのか?)、自分の駕籠に乗って帰れと外記左右衛門にはとても身分違いで乗れない駕籠を提供するのもまだいいとしよう。
早く駕籠に乗って帰って養生しろと言うでもなく、あっぱれと褒めるために扇を下賜した上に、歌って踊れと命令するのはあんまりだよなぁ……これで命を縮めたという感じだ。せめて、もはや手の尽くしようがないので、誉れを称えて手向けにしてやりたいという意図が見えれば、あっぱれ殿様とも言えるんだけど。ここは染五郎だからなのかしら? KYという印象しか残らなかった(汗)。
全編通して何よりも残念だったのは仁木弾正の活躍が鼠に化けたことと空を飛んだということで、その後妖術使いという設定が何ひとつ活かされなかったのが勿体ない。裁判で負けたところで妖術で抵抗してくれるとか、宙乗りで逃亡してくれるとか、演出のしようでいくらでも盛り上げられるはずなんだけどなー(「幕末Rock」で井伊直弼が妖術使いのくせに自分が魂を売った徳川家代々の亡霊に魂を喰われてあっけなく死んじゃったのも惜しいことをした……あともう一回分尺があれば、もう少し暴れられたのに)。
先ほど幕末ニュースをアップしたばかりですが、追加ニュースです。
龍馬、暗殺直前に福井から帰京 滋賀の宿屋に資料
なるほど……。
龍馬、暗殺直前に福井から帰京 滋賀の宿屋に資料
暗殺直前の坂本龍馬が雪深い陸路を通って福井から京都に戻っていたとする記録が、滋賀県の塩津(現長浜市)で代々宿屋を営んでいた林市郎の経歴書から見つかり、NPO法人京都龍馬会が20日、京都市内で発表した。
坂本龍馬記念館(高知市)によると、龍馬は暗殺時に風邪をひいていたとされており、同記念館の三浦夏樹主任学芸員は「経歴書の信ぴょう性は高く、福井行きで体調を崩した可能性もある」と話している。
林は1867年、京都の近江屋で龍馬と面会。龍馬が福井からの帰路、雪深い琵琶湖西側の西近江路を通ったと聞いた。龍馬は11月5日に福井出張から戻り、15日に暗殺された。
なるほど……。
シルバーウィークに突入しました。幸いお天気には恵まれているようで、行楽に文化行事にお買い物など旅行やお出かけの方々は楽しんでらっしゃいませ。また、先の水害に遭われた方々には、復旧が進みますよう祈っております。
北海道
野外劇舞台設置「難しい」 市教委 石垣修復後も崩落の危険性
「八重の桜」の銃など展示 若松の新選組記念館 戊辰戦争展始まる
行方で新選組まつり 隊士に扮し迫力の演武
北海道
野外劇舞台設置「難しい」 市教委 石垣修復後も崩落の危険性
国の特別史跡・五稜郭跡で石垣修復作業を進めている函館市教育委員会は14日、市民創作函館野外劇に使用する舞台装置の設営について「石垣崩落の危険性があり、安全性の確保が難しい。これまでの場所での舞台設置は極めて難しい」とし、修復完了後の来年度以降も認めない考えを示した。福島
市議会第3回定例会の一般質問で、斉藤佐知子氏(民主・市民ネット)への答弁。
函館野外劇は市民が上演する函館の歴史絵巻で、2013年までは五稜郭の堀を生かした特設舞台や観客席を設営。昨年3月、例年舞台を設営する付近の石垣の一部が崩落し、同年は郭内の別の場所で上演。今年は五稜郭タワーアトリウムなどでの無料公演として継続した。石垣は今年6月中旬から修復作業が進められている。
文化財や石垣の専門家らによる保存整備委員会は石垣崩落の要因について、堀水の凍結や融解の繰り返しで水面下の石垣部分がふくらみ、さらに上部からの過重によって崩落したと推測。野外劇の舞台装置などの影響について、川村義浩生涯学習部長は「堀の石垣には崩壊場所以外にも積み石が抜けている場所がある。舞台設置との間に因果関係があったかを明確にするのは難しい」と述べた。
さらに、修復後もさらなる石垣崩落の危険性があるとして、来年以降も舞台設置を認めない考えを示した。斉藤氏は「市民の宝である五稜郭と、野外劇もしっかり守ってほしい」と述べた。
「八重の桜」の銃など展示 若松の新選組記念館 戊辰戦争展始まる
会津若松市七日町の会津新選組記念館で平成27年9月18日、特別展「大河ドラマから見る八重と新選組の戊辰戦争」が始まった。「八重の桜」の撮影で、八重役の綾瀬はるかさんが使ったゲベール銃をはじめ、関連資料が並んでおり多くの愛好者が足を運んでいる。鶴ヶ城、再建50年祝う 会津若松で記念行事
23日の藩公行列に綾瀬さんが参加することから企画した。ゲベール銃の他に、籠城戦の撮影で使った会津藩弾薬箱、八重の最初の夫・川崎尚之助役の長谷川博己さんが求婚した際に手渡したウェストリー・リチャーズ砲兵銃、「八重の桜」の台本全50巻を展示している。撮影に使用した各種銃砲や小道具類も並ぶ。
観覧無料。時間は午前10時から午後5時まで。問い合わせは会津新選組記念館 電話0242(22)3049へ。
(2015/09/19 09:43カテゴリー:歴史・伝統)
会津若松市の鶴ヶ城の天守閣が今月、再建から50周年を迎えた。時勢に流されず、逆境に耐えて生きた先人たちの歴史を伝える象徴で、市民らの愛着は半世紀の歩みと共に一層深まった。19日には市内で記念行事が開催され、多くの市民らが節目を祝った。会津の精神後世に 鶴ケ城天守閣再建50周年 若松で式典
鶴ヶ城は、幕末から明治にかけての戊辰ぼしん戦争の激戦の舞台となり、新政府軍から激しく砲撃された。会津藩が敗れた後、1874年に取り壊された。再建の機運が高まったのは太平洋戦争後で、市民からの要望もあり、1965年9月17日に鉄筋5階の建物としてよみがえった。市によると、建設費約1億5000万円のうち約6800万円が市民らからの寄付で賄われたという。
天守閣は博物館として使われている。発掘調査や文献で、幕末には冬の寒さで割れるのを防ぐため、上薬を塗った赤瓦が使用されていたことが判明。ふき替えが決まり、2011年3月に完了した。ふき替え工事に関わった同市の弓田建設社長、弓田八平さん(63)は「鶴ヶ城の歴史に入れたことは光栄」と振り返り、「これからも地元の誇りである鶴ヶ城を守りたい」と語った。
19日午前には、鶴ヶ城内で、保育園児や幼稚園児らが歌や演舞で再建50周年を祝福し、最後に園児ら約600人が風船を空に放って祝った。演舞に参加した同市大戸町、佐藤周弥ちゃん(5)は「お誕生日おめでとうの気持ちを込めて舞いました」と笑顔を見せた。
同日午後には、同市城東町の会津風雅堂で記念式典が開かれ、約1100人が出席。記念講演したNHK大河ドラマ「八重の桜」の脚本を担当した山本むつみさんは「再建された天守閣を見ると、人間は何度でもやり直して歩いていけると感じる」と話した。
会津若松市の鶴ケ城天守閣再建50周年を祝う行事が19日、市内で催された。市民らが節目を祝い、歴史と会津精神の継承を誓い合った。茨城
鶴ケ城本丸で「鶴ケ城お誕生会」が開かれた。市内の幼稚園・保育園児約600人が合唱や白虎隊の剣舞を披露した。色とりどりの風船をお城の空高く飛ばして元気を発信した。
會津風雅堂で約1000人が参加して記念式典が行われた。室井照平市長が「先人に感謝し、思いをかみしめ、後世に伝える」とあいさつした。大河ドラマ「八重の桜」の脚本家・山本むつみさんが基調講演し、同市出身でNHK解説主幹の柳沢秀夫さん、会津松平家第14代当主の松平保久さん、山本さん、室井市長がパネルディスカッションを繰り広げた。
天守閣は戊辰戦争で傷つき、明治7(1874)年に取り壊された。昭和40(1965)年に市民の寄付などにより再建された。
■50周年記念式典 まちづくりの未来考える
会津若松市の會津風雅堂で19日に行われた鶴ケ城天守閣再建50周年記念式典では、講演や討論などを通してお城に寄せる思いを確認し、まちづくりの未来について考えた。
鶴ケ城天守閣再建50周年記念事業実行委員会の主催。鏡敬文県会津地方振興局長、目黒章三郎市議会議長、宮森泰弘会津若松商工会議所会頭が祝辞を述べ、記念映像「想いつなげて」が上映された。
基調講演では大河ドラマ「八重の桜」の脚本家・山本むつみさんが「八重の桜に込めた会津の心~道を切り拓いて生きる~」と題して語った。山本さんは「ならぬことはならぬ-の精神が会津人の背骨になっている。世界が変化し、困難が起きても、ならぬことはならぬという精神を軸にして自分の道を自分で切り開く生き方が求められている」と述べた。
パネルディスカッションではNHK解説主幹の柳沢秀夫さんをコーディネーターに会津松平家第14代当主の松平保久さん、山本さん、室井照平市長が「鶴ケ城に思いをはせて」の主題で語り合った。
福島民報社から鞍田炎会津若松支社長が出席した。式典会場では来場者に福島民報の別刷り特集「不屈の志永遠に」と、移動編集車「民報号」が発行した式典の様子を伝える号外を配布した。
( 2015/09/20 08:27 カテゴリー:主要 )
行方で新選組まつり 隊士に扮し迫力の演武
新選組ゆかりの地の行方市で13日、「第11回なめがた新選組まつり」(同実行委員会、市観光協会共催)が開かれた。県内外から新選組ファンらが集結、隊士に扮(ふん)したパレードや演武披露、ちびっこチャンバラ大会など多彩な催しを楽しんだ。行方市に合併後も玉造隊が健在のようですね。
イベントは、新選組初代局長・芹沢鴨と副長助勤・平間重助が同地の出身地であることから「新選組!茨城玉造隊」などが実行委員会をつくり、芹沢の命日の9月に合わせ毎年開催。供養を行うとともにまつりとして実施している。当日は約260人が参加した。
同市玉造甲の霞ケ浦ふれあいランドの会場は、隊士姿のファンたちであふれ、市内中学校の剣道部員による形やファン団体による迫力ある演武が披露され会場を沸かせた。また、ちびっこチャンバラ大会は、スポンジの剣でヘルメットの上に着けた紙風船を先に割った方が勝ちとなるルールで小中学生が熱戦を繰り広げた。
実行委員長の須田剛さんは「まつりを重ね、行方が新選組ゆかりの地だということをもっと広めていきたい」と話していた。
(黒羽根勝弘)
ぴあから劇評が来ました。
青木崇高が軽やかな佐平次に! 『幕末太陽傳』開幕
青木崇高が軽やかな佐平次に! 『幕末太陽傳』開幕
9月4日、本多劇場で『幕末太陽傳』が開幕した。元となるのは1957年、川島雄三監督によってつくられた名作映画『幕末太陽傳』。落語「居残り佐平次」を軸に、ある遊郭を舞台にした物語が展開する喜劇だ。劇中のエピソードも「三枚起請」や「品川心中」など落語の演目からとられたもの。今回、この作品が初めて舞台化されることとなった。演出を手掛けるのは江本純子。そして主人公の佐平次を演じるのは青木崇高だ。
劇場に入り幕が上がると、ステージ上はたくさんの衣装やら小道具やらで埋め尽くされている。その間を人々がバタバタと通り抜ける。隅にひょいっと青木が登場したかと思うと、着替えが始まる。ざわざわした楽しさに心を奪われていると、そこはいつしか江戸の遊郭に――。具体的な美術はほとんどなく、いくつもの段差によって空間が区切られ、シーンによってそれらはくるくると様々な場所に変化する。同じシーンでもしゃべっている者が周りの者に運ばれたり、はたまた自分で回転したりして、舞台でありながらそこに“カット割り”が生まれる。舞台全体を覆うにぎやかさに引っ張られて、観客は気が付けば物語の中に入り込んでゆく。
青木演じる佐平次は、時間が経つにつれてどんどん軽やかに、伸びやかになる。適当なことを言って相手を丸め込んでは、どんなトラブルもなんとか解決してしまう佐平次を青木はじつに魅力的に演じている。連続テレビ小説「ちりとてちん」で落語家を演じてブレイクした、もともと落語にゆかりの深い彼だからこそこの軽さが出せるのだろう。また、女郎おそめを田畑智子が、もうひとりの女郎こはるをMEGUMIが演じるが、ともに佐平次にぞっこんになり、いがみあう二人のバランスが絶妙で、観ていて気持ちいい。ほかにも小林且弥や矢田悠裕ら若手実力派もそれぞれ活躍している。今作はやはり全員がざわざわと動き回るその空気が大きな魅力のひとつであり、そこをいくつもの役柄で盛り上げた加藤啓の存在がとりわけ印象に残る。
時代が大きく変化するなか、飄々と駆け抜ける佐平次の行く末は、そしてこのにぎやかさの行きつく先は……。映画ならではの魅力に満ち溢れた原作をステージに乗せた結果現れたのは、舞台でしか表せない楽しさが詰まった作品だ。
あさくらゆうさんがやってくれました。
新選組の斎藤一、謎多き経歴に光 維新後の従軍など新史料
新選組 斎藤一に新史料 西南戦争従軍歴など国立公文書館に恩給関係文書
掲載された写真の後列中央、西南戦争で出兵した時に撮影した藤田五郎とされる写真の肖像に雰囲気似てますね。
再婚という記録がないとすると、時尾さんとが初婚ということになりますねー。
新選組の斎藤一、謎多き経歴に光 維新後の従軍など新史料
西南戦争で右肋骨に銃撃を受け、警視庁では中間管理職の警察官――。幕末に活動した新選組の生き残りとして知られながら、史料が少なく、謎が多いとされる斎藤一の明治維新後の従軍歴などが5日、国立公文書館が所蔵する明治時代の恩給関係の文書で明らかになった。歴史研究家のあさくらゆうさん(46)が公開請求した。
文書は、退職公務員の恩給請求書などをまとめた「明治廿六年官吏進退恩給二」の文官恩給の部。斎藤は警視庁を退職翌年の1893年1月19日付で、警視総監宛てに申請した。丁寧な文字で書かれた「西南之役従軍履歴」などは直筆とみられ、維新後から使った「藤田五郎」の名前で、押印もある。
これによると、斎藤は77年2月20日に内務省の警視局で警部補となり、同5月17日に「警視第二番小隊半隊長」として西南戦争へ従軍。4日後の同5月21日に大分県の嵯峨へ着き、同7月12日に大分県の高床山で弾丸により右肋骨を負傷すると、陸軍の出張病院へ入院した。部隊復帰は同8月15日で、戦闘終結後の同10月24日に臼杵で乗船。帰京後の79年10月8日に勲七等を与えられた。
81年の警視局廃止後は、陸軍省の御用掛に。警視庁の設置で、同年11月11日に巡査部長となり、翌年12月に月給が12円から15円へ昇給した。階級は85年7月3日に警部補、88年11月1日に警部へ上がり、92年12月14日に退職。当時48歳で「官ノ都合ニ依リ諭旨」とあり、16年間の勤務に対する恩給は年46円だった。
これらは妻のトキヲが斎藤の死亡後、遺族年金に当たる「文官扶助料」を申請した書類にも記されていた。斎藤は後に東京高等師範学校(現筑波大)や東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)で守衛や会計などの仕事に就いたが、この間の恩給の請求記録はなかった。
恩給関係文書からは、斎藤がトキヲと結婚した年月日も新たに判明した。一般的にトキヲとは再婚だったと認識されているが、最初の婚姻だった可能性が高い。
文書は文官扶助料の請求書をまとめた「大正五年恩給文官扶助料十五巻六十一」。妻トキヲも斎藤の死亡翌年の1916年に申請していた。
これによると、明治維新後に「藤田五郎」と名乗った斎藤は、1874年3月17日にトキヲと結婚。戸籍はトキヲを「妻」とし、再婚を示す記載はなかった。〔共同〕
新選組 斎藤一に新史料 西南戦争従軍歴など国立公文書館に恩給関係文書
西南戦争で右肋骨(ろっこつ)に銃撃を受け、警視庁では中間管理職の警察官-。幕末に活動した新選組の生き残りとして知られながら、史料が少なく、謎が多いとされる斎藤一の明治維新後の従軍歴などが、国立公文書館が所蔵する明治時代の恩給関係の文書で明らかになった。歴史研究家のあさくらゆうさん(46)が公開請求した。
文書は、退職公務員の恩給請求書などをまとめた「明治廿六年官吏進退恩給二」の文官恩給の部。斎藤は警視庁を退職翌年の一八九三年一月十九日付で、警視総監宛てに申請した。丁寧な文字で書かれた「西南之役従軍履歴」などは直筆とみられ、維新後から使った「藤田五郎」の名前で、押印もある。
これによると、斎藤は七七年二月二十日に内務省の警視局で警部補となり、同五月十七日に「警視第二番小隊半隊長」として西南戦争へ従軍。四日後の同五月二十一日に大分県の嵯峨へ着き、同七月十二日に大分県の高床山で弾丸により右肋骨を負傷すると、陸軍の出張病院へ入院した。部隊復帰は同八月十五日で、戦闘終結後の同十月二十四日に臼杵で乗船。帰京後の七九年十月八日に勲七等を与えられた。
八一年の警視局廃止後は、陸軍省の御用掛に。警視庁の設置で、同年十一月十一日に巡査部長となり、翌年十二月に月給が十二円から十五円へ昇給した。階級は八五年七月三日に警部補、八八年十一月一日に警部へ上がり、九二年十二月十四日に退職。当時四十八歳で「官ノ都合ニ依リ諭旨」とあり、十六年間の勤務に対する恩給は年四十六円だった。
これらは、妻トキヲが斎藤の死亡後、遺族年金に当たる「文官扶助料」を申請した書類にも記されていた。斎藤は後に東京高等師範学校(現筑波大)や東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)で守衛や会計などの仕事に就いたが、この間の恩給の請求記録はなかった。
◆実像知る手掛かり
歴史研究家のあさくらゆうさんの話 人気漫画やゲームのキャラクターにも描かれるなど、歴史に興味がある人以外にも斎藤一の人気が広がっているが、残されている史料は少なく、足跡には謎が多い。警視庁時代のこともスパイや暗殺者として書籍に書かれるなど、怪しいイメージがつきまとうが、見つかった史料は公文書で、実像を知る手掛かりになる記録が出てきた意義は大きい。
<斎藤一> 1844~1915年。江戸生まれとされる。1863年に近藤勇らが京都で結成した壬生浪士組に入り、新選組となった後は最年少幹部で副長助勤に。沖田総司と並ぶ剣豪とされた。会津藩主松平容保が務めた京都守護職の下、反幕府派を襲撃した池田屋事件などのほか、新選組を離れた元隊士の暗殺にも関わったとされる。戊辰(ぼしん)戦争では鳥羽伏見の戦いを経験し、近藤が投降後も会津藩に合流し新政府軍に抵抗した。明治維新後は、松平家が斗南藩として再興した青森の五戸へ移り、後に上京した。
掲載された写真の後列中央、西南戦争で出兵した時に撮影した藤田五郎とされる写真の肖像に雰囲気似てますね。
再婚という記録がないとすると、時尾さんとが初婚ということになりますねー。
先日の『大江戸りびんぐでっど』といい、川島雄三監督の『幕末太陽傳』に関連する作品に当たる。これは舞台化。
この青木崇高の現代的な佐平次の像を見て、すぐにチケット買いに走った。
フランキー堺の佐平次は絶賛されているけど、立川談春の祟り神のような佐平次と立川談笑の新興宗教の教祖のようなコンサルティング話法ができる佐平次がデフェォルトな私には、昭和34年の佐平次ではイメージが合わなかったから。
結論。この抽象的な演出、始終役者がどたばたすることで品川宿の喧噪と時代の疾走感を出そうとする江本純子の演出は私には合わなかった。でも、佐平次は私の理想といっていい佐平次だったし、田畑智子のおそめ、MEGUMIのこはる、小林且弥の高杉晋作、相模屋ハーフの若衆・喜助の矢田悠祐、おひさの佐久間麻由はよかった。後の俳優さんたちは二役三役兼ねる必然性がよくわからない(もちろんコスト節減できるけど)。
今回、落語で有名な台詞「イノどん、十三番でお座敷です〜」「あいよっ」がなかったのだけど、それらしき場面はあったので、そこは目をつぶろう。何より、こはるが乱発した起請文を巡って発生した親子喧嘩を有耶無耶にしたり、おそめと品川沖で無理心中した金蔵の幽霊と桶屋がねじ込んで来るのを取りなしておいて実は佐平次の仕組んだマッチポンプだったりして、居残り稼業を続けながらあざとく生きてる佐平次が活き活きしている。そして、労咳病み特有の嫌な風邪。
これから品川宿近くの英国公使館を焼き討ちにして短い人生を倒幕にかけ、その実現を見ずに労咳で亡くなる高杉晋作との対比もいい。そして、石原慎太郎よりも高杉晋作の雰囲気があり、晋作よりずっとハンサムで背が高くて美声だ(笑)。
カーテンコールの拍手は微妙だった。役者さんたちには労をねぎらいつつも、作品に対するパッションは客席にはなかった感じ(少なくとも超★超歌劇『幕末Rock』と比べたら)。
惜しいなぁ。。。
この青木崇高の現代的な佐平次の像を見て、すぐにチケット買いに走った。
フランキー堺の佐平次は絶賛されているけど、立川談春の祟り神のような佐平次と立川談笑の新興宗教の教祖のようなコンサルティング話法ができる佐平次がデフェォルトな私には、昭和34年の佐平次ではイメージが合わなかったから。
結論。この抽象的な演出、始終役者がどたばたすることで品川宿の喧噪と時代の疾走感を出そうとする江本純子の演出は私には合わなかった。でも、佐平次は私の理想といっていい佐平次だったし、田畑智子のおそめ、MEGUMIのこはる、小林且弥の高杉晋作、相模屋ハーフの若衆・喜助の矢田悠祐、おひさの佐久間麻由はよかった。後の俳優さんたちは二役三役兼ねる必然性がよくわからない(もちろんコスト節減できるけど)。
今回、落語で有名な台詞「イノどん、十三番でお座敷です〜」「あいよっ」がなかったのだけど、それらしき場面はあったので、そこは目をつぶろう。何より、こはるが乱発した起請文を巡って発生した親子喧嘩を有耶無耶にしたり、おそめと品川沖で無理心中した金蔵の幽霊と桶屋がねじ込んで来るのを取りなしておいて実は佐平次の仕組んだマッチポンプだったりして、居残り稼業を続けながらあざとく生きてる佐平次が活き活きしている。そして、労咳病み特有の嫌な風邪。
これから品川宿近くの英国公使館を焼き討ちにして短い人生を倒幕にかけ、その実現を見ずに労咳で亡くなる高杉晋作との対比もいい。そして、石原慎太郎よりも高杉晋作の雰囲気があり、晋作よりずっとハンサムで背が高くて美声だ(笑)。
カーテンコールの拍手は微妙だった。役者さんたちには労をねぎらいつつも、作品に対するパッションは客席にはなかった感じ(少なくとも超★超歌劇『幕末Rock』と比べたら)。
惜しいなぁ。。。
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