新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
関西などでは大雨だったそうで、影響のあった方々にお見舞い申し上げます。雨の範囲は東に移っているようで、被害地域が大きくならないよう祈っております。
福島
藩校・日新館「什の掟」が小6教科書に 会津の教育全国発進
東京
新選組と龍馬が対決? 近藤勇の墓前で新選組まつり
「板橋」の地に「流山」「玉造」の新選組同好会が集結というのは感慨深いものがあります。
京都
井伊直弼狙撃?拳銃初めて公開…伏見・大黒寺
週刊まちぶら【京都編】
壬生川通(京都市中京・下京区)
高知
【龍馬を慕(おも)う】(7)高知・北川村 個性あふれる笑顔の写真
エンターテインメント
幕末から明治への移り変わりが舞台のシミュレーションRPG『維新の嵐・幕末志士伝』iモードに登場
福島
藩校・日新館「什の掟」が小6教科書に 会津の教育全国発進
ならぬことはならぬものです―。会津藩の藩校「日新館」が入学前の藩士の子どもたちに武士の心構えを示した「什(じゅう)の掟(おきて)」が、来年度使われる小学6年生向けの社会科教科書に掲載される。当時の会津の高い教育水準が注目されるきっかけにもなりそうで、会津若松市など地元の関係者は「会津の精神が全国の子どもに伝わる」と喜んでいる。
掲載するのは、東京書籍(東京)の「新しい社会」上巻。「江戸の文化と新しい学問」の単元で藩校に焦点を当て、日新館を1ページ取り上げた。
日新館について「文武両道の考え方のもとで学問や武芸を学んだ」と説明した上で、入学前の藩士の子どものグループ「什」に対し、七つの戒めを説いた「什の掟」を紹介している。
掟は「年長者の言うことに背いてはなりませぬ」に始まり「虚言を言うことはなりませぬ」「ひきょうな振る舞いをしてはなりませぬ」「弱い者をいじめてはなりませぬ」などと続き「ならぬことはならぬものです」と締めくくられる。
東京書籍社会編集部は「現代の子どもが江戸時代の武士の考えを知る良いきっかけになる」と話している。
同社によると「新しい社会」は本年度、東北の小学6年生の8割以上が使用。全国でも半数に当たる約60万人が使っているという。
1987年に観光・研修施設として復元され、多くの修学旅行生が訪れている「会津藩校・日新館」(会津若松市)の宗像精(ただし)館長(77)は「教科書を通じ、会津の義を全国に発信できるのは光栄だ。善と悪の認識が欠けがちな中、今後も什の掟を伝えていきたい」と話している。
日新館は1803(享和3)年に鶴ケ城の西側に設立。10歳以上の藩士の子弟はすべて就学し、生徒数は約1000人に上った。天文台や水練場も備え、多くの人材を輩出。諸藩校中の雄と評されたが、戊辰戦争で焼失した。
什の掟は、会津若松市が青少年の健全育成のために作成した「あいづっこ宣言」にも引用されている。
東京
新選組と龍馬が対決? 近藤勇の墓前で新選組まつり
新選組局長、近藤勇の墓所がある東京都北区滝野川のJR板橋駅東口前で23日、滝野川新選組まつりが開かれ、新選組の衣装をまとった約100人の隊士が商店街をパレードした。
参加したのは、新選組ゆかりの地で結成されている新選組滝野川隊、新選組流山隊、新選組茨城玉造隊のメンバー。雨の中、びしょぬれになりながら約2時間にわたって行進し、途中3カ所で隊士役と倒幕浪士役のメンバーが殺陣パフォーマンスを披露。沿道を埋めた観衆の喝采(かつさい)を浴びた。
同駅前広場には特設舞台も設けられ、新選組と坂本龍馬の寸劇が演じられたほか、居合の実演、和太鼓演奏も行われ、訪れた新選組ファンの熱気に包まれていた。
同まつりは近藤勇の命日の旧暦4月25日に近い5月の第4日曜に行われ、今回で8回目。地元の5商店会による実行委員会が主催した。
「板橋」の地に「流山」「玉造」の新選組同好会が集結というのは感慨深いものがあります。
京都
井伊直弼狙撃?拳銃初めて公開…伏見・大黒寺
京都市伏見区の大黒寺(黒坂尭栄住職)で23日、水戸浪士らに大老井伊直弼が狙撃された「桜田門外の変」(1860年)で使われたとされる拳銃が、初めて一般公開された。幕末の「寺田屋騒動」(62年)で斬(ざん)殺された薩摩藩士の橋口壮助の護身具「鉄扇」も展示され、訪れた人たちは幕末の志士らに思いをはせた。
大黒寺は同藩の菩提(ぼだい)寺で、一般公開は、寺田屋騒動で殺された薩摩藩士を慰霊する追慕会(薩摩義士・薩摩九烈士・伏見義民追慕会主催)に合わせて企画された。拳銃は大阪市東成区の古式銃砲の鑑定士、沢田平さん(75)の所有。全長35・4センチで、銃身には水戸藩の9代藩主・徳川斉昭(なりあき)が好んだ桜の文様が刻まれている。
週刊まちぶら【京都編】
壬生川通(京都市中京・下京区)
【「流儀」貫く流れは今も】
京都の中心部からは少し離れた壬生川通。昔はその名の通り、ここに川が流れていたという。静かなたたずまいの通り沿いでは、現代の名工や弓道の錬士、ピアニストらが、気負わずに自分の流儀を貫きながら活動していて、通りかかった人の気持ちまで和ませてくれる。電車が刻むリズムに合わせて、そぞろ歩きの足が進んだ。(小林正典)
交通量の多い四条通から南に下がるとすぐ、京福電鉄(嵐電)嵐山線の踏切に突き当たる。電車が通過し、警報機が鳴り終わって遮断機が上がると、静けさの漂う壬生川通が待っていた。
右手の銅工房からは金属をハンマーでたたくような音が響いてきた。近くにある新選組ゆかりの壬生寺を詣でたのか、修学旅行生らしいグループが笑い声をあげながら横切っていった。
さらに南下して交通量の多い五条通を渡る。旧花街・島原へ続く花屋町通を西に入ると、町家からジャズの音色が聞こえてきた。
野沢好子さん(56)が営む「ギャラリーのざわ」だった。大正末から昭和初めに建てられたという。「もとは足袋屋だったそうです。島原に踊りを習いに行った人たちも買いに来たのでしょう」。大阪に住んでいたが、「京都の、よそ行きでない雰囲気が気に入って」、3年ほど前に買い取りギャラリーに。ライブも定期的に開催する。
通り庭から入り、靴を脱いで板間の「会場」に上がる。床にぺたんと腰を下ろすと、音が床板の下から響いてきた。
演奏していたのはジャズピアニスト歳森(とし・もり)彰さん(53)たち。歳森さんはボーカル、ドラム、サックスなど相手を変えながら、月1度のペースでライブをする。「ここは、文化的な雰囲気のあるところが面白い」と語る。
町家の外で「無音ストリート」という独特のライブも展開している。スピーカーをオフにし電子ピアノを演奏するため、客はヘッドホンをつけないと音が聞こえない。「音にはその場を支配する押しつけがましさがある。その特権をなくした時、ミュージシャンはどうなるのか試している」のだという。
◆記者ナビ◆
壬生川通は、派手さはないがほっとする味の宝庫だ。
仏光寺通を下がった「中華そば珍元」もその一つ。懐かしさが染み込んだようなしょうゆベースのめんをすすると、店の30年の歴史を感じた。映画監督の故伊丹十三がこのカウンターに座り、ラーメン店が舞台の映画「タンポポ」の構想を練ったこともあったとか。
ギャラリーのざわの数軒東には、手焼きの京あられ、京おかきの店「菱屋」があった。
1886年創業で、店主の藤田光一さん(63)は4代目。かつては島原で、お茶菓子としてもよく出されたという。素朴な味わいのものばかりで、一番人気は風が強いと散ってしまうほど薄い「うすばね」。「割れやすいので配送は断っています」と藤田さん。ここでしか買えないと聞き、口の中でゆっくりと味わった。
◆ひと◆
〈昭和×モダン隠れ家に〉
綾小路通との北東角に「カフェサンナミジ」がある。調理師専門学校のクラスメートだった杉本さやかさんと山下愛さんが2008年12月に始めた。「自分たちが行きたくなるような場所」を目指し、フードメニューはもちろん、店内の内装、音楽にまでこだわった。「昭和の懐かしい感じと今のモダンな感じを合わせたような、ゆったり、のんびりできる空間です」と山下さんはいう。綾小路通に面した入り口からそのまま上がれる2階も、隠れ家風でおすすめ。
赤ワインとブランデーの香り漂うハヤシライスはスープ付きで950円。特製メープルシフォンケーキ(550円)や黒蜜きなこパフェ(780円)なども人気。月・金休み。電話075・757・1654
〈銅でかたどる自然の姿〉
軒下に飾られた銅製の竜やトンボが目を引くのが「銅工房」。開け放たれたガレージには、木に見立てたステンレスの柱に、緑青色の「葉」や黒色の「カブトムシ」「セミ」などを張り付けたオブジェがさりげなく展示され、道行く人たちが足を止める。制作者で工房室長の桶本忠弘さん(69)は建築板金工として1999年度、「現代の名工」の表彰も受けた。「自分の思った通りの作品を作ろうと、会社を息子に譲った60歳のころから始めました。まだ駆けだしですさかい、これから挑戦です」
輝く色だけでなく、薬品を使って緑青色や黒色にも変化させられるのが銅の特徴。抗菌効果もあるとされる。数千円の桶(おけ)や洗面器、三角コーナーなども販売する。電話075・811・3930
〈作業場くるり弓道場に〉
高辻通との南東角で山登(やま・とう)工務店を営む大工、山口喜由さん(64)は弓道錬士6段の腕前。店の壁に的を描き、作業場にはいつでも練習ができるよう巻きわらも備え付けている。作業場はからくり仕掛けのようになっており、柱を取り外し、壁を外側に倒すと弓道場に早変わり。隠し階段で地下の練習場に下りると、夏場でも比較的涼しく稽古(けい・こ)ができる。「弓道は踊りと同じで歩き方や姿勢、醸し出す雰囲気などの美的センスも必要」と山口さん。作業場の一角には礼法を教える畳部屋もある。
予約をすれば弓道体験も可能。弓、矢、手にはめる「かけ」と呼ばれる道具など一式がそろっている。本格的に始めたいという人には道場の紹介も。電話075・841・8175
〈アートが出会うカフェ〉
「こもれび庵(あん)」は山本ふじ子さん(61)が「昨年7月にこっそり始めた店です」。所有する物置に積んであった布などを片付け、ギャラリー兼雑貨店兼カフェという自由なスタイルの店に一新させた。若いアーティストのアトリエにもなっている。木製のカウンターやいすは手作りで、柿渋で塗った。「いろんな人たちがここで出会い、アートを発信してもらえたら」。ネコ好きが高じ、ネコの置物やはがきなども多く取り扱う。「気ままな性格といい、ネコは絵になりますね」
山本さんが応援する作家の作った小物入れや刺し子の手法を使ったふきんなど、いずれも数百円から。しば漬けやちりめん山椒(さん・しょう)入りピラフは500円。木・金休み。電話090・1134・4392
高知
【龍馬を慕(おも)う】(7)高知・北川村 個性あふれる笑顔の写真
その写真には、ちょっと心を惹(ひ)きつけるような魅力があった。むきだしの右腕でアゴをささえ、やや横向きかげんになってカメラに向かっている。しかも、いかにも楽しげに笑い、白い歯ものぞかせている。
写真技術についてはまったくの無知だが、150年ちかくもまえ、笑顔の写真を撮るのは大変だったのではないだろうか。顔の筋肉が微妙にバイブレートするであろうし、口元あたりの焦点がボケてしまうおそれもある。
維新の志士たちのなかで、破顔した笑い顔が残っているのは、中岡慎太郎の写真ぐらいではないだろうか。個性がよくあらわれているという意味では、もっとも好きな写真である。
坂本龍馬をはじめ、大久保利通や桂小五郎、近藤勇、土方歳三(ひじかた・としぞう)、徳川慶喜ら、幕末に活躍した武士の写真は多くのこされている。だが、どれも表情がかたい。
龍馬の写真のなかでは、左手をフトコロに入れ、目をほそめながら、やや上のほうに視線を遣(や)った革靴姿の写真が、もっともポピュラーであろう。縁台に片足をのせた写真や、長崎で仲間と撮った写真などもある。
龍馬には「近眼説」があり、モノを見るときに目を細めるクセがあったらしい。だからどの写真にも、目のなかの黒い部分に輝きが感じられない。
実務的な革命家
土佐くろしお鉄道奈半利(なはり)駅でおりた。紀貫之の『土佐日記』に「奈半の泊」という港が出てくるが、駅から見わたしたかぎり、港らしきものはなにも見えなかった。潮の匂いもしない。
駅前からタクシーに乗った。奈半利川沿いの、かなり舗装された道路をくねくねと15分ほど走ると、柏木という山あいの集落についた。
タクシーのドアを開け、身をかがめておりたところ、目の前に慎太郎の、あの笑顔の写真が展示されていたので、さすがに驚いた。向こう側には、土蔵のようなかたちをした「中岡慎太郎館」の建物があった。反対側の山の麓(ふもと)には、生家の復元家屋もあった。
天保9(1838)年4月、慎太郎は北川郷柏木の大庄屋の長男として生まれた。19歳で龍馬が江戸に剣術修行に出たころ、奈半利の隣町にできた田野の藩校に通いはじめた。
田野までは、ずっと山あいの、険しい道である。スギやヒノキが茂り、まるでケモノ道のようであったらしい。現在でも保存され、「向学の道」という標識が立っていた。
田野の藩校で、尊王攘夷思想に目覚め、武市半平太率いる土佐勤王党にもくわわった。
20歳で庄屋見習いとなったが、なかなかの名庄屋だったらしい。不作の年などには、自らの山林や田畑を担保にし、近村の富家から米を借り入れて年貢におさめた。いまでは、この村の名産になっている柚子(ゆず)の栽培もはじめた。
文久3(1863)年10月、脱藩し、以降、周防の良港・三田尻(山口県防府市)を中心に活動をはじめた。脱藩のさい、仲間から「拝借仕居候(そうろう)金子之儀」について、こういう事態になったから、いまは約束通りには払えない、という手紙を送っている。律儀(りちぎ)な性格な男だったのであろう。
埋葬された「遺髪」
元治元(1864)年7月の「蛤御門(はまぐりごもん)の変」では、来島又兵衛が率いる嵯峨・天竜寺の陣にくわわった。もちろん死は計算済みだ。戦を前に、父に手紙を送っている。「遺髪」を添えたうえで、こんな決意を語っている。
「私共も最早(もはや)此(これ)限りの命と御あきら(おおせ)付けらるべく候。御父上様には御年も行かせられ御気の毒千万……(略)此度(このたび)は皇国の御為に一天万乗の大君の為に闕下(けっか)に死し候はば何も★うら御座無く候」
「闕下」とは「天子の御前」という意味である。慎太郎が龍馬と接触をはじめるのは、慶応2(1866)年1月の薩長同盟に向けてである。「向学の道」のわきにあった碑には、「薩長連合は龍馬がやったと云(い)われておりますが、早くから着想し、工作し、推進していったのは慎太郎でした」と書かれていた。
たしかに薩長同盟まえの慎太郎は長州だけでなく、京、大坂、薩摩などを奔走し、八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍ぶりを見せた。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』でも、
「中岡慎太郎こそ、うまれついての実務的な革命家という、稀有(けう)に属する型であろう」
と評価している。
記念館のわきには、古びた石段があり、のぼると松林寺という小さな寺があった。本堂の左手が墓地だった。その中に、
「中岡慎太郎先生遺髪埋葬之地」
という朽ちかけた墓があった。墓石の周辺には、5円玉や1円玉の賽銭(さいせん)が散っていた。慎太郎の遺体はもちろん、京都・霊山にねむっている。(文 福嶋敏雄)
★=くの字点
≪メモ≫
陸援隊隊長で、龍馬とともに暗殺された中岡慎太郎の生家は高知県北川村にあり、村営の「中岡慎太郎館」(TEL0887・38・8600)には直筆の手紙などが展示されている。今年中は、休館日なし。館へはJR高知駅から土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線に乗り換え、約1時間半で終点の「奈半利」駅に着く。タクシーか北川村営バスで約15分。
≪きょうの「龍馬伝」≫
■NHK総合 午後8時~ ほか
龍馬(福山雅治)は、大坂の専称寺で航海術の勉強に励んでいた。収二郎(宮迫博之)が投獄されたことを知った龍馬は、京に滞在中の勝(武田鉄矢)に会いに行く。龍馬と入れ違いに、兄の権平(杉本哲太)が専称寺を訪れる。脱藩を許された龍馬に会いに来たのだった。龍馬は勝から海軍塾を続けていくための資金が足りないと聞き、越前福井藩の前藩主・松平春嶽(夏八木勲)の元へと向かう。春嶽に会った龍馬は、生きる金として、千両を貸してほしいと頼む。土佐では、弥太郎(香川照之)が商売を始めようと材木を仕入れたが、売れずに困っていた。そして、半平太(大森南朋)は後藤象二郎(青木崇高)に収二郎の命ごいをする。
エンターテインメント
幕末から明治への移り変わりが舞台のシミュレーションRPG『維新の嵐・幕末志士伝』iモードに登場
コーエーテクモゲームスは、iモード向けRPG『維新の嵐・幕末志士伝』を配信開始しました。
『維新の嵐・幕末志士伝』は、1998年にPC版、1999年にPS2版として人気を博した同タイトルのiモード版となります。幕末から明治への移り変わりを舞台とし、坂本龍馬、土方歳三といった国の行く末を憂う「志士」の一人となって、動乱の続く日本を一つにまとめ上げるべく奔走するシミュレーションRPGです。
ゲーム中に発生する幕末を彩る70以上の事件や出来事は、選択したキャラによって展開が異なります。例えば、龍馬が目指した「大政奉還・共和制」や、土方歳三が目指した「幕府存続・薩長討伐」など実現することが可能です。また、メインマップ上には、日本各地の町や城、関所、名所などが点在し、当時の雰囲気を味わえます。
幕末に起こった「池田屋事件」などの屋内戦闘や、「鳥羽伏見の戦い」といった大規模戦闘は、HEX戦で楽しめます。そのほか、異なる思想を持つ相手を自分の信じる思想に転向させ、同志にするために「説得」を行います。説得は、ゲーム内に登場する500人以上の登場人物から話を聞いたり、書物を読んだりすることで得た情報を「情報カード」として収集し、集めた情報カードを説得したい相手と出し合って議論を戦わせます。
なお、今アプリでは、課金継続期間によって機能が追加されるとのことです。課金初月は遊べるキャラが坂本龍馬のみですが、課金継続1か月後に土方歳三、2か月以降は名前、出身地、思想、能力などを自由に設定できるフリーキャラクターが作成可能となります。このほか、ゲーム中のミニゲームのみをプレイできる「練習モード」の追加など、さまざまな特典が用意されています。
『維新の嵐・幕末志士伝』は、SDカードスロットをもったFOMA703i/903i以降に対応し、月額525円(税込/初月無料)で楽しめます。
アクセス方法:メニューリスト→ゲーム→ロールプレイング→維新の嵐
かなり丁寧に正確に書いていると思う……一点、重要なことが抜けているのだが。
知りたい!:円生襲名、オチはいつ 一門から3人名乗り
抜けている重要なこととは、圓生没後、止め名にする時に先代圓楽が弟子代表として止め名に同意する署名を行っていることだ。
弟子代表として止め名に署名しておいて、その時の関係者(遺族の場合はその継承者)の了解なしに、弟子に圓生の名跡を継げという先代圓楽の理屈が腑に落ちない。なので近々、圓丈の『御乱心』を読む予定にしている。
先代圓生については豊富な音源が残り、また映像も残っている。『落語くらぶ』の圓生特集では、多くの現役落語家がお手本にしているほどで、自分もまた落語入門者として多くの演目に触れさせていただいている。
先代圓生の実績を継ぐにふさわしい人になって欲しい、と願っている。前回もそう書いた。
落語好きという立場には、聴きたくないものは木戸銭払ってまで聴きには行かないという消極的な選択肢しかないからねぇ……(苦笑)。
☆★☆★
25日23時過ぎ、追記。朝日新聞にも記事がでました。
円生襲名、三つどもえの争いに 弟子の円窓も名乗り
うーん、この記事も「止め名」の経緯に触れてないなぁ(嘆息)。
知りたい!:円生襲名、オチはいつ 一門から3人名乗り
◇明確な規則なく、混乱続く
落語界の大名跡「三遊亭円生」の七代目襲名を巡り、一門から弟子と孫弟子の計3人の名前が浮上し、混乱が起きている。来年は六代目円生の三十三回忌。「昭和の名人」は、どんな思いで天国から見守っているのか。【濱田元子】
「円生」は三遊亭の一番大きな名前。六代目(1900~1979年)は持ちネタ数の多さ、完成度の高さを誇り、八代目桂文楽(1892~1971年)、五代目古今亭志ん生(1890~1973年)と並び称される。
◇死後「止め名」に
円生の死後、名跡は夫人の意向などで誰にも継がせない「止め名」とされていた。ところが、円生の筆頭弟子で、昨年10月に亡くなった五代目三遊亭円楽さんらの指名で、筆頭弟子、鳳楽さん(63)が七代目襲名に昨年秋、名乗りを上げた。
これに異議を唱えたのが先代円楽さんの弟弟子の三遊亭円丈さん(65)。「直弟子が継ぐのが筋」などと反発。今年3月には東京・浅草で2人による「円生争奪杯」と銘打った落語会をしゃれで開催。それぞれが円生のおはこで勝負して話題を呼んだ。
◇協会側は静観
さらに5月に入って、円丈さんの兄弟子で、先代円楽さんの弟弟子、三遊亭円窓さん(69)が、5月17日の落語協会(鈴々舎馬風会長)の理事会で、「遺族から襲名を促された」と意欲を見せた。協会側は「一門と遺族で解決してほしい」と静観の構えだ。
事態が複雑なのは、円生一門のこれまでの事情も背景にある。
六代目円生は78年、真打ち大量昇進を打ち出した落語協会に反発し、弟子とともに脱会。落語三遊協会を創設したが、その結果、寄席に出られなくなった。ところが翌79年に円生が急逝すると、円楽一門を除く弟子は落語協会に復帰。そのため同じ円生一門でも、円窓さん、円丈さんは協会復帰組、鳳楽さんは円楽一門と所属が分かれている。
さらに、世襲が一般的な歌舞伎とは異なり、落語界には襲名の明確な規則はないという。一般的に故人の場合は、遺族の意見が重要視され、襲名話は遺族と所属協会、寄席の席亭(責任者)らがそろって推薦することで具体化する。
東西落語界を見ても、大名跡の襲名ケースはさまざまだ。当代の円楽さんのように師匠が生前に指名したり、林家三平さんや桂春蝶さんのように二世の場合は、すんなりと決まりやすい。
一方、上方落語界の大名跡「笑福亭松鶴」のように、六代目松鶴(1918~1986年)の死後、筆頭弟子の仁鶴さんの襲名辞退などで「凍結」されている例もある。
迷走する今回の襲名問題。鳳楽さん側は「周りががたがたやっているだけ。しゃべることはありません」。一方、円丈さんは「円生がどう考えるかという視点が抜けている。フェアな形で選ばれなければ」と現状に疑問を呈する。
◇「しこり残る」
関係者によると、事実上は鳳楽さんと円窓さんの2人の争いとの見方が大勢。演芸コラムニストの渡辺寧久さんは「名前は落語界の共通の財産。家の名前のように止め名にしたことからボタンの掛け違いが起きた。誰が襲名してもしこりが残るのでは」と憂慮する。
抜けている重要なこととは、圓生没後、止め名にする時に先代圓楽が弟子代表として止め名に同意する署名を行っていることだ。
弟子代表として止め名に署名しておいて、その時の関係者(遺族の場合はその継承者)の了解なしに、弟子に圓生の名跡を継げという先代圓楽の理屈が腑に落ちない。なので近々、圓丈の『御乱心』を読む予定にしている。
先代圓生については豊富な音源が残り、また映像も残っている。『落語くらぶ』の圓生特集では、多くの現役落語家がお手本にしているほどで、自分もまた落語入門者として多くの演目に触れさせていただいている。
先代圓生の実績を継ぐにふさわしい人になって欲しい、と願っている。前回もそう書いた。
落語好きという立場には、聴きたくないものは木戸銭払ってまで聴きには行かないという消極的な選択肢しかないからねぇ……(苦笑)。
☆★☆★
25日23時過ぎ、追記。朝日新聞にも記事がでました。
円生襲名、三つどもえの争いに 弟子の円窓も名乗り
昭和の落語の名人、六代目三遊亭円生(えんしょう)の襲名を巡って、弟子の三遊亭円丈(えんじょう)(65)と孫弟子の三遊亭鳳楽(ほうらく)(63)が名乗りを上げている問題で、弟子の三遊亭円窓(えんそう)(69)が後継争いに加わった。円生の遺族の一部から襲名を促され、関係者の間での調整を続けているといい、17日に開かれた落語協会の理事会にも出席して経緯を報告。「調整が済んだらきちんとお話しする」としている。
襲名を巡っては円生の筆頭弟子だった故・五代目円楽が自らの筆頭弟子の鳳楽を七代目円生に指名。これに対して円生の直弟子の円丈も名乗りを上げて、3月には2人で「円生争奪杯」の落語会を開くなどしたが、結論は出ていない。円丈の兄弟子にあたる円窓は当初、鳳楽の襲名には反対していたが自らは立候補せず、争奪落語会にも参加しなかった。
円生への入門は円楽、円窓、円丈の順。だが円窓はもとは春風亭柳枝の門下で、円生一門に移ってきた経緯がある。
うーん、この記事も「止め名」の経緯に触れてないなぁ(嘆息)。
特段に相撲好きというわけではありませんが、今日は心して魁皇の通算一千勝と白鵬の二場所連続全勝優勝を堪能しました。魁皇関と白鵬関の素晴らしい記録に感服です。
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【新書】『伊藤博文 知の政治家』瀧井一博著
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野外劇、成功させよう! キャストら結束誓う
市民創作「函館野外劇」の会(フィリップ・グロード理事長)主催の「第23回市民創作函館野外劇 星の城、明日に輝け」の関係者、キャストが一堂に会するパーティーが22日夜、函館国際ホテル(函館市大手町5)で行われた。7月9日の開幕に向け、パーティー参加者は野外劇への思いをより強めた。
冒頭、欠席したグロード理事長に代わり、家口利明事務局長が「創作劇にかける理事長の熱い思いを受け止め、全員で成功を目指しましょう」とあいさつ。会場では大きな拍手が沸いた。来賓の函館中央病院、辻繁事務部長も「野外劇の舞台となる五稜郭は有形文化財。野外劇は個人的には無形文化財だと思っている。無事に成功させましょう」と語った。
東京から駆けつけたデザイナーで、野外劇の美術スーパーバイザー、土屋茂昭さんの発声で乾杯が行われ、浜野幸子市議会議員も応援のあいさつをした。演出家の木村かなえさんは「本番に向け、けいこも本格的になってきている。当日は、多くの人に見てもらいたい」と抱負を語った。
栃木
土佐藩と黒羽藩の関係 栃木・黒羽RCの記念講演会
栃木県大田原市の黒羽ロータリークラブ主催の記念講演会が21日夜、同市黒羽向町のホテル花月で行われた。「黒羽藩と土佐藩、黒羽人と土佐人の意外な関係」と題し、大田原東高教諭で郷土史家の大沼美雄氏が講演した。
大沼氏は土佐藩と黒羽藩が奥州戦争(戊辰戦争)で官軍として一緒に戦い、土佐藩主、山内容堂の孫娘、寿子が黒羽藩主の大関家に嫁いだなど両藩の意外な関係を紹介。また、早稲田大学の創立に深くかかわった旧土佐藩士の小野梓の米国留学費用を大関家が負担したことも明かした。
長野
素朴な民家、観光客魅了 妻籠「一石栃 立場茶屋」
中山道妻籠宿(南木曽町)~馬籠宿(岐阜県中津川市)の中間地点にある休憩所「一石栃(いちこくとち) 立場(たてば)茶屋」(南木曽町妻籠)が、昨春の“復活オープン”以来、好評だ。来場者は近く累計5万人に達しそう。山中の旧民家の素朴さが、国内外からの観光客を引きつけている。
妻籠宿から友人と歩いてきたカナダ・トロント市在住の針きゅう師アレックス・オデットさん(40)が、茶屋に立ち寄った。「歴史ある建物と自然。感動します」。ひと息つくと、オランダ人の2人組も訪れた。土間のテーブルを囲み、英語での旅行談議が盛り上がった。
木造平屋の茶屋は、妻籠宿本陣から約4・7キロ、馬籠宿から3キロ地点にある。住民らによる財団法人「妻籠を愛する会」(小林俊彦理事長)が管理する。
元来、立場茶屋とは宿場の中間にある休息所。一石栃地区には、木材の出荷統制をする番所のほか、立場茶屋があり、旅人が休んだ。幕末には17軒があった家も徐々に減り、三十数年前には最後に残った1軒の所有者も転居した。愛する会が借り、観光用にお茶サービスなどをしたが、消費者の志向の多様化などで来場者は減少。十数年前から開店休業状態になっていた。
しかし、ここ数年、外国人を含め妻籠~馬籠を歩く人が増えてきたため、昨年4月から再スタート。屋外トイレも新設し、会員が常駐する態勢にした。
1年間の来場者は約3万5400人。予想外の好評さに、午前10時~午後3時だった開所時間を、今年4月から午前9時~午後4時に延長した。それもあって今月19日までの累計来場者は4万4000人余にまで達した。外国人は全体の2割弱だが、以前の不調期に比べれば圧倒的に増えた。
愛する会の藤原義則常務理事(62)は「国内での健康への関心の高まりや、世界で売れている本『死ぬ前に観るべき千の場所』に中山道が紹介されたことなどで、宿場間を歩く人が多くなった。状況は以前とは違う。茶屋の人気は続くはずだ」とみる。
茶屋は年末年始の5日間を除き、毎日開く。交代で会員3人が詰め、いろりに火をつける。ひのき笠、法被姿が制服。
3人のうちの1人、愛する会の鈴木省吾副理事長(68)は、時に木曽節を披露するなどサービスに余念がない。「土間に立て掛けてあるうすや農具は、片付けないでいます。その方が自然だから」。歩き疲れた観光客がお茶をゆったりと飲むのを眺め、満足そうな表情を見せていた。
(近藤隆尚)
新潟
東山油田施設撤去を開始 今年度閉山
国内唯一の「坑道掘り」も
今年度で閉山する東山油田(長岡市など)の施設撤去作業が22日、始まった。かつては国内有数の石油産出量を誇り、県の産業発展を支えた存在だが、年内には、採油施設では国内唯一の「坑道掘り」を含めたすべての施設について撤去などする見込み。地元関係者からは惜しむ声が聞かれた。
東山油田は、石油王国と言われた県内の主要油田の一つで、最盛期の1900年頃には年5万キロ・リットル以上を産出し、戊辰(ぼしん)戦争で荒廃した長岡地域の復興と、機械産業の振興に大きく貢献した。昭和期には、戦時増産に対応するため、油層まで斜めに坑道を掘り、その後水平に掘る、世界でも珍しい坑道掘り採油も行ったが、産油量の減少やコスト高などにより、97年に採油を停止した。
この日は、午前9時頃から、同市浦瀬町の丘にある、採油機(高さ約3・9メートル)の解体作業が行われた。94年まで使われていたが、今ではすっかりさびついた機器を、作業員が解体し、クレーンでつり上げるなどしていた。
鉱業権を持つ不動産会社「サンレックス」(東京都)によると、坑道堀り跡は6~7月頃、入り口をコンクリートで閉じて整地する予定。11か所あるやぐらも撤去し、閉山手続きを進める。
解体作業は、施設の一部保存を求めている「東山油田保存会」の関係者も見守った。前会長の石川行恵さん(76)は「地域への貢献の意味でも、戦争関連史跡としても貴重で、撤去は残念。せめて、坑道掘りは残してほしい」と話す。
サンレックス社は「引き取って保存する機関などがあれば、提供する」としているが、長岡市は「文化財行政は、所有者に保存の意志があって初めて補助できる」として、今のところ具体的な動きを見せていない。
静岡
アメリカジャスミン:下田市の了仙寺で見ごろ /静岡
「ジャスミン寺」の愛称で知られる下田市三丁目の了仙寺(松井大英住職)の境内で、アメリカジャスミンが見ごろを迎えている。天候不順で例年より開花が1週間ほど遅れたため、6月上旬まで楽しめそうだという。
アメリカジャスミンの和名はニオイバンマツリ。南米、アフリカが原産とされ、甘い香りを放つ。開いたばかりの花は濃い紫色だが、時間がたつにつれ、白くなっていく。
50年ほど前から植え始め、現在は約1000株に増えた。了仙寺は幕末、日米和親条約・下田条約が結ばれた歴史の舞台。訪れた人は華やかな花と、由緒ある建物のツーショットを楽しんでいた。【中村隆】
初代県知事関口隆吉の業績紹介 菊川常葉美術館
常葉美術館の2010春季特別企画「初代県知事・関口隆吉展」(静岡新聞社・静岡放送後援)が22日、菊川市半済の同美術館で始まった。7月4日まで。
牧之原の茶園開拓に尽力するなど県の基盤を築き、同市にもゆかりの深い関口隆吉(1836~1889年)の生涯と業績を、県立中央図書館の所蔵品を中心に紹介。関口が勝海舟にあてた書簡や伊藤博文、山岡鉄舟らから関口の元に送られた書簡、肖像画など約100点の貴重な資料を時代ごとに分けて並べる。
開会式では、常葉学園の木宮一邦副理事長が「地域の偉人である関口隆吉を広く知ってもらう機会にしたい」とあいさつ。同市の太田順一市長は「幕末から明治の激動期の中で関口隆吉がどのような活躍をしたのか、多くの人に理解していただければ」と期待した。
開館時間は午前9時半~午後5時。入館料は大学生・一般が500円、高校生以下は無料。木曜休館。問い合わせは同美術館〈電0537(35)0775〉へ。
「ペルリ時計」幕末来航の音よみがえる
幕末に黒船で下田(静岡県)に来航したペリー艦隊が日本人に贈った置き時計が修復された。
横浜市内の民家から時計を寄託された横浜開港資料館(横浜市中区)は29日~6月6日にぜんまいをまいて針を動かして公開する。
時計は、1854年にペリー艦隊からペリー艦隊の世話役だった下田奉行の役人に贈られたもので、横浜市港北区の無職但馬惟義さん(84)方に「ペルリ時計」として伝わっていた。但馬さんは、同資料館に「時計を動かしてほしい」と要望していた。
同資料館の依頼を受けた古時計愛好家の武田信雄さん(66)が内部のさびを落とし、長針を取り付けるなどして時計を修復。ぜんまいをまけば、振り子が左右に動いて「コチコチ……」という音を出し、毎時、時間に応じた回数の「ボンボン……」という音が響くようになった。
米国の「古時計収集家協会」会員で古時計研究家の加藤晃正さん(72)は「この時計は、ペリー艦隊が日本人に贈った時計の中で唯一現存が確認されているもので大変貴重な史料。今回の修復でペリー来航時の音をよみがえらせることができた」と話している。
山口
文化審答申:「長州藩下関前田台場跡」国の史跡に 世界遺産登録へ大きな前進 /山口
明治維新はここから始まった--。文化審議会が国の史跡にするよう答申した「長州藩下関前田台場跡」(下関市前田)は、長州藩が馬関戦争(1864年)で英仏蘭米に大敗し、開国、倒幕に転じた「維新起点の地」。下関市の試掘から17年目にして日の目を見ることになった。(18面に「なるほドリ」)
前田台場跡は、関門海峡沿いの国道9号を唐戸町から長府方面へ走る途中の左側、前田1丁目の高台だ。
幕末、攘夷(じょうい)を強硬に唱える長州藩は彦島から長府にかけて約20の砲台を築造し、青銅製の大砲などを設置した。前田台場はその一つ。文化審は「低台場(標高10メートル)」と「高台場(同16メートル)」の形状をほぼ当時のままとどめる点などを評価した。
存在が確認されたのは市教委が試掘した94年。99~02年には県教委が発掘調査し、土塁や大砲を据えた平たん面などが見つかった。その後、市民にもほとんど知られていなかったが、08年9月、福岡県など6県10市が組む「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして世界遺産登録の暫定リスト入り。一躍脚光を浴びた。
現地を訪ねて高台場から見下ろすと、思いの外、海峡が近く迫ってくる。市文化財保護課の濱崎真二主任らによると、馬関戦争の往時、台場から撃った大砲の弾は4国連合艦隊にまるで届かなかった。一方、艦隊からの砲撃は台場に降り注いだという。埋め立てで海岸線は遠のいたが、変わらない海峡の眺めが146年前の戦闘をしのばせる。
市は今後、文化庁と協議し、遺跡を守りながら歴史的価値を顕彰するスポット作りを模索する。文化財保護課によると、国の史跡指定は「近代化産業遺産群」の世界遺産登録へ向けても大きな前進だという。ユネスコへの推薦に国の指定は不可欠で、前田台場跡は関門をクリアしたといえる。同課は「スタート地点に立てた。それもありがたい」と二重の喜びに沸く。【取違剛】
大分
銅像と歌碑を建てる会 海舟・竜馬CD製作
大分市鶴崎の「勝海舟・坂本龍馬の銅像と歌碑を建てる会」(辻野功会長)は、オリジナルCD「海舟・龍馬豊後路をゆく」を製作した。竜馬と勝海舟が長崎を目指して佐賀関から鶴崎、野津原の街道を歩いたという史実を基に「日本の行く末、憂いて語る…海舟龍馬、長崎めざし―」と作詞。維新への志を力強く歌い上げた。収益は史実を伝えるための活動資金に役立てる。
同会は2009年、2人が佐賀関や鶴崎を訪れたという史実を生かして地域おこしにつなげようと発足。2人の銅像や歌碑、交流を目的とした広場建設などの構想実現を目指して活動している。
CDで歌っているのは県内のご当地ソングを数多く手掛ける松井猛さん(65)=大分市中津留。鶴崎出身の松井さんが会メンバーに「活動を盛り上げるため歌をつくっては」と提案したのがきっかけ。史実に詳しい同会の北川徹明実行委員長(76)が作詞し、松井さんが作曲した。編曲やパッケージのイラストは松井さんの友人らが協力。地元の人がより親しみやすく、誰もが歌えるように、海舟が鶴崎で詠んだ歌を歌詞の一部に取り入れたものや、音程を変えたバージョンも収録している。
「維新の心を後世に伝えていくためにも多くの人に歌に親しんでもらい、活動に協力してほしい」と北川さんと松井さん。
CDは1枚千円。毛利空桑記念館(市内鶴崎)で購入できる。問い合わせは同会事務局(TEL097・527・3343)か、毛利空桑記念館(TEL097・521・4893)まで。
熊本
文化審答申:国指定史跡に、熊本藩・川尻米蔵跡 /熊本
国の文化審議会は21日、熊本市川尻の熊本藩川尻米蔵跡(外城蔵跡、船着場跡)を国の史跡に指定するよう文部科学相に答申した。指定されれば県内では37件目となる。【勝野俊一郎】
川尻地区は中世から緑川や支流の加勢川を利用した水運の拠点。1588年、肥後に入国した加藤清正が本格的な整備をしたとされる。軍港としての側面もあり、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際には兵や兵糧を送り出した。
米蔵跡は江戸時代、熊本藩が年貢米の集積や搬出の拠点として利用した。主に藩南部から集めた年貢米をいったん納入して大坂に搬送していたという。1832年の絵図には3カ所に蔵が描かれているが、現存するのは外城蔵の一部だけ。幕末の19世紀中ごろに造られたとみられ、東棟と西棟がある。ともに木造平屋建てで東棟が585平方メートル、西蔵が210平方メートル。個人所有で、二十数年前までは農協の倉庫として使用されていた。
船着場は16世紀末に整備された。加勢川右岸に13段の石段形式で造られ、全長約150メートル、幅平均4・7メートル、高さ平均3メートル。終戦直後まで天草からの木材を運ぶためなどに使われていたという。
市教委は「お蔵跡と船着場がそろって残っており、近世の物流、水運の様子を知る上で、全国的にみても貴重な史跡だ。保存や公開方法なども検討したい」としている。
ブックレビュー
【新書】『伊藤博文 知の政治家』瀧井一博著
◎『伊藤博文 知の政治家』瀧井一博著(中公新書・987円) 初代首相として知られているが、その歴史的評価はほかの維新の志士と比べるときわめて地味。幕末に長州5人のひとりとして英国に留学した経験を生かし、明治新政府では憲法を制定、議会を開設した。生涯をたどって彼の素顔に迫る。
今日はおでかけ日和。用事で自由が丘に行ったらマリ・クレール通りでイベント。生ビールが5種類ほど、ワインもボトルやグラスで30種類以上出ていましたので、ついグラスワインをいただいてしまいました……美味しかったです(*^。^*)。
福島
文化審答申:「小峰城跡」が国史跡に 2カ所の範囲拡大も /福島
【東北女子アナコラム】戊辰戦争にさかのぼる青森との深~い縁 福島テレビ・関口由香里アナウンサー
会津と斗南のつながりは存じてますが、磐梯町でむつのホタテや大間のマグロを売っているということには驚きます。
栃木
『幕末の佐野』 振り返る 郷土博物館で企画展
大河ドラマ題材に歴史講義20年 元中学校長の新井さん
千葉
旧八幡村名主 寺嶋家文書を解読
古文書研が第5集発刊 市原八幡・五井地区
東京
「まんがで読む 八王子歴史物語」刊行-年齢差50歳コンビが執筆
神奈川
幕末~明治前期の東本願寺法主が嫁ぐ娘にあてた手紙発見、横浜人形の家で公開
小田原城で初の和装コスプレイベント開催へ/神奈川
高知
土佐藩主・山内容堂の企画展 高知県立文学館
山口
文化審答申:「長州藩下関前田台場跡」国の史跡に 世界遺産登録へ大きな前進 /山口
熊本
文化審答申:国指定史跡に、熊本藩・川尻米蔵跡 /熊本
宮崎・鹿児島
文化審、鹿児島、宮崎の3件答申
全国各地
平城宮東院庭園など特別名勝に 文化審議会答申
福島
文化審答申:「小峰城跡」が国史跡に 2カ所の範囲拡大も /福島
国の文化審議会が21日答申した国史跡の新指定で、県内から歴代白河藩主の居城だった「小峰城跡」(白河市)が選ばれた。市のシンボルとして親しまれてきた城跡の指定に、同市教育委員会は「石垣の保存状態が良く、復元も当時の絵図に忠実に行った。歴史的、学術的価値が高いと評価された」と喜んでいる。
同市教委などによると、小峰城は1340(興国元)年に結城親朝(ゆうきちかとも)が、小峰ケ岡と呼ばれた丘陵に城を築いたのが始まりとされる。1629(寛永6)年から初代白河藩主の丹羽長重(にわながしげ)が大改築した。
1868(慶応4)年の戊辰戦争で石垣などを残し焼失したが、1991年に天守にあたる三重櫓(やぐら)、94年に前御門(まえごもん)が復元された。丘と阿武隈川周辺の平地を利用した典型的な平山城(ひらやまじろ)で、石垣の石が半円状に積み上げられるなど、建築学的にも珍しいとされる。
今回の答申では、2カ所の指定範囲拡大もあった。うち、「白河官衙(かんが)遺跡群」(同市、泉崎村)は7~10世紀の役所跡で、84年に「関和久(せきわく)官衙遺跡」として国史跡に指定。その後の調査で近くの寺院跡「借宿廃寺跡」も関連遺跡と分かり、追加と名称変更がなされた。
「白河舟田・本沼遺跡群」(同市)は古墳群で、新たに「野地久保古墳」が追加された。
3史跡の指定を記念し、同市教委は今夏、市歴史民俗資料館で出土品などを集めた特別展を開く予定。【関雄輔】
【東北女子アナコラム】戊辰戦争にさかのぼる青森との深~い縁 福島テレビ・関口由香里アナウンサー
山々に囲まれた福島県磐梯町の「道の駅ばんだい」で、青森県むつ市のホタテや大間のマグロが販売されています。
なぜ福島県で青森県の海産物が!?
答えは戊辰戦争にさかのぼります。
青森県むつ市は、戊辰戦争で敗れた会津藩が移封された斗南藩ゆかりの地。
そこで、会津と斗南の歴史にちなんだ交流をしようと、アンテナショップの設置になったのです。
むつ市の特産はホタテ。大間町がむつ市に近いことから、大間のマグロも販売されることになりました。
取材で訪れたときも、大間のマグロを買い求める地元の方の姿が見られました。道の駅では大間のマグロを使ったマグロ丼や海鮮丼も頂けます。
時をへても変わらぬつながり…。
歴史に想いをはせつつ頂く高級マグロは絶品です。(福島テレビアナウンサー)
会津と斗南のつながりは存じてますが、磐梯町でむつのホタテや大間のマグロを売っているということには驚きます。
栃木
『幕末の佐野』 振り返る 郷土博物館で企画展
佐野市大橋町の市郷土博物館で、企画展「幕末の佐野」が開かれている=写真。幕末の動乱の様子を今に伝える貴重な史料約五十点が並ぶ。六月十五日まで。
展示は文書が中心。市内に領地があった彦根藩の藩主井伊直弼に焦点を当て、井伊の佐野領巡見や桜田門外の変で倒れた際の状況などが分かる。尊王攘夷(じょうい)運動の太平山事件や出流山事件への佐野からの参加者の史料もある。
入館料は一般二百十円、大学・高校生百円、小中学生五十円。二十九日には東京大の宮地正人名誉教授の記念講演会もある。問い合わせは同館=電0283(22)5111=へ。 (清水祐樹)
大河ドラマ題材に歴史講義20年 元中学校長の新井さん
【那須烏山】NHK大河ドラマのテーマに合わせて歴史を講義する、元中学校長で歴史研究家新井正義さん(81)=さくら市喜連川=の歴史講座が、本年度で20回目を迎えた。今回は「幕末・政局の動きと龍馬の生涯」のテーマで、20日に第1回を市烏山公民館で開いた。15年以上通う熱心な受講生もおり、新井さんは「自分の勉強の成果を聞いてくれ、ありがたい」と、坂本龍馬が駆け抜けた幕末の講義に力を入れている。
新井さんは喜連川中で16年間日本史を指導。1982年には県立烏山青年の家所長を務め、89年に同校校長で退職した。すぐに公民館の歴史講座の講師となり、旧南那須町で6年間、それ以降は旧烏山町で担当している。両町合併後も続けている。
講座担当3年目からは大河ドラマの内容に合わせてテーマを設定。毎年、次回作が決まると関連書籍で毎日3時間から5時間勉強する。今回も5カ月間準備してきた。
新井さんは「大河ドラマで予習してもらい、講座では史実とドラマのフィクション部分を比較しながら話している」という。
歴史講座は市民対象で、毎月1回(10月2回)の計8回。1回目は約60人が受講した。今後、龍馬の脱藩や海援隊結成、薩長同盟などの講義のほか、宇都宮城など戊辰戦争の県内戦跡巡りも行う。
約15年受講を続ける野上、無職石田なみさん(76)は「この講座は生きる張り合い。昨年は米沢に行き、直江兼続の墓も訪ねた」と言う。講座づくりを担当してきた前社会教育指導員の桜井恵子さん(61)は「新井さんは歴史を現代の政治経済問題と結び付けてくれる点もおもしろい」と、講義の魅力を話している。問い合わせは市生涯学習課電話0287・88・6223。
千葉
旧八幡村名主 寺嶋家文書を解読
古文書研が第5集発刊 市原八幡・五井地区
市原市八幡・五井地区などに残る古文書を研究するグループ「市原の古文書研究会」(山岸弘明代表、5人)がその成果をまとめた「市原の古文書研究」の第5集を発刊した。“目玉”は旧八幡村名主・寺嶋家の文書。維新混乱期の第一級史料からは乱暴者が横行した村の緊迫した様子や、今まで不確かだった房総知県事の本陣の場所が初めて明らかになった。「梅谷家文書」は珍しい一般農家の文書。いずれにも分かりやすい解説がついており、当時の庶民らの暮らしぶりが楽しく理解できる。
同研究会は同市史編さんにも携わった郷土史研究家、秋葉平さんを講師とする同市立八幡公民館のサークル「古文書学習会」の有志が2001年に結成。
かつて市原の中心地でありながら、都市化により多くの史料が失われた八幡・五井地区の文書を掘り起こし、その解読と研究に取り組んできた。成果は04年発刊の1集から計4冊にまとめられ、今回の5集は約2年ぶりの発刊となる。
今集の“目玉”「寺嶋家文書」は、江戸中期以降に名主を務めた旧八幡村屈指の名家で見つかった。江戸から明治にかけての同家の文書類はほとんどが県文書館に寄託されたが、今回は同家、同館の協力で一般公開に先立って調査解読を許された。
維新期の戦乱に、江戸から県内に疎開した家族の状況を領主に伝える1868(慶応4)年の礼状には「昼は乱暴人に金子を脅し取られ、夜は6、7人が抜き身(刀)を携え、村人が恐怖している」など緊迫した様子を記した一文が。また同年、房総(安房、上総)の領主として赴任した柴山文平が八幡本陣を構えた期間と場所が、この文書で初めて明らかになった。
「梅谷家文書」は同研究会で初めて解読する一般農家の文書。江戸から明治にかけての、商品を売買した領収書やメモなどからは庶民の生活ぶりがうかがえる。「深山家文書」「飯香岡八幡宮文書」は以前から同会が解読に取り組んでいる。
B5判302ページ。送料込み2500円で販売する。詳しくはファクスで同研究会の佐野さん、電話0436(75)0130。
東京
「まんがで読む 八王子歴史物語」刊行-年齢差50歳コンビが執筆
八王子の郷土史を漫画で学ぶことができる書籍「まんがで読む 八王子歴史物語」の第1巻が現在、多摩地域の書店などで販売されている。
同書は市内で歯科医院を開く新藤恵久さんと教育漫画家・松田純さんの2人が執筆。八王子をテーマとしたフリーペーパー「はちとぴ」などを発行している清水工房(八王子市追分町)の出版事業部門「揺籃社」が手がけた。1巻では「八王子」という町が作られはじめた戦国時代から江戸時代にかけてのエピソードを、八王子生まれの機織り(はたおり)神・ハタガミちゃんとそれを取り巻くキャラクターたちが楽しく説明する。
新藤さんは本職の歯科医としての仕事の傍ら、市郷土資料館運営協議会の会長を務めていたほどの郷土史研究家。「2002年、地元市民が郷土の歴史になかなか関心をもってくれないのを嘆き、知人に相談したところ、漫画で伝えるアイデアを得たことがこの企画の発端」と作画を担当した松田さん。
「当時、角川書店より漫画家としてデビューしたばかりのわたしに、新藤さんの知り合いの歯科器材の業者の方を通じて、八王子の歴史を漫画化する企画をご相談いただいた」と松田さん。東京都立大学(現在の首都大学東京)に在学していたころは歴史学を専攻していたこともあり、申し出を快諾。当時70代だった新藤さんと20代だった松田さんという、年齢差50歳のコンビが生まれた。
「コンビ結成」から2年後の2004年から八王子の各地を巡る取材を開始。「八王子城跡や滝山城跡・大善寺跡などの史跡を一緒に取材をした」と松田さん。「新藤さんから生きた郷土の歴史を学び、地元のさまざまな先生方からもお話をうかがう貴重な機会をいただきつつ、千人同心や八王子の歴史を各エピソードごとに漫画化していった」という。
ある程度漫画がたまったところでいったん、出版社に企画を持ち込んだが不発に終わった。2人は「未経験のジャンルなので冒険はできない」と構成を見直すことに。企画を温め直し、再び手がけることになったのは昨年のこと。7年がかりで出版にこぎ着けた格好だ。「再び構成を練り直して、新しい研究成果も交えながら加筆修正した」と松田さん。
1巻は今年3月に刊行。今後は年に1冊のペース(計6巻)で刊行していく予定。「2巻では江戸時代の後期から、幕末の動乱と戊辰戦争・大政奉還にかけてを千人同心や八王子の歩みを絡めながら、楽しく読める作品にしたい」と松田さん。「新しい市民の方々、とりわけ新しい街で生まれ育っていく子どもたちに読んでもらえれば」とも。
サイズはA5判、全208ページ。価格は945円。
神奈川
幕末~明治前期の東本願寺法主が嫁ぐ娘にあてた手紙発見、横浜人形の家で公開
幕末から明治前期に京都・東本願寺の第21代法主を務めた大谷光勝(こうしょう)(1817~1894年)が、明治維新を主導した公家岩倉具視の子に嫁ぐ娘にあてた手紙が横浜市内で見つかった。光勝が娘に託した市松人形とともに、横浜市中区の「横浜人形の家」で22日から公開される。30日まで。
東本願寺などによると、光勝の手紙は岩倉具視の三男具経(ともつね)に嫁いだ六女梭子(おさこ)にしたためたもの。「天朝の御恩(ごおん)の程難有(ありがたく)存し奉(たてまつ)り政令(政府が定める命令)にそむく間敷(まじき)事」など5カ条が記され、激動の時代を経験した光勝が宮中や明治政府への配慮をにじませている。
具経と梭子の長女の孫にあたる横浜市泉区緑園の中嶋信光さん(74)がこのほど、仏壇にあった手紙を見つけた。中嶋家に伝わる由来によると、光勝から梭子には手紙とともに市松人形「御小姓(おんこしょう)人形」(高さ35センチ)が渡された。その後、長女が嫁いだ中嶋家の家宝となったという。
中嶋さんによると、人形は江戸後期の作で、伏見宮から嫁入りした光勝の妻が持参した。太平洋戦争時の空襲では顔に傷が付いた程度で着替えの着物とともに焼失を免れた。1986年に人形の家に寄贈された。
2006年の改装後は公開されていなかったが、今回見つかった手紙も人形の家に寄贈される運びとなったことから、手紙の写しとともに展示されることになった。中嶋さんは「手紙を通じて人形がたどった数寄な歴史を伝えたい」。学芸員の伊井さえこさん(34)は「人形を今に伝えてきた人たちの思い感じてほしい」と話している。
小田原城で初の和装コスプレイベント開催へ/神奈川
和装を中心とするコスプレイベント「小田原写真館~in小田原城」が30日、小田原城址公園(小田原市城内)で初めて催される。国指定史跡の小田原城を舞台に、若者の和装コスプレーヤーが集う催しが開催されるのは珍しいという。
一大仮装イベントの北條五代祭りや「着物でまちあるき」、茶会など「和」のイベントが小田原城で催されてきたことから、「小田原城址公園全体をロケーションとする仮装と撮影を目的とした参加型イベント」として、和装コスプレを愛好する若者らとFMおだわらが初めて共催する。
若者らに小田原城の歴史的な価値を再認識・再評価してもらおうという狙いもある。
コスプレは、アニメやゲームなどの愛好者が、自らが好きなキャラクターの衣装をまねて作った服を着てキャラクターになりきり、気に入った背景に収まって写真を撮るまでの一連の流れをいう。和装コスプレは、将軍や幕末などの人物をイメージして自作した衣装が特徴となっている。
当日は、参加者がそれぞれの衣装を身にまとい、お堀端や銅門(あかがねもん)、馬出門(うまだしもん)などの気に入った撮影場所で自らを撮影する。
午前10時半から午後4時まで。参加費は1人1500円。申し込み・問い合わせはFMおだわら電話0465(35)5150。
高知
土佐藩主・山内容堂の企画展 高知県立文学館
「最後の将軍」徳川慶喜に大政奉還を提案するなど幕末に大きな役割を果たした土佐藩の15代藩主・山内容堂の足跡、人柄を紹介する企画展が、高知市丸ノ内の高知県立文学館で開かれている。6月27日まで。
同県に寄贈された山内家の資料の調査を進めている土佐山内家宝物資料館(同市)が開館15周年を記念して企画。慶喜ら幕末の権力者とのかかわり、自らを「鯨海酔侯(南海の酔いどれ大名)」と名乗り、詩や書を愛した一面などを約50点の展示資料を通じて紹介している。
大政奉還建白書の写しは初公開で、長さ約2メートル。冒頭部に「慶応3(1867)年9月に幕府に建白書を差し出す」と、後に書かれたことを示す注記がある。慶喜が将軍に就任する直前に容堂にあてた書状では「京都に上京し朝廷の警護にあたってほしい」と依頼した内容が記されている。
このほか、容堂の肖像画や赤色の地に白い数珠の模様を配した陣羽織なども展示されている。会期中は無休。観覧料は400円(高校生以下は無料)。
山口
文化審答申:「長州藩下関前田台場跡」国の史跡に 世界遺産登録へ大きな前進 /山口
明治維新はここから始まった--。文化審議会が国の史跡にするよう答申した「長州藩下関前田台場跡」(下関市前田)は、長州藩が馬関戦争(1864年)で英仏蘭米に大敗し、開国、倒幕に転じた「維新起点の地」。下関市の試掘から17年目にして日の目を見ることになった。(18面に「なるほドリ」)
前田台場跡は、関門海峡沿いの国道9号を唐戸町から長府方面へ走る途中の左側、前田1丁目の高台だ。
幕末、攘夷(じょうい)を強硬に唱える長州藩は彦島から長府にかけて約20の砲台を築造し、青銅製の大砲などを設置した。前田台場はその一つ。文化審は「低台場(標高10メートル)」と「高台場(同16メートル)」の形状をほぼ当時のままとどめる点などを評価した。
存在が確認されたのは市教委が試掘した94年。99~02年には県教委が発掘調査し、土塁や大砲を据えた平たん面などが見つかった。その後、市民にもほとんど知られていなかったが、08年9月、福岡県など6県10市が組む「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして世界遺産登録の暫定リスト入り。一躍脚光を浴びた。
現地を訪ねて高台場から見下ろすと、思いの外、海峡が近く迫ってくる。市文化財保護課の濱崎真二主任らによると、馬関戦争の往時、台場から撃った大砲の弾は4国連合艦隊にまるで届かなかった。一方、艦隊からの砲撃は台場に降り注いだという。埋め立てで海岸線は遠のいたが、変わらない海峡の眺めが146年前の戦闘をしのばせる。
市は今後、文化庁と協議し、遺跡を守りながら歴史的価値を顕彰するスポット作りを模索する。文化財保護課によると、国の史跡指定は「近代化産業遺産群」の世界遺産登録へ向けても大きな前進だという。ユネスコへの推薦に国の指定は不可欠で、前田台場跡は関門をクリアしたといえる。同課は「スタート地点に立てた。それもありがたい」と二重の喜びに沸く。【取違剛】
熊本
文化審答申:国指定史跡に、熊本藩・川尻米蔵跡 /熊本
国の文化審議会は21日、熊本市川尻の熊本藩川尻米蔵跡(外城蔵跡、船着場跡)を国の史跡に指定するよう文部科学相に答申した。指定されれば県内では37件目となる。【勝野俊一郎】
川尻地区は中世から緑川や支流の加勢川を利用した水運の拠点。1588年、肥後に入国した加藤清正が本格的な整備をしたとされる。軍港としての側面もあり、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際には兵や兵糧を送り出した。
米蔵跡は江戸時代、熊本藩が年貢米の集積や搬出の拠点として利用した。主に藩南部から集めた年貢米をいったん納入して大坂に搬送していたという。1832年の絵図には3カ所に蔵が描かれているが、現存するのは外城蔵の一部だけ。幕末の19世紀中ごろに造られたとみられ、東棟と西棟がある。ともに木造平屋建てで東棟が585平方メートル、西蔵が210平方メートル。個人所有で、二十数年前までは農協の倉庫として使用されていた。
船着場は16世紀末に整備された。加勢川右岸に13段の石段形式で造られ、全長約150メートル、幅平均4・7メートル、高さ平均3メートル。終戦直後まで天草からの木材を運ぶためなどに使われていたという。
市教委は「お蔵跡と船着場がそろって残っており、近世の物流、水運の様子を知る上で、全国的にみても貴重な史跡だ。保存や公開方法なども検討したい」としている。
宮崎・鹿児島
文化審、鹿児島、宮崎の3件答申
文化審議会が21日、文部科学大臣に答申した新たな国指定には、鹿児島、宮崎両県から「ヤクシマカワゴロモ生育地」(天然記念物、鹿児島県屋久島町)▽「小湊(こみなと)フワガネク遺跡」(史跡、同県奄美市)▽「賀来飛霞(かくひか)標本」(登録記念物、宮崎市)‐の三つが含まれた。どんな価値があるのかを紹介する。
ヤクシマカワゴロモは屋久島固有の水生植物。世界自然遺産の屋久島でも北部の一湊(いっそう)川の流域でしか確認されておらず、生息地は貴重と評価された。
宮崎や鹿児島の本土にも分布するカワゴロモ属の一種で、種子植物だが、コケや藻のような形状が特徴。流水に適応し、平たい根で岩の表面に広がる。花こう岩上に生息することが本土のカワゴロモとは異なる。
鹿児島県立博物館の寺田仁志・主任学芸主事(57)は「屋久島の自然の豊かさを示す特別な文化財。国の天然記念物として大切にされるのは、うれしい」と話す。
小湊フワガネク(外金久)遺跡は、奄美市名瀬の南部の海岸近くにある。6-8世紀の生活や交易の在り方が分かる集落として評価された。現地は太平洋に面し、幕末には米国ペリー提督の艦隊が立ち寄ったとの言い伝えも残る。
市教委の高梨修主幹は「あの時の衝撃が忘れられない」と話す。1996年、専門学校の建設現場から大量のヤコウガイの貝製品や土器のかけらが見つかった。97年に発掘を始め、2000年から本格調査。約2万5千平方メートルの範囲で土器片だけでも約1万8千点が出土した。貝製品の工場跡も見つかり、6-8世紀の遺跡と判明した。
高梨さんは「奄美の歴史の空白部分が埋まった。ヤコウガイは平安時代に螺鈿(らでん)細工に使われ、宮廷貴族が重宝したとされる。奄美が供給地だった可能性がある」と話す。
賀来飛霞標本は、本草学者で医師の賀来飛霞(1816-1894)が集めた760点の動物、植物、地質鉱物の標本で宮崎県総合博物館所蔵。幕末の本草学から明治時代の近代植物学の先駆けまでに作成された標本として重要と評価された。
全国各地
平城宮東院庭園など特別名勝に 文化審議会答申
文化審議会(西原鈴子会長)は21日、日本庭園の原型とされる平城宮東院庭園(奈良市)を特別名勝に指定するよう川端達夫文部科学相に答申した。庭園の中心にある池は、当初、中国などから伝わった直線的な技法で造られたが、なだらかな曲線を備えた日本独自の様式に造り替えられた。 また、長州藩と4カ国連合艦隊による幕末の下関戦争の舞台となった「長州藩下関前田台場跡」(山口県下関市)など8件を史跡にすることなどを求めた。
また、山部赤人の短歌に詠われた干潟、島嶼(とうしよ)などからなる「和歌の浦」(和歌山市)など2件を名勝に、およそ4000年前に噴火した火山「大室山」(静岡県伊東市)など3件を天然記念物にそれぞれ指定するよう答申した。答申はいずれも近く認められる見通し。
◇
主な答申は次の通り。
【特別名勝】平城宮東院庭園(奈良市)
【名勝】和歌の浦(和歌山県和歌山市)▽円月島 高嶋(和歌山県白浜町)
【史跡】長州藩下関前田台場跡(山口県下関市)▽小峰城跡(福島県白河市)▽常陸国府跡(茨城県石岡市)▽大町釈迦堂口遺跡(神奈川県鎌倉市)▽阿波遍路道 鶴林寺道 太龍寺道 いわや道(徳島県阿南市、同勝浦町)▽妙見山古墳(愛媛県今治市)▽熊本藩川尻米蔵跡 外城蔵跡 船着場跡(熊本市)▽小湊フワガネク遺跡(鹿児島県奄美市)
【天然記念物】大室山(静岡県伊東市)▽多度のイヌナシ自生地(三重県桑名市)▽ヤクシマカワゴロモ生育地(鹿児島県屋久島町)
NHK人形劇『新・三銃士』、ラスト前1回でまたドラマチックな展開。次が最終回が最後なのは寂しいですが、最後までわくわくして視聴します。
北海道
幕末のヒーローあんぱんに
土方さんと榎本さんのあんパン、次回函館旅行の時にぜひ入手させていただきたく。
茨城
伊達家グッズいかが
仙台藩領地龍ヶ崎に土産物店
東京
竜馬がテーマの個室居酒屋 東京・新宿、幕末好きで盛況
神奈川
「ペリー時計」動いた
艦隊からの贈り物を修復、開港資料館で29日から公開
静岡
江川坦庵の実像に迫る 交友歴や抗争小説に
坦庵先生研究の第一人者による小説! 早速注文しました(^^)。早く読みたいです!
福井
幕末絵師の大和絵並ぶ 敦賀市立博物館で冷泉為恭中心に
滋賀
舟橋聖一賞:昨秋の「青年文学賞」「文学奨励賞」作品集、彦根市制作 /滋賀
兵庫
みみより情報:上野彦馬賞九州産業大学フォトコンテスト、受賞作品展 /兵庫
福岡
7月博多座公演「大奥」-浅野ゆう子さん、安達祐実さんが来福
全国各地
奈良・平城宮庭園を特別名勝に 文化審議会が指定答申
北海道
幕末のヒーローあんぱんに
函館市内近郊の9社が組織する「函館スイーツの会」(若山直会長)は20日、函館市末広町の五島軒本店で例会を開き、土方歳三と榎本武揚をイメージしたあんぱんなど、新たに4商品を「函館スイーツ」に認定した。週明けにも同会アンテナショップ(函館市松風町8)などに並ぶ。
同会は、函館発のブランド菓子の創出を目指し2009年に発足。定期的に行われる例会では、各社が工夫をこらした新製品を持ち寄り、全会員に承認されれば認定商品として販売することができる。
この日は、木古内町の北島製パン(北島孝雄社長)が、函館にゆかりの深い土方歳三と榎本武揚のイラストをパッケージに使用した「土方歳三あんぱん」と「榎本武揚薩摩芋(さつまいも)あんぱん」の2種類を発表(各160円)。土方あんぱんには北海道産の金時豆のあんを、榎本あんぱんにはさつまいものあんを使用し、どちらもあっさりとしながら味わい深い逸品に仕上がった。北島社長は「幕末のヒーローとして人気の二人。あんぱんとの異色の組み合わせは、観光客にも評判を呼ぶのでは」と期待する。
このほか、季節商品として花園正家(函館市港町1)の「よもぎ味くじらもち」(150円)、はこだて柳家(同市万代町3)の6種のゼリー「はこだて果樹」(各250円)、昭和製菓函館志濃里(同市西桔梗町589)の「新雪チーズケーキ」(315円)も承認された。
新商品と函館スイーツの会についての問い合わせは、同アンテナショップTEL0138-21-1811。
土方さんと榎本さんのあんパン、次回函館旅行の時にぜひ入手させていただきたく。
茨城
伊達家グッズいかが
仙台藩領地龍ヶ崎に土産物店
戦国武将の伊達政宗が基礎を築いた仙台藩。幕末までその領地だった龍ヶ崎市で、伊達家にちなんだオリジナルグッズを扱う土産物店「みやこや」が開店した。仙台藩との縁を生かした地域活性化を目的に、市民グループが始めた店舗で「伊達の発信基地として盛り上げていきたい」としている。
龍ヶ崎など当時の26村は、1606年(慶長11年)に「仙台藩常陸国龍ヶ崎領」として徳川家康から政宗に与えられ、政宗も龍ヶ崎を訪れた記録が残る。2代藩主・忠宗は龍ヶ崎出身のたけを側室に迎え、その孫は同藩5代目を継ぐなど、かかわりは深かったという。
みやこやを運営するのは、4年前に発足した市民グループ「龍ヶ崎・伊達都祭りの会」。武将にふんした子どもたちが仮装行列する祭りを毎年10月に開いてきた。昨年初めて商店街で祭り準備の臨時事務所を開設した際、「空き店舗が開き、商店街が明るくなった」という商店主たちの声が開店の後押しとなった。
関東鉄道・竜ヶ崎駅にほど近い商店街の空き店舗を借りて今月1日に開店。同会長の藤木妙子さん(56)が店主に就任した。接客は会員がボランティアであたり、都祭りにちなむTシャツ(900~2000円)や地元菓子店に委託した菓子「みやこサブレ」(110円)などを販売している。
今月末には、忠宗とたけの恋を題材に、中学校の元音楽教諭だった藤木さんが作詞作曲したCD「龍ヶ崎恋歌」と、藤木さん著作の小説「大輪の椿(つばき)」の販売を始める。だて巻きにヒントを得た「伊達ロールケーキ」を売り出す計画もあるという。
藤木さんは「仙台藩とのかかわりを知る人は、地元でも少なくなった。歴史を振り返り、後継者不足で元気がない商店街を活性化する一助になれば」と話している。営業時間は午前10時~午後5時(月曜定休)。問い合わせは同店(0297・62・3882)へ。
東京
竜馬がテーマの個室居酒屋 東京・新宿、幕末好きで盛況
大河ドラマ「龍馬伝」によるブームの中、坂本竜馬をテーマにした個室居酒屋「龍馬の空 新宿社中」が東京・新宿にオープンした。幕末好きの“歴女”らで盛況だ。
エントランスで出迎えるのは、自身の言葉をバックに立つ等身大の竜馬像。高知・桂浜で太平洋を見据える雰囲気を演出し、一緒に記念撮影もできる。
店内は少人数用から大人数用まで25の個室に分かれ、高知や九州などの郷土料理を提供する。個室ごとに「勝海舟の間」「江戸三大道場の間」「近藤勇の間」などとネーミング。志士の写真や剣道防具、船の模型といったグッズも展示するこだわりようだ。
メニューは刺し身5点盛り合わせ「船中五策」や、くしを剣に見立てた「沖田総司 幻の五段突き」、「おりょうの流し目ハイボール」など。ランチも営業。運営は外食チェーンのダイヤモンドダイニング。不定休。
神奈川
「ペリー時計」動いた
艦隊からの贈り物を修復、開港資料館で29日から公開
幕末に黒船で下田(静岡県)に来航したペリー艦隊が日本人に贈った置き時計が修復された。横浜市内の民家から時計を寄託された横浜開港資料館(横浜市中区)は29日~6月6日にぜんまいをまいて針を動かして公開する。
時計は、1854年にペリー艦隊からペリー艦隊の世話役だった下田奉行の役人に贈られたもので、横浜市港北区の無職但馬惟義さん(84)方に「ペルリ時計」として伝わっていた。但馬さんは、同資料館に「時計を動かしてほしい」と要望していた。
同資料館の依頼を受けた古時計愛好家の武田信雄さん(66)が内部のさびを落とし、長針を取り付けるなどして時計を修復。ぜんまいをまけば、振り子が左右に動いて「コチコチ……」という音を出し、毎時、時間に応じた回数の「ボンボン……」という音が響くようになった。米国の「古時計収集家協会」会員で古時計研究家の加藤晃正さん(72)は「この時計は、ペリー艦隊が日本人に贈った時計の中で唯一現存が確認されているもので大変貴重な史料。今回の修復でペリー来航時の音をよみがえらせることができた」と話している。
静岡
江川坦庵の実像に迫る 交友歴や抗争小説に
伊豆の国市の元高校教諭で歴史研究家の仲田正之さん(63)がこのほど、韮山反射炉などの建造を手掛けた幕末の代官江川太郎左衛門英竜(坦庵、1801~55年)の生涯を描いた980ページに上る時代小説「実伝 江川太郎左衛門」(四六判、鳥影社)を出版した。これまでの江川研究の集大成として4年がかりで執筆した。
7章に分けて、英竜の青年期から反射炉建造を前に亡くなるまでの人物像や、政官財界から伊豆の名主までの多彩な交友を浮き彫りにした。周辺人物の日記など膨大な資料を当たり、伊豆の住民とのかかわりや狩りの様子、悪党との抗争なども詳細に描いている。
大学時代から英竜の研究を重ねている仲田さんは1985年に英竜の歴史書を出版。そのころから小説の構想はあった。英竜は代官就任前の少年期や青年期の記録がほとんどなく、「歴史書や論文は限界があった。周辺の取材から浮かび上がる、架空の人物や出来事を入れないと生涯を描けなかった」と仲田さん。経験のなかった小説執筆を決めた。
高校教諭を定年退職後に本格的な執筆活動に入り、長年の英竜研究で少しずつ集めていた資料をつなぎ合わせ、想像をかき立てて一冊の本にまとめた。仲田さんは「劇的な人生を送った英竜を人間として描きたかった。この小説を通し、英竜の生きた時代を感じてほしい」と、大作を手に満足げな表情を浮かべる。
坦庵先生研究の第一人者による小説! 早速注文しました(^^)。早く読みたいです!
福井
幕末絵師の大和絵並ぶ 敦賀市立博物館で冷泉為恭中心に
敦賀市相生町の市立博物館で、幕末に活躍した絵師の冷泉為恭(れいぜいためちか)の作品を中心に紹介する「館蔵名品展~冷泉為恭~」が開かれている。6月6日まで。
為恭は「国学」が盛んになり、日本古来の物事への関心が高まった江戸時代後期の絵師で、平安、鎌倉時代の古典をもとに復古大和絵を数多く描いた。小浜藩酒井家とも親交が深かったことでも知られる。
同館が所蔵する為恭の作品を一堂に紹介しているほか、復古大和絵の絵師らの作品など計約30点を展示。
平安時代の絵巻物を模写した為恭の「三祭図(祇園祭礼図)」は、田楽や獅子舞、見物する庶民の姿が細密に描かれている。「平家物語」の一場面を絵に表した「忠孝図」や、炎を背後にまとった力強い不動明王を描いた作品もある。休館は毎週月曜日。入館料は一般200円。 (安福晋一郎)
滋賀
舟橋聖一賞:昨秋の「青年文学賞」「文学奨励賞」作品集、彦根市制作 /滋賀
彦根市は昨年秋の「第21回舟橋聖一顕彰青年文学賞」「第24回舟橋聖一顕彰文学奨励賞」の受賞作品集を作った。全入賞者やその在学校のほか、県内や隣接県の図書館や大学、彦根市内の全小・中学校、高校などにも送っている。
両賞は、幕末の大老で旧彦根藩十三代藩主・井伊直弼を描いた小説「花の生涯」の作者で彦根市名誉市民の故・舟橋聖一氏の業績をたたえ、市が制定した。
青年文学賞は、最優秀賞の冨士野督子さん=さいたま市=の小説「虹待ち」▽佳作の漆原正雄さん=鳥取市=の小説「棚子」の2作品を収録。文学奨励賞は、▽小学生の部1席の作文「初めて見たホタル」▽中学生の部1席の作文「『脳死』と『尊厳死』」▽高校生の部1席の創作「仮面」など、小・中・高校の各3席までの計9作品を作者の顔写真付きで載せている。選考の講評、表彰式の様子の写真なども収録した。
また、一昨年8月から1年間に出版された単行本の小説が対象の舟橋聖一文学賞は、「商人(あきんど)」で受賞した作家・詩人のねじめ正一さん(東京)を顔写真入りで紹介している。【松井圀夫】
兵庫
みみより情報:上野彦馬賞九州産業大学フォトコンテスト、受賞作品展 /兵庫
◇尼崎市総合文化センター--来月6日まで
世界の紛争や日常の一場面など一般と高校・中学部門106人
若手カメラマンの登竜門とされる第10回上野彦馬賞九州産業大学フォトコンテスト受賞作品展(毎日新聞社、九州産業大、尼崎市総合文化センター主催)が尼崎市昭和通2の同センターで開かれている。
幕末から明治にかけて写真館を営んでいた上野彦馬(1838~1904)は「写真の祖」とされる人物。2000年に同大建学40周年を記念して創設されたこのコンテストはプロアマを問わず39歳以下の若手の写真家の育成などが目的となっている。
今回は入賞した一般部門31人、高校・中学生部門75人の作品を展示。コソボ紛争を題材としたドキュメンタリー写真や人込みではぐれないように傘で子どもを引っ張る老人の姿などのユニークな日常の一場面を切り取った作品など、若手ならではのアイデアに満ちた写真が展示される。
同時開催として、特別企画展「上野彦馬と内田九一の写真でめぐる幕末明治の日本」も開かれている。坂本竜馬やロシア皇帝ニコライ2世といった、どこかで見たことがある写真など約150点を展示する。
6月6日まで。入館は午前10時から午後4時半まで。入場料一般500円、大高生400円、中学生以下無料。問い合わせは同センター(06・6487・0806)。
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◇プレゼント
この展覧会のチケットを2枚1組で10人にプレゼントします。はがきに「上野彦馬展チケット希望」と書き、郵便番号、住所、氏名、電話番号も記入して、〒660-0892 尼崎市東難波町5の16の29、毎日新聞阪神支局みみより情報係へ。26日必着。応募多数なら抽選します。
福岡
7月博多座公演「大奥」-浅野ゆう子さん、安達祐実さんが来福
7月に博多座(福岡市博多区下川端町2)での公演を予定している「大奥」に出演する浅野ゆう子さん、安達祐実さんが5月20日、会見を行った。
2003年に放送されたフジテレビ系列のドラマ「大奥」。豪華絢爛な衣装や女性同士の愛憎劇を描き、翌年には「大奥~第一章~」、2005年には「大奥~華の乱~」のほかスペシャルドラマも放送。さらに2006年には映画化され、女性を中心に高い人気を集めた。2007年に初の舞台化。博多座には初登場となる。
舞台では和宮降嫁から幕末にかけての時代を描く。大奥総取締・瀧山を浅野さん、仁孝天皇の第八皇女、家茂御台所・和宮を安達さんが演じる。
2人は2003年から7年間、同じ役を演じ続けている。「7年同じ役を演じられるのは役者にとって幸せ」と浅野さん。「回を追うごとに瀧山に深く愛情を感じる。一緒に成長して、新しくも怖い瀧山を演じたい」と話す。安達さんは「初めて演じたときは21歳。28歳の今、自身が積み重ねた部分を役に反映できれば」という。
「総額1億円の豪華な衣装も見どころ。華やかさを楽しんでいただければ」と浅野さん。安達さんは「楽しみながら頑張りたい」と話す。
料金は、A席=1万3,000円、特B席=1万円、B席=7,000円、C席=4,000円。上演は7月3日~27日。
全国各地
奈良・平城宮庭園を特別名勝に 文化審議会が指定答申
文化審議会(西原鈴子会長)は21日、平城宮の東南部で発見・修復された「平城宮東院庭園」(奈良市)を特別名勝に、幕末の四国連合艦隊下関砲撃事件の舞台となった「長州藩下関前田台場跡」(山口県下関市)など8件を史跡に、それぞれ新規指定するよう川端達夫文部科学相に答申した。
また万葉集にも詠まれた「和歌の浦」(和歌山市)など2件を名勝に、単成火山と呼ばれる噴火様式の典型例である「大室山」(静岡県伊東市)など3件を天然記念物に新規指定するよう答申。
近く答申通り告示される予定で、史跡1669件、名勝359件(うち特別名勝36件)、天然記念物982件となる。
平城宮東院庭園は8世紀初頭に造営。池の護岸手法などから、日本古来の意匠や工法が大陸伝来の庭園文化と融合し、日本独自のものに変化していく過程がうかがえる。
長州藩下関前田台場跡は、攘夷戦争で外国船への砲撃が行われ、イギリスなどの連合艦隊に破壊、占拠された場所で、幕末の動乱期の痕跡をとどめている。
鳳楽師による七代目圓生襲名に圓丈師が意を唱えたのが、塚越孝さんとの対談がきっかけだったので、この対談は楽しみ。
ウェブ上で無料再生できる他、Podcasting配信できます。
つか金フライデー
5/21号
三遊亭圓丈 対談①吉崎典子アナウンサー(全3回)
ゲスト:三遊亭圓丈
アナウンサー:塚越孝、吉崎典子
時間:32分45秒
配信期間:2010年05月21日~2010年06月18日
全3回ですが、今日は鳳楽師との争奪杯、そもそもの『御乱心』圓生の落語協会脱退事件についての話が中心。
争奪杯の舞台裏、川柳川柳師のエピソードが笑えます。
圓窓師が名乗りを上げて三つどもえになった、という話は次回以降にフォローされるようで。
ウェブ上で無料再生できる他、Podcasting配信できます。
つか金フライデー
5/21号
三遊亭圓丈 対談①吉崎典子アナウンサー(全3回)
ゲスト:三遊亭圓丈
アナウンサー:塚越孝、吉崎典子
時間:32分45秒
配信期間:2010年05月21日~2010年06月18日
「“3.17 圓生争奪杯” その裏側では何が?」
今回のゲストは、この番組がトークスタイルにリニューアルして最初にお迎えした三遊亭円丈師匠。その際「大名跡・圓生を継ぐ意志がある」と表明したことで端を発した「七代目圓生」継承問題は、その後多くの新聞雑誌の紙面を賑わせ、ついには3月17日に円丈師匠と、同じく継承意志を表明している三遊亭鳳楽師による直接対決「圓生争奪杯」という落語会まで行われ、落語ファンのみならず世間の注目や関心を集めました。 超満員のお客さんが詰め掛け、円丈派、鳳楽派双方のファンがヒートアップした落語会の舞台上で、あるいは舞台裏では、何があって、どんなことが語られ、いかなる結末を迎えたのか? どこにも報道されていない「圓生争奪杯 その裏側」を、円丈師匠が語ります。
全3回ですが、今日は鳳楽師との争奪杯、そもそもの『御乱心』圓生の落語協会脱退事件についての話が中心。
争奪杯の舞台裏、川柳川柳師のエピソードが笑えます。
圓窓師が名乗りを上げて三つどもえになった、という話は次回以降にフォローされるようで。
Catalinaさんのブログ『録画地獄』より。
未ソフト化--三谷幸喜/浜田雅功「竜馬におまかせ!」が時代劇専門チャンネルで7月初放送
放送日未定で、まだ時代劇専門チャンネルには告知されていないです。
放送日と時間が判明したら、備忘録も兼ねて記事をアップします。
未ソフト化--三谷幸喜/浜田雅功「竜馬におまかせ!」が時代劇専門チャンネルで7月初放送
放送日未定で、まだ時代劇専門チャンネルには告知されていないです。
放送日と時間が判明したら、備忘録も兼ねて記事をアップします。
今日は一日降ったり止んだり。気温はさほど高くないのですが、湿度が高く、じめじめしています。東京はこれから雷を伴うざーざー降りがあるそうです。
明日は晴れて25度以上になる地域が多いとのこと、洗濯日和になるかな。
東京~神奈川
【絹の道 東京~神奈川】
横浜に居留する外国人にとって、八王子が外出の西北端というのは興味深いです。
1.街の発展 生糸が呼ぶ
2.桑都の盛哀伝えたい
龍馬“電”、ラッピング京急出発進行ぜよ
神奈川
郷土の英雄伝に感動
磯子図書館で紙芝居上演会
三重
黎明期の写真術、津に源流 堀江鍬次郎の功績に光
滋賀
霊力漂う能面、能装束
彦根城博物館で展示
大阪
大阪城天守閣で「幕末維新」展
リンク先、動画が埋め込まれてナレーションが始まりますのでお気を付けください。
高知
『土佐・龍馬であい博』盗まれた福山&宮迫のサイン色紙を23日より再展示
福岡
龍馬とメードがコラボ?-西日本新聞会館屋上に「幕末メード伝」ビアガーデン
幕末とメードのコラボって(汗)……「沖田ソーセージ」って駄洒落にも苦笑。
佐賀
全国の竜馬ファンと交流 「からつ海援隊」発足
長崎
ながさき龍馬フェスタ:「龍馬観光」全国区へ 県と長崎市が来月19、20日 /長崎
「龍馬」で特産品売り込め 長崎で企業と全国百貨店商談会
踊りや料理、花街文化を市民ら満喫 料亭青柳「青餅祭り」
鹿児島
かごしまよかとこ旅:観光情報を厳選 九州新幹線全通控え、県がガイド本 /鹿児島
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(62)東大教授・山内昌之 前田慶寧
文化芸能
伊勢谷友介が高杉晋作…「龍馬伝」7・18から登場
「龍馬伝」キャスト小出し発表 今度は高杉晋作役に伊勢谷友介
今年は本当に小出しですね。また随分と端整で長身な高杉……(苦笑)。
明日は晴れて25度以上になる地域が多いとのこと、洗濯日和になるかな。
東京~神奈川
【絹の道 東京~神奈川】
「横浜から馬で3時間ほどのところにある小さな美しい村の発展・繁栄は、横浜が豊かになったお陰」
幕末の横浜にやって来た英国の報道写真家、フェリックス・ベアト。今や相武地方最大の繁華街となった町田市(原町田)を撮影した写真に、こう書き添えている。
町田の発展は八王子と横浜の中間という地理的要因が大きい。かつて養蚕や織物が盛んで「桑都(そうと)」と呼ばれた八王子。その市(いち)で生糸を販売していた農家は、1859(安政6)年に横浜港が開港すると、「港に運べばもっと高く売れる」と知った。現在、絹の道資料館が立つ、八王子市の鑓水(やりみず)付近には、そんな農家出身の商人が住んでいた。八王子には長野、山梨県などからも生糸が集荷された。
八王子市の郷土史家で作家の故・橋本義夫氏は、同市から横浜への商いに使われた道を「絹の道」と呼ぼうと提唱。1957年に記念碑を建てた。以後、八王子から横浜への道は「日本の絹の道」と言われるようになった。
横浜開港資料館主任調査研究員の西川武臣さんは「生糸を横浜に運んだルートは数多くあった。ただ、町田を通る道が、主要な一本だったことは間違いない」と言う。
生糸を運んだ馬や荷車を空荷で帰すことはなく、珍しい舶来品や日用品を積んで戻った。「当時、肥料に使われたイワシも、千葉あたりから船で下田~横浜へと運ばれ、横浜から町田経由で相模原や綾瀬に運ばれたようだ」
「絹の道」は新しい文化も運んだ。八王子郊外にも早くからキリスト教が広がった。カトリック八王子教会の稲川圭三・主任司祭によると、多摩郡下壱分方(現八王子市西部)の教会には1878(明治11)年に約50人、1890年には約250人の受洗者がいたという。
また、「絹の道」は外国人の観光ルートでもあった。幕末当時、外国人の商取引は居留地内に限られ、商売以外の外出も「横浜を中心に10里(約40キロ)四方」と決められていた。八王子は横浜から行ける西北端に当たる。
トロイの発見で知られるドイツの考古学者シュリーマンは「日本中国旅行記」に、1865(慶応1)年の横浜~町田~八王子の小旅行を「横浜滞在中、最も興味深かったことの一つ」とし、「(八王子の)それぞれの家屋には大抵、手動式の生糸紡績機がある」と記している。
西川さんによると、最も大量に生糸が運ばれたのは利根川の舟運だった。だが、にわかに脚光を浴びた陸上ルート同様、1889(明治22)年の甲武鉄道(後に国有化)新宿―立川間、立川―八王子間の開通で主役を奪われる。1908年には「絹の道」に沿うように横浜線も開業した。
生糸を運び、文化を持ち帰った「絹の道」の寿命は50年弱。そのはかなさもまた、ロマンを駆り立てる。
(村山恵二)
◇
歴史ブームを背景に養蚕文化への関心が高まっている。観光資源にと期待する自治体も。日本版シルクロードに思いをはせる人々に会った。
横浜に居留する外国人にとって、八王子が外出の西北端というのは興味深いです。
1.街の発展 生糸が呼ぶ
2.桑都の盛哀伝えたい
雑木林のトンネルに、しっとりとした山道。静寂の中、ひと足踏み込むと、まるで100年前にタイムスリップしたかのよう。八王子市鑓水(やりみず)地区に残る「絹の道」だ。
幕末から鉄道網が発達する明治半ばまで、積み出し港の横浜につながるこの道を何人の生糸商人が往来したのだろうか。未舗装の約1キロの区間は1996年11月、国の「歴史の道百選」に選ばれた。
「絹の道資料館」は、その南側の入り口近くに立つ。かつて八王子で生糸の取引を仕切った鑓水商人の一人、八木下要右衛門の屋敷跡地に90年に建てられた。絹の道や製糸、養蚕に関する資料を展示する。復元された石垣が当時の面影をとどめている。
この資料館に今、ITの光が当てられようとしている。
取り組んでいるのは、近くの東京工科大メディア学部の女子大生。今春、卒業した4年生3人が開発したのが、パソコンで展示資料や歴史について学べる「eラーニング」のソフトだ。
学習コーナーとクイズコーナーがあり、八王子での生糸取引の様子や、横浜開港による変化など、テーマ別に、資料館の内容がほぼそのまま学習できる内容だ。機織り機の動きがコンピューター・グラフィックスを使った3Dアニメで再現されている。
昨年3月、地域にも貢献できる素材を探していた松永信介准教授(41)が勧めたのがきっかけだった。3人のうちの一人、会社員の品田裕子さん(22)は「資料はおもしろかったけど、展示の仕方をもっと良くできると思った」と話す。3人は全員が八王子市以外の出身。2カ月間資料館に通い、市役所にも足を運んで調べた。
完成したのは今年2月。計6日間、資料館などで公開された。普段の来客は日に30~40人のところ、資料館で公開した3日間は計200人以上が訪れた。
協力した市教委文化財課の金子征史さんは「3Dなどは私たちには出来ない発想。資料館のホームページにリンクするなど活用していきたい」と絶賛する。品田さんも「『絹の道』は物だけでなく、キリスト教や自由民権など思想も運んだ。もっと知ってもらわないともったいない遺産。多くの人に伝えられる助けになれば」と話す。
市の郷土資料館との新たな教材ソフト開発話も進行中だ。今回も開発を担当するのは市外出身の女子学生2人だ。瀬川香純さん(21)は「どこまでできるかと不安」としながらも「物語のように歴史を伝えられたら」。
「桑都(そうと)」と呼ばれた八王子も今や養蚕農家はわずか2軒が残るのみ。養蚕の衰退と急速な都市化により「絹の道」が途絶えてから約100年。「絹の道」がネットにつながり、「文化」を運び始める日が来るのかもしれない。
(杉浦幹治)
龍馬“電”、ラッピング京急出発進行ぜよ
“龍馬ラッピング電車”が24日から首都圏を走ることが、19日分かった。土佐から上京した坂本龍馬にゆかりの深い地区に路線を持つ京浜急行(本社・東京都品川区)が、快特電車のドア横に「龍馬が愛した長崎。」をテーマにポスター16種計64枚をはり付けるもの。龍馬ラッピングの交通機関は首都圏初登場で、龍馬ファンを中心に注目されそうだ。
京浜急行の快特電車が24日、坂本龍馬のラッピング車両として出発する。運行区間は品川~三崎口間で、6月27日まで走る。8両編成の「ブルースカイトレイン」(1車両2つドア)で、各ドアの両側に「龍馬が愛した長崎。」と銘打ったポスターがはられる。長崎港を一望する龍馬像やグラバー邸、そのほかに長崎の観光地の写真を配した16種が各4枚ずつ計64枚ラッピングされる。
今回は長崎県からの強力な要請で実現した。龍馬ブームで、長崎県には4月29日から5月5日のゴールデンウイーク期間中、主要30観光施設に54万6656人が訪れた。前年同期比で28・5%増。しかし、県観光連盟では「龍馬といえばやっぱり高知なんです。亀山社中や海援隊は長崎が発祥ということは意外と知られていない。まだ『龍馬伝』でそこまで進行していないので」と話す。
「龍馬伝」で長崎が舞台になるのは7月11日の放送分から。県は夏休みに突入する前に首都圏で目立つ観光誘客策を探っていた。そこに京急側からラッピング広告の申し入れがあった。京急も沿線に幕末の土佐藩主山内容堂の墓がある鮫洲駅、龍馬の立像のある立会川駅、妻お龍の墓がある京急大津駅など、沿線に点在する龍馬拠点をアピールしたかった。長崎と空路で結ばれる羽田空港に京急が乗り入れていることもあって、両者の思いが合致して龍馬ラッピング電車が実現した。
大規模な豪華ラッピングもデザインされたが、京急の走る東京都、川崎市、横浜市、横須賀市の屋外広告物条例で「電車における車両の外面に表示する広告物の面積の合計は当該外面の10分の1とする」と規定されて幻に。車両面積は87・5平方メートルなので、8・75平方メートルまでデザインできたが、車両としての景観も審査対象になることから、今回はドア横へのポスターのみで1車両につき計3平方メートルのラッピングとなった。今回は6月27日で終了するが、京急では「今後、高知市にも営業したい。新たなラッピングを考えてみたい」とした。【寺沢卓】
神奈川
郷土の英雄伝に感動
磯子図書館で紙芝居上演会
磯子図書館(本多俊雄館長)で5月4日、朗読会「磯子のかみしばいを楽しもう」が行われた。
図書館が子ども読書週間と大型連休に合わせ、家族で参加できるイベントとして企画したもの。
当日は、年齢別に4回開催され、幼児から高齢者まで約60人が参加した。
上演されたのは「いそえもんのせっけんづくり」というオリジナル紙芝居。現在の磯子区出身で、幕末から明治時代にかけ、私財を投げうって初の国産石鹸づくりに取り組んだ、堤磯右衛門の奮闘を描いている。昨年度の手づくり紙芝居コンクールでは、審査員特別賞を受賞した。
当日、朗読を行ったのは、この紙芝居の作者で、故郷が磯子区という片岡直子さん。普段からボランティアで紙芝居の読み聞かせを行っている片岡さんは、強弱のある発声や巧みな朗読術を披露。参加者たちは楽しいストーリーと話術を聴き、ぐいぐいと紙芝居の世界に引き込まれていた。
図書館では「今回の紙芝居を作る際に片岡さんが参考にした資料など、図書館には多くの郷土資料がある。今後も、郷土の歴史やそれに関する資料と、市民を結びつけるようなイベントに取り組んでいきたい」と話した。
三重
黎明期の写真術、津に源流 堀江鍬次郎の功績に光
幕末の日本にもたらされ、激動の時代の姿を今に伝える写真。その黎明(れいめい)期に、技術の礎(いしずえ)を築いた先駆者が津にいたことはあまり知られていない。堀江鍬(くわ)次郎(1831-66)がその人だ。その功績に光を当て、津の文化風土を考えようとの動きが生まれている。
津市大門の津センターパレス1階のギャラリー。市や三重大などでつくる「地域が応援するミニギャラリー運営委員会」が、堀江に関するパネル展示を21日まで開いている。
堀江は36歳で亡くなった。文化財担当の市教委の中村光司さんは「若くして亡くなった堀江については、これまで市民にもあまり知られてこなかった」とし、パネル展示を「堀江に光を当てることで津の文化の源流を知ることができる」と意義づける。
22~30日は津都ホテル2階に場所を移す。6月には研究者らを呼び、講演会も開く。
講演会は6月19日午前9時半から津センターパレス5階ホールで。堀江を研究する、日本大芸術学部の田中里実助教が「堀江鍬次郎の業績とその生涯」と題して講演する。無料だが、事前申し込みが必要。詳しくは運営委員会事務局(津センターパレス内)=電059(225)5595=へ。
(渡辺泰之)
滋賀
霊力漂う能面、能装束
彦根城博物館で展示
井伊家当主が集めた能の道具を紹介するテーマ展「鬼神と霊」が21日から、彦根市の彦根城博物館で開かれる。人間を超越した強さや恐ろしさを表現した能面・装束25点で能の世界観を伝える。
展示では、関東大震災(1923年)で井伊家伝来品が焼失、散逸した後、幕末の大老井伊直弼(なおすけ)の孫で能を愛好した15代当主の直忠(なおただ)氏が収集した室町から昭和の作品を並べる。
能面「獅子口」は、室町時代の伝説の名工・赤鶴(しゃくづる)の作と伝わる。獅子の眉やヒゲが生き生きと描かれ、面の形式が定型化される前の独創的な一品という。
能面「泥眼(でいがん)」は、豊臣秀吉が天下一とたたえた面打ちの是閑(ぜかん)吉満の作。白目や歯に金泥を施し、妖気漂う女性の怨霊が登場する演目で使われる。
昭和初期ごろの能装束「縫箔(ぬいはく) 黒地丸紋尽し文様」は約20個の紋が付けられ、鬼女の強い霊力を表すという。
6月15日まで。会期中無休。
大阪
大阪城天守閣で「幕末維新」展
リンク先、動画が埋め込まれてナレーションが始まりますのでお気を付けください。
幕末ブームの今、大阪城天守閣にある博物館で「幕末維新の世相と志士」展が開かれています。展示物は幕末関連の絵画、瓦版など約50点。開国を迫るため日本にやってきた「黒船」といえば、浦賀に来たアメリカのペリーの艦隊が有名ですが、大阪湾にもロシアの“黒船”が現れ、その時の様子を伝える瓦版もあります。また、幕末の志士・坂本龍馬を描いた絵などが鑑賞できます。7月15日まで。
大阪城天守閣 http://www.osakacastle.net/
高知
『土佐・龍馬であい博』盗まれた福山&宮迫のサイン色紙を23日より再展示
高知県は20日、NHK大河ドラマ『龍馬伝』の放送に合わせて開始した観光イベント『土佐・龍馬であい博』(安芸・梼原)のサテライト会場で盗難に遭っていた、主人公・坂本龍馬役の福山雅治と土佐勤王党・平井収二郎役の宮迫博之のサイン色紙を23日(日)より再展示すると発表した。
4月24日に「安芸・岩崎弥太郎こころざし社中」で宮迫のサインが、5月3日に「ゆすはら・維新の道社中」で福山のサインが盗まれたことを受け、各会場の実行委員がNHKエンタープライズを通じて両名に再度サインを要望。盗難事件は解決していないが、改めて福山は新色紙に「戻んてきたぜよ!!」、宮迫は「もう盗ったらいかんぜよ!!」としたためた。
再展示にあたり、12名のサイン色紙を木製の壁に打ちつけてアクリル板で覆い、アクリル版の隙間も木の枠で囲うなど盗難対策を強化。22日の閉館後に取り付け作業が行われ、23日より展示を再開する。
福岡
龍馬とメードがコラボ?-西日本新聞会館屋上に「幕末メード伝」ビアガーデン
西日本新聞会館(福岡市中央区天神1)屋上に5月6日、ビアガーデン「天空五風 幕末メイド伝」(TEL 092-712-4650)がオープンした。
昨年「メードと執事」をコンセプトに展開し、人気を集めた同店。今年は「メードに加え、龍馬伝や歴女(歴史好きの女子)ブームを取り入れてさらに楽しんでいただければ」(石橋弘紹店長)と「幕末メード伝」をテーマにした。スタッフはメードのほか坂本龍馬、新撰組に扮(ふん)したコスチュームで来店客を出迎える。
フードメニューは、ホワイトソースのパスタ「私とあなたを結ぶ赤い糸」や照り焼きチキン「愛情こってりチキン」、グリルドソーセージ「沖田ソーセージ」、おでん「新撰おでん組」など約40種。ドリンクメニューはビールのほか、「幕末五風」「沖田総司」「坂本龍馬」などと名付けられたオリジナルカクテルも用意する。売り上げは前年比5%増を目標に据える。
120分食べ飲み放題の料金は、大人=3,800円(男性)・3,500円(女性)、中高生=2,000円、小学生=1,000円、幼児=500円、3歳以下無料。ソフトドリンクのみの食べ飲み放題は、大人=2,700円。営業時間は17時30分~22時。9月30日まで。
幕末とメードのコラボって(汗)……「沖田ソーセージ」って駄洒落にも苦笑。
佐賀
全国の竜馬ファンと交流 「からつ海援隊」発足
NHK大河ドラマ「龍馬伝」で人気を集める坂本竜馬。唐津市にその直接の足跡はないが、竜馬の大胆かつ柔軟な発想や生き方に共感する市民有志が18日、「からつ海援隊」の設立総会を開いた。
空前の竜馬ブーム。竜馬会のネットワーク組織「全国龍馬社中」によると、数年前から竜馬会が続々と誕生し、国内外に130団体以上あるという。佐賀県内には同様の組織はなく、同社中からラブコールを受け、市民有志が「海援隊」を立ち上げることになった。
同市のまちなか集い館であった設立総会には、約20人が出席。龍馬の歩みをたどる勉強会や全国の竜馬会との交流、海や港を中心としたまちづくり会議に参加するなど初年度の活動方針を決めた。会長にはまちづくりグループ「からつ夢バンク」代表の小島起代世さん(57)を選んだ。
総会に先立ち、唐津市近代図書の元館長、中島直幸さんが竜馬の生きざまや幕末期の歴史などについて講演した。
会員は現在35人で、新入会員を募集する。問い合わせは小島さん、電話0955(75)3168へ。
長崎
ながさき龍馬フェスタ:「龍馬観光」全国区へ 県と長崎市が来月19、20日 /長崎
◇さるくや音楽祭
県と長崎市などは6月19、20日、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の舞台が幕末の長崎となるのを前に「ながさき龍馬フェスタ」を同市内で開催する。まち歩き観光「長崎さるく」で坂本龍馬らゆかりの史跡巡りや、龍馬をテーマにした歌募集などを通じ、長崎と龍馬の関係を全国区に押し上げようとする。実行委員長の馬渡善裕・長崎龍馬会長は「『龍馬観光』が長崎に定着し、新たな目玉になれば」。イベントは次の通り。問い合わせはいずれも実行委(095・862・1264)。
【「長崎龍馬の道」リレーさるく】19日午後1時~3時半。旧長崎街道から旧外国人居留地まで、長崎市の中心市街地を貫く一本道「長崎龍馬の道」を市民ボランティアガイドの案内で散策。定員150人、無料。
【龍馬と幕末ヒーローなりきりコンテスト】20日午後1時、市公会堂。龍馬や岩崎弥太郎、お龍ら幕末の人物を演じたパフォーマンスを募集。18歳以上の男女を5月25日まで募り、1次選考で本選出場の約10人を選ぶ。
【龍馬の歌音楽祭】20日午後2時半、市公会堂。6分以内のオリジナル歌唱曲を5月25日まで募集。1次審査の後、8組前後が本選に進む。【錦織祐一】
「龍馬」で特産品売り込め 長崎で企業と全国百貨店商談会
百貨店による催事の構成商品を厳選する全国規模の合同商談会が19日、長崎市内のホテルで開かれた。全日本デパートメントストアーズ開発機構(東京、A・D・O)が主催し、九州各県で加工食品などを製造、販売する地場企業151社とA・D・O加盟百貨店22社の買い付け担当者が面談した。
九州地区は地域特産が豊富で、全国のA・D・O加盟店が開いている九州関連の物産展の2008年度総売上高は36億円超。北海道物産展に次ぐ人気があり、売り上げと集客の核になっている。
一方で、競合他社との催事の同質化や商品構成のマンネリ化傾向もあり、各百貨店は「隠れた逸品を求めて川上(供給地)のさらに奥に分け入って探している状況」(木村康幸A・D・O本部長)という。
合同商談会で長崎関係は、長崎市の浜屋百貨店と取引関係にある35社が出展。麦焼酎の「龍馬伝 長崎希望篇」(壱岐の華)、「龍馬to鶏ちゃんぽん」(荒木商会)、「長崎幕末ロマン 龍馬伝説カレー」(さかもと)など、放映中のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に関連した独自商品の売り込みが目立った。
百貨店側は九州勢に加え、伊勢丹や松屋、京急、名鉄などが参加した。
大型連休中に開いた九州フェアで龍馬コーナーを企画した岩田屋(福岡市)の佐藤克美食品催事担当バイヤーは「物産展にはエンターテインメント性も求められる。『龍馬が食べたかもしれない』といった売り方は面白い。客から『楽しい』という反応が多く、大好評だった」と関連商品の発信力を語った。
A・D・Oには全国34社67店の百貨店が加盟。08年度総売上高は約1兆9400億円で、全国百貨店売上高の3割を占めている。
踊りや料理、花街文化を市民ら満喫 料亭青柳「青餅祭り」
若葉が芽吹くさわやかな時季に踊りや料理を楽しんでもらい、かつての花街の文化を知ってもらおうと長崎市丸山町の料亭青柳は16日「青餅(もち)祭り」を開き、市民ら約40人が初夏の夕べを楽しんだ。
ヨモギ味で中にあんこが入った青餅は、幕末から明治時代に丸山の名物として売られていたといい、ベタベタしていることから男女の仲が良いことを表す代名詞だったという。
祭りは、青餅のように今では失われかけた伝統文化を見直そうと開かれ、今年で3回目。参加者は、お座敷のマナーを学びながら木の芽など季節の食材を使った卓袱(しっぽく)料理と長崎検番による演舞を楽しみ、青餅を味わった。
初めて参加したという同市宝栄町の会社役員、柴田正明さん(34)は「以前から長崎の歴史に興味があった。お座敷でのマナーも知ることができて勉強になった」と話した。
鹿児島
かごしまよかとこ旅:観光情報を厳選 九州新幹線全通控え、県がガイド本 /鹿児島
県は観光情報を集めたガイドブック「かごしまよかとこ旅」を作製した。1万部を印刷し、11年春の九州新幹線全線開業へ向けて、県内外に鹿児島をPRする。
06年度からテーマ別に刊行した「かごしまよかとこ100選」全5冊の中から、記事と写真を厳選した。全ページカラーで、巻頭には屋久島や小宝島(十島村)の絶景を掲載。
歴史解説を添えた「明治維新の舞台鹿児島を旅する」や、指宿、霧島の温泉を巡る「女磨きの旅」などの特集を加えた。一般のガイドブックでは紹介されることの少ないトカラ列島や、大隅半島についても詳しく書かれている。
県内や首都圏、関西地方の書店で販売するほか、県外の旅行会社へもツアー立案の参考のために配る。AB判240ページ。980円。問い合わせは県観光課(099・286・5050)。【黒澤敬太郎】
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(62)東大教授・山内昌之 前田慶寧
■運も実力のうち
イギリスの政治思想家アイザイア・バーリンは、政治家と歴史家には現実感覚が必要な点で共通した側面もあると述べた。また、政治家には庭師や料理人と同じく即興の才能も欠かせない。こうした点から見れば、気勢が上がらない自民党でも気を吐く議員の一人として、小泉進次郎氏の名を挙げても大方の異議はあるまい。
彼の魅力は、政治を“家業”として世襲する血筋に生まれながら、ひ弱さや尊大さのいずれも感じられず、真っ直ぐな“叩(たた)き上げ”の雰囲気を醸し出している点にある。甘い容貌(ようぼう)はともかく、今ではすっかり死語となった党人派のような雰囲気さえどこか漂わせているのだ。
昨今では、育ちが良くても、たくましさを身につけた政治家はめったにいない。幕末でも毛並みはよくても、ここ一番でふんばりがきかず、判断ミスを重ねた“ジュニア”もいた。
金沢103万石の前田慶寧は、最大の雄藩リーダーとして改革への抱負をもちながら、失意のうちに世を去った大名である。恐竜化して身動きのとれない大藩に生まれたのも運というものであった。
母は11代将軍・家斉の寵愛(ちょうあい)を受けた美代(専行院)が生んだ溶姫(やすひめ)であり、徳川将軍の外孫という抜群の血筋に恵まれていた。それでいながら、世子のころから勤王派の側近に囲まれ、長州びいきだったらしい。育ちようでは随分と面白い大名になったはずである。
◆絶好機に京を離れる愚
絶好のタイミングは、元治元(1864)年に藩主・斉泰(なりやす)の名代として御所警固のために上洛したときに訪れた。彼は長州藩宥免(ゆうめん)のために斡旋(あっせん)する豪胆さをもっていたが、禁門の変が起こると、長州藩と干戈(かんか)を交えるのを潔しとせず、京を離れてしまった。
この判断こそ加賀藩の行方を暗くする誤った判断となった。薩摩や会津とは同盟ならずとも、不即不離の関係を維持しながら、103万石大藩の存在感を誇示しておけばよかったのだ。そうすれば、いかようにも道を後につなげることができたのである。京に近い加賀の地理的優位性は、薩長に勝っており、強力な武備を再編して、佐賀藩レベルの脅威を薩長に与えられたのにもったいなかった。
ともかく実父の斉泰は、不戦の慶寧を謹慎・幽居させ、取り巻きの臣を一掃した。徳川の親藩同然の藩でありながら、敵前逃亡も同然に戦を避けたとあれば、幕府の忌諱(きい)に触れると考えたからだろう。こうして加賀藩から主だった尊攘(そんじょう)派の士は粛清されてしまう。
慶応2(1866)年に斉泰が隠居すると、新藩主の慶寧は改革を試みたが、勤王派が一掃されたために手足となる側近を欠くことになった。積極的に新時代を開けなかったのはまだよい。
慶寧が政治の本流を誤って読んだことは致命的であった。襲封(しゅうほう)から2年後に鳥羽伏見の戦が起こると、親しい徳川慶喜との交わりを重んじて、徳川軍を支援しようと、出兵の動きを見せた。さすがに、このちぐはぐな動きは途中でさたやみになっている。
辛うじて新政府軍に加わり、北越戦争に出兵したものの、大藩なるが故の動きの鈍さは尾州徳川や仙台伊達とも共通していた。家斉の娘を正室に迎え、親幕派だった父の斉泰と、新たな政治を心がけた慶寧の変革への反応の温度差はいかんともしがたかった。
◆新政府に人材出せず
隠居した父が実権をもち藩政を総攬(そうらん)したことは、子の成長を妨げただけでなく、若い優秀な家臣を育てる機会を逸した原因となる。
世代交代に失敗した加賀藩は、新政府に人材を出せず、前田家は公爵でなく、侯爵に甘んじなければならなかった。わずかに、大久保利通の暗殺者6人のうち島田一郎ら5人が加賀藩士だったというあたりの逸話が物悲しい。自分の手足と言葉をもたない慶寧は、つくづく運に恵まれていなかった。
ところで、小泉進次郎氏の簡明な言い回しは父親譲りという声も聞くが、進次郎氏はそれだけでない判断力を持っているようだ。しかも、バーリン風に言えば、優れた判断力をもつ人は他人より「純粋な運」に恵まれているのだ(上森亮『アイザイア・バーリン--多元主義の政治哲学』春秋社)。
「運も実力のうち」とは、日本の政治家にもあてはまる何がしかの真実なのである。慶寧になかった運を進次郎氏が生かせるか否か、恐竜化した“現代の大藩”自民党の運命とともに興味は尽きない。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】前田慶寧
まえだ・よしやす 天保元(1830)年、加賀(金沢)藩主前田斉泰の長男として生まれる。慶応2年、家督を継ぎ14代となる。世子のときから側近に尊攘派が多く、元治元年、京都警固にあたったときも長州のため斡旋に努めた。禁門の変の際に病気と称して京を離れたため、斉泰に謹慎を命じられ、側近の勤王派は処刑された。戊辰戦争では一時、幕府に援軍を出そうとしたが、中止し、新政府について北越に出兵。維新後、金沢藩知事に任ぜられた。明治7(1874)年、死去。享年45。
文化芸能
伊勢谷友介が高杉晋作…「龍馬伝」7・18から登場
俳優の伊勢谷友介(33)がNHK大河ドラマ「龍馬伝」(日曜・後8時)で長州藩士・高杉晋作役を演じることになった。幕末の革命児と呼ばれた晋作は福山雅治(41)演じる坂本龍馬と並ぶ人気の人物。伊勢谷にとっては昨年、同局で放送された「白洲次郎」以来、2度目のドラマ出演となる。20日から収録に参加し、7月18日の放送回から登場予定。
ネット上で配役が話題になっていた注目の高杉晋作役が伊勢谷に決まった。晋作は師匠・吉田松陰の教えを実行し、明治維新の原動力になった幕末の革命児。身分にとらわれない民兵組織の奇兵隊を結成し、幕府との戦いでは海軍総督として幕府艦隊を退けた。
龍馬は晋作から贈られたピストルを持つなど、尊敬し合っていた仲。鈴木圭チーフプロデューサーは「晋作と龍馬は、若くして亡くなり、型破りなファッション感覚を持ち、海外への飛躍を夢見ていたなど、共通点もたくさんある。同じ魂を持つ者(ソウルメート)として、2人の交流と友情を熱く描く」とコメント。劇中の主要キャストを順次、発表してきたが伊勢谷が“大トリ”になる。
伊勢谷は2008年公開「ブラインドネス」で、ブラジルのフェルナンド・メイレレス監督を始め外国人スタッフ、キャストによる海外での撮影に、飛び込んだ。また、俳優業と並行して環境保護活動「リバース・プロジェクト」を行っている。力石徹役で出演する映画「あしたのジョー」では、過酷な減量に耐えて全身全霊で撮影に臨みクランクアップで号泣。真っすぐな性格や大きな理想、大胆な行動力は晋作と似ている。
1999年公開「ワンダフルライフ」(是枝裕和監督)で俳優デビューして以降、映画に絞って出演してきた伊勢谷だが、昨年の「白洲次郎」でドラマに初出演。映画並みの豪華な共演者やセットのなかで白洲役を好演し、スタッフとの信頼関係を築けたことが今回の2度目の出演の決め手になったという。
先ごろ髪を短く切り、カツラをつけず地毛で出演。実際の晋作が三味線を弾いたため練習を始めた。29日は34歳の誕生日。気持ちも新たに晋作役に臨む。
「龍馬伝」キャスト小出し発表 今度は高杉晋作役に伊勢谷友介
また「後出しじゃんけん」かよ。NHKもよくやるよ――。そんな声が民放関係者から聞こえてきそうだ。高視聴率を続けるNHK大河ドラマ「龍馬伝」の高杉晋作役に伊勢谷友介が決まり、7月18日の放送から登場することが明らかになった。
高杉晋作は長州藩士で、坂本龍馬と並ぶ幕末のヒーロー。龍馬伝でも龍馬との絡みがドラマのひとつの見せ所になると話題になっていた。
伊勢谷はTVドラマ初出演となった昨年の「白州次郎」で、端正な風貌、切れのある台詞回しで注目され、映画「あしたのジョー」にも力石徹役で出演している。福山雅治との『競演』ということになれば、視聴率にも一層の弾みがつくというものだ。
NHKは龍馬伝の注目キャストをさみだれで発表していて、今月初めには龍馬が愛した船宿「寺田屋」の女将・お登勢役にバレエの草刈民代をあてることを明らかにしたばかり。話題のキャスティングを小出しにすることで、話題を引っ張っていこうという狙いなのだろうけれど、NHKも「商売」がしたたかである。
今年は本当に小出しですね。また随分と端整で長身な高杉……(苦笑)。
この記事読んで、また市馬師の美声を聴きたくなってチケット確保しました^_^;。
柳亭市馬:「落語集 三夜」 初演や久しぶりの噺も--26日から、東京
柳亭市馬:「落語集 三夜」 初演や久しぶりの噺も--26日から、東京
持ち前の美声と、安定感ある本格派の高座で人気の落語家、柳亭市馬が26~28の3日間、東京・水天宮の日本橋劇場で「市馬落語集 三夜」を開く。演目は当日のお楽しみだが「ネタ下ろし(初演)や、久しぶりだなと思うネタをやってみたい」と意気込む。
高校卒業後、先代の柳家小さんに入門して30年。師匠の剣道の相手をする一方、落語については「お客の前でやっている息と間が本当だから、それで聴いて覚えろ」と稽古(けいこ)らしい稽古はなかったという。
その師匠を独占できる貴重な機会が地方巡業だった。「噺(はなし)について意味を聞いたりすると懇切丁寧に教えてくれるんです。芸談などずいぶん聞けました。レパートリーでない噺もひとくさりやって『おれも昔やっていたんだよ』って。稽古はそういうのが一番大事だと思う」と振り返る。
そんな師匠ゆずりの柳家らしいこっけい噺はもちろん、最近は「万病円」や「五月幟(のぼり)」などの地味な噺も高座にかける。
「寄席に来る人も聴かない噺だし、そういうどうってことない噺や、旅ネタとかも好きなんです。力がないと、淡々と演じてお客さんを引きつけることができない。やっと最近できるようになったかなあ」。積み重ねた30年という歳月の証しだ。
日替わりゲストも登場。問い合わせは03・5721・5335へ。【濱田元子】
天気はやや下り坂ですが過ごしやすい気温です。
宮城
好評「駅長オススメの旅」
舟運石巻の繁栄に思い 初企画じっくり名所巡り/
静岡
静岡市収蔵庫に井上馨の遺品 未開封外交文書など470点
兵庫
幕末の味「幸民麦酒」、三田青磁でいかが
福岡
駅の壁に巨大竜馬 JR博多駅に広告
宮城
好評「駅長オススメの旅」
舟運石巻の繁栄に思い 初企画じっくり名所巡り/
JRの駅長が推薦する観光コースを歩き、地域の歴史や文化に触れる「駅長オススメの小さな旅」が好評だ。石巻駅は「石巻の名所と歴史を散策」と銘打って事前に参加者を募り、15日に初めて実施。仙台や県南を中心に山形、福島、埼玉から21人が訪れ、江戸時代には舟運で栄えた経済都市に強い関心を寄せた。
参加者は石巻駅前に集合。秋元達夫駅長が「けがなく、無理なく石巻の街中を歩いて楽しんでほしい」とあいさつ。案内役の石巻観光ボランティア協会メンバーの紹介に続いて、中瀬方面を目指した。
駅前から立町のマンガロードを通り、1925年に建設された鉄筋コンクリート3階の「旧東北実業銀行石巻支店」(第2SSビル)、31年に完成した石巻初の百貨店で、現在は陶器店になっている「陶芸丸寿かんけい丸」を外から見学。
引き続き、幕末には寄席劇場、戦後に映画館として使われるようになった岡田劇場、現存する木造教会堂建築としては国内最古級の旧石巻ハリストス正教会堂、石ノ森萬画館のある中瀬へ。歌枕「袖の渡り」の住吉公園、仙台藩が銭を鋳造した鋳銭場跡地も見て、いにしえの街に思いをはせた。
参加無料で、入館料などは各自負担し、昼食も各自が自由に飲食店を選択する方式。仙台市から訪れた60代男性は「石巻には仕事でも何度も訪れているが、じっくり見たいと思って参加した。石巻の歴史をあらためて知ることができた」と話していた。
秋元駅長は「22日はサン・ファン祭りに合わせて実施するが、応募は順調だ。少しでも地域観光のPRに役立ちたい」と話している。
静岡
静岡市収蔵庫に井上馨の遺品 未開封外交文書など470点
高杉晋作、久坂玄瑞らと尊皇攘夷(じょうい)を誓い合った文久2年(1862年)の「御楯組(みたてぐみ)血盟書」など、幕末維新期に活躍した井上馨侯(1835~1915年)の遺品が静岡市清水区の市埋蔵文化財センター収蔵庫に眠っていることが18日、分かった。遺族が市に寄贈した約470点で、未開封の外交機密文書や太政官達書(辞令)などもある。収蔵前に詳細な調査を行っていないため、歴史的新事実の有無は未解明。市は「遺族が公開を望まなかった」として史料の受け取りを公表していない。
御楯組血盟書は井上侯(当時は志道聞多)ら11人が署名。血判が確認でき、激しさを増した攘夷運動を裏付ける史料とされる。署名した高杉、志道らは後に英国公使館焼き打ち事件を決行したことで知られる。
1939年、大典記念山口県立教育博物館(現・山口県立山口博物館)で開催された「元勲侯爵井上馨公展覧会」(8月31日~9月6日)に井上家がこの血盟書を出品し、公開された記録が残っている。遺族などによると、その後は門外不出だったという。
未開封の外交文書は、当時在朝鮮特命全権公使だった井上侯にあてて陸奥宗光外相が記した。辞令はパリ万博の事務総裁就任や年給額を記したものなど種類が多い。明治天皇勅書(ちょくしょ)や裁判所の出頭通告書などもある。
国立国会図書館によると、井上侯に関する史料は同図書館や三井文庫が所蔵し、調査研究が進んでいる。同館政治史料課は「幅広い分野にわたる史料は歴史的人物を再評価する上で貴重。特に井上馨の辞令類は国会図書館の憲政資料室にも少なく注目したい」という。
近現代の生きた教材
皇室や華族制度に詳しい小田部雄次静岡福祉大教授(日本近現代史)の話 近現代史の生きた教材と評価できる。血盟書は攘夷(じょうい)を誓い合った若者の生々しい息遣いを感じ取ることができ興味深い。天皇勅書(ちょくしょ)や御下賜品、諸外国の勲章をたどれば、当時の内政、外交を裏付ける実物史料となる。井上馨は伊藤博文の陰に隠れがちだが、本県ゆかりの元勲として再評価されるべきだ。清水・興津地域に政財界の要人が別荘を構え、盛んに往来していた歴史的事実を県や市は重視したい。資料を散逸させることのないよう保存研究し、公開してほしい。
井上馨 長州藩(山口県)出身の政治家。坂本龍馬、伊藤博文、西郷隆盛、勝海舟らと並び鎖国と攘夷(じょうい)に揺れた幕末維新期に名前が登場する。尊皇攘夷運動に加わり英国公使館焼き打ち事件にかかわった後、伊藤博文らと英国に密航し、帰国後は開国論に転じた。第1次伊藤内閣で外相に就任するなど主要閣僚を歴任。欧化主義政策を進め、鹿鳴館を設立したことで知られる。晩年は元老として政財界に絶大な影響力を及ぼし、静岡市(旧清水市)に建てた別邸「長者荘」で81歳の生涯を閉じた。
兵庫
幕末の味「幸民麦酒」、三田青磁でいかが
日本で初めてビールをつくったとされる三田藩出身の蘭学者(らん・がく・しゃ)、川本幸民(1810~71)の生誕200年を記念して、三田市は6月から、幸民の肖像をデザインしたグラスや三田青磁のビアカップを販売する。一方、伊丹市の小西酒造は、三田市の依頼で幸民と同様の製造法による「幸民麦酒」を来月から発売予定だ。三田市の担当者は「カップやグラスは幸民ビールを飲むのに最適。ぐいっと飲んで幕末に思いをはせてみては」と売り込んでいる。
三田青磁のビアカップは、陶芸家伊藤伸一さん(46)が、同市下相野の自身の窯でつくった。高さ18センチで容量は360ミリリットルほど。200個限定で、一つずつにナンバーが入っている。値段は幸民の生年にちなんで1810円。
ガラス製のビアカップには、砂をガラスの表面に吹き付けて絵を描くサンドブラストの方法で幸民の肖像画を描いた。ペアグラスもあり、それには当時の蒸気船の絵も描かれている。市ガラス工芸館の講師がつくった。ビアカップは高さ14センチで600円、ペアグラスは同8センチで1200円。
6月5日午前11時から同市駅前町のまちづくり協働センターである講演会「幸民ビールの秘密を探る」で販売を始め、同市屋敷町の三田ふるさと学習館などでも販売する。幸民麦酒は6月8日から市内の酒店などで販売する。330ミリリットル入りで630円。問い合わせは駅前町のツキモト酒類(079・563・2023)へ。
福岡
駅の壁に巨大竜馬 JR博多駅に広告
幕末の志士、坂本竜馬をあしらった巨大広告が、福岡市博多区のJR博多駅中央改札口と東改札口に今月登場し、乗降客の注目を集めている。
長崎、鹿児島両県とJR九州(福岡市)の観光企画「龍馬キャンペーン」のPRで、紋付きはかまにブーツ姿の竜馬とともに長崎市の亀山社中記念館などの写真が並び、竜馬ゆかりの地への列車の旅をいざなう。
キャンペーンは12月末日まで。特典に提携飲食店の特別サービスなどが付くほか、長崎向けの特別切符は、往復割引と路面電車1日乗車券などが付く。長崎県観光連盟の中島英治さん(30)は「竜馬は、長崎で亀山社中を設立し、鹿児島へは新婚旅行で訪れた。ぜひ彼の足跡をたどってみて」と呼び掛けている。
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