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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。


門出二人桃太郎
 三代目中村勘太郎(七緒也くん)、二代目中村長三郎(哲之くん)の初舞台目当てで行きました。舞台も観客席もみんながふたりのおじいちゃんおばあちゃんになったような、温かな一体感で見守る、この雰囲気。祖父の勘三郎さんがこの場にいれば、という思いがよぎるものの、この温かい祝祭感は他の豆役者ちゃんたちの初お目見えや初舞台をはるかに凌ぐものだった。
 勘太郎くんはちゃんとお芝居をし、見栄を切り、ご挨拶もしっかり。長三郎くんは、他の役者さんたちの挨拶中は爆睡しちゃっておじじ(七之助)さんに支えてもらっていたりするくせに、瞬間的に役に入っている感じ。
 おじいさんが芝翫、おばあさんが時蔵、息子と鬼大将はパパ勘九郎さん、お嫁さんは七之助さん。加えて、犬彦が染五郎、猿彦が松緑、雉彦が菊之助ってすげー豪華。彌十郎、雀右衛門、魁春、梅玉、菊五郎、児太郎、橋之助、福之助、錦吾、亀蔵。

絵本太功記
 自分的に興味湧いたのは舞台が尼崎ってとこだけ。竹藪ちゅうと近松門左衛門ゆかりの公園の辺りに少し竹林が残ってたっけー。
 自分の祖母を(人違いとはいえ)刺しておいて、取り乱しもしない主人公武智光秀に共感持てず、ところどころ意識が飛んだ……。

梅ごよみ
 深川芸者の意地の張り合いを楽しみにしてた。染五郎の、ダメンズだけど色男でモテモテって役は結構ニンに合ってる。勘九郎さんの女形は初めてかも(過去の出演見たら、この役で仁左衛門さん玉三郎さんと共演してたので驚き)。吉原から流れてきた辰巳芸者で丹次郎にひたすら尽くし、かっとなったらちょっとやり過ぎてしまうぐらいのところがかわいい。そして、菊之助さんの仇吉がどこからどこまで見ても深川芸者のいっち売れてる感じ。児太郎ちゃんがまだ15歳のお蝶でこれまたかわいいお嬢様。筋立てやどんでん返しというほどのものはなく、役者と衣装を楽しむ世話物。
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東京
新選組150回忌、近藤・土方子孫ら企画 西郷も参加へ
 江戸時代末期に京都で結成された新選組隊士の子孫たちが3月、副長の土方歳三らの出身地、東京都日野市で「百五十回忌総供養祭」を営む。来年は戊辰戦争が始まって150年。関係が深かった会津藩(福島県)藩主の松平家14代当主、激しく争った薩摩藩(鹿児島県)の西郷隆盛の子孫も参加する予定だ。

 発起人は、局長の近藤勇、土方、副長助勤の井上源三郎の兄の子孫、日野宿の名主で新選組を支援した佐藤彦五郎の子孫ら12人。節目を迎え、隊士や関係者の子孫に広く呼びかけ、土方家の菩提(ぼだい)寺でもある高幡不動尊(日野市)で営む。

 子孫は長らく肩身の狭い思いをしてきた。近藤の兄の子孫、宮川清蔵さん(78)=茨城県牛久市=は近藤の出身地の東京都調布市に住んでいた幼少期、「近藤は逆賊と言われた」と振り返る。土方の兄の子孫で土方歳三資料館館長(日野市)の土方愛さん(45)は高校時代に「新選組は人斬り集団」と言われ、苦い思いをした。

 しかし1962年、司馬遼太郎の小説「燃えよ剣」の連載が始まり、土方人気に火が付いた。NHK大河ドラマ「新選組!」(2004年)やゲームの影響で、今では若いファンも増えているという。愛さんは、幕府側、倒幕勢力側どちらにつくか様子見の藩が多いなか、「隊士は幕府のために尽くし、どっちが得かということでは動かなかった。潔さに今の人たちがひかれているのでは」と話す。井上の兄の子孫で井上源三郎資料館館長(日野市)の井上雅雄さん(62)は「薩摩藩や長州藩(山口県)を含め、戦った全員の供養ができればいい」と呼びかけている。

 総供養祭は3月18日、高幡不動尊の五重塔院ホールで。一般の出席も可。参加費2千円。先着順。往復はがきに住所、氏名、電話番号を書き、〒191・0011 東京都日野市日野本町4の11の12 天然理心流勇武館事務局へ。28日の消印有効。出席の可否は返信はがきで伝える。(大室一也)

岐阜
梁川星巌の刀発見 大垣出身、幕末の志士・漢詩人 関鍛冶伝承館で初公開 /岐阜
 大垣市出身の漢詩人・梁川星巌(やながわせいがん)(1789~1858年)が所持していた刀が、関市で見つかった。星巌ゆかりの大垣市の禅寺「華渓寺」の加藤泰寛住職(58)は「星巌は多くの漢詩を残したが、刀が見つかったのは初めて」と話している。

 関市南春日町の関鍛冶伝承館は企画展「刀に名前を刻んだ男たち~幕末の志士・梁川星巌と日本刀」を開催し、星巌の刀を初公開している。

 星巌は1789(寛政元)年、現在の大垣市曽根町の郷士の家に生まれ、華渓寺の僧に儒教や漢詩を学んだ。幕末には、頼山陽、藤田東湖、佐久間象山、吉田松陰、橋本左内ら尊皇攘夷の思想家と親交があり、自らも憂国の志士として行動。危険思想の人物として幕府からにらまれるが、安政の大獄(1858年)の直前にコレラが原因で死去した。

 公開された刀は、関市が所蔵していた一振りで、茎(なかご)と呼ばれる握り部分に「大義翼皇室」で始まる尊皇攘夷思想を詠んだ5字漢詩が8行と「老龍庵帯」「東湖先生侍禄」の所持銘が刻まれている。同伝承館の江西奈央美学芸員(28)が昨年9月、「老龍庵」を星巌の号と判読し、華渓寺の梁川星巌記念館に問い合わせたところ、星巌の所持刀と確認された。

 太平洋戦争の後、連合国軍総司令部(GHQ)が10万振り近い日本刀を接収したが、サンフランシスコ平和条約を締結後、約1000振りが刀産地の関市へ返還され、その中に星巌の刀が含まれていた。

 華渓寺の加藤住職は「『老龍庵』は星巌の戒名に使われている号の一つ。尊皇攘夷派の水戸藩士・藤田東湖から譲られた刀と思われる」と話している。

 企画展では、漢詩の掛け軸、詩稿、印譜など星巌ゆかりの遺品も展示されている。3月20日まで。火曜休館。入館料は高校生以上200円、小中学生100円。問い合わせは同伝承館(0575・23・3825)。【立松勝】

山口
幕末の志士が学んだ萩藩校明倫館の跡地に「萩・明倫学舎」オープン3月4日オープン、山口県萩市の明治維新150年記念事業
 NPO萩明倫学舎(特定非営利活動法人設立認証中)は3月4日、山口県萩市に「萩・明倫学舎」をオープンする。萩・明倫学舎は萩藩校明倫館の跡地にあり、観光インフォメーションセンターやレストランを備え、萩市の観光の起点施設として機能していく。

萩・明倫学舎
開館日:2017年3月4日
開館時間(予定):9時~17時、レストランは11時~21時
所在地:山口県萩市江向602
入館料:本館無料、2号館大人300円、高校生200円、小中学生100円
Webサイト:萩・明倫学舎
 萩藩校明倫館は、1718年に5代藩主である毛利跨吉元が家巨の子弟教育のために萩城三の丸(堀内)に建てた藩校。その後1849年に現在の江向に移転。約5万m2の敷地内に学舎や武芸修練場、練兵場などがあり、吉田松陰や楫取素彦(小田村伊之助)が教鞭をとったことでも知られている。

 萩藩校明倫館は1867年に廃館となったが、その跡地に1935年10月10日に建築されたものが旧明倫小学校の木造2階建ての校舎で、1996年に国登録有形文化財に登録されている。2018年に明治維新150年を迎えることを記念して、この校舎を萩市の新しい観光の起点となるよう改修整備したものが萩・明倫学舎となる。

 萩・明倫学舎は本館、2号館、周辺の遺構などから構成され、本館には観光インフォメーションセンターや萩の名店「割烹千代」がリーズナブルな価格で料理を提供するレストラン、ジオパークビジターセンター、復元教室、復元校長室などを備える。

 2号館には2015年年7月に世界遺産に登録された萩市の5資産を含む「明治日本の産業革命遺産」を紹介する「世界遺産ビジターセンター」、幕末維新期の歴史・科学技術史の実物資料を展示する「幕末ミュージアム」を開設する。


高知
「JIN」で幕末感じて 高知市のまんが館で原画展
 坂本龍馬らが活躍した幕末期を舞台にした人気漫画「JIN―仁―」で知られる漫画家、村上もとかさん(65)の原画展が、高知市九反田の横山隆一記念まんが館で2月11日から始まる。龍馬、中岡慎太郎、西郷隆盛といった実在の人物や、当時の暮らし、文化を映し出した場面など直筆の原画144ページ分が並ぶ。

 村上さんは東京都出身で、1972年にデビュー。「JIN」は「スーパージャンプ」に2000年から10年間連載され、テレビドラマにもなった。

 脳外科医、南方仁が幕末にタイムスリップし、歴史や運命を変えることに悩みながら、現代医学を実践する物語。親友となる龍馬との出会いや暗殺阻止を目指す近江屋でのシーンなどのほか、山内容堂、勝海舟、沖田総司ら実在した人物たちが登場する場面を紹介。

 「手術」「ラブロマンス」「遊郭」など、テーマ別の展示も。仁が龍馬と連れだって行った遊郭で、華やかさとは裏腹に性病に苦しみ死んでいく女性が多くいたなど、闇の部分を描いたことが分かる。ほかのヒット作「六三四の剣」「龍―RON―」の原画もあり、すべて手作業で作画されている。

 展示を担当した高知県まんが・コンテンツ課の近森雄太主査は「作画技術の高さを見ていただきたい」と期待を込めた。

 横山隆一記念まんが館と「まんが王国・土佐推進協議会」の主催で、3月11、12日に開く「第3回全国漫画家大会議」の一環。3月12日まで。

インタビュー
徳川宗家18代当主の徳川恒孝さん 大政奉還をした理由を推測
 薩長同盟、坂本龍馬の船中八策、土佐藩主の山内容堂が徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜へ出した建白書、そして大政奉還、龍馬暗殺……。2017年で大政奉還から150年。幕末から明治維新という激動の時代を生きた英雄の子孫たちが先祖の知られざる素顔、偉業を語り尽くす。今回は、徳川宗家18代当主・徳川恒孝さんだ。

*  *  *
 大政奉還として徳川家が天皇家に政権をお戻ししたのは、徳川幕府に大きな問題があったり、政権維持に限界があったりしたからではないと考えています。

 当時、日本を取り巻く外国からさまざまな圧力がかかっていました。その流れに任せてそれぞれの藩が圧力をかける国に個別に対応していたら、日本は分断されていたかもしれません。

 そこでそれぞれの藩が領内を支配する幕藩体制ではやっていけないと幕府は判断したのです。

 徳川家は幕府開府以来、長く天皇家を非常に大切にしてきましたので、ここで天皇家に政権をお戻しして、天皇を中心に今一度日本を統一すべきだと考えたのです。

 さらに徳川幕府は常に海外の情報を得ていました。特に幕末にかけては詳細な情報が幕府に入ってきて、世界の情勢は承知していたのです。イギリスの軍艦が近くにいるとか、アメリカの戦艦が日本に向かっているなど把握していました。そこで世界を見て、もう二度と戦乱の世にしてはならないと考え、大政奉還という決断をしました。

 江戸幕府を起こした家康は常に平和を願い、それを実現させた人です。家康の前の時代、豊臣秀吉は朝鮮へ2度も兵を出しました。 しかし、徳川の世になると朝鮮をはじめとした外国を攻めることはなくなりました。それどころか、朝鮮通信使が再開され友好な関係を築きました。幕府の将軍の代替わりや世継ぎが生まれるたびに朝鮮から使節団が江戸城にいる将軍に謁見にやってきていました。

 ただ、これは徳川家からの見方で、向こうの方々に言わせると、今度の将軍がまた秀吉のような人だったら危ないと、警戒のために将軍の顔を見に来ていたというようです。それで今度の将軍は穏やかでこちらに戦争をしかけてくるようなことはないと安心して帰ったそうです。

 そしてその情報は朝鮮から清の都・北京に伝えられ、今度の将軍も大丈夫だと胸をなでおろしたといいます。それだけ諸国との関係はよかったのです。

 ただ幕末から大政奉還にかけて残念なのは井伊直弼が桜田門外の変で暗殺されたことです。井伊直弼は海外の状況を鑑み、修好通商条約を締結し、日本を開くことを進めていました。だからあのとき直弼が殺されなかったら、徳川幕府が新たな日本をつくっていったでしょうね。

 徳川政権であったら平和一本で、その後の政府がとったような軍国主義政策はとらなかったに違いありません。明治新政府では征韓論が持ち上がり、その後も日清戦争、日露戦争が起きました。明治以降の歴史はご存じのとおりですね。

 明治の世になって諸藩の大名の子息の多くは海外に留学しました。そしてその人たちは海外の情報や知識を身に着け、明治以降の政府に重用されていきます。

 また、宮内省が大名家同士の婚姻を進めていきました。戊辰戦争で敵対した人の子孫を結びつけたり、かつて、あまり関係がよくなかったという同士の婚姻を決めたりしました。そうすることでそれぞれの家が背負ってきた変なわだかまりはなくなりました。

 大政奉還後、徳川幕府の幕臣が明治政府を支えたり、その後、全国にあった藩の大名の子孫の方々が地域のお祭りに参加して祭りを盛り上げたりしています。かつての殿様の子孫は地域活性化に協力しているといえるでしょう。

 そういう意味でも徳川時代が分断され明治時代になったのではなく、その意志を受け継ぎ、継続しているといってもいいかもしれません。(本誌・鮎川哲也、太田サトル、松岡かすみ)
 うーん、そう言われてしまうと旧幕府軍として戦った人々の思いは……大坂城の将兵を残して江戸に逃げ戻った慶喜の行動をどう思われているのか、問うてみたくなる旧幕府方贔屓です。

私が落語を見始めたきっかけは、遡れば子供の頃はテレビラジオの演芸番組で落語がかかるのが当たり前で、その蓄積があるせいか年末に突然「芝浜」が聞きたくなった、というのが大きな要因。でも他にも伏線はあって、そのひとつは当時毎週購読していた週刊『モーニング』に広瀬和生さんが連載していた「この落語家を聴け!」が毎週とても面白かったこと。で、志の輔らくごや談春の古典落語をライブで聴いたら後は広瀬さんのお勧めを一通り聴きに行くようになっていたのだ。
 もともとはロック雑誌の編集者だけど年間に何百席も落語を聴いている広瀬さんのエッセイは、この落語家はどういう魅力があって、いつどこでかけたどんなネタにどんな魅力があったかを活き活きと描いてくれ、勝田文さんのイラストもすごく魅力的だった。しかも、この落語家さんの落語会は近々こんなのがあってお勧めみたいなガイド風。なので、広瀬さんの連載中に落語に通い始めた私には、ナビゲーターとしてほんとありがたい存在だった。実際、広瀬さんがプロデュースする落語会には何度も行ったし、自分の行く落語会に広瀬さんの染めた長髪を見かけると、しめしめと思ったりした。
 広瀬さんが三遊亭圓丈の始めた実験落語の会やSWAに連なるメンバーの何人かをフィーチャーしてくれたおかげで、高座で座布団を蕎麦打ちに見立ててこねたり格闘したりする白鳥スタイルも、私には受けた。古典芸能の古典(といってもつくられた時には時事ネタであり新作であったはず)の伝統は引き継がねばならないが、そこには常に時事性や時代性をもった新作が流入しなければ古びてしまう。歌舞伎も落語も新作があるから古典も光る。
 ということで、常に新作を創造するプレッシャーとよろこびに身をさらす白鳥さんは、面白い。美内すずえ先生の少女マンガ『ガラスの仮面』からインスパイアされた『落語の仮面』ももう7作ほどできているらしいが、今日は第1作から第3作までを前座なしで語り通す興行。これで本多劇場が満員になった。しかも、今日の挙手アンケートでは、原作『ガラスの仮面』を知らない人の方が、三遊亭白鳥は初めて聴きに来たという人より多かった。これって白鳥さんを聴きに来るファンが結構いるってことだ。しかも、以前は池袋演芸場に集まるコアな落語ファンの醸し出すアングラ感がつきまとっていた白鳥さんの会が、『落語の仮面』シリーズのおかげか、けっこう若い女性が友達同士で来たり、男性もちょい若くてオシャレだったりで、雰囲気変わってきている。『昭和元禄落語心中』の影響もあるかも知れないが、シブラクとか落語界自身の努力もあり、若い世代を獲得できている。

三遊亭花誕生/白鳥
 女優として成長する北島マヤを主人公とする『ガラスの仮面』を落語界に置き換えただけでなく、寺島花すなわち三遊亭花が新作落語家として成長する過程で、彼女を潰そうとする落語協会会長(あくまでもフィクション。ちなみに次の柳屋小三治とか三遊亭圓生とか大名跡をちらつかされると犬になる)や大徳寺芸能会長は男性優位の古典落語の世界観や伝統を守るために女流や新作落語を潰そうとする。その中で、月影先生は、女流落語家の魁として、古典落語の作品の登場人物を単純に男性に置き換えるだけでなく、女性の視点で作品を見直したり新作をつくることを花にさとし教える。
 鈴々舎馬角(れいれいしゃますみ)=紫の○○の人とか、林家桜小路とか、柳屋ミミとか。

嵐の初天神/白鳥
 大都芸能(ちなみに本社は台東区・笑)や落語協会の圧力で前座として寄席に出られない花は、上野公園で路上ライブを始める。そこで出会った落語界のサラブレッド立川亜弓(父は柳家市馬で母は桂あやめ、立川談志最後の弟子で談志の死後は談春に寄り弟子してるって……えー、落語界のサラブレッドかいな・汗)。本当は美人なんだけど容姿で男性ファンが寄りつくのを嫌って金髪刈り上げで顔を黒く縫って水玉の着物……ってたぶん『ガラスの仮面』で亜弓さんが『王子と乞食』の乞食役を実感するために身をやつした姿のリスペクト。亜弓さんがなんで関西弁なんか(^_^;)。
 前座コンテストで広瀬さんも登場して、髪が揺れるとその落語家はヒットするという設定に大笑い。

トキ蕎麦危機一髪/白鳥
 前座コンテストで亜弓さんと同時優勝ながら、落語協会と大都芸能の嫌がらせで出番がない二つ目の花は、NHK落語新人大賞に挑戦。しかし、林家桜小路にやさしくされることを妬んだ柳家ミミの陰謀で、出番前に飲んだ「スーパーちりとてちん」で喉を壊し、しわがれた声しか出ない大ピンチ。事前にネタ出ししていた、屋敷から抜け出す姫様を主人公とした「トキそば」をどうかけるのか。
 『ドキそば』も大笑いでした。



今日は節分。関西に住んでいたので恵方巻は知っているのですが、甘口系の太巻き寿司は好きじゃないし、東京にはもともとない食習慣なので私はパスします。
 『ちるらん 新選組』アニメ版がにぶんのいちキャラのギャグで5分という長さにちょっと物足りなさを感じていましたが、次は何と舞台化。確かに原作をアニメにするといろいろ残虐シーンが出て来ますので2.5次元の作品の方が合うかも。

高知
幕末の土佐藩重役・吉田東洋の新史料を発見 高知県立歴民館
 幕末の土佐藩重役・吉田東洋(1815~1862年)が、1854年12月に発生した安政地震の体験を詠んだ漢詩が、高知県南国市岡豊町の高知県立歴史民俗資料館の収蔵史料の中から発見された。地震後に火災と津波が高知市の沿岸部を襲った状況や被災した民を思いやる心情をつづっている。高知県立歴史民俗資料館は「生の体験を克明に記した貴重な史料」と注目。高知県立歴史民俗資料館で1月29日から始まる企画展「幕末の土佐 書跡にみる人物群像」で初公開される。

 東洋(本名・正秋)は、15代藩主山内容堂の下、仕置役として海防政策や中級武士の登用など藩政改革に尽力。1862年に土佐勤王党に暗殺される。

 東洋に関する新史料は、漢詩2点のほか教本2点、直筆の手紙6点の計10点。高知県立歴史民俗資料館が2016年、企画展を前に個人などから寄贈された史料を再調査した際に発見された。

 漢詩「大震行(だいしんこう)」(縦125センチ、横55センチ)は、東洋が沿岸部の高知市長浜で地震に遭遇した体験を記した史料。「烈火が家屋を覆い、激浪が大地を掠(かす)めて走った」「圧死者と焼死者が丘のように積み重なっている」「西も東も分からず、じいさんを助け、子どもの手を引いて町の入り口をさまよう」などと、甚大な被害を出した巨大地震と火災、津波の恐ろしさを伝えている。

 当時、東洋は江戸で山内氏の親族を殴打する事件を起こし、閉居中で、「土佐罪人 吉田秋」と記述。被災して土地を失った民の暮らしや藩政の在り方にも言及している。

 地震後、東洋は私塾を開いて人材育成に尽力、復職後に再び藩政改革にまい進することから、高知県立歴史民俗資料館の野本亮学芸課長は「衝撃的な地震の体験を通して、東洋は考え方を変え、人間として一皮むけたのではないか」と推測している。


山内容堂に対する愚痴などをこぼした吉田東洋の手紙(高知県南国市の高知県立歴史民俗資料館)
山内容堂に対する愚痴などをこぼした吉田東洋の手紙(高知県南国市の高知県立歴史民俗資料館)
吉田東洋 切れ者だが純粋  新史料に垣間見える素顔

 土佐藩政を牛耳った辣腕(らつわん)政治家というイメージが強い吉田東洋。南国市の高知県立歴史民俗資料館で見つかった教本や直筆の手紙を読み解くと、江戸の学者から学問を学ぶ勉強熱心な一面や、15代藩主・山内容堂に対する愚痴をこぼす弱気な一面、婚礼前の娘を思いやる父親としての一面など、東洋の素顔が垣間見える。

 東洋は船奉行などを務めた30代前半に、江戸で名をはせた朱子学者・安積艮斎(あさかごんさい)に入門。新史料の教本には、安積の添削の跡があり、東洋が当時の最高水準の思想に触れていたことがうかがえる。

 江戸の漢学の師匠、塩谷宕陰(とういん)に宛てた手紙(草稿)は、暴行事件で閉居中の40代前半に書いたもの。漢詩の添削を頼む一方で、藩の重役を担った時のことを回顧し、「家臣に命令するたびに、容堂の心が不安定なことを思って涙を流した」などと愚痴をこぼしている。手紙の最後には「悪口と誤解されるので読み終わったら手紙を焼いてほしい」といった趣旨の文言もある。

 また、46歳で暗殺される1年前に書いたと推測される手紙では、娘の婚礼前に自宅を建て直すため、友人に木材調達を依頼。新しい家で婚礼の準備をさせてあげたいという父親の心情が読み取れる。

 高知県立歴史民俗資料館の野本亮学芸課長は「企画展ではこれらの史料も初公開する。切れ者だが純粋さも持つ東洋の人柄に触れてほしい」と呼び掛けている。
 吉田東洋の再評価につながって欲しい発見です。

京都
春の特別展幕末群像、無名志士に光当て 初公開の自画賛や短刀含む100点 霊山歴史館 /京都
 春の特別展「幕末志士群像 新収蔵品展」が、霊山(りょうぜん)歴史館(京都市東山区)で開かれている。知名度のある新選組や坂本龍馬の資料だけでなく、倒幕のため挙兵しながら失敗に終わった天誅(てんちゅう)組の一人、松本奎堂(けいどう)の自画賛(じがさん)(自作の画の横に詩も書き入れたもの)など、初公開の32点を含む約100点(期間中入れ替えあり)を陳列している。5月7日まで。

 治安維持のため幕府が組織した京都見廻組(みまわりぐみ)に属し、坂本龍馬暗殺に関わったとの説もある桂早之助(はやのすけ)所有の短刀なども初公開する。将軍が約230年ぶりに上洛(じょうらく)した際に街道に立てられ、浪人を取り締まるための高札(こうさつ)など、当時の世情がわかる資料も並ぶ。

 大政奉還から150年を迎え、現在はあまり名を知られていない人物にも注目した構成にしている。木村幸比古(さちひこ)副館長(68)は「歴史資料は勝者のものが多数残るが、維新で破れた幕府側の資料も均等にそろえた。近代日本を作った人たちの精神を知ってほしい」と話した。

 第1期は3月20日まで、第2期は3月22日~5月7日。午前10時~午後5時半。月曜休み。祝日の場合は翌日休館(ただし3月6、13、27日、5月1日は開館)。一般700円、高校生400円、小中学生300円。問い合わせは霊山歴史館(075・531・3773)。【国本ようこ】

東京
戊辰戦争の戦没者を総供養 百五十回忌 新選組子孫らが呼び掛け
 新政府軍と旧徳川幕府軍が争った戊辰(ぼしん)戦争(一八六八~六九年)で亡くなったすべての人々を慰霊しようと、新選組隊士の子孫らの呼び掛けで、百五十回忌総供養祭が三月十八日に日野市の高幡不動尊金剛寺で営まれることになった。 (水谷孝司)
 幕末に京都で討幕派の取り締まりに当たった新選組の隊士の多くは、戊辰戦争では旧幕府軍に加わって戦った。
 これまでは、それぞれの隊士の命日に身内のみで供養をしたり、一部の子孫が集まって定期的なイベントを催したりしてきたが、百五十回忌の節目を迎える今回は、かつての敵味方にこだわらず、戦闘に巻き込まれた市井の人たちも含めた「総供養」の場とすることにした。
 新選組六番隊長井上源三郎の子孫で、日野市の井上雅雄さん(62)によると、戊辰戦争で亡くなったすべての人々の供養祭が実現するのは初めて。新政府軍側の子孫の参列も決まっているといい、「無事に盛大に行いたい」と話している。
 法要は金剛寺五重塔院ホールで行われ、川澄祐勝貫主が大導師を務める。午後一時半からの読経に続いて、会津松平家十四代当主の松平保久さんによる講演「会津藩と新選組」のほか、子孫の紹介、あいさつなどがある。
 井上さんらとともに発起人に名前を連ねる新選組局長近藤勇の子孫宮川清蔵さん(78)は「歴史に埋もれた隊士らもいる。倒幕と佐幕に国論が二分する中、大義のために戦った人たちを供養したい」、副長土方歳三の子孫土方愛さん(45)は「すべての亡くなった人に光が当たるのは意義深いこと」と話した。
 ホールの定員は二百五十人で、招待の縁者や研究家らのほかに、一般の参列希望者も募っている。参加費二千円。
 希望者は往復はがきに住所、氏名、電話番号を記入し、二十八日(消印有効)までに〒191 0011日野市日野本町四の一一の一二、天然理心流勇武館事務局に郵送する。入場できなくても焼香などはできるようにしたいという。問い合わせは井上さん=電042(581)3957。
 敵味方に関わらず、また巻き込まれた市井の人も含めてすべての戦没者を供養するというスタンスに共感できます。

グッズ
戦国武将フレグランスに新作『大谷吉継』『織田信長』・・・そして幕末志士『土方歳三』『沖田総司』が女性向け歴史雑貨ブランド「れもん-歴紋-」より、primaniacs各店にて発売開始!
人気の戦国武将フレグランスに新たに『大谷吉継』『織田信長』が、そしてさらに幕末志士フレグランスとして『土方歳三』『沖田総司』が参戦です。 「歴史に恋をする」をテーマに、戦国武将をモチーフにしたアイテムを提供しつづけている「れもん-歴紋-」の新商品が2月3日よりprimaniacs銀座本店・原宿店にて発売開始です。
人気の戦国武将フレグランスに新たに『大谷吉継』『織田信長』が、そしてさらに幕末志士フレグランスとして『土方歳三』『沖田総司』が参戦です。

「歴史に恋をする」をテーマに、戦国武将をモチーフにしたアイテムを提供しつづけている「れもん-歴紋-」の新商品が2月3日よりprimaniacs銀座本店・原宿店にて発売開始です。
20~30代の女性をターゲットにした、これまでの「れもん」商品と同じく女性目線を強く意識し、「戦国武将フレグランス」からは『伊達政宗』『真田幸村』『石田三成』が発売されています。
primaniacs店内ではフレグランスのテスターが常備されており、香りをお試しいただくことができます。
なおprimaniacsオンラインショップでも商品の購入が可能です。
れもん HP:http://re-mon.com/
primaniacs オンラインショップ:http://shop.primaniacs.com/


【商品概要】
商品ページ:http://primaniacs.com/fragrance_sengoku_2nd/index.html
商品名:primaniacs 戦国武将・幕末志士フレグランス
発売日 : 2017年2月3日より、primaniacs銀座本店・原宿店にて販売開始(オンラインショップでは2月25日以降お届け)
内容量 : 30ml
希望小売価格 : ¥5417(税抜)

【primaniacsとは】
アニメ、コミック、ゲーム、歴史、文学などサブカルチャーにフォーカスしたコンセプトショップ。
20~30代の女性をターゲットに、フレグランス、アクセサリーなどのファッション雑貨を展開。
人気アニメ「おそ松さん」のキャラクターをイメージしたフレグランスが大反響を呼び、日本の香水市場でも異例となる2万本を製造した。
WEBサイト:http://primaniacs.com

【本件に関するお問合わせ先】
株式会社まさめや
土方歳三の香りは
硬質な静けさと強さ 冷たい北の海に広がる紺碧の輝き。

ハーバル調の冷たさとフゼアの色気が混じりあった、力強くも静けさのある香り。
しっとりと広がるマリンのウォータリー感とは裏腹に、
ひんやりと落ち着いた雰囲気が印象的。
己の想いと信念を貫き通した土方歳三にふさわしい、芯の強さを感じる香りです。

TOP:Lemon, Lime
MIDDLE:Jasmine , Lavender , Marine, Rose , Cardamom
LAST:Musk, Raspberry, Amber, Vetiver

沖田総司の香りは
純粋な白さと儚さ 春の訪れを告げる鈴蘭の花。

フレッシュさの中に甘さを潜ませたグリーンフローラルの、ピュアでイノセントな香り。
ほろ苦いグリーン系の香りから、徐々にほのかな甘みが漂い、野に咲く花々を想わせる 香りに変わります。
沖田総司の純粋な人柄と、志半ばで病に倒れた儚さを感じる、透明感のある香りです。

TOP:Green Tea, Lemon
MIDDLE:Jasmine, Muguet, Basil, Rose, Gardenia
LAST:Musk, Amber, Raspberry, Sandalwood
 どちらも好きな系統かも。どこかで試しに嗅いでみたいです。


息抜きに『幕末グルメ ブシメシ!』を見て楽しんでいるこの頃です。殿様の御膳に鰺の干物が上がることはないはず、とか、史実に照らすといろいろ言いたくなる気持ちを抑えて、フィクションとして楽しむようにしています。

京都ほか全国各地
京都市、大政奉還150周年記念プロジェクト「幕末維新スタンプラリー」を年末まで実施コンプリートの賞品は「二条城二の丸御殿大広間」で記念撮影
 京都市は2017年に大政奉還150周年を迎えるにあたり、「大政奉還150周年記念プロジェクト」の一環として、「幕末維新スタンプラリー」を12月31日まで実施する。これは京都市を含めた全国21都市の幕末維新ゆかりの観光資源、22カ所を巡るスタンプラリーで、「全制覇特別賞」として徳川慶喜が大政奉還を諮問した「二条城二の丸御殿大広間」での記念撮影ができるほか、スタンプ数によって抽選で旅行券などの賞品が用意されている。

大政奉還150周年記念プロジェクト「幕末維新スタンプラリー」
実施期間:2017年1月22日~12月31日
賞品:「全制覇特別賞」徳川慶喜が大政奉還を諮問した「二条城二の丸御殿大広間」で記念撮影、「名人コース」(7スタンプ以上)旅行券5万円分を1名、「達人コース」(5スタンプ以上)旅行券1万円分を3名、「手習いコース」(3スタンプ以上)旅行券3000円分を20名 ※5月以降「名産品コース」などが新設される予定
Webサイト:大政奉還150周年記念プロジェクト「幕末維新スタンプラリー」

スタンプ設置施設
福島県会津若松市:会津若松城(鶴ヶ城)
東京都千代田区:日比谷図書文化館
東京都品川区:品川区立品川歴史館
東京都調布市:調布市郷土博物館
東京都日野市:日野市立新選組のふるさと歴史館
長野県上田市:上田市立博物館
静岡県静岡市:静岡市文化財資料館
福井県福井市:福井市立郷土歴史博物館
三重県桑名市:桑名市博物館
和歌山県和歌山市:わかやま歴史館
岡山県高梁市:備中松山城
広島県福山市:福山城博物館
山口県萩市:萩・世界遺産ビジターセンター(1月22日~2月12日)/萩博物館(2月13日~3月3日)/萩・明倫学舎(3月4日)
山口県下関市:下関市立歴史博物館
愛媛県宇和島市:宇和島市立伊達博物館
高知県高知市:高知市立龍馬の生まれたまち記念館
長崎県長崎市:長崎市亀山社中記念館
熊本県熊本市:熊本市田原坂西南戦争資料館
鹿児島県霧島市:塩浸温泉龍馬公園
鹿児島県鹿児島市:鹿児島市維新ふるさと館
京都府京都市:元離宮二条城
京都府京都市:幕末維新ミュージアム 霊山歴史館

 スタンプラリーの台紙付きの「幕末維新ガイドブック」は5万部が用意され、スタンプ設置などで配布される。また、大政奉還150周年プロジェクトのWebサイトからPDFを入手して印刷もできる。

静岡県
「下田幕末開港」通史に ペリー来航など 市教委
 下田市教委はこのほど、「下田市史別編幕末開港」を刊行した。記述式の通史は初めて。編さん委員会の原秀三郎委員長(静岡大名誉教授)は「下田市史の目玉中の目玉は幕末開港。1854年の開港から59年の鎖港まで、下田が世界史の舞台に躍り出た6年間を中心にまとめた」と話す。
 編さん委員会は1978年に発足し、これまで資料編6巻と図説2巻を発行したが、幕末開港を通史編として独立させた。三島市出身で国立歴史民俗博物館の樋口雄彦教授が執筆を担当。資料編を基に、約2年間かけてまとめたという。
 A5判の本文355ページ。カラー写真10点、白黒写真110点、図表10点を挿入した。序章と1~6章、終章の構成でペリー来航や吉田松陰の密航未遂事件、ハリスの駐在と通商条約、唐人お吉などの開国史を詳述。下田奉行所を掘り下げ、「役人関係を具体的に明らかにした」といい、突如現れた“異人”と民衆の交流も一つの章として取り上げた。
 500部発行し、1部3800円で販売している。問い合わせは下田市教委生涯学習課<電0558(23)5055>へ。

北海道
「北海道」名付け親の業績発信へ幕末の探検家・松浦武四郎
 幕末に北海道を調査しアイヌ民族の姿を伝え、「北海道」の名付け親となった三重県松阪市出身の探検家、松浦武四郎(1818~88年)の業績を全国に発信しようと、北海道と三重県が連携することが17日、決まった。高橋はるみ北海道知事が津市を訪れ、鈴木英敬三重県知事と合意した。

 2018年は北海道命名から150年目。道は記念事業の一つとして、松阪市に保存されている調査記録や出版物などの展示会を北海道で開催するほか、テレビドラマなどを通じて全国に武四郎の業績を伝えたいとしている。

 松浦は1845年から6回にわたり北方領土や樺太まで探検、多数の旅行記を出版した。

福井
橋本左内の足跡を紹介 福井市郷土歴史博物館で企画展
 福井市郷土歴史博物館で二十五日、幕末の福井藩士・橋本左内を紹介する企画展が始まった。昨年十一月にポプラ社から発刊された「コミック版 日本の歴史54 幕末維新人物伝 橋本左内」の一部を、関係資料とともにパネルで展示。誕生から刑死までを漫画と資料で分かりやすく紹介している。三月二十一日まで。

 初公開の資料として、福井市出身の日本画家島田墨仙(ぼくせん)の「橋本左内像」を展示した。左内の没後五十年を機に市が立像の制作を計画した際、描いたとみられる下絵の一つ。一昨年秋にネットオークションで有志が落札し、同館に昨年、寄贈した。

 担当学芸員の藤川明宏さんは「立志式の時期に合わせて開催したので、若い人にぜひ見てほしい」と話していた。

 (藤共生)

京都
新撰組ゆかりの寺で開幕、京都冬観光
今年で51回目を迎えるJR西日本による京都デスティネーションキャンペーン『京の冬の旅』。その開催にあたり1月13日、冬晴れのなか「壬生寺」(京都市中京区)でオープニングイベントがおこなわれた。

毎年恒例となった京都市、JR、京都市観光協会の共同により実施されるこの観光キャンペーン。今年のテーマは「大政奉還150年記念」で、幕末ゆかりの寺院を中心に、14カ所で普段は見ることができない庭園や仏像、襖絵、建築など様々な文化財が期間限定で特別公開される。

新撰組ゆかりの寺院でもあり、今回、本堂と狂言堂が特別公開となる「壬生寺」で主催者らが挨拶。門川大作京都市長は、地蔵盆をおこなう壬生寺の歴史や地域社会との関わりに触れながら「暮らしのなかの文化を大事にしてきた京都において、(キャンペーンが)京都観光の大きな役割を果たしてくれると思う」と期待を込めた。また、京都市観光協会の柏原康夫会長は「長い歴史ある京都は訪れるたびに、毎年毎年新しい発見がある。京都の文化財産を大切に守りながら今後も世界中に伝えていきたい」と決意を新たにした。

キャンペーンは3月20日まで。期間中は食を交えた特別コースを運行する観光バスが登場するほか、京の伝統工芸体験ワークショップやウォーキングツアーなどのイベントも企画されている。詳細は公式サイトにて。
年末から坂本龍馬の暗殺前5日の書状発見のニュースを取り上げましたが、それ以外のニュースを拾います。

大政奉還150年ラリー 21都市きょうスタート
 江戸幕府が朝廷に政権を返上した大政奉還(1867年)から今年で150年となるのを記念し、京都市など幕末維新にゆかりのある全国の都市が22日から、歴史の舞台となった名所を巡るスタンプラリーを実施する。12月31日まで。

 参加するのは、多くの維新志士を生んだ山口県萩市や鹿児島市、戊辰ぼしん戦争の激戦地だった福島県会津若松市など21都市。スタンプの意匠は、「高知市立龍馬の生まれたまち記念館」が坂本龍馬、「静岡市文化財資料館」は江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜。京都市では「二条城」(中京区)が二条城唐門、「霊山歴史館」(東山区)は新選組の「誠」の旗となっている。

 台紙があるガイドブック=写真=は、スタンプの設置場所で配布される。スタンプをすべてそろえると大政奉還の舞台となった二条城二の丸御殿大広間で記念撮影ができるほか、集めた数に応じて旅行券が抽選で当たる。問い合わせは市文化芸術企画課(075・366・0033)。
京都
大政奉還150年、ゆかりの地でスタンプラリー 22日から
 大政奉還(1867年)から今年で150年となるのに合わせ、ゆかりの深い京都市や福島県会津若松市、山口県萩市など21市区が、活躍した先人らを模したスタンプを集めるイベント「幕末維新スタンプラリー」を22日に始める。参加者が観光を楽しめるよう、台帳付きのガイドブックで各地の歴史的な舞台や博物館を紹介する。

 江戸幕府15代将軍の徳川慶喜が朝廷に政権を返上した大政奉還の舞台となった二条城(中京区)がある京都市が呼び掛け、22日から約1年間、各地で関連事業が予定されている。

 スタンプは22種あり、各地の博物館や歴史館で押せる。デザインは高知市の坂本龍馬や、鹿児島市の西郷隆盛ら明治維新の立役者の顔が多いが、会津藩主で京都守護職の松平容保が治めた会津若松市は「藩主の顔を使うのはおそれ多い」と藩の旗印にした。京都市内では二条城で「唐門」、霊山歴史館(東山区)で新選組旗印「誠」の2種を押せる。

 スタンプ台帳付きのガイドブックはA5判24ページで5万部を作成。京都市内では22日から、両施設などで無料配布する。市文化芸術企画課は「佐幕派や倒幕派というかつての敵対関係にとらわれず、幕末・維新を切り口に、都市の連携で地方が元気になる取り組みにしたい」としている。
新撰組ゆかりの寺で開幕、京都冬観光
今年で51回目を迎えるJR西日本による京都デスティネーションキャンペーン『京の冬の旅』。その開催にあたり1月13日、冬晴れのなか「壬生寺」(京都市中京区)でオープニングイベントがおこなわれた。

毎年恒例となった京都市、JR、京都市観光協会の共同により実施されるこの観光キャンペーン。今年のテーマは「大政奉還150年記念」で、幕末ゆかりの寺院を中心に、14カ所で普段は見ることができない庭園や仏像、襖絵、建築など様々な文化財が期間限定で特別公開される。

新撰組ゆかりの寺院でもあり、今回、本堂と狂言堂が特別公開となる「壬生寺」で主催者らが挨拶。門川大作京都市長は、地蔵盆をおこなう壬生寺の歴史や地域社会との関わりに触れながら「暮らしのなかの文化を大事にしてきた京都において、(キャンペーンが)京都観光の大きな役割を果たしてくれると思う」と期待を込めた。また、京都市観光協会の柏原康夫会長は「長い歴史ある京都は訪れるたびに、毎年毎年新しい発見がある。京都の文化財産を大切に守りながら今後も世界中に伝えていきたい」と決意を新たにした。

キャンペーンは3月20日まで。期間中は食を交えた特別コースを運行する観光バスが登場するほか、京の伝統工芸体験ワークショップやウォーキングツアーなどのイベントも企画されている。詳細は公式サイトにて。

取材・文・写真/ヤマザキムツミ
和歌山
幕末維新巡り 和歌山市もスタンプラリー
慶応3年(1867)の大政奉還から150周年の節目を迎えるのを記念し、京都市を中心に、幕末維新に活躍した先人とゆかりを持つ都市が相互に交流や連携を図る「大政奉還150周年記念プロジェクト」の第1弾となる「幕末維新スタンプラリー」が22日に始まる。和歌山市を含む参画21都市をPRし、観光誘客を図る。

スタンプラリー台紙付きの「幕末維新ガイドブック」は5万部を発行。和歌山市は、わかやま歴史館2階に500部を設置し、同市のシンボルである和歌山城のスタンプを押すことができる。

ガイドブックはA5判カラー、24㌻。大政奉還についての解説をはじめ、黒船来航から戊辰戦争に至る幕末維新の歴史、参画都市の幕末維新関連史跡やミュージアムの紹介などを掲載。同プロジェクトの公式ホームページ(http://www.taiseihokan150.jp/)からダウンロードもできる。

和歌山市以外の各地のスタンプは、高知市が坂本龍馬、鹿児島市が西郷隆盛、下関市が高杉晋作など幕末維新で活躍した人物をはじめ、長崎市は亀山社中記念館、京都市は新選組の「誠」の旗、千代田区は江戸城、高梁市は備中松山城などとなっている。

集めたスタンプの数に応じて、最高5万円分の旅行券などが当たるプレゼント企画もある。また、全制覇すると特別賞として、徳川慶喜が大政奉還を諮問した「二条城二の丸御殿大広間」で記念撮影ができる。

和歌山市政策調整課は「京都市以外の近畿での参画は和歌山市のみなので、多くの方にスタンプラリーを契機に訪問していただきたい」と話している。
静岡
下田の歴史紹介 「幕末開港」刊行
◆来月5日、記念講演会

 幕末の開港の歴史を紹介した下田市史別編「幕末開港」が刊行された。ペリー来航などで知られる幕末の下田にスポットを当てた通史の市史は初めてで、資料編(6巻)、図説(2巻)に次いで通算9冊目となる。

 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の樋口雄彦たけひこ教授(日本近代史・幕末維新史)が、資料編や独自の研究をもとに2年がかりで執筆した。

 1854年の日米和親条約の締結から60年の下田奉行所の廃止までの6年間を中心に、ペリー率いる黒船の来航、下田に往来した勝海舟や吉田松陰、上陸した外国人と日本人との交流、唐人お吉をめぐる論争などについて、写真や図表をふんだんに使って、分かりやすくまとめた。

 また、下田を含めた南伊豆の地域的視点から、南伊豆出身で、新撰組に加わった加納通広などゆかりの人物も紹介した。下田市史編さん委員会の原秀三郎委員長(静岡大名誉教授)は、「高齢者にも読みやすく、親しみやすい本になるようにしたので、座右の書として置いてほしい」と話した。

 A5判、355ページで500部発行、3800円(税込み)。2月5日午後1時半から下田市民文化会館で刊行記念講演会が開かれ、樋口教授が「幕末開港と下田奉行所の幕臣たち」をテーマに講演する。入場無料。購入などの問い合わせは、下田市教育委員会生涯学習課(0558・23・5055)へ。

コラム
あんパンはなぜ売れ続ける? 意外と知らない「ロングセラー菓子パン」のトリビア
わたしは「あんパン」をよく食べます。そのまま食べるのもおいしいですが、マーガリンを塗って食べるのも好きです。バターではいけません。乳臭すぎるからです。つぶあんマーガリンは日本人が誇れるすばらしい食文化だと思います。

マイ・フェイバリット・あんパンは、「高級つぶあん栗入り」(山崎製パン株式会社)です。マーケットやコンビニに行けば100円前後で買えます。わたしは「高級つぶあん栗入り」にマーガリンを塗りながら食べます。最高の組み合わせです。お試しください。

あんパン誕生前夜

あんパンは明治時代に発明されたものです。すでに江戸時代には「まんじゅう」がありましたが、新元号「明治」に変わった直後の日本人に「あんぱん」を受け入れてもらうためには苦労があったようです。おなじ「小麦生地であんこを包んだ食べ物」なのに、なぜでしょうか?

理由は「パンの風味」でした。『その時歴史が動いた26』(KTC中央出版・刊)所収の「明治天皇あんパンを食す/リストラ武士・木村安兵衛の挑戦」によれば、当時はパン発酵のために「ビール酵母」を使っていたので、仕上がりは硬くて酸っぱかったそうです。

あんパンは武士が作った

「まんじゅう生地」をヒントにして、日本人好みのパンを作ることを思いついたのは、木村安兵衛(きむら・やすべえ)という士族でした。あんパンで有名な「木村屋總本店(文英堂)」の創業者です。もともと武士だった木村安兵衛は、1869年(明治2年)の版籍奉還が実施されるのを知って、いままでの封建制度に見切りをつけて、東京の新橋にパン屋を開業しています。

歴史年表に照らし合わせれば、江戸城無血開城の1年後であり、なんと戊辰戦争の末期ごろです。木村安兵衛がパン屋を開業したのは、明治2年3月。箱館の五稜郭防衛戦で土方歳三が戦死したのは、同年5月。封建社会に属していた武士ふたりの運命が大きく分かれた瞬間です。

当時の酸っぱくて硬いパンを改良するために、安兵衛は「ビール酵母」ではなく「日本酒の酵母(酒種)」を使うことにしました。つまり「酒まんじゅう」の応用です。その後「あんこ」をパンに詰めるという発想の元にもなりました。

パンは健康食品だった!?

明治期にあんパンが普及した理由としては「栄養価」と「画期的なマーケティング」を挙げられます。まず「栄養」について説明します。

幕末から明治にかけて、東京では「脚気(かっけ)」患者が増えていました。ビタミンB1が欠乏することによって、末梢神経障害や心不全を発症します。明治期には、「脚気衝心」による年間2万人の死者が記録されています。

ビタミンB1欠乏症である脚気に「パン食が効果的である」と説いたのは、明治時代に来日していたドイツ人医師ホフマンでした。パンの材料である小麦粉の胚芽には、鉄分や食物繊維やビタミンB1などが多く含まれるからです。脚気を改善したり予防したい人々が買い求めることで、木村安兵衛のパン屋は繁盛しました。

究極の販売促進マーケティング「皇室御用達」

明治時代といえば「文明開化」というキーワードが挙げられます。しかし、元号が「明治」になったからといって、日本人全員がすぐに西洋文明を受け入れたわけではありませんでした。

「あんパン史観」を採用するならば、真の文明開化は明治8年と言えるかもしれません。この年に「新政府側」と「旧幕府側」による歴史的和解がおこなわれたからです。その席上には「あんパン」がありました。

『あんぱんはなぜ売れ続けるのか』(井上昭正・著/清流出版・刊)は、すぐれたマーケティング事例を解説したビジネス書です。一例として「木村屋總本店の桜あんぱん」の歴史が紹介されています。

1875年(明治8年)に、明治天皇と皇后両陛下による花見行幸がおこなわれました。桜が咲きほこる隅田川へ向かう途中に、一行は「旧・水戸徳川藩邸」に立ち寄りました。

行幸を出迎えたのは徳川昭武(とくがわ・あきたけ)でした。十五代将軍・徳川慶喜の実弟です。慶喜は、水戸藩の第9代藩主である徳川斉昭の実子です。水戸徳川家から一橋家に養子に出たあと、将軍になっています。

つまり、明治8年4月4日の花見行幸のために旧・水戸徳川藩邸へ立ち寄ったのは、新時代を象徴する明治天皇が、旧時代を象徴する一族の住まいをおとずれるという歴史的イベントだったのです。


その席上に、木村安兵衛の作った「桜あんぱん」が献上されました。あんパンも新時代を象徴するものでした。

こうして「桜あんぱん」は、水戸屋敷に届けられ、明治天皇のお気に召し、ことのほか皇后陛下(昭憲皇太后)のお口にあったと、大変喜ばれました。
そして「引き続き納めるように」という両陛下のお言葉があり、宮中御用達に加わることになったのです。

(『あんぱんはなぜ売れ続けるのか』から引用)

天皇陛下や皇后陛下が「おいしい」と言ったことは、またたくまに全国へと伝わりました。「文明開化の味」として、あんパンは日本中に広まったというわけです。

(文:忌川タツヤ)
一、将軍江戸を去る(しょうぐんえどをさる)
慶喜の心の葛藤を描いた重厚な一幕
 朝廷に大政を奉還した徳川慶喜は江戸出発を明日に控え、上野寛永寺で恭順謹慎していましたが、幕臣の主戦論者の意見に心が揺らいでしまい出発延期を願い出ます。そのことを知った高橋伊勢守や山岡鉄太郎は、慶喜を諫めにやってきます。恭順を翻意すれば江戸で戦が起こり、罪もない人々が血を流すことになると鉄太郎が必死に説得し、慶喜はようやく自らの誤った決断に思い至ります。慶喜は江戸を官軍に明け渡すことを決意し、その名残を惜しみながら、水戸へと旅立っていくのでした。
 大政奉還から150年という節目の年を迎えて上演される、真山青果作品ならではのせりふ劇にご注目ください。
 本当は三幕あって、彰義隊が出てくる場の前に西郷勝の江戸城明け渡しの場面があって、山岡鉄太郎のやや傍若無人な熱意はその会談に立ち合って共鳴した気持ちを慶喜公に伝えたかったんだね。実際の山岡鉄太郎は身長6尺2寸(188センチ)、体重28貫(105キロ)の巨漢なので、彰義隊の中でも迫力負けすると思う。
 市川染五郎の慶喜、佐々木愛之助の鉄太郎(後の山岡鉄舟)、又五郎の高橋伊勢守(後の高橋泥舟)は結構いい組み合わせ。
 史実好きの私は慶喜が「這々の体で」大阪から帰ってきたというくだりに(°°;)……こいつこっそり開陽丸で将兵置いて先に帰ってきたんですよ〜。

二、大津絵道成寺(おおつえどうじょうじ)
5役を早替りで魅せる変化舞踊
 近江の三井寺では鐘供養が行われ、外方が唐子を従えてやってきます。外方が酒宴を始めると、藤娘が鐘を拝ませて欲しいと現れ、外方は舞を所望します。藤娘は舞を始めますが、いつのまにか消えてしまい、今度は鷹を追って鷹匠が現れます。その後、犬とじゃれつきながら座頭が去り、いなせな船頭が現れて踊ります。船頭が去り、再び藤娘が現れたのですが、落ちた鐘の中に姿を消します。しかし、弁慶が祈ると鐘から大津絵の鬼が現れ、駆けつけた矢の根の五郎が祈り伏せるのでした。
 大津絵の中に登場する五役を一人の俳優が踊り分ける演出がみどころの舞踊劇をお楽しみください。
 ラブリンの藤娘→鷹匠→座頭→船頭→藤娘→鬼の変化が面白かった。

三、沼津(ぬまづ)
生き別れた親子の悲しい再会の物語
 東海道を旅する呉服屋十兵衛は、沼津のはずれで出会った雲助の平作に頼みこまれ、荷物を持たせることにします。しかし、年老いた平作は怪我をしてしまい、十兵衛は印籠の妙薬で平作を治療します。先を急ぐ十兵衛でしたが、平作の娘お米にひと目惚れしてしまい、平作の家に立ち寄ることにします。その夜、平作から薬の話を聞いたお米は、病に臥している夫のことを思い十兵衛の印籠を盗もうとします。お米と平作の話を聞いていた十兵衛は、驚くべき事実に気づき…。
 偶然が重なって起きた悲劇を巧みに描いた義太夫狂言の名作をご覧いただきます。

 途中意識朦朧になってしまったので、なぜ十兵衛が平作と親子だと気づいたのか、なぜお米の夫の敵筋に十兵衛が属しているのかがよくわからず、クライマックスに涙がにじんでこなかった(汗)。

夜の部

一、井伊大老(いいたいろう)
国難に立ち向かった男の心情を描いた名作
 開国か攘夷かで国中が揺れていた幕末。大老井伊直弼は、開国を断行し暗殺の危機にさらされています。雛祭りの前夜、幼くして命を落とした娘鶴姫の命日に、直弼の旧知の仲である仙英禅師は井伊家の下屋敷を訪れ、側室お静の方に直弼に危機が迫っていることを明かします。下屋敷に現れた直弼は、これから起こるであろう自らの運命を悟り、しんしんと雪が降る中、お静の方と酒を酌み交わし二人きりで語り合うのでした。
 北條秀司の名作の一つで、井伊直弼が桜田門外で暗殺される前夜の様子を描いた作品です。美しい桃の節句の雛壇の前で通わせる夫婦の情愛が心を打ちます。

 昭和30年につくられた芝居で本来よりも幕や場が少ないみたいなのだが、私には全然作品に入り込めなかった。①井伊直弼意外に違う場に登場する人物がいず、ぶつ切りのような印象。②大きなアクションがなく、花道も一度も使われなかった。内面描写の現代劇風なスタイルはいいが静かすぎる。③幸四郎の直弼と玉三郎のお静が全然合っておらず、貧しい武士の部屋住みから大名になって不幸せになったという年月の積み重ねが感じられない④井伊直弼が三月四日に桜田門近い自宅から出仕しようとしたところを水戸浪士に暗殺されたという史実を知っていると、前の日に世田谷の下屋敷で側室と一緒に過ごす夜という設定は何らか説明がないと無理がある。

二、上 越後獅子(えちごじし)
旅芸人の哀愁を軽妙な踊りで表す舞踊劇
 江戸日本橋。遠く越後の国からやってきて、踊りや軽業を見せて稼いでいる角兵衛獅子が現れます。角兵衛獅子は浜歌やおけさ節、最後には布を波に見立てた布さらしを披露するのでした。
 五世中村富十郎が得意とした演目でこの度、七回忌追善狂言として上演いたします。
 鷹之質の若々しく軽やかな踊りが出色。

  下 傾城(けいせい)
吉原の情景を艶やかな舞踊で魅せる一幕
 吉原仲之町の廓のとある座敷に、吉原一の美貌を誇る松の位の傾城が姿を現します。傾城は愛しい間夫への心情や吉原での出来事を移りゆく四季の詞章に乗せて艶やかに踊ります。四季折々の風情あふれる美しい舞踊をご堪能ください。
玉さまもちろん美しいのだけど打ち掛けファッションショーみたいで勿体ない。

三、秀山十種の内 松浦の太鼓(まつうらのたいこ)
四十七士の活躍を陰から見守るもう一つの忠臣蔵
 元禄15年12月13日、俳諧師宝井其角は弟子で赤穂浪士の大高源吾に出会います。源吾は「明日待たるるその宝船」と詠んで、その場を去っていきます。翌日、松浦鎮信の屋敷で句会が催されます。鎮信は赤穂浪士が一年経っても未だ仇討ちをしないことに腹を立て、源吾の妹で松浦家に奉公しているお縫に暇を与えますが、其角から源吾の付句の話を聞き、その意味を思案します。そこへ、隣の吉良邸から陣太鼓が鳴り響き、鎮信は赤穂浪士の討入を悟るのでした。
 秀山十種の一つであり、赤穂浪士の吉良邸討入の前日から当日を描いた、忠臣蔵外伝物のなかでも屈指の名作です。
 ストーリーとしては今日一番面白かった。松浦の殿様をやった染五郎はたぶん年取った役者さんがやったように演じてちょっとすべったんじゃないかな。「ばかもの」を連発していたが味がなかった。
発見資料としては超一級だと思います。

福井新聞(東洋経済オンライン)
発見された坂本龍馬書状に暗殺の黒幕示唆か朱書きの付箋を貼り極秘扱いに
 幕末の志士坂本龍馬が1867年、京都で暗殺される5日前に、福井藩重臣の中根雪江(せっこう)に宛てた直筆の書状が見つかった。高知県が13日に発表した。

龍馬の書状は折りたたまれ、封紙に入った状態で見つかった。封紙には「坂本先生遭難(暗殺)直前ノ書状ニテ他見ヲ憚(はばか)ルモノ也」と朱書きの付箋が貼られ、“トップシークレット”の扱いになっていた。

付箋をいつ、だれが書いたのかは不明だが、福井市立郷土歴史博物館の角鹿尚計館長は中根雪江の書体に似ているという。もし中根だとすると「暗殺の黒幕を示唆する史料となるかもしれない」と話す。

付箋が貼られた理由は?


龍馬暗殺の実行犯は京都警護に当たっていた見廻(みまわり)組説が有力だが、黒幕は幕府説、薩摩藩説、土佐藩説、紀州藩説などがあり謎となっている。

角鹿館長が書状で注目するのは、龍馬が幕臣永井玄蕃(げんば)(尚志(なおゆき))と明日(11月11日)に会う予定で、中根に同行してほしいと記している点。永井は徳川慶喜の側近で大政奉還を推進した。龍馬は幕府側の実力者として永井を頼り、度々面談。暗殺前日にも会っていた。幕府上層部が暗殺に関与したとみる角鹿館長は「中根は永井周辺が指示したと考え、暗殺直前の手紙に自分の名前が書かれていることから嫌疑が及ぶことを恐れ、封印したのでは」と推測する。

一方、京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「中根は三岡八郎の新政府への出仕に非協力的だったため、三岡に手紙が見られると具合が悪いと思い付箋をしたのでは」と話している。

坂本龍馬、福井藩を頼る書状発見 暗殺5日前、由利公正の出仕懇願(2017年1月13日午後5時55分)
 幕末の志士坂本龍馬が1867年、京都で暗殺される5日前に、福井藩重臣の中根雪江(せっこう)に宛てた直筆の書状が見つかった。高知県が13日に発表した。大政奉還後の新政府樹立に向け奔走する中、財政手腕を高く評価していた同藩士三岡八郎(後の由利公正)を一日も早く出仕させるよう、「新国家」という言葉を使いながら懇願した内容。専門家は「龍馬の活躍や幕末における福井藩の役割の大きさが分かり、幕末史や龍馬研究の進展が期待できる重要な史料」と評価している。

 書状は縦約16センチ、横約92センチの和紙に毛筆書き。書状を包んでいた封紙に龍馬が偽名として使った「才谷楳太郎」と記され、本文中は「龍馬」の書名があった。

 140点以上あるとされる龍馬の書状の中で、「新国家」という言葉が確認されたのは初めて。

 日付は11月10日。10月14日の徳川慶喜による朝廷への大政奉還を受けて、坂本や土佐藩重臣の後藤象二郎らは朝廷中心の新政府樹立に向けた活動を活発化させていた。

 こうした中、前福井藩主松平春嶽が11月8日、京都の福井藩邸に到着。書状は同じく上京し同藩邸にいた中根に出され、「(春嶽の)上京は千万の兵を得たような心持ち」とし、中根の尽力に感謝している。

 その一方、福井藩の内部事情で「急を要する」三岡の上京、出仕が進まないため、「三岡の上京が一日先になると、新国家の家計(財政)の成立が一日先になる」とまで記し、中根に三岡の上京を藩として早急に許可するよう訴えている。

 龍馬は新政府に財源がないことを憂い、福井藩の財政再建を成し遂げた三岡を新政府の財政担当者にと構想。10月下旬から福井を訪れ、藩の政治問題に絡んだ処分で幽閉中の三岡と同月30日に面会した。11月5日に京都へ戻り、会談の様子や三岡への高い評価を記した後藤象二郎宛ての「越行の記」を執筆。3年前に草稿が発見され、今回はこれに続く書状とみられる。

 三岡は一月あまり後の12月半ばになって新政府に出仕。太政官札を発行するなど財政責任者として活躍した。

 今回の書状を分析した京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「龍馬の他の手紙にはない、『新国家』という言葉が使われているのが貴重。龍馬が死の直前まで新国家建設に専心していた様子をよく示している」と話している。

 書状は昨年8月、東京の企画会社isanaが京都国立博物館に持ち込み、複数の専門家が筆跡などから真筆と判断した。入手経緯やこれまでの保管状況は明らかにしていない。

 今年は龍馬暗殺や大政奉還から150年。書状は高知県で開かれる「志国高知幕末維新博」に合わせ、3月4日から県立高知城歴史博物館(高知市)で一般公開される。


 ■龍馬の書状 読み下し

 一筆啓上差し上げます。

 このたび越前の老侯(松平春嶽)がご上京に成られたことは千万の兵を得たような心持ちでございます。

 先生(中根雪江)にも諸事ご尽力くださったこととお察し申し上げます。

 しかしながら先頃直接申し上げておきました三岡八郎兄の上京、出仕の一件は急を要することと思っておりますので、なにとぞ早々に(福井藩の)ご裁可が下りますよう願い奉ります。三岡兄の上京が一日先になったならば新国家の家計(財政)の成立が一日先になってしまうと考えられます。

 ただ、ここの所にひたすらご尽力をお願いいたします。

 誠恐謹言

 十一月十日 

 龍馬

 中根先生

 左右

 追白 今日永井玄蕃頭方へ尋ねていったのですが御面会はかないませんでした。

 (永井殿と)談じたい天下の議論が数々あり、明日また訪ねたいと考えているところですので、大兄もご同行がかないますならば実に大幸に存じます。

 再拝

■福井藩と坂本龍馬の関係は

>>坂本龍馬の書状、暗殺の黒幕示唆か

>>福井藩、坂本龍馬を「表舞台」導く

>>坂本龍馬、福井藩を頼る書状発見

>>由利と龍馬の関係はドラマチック

福井藩、坂本龍馬を「表舞台」導く 第3極としての存在感背景に
 幕末の志士坂本龍馬が1867年、京都で暗殺される5日前に、福井藩重臣の中根雪江(せっこう)に宛てた直筆の書状が見つかった。高知県が13日に発表した。

 新たに発見された龍馬の書状からは、激動の幕末維新期に福井藩の果たした役割の大きさがみえてくる。その背後に、ともに平和路線を目指した龍馬と福井藩の強い結びつきがあった。

 書状で龍馬は、前福井藩主松平春嶽の上京について「千万の兵を得た」と記した。当時、大政奉還は決まったが、薩長の武力討幕派と幕府側が激しく対立していた。

 福井市立郷土歴史博物館の角鹿尚計館長は「政事総裁職も務めた春嶽の動きを周囲は注目していた。流血を避けたかった龍馬は、中立的で(雄藩連合を主張する)公儀政体派の春嶽の上洛(じょうらく)によって、武力討幕派と幕府を支持する佐幕派が一つにまとまると期待したのだろう」とみる。

 幕末史は討幕と佐幕の2極で語られがちだが、「福井藩のように、平和的に朝廷と幕府の共存共栄を目指した第3極の存在の重要さがよく分かる書状」と角鹿館長。

 一方、こうした動きに呼応した龍馬が、政治の“表舞台”に立つきっかけをつくったのが福井藩だった。

 土佐藩脱藩の年、江戸の福井藩邸で龍馬は春嶽と面会した。通常、一介の浪人が藩主に面会することはありえない。両者を取り持ったとみられるのが、今回の書状の宛名、春嶽の近臣中根雪江(せっこう)だ。角鹿館長は「面会させる人物は中根が吟味していたはず。頭角を表し始めた志士らの情報に、常にアンテナを張っていたのだろう」と推測する。

 勝海舟の門下となった龍馬は1863年、勝の使者として福井へ春嶽を訪ね、海軍操練所建設資金の支援を求めた。これに対して、福井藩は5千両(千両説も)もの大金を工面。龍馬に対しても同年、活動資金として15両が中根から渡された。姉への手紙で龍馬は「一大藩(福井藩)に頼みにされ、金が必要なら10両20両くらいはなんでもない」と記している。

 龍馬は少なくとも2回は福井を訪問。暗殺される約2週間前には、莨屋(たばこや)旅館で三岡八郎と長時間にわたり新政府の富国策を論じあった。「龍馬の歴史舞台の活躍は、福井で始まり、福井行きの旅が最後だった」と角鹿館長。今回の書状を確認した京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「中根の存在を含め、龍馬と福井藩との関わりに関する研究が一層進展するはず」と期待していた。

坂本龍馬との関係はドラマチック 由利公正の大河化「題材面白い」(2016年8月1日午前7時20分)
 「幕末明治を福井から描く」をテーマに、時代考証の専門家、ドラマ制作者、地元の歴史家が語り合うシンポジウムが31日、福井市のハピリンで開かれた。激動の中で福井藩主松平春嶽、藩士由利公正らが果たした役割や作り手の視点で見たドラマ性を紹介した。「当時の福井の先進性には現代に通じるテーマがある」と、集まった歴史ファンら約200人に呼び掛けた。

 由利を主人公にしたNHK大河ドラマの実現を目指す福井県と、官民でつくる県誘致推進協議会が企画した。

 鯖江市ゆかりの人形浄瑠璃作家、近松門左衛門を題材にしたドラマ「ちかえもん」を手掛けたNHKドラマ番組部の梶原登城チーフ・ディレクターが、2010年の大河ドラマ「龍馬伝」のシーンを紹介しながら俳優のせりふや動き、カメラワークに込めた意味を解説した。「史実だけでは成り立たないが、事実から外れすぎれば興味を持ってもらえない。そのあんばいが(時代劇の)面白さであり難しさ」と語った。

 主人公としての由利について「(坂本)龍馬との信頼関係はドラマチックで、東京の初代知事を務めて銀座の礎を築いた男でもある。五輪の時期の題材として面白い。1年間を貫く(ドラマの)大きな幹をどうつくるかが大切」とアドバイスした。

 多くの大河ドラマに携わっている時代考証学会長の大石学・東京学芸大副学長は「幕末明治は福井の人材抜きでは描けない。レベルの高い思想が広がった福井や(明治維新後の)日常の平和を築くことに苦心した由利らの姿は、英雄でなくても物語になる」と期待を寄せた。

 福井市立郷土歴史博物館の角鹿尚計館長は「幕末明治は幕府派、倒幕派の両極端で描かれることが多いが、福井はどちらでもなく(朝廷と幕府を一つにする)公武合体を目指した。中間派の視点から明治維新の本当の姿が分かる」と強調した。その上で、大野の内山兄弟や小浜の梅田雲浜ら県内のさまざまな偉人を取り上げることで、物語に厚みが出せると提案した。

毎日
坂本龍馬「新国家」専心 暗殺5日前の書簡発見
 幕末の志士、坂本龍馬が慶応3(1867)年に京都で暗殺される5日前に記した直筆の書簡が見つかった。高知県が13日午後、発表した。約1カ月前に将軍、徳川慶喜が大政奉還したことを受けて福井藩の重臣に宛てた書簡で、文中には「新国家の御家計(財政)」という言葉が使われ、同藩士の新政府の財政担当者への出仕を懇願している。龍馬研究の進展が期待できる一級の史料といえ、研究者は「龍馬が新しい国家の樹立を目指して活動していたことが明確になり、歴史的価値は極めて高い」と評価している。【錦織祐一、最上聡】

福井藩重臣宛て 財政担当者への出仕懇願
 書簡は縦16センチ、横92センチで、11月10日の日付。京都の福井藩邸に滞在していた同藩重臣、中根雪江宛てで、本文中には「龍馬」の署名があった。

 大政奉還を受け、徳川家の親藩だった福井藩の前藩主、松平春嶽の京都入りを「千万の兵を得たる心中」と歓迎。龍馬は同藩士の三岡八郎(後の由利公正)を新政府の財政担当者に推挙していたが、三岡は幕府に強硬な姿勢だったため謹慎処分中だった。そのため、書簡で「三岡兄の御上京が一日先に相成候得ハ新国家の御家計御成立が一日先に相成候(三岡の京都入りが1日遅れれば、新国家の財政成立が1日遅れてしまう)」と訴えている。

 三岡は龍馬暗殺の翌月に京都に入り、新政府の五箇条の御誓文の起草に関わったほか、初期の財政も担当した。

 龍馬の書簡で「新国家」という言葉が確認されたのは初めて。鑑定した京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「龍馬が死の直前まで新政府の樹立、新国家の建設に専心していたことをよく示す、貴重な史料だ。龍馬と福井藩との関係の研究も進展する」と話す。

 書簡は、大政奉還と明治維新から150年を記念して高知県が開催する歴史博覧会「志国高知・幕末維新博」のため、全国の史料を調査する中で発見された。どのように保管されていたかや発見の詳しい経緯は明らかになっていない。3月4日から県立高知城歴史博物館(高知市)で公開される。龍馬の書簡は、暗殺される2日前の11月13日の日付で海援隊士だった陸奥宗光に宛てたものが現存では最後とされる。

考え色濃く
 三浦夏樹・高知県立坂本龍馬記念館学芸員の話 「新国家」建設に向け、龍馬が尽力していたことを示すものだ。龍馬の文字の特徴は出ているが、数ある書状の中でもきれいで丁寧に書かれており、松平春嶽に見られることも意識したのでは。何よりも国家建設には財政・経済が重要で、その任を担えるのが三岡だという、龍馬の考えが色濃く出ている。

時事通信
暗殺直前の龍馬の手紙新たに発見=「新国家」財政担当の出仕を要請
 土佐藩出身の幕末の志士、坂本龍馬が150年前の1867年に京都で暗殺される直前に書いた書状が新たに見つかったと13日、高知県が発表した。
〔写真特集〕幕末人物帳

 龍馬研究の第一人者である京都国立博物館の宮川禎一上席研究員らが鑑定し、筆跡、内容とも本人のものと判断されたという。暗殺される5日前の日付が記され、福井藩の重役に宛て、同藩士の三岡八郎(後に「五か条の御誓文」を起案した由利公正)を新政府の財政担当として出仕させるよう懇願する文が書かれていた。龍馬はこの直前に福井を訪ね、三岡と会談していた。
 龍馬の他の手紙にはない「新国家」という言葉が使われており、大政奉還を受け、設立が急がれていた新政府の財政問題の解決に龍馬が奔走していたことを裏付ける歴史的価値の高い史料だという。
 3年前にも、龍馬が暗殺される直前に土佐藩の重臣・後藤象二郎に宛てた書状「越行の記」の草稿が見つかっており、三岡を強く推挙することなどが書かれていた。今回の書状はこれに続くものとみられる。
 書状は個人が所蔵し、「他見をはばかるものなり」と書かれた付箋が付いた封紙に折り畳まれて入っていたため、150年も出てこなかったのではないかという。
 書状は3月4日から高知市で開かれる「志国高知 幕末維新博」で公開される。(2017/01/13-13:05)



去年はまとまったレビューを書けませんでしたが、毎週『真田丸』を楽しみにしていました。

 いろいろなレビューや感想を見てきましたが、『組!』『組!!』残党にとって、下記のレビューが一番しっくりしました。

『真田丸』――『新選組!』から12年、三谷幸喜の円熟を感じさせるただただ楽しい大河の誕生
――批評家・宇野常寛が主宰するインディーズ・カルチャー誌「PLANETS」とサイゾーによる、カルチャー批評対談──。

宇野常寛[批評家]× 木俣冬[著述家]

『真田丸 完結編』(NHK出版)
ひところの盛り上がりに比べ、近年はやや低調気味だった大河ドラマ。だが2016年は、12年ぶりの三谷幸喜作品によって一躍話題入りを果たした。「『真田丸』ロス」なる動きまで生んだ作品から、12年越しの作家のリベンジを読み解く。

木俣 『真田丸』は本当にただただ楽しく観ていて、褒めることしかできなくて、「それでいいのか?」と自分で思うくらいでした。三谷幸喜さんの新たな代表作になったんじゃないでしょうか。

宇野 僕も、三谷幸喜という作家の円熟を感じさせた作品だったと思います。三谷さんはおそらくはその中核にあるであろうシットコム的なものをやると空回ってしまう一方で、そのエッセンスをキャラクターものに応用すると評価される、ということを繰り返してきた作家だと思うんですよね。多分『HR』【1】のほうが三谷さんにとっては自分のやりたいことをストレートに出しているのだけれども、やっぱりシットコムの手法を別ジャンルに応用した『古畑任三郎』【2】のほうがずっとハマっている。それって多分「笑い」から政治風刺的なものを脱臭してきた、この国の文化空間の問題が根底にあるんだと思うんですよ。三谷さんはもっと欧米の政治風刺的なシットコムに憧れているところがあると思うんですが、それを日本のテレビは受け付けない。だから空気を読んで脱臭してやると『HR』みたいに無味乾燥になって、無理して押し通すと『合い言葉は勇気』【3】や『総理と呼ばないで』【4】のように空回ってしまう。どこが空回っているかというと、三谷さんの考える「正義」というのは基本的に戦後民主主義的というか、学校民主主義的な優等生っぽい「正義」で、端的に言えば淡白でダサい美学に基づいた正義感なんですよ。それを笑いで包むことによって粋に見せたいのだけど、政治と笑いを結びつける回路がこの国のテレビを中心とした文化空間では死んでしまっているわけです。

 そこで発見したのがキャラクターものとしての「歴史」という回路だったと思うんですよね。要するに、歴史ものという解釈のゲームに退避することによって、三谷さんの抱えてきた「笑い」と「正義」が初めてちゃんとかみ合うようになった。それが例えば『新選組!』【5】だったはずで、あの1話が劇中の1日になっていて、全50話をかけて近藤勇の人生で重要な50日を描く、なんてやり方なんかは、三谷さんがそれまでやってきたシットコム的なものの応用がハマった例ですよね。あのコメディの枠組みがあるから、新選組という敗者の側に立つことで学校民主主義的なイノセンスを浪花節的に見せる、というベタベタなものが逆に気持ちよく観れる。毀誉褒貶はあったみたいだけれど、僕は『新選組!』はアクロバティックな手法がうまくハマった作品だと思っていて、だから『真田丸』で今更やることがあるのかな? とまで思っていたわけです。しかし蓋を開けてみたらものすごくアップデートされていてびっくりしました。

木俣 本当に、三谷さんの集大成になったな、と思いますね。『新選組!』に対しては、絶賛の一方で、「史実に沿っていない」などの批判もかなりあったじゃないですか。実際はそんなことなかったようで、その誤解に対する悔しさもあったかもしれませんね。それから12年、『真田丸』を描くまでに、三谷さんは結構いろんなことに挑んでいます。以前から好きだった人形劇に挑戦したり(『連続人形活劇 新・三銃士』【6】)、その発展形で文楽をやってみたり(『其礼成心中』【7】)。
 『組!』『組!!』についてもしごくまっとうな評価をいただき、また『真田丸』について「本当にただただ楽しく観ていて、褒めることしかできなくて、『それでいいのか?』と自分で思うくらい」と評されるのがとても嬉しいです。
 『真田丸』を見て新たに大河ドラマファンとなった若い方々が多いことを喜ぶ一方、『組!』『組!!』以降の三谷作品を全部ではないけど見てきた三谷ファンとして、他の作品の積み重ねが今回の成功に繋がっているという見方もして欲しいと思っていたので。
チケット取れないので諦めていたら、イープラスの一日貸切公演で一等席18,000円を9,800円で販売するメールが来て、即取りました。実際行ってみたら、舞台後方ではあったけど、花道脇で役者さんの出と引っ込みがよく見える。正月興行だし襲名披露だし、お得感。

一、源平布引滝 義賢最期
 源氏は頼朝より上の世代になると頭に入ってこない(^_^;)のだけど、頼朝のお父さん世代で平清盛に圧倒されていた時代に、ひそかに源氏に心を寄せていた義賢が平氏に離反を疑われて包囲され、壮絶な一人バトルで死ぬという話なんですね。
 米吉ちゃんの待宵姫が可愛い。中車はだいぶ古典ものにも馴染んできたように思う。海老蔵は襖倒れとか仏倒れとかスペクタクルなアクションは決まってましたが、すべてを敵に回す壮絶さはなかったかな……。

一、口上
 梅玉さんに始まって、成田屋さん澤瀉屋さんなど市川一門のスター総出演の感があります。右近さん改め右團次さんのしっかりしたご挨拶はもちろんですが、こっくりしかけた右近ちゃんが可愛かったです。

一、錣引

 うーん……。

一、黒塚

 さすが猿之助です。安達ヶ原の鬼女のすさまじさ、人の心に潜むあさましい欲望や執着、憎しみ、怒り、迷い、仏の救いを求める心、童女のあどけなさ、どれだけ沢山の人の心の側面を踊りで描いたでしょうか。二度目ですが、これは何度見ても素晴らしい。
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