新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
発売日の10時、ローソンのロッピに向かい、携帯電話で時報を聞きながら予約して取れたのは1階最後列ながら中央近く。自分は志の輔らくごライブは3度目、横浜にぎわい座では2度目。

開口一番が前座ではなく、志の輔師匠だったのには場内びっくり。左手の人差し指に包帯を巻いていて、ベトナム興行中に靱帯を切って全治2ヶ月となったというマクラ。
この季節に見られる風景としての研修生というマクラも。NTTドコモの窓口に並んだら研修生(と背後の指導官)に当たっちゃって、という展開から、創作『みどりの窓口』かっと期待したけど……古典でした。いや、志の輔師匠は創作でも古典でもOKでレパートリーが広いので、マクラからどう展開するかという点でスリリングです。
おせつ徳三郎の前半「花見小僧」。大店の旦那が娘と奉公人の恋愛に気づき、現場に立ち合わせたらしい小僧を「飴とムチ」で「家政婦は見た!」的証言を引き出すという噺。爆笑の連続。オチなしで終わってもおかしくない噺だけど、志の輔さんはちゃんとオチつけてくれました。
続いて、膝隠しが持ち込まれ、ゲストの三代目桂春蝶さんが上方落語の一席「山内一豊と千代」。一豊と千代がフォーリンラブするエピソードに始まり、「山内一豊の妻」おなじみ、出世の糸口のために名馬を買うためにヘソクリを提供する千代の話に。江戸弁風の馬商人、なぜか人語を喋る馬(落語ですから^_^;……南部産の馬の喋りが「これかいっ(苦笑)」なのが上方風味)、なぜか「みゃーみゃー」と三河弁の織田信長、上方落語ネタの割にはいろんな方言が出てきました。実父の春蝶の名跡を17年ぶりに襲名した春蝶さん、まずはおめでとうございます。
さらに志の輔師匠が中入り前の一席、ご存じ『三方一両損』。三両入りの財布を落とした大工の吉五郎、拾った財布を届けてくれた左官の金太郎、五月の鯉の吹き流し同士で見栄や意地からリリ言葉に買い言葉で喧嘩になり、互いの大家まで巻き込んで訴訟沙汰に発展、それを裁いた大岡越前守の裁定はいかに。志の輔師匠の「これは三方一両損というのじゃ」と自画自賛するくだりに、赤塚不二夫のバカボンのパパの名ぜりふ「これでいいのだ!」を連想してしまう自分って^_^;。
中入り後、じっくり「江戸の夢」。後で調べたら六代目圓生の『圓生百席』に収録されている圓生晩年の持ちネタ(作・宇野信夫)だそうだ。圓生さん版を聴いていないので比較はできないが、娘の婿取りを巡る夫婦の会話とか、身元を語らない奉公人庄屋に婿入りする宴席での村民のやっかみ混じりの噂話とか、志の輔風味を感じました。そして、婿の素性を知ってからラストに向かって、しみじみと親子とか家族の情愛を思う一時でした。
幕が下がって上がって、ゲストの春蝶さんと志の輔師匠のトーク。桂春団治に入門した春蝶さん、楽屋の風呂で師匠の背中を流した時のエピソードは新宿二丁目風味の爆笑もの。志の輔師匠もツッコミどころがなかったようで、でも最後は春蝶さんの今後の活躍を祈る三本締め、何気ないのだけど「俺(が音頭とるの)?」と笑わせてくれました。
特に「江戸の夢」はぜひまた聴きたい出来でした。満足満足。
☆★☆★
4月2日追記。最新の「ピーピングしのすけふしあなから世間」に志の輔さんベトナム興行と突き指の経緯が。
ピーピングしのすけのふしあなから世間:ベトナムで突き指談=立川志の輔 /東京
開口一番が前座ではなく、志の輔師匠だったのには場内びっくり。左手の人差し指に包帯を巻いていて、ベトナム興行中に靱帯を切って全治2ヶ月となったというマクラ。
この季節に見られる風景としての研修生というマクラも。NTTドコモの窓口に並んだら研修生(と背後の指導官)に当たっちゃって、という展開から、創作『みどりの窓口』かっと期待したけど……古典でした。いや、志の輔師匠は創作でも古典でもOKでレパートリーが広いので、マクラからどう展開するかという点でスリリングです。
おせつ徳三郎の前半「花見小僧」。大店の旦那が娘と奉公人の恋愛に気づき、現場に立ち合わせたらしい小僧を「飴とムチ」で「家政婦は見た!」的証言を引き出すという噺。爆笑の連続。オチなしで終わってもおかしくない噺だけど、志の輔さんはちゃんとオチつけてくれました。
続いて、膝隠しが持ち込まれ、ゲストの三代目桂春蝶さんが上方落語の一席「山内一豊と千代」。一豊と千代がフォーリンラブするエピソードに始まり、「山内一豊の妻」おなじみ、出世の糸口のために名馬を買うためにヘソクリを提供する千代の話に。江戸弁風の馬商人、なぜか人語を喋る馬(落語ですから^_^;……南部産の馬の喋りが「これかいっ(苦笑)」なのが上方風味)、なぜか「みゃーみゃー」と三河弁の織田信長、上方落語ネタの割にはいろんな方言が出てきました。実父の春蝶の名跡を17年ぶりに襲名した春蝶さん、まずはおめでとうございます。
さらに志の輔師匠が中入り前の一席、ご存じ『三方一両損』。三両入りの財布を落とした大工の吉五郎、拾った財布を届けてくれた左官の金太郎、五月の鯉の吹き流し同士で見栄や意地からリリ言葉に買い言葉で喧嘩になり、互いの大家まで巻き込んで訴訟沙汰に発展、それを裁いた大岡越前守の裁定はいかに。志の輔師匠の「これは三方一両損というのじゃ」と自画自賛するくだりに、赤塚不二夫のバカボンのパパの名ぜりふ「これでいいのだ!」を連想してしまう自分って^_^;。
中入り後、じっくり「江戸の夢」。後で調べたら六代目圓生の『圓生百席』に収録されている圓生晩年の持ちネタ(作・宇野信夫)だそうだ。圓生さん版を聴いていないので比較はできないが、娘の婿取りを巡る夫婦の会話とか、身元を語らない奉公人庄屋に婿入りする宴席での村民のやっかみ混じりの噂話とか、志の輔風味を感じました。そして、婿の素性を知ってからラストに向かって、しみじみと親子とか家族の情愛を思う一時でした。
幕が下がって上がって、ゲストの春蝶さんと志の輔師匠のトーク。桂春団治に入門した春蝶さん、楽屋の風呂で師匠の背中を流した時のエピソードは新宿二丁目風味の爆笑もの。志の輔師匠もツッコミどころがなかったようで、でも最後は春蝶さんの今後の活躍を祈る三本締め、何気ないのだけど「俺(が音頭とるの)?」と笑わせてくれました。
特に「江戸の夢」はぜひまた聴きたい出来でした。満足満足。
☆★☆★
4月2日追記。最新の「ピーピングしのすけふしあなから世間」に志の輔さんベトナム興行と突き指の経緯が。
ピーピングしのすけのふしあなから世間:ベトナムで突き指談=立川志の輔 /東京
今年ですでに3回目、ベトナムのホーチミン&シンガポールで落語公演を終えて帰ってきました。
成田出発時は6度、現地は36度。30度の気温差などものともせず、日本の落語ブームが飛び火したかと思えるくらい、即日完売、超満員御礼の会になりました。
東京公演では客席で外国の方を4、5人見かけることすらあるのに、ここベトナム、シンガポールでは日本人客だけというなんとも不思議な感じ。
実は同じ日に、会場の前に舞台が組まれ、平和を祈る国家行事が行われることになったと聞かされたのが、旅立つ5日前。始まるのが落語会と同じ午後7時。
太鼓の音やマイクの声が、人情噺(ばなし)の間に聴こえてきたらお客さんの集中力が途切れると、急遽(きゅうきょ)、開演を(もちろん落語会の方)4時30分に変更。
驚いたのは、そんな急な変更にもかかわらず、情報が行き渡り、当初の情報通り、7時にやってきたお客さんは1000人のうち6人。この6人の方にはほんと申し訳なかったのですが、直前の情報変更の周知徹底ぶりに驚かされ、さすが社会主義国だと感心しました。
もろもろの事前準備も無事にすみさあ開演。
予定は私の3席と、長唄三味線、江戸曲芸。
外でのイベントが始まる7時には会を終えなければというあせりが原因の一つだったのか、高座で内なる事件が起こりました。
1席目を終えてお辞儀の後、楽屋へ向かう廊下で左手の中指の痛みに気付きました。
お辞儀で高座に指をついたときに突き指したかと、指を引っ張ってみたものの、指の関節の先がぺこりとお辞儀をしたまま、動かなくなってしまいました。なんなんだ?!と思いながら、痛みに耐え2、3席目を終えるや、観客の一人であった日本人医師がやってきて一言「靱帯(じんたい)が切れましたね」。
翌日、外国での病院初体験。受付女性の優しい対応、レントゲン技師の心配そうな優しい表情、そして「国境なき医師団」にもいたことがあるというアルゼンチンのクラウディオ医師の所見と説明の的確さに、不安は吹っ飛びました。
正式病名は「マレットフィンガー(指先靱帯損傷)」。野球ボールが指に直撃した時などにおこる怪我(けが)で、全治6週間から8週間。
昨年末の腸ヘルニアがようやく完治したかと思ったら、今度は靱帯損傷。どうも2回目の厄年のようです。
2カ月のゴルフ禁止もさることながら、4、5月の高座では左手中指に目立つギプスをつけなければならず、落語の邪魔になる、それに一番落ち込んでいる春なのです。
そろそろ横浜にぎわい寄席以外に東京の寄席デビューをしてみようと思った。
寄席は月の上旬・中旬・下旬の単位で昼夜の興行を組んでいるのだが、大の月の末日は「余一会」としてスペシャルイベントを組む。
たとえば新宿末広亭は、ふだん寄席に出ない(出られない)立川流を招いて、落語協会・落語芸術協会の噺家と一緒に「三派連合サミット」を昼夜興行。かなり豪華版だったが、昼夜入れ替え制で両方見ると6000円。
で、寄席デビューの自分としては、出演者は限られているが二人の若手実力真打ちが長講一席ずつという池袋の余一会を選んだ。柳家小さん最後の弟子といわれる柳亭市馬、真打ち昇進して7年になる古今亭菊之丞、これはいい組み合わせだと思った。
当日券を取るため開演1時間前から並ぶ。15人ぐらい当日券で並んでいたけど全員セーフ。前売り券組も含めて、小さな池袋演芸場は満員御礼。ざっと見渡して、中高年の率めちゃくちゃ高!
☆★☆★
番組は以下の通り。
市也君はどこかの落語本でイケメン前座として紹介されていなかったかな。「牛ほめ」でちょこちょこと笑いを取る。
先に市馬師匠が出てきた時には場内少しざわざわ。年次といい年齢といい、市馬師匠がトリを取るものと思っていたので予想外というリアクション。
市馬師匠のマクラは商家の組織を説明する前降りとして小さん一門の話から。普通はないことだが、師匠を破門した弟子がいる……最近お元気だそうで、と、市馬師匠も親交がある立川談志家元ネタでけっこうな笑いを取る。
また、芸事に入れ込む例として「歌いたがる」落語家はいかがなものかと、自分をネタに。え~、今日の市馬さんは歌わないんですか~、とちょっとがっかり(笑)。
『百年目』。圓生と志ん朝を聴いてて、先月の横浜での志の輔のもよかったので、市馬師匠でも聴きたかった。結果的に、今日の市馬師匠のはマイベスト1か2。圓生だと諭す大旦那に皮肉が混じって最後の場面が説教臭く感じたし、志ん朝版だと番頭の小言がちょっとヒステリックに聞こえたり大旦那に風格が今ひとつ。志の輔版はバランス良く、番頭が「あ~あ~あ~、なんで船からおりちゃったんだろぅ……」とおろおろするところでどっかんどっかん笑いを取り、大旦那の腰の低さに説教を説教らしくなく聴かせる。市馬版は番頭の小言は厳しいけどねちこくはなく、大旦那の説教もくどくせずに大人の風格でさらりと聴かせていた。
☆★☆★
菊之丞師匠。マクラは落語の練習風景から。楽屋で柳橋師匠に稽古をつけてもらった時のエピソード。カラオケボックスで仕事しようと思ったらつい歌っちゃって、市馬師匠の曲もかけて印税が師匠に入るようにしましたとか。
真打ち披露のシーズンで、と、自分の真打ち披露の時の接待の話題。当時はこん平師匠健在で、ご健啖のため大変だったとか。
で、「らくだ」。見た目歌舞伎役者風で女性を演じさせたら上手な菊之丞師匠、「らくだ」って男しか出てこない噺じゃないですか(涙)……ところが、見た目よりも声が太い師匠、らくだの兄貴分がドスの利いた声で迫力ありました! おろおろさせられる屑屋さんの気の弱さ、酒を飲んで性格が変わっていく様子、丁寧な描写に大笑いさせられました。月番、因業大家、八百屋と登場人物の描き分けも見事。火屋(火葬場)までのサゲまで聴いたのは初めてでしたが、あまりブラックになり過ぎずにさらっと描いてサケてくれて、あぁ屑屋大活躍だったなぁと、あざとくない印象で終わってよかった。
大満足。来月の二人会は、市馬さんが『付き馬』ほか一席、菊之丞さんが『妾馬』ほか一席、これも聴きに行きたいなぁ。
寄席は月の上旬・中旬・下旬の単位で昼夜の興行を組んでいるのだが、大の月の末日は「余一会」としてスペシャルイベントを組む。
たとえば新宿末広亭は、ふだん寄席に出ない(出られない)立川流を招いて、落語協会・落語芸術協会の噺家と一緒に「三派連合サミット」を昼夜興行。かなり豪華版だったが、昼夜入れ替え制で両方見ると6000円。
で、寄席デビューの自分としては、出演者は限られているが二人の若手実力真打ちが長講一席ずつという池袋の余一会を選んだ。柳家小さん最後の弟子といわれる柳亭市馬、真打ち昇進して7年になる古今亭菊之丞、これはいい組み合わせだと思った。
当日券を取るため開演1時間前から並ぶ。15人ぐらい当日券で並んでいたけど全員セーフ。前売り券組も含めて、小さな池袋演芸場は満員御礼。ざっと見渡して、中高年の率めちゃくちゃ高!
☆★☆★
番組は以下の通り。
開口一番 柳亭市也「牛ほめ」
柳亭市場 「百年目」
中入り
古今亭菊之丞 「らくだ」
市也君はどこかの落語本でイケメン前座として紹介されていなかったかな。「牛ほめ」でちょこちょこと笑いを取る。
先に市馬師匠が出てきた時には場内少しざわざわ。年次といい年齢といい、市馬師匠がトリを取るものと思っていたので予想外というリアクション。
市馬師匠のマクラは商家の組織を説明する前降りとして小さん一門の話から。普通はないことだが、師匠を破門した弟子がいる……最近お元気だそうで、と、市馬師匠も親交がある立川談志家元ネタでけっこうな笑いを取る。
また、芸事に入れ込む例として「歌いたがる」落語家はいかがなものかと、自分をネタに。え~、今日の市馬さんは歌わないんですか~、とちょっとがっかり(笑)。
『百年目』。圓生と志ん朝を聴いてて、先月の横浜での志の輔のもよかったので、市馬師匠でも聴きたかった。結果的に、今日の市馬師匠のはマイベスト1か2。圓生だと諭す大旦那に皮肉が混じって最後の場面が説教臭く感じたし、志ん朝版だと番頭の小言がちょっとヒステリックに聞こえたり大旦那に風格が今ひとつ。志の輔版はバランス良く、番頭が「あ~あ~あ~、なんで船からおりちゃったんだろぅ……」とおろおろするところでどっかんどっかん笑いを取り、大旦那の腰の低さに説教を説教らしくなく聴かせる。市馬版は番頭の小言は厳しいけどねちこくはなく、大旦那の説教もくどくせずに大人の風格でさらりと聴かせていた。
☆★☆★
菊之丞師匠。マクラは落語の練習風景から。楽屋で柳橋師匠に稽古をつけてもらった時のエピソード。カラオケボックスで仕事しようと思ったらつい歌っちゃって、市馬師匠の曲もかけて印税が師匠に入るようにしましたとか。
真打ち披露のシーズンで、と、自分の真打ち披露の時の接待の話題。当時はこん平師匠健在で、ご健啖のため大変だったとか。
で、「らくだ」。見た目歌舞伎役者風で女性を演じさせたら上手な菊之丞師匠、「らくだ」って男しか出てこない噺じゃないですか(涙)……ところが、見た目よりも声が太い師匠、らくだの兄貴分がドスの利いた声で迫力ありました! おろおろさせられる屑屋さんの気の弱さ、酒を飲んで性格が変わっていく様子、丁寧な描写に大笑いさせられました。月番、因業大家、八百屋と登場人物の描き分けも見事。火屋(火葬場)までのサゲまで聴いたのは初めてでしたが、あまりブラックになり過ぎずにさらっと描いてサケてくれて、あぁ屑屋大活躍だったなぁと、あざとくない印象で終わってよかった。
大満足。来月の二人会は、市馬さんが『付き馬』ほか一席、菊之丞さんが『妾馬』ほか一席、これも聴きに行きたいなぁ。
やっと陽が差し、昨日より幾分か暖かくなりました。テレビのニュースに映っていた上野公園は、昼から花見客で賑わってました。
岩手
清河八郎を祭る神社、老朽化進む 庄内、屋根改修へ住民走る
栃木
田崎草雲たたえる2市民団体 活動強化へ統合
静岡
地域通貨「龍馬小判」でまちおこし=静岡県下田市
京都
漫画文化を体系化、新たに常設展示
3日からマンガミュージアム
明治元年、新政府「五榜の掲示」の高札見つかる 岡野酒造で
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<薄毛防止>は、早めの対策で。まずはネットで無料相談
山口
ミニ「長州砲」 鋳造成功/萩市
佐賀
佐賀、近代化に貢献した偉人紹介 県が15人の伝記出版
長崎
龍馬の足取りジオパークの視点で 雲仙岳災害記念館で企画展
ブックレビュー
坂本龍馬責任編集「RYOMA」ってどんな雑誌!?
エンターテインメント
『薄桜鬼』ドラマCD第4弾が発売決定
岩手
清河八郎を祭る神社、老朽化進む 庄内、屋根改修へ住民走る
庄内町清川の住民約60人が「清河神社屋根改修実行委員会」(松田広委員長)を設立し、地区内にある同神社の屋根を直すための募金集めに奔走している。清川出身の幕末の志士で浪士組の幹部だった清河八郎(1830~63)を祭る同神社は、1933(昭和8)年の創建で老朽化が激しく、雨漏りの被害が年々ひどくなっている。松田委員長は「地域の誇りである神社を次世代に引き継いでいきたい」と善意を募っている。
明治維新の先駆けになったとされる清河は、江戸で学問と剣の塾を開くなど文武両道にたけていたことで知られ、同神社は地元や東京の有志によって創建された。地元の小学生がみこ舞を披露する例大祭(5月)をはじめ、住民にとってなじみのイベントが毎年開かれており、隣接する清河八郎記念館の斎藤清館長は「神社は地域にとって欠かせない存在」と語る。また、合格祈願などに訪れる人も少なくない。
しかし、管理運営に当たる氏子を構成していない上、宮司は同町の御諸皇子(ごしょのおうじ)神社の正木尚文宮司が兼務しているため常駐しておらず、「祈祷(きとう)料など維持管理に費やす資金がない」という。そのため、これまで建物を修復したことがなく、屋根の腐食による雨漏りが年々悪化。改修が急務となっていた。
同実行委員会は「地域の誇りを守ろう」と、昨年10月に設立された。計画では、工期はことし5月から約3カ月間を予定、屋根は瓦から銅板にふき替える。工費は1300万円を見込む。既に地区内の各世帯に協力をお願いし、約280世帯のほか、計画を知った全国各地のファン約80人も協力し、29日現在、約600万円が集まっている。
ただ、目標額には遠く、松田委員長は「清川では約9割の世帯に協力してもらったが、広く支援をお願いしたい」と語る。5000円以上の寄付者には、屋根の銅板(縦26センチ、横95センチ)の裏面に氏名、願いごとを書いてもらうことにしている。募金は少額でも受け付けている。問い合わせは同実行委員会0234(57)2104。
栃木
田崎草雲たたえる2市民団体 活動強化へ統合
足利市ゆかりの文人画家田崎草雲(一八一五~九八年)の功績をたたえる二つの市民団体が統合し、新組織「画聖草雲会」が二十九日、発足した。
二団体は、「画聖田崎草雲顕彰会」と「草雲美術館盛り上げ隊」。これまで別々に活動してきたが、美術館が開館四十周年を迎えたのを機に、効率化を進めようと発展的解消を図った。両会の会員を合わせると九十人ほどになり、顕彰や関連施設の活性化など従来の活動を強化していく。
盛り上げ隊長だった亀田悦子さん(58)=同市旭町=が新組織の会長に就任。亀田さんは「絵師であり、幕末の志士でもあった草雲の偉業を今の文化やまちづくりに生かし、世界に発信したい」と語った。 (清水祐樹)
静岡
地域通貨「龍馬小判」でまちおこし=静岡県下田市
静岡県下田市の温泉旅館協同組合や観光協会などでつくる「下田龍馬伝志援隊」は4月1日から幕末の志士・坂本龍馬の肖像をあしらった地域通貨「龍馬小判」を販売する。
同市は、文久3年(1863年)1月、勝海舟が土佐藩主の山内容堂に面会し、坂本龍馬の脱藩を許してもらった宝福寺が所在するなど龍馬ゆかりの地として知られる。NHK大河ドラマ「龍馬伝」のロケ地にもなった。
今回発売されるのは、龍馬小判2000枚(販売価格1枚3000円)と「龍馬くんコイン」5万枚(同900円)の2種類。それぞれ「参龍(さんりょう)」「壱龍」というように「龍」を単位にした。コインは1枚で1000円分の買い物ができるプレミアム付きだ。
利用可能期間は4月1日~9月30日の半年間で、利用可能の表示シールが張ってある市内店舗で使用できる。観光協会などで直接購入できるほか、下田龍馬伝志援隊のホームページでも注文を受け付ける。
下田龍馬伝志援隊の担当者は「既に東京など県外からも問い合わせが来ている。コイン付き宿泊プランを計画するなど地域活性化を目指していきたい」と話している。【
京都
漫画文化を体系化、新たに常設展示
3日からマンガミュージアム
京都国際マンガミュージアム(京都市中京区)は、戦後の漫画史や産業としての漫画、海外でのとらえられ方など、漫画のあり方を体系的に紹介した常設展示を新設した。漫画にあまり関心のない人や外国人にも分かりやすい展示にしている。
同ミュージアムは、これまで企画展などで漫画文化を紹介してきたが、体系的な常設展示は無かった。入館者の1割を占める外国人に日本の漫画文化を理解してもらうためにも、開館3年を機に常設展示の充実を決めた。
常設展示は、これまでメーンギャラリーとして使ってきたスペースに、1945年から2005年までの雑誌と代表的な作品約6600冊を展示。幕末の風刺漫画から現代に至る変遷や、漫画の社会的機能、アニメーションや漫画の描き方、多くの企業がかかわる産業としての漫画文化などを幅広く紹介している。
海外で翻訳されている日本漫画や海外の漫画を楽しめる「マンガ万博」コーナーも従来の1400冊から5250冊に増やし、書棚「マンガの壁」も従来の全長140メートルから200メートルに延長した。常設展は3日から正式にオープンする。入館料が必要で、水曜休館。
明治元年、新政府「五榜の掲示」の高札見つかる 岡野酒造で
福知山市野花、岡野酒造場(岡野俊之店主)の土蔵からこのほど、明治期の高札が見つかった。明治維新後に政府が出した「五榜の掲示」という太政官高札で、民衆に対しての禁令が板に墨書されている。
五榜の掲示は1868年(慶応4年・明治元年)、新政府が民衆に対する禁止令として発したもの。第1札から第5札まであり、五倫のすすめやキリスト教の禁止、徒党・強訴・逃散などを禁じた。
土蔵で発見されたのは、殺人・盗賊の禁止や人間関係を規律する孝行、忠誠、男女の役割、上下の秩序、信義の五倫を守るように記した第1札と、キリスト教の禁止などを書いた第3札。大きさはともに横58センチ、縦35センチで、表には禁止事項の内容と「慶応四年」「豊岡懸(県)」などの文字、裏には「天田郡野花村」と書かれていた。
岡野酒造は江戸末期の1866年(慶応2年)創業。府道の築造工事のため、移転改築工事をすることが決まり、解体した酒蔵の跡地に築約150年の土蔵を「曳き家」で移動することになった。母屋も手壊しして、再建する。
土蔵を片付けていた際、工事を請け負う会社の一つ、岸下建設(立原)の吉井幸男代表取締役社長(56)が、材木に紛れ込んでいた板を発見。「慶応四年」「太政官」の文字が見えたことから、五傍の掲示の高札ということに気づき、保管しておいた。
岡野店主(61)は「子どものころは、それなりに古い家に生まれたという自覚はあり、いろいろなものがあることは聞いていましたが、これを見るのは初めてです」と感慨深く話す。
市教育委員会によると、市内では数点確認されているという。
土蔵からはこれとは別に、火付けや盗賊などを見つけた場合、捕まえて役所へ差し出すことなどを記した「火付高札」も出てきた。
写真=第1札、第3札を持つ岡野店主(左)、岸下社長
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山口
ミニ「長州砲」 鋳造成功/萩市
◆萩・幕長研、当時の技術再現
萩市に事務局を置く幕末長州科学技術史研究会(略称・幕長研、樹下明紀会長、50人)が28日、幕末期に長州藩が実戦に使った「長州砲」を再現しようと、当時の鋳造技術を使って実物の約6分1のミニチュア造りに挑み、悪戦苦闘の末に成功した。会員らは「いずれ実物大にも挑戦したい」と意気込んでいる。
幕末期、長州藩は欧米諸国の脅威に対抗するため、鋳物師集団・郡司家を中心に「長州砲」と呼ばれる大砲を鋳造。英仏蘭米の4国連合艦隊と戦った下関戦争で使った。しかし、鋳造方法は明らかになっておらず、長州藩に関して記した「防長回天史」にも「炉で溶かした銅を鋳型の上部から流し込んだが、銅滓(どうさい)や気泡が邪魔をして大砲の鋳造はうまくいかなかった」と記述されているだけという。
幕長研ではこの疑問を解明しようと、萩市椿東の「萩ガラス工房」の敷地に当時とほぼ同じ構造の手作り溶解炉(高さ90センチ、内径22センチ)を設置。1844(天保15)年に郡司喜平治が造り、下関戦争で敗れて英国に持ち去られた後、2008年に一時里帰りして萩博物館で展示された長州砲(長さ184センチ、口径8・8センチ、重さ760キロ)をモデルに、京都の鋳物師に鋳型づくりを依頼した。
会員らはこの日朝、溶解炉に火入れをし、炭を燃やして炉内の温度を1200~1500度まで上げた。そのうえで銅材などとして水道メーター、水道蛇口、鉛の廃材、銅板樋(とい)の廃材を投入。正午ごろに湯口を開けたが、溶けた銅が固まって流れ出さずに失敗。炉を一部やり替えてさらに溶解を続けたところ、午後5時ごろ、なんとか鋳型に流し込むことができ、長さ27センチ、口径1・5センチ、重さ2・6キロの青銅製のミニ長州砲が完成した。
溶解炉を設計した萩ガラス工房の藤田洪太郎社長は「長さは2センチほど足りなかったが、予想以上のできばえ」と満足顔。会員らは同夜、萩城跡で開かれた花見の会で祝杯をあげた。
(井口勝夫)
佐賀
佐賀、近代化に貢献した偉人紹介 県が15人の伝記出版
幕末から明治の政・経・文化は佐賀人がリードしていた―。佐賀県教育委員会は2010年度から5年かけ、日本の近代化に貢献した郷土の偉人伝全15冊を出版する。「薩長土肥の一角だった佐賀には、大隈重信以外にも偉人が多い。古里への関心を高めたい」と県教委は意気込む。
偉人伝は今年秋から冬ごろに刊行開始。1人1冊、約100ページにまとめ、定価は税込みで千円。県内外の書店で販売する。各4千部をそれぞれ5年で売り切るのが目標で、制作や販促の費用はすべて売り上げで賄う。県によると、自治体が大規模な出版事業をするのは、全国でも珍しいという。
取り上げる人物は、郷土史で「佐賀の七賢人」と呼ばれる、日本赤十字社を設立した佐野常民や初代司法卿(法相)の江藤新平らが決定。ほかに日本銀行本店や東京駅を設計した辰野金吾や、牛痘種痘の普及に努め東大医学部の前身を築いた伊東玄朴が候補に挙がっている。
長崎
龍馬の足取りジオパークの視点で 雲仙岳災害記念館で企画展
幕末の志士、坂本龍馬が歩いた長崎までの道のりをジオパークの視点で紹介する企画展「龍馬がやってきた!」が島原市平成町の雲仙岳災害記念館で開かれている。5月10日まで。入場無料。
島原は1864年2月、龍馬が本県の土を初めて踏んだゆかりの地。昨年夏、世界ジオパークに認定された島原半島のジオサイト(地質学的見どころ)と龍馬の足跡を絡めて紹介し、関心を高めてもらおうと企画した。
27日にあったオープニングセレモニーで河本冨士雄館長は「楽しみながらジオパークを理解できる内容。ぜひ多くの方に見てほしい」とあいさつ。会場には、島原街道など「龍馬の道」と当時の地図、島原半島の地質を丁寧に解説したパネル16枚などを展示。訪れた人たちは眉山や普賢岳、千々石断層などのパネルを見ながら、龍馬が歩いた当時の風景に思いをはせていた。
同日は、全国龍馬社中会長の橋本邦健さんが来館。「龍馬が目指した維新への第一歩」と題し、記念講演を行った。
ブックレビュー
坂本龍馬責任編集「RYOMA」ってどんな雑誌!?
“坂本龍馬責任編集”って、そんなバカな!? いえいえ本当にそうなのです!
主婦の友社の社員である坂本龍馬氏(本名)が責任編集を行う坂本龍馬雑誌が、同社から期間限定でリリースされ、注目が高まっております。
「2時間で「龍馬」のウンチクが語れる」ことをテーマにした『RYOMA』、毎号ワンテーマで特集が組まれ、全4回で龍馬のすべてを知る事ができる内容になっています。
NHK大河ドラマでは描かれないエピソードを知りたい、でも専門書では難しいという人のための、龍馬も幕末も維新も江戸のウンチクもわかる、エンタメ幕末マガジンなのです!
1月29日にリリースされたVOL.1では「日本を洗濯いたし申し候」をテーマに、龍馬の言葉や龍馬の噂の真相を徹底調査しています。特別付録に龍馬のふるさと「高知」をフィーチャーしたお散歩BOOKがつき、読んで学んで行動できる充実の内容に仕上がっております。
3月29日にリリースされたVOL.2では「龍馬からの手紙」をテーマに、龍馬にゆかりのある人物の紹介や現存する龍馬の手紙を大分析しています。VOL.2の特別付録は「龍馬&龍馬が見た世界地図-輿地航海図Wポスター」です。龍馬ファンは部屋に貼って龍馬の気分に浸るべし! またVOL.1に引き続き、長崎をフィーチャーしたお散歩BOOKがつきます。
注目のVOL.3は「龍馬と女たち」がテーマ。お龍さんや佐那さん、幕末有名人の奥様たちをフィーチャーします。龍馬と勝海舟、西郷隆盛に学ぶ「勝者の瀬戸際の交渉術」では、現代にも通じる交渉術や生き方を学べちゃえます。ビジネスマン必読です! VOL.3のお散歩BOOKは龍馬×京都特集です。1号、2号を隅から隅まで読んで、3号の発売に備えておきましょう!
編集責任者の坂本龍馬氏本人もあらゆるメディアに引っぱりだこ! 何気なくつけたTVやラジオに出演してるかも…!? 公式ブログ『坂本龍馬なう』やTwitterにて、”現代の坂本龍馬”の情報もチェックです!
公式ブログ『坂本龍馬なう』
http://blog.shufunotomo.co.jp/ryoma/
坂本龍馬Twitter
http://twitter.com/ryomanow/
(みかめゆきよみ 山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
エンターテインメント
『薄桜鬼』ドラマCD第4弾が発売決定
●主演声優陣のコメントもお届け
アイディアファクトリーの女性向け恋愛アドベンチャーゲーム『薄桜鬼』のドラマCD『薄桜鬼ドラマCD ~島原騒動記~』が、ティームエンタテインメントより2010年3月31日に発売される。価格は3150円[税込]。
そのドラマCDに出演している声優の三木眞一郎、森久保祥太郎、鳥海浩輔、吉野裕行、遊佐浩二、坪井智浩、津田健次郎のコメントが到着したのでお届けしよう。
土方歳三(CV:三木眞一郎)
――収録を終えられての感想をお願いします。
三木 楽しかったです。
――印象に残ったシーンやセリフなど、“ここが聴きどころ!”を教えてください。
三木 全部。
――今回は千鶴とお千のふたりが登場しますが、着物姿の女性に対してどんなイメージをお持ちですか?
三木 ありません。
――思わずグっとくる女性らしい仕草や恰好などはありますか?
三木 ナイショ。
――このCDのリリース日はそろそろ桜が咲き始めるころです。ここの桜がおすすめ! またはお花見の想い出などがあれば教えてください。
三木 ナイショ。
――最後にファンへのメッセージをお願いします。
三木 楽しんでくださいマセ。
沖田総司(CV:森久保祥太郎)
――収録を終えられての感想をお願いします。
森久保 にぎやかでした!
――印象に残ったシーンやセリフなど、“ここが聴きどころ!”を教えてください。
森久保 一訓が口数多いです。
――今回は千鶴とお千のふたりが登場しますが、着物姿の女性に対してどんなイメージをお持ちですか?
森久保 和!素敵!
――思わずグっとくる女性らしい仕草や恰好などはありますか?
森久保 すべてにグッときます。
――このCDのリリース日はそろそろ桜が咲き始めるころです。ここの桜がおすすめ! またはお花見の想い出などがあれば教えてください。
森久保 西伊豆の海沿いの桜
――最後にファンへのメッセージをお願いします。
森久保 楽しく収録できました!! その楽しさがみなさんにも伝わりますように!!
斎藤一(CV:鳥海浩輔)
――収録を終えられての感想をお願いします。
鳥海 無口な斎藤が今回はいっぱいしゃべっていてビックリです。
――印象に残ったシーンやセリフなど、“ここが聴きどころ!”を教えてください。
鳥海 全部スミズミまで聞いてください
――今回は千鶴とお千のふたりが登場しますが、着物姿の女性に対してどんなイメージをお持ちですか?
鳥海 いいですねぇ。
――思わずグっとくる女性らしい仕草や恰好などはありますか?
鳥海 その人に似合っていればなんでも。
――このCDのリリース日はそろそろ桜が咲き始めるころです。ここの桜がおすすめ! またはお花見の想い出などがあれば教えてください。
鳥海 雨が降っている中で大きなテント的なものを建てて20人くらいでやったのは楽しかったですね。
――最後にファンへのメッセージをお願いします。
鳥海 楽しんでください。これからも『薄桜鬼』をよろしくです。
藤堂平助(CV:吉野裕行)
――収録を終えられての感想をお願いします。
吉野 やっぱり自分のことは自分で決めよう!
――印象に残ったシーンやセリフなど、“ここが聴きどころ!”を教えてください。
吉野 キャストクレジット……とか。
――今回は千鶴とお千のふたりが登場しますが、着物姿の女性に対してどんなイメージをお持ちですか?
吉野 パンツははいてないんだろうか……。着物の人ははかないっていうから……。トイレたいけんなんじゃ……とか。
――思わずグっとくる女性らしい仕草や恰好などはありますか?
吉野 忘れました。たぶんあるんだけど……。
――このCDのリリース日はそろそろ桜が咲き始めるころです。ここの桜がおすすめ! またはお花見の想い出などがあれば教えてください。
吉野 忘れました。あ! 雨の中の花見はまだまだ寒いよね! デンジャーーーー!!
――最後にファンへのメッセージをお願いします。
吉野 『薄桜鬼』をこれからもよろしく!!
原田左之介(CV:遊佐浩二)
――収録を終えられての感想をお願いします。
遊佐 いつもながら楽しいメンバーなので、ホッとします。
――印象に残ったシーンやセリフなど、“ここが聴きどころ!”を教えてください。
遊佐 斎藤が変な妄想に登場するところです。
――今回は千鶴とお千のふたりが登場しますが、着物姿の女性に対してどんなイメージをお持ちですか?
遊佐 あまり身近にはいない女性。テレビでしか見ないイメージですね。
――思わずグっとくる女性らしい仕草や恰好などはありますか?
遊佐 特にありません。硬派なので(笑)
――このCDのリリース日はそろそろ桜が咲き始めるころです。ここの桜がおすすめ! またはお花見の想い出などがあれば教えてください。
遊佐 花粉症なので花見はしない主義です。
――最後にファンへのメッセージをお願いします。
遊佐 もう何本目のCDドラマか分からなくなってきましたが、ますますチームワークがいい感じになってきました。楽しんで下さい。
永倉新八 (CV:坪井智浩)
――収録を終えられての感想をお願いします。
坪井 (千鶴の)着物姿は画像(色付き)でみたいなぁ~! CDに画像データ何パターンか入りませんかね?(笑)
――印象に残ったシーンやセリフなど、“ここが聴きどころ!”を教えてください。
坪井 島原に行ったのに、酒にのまれず普通だった、めずらしいCD。
――今回は千鶴とお千のふたりが登場しますが、着物姿の女性に対してどんなイメージをお持ちですか?
坪井 着物を着ただけで、お淑やかに見えますね。実際はともかく……。スミマセン……。
――思わずグっとくる女性らしい仕草や恰好などはありますか?
坪井 特にはないですが、歩きかたには目がいきます。
――このCDのリリース日はそろそろ桜が咲き始めるころです。ここの桜がおすすめ! またはお花見の想い出などがあれば教えてください。
坪井 学校等の桜で十分です。屋内から見られればなおよし……まだ寒い事が多いので。
――最後にファンへのメッセージをお願いします。
坪井 今後も拡大するであろう『薄桜鬼』ワールドをよろしくお願いします。ネタがなくなれば永倉が……ねぇな(笑)
風間千景(CV:津田健次郎)
――収録を終えられての感想をお願いします。
津田 いつもながらワイワイと楽しい現場でした
――印象に残ったシーンやセリフなど、“ここが聴きどころ!”を教えてください。
津田 新選組のたくらみを盗み聞きしている風間が好きです。それと優しさにも個性がある新選組の面々。
――今回は千鶴とお千のふたりが登場しますが、着物姿の女性に対してどんなイメージをお持ちですか?
津田 着物はいいですよね。しかも、キチンと着物を着ている女性は素敵です。着物はキチンと着るのがよし。
――思わずグっとくる女性らしい仕草や恰好などはありますか?
津田 着物や浴衣ですね。
――このCDのリリース日はそろそろ桜が咲き始めるころです。ここの桜がおすすめ! またはお花見の想い出などがあれば教えてください。
津田 アスファルトに囲まれて、わずかしか残っていない土の中に立って花を咲かせていた近所の桜がキレイだったなぁ……。
――最後にファンへのメッセージをお願いします。
津田 毎度ありがとうございます。是非ごゆるりとお楽しみ下さい。また会いましょう!
※ティームエンタテインメントの公式サイトはこちら
昼外出したら寒暖計は5度でした……ぶるぶる~っ。
茨城
水戸市長 井伊直弼の墓参
150回忌 「市民の思い果たせた」
コスプレ:映画のロケ地で 若者200人、幕末の雰囲気に--水戸
東京
水戸・彦根両市長、井伊直弼命日に墓参
墓前で握手、親善誓う
神奈川
黒船ペリーにちなんで、地サイダー「横須賀ペリーサイダー」販売 /神奈川
京都
龍馬になって鴨川を駆けよう
4月29日に幕末マラソン
長崎
【動画】岩崎弥太郎と三菱の歴史学ぶ 長崎でシンポ、400人参加
龍馬と同じポーズで写真
コラム
沖田総司はイケメンではない!? 新撰組にまつわる意外な雑学
ゆとり世代がついに社会人デビュー 2010年度新社会人が選ぶ「上司にしたい幕末の人物」
ランキング結果を見ると、幕末に関しては余り世代のギャップを感じないですね。
エンターテインメント
「銀魂」最終回の日に両国国技館でイベント、全国で約2万人が“2期宣言”に拍手喝采(かっさい)
ブックレビュー
戊辰戦争像に一石投じる 船戸与一さん新作
自分は上巻の半ばで読みさしたまま、止まってます(^^ゞ。
それにしても、佐伯泰英さんを始め、森詠さん、船戸与一さん、かつて愛読していた冒険小説の作者が時代小説を書くようになって久しく……自分も現代ミステリから遠ざかっているとはいえ、複雑な心境です。
茨城
水戸市長 井伊直弼の墓参
150回忌 「市民の思い果たせた」
幕末に「安政の大獄」を指揮し、江戸城桜田門外で水戸浪士らに暗殺された大老・井伊直弼(なおすけ)の命日にあたる28日、水戸市の加藤浩一市長が井伊が眠る東京都世田谷区の豪徳寺を初めて訪れ、墓前で手を合わせた。
この日は井伊の150回忌法要も同寺で営まれ、井伊ゆかりの地で、水戸市と親善都市提携を結ぶ滋賀県彦根市の獅山向洋市長や井伊家18代当主の井伊直岳さんらも訪れた。
法要後、井伊の墓前で供養と焼香を行った獅山市長は「水戸市長も来ていただき、150回忌法要に花を添えていただいた」と謝辞を述べると、加藤市長は「水戸市民の思いが果たせて良かった。当時は大きな対立があったが、互いに国の将来を思ってのこと。先人の犠牲の上に立って今日があることを忘れず、両市の発展を考えていきたい」とあいさつした。
井伊直岳さんは「大きな意味を持つ一日になったことは間違いない。水戸市長はじめ多くの関係者に感謝したい」と感慨深げだった。
コスプレ:映画のロケ地で 若者200人、幕末の雰囲気に--水戸
【茨城】映画「桜田門外ノ変」のため水戸市千波町に設けられている撮影用の野外セットで27日、「幕末ロケセット コスプレフェスティバル」(同映画化支援の会など主催)が行われ、忍者、武士、歴史上の人物などの衣装に身を包んだ若者約200人が集まった。
セットは、大老・井伊直弼の襲撃現場や周辺を細かく表現している。幕末の雰囲気に触れられるとして、歴史好きコスプレファンの人気を集めた。
新選組がテーマのテレビゲーム「薄桜鬼」や、幕末が舞台の漫画「銀魂」などの登場人物に扮(ふん)した女性6人は、彦根藩の赤門を模したセットの前で記念撮影。6人のうち、笠間市に住むフリーターで、ファンの間では明気吉冬夜(あきよしとうや)で通る20代女性は「(コスプレは)心のよりどころ。映画セットで場所を貸してくれたのは県内でここだけ」と喜んでいた。【杣谷健太】
東京
水戸・彦根両市長、井伊直弼命日に墓参
墓前で握手、親善誓う
幕末の「桜田門外の変」で水戸浪士らに暗殺された大老井伊直弼の命日の28日、150回忌が菩提寺である東京・世田谷区の豪徳寺で執り行われ、加藤浩一水戸市長と彦根市関係者が墓参した。
水戸市長の墓参は、彦根市の招待により初めて実現。加藤市長のほか、獅山向洋彦根市長と彦根城博物館長で井伊家18代当主の井伊直岳さんらが本堂での法要の後、直弼の墓前で焼香した。
墓参後、あいさつに立った加藤市長は「先人の犠牲の上に今日があり、両市の発展のために今後も努力していきたい」と述べた。加藤市長の墓参に対し、獅山市長と直岳さんから謝意が示され、加藤市長らは墓前でがっちり握手、両市のさらなる親善を誓い合った。
両市は直弼による尊攘派弾圧「安政の大獄」や桜田門外の変以来のわだかまりを超え、1968年に親善都市提携。昨年11月には獅山市長と直岳さんらが、安政の大獄で刑死した水戸藩家老安島帯刀らを墓参している。
【写真説明】
大老井伊直弼の墓前で親善の握手を交わす加藤浩一水戸市長(左から2人目)と井伊直岳さん(同3人目)、獅山向洋彦根市長(同4人目)ら=東京・世田谷区の豪徳寺
神奈川
黒船ペリーにちなんで、地サイダー「横須賀ペリーサイダー」販売 /神奈川
横須賀市観光協会(横須賀市小川町11)は3月28日、「黒船来航」「開国のまち」にちなんだ地サイダー「横須賀ペリーサイダー」の販売を始めた。350ミリリットル入りで1本150円。(横須賀経済新聞)
幕末の嘉永6(1853)年、米国・ペリー提督率いる黒船が浦賀に来航した際に飲料水の一部として「炭酸レモネード」(レモン風味の炭酸水)を積んでいたと伝えられる。同協会では「これが日本に炭酸飲料が伝わった最初という説が有力。ペリーも飲んでいたといわれる炭酸レモネードをイメージして作ったもの」という。
ペリーサイダーは、名水として知られる「走水湧水」を一部使用し、炭酸とレモン果汁を加えてすっきりとした味に仕上げた。
同日開催された「日米親善スプリングフェスタ」に合わせて三笠公園・走水水源地でお披露目されたほか、YYポート横須賀・ヨコスカドブイタステーションでも販売する。製造元は川崎飲料。販売数量は1万8,000本。
京都
龍馬になって鴨川を駆けよう
4月29日に幕末マラソン
鴨川沿いを幕末の装束に仮装して駆ける「幕末・京都龍馬マラソン」が4月29日に行われる。参加者が坂本龍馬や妻おりょう、新選組の隊士ら、幕末の歴史人物になりきって、寸劇も交えながら約5キロのコースを走るユニークな大会で、参加者を募っている。
龍馬ゆかりの地を巡るジョギングコースを設定し観光客にアピールしているホテルフジタ京都(京都市中京区)と、「わか練!300回記念実行委員会」が主催する。「わか練」はラジオパーソナリティーの若林順子さん主宰のマラソン好きの集まりで、毎週木曜夜に京都御所で練習している。
コースは、鴨川右岸の二条大橋(中京区)付近を発着点に、四条大橋-賀茂大橋間を往復する約5キロ。レース中、俳優らが志士姿の走者を斬(き)り付ける寸劇などを繰り広げ、給水ポイントと称した茶店も設ける。
若林さんは「龍馬になりきり、龍馬も駆け抜けたかもしれない鴨川を、楽しみながら一緒に走りたい」と参加を呼び掛けている。ホテルフジタ京都の福井三千男総支配人(60)は「幕末の歴史に思いをはせながら、楽しい汗をかいてほしい」と話している。
定員は先着80人で「わか練」ホームページから4月11日までに申し込む。参加費2千円。有料でレンタル衣装をあっせんする。問い合わせは同実行委員会TEL06(6905)4005。
長崎
【動画】岩崎弥太郎と三菱の歴史学ぶ 長崎でシンポ、400人参加
本県とかかわりが深い三菱財閥の創始者岩崎弥太郎について学ぼうと、シンポジウム「弥太郎の夢・三菱グループの歴史」(長崎新聞社主催、西日本菱重興産、長崎三菱信用組合協賛)が28日、長崎市茂里町の長崎新聞文化ホールで開かれた。
弥太郎は高知県安芸市出身。幕末に長崎土佐商会の主任を務め坂本龍馬を支援したほか、明治維新後は高島炭鉱や長崎造船所を取得し本県の近代化に貢献した。NHK大河ドラマ「龍馬伝」で弥太郎への関心が高まっており、シンポジウムには約400人が参加した。
弥太郎と三菱財閥に詳しい三菱史アナリスト成田誠一さん(68)は基調講演で「弥太郎は武士階級の最下層からはい上がっただけに、武士の理想を強く追い求めた」と説明。三菱の国家に尽くす企業精神と社長が陣頭指揮を取る伝統は弥太郎から受け継がれた、と解説した。
パネル討論「岩崎弥太郎が長崎に残したもの」では、元長崎新聞社論説委員長の梅原紘児さん(68)が司会を務め、成田さんと長崎史談会相談役の宮川雅一さん(75)が意見を交わした。宮川さんは「造船所などの働き口、軍艦島などの近代化遺産、失敗しても立ち上がる精神の三つは、弥太郎が長崎に残してくれた大きな遺産だ」と述べた。
龍馬と同じポーズで写真
幕末・明治期に活躍した日本初のカメラマン、上野彦馬の旧宅があった長崎市伊勢町の中島川沿いに、当時の写真機やひじ置き台をかたどったブロンズ製のモニュメントが完成し、28日に除幕式があった。
彦馬が開設した「上野撮影局」では、長崎を訪れた坂本竜馬など多くの志士を撮影。モニュメントは、NHK大河ドラマ「龍馬伝」を機に、観光客が楽しめる場にしようと長崎市が設置した。台にひじを掛けた竜馬の有名な写真と同じ構図で記念撮影ができる。
ドラマで長崎が登場するのは夏場になる見通しで、観光客の増加を期待する同市。彦馬のレンズは、今の竜馬ブームをどう写すだろうか。
(長崎)
コラム
沖田総司はイケメンではない!? 新撰組にまつわる意外な雑学
MBS、TBS系列で大好評の内に放送を終えたドラマ「新撰組 PEACE MAKER」。昨今の歴史好き女子、いわゆる「歴女」ブームと相まって、新撰組人気が再び高まってきているようです。かく言う僕も、歴女でこそありませんが、ドラマがきっかけで新撰組にハマった一人。新撰組についてもっと詳しく知りたい! ということで大学で幕末史について研究している女学生のMさんに、意外な新撰組雑学を教えていただきました。
――早速ですが、沖田総司に関する雑学を教えていただけませんか? 美少年で剣が強くて、それでいて病弱・薄命という特徴で、ファンの心をワシづかみにしているものですが……
「確かに沖田は『美少年』というイメージが一般的ですが、実はそういった記述のある文献は残っていないんです。それどころか、『ヒラメ顔で色黒』、『猫背』なんていう、『美少年』の印象からは遠く離れた証言をされていたりもするんですよ」
――そうなんですか! ではなぜこんなにも「沖田は美少年」というイメージが定着したんでしょう?
「沖田は剣技に優れていたにもかかわらず、結核に苦しんで死んでいったというドラマチックな人生を送りました。そのため、司馬遼太郎の『燃えよ剣』をはじめ多くの作品ではかなげなキャラクターとして描かれました。そういった印象がそのまま沖田に定着していったんでしょうね」
――なるほど、歴史上の人物の印象なんて、意外と後世の人間が勝手に作っちゃっているものなのかもしれないですね。そうなると、新撰組副長・土方歳三がよく色男として描かれているのもまゆつばモノなんでしょうか。
「それが、土方に関しては面白い資料が残っているんです。土方本人が小島鹿之助という親せきにあてた書簡なのですが、これが、『ものすごくモテて困る』といった内容なんです」
――えー! 親せきにモテ自慢をしてるんですか!? 「鬼の副長」なんて呼ばれてますが、意外とおちゃめなところもあったんですね。面白いエピソードです。
――さて、そろそろ人物以外についても聞きたいんですが、新撰組といえばあの水色の隊服! 女性から人気があるとはいえ、新撰組は一応戦闘集団のはずですよね? 本当にあんな派手な服を着て戦いに臨んでいたんですか?
「あさぎ色に染められた羽織のことですね。確かに派手ですよね。新撰組があの羽織をドラマのように着用していたかというと、そうではないようです。普段は汚れや返り血などが目立たない黒い羽織を着ていたそうですよ」
――やっぱり!
「しかし、このあさぎ色の羽織には新撰組の覚悟が表れているんです。武士は切腹時、あさぎ色の裃(かみしも)を着たのですが、新撰組はそのあさぎ色を隊服に取り入れることによって『死を覚悟の上で戦いに臨む』という姿勢を示したんですね。この隊服は副長・土方によって考案されたのですが、こういう粋なことを考える土方ってやっぱりかっこいいですよね!」
――あれれ、Mさん、熱心に幕末を研究している方だと思っていたら、ご自身も土方に入れ込んでいる歴女だったんですね! いやあ、熱のこもった雑学、いろいろとありがとうございました!
ドラマがきっかけでハマった新撰組ですが、お話を伺ううちに、幕末の歴史や文化そのものにも興味がわいてきました。知識を増やして、さらに深く楽しんでいきたいと思います。皆さんも、この機会に新撰組にどっぷり浸かってみませんか?
(永田兄弟/オモコロ)
ゆとり世代がついに社会人デビュー 2010年度新社会人が選ぶ「上司にしたい幕末の人物」
コカ・コーラシステムは、急須で淹れたようなお茶の味わいをさらに進化させた、本格緑茶ブランド「綾鷹上煎茶」を3月1日(月)より全国でリニューアル発売いたしました。「綾鷹上煎茶」は、創業450年の歴史を持つ宇治の老舗茶舗「上林春松本店(かんばやししゅんしょうほんてん)」の協力のもと、2007年秋に誕生しました。「綾鷹」という名称は、それまで将軍家などの限られたところを得意先に販売をしていた「上林春松本店」が、幕末期の1870年頃に初めて一般大衆に向けて販売した高級玉露に名付けられたものとされています。
コカ・コーラシステムでは、こうした、「綾鷹」と幕末との関連性を背景に、綾鷹「幕末周遊紀行-お茶が育む人と人との絆-」を、日本経済新聞、地方紙7紙との連合企画として、新聞紙面やWEB、店頭などで展開。幕末期の「人と人との絆」にまつわる秘話を、3名の直木賞作家によるリレー連載形式で紹介していきます。
そして3月30日、逢坂剛氏による第1回土方歳三編につづき、三浦しをん氏による第2回大久保利通編を掲載。今後も全8回にわたり、作品が連載される予定です。そこで、同キャンペーンに合わせ、歴史好きの全国の男女を対象に「幕末の人物に関する調査」を行いました。結果は以下の通りです。
詳しい調査データは以下URLをご覧下さい。(URL:https://www.prtimes.jp/data/corp/2153/838397cbe185bdd1d4e3792e49e49077.pdf)
《トピックス》
●ゆとり世代新社会人が選ぶ上司にしたい人物。男性票は『坂本龍馬』、女性票は『近藤勇』に現職管理職が部下にしたいのは、忠実でかわいい『沖田総司』、有能そうな『土方歳三』
男性新社会人が「上司にしたい」のは、「カリスマ性がある」「引っ張ってくれそう」な『坂本龍馬』、女性新社会人が「上司にしたい」のは、「部下を思いやってくれそう」な『近藤勇』でした。
●新社会人がお茶を飲み交わしたいのは、ゆったりと穏やかに語り合えそうな人ダークホース!?『大久保利通』が男性新入社員に人気!
新社会人が「一緒にお茶を飲み交わしたい」のは、「話が楽しそう」などの理由から『坂本龍馬』が圧倒的人気。2位以下の票は男女間で分かれましたが、「穏やかにお茶が楽しめそう」「落ち着いて話ができそう」といった理由が特徴的でした。
●婚活歴女OLが結婚したいのは、一緒にいて安らげる人。『坂本龍馬』『福沢諭吉』が人気恋人にしたいのは、見た目重視で『土方歳三』、『沖田総司』
婚活歴女OLが「結婚したい」のは、「頼りがいがある」「大切にしてくれそう」な『坂本龍馬』、次いで「経済力がある」「安定した生活が送れそう」な『福沢諭吉』でした。
【調査概要】
対象エリア:全国調査期間:2010年3月6日~2010年3月8日方法:インターネット調査
対象者:22歳~59歳の歴史好き、有職者(2010年度新社会人を含む)の男女計1,000名(男性553名、女性447名)
■綾鷹「幕末周遊紀行~お茶が育む人と人との絆~」キャンペーンサイト■
期間:2010年3月1日(月)~2010年9月30日(木) URL:http://www.nikkei.co.jp/ps/ayataka/
激動の時代、幕末。「綾鷹」は、永禄年間に創業の宇治の老舗茶舗、「上林春松本店」にて、幕末期に誕生しました。「綾鷹」は、それまで将軍家などの限られたところを得意先に販売をしていた「上林春松本店」が、1870年頃に初めて一般大衆に向けて販売した高級玉露の名称とされます。
「幕末周遊紀行~お茶が育む人と人との絆~」サイトでは、直木賞作家、逢坂剛、三浦しをん、津本陽の3名による「人と人との絆」にまつわる幕末秘話全連載(計8回)を掲載。その他、ユーザー投稿で作る「幕末マップ」(幕末に縁のあるスポットを紹介する投稿コンテンツ)など、多彩なメニューをご用意。幕末好きもそうでない方も楽しめる、綾鷹のオリジナルサイトです。※日本経済新聞、地方紙7紙(北海道新聞、岩手日報、河北新報、信濃毎日新聞、四国新聞、西日本新聞、熊本日日新)、紙面上でも同時展開。
《調査詳細》
●ゆとり世代新社会人が選ぶ上司にしたい人物。男性票は『坂本龍馬』、女性票は『近藤勇』に
現職管理職が部下にしたいのは、忠実でかわいい『沖田総司』、有能そうな『土方歳三』
4年制大学卒業の場合は2010年度が第1号となる、いわゆる「ゆとり世代」の新社会人。社会へのデビューを目前に控えた彼、彼女らと、現職管理職の男女に、「上司にしたい・部下にしたい幕末の人物」をそれぞれ調査。
新社会人が選ぶ「上司にしたい幕末の人物」は、男女間で票が分かれました。男性新社会人は、カリスマ性がある、引っ張ってくれそうな坂本龍馬が1位。次いで、大切に扱ってくれそうな西郷隆盛が2位と続きます。女性新社会人は、部下を思いやってくれそうな近藤勇が1位。次いで、決断力がありそうな勝海舟が2位でした。
また、「(将来)部下にしたい幕末の人物」では、男女ともに、忠実でかわいい沖田総司、有能そうな土方歳三に人気が集中しました。
一方、現職の管理職が「上司にしたい」のは、部下の力を引き出してくれそうな勝海舟がトップ。以下、器が大きそうな西郷隆盛、行動力がありそうな坂本龍馬と続きます。
また、「部下にしたい」と1位に選ばれたのは、新社会人同様、沖田総司。ハンサムだからなどの理由で特に女性票を集めました。ちなみに、男性管理職から、最も「部下にしたい」という声があがったのは坂本龍馬。行動力がありそうう、仕事が効率的に進みそうと、現実的な意見が多くを占めました。
●新社会人がお茶を飲み交わしたいのは、ゆったりと穏やかに語り合えそうな人
ダークホース!?『大久保利通』が男性新社会人に人気!
「一緒にお茶を飲み交わしたい幕末の人物」として、新社会人、管理職の男女ともに圧倒的に人気が高かったのは、坂本龍馬。生き様がかっこいい、話が楽しそう、今後の世の中を占なって欲しい、など様々な声があがりました。それ以外の人物で目立って票を集めたのが勝海舟、土方歳三、西郷隆盛、大久保利通。特に男性新社会人には、お茶を楽しめそう、ためになる話が聞けそうなどの理由から大久保利通が3位と意外にも多くの票を集めました。
「一種にお茶を飲み交わしたい理由」として新社会人に特徴的だったのは、穏やかにお茶が楽しめそう、落ち着いて話ができそうなどでした。
この結果より、社会人デビューを目前に控え、期待と不安が交錯する新社会人が、「お茶を飲み交わす」ときに求めるものは、ゆったりと穏やかに語り合える存在なのではと推測できます。
なお、現在公開中の綾鷹「幕末周遊紀行~お茶が育む人と人との絆~」キャンペーンサイト
(http://www.nikkei.co.jp/ps/ayataka/)では、3月30日(火)より、このランキングでも上位にあがった大久保利通、西郷隆盛にまつわる幕末秘話を公開。西郷隆盛の故郷、鹿児島を舞台に、直木賞作家、三浦しをん氏がオリジナル原稿を執筆。4月中旬には直木賞作家、津本陽氏による坂本龍馬にまつわる秘話を公開予定。あわせてご覧ください。
※本調査では、1987年以前の生まれで2010年4月に企業へ入社予定の学生をゆとり世代の新社会人と位置づけています。
●婚活歴女OLが結婚したいのは、一緒にいて安らげる人。『坂本龍馬』『福沢諭吉』が人気。
恋人にしたいのは、見た目重視で『土方歳三』、『沖田総司』
婚活中の歴女OLに「恋人にしたい・結婚したい幕末の人物」を調査。「恋人にしたい幕末の人物」1位は坂本龍馬、2位以下は土方歳三、沖田総司がランクイン。その理由として多くあがったのは、かっこいい、イケメン、美形と見た目重を重視した回答でした。
一方、「結婚したい幕末の人物」は、坂本龍馬がダントツの1位で、2位は福沢諭吉となりました。それぞれの人物を選んだ理由として、坂本龍馬は大切にしてくれそう、頼りがいがあるなど、精神的な安らぎを求める回答が多く見られ、福沢諭吉は、経済力がある、安定した生活が送れそうなど、経済的安定を求める回答が多く見られました。
婚活歴女OLが結婚相手に求めるものは精神的な安らぎや経済的安定と、堅実な彼女たちの姿がます。
■3/30(火)より綾鷹「幕末周遊紀行~お茶が育む人と人との絆~」キャンペーンサイトでは
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ランキング結果を見ると、幕末に関しては余り世代のギャップを感じないですね。
エンターテインメント
「銀魂」最終回の日に両国国技館でイベント、全国で約2万人が“2期宣言”に拍手喝采(かっさい)
イベントに登場した主要キャスト陣と、謎の生物・エリザベス(webザテレビジョン)3月25日(木)に4年間の放送に幕を閉じたテレビアニメ「銀魂」(テレビ東京系)が同日、東京・両国国技館でイベント「銀魂春祭り2010(仮)」を開催した。主人公の坂田銀時役・杉田智和ら9人の人気声優が大集合し、アニメのテーマ曲を歌ったバンドのDOES、Prague、Qwaiも生ライブを披露。加えて4月24日(土)公開の「劇場版 銀魂 新訳紅桜篇」の冒頭映像も初披露され、満員の国技館と、全国主要都市のシネコン28スクリーンで行われた生中継も合わせて約2万人のファンが最終回を惜しむ一方で、劇場版への期待をふくらませた。
アニメ「銀魂」は「週刊少年ジャンプ」(集英社)に連載中の空知英秋による同名漫画が原作。幕末から開国後をモチーフに、異星人によって支配された江戸で“なんでも屋”万事屋(よろずや)を営む坂田銀時と仲間たちの笑いあり人情ありアクションありの日常を描く。下ネタの連発や、話題の時事ネタをパロディーにしたりとやりたい放題の過激なギャグも話題になった。4月からは毎週月曜夜6時に再放送番組「よりぬき銀魂さん」がスタートする。
イベントでは同日に放送されたアニメ最終回「人類みなサンタ」を、PragueとQwaiによる生のオープニング&エンディング曲ライブ付きで上映。最終回にもかかわらずいつも通りのギャグ展開で、会場は爆笑に包まれた。その後は杉田のほか、阪口大助(志村新八役)、釘宮理恵(神楽役)、千葉進歩(近藤勲役)、中井和哉(土方十四郎役)、鈴村健一(沖田総悟役)、太田哲治(山崎退役)、石田彰(桂小太郎役)の主要キャストがそろって登場し、4年間のアニメ放送を振り返って反省会を開き、特に関係者に迷惑を掛けたと思われるエピソードの生アフレコを披露。だが、杉田は「どーも、4年間すみませんでしたー。反省してまーす」と役柄同様やる気のない謝罪ぶりで会場を沸かせていた。
続いて、作品中の人気アイドル・寺門通役の高橋美佳子が登場し、寺門のスペシャルライブを開催。代表曲「お前の母ちゃん何人(なにじん)だ!」「放送コードがなんぼのもんじゃい!」など4曲を熱唱した。イベントのクライマックスには劇場版の初披露映像が上映され、劇場版でテーマ曲を、テレビアニメでも2曲を提供した3人組バンド・DOESが登場。劇場版から「バクチ・ダンサー」「僕たちの季節」、テレビシリーズから「曇天」「修羅」を演奏すると会場の熱気はピークに達した。
最後の締めのあいさつでは、高松信司監督、藤田陽一監督も登場。藤田監督が「今も空知先生は原稿を描いていらっしゃると思う。原作のストックがたまったらまた帰ってきたい」と2期への期待を語ると、会場からも大きな拍手が起きた。
役柄同様眼鏡キャラの阪口は「きょうは着物まで新八と一緒で、もう誰が新八で誰が阪口なのか分からなくなってきました。多分本体はこれ(眼鏡)だと思います」と笑いながらコメント。釘宮は「銀魂大好き! みんな大好き!」と絶叫。杉田は「てめぇらァァァ!! それでも銀魂ついてんのかァァァ!」と役柄の名ぜりふを叫び、「4年間爆笑させてもらいました。1人でいるよりみんなで楽しんだ方が面白い。皆さん、隣にいる人に優しくして、みんなで楽しく爆笑していきましょう!」と心温まるメッセージを送った。
映画「劇場版 銀魂 新訳紅桜篇」
4月24日(土)より全国公開
公式HP
http://wwws.warnerbros.co.jp/gintama/
ブックレビュー
戊辰戦争像に一石投じる 船戸与一さん新作
作家の船戸与一さん(66)が戊辰戦争を題材にした小説『新・雨月 戊辰戦役朧夜話』(上・下巻、徳間書店)を刊行した。史実と創作が判読できる作品に仕上げ、虚実入り交じって広がる「戊辰戦争」像に一石を投じた。船戸さんは「歴史は小説の奴隷ではない」と話す。
物語は1868(慶応4)年、徳川慶喜が大坂城を離れて江戸に戻る頃から、会津藩が敗れるまでをたどる。主人公は長州藩の間諜(かんちょう)、会津藩の家臣、長岡藩の元博徒の3人。いずれも架空の人物だ。
山県狂介(有朋)ら実在の人物は、内面を描くのを控えた。登場しても、「小倉口の戦いで山県狂介が軍監を務める奇兵隊のなかにいた」など、脚色のない事実を連ねた。船戸さんは「実在の人物がどう思った、というのは確かめようがない。本当は話すのも避けたかった」という。
さらに、作中に史料によった文章を織り交ぜた。架空の主人公らが会話する間に、「藩主・松平容保は先非を悔悟し、恭順謹慎につき」などの古い言い回しが挟まる。「歴史小説は史実か作家の想像なのか、うまくなればなるほど分からなくなってくる。だからわざと読みにくくした」
そこには、小説が持つ「力」への自覚がある。同じ戊辰戦争を題材にした司馬遼太郎の小説『峠』で描かれる主人公「河井継之助」と、船戸さんが史実から読み取った長岡藩家臣の河井継之助像はずれる。だが小説のイメージが広がると「定着したものはなかなか壊せない」と話す。
船戸さんの思い描く歴史小説とは何か。答えは「終章」にある。900ページ以上の物語を終えたあと、登場人物のその後を史実で約30ページにわたり、淡々とつづった。架空の人物の物語に引き込まれると、史実を知らなければいられない感情がわき起こる。
小説は史実と緊張感をもって対峙(たいじ)するべきだとする船戸さん。「終章を面白いと感じてもらえたら、この小説は成功だと思う」と話した。(高津祐典)
自分は上巻の半ばで読みさしたまま、止まってます(^^ゞ。
それにしても、佐伯泰英さんを始め、森詠さん、船戸与一さん、かつて愛読していた冒険小説の作者が時代小説を書くようになって久しく……自分も現代ミステリから遠ざかっているとはいえ、複雑な心境です。
久しぶりのイカール星人ネタです。
「イカール星人」見事 リージョナル賞受賞
イカール星人公式サイトの迎撃ブログにも、記事が掲載されてます。
イカール星人が着席していたり、記念撮影で一緒に写っていたり、笑えます……と、笑っているうちに、イカール星人はこつこつと侵略活動を広げているわけですな^_^;。
「イカール星人」見事 リージョナル賞受賞
函館を代表するキャラクター「イカール星人」を作りだした「Project Ika―R」(シンプルウェイ、猫乃手堂、函館市)がこのほど、東京都港区の明治記念館でデジタル・コンテンツ・オブ・ザ・イヤー09/第15回AMDアワード(社団法人デジタルメディア協会主催、総務省後援)のリージョナル賞を受賞した。
「イカール星人」は函館名物の「イカ」を題材に、コンピューター技術を活用して作り上げた異星人。同賞は、コンピューターを活用した地域に根ざした事業やサービスの中で、優れた功績を挙げた個人や団体に贈られる。函館侵略をたくらむ「イカール星人」から、五稜郭をはじめとする観光名所が市民を守るという独創的な発想や、破壊で街をPRするという奇抜な手法をデジタルコンテンツで使った点が評価された。
受賞式に出席したシンプルウェイの阪口あき子さんは、受賞について「とても驚いた。式では、ほかの賞を受賞したクリエイターと接して刺激を受けた」と喜びを語った。
受賞作品の「函館壊滅!?タワーロボVSイカール星人シリーズ」は、市の観光ブランド映像事業を、シンプルウェイが建築家や郷土史研究家、デザイナーなど異なった分野の専門家をまとめ、プロデュースすることで作られた。動画共有サイトYouTubeでは再生回数80万回を超えるヒットとなり、マスコミやメディアでも、大きな話題を呼んだ。
ヒットの要因を、阪口さんは「万人受けを狙わず、特定の層に受けるよう、精巧に作りこんだ点が良かったのでは」と振り返る。今後については「瞬間的に注目を浴びるだけでなく地域に根ざし、地元に貢献できる事業を行っていきたい」と話している。
イカール星人公式サイトの迎撃ブログにも、記事が掲載されてます。
イカール星人が着席していたり、記念撮影で一緒に写っていたり、笑えます……と、笑っているうちに、イカール星人はこつこつと侵略活動を広げているわけですな^_^;。
3月も末に近いというのに、今日は寒かったですねぇ。先ほど通りかかった電子気温計は5度を表示してました(汗)。
茨城
コスプレ:映画のロケ地で 若者200人、幕末の雰囲気に--水戸 /茨城
「桜田門外ノ変」セットが人気、結婚式も…水戸
「桜田門外の変」遺恨超え…水戸市長が井伊直弼の墓参り 茨城
東京
桜田門外の変:150年の和解法要…水戸、彦根市長が参列
神奈川
縄文時代の勝坂遺跡と幕末期の旧中村家住宅の整備完了、4月から一般公開/相模原
静岡
お吉祭り:下田芸者衆、お吉を慰霊 /静岡
富山
富山城跡:調査で、幕末絵図の井戸?発見--市埋文センター /富山
◇初確認の明治期建物跡も
岡山
真庭で「雛の文化まつり」開幕
広島
仙酔島・龍馬といろは丸展 1万6800人目 小1・持田さん 認定証贈る
長崎
【動画】岩崎弥太郎と三菱の歴史を学ぶ 長崎でシンポ、400人参加
宮崎
都城島津邸:開館 観光や学習に活用 /宮崎
鹿児島
【龍馬ゆかりの地を行く・薩摩編】互いを認めた龍馬と帯刀
茨城
コスプレ:映画のロケ地で 若者200人、幕末の雰囲気に--水戸 /茨城
映画「桜田門外ノ変」のため水戸市千波町に設けられている撮影用の野外セットで27日、「幕末ロケセット コスプレフェスティバル」(同映画化支援の会など主催)が行われ、忍者、武士、歴史上の人物などの衣装に身を包んだ若者約200人が集まった。
セットは、大老・井伊直弼の襲撃現場や周辺を細かく表現している。幕末の雰囲気に触れられるとして、歴史好きコスプレファンの人気を集めた。
新選組がテーマのテレビゲーム「薄桜鬼」や、幕末が舞台の漫画「銀魂」などの登場人物に扮(ふん)した女性6人は、彦根藩の赤門を模したセットの前で記念撮影。6人のうち、笠間市に住むフリーターで、ファンの間では明気吉冬夜(あきよしとうや)で通る20代女性は「(コスプレは)心のよりどころ。映画セットで場所を貸してくれたのは県内でここだけ」と喜んでいた。【杣谷健太】
「桜田門外ノ変」セットが人気、結婚式も…水戸
水戸市の千波湖畔で一般公開されている、映画「桜田門外ノ変」のオープンセットの入場者が27日、5万人を突破した。
先月20日の公開から約1か月。県外からの見学者も多く、映画の全国公開を10月に控え、水戸市の市民有志らでつくる「『桜田門外ノ変』映画化支援の会」は「10倍の50万人の来場を目指したい」と話している。
今年1月に完成したオープンセットは、江戸城の桜田門やお堀など、150年前の街並みが忠実に再現されている。セットでの撮影終了後に一般公開が始まり、同支援の会のスタッフらが入場者の誘導や維持、管理などにあたっている。
5万人目の来場者は、青森県階上(はしかみ)町の十文字正則さん(50)の一家4人。昨晩地元を出発して乗用車で水戸へ来たといい、十文字さんは「セットの入り口で呼び止められた時はびっくりしました」。来月、茨城大に入学する娘の琴美さん(18)は「試験で水戸に来た時から見に来たいと思っていたのでうれしい。茨城大生として良いスタートが切れそう」と喜んでいた。
好天に恵まれた27日は、ロケセットを使った結婚式やコスプレ(仮装)イベントも初めて開かれた。
結婚式は結婚式プロデュース業の「ピーハピィ・エンタープライズ」(水戸市)が企画した。セットでの結婚式第1号は、水戸市元石川町の会社員檜山翔大さん(27)、瑞穂さん(28)夫妻。和装に身を包んだ2人は桜田門のセットを背に、親族や知人など40人に誓いの言葉を述べたり、指輪を交換したりした。翔大さんは「独特の雰囲気があり良かった。思い出に残る」とうれしそうに話していた。
思い思いの仮装を楽しむコスプレイベント「幕末ロケセット コスプレフェスティバル」は、新撰組など歴史上の人物になりきった和服姿の参加者たちでにぎわいを見せた。イベントは28日も開かれる。
オープンセットは来年3月まで一般公開される予定。同支援の会の三上靖彦事務局長は「セットで撮影の余韻を味わい、10月には映画館に足を運んで欲しい」と話している。
「桜田門外の変」遺恨超え…水戸市長が井伊直弼の墓参り 茨城
桜田門外の変から150年-。水戸市の加藤浩一市長は28日、東京都世田谷区の豪徳寺で井伊直弼(なおすけ)の墓参に参列する。150回忌の法要に滋賀県彦根市関係者とともに参列するもので、水戸市によると、市長の参列は初めて。水戸藩開藩400年を迎え、親善都市である彦根市との歴史を振り返り、交流を深めていくことを誓うという。
直弼は彦根藩主から江戸幕府大老に就任。幕末の動乱期、安政の大獄で尊王攘夷派を弾圧し1860(安政7)年の桜田門外の変で水戸浪士らの襲撃を受け暗殺された。その敵対した歴史を乗り越え、現在では水戸市と彦根市は親善都市として交流。映画「桜田門外ノ変」が製作されていることもあり、水戸市は「節目の年でもあり、歴史を振り返り、両市の交流を深めていきたい」としている。
彦根市側からは獅山向洋市長や井伊家18代当主、井伊直岳氏らが参列する。獅山市長は昨年11月、安政の大獄で刑死した水戸藩士の墓参のため水戸を訪れている。
豪徳寺は井伊家の菩提(ぼだい)寺で、境内にある直弼の墓は東京都指定史跡。
東京
桜田門外の変:150年の和解法要…水戸、彦根市長が参列
幕末動乱期の1860年、大老・井伊直弼が尊皇攘夷(じょうい)派の水戸浪士らに暗殺された「桜田門外の変」で、直弼公の命日にあたる28日、墓のある東京都世田谷区の豪徳寺で百五十回忌法要が営まれた。「歴史的なわだかまりを乗り越えたい」という井伊家十八代当主、井伊直岳・彦根城博物館館長の呼びかけで、水戸藩士と井伊家の地元を代表し、加藤浩一水戸市長と獅山向洋滋賀県彦根市長も初めて参列、両市の友好を誓った。
神奈川
縄文時代の勝坂遺跡と幕末期の旧中村家住宅の整備完了、4月から一般公開/相模原
縄文時代の集落跡で国指定史跡の「史跡勝坂遺跡公園」と国登録有形文化財「旧中村家住宅」(ともに相模原市磯部)の相模原市による整備が完了し、一般公開を控え関係者を招いた記念式典が27日、行われた。
勝坂遺跡は縄文時代中期の集積跡とされ、公園内には約4700万年前の土葺(つちぶき)と笹葺(ささぶき)の竪穴住居などが復元されている。住居内は見学できる。笹葺の竪穴住居の復元は全国初だという。
旧中村家住宅は、幕末期に建てられた和洋折衷の建物。1階は和風の外観を持つが、2階外観は軒を曲線の白しっくいで塗り、正面に縦長の窓を配するなど、洋風の要素を取り入れている。昨年、中村家から市に寄贈されていた。
テープカットを行った中村家当主の中村正和さんは「地元のみなさんの憩いの場になれば」と話していた。
一般公開は4月1日から。入園、入館はともに無料。史跡勝坂遺跡公園の復元住居内の見学は水から日曜の午前9時から午後4時。旧中村家住宅は午前9時半から午後4時開館、月から水曜が休館。
静岡
お吉祭り:下田芸者衆、お吉を慰霊 /静岡
◇各地で春迎え
幕末から明治にかけて実在した「唐人お吉」(本名・斎藤きち)の霊を慰める「お吉祭り」(下田市観光協会主催)が27日、行われた。会場となった同市河内、稲生沢川岸の「お吉ケ淵(ふち)」と、墓がある同市一丁目の宝福寺では、参加した下田芸者衆や観光関係者など約50人が、観光地・下田の名前を全国区にした薄幸の女性の冥福を祈った。
お吉は芸者をしていた16歳の時、恋人の船大工・鶴松との仲を引き裂かれ、米国の初代総領事・ハリスの世話係をした。その後、鶴松と暮らすが破綻(はたん)し、51歳の時に稲生沢川に身を投げた悲劇のヒロインとされる。
没後、川岸に小さな池とお堂が作られ、命日に供養を行っている。今年は120回忌にあたり、参加者はランの切り花をささげ、お吉と鶴松に見立てた2匹のコイを放流した。【中村隆】
富山
富山城跡:調査で、幕末絵図の井戸?発見--市埋文センター /富山
◇初確認の明治期建物跡も
富山城址(じょうし)公園(富山市丸の内)の整備事業に伴う富山城跡の発掘調査で、幕末期の絵図に描かれた可能性が高い井戸跡と、明治期のものとみられる建物跡が見つかり、27日、現地説明会で一般公開された。建物はこれまで絵図などで確認されておらず、今回初めて存在が明らかになった。【青山郁子】
初確認の明治期建物跡も
調査は富山市埋蔵文化財センターが公園の北東部約370平方メートルについて、昨年11月から行ってきた。
富山城跡は、最初に築かれた戦国時代から現代までの層が幾層にも重なっているのが特徴。本丸御殿は明治期、県庁として利用されていたが1899年に焼失した。今回の調査では、明治から江戸、戦国時代までの層が確認され、井戸や建物跡のほか廃棄穴なども見つかった。
井戸は直径約3・5メートル、深さ約2・2メートル。幕末に描かれた「越中国城主前田利同城囲の図」には、本丸御殿の北川に井戸の印があり、実際の位置とずれるものの、この井戸の可能性が高いという。
また建物跡は、直径約1メートルの柱の穴が11カ所あり、すべて1間(約1・82メートル)を基準に並んでいる。同センターは「県庁として使用していたころの付属施設か、焼失後に県庁が再建されるまでに建てられた建物」と推測している。
岡山
真庭で「雛の文化まつり」開幕
江戸時代後期から現代までの雛(ひな)人形が町並みを彩る「第9回雛の文化まつり」(中津井やまびこ会主催、山陽新聞社など後援)が27日から2日間の日程で、真庭市下中津井の農村型リゾート施設「なかつい陣屋」周辺で始まった。初日は、メーン行事「輿(こし)入れ道中」に花嫁役を乗せた馬も加わり行列を一層華やかに演出、来場者1万5000人(主催者発表)でにぎわった。
午後1時から行われた「輿入れ道中」は、江戸末期の様子を再現した豪華な輿入れ行列に続き、花嫁役を乗せた馬も出発。500メートルほどの往路を練り歩くと、訪れた人々は盛んにカメラのレンズを向け、観客は「きれいね」「すてき」と笑顔を見せていた。
また、陣屋町の面影が残る通りに軒を連ねる民家など約50軒には段飾りや内裏雛などを展示。北房文化協会メンバーによる短歌や川柳といった作品も並び、会場を格調高く引き立てた。
「輿入れ道中」は28日も午後1時から行う(雨天中止)。問い合わせは同陣屋(0866―52―5001)。
広島
仙酔島・龍馬といろは丸展 1万6800人目 小1・持田さん 認定証贈る
福山市鞆町の対岸、仙酔島で開催中の、坂本龍馬のいろは丸事件をテーマにした企画展「仙酔島・龍馬といろは丸展」の来場者が27日、「い(1)・ろ(6)・は(8)・丸(0)」の語呂合わせの1万6800人に達し、会場の国民宿舎「仙酔島」の展示室前で、記念行事が行われた。
いろは丸は、幕末に鞆町沖で紀州藩の軍艦と衝突し、えい航中に沈没した龍馬の乗船。龍馬は鞆町に滞在し、賠償金交渉に臨んだ。同展は、市営渡船「平成いろは丸」の就航に合わせて1月に始まり、いろは丸事件の概要をアニメで紹介したり、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の撮影で使われた衣装を展示したりしている。
1万6800人目の来場者は、広島市安佐南区の市立原小1年、持田なほさん(7)。羽田皓・福山市長から入場認定証を受け取った持田さんは、龍馬にふんした国民宿舎職員らと記念撮影し、「龍馬のことは知らないが、展示を見て、お母さんと一緒に勉強したい」と笑顔を見せた。
同展は11月30日まで。入場無料。午前9時~午後5時。
長崎
【動画】岩崎弥太郎と三菱の歴史を学ぶ 長崎でシンポ、400人参加
本県とかかわりが深い三菱財閥の創始者岩崎弥太郎について学ぼうと、シンポジウム「弥太郎の夢・三菱グループの歴史」(長崎新聞社主催、西日本菱重興産、長崎三菱信用組合協賛)が28日、長崎市茂里町の長崎新聞文化ホールで開かれた。
弥太郎は高知県安芸市出身。幕末に長崎土佐商会の主任を務め坂本龍馬を支援したほか、明治維新後は高島炭鉱や長崎造船所を取得し本県の近代化に貢献した。NHK大河ドラマ「龍馬伝」で弥太郎への関心が高まっており、シンポジウムには約400人が参加した。
弥太郎と三菱財閥に詳しい三菱史アナリスト成田誠一さん(68)は基調講演で「弥太郎は武士階級の最下層からはい上がっただけに、武士の理想を強く追い求めた」と説明。三菱の国家に尽くす企業精神と社長が陣頭指揮を取る伝統は弥太郎から受け継がれた、と解説した。
パネル討論「岩崎弥太郎が長崎に残したもの」では、元長崎新聞社論説委員長の梅原紘児さん(68)が司会を務め、成田さんと長崎史談会相談役の宮川雅一さん(75)が意見を交わした。宮川さんは「造船所などの働き口、軍艦島などの近代化遺産、失敗しても立ち上がる精神の三つは、弥太郎が長崎に残してくれた大きな遺産だ」と述べた。(詳報は4月11日付の紙面に掲載)
宮崎
都城島津邸:開館 観光や学習に活用 /宮崎
都城市が進めていた都城島津邸の修復整備が終わり、27日開館した。文化財である邸宅と史料を一体的に保存、伝承する一方、観光や歴史学習に生かす。
開館に先立って26日は記念式典があり、長峯誠市長は「都城の宝を永遠に引き継ぎ、観光や人材育成に活用したい」と述べた。都城島津家第二十八代当主の島津久厚氏が名誉館長に就任した。
約1・5ヘクタールの敷地に国登録有形文化財の本宅や石蔵、剣道場など幕末~昭和初期の建造物群が現存する。本宅は1935(昭和10)年の建築で、昭和天皇も宿泊した。市は08年に購入した。
鉄筋コンクリート2階建ての史料館「都城島津伝承館」を新たに建設。島津氏から市に寄贈された約1万点の史料を順次、公開する。展示品は2カ月ごとに入れ替える。
屋敷の購入費を含む総事業費は13億5000万円。市は年間3万3000人の入館を見込んでいる。電話は0986・23・2116。月曜休館。【木元六男】
鹿児島
【龍馬ゆかりの地を行く・薩摩編】互いを認めた龍馬と帯刀
天保6(1835)年。この年に誕生した2人の人物が、互いを認める盟友として、明治維新に力を尽くした。1人は土佐(高知県)生まれの坂本龍馬。もう1人は薩摩(鹿児島県)生まれで、後に「幻の宰相」とも呼ばれた小松帯刀(たてわき)だ。
龍馬と帯刀の出会いは元治元(1864)年の旧暦6月、京都の旅館「池田屋」で、新撰組が尊王攘夷派の長州藩士らを襲撃した事件がきっかけだった。
池田屋事件では、龍馬が塾頭を務めた神戸海軍操練所の塾生が難に遭い、自死。幕府は同操練所の責任者、勝海舟らに「反幕」の疑いをかける。軍艦奉行を罷免された勝は、塾生のことを、薩摩藩の西郷隆盛に依頼。西郷は龍馬らを大坂薩摩屋敷にかくまう。
これが、薩摩藩内の名家に生まれ、20代で藩の家老となり、他藩や幕府からも「薩摩の小松か、小松の薩摩か」と賞されていた帯刀と、龍馬の出会いにつながった。2人が交わした会話の肉声を伝える資料は残っていない。だが、2人が互いを認めたことは確かだ。
× ×
慶応元(1865)年、藩家老でありながら、帯刀は自ら龍馬ら塾生約30人を連れて薩摩に帰国。さらに帯刀は、鹿児島城から約2キロ離れた原良(はらら)にある別邸に、約2週間にわたって龍馬を泊めた。
この居候期間を通じて、龍馬と帯刀が親交を深めたことは想像に難くない。龍馬は兄、権平にあてた手紙の中で「当時天下之(の)人物」として薩摩藩では「家老にて海軍惣(総)大将なり」と、帯刀の名を真っ先に挙げるほど心酔していた。
龍馬は、帯刀の別邸で西郷隆盛、大久保利通も交えた相談の上、薩長同盟に向けて遊説に出発。歴史の表舞台に飛び出した龍馬を、帯刀がバックアップする。
塾頭不在となった神戸海軍操練所の元塾生に対し、帯刀は藩費から1人当たり月3両2分の給料を出し、薩摩交易船を使って航海業に従事させた。さらに長崎・亀山の家を借り塾生らを住まわせた。これが亀山社中の発足だった。
× ×
薩長同盟を結ぶための密議も、京都の小松帯刀邸で開かれた。また帯刀は、長州藩の銃や艦船購入のために、薩摩藩の名義を貸すなど、龍馬が目指す薩長同盟に向けておぜん立てをする。
慶応2年1月20日、薩長同盟が成立。同24日に寺田屋で幕府の役人に襲撃され負傷した龍馬は、妻のお龍とともに薩摩入りし、原良の帯刀邸に再び滞在した。ここから龍馬は湯治もかねてお龍とともに鹿児島の霧島温泉郷へ向かう。足の病に苦しんでいた帯刀も、時期を同じくして近くの温泉へ保養に出かけた。
湯治まで息を合わせたような2人の最後の大仕事が、大政奉還だった。龍馬の腹案といわれる大政奉還を、帯刀は「最も公明正大の行為」と徳川慶喜に強く説いた。
それからわずか1カ月後、龍馬は刺客に殺害される。そして龍馬が新政府人事案で参議(大臣級)の筆頭に挙げていた帯刀も、明治政府では玄蕃頭(げんばのかみ)(後の外務大臣)などを務めたものの、病気がちで表舞台に出る機会は少なく、明治3年、この世を去った。
× ×
明治維新前後に世を去った龍馬と帯刀。龍馬が生きていれば戊辰戦争はなかったともいわれるが、鹿児島大生涯学習センターの元センター長、原口泉氏は著書「龍馬を超えた男 小松帯刀」の中で「もし帯刀ありせば、西南戦争の悲劇は防げたのではないか、とふと見果てぬ夢を見ます」と書いた。
鹿児島市原良町には、帯刀邸の石垣が残る。片側1車線の通りから、丘に向かって細い道をほんの少し上った、静かな住宅街だ。
薩摩藩は江戸時代を通じて、よそ者の入国をかたくなに拒んだ。不審者は生きて出さないことから、行ったっきりで帰ってこない者を「薩摩飛脚」と呼んだほどだ。そんな薩摩だが、幕末の帯刀邸からは居候・龍馬が話す土佐弁が、にぎやかに聞こえてきたことだろう。あるいは、龍馬がたしなんだ三味線や、帯刀が得意とした琵琶の音色が響いていたかもしれない。(小路克明)
追加公演のチケットが取れたので、友人を誘って行ってきました。
こはるちゃんの一番太鼓。

開口一番の前座なしで、たっぷり3本も聴けたのは嬉しかったです。
屏風の上に拡大スクリーン。舞台も客席も大箱(オオバコ)なので、後方座席でも師匠の表情がたっぷり見られる拡大スクリーンがついているのはありがたい。1階18列の真ん中辺りだったので師匠の全身が見えやすいのは嬉しかった(オオバコのせいか、座布団の上での仕草は横浜にぎわい座で見るよりダイナミック)。
マクラ代わりに、スクリーンに映されたのは厚生年金会館にての家元談志師匠の高座のオープニング。同じように金屏風の上にスクリーンを配し、その装置がいいかどうか観客に問いかけ、挙手させたりする。さらに舞台から下りてきて客席側に回り、下手から引っ張り出した弟子に一言二言喋らせ、舞台装置の効果の程をテストする……引っ張り出された弟子@私服こそが、若き日の談春青年! 前座噺のマクラのひとつふたつをしどろもどろに喋っている姿がかわいかった(^^)。
「粗忽の使者」は、あまりいろいろと考えず、笑い倒した。大工の「とめっこ(留公)」が途中から出てきてさらに舞台をかき回し、楽しい楽しい。
次の「愛宕山」では、「愛宕山」を得意ネタのひとつとした志ん朝師匠の思い出話から始まった。談志師匠に弟子入りする前は志ん朝師匠の音源をよく聴いていたそうで、厚生年金会館で志ん朝師匠の会に出演した時に楽屋で声をかけられた時のことなどを尊敬を込めて語ってくれた。
京都の愛宕山を談春師がレポ。さらに、愛宕山ではかわらけ投げをやっていないからと、今でもかわらけ投げをやっている神護寺でのかわらけ投げを披露。
落語「愛宕山」は、今までふたつのパターンで聴いている。ひとつはNHK朝ドラ『ちりとてちん』で題材につかわれた上方噺で、大坂で座敷をしくじった幇間の一八が京都の旦那さんのお供で愛宕山に上るという噺。もうひとつは、舞台を江戸の愛宕山に移して、江戸の幇間と旦那さんの噺となる。
談春版は、江戸の旦那さんに供してきた江戸の幇間一八という設定で、舞台は京都の愛宕山。基本的には江戸版の展開。
一八が調子こいて鼻歌交じりに山を登り始め、だんだんきつくなってきてふぅふぅ言い出す様子とか、山の上から見る京都の春の様子とか、かわらけ投げの様子とか、たっぷり楽しませてもらった。
中入り後は「たちきり」。かつての花柳界では芸者の花代を線香一本が燃え尽きる時間で区切って計算していたという簡単な解説から、すぐに本編。
談春版は、芸者に入れ込む息子を心配する大店の主人と女将が出てくる。女将が息子をかばう余りに、かつて芸者に入れ込んでいたのを別れさせた番頭に昔の恨みが残っているのかと詰るところが、見苦しいとはいえリアルだった。
その番頭が、若旦那に百日の蔵住まいを申し入れながら、かつての自分の悲恋ゆえに、その百日間に若旦那と芸者小糸の気持ちが変わっていないことを内心では願っているという設定が、利いていた。若旦那が生まれていなかったら養子として店を継いでいたであろう有能な番頭だけど使用人しての分を心得ており、店のためには若旦那に遊興を止めてもらわねばならないから蔵住まいという厳しい試練を若旦那に課す……しかし内心では……という立場の複雑さが噺に厚みを加えている。そして、蔵から出てきた若旦那が、両親への挨拶よりも小糸に一目会うことを優先させて外に駆けだしていくのを黙認し、夕方までは旦那様たちには何とか言いつくろっておくと若旦那をフォローしているところがいい(別の噺家の設定では、若旦那は両親に挨拶して、その後で小糸に会いに行く)。
だが、柳橋の芸者置屋を訪ね、応対した女将(小糸の実の母という設定)が見せたものは……。
その女将の憔悴し放心したような表情を、談春は絶妙に演じていた。若旦那に小糸の様子を語る女将にスポットライトを当てた演出なんだなぁ。小糸に「生涯妻を娶られない」と語りかける若旦那に、「この店を出たら、小糸のことは忘れてください。あなたは若いのだから。小糸のことは、私が忘れない。それでいい」ということをいう女将に、若旦那への配慮を示しつつも、娘に先立たれた母の悲痛な思いがにじんでいる。
ちょっと残念だったなぁと思うのは、マクラに七夕の解説をし、かささぎが牽牛織女の橋渡しをしているという設定を本編でどう活かすのかなと思ってたのだけど、私が聞き逃したのか、出てこなかったこと。かささぎは若旦那が百日後まで目にすることがなかった手紙(芸者友達の手紙も込み)のことなのか、若旦那の前で鳴り出した三味線のことなのかな? もうひとつは、蔵住まいを強制されたのが桜の季節で、芝居見物を約束していた日だった、という季節感が事前に説明されていたのだけど、若旦那が亡くなった小糸に「毎年桜を見に行こう」に語りかけ、「今日は七夕(小糸の三七日になる)ですが?」と女将がいぶかる、という遣り取りに託された若旦那の気持ち(蔵住まいする前と気持ちは変わっていないというメッセージだろう)がちょっと伝わりにくかったかな。
両目から汗流して聴き入ってました。あちこちで鼻をすする音が聞こえました。
ありがとうございました、またたっぷり聴ける場所でお伺いしたいです。
こはるちゃんの一番太鼓。
開口一番の前座なしで、たっぷり3本も聴けたのは嬉しかったです。
一、「粗忽の使者」立川談春
一、「愛宕山」立川談春
中入り
一、「たちきり」立川談春
屏風の上に拡大スクリーン。舞台も客席も大箱(オオバコ)なので、後方座席でも師匠の表情がたっぷり見られる拡大スクリーンがついているのはありがたい。1階18列の真ん中辺りだったので師匠の全身が見えやすいのは嬉しかった(オオバコのせいか、座布団の上での仕草は横浜にぎわい座で見るよりダイナミック)。
マクラ代わりに、スクリーンに映されたのは厚生年金会館にての家元談志師匠の高座のオープニング。同じように金屏風の上にスクリーンを配し、その装置がいいかどうか観客に問いかけ、挙手させたりする。さらに舞台から下りてきて客席側に回り、下手から引っ張り出した弟子に一言二言喋らせ、舞台装置の効果の程をテストする……引っ張り出された弟子@私服こそが、若き日の談春青年! 前座噺のマクラのひとつふたつをしどろもどろに喋っている姿がかわいかった(^^)。
「粗忽の使者」は、あまりいろいろと考えず、笑い倒した。大工の「とめっこ(留公)」が途中から出てきてさらに舞台をかき回し、楽しい楽しい。
次の「愛宕山」では、「愛宕山」を得意ネタのひとつとした志ん朝師匠の思い出話から始まった。談志師匠に弟子入りする前は志ん朝師匠の音源をよく聴いていたそうで、厚生年金会館で志ん朝師匠の会に出演した時に楽屋で声をかけられた時のことなどを尊敬を込めて語ってくれた。
京都の愛宕山を談春師がレポ。さらに、愛宕山ではかわらけ投げをやっていないからと、今でもかわらけ投げをやっている神護寺でのかわらけ投げを披露。
落語「愛宕山」は、今までふたつのパターンで聴いている。ひとつはNHK朝ドラ『ちりとてちん』で題材につかわれた上方噺で、大坂で座敷をしくじった幇間の一八が京都の旦那さんのお供で愛宕山に上るという噺。もうひとつは、舞台を江戸の愛宕山に移して、江戸の幇間と旦那さんの噺となる。
談春版は、江戸の旦那さんに供してきた江戸の幇間一八という設定で、舞台は京都の愛宕山。基本的には江戸版の展開。
一八が調子こいて鼻歌交じりに山を登り始め、だんだんきつくなってきてふぅふぅ言い出す様子とか、山の上から見る京都の春の様子とか、かわらけ投げの様子とか、たっぷり楽しませてもらった。
中入り後は「たちきり」。かつての花柳界では芸者の花代を線香一本が燃え尽きる時間で区切って計算していたという簡単な解説から、すぐに本編。
談春版は、芸者に入れ込む息子を心配する大店の主人と女将が出てくる。女将が息子をかばう余りに、かつて芸者に入れ込んでいたのを別れさせた番頭に昔の恨みが残っているのかと詰るところが、見苦しいとはいえリアルだった。
その番頭が、若旦那に百日の蔵住まいを申し入れながら、かつての自分の悲恋ゆえに、その百日間に若旦那と芸者小糸の気持ちが変わっていないことを内心では願っているという設定が、利いていた。若旦那が生まれていなかったら養子として店を継いでいたであろう有能な番頭だけど使用人しての分を心得ており、店のためには若旦那に遊興を止めてもらわねばならないから蔵住まいという厳しい試練を若旦那に課す……しかし内心では……という立場の複雑さが噺に厚みを加えている。そして、蔵から出てきた若旦那が、両親への挨拶よりも小糸に一目会うことを優先させて外に駆けだしていくのを黙認し、夕方までは旦那様たちには何とか言いつくろっておくと若旦那をフォローしているところがいい(別の噺家の設定では、若旦那は両親に挨拶して、その後で小糸に会いに行く)。
だが、柳橋の芸者置屋を訪ね、応対した女将(小糸の実の母という設定)が見せたものは……。
その女将の憔悴し放心したような表情を、談春は絶妙に演じていた。若旦那に小糸の様子を語る女将にスポットライトを当てた演出なんだなぁ。小糸に「生涯妻を娶られない」と語りかける若旦那に、「この店を出たら、小糸のことは忘れてください。あなたは若いのだから。小糸のことは、私が忘れない。それでいい」ということをいう女将に、若旦那への配慮を示しつつも、娘に先立たれた母の悲痛な思いがにじんでいる。
ちょっと残念だったなぁと思うのは、マクラに七夕の解説をし、かささぎが牽牛織女の橋渡しをしているという設定を本編でどう活かすのかなと思ってたのだけど、私が聞き逃したのか、出てこなかったこと。かささぎは若旦那が百日後まで目にすることがなかった手紙(芸者友達の手紙も込み)のことなのか、若旦那の前で鳴り出した三味線のことなのかな? もうひとつは、蔵住まいを強制されたのが桜の季節で、芝居見物を約束していた日だった、という季節感が事前に説明されていたのだけど、若旦那が亡くなった小糸に「毎年桜を見に行こう」に語りかけ、「今日は七夕(小糸の三七日になる)ですが?」と女将がいぶかる、という遣り取りに託された若旦那の気持ち(蔵住まいする前と気持ちは変わっていないというメッセージだろう)がちょっと伝わりにくかったかな。
両目から汗流して聴き入ってました。あちこちで鼻をすする音が聞こえました。
ありがとうございました、またたっぷり聴ける場所でお伺いしたいです。
昼間ちょっと日が差しましたが、夕方からにわか雨。春先のこの時期、天候は不安定ですね。
北海道
龍馬の志 函館から発信を…愛好会発足 初の例会
岩手
長英の功績に迫る 奥州で没後160年記念展
山形
芭蕉や八郎の歴史 ガイド育成へ現地巡る
福井
県有形文化財に旧大和田銀本店など指定
富山
絵図の井戸か 幕末遺構発見 富山城址
あす現地説明会
奈良
春色に染まる平城の古道 奈良・佐保路(さほじ)
京都
天皇、皇后両陛下が入洛
東山天皇陵を参拝
兵庫
校歌で母校に別れ 養父・青渓中閉校式
高知
帰りたい:私だけのふるさと 木津川計さん 高知市
◇桂浜の龍馬像と1冊の本
鹿児島
やごろうどん:映画の舞台 /鹿児島
北海道
龍馬の志 函館から発信を…愛好会発足 初の例会
函館市末広町に昨年11月オープンした北海道坂本龍馬記念館(三輪貞治館長)を拠点に、地域を盛り上げようと発足した「函館龍馬愛好会」の第1回例会が25日、同館共有ホールで開かれた。発起人や市民ら約10人が参加し、資料見学や活動計画などを話し合い、交流を深めた。
同会は、郷土史の勉強会で知り合った佐藤稔さん、齊藤和克さん、中尾仁彦さんの3人が、龍馬の足跡を知ることができる記念館を生かし地域貢献できないかと思い立ち、三輪館長とともに昨春から計画してきた。
参加者はまず、三輪館長から貴重な龍馬直筆の書簡などの展示物の説明を受けた。現在放送中のNHK大河ドラマ「龍馬伝」のキャストを例に挙げながら分かりやすく解説。参加者はメモを取るなどして熱心に学んでいた。
活動計画の話し合いでは、当面毎週木曜日に例会を開催することや、世話人5人を決定。会員からは「現在の体制では観光客への配慮に欠ける」や「龍馬と北海道のかかわりをもっと多くの人に知ってもらう努力が必要」などの意見が出され、解説ボランティアの増員などを今後の検討課題とした。
三輪館長は「市民主導の会が発足し、多くの方が協力してくれてとてもありがたい。今後も力を借りて市民が主人公の記念館にしていきたい」と抱負を語っていた。
岩手
長英の功績に迫る 奥州で没後160年記念展
奥州市水沢区出身で幕末の蘭学者高野長英(1804~50年)の没後160年記念展「シーボルトと高野長英」は25日、同区横町のメイプル4階で始まった。師弟関係にあった2人の交流にスポットを当て、長英がシーボルトに書き送った論文や翻訳書などを通じ、鎖国時代に生きながら世界に目を向け、日本を紹介した長英の功績を再確認させる。
市教委と高野長英顕彰会の主催で、図説パネルや写真パネル、複製資料など合わせて約70点を展示する。
長英は、ドイツ人医師シーボルト(1796~1866年)が長崎に開いた鳴滝塾で蘭学や医学を学んだ。シーボルトは日本滞在中、日本文化や自然の研究に励み、長英は和書の翻訳やオランダ語論文を書き送って師を支えた。記念展は両者の生涯をたどりながら、シーボルトの助手としての長英の活躍をメーンに紹介する。
中でも注目を集めるのが、長英が書いた論文の複製資料だ。同顕彰会は昨秋、日本学関連資料で有名なドイツのルール大を訪問。同大が所蔵する長英の論文などを写真に収め、同大の資料データなどを基に原寸大で複製、今回18点を展示する。
翻訳書や論文のテーマは華道や礼法、茶の製法、山犬研究、稲作や寺社仏閣案内、古代史と幅広い。アンコウや仏閣の研究書は挿絵入りだ。サメ類について書いた「鮫(さめ)の記」には種類ごとの説明に加え、「コバンサメ」など片仮名表記も添えられ興味深い。
同顕彰会の平塚均会長は「日本の夜明けのため生涯をささげた長英の仕事の一端がうかがえる」と話す。来月6日まで。入場無料で、午前10時から午後6時まで。問い合わせは同顕彰会(0197・23・6034)へ。
【写真=シーボルトとの師弟関係を通じて長英の功績を浮き彫りにする企画展「シーボルトと高野長英」】
山形
芭蕉や八郎の歴史 ガイド育成へ現地巡る
庄内町の歴史や名所を見直し、ボランティアガイドとして観光案内の仕組みを充実させていこうという「庄内町観光ガイド育成研修会」が24日、「歴史の里のやかた」(旧清川小学校)など同町清川地区で開かれた。座学や同地区の観光スポットを実際に巡る現地研修で、地元住民らが観光ガイドの心構えを学ん
だ。
庄内地域と秋田、新潟両県の計10市町村の官民で構成する「日本海きらきら羽越観光圏推進協議会」(会長・榎本政規鶴岡市長)と庄内町観光協会の主催。同協議会が2009年度から進めている観光圏整備事業の一環で、ガイド育成研修会は観光客の受け入れ態勢充実を目的に圏内各地で開かれている。
庄内町は、江戸時代に最上川舟運の中継地として栄え、幕末の志士・清河八郎を輩出するなど歴史や文化的遺産が残る清川地区の観光振興に取り組んでおり、昨年12月に同地区の住民による「きよかわ観光ガイドの会」(正木尚文会長)が設立されたこともあって、今回は清川地区での研修会開催となった。
同地区の住民や町内の旅行会社員、町職員など合わせて約25人が参加。はじめに鶴岡市観光ガイド協議会の村岡敏会長が講師となり、「観光ガイドは事前学習が大切。自分が案内するコースを前もって歩き、時間配分にも気を配ること。経験も大事で、何度も案内するうちに自信がついてくる」とガイドの心構えについて話した。
座学の後は、現地研修が行われた。きよかわ観光ガイドの会メンバーの案内で、俳聖・松尾芭蕉が清川を訪れた際に詠んだ「五月雨を集めて早し最上川」の句碑や、清河八郎記念館などを徒歩で巡った。
参加者たちは同会メンバーの解説に耳を傾け、「地元なのに意外と知らないことが多い」と話しながら地域の観光資源を学んでいた。
福井
県有形文化財に旧大和田銀本店など指定
県教委は25日、県文化財保護審議会の答申を受け、敦賀市立博物館として利用される「旧大和田銀行本店」など建造物2件と、絵画4件を新たに県有形文化財に指定した。これで県指定文化財は333件になった。
◇ ◇
敦賀市相生町にある旧大和田銀行本店とその設計図など24点は、港町敦賀の近代化を象徴する洋風建築として指定された。1927(昭和2)年築で、鉄骨煉瓦(れんが)造り3階建て地下1階の構造。
南越前町今庄の「旧京藤(きょうとう)甚五郎(じんごろう)家住宅」は、今庄宿に残る赤瓦の2階建て大型町屋で、江戸時代後期から幕末にかけての建築。江戸時代は酒造業を営んだ旧家という。
県立美術館所蔵の「紙本著色和漢故事人物図(しほんちゃくしょくわかんこじじんぶつず)」12幅は、福井藩主松平忠直・忠昌に仕えた絵師、岩佐又兵衛勝以(いわさまたべえかつもち)の作。江戸時代前期に「伊勢物語」や「源氏物語」など日中の故事・物語などの12画題を描いたものがそろっている。
同館所蔵の「紙本金地著色群鶴(ぐんかく)図(ず)六曲(ろっきょく)屏風(びょうぶ)」1双は勝以の息子の源兵衛勝重(げんべえかつしげ)がかかわり、元は福井城本丸御殿の「鶴の御間」の襖(ふすま)絵だったことがわかっている。
「紙本著色野郎歌舞伎(やろうかぶき)図六曲屏風」1隻は越前市本町の大宝寺所有で、江戸時代前期に野外での野郎歌舞伎の興行を描いた珍しい屏風。
鯖江市杉本町の西光寺所有の「絹本(けんぽん)著色如祐(にょゆう)尼像」は、室町時代に蓮如の妹の如祐(1422~1502)を描いた肖像画。浄土真宗関係の女性を描いた肖像画としては初期の作例という。
富山
絵図の井戸か 幕末遺構発見 富山城址
あす現地説明会
富山市教育委員会埋蔵文化財センターは25日、富山城址公園の整備に伴う2009年度の埋蔵文化財の発掘調査結果を発表した。新たに明治時代の建物跡や幕末期の井戸の跡が見つかり、1899(明治32)年まで県庁として使われていた旧本丸御殿の位置を特定する手がかりになる可能性がある。
同センターによると、調査は02年度から始まり、今回は公園北部が中心の370平方メートルについて、戦国―明治時代の地層を調べた。調査期間は09年11月5日~10年3月末。
その結果、直径約3・5メートル、深さ約2・2メートルある穴状の井戸の跡が見つかった。穴の中心部分に井戸枠が設けられていたはずだが、枠は抜き取られた模様だ。この井戸跡は、幕末期の絵図「越中国城主前田利同城囲図」に、「井」の文字が記されており、位置的に絵図のものと同一の可能性がある。
また井戸跡の南側には、柱を立てた方形の穴の遺構11基や、それを囲む溝が見つかった。それぞれの柱の穴の中心には石が置かれ、その上に柱と建物があったとみられる。江戸前期から存在し、焼失する明治32年まで使われた旧本丸御殿の付属施設であるか、焼失後に県庁が再建されるまでに建設された明治期の建物だった可能性があるという。この建物は絵図などの資料に示されておらず、今回の調査で初めて明らかになった。
調査結果の現地説明会は27日午前10~11時に、公園内の富山市佐藤記念美術館前である。
奈良
春色に染まる平城の古道 奈良・佐保路(さほじ)
初春になると、決まって思い出す奈良の風景がある。
まずは東大寺の西面に立つ、国宝の転害門(てがいもん)。天平時代から残る建築で、見るたびに簡素で力強い姿にひかれてきた。
門の正面できびすを返すと、そこを起点に西へ向かう「佐保路(さほじ)」がある。この季節にもう一度歩きたいと思いながら、大学生の時以来、20年余りが過ぎた。
道ばたに馬酔木(あしび)の白い花が咲き、あわい香りを広げている。ああ春の奈良に来たと思う。普段は「一条通り」と呼ばれるこの道は、奈良時代には平城京の一条南大路に当たり、貴族の邸宅が並んだという。
近くに住む「奈良市萬葉歌碑の会」の長岡玲子さん(82)宅では昔、井戸を掘って砂利層に突き当たった。現在は南方を流れる佐保川の岸辺だったらしい。30代から万葉集を独学し、毎月四つほどの講座で魅力を語っている長岡さんは、「この辺り一帯は万葉集の宝庫。自然と人間の生活が一つになっていたから、歌が生まれたんですね」と言う。
佐保橋のバス停から、川沿いの小道に出てみる。同会が建てたものを含め、幾つもの歌碑と出会った。「うちのぼる佐保の川原の青柳は今は春べとなりにけるかも」(大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ))
両岸を桜が染め上げるのももうすぐだ。幕末の勘定奉行・川路聖謨(としあきら)が奈良奉行時代に植えさせたのが始まりで、「今も5本残っています」。軽トラに乗せて案内してくれた「佐保川を美しくする会」会長の新谷(しんたに)春見さん(72)が、見事な枝ぶりの老樹を指さした。
同会が植えたソメイヨシノ、しだれ桜なども育っている。だが、この桜並木の美しさは「桜だけではない。堤と、川の流れと、背景になる若草山があるから」と新谷さんは誇らしく語る。
佐保路に戻り、さらに西へ歩いた。「見わたすかぎり茫々(ぼうぼう)とした田圃(たんぼ)で、その中をまっ白い道が一直線に突っ切っているっきり」。作家の堀辰雄が「大和路」に描いた戦前の面影はもちろんないが、在原業平が建てた不退寺も、海龍王寺も、昔のままと思わせる姿でそこにあった。40代半ばになり、少しは人や社会の変転を見た目に、変わらぬ風景は何とも優しかった。
法華寺の尼僧が修行の一つとして作る光明皇后ゆかりの「御守犬」(小さい三つ)。授かるには予約が必要 聖武天皇の妻、光明皇后ゆかりの法灯を守る尼寺・法華寺。皇后は施薬院(せやくいん)、悲田院を作り、病人や貧者を助けた。樋口教香副住職(57)は「社会福祉の第一人者として、今も影響は大きいと思います」と語る。
愛らしい「御守犬」も、皇后が護摩供養の灰を山内の土に混ぜて作ったのが始まりとされる。「口伝で残っている通り、修行の一環としてお作りし、ご祈祷(きとう)してお授けしています」。今年は没後1250年で、多くの奉納行事を控える。4月7日まで春季特別公開の国宝十一面観音菩薩(ぼさつ)像も、法要に合わせ、5月1~9日にも公開するそうだ。
法華寺から民家の間を抜けると、青丹(あおに)よし、奈良の都の平城宮跡。来月本格的に始まる「平城遷都1300年祭」の主会場だ。復元を終えた大極殿(だいごくでん)正殿の鴟尾(しび)が輝き、ヒバリがさえずりながら空に昇っていった。(高野清見、写真も)
(次回は和歌山・紀の川市)
●あし 東京駅から京都駅まで新幹線で2時間20分、JRか近鉄に乗り換えて奈良駅まで40分前後。駅前から西大寺駅行きバスで佐保橋まで5分前後、法華寺まで10~20分。
●問い合わせ 奈良市観光センター=(電)0742・22・3900。平城遷都1300年祭コールセンター=(電)0742・25・2010。
京都
天皇、皇后両陛下が入洛
東山天皇陵を参拝
天皇、皇后両陛下は25日、「第14回国際内分泌学会議」に出席するため、東海道新幹線の特別列車で京都に入られた。入洛は、京都御所で即位20年の懇談会などが催された昨年11月以来となる。
両陛下は午後1時前、京都市下京区のJR京都駅に到着した。午後4時、幕末まで歴代天皇らの葬儀を執り行った東山区の泉涌寺を訪れ、今年が没後300年に当たる東山天皇の陵を参拝した。
両陛下は28日まで滞在し、左京区の国立京都国際会館で開かれる国際内分泌学会議の開会式に出席、宇治市の平等院や向日市の長岡宮大極殿跡などを訪れる。
兵庫
校歌で母校に別れ 養父・青渓中閉校式
4月に養父市の八鹿中学校と統合する青渓中学校(同市八鹿町宿南)で25日、母校に別れを告げる閉校式があった。在校生や卒業生、地元住民ら約200人が参加。記念映像などを見ながら、地域に根ざした歩みに思いをめぐらせ、全員での校歌斉唱で53年の歴史を締めくくった。
同校は1957年に開校。幕末期の儒学者池田草庵の学舎「青谿書院」の名を借りて青渓中と名付けられた。草庵の教えに基づき、生徒が野菜などを育てて地元住民に販売する生産活動などを教育に取り入れているのが特徴だった。生徒数の減少や校舎の老朽化から両校の統合が決まり、4月1日から八鹿青渓中として生まれ変わる。現在の八鹿中校舎が新しい校舎となる。
閉校式には卒業式を終えたばかりの3年生を含む全校生112人と、地元住民や卒業生ら約100人が集まった。式典では2年生の田畑梓君が「草庵先生の精神を受け継ぐ伝統のある素晴らしい環境でした。その精神は新しい中学校でも引き継がれてより発展する。青渓の生徒であることを誇りにがんばります」と決意を発表。卒業生代表で3年生の山根七海さんも「授業だけでは分からない、生きていくことの大切さを教わった。育ててくれた青渓中をいつまでも忘れません」と感謝の言葉を述べた。
同窓会や保護者でつくる閉校記念実行委員会が作製した記念DVDも上映され、開校当時などの古い写真や、体育祭など学校行事を伝える様子を記録した映像で歴史を振り返った。最後は、出席者全員で校歌を斉唱、別れを惜しんだ。
八鹿中でも24日に閉校式が行われており、八鹿青渓中の開校式は4月7日に開かれる。青渓中の歩みなどをまとめたDVDと記念冊子は校区内の全戸に配布される予定。
(原田大介)
高知
帰りたい:私だけのふるさと 木津川計さん 高知市
◇桂浜の龍馬像と1冊の本
10代の多感な時期を高知で過ごしました。僕の人格や思想の基盤をこしらえてくれた育ての古里です。幕末の志士、坂本龍馬をはじめ、自由民権運動を率いた板垣退助、中江兆民ら多くの思想家を輩出しました。寝ても覚めてもどーんと広がる太平洋の大海原、そんな土佐の風土が自由闊達(かったつ)な気風を育てたのでしょう。
小中学校の遠足では、何度も桂浜を訪れました。龍馬像を前に先生が、龍馬はいかに先を見通す力にたけ、後の時代の人々に影響を与えたかを説いて聞かせる。体の弱かった僕は像を見上げ、龍馬のように世界をまたに掛けることは難しくても「文化的な感性を研ぎ澄まして何かスケールの大きなことをしたい」「龍馬に近付きたい」そう思ったものでした。
* * * *
高校時代は、編集長として新聞部の活動に熱中しました。途絶えていた学校新聞を復刊させ、取材から編集、印刷の手配まで一人でこなしました。生徒や教職員の声を集め、時代背景や学校の動きを含めて記事にする。今思えば、これが僕の編集者としての原点だったのでしょう。民主主義的な考えを持った優れた教師や友人との出会いが、僕に多くの刺激を与え、感性を磨いてくれました。
一方で、逆境を乗り越える力を養ったのもこのころでした。高校3年の春、結核とわかったのです。生活のため都会に出た家族と別れ、僕は一人高知に残りました。学業を続けながら、みかん水という清涼飲料水の運搬や家庭教師をして生活費や療養費を稼ぐ。過酷な生活に胸に開いた穴は次第に大きくなり、絶望の底へ追い落とされました。
死を覚悟した僕は、山奥の掘っ立て小屋にこもり、昼間はどこで首をつろうかと木々の枝ぶりを眺め、世話になった人々にお礼の手紙を書いて過ごしました。1カ月ほどしたある日、消印を頼りに同級生が訪ねてきたんです。そのとき、友人に勧められたハンセン病の作家、北条民雄の本を読んで目を開かされた。「生きていこう」と決意したんです。
* * * *
「劫初(ごうしょ)より作りいとなむ殿堂にわれも黄金の釘(くぎ)一つ打つ」。僕が好きな与謝野晶子の歌です。中学を卒業する日、担任の先生が贈ってくれました。はるか昔から営まれてきた民族文化の殿堂づくりにかかわりたい、大きなことはできないけれど、せめて一本の黄金の釘を打ち込んで世を去りたい、そういう意味です。先生はずっと僕を見守ってくれました。大阪で編集の仕事を始めてからも「おまさん、土佐の味を忘れちゃいかんぞね」と、カツオのたたきやユズを送ってくれました。晶子の歌と古里への感謝を胸に、これからも地道に歩んでいきたいと思っています。<聞き手・林由紀子/え・須飼秀和/写真・貝塚太一>
==============
■人物略歴
◇きづがわ・けい
雑誌「上方芸能」発行人。1935年生まれ。大阪市立大卒。98年、菊池寛賞受賞。07年から、演劇に思想や解釈を加えて語る「一人語り劇場」を始める。著書に「上方の笑い」「人間と文化」「上方芸能と文化」など。
鹿児島
やごろうどん:映画の舞台 /鹿児島
「海の金魚」(九州先行公開中)を見た。鹿児島(錦江)湾で開かれるヨットレースを題材にした青春映画で、多くのシーンが鹿児島市で撮影されている。観覧車「アミュラン」やかごしま水族館など、なじみの場所も多く登場するので、親しみやすい映画だ。
スクリーンを通すと、自分の目で見た景色とはまったく違って見えることがある。登場人物の「視点」で見るからだろうか。改めてその場所に行くと、何気ない風景でも感動してしまう。登場人物になった気になるからだろう。
「海の金魚」は4月に全国公開される。霧島では大河ドラマ「龍馬伝」で盛り上がっている。9月には幕末の鹿児島を舞台にした映画「半次郎」も全国公開される。
映画などのロケ地は大切な観光資源だ。九州新幹線全線開業を目前にして、ヒット作が来るのを待っているだけではもったいない。ロケを誘致して、観光客を呼び込んでほしい。【黒澤敬太郎】
ネットニュースを何気なく見ていたら、「ええっ(汗)」という記事が。
池田屋跡の店でガス爆発か、3人けが 京都、客100人が避難
カセットボンベが爆発、100人が避難 京都の居酒屋
爆発:「池田屋」跡地の居酒屋で、3人けが--京都
平成の池田屋騒動?!
跡地の居酒屋でボンベ爆発、3人けが
調理場でカセットコンロのガスが爆発して、従業員3人が軽傷……大きな事故でなかったのは幸いですが、魚焼き機の傍でカセットコンロを置いていたという調理場のレイアウトはちょっと問題では。
ほどなく順調に営業再開できますよう。
池田屋跡の店でガス爆発か、3人けが 京都、客100人が避難
25日午後7時半ごろ、京都市中京区中島町の居酒屋「海鮮茶屋池田屋はなの舞」の調理場で、カセットボンベが爆発、大阪市都島区の男性(49)ら従業員3人が顔などに軽いやけどをした。五条署によると、店内には当時約100人の客がいたが、避難して無事だった。
店は2009年7月、幕末に新選組が討幕派浪士を襲撃した「池田屋事件」の舞台になった旅館池田屋の跡地にオープンした。
五条署によると、カセットボンベは大型の魚焼き用オーブンから約10センチ離れたところにあった。同署はオーブンの熱風でボンベ内のガスが膨張して引火、爆発した可能性があるとみている。
カセットボンベが爆発、100人が避難 京都の居酒屋
25日午後7時半ごろ、京都市中京区中島町の居酒屋「海鮮茶屋池田屋はなの舞」(地上3階、地下1階)の地下1階厨房(ちゅうぼう)で、使用中の魚焼き機付近にあったカセットボンベ1本が爆発。厨房にいた23~49歳の男性従業員計3人が首やひじなどに軽いやけどを負った。
当時店内には客約100人がおり、爆発の影響で全員が避難する騒ぎになった。客にけが人はなかった。五条暑によると、魚焼き機の熱でボンベ内のガスが膨張し破裂した可能性があるという。
爆発:「池田屋」跡地の居酒屋で、3人けが--京都
25日午後7時半ごろ、京都市中京区三条通河原町東入の居酒屋「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」地下1階調理場で爆発があり、23~49歳の男性従業員3人が腕などに軽いやけどをした。
地下1階から地上2階にいた客107人全員が店外に避難。一帯は京都有数の繁華街で、現場付近は一時騒然となった。
京都府警五条署によると、魚などを焼く加熱機器のそばに置いていたバーナーのボンベ部分が過熱し、爆発したとみられる。
同店は幕末の池田屋事件で有名な旅館池田屋の跡地。【橘建吾】
平成の池田屋騒動?!
跡地の居酒屋でボンベ爆発、3人けが
25日午後7時半ごろ、京都市中京区三条通河原町東入ルの居酒屋「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」の調理場でカセットボンベが爆発し、49歳と45歳、23歳の男性従業員3人が顔や腕に軽いやけどを負った。五条署によると、カセットボンベを燃料に、魚に焦げ目を付けるバーナーを使っている。従業員らは「使用中の魚焼き機のそばにボンベを置いていた」と話している、という。同署は、魚焼き機の熱気でボンベが膨張、爆発したとみて詳しい原因を調べている。
爆発当時に店内いた客107人にけが人はなかったが、全員が一時避難した。居合わせた60代の男性客は「ドン、という音がしたので何事かと思っていたら焦げ臭くなり、非常ベルが鳴った」と話していた。現場は、幕末に新選組が長州藩士らを襲撃した「池田屋事件」の舞台となった池田屋の跡。
カセットボンベによる爆発、引火事故は近年多発傾向にあり、生活用品などの安全性を点検している独立行政法人「製品評価技術基盤機構」(東京都)によると、昨年4月から今年1月までに全国で28件発生している。
調理場でカセットコンロのガスが爆発して、従業員3人が軽傷……大きな事故でなかったのは幸いですが、魚焼き機の傍でカセットコンロを置いていたという調理場のレイアウトはちょっと問題では。
ほどなく順調に営業再開できますよう。
昨日に続いて今日も雨、寒いですね。雲が薄くなってきたのか、少し明るくなってきました。
栃木
英大使館別荘県に譲渡 無償、改修し一般公開へ 日光
埼玉
江戸期の武者を再現 4月3日に「火縄銃鉄砲隊」 東松山
静岡
地域通貨「龍馬小判」でまちおこし=静岡県下田市〔地域〕
龍馬への思い詰め込み…駅弁発売 静岡
坦庵公のお弁当もつくって欲しいなぁ……「パン祖」なんで、パン付きで^_^;。
三重
県文化財:伊賀「三国地志」指定 熊野「絹本著色釈迦涅槃図」も /三重
滋賀
開国150年祭閉幕
【彦根城入場者/22ケ月間120万人】
ひこにゃんの写真画像が一枚入ると、ぐっとなごめるんだよなぁ(^^)。
岡山
故郷の土居宿 絵本で知って
山口
幕末2傑 ここにあり
高知
四国と九州で龍馬切手発売
佐賀
「竜馬伝」仕立てでうれしの茶PR ポスター完成
コラム
幕末の戊辰戦争で集団自刃した会津藩の白虎隊に…
【幕末から学ぶ現在(いま)】(55)東大教授・山内昌之 中山中左衛門
エンターテインメント
D3PUBLISHERより「維新恋華龍馬外伝」発売決定
目元にホクロが艶っぽい龍馬(爆)。
栃木
英大使館別荘県に譲渡 無償、改修し一般公開へ 日光
奥日光の中禅寺湖畔に建つ英国大使館別荘が4月、県に無償譲渡されることになり、県は今後数年間かけて改修、一般公開する方針を固めた。新年度、活用方法などの検討を始める。同大使館別荘は、幕末から明治期にかけて活躍し、英国で日本学の基礎を築いた英国人外交官アーネスト・サトウ(1843~1929)が建てた。2年前閉鎖されたが、中禅寺湖畔の外国人大使館の中では最も古く眺望が良いとされる。
県によると、別荘は敷地約5千平方メートル、建物は延べ床面積約500平方メートルの2階建て。紅葉の名所・八丁出島や白根山などが一望できる。2009年1月に大使館側から譲渡の話が持ちかけられ、今月9日までに無償譲渡で話がまとまった。
取得を決めた理由について県は、(1)最も古い別荘で歴史的価値がある(2)サトウが深く関わっている(3)隣接するイタリア大使館別荘と一体化した整備による観光誘客が期待できる-と説明している。
サトウに詳しい中宮祠自治会会長で日光市文化財保護審議会委員も務める小島喜美男さんによると、サトウは1872(明治5)年と1874(明治7)年に日光を訪れ、いち早く奥日光を紹介する著書を発表。別荘は、全権公使として再来日したサトウが1895(明治28)年、借りた家を改修して建てた。
湖畔には英国大使館別荘のほか、イタリア、フランス、ベルギー大使館別荘が残り、このうちイタリア大使館別荘は97年に県が取得。記念公園として整備し2000年から一般公開されている。
英国大使館別荘の本格的な改修・整備は、県の財政健全化プログラム集中改革期間終了後の13年度以降になる見通し。小島さんは「県の管理のもと一般公開されるようになることは、地元としても喜ばしい」と話している。
埼玉
江戸期の武者を再現 4月3日に「火縄銃鉄砲隊」 東松山
江戸期の鉄砲隊を再現する「火縄銃鉄砲隊」の行進と演武が4月3日午後1時半から3時まで、東松山市内と松山第一小学校校庭で開かれる。松山地区ハートピア協議会と松山市民活動センターの共催。
松葉町1丁目には、幕末に川越から前橋に移された前橋藩の陣屋が設置され、鉄砲隊も駐屯していた。八幡神社付近が訓練所になっていたという。陣屋には各奉行所が置かれ行政の役割を担うとともに、子弟が学ぶ藩校(博喩堂)があった。
火縄銃の演武は、市民に松山陣屋の史実を知ってもらい地域の活性化の一助にしようと開かれる。演武には訓練が必要なため、川越藩火縄銃鉄砲保存会が協力している。
出陣式は同日午後1時ごろから八幡神社で。甲冑(かっちゅう)装束の武者行列と松一小鼓笛隊が、商栄会商店街・まるひろ通り・ぼたん通り・中央通り・一番街など市内の主な通りを巡る。和紙の灯籠で裏道を照らす「夢灯路(とうろう)祭り」のメーン会場「書庫」前では、「口上」が行われる。演武は、午後2時半から3時まで、松山第一小学校校庭で開かれる。
静岡
地域通貨「龍馬小判」でまちおこし=静岡県下田市〔地域〕
静岡県下田市の温泉旅館協同組合や観光協会などでつくる「下田龍馬伝志援隊」は4月1日から幕末の志士・坂本龍馬の肖像をあしらった地域通貨「龍馬小判」を販売する。
同市は、文久3年(1863年)1月、勝海舟が土佐藩主の山内容堂に面会し、坂本龍馬の脱藩を許してもらった宝福寺が所在するなど龍馬ゆかりの地として知られる。NHK大河ドラマ「龍馬伝」のロケ地にもなった。
今回発売されるのは、龍馬小判2000枚(販売価格1枚3000円)と「龍馬くんコイン」5万枚(同900円)の2種類。それぞれ「参龍(さんりょう)」「壱龍」というように「龍」を単位にした。コインは1枚で1000円分の買い物ができるプレミアム付きだ。
利用可能期間は4月1日~9月30日の半年間で、利用可能の表示シールが張ってある市内店舗で使用できる。観光協会などで直接購入できるほか、下田龍馬伝志援隊のホームページでも注文を受け付ける。
下田龍馬伝志援隊の担当者は「既に東京など県外からも問い合わせが来ている。コイン付き宿泊プランを計画するなど地域活性化を目指していきたい」と話している。(2010/03/25-10:31)
龍馬への思い詰め込み…駅弁発売 静岡
幕末の志士・坂本龍馬(1835~1867)が脱藩を許され、飛翔するきっかけとなったとされる静岡県の伊豆-。弁当製造販売の「桃中軒」(沼津市千本港町)は、伊豆と龍馬にちなんだ駅弁「伊豆龍馬飛翔会席膳」(980円)。を発売した。龍馬同好会「伊豆龍馬会」(下田市、竹岡幸徳(ゆきのり)会長)が監修に加わり、ファンをうならせるこだわりが詰まっている。
「NHKの大河ドラマで放送されるなど、今年は“龍馬の年”ということで売り出すことになったが、話が持ち込まれたのは昨年末。とにかく時間がなかった」と話すのは桃中軒・営業企画部課長の百合明栄(ゆり・あきえ)さん。それでも伊豆龍馬会のメンバーから次々と面白いアイデアが出て、「途中からはまとめるのが大変だった」と話す。
外装は龍馬が慶応3(1867)年に起草した8ケ条の国家構想「船中八策」をかけて八角形に。惣菜は伊豆名物の「金目鯛の酒蒸し」「野菜と伊勢エビの煮こごり」、龍馬の故郷・土佐の一本釣りにちなんだ「鰹(かつお)の昆布巻き」など8品で「選中八品」と名付けられた。
こだわりは包装紙にも見られる。龍馬の肖像画や写真を使うこと案も挙がったが、「ありがちだ」(百合さん)との考えで、下田市在住の切り絵師・伽嶋清華(かしま・きよか)さんに依頼し、下田港と寝姿山を望む龍馬を描いてもらったという。
同社では「この弁当で伊豆と龍馬のかかわりを知ってもらい、今度は伊豆を旅してみようと思ってもらえれば」としている。
JR沼津、三島両駅にある「桃中軒」売店で毎日計50食限定で販売中。注文も受け付けている。問い合わせは桃中軒(電)055・963・0154。
坦庵公のお弁当もつくって欲しいなぁ……「パン祖」なんで、パン付きで^_^;。
三重
県文化財:伊賀「三国地志」指定 熊野「絹本著色釈迦涅槃図」も /三重
県文化財保護審議会(会長・八賀晋三重大名誉教授)は、幕末から昭和32(1957)年にかけて作成され、県庁に保存されてきた「県行政文書」など8件を県文化財に新たに指定するよう県教委に答申。県教育委員会で正式決定され、県文化財は565件となった。
県行政文書は、計1万1643点に上る公文書や地図、絵図などがそろった状態で保存されており、全国でも珍しいという。
他に指定されたのは、室町時代作成に描かれたとみられる「絹本著色両界曼荼羅(けんぽんちゃくしょくりょうかいまんだら)図」(松阪市中町)▽江戸時代の絵画「絹本著色釈迦涅槃(しゃかねはん)図附貞享(つけたりじょうきょう)四年銘箱」(熊野市二木島町)▽1812年(文化9年)に転写された「三国地志(藤堂采女(うねめ)家旧蔵本)附伊賀国式社考(しゃこう)」(伊賀市上野丸之内)▽鎌倉時代の古写本「斎宮女御集(資経本(すけつねぼん))」(明和町竹川)▽「斎宮女御集(正般(しょうはん)所蔵本)」(同)▽江戸時代に印刷された「岡寺版集帖板木(しゅうじょうはんぎ)並びに関係資料」(松阪市中町)▽小古墳から見つかった「ワキ塚1・2号墳出土品」(伊賀市比土、緑ケ丘本町)。
この他、既に指定されている「参宮講看板附たわら屋看板」(伊賀市阿保)に7点が追加指定された。【岡大介】
〔伊賀版〕
滋賀
開国150年祭閉幕
【彦根城入場者/22ケ月間120万人】
幕末の彦根藩主で大老井伊直弼を顕彰する「井伊直弼と開国150年祭」が24日最終日を迎え、彦根市金亀町の彦根城博物館能舞台で約100人が参加して閉幕式典が行われた。2008年6月4日から22カ月間に及ぶ祭典で実施された主催事業、市民創造事業は計88。会期中の彦根城入場者はこの日、通算119万9475人となった。(市丸茂樹)
閉幕式典は、直弼が桜田門外の変で暗殺された安政7年3月3日(1860年3月24日)にちなみ、150年後のこの日に開催された。
北村昌造実行委会長が「市民や彦根を訪れた人たちに政治の表舞台の直弼公だけでなく、文化人としての側面にも触れてもらい、それぞれの直弼公像を描いていただけたのではないか」とあいさつ。井伊家18代当主・直岳さんも「150年祭がきっかけとなって、郷土への愛着が生まれたとしたら大変うれしい」と語った。
この後、彦根藩のお抱え狂言師だった茂山千五郎家による狂言「千鳥」が上演されたほか、150年祭のダイジェスト版DVDの上映があり、期間中に開催された数々のイベントを振り返った。最後は彦根鉄砲隊員4人が、不慮の死を遂げた直弼を悼み、博物館のぬれ縁から弔砲を一斉発射。獅山向洋市長が「市民や実行委の皆さんには150年祭を大いに盛り上げていただいた」と感謝の言葉を述べ、北村会長がひこにゃんとともに閉幕を宣言した。
ひこにゃんの写真画像が一枚入ると、ぐっとなごめるんだよなぁ(^^)。
岡山
故郷の土居宿 絵本で知って
■江戸時代 出雲街道の宿場
江戸時代、出雲街道・土居宿として栄えた美作市土居地区(旧作東町)の歴史絵本を、小学校講師が出版した。協力した「語り部」たちは、昨夏の水害で被害を受けた住民に元気を与えてくれる、と喜んでいる。
■小学校講師が出版
出版したのは美作市の安藤由貴子さん(31)。2009年4月に赴任した土居小学校の敷地内で、土居生まれの幕末の志士・安東鉄馬の墓や土佐藩士・千屋金策ら4人をまつる「四つ塚」を見つけたのを機に興味を持ち、郷土史家から聞き取りを進めた。
土居宿は、現在のJR姫新線と国道179号の間を通る約1キロの間にある。本陣、脇本陣、人馬問屋、旅籠(はた・ご)、東西の惣門があった。出雲街道で盛り土をした一里塚が残るのは土居宿だけで、県史跡に指定されている。
住民は1993年、「出雲街道 土居宿を後世にのこす会」を発足。50代から80代までの会員31人が、月1度の触れ合い市や出雲街道への案内板設置などに取り組んできた。春名正昭会長(76)は「古い家並みが年々姿を消し、会発足は10年遅かったが、間に合う範囲で成果をあげたい」。
安藤さんは美作地域の歴史絵本を毎年出版しており、今回は4冊目。「郷土を愛する心を持ち続け、子どもたちに伝えたい」と話している。安藤さんは売り上げの一部を「後世にのこす会」の活動資金に寄付する。
「出雲街道 土居宿物語」は社団法人農山漁村文化協会発行。A4判、50ページでフルカラーで本体1300円。月内には県内の書店に並ぶ。(中村二郎)
山口
幕末2傑 ここにあり
◆竜馬立志のまち 萩の紹介パンフ
全国的な坂本龍馬ブームに乗り遅れまいと、萩市が、龍馬と萩とのかかわりを紹介したパンフレット「坂本龍馬立志のまち萩」=写真上=を2万部作った。主な観光施設などに置いてPRする。
市によると、龍馬は1862(文久2)年1月14日、土佐勤王党首領・武市半平太の手紙を、長州藩士・久坂玄瑞(げんずい)に届けるために萩を訪れ、9日間滞在した。久坂は師である吉田松陰の草莽崛起(そうもうくっき)論を龍馬に説き、龍馬はその年の3月24日に土佐藩を脱藩。その後、薩長同盟や大政奉還など歴史に残る活躍をしていく。
パンフレットでは、萩は龍馬が日本を救う志を立てた地だと強調し、龍馬が剣を振るったとされる藩校明倫館剣槍道場「有備館」(明倫小学校内)などや高杉晋作ら龍馬ゆかりの地や萩人らを紹介している。
◆益次郎ワールド楽しむ企画展/山口
山口市春日町の市歴史民俗資料館で、企画展「花神ふたたび―大村益次郎とその末裔(まつえい)」が開かれている=写真下。普段見られない文化財などを公開する「山口お宝展」の協賛展示で、5月9日まで。
益次郎は現在の山口市鋳銭司生まれで、明治維新の立役者の一人とされる。村医者だったが、兵法に関する豊富な知識で明治政府の兵部省の次官までのし上がり、日本陸軍の創始者と言われる。司馬遼太郎さんの小説「花神」は益次郎が主人公になっている。
今回の企画展は(1)益次郎、三度の転機(2)益次郎の近代精神(3)「花神」の末裔(4)益次郎の趣味的世界、の四つのテーマで、益次郎直筆の書簡やノート、趣味だった骨董(こっとう)品などを紹介している。目玉は昨年東京の大村家から寄贈された資料で構成する「『花神』の末裔」。妻の琴へあてた手紙や、毛利家から養子を迎えたことに伴う相続許可の書類などを見ることができる。
同館の板橋晧世学芸員は「絵や写真パネルといった軟らかい展示もあるので、色んな人に益次郎ワールドを楽しんでもらえれば」と話す。4月10日と5月1日の午後2時からはギャラリートークもある。問い合わせは同館(083・924・7001)。入館料は高校生以上100円、小中学生50円、70歳以上は無料。
高知
四国と九州で龍馬切手発売
郵便局会社四国支社(松山市)は24日、幕末の志士坂本龍馬をデザインした切手シート(80円切手10枚)=写真=を四国と九州内の郵便局で売り出した。龍馬が脱藩したとされる旧暦の1862(文久2)年3月24日に合わせて発売。1万6千シートを用意したが、すでに約6千シート分の予約が入っている。
切手シートには高知市の桂浜にある坂本龍馬の銅像の写真や龍馬が「わがなすことは
われのみぞしる」と詠んだ和歌をあしらっている。切手には、龍馬の肖像写真や誕生地の記念碑、龍馬愛用のものと同型のピストル、龍馬が書いた借用証文の下書きなどが印刷されている。
1シート1200円。インターネットの「郵便局の通販ショップ」(http://www.postal-jp.com/psc/goods/index.html)でも4月5日から200シートを販売する予定。問い合わせは同支社(089・936・5406)へ。
佐賀
「竜馬伝」仕立てでうれしの茶PR ポスター完成
NHK大河ドラマ「龍馬伝」人気にあやかろうと、佐賀県嬉野市が坂本竜馬を使った「うれしの茶」のPRポスターを作った。嬉野茶を輸出して財を成し、竜馬とも親交のあった大浦慶を登場させ、竜馬と嬉野茶を結びつけた。「嬉野茶伝」と銘打つ映画のポスター仕立てで、茶の消費拡大と観光振興につなげる。
ポスターでは、茶畑を背に遠くを見つめる竜馬の写真の横に「龍馬は、嬉野ぬきには語れない」とアピール。「我らを支えた茶長道明(さっちょうどうめい)ぜよ」と添えて、茶と長崎貿易が竜馬らの活動資金を生み出したことを〝さりげなく〟紹介している。
キャスト紹介もあり、監督・プロデューサーは嬉野市、主演は竜馬や慶、大隈重信ら慶が資金援助した幕末志士に続いて嬉野茶、嬉野温泉、嬉野市民が並ぶ。慶の評伝が日本語・英語の2カ国語で記されている。
旅館や商店街などに張って、観光客に嬉野と竜馬のつながりをアピールする。市は「お慶と竜馬とうれしの茶(仮題)」のパネル展も計画中。市商工観光課は「ストーリーはぜひ嬉野に来て味わってほしい」と話す。
コラム
幕末の戊辰戦争で集団自刃した会津藩の白虎隊に…
幕末の戊辰戦争で集団自刃した会津藩の白虎隊に1人だけ生存者がいたことは知る人ぞ知る。その少年が宿敵・長州の藩士の元で養育されたらしいことまで知る人は少ない
▼一命を取り留めた時は10代半ばだった飯沼貞吉は、新政府軍によって東京に送られたとされる。会津攻めにも加わった長州藩士楢崎頼三が長州の屋敷に連れて帰り、1年半ほど養育した、と伝えられる
▼楢崎家(現山口県美祢市内)に奉公していた女性の口伝から地元ではよく知られている。女性の子孫から直接話を聞いたり史料を調べるなどした貞吉の孫、飯沼一元さん(67歳、東京在住)も信じるに至った
▼貞吉は明治5年に逓信省の技師になり下関などで勤めたことが分かっている。技師になるまでには「(1人だけ生き残った)絶望のふちから立ち直るきっかけが必要だったはず。美祢では勉強の機会も与えられたようだ」と一元さん(河北新報)
▼長州が絡む貞吉の「その後」を知る人は、会津では少ないという。遺恨が浅からず残っているから、知ったとしても信じたくない、と言う人が多いだろう。一元さんも以前はその一人だった
▼先週末、一元さんは再び美祢市を訪ねた。関係者に「この地での生活があったからこそ、その後の人生があった」と感謝の言葉を述べ、往時を語り合った。遺恨を超えた関係を築きたいと思っている。今回の長州行には会津から十数人が同行したそうだ。
【幕末から学ぶ現在(いま)】(55)東大教授・山内昌之 中山中左衛門
■主君の意を忖度する
民主党の生方(うぶかた)幸夫副幹事長の更迭問題が話題になっている。小沢一郎幹事長の辞任要求の責任をとらされそうになったのは、幹事長周辺が小沢氏の心情を「忖度(そんたく)」したからだという説も根強い。立場が違えば、善意の配慮とも評価されるし、反対にゆきすぎた追従(ついしょう)と批判することも簡単だ。
歴史には古来、「君側(くんそく)の奸(かん)」とか「佞臣(ねいしん)」とか「姦佞(かんねい)」といった人びとが出没する。対立する当人同士はさほどでなくても、別の人物が悪意をもてば、2人の関係はますますこじれるだけでなく、決別にまで至ることも珍しくない。
◆久光と西郷関係悪化誘因
幕末でいえば、島津久光と西郷隆盛との関係に複雑なねじれをもちこんだ中山中左衛門こと尚之介の例が思いだされる。中山は、小松帯刀(たてわき)や大久保一蔵(利通)や堀次郎と並んで「久光四天王」ともいうべき側近中の側近である。島津斉彬(なりあきら)の死後、藩主となった茂久(忠義)の実父として国権を掌握した久光は、下級藩士中心の勤王派の志士集団たる誠忠組から忠誠を取り付けた。
これにも中山は功労があり、小納戸頭取に就いた中山は、側役の小松と並んで藩政に参与できる身分となった。中山は、小納戸に抜擢(ばってき)された大久保の願いをいれて奄美大島から西郷を呼び戻すことを久光に説いた。
しかし、人間にはウマの合う関係とそうでない関係がある。釈放された西郷は、文久2(1862)年2月に中山と会うなり、久光の率兵入京策に異論を唱えた。策を説明した中山に、大綱が杜撰(ずさん)かつ疎漏(そろう)にすぎるとにべもなく斥(しりぞ)けたのだ。
久光は、朝廷から勅を受け、薩摩藩の兵力を背景にし、幕府に改革を迫るという斉彬の計画を継承しようとしたのだ。西郷によれは、この壮大な計画は英邁(えいまい)な斉彬だからこそ成就できるのであり、久光には到底無理だと断定したのである。
この時に西郷から発せられた有名な言葉こそ、「地五郎」という表現なのである。殿は田舎者だから雄大な戦略は実行できないというのだ。これは事前に中山らと西郷が会ったときに述べたという説もある。いずれにしても、自分の周旋で流刑地から帰れたのに感謝もせず、恩人を「地五郎」と断じたのでは、中山の面目も丸つぶれだったに違いない。心中に憎悪さえ宿ったはずだ。
中山は爾来(じらい)ことあるごとに、久光に西郷の挙動をそしるようになったらしい。この時期の中山は小松さえ凌(しの)ぐ藩の実力者に成長していたので、傲慢(ごうまん)さが外に滲(にじ)み出る有様に反感を抱く者も少なくなかった。西郷もある手紙で、「中山と申すもの我意強く、只無暗(むやみ)のものに御座候」と述べているから、本当に嫌い抜いたのだろう。
西郷は、久光の上洛に先行して下関で待つように沙汰(さた)を受けたのに、命を無視して上方に先発した。これが久光の逆鱗に触れ、中山の意見を徴した結果、再び遠島処分とされた。
これを機に久光と西郷の関係は決定的に悪化するが、その誘因となったのは主君の西郷嫌いを知りぬいた中山の謗(そし)りである。薩摩藩士が斬り合う寺田屋事件は西郷失脚直後に起きた。志士たちは中山を「姦物(かんぶつ)」呼ばわりしたが、これは久光を直接に非難できないからである。
◆維新後の晩年は悲惨
それでも中山は久光に忠義一途(いちず)であり、琉球通宝の鋳造など経済政策にも貢献し、薩英戦争の戦略指導にあたった。しかし、西郷の遠島処分は中山が久光に讒言(ざんげん)したからだという声が高まり、免職にされた。維新後に久光の側近に返り咲いた中山の晩年は悲惨である。彼は、明治9(1876)年に大久保利通らの暗殺を企てた激徒に連座し、懲役10年の刑を科された。その2年後に獄中で国事犯として死ぬとは思いもよらなかっただろう。小松を凌(しの)ぐ実権を誇り大久保の盟友だった重臣がここまで没落するとは言葉を失う。
小松のさわやかさ、大久保の冷静緻密(ちみつ)さ、いずれも欠いた中山を讒言や姦佞の資質だけで語るのは酷であろう。中山には、維新後、不遇で寂しい久光への忠誠心では際立っていたからだ。現代でも権勢を極めている政治家に近づく者は多い。
しかし、その人が栄職から離れても同志や側近として寄り添うなら、それは姦佞やおべっかということにはならない。まさに棺を蓋(おお)いて事定まるというのは、現代の政治家にもあてはまるのかもしれない。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】中山中左衛門
なかやま・ちゅうざえもん 天保4(1833)年、薩摩(鹿児島県)生まれ。島津久光の信任を得て、薩摩藩有志派のリーダーシップを握った。久光が国事周旋の決意をして以後、大久保利通とともに手足となる。首席家老、喜入(きいれ)摂津のもと、小松帯刀とともに島津家と近衛家の間を奔走した。文久2年、久光の上京に随行し、諸卿の間を周旋。その後、側役を務めたが、久光勢力の退潮とともにその存在も薄れた。明治11(1878)年、46歳で死去。
エンターテインメント
D3PUBLISHERより「維新恋華龍馬外伝」発売決定
D3PUBLISHERより恋愛アドベンチャー「維新恋華龍馬外伝」の発売が決定された。
恋華シリーズ最新作。名高い幕末の英雄ぞろい。あの新選組も登場。イラスト・設定・声優など、すべてを一新。そして、今までのテイストとは一味違う濃厚な恋愛や、官能的な描写を限りなく表現。歴史と恋愛を存分に楽しめる作品となっている。
「維新恋華」の維新は、「明治維新」という意味。その他、「恋華が変わった」という意味も持たせてある。ストーリーは龍馬を中心にすすむ。幕末動乱の時代には龍馬をはじめとする維新の立役者だけでなく、新選組など維新を阻もうと散っていった英雄も数多く登場するぞ。
維新の名優ともいえる歴史上の人物たちと、龍馬や主人公が織り成す人間関係にも注目できる作品の発売を楽しみに待っていよう。
【坂本龍馬 イメージイラスト】
※開発中のラフイメージで本編の正規イメージとは異なります。
目元にホクロが艶っぽい龍馬(爆)。
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