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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
山形
<戊辰戦争150年>動乱期の米沢を紹介 上杉博物館で特別展
 米沢市上杉博物館で、特別展「戊辰戦争と米沢」が開かれている。幕末から明治初期までの米沢藩の歩みを約100点の資料で紹介している。
 展示は時系列で、最初の資料は江戸から京都警衛に向かう米沢藩士約650人の行列を描いた「上杉斉憲上洛之図(うえすぎなりのりじょうらくのず)」(1863年)。これを契機に米沢藩は全国的な政局に深く関わっていった。
 上杉斉憲が朝廷から下賜(かし)された「牡丹菊常夏桔梗模様錦陣羽織(ぼたんきくとこなつききょうもようにしきじんばおり)」は色鮮やかさが際立ち、朝廷の期待が読み取れるという。当時普及し始めた大砲やその製造方法などを書き記した藩士の古文書は初公開で、いかに西洋の技術を取り入れていったかが分かる。
 戊辰戦争時、米沢藩が越後に進軍する際の本陣となった豪農・渡辺家の家相図など、国の重要文化財に指定されている貴重な資料も多数展示されている。
 前期は10月14日まで。後期は展示品を入れ替え、同20日から11月18日まで。ギャラリートークは10月6日と20日。「戊辰戦争の社会史-軍隊と民衆-」と題した講演会が同28日開かれる。連絡先は米沢市上杉博物館0238(26)8001。

福島
奥羽越列藩同盟...時を超え『援軍』 会津まつり・会津藩公行列
戊辰150年記念「会津まつり」のメイン行事「会津藩公行列」は23日、旧幕府軍(東軍)の中心だった会津藩があった会津若松市で行われ、戊辰戦争を再現する約550人がシンボルの鶴ケ城を発着に市街地を練り歩いた。大河ドラマ「八重の桜」で主人公・山本(新島)八重を演じた女優の綾瀬はるかさんが特別ゲストとして5年連続で参加し、八重の幼少期を演じた鈴木梨央(りお)さんも初参加した。

 今年の行列は戊辰戦争時に会津、庄内両藩の救済を目的に結成された奥羽越列藩同盟に焦点を当てた点が特徴で、五芒星(ごぼうせい)の同盟旗を先頭に、ゆかりの仙台、米沢両藩、精鋭部隊「十六ささげ隊」が新政府軍を恐れさせた棚倉藩、長岡藩が援軍として駆け付けた。

 会津まつり最終日は24日午前10時から、中央通り出発で日新館童子行列・鼓笛隊パレードが行われる。

 「絆、若い世代にも」

 今年の藩公行列の焦点となった「奥羽越列藩同盟」。加盟した長岡藩(新潟県)の藩主牧野忠訓(ただくに)役として、牧野家第17代当主の忠昌さんの長男、忠慈(ただしげ)さん(28)が初参加し、りりしい騎馬姿を披露した。

 戊辰戦争で落城した同藩からは、藩主や藩士らが会津に逃れた。忠慈さんは今年、会津藩領で新政府軍と戦い、没した長岡藩士らを供養する慰霊祭などにも参加し、両地域の結び付きに理解を深めてきた。

 藩公行列では沿道から、「ありがとう」「長岡藩頑張れ」といった声を掛けられた。忠慈さんは「本当にうれしかった。歴史的な絆が若い世代にも伝わるようにしたい」と話した。

会津藩公行列綾瀬はるかさんも参加 戊辰150年
 戊辰戦争(1868~69年)の激戦地の一つとなった福島県会津若松市で23日、旧会津藩の歴代藩主などに扮した人々が市内を練り歩く恒例の「会津藩公行列」が行われた。今年は旧幕府軍の主力だった会津藩が新政府軍に敗れて150年になることから、会津藩と共に戦った「奥羽越列藩同盟」に加わった旧藩ゆかりの人々も参加し、祭りに花を添えた。

 参加者らは、会津藩が最後まで拠点とした鶴ケ城での先人感謝祭と出陣式の後、市内中心部を馬や徒歩でパレード。戊辰戦争前後の会津藩が中心となった2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で主演した俳優、綾瀬はるかさんが5年連続で参加した。(共同)
<戊辰戦争150年>会津藩公行列 「同盟」集結 威風堂々
 会津若松市の会津まつりのメイン行事「会津藩公行列」が23日、市中心部であった。戊辰戦争150年の今年は会津藩救済のため結成された奥羽越列藩同盟の加盟藩を中心に編成。俳優の綾瀬はるかさんが5年連続、鈴木梨央さんが初の特別ゲストとして参加した。 歴代の会津藩主や白虎隊をはじめ仙台、米沢、棚倉、長岡(新潟県)の同盟諸藩、「会庄同盟」を結んだ庄内藩、会津藩と共に鶴ケ城に立てこもった凌霜隊の郡上藩(岐阜県)、会津藩再興の地・むつ市などの関係者総勢540人が城下町を練り歩いた。
 出陣式で、NHK大河ドラマ「八重の桜」で山本八重役の綾瀬さんは「お変わりありませんか」の意味の「みんなさすけねーがー」とあいさつ。八重の子ども時代を演じた鈴木さんも「お元気だったなし」とともに会津弁で呼び掛けた。約7キロの沿道には大勢の見物客が詰め掛け、先人への感謝を込めて声援を送った。
 会津まつりは最終日の24日、子どもたちによる日新館童子行列などがある。
戊辰150年に「第9」演奏会松江豊寿の故郷、会津で
 第1次大戦中に徳島県鳴門市の板東俘虜収容所長としてドイツ人捕虜に人道的に接し、ベートーベンの交響曲第9番が日本で初演されるきっかけをつくった松江豊寿(1872~1956年)の功績をたたえる「第9」演奏会が24日、松江の故郷、福島県会津若松市で開かれた。

 演奏会は戊辰戦争150年を記念する一連の行事に合わせて開催。会津市民オーケストラの演奏で、市民でつくる「会津第九の会」のメンバーら約300人が、終楽章の合唱「歓喜の歌」を高らかに歌い上げた。

 節目の年だけに、鳴門市をはじめ北海道、沖縄県など各地の愛好家が合唱に参加した。
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仕事が押してしまい、鈴本の『落語の仮面』シリーズ第9話「走れ元犬」を見逃してしまい、残念です。次の機会はいつでしょうか。

 白鳥さんが横浜にぎわい座(のげシャーレでなく、芸能ホール)で独演会って凄いですね。今回は「西城秀樹さん、ありがとう独演会」と銘打ってます。子供の頃、雪深い高田ではテレビが唯一の娯楽だった時に西城秀樹さんがヒーローだったそうで。

普段の正拳/白鳥
 圓生師匠の『札所の霊験』パロディで私は一度お台場寄席で見てますね……つかちゃんがプロデュースしててpodcast配信していた番組でした、落語を聴き始めてた頃でした。
 今回は、その「普段の正拳」に西城秀樹さんの作品をトリビュート。数々のヒットチャートの歌詞がちりばめられてました。
 1時間15分という長丁場、これだと寄席はもちろん独演会でも掛けられないだろうから、この場限りの作品になりそう、とのこと。一期一会ですねぇ。

隅田川母娘/白鳥
 口直しに元気な女の子の噺と聞いた瞬間、またみどりちゃんかと思ったら、これでした。
 毎回あぶないと思うネタですが、人情噺として成立しています。
いよいよ秋だなぁと思って気合いを入れて栗ご飯を炊いたのですが、昨日今日の暑さで糸を引いてしまいましたorz

福島
会津若松戊辰戦争150年式典 先人の苦難に思いはせ
 幕末の戊辰(ぼしん)戦争で会津藩が鶴ケ城を降伏開城して150年になる22日、福島県会津若松市城東町の会津風雅堂で記念式典が開かれた。会津にゆかりのある全国の自治体や団体などの関係者ら約500人が参加。会津がたどった歴史の意義を再認識し、戊辰戦争後の苦難の時代を生き抜いた先人たちの歩みをたたえた。

 式典が始まった午後1時半、参加者らは1分間の黙とうをした。同時に市役所本庁舎でサイレンが鳴らされ、会場に来られない市民らも先人らに敬意と感謝を表した。

 室井照平市長は「先人から受け継いだ歴史や伝統を守り、次の世代に語り継ぐのが我々の責任だ」とあいさつ。ゆかりの地を代表して、青森県むつ市の川西伸二副市長が「歴史に裏付けられた両市の思いを後世に伝えることが、先人への報いになる」と、宮下宗一郎市長からの祝辞を代読した。

 先人の顕彰に尽力してきた団体などを表彰。市立一箕中3年の田中麻登さんが平和への願いなどを盛り込んだ記念宣言を発表した。その後、会津松平家14代当主の松平保久さんが戊辰戦争後の会津人の歩みについて基調講演。トークショーには女優の綾瀬はるかさんらが出演し、会場は盛り上がった。

 戊辰戦争で会津藩は新政府軍の侵攻を受け、鶴ケ城では約1カ月の籠城(ろうじょう)戦に耐えたものの1868年9月22日に降伏。約3000人が戦死したとされる。会津藩は「朝敵」の汚名を着せられ、戦後も斗南藩(むつ市)への移封を命じられるなど、先人たちは多くの困難を経てきた。【湯浅聖一】
会津藩士の「義」継承 戊辰150年式典、記念宣言を発表
 戊辰戦争の激戦地となった会津若松市の戊辰150周年記念式典は22日、同市で行われ、旧幕府軍の主力として戦い抜いた先人らに出席者が敬意を表した。会津藩士らが命を懸けて貫いた「義」の思いは今に受け継がれ、会津の人々の奥底に生き続ける。出席者は、歴史や伝統に包まれた古里の誇りを再確認し、次世代に継承する決意を新たにした。

 会津若松市と市戊辰150周年記念事業実行委員会の主催。会津藩が鶴ケ城を開き、1カ月に及ぶ熾烈(しれつ)な籠城戦に終止符を打った1868(明治元)年9月22日(旧暦)に合わせて行われた。

 約1分間の黙とうで始まり、会場は約1700人の静かな祈りに包まれた。

 先人に対する感謝や平和への願いが盛り込まれた記念宣言が、23日の「会津まつり」会津藩公行列で若殿役を務める一箕中3年の田中麻登(まなと)さんによって発表された。

 宣言は戦争の悲惨さを伝える必要性を訴え、古里を守るために戦った人々と、戦後の苦難を乗り越え功績を残した人々の顕彰に努めると誓った。さらに、会津の精神文化に学ぶ人材の育成と伝統の継承を掲げた。

 小中学生を対象にした作文コンクールの最優秀賞作品も朗読された。謹教小6年の野中律さんは、明治時代に活躍した会津の女性たちの中に「世の中を見る正しい目と、決してゆるがない強い意志」を見て取り、北会津中3年の坂内愛莉さんは「会津の先人は今でも、私たちにたくさんのことを伝えようとしてくれている」と述べた。

 室井照平市長はあいさつで「会津の歴史や先人の活躍を将来を担う次の世代に語り継いでいくことが、私たちの責務ではないだろうか」と呼び掛けた。

 式典ではこのほか、先人の顕彰に尽力してきた14団体を表彰し、会津松平家第14代当主の松平保久(もりひさ)さんが「それからの会津―開城以降の会津人の歩み―」のテーマで基調講演。大河ドラマ「八重の桜」で主人公山本(新島)八重を演じた綾瀬はるかさんや会津会会長の柳沢秀夫さんらによるトークショーが行われた。

会津藩士・佐川官兵衛通じ交流 戊辰150年の節目に会津と熊本
 幕末の会津藩士で、西南戦争の際に熊本県で討ち死にした佐川官兵衛を顕彰している熊本佐川官兵衛顕彰会の興梠(こおろぎ)二雄(つぐお)会長ら10人が21日、会津を訪れた。一昨年の熊本地震で熊本の顕彰碑が壊れた際、会津佐川官兵衛顕彰会などの協力で新たな胸像が建立された経緯があり、戊辰150年の節目とお礼の意味を込めた。

 鶴ケ城三の丸跡地には、官兵衛が戦死した地から寄贈された石で2001(平成13)年に建立された顕彰碑がある。熊本県南阿蘇村にも顕彰碑や供養碑があったが、地震で多くが壊れ、約350万円をかけて新たな胸像を建立した。

 会津若松市で開かれた歓迎会には、会津顕彰会の会員ら約25人も参加。室井照平市長が「毎年碑前祭を開いていただいていることに感謝したい」と歓迎、会津顕彰会の会長を務める菅家一郎衆院議員もあいさつした。

 熊本顕彰会の興梠会長は「官兵衛は部下の規律を徹底し、住民からも慕われた。最後まで会津武士道を貫いた官兵衛を縁に末永く絆をつないでいきましょう」と謝辞を述べた。熊本顕彰会顧問で歴史作家の中村彰彦さんも熊本と会津の縁を紹介した。新井田万寿子市子ども会育成会連絡協議会長が熊本顕彰会の会員に記念品を贈った。

戦死した藩士らの功績伝える 戊辰戦争・熊倉の戦い、喜多方に看板
 戊辰150年に合わせ、戊辰戦争・熊倉の戦いを伝えようと、熊倉史談会(山本佑一郎会長)は喜多方市熊倉町の杉ノ下墓地に、同戦いで戦死した佐藤銀十郎や会津藩士中根米七の功績を伝える看板を設置した。

 佐藤は上州権田村(現群馬県高崎市)出身で幕府の勘定奉行などを務めた小栗上野介に仕えた。小栗が斬首され、小栗の妻を会津まで護衛した後、会津藩に加わり、戦いに参加した。

 設置は11日に営まれた「熊倉の戦い 顕彰祭」に合わせて行った。顕彰祭には小栗の顕彰会の関係者や中根の親族らが参列。小栗上野介顕彰会の市川平治会長は「顕彰祭を契機に歴史を見直す機会になればうれしい」、中根の親族に当たる中根徹さんは「毎年行っている墓参を続けたい」と語った。

◆佐藤銀十郎の活躍「熊倉の戦い」出版

 熊倉史談会の山本佑一郎会長は書籍「戊辰戦争・熊倉の戦い」を出版した。

 佐藤銀十郎の活躍や熊倉の戦いの経過を詳細に記しており「地元の人に地元の歴史を知ってほしい」と話した。

   問い合わせは山本会長(電話・ファクス0241・25・7651)へ。

迫力演武「會津鶴ケ城古武道祭」 新選組ゆかりの試衛館初参加
 会津若松市のシンボル・鶴ケ城をバックに各団体が武道や江戸時代から受け継がれる古武道の演武を披露する「會津鶴ケ城古武道祭」は17日、開かれた。戊辰150年に合わせ、会津藩と深い関わりがある新選組の局長・近藤勇などが習得したとされる「天然理心流」の道場「試衛館」(東京)も初参加した。

 同祭実行委員会の主催、市、市教委、福島民友新聞社などの後援。第1部は武道団体の演武で、各団体の会員らが合気道や空手などを披露した。

 第2部は古武道団体の演武で、なぎなたや居合道、杖道などが次々に披露された。初参加の試衛館は高鳥天真館主らが形を披露。防具を付けての実戦も行い、独特の寝技なども披露し迫力ある技を繰り出した。

千葉
戊辰戦争中に沈んだ米国蒸気船、着々と水中調査
 戊辰ぼしん戦争中の1869年、新政府軍の熊本藩士らとともに千葉県勝浦市沖で沈んだ米国蒸気船「ハーマン号」(全長71メートル)の水中調査が着々と進んでいる。5回目の調査を終えたチームは史跡指定や発掘調査を目指しており、地元でも「熊本や米国との交流拡大や、新たな観光資源につながる」と期待が高まっている。

 ハーマン号は、日本に開国を迫ったペリー提督の「サスケハナ号」に迫る当時最大級の蒸気外輪船。いわゆる黒船だ。榎本武揚ら旧幕府軍の討伐のために借り上げられ、熊本藩士ら350人と米国人船員約80人を乗せて函館・五稜郭に向かう途中の同年2月13日、暴風雨で座礁して沈没。地元住民が救助にあたったが、約230人が犠牲になった。

 この沈没船の水中調査を行っているのが、日本水中考古学調査会だ。米国で水中考古学を学んでいた井上たかひこさん(75)が1998年、地元漁協の協力を得て、沖合の水深約10メートルの海底に沈んでいる船を発見し、ハーマン号と特定。同会を設立して会長に就き、調査を続けてきた。

 今年7月下旬には、沈没から150年を前にした5回目の調査を実施。「マルチビーム測深」や「写真測量」といった技術を使い、沈没船や周囲の海底状況などがわかる精密な立体図を作成するためのデータを収集した。食器の破片とみられる磁器片も新たに見つかったという。

 井上さんは「精密な立体図を含む報告書をまとめ、県の史跡指定や、沈没船を引き揚げる発掘調査につなげたい」と意欲を燃やし、「発掘調査が進めば、外輪が付いた船の構造や積み荷などもわかってくる。『海から見た戊辰戦争』という新たな視点も生まれる」と指摘する。

 水中調査の進展に地元勝浦市でも期待の声が上がっており、市観光協会副会長で民宿組合長の江沢修さん(68)は「史跡指定となれば注目度はぐっと増し、新たな観光資源にもなる。熊本側との交流も進む」と胸を膨らませる。

 同市では毎年、犠牲者の慰霊祭が行われ、2012年からは米国大使館員も参加するようになった。これに尽力した同市の海事補佐人、大野幹雄さん(75)も「この地の人たちが乗組員の救助活動を必死で行った歴史に、光がさらに当てられれば。もっと多くの米国人にも知ってもらい、勝浦を訪れてほしい」と願う。

 慰霊祭を主催する「黒船『ハーマン号』を世に出す会」の会長を務める猿田寿男市長も「市としても史跡指定に向けて力を尽くしたい。さらなる日米親善にもつながる」と話している。

東京
明治期の浮世絵師に脚光 今に通じる動画的表現 月岡芳年“血みどろ絵”
 明治改元から150年。美術界では明治期に活躍した浮世絵師に関連し、展覧会や関連本の出版が相次いでいる。幕末から明治の激動の時代に生きた、知られざる優れた絵師の一端が見えてくる。(渋沢和彦)

 東京の練馬区立美術館で開催中の「芳年 激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」展。躍動的な武者絵や妖艶(ようえん)な美人画などとともに、刀で斬られ血が飛び散る刺激的な作品が並ぶ。“血みどろ絵”の絵師、月岡芳年(よしとし)の作品だ。

 天保10(1839)年、江戸に生まれ、明治25年数え54歳で死去した。12歳で歌川国芳に入門して幕末には武者絵などを描いていた。代表シリーズ「英名(えいめい)二十八衆句」は、歌舞伎や講談などの刃傷(にんじょう)沙汰を主題とした28図の血なまぐさい図。国芳門の兄弟子の落合芳幾(よしいく)(1833~1904年)とそれぞれ14図ずつ描いた競作だった。

 芳年は慶応4年、江戸・上野で起こった明治新政府軍と旧幕臣からなる彰義隊との戦いの地を、弟子を連れて取材。「魁題百撰相(かいだいひゃくせんそう)」で表現した。

 「実際に戦の跡地に出向き、しかばねを写生していた。だから芳年の絵は荒唐無稽ではなくリアリズムがあり作品の魅力」と同館の加藤陽介学芸員は解説する。

 関連本の出版も相次ぐ。芳年の血みどろ絵は「英名二十八衆句」「東錦浮世稿談(あずまにしきうきよこうだん)」「魁題百撰相」の3シリーズのみで、40年の画業全体から見ればほんの一部。8月刊行の『月岡芳年伝 幕末明治のはざまに』(中央公論美術出版)は、さまざまな資料を分析し、同時代の絵師とともに芳年の画業の全容を浮かび上がらせる。著者の大阪市立大の菅原真弓教授は「四半世紀前まで、幕末明治の浮世絵は、絵画作品として認識されておらず美術史研究の対象となりえなかった。物語のように見せる視線誘導が動画的であり、現代に受ける」と指摘する。続いて刊行された『鬼才 月岡芳年の世界 浮世絵スペクタクル』(平凡社)も美人画や歴史画を多数掲載し、芳年の異なる側面に光を当てる。

 同時期の浮世絵師の再評価も進む。兄弟子の落合芳幾についても8月、東京都内で80点以上の作品を紹介した初の本格的な展覧会が開催された。近代美術に詳しい帝京大の岡部昌幸教授は「明治の浮世絵は研究の宝庫。豊原(とよはら)国周(くにちか)や三代歌川広重、井上安治(やすじ)ら優れた絵師は多い。今後さらに光が当てられるでしょう」と話している。

 「芳年 激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」展は24日まで、一般1000円。10月28日から、高知県立美術館に巡回する。

 政治体制など社会が大きく変わった幕末から明治前半の美術に焦点を当てた展覧会「明治150年記念 真明解・明治美術 増殖する新(ニュー)メディア」展が、横浜の神奈川県立歴史博物館で開催されている。

 洋画、日本画、木版画、写真などを展示。明治美術の研究・調査を進めてきた同館所蔵品を中心に公開した。

 洋風建築が建ち始めた明治時代。街の風景や風俗を題材にした錦絵を多く描いたのが三代歌川広重だった。版元の大倉孫兵衛(1843~1921年)が制作を後押しし、米国で版画を販売。大倉が旧蔵した錦絵画帖が本展準備中に発見され、中には海外向けを意図して制作された美人画や花鳥画の大型錦絵も含まれる。

 英国人画家、チャールズ・ワーグマンから洋画の習得に励んだ五姓田義松(ごせだよしまつ)(1855~1915年)の油彩画や、渡欧して銅版画技術を身につけ美的な地図を制作した洋画家で版画家の岩橋教章(のりあき)(1835~83年)などの作品も、明治期の美術の多様さを再認識させる。

 30日まで、一般900円。(電)045・201・0926。

新潟
徳川の銀印、15日から公開=昨年発見、15代将軍ら使用-新潟
 江戸時代末期に徳川将軍家が外交文書に使った銀印「経文緯武(けいぶんいぶ)」が、新潟県立歴史博物館(長岡市)で15日から初めて一般公開される。銀印は昨年、徳川記念財団(東京都)が徳川宗家の蔵を整理した際に見つかったもので、幕府が1857年に作製を命じ、翌年結ばれた日米修好通商条約の批准書などに押印された。14代将軍家茂と15代将軍慶喜が使用したという。

将軍家光のかご、福井で発見=側近藩主に下賜

 同博物館では14日、銀印を公開する企画展の開場式と内覧会が開かれた。来賓として招かれた徳川宗家18代当主の徳川恒孝さん(78)は「歴史の積み重ねで現在がある。今の日本につながっているものを見ていただくのはとてもいいことだと思う」と話した。公開は30日まで。(2018/09/14-18:46)

福井
龍馬の花押、初お目見え=唯一の直筆原本、特別展で-福井
 福井県立歴史博物館(福井市)で22日から始まった特別展で、幕末の志士、坂本龍馬の花押(サイン)が記された書簡が国内で初公開された。龍馬直筆の花押を原本で確認できるのは、この書簡だけという。

龍馬への手紙原本公開=京都の古美術商で発見-高知

 同博物館によると、花押は「龍」の左側と「馬」が左右に組み合わされている。書簡は福井藩士村田氏寿宛てに、元治元(1864)年10月6日付で書かれ、上洛していた薩摩藩士岩下方平に同行し、自身が近日中に関東へ向かうことを伝える内容。県外の個人所蔵品を県が借用した。
 同年に書かれた龍馬の書簡は、これを含め2点のみが確認されている。2010年にこの花押を歴史雑誌で初めて紹介した歴史作家の桐野作人さん(64)は「元治元年の龍馬の動きが少し分かってきたのは意義がある」と指摘。岩下が薩摩藩重役だったことから、「政治的、経済的に薩摩藩と密着するターニングポイントになったことが分かる」と語った。

坂本龍馬直筆の花押が記された書簡=19日、福井市の福井県立歴史博物館

 特別展「幕末維新の激動と福井」では、薩摩藩士西郷隆盛が村田に宛てた書簡が初公開されるほか、15歳の時に自身の志を記し、各地の中学校で行われる立志式の由来にもなった福井藩士橋本左内の「啓発録」の原本も展示される。11月4日まで。(2018/09/22-10:10)

西郷隆盛の書簡初公開=福井藩士宛て、特別展で-県立歴史博物館
 福井県立歴史博物館は19日、薩摩藩の西郷隆盛が福井藩士に宛てた書簡を22日から始まる「幕末明治福井150年博」の特別展で初めて公開すると発表した。藩士との面会翌日に出しており、内容からも、西郷のこまやかな心遣いが読み取れるという。
 書簡は縦16.0センチ、横47.1センチ。複数の専門家による鑑定で、西郷の筆跡と確認された。県外の個人が所蔵していたのを県が特別展のため借用した。
 安政4(1857)年、前日に面会した福井藩士の村田氏寿宛てに書かれた。面会で打ち解けて話ができたことを喜ぶ一方、失言があったかもしれないと許しを求めている。


福井県立歴史博物館が初公開する西郷隆盛の書簡。手前に「西郷拝」と記されている=18日、福井県庁

 村田は福井藩主松平春嶽の親書を薩摩藩主島津斉彬に渡すため薩摩を訪れていた。西郷は書簡で、斉彬との面会が実現しそうなことも伝えている。
 西郷は文久2(1862)年に沖永良部島へ流された際、書を学んで丸みのある書体を確立したという。この書簡を書いたのは29歳の時で、博物館の担当者は「少し荒っぽい感じがする」と話す。
 落合弘樹明治大教授(幕末維新史)は「早い時期の書簡はあまりなく、よく見る西郷の字と違うのは面白い。『俺は斉彬の無二の忠臣である』というとがったところが書簡に反映されている」と語った。(2018/09/19-17:02)





やっと30度を超える暑い日が去ったかと思ったら、明日の予報は最高気温30度……暑さ寒さも彼岸まで、ですね。。

宮城
<戊辰戦争150年>激戦パネルでたどる 大砲など原寸大の模型も 白石で企画展
 戊辰戦争150年に合わせ、白石市に拠点を置いた奥羽越列藩同盟や東北諸藩が新政府軍と戦った経緯を振り返る「激戦記録パネル展」が、同市中町の寿丸屋敷で開かれている。20日まで。
 河北新報が1988年に連載した企画「戊辰の役百二十年」の記事や掲載写真、戊辰戦争にまつわる絵図などのパネル約50点が並ぶ。緒戦の鳥羽・伏見の戦いから、箱館戦争の終結までの流れを紹介。敗戦後に領地の白石を追われた片倉家臣が北海道に渡り、開拓に命を懸けた歩みをたどる。
 戦争で使われたモルチール砲やスペンサー騎兵銃、ゲベール銃を厚紙で再現した原寸大の模型もある。
 主催した白石まちづくり会社の袴田和由さん(71)は「賊軍の汚名を背負わされた片倉家臣は生活基盤を失い、新天地に懸けた。戦争が何を奪うかという現代にも通じるテーマを感じてほしい」と話す。
 午前10時~午後4時。入場無料。連絡先は同社0224(25)6054。
 白石は母方の祖母の出身地なんですよね。ネットで調べてみたら明治30年代に父親(私から見たら曾祖父)が村長になっていました。一度訪ねてみたいです。

福島
【戊辰150年】会津は見どころ満載(9月15日)
 会津若松市の戊辰百五十年関連の企画や行事が最盛期を迎えている。旧暦の九月は、会津で激しい戦いが繰り広げられ、鶴ケ城は開城された。新暦となっても初秋の九月は観光シーズンと重なり、県内外から多くの人が訪れている。戊辰戦争を新たな視点から捉え直す機会とするとともに、関係する地域が理解を深め合うきっかけをつくっていきたい。
 県立博物館は、福島、新潟、宮城三県の博物館共同企画展覧会「戊辰戦争一五〇年」を開催している。約二百点の展示品のうち、半数の約百点は福島独自の展示品だ。初公開の資料も数多く、興味深い展示となっている。
 必見の一つは、会津藩祖保科正之が眠る猪苗代町の土津[はにつ]神社を描いた「土津神社図屏風」で、戊辰前の様子を伝えている。土津神社は、新政府軍の進攻を前に、猪苗代城代が社殿に火を放って焼失した。焼失前の神社の絵図は数少なく、豊かな自然の中のたたずまいは会津の質実剛健さを感じさせる。県立博物館は数年前に個人から寄贈を受け、展覧会に備えてきた。
 ほかにも、会津籠城戦の女性の活躍を描いた絵詞や新政府軍の「錦の御旗」なども並ぶ。十月十四日までの期間中、視点を会津や東北、越後に置いた展示を多くの人に見て、感じてもらいたい。
 戊辰戦争後の歴史にスポットを当てた企画もある。六十年を経た一九二八(昭和三)年に会津藩主松平容保の孫勢津子さまが、昭和天皇の弟秩父宮雍仁[やすひと]親王に嫁いだ。今年は勢津子さまの生誕百十周年、成婚九十周年の年にも当たり、生誕日の九日には記念式典が催された。勢津子さまや外交官として活躍した父松平恒雄氏らの特別写真展も二十六日まで会津若松市の御薬園で開かれている。二十八日には勢津子さまのインタビューなどをまとめた映像の映写会も予定されている。
 「朝敵」とされた会津藩の汚名をそそぐ出来事として会津人の心に残っている。「あの時にやっと戊辰戦争が終わった」と話す会津人もいる。戊辰戦争そのものに焦点が当てられがちだが、その後の会津に思いを寄せる機会にもなるだろう。
 月末には、最大のイベント会津まつりが展開される。二十三日の会津藩公行列には、仙台、米沢、棚倉、長岡の各藩の行列も編成される。それぞれが、会津藩の救援を目的に結成された奥羽越列藩同盟に加盟した。華やかさを楽しみながら、ゆかりの地同士の絆を一層深める一歩となるよう期待する。(安斎康史)

神奈川
戊辰と明治の歴史観に意見 横浜で新聞各社シンポ
 ニュースパーク(日本新聞博物館)主催のシンポジウム「明治百五十年を報じる視点」は十五日、横浜市中区の同博物館で開かれた。福島民報社、南日本新聞社(本社・鹿児島市)、朝日新聞東京本社、読売新聞西部本社の代表者が近代日本の出発点となった明治時代の明と暗、戊辰戦争の歴史観などに意見を交わした。
 福島民報社の安田信二取締役論説委員長は福島県内で行われている多くの催しの冠に「明治百五十年」ではなく「戊辰百五十年」が掲げられていることを指摘した。その上で、戊辰戦争を題材にした福島民報社の連載企画を中心にした紙面、徳島新聞社と連携したベートーベンの交響曲第九番の日本初演百周年記念事業、戊辰戦争を地元の資料で読み解く歴史講座などの取り組みを紹介した。
 安田委員長は「これまで繰り返されてきた固定的な見方や歴史叙述をさまざまな資料に基づいて検証する必要性がある」と提起。江戸幕府から明治新政府への政権交代前後の動きや戊辰戦争の各地の戦闘にとどまらず、経済や外交、思想、文化、人々の暮らしなどの幅広い視点で時代を捉え直す大切さを訴えた。戊辰戦争を武士の戦いとしてだけでなく、戦場に駆り出された人々の様子や物資の徴発を含め、当時の世の中全体を多面的に見る重要性にも触れた。
 南日本新聞社の原田茂樹文化生活部長は、薩摩藩が明治維新や近代化政策を主導できた背景を説明した。読売新聞西部本社の丸茂克浩社会部次長は簡単には和解できなくても互いの立場を理解することは可能だとした。朝日新聞東京本社の宮代栄一文化くらし報道部編集委員は「歴史を虚心坦懐(たんかい)に見つめることが大事」と述べた。
 共同通信社の橋詰邦弘論説委員長がコーディネーターを務めた。討論会に先立ち、政治学者の姜尚中(かん・さんじゅん)東大名誉教授が「明治百五十年とそのレガシー」と題して講演した。

( 2018/09/16 09:27 カテゴリー:主要 )

新潟
徳川の銀印、15日から公開=昨年発見、15代将軍ら使用-新潟
 江戸時代末期に徳川将軍家が外交文書に使った銀印「経文緯武(けいぶんいぶ)」が、新潟県立歴史博物館(長岡市)で15日から初めて一般公開される。銀印は昨年、徳川記念財団(東京都)が徳川宗家の蔵を整理した際に見つかったもので、幕府が1857年に作製を命じ、翌年結ばれた日米修好通商条約の批准書などに押印された。14代将軍家茂と15代将軍慶喜が使用したという。

将軍家光のかご、福井で発見=側近藩主に下賜

 同博物館では14日、銀印を公開する企画展の開場式と内覧会が開かれた。来賓として招かれた徳川宗家18代当主の徳川恒孝さん(78)は「歴史の積み重ねで現在がある。今の日本につながっているものを見ていただくのはとてもいいことだと思う」と話した。公開は30日まで。(2018/09/14-18:46)
昼の部は7割5分から8割の入りかな。2階席にブロックで空席があった。新作落語に極端にシフトした顔付けのせいか。でもガチガチの落語ファンばかりという感じでもなく、年齢層も広く、温かい雰囲気。

初天神/ぐんま

宗論/萬橘

死神/白酒
 昼の部組に入れられた白酒さんが毒舌を吐きまくる。夜の部に行くような人はこの時間帯は朝日名人会に行ってる、とか。
 色白で太って元気な死神なんて白酒さんの落語じゃないと出て来ない(笑)。すごい友達喋りで、だから内緒で特別に死神の秘密を教えてやるって説得力がある。圓生のとはまったく違う、でも白酒さんらしい死神。

あたま山心中/百栄

落語の仮面第一話 三遊亭花誕生/白鳥
 かつてはキワモノだった白鳥さんが「よってたかって」でトリを取り、「落語の仮面」で万雷の拍手を受ける。落語鑑賞歴10年を越える私が「時代が白鳥さんに追いついた」とも思う。

 夜の部は9割ほどの入り。古典落語ファンでしょう、でも年齢層広めだし、友達と誘い合わせて来たのであまり落語知らない人もいる感じ。それで1,000席のキャパがほぼ埋まるのだから、落語界としてはいいんじゃないかな。

阿弥陀池/じゃんけん
 兼好さんの二番弟子であるためか、寄席(私は落語協会の番組が圧倒的)ではあまり聴かないネタ。「新聞記事」というネタでは似たような展開を聴いたのだが、「天ぷら屋だけに」「揚げた/挙げた」に引っかけた噺。こちらは「阿弥陀が池」と「阿弥陀が行け」に引っかけた噺。

山田真龍軒/松之丞
 先日、お席亭が抜擢での真打ち昇進を落語芸術協会に打診したが否決されたって記事を読んだ記憶がある。うん、落語芸術協会は実力とか関係なく年功で決めるから抜擢ってやらないんだよね。。人気実力共にあって講談界に活気をもたらしている松之丞でも。。。
 一度落語をやってみたいと思い、「鮫講釈」を教えてもらおうと考えてネタを持っている師匠を探した。けど談春師には小言を言われそうな気がする。なので兼好師にさっき楽屋でお願いしたらふたつ返事だった(笑)。
 宮本武蔵が舞子海岸に差し掛かった時に絡んできた鎖鎌使いの虚無僧との戦いの一節。
 熱量が凄い。そして緩急の使い訳で引き込まれる。

風呂敷/兼好
 松之丞との楽屋でのやり取りを兼好さん目線で笑いに。この方は才知があって軽妙なのが持ち味。三遊亭一門のエースと言ったのは白酒さんだったかな。落語the Movieでも兼好さんの持ち味が出たネタで放映されていたのはよかったと思う(六尺棒とか)。
 「風呂敷」もいいね。

元犬/三三
 中入り後で前座もかけるネタを丁寧に、しかし面白く。三三のシロはお母さんと再会するので後味がいい。

らくだ/市馬
 うわー、嬉しい市馬師匠の「らくだ」。しかも市馬師匠のは残酷な匂いがしない(出刃包丁で亡骸の髪を適当に切るとか、菜漬けの樽に亡骸を詰め込む時に骨を折るとか、そういう場面をカットしている)し、口跡がきれいだから、安心感がある。落合の火葬場に間違って願人坊主を連れて行って放り込んでしまうというオチでもきれいに聴ける。

 

開演よりちょっと遅れて入ったら、上がった天どん師匠とすれ違って「こんばんはー」って挨拶した。

もぐら泥/燕路
 途中からだったので聞き逃して残念。

太神楽曲芸/勝丸

祇園祭/菊太楼

花嫁の父/玉の輔

音楽/のだゆき

新浮世床/ちよりん
 「浮世床」を健康ランドで居眠りしていた女主人公(おばあちゃん)にして、美男大学生と……という展開に。おー、こういう女性落語もアリだな。

漫才/ホームラン
 時間短く切り上げたけど、毎度すごい。キレがいい。

落語の仮面 第9話/二人の豊志賀
 第8話から続いて、いよいよ、立川亜弓さんと三遊亭花ちゃんによる三題噺の本番。古典落語をベースにした亜弓さんと、落語から自由な立場で噺をつくる三遊亭花ちゃんと。
 そしてオチは、新作あるある。
 女性が大口開けて笑える客席っていいねー。『ガラスの仮面』知ってても知らなくても、落語家あるあるネタを知ってても知らなくても、ちゃんと笑えるみたい。もちろん、両方知ってる私も大口開けて笑ってた。

 そして、帰り際、はけてきた白鳥師匠とも顔を合わせる幸運。「今日はありがとうございました」と声掛けられた。
中入り後以降に入ると割引価格2,000円です。

保母さんの逆襲/粋歌

漫才/ホームラン

「落語の仮面」
第8回 高座への螺旋階段/白鳥
 飛ぶ鳥を落とす勢いの立川あゆみの独演会。新味を求める夢空間・土屋社長に三遊亭月影先生はオーディションを提案する。
 第一予選のテーマは三題噺。

 第二予選のテーマは「毒」。そしてオチの台詞は「これが私の切り札」……「ガラスの仮面」ファンなので大爆笑。

 これ以上は書きませんが、柳亭こみち師匠と神田紅師匠がいい味で登場します。
何だかんだで久しぶりの鈴本演芸場。何と2年ぶりでした。そして、「落語の仮面祭り」のせいか、客席は6:4から7:3ぐらいで女性多い(20代30代から70代まで世代広い)という奇跡のような。少数ながら寄席常連っぽい男性客と、これは凄く難しい組み合わせだけどやっぱ白鳥さんの「落語の仮面」シリーズ楽しみにして来てるのね。

太神楽曲芸/勝丸
久しぶり!/天どん
道灌/文蔵
粗忽の釘/馬石

マイナンバー〜お前はもう死んでいる/彦いち
マクラに白鳥さんねたぶっ込む(笑)
・トリでは江戸の風は吹きませんから。
・白鳥師匠に好きなタイプは「PUFFYの真ん中」

粋曲/小菊
壺算/花ごめ
 10日間日替わりで女性落語家が出演というのも、白鳥さんが女性向けにネタをつくってくれるという人脈のおかげです。落語界のダイバーシティ推進に貢献している白鳥師(笑)。
 おぉ、初めて聴きましたがこはるちゃんと同様に地声で男ばかりのネタをやれるのね。今後がますます楽しみです。

「落語の仮面」第5話 恋する宮戸川/白鳥
 三遊亭花ちゃんに破れて引きこもりになった立川亜弓さんが天性の備忘や演技力を捨てて恋する女を体当たりで演じることに開眼するという(笑)。はっぱをかける師匠は、立川談志亡き後に亜弓さんを預かった立川談春という設定。
 楽屋で亜弓さんを酷評しながら彼女の芸開眼に一役買うという役どころにきく姫姐さん。鈴本演芸場で亜弓さんと競う相手に昇太さん、喬太郎さん、白酒さん。もちろん内容はネットに書くなと言われております。大爆笑。
 第8話「高座への螺旋階段」第9話「二人の豊志賀」第10話「走れ元犬」もコンプリートしたいです。

この度の台風21号、また北海道地震により被災された方々にお見舞い申し上げるとともに、亡くなった方々にお悔やみを申し上げます。私が関西に住んでいた兵庫県尼崎市も台風により各地で停電が発生し、今もまだ現場で必死の復旧作業が続いている由。

宮城
戊辰戦争から150年 仙台藩の戦い足跡たどる
 幕末から明治維新に向かう混乱期に繰り広げられた「戊辰戦争」から今年で150年。政府軍に刃向かった「賊軍」と扱われてきた仙台藩の動向をまとめた「仙台藩の戊辰戦争」が地元の出版社「荒蝦夷(あらえみし)」から刊行されるなど、注目が集まっている。朝廷に敵対したとして“汚名”を着せられた仙台藩だが、改めてその足跡を見に行こう。

 戊辰戦争は慶応4(1868)年1月、京都市郊外での鳥羽・伏見の戦いに始まり明治2(1869)年5月の函館戦争(現在の北海道函館市)で終結する一連の内戦。新体制の確立を目指す新政府軍(薩摩、長州藩など)と、旧幕府軍(仙台、会津藩など東北諸藩は奥羽越列藩同盟を結成)が衝突した。戦いは新政府軍の勝利に終わった。

戦いに散った藩士

 仙台藩主、伊達家の霊廟(れいびょう)として知られる「瑞鳳殿(ずいほうでん)」(仙台市青葉区)の山道を行く。一角にひっそりとたたずむ「弔魂碑」があった。

 「仙台藩の戊辰戦争」の著者で郷土史家の木村紀夫さんは「初めて弔魂碑を訪れたときは雑草が生い茂り、国に殉じた藩士たちが仙台市民からも遠ざけられているようで気の毒に思った」と話す。

 碑は戦争で落命した仙台藩士など1260人と民間で犠牲になった多くの人々をまつっている。明治10(1877)年に伊達家と仙台藩士の子孫らの手で建立された。

 奥羽越列藩同盟の中で中心的な役割を果たした仙台藩。複雑な政治状況の中で翻弄され、多くの犠牲を払ったと同情的な見方をする意見も少なくない。

 同市観光課の担当者は「瑞鳳殿は伊達家の霊廟としてスポットを当てられることがほとんど。戊辰戦争150周年を機に弔魂碑を訪ねてほしい」と話す。

 その上で、「新政府軍と奥羽越列藩同盟という対立構図だけでなく当時の政治的状況にも思いをはせてほしい。歴史を再評価するためにも知識をつけるきっかけになってほしい」と碑の意義を強調した。

 仙台市博物館では10月26日~12月9日まで特別展「戊辰戦争150年」が開催される。


激動の人生歩んだ宮さま

 新政府軍の優勢で展開する戦い。同盟軍は後退を余儀なくされる。同盟の盟主と仰がれたのが輪王寺宮(りんのうじのみや)親王。明治天皇の叔父に当たる人物だ。親王は同盟の軍事総督を務めた。

 親王の仙台での暮らしぶりを知りたくなって、「仙岳院(せんがくいん)」に足を向けた。東照宮のほど近くにある寺院だ。江戸時代、承応3(1654)年に建立。以来、東照宮の別当寺として歴代藩主が東照宮を参拝する際などに身支度に立ち寄るなど藩にとって格式高い寺としてその任務をまっとうしてきたという。

 親王は仙岳院で戦局の悪化によって同盟が崩壊するまで約3カ月にわたり生活した。実際に親王が暮らした建物は現存していないが、そこで生活していたことを示す貴重なゆかりの品々を見ることができる。愛用の茶碗、硯(すずり)、印籠…。戊辰戦争後はドイツ留学、日清戦争出征、そして、台湾で死去…。激動の人生を歩んだ。

 住職の吉田真賢(しんげん)さん(58)は「時代に翻弄されたのが輪王寺宮。150年を迎え、改めてここで暮らしていた証しを見に来てほしい」と話した。

 節目の年に仙台藩の足跡をたどってみると、維新の英雄たちの陰に埋もれた歴史を掘り起こす機会になるかもしれない。
(東北総局 塔野岡剛、写真も)

 仙岳院 仙台市青葉区東照宮1の1の16。JR仙山線東照宮駅から徒歩5分。拝観は無料。(電)022・234・3986。

 瑞鳳殿 仙台市青葉区霊屋下23の2。地下鉄東西線「大町西公園」から徒歩15分、JR仙台駅西口バスプールから仙台市営バス「霊屋橋・瑞鳳殿入口」下車、徒歩10分。拝観料は一般550円。(電)022・262・6250。
福島
福島)世良修蔵ゆかりの長楽寺で戊辰戦争の展示会
戊辰戦争で新政府軍の拠点が置かれた福島市の長楽寺で、展示会「福島の戊辰戦争―幕末の動乱と福島藩」が開かれている。2日、多くの人が訪れて幕末の時代に思いをはせていた。

 長楽寺は会津藩を攻めるための奥羽鎮撫(ちんぶ)総督府軍事局が置かれた場所で、開戦の一因となった仙台藩士らによる総督府下参謀・世良修蔵殺害事件に関する資料を保存している。展示会では、世良が薩摩藩士・大山格之助に宛てた密書と見られる書簡や、世良が持っていたとされるミニエー銃など約40点が公開されている。

 曽祖母の法事で長楽寺を訪れた郡山市立明健中3年の小松朋佳さん(14)は「教科書に載ってあることが詳しく書いてあっておもしろい」と話し、興味深そうに展示を眺めていた。長楽寺とともに展示会を主催した福島市・市史編纂(へんさん)室の柴田俊彰さんは「150年前の福島が歴史の流れの中で揺れ動きながら、どのように近代国家へと向かっていったかを感じてもらいたい」と話していた。

17日まで。6日午後1時半か…
 以降は朝日新聞有料版にて。

東京
コラム展「錦絵で見る戊辰戦争」
今年は、1868年に起こった戊辰戦争から150周年。そこで、明治大学博物館では、コラム展『錦絵で見る戊辰戦争』を開催します。 ※常設展示室 刑事部門内の小規模な展示です。また、期間中に展示替えを2回行います。全点入れ替えますので、お目当ての錦絵がある方は展示期間内にお越しください。ご来館お待ちしております。<第一弾:2018年8月29日(水)~10月9日(火)の展示>『山崎大合戦図』照皇斎貞広画※ポスターに使用している錦絵です。ぜひ、展示期間内に実物をご覧ください!『東台戦争落去之図』惺々暁斎画『会津戦争紀聞』真匠銀光画『諸国武者八景函館湾』一魁斎芳年画


神奈川
企画展戊辰戦争と横浜の関わりを多角的に 民衆資料や「開港都市の明治元年」 歴史博物館と開港資料館で同時開催 /神奈川
 明治維新150年を記念し、戊辰戦争(1868~69年)と横浜の関わりをテーマとする企画展「戊辰の横浜」が、横浜市歴史博物館(横浜市都筑区)と横浜開港資料館(同市中区)で同時開催されている。両館による連携企画で、新政府軍と旧幕府勢力が戦った戊辰戦争について、横浜との意外なつながりを多角的にひもとくことができる。

 横浜市歴史博物館は「名もなき民の慶応四年」と題し、戊辰戦争時の横浜を、民衆らが書き残した資料で明ら…
 以降は毎日新聞有料版にて。

佐賀
明治維新と唐津藩(6) 大野右仲新選組・土方の右腕
唐津市近代図書館美術ホールで開催している特別企画展「唐津藩と明治維新―小笠原長行と長国、維新と戦った男」は、九州で初めて本格的に新選組関係の資料を展示したこともあってか、多くの新選組ファン、特に10代から20代の若者たちの来場が見られます。

 企画展では箱館新選組に入隊した唐津藩士大野右仲(おおのうちゅう)にもスポットをあてています。一時期は新選組のトップの頭取として、五稜郭政府樹立後は陸軍奉行添役として、土方歳三付きの副官として共に戦い、土方の最後の命令や亡くなった状況を『函館戦記』に記した人物で、『函館戦記』の草稿や豊岡県時代に権参事を務めていた際の政令等の写しなどを展示しています。

 特にあまり知られていませんが、明治27(1894)年から明治29年にかけて、久敬社の幹事(監事。管理・運営責任者)を務め、寄宿する唐津出身の学生たちの育成に努めています。

 この時期に刊行された『久敬社誌』を見ると、右仲は学生たちにも非常に慕われ、久敬社で集会等が行われた際、右仲がたびたび講演を行っていましたが、ほとんどが戊辰戦争の話をしたと記されています。内容について記されていないのが残念ですが、明治20年代後半になっても、戊辰戦争は右仲にとって、さまざまな意味で一生大事にしたい事象だったと考えられます。

 また、右仲から『函館戦記』(原本)を借りて学生や久敬社役員たちが写した記録も残っており、『久敬社誌』を見ると、今まで知られていない唐津の後輩を育てる教育者としての右仲の姿が垣間見られます。

 写真がほとんど残っていない右仲ですが、久敬社の学生たちと一緒に写り、りりしい顔もはっきり分かる右仲と考えられる人物の写真も展示しています。期間は9月21日までです。


鹿児島
西郷直筆の書や刀展示、戊辰戦争の資料も…南九州
 鹿児島県南九州市立博物館「ミュージアム知覧」で、企画展「戊辰ぼしんの記録 西郷の記憶」が開かれている。明治維新150年にあたり、当時の人々が体験した戊辰戦争や西南戦争に焦点を当て、地元に残る資料約40点を展示している。24日まで。

 戊辰戦争関係では、従軍した人たちの日記を展示している。戦闘がないときは酒盛りや記念撮影、歌舞伎見物をするなど、比較的自由に行動していたことがわかる。また、西南戦争の官軍は「故郷へ帰れなかった」とされるが、官軍の人物を顕彰する武者行列が行われていたことを示す資料もある。

 西郷隆盛の自筆とされる書や刀のほか、西南戦争を伝える錦絵に描かれたひげ面の西郷や、狩猟が好きだった西郷が川辺地域を訪れていたことを示す調査結果も展示されている。

 同館は「戊辰戦争や西南戦争で地元の先祖が果たした役割や、地元に伝わる資料などを知ってほしい」としている。

 水曜休館。入館料は高校生以上300円、小中学生200円。企画展の展示品は撮影可。問い合わせは同館(0993・83・4433)へ。


合間合間の音楽がラテン(志の輔師匠が高座に上がるときも「中の舞」でなくてラテン)。めくりがなくて、スケッチブック風に画用紙に書かれた文字で簡単な挨拶や演者紹介(ホールの雰囲気を壊さず、これはこれでいいかと思ったけど視覚障害者の方も見にいらしてるんだよな……)。

ギター漫談/ぺぺ桜井
寄席風の番組だけどトップバッターに出て来てやりにくそうだった。JR駅の案内メロディに乗せてギャグまじりのトーク、ドレミファソラシドを1音2音上げるとどうなるか、和のメロディはファとシを使わない、沖縄とアラブ風だと、など。

コント/すわ親治
 元ドリフターズの付き人とか、幻の6人目とか。
 無口な夫が結婚30年目で改めて結婚式を上げてくれる日につぶやいた一言。切腹場面の一言。失恋してバーボンで酔っ払う女の真似(中島みゆき?)。
 見せられた3本はどれも面白くなく、生着替えまでつけて見せる関連性もわからず、最後のは特にバーボンを口に含んで吐き出す場面も含めて不愉快。
 この人が出てくる場面はもう見たくない。

浪曲/玉川太福
亡き師匠の奥様、玉川みね子師の三味線つき。「テーブルクロス3本セット」の本格的な浪曲のしつらえは登場する高座の1割あるかないかだそうだ。
 新作浪曲の披露。工事現場で作業員のおじさんと若いのが弁当のおかずを交換するというネタはそれ自体面白かったけど、鮭の皮を口に含んだ若いのが吐き出す場面が出て来たのは、前のネタについた。不快。

茶の湯/志の輔
 先週に続いてまた「茶の湯」……志の輔らくごは古典も面白いんだけど、この茶の湯は吐き戻す場面が何度も出てきて、それが今日3本続いたネタで、今日はまったく笑えなかった。成城ホールで客層は比較的に上品なのに……。
 町田はまだしも『帯久』で口直しできたけど、『茶の湯』だけで帰るのが辛い……。
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