新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
1週間ほど海外に行っててばたばたしていたのでお休みしていた幕末ニュース、今日から復活します。
東京
<その32>新選組(下)
京都
竜馬ゆかり6県が合同PR 京都で観光展
<その31>新選組(中)
香川
「龍馬は神」海援隊士の書 佐柳高次の遺品公開へ…香川
福岡
竜馬と龍馬 再演
歴史
龍馬ショックぜよ!?千葉佐那、結婚していた
衝撃的な発見かどうかは別としても今でもあらたな発見があるところが幕末の歴史がおもしろいところです。
ブックレビュー
【著者に聞きたい】藤本ひとみさん
東京
<その32>新選組(下)
サッカーW杯で決勝トーナメント進出を果たした岡田ジャパンに対し、新聞各紙に「サムライ」の見出しが躍った。で、サムライとは何か? 語源は貴人のそばに仕える意味の動詞「さぶらう」の名詞形「さぶらい」。やがて武士の意味にもなる。研究社の新英和大辞典には、英語になった「SAMURAI」の和訳として「1、a(日本の)武士、侍 b武家階級 2、(日本の)陸軍将校」とあった。岡田ジャパンの何が、サムライなのか? 講釈はよそう。嫌われる。新選組の(下)は、死にざまを書く。
新選組の人気ナンバー3は、近藤勇、土方歳三、沖田総司だろう。ただ、池波正太郎が隊士のうちで最も好きな男として、「幕末新選組」(文春文庫)の主人公とした永倉新八も、池波ファンの私としては触れない訳にはいかない。
さて、鳥羽伏見の戦いに敗れ江戸に帰った後の近藤らは、振り返れば樹上の蝉(せみ)のように死に向かって自己主張する場所を探し求めていたといえる。肺病に伏せる沖田を江戸に残し、官軍を迎え撃つため新たに甲陽鎮撫隊を結成して甲府城に向かうが、板垣退助の指揮する官軍に後れをとって敗走した。最後に下総(千葉県)の流山に陣を敷くべく集まる。幕臣の最後の寄る辺となった会津への道に通じる要衝だ。ここが、ずっと表裏一体だった近藤と土方が、ついに袂(たもと)を別(わか)つ場所となった。官軍に包囲された近藤は投降を選び、土方は逃走を選ぶ。司馬遼太郎の「燃えよ剣」(新潮文庫)の下巻「袂別」の項では、こんな会話となっている。
「おめえは、おめえの道をゆけ。おれはおれの道をゆく。ここで別れよう」
「別れねえ。連れてゆく」
歳三は、近藤の利き腕をつかんだ。松の下枝のようにたくましかった。
ふってもぎはなつかと思ったが近藤は意外にも歳三のその手を撫(な)でた。
「世話になった」
「おいっ」
「歳、自由にさせてくれ。お前は新選組の組織を作った。その組織の長であるおれをも作った。京にいた近藤勇は、いま思えばあれはおれじゃなさそうな気がする。もう解きはなって、自由にさせてくれ」
「・・・・・・・・・・・・」
土方がその後、旧幕府軍の榎本武揚と合流して函館の五稜郭までたどり着き、官軍との決戦に死地を選んだことはよく知られている。明治2(1869)年5月死去。享年34歳。
*
近藤に戻る。流山での投降は慶応4(1868)年4月3日。同25日、板橋で斬首された。子母澤寛の「新選組始末記」によれば、近藤を捕らえた東山道鎮撫総督府の副参謀・有馬藤太は板橋の本営に控える参謀の伊地知正治に対し、充分に待遇し処分は自分に任せて欲しいという旨の手紙をしたためた。しかし、香川敬三が断固として斬首を主張した。有馬、伊地知は薩摩人だが、香川は水戸出身の勤皇志士で、中岡慎太郎の陸援隊の副隊長格となるなど土佐人脈と縁が深かった。当時、京の近江屋に坂本龍馬と中岡を襲ったのは新選組と思われていた。香川は土佐の恨みを背負って復讐(ふくしゅう)に血走ったのかも知れない。
近藤は処刑場の近くに胴体だけが埋められた。その場所は、今のJR板橋駅東口のすぐ前にある。地番は板橋区ではなく、北区滝野川。ここに新選組の供養塔があり、表には近藤勇と土方歳三の名前が並べて刻まれ、側面に計110人の隊士の名前が連ねてある。明治9(1876)年、この塔を建てたのが永倉新八だった。永倉は新選組結成時からの隊士だったが、甲府城への進軍に失敗したあと、近藤、土方らの考えについて行けずに去り江戸に潜伏。最後は北海道に渡って大正4(1915)年1月、77歳の長寿(当時)を全うした。その後、供養塔に向かって左側に永倉の墓も建てられた。敷地には新選組ファンの若者たちが思いや漫画などを書いたノートを収めた棚があり、若い女の子が2人、パラパラとめくっていた。その奥に、近藤の当初の墓石があり、もともと、この下に近藤が埋められていたと思われる。「もともと」と書いたのには意味がある。
*
勇の娘婿だった近藤勇五郎は、板橋に勇の安否をたずねに行き、図らずも斬首の様子を見た。昭和6(1931)年10月、勇五郎にその時の様子を聞いた子母澤は、「始末記」に、聞き書きの記録を残している。
近藤勇の墓
勇の斬首はお昼ちょっと過ぎだった。勇五郎は義父の首が拾い上げられ洗われるところまで見届け、多摩の実家へと必死で駆けた。午後7時ごろに着き、身内を叩(たた)き起こして報告。「とにかく、何が何であろうとも、先生のおからだをあんな処へ埋めておく訳にはいかん」と男たちは板橋へと向かった。墓の番人に3両を手渡し、埋葬場所を教えてもらう。まだ新しい色の土を鍬(くわ)で2~3尺(1尺は30・3センチ)掘り下げると、新しい筵(むしろ)が1枚出て、めくると白い肌着と下帯だけの遺体があった。提燈(ちょうちん)を照らすと、首の無い胴体だけがうつ伏せになっていた。しかし刑場だから、どの遺体も首はない。そこで念のために観察すると、左肩に1銭銅貨ほどの大きさで親指が入るほど深い鉄砲傷の跡があった。これが決め手となる。埋められてから3日も経(た)っているので、腕でも脚でも、つかむとずるずるっとむけてくる。「父(勇の長兄)は、これを抱くようにして、<残念だろう、残念だろう>と泣きます。私はもとより、縁もゆかりもない駕籠(かご)かきまでが、声を上げて泣きました」。納棺には3時間かかった。雨の中、遺体は明け方の7時ごろに多摩に帰った。
*
JR三鷹駅南口から6番乗り場のバスで約半時間。龍源寺という近藤家の菩提(ぼだい)寺(曹洞宗)にその遺体は今も眠っている。「龍源寺」のバス停を降りると、すぐに近藤勇の胸像と六地蔵が見える。そこがお寺だ。本堂の前、両脇に大きな銀杏が1対。アジサイが満開だった。竹が生える本堂脇を過ぎると墓地。一番手前に近藤家の墓があった。墓石は5基。向かって右から「先祖代々之墓」「近藤勇墓」「近藤勇五郎之墓」「元警視庁剣道助手 近藤新吉之墓」「近藤久太郎 近藤彦助 墓」と刻んであった。千羽鶴がつるして供えられ、勇の墓にはまだ新しい供花。少し奥には近藤の実家の苗字である「宮川」家と刻まれた墓がいくつかあった。一族だろう。寺の近くに「野川」という岸の緑豊かな川が流れていて、「ほたるの里」との案内板があった。
近藤勇の首は、新選組に絡むおびただしい血が流された京都に持ち運ばれ、三条河原にさらされた。石田三成と同じだ。墓は板橋と三鷹の龍源寺以外にも3カ所にある。うち、会津若松にあるのは、近藤の死を聞いた土方歳三が弔ったもの。愛知県岡崎市と山形県米沢市にある墓は、いずれも三条河原から奪還した近藤の首が埋められているとの伝説が残されている。
首なしの サムライの里 ホタル舞う (編集局次長)
京都
竜馬ゆかり6県が合同PR 京都で観光展
県は3日、京都市のJR京都駅前広場で、坂本竜馬にゆかりの深い5県と共同で、観光展「大龍馬恋」を開いた。
観光展は本県と広島、山口、高知、長崎、鹿児島の各県大阪事務所が共催。本県は、坂本竜馬が脱藩の罪を許された地として下田市の観光関係者が竜馬にちなんだまちおこしに取り組んでいる縁で参画した。
会場では、下田の観光関係者でつくる「下田龍馬伝志援隊」メンバーが坂本竜馬やペリー提督に扮(ふん)して寸劇や幕末クイズを行った。パンフレットやグッズを配布して、伊豆や富士山周辺への観光誘客を呼び掛けた。
下田は黒船が来航した土地でもあり、竜馬で脚光を浴びる幕末の歴史を地域資源に生かそうと、ゆかりの地を巡るツアーも行っている。
<その31>新選組(中)
JR京都駅から嵯峨野線(山陰線)で郷里の亀岡に向かう。数え切れないほど乗った路線だ。レールは梅小路蒸気機関車館のところで大きくゆっくりと北へと右折する。間もなく丹波口駅。その右手(東)一帯が、江戸時代に遊郭のあった島原である。さらに電車が二条駅へと進む途中、同じく右手に小さなピラミッドのような千体仏塔が見える。壬生寺である。遠くに東山三十六峰。夜に月が見えると、それもまた風情がある。京都から二駅、今から百数十年前の幕末に、新選組が駆けた「京」を想像しながら車窓を楽しむのも気軽で楽しい。
碁盤の目といわれる京都の通り。幕末も今も、位置や距離はほとんど変わっていない。御所の玄関・丸太町通から歌で南下する、「まるたけえびすにおしおいけ あねさんろっかくたこにしき しあやぶったかまつまんごじょう せったちゃらちゃらうおのたな・・・♪」(丸竹夷二押御池 姉三六角蛸錦 四綾仏高松万五条 雪駄ちゃらちゃら魚の棚・・・)。壬生寺は「四綾仏高」の綾小路と仏光寺の間にある。その昔、壬生村と呼ばれた西郊の一帯で、壬生狂言とか壬生菜(水菜の葉からギザギザを失くして丸くしたような京野菜)などでも有名である。
文久3(1863)年2月23日、その壬生に江戸から234人もの浪士がやって来た。リーダーは清河八郎。庄内藩(山形県)の郷士の家に生まれ、千葉周作の玄武館で免許皆伝を取得し、昌平黌(しょうへいこう)で学んだエリートである。将軍家茂の上洛を警護する名目で集められた浪士隊だったが、清河は壬生に着くなり一変。「京へ来たのは、近く上洛あるべき将軍家茂公の守護とは只名のみの事であって、その真実は、ただただ尊王攘夷の先鋒たらんとするにあるのである」(子母澤寛「新選組始末記」)と宣言する。時は桜田門外の変から生麦事件へと、攘夷が大きな時流になり始めたころだった。変節に幕府は怒り、朝廷も困惑して帰還命令を出す。そんなことで、ひと月も滞在せぬ間に浪士隊は江戸へ帰ることになった。これに反抗して京都に残ったのが、天然理心流「試衛館」仲間の近藤勇の一派と、水戸出身の芹沢鴨の一派だった。両派はともに壬生寺そばの八木源之丞邸を屯所として同宿していた。子母澤は残留組を「関東の無骨13名」と呼んだ。芹沢の尽力あって京都守護職の会津藩主松平肥後守容保の預かり身分となり、攘夷倒幕派の騒乱行為から京都の治安を守る役割を与えられる。これが3月のことだ。5月までには新たに浪士を募集して70余名に達した。
*
芹沢鴨の家系は平氏の流れを組む常陸国(茨城県)の豪族にさかのぼる。関が原の戦功で幕臣となり、やがて水戸家の郷士となったという名門だ。水戸学勤王の教えで育ち、天狗党にも入っていたことから人脈も広い。格から言って農家出身の近藤よりはずっと上であり、新選組の局長の筆頭となった。しかし、芹沢は大酒飲みの豪傑振る舞いで、隊の装備を整えるため天下の豪商・鴻池善右衛門から金子200両を脅し取ったり、大坂で力士達と大乱闘したりと派手に立ち回った。極めつきは、糸問屋・大和屋の土倉に大砲を打ち込み、大火事を巻き起こした「大和屋焼き討ち事件」。大和屋の評判は必ずしも良くなかったが、洛中を取り締まる側の洛中での乱暴狼藉であり、このことがきっかけで、会津藩京都守護職は、近藤らに芹沢の処分を命じたともいわれている。
新選組が島原の「角屋」で芸妓を総揚げした9月のある夜、芹沢は愛妾のお梅らを伴って八木家の屯所へ戻って気分良く飲み直す。やがて、お梅と同衾して眠りにつく。大雨が降るその深夜、数人の男たちが押し入り、芹沢に斬りつけた。驚いた芹沢は飛び起きて刀を取ろうとするが叶わず、真っ裸のまま八木家の親子が寝ていた隣室に飛び込むが、文机に転び、そこを刺客たちに斬りつけられ殺されてしまう。お梅も首を切られ惨殺された。事件は長州藩の仕業とされ、芹沢と、一緒に殺された平山五郎の2人の葬儀が盛大に執り行われ、近藤が弔辞を読む。しかし、実はこれが、近藤一派による芹沢の粛清で、以降新選組は、実質的に近藤局長・土方副長が指揮を執ることになった――というのは、よく知られた話である。八木家の鴨居には、この時の刀傷が今も残っている。
翌年の元治元(1864)年6月、有名な池田屋事件で新選組の京都での地位は確固たるものになった。その翌年3月、隊は屯所を西本願寺に移す。結局、新選組が活躍の頂点を極めた「壬生時代」は2年間であった。八木源之丞の子・為三郎は1931(昭和6)年まで生きた。子母澤寛は、新選組のことを調べるため、この為三郎らから何度も話を聞き、「八木為三郎老人壬生ばなし」として「新選組始末記」に収めている。始末記の初版は昭和3年。
子母澤は、<生き残りの老人のはなしは、疑わしいのもあったが、私は「歴史」というのではなく現実的な話そのものの面白さを成るべく聞きもらすまいと心掛けた>と書き、<八木為三郎翁から芹沢鴨が下帯一つない素っ裸で女と一緒に殺されたという話を聞いた時も、作家の作り話ではこうは行かないだろうとしみじみ思った>と振り返っている。
*
私は、壬生寺に2、3度行ったことがある。池田屋事件で死んだ隊士らだけでなく、粛清された芹沢らの墓もあった。ほかに覚えているのは、「夕焼けとんび」「古城」「達者でナ」などで知られる歌手・三橋美智也さんの「あゝ新撰組」の歌碑が建っていて、確か100円入れると歌が流れたことだった。無粋といえば無粋だが、作詞家・横井弘は、確かに新選組の情感をよく伝えている。
<鴨の河原に千鳥が騒ぐ またも血の雨涙雨>(1番)
<変わる時世に背中を向けて 新撰組よ何処へゆく>(2番)
そういえば、日野の土方歳三の生家の近くには、浅川という川が流れていた。薬売りだった土方家が、秘伝の薬を作るための薬草を採取していた川である。激烈、血で血を洗った京の新選組ではあるが、土方ら日野出身の隊員らは、鴨の流れに故郷の浅川を思い出すこともあったに違いない。鳥羽伏見の戦いの後、江戸へ敗走するのは慶応4(1868)年1月。壬生を離れて3年後だった。
<イレブンと 重なる夏や 新選組> (編集局次長)
香川
「龍馬は神」海援隊士の書 佐柳高次の遺品公開へ…香川
江戸幕府の軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」の水夫で渡米し、後に海援隊士として坂本龍馬と行動をともにした佐柳(さなぎ)高次(1835~91)の書などの遺品が、ふるさとの香川県多度津町の町立資料館で今秋、初公開される。龍馬や隊士を弔う書には「坂本龍馬神宮」とあり、龍馬を慕う思いや、隊士たちとの強い結びつきがうかがえる。
佐柳は、瀬戸内海の塩飽(しわく)諸島の佐柳島(多度津町)で育った。島々は古くから海運で栄え、咸臨丸の水夫50人のうち35人は同諸島の出身。佐柳は1855年、幕府の長崎海軍伝習所に水夫として採用され、咸臨丸に乗船した。
その後、勝海舟の紹介で、龍馬と出会い、海援隊に参加。67年に龍馬が暗殺されると、山口県下関市にいた妻・お龍(りょう)に伝えに行ったとされる。幕末の動乱を生き抜き、69年に帰郷した。
書は、滋賀県湖南市に住む玄孫(やしゃご)・鮫島和子さん(62)が保管。縦120センチ、横30センチで、「坂本龍馬神宮」と力強い字体で記し、海援隊の近藤長次郎、池内蔵太ら隊士14人の名も添えている。鮫島さんは父から「高次は朝晩この書を掲げ、龍馬を神として拝み、仲間の冥福を祈った」と教えられた。
公開は10月1日~11月28日。咸臨丸渡米から150年に合わせ、町立資料館が企画した。佐柳がサンフランシスコで購入したとされる、ダンスを楽しむ若い男女をあしらった陶製の絵皿なども展示される。
霊山(りょうぜん)歴史館(京都市東山区)の木村幸比古(さちひこ)学芸課長は「海援隊の人間関係を示す珍しい資料。亡くなった海援隊士の名も記していることから、海援隊が龍馬を中心に結束していたことがわかる」と話している。
(2010年7月4日 読売新聞)
福岡
竜馬と龍馬 再演
■福岡の劇団 小郡で8月
福岡市を拠点に活動する「劇団ショーマンシップ」(仲谷一志座長)が昨年末に公演し好評だった「竜馬と龍馬」のリバイバル公演が8月22日、小郡市の市文化会館大ホールで開かれる。29日には仲谷座長らが市役所を訪れ、「NHK大河ドラマでも龍馬が取り上げられ話題になっている。こちらの龍馬の話もぜひ見に来てほしい」と平安正知市長らにPRした。
作品は、坂本龍馬と福岡の幕末史をベースに描くオリジナル時代劇。龍馬が同じ名前を持つ飛脚の「竜馬」と偶然出くわし、龍馬の将来の妻となるお龍への恋文の配達を頼むようになる。一方、薩長同盟へと奔走する龍馬の密書と勘違いした新撰(しん・せん)組が恋文を奪ってしまう……、という内容だ。
この日は、出演する原岡梨絵子さんが、お龍役に扮して訪問。自らも飛脚の竜馬役で出演する仲谷座長が「手紙をキーワードに福岡の歴史を交えた作品」と説明。平安市長は「演劇が好き。楽しみにしている」と話した。
公演は午後2時開演。全席指定で2500円(当日3千円)。未就学児の入場はできない。問い合わせは市文化会館(0942・72・3737)へ。
歴史
龍馬ショックぜよ!?千葉佐那、結婚していた
坂本龍馬の婚約者で生涯独身を貫いたとされる千葉佐那(さな)が、実は結婚していたとする史料が見つかった。佐那はNHK大河ドラマ「龍馬伝」(日曜後8・00)で貫地谷しほり(24)が演じ、愛を貫く姿が女性に支持されているだけに新説に注目が集まりそうだ。
結婚に触れているのは107年前の新聞記事。明治期に横浜で創刊された毎日新聞(現在の毎日新聞とは無関係)の1903年(明36)8~11月の連載。佐那の父親は「北辰一刀流」を開いた千葉周作の弟、定吉。定吉が剣術師範役を務めていた鳥取藩の元藩士山口菊次郎から求婚され、暗殺された龍馬の七回忌も済んだことから受諾、1874年7月に結婚した。
しかし、菊次郎は佐那の幼なじみに思いを寄せるなど多情で10年たたずに離縁。その後は再婚しなかった。故司馬遼太郎氏のコラムなどから独身説が広く知られており、通説を覆す内容だ。
「龍馬伝」で佐那は今月18日に再登場するが、設定はこれまで通り生涯独身。番組担当者は「龍馬伝をきっかけに皆さんが幕末に興味をお持ちになり、新たな史料が次々と発見されることに驚いている。龍馬ブームを実感します」と話した。
≪事実なら「衝撃的な発見」≫発見した歴史研究家のあさくらゆうさんは旧鳥取藩の文書から藩士の実在が確認されるなど「記事はかなり正確」としている。佐那の関係資料を所蔵する足立区立郷土博物館の学芸員多田文夫さんは「非常に貴重な記事。しっかりした取材に基づいて書かれ、登場人物の実在も確認されており、信ぴょう性が高い」。また、宮川禎一・京都国立博物館考古室長は「事実だとすれば衝撃的な発見。30歳代後半になって結婚していたとなればイメージが変わることになるが、われわれはこうした佐那の人間らしい側面を受け入れるべきだろう」としている。
衝撃的な発見かどうかは別としても今でもあらたな発見があるところが幕末の歴史がおもしろいところです。
ブックレビュー
【著者に聞きたい】藤本ひとみさん
□『幕末銃姫(じゅうき)伝 京の風 会津の花』
■豪快女性の葛藤と奮闘
武士の誠を尽くす一方、幕府と朝廷間で翻弄(ほんろう)される会津藩。幕末動乱の中、銃を手にして鶴ケ城の戦いに挑んだ女性がいた。山本八重。維新後は同志社大学の創設者、新島襄と結婚して女子教育に奔走した。本著は八重の前半生を描き、戊辰戦争、幕末という時代の転換期に新たな光を当てた歴史長編小説である。
「八重の存在を知ったとき、幕末に、こんな豪快な女性がいたのだと。結婚もし、維新後も活躍する。これだ!と思いました」と振り返る。
八重は腕力に自信はあるが裁縫は苦手。良妻賢母であることを求められ葛藤(かっとう)する。勝海舟らに師事した兄から銃や砲術、兵法の薫陶を受ける。時は戊辰戦争の最終局面、薩長軍が鶴ケ城に攻め込み、篭城(ろうじょう)戦に。八重は銃を手に立ち向かう。
フランス革命やナポレオンを題材にした作品を描いてきた。日本史は初めて。ナポレオンに関する史料を読み解くうち、西洋の兵学が幕府にも影響を及ぼしていることを知った。
〈誰が、何月何日、何をした〉という史実。記録に残る人物像。事実で構成した行間にエンターテインメントを息吹かせる。明瞭な輪郭を持った八重や佐久間象山らが、いきいきと動き出す。
会津藩の物語は、幕府と武士道に忠誠を尽くした美談として知られる。しかし、八重の生き方を通すことで、ひと味違った見方を楽しめる。支えた男性たち、日本の四季や様式美など、織り込まれた要素も花を添える。
どの時代の空気にも色があり、生きる人たちを染めているという。
「色をとらえ、人を描く。今回は、家族も描きたかった。動乱の世の八重たち兄妹、父母。それぞれの生き方を通して幕末を描きました。鶴ケ城の戦いは江戸の代理戦争であり、武家社会の崩壊を象徴するものだと考えます。その下に生きた一つの家族の物語として読んでいただけるとうれしい」(中央公論新社・1785円) 宮田奈津子
◇
【プロフィル】藤本ひとみ
ふじもと・ひとみ 長野県生まれ。仏・ナポレオン史研究学会の日本人初会員。仏観光開発機構名誉委員。著書に『皇帝ナポレオン』など。
銀座で6日間連続、午後3時からの公演。700余りの席は、日曜日だけあって、もちろん満席。
「暑い中をお運びくださいまして」と挨拶。「ここはできるだけ冷房を効かせてもらっているんですが。で、終演後、また暑い中を歩いて、どこか冷房の効いたところできゅっと冷えたビール……冷蔵庫の中の麦茶の気持ちがわかったような気がしますよね」で爆笑。

「こぶとり爺さん」は、昔話にありがちな教訓がどこにあるのかを探す、八っつぁんとご隠居のやりとり。昔話の「こぶとり爺さん」ってツッコミどころ満載なんですね^_^;。
「新釈 猫忠」は、3月4日ににぎわい座で聴いたのと、サゲが違っていた。うーん、この新釈版だと、タイトルの「猫忠」が出てこない。だから「新釈」つけたのね。
「しかばねの行方」は東野圭吾さんの初期小説を落語化。一部を講談風に仕上げ、釈台を張り扇でパンパン叩く演出。クライマックスにはサスペンス・アクションドラマ風味もあり、とても楽しかった。
そして、意表を突く登場の仕方だったのは、こういう演出のためだったのね、と、最後の瞬間まで楽しめます(^^)。
☆★☆★
追記。最後の「しかばねの行方」は原題「しかばね台分譲住宅」というらしい。
「暑い中をお運びくださいまして」と挨拶。「ここはできるだけ冷房を効かせてもらっているんですが。で、終演後、また暑い中を歩いて、どこか冷房の効いたところできゅっと冷えたビール……冷蔵庫の中の麦茶の気持ちがわかったような気がしますよね」で爆笑。
「こぶとり爺さん」志の輔
「新釈 猫忠」志の輔
中入り
「しかばねの行方」志の輔
「こぶとり爺さん」は、昔話にありがちな教訓がどこにあるのかを探す、八っつぁんとご隠居のやりとり。昔話の「こぶとり爺さん」ってツッコミどころ満載なんですね^_^;。
「新釈 猫忠」は、3月4日ににぎわい座で聴いたのと、サゲが違っていた。うーん、この新釈版だと、タイトルの「猫忠」が出てこない。だから「新釈」つけたのね。
「しかばねの行方」は東野圭吾さんの初期小説を落語化。一部を講談風に仕上げ、釈台を張り扇でパンパン叩く演出。クライマックスにはサスペンス・アクションドラマ風味もあり、とても楽しかった。
そして、意表を突く登場の仕方だったのは、こういう演出のためだったのね、と、最後の瞬間まで楽しめます(^^)。
☆★☆★
追記。最後の「しかばねの行方」は原題「しかばね台分譲住宅」というらしい。
「週刊モーニング」に掲載されていた時から読んでいた記事。これが落語にフォーリンラブした自分の背中を押してくれた、とう気がする。
勝田文さんのイラストがまた、いいんだなぁ。
勝田文さんのイラストがまた、いいんだなぁ。
こんにちは、白牡丹@米国某所です。飛行機の乗り換えに時間がありますので幕末ニュースをアップしておきます。
北海道
旧幕府軍兵士しのぶ…碧血碑慰霊祭
弓場さんが木戸孝允の書を入手
福島
4日に劇団ぴーひゃらら公演
神奈川
「まず地域の歴史を知ること」
「坂の上の雲」プロデューサー招きフォーラム
静岡
外国人富士初登山から150年 写真や資料など展示
京都
焼失前の大船鉾 鮮明に
幕末、幸野楳嶺描く
岡山
漫画コンテストにエントリー 中国デザイン専門学校卒の2人
芸術・文化
写真:いらかの波と江戸の空 巨大カメラ最古級、米写真家の作品発見
ビジネス
運送業者が「龍馬伝」に便乗-坂本さんと楢崎さんカップルは無料に
北海道
旧幕府軍兵士しのぶ…碧血碑慰霊祭
箱館戦争で戦死した旧幕府軍兵士の霊を慰める「碧血碑(へっけつひ)慰霊祭」(箱館碧血会主催)が25日、函館市谷地頭町の碧血碑前で行われた。同会会員や市民ら約80人が参列。碑前に手を合わせ、祭られている約800人の兵士を追悼した。
碧血碑は箱館戦争終結から5年後の、1874(明治7)年に建立。この日は旧暦の5月16日で、旧幕府軍の運命が決した千代岡陣屋陥落の日にあたる。1941(昭和16)年の同会(柳川昭祈治会長)の会合で法要日と決めた。慰霊祭は今年で142回目。
同市船見町の実行寺の住職らが読経する中、会員、一般の順に焼香。この日は歩兵頭として活躍した伊庭八郎の弟、武司のひ孫で千葉県浦安市の金田秀昭さん(65)が3年ぶりに参列し、碑に手を合わせた。
終了後、同会の柳川厚史副会長(42)は「兵士たちを祭るとき、大勢の人が手伝ってくれたと思うが、毎年市民が弔う気持ちを持って参列してくれることにも感謝したい」と話していた。
金田さんは、慰霊祭に先立ち、南北海道史研究会会員の近江幸雄さん(73)の案内で、五稜郭タワーや五稜郭公園を訪れた。タワー展望台では晴れ渡る市内を見て「五稜郭は良い場所にあり、死角をなくすためにされた星形が美しく見える」と話した。同公園管理事務所近くにある、伊庭八郎が埋葬されたとされる場所でも手を合わせた。間もなく完成する箱館奉行所庁舎を見て、「八郎も奉行所で評議などしたと思う。次の来函時はぜひ訪れたい」と話していた。
弓場さんが木戸孝允の書を入手
日高町小中、 溪友会主宰の書家、 弓場龍溪 (本名・和彦) さんは、 このほど知人を通じて幕末から明治にかけて活躍した木戸孝允 (桂小五郎) の書を手に入れた。 自作の詩とみられ、 大政奉還の年の揮毫であることが記されている。
20年来の友人、 中国の山東省青島出身で篆刻作家・画家の李忠和さん (八王子市在住) が先日弓場さん宅を訪問。 李さんは、 弓場さんが所蔵していた日高昌克 (旧御坊町出身、 明治~昭和の水墨画家) の猿の絵を見て気に入り、 「私は申年生まれだから、 この絵がぜひほしい」 と所望。 李さんがちょうど持っていた木戸孝允の書と交換することになった。
書かれている詩は七言絶句で、 「変遷恰似黄梅節 半日陰晴不可知 七百年来時稍到 危疑也恐機宣」。 最後に 「大政一新之歳所作 松菊」 と記されており、 大政奉還の年 (1867年) に書かれたことをうかがわせる。 「松菊」 は木戸孝允の号。 幕末の桂小五郎時代には、 薩長同盟が結ばれた時に長州側の代表を務めるなど明治維新の立役者の一人。 西郷隆盛、 大久保利通と並び 「維新の三傑」 と呼ばれる。 明治政府でもさまざまな分野の改革に力を尽くした。 能書家としても知られる。 弓場さんは 「木戸孝允の書は以前からできれば手に入れたいと思っていたので、 とてもうれしい。 45歳の若さで亡くなった人だが、 多くの功績がある。 この書は、 大政奉還が成った喜びがみなぎる力強い作品。 当時30代という若い情熱もあふれている」 と話している。
福島
4日に劇団ぴーひゃらら公演
会津若松市の劇団ぴーひゃららは7月4日午前10時半から、市内の会津大で「明治の兄弟〜山川家の人々」を再演する。
戊辰戦争の憎しみを超えた和解をテーマとし、各地で評価の高い舞台。
感動が巻き起こった昨年十月の鹿児島公演以来の上演となる。
同日に催される「会津エンジン05」の一環で、会津若松での上演は3年前の初演以来。
戊辰戦争後に旧会津藩士の娘山川捨松に舞い込んだ薩摩藩出身の陸軍卿大山巌との縁談を軸とし、戦った者同士が遺恨を乗り越えて心を許しあう姿を描いた。
鹿児島公演では涙する観客も多く、大成功に終わった。
白河市や郡山市などでの公演も好評。
地元での再演に向け、団員の気持ちが高まっている。
入場には、会津エンジン05の他の講座などを含めたチケットが必要で、一般1000円、小中高校生500円。会津若松商工会議所や會津風雅堂などで販売している。
問い合わせは劇団の船木さん電話090(8922)1568へ。
神奈川
「まず地域の歴史を知ること」
「坂の上の雲」プロデューサー招きフォーラム
昨年から始まった無尽蔵プロジェクトの一つ「ウォーキングタウン小田原」のイメージを具体化する事業として18日、「坂の上の雲フォーラム」が生涯学習センターけやきホールで開催された。
「坂の上の雲」は作家・司馬遼太郎の代表作のひとつ。昨年から3年間かけてNHKスペシャルドラマとして放映されている。フォーラムは作品の主人公のひとりで、小田原で没した・秋山真之を足がかりに、幕末から昭和初期にかけて、板橋や天神山、西海子エリアなどに邸園を構えた政治家、文化人の足跡を、歴史・地域資源としてまちづくりに活用する方策を探るために行われた。
当日はNHKドラマ「坂の上の雲」の担当プロデューサー・藤沢浩一氏による基調講演とパネルディスカッションも行われた。藤沢氏は貴重な映像を映しながらドラマの裏話などを講演した。またパネルディスカッションでは交流人口を増やす方策を問われ「地元の人が外の人に話せるぐらい、自分たちの土地の歴史を知る方が先決では」と語った。
なお主催したNPO法人小田原まちづくり応援団では、フォーラムをきっかけに、7月19日(祝・月)「邸園巡りまち歩きツアー」を開催する。時間は午前9時から正午までと午後2時から5時。定員は各組先着40人。費用は1000円。
申込み・問合せは清閑亭【電話】0465(22)2834まで。
静岡
外国人富士初登山から150年 写真や資料など展示
外国人として初めて富士登山した初代英国公使のラザフォード・オールコックを紹介する展示会(富士宮市教委主催)が25日、富士宮市粟倉の富士山環境交流プラザで始まった。今年はオールコックの富士登山から150年の節目に当たり、7月1日の山開きには英国大使のディビット・ウォレン氏も参加を予定している。
オールコック(1809~97年)は幕末の1860年、富士登山に挑戦した。150周年記念展では写真や絵画、各地に残る資料などを掲示。英国領事館を出発し、東海道を経て富士山に登り、帰路に熱海で温泉を楽しんだ約1カ月の日程を紹介している。
富士登山には江戸を離れてリフレッシュするとともに、日英修好通商条約にある内地旅行権の確認や日本国内の世情視察など政治的思惑があったこと、外国人が富士山に登るのを快く思わない当時の世論があったことなども解説している。
7月11日までの午前9時から午後5時まで。入場無料。火曜日は休館。
7月1日にウォレン氏は同市の富士山本宮浅間大社の開山祭や村山浅間神社の入山式に参列し、英国大使館関係者と地元小中学生との交流会も計画されている。
京都
焼失前の大船鉾 鮮明に
幕末、幸野楳嶺描く
明治初期に京都画壇の重鎮として活躍した幸野楳嶺(こうのばいれい)の「凱旋船鉾(がいせんふねほこ)掛軸」が7月31日まで、京都市下京区新町通四条下ルの料理店・矢尾定で飾られている。個人蔵のため、これまでお披露目される機会はほとんどなかった。幕末の祇園祭で巡行する大船鉾(凱旋船鉾)を実写した作品とされ、焼失以前の大船鉾を知る貴重な手がかりだ。
楳嶺は、大船鉾を有した四条町に生まれ、蛤御門の変(1864年)で生家が被災した。この時四条町一帯も被害にあい、大船鉾は焼失した。
掛け軸は、大火が起こる以前、若き日の楳嶺が四条町で、巡行直前の大船鉾を描いたと伝えられ、町内で親交があった小賀家が大切に保管してきた。
小賀百合子さん(62)は「大船鉾の復興が動きだしたと聞き、応援したかった」と語り、大船鉾の囃子(はやし)の復活に尽力してきた矢尾定社長の佐々木定寿さん(52)に貸し出した。
佐々木さんは「掛け軸を通して、楳嶺さんの思い、大船鉾や四条町の歴史を伝えていきたい」と話している。
岡山
漫画コンテストにエントリー 中国デザイン専門学校卒の2人
新作コミックが無料で読める小学館の配信サイト「クラブサンデー」で開催中の漫画コンテスト「第1回クラサン杯(カップ)」に、中国デザイン専門学校(岡山市北区船頭町)卒業生の田辺翔平さん(21)=ペンネーム義國翔平、新見市神郷高瀬=と滝下晶さん(21)=同アキヒコ、愛媛県新居浜市=の作品がエントリー中。2人は「この機会に、多くの人に読んでほしい」と話している。
クラサン杯は新人の発掘を目的に小学館が実施。漫画系学科などがある全国21大学・専門学校から寄せられた36作品を4月27日から1週間ごとに4作品ずつ追加更新している。
田辺さんの作品「青夢人(そうむじん)」(33ページ)は幕末の動乱期が舞台。ある“事件”をきっかけに船大工の若者が成長する姿を、父親への反発心を絡めながら躍動感あふれるタッチで描いた。
滝下さんは地元・愛媛出身の俳人正岡子規を題材とした「ほととぎす」(53ページ)を出品。病に伏せながらもひたむきに創作に打ち込む子規の晩年を、友人の夏目漱石、本人、妹の視点で構成した。
芸術・文化
写真:いらかの波と江戸の空 巨大カメラ最古級、米写真家の作品発見
米国の写真家チャールズ・ウィード(1824~1903年)が幕末の1867年に日本各地で撮影した写真17枚(各縦約40センチ、横約50センチ)が見つかった。巨大なカメラを使ったマンモス・プレートと呼ばれるもの。この大きさの日本の写真としては最も古いとみられる。
このうち5枚はカナダの博物館も所蔵しているが、残りの12枚はこれまで表に出ていなかった。愛宕山から見た武家屋敷▽武士が池のほとりに立つ浜御殿(浜離宮)▽増上寺本堂(1873年焼失)▽同黒本尊堂(1909年焼失)--といった江戸の写真のほか、鎌倉の大仏の写真などが含まれている。
ウィードは米西部のヨセミテの自然を撮った作品などで知られる。中国を拠点に活動した時期があり、そこから来日したらしい。1867年9月に浜御殿で勝海舟やフォルケンバーグ駐日米公使らを撮った小判の写真は、日本カメラ博物館にもある。横浜や長崎なども回り、大判の迫力ある写真を撮った。
駐日米公使館員の一人が手に入れ、米国に持ち帰ったとみられる。今年になって、その子孫が家を整理中に見つけたという。日本の古い写真について研究している英国在住のテリー・ベネットさんは「幕末の日本の写真は数少なく、その中でもウィードのマンモス・プレートは非常に珍しい。これだけ残っていたのは驚きだ」と話す。【佐藤由紀】
ビジネス
運送業者が「龍馬伝」に便乗-坂本さんと楢崎さんカップルは無料に
運送事業を展開するハーツ(品川区南大井5、TEL 03-5762-0072)は6月12日より、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の人気に便乗したキャンペーンを始めた。
同社は、運転手付きのトラックを1時間単位でレンタルできるサービス「レントラ便」を展開。主に引っ越しや荷物運搬として利用されており、同行の運転手が荷物の積み込み・運搬も行っている。
6月12日より、新たに運転手が作業を行わず、トラック運転のみのサービス「レントラセルフ」を開始した。料金は、レントラ便より約20%安く、軽トラック30分で2,520円より利用できる。
「長引く不況を意識し、少しでも安く引っ越し・運搬をしたいという要望を受けて企画した。大学生など若い方や人手の多い場所での利用を見込んでいる」と社長の山口裕詮さん。
「レントラセルフ」サービス開始にあたり、「龍馬伝」の登場人物にちなんだキャンペーンをスタート。坂本龍馬の「坂本さん」、龍馬の妻・おりょうの「楢崎さん」、千葉道場の「千葉さん」は期間中、30%引きで利用できる。また3つの性のうち、2つの組み合わせは無料に。
山口さんは「あまり告知していないこともあり、残念ながらキャンペーン該当者はまだいない。当社の最寄り駅・立会川は坂本龍馬にゆかりのある地域。龍馬が幕末時代に偉業を成し遂げたように、業界の中で第3のサービスを確立していきたい」と話す。
キャンペーンは7月11日まで。
日本対デンマーク戦をリアルタイムで応援した疲労が……(その後に十分仮眠を取ったのですが、いろいろと、ばたばた)。
本田と遠藤のフリーキックは、サッカー日本代表史上ベスト3に入る美しいフリーキック(残りの一本は、木村和司でしょう)に入ると思います。3点目、本田から岡崎へのパス、岡崎のフェイントもファンタスティックでした。
得点した選手だけでなく、守備陣や攻撃の起点となった選手たちにもスポットが当たるようになった報道にも、嬉しさを感じます。そんなに目が肥えているわけではない自分にも、今までの大会と違って、集中力が途切れなかった守備(FWまで含めた組織的守備)の良さ、守備から攻撃への切り替えの速さ、そして積極的な攻め、何て頼もしい。
個々人の技術も体力も、判断の速さも、格段に進歩している。そして、個々人の強みを引き出すチーム全体としての方針や戦術と役割分担の意識も、明確にできていると感じた。
世界を相手に戦う日本人のチームづくりという視点で、いろいろと示唆に富むものがありました。
これからも全力で応援します!
……と、脳内がサッカーに染められているので、今日は幕末ニュース、お休みしますm(__)m。
本田と遠藤のフリーキックは、サッカー日本代表史上ベスト3に入る美しいフリーキック(残りの一本は、木村和司でしょう)に入ると思います。3点目、本田から岡崎へのパス、岡崎のフェイントもファンタスティックでした。
得点した選手だけでなく、守備陣や攻撃の起点となった選手たちにもスポットが当たるようになった報道にも、嬉しさを感じます。そんなに目が肥えているわけではない自分にも、今までの大会と違って、集中力が途切れなかった守備(FWまで含めた組織的守備)の良さ、守備から攻撃への切り替えの速さ、そして積極的な攻め、何て頼もしい。
個々人の技術も体力も、判断の速さも、格段に進歩している。そして、個々人の強みを引き出すチーム全体としての方針や戦術と役割分担の意識も、明確にできていると感じた。
世界を相手に戦う日本人のチームづくりという視点で、いろいろと示唆に富むものがありました。
これからも全力で応援します!
……と、脳内がサッカーに染められているので、今日は幕末ニュース、お休みしますm(__)m。
就任の弁も、「ま・く・ら」のような味わい。
落語協会会長に小三治「もののはずみで」
NHKのニュースでは抱負が紹介されてます。
落語協会会長に柳家小三治さん
「私は一人の噺家」 落語協会新会長に選出された小三治さん
落語協会会長に小三治「もののはずみで」
落語協会の総会が25日、都内で行われ、柳家小三治(70)の14代目会長就任が正式決定した。兄弟子の鈴々舎馬風前会長(70)からバトンタッチされた小三治は「所信はない。会長になったら、どういう自分になるのか。何を考え、言い出すんだろうということが楽しみかな」。
昨年暮れに馬風前会長から打診されたという。「もののはずみだね。馬風さんに『どうだろう』と聞かれて『いいよ』と答えてしまった」。改選された理事14人中、新理事は古今亭志ん輔(56)林家正蔵(47)女性初の三遊亭歌る多(47)ら7人と若返り、小三治も「うれしいね。新体制という感じがする」。
NHKのニュースでは抱負が紹介されてます。
落語協会会長に柳家小三治さん
古典落語の第一人者として活躍している柳家小三治さんが、落語家でつくる最大の団体の落語協会の新しい会長に就任し、「落語ブームに甘えず、肝心の落語のレベルを上げていくように努めたい」と辛口の抱負を述べました。
「私は一人の噺家」 落語協会新会長に選出された小三治さん
落語協会は25日に東京・浅草で総会を開き、理事で古典落語の第一人者として知られる柳家小三治さん(70)を新会長に選出した。会見で小三治さんは「これからはどうなるか自分でも分かりませんな」と飄々(ひょうひょう)と語った。任期は2年。
2期4年にわたり会長を務めた鈴々舎馬風さん(70)は最高顧問に就任した。「節目だし、相撲の世界だと“体力に限界があった”。ただくたびれた。激動の4年間だった」と振り返った。
壇上で固い握手を交わした小三治さんは「私は会長以前に一人の噺(はなし)家。初めて落語を聞く人に喜んでもらえるようになりたい」と意欲を語った。
また「性格的にイベント好きではない」と明かし、「活気づくためのイベントならいいが、それより中身。面白ければ人は来るんです。落語界や落語協会のレベルアップのためには一人一人のレベルを上げる必要がある」と強調した。
さらに「昭和の名人」とうたわれ、落語協会会長を長く務めた六代目円生の襲名問題で三遊亭円丈、三遊亭鳳楽、三遊亭円窓の三つどもえとなっていることについては、「襲名はこの世界に伝わる荘厳な出来事だと思う。あれはイベントではない」と語った。
25日のW杯「日本-デンマーク」戦について質問が飛ぶと、「午前2時には寝ました」。次回のパラグアイ戦については「最近、パラグアイ(腹具合)がよくなくてね」といって報道陣を笑わせた。
小三治さんは東京都出身。昭和34年に五代目柳家小さんに入門。44年、真打ちに昇進し、十代目小三治を襲名した。平成16年に芸術選奨文部科学大臣賞受賞、17年に紫綬褒章を受章した。
日本時間午前3時30分キックオフ予定のデンマーク戦に備えて、今日は早めに一眠りする予定です。どうか寝過ごしませんように……(汗)。
静岡
黒船乗組員の墓、修復へ 下田・玉泉寺
京都
全国から龍馬の原本資料…来月19日まで、京都文化博物館
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(67)東大教授・山内昌之 陸奥宗光
エンターテインメント
大人気アニメ「薄桜鬼」第二期の制作決定、秋にはゲーム新作や舞台も。
静岡
黒船乗組員の墓、修復へ 下田・玉泉寺
ペリー提督率いる黒船艦隊の乗組員として幕末に来航し、下田市柿崎の国指定史跡・玉泉寺(村上文樹住職)に眠る米海軍兵ら5人の墓石が、日米両国や県、市の支援で修復されることになった。同寺によると、墓石自体の修復は1854~58年にかけて建立されて以来初で、関係者は開国の歴史を今に伝える貴重な遺産の保護に期待を寄せている。
54年に日米和親条約の細則を定めた下田条約が調印され、日本初の外国人墓地として乗組員らの埋葬所が設けられた同寺では、5人の墓地を両国友好の象徴として維持・保全してきた。ただ、伊豆石造りの墓石は長年の風雨や潮風などで激しく劣化した状態に。村上住職は「10年以上前から懸念していたが、ようやく(修復に向けた)めどが付いた」と説明する。
5基の墓石は高さが約2・76メートル、台座の幅が最大約1・05メートル。修復期間は7月から来年3月までで、専門の業者がはく離した墓石の破片を復元したり、石材強化剤で風化を止めたりするほか、銅板ぶきの屋根も設置して風雨から保護する。総事業費は1400万円を予定している。
専門家として保全修理に向けた所見をまとめた原秀三郎静岡大名誉教授は、墓石の現状を「損傷が著しく、このまま放置すれば文化財の保存上、重大な問題が生ずる恐れがある。日米両国の責務で対策がなされるべきだと指摘した」と話した。
京都
全国から龍馬の原本資料…来月19日まで、京都文化博物館
湿板写真、着用紋服など180点
放送中のNHK大河ドラマと連動して主人公、坂本龍馬(1835~67)の遺品や書簡のほか、黒船来航など幕末の事件を伝える歴史資料を並べる特別展「龍馬伝」が中京区の京都文化博物館で開かれている。7月19日まで。
龍馬は土佐藩の郷士の次男に生まれ、幕臣勝海舟の門弟となって航海術を習得。長崎で貿易会社を兼ねた政治結社「亀山社中」、続いて「海援隊」を組織する。その一方、薩長同盟の締結や大政奉還のため奔走した。
今回、高知や京都など50か所から約180点を集めた。「これだけ原本がそろった龍馬展は例がない」(木村幸比古・霊山歴史館学芸課長)という。
「坂本龍馬湿板写真」(1866年)は長崎滞在中に撮影されたもので、現存する唯一の龍馬像ガラス板写真。6月25~27日のみ特別公開する。
重要文化財「坂本龍馬着用紋服」は丈145センチ、裄(ゆき)64センチで、龍馬が当時としては大柄だったことがうかがえる。
書簡は姉の乙女あての重要文化財「坂本龍馬書簡」など。
月曜休館(7月19日は開館)。一般1200円、大学・高校生800円、中・小学生500円。
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(67)東大教授・山内昌之 陸奥宗光
幕末維新の「最小不幸社会」
菅直人首相によれば、「政治の目標は人々の不幸を最小化すること」にあるようだ。何故に「最大多数の最大幸福」でなく、「最小不幸社会」を唱えるのだろうか。
おそらく菅首相は、イギリスの功利主義哲学者、ジェレミー・ベンサムによる「最大多数の最大幸福」を少数派つまり弱者の利益無視の考えと理解しているのだろう。恵まれない人々の利益を最大化する「正義」として、最小不幸社会を構想したいのかもしれない。確かに、功利主義にはベンサムの「貧民管理」や刑務所民営化の論のように、個人の権利を尊重しない面があるのも事実である。
ベンサム学んだ侍
ところで、幕末維新期に活躍した政治家にもベンサムを学んだ人物がいた。それは坂本龍馬の弟子だった陸奥宗光である。紀州藩出身の陸奥は、明治10(1877)年に西南戦争が起きると、土佐立志社の一部と政府転覆計画にかかわって逮捕された。
そして、その下獄経験を「此一事は余が半生の一大厄難にして、自家の歴史上磨滅(まめつ)すべからざるの汚点なり」と記した。しかし陸奥は、無為に獄中生活を送ったわけではない。むしろ獄中での猛烈な勉強で知ったベンサムの仕事こそ、後代の陸奥を大きく成長させる基盤となったのだ。
陸奥がベンサムの思想を理解できたのは、すでに荻生徂徠(おぎゅうそらい)を学んでいたからである。山路愛山(やまじ・あいざん)は、徂徠学とイギリス功利主義に共通する実利性に言及した。徂徠において日本は初めて「実利派的」な頭脳を見いだし、アングロサクソンのように事実を尊び、常識を重んじる人を発見したというのだ。愛山が徂徠を自由な世界に生き、自由に行動した人物と評価したとすれば、陸奥は徂徠のどこに惹(ひ)かれたのだろうか。
陸奥は、しかるべき能力の人材登用の必要を唱えた徂徠が「賢者は何(いつ)も上に有て、愚者はいつも下に有る」(『政談』巻之三)と強調したことを評価していた。徂徠の思考になじんだ陸奥にとって、ベンサム思想の吸収は容易であった。
藩閥批判も再び出仕
獄中でベンサムの『道徳および立法の諸原理序説』(1789年)を訳了した陸奥は、先験的な規範や命題を斥(しりぞ)け、「人之常情」(普通の人情)という経験を優先させることで、徂徠学の教養とベンサムの功利主義をつないだのであった。陸奥は、自由なくして人智の進歩がありえず、人智の進歩なくして人間の幸福がありえないというベンサムの主張に共感したのである。
幸福と知識との間に密接な関係があるという自由論の要に立って、陸奥は人智の進歩を妨げる存在として、「頑陋(がんろう)なる宗教家」「僻古(へきこ)の道学者」に加えて「偏見なる政治家」も挙げていた。彼が意識したのは、反動的な藩閥政治家たちにほかならない。
同時に陸奥は、現実に歴史や政治を動かす「権力」から遠ざかるなら、決して自らの経綸(けいりん)や抱負を実現する術は与えられず、政治関与の機会も逸することを下獄体験から学んだ。陸奥は、ベンサムに依拠して「自由民権」という普遍的な「理念」のもつ力と意義を評価し、欧米の大勢が目指すデモクラシーの意義を認めながらも、日本では少数の「真個の貴族」「才力ある平民」が運動を適切に指導せねば堕落すると考えた。陸奥は、挫折経験から「藩閥は外より攻むべからず、内より改むべきのみ」と信じるようになり、再び藩閥政府に出仕したのである。
このあたりの現実感覚は、政権交代のためなら小沢一郎氏とも手を組んだ菅首相の徹底した実利主義とも似ている。政党政治や官僚統治の主流から離れていた菅氏が、権力の内懐(うちぶところ)に接近していく手法や迫力も、陸奥に似たところがあるのではないか。
「最小不幸社会論」を唱える菅首相は、消費税値上げのタブーに挑戦しながらベンサムの提起を前向きに生かすのか。あるいは参院選挙だけを意識して陸奥のいう「偏見なる政治家」の仲間入りをするのか。その真価がまもなく問われようとしている。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】陸奥宗光
むつ・むねみつ 弘化元(1844)年、紀州(和歌山県)生まれ。脱藩し坂本龍馬の海援隊に参加。新政府に入るが、挙兵を企てた土佐立志社事件に関与し免官、5年間入獄する。出獄後、欧米を歴訪。帰国後外務省に入省、駐米公使となる。第1回衆院選で当選し、第1次山県、第1次松方各内閣の農商務相、第2次伊藤内閣の外相を歴任。明治27年、日英条約改正を成功させ、領事裁判権の回復に尽力。対清強硬路線をとって日清戦争開戦へと導き、講和や三国干渉に対処した。明治30(1897)年、死去。享年54。
◇
本連載をまとめた「幕末維新に学ぶ現在」(中央公論新社)が発売中。
エンターテインメント
大人気アニメ「薄桜鬼」第二期の制作決定、秋にはゲーム新作や舞台も。
今年4月にアニメ化され、先日、放送各局で最終回を迎えたばかりの「薄桜鬼」。その最終回の本編終了後に、早くも第二期を今秋放映することが発表された。また、アニメ「薄桜鬼」公式サイトにも「今秋2期決定!」と記されたバナーが貼られているが、現時点ではまだ詳細は明かされていない。
最終回終了後に流れた告知では、「第二期 制作決定」「今秋、再び」の文字とともに、第二期のものと思われる映像も。第一期の終わり方や、告知映像に「洋装」の土方歳三が登場することから、第二期は第一期の続編となることは間違いなさそうだ。
第一期は全12話。ゲームの濃密なストーリーを知るファンの間では、放映途中から「少し内容を飛ばし過ぎではないか」「本当に終わるのか」といった心配の声が上がっていたが、今回の第二期発表により、安心したファンも多いだろう。
アニメ「薄桜鬼」は、2008年9月にアイディアファクトリーから発売されたプレイステーション2向けの女性向け恋愛ゲーム「薄桜鬼 ~新選組奇譚~」をもとに制作された作品。新選組を題材にしたシリアスなストーリーと、人気イラストレーター・カズキヨネによる美しいイラストが評判を呼び、人気が急上昇している。
ゲームはニンテンドーDSやPSP、プレイステーション3向けにもリリースされたほか、ファンディスクやミニゲーム集も登場。9月には「薄桜鬼 ~新選組奇譚~」以前の物語を描いたプレイステーション2用ソフト「薄桜鬼 黎明録」の発売も決まっている。
さらに、10月には舞台化されることも発表されており、土方歳三役には早乙女太一、ヒロイン・千鶴役には黒川智花を起用。「ORANGE RANGE」のメンバーRYOや木村了も出演する。
アニメ、ゲーム、舞台と、アグレッシブな展開を見せる「薄桜鬼」に今後も期待だ。
横浜にぎわい座の二代目館長に歌丸さんが正式に決定し、会見が行われました。
落語家桂歌丸が横浜にぎわい座2代目館長
2代目館長に桂歌丸さん 横浜にぎわい座
「横浜にぎわい座」二代目館長に桂歌丸が就任 玉置宏さんの後任
今年に入って月に一度は足を運んでいる横浜にぎわい座、ますますの発展を祈ります。歌丸さんには、仕事のし過ぎでその御身がこれ以上細りませんよう……ご健勝とご活躍をお祈りします。
落語家桂歌丸が横浜にぎわい座2代目館長
落語家桂歌丸(73)が「横浜にぎわい座」の2代目館長に就任することが24日、発表された。初代館長の玉置宏氏が今年2月に亡くなり、その後は空席となっていた。歌丸は横浜市出身で、にぎわい座設立にも尽力した。落語芸術協会会長を兼務しながらの就任で「前館長の意志を踏まえ、演芸演者の皆さんが誰でも出演でき、お客さま方が満足するような寄席番組にも配慮していく所存です」。
2代目館長に桂歌丸さん 横浜にぎわい座
横浜市は24日、落語や大道芸の興行施設「横浜にぎわい座」(同市中区)の2代目館長に落語家の桂歌丸さん(73)が7月1日付で就任すると発表した。初代館長を務めた司会者の玉置宏さんが2月に死去し、市が就任を要請していた。
テレビ番組「笑点」などで活躍し、落語芸術協会会長を務める歌丸さんは、横浜市生まれで現在も南区在住。2002年のにぎわい座設立に携わり、公演もしている。
歌丸さんは「誰でも出演でき、お客様が満足する寄席に配慮していく所存です」とのメッセージを寄せた。林文子横浜市長は「玉置さんが大切に育ててくれたものを発展させていただける」と期待を込めた。
「横浜にぎわい座」二代目館長に桂歌丸が就任 玉置宏さんの後任
今年2月に死去した司会者・玉置宏さんが館長を務めていた大衆芸能専門館「横浜にぎわい座」は24日、二代目館長に落語家の桂歌丸(73)が7月1日付で就任すると発表した。就任に際し歌丸は「前館長の意志を踏まえ、演芸演者の皆さんが誰でも出演でき、お客様方が満足するような寄席番組にも配慮していく所存でございます」と同館を通じてコメントした。
横浜生まれ横浜在住の歌丸は、2002年の同館設立に尽力し、さらに運営にも協力してきた経緯があり、4月に行われた玉置さんの『お別れの会』でも実行委員長を務めた。落語芸術協会会長であり長寿番組『笑点』司会を務めるなど業界全体に顔が利き、信望も厚いことから、同館では「横浜の大衆芸能振興の拠点として、これまでの路線を継承、発展させるとともに、新たな一歩を踏み出していくにあたって、貢献いただける」と期待を寄せる。
歌丸は「思い起こせば、平成14年の4月にオープンいたしました横浜市唯一の演芸専門館、横浜にぎわい座も今年で丸8年になりました。その間、前館長でありました故玉置宏さんが誠実かつ熱心に守っていただいたお陰で今日があると思っております」と振り返り、今後の尽力を誓った。
今年に入って月に一度は足を運んでいる横浜にぎわい座、ますますの発展を祈ります。歌丸さんには、仕事のし過ぎでその御身がこれ以上細りませんよう……ご健勝とご活躍をお祈りします。
iPHONEのOS4を導入しました。マルチタスクが可能になったことがとても嬉しいです。
北海道
北都交通のバスツアー「坂本龍馬と幕末の箱館浪漫」人気
東京
早大講堂で東北弁演劇 仙台の劇団「破無礼」を上演
京都
コーヒーカステラ:龍馬も好きぜよ 鼓月が発売「歴史ファンにお薦め」 /京都
「祇園祭の顔」引退へ 5期15年 山鉾連合会 深見理事長
コラム
【元気のでる歴史人物講座】(76)久坂玄瑞 受け継がれた志
文化芸能
劇団青い鳥「ちょっとうれしい」
出演者全員 台本作り参加
エンターテインメント
新選組と恋に落ちる!? 『幕末新撰組◆恋浪漫‘s』 6月23日オープンのゲームサービス 「ドコデモゲーム」にて公開決定
ビジネス
龍馬もガムで日本を応援するぜよ!
北海道
北都交通のバスツアー「坂本龍馬と幕末の箱館浪漫」人気
「はこだて検定」保有のカリスマバスガイドと歴史探訪はいかが―。北都交通函館支店(瀬戸川町34)は5月から特別企画「坂本龍馬と幕末の箱館浪漫(ロマン)」と銘打ったバスツアーを敢行し、観光客らから人気を集めている。
函館新名所として定着した「北海道坂本龍馬記念館」(末広町)を中心に元町の歴史的建造物や箱館戦争終えんの地となった五稜郭などをゆったりと散策できるのが魅力。同社では「幕末の歴史を色濃く残す函館を余すことなく知ることができます」と内容に自信をのぞかせている。
同社では年間、いくつもの定期観光バスを企画しているが、今回は7月29日の箱館奉行所オープンに先がけ昨今の幕末ブームと連動し、函館観光を盛り上げられるプランはないかと模索。ガイドやドライバー、同社員らで構成されるプロジェクトチームが知恵を絞り、商品化にこぎつけた。
一人の人物(今回は龍馬)に焦点をあて、その背景にある歴史を紹介する企画は今回が初めて。ツアーの目玉は添乗するガイド全員が「はこだて検定」取得者だということ。中でも田島典子さんは豊富な知識と分かりやすい解説でカリスマバスガイドとして人気が高く、利用者からも「ふだんの観光ツアーより内容が濃くおもしろい」と好評だ。
行程は函館駅バスターミナル―元町散策(ハリストス正教会見学)―坂本龍馬記念館―土方歳三最期の地碑―五稜郭公園―同ターミナルの約4時間。大人3100円(中学生以上)、小人1900円。運行期間は10月31日までの金・土・日・祝日。問い合わせ・申し込みは同支店TEL0138・57・7555。
東京
早大講堂で東北弁演劇 仙台の劇団「破無礼」を上演
東北弁でシェークスピア劇を演じる劇団「シェイクスピア・カンパニー」(仙台市)が19日、東京都新宿区の早大大隈講堂で「破無礼(はむれ)」を上演した。「ハムレット」の舞台を幕末の東北に置き換えた悲劇に一般も含め1000人の観客が魅了された。
早大が校友会の設立125周年を記念して企画。奥羽越列藩同盟に加わるある藩の跡取り息子を主人公に、父を殺した叔父への復讐(ふくしゅう)に至る苦悩や宰相の娘との悲恋が情感たっぷりに描き出された。
有名なせりふが「すっか、すねがだ、なじょすっぺ」と訳されるなど、味わいのある言葉で物語は展開。早大文学部2年の道脇彩さん(19)は「力強いせりふが東北弁にマッチしていた」と話した。
上演に先立ち、劇団を主宰する下館和巳東北学院大教授が「坪内逍遙のメッセージ」と題して講演。「逍遙は早大教授の傍ら、シェークスピア全集の翻訳をライフワークとした。言葉にとことんこだわった姿勢に感銘を受けたことが、この劇団の出発点になった」と語った。
京都
コーヒーカステラ:龍馬も好きぜよ 鼓月が発売「歴史ファンにお薦め」 /京都
NHK大河ドラマ「龍馬伝」がブームの中、京菓子の「鼓月(こげつ)」(京都市伏見区)は、カステラが広まった長崎で坂本龍馬がコーヒーを愛飲したとされることから、コーヒー味のカステラ「坂本龍馬コーヒーカステラ」を開発、発売した。同社広報担当者は「歴史ファンにお薦め。幕末に思いをはせてほしい」とPRしている。
コーヒーは幕末の長崎に日本で初めて輸入された。滞在中の龍馬も政治活動などに奔走する合間に好んで飲み、つかの間の休息を楽しんだとされる。
コーヒー豆を使って香ばしく、上品な甘さに仕上げた。表面に坂本家家紋「組み合わせ角(通称・違い枡(ます))に桔梗(ききょう)」をあしらった。1箱630円。JR京都駅など一部店舗で販売する。鼓月(電話075・623・1651)。【入江直樹】
「祇園祭の顔」引退へ 5期15年 山鉾連合会 深見理事長
祇園祭山鉾連合会(京都市中京区)の深見茂理事長(76)が22日、今期限りで引退することを明らかにした。次期理事長は来年5月の決算総会で決める。
深見氏は、大阪市立大教授などを経て、1996年4月に理事長に就任した。以来、5期15年にわたって、理事長を務めている。
この間、祇園祭の文化的な地位の向上に尽力し、総仕上げとして、昨年9月にユネスコ無形文化遺産の登録を実現した。また、最大級の鉾だったが、幕末の大火で焼失して「休み鉾」になっている大船(おおふね)鉾が将来、復興する足掛かりをつけた。
連合会は申し合わせで、理事の定年を80歳としている。深見氏は次期理事長に就くと任期途中で定年を迎えることなどから、引退を決断した。
「祇園祭の顔」として長年親しまれてきただけに、関係者には引退を惜しむ声が多い。深見氏は「慣例を重んじ、後進に託したい。今夏は、理事長として最後の祇園祭に全力を尽くす」と話している。
コラム
【元気のでる歴史人物講座】(76)久坂玄瑞 受け継がれた志
明治維新の精神は一言をもってすれば「尊皇攘夷(じょうい)」である。欧米の威圧に屈して不平等条約を結んだ徳川幕府がある限り、日本はインド、清の二の舞いとなるしかないと思ったのが、維新の志士たちである。
そのため志士たちは幕府をなくし皇室を仰いで日本を立て直し、わが国を侵略支配せんとする欧米を打ち払い日本の独立と生存を確保せんとした。この尊皇攘夷の運動を最も果敢に推進したのが長州藩であり、その先頭に立ったのが吉田松陰の教えを受けた人々である。
中でも松下村塾において高杉晋作とともに双璧(そうへき)とうたわれた久坂玄瑞(くさか・げんずい)は、長州の藩是を「破約攘夷」とし「君臣湊川(みなとがわ)」の覚悟をもって藩をあげて尊皇攘夷運動に突き進むのに最も尽力した。
久坂は禁門の変で亡くなるが、長州のこの尊皇攘夷運動なくしては明治維新の成就はあり得なかった。恩師・松陰の志を受け継いだのが一番弟子の久坂であり、久坂の死後その志を受け継いだのが高杉である。松陰、久坂、高杉らが一身を捧(ささ)げ幾多の困難、試練を乗り越えてついに明治維新を導いたのであった。
高杉が無二の畏友(いゆう)とした久坂は村塾の同志から最も敬愛された。同志は「久坂には誰もついて行きたい。高杉は恐ろしかった」と言っている。後年、西郷隆盛は「久坂先生が生きていられたならば私らは参議などと威張ってはいられませぬ」とたたえた。(日本政策研究センター主任研究員 岡田幹彦)
文化芸能
劇団青い鳥「ちょっとうれしい」
出演者全員 台本作り参加
劇団青い鳥は29日から7月4日まで、東京・下北沢の小劇場楽園で、新作の「ちょっとうれしい」=写真=を上演する。
出演者全員が台本作りに参加する「市堂令(いちどうれい)方式」を20年ぶりに復活させ、客席数100未満の小劇場でライブ感あふれる舞台を作り出す。
演出の芹川藍は「既成の戯曲を使い、せりふの面白さを追い求めた芝居をやる中で、俳優の演技が固まってきたことを痛感している。それを壊すため、私たちの出発点でもある市堂令方式に立ち返ってみることにした」と話す。
葬儀場、茶の間、喫茶店など五つの場面を設定し、「ちょっとだけ、うれしいこと」を5人の女優で表現する。
「けいこ場では、俳優が演技を固めようとする度に、一から作り直しています。『必死に遊ぶ』を合言葉に、5人の魅力が飛び出してくる舞台にしたい」と芹川。
出演は天光(てんこう)眞弓、葛西佐紀、近内仁子、森本恵美、天衣織女(あまぎおりめ)。(電)03・3486・7727。
エンターテインメント
新選組と恋に落ちる!? 『幕末新撰組◆恋浪漫‘s』 6月23日オープンのゲームサービス 「ドコデモゲーム」にて公開決定
携帯電話公式サイトを410サイト運営している株式会社エイチーム(本社:愛知県名古屋市、代表
取締役社長 林高生、以下エイチーム)は、株式会社ディーツー コミュニケーションズ(本社:東京都港区、代表取締役社長:宝珠山卓志)が運営する、ゲームサービス「ドコデモゲーム」にて、『幕末新撰組◆恋浪漫‘s』を公開開始いたします。
時は幕末…
日本が変わろうとしている時代の
京都を舞台に繰り広げられるラブロマンス!
【ゲーム概要】
幕末志士とのドキドキ恋愛を楽しめる、女の子向け恋愛シミュレーションゲームです。ストーリー中の選択肢を選択することによって物語を進めていきます。複数の彼氏候補キャラクターに
対して同時進行でアプローチしていくことも可能となっております。
また、他のユーザーの彼氏を誘惑する機能や、他のユーザーからの誘惑を防ぐことで彼氏の好感度がアップするなど、ユーザー同士の交流がゲームに影響を与える機能が大きな特徴となってお
ります。登場キャラクター総数は18名となっており多彩なキャラクターがストーリーを彩ります。
(以下略)
ビジネス
龍馬もガムで日本を応援するぜよ!
~お菓子で幕末気分を噛みしめ、脱藩の旅へ~/
「高知ゆずガム」 他5品、2010年6月22日(火) 全国で発売
大河ドラマや日経MJの「2010年上期ヒット商品番付」でも大関に入るなど、話題沸騰中の坂本龍馬。そんな坂本龍馬がビジネスマンを、そして日本を応援する「高知ゆずガム」が6月22日から全国でロッテから発売された。
包み紙には、坂本龍馬が筆まめであったことから、龍馬の手紙から抜粋した、ビジネスマンを応援するメッセージ(全18種)をプリント。「日本を今一度せんたくいたし申候」「世に生を得るは事を為すためにあり」などの名言がセレクトされている。幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」の木村幸比古氏監修の本格的な内容だ。
味も本格的で高知県産の柚子パウダーが使われており心地よく爽やかな和の香味と激動の時代・幕末の空気を噛みしめることができる。
このガムはただ単に食べる、名言を読むだけでは満足していてはまだまだ甘い!折角の名言を使いこなすことで自分や同僚、先輩、後輩、そしてとなりの女子社員まで励ましたり、喜ばしたり、時には慰めビジネスシーンを愉しみたい。
ある土佐リーマンのビジネスシーンにあわせた名言集の使い方を紹介しよう。
1.出社・・・朝は元気よく出社。厳しい坂道「脱藩の道」も駆け上がるぜよ。待ってろよ、俺の仕事!
「世に生を得るは 事を為すにあり」
(人はことを成し遂げる使命を受けて生まれてきた。)
2.上司に呼ばれ・・・やばい、勝部長に呼ばれた。明日のプレゼン、アイデア浮かんでないけど、とりあえず言っとくか!
「ハイハイエヘンをもしろき事、兼て思ひ付おり申候」
(ハイハイエヘン、おもしろいことを以前から思いついております)
3.得意先で・・・飛び込みで入った薩摩商事の西郷課長に、普通の貿易会社だけど大げさに説明だ。
「日本を今一度せんたくいたし申候」
(日本を今一度一新させたいと思っております)
4.あの娘にそっと・・・行きつけの「寺田屋」の看板娘、龍子ちゃんへ、近藤たちに見つからないそっとメルアドを渡す。
「まことにおもしろき女」
((おりょうは)誠に魅力ある女性です)
5.後輩から相談・・・後輩の以蔵が元気がない。武市係長との人間関係に悩んでるらしい。思い切りやるしかないぜよ。
「ぶんと。へのなる。ほど。やって見よ」
(ぶんとおならが出るようなつもりで思い切ってやってみなよ)
6.え、異動!?・・・勝部長に呼ばれて個室に。え、万次郎と一緒に海外転勤!?このご時世に船(海臨丸)で赴任~!?
「人間の一世はがてんのいかぬは元よりの事
(人の一生はどうしても納得がいかないことがあるものだ。)
他にもラブレターや読むと元気になる名言など計18種類。コンプリートする頃にはメッセージに感銘を受けてあなたも龍馬のような行動力がついているはず。日本の夜明けは近いぜよ!
●龍馬ゆかりの地満喫の菓子で旅した気分に!●
~全国で6月22日(火)から発売~
高知ゆずガム以外にも、龍馬にちなんだお菓子が続々発売。ゆかりの地の名産品を使用し現代風にアレンジ。パッケージではゆかりの地や人物を紹介。食べると龍馬の足跡をたどる旅に出たくなる。時間やお金がない人はお菓子で行った気になろう!
『パイの実〈京都宇治抹茶のプリンパイ〉』
・龍馬が政治的に活躍した舞台の京都府産の宇治抹茶を使用したチョコ菓子は、抹茶が香り高く味わい深い。
・パッケージ裏には、「寺田屋騒動址とお龍」「円山公園龍馬像と中岡慎太郎」が紹介されつい訪れたくなる。
『大人のトッポ〈長崎のハニーカステラ〉』
・龍馬が設立した日本初のカンパニー「亀山社中」の存在した長崎県のハニーカステラのパウダーを使用したチョコがトッポの中にたっぷり。かくれたハチミツの甘さがあとをひく大人の味わい!
・パッケージ裏には、「龍馬」と「亀山社中やグラバー園」が紹介され活躍する姿をつい想像。
『クランキー〈鹿児島産紫芋のタルト〉』
・お龍と赴いた日本初の新婚旅行先と言われる鹿児島県産紫芋パウダーを使用したチョコは甘く香ばしい。
・パッケージ裏では、「新婚湯治碑や霧島連山、維新ふるさと館」などを紹介。フタ裏では、「西郷隆盛や勝海舟」などを紹介。
『高知ゆずクッキー』
・龍馬の故郷(土佐)、高知県産の柚子果汁を使用したクッキーはゆずの香りが漂う。
・パッケージでは、「脱藩の道や桂浜、高知城、坂本龍馬記念館」とメジャーどころがずらり紹介されている。フタ裏では、「乙女姉やん、武市半平太、初恋の相手とされる平井加尾、龍馬に世界を教えた河田小龍」とバラエティな人物紹介が龍馬ファンを愉しませてくれる
『鹿児島さつま芋ケーキ』
・龍馬が尽力した薩長同盟にちなみ、鹿児島県のさつま芋パウダーを使用した素朴でシンプルな味わいのケーキ。
・パッケージでは、「薩摩への移動途中に船から見たと思われる桜島、お龍と二人で登った霧島、二人で浸かった汐浸温泉の新婚湯治碑」が紹介され鹿児島での二人をほうふつとさせる。フタ裏では、「龍馬に関連する大勢の人物の相関図」が紹介され非常に勉強になる。
~龍馬ファンなら是非手に入れたい!!~
「龍馬伝フェア限定BOX」
ロッテオンラインショップ(http://lotte-shop.jp/)では、今回の6商品にさらにBOXでしか手に入らないポストカードガムなどを封入した「龍馬伝フェア限定BOX」を数量限定で販売。これをあげたら歴女の心をつかむこと間違いなし。また龍馬伝フェアの特設サイトも要チェックだ!http://www.lotte.co.jp/products/brand/ryomaden
こういうネタ大好き。
ラジオデイズ
伝説の実験落語・再び!!コレクション3
勘当舟
三遊亭白鳥(落語家)
猪牙舟で大川(隅田川)を上って吉原に行くのは「オバマ屋」の若旦那で、船頭はクリキントン。キムチ問屋の金蔵が対抗して……さながら競艇場となった大川のほとりに、「まくれまくれ!」と叫んでいる談春師匠(爆)。
こういうネタ、大好き~。
どこかで同じようなパターンの爆笑ストーリーを聴いたことがあるように思って記憶を辿ったら、かんべむさしの小説『決戦・日本シリーズ』だった。
wikipediaの作品概要より。
たまたま『SFマガジン』でこの作品を見かけて、ツボにはまりまくった自分が、約20年後に阪急神戸線沿線の住人になるとまでは予想しなかった……その20年間に、阪急ブレーブスはなくなってしまい、阪急西宮球場も取り壊され、阪急阪神ホールディングスもが誕生、と、時代の変化を感じたものだ。でも、この小説の笑いのツボは今でもけっこう通用する(関西圏限定か?)と思う。
白鳥さんの「勘当舟」、時事ネタとしてはちょっと古くなったかも知れないけど、ライブで聴きたいなぁ。
ラジオデイズ
伝説の実験落語・再び!!コレクション3
勘当舟
三遊亭白鳥(落語家)
米・朝が隅田川で大激突!
【あらすじ】
船宿を訪れたのはアメリカ屋の若旦那「オバマ」さん。ひさびさに吉原へ繰り出そうと、猪牙舟(ちょきぶね)を手配します。負けず嫌いのオバマは腕のいい船頭「クリキントン」を使って誰よりも速く猪牙舟を走らせ、「おれがナンバーワンだ」と息巻きます。ところが背後から近づく船の影。それはキムチ問屋の二代目、金造の船でした。お目当ての花魁が同じだと知ったふたりは、どちらの船が早く吉原へ着くかでデッドヒートを繰り広げます。オバマが日本屋や英国屋を援軍に呼べば、金造はフセイン屋やビンラディン屋まで呼ぶ始末。こうして大川(隅田川)はしっちゃかめっちゃかの大混乱となるのでした。
【聴きどころ】
アメリカ大統領がオバマにかわったことで時事ネタが更新され、この一席はブッシュ大統領版とはまた違う味わいの、別バージョンの「勘当船」として仕上がっています。白鳥師がマクラで語るには、そもそも「反戦」と「江戸情緒」の融合という難しいところを目指して作られたという本作。その狙いがサゲでいかに果たされることになるのか? 聞きどころです。
【もうひと言】
タイトルにもなっている「勘当船」とはどんな舟のことなのか。吉原まで客を運んだ猪牙舟はいったいどんな形をしていたのか。ディズニーランドでは「リピーター」、では吉原ではそれを何というのか……。新作メインで活動する白鳥師がマクラで解説する江戸情緒、新鮮です。
[収録:2009年7月4日 お江戸日本橋亭(東京・三越前)]
猪牙舟で大川(隅田川)を上って吉原に行くのは「オバマ屋」の若旦那で、船頭はクリキントン。キムチ問屋の金蔵が対抗して……さながら競艇場となった大川のほとりに、「まくれまくれ!」と叫んでいる談春師匠(爆)。
こういうネタ、大好き~。
どこかで同じようなパターンの爆笑ストーリーを聴いたことがあるように思って記憶を辿ったら、かんべむさしの小説『決戦・日本シリーズ』だった。
wikipediaの作品概要より。
作品概要
兵庫県西宮市に本拠地を置いていた二つの球団、阪急ブレーブス(現:オリックス・バファローズ、本拠地:阪急西宮球場)と阪神タイガース(本拠地:阪神甲子園球場)が日本シリーズで戦うことになったら…という、(実際には起こらなかった)プロ野球球団の戦いを想定して描いた短編である。
阪急電鉄と阪神電気鉄道という、大正期以来阪神間にて輸送を競い、それぞれ独自の文化を築いていた両社の沿線の様子の違いを、指し示した作品でもある。奇抜な発想に濃厚な関西弁、個性豊かな登場人物、上方落語の影響を受けた語り口など魅力あるできとなっている。
また阪急ブレーブスや阪急西宮球場、今津駅の連絡線が過去のものとなり、さらには阪急・阪神が阪急阪神ホールディングスという同一企業の傘下となった2009年現在では、読む者にある種の郷愁感を覚えさせる作品ともなっている。
たまたま『SFマガジン』でこの作品を見かけて、ツボにはまりまくった自分が、約20年後に阪急神戸線沿線の住人になるとまでは予想しなかった……その20年間に、阪急ブレーブスはなくなってしまい、阪急西宮球場も取り壊され、阪急阪神ホールディングスもが誕生、と、時代の変化を感じたものだ。でも、この小説の笑いのツボは今でもけっこう通用する(関西圏限定か?)と思う。
白鳥さんの「勘当舟」、時事ネタとしてはちょっと古くなったかも知れないけど、ライブで聴きたいなぁ。
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