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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
無事にアメリカ出張から帰ってきました。高所恐怖症で閉所恐怖症の私はいまだに離陸する飛行機が苦手ですが、170年後には時差13時間のアメリカの都市に半日で飛んでいけることを幕末の皆さんにお知らせしたら、どんな反応をするでしょうか。

北海道
我こそ土方歳三! 函館で全国コンテスト
【函館】箱館戦争で旧幕府軍に加わり戦死した新選組副長の土方歳三らしさを競う「土方歳三コンテスト全国大会」が16日、函館市の五稜郭タワーで開かれた。愛知県や千葉県などからの参加を含め、男女19人が出場し、東京都清瀬市の会社員青木賢治さん(35)が初出場で優勝した。

 28回目のコンテストは、この日始まった箱館五稜郭祭(実行委主催)の名物イベント。出場者がそれぞれ独自のシナリオを考え約500人の観客の前で銃弾に倒れる土方の最期を演じた。勇ましい殺陣のほか、コント仕立てで笑いをとったり、函館市民になじみの歌「はこだて賛歌」の歌詞をとり入れたりと、アイデアあふれる演出で会場を沸かせた。
 土方さんの最期の場面を延々と演じ続けるコンテストの企画に心を痛めている土方ファンもいると知り、複雑な気持ちになっていますが……土方さんのことを少しでも多くのことに知って欲しいと思っています。

青森
斗南藩145年 記念誌を発行
 戊辰戦争で敗れた会津藩が斗南(となみ)藩として再興し、松平容大(かたはる)藩主が1871(明治4)年2月18日に田名部(現むつ市)に入ってから145年となったことを機に、藩士の末裔(まつえい)などでつくる「斗南會津会」(木村重忠会長)が記念誌を発行した。新たな資料を盛り込み、会津藩から斗南藩へと移行した歴史や同会の歩みをまとめた。会員たちは「先人の知恵や生き方を後世に伝えていきたい」と話している。

 「先人斗南に生きる」と題した記念誌の作成は、立藩145年事業として実施。会員5人が編集部(目時紀朗部長)をつくり、2012年度から取り組んできた。時間がたつほどに資料や証言などが集めにくくなる恐れがあるため、150年を待たずに作成することにしたという。

 内容は、戊辰戦争で滅藩となった会津藩が斗南藩として再興し、廃藩置県で消滅するまでの歴史と、下北に残留した藩士らの相互扶助団体・相携会の設立から現在の斗南會津会に至る活動の記録などを詳しく記した。また、県政界や教育界などで功績を挙げた会津藩・斗南藩の子孫たちのことも取り上げた。

 新資料としては、1870年に斗南ケ丘(現むつ市)に移住した藩士の名簿が1925(大正14)年の下北新報に記載されていたことで、それを調べ直した。招魂碑建立に関する旨意書、戊辰戦死者十三回忌の際に参加者が詠んだ歌詞と書の記録なども盛り込んだ。

 編集部員の1人である三浦順一郎さん(65)=むつ市=は「先人たちの復興に懸けた思いや、人材育成を重視した教育方針、地元への貢献を多くの人に知ってもらいたい」という。

 木村会長(76)=大間町=は「戊辰戦争は日本人同士が争い、藩士たちは大変厳しい生活をした。世界各国で紛争が起きている今、このような史実を風化させず伝えていくことは私たちの使命だと思っている」と話した。

 記念誌はA4判164ページで、600部を作成。問い合わせは、同会事務局長の坂部啓二さん(電話090-7075-8731)へ。

【斗南藩】

 1868(明治元)年から始まった戊辰戦争で敗れた会津藩が翌年、家名再興を許され、28万石から3万石に格下げされて陸奥国北郡(現むつ下北と、上北の一部)、三戸郡、二戸郡などを与えられ斗南藩となった。1870年から藩士や家族が田名部(現むつ市)に移住し、1871年2月に藩庁を置き、過酷な自然環境の中で、新たなまちづくりに取り組んだ。同年7月の廃藩置県により約1年9カ月で藩は消滅したが、残った藩士たちは政治、経済、教育などの分野で活躍した。

山形
幕末庶民の伝言板「なかたち石」にわかに脚光
 山形市小姓町の新山寺大日堂前に立つ「なかたち石」が、にわかに脚光を浴びている。幕末期、庶民の伝言板として使われた石塔で、東北には4基しか現存しない。道路拡張に伴い境内から歩道に姿を現し、市教委が有形民俗文化財に指定したことで、歴史好きの市民や観光客らの関心が高まった。専門家は「石塔の価値を再認識する機会になってほしい」と期待する。

 石塔は34センチ四方で高さ157センチ。道路に面した西側正面に「なかたち石」、北側に「たつぬる方」、南側に「をしへる方」と刻まれている。東側背面の碑文によると、1861(文久元)年に近くの篤志家の商人、妹尾嘉兵衛が建てた。
 迷子が出ると、年齢や特徴などを書いた紙を「たつぬる方」に貼り、子どもを見かけた人が情報を「をしへる方」に貼って教えた。「乳母を求む」「女中を求む」などの人探し、紛失物の情報提供にも使われた。
 「嫁を探している」「年ごろの娘が○○にいる」といったやりとりで、縁結びにも貢献。不要な鍋釜の交換などを含め、情報を「仲立ち」する石として、終戦直後まで利用されていた。
 現在の大日堂周辺は閑静な住宅街。山形市の庶民史研究家安孫子博幸さん(63)によると、江戸時代末期は羽州街道の脇道として、笹谷街道を抜けてきた仙台の商人らでにぎわった。人通りが多く迷子が頻発し、建立されたとみられる。
 石塔はもともと新山寺の境内にあった。道路拡幅で立地場所は歩道になり、通行の妨げにならないよう数メートル移設されたが、以前より目立っている。
 2月には市教委が文化財に指定し、知名度が上がった。安孫子さんが講師を務め、なかたち石を探訪した3月28日の公開講座は人気が急上昇し、多くの市民が参加した。石塔に足を運ぶ観光客も急激に増えている。
 なかたち石と同様、伝言板の役割を果たした「知らせ石」は全国に28基が現存するが、東北では仙台市若林区荒町の「奇縁二天石」など仙台、山形、上山3市でしか確認されていない。
 安孫子さんは「庶民の暮らしぶりを伝える貴重な文化財だが、東北は仙台と山形周辺にしか現存しないなど、謎も多い。市民の関心が高まり、価値が見直されればいい」と語った。

東京
東京)名刀展示に女子の行列 人気ネットゲームきっかけ
 日本刀を展示する資料館や博物館に若い女性の列ができている。きっかけは女性に人気があるインターネットゲーム。渋い趣味の世界に女子パワーが鋭く斬り込んできた。

 幕末に活躍した新選組の副長、土方歳三。その故郷・日野市の土方歳三資料館では土方の命日(5月11日)に合わせて毎年ゴールデンウィークの前後、天然理心流剣術の使い手だった土方の愛刀「和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)」を公開している。

 17日まであった今年の公開は熱気にあふれた。開館直後から行列ができ、最大1時間の入場待ちも。入館者は例年の5割増しだったという。
 以下有料です。いやー、混んでました。

神奈川
今春から日産自動車横浜工場長に就任した村田 和彦さん港南区在住 53歳
世界見て地域に還元

 ○…日産が誇るエンジンを手がける基幹工場としての役割を果たすべく、生産部門で働く約1500人の舵取りを任された。1985年に入社して以来、海外赴任を除けば横浜工場一筋。「日産発祥の地で工場長という役職に就けて嬉しいと同時に責任も感じている」と背筋を正す。「パワーあふれる工場を目指して、一人ひとりの力を生かしてモチベーションをさらに高めていきたい」

 ○…静岡市出身。母方の実家は印刷業を営んでいた。「活字を組み合わせて名刺を作って遊んだり、問屋さんにもついて行った」と紙やインク、輪転機の油の匂いが記憶に残る。幼少期から自動車が大好きで、ミニカーを集めていた。「510ブルーバードのミニカーがお気に入りで、”日産の車ってかっこいいなあ”と思っていた」。大学では機械工学を学び、4年次は研究室に寝泊まりする日もあった。そんな中で選んだ道はただ一つ。日産の車づくりに携わることだった。

 ○…念願の工場勤務を実現。検査部に配属されたのち、95年にイギリス、06年にタイの工場で計8年間海外赴任を経験した。製品検査や生産設備に携わり、言葉も文化も異なる仲間へ根気強く日産の技術を教え込んだ。「日本とは異なる文化に触れることができたのも楽しかった」と振り返る。タイに赴任していたとき、プロジェクトをやり遂げた後に現地スタッフが残した”成長できた”という言葉は忘れられない。「自分の思いが伝わって良かったとしみじみ感じた」

 ○…妻、長男、長女と4人暮らし。幕末好きの妻と行った京都では、新撰組ゆかりの地を巡った。イギリス赴任時にも史跡を訪ねたといい、「神奈川宿の松並木や台場跡も行ってみたい」と興味津々だ。80年以上の歴史を持つ横浜工場。「現場の声を聞きながら、工場に関わる全ての方々とともに成長し幸せになりたい」と、神奈川区から世界一のモノづくりを目指す。

京都
幕末維新ミュージアム・霊山歴史館にて、2015年通年特別展「松陰をめぐる人びと」第3期「池田屋事件と禁門の変」を5月19日より開催
2015年通年特別展として「松陰をめぐる人びと」(第1期~第4期)を現在開催している幕末維新ミュージアム・霊山歴史館(京都市東山区)では、第3期展示として「池田屋事件と禁門の変」を5月19日(火)より開始致します。

詳細: http://www.ryozen-museum.or.jp/docs/TEN-2015-3ki-ikedaya.html

■2015年通年特別展「松陰をめぐる人びと」
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公・文の兄である吉田松陰の詩書や肖像画、久坂玄瑞、高杉晋作、維新後に文の夫となる楫取素彦などの資料を展示しています。また、長州藩と対立した新選組や、薩長同盟の立て役者・坂本龍馬の書状や暗殺時に使われた刀など、多角的に幕末の貴重な資料を豊富に展示しています。

■第3期「池田屋事件と禁門の変」(5月19日より開催)
元治元年(1864年)、京都で相次いで起こった池田屋事件と禁門の変。これにより松陰の門下生 久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一らが奮闘の末、命を落としました。一方、新選組は両事件で名を馳せ、激動の幕末維新の表舞台に登場しました。
第3期では通年展示の松陰や長州藩の資料に加え、新発見を含む新選組の資料を多数展示し、その想いと行動に迫ります。

◆2015年通年特別展「松陰をめぐる人びと」
第3期「池田屋事件と禁門の変」
会期   5月19日(火)~9月6日(日)
開館時間 午前10時~午後5時30分
     *7月25日~8月31日は、午後6時30分まで
      (受付はいずれも閉館30分前まで)
休館日  月曜日休館(祝日の場合は開館、翌火曜日休館)
     *7月22日~9月6日は、全日開館
入館料  大人700円/高校生400円/小中学生300円
     *団体(20人以上)は各100円引き

【幕末ミュージアム・霊山歴史館について】
霊山歴史館は、幕末・維新の総合歴史博物館として1970年(昭和45年)に開館。収蔵資料は5,000点を超え、常設展、特別展では約100点を展示しています。実物資料に加え、3D映像・パソコン・歴史精密模型なども充実しています。子供から大人まで楽しみながら幕末・維新を学び、感じることができるミュージアムです。

【お客様からのお問合せ先】
所在地: 〒605-0861京都市東山区清閑寺霊山町1
TEL  : 075-531-3773
FAX  : 075-531-3774
E-mail: office@ryozen-museum.or.jp
霊山歴史館ホームページ: http://www.ryozen-museum.or.jp

ブックレビュー
「土方歳三」(上・下) 富樫倫太郎著
 幕末きってのイケメンで、めっぽう剣術の腕が立ち、新選組の「鬼の副長」と恐れられた土方歳三の生涯を描く歴史小説。

 歳三は武蔵国多摩郡石田村(現在の日野市)の豪農の六男。顔に似合わず負けん気が強く、触れるとトゲが刺さりそうだというので、「バラガキ」のあだ名がつくほどの乱暴者だった。11歳で上野の大店、松坂屋呉服店に奉公に上がったが、理不尽な手代や番頭に歯向かって店を飛び出す。

 すきっ腹を抱えて上野から石田村に帰る途中、喧嘩の助っ人に割って入って出会ったのが勝五郎という少年で、後の近藤勇である。

 身の置きどころがない歳三は、土方家伝来の石田散薬の行商という名目で、全国武者修行に出る。「何としても強くなって武士になる」。固い決意を胸に諸国の道場を巡り、磨きをかけた喧嘩殺法は、動乱の時代を背景に、歳三の運命を変えていく。
 鬼の副長誕生の顛末を描く上巻は、池田屋事件でクライマックスを迎え、下巻の鳥羽・伏見、五稜郭の死闘へと続く。

 歳三は厳格で執念深く、情け容赦がない。半面、沖田総司に慕われ、吉原の人気花魁に惚れられる。へそ曲がりな硬骨漢だが、時には愛する者のために涙する魅力的な男に描かれている。(角川書店 各1500円+税)

エンターテインメント
旬なイケメンが集結!今秋舞台のビジュアルを公開
今秋9月より上演が発表された安西慎太郎、横浜流星らによる舞台「もののふ白き虎」のビジュアルが5月23日(土)に解禁された。

ビジュアルの撮影にはプロジェクターが使用され、白虎のイメージで和服衣裳をまとったキャストに投影。キャスト10名で白虎を体現した。

今作品は史実を基に、白虎隊(びゃっこたい)の中でも飯盛山で壮絶な最期を遂げた「白虎士中二番隊」を主軸に幕末の揺れ動く時代を疾走した少年達の激動の一生を描く、描き下ろし作品。

白虎隊には、和田琢磨、小澤亮太、白又敦、河原田巧也、松村龍之介、松本享恭と、今最も旬な若手俳優陣が一堂に会し、幕末の揺れ動く時代の中、各々の心情を抱き友情を深めていく少年たちを瑞々しく演じる。

さらに、白虎隊の少年たちの運命を変える新撰組に、斎藤一役に青木玄徳、新選組副長土方歳三役に荒木宏文。他にも娘役に八坂沙織、会津藩の西郷頼母役として赤井英和らが物語を固める。

2015年9月17日(木)より東京・天王洲 銀河劇場を皮切りに名古屋(アートピアホール)、大阪(梅田芸術劇場)にて上演される。

安西慎太郎、横浜流星ら旬の若手が白虎隊の隊士に 舞台「武士白虎」9月上演
 白虎隊の史実を基に、幕末から明治維新の中で生きた少年たちの人生を描く舞台「武士白虎 もののふ白き虎 -幕末、『誠』に憧れ、白虎と呼ばれた若者達-」が、9月17日から東京・天王洲銀河劇場で上演されることが決まった。ミュージカル「テニスの王子様」で人気の安西慎太郎や、「烈車戦隊トッキュウジャー」の横浜流星ら旬な若手俳優が集う。

 幕末の会津藩で16~17歳の少年たちにより結成された白虎隊。なかでも、飯盛山で壮絶な最期を遂げたことで知られる白虎隊士中二番隊の少年たちに焦点を当て、その激動の一生を演出家・西田大輔の書き下ろし脚本で描く人間ドラマ。慶応元年(1864年)、藩校・日新館に入学し、武士の心得を学んでいた少年たちは、「壬生狼(みぶろ)」と呼ばれた新撰組と出会い、強烈な印象を受ける。まだ戦いを知らない若者たちは、会津を守ることを固く心に誓う。

 2014年11月まで人気ミュージカル「テニスの王子様」2ndシーズンに出演し、5月2~7日に主演舞台「戦国無双 関ヶ原の章」も上演されたばかりの安西と、「烈車戦隊トッキュウジャー」で知られる横浜が、白虎隊の隊士としてダブル主演。12月に上演される舞台「スーパーダンガンロンパ2 THE STAGE さよなら絶望学園」への主演も決まっている横浜は、今回が舞台初主演となる。

 そのほか、和田琢磨、小澤亮太、白又敦、河原田巧也、松本龍之介、松本享恭と若手俳優たちが白虎隊の隊士役で共演。安西と同じくミュージカル「テニスの王子様」2ndシーズンで活躍した青木玄徳が新撰組の斎藤一役、若手俳優集団「D-BOYS」の荒木宏文が土方歳三役で出演し、元「SUPER☆GiRLS」の八坂沙織、赤井英和、村田洋二郎、松坂わかこらが脇を固める。

 9月17~27日、天王洲銀河劇場で全16公演。チケットは全席指定8900円、非売品キャストポストカード1種付きが9400円(ともに税込み)。5月8日正午から先行発売、7月12日午前10時から一般発売。

 東京公演のほか、10月3~4日に大阪・梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ(全4公演)、10月21日に名古屋・アートピアホール(全2公演)でも上演される。

「歴史的遺物とコンテンツ」例会のテーマに「刀剣乱舞」が。芝村裕吏氏が出演
コンテンツ文化史学会
2015年「歴史的遺物とコンテンツ」例会のお知らせ

コンテンツ文化史学会では来る5月30日(土)に2015年第1回例会「歴史的遺物とコンテンツ」を開催いたします。参加される場合は、参加申込サイトより登録をお願いいたします。

http://www.contentshistory.org/2015/05/17/1506/

○趣旨説明
コンテンツ文化史学会ではこれまで、2012年度大会「コンテンツと記憶」、2013年度第一回例会「コンテンツと歴史」、2014年度大会「コンテンツと歴史認識」と、歴史とコンテンツのかかわりについて研究を進めてきた。

そこで何度も問題となっているのは、歴史的イメージが、一方で史実に基づくリアルなディテールを要求しつつ、反面「面白くない」史実を棄却することで成立しているという、相反する態度であった。これまでの議論の中でも、史実の中に「人々が求めるもの」と「求められないもの」があるのはなぜか、その区別はいったいどこから来るのか、といった問題が何度か浮上してきているが、十分に答えが得られているとは言い難い。この問題を探るため、今回、コンテンツ文化史学会では、「歴史的遺物」とコンテンツの関係について議論を深めたい。

歴史的遺物自体は単なるモノに過ぎないが、そこに様々な歴史的イメージが付与されることによって、一つのコンテンツとして成立している。これ以上なくリアルな「モノ」から、歴史的イメージが形成されて行く過程を知ることは、上記のような問題に一定の道筋を与えると考えられる。

今回、歴史的遺物の一つとして「刀剣」をモチーフとしたソーシャルゲーム「刀剣乱舞」と、そこに登場する遺物としての和泉守兼定を取り上げ、両者の関係を様々な角度から議論することで、人々の歴史的イメージの形成過程の一端を明らかにしたい。

創作者の代表として、刀剣乱舞のシナリオ・設定を手掛けた芝村裕吏氏、学術研究の代表として新撰組史料の専門家である松下尚氏、消費者、ユーザー代表として歴ドルの遠野ゆき氏にパネリストとして登壇してもらい、上記の問題について議論してもらう。

また、エクスカージョンとして、新撰組に関する歴史遺物を実見するため、土方歳三資料館、日野市立新選組のふるさと歴史館訪問を合わせて行う予定である。

○日時
2015年5月30日(土)

○場所
日野市東部会館

○タイムテーブル
9:00-10:30 エクスカーション1(土方家と和泉守兼定
※和泉守兼定は拵えのみの見学となり、刀身は見られません。
13:00-15:30 例会
16:00-17:00 エクスカーション2(日野新撰組史料館)

今回は午前と午後の2つに別れますので、それぞれの集合場所・時間を明記いたします。

エクスカーション1
集合時間:8:50
場所:多摩都市モノレール「万願寺」駅改札集合

例会
日野市東部会館:13:00開場 13:30開演 15:30終了予定。

エクスカーション2
終了後そのまま「新選組のふるさと歴史館」へ移動予定。

○講演者
芝村裕吏(作家/ゲームデザイナー)
松下尚(日野市立新選組のふるさと歴史館学芸員)
遠野ゆき(歴ドル)
司会:吉田正高(コンテンツ文化史学会会長)

○参加費
会員:無料
非会員:500円
(会員・非会員ともにエクスカーションの入館料は別個実費徴収)

○参加申し込みサイト
http://www.contentshistory.org/event_entry/

○共催
日野市立 新選組のふるさと歴史館

もしも「織田信長のLINEトーク一覧」があったら? 歴史上のパロディ本がヒット中
「新撰組の求人広告があったら?」「ジャンプの巻末コメント欄が徳川将軍だらけだったら?」など、歴史上の出来事をパロディにした本「【至急】塩を止められて困っています【信玄】」(飛鳥新社)が人気だ。発売して間もなく増刷が決定。著者で「ユーモア妄想メディア ワラパッパ」の編集長を務めるスエヒロさんに話を伺った。まずは中身をちょっとだけ公開。

●もしも「敵に塩を送る」で、留守だった場合の不在連絡票があったら?


ご不在連絡票は「ヤマト運輸」が元ネタ


武田信玄といえば、信玄が塩止めにあった際に、ライバルの謙信が塩を送った話は「敵に塩を送る」という古事成語になっている。とはいえ、万が一、留守にしていて、塩が受け取れなかったら残念。そこで、「不在連絡票」みたいなものがあったら便利。近くの出城で受け取れる「出城受け取りサービス」があるのも嬉しい。

●もしも「刀狩り」の時に家庭が出す刀の束に貼り付けるシールがあったら?


刀狩令の処理券は自治体のごみ券が元ネタ


刀狩りの際、農民がそれぞれの家庭で、刀などをまとめて出したとすれば、集めるほうも大変! 軒先に置いてある鋤や鍬も間違えて持って行ってしまうこともあったのではないだろうか。そんなトラブルを回避するために、こんな「刀の束に貼り付けるシール」的なものがあったら、万事解決しそうだ。

●もしも「生類憐れみの令」を違反した時に、なにかしらの違反切符や違反標章があったら?


「生類憐みの令違反」の元ネタは駐車違反の黄色い紙


生類憐れみの令は、5代将軍綱吉によって出された法令で、動物などの殺生を禁止したもの。「天下の悪法」ともいわれる法令だが、捨て子保護としての一面もあったりして一概に悪法といえないという意見もある。ちなみに、違反を犯してこの標章を手にしたら最寄りの奉行所に出頭するべし?!

●もしも、親藩・譜代・外様がすぐわかる「大名パス」があったら?


ライブ会場でよく見るシール


江戸時代の大名は、親藩・譜代・外様に分かれていた。…
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しかし、これが結構ややこしく、「あの人って、親藩だっけ?」「この人は確か、外様だったような……」というような探り合いもあったのでは? そこで、こんなパスがあったら一目瞭然だ。

●身近な発想をヒントに

スエヒロさんの発想はどこからくるのか。
「基本的には『もしもシリーズ』です(笑)。設定を考えるのが大変ですが、アイデアが浮かんだらそれを形にするのは楽しいです。ただ、僕は歴史には興味はあるけどそんなに詳しいわけではないので、毎回自分でめちゃくちゃ調べてます(笑)」

内容を考える時は、身近にあるものを参考にすることが多いとのこと。例えば、昔の時代にSNSがあったら……という具合だ。


織田信長のLineのトーク画面は、明智光秀からの連絡回数がすごいことに。キャリアは「SenGoku」

▲スエヒロさんの傑作の1つ。「織田信長のLINEトーク一覧」

ほかにも「鎖国のお知らせハガキがあったら?」「江戸時代の出島のAmazon風カスタマーレビューがあったら?」など、「【至急】塩を止めらてて困ってます【信玄】には46本を掲載。難しい話は一切出てこないので、いわば日本史の超入門編といったところだ。「歴史ってイジると面白い」というスエヒロさんのネタが揃った楽しい1冊である。
(取材・文/やきそばかおる)

●「【至急】塩を止められて困っています【信玄】」(スエヒロ著 飛鳥新社刊)発売中

●テキスト系妄想メディア「ワラパッパ」

“ミュージカル『薄桜鬼』黎明録”キャストが東京ジョイポリスに集結! 「魂を受け継ぐ」と意気込みを語る
●新たな“ミュージカル『薄桜鬼』”が始動

 2015年5月23日より、東京・アイア 2.5 シアター トーキョーにて幕を開ける“ミュージカル『薄桜鬼』黎明録”。上演に先駆けて、本日5月12日、スペシャルイベントが東京ジョイポリスで開催され、キャストが意気込みを語った。


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 “ミュージカル『薄桜鬼』黎明録”は、オトメイトの人気女性向けゲーム『薄桜鬼』シリーズを原作にしたミュージカルの最新作。第6弾となる本作は“黎明録”と題され、新選組誕生に至る“始まりの物語”が描かれる。

[関連記事]
・ミュージカル『薄桜鬼』最新作は新選組誕生前を描く“黎明録”! 5月~6月に上演決定
・“ミュージカル『薄桜鬼』黎明録”キャスト13名のキャラクタービジュアルが解禁!

 イベントには、白又敦さん(井吹龍之介役)、佐々木喜英さん(土方歳三役)、荒牧慶彦さん(沖田総司役)を始めとするキャスト13人が総出演。集まった多くのファンに向けて、トークショーのほか、プレゼント抽選会やハイタッチ会を行った。

 トークショーではまず、座長の白又敦さんが「歌とダンスと芝居と殺陣で、ミュージカルとして表現するド派手な作品」とミュージカル『薄桜鬼』を解説。従来までの作品には主人公として千鶴という女性キャラクターが登場しているが、“黎明録”は前日譚ということで、白又さん演じるオリジナルキャラクターの井吹龍之介が「この作品のヒロイン」(白又さん談)的存在にあたるんだとか。そんな井吹は武士を嫌っている役どころで、ひょんなことからその後“新撰組”として恐れられる男たちと出会う。彼が反発しながらもどう新撰組の面々と関わっていくかが、本作のキモとなりそうだ。

 また、キャラクター紹介のひと幕では、居合いの達人・斎藤一を演じる橋本祥平さんが「斎藤一を演じるのは2回目ですが、殺気だけではなく、若さを取り入れた役を演じたい」と意気込めば、山南敬助役の輝馬さんは「かっこいい僕に注目してください!」と冗談まじりに宣言するなど、それぞれが個性的に解説。これまで舞台上で表現されてきたキャラクターは、“エピソード0”であるところの本作でどう描かれているのか。従来の作品を観劇している方は、キャラクターの変化や、逆に「ここは変わらないな」といった部分を探してみてはいかがだろうか。

 イベント中も茶々を入れたり笑い合ったりと、仲睦まじい雰囲気が感じられるキャスト陣。4月後半から始まった稽古の雰囲気もいいようで、白又さんが「部活って感じがしますね」と言えば、沖田総司役の荒牧慶彦さんも「男子校の部活みたいなにおいがします(笑)」と応戦。座長の白又さんがみずからムードメーカーとなって、場を盛り上げているそうだ。ここでは共演者をイジってキャラクターを引き出しているという高崎翔太さん(山崎烝役)が「ヒデくん(佐々木喜英さん)をイジると色気があって楽しいです!」と爆弾(?)発言。思わぬパスを受けた佐々木さんは「行くぞてめぇら!」と鬼の副長・土方歳三らしいセリフで切り替えし、予期せぬ土方の初お披露目(?)に、会場に詰めかけたファンからは歓声が上がっていた。

 キャスト陣は現在絶賛稽古中。殺陣や歌の稽古に汗だくで挑んでいるとのことだが、その表情は充実していてどこか楽しそう。本公演に向けた意気込みからも、それぞれの気合や想いが伝わってくるようだった。最後に、13人分のコメントをご紹介しよう。

篠崎功希さん(新見錦役) 『薄桜鬼』は思い入れのある作品なので、今回舞台に立てることを幸せに思っています。最強の敵になれるようがんばりますので、楽しみにしていてください。

江戸川萬時さん(雪村綱道役) まったくの新しいカンパニー、新しい作品として、全員で一致団結してがんばります。ぜひ楽しんでください。お待ちしています。

窪寺昭さん(芹沢鴨役) この役を通して『薄桜鬼』というものを知り、非常にこの世界が好きになりました。応援してくださっているお客様も本当にこの世界を大切にしていると思うので、僕たち演者も大切に、伝えられることを伝えたいと思います。ぜひ楽しみにしていてください。

井俣太良さん(近藤勇役) 僕個人としても『黎明録』がいちばん好きな作品です。この作品をこういう若いキャストといっしょに紡いでいけるのはうれしいこと。いままででいちばんの作品にできたらと思っていますので、期待して見守っていてください。

高崎翔太さん(山崎烝役) このメンバーじゃないと作れない作品づくりをしています。本番を楽しみにしていてください。今日はどうもありがとうございました。

輝馬さん(山南敬助役) 絶対いい作品にしたいと思いますので、ぜひ何度も観にきてください。よろしくお願いします!

猪野広樹さん(永倉新八役) みなさんの愛で最高の作品にしていきたいと思います!

東啓介さん(原田左之助役) 歌とダンスと殺陣と、盛りだくさんで最高のエンターテインメントだと稽古をしながら感じました。僕たちの全力の汗や声を感じていただけたらと思いますので、劇場でお待ちしています。

小澤廉さん(藤堂平助役) すばらしいキャストさんとすばらしいスタッフさんに囲まれて、稽古を残り日数精一杯がんばっていきます。ステージ上でお待ちしております!

橋本祥平さん(斎藤一役) 熱く泥臭い、とてもおもしろい作品です。新キャスト全員で『薄桜鬼』を皆さんにぶつけますので、ぜひ劇場にてご覧いただけたら幸いです。

荒牧慶彦さん(沖田総司役) いままでやってきたミュージカル『薄桜鬼』のスタッフさん、キャスト、そしてファンの方々の思いを引き取って、それを真似するのではなく、僕たちなりの新選組の夜明けを駆け抜けていきたいと思います。ぜひ楽しみにしていてください。

佐々木喜英さん(土方歳三役) ミュージカル『薄桜鬼』はいままでたくさんの方に支えられていた作品だと思いますが、その方たちの魂を僕たちが受け継いで、それ以上のものを作っていけるといいなと思います。

白又敦さん(井吹龍之介役) ミュージカル『薄桜鬼』はライブを含めて7作品目になります。先輩たちがすばらしい作品を作ってきてくれたということはもちろんわかっています。それを超えるというわけではなく、僕たちが新しい“黎明録”を作って、また歴史を紡いでいけたらなと感じています。絶対すばらしい作品にしたいと思っています。ぜひ劇場に足を運んでください!

 “ミュージカル『薄桜鬼』黎明録”は5月23日~31日に東京・アイア 2.5 シアター トーキョー、6月10日~14日に京都・京都劇場にて上演予定。


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▲賑やかでフレッシュなキャスト陣。彼らが魅せる新たな新選組の物語に期待!
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土方歳三さまの写真画像に一目惚れして15年……あれ、16年? 心は今でも永遠の片想い中ですが、肉体は確実に歳月を重ねております(汗)。南武線で多摩方面に出掛けるのは一日遠足コースであるばかりか、翌日に疲れを残すようになりました……ひの新選組まつりは天気ももったようで重畳です。

東京
憧れの隊士役 45人が名乗り 日野「新選組まつり」きょうパレード
 幕末に京都の治安維持に当たった「新選組」の副長、土方歳三(ひじかたとしぞう)ら主要な隊士の出身地である日野市で九日、恒例の「ひの新選組まつり」が始まった。十日のメーン行事「隊士パレード」の配役を決めるコンテストが高幡不動尊であり、土方役にはさいたま市の斉藤潤樹さん(27)、局長の近藤勇役には板橋区の佐々井隆文さん(38)がそれぞれ選ばれた。
 局長や副長、各隊を率いる隊長ら十人の隊士役を射止めようと、コンテストには四十五人が名乗りを上げた。応募者は居合の演武や隊士になりきった演技、フルート演奏など多様なパフォーマンスを披露してアピールした。
 土方役に決まった斉藤さんは、表彰式で「パレードではいっぱい盛り上げるので、皆さん一緒に楽しみましょう」と呼び掛けた。一番隊組長の沖田総司役には、西東京市の色摩(しかま)亜美さん(27)が選ばれた。
 この日はほかに、高幡参道通りで「高幡不動きものクイーンコンテスト」が開かれ、「土方歳三の恋人賞」のクイーンは日野市の手塚紗紀さん(23)に決定。手塚さんは隊士パレードに土方の恋人「お琴」役で加わるほか、高幡不動尊の行事などにクイーンとして一年間参加する。
 新選組まつりは五月十一日の土方の命日に合わせて、毎年この時期に開催されている。十日は午前十時~午後四時、JR日野駅近くの日野駅前東交差点~川崎街道入り口の甲州街道五百メートル区間で車両通行止めになり、当時の衣装に身を包んだ隊士たちが練り歩く。 (林朋実)
ブックレビュー
土方歳三(上・下) [著]富樫倫太郎
[文]末國善己(文芸評論家)  [掲載]2015年04月12日
■閉塞感打ち破るメッセージ
 土方歳三を狂言回しにした〈土方歳三蝦夷血風録〉3部作を発表している著者が、土方を主人公にした大作を刊行した。
 ただ、本書は史料をなぞっただけの歴史小説ではない。時に大胆なフィクションを交え、魅力的な土方を描いているのだ。
 太平の世が終わり、武士が再び武器を手に取ることを迫られた幕末に、土方、近藤勇を始めとする若者たちが、京で新選組を結成し、得意の剣を使って出世を目指す前半は、爽やかな青春小説としても楽しめるだろう。
 だが新選組の名が高まると、近藤は同志を部下のように扱い、自分の大物ぶりを誇示しようと政治的なパフォーマンスに走るようになる。これに対し土方は、金にも地位にもこだわらず、ひたすら職務に邁進(まいしん)する。
 時流に乗れば栄達ができた時代に、それに背を向け清廉な生きざまを貫いた土方の姿は、拝金主義に走った現代社会への批判になっているのである。
 物語の後半、新選組は、薩長軍の新兵器の前に敗戦を重ね自信を失う。ところが土方は、最新の軍事教則本を熟読し、最後まで薩長軍に勝つ方法を模索する。負けても次があると考える土方の楽観性は、閉塞(へいそく)感を打ち破るには、再チャレンジが可能な社会を作る必要があるというメッセージに思えてならない。
    ◇
 角川書店・各1620円
エンターテインメント
安西慎太郎、横浜流星ら注目の若手俳優が集結!舞台『武士白虎~もののふ白き虎~』上演決定!
幕末の揺れ動く時代を疾走した少年たちの激動の一生を描く舞台『武士白虎~もののふ白き虎~』が2015年9月17日(木)~9月27日(日)に東京・天王洲銀河劇場で上演されることがわかった。本作には、『テニスの王子様』2ndシーズンで人気を博した安西慎太郎やテレビ朝日系列『烈車戦隊トッキュウジャー』で人気急上昇の横浜流星ら、注目の若手俳優たちが白虎隊として出演する。
本作は、会津藩の武家の男子によって構成された少年兵部隊、白虎隊(びゃっこたい)の史実を基に、少年たちの儚い友情と人間ドラマを描いた書き下ろし作品。慶応元年(1864年)、若き少年達は藩校日新館に入学し、盟友たちと共に武士の心得を学んでいた。そんな中、彼らは“壬生狼(みぶろ)”と呼ばれた新撰組と出逢う。戦う事を知らぬ若者たちにとって、たたずむその男たちの背中は幼き目に強烈な印象を残していた。狼に憧れた若き虎たちは、命を懸けて会津を守ろうと固く心に誓うのだった。
白虎隊には、安西、横浜のほか、ミュージカル『テニスの王子様』2ndシーズンの手塚国光役で知られる和田琢磨、『海賊戦隊ゴーカイジャー』に出演していた小澤亮太、白又敦、河原田巧也ら若手注目株が並ぶ。さらに和田と同じく『テニスの王子様』2ndシーズンで脚光を浴びた青木玄徳、俳優だけでなくアーティストとしても注目されている荒木宏文が新撰組として出演する。また、淡く切ない恋をする娘役として元SUPER☆GIRLSの八坂沙織、会津藩の西郷頼母役として赤井英和が脇を固める。
白虎隊の飯沼貞吉を演じる安西は、「カンパニー一丸となり、胸に熱いもののふ魂を刻み込み、お客様の心に響く素敵な青春群像劇をお届けします。楽しみにしてて下さい!」と作品への思いを語っている。また、伊東悌次郎を演じる横浜は「殺陣は初挑戦ですが得意のアクションを活かして、悌次郎に負けないくらいカッコ良い殺陣を皆様に見せれたらと思います」と意気込んでいる。
舞台『武士白虎~もののふ白き虎~-幕末、「誠」に憧れ、白虎と呼ばれた若者達-』は2015年9月17日(木)~27日(日)に天王洲銀河劇場にて、10月1日(木)に名古屋・アートピアホールにて、10月3、4日(土・日)に大阪・梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティにて上演。

新選組行進に熱視線 日野隊士などにふんし1000人
 第十八回「ひの新選組まつり」最大のイベントである新選組隊士パレードが十日、日野市のJR日野駅東側の甲州街道周辺で行われ、約千人が隊士などにふんして行進した。会場では、新選組隊士の子孫らと記念撮影する若い女性の姿もみられ、新選組人気の高さをうかがわせた。 (榎本哲也)

 パレードでは、九日の隊士コンテストで地元出身の副長・土方歳三(ひじかたとしぞう)役に選ばれた斉藤潤樹さん(27)=さいたま市=が白馬に乗って登場、歩道を埋め尽くした観客の声援に応えた。



 斉藤さんは「声援がものすごく、土方人気は半端ないと思いました」と語った。



 まつりは地元の実行委員会(三浦盛好委員長)主催で、土方の命日(五月十一日)に合わせて開催。新選組局長・近藤勇の五代目子孫、宮川清蔵さん(76)=茨城県牛久市、六番隊組長・井上源三郎の五代目子孫、井上雅雄さん(60)=日野市=らによる天然理心流勇武館演武も披露された。



 井上さんは「市内の歴史館の来館者は75%が女性。幅広く新選組ファンが増えている」と話していた。


超★超歌劇『幕末Rock』8月に東京・大阪で再演決定!

●今度は東(とうきょう)で西(おおさか)でRockぜよ!


 2014年に上演された“超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』”の再演が決定。“超★超歌劇(ちょう・ウルトラミュージカル)『幕末Rock』”として、2015年8月、東京・大阪にて上演される。

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超超幕末Rock_logo

 原作の『幕末Rock』は、2014年2月にマーベラスよりゲームがリリースされ、同年7月にテレビアニメ化も果たした人気コンテンツ。“幕末”という時代設定のもと、斬新で魅力的な志士(ロッカー)たちが音楽で新しい時代を創るという物語だ。

 再演となる本作では、前作同様に吉谷光太郎氏が脚本・演出を手掛けるほか、良知真次(坂本龍馬役)、太田基裕(高杉晋作役)、矢田悠祐(桂小五郎役)ら初演のメインキャストがふたたび集結。新曲や新演出も追加されるという。8月8日(土)~9日(日)に大阪・梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ、8月13日(木)~16日(日)に東京・Zeppブルーシアター六本木にて上演予定。

■公演概要
◆公演名:超★超歌劇(ちょう・ウルトラミュージカル)『幕末Rock』
◆原作:『幕末Rock』(マーベラス)
◆演出・脚本:吉谷光太郎
◆音楽制作:テレビ朝日ミュージック
◆公演期間・劇場:
大阪公演(梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ):8月8日(土)~9日(日)
東京公演(Zeppブルーシアター六本木):8月13日(木)~16日(日)
◆キャスト:
坂本龍馬役:良知真次
高杉晋作役:太田基裕
桂小五郎役:矢田悠祐
土方歳三役:輝馬
沖田総司役:佐々木喜英
井伊直弼役:小谷嘉一
お登勢役:山岸拓生
近藤勇役:友常勇気
徳川慶喜 :Kimeru
ほか
◆主催:マーベラス/テレビ朝日ミュージック/NBCユニバーサルミュージック/NAS
◆協力:ギブソン
◆公演に関する問い合わせ
マーベラス ユーザーサポート
TEL:0120-57-7405 土日祝日 指定日除く11:00~17:00)


(C)2014 Marvelous Inc./幕末Rock製作委員会(C)2014 Marvelous Inc./超歌劇『幕末Rock』製作委員会


GWのこの時期に野間みつねさんと日野巡りするのは2年ぶりでしょうか。

 いつものように立川で待ち合わせ。今年は「とうらぶ」こと刀剣乱舞で資料館が混んでいるという事前情報を得ていたので、いつもより30分近く繰り上げての待ち合わせ。
 まずは石田寺にて、手を合わせるのが私たちの習慣。お墓にはお骨入ってませんが、魂は多摩に戻っているはずですので、日野周辺をうろつく時にはご本人にご挨拶してからでないと。今日は雨が降っているので、11時からの歳三忌の出席者のために墓石前にパラソルが置かれるというハイカラなスタイル……ご本人がハイカラな方だったんで、洒落てると喜んでくれるのではないでしょうか。

 次に土方歳三資料館。この時期恒例の和泉守兼定公開を目当てに混んでいるかと思いきや、資料館の方々が開館予定を1時間繰り上げてくださいました。土方愛館長のご解説に加えて、特別展示の近藤勇佩刀・丹波守藤原照門の所有者様(近藤勇の実家・宮川家の家系)が刀の由来をお話しくださいました。それにしても凄い人だかりです。そして、兼定の関連商品が売れているそうです。

 歳三忌とかひの新選組まつりとか、人出のある行事は避け、モノレールで高幡不動に出てバスに乗り継ぎ、日野市立新選組のふるさと歴史館へ。常設展に加えて、特別展「二十一世紀の新選組~新選組のコンテンツ化とファン層の広がり」を見る。漫画、アニメを中心に近年の新たな歴史系創作、新選組創作の形とそれらの楽しみ方などについて。史実に敬意のない作品の扱いは……。

 久しぶりに日野館で蕎麦を昼食に。当地に移転してくる前は日野宿本陣で蕎麦を供していた。本陣を預かっていた下佐藤家にて幕末期当主をしていたのが佐藤彦五郎で、土方歳三の義兄でもある。その佐藤家に伝わる蕎麦の打ち方の流れだという、細い蕎麦。喉越しがよくてとても美味しい。

 昼食後は石田駅そばの宝泉寺で井上源さんの墓前に手を合わせ、立川駅に出てカラオケ三昧。私は土方さんに敬意を表して基本「幕末Rock」しばりでロック熱唱3時間……はいー、疲れました。

 蕎麦友のみつねさんとなら2食連続蕎麦でも可なので、風林庵立川高島屋にて夕食。生粉打ち十割蕎麦なので歯ごたえがよく、だし巻でお腹膨れた私は蕎麦を征服するには至らず、残念。

 朝、そして夕方は雨に見舞われましたが、久しぶりに日野を満喫しました。みつねさん、ありがとうございました。
勘違いして新橋演舞場に向かってしまい、明治座までタクシー飛ばしてもらいました(汗)。
 「男の花道」が見たかったのです。みなもと太郎『風雲児たち』第14巻に出てくる、長崎でシーボルトから医学を学んだ眼科医・土生玄硯(史実の土生玄碩をモデルにしたフィクションの人物)と、歌舞伎俳優・第三代加賀屋歌右衛門の友情を描く物語なので。

一、歌舞伎十八番の内 矢の根(やのね)
曽我五郎 市川 右近
大薩摩文太夫 中村 亀鶴
馬士畑右衛門 市川 猿弥
曽我十郎 市川 笑也

一、歌舞伎十八番の内 矢の根(やのね)
 新年を迎えて紅白の梅の花も咲きそろったある日。家の中で矢の根を砥いでいるのは、曽我五郎。そこへ大薩摩文太夫が年始の挨拶にやってきて、宝船を描いた縁起のいい絵を五郎に渡す。これを喜ぶ五郎は、枕に見立てた砥石の下にその宝船の絵を敷くと、初夢を見ようとうたた寝をする。それというのも五郎には、長年抱いてきた父の仇の工藤祐経の首を討つという大願成就があり、その初夢を見たいと思ったからである。
 やがて、夢の中に兄の曽我十郎が現れ、工藤の館で捕まっている自分を助けて欲しいと訴える。夢から覚めた五郎は、兄の念力が通じたものだと悟り、兄の危機を救うため工藤の館へ出かけようと勇み立つ。そこで、通りかかった馬士の畑右衛門に馬を貸してほしいと願い出るのだが…。
 この作品は、享保14(1729)年の正月に江戸中村座で初演され、後に歌舞伎十八番の一つに加えられた荒事狂言です。主人公の曽我五郎は、角前髪に黒鬢、筋隈を取り黒綸子の揚羽折に仁王襷を懸けた勇壮な扮装です。まるで五月人形のような出で立ちの五郎が、大きな矢の根を砥ぐという古風な趣向に面白みがあります。みどころは、随所に現れる五郎の豪快な荒事で、背ギバや柱巻の見得、元禄見得をはじめ馬に乗っての引込みなど、溌剌として力強い五郎の姿に注目です。のどかな風景の中、荒事の豪快さを楽しむことができる明るくて華やかな舞台です。


 事前知識なし、イヤフォンガイドなしで見ました。荒事の所作を楽しむ舞台でした。生身の人間がとても大きく見える衣装とアクション。花道を、人ふたりが演じる馬に乗って去るという幕切れ。

二、男の花道(おとこのはなみち)
加賀屋歌右衛門 市川 猿之助
土生玄碩 市川 中車
田辺嘉右衛門 片岡 愛之助
山田春庵 市川 男女蔵
加賀屋歌助 中村 壱太郎
山崎順之助 市川 猿弥
按摩杢の市 市川 弘太郎
松屋忠兵衛 市川 寿猿
富枝妹雪乃 市川 笑也
加賀屋歌五郎 中村 亀鶴
加賀屋東蔵 坂東 竹三郎
田辺妻富枝 市川 門之助
万八の女将お時 片岡 秀太郎

二、男の花道(おとこのはなみち)
 文化5年の春、大阪道頓堀の中の芝居では、女方の加賀谷歌右衛門の芝居が大当たり。歌右衛門を見ようと見物人たちで賑わうところ、小屋の中からから土生玄碩が追い出される。シーボルトからオランダ医学を学んだ玄碩は、歌右衛門の芝居を見て、彼の眼の悪さを指摘したので、贔屓客と争いとなり、追い出されたのだった。
 その1カ月後、東海道金谷宿にある旅籠松屋では、江戸へ下る歌右衛門一座が宿泊している。実は、歌右衛門の眼の患いは本当で、彼は命を絶とうとまで思い詰めていた。それを救ったのは、同宿していた玄碩。眼科医の玄碩は命を懸けて手術を行い、歌右衛門の眼病は完治した。歌右衛門は謝礼を出すが、玄碩は受け取らず、二人は江戸で大成することを誓うと、刎頸の交わりだと言って別れるのだった。
 4年後、江戸中村座では、歌右衛門の舞台が大評判。他方、玄碩も実直な眼科医として大成していた。あるとき、広島浅野家の侍田辺嘉右衛門から言いがかりをつけられた玄碩は、窮地に陥り、歌右衛門へすぐに来てほしいと手紙を出す。しかし、歌右衛門は『櫓のお七』の舞台中。手紙を受け取った歌右衛門は…。
 この作品は、昭和16(1941)年公開の長谷川一夫主演映画(小國秀雄脚本、マキノ雅弘監督)で大ヒットとなり、その後、舞台化されました。歌右衛門と玄碩の交流を中心に、前半では歌右衛門を失明の危機から救う玄碩の姿、後半では玄碩の危急を知り、“男の約束”を守る歌右衛門の姿がみどころです。劇中劇の『櫓のお七』など、随所に見せ場を工夫しながら、二人のかけがえのない友情を描いた心温まる作品です。


 空気読まない一本気な蘭方医の玄碩を中車に演じさせたところが配役の妙。歌舞伎役者としてデビューして3年の中車だけど、歌舞伎見てまだ半年の私にも、所作や台詞回しが周りと違うと見える。その浮いた感を、世渡り下手で空気読まない玄碩の役作りに活かしている。そして、たぶん、本格歌舞伎も新派も現代劇もありな明治座だから、歌舞伎だけど新作であるこの作品に中車の演技でもありだと思わせるのだと思う。
 歌右衛門と玄碩の友情がテーマだし……猿之助が歌舞伎に苦労している中車に配慮してこの役に当ててくれたんだなぁ、きっと。
 猿之助は女形っぽくないけど、歌右衛門として舞うところに説得力がある。劇中劇のお七、そして老松の舞は素晴らしい。
 愛之助演じる広島浅野家の侍田辺嘉右衛門も、玄碩に切腹を迫る敵役ではあるけど、歌右衛門の見事な舞に機嫌をよくしてあっぱれと褒める結末に後味のよさがある。

猿之助、愛之助、中車、右近が語る「明治座 五月花形歌舞伎」
〈速報〉市川猿之助ら明治座「五月花形歌舞伎」の公開稽古
市川中車、歌舞伎が「全くわかっていない」 猿之助も厳しくアドバイス
市川中車 歌舞伎は「きつい世界」
市川猿之助×片岡愛之助 歌舞伎のためにできること
多彩で楽しめる演目揃い!『明治座 五月花形歌舞伎』囲み取材&『男の花道』フォトレビュー
とうらぶブームで、今年の土方歳三資料館における和泉守兼定のご開帳は凄い列ができているそうです……どうか、今年も無事に拝見できますように(祈)。

北海道
津軽海峡に眠る咸臨丸 地元住民「歴史知って」
 幕末に勝海舟らを乗せて太平洋を横断したことで知られる「咸臨丸」は、明治初めに北海道木古内町沖の津軽海峡に沈んだ。今も海中に眠る船との縁に魅せられた町民らのグループが「多くの人に、町と咸臨丸の歴史を知ってほしい」と、活動を続けている。

 咸臨丸は海軍創設を決めた江戸幕府が発注、1857年にオランダの造船所で完成した。長崎海軍伝習所の練習艦になった後、1860年には勝海舟や福沢諭吉らを乗せて太平洋を横断した。

 戊辰戦争を経て北海道開拓使の輸送船になり、移住する旧仙台藩の家臣らを乗せていた1871年、木古内町の「サラキ岬」沖で座礁、沈没した。定説では、暴雨風が原因とされる。

 町民らでつくる「咸臨丸とサラキ岬に夢みる会」は、咸臨丸との縁を観光や町づくりに生かそうと、2004年に結成、約400人の会員を抱える。サラキ岬に咸臨丸のモニュメントを設置、オランダにちなんで植えたチューリップが咲き誇る5月には、岬で祭りを開く。年に2回、咸臨丸の歴史を学ぶ研修会も開催している。

 同会の事務局長で、住職の多田賢淳さん(63)は「太平洋を行き来するほどの活躍を見せたのに、最後は名もなき輸送船として沈んでいった。その歴史に翻弄された姿が魅力だ」と語る。

 今年3月にオープンした木古内町郷土資料館には、咸臨丸のものとみられるいかりが展示されている。1984年にサラキ岬沖で引き揚げられ、19世紀の欧州製と判明したが、咸臨丸のいかりと断定はできなかった。

 郷土資料館の学芸員の木元豊さん(50)は「北海道新幹線が走るようになれば、もっと多くの人が木古内を訪れる。咸臨丸のことを知り、町の観光を楽しんでもらいたい」と話している。〔共同〕

宮城
火縄銃演武:白石城開門記念 愛好者の鉄砲隊が披露 /宮城
 白石城の開門(天守閣復元)20周年記念事業と白石市民春祭りの一環で、愛好者らで作る「片倉鉄砲隊」の火縄銃演武が3日、城の本丸広場であった。

 演武は、戊辰戦争中の1868(慶応4)年5月3日、薩摩・長州などの新政府に対抗し、東日本政府を樹立しようと、白石城で開かれた奥羽越列藩同盟会議にちなんだもの。白石城主だった片倉家の火縄銃鉄砲隊を模した。

 大勢の観光客が... 続きを読む
 以下、有料記事です。

福島
戊辰の役 鎮魂の舞 若松で奈与竹之碑碑前祭
 戊辰戦争で亡くなった女性や子どもを慰霊する奈与竹(なよたけ)之碑碑前祭は1日、会津若松市北青木の善龍寺で行われた。
 遺族と県内の支援者でつくる嫋竹(なよたけ)会の主催。約300人が参列した。吉田幸代会長が祭文を読み上げた。室井照平市長、戸川稔朗市議会議長が追悼の言葉を述べた。
 献花、読経に続き国壮流会津日新吟詠会が詩吟を奉納した。葵高の舞踊部となぎなた部がそれぞれ女白虎隊と演武を披露した。
 同寺には会津藩家老西郷頼母の自刃した一族21人の墓と妻千重子の辞世の句にちなむ「奈与竹之碑」がある。
( 2015/05/02 10:13 カテゴリー:主要 )

「女白虎隊」演武奉納 若松で「奈与竹之碑」碑前祭
 戊辰戦争で命を落とした女性を顕彰し、慰霊する「奈与竹之碑(なよたけのひ)」碑前祭は1日、会津若松市北青木の善龍寺で開かれ、遺族や関係者が233人の霊を慰めた。
 嫋竹(なよたけ)会の主催で、毎年5月1日に行っている。多くの市民が参列した。吉田幸代会長が「碑前祭を末永く続けることを誓い、御霊の安らかなることを祈る」と祭文を読み上げ、室井照平市長、戸川稔朗市議会議長が追悼の言葉を述べた。献花、読経に続いて、参列者が焼香した。
 国壮流会津日新吟詠会の会員が詩吟を奉納したほか、葵高舞踊部の生徒6人が「女白虎隊」を演じ、同校なぎなた部の生徒たちが演武を披露、奉納した。大勢の市民が境内を囲み、生徒たちのりりしい姿を見守った。
(2015年5月2日 福島民友トピックス)
東京
土方歳三資料館、新選組 土方歳三の愛刀「和泉守兼定」と近藤勇の愛刀「丹波守藤原照門」公開
公開日:2015年4月29日、5月2日~5日、9日~11日、17日
開館時間:12時~16時
入館料:500円
 土方歳三資料館(東京都日野市)は、4月29日、5月2日~5日、9日~11日、17日に新選組 副長「土方歳三」が実際に使用した佩刀(はいとう)「和泉守兼定」と同局長「近藤勇」の佩刀「丹波守藤原照門」の刀身を公開している。2015年に刀身が公開されるのは、上記の期間のみとなる。入館料は500円、開館時間は12時~16時(4日、9日、10日は10時~16時)。

 同資料館は、土方歳三の子孫である土方愛氏が運営しており、土方歳三の生まれ故郷でもある東京都日野市にある。資料館には、佩刀のほかに土方歳三が愛用した武具や遺品史料、書状など70点余りが展示されており、土方歳三に関する貴重な資料の数々を見ることができる。

 なお、5月9日~10日には、日野市で「ひの新選組まつり」も開催される予定。土方歳三資料館ほか、各資料館での特別開館や「西洋砲術演武」などが行なわれる。


近藤勇の墓前に新選組隊士が集結!滝野川新選組まつり開催 /東京
 第12回滝野川新選組まつりが5月3日、JR板橋駅東口駅前広場などで開かれた。江戸の幕末に活躍した新選組・近藤勇の墓所(滝野川7-8-10)が近くにあり、多くの申請組ファンが駆けつけて盛り上がった。

 まつりのメインイベントのパレードでは、地元の新選組滝野川隊や新選組ガールズ、全国の新選組ファンなど総勢約120人が、新選組の衣装を身にまとい、約2時間かけて区内5つの商店街を回った。

 パレードの途中で殺陣パフォーマンスも行われた。軽快な剣さばきに、観覧者の間から大きな歓声が上がっていた。

全国各地
23施設、世界遺産登録へ 各地で喜びの声
 明治維新後、西洋の科学技術を熱心に取り入れた日本だが、その足跡が世界に認められた。4日夜、8つの県にある23か所の「産業革命遺産」が、世界遺産に登録される見通しになった。世界遺産登録が決まれば、国内19件目。登録の見通しが伝えられた自治体からは喜びの声が寄せられている。

 4日夜、静岡県伊豆の国市役所。パソコンに向かっていた職員らが突然、一斉に立ち上がった。伊豆の国市にある韮山反射炉などが世界遺産登録に勧告されたとの一報がメールで届いたのだという。

 伊豆の国市役所の職員「結果を読み上げます。推薦案件の名称を『明治日本の産業革命遺産』。製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業と変更とした上で記載勧告が出された。23の構成機関すべてが本件遺産の構成要素として認められた」

 緊張から解かれたのか、市の担当者からは笑みがこぼれた。
 4日夜、世界遺産に登録される見通しとなった韮山反射炉などを含む「明治日本の産業革命遺産」。ユネスコ(=国連教育・科学・文化機関)の諮問機関・ICOMOSが「世界文化遺産への登録が適当」と勧告したのだ。

 先月29日、韮山反射炉を取材。ゴールデンウイーク初日、多くの人でにぎわっていた。

 観光客「昔の歴史的な良いものが残っているなと感じた」

 韮山反射炉は幕末に大砲を造るのに活用され、世界で唯一、ほぼ完全な形で保存されているという反射炉。今回、世界遺産に登録される見通しとなったのは、幕末から明治時代にかけて日本の重工業の発展に貢献した、こうした一連の施設だ。
 萩市歴史まちづくり部・植山幸三部長「大変うれしく思います。気を引き締めて、世界遺産登録に向けて頑張ってまいりたいと思う」

 正式に登録されれば19件目となる日本の世界遺産。正式に登録されるかは来月の世界遺産委員会で決まる見通しだ。(05/05 00:56)
江川坦庵ファンとしては、格別に嬉しく思います。
 伊豆の国市に統合されて韮山という地名が地図から消えてしまったので、韮山反射炉、できるだけ長く受け継がれて欲しいです。ちなみにシャトルバスがあるのですね、私が行った時は徒歩でした。。

「反射炉守れ」100年の遺訓 韮山、稼働停止後も住民奔走
 世界遺産への登録が勧告された「明治日本の産業革命遺産」の構成施設の一つ、韮山反射炉(静岡県伊豆の国市)は、一八五七年の完成から百五十年以上たつ。二十世紀初頭に芽生えた地元住民らの保存の機運が脈々と引き継がれ、地震による崩壊の危機や建材の風化を乗り越えてきた。 (山田晃史、山下葉月)
 「反射炉は守らなければならない」。韮山反射炉近くの土産物店「蔵屋鳴沢」に伝わる教えだ。現在の女将(おかみ)稲村たみ子さん(86)は、二十一歳で嫁いでから六十年以上反射炉を見つめ続け、敷地内の清掃を欠かさなかった。
 「自分が見て育った反射炉は、北側の煙突の一部がない状態だった」。稲村さんの記憶に残るのは一九三〇年の北伊豆地震で、四つの煙突のうち二つの先端が崩れ落ちた姿だ。しばらく放置されたが、当時の韮山村が五七年、修理に着手して元の姿に戻し、れんがの耐震補強も完了。稲村さんは「ずいぶん新しくなった」と感心した。
 地元で最初に保存の機運が盛り上がったのは反射炉の建造を指揮した韮山代官・江川坦庵(たんなん)の没後五十年の一九〇五年ごろ。坦庵の五男の娘婿を中心に地元住民らが「韮山反射炉保勝会」を〇八年に設立。当時管理していた陸軍省に働き掛け、明治期の一回目の修理が実現した。学芸員の橋本敬之さん(62)は「放置されれば崩壊していたかもしれない。地域の有志の力によって今の姿がある」と評する。
 旧韮山町が一九八五~八九年に三回目の修理を行い、風化したれんがの一部を交換。いまも完成当時のれんがが八割残っている。
 反射炉の完成から廃炉までわずか七年。「産業施設は用がなくなれば取り壊すのが普通なのに、守った地元住民の活動は文化財保護の先駆けだ」。伊豆の国市民らでつくる韮山反射炉応援団の渡辺解太郎(かいたろう)理事長(77)は、先人の先見性をたたえた。応援団は活動を受け継ぎ、草むしりなど清掃活動に取り組んでいる。

世界遺産登録勧告から一夜明け 韮山反射炉にぎわう
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関による世界文化遺産への登録勧告から一夜明けた五日、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つ、伊豆の国市の韮山反射炉は、昨年の大型連休中一日当たりの四倍となる観光客が押し寄せた。

 「イコモス登録勧告・韮山反射炉世界遺産へ!」。開館時間の午前九時、反射炉の管理事務所に祝賀ムードを演出する張り紙がされ、入場待ちの観光客が五十メートルほどの列を作った。時間がたつにつれ人数は増え、スマートフォンやカメラで記念撮影する人が敷地を埋め尽くした。

 家族七人で伊豆を旅行中、ニュースを知って急きょ立ち寄った東京都葛飾区の私立中一年の池永翔一君(12)は「江戸時代からきれいに残っているなんてすごい」と驚いていた。

 管理事務所によると、五日の入館者数は四千六百二十六人。昨年の大型連休で最も多かった五月三日の千二百三十八人の四倍近くに上り、最近二~三年の一日の最高人数二千六百人を大きく超えた。最寄り駅の伊豆箱根鉄道伊豆長岡駅と反射炉を結ぶ無料シャトルバスはどの便も満席。市職員も反射炉の駐車場に立ち、交通誘導に大忙しだった。伊豆の国歴史ガイドの会はガイドを通常の五人から八人に増やして対応した。

 一方、伊豆の国市の小野登志子市長は五日、臨時の記者会見を開いた。登録を正式決定するため六~七月にドイツで開かれるユネスコ世界遺産委員会への出席は「政府の要請があれば検討する」と述べ、当日は市内で現地中継のパブリックビューイングを開く方針を示した。

 会見後、反射炉の建造を指揮した韮山代官・江川坦庵(たんなん)(一八〇一~五五年)の墓前で勧告結果を報告。「ようやくうれしさがわき上がってきたが、保全への責任の重さを感じている」と語った。

◆先人の活動に感謝 住民ら保全継続に期待

世界文化遺産への登録が勧告され「文化財保護の活動をした先人に報いることができた」と話す韮山反射炉応援団の渡辺解太郎理事長=5日、伊豆の国市韮山金谷で
写真
 韮山反射炉は、国内で唯一現存する実用炉だ。一八五七年の完成後、地震による崩壊の危機もあったが、三回の大きな保存修理とともに、住民や自治体による保存運動が現在につながった。保存に関わる住民らは五日、先人の活動に「報いることができた」と安堵(あんど)し、世界遺産登録で保全が続くことを期待した。

 「反射炉は守らなければならない」。韮山反射炉近くの土産物店「蔵屋鳴沢」の女将(おかみ)稲村たみ子さん(86)が二十一歳で嫁入り以来、店に伝わる教えだ。六十年以上反射炉を見つめ続け、敷地内の清掃を欠かさなかった。

 「自分が見て育った反射炉は北側の煙突の一部がない状態だった」。稲村さんの記憶に残るのは一九三〇(昭和五)年の北伊豆地震で四つある煙突のうち二つの先端が崩れ落ちた姿だ。しばらく放置された後、当時の韮山村が五七年、修理に着手して元の姿に戻し、れんがの耐震補強も完了。稲村さんは「ずいぶん新しくなった」と感心した。

 地元で最初に保存の機運が盛り上がったのは、反射炉建造を指揮した江川坦庵の没後五十年の一九〇五年ごろ。坦庵の五男の娘婿ら地元住民が「韮山反射炉保勝会」を〇八年に設立。当時管理していた陸軍省に働き掛け、明治期の一回目の修理が実現した。

 江川家の資料を管理する江川文庫が保管する明治期の写真は、れんがから草木が生い茂った反射炉の修理前の姿を収めている。学芸員の橋本敬之さん(62)は「放置されれば崩壊していたかもしれない。地域の有志の力によって今の姿がある」と評価する。

 旧韮山町が一九八五~八九年に三回目の修理を行い、風化したれんがの一部を交換。いまも完成当初のれんがが八割残っている。

 「産業施設は用がなくなれば取り壊すのは普通なのに、それを守った地元住民の活動は文化財保護の先駆けだ」。伊豆の国市民らでつくる韮山反射炉応援団の渡辺解太郎(かいたろう)理事長(77)は、先人の先見性をたたえた。応援団は活動を受け継ぎ、反射炉の草むしりなど清掃活動に取り組んでいる。

(山田晃史、山下葉月)

「韮山反射炉サミットを」 世界遺産内定で伊豆の国市長が意向
 韮山反射炉(伊豆の国市中)など23の構成施設からなる「明治日本の産業革命遺産」が4日に世界文化遺産への「登録勧告」を受けて一夜明けた5日、同市の小野登志子市長は市役所で会見し、構成施設のある8県11市と施設の維持管理に向けて連携を進める考えを明らかにした。また、韮山反射炉の耐火レンガが生産された河津町など、反射炉に関わった市町と協力して「韮山反射炉サミットを開き、伊豆半島全体の観光に役立てたい」と述べた。

 「登録勧告が出ると確信していたので『やっぱり』という気持ちが強かった」。小野市長は会見で、4日に登録勧告の連絡を受けたときの気持ちをこう述べた。そして、「7月の世界遺産委員会で勧告通りに登録されるように全力で取り組む」と話した。川勝平太知事も「勧告通り世界遺産一覧表へ記載され、富士山に続く本県2つ目の世界遺産となるよう、万全を期す」とコメントした。

 増加が見込まれる観光客について、小野市長は「反射炉建設の実績を知ってもらうのが一番うれしい」とした上で、反射炉の成り立ちなどを説明するビジターセンターを平成28年度末までに完成させる計画を明らかにした。

 また、明治日本の産業革命遺産の構成施設が全国に広がることから「スタンプラリーを観光客向けにやってみてはどうか」との構想を披露。すでに世界文化遺産に登録されている「富士山と一緒に世界に発信したい」との考えも示した。

 来場者が殺到した反射炉をこの日訪れた、市内に住む県立韮山高2年の室伏勇飛(はやと)さん(16)は「『登録勧告』でどれだけにぎわっているかと思って来た。何度も来ているので身近過ぎて、登録勧告されるとは思っていなかった。本当に意外だ」と驚いていた。

韮山反射炉「うれしさより、安堵感」
■世界遺産登録勧告、関係者沸く

 韮山反射炉を含む「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」が世界文化遺産へ――。国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の諮問機関・国際記念物遺跡会議(イコモス)の登録勧告に、伊豆の国市関係者は喜びに沸いた。

 同市世界遺産推進課には4日午後8時半頃、国を経由して「吉報」が入った直後から、職員6人が電話対応などに追われた。男性職員(40)は「うれしさより、安堵あんど感の方が大きいです」と笑顔をみせた。

 反射炉の歴史などを観光客に案内してきた「伊豆の国歴史ガイドの会」の小松逸夫会長(78)は、「多くの人が訪れ、ゆっくりと案内ができなくならないか心配もある」としながら、「近代日本産業の礎になり、世界文化遺産に推薦された経緯をきちんと説明したい」と強調した。

 「待ちに待った知らせ」。同市観光協会の鴨下記久枝会長は、登録の見通しになったことを手放しで喜んだ。4日も約1200人の観光客が訪れたといい、「例年にないほど盛り上がっている」と話した。

 同市中の地元自治会「中区」の松井周治区長(65)は「伊豆の山々を背にそびえ立つ反射炉は、昔から全国に誇れる古里の自慢だった。今はうれしい気持ちでいっぱい」と声を弾ませた。

世界文化遺産:韮山反射炉…「技術立国・日本の礎」 静岡
◇登録勧告の「明治日本の産業革命遺産」の一つ

 「地域の財産を次世代へ引き継ぐのに強みが加わった」。世界遺産への登録の可否を調査する諮問機関「国際記念物遺跡会議」(イコモス、本部・パリ)から4日、「登録が適当」と国連教育科学文化機関(ユネスコ)に勧告された「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」(福岡、長崎、静岡など8県)。構成資産の一つ、韮山反射炉(静岡県伊豆の国市)を築造した江川英龍(坦庵)の史料などを保存する江川文庫の橋本敬之学芸員(62)は笑顔で語った。江川家を研究し約30年。この日を待ち望んだ。「これで英龍の業績が世界に知られるようになれば」と期待する。

 韮山反射炉は、天井で熱を反射させて鉄を溶解し、大砲を鋳造する。江戸期には鉄製や銅製の大砲100門以上を作ったが、1864年に廃炉になった。実際に稼働した炉としては国内で唯一現存する。

 伊豆の国歴史ガイドの会の小松逸夫会長(78)は「案内した観光客に世界遺産登録への協力を呼びかけてきた。今後はお礼も込めてガイドしたい。反射炉は技術立国・日本の礎そのものだと伝えたい」と喜んだ。

 静岡県庁の富士山世界遺産課では、午後8時半に登録勧告が伝えられると、待ち構えた職員らに安堵(あんど)感が漂った。小坂寿男課長は「イコモスの現地調査では悪くない感触だった。6月の正式決定を目指して頑張りたい」と話した。

 川勝平太県知事は「大変喜ばしい。富士山に続く本県二つ目の世界遺産となるよう万全を期したい」とコメントした。【西嶋正信、石川宏】
来週5月9日10日はひの新選組まつり、16日17日は箱館五稜郭祭。初夏がきたなあと感じます。
 あと、新宿アルタで幕末rock土方歳三生誕祭やってるみたいです。誠仮面グッズもあるので、入手したい(汗)。

岩手
宮古港海戦、学び始動 児童生徒対象に歴史講座
 今年の宮古港開港400周年に合わせて、宮古市の民間有志で組織する「宮古海戦組」の400周年事業実行委(佐々木芳江委員長)は18日、児童生徒を対象にした歴史講座を始めた。初回は1869(明治2)年の宮古港海戦をテーマにした紙芝居を披露し、新政府軍と旧幕府軍の死闘を伝えた。9月には講座参加者も加わった歴史劇やパレードも企画しており、節目の年を盛り上げる。
 講座は同市山口1丁目の山口公民館で開かれ、約50人が参加。時代装束に身を包んだ海戦組の伊藤栄利子さん(29)が欧米列強に狙われた激動の幕末を読み解き、中高生による読み聞かせグループ「MYK48」が宮古港海戦の紙芝居を情感たっぷりに表現した。
 日本初の近代海戦とされる宮古港海戦は、旧幕府軍の軍艦「回天」が新政府軍の軍艦「甲鉄」に接舷して乗っ取りを図る「アボルダージュ」戦法が採用された。新撰組(しんせんぐみ)副長の土方歳三も参戦したが、新兵器ガトリング砲を備えた新政府軍の圧勝に終わった。
 海戦組のテーマソングも披露され、宮古小4年の女子児童は「衣装もかっこよく、海戦の歴史を分かりやすく教えてもらった」、津軽石中2年の女子生徒も「歴史に興味があり、新撰組が宮古に関わりのあることも理解できた」と関心を高めた。

【写真=宮古港海戦の紙芝居を披露する読み聞かせグループ「MYK48」のメンバー】

福島
小峰城跡修復4年ぶりに一般開放・白河
 東日本大震災で石垣が崩落するなどした白河市の小峰城跡(国指定史跡)の修復工事が一部で完了し、市は19日、4年ぶりに城跡の一般開放を再開した。三重櫓(やぐら)までの見学ルートが通れるようになり、大勢の市民が市のシンボル復活を喜んだ。
 JR白河駅北側にある小峰城跡を取り囲む石垣は総延長約2キロ。10カ所計160メートル(7000個)にわたり崩れたほか6カ所で石の隙間が広がるなどの被害を受けた。城郭の遺構を活用した公園として親しまれたが、本丸の敷地への立ち入りはできなくなった。
 市は2011年12月に修復作業に着手し、本丸敷地内の三重櫓に至るルート付近3カ所を優先して実施した。昨年12月、最大の崩落箇所だった本丸南面(幅45メートル、高さ10メートル)の積み直しを終了。伝統工法を用いて崩れた石を積んだほか、新たに白河産の石も用いた。
 1991年に復元された三重櫓も地震の被害を受け、壁などの修復が3月までに完了した。石垣の全面修復にはまだ時間を要するが、櫓までの散策ルートが復活したことで集客向上へ大きな弾みとなる。
 同市の長田シゲ子さん(77)は「石垣が崩れた時は、言葉にならないぐらいしょんぼりしていた。立派に修復されて、街もにぎわってうれしい」と喜んだ。復興式典に出席した鈴木和夫市長は取材に「小峰城跡に再入場できるようになったことは、白河の復興のシンボルとなる」と語った。
 小峰城は、初代白河藩主の丹羽長重が大改修をして完成。交通要衝の重要拠点として役割を担ったが、戊辰戦争で大部分を失った。
東京
浅葱色のだんだら隊服を着て散策できる! ひの新選組まつり「日野宿隊服散策」開催日野宿本陣でプロによる撮影予定も。
 5月9日に開催される「ひの新選組まつり」で、日野宿本陣近辺日野宿を「新選組隊士」になりきって散策できるようです。これは楽しそう!
 この企画では新撰組のイメージとして定着している浅葱(あさぎ)色のだんだら隊服を身にまとい、JR日野駅(東京都日野市)から八坂神社、本陣、井上源三郎資料館、佐藤彦五郎資料館近辺、日野宿のコースを散策するそうです。日野宿本陣での写真撮影会(有料)も予定されています。
 しかし衣装は貸し出しではなく、上着物・下袴・浅葱色のだんだら隊服という参加規程に基づく和装を自分で用意し、持参する必要があります。着替え場所は確保されており、本陣・八坂神社境内では帯刀も検討中とのこと。
 「日野宿隊服散策」は5月9日午前10時から午後4時まで実施。参加費用は800円(参加証の袖章・クローク代込)。事前申込み制で、応募締切は5月7日となっています。申し込み方法やその他注意事項は日野市観光協会公式ページを参照してください。
(高城歩)
 私はコスプレ趣味がないので遠慮しますが、帯刀しているのでご参加の方は周囲の方の安全には御配慮ください。

静岡
幕末の史跡で歴史に触れる、レトロな「下田」で週末大人旅
史跡めぐりで黒船来航をしのぶ

伊豆半島南端の街、下田。夏は海水浴客で賑わい、冬はいち早く咲く水仙やアロエの花目当てに観光客が訪れます。しかし、意外と忘れられがちなのが、下田は史跡の街だということ。1854年の日米和親条約が締結された後、日本で函館と並んで初めて開港されたのがこの下田なのです。

【下田】幕末の史跡をたどる週末大人旅
(C)Flickr/bryan…

市街地の一角には、風情たっぷりのレトロな通りがあります。「ペリーロード」と呼ばれるこの道は、ペリーが日米和親条約を締結するために行進しました。現在では、この道沿いにカフェや土産物屋などが軒を連ねています。

【下田】幕末の史跡をたどる週末大人旅
(C)Flickr/Izu navi

そして、日米和親条約が締結された場所が、この了仙寺です。5月下旬には1000株のアメリカジャスミンが見ごろを迎え、境内は濃厚な甘い香りで包まれます。

ほかにも、米国総領事のハリスが滞在した玉泉寺や、日露和親条約が調印された長楽寺、ハリスに仕えて非業の死を遂げた唐人お吉の菩提寺である宝福寺など、史跡の見どころは満載。幕末ファンが訪れたくなるスポットが目白押しです。

毎年5月には黒船祭が開催され、パレードが行われるほか、時代衣装を着て街を散策することもできます。2015年は5月15~17日に開催されるので、イベントを狙って訪れてみるのもよいでしょう。
絶景そして海の幸

もちろん、下田は史跡以外にも観光スポットがたくさんあります。

【下田】幕末の史跡をたどる週末大人旅
(C)Flickr/hiro

爪木崎の灯台から望める雄大な大海原を前にすると、日常の疲れが吹き飛びそう。

【下田】幕末の史跡をたどる週末大人旅
(C)Flickr/bryan…

下田ロープウェイに乗り、寝姿山から見下ろす風景は、伊豆三景のひとつともいわる絶景です。頂上にある愛染堂は縁結びのパワースポットとしても知られています。

また、下田は海の幸がおいしいことでも有名です。名物のキンメダイは、煮つけで味わうのが定番ですが、ちょっと変わり種のメニューといえば、キンメダイのフライが入った「下田バーガー」です。

幕末の史跡で歴史に触れる、レトロな「下田」で週末大人旅
(C)Flickr/Yamaguchi Yoshiaki

くせのないキンメダイが、ソースとよく合います。ふわふわの食感で幸せな気分になりますよ!下田バーガーは、道の駅開国みなと内にある「Ra-maru」で味わうことができます。
史跡に絶景に食にと、さまざまな観光資源に恵まれた下田。5月の下田も魅力満載です。
[伊豆下田観光ガイド]
(今井明子)


福井
幕末偉人の活躍しのぶ 福井、ゆかりの料亭で歴史講座
 幕末を中心とした福井の歴史を学ぶ講座が二十六日、福井市加茂河原一丁目の料亭「丹巌洞」で開かれた。福井藩主の松平春嶽や、橋本左内らが密談したと伝わる場所で、約三十人の参加者は幕末の偉人たちの活躍に思いをはせた。
 歴史愛好者でつくるグループ「福井あすわ歴史道場」と福井商工会議所青年部が、ふくい春まつりの関連イベントとして共催。歴史道場の松下敬一会長が講師となり、幕末の動乱期に福井藩が果たした役割を解説した。
 松下会長は、左内が春嶽の懐刀として、国の政治体制を変革するために活動していたことを紹介。福井などの有能な藩主を中心とした政治を目指し、議会政治の先駆となる構想を練っていたことを強調した。
 昨年発見された坂本龍馬の手紙で、福井藩士で五箇条の御誓文の起草に関わった三岡八郎(のちの由利公正)を新政府の財政担当者にふさわしい、と評していたことも指摘。「龍馬は福井藩の国家構想などの影響を大きく受けていた。それを発信していかなくてはならない」と訴えた。

(桂知之)

福岡
『福岡県の幕末維新』 アクロス福岡文化誌 編纂委員会編  (海鳥社・1944円)
 ペリー来航から明治維新にかけての激動期。時代の中心にいた薩摩藩や長州藩ではなく、現在の福岡県内にあった福岡藩、小倉藩、久留米藩、柳川藩の動向に目を向けた。福岡県の歴史や文化が地域性に富んでいる遠因が見えてくる。
 尊皇攘夷(じょうい)か、公武合体か。佐幕か、倒幕か。各藩は揺れた。久留米藩で尊攘派志士の真木和泉が一時活躍した一方で、佐幕派の小倉藩は第2次長州戦争で長州藩に敗れた。戊辰戦争で財政が悪化した福岡藩は「贋札・贋金事件」に手を染め、事実上の廃藩に。柳川藩は明治維新後の士族の反乱を巧みに抑えた。ひとくくりにできない複雑な歴史が福岡県にはある。
 各藩で活躍した人物を紹介するコラムも載せた。福岡藩における明治維新の語り部となった早川勇。新選組を離脱し、後に実業家となった久留米藩の篠原泰之進。あまり知られていない人物にも光を当てた。
 アクロス福岡文化誌の第9巻。同誌編纂(へんさん)委員会長を務める丸山雍成・九州大学名誉教授(日本近世史)ら県内の研究者や学芸員計12人が執筆を担当した

=2015/04/26付 西日本新聞朝刊=


ブックレビュー
「ラ・ミッション」佐藤賢一著
 幕末期に徳川幕府に軍事顧問として雇われたフランス軍人ブリュネ。新選組の土方歳三が会津藩にも頼らずに「てめえが抱える了見に、てめえの命をかけて殉じる。その潔さが士道ってもんだ」と言うのを聞いて感銘を受ける。なるほど、士道(エスプリ)か。やがてブリュネは軍事顧問団を率いて、エゾ共和国独立を目指す土方や榎本釜次郎(武揚)らとともに函館の五稜郭に立てこもった。そんな彼にフランスから帰国命令が出されるが、それに反して戦いを続けようとする。
 映画「ラストサムライ」の主人公、オールグレン大佐のモデルとされるフランス軍人を描いた歴史小説。(文藝春秋 1850円+税)
夜の部だけでなく、昼の部も見たいと思って、今日は花道近くの左2列。背もたれがあって、長い時間も背中をもたせかけられるので楽でした。
 横綱白鵬さんが客席に現れた時には、客席がどよめき、拍手が起こりました。やはり、一瞬でわかるオーラがありました。

歌舞伎美人サイトより。
 昼の部の幕開きは、『双蝶々曲輪日記』より、貫禄たっぷりの関取と素人角力出身の小兵、ふたりの好対照が魅力の「角力場」。続いて主人義経を必死に守る弁慶とその思いに動かされた富樫との胸を打つドラマ、歌舞伎十八番の中でも屈指の人気演目『勧進帳』。そして活き活きとした江戸の庶民を描いた河竹黙阿弥の傑作『魚屋宗五郎』は、江戸情緒が色濃く残る浅草の地によく似合います。
一、双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)
角力場

濡髪長五郎 坂東 彌十郎
山崎屋与五郎/放駒長吉 中村 獅童

獅童が大坂の大商家のひよわなボンと小兵ながら威勢のいい長吉を演じ分けたのが面白い。

二、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)

武蔵坊弁慶 中村 橋之助
源義経 中村 七之助
富樫左衛門 中村 勘九郎

 圧巻は弁慶の「勧進帳」読み、踊り。七之助演じる義経の気品。勘九郎演じる富樫、関所の責任者としての厳しさ、情を解する優しさ、自分の腹と引き換えに義経一行を見逃す決断をわずかな表情だけで演じ分けていた。

三、新皿屋舗月雨暈 魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)

魚屋宗五郎 中村 勘九郎
女房おはま 中村 七之助
召使おなぎ 中村 児太郎(4月18日~5月3日)
磯部主計之助 中村 獅 童
浦戸十左衛門 坂東 彌十郎

 魚屋宗五郎が妹の不審死に悲しみとやりきれなさから酒に手を出し、飲むほどに変化し、旗本磯部家に乗り込むまで気勢を上げるのが見物。また、磯部邸での暴れぶり、酔いが醒めていく様も面白い。そしておはまの世話女房ぶり、七様を女房に欲しい……と思った。
 若手女形として可憐さが目をひく児太郎さんのおなぎも良かった。

 新聞記事の評も出そろってきたようです。
中村七之助 父・勘三郎が「もう一回やりたい」といった役に挑む
 3年ぶりに戻ってきた「平成中村座」。東京・浅草寺本堂の裏手すぐ、5月頭まで仮設テントの芝居小屋が立っている。江戸時代の芝居小屋を再現した平成中村座は、2012年12月に逝った十八代目中村勘三郎が00年に始めた。今回の平成中村座に出演している、中村勘九郎、七之助兄弟は、次世代の柱となる期待の役者だ。

*  *  *
 中村屋ファンにはもちろん、勘九郎と七之助の勘三郎ジュニアの成長ぶりが最大の楽しみだろう。「兄弟仲良く」との父の言いつけを守りながら、兄は立役、弟は女形として精進する。

 勘九郎は夜の部「高坏」で次郎冠者を勤める。父も得意とした下駄でのタップダンスで知られる演目。ただし、タップはあくまで「おまけ」という。「踊りのところだけではなく、全体が良くないとダメだよ」という父の言葉どおり、タップの前の、太郎冠者や大名相手の軽快なやり取りの場面から会場を沸かせた。

 声も演技もますます父に似てきた勘九郎だが、父以上との期待もかかる。

「父の当たり役を引き継ぐのは良しだが、父より線が太いから勘九郎は父にできなかったものもできる。独自の芸風を切り開いていってほしい」(演劇評論家の渡辺保さん)

 祖父・芝翫を継いで真女形に邁進する七之助は、スッとした切れ長の目元が美しい。今回の中村座では「妹背山婦女庭訓 三笠山御殿」のお三輪を演じる。12年9月の勘九郎襲名公演で演じる前に、病室で勘三郎から「実は俺がもう一回やりたいんだよ。いい役だろう」と言われた。「父が亡くなって初めての中村座では、古典物ならぜひお三輪をやりたいとお願いした」(七之助)こだわりの役だ。

 紛れ込んだ屋敷で女官たちにいびられまくる責め場では、好きな男に会いたい一心で耐える田舎娘のいじらしさ、けなげさを見せる。「極付幡随長兵衛」の女房お時では、中年女性の貫禄を演じてみせた。

※週刊朝日 2015年5月8-15日号
「全部父のおかげ」中村兄弟が感じた故・勘三郎の偉大さ
 常に笑顔でハキハキしているしっかり者の兄・中村勘九郎と、合間にフラリとスタジオ内を見学する自由奔放な弟・七之助──それが中村兄弟の撮影中の印象だ。しかし歌舞伎の話になると、二人とも、まっすぐで、熱い。二人に話を聞いた。

“父のおかげ”。インタビュー中、二人がもっとも口にした言葉だ。稀代の人気役者・十八世中村勘三郎の息子としてのプレッシャーをたずねると、勘九郎さんはまっすぐな眼差しでこう答えた。

「父が走り続けてくれたおかげで、普通では味わえない体験をさせてもらえた。感謝しかないですね」

 昨年6月の「コクーン歌舞伎」、7月の「平成中村座ニューヨーク公演」、そして現在、東京・浅草で上演中の「平成中村座」など、兄弟の活躍は続いている。それでも七之助さんは、「今は100対0で父のおかげ」と言い切る。

「父が愛されていない人だったら、浅草に小屋を建てさせてなんかもらえません。チケットが売れたからといって安心してはいけない。一歌舞伎役者として、本当に一生懸命やらなくてはいけない時です」

 その言葉に、勘九郎さんも強くうなずく。

「役をやる大変さは常に感じているし、今後もそれは変わらない。100年後、200年後のお客様に喜んで見てもらえる演目を、僕たちで残していかなくては」

 4月中旬、浅草の「平成中村座」をたずねた。古典演目を丁寧に演じる二人の芝居に、拍手が鳴りやまない。一方で、「オヤジの時は……」と、勘三郎さんと比べるおしゃべりも聞こえてきた。

 名門を背負う宿命──二人はそれをまっすぐ受け止め、成長の糧にするだろう。

※週刊朝日 2015年5月8-15日号
平成中村座 陽春大歌舞伎 若手で古典に取り組む
 平成中村座は故十八代目中村勘三郎が自ら構想し実現させた劇場だが、没後早くも3年目のこの春、亡父の志を継ぐ勘九郎・七之助兄弟の手で再開場された。江戸の芝居小屋の空間を仮設劇場として再現。その臨場感の中に観客との連帯を現代の歌舞伎によみがえらせるのが勘三郎の求めたことだが、今回は古典の有名作が並ぶ。若い一座で、まずしっかりと古典に取り組もうという姿勢がうかがえる。

「魚屋宗五郎」の勘九郎の宗五郎(左)と七之助のおはま(C)松竹
 上置きの座頭として兄貴分の橋之助が弁慶、勘九郎の富樫、七之助の義経という「勧進帳」が注目の的だが、橋之助の時代物役者としての骨格の大きさ、勘九郎の規矩(きく)正しい正統派の演技、七之助の気品が長所として挙げられる。

 勘九郎は河竹黙阿弥の生(き)世話物「魚屋宗五郎」に挑戦。持てる力を発揮して好演だが、後は緻密に出来上がったチームプレーの綾(あや)をいかに段取りに追われず我が物とするかだ。七之助の女房、亀蔵の老父ほか好助演。「磯部邸」で詫(わ)び金を受け取るくだりが飛んでしまったのは所見日(2日)だけのミスだろう。

 七之助の出し物は「妹背山(いもせやま)婦女(おんな)庭訓(ていきん)」の「御殿」。前段をカットした「姫戻り」からの上演だから初めての観客には筋がのみ込めまいが、七之助のお三輪は仁(にん)にも合い、将来が楽しみな好演。

 これらは演出が完全に出来上がった演目だが、「幡随長兵衛」の序幕「村山座」の場は芝居小屋という場面と平成中村座の場内を一体化させ、この劇場ならではの面白さが存分に発揮される。橋之助の長兵衛がここでも立派な座頭ぶり。勘九郎らの「高坏(たかつき)」でも舞台後方を開け放って本物の夜桜を見せるのが効果満点。開幕の「双蝶々(ふたつちょうちょう)」は弥十郎と獅童の力士ぶりがいい。浅草寺境内で5月3日まで。

(演劇評論家 上村 以和於)
[評]平成中村座 陽春大歌舞伎
勘九郎と七之助、初役で共演

 亡き中村勘三郎の遺志を継ぐ平成中村座。仮設の芝居小屋ならではの親密な空間の中で、様々な古典歌舞伎が大衆性を取り戻していくのが面白い。


 昼の部「魚屋宗五郎」は、中村勘九郎の宗五郎と中村七之助の女房おはまが初役で共演する。

 妹が奉公先で手討ちにされた宗五郎は、禁酒の誓いを破って旗本屋敷へ踏み込む。次第に酔いが回っていく過程が見どころだが、勘九郎は酒を飲んでも酔いきれない沈痛な気持ちを忘れず、滑稽な内にも鋭敏なところがある。

 「矢でも鉄砲でも持ってきやァがれッ」と息巻く花道の引っ込みも若さみなぎる。正気に戻ってからの述懐は、七五調の名台詞ぜりふをもう少し声量たっぷり聞かせたい。勘九郎らしい誠実な青年像を見ていると、どんな運命の前にも屈服せざるをえない人間というものが愚かしくとも愛いとおしく思われる。

 七之助のおはまは化粧気のない世話女房を体当たりで演じ、台詞も小気味よく、女方としての器量をまた一つ大きくした。中村いてうが子分の三吉に起用されて一門で息の合ったところを見せる。親父の太兵衛は片岡亀蔵が好演。宗五郎に過ちを詫わびる磯部主計之助かずえのすけは中村獅童で、身分を超越した殿様の存在感がある。家老の浦戸十左衛門は坂東弥十郎が引き受けて手堅い幕切れになった。(演劇評論家 大矢芳弘)

――5月3日まで。浅草寺境内の平成中村座。
(評・舞台)平成中村座 勘九郎、初役と思えぬ充実
 中村勘三郎が没して2年半、最後の舞台だった平成中村座が浅草に帰ってきた。中村橋之助を上置きに、中村勘九郎・七之助兄弟が古典演目を並べての大入りは、何よりの孝養だろう。

 昼の「魚屋宗五郎」は、勘九郎が江戸の世話物の骨法を守って、慎み深い前半がとくにいい。妹の死の真相を知って禁酒を破る眼目も、初役とは思えぬ充実だが、時に現代語調が混じるのが惜しい。七之助の女房、片岡亀蔵の父、坂東新悟のおなぎ(18日からは中村児太郎)らのアンサンブルも健闘。

 夜の「妹背山」御殿は七之助のお三輪が哀れ深く、輪郭のはっきりとした好演。父は白木の大道具だったが、古風な黒塗り。演じ方は文楽に則(のっと)った坂東玉三郎の新演出を踏襲する。官女のいじめの後、すぐに嫉妬の感情を爆発させるが、そこまでにくよくよ悩む一人舞台のある伝統的な演出でも見てみたい。

 昼は他に、橋之助が東京で初めて弁慶を演じる「勧進帳」。武人の面影濃厚な勘九郎の富樫ともども、見た目の迫力に比して演技は柔らかい。「角力場」は、坂東弥十郎が行き届いた濡髪。中村獅童の放駒と与五郎は、歌舞伎をはみ出した現代風の造形に個性がある。

 夜は他に、勘九郎の軽やかな「高坏」と、劇場の機構をいかした「極付幡随長兵衛」で、芝居小屋の中の喧嘩(けんか)騒ぎを臨場感あふれる工夫で面白く見せる。

 橋之助の長兵衛は、せりふには身分の意識や言い回しの妙が足りないが、貫禄十分で無言の思い入れが効き、仕立て下ろしの羽織袴(はかま)に着替えるくだりなど、男子の本懐ともいうべきか。

 昼夜とも、勘三郎の部屋子の中村鶴松はもちろん、名題昇進の中村いてう、芸達者な中村橋吾らが抜擢(ばってき)され活躍している。(児玉竜一・歌舞伎研究)

 5月3日まで。
五稜郭では桜が咲いたようです。東京では、予報に最高気温28度と聞き及んだんだけど、本当(汗)?

北海道
五稜郭 夜桜満開
 ゴールデンウィーク初日の25日、函館市の五稜郭公園で、満開となった桜の夜間電飾が始まった。観光客らが、幻想的に浮かび上がった桜を楽しんだ。

 ソメイヨシノなど桜約1600本がある五稜郭公園について、函館地方気象台は24日に満開と発表した。満開は2002年の4月21日に次いで、史上2番目に早い。公園全体が桜色に染まり、多くの花見客が訪れている。午後7時からは公園南側の一角に提灯型の電飾数百個がともされ、夜空に桜が浮かび上がる。

 夜間電飾は平日は午後9時まで、土日祝日は午後10時までで、5月17日まで。

岩手
宮古港海戦学ぶ講座
江戸から明治へと時代が移る戊辰戦争で宮古を舞台に繰り広げられた宮古港海戦を学ぶ講座がきょう行われました。
これは宮古港の開港400周年を記念し、市民有志で結成された「宮古海戦組」が今回初めて企画したものです。戊辰戦争の終盤の明治2年、旧幕府軍は宮古湾に停泊していた新政府軍の軍艦を奪う作戦を決行し、失敗に終わりました。新選組の土方歳三も参加した宮古港海戦です。講座には子供たちを中心におよそ50人が参加し、紙芝居と歌を交えながら戦いの様子が紹介されました。宮古海戦組は「宮古港が歴史的な戦いの舞台であったことをPRしたい。」と話していました。
福島
若松市民参加舞台「浮かれ勧進帳」制作発表
 会津若松市民が3年に1度、地域の人物や事柄をテーマに制作、上演する第7回市民参加のてづくり舞台「浮かれ勧進帳~米騒動悲恋道行(こめさわぎこいのみちゆき)~」の制作発表が25日行われた。大正時代の米騒動を背景に、芝居に打ち込む若者の姿と恋を描く舞台。8月1、2の両日公演する。
 会津若松文化振興財団の主催、福島民報社など後援。公募で選ばれた会津地方の小学生から60代までの男女約40人が参加し、昨年12月から稽古を重ねている。現代劇の繊細な演技に歌舞伎や大衆演劇の要素、ユーモア、大正ロマンの雰囲気を取り入れる。市民が着物などの衣装を提供している。
 公演会場となる會津風雅堂で行われた制作発表では長谷川守夫財団理事長が「公演に向け一丸となって練習している。多くの人に見てほしい」とあいさつした。森田寅運営委員長に続き、脚本・演出の佐藤雅通・大沼高教諭が「戊辰戦争後の復興には人々の芸術・文化に対する熱意も一役買った。震災・原発事故からの復興に向かう心意気を示すことにもつながる」と説明した。
 主役の1人を務める市内の主婦鈴木明実さん(64)は「大正時代の若松を楽しんでほしい」と呼び掛け、最年少の坂下南小6年、佐藤瞳さん(11)は「お芝居が好きなので、楽しんで演じたい」と意欲を語った。
 公演は8月1日午後6時半と同2日午後1時半に開演する。5月9日に會津風雅堂などで前売りを開始する。前売り券は一般1500円、大学生以下500円(当日は各200円増し)。問い合わせは會津風雅堂 電話0242(27)0900へ。

小峰城跡修復4年ぶりに一般開放・白河
 東日本大震災で石垣が崩落するなどした白河市の小峰城跡(国指定史跡)の修復工事が一部で完了し、市は19日、4年ぶりに城跡の一般開放を再開した。三重櫓(やぐら)までの見学ルートが通れるようになり、大勢の市民が市のシンボル復活を喜んだ。
 JR白河駅北側にある小峰城跡を取り囲む石垣は総延長約2キロ。10カ所計160メートル(7000個)にわたり崩れたほか6カ所で石の隙間が広がるなどの被害を受けた。城郭の遺構を活用した公園として親しまれたが、本丸の敷地への立ち入りはできなくなった。
 市は2011年12月に修復作業に着手し、本丸敷地内の三重櫓に至るルート付近3カ所を優先して実施した。昨年12月、最大の崩落箇所だった本丸南面(幅45メートル、高さ10メートル)の積み直しを終了。伝統工法を用いて崩れた石を積んだほか、新たに白河産の石も用いた。
 1991年に復元された三重櫓も地震の被害を受け、壁などの修復が3月までに完了した。石垣の全面修復にはまだ時間を要するが、櫓までの散策ルートが復活したことで集客向上へ大きな弾みとなる。
 同市の長田シゲ子さん(77)は「石垣が崩れた時は、言葉にならないぐらいしょんぼりしていた。立派に修復されて、街もにぎわってうれしい」と喜んだ。復興式典に出席した鈴木和夫市長は取材に「小峰城跡に再入場できるようになったことは、白河の復興のシンボルとなる」と語った。
 小峰城は、初代白河藩主の丹羽長重が大改修をして完成。交通要衝の重要拠点として役割を担ったが、戊辰戦争で大部分を失った。

東京
江戸の消防㊦ 幕末、町火消しの隆盛
 1657(明暦3)年正月18~19日の大火は江戸最大のものであった。火元は本郷の本妙寺。折からの北西風にあおられ、火勢は外濠の内側と深川の一帯、江戸の街の6割を灰じんに帰した。江戸城の天守、本丸、二の丸を全焼。大名屋敷500カ所、旗本屋敷770カ所、寺社350カ所、橋60カ所、町屋400カ所を焼き尽くした。振り袖火事と呼ばれるこの火事は、本妙寺の大施餓鬼に亡き娘の供養に燃やした振り袖が舞い上がり本堂の屋根に着火したといわれる。焼死者10万人を超える大惨事に至った。  この大火から63年後、享保の改革を担った町奉行、大岡忠相によって1718(享保3)年に町火消しが創設される。1720(享保5)年には、いろは48組、深川16組が組織された。総勢1万人分の費用は町負担とされた。  編成は頭取、纒持ち、梯子持ち、道具持ち、平人(鳶口)、工手人足(火事場には出動しない)である。火事のとき、鳶など火消し人足は町内の自身番に集結。頭取の指揮のもと現場に駆けつけた。装束は刺子長半てんに猫頭巾を着用し、水をかぶって消火にあたった。  江戸の街が参勤交代などで巨大化し、人口が100万人を超える世界最大の都市にまで発展すると消防能力が追いつかなくなる。機能が徐々に定火消しから、町火消しに委ねられることになる。  1747(延享4)年、江戸城二の丸火事では、初めて町火消しが城内に入り、消火にあたった。幕末には定火消し屋敷はついに1カ所になって消火は完全に町火消しに依存することとなった。 鳶頭・新門辰五郎  新門辰五郎は町火消しを象徴する存在である。1800(寛政12)年江戸に生まれ、浅草寺の塔頭、伝法院新門の門番であったので新門を名乗る。  浅草十番組「を」組頭であった町田仁右衛門に身を寄せ、頭角を現す。娘をもらい養子となり「を」組を継承する。  一橋慶喜が京都の禁裏守護を命ぜられると、ともに上京、二条城の警備にあたる。徳川慶喜が謹慎中は、寛永寺の警護。水戸、駿府に移住すると同行し警護にあたった。1875(明治8)年75歳で没する。  ちなみに江戸の三大大火は、明暦の大火、目黒行人坂の大火=1772(明和9)年、丙寅の大火(高輪車町)=1806(文化3)年である。

静岡
幕末に思いをはせ “坦庵のパン”に舌鼓
◆伊豆の国市でフェスタ

 幕末の韮山代官・江川坦庵(たんなん)(一八〇一~五五年)が日本で初めて焼いたとされるパンを再現するパンフェスタが十二日、伊豆の国市の代官屋敷江川邸であった。来場者は、幕末に思いをはせながら「パン祖」のパンの味を楽しんだ。

 世界文化遺産登録を目指す韮山反射炉の建造を指揮したことでも知られる坦庵の没後百六十年を記念し、江川家の資料を管理する江川文庫が初めて企画。坦庵がつくったレシピ通りに小麦粉と塩、水、酒種を混ぜた生地を、江川邸の土間にある石窯と鉄鍋を使って十~十五分焼き、来場者に振る舞った。

 パン作りと解説を担当した石渡食品(函南町)の石渡浩二社長(63)は「坦庵公はパンや反射炉以外にも品川台場築造などで今の時代の礎をつくった人。業績を広く知ってもらいたい」と話した。

(山田晃史)
 かちかちなんで、そんなに美味しいもんじゃないです。でも、坦庵公のパン、伝えて欲しいです。

幕末の史跡で歴史に触れる、レトロな「下田」で週末大人旅
史跡めぐりで黒船来航をしのぶ


伊豆半島南端の街、下田。夏は海水浴客で賑わい、冬はいち早く咲く水仙やアロエの花目当てに観光客が訪れます。しかし、意外と忘れられがちなのが、下田は史跡の街だということ。1854年の日米和親条約が締結された後、日本で函館と並んで初めて開港されたのがこの下田なのです。

【下田】幕末の史跡をたどる週末大人旅
(C)Flickr/bryan…

市街地の一角には、風情たっぷりのレトロな通りがあります。「ペリーロード」と呼ばれるこの道は、ペリーが日米和親条約を締結するために行進しました。現在では、この道沿いにカフェや土産物屋などが軒を連ねています。

【下田】幕末の史跡をたどる週末大人旅
(C)Flickr/Izu navi

そして、日米和親条約が締結された場所が、この了仙寺です。5月下旬には1000株のアメリカジャスミンが見ごろを迎え、境内は濃厚な甘い香りで包まれます。

ほかにも、米国総領事のハリスが滞在した玉泉寺や、日露和親条約が調印された長楽寺、ハリスに仕えて非業の死を遂げた唐人お吉の菩提寺である宝福寺など、史跡の見どころは満載。幕末ファンが訪れたくなるスポットが目白押しです。

毎年5月には黒船祭が開催され、パレードが行われるほか、時代衣装を着て街を散策することもできます。2015年は5月15~17日に開催されるので、イベントを狙って訪れてみるのもよいでしょう。
絶景そして海の幸

もちろん、下田は史跡以外にも観光スポットがたくさんあります。

【下田】幕末の史跡をたどる週末大人旅
(C)Flickr/hiro

爪木崎の灯台から望める雄大な大海原を前にすると、日常の疲れが吹き飛びそう。

【下田】幕末の史跡をたどる週末大人旅
(C)Flickr/bryan…

下田ロープウェイに乗り、寝姿山から見下ろす風景は、伊豆三景のひとつともいわる絶景です。頂上にある愛染堂は縁結びのパワースポットとしても知られています。

また、下田は海の幸がおいしいことでも有名です。名物のキンメダイは、煮つけで味わうのが定番ですが、ちょっと変わり種のメニューといえば、キンメダイのフライが入った「下田バーガー」です。

幕末の史跡で歴史に触れる、レトロな「下田」で週末大人旅
(C)Flickr/Yamaguchi Yoshiaki

くせのないキンメダイが、ソースとよく合います。ふわふわの食感で幸せな気分になりますよ!下田バーガーは、道の駅開国みなと内にある「Ra-maru」で味わうことができます。

史跡に絶景に食にと、さまざまな観光資源に恵まれた下田。5月の下田も魅力満載です。

[伊豆下田観光ガイド]
(今井明子)

福岡
『福岡県の幕末維新』 アクロス福岡文化誌 編纂委員会編  (海鳥社・1944円)
 ペリー来航から明治維新にかけての激動期。時代の中心にいた薩摩藩や長州藩ではなく、現在の福岡県内にあった福岡藩、小倉藩、久留米藩、柳川藩の動向に目を向けた。福岡県の歴史や文化が地域性に富んでいる遠因が見えてくる。
 尊皇攘夷(じょうい)か、公武合体か。佐幕か、倒幕か。各藩は揺れた。久留米藩で尊攘派志士の真木和泉が一時活躍した一方で、佐幕派の小倉藩は第2次長州戦争で長州藩に敗れた。戊辰戦争で財政が悪化した福岡藩は「贋札・贋金事件」に手を染め、事実上の廃藩に。柳川藩は明治維新後の士族の反乱を巧みに抑えた。ひとくくりにできない複雑な歴史が福岡県にはある。
 各藩で活躍した人物を紹介するコラムも載せた。福岡藩における明治維新の語り部となった早川勇。新選組を離脱し、後に実業家となった久留米藩の篠原泰之進。あまり知られていない人物にも光を当てた。
 アクロス福岡文化誌の第9巻。同誌編纂(へんさん)委員会長を務める丸山雍成・九州大学名誉教授(日本近世史)ら県内の研究者や学芸員計12人が執筆を担当した

=2015/04/26付 西日本新聞朝刊=

エンターテインメント
沖田総司の強さ、はかなさ 宝塚歌劇雪組公演「星影の人」
 5月2日からの博多座(福岡市博多区下川端町)は宝塚歌劇雪組公演。今年1月にお披露目された新生雪組のトップスター早霧せいなは長崎県佐世保市生まれ、トップ娘役咲妃みゆは宮崎県高鍋町生まれで、宝塚歌劇初の九州出身トップコンビが博多座の舞台に立つ。25日まで。
 第1部は“日本物の雪組”にふさわしいミュージカル・ロマン「星影の人‐沖田総司・まぼろしの青春‐」。1976年に汀夏子主演で雪組で初演された名作の再演だ。
 舞台は幕末の京都。新撰組一番隊組長の沖田は祇園の芸妓玉勇と出会い、淡い恋に落ちる。沖田は病に倒れ、2人に残された時間はあまりにも短かった…。虚実が交じった物語が展開する。
 「沖田がどう戦い、どう恋をして死んでいったのか、強さとはかなさを併せ持つ沖田を表現したい」と早霧。「艶やかで魅力的な早霧先輩に少しでも近づきたいと思っています」と咲妃。
 第2部はファンタスティック・ショー「ファンシー・ガイ!」。パリ、ローマ、ウィーン、マドリードなどを舞台に華麗なダンスを繰り広げる。客席に降りてファンと交流する場面では九州弁を披露する機もうかがう。
 A席8800円、特B席7800円、B席6200円、C席4000円。博多座電話予約センター=092(263)5555。
平成中村座を見たのは初めて。勘三郎さんの生きていた時に見ておけばよかった(;_:)。

平成中村座 陽春大歌舞伎
一、妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)
三笠山御殿

杉酒屋娘お三輪 中村 七之助
漁師鱶七実は金輪五郎今国 中村 獅 童
橘姫 中村 児太郎
豆腐買娘お柳 波野 七緒八
豆腐買おむら 中村 勘九郎
烏帽子折求女実は藤原淡海 中村 橋之助
二、高坏(たかつき)

次郎冠者 中村 勘九郎
高足売 中村 国 生
太郎冠者 中村 鶴 松
大名某 片岡 亀 蔵
三、極付 幡随長兵衛(ばんずいちょうべえ)
「公平法問諍」

幡随院長兵衛 中村 橋之助
女房お時 中村 七之助
出尻清兵衛 中村 勘九郎
伊予守源頼義 坂東 新 悟
御台柏の前 中村 児太郎
子分極楽十三 中村 国 生
同 雷重五郎 中村 宗 生
同 閻魔大助 中村 宜 生
同 笠森団六 中村 鶴 松
近藤登之助 片岡 亀 蔵
唐犬権兵衛 中村 獅 童
水野十郎左衛門 坂東 彌十郎

夜の部は、重厚な時代物『妹背山婦女庭訓』より、変化に富んだ物語の展開が魅力の「三笠山御殿」で幕開き。十七世勘三郎が復活させた軽妙洒脱な舞踊『高坏』は下駄タップという楽しい趣向で。俠客として知られる幡随院長兵衛を取り上げた様々な演目の中でも決定版といわれる『幡随長兵衛』は、江戸の町奴と旗本の姿を鮮やかに描いた黙阿弥の名作です。

 『妹背山婦女庭訓』は何と蘇我入鹿が敵役という時代もの。求という青年に片想いをしていたお三輪が、迷い込んだ三笠山御殿で官女達にさんざんなぶられた上、藤原淡海(求の真の顔)の部下である金輪五郎に、入鹿への復讐のために必要だからと殺されてしまう……うーん、『トゥーランドット』のリウに比肩する、低い身分のために犠牲になる可愛そうな娘。

『高坏』は花見に来たお殿様と太郎冠者次郎冠者が繰り広げる喜劇と下駄タップ。次郎冠者の勘九郎が何ともかわいい。

そして『幡随長兵衛』。歌舞伎が一番有名なんだろうけど、落語でも『芝居の喧嘩』に出てくる。幡随院長兵衛ら町奴と白柄組の水野十郎右衛門らの抗争。

 勘九郎がどんどんお父さんに似てくるのが嬉しい。本人、すごくプレッシャーだと思うけど、でも、勘三郎の名を継げるよう精進しているんだよね。
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