新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
こんばんは、白牡丹です。幕末歴史ブログから落語鑑賞ブログに変質しかけているので、久しぶりに幕末ニュースねたを掘ってみます。だいぶさぼったので、最後の幕末ニュースから収集しそこねたものがあるかも知れませんが、その点はご容赦ください。
北海道
箱館奉行所開館1年 幕末ブームで33万人
福島
「白河口の戦い展」 白河・楽蔵で30日〜
少年隊慰霊「顕彰祭」で剣舞披露 二本松
京都
京都新選組同好会、祇園祭でパレード
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】
人命最優先の「鉄道の父」
維新から積み上げた技術
中国高速鉄道の事故のすさまじさにも驚くが、もっと声を失ったのは、生存者の確認や救出もそこそこに、営業を事故翌々日に再開した手早い措置であろう。
事故原因の特定や、犠牲者の総数など、利用者を安心させる措置を何ひとつ取っていない点も、日本人の常識では考えられないことだらけだ。なかでも、高架から無残にぶらさがっている車両をこともなげに下に突き落とす乱暴な手法や、破壊された車両を重機で穴のなかに埋め込む作業は、どうみても事故原因の真相を突き止めようとする姿勢から遠いものだ。
しかも、スポークスマンの言い草がふるっている。下が泥土のために救助作業を促進できないので、車両を穴に埋めてその上に土をまき、足場を固めてから救出するために車両を破壊して埋めたというのだ。
世界最速を自慢する国らしく事故処理も超特急であるが、事故原因の特定や現場検証のやり方のお粗末さはたとえようもなく恥ずかしい。
そもそも新幹線や高速鉄道の技術などは一朝一夕に出来上がるはずもない。日本の場合も、明治の新時代から長い年月をかけて積み上げてきた高いテクノロジーがあって初めて成り立ったのだ。
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日本の鉄道を考えるとき、すぐ脳裏に浮かぶのは、伊藤博文や井上馨(かおる)とともにイギリスに密航した「長州ファイブ」の一人、井上勝である。
長州藩士の三男に生まれた井上勝は、文久3(1863)年に脱藩して渡英し、明治元(1868)年までロンドンに留学した。そのユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)で鉱山・鉄道・土木を学んでいる。帰国してから1年後に造幣頭(ぞうへいのかみ)を兼ねて鉱山正(こうざんのかみ)となり、すぐ鉄道建設にとりかかった。
以後の井上の足跡は、そのまま日本の鉄道の道のりと重なるといってよい。明治7年に鉄道頭(てつどうのかみ)に再任された勝は、自ら大阪に出張して阪神間と京阪間の鉄道敷設工事にあたった。その後も工部少輔や鉄道局長、技監や工部大輔と累進し、鉄道建設の意味を旧友の伊藤博文や井上馨に訴え続け、人や技術面での外国への依存から脱却すべきことを説いた。
このように、明治の日本でも外国の技術力から離れるには10年以上を閲(けみ)している。こうした慎重な動きを考えると、今回の中国の純国産なる高速鉄道技術の危うさが、ますます見えてくるというものだ。
井上勝は、明治16年に中山道経由と決定した東京-京都間の鉄道路線を東海道に変更させた。内閣直属となった鉄道局長官として、旧友伊藤を説いての結果である。さらに東京-神戸の全線開通も、先頭に立って工事を督励した勝の功績にほかならない。鉄道事業が内務省なり逓信(ていしん)省なりに移っても、鉄道庁や鉄道局の長官としていつも井上の姿があった。鉄道事業における彼の後継者は、原敬(はらたかし)と後藤新平にほかならない。
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勝は、熱心な鉄道国有化論者であり、早くも鉄道局長時代の明治14年には、民営鉄道の利益優先主義が日本の鉄道発展の利益にならないと論じた。また、24年の「鉄道政略に関する議」は、幹線鉄道の国有化を主張し、やがて鉄道敷設法や鉄道国有法を生むことになった。
鉄道敷設法をめぐっては、民営鉄道こそが鉄道の発展を促すという考えも根強く、鉄道各社の株主だった議員たちが法案の成立に抵抗した結果、同法は民営鉄道促進の余地を広げるために修正され、怒った井上は26年に鉄道庁長官を辞職する。
ともかく風貌から「井上おさる」と渾名(あだな)された勝は、同僚に親しまれただけでなく、民営化論者から蛇蝎(だかつ)のように憎まれたが、「おさる」の鉄道への情熱は誰もが認めるところであった。晩年は機関車の国産化に意を傾け、鉄道院(後の国鉄)顧問として渡欧し、青春の思い出の地ロンドンで客死した。
鉄道に生涯を賭ける
最初から最後まで鉄道一筋の人生だった井上勝からすれば、今回の中国の事故処理は言語道断であろう。いくら鉄道事業に熱意を燃やしたといっても、彼には人命を軽視する発想など微塵(みじん)もなかった。ナショナリズムの熱に浮かれた青春を清算しながら鉄道事業に生涯を賭けた井上勝の延長線上に、人命と安全を重視する現在のわが鉄道技術があることを日本人は誇りに思うべきだろう。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】井上勝
いのうえ・まさる 天保14(1843)年、長州藩士の三男として生まれる。文久3(1863)年に脱藩し、英国に留学。鉄道・鉱山技術を学び、明治元(1868)年に帰国した。新政府の下で鉄道頭、鉄道庁長官などを歴任し、5年の日本初路線(新橋-横浜)開業など鉄道事業の発展に力を尽くした。43(1910)年、死去。
【幕末から学ぶ現在(いま)】
(123)東大教授・山内昌之 大山捨松
幕末明治で一二を争う美人ではないかと思う、捨松さん。
北海道
箱館奉行所開館1年 幕末ブームで33万人
【函館】函館市が国特別史跡・五稜郭内に復元した箱館奉行所が29日、開館1年を迎える。幕末19 件ブームの追い風もあり、28日までに初年度目標(15万人弱)の2倍を超える33万1368人が入館した。
箱館奉行所は1864年(元治元年)に幕府が北方警護のため建設。68年(明治元年)には旧幕府脱走軍が占拠して箱館戦争の舞台になり、71年(同4年)、明治政府により解体された。
昨年7月、市が27億円をかけて139年ぶりに史実に基づき復元した。
3月の東日本大震災の直後には団体客のキャンセルが相次ぎ、客足が伸び悩む時期もあったが、ゴールデンウイーク期間中の5月3日には、1日で最高の4658人の入場者を記録した。
福島
「白河口の戦い展」 白河・楽蔵で30日〜
白河市中町の集客施設「楽蔵(らくら)」内の白河見聞館で30日から企画展「戊辰戦争白河口の戦い展」が始まる。
歴史愛好家でつくる戊辰東北戦争研究会が企画した。
慶応4(1868)年に約百日間にわたり白河で繰り広げられ、死者約千人を出した激戦がテーマ。
歴史的な流れを解説、実際の戦いで用いられた砲弾や参戦した新撰組隊士が使ったとされる防具の鉢金、手甲を展示する。
会津藩主松平容保の直筆の和歌も並ぶ。
時間は午前9時から午後5時まで。
少年隊慰霊「顕彰祭」で剣舞披露 二本松
戊辰戦争で散った二本松少年隊を慰霊する「二本松少年隊顕彰祭」は28日、二本松市の二本松北小で行われた。
二本松城が落城した1868(慶応4)年7月29日にちなみ毎年この時期に催しているが、放射線量を考慮し、学校内体育館を会場にした。
県内外から約300人が詰め掛けた。
二本松少年隊顕彰会長の三保恵一市長が「少年隊の精神は二本松の誇り」、旧二本松藩主の丹羽家18代当主丹羽長聡氏が「被災を乗り越えることが少年隊の弔いになる」とあいさつした。
福島岳風会二本松吟詠会が「戒石銘」「二本松少年隊を弔う」を吟じた。
二本松北小剣舞クラブの21人は縦じまのはかまに紫色のたすきを掛け、男舞といわれる剣舞「二本松少年隊」を舞った。
岳下小居合道部の12人は居合を披露した。
二本松南小は舞踊部の23人が登場。
紫色のはかまに金銀地の扇子を使う鮮やかな女舞「二本松少年隊」を踊った。
最後に二本松剣友会が日本剣道形を披露した。
京都
京都新選組同好会、祇園祭でパレード
全国の新選組愛好家たちでつくる京都新選組同好会(本部・京都市中京区)は16日、だんだら模様の羽織に高げたをはいた隊士姿になって祇園祭でにぎわう京都市中心部などを練り歩き、沿道の人たちを楽しませた。
元治元(1864)年、祇園祭の宵々山から宵山にかけて倒幕派の集まる旅館に新選組が討ち入った「池田屋騒動」にちなみ、毎年行っている。
36回目の今回は35人が参加。同市中京区の壬生寺で隊士の墓を参った後、「誠」の旗を掲げて東山区の八坂神社までの約3・5キロをパレードし、隊士たちのかつての雄姿をしのんだ。
また、東日本大震災を受け、今回参加できなかった福島県会津若松市の愛好家たちの思いも込め、同神社では復興を祈願する口上が述べられた。
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】
(124)東大教授・山内昌之 井上勝
人命最優先の「鉄道の父」
維新から積み上げた技術
中国高速鉄道の事故のすさまじさにも驚くが、もっと声を失ったのは、生存者の確認や救出もそこそこに、営業を事故翌々日に再開した手早い措置であろう。
事故原因の特定や、犠牲者の総数など、利用者を安心させる措置を何ひとつ取っていない点も、日本人の常識では考えられないことだらけだ。なかでも、高架から無残にぶらさがっている車両をこともなげに下に突き落とす乱暴な手法や、破壊された車両を重機で穴のなかに埋め込む作業は、どうみても事故原因の真相を突き止めようとする姿勢から遠いものだ。
しかも、スポークスマンの言い草がふるっている。下が泥土のために救助作業を促進できないので、車両を穴に埋めてその上に土をまき、足場を固めてから救出するために車両を破壊して埋めたというのだ。
世界最速を自慢する国らしく事故処理も超特急であるが、事故原因の特定や現場検証のやり方のお粗末さはたとえようもなく恥ずかしい。
そもそも新幹線や高速鉄道の技術などは一朝一夕に出来上がるはずもない。日本の場合も、明治の新時代から長い年月をかけて積み上げてきた高いテクノロジーがあって初めて成り立ったのだ。
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日本の鉄道を考えるとき、すぐ脳裏に浮かぶのは、伊藤博文や井上馨(かおる)とともにイギリスに密航した「長州ファイブ」の一人、井上勝である。
長州藩士の三男に生まれた井上勝は、文久3(1863)年に脱藩して渡英し、明治元(1868)年までロンドンに留学した。そのユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)で鉱山・鉄道・土木を学んでいる。帰国してから1年後に造幣頭(ぞうへいのかみ)を兼ねて鉱山正(こうざんのかみ)となり、すぐ鉄道建設にとりかかった。
以後の井上の足跡は、そのまま日本の鉄道の道のりと重なるといってよい。明治7年に鉄道頭(てつどうのかみ)に再任された勝は、自ら大阪に出張して阪神間と京阪間の鉄道敷設工事にあたった。その後も工部少輔や鉄道局長、技監や工部大輔と累進し、鉄道建設の意味を旧友の伊藤博文や井上馨に訴え続け、人や技術面での外国への依存から脱却すべきことを説いた。
このように、明治の日本でも外国の技術力から離れるには10年以上を閲(けみ)している。こうした慎重な動きを考えると、今回の中国の純国産なる高速鉄道技術の危うさが、ますます見えてくるというものだ。
井上勝は、明治16年に中山道経由と決定した東京-京都間の鉄道路線を東海道に変更させた。内閣直属となった鉄道局長官として、旧友伊藤を説いての結果である。さらに東京-神戸の全線開通も、先頭に立って工事を督励した勝の功績にほかならない。鉄道事業が内務省なり逓信(ていしん)省なりに移っても、鉄道庁や鉄道局の長官としていつも井上の姿があった。鉄道事業における彼の後継者は、原敬(はらたかし)と後藤新平にほかならない。
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勝は、熱心な鉄道国有化論者であり、早くも鉄道局長時代の明治14年には、民営鉄道の利益優先主義が日本の鉄道発展の利益にならないと論じた。また、24年の「鉄道政略に関する議」は、幹線鉄道の国有化を主張し、やがて鉄道敷設法や鉄道国有法を生むことになった。
鉄道敷設法をめぐっては、民営鉄道こそが鉄道の発展を促すという考えも根強く、鉄道各社の株主だった議員たちが法案の成立に抵抗した結果、同法は民営鉄道促進の余地を広げるために修正され、怒った井上は26年に鉄道庁長官を辞職する。
ともかく風貌から「井上おさる」と渾名(あだな)された勝は、同僚に親しまれただけでなく、民営化論者から蛇蝎(だかつ)のように憎まれたが、「おさる」の鉄道への情熱は誰もが認めるところであった。晩年は機関車の国産化に意を傾け、鉄道院(後の国鉄)顧問として渡欧し、青春の思い出の地ロンドンで客死した。
鉄道に生涯を賭ける
最初から最後まで鉄道一筋の人生だった井上勝からすれば、今回の中国の事故処理は言語道断であろう。いくら鉄道事業に熱意を燃やしたといっても、彼には人命を軽視する発想など微塵(みじん)もなかった。ナショナリズムの熱に浮かれた青春を清算しながら鉄道事業に生涯を賭けた井上勝の延長線上に、人命と安全を重視する現在のわが鉄道技術があることを日本人は誇りに思うべきだろう。(やまうち まさゆき)
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【プロフィル】井上勝
いのうえ・まさる 天保14(1843)年、長州藩士の三男として生まれる。文久3(1863)年に脱藩し、英国に留学。鉄道・鉱山技術を学び、明治元(1868)年に帰国した。新政府の下で鉄道頭、鉄道庁長官などを歴任し、5年の日本初路線(新橋-横浜)開業など鉄道事業の発展に力を尽くした。43(1910)年、死去。
【幕末から学ぶ現在(いま)】
(123)東大教授・山内昌之 大山捨松
幕末明治で一二を争う美人ではないかと思う、捨松さん。
元祖・なでしこジャパン
7月18日の朝はいつもより早く起きた人も多かったのではないか。私も、サッカーの女子ワールドカップ(W杯)の日本代表「なでしこジャパン」とアメリカとの決勝戦を観(み)た1人である。
19日の帰国早々、初優勝を果たしたなでしこの面々は、首相官邸を訪れた。菅直人氏が祝福したのは当然としても、沢穂希(ほまれ)キャプテンに向かって「今から間に合うか分からないが勉強したい」と、彼女のリーダーシップに学びたいという趣旨の発言をしたのには驚いた。
もちろん、彼女の素晴らしい人柄と率先垂範の高い統率力は誰の目にも明らかである。しかし一国の首相がこうも簡単に、これからリーダーシップの秘訣(ひけつ)を学びたいと平然と述べるセンスにも驚くほかない。
◆運命を変えた米国留学
幕末から明治にかけて外国人に大和撫子(なでしこ)の存在感を見せつけた女性といえば、何よりも大山捨松であろう。捨松は、会津藩の家老職の家柄に生まれ、長兄が陸軍少将の山川浩、次兄が東京帝国大学総長となる健次郎である。“賊軍”の身内だった捨松の運命を変えたのは、北海道開拓使がアメリカに派遣した5人の女子留学生に選ばれたことだ。後に津田英学塾(現・津田塾大学)をつくる津田うめ(後の梅子)もそのなかにいた。女子の派遣は、アメリカの西部開拓を男子と一緒に担った女性たちのたくましさに感銘を受けた長官・黒田清隆の卓見によるものだ。
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日本初の女子留学生として米国に渡った大山捨松(国立国会図書館蔵)
捨松は、コネティカット州の高校を経て、ニューヨーク州のヴァッサー大学に進んだ。会津の籠城戦に加わったサムライの娘は、まさに才色兼備の女性であり、2年になると学年会会長に選ばれるほどの人気者であった。捨松は、大和撫子ここにありとの気概や自覚をもって多くの分野を学んだ。なかでも看護学と慈善事業への関心は生涯のものとなる。
幼くして渡米した捨松の英語は、ほとんど母語となった代わりに、津田うめも苦しむように日本語の力がかなり落ちてしまった。しかし、帰国後異常な努力で日本の文化と社会に再適応し、薩摩の陸軍軍人、大山巌(いわお)の後添(のちぞ)いに迎えられ、明治の日本で独特な輝きを放つことになった。
◆語学堪能な社交界の花形
条約改正など近代国家としての日本を確立するには、外交や政治でも能力のある女性の存在を必要とした。英語をはじめ西洋語の堪能な捨松は、独仏語を自由に駆使した大山の配偶者として、外国人が集う社交界でも花形となり、夫婦ぐるみの付き合いで信頼を得るに至った。
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日本初の女子留学生として米国に渡った大山捨松(国立国会図書館蔵)
会津若松城に砲弾を撃ち込んだ薩摩の大山との結婚は、兄の反対もあってすんなりとはいかなかった。しかし、いかにも西洋流なデートを重ねることで、日露戦争で将器を評価される巌の人柄にひかれたのである。輝くばかりの知性と社交力を併せもつ一方、“朝敵”に仕立てあげられた会津武士の娘の誇りを失わなかった大山捨松は、まさに統一国家をつくる新政府高官の妻にふさわしい存在であった。
捨松は、日本初の本格的なチャリティー・バザーを鹿鳴館で開き、最初の看護婦学校になる有志共立病院看護婦教育所を設立している。彼女には何でも日本初という形容詞がつきまとう。日清・日露の両戦争では、主人の巌が第2軍司令官や参謀総長、満州軍総司令官となり、捨松も妻として寄付金集めや婦人会活動を組織した。自ら日本赤十字社で戦傷者の看護にもあたり、政府高官夫人たちにもボランティアとして包帯を作らせた。
◆国際世論に日本の主張
特筆すべきは積極的にアメリカの新聞に投稿し、日本の主張を堂々と国際世論に訴えたことだ。なにしろ派遣軍の総司令官夫人がアメリカの学士だったのだから、明朗闊達(かったつ)な女性を愛するアメリカ人の気風に合わないはずがない。
西洋かぶれの巌とアメリカ仕込みの捨松との間には、本物の愛情もさることながら、互いへの尊敬心も潜んでいたに相違ない。
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日本初の女子留学生として米国に渡った大山捨松(国立国会図書館蔵)
アメリカで少女の時から本物と競い合った捨松には、プロのアメリカ人女性の闘争心にくじけずサッカーへの志を貫いた沢さんとも共通する要素がある。それは凛(りん)とした美しさとでもいうべきものだ。大和撫子という言葉が時空を隔てて「なでしこジャパン」という国際語として蘇(よみがえ)ったことをいちばん喜ぶのは、女性として日本とアメリカとの間に最初の橋を懸けた山川改め大山捨松なのかもしれない。(やまうち まさゆき)
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【プロフィル】大山捨松
おおやま・すてまつ 安政7(1860)年、会津藩家老の娘として生まれる。明治4(1871)年、日本初の女子留学生として津田うめら4人と渡米。名門女子大ヴァッサー大を優秀な成績で卒業し15年帰国。翌年陸軍卿の大山巌と結婚し、鹿鳴館時代の社交界で活躍。社会活動や女子教育の分野でも力を尽くした。大正8(1919)年に死去。
気分転換に深川江戸資料館に行ってきました。
暫くぶりの再訪。江戸後期の深川の商店や船宿、長屋を再現した空間に、ちょっとしたタイムトリップ気分になれます。
落語にすっかりのめりこんでいるので、もやってある猪牙船を見て「おぉ、『船徳』の若旦那は、この舟の扱いにきりきり舞いしたんだよな」とか。
私が一番好きなのは、ちょっと訳ありっぽい三味線手習い師匠のお志津さんの部屋です。

暫くぶりの再訪。江戸後期の深川の商店や船宿、長屋を再現した空間に、ちょっとしたタイムトリップ気分になれます。
落語にすっかりのめりこんでいるので、もやってある猪牙船を見て「おぉ、『船徳』の若旦那は、この舟の扱いにきりきり舞いしたんだよな」とか。
私が一番好きなのは、ちょっと訳ありっぽい三味線手習い師匠のお志津さんの部屋です。
なでしこJAPAN、W杯優勝をありがとう!!
……といいつつ、池袋演芸場に一日閉じこもる落語オタク化してる自分^_^;。
【昼の部】
「子ほめ」 三遊亭しあわせ
新作落語 川柳つくし
会社員の前世が、明智光秀とか武田信玄とか千利休とか聖徳太子とかマリー・アントワネットとか、あり得ないっしょ……まぁそれが落語(苦笑)。
ギター漫談 ぺぺ桜井
(失念) 桂文雀
小せん代演。小せん師匠は寄席でよく見られるけど自分は滅多に見られないから今日のお客さんはお得、というマクラは覚えているのだけど……この人の高座だけ意識がない(汗)。
祇園祭 橘家圓太郎
シーズンなんでテレビ番組で録画視聴が続いている「祇園祭」、生は嬉しい。京都弁のおっさんのカラスみたいな笑いとか、江戸弁の奴の祭りのお囃子とか、楽しい。
漫才 すず風にゃん子・金魚
頭にスイカの切れ端にカブトムシと朝顔が載っている飾り物(しかも「冷やし中華はじめました」の短冊付き)をつけてる金魚さん、すご過ぎる。
柳家はん治 ぼやき居酒屋
さすがに三回連続で同じネタになると、飽きますね……。
三遊亭圓丈 漫談
奥さんが韓流ドラマにはまっているというマクラから、手持ちの20ページの手帳から小咄のネタをリクエストで受け付けるという。うーん、池袋あたりで「悲しみは埼玉に向けて」とか聴きたかったんだけどなぁ。
三遊亭小円歌 三味線漫談&かっぽれ
色っぽい小圓歌師匠、大好きです。今日はかっぽれも見られて嬉しい。
古今亭菊丸 たがや
この季節の風物詩ですなぁ……ネタ自体は嫌いじゃないんだけど、あまりわくわくしなかったなぁ。マクラのかけ声ねた「黒門町」「播磨屋」などは好き。
古今亭菊志ん 湯屋番
落語を本格的に聴く前から知ってるネタなんだけど、ひょっとして生で聴いたのは初めてかも知れない。菊志んさん、汗だくで力一杯妄想する若旦那でした。
柳家小満ん 出来心
落語を本格的に聴くより遙か前、小学生の時に読んだ子供向けの落語入門書で一番好きなネタだったかも知れない「裏は花色木綿」。意外にも、泥棒が盗みに入る前の場面が長いのね。
アサダ二世 奇術
ロープねたは、何度見ても不思議。とぼけた師匠のトークも好きかも。
川柳川柳 ガーコン
生ガーコンは初めて。今日の昼席はガーコンに尽きます。あと20年も頑張っていただきたい。
【夜の部】
柳亭市也 手紙無筆
台所鬼〆 「堀之内」
台所だけに「きちんと」演じますが受けた。別の寄席では「勝手にやれ」と声がかかったそうな。
談笑師匠の「堀之内」が聞き慣れている自分には、そんなにあぶなくもない(爆)噺だった。
柳家三之助 「金明竹」
中橋の加賀屋佐吉のお遣いで来た人の関西弁がなかなかに元気よくてよかった。
ホンキートンク 漫才
見るたびにちょっとずつ違うネタを織り込んではいるのだけど、ここのところよく見ているから、ちょっと飽きたかも。
五明楼玉の輔 「生徒の作文」
マクラの落語二世ネタ、面白かったです。作文そのものは……うーん、どこかで聴いていたからか、それほど(汗)。
柳家三三 「高砂や」
ここから夜席がどっかんどっかん面白くなりました。三三師匠は、生でお会いするたびにどう展開するかわからない、わくわくさせてくれる方ですね。
ホテルの挙式→洋食のご馳走→「ハムかつ」という八五郎の連想が昭和30年代後半生まれの自分にはツボです……夕食のメインおかずがハムかつだって晩もありましたもの。
京成電車の高砂駅がネタの入れ込みもありました。池袋演芸場だからわかる人がぎりぎり居る、とか。
鏡味仙三郎社中 太神楽
今日は仙花さんがお茶碗やってました。東京スカイツリーねた、ちょっとはらはらさせるのが仙花さんのいいところです。
寄席の吉左衛門こと仙三郎師匠のどびん芸は何度見ても素晴らしい。
古今亭志ん輔 はてなの茶碗
わーい、好きな演目を初めて生で聴けました。たとえ途中で、油屋のハッつぁんを「茶金はん」と間違えて呼んでも、近衛様のお歌を一瞬忘れても、志ん輔師匠は楽しく聴かせてくれます。大好きな「はてなの茶碗」を正統派で聴かせていただいた気がします。
古今亭菊之丞 紙入れ
紙入れのおかみさんを演じさせたら、比べられる人はいないんじゃないんでしょうか。むちゃくちゃ色っぽいです。
柳家権太楼 代書屋
高座に上がる時に足首をひねったらしいとか言われて心配になりましたが、噺に入ってしまうと、ほんと爆笑し続けるしかない権師の高座。履歴書にならない過去を語る湯川秀樹さん(一石二鳥じゃなくて同姓同名)の噺が面白すぎる。
柳家小菊 俗曲
軽く数曲。「茄子かぼ」って言うんですね、アレ。
♪ 奥州街道で 南瓜の蔓めが 垣根を壊して 大家が腹立つ
大工が喜ぶ 十日の手間損 どうするどうする 面白や♪
柳家小里ん 試し酒
清蔵の酒豪ぶりが面白かったです。
……といいつつ、池袋演芸場に一日閉じこもる落語オタク化してる自分^_^;。
【昼の部】
「子ほめ」 三遊亭しあわせ
新作落語 川柳つくし
会社員の前世が、明智光秀とか武田信玄とか千利休とか聖徳太子とかマリー・アントワネットとか、あり得ないっしょ……まぁそれが落語(苦笑)。
ギター漫談 ぺぺ桜井
(失念) 桂文雀
小せん代演。小せん師匠は寄席でよく見られるけど自分は滅多に見られないから今日のお客さんはお得、というマクラは覚えているのだけど……この人の高座だけ意識がない(汗)。
祇園祭 橘家圓太郎
シーズンなんでテレビ番組で録画視聴が続いている「祇園祭」、生は嬉しい。京都弁のおっさんのカラスみたいな笑いとか、江戸弁の奴の祭りのお囃子とか、楽しい。
漫才 すず風にゃん子・金魚
頭にスイカの切れ端にカブトムシと朝顔が載っている飾り物(しかも「冷やし中華はじめました」の短冊付き)をつけてる金魚さん、すご過ぎる。
柳家はん治 ぼやき居酒屋
さすがに三回連続で同じネタになると、飽きますね……。
三遊亭圓丈 漫談
奥さんが韓流ドラマにはまっているというマクラから、手持ちの20ページの手帳から小咄のネタをリクエストで受け付けるという。うーん、池袋あたりで「悲しみは埼玉に向けて」とか聴きたかったんだけどなぁ。
三遊亭小円歌 三味線漫談&かっぽれ
色っぽい小圓歌師匠、大好きです。今日はかっぽれも見られて嬉しい。
古今亭菊丸 たがや
この季節の風物詩ですなぁ……ネタ自体は嫌いじゃないんだけど、あまりわくわくしなかったなぁ。マクラのかけ声ねた「黒門町」「播磨屋」などは好き。
古今亭菊志ん 湯屋番
落語を本格的に聴く前から知ってるネタなんだけど、ひょっとして生で聴いたのは初めてかも知れない。菊志んさん、汗だくで力一杯妄想する若旦那でした。
柳家小満ん 出来心
落語を本格的に聴くより遙か前、小学生の時に読んだ子供向けの落語入門書で一番好きなネタだったかも知れない「裏は花色木綿」。意外にも、泥棒が盗みに入る前の場面が長いのね。
アサダ二世 奇術
ロープねたは、何度見ても不思議。とぼけた師匠のトークも好きかも。
川柳川柳 ガーコン
生ガーコンは初めて。今日の昼席はガーコンに尽きます。あと20年も頑張っていただきたい。
【夜の部】
柳亭市也 手紙無筆
台所鬼〆 「堀之内」
台所だけに「きちんと」演じますが受けた。別の寄席では「勝手にやれ」と声がかかったそうな。
談笑師匠の「堀之内」が聞き慣れている自分には、そんなにあぶなくもない(爆)噺だった。
柳家三之助 「金明竹」
中橋の加賀屋佐吉のお遣いで来た人の関西弁がなかなかに元気よくてよかった。
ホンキートンク 漫才
見るたびにちょっとずつ違うネタを織り込んではいるのだけど、ここのところよく見ているから、ちょっと飽きたかも。
五明楼玉の輔 「生徒の作文」
マクラの落語二世ネタ、面白かったです。作文そのものは……うーん、どこかで聴いていたからか、それほど(汗)。
柳家三三 「高砂や」
ここから夜席がどっかんどっかん面白くなりました。三三師匠は、生でお会いするたびにどう展開するかわからない、わくわくさせてくれる方ですね。
ホテルの挙式→洋食のご馳走→「ハムかつ」という八五郎の連想が昭和30年代後半生まれの自分にはツボです……夕食のメインおかずがハムかつだって晩もありましたもの。
京成電車の高砂駅がネタの入れ込みもありました。池袋演芸場だからわかる人がぎりぎり居る、とか。
鏡味仙三郎社中 太神楽
今日は仙花さんがお茶碗やってました。東京スカイツリーねた、ちょっとはらはらさせるのが仙花さんのいいところです。
寄席の吉左衛門こと仙三郎師匠のどびん芸は何度見ても素晴らしい。
古今亭志ん輔 はてなの茶碗
わーい、好きな演目を初めて生で聴けました。たとえ途中で、油屋のハッつぁんを「茶金はん」と間違えて呼んでも、近衛様のお歌を一瞬忘れても、志ん輔師匠は楽しく聴かせてくれます。大好きな「はてなの茶碗」を正統派で聴かせていただいた気がします。
古今亭菊之丞 紙入れ
紙入れのおかみさんを演じさせたら、比べられる人はいないんじゃないんでしょうか。むちゃくちゃ色っぽいです。
柳家権太楼 代書屋
高座に上がる時に足首をひねったらしいとか言われて心配になりましたが、噺に入ってしまうと、ほんと爆笑し続けるしかない権師の高座。履歴書にならない過去を語る湯川秀樹さん(一石二鳥じゃなくて同姓同名)の噺が面白すぎる。
柳家小菊 俗曲
軽く数曲。「茄子かぼ」って言うんですね、アレ。
♪ 奥州街道で 南瓜の蔓めが 垣根を壊して 大家が腹立つ
大工が喜ぶ 十日の手間損 どうするどうする 面白や♪
柳家小里ん 試し酒
清蔵の酒豪ぶりが面白かったです。
むちゃくちゃ暑い一日を笑って暑気払いしてきました。
よってたかって夏らくご
21世紀スペシャル寄席ONEDAY

1. 入船亭辰じん「真田小憎」
扇辰師匠のところの前座さんだそうです。
2. 柳亭市馬「船徳」
まさかのいきなり市馬師匠登場。楽屋に干されたトランクスは白鳥さんのですか^_^;。
この猛暑に似合う「船徳」。トップバッターだけどたっぷり。徳さんが皆に「徳」と呼んで欲しいと親方に申し出て、船頭たちがお小言かとおそるおそるやって来る場面も。
自分が市馬師匠の「船徳」を聴いている音源は横浜にぎわい座での収録で、「港花売り娘」ネタとか、共演の喬太郎さんをいじって「こうもりの太った旦那、小原の旦那」とやるんだけど、今日はやりませんでした。
でも市馬師匠に珍しく時事ネタで、上から目線のもの言いな徳さんに失言で辞職した松本龍復興担当相をひっかけるところがありました。
「たまやが取り持つ 縁かいな〜」が聴かれて嬉しかったです。
3. 三遊亭白鳥「新あたま山」
白鳥さん、ちゃんとトランクス履いてきましたと宣言^_^;。
「替わり目」みたいな酔っ払い亭主と女房の会話から、酔っ払って寝しなにラーメンを食べて寝転んだ亭主の内蔵が登場。心臓、胃、肝臓という林家内臓一門が、亭主の頭の上で前頭葉一家と対決するという馬鹿馬鹿しいお話。「あたま山」を超えるシュールな世界こそが白鳥ワールドだよね。
右手がちょきで左手がパーだと林家正楽師匠。紙切りネタを愉しんでいたら、やっぱりちょこっと林家正蔵一門をいじるネタも登場。
せこくて壮大な白鳥ワールド、堪能。
4. 柳家三三「化け物長屋」
市馬師匠がつくった雰囲気を見事に壊して、とか何とか、白鳥さんをいじって登場。白鳥さんが市馬師匠の真似してうたった出来があまりにもひどくて(しかも「都々逸」とかいってるし)、楽屋でお稽古が始まったそうですよ……見てみたい。
わーい、昨日たまたま聴いてた「化け物長屋」を三三で聴けるとは。
杢さんが気弱なの。後から来た荒っぽい奴に迫られて、「近い、重い(膝に乗っかってるみたい^_^;)、暑い」と泣き言を言うのがかわいい。
5. 柳家喬太郎「極道のつる」
2ヶ月ぐらい舞台が中心の生活だったとか、楽屋での柔軟体操を再現してくれたり。
落語はリハビリだそうで、トリに「つる」をやると宣言……極道の抗争場面で、親分が鉄砲玉に「なぜ首永鳥がつると呼ばれるようになったか」を語り出すシュールな設定(爆)。しかも鉄砲玉、はんぱなく頭悪いし。
古典を壊しつつ、笑いのツボは古典のまま。そして、なぜ極道の抗争ネタだったかは、オチでわかるという……^_^;。
よってたかって夏らくご
21世紀スペシャル寄席ONEDAY
1. 入船亭辰じん「真田小憎」
扇辰師匠のところの前座さんだそうです。
2. 柳亭市馬「船徳」
まさかのいきなり市馬師匠登場。楽屋に干されたトランクスは白鳥さんのですか^_^;。
この猛暑に似合う「船徳」。トップバッターだけどたっぷり。徳さんが皆に「徳」と呼んで欲しいと親方に申し出て、船頭たちがお小言かとおそるおそるやって来る場面も。
自分が市馬師匠の「船徳」を聴いている音源は横浜にぎわい座での収録で、「港花売り娘」ネタとか、共演の喬太郎さんをいじって「こうもりの太った旦那、小原の旦那」とやるんだけど、今日はやりませんでした。
でも市馬師匠に珍しく時事ネタで、上から目線のもの言いな徳さんに失言で辞職した松本龍復興担当相をひっかけるところがありました。
「たまやが取り持つ 縁かいな〜」が聴かれて嬉しかったです。
3. 三遊亭白鳥「新あたま山」
白鳥さん、ちゃんとトランクス履いてきましたと宣言^_^;。
「替わり目」みたいな酔っ払い亭主と女房の会話から、酔っ払って寝しなにラーメンを食べて寝転んだ亭主の内蔵が登場。心臓、胃、肝臓という林家内臓一門が、亭主の頭の上で前頭葉一家と対決するという馬鹿馬鹿しいお話。「あたま山」を超えるシュールな世界こそが白鳥ワールドだよね。
右手がちょきで左手がパーだと林家正楽師匠。紙切りネタを愉しんでいたら、やっぱりちょこっと林家正蔵一門をいじるネタも登場。
せこくて壮大な白鳥ワールド、堪能。
4. 柳家三三「化け物長屋」
市馬師匠がつくった雰囲気を見事に壊して、とか何とか、白鳥さんをいじって登場。白鳥さんが市馬師匠の真似してうたった出来があまりにもひどくて(しかも「都々逸」とかいってるし)、楽屋でお稽古が始まったそうですよ……見てみたい。
わーい、昨日たまたま聴いてた「化け物長屋」を三三で聴けるとは。
杢さんが気弱なの。後から来た荒っぽい奴に迫られて、「近い、重い(膝に乗っかってるみたい^_^;)、暑い」と泣き言を言うのがかわいい。
5. 柳家喬太郎「極道のつる」
2ヶ月ぐらい舞台が中心の生活だったとか、楽屋での柔軟体操を再現してくれたり。
落語はリハビリだそうで、トリに「つる」をやると宣言……極道の抗争場面で、親分が鉄砲玉に「なぜ首永鳥がつると呼ばれるようになったか」を語り出すシュールな設定(爆)。しかも鉄砲玉、はんぱなく頭悪いし。
古典を壊しつつ、笑いのツボは古典のまま。そして、なぜ極道の抗争ネタだったかは、オチでわかるという……^_^;。
小三治師匠と市馬師匠を目当てに、新宿末廣亭へ。これで都内の定席四つをようやくコンプリート。昔の寄席の空間を思わせるレトロな建物に漂う、まったりした落語好きの雰囲気がいい。
自分は桟敷席に空きがあったので潜り込んだ。隣のおっちゃんは落語歴何年だろうか、演者と演目をびっしり細かい文字で手帳に書き込んでいた。

前座「寿限無」
めくり(末廣亭は名札なのだが)を読みづらい角度にいたので「○う京」としか読めなかった。
柳亭こみち「ん廻し」
女流落語家さんの中では声質が一番好き。「柳亭」という名前から市馬師匠の弟子と勘違いされることもあるというマクラから、「ん廻し」へ。途中ちょっと噛んでも、とちっても、笑いに変えるアドリブが安定感。今日の番組の雰囲気をうまくつくってくれた。
花島世津子/奇術
「今日は成功♪」ってほんわか笑われる、ちょっとゆるい感じの奇術になごみます。最後の新聞紙ネタ、今日も見事でした。
萬窓「たが屋」
夏の寄席だなぁと思う一品。騎乗のお殿様ご一行と、親孝行のたが屋が橋の上で運の悪い出会い、そして立ち回り……「たが屋〜」の最後がカタルシス。
はん治「任侠の高齢化」「背なで老いてる唐獅子牡丹」
正式なタイトル不明。桂三枝の作らしい。任侠の世界も高齢化して「若い衆」「若頭」もすっかり高齢。流れの銀は老人ホーム入り。
はん治さんのキャラが高齢化した任侠の人たちにぴったり。爆笑に次ぐ爆笑。
ホンキートンク/漫談
ロケット団と並んで寄席で人気の若手漫才コンビ。
歌る多「松山鏡」
姐さん、「ほぼ着物」宣言。若い頃は洋服に散財されたのだそうだが、なるべく着物になさるとか。
自分はこの演目、田舎者を馬鹿にする典型的な作品で好きじゃないのだが、嫌みなく面白く仕上げていた。
種平「ぼやき居酒屋」
先代の林家三平一門。先代の林家三平の門下には江戸っ子はふたりしかいない。それは正蔵と三平(苦笑)。自分は種子島出身だから先代三平師匠に種平という名をつけられた。北海道出身の奴は屯田兵、埼玉県草加市の奴はせん平。一平が二代目三平を襲名して、兄弟子たちは「三平」と呼び捨てにするのも師匠の先代に申し訳がないので、協議の末「おいっ」と呼ぶことにした(笑)。三平にはもっと落語に精進して欲しい、と、観客から共感のうなずきを得る発言。
先日、はん治師匠で面白かった「ぼやき居酒屋」。種平版は三平一門だなぁと思わせる、落語っぽくない口調を多少折り込みながら、楽しく。
正楽/紙切り
「七夕」「小三治師匠」「厩火事」……あともう一作あったけど何だっけ。
市馬「雛鍔」
八っつぁんがお屋敷から帰ってきたところでスタート。寄席で時間が押してる中でも金坊のキャラがきらりと光る雛鍔でした。
小さん「町内の若い衆」
さん喬さん代演。
中入り
燕路「だくだく」
大好きな作品を円熟した噺家で聴く楽しさ。こみちさんの声やトーンのベースが燕路師匠譲りなんだなぁと改めて感じる。近目で乱視の泥棒が意地にかけてもと「盗ったつもり」になる場面の派手さが楽しい。
大瀬うたじ・ゆめじ/漫才
骨折ネタは、ついにステージでは杖をつかなくても大丈夫になりましたというところまで。でも「用心棒」が全然受けなくて、なんか唐突に下がりました。
さん福「五目講釈」
「五目講釈」聴いて、「桑名船」との違いを理解しました。今日の講釈は二カ所ほどかんでましたが、それも笑いになってました。
伯楽「あくび指南」
これまた夏らしい一品。ゆったりと、馬鹿馬鹿しい、あくび指南。
仙三郎社中/太神楽
今日は短い時間バージョンでしたが、ちゃんと土瓶芸も入ってました。
小三治「天災」
マクラは、高田馬場から新宿方面に時々出没するSPに何の警備かを聞いたところ相手が「天皇が通る」と言ったので、かちんときたという話。そこは「天皇陛下がお通りになる」だろ、百歩下がって「天皇がお通りになる」だろと。
噺は「天災」。この噺、自分はどこが面白いのかとずっと思っていてあまり聴いてなかったが、小三治版は間違いなく笑えた。短気な八っつぁんが紅羅坊先生の教えを聴いて納得し、熊さんに半可通の受け売りをする場面がとてつもなくおかしい。
小三治師のトリは、やっぱりいいなぁ。
自分は桟敷席に空きがあったので潜り込んだ。隣のおっちゃんは落語歴何年だろうか、演者と演目をびっしり細かい文字で手帳に書き込んでいた。
前座「寿限無」
めくり(末廣亭は名札なのだが)を読みづらい角度にいたので「○う京」としか読めなかった。
柳亭こみち「ん廻し」
女流落語家さんの中では声質が一番好き。「柳亭」という名前から市馬師匠の弟子と勘違いされることもあるというマクラから、「ん廻し」へ。途中ちょっと噛んでも、とちっても、笑いに変えるアドリブが安定感。今日の番組の雰囲気をうまくつくってくれた。
花島世津子/奇術
「今日は成功♪」ってほんわか笑われる、ちょっとゆるい感じの奇術になごみます。最後の新聞紙ネタ、今日も見事でした。
萬窓「たが屋」
夏の寄席だなぁと思う一品。騎乗のお殿様ご一行と、親孝行のたが屋が橋の上で運の悪い出会い、そして立ち回り……「たが屋〜」の最後がカタルシス。
はん治「任侠の高齢化」「背なで老いてる唐獅子牡丹」
正式なタイトル不明。桂三枝の作らしい。任侠の世界も高齢化して「若い衆」「若頭」もすっかり高齢。流れの銀は老人ホーム入り。
はん治さんのキャラが高齢化した任侠の人たちにぴったり。爆笑に次ぐ爆笑。
ホンキートンク/漫談
ロケット団と並んで寄席で人気の若手漫才コンビ。
歌る多「松山鏡」
姐さん、「ほぼ着物」宣言。若い頃は洋服に散財されたのだそうだが、なるべく着物になさるとか。
自分はこの演目、田舎者を馬鹿にする典型的な作品で好きじゃないのだが、嫌みなく面白く仕上げていた。
種平「ぼやき居酒屋」
先代の林家三平一門。先代の林家三平の門下には江戸っ子はふたりしかいない。それは正蔵と三平(苦笑)。自分は種子島出身だから先代三平師匠に種平という名をつけられた。北海道出身の奴は屯田兵、埼玉県草加市の奴はせん平。一平が二代目三平を襲名して、兄弟子たちは「三平」と呼び捨てにするのも師匠の先代に申し訳がないので、協議の末「おいっ」と呼ぶことにした(笑)。三平にはもっと落語に精進して欲しい、と、観客から共感のうなずきを得る発言。
先日、はん治師匠で面白かった「ぼやき居酒屋」。種平版は三平一門だなぁと思わせる、落語っぽくない口調を多少折り込みながら、楽しく。
正楽/紙切り
「七夕」「小三治師匠」「厩火事」……あともう一作あったけど何だっけ。
市馬「雛鍔」
八っつぁんがお屋敷から帰ってきたところでスタート。寄席で時間が押してる中でも金坊のキャラがきらりと光る雛鍔でした。
小さん「町内の若い衆」
さん喬さん代演。
中入り
燕路「だくだく」
大好きな作品を円熟した噺家で聴く楽しさ。こみちさんの声やトーンのベースが燕路師匠譲りなんだなぁと改めて感じる。近目で乱視の泥棒が意地にかけてもと「盗ったつもり」になる場面の派手さが楽しい。
大瀬うたじ・ゆめじ/漫才
骨折ネタは、ついにステージでは杖をつかなくても大丈夫になりましたというところまで。でも「用心棒」が全然受けなくて、なんか唐突に下がりました。
さん福「五目講釈」
「五目講釈」聴いて、「桑名船」との違いを理解しました。今日の講釈は二カ所ほどかんでましたが、それも笑いになってました。
伯楽「あくび指南」
これまた夏らしい一品。ゆったりと、馬鹿馬鹿しい、あくび指南。
仙三郎社中/太神楽
今日は短い時間バージョンでしたが、ちゃんと土瓶芸も入ってました。
小三治「天災」
マクラは、高田馬場から新宿方面に時々出没するSPに何の警備かを聞いたところ相手が「天皇が通る」と言ったので、かちんときたという話。そこは「天皇陛下がお通りになる」だろ、百歩下がって「天皇がお通りになる」だろと。
噺は「天災」。この噺、自分はどこが面白いのかとずっと思っていてあまり聴いてなかったが、小三治版は間違いなく笑えた。短気な八っつぁんが紅羅坊先生の教えを聴いて納得し、熊さんに半可通の受け売りをする場面がとてつもなくおかしい。
小三治師のトリは、やっぱりいいなぁ。
土曜日の午後と夜、連続で談笑さん公演。しかも共演者が市馬師(対談テーマ「柳家小さんの東京」)、志らく師「対談テーマ「立川談志の東京」)。濃いなぁ。
途中で雨が降り出して、ずぶ濡れになって近くのコンビニでビニ傘買いました(昼の部の観覧者の方が、横断歩道で傘を差しだしてくれました。ありがとうございました<(_ _)>)。せっかく買ったばかりの落語ファン倶楽部vol.13が雨に濡れてごわごわになっちゃった(´д`)。落語ファン倶楽部、談春さん作「噺家の春」が面白かったです。
rakugoオルタナティブvol.2談笑ダブルス「東京物語」
志らべさん、挨拶もそこそこに「持参金」へ。金が循環する構図が解明された途端に私の頭はメビウスの輪状態に。えーと、あとで図を描いて理解しようか^_^;。
談笑師「堀の内」、主人公の粗忽っぷりは、頭の中の消しゴムが片っ端から記憶を消去している状態(イグアスの滝汗)。片足に下駄、もう片足にぞうりを履いて足の長さが違っちゃったと半泣きで帰ってくるのはお約束として。たしなめてくれるおかみさんと、明日は堀の内のお祖師様にお参りして粗忽を直してもらうことにして早寝するのだけど、翌朝おかみさんの顔を見て「どなたですか」というレベル。おかみさんが胸に手を当てさせて「あたしだよ」と言って、「あぁお前か」って^_^;。
そんな具合だから神田から堀の内に歩いて行けるわけがない。反対方角の永代橋の方に行ってしまうわ、お弁当を使おうと首に巻いていた風呂敷をほどくと、風呂敷だと思っていたのはかみさんの腰巻きで、弁当と思っていたのはマクラ。いったん家に戻って弁当に交換しようとすると、かみさんにいろいろ言われて忘れちゃって、また首に腰巻き巻いて出かけてしまう。賽銭を入れようとすると、一銭手元に残して、財布の方を放り込んでしまう。残りの一銭も参拝客に賽銭箱に入れられてしまう。
帰宅して金坊を風呂屋に連れて行こうとするが、怪しげな風呂屋(「いつものマリリンさんご指名ですか?」)だったり、煙突を見て風呂屋だと思って入ろうと坊主が読経している火屋(火葬場)だったり、やっと着いた風呂屋で金坊の着物を脱がせようとして知らない女の子を裸にしたり、お祖師様の御利益はなさそうです。
もんじゃの話題だったのは「堀の内」マクラだったかな。談笑さんが育った江東区北砂では周囲2区画で30軒ぐらい、主に冬に駄菓子屋がもんじゃをやっていたとか。自分は城南なのでもんじゃはそこまで身近にはなかったけど、談笑さんの「もんじゃは本来うまいもんじゃない」「土手をつくって焼く月島もんじゃは後でできたもの、子供の頃のもんじゃはそれぞれが勝手に焼いて、端がくっついたら相手のくっついた部分をへらでかすめとっていくもの」というところは昭和初期に羽田で育った父のもんじゃ体験と同じです。
市馬師お得意の「首提灯」。今日は席がかなり端っこの方だったので、首を切られた町人の首がだんだんずれてくる下り、首がだんだんずれてくるのを見づらい位置だったのですが。頭の大きい市馬師匠だから映える「首提灯」ですねぇ。
「子別れ」のマクラは、談笑さんが高校の同級生と30年ぶりに再会した同窓会した話。みんな職人とか商店の子ばかりだったから、ネクタイしている奴なんかひとりもいない。後から遅刻してきた奴だけがサラリーマン勤めでネクタイしてたけど、回りから「遅かったな」といわれるて「てめーらが早かったんだ、ぷっ」と噛んでいたガムを吹き飛ばすような奴で、というガラの悪さ。
そこから展開する「子別れ」は池袋サンシャインタワーを建設中の頃の東京の話。金坊は別れた父親のことを、夜中に巨大化してビルを建設するウルトラマンだと信じているらしい。その父親と再会した金坊は、父親からもらった小遣いでプラモデルのウルトラホーク1号を買い、帰宅してつけたテレビで「出てこいシャザーン」を見ている途中で、母親にプラモデルの金のでどころを問い詰められる。
「ALWAYS三丁目の夕日」的世界の「子別れ」、60年代に子供時代を過ごした自分にはとても懐かしい世界。
そして、子は「かすがい」だという元ネタを踏まえた談笑版、金坊はスーパーフィクサーだった(笑)。オチもまた60年代に少年少女だった聞き手には嬉しい、うふふ。
特別対談、「柳家小さんの東京」。東京の地名との結びつきというより、小さんの思い出話っぽくなりました。
・内弟子の頃はほとんど外出できないし、近所で油を売っていたりするとすぐに近所の人たちが師匠の耳に入れる。お孫さん(花緑師匠ですな)の忘れ物を届けに小学校によく行った。
・目白の小さん宅の裏に川村学園がある。小さんの弟子たちが素っ裸になったりするのでお嬢さんたちの目の毒になると、川村学園から抗議があった。小さん師匠「覗く方が悪い」。ということで、学校の窓ガラスに目張りが。
・小さん師匠は大食漢。ラーメン屋なら、ラーメン、チャーハン、餃子は最低限。
・池之端藪は上品盛り(ホントですね^_^;)なので、せいろなら7〜8枚は軽い。仲間を誘うと、同じ量をその人の分も注文する。馬生師匠は蕎麦味噌をなめて酒をたしなむので、せいぜい一枚しか召し上がらない。残った分を前座が片付けなければならないので大変。
・うなぎは誰かを招待するという時は伊豆栄を使ったりするが、自分で行く時は湯島の小福。お重は食べづらいからと、小さん専用の丼をキープしてもらっている。今でも丼を預かってもらっている。
などと、小さんエピソードをいろいろと。そして、最後に一曲、お約束で歌っていただいてお開きになりました。
立川らく次さん、雰囲気は花緑師匠とナンチャンを足して割ったような感じ。鮫講釈、一カ所噛みましたが、まずまずやりきりました。宝塚の歴代トップスターの言い立てをサービスしてくれました。
「イラサリマケー」ライブでお初です。どっかんどっかん遠慮なく大口で笑わせてもらいました。
続いてまた談笑さん「あの作品の後は出にくいからと、志らく兄さんが……」と言って「黄金餅」に。私はフジテレビのお台場寄席の画像配信で見てましたが、やはりライブはいいものです。絶対的な貧乏の中にあって、願人坊主西念が貯め込んだ小金のありかに執着する主人公。西念が途中で生き返った時に首を絞めて殺してしまうほど、金に目がくらむ。しかし、金への執着ゆえに、本作では店を出して「黄金餅」を売り出して成功するはずが、金を手放さず、身体を壊して寝込んでしまう。そして、かつての西念の立場になるという無限ループ。これが談笑ワールドのブラックなところ。
言い立ても今日はスムーズでした。「現代であれば、上野広小路から都営大江戸線に乗って麻布十番で降りたと、一言で済んでしまう」「しかし、それを利いたお客さんから、死体を乗せて地下鉄には乗れないとツッコミを入れられた」と、ここでも笑い。
中入り後、志らく師「唐茄子屋政談」。若旦那のどうしようもなく生活感と責任感もない状態から、貧民街の母子に同情して因業大家を殴るところまで。甥を立ち直らせるためにあれこれ厳しいことをいう叔父、その裏話をぽろぽろこぼす叔母、このあたりがよかったです。
寅さんキャラクターが出てくるとかの入れごとが自分はあまり好きではないです。
特別対談。東京に関係ない談志師匠のエピソード暴露みたいになりましたが、これが爆笑の連続でした。
・冒頭、志の八のぞき問題を今後どうするかという話題からgdgd展開へ。
・「イラサリマケー」のマクラだったか、南喬さんが真打ち披露した時に、偶然通りかかった談志家元が楽屋に突撃して小さん師匠と米朝師匠(人間国宝がふたり!)の楽屋に。いろいろと米朝師匠に話しかける。米朝師匠が「そやな」とか何とか適当に相づちを打ちながら困っていると、小さん師匠が爆発して「だからてめえは理屈っぽいってんだよ!」と怒鳴る。「それは価値観の問題であって」と理屈っぽく返す家元。
・ハワイに言った家元。日焼けをしてはいけないということで、日焼け止めクリームをたっぷり顔に塗り、シャンプーハットをかぶり、長袖のシャツにすててこ。志らくは前座として鞄持ちして歩くのは「すごく嫌だった」
・大泉の家で空き巣に入られ、現金に被害はなかったが宝飾品を何本か盗まれた時のこと。以前に、家元が留守の時に談春さんが家元の書斎の秘密の引き出しを開けて、志らくさんに家元秘蔵の台湾のH本を見せたりしていたのだが、それが鑑識の調査を受けることに。家元と、犯人以外に謎の第三者の指紋が見つかった(談春さんのだったのね・笑)
・築地で家元が独演会をした時のこと。東京駅で小雨が降り出し、家元は付き人としてついていた談笑さんに「俺を捜すな」といい残して行方不明に。前座を務めていた志らくさんは、開口一番として25分のものを家元に15分でやれといわれていた「抜け雀」をやって、家元がまだこないので、やむなく次のネタをやってつなごうとする。さらにまだ家元が来ないので、「笠碁」を家元と志ん朝の喧嘩でやって、中入りまでつないだ。やっと来た家元は「馬鹿だな、長いネタを一本かけてつないでおけばいいのに」って、家元……(苦笑)。
・銀座の「美也」で家元と北野武が飲んだ時、外で待っていた志らく、談春さん、浅草キッドの4人がいつかは中で飲める立場になりたいねと話していた。浅草キッドと会うと、今でもその思い出話をするとか。
togetterまとめ rakugoオルタナティブvol.2 談笑ダブルス「東京物語」
途中で雨が降り出して、ずぶ濡れになって近くのコンビニでビニ傘買いました(昼の部の観覧者の方が、横断歩道で傘を差しだしてくれました。ありがとうございました<(_ _)>)。せっかく買ったばかりの落語ファン倶楽部vol.13が雨に濡れてごわごわになっちゃった(´д`)。落語ファン倶楽部、談春さん作「噺家の春」が面白かったです。
rakugoオルタナティブvol.2談笑ダブルス「東京物語」
(中略) 立川談笑は、東京都江東区の生まれです。そのせいでしょうか、談笑落語には、東京の風景が、鮮やかに見える噺が多いのです。
江戸から東京へ。談笑落語で、脳内東京ツアーにご案内いたします。
最高のパートナーが、強力なネタを引っさげて、昼夜それぞれに登場します。
昼の部は、「首提灯」をたっぷり、柳亭市馬。
夜の部は、「唐茄子屋政談」をじっくり、立川志らく。
このふたつの演目からも、江戸が、東京が、くっきりと見えてきます。
それからもうひとつ、昼の部と夜の部の対談にもご注目ください。
昼の部が、市馬&談笑による、題して「柳家小さんの東京」、夜の部が志らく&談笑による「立川談志の東京」です。
現代の落語を築いた巨匠ふたりが、そこを舞台に、おのれの芸を磨き上げた東京。どんなエピソードが飛び出しますか、乞うご期待です。
昼の部
「持参金」立川志らべ
「堀の内」立川談笑
「首提灯」柳亭市馬
中入り
「子別れ」立川談笑
特別対談「柳家小さんの東京」
志らべさん、挨拶もそこそこに「持参金」へ。金が循環する構図が解明された途端に私の頭はメビウスの輪状態に。えーと、あとで図を描いて理解しようか^_^;。
談笑師「堀の内」、主人公の粗忽っぷりは、頭の中の消しゴムが片っ端から記憶を消去している状態(イグアスの滝汗)。片足に下駄、もう片足にぞうりを履いて足の長さが違っちゃったと半泣きで帰ってくるのはお約束として。たしなめてくれるおかみさんと、明日は堀の内のお祖師様にお参りして粗忽を直してもらうことにして早寝するのだけど、翌朝おかみさんの顔を見て「どなたですか」というレベル。おかみさんが胸に手を当てさせて「あたしだよ」と言って、「あぁお前か」って^_^;。
そんな具合だから神田から堀の内に歩いて行けるわけがない。反対方角の永代橋の方に行ってしまうわ、お弁当を使おうと首に巻いていた風呂敷をほどくと、風呂敷だと思っていたのはかみさんの腰巻きで、弁当と思っていたのはマクラ。いったん家に戻って弁当に交換しようとすると、かみさんにいろいろ言われて忘れちゃって、また首に腰巻き巻いて出かけてしまう。賽銭を入れようとすると、一銭手元に残して、財布の方を放り込んでしまう。残りの一銭も参拝客に賽銭箱に入れられてしまう。
帰宅して金坊を風呂屋に連れて行こうとするが、怪しげな風呂屋(「いつものマリリンさんご指名ですか?」)だったり、煙突を見て風呂屋だと思って入ろうと坊主が読経している火屋(火葬場)だったり、やっと着いた風呂屋で金坊の着物を脱がせようとして知らない女の子を裸にしたり、お祖師様の御利益はなさそうです。
もんじゃの話題だったのは「堀の内」マクラだったかな。談笑さんが育った江東区北砂では周囲2区画で30軒ぐらい、主に冬に駄菓子屋がもんじゃをやっていたとか。自分は城南なのでもんじゃはそこまで身近にはなかったけど、談笑さんの「もんじゃは本来うまいもんじゃない」「土手をつくって焼く月島もんじゃは後でできたもの、子供の頃のもんじゃはそれぞれが勝手に焼いて、端がくっついたら相手のくっついた部分をへらでかすめとっていくもの」というところは昭和初期に羽田で育った父のもんじゃ体験と同じです。
市馬師お得意の「首提灯」。今日は席がかなり端っこの方だったので、首を切られた町人の首がだんだんずれてくる下り、首がだんだんずれてくるのを見づらい位置だったのですが。頭の大きい市馬師匠だから映える「首提灯」ですねぇ。
「子別れ」のマクラは、談笑さんが高校の同級生と30年ぶりに再会した同窓会した話。みんな職人とか商店の子ばかりだったから、ネクタイしている奴なんかひとりもいない。後から遅刻してきた奴だけがサラリーマン勤めでネクタイしてたけど、回りから「遅かったな」といわれるて「てめーらが早かったんだ、ぷっ」と噛んでいたガムを吹き飛ばすような奴で、というガラの悪さ。
そこから展開する「子別れ」は池袋サンシャインタワーを建設中の頃の東京の話。金坊は別れた父親のことを、夜中に巨大化してビルを建設するウルトラマンだと信じているらしい。その父親と再会した金坊は、父親からもらった小遣いでプラモデルのウルトラホーク1号を買い、帰宅してつけたテレビで「出てこいシャザーン」を見ている途中で、母親にプラモデルの金のでどころを問い詰められる。
「ALWAYS三丁目の夕日」的世界の「子別れ」、60年代に子供時代を過ごした自分にはとても懐かしい世界。
そして、子は「かすがい」だという元ネタを踏まえた談笑版、金坊はスーパーフィクサーだった(笑)。オチもまた60年代に少年少女だった聞き手には嬉しい、うふふ。
特別対談、「柳家小さんの東京」。東京の地名との結びつきというより、小さんの思い出話っぽくなりました。
・内弟子の頃はほとんど外出できないし、近所で油を売っていたりするとすぐに近所の人たちが師匠の耳に入れる。お孫さん(花緑師匠ですな)の忘れ物を届けに小学校によく行った。
・目白の小さん宅の裏に川村学園がある。小さんの弟子たちが素っ裸になったりするのでお嬢さんたちの目の毒になると、川村学園から抗議があった。小さん師匠「覗く方が悪い」。ということで、学校の窓ガラスに目張りが。
・小さん師匠は大食漢。ラーメン屋なら、ラーメン、チャーハン、餃子は最低限。
・池之端藪は上品盛り(ホントですね^_^;)なので、せいろなら7〜8枚は軽い。仲間を誘うと、同じ量をその人の分も注文する。馬生師匠は蕎麦味噌をなめて酒をたしなむので、せいぜい一枚しか召し上がらない。残った分を前座が片付けなければならないので大変。
・うなぎは誰かを招待するという時は伊豆栄を使ったりするが、自分で行く時は湯島の小福。お重は食べづらいからと、小さん専用の丼をキープしてもらっている。今でも丼を預かってもらっている。
などと、小さんエピソードをいろいろと。そして、最後に一曲、お約束で歌っていただいてお開きになりました。
夜の部
「鮫講釈」立川らく次
「イラサリマケー」立川談笑
「黄金餅」立川談笑
中入り
「唐茄子屋政談」立川志らく
特別対談「立川談志の東京」
立川らく次さん、雰囲気は花緑師匠とナンチャンを足して割ったような感じ。鮫講釈、一カ所噛みましたが、まずまずやりきりました。宝塚の歴代トップスターの言い立てをサービスしてくれました。
「イラサリマケー」ライブでお初です。どっかんどっかん遠慮なく大口で笑わせてもらいました。
続いてまた談笑さん「あの作品の後は出にくいからと、志らく兄さんが……」と言って「黄金餅」に。私はフジテレビのお台場寄席の画像配信で見てましたが、やはりライブはいいものです。絶対的な貧乏の中にあって、願人坊主西念が貯め込んだ小金のありかに執着する主人公。西念が途中で生き返った時に首を絞めて殺してしまうほど、金に目がくらむ。しかし、金への執着ゆえに、本作では店を出して「黄金餅」を売り出して成功するはずが、金を手放さず、身体を壊して寝込んでしまう。そして、かつての西念の立場になるという無限ループ。これが談笑ワールドのブラックなところ。
言い立ても今日はスムーズでした。「現代であれば、上野広小路から都営大江戸線に乗って麻布十番で降りたと、一言で済んでしまう」「しかし、それを利いたお客さんから、死体を乗せて地下鉄には乗れないとツッコミを入れられた」と、ここでも笑い。
中入り後、志らく師「唐茄子屋政談」。若旦那のどうしようもなく生活感と責任感もない状態から、貧民街の母子に同情して因業大家を殴るところまで。甥を立ち直らせるためにあれこれ厳しいことをいう叔父、その裏話をぽろぽろこぼす叔母、このあたりがよかったです。
寅さんキャラクターが出てくるとかの入れごとが自分はあまり好きではないです。
特別対談。東京に関係ない談志師匠のエピソード暴露みたいになりましたが、これが爆笑の連続でした。
・冒頭、志の八のぞき問題を今後どうするかという話題からgdgd展開へ。
・「イラサリマケー」のマクラだったか、南喬さんが真打ち披露した時に、偶然通りかかった談志家元が楽屋に突撃して小さん師匠と米朝師匠(人間国宝がふたり!)の楽屋に。いろいろと米朝師匠に話しかける。米朝師匠が「そやな」とか何とか適当に相づちを打ちながら困っていると、小さん師匠が爆発して「だからてめえは理屈っぽいってんだよ!」と怒鳴る。「それは価値観の問題であって」と理屈っぽく返す家元。
・ハワイに言った家元。日焼けをしてはいけないということで、日焼け止めクリームをたっぷり顔に塗り、シャンプーハットをかぶり、長袖のシャツにすててこ。志らくは前座として鞄持ちして歩くのは「すごく嫌だった」
・大泉の家で空き巣に入られ、現金に被害はなかったが宝飾品を何本か盗まれた時のこと。以前に、家元が留守の時に談春さんが家元の書斎の秘密の引き出しを開けて、志らくさんに家元秘蔵の台湾のH本を見せたりしていたのだが、それが鑑識の調査を受けることに。家元と、犯人以外に謎の第三者の指紋が見つかった(談春さんのだったのね・笑)
・築地で家元が独演会をした時のこと。東京駅で小雨が降り出し、家元は付き人としてついていた談笑さんに「俺を捜すな」といい残して行方不明に。前座を務めていた志らくさんは、開口一番として25分のものを家元に15分でやれといわれていた「抜け雀」をやって、家元がまだこないので、やむなく次のネタをやってつなごうとする。さらにまだ家元が来ないので、「笠碁」を家元と志ん朝の喧嘩でやって、中入りまでつないだ。やっと来た家元は「馬鹿だな、長いネタを一本かけてつないでおけばいいのに」って、家元……(苦笑)。
・銀座の「美也」で家元と北野武が飲んだ時、外で待っていた志らく、談春さん、浅草キッドの4人がいつかは中で飲める立場になりたいねと話していた。浅草キッドと会うと、今でもその思い出話をするとか。
togetterまとめ rakugoオルタナティブvol.2 談笑ダブルス「東京物語」
史実の土方歳三ファンをわくわくさせるニュースが飛び込んできた。土方さんが辞世の和歌を詠んでいたかも知れないというのだ。
土方歳三辞世に新説「鉾とりて月見るごとに…」
新撰組副長・土方歳三(1835~69)と最後まで行動を共にした隊士・島田魁
かい
(1828~1900)がまとめたとされる和歌集の巻頭歌が、土方の辞世と考えられるとの説を、幕末研究で知られる霊山
りょうぜん
歴史館(京都市)の木村幸比古・学芸課長が打ち出した。
「従来、辞世とされてきた歌は詠んだ日時の推定が難しいが、巻頭歌は間近に迫る死を覚悟した内容で、亡くなる前日に詠んだ可能性が高い」としている。
歌は「鉾
ほこ
とりて月見るごとにおもふ哉
かな
あすはかばねの上に照
てる
かと(鉾を手に取って月を見るたびに思う。あすはしかばねの上に照るのかと)」。島田家に伝わる和歌集の冒頭に土方の名で記され、和歌集は26年前に同館に寄贈されていた。
木村課長が今年、修復にあわせて、ほかに名のある30人を調査、大半が新撰組隊士や幕府側の藩士らで、戊辰
ぼしん
戦争(1868~69)で降伏し、長く生きたことがわかった。自然のはかなさを詠んだ歌が多く、維新後に隊士らが作り、島田がまとめたと判断した。
土方は、旧幕府軍の指揮官として戊辰戦争に加わり、新政府軍の総攻撃を受け、銃弾に倒れた。生き残った藩士らの証言などによると、その前夜、旧幕府軍幹部らが惜別の宴
うたげ
を開いていた。木村課長は「歌には悲壮な決意が示されており、土方が明日の死を予期しながらこの席で詠み、島田が大切に記録していたのでは」と話す。
「鉾とりて月見るごとにおもふ哉 あすはかばねの上に照るかと」……うぉぉぉぉ(;O;)! 歴史研究家でも和歌の専門家でもない素人の感想だけど、土方さんらしい一首だなぁと思う。
ただ、歌の中で「あした」と詠んでいるのを死の前日に詠んだと解釈するのはどうかなぁ。文脈的にも前半が「月を見るたびに思う」と、日時場所を特定するものではないし。
土方さん戦死当時は弁天台場にたてこもっていた島田魁さんが土方さんの辞世の一首をいつどうやって知り得たかは不明としても……土方さんの戒名を書き付けた紙を晩年までも懐に入れて土方さんを偲んだ魁さんが土方さんの辞世の一首を心に刻みつけていた可能性は高いよね。
月といえば豊玉発句集「白牡丹 月夜月夜に 染めてほし」。月光に白く浮かび上がる牡丹に風流を感じていた多摩の青年が……月光に愛刀を透かし見ながら、明日は月光に我が屍をさらすかと思い、なお戦い続ける武士(もののふ)になったのですね。
NETドラマ『新選組血風録』の主題歌「新選組の旗は行く」の三番「明日はこの身が散らば散れ 燃える命に悔いは無い 月の雄たけび血刀かざし 新選組の旗は行く」の歌詞も、月と白刃のイメージが重なります。また、同じくNETドラマ『燃えよ剣』の挿入歌「燃えよ我が命」の歌詞にも、二番「明日は屍をさらすとも 燃えよ我が剣我が祈り」、三番「星影冴えて月あかく 燃えよ我が剣我が命」というフレーズが、重なるんですよね。
そして、「組!」「組!!」ファンとしても一言。山本耕史さん演じるところの洋装の土方歳三が、出撃の朝、かっちゃんのダンダラ羽織の袖を鉢巻きにして額に結ぶ場面が脳内にリピートされるのです。そして、照英さん演じるところの島田魁さんが、ぽろぽろ涙をこぼす場面も。
「鉾とりて月見るごとにおもふ哉 あすはかばねの上に照るかと」……土方さん、見事過ぎますぅぅぅ(;O;)!
土方歳三辞世に新説「鉾とりて月見るごとに…」
新撰組副長・土方歳三(1835~69)と最後まで行動を共にした隊士・島田魁
かい
(1828~1900)がまとめたとされる和歌集の巻頭歌が、土方の辞世と考えられるとの説を、幕末研究で知られる霊山
りょうぜん
歴史館(京都市)の木村幸比古・学芸課長が打ち出した。
「従来、辞世とされてきた歌は詠んだ日時の推定が難しいが、巻頭歌は間近に迫る死を覚悟した内容で、亡くなる前日に詠んだ可能性が高い」としている。
歌は「鉾
ほこ
とりて月見るごとにおもふ哉
かな
あすはかばねの上に照
てる
かと(鉾を手に取って月を見るたびに思う。あすはしかばねの上に照るのかと)」。島田家に伝わる和歌集の冒頭に土方の名で記され、和歌集は26年前に同館に寄贈されていた。
木村課長が今年、修復にあわせて、ほかに名のある30人を調査、大半が新撰組隊士や幕府側の藩士らで、戊辰
ぼしん
戦争(1868~69)で降伏し、長く生きたことがわかった。自然のはかなさを詠んだ歌が多く、維新後に隊士らが作り、島田がまとめたと判断した。
土方は、旧幕府軍の指揮官として戊辰戦争に加わり、新政府軍の総攻撃を受け、銃弾に倒れた。生き残った藩士らの証言などによると、その前夜、旧幕府軍幹部らが惜別の宴
うたげ
を開いていた。木村課長は「歌には悲壮な決意が示されており、土方が明日の死を予期しながらこの席で詠み、島田が大切に記録していたのでは」と話す。
「鉾とりて月見るごとにおもふ哉 あすはかばねの上に照るかと」……うぉぉぉぉ(;O;)! 歴史研究家でも和歌の専門家でもない素人の感想だけど、土方さんらしい一首だなぁと思う。
ただ、歌の中で「あした」と詠んでいるのを死の前日に詠んだと解釈するのはどうかなぁ。文脈的にも前半が「月を見るたびに思う」と、日時場所を特定するものではないし。
土方さん戦死当時は弁天台場にたてこもっていた島田魁さんが土方さんの辞世の一首をいつどうやって知り得たかは不明としても……土方さんの戒名を書き付けた紙を晩年までも懐に入れて土方さんを偲んだ魁さんが土方さんの辞世の一首を心に刻みつけていた可能性は高いよね。
月といえば豊玉発句集「白牡丹 月夜月夜に 染めてほし」。月光に白く浮かび上がる牡丹に風流を感じていた多摩の青年が……月光に愛刀を透かし見ながら、明日は月光に我が屍をさらすかと思い、なお戦い続ける武士(もののふ)になったのですね。
NETドラマ『新選組血風録』の主題歌「新選組の旗は行く」の三番「明日はこの身が散らば散れ 燃える命に悔いは無い 月の雄たけび血刀かざし 新選組の旗は行く」の歌詞も、月と白刃のイメージが重なります。また、同じくNETドラマ『燃えよ剣』の挿入歌「燃えよ我が命」の歌詞にも、二番「明日は屍をさらすとも 燃えよ我が剣我が祈り」、三番「星影冴えて月あかく 燃えよ我が剣我が命」というフレーズが、重なるんですよね。
そして、「組!」「組!!」ファンとしても一言。山本耕史さん演じるところの洋装の土方歳三が、出撃の朝、かっちゃんのダンダラ羽織の袖を鉢巻きにして額に結ぶ場面が脳内にリピートされるのです。そして、照英さん演じるところの島田魁さんが、ぽろぽろ涙をこぼす場面も。
「鉾とりて月見るごとにおもふ哉 あすはかばねの上に照るかと」……土方さん、見事過ぎますぅぅぅ(;O;)!
3.11後に「がんばれ福島」企画で決まったようですね。戊辰戦争を敗者の側から描くことになるのは、自分の歴史視点としては嬉しい限りです。
NHK、13年の大河は福島が舞台 新島襄の妻が主人公
幕末から明治期にかけてのハンサムウーマン、楽しみです……脚本家と配役と演出家次第なのですが^_^;。
NHK、13年の大河は福島が舞台 新島襄の妻が主人公
NHKは2013年に放送する大河ドラマの主人公を、福島県出身で、同志社大学を創設した新島襄の妻、新島八重(1845~1932)にすることを決めた。東日本大震災で当初の予定を急きょ変更、震災関連プロジェクトの一環として、福島を舞台にした作品で「被災地を元気づけたい」としている。
八重は、兵学をもって会津藩に仕えた家に生まれた。戊辰戦争では自ら銃を取って戦ったとの逸話を持ち、その豪傑ぶりから「幕末のジャンヌ・ダルク」とも呼ばれる。
維新後は京都に移って教育に従事し、襄と結婚。日清・日露両戦争では自ら望んで看護師として働いた。
幕末から明治期にかけてのハンサムウーマン、楽しみです……脚本家と配役と演出家次第なのですが^_^;。
江川太郎左衛門ゆかりの韮山反射炉関係のニュース。
韮山反射炉、世界遺産へ一歩 構成資産候補に追加
韮山反射炉、世界遺産へ一歩 構成資産候補に追加
静岡県伊豆の国市の国史跡・韮山反射炉が、世界文化遺産登録を目指している「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産候補に追加されることが決まった。韮山反射炉は幕末の建造で、西洋技術の日本国内での発達・伝播(でんぱ)の証しであるとともに、当時の姿をとどめる世界的に貴重な反射炉であることが評価されたという。
6日に山口県下関市で開かれた同遺産群登録推進協議会総会で承認された。
韮山反射炉は幕末、韮山代官・江川太郎左衛門英龍により建造が始まり、1857年に完成。1922(大正11)年、国の史跡に指定された。
現存する反射炉としては国内最古であるとともに、当時の佐賀藩の反射炉築造技術が生かされていることから、西洋から取り入れた技術が日本国内で発達し、伝わった証しとされる。
九州地方を中心とする「近代化産業遺産群」は、幕末の西洋技術の伝播(でんぱ)と飛躍的な発展を示す遺跡として世界文化遺産登録を目指しており、2009年に世界遺産暫定リストに記載された。7県12市で構成する同推進協議会では今後、国の文化財指定や推薦書原案の作成などを経て2015年の登録を目指す。
構成資産には、旧官営八幡製鉄所(北九州市)や萩反射炉(山口県萩市)、旧グラバー住宅(長崎市)、旧集成館(鹿児島市)など日本近代化の足跡を示す建物が並んでいる。
川勝平太知事は「韮山反射炉は日本の近代化に大きく貢献した遺産であり、大変喜ばしい。地元・伊豆の国市などと連携して世界遺産登録を目指します」とコメントを出した。
伊豆の国市の望月良和市長は「江川太郎左衛門英龍公の偉業を広く知ってもらう好機であると共に、遺産登録が実現すれば伊豆全体の活性化につながると思う」と期待を寄せた。
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