新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
落語聴きながら記事つくってます。
北海道
五稜郭跡の「箱館奉行所」公開 140年ぶり復元
「箱館奉行所」復元オープンへ準備大詰め 函館・五稜郭公園
壮大な叙事詩開幕 函館
宮城
副島種臣:栗原の収集家、封書入手 幕末から明治の政治家、書家としても名声 /宮城
福島
鶴ヶ城の赤瓦寄付者記名開始
東京
上演:龍馬ロック音楽劇 兵庫の女性劇団が来月7・8日--品川 /東京
京都
山鉾巡行最後の指揮、きりり
祇園祭山鉾連合会理事長の深見さん
京都市、夏の旅キャンペーン開始
「龍馬伝」5万人突破
同大生2人に記念品
高知
「おどろおどろしさ」だけでなかった、絵金「のぼり」初確認…高知
大分
「中津城下絵図」市文化財に指定
長崎
亀山社中記念館20万人 「龍馬伝」追い風に
鹿児島
観光立国へ薩長同盟 “奇兵隊”が萩PR 宣伝隊、鹿児島市を訪問
文化芸能
歌舞伎・快優列伝:三代目澤村田之助/1 14歳の若さで守田座の立女形に
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(70)東大教授・山内昌之 佐久間象山
北海道
五稜郭跡の「箱館奉行所」公開 140年ぶり復元
北海道函館市の国特別史跡「五稜郭跡」に幕末当時、北方警備の拠点として設置された箱館奉行所が約140年の時を経て復元され、内部が16日、報道陣に公開された。一般公開は29日から。
市文化財課によると、当時の絵図面や発掘調査結果から、間取りや柱の材質など細部まで忠実に再現。東北産のスギ、ヒバなどの木材をふんだんに使った。直径60センチ、長さ9メートルの重厚感のある梁が見えるよう天井板を張っていない部屋もある。
復元工事は2006年6月に開始し、総工費約28億円をかけ、6月30日に完了。内部は72畳の大広間がある「再現ゾーン」など主に五つに区分けされている。奉行所の3分の1に当たる約千平方メートルを復元、残りは隣接する地面に建物の跡を線で描き規模を伝えている。
奉行所は明治新政府軍と旧幕府軍による箱館戦争の舞台にもなり、1871年に解体された。
「箱館奉行所」復元オープンへ準備大詰め 函館・五稜郭公園
函館・五稜郭公園に箱館奉行所が復元オープンする29日まで、あと2週間となった。同奉行所の指定管理者「名美興業」(函館)はスタッフ研修を繰り返すなど、4年に及んだ開設準備はいよいよ大詰め。市教委には早くも道内外から問い合わせが多く寄せられ、職員が対応に追われている。
奉行所は6月末に完成。青森産ヒバや畳の香りが漂う中、9日には展示設備の搬入が始まった。奉行所周辺では芝生広場や散策路など環境整備工事が最終段階に入った。
名美興業では、市教委の学芸員がスタッフ約30人に専門知識を教える研修を7月初旬に開始。見学者への対応を確認するため、27日には実際に約300人の団体客を受け入れるシミュレーションを行う。
同社の筒井孝則次長は「初年度の推定見学者数は14万7千人。最大の課題である混雑対策に現在、最も力を注いでいる」と話す。
一方、市教委では7月に入り、東京や大阪などから問い合わせが急増。多い日は30件寄せられている。文化財課の野村祐一学芸員は「近年なかった大型施設誕生への期待感と大河ドラマを背景にした幕末ブームが重なり、予想以上の反響」と、うれしい悲鳴を上げる。
江戸幕府の北の拠点だった箱館奉行所の復元工事は2006年に始まり、総工費27億円。広さは千平方メートルで、木造建築物としては道内最大級だ。箱館奉行が執務した表座敷などを再現したほか、出土品などを紹介する展示コーナーも備える。(酒井聡平)
壮大な叙事詩開幕 函館
函館の歴史絵巻を約400人の市民が演じる「函館野外劇」が国指定特別史跡・五稜郭の特別ステージで始まった。8月7日までの毎週末に、アイヌ民族の時代から高田屋嘉兵衛、箱館戦争、歌人石川啄木など10の場面が演じられる。
今年で23回目。7月末に五稜郭内に「箱館奉行所」が復元・完成するのにちなみ、完成を知らせる瓦版をまく場面が新たに加えられた。破損で昨年は初日しか出番がなかった軍艦「甲鉄」が修復され、堀を使った「箱館戦争」の海戦の場面が復活した。
大人2500円(前売り1800円)、高校・大学生千円(同900円)、小中生500円(同400円)。問い合わせは事務局(0138・56・8601)。
宮城
副島種臣:栗原の収集家、封書入手 幕末から明治の政治家、書家としても名声 /宮城
佐賀藩出身の幕末から明治期の政治家、副島種臣(そえじまたねおみ)(1828~1905)の封書を、栗原市の古物収集家(61)が岩手県南部の旧家から入手した。副島は書の達人としても知られ、一風変わった書体で現在も人気があるという。
封書は縦17センチ、横131センチの和紙に縦書きで、あて名は同県南部の有力者とされる「佐藤平次郎(殿)」。佐藤から人を介してあった揮毫(きごう)依頼に対し、「……当家ニ於テハ揮毫ノ依頼一切謝絶致シオリ御座候……」とカタカナ交じり文で断わっている内容。収集家によると、副島が明治政府で重きを成し、書家としても名声を得た明治中期ごろのものとみられる。
副島は勤皇の志士の一人で、征韓論争で下野するなど曲折を経て明治政府の要職を歴任した。「蒼海(そうかい)」の号で書をたしなみ、自作の詩文を清朝政府高官と交換する技量の持ち主だった。
収集家は「副島の書は多くはなく私的ながら貴重な書状」と話し、07年に副島没後100年記念展を行った佐賀県の関係美術館に連絡したいとしている。【小原博人】
福島
鶴ヶ城の赤瓦寄付者記名開始
鶴ヶ城天守閣を幕末時の赤瓦にふき替える工事に伴い、会津若松市は14日、寄付者が赤瓦の裏に直接記名できる取り組みを始めた。
赤瓦の寄付は1枚2000円で1人何枚でも可。鶴ヶ城本丸内の受付所で10月24日まで直接記名でき、芳名帳は永年保存する。寄付の募集は6月2日に始まり、これまで集まった約600口については、職員が代理記名する。
また、従来の黒瓦についても寄付者に記念品として贈呈する。紋様入りの「鬼瓦」が1枚5万円(約30枚)、「軒平瓦」と「軒丸瓦」はいずれも1万円(各約100枚)で、往復はがきで9月30日まで申し込みを受け付ける。
問い合わせは、会津若松市観光課(0242・39・1251)へ。
東京
上演:龍馬ロック音楽劇 兵庫の女性劇団が来月7・8日--品川 /東京
兵庫県宝塚市を拠点に活動する女性だけの劇団「OZmate」の辻井奈緒子代表(46)と団員の松本飛路さん(30)が8月の東京公演PRのため、毎日新聞とうきょう支局を訪れた。
同劇団は1991年の設立で、18歳~40歳代の女性25人が団員として活動している。
メッセージ性のあるオリジナルミュージカルの上演を行う。
8月の東京公演は幕末の志士、坂本龍馬を主人公にした幕末ロックミュージカル「Ryoma」を上演する。龍馬役を演じる松本さんは「ヒーローでなく等身大の龍馬を演じたい」と話した。
公演は、8月7日午後6時半からと8日午後1時から。両日とも品川区北品川2の32の3、六行会ホール。当日入場料4300円。問い合わせはスタジオOZ(0797・85・1106)。【遠山和彦】
京都
山鉾巡行最後の指揮、きりり
祇園祭山鉾連合会理事長の深見さん
祇園祭総責任者の祇園祭山鉾連合会理事長として「最後の夏」を迎えた深見茂さん(76)=京都市中京区=。最後の夏は、クライマックスの山鉾巡行の17日になってようやく天気に恵まれ、汗ばむ暑さとなった。午前9時すぎ、裃(かみしも)姿の深見さんは、凛(りん)とした表情で下京区の四条通に立った。扇子を広げ、先頭の長刀鉾に出発の合図を送った。
■“不変”胸に15年「やるだけやった」
巡行の列を見守りながら、「ここまで天気が良いと、人も増える。観光客の方がけがをしないか、心配なんです」と無事を願った。沿道の各所で、ちまきを持って祭りの支援者と笑顔を交わすと、「さみしなりますね」と声が掛かった。
深見さんは5期15年にわたって務めた祇園祭山鉾連合会理事長を今期で引退する。17日の山鉾巡行は、総責任者という重責を担っての最後の祭りとなる。「早くから今期限りと決めていた。最近は、ほんまに体がえらなってきまして」
自宅を出る前、妻の明子さん(76)に裃を着せてもらった。15年続いた習慣だ。二人は6月5日に金婚式を迎えた。明子さんは「毎年、朝、主人の出発を見送り、午後に帰ってきたら、ほっとする。そんな繰り返しでした」と振り返った。
山鉾町の人たちは「例年通りに」とよく口にする。しかし、変化が激しい現代にあって、「不変」を続けることは、実は難しい。
「負けん気」と「個性派」で知られる山鉾町。「祭りを愛する人ほど、外へはみ出す」というのが深見さんの持論だ。しかし、時には行き過ぎもある。「個」を尊重しつつ、いかにして全体をまとめていくのか、常に頭を痛めてきた。
「まあ、いろいろとありましたわ。辞めると言うても、さみしい気持ちはわかへん。やるだけのことは、やらせてもらったということですかなあ」
昨年9月には、念願だったユネスコ無形文化遺産に登録された。幕末に焼失した大船鉾が復興する足掛かりもつくり、祇園祭の発展への布石は抜かりがない。「山鉾町の方々に理解し、協力してもらって、今がある。何と言っても感謝です。これまで元気でいさせてもらったのは、祭りの手伝いをしたからやと思う。ほんまに神さんのおかげです」
誰よりも祇園祭を愛する深見さん。「来年は、その他大勢となって、祭りを存分に楽しみたい」と笑顔を見せた。
京都市、夏の旅キャンペーン開始
京都市と市観光協会は、「京の夏の旅」キャンペーン(後援・日本観光協会、JR西日本、JR東海)を今月1日にスタートさせ、9月末まで展開する。テーマごとにコースを巡る定期観光バスの運行や文化財の特別公開、京都ならではの体験観光プランなどさまざまな夏の京都が楽しめる企画を提案している。8日にはマスコミを対象にした現地取材会を実施し、コースの魅力などをPRした。
キャンペーンは夏季の特別誘致対策事業の一環として毎年実施されており、今年で35回目を迎える。
観光バス特別コースには3コースを設定。現地取材会では定期観光バス特別コース「京の宮御殿と公家屋敷をたずねて」を紹介。平安女学院大学有栖館、有栖川宮旧邸、旧九條家別邸「拾翠亭」など宮家の旧邸、摂関家の別邸、皇室とゆかりの深い門跡寺院の御殿を中心に巡る内容だ。
有栖館は、300年の系譜を持つ四親王家の1つ、有栖川宮家の旧邸。現在は平安女学院大が京都文化、日本文化の研究や教育などの拠点として受け継いでいる。今回特別公開される建物の1つで、幕末から大正時代にかけての宮邸の様子を見ることができる。
旧九條家別邸「拾翠亭」は五摂家の1つ、九條家の別邸として建てられた。200年ほど前の江戸後期の数寄屋風書院造の建物。また、旧嵯峨御所大覚寺の中にある秩父宮御殿は、大正12年に東宮仮御所の霞ヶ関離宮(現在の国会前庭)に建てられ、後に大覚寺に下賜されたもの。一般に初公開される。
他にも定期観光バスには、「京の龍馬伝〜大龍馬展と伏見のまち」「宮廷鵜飼と夕景の嵐山」の2コースを企画。今年注目の坂本龍馬ゆかりの地や京の夏の風物詩である宮廷鵜飼などが楽しめる。
「龍馬伝」5万人突破
同大生2人に記念品
京都市中京区の京都文化博物館で開催中の特別展「龍馬伝」(京都新聞社など主催)の入場者が15日、5万人を突破し、記念のセレモニーが行われた。
5万人目の入場者は同志社大3年の室田紗希さん(20)=宇治市=、木下真希さん(20)=京都市伏見区=。寺田屋など京の幕末ゆかりの地を巡る途中で同展に立ち寄った。
荒巻禎一館長から記念品を手渡された木下さんは「大河ドラマで幕末に興味を持った。驚いたけどうれしい」と喜び、室田さんは「日本を動かした龍馬や志士の生きざまに、心打たれます」と話していた。
同展は、龍馬たちの実像に迫る史料約180点を展示している。19日まで。有料。
高知
「おどろおどろしさ」だけでなかった、絵金「のぼり」初確認…高知
縦4・5m、力強く養老伝説描く
新たに見つかった絵金が描いたのぼり おどろおどろしい芝居絵で知られる幕末の絵師、弘瀬金蔵(通称・絵金、1812~76)が描いた「節句のぼり」が、絵金が一時暮らしたことがある高知県香南市赤岡町で見つかり、絵金の屏風(びょうぶ)を収蔵する同市の絵金蔵が確認した。絵金が描いたのぼりが見つかったのは初めて。昨年には絵金が子どものために描いた絵本も見つかっており、絵金蔵は「おどろおどろしさだけではない、絵金の一面がさらに広がった」としている。赤岡町一帯で絵金の屏風が民家の軒先で公開される絵金祭りにあわせ、19日まで絵金蔵で公開している。
絵金蔵によると、のぼりは縦約4・5メートル、横約40センチ。染織ではなく、綿の布に顔料でじかに描いていた。岐阜県の養老の滝に伝わる親孝行伝説が題材。木こりと年老いた父親、元正天皇が描かれ、3人の目線や指をさす方向で、奥行きや広がりを持たせている。速くて力強い筆致や線の強弱に、絵金の特徴が見られるという。絵金の雅号「友竹斎(ゆうちくさい)」が銘として記されている。
のぼりを見つけたのは、菓子会社「西川屋老舗」(高知市)の池田聡博(あきひろ)社長(53)。西川屋は1688年(元禄元年)の創業で、同市赤岡町の元店舗で保管していた。1865年(慶応元年)に生まれた曽祖父・再平(さいへい)さんの初節句を祝って作られたとみられるという。池田家はほかにも、絵金の屏風絵やふすま絵も所有している。同時代の絵師・宮田洞雪(1828~98)が描いたのぼり3本も見つかった。
のぼりを見た高知市加賀野井の嘱託社員大坪更生さん(78)は「すごい迫力。原色の屏風絵とは違い、子どもの祝いのために品良く作られている」と話していた。
大分
「中津城下絵図」市文化財に指定
中津市教委はこのほど、江戸時代の歴史資料「中津城下絵図」=写真=と「豊前國(こく)中津勝景之図」、史跡の土塁「中津城おかこい山」を市文化財に指定した。市指定文化財は計140件となった。
歴史資料2件はいずれも城下町地域の民家に保存されている。「絵図」は1830年代~1840年代(奥平藩時代)の製作。城下の町割りが描かれ、寺社や町屋、侍屋敷などが9色で塗り分けられている。藩士の名前もあり、研究資料として信頼度が高いことなどが評価された。
「勝景之図」は幕末の製作で、もとは画帳だったものが巻物にし直されている。絵は21点あり、山国川水系や駅館川水系(宇佐市)周辺の景色が描かれ、当時と現在の景観を比べるのに重要とされた。
「おかこい山」は鷹匠町にある。中津城下を守る要塞(よう・さい)として17世紀中頃以前に造られた。おかこい山が残っている城下町は九州では中津だけという。今年度、復元と説明板設置などを行う予定だ。
長崎
亀山社中記念館20万人 「龍馬伝」追い風に
坂本竜馬が幕末の長崎に設立した日本初の商社亀山社中を復元した「亀山社中記念館」(長崎市伊良林2丁目)の入館者が16日、20万人を突破した。
20万人目となったのは北海道から訪れた会社員中井幸代さん(38)と同岡本綾子さん(39)。NHK大河ドラマ「龍馬伝」を毎週見ているという中井さんは「ドラマに出てくる場所を実際に訪れ、もっと歴史を勉強したくなった」と話した。
同記念館は昨年8月、跡地に残っていた建物を修復しオープン。竜馬が持っていたピストルのレプリカなどが展示され、歴史ファンの人気を集めている。
鹿児島
観光立国へ薩長同盟 “奇兵隊”が萩PR 宣伝隊、鹿児島市を訪問
山口県萩市の観光宣伝隊11人が15日、幕末の志士・高杉晋作が組織した「奇兵隊」の姿で鹿児島市に現れ、市民や観光業者、市役所に萩の魅力をPRした。
2011年3月に九州新幹線鹿児島ルートが全線開業し、同5月に山口-萩間の高規格道路が開通すれば、両市は今の半分の3時間程度で結ばれる。11年は薩長同盟締結から145年の節目に当たるため、歴史的につながりの深い鹿児島に観光産業の活路を求めた。
一行は鹿児島市ホテル旅館組合と協力の証しとなる「薩長友好盟約書」を締結。市役所では、大山直幸経済局長に修学旅行誘致への協力を呼び掛けた。鹿児島随一の繁華街・天文館に向かうと、市民に萩焼の湯飲み約200個を配って、笑顔も振りまいた。
高杉晋作役を務めた萩温泉旅館協同組合副理事長の渡辺浩隆さん(49)は「日本の発展に尽くした薩長で、今度は観光立国の先駆けになりたい」と話していた。
文化芸能
歌舞伎・快優列伝:三代目澤村田之助/1 14歳の若さで守田座の立女形に
◆三代目澤村田之助(1845~1878)
病気のために両足を切り落としても舞台に立ち続け、幕末から明治にかけて一世を風靡(ふうび)した女形。それが三代目澤村田之助である。
弘化2(1845)年2月に、江戸歌舞伎の名門、紀伊國屋の五代目澤村宗十郎の次男に生まれた。幼名は由次郎。兄は四代目助高屋高助。嘉永2(1849)年7月に初舞台を踏んだが、同5年に父が死去。安政6(1859)年正月に中村座で三代目田之助を襲名した。
子役時代から才能を発揮し、早い出世を遂げる。万延元(1860)年正月に守田座で一座の女形の筆頭である立女形に、14歳の驚異的な若さでなった。
「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」の八重垣姫、「鬼一法眼三略巻」の皆鶴姫などをつとめて人気を高め、江戸で彼の名を使った商品も続々と発売された。新型の髷(まげ)である「田之助髷」が流行し、娘たちは「田之助襟」や「田之助下駄(げた)」をこぞって買い求めた。
文久元(1861)年10月には市村座で「菅原伝授手習鑑」の八重を演じた。夫の桜丸は十三代目市村羽左衛門(五代目尾上菊五郎)。「続々歌舞伎年代記」には、田之助の八重と二代目市村亀蔵の白太夫が好評だったことが記されている。
この時に亀蔵から、羽左衛門と田之助は演技を怒られた。2人は共演の六代目市川団蔵に教えを仰いだが、それでもはっきりと原因が分からない。田之助の家にこもり、死を決意した桜丸と八重のやりとりを約30回もけいこした。寝る間もなしに翌朝、楽屋入りし、同じ場面を上演すると、今度は亀蔵に「うまい」と褒められた(「菊五郎自伝」)。
元治元(1864)年4月。守田座で田之助は、彼にあてて河竹新七(黙阿弥)が書いた「切られお富」のお富を演じることになる。人気作品の「切られ与三郎」の主役を女形に書き換えた作品だが、初日前に同座は全焼。初演は同年7月の再開場に延びたが、同作品を皮切りに、田之助は彼にあてて書かれた新作を、次々と演じるようになった。【小玉祥子】
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(70)東大教授・山内昌之 佐久間象山
本物の「タレント」
今回の参院選にはスポーツ選手や各種のタレントの立候補が目立った。その25人のうち、当選したのは、女子柔道の金メダリストや元野球選手など5人にとどまった。この候補者らの政治意識や関心のほどがよく分からない。
そもそも立候補前に、かれらの口から政治外交や金融経済に関する抱負を聞いた人がいるだろうか。多数の落選で、テレビタレントやスポーツ選手として多少の名を売った人が比例で当選できるという思い込みや幻想が崩れたとすれば、今回の参院選は将来の日本政治のレベルアップにかなり貢献したことになる。
まだしも本人がタレントなり才人であればともかく、有名スポーツ選手の父であるというだけの理由で議員に当選した人もいる。また、週刊誌で芳(かんば)しくない話題を提供する以外に、さしたる動向を聞かない人もいる。政党も問題であるが、こうした人物に投票する有権者の気構えも問題であろう。
国や国民を舐(な)めきった政党や一部芸能人の態度に良質な有権者たちが、ようやく鉄槌(てっつい)を下したというのであれば、日本の未来も救われるというものだ。本来「タレント」とは才能や才幹を意味し、そこから「才能のある人たち」に転じ、さらに「芸能人」を指すことになった。芸能人がその芸で才能に恵まれたとしても、政策や構想力を鍛える才能を兼備した例をついぞ知らない。
◆兵学、種痘導入…万能
ところで幕末最大の「タレント」といえば、何といっても佐久間象山(しょうざん)であろう。信州(長野県)松代藩士の象山は、若い時分に経学と数学をともに習得し、主君の真田幸貫(ゆきつら)(松平定信(さだのぶ)の実子)が老中となり海防掛に任ぜられて以降洋学を研究するようになった。
彼の知識は、大砲の鋳造など実学としての兵学から、ガラスの製造、地震予知器の開発、牛痘種痘(ぎゅうとうしゅとう)の導入などにも成功し、「タレント」である以上に「ユニバーサルマン」(万能人)ともいうべき存在になった。その分だけ彼は自分を恃(たの)むところが強く、韮山(静岡県)で反射炉をつくった江川太郎左衛門や、義兄となる勝海舟など幕府の洋学者とソリが合わなかった。
開国論や西洋事情の摂取を説いた『省●録(せいけんろく)』とはあやまちを省みる記録の書という意味だが、とても謙虚に自らの不足を反省するといった段ではないのだ。象山は、「私は長いこと海防に意を用いてきた。思うに、私が発明したものは前人が及ばないものであった」と自分の「タレント」ぶりを自画自賛する。
そのうえ象山は、言わずもがなの自信を堂々と披瀝(ひれき)する。現代語に訳するとこうだ。「およそ学問は必ず積み重ねを必要とするものだ。一朝一夕でたやすく詳細に知ることはできない。海防論も簡単に通暁(つうぎょう)できない一つの大きな学問なのだ」
吉田松陰の密航事件に連座して捕らえられたとき、獄中で書いた『省●録』は、弁解の書というよりも気迫の書ともいうべき活気にあふれた記録である。黒船襲来という国難に対応できる才人は自分しかいないという口ぶりなのだ。むかしから洋学を修め提言や警告もしてきたのに、幕府がそれを無視してきた高いツケが今日の危機をもたらしたと言いたげなのである。
◆門下から多くの人材
勝海舟の妹の順が嘉永5(1852)年に象山に嫁いだが、勝は傲岸(ごうがん)な象山を評価していない。『氷川清話』では、象山は「軽はずみ」にして「ちょこちょこした男」で「あれだけの男」だったと酷評している。しかし、象山門下からは、小林虎三郎、勝海舟、河井継之助、坂本龍馬、橋本左内、加藤弘之らも出ており、彼の「タレント」ぶりを疑う人間はまずいない。
比べるのも愚かにせよ、当節のタレントたちには、政治家に転身することで、自分の新たな職業的覚悟を永久に問われることがよく分かっていないのではないか。有権者の前で得意の技や芸を披露することをタレントの資質やアピール力と錯覚した芸能人やスポーツ選手らには、本物の「タレント」が命さえ犠牲にして自分の才能と理念を訴え続けた歴史の厳しさを改めて理解してほしいものだ。(やまうち まさゆき)
●=侃の下に言
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本連載をまとめた「幕末維新に学ぶ現在」(中央公論新社)が発売中。
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【プロフィル】佐久間象山
さくま・しょうざん 文化8(1811)年、信州(長野県)松代生まれ。幼少から経学や和算に秀で、江戸で儒学者、佐藤一斎に師事した後、神田に塾を開く。老中となった松代藩主、真田幸貫から海外事情の研究を命じられ、「海防八策」を提出。江川太郎左衛門に西洋砲術を学び、勝海舟らに教えた。安政元(1854)年、吉田松陰の密航事件に連座し松代に蟄居(ちっきょ)するが、のちに赦免。元治元(1864)年、幕府の命を受けて上洛し、公武合体や開国を主張したが、京都で尊攘派に暗殺された。享年54。
全国各地に豪雨の被害をもたらした今年の梅雨、西から順番に明けているようです。今日の東京の空も、梅雨明けの夏空です。
北海道
建物から幕末を感じよう
今年のうちには見に伺いたいものです。
静岡
元新撰組の熱意 脈々 浜松・高町の『浜松教会』創立126周年
京都
池田屋事件にちなみ、京都新選組同好会がパレード
大阪
加藤先生の日本史の授業「龍馬と勝海舟」
広島
「骨董録」繰り上げ公開 県立歴博
長崎
亀山社中記念館20万人達成 北海道の女性に記念品
ブックレビュー
【書評】『歴史ドラマの大ウソ』大野敏明・著
新選組の隊服がリバーシブルって、出典はどの史料でしょうね。仙台の額兵隊が赤と黒のリバーシブルであったとは知っていましたが、新選組がそうだったという話はあったかな?
歴史
「町人切り」見直す新資料 清河八郎
エンターテインメント
ファン・オタク・マニアに向けた、狭くて深いプラットフォーム『Fan+』に迫る!
北海道
建物から幕末を感じよう
■箱館奉行所、29日から公開
幕末、徳川幕府が蝦夷地統治や諸外国との外交などのために設置した「箱館奉行所」の復元工事が完了し、16日に報道機関に公開された。一般公開は29日から。
現在は公園として開放されている函館市の国指定特別史跡・五稜郭の中にある。1864(元治元)年にほぼ完成、箱館戦争では旧幕府軍の本拠地となったが、1871(明治4)年に解体された。
木造平屋建て約1千平方メートルで太鼓櫓(やぐら)は高さ16・5メートル。4室72畳の大広間や、五稜郭と箱館奉行所の歴史を解説した展示、復元工事を紹介した映像シアターなどがある。
復元工事は4年かかり、総工費は約27億円。古文書や古写真などをもとに建築資材や工法などが可能な限り忠実に再現されており、市文化財課では「建物全体が展示物」としている。
29日は午前11時半から。4~10月は午前9時~午後6時(入館は15分前まで)、11~3月は午後5時まで(同)。年末年始休み。大人500円、学生・生徒・児童250円。問い合わせは市文化財課(0138・21・3463=28日までの平日)、29日以降は奉行所(0138・51・2864)へ。
今年のうちには見に伺いたいものです。
静岡
元新撰組の熱意 脈々 浜松・高町の『浜松教会』創立126周年
浜松市で最初のプロテスタント教会「日本キリスト教団浜松教会」(中区高町)が25日で創立126周年を迎える。草創期のクリスチャン迫害にも屈せず、初代教職として教会を発展させたのは、元新撰組隊士とも伝えられる結城無二三(むにぞう)(1845~1912)。関係者らはその信仰のあつさを思うたび、胸を熱くする。 (加藤拓)
昨年のクリスマスイブの礼拝から半年ぶりに訪れた教会。「愛の花」と呼ばれる南アフリカ原産のアガパンサスが青紫の花を咲かせていた。迎えてくれた勝田英嗣牧師(61)の手には「浜松教会百年史」(1991年刊)があった。
それによると、浜松での信徒増加を受け、同教団静岡教会が1884年6月、同区連尺町に講義所を設置。牧師に準じる伝道師の結城を赴任させた。浜松教会が翌月に独立すると、結城はそのまま初代教職に就いた。
長男禮一郎(1878~1939)が著した伝記「旧幕新撰組の結城無二三」(1924年刊)では、結城は山梨県出身で、本名景祐。「自分ほどの豪傑は世に2人、3人といない」という理由で無二三と名乗った。16歳で江戸に出て攘夷(じょうい)の仲間を募るも失敗、20歳ごろ、向かった京都で新撰組に入ったという。
戊辰戦争に敗れ、故郷で農業に従事していた結城のキリスト教入信は34歳。高熱で倒れ、以前読んだ聖書の中の神に祈ったところ、病の床から立ち直ったのがきっかけだった。翌年、カナダ人宣教師の洗礼を受けたのだった。やがて上京して神学を学び、卒業後静岡に派遣される。浜松教会の教職を務めた2年間のうちに磐田市見付、袋井、掛川にも教会を開き、静岡を離れると、山梨や東京でも布教したという。
明治維新から20年足らず。教会設立当時の浜松ではまだキリスト教への不信や偏見が強く、説教中に窓から石が飛び込んでくることも。信者が逃げた後、ひとり結城がつぶてを体に浴びながら説教を続け、やじ馬を逆に感激させたというエピソードが残る。
こうした熱意もあり、最初の2年間で洗礼を受けた信者が19人。勝田牧師は「昨年の教会の受洗者は3人で、それに比べ驚異的な数。(結城は)よほど正義感が強く、活動的だったのだろう」と話す。
教会で勝田牧師を補佐するチャプレンの笠原光雄さん(82)=同区広沢=も、結城を尊敬する1人。「鎖国の世に生まれたからこそ、明治に入り、(価値観の転換を肌身で味わって)外国の宗教に目を向けるようになったのでは」と推測する。 結城のともした信仰の灯は脈々と受け継がれ現在、日曜礼拝や教会学校の参加者は100人を数える。勝田牧師は「浜松の方は信仰が熱心で、団結力も強い。この気質を次世代にも受け継いでいきたい」と思いを新たにしている。
京都
池田屋事件にちなみ、京都新選組同好会がパレード
京都新選組同好会の会員ら39人が16日、歩行者天国となった京都市中心部の四条通などを、羽織袴(はかま)に身を包んだ勇壮な「隊士」の姿にふんしパレードした。
元治元(1864)年の新暦7月、討幕派が集まる旅館に新選組が討ち入った「池田屋事件」にちなみ、毎年祇園祭の宵山にあわせて行っている。
一行は、壬生寺で新選組隊士の墓に参拝後、四条通などを約3・5キロ行進し八坂神社に到着。勇ましい様子に、観光客らから歓声があがっていた。
大阪
加藤先生の日本史の授業「龍馬と勝海舟」
幕末の風雲児、坂本龍馬が主人公となったNHKの大河ドラマ「龍馬伝」が佳境に入り、視聴者の注目を集めています。歴史に詳しい人の解説を受けて、より大河ドラマを楽しんでもらうウェーブ産経の文化サロン「加藤先生の日本史授業第1回『龍馬と勝海舟』」が7月16日、大阪市北区のブリーゼタワーにある産経新聞梅田オフィスで開催され、約40人の会員が参加しました。
講師は大阪府立高校の校長を歴任した元帝塚山学院大学文学部講師で、高・大連携室長の加藤正彦さんです。まず、加藤さんは「若い人にきちんと歴史を知ってもらわないといけない。戦争中に日本を爆撃した米軍の飛行機『B29』について『そんなに濃い鉛筆があるのですか』と言われた」と述べ、会員を笑わせました。サロンのつかみとしては上場のようですね。
本題に入りますと加藤さんは「ドラマには時代考証といい、当時の時代を考えている人がいますが100%ではありません。たとえば、龍馬の家族が土佐の家で食事をしている場面がよく出てきますが、食卓で食べる男性に対して女性はかまどの側で食べることが一般的でした。現在のように一緒に食卓を囲むことはありませんでした」と述べ、女性蔑視や男尊女卑を助長する恐れがあるため現代風に演出されていることを強調しました。
また、龍馬の姉、乙女について体重113㌔もある大きな女性で演じている寺島しのぶさんとは似つかわしくない」とも語りました。約1カ月前のシーンで龍馬が勝と出会った場面に触れ、加藤さんは「面接するように出会いました。勝との出会いが龍馬のターニングポイントになりました。これにより、龍馬は国際人となった」と力説。たとえとして、加藤さんは「プロ野球オリックスの鈴木一朗選手が仰木彬監督と出会ったようなもの。俳優の仲代達也が黒沢明監督に出会ったようなものです」と語気を強めて、龍馬の人生に勝が及ぼした影響の大きさを語りました。
また、多くの手紙を残している龍馬について「ハイ、エヘン、エヘンなど話し言葉をそのまま手紙に書いておりユニーク」と文献を示して加藤さんは解説しました。そして、龍馬に関わった女性についても初恋の人といわれる平井加尾、千葉道場の千葉佐那、結婚したお龍のほかに長崎で出会う「大浦慶」の名前をあげ、大浦慶の半生を紹介しながら、今後のドラマも展望しました。そして、最後に幕末の文学として『一押し』として会員に島崎藤村の「夜明け前」を薦めて文化サロンを終えました。(岩)
広島
「骨董録」繰り上げ公開 県立歴博
幕末の大老・井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」で、現場に居合わせた井伊家の奉公人が福山藩の役人に語ったとされる証言などを記した古文書「骨董(こっとう)録」の公開が16日、当初予定を繰り上げて福山市西町の県立歴史博物館で始まった。8月1日まで。
骨董録(縦22センチ、横15・2センチ、100ページ)は、福山藩の儒学者・菅茶山(かんちゃざん)(1748~1827)の弟子、門田朴斎の五男が、「変」に関する伝聞や風説などを集めた記録。奉公人の証言は、「数人が刀を抜いて殿様の駕籠(かご)に切りかかった」「警護の武士は逃げ散り」などと記されている。
当初は、10月15日からの秋の企画展「幕末の動乱と瀬戸内海」での公開を予定していたが、読売新聞の報道(11日付朝刊など)で問い合わせが複数寄せられたため、前倒しして、開催中の幕末の福山藩に関するスポット展の中で公開することにしたという。
同博物館の西村直城(なおき)主任学芸員は、「幕末の日本を揺るがした事件の関係者の記録として興味深い。地元、福山藩の幕末の様子を知るきっかけにもしてほしい」と来館を呼び掛けている。
午前9時~午後5時。26日は休館。一般290円、大学生210円、高校生以下無料。問い合わせは、県立歴史博物館(084・931・2513)へ。
長崎
亀山社中記念館20万人達成 北海道の女性に記念品
幕末の志士、坂本龍馬ゆかりの地として復元整備され、昨年8月にオープンした長崎市伊良林2丁目の市亀山社中記念館の入場者が16日、20万人を達成した。20万人目となったのは、北海道から訪れた会社員、中井幸代さん(38)と岡本綾子さん(39)で、田上富久市長から記念品が贈られた。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」で龍馬役の福山雅治さんのファンという中井さんは、記念品を受け取り「これから大河ドラマを見て歴史を勉強していきたい」、岡本さんは「20万人目と聞いて、来館者が多いことにびっくりした」とそれぞれ笑顔で話した。
長崎市は開館当初、入館者数を年間2万5千人とみていた。田上市長は「龍馬伝の舞台が長崎に移ることで、より多くの人が興味を持って来てくれるのでは」と期待を込めた。
この日は同記念館で、九州運輸機工(西彼時津町、菅藤重信社長)からペットボトルのふたなど廃プラスチックを利用し製作したベンチの寄贈式もあった。目録を田上市長に手渡した菅藤社長は「長崎を訪れてくれる観光客をおもてなしの心で迎えるきっかけになれば」と話した。
ブックレビュー
【書評】『歴史ドラマの大ウソ』大野敏明・著
■調べ抜かれたうんちくが満載
時代劇を見ていると、えっ、こんなことあったの? と首をかしげたくなるシーンが少なくない。
徳川将軍が夫人と2人で食事をしていたり、現在NHKで放送中の「龍馬伝」では龍馬と吉田松陰が会話をしたり、武士がサラブレッドに乗っていたり。視聴者はウソに慣らされている。
新選組の隊服はリバーシブル、日露戦争で戦死した広瀬武夫中佐は実はブリーフをはいていた、といった事実も。
ページをめくると知らなかったことばかり。まさに目からうろこ。「ウソを暴けば本当の歴史が見えてくる」。江戸時代から、「3丁目の夕日」の戦後まで、調べ抜かれ、磨かれ抜かれた蘊蓄(うんちく)が、歴史ドラマを100倍楽しく見させてくれる。(1365円、産経新聞出版)
新選組の隊服がリバーシブルって、出典はどの史料でしょうね。仙台の額兵隊が赤と黒のリバーシブルであったとは知っていましたが、新選組がそうだったという話はあったかな?
歴史
「町人切り」見直す新資料 清河八郎
幕末の尊王攘夷(じょうい)派の中心人物で、坂本竜馬や新選組隊士らともかかわりがあった清河八郎(一八三〇~六三年)に関する新資料が、東京都千代田区の区立四番町歴史民俗資料館の収集資料から見つかった。清河は小説や映画などで「酔って町人を切り幕府に追われる身となった」とダーティーなイメージで描かれることが多いが、新資料では人を切る前日に江戸町奉行所の同心らに捕縛命令が出ていたことが分かった。専門家は「切った相手は幕府の密偵だったとする“わな説”の方が真実かもしれない」との見方を示している。 (加賀大介)
資料は北町奉行所の同心山本啓助の手帳。一八六一年七月、清河探索のため故郷の鶴岡(山形県)や新潟方面へ出張した際の状況が記録されている。各藩の役人と情報交換しながら逃亡先を絞り込んでいく過程や、清河の両親の取り調べの様子、清河の特徴を記した人相書きなどのほか宿泊先や経費なども細かく書かれている。
通説では、同年五月二十日、清河は酒を飲んだ帰りに日本橋で「町人風の男」にからまれて無礼討ちにし、人を切ったことで手配人となったとされる。
しかし、捕縛命令は、冒頭部分に「五月十九日に、南北奉行所で打ち合わせの上、召し捕るよう命令が出た」と記述があり、対象者として清河ら八人の名前があった。
幕末史に詳しい早稲田大講師の西脇康さん(54)は「清河は幕府から危険分子とみられていた。二十日には大捕物があり、その際に役人が切られたのだろう。逃がしてしまった恥を隠すため、通説のような話が広まったのではないか」とみる。同資料館の文化財調査指導員滝口正哉さん(37)は「男は清河たちを挑発する役目だったのかもしれない」と話す。
清河の研究はあまり進んでおらず、清河八郎記念館(山形県庄内町)の斎藤清館長は「無礼討ちの前に幕府が捕縛を命じていたという資料はこれまでなかった。研究が進むきっかけになれば」と期待する。
資料館では、今年十月に開催予定の幕末をテーマにした展示の中で、手帳を公開する。
エンターテインメント
ファン・オタク・マニアに向けた、狭くて深いプラットフォーム『Fan+』に迫る!
東京ビッグサイトにて、2010年7月7日~9日の3日間開催された「デジタル パブリッシング フェア2010」において、『「大好き」が、ここにある。』というキャッチコピーを基にGoogleブースの隣りに陣を構えた『Fan+』(ファンプラス)。この『Fan+』は、NTTプライム・スクウェアと角川コンテンツゲートがタッグを組んで、ファン・オタク・マニアに向けて全く新しいエンタテイメントのカタチと価値観の創造を目指す新たなプラットフォームとして立ち上げられた、ハイブリッドコンテンツの集合体である。
『Fan+』では、コンテンツプロバイダーが所有する動画・写真・テキスト・音楽などの素材を使ったオリジナルのリッチコンテンツをユーザーが自分の趣味趣向に合わせてMy Boxという自分専用箱にコレクションしていく。もちろん、マルチデバイス(ケータイ、スマートフォン、PCなど)対応で、大好きなコンテンツにいつでもアクセス可能となっている。
また、『Fan+』で提供されるコンテンツは、雑誌にたとえるなら「新撰組」特集という、幕末の注目点を一部に絞ったページよりもさらに小さいところに焦点を当てた「土方歳三」という人物をピックアップ。さらにその生き様、素顔などの核心に迫るコンテンツ類が数多く用意されている"場"とイメージしてもらえればいいかと思う。あらゆるジャンルの「専門誌」の集合体、つまり、ファンのライフスタイルを豊かにするために広く浅くではなく、あえて狭く深く追求するために用意されたプラットフォームが『Fan+』である。
今回は、サービスインに向けて準備中の『Fan+』取締役企画部長 兼 プラットフォームサービス部長の井上淳也氏にお会いする機会ができたので、『Fan+』の現在の構想や目指すところを伺ってみた。
『Fan+』取締役企画部長 兼 プラットフォームサービス部長の井上淳也氏
(以下略)
全国各地に豪雨の被害をもたらした今年の梅雨、西から順番に明けているようです。今日の東京の空も、梅雨明けの夏空です。
北海道
建物から幕末を感じよう
今年のうちには見に伺いたいものです。
静岡
元新撰組の熱意 脈々 浜松・高町の『浜松教会』創立126周年
京都
池田屋事件にちなみ、京都新選組同好会がパレード
大阪
加藤先生の日本史の授業「龍馬と勝海舟」
広島
「骨董録」繰り上げ公開 県立歴博
長崎
亀山社中記念館20万人達成 北海道の女性に記念品
ブックレビュー
【書評】『歴史ドラマの大ウソ』大野敏明・著
新選組の隊服がリバーシブルって、出典はどの史料でしょうね。仙台の額兵隊が赤と黒のリバーシブルであったとは知っていましたが、新選組がそうだったという話はあったかな?
歴史
「町人切り」見直す新資料 清河八郎
エンターテインメント
ファン・オタク・マニアに向けた、狭くて深いプラットフォーム『Fan+』に迫る!
北海道
建物から幕末を感じよう
■箱館奉行所、29日から公開
幕末、徳川幕府が蝦夷地統治や諸外国との外交などのために設置した「箱館奉行所」の復元工事が完了し、16日に報道機関に公開された。一般公開は29日から。
現在は公園として開放されている函館市の国指定特別史跡・五稜郭の中にある。1864(元治元)年にほぼ完成、箱館戦争では旧幕府軍の本拠地となったが、1871(明治4)年に解体された。
木造平屋建て約1千平方メートルで太鼓櫓(やぐら)は高さ16・5メートル。4室72畳の大広間や、五稜郭と箱館奉行所の歴史を解説した展示、復元工事を紹介した映像シアターなどがある。
復元工事は4年かかり、総工費は約27億円。古文書や古写真などをもとに建築資材や工法などが可能な限り忠実に再現されており、市文化財課では「建物全体が展示物」としている。
29日は午前11時半から。4~10月は午前9時~午後6時(入館は15分前まで)、11~3月は午後5時まで(同)。年末年始休み。大人500円、学生・生徒・児童250円。問い合わせは市文化財課(0138・21・3463=28日までの平日)、29日以降は奉行所(0138・51・2864)へ。
今年のうちには見に伺いたいものです。
静岡
元新撰組の熱意 脈々 浜松・高町の『浜松教会』創立126周年
浜松市で最初のプロテスタント教会「日本キリスト教団浜松教会」(中区高町)が25日で創立126周年を迎える。草創期のクリスチャン迫害にも屈せず、初代教職として教会を発展させたのは、元新撰組隊士とも伝えられる結城無二三(むにぞう)(1845~1912)。関係者らはその信仰のあつさを思うたび、胸を熱くする。 (加藤拓)
昨年のクリスマスイブの礼拝から半年ぶりに訪れた教会。「愛の花」と呼ばれる南アフリカ原産のアガパンサスが青紫の花を咲かせていた。迎えてくれた勝田英嗣牧師(61)の手には「浜松教会百年史」(1991年刊)があった。
それによると、浜松での信徒増加を受け、同教団静岡教会が1884年6月、同区連尺町に講義所を設置。牧師に準じる伝道師の結城を赴任させた。浜松教会が翌月に独立すると、結城はそのまま初代教職に就いた。
長男禮一郎(1878~1939)が著した伝記「旧幕新撰組の結城無二三」(1924年刊)では、結城は山梨県出身で、本名景祐。「自分ほどの豪傑は世に2人、3人といない」という理由で無二三と名乗った。16歳で江戸に出て攘夷(じょうい)の仲間を募るも失敗、20歳ごろ、向かった京都で新撰組に入ったという。
戊辰戦争に敗れ、故郷で農業に従事していた結城のキリスト教入信は34歳。高熱で倒れ、以前読んだ聖書の中の神に祈ったところ、病の床から立ち直ったのがきっかけだった。翌年、カナダ人宣教師の洗礼を受けたのだった。やがて上京して神学を学び、卒業後静岡に派遣される。浜松教会の教職を務めた2年間のうちに磐田市見付、袋井、掛川にも教会を開き、静岡を離れると、山梨や東京でも布教したという。
明治維新から20年足らず。教会設立当時の浜松ではまだキリスト教への不信や偏見が強く、説教中に窓から石が飛び込んでくることも。信者が逃げた後、ひとり結城がつぶてを体に浴びながら説教を続け、やじ馬を逆に感激させたというエピソードが残る。
こうした熱意もあり、最初の2年間で洗礼を受けた信者が19人。勝田牧師は「昨年の教会の受洗者は3人で、それに比べ驚異的な数。(結城は)よほど正義感が強く、活動的だったのだろう」と話す。
教会で勝田牧師を補佐するチャプレンの笠原光雄さん(82)=同区広沢=も、結城を尊敬する1人。「鎖国の世に生まれたからこそ、明治に入り、(価値観の転換を肌身で味わって)外国の宗教に目を向けるようになったのでは」と推測する。 結城のともした信仰の灯は脈々と受け継がれ現在、日曜礼拝や教会学校の参加者は100人を数える。勝田牧師は「浜松の方は信仰が熱心で、団結力も強い。この気質を次世代にも受け継いでいきたい」と思いを新たにしている。
京都
池田屋事件にちなみ、京都新選組同好会がパレード
京都新選組同好会の会員ら39人が16日、歩行者天国となった京都市中心部の四条通などを、羽織袴(はかま)に身を包んだ勇壮な「隊士」の姿にふんしパレードした。
元治元(1864)年の新暦7月、討幕派が集まる旅館に新選組が討ち入った「池田屋事件」にちなみ、毎年祇園祭の宵山にあわせて行っている。
一行は、壬生寺で新選組隊士の墓に参拝後、四条通などを約3・5キロ行進し八坂神社に到着。勇ましい様子に、観光客らから歓声があがっていた。
大阪
加藤先生の日本史の授業「龍馬と勝海舟」
幕末の風雲児、坂本龍馬が主人公となったNHKの大河ドラマ「龍馬伝」が佳境に入り、視聴者の注目を集めています。歴史に詳しい人の解説を受けて、より大河ドラマを楽しんでもらうウェーブ産経の文化サロン「加藤先生の日本史授業第1回『龍馬と勝海舟』」が7月16日、大阪市北区のブリーゼタワーにある産経新聞梅田オフィスで開催され、約40人の会員が参加しました。
講師は大阪府立高校の校長を歴任した元帝塚山学院大学文学部講師で、高・大連携室長の加藤正彦さんです。まず、加藤さんは「若い人にきちんと歴史を知ってもらわないといけない。戦争中に日本を爆撃した米軍の飛行機『B29』について『そんなに濃い鉛筆があるのですか』と言われた」と述べ、会員を笑わせました。サロンのつかみとしては上場のようですね。
本題に入りますと加藤さんは「ドラマには時代考証といい、当時の時代を考えている人がいますが100%ではありません。たとえば、龍馬の家族が土佐の家で食事をしている場面がよく出てきますが、食卓で食べる男性に対して女性はかまどの側で食べることが一般的でした。現在のように一緒に食卓を囲むことはありませんでした」と述べ、女性蔑視や男尊女卑を助長する恐れがあるため現代風に演出されていることを強調しました。
また、龍馬の姉、乙女について体重113㌔もある大きな女性で演じている寺島しのぶさんとは似つかわしくない」とも語りました。約1カ月前のシーンで龍馬が勝と出会った場面に触れ、加藤さんは「面接するように出会いました。勝との出会いが龍馬のターニングポイントになりました。これにより、龍馬は国際人となった」と力説。たとえとして、加藤さんは「プロ野球オリックスの鈴木一朗選手が仰木彬監督と出会ったようなもの。俳優の仲代達也が黒沢明監督に出会ったようなものです」と語気を強めて、龍馬の人生に勝が及ぼした影響の大きさを語りました。
また、多くの手紙を残している龍馬について「ハイ、エヘン、エヘンなど話し言葉をそのまま手紙に書いておりユニーク」と文献を示して加藤さんは解説しました。そして、龍馬に関わった女性についても初恋の人といわれる平井加尾、千葉道場の千葉佐那、結婚したお龍のほかに長崎で出会う「大浦慶」の名前をあげ、大浦慶の半生を紹介しながら、今後のドラマも展望しました。そして、最後に幕末の文学として『一押し』として会員に島崎藤村の「夜明け前」を薦めて文化サロンを終えました。(岩)
広島
「骨董録」繰り上げ公開 県立歴博
幕末の大老・井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」で、現場に居合わせた井伊家の奉公人が福山藩の役人に語ったとされる証言などを記した古文書「骨董(こっとう)録」の公開が16日、当初予定を繰り上げて福山市西町の県立歴史博物館で始まった。8月1日まで。
骨董録(縦22センチ、横15・2センチ、100ページ)は、福山藩の儒学者・菅茶山(かんちゃざん)(1748~1827)の弟子、門田朴斎の五男が、「変」に関する伝聞や風説などを集めた記録。奉公人の証言は、「数人が刀を抜いて殿様の駕籠(かご)に切りかかった」「警護の武士は逃げ散り」などと記されている。
当初は、10月15日からの秋の企画展「幕末の動乱と瀬戸内海」での公開を予定していたが、読売新聞の報道(11日付朝刊など)で問い合わせが複数寄せられたため、前倒しして、開催中の幕末の福山藩に関するスポット展の中で公開することにしたという。
同博物館の西村直城(なおき)主任学芸員は、「幕末の日本を揺るがした事件の関係者の記録として興味深い。地元、福山藩の幕末の様子を知るきっかけにもしてほしい」と来館を呼び掛けている。
午前9時~午後5時。26日は休館。一般290円、大学生210円、高校生以下無料。問い合わせは、県立歴史博物館(084・931・2513)へ。
長崎
亀山社中記念館20万人達成 北海道の女性に記念品
幕末の志士、坂本龍馬ゆかりの地として復元整備され、昨年8月にオープンした長崎市伊良林2丁目の市亀山社中記念館の入場者が16日、20万人を達成した。20万人目となったのは、北海道から訪れた会社員、中井幸代さん(38)と岡本綾子さん(39)で、田上富久市長から記念品が贈られた。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」で龍馬役の福山雅治さんのファンという中井さんは、記念品を受け取り「これから大河ドラマを見て歴史を勉強していきたい」、岡本さんは「20万人目と聞いて、来館者が多いことにびっくりした」とそれぞれ笑顔で話した。
長崎市は開館当初、入館者数を年間2万5千人とみていた。田上市長は「龍馬伝の舞台が長崎に移ることで、より多くの人が興味を持って来てくれるのでは」と期待を込めた。
この日は同記念館で、九州運輸機工(西彼時津町、菅藤重信社長)からペットボトルのふたなど廃プラスチックを利用し製作したベンチの寄贈式もあった。目録を田上市長に手渡した菅藤社長は「長崎を訪れてくれる観光客をおもてなしの心で迎えるきっかけになれば」と話した。
ブックレビュー
【書評】『歴史ドラマの大ウソ』大野敏明・著
■調べ抜かれたうんちくが満載
時代劇を見ていると、えっ、こんなことあったの? と首をかしげたくなるシーンが少なくない。
徳川将軍が夫人と2人で食事をしていたり、現在NHKで放送中の「龍馬伝」では龍馬と吉田松陰が会話をしたり、武士がサラブレッドに乗っていたり。視聴者はウソに慣らされている。
新選組の隊服はリバーシブル、日露戦争で戦死した広瀬武夫中佐は実はブリーフをはいていた、といった事実も。
ページをめくると知らなかったことばかり。まさに目からうろこ。「ウソを暴けば本当の歴史が見えてくる」。江戸時代から、「3丁目の夕日」の戦後まで、調べ抜かれ、磨かれ抜かれた蘊蓄(うんちく)が、歴史ドラマを100倍楽しく見させてくれる。(1365円、産経新聞出版)
新選組の隊服がリバーシブルって、出典はどの史料でしょうね。仙台の額兵隊が赤と黒のリバーシブルであったとは知っていましたが、新選組がそうだったという話はあったかな?
歴史
「町人切り」見直す新資料 清河八郎
幕末の尊王攘夷(じょうい)派の中心人物で、坂本竜馬や新選組隊士らともかかわりがあった清河八郎(一八三〇~六三年)に関する新資料が、東京都千代田区の区立四番町歴史民俗資料館の収集資料から見つかった。清河は小説や映画などで「酔って町人を切り幕府に追われる身となった」とダーティーなイメージで描かれることが多いが、新資料では人を切る前日に江戸町奉行所の同心らに捕縛命令が出ていたことが分かった。専門家は「切った相手は幕府の密偵だったとする“わな説”の方が真実かもしれない」との見方を示している。 (加賀大介)
資料は北町奉行所の同心山本啓助の手帳。一八六一年七月、清河探索のため故郷の鶴岡(山形県)や新潟方面へ出張した際の状況が記録されている。各藩の役人と情報交換しながら逃亡先を絞り込んでいく過程や、清河の両親の取り調べの様子、清河の特徴を記した人相書きなどのほか宿泊先や経費なども細かく書かれている。
通説では、同年五月二十日、清河は酒を飲んだ帰りに日本橋で「町人風の男」にからまれて無礼討ちにし、人を切ったことで手配人となったとされる。
しかし、捕縛命令は、冒頭部分に「五月十九日に、南北奉行所で打ち合わせの上、召し捕るよう命令が出た」と記述があり、対象者として清河ら八人の名前があった。
幕末史に詳しい早稲田大講師の西脇康さん(54)は「清河は幕府から危険分子とみられていた。二十日には大捕物があり、その際に役人が切られたのだろう。逃がしてしまった恥を隠すため、通説のような話が広まったのではないか」とみる。同資料館の文化財調査指導員滝口正哉さん(37)は「男は清河たちを挑発する役目だったのかもしれない」と話す。
清河の研究はあまり進んでおらず、清河八郎記念館(山形県庄内町)の斎藤清館長は「無礼討ちの前に幕府が捕縛を命じていたという資料はこれまでなかった。研究が進むきっかけになれば」と期待する。
資料館では、今年十月に開催予定の幕末をテーマにした展示の中で、手帳を公開する。
エンターテインメント
ファン・オタク・マニアに向けた、狭くて深いプラットフォーム『Fan+』に迫る!
東京ビッグサイトにて、2010年7月7日~9日の3日間開催された「デジタル パブリッシング フェア2010」において、『「大好き」が、ここにある。』というキャッチコピーを基にGoogleブースの隣りに陣を構えた『Fan+』(ファンプラス)。この『Fan+』は、NTTプライム・スクウェアと角川コンテンツゲートがタッグを組んで、ファン・オタク・マニアに向けて全く新しいエンタテイメントのカタチと価値観の創造を目指す新たなプラットフォームとして立ち上げられた、ハイブリッドコンテンツの集合体である。
『Fan+』では、コンテンツプロバイダーが所有する動画・写真・テキスト・音楽などの素材を使ったオリジナルのリッチコンテンツをユーザーが自分の趣味趣向に合わせてMy Boxという自分専用箱にコレクションしていく。もちろん、マルチデバイス(ケータイ、スマートフォン、PCなど)対応で、大好きなコンテンツにいつでもアクセス可能となっている。
また、『Fan+』で提供されるコンテンツは、雑誌にたとえるなら「新撰組」特集という、幕末の注目点を一部に絞ったページよりもさらに小さいところに焦点を当てた「土方歳三」という人物をピックアップ。さらにその生き様、素顔などの核心に迫るコンテンツ類が数多く用意されている"場"とイメージしてもらえればいいかと思う。あらゆるジャンルの「専門誌」の集合体、つまり、ファンのライフスタイルを豊かにするために広く浅くではなく、あえて狭く深く追求するために用意されたプラットフォームが『Fan+』である。
今回は、サービスインに向けて準備中の『Fan+』取締役企画部長 兼 プラットフォームサービス部長の井上淳也氏にお会いする機会ができたので、『Fan+』の現在の構想や目指すところを伺ってみた。
『Fan+』取締役企画部長 兼 プラットフォームサービス部長の井上淳也氏
(以下略)
梅田芸術劇場Presents 企画・春風亭昇太
「あの頃の噺」
~市馬・昇太・談春 前座噺の会~
確か、最初は13日に一回公演だけだったと思う。あっという間に売り切れて、ヤフオクでも高値取引されていた。追加公演が入って、ようやくチケット入手できた。
昨日今日、昼夜で4回公演での千秋楽。このメンバーなら、何かが起こると期待してしまう(笑)。
ちなみに、自分はちび師匠こと昇太さんは今回ライブで見るの初めて。生で見たいと思った噺家さんは、これでコンプリートかな?

冒頭、昇太さんが短い挨拶。
前半はそれぞれ違うバージョンの寄席囃子「前座の上がり」。噺が終わると自分で座布団をひっくりかえし、めくりをめくる。人気・実力兼ね備えたバリバリの師匠たちがめくりをめくってお辞儀する姿は、何だかかわいらしい。
「真田小僧」談春
「初天神」と双璧な、こまっしゃくれたガキの噺ね……でも自分にはちょっと退屈なんだよなぁ、と思ってたら、談春版はげらげら笑い転げた。
息子が小遣い欲しさに、大工の父親の留守に母親が見知らぬ男を家に上げたといって、父親から小遣いをせびる。談春版は「昼下がりの情事 おさきの場合」とかタイトルつけちゃって、いいところで切って、父親から1文、また1文、さらに3文と小遣いを巻き上げてしまう。
タイトルの「真田」が全然出てこないのだが、むしろその展開に絞っただけに、抱腹絶倒。自分は談春の「子ほめ」をまだ聴いていないのだが、こまっしゃくれた息子をやらせたら談春さんは絶品だと思う(今日はそれでも、はじめて師匠に習った前座噺というせいか、アクションもちっちゃくかわいらしくやってた感じ)
「たらちね」市馬
新婦が「みずからことの姓名は……」と名乗るエピソードを寿限無的につかってサゲという軽いやり方なんだけど、3度繰り返して笑いを起こす鉄板の法則を市馬さんが使うだけに、当たり前の前座噺がやっぱり笑える。
マクラに、談春さんが座布団をひっくり返したり、めくりをめくったりする姿が初々しいといじった市馬さんなのだが、トークでは完全にいじられ役のボケキャラに変貌。
「雑俳」昇太
うまいかどうかという点はともかく、この「雑俳」は昇太さんのハイテンションなキャラに合い過ぎる(笑)。
市馬さんと談春さんに言わせると、あのクライマックスの「とてちて……」の舌っ足らずな感じは師匠の柳昇そっくりらしい。
やっぱり、爆笑という意味では、前半は昇太さんにしてやられたな(苦笑)。
「三人のトーク」
前座時代の写真を見ながらお互いに突っ込んだり思い出話をしたりするトークなのだが、これが無茶苦茶面白い。これだけで木戸銭の価値があったといえる(笑)。
まず、昔の写真を見る前のいじりが面白すぎる。市馬さんがサブウェイというサンドイッチを食べたのは今日が初めてらしく(寄席の弁当には出ないだろう^_^;)、その反応に昇太さんや談春さんが突っ込みを入れる。市馬さんにとって、サブウェイは以外においしかったらしい。
バックグラウンドミュージック的に流れた80年代のヒット曲、市馬さんはほとんど知らないらしい(何せ自分が生まれる前の昭和歌謡をこよなく愛される市馬さんですから)。クリスタルキングの「大都会」は知っているが、カラオケで歌おうとすると、岡春夫の曲になってしまう……今日はいじられキャラ、呆けキャラになっている市馬師匠がかわい過ぎる。
みんな師匠の話し方や仕草のどこかを写し取っている。談春さん、というか立川一門は舞台に出てきてお辞儀をする場面が家もそっくり。でも談春さんに言わせると一番似ているのは志の輔さん。そして、志の輔さんの噂話をする時には要注意。この会場にも志の輔さんが放ったスパイがいるかも知れないのだそうだ。長野に行って講演した時に志の輔さんの話題を振ったら、翌日に志の輔師匠から電話があって「長野で俺の話した?」と聞かれたとか……さすがガッテン師匠の情報収集力は半端じゃない^_^;。
……というところで、また後日書き足します(^^ゞ。
☆★☆★
7/15追記。
写真トークに移ります。
まず談春さん。前座から二つ目になって間もない、22才の頃。右腕を伸ばして少し壁に身体を傾けて、カメラ目線。市馬が「韓国俳優みたい」。昇太さんと談春さんが「それ、韓流スターって言うんだから!」と容赦なく突っ込む。
入門間もない前座の写真は居酒屋での高座。眉が太い。入門してすぐに13キロ痩せたそうで、かなり別人(え^_^;)。
そして、『ヨタロー』に出演していた26才ぐらいの頃。シャツのセンスが、何ていうんでしょうか、その筋の人ですか(汗)って派手さ。隣にアンニュイな志らくさん。
この当時、志らくさんの人気は絶大で、5つぐらいのグループが追っかけをしてて、互いに志らくさんの気を引き合っていたそうだ。地下鉄の車両が一両満員になるぐらい、取り巻きが追っかけていたのだとか。「あいつは、その5つのグループに『ゴッドファーザー』に出てくるファミリーの名前をつけて、何とかファミリーとかんとかファミリーが、なんて言っていた。自分は、ドン・コルレオーネ気取りだよ」と談春。その談春さんも、少しはもてていたそうで、バレンタインデーの時には段ボール一箱分のチョコレートをもらっていたのだとか。
昇太さんの写真は、笑うしかない。柳昇師匠とのツーショットは談春さんに「右側、お化け?」って突っ込まれていた(『ゲゲゲの女房』にアニメ絵で出てくるキャラっぽい)し、26才で明日から二つ目という写真は、両手にビール瓶持って腰引いて不思議なポーズが決まっている(談春さんいわく、親戚の法事にかり出されている13才の少年って感じ)し。いくつの写真を見てもハイパーテンションだね。
市馬さんの写真は、18才の前座姿でみんな空気感に圧倒された(苦笑)……「これ絶対『芝浜』やってるよな」「『よそう、また夢になるといけねぇ』でね」。さらに、小三治師匠と知らないご婦人と三人のショットは、奥の小三治師匠が上目遣いで市馬さんが見下ろしている感じなのが笑える。「たぶん、マクラが長いのを気にして市馬兄さんに相談している小三治師匠」と談春。
なかなかトークにからめないでにこにこしている一番さんが、昇太さんが「紅白歌合戦」と言ったら途端に「出してくれるの?」と目をきらきらさせる。「いくら小池栄子ちゃんとNHKの番組に出てるからって、紅白の司会者を依頼されるようなことはないだろうと思わねぇ?」って突っ込む談春。
冒頭のサブウェイからずっといじられっぱなしな市馬師匠、今日は何となくボケキャラ全開でした。
そうそう、彼らに言わせれば、前座噺より人情噺の方が難しいと思うのは素人で、人情噺は実はテクニックはそれほど要求されないのだそうだ。前座噺の方が幅広く高度なテクニックを要求される。それを若い時にたたき込まれる落語家の修業システム、意味があるようだ。
最終日の最後の公演だからと、サービス満点でたっぷりトーク。チケット買った甲斐があった、大満足。
中入り後、お話再開。
「狸札」昇太
トークが伸びた分少し詰めるとかで、子狸が恩返しに来た場面から。一晩泊まって(持参の四畳半を布団にする)、お札に化ける。
「雑俳」に比べると爆笑爆笑というほどではなかったなぁ。昇太さんのキャラは噺に合ってるはずなんだけど。
「狸鯉」談春
昇太さんの「狸札」を引き取って、結局失敗してまだ恩返しができていないという設定に。恩返しができるようにと、世話になっている兄貴分のところの初節句の祝いに持っていく鯉に化けろということに。
「たぬきらしく両手(の拳)で床をつく」とか「そうか、お前は獣だから目線を合わせねぇんだ」とか、昇太版に比べてちゃんと演じていることをアピールする談春さん、やっぱ腹黒(笑)。
贈呈して鯉を台所に引き取ってもらって、その隙に逃げろというのが当初のもくろみだったが、昔板前やってたヤツが客人に止まっているから即その場でさばこうという話に。とても見てられないから口実をつくって逃げだし「ごめんな」という八公……おいおいっ(汗)。ま、その辺りが談春風味ともいえます。ちゃんと狸が逃げおおせてくれる話なので、後味いいし。
「牛ほめ」市馬
以前の談春さんの高座では「家元がいうには、与太郎は馬鹿ではない、生産性がないだけだ」だそうですが……市馬師匠の与太郎は一日中へらへら~っと笑って過ごせそうだなぁ。
しめに、今日は歌わせてもらえなった市馬師匠の音頭で三本締め。
次は30年後? 長生きしよう。
「あの頃の噺」
~市馬・昇太・談春 前座噺の会~
確か、最初は13日に一回公演だけだったと思う。あっという間に売り切れて、ヤフオクでも高値取引されていた。追加公演が入って、ようやくチケット入手できた。
昨日今日、昼夜で4回公演での千秋楽。このメンバーなら、何かが起こると期待してしまう(笑)。
ちなみに、自分はちび師匠こと昇太さんは今回ライブで見るの初めて。生で見たいと思った噺家さんは、これでコンプリートかな?
「真田小僧」談春
「たらちね」市馬
「雑俳」昇太
三人トーク
中入り
「狸札」昇太
「狸鯉」談春
「牛ほめ」市馬
冒頭、昇太さんが短い挨拶。
前半はそれぞれ違うバージョンの寄席囃子「前座の上がり」。噺が終わると自分で座布団をひっくりかえし、めくりをめくる。人気・実力兼ね備えたバリバリの師匠たちがめくりをめくってお辞儀する姿は、何だかかわいらしい。
「真田小僧」談春
「初天神」と双璧な、こまっしゃくれたガキの噺ね……でも自分にはちょっと退屈なんだよなぁ、と思ってたら、談春版はげらげら笑い転げた。
息子が小遣い欲しさに、大工の父親の留守に母親が見知らぬ男を家に上げたといって、父親から小遣いをせびる。談春版は「昼下がりの情事 おさきの場合」とかタイトルつけちゃって、いいところで切って、父親から1文、また1文、さらに3文と小遣いを巻き上げてしまう。
タイトルの「真田」が全然出てこないのだが、むしろその展開に絞っただけに、抱腹絶倒。自分は談春の「子ほめ」をまだ聴いていないのだが、こまっしゃくれた息子をやらせたら談春さんは絶品だと思う(今日はそれでも、はじめて師匠に習った前座噺というせいか、アクションもちっちゃくかわいらしくやってた感じ)
「たらちね」市馬
新婦が「みずからことの姓名は……」と名乗るエピソードを寿限無的につかってサゲという軽いやり方なんだけど、3度繰り返して笑いを起こす鉄板の法則を市馬さんが使うだけに、当たり前の前座噺がやっぱり笑える。
マクラに、談春さんが座布団をひっくり返したり、めくりをめくったりする姿が初々しいといじった市馬さんなのだが、トークでは完全にいじられ役のボケキャラに変貌。
「雑俳」昇太
うまいかどうかという点はともかく、この「雑俳」は昇太さんのハイテンションなキャラに合い過ぎる(笑)。
市馬さんと談春さんに言わせると、あのクライマックスの「とてちて……」の舌っ足らずな感じは師匠の柳昇そっくりらしい。
やっぱり、爆笑という意味では、前半は昇太さんにしてやられたな(苦笑)。
「三人のトーク」
前座時代の写真を見ながらお互いに突っ込んだり思い出話をしたりするトークなのだが、これが無茶苦茶面白い。これだけで木戸銭の価値があったといえる(笑)。
まず、昔の写真を見る前のいじりが面白すぎる。市馬さんがサブウェイというサンドイッチを食べたのは今日が初めてらしく(寄席の弁当には出ないだろう^_^;)、その反応に昇太さんや談春さんが突っ込みを入れる。市馬さんにとって、サブウェイは以外においしかったらしい。
バックグラウンドミュージック的に流れた80年代のヒット曲、市馬さんはほとんど知らないらしい(何せ自分が生まれる前の昭和歌謡をこよなく愛される市馬さんですから)。クリスタルキングの「大都会」は知っているが、カラオケで歌おうとすると、岡春夫の曲になってしまう……今日はいじられキャラ、呆けキャラになっている市馬師匠がかわい過ぎる。
みんな師匠の話し方や仕草のどこかを写し取っている。談春さん、というか立川一門は舞台に出てきてお辞儀をする場面が家もそっくり。でも談春さんに言わせると一番似ているのは志の輔さん。そして、志の輔さんの噂話をする時には要注意。この会場にも志の輔さんが放ったスパイがいるかも知れないのだそうだ。長野に行って講演した時に志の輔さんの話題を振ったら、翌日に志の輔師匠から電話があって「長野で俺の話した?」と聞かれたとか……さすがガッテン師匠の情報収集力は半端じゃない^_^;。
……というところで、また後日書き足します(^^ゞ。
☆★☆★
7/15追記。
写真トークに移ります。
まず談春さん。前座から二つ目になって間もない、22才の頃。右腕を伸ばして少し壁に身体を傾けて、カメラ目線。市馬が「韓国俳優みたい」。昇太さんと談春さんが「それ、韓流スターって言うんだから!」と容赦なく突っ込む。
入門間もない前座の写真は居酒屋での高座。眉が太い。入門してすぐに13キロ痩せたそうで、かなり別人(え^_^;)。
そして、『ヨタロー』に出演していた26才ぐらいの頃。シャツのセンスが、何ていうんでしょうか、その筋の人ですか(汗)って派手さ。隣にアンニュイな志らくさん。
この当時、志らくさんの人気は絶大で、5つぐらいのグループが追っかけをしてて、互いに志らくさんの気を引き合っていたそうだ。地下鉄の車両が一両満員になるぐらい、取り巻きが追っかけていたのだとか。「あいつは、その5つのグループに『ゴッドファーザー』に出てくるファミリーの名前をつけて、何とかファミリーとかんとかファミリーが、なんて言っていた。自分は、ドン・コルレオーネ気取りだよ」と談春。その談春さんも、少しはもてていたそうで、バレンタインデーの時には段ボール一箱分のチョコレートをもらっていたのだとか。
昇太さんの写真は、笑うしかない。柳昇師匠とのツーショットは談春さんに「右側、お化け?」って突っ込まれていた(『ゲゲゲの女房』にアニメ絵で出てくるキャラっぽい)し、26才で明日から二つ目という写真は、両手にビール瓶持って腰引いて不思議なポーズが決まっている(談春さんいわく、親戚の法事にかり出されている13才の少年って感じ)し。いくつの写真を見てもハイパーテンションだね。
市馬さんの写真は、18才の前座姿でみんな空気感に圧倒された(苦笑)……「これ絶対『芝浜』やってるよな」「『よそう、また夢になるといけねぇ』でね」。さらに、小三治師匠と知らないご婦人と三人のショットは、奥の小三治師匠が上目遣いで市馬さんが見下ろしている感じなのが笑える。「たぶん、マクラが長いのを気にして市馬兄さんに相談している小三治師匠」と談春。
なかなかトークにからめないでにこにこしている一番さんが、昇太さんが「紅白歌合戦」と言ったら途端に「出してくれるの?」と目をきらきらさせる。「いくら小池栄子ちゃんとNHKの番組に出てるからって、紅白の司会者を依頼されるようなことはないだろうと思わねぇ?」って突っ込む談春。
冒頭のサブウェイからずっといじられっぱなしな市馬師匠、今日は何となくボケキャラ全開でした。
そうそう、彼らに言わせれば、前座噺より人情噺の方が難しいと思うのは素人で、人情噺は実はテクニックはそれほど要求されないのだそうだ。前座噺の方が幅広く高度なテクニックを要求される。それを若い時にたたき込まれる落語家の修業システム、意味があるようだ。
最終日の最後の公演だからと、サービス満点でたっぷりトーク。チケット買った甲斐があった、大満足。
中入り後、お話再開。
「狸札」昇太
トークが伸びた分少し詰めるとかで、子狸が恩返しに来た場面から。一晩泊まって(持参の四畳半を布団にする)、お札に化ける。
「雑俳」に比べると爆笑爆笑というほどではなかったなぁ。昇太さんのキャラは噺に合ってるはずなんだけど。
「狸鯉」談春
昇太さんの「狸札」を引き取って、結局失敗してまだ恩返しができていないという設定に。恩返しができるようにと、世話になっている兄貴分のところの初節句の祝いに持っていく鯉に化けろということに。
「たぬきらしく両手(の拳)で床をつく」とか「そうか、お前は獣だから目線を合わせねぇんだ」とか、昇太版に比べてちゃんと演じていることをアピールする談春さん、やっぱ腹黒(笑)。
贈呈して鯉を台所に引き取ってもらって、その隙に逃げろというのが当初のもくろみだったが、昔板前やってたヤツが客人に止まっているから即その場でさばこうという話に。とても見てられないから口実をつくって逃げだし「ごめんな」という八公……おいおいっ(汗)。ま、その辺りが談春風味ともいえます。ちゃんと狸が逃げおおせてくれる話なので、後味いいし。
「牛ほめ」市馬
以前の談春さんの高座では「家元がいうには、与太郎は馬鹿ではない、生産性がないだけだ」だそうですが……市馬師匠の与太郎は一日中へらへら~っと笑って過ごせそうだなぁ。
しめに、今日は歌わせてもらえなった市馬師匠の音頭で三本締め。
次は30年後? 長生きしよう。
リアルタイムでW杯決勝をテレビ観戦しました。まぶたがくっつくほど眠かったですが、正確かつ華麗にショートパスをつないだスペインのサッカーが優勝して嬉しい……自分は昔からそのスタイルのサッカーを好んできたし、日本代表にも目標として欲しいとずっと思い続けてきたスタイルなのです。
岡田ジャパンは、スペインの型を理想としながらも、チームづくりが間に合わず守備中心の陣形に変えて成功しました。その成功はとても喜ばしいと思いますが……4年後のブラジルW杯に向けて、ふたたび、目指すべきサッカーを意識し、監督選びとチームづくりをきちんと修正していって欲しいと願っております。
文化芸能
つかこうへいさんのご逝去、お悔やみ申し上げます……『幕末純情伝』は改訂されるたびに土方歳三の造型がだんだん卑小になっていくのが涙ものでしたが、平栗あつみさん版を舞台で見たかったなぁと思いました。
創立25周年を迎えたキャラメルボックスの夏はあの人気作をWキャストで
岡田ジャパンは、スペインの型を理想としながらも、チームづくりが間に合わず守備中心の陣形に変えて成功しました。その成功はとても喜ばしいと思いますが……4年後のブラジルW杯に向けて、ふたたび、目指すべきサッカーを意識し、監督選びとチームづくりをきちんと修正していって欲しいと願っております。
文化芸能
つかこうへいさんのご逝去、お悔やみ申し上げます……『幕末純情伝』は改訂されるたびに土方歳三の造型がだんだん卑小になっていくのが涙ものでしたが、平栗あつみさん版を舞台で見たかったなぁと思いました。
創立25周年を迎えたキャラメルボックスの夏はあの人気作をWキャストで
1992年の初演以来、劇団結成10周年の1995年、15周年の2000年、さらに25周年の今年と、4度目の再演となる人気作『また逢おうと竜馬は言った』。今では『風を継ぐ者』『俺たちは志士じゃない』など幕末物も大きな魅力となっている同劇団の、初期の契機となった作品だ。今回は主人公の旅行添乗員・岡本を若手の畑中智行と左東広之が、彼の憧れの存在・坂本竜馬を劇団の看板である大内厚雄と岡田達也がダブルで演じ、畑中・大内ペアを海組、左東・岡田ペアを空組として上演する。その海組の初日が、7月10日、東京・サンシャイン劇場で開幕した。
ツアーコンダクターなのに乗り物酔いをする岡本(畑中)は、何をやらせても失敗ばかり。ポケットに『竜馬がゆく』の文庫本をしのばせて、壁にぶつかるたびに竜馬の真似事をする竜馬ファンだが、“男の中の男”にはほど遠い毎日を送っていた。そんなある日、岡本のせいで同僚の本郷(石原善暢)とその妻ケイコ(岡内美喜子)が離婚の危機に陥ってしまう。岡本はふたりの仲を元通りにしようと、彼にだけ見える竜馬(大内)に問いかけながら、必死に想いを行動に移してゆく。ようやく夫婦が話し合いをすることになりホッとしたのも束の間、ツアー客の石倉(渡邊安理)と彼女を追う棟方(阿部丈二)らによってある事件に巻き込まれ……。
理想の人物像に自己投影して陶酔するものの、実生活では真逆の自分に落ち込むというのは、若い頃なら誰でも経験する感情だろう。高1から26歳になるまで竜馬に憧れ続け、傷つくことを怖れて気弱な笑顔を浮かべる岡本に、劇団の若手注目株・畑中の必死さがハマっている。そんな彼を見守る竜馬は、対照的に鷹揚な構え。あくまで岡本の心が映し出す存在とあって、ベテランの大内演じる竜馬も上から諌めるというより、焦って暴走する彼の横を軽やかに伴走してゆく印象。そんなふたりの絶妙なやりとりが、満員の客席を笑いで揺らしていた。
一方で、薩長同盟で活躍した竜馬に自分をなぞらえながら、同僚の夫婦ゲンカを解決しようとする岡本の姿に、初めは確かに違和感を感じるかもしれない。だが物語が進むにつれて、人は誰も半径5メートルの小さな世界に向き合いながら精一杯生きていることに気付くのだ。岡本も日常を自分なりの勇気で変えることで、ようやく“竜馬”に頼らない自立した大人へと成長する。その甘い痛みをストレートに表現できるのも、この劇団ならでは。キャラメルボックス・ビギナーにこそ観て欲しい舞台である。
公演は8月8日(日)まで、東京・サンシャイン劇場で上演。その後、8月14日(土)から16日(月)まで愛知・名鉄ホールにて、8月21日(土)から29日(日)まで兵庫・新神戸オリエンタル劇場にて公演。
開票速報を見ながらワールドカップ決勝まで何とか持たせようと思っているのですが、当確の出るのが早くて午前2時までもつかな?^_^;
北海道
函館史 華やかに 野外劇開幕
宮城
雑記帳:「片倉家と白石城」展 「歴女」に人気の小十郎も
キーワード「戊辰戦争」で引っかかりました。『戦国BASARA2』第一回、予約録画し忘れました……orz。
岐阜
物流で栄えた九里半街道紹介
京都
往時の綾傘鉾、紙模型に
祇園祭、13日から販売
熊本
漱石や岩倉具視ら 歴史語る「手紙」 玉名市で展示会
社会
「井伊大老警護の武士逃げた」奉公人の証言発見
ブックレビュー
今週の本棚・この人この3冊:後藤新平=堤春恵・選
文化芸能
テリー伊藤:大河ドラマ「龍馬伝」に写真家・上野彦馬役で出演 龍馬の立ち姿を撮影
北海道
函館史 華やかに 野外劇開幕
五稜郭築城シーンなど函館の
歴史絵巻を演じる函館野外劇
市民創作・函館野外劇の第23回公演「星の城・明日に輝け」(NPO法人市民創作「函館野外劇の会」主催)が9日夜、国の特別史跡・五稜郭跡(五稜郭公園)で開幕した。市民や観光客のほか、修学旅行で来函した仙台白百合学園中の生徒ら120人を含む約900人が来場。コロポックルのナレーションに合わせた函館の一大絵巻を、息を詰めて見守った。
開演に先立ち、函館観光大使、野外劇大使の歌手平田まりさんが、自身で作詞した「五稜の星」を熱唱。観客から大きな拍手を受けた。主催者あいさつでは、同会の寺坂伊佐夫副理事長が「市民主体でつくり上げる野外劇を最後まで見届けてほしい」と述べた。谷澤廣函館市副市長の来賓あいさつに続き、野外劇のテーマ曲「星のまちHAKODATE」を作った作家新井満さんが「この歌は市民の応援歌。いつも心の中で歌って」と話した。
劇では、高田屋嘉兵衛の登場により函館が繁栄し、西洋諸国が来港する場面など、華やかなフラッグダンスと青や緑の光線が交錯するステージに観客は酔いしれた。箱館戦争の場面では銃や大砲の迫力が観客を圧倒。エンディングには出演者と観客がペンライトを振り、テーマ曲を合唱。会場が一体となり、感動を分かち合った。
宮城
雑記帳:「片倉家と白石城」展 「歴女」に人気の小十郎も
宮城県白石(しろいし)市にある白石城の歴代城主を260年あまりにわたって務めた片倉家ゆかりの資料を紹介する企画展「片倉家と白石城」が、城近くの白石城歴史探訪ミュージアムで開かれている。
慶長7(1602)年、初代片倉小十郎景綱が藩主の伊達政宗から1万3000石で白石城を拝領。以来、明治元(1868)年の戊辰(ぼしん)戦争で敗れ城を明け渡すまで、片倉家が城主だった。
小十郎は人気ゲーム「戦国BASARA」にも登場し、いまなお「歴女」らの心をつかむ。首相が毎年交代する現代日本の姿を、“長期政権”の礎を築いた名将は何と見る?【豊田英夫】
キーワード「戊辰戦争」で引っかかりました。『戦国BASARA2』第一回、予約録画し忘れました……orz。
岐阜
物流で栄えた九里半街道紹介
大垣の団体がパンフレット
大垣市上石津町牧田の住民らでつくるグループ「九里半(くりはん)歴史文化回廊」(高桐秀夫会長)が、かつて物流で栄えた地元の街道を紹介するパンフレット「九里半街道 牧田宿」を作った。
九里半街道は、中世後期から幕末にかけて養老町と滋賀県米原市を結んだ物流ルートで、距離が9里半(38キロ)あった。尾張や伊勢の物資は揖斐川を上り、川港のある養老町で陸揚げされて同街道を経由、琵琶湖に出て上方や北陸方面に向かった。主に海産物や紙類、木綿などが往来したという。
その後、街道は鉄道や海上輸送の発達などで忘れ去られたが、牧田地区には馬頭観音や地蔵尊などが残され、往時の面影をとどめている。同会では郷土の歴史や文化を地域に伝えようとパンフレットを作ることにした。
計2000部を作成。学校や関係団体などに配るほか、このうち200部(1部100円)を一般向けに配布する。
問い合わせは高桐会長(090・7671・3413)。
京都
往時の綾傘鉾、紙模型に
祇園祭、13日から販売
祇園祭の綾傘鉾保存会(京都市下京区綾小路通室町西入ル)は13日から、江戸末期に巡行していた鉾のペーパークラフトを販売する。歴史を知ってもらい、当時の鉾復活の願いも込めて売り出す。
綾傘鉾は応仁の乱以前の記録にも残り、手持ちの傘に棒振り囃子(はやし)が連なっていた。1834(天保5)年から幕末にかけての30年間は、人を乗せた屋根付きの鉾で巡行したが、蛤御門(はまぐりごもん)の変で大部分を焼失し、今は胴掛など懸装品の一部だけが残る。1979年に巡行に復帰してからは、やぐらに傘を載せた2基の傘鉾で巡行している。
ペーパークラフトは明治初期までに作られた木製模型を元にデザインした。紙から部品を切り取って仕上げる。高さ21センチ、幅7センチ、奥行き15センチ。屋根の上の傘に神体の鶏が載り、胴掛には八坂神社の紋が入る。
保存会の河野隆明理事長は「いつかは実際にこの鉾を復興したい」と話す。600円。13日午後から下京区綾小路通室町西入ルの大原神社などで販売する。
熊本
漱石や岩倉具視ら 歴史語る「手紙」 玉名市で展示会
岩倉具視や陸奥宗光、夏目漱石など、幕末から昭和初期に活躍した人物の手紙を紹介する企画展「手紙展-歴史を語る手紙たち」が、玉名市岩崎の市立歴史博物館「こころピア」で開かれている。前・後期で展示替えを行い、前期は8月15日まで。
さまざまな著名人と玉名のゆかりを紹介しようと初めて企画。同館の所蔵品を中心に36点を展示している。
岩倉や陸奥の手紙は、玉名郡長や衆院議員を務めた木下助之にあてたもの。助之あてでは、渋沢栄一や井上毅の手紙も展示されている。夏目漱石の手紙は、英語教師仲間の質問に答えたもので、本名の「金之助」の署名入り。山本五十六が戦死の直前に出したとみられる軍事郵便もある。
同館は「手紙は歴史の一場面を映すとともに、書き手の人柄も表す。手書きの一文字一文字から、時代背景や人物像を感じてほしい」としている。
毎週月曜と祝日の翌日は休館(月曜が祝日の場合は開館)。入館料は一般300円、大学生200円、高校生以下無料。後期は8月21日-11月7日。こころピア=0968(74)3989。
社会
「井伊大老警護の武士逃げた」奉公人の証言発見
幕末の大老・井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」で、居合わせた中間(ちゅうげん)(奉公人)の証言とされる記録が、広島県立歴史博物館(福山市)で見つかった。
故郷の安芸に帰る途中に役人に語ったもので、襲撃時の慌てた状況が読み取れる。
記述があったのは、福山藩の儒学者・菅茶山(かんちゃざん)(1748~1827)の弟子、門田朴斎の五男が、「変」に関する伝聞や風説などを集めた「骨董(こっとう)録」(縦22センチ、横15・2センチ、100ページ)。茶山の子孫が館へ寄贈した資料約1万点の中にあった。
中間は事件の朝、登城する約60人の行列中、駕籠(かご)の後方で馬を引いていた。
<殿様御駕籠へ誰に候哉、刀抜連切て掛り候者数人有之、其勢之烈しく怖しき事言んかたなし>(殿様の駕籠に何者か分からないが、数人が刀を抜いて切りかかった。その勢いの激しさと言ったら、恐ろしくて言葉もない)
〈其内に御駕籠の内か外か不存候へ共、大なる声にて一声叫び候声ハ耳本へ響て聞へ候、御供方ハ前後へ颯と逃散り、抜合候士も無之様に者相見候へ〉(そのうち駕籠の内か外か分からないが、大きな声が一声聞こえると、警護の武士は前後に逃げ散り、応戦する者はいないようだった)
中間は恐ろしくなって馬を引いて井伊邸に戻った。
10月には映画「桜田門外ノ変」が公開予定。時代考証を担当した西脇康・早大講師(日本近世史)は「井伊の家臣は口を閉ざした部分が多く、これだけの証言は残っていない。突然襲われて慌てふためいた行列の様子が分かる」と話す。
◇桜田門外の変=1860年3月3日朝、江戸城桜田門外で、大老で彦根藩主の井伊直弼を水戸浪士らが殺害した。尊王攘夷(じょうい)派への弾圧「安政の大獄」を実行した井伊への反感などが背景にあったとされる。警護した彦根藩士の一部は討ち死にし、生き残った者も切腹、斬首(ざんしゅ)などとなった。
ブックレビュー
今週の本棚・この人この3冊:後藤新平=堤春恵・選
<1>正伝後藤新平 全8巻・別巻1(鶴見祐輔著、一海知義校訂/藤原書店/4830~6510円)
<2>時代の先覚者 後藤新平 1857-1929(御厨貴編/藤原書店/3360円)
<3>大風呂敷--後藤新平の生涯 上・下(杉森久英著/毎日メモリアル図書館/各1890円)
幕末に岩手県水沢市に生まれ、昭和四年に世を去った後藤新平の生涯を辿(たど)ると、明治維新によって突然国際社会の一員となり、しだいに日本列島の外に勢力を伸ばしてゆく日本の歩んだ道がパノラマのように浮かび上がって来る。交通、通信の発達の波に乗って押し寄せる国際社会と対峙(たいじ)しつつ、後藤は日清戦争帰還兵の検疫、鉄道建設、ロシア、ソ連との交渉、都市計画、放送事業などの分野で活躍する。日本が海外に力を伸ばしてゆく最先端の地で台湾民政長官、初代満州鉄道総裁として腕を振るった後、明治四十一年に桂内閣の逓信大臣兼初代鉄道院総裁となり、大正時代を通じて内務、外務大臣、東京市長を歴任した。
『正伝後藤新平』は伝記編纂(へんさん)会が集めた資料をもとに、後藤の娘愛子の夫鶴見祐輔が昭和八年から三年をかけて執筆した。豊富に引用された資料とその隙間(すきま)を埋める詳細な記述によって描き出された大パノラマである。しかしこの伝記が書かれた時代と現代の間で、国際社会における日本のあり方は再び激しく変化した。昭和初期の視点から描かれたパノラマは現代の読者にはいささか古めかしく、その記述から浮かび上がる後藤の姿が、古いニュース映画の中の人物のような感じを与えるのも確かである。『時代の先覚者 後藤新平』はパノラマの一つ一つの場面に現代から光を当てる。複数の執筆者による評伝であるため後藤の生涯を辿るという形を取ってはいないが、現代の研究者が資料の中から掘り起した政治家後藤のイメージが、孫、鶴見和子、鶴見俊輔が語る記憶の中の祖父の肖像に肉付けされて行間から立ち上がる。伝記小説『大風呂敷』は、後藤と、彼と関(かか)わりのあった男女の動きの向こうに透けて見える明治、大正の世相が興味深い。
満鉄、鉄道院総裁時代の後藤は、下関から海を渡り大陸を横断してヨーロッパに至る鉄道網の整備に力を尽くした。同時に膨大な予算を組み、専門家を各地に派遣して資料を集め、『東亜英文旅行案内』の編纂に着手している。この出版で後藤が目指したのは、鉄道によって結ばれたアジアとヨーロッパの間に新たに知識の橋を架け、日本発の情報を全世界に発信する事だった。テクノロジーの急速な進歩に押し流されない為(ため)には、異文化間相互理解が不可欠である事を誰よりも早く認識していたからこそ、今日後藤新平は時代の先覚者と呼ばれるのだろう。
文化芸能
テリー伊藤:大河ドラマ「龍馬伝」に写真家・上野彦馬役で出演 龍馬の立ち姿を撮影
NHK大河ドラマ「龍馬伝」で、演出家のテリー伊藤さんが幕末の写真家、上野彦馬を演じることが9日、明らかになった。テリーさんは07年の大河ドラマ「風林火山」に福島越前守役で出演している。
上野彦馬は幕末から明治に活躍した写真家。文久2年(1862年)に長崎に「上野撮影局」を開き、坂本龍馬や高杉晋作ら幕末の志士たちの写真を多く撮影。劇中では、有名な龍馬の立ち姿の写真を撮影するという。第34回(8月22日放送)で初登場する。
鈴木圭チーフプロデューサーは「(出演は少しだが)強烈な人にやってもらいたいなと思った。(普段の)あのまんま。(撮影では)龍馬伝についていろいろ取材されてました。長次郎の写真を撮るシーンはドラマで重要なシーンになる」と話している。
「龍馬伝」は大河ドラマ初の4部構成で、坂本龍馬の生涯を三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎(香川照之さん)の視点から描いたドラマ。第3部では、長崎という新天地に渡った龍馬が亀山社中を起こし、薩長同盟の締結に大きな役割を果たしていく様が描かれ、寺田屋で九死に一生を得た龍馬は妻・お龍とともに九州・霧島へ向かう。総合テレビで毎週日曜午後8時から放送中。11日は午後7時10分から放送。(毎日新聞デジタル)
ばたばたしていて幕末ニュースの投稿頻度が落ちております。来週以降もそんな状況が続きそうですが、細々と続ける予定ですので、よろしくお願いします。
北海道
箱館奉行所が完成!? 駅員の手作り模型、五稜郭駅に
福島
培った技、黙々と磨く 伝統守る会津唐人凧職人
石川
「武士の家計簿」11月27日先行上映 石川県内6映画館で
高知
「坂本龍馬脱藩の道」幕末へひとっ飛び…高知県梼原町
長崎
スタンプラリー:平戸で龍馬を探せ 4人のキーワード解き明かせ /長崎
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(69)東大教授・山内昌之 栗本鋤雲
社会
入りたい幕末の組織 新人は「新撰組」、管理職は「海援隊」
若い世代が新選組にポジティブな評価をするのは、ある意味、幕末明治維新の歴史観で討幕派=進歩的、旧幕派=反動的という図式がデフォではなくなってきたのかなという気がします。
北海道
箱館奉行所が完成!? 駅員の手作り模型、五稜郭駅に
箱館奉行所が29日にオープンするのを前に、JR五稜郭駅(函館市亀田本町)のコンコースに7日、駅員が手作りした奉行所の模型がお目見えした。廃材を利用して半年がかりで仕上げた労作で、17日から夏の運行が始まるSLの模型と並んで利用客の目を引いている。
奉行所のオープンを記念し、多くの人に五稜郭駅を利用してもらおうと、同駅営業指導係の内村宏一さん(57)を中心に全駅員約40人で手分けして今年2月から模型作りに着手。業務で使用した廃材などを利用し、部品や設計図も一から手作りした。
特徴的な屋根瓦は5センチ四方に切った紙ファイルを約6000枚張り合わせ、一枚一枚に独特のカーブを施す精巧さ。戸板の格子や間仕切りも竹ひごを細かく削り分け、約1000本を張り付けた。同駅の高梨潤駅長も「五稜郭駅の宮大工」と内村さんらを称賛する。
全体の大きさは縦50センチ、横35センチ。休日などに少しずつ手掛けた内村さんは「下見して撮った写真から設計図をつくるのに苦労した。駅員みんなの協力があったおかげ」と控えめに完成を喜ぶ。絵の具や木目シールなどは100円ショップでそろえ、総工費は500円程度という。
同駅コンコースにはSL函館大沼号の大小3機の模型も展示している。模型の展示は8月末まで。問い合わせは同駅TEL0138・41・3745。
福島
培った技、黙々と磨く 伝統守る会津唐人凧職人
大きく見開いた目と、炎のような舌が印象的な会津唐人凧(あいづとうじんだこ)。竹製品専門店「竹藤」(福島県会津若松市中央1丁目)の鈴木英夫さん(72)が、市内で唯一の職人として伝統を守っている。
約400年前に中国から日本に入ってきたとされる。なぜ山国の会津に伝わったのかは謎だが、戊辰戦争(1868~69年)の際のエピソードが残されている。若松城(鶴ケ城)に籠城(ろうじょう)した会津藩士の少年が、弾丸降りしきる中で城から空高く唐人凧を揚げ、味方の将兵を励ましたという。
乾燥した竹をなたで細く切り裂く。なたを固定し、竹を持った左手を動かし、ひごを作る。
ひごを曲げて楕円(だえん)に近い形を二つ作り、交差する部分を太い綿糸でしっかり結わえる。鈴木さんは「きちんと仕上げたつもりでも、湿度によってひごが曲がってくるので難しい」と言う。墨で下絵を描いた和紙を張った後、赤や黄の色を塗る。
「竹ひごが作れなくなるまで、この仕事を続けたい」と鈴木さん。穏やかな表情で黙々と打ち込む姿は、確かな技を持った職人そのものだ。(会津若松支局・菅野俊太郎)
石川
「武士の家計簿」11月27日先行上映 石川県内6映画館で
加賀藩の御算用者(会計専門の武士)の奮闘を描く映画「武士の家計簿」(北國新聞社、アスミック・エース、松竹製作)が11月27日、石川県内の6映画館で先行上映されることが決まった。
上映館は、ユナイテッド・シネマ金沢、ワーナー・マイカル・シネマズ金沢、イオンシネマ金沢フォーラス、金沢コロナシネマワールド、ワーナー・マイカル・シネマズ御経塚、シネマサンシャインかほくの6館。全国公開は12月4日からとなる。
堺雅人さん主演、仲間由紀恵さんがヒロインを演じる映画は、御算用者として、代々加賀藩の財政に携わってきた猪山家3代の物語。幕末から明治維新にかけ、激動の時代を前向きに生きた「そろばん侍」一家の絆(きずな)を描く。原作は歴史学者の磯田道史氏(茨城大人文学部准教授)の「武士の家計簿『加賀藩御算用者』の幕末維新」。
撮影は、昨年12月から約2カ月間かけて、金沢城公園や京都市の松竹京都撮影所などで行われた。エグゼクティブ・プロデューサーは金沢経済同友会代表幹事で北國新聞社社長の飛田秀一氏、アスミック・エース特別顧問の原正人氏らが務める。
高知
「坂本龍馬脱藩の道」幕末へひとっ飛び…高知県梼原町
名所名跡などをウオーキングで訪ねる大健康の定番ラインアップ「歩」が、内容を一新してスタート。その第一歩をしるしたのは、高知県梼原(ゆすはら)町の「坂本龍馬脱藩の道」。近代日本の礎を築いた坂本龍馬が、1862年3月24日、沢村惣之丞(そうのじょう)とともに韮ケ峠から伊予(愛媛)へ越境、維新へ踏み出したとされるルートの一部、約6キロだ。ハードな上りもあるが、四国山地の雄大な眺めとスギ林の幽玄な雰囲気に、幕末にタイムスリップした気分になる。
龍馬の脱藩までの道程は、現在の高知市内から梼原町まで約80キロ、町内に入ってからも約28・5キロある。今回歩いたのは土佐領内最後の番所のあった松ケ峠から、伊予との国境で、現在も県境の韮ケ峠まで約6キロ。
案内してくれたのは地元の有志で結成されている「梼原龍馬会」の下元秀俊会長(50)。着物にはかま、背中には組み合い角に桔梗(ききょう)の坂本家の家紋、足にはブーツという、写真でおなじみの龍馬スタイルだ。1862年の脱藩で龍馬がブーツを履いていたはずはないのだが、暑い中、サービス精神に感謝。
早朝から降った雨が上がり、午前9時15分、いよいよスタートと意気込んだが、龍馬会長が「ここから入ります」と指さした先を見て一瞬、たじろいだ。道行く先は薄暗い林の中。幅は1人通るのがやっと。地面には枯れ葉が積もり、しかも急な上り坂だ。雨で湿っていたせいで時々、バランスを崩しそうになる。小さな川にかかる橋の手前でついに息が切れた。出発から15分、早くも休憩。
水を飲み、腹式呼吸を繰り返していると気分が落ち着いたので、5分後、再び歩き始める。湿った“悪路”には少しずつ体が慣れてきたが、沢を通る際に再び足を滑らせそうになった。慎重に足を運びながら同9時50分、広い道に出て視界が開けた。標識は「アオザレ あと4・7Km」。ここは標高約900メートル。松ケ峠番所跡が約730メートルというから、1・3キロ歩く間に170メートル登った計算。苦しかったはずだ。
5分の休憩で出発。四国カルスト高原から続く稜線(りょうせん)や神の山という1000メートル級の峰々が視界に入ると、林道はまっすぐな下り坂。体が楽になって余裕が出てきたのか、ウグイスの鳴き声が聞こえてきた。足元には時々、サワガニが現れる。途中で舗装路も歩きながら「ナラ山」(標高約800メートル、あと3・3キロ)に同10時18分着。同30分に出発して「高階野(こうかいの)」(約730メートル、あと1・7キロ)には同55分着。ここからが最後の難関だった。
目の前に現れたのは急な坂。勾配(こうばい)は「40度くらいあります」と会長。工事のために舗装したというが、人間にはきつい。あと少しだと言い聞かせて同11時5分に出発。ところが、足に力を入れても思ったほど進まない。悪戦苦闘の末やっと上りきったら、さらに山道の上りだ。
この1・7キロは標高約950メートルの韮ケ峠まで200メートル以上、上るのだから、つらいのは当然。休息を取りながら、最後は棒のようになった足でスギ林の坂をクリア。再び舗装された道路に出ると「坂本龍馬脱藩の地」のモニュメントが見えた。ゴールの韮ケ峠だ。龍馬にとってここは通過点に過ぎなかったはずだが、歩き通した2時間23分。Tシャツは汗でびしょびしょながら、心地よい達成感が残った。
◆梼原町へのアクセス JRで高知駅から須崎駅まで約30分。須崎駅から梼原町内までバスで1時間15分。車なら高速利用で高知市内から約1時間40分。
◆梼原町と維新 幕末に脱藩する土佐勤王党の志士の多くが梼原を通っていったため、町内には、龍馬を道案内した那須俊平と佐幕派の参政・吉田東洋を暗殺した信吾親子ら梼原出身の志士6人の墓や、龍馬を含む8人の銅像「維新の門」などのモニュメントが点在。来年1月10日まで開催中の「土佐・龍馬であい博」のサテライト会場「ゆすはら・維新の道社中」も。観光や脱藩の道案内の問い合わせは同社中TEL0889・65・1187へ。
◆「坂本龍馬脱藩の道」データ 消費カロリー211キロカロリー、脂肪燃焼量12・5グラム(1万223歩=上りが多く誤差があります)
長崎
スタンプラリー:平戸で龍馬を探せ 4人のキーワード解き明かせ /長崎
◇18日から
平戸市は、18日から市中心部でスタンプラリー「幕末から明治維新へ『平戸密会』を成功させよ! ~薩長同盟の立役者を捜せ~」を催す。期間は8月31日までの午前9時~午後4時。
町中で坂本龍馬、西郷隆盛、高杉晋作、桂小五郎に扮(ふん)した4人を探し、それぞれが押す印のキーワードから解き明かされるゴールを目指す。到達すると、記念品や抽選で10人に龍をあしらった平戸焼の特製香炉(3万円相当)や清酒、焼酎が当たる。
西郷と桂が平戸で密会した史実に基づく企画で、坂本らは市の雇用創出事業で雇われた人たちが演じる。夏休み、平戸も龍馬ブームに? 参加無料。問い合わせは市商工振興課(0950・22・4111)。【野呂賢治】
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(69)東大教授・山内昌之 栗本鋤雲
■出廬を請われた政治家
維新政府から出廬を請われながらも、徳川幕府への義に殉じた栗本鋤雲(国立国会図書館蔵)
「出廬(しゅつろ)」という言葉がある。引退して現実政治から離れていた有能の士が請われて再び表舞台に立つことである。『三国志』で劉備が諸葛孔明に三顧の礼を尽くしたところ、孔明も草廬(そうろ)(草葺(ぶ)きの粗末な家)を出て劉備に仕えた故事はあまりにも有名である。孔明とは言わずとも、あたら驥足(きそく)を展(の)ばせず野にいる人を放置しておくほど、日本の政界は人材に恵まれているわけでない。
政権交代に続いて菅直人政権が成立したとあれば、民主党にとって出廬を期待されるのは、田中秀征(しゅうせい)氏かもしれない。氏らが自民党を離脱して創(つく)った新党さきがけは、細川護煕政権発足の原動力となったが、氏はその時からそれなりに存在感のある政治家として菅氏とともに目立っていた。
第1次橋本龍太郎内閣で経済企画庁長官も務めたのに、選挙には滅法(めっぽう)弱かったらしい。有権者の意識レベルが高いとされる長野県でも、氏の理想的な政治哲学はなかなか受け入れられなかったのだろうか。
◆犬養毅や尾崎行雄育てる
幕末明治初期に権力から離れた幕臣のなかにも、しきりに出廬を請われた人物が多い。もともと奥医師の家に生まれた栗本鋤雲(じょうん)もその一人である。奥儒者あがりの成島柳北(なるしま・りゅうほく)のように、やがて行政官僚に転じフランス語を習得して外国奉行になったというのだから、幕府には異能の士がたくさんいたのだ。
明治6(1873)年に『郵便報知新聞』の主筆に就いた鋤雲は、犬養毅や尾崎行雄を育てるとともに、出仕を終生断り続け、藩閥政権の非を鳴らし徳川幕府への義に殉じた。
鋤雲は先輩医師の不興を買って箱館に左遷されるなど辛酸も嘗(な)めた。任地にあっても南千島や樺太の探検に精を出すなど現場感覚を身につけている。外国奉行となった鋤雲は、勘定奉行小栗忠順(ただまさ)とも親交を結び、幕府開明派官僚の代表格として、横須賀製鉄所の建設や軍事顧問の招聘(しょうへい)にも尽くした。
◆パリ滞在記で健筆
彼は将軍慶喜の弟徳川昭武(あきたけ)が慶応3(1867)年にパリ万国博覧会に参加したときに補佐を命じられた。この時のパリ滞在記が『暁窓追録』(井田進也校注『幕末維新パリ見聞記』岩波文庫所収)である。そこには、ナポレオン3世さえ恐れる「ビスマルクの賢」、プロイセンとの戦争も辞さない「豪邁(ごうまい)の人」ドルアン・ド・リュイス(フランス外相)、イタリアの「狂妄」の「奇男子」ことガリバルディなど、欧州政治家の人物月旦も含まれており、面白い読み物になっている。
さて、史家の森銑三(せんぞう)は鋤雲を勝海舟と反りの合わぬ一人としている(『新編明治人物夜話』)。鋤雲は礼節を重んじ人に対して慇懃(いんぎん)だったが、ただ酒を嗜(たしな)み、酔えば人物が一変して放言もした。それでも人柄は陽性にできていたという。
森は、海舟が酒を好まず、酔わずして人を冷評罵倒(ばとう)した陰性の性格であると辛口の評価をする。海舟が痩(や)せて干からびていたのに、鋤雲は●幹(くかん)も偉大で容貌(ようぼう)も魁偉(かいい)だったというのだ。これは、額も広く鼻も厚く、耳や口も大きいことから「お化け栗本」と異名をとったと形容する島崎藤村の指摘とも符合する。
◆容貌魁偉、異能の人物
要は鋤雲こそ異能の人物というにふさわしい。自分を恃(たの)むところが大きい菅首相に田中氏のような独特の政治観の持ち主を起用する太っ腹なところがあるかどうか。2人と面識もなく、そのケミストリー(反り)の如何(いかん)を私はつまびらかにしない。
そういえば、鳩山由紀夫氏といい菅氏といい、バッジをもたない民間人を閣僚に起用することがない。田中氏くらいの才幹であれば、参院選後と囁(ささや)かれる政界再編成に出番を見据えているのかもしれない。田中氏に出廬を促す政治家が果たして現れるのだろうか。(やまうち まさゆき)
◇
本連載をまとめた「幕末維新に学ぶ現在」(中央公論新社)が発売中。
◇
【プロフィル】栗本鋤雲
くりもと・じょうん 文政5(1822)年、江戸生まれ。父は幕府医官。家業を継ぎ、奥医師となる。箱館移住を命じられ、山野の開拓や病院建設などに力を注ぎ、箱館奉行組頭に。文久3(1863)年に江戸に戻り、軍艦奉行、外国奉行などを歴任。親仏派として外交交渉に尽力。フランスに派遣され、対幕借款の促進などにあたった。維新後は新政府に仕えず、郵便報知新聞に入社し、主筆として随筆などを寄稿した。明治30(1897)年、76歳で死去。没後、著述は『匏庵(ほうあん)遺稿』としてまとめられた。
●=躯のメが品
社会
入りたい幕末の組織 新人は「新撰組」、管理職は「海援隊」
NHK大河ドラマ『龍馬伝』や、菅直人首相の奇兵隊内閣発言などで注目を集めている幕末。社会人は幕末の人物や組織についてどのように考えているのだろうか。
日本コカ・コーラの調査によると、歴史好きの有職者男女に「今の日本を維新してくれそうな幕末の人物」を尋ねたところ、トップは「坂本龍馬」で63.8%。以下、「勝海舟」が29.5%、「西郷隆盛」が20.8%、「福沢諭吉」が14.4%、「大久保利通」が12.9%、「高杉晋作」が11.9%、「桂小五郎」が10.8%で続いた。
性別、年代別を問わず、すべてのカテゴリーで坂本龍馬が断トツのトップ。支持理由を尋ねると、「情熱と信念で厳しいこのご時勢を打破してくれそう」(新社会人男性)、「革新的な考えと行動力があると思うから」(管理職女性)といった声があった。
「入ってみたいと思う幕末の組織は?」と聞くと、トップは「海援隊」で48.4%。以下、「新撰組」が35.1%、「白虎隊」が8.6%、「奇兵隊」が8.2%、「土佐勤皇党」が2.0%で続いた。
年代別に見ると、新社会人では「海援隊」(男性37.0%、女性41.0%)より「新撰組」(男性48.0%、女性46.0%)の割合が高く、管理職では「新撰組」(男性18.0%、女性25.0%)より「海援隊」(男性64.0%、女性54.0%)の割合が高かった。
管理職が「海援隊」を選んだ理由には、「新しいことができそう」「面白そう、楽しそう」「創造的」と会社組織としての自由さが多く寄せられた。一方、「新撰組」を選んだ新社会人からは、「志がある」「組織として団結力がある」という組織としてのまとまりや、「かっこいい」という理由が多く挙げられた。
インターネットによる調査で、対象は22~59歳の歴史好きの有職者男女1000人(男性553人、女性447人)。調査期間は3月6日から8日。
若い世代が新選組にポジティブな評価をするのは、ある意味、幕末明治維新の歴史観で討幕派=進歩的、旧幕派=反動的という図式がデフォではなくなってきたのかなという気がします。
iPHONEで撮影した写真データをうっかり消去してしまいました(涙)。
幕が上がる直前から「鞍馬」がかかって、前座さんなしでたっぷり口演だなとわかってどきどき。今日は季節に合わせて船に関する噺の特集だとか。
マクラは、先月に続いて、南アフリカにサッカー観戦に行った友人の話。前回はフランス大会の時に社員全員を連れていって、日本代表の試合開始5分前に会社が潰れましたとアナウンスしたというエピソード。その友人が日本の対オランダ戦を見に行って、ダーバンのホテルの前のバーで飲んだ時、たった数十メートルなのにタクシーで帰るように強く勧められたこと。ブラジル対コートジボワールの試合があったヨハネスブルグのエリスパークはもっと治安が悪くて、バスで乗り付けたブラジル人とコートジボワール人とドイツ人とフランス人と日本人(以下略)が横一列に手をつないでスタジアムに駆け込んでいったととか。
「汲みたて」、途中で高座から立ち上がって袖に向かったのでどきどきしてしまいました。師匠、何とブブセラ持ってきて、吹き出したではありませんか……場内大爆笑。
「船徳」、今日はとってもアクションが大きい談春師、元若旦那の徳さんが船頭となった船に乗ってしまった間の悪い客たちが船に揺られる場面とかアクションが豪快で爆笑の連続でした。
これで終わりかなと思ったら「小猿七之助」(のさわり?)。いかさま博打に集金した店の金30両を使い込んでしまった番頭が永代橋から身を投げて船頭の七之助に助けられる。が、いかさま博打を仕掛けた人物の素性を知って、七之助は番頭を……さらに、屋形船に乗り合わせた売れっ子芸者お滝に……というところで、あら(汗)。音曲が入って、最後に芝居のような口上が入ると、なかなか聴かせてくれる噺でした。
あー、満足満足。来月のにぎわい座の番組に談春師が入っていないのが寂しいなぁ。
一、汲みたて 談春
中入り
一、船徳/小猿七之助 談春
幕が上がる直前から「鞍馬」がかかって、前座さんなしでたっぷり口演だなとわかってどきどき。今日は季節に合わせて船に関する噺の特集だとか。
マクラは、先月に続いて、南アフリカにサッカー観戦に行った友人の話。前回はフランス大会の時に社員全員を連れていって、日本代表の試合開始5分前に会社が潰れましたとアナウンスしたというエピソード。その友人が日本の対オランダ戦を見に行って、ダーバンのホテルの前のバーで飲んだ時、たった数十メートルなのにタクシーで帰るように強く勧められたこと。ブラジル対コートジボワールの試合があったヨハネスブルグのエリスパークはもっと治安が悪くて、バスで乗り付けたブラジル人とコートジボワール人とドイツ人とフランス人と日本人(以下略)が横一列に手をつないでスタジアムに駆け込んでいったととか。
「汲みたて」、途中で高座から立ち上がって袖に向かったのでどきどきしてしまいました。師匠、何とブブセラ持ってきて、吹き出したではありませんか……場内大爆笑。
「船徳」、今日はとってもアクションが大きい談春師、元若旦那の徳さんが船頭となった船に乗ってしまった間の悪い客たちが船に揺られる場面とかアクションが豪快で爆笑の連続でした。
これで終わりかなと思ったら「小猿七之助」(のさわり?)。いかさま博打に集金した店の金30両を使い込んでしまった番頭が永代橋から身を投げて船頭の七之助に助けられる。が、いかさま博打を仕掛けた人物の素性を知って、七之助は番頭を……さらに、屋形船に乗り合わせた売れっ子芸者お滝に……というところで、あら(汗)。音曲が入って、最後に芝居のような口上が入ると、なかなか聴かせてくれる噺でした。
あー、満足満足。来月のにぎわい座の番組に談春師が入っていないのが寂しいなぁ。
長い記事が多かったので分割してます。
北海道
箱館奉行所開館へ盛大に 29-31日の「復活祭」で催し多彩
いよいよ公開ですね。今年中には見に行きたいと思っています。
秋田
仙台藩士の冥福祈る 子孫ら殉難碑前で慰霊祭 秋田
坂本龍馬と維新志士の古写真展:龍馬や高杉晋作、写真展示--県立博物館 /秋田
山形
ジョン万次郎が竜馬に与えた影響解説 山形で講演会
石川
幕末の加賀藩、大砲147門を製造 「金沢学」講演
京都
NHK大河ドラマ特別展:龍馬ゆかりの180点、京都文化博物館で展示 /京都
兵庫
「幕末の味」大ヒット 幸民麦酒の売り切れ相次ぐ
高知
幕末の画家・小龍の画帖
長崎
リチャード・ビュルグフェルトさん:リンガーの曽孫、9月来日 遺品寄贈へ /長崎
歴史
大判写真:龍馬も見た?幕末ニッポン 米写真家C・ウィードの作品、鮮やかに
文化芸能
つばき、時跳び
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(68)東大教授・山内昌之 大楽源太郎
北海道
箱館奉行所開館へ盛大に 29-31日の「復活祭」で催し多彩
国の特別史跡、五稜郭内に復元される箱館奉行所のオープンを記念した「箱館奉行所 復活祭」が、開館日の29日から31日までの3日間、五稜郭公園などで開催される。五稜郭地区の各種団体など官民一体で企画運営を行うイベントで、会期中は五稜郭祭の出演者による殺陣の披露や記念講演会、オープンカフェの設置など多彩な催しが行われ、同奉行所の開館を祝う。
五稜郭地区のまちづくり団体「新都心五稜郭協議会」や同協議会メンバーが立ちあげた「やっぱり五稜郭プロジェクト」、函館市など8団体の主催で実施。同奉行所を核に道南をPRし、多くの市民に親しみ楽しんでもらうことを目的とする。
29日は五稜郭タワーアトリウムで殺陣披露のほか鉄砲隊によるアトラクション、五稜郭公園の一の橋広場では、かつて奉行所で飲まれていたという当時のレシピを基に作った「薬用珈琲」の試飲コーナー、新たに開発した奉行所をモチーフとしたモナカをふるまう。このほか歓迎の祝砲イベントを行う。
30日は市中央図書館で記念講演会や、復元された奉行所を今後のまちづくりに生かす方法などについて、識者らが意見を交わす記念フォーラムを開催する。最終日の31日は有機栽培などでつくった野菜を生産者が販売する直販市「マルシェ」や、同地区の飲食店が自慢の逸品を販売するオープンカフェを設置する。
このほか、行啓通りから同公園に至る道にバナーフラッグを飾り、祝福ムードを盛り上げる。同プロジェクトは「奉行所を見に五稜郭にきてもらい、この地区も同時に楽しんでもらえれば」と来場を呼び掛けている。問い合わせは同協議会事務局TEL0138-51-4785。
いよいよ公開ですね。今年中には見に行きたいと思っています。
秋田
仙台藩士の冥福祈る 子孫ら殉難碑前で慰霊祭 秋田
戊辰戦争で奥羽越列藩同盟の維持を説得しようと秋田藩を訪れ、勤皇派の秋田藩士に暗殺された仙台藩士12人の慰霊祭が、命日に当たる4日、秋田市寺内の西来院で営まれた。慰霊祭は今年で143回目。
仙台藩志会の伊達洋司会長ら仙台から集まった関係者と、秋田宮城県人会員ら44人が参加した。境内で殉難者の位牌(いはい)に焼香した後、寺の裏大門にある「仙台藩殉難碑」に手を合わせた。
一行は、殺害された藩士の首がさらされた同市大町の五丁目橋にも足を運び、川反観音像前で冥福を祈った。
当時正使だった志茂又左衛門のひ孫で仙台藩志会会員の石川浩司さん(72)は「毎年供養していただき感謝している。今度は自分の子孫を連れてきて、慰霊祭を引き継いでいきたい」と話した。
坂本龍馬と維新志士の古写真展:龍馬や高杉晋作、写真展示--県立博物館 /秋田
坂本龍馬ら幕末の維新志士の写真を展示する「坂本龍馬と維新志士の古写真展」が7月4日まで、秋田市金足鳰崎の県立博物館で開かれている。
展示されているのは、暗殺直前の1867(慶応3)年10月に撮影された龍馬や、高杉晋作や伊藤博文ら維新志士の鶏卵紙写真7点、海援隊と紀州藩との蒸気船の衝突・沈没事件に関して龍馬が書いたという書状など。
長州(山口県)出身の海援隊員が残したものを秋田に移住した子孫が04年に寄託し、今回初めて一般公開された。
開館は午前9時半~午後4時半、入場無料。【野原寛史】
山形
ジョン万次郎が竜馬に与えた影響解説 山形で講演会
藤沢周平・司馬遼太郎文学研究会の第37回講演会が27日、元木公民館で開かれ、司馬遼太郎研究家の菅原文雄さん(74)=白鷹町畔藤=が司馬遼太郎著「龍馬がゆく」をテーマに「坂本竜馬と共和制思想」と題して講演した。
菅原さんは出漁中に遭難し、アメリカの捕鯨船に救助され、アメリカに渡った土佐藩出身のジョン万次郎について紹介。「アメリカで学び、身に付けてきた力を明治維新で発揮し、教育分野でも尽力した」と述べ、万次郎が坂本竜馬に与えた影響を解説した。
石川
幕末の加賀藩、大砲147門を製造 「金沢学」講演
加賀藩が幕末の12年間に、洋式火薬を使うオランダ式などの大砲を147門造っていたことが、板垣英治金大名誉教授の3日までの調査で分かった。明治初期の旧陸軍資料の研究で、加賀藩は薩摩、長州に劣らない数の大砲を備えていたことが分かっている。百万石の資金力と五箇山の塩硝(えんしょう)で作る火薬を元手に、加賀藩が軍備を積極的に行ったことが裏付けられた。
調査結果は同日、金沢市の北國新聞20階ホールで開かれた、金大と北國新聞社が連携して取り組む市民公開講座「金沢学」の講演で明らかにされた。大砲を造っていたのは現在の金沢市もりの里3丁目周辺にあった「鈴見鋳造所」で、板垣名誉教授は同所鋳造場の棟取(とうどり)(責任者)で鋳物師の釜屋弥吉の史料を基に調査を進めた。
明らかになったのは、1853(嘉永6)年から1864(元治元)年の間に造られた大砲の数。中には、当時最新の技術であった、内部がらせん構造となっている砲身もあり、専用の先がとがった砲弾も確認されている。
板垣名誉教授によると、幕末にはスズ、銅、鉄の価格が高騰したが、加賀藩は高価なスズを購入し、質の良い大砲を生産して沿岸警備に力を入れていたことがうかがえる。同名誉教授は「幕末で財政が厳しい中、加賀藩は新技術を導入して大砲を鋳造した。そのようなことができた藩はほかにそうなかっただろう」と分析している。
「金沢学」の講演は「加賀藩の火薬と大砲~土清水薬合所と鈴見鋳造所について~」と題して開かれ、このほか、五箇山で作られた塩硝が運ばれた土清水薬合所が、洋式火薬を生産するために建て替えられたことや、金沢ゆかりの世界的化学者、高峰譲吉の父元●(ノギヘンに陸のツクリ)(げんりく)について解説した。
京都
NHK大河ドラマ特別展:龍馬ゆかりの180点、京都文化博物館で展示 /京都
◇「日本をせんたく」の手紙も
幕末の動乱期に活躍し、薩長同盟の締結や大政奉還の実現に尽力した坂本龍馬(1835~1867)の生涯を振り返る「2010年NHK大河ドラマ特別展 龍馬伝」が、京都市中京区の京都文化博物館で開かれている。
「日本を今一度せんたくいたし申候」と記された姉・乙女あての書簡(重要文化財、京都国立博物館蔵)など、ゆかりの資料約180点を展示(7月6日から一部展示替え)。龍馬の波乱に満ちた生き様とともに、幕末から明治維新へ向かう時代の空気を伝えている。
龍馬が着た紋服(重文、京都国立博物館蔵)は京都会場のみの出品で、暗殺現場の京都・近江屋の部屋の復元コーナーも設置。血痕が付いた「近江屋旧蔵 書画貼交屏風(しょがはりまぜびょうぶ)」(重文、京都国立博物館蔵)も7月6日から出品される。
7月19日まで。午前10時~午後6時(金曜は午後7時半まで)。7月19日を除く月曜休館。入場料一般1200円、大高生800円、中小生500円。同館(電話075・222・0888)。【野宮珠里】
兵庫
「幕末の味」大ヒット 幸民麦酒の売り切れ相次ぐ
「幕末の味」が大人気! 三田藩出身の蘭学者川本幸民のビールを復刻した「幸民麦酒」が大ヒットしている。今月6日の販売開始後、三田市内の小売店では売り切れが相次ぎ、生ビールを売る飲食店は増加。製造する小西酒造(伊丹市)は増産を進めるが、なかなか追い付かず、「生産量は予想の5倍のペース。三田市民の関心の高さは想像以上だ」と驚いている。
幸民は1853(嘉永6)年、日本人として初めて、ビールの醸造に成功した。今年、幸民の生誕200年を記念し、小西酒造が幸民の醸造方法を再現したビール「幸民麦酒」を造り、初めて一般販売を始めた。価格は1瓶(330ミリリットル)630円。
同社は当初、6~10月の5カ月間に8千本を造る予定だったが、今月中に2回増産し、計7千本を製造した。東京のビール専門店でも取り扱うようになり、7月以後も増産体制が続くという。
卸を手掛けるツキモト酒類(駅前町)によると、「幸民麦酒」を販売する小売店は、1カ月間で18店から25店に増えた。生ビールを提供する飲食店は4店増えて16店に。店頭に「幸民ビールあります」の張り紙を掲げる飲食店もある。
「パスカルさんだ一番館」(川除)では、1日に40本以上を販売する日もあり、同店は「価格は高めなのに、こんなに売れるとは」と驚く。
小西酒造地ビール事業部主任技師の辻巌さん(52)は「通常のヒット商品の目安を、はるかに上回る売れ行き。市民の幸民に対する熱い思いが伝わる」と話している。
(本田純一)
高知
幕末の画家・小龍の画帖
土佐藩の画家、河田小龍(しょう・りょう)(1824~98)は、幕末の志士坂本龍馬に海運や海軍力の重要性を説いたとされる。その画家の画帖(が・ちょう)が見つかり、2日に東京都千代田区神田小川町の東京古書会館で始まった「七夕古書大入札会」(主催・明治古典会)に出品されている。一般公開は3日まで。
画帖は1883年に制作された「維新前高知城下十二ケ月」。縦約20センチ、横約25センチで、絹地に彩色された肉筆画だ。威勢良く走る初カツオ売りの姿、田植え、法会、祭り、新年の準備など、江戸時代の土佐の年中行事が活写されている。
年中行事とは別に、高知城の背後から太平洋を望む「高知城四望之図」と題された俯瞰(ふ・かん)図も収録。帆掛け船や大型船も描き込まれている。京都市内の古書店で今年見つかったという。
小龍は狩野永岳に師事、二条城襖絵(ふすま・え)の修復などに取り組んだ。1852年に米国から帰国したジョン万次郎に話を聞き、絵や文章で「漂巽紀畧(ひょう・そん・き・りゃく)」をまとめた。これを機に海外事情に通じた。
県立坂本龍馬記念館(高知市)によると、ペリー浦賀来航の翌1854年、龍馬は小龍に会い、大船を自分で持つ時代との認識を強めたという。龍馬は1865年に商社・私的海軍学問所「亀山社中」(のちの海援隊)を結成した。放送中のNHK大河ドラマ「龍馬伝」ではリリー・フランキーさんが小龍役を演じている。
長崎
リチャード・ビュルグフェルトさん:リンガーの曽孫、9月来日 遺品寄贈へ /長崎
幕末に長崎の外国人居留地で活躍した英国人貿易商フレデリック・リンガー(1838~1907年)の曽孫、リチャード・ビュルグフェルトさん(69)=英グロスターシャー州=が9月に来日することが決まった。ビュルグフェルトさんはリンガーらの遺品をグラバー園に寄贈する意向で、リンガー一族の旧宅だった旧オルト邸(国指定重要文化財)に展示される予定。
ビュルグフェルトさんは9月18日にグラバー園で開かれる「グラバー顕彰式」に出席する。デビッド・ウォーレン駐日英国大使も初めて出席し、一緒に旧オルト邸での遺品展示のテープカットに参加するという。
遺品は、1866年に長崎で開かれたボートレースでリンガーが優勝した記念銀杯や、上野彦馬撮影の古写真など約150点。ひな人形や蒔絵(まきえ)を施したティーセットなど一族で日本文化に親しんだ様子が分かる品もある。
リンガー一族は長崎の経済発展に貢献したが、第二次大戦の際に国外退去。ビュルグフェルトさんも日本生まれだが、戦後に帰郷するのは初めてという。
08年にビュルグフェルトさんを訪問しているブライアン・バークガフニ長崎総合科学大教授(59)は「戦争でリンガー家と長崎の関係は断ち切られたが、子孫は長崎への思いを持ち続けてくれた。日英で豊かな交流があったことが分かる」と話す。【錦織祐一】
〔長崎版〕
歴史
大判写真:龍馬も見た?幕末ニッポン 米写真家C・ウィードの作品、鮮やかに
焼失する前の増上寺(現・東京都港区)の黒本尊堂や本堂、善福寺(同)の前に集まる侍たち、わらぶき屋根が続く横浜・根岸湾沿いの漁村……。縦約40センチ、横約50センチのマンモス・プレートと呼ばれる大判写真の中に、元号が明治に変わる直前の1867年のニッポンが鮮やかに浮かび上がる。
これらは、米国で最近発見されたチャールズ・ウィード撮影の大判写真だ。当時は引き伸ばし技術がなく、これだけの大きさにするには巨大なカメラとネガが必要だった。撮影直前にガラス板製のネガに感光液を塗り、乾く前に現像。薬品や暗室など100キロもの荷物を馬車などで運ばねばならなかった。
ウィードが日本で撮った大判写真は、これまで欧米で9枚しか確認されていなかった。今回は当時の駐日米公使館員の子孫の家で一挙に17枚が見つかった。古写真研究家のテリー・ベネットさんは「幕末の写真史に新しい一章が加わった。写真の持ち主は日本で展示したいと望んでいる」と語る。
長崎の風景写真には、坂本龍馬の肖像を撮ったことで知られる上野彦馬の撮影局(写真館)が写っている。龍馬が暗殺されたのは67年11月で、同じ風景を見ていたかもしれない。【佐藤由紀】
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■人物略歴
◇Charles・L・Weed(1824~1903)
アメリカ西部で活躍した写真家。1866年、香港に渡って写真館を開いた。67年に来日。マンモス・プレート写真のほかに、同じような写真を2枚撮って立体的に見せるステレオ写真も撮影。68年、アメリカに帰国。日本各地で撮影した写真は69年、サンフランシスコで発売された。
文化芸能
つばき、時跳び
成井豊脚本・演出、福田沙紀主演の舞台「つばき、時跳び」が、8月に明治座で上演されます。
「つばき、時跳び」は、「黄泉がえり」などの梶尾真治による同名小説が原作。
SF小説家の惇が東京から移り住んだ熊本の古屋敷を舞台に、
惇と江戸時代末期の熊本藩の武家の娘つばきが、
幕末と現在をタイムマシンで往来する物語。
梶尾真治による原作は、2006年に単行本、
今年の6月11日に平凡社ライブラリーより文庫が発売されています。
この「つばき、時跳び」が、
演劇集団キャラメルボックスの成井豊の脚本・演出で舞台化されます。
主役の武家娘つばき役に福田沙紀、SF作家・惇役に永井大。
実在した熊本藩士・横井小楠役に勝野洋のほか、
金子貴俊、 真野恵里菜、紫吹淳などが共演。
また、キャラメルボックスのメンバーも脇を固めていいます。
福田沙紀は、2008年「フラガール」で谷川紀美子役を務めて以来の2度目の舞台出演。
また、19歳で明治座の座長公演を務めるのは、
2005年4月公演「あずみ」に当時16歳でに主演した黒木メイサに次ぐ若さとなります。
舞台「つばき、時跳び」は、8月11日より東京・明治座で上演。
チケットは6月26日より発売中。
なお8月13,15,17,20,23,26日の公演後には、
舞台上でアフタートークショーも行われます。
当日公演を観劇した全員がトークショーも鑑賞可能となっています。
●「つばき、時跳び」
日程:2010/8/11〜8/29 明治座(東京)
演出・脚本:成井豊
原作:梶尾真治
出演:福田沙紀/永井大/勝野洋/金子貴俊/真野恵里菜/紫吹淳/渡邉絋平/永池南津子/溝呂木賢/敦士/坂口理恵/岡田さつき/多田直人/小多田直樹
チケット:[東京]
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(68)東大教授・山内昌之 大楽源太郎
■「奇兵隊内閣」の矛盾
菅直人首相は自らの大臣たちを「奇兵隊内閣」と呼んでいる。市民運動出身の総理はじめ各種の職業的背景や庶民感覚をもつ多彩な人材がいるという自負なのだろう。しかし、このネーミングにしっくりこない人もいるはずだ。
なぜなら、藩の公式兵力たる「正兵」への異端としての「奇兵」であり、権力を掌握すれば「奇兵」であることはできないからだ。「奇道」で勝を制するゲリラ兵力の意味をもつ部隊は、幕末から維新へという激動の変革期にはふさわしくても、治国の支えには不似合いなのである。
権力掌握すれば無用
実際、戊辰戦争で働いた奇兵隊などの諸隊は、明治2(1869)年に版籍奉還を実現した山口藩知事の毛利元徳(もとのり)にとってもはや無用の存在であった。
正兵隊(藩の正規軍)を残し、奇兵隊などの解散が命じられたのも当然だろう。
戦争が終われば、兵士は除隊して復員するか、部隊を縮小し平時体制に戻るかのいずれかしかないのに、防長2州では武装した奇兵隊はじめ諸隊はこの解散命令を受け入れなかった。数千名の武装集団が山口を脱走して三田尻(山口県防府市)へ集結、やがて藩庁を取り囲む「脱隊暴動」あるいは「脱隊騒動」に発展したのだ。
諸隊反乱は、戦後の明治維新史研究でも活発に論争が交わされたテーマであった。菅首相の「奇兵隊内閣」なる自己定義から思い立って、直木賞作家の中村彰彦氏から借用した『奇兵隊反乱史料・脱隊暴動一件紀事材料』(石川卓美・田中彰編、マツノ書店)を読むと懐かしい名前に再会したのである。
学生時代に「大楽源太郎一派の不平士族」「攘夷(じょうい)反動士族」が奇兵隊暴動を利用し煽動(せんどう)したという説を聞いて以来、このやや変わった姓の人物が気になって仕方なかった。大楽源太郎は、もとはといえば毛利家の陪臣にすぎなかったとはいえ、友垣の久坂玄瑞(げんずい)とともに禁門の変に敗れて帰郷後、高杉晋作による下関・功山寺での挙兵に呼応決起するなど、俗論派を倒して幕長戦争に勝利する道筋に地味ながら貢献した人物である。
この間、大楽は三田尻近くに「西山書屋」という私塾を開設するが、門人に神代直人、大田瑞太郎、団伸二郎ら大村益次郎暗殺にかかわる人物が現れたことも大楽の運命を変えることになった。
長州を倒幕に導いた大村は、新政府の兵部大輔(ひょうぶだゆう)に任命され西洋式の軍制改革に着手したために守旧派武士の反感を買い、明治2年に神代らの刺客に襲われたのである。大楽こそテロの首謀者だという嫌疑をかけられたのも当然かもしれない。神代は師が嫌疑をかけられたことを知って自害した。
大村襲撃事件と同年に起きた奇兵隊脱隊騒動で藩庁を包囲した不穏分子にも大楽の弟子が多数含まれていた。大楽も日頃(ひごろ)から諸隊解散に反対していたので、脱隊暴動の首謀者だと睨(にら)まれたのは当然であろう。そこで、藩の追及を逃れて九州に難を避け、鶴崎経由で久留米までやってきた。まさに奇兵隊に似た応変隊に頼って再起を期そうとしたのだ。
最期は仲間に斬殺され
いまだに尊皇攘夷を奉じる応変隊は源太郎を受け入れるが、新政府の開国と欧化の強い方針は揺るがず、大楽の庇護(ひご)を続ければ藩の存続も危ぶまれるほどだった。大義と忠義との間で板挟みになった応変隊の有志らは、「回天軍」を起こす用意が整ったと大楽を誘い出して斬殺し、藩が大事に至らないように処置したというから無残極まりない。
また、奇兵隊など諸隊の掃討は無慈悲を極めた。その死者は空堀の中に放りこまれ上から土をかけられたという酷(むご)いものである(『観樹将軍回顧録』)。大楽源太郎らは時勢の変化を読みきれなかっただけでない。レーニンや毛沢東のように、反体制や批判勢力が権力の側に回った時の無慈悲さを知らなかったのである。
新政府の権力を握った長州藩のエリートは奇兵隊を無造作に切り捨てられるリアリストばかりであった。してみれば、「奇兵隊内閣」とはかなり矛盾をはらんだ表現だと分かるだろう。
もっとも山口県出身の菅首相がいずれ政府民主党から大楽のような人間、即(すなわ)ち離党や脱党の徒が出ることを予知しながら、「奇兵隊内閣」を凝(こ)った暗喩(あんゆ)として用いたとすれば、相当なマキャベリストということになる。そうした資質や知識が菅首相の内面にあるなら、脆弱(ぜいじゃく)な政治家が多い日本では国際的にもライバルと切り結べる異能の人材として面白いのだが…。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】大楽源太郎
だいらく・げんたろう 天保3(1832)年、長州(山口県)萩生まれ。幼少のころ、周防国吉敷郡に移住。京都で梅田雲浜(うんびん)らと尊攘運動を行う。高杉晋作の下関挙兵に応じて忠憤隊を組織。私塾を開き、子弟の教育に当たる。明治2年、奇兵隊を含む諸隊解散に端を発する脱隊騒動や大村益次郎暗殺事件に連座して幽閉されるが、脱走。久留米に逃れるが、明治4(1871)年、政府の探索にかくまいきれなくなった同藩士に暗殺された。享年40。
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