新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
オランダ×デンマークをテレビ観戦中……日本×カメルーンの試合が始まる前に入浴しておかねば(汗)。
今のところ、決して守備が弱くはないオーストラリアに対して4点も入れたドイツの強さが一番印象に残ってます。今回のドイツは若くてかなり攻撃的ですねぇ。
北海道
同志社が「函館新島襄講座」 水産高生が寸劇
秋田
竜馬や高杉らの写真展示 県立博物館
山形
絹の街・鶴岡 輝き再び
栃木
幕末期の佐野を紹介 市郷土博物館で企画展 栃木
【とちぎ子育て箱】「ふるさと学習」年間通じて支援 栗山小で新たな試み
高知
訃報:吉川登志之さん 死去=現代の名工、土佐凧染物 /高知
コラム
特集ワイド:歴史に学ぶ 勝海舟 卓越した先見性--歴史学者・松浦玲さん
「日記など自筆史料を大量に残したのに誤りも多い。勝海舟は政治的天才だったが、記録能力はだめでした」(苦笑)。
勝海舟とは対照的に、維新後多くを語らなかった大久保一翁についてもっと知られて欲しいなぁと思ってるんですが。
テレビ
殿様だから撮れた! 徳川慶勝の「スクープ写真」
教科書には載らない歴史エピソードを紹介する「歴史秘話ヒストリア」。今回は幕末の尾張藩主、徳川慶勝をとりあげる。
慶勝は当時最先端の技術だった写真を趣味とし、自らが撮った写真を多く残した。それらの貴重な写真の数々から浮かび上がるプライベートライフを紹介し、慶勝が直面した運命や悲劇を描く。演じるのは俳優の篠井英介。
*歴史秘話ヒストリア
前番組「その時歴史が動いた」に比べると今いち乗り切れないのですが、次回は幕末維新の時代を生きた尾張藩主が主人公なので楽しみです。
今のところ、決して守備が弱くはないオーストラリアに対して4点も入れたドイツの強さが一番印象に残ってます。今回のドイツは若くてかなり攻撃的ですねぇ。
北海道
同志社が「函館新島襄講座」 水産高生が寸劇
【函館】今年、創立135周年を迎える学校法人同志社(京都)が13日、函館国際ホテルで「函館新島襄講座」を開いた。同志社大の創設者新島襄が幕末に箱館から米国に密航した縁があり、講演のほか、函館水産高の生徒が寸劇で新島襄の脱国シーンを再現した。
寸劇では新島襄が箱館を脱国した1864年(元治元年)6月14日、北海道開拓に功績を残した気象技術者福士成豊と坂本龍馬のいとこ沢辺琢磨が、悲壮な決意を語った新島襄を「夢忘るなよ」などと激励する場面を再現した。
また、同志社大総長で著名な刑法学者でもある大谷実さんが「同志社の良心教育」をテーマに講演し、「幼稚園から大学院まで一貫して、良心という理念を教えていきたい」と誓いを新たにした。
講座に先立ち、新島襄が箱館を訪れた際に乗ってきた帆船「快風丸」の模型(約60センチ)が、学校法人同志社から函館市に寄付された。
14日は学校法人同志社主催の碑前祭が午前11時から、函館市大町にある「新島襄海外渡航の地碑」前で行われる。(安本浩之)
秋田
竜馬や高杉らの写真展示 県立博物館
坂本竜馬、高杉晋作ら明治維新の立役者たちの貴重な写真などを展示する「坂本龍馬と維新志士の古写真展」が、秋田市金足の県立博物館で開かれている。7月4日まで。
展示されている写真は、維新期の竜馬や高杉、伊藤博文らを撮影した7枚。竜馬が中心となって結成した「海援隊」の隊士の子孫にあたる人が県内に住んでおり、2001年、所有していた写真を同博物館に寄託。NHK大河ドラマの影響もあって竜馬が再びブームになっていることから、今回初めて公開した。同様の写真は全国でも数枚ずつしか現存しておらず、非常に貴重だという。
このうち竜馬最後の肖像とされる写真は、暗殺直前の1867年秋に撮影したとされ、着物姿で刀を差し庭先に腰掛ける竜馬の姿をとらえた1枚。会場には古写真のほか、竜馬直筆の書状や、高杉が竜馬に贈ったものと同型のピストルも展示している。
同展の会期中、オリジナル写真の展示は資料保護のため期間限定で、20日までと、26日〜7月4日。今月22〜25日は複製パネルを展示する。開場は午前9時半〜午後4時半。入場無料。毎週月曜日休館。
山形
絹の街・鶴岡 輝き再び
市が啓発 蚕を学校に配布
かつて鶴岡市の基幹産業だった養蚕や絹織物の文化を次世代に伝えようと、同市などは地元の絹関連産業への啓発を進める事業「鶴岡シルクタウン・プロジェクト」を始動させた。第一弾として今月、市内の小中学校など36施設に蚕の幼虫や餌となる桑の葉などを無料配布した。市政策推進課は「生き物の飼育をする理科の授業にも活用してもらい、市の織物文化や繊維産業などにも興味を持ってもらえれば」と期待している。
「うわーっ、小さい。こんな虫見たことない」「指に乗った!なついてるよ、これ」。今月8日朝、市立東栄小3年生の総合学習の時間。発泡スチロールの箱に入った蚕の幼虫30匹と桑の葉が教室に6セット届けられると、待ちわびていた23人の児童は一斉に声を上げ、約4センチの灰色の幼虫にくぎ付けになった。手に乗せたり、桑の葉を食べる様子を観察したりと興味津々。恐る恐る触ってみた太田ちこさん(8)は「これが真っ白な繭になるなんて信じられない」と首をかしげた。
鶴岡市は、明治維新後に旧庄内藩士らによる開墾事業が進められ、羽黒地域を中心に大規模な桑畑や蚕室が数多く作られた。市などによると、大正時代には市民の7割以上が養蚕や織物業に従事し、市の産業の基盤になっていたという。
しかし、蚕の幼虫は薬品に非常に弱く、桑の葉についたわずかな農薬でも死ぬ。戦後、農薬を使用する柿などの果樹が市内で普及すると、桑の葉を育てることができず、養蚕業は衰退。安価な輸入品にも押され、現在、養蚕農家は藤島地域に残る1軒のみとなった。
鶴岡市によると、同市は全国で唯一、養蚕から製糸、縫製、販売まで絹織物製造の工程がすべて残っている地域。文化や産業の消滅を防ごうと、市は部課を超えてプロジェクトに乗り出した。養蚕の仕組みの見直しや、鶴岡産シルクのブランド化などに取り組むことを決め、最初の試みとして飼育キットの配布を始めた。
養蚕業界関係者でつくる県蚕糸業会が幼虫や桑の葉などの飼育用具を提供。餌の桑は毎週届けられる上、元養蚕農家ら5人の指導者が巡回指導するなど、サポート態勢も整えた。
配布された幼虫は蚕が繭を作るまで約3週間。うまく育てば繭1個から長さ1・5キロ・メートルほどの糸がとれるため、自分たちで育てた蚕からできた絹糸でハンカチを織るなどの活用も可能という。市政策推進課は「織物の販路開拓が課題になるが、地域文化への関心を高め、息の長いプロジェクトにしたい」と話している。
◇
プロジェクトの一環として市は県蚕糸業会などと協力し、住民に養蚕業や絹文化に興味を持ってもらおうと、今月14~18日、市役所1階ロビーで展覧会「鶴岡シルク『蚕と絹』」を開く。蚕の飼育や養蚕の歴史などをパネル展示するほか、蚕を育てたり、絹織物に挑戦したりする住民「繭人(まゆびと)」の募集も行う。
栃木
幕末期の佐野を紹介 市郷土博物館で企画展 栃木
幕末期の佐野の尊皇攘夷運動に関する資料などを紹介した企画展「幕末の佐野」が、栃木県佐野市大橋町の市郷土博物館で開かれている。15日まで。
企画展では、桜田門外の変で暗殺された大老・井伊直弼や、佐野から尊皇攘夷運動に参加した農民や浪士らにスポットを当てた古文書や絵図など約40点を公開している。
幕末の佐野領は、北部の田沼地方が彦根藩主の井伊家の飛び地となっており、井伊直弼が嘉永6(1853)年、日光参詣の帰りに領地を巡視した記録や、下野西南部の尊皇攘夷派が倒幕に向けて蜂起した「出流山事件」に参加し斬刑された儒者、赤尾清三郎についての資料などが並ぶ。
同館は「幕末期の佐野を改めて見つめてほしい」としている。問い合わせは同博物館(電)0283・22・5111。
【とちぎ子育て箱】「ふるさと学習」年間通じて支援 栗山小で新たな試み
地域の偉人や史跡などを教材に郷土愛をはぐくむ「ふるさと学習」。県文書館は本年度から、同館職員が年間を通じてふるさと学習の授業を支援する試みを日光市栗山小でスタートさせた。専門家の解説を聞いて学びを深め、他校を交えた発表会で成果を披露する。
5月、日光市野門にある栗山東照宮で、栗山小3年の手塚由基君(8)と4年の松本恵佑君(9)、6年の黒田奎貴君(11)が社殿の中をのぞき込んだ。目の前には4体のご神体が鎮座している。
▽家康のご神体
3人は総合学習でこの神社を調べるため、芳賀智一教諭、県文書館の松本一夫さんらと訪れた。
同館などによると、ここは民家で長い間保管されてきた徳川家康ら4体のご神体を祭るため、1970年に地元住民の手で建てられた。4体は戊辰戦争の戦禍を避けようとこの民家に預けられたとされる。
3人はこの日、ご神体を預かっていた家の現在の主、小栗功さん(53)に普段は閉じてある社殿を開けてもらい、かつて4体がしまわれていた場所も見せてもらった。
6月、再び松本さんら同館職員が同校を訪れ、3人が自分で調べても関係性などをうまく理解できなかった家康、東照宮、戊辰戦争について解説した。
▽要点絞り成果
休み時間を挟み、2こま連続で行われた授業を熱心に聞いていた3人。芳賀教諭は「本やインターネットでは言葉が難しく、情報も多すぎて子どもが理解するのは難しい。今回、要点を絞って話してもらったのが良かった」と成果を挙げる。
「ふるさと学習の推進」は県の教育振興ビジョンに掲げられ、県教委では、本県の偉人や文化財などを紹介する学習資料や授業の指導事例を、ホームページに載せている。
「有名でなくても地域に根ざした遺物に目を向け地域を見直す、という実践をいかにやってもらうか」。情報提供にとどまらない今回の試みの意義を松本さんはこう話す。
▽進歩に手応え
同館は、学校に古文書などを持参して授業を支援する単発の「出前講座」を2005年から行っている。
「年に1回だと関心を持たせることくらいしかできないが、今回は進歩を確認できる」と、手応えも語っている。
3人は今後、7月の校内発表会を経て、年度末に宇都宮市の西小、富屋小と合同の発表会に臨む予定。成果を披露し合うことでお互いを認め合うことも狙いの一つだという。
高知
訃報:吉川登志之さん 死去=現代の名工、土佐凧染物 /高知
◇84歳
土佐凧(だこ)染物職人で「現代の名工」の吉川登志之(よしかわ・としゆき)さんが12日、肺炎のため死去した。84歳だった。
吉川さんは、明治時代初期から染物業を営む吉川家の4代目。96年に「現代の名工」に選ばれ、00年には黄綬褒章を受章した。端午の節句に大空に掲げるフラフやのぼりだけでなく、伝統工芸品「土佐凧」継承者として、力強い黒線に魔除けの色である赤を基調にした作品などを製作。父親の半蔵さんは幕末の絵師金蔵(通称・絵金、1812~76)の孫弟子にあたる。絵金の素描画などを地域興しのために役立てようと、自宅を改修して絵金資料館を開いた。
職人気質というよりは、人と会って騒ぐのが大好きだったという。吉川家5代目で長男の毅(たけし)さんは、「後を継げと強要されたことはなかった」と振り返り、「自由奔放な人。皆さんに愛されていました」と語った。
告別式は14日午前11時、香南市赤岡町2018の1、香南斎場やすらぎ苑で。自宅は同市香我美町岸本56。喪主は毅さん。【千脇康平】
コラム
特集ワイド:歴史に学ぶ 勝海舟 卓越した先見性--歴史学者・松浦玲さん
<この国はどこへ行こうとしているのか>
米軍普天間飛行場移設問題。米国から何の譲歩も引き出せないまま、鳩山内閣は崩壊した。だが歴史上には、圧倒的に不利とみられた交渉に勝ち、名を残した男もいる。
「日記など自筆史料を大量に残したのに誤りも多い。勝海舟は政治的天才だったが、記録能力はだめでした」。松浦玲さんは京都市の仕事場で愉快そうに語った。「ずぼらさもあるが、迫力を優先したせいもある。なぜ誤ったかに彼の考えを探るカギもあるのです」。周辺の人物の日記など膨大な史料を精査し「本人記す」を超える真実に迫ったのが、今年出版した900ページを超える評伝「勝海舟」だ。
海舟が「大きく光った」という江戸無血開城の談判はなぜ成功したのか。幕末の謎だけに、評伝では「言わんといかんと、そこだけは主観的に書いた」。慶応3(1867)年の大政奉還、王政復古の大号令の翌年、戊辰戦争がぼっ発。新政府軍は将軍徳川慶喜を朝敵として追討するため東進。3月15日、江戸城を総攻撃する予定だった。だが、海舟は13、14日の西郷隆盛との談判で降伏条件ものまず、戦争中止に持ち込む。
「海舟は大政奉還を『公』の実現と評価していた。意思決定は大名会議(公議)に移る、その先には廃藩置県などで大名や侍の身分もなくなる社会をみており、それなら徳川家がつぶれても文句はないと考えていました。だが、薩長は自藩は温存して、徳川はたたきつぶそうとした。そんなばかな話があるかというのが海舟の理屈。西郷はその理屈に負けたんでしょう」
推論の足場は無論、ある。海舟は以前から薩長の「私」を撃つ意見書を新政府に送っていた。混乱した社会情勢につけ込むのは「王者之政、生霊を愛護する道にあらず(天下を治める者の政治でなく、人民を保護する道でもない)」と批判した文書などが前線の西郷の元に届いたことは、薩摩藩側の史料で確認した。江戸城攻撃直前の西郷と勝の面談は2度目。4年前の最初の面談では、勝は有力諸藩が提携して共和政治をやれと話し、西郷は「ひどくほれ申候」と記した。「勝は会う度に西郷を人物で圧倒した。2日続けて会った心証で『これなら押し切れる』と読んだんでしょう」。松浦さんはその場面にしたたかな計算もみる。「信念であると同時にこれを言い通せば西郷に勝てるとみた。これしか『勝つ手』はないから言っているんです」
軍艦奉行を罷免された時期もあった海舟だが、「世の中はいずれ変わると思っているから、へいちゃらで乗り切れたんでしょう。今起こっていることは『小さいこと』とずっと思っていたようです」。
「一般には知られていないんですが」と松浦さんは続けた。「海舟は最晩年、残る気力を振り絞り自らの役割を果たした。『小さく光った』んです」
維新から30年後。帝国議会は開設されていたが、政権は薩長出身者による「藩閥」が握り続け、民意が反映されない不満が高じていた。海舟は重要な国務に意見を言う枢密顧問官。当時の第2次松方正義内閣には親身に意見し、首相就任の際は、後進を要所に置いて育てるようにという文書を送った。「自分は権力を手渡した側という思いを抱きながら、高官の地位を受け入れた責任は果たそうとしました」。だが、松方内閣は行き詰まり、ちまたでは「藩閥の終わり」を意味する「閥末」が語られる。次の第3次伊藤博文内閣も短命で倒れた。
1898(明治31)年6月、自由党と進歩党が憲政党を結成、初の政党内閣、第1次大隈重信内閣(隈板内閣)を作る。しかし4カ月で崩壊。政党にはまだ政権担当能力がないと判断した海舟は11月、枢密院で後継は藩閥が務めるようにと熱弁を振るい、元老の奮励を促す意見書を枢密院議長あてに出した。元老らによる後継選びはその直後本格化し、長州閥の第2次山県有朋内閣が誕生する。海舟が没したのはその2カ月後だ。
松浦さんはこう語る。「海舟は幕末、閥末の二つの末の世を生きました。幕末を自ら処理したうえ、権力の当事者ではなかったから、閥末の世がよく見えたのです。議会制度を開きながら薩長閥では持たないこと、政党政治に向かう時代の流れも理解していた。だから憲政党の誕生には賛成しましたが、一方で政党の現実も見ていた。それゆえに政党が成長するまでは藩閥で頑張ってくれと考えた。維新を生きた友人が亡くなって行く中、自分だから見えることを伝えようとした」
海舟没後の1902年、日露戦争遂行を助ける日英同盟協約が結ばれた。「日本は英国の時代にうまく乗った」。だが第一次世界大戦後の21年、米国の呼びかけでワシントン会議が開かれ、日英同盟は廃棄された。「この会議以降は米国の時代です。日本は第二次大戦で負け、米国の格下の同盟国になった。守ってもらえる格下に安住したいというのが国民の大勢ではないですか。政府も国民も沖縄を切り捨てている。だが、今絶対視されている日米同盟も、歴史の限られた期間の産物です」
首相は菅直人氏に交代し普天間問題も新内閣に引き継がれた。思わず聞いた。「海舟が基地問題の担当大臣を頼まれたらどうするでしょう」
考えながら語ってくれた。 「全部任せると頼まれたらやるでしょう。『日米同盟を壊しても構わないか。それならやる』と言うかもしれません。壊すのが前提ではありません。徹底的に代替地を探す、けんか別れになってもいい覚悟で日本の立場を訴える。本気にならなければ解決は望めないからです」【宮田哲】
「日記など自筆史料を大量に残したのに誤りも多い。勝海舟は政治的天才だったが、記録能力はだめでした」(苦笑)。
勝海舟とは対照的に、維新後多くを語らなかった大久保一翁についてもっと知られて欲しいなぁと思ってるんですが。
テレビ
殿様だから撮れた! 徳川慶勝の「スクープ写真」
【 06月16日(水) 総合/デジタル総合 22:00 ~22:43 】
教科書には載らない歴史エピソードを紹介する「歴史秘話ヒストリア」。今回は幕末の尾張藩主、徳川慶勝をとりあげる。
慶勝は当時最先端の技術だった写真を趣味とし、自らが撮った写真を多く残した。それらの貴重な写真の数々から浮かび上がるプライベートライフを紹介し、慶勝が直面した運命や悲劇を描く。演じるのは俳優の篠井英介。
*歴史秘話ヒストリア
前番組「その時歴史が動いた」に比べると今いち乗り切れないのですが、次回は幕末維新の時代を生きた尾張藩主が主人公なので楽しみです。
西日本は梅雨入りした模様ですが、東京周辺はまだです。今夜から天気が崩れていくとのことですので、空模様が少し怪しくなってきています(汗)。
青森
むつ市で斗南藩140年・前夜祭 若松市民
京都
大船鉾、復興へ 来夏から再建準備
祇園祭 くじ取り式出席
大阪
観光PR:見どころ豊富、高知・土佐清水 /大阪
高知
容堂の漢詩 豪快に書…高知・岡豊高“書道ガールズ”
長崎
【動画】「龍馬と篤姫の生きた時代展」開幕 8月末まで、長崎ココウォーク
エンターテインメント
ダウンロード無料。坂本龍馬のチャラ男姿が見られるPSPソフト「バクマツ☆維新伝(レボリューション)」。
青森
むつ市で斗南藩140年・前夜祭 若松市民
戊辰戦争で敗れた会津藩が藩再興を期して斗南(現在の青森県むつ市)に上陸してから140年になるのを記念した「斗南藩140年祭」の前夜祭が12日夜、むつ市のむつグランドホテルで開かれた。
福島県会津若松市からも約100人が参加し、旧会津藩士の子孫らと交流を深めた。
むつ市の宮下順一郎市長が「140年前、多くの会津藩士たちが海を越え、陸を歩んで斗南に来た。
歴史の1つのつながりを大事にし共に発展していきたい」と述べた。
会津若松市の菅家一郎市長は「先人の歴史を継承し、交流・発展につなげていこう」とあいさつした。
会津若松市からは慶山焼の皿、むつ市からは和紙の人形を記念品として交換した。
会津若松市議会の田沢豊彦議長の発声で乾杯し、祝宴に入った。
アトラクションでは、斗南に渡った会津藩士の流亡の歌「下北哀史」を、斗南会津会会員の馬場重利さんが披露した。
斗南藩140年祭記念式典は13日、同会場で行う。
京都
大船鉾、復興へ 来夏から再建準備
祇園祭 くじ取り式出席
江戸時代まで祇園祭・山鉾巡行のトリを飾り、幕末の大火で焼失して休み鉾となっていた「大船(おおふね)鉾」が、巡行復帰を目指して準備を進めていることが、12日に分かった。四条町大船鉾保存会(京都市下京区新町通四条下ル)が今年のくじ取り式にオブザーバーとして出席するほか、来夏以降、鉾再建のために広く支援を呼び掛ける。かつては最大級の鉾だっただけに、「33基目」の山鉾復興への期待は大きい。
江戸時代の文献によると、神功皇后が遠征した説話に基づき、当時は「出陣」と「凱旋(がいせん)」の2基の船鉾があった。焼失した「凱旋」の船鉾は、現存する「出陣」の船鉾よりひと回り大きく、大船鉾と呼ばれた。山鉾巡行が2日に分かれていた時代に、後祭(あとまつり)の最後尾を務めていたという。
しかし、1864(元治元)年に起きた蛤御門(はまぐりごもん)の変で、京都は大火に見舞われ、大船鉾の本体は焼失した。幸い、神功皇后の御神面をはじめ、前掛や後掛(見送)など豪華な懸装品の多くは難を逃れた。
1870(明治3)年には、御神面を唐櫃(からひつ)に載せて巡行に参加したが、完全復興には至らなかった。ただ、宵山で御神面や懸装品を飾る「居祭り」は受け継がれ、1997年には大船鉾の囃子(はやし)も復活させた。次世代のリーダーも熱心に活動し、復興に向けた機運が徐々に高まっていた。御神面や懸装品は、2007年に市有形民俗文化財に指定された。
保存会は、復興に向けた支援の受け皿づくりとして、今年4月に一般財団法人となった。さらに税制上の優遇を受けやすい公益財団法人の取得を目指し、来夏以降、鉾再建への支援を市民や企業、民間団体に呼び掛けるなど、復興に向けて本格的に動きだす。今年のくじ取り式には、オブザーバーながら代表が出席、手順などを見学する。
四条町大船鉾保存会の松居米三理事長(77)は「まだ時期は明言できないが、必ず復興したい。多くの方々のご支援を受けながら、一歩ずつ前進させたい」と話している。
・早く勇姿見たい
祇園祭山鉾連合会の深見茂理事長の話 保存会の方々が努力したからこそ、ここまで進んだ。重要無形民俗文化財の山鉾行事の形を変えるには、国などとの協議が必要で、クリアすべき問題はあるが、早く大船鉾の勇姿を見たい。
・休み鉾(山) 記録に残りながら本体や懸装品などを焼失し、巡行に参加していない山鉾。1864年の大火で焼失した山鉾も多い。大船鉾のほかに、鷹(たか)山と布袋山がある。
大阪
観光PR:見どころ豊富、高知・土佐清水 /大阪
NHKの大河ドラマ「龍馬伝」にも登場するジョン万次郎(1827~98年)の故郷、高知県土佐清水市の市観光協会、市旅館組合などが、大阪市北区の毎日新聞大阪本社に観光PRのため訪れた。
同県では現在、「土佐・龍馬であい博」を各地で開催中(来年1月10日まで)。土佐清水市では万次郎の事跡やこの土地の風土を紹介する「土佐清水・ジョン万次郎くろしお社中」が開かれている。
同市とその周辺には、四国最南端で太平洋を一望できる足摺岬、清流で知られる四万十川があり、海上遊覧やカヌーなどが楽しめる。カツオの藁(わら)焼きたたき作り、つわ寿司作りなどの体験もできる。
万次郎は幕末、乗り組んだ漁船が遭難し、漂流後に米国で教育を受けた。龍馬が世界に目を向けるきっかけとなった。問い合わせは土佐清水市観光協会(0880・82・3155)。【望月佑香】
高知
容堂の漢詩 豪快に書…高知・岡豊高“書道ガールズ”
吟詠に合わせ披露
岡豊高書道部の生徒が容堂の漢詩を豪快に書き上げた作品(高知市の高知城ホールで) 高知県立岡豊高校書道部の<書道ガールズ>たちが12日、幕末の15代土佐藩主・山内容堂の詠んだ漢詩を、5メートル四方の紙に大筆で書く豪快なパフォーマンスを、高知市丸ノ内の高知城ホールで披露した。
「幕末四賢候」の一人とたたえられる容堂の文化人としての魅力を知ってもらおうと、企画展「山内容堂」を開いている土佐山内家宝物資料館(同市鷹匠町)が、容堂についての講座の呼び物として、同校書道部の生徒10人に依頼。講座の参加者85人が見学した。学芸員が、風景や酒、日本や中国の英雄に自身を重ね、数多くの漢詩を詠んだ容堂の生涯を紹介した。
書道パフォーマンスで書かれたのは、1858年の安政の大獄により江戸で謹慎していた33歳の容堂が、土佐にいる実父・豊著(とよあきら)を懐かしんで詠んだ七言絶句「孤客西悲(こかくにしにかなしむ)」。生徒らは、秀鳳(しゅうほう)流日本吟詠会(同市)が読み上げる吟詠に合わせて披露した。
生徒らは声をかけ合いながら、容堂の陣羽織をイメージした赤、黒、白に色分けされた紙一面に、黒、白、金の墨で、漢詩や「鯨海」「龍」の文字を一気に書き上げた。部長の3年、仁尾尚江さん(17)は「吟詠に合わせるのは初めてで緊張したが、練習よりも良く書けた」と満足そうだった。
見学した同市横浜新町の勝賀瀬嘉啓さん(79)は「容堂は教養の深い素晴らしい人だと感じた。そんな容堂の漢詩を真剣に書く高校生に、とても感心した」と笑顔で話していた。
(2010年6月13日 読売新聞)
長崎
【動画】「龍馬と篤姫の生きた時代展」開幕 8月末まで、長崎ココウォーク
坂本龍馬ら幕末や明治時代に活躍した人物をゆかりの品で紹介する「坂本龍馬と篤姫の生きた時代展」が12日、長崎市茂里町のみらい長崎ココウォーク5階「長崎ぶらぶら街道」で始まった。
みらい長崎ココウォーク主催、長崎新聞社特別協力。龍馬直筆とされる漢詩の掛け軸、篤姫が使ったといわれる重箱をはじめ、亀山焼、勝海舟の書など39点が並ぶ。展示品のほとんどが、熊本市の肥後龍馬会の橋本正勝会長の個人コレクションという。
開場式で橋本会長は「龍馬が思い描いた世界と日本が一体化する夢を若者に持ってもらいたい」とあいさつ。長崎市の田上富久市長、長崎自動車の上田惠三社長、長崎新聞社の本村忠廣社長らがテープカットし開幕を祝った。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」を毎回欠かさず見ているという長崎市北栄町の会社員、石本達次さん(58)は「力強い筆跡に時代を動かした龍馬のたくましさを感じた。イメージが膨らみ、龍馬伝が一層楽しく見られそうだ」と話した。
同展は8月31日まで。入場無料。
エンターテインメント
ダウンロード無料。坂本龍馬のチャラ男姿が見られるPSPソフト「バクマツ☆維新伝(レボリューション)」。
大河ドラマ『龍馬伝』の人気からもわかるように、坂本龍馬や西郷隆盛らが活躍した幕末時代は、日本史の中でも特に支持されている時代だ。その幕末を舞台とした「バクマツ☆維新伝(レボリューション)」の配信が開始される。驚いたことにこのゲーム、無料でダウンロードできるという。
株式会社アクワイアが提供を開始するPSPソフト「バクマツ☆維新伝」は、敵が潜む迷宮(ダンジョン)を攻略しながら、バクマツの歴史上の人物たちの依頼(クエスト)を解決していくゲーム。ダンジョンの地形が変化したり、1人でのプレイだけでなく最大4人までの協力プレイが可能だったりと、飽きることなく楽しめるゲームになっている。
このゲームの特徴の一つが、常識では考えられないキャラクター設定だ。バクマツというから、いかにも男臭い設定かと思いきやそうではなく、かなり大胆なアレンジが加えられている。例えば、新選組の鬼の副長として恐れられた土方歳三が女性だったり、沖田総司がお菓子を食べることが趣味の子どもだったり…といった具合なのだ。幕末好きにはこのアレンジがどう映るのか気にはなるが、ゲームらしいとも言える。
さて、今回配信されるゲーム本編では27のクエストが楽しめる。そして、そのダウンロード価格が無料というから驚きだ。気になった女の子に次々と声をかけるというチャラ男にアレンジされた坂本龍馬を見るだけでも面白いかもしれない。とりあえずダウンロードしてはいかがだろうか。
(TechinsightJapan編集部 Hamasaki)
イカール星人、新作登場です。
函館競馬場が破壊された衝撃映像もさることながらその後の映像に和みました。
函館競馬場は遠景で見たことがあっても行ったことはありません。一度くらい遊びに行ってもいいかな?
函館競馬場が破壊された衝撃映像もさることながらその後の映像に和みました。
函館競馬場は遠景で見たことがあっても行ったことはありません。一度くらい遊びに行ってもいいかな?
今日は日中の気温が30度近くまで上がりました。少し湿度もあって、じんわり汗をかいてます^_^;。
北海道
龍馬記念館、来場者2万人達成
青森
会津藩主・松平容保の書発見
京都
探せ!海外流出の浮世絵
立命大、欧米で調査
山口
企画展:毛利家ゆかりの能面など35点 /山口
佐賀
史料をデジタル化、ウェブ公開へ 佐賀県立図書館
長崎
【動画】「龍馬と篤姫の生きた時代展」開幕 8月31日まで、長崎ココウォーク
【動画】幕末長崎古写真展が入場2万人突破 歴文博、上野彦馬製作カメラ展示も
文化芸能
JIN-仁-:来春完結編 続編要望に応え
ふるさとで照れる福山龍馬がまぶしいっ!
「龍馬伝」長崎ロケ取材会
北海道
龍馬記念館、来場者2万人達成
昨年11月15日にオープンした「北海道坂本龍馬記念館」(三輪貞治館長、函館市末広町8)が10日、来場者2万人を達成した。同日、同館内で開かれた市民有志らで構成される「函館龍馬愛好会」の席上で三輪館長から報告されると、参加した会員が拍手で喜びを分かち合った。
同館は昨今の幕末ブームや北海道と龍馬の関係、そのゆかりの人物にスポットを当てた珍しさも手伝い、連日観光客らが詰め掛ける。3月末に1万人を達成したばかりで、この日も団体客や修学旅行生など約300人が来場した。記念セレモニーなどは行われなかったが、異例の早さに三輪館長は「まさかこんなに早く突破するとは思わなかった。たくさんの人に蝦夷地開拓という龍馬の夢を知ってもらえてうれしい」と感激しきりだった。
また、地元郷土史研究家や市民が集まり龍馬を通じて幕末の知識を深める同愛好会では、三輪館長の「おかげさまで2万人を達成することができました」の声に拍手と歓声が起こった。ある参加者は「交流は人を変える。関わり合いが少ない時だからこそ、龍馬の力の偉大さを感じる」と話し、参加者全員がこれからも解説などに力を入れ観光客らに楽しんでもらえる館を目指そうと、更なる飛躍を誓っていた。
青森
会津藩主・松平容保の書発見
2007年に会津藩士の子孫からむつ市教委に寄贈された史料から、会津藩9代藩主・松平容保(1835~93年)が書いたとみられる書が見つかったことが11日分かった。寄贈品にはほかにも、会津・斗南藩士らの書や短冊などが多数あり、市文化財収蔵庫の職員が調査している。戊辰戦争で敗れ、下北に移された斗南藩士が現在の同市に上陸してからことしで140年。13日に同市で開かれる「斗南藩140年祭」で姉妹都市の会津若松市の関係者に報告される。市幹部は「今後の交流に弾みがつく」と話している。
京都
探せ!海外流出の浮世絵
立命大、欧米で調査
海外に流出した浮世絵を探して、立命館大アート・リサーチセンター(京都市北区)が調査を本格化させている。今春までに英国の大英博物館の全2万5千枚をデジタル撮影し、清水寺や南禅寺などを描いた作品を確認した。一部はネット上での公開も始まっている。
■デジタル撮影、ネット公開も
浮世絵は明治時代に大量に海外流出し、欧米の博物館や美術館が膨大な収集品を持っている。写楽、葛飾北斎などの有名な作品は所在が知られているが、多くの作品が目録も作られず眠ったままになっている。
同センター長の赤間亮教授(49)らのチームは、欧米の各館を巡って全収蔵品を一点ずつ撮影し、画題や絵師、版元、出版年なども調べて入力した「デジタルアーカイブ」化を計画。欧米側も人手不足の中、同センターの専門性を認め、受け入れが広がっている。
世界最大級の大英博物館には2年前から調査に入り、すべての浮世絵の撮影を終えた。「富嶽三十六景」などの風景画のほか、役者や美人画が多く、京都関連では幕末期の「都百景」シリーズのうち、雪の清水寺や南禅寺を描いた作品などが確認された。
浮世絵は大量に刷られて各地で伝わっているため大英博物館の所蔵品も既知の絵柄が多かったが、あまり知られていない絵柄も数百枚あったといい、今後、評価を進める。赤間教授は「欧米の館にどんな浮世絵が何点あるか未解明だった中、全所蔵品を対象に調査に入ることができた意義は大きい」と語る。
このほか英国ビクトリア&アルバート博物館で4万枚、スコットランド国立博物館5千枚の撮影を終え、今夏はイタリアやチェコなどを回る。アーカイブ化された浮世絵は立命館大で研究用に端末検索でき、大英博物館など一部施設はホームページで公開している。
立命館大アート・リサーチセンターは屏風(びょうぶ)や陶磁器などのアーカイブ化も計画中で、「海外に拡散した日本の名品を、アーカイブ化でどこででも見られるようにしたい」としている。
山口
企画展:毛利家ゆかりの能面など35点 /山口
毛利家ゆかりの能面や能装束を紹介する企画展が10日、防府市多々良の毛利博物館で始まった。7月25日まで。
幕末の長州藩主・毛利敬親をまつる野田神社(山口市)が所蔵する35点を展示。平安期に活躍した伝説的な面打師・日光作と伝わる「翁」=写真=など、逸品がそろう。
江戸時代の諸大名家では、祝い事や外交行事など折に触れて能楽が演じられていたが、明治維新を機に廃れた。毛利家の能面などは御用商人に払い下げられたが、木戸孝允らが買い戻し、神社に奉納したという。問い合わせは博物館(0835・22・0001)。
〔山口版〕
佐賀
史料をデジタル化、ウェブ公開へ 佐賀県立図書館
佐賀県立図書館(佐賀市)が、収蔵する幕末・明治期の古文書や古地図のデジタルデータ化を進めている。約10万点の史料を筆跡の微妙なタッチまで表現できる高精細画像で〝デジタル写真集〟にする計画で、郷土史研究や学校教育などに役立ててもらう。来年度からインターネット上で一般公開する計画で、作業を終えた史料の一部は、館内のパソコンで公開を始めている。
デジタル化は、直接触れることが難しい貴重な史料を、調査や学習に提供するのが狙い。一般的な関心が高い幕末・明治期を中心にデジタル化している。
蓮池鍋島家の役所が残した日誌類「蓮池鍋島家文庫」や、江藤新平が明治政府入りした時の関連資料や書状が含まれる。古地図では、県内の大半が長崎県に編入されていた1881(明治14)年に、各村ごとに作成された地図などがある。公開点数は当初4万点でスタートし、追加しながら10万点まで充実させる。
データ化には高性能の特殊なスキャナーを使用。一般的なウェブサイトで使われる解像度(72dpi)の5倍以上で、写真集などの出版物に用いられる400dpiで処理した。画像はズームが可能で、古文書の微妙な筆づかいや、紙の質感、しみや折りじわまで見て取れる。デジタル化を終えた118点の古地図などは、館内のパソコンで先行公開している。
総事業費は約1億1千万円。一部は図書館振興財団の助成金でまかなう。同館資料課は「佐賀偉人伝の出版や、世界遺産暫定リスト入りしている三重津海軍所跡などで、佐賀の歴史や文化が再認識されている。史料を広く公開し、県民の関心を高めていきたい」と話している。
長崎
【動画】「龍馬と篤姫の生きた時代展」開幕 8月31日まで、長崎ココウォーク
坂本龍馬ら幕末や明治時代に活躍した人物をゆかりの品で紹介する「坂本龍馬と篤姫の生きた時代展」が12日、長崎市茂里町のみらい長崎ココウォーク5階「長崎ぶらぶら街道」で始まった。
みらい長崎ココウォーク主催、長崎新聞社特別協力。龍馬直筆とされる漢詩の掛け軸、篤姫が使ったといわれる重箱をはじめ、亀山焼、勝海舟の書など39点が並ぶ。展示品のほとんどが、熊本市の肥後龍馬会の橋本正勝会長(御馬下の角小屋館長)の個人コレクションという。
開場式で橋本会長は「龍馬が思い描いた世界と日本が一体化する夢を若者に持ってもらいたい」とあいさつ。長崎市の田上富久市長、長崎自動車の上田惠三社長、長崎新聞社の本村忠廣社長らがテープカットし開幕を祝った。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」を毎回欠かさず見ているという長崎市北栄町の会社員、石本達次さん(58)は「力強い筆跡に時代を動かした龍馬のたくましさを感じた。イメージが膨らみ、龍馬伝が一層楽しく見られそうだ」と話した。
同展は8月31日まで。入場無料。
【動画】幕末長崎古写真展が入場2万人突破 歴文博、上野彦馬製作カメラ展示も
長崎歴史文化博物館(長崎市立山1丁目)で開催中の企画展「幕末長崎古写真展」(同館、長崎大付属図書館主催)の入場者が11日、2万人を突破した。
2万人目の入場者は、大分県宇佐市の宇佐商工会議所女性会会長、大神(おおが)すみ子さん(60)。長崎市内で開催された九州商工会議所女性会連合会の総会に参加するため来崎し、同展にも足を運んだ。
長崎大付属図書館の柴多一雄館長と長崎歴文博の大堀哲館長から記念品のクリアファイルなどを手渡された大神さんは「大河ドラマ『龍馬伝』を見て、時代背景や歴史の流れを知りたくなった」と喜んでいた。
同展は幕末長崎の風景と人物を撮影した約400点を展示。好評のため当初の会期を1カ月延長し、6月30日まで開催。会期延長に合わせ、熊本市の写真館が所蔵する幕末の写真家上野彦馬が製作したカメラ「スタジオ用キャビネ判暗箱」を新たに展示している。
文化芸能
JIN-仁-:来春完結編 続編要望に応え
TBSで昨年秋に放送された「JIN-仁-」。幕末にタイムスリップした現代の脳外科医・南方仁(大沢たかお)が、満足な医療器具もない幕末で人々の命を救おうと奮闘するドラマで、大きな反響を呼んだ。TBSによると、番組関連での受賞は、23冠にも及ぶという。
視聴者からも続編を望む声が多く寄せられたため、来年4月の日曜劇場枠での放送が決定した。
TBSによると、仁を支える橘咲(綾瀬はるか)や、坂本龍馬(内野聖陽)ら前回の登場人物も集結。仁が現代に戻ることができるのか、坂本龍馬は暗殺されてしまうのか--など、前回のその後が描かれる完結編となるという。
ふるさとで照れる福山龍馬がまぶしいっ!
「龍馬伝」長崎ロケ取材会
みなさん、はじめまして。ドラマ部緊急特派員オクです。ミーハーな三十路独身女子です。以後、よろしくお願い致します!!
羽田から飛行機に乗り、2時間。バスに乗り継いで50分。ついに龍馬が商社・亀山社中を興した、長崎市内にやってきました。長崎駅のコンコースには、長崎が舞台となる「龍馬伝」第3部開始までのカウントダウンカレンダーがありました。
さっそく福山龍馬に会いに行くぞ!・・・・・・と言いたいところですが、実は、オクが長崎にやってきたのは、取材会の前日。福山さんはもちろん、実際の坂本龍馬の愛した長崎の街がどんなところなのかを知りたい!知って、もっと龍馬を楽しみたい!
まずは長崎市内取材スタートです。
まずは、路面電車に乗って、亀山社中跡を目指します。
地図を見て、ちょっとした小高い公園の一角にあると思っていたのが、大間違い。急な石段をず~っと登った、山の中腹にあるのです。長崎は坂の街だということをはじめて知りました。龍馬はなぜこんな場所に亀山社中をかまえたのでしょう?当時の人は健脚だっただろうから、全然苦にならなかったのかな。どこまで続くかわからない石段を、手作りの「亀山社中はこちら」の看板を頼りに、登っていきます。だんだん息があがってきました。すると途中で道が二股に~。ピンチ!さて、どちらへ行ったら良いのか!地図を回して見ながら困っていると、散歩途中の素敵なおじいさんが声をかけてくれました。そして、亀山社中まで一緒に行ってくれたのです。オク感激です!さすが福山さんの育った街。長崎の人って優しい!
亀山社中跡には、長崎市亀山社中記念館が、そしてすぐ近くに亀山社中資料展示場があります。どちらも見応えがありますが、オクが注目したのは、亀山社中資料展示場。「亀山社中ば活かす会」の皆さんがボランティアで運営しています。
石段を登る時に目印になった看板を手作りで作ったのも皆さんだったのです。実は、よく見ると、書かれている人物がそれぞれ異なった亀山社中のメンバーになっています。芸が細かい!
他にも展示資料の解説や、亀山社中周辺の掃除など、様々な活動をしています。「龍馬伝」が始まって、土日や連休は観光客がたくさん訪れ、すごい忙しさだそうです。
そろいの白いはっぴ姿がかっこいいみなさん。写真をお願いしましたが、遠慮されてしまいました。長崎の方はとっても親切ですが、シャイなんですね。活かす会のみなさんのかっこいいはっぴ姿と名解説は、ぜひ実際に訪れてお確かめ下さい。
亀山社中の後は、さらに登って風頭公園にある龍馬像を見に行きました。龍馬像の目線からは、長崎港が見えます。145年前、龍馬はここから世界へと通じる長崎の海を見つめていたのかなぁ。
龍馬の息吹を感じて、気分がシャンとしたところで、山を降りました。
続いては、長崎の街がどのくらい龍馬で盛り上がっているか調査するため、中心部のアーケード街へ。龍馬の写真入りでメニュー紹介をしている店があちこちにあったり、龍馬コースのマッサージがあったり、携帯の勧誘も龍馬がしていたりと、街のそこかしこに龍馬の姿がありました。
さて、お待たせしました。いよいよ福山龍馬に会いにいきます!
ここから27日に行われた取材会の様子をお届けします。
今回の長崎ロケ、崇福寺や大浦天主堂、グラバー邸などで3日間行われました。取材会の日はロケ初日。第3部の冒頭シーンの撮影準備が進んでいました。龍馬たち海軍操練所の同士一行が、薩摩藩士に連れられて長崎入りをする場面です。
撮影現場となった崇福寺(そうふくじ)に、中国のお盆のお祭りの様子を再現。赤い提灯に、飾り込まれた祭壇、龍踊や、中国獅子舞も登場しました。華やかな境内に、スタッフ、キャスト、エキストラの皆さん、取材陣、合わせて、およそ200名の人がひしめきあっています。さらに、崇福寺に着いたとき、門の外には、たくさんの女性ファンもいました。この日、崇福寺にいったい何人の人が集まっていたのでしょう。
境内に入ると、撮影本番真っ最中。あわてて物陰に隠れると、石段をざんばら髪で着流し姿のかっこいい人が降りてきました。
「た、高杉晋作!!」
思わず声をあげそうになりました。高杉晋作の衣裳がばっちり決まった伊勢谷友介さんです。本物がよみがえったのかと思いました。
ミーハーなオクは、ここで一気にテンションアップ!!
伊勢谷さんが、こんなにかっこいいということは、生で福山龍馬を見たら、倒れるかも!
高杉晋作が登場する場面の撮影が終わり、取材会の準備が始まりました。待つこと30分。
いよいよ会見の始まりです。仕事を忘れそうになるくらい、ドキドキしてきました!
境内にいたスタッフや取材陣の大きな拍手に迎えられ、崇福寺の国宝の本堂の前に、4人の出演者が並びました。我らが龍馬役の福山雅治さん。長州藩の革命児・高杉晋作役の伊勢谷友介さん。長崎の芸妓・お元(おもと)役の蒼井優さん。幕末の志士を支援した貿易商で長崎の女傑・大浦慶(おおうらけい)役の余貴美子さんです。
はぁぁぁぁ。美しいっ! 4人のオーラで一気に場が明るくなったように感じました。クラクラするのは、晴天の日射しのせいではなく、この4人のオーラのせいに違いありません。
第3部では、リーダーとして亀山社中を率いていく龍馬。これまでと違って、髪型もきゅっとまとめて、更に凛々しく、風格が漂っています。
さぁ、福山さんの第一声は?なんて言うのでしょうか?ドキドキ。
「天気がよくて良かった。長崎の5月はすごくいい季節なので、この時期に帰ってこられてよかった」と、とっても誇らしげです。
そうですよねぇ。本当に良い天気で、撮影日和です。きっと福山さんの姿が画面に映えるでしょう。
さぁ、これは聞かねば!福山さん、長崎に帰ってきて龍馬役を演じる感想は?
福山さん「大河ドラマ出演の話を受けるとき、自分ができることで、地元の長崎が活気付くのはすごいことだと思う。その場に呼んでもらって、参加できるのが嬉しい。普通の仕事ではないこと。ただ、今日、ここで演じてみて、非常に照れくさかった。長崎市内で生まれ育って、何度も来たことのある崇福寺などで、おいおい自分、芝居しよるわい、と照れくさくて仕方ない。歌はアマチュアの時にもライブをやっていたので平気だったのですが、演技をするなんてことはなかったので余計にですね。20年前は、ギターかついで歩いていたところを、こうして袴はいて、刀をさして、土佐弁でいることが不思議でしょうがない」
ぐふふ。オク、見てしまいました!照れくさそうに顔をクシャっとさせて笑う姿。これは特派員の特権でしょうか?照れた表情もまぶしすぎますっ!!
ふぅ。気を落ち着けて、会見の続きです。
新キャストのみなさん、「龍馬伝」の現場に入っての感想は?
余さん「大浦慶さんは、幕末に外国へ日本茶の輸出をしていたすごい女性。地元の方が熱い思いを持っている役です。手紙もいただきました。慶さんを汚さないように、誠実に、命がけで演じたいと思っています。着させていただいている衣裳も普通の着物と少し違っていて、自立した女性である大浦慶らしいものになっていて、着ると大浦慶になれるようです」
伊勢谷さん「現代は、幕末の志士の時代とリンクしている気がします。ここまで皆さんが紡いできたものを現代にきちんと伝えていきたいです。機知に飛んだ英雄らしくみえるようにがんばります。ただ、この前髪短すぎて、少し恥ずかしいです。でも、役になりきるため、喜んで切りました(笑)」
蒼井さん「父方が長崎の五島列島出身で、長崎には何回か来たことがあるので落ち着く気がします。そんな中で芝居できるのが嬉しいです。芸妓の役なので、長崎検番という踊りを習っているのですが、すそさばきが大変。歌詞にちなんだ振りがついていて、つい表現してしまいそうになるのですが、表に出さず、内に秘める奥ゆかしさを出すのが難しいです。衣装は重くて大変ですが、毎回、違うかんざしが用意されているので、楽しみの一つにしています」
ぎゅっと凝縮して、出演者のみなさんのコメントをお伝えしましたが、会見は35分間行われました。蒼井さんが「龍馬伝」のファンで、毎週欠かさず見ていて、普段でも「ごめんちや」や「ぜよ」を使ってしまうなんていう可愛らしいエピソードも出てきました。
35分の逢瀬でしたが、いろいろな福山さんを見ることができました。
自分以外のメンバーで飲みに行っていたことを知り、すねる福山さん。最初は慣れなかった袴だけど、今はサクサク走れると嬉しそうに自慢する福山さん。長崎デートはお寺ではなく海派だったという色男ぶりを発揮する福山さん。などなど。
オク、福山龍馬を堪能いたしました。ごちそうさまです。
福山さんから長崎のみなさんへのメッセージもあります!
福山さん「大河をきっかけにみなさんの方からも、どんどん長崎を盛り上げていきましょう!」
会見の後、地元長崎のエキストラおよそ100名の方にご協力いただいての、大規模な撮影が行われました。中国のお盆の祭りが繰り広げられ、西洋人や中国人など多様な人々が楽しむ中、龍馬一行がものめずらしそうに歩いていく場面です。スタッフがエキストラに演技を指示し、全員の呼吸が合わなければなりません。入念なリハーサルのあと、緊張の本番。しかし、長崎のエキストラのみなさんの素晴らしい集中力で、一発OKでした。
長崎のパワーが画面からあふれ出ること間違いなしの、長崎編は、7月18日放送の第29回「新天地、長崎」から!どうぞご覧下さい!!
今日からFIFAワールドカップ2010が開催されます。私がサッカーに夢中になったのは'86メキシコW杯のフランス対ブラジルをたまたまテレビ中継で見てからですが、かれこれ24年。
サッカー観戦からしばらくご無沙汰していますが、ワールドカップともなると往年のサポーターの血が騒ぎます。
福島
銀のしゃちほこ45年ぶり地上に 会津若松・鶴ケ城
茨城
大洗・『幕末と明治の博物館』 町営で再出発
神奈川
竜馬夫妻の生き方に学ぶセミナー、ゆかりの割烹女将が講師に/横浜
宮前の江戸学ぶ 入門講座
石川
北前船?いかりを脱塩 貴重な史料 消滅させない
珠洲で大学教授 8月、学生と保存実習
京都
名勝記念 入館者に絵はがき
来月19日まで 下京・角屋の文化美術館
OSK桜花昇ぼる、念願の龍馬に挑戦
奈良
十津川屋敷跡:明治維新直前の御所警護の拠点に石碑--京都・上京区 /奈良
広島
仙酔島に竜馬像お目見え
鳥取
鳥取西高改築計画 日本考古学協理事ら来県
広島
仙酔島に竜馬像お目見え
高知
山内資料館で史料公開 長宗我部一族を召し抱える
慎太郎の像さわやかに
山口
萩往還観光案内人:歩いてたどる萩往還の歴史 養成講座、受講者を募集 /山口
佐賀
全国大会に合わせ、食育イベント多彩に
シンポジウム:佐賀の偉人、語り合おう 伝記集刊行を控え、27日に開催 /佐賀
長崎
【動画】幕末長崎古写真展が入場2万人突破 歴文博、上野彦馬製作カメラ展示も
ひらどしマンに龍馬が仲間入り 平戸市が新事業、練り歩き観光PR
ニューヨーク
150年前、“侍姿”の将棋披露 当時のNYタイムズ紹介
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(65)東大教授・山内昌之 相楽総三
サッカー観戦からしばらくご無沙汰していますが、ワールドカップともなると往年のサポーターの血が騒ぎます。
福島
銀のしゃちほこ45年ぶり地上に 会津若松・鶴ケ城
福島県会津若松市の若松城(鶴ケ城)で10日、天守閣に鎮座していた「銀のしゃちほこ」の取り外し作業が行われた。現在の黒い瓦を幕末当時の赤瓦にふき替える「天守閣再現事業」のためで、45年ぶりに地上に降ろされた。
若松城のしゃちほこは、1965年に天守閣が再建された際、請け負った建設会社の社長が寄贈した。雌雄一対で、高さ1.5メートル、重さは各200キロあり、うろこには銀箔(ぎんぱく)が張られている。
作業員は大型クレーンを使い、地上37メートルにある5層の天守閣の上から慎重に取り外した。
しゃちほこは19日から11月23日まで、城の走長屋(はしりながや)で一般に公開される。
茨城
大洗・『幕末と明治の博物館』 町営で再出発
大洗町磯浜町の「幕末と明治の博物館」が運営していた財団法人常陽明治記念会から大洗町に寄付され、今月から町営としてスタートした。館長に就いた長嶺家光副町長は「町の観光客は夏が中心だが、北関東道の整備などで利便性が増す中、年間通して楽しめる観光文化施設として展開していく」と話している。 (北爪三記)
同博物館は、土佐藩出身で明治時代に宮内大臣を務めた田中光顕(一八四三~一九三九)が、一九二九(昭和四)年に常陽明治記念館として創立。三一年に同記念会が設立された。
九七年に施設を増設し、「幕末と明治の博物館」としてリニューアル。徳川慶喜や吉田松陰、西郷隆盛の書など、収蔵品は五百十八作品(六百五十一点)に上る。ほかに図書・刊行物数千点も所蔵。
町によると、記念会関係者が高齢化しており、資料を散逸させないためのよりよい運営を模索する中で、町に土地、建物、収蔵品などを寄付することになった。敷地内の「大洗キャンプ場」も町が引き継ぐ。博物館の閲覧室は閉めるという。
町営となった記念に、収蔵品の中から、田中が師事した土佐勤王党首領武市半平太の肖像画を展示。今後、春と秋に企画展を開くなどして、本年度(六月~来年三月)はここ三年の同期比20%増にあたる入場者数約一万四千二十人を目指すという。
開館は午前九時から午後五時で、水曜休館。問い合わせは、同博物館=電029(267)2276=へ。
神奈川
竜馬夫妻の生き方に学ぶセミナー、ゆかりの割烹女将が講師に/横浜
幕末を駆け抜けた坂本竜馬と妻おりょう。その生き方から学ぶセミナーが22日、横浜市中区本町の横浜市開港記念会館で開かれる。
講師は高知県立坂本竜馬記念館の森健志郎館長と、横浜市神奈川区台町の割烹(かっぽう)・田中家の女将(おかみ)平塚あけみさん。「ビジョンに向かいつづける意志から生まれる大事なもの」を共通のテーマに講演する。
森館長は高知新聞社で社会部長や学芸部長などを務め、退職後に中国新疆ウイグル自治区ウルムチの新疆大学に語学留学し、帰国後、館長に就任している。
平塚さんは、おりょうが竜馬暗殺後、勝海舟からの口利きで仲居として働いていたと伝わる神奈川宿の田中家5代目女将を務めている。
講演は午後6時から。参加料2千円。申し込み・問い合わせは(株)アフコ内、心の元気力創生実行委員会事務局電話045(715)6260。
宮前の江戸学ぶ 入門講座
宮前市民館では、「龍馬の生きた時代〜幕末〜川崎」をテーマにした江戸入門講座を7月から9月まで開催する。講座は無料。古文書を通じて江戸時代の人や文化、地域を学ぶことが出来る。
開催日は、7月24日(土)14時〜16時30分、8月28日(土)、9月25日(土)14時〜16時の3回。各日定員200人。
申し込みは、往復はがきに住所、氏名、年齢、電話番号、参加希望日(複数記入可)、この講座を何で知ったかを記入の上、〒216−0006宮前区宮前平2−20−4宮前市民館まで。30日(水)必着。1枚につき1人まで。【問】同館(【電話】044・888・3911)
石川
北前船?いかりを脱塩 貴重な史料 消滅させない
珠洲で大学教授 8月、学生と保存実習
貴重な史料の保存に向け、国士舘大21世紀アジア学部・沢田正昭教授(保存科学)が十日、珠洲市蛸島町の珠洲古窯復元実験場で北前船のものとみられる鉄製いかり二点の脱塩処理をした。沢田教授は八月に、学生の実習を兼ねて本格的な保存処理を施す。
沢田教授は同市出身。昨年九月、市珠洲焼資料館で開かれた日本海域水中考古学会の公開フォーラムに参加。いかりの存在を知り保存処理を申し出た。
いかりは、同市三崎町の漁業九千房信雄さん(61)が所有している。全長百六十センチと百二十八センチで、いずれも四本のつめが付いている。十年ほど前、三崎町寺家の沖合約一キロの岩礁地帯で刺し網に掛かった。引き揚げた漁業者から、九千房さんが譲り受け自宅に保管していた。資料館の大安尚寿学芸員によると、形状や大きさなどから、幕末から明治ごろの木造輸送船のいかりと推定されるという。
この日は、沢田教授ら専門家三人が指導。縦九十センチ、横百八十センチ、奥行き九十センチの木箱にビニールシートを張って水を入れ資料館職員らが二本のいかりを沈めた。近く、さび止め剤を投入。その後、二週間おきに水を交換する。
保存処理は八月十二~十四日に予定。水から出して乾燥させたいかりに、グリスを何層にも塗り重ねて保護膜をつくる。空気や水を通さない透明シートで袋を作り、いかりを脱酸素・脱水分剤と一緒に入れて保存する計画。沢田教授は「(いかりは)貴重な史料。今、大事に残しておかないとどんどん酸化して、いずれ消滅してしまうだろう」と話した。 (近江士郎)
京都
名勝記念 入館者に絵はがき
来月19日まで 下京・角屋の文化美術館
島原の太夫や芸妓(げいこ)を呼んで宴会を開く揚屋(あげや)だった「角屋(すみや)もてなしの文化美術館」(下京区)の庭園が今春、京都市の名勝に指定されたことを記念し、財団法人・角屋保存会は、入館者に招待券付き記念絵はがきを贈っている。プレゼントするのは7月19日まで。
角屋は江戸時代初期に建てられ、文化人が集まるサロンとして栄え、幕末には坂本龍馬ら志士や新選組の隊士らも訪れた。1952年、建物が重要文化財に指定。89年、内部や所蔵品を公開する美術館となった。
名勝指定では、庭園(643・3平方メートル)は「現存する唯一の揚屋に伴う庭」として評価された。43畳の大宴会場に面する座敷庭の中心にある「臥龍松(がりょうのまつ)」は、枝ぶりが龍がふせた姿に例えられ、江戸後期の読本作者、曲亭馬琴(1767~1848)が旅日記に「この庭の松甚だよし」と記し、客らが書画の題材とした。現在の松は3代目で、1958年に3本を組み合わせ、独特の形を再現した。
座敷庭の写真が印刷された招待券付き記念絵はがきは一人につき1枚が渡される。
角屋15代目の中川清生・同保存会理事長(62)は「建物だけでなく、庭も含め、一流のもてなしの場だったことが評価されて光栄です」と話している。
月曜休館(祝日の場合は翌日)。入場料1000円(大学生以上)。問い合わせは同美術館(075・351・0024)へ。
OSK桜花昇ぼる、念願の龍馬に挑戦
京都南座7月公演、OSK日本歌劇団「レビュー in KYOTO 4」(7月10日~16日)の製作会見が10日、京都市内で行われた。今回は坂本竜馬の軌跡を描く「みやこ浪漫~Ryoma~」、と幻想的な夢の世界をテーマにした「ダンシング・ラプソディ」の2本立て。
1部で坂本龍馬を演じる桜花昇ぼるは「幕末のミュージカルは私の夢のひとつでした。幕末の志士たちは若くして亡くなられた方がほとんどですが、私たちは“生きる”というテーマをみなさんに見ていただきたい」と瞳を輝かせた。また2部のショーでも1部と同じ“生きる”がテーマになっており「OSKの元気な姿を見ていただいて、皆様も元気になっていただける公演にしたい」と意気込んだ。
奈良
十津川屋敷跡:明治維新直前の御所警護の拠点に石碑--京都・上京区 /奈良
◇古地図、古文書から突き止め--村教育委員の松實さん
明治維新直前の動乱の京都で、御所を警護した十津川村の郷士たちの拠点となった十津川屋敷跡の場所を、村教育委員の松實豊繁さん(68)=同村上野地=が古い地図や古文書などから4年がかりで突き止めた。村民たちの負担で建設され、歴史の舞台となったが、長い間不明だった。判明した京都市上京区新烏丸頭町下切通上ルの市道端には、「十津川屋敷跡地」の石碑が立てられた。【栗栖健】
記録に残る十津川の京駐屯は、1862(文久2)年の借家に始まる。63年、郷士は「(十津川は)古来御由緒ノ土地」だから「王事ニ尽力」したいと誓願し、御所警護を認められた。同年8月、大阪から淀川の舟で100人が到着し、約170人態勢で警護に当たった。
当時の京都は公武合体派と尊攘派の抗争のただ中。応援の郷士が大阪を出発した63年8月14日夜には、天誅組の一行も淀川を下り、17日に五條代官所を襲撃。18日の政変で長州ら尊攘派は京都から追放された。村に残った人たちは一度は天誅組に参加したが、政変を知って離脱。64年7月には長州と薩摩、会津が対決した蛤(はまぐり)御門の変が起こる。
混乱の中でも、郷士たちの志は変わらず、65(慶応1)年4月に屋敷が完成。費用は村民が各戸割り当てで負担し、十津川から用材3000本を運んだ。屋敷は1872年まで残っていたという。
松實さんは知人の依頼で04年4月、屋敷跡を捜し始めた。手がかりは記録にある「新烏丸切通シ」の地名と、大家だった「円満院宮」の跡地。これらは離れており、京都、滋賀などの図書館、資料館を調べ歩いた。
08年、1786(天明6)年の地図にある円満院とみられる寺の土地と古地図の「十津川」の場所が一致することが分かったが、寺の名は判読できず、1866(慶応2)年の地図では「慈受院」となっていた。その後、円満院が慈受院から借りていたことを示す資料が見つかり疑問は解消した。
石碑は高さ140センチで、村教委が設置。昨年12月8日、村関係者が出席して除幕式をした。石碑の背後が屋敷跡、西側の寺町通の向かいが京都御苑だ。松實さんは「ほっとした。若い人に村の先人たちがやったことをもっと知ってもらい、自信を持ってほしい」と話している。
広島
仙酔島に竜馬像お目見え
「鞆で待っちゅうきに」―。福山市鞆町後地の国民宿舎「仙酔島」玄関口に坂本竜馬像がお目見えした。鞆は竜馬が沈没した「いろは丸」の賠償交渉をした舞台で、りりしい幕末の志士が今秋まで観光客を出迎える。
高さ175センチ、台座35センチの強化プラスチック製。和服姿に懐手、ブーツを履き、高知市桂浜にある銅像とほぼ同じデザイン。福山市出身の弁護士土肥将人さん(52)=東京都=が「鞆の浦の観光振興に役立ててほしい」と市に寄付した。
国民宿舎「仙酔島」では、竜馬といろは丸をテーマに展示会を開催中。友人と訪れた倉敷市老松町、西本愛子さん(60)は「竜馬ブームに合わせた良い試みだと思う。インパクトもあって、観光客へのPR効果も大きいのでは」と話していた。11月30日まで設置される。
鳥取
鳥取西高改築計画 日本考古学協理事ら来県
現在地での校舎改築計画がある国史跡・鳥取城跡内の鳥取西高(鳥取市東町2丁目)周辺を10日、全国の考古学研究者らで組織する日本考古学協会の理事ら2人が現地視察した。理事らは現地確認と計画に反対している動きについての経緯把握のため来県した。
訪れたのは、協会の埋蔵文化財保護対策委員会の担当理事である近藤英夫東海大学教授と橋口定志事務局長。
昨年、アリーナの建設予定地となっている第2グラウンドから、新たに幕末期の大規模な籾(もみ)蔵跡など貴重な遺跡が発見されたことを、協会員から報告を受けていた。
県教委文化財課歴史遺産室の中原斉室長と市教委文化財課の佐々木孝文係長から、鳥取城跡の歴史や改築計画の内容、国との協議経過などの説明を受けた。
近藤教授は、江戸時代の城跡やその周辺開発に関する問題は全国で起きているという。今後、協会内で協議を重ね、計画変更などが必要と判断した場合は、県や市に要望書を提出するという。
広島
仙酔島に竜馬像お目見え
「鞆で待っちゅうきに」―。福山市鞆町後地の国民宿舎「仙酔島」玄関口に坂本竜馬像がお目見えした。鞆は竜馬が沈没した「いろは丸」の賠償交渉をした舞台で、りりしい幕末の志士が今秋まで観光客を出迎える。
高さ175センチ、台座35センチの強化プラスチック製。和服姿に懐手、ブーツを履き、高知市桂浜にある銅像とほぼ同じデザイン。福山市出身の弁護士土肥将人さん(52)=東京都=が「鞆の浦の観光振興に役立ててほしい」と市に寄付した。
国民宿舎「仙酔島」では、竜馬といろは丸をテーマに展示会を開催中。友人と訪れた倉敷市老松町、西本愛子さん(60)は「竜馬ブームに合わせた良い試みだと思う。インパクトもあって、観光客へのPR効果も大きいのでは」と話していた。11月30日まで設置される。
高知
山内資料館で史料公開 長宗我部一族を召し抱える
戦国時代まで土佐(高知県)を支配し、江戸幕府に滅ぼされた長宗我部の一族が、後の領主山内家に仕えたいきさつを記した史料などが、高知市の土佐山内家宝物資料館に寄託され、報道関係者に10日公開された。
江戸時代、土佐藩では、山内支配に抵抗した長宗我部配下の武士たちは下士として差別されたとされるが、山内家が藩を安定させるため、長宗我部家の一部を取り込んでいたことを示す貴重な手がかりといえそうだ。
史料は戦国末期の長宗我部元親の弟に当たる親房の子孫に伝えられ、土佐藩士として勤務した履歴を記した文書から、昭和天皇が元親に正三位を追贈した贈位記まで16点。親房の子孫で東京都在住の長宗我部友親さん(68)が寄託した。
17世紀末に藩に提出された差出(報告書)によると、親房の家系を継いだ島五郎左衛門は大坂の陣で豊臣方に参戦、土佐で4年の入牢後、藩士に召し抱えられた。
長宗我部家復興の機運が高まった幕末から明治にかけては「元親公より血脈連綿」と記した連判状や、一族をまつる秦神社の創建を藩に願い出た文書も含まれている。
慎太郎の像さわやかに
室戸市の室戸岬で9日、四国電力の室戸、安芸両営業所や関連企業の社員14人が幕末の志士、中岡慎太郎の像を清掃した。電線補修に使う高所作業車に乗り、ブラシで汚れを落とした=写真。
四国電力の「環境月間」に合わせて実施された。慎太郎像は高さ5・3メートルで、台座を含めると14メートルになる。清掃作業が終わると、潮風を受けて白っぽく見えていた像が、ブロンズ像特有の緑青色に戻った。午後から、北川村にある慎太郎の生家周辺でも清掃作業をした。
山口
萩往還観光案内人:歩いてたどる萩往還の歴史 養成講座、受講者を募集 /山口
◇来月4日間
江戸時代の萩往還を歩きながら案内する「萩往還観光案内人」の養成講座が7月にある。県観光連盟や萩市観光協会、防府市観光協会など8団体(事務局・山口商工会議所)で実行委を組織。歴史の道・萩往還を全国に発信し、観光振興を図る狙い。
萩往還は、萩城下(萩市)から三田尻(防府市)までの全長53キロ。毛利公の参勤交代道として整備され、庶民の交通路でもあり、幕末には吉田松陰や坂本龍馬など志士が駆け抜けた。今でも殿様の休憩所・御駕籠建場(おかごたてば)跡や石畳、一里塚など歴史の遺構が数多く残されている。
研修は7月9、14、23、28日。1日3時限制で、▽観光案内人の心構え▽応急手当て▽毛利家、萩、山口、防府各市の歴史・文化などの講義と、明木-佐々並間を歩いての実地研修もある。
開催場所は山口商工会議所と萩市民会館。募集は30人。応募要件は、すべて受講し萩往還を歩きながら案内できる人。受講は無料だが、テキスト代として1000円が必要。
養成講座を全課程修了すると「案内人の証」(仮称)を交付する。申し込みは25日まで。問い合わせは山口商工会議所(083・925・2300)。【川上敏文】
佐賀
全国大会に合わせ、食育イベント多彩に
食育推進全国大会「さが食育フェスタ2010」(12、13日・佐賀市文化会館など)に合わせて、多彩なイベントが繰り広げられている。佐賀市の県立図書館は食育のルーツを探る企画展を開催。エスプラッツは、佐賀の魅力をアピールする観光紹介所を設けるなど、大会の盛り上げに一役買っている。
「食育」のルーツ探る企画展 県立図書館
佐賀市の県立図書館は、食の安全や地産地消などに関する約100冊を展示。食育を題材にした明治時代のベストセラー小説もあり、注目を集めている。
明治時代の本は2冊。小説家村井弦斎著の「食道楽」(1903年)の中には「食育論」の章があり、「知育や体育よりも一番大切なのは食育」と説いている。また、日本で最初に「食育」の言葉を使ったとされる軍医石塚左玄著の「通俗食物養生法」(1898年)も展示している。
担当者は「食育は最近の言葉と思われがちだが、実は100年以上前から使われていることが分かる」と話す。企画展は29日まで。問い合わせは同図書館、電話0952(24)2900へ。
県外客に佐賀の観光アピール エスプラッツ展示
県外からの来客に佐賀の魅力を伝えようと、佐賀市のエスプラッツでは「佐賀ほとめき観光フェア」が開かれている。バルーンフェスタや古湯映画祭などを200点以上のパネルなどで紹介している。20日まで。
展示しているのは、木製のえびす像やバルーンのゴンドラ、幕末の佐賀藩が建造した「凌風丸」の模型など。古湯映画祭のコーナーにはポスターや俳優らのサインをはじめ、佐賀でロケが行われた映画「張込み」(1958年)の撮影の様子を収めた写真なども飾っている。
フェアは12日夜に白山名店街で開かれる「ほとめき祭」に合わせて佐賀観光協会が企画。問い合わせは同協会、電話0952(20)2200。
【写真】古湯映画祭など佐賀の観光を紹介している=佐賀市のエスプラッツ
シンポジウム:佐賀の偉人、語り合おう 伝記集刊行を控え、27日に開催 /佐賀
幕末や明治期の地元の偉人伝が今秋から出版されるのに伴い、県出身の偉人について語り合うシンポジウムが27日午後1時半、佐賀市の佐賀城本丸歴史館で開かれる。無料。
シンポには明治期の文学に詳しい佐賀女子短大の横尾文子教授や杉谷昭・同館館長、古川康知事ら4人のパネリストが登壇。“七賢人”をはじめ、各人が思う佐賀の偉人を挙げながら、同館の古川英文副館長の進行でパネル討論する。
偉人伝は近年、九州・山口の近代化産業遺産群が世界遺産の候補として取り上げられる機会が増えたことから「県民に地元の歴史を知ってもらって機運を盛り上げよう」と県教委が刊行を計画した。
幕末・明治期に日本の近代化をリードした偉人約15人を選び、1人1冊の読本にまとめて今秋から5年間かけて刊行する。7月から編集委員会が始まるのを前に、県民に関心を持ってもらおうとシンポジウムを企画した。問い合わせは同館0952・41・7550。【竹花周】
長崎
【動画】幕末長崎古写真展が入場2万人突破 歴文博、上野彦馬製作カメラ展示も
長崎歴史文化博物館(長崎市立山1丁目)で開催中の企画展「幕末長崎古写真展」(同館、長崎大付属図書館主催)の入場者が11日、2万人を突破した。
2万人目の入場者は、大分県宇佐市の宇佐商工会議所女性会会長、大神(おおが)すみ子さん(60)。長崎市内で開催された九州商工会議所女性会連合会の総会に参加するため来崎し、同展にも足を運んだ。 長崎大付属図書館の柴多一雄館長と長崎歴文博の大堀哲館長から記念品のクリアファイルなどを手渡された大神さんは「大河ドラマ『龍馬伝』を見て、時代背景や歴史の流れを知りたくなった」と喜んでいた。
同展は幕末長崎の風景と人物を撮影した約400点を展示。好評のため当初の会期を1カ月延長し、6月30日まで開催。会期延長に合わせ、熊本市の写真館が所蔵する幕末の写真家上野彦馬が製作したカメラ「スタジオ用キャビネ判暗箱」を新たに展示している。
ひらどしマンに龍馬が仲間入り 平戸市が新事業、練り歩き観光PR
「観光活性化へ変身!」-。平戸市は11日からローカルヒーロー「ひらどしマン」や「坂本龍馬」に扮(ふん)した若者が市内を練り歩き観光をPRする「ひらどキャラクターまちなか賑(にぎ)わい事業」を始める。10日は観光ガイド研修として、平戸焼の「平戸茂右ェ門窯」(同市鏡川町)でメンバーが透かし彫りに挑戦。平戸の魅力を体得した。
市によると、同事業は市が県の緊急雇用対策を活用し、市内のイベント会社に委託。土、日、祝日を中心にそれぞれの衣装に身を包んだ若者が市内を歩き、観光客をガイドしたりパンフレットを配布する。
「ひらどしマン」は、「平戸牛ピンク」「ごぼうもちグリーン」など、特産品PRのため2000年、地元有志が立ち上げたキャラクター。幕末ブームにあやかろうと、今回は「龍馬」も加えた。窯元ではメンバーが変装し平戸焼の歴史を学んだ後、ランプシェード制作を体験。細かい作業に苦心しながら制作に取り組んだ。
「龍馬」役の大石正輝さん(19)=同市前津吉町=は「平戸のいいところを紹介し、満足してもらいたい」と意気込んでいる。キャラクターには今後、平戸ゆかりの宣教師「フランシスコ・ザビエル」なども加わる予定。
ニューヨーク
150年前、“侍姿”の将棋披露 当時のNYタイムズ紹介
幕末期に勝海舟らを乗せた軍艦「咸臨丸」とともに太平洋を渡った日本の遣米使節団が、現地で将棋を指した様子が当時のニューヨーク・タイムズ紙に載っていたことが明らかになった。10日、日本将棋連盟がホームページで紹介した。同連盟によれば、海外で初めて指された将棋の可能性が高いという。
「咸臨丸」渡航から今年で150周年を迎えたが、将棋ファンの米国人が記事を見つけ、同連盟ニューヨーク支部に連絡してきた。
1860年6月16日付の同紙によると、“侍姿”の使節団は同15日にフィラデルフィアで将棋の駒を現地の人たちに披露。チェスボードに81マスを描いた盤を使い、日本人同士で実戦も行った。
記事では駒の動かし方なども説明され、取った駒が使えることなどから将棋はチェスよりはるかに複雑と指摘。しかも、日本人はかなりの早指しで、現地の人が驚いたことも紹介している。
現在のような形の将棋は、室町時代半ばの15世紀には指されるようになったとされ、江戸時代に入ると対局を記録した棋譜も残されている。
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(65)東大教授・山内昌之 相楽総三
■政治家の使い捨て
鳩山由紀夫氏に代わって首相となった菅直人氏の人気はひとまず高い。その原因は、菅氏が政治を家業として選挙区の地盤を世襲する国会議員でなく、普通のサラリーマン家庭の出身者であることも大きいのではないか。
最近だけでも、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫の4氏は、祖父や父が首相だった政治家の家系に生まれた。鳩山氏にいたっては、富裕な資産家でもあり、庶民感覚から隔絶したカネの問題を説明しきれていない。
これと比べると、菅氏は日常生活も慎ましやかであり、落選などの辛酸を嘗(な)めながら市民運動家から宰相の地位にたどりついたのだから、与野党問わず氏の志と使命感には拍手を送るべきかもしれない。しかし、党人や官僚から育った政治家はしたたかである。政治構造の暗黙知に挑戦する異分子に思いもよらぬ罠(わな)を仕掛けてくるかもしれないからだ。
少なくとも、参院選用の顔の差し替えや不祥事隠しの目くらましとして割り切り、「使い捨て」にしようとしている勢力が民主党内にもいないともかぎらない。
◆薩摩の意受け江戸騒乱
菅氏とすぐ比べられないにせよ、幕末維新史で最大の「使い捨て」となったのは、相楽総三である。現在の取手(茨城県)あたりの地の郷士の子として生まれた相楽は、文久3(1863)年の上州赤城山の挙兵計画や、翌年3月の天狗(てんぐ)党による筑波山の蜂起に加わって頭角を現した。
相楽にとって運命の分かれ道となったのは、薩摩の西郷隆盛らと交誼(こうぎ)を結んだことである。相楽は慶応3(1867)年、西郷の意を受けて、江戸市中と近辺で倒幕運動を公然と始めた。ことに、江戸市中への放火や強盗や暴行を繰り返して徳川政権を挑発したのである。
相楽は、大政奉還によって徳川慶喜を武力討伐する大義名分を失った西郷によって、江戸の幕臣を挑発し戦端を開く口実を作る役回りを与えられたのだ。西郷の政治謀略の凄(すご)みは、関東在の一本気の相楽の及ぶところではない。
西郷の策はあたり、市中警固(けいご)の任にあたった庄内藩が激高して芝三田の薩摩藩邸を焼き討ちにした。大事の前の小事といわんばかりに、薩摩藩士の一部も切り捨てたのだから、西郷の権力リアリズムははかりしれない。
◆「偽官軍」として処刑
しかし挑発は功を奏し、鳥羽・伏見の戦いが起きて幕府軍の敗走をもたらした。薩長から歴史を眺めれば、相楽は維新成功の功労者として顕彰されてしかるべきであった。しかし、事態はそうならない。
慶応4(1868)年1月、京都に逃れていた相楽は再び西郷の意を受けて官軍先鋒(せんぽう)となる赤報隊を結成し、東山道を進んだ。彼は、自らの建白で採用された年貢半減令を布告しながら颯爽(さっそう)と東山道を進軍したが、まもなく「偽官軍」として捕縛され、官軍参謀の進藤帯刀(たてわき)によって信濃国下諏訪にて処刑されたのである。
長谷川伸の名作『相楽総三とその同志』は、この割り切れない事件で死んだ犠牲者の鎮魂の書にほかならない。
もちろん京都で認めさせた年貢半減の理想を高らかに掲げた相楽を、出先の参謀が一存で処刑できるはずもない。そこに大きな暗い意志が働いていたと見るのは自然であろう。出所はさすがに西郷でなく、岩倉具視(ともみ)だろうという説もある。もちろん年貢半減が実施不能と悟った新政府にとって、相楽の理想主義が邪魔になったことは否定できない。
しかし倒幕のためとはいえ、薩摩藩邸を根城に犯罪の限りを尽くした相楽の存在は、新政府の門出にとって忌まわしいものであった。政治の理想とリアリズムとの間には、使い捨てにされる存在がどうしても出てくる。
菅氏を水魚の交わりで支えてきた同志たちは必ずしも氏の傍らで新政権の要職に起用されていない。菅氏は、かれらを使い捨てた冷たい政治家だと世論に思われないことも大事だろう。もっとも、菅氏も鳩山氏と同じく、政治の大きな流れのなかで、使い捨てにならないともかぎらない。
それにしても、政治家は使い捨てにされる存在だと看破した小泉純一郎元首相は、まさに政治リアリズムの極致を見抜いていたのかもしれない。(やまうち まさゆき)
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本連載をまとめた「幕末維新に学ぶ現在」(中央公論新社)が発売中。
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【プロフィル】相楽総三
さがら・そうぞう 天保10(1839)年生まれ。国学と兵学をおさめたのち、上野(こうずけ)、信濃など東国各地を遊歴し、尊攘の同志を募る。慶応3年、西郷隆盛の指令で浪士を集め、江戸騒乱をくわだてた。のち赤報隊結成に加わり、1番隊隊長となる。東征軍先鋒として、自らが建白し、太政官に採用された年貢半減令を布告しながら東山道を進むが、維新政府に「偽官軍」として捕らえられ、慶応4(1868)年、信濃国下諏訪で処刑された。享年30。
幕末ものは好きだが、とりたてて龍馬が好きというわけではない。ので、第1巻と第2巻は刊行されていたことに気づかなかったぐらい(汗)。
だが、今日の書店で平積みになった第3巻が目に入ってしまった。途中から買うのも何なので、3巻揃いで大人買い。
第3巻の表紙が、パッと見て土方さんだとわかるじゃないですか。腰帯の惹句が「坂本龍馬×土方歳三 幕末最強コンビ誕生!!」なんで……って、ボーイズラブ系の「×」でなくてよかった(爆)。
基本、ヤンキーマンガが幕末に舞台を移したって感じなんですよ。ボディービルディングに熱心で全身ムキムな岩倉具視が西郷隆盛の腹の底を知るためにアームレスリングバトルを挑む(苦笑)とか、最後の将軍徳川慶喜と坂本龍馬が拳で殴り合いながら身分を超えた漢(と書いて「おとこ」と読む)の友情を確かめ合うとか(爆)。
でも、近江屋で坂本龍馬が暗殺を免れたとしたら、というif設定で、薩長討幕派に対して違う形の体制変革を志したらどうなるか、という設定が面白い。意外にスケールの大きな時代観があって、第2巻で「事実――明治時代は必ずしも幸福な世でなかった。士農工商の身分は崩壊したが貴族制度は残り――将軍家に代わって権力を握ったのは薩摩・長州の政治家や官僚たちであった。さらに政府と癒着したのは一部の財閥が貿易を独占、新たな特権階級が利益を貪った。富国強兵の名の下に重税に苦しむ庶民の暮らしは……決して楽ではなかったのである」という解説を読んだ時、心の中で快哉を叫びました。
中岡慎太郎が(自分の思想とは正反対の)龍馬を救うために自分を犠牲にし、生き残った龍馬は慟哭の挙げ句に一晩で白髪になってしまう……ほろりとするようなif設定です。
しかも小説『相棒』五十嵐貴久でも読んだ「坂本龍馬と土方歳三のコンビ」という設定、遙かに大胆に時代を引っかき回すのがわくわくします。坂本龍馬が幕府から貿易権を一任されて、護衛役に土方さんがついて、一緒にフランス軍艦に乗り込むとか。坂本龍馬を守るために、土方さんが人斬り半次郎と斬り合うとか。すげー(笑)。
この作品の土方さんはオトコマエだけど硬派っぽいです(龍馬に「おんし、男前じゃのー。その顔で何人女子をモノにしたんじゃ?」と聞かれてビキッとこめかみの血管が切れました^_^;)。龍馬がなれなれしく「歳さん」と呼ぶと「歳さん言うなー」と切れます(笑)。
ハーフアップっていうんですか、耳から上の髪を束ねて結んでいる髪型です。龍馬の護衛につく第3巻になると、髪をまとめる紐を大きなリボンに換えている……誰にお洒落さんだと思われたいんですか、土方さんっ(爆)……毎朝、鏡を見ながら、自分で結んでいるかと思うと……(≧∀≦)。
伊東甲子太郎の髪が薄すぎる(汗)とか、中村半次郎が半魚人だとか、個々のキャラについてはいろいろとありますが……とりあえず続刊が楽しみな作品です。
だが、今日の書店で平積みになった第3巻が目に入ってしまった。途中から買うのも何なので、3巻揃いで大人買い。
第3巻の表紙が、パッと見て土方さんだとわかるじゃないですか。腰帯の惹句が「坂本龍馬×土方歳三 幕末最強コンビ誕生!!」なんで……って、ボーイズラブ系の「×」でなくてよかった(爆)。
基本、ヤンキーマンガが幕末に舞台を移したって感じなんですよ。ボディービルディングに熱心で全身ムキムな岩倉具視が西郷隆盛の腹の底を知るためにアームレスリングバトルを挑む(苦笑)とか、最後の将軍徳川慶喜と坂本龍馬が拳で殴り合いながら身分を超えた漢(と書いて「おとこ」と読む)の友情を確かめ合うとか(爆)。
でも、近江屋で坂本龍馬が暗殺を免れたとしたら、というif設定で、薩長討幕派に対して違う形の体制変革を志したらどうなるか、という設定が面白い。意外にスケールの大きな時代観があって、第2巻で「事実――明治時代は必ずしも幸福な世でなかった。士農工商の身分は崩壊したが貴族制度は残り――将軍家に代わって権力を握ったのは薩摩・長州の政治家や官僚たちであった。さらに政府と癒着したのは一部の財閥が貿易を独占、新たな特権階級が利益を貪った。富国強兵の名の下に重税に苦しむ庶民の暮らしは……決して楽ではなかったのである」という解説を読んだ時、心の中で快哉を叫びました。
中岡慎太郎が(自分の思想とは正反対の)龍馬を救うために自分を犠牲にし、生き残った龍馬は慟哭の挙げ句に一晩で白髪になってしまう……ほろりとするようなif設定です。
しかも小説『相棒』五十嵐貴久でも読んだ「坂本龍馬と土方歳三のコンビ」という設定、遙かに大胆に時代を引っかき回すのがわくわくします。坂本龍馬が幕府から貿易権を一任されて、護衛役に土方さんがついて、一緒にフランス軍艦に乗り込むとか。坂本龍馬を守るために、土方さんが人斬り半次郎と斬り合うとか。すげー(笑)。
この作品の土方さんはオトコマエだけど硬派っぽいです(龍馬に「おんし、男前じゃのー。その顔で何人女子をモノにしたんじゃ?」と聞かれてビキッとこめかみの血管が切れました^_^;)。龍馬がなれなれしく「歳さん」と呼ぶと「歳さん言うなー」と切れます(笑)。
ハーフアップっていうんですか、耳から上の髪を束ねて結んでいる髪型です。龍馬の護衛につく第3巻になると、髪をまとめる紐を大きなリボンに換えている……誰にお洒落さんだと思われたいんですか、土方さんっ(爆)……毎朝、鏡を見ながら、自分で結んでいるかと思うと……(≧∀≦)。
伊東甲子太郎の髪が薄すぎる(汗)とか、中村半次郎が半魚人だとか、個々のキャラについてはいろいろとありますが……とりあえず続刊が楽しみな作品です。
昨日の記事「立川談春独演会@横浜にぎわい座 六月公演」が簡単な感想に終わってしまったので、以下、もう少し詳しく。
開口一番 「出来心」立川春樹
ちょこちょこっと笑いを取る。自分も時々「ぷっ」と吹き出す。
「首提灯」立川談春
今まで談春師はマクラはあまり長くないと思っていたし、あまりマクラねたを沢山出すという印象もなかったのだけど……今回はナゼか、「ま・く・ら」の談春。いつもと違うので、どきどきしちゃった(苦笑)。妙にノリノリで、どっかんどっかん笑わせてくれたし。
「鞍馬」とともに登場。「にぎわい座のお客様は優しくていいですね。前座が登場した時に拍手してくれるような会場は他にありません。それどころか、前座の噺には笑ってはいけないものだと思っている……地方はいまだにそうです。東京も都下だと。面白いと思ったら笑ってもいいんです、現に私も今日の春樹はところどころ面白いと思いましたし」。
そこから、笑わせるのが一番難しい客は京都だという話に。はじめて京都公演した時に、上方落語家が楽屋に挨拶に来てくれて、「京都の客が一番笑わせにくい」と教えてくれた。それも、その会場が一番むずかしいんだとか。
そこから、前日の志の輔さんも鳩山さんのマクラだったけど(鳩山さんは落語が好きで寝る前に志の輔らくごを聴いていたとらしいとか、パルコ公演の最終日を見に来る予定で駐車場を10台分確保するように言われて用意していたのだが開演15分前にドタキャンだったとか)、談春さんも鳩山さんネタ。鳩山さんが北海道で初出馬した時に、鳩山さんと幸夫人だけでは選挙区を廻りきれないから、談志師匠に応援の依頼が来た。談志師匠は行けなかったので「代わりに若いのを四人送る」と送り出されたのが、談々、関西(後の文都)、談春、志らくの前座四人。ちなみに、談春さんは当時19才か20才で選挙権なかった歳だったらしい(苦笑)。
その四人は鳩山さん選挙対策チームメンバーの運転する車で、特別養護老人ホームを一日四ヶ所も慰問するような苛酷なスケジュールをこなした(一箇所から次の場所に行くのに二時間半かかるとか、その間に信号がふたつしかないとか)。しかも、志らくさんが前の会場で靴に履き替えるのを忘れてスリッパで車に乗り込んでいたことを1時間後に思い出したので、引き返すはめになり、戻ったホームのスタッフに「いいですね皆さんは靴を履けて。ここにいる方々は一度入所したら滅多に靴を履くことがないんですよ」なんて嫌みをいわれた……とか、談春さん刻銘に語る語る(これでもはしょって書いてます)。
苛酷な慰問日程ながら、鳩山選挙事務所の計らいで登別温泉のホテルに一泊できた。それが、登別温泉で一番大きな旅館で、廊下の左右に仲居さんが20人ずら~っと並んで「いらっしゃいませ~」とお辞儀するようなところ。
若い前座たちは舞い上がったが、一番若いけど妙にひねている自分は「おかしいな」と思った。で、ご挨拶の方々がこそっと自分に「……で、師匠は?」と訊く。「四人だけですが」と答えると、怪訝な表情。もしやと思って、旅館の入り口に戻って表示板を見たら「立川談志様ご一行様」になっていた。
……で、天皇陛下が宿泊された部屋(昭和天皇がご在位の時)に通された。
師匠が来ないとわかっても今さらグレードダウンできないということで、そのまま豪華な夕食を出された。毛ガニと花咲ガニがひとり一杯ずつで、タラバガニがふたりで一杯。しかも料理人さんが部屋について、その場で調理してくれる。料理人さんは相手の客が誰かってことは見てなくてカニをいかに美味しく出すかということしか考えてないから、ぼろぼろのジーンズをはいた若者四人なんて気にしていない。もちろん、三食食べられれば御の字という若い前座たちのことなので、むさぼるようにカニを食べた。確かにうまかった。
四人で入ってもまだ余裕がある部屋付きの風呂に入ったりしてはしゃいでいると、女将があいさつに来た。でも師匠がいないとわかっているので、たった一言でぴしゃりと襖を閉めて帰っていった。
最終日は幸夫人が仕切る、千人以上収容する豪華なホールでの公演。前座四人では前座噺しかできないので、相談して大喜利形式にした。ステージが大きい上に司会者ひとりに回答者が三人しかいない大喜利なので、回答者と回答者の間が5メートルぐらい離れている。手を挙げても、司会者から一番遠い回答者が見えないというぐらいで、さんざんな出来だった。
でも、そんな調子での応援だったので「まさか当選するはずがない」と思っていた鳩山候補が初当選して……首相にまでなるとは思ってもなかった。
ただ……あの時から、おかしいとは思ってました(金遣いが良すぎる、という意味でしょうか)。
首相交代の次の時の話題といえば、ワールドカップ……って。心の中で「まだマクラやるつもりなんですか、談春師匠っ(汗)。今日はまさか、小三治師匠ばりにマクラだけで一席終えちゃうつもりなんでしょうか、いつ芸風を替えたんですかっ(滝汗)」と怒濤のツッコミいれてましたよ自分。
南アフリカ、治安悪いですね。日本のテレビ局が女性レポーターを派遣しないって決めたので相当だと思ってたけど、トイレに入っていたら途端に複数人に襲われてぼこぼこにされたとか、自動車に乗っていて信号で停止したらガラス窓を割られて襲われたとか、聞きしにまさりますね。警察だか軍だかのライフルが5千丁なくなったとか、こっちのその道の人がびっくりするような状況ですよ。
そういえば師匠がJAL寄席でナイジェリアのラゴスに行った時の話ですが、空港に迎えに来た車が時速200キロぐらいで飛ばすんだそうです。停めるとあちこちからライフル抱えた一団が飛び出してくるとかで。ところどころ道の途中にタイヤが山ほど積まれているんですが、そういうところに陣取っていると。
で、会場の邸宅が凄いんです。塀と厳重な扉があって、ライフル持った警備員がいるんです。さらに二重の塀と扉がある。なんで三重になっているかというと、その警備員が中に押し入れないようにしているんです。
そういうアフリカでワールドカップ。そういえば、自分の友人でサッカーの応援に命かけているやつがいるんだけど、フランスのワールドカップの時、会社を休みにして社員たちを招待して6人でフランスに応援に行った。社員たちは感激しました。で、試合5分前、会場で「社長、今回はチケット空売り騒ぎもあってたいへんだったでしょう」「確かに大変だった……すまん、実は会社は倒産した。せめてもと思って、招待した」という展開。そんな大事なことを試合5分前にきかされて、人間どうなると思います? ぼうぜんとしてしまうだろうと思うでしょ、でも彼らは失うものがなくなって、応援に熱が入ったそうです。その社長だった男が、今回の南アフリカにも行ってるんです。「ホテルがとても安かった」と行っていたんで、生きて帰ってこられないかも知れません……帰ってきたら、話を聴くつもりです。
一言一句覚えているわけではないのですが、こんな感じ。自分は、人の話を要約して記憶するタイプなので一言一句覚えているわけではないのでずか、談春さんの話は思い出して文字にするとかなり正確に思い出せるみたいです。たぶん、談春さんがその場で言葉を選ぶ能力が高くて、もの覚えの悪い自分にもかななりディテールまでインプットしてしまうということなんだと思います。
談春さんにし長いマクラ(爆笑の連続ですっかり場内が沸騰してます)。なぜアフリカの話を振ったかというと、幕末の治安から明治の世になってちょっと落ち着いた頃、刀の試し切りをしたいという辻斬りが出没したというネタにつなげたかったのでした。
刀の切れ味と自分の剣腕を試し買った(元)武士が辻斬りをしようとする。いろいろためらった挙げ句、橋のたもとの乞食を斬る。ずばっと斬ったという感触。
その話を自慢げに友人にした。すると友人も腕が試したくなって、橋の乞食を見つけて斬りかかる。がばっと起きあがった乞食が「この野郎、毎晩俺を棒で殴りつけるのはお前かっ!」という小咄。
おっと思ったら、次は「胴斬り」。
腕のいい人が斬るとすぐにぱかっと割れなくて、しばらくするとふたつに割れる(『北斗の拳』の「お前はすでに死んでいる」「ははは、馬鹿なことを。俺は生きてるぞっ……ぐあばっ」って感じでしょうか?)。
凄い腕の立つ侍がある町人を胴からまっぷたつに斬った……ら、上半身と下半身が生きていた(シュールだ……)。上半身は風呂屋の番台になって、下半身は蒟蒻屋で蒟蒻を踏む職人に奉公した。
上半身が風呂屋の客とぱぁぱぁ世間話をして、その客が下半身(通称「脚」)の様子を見に行ってくれることになった。上半身が「脚」に伝言。「最近、頭がのぼせる。三里に灸してくれ」
その伝言を聴いた「脚」も上半身に伝言があるそうだ。「番台で茶をがぶがぶ呑むんじゃねぇ。便所が近くなって困る」
ここで一旦オチた時に、小ねた解説。以前は「脚」を演じた時に、上半身を意識させないように、目をつぶって無表情に演じたのだとか。しかし、客から「胴体から下だけの下半身が目に浮かんできて気持ちが悪い」と言われ、普通に演じるようになったのだとか。
笑わせておいて、決まりわるそうにちょっと口ごもって、さらに展開。品川の女郎に呼び出された町人が酔っぱらっ上機嫌で品川に向かう……って、おお「首提灯」もくっつけてくれるのね。
その町人を呼び止めて麻布への道を聞いた浪人に、調子に乗った町人が悪口雑言を浴びせた上に、唾をはきかける。その唾が、殿から拝領した羽織の紋にかかったということで、武士の対面を汚された浪人が一閃。
ここからが真骨頂。談春さん、歩いてくるうちに頭が首の切口でずれて回ってしまうところとか、頭がだんだん重くなって首にめり込んでいくところとか、仕草や表情も抜群にうまい。グロでシュールな展開なのに、会場どっかんどっかん。
頭がずれて落ちそうで難儀しているところ、火事に出会う。鳶に突き当たられ、自分の首を差し出して「へえごめんよ」……あれ、ではなかった? 微妙に違うオチだったような気がする。
中入り
「宿屋の富」立川談春
あれ?「中の舞」とともに登場した談春師、羽織なしですね。真打ちでトリで羽織なしって初めて見たかも。
マクラは「談春版 宿屋の富ものがたり」みたいな。舟券を買うバクチで、人生で2回フロー体験をしたというその2回を微に入り細に入り、描いてくれました。フロー体験というのは、スポーツ選手が最高の記録やパフォーマンスを出した時に脳内物質が出まくって時間が止まったように感じる状態。
ひとつは、1万円で100万円以上当てた時。
さらに手元の金を全部賭ければ2000万円にもなる最終レース。「4-6」という組み合わせがオッズの中から浮き上がってみえたとか、トイレで用を足していたら老婆の声で「4-6」を囁きかけてきたとか。
果ては談志師匠が「芸人は賭けごとをしてはダメだ。芸にも一攫千金を求めるようになる」という声が聞こえてきて、他の券を買ってしまった。
そのおかげで、落語家としての自分がある、という流れで、予告されていた「宿屋の富」へ。
神田馬喰町の安宿に宿泊した客。見かけはぼろぼろだが、田舎言葉で話し始めた身の上が実はとてつもないお大尽という。人にかしづかれる生活に飽き、貧乏な旅人に身をやつして楽しんでいるという。
眉唾もののバカ話に載せられた宿の主、売れ残りの富くじを「当たるはずがない」からと伏しておがむ。調子のよい旅人「当たったら半分やる」と約束。
ひとりになって化けの皮を脱いだ旅人、お大尽とは嘘八百、これで一文無しに。
翌日、富くじの抽選会場である湯島の境内に。二番くじが絶対に当たると信じているヤツが、馴染みの女郎を身請けしてふたりきり差しつ差されつする妄想劇場を繰り広げたり。
当たるわけがないと思っていた一番くじを引きあてた偽お大尽動転して宿るに戻ってくると、風邪と称して布団に潜り込む。一番くじが当たったと知って半分の五百両がもらえるとあって、駆け込んでくる宿の主人。
ばくち話のせいか、マクラの談春物語からしてノリノリ。田舎もののお大尽を騙る旅人ののバカっ話も面白いが、一番受けたのは二番くじが当たると確信している通りすがりが、馴染みの女を身請けしてしっぽりする場面の妄想劇場。自分は賭け事をしないのでその辺りの心理はよくわからないけど、永遠の片思い相手の土方さんをあれこれ想像してでれでれする気持ちと似てます?
いったんサゲて、挨拶の口上。宮崎の畜産農家が口蹄疫対策で大変なので義捐金一口100円を募るとか。帰りがけに私も一口協力しました。多くの人がハコに100円入れて帰った模様。
☆★☆★
前日の志の輔師匠に続き、談春師匠も奇跡のようなライブ。これだから、にぎわい座ははずせないのです。感謝。
開口一番 「出来心」立川春樹
ちょこちょこっと笑いを取る。自分も時々「ぷっ」と吹き出す。
「首提灯」立川談春
今まで談春師はマクラはあまり長くないと思っていたし、あまりマクラねたを沢山出すという印象もなかったのだけど……今回はナゼか、「ま・く・ら」の談春。いつもと違うので、どきどきしちゃった(苦笑)。妙にノリノリで、どっかんどっかん笑わせてくれたし。
「鞍馬」とともに登場。「にぎわい座のお客様は優しくていいですね。前座が登場した時に拍手してくれるような会場は他にありません。それどころか、前座の噺には笑ってはいけないものだと思っている……地方はいまだにそうです。東京も都下だと。面白いと思ったら笑ってもいいんです、現に私も今日の春樹はところどころ面白いと思いましたし」。
そこから、笑わせるのが一番難しい客は京都だという話に。はじめて京都公演した時に、上方落語家が楽屋に挨拶に来てくれて、「京都の客が一番笑わせにくい」と教えてくれた。それも、その会場が一番むずかしいんだとか。
そこから、前日の志の輔さんも鳩山さんのマクラだったけど(鳩山さんは落語が好きで寝る前に志の輔らくごを聴いていたとらしいとか、パルコ公演の最終日を見に来る予定で駐車場を10台分確保するように言われて用意していたのだが開演15分前にドタキャンだったとか)、談春さんも鳩山さんネタ。鳩山さんが北海道で初出馬した時に、鳩山さんと幸夫人だけでは選挙区を廻りきれないから、談志師匠に応援の依頼が来た。談志師匠は行けなかったので「代わりに若いのを四人送る」と送り出されたのが、談々、関西(後の文都)、談春、志らくの前座四人。ちなみに、談春さんは当時19才か20才で選挙権なかった歳だったらしい(苦笑)。
その四人は鳩山さん選挙対策チームメンバーの運転する車で、特別養護老人ホームを一日四ヶ所も慰問するような苛酷なスケジュールをこなした(一箇所から次の場所に行くのに二時間半かかるとか、その間に信号がふたつしかないとか)。しかも、志らくさんが前の会場で靴に履き替えるのを忘れてスリッパで車に乗り込んでいたことを1時間後に思い出したので、引き返すはめになり、戻ったホームのスタッフに「いいですね皆さんは靴を履けて。ここにいる方々は一度入所したら滅多に靴を履くことがないんですよ」なんて嫌みをいわれた……とか、談春さん刻銘に語る語る(これでもはしょって書いてます)。
苛酷な慰問日程ながら、鳩山選挙事務所の計らいで登別温泉のホテルに一泊できた。それが、登別温泉で一番大きな旅館で、廊下の左右に仲居さんが20人ずら~っと並んで「いらっしゃいませ~」とお辞儀するようなところ。
若い前座たちは舞い上がったが、一番若いけど妙にひねている自分は「おかしいな」と思った。で、ご挨拶の方々がこそっと自分に「……で、師匠は?」と訊く。「四人だけですが」と答えると、怪訝な表情。もしやと思って、旅館の入り口に戻って表示板を見たら「立川談志様ご一行様」になっていた。
……で、天皇陛下が宿泊された部屋(昭和天皇がご在位の時)に通された。
師匠が来ないとわかっても今さらグレードダウンできないということで、そのまま豪華な夕食を出された。毛ガニと花咲ガニがひとり一杯ずつで、タラバガニがふたりで一杯。しかも料理人さんが部屋について、その場で調理してくれる。料理人さんは相手の客が誰かってことは見てなくてカニをいかに美味しく出すかということしか考えてないから、ぼろぼろのジーンズをはいた若者四人なんて気にしていない。もちろん、三食食べられれば御の字という若い前座たちのことなので、むさぼるようにカニを食べた。確かにうまかった。
四人で入ってもまだ余裕がある部屋付きの風呂に入ったりしてはしゃいでいると、女将があいさつに来た。でも師匠がいないとわかっているので、たった一言でぴしゃりと襖を閉めて帰っていった。
最終日は幸夫人が仕切る、千人以上収容する豪華なホールでの公演。前座四人では前座噺しかできないので、相談して大喜利形式にした。ステージが大きい上に司会者ひとりに回答者が三人しかいない大喜利なので、回答者と回答者の間が5メートルぐらい離れている。手を挙げても、司会者から一番遠い回答者が見えないというぐらいで、さんざんな出来だった。
でも、そんな調子での応援だったので「まさか当選するはずがない」と思っていた鳩山候補が初当選して……首相にまでなるとは思ってもなかった。
ただ……あの時から、おかしいとは思ってました(金遣いが良すぎる、という意味でしょうか)。
首相交代の次の時の話題といえば、ワールドカップ……って。心の中で「まだマクラやるつもりなんですか、談春師匠っ(汗)。今日はまさか、小三治師匠ばりにマクラだけで一席終えちゃうつもりなんでしょうか、いつ芸風を替えたんですかっ(滝汗)」と怒濤のツッコミいれてましたよ自分。
南アフリカ、治安悪いですね。日本のテレビ局が女性レポーターを派遣しないって決めたので相当だと思ってたけど、トイレに入っていたら途端に複数人に襲われてぼこぼこにされたとか、自動車に乗っていて信号で停止したらガラス窓を割られて襲われたとか、聞きしにまさりますね。警察だか軍だかのライフルが5千丁なくなったとか、こっちのその道の人がびっくりするような状況ですよ。
そういえば師匠がJAL寄席でナイジェリアのラゴスに行った時の話ですが、空港に迎えに来た車が時速200キロぐらいで飛ばすんだそうです。停めるとあちこちからライフル抱えた一団が飛び出してくるとかで。ところどころ道の途中にタイヤが山ほど積まれているんですが、そういうところに陣取っていると。
で、会場の邸宅が凄いんです。塀と厳重な扉があって、ライフル持った警備員がいるんです。さらに二重の塀と扉がある。なんで三重になっているかというと、その警備員が中に押し入れないようにしているんです。
そういうアフリカでワールドカップ。そういえば、自分の友人でサッカーの応援に命かけているやつがいるんだけど、フランスのワールドカップの時、会社を休みにして社員たちを招待して6人でフランスに応援に行った。社員たちは感激しました。で、試合5分前、会場で「社長、今回はチケット空売り騒ぎもあってたいへんだったでしょう」「確かに大変だった……すまん、実は会社は倒産した。せめてもと思って、招待した」という展開。そんな大事なことを試合5分前にきかされて、人間どうなると思います? ぼうぜんとしてしまうだろうと思うでしょ、でも彼らは失うものがなくなって、応援に熱が入ったそうです。その社長だった男が、今回の南アフリカにも行ってるんです。「ホテルがとても安かった」と行っていたんで、生きて帰ってこられないかも知れません……帰ってきたら、話を聴くつもりです。
一言一句覚えているわけではないのですが、こんな感じ。自分は、人の話を要約して記憶するタイプなので一言一句覚えているわけではないのでずか、談春さんの話は思い出して文字にするとかなり正確に思い出せるみたいです。たぶん、談春さんがその場で言葉を選ぶ能力が高くて、もの覚えの悪い自分にもかななりディテールまでインプットしてしまうということなんだと思います。
談春さんにし長いマクラ(爆笑の連続ですっかり場内が沸騰してます)。なぜアフリカの話を振ったかというと、幕末の治安から明治の世になってちょっと落ち着いた頃、刀の試し切りをしたいという辻斬りが出没したというネタにつなげたかったのでした。
刀の切れ味と自分の剣腕を試し買った(元)武士が辻斬りをしようとする。いろいろためらった挙げ句、橋のたもとの乞食を斬る。ずばっと斬ったという感触。
その話を自慢げに友人にした。すると友人も腕が試したくなって、橋の乞食を見つけて斬りかかる。がばっと起きあがった乞食が「この野郎、毎晩俺を棒で殴りつけるのはお前かっ!」という小咄。
おっと思ったら、次は「胴斬り」。
腕のいい人が斬るとすぐにぱかっと割れなくて、しばらくするとふたつに割れる(『北斗の拳』の「お前はすでに死んでいる」「ははは、馬鹿なことを。俺は生きてるぞっ……ぐあばっ」って感じでしょうか?)。
凄い腕の立つ侍がある町人を胴からまっぷたつに斬った……ら、上半身と下半身が生きていた(シュールだ……)。上半身は風呂屋の番台になって、下半身は蒟蒻屋で蒟蒻を踏む職人に奉公した。
上半身が風呂屋の客とぱぁぱぁ世間話をして、その客が下半身(通称「脚」)の様子を見に行ってくれることになった。上半身が「脚」に伝言。「最近、頭がのぼせる。三里に灸してくれ」
その伝言を聴いた「脚」も上半身に伝言があるそうだ。「番台で茶をがぶがぶ呑むんじゃねぇ。便所が近くなって困る」
ここで一旦オチた時に、小ねた解説。以前は「脚」を演じた時に、上半身を意識させないように、目をつぶって無表情に演じたのだとか。しかし、客から「胴体から下だけの下半身が目に浮かんできて気持ちが悪い」と言われ、普通に演じるようになったのだとか。
笑わせておいて、決まりわるそうにちょっと口ごもって、さらに展開。品川の女郎に呼び出された町人が酔っぱらっ上機嫌で品川に向かう……って、おお「首提灯」もくっつけてくれるのね。
その町人を呼び止めて麻布への道を聞いた浪人に、調子に乗った町人が悪口雑言を浴びせた上に、唾をはきかける。その唾が、殿から拝領した羽織の紋にかかったということで、武士の対面を汚された浪人が一閃。
ここからが真骨頂。談春さん、歩いてくるうちに頭が首の切口でずれて回ってしまうところとか、頭がだんだん重くなって首にめり込んでいくところとか、仕草や表情も抜群にうまい。グロでシュールな展開なのに、会場どっかんどっかん。
頭がずれて落ちそうで難儀しているところ、火事に出会う。鳶に突き当たられ、自分の首を差し出して「へえごめんよ」……あれ、ではなかった? 微妙に違うオチだったような気がする。
中入り
「宿屋の富」立川談春
あれ?「中の舞」とともに登場した談春師、羽織なしですね。真打ちでトリで羽織なしって初めて見たかも。
マクラは「談春版 宿屋の富ものがたり」みたいな。舟券を買うバクチで、人生で2回フロー体験をしたというその2回を微に入り細に入り、描いてくれました。フロー体験というのは、スポーツ選手が最高の記録やパフォーマンスを出した時に脳内物質が出まくって時間が止まったように感じる状態。
ひとつは、1万円で100万円以上当てた時。
さらに手元の金を全部賭ければ2000万円にもなる最終レース。「4-6」という組み合わせがオッズの中から浮き上がってみえたとか、トイレで用を足していたら老婆の声で「4-6」を囁きかけてきたとか。
果ては談志師匠が「芸人は賭けごとをしてはダメだ。芸にも一攫千金を求めるようになる」という声が聞こえてきて、他の券を買ってしまった。
そのおかげで、落語家としての自分がある、という流れで、予告されていた「宿屋の富」へ。
神田馬喰町の安宿に宿泊した客。見かけはぼろぼろだが、田舎言葉で話し始めた身の上が実はとてつもないお大尽という。人にかしづかれる生活に飽き、貧乏な旅人に身をやつして楽しんでいるという。
眉唾もののバカ話に載せられた宿の主、売れ残りの富くじを「当たるはずがない」からと伏しておがむ。調子のよい旅人「当たったら半分やる」と約束。
ひとりになって化けの皮を脱いだ旅人、お大尽とは嘘八百、これで一文無しに。
翌日、富くじの抽選会場である湯島の境内に。二番くじが絶対に当たると信じているヤツが、馴染みの女郎を身請けしてふたりきり差しつ差されつする妄想劇場を繰り広げたり。
当たるわけがないと思っていた一番くじを引きあてた偽お大尽動転して宿るに戻ってくると、風邪と称して布団に潜り込む。一番くじが当たったと知って半分の五百両がもらえるとあって、駆け込んでくる宿の主人。
ばくち話のせいか、マクラの談春物語からしてノリノリ。田舎もののお大尽を騙る旅人ののバカっ話も面白いが、一番受けたのは二番くじが当たると確信している通りすがりが、馴染みの女を身請けしてしっぽりする場面の妄想劇場。自分は賭け事をしないのでその辺りの心理はよくわからないけど、永遠の片思い相手の土方さんをあれこれ想像してでれでれする気持ちと似てます?
いったんサゲて、挨拶の口上。宮崎の畜産農家が口蹄疫対策で大変なので義捐金一口100円を募るとか。帰りがけに私も一口協力しました。多くの人がハコに100円入れて帰った模様。
☆★☆★
前日の志の輔師匠に続き、談春師匠も奇跡のようなライブ。これだから、にぎわい座ははずせないのです。感謝。
菅総理が新しい内閣を「奇兵隊」と表現してましたね。さすが長州ご出身。
一般的には高杉晋作率いる庶民の隊という颯爽としたイメージなんでしょう。自分は戊辰戦争終了後に奇兵隊がどうなったか、ついつい考えてしまうんで……もごもご(汗)。
一昨日聴いた立川志の輔師匠は前任の鳩山さんについて、「あの方は50年以上にわたって閉められていたパンドラの箱を次々開けてしまったんです。そりゃ短期間では解決しませんよ、開けたこと自体を評価すべきです。ただ……閉め方をご存じなかったという」と、笑わせてくれました。菅さんがパンドラの箱を収拾できるよう、祈っております。
神奈川
展示:横田七郎氏没後10年の回顧展--小田原「岩瀬家住宅」 /神奈川
将軍の生活描いた浮世絵展、川崎で7日から
愛知
「仁吉」をしのび吉良でまつり
三重
[9]亀山城 多門櫓、今夏から衣替え
大阪
「ひらかた大菊人形」今秋限りの復活 京阪100周年で
香川
渡米150年 咸臨丸支えた塩飽水夫35人の功績たたえる石碑建立
兵庫
「幸民ビール」復刻版の試飲会、人気上々…兵庫
幕末ビール、お先にグイッ 三田で試飲会
広島
海から見える鞆の浦 広島県福山市
高知
土佐藩士の日記、関心呼ぶ 竜馬一家との交流もつづる
長崎
くんちさるく:参加者、心躍るシャギリの音--市民塾 /長崎
ニューヨーク
150年ぶり、NYでサムライお練り 遣米使節団を再現
一般的には高杉晋作率いる庶民の隊という颯爽としたイメージなんでしょう。自分は戊辰戦争終了後に奇兵隊がどうなったか、ついつい考えてしまうんで……もごもご(汗)。
一昨日聴いた立川志の輔師匠は前任の鳩山さんについて、「あの方は50年以上にわたって閉められていたパンドラの箱を次々開けてしまったんです。そりゃ短期間では解決しませんよ、開けたこと自体を評価すべきです。ただ……閉め方をご存じなかったという」と、笑わせてくれました。菅さんがパンドラの箱を収拾できるよう、祈っております。
神奈川
展示:横田七郎氏没後10年の回顧展--小田原「岩瀬家住宅」 /神奈川
◇幕末のお屋敷で、彫刻や版画55点
国の登録有形文化財に指定されている小田原市鴨宮の「岩瀬家住宅」で、地元の彫刻家で版画家、横田七郎氏(1906~2000年)の没後10年の回顧展が始まった。屋敷内を地域文化交流の拠点にしようと築80年の蔵を改装、ギャラリーと小ホールのある「巨欅(おおけやき)の居(いえ)」を開設した“こけら落とし”に岩瀬家とつながりが深い横田氏の回顧展開催となった。
同住宅は安政4~5(1857~58)年の建築で、幕末から明治期の豪農の形態を残す貴重なかやぶきの農家造り。戦後の三越の社長として長年、財界で活躍した岩瀬英一郎氏の生家でもある。
ギャラリーを開設したのは岩瀬家当主・康家さん(87)の長男忠司さん(57)。かやぶきの母屋に住んでいた康家さんが敷地内に建てたバリアフリー住宅に移ったのを機に、母屋や昭和初期の鉄筋コンクリート造りの蔵、土蔵を改装した。
忠司さんによると回顧展を開く横田氏は岩瀬本家の貸家に住んだほか、岩瀬別家の当主と意気投合し兄弟のような付き合いや金銭的支援を受けたという。
回顧展には80歳を過ぎてからも新しいことに挑戦した横田氏の原点とも言える作品から晩年のものまで彫刻約40点、版画約15点と幅広く展示した。横田氏の長男で小田原市議の八郎さん(65)も全面的に協力、初公開の珍しい作品のほか、地元との交流、岩瀬家とのかかわりなどエピソードも紹介している。
同展は20日まで(10~18時)で無料。13日午後1時から、近隣の6カ所にあるモニュメント作品や、横田氏が制作の場としていたアトリエを見学する「屋外作品見学ウォーク」がある。
問い合わせは同ギャラリー(0465・49・6077)。【澤晴夫】
将軍の生活描いた浮世絵展、川崎で7日から
江戸時代の徳川家の将軍の生活や、江戸城の年中行事を描いた浮世絵を紹介する「千代田之御表」展が7日から、川崎市川崎区の川崎・砂子の里資料館で開かれる。
浮世絵は幕末の武士で、戊辰戦争に参戦した後に絵師になった楊洲(ようしゅう)周延(ちかのぶ)が1897年に描いたもので、将軍が剣術試合を観覧する「武術上覧」など33点を展示する。
奉行が事件を選んで将軍の前で裁いて見せた「公事上聴」を描いた浮世絵では、罪人として町奉行の前に引き出された遊女が華やかに着飾っており、将軍に見せる特別な裁判だったことがうかがえる。
斎藤文夫館長(81)は、「当時は江戸時代を覚えている人もたくさんいた。人々のノスタルジーをかき立てた徳川三百年の伝統をぜひ見に来てほしい」と話している。26日まで。日曜休館。入館無料。
愛知
「仁吉」をしのび吉良でまつり
吉良町上横須賀の源徳寺(藤原知貴住職)で6日、30回目の仁吉まつりが開かれ、町関係者や商工会などが仁吉の墓前で供養した。
吉良の仁吉は、幕末に活躍した同町出身の侠客。清水次郎長の子分で義理と人情に厚いことで知られている。仁吉まつり実行委員会が、仁吉の人柄をしのんで毎年この時期に開いている。
この日は、吉良小唄保存会員や子ども約200人が、町中の道路を赤い法被姿で鳴子を手に踊りながら練り歩き、見物客らから大きな拍手が贈られた。境内では、特産品の販売や抹茶がふるまわれ、多くの町民で賑わっていた。
三重
[9]亀山城 多門櫓、今夏から衣替え
亀山城(三重県亀山市)は不運の城だ。
寛永9(1632)年、丹波(京都府)亀山城の天守閣を解体するように幕府から命じられた堀尾忠晴は間違えてここ伊勢亀山城の天守を取り壊してしまったとされる。
現在、市役所隣に天守台と称される石垣が残る。上に立つ多門櫓(やぐら)は、江戸時代の中核的城郭建築としては三重県内では唯一の遺構なのだが、建物だけでなく石垣も含めた全体で県史跡となっている。
不当な低評価だと思われるのだが、市側は「明治以降から近年まで市役所の会議室などとして使われ、外観、内部に至るまで改造されてしまっていたので仕方ない」と説明する。何と水洗トイレまで設けられてしまっていたのだ。
その多門櫓が「逆襲」に転じている。陣頭指揮に立つのが同市文化部まちなみ文化財室の嶋村明彦室長(49)だ。
嶋村さんは学生時代に建築史を学び、92年からは長野県の旧楢川村に移り住んで奈良井宿の町並み保存に尽力。95年から旧関町の招きで東海道関宿の町並み保存に力を注いだ。そして合併で亀山市職員となり、今度は城下町整備に取り組んでいる。
昨年、多門櫓を徹底的に調査した。櫓の建立年はよくわかっていないが、「櫓は嘉永7(1854)年の大地震で大破した後に建てられたものだと思う。大規模な修理のあとがなかったので、完全に建て直されたものだろう」と嶋村さんは推測する。
城の外観・内部とも今とは違ったものが浮かんできた。現在は板壁だが、当時は白壁。瓦の種類も窓の位置や数も違っていた。櫓内部は現在板敷きになっているが、一部土間であることがわかった。「古い建築物の本来の姿を明らかにし、多くの方々に見ていただけるようにすることが、私たちの仕事の面白いところ」と嶋村さんは話す。
今年夏ごろから始まる工事では、極力、幕末時点の姿に戻す作業となる。2012年春までの長丁場だ。「城下町亀山のシンボルが修理のため見えなくなってしまうのは申し訳ないが、文化財保存のためにしばらくの間我慢していただきたい」と嶋村さん。
12年春には白壁の多門櫓が登場。「今度は建造物として櫓単独で文化財に申請したい。この櫓はそれだけの価値があります」。町並み保存のプロの自信だ。(斉藤勝寿)
大阪
「ひらかた大菊人形」今秋限りの復活 京阪100周年で
関西の秋の風物詩として長年愛され、2005年に閉幕した菊人形展「ひらかた大菊人形」(京阪電鉄、朝日新聞社など主催)が、今秋限りで復活する。同電鉄が、開業100周年の記念事業として行う。テーマは幕末の志士・坂本龍馬の予定で、10月9日~11月28日に大阪府枚方市のひらかたパークで開催する。
龍馬の生涯を薩長同盟や寺田屋事件など11の場面に分け、約1万株の菊などを使った人形27体で描く。妻のお龍(りょう)や桂小五郎など多彩な登場人物を鑑賞通路近くに展示し、「龍馬になった気分を味わえる」(京阪電鉄)という。
ひらかた大菊人形は1910(明治43)年、京阪電車の大阪・天満橋―京都・五条(現・清水五条)間の開通を記念し、同府寝屋川市で開かれた菊人形展が始まり。44~45年を除いて毎年開催されてきた。ピークの74年には約85万人が来場。しかし、菊人形をつくる職人・菊師の高齢化や後継者不足から、96年間の歴史に幕を下ろした。
ひらかたパークでは閉幕後も毎秋、菊師から従業員らが技術を学ぶため、5体ほどの製作、展示を続けてきた。しかし本格的な再開を求める声が多く寄せられたため、1年限定での復活が決まった。
香川
渡米150年 咸臨丸支えた塩飽水夫35人の功績たたえる石碑建立
江戸幕府の軍艦「咸臨丸」が幕末に渡米してから150年を記念して、香川県の歴史愛好家の会「讃岐龍馬会塩飽(しわく)社中」は、同船に水夫として乗り込んだ塩飽諸島出身の35人の功績をたたえる石碑を同諸島の櫃石(ひついし)島(坂出市)に建立。26日、子孫を招いて、除幕式を行う。同会の丸野忠義会長は「日本の船として初めて太平洋横断に成功した咸臨丸で、塩飽の人々が果たした役割は大きく、その歴史を語り継ぎたい」と話している。
咸臨丸に乗り込んだ50人の水夫のうち35人が同諸島の本島、広島、高見島、櫃石島、牛島、佐柳(さなぎ)島、瀬居島の7島の出身者だった。
塩飽の人々は古くから瀬戸内海の海運を担い、江戸時代は中期まで幕府の御用船方として城米の輸送など重要な役割を果たした。操船技術に長けていたことから、幕府の徴用を受けて咸臨丸に乗り込んだ。
しかし、咸臨丸の航海での塩飽の人々の活躍は全国的にはあまり知られておらず、「過酷な航海を支えた塩飽の人々に光をあてたい」と、歴史愛好家ら約25人が2002年、会を結成。子孫や、墓を訪ねる調査などを進めてきた。漁港跡地に建てられる石碑は花こう岩で高さ2メートル、幅2・5メートル。太平洋の荒波を進む咸臨丸の写真を転写し、「郷土の誇りとして その名を永く 後世に伝えん」とする文字と、水夫35人の氏名を刻む。
同会は04年6月、佐柳島出身で、同船の水夫で後に海援隊士となり坂本龍馬と行動を共にした佐柳高次(1835~91)を顕彰する石碑を同島に建てている。除幕式には大阪や櫃石島から水夫の子孫3人が訪れる予定で、子孫の1人で大阪市港区在住の藤本増夫さん(59)は「水夫たちの活躍は歴史の闇に埋もれている。全員の名を記した碑を故郷に建てることは意義があり、誇りに思う」と話している。
兵庫
「幸民ビール」復刻版の試飲会、人気上々…兵庫
兵庫県三田市出身で「日本の化学の祖」と称される蘭(らん)学者・川本幸民(1810~71)によって、1853年に日本で初めて醸造されたビールの復刻版の試飲会が5日、市まちづくり協働センター(駅前町)の多目的ホールで開かれ、招待客約160人が〈黒船来航〉の時代に思いをはせながら、香り高いビールを味わった。
幸民はペリー提督の黒船来航と同じ年に、西洋の化学書を参考にしてビールを醸造。市は幸民の生誕200年記念事業の一環で、地ビールの醸造に明るい酒造会社「小西酒造」(伊丹市)に、当時に近いやり方で再現するよう依頼した。
この日、「幕末のビール復刻版 幸民麦酒(ばくしゅ)」の試飲に先立ち、醸造を担当した同酒造の地ビール主任技師・辻巌さん(52)が「幸民ビールの秘密を探る」と題して講演した。
辻さんは、幸民が黒船で味わったビールに関心を寄せ、日本酒の酵母を使うなどしてビールを醸造したことや、桂小五郎や緒方洪庵らと試飲したことを紹介。一足早く「幸民麦酒」を味わった幸民のひ孫の川本裕司さん(83)や妻、みち子さん(76)(東京都練馬区)らから「おいしい」と〈合格点〉をもらったことを報告した。
続いて招待客が試飲を始めると、次々と「うまい」「おいしい」と声が上がった。宝塚市月見山、主婦杉本紀江さん(53)と西宮市名塩南台、主婦田中曜子さん(60)は「味が濃いのに、のど越しはすっきり」「三田の周辺でしか売っていないのが残念」、同酒造の小西新太郎社長(58)は「このビールと三田の名前が全国に広まってほしい」と話し、竹内英昭市長は「三田の売りが、またひとつ誕生した」と胸を張った。
「幸民麦酒」は、一般向け330ミリ・リットル瓶が予定価格630円。JA兵庫六甲運営の農産物直売所「パスカルさんだ」(川除)など市内14か所のほか、神戸市北区の3店舗や西宮市北六甲台の酒店で、8日から発売される。問い合わせは三田市生涯学習課(079・559・5145)。
幕末ビール、お先にグイッ 三田で試飲会
日本で初めてビールをつくったとされる三田藩出身の蘭学者(らん・がく・しゃ)川本幸民(1810~71年)と同じ手法で醸造した「幕末のビール復刻版 幸民麦酒」の試飲会が5日、三田市駅前町の同市まちづくり協働センターであった。参加した約160人からは「コクがあっておいしい」などと好評だった。
幸民生誕200年の記念事業に取り組む三田市が、伊丹市の小西酒造に醸造を依頼。同社の地ビール主任技師、辻巌さん(52)が幸民の翻訳書「化学新書」などを調べて醸造方法を研究し、試行錯誤を繰り返して約2カ月がかりで完成させた。
できあがったビールは、色は今のものよりやや濃いめだが、アルコール度数は4・0~4・5度でほぼ同じ。
試飲会に参加した宝塚市の主婦杉本紀江(のり・え)さん(53)は「おいしい。コクがあってこうばしく深い味がする」といい、「川本幸民ってどんな人か知りたくなった」と話した。
試飲会に先立ち、辻さんの講演があり、辻さんは「幸民は清酒の酵母を使ったとみられる。同じ方法でつくった」などと話した。
6日から三田市の酒販店や伊丹市の白雪ブルワリービレッジ長寿蔵などで販売する。330ミリリットル入りの瓶で630円(税込み)。インターネットでの販売もする。
広島
海から見える鞆の浦 広島県福山市
■船上から 時超えた美
万葉集にうたわれ、天然の良港として栄えてきた広島県福山市の鞆(とも)の浦。江戸の風情が残る町は山と海に囲まれた箱庭のようだ。海から眺めてみたくなり、船で目指した。江戸時代にタイムスリップしたような錯覚にとらわれた。(中野寛)
JR尾道駅前の桟橋からクルーズ船に乗り込んだ。潮風を受けながら瀬戸内海を走る。島々と、次々現れる巨大な造船工場群。約40分後、左方に鞆の町並みが見えてきた。坂本龍馬率いる海援隊の使った蒸気船「いろは丸」が紀州藩の船と鞆の浦沖で衝突、沈没したため、龍馬が一時身を寄せた町だ。
港には、江戸時代の商家や港湾施設が立ち並ぶ。切り出した石を積んでつくられた防波堤「波止」が波を遮り、鞆港内は静寂に包まれている。雁木(がん・ぎ)(階段状の船着き場)に係留された漁船が、小刻みに揺れていた。
はやる気持ちをじらすように、船は港を通り過ぎて弁天島(百貫島)を一周。右手には江戸期の朝鮮通信使がそこからの眺めを「日東第一形勝」(朝鮮半島より東で一番の景勝地)とたたえた対潮楼が見える。デジカメを構えた観光客が時を越え、瀬戸内海の美しさにうっとりと見とれていた。
船は常夜灯を左に見ながら鞆港へ入り、桟橋に寄せられた。「いろは丸事件」の際、助けられた紀州藩の船で、龍馬も鞆港に入った。幕末の英雄は、何を思いながら入港したのだろう。
「海から見る鞆の浦は、本当に美しかった」。東京から母親と2人で旅行に来た鈴木宏さん(52)が、満足げに船を下りていった。親子に続いて船を後にし、夕日を受けてぼんやりとオレンジ色に輝き始めた町を歩いた。どこからか、魚を焼くにおいが漂ってくる。この生活感も、鞆が持つ大きな魅力の一つだ。華々しさはない。だが鞆の浦は、心にじんわりと染みる昔ながらの風情に包まれていた。
◇
クルーズ船は11月21日まで土・日・祝日。鞆から尾道への便もあり、片道1500円。問い合わせは瀬戸内クルージング(0865・62・2856)へ。
◎味わう
「いろは丸事件」で龍馬が談判した「旧魚屋萬蔵(うお・や・まん・ぞう)宅」をNPOが修復した「御舟宿(おん・ふな・やど)いろは」。自慢メニューの一つが鯛(たい)漬け御膳(ご・ぜん)だ。昆布やみりんなどで漬け込んだ瀬戸内産の鯛をわさびじょうゆでいただくと、ご飯が進む。薄めのダシでお茶漬けにすれば、違った味わいに。考案したシェフの渡辺裕右さん(27)は「よそでは味わえない食べ方です」。午前10時~午後5時。火・水曜定休。電話084・982・1920。
◎お土産
大正時代のレトロな雰囲気漂う喫茶店「友光軒」では、オリジナルキャンドルがお土産に人気。店長の武田典子さん(64)が市内の野山で採ってきた草花を押し花にし、ロウで押し付けてある。1個315円~約1万円。坂本龍馬などのデザインも。子供の手足形をとってデザインにすることもできる。武田さんは「コーヒーもキャンドルも楽しんで」。午前10時~午後6時。月曜定休。電話084・982・2721。
◎名物
「長居してもらって構いません」。江戸中期の民家を改装したギャラリー喫茶「櫻や」の店長渡辺直美さん(31)の優しい笑顔に、つい足を止めてしまう旅人は多い。店内の時はゆったり流れ、本を読んだり、昼寝したりしてしまう人も。町内の菓子工房から仕入れる作りたてのタルトやロールケーキを食べながら、渡辺さんとおしゃべりを楽しんではいかが? 午前10時~午後6時。不定休。電話084・982・2110。
◎出会う
尾道から鞆港までクルーズ船のかじを取る瀬戸内クルージングの航海士芹沢美冴(み・さえ)さん(21)。この春、海上技術を学ぶ静岡県の短大を卒業した新米だ。在学中に色々な海を見たが、瀬戸内海の美しさに魅せられてこの職を選んだ。「海に浮かぶ島々と、それぞれの島を結ぶ橋がきれい」と満面の笑み。潮の流れを読みながら、揺らさないよう船を進める。「操縦していて、お客さんにすごい、と言われるとうれしい」とはにかんだ。
■アクセス クルーズ船で鞆港に向かう場合は、JR山陽線の尾道駅から乗降場所まで徒歩3分。クルーズ船の乗船時間は約55分間。陸路では、JR福山駅から路線バスで約30分。
高知
土佐藩士の日記、関心呼ぶ 竜馬一家との交流もつづる
坂本竜馬一家と交流のあった無名の土佐藩士の日記が専門家の間で静かな注目を集めている。幕末の血なまぐさい政治情勢をよそに日ごろの生活や竜馬の兄との交流が淡々とつづられ、専門家は「世間の激動から一歩距離を置いた中年武士の思いが表れ面白い」と評価している。
筆者は作家安岡章太郎さんの祖先の土佐藩郷士安岡文助。1800年代中ごろの日常を約30年間、約220ページにわたって書き留め、幕末維新期の祖先を取り上げた安岡さんの小説「流離譚」にも登場する。
次男嘉助は藩の重職吉田東洋の暗殺犯で、過激な政治活動に打ち込んだ志士。だが、暗殺があった62年は「嘉助 大石団蔵 那須新吾 坂本龍馬 亡命」(4月8日)など3日分しかない。暗殺に触れず、名前の表記や日付が事実と異なる個所もあった。
県立坂本竜馬記念館の三浦夏樹主任学芸員は「息子の行動にショックを受けたのだろう。書くのがはばかられたのかもしれず、複雑な思いが読み取れる」と話す。
日記は、緊迫した状況と一見無関係の出来事を多く記した。高知県香南市の安岡家で保管され、一般公開はしていない。
長崎
くんちさるく:参加者、心躍るシャギリの音--市民塾 /長崎
長崎くんちの愛好家でつくる市民グループ「長崎くんち塾」(楊爾嗣(ようちかし)塾長)がこのほど、「くんちさるく」を開いた。祭り幕開けの神事「小屋入り」の日に参加した30人は奥深い伝統芸能に興味津々の様子だった。
長崎市のまち歩き観光「長崎さるく」の一環。「くんちさるく」は今年で3年目だが昨年までは10月7~9日の祭り期間中が中心だった。今年は同塾の結成10周年を記念し、初めて小屋入りから9月の公開練習、直前の庭見せまで計12回開催する。
昨年の踊町(おどりちょう)の一つ、筑後町の総監督だった平浩介さん(46)らが、1863年に始まったくんちの歴史や、キリシタン対策など当時の背景などを説明。踊町が関係団体を回って囃子(はやし)やシャギリを披露する「打ち込み」も見学した。
参加した元会社員、黒田雄彦さん(64)は「勉強になったし、シャギリの音を聞くと『いよいよだな』と感じる。幕末に坂本龍馬も耳にしていたかも」と話した。【錦織祐一】
ニューヨーク
150年ぶり、NYでサムライお練り 遣米使節団を再現
【ニューヨーク=田中光】幕末に結ばれた日米修好通商条約の批准書を「遣米使節団」が持参してから150年になるのを記念したパレードが6日、ニューヨークで開かれた。当時を再現した和装、帯刀姿の日米両国関係者がセントラルパークを練り歩き、ニューヨーク市民から歓声が上がった。
遣米使節団は、江戸を出発した後、途中まで勝海舟や福沢諭吉を乗せた咸臨丸(かんりんまる)の護衛を受けながら、サンフランシスコ、ワシントンなどを訪問。1860年6月、最終訪問地のニューヨークに着き、約50万人の市民が出迎えるなか、目抜き通りを正装で行進したとされる。
この日のパレードは、ニューヨーク市警楽団がアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌などを演奏しながら先導。日本総領事館や日系企業関係者、ボランティアなど日米の約200人が参加した。
米軍普天間飛行場の移設問題などこのところぎくしゃくしている日米関係だが、先頭を歩いた西宮伸一総領事は「次の150年の友情の一歩としたい」と話した。
これは嬉しいニュースです。
大沢&綾瀬「JIN」でラブラブ再共演
大沢「JIN」が帰ってくる!! 大反響TBSドラマ続編決定!!
「JIN―仁―」続編で完結!来春放送へ
綾瀬はるか、続編決定「とてもうれしい」
09年度の連ドラNo1視聴率を記録した
『JIN-仁-』の続編が決定!
11年4月期連続ドラマで完結を迎える!
さらに!ギャラクシー賞、橋田賞をはじめ数々の賞を受賞!
海外の賞もあわせ、その数何と23冠!
TVドラマ「JIN-仁-」完結編となる続編の制作が決定
「JIN」続編決定!熱愛、大沢&綾瀬再び共演
大沢さん・綾瀬さん・内野さん・中谷さんに続くキャスティングも楽しみです!
大沢&綾瀬「JIN」でラブラブ再共演
俳優・大沢たかお(42)が主演して大ヒット作となったTBS・MBS系ドラマ「JIN‐仁‐」の続編が制作されることが7日、分かった。来年4月から連続ドラマとして、日曜午後9時枠で放送される。大沢は、ヒロイン役の綾瀬はるか(25)と熱愛報道があったばかり。作中では切ない間柄の登場人物を演じる2人だが、ストーリー展開と併せて、プライベートの恋模様も注目される。
◇ ◇
“『JIN』がつないだ仲”で話題の2人が続編に挑むことになった。ドラマ「JIN‐仁‐」は、現代社会に生きる脳外科医・南方仁(大沢)が幕末の江戸へとタイムスリップして、歴史に影響を与えるSF時代劇。昨年10~12月に連ドラで放送され、最終回では2009年の民放連ドラ最高視聴率となる25・3%を記録した。
大沢は、ヒロインで看護師の橘咲を演じる綾瀬と、プライベートで“通い愛”を報じられたばかり。双方の所属事務所は熱愛を否定したが、大沢は「(共演陣は)みんな仲がいいんで、(前作終了後も)電話で話したりしてました。『結局のところ、続編はないんですかね』みたいな感じで」とキャスト同士の深いキズナを打ち明けた。
続編には、西郷隆盛、徳川慶喜といった歴史的人物が新たに登場。前作では、仁と咲の切ない恋の行方や、仁が親友となった坂本龍馬(内野聖陽)の暗殺を食い止められるかなど、いくつかのナゾが残された。連ドラ第2弾はすべてが解決する完結編になり、映画化の可能性はないという。
期待の高い続編に挑む大沢は、「俳優史上でもっとも大きな決断でした。次に普通のモノをやったらこづかれるし、ちょっといいモノをやっても『そんなモノか』と言われますから」と胸中を吐露。「大きな作品を汚してはいけない。『1』の頑張りではダメだし、『1』の新鮮さはもうないので、それを超える何かがないと」と並々ならぬ覚悟で来年2月のクランクインに備えている。
大沢「JIN」が帰ってくる!! 大反響TBSドラマ続編決定!!
昨年大反響を呼んだTBS系の連続ドラマ「JIN-仁-」の“続編”が来年4月から放送されることが7日、分かった。主演の俳優大沢たかお(42)、女優の綾瀬はるか(25)ら前作の主要キャストに加え、新たな実力派俳優陣も登場。一段とスケールアップした物語が、いよいよ最終章を迎える。
幕末の江戸にタイムスリップした脳外科医・南方仁の生きざまを描いた「JIN-仁-」は、最終回の平均視聴率が25・3%と昨年度連続ドラマの最高視聴率を記録。SFや歴史、医療、恋愛などの要素を巧みに盛り込んだヒューマンストーリーは、ギャラクシー賞や橋田賞など国内外“23冠”に上る栄誉も獲得した。
8年ぶりのドラマ出演となった大沢も「俳優人生の大きなターニングポイントになった作品」と振り返る。「仁はどんな逆境でも自分にあるものを信じて前に進もうとする。こんなに孤独でも一生懸命生きようとする。自分もそうでありたい」と魅力を語る。
続編の見どころについて同局の石丸彰彦プロデューサーは「歴史と仁との戦いがテーマ。前作は江戸の人々の笑いがあふれていたが、今回は大政奉還という大きな波が近づき、時代の終息感が漂ってくる」と話す。
前作では仁と友情を深めていく坂本龍馬の運命や、仁のタイムスリップなど数々の謎を解き明かさないまま終了したため、同局には問い合わせが殺到。原作の漫画は今も連載が続いているため、続編の行方が注目されていた。
続編では西郷隆盛や徳川慶喜などの新たなキーマンも登場し、すべての謎に答える“完結編”となる予定だ。「ROOKIES」など数々のヒット作を手がけ“歴史オタク”を自称する石丸プロデューサーは「スケール大きく描きたい。作品としては自信あります」と言い切る。
綾瀬は「続編はあるのかとすごく聞かれて、多くの方々に支えられていたことを実感しました。お応えできることがとてもうれしい」とコメント。来年2月からクランクインする予定だ。
◆ドラマ「JIN-仁-」 村上もとかの漫画が原作の歴史SFストーリー。現代から幕末の江戸にタイムスリップしてしまった脳外科医・南方仁(大沢たかお)が、満足な医療器具もない中で自らの知識や技術を駆使して人々の命を救っていく。幕末の英雄・坂本龍馬(内野聖陽)らと交流と深めていく仁は人の運命を変えてしまうことに悩みつつ、幕末の動乱へと巻き込まれていく。仁を支える武家の娘・橘咲(綾瀬はるか)や、仁の恋人・友永未来にそっくりの花魁(おいらん)野風(中谷美紀)との恋模様も見どころ。2009年10月11日から12月20日にかけて11回にわたり放送された。
「JIN―仁―」続編で完結!来春放送へ
昨年の民放ドラマ最高視聴率25・3%を記録したTBS「JIN―仁―」の続編が、来年4月から放送される。
前回と同じ「日曜劇場」(日曜後9・00)枠。幕末の江戸へタイムスリップした大沢たかお(42)演じる脳外科医が人々の命を救い、歴史の渦に巻き込まれていく物語。綾瀬はるか(25)、中谷美紀(34)、内野聖陽(41)ら出演陣は変わらず、大政奉還へ向かう江戸を描く。大沢は「続編はハードルが高く悩んだが、プロットを読んで感動した。僕の俳優史上で最も大きな決断だったが、トライしてみたいと思った」と話した。石丸彰彦プロデューサーによると、この続編で完結する。
大沢と綾瀬は交際が取りざたされている最中。ドラマでも2人の淡い恋は描かれており、こちらの展開も注目だ。
綾瀬はるか、続編決定「とてもうれしい」
TBS系で昨秋放送され高視聴率を獲得した連続ドラマ「JIN-仁-」の続編が、来年4月期の連ドラ(日曜後9・0)として制作されることが7日、分かった。主演の大沢たかお(42)は、続編決定に「絶対に楽しんでもらえるという確信がある。自分の俳優史上で最も大きな決断」と並々ならぬ決意を示した。前作に続いて共演する女優、綾瀬はるか(25)とは先ごろ、写真誌に熱愛を報じられたばかり。双方否定はしたが、再共演に注目が集まりそうだ。
綾瀬は「『続編はあるのか』とすごく聞かれて、多くの人に支えられていたことを実感しました。お応えできることがとてもうれしい」と続編決定を喜ぶ。咲役について、「優しくて強い女性で、あこがれるところがあります。一生懸命演じたい」と誓った。
仁の現代の恋人・未来と江戸吉原の花魁・野風の2役を演じた中谷は「野風と未来を大切に演じたい」。坂本龍馬役の内野も「『JIN』の世界と龍馬にまたじっくり向き合えるのを楽しみにしています」とそれぞれ意欲満々だ。
09年度の連ドラNo1視聴率を記録した
『JIN-仁-』の続編が決定!
11年4月期連続ドラマで完結を迎える!
さらに!ギャラクシー賞、橋田賞をはじめ数々の賞を受賞!
海外の賞もあわせ、その数何と23冠!
TBSで2009年10月クールに放送された日曜劇場『JIN-仁-』の続編がこの度決定した。2011年4月期の日曜劇場枠で連続ドラマとして放送され、物語も完結する。
日曜劇場『JIN-仁-』は、現代の脳外科医・南方仁(大沢たかお)が、ある事件がきっかけで江戸時代にタイムスリップしてしまい、満足な医療器具もない中で幕末の人々の命を救い、その医術を通して幕末の英雄である坂本龍馬(内野聖陽)らと交流を深めながら、公私に渡り支えとなる橘咲(綾瀬はるか)や吉原の花魁・野風(中谷美紀)らと共に、自らも幕末の動乱に巻き込まれていく壮大なヒューマンストーリー。現代に生きる私たちが忘れかけている「生きる」という意味を視聴者に問いかけ、いつの時代でも懸命に生きる事の大切さ、人が人を想う気持ちの美しさ、そして人の笑顔の輝きを伝えた。
昨年のドラマでは初回の放送から大きな反響を得て、第5話では、同クールの連ドラ初の20%越えを果たし、最終回は平均視聴率25.3%を記録、09年度連続ドラマの最高視聴率を獲得した。(瞬間最高視聴率は29.8%!)
最終回では、CHILD・TEEN・F1・F2・F3・M1・M2でTOPを獲得し、まさに世代を超え支持されたドラマとなった。(ビデオリサーチ調べ・関東地区)
また放送終了後から現在までに『JIN-仁-』は様々な賞を受賞。作品やスタッフ、キャストが受賞した賞は、ギャラクシー賞、橋田賞など日本を代表する賞から海外の賞まで、現段階で何と23冠!近々では、まもなくグランプリの発表となるモンテカルロ賞にもノミネートされている。
そして、視聴者から続編を希望する声も数多く寄せられ、様々な情報も飛び交うなか、連続ドラマでの続編・完結が決定した。
キャストは主演の大沢たかおをはじめ、前回の共演者が集結。綾瀬はるか・小出恵介・桐谷健太・小日向文世・中谷美紀・内野聖陽らと共に最終回のその後が描かれる。
仁の頭の痛みは何だったのか――
仁はタイムスリップして再び現代に戻るのか、それとも江戸で生きるのか――
咲の想いは届くのか――
吉原を離れた野風のその後は――
現代の未来は果たして――
そして刻々と近づく坂本龍馬暗殺という史実――
また、完結となる続編では、坂本龍馬・勝海舟に加え、西郷隆盛・徳川慶喜・皇女和宮など、新たに歴史上の人物も登場。仁が歴史の史実とどう対峙していくかも注目だ。
果たして仁は坂本龍馬を救うことができるのか!?
神が与えた試練でもある「歴史の修正力への挑戦」となり、全ての謎も解き明かされる。
今を生きる私たちが、その祖先が、魂が、どこかで出会い繋がっていたかもしれない、そんな江戸の町―
2011年4月、あの江戸が、帰ってくる。
そこにはこの世で一番美しい夕陽と奇跡が待っている――
<大沢たかお>
『JIN-仁-』続編への挑戦は、僕の俳優史上で最も大きな決断です。
続編の制作というのは、本当に勇気がいることです。ですが、続編で描こうとしているストーリーを読んだとき、前回出演を決めた際のときめきと同様、もしくはそれ以上のときめきを感じて「これは逃げられないな」と思いました。続編を制作することによって、より前作がきらめいて、これまでご覧になっていらっしゃらなかった方たちにも「最初から見てみたい」と思っていただけるぐらい楽しんでもらえるような作品になることを確信しています。
<綾瀬はるか>
前作を見て頂いてた方々から続編はあるのかとすごく聞かれて、多くの方々に支えられていたことを実感しましたし、お応えできることがとてもうれしいです。
咲は優しくて強い女性で憧れるところがあります。一生懸命演じたいと思います。
<中谷美紀>
仁先生や龍馬さんのその後を気にかけてくださっている皆様に楽しんで いただけるよう、野風と未来を大切に演じたいと思います。
<内野聖陽>
あの『JIN-仁-』の世界と坂本龍馬にまたじっくり向き合えるのを楽しみにしています。
<プロデューサー・石丸彰彦>
『JIN-仁-』の続編制作が決定しましたので、ここにご報告をさせて頂きます。キャスト・スタッフとも前作と同様のまま、「完結編」として連続ドラマを制作することになりました。放送は来年4月クールの日曜劇場です。多くの方に支えられて最終回を迎えた『JIN-仁-』ですが、放送が終わってからもたくさんのご声援をいただき、今回の続編へとつなげる事ができました。完結編のテーマは、「歴史の修正力への挑戦」です。キャスト・スタッフ一同、さらなる想い、さらなる情熱を作品に捧げ、『JIN-仁-』という作品の持つ世界を全うしたいと思っています。
◆JIN-仁- 賞リスト◆
■第4回ギャラクシー賞マイベストTV賞グランプリ 「JIN-仁-」
■第47回ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞 「JIN-仁-」
■ギャラクシー賞2009年12月度月間賞 「JIN-仁-」
■放送人グランプリ2010特別賞 「JIN-仁-」
■放送文化基金テレビドラマ番組賞 「JIN-仁-」
■第18回橋田賞 「JIN-仁-」
■第18回橋田賞 「大沢たかお」
■第18回橋田賞 新人賞 「綾瀬はるか」
■第13回日刊スポーツドラマグランプリ助演男優賞 「内野聖陽」
■日経エンタテインメント!ヒットメーカー・オブ・ザ・イヤー2010 「石丸彰彦」
■ハリウッド・レポーター誌'10年『アジアの次世代(NEXT GENERATION ASIA)「石丸彰彦」
■月刊TVnavi ドラマ・オブ・ザ・イヤー2009 大賞 「JIN-仁-」
■月刊TVnavi ドラマ・オブ・ザ・イヤー2009 最優秀作品賞 「JIN-仁-」
■月刊TVnavi ドラマ・オブ・ザ・イヤー2009 最優秀主演男優「大沢たかお」
■月刊TVnavi ドラマ・オブ・ザ・イヤー2009 最優秀助演男優賞「内野聖陽」
■月刊TVnavi ドラマ・オブ・ザ・イヤー2009 最優秀助演女優賞「綾瀬はるか」
■第63回 ザテレビジョンドラマアカデミー賞 最優秀作品賞 「JIN-仁-」
■第63回 ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演男優賞 「大沢たかお」
■第63回 ザテレビジョンドラマアカデミー賞 助演男優賞 「内野聖陽」
■第63回 ザテレビジョンドラマアカデミー賞 助演女優賞 「綾瀬はるか」
■第63回 ザテレビジョンドラマアカデミー賞 監督賞 「平川雄一朗ほか」
■第63回 ザテレビジョンドラマアカデミー賞 脚本賞 「森下佳子」
■第63回 ザテレビジョンドラマアカデミー賞 ドラマソング賞「逢いたくていま」MISIA
現在計23冠!!!
<途中経過のもの>
■モンテカルロ賞ノミネート
・優秀国際演出賞 「石丸彰彦」
・優秀男優賞 「大沢たかお」「内野聖陽」
・優秀女優賞 「中谷美紀」「綾瀬はるか」
■エミー賞出品、最終結果は本年11月22日発表
■ソウルドラマ賞出品、6月22日発表
TVドラマ「JIN-仁-」完結編となる続編の制作が決定
村上もとか原作のTVドラマ「JIN-仁-」の続編が、2011年4月期に連続ドラマとして放送されることが決定。キャストやスタッフは前作と同じで、この続編をもって完結となる。
「JIN-仁-」はスーパージャンプ(集英社)にて連載中。現代から幕末の日本にタイムスリップした脳外科医・南方仁が、現代の医療技術を駆使して江戸の人々を救う医療マンガだ。TVドラマは2009年10月より放送され、ギャラクシー賞など多くの賞を獲得した。
「JIN」続編決定!熱愛、大沢&綾瀬再び共演
俳優・大沢たかお(42)が主演、ギャラクシー賞など23冠に輝いたTBS系ドラマ「JIN―仁―」の続編が来年4月から放送(日曜・後9時)されることが7日、分かった。幕末にタイムスリップした脳外科医の物語で、大沢との熱愛が写真誌で報じられた綾瀬はるか(25)や、中谷美紀(34)、内野聖陽(41)ら前作の俳優陣がそのまま出演。今回が完結編となり、仁のタイムスリップの謎、綾瀬演じる橘咲との切ない恋の結末も描かれる。
珠玉の歴史ミステリーが連ドラに戻ってくる。「JIN―仁―」は2009年10月期に「スーパージャンプ」に連載の人気コミックをドラマ化。江戸時代にタイムスリップした現代の脳外科医・南方仁(大沢)の活躍を描き、最終回は09年度連続ドラマトップの平均視聴率25・3%を記録。ギャラクシー賞、橋田賞など、海外を含めた各テレビ賞で計23冠を獲得した大ヒット作だ。
前回は数々の謎が明かされず、続編を期待させるエンディングだったが、TBSの石丸彰彦プロデューサーは「もともと続編や映画化は一切、考えていなかった」と言う。放送後に視聴者から続編希望の声が殺到して決定した。
現在、原作は連載中だが、ドラマは次作で完結する。仁のタイムスリップや、突然、襲われる頭痛の理由も描かれる。また、大政奉還や坂本龍馬(内野)暗殺を軸に急速に展開し、プライベートで大沢との熱愛が報じられた綾瀬演じる咲と仁の恋も「一層、切なくなる」(制作側)と見どころになりそうだ。
大沢にとって同作は約8年ぶりの連ドラ。台本を読んで出演を決意したそうだが、結果的には大成功を収め「撮影は緊迫感が全員にあって、丁寧に撮った。成功、失敗しようが、僕にとって愛すべき作品です」と思い入れは深い。
その分、続編への登板は「僕の俳優人生で最も大きな決断」と悩んだ。決め手は全体の構成という。「前以上のトキメキがあった。同じなら新鮮な『1』の方がいい。作品は子供。『長男』も『次男』も輝かせたい」と意気込む。クランクインは来年2月。「集中していくことが大事。みんなに生きる勇気を与えられる作品になれば」と誓った。
◆西郷隆盛、徳川慶喜らも登場 続編では新たに歴史上の主要人物が続々、登場する。西郷隆盛、徳川慶喜、皇女和宮らが仁と深くかかわり合い、物語のキーマンになっていくそうだ。現在、キャスティングが進行中で、石丸プロデューサーは「仁の世界観に合う、実力派の俳優を考えている」と説明。
◆中谷美紀らも気合十分 大沢以外の“仁ファミリー”も続編の決定を受け、気合十分だ。綾瀬は「前作を見ていただいた方々から『続編はあるのか』とすごく聞かれて、多くの方々に支えられていたことを実感しましたし、お応えできることがとてもうれしいです」とコメント。江戸時代では吉原の花魁(おいらん)野風、現代で仁の婚約者・未来の2役を演じる中谷も「仁先生や龍馬さんのその後を気にかけてくださっている皆さまに楽しんでいただけるよう、野風と未来を大切に演じたいと思います」。
大沢さん・綾瀬さん・内野さん・中谷さんに続くキャスティングも楽しみです!
圓生候補についての発言よりも、談志の名を志の輔さんに継がせるという考えが出たことに注目です。
立川談志が提案「円生襲名は円楽がいい」
立川談志弱気「落語できない」
立川談志が提案「円生襲名は円楽がいい」
立川談志(74)が7日、都内で行われた「談志一門会」に出演した。声が出にくいため、落語はせず、フリーアナウンサー山中秀樹を相手にトークを展開。鳳楽、円丈、円窓が名乗りをあげる三遊亭円生襲名問題には「3人ではなく、円楽が継ぐのがいい。そして空いた円楽の争奪戦をやればいい」と提案。談志襲名についても「総合的には志の輔が一番いい。おれは立川クリスマスになるよ」。最近、上野寛永寺に墓を買った談志は石原慎太郎都知事が応援団長の「たちあがれ日本」から選挙協力の依頼があったことを明かし「出れば慎太郎も喜ぶけど、おれは出ないよ」と語った。
立川談志弱気「落語できない」
落語家・立川談志(74)が7日、都内で行われた立川談志一門会に出演した。この日もノドの不調を理由に高座には上がらず、山中秀樹フリーアナウンサー(51)とのトークショーに小噺(ばなし)やジョークを展開。「落語はもうできないと思います」などの弱気発言や、東京・上野の寛永寺に墓を購入したことなどを明かした。一方、長年の友人で新党「たちあがれ日本」の“応援団長”石原慎太郎都知事(77)から、今夏の参院選の同党への応援要請があったことを示唆した。
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