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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
シルバーウィーク明けで働きに出る方々が多いのではないでしょうか、お疲れ様です。私は、昨日歌舞伎座で昼席と夜席を連チャンで見たら腰がかなり……。無理しない程度に仕事します。

福島
新選組・斎藤一の遺徳しのぶ 若松・阿弥陀寺で法要
 幕末の京都で反幕府勢力を取り締まった「新選組」屈指の剣客として知られ、副長助勤などを務めた斎藤一(藤田五郎)が眠る会津若松市の阿弥陀(あみだ)寺で22日、法要が営まれ、全国各地から新選組ゆかりの人や歴史ファンが詰め掛け、斎藤一の遺徳をしのんだ。

 新選組は会津藩の支援を受けて幕末の京都で活躍。戊辰戦争では旧幕府軍として会津でも新政府軍と戦闘を重ねた。法要も兼ねた「会津新選組まつり」は2004(平成16)年の大河ドラマ「新選組」を契機に始まり、今年で12回目。墓前での法要では、斎藤一のひ孫藤田太郎さん=さいたま市=ら親族12人が焼香した。

 引き続き、斎藤一が修めたとされる無外流居合道連盟寶祥会の居合奉納が行われ、演武が繰り広げられた。同寺本堂での記念講演会では、会津若松市出身のNHK解説主幹の柳沢秀夫さんが「世界から見た日本、世界から見た会津」を演題に講話した。

 佐川官兵衛に祈り 
 戊辰戦争を戦い「鬼官兵衛」の異名をとった、会津藩家老佐川官兵衛の顕彰碑前祭は22日、会津若松市の鶴ケ城公園三の丸跡地の顕彰碑前で行われ、参列者が官兵衛の遺徳をしのんだ。

 佐川官兵衛顕彰会(菅家一郎会長)の主催で、約20人が参列した。菅家会長は「佐川官兵衛は会津武士道を象徴する人物。後世に語り伝え、未来の創造につなげていく」とあいさつ。室井照平市長、目黒章三郎市議会議長らが祝辞を述べた。神事も行われ、熊本佐川官兵衛顕彰会の沢田健二さんが献花し、参列者が玉串をささげた。
藩公行列に綾瀬さん出陣・会津まつり
 会津若松市の会津まつりのメーン行事「会津藩公行列」が23日あり、歴代領主や白虎隊、新選組など会津ゆかりの人物に扮(ふん)した市民ら約500人が市中心部を練り歩いた。
 幕末の会津が舞台となったNHK大河ドラマ「八重の桜」で主人公山本八重を演じた俳優の綾瀬はるかさんが昨年に続いてドラマの衣装を着て参加。「ことしもたくさん出迎えてくれてありがとなし。皆さんの笑顔を見ることができて幸せです」と会津弁であいさつし、大きな拍手を受けた。
 鶴ケ城天守閣再建50周年のことしは、葦名直盛、伊達政宗、保科正之、松平容保ら歴代の領主や藩主の行列を編成。家臣を従え、勇壮に行進した。むつ市など、会津と交流が続く自治体の関係者も参加し、まつりを盛り上げた。
会津まつり:会津藩公行列に声援 18万3000人来場
 シルバーウイーク最終日となった23日、福島県内の観光地はにぎわいを見せた。会津若松市では、会津まつりのメインイベント「会津藩公行列」があり、過去最高の18万3000人(前年比3000人増)が来場し、武者姿の行列に沿道から声援が送られた。

 会津まつりは、戊辰戦争(1868年)で落命した会津藩士などの霊を慰め、先人をしのぶ行事として1953年から始まり、63回目。今年は鶴ケ城天守閣の再建50周年を記念し、従来の松平時代だけではなく、歴代の全藩主で編成した行列を組んだ。

 藩主に加え、新選組や白虎隊などに扮(ふん)した500人が、ほら貝や和太鼓の音に「エイエイオー」と掛け声を乗せながら市内約6・5キロを3時間半かけて練り歩いた。

 2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で主人公の新島八重を演じた綾瀬はるかさん(30)も、昨年に続き参加。沿道の観光客らに笑顔で手を振っていた。

 友人と訪れた会津若松市城南町の主婦、高柳友子さん(70)は「会津が盛り上がってくれてうれしいね」と手をたたいていた。同協会の渋谷民男事務局長(68)は「今年は初めてボランティアを募り、祭りを運営した。今後も市民による手作りの祭りにしていきたい」と話した。【宮崎稔樹】
二本松城跡に「一夜城」 10月の菊人形に合わせ電飾
 二本松市の霞ケ城公園の本丸天守台に21日までに、「一夜城」が出現した。「二本松の菊人形」の開幕に合わせて10月10日からイルミネーションがともるが、すでに発光ダイオード(LED)3万3000球を巻き付ける足場が組まれ、天守閣が数百年の時を超えて復活したような姿を見せている。

 同公園は戦国時代以前から戊辰(ぼしん)戦争で落城するまで450年以上使われた城跡で「二本松城跡」として国史跡に指定されている。過去に天守閣を復元する動きもあったが、史実に基づかない復元は認められず、実現しなかった。

 今回は合併10周年記念として10月10日から9日間、イルミネーションによる「一夜城」が現れる。期間中は本丸天守台の石垣と公園内もライトアップ、光の通路を設けて歩けるようにする。二本松観光ボランティアガイドによるガイドも行う。
鶴ケ城包む幻想の光 若松で平和の祈り
 会津の先人に感謝の思いを伝える「光と音楽による鎮魂と平和の祈り」は22日、会津若松市内で催され、鶴ケ城北出丸内堀に灯籠を流した。
 実行委員会の主催で、会津まつりの協賛行事として開催した。お堀には約350の手作り灯籠が浮かび、市民が幻想的な風景に見入っていた。
 会場には福島市出身のマリンバ奏者松本律子さんといわき市在住のフルート奏者市島徹さんが奏でる「星に願いを」などが流れ、雰囲気を盛り上げた。
 灯籠の一部は同日、市内の園児らがそれぞれの願いや好きな絵を描き込んで作った。
 郷土歴史研究家の石田明夫さんが戊辰戦争の歴史を語りながら町中を案内する散策イベントも併せて繰り広げた。

( 2015/09/23 08:37 カテゴリー:主要 )
鶴ヶ城、再建50年祝う 会津若松で記念行事
 会津若松市の鶴ヶ城の天守閣が今月、再建から50周年を迎えた。時勢に流されず、逆境に耐えて生きた先人たちの歴史を伝える象徴で、市民らの愛着は半世紀の歩みと共に一層深まった。19日には市内で記念行事が開催され、多くの市民らが節目を祝った。

 鶴ヶ城は、幕末から明治にかけての戊辰ぼしん戦争の激戦の舞台となり、新政府軍から激しく砲撃された。会津藩が敗れた後、1874年に取り壊された。再建の機運が高まったのは太平洋戦争後で、市民からの要望もあり、1965年9月17日に鉄筋5階の建物としてよみがえった。市によると、建設費約1億5000万円のうち約6800万円が市民らからの寄付で賄われたという。

 天守閣は博物館として使われている。発掘調査や文献で、幕末には冬の寒さで割れるのを防ぐため、上薬を塗った赤瓦が使用されていたことが判明。ふき替えが決まり、2011年3月に完了した。ふき替え工事に関わった同市の弓田建設社長、弓田八平さん(63)は「鶴ヶ城の歴史に入れたことは光栄」と振り返り、「これからも地元の誇りである鶴ヶ城を守りたい」と語った。

 19日午前には、鶴ヶ城内で、保育園児や幼稚園児らが歌や演舞で再建50周年を祝福し、最後に園児ら約600人が風船を空に放って祝った。演舞に参加した同市大戸町、佐藤周弥ちゃん(5)は「お誕生日おめでとうの気持ちを込めて舞いました」と笑顔を見せた。

 同日午後には、同市城東町の会津風雅堂で記念式典が開かれ、約1100人が出席。記念講演したNHK大河ドラマ「八重の桜」の脚本を担当した山本むつみさんは「再建された天守閣を見ると、人間は何度でもやり直して歩いていけると感じる」と話した。
千葉
<食卓ものがたり>甘みとツヤ 酔いしれて 本みりん(千葉県流山市)
 本みりんがつがれたワイングラスを、「どうぞ」と差し出された。千葉県流山市の「流山キッコーマン」で、遠藤善彦社長(56)に勧められ、本みりんを“試飲”した。「ん? おいしい!」。とろっと甘くて、体がほわ~んとしてきた。
 本みりんにはアルコール分が14%前後も含まれている。アルコール分1%未満の「みりん風調味料」との違いは口に含めば歴然。実は、みりんは江戸時代にはお酒として飲まれていた。
 話は江戸時代後期の一八一四年にさかのぼる。江戸川沿いで水源豊富な流山は、米作りも酒造りも盛んだった。酒造業者の堀切紋次郎は焼酎と、もち米などを原料にみりんを開発。当時は愛知県の三河地方などのみりんが主流で、売れるまで約十年かかった。
 同じ頃、江戸でお酒として飲まれていたみりんが、うなぎのかば焼きのたれや、そばつゆに使われるように。紋次郎の濃厚なみりんも評判となった。みりんは紋次郎が詠んだ歌に含まれた「一」・「力」・「上」の三文字を組み合わせた言葉遊びで「万上」(マンジョウ)と名付けられた。
 堀切家が興した会社は一九二五年に、「キッコーマン」の前身の「野田醤油(しょうゆ)」と合併。現在は、みりん製造部門としてキッコーマンから分社化した流山キッコーマンが、本みりん年間約二万八千キロリットルを製造する。
 遠藤社長は約三十年、本みりん造りに関わってきた。もち米を蒸して米こうじと焼酎などを加えて「もろみ」を仕込み、タンクで一~二カ月熟成。もち米のでんぷんが酵素の力で糖に分解されるため、甘みが出る。「糖類がてりやつやを出し、アルコール分がにおい消しや味を染み込ませる働きをする」と遠藤社長。いちごとコトコト煮るのもおすすめとか。多彩な本みりんは何役もこなせる、甘いマスクの名脇役なのだ。 文・写真 細川暁子
写真
◆学ぶ
 流山市は、幕末の京都で討幕派の取り締まりに当たった新選組の局長・近藤勇と盟友の副長・土方歳三が永遠の別離を迎えた地とされる。1868年、近藤らは別名を使い、流山の造り酒屋で陣営を敷いていた。だが新政府軍に包囲され、近藤は自首。後に江戸の板橋で斬首された。
 流鉄流山線の流山駅から徒歩約5分の場所に、「長岡屋」と呼ばれる陣屋跡の土台が残る。隣接する酒屋「秋元」では、新選組にちなんだグッズや、芋焼酎と日本酒がある「本陣長岡屋」、限定品のマンジョウみりんなどを販売している。
高知
龍馬の手紙草稿に登場、「林」との交流明らかに
 坂本龍馬が暗殺される直前、土佐藩重臣の後藤象二郎宛てに書いた手紙の草稿に名前が記されていた「林市郎右衛門いちろううえもん」と、龍馬らとの交流の様子が明らかになった。

 NPO法人の京都龍馬会が20日、発表した。林は、新選組が尊皇攘夷じょうい派の長州藩士らを襲撃した池田屋事件との関わりもあったとされ、同会は「さらに裏付け調査を進めたい」としている。

 林は、龍馬が1867年(慶応3年)10月、福井藩で三岡八郎に会い、新政府への協力を要請した際の様子を記した手紙の下書きに登場。下書き裏面に「■江国塩津 宿 林市郎右衛門」の記載があり、龍馬の新たな人間関係と注目された。

 今回、同法人が滋賀県長浜市西浅井町の「塩津」で現地調査を行い、林が宿屋を営んでいたことが判明。林の子孫らが保管する掛け軸や、幕末から明治維新にかけての功労者への贈位の際に、林が政府に自己申告した「贈位申請書」も国立公文書館で見つかった。

 贈位申請書によると、林は1862年、龍馬の仲間で土佐藩藩士の北添佶摩きつまらに請われて活動を開始。翌年に龍馬と出会い、「汽船購入のために金5万両を借り入れてほしい」などと依頼されたと記している。

 また64年の池田屋事件では、北添の命を受け、事件直前に捕らえられた古高俊太郎の家に忍び込み、重要書類を焼き捨てたと記述。龍馬とは暗殺直前にも会い、龍馬が福井へ赴いた際、雪で塩津には寄らず、西近江路で帰京したことなどを話したとの記載もあった。

 ただ、史実と申請書記載の時期が異なる部分もあり、さらに裏付け調査が必要だという。京都国立博物館の宮川禎一・学芸部列品管理室長は「幕末・明治維新は、武士だけでなく、知られざる市井の人々らも支えていたことがわかる貴重な発見」としている。
高知
明治維新150年 12施設タッグ
 ◇資料、博物館が連絡協 幕末日記や大江卓の企画展

 明治維新から150年の節目にあたる2018年を前に、幕末や維新に関連する県内12の博物館や資料館などが、16~18年度に連携して企画展を開こうと「明治維新150年県ミュージアム連絡協議会」を設立した。県は、明治維新150年に向けて鹿児島、山口、佐賀3県と観光などで連携する「平成の薩長土肥連合」に加わっており、今後、観光と歴史文化の両面で盛り上がりが期待される。(畑本明義)

 大政奉還・王政復古がなされたのは1867年だが、68年は明治元年で、五箇条の御誓文が発せられるなど、明治政府が本格的に機能し始めた年とされる。

 連絡協議会に参加する施設は、2018年度までの3年間にわたり、戊辰戦争などの維新期の出来事や地域と明治維新との関わり、維新期の人物などをテーマに企画展を実施する予定。このうち、高知市立自由民権記念館は幕末期の郷士の日記などを基にした企画展を、宿毛市立宿毛歴史館は志士として活動した後、政治家や実業家、人権活動家として活躍した大江卓の企画展などをそれぞれ検討している。

 今年5月に、県から維新150年企画への協力依頼があり、関連資料を所蔵し、企画展を行うことができる施設が協議会を設立した。12の施設が連携することで、県から広報や印刷費などの支援を受けられるほか、同じテーマを扱う施設の学芸員が情報交換することで、企画に深みが出ることも期待されるという。

 11日に高知市の山内会館で開かれた初会合では、会長に自由民権記念館を所管する高知市教委民権・文化財課の筒井秀一課長を選出。今後、2、3か月に1度、担当の学芸員らが会合を開いて、具体的な連携内容について検討を深める。初会合後、記者会見した筒井課長は「各館がそれぞれの切り口を工夫して展示し、できれば新資料の展示もしていきたい」と述べた。

 自由民権記念館と宿毛歴史館以外の参加施設は次の通り。

 ▽安芸市立歴史民俗資料館▽北川村立中岡慎太郎館▽県立坂本龍馬記念館▽県立美術館▽県立文学館▽県立歴史民俗資料館▽高知城管理事務所▽高知市立龍馬の生まれたまち記念館▽佐川町立青山文庫▽土佐山内家宝物資料館。
鹿児島
西郷と地元の関わり学ぶ 鹿児島・武地区の子どもたち
 西郷隆盛と鹿児島市武地区との関わりを地元の子どもたちに知ってもらう「武の吉きちの秋祭り」が23日、同所の西郷公園であり、約40人の子どもたちが西郷にまつわる逸話を聞いたり、銅像を磨いたりした。


 西郷公園は西郷が「屋敷」を建てた場所。祭りは武小校区の父親らでつくる「武おやじの会」の企画で、西郷が「吉之助」とも呼ばれていたことから「吉」の字を冠した。

 子どもたちはまず、西郷と庄内藩の家老・菅実秀との対座の様子を表した銅像をスポンジやたわしで磨いた。その後、維新ふるさと館(鹿児島市加治屋町)の歴史解説員・肥後秀昭さん(67)の講話を聞いた。

 戊辰ぼしん戦争の際、新政府軍に敗れた庄内藩に対し、西郷は寛大な処置を取ったことで知られる。肥後さんは銅像について、「西郷さんの考えに感銘を受け、菅さんはこの場所で対話をしました」などと説明した。

 さらに、子どもたちは薩摩の剣術・薬丸自顕流を学び、地元に伝わる踊り「武町音頭」にも挑戦した。

 武中学校1年の牧野吏赳りきゅうさん(12)は「銅像の意味を初めて知り、西郷さんについてもっと興味が湧いた。ここに住んでいたと思うと誇らしく思う」と話していた。
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先ほど幕末ニュースをアップしたばかりですが、追加ニュースです。

龍馬、暗殺直前に福井から帰京 滋賀の宿屋に資料
 暗殺直前の坂本龍馬が雪深い陸路を通って福井から京都に戻っていたとする記録が、滋賀県の塩津(現長浜市)で代々宿屋を営んでいた林市郎の経歴書から見つかり、NPO法人京都龍馬会が20日、京都市内で発表した。

 坂本龍馬記念館(高知市)によると、龍馬は暗殺時に風邪をひいていたとされており、同記念館の三浦夏樹主任学芸員は「経歴書の信ぴょう性は高く、福井行きで体調を崩した可能性もある」と話している。

 林は1867年、京都の近江屋で龍馬と面会。龍馬が福井からの帰路、雪深い琵琶湖西側の西近江路を通ったと聞いた。龍馬は11月5日に福井出張から戻り、15日に暗殺された。

 なるほど……。
シルバーウィークに突入しました。幸いお天気には恵まれているようで、行楽に文化行事にお買い物など旅行やお出かけの方々は楽しんでらっしゃいませ。また、先の水害に遭われた方々には、復旧が進みますよう祈っております。

北海道
野外劇舞台設置「難しい」 市教委 石垣修復後も崩落の危険性
 国の特別史跡・五稜郭跡で石垣修復作業を進めている函館市教育委員会は14日、市民創作函館野外劇に使用する舞台装置の設営について「石垣崩落の危険性があり、安全性の確保が難しい。これまでの場所での舞台設置は極めて難しい」とし、修復完了後の来年度以降も認めない考えを示した。

 市議会第3回定例会の一般質問で、斉藤佐知子氏(民主・市民ネット)への答弁。

 函館野外劇は市民が上演する函館の歴史絵巻で、2013年までは五稜郭の堀を生かした特設舞台や観客席を設営。昨年3月、例年舞台を設営する付近の石垣の一部が崩落し、同年は郭内の別の場所で上演。今年は五稜郭タワーアトリウムなどでの無料公演として継続した。石垣は今年6月中旬から修復作業が進められている。

 文化財や石垣の専門家らによる保存整備委員会は石垣崩落の要因について、堀水の凍結や融解の繰り返しで水面下の石垣部分がふくらみ、さらに上部からの過重によって崩落したと推測。野外劇の舞台装置などの影響について、川村義浩生涯学習部長は「堀の石垣には崩壊場所以外にも積み石が抜けている場所がある。舞台設置との間に因果関係があったかを明確にするのは難しい」と述べた。

 さらに、修復後もさらなる石垣崩落の危険性があるとして、来年以降も舞台設置を認めない考えを示した。斉藤氏は「市民の宝である五稜郭と、野外劇もしっかり守ってほしい」と述べた。
福島
「八重の桜」の銃など展示 若松の新選組記念館 戊辰戦争展始まる
 会津若松市七日町の会津新選組記念館で平成27年9月18日、特別展「大河ドラマから見る八重と新選組の戊辰戦争」が始まった。「八重の桜」の撮影で、八重役の綾瀬はるかさんが使ったゲベール銃をはじめ、関連資料が並んでおり多くの愛好者が足を運んでいる。
 23日の藩公行列に綾瀬さんが参加することから企画した。ゲベール銃の他に、籠城戦の撮影で使った会津藩弾薬箱、八重の最初の夫・川崎尚之助役の長谷川博己さんが求婚した際に手渡したウェストリー・リチャーズ砲兵銃、「八重の桜」の台本全50巻を展示している。撮影に使用した各種銃砲や小道具類も並ぶ。
 観覧無料。時間は午前10時から午後5時まで。問い合わせは会津新選組記念館 電話0242(22)3049へ。

(2015/09/19 09:43カテゴリー:歴史・伝統)
鶴ヶ城、再建50年祝う 会津若松で記念行事
 会津若松市の鶴ヶ城の天守閣が今月、再建から50周年を迎えた。時勢に流されず、逆境に耐えて生きた先人たちの歴史を伝える象徴で、市民らの愛着は半世紀の歩みと共に一層深まった。19日には市内で記念行事が開催され、多くの市民らが節目を祝った。

 鶴ヶ城は、幕末から明治にかけての戊辰ぼしん戦争の激戦の舞台となり、新政府軍から激しく砲撃された。会津藩が敗れた後、1874年に取り壊された。再建の機運が高まったのは太平洋戦争後で、市民からの要望もあり、1965年9月17日に鉄筋5階の建物としてよみがえった。市によると、建設費約1億5000万円のうち約6800万円が市民らからの寄付で賄われたという。

 天守閣は博物館として使われている。発掘調査や文献で、幕末には冬の寒さで割れるのを防ぐため、上薬を塗った赤瓦が使用されていたことが判明。ふき替えが決まり、2011年3月に完了した。ふき替え工事に関わった同市の弓田建設社長、弓田八平さん(63)は「鶴ヶ城の歴史に入れたことは光栄」と振り返り、「これからも地元の誇りである鶴ヶ城を守りたい」と語った。

 19日午前には、鶴ヶ城内で、保育園児や幼稚園児らが歌や演舞で再建50周年を祝福し、最後に園児ら約600人が風船を空に放って祝った。演舞に参加した同市大戸町、佐藤周弥ちゃん(5)は「お誕生日おめでとうの気持ちを込めて舞いました」と笑顔を見せた。

 同日午後には、同市城東町の会津風雅堂で記念式典が開かれ、約1100人が出席。記念講演したNHK大河ドラマ「八重の桜」の脚本を担当した山本むつみさんは「再建された天守閣を見ると、人間は何度でもやり直して歩いていけると感じる」と話した。
会津の精神後世に 鶴ケ城天守閣再建50周年 若松で式典
 会津若松市の鶴ケ城天守閣再建50周年を祝う行事が19日、市内で催された。市民らが節目を祝い、歴史と会津精神の継承を誓い合った。
 鶴ケ城本丸で「鶴ケ城お誕生会」が開かれた。市内の幼稚園・保育園児約600人が合唱や白虎隊の剣舞を披露した。色とりどりの風船をお城の空高く飛ばして元気を発信した。
 會津風雅堂で約1000人が参加して記念式典が行われた。室井照平市長が「先人に感謝し、思いをかみしめ、後世に伝える」とあいさつした。大河ドラマ「八重の桜」の脚本家・山本むつみさんが基調講演し、同市出身でNHK解説主幹の柳沢秀夫さん、会津松平家第14代当主の松平保久さん、山本さん、室井市長がパネルディスカッションを繰り広げた。
 天守閣は戊辰戦争で傷つき、明治7(1874)年に取り壊された。昭和40(1965)年に市民の寄付などにより再建された。


■50周年記念式典 まちづくりの未来考える

 会津若松市の會津風雅堂で19日に行われた鶴ケ城天守閣再建50周年記念式典では、講演や討論などを通してお城に寄せる思いを確認し、まちづくりの未来について考えた。
 鶴ケ城天守閣再建50周年記念事業実行委員会の主催。鏡敬文県会津地方振興局長、目黒章三郎市議会議長、宮森泰弘会津若松商工会議所会頭が祝辞を述べ、記念映像「想いつなげて」が上映された。
 基調講演では大河ドラマ「八重の桜」の脚本家・山本むつみさんが「八重の桜に込めた会津の心~道を切り拓いて生きる~」と題して語った。山本さんは「ならぬことはならぬ-の精神が会津人の背骨になっている。世界が変化し、困難が起きても、ならぬことはならぬという精神を軸にして自分の道を自分で切り開く生き方が求められている」と述べた。
 パネルディスカッションではNHK解説主幹の柳沢秀夫さんをコーディネーターに会津松平家第14代当主の松平保久さん、山本さん、室井照平市長が「鶴ケ城に思いをはせて」の主題で語り合った。
 福島民報社から鞍田炎会津若松支社長が出席した。式典会場では来場者に福島民報の別刷り特集「不屈の志永遠に」と、移動編集車「民報号」が発行した式典の様子を伝える号外を配布した。

( 2015/09/20 08:27 カテゴリー:主要 )
茨城
行方で新選組まつり 隊士に扮し迫力の演武
新選組ゆかりの地の行方市で13日、「第11回なめがた新選組まつり」(同実行委員会、市観光協会共催)が開かれた。県内外から新選組ファンらが集結、隊士に扮(ふん)したパレードや演武披露、ちびっこチャンバラ大会など多彩な催しを楽しんだ。

イベントは、新選組初代局長・芹沢鴨と副長助勤・平間重助が同地の出身地であることから「新選組!茨城玉造隊」などが実行委員会をつくり、芹沢の命日の9月に合わせ毎年開催。供養を行うとともにまつりとして実施している。当日は約260人が参加した。

同市玉造甲の霞ケ浦ふれあいランドの会場は、隊士姿のファンたちであふれ、市内中学校の剣道部員による形やファン団体による迫力ある演武が披露され会場を沸かせた。また、ちびっこチャンバラ大会は、スポンジの剣でヘルメットの上に着けた紙風船を先に割った方が勝ちとなるルールで小中学生が熱戦を繰り広げた。

実行委員長の須田剛さんは「まつりを重ね、行方が新選組ゆかりの地だということをもっと広めていきたい」と話していた。

(黒羽根勝弘)
 行方市に合併後も玉造隊が健在のようですね。
先日の『大江戸りびんぐでっど』といい、川島雄三監督の『幕末太陽傳』に関連する作品に当たる。これは舞台化。



 この青木崇高の現代的な佐平次の像を見て、すぐにチケット買いに走った。

 フランキー堺の佐平次は絶賛されているけど、立川談春の祟り神のような佐平次と立川談笑の新興宗教の教祖のようなコンサルティング話法ができる佐平次がデフェォルトな私には、昭和34年の佐平次ではイメージが合わなかったから。

 結論。この抽象的な演出、始終役者がどたばたすることで品川宿の喧噪と時代の疾走感を出そうとする江本純子の演出は私には合わなかった。でも、佐平次は私の理想といっていい佐平次だったし、田畑智子のおそめ、MEGUMIのこはる、小林且弥の高杉晋作、相模屋ハーフの若衆・喜助の矢田悠祐、おひさの佐久間麻由はよかった。後の俳優さんたちは二役三役兼ねる必然性がよくわからない(もちろんコスト節減できるけど)。

 今回、落語で有名な台詞「イノどん、十三番でお座敷です〜」「あいよっ」がなかったのだけど、それらしき場面はあったので、そこは目をつぶろう。何より、こはるが乱発した起請文を巡って発生した親子喧嘩を有耶無耶にしたり、おそめと品川沖で無理心中した金蔵の幽霊と桶屋がねじ込んで来るのを取りなしておいて実は佐平次の仕組んだマッチポンプだったりして、居残り稼業を続けながらあざとく生きてる佐平次が活き活きしている。そして、労咳病み特有の嫌な風邪。

 これから品川宿近くの英国公使館を焼き討ちにして短い人生を倒幕にかけ、その実現を見ずに労咳で亡くなる高杉晋作との対比もいい。そして、石原慎太郎よりも高杉晋作の雰囲気があり、晋作よりずっとハンサムで背が高くて美声だ(笑)。

 カーテンコールの拍手は微妙だった。役者さんたちには労をねぎらいつつも、作品に対するパッションは客席にはなかった感じ(少なくとも超★超歌劇『幕末Rock』と比べたら)。

 惜しいなぁ。。。
会津方面から幕末維新関係のニュースがきましたのでご紹介します。

北海道
先人の功績に触れて、木村さん「願乗寺川物語」出版
 市立函館博物館友の会理事で、北海道史研究協議会会員の木村裕俊さん(67)=函館市東山=はこのほど、函館のまちの原形を築いた人たちの活躍をオムニバス形式でまとめた「願乗寺川物語」を自費出版した。木村さんは「先人の功績や人生観、時代感に触れてもらえれば」と話している。

 木村さんは江差町生まれ。鉄道建設技術者として活躍し、2008年に定年退職。函館に戻り、歴史学に力を入れ、13年に初期の松前家の家史を記した「新羅之記録(しんらのきろく)」を現代文に訳して出版し、函館文化会が郷土史研究を表彰する神山(こうやま)茂賞奨励賞を受賞した。

 本のタイトルとなっている第1編は、江戸末期に亀田川を分流させ、人工の「願乗寺川」を開削した僧侶の堀川乗経と土木技術者の松川弁之助、そして願乗寺川の生涯をつづった。

 青森から渡った堀川乗経が浄土真宗の布教に苦労する中、亀田川の氾濫による水害と箱館の水事情が悪いことで、松川弁之助とともに亀田川から人工の川を引き入れることを考えた。現在の梁川町から十字街(末広町)までの約4㌔を堀り、飲料水を確保。人々の暮らしを潤わせたが、人口増加によって水質が悪くなったことなどで役目を終え、埋め立てられた。現在は高砂通となっている。

 木村さんは古地図などを調査し、川のルートや構造、功績、記念碑、埋め立て工事までをまとめた。「願乗寺川は今の函館が発展した大きなきっかけであったことを忘れてはならない」と話す。

 第2編は木村さんが「まちづくりの起点で別格的な存在。この人を外すことはできない」と話す高田屋嘉兵衛。北方開拓や箱館の土地開墾を行い、繁栄に導いた業績を紹介している。第3編は経済発展に尽力した豪商杉浦家で、初代の長男が病死したことで2代目杉浦嘉七を継ぐことになった「井原忠三郎」を取り上げた。第4編は公園や学校、病院など社会資本を充実させた渡辺熊四郎の一代記。

 木村さんは「大勢の人が資料の提供や、後押しをしてくださったおかげ。出版でき、恩返しができたと思う。市民に読んでいただき、函館の未来を考える機会としてくれれば」と願う。

 A5判、193㌻。税込み2160円。市内の主な書店で発売中。問い合わせは木村さん(TEL0138・55・0384)へ。

五稜郭タワー搭乗3000万人に
五稜郭タワー(中野恒社長)の展望台搭乗客数が13日、3000万人を突破し、同タワーで記念セレモニーが行われた。1964(昭和39)年12月の開業から50年8カ月での達成で、節目の搭乗客となった石狩市の佐々木周平君(8)に、中野社長から認定書や永久搭乗パスポートなどが贈られた。

 3000万人目となった佐々木君は、父の信介さん(36)、母の奈都子さん(37)、妹の理歩ちゃん(1)、いとこの中島海斗君(10)の計5人で来館。午前10時50分ごろに受け付けを済ませ、幸運を射止めた。

 エントランスホールで開かれた記念セレモニーで、中野社長は「これからも函館のランドマークとして、観光客だけではなく函館市民からも愛される施設を目指して頑張りたい」とあいさつ。佐々木君や中野豊会長とともにくす玉を割り、節目を祝った。

 展望台に上った佐々木君は「タワーに来たのは初めて。景色がきれいなのでこれから何回も来たい」と笑顔を見せた。

 累計搭乗客数は90年に1000万人、2002年に2000万人を達成。06年度には、同年完成した新タワーの開業効果で、過去最高の112万人を記録している。

 来年3月に開業する北海道新幹線効果でさらなる伸びを期待しており、中野社長は「次は新幹線が札幌に延伸する予定の30年度までに4000万人を達成したい」と話している。

福島
「戊辰150年」へ若松、むつ、余市の3商工会議所が連携
 会津若松、むつ(青森県むつ市)、余市(北海道余市町)の3商工会議所は平成30年の「戊辰150年」に向け、連携して観光振興を図る。むつ市のむつグランドホテルで20日に開いた3商工会議所の正副会頭懇談会で決めた。
 宮森泰弘会津若松商工会議所会頭が提案し其田桂むつ、三浦文夫余市の両商工会議所会頭が賛同した。1868年に起きた戊辰戦争から150年を迎えるのに合わせて、共通パンフレットの作製やそれぞれのつながりを紹介する観光PRなどを検討していく。
 むつ市は戊辰戦争後に旧会津藩士が移住してつくった斗南藩の地で、会津若松、むつの両商工会議所は平成22年に友好姉妹提携の関係を結んでいる。余市町は旧会津藩士が日本で初めてリンゴ「緋の衣」栽培に成功した地で、NHK連続テレビ小説「マッサン」の舞台にもなった。
 今回はむつとの提携5周年を記念して会津若松から22人が訪問して交流した。宮森会頭は記念パーティーで「むつ、余市との絆を大切に観光振興などで連携していきたい」とあいさつした。

( 2015/08/25 09:23 カテゴリー:主要 )

旧会津藩士ら明治政府に勝訴…裁判記録見つかる
 戊辰ぼしん戦争で敗れた旧会津藩士らが明治時代に政府に対して裁判を起こし、旧藩士のほとんどが除外されていた金禄きんろく公債の交付を勝ち取った記録が福島県会津若松市で見つかり、市民らで作る「会津幕末史研究会」は30日、同市栄町で開いた発表会で公開した。

 研究会によると、金禄公債は、江戸時代に家禄かろく(給料)を受けていた武士らを対象に、明治時代に入って渡された公債。受け取れなかった旧藩士らは政府に発行を求め、1909年に約3000人が提訴。9年間の審理の末に勝訴したという。

 記録は、旧藩士の署名や押印のある約定書、裁判の申立書など約100点で、09~21年の記載があるという。同市の民家2軒から見つかり、今年6月に研究会が調査依頼を受けていた。

 研究会の簗田直幸会長はこの裁判の体系的な記録が見つかるのは初めてだと説明し、「旧藩士が誇りを失わず、明治の法律に従って力強く生き抜いたことを伝える貴重な史料だ」と語った。

旧藩士から容保慰める手紙 福島県立博物館で2通初公開
 県立博物館(会津若松市)は25日まで、同館でポイント展示「明治人の手紙―旧会津藩関係者の足跡」を開いており、戊辰戦争後に旧会津藩士が幕末の藩主松平容保に宛てた初公開の手紙2通が来館者の興味を引いている。
 手紙は松平容保が日光東照宮(栃木県)の宮司を務めていた時のもの。うち1通は元家老の西郷頼母(当時は保科近悳(ちかのり))が差出人で、日光に酒を持参したので一献傾けたいとの内容。いずれも短文で旧藩主を慰めようとする気持ちが伝わる。
 常設展の入場料で見ることができる。入場料は一般・大学生が270円、高校生以下が無料。
(2015年9月1日 福島民友トピックス)

佐賀
9月30日本丸で講演会、会津と佐賀の縁知ろう
 「アームストロング砲が取り持つ会津と佐賀を考える実行委員会」(実行委員長・長野暹佐賀大名誉教授)は9月30日午後6時から、佐賀市の佐賀城本丸歴史館で、白虎(びゃっこ)隊記念館(福島県会津若松市)の早川廣中館長を招いた講演会を開く。

 戊辰(ぼしん)戦争最大の激戦となった会津若松の戦いでは佐賀藩製のアームストロング砲が使われたが、実行委によると、砲弾の一部は火薬が入っていない空弾に含まれていることが分かってきている。早川館長は「そのことが女性や子どもの犠牲や城の損傷の少なさにつながっている」としており、実行委のメンバーは今回の講演会をきっかけに、自治体同士で交流が深まっていくよう期待している。

 「戊辰戦争と佐賀」と題した長野名誉教授による講演もある。入場無料。問い合わせは事務局長の竹田さん、電話0952(22)4326へ。

エンターテインメント
錦戸亮が幕末の志士・武市半平太役で5年ぶりに侍に!
ことし10月期に放送されるテレビ朝日系の金曜ナイトドラマが、黒江S介氏の同名コミックをドラマ化した「サムライせんせい」に決定したことが分かった。関ジャニ∞の錦戸亮が主演を務め、幕末の土佐藩で尊王攘夷論を唱えた実在の志士・武市半平太を演じる。

「犬を飼うということ~スカイと我が家の180日~」以来、約4年ぶりに同枠の主演を務める錦戸は「侍を演じるのは映画『ちょんまげぷりん』('10年)以来、2度目です。同じ侍でも、あの時からどれだけ変われるのか…。僕なりの挑戦になるなと思いました。忘れてしまっている所作も多いので、また一から稽古をしていこうと思います」と、力強く意気込みを語った。

近年さまざまな役柄を演じ、アイドルとしてだけでなく役者としての評価も高まっている錦戸は、今回初めて歴史上の偉人を演じる。その人物は幕末の土佐藩で尊王攘夷論を唱え、志士たちを率いたリーダー的人物・武市半平太だ。

今回の「サムライせんせい」で錦戸が演じる武市は、現代の村にタイムスリップしてしまうという役どころ。学習塾の先生となり、村で巻き起こるさまざまな問題を、“侍にしかできない方法”で解決していく。

現代の人々が言いたくても言えないことを口にし、やりたくてもできないことを体現しながら、閉塞(へいそく)感あふれる現代をバッサリ斬る。日本中が待ち望んでいた型破り過ぎなニューヒーローが誕生する。

黒江氏の同名コミックを初めてドラマ化する本作は、“侍vs現代の文明&人々”という構図がベース。今までありそうでなかった“侍×タイムスリップ×コメディー”となる。

武市の目に映る現代の日本は、いたるところに奇怪なものがあふれている。焼きそばは“泥そば”に、ギャルは“山賊”に見えてしまうなど、武市は滑稽なまでに現代の物事に対して驚がくする。

もちろん、全く価値観の違う現代の人々とのコミュニケーションもズレており、時代のギャップが生み出す笑いとバカバカしさが随所にちりばめられた“和製SFコメディー”を展開。

また、自らの良心に従って突き進む武市の姿から得られるカタルシスも持ち味の一つとなる。笑いと並行し、新しい形の勧善懲悪・痛快ヒーロー活劇も紡ぎながら、視聴者にスカッとした感動を与える。

なお、同ドラマでは主演の錦戸を中心に、彩り豊かなキャスト陣が顔をそろえる。路頭に迷った武市が身を寄せ世話になる佐伯家には、比嘉愛未、ジャニーズWEST・藤井流星、森本レオを配した。

比嘉は武市に振り回されながらも次第に共鳴していく村役場の職員・佐伯晴香を、藤井は晴香の弟で“チャラ男”の寅之助を、森本は心優しき学習塾経営の祖父・真人を演じ、それぞれの個性を発揮する。

その他では、人気急上昇中の黒島結菜と石田ニコルというフレッシュな二人が、それぞれ“完璧なギャルに扮(ふん)した女子高生”(黒島)と“スナックのママ”(石田)を演じ、新境地を開拓。実力派俳優・梶原善は武市を何かと目の敵にする村役場の課長を演じる。

あらためて、主演の錦戸は「現存資料や他の俳優さんが演じられた武市像に縛られず、“自分なりの武市半平太”を作って、『錦戸の武市はなかなか良かったな』と言われるようにしたいですね。カリスマ性に関しては…困ったことに、僕自身にはないんですよ(苦笑)。

なので、諸先輩方の“人を引きつける力”を参考にできたらなと思います。ちなみに、僕自身がタイムスリップできるなら、過去に戻って実際の武市半平太を見てみたい! 未来は…ちょっと怖いので、見たくないです(笑)」と、自分なりの半平太を演じることを約束した。
山本耕史さんと堀北真希さんの電撃結婚。『組!』放送から11年も経ち、気がつけば主要キャストさんたちは若手俳優から中堅俳優になり、家族を持ち、中には国会議員になる人も(^^;)。
 三谷さんが、10年後には、この作品にこれだけのキャストがいたのは奇跡といわれる、と予言してましたが、まさにその通りの作品になりましたね。

福島
<戊辰戦争>中野竹子、語り継ぐ
 戊辰戦争で会津藩の女性だけの部隊「娘子(じょうし)軍」を率いた中野竹子(1850~68年)をしのぶ顕彰祭が23日、会津若松市神指町であった。
 竹子は市内の柳橋の戦いで母親や妹らと参戦。辞世の句を結びつけたなぎなたを手に奮闘したが、西軍の凶弾に倒れた。1977年に地元住民が顕彰会を発足させ、命日の8月25日前後に顕彰祭を開いている。
 この日は、雨のため「中野竹子殉節之碑」近くの会社で顕彰祭が行われ、約100人が出席。顕彰会の柴滋会長が「藩に忠誠を尽くした竹子の心と姿は会津の女性の誇りとして語り継がれてきた。歴史を後世に伝えたい」とあいさつした。
 室井照平市長が「戊辰戦争は今もなお忘れることができない悲惨な歴史として、会津人に深い悲しみを残している」と追悼の言葉を述べた。出席者が焼香した後、地元の子ども10人が娘子隊舞を奉納した。

福島・会津若松で先人に感謝するまつり
 福島県会津若松市の鶴ケ城などで9月21~23日、「会津まつり」が開かれる。
 会津の秋を代表する祭りの一つ。会津の先人に感謝するとともに、戊辰(ぼしん)戦争で亡くなった会津藩士や戦火に巻き込まれた人々の慰霊と鎮魂のために式典を行う。
 開幕を告げる「提灯(ちょうちん)行列」は地区の子どもたちが参加し、揺れる提灯に願いを込めて市内を練り歩く。
 22日には武者姿に扮(ふん)した小学生らが行進する日新館童子行列や、市内の全小学校による鼓笛隊パレードなどが行われる。
 23日に行われるメーンイベント「会津藩公行列」では、参加者約500人が幕末の武者姿で行進するほか、各所では奴(やっこ)隊の毛槍(けやり)による所作なども披露される。
 問い合わせは、会津まつり協会(電話0242-23-4141)へ。

東京
アヘン戦争、黒船、桜田門外の変 絵や書物で見る幕末の事件
 アヘン戦争や黒船来航、吉田松陰や坂本龍馬。おなじみの歴史の出来事や人物を書物や絵画で紹介する「幕末展」が十九日、文京区の東洋文庫ミュージアム(本駒込二)で始まる。日本人は何を読んで幕末の世界情勢を知ったのか。事件はどう記録されたのか。東洋学で日本最大の研究図書館「東洋文庫」の収蔵品で分かる。
 アヘン戦争図は、二枚を展示。イギリスの軍事力を強調しようと手を加えたのではないかとの説も確認できる。「日本を外国の侵略から守るには沿岸の警備を整えるべきだ」と主張した林子平の著書「海国兵談」は、幕府に絶版とされたため、あまり残っていない初版本を展示した。
 米国のペリー来航は絵巻物のほか、スマホのようにスクロールしたり、拡大して文字を読めたりするデジタルブックで楽しめる。
 清(現中国)の思想家魏源(ぎげん)が著した「海国図志」は当時の世界情勢を説いた地理書だ。勤王派の吉田松陰や坂本龍馬、幕府側の勝海舟ら、立場を超えて熱く読まれたという。
 このほか、幕府の大老井伊直弼が暗殺される「桜田門外襲撃之図」(月岡芳年画)は東洋文庫で初公開。
 テレビや映画のような刺激の強い演出はなく、静かに幕末を振り返られる。企画した研究・学芸員の岡崎礼奈さんは「胸を熱くする幕末史の魅力を再発見しましょう」と話す。
 東洋文庫ミュージアムの「幕末展」は十二月二十七日までの午前十時~午後七時。休館日は毎週火曜(祝日の場合は翌日)。入場料は大人九百円など。都営地下鉄千石駅など下車。 (中村信也)

福岡
薩長連合に尽力 早川勇の掛け軸贈る
 現在の宗像市などで活躍した幕末の志士、早川勇(1832~99年)による漢詩の掛け軸を、所有者の吉田朋春さん(69)(福岡市城南区)が、宗像市に寄贈した。同市東部観光拠点施設「赤馬館」を中心に展示される。
 早川は遠賀郡生まれ。24歳で宗像の医師の養子となった。西郷隆盛や高杉晋作らと交流し、薩摩と長州の連合に尽力。維新後は東京で元老院大書記官を務めた。
 掛け軸は、「明君と良臣が同時代に出会うことは素晴らしいこと。これからも天子様を仰がれて、いつまでも英雄であってほしい」という意味の七言律詩で、西郷の活躍を称賛した内容とされる。
 吉田さんの祖父は明治時代、東京の英語学校に進み、早川に師事した。掛け軸はその際にもらった可能性が高く、2000年、父親が暮らしていた宗像市の家から見つかったという。
 吉田さんは04年から福岡市総合図書館に寄託していたが、赤馬館に早川を紹介する常設コーナーがあるため、宗像市への寄贈を決めた。吉田さんは「地元に展示するのが一番」と話し、谷井博美市長は「早川の功績を広く発信してお返しにしたい」と感謝していた。

佐賀
=武雄歴史物語= アームストロング砲 武雄でも相当数輸入
 天保年間の初めごろから武雄で進められた西洋砲術導入の動きは、同11(1840)年に岩田台場(現神埼市)で行われた大規模な西洋砲術演習が、藩主鍋島直正の上覧に供されたことを経て、佐賀本藩のプロジェクトへと広がっていきます。当時、欧米でも最新式であったアームストロング砲の輸入も、その一環でした。
 1855年、イギリスで開発された後装式施条砲であるアームストロング砲は、文久3(1863)年の薩英戦争で、初めて日本人にその威力を見せつけました。
 ただし砲身が破裂するなどの事故が相次いだため、イギリスでは一端前線から撤去されました。加えて輸出制限も解除され、結果として日本への輸入も可能になったのです。
 佐賀藩のアームストロング砲が、戊辰戦争の彰義隊戦で威力を発揮したことは有名ですが、『長崎方控』などの記述から、武雄でも幕末期に、この大砲を相当数輸入したものと思われます。戊辰(ぼしん)戦争で秋田方面へ出兵した武雄軍団は、6ポンドアームストロング砲4門(うち2門は本藩からの借用)と、4ポンド半フランスボーム砲2門、ほかに野砲4門などを装備していました。
 現在、アームストロング砲本体は残っていませんが、照準器が伝来しています。復元アームストロング砲や照準器を紹介する「武雄の大砲を見に行こう!」は9月6日まで武雄市図書館・歴史資料館で開催中です。
武雄市図書館・歴史資料館 一ノ瀬明子

アート
重文指定がない河鍋暁斎作品に「すぐ指定すべき」と美術史家
「ナマで日本美術を観に行こう」と始まった大人の修学旅行シリーズ。今回は幕末明治に一世を風靡した絵師・河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい)。狩野派の伝統技法から、遊び心溢れた戯画など、作風は多彩かつ広範。また、「日本建築の父」建築家ジョサイア・コンドルとの知られざる師弟関係など、その半生は驚きの連続だ。

「日本美術応援団長」で明治学院大学教授の山下裕二氏(美術史家)とフリーアナウンサーの酒井千佳さんが、日本が生んだ稀代の天才絵師の世界に誘う──。

山下:河鍋暁斎(1831~1889)は、正統派の水墨画、美人画から、ユーモラスな戯画、妖怪、春画と、多彩な作品を残し、幕末明治には狩野派の師から「画鬼」と呼ばれて愛され、絶大な人気を得た絵師です。でも、建築家ジョサイア・コンドルが弟子入りしたことは知られていません。酒井さんは大学で建築を専攻したのでご存じでしょう?

酒井:はい、東京駅、迎賓館をそれぞれ設計した辰野金吾、片山東熊の師で、「日本建築の父」として知られています。鹿鳴館や御茶ノ水のニコライ堂、この展覧会の会場の三菱一号館も設計していますね。

山下:明治14年に開催された第2回内国勧業博覧会の会場である上野博物館も設計していますが、暁斎はその博覧会に出品した『枯木寒鴉図』で絵画の最高賞「妙技二等賞牌」を受賞しました。コンドルはその絵にほれ込んで弟子入りします。

酒井:コンドルが日本絵画を学んでいたなんて大学では教えてくれなかったので驚きです。

山下:暁斎は6歳で浮世絵師の歌川国芳に師事し、9歳の時に日本画壇の主流だった狩野派に入門します。浮世絵と狩野派の素養があるというのは、現代なら「東京芸大出身の画家であり、人気マンガ家でもあった」といったことになりますね(笑い)。

酒井:しかも、ダイナミックな大作から繊細な小さい作品まで、信じられないくらい多才なんですね。『蛙を捕まえる猫図』なんて、グエッと呻き声が聞こえてきそうなほどリアルです。

ブックレビュー
『〈増補決定版〉新選組紀行』 中村彰彦著
 浪士組に加わるべく、近藤勇らが集結した東京小石川の伝通院。
 芹沢鴨が力士に喧嘩けんかを売った大阪の蜆橋跡。屯所となった京都の西本願寺。歴史小説家が、新選組ゆかりの舞台を訪ねつつ、その足跡をたどる。「甲陽鎮撫隊紀行」の増補が嬉うれしい。ファンの“聖地巡礼”に欠かせぬ1冊。(PHP文庫、720円)

エンターテインメント
 『組!』ファンとして、山本耕史さんのご結婚をお祝いします。ニュース記事はきりないので、代表として以下を。
〈速報〉「近藤」香取慎吾が「土方」山本耕史の電撃婚祝福
 SMAP香取慎吾(38)が22日夜、堀北真希と電撃結婚した親友の山本耕史を祝福した。
 午後11時15分から生放送されたテレビ朝日系「SmaSTATION!!」の冒頭から切り出した。
 「堀北真希さん、山本耕史を…オレの山本耕史を…よろしくお願いします! ご結婚おめでとうございます」
 2人は香取が主演した04年NHK大河ドラマ「新選組!」で共演以降、親交を持っており、「芸能界に友だちを作らない主義」の香取が、「電話番号を知る数少ない1人」として、山本の名前を挙げている。
 また、香取は「Sma-」の前番組「裏Sma」で、「ご結婚おめでとうございます…ザキヤマ」と、18日に一般女性との結婚を電撃発表したアンタッチャブル山崎弘也も祝福した。

切なすぎる…とにかく泣ける!編集部が選ぶ「薄桜鬼」名セリフ集
乙女向け恋愛アドベンチャーゲーム、「薄桜鬼」の舞台は幕末。 主人公・雪村千鶴は京の町で千鶴は新選組と出会い、一緒に生活することに。幕末を駆け抜ける男達の生きるための闘いが繰り広げられるストーリーですが、ゲームに始まり、テレビアニメやオリジナルアニメーションビデオ、舞台、ミュージカルなど幅広く展開されている大人気シリーズです。
他の乙女向けゲームとは違い、涙無しにはプレイできない悲恋エンディングも特徴ですが、今回はメインキャラクター達の泣ける?!グっとくる名台詞を編集部が選びました!

男の中の男、土方歳三

「どうして俺はここにいるんだ? 近藤さんを置き去りにして どうして てめえだけが助かってるんだよ?」

近藤さんが投降した後、彼が背中で泣くこのシーンはこちらも泣き叫びたくなうような切なさ。背中しか見せないのは新撰組を背負う土方の男の美学のように感じます。
鬼の副長と呼ばれる土方は自分の為に動くのではなく、常に「新選組の為」「近藤局長の為」を思うが故の苦悩していく彼は、正に「薄桜鬼」です。

クールでシャイな日本男児、斎藤一

「それでも 何もかもが変わってしまうわけじゃない 時代の移り変わりと共に変わるものもあれば 変わらないものもある」
「俺は変わらないものをこそ 信じている」

新選組に忠義を尽くす姿は、新選組に対する一途な想いと武士の信念を持っているからこそなんですよね。剣の腕前だけではなく剣に対する一途な愛、武士の信念を貫く心、新選組に対する一途な想い、その変わらぬ信念を表しているようで象徴的な台詞です。

漢気あふれるフェミニスト、原田左之助

「何を選ぶか分かりきってるってのに それでも 迷う俺を 情けねえと思うか?」
非常に義理堅いTHE・男な一面と、”男とはこういうものであってほしい”という女子のハートを鷲掴みするようなフェミニストな一面も持ち合わせる原田。唯一羅刹化しない彼は、普通の人間と鬼という立場の違いや、仲間と主人公の関係について葛藤する姿がとても切なく描かれています。

等身大の頑張り屋さん、藤堂平助

「自分の決めた道なのに いつも後悔して 迷って やめたくなって なんなんだろうな 俺 最低だ 」
「たとえ身を羅刹かしても お前を守りたい その気持ちだけは迷いも後悔もない 信じてみててくれ お前の居る限り 絶対に負けないから 鬼であろうとなかろうと オレの大切な人だ 」

羅刹を一番嫌っていたが、羅刹として生きることを選ぶ平助。そのことで悩み苦しむ姿に、以前のようなお茶目さは陰をひそめます。今の自分にとって何が大切かを見極める彼に自分に重ね、彼の強い姿に憧れてしまいますね。

誇り高き鬼の頭首、風間千景

忘れるな 鬼は必ず約束を守る 貴様も鬼の誇りを持って果たせ」
鬼の信条によるところが大きく、彼にとって”己が鬼の頭首である”という事に強い誇りを持って生きている事がうかがえます。悪役なポジションに居るけれどしっかり主人公を守り、優しく扱ってくれる、そんな所が1番の魅力でしょう。

溢れ出る強さと弱さと色気、沖田総司

「今が長くても短くても 僕に出来ること何て ほんのすこししかないんです 先が短いなら なおさらじゃないですか」
病気にも関わらず、近藤さんのために、新撰組のためにと闘う姿はまさに守ってあげたくなる男No.1です!強いけど弱い。そのギャップがもどかしくなるほど愛しい彼の魅力であり、そういった純粋さゆえの不器用さが女性の本能をガンガンくすぐる部分なのではないでしょうか。

「僕が君を殺してあげるよ」
一見酷く聞こえるこの言葉。自分の居場所について悩み、諦めようとする主人公。実はそんな彼女に向けた”前に進むことを諦めるなら、僕が終わらせてあげる”、”殺されたくなければ諦めるな”という彼なりの優しさのこもったメッセージなのです。

何度も泣きたい、薄桜鬼

薄桜鬼」は美しく、切なく、儚く、悲しい物語。再度プレイしてもまた泣ける、泣ける泣けるったら泣けます。薄桜鬼のプレイはまだというあなたも新撰組の生き抜いた激動の時代、幕末乱舞の世をぜひ感じてみてください。チケットストリートでは、薄桜鬼のチケットをはじめとするアニメ・声優関連のチケットを絶賛取り扱い中です。是非チェックしてみてくださいね。
連続した猛暑日が昨日今日途切れてやっと一息ですね。昨日は東京湾花火大会の音が盛大でした……花火は見られなかったのですが(;_:)。

岩手
いわて旬の人:「宮古海戦組」の会長代理・伊藤栄利子さん /岩手
◇開港400周年でPR 歴史に学び、再び誇りを 伊藤栄利子さん(29)

 開港400周年で宮古をPRする「宮古海戦組」の会長代理、伊藤栄利子さん(29)は旧幕府軍の軍艦と新政府軍の艦隊が戦った「宮古港海戦」で、副長として参戦した土方歳三の新選組に心酔する。歴史好きの「歴女」が「誠」ならぬ「開港400周年」の旗を掲げて、ときの声を発する。【聞き手・鬼山親芳】

 −−宮古港が「慶長の大津波」からの復興過程で、南部藩の外港に定められて今年で400年です。ことほぎに、「宮古海戦組」もはせ参じました。

 なんといっても宮古港は明治2(1869)年3月、停泊していた新政府軍の艦隊に、旧幕府軍の軍艦が接舷して奇襲攻撃をかけた「宮古港海戦」の歴史の舞台です。新選組とは縁があります。

 −−「宮古海戦組」の結成も新選組と関係あるそうですね。

 ええ、東日本大震災前の2010年10月でした。日本各地で活動する同好会による「新選組サミット」を宮古で開けないかと。前身の「宮古港海戦の会」を結成して間もなく震災が起き、もうこれは無理かなと思っていたら、逆に「弱音を吐いてどうする」と励まされて。震災の年の11月、サミット開催にこぎつけました。宮古の名を全国に発信して知ってもらう、私たちなりの震災復興への貢献活動でした。

 −−宮古の歴史とのかかわりは。

 浄土ケ浜の観光ガイドをしているうちに「宮古港海戦」を知りました。「あっ、これを観光や町づくりに生かせたら」と。

 歴史は祖父から戦争体験を聞いて興味がありました。海戦の歴史を調べたら、フランス人の砲術士官、ジュール・ブリュネが旧幕府軍の軍艦で箱館に向かう途中、陸から宮古港をスケッチに描いていました。

 この人、米映画「ラストサムライ」でトム・クルーズが演じる主人公のモデルなんですよ。信頼を寄せる旧幕府軍の教え子たちを見放せないと、それはもう義に厚い人物でした。

 −−新選組はどうでしょう。

 最後まで諦めない、有言実行の男たちでした。でも私たちの活動に批判的な人もいます。テロリスト集団を美化し過ぎると。そうした批判も理解できるので、耳を傾けながら活動しています。

 −−宮古でまた、「新選組サミット」があるそうですね。

 9月19、20日です。20日には宮古港海戦を題材にした舞台も市民文化会館で予定し、市民と一緒に観劇してもらいます。プロの劇団ですけど、会員たちも出演します。脚本は会員の一人が執筆します。

 −−昔は「宮古湾海戦」と呼ばれ結構市民には知られていました。しかし、郷土史研究がいつの間にか途絶え若い人たちに受け継がれず、今の人たちが口にすることは、ほとんどなくなりました。

 痛感しています。海戦の死者たちを新政府軍、旧幕府軍と分け隔てなく弔った宮古の先人たちです。もう一度、歴史に学び、宮古の誇りを取り戻したい気持ちです。

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 ■人物略歴

 ◇いとう・えりこ

 宮古市出身。県立宮古高校から東京都内の私立女子大に進学。卒業後、宮古に戻り、景勝地・浄土ケ浜の観光ガイドに。今は「宮古海戦組」会長代理として、多忙な沢田克司会長(宮古観光文化交流協会長)に代わり、奔走する。市内の自宅で両親と3人暮らし。
福島
古里若松で交流 みやぎ会津会、斗南会津会
会津地方出身者ら会津にゆかりのある人たちで組織している、みやぎ会津会(宮城県)と斗南会津会(青森県)の交流事業が4日、会津若松市で始まった。6日まで。
 昨年、両会の交流事業の一環として同市の会津若松ザベリオ学園高の生徒を青森県の斗南藩ゆかりの地に招いたことから、今回は同市を訪れることにした。
 初日は青森県の三戸高と会津若松ザベリオ学園高の生徒が市内の會津藩校日新館で宗像精館長の講義を受けた。宗像館長は日新館の教え「什(じゅう)の掟」の精神文化が優秀な人材を育んだと話した。三戸高の滝尻善英教頭が戊辰戦争で敗れた会津藩が斗南藩として再興する歴史などを説明した。
 5日は、みやぎ会津会と斗南会津会の会員が会津藩ゆかりの地を訪問し、室井照平会津若松市長らとの懇談会を開く。

( 2015/08/05 09:11 カテゴリー:主要 )
コラム
あなたは新撰組か奇兵隊、それとも幕臣? 恋人にしたい幕末志士はこの5人!
前回は「恋人にしたい戦国武将」を紹介しましたが、今回の舞台は幕末です。そう、幕末の志士たちです!

幕末志士とは海外からの圧力に揺れ動いた幕末時代に新撰組をはじめ、幕府を立て直して国を守ろうとしたもの、はたまた奇兵隊のように幕府を倒して新しい政治体制を作ろうとしたものと思想は様々ですが、日本を良くしようと働いた者たちのこと。彼らの魅力は自分が信じた道を一身に生きる強さと雄々しさ。そんな幕末志士から、歴史好き女子が独断と偏見で選んだ恋人にしたい5人を紹介していきます。

○生涯を新撰組に捧げた男、鬼の副長・土方歳三

まずは、言わずと知れた新撰組鬼の副長こと、土方歳三。土方は戊辰戦争によって函館で散る最期の最期まで、新撰組に命を捧げました。規律に厳しく隊士からは怖がられていたようですが、実は俳句が趣味という風流な一面も持っていました。また、土方は古写真も残っているのですが、これがまた男前! 涼しい目元が特徴的で、現代に生きていても人気が出そうな顔立ちをしています。

ただ、手が早く彼女を取っ替え引っ替えしていたようなので、付き合うとすれば一夜限りの相手となるでしょうか。ですが、そんな土方をいかにして自分の元にとどまらせるかを考えるのも面白いかもしれませんね。

○志半ばで散った不思議な色気を持つ高杉晋作

続いて紹介する高杉晋作は、奇兵隊を率いて倒幕の道を切り開いた幕末志士です。高杉は朝廷の敵となったことに驚いて戦わずに降伏した長州藩(現在の山口県)を敵を作ってでも立て直したほど、行動力がありました。

そんな高杉は気性が荒かったことで有名ですが、実は家に帰ってきた時には妻に優しかったようです。また、敵の多い人だったので哀愁と不思議な色気をもっており、そこにキュンとする女性も多いのではないでしょうか。ただ、忙しくてあまり家に帰らなかったうえに、実年齢で27歳という若さで亡くなってしまうので、彼女になったら寂しい思いをするかも。

○先見の明に長けていた懐が深く豪快な勝海舟

今度は幕臣から。戦渦に巻き込まれそうになった江戸で無用な血が流れるのを阻止した勝海舟です。当時、外国に対していい印象を持っていなかった日本人には珍しく、外国の凄さを認めて日本を近代化することにイチ早く目を向けていたのです。

そんな柔軟な考えを持てる勝ですから、彼女になったら理不尽なことで喧嘩するのではなく、話し合いながら解決してお互いに高め合える関係になれそう。また、根っからの江戸っ子だったので、豪快で気前が良く男らしいところを見て、さらにほれ直すかもしれません。

○文武両道の新撰組総長、美男子・山南敬助

新撰組と言えばこの人も忘れてはいけません。烏合の衆だった新撰組を頭脳派として支えていた山南敬助です。穏やかで優しく、隊士からも慕われていました。しかし、思想の違いから局長の近藤勇らと距離を置くことになり脱走を図ったため、切腹させられてしまいます。その最期の姿は堂々としていて、立派だったと語られています。

頭脳明晰で知られている山南ですが、剣術も免許皆伝の腕前で、さらには美男子。文武両道のイケメンであれば放っておく女性はいませんよね。しかも、山南は明里という恋人を一途に思い続けていたそうなので、彼女になったら大切にしてもらえるはずです。

○幅広い分野に精通した好奇心旺盛な榎本武揚

最後に紹介するのは、オランダ留学により航海術や国際法など様々な分野に精通していた榎本武揚。旧幕府軍と新政府軍の争いである戊辰戦争では旧幕府軍として敗北したにも関わらず、その能力を買われて明治新政府の役人として活躍しました。さらに、榎本は好奇心が旺盛で新しい物好き。流星刀という隕石(いんせき)で作った刀を所持していたのだとか。

冒険精神旺盛な榎本の彼女になると、外国のいろんな最先端の技術や流行に触れることができるでしょう。さらに、面白い話も聞けるので、一緒にいても新鮮で飽きないのではないでしょうか。

いかがだったでしょうか。前回の戦国武将とは違い、あまりにも破天荒な人というよりは、自分の信念を突き通した男性として魅力ある人物がラインナップに入ったのではないかと思います。やはり、恋人でも夫でも人として尊敬できる男性と付き合っていきたいものですね。戦国武将とは違って古写真なども残っているので、気になった人物の画像などを探してみるのも面白いかもしれません。

※写真はイメージで本文とは関係ありません

○筆者プロフィール: かみゆ歴史編集部
歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史全般、世界史、美術・アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『一度は行きたい日本の美城』(学研パブリッシング)、『日本史1000城』(世界文化社)、『廃城をゆく』シリーズ、『国分寺を歩く』(ともにイカロス出版)、『日本の神社完全名鑑』(廣済堂出版)、『新版 大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)など多数。また、トークショーや城ツアーを行うお城プロジェクト「城フェス」を共催。
「かみゆ」
「城フェス」
 山南敬助が美男認定されているのは一体どの史料からきているのでしょう(苦笑)。それより伊東甲子太郎の方が美男確定だと思うんですが……写真は残ってませんが、日本画が残っているし、同時代人の証言も残ってますので。

これは男前だーーっ!幕末イケメンに新スター誕生の予感、勇ましき志士「上田甚五右衛門」
幕末〜明治初期の古写真の中には現代でも通用するようなイケメンがちょいちょい発見され、ネットでもそれらの人物の古写真はとっても人気があります。渋沢平九郎や織田信福はその代表とも言えますね。


渋沢平九郎(左)、織田信福(右)

そして今回紹介するのはネットでもまだ大きく取り上げられたことのない人物「上田甚五右衛門」です。


上田甚五右衛門

イエッス!イケメン!

眉のきりりとした端正な顔立ちですよね。日本刀を左に抱え右手にはリボルバー。そして胸元には懐中時計でしょうか。この古写真は明治初期に撮影されたものです。

上田甚五右衛門(うえだじんごえもん)は徳島藩の志士で、徳島藩士の洋式銃砲隊「銃士隊」の中心人物でした。戊辰戦争では銃士隊を率いて奥羽征討戦にも参加した人物です。徳島藩と稲田家による稲田騒動で稲田討伐にも関わりました。

明治3年には八丈島へ流罪となりますが3年で赦免となり、その後徳島へ帰ることになります。

幕末の志士たちの古写真はどれも志に生きていることが伝わる凛々しい姿をしていますが、上田の古写真もまた志に満ち満ちた表情をしています。

幕末のイケメンが紹介されたページとしては幕末ガイドさんの記事が一番ステキにまとめられていますので是非チェックしてみてください。今回紹介した上田の古写真、上位に食い込むと思うのですがいかがでしょう。
現代にも通用する幕末イケメンをランキングしてみた| 幕末ガイド

参考: 徳島県立文書館

日本の文化と「今」をつなぐ – Japaaan

エンターテインメント
舞台「幕末太陽傳」ポスタービジュアルは、まさかの現代風!佐平次がかっこよすぎる
 9月4日より下北沢・本多劇場で上演される舞台「幕末太陽傳」のポスタービジュアルが公開となり、現代風の佐平次、こはる、おそめ、3人の姿がお披露目となった。1957年に公開された名作映画『幕末太陽傳』の左平次(フランキー堺)、女郎おそめ(左幸子)、女郎こはる(南田洋子)をそれぞれ青木崇高、田畑智子、MEGUMIが演じる。

【写真】1957年の名作『幕末太陽傳』場面写真

 舞台版のポスタービジュアルは、映画版で佐平次を挟むかたちでこはるとおそめが左右に並んだ画(え)と同じ構図のもの。しかし、3人の衣装は映画版とはうって変わって現代風。実際の舞台では和服姿だがポスタービジュアルはあえて、映画版の佐平次の有名な名ゼリフ「地獄も極楽もあるもんけぇ、おいらはまだまだ生きるんでぇ!」から、「佐平次たちが現代まで生き続けていたら?」と連想して現代風に制作したという。

 現代版の佐平次(青木)は白いシャツに黒いベストの上にカラフルな着物を羽織っている。蝶ネクタイを外したラフな雰囲気がいかにも、常識にとらわれず気取らない粋な佐平次といった感だ。おそめ(田畑)は、赤いドレスに黒の手袋、黒のチョーカーを身に着けたエレガントな雰囲気。こはる(MEGUMI)は、長いキセルを片手にブルーのドレス、パールのネックレスをつけたゴージャスなイメージだ。

 本作は、「居残り佐平次」などの古典落語を基に、江戸の色町で繰り広げられる騒動を描いた1957年製作の喜劇映画を、「毛皮族」を主宰する脚本家、演出家、女優・江本純子の上演台本、演出により舞台化したもの。遊郭に居座った一文なしの佐平次の粋な生きざまと、遊女や出入りする客たちとのエピソードが軽快なタッチで描かれる。7月31日に亡くなった加藤武さんが生前、舞台化が決定した際に「映画『幕末太陽傳』は我ら青春の代表作品だ」とコメントを寄せた本作。斬新なポスタービジュアルからも、時代を超えて愛され続ける名作が舞台でどのようにアレンジされるのか、期待が高まる。(編集部・石井百合子)

「幕末太陽傳」は9月4~13日まで、本多劇場にて上演(8月9日よりチケット一般発売スタート
 ムネムネが佐平次演じるので見に行く気満々です。
暑いですね……毎日毎日、最高気温34度とか36度とか、体感温度41度とか、冷房なしで生きていけない(;_:)。旧盆を過ぎれば朝晩涼しくなるから、と、自分を励ましています。
 明日は待ちに待った『幕末Rock』ミニアルバムの発売日です。ガンガンかけて、元気出したいです。

北海道
五稜郭跡の兵糧庫を一般公開
 国の特別史跡・五稜郭跡にある兵糧庫の一般公開が1日、始まった。箱館奉行所跡の発掘調査で出土した陶芸製品などを展示しており、初日から多くの観光客が訪れた。31日まで。

 兵糧庫は1864年ごろに土蔵として建設。五稜郭建造当時から唯一現存している建物で、大正時代には「懐旧館」の名称で箱館戦争の展示資料館として利用されていた。その後も解体を逃れ、数回の補修工事をしながら現代に受け継がれている。一般公開は毎年この時期に実施している。

 庫内には皿や瓶など遺物数点のほか、箱館戦争時に砲撃を受けて爆沈した明治新政府の軍艦「朝陽」の竜骨の一部などを展示。また、兵糧庫の歴史を紹介するパネルも設置している。管理する箱館奉行所の田原良信館長は「建設当時の柱もしっかりと残っており、多くの人に五稜郭の歴史の一端を感じてもらいたい」と来場を呼び掛けている。

 千葉県から訪れた主婦、八木沼恵さん(42)と娘の結戸さん(12)は「普段見られないものばかりで感動した」と話していた。

 公開時間は午前10時から午後3時まで。入場無料。

箱館奉行所5周年祝う太鼓の音
 箱館奉行所(五稜郭町、田原良信館長)は29日、開館5周年の記念イベントを行った。来館者が和太鼓の演奏や和装の試着体験などを楽しんだ。

 館内で格式高い部屋といわれる「一ノ間」では、「奉行に変身」と称して裃(かみしも)の衣装や打ち掛けなどを着て記念撮影する体験コーナーを開設。先着100人にオリジナルグッズを贈呈した。

 午後からは屋外で函館巴太鼓ジュニアの演奏会が開かれ、通りかかった観光客らが足を止め、力強い演奏に拍手を送っていた。奉行所スタッフによる折り紙教室も開かれ、親子連れらが体験した。

 5周年に田原館長は「函館は和洋が融合した景観を楽しめるまち。その中で伝統的な日本文化を体感できる名所として、さらに発信していきたい」と話した。

 箱館奉行所は江戸時代末期、日本の北辺防備の拠点として設置された江戸幕府の役所。今の建物は当時の外観写真や絵図などをもとに復元し、2010年7月29日オープン。今年6月には入館者100万人を突破した。

ヒグマ出没急増、四稜郭や笹流ダム周辺
 7月に入り、函館市陣川町の四稜郭から赤川町の笹流ダム前庭広場周辺で、ヒグマの出没が相次いでいる。昨年の同時期の出没情報は1件だったが、今年は11件と例年にないクマの出没情報が寄せられている。23日現在、人畜被害はないが、市など関係機関は注意を呼び掛けている。

 クマの目撃情報の増加を受けて市農林整備課は、17日に箱わなを設置。翌18日夕に子グマ1頭を捕獲した。クマは体長約1㍍のメスで、やせこけていたという。ただ、捕獲後もクマの目撃があったことから、同課では付近の住民に警戒を呼び掛け、新たに箱わなの設置を検討している。

 一帯を見回りする北海道猟友会新函館支部の水島隆支部長(62)によると、陣川で目撃されている子グマは親離れして間もないとみられる。えさが豊富にある山奥は成熟した〝大人グマ〟の縄張りのため、「子グマは大人グマを恐れて、人里に逃れてきているのでは」とみる。他のクマの縄張りに入ると、殺されることもあるという。

 陣川町周辺で目撃されているクマは畑を荒らしておらず、人に直接危害を加える危険性は低いと見られるが、安全策は不可欠。水島支部長は「単独で入山しないこと。この時期は木の実や山菜が少ないので、生ゴミを屋外に置くことは厳禁。クマは人を警戒しながら行動するので、外出する際は音が鳴る物を身に付けるなどして、人間の存在を知らせることも必要」としている。

 陣川周辺の出没状況をみると、川沿いが多く、子グマが人を警戒している様子もうかがえる。クマの警戒に当たる関係者は「クマ社会も厳しい。(生きるために)子グマも大変だ」と複雑な心境だ。
 四稜郭のように市街にかなり近いところでもヒグマが出るんですね。鈴など音の出るものを持っていく必要がありそうですね。

福島
天守閣再建50周年を記念 日本郵便東北支社3日から 鶴ケ城オリジナル切手販売
 会津若松市の鶴ケ城天守閣再建50周年を記念し、日本郵便東北支社は8月3日にオリジナルフレーム切手「名城 鶴ケ城 時空をこえて」を会津地方の全郵便局(一部の簡易局は除く)で発売する。
 会津の歴史と文化を広くPRしようと、市や市教委、鶴ケ城を管理する会津若松観光ビューローの協力で実現した。
 蒲生氏郷公時代のイメージ画をはじめ、戊辰戦争後、再建後、赤瓦に改装後、夜桜、春夏秋冬など10種類の鶴ケ城天守閣を取り上げた。
 一シートに82円切手が10枚含まれ、価格は1230円。販売部数は2千部の予定。問い合わせは日本郵便東北支社郵便・物流営業部 電話022(267)7666へ。

コラム
やっぱりイケメンじゃないか! 土方歳三の髪型を今風にしてみたらビックリするほど現代人
 新撰組副長の土方歳三(ひじかたとしぞう)は、歴史的な偉人でありながら歴史的なイケメンとしても知られる人です。そんな土方歳三のルックスが現代でも通じるのか検証するべく、今風の髪型にコラージュした画像をTwitterユーザーのnaocoさん(@naoon_naoco)が作成しました。

イケメンだぁ!

画像
こちらがオリジナル土方歳三(国立国会図書館 電子展示会「近代日本人の肖像 土方歳三」より)

画像
ジャニーズ事務所の方でしょうか? (画像提供:naocoさん)

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長め

画像
イケメン……

 いまどきの大学生風な髪型に3種のヘアメイク(コラージュ)をされた土方は、どれも疑いようのないイケメンです。美的感覚は時代の流れとともに変わっていくものですが、今も昔もイケメンはイケメンでした。

 画質の悪い昔の写真でもイケメンになるのですから、本物はさらにかっこ良かったのだと思います。肩書もこの上なく立派な人ですし、当時モテたのも納得の画像でした。

(コンタケ)
 ぜひリンク先のコラ画像で現代風のイケメンぶりをご確認ください。

エンターテインメント
ひと人:漫画家・苑場凌さん /山口
◇美祢の交流大使、塾を開講 苑場凌さん(54)

 戊辰(ぼしん)戦争で自刃した会津藩の少年隊士「白虎隊」の生き残りが、宿敵の長州で養育されていた−−。この戦争に出陣した長州藩士・楢崎頼三が治めていた美祢市の集落で、約150年間にわたって口伝されてきた秘話を基にした漫画「あずさ弓の如(ごと)く 飯沼貞吉物語」(上、下巻)を2012、13年に自費出版した。

 美祢市出身で、小学5、6年のころには自作ストーリーの漫画を描いていた。地元高校を卒業後、東京の美容専門学校に約1年通ったが、出版社の建物を見て漠然と抱いていた漫画家に挑戦しようと思い立ち、退学した。

 アルバイトをしながら投稿を始め、24歳で週刊少年マガジンの「ぼんくら純情伝」でデビュー。現在はミステリー雑誌2冊に連載を抱える。

 「あずさ」のきっかけは十数年前。幕末関連資料の中に、元白虎隊士で後に逓信省技師となる飯沼貞吉が長州で育てられていたという記述を発見。その後、美祢市の集落に残されていた口伝にたどり着き、自ら取材した。

 現在は、長州出身で林学者の松野〓(はざま)の人生などを基にした漫画を構想中。昨年から美祢市ふるさと交流大使を務め、今年8月からは美祢市民を対象とした漫画塾も開く。「漫画は大人から子どもまで楽しめるツール。市民と一緒に作れたら面白いですね」と話した。【蓬田正志】

〔山口版〕
気がつけば7月も明日で終わりですね。8月になると少しは湿気が下がってからっとしてくれるかしら。

岩手
「宮古港海戦」を学ぶツアー
明治維新の際に新政府軍と旧幕府軍が繰り広げた「宮古港海戦」を学ぶツアーが行われ、市民が当時の戦いをしのびました。これは市民グループ「宮古海戦組」が宮古港開港400周年に合わせて初めて企画したものです。宮古港海戦は1869年、旧幕府軍が宮古に停泊していた新政府軍の船を奪おうとした戊辰戦争の雌雄を決する戦いの1つです。20日のツアーにはおよそ40人が参加し、今も残る兵士の墓や港のそばの石碑を訪ねました。宮古海戦組は宮古港海戦の歴史を通じてふるさとの知識を深め、誇りを持ってほしいとしています。

東京
多摩モノレールが夏休み企画 スタンプラリーや運転士体験
 多摩都市モノレール(立川市泉町)は7月18日から、夏休み企画としてスタンプラリー「多摩ぶらり ぐるっと夏の大冒険!!」を実施している。

 「多摩ぶらり ぐるっと夏の大冒険!!」は沿線の6施設をモノレールで回り、各施設でスタンプを集めるというもの。2つ以上のスタンプを集め、車内の中刷りポスターのクイズに答えると記念品が進呈される。対象施設は、東京都立埋蔵文化財調査センター(多摩市)、多摩動物公園(日野市)、日野市立新選組のふるさと歴史館(同)、国立極地研究所南極・北極科学館(立川市緑町)、立川防災館(同泉町)、東大和市立郷土博物館(東大和市奈良橋1)。8月31日まで。

 小学生を対象に「一日駅長体験」(8月15日)、「一日運転士体験」(同16日)も実施する。「駅長や運転士になりきり、さまざまな仕事の体験を通じて多摩モノレールをより身近に感じていただき、夏休みの楽しい思い出にしていただくことを目的に毎年実施し、大変好評をいただいている」と同社運輸部の関さん。

 「一日駅長体験」は、多摩センター駅で駅長辞令を交付された後、放送・出発合図や駅構内の巡回、制服姿で写真撮影、点呼体験などができる。定員は親子15組(30人)。「一日運転士体験」は高松駅で運転士点呼、運転台見学、放送体験の他、制服姿での写真撮影や臨時電車への乗車などが体験できる。定員は親子20組(40人)。いずれも対象は小学生親子で、往復はがきで受け付ける、応募者多数の場合は抽選。締め切りは7月31日。

 「楽しみながら夏休みの体験学習や自由研究に活用いただければ。この機会に一人でも多くの方に『多摩モノファン』『多摩モノ沿線ファン』になっていただけたらうれしい」と関さんは話す。

岐阜
幕末の写真原板をデジタル記録 下呂
 東京大史料編纂(へんさん)所の技術専門職員が、下呂市金山町にある加藤素毛(そもう)記念館を調査に訪れ、素毛が米国で撮った肖像写真の原板などを最新のデジタル技術で記録した。

 加藤素毛(一八二五~七九年)は同町出身の俳人で、幕末に遣米使節の一員として世界一周したことでも知られる。調査は「古写真研究プロジェクト」の一環で、同編纂所の専門職員、谷昭佳さん(46)と高山さやかさん(31)が訪れた。

 記念館所蔵の写真原板は一八六〇年、米国ワシントンで撮影され、原板自体を鑑賞するアンブロタイプ(湿板写真)。被写体が素毛であることが確かで、伝来もはっきりしていることから、記録の対象となった。同時代の史料価値が高い写真原板は現在、国内に百点もないという。

 東大は一九三四年、素毛が世界一周中に書いた「亜行(あこう)航海日記」をレクチグラフ(白黒反転写真)で記録しており、素毛関連の調査は約八十年ぶり。肖像写真の原板や木箱などを、デジタルカメラで高精細に撮影した。

1860年に米国ワシントンで撮られた加藤素毛の写真の原板=下呂市金山町の加藤素毛記念館で
写真
 谷さんは「素毛は写真が伝わっているだけでなく、撮影時の様子なども日記に記録しており、合わせて見られるところが写真史的に面白い」と評価。同席した記念館の館長、日下部格(いたる)さん(71)は「素毛の遺品のおかげで、当時の西洋文化や技術の研究が進めば大変うれしい」と話していた。

 (小柳津心介)
ミニアルバム「幕末rock 極魂(アルティメットソウル)」発売を8月5日に控えて、4曲目の配信となりました。



ヨッシーが可愛いっす。

「幕末Rock 極魂」新曲ミュージックビデオ第4弾「絶頂SPIRAL」を配信
歌で戦う幕末革命ADV『幕末Rock』がついにアプリに登場!
『幕末Rock 極魂(アルティメットソウル)』
アプリリリース記念!新曲ミュージックビデオ特別配信!
7月24日(金)より<第4弾>楽曲追加!
株式会社マーベラス(代表取締役会長 兼 社長 CEO:中山 晴喜/所在地:東京都品川区)は、iOS/Android向けアプリ『幕末Rock 極魂(アルティメットソウル)』の公式ティザーサイトにて、7月24日(金)よりアプリ版リリースを記念して特別配信を行っている、新曲ミュージックビデオ<第4弾>を公開したことをお知らせいたします。

アプリリリース記念!新曲ミュージックビデオ特別配信!!
第4弾は「絶頂SPIRAL」
坂本龍馬(CV:谷山紀章)×徳川慶喜(CV:斎賀みつき)

『幕末Rock 極魂(アルティメットソウル)』の配信に先駆け、リズムゲームパート「視覚雷舞(ビジュアライブ)」中にバックで流れる今作の新曲ミュージックビデオ<第4弾>を7月24日(金)より特別公開!

★『幕末Rock 極魂(アルティメットソウル)』新曲ミュージックビデオ特別公開<第4弾>

■「絶頂SPIRAL」
坂本龍馬(CV:谷山紀章)×徳川慶喜(CV:斎賀みつき)
<公開期間>
2015年7月24日(金)15:00より配信開始

応募急げ!締め切りは27日14:59まで!!坂本龍馬役の谷山紀章さんと徳川慶喜役の斎賀みつきさんのサイン色紙を抽選でプレゼント!!

現在実施中の、緊急Twitterキャンペーンにご参加いただいている皆様のご要望に応えまして、「絶頂SPIRAL」を歌う坂本龍馬役の谷山紀章さんと徳川慶喜役の斎賀みつきさんのサイン色紙を、抽選で各1名様ずつ計2名様にプレゼントいたします!

応募方法は簡単!ハッシュタグ「#極魂」をつけて熱い熱情(パッション)をツイートしてください!
期間は7月24日(金)15:00より7月27日(月)14:59までに投稿されたツイートを対象といたします。初回より期間が短いのでご注意ください!
みなさま 烈(レッツ)!呟(ツイート)!!
『幕末Rock 極魂(アルティメットソウル)』
ミニアルバムが8月5日発売!!

『幕末Rock 極魂(アルティメットソウル)』で新しく追加される新曲6曲を収録したミニアルバムが登場です。ペア人気投票で選ばれた組合せによる4組のカップリング曲&贔屓(ファン)待望の超魂團(ウルトラソウルズ)の新曲に加え、近藤勇が歌う「光の原石」もフルバージョンで新録!
幕末Rock極魂(アルティメットソウル)ミニアルバム
発売日:2015年8月5日
価格  :2,200円+税
品番  :GNCA-7220
発売元:マーベラス
販売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント
(C)2014 Marvelous Inc./幕末Rock製作委員会
超★超歌劇(ちょう・ウルトラミュージカル)『幕末Rock』再演決定!

幕末Rock 極魂 新曲・新演出を追加し
さらにパワーアップ!
2015年8月8日(土)、9日(日)/
大 阪・梅田芸術劇場
シアター・ドラマシティ
2015年8月13日(木)~16日(日)/
東 京・Zeppブルーシアター六本木
公式HP:
http://bakumatsu.marv.jp/stage/
アニメ『幕末Rock』ニコ生一挙放送決定!!

『幕末Rock 極魂(アルティメットソウル)』の配信を記念して、アニメ『幕末Rock』全12話一挙放送を行います!放送を楽しんでくれた人も、見逃してしまった人も、是非この機会に『幕末Rock』の世界をお楽しみください!

◆放送日
2015年8月29日(土)25:00より30:00まで
※詳細は下記サイトをご覧ください。
URL:: http://live.nicovideo.jp/watch/lv226547360
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