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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
考えてみたら、当ブログは2003年12月から営業してまして(バックデートした記事もあるので、実際には2004年1月に開始)、今年の12月で満10年になるんです。わーお、続いているもんですねぇ。

北海道
小樽市総合博物館運河館で企画展「幕末小樽のアイヌ社会」-貴重な資料を展示 /北海道
 小樽市総合博物館運河館(小樽市色内2)第1展示室で10月5日、「小さな企画展 幕末小樽のアイヌ社会」が始まった。(小樽経済新聞)

【画像】 小樽市総合博物館運河館の外観

 江戸時代後期の高島・忍路を中心とした地域に住むアイヌの人々に関する資料を紹介する同展。アイヌの人々の生活文化をうかがい知ることができる服飾品や和人(本州以南に住む人々。アイヌの人々と区別するために使われる呼び方)との交易の様子を伝える文献を紹介する。

 同館運河館は1893(明治26)年に建てられた「旧小樽倉庫」の一部を利用して開館。同市の歴史を伝える第1展示室と同市の自然の多様性を標本や写真、ジオラマなどで表現する第2展示室で構成される。同館に所蔵されている資料は10万点以上に上り、中でも2万点に達する古写真コレクションは、デジタルデータ化され、館内の備え付けパソコンで検索・閲覧することができる。

 開館時間は9時30分~17時。入館料は、大人=300円、小人(中学生以下)無料ほか。12月6日まで。

福島
山口・萩から「白虎隊」供養 会津に自刃の図を持参し初
 山口県萩市唐樋(からひ)町の町内会役員らは3日、会津若松市の飯盛山にある白虎隊士の墓を訪ね、花を手向けた。会津と長州は戊辰戦争で戦った間柄だが、唐樋町の地蔵堂には白虎隊の自刃の図が掲げられており、町内会役員らが初めて会津にその自刃の図を持参し、白虎隊士を供養した。
 地蔵堂は萩市の中心部にあり、自刃の図は1939(昭和14)年から掲げられているという。自刃の図が萩市にあった理由は定かではないが、毎年秋分の日には地元の地蔵講が中心となって慰霊祭を行っている。
 唐樋町内会の塩飽(しわく)利直会長によると、かねてから町内会として自刃図を会津に持参し、白虎隊を供養したい―と願っていたという。
 念願かない、萩市から9人が来県。自刃図を白虎隊士の墓前に供え、手を合わせた。また、萩市出身の吉田松陰が会津を訪れた際の足跡をたどったほか、「会津と萩との友好を考える会」の滝沢洋之さんらと交流を図った。塩飽会長は「会津の方々が白虎隊士をしっかりとまつっていることが素晴らしい。これからも自刃図を守る。会津と積極的に交流したい」と話した。

墓参りし白虎隊士の冥福祈る 山口・萩市の町内会 「自刃の図」持参
 山口県萩市の唐樋町町内会の会員は3日、福島県会津若松市の飯盛山を訪れ、地元の地蔵堂に奉納されている「白虎隊自刃の図」を持参し、隊士の墓前に手を合わせた。 
 萩市と会津若松市は戊辰戦争で長州藩、会津藩として戦った間柄。塩飽利直会長らによると、奉納された理由は明らかではないが、若くして命を落とした隊士を悼む人が、地蔵堂に奉納したと伝えられているという。地蔵堂では毎年9月、白虎隊士の慰霊祭を行っている。 
 塩飽会長ら9人が訪れた。墓前に線香を手向け、隊士の冥福を祈った。 
 一行は、長州藩士の吉田松陰が通った会津坂下町の束松峠など、松陰ゆかりの地も訪れた。

白虎隊士思い、りりしく剣舞 若松で墓前秋季祭典 
 会津弔霊義会(芳賀公平理事長)は24日、会津若松市の飯盛山で白虎隊士墓前秋季祭典を行い、戊辰戦争で散った少年たちの霊を慰めた。
 弔霊義会、同市関係者、白虎隊士の遺族らが参列。芳賀理事長が「会津の少年たちは武士として学ぶ前に人間として学んだ。人間としての基本を尊ぶ会津武士の精神を継承していく」と祭文を読み上げた後、関係者が玉串をささげた。
 会津高剣舞委員会が剣舞を奉納。生徒たちのりりしい表情と動きに多くの観客が見入った。

白虎隊士の霊慰める 墓前祭で剣舞披露
 戊辰戦争で自刃した白虎隊士ら少年武士の霊を慰める墓前秋季祭典は24日、福島県会津若松市の飯盛山で行われた。 
 会津弔霊義会の主催で、毎年春と秋の2回催している。関係者約200人が参列した。 
 芳賀公平理事長が祭文を読み上げ、参列者が玉串をささげた。 
 会津吟詠会の吟奉納に続き、会津高剣舞委員会の生徒が剣舞を披露した。 
 会場には市民や観光客も詰め掛け、息の合った舞に見入っていた。 

3年ぶり白虎隊ウオーク 若松で隊士の足跡探る
 戊辰戦争で西軍に追われた白虎隊士が通った飯盛山の洞門を歩くイベント「我ら!白虎隊ウオーク」は24日、福島県会津若松市の同所で行われた。 
 飯盛山商店会(飯盛康子会長)の主催。東日本大震災以降、毎年秋に開催していたイベントを中止していたが、復活を望む声に応え、3年ぶりに再開した。地域住民ら約100人が参加した。 
 近くの旧滝沢本陣で出陣式を行い、飯盛山裏手の洞門入り口に向けて出発。参加者は白虎隊士に思いをはせながら、懐中電灯を片手に約170メートルの洞門の中を歩いた。

“八重”たちに大声援 会津まつり「藩公行列」620人堂々と
 会津まつり最大のイベントとして23日に行われた「会津藩公行列」は会津藩歴代藩主や白虎隊に扮(ふん)した市民や会津ゆかりの地から駆け付けた協力者など総勢約620人の武者行列が市内を堂々と進軍した。
 会津藩公行列の当番校の若松三中は、3年生ら約70人が重要な役柄や白虎隊士に扮(ふん)して進軍し、沿道から大きな声援を受けた。
 会津藩の誕生から京都守護職、戊辰戦争、会津の復興と物語性のある内容を表現した行列。最後尾には、八重に扮(ふん)した内田朋実さん(喜多方市出身)をはじめ夫の襄、兄の山本覚馬、母の佐久による「八重の桜記念」が編成され、行列に参加した。震災からの復興の象徴となった八重たちに沿道からは大きな声援が寄せられた。

 池内さんと三根さん「特別ゲスト」
 大河ドラマ「八重の桜」で会津藩家老・梶原平馬役の池内博之さんと、山本覚馬の長女・山本みね役の三根梓さんは会津藩公行列に参加したほか、出陣・帰陣式のステージに立った。
 行列では、沿道に詰め掛けた観光客に手を振り、まつりを盛り上げた。帰陣式では、池内さんが「皆さんの会津に懸ける熱い思いを感じた」、三根さんが「参加できて楽しかった」と語り、爽やかな表情を見せた。

栃木
黒羽藩 農兵隊遺族への見舞状発見 栃木・那須歴史探訪館
■8日から企画展で公開

 戊辰戦争(1868~69年)で戦死した農兵隊の遺族に黒羽藩が送った見舞状が那須町の民家で発見された。同藩は戊辰戦争で新政府軍に付き、会津藩との戦いなどで功績を挙げた。見舞状については、戊辰戦争に従軍した黒羽藩士の史料に記されているが、実物が確認されたのは初めて。(伊沢利幸)

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 見舞状は、那須歴史探訪館(那須町芦野)で開かれる企画展「戊辰戦争と那須町」(8日~11月24日)で初公開される。

 黒羽藩は戊辰戦争で領内の農民らから兵を募り、農兵隊を組織、新政府軍として会津などを転戦した。那須町の一部は幕末まで同藩の領地で、多くの農民らが隊に参加。見舞状は戦死した兵の父親に宛て、見舞金を送り、名字を許すことなどが記されている。

 農兵隊は幕末、強力に軍制改革を推し進めた15代藩主の大関増裕(ますひろ)(1837~67年)が編制。藩士が記録した史料などによると、1866(慶応2)年から16歳以上50歳以下を対象に兵を募った。約300人が参加し、洋式銃の扱い方などを訓練。藩は領内各地に練兵場を設置し、那須町内には峰岸、逃室(にがしむろ)、松子(まつご)の3カ所に設けられた。

 今回、確認された見舞状は、同町寺子乙の小羽入(こばにゅう)地区の民家で保管されていた。この家から農兵隊に参加、23歳で戦死した源太郎の父、善八に対し、1870(明治3)年に黒羽藩から送られた。源太郎の労に報い、50両を送るとともに同家に名字を許すことなどがつづられ、同藩民政局の印が押されている。

 同家から今年7月、那須歴史探訪館に連絡があり、同館が調査。当時の見舞状と確認した。同館は「黒羽藩が戊辰戦争で戦った武士以外の農兵隊にも手厚く報いたことが分かる。極めて貴重な史料」としている。

 企画展では黒羽藩を主力とした新政府軍と会津藩などの旧幕府軍が激突し、戊辰戦争での町内唯一の戦場となった小谷村の民家(同町池田)に残っていた弾痕の柱の一部や黒羽藩の焼き印が入ったゲベール銃など貴重な資料44点が公開される。問い合わせは同館(電)0287・74・7007。

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【用語解説】黒羽(くろばね)藩

 黒羽(大田原市前田)に藩庁(黒羽城)を置いた1万8千石の藩。那須郡、芳賀郡のそれぞれ一部を領有。藩主の大関氏は、かつて那須氏の重臣で那須七騎の一人。外様の小藩ながら15代藩主・増裕は海軍奉行など幕府要職を歴任。跡を継いだ16代・増勤(ますとし)は戊辰戦争で戦功を挙げた。明治4年、廃藩置県で廃止。

静岡
韮山反射炉で坦庵の業績体験
 韮山反射炉の世界文化遺産登録実現に向け機運を高めようと、「坦庵(たんなん)フェア」が二十一日、伊豆の国市中の韮山反射炉であり、大勢の家族連れが反射炉を造った江川坦庵の業績を体験した。
 幕末に鉄製大砲を鋳造するために鉄を溶かした反射炉の理解を深めてもらおうと、子ども鋳物教室が開かれた。日本で初めてパンを焼いたとされる江川坦庵にちなんで全国有名店のパン販売会も。反射炉のステージでは、和太鼓や吹奏楽の演奏があった。
 市内の主婦佐藤いずみさん(36)は、息子の幸大君(6つ)と鋳物教室に参加した。「韮山反射炉が世界遺産になることを知ってほしい」と話し、熱心に粘土で鋳型を作った。
 韮山反射炉は「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の構成資産二十八カ所の一つ。政府は今月中に暫定の推薦書を国連教育科学文化機関(ユネスコ)に提出する。
 行きそびれた(涙)……坦庵フェアは、静岡県だけでなく、当時の所領だった多摩や相模や甲州も巻き込んでやって欲しいなぁ。

韮山反射炉 世界文化遺産に推薦
 二〇一五年の世界文化遺産登録を目指す「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」を、政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦することが十七日、正式に決まった。構成資産の韮山反射炉を抱える伊豆の国市では、低迷する観光業の起爆剤として期待が高まる。今後はユネスコの審査をはじめとした難関が待ち受けるが、登録実現に向けた地元住民の機運醸成はまだ十分といえない。
 「伊豆半島は基幹産業の観光が低迷している。反射炉を起爆剤に周辺市町とも連携して誘客を進めたい」。伊豆の国市観光協会の鴨下記久枝(きくえ)会長(55)は推薦決定を喜ぶ。
 韮山反射炉の入場者数は昭和五十年代の三十万人超をピークに減少を続け、二〇一〇年度に四万九千八百八十一人となった。翌一一年度に九州・山口の構成資産に追加されると回復を始め、一二年度は八万二千三百六十三人に増えた。鴨下会長は「伊豆半島のほかの観光地に比べて反射炉は目立たなかったが、今後は前面にアピールする」と意気込んだ。
 登録実現には、来年夏に予定される国際記念物遺跡会議(イコモス)の現地調査などで重要視される地元住民の意識を高める必要がある。反射炉の知名度向上に取り組む韮山反射炉応援団の柴順三郎理事長(75)は「今後の審査に向けて市民一丸となって取り組む」としている。しかし、現在の会員数は四千六百九十一人にとどまり、伊豆の国市(五万八十二人)や周辺市町に広げる余地は十分にある。
推薦を祝って掲げられた懸垂幕=17日、伊豆の国市役所で
写真
 市はこの日、推薦決定を祝う懸垂幕を市役所など五カ所に設置。小野登志子市長は「反射炉を造った江川坦庵(たんなん)の理解を深めるために応援団を中心に勉強会を開きたい」と、市を挙げて取り組む姿勢を示した。江戸時代の伊豆韮山代官だった江川坦庵は、現在の「お台場」として知られる品川台場を築造したほか、日本で初めてパンを焼いたとされ、多くの業績を残している。だが、江川坦庵を詳しく知る人は少ない。
 韮山反射炉の二キロ北に江川坦庵が住んでいた江川邸があり、公益財団法人「江川文庫」が資料を公開している。江川文庫統括主任の藤井孝俊さん(72)は「市民でも坦庵のことを正しく知っている人は多くない」と指摘。「市民も観光客も反射炉と一緒に江川邸を見学して、坦庵の功績を学んでもらいたい」と呼びかけた。
(山田晃史)
◆日本の発展に寄与
 川勝平太知事の話 政府からの推薦を心から喜んでいる。明治日本の時代に、奇跡的にも政治的独立を堅持しながら経済発展したアジアで最初の国の産業遺跡だ。構成資産に韮山反射炉が入っており本当に良かった。(同じ構成資産の)鹿児島の旧集成館事業も個人的に関わっていたので、これを機に鹿児島と静岡の関係もさらに深まるだろう。
 <韮山反射炉> 幕末に鉄製大砲を鋳造するため、伊豆韮山代官・江川坦庵(たんなん)=1801~55年=が建築を指揮した溶解炉。炉と煙突を合わせた高さは15・7メートルあり、息子の英敏が1857(安政4)年に完成させた。実際に使われた炉として唯一、完全な形で残っている。
 私は江川坦庵公がNHK大河ドラマの主人公となってもおかしくないクラスの、日本の歴史に貢献した人だと思っています。なので、もっと存在をアピールして欲しいと思っています。そのネックは、静岡県の偉人という枠組みではないかなぁ……坦庵公は、当時、多摩・相模・甲州・伊豆諸島に及ぶ広い天領を代官として預かっていたし、品川から三島までの東海道も管理していました。今の都道府県の枠組みにはまらない活躍をした方なので、たとえば韮山と多摩でタイアップした坦庵公の事績を掘り起こすキャンペーンとか、やって欲しいです。

香川
瀬戸内芸術祭、秋会期始まる 来場100万人超見込む
 【柳谷政人】瀬戸内海の島々などを舞台にした現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭2013」の秋会期が5日、始まった。春、夏と続いて今回がフィナーレで、11月4日まで。春夏で計69万人が来場しており、通期で100万人以上の来場を見込んでいる。

【写真】瀬戸内国際芸術祭2013の秋会期が開幕。初めて会場になった本島で本間純さんの作品「耳鳴り」を見る人たち=5日午前11時8分、香川県丸亀市の本島、恒成利幸撮影

 秋会期で初めて会場となった香川県丸亀市の本島(ほんじま)では雨の中、小学生らが小旗を振って観光客らを出迎えた。島は戦国時代に活躍した塩飽(しわく)水軍の本拠地で、子孫が幕末に太平洋を渡った咸臨(かんりん)丸の乗組員として活躍した。咸臨丸をモチーフにした石井章さんの鉄の彫刻の前で、子どもらがソーラン節を披露し開幕を祝った。

 「セトゲイ」の愛称で呼ばれる芸術祭は3年ごとに開催され、今年で2回目。秋は本島など3島が新たに会場となり、10島と高松港、宇野港(岡山県玉野市)の12会場。

 ビートたけしさんと現代美術家のヤノベケンジさんが制作した巨大オブジェ「ANGER from the Bottom」(小豆島)など22カ国・地域のアーティスト168組が170点を出展する。

鹿児島
「平和の薩長同盟を」 薩摩観光維新隊、下関で鹿児島をPR
 西郷隆盛、篤姫、大久保利通の3人に扮(ふん)した鹿児島市の「薩摩観光維新隊」が4日、山口県の下関市役所を訪れ、「維新のふるさと」鹿児島をPR、「平和の薩長同盟を」と呼び掛けた。
 同隊は2018年の明治維新150年に向け結成された。今年5月に隊員に選ばれた西忠昭さん、水流なつきさん、小野大樹さんらが2~6日の日程で、山口県内各地の催しに参加している。
 萩市では同市PR隊「奇兵隊士」らと一緒に活動。下関市役所では国重敦生副市長から「下関も維新との関連が深い。協力してPRし、交流も深めましょう」と熱い歓迎を受けた。
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9割が落語ブログ化してしまった(苦笑)のですが、たまには幕末ニュースをご紹介します。9月前半からちょろっと拾ったので、前投稿以降に漏らした記事もあるかも知れませんがご容赦ください。

青森
八重ゆかりの企画展好評 青森・三沢、写真など50点展示
 NHK大河ドラマ「八重の桜」にちなみ、青森県三沢市の三沢市先人記念館で開かれている企画展「新島八重と斗南」が好評だ。八重の兄の山本覚馬の初公開の写真や、戊辰戦争当時の洋式銃といった展示が目玉で、8月1日からの入場者は6千人を超えた。今月29日まで。

 現在の青森県東部にあった斗南藩は、戊辰戦争で敗れた会津藩士が明治政府から領地を得て多数移住するなど、会津出身の八重ともゆかりが深い。企画展では、八重と斗南藩のつながりを紹介するパネルや写真など約50点を展示している。

 山本覚馬の写真は、昨年秋に同記念館で資料整理中に見つかった。会津を離れた八重が住んでいた京都で撮影されたもので、吉田幸弘学芸員によると「覚馬の肖像写真は数が少なく貴重」という。

 「展示を通じて斗南藩や会津の歴史をあらためて知ってほしい」と記念館。入館料は高校生以上100円、小中学生50円(土曜日無料)、幼児以下は無料。〔共同〕
宮城
白虎隊・飯沼貞雄ゆかりの歌碑 仙台で除幕式
 戊辰戦争で新政府軍と戦い、福島県会津若松市の飯盛山で集団自刃した会津藩の白虎隊士のうち、ただ一人命を取り留めた飯沼貞雄(1854~1931年、幼名貞吉)ゆかりの歌碑の除幕式が16日、貞雄の墓がある仙台市青葉区北山の輪王寺であった。
 貞雄の次男一精さん(故人)の息子3人が建立した。歌は、貞雄の母で歌人でもあったふみが出陣に際して贈った。「あずさゆみ むかふ矢先は しげくとも ひきなかへしそ 武士(もののふ)の道」と刻まれた。
 除幕式には3人が参加。長男の一浩さん(74)=栃木県那須塩原市=は「この歌は『一度志を抱いたら困難に遭っても引き返さず最後までやり遂げなさい』と解釈でき、出陣に限らず人間の生き方にも通じる」とあいさつ。親族や関係者が完成を祝った。
 貞雄の墓には、石碑とともに、電信技術者として全国の電信・電話網の整備に尽くした足跡を記した説明板も設置した。
福島
会津まつり藩公行列、戦国から幕末までを再現
 福島県の会津若松市では、会津まつりの最終日の23日、恒例の藩公行列が繰り広げられました。

 天に向かって矢が放たれ始まる「会津藩公行列」。会津の歴代藩主や新撰組など、戦国から幕末までの時代を再現しながら600人もの人々が市内を練り歩く「会津まつり」のメインイベントです。号砲の合図とともに、部隊が次々と城下に繰り出しました。

 「楽しみにしてます、毎年」(地元の人)
 「初めて、横浜から。また来年もぜひ(来たい)」(訪れた人)

 原発事故の風評被害の影響が心配されましたが、会津若松観光物産協会では、この連休中の3日間で去年の倍のおよそ30万人が訪れると予想しています。(23日13:23)
戊辰戦争展始まる 鶴ケ城
 会津若松市が所蔵する幕末関連の資料を紹介する「戊辰戦争優品展」は13日、同市の鶴ケ城天守閣で始まった。12月2日まで。
 京都に攻め入る長州藩を会津藩が迎え撃つ様子を描いた「禁門の変図屏風(びょうぶ)」、会津藩の降伏の儀式で使われた「泣血氈(きゅうけつせん)」など18点を展示している。
 このほか孝明天皇が松平容保公に授けた手紙や歌も紹介している。展示資料は劣化防止のため、期間中に入れ替えを行う。
 天守閣の入場料は大人400円、小中学生150円。無休。午前8時半から午後4時半まで。問い合わせは同市観光公社 電話0242(27)4005へ。

(2013/09/14 09:26カテゴリー:歴史・伝統)
「会津藩士の屋敷跡」確認 若松・鶴城小跡の発掘調査
 会津若松市教委によると、6月下旬から進めている鶴ケ城近くの同市東栄町の鶴城小跡の発掘調査で11日までに、江戸中~後期の会津藩士の屋敷跡などが確認された。発掘は12月まで行う予定で、11月に現地説明会開催を予定している。
 同市教委によると、江戸期の鶴城小跡地は、鶴ケ城郭内の本三之丁と本四之丁の間で甲賀町通りの東側。幕末の絵図で見ると、家老職経験がある家柄で1200石取りの番頭・小原内記をはじめ、戊辰戦争で青龍隊足軽三番隊中隊頭を務めた800石取りの無役組・日向弥志摩、戊辰戦争の鶴ケ城籠城戦で狙撃隊長を務めた竹村俊秀を長男に持つ250石取りの竹村助兵衛らの屋敷があった。発掘調査の範囲は、鶴城小跡地約1.5ヘクタールのうち、再び校舎が建設される予定の約0.4ヘクタール部分。小原、日向、竹村の各屋敷跡の範囲にかかる。
 遺構では、屋敷に関係する溝、庭園の池、石積みが残る直径約1メートル深さ2~3メートル(推定)の井戸2基などを発見。遺物では、会津本郷焼や全国各地の陶磁器、会津塗などの漆器、日常雑器、刀の鞘(さや)の一部、寛永通宝、瓦などが出土している。発掘を担当している同市教委文化課の小島克則主査は「発掘で絵図との整合性を確認したい。鶴ケ城に近いため、さらに時代をさかのぼって芦名氏や蒲生氏時代の遺構が見つかることを願っている」と話した。
(2013年9月12日 福島民友トピックス)
中野竹子:墓前祭で舞踊奉納、ドラマ効果で200人参列 八重をしのぐ人気−−会津坂下 /福島
 戊辰戦争でなぎなたを持って戦い、銃弾に倒れた中野竹子(1847〜68年)の墓がある会津坂下町の法界(ほっかい)寺で10日、墓前祭が行われた。文武両道に優れ、地元・会津ではNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公・新島八重をしのぐ人気を誇る。

 竹子は会津藩の江戸藩邸に育ったが、養子に入った家の縁で同町内の道場で1年余りを過ごし町の人に書などを教えたという。戊辰戦争で藩の部隊に合流し坂下から鶴ケ城へ向かう途中、戦闘で命を落とし、法界寺に供養された。

 墓前祭にはドラマ効果で約200人が参列。地元の小学4年、新妻和音さんと桑原希(のぞみ)さんがなぎなたや扇を手に、竹子の奮戦と悲劇を表現した舞踊を奉納した。

 墓前祭は没後100年の1968年から地元女性でつくる「小竹会」が毎年開催。奈良県から駆けつけた竹子の妹優子のひ孫、高(こう)蘭子さん(86)は「140年前がついこの間のことであるかのように、地元の人がお墓を守ってきてくれていてうれしい」。竹子のなぎなたなど史料も残る法界寺の打木佳(けい)子さん(59)は「自ら道を選び、その時その時を精いっぱい生きた竹子の生き様を受け継いでいきたい」と話した。【乾達】
新選組と白虎隊テーマにイベント 白河
 戊辰戦争で存在感を発揮した二つの組織をテーマとしたイベント「八重の時代と新選組 白虎隊」は8日、福島県白河市民会館で開かれた。白虎隊で生き残った飯沼貞吉の嫡孫、飯沼一元さんの講演や新選組ゆかりの演武が繰り広げられ、参加者は新選組と白虎隊に対する認識を新たにしていた。
 大河ドラマ「八重の桜」にちなみ、NPOしらかわ歴史のまちづくりフォーラムが主催した。県観光物産交流協会、白河市、福島民報社など後援。はじめに飯沼一元さんが「八重の桜と白虎隊」と題して講演した。飯沼さんは白虎隊の出陣や自刃、会津藩家老西郷頼母一族の自刃など戊辰戦争にまつわるエピソードを語った。鶴ケ城籠城戦のさなか、西郷頼母が城外退去となった理由も独自の視点で推察した。
 武道の演武は天然理心流九代目宗家・勇武館道場会長で新選組局長近藤勇生家子孫の宮川清蔵さんと、新選組六番隊長井上源三郎生家子孫の井上雅雄さん、道場門人の合わせて6人が行った。五つの演目で、気迫あふれる演武を披露した。
 最後に「八重の桜」や「新選組!」などで時代考証を担当した歴史作家の山村竜也さんが「八重の桜と新選組」のテーマで講演した。
 会場には市民ら約300人が訪れ、戊辰戦争をめぐるさまざまな逸話にじっくりと耳を傾けていた。
茨城
攘夷派に無断接触 会津藩の怒り買う? 新選組・芹沢鴨暗殺に新説
 酒乱で乱暴者だったことを理由に暗殺されたとの説が有力な新選組の初代局長芹沢鴨(かも)が、殺される直前、攘夷(じょうい)派だった有栖川宮(ありすがわのみや)家に奉公を申し出ていたことが、宮内庁が所蔵する「有栖川宮家日記」の記載で分かった。
 記載を確認した幕末維新期の人物史研究家、あさくらゆうさん(44)は暗殺の背景について「無断の申し出が、新選組を管理していた会津藩の怒りを買ったためではないか」と分析している。
 日記などによると、幕末の文久三(一八六三)年九月十三日、芹沢は浪士十五人を率いて事前連絡なしに有栖川宮家を訪れ、有栖川宮熾仁(たるひと)親王に仕えたいと申し出た。
 熾仁親王は当時、幕府に攘夷を決行するよう説得するため、江戸に出向くことを検討していた。
 一方、新選組は、京都守護職の会津藩主松平容保(まつだいらかたもり)の配下にあり、京都警備の任務を命じられていたが、芹沢は攘夷への強い思いから独断で行動したとみられる。
 あさくらさんの研究によると、芹沢の申し出は会津藩の怒りを買ったばかりか、幕府に難癖をつける材料を熾仁親王に与えたとの見方もあり、もめ事を避けたい朝廷らの意向も暗殺に結びついた可能性がある。
 日記には、会津藩から同年九月十七日に千両の献金が贈られたとの記載もあり、あさくらさんは「芹沢が迷惑を掛けたとのおわびの意味があったのではないか」と推測。同月十六日と十八日の二説がある暗殺日も「十六日が有力」とみている。
 あさくらさんは「芹沢には乱暴者のイメージが定着しているが、攘夷への強い思いを抱いていたのは明らかで、名誉回復につながればいい」と話している。
◆行方でまつり
 芹沢鴨が生まれた行方市では毎年、暗殺された九月中旬に「新選組まつり」が開かれ、愛好家らによる殺陣の演武や、子どもたちのチャンバラ大会などでにぎわう。市内にある芹沢氏の菩提(ぼだい)寺、法眼寺で追悼供養も営まれる。今年は大雨のため予定を一部変更して開催された。
<新選組> 文久3年3月、江戸幕府14代将軍徳川家茂(いえもち)の上洛(じょうらく)を警護するため京都に向かった浪士のうち、芹沢鴨や近藤勇(いさみ)らが、京都守護職の会津藩主松平容保の下で壬生(みぶ)浪士組を結成。御所警護の功績が認められて同年秋、「新選組」として倒幕派の取り締まりや警察活動などの任務を命じられた。最盛期には200人以上が所属。1867年の大政奉還後、旧幕府軍の一員として戊辰(ぼしん)戦争で明治新政府と戦って敗れた。
「乱暴者」新選組初代局長、芹沢鴨暗殺の背景に新説?
◇…酒乱で乱暴者だったことを理由に、暗殺されたとの説が有力な新選組初代局長の芹沢鴨。殺される直前、攘夷派だった有栖川宮(ありすがわのみや)家に奉公を申し出ていたことが、宮内庁が所蔵する「有栖川宮家日記」の記載でわかった。

 ◇…日記などによると、幕末の文久3(1863)年9月13日、芹沢は浪士15人を率いて事前連絡なしに有栖川宮家を訪れ、有栖川宮熾仁(たるひと)親王に仕えたいと申し出た。熾仁親王は当時、攘夷を決行するよう、幕府を説得することを検討していたとされる。

 ◇…幕末維新期の人物史研究家、あさくらゆうさん(44)は暗殺の背景を「無断の申し出が、新選組を管理していた会津藩の怒りを買ったのでは」と分析。乱暴者のイメージから「名誉回復につながれば」と話している。
新選組・芹沢鴨暗殺に新説 日記読み解き提唱宮家接近会津の怒り?歴史研究家あさくらゆうさん
幕末、京都警護に当たった「新選組」の初代局長、芹沢鴨(せりざわかも)(現在の行方市出身)の暗殺原因に新説が浮上した。

宮内庁が所蔵する当時の有栖川宮(ありすがわのみや)家の日記に、芹沢が同家に仕えることを希望したとの記述があった。

発見者で歴史研究家のあさくらゆうさんは、周辺の状況も踏まえ「芹沢は攘夷(じょうい)実行のため宮家に接近したが、新選組を配下に置く会津藩に無断で行動したことから、怒りを買ったのでは」とみている。

芹沢の暗殺についてはこれまで、市中での乱暴ぶりを問題視した朝廷の意向で、会津藩が近藤勇らに排除を命じたとの説が知られていた。
新選組ファン中山道歩く 11月出発茨城玉造隊提案、復興へ 誠 の絆
幕末に活躍した新選組誕生から150年。結成に関わった浪士たちが江戸から京まで歩いたコースをたどる「誠の絆でつなぐ日本の心と元気」が11月に始まる。行方市で地域活性化に取り組む「新選組!茨城玉造隊」が主催する記念事業の一環で、週末を利用して中山道を歩き、来夏の京都到着を目指す。


新選組を結成した浪士は1863(文久3)年、京都に向かう将軍・徳川家茂を警護するために江戸を出発。16日間かけて京に入った。

参加者らはこのコースをたどる。東京都内で「全国新選組サミット」が開かれる11月16日に、文京区内の寺院・伝通院を出発。土日曜を利用しながら計16区間、約524キロを歩く。1区間はおよそ12〜45キロで、年内は追分宿(長野県軽井沢町)までの6区間、約160キロを歩く予定だ。

「玉造隊」がこの取り組みを提案したのは2011年11月、岩手県宮古市で開かれたサミットの席上。東日本大震災から間もない時期、「未曽有の災害から立ち直ろう手を携える人々と、新しい国を作ろうと奮闘した浪士たちの姿が重なった」と、記念事業実行委員長で市商工会事務局長の飯田正義さん(58)は振り返る。

当初は、全国の愛好者団体が1区間ずつ歩いてリレーする構想だったが、日程調整が難航。今年5月まで話し合われた結果、玉造隊を中心に、可能な区間でほかのグループも加わる形になった。

京都市の壬生寺に到着するのは、来年8月18日の予定。御所の警備などに当たった浪士たちの活躍が認められ、新選組の名前が生まれるきっかけになった「8月18日の政変」にちなんだ。

道中では新選組隊士と同じ浅黄色の羽織をまとい、のぼり旗も掲げる。訪問先で行方や茨城をアピールする機会も設けるつもりだ。飯田さんは「幕末も震災後も、みんなが協力しながら新しいものをつくっていく時代。当時と同じ行程を歩くことで、伝えられることがある」と力を込めた。

玉造隊では中山道を一緒に歩く参加者を募集している。問い合わせは行方市観光協会TEL0299(55)1221。区間の確認はホームページhttp://tamatsukuritai.net
静岡
韮山反射炉など 世界遺産推薦へ 「富士山とセットで観光」期待 静岡
 韮山反射炉(伊豆の国市)を含む「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」が、今年度、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に推薦されることが正式に発表されたことを受け、地元からは歓迎の声が上がった。2年後の正式登録を目指すが、観光関係者は、今年世界文化遺産に登録された富士山とセットで東部の観光を盛り上げようと意気込んでいる。

 ◆実際に稼働、唯一現存

 韮山反射炉は、嘉永6(1853)年のペリー来航後、外国の脅威にさらされる中、江戸湾海防の実務責任者となった韮山代官の江川英龍の建言で築造。安政4(1857)年に後を継いだ子の英敏により完成した。実際に稼働した反射炉としては国内で唯一現存している。熱をアーチ型の天井に反射させ、千数百度に及ぶ鉄の溶解温度を得る構造のため反射炉と呼ばれる。ここで鉄製の西洋式大砲が鋳造された。

 伊豆の国市では、昨年4月に韮山反射炉の世界遺産会議を支援する会(通称・韮山反射炉応援団)を市や商工会議所などで結成するなど、官民で推薦に向けた機運を盛り上げてきた。会の柴順三郎理事長は「推薦候補に決定し、応援団の会員一同、大変喜んでいる。しかし、正式登録に向けてはまだまだハードルは高い」とコメント。今後の応援活動に決意を新たにした。

 一方、地元の伊豆の国市観光協会では、「2年後には2つの世界文化遺産を体験できるようになるかも」と期待に胸を躍らせる。相磯和男事務局長は「富士山を見て韮山反射炉にも足を運んでもらうような観光プランを考えたい」と話し、伊豆の国市だけでなく伊豆半島全体への波及効果にも期待を示した。

 ◆知事「登録へ万全期す」

 産業革命遺産は幕末から明治にかけての重工業の発展を示す28の構成資産で構成される。関係自治体は岩手、静岡、山口、福岡、佐賀、長崎、熊本、鹿児島の8県11市と地理的に分散しているが、資産全体で世界遺産価値を有しているとして「シリアルノミネーション」としての登録を目指している。来年夏にはユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議」(イコモス)による現地調査が行われる。

 川勝平太知事は「世界文化遺産登録の早期実現に向けて、また一歩前進したことを大変うれしく思う。県としても引き続き関係自治体などと連携を密にし、登録に向け万全を期す」とコメントした。
長野
象山が生きた幕末学ぶ 没後150年前に松代で講座
松代藩士で思想家の佐久間象山(1811~64年)が生きた幕末について理解を深める講座が21日、長野市松代町の武家屋敷「旧樋口家住宅」で開かれた。来年、象山の没後150年を迎えるのを前に、NPO法人夢空間松代のまちと心を育てる会が主催。地元住民ら約30人が、象山の人物像にも思いをはせた。

 法人理事で地元の元中学校教諭栗林秀夫さん(64)が講師を務めた。欧米諸国のアジア進出といった時代背景を説明。松代藩内でも餓死者が出た1830年代の「天保の大飢饉(ききん)」の際、象山が商家に金や米を出してもらって領民に与えた逸話などを紹介した。

 象山が、外国の造船技術を学び海軍養成に努めるといった「海防八策」をまとめて藩主に提言したことについては「後に実現することを提案し、先見性の高い人物だった」と評価した。

 最後は、当時日本が欧米の植民地にならずに済んだ理由を自由に討論。「資源豊かな中国に欧米の目が向き、日本は二の次だった」「アジアの最も端にある日本の地理的な位置が幸いした」などの意見が出て熱を帯びていた。
(提供:信濃毎日新聞)
新潟
まげ結い幕末武士、長岡
 頭頂部をそって月代(さかやき)をつくり、ちょんまげを結うパフォーマンスが13日、長岡市本町1のギャラリー沙蔵であった。厳かな尺八の音が響く中、オーナーの男性(42)は約1時間かけて幕末の武士に変身した=写真=。

 幕末に使われた湿板写真の展示会にちなみ、4年ぶりに実施。戊辰戦争に敗れ切腹した長岡藩士らの「死に際の美」や明治期に失われた日本文化を表現しようと臨んだ。

 市民ら約30人が見守る中、白装束で登場した男性は、あぐらをかいて座ると、ぐっと中空をにらんだ。作務衣(さむえ)を着た理容師が幕末風の細いまげを結い上げた。
 湿板写真などを展示する「ちょんまげ展」は18日まで、無料。
「継之助汁」完成、加茂21、22日「あかりば宵の市」で販売
 加茂商工会議所は、戊辰戦争時に、長岡藩の河井継之助らが加茂市で軍議を開いたことにちなんだメニュー「継之助汁」を作った。21、22の両日、青海神社周辺を灯籠などの明かりで彩るイベント「AKARIBA2013」(加茂青年会議所主催)で販売する。

 1868年、明治新政府軍と旧幕府軍の間で戦われた戊辰戦争で、長岡藩は会津、米沢藩などと奥羽越列藩同盟を結成。河井継之助ら同盟軍は、落城した長岡城の奪還を目指し、加茂の庄屋宅で軍議を開いたとされる。

 加茂商議所が、加茂と継之助の関係をアピールするとともに、イベントで提供できる名産品が欲しいと企画した。

 継之助汁の具には、長岡市栃尾地域の油揚げ、山形県の米沢牛、福島県会津地方のキノコ類と各藩の名物を入れた。国産マカロニ製造発祥の地とされる加茂市にちなみ、米粉を使ったマカロニを揚げ、しょうゆで味付けしたものを載せる。

 汁は塩麹やみそなどを合わせた和風味で、すり下ろしたダイコンでとろみを付けた。マカロニは「揚げ餅のような役割」という。商議所からの依頼を受けた加茂市の飲食店「村将軍」の渡辺久二社長が考案した。

 11日に開かれた試食会では、商議所の太田明会頭ら3人が最終チェック。「具だくさんでおいしい」「マカロニが香ばしい」などの声が上がった。

 21、22両日の午後から加茂市の本町商店街で開かれる「あかりば宵の市」で150食分を一杯200円で提供する。継之助が好んだという、刻んだダイコンのみそ漬けを混ぜ込んだ「桜飯」もセット販売する予定だ。

 太田会頭は「継之助汁を食べながら、歴史に思いをはせてほしい」と話した。イベント終了後も、ご当地グルメとして売り出す方向で検討している。

 継之助汁の問い合わせは加茂商議所、0256(52)1740。
京都
新島八重特別展 第3期は「戊辰戦争」 霊山歴史館
 パナソニックが活動を支援している公益財団法人「霊山顕彰会」が運営する霊山歴史館(京都市東山区)は、2013年通年特別展として「新島八重 心の支え 会津の武士道」を開催している。2013年9月3日から12月26日まで、第3期「戊辰戦争」展を開催する。第3期の「戊辰戦争」展では初公開を含む豊富な資料で戊辰戦争をひも解く。新島八重関連の資料も展示する。
福岡
福岡で維新志士墓前祭
 福岡県護国神社(福岡市中央区)は20日、明治維新で活躍した志士の墓前祭を開いた。新しい国作りを目指し、幕末から維新にかけて活躍し、騒乱の中で犠牲となった福岡出身の志士の子孫ら十数人が参列した。参列者は志士を祭る陸軍墓地の墓前で、志士の偉業に思いをはせながら、冥福を祈った。
長崎
トーマス・グラバー顕彰式
 幕末から明治にかけて日本の近代化に貢献した英国人貿易商、トーマス・グラバーの功績をたたえる「グラバー顕彰式」が21日、長崎市南山手町のグラバー園であった。同日開幕した「長崎居留地まつり」の一環。旧グラバー住宅築150年の記念植樹もあった。

 グラバーが1859年9月19日に来日したのに合わせ、市が毎年開いている。約70人が集まった。

 旧グラバー住宅は現存する木造洋風建築としては日本最古で、世界文化遺産への推薦が決まった「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」に含まれている。田上富久市長は「西洋の文化と技術、気風、新たな交流の種を残してくれたことへの感謝を大事にしたい。旧グラバー住宅のことを多くの人に知ってもらいたい」とあいさつ。胸像の前に花をささげ、指定管理者の代表らとともに記念植樹をした。

 グラバーが生まれたスコットランドの伝統楽器、バグパイプの演奏や地元小学生の合唱などもあり、終了後に周辺をパレードした。

 長崎居留地まつりは外国人居留地があった南山手から出島までの一帯で22日まで。22日は歩行者天国に出店が並ぶ「大バザール」(午前10時~午後4時、大浦居留地商店街)や、胡弓(こきゅう)のミニコンサート(午後1時と同2時、南山手地区町並み保存センター)などを予定している。
エンターテインメント
吉川うたたが芭蕉描く新連載、プリGOLDで。新撰組別冊も
また今号には、新選組の結成から150周年を記念した別冊アンソロジーの第1弾「沖田と土方」も付属。木原敏江、岩崎陽子、篠原烏童による、単行本未収録作品を含む3編が収められている。なお10月16日発売のプリンセスGOLD11月号には、第2弾となる別冊「友情と宿命」が同梱される予定。
 えっ、岩崎陽子先生の作品ってことは『無頼』シリーズですか(嬉)。「沖田と土方」編だと伊東先生が登場した単行本未収録作品じゃないよな……。

※9/24追記 プリンセスゴールド買いました。別冊に木原敏江『天まであがれ!』冒頭から上京まで、岩崎陽子『無頼』から「菊一文字」、篠原烏童「矢竹の音」収録されています。
 次号予告、「友情と宿命」編。檜垣レイコ『新撰組青春録』は永倉が原田との友情を回想する物語で、岩崎陽子『無頼』から「蒼天」は斉藤・沖田が藤堂の離隊に遭遇する物語(伊東先生がわずかしか出演しませんが男前……岩崎先生にはぜひ「菊一文字」から「蒼天」の間を埋める作品を、そして斉藤一を最期まで描く作品を描いて欲しいなぁ)。
  あと、篠原烏童さんの新作で沖田総司と芹沢鴨を描いたのが本編に掲載予定とか。

「リカちゃん 八重の桜バージョン」、複製原画「トランスフォーマー マスターアートコレクション」新発売
株式会社タカラトミー

オフィシャルオンラインショップ 「タカラトミーモール」 リニューアルオープン第1弾!
1.大河ドラマとの初コラボレーション!着せ替え人形「リカちゃん 八重の桜バージョン」
2.パッケージアートの複製原画 「トランスフォーマー マスターアートコレクション」
9月10日(火)予約開始のご案内

 株式会社タカラトミー(代表取締役社長:富山幹太郎/所在地:東京都葛飾区)は、NHK大河ドラマ「八重の桜」(※1)に登場するヒロインの凛々しい姿をモチーフにした着せ替え人形「リカちゃん 八重の桜バージョン」(希望小売価格:3,990円/税込 発売数量:1,000体限定)と、来年誕生30周年を迎える「トランスフォーマー」のパッケージアートの複製原画「トランスフォーマー マスターアートコレクション第1弾『戦え!超ロボット生命体 トランスフォーマー コンボイ(1985年)』」(希望小売価格:31,500円/税込 発売数量:100点限定)の予約受付を、2013年9月10日(火)から、オンラインショップ  「タカラトミーモール」http://takaratomymall.jpにて開始いたします。

 「タカラトミーモール」は、2013年4月1日に新たに誕生したタカラトミーのオフィシャルオンラインショップです。機能の拡大や操作性を改善して9月10日(火)13:00からリニューアルオープンいたします。 今回の2商品は、リニューアルオープン第1弾として発売いたします。
「タカラトミーモール」は、今後も多様化するお客様のニーズに合わせて、ここでしか手に入らないオリジナル商品の企画や、タカラトミーグループ商品の魅力を最大限に引き出すセット提案など、メーカーならではのオンラインショップとしてご支持いただける店舗を目指してまいります。

「リカちゃん 八重の桜バージョン」

 NHK大河ドラマ「八重の桜」のポスターにおける、主人公「八重」の印象的な姿をもとにデザインしています。黒髪で髪をひとつに結んだ「リカちゃん」が、袴に胸当て、腕には防具を装着し、その上から鮮やかなピンク地に桜模様の描かれた着物を羽織っています。足元は足袋に草履を履いています。より世界観を演出するために紙小物(刀、銃、「什の掟(じゅうのおきて)」)がセットになっています。

 NHK大河ドラマ「八重の桜」は、福島県会津出身で、戊辰戦争では女性ながらに銃を持って戦い「幕末のジャンヌダルク」、維新後は「ハンサムウーマン」と称され時代をリードした女性、新島八重(にいじま やえ)の生涯を描いています。
 本商品は、「生涯自分の可能性に挑み続け、すべての人の幸福を願った」というヒロイン像への敬意を込めて、もともと福島県とつながりの深い「リカちゃん」(※2)が、福島の女性をはじめ、日本の女性たちにエールを送る商品として企画されました。

※1 「八重の桜」について
http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/
「八重の桜」(やえのさくら)は、2013年1月6日より放送されているNHK大河ドラマ第52作で、福島県会津出身の女性、新島八重(にいじまやえ)の生涯を描いています。「什の掟」は会津の師弟教育七か条として人材育成の指標とされていたもので「ならぬことはならぬもの」という理屈ではない強い教えこそが「会津武士」の気質であり、私欲で道理を曲げない人間を形成したといわれています。

※2 「リカちゃん」について
http://licca.takaratomy.co.jp/
1967年に誕生した着せ替え人形「リカちゃん」は、ドレスやハウスなどを使って 「ごっこ遊び」や「おしゃれ遊び」を楽しむことができます。発売当初から年齢や家族、友達などのプロフィールを設定しているのが特徴で、常に時代ごとの流行を取り入れながら展開し、親子二世代・三世代にわたって愛され続けています。
【「リカちゃん」と福島のつながり】
「リカちゃん」は、1993年、福島県小野町に「リカちゃんキャッスル」が開業したことを機に、小野町の「町おこしプリンセス(名誉町民に代わる称号)」に認定されました。さらに今年5月には「リカちゃんキャッスルが20周年を迎えたことから、小野町より「特別住民票」が交付されました。また7月には福島にあるレジャー施設「スパリゾートハワイアンズ」とコラボレーションして「スパリゾートハワイアンズ リカちゃん」を発売しました。
リカちゃんキャッスルHP http://www.liccacastle.co.jp/index.html
昨日、朋友野間みつねさんの夏コミを手伝ったので、今日は有休取っております。

青森
八重と斗南テーマの企画展始まる/三沢
 戊辰戦争での奮戦、京都での教員生活と波瀾(はらん)万丈の生涯を送った新島八重と、斗南の地で再興を目指した旧会津藩士たちの足跡を展示する特別企画展「新島八重と斗南」(三沢市主催、デーリー東北新聞社など協力)が1日、三沢市の先人記念館で開幕した。福島県会津若松市や、八重の夫・新島襄が創立した同志社大学の全面協力を得て、貴重な資料が集まった。9月29日まで。(長谷川開丈)
 
 同展は、放映中のNHK大河ドラマ「八重の桜」が好評を博していることを背景に、旧会津藩が転封された斗南との歴史的つながりを広く知ってもらおうと企画。会津若松市の会津新撰組記念館などから多数の所蔵品を持ち込んだほか、県南地方に住む会津藩の子孫が大事に守ってきた軍扇、書簡など歴史的な品々を借り受けた。
 中でも珍しいのは、会津戦争終結の際、会津若松城下の降伏式場に敷いた赤色のじゅうたん。藩士が「敗戦の悔しさを忘れぬように」と切り分け、「泣血氈(きゅうけつせん)」として持ち帰ったものだ。五戸町に移住した元家老・内藤介右衛門の子孫が同町で代々伝えてきた。
 また、八重が詠んだ直筆(複写)の短歌や、3枚しか残されていないという山本覚馬の肖像写真、会津藩の砲術指南書といった、関係者の心境や時代をほうふつとさせる展示が並んでいる。
 開館時間は午前9時~午後5時(入館は午後4時半まで)。休館日は8月26日、9月2、9、17、24日。入館料は高校生以上100円、小中学生50円(小中の毎週土日と、幼児以下は無料)。
【写真説明】
会津若松市から借り受けた会津藩の洋式軍装(手前)も公開


宮城
集まれ幕末好き 山内図書館で企画展
 今年、新撰組結成150周年に関連し、山内図書館では「幕末時代」をテーマにした書籍を今月から紹介している=写真。

 土方歳三、坂本竜馬など幕末志士を扱う小説から、「絵葉書で見る日本近代」など時代背景を追う書籍を紹介。山内図書館の小泉瞳さんは「展示初日から、借りる方が多いです。幅広い年齢層に人気のある時代ですね」と話す。展示は1カ月ほど行われる。8月19日休館。

 また、同図書館では、9月14日(土)から、司馬遼太郎記念館特別学芸員・増田垣男さんによる「明治維新講座」を開講する。全5回。テーマは勝海舟・佐藤政養、山内容堂について。

 申し込み、詳細は同図書館ホームページ(http://yamauchi-lib.jp/)、または【電話】045・901・1225へ。

福島
若松で歴史や郷土料理満喫 浪江高生旅行プラン
 東京電力福島第一原発事故に伴い本宮市の仮設校舎で学んでいる浪江高生は1日、会津若松市を視察し、観光地を見学したり郷土料理を試食した。
 県が主催する「ふるさと福島」魅力いっぱい!発掘コンテストに応募した。子どもの目線で本県の良さを再発見し、ユニークな旅行プランを練り、12月のプレゼン大会で発表する。美術部と進路研究部の生徒9人が訪れた。浪江高生が平成23年に修学旅行で招待され、交流した愛媛県の新居浜商高の6人が参加した。
 会津若松観光物産協会教育旅行誘致推進員の佐藤功武さんの案内で飯盛山や滝沢本陣、鶴ケ城を訪れた。白虎隊や大河ドラマ「八重の桜」の主人公新島八重、戊辰戦争など歴史への理解を深めた。また、茶屋や和食店で田楽やこづゆ、天ぷらまんじゅうを試食した。
 浪江高の本田友希さん(3年)は「安全だと知ってもらい、歴史や食文化を楽しめるプランを練る」と話した。
 新居浜商高の石川拓磨君、宇野裕介君(ともに3年)は「来る前は危険だと思っていたが安全だと分かった。魅力ある県だと伝えたい」と話していた。

二本松少年隊の志今に 顕彰祭で慰霊の剣舞披露
 戊辰戦争で若くして散った二本松少年隊の志を記憶にとどめる「二本松少年隊顕彰祭」は28日、二本松市の二本松北小で催された。
 二本松城が落城した1868(慶応4)年7月29日にちなみ、毎年この時期に開いている。放射線量を考慮し、今年も体育館を会場にした。
 二本松少年隊顕彰会長の三保恵一市長が「少年隊は二本松の誇りだ」、旧二本松藩主の丹羽家18代当主、丹羽長聰(ながとし)氏が「顕彰祭を後々まで発展させてほしい」とあいさつした。
 福島岳風会二本松吟詠会が「戒石銘」「二本松少年隊を弔う」を献吟した。
 二本松北小の児童が剣舞「二本松少年隊」を踊った。岳下小の児童は居合を繰り広げた。二本松南小の児童は舞踊「二本松少年隊」を披露した。二本松剣友会が日本剣道形を見せた。
 29日午前10時からは市内の大隣寺で墓前祭が催される。

■丹羽氏に戒石銘碑の拓本寄贈 二本松商議所
 二本松商工会議所は28日、顕彰祭に先立ち、あらためてお礼の意味を込め、丹羽家18代当主の丹羽氏に旧二本松藩士の心構えが書かれた戒石銘碑の拓本を寄贈した。
 贈呈は県立霞ケ城公園の戒石銘碑前で行われ、石沢孝会頭が拓本を表装した掛け軸を丹羽氏に手渡した。後藤宏迪専務、丹羽氏の妻厚子さんが同席した。
 拓本は3月に安倍晋三内閣の全閣僚にも贈った。

城下町の連携宣言 若松で全国サミットが閉幕
 第1回全国城サミットふくしま大会は最終日の29日、福島県会津若松市の鶴ケ城本丸で砲術や演舞が繰り広げられた。県内外から集まった関係者は城サミットを機に結んだネットワークを生かし、城下町が力を合わせて地域発展に努めていくことを誓い合った。

■二本松少年隊が初演舞 次期開催地彦根市(賀滋)に旗引き継ぐ
 会津なぎなた連盟のなぎなた演武、会津キャンペーンクルーの会津白虎隊演舞に続き、二本松南小舞踊部の19人が二本松少年隊の演舞を披露した。白虎隊と同じく戊辰戦争に若い命を散らせた少年隊への思いを込め、初めて鶴ケ城で舞った。いわき海星高の生徒は震災犠牲者への鎮魂の気持ちを込めてじゃんがら念仏踊りを披露した。県古式鉄砲研究会の会津藩稲富流砲術、相馬外天会の相馬中村藩關流炮術(せきりゅうほうじゅつ)の迫力ある大音響がとどろいた。
 会津若松市文化センターで行われた閉会式では、実行委員長の室井照平会津若松市長が「城サミットを機に交流を深め、元気を全国に届けよう」とあいさつ。宗像哲夫大会宣言策定委員長が「城、城下町こそ日本人の歴史そのものであり、心の故郷。共に力を合わせ連携してゆく」との大会宣言を読み上げた。
 室井市長から次期開催地の滋賀県彦根市の磯谷直一産業部長に全国城サミットの旗が伝達され、再会を誓い合った。同市のキャラクター「ひこにゃん」も駆け付けた。磯谷部長は「会津の皆さんに頂いたもてなしの心を忘れず、ぜひ次回大会を成功させたい。福島県からも多くの方々に来ていただきたい」と語った。
 大会は実行委員会の主催、県城下町連絡協議会の共催、テレビユー福島の特別協力、福島民報社の特別後援。

合同「武門の縁」展開幕 行田・桑名との友好都市15周年
 白河・行田(埼玉)・桑名(三重)3市の友好都市締結15周年を記念した合同企画展「武門の縁―忍・桑名・白河、幕末への軌跡―」は10日、白河市の城山公園内にある集古苑で開幕した。9月1日まで。開幕に先立ち9日、同施設でオープニングセレモニーが行われ、関係者が3市のさらなる親交に期待した。
 白河市によると、3市は1823(文政6)年に行われた「三方領知替え」を縁として、1998(平成10)年に友好都市を締結したという。
 企画展では、大坂の陣で松平忠明が着用したとされる「黒糸威二枚胴具足」や南北朝時代の刀、徳川家康や伊達政宗の自筆書状など、大名の生活や武家文化がうかがえる品々約110点が展示されている。18日は桑名市博物館の杉本竜氏、25日は行田市郷土博物館の鈴木紀三雄氏による展示解説会が開かれる。両日とも午前11時と午後2時の2回。
 セレモニーでは、鈴木和夫白河市長、中村猛行田市教育長、近藤久郎桑名市教育部長があいさつし、阿部家第22代当主の阿部正靖さんが祝辞。鈴木市長ら関係者がテープカットし企画展の開幕を祝った。引き続き内覧会が開かれ、杉本氏や鈴木氏らが関係者に展示解説を行った。
 開館時間は午前9時~午後5時(入館は同4時30分まで)。入館料大人310円、小・中学・高校生無料。会期中無休。
 問い合わせは白河市歴史民俗資料館(電話0248・27・2310)へ。

東京
幕末の子孫たちのパネルディスカッションに大盛況!「第10回勝海舟フォーラム」レポート 
7月15日、都内で、歴史好き・幕末好きが多く集まるイベントが開催された。
それは、「勝海舟フォーラム」である。
勝海舟像が建立後の2004年から、毎年、海の日に墨田区で行われている勝海舟の顕彰イベント。
例年は海舟ゆかりの地のウォークラリーの後、銅像を建てる会に尽力された日大名誉教授や歴史家の講演やライブなどで構成されていたが、今年は、10周年記念として「海舟ゆかりの子孫大集合」と題した、子孫たちのパネルディスカッションが企画された。
メンバーは、幕末の偉人・勝海舟、坂本龍馬、坂本乙女、榎本武揚、ジョン万次郎の末裔の5人。「5人の子孫がはじめて一堂に会す」とイベント開催前から報道されている。
当然ながら、主に古い書物から推察する研究家たちの話とは違った、血縁者が書物に加え、リアルに体験してきた話、祖先の話をするところに魅力がある。
「入場無料 先着500名」の事前発表に、参加者は710人以上(顕彰会事務局発表)。会場は北海道から九州までの顕彰会のメンバーおよび一般の歴史ファン等で埋め尽くされ、立ち見も余儀なくされた。

江戸東京博物館で「花開く 江戸の園芸」-江戸のガーデニングを紹介 /東京
 江戸東京博物館(墨田区横網1、TEL 03-3626-9974)で現在、開館20周年を記念する特別展「花開く 江戸の園芸」が開催されている。(すみだ経済新聞)

【画像】 ミュージアム・ショップではトートバッグやTシャツなど同展オリジナル商品も人気

 同展は江戸という都市で展開した園芸と園芸文化を、浮世絵やびょうぶ、園芸書、刷り物などを通して紹介する、同館にとって初めての展覧会となる。

 展示内容は全体で6つの章から構成。序章「プラントハンターの驚き」では今から約150年前、2度にわたって日本を訪れ「VISITS TO THE CAPITALS OF JAPAN AND CHINA,1863(邦題:幕末日本探訪記)」を執筆したイギリスの植物学者、ロバート・フォーチュンの言葉から、花を愛する日本の国民性や文化性、当時世界一の植木屋集積地帯だった染井村の壮観など、緑あふれる江戸の都市景観を紹介。

 第1章「花と緑の行楽文化」では、本格的な園芸書「花壇地錦抄」を書いた染井村の植木屋、伊藤伊兵衛の事績、神社仏閣中心から民間庭園へと広がった名所巡りに見られる行楽文化のあり方、民間庭園から植木屋の経営する梅屋敷の誕生などを。第2章「植木鉢の普及と高まる園芸熱」では園芸文化のあり方に大きな変化をもたらした植木鉢とその草花など。第3章「武士の愛した不思議な植物たち」では武士たちが栽培に情熱を傾けた万年青(オモト)をはじめとする珍しい植物「奇品」をめぐる文化。第4章「江戸園芸三花-朝顔・花菖蒲(ハナショウブ)・菊」では江戸時代の人々が愛好してやまなかった三花について。終章「園芸文化の明治維新」ではバラを例に、江戸の園芸文化が近代化に直面しどのような変化を遂げていったのかを紹介する。

 会期中、展示室内に設置した「巨大花絵巻」に折り紙の朝顔を貼って装飾するイベントや、「朝顔折り紙教室」「紋切り遊び教室-オリジナルうちわを作ろう!」などのワークショップも開く。

 開館時間は9時30分~17時30分(土曜は19時30分まで)。月曜休館(8月12日は開館)。特別展専用券は、一般=800円、大学生・専門学校生=640円、小学生~高校生・65歳以上=400円。9月1日まで。

あきる野市の森田家住宅が国の登録有形文化財に-市内初 /東京
 あきる野市の森田家住宅(同市小川)が7月、文化庁より国の登録有形文化財に登録された。同市では初となる。(西多摩経済新聞)

 森田家は名主を務め、江戸の幕末期には酒造も手掛けた。現在の当主である浩一さんで17代目となる。

 今回、登録されたのは主屋、見世倉、前の蔵、味噌蔵、西蔵、旧米蔵、御看経堂、門、板塀の9物件。主屋は睦み橋通りに面した敷地の中央に建ち、正面中央に構える唐破風造の式台玄関は、妻面に二重虹梁を組む本格的な形式。内部は柱や差物に良材を使った重厚な軸部を構成し、床などの座敷飾も洗練されている。

 敷地正面の見世蔵は1階西よりを板敷の店とし、道路側に揚戸を立てて開口部とする店舗機能を備えた土蔵。持仏堂である御看経堂は土蔵造平屋建で、内部は手前が三畳の拝所、後方を仏壇構えとして虹梁を架け、私邸に残る近世の持仏堂として貴重とされた。また旧米蔵は現在、懐石・ギャラリー「燈々庵」として使用されている。

 西多摩ではほかにも福生市の田村酒造場(福生市福生)が今回、登録された。

奈良
「志士たちの肖像」展:幕末志士の矢立対面 150年ぶり、文化博展示の小旗と−−五條 /奈良
1863(文久3)年8月(新暦では9月)、幕府五條代官所を襲い明治維新の先駆けとなった天誅組の軍監だった那須信吾が形見に残した矢立と、鷲家口(東吉野村小川)で戦死したときに身につけていた血染めの小旗が、五條市立五條文化博物館(同市北山町)で開かれている「志士たちの肖像」展会場で150年ぶりに対面した。

 矢立は筆と墨を入れた筆記具で、真ちゅう製。重さは445グラム。1863年9月24日、幕府側に追い詰められた天誅組は、川上村武木に寄り村人に昼食を振る舞われた。矢立は信吾が出立の時に残したと伝えられる。信吾は同日夜、鷲家口で主将の中山忠光らを逃がすための決死隊6人の隊長となり、彦根藩脇本陣に切り込んで戦死した。35歳だった。天誅組蜂起前年の1862年、土佐藩家老・吉田東洋の暗殺に加わり脱藩し、武芸の達人だった。

 天誅(忠)組記念館長の草村克彦さん(57)=大阪府藤井寺市小山5=が信吾の6代目子孫と知り合い、矢立を所有する住川準典さん=川上村武木=から借りて見せ、小旗を展示した同館にも持参した。草村さんは「矢立は重く武器だったのでは。死を覚悟し、もう不要と思ったのだろう」と話した。【栗栖健】



石川
二の丸御殿の変遷明らかに 幕末の「最新」絵図確認
 石川県金沢城調査研究所は6日までに、歴代加賀藩主が居住・執務した「金沢城二の丸 御殿」の幕末の絵図2点を特定した。これまで確認された中で、最も新しい時期の絵図で 、火災などによる再建のため、たびたび姿を変えた二の丸御殿の変遷が明らかになった。 二の丸御殿について、県は金沢城復元の仕上げとなる「究極の建物」としており、復元に 向けた足掛かりとなる。
 1631(寛永8)年の大火後に創建された二の丸御殿の絵図は、これまで約70点が 確認されている。今回、幕末の1850(嘉永3)年前後の絵図とされる4点を調査。県 立図書館が所蔵する2点と金沢市立玉川図書館近世史料館の1点、金沢市内の個人が所有 する1点で、それぞれの建物の特徴を比較した。

 金沢城調査研究所によると、県立図書館の2点はそれ以前の絵図と同じく、藩主が日常 生活を送る御居間(おいま)の近くに土蔵が描かれており、御居間南側の一部は縁側がコ の字形に出っ張った構造となっていた。

 一方、玉川図書館と個人の2点には土蔵が描かれておらず、御居間の縁側が真っすぐ延 びる形に変化していた。明治に入って撮影された古写真では土蔵が確認できないことから 、玉川図書館と個人蔵の絵図が、最も新しい時期の二の丸御殿の姿を伝えていると判断し た。

 二の丸御殿については、谷本正憲知事が昨年2月の県議会定例会での答弁で、「大規模 で複雑な御殿であり、史実に沿った復元には史料が十分ではないなどの課題がある」とし 、絵図や文献の収集に取り組み、復元の可能性を探る考えを示している。

 金沢城調査研究所は、今回の調査で江戸前期から幕末に至るまでの二の丸御殿の変遷が 体系化できたとし、木越隆三所長は「将来的な復元を検討する際の基礎史料が固まった」 としている。

 金沢城二の丸御殿 1631(寛永8)年の大火を受け、それまで本丸にあった御殿を 二の丸に移し、百万石の藩政の中枢を担った。宝暦、文化の2度の大火で焼け、そのたび に再建されたが、明治に焼失した。一部の遺構は城外に移築され、かつての能舞台は金沢 市中村町の中村神社拝殿、表式台前の唐門は尾山神社東神門としてそれぞれ現存している 。

京都
八重の桜:京都文化博物館で特別展 ゆかりの品で 新島襄との絆示す書も /京都
 京都文化博物館(京都市中京区)で、NHKの大河ドラマと連動した特別展「八重の桜」が開かれている。幕末から昭和初期にかけて動乱の時代をたくましく生きた新島八重(1845〜1932)ゆかりの品々を通して、東日本大震災からの復興へのメッセージを伝える。9月1日まで。

 八重は会津藩砲術師範の娘として生まれ、戊辰(ぼしん)戦争で自ら銃をとって新政府軍と戦った。敗戦後、兄の山本覚馬を頼って京都に移り、同志社の創立者・新島襄と結婚。茶道を通じた女子教育や日清・日露戦争時の看護など社会活動に携わった。

 展示は「会津の教え」「幕末の京都」「ハンサムウーマンへ」など5章で構成。戊辰戦争の激しさを伝える写真や屏風(びょうぶ)、八重が使ったのと同種の銃、京都の近代化に尽力した覚馬の資料など約180件が並ぶ。新島旧邸の応接間も再現。襄の書と心を重ねるように写した八重の書が一対で飾られるなど、2人の絆の深さが分かる。一部展示替えあり。

 午前10時〜午後6時(金曜は同7時半、入場は30分前まで)。月曜休館(12日は開館)。有料。問い合わせは同博物館(075・222・0888)。【富永浩三】

木村武仁と幕末を歩く第2弾「龍馬と寺田屋騒動」の伏見を歩く
  11月3日(日)13時~15時、京阪本線「中書島」駅集合─京阪本線「伏見桃山」駅解散。

 大好評の“坂本龍馬が駆け抜けた伏見の幕末史跡幕末を歩くシリーズ”の第2弾。
 霊山歴史館主任学芸員木村武仁先生のわかりやすい解説付で、史跡寺田屋、龍馬とお龍愛の旅路銅像、伏見土佐藩邸跡碑、大黒寺(寺田屋殉難九烈士の墓)伏見薩摩藩邸跡碑、松林院墓地・寺田屋登勢の墓、伏見酒造の風景などを巡ります。
 講師=木村武仁(霊山歴史館主任学芸員)。

 3255円(保険料込)。※入館料別途(400円)
 申し込み・問い合わせTEL075・254・2835(JEUGIAカルチャーKYOTO/10時~19時)。

高知
福島の名刀土佐にあり 県護国神社に保管「八重の桜」で注目
 江戸後期の二本松藩(現・福島県二本松市周辺)で作られた特大の刀が、高知市吸江の県護国神社で「社宝」として保管されている。戊辰戦争(1868~69年)で土佐藩軍が二本松城を攻め落とした際に戦利品として押収し、土佐に持ち帰ったもの。NHK大河ドラマ「八重の桜」で戊辰戦争への関心が高まる中、歴史的価値が注目されている。 

“幕末史オタク”ビビる大木 高知県観光特使に任命
 タレントのビビる大木(38)が27日、坂本龍馬らを輩出した高知県から県観光特使に任命され、県庁で委嘱状などを手渡された。

 埼玉県出身だが、江戸末期に日本人として初めて渡米したジョン万次郎の資料館(高知県土佐清水市)で名誉館長も務めるなど、タレント界屈指の“幕末史オタク”。「埼玉県からも“テレビやラジオでいいタイミングで埼玉の話をして”と言われるけどタイミングがなかなか…。でも高知は、龍馬や中岡慎太郎、三菱(グループ創始者)の岩崎弥太郎などきっかけになるテーマが多い」と意気込んだ。任期は15年3月末まで。

エンターテインメント
「劇場版 薄桜鬼」初日舞台挨拶登壇キャスト決定 声優陣が新宿と池袋に
女性ファンから圧倒的な支持を受けてきた「薄桜鬼」が劇場アニメ化、8月24日からいよいよ『劇場版 薄桜鬼 第一章 京都乱舞』の全国公開がスタートする。その初日舞台挨拶の詳細がこのほど発表された。また、8月17日からは、このチケット販売も開始する。
当日の舞台挨拶には、監督と豪華キャストの出演が決まっている。さらに話題作の待望の劇場映画だけに、かなりの人気になりそうだ。

初日舞台挨拶の会場は、新宿バルト9 シアター9とシネマサンシャイン池袋 5番館の2ヶ所となる。新宿は8月24日9時の回の上映開始前、そして池袋は10時の回の上映終了後と12時半の回の上映前の2回を予定する。
出演は千鶴役の桑島法子さん、三木眞一郎さん、森久保祥太郎さん、鳥海浩輔さん、吉野裕行さん、遊佐浩二さん、津田健次郎さん、そしてヤマサキオサム監督だ。三木眞一郎さんと吉野裕行さんのふたりは新宿のみの出演だ。チケット価格は税込2000円、8月17日10時よりチケットぴあにて、ぴあシネマリザーブシートの販売を開始する。

また、公開までのファンの楽しみとなっている劇場前売券も、8月13日より第3弾に突入する。全国共通特別鑑賞券に特典のクリアしおりがつく。カズキヨネさん描き下ろしのイラストが、コレクションアイテムにも相応しい。
こちらは税込1500円、数量限定となっている。また、購入は、ひとり2枚までとする。

『薄桜鬼』は、2008年に発売された女性向けのゲーム『薄桜鬼 ~新選組奇譚~』から始まった人気シリーズだ。幕末の新選組を舞台にし、独自の美学で脚色された世界観が女性を中心に大人気だ。
映画は完全新作の2部作としており、今回が第1章となる。本編の内容はこれまでに公表されておらず、映画館での新たなストーシーに期待が高まっている。

アニメ『薄桜鬼』公式サイト 
2013年8月24日(土)
http://anime-hakuoki.com/

■ 第三弾・クリアしおり付き 全国共通特別鑑賞券【数量限定】
8月13日(火)より上映劇場窓口にて販売
特典物: クリアしおり   価格: 1500円(税込)

■ 初日舞台挨拶回の詳細・チケット販売 (座席指定券はチケットぴあのみ)
ぴあシネマリザーブシート
8月17日(土)午前10時よりチケットぴあにて販売開始
※一人2枚まで。 ※席は選べません。
詳細は公式サイトで確認ください。

撮影の合間に、新選組とのご縁
 先日、京都で行われた「ファッションカンタータ」に出演させていただいた。打ち出される最新の和・洋のファッションと音楽が京都の歴史の中で混じり合うファッションイベントだ。今年はなんと泉涌寺だった。歴代天皇の墓陵もあり、昭和の中頃まで一般公開されていなかった、という古刹(こさつ)だ。京都の人に「泉涌寺でショーをやる」と言うとまず驚かれるほど、開催すら難しそうな印象の場所なんだそうだ。そこで出来てしまうのも、ある意味「京都」なのかもしれない。

 記者会見では和尚さまが「ファッションカン“カ”ータでっか? ようわかりまへんけどな、日本が元気になるんなら思て引き受けましたんや」と言って会場を沸かせていた。

 屋外で自然を感じながらステージに立つのは何とも気持ちが良い。歴史の大きなうねりの中にいるような神秘さえ感じる。

aura愛か誠か、生か死か。動乱の京都に芽吹く、甘く切ない恋の花――【無料恋愛ゲーム】「華の新撰組~蜜夜秘めがたり~」女性向け恋愛シミュレーションゲームついにAndroid版アプリにて配信開始!
『華の新撰組~蜜夜秘めがたり~』とは、あなたが主人公となって、誠の志のもとに生きる新選組隊士たちとの恋愛を楽しむ、女性向け無料恋愛シミュレーションゲームです。

<ストーリー>
元治元年、京都。
病弱な弟を救うため、長州藩の間者となったあなたは、
命令により新撰組に近づくことに。
しかし、彼らに隠されたある「真実」を知った時、
あなたの運命は、否応無く因果の渦中へと巻き込まれていく。

誠を貫く男達と共に駆け抜けたその先で、
淡い恋の花を咲かせるか、それとも徒花となって儚く散りゆくのか。

決めるのは、あなた次第――

<ゲームの特徴>
ゲーム中の選択肢に正解したりアバターを獲得することで、彼との「好感度」が上がります。好感度によって物語が分岐し、それぞれのエンディングを迎えます。
物語の途中には「蜜月ルート」が発生することも。「蜜月ルート」は、いつもより甘く胸の高鳴るシチュエーションが楽しめる、スペシャルストーリーです!
また、好感度がアップするアバターには、可愛いアイテムがいっぱい! ガチャで手に入る美麗アバターで、トータルコーディネートも楽しめます。

<ミニゲーム>
ミニゲームをプレイすることで、ゲーム内通貨をためることが可能です!
ゲーム内通貨でまわせるガチャで、可愛いアバターを取得できます♪

<キャラクター>

<『華の新撰組~蜜夜秘めがたり~』のサイト概要>

■アドレス : https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.arismile.g18a52
■利用料金 : 無料(一部有料)
■アクセス方法 :
 ■アクセス方法 :「GooglePlay」→「検索」→「華の新撰組」

<シナリオ企画制作>
aura(ジグノシステムジャパン株式会社)
<イラスト/キャラクターデザイン>
なま
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(ジグノシステムジャパンについて)
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新撰組隊士に強引に迫られて……変わり種TLコミックはこれを読め!
『幕末カレシ!~肉食新撰組~』作画:柚樹ちひろ/原案:JUN
 TLの世界に、多くの歴史ファンを魅了してきた新撰組をお迎えするという斬新な作品『幕末カレシ!~肉食新撰組~』。
 成績優秀、スポーツ万能、誰からも愛される学校のアイドル・川澄桜。校内のイケメン男子生徒からの好意を振り続ける桜だが、実はエッチなことには興味津津。ある日、こっそりとおとなのおもちゃで遊んでいると、絶頂に達した瞬間、幕末時代の京都にタイムスリップしてしまった! 桜を保護してくれたのは、新撰組隊士・沢村誠士朗。呆然とする桜に誠士朗は着物を用意してくれたが、いきなり体をまさぐられて……そこにやって来たのは、あの沖田総司だった! そこから、強引な剣士たちに翻弄される桜の摩訶不思議な生活がスタートしたのだが……。
 なんといっても見どころは、剣士たちの強引すぎる迫り方。女たらしと紙一重かもしれませんが、その自信たっぷりの態度には、ドキドキせずにはいられません。誠士朗に「敏感だな…この程度で感じてるのか?」と上から目線で言われたり、総司に「こんなにオイシそうなのに? クスッ」とキスされるという夢のようなシーンが盛りだくさん! 桜のキャラクターもとってもユニーク。いきなりのタイムスリップに混乱しながらも、ポケットに入っていたおとなのおもちゃを発見すると、新撰組隊士たちの目を盗んで1人エッチに興じてしまうなど、たくましすぎる一面も持っています。「新選組の隊士達がこんな事を!」という『幕末カレシ!~肉食新撰組~』ですが、幕末時代の悲しい歴史エピソードもしっかり背景にあることから、切なさも感じられる恋愛作品になっています。

Androidアプリ『幕末BLADE』が夏休み企画第2弾「疾風の如く -君の幕末志士を最強にしよう-」を開催。4つのイベントダンジョンがオープン
 ロケットナインゲームスは、配信中のAndroid向けゲームアプリ『幕末BLADE』(ブレイド)において、本日2013年8月7日(水)18時より、夏休み企画第2弾「疾風の如く -君の幕末志士を最強にしよう-」を開催する。

 「疾風の如く -君の幕末志士を最強にしよう-」では、期間中「4つのイベントダンジョン」がオープンする。
 今回オープンするダンジョンは、1フィールドにつき平均7から8ステージのところ、5から6ステージでバトルが終了する「ショートダンジョン」だ。
 サクサク爽快に志士達を育成できる、熱い夏にぴったりのイベントとなっている。

Androidアプリ『幕末BLADE』が夏休み企画第2弾「疾風の如く -君の幕末志士を最強にしよう-」を開催。4つのイベントダンジョンがオープン
<イベント詳細>

■期間
 2013年8月7日(水)18:00~8月29日(木)サーバーメンテナンス開始前

(1) 「疾風:業ダンジョン」
 経験値が1.5倍獲得できる敵の攻撃力強の、超攻撃型ダンジョン。ショートダンジョン&低体力なので、1日に10回以上挑戦できるダンジョンになっている。
 体力系や回復系志士を編成して、大量経験値を入手しよう。

■エリア名:イベントダンジョン「疾風:業」
■フィールド名:その壱 その弐 その参
■開催日:期間中 毎週金曜日
■対象レベル:Lv25~
■ステージ数:全フィールド5ステージ
■必要体力:その壱(5) その弐(8) その参(12)
■敵志士:攻撃系志士
■ドロップ:5000小判
■褒賞:金塊1個(ゲーム内有料通貨)
Androidアプリ『幕末BLADE』が夏休み企画第2弾「疾風の如く -君の幕末志士を最強にしよう-」を開催。4つのイベントダンジョンがオープン
(2)「進化:お登勢ダンジョン
 「寺田屋事件」の舞台になった、寺田屋の女将、女傑「お登勢」(レアリティ3)獲得ダンジョン。
 お登勢は、高レアリティへの進化に必須の志士。攻撃回数が多く防御力が高い志士なので、攻撃力の高い志士、敵の防御力を減らすスキル保持した志士などを編成して攻略しよう。

■エリア名:イベントダンジョン「進化:お登勢」
■フィールド名:その壱 その弐
■開催日:期間中 毎週水曜日
■対象レベル:Lv25~
■ステージ数:その壱(5ステージ) その弐(6ステージ)
■必要体力:その壱(16) その弐(20)
■敵志士:寺田屋ゆかりの志士達
■ドロップ志士:お登勢(全属性/レアリティ3)、その他
■褒賞:金塊1個(ゲーム内有料通貨)

(3)「進化:剣客ダンジョン 」
 全属性の「美麗・進化素材志士」(レアリティ3)が獲得できるダンジョン。
 高レアリティへの進化に必須の志士。お登勢と同じく攻撃回数が多く、防御力が高いのが特徴だ。

■エリア名:イベントダンジョン「進化:剣客」
■フィールド名:その壱 その弐
■開催日:期間中 毎週月曜日
■対象レベル:Lv25~
■ステージ数:その壱(5ステージ) その弐(6ステージ)
■必要体力:その壱(16) その弐(20)
■敵志士:進化素材 レアリティ3志士
■ドロップ志士:雅(仁):高杉晋作の妻
 馬越三郎(義)/新撰組 美男五人衆
 田中寅蔵(礼)/新撰組 隊士
 千葉さな子(智)/坂本龍馬 婚約者
 沖田ミツ(信 /沖田総司 姉
■褒賞:金塊1個(ゲーム内有料通貨)
(4)「癒しの里」
 戦闘には必須キャラクター、回復玉変換スキルを持つ志士獲得ダンジョン。
 特定の志士玉を回復玉に変身させるスキルになる。

■エリア名:イベントダンジョン「癒しの里」
■フィールド名:その壱 その弐 その参
■開催日:期間中 毎週 木曜日
■対象レベル:Lv15~
■ステージ数:全フィールド5ステージ
■必要スタミナ:その壱(6) その弐(8) その参(12)
■ドロップ志士:回復玉への変換スキルを持つ志士
 来島又兵衛(仁)/長州藩士
 服部武雄(義)/新撰組隊士
 伊東甲子太郎(礼)/新撰組参謀
 西郷頼母(礼)/会津藩家老
 吉村寅太郎(智)/土佐藩士
 島田魁(信)/新撰組隊士
 小栗忠順(信)/幕臣
■褒賞:金塊1個(ゲーム内有料通貨)
また暑さが戻ってきたようです。あともう少しの辛抱で、せめて朝晩は涼しくなるだろうと思っているのですが。

青森
八重と斗南テーマの企画展始まる 三沢
 戊辰戦争での奮戦、京都での教員生活と波瀾(はらん)万丈の生涯を送った新島八重と、斗南の地で再興を目指した旧会津藩士たちの足跡を展示する特別企画展「新島八重と斗南」(三沢市主催、デーリー東北新聞社など協力)が1日、三沢市の先人記念館で開幕した。福島県会津若松市や、八重の夫・新島襄が創立した同志社大学の全面協力を得て、貴重な資料が集まった。9月29日まで。(長谷川開丈)
 
 同展は、放映中のNHK大河ドラマ「八重の桜」が好評を博していることを背景に、旧会津藩が転封された斗南との歴史的つながりを広く知ってもらおうと企画。会津若松市の会津新撰組記念館などから多数の所蔵品を持ち込んだほか、県南地方に住む会津藩の子孫が大事に守ってきた軍扇、書簡など歴史的な品々を借り受けた。
 中でも珍しいのは、会津戦争終結の際、会津若松城下の降伏式場に敷いた赤色のじゅうたん。藩士が「敗戦の悔しさを忘れぬように」と切り分け、「泣血氈(きゅうけつせん)」として持ち帰ったものだ。五戸町に移住した元家老・内藤介右衛門の子孫が同町で代々伝えてきた。
 また、八重が詠んだ直筆(複写)の短歌や、3枚しか残されていないという山本覚馬の肖像写真、会津藩の砲術指南書といった、関係者の心境や時代をほうふつとさせる展示が並んでいる。
 開館時間は午前9時~午後5時(入館は午後4時半まで)。休館日は8月26日、9月2、9、17、24日。入館料は高校生以上100円、小中学生50円(小中の毎週土日と、幼児以下は無料)。
【写真説明】
会津若松市から借り受けた会津藩の洋式軍装(手前)も公開

福島
幕末地図上で現在地 若松でスマホ向け観光案内ソフト
 会津若松市「八重の桜」プロジェクト協議会は、地元のベンチャー企業「デザイニウム」と共同で、会津若松市の現在の地図と幕末の城下町地図を組み合わせ、タイムスリップした感覚で位置情報が分かるスマートフォン向け観光案内アプリケーションソフト「会津古今旅帳」を制作した。両者が30日、発表した。
 画面上の「古地図モード」をオンにすると、古地図に現代の地図情報が重ね合わせて表示される。例えば西郷頼母、萱野権兵衛、田中土佐ら家老の屋敷があった場所は、現在の会津若松市追手町の市役所追手町第1庁舎や会津若松税務署の辺りであることが地図上で分かる。古地図は「詳解 会津若松城下絵図」(野口信一監修、歴史春秋社)の地図を使っている。
 また、会津の観光スポットが100件以上登録されているほか、iPhoneなどios向けには、自分の周りの観光スポットまでの距離と方角が画面上に自動で表示される「ARカメラモード」もある。
(2013年7月31日 福島民友トピックス)

二本松少年隊の志今に 顕彰祭で慰霊の剣舞披露
 戊辰戦争で若くして散った二本松少年隊の志を記憶にとどめる「二本松少年隊顕彰祭」は28日、二本松市の二本松北小で催された。
 二本松城が落城した1868(慶応4)年7月29日にちなみ、毎年この時期に開いている。放射線量を考慮し、今年も体育館を会場にした。
 二本松少年隊顕彰会長の三保恵一市長が「少年隊は二本松の誇りだ」、旧二本松藩主の丹羽家18代当主、丹羽長聰(ながとし)氏が「顕彰祭を後々まで発展させてほしい」とあいさつした。
 福島岳風会二本松吟詠会が「戒石銘」「二本松少年隊を弔う」を献吟した。
 二本松北小の児童が剣舞「二本松少年隊」を踊った。岳下小の児童は居合を繰り広げた。二本松南小の児童は舞踊「二本松少年隊」を披露した。二本松剣友会が日本剣道形を見せた。
 29日午前10時からは市内の大隣寺で墓前祭が催される。

■丹羽氏に戒石銘碑の拓本寄贈 二本松商議所
 二本松商工会議所は28日、顕彰祭に先立ち、あらためてお礼の意味を込め、丹羽家18代当主の丹羽氏に旧二本松藩士の心構えが書かれた戒石銘碑の拓本を寄贈した。
 贈呈は県立霞ケ城公園の戒石銘碑前で行われ、石沢孝会頭が拓本を表装した掛け軸を丹羽氏に手渡した。後藤宏迪専務、丹羽氏の妻厚子さんが同席した。
 拓本は3月に安倍晋三内閣の全閣僚にも贈った。

( 2013/07/29 10:31 カテゴリー:主要 )

二本松少年隊士の冥福祈る 大隣寺で墓前祭
二本松少年隊墓前祭は29日、二本松市の大隣寺で催され、戊辰戦争で散った少年隊士の冥福を祈った。
神道流二本松吟詠会が献吟した後、二本松少年隊顕彰会長の三保恵一市長、丹羽家18代当主の丹羽長聰(ながとし)氏が献花した。
斎藤賢一市議会議長が「少年隊士の精神を後世に伝え、未曾有の大災害からの復興を誓う」と追悼の言葉を述べた。
高松祖学大隣寺住職ら仏教和合会が読経する中、参列者が次々に焼香した。
少年隊に関する作文・感想文コンクールで最優秀賞を受けた太田朝弓さん(二本松北小6年)と横山愛実さん(二本松一中3年)の表彰もあった。
2人はその場で作品を発表した。

東京
幕末の子孫たちのパネルディスカッションに大盛況!「第10回勝海舟フォーラム」レポート 
7月15日海の日、毎年、隅田川花火大会で賑わう隅田区で、歴史好き、幕末好きが多く集まるイベントが開催された。
それは、勝海舟の出身地・墨田区で行われた「勝海舟フォーラム」である。
「勝海舟フォーラム」は墨田区に勝海舟像が建立後、2004年から、毎年、海の日に行われている勝海舟の顕彰イベント。例年は海舟ゆかりの地のウォークラリーの後、銅像を建てる会に尽力された日大名誉教授や歴史家の講演やライブなどで構成されていたが、今年は、10周年記念として「海舟ゆかりの子孫大集合」と題した、子孫たちのパネルディスカッションが企画された。
メンバーは、幕末の偉人・勝海舟、坂本龍馬、坂本乙女、榎本武揚、ジョン万次郎の末裔の5人。「5人の子孫がはじめて一堂に会す」とイベント開催前から報道されており、当然ながら、古い書物などから推察する研究家たちの話とは違った、血縁関係のある人間が書物に加え、代々家に伝わる祖先の話をするところに魅力がある。
「入場無料 先着500名」の事前発表に、参加者は710人以上(顕彰会事務局発表)。会場は北海道から九州までの顕彰会のメンバーおよび一般の歴史ファン等で埋め尽くされ、立ち見も余儀なくされた。

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冒頭30分は式典。舞台上に備えられたミニチュアの勝海舟像に献花の後、主催の勝海舟顕彰会の会長、各関係団体からの挨拶。墨田区長からはこの秋に葛飾北斎美術館を建設する計画の発表があったり、勝海舟の銅像を建てる会から今までスタッフとして関わってきた山口千鶴子さんに事前告知なく花束贈呈を行ったりというサプライズもあった。 
そして、勝海舟の玄孫(やしゃご)・五代目の高山みな子さんによる基調講演。
基調講演では、現在放送中の大河ドラマ「八重の桜」に関係したエピソードを披露。主人公・八重の夫である新島襄の墓碑銘は勝海舟が揮毫したもの。八重さんとは佐久間象山塾で兄の覚馬さんと一緒だったころから関係があったため、新島襄さんが亡くなった時、八重さんに「新島襄之墓」の揮毫を送った。しかし墓碑をよくみてもらうとわかるが、‘島’の横棒一本足りない。まわりも気づいて、送る前からも言われたが、海舟は「いきおいで書いてしまったんだから、もう書けないよ」と、そのまま送ってしまった。それに対して、八重さんはクレームもつけず、そのまま墓碑に使用された。だから、いまも、京都にある同志社大学の共同墓地の「新島襄之墓」の墓碑の字は横棒一本ない。まさに海舟らしいエピソードだ。

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続いて、メインイベントの子孫パネルディスカッション。勝海舟の玄孫(やしゃご)・五代目の高山みな子さんが引き続きマイクをとり、子孫パネリストに質問していく形でモデレーターの役を務めた。

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登壇したのは榎本隆充氏(榎本武揚 曾孫)、坂本登氏(坂本龍馬実家坂本家九代目)、岡上汎告氏(坂本乙女 曾孫)、小西圭氏(ジョン万次郎 玄孫)の4人。
冒頭、先祖がどんな人だったのかを含めて自己紹介。
坂本乙女 曾孫の岡上汎告氏は「近目で毛が薄かったという部分が乙女の血を引いています」と、ご自分の頭をなでてみたところで、会場は笑いの渦に。
続いて、名前の由来(当然、偉人の)や家族・親戚からの言い伝え、今でも持っている遺品の話など。それぞれが先祖のことが書かれている書物などから、子孫なりに解釈された意見も披露された。
また、勝海舟と4人のパネリストとの、「海」という共通点を挙げ、5人それぞれの「海」との関わり方と思いに触れた。
話題は愛についてと続いた。榎本武揚は徳川育英会設立から東京農業大学への発展に貢献をした博愛、坂本龍馬は国の未来のために奔走した祖国への愛、坂本乙女は、龍馬との書簡の多さから推察できる龍馬への姉弟愛、ジョン万次郎が目の悪い母のためにミシンと写真機を日本に持って帰ってきたというエピソードに代表される母親への愛など。子孫が各先祖の立場になって愛を感じる事例を挙げた。子孫それぞれの話に、会場からはどよめきや感嘆の声が漏れていて、関心の度合いがうかがえた。

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食の話もでた。高山みな子氏が榎本隆充氏に「海舟はうなぎが好きで、武揚さんによくご馳走になった。」と語ったのに対し、榎本氏は「海舟はうなぎというより三本ついた筏が好きだった。本数が多いから好きだったのか?」とか「海舟の普段の食事は粗末だったので、恵まれた食事をされていた龍馬さんのお口には合ったのだろうか?」とか日常的なたわいもない話がなんとも子孫らしい会話に思われた。
締めくくりは、それぞれの先祖と海舟との関わりに至った。高山氏は「それぞれがそれぞれの立場で人や国に熱い思いがあって、思いを達成するために冒険していく精神は、いまでも見習わなくてはならない。東北大震災以来、絆という言葉がよく言われるようになってきたが、どんなことを考えていても海舟ひとりでは何もできなかった。人を大切にしないと生きていけないのだと感じた」とまとめた。
幕末から145年以上の時を越えて、同じ時代を生きた偉人の子孫たちが一堂に会す。まさにここに偉人たちの魂が蘇ってきたような異空間となった。
血のつながりのある人物による話は、どんな歴史学者が話すより、身近で、より説得力があり、親近感も、信頼感も覚える。個人的にはこういうイベントがもっと開催されてもいいと思う。また、このフォーラムに参加することにより、もしかしたら、自分の祖先も偉人につながるのではないか?末裔なのではないか?と自分の祖先について調べてみたいという気にさせた。
追加だが、このイベント、子孫が子孫を呼んだ。フォーラム終了後、舞台から降りてきた子孫たちに、「私は○○の子孫です」と話しかける他の偉人の末裔の姿も見られた。同じ末裔の境遇であることを分かちあっているようにも思われた。
2013年7月21日、墨田区に勝海舟の銅像が建立されてから丸10年が経過した。
銅像建立からずっとこのプロジェクトを見守ってきた事務局の山口千鶴子さんは「特に皆さんに伝えたいことは、戦後70年近く経ちましたが、日本という国は、戦争なくして語れない。平和でいられることがどんなにすばらしいことか。そのもともとが、勝海舟が西郷隆盛と話し合って、江戸の無血開城を取り決めたこと。特に戦争を知らない若い世代の人たちにこの事実を伝承していきたい」と語っている。

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無血開城の印・刀鞘に紙縒り(こより)を結んだ勝海舟の銅像は、隅田川を越え、江戸湾(東京湾)越え、太平洋の向こうの世界を指差している。そして、その意思を子孫を含め、私たちが受け継いでいくことが使命と思う。

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(Written by フルタイム 佐藤正子)

西郷隆盛、下野直前の献灯
旧友赤塚源六の死を悼む

(上)西郷隆盛が寄進した石灯籠(下)白金海軍墓地入り口にあるレリーフ=いずれも東京都港区
 東京都港区白金台一丁目、明治学院大学に隣接する一角に旧海軍墓地がひっそりとある。
 この墓地に幕末の薩摩藩士で、軍艦春日の艦長をつとめて戊辰ぼしん戦争、箱館戦争などで活躍した赤塚源六(一八三四~七三)の墓があったという。赤塚の事績については当連載でも昨年五月、三回にわたって書いたことがある(第二三四~三六回)。
 赤塚は箱館戦争後、海軍に出仕すると、通称太郎、諱いみなを真成まさしげと改めた。明治三(一八七〇)年に海軍中佐、翌四年に海軍大佐に進級している。水兵本部に所属していたが、翌五年十一月、肺結核のため依願退職した。熱海で療養中、明治天皇から侍医を派遣されるという栄に浴している。同六年六月十一日他界。享年四十(「赤塚真成履歴」)。
 戊辰戦争では薩摩藩の軍艦春日で指揮をとり、幕府の最精鋭軍艦・開陽丸と互角以上に渡り合い、箱館戦争では幕府軍艦回天を撃沈し、五稜郭に砲撃も加えた。赤塚の戦歴は赫々かっかくたるものがあった。赤塚の部下に東郷平八郎がいたことを考えると、赤塚に余命があったなら、海軍の重鎮となっただろう。
 赤塚の墓が鹿児島市の南林寺由緒墓地だけでなく、東京の旧海軍墓地にもあったことは承知していたので、以前から一度訪問してみたいと思っていた。
 それほど広くない墓域をひととおり見学してみたが、残念ながら赤塚の墓石は存在しなかった。同墓地は明治初年の設置から数度移転をくり返しているらしく、その間に失われたものと思われる。
 同墓地を訪れたのにはもうひとつ理由があった。西郷隆盛が他界した赤塚のために献灯したいという書簡を書いているので、その石灯籠が現存しているかどうかも確認したかったのである。
 そして、西郷寄進の石灯籠は奇跡的に現存していた。それには「献燈 西郷隆盛」と刻んであった(写真参照)。数度の移転にもかかわらず、西郷の知名度の高さのために辛うじて残ったものか。
 明治六(一八七三)八月九日、西郷は同郷の後輩・仁礼景範にれかげのり(のち海軍大臣、一八三一~一九〇〇)にあてて書簡を出している。それには次のように書かれていた(「西郷隆盛全集三」一〇六号)。
 「赤塚君石塔ご建立の由、就いては少弟しょうていにも石灯炉いしとうろ(石灯籠)寄進いたしたく御座候間、何とぞお聞き済まし成し下されたく希ねがい奉り候。左候さそうらえば、出来次第相建て候ても苦しからず候や、何分ご返事成し下されたくお頼み申し上げ候」
 西郷は赤塚の供養のため、その墓に石灯籠を寄進しようと考え、当時、海軍小丞しょうじょうの職にあった仁礼に建立が可能かどうか問い合わせている。
 西郷と赤塚の接点はどこにあるのか。同郷の先輩後輩の間柄だし、西郷は赤塚の戊辰、箱館の両戦争での活躍も承知していただろう。それだけでなく、赤塚は安政六(一八五九)年ごろ結成された、いわゆる精忠組せいちゅうぐみの同志でもあった。精忠組の名簿には赤塚そして仁礼の名前もある(「薩藩同志者姓名録」)。
 西郷にとって、赤塚は旧友であり、古い同志だったから、早すぎる死を悼んだのである。
 ところで、西郷の名が刻まれた石灯籠はきわめて珍しいのではないだろうか。しかも、建立時期は西郷が征韓論で下野する直前である。西郷が東京に残した最後の痕跡といえるかもしれない。
(歴史作家・桐野作人)
 


京都
京都幕末フェスティバル in Uzumasa キービジュアルは土林誠さん
11月23日、24日の2日間、東映太秦映画村にて京都幕末フェスティバル in Uzumasaを開催することが決定した。時代ものをテーマに毎年開催されているイベントが、今年もやって来る。
京都幕末フェスティバル in Uzumasaは、歴史、とりわけ幕末をテーマとした総合コミュニティイベントである。太秦戦国祭りからスタート、2011年からは京都ヒストリカ国際映画祭のイベントとなっている。そのコンセプトを引き継いでいる。
ゲーム、アニメ、マンガ、イラスト、実写といった垣根を超えて、多くの歴史ファンのコミュニティの場としての役割を果たす。京都市内の活性化にも大きく貢献している。

開催決定にあわせて、イベントためのキービジュアルも発表された。武将ゲームの大ヒット作「戦国BASARA」シリーズなどのキャラクターデザイナーである土林誠さんが担当している。土林さんの描いた近藤勇がポスターやチラシ、ホームページのキービジュアルに使用されている。
颯爽としたキャラクター像は、秋空に楽しめるイベントのコンセプトを十二分に表現したものである。また著名なアーティストを起用することで、幅広いファン層に向けてフェスティバルをPRしていく。

さらに2013年は新選組結成150周年ということで、戦国時代だけではなく、幕末や新選組をテーマにイベントを実施する。
会場となる映画村には池田屋のセットの存在し、幕末の企画を行うには最適な場所と言えるだろう。当日は、コスプレ企画やライブなども予定されている。

イベントは映画村のチケットで参加することができる。価格は一般来場者が大人2200円、中高生1300円、子供(3才以上)1100円だ。
またコスプレ参加者は「COS-PATIO in 京都幕末フェスティバル」のチケットが必要で、8月下旬に発売を予定している。価格は大人3700円、高校生以下2700円(映画村入村料、更衣室使用料含)で、前売券は大人3200円、高校生以下2200円となっている。
[高橋克則]

京都幕末フェスティバル in Uzumasa
http://www.joraku.jp/

日時: 11月23日 9:30~20:00 11月24日9:30~17:00
会場: 東映太秦映画村全域
価格: 
一般来場者・大人2200円 中高生1300円 子供(3才以上)1100円
コスプレ参加者・大人 3700円 高校生以下2700円
コスプレ前売券・大人 3200円 高校生以下2200円
《高橋克則》

奈良
「志士たちの肖像」展:幕末志士の矢立対面 150年ぶり、文化博展示の小旗と−−五條 /奈良
 1863(文久3)年8月(新暦では9月)、幕府五條代官所を襲い明治維新の先駆けとなった天誅組の軍監だった那須信吾が形見に残した矢立と、鷲家口(東吉野村小川)で戦死したときに身につけていた血染めの小旗が、五條市立五條文化博物館(同市北山町)で開かれている「志士たちの肖像」展会場で150年ぶりに対面した。

 矢立は筆と墨を入れた筆記具で、真ちゅう製。重さは445グラム。1863年9月24日、幕府側に追い詰められた天誅組は、川上村武木に寄り村人に昼食を振る舞われた。矢立は信吾が出立の時に残したと伝えられる。信吾は同日夜、鷲家口で主将の中山忠光らを逃がすための決死隊6人の隊長となり、彦根藩脇本陣に切り込んで戦死した。35歳だった。天誅組蜂起前年の1862年、土佐藩家老・吉田東洋の暗殺に加わり脱藩し、武芸の達人だった。

 天誅(忠)組記念館長の草村克彦さん(57)=大阪府藤井寺市小山5=が信吾の6代目子孫と知り合い、矢立を所有する住川準典さん=川上村武木=から借りて見せ、小旗を展示した同館にも持参した。草村さんは「矢立は重く武器だったのでは。死を覚悟し、もう不要と思ったのだろう」と話した。【栗栖健】

高知
“幕末史オタク”ビビる大木 高知県観光特使に任命
 タレントのビビる大木(38)が27日、坂本龍馬らを輩出した高知県から県観光特使に任命され、県庁で委嘱状などを手渡された。

 埼玉県出身だが、江戸末期に日本人として初めて渡米したジョン万次郎の資料館(高知県土佐清水市)で名誉館長も務めるなど、タレント界屈指の“幕末史オタク”。「埼玉県からも“テレビやラジオでいいタイミングで埼玉の話をして”と言われるけどタイミングがなかなか…。でも高知は、龍馬や中岡慎太郎、三菱(グループ創始者)の岩崎弥太郎などきっかけになるテーマが多い」と意気込んだ。任期は15年3月末まで。

福島の名刀土佐にあり 県護国神社に保管「八重の桜」で注目
 江戸後期の二本松藩(現・福島県二本松市周辺)で作られた特大の刀が、高知市吸江の県護国神社で「社宝」として保管されている。戊辰戦争(1868~69年)で土佐藩軍が二本松城を攻め落とした際に戦利品として押収し、土佐に持ち帰ったもの。NHK大河ドラマ「八重の桜」で戊辰戦争への関心が高まる中、歴史的価値が注目されている。

エンターテインメント
映画「るろうに剣心」 四乃森蒼紫:伊勢谷友介、瀬田宗次郎:神木隆之介を発表
映画『るろうに剣心』は2012年に全国329館で公開、初登場第1位を獲得、興行収入30.1億円の大ヒット作となった。その続編が、2014年夏に公開される。
映画『るろうに剣心 京都大火編』、『るろうに剣心 伝説の最期編』だ。前作の人気を受け、一挙に2本の長編映画が登場する。
製作決定に際しファンからは、「前作も面白かったので今から続編が楽しみ」、「四乃森蒼紫は誰になるんだろうか」、「十本刀のキャストも気になる」など、京都編に出演するキャストを予想する声もあった。早くも、原作でも評価が高い京都編のキャラクターを誰が演じるかに関心が集まっている。

製作発表では志々雄真実役が藤原竜也さんであることも明らかにされたが、今回、四乃森蒼紫役や瀬田宗次郎役などのキャストが発表になった。
主要キャストのうち四乃森蒼紫役は伊勢谷友介さん、瀬田宗次郎役に神木隆之介さんが務める。四乃森蒼紫は仲間の因縁をはらす為に剣心を狙う。瀬田宗次郎は志々雄の部下で剣心に匹敵する天賦の剣才だ。
伊勢谷さんは2009年の『白洲次郎』(2009年)、2010年の『龍馬伝』と大友啓史監督率いる大友組に参加している。本作で3度目となるが、安定した演技が冴えそうだ。一方の神木さんは『桐島、部活やめるってよ』で冴えない高校生を演じている。内に秘めた闘志に期待だ。

このほか柏崎念至/翁役に田中泯さん、大久保利通役にTHE BOOMの宮沢和史さん、伊藤博文役に小澤征悦さん、明神弥彦役に大八木凱斗さん、駒形由美役に高橋メアリージュンさん、沢下条張役に三浦涼介さんが出演する。

新作はすでにクランクインしており、今後は山形、長野、京都、熊本など全国を縦断する大ロケーションを行う予定だ。前作を超える興奮を目指す。
続編に対するファンからの期待も高い。大友監督は前作を超える圧倒的なスケールと斬新なアクション、さらにリアリティを追求した人間ドラマで大ヒットを狙う。
[真狩祐志]

映画『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』
2014年夏 2部作連続 超拡大全国ロードショー
http://wwws.warnerbros.co.jp/rurouni-kenshin/
 伊勢谷蒼紫キタ━q(゚∀゚)p━!!!!!! 藤原竜也さんの志々雄との腹の読み合い楽しみ。操ちゃんは誰がえんじるのかしらん。
男女逆転『大奥 〜永遠』をDVDで観賞中です。

福島
束松峠に詩碑建立へ 秋月悌次郎「北越潜行の詩」
幕末の会津藩士、秋月悌次郎が戊辰戦争敗北後、会津の行く末を案じて詠んだ「北越潜行の詩」の碑を、詩を詠んだ福島県会津坂下町の束松(たばねまつ)峠に建立する計画が進められている。地元や会津若松市の団体が実行委員会をつくり、秋月の功績を後世に伝えるとともに、束松峠の歴史的価値の発信を図る。
 「北越潜行の詩」は外交交渉の公用方だった秋月が戊辰戦争後、かつて親交のあった長州藩士の奥平謙輔に会うため越後にひそかに向かい、藩主松平容保公の罪の軽減と、会津藩の青少年の教育を懇願した帰り、会津盆地を臨む束松峠で詠んだとされる。藩の行く末を思う詩は会津三絶の一つといわれる。
 秋月の願いが認められ、教育の機会を与えられたのが東京、京都、九州の各帝大総長を歴任することになる山川健次郎で、山川は束松峠を越え、学問の道に進んだ。
 束松峠を生かした地域振興を図る地元のグループや秋月悌次郎顕彰会、歴史愛好者らが、秋月の功績を伝えようと詩碑の建立を計画した。詩碑は鶴ケ城にも建設されているが、会津盆地を一望する峠に建て、秋月の思いに迫る。茶屋跡が残る峠の頂上付近に建立する予定で、今年10月ごろの完成を目指している。秋月や山川が会津の再興を願って歩いた束松峠を、会津の歴史を学ぶ道として活用する狙いもある。
 実行委員長を務める目黒督朗会津坂下町観光物産協会理事長は「峠を秋月の功績や会津の精神を感じる場にしたい」と期待を込めている。
 実行委員会は建立の賛助金を募っている。問い合わせは事務局の町観光物産協会 電話0242(83)2111へ。

■あきつき・ていじろう
 文政7(1824)年、会津藩士として生まれた。戊辰戦争では副軍事奉行として敗戦の処理に当たった。明治時代には東京の第一高等中学、熊本の第五高等中学で教壇に立った。第五高等中学の同僚だったラフカディオ・ハーン(小泉八雲)からは「神様のような人」と敬われた。明治33(1900)年没。
会津藩の重臣紹介 若松・鶴ケ城で「企画展・第3期」始まる
 NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公で会津出身の新島八重が生きた「会津藩の幕末」をテーマにした企画展「会津人戊辰戦争のまえとあと」第3期は25日、「藩主を支えた重臣」をテーマに会津若松市の鶴ケ城天守閣で始まった。8月9日まで。同市観光公社の主催。
 第3期は、苦境の中で藩主を支えた家老などにスポットを当てた展示。敗戦の責任を取って自刃した萱野権兵衛、斗南藩の中心を担った山川大蔵(浩)の紹介や、西郷頼母の書など重臣の資料を展示している。
 同展は戊辰戦争の関係資料を紹介するメーンの企画展。第4期「会津藩公用人手代木直右衛門伝来品など」は8月10日から始まる。
「鶴ケ城下炎上の絵」発見 若松・御三階から貴重な史料
 明治初期に会津若松市の鶴ケ城本丸から同市の阿弥陀寺に移築された建築物「御三階(おさんがい)」から、鶴ケ城下が炎上している絵や会津藩主松平容保とみられる肖像画などが発見されたことが25日、分かった。作者など詳細は分かっていないが、貴重な史料として関係者らの間で話題になりそうだ。
 阿弥陀寺の住職を兼務する見性寺(同市)の高橋正信住職(75)が御三階を整理していたところ、階段の下にあったのを見つけた。城下の絵には作者も年代も記されていないが、肖像画の裏には1900(明治33)年、戊辰戦争の戦死者の三十三回忌に際し、地域の名士とみられる人たちが献納した記載がある。城下の絵は街が燃え、攻撃から人が逃げまどっているように見える。市教委文化課は燃えさかる城下の様子から、「開城の少し前ぐらいを描いたのではないか」と推測している。
「御三階」詳細調査へ 鶴ケ城で復元に前進
明治初期に会津若松市の鶴ケ城本丸から同市の阿弥陀寺に移築された建築物「御三階(おさんがい)」の復元事業で、市が御三階の構造などの詳細調査に着手する見通しとなったことが17日、開会中の同市6月議会で明らかになった。
 これまで所有者の意向で、調査に入ることができなかったが、所有者の変更により調査可能になる見込みで、復元に向け一歩前進する。
 市は、天守閣再建50周年となる2015(平成27)年度の鶴ケ城本丸での復元を目指してきたが、詳細調査ができなかったため、足踏み状態が続いていた。
 今後、復元に向け図面を作製、床や基礎などの構造調査に入り、復元事業に反映させるという。ただし、構造調査が可能になっても復元までには文化庁との協議なども必要なことから、15年度までの完了は困難という。
 御三階は、外観は3階だが内部は4層構造。城主らが秘密の会議などに使用したとされている。戊辰戦争で阿弥陀寺本堂が焼失し、明治初期に本堂の代わりとして移築された。
鶴ケ城「御三階」復元へ再始動
福島県会津若松市の鶴ケ城本丸にあった建物「御三階(おさんがい)」の復元計画が動きだす。17日までに市が移築先の管理者から調査の承諾を得た。来年度にも詳細調査に着手する。大河ドラマ「八重の桜」で注目される会津を代表する史跡に、新たな魅力が加わる。
 御三階は江戸時代に建てられたとみられる外観が3階、内部が4階の構造をした建物。藩主が密議などに使ったとされ、花見をしたという話が残るなどプライベートな空間だったことが推察される。戊辰戦争の砲火でも残り、唯一現存する鶴ケ城の遺構。その後、市内七日町の阿弥陀寺に移築された。
 国史跡の鶴ケ城(若松城)では昭和40年に天守閣再建、平成元年に茶室麟閣が移築復元されるなど、戊辰戦争前の景観に近づける取り組みが続いている。市は平成20年に御三階の復元計画を発表したが、管理者から建物の構造などを詳細調査する許可が得られず進まなかった。今年に入って管理者が代わり、調査を承諾した。
 実物は阿弥陀寺に残したまま、当時の構造などを忠実に再現し、本丸に建設する。その後、基本計画策定や文化庁の審査などを経て工事となるため、完成時期は未定。
東京
海舟・龍馬・ジョン万次郎・武揚…子孫が一堂に
 勝海舟や坂本龍馬ら、幕末の日本を動かした人物の子孫5人が初めて一堂に会するイベント「勝海舟フォーラム」が15日、海舟の出身地・東京都墨田区で開かれる。

 それぞれの家に伝わる秘話や、子どもたちに伝えたい先祖の心意気などを語り合う予定で、子孫の一人は「先祖たちの志の源は何だったのか、子孫同士で探ってみたい」と話している。

 参加するのは、海舟のやしゃご(孫の孫)の高山(こうやま)みな子さん(51)(神奈川県)、龍馬の兄の子孫・坂本登さん(東京都)、龍馬の姉・乙女のひ孫で岡上汎告(おかのうえひろつぐ)さん(72)(山梨県)、ジョン万次郎のやしゃごで小西圭さん(神奈川県)、榎本武揚のひ孫の榎本隆充さん(東京都)の5人。高山さんはフリーライターなどとして活動、小西さんは米国で言語学を学んだ後、上智大で日本語の非常勤講師を務める。榎本さんは東京農大客員教授で、武揚に関する著書を多数出版するなど、子孫たちは様々な方面で活躍している。
京都
京都府・壬生寺を新選組が出陣! 「池田屋事変記念パレード」開催
京都府で、1864年に起こった「池田屋事変」を偲ぶ「第38回池田屋事変記念パレード」が行われる。実施日は7月16日(火)16時頃~18時頃まで。

同好会の面々が新選組の姿で登場

同パレードは、祇園祭宵山に合わせて京都新選組同好会により行われるもので、提灯や隊旗をかかげた新選組同好会の面々が、羽織袴姿で壬生寺に集まる。

13時からは慰霊祭を実施。その後、新選組の規律である「局中法度書(きょくちゅうはっとがき)」を読み上げ、壬生寺から八坂神社まで練り歩くという。
八重ゆかりの品一堂に 文博で特別展、13日開幕
 激動の幕末から明治を駆け抜けたNHK大河ドラマのヒロイン新島八重の足跡をたどる特別展「八重の桜」(京都新聞社など主催)が13日、京都市中京区の京都文化博物館で開幕する。八重ゆかりの品々が12日、報道関係者に公開された。
 会津藩砲術師範の娘に生まれた八重は、新政府軍との戊辰戦争で自ら銃をとって戦った。敗戦後、兄を頼って京都へ。同志社の創始者新島襄と結婚し、女子教育、社会活動に携わった。同展は計184件の資料から、八重とその時代に迫る。
 戊辰戦争の激しさを描いた絵画や屏風(びょうぶ)、八重が使った銃と同種のスペンサー銃、禁門の変の焼け瓦などが並び、時代の変わり目を印象づける。また、新島旧邸の応接間が再現され、夫妻の暮らしぶりを伝えるほか、茶道を通して女子教育を図った八重の直筆が残る赤楽茶碗も展示されている。
 9月1日まで。月曜休館(7月15日と8月12日は開館)。有料。一部展示替えあり。
広島
<ペリー提督>菓子好きで相撲に興味の「穏やかな男」
 幕末に「黒船」と呼ばれた米艦隊を率いて来航したペリー提督らの様子を記した文書が、広島県福山市の県立歴史博物館で見つかった。幕末から明治期の福山藩(広島県)の儒学者、江木鰐水(がくすい)(1810~81)の手紙を写したもので、ペリーの穏やかな物腰や乗組員がおどけて踊る様子などを描写。専門家は「ペリーの性格や一行の普段の様子を伝える文書は珍しい」としている。

【寺田屋、亀山社中…】写真特集 龍馬ゆかりの地

 福山市の旧家・窪田家から同博物館に寄託されていた文書で、50ページほどのうち16ページにペリーらに関する記載があった。江木が友人の儒学者に送った手紙を、その弟子で医師の窪田次郎が書き写し、窪田家に残されたらしい。江木の字体とは違っていた。

 1854(嘉永7)年2月13日、ペリーが2度目に来航した際、軍学が専門の江木は一行の応接係だった奉行の家臣という名目で、同26日、横浜の応接所で一行と面会した。江戸幕府老中で福山藩主の阿部正弘の命を受け、応接係に随行したとみられる。

 江木は「彼理(ペリー)ハ深沈トシテ 二度程笑ヒテ黙々トシテ居タリ 音色モ温ナリ」と、ペリーが物静かで、態度も穏やかだったと記述。副官(参謀長)のアダムスについては「軽率ニ見エ終始笑ヒテ」と記し、ペリーとは逆に良くない印象だったとみられる。また、ペリーらに日本食を出したところ、吸い物は好まなかったが、塩をかけたカキや卵、菓子を好み、余興の力士による相撲を珍しがったという。

 同29日に江木らは、旗艦ポーハタン号に乗船。酒食をもてなされたが、あまり口に合わず、乗組員が顔に墨を塗って踊るのを見せられ「拙キ事ナリ」と酷評した。しかし、そうした娯楽の拙さは、軍備に力を入れているからではないかと米国への恐れも述べている。

 明海大学の岩下哲典教授(幕末維新史)は「ペリー艦隊に関する文書は鉄砲や装備、艦艇に関する記述がほとんどで、一行の人間的側面を描いたものは大変珍しい」と話している。文書は8月2日から同博物館で公開される。【菅沼舞】

鹿児島
宮古湾海戦の顛末
知られざる薩軍戦死者
 戊辰戦争の最後の戦いとなった箱館戦争。その一コマとして宮古湾海戦は比較的よく知られている。しかし、それは榎本艦隊から見た視点であり、攻撃された薩摩藩側の動向はほとんど注目されていない。
 慶応四(一八六八)年八月、旧幕府の海軍副総裁だった榎本武揚は幕府艦隊八隻を率いて品川沖を脱出、十月には箱館(現・函館市)に入り、蝦夷島えぞとう政府の樹立を宣言した。榎本艦隊旗艦の開陽(二五九〇トン、砲二六門)は当時、わが国最大の軍艦であり、明治政府の海軍でも太刀打ちできなかった。
 しかし、頼みの開陽が同年十一月、暴風のため江差沖で沈没してしまう。そのころ、旧幕府がアメリカに発注していた装甲艦ストーンウォール号が到着したが、翌明治二(一八六九)年二月、明治政府がこれを買い取り、甲鉄こうてつと名づけて、箱館戦争に投入した。これにより、彼我の海軍力は逆転してしまった。
 榎本政府が起死回生の秘策として実施したのが、アボルダージュ(接舷戦法)だった。政府海軍が停泊する宮古湾(岩手県宮古市)に偽装して接近し、奇襲攻撃をかけて甲鉄艦を奪取してしまおうという作戦だった。
 この攻撃に投入されたのは回天、蟠龍、高雄の三艦だったが、暴風雨のため、作戦を実施できたのは回天だけだった。同艦には陸軍奉行並なみで元新選組副長の土方歳三と兵士五十名ほどが乗り組んでいた。
 宮古湾には青森に向かう政府艦船八隻が停泊していた。そのなかに甲鉄艦のほか、薩摩藩軍艦の春日(艦長・赤塚源六)がおり、箱館攻めの参謀・黒田清隆や、のちの連合艦隊司令長官・東郷平八郎も士官として乗り組んでいた。陸兵は薩摩藩の兵具ひょうぐ三番隊(小隊長・恒吉休右衛門)が芸州藩の豊安丸と阿波藩の戊辰丸に分乗していた。
 三月二十五日早朝、宮古湾に忍び寄った回天は甲鉄艦に接舷したものの、外輪船のため、横付けできずに乗り上げてしまい、上甲板に三メートルの高低差が生じた。そのため、甲鉄艦への乗り移りが困難を極めた。
 その間に態勢を立て直した甲鉄艦は備え付けのガトリング砲(機関銃の前身)を猛射して回天の斬り込み隊をなぎ倒し、さらに回天の船橋にいた艦長の甲賀源吾も戦死させた。
 回天の決死のなぐり込みは失敗に終わった。回天側では甲賀のほか、元新選組の野村利三郎など十数名が戦死したという。
 一方、政府海軍側の死傷者は諸説あるが、「蝦夷戦記」(「復古記」十四)がかなり正確だと思われる。それによれば、甲鉄艦が負傷者八名、飛龍丸が負傷一名、戊辰丸が戦死三名、負傷五名、行方不明三名となっている。戊辰丸の被害が多かったのは甲鉄艦のすぐ近くに停泊していて、回天から激しく銃撃されたためだった。
 現在、宮古湾を見下ろす高台の本照寺に「官軍勇士墓碑」が立ち、一基の墓石がひっそりとある。そこには四名の戦死者の戒名が刻まれている。この四名は誰なのか。戊辰丸の戦死者三名は含まれると思われるが、行方不明者三名が含まれるとすれば数が合わない。
 それでは、薩摩藩の兵具三番隊の戦死者はいたのだろうか。上の死傷者一覧にはいないが、ほかにも豊安丸に乗り組んでいた同隊から三名の死傷者が出ている(「薩藩出軍戦状」二)。それによれば、戦死者が嶋田市次郎、負傷者が兵士の内藤直太郎と軍夫の仁助である。
 上の墓碑に刻まれたのは戊辰丸の三名と、豊安丸の嶋田ではないだろうか。
 土方歳三やアボルダージュで知られる宮古湾海戦だが、薩摩藩側の視点も忘れてはならない。
エンターテインメント
「劇場版 薄桜鬼 第一章 京都乱舞」 音楽に川井憲次、主題歌は吉岡亜衣加
2008年にゲームソフトとしてスタートした「薄桜鬼」シリーズ初の映画作品が今夏公開する。『劇場版 薄桜鬼 第一章 京都乱舞』は8月24日より、新宿バルト9、シネマサンシャイン池袋ほか全国31館でロードショーとなる。
7月6日からは第2弾劇場前売券が発売された。さらに新たなスタッフとして、音楽に川井憲次さん、主題歌に吉岡亜衣加さんを起用したことも明らかになった。劇場版らしい豪華な布陣で制作に挑んでいる。

第2弾劇場前売券には特典も用意された。劇場版の場面カットを使用したポストカード5枚を先着でプレゼントする。ポストカードはいずれもメインキャラクターのビジュアルが前面に押し出されたものだ。コレクターズアイテムとして見逃せない特典である。

音楽を担当する川井憲次さんは『機動警察パトレイバー』や『イノセンス』などの押井守監督作品でアニメファンに知られている作曲家だ。実写映画やテレビドラマをはじめ、幅広い作品で世界観を奏でてきた。
今回は女性に人気の「薄桜鬼」シリーズに挑む。重厚感のある楽曲が特徴の川井憲次の世界が作品をどう彩るか注目される。本作でもその手腕が十二分に発揮されるに違いない。
一方、吉岡亜衣加さんは「薄桜鬼」シリーズのほぼ全ての作品で主題歌を務めてきたアーティストである。劇場版でも引き続き、その歌声を披露してくれることになった。

「薄桜鬼」は恋愛アドベンチャーゲーム『薄桜鬼 新選組鬼譚』が原作のシリーズだ。幕末の新選組を舞台に、独自の脚色を加えた内容でファンの心を掴んだ。ゲーム発売以後、様々なプラットフォームへの移植やドラマCDなどにより人気は拡大。テレビアニメやOVAなど映像化も行われている。
『劇場版 薄桜鬼 第一章 京都乱舞』は新ストーリーで描かれる映画作品であり、全2部作を予定している。監督はヤマサキオサムさん、キャラクターデザイン・総作画監督は中嶋敦子さんと、これまでのスタッフが再び制作に参加した。
[高橋克則]

『劇場版 薄桜鬼 第一章 京都乱舞』
8月24日より新宿バルト9、シネマサンシャイン池袋ほか全国31館にて公開
http://anime-hakuoki.com/
『劇場版 薄桜鬼 第1章 京都乱舞』場面カット公開
 アニメ映画『劇場版 薄桜鬼 第1章 京都乱舞』(8月24日公開)の前売り券の発売情報が追加発表されるとともに、場面カットが公開された。

 『薄桜鬼』は、2008年に発売された女性向けのゲーム『薄桜鬼 ~新選組奇譚~』が原作。幕末の騒乱の時代に己の信念を貫こうと駆け抜けた新選組と、彼らとともに生きる道を選ぶ少女の物語。アニメシリーズは2010年から2012年にかけて第3期まで続き、OVA、劇場版へ発展した。史実をベースにしたストーリーと、古来の“鬼”や西洋の吸血鬼を思わせる“羅刹”といったダークな存在が登場する独自の脚色、新選組ファンにもおなじみのキャラクターを声優陣が魅力的に演じて、多くのファンの心をつかんでいる。

 キャストは、主人公の雪村千鶴(CV:桑島法子)、土方歳三(CV:三木眞一郎)、沖田総司(CV:森久保祥太郎)、斎藤一(CV:鳥海浩輔)、藤堂平助(CV:吉野裕行)、原田左之助(CV:遊佐浩二)、風間千景(CV:津田健次郎)。

 テレビシリーズから引き続き、ヤマサキオサム監督、キャラクターデザイン・総作画監督の中嶋敦子氏らが劇場版に参加。アニメーション制作はスタジオディーンが手がける。

 併せて発表された前売り券は、7月6日より上映劇場(全国31館)窓口で販売する第2弾・ポストカードセット付き全国共通特別鑑賞券(1500円、1人2枚まで)、7月1日よりローソン・ミニストップに設置のLoppi限定「チャーム付きシュシュ」引換券付前売券(2480円、シュシュの引換は9月24日以降)、7月25日よりアニメイト限定版グッズ付前売券(ミニタペストリー全1種、2150円)の3種。いずれも数量限定につきなくなり次第終了。
実写版『るろうに剣心』続編2部作、連続公開で完結!藤原竜也が“宿敵”志々雄真実に!
 佐藤健主演で和月伸宏の人気コミックを実写化した映画『るろうに剣心』の続編製作が決定し、2014年夏に2部作を連続公開して、完結を迎えることが明らかになった。さらに、主人公・緋村剣心の後継者でありながら、のちに最大の敵となる志々雄真実に、佐藤とは初共演の藤原竜也が扮(ふん)することが発表された。
 昨年8月に公開され、興行収入30億円を超える大ヒットを記録した前作に続き、原作ファンの間でも人気の高い「京都編」をベースにした今作では、主演の佐藤をはじめ、武井咲、蒼井優、青木崇高、江口洋介らが再出演。また、藤原演じる志々雄のほか、その部下で剣心に匹敵する天賦の剣才・瀬田宗次郎や、仲間の因縁を晴らすため剣心を狙う四乃森蒼紫など、人気キャラクターが登場するという。
 剣心役の佐藤は「もう一度剣心を演じることができる幸せと、さらなる大きなハードルを越えなければいけないプレッシャーを感じ、気が引き締まる思いです」と心境を告白。「せっかくやらせていただけるのなら、前作を超えるものを作らないと意味がないし、原作ファンの方にも納得していただけるものを作れないと、この映画を撮る資格がないと思います。とにかく監督を信じ、原作の魂をくんで丁寧に剣心を演じ、そして前作を超えるスケールアップしたアクションに挑戦したい」と決意を新たにした。
 対する藤原は「自分も剣心世代として子どもの頃、アニメを通じて観ていましたが、今回まさか志々雄役のオファーを頂くなんて思ってもいませんでした。原作の中でも最も人気のあるキャラクターだと思いますし、演じさせていただくにあたり、もちろんいろんな意見があると思いますが一生懸命取り組みたいと思います。『藁の楯 わらのたて』に引き続き悪役を楽しみ、全う出来れば」と意気込みを語った。
 また、前作に引き続きメガホンを取る大友啓史監督は「志々雄だけではなく、蒼紫や宗次郎など、敵が巨大で魅力的であればあるほどヒーローは際立つ。今回も敵をきちんと丁寧に描くことが大事だと思いますし、そのための魅力的なキャスティングにもご期待ください」とコメント。「完結編ということで、誰にもできないことをやってしまった! というくらいのことをきちんと僕らなりにやって“伝説の最期”を作り上げます!」と力強く語った。(編集部・中山雄一朗)
映画『るろうに剣心 京都大火編』(前編)、『るろうに剣心 伝説の最期編』(後編)は2014年夏、2部作連続公開
里見浩太朗&『るろうに剣心』大友監督、アクションは高度な芝居とあふれる愛告白!
 「第1回ジャパンアクションアワード」で特別顧問を務める里見浩太朗と、同アワードで4冠に輝いた映画『るろうに剣心』の大友啓史監督が、日本映画のアクションの基本ともいえる、時代劇の殺陣について熱く語り合った。
 その年に最も素晴らしいスタントパフォーマンスを披露した日本のアクション俳優・作品・スタントマンを表彰する同アワードは、日本俳優連合が中心となって開催。日本のアクション業界、スタントマン業界を盛り上げるべく開催される。
 そんな記念すべき賞の特別顧問を、時代劇界の大スターである里見が務めたことに大友監督は「本来、吹き替えをする役者さんをしっかりと見ていないといいスタントはできないんです。いいスタントマンは芝居心もあるし、アイデアも豊富。でも、そういう裏方さんが認められる機会は今までなかなかなかった。そこに里見さんがお越しになるのは素晴らしいことだと思う」と笑顔を見せた。
 かつて東映のチャンバラスターとして名をはせた里見。その後もテレビ、舞台、映画などで数多くの立ち回りを披露してきたが、時には「顔を切られたこともあった」という。一度切りかかった敵の刀をはねあげ、さらにもう一度、敵が襲い掛かってきたところを里見が切る……という流れだったのが、敵役の俳優が段取りを間違えたことで、よけきれなかった里見が顔にけがをした。しかし里見は冷静に「撮影所のどこにアロエの木が生えているか、というのが頭の中に入っていたから、玄関のすぐ横にあるアロエの木のところまで走って行って、傷口に当てたらすぐに血は止まりましたよ」と述懐した。
 まさに、ちょっとした手違いが大けがにもつながるアクションの世界。里見も「相手に体を預けるわけですから、信頼関係がないとできない仕事。非常に高度な芝居なんですよ」と切り出すと、大友監督も「(映画黄金時代の)時代劇スターの系譜に里見さんは連なるわけです。スタントや殺陣のすごさ、大切さを体で知っている方ですからね」と付け加える。NHK時代に大友監督が演出を担当した大河ドラマ「龍馬伝」で、里見が千葉定吉役を演じたことからの付き合いとなる二人は、アクションを心から愛するという共通項を持つ。今回二人が参加した「ジャパンアクションアワード」をきっかけとして、日本アクション界のさらなる地位向上に期待したい。(取材・文:壬生智裕)(取材・文:壬生智裕)
 『八重の桜』もう二本松少年隊のエピソード……二本松藩が陥落するといよいよ母成峠になってしまうのですよね。明治を生きた八重さんが主人公なので会津落城のエピソードを6月に持ってこないといけないのはわかるのですが、幕末史大好きな自分にはペースが速いと思えます。箱館戦争はナレーションとスチール写真の組み合わせで数秒で終わってしまう予感……「そして旧幕府軍を中心に終結した箱館も翌年に陥落した」ナレーションに土方戦死スチールとか(汗)。

北海道
新島襄の歩み知って…函館博物館で企画展
 新島襄(同志社大創立者)ゆかりの品を展示する企画展「新島襄と幕末の箱館」が14日、市立函館博物館(青柳町17、阿部司館長)で始まった。書や遺髪など約100点を並べている。9月1日まで。

 新島が函館から米国へ密出国した日に合わせてスタート。館内でセレモニーがあり、工藤寿樹市長が「新島の情熱、これを支えた函館の人々の気概について振り返ることは有意義」とあいさつ。学校法人同志社(京都)の大谷實総長が「函館は同志社発祥の原点。盛大に開催されたことは感慨もひとしお。市と連携を強化していきたい」と期待を込めた。大谷総長ら5人がテープカットして祝った。

 展示では、新島の脱国時の扮装(ふんそう)写真や、函館をたつときに詠んだ和歌、上海で断髪した際の遺髪のほか、妻八重の自筆の和歌なども紹介している。  同大卒業生の大江哲男さん(81)=函館市美原=は「これを機に、市民が認識を深めてくれれば。同志社の絶大なる協力にも感謝したい」と話していた。

 放映中のNHK大河ドラマ「八重の桜」で新島八重が主人公を務めていることや、来年で新島が脱国してから150年の節目を迎えるのを前倒しして、企画展を開催した。

 入館料は一般300円、大学・高校生150円、小・中学生100円。月曜定休。15日には午前10時と午後1時半の2回、解説セミナーを予定。申し込みは同博物館(TEL0138・23・5480)へ。


田本写真と〝現代版〟対比 及川さん同じ場所で撮影
 函館国際観光コンベンション協会が管理、運営する函館市写真歴史館(元町)は、幕末から明治期にかけて函館で活躍した写真師、田本研造が撮影した函館の街並みと、現在の風景をセットで紹介する新設展示「函館の町並み、今昔(いまむかし)」を始めた。田本の写真と対をなす形で〝現代版〟を並べ、時代の流れと街並みの変化を伝えている。

 田本研造(1831~1912年)は、明治政府の依頼を受けて開拓使や当時の函館の様子を撮影し、貴重な資料を残した。また、幕末の土方歳三、榎本武揚の肖像写真も田本の撮影といわれている。

 同館では街並みの変化を知ってもらおうと、今回の展示を企画。現在の風景を撮影したのは松陰町で及川写真事務所を営む及川雅夫さん(64)。昨年1月から約1年以上をかけて同じ場所を訪ねて撮影を試みた。

 会場には並ぶのは25組の作品。元町の基坂から函館山を望む風景や英国領事館、函館町会所(旧函館区公会堂)、函館公園などの今と昔を比較することができる。函館山からの眺望は4枚1組で紹介している。

 中には撮影ポイントの特定が難航した写真も。「地元住民の話を聞いて、全く別の場所で撮影していると分かった時もあった」と苦笑いする。また、田本については「じつにさまざまな場所で記録を残しており、精力的な活動ぶりがうかがえる」と話した。

 「写真の日」の6月1日には新設展示の記念イベントとして、及川さんが撮影秘話を語るトークイベントがある。同館では「見応えのある内容、多くの市民に見てもらいたい」と話し、来場を呼び掛けている。

 時間は午前11時、午後1時、同3時の3回。いずれの回も20分程度を予定している。当日は入館無料。問い合わせは同館(TEL0138・27・3333)へ。



福島
「八重の桜」福島展 開幕1カ月で1万人突破
 NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公、新島八重ゆかりの約200点を紹介する県立博物館(会津若松市)の「『八重の桜』福島展」(7月3日まで)の入場者が12日、1万人を突破した。

 開幕から25日目で、1万人目となったのは須賀川市の会社員、郷秀幸さん(34)親子で、戊辰戦争や会津藩にまつわる史跡めぐりが趣味という歴史マニア。会津藩の教え「什(じゅう)の掟」を記した手ぬぐいや民芸品などが贈呈され、「大河ドラマの舞台裏を知って、以前にも増して楽しみになりました」と話していた。

 「今回の特別展では高校生以下を無料にして、修学旅行生を含めて幅広く見てもらおうとしたことが好評につながった」と同博物館の担当者は喜ぶ。1万人突破を記念して、13日から17日までの5日間に来館した先着100人に記念ステッカーをプレゼントする。


京都
幕末の会津藩や新選組に光 霊山歴史館で特別展
 幕末の会津藩や新選組に光を当てた特別展が京都市東山区の霊山歴史館で開かれている。初公開となる新選組五番隊組頭の尾形俊太郎の詩書をはじめ、新島八重関連の史料も展示し、激動の時代を旧幕府軍側の視点も交えて伝えている。

 同特別展は、NHK大河ドラマ「八重の桜」に合わせて1月にスタートさせた通年企画の第2弾。約100点を展示している。

 初公開の史料は、尾形が晩年に記した漢詩2点で、子孫から寄贈された。尾形は会津戦争のさなかに姿を消し、その後の消息は不明とされていたが、史料により、故郷の熊本に帰ったことが分かった。尾形は私塾を開き、1913(大正2)年6月に75歳で病没した。

 漢詩は梅の花を詠んでいる。また、長生きした尾形自身のことを道歌も記されている。同館の木村武仁主任学芸員によると、「道歌は新選組の仲間は早死にして悲しい、生き残っている自分も哀れだとの内容を歌に込めている」という。

 また新島八重が京都で働いた日本最初の女学校「女紅場(にょこうば)」で同僚だった女性の辞令書なども公開されている。9月1日まで。入館有料。同歴史館TEL075(531)3773。


岩倉具視幽棲旧宅を公開=京都市〔地域〕
 幕末から明治時代の政治家、岩倉具視(1825~83)が一時隠れ住み、1932年に国の史跡に指定された「岩倉具視幽棲(ゆうせい)旧宅」(京都市左京区岩倉)が一般公開されている。
 岩倉具視は公武合体を唱え、尊王攘夷派から「佐幕派」とみなされた。攘夷運動が高まる中で失脚し、1862年から5年間隠せい生活を送った。64年に大工藤吉の住居(現在の付属屋)を購入し、かやぶきの母屋などを増築。維新に関する密議などをしていたという。
 旧宅の敷地面積は約1500平方メートル。母屋の東側にある展示・収蔵施設の「対岳(たいがく)文庫」は、京都市庁舎本館を手掛けた建築家武田五一が設計。2007年に国の登録有形文化財となり、岩倉具視の関係品を展示している。
 管理していた財団の解散に伴い、寄贈を受けた京都市が、08年から4年をかけ、国庫補助を得て本格修理を行った。開館時間は午前9時~午後5時(入場は午後4時まで)。月曜休館(祝日の場合は翌日休館)で有料。


京都の会津墓地で先人慰霊 若松商議所議員団
京都商工会議所との「相互交流Year推進協定」の一環で京都市を訪れた会津若松商工会議所(宮森泰弘会頭)の議員団は8日、会津墓地がある金戒光明寺・西雲院を訪れ、先人の霊を慰めた。
 会津墓地には鳥羽伏見の戦いなど幕末の京都で散った会津藩士らが眠っている。宮森会頭が代表して献花した後、約30人の議員がそれぞれ線香を上げ、手を合わせた。
 議員団は新島八重と夫の襄が暮らした新島旧邸なども訪れ、会津と京都の歴史的なつながりを再認識した。
 

兵庫
みみより情報:ファン必見、幕末の品々 大阪青山歴史文学博物館、あすから企画展 /兵庫
 川西市長尾町の大阪青山歴史文学博物館で15日、幕末から明治初期に活躍した人物の直筆やゆかりの品を集めた企画展「幕末の動乱」が始まる。幕末の思想家、横井小楠が近代国家の基本をまとめた直筆の「国是十二条」など、歴史ファン必見の24点を展示する。8月4日まで。

 1853(嘉永6)年のペリー来航に始まる幕末の変革期は、日本史上空前の動乱期であり、歴史ファンをひきつける。現在、大河ドラマ「八重の桜」の放送もあって改めて注目が集まっている。ドラマに登場する会津藩主、松平容保ゆかりの品もある。

 「国是十二条」は福井藩士、松平正直にあてた書状。近代国家として学校教育、富国強兵、外国との交流などの必要性を説いている。白いヤクの毛(はぐま)を装飾に用いた兜(かぶと)など、戊辰戦争時の軍用品、孝明天皇や岩倉具視の和歌懐紙、大久保利通の書、西郷隆盛の手紙も展示する。

 一般300円、65歳以上250円、大学・高校生200円。午前10時〜午後5時。月曜休館(7月15日は開館、16日は休館)。同館(072・790・3535)。

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 ◇プレゼント

 企画展「幕末の動乱」のチケットを5組10人にプレゼントします。はがきに、「幕末の動乱」の招待券希望と書き、郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号を記入し、〒660−0892 尼崎市東難波町5の16の29 毎日新聞阪神支局みみより情報係へ。19日(水)必着。応募多数の場合は抽選します。


岡山
方谷ゆかり旧備中松山藩御茶屋復元 高梁・奥万田 水車小屋1棟も 岡山
■新たな時代の交流拠点に

 県内外で顕彰の機運が高まっている江戸時代の学者、山田方谷ゆかりの旧備中松山藩御茶屋が、高梁市奥万田町に復元された。幕末の混乱期、方谷の教えを求めて多くの人が訪ねた場で、同市は「新たな時代の交流拠点になれば」と期待を込めている。

 同御茶屋は、江戸末期の同藩6代藩主、板倉勝職(かつつね)の別邸だった。現在のJR方谷駅付近の長瀬で私塾を開いていた山田方谷が、城下滞在時に宿舎としていたが、越後長岡藩士、河井継之助が方谷の教えを受けるために泊まったり、長瀬とを往復したりしたことでも知られ、方谷の門人、三島中洲らとの交流の場にもなっていた。

 復元された木造瓦葺き平屋建ての御茶屋(延べ約50平方メートル)は、吉備国際大に通じる伊賀谷川に架かる学園橋のたもとにあり、6畳と4畳半の和室、3畳の茶室の3室に加え、水屋、トイレ、縁側が付いている。敷地(約290平方メートル)内には水車小屋1棟も復元、駐車場も整備した。用地買収費を含めた総事業費は約3千万円。

 9日に行われた落成式で近藤隆則市長は「方谷を思うとともに、お茶などの生涯学習や交流の施設として多くの市民に役立てていただき、すべての人に愛される場所にしてほしい」と話していた。


高知
ジョン万次郎「漂巽紀略」写本が里帰り=高知市〔地域〕
 幕末に米国に渡り、日米の懸け橋となったジョン万次郎の体験記「漂巽紀略(ひょうそんきりゃく)」の写本が、100年ぶりに米国から日本に里帰りし、高知市の高知県立坂本龍馬記念館で展示されている。米ローゼンバック財団が「日本に米国を紹介した最初の本」として保管しているもので、米国の風物を描いた色鮮やかな挿絵が特徴。7月19日まで。
 漂巽紀略は、米国から11年ぶりに帰国した万次郎を取り調べた土佐藩の河田小龍が、万次郎を自宅に寄宿させ聞き取った話をまとめた4巻の著作。米国民の風俗や政治制度、米国の港湾の様子などを紹介しており、ペリー来航に先立つ1852年に完成した。土佐藩主に献上され、後に龍馬ら幕末の志士にも影響を与えたといわれる。
 原本は所在不明だが、写本が6点確認されており、今回展示されているのは1912年に米ブルックリン博物館の学芸員が米国に持ち帰ったもの。ペンシルベニア州フィラデルフィアのローゼンバック博物館・図書館が、欧州に初めて米国を紹介したアメリゴベスプッチの「新大陸」とともに所蔵している。
 万次郎の体験記は数十種類あるとされ、今回の展示では万次郎の漂流記の異本、写本など11点を集めており、互いの比較も興味深い。
 同記念館の三浦夏樹主任学芸員は、里帰りした漂巽紀略について「保存状態が良く、米国でとても大事にされてきたことが分かる。日米をつなぐ貴重な本で、多くの人に見てほしい」と話している。 


熊本
出版:米良家、激動の400年 末孫・近藤氏と研究家・佐藤氏、一族の足跡たどり /熊本
◇初代・熊本藩主に仕官~12代・シベリア抑留

 江戸時代から現代までの400年間の一族の歴史をたどった著書「肥後藩参百石 米良家」=写真=が出版された。著者は米良家の末孫で札幌在住の近藤健氏と、東京の歴史研究家、佐藤誠氏の2人。8年がかりで完成させた。
 米良家の系譜をさかのぼり、日本史上のさまざまな事件とのかかわりに触れる。米良家の初祖は、熊本藩初代藩主の細川忠利に仕官した。米良家の2代当主は、赤穂義士、堀部弥兵衛の介錯人を務めた。8代目は幕末の相模湾警備、2度の長州征討戦に従軍した。
 10代目は明治9年の神風連の乱に参加して自刃し、9代目は明治10年の西南戦争で熊本隊員として西郷軍に合流して戦死した。
 11代目は屯田兵に志願して北海道へ移住した。13代目は太平洋戦争のレイテ沖海戦にゼロ戦の操縦士として参加した。12代目はソ連軍によるシベリア抑留中に病死した。
 熊本を出自として変転を経て北海道へ移った一族の足跡を、豊富な史料とともに振り返っている。福岡市の出版社「花乱社」刊。346ページ、3800円。【大島透】
6月13日朝刊


エンターテインメント
テーマは「コンテンツと歴史」、「歴女」などを考察 コンテンツ文化史学会で
ジャンルに捉われないコンテンツという括りでの研究活動を掲げる学会が、コンテンツ文化史学会である。その2013年第1回例会が、7月7日13時より芝浦工業大学豊洲キャンパスにて開催される。
今回のテーマは、「コンテンツと歴史」だ。歴史を切り口に、個性たっぷりの研究発表が行われる。当日は学会員だけでなく、一般の聴講も可能だ。一般参加には、500円の費用がかかる。

例会では歴史がどのように表現・消費されているのかを検討する。歴史学の観点から小説、マンガ、ゲーム、アニメ、映画などが、史実であるかどうかという二項的な議論の疑問を投げかける。
実証主義と是とする歴史学との相対化を意識するのは、コンテンツ文化史学会ならではのテーマ設定と言える。

当日は、松下尚さん、堀内淳一さん、筆谷芳行さんらが発表者として登壇する。新撰組ふるさと歴史館の学芸員である松下さん、新撰組ふるさと歴史館の取り組みを紹介しながら、施設と歴史ファンとの関係について考察する。
学習院大学の堀内さんは独自に歴女の調査について発表する。詳細なデータにもとづいて、これまで曖昧であった「歴女」のイメージを紐解く。

筆谷さんは少年画報社の編集者として、編集側から見たマンガ表現を解説する。また筆谷さんは、東北芸術工科大学の吉田正高さんと「漫画における『歴史』表現」と題して対談する。
博物館、歴史ファン、出版社といった様々な角度から「歴史」についてディスカッションが行われる有意義な1日になりそうだ。

2013年第1回例会「コンテンツと歴史」
http://www.contentshistory.org/2013/06/11/1312/

日時: 7月7日(日) 12時半開場、13時開始
場所: 芝浦工業大学・豊洲キャンパス交流棟401号室
参加費: 500円(会員は無料)
 『八重の桜』、とうとう奥羽越列藩同盟まで来ましたね。ここから先がしんどいなぁ……慶喜さんが「わしに家臣はいたろうか?」と勝海舟に訊いた瞬間、この人は英明だけど臣下がついてこねぇと思いましたけど(^_^;)。

熊本
幕末の玉名で西洋銃製造 詳細な古文書見つかる
玉名古文書の会(森高清代表)は、刀工集団「同田貫[どうだぬき]」が幕末、玉名市亀甲で西洋銃の製造に取り組んでいたことを詳細に示す古文書を発見した。これまでも同田貫が玉名市亀甲と南関町で西洋銃を造っていたことは分かっていが、玉名市歴史博物館の村上晶子学芸員(57)は「南関町で開発、製造が盛んだったことを記した文献はあったが、玉名市での製造について詳しく書かれたものはなく、実像は不明だった。非常に価値のある発見」と話している。

 古文書は1858年、坂下手永(玉名市)の惣庄屋だった関忠之允が熊本藩で地方行政を監督する郡代にあてた「御内意申上覚」。長洲町の町中央公民館に所蔵されていたのを今年3月、同会の洲崎勝さん(68)が見つけ、西洋銃を研究している同会の平田稔さん(69)が読み解いた。

 同田貫は加藤清正の保護を受け、玉名地域で日本刀を作っていた刀工の一派。古文書には、西洋銃の製造に特に尽力した刀工や地方役人ら10人の名前が列挙され、それぞれの役割や功績が詳しく記されている。同田貫の名工として知られる小山寿太郎が、西洋銃製造の総責任者として職人たちを指揮していたことや、寿太郎の屋敷(玉名市亀甲)近くに工場があったことなども古文書から分かった。

 平田さんは「当時西洋銃は輸入物が多く、独自に製造していた藩は全国でも珍しかった。ペリー来航で洋式軍備の必要性を感じた役人と刀工が、力を合わせて西洋銃づくりに励んだ様子がありありと分かる。この発見で少しでも多くの人に同田貫銃について興味を持ってもらえれば」と喜んでいる。(東本由紀子)


山口
<奇兵隊>黒い上着にズボン 幕末の制服を復元 萩博物館
 山口県萩市の萩博物館で7日、幕末の戊辰戦争で活躍した奇兵隊の制服が披露された。戦後の1869(明治2)年9月に撮影された写真を基に復元した。

【戊辰戦争】殉難者慰霊 春季祭典に市民ら100人

 黒いコート風の上着にズボンの洋装。復元調査にあたった山口県立大の学生がモデルとなり、写真通り、模造品の日本刀や鉄砲、懐中時計などを手にポーズを決めた。

 高杉晋作が下関で奇兵隊を結成したのは150年前のこの日で、隊長服を着込んだ竹松侃(すすむ)さん(18)は「奇兵隊がいなかったら今の日本はない。身が引き締まります」。【川上敏文】


コラム
幕末「日米修好通商条約」対米屈服だったか?名外交官・岩瀬忠震「最良の選択」
【先人たちの底力 知恵泉 天下無敵の交渉術「幕末の外交官 アメリカと対峙する 岩瀬忠震の交渉術」】  教育/デジタル教育1 06月11日(火) 23:00 ~23:24
開国か攘夷かで揺れていた幕末、日本はアメリカと日米修好通商条約を結んだ。いままでこの条約はアメリカ側の全権・ハリスの強い圧力に政府が屈した「不平等条約」とされてきたが、最近の研究では「当時の日本が選択できた最良の結果」で、後の経済的発展を導いたと再評価されている。
ハリスとの交渉に挑んだ日本側全権のひとりが、今回取り上げる岩瀬忠震(いわせ・ただなり)だ。圧倒的な不利の中でも、岩瀬は脅しに屈することなく冷静に国際情勢を分析し、堂々と渡り合い日本に有利な条項をいくつも勝ち取った。後年のハリスに「彼のような全権を持ったのは日本の幸福だった」と言わしめたほどの岩瀬の交渉術は、どのようなものだったのか。
*先人たちの底力 知恵泉 天下無敵の交渉術「幕末の外交官 アメリカと対峙する 岩瀬忠震の交渉術」


幕末のお城にタイムスリップ
 「新発見」古写真にみる「本物の城」の迫力
慶応元年(1865年)撮影の「大坂城 本丸東面」や、尾張藩主・徳川慶勝が元治元年(1864年)に撮ったという広島城の写真などが、ずらり134城720点――『レンズが撮らえた 幕末日本の城』(山川出版社)が、近年各地で新たに発見された古写真を一挙紹介している。
「再興」の城とは気品が違う

レンズが撮らえた 幕末日本の城
現在では、鉄筋コンクリート造などで再興された「天守」を見ることができる城もある。しかし、同書監修者の一人である広島大大学院の三浦正幸教授は冒頭解説で、古写真と再興天守を見比べると、「大なり小なり相違している」として、「古写真に見られる気品のある外観が大きく損なわれていることをぜひとも確認」してほしいとしている。
本書の「主役」は貴重な写真の数々だろうが、解説やデータも充実している。各城の築城年や慶応3年時の城主と石高などを紹介。写真についても撮影時期のほか、場所の解説もある。たとえば「江戸城」の「二の丸大手三之門と下乗橋」では、「明治初期の撮影」「御三家以外の大名諸侯はここで乗り物を降りて徒歩で登城した」とある。
北海道から沖縄までの城が登場しており、故郷や地元にある城の「昔の姿」を探す楽しみ方もできそうだ。
2013年4月に発売された。編著・來本雅之、監修・小沢健志、三浦正幸。1890円。<モノウォッチ>
 ゴールデンウィーク中は北海道で降雪とのことでしたが、今週は関東周辺は25度を超える日が多く、比較的に湿度の低い暑い日が続きました。
 
北海道
箱館五稜郭祭で寸劇競う 高3「土方」が優勝
 戊辰戦争最後の舞台となった北海道函館市で18日、「箱館五稜郭祭」が始まり、新選組副長の土方歳三になりきって寸劇を披露するコンテストが開かれた。26回目のことしは、北海道函館工業高校3年の河野憲嗣君(17)が初出場で優勝した。

 寸劇は、新政府軍に包囲され、敵に撃たれて倒れる設定。参加者は、独自のセリフや動きで土方らしさをアピール。実戦さながらの切り合いを演じる姿に、詰めかけた約400人の観客からはどよめきも起きた。一方で、倒れる直前に「死にたくない」とつぶやき、笑いを誘う出場者も。


誠を貫き熱く 函館の高3優勝 土方歳三コンテスト
 【函館】箱館戦争で旧幕府軍に参加して戦死した新選組副長、土方歳三の最期の場面を演じる「第26回土方歳三コンテスト全国大会」が18日、函館市の五稜郭タワーで行われた。東京や岡山、名古屋などから駆けつけた17人が挑戦。初出場の函館工業高校3年、河野憲嗣(かわのけんじ)さん(17)が優勝した。

 同日開幕した箱館五稜郭祭の名物行事。女性5人を含む17~52歳の出場者が約400人の観客を前に熱演した。優勝した河野さんは「大河ドラマで新選組を知り、誠を貫く土方の生き方に憧れた。髪形は土方をイメージしました」とうれしそうに話した。<北海道新聞5月19日朝刊掲載>

土方歳三になりきって 北海道・函館で五稜郭祭
 戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争をしのぶ「五稜郭祭」が18、19日の2日間、函館市で開かれた。

 初日は、この戦いで戦死した新撰組副長・土方歳三のコンテストが五稜郭タワーアトリウムで開かれ、17歳から52歳までの男女17人が「土方らしさ」を競った。土方が鉄砲で撃たれて戦死する場面などを寸劇で演じ、容姿、演技力、土方への思い入れ度合いなどで採点。迫力のある殺陣を披露した函館工業高3年の河野憲嗣さん(17)が優勝した。

 数年前の新撰組の大河ドラマを見て、土方にあこがれたという河野さん。所属する函館野外劇の殺陣チームの仲間と、練習を重ねてきたという。「土方の『誠』を貫くところがかっこいい。新撰組に対する思いや、局長の近藤勇との友情が表現できるようせりふを考えた」と話した。

 19日には、旧幕府軍や官軍に扮した人たちが市中心部をパレードする「維新行列」が行われ、河野さんも参加した。行啓(ぎょうけい)通りでは、戦闘シーンのパフォーマンスも行われ、沿道の観客らが見守った。


箱館戦争の犠牲者安らかに 「総攻撃の日」慰霊祭
【函館】1869年(明治2年)の箱館戦争で新政府軍による箱館総攻撃があり、旧幕府軍として戦った土方歳三の命日でもある11日、戦没者を弔う二つの慰霊祭が函館市内で行われた。

 箱館戦争で亡くなった会津藩士をまつる「傷心惨目(しょうしんざんもく)碑」のある高龍寺では、函館福島県人会(熊坂成剛会長)が碑前祭を開催。同会の約20人が焼香し同郷の先人の霊に手を合わせた。熊坂会長は「箱館戦争の時も雨で、(会津藩士たちが)大変な思いをしたこともあっただろうなという思いがこみ上げてきた」などと語った。

 また、敷地内に箱館戦争供養塔がある五稜郭タワーでは、戦没者供養祭がアトリウム内で行われた。

 同タワー主催で、18、19の両日に開催する第44回箱館五稜郭祭の成功祈念も兼ねている。土方の像の近くに設けられ祭壇で、同タワーの中野豊社長が「戦没者の御霊安らかならんことを念じます」などと祭文を読み上げ、僧侶の読経が響く中、参列者約50人が焼香。新政府軍と旧幕府軍双方の戦没者の霊を慰めた。(大内聡顕)


7月開幕「函館野外劇」 安全と成功願い祝祷祭
 NPO法人「市民創作『函館野外劇』の会」は11日、函館市の五稜郭公園を舞台に7月5日から開催する「函館野外劇」の成功を祈り、同公園で祝祷(しゅくとう)祭を行った。

 降りしきる雨の中、スタッフや出演者、工事関係者ら約20人が参加。特別養護老人ホーム旭ケ岡の家の山内実神父が儀式を執り行った。今回は昨年12月に死去した野外劇の発案者フィリップ・グロード氏の追悼公演。祝祷祭では全員で黙祷(もくとう)をささげ、山内神父が野外劇の安全と成功を願い、会場に聖水をまいた。

 グロード氏から同法人理事長を引き継いだ中村由紀夫さんは「小中学生を中心に観劇者を増やし、次につながるような活動をしたい」と決意を新たにし「開演は午後7時40分だが、地元ゆかりの方が出演する同7時のプレステージから楽しんでほしい」と呼びかける。

 会場の工事は今月20日から始まり、公演は7月5日から8月10日までの11公演。入場料は大人2千円(前売り1800円)、高校、短大・大学生は千円(同900円)、小・中学生は500円(同400円)。前売り券は松柏堂プレイガイド市内各店やローソンチケットなどで扱っている。問い合わせは同会事務局(電)0138・56・8601へ。(野長瀬郁実)


宮城県
海辺の記憶 石巻湾周辺・門脇 コメの流通拠点に成長
<港の役割を重視>
 石巻湾を一望する場所に日和山はある。周辺の一帯には江戸期に門脇村が置かれ、石巻地方の中でも商業や漁業の盛んな土地の一つだった。
 旧北上川の対岸が「牡鹿湊」と呼ばれた鎌倉期、日和山には葛西氏の本城があった。その後、焼失したらしい。今の鹿島御児神社がある場所と考えられる。
 日和山には、伊達政宗が本拠を置こうとしたとする伝承も残る。岩出山(大崎市)時代の政宗が築城を幕府に願い出た地名には、青葉山、榴ケ岡(ともに仙台市)とともに日和山があったという。
 市教委生涯学習課の佐々木淳課長補佐は「築城の経緯は諸説あるが、政宗が石巻港の役割を重く見たのは確か。後に北上川大改修を命じ、江戸廻米の一大拠点となる契機をつくった」と説明する。
 大改修を任されたのが長州生まれの土木技師川村孫兵衛重吉だ。江合川や迫川を合流させ堤防を築き、はるか内陸の盛岡から石巻までの舟運を可能にした。流域では新田開発も進み、コメ集荷地として人や物が集結した。
 コメ輸送が盛んになるにつれて門脇も川岸に集落が形成され、石巻地方の運送・水産業拠点の地位を固めた。村所属の船は石巻村の3倍に及んだ。

<工業団地が集積>
 現在、釜・大街道地区と呼ばれる西部は明治になって旧士族が切り開いた。手付かずの荒れ地の開墾は困難を極め、多くの脱落者を出しながらも、大正期までに果樹栽培の盛んな農地に生まれ変わらせた。
 門脇の昭和史で最大の出来事は1940年、東北振興パルプ(今の日本製紙石巻工場)の操業だろう。
 実業家の渋沢栄一が会長を務めた東北振興会の働き掛けもあって誘致が進み、55年には石巻市の産業出荷額に占める紙製品の割合は56%に達した。
 61年には原材料の木材輸入のため石巻工業港が着工した。通称「大街道」の国道398号沿いに商業施設、南側には住宅や工業団地が集積し、先人の汗が染みこんだ農地の多くが消えた。
 釜地区は、川村孫兵衛が晩年に屋敷を構えた土地でもある。
 子孫で、先代まで名産の梨を栽培していた川村潤一さん(60)は東日本大震災の津波で家族5人を失い、自宅の一部は災害危険区域に入る。
 「先祖が好んだきれいな入り江の釜は、戦後の工業化と震災で大きく変わった。ここに住み続けようという気持ちに、今はなれない」と語る。

<メモ>大街道開拓の功労者で旧士族の細谷十太夫は、石巻を戊辰戦争の戦禍から救った人物として知られる。1868年9月、湊村などに布陣した新撰組など旧幕府軍と矢本村(現在の東松島市)に陣をかまえた官軍がにらみ合い、町場から人が消えた。細谷らの働き掛けで旧幕府軍は撤退。これにより石巻は東北の主要都市の一つとして存続していく。


茨城
企画展:幕末〜明治初期、著名人の書紹介 筑波銀本部で /茨城
 人となりがにじみ出ると言われる筆跡を通し、幕末の志士たちの生涯や時代背景に思いを巡らせてもらおうと、幕末〜明治初期に活躍した著名人の書を紹介する企画展が、つくば市竹園1の筑波銀行本部ビル2階ギャラリーで開かれている。

 企画展「近代日本を築いた幕末の志士、名士たちの息吹展」では、熊本藩細川家に仕えた重臣の子孫で龍ケ崎市の建築会社経営、橋本秀孝さん(60)が所有する作品約70点を展示。

 坂本龍馬が姉の乙女宛てに書いた手紙をはじめ、西郷隆盛や勝海舟、福沢諭吉らの肉筆の掛け軸やびょうぶなどが並んでいる。

 つくば市北中島の主婦、馬場明子さん(67)は「それぞれの字から誰にもまねできない個性が感じられる」と話した。

 7月4日まで。開場は午前9時〜午後5時、入場無料。問い合わせは筑波銀行(029・859・8111)。【松本尚也】


香川
幕末の寄進帳や売掛帳見つかる 小豆島のしょうゆ蔵元 香川
■50冊超の古書や船箪笥も 歴史的流れ知る貴重な資料

 江戸時代後期、弘化元(1844)年創業の香川県土庄町のしょうゆ製造販売会社「ヤマトイチ」を営む大森家から、地元・大部(おおべ)地区の港に波止場を造営した際の寄進帳とみられる台帳や、得意先との取引内容を記した売掛帳(うりかけちょう)など幕末から明治期の古文書が見つかった。50冊を超える古書も確認され、町教委は「古文書は小豆島のしょうゆや村落の歴史的流れを知る上で貴重。地方の商家の蔵書も興味深く、詳しく調べる価値がある」としている。

 同社によると、寄進帳と売掛帳のほか、銃や大砲の扱いを図解付きで解説した江戸期の専門書「砲術訓蒙」や冠婚葬祭のあいさつ言葉などの文例集「商人書輪便覧」、明治期に発行された史書「校正 日本外史」などが、大森家の土蔵から見つかった。船箪笥(ふなだんす)や香時計(こうどけい)、硯(すずり)と筆を組み合わせた携帯用筆記具の矢立(やたて)といった生活用具もあった。

 寄進帳とみられる古文書「波戸奇進長(帖)」は幕末の慶応年間につづられたもので、波止場を造る際の住民からの寄付金や都合した作業員について記録。また、売掛帳は安政から慶応年間のもので、得意先に販売したしょうゆの量や米の値段などが記載されていた。

 同社は江戸期から商品を港から船で岡山県に運んで行商していたといい、見つかった古文書から当時のしょうゆの販路をたどることもできそうだ。大森勝輔社長は「将来的にはもろみ蔵をギャラリーに改装して得意先や郷土史愛好家が閲覧できるようにしたい」と話している。

 同社は昭和51年の台風17号による豪雨で発生した土砂災害でもろみ蔵を含む工場全体が損壊するまでは自社でしょうゆを醸造していた。現在も委託醸造のしょうゆ商品を先祖に習って岡山県南部を主な販路に行商している。


山口
長州の幕末ひもとく展示一新
 山口市春日町の市歴史民俗資料館で、江戸末期から明治初期までの資料を紹介する常設展が2年ぶりにリニューアルされた。

 ここ2年間のテーマだった「維新再発見」から展示名を「幕末を紐解(ひもと)く」に変更。2年間の展示品と収蔵品を全て入れ替え、長州藩ゆかりの人物の直筆文書や恩賜品など29点を紹介している。

 大村益次郎が四境戦争(第2次長州戦争)で西洋の軍隊形式を採用して作った夜襲作戦の図や、薩長同盟締結の前年に第13代藩主毛利敬親の側近河北一が敬親から与えられた薩摩切り子のグラス、伊藤博文が大村益次郎に送った手紙などがある。

【写真説明】大村益次郎直筆の作戦図を紹介する原崎洋祐学芸員


佐賀
幕末のダビンチ・鍋島茂義 軍備、科学探究の足跡、九博で展示会
幕末の佐賀藩で蘭学(らんがく)に取り付かれた「お殿様」がいた。武雄鍋島家第28代領主で、佐賀藩の請役(うけやく)(家老)も務めた鍋島茂義(1800~62)だ。長崎で大量の蘭書や科学機器、武器などを買い付け、領内の軍備を増強して学問や文化も発展させた。科学から芸術に至るまで、多彩な才能を発揮し、イタリア・ルネサンス期に芸術や科学分野で万能な先覚者だったレオナルド・ダビンチをほうふつさせる。その一端が垣間見える展示会が、福岡県太宰府市の九州国立博物館で7月7日まで開催中だ。「幕末のレオナルド・ダビンチ」ともいえるユニークな茂義の人物像を探ってみた。

 茂義は、名君として知られる佐賀藩第10代藩主、鍋島直正(1814~71)の義兄に当たる。直正の藩政改革にも大きな影響を与えた。23歳で請役に抜てきされるほどの俊才で、好奇心や探求心も人一倍強かったという。

 その心に火を付けたのは、長崎・出島への赴任だ。佐賀藩は1642年から幕末まで、外国船が来航する長崎港を福岡藩と1年交代で警備した。いわゆる「長崎警備」である。そこで見たオランダ船の軍備に驚き、最新式の銃を輸入したのを皮切りに武雄領の軍備近代化を進めた。


九州国立博物館に展示されているモルチール砲
 西洋砲術の第一人者だった長崎の高島秋帆(しゅうはん)に家臣を入門させ、自らも教えを請う。高島が造った日本初の青銅製モルチール砲を導入して訓練を行い、製造にも挑戦した。

 茂義が幼少時代の1808年、英国軍艦が長崎港で食料などを強奪した「フェートン号事件」が発生。当時警備を行った佐賀藩は幕府から厳罰処分を受けた。この苦い思い出が茂義にもあったのか、請役になると防衛強化のため蘭学や西洋の科学、文化への関心を深めたともいわれている。

 茂義の興味は、軍事面だけにとどまらない。

 蘭書をはじめ顕微鏡や天球儀、時計、エレキテル(静電気発生装置)などさまざまな物を長崎で購入する。蘭書を基に、科学実験場で洋式の実験用国産ガラス製品なども製作している。医学にも力を入れ、茂義のお抱え医師だった中村凉庵(りょうあん)に命じ、英国人が発見した牛痘種痘(ぎゅうとうしゅとう)法で疱瘡(ほうそう)(天然痘)の予防接種を日本で初めて行ったとされる。

 茂義は「皆春齋(かいしゅんさい)」の雅号で画家としても活躍。江戸やオランダ、中国から絵の具を買って自ら絵筆を取った。中には、1700年代初めに開発されたプルシアンブルーといった合成顔料もあり、今も保存されている。植物図絵も収集した。

 このような茂義の蘭学導入の克明な記録は、貴重な資料にも残されている。「長崎方控(かたひかえ)」と題され、2冊目から5冊目までの4冊が現存する。

 佐賀県武雄市図書館・歴史資料館の川副義敦学芸員は「茂義は知識を詰め込むだけでなく、実験を通して実践的に西洋の科学や文化を身に付けてきた。偉大な蘭学者であり、研究者でもある」と言う。日本の科学の先覚者といっても過言ではない人物でもあった。

 「人間は一生の中に多くの仕事を成し遂げた者が長生きしたのである。たとえ事実において長命なるも、その成し遂げた仕事が少なければ、早死にしたのも同様である」

 生前、茂義が家臣に語ったとされる言葉だ。あらゆる事象に関心を抱いて、実証主義に基づく研究で科学や文化を探求してきた研究者としての茂義を表すエピソードである。その生きざまは「ものづくり日本」の原点とも重なる。

=2013/05/22付 西日本新聞夕刊=




ブックレビュー
大河ドラマで容保ファンになった人には必読の書
王城の護衛者
2013年05月17日 読了
ジャンル :歴史・時代小説キーワード : 松平容保

著者:司馬遼太郎  出版社:講談社 価格:¥ 730
Amazon.co.jp楽天ブックス紀伊國屋書店BookWebTSUTAYA online
 歴史書などで見かける、会津藩第9代藩主松平容保の容姿は、いまだ少年の俤を残した初々しい青年である。
 会津のジャンヌ・ダルクと称され、のちに同志社大学創設者新島襄の妻となった山本八重の生涯をドラマ化したNHK大河ドラマ「八重の桜」でも当然重要な役どころとなっている。
 演じるのは、新鋭の綾野剛。写真で見る容保に、雰囲気はそっくりだ。
 容保役に綾野剛を配役したのはNHKの手柄といっていい。

 この物語は、松平容保の人間像を描いた司馬遼太郎の歴史小説である。
 雑誌「オール讀物」3月号に大矢博子の「この新撰組小説がすごい!」という記事があった。その中で、新撰組全体がわかる背景として推奨されていたのが、この物語だ。
 司馬の作品ではあくまでも容保の生涯を追っているが、大矢いわく、「どのような状況で新撰組が会津藩お預かりとなったのか、それが何を生んだのかがよくわかる」としている。
 但し、これはいささか過剰な評価だろう。
 この物語は純粋に、松平容保がいかに幕末という時代に翻弄されたかを描いたものとみていい。

 「オール讀物」のこの記事では、司馬がこの小説を書いて松平家ののちの当主からお礼の電話をもらったというエピソードが紹介されている。
 賊軍として会津藩の崩壊とともに降伏した容保だが、先の孝明天皇からどれほど慕われていたかが、司馬の感情を抑えた文章でもよくわかる。
 維新後、生き残った容保が孝明天皇からの書面を肌身離さず持っていたというエピソードを最後に持ってきたのは、司馬のロマン嗜好の現れだろう。
 徳川慶喜に対する恨みだけでなく、それほどに自分に信頼を寄せてくれた孝明天皇の期待に応えられなかった自身の不甲斐なさ。けれど、それにあまりある天皇の書面の温かさは、晩年の容保の拠り所だったにちがいない。

 司馬作品としては短編小説に属するこの物語は、容保の初々しさだけでなく、慶喜の性格の厭らしさをよく描いている。
 ちなみに、司馬は代表作の一つである『街道をゆく』の「白川・会津のみち」の中でも「容保記」という章を設けている。


コラム
西郷隆盛はぽっちゃり好き!? 幕末志士たちの性癖、あだ名、趣味…
 歴史上の人物は、教科書で見ると○○年に○○をした人。とか、○○の息子で○○と結婚した。というように、その人が関わったり、活躍した出来事と家族関係ぐらいしか紹介されていない。だから、具体的にどんな人かイメージできず、ただ暗記しなければならないのでなかなか覚えられないし、あまり興味が持てないのだ。しかし、歴史が苦手だったり興味を持てなかった人でも楽しく歴史上の人物について学べちゃう本が登場した。それが、5月11日に発売された『幕末志士の履歴書 時代劇ではわからない意外なプロフィール』(クリエイティブ・スイート/宝島社)。この本では、タイトル通り幕末志士について履歴書形式で紹介されているのだが、教科書には載っていないエピソードが満載なのだ。

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 たとえば、彼らのあだ名。「安政の大獄」を行なった大老の井伊直弼には「チャカポン」というあだ名があった。これは、彼が禅や茶道、和歌や鼓、国学、居合術などを極めていたため、「チャカポン(茶・歌・鼓)」と呼ばれていたのだ。さらに、あの有名な板垣退助は、実は「退助」があだ名。本名は「乾正形」なのだが、戊辰戦争の時に「板垣正形」、明治に入ってからは「板垣退助」に統一したらしい。また、「美顔のうえ、気品あふれる男」と言われた三条実美のあだ名は「白豆」だし、医者として活躍した大村益次郎は「火吹きダルマ」、土佐藩士の武市半平太は「アゴ」、高杉晋作も「あずき餅」や「鼻輪のない暴れ牛」と呼ばれていたそう。身も蓋もないものからどうしてそんなあだ名が付いたのかわからないものまでさまざまだが、こんなふうにあだ名を覚えるとどんな人かわかって少しは覚えやすくなるかも。

 また、彼らの死因もとても興味深い。近藤勇のように斬首されたものや西南戦争で自刃した西郷隆盛は有名だが、病死や老衰以外の死因だった人もたくさんいる。新撰組の隊士で、剣の腕もかなりのものだった永倉新八は「酒に酔うとふんどし一丁になって傷を一つひとつ見せながら自慢する癖」があった。だが、そんな彼の死因が虫歯の悪化で敗血症をこじらせ、病死したからなんて驚き。他にも、風呂上がりにブランデーを一気飲みして脳溢血を起こした勝海舟や、糖尿病にかかっても酒を飲み続け、尿毒症になって死んだ明治天皇など、酒や自分の体調管理ができなくて病死した人も多かったようだ。

 さらに、意外なエピソードを知れるのもこの本の醍醐味。あの坂本龍馬を育てた姉が、坂本乙女なんて名前に似合わず、身長174cm、体重112kgの巨体だったなんて全然知らなかった。おまけに、深夜に銃を発砲してその音を楽しんでいたというから、「坂本のお仁王さま」と呼ばれていたのもうなずける。でも、こんな姉に育てられたからこそ、武芸や勉強ができるだけでなく、行動力溢れる坂本龍馬が生まれたのだろう。そして、犬にトラウマがあった勝海舟。実は9歳のときに睾丸を噛まれ、高熱を出したからなんだとか。これではトラウマになってしまうのも仕方がない。他にも、福沢諭吉が幼少の頃からお酒を飲んでいたとか、西郷隆盛はデブ専で料理屋で一目惚れした仲居には「豚姫」というニックネームをつけた。近藤勇は尊敬する加藤清正を真似して「げんこつを口のなかに出し入れする芸」を持っていたこと。現在放送されている大河ドラマ『八重の桜』の主人公である新島八重(旧姓:山本八重)にも、「14歳のときには4斗俵(およそ60キロ)を肩の高さまで上げ下げした」という怪力エピソードが残っている。

 こんなふうに、あだ名や趣味、トラウマまでわかれば一気に親近感がわいてくる。歴史が苦手なあなたも、これを読めば少しは歴史が楽しくなるかもしれない。

文=小里樹
(ダ・ヴィンチ電子ナビより)

 今日読んだ歴史読本では、永倉新八ッつぁんの死因は虫歯ではなかったと思う……たぶん虫歯から感染した何かの炎症だった。



 去年は爆破予告でパレードが中止された「ひの新選組まつり」、今年は無事に行われたようで重畳です。そして今日は函館で土方歳三コンテスト、明日は五稜郭祭りパレード。蝦夷の今年の桜はちょっと遅いようで、パレードに花を添えられるかしら。
 そして、壬生浪士組の歴史に突如あらわれた谷右京って何者……そして、どのようにして壬生浪士組から消えたのか(汗)。

歴史
新選組前身のナンバー3か 壬生浪士組の谷右京、複数文献に
 新選組の前身「壬生浪士組」に谷右京という幹部がいたことを複数の文献から歴史研究家が確認した。局長の芹沢鴨、近藤勇に続いて名前が記載されたものがあり、「ナンバー3だったのではないか」とみている。砲術に秀でており、浪士組離脱後も研究を続け、自作の防弾盾を万国博覧会に出品したとされる。

 山口県文書館が保存する「上京有志姓名録」には、1863年に江戸から7組に分かれて京都に向かった浪士組隊士200人強の名前、出身、年齢などが記されている。谷は5番組の2番目に名前があり、丹波柏原藩(現兵庫県丹波市)元藩士で63歳とされている。

 京都での会津藩の動静などが書かれた「文久元治亥子太平録」(福島県会津若松市立会津図書館所蔵)では、「壬生浪士頭」として芹沢、近藤の次に「丹波産 谷右京」と出てくる。幹部として、名前が記載されているのは3人だけだった。

 谷が浪士組を離脱した理由は不明だが、1881年に漢学や医学などに詳しい学者蒲生重章が編さんした「近世偉人伝」に、かつて谷右京と名乗っていたとして、谷水石の名前で離脱後の活動が紹介されている。

 偉人伝によると、谷は黒船来航などをきっかけに独学で外国製と同じ仕組みの銃を開発したほか、車楯(くるまだて)という羽毛製の防弾盾を作った。幕臣・勝海舟の援助を受けて車楯を1873年のウィーン万国博覧会に出品したという。

 これらの文献を分析した歴史研究家あさくらゆうさんは「浪士組が砲術を用いていたことは分かっていたが、師範役は不明だった。谷がその役割を担っていたと十分に考えられる。志を忘れず、砲術の研究を続けた先見性のある人物だったのだろう」と話している。

 浪士組は薩摩、会津両藩と御所を警護し、長州藩などを追放した1863年の「八月十八日の政変」の功績が認められ、新選組を名乗ることが許された。新選組は今年で結成150年。〔共同〕


北海道
高3「土方」が優勝 五稜郭祭で寸劇競う
 戊辰戦争最後の舞台となった北海道函館市で18日、「箱館五稜郭祭」が始まり、新選組副長の土方歳三になりきって寸劇を披露するコンテストが開かれた。26回目のことしは、北海道函館工業高校3年の河野憲嗣君(17)が初出場で優勝した。

 寸劇は、新政府軍に包囲され、敵に撃たれて倒れる設定。参加者は、独自のセリフや動きで土方らしさをアピール。実戦さながらの切り合いを演じる姿に、詰めかけた約400人の観客からはどよめきも起きた。一方で、倒れる直前に「死にたくない」とつぶやき、笑いを誘う出場者も。

 河野君は「多摩は今ごろ新緑が見事だろう。近藤さん、2人で見に行きましょう」という死に際のセリフを披露。「土方歳三の新選組に対する思いや近藤勇との友情を意識して、悩みながらセリフを考えた。優勝できて本当にうれしい」と満面の笑みだった。コンテストには道内のほか、東京都や愛知県、岡山県から男女計17人が参加した。

 その土方のセリフ、目頭がじわっときました……(;_:)

箱館五稜郭祭で寸劇競う 高3「土方」が優勝
 戊辰戦争最後の舞台となった北海道函館市で18日、「箱館五稜郭祭」が始まり、新選組副長の土方歳三になりきって寸劇を披露するコンテストが開かれた。26回目のことしは、北海道函館工業高校3年の河野憲嗣君(17)が初出場で優勝した。

 寸劇は、新政府軍に包囲され、敵に撃たれて倒れる設定。参加者は、独自のセリフや動きで土方らしさをアピール。実戦さながらの切り合いを演じる姿に、詰めかけた約400人の観客からはどよめきも起きた。一方で、倒れる直前に「死にたくない」とつぶやき、笑いを誘う出場者も。


土方歳三になりきるコンテスト
箱館戦争で戦死した新選組の副長、土方歳三になりきり、演技力や思い入れの強さを競うユニークなコンテストが北海道函館市で開かれました。

このコンテストは、戊辰戦争の舞台になった五稜郭の歴史を語り継ごうと開かれている「箱館五稜郭祭」のイベントの1つとして毎年行われています。
ことしは、北海道をはじめ東京や岡山などから男女17人の土方歳三ファンが参加しました。
参加者は、新選組の羽織や当時の軍服などに身を包み、土方歳三になりきって、銃弾に倒れる最期の場面を演じました。
審査のポイントは、セリフの独創性など土方への思い入れをどう表現するかで、ことしは、初出場の函館市内の高校3年生、河野憲嗣さん(17)が優勝しました。
河野さんは「やったという気持ちです。1か月ほど前から練習を重ねてきたので、仲間に感謝したい」と話していました。
優勝した河野さんは、19日に行われるパレードに、土方役として参加することになっています。


宮城
亀の子岩を新調 七ツ森・笹倉山の道しるべ
 宮城県大和町七ツ森の主峰、笹倉山(別名大森山、506メートル)中腹にある亀形の「亀の子岩」が新しくなった。従来の岩は約150年前に刻まれたとされ、風化による損傷がひどかった。地元住民が二つの亀の像を奉納した。
 亀の子岩は戊辰戦争(1868~69年)から帰還した地元住民の故吉川恭輔氏が、地域安寧を願って岩肌に亀の姿を刻み、山頂に祭られている薬師如来に献じたと伝わる。現在は登山者を和ませる道しるべとなっている。
 岩は軟質でもろく、地元住民が数年おきに修繕してきた。最近は急速に風化が進み、消滅が危ぶまれていた。
 新たな亀の像は硬い御影石で、一つが全長1メートル、もう一つが70センチ。ともに大和町宮床の無職草刈恒夫さん(83)、宮床郵便局長戸津光郎さん(64)が奉納した。
 いずれも8日の山開きで登山者に披露された。山頂を目指す途中に立ち寄った人たちは早速、亀をなでたり、甲羅に水をかけたりした。
 草刈さんは下見や設置作業で計10回、笹倉山に登ったといい、「憩いの像として長く愛されればうれしい」と期待。戸津さんは「先人の願い同様、これからも地域の安泰を見守ってほしい」と話している。


福島
県立博物館で「八重の桜」展が開幕
 
「ハンサムウーマン」と称された会津出身の新島八重と戊辰戦争の敗戦を乗り越えた会津人の姿を通して県民に復興のメッセージを伝える「NHK大河ドラマ特別展『八重の桜』福島展」は17日、会津若松市の県立博物館で開幕した。大河ドラマで大山捨松役を演じる水原希子さん、山川健次郎役の勝地涼さんが来場し、開会式に花を添えた。
 開会式では佐藤雄平知事は「新たな時代を切り開いた八重に復興へ歩む県民の姿が重なる。『八重の桜』を追い風に復興を加速したい」とあいさつ。水原さんと勝地さんもあいさつし大役を演じる意気込みを披露した。関係者がテープカットし、水原さんと勝地さんは開幕を待ちわびた市民や大河ドラマファンと握手を交わすなど、来館者を笑顔で迎えた。
 開会式に先立ち行われた来賓向けの内覧会では福島民友新聞で「京に咲く八重 息づく会津の心」を連載する同志社社史資料センター社史資料調査員の小枝弘和さんをはじめ特別展の企画委員が佐藤知事、水原さん、勝地さんを案内した。
 水原さんと勝地さんは報道陣の取材にも応じ、水原さんは「元気を与えようと思って福島に来たが、福島人の笑顔に逆に元気をもらった。ドラマでは皆さんにパワーを送れるような芝居をしたい」と話した。
 特別展は県立博物館とNHK福島放送局などの主催で7月3日まで開催。八重や八重が生きた時代の貴重な資料約200点を展示する。時間は午前9時30分~午後5時。観覧料は一般・大学生1000円で高校生以下無料。


<戊辰戦争>青龍隊袖章の絵柄わかった 子孫宅から采配など発見 会津若松市に寄贈
 福島県会津若松市は15日、戊辰戦争を戦った旧会津藩の青龍隊幹部の子孫から、同隊の印が入った袖章や、指揮に使った采配など史料約170点の寄贈を受けたと発表した。

 青龍隊は同藩が1868年に新政府軍との戦いを前に、少年兵による白虎隊などと併せて組織した部隊。36~49歳の藩士で構成し、国境守備に当たった。史料は同隊の士中三番隊長を務めた木本慎吾の東京在住の子孫宅から見つかった。

 袖章は絹布に赤や青の印をあしらったもので、青龍隊の袖章の絵柄が初めて明らかになった。同藩の一部部隊の旗や袖章の図を記した古文書も見つかったが、同隊などの結成前のもので、白虎隊の袖章の絵柄は判明しなかった。

 白い毛を長さ約30センチの柄の先に束ねた采配は、入っていた袋に「戊辰之役越後表戦場デ使用シタル」と記されていた。また、安土桃山時代に領主だった蒲生氏郷が使用したと説明書きが付いた木製の笛も見つかった。

 同市教委の担当者は「ドラマなどに想像で描かれてきた当時の会津藩士の本当の姿が明らかになった。古文書の内容などの研究をさらに進めたい」と話す。10月に同市での芸術イベントで展示公開する予定。【乾達】


会津藩士の「袖印」発見 戊辰戦争時に着用か
 旧会津藩士木本家の子孫から会津若松市に贈られた古文書や武具の中から、木本家9代目の木本成三(慎吾)が戊辰戦争時に身に着けていたとみられる袖印が見つかった。同市が15日、発表した。
 袖印は戦いで敵、味方や階級を識別するために身に着ける。見つかった袖印の包み紙に木本の名が書かれており、由来が分かる会津藩士の袖印が見つかったのは初めて。
 ほかにも夜間の戦いで使う提灯(ちょうちん)の仕様が書かれている古文書など貴重な品々が見つかり、市は「会津藩の武家の実生活を物語る重要な資料」と位置付けている。


暗殺の長州藩士世良修蔵まつる 福島稲荷神社が墓整備
 戊辰戦争の官軍参謀として会津藩討伐を強行に主張し、滞在中の福島市内で暗殺された長州藩士世良修蔵(1835~1868)をまつった墓の整備工事が、9日までに完了した。墓は同市の福島稲荷神社(丹治正博宮司)境内にあり、墓を管理してきた同神社が改修。NHK大河ドラマ「八重の桜」では世良の暗殺シーンが6月中に放送予定で、同戦争を通じた同市と新島八重を結ぶエピソードに、多くの来訪が期待されている。
 墓は、戊辰戦争後に福島入りした官軍が慰霊碑として建立した「官修墳墓」。世良のほか、長州藩士4人の名前が刻まれている。建立場所が同神社の隣接地という縁もあって管理を委託され、戦後は境内に移された。暗殺時に血がついた石を葬ったものという。同神社が今年3月から整備工事を始め、4月の半ばに完了した。門扉や塀などを改修し、新たに説明板を設置した。
 世良は会津討伐の強硬論者で、同市北町の旅籠(はたご)「金沢屋」に宿泊中、会津藩の救済嘆願をしていた仙台、福島の両藩士によって襲撃され、阿武隈川の河原で斬首された。
 同神社は毎年春と秋の彼岸に、慰霊祭を行っている。丹治宮司によると、墳墓に花を手向ける人は絶えず、世良の出身地の山口県から訪れる人々は、敵地で没した世良が手厚く地元の人々によって慰霊され続けていることに驚き、感銘を覚えるという。
 近年は「歴女」と呼ばれるような歴史愛好家が訪れるなどし、来訪者は増えているという。「八重の桜」のほか、6月1、2の両日、同市で開かれる東北六魂祭(ろっこんさい)効果で県内外からの観光客も増えることが予想される。
 丹治宮司は「亡くなった方には等しく慰霊し、墳墓を守ってきた。県外だけでなく、市内の人にも墳墓を再認識してほしい」と話している。


バス「新島八重と幕末歴史号」毎日運行スタート JR東、新白河-若松間で
 JR新白河駅と会津若松駅を結ぶJR東日本のびゅうばす「新島八重と幕末歴史号」の毎日運行が11日から始まった。同日、白河市の小峰城跡で歓迎セレモニーが行われた。
 首都圏からの観光客約30人を前に鈴木和夫市長が「歴史のまち白河の魅力を多くの人に広めてほしい」と歓迎の言葉を述べ、草野幸雄JR新白河駅長があいさつした。
 観光客には市内で使える1000円分の買い物券と観光パンフレットが贈られた。一行はツーリズムガイド白河のボランティアの案内で城跡や集古苑を見学した。
 バスは今年度から土日曜日の運行がスタートしていた。毎日運行は9月30日まで。小峰城跡のほか下郷町の大内宿、会津若松市の鶴ケ城などを巡る。運賃は4500円で、予約が必要。

( 2013/05/12 10:27 カテゴリー:主要 )


戊辰の袖章など170点寄贈 若松市に会津藩士の子孫
 市教委によると、袖章や采配などは敵兵が持ち帰ったり散逸したりしており、会津藩が戊辰戦争で使ったものが残されているのは珍しい。主力部隊の一つ、青龍隊のうち上級藩士による士中隊の隊長を務めた木本慎吾(1839~1903年)の遺品で、保管していた東京の子孫から贈られた。慎吾は会津戦争の「一ノ堰の戦い」で負傷し、その後、斗南藩(現青森県むつ市)に移った。
 袖章は所属や階級が分かるよう武士が袖に着けた布。寄贈されたのは縦16センチ、横7センチの絹製で、包んでいた紙に「明治元年会津戦争ノ折 木本成三青龍隊袖印」と記されている。慎吾が着けていたとみられる。鮮やかな模様や線が示す意味は不明だ。
 采配は隊長が軍の進退を指揮するために使う道具。会津塗とみられる柄や先端の白い毛をまとめる金具など、ほとんど会津で作られたという。包んでいた袋には「九代慎吾成章戊辰之役越後表戦場デ使用シタル采配」と記されている。
 このほか、古文書「新御備組目印麁絵図」は各隊の旗や袖章、ちょうちんの模様の違いを絵入りで解説している。慎吾らが書き写して出陣の際に参考にしたとみられる。
 市教委文化課の近藤真佐夫主幹は「当時の軍制や工芸技術を知る貴重な資料」と話す。今後詳細に分析し、一般公開を検討する。



千葉
流山の名物 並べてPR 商工会館に「棚ショップ」
 小さな棚スペースから物産品や手作り作品の発信を-。流山商工会議所は、商工会館(流山市流山二)一階サロンで、こんな「棚ショップ」を開設した。「流山市を訪れた観光客らに地元物産などを紹介し、街の良さも知ってもらおう」というのが狙い。 (川田栄)
 棚は職員が手作りした木製で、一つ当たりのスペースは幅六十センチ、高さ二十七センチ、奥行き三十センチ。この大きさの棚が縦横に五段ずつ計二十五個並ぶ。有料で提供し、商工業者は物産のPRと販売に、市民は趣味の作品を発表する場としても使える。一番下の一部以外は借り手がつき、ガラス工芸品や歯ブラシ、飲めるみりんなど、さまざまな品物が並んでいる。
 商工会館がある流山本町地域は、かつて江戸川の舟運とみりん製造で栄え、明治時代の土蔵などが点在している。こうした古民家が観光施設やレストランに活用され、近くに新選組の「近藤勇陣屋跡」などもあることから市内外から訪れる人が増えているという。
 このため会議所は、四月から一階サロンを観光客らの休憩場所として平日だけでなく、土曜と休日にも開放してきた。「せっかくサロンを訪れる人がいるのだから、流山を宣伝する場にもなれば」(担当者)と、五月から棚ショップの運営を始めた。
 棚を借りるには初回登録料千円のほか、賃貸料が一スペースにつき月額千円(一部除く)が必要。物品を販売する場合、売り上げの10%が会議所の手数料となる。


埼玉
越谷をPR・滝野川新選組まつりで
 越谷時代まつりの実現をめざす会(広瀬知也会長)が4月28日、昨年に引き続き、板橋駅前で行われた「滝野川新選組まつり」でブースを出展。越谷をPRした。地場産業のだるまやひな人形、越ヶ谷秋まつりの山車などの紹介をはじめ、伝統ある越谷をPRしようと「日本の心の聖地 越谷」と題し、ゴールデンウイークに行われた「越ヶ谷宿の甲冑めぐり」や、中野形染の灯篭、国民健康保険発祥などを会場で説明した。
 ステージでは忍術道場の越谷武神館の演武もあり、広瀬会長の娘の小学校4年生の鈴音さんが大人を投げる技を見せ、大いに会場を沸かせた。同めざす会は、日光街道沿いの自治体と協力して観光振興しようと各市と連携しており、草加市、春日部市、幸手市の観光パンフレットも配布した。


東京
「ひの新選組まつり」 パレードに最多1300人
 日野市の街おこしイベント「第16回ひの新選組まつり」(実行委員会主催)が12日、JR日野駅東側の甲州街道や高幡不動尊の参道などで開かれた。新選組結成150周年と市制施行50周年を記念し、初めて甲州街道の一部500メートルを歩行者天国に。市制50周年記念の参加者も加わり、過去最多の延べ1300人(主催者発表)がパレードした。 (阿部博行)
 恒例の隊士パレードには延べ八百人が参加。十一日の「隊士コンテスト」で応募者三十二人の中から選ばれた十三人が、近藤勇局長や地元出身の土方歳三副長、井上源三郎・六番組隊長ら幹部隊士に扮し、勝ちどきをあげながら行進。馬上の近藤勇役と土方歳三役にはファンが多く、沿道の市民らが盛んにシャッターを切っていた。
 市制五十周年記念パレードも行われ、中学生の合同ブラスバンド隊や隊士に扮(ふん)した保育園児たち、みこしや山車も繰り出し、約五百人が練り歩いた。昨年は爆破予告電話のため午後のパレードが縮小されたが、今年は無事に終了した。
 土方役を務めた笹田千尋さん(22)=新宿区=は「昨年は沖田総司役でしたが、爆破予告騒ぎでゴールできなかった。土方役はプレッシャーを感じたが、沿道の声援に励まされ、やり遂げることができました」と笑顔。
 実行委員長の三浦盛好さんは「ホコ天でみんなが伸び伸びと行進できた。昨年の騒ぎのことがあるので、例年以上に喜びが大きい」と話した。


甲州街道 ホコ天に 「ひの新選組まつり」
 十二日に日野市で行われる「ひの新選組まつり」のメーン行事「隊士パレード」が、初めてJR日野駅東側の甲州街道を五百メートル区間、全面通行止めにして披露されることになった。全国の新選組ファンら四百人が当時の衣装に身を包んで練り歩くとともに、殺陣や勝ちどきなどのパフォーマンスを繰り広げる。「ホコ天」にすることで祭りを一段と盛り上げようと、街を挙げて準備している。 (福岡範行)
 これまでは、土方歳三ら新選組創設メンバーが剣術を磨いた日野宿本陣に近い日野第一小学校から、日野市役所までの二・五キロをパレードしていた。途中の甲州街道は片側のみ通行止めにして通過するだけ。パフォーマンス会場は発着点など数カ所に分散していた。パレード参加者や地元の人からは、甲州街道を歩行者天国にして、イベントを一カ所に集約するよう望む声が上がっていた。
 昨年、街道北側に都市計画道路の迂回(うかい)路が完成。新選組結成百五十周年と市制施行五十周年を記念して、全面通行止めが実現した。
 日野ふれあい商店会の滝本光男会長(76)は「これまでは大勢の人が慌ただしく通り過ぎるだけだった。今回は甲州街道を観客で埋め尽くさないと」と意気込む。おでんやカレーを売り、抽選会も開いて盛り上げるつもりだ。
 ホコ天会場には、江戸時代の街並みも再現する。時代劇用の大手門や和傘付きの休憩所を業者から借りる手はずを整えた。地元の人も積極参加し、かごの担ぎ手やチラシを配る瓦版屋といった町人になりきる。
 心配なのは当日の天気。雨だとパレードも通行止めも取りやめになる。貸衣装は雨にぬらせないためだ。まつり実行委員会の三浦盛好実行委員長(55)は「雨は降らないと信じて突き進む。万が一、雨天中止になっても、活性化のために一丸となったことは無駄にならない」と言い切る。
 通行止めは午前十時から午後三時まで。パレードは午後零時半と午後一時十五分からの二回ある。雨天中止の案内は市役所や観光協会のホームページに載せる。雨でも隊士のパフォーマンスは市民会館で行う。まつりは十一日が初日で、パレードで土方歳三や近藤勇らの役になる人を決めるコンテストを開く。


日野で「新選組まつり」-結成150周年・市政50周年で大規模に
 日野市内の各所を会場に5月11日・12日、新選組をテーマとした恒例イベント「ひの新選組まつり」が行われる。

「ひの新選組まつり」の旗が数多く舞う八坂神社

 今年で16回目を迎える同祭り。毎年、新選組の副長で、武蔵国多摩郡石田村(現在の日野市石田)で生まれた土方歳三の命日である5月11日に合わせて開催。土方の菩提(ぼだい)寺でもある高幡不動尊(日野市高幡)などを会場にさまざまなイベントを繰り広げる。

 今年は1863年の新選組結成から150周年。日野市の市政50周年でもあることから、これらを記念して、日野駅に程近い都道256号線(甲州街道)を初めて全面通行止めにし、メーンステージとして活用。「日野宿会場」と銘打ち、休憩所などで江戸時代の雰囲気を再現するなど盛り上げる。

 土方歳三や近藤勇、沖田総司など新選組各組の組長などをコンテストで選び、各組の隊士と共に練り歩く恒例イベント「新選組隊士パレード」のほか、ライブやスタンプラリーなどさまざまな催しを実施。高幡不動尊では、2004年以来となる「新選組隊士総慰霊法要」が11日に行われるほか、12日には初開催となる「高幡参道きものクイーンコンテスト」も予定する。

 通行止め区間は日野駅前東交差点から川崎街道入口交差点までの約500メートル。両日とも10時~15時。


静岡
「江川邸」入館50万人達成 伊豆の国
 伊豆の国市の国重要文化財「江川邸」の有料入館者数が11日、50万人に達し、同所で記念セレモニーが行われた。
 50万人目となったのは浜松市西区の菅沼国次さん、和子さん夫妻。江川邸を管理する江川文庫の藤井孝俊統括主任らが、幕末に活躍した江川坦庵公の名前を冠した酒や江川邸の資料など記念品を手渡した。
 家族旅行で立ち寄ったという菅沼さんは、「まさかと思い驚いた。ゆっくり見学していきます」と笑顔で話した。
 江川邸は、歴代当主が江戸幕府の韮山代官を務めた江川家の屋敷で2001年から有料公開されている。主屋や蔵などが重要文化財に指定されているほか、所蔵する文書や写真約4万点も近く、重要文化財となる見込み。


京都
新選組の刀剣も展示 上京・生谷家、修理終え公開
 京都市上京区室町通鞍馬口下ルにある国登録有形文化財・生谷家住宅主屋の修理が終わり、10日まで一般公開されている。生谷家に伝わる古文書や刀剣、書なども展示している。

 同家は、青物問屋を営んでいた旧家で号は「万(よろず)や」。天明の大火(1788年)で被災し、2階建ての京町家の住宅主屋は明治初期の建立という。老朽化が進んでいたため、梁(はり)を補強し、土壁も塗り替えた。また、庭園を「光臨の庭」と名付けて整備した。

 公開中の主屋では、同家の所蔵品を展示している。幕末に新選組が発注した刀剣や地租改正の折に出された嘆願書など珍しい史料もあり、きれいに修復された住宅で来場者が見入っていた。

 所有者の生谷準之助さん(71)は「茶道やいけばななどの文化サロンとして貸し出し、地域の交流の場にしたい」と話している。

 午前10時~午後5時。入場無料。


橋本左内:処刑前年の書状 貴重な4通、26日まで公開--県立歴史博物館 /福井
 福井出身の幕末の志士、橋本左内自筆の書状4通が、県立歴史博物館(福井市大宮2、0776・22・4675)の特別公開「橋本左内書状-書状から見える幕末の福井と日本」で展示されている。残された自筆書状が少ない、安政の大獄で処刑される前年のもので、歴史的価値が高いという。

 大坂の適塾で蘭学を学んだ左内は、福井藩主・松平春嶽が設立した藩校「明道館(めいどうかん)」の経営に携わり、その後、春嶽の側近として江戸で幕府の改革を訴えるため奔走。しかし、幕府による弾圧、安政の大獄で逮捕され、26歳で斬首された。
 展示の4通は、左内が逮捕される直前の1858(安政5)年5~9月に明道館の元同僚に宛てられた。弾圧が春嶽に及び、福井藩別邸での隠居、謹慎に処された直後の同7月15日付の書状には「臣下の心は痛嘆に耐えかね誠に血涙の至りです」と主君への思いをつづっている。4通は一つの巻物にまとめられ、明治から昭和にかけて活躍した言論人、徳富蘇峰(とくとみそほう)による前文と奥書が添えられている。
 特別公開は他に、横井小楠(しょうなん)や梅田雲浜(うんぴん)ら同時代を生きた福井ゆかりの人物の書状なども展示している。入館料100円。26日まで(22日休館)。【山衛守剛】
5月11日朝刊


石川
前田家当主の寄せ書き発見 金沢の専光寺
幕末維新期の加賀藩前田家の藩主・当主3人が書画を寄せ書きした掛け軸が17日までに、金沢市本町2丁目の真宗大谷派専光寺で確認された。専門家によると、廃藩置県と同年の1871(明治4)年に書かれた可能性が大きい。明治維新で武士の世が終わり、旧藩主の境遇も大きく変わった激動期に、前田家の人々が抱いた心情を伝える貴重な資料という。

掛け軸は縦約1・8メートル、横約90センチ。金沢市玉川図書館近世史料館などが調べた結果、13代藩主斉泰(なりやす)が漢詩をしたため、最後の藩主である14代慶寧(よしやす)が梅、15代当主利嗣(としつぐ)がランの絵を描いていることが分かった。大聖寺藩の14代藩主利鬯(としか)(斉泰の七男)、富山藩の13代藩主利同(としあつ)(斉泰の十一男)、一族の女性も筆を振るい、計12人の筆跡が見て取れる。

軸の上部には清らかで香り高いという意味の「清芬(せいふん)」と「八才」の文字が記されている。石川県立歴史博物館の北春千代学芸主幹によると、斉泰の十二男利武(としたけ)が8歳を迎えた1871年に「清芬」と書き、当主らが寄せ書きしたとみられる。

加賀藩主だった前田家は1871年7月の廃藩置県で東京に去った。斉泰が軸に記した漢詩は「門があっても客は来ず、風が吹き、月が見えるだけである」との内容で、北学芸主幹は「明治維新で前田家の境遇が変わり、斉泰が寂しさを感じたことが読み取れる。病気がちな息子の慶寧を案じる気持ちもあったのだろう」と指摘する。

一方、軸にしたためられた和歌には「栄」や、長い年月を示す「千世」などの言葉が織り込まれ、利武の将来に期待を込めながら、新時代にも前田家が末永く繁栄することを願ったとみられる。

1871年には、慶寧の六女貞姫(とくひめ)が専光寺の養女となっており、軸はその際、寺に渡った可能性がある。吉藤雅人住職(52)が蔵の整理中、裏に「前田家一門」と書かれた軸を見つけ、南砺市の表具店「岩崎精正堂」が修復した。

軸は18、19日に同寺で営まれる親鸞聖人の750回御遠忌法要で公開される。


岡山
高梁ゆかりの偉人紹介冊子 市教委が作製
 高梁市教委は、市出身やゆかりの歴史上の人物をまとめた「歴史人物誌」を初めて作製した。古代から現代までの438人を収録。備中地域の中核として時を刻んだ郷土の奥深さを伝えている。

 幕末に藩政改革を成し遂げた山田方谷をはじめ、江戸期に備中神楽の礎を築いた西林国橋(こっきょう)、県内初の女学校を明治期に創設した福西志計子(しげこ)、明治・大正期に渡欧して絵画収集にも当たった洋画家児島虎次郎ら多彩な偉人の業績を紹介している。

 江戸の大相撲で活躍した関取熊ケ嶽(くまがたけ)、新選組近藤勇局長の養子に一時なった谷周平、中国の文豪魯迅の主治医・須藤五百三(すとういほぞう)ら知られざる人物の記述も興味深い。ゆかりの人物は、高梁で落命した戦国武将山中鹿介、大正期に少年時代を高梁で過ごした作家石川達三、昭和初期に備中松山城を訪れた歌人・詩人の与謝野鉄幹・晶子夫妻らを取り上げている。

 市文化財保護審議会委員ら9人の編さん委員会を設け、旧市史や旧町史などを基にまとめた。

 A4判、138ページ。2千部作った。市内の小中学校、図書館などに配布。希望者は市教委社会教育課(0866-21-1516)へ。


山口
長州ファイブ:渡航150周年企画展 “文明開化”の追体験を あす、紅茶と音楽で英国気分に--光・伊藤公資料館 /山口
 光市出身の初代首相・伊藤博文ら近代日本の礎を築いた「長州ファイブ(長州五傑)」が、幕末に英国へ渡航して今年で150周年。記念の企画展「伊藤博文と杉孫七郎」が同市束荷の伊藤公資料館で開催されている。5人が横浜を出港した12日は午後1時から、来場者に英国気分に浸ってもらう紅茶を振る舞い、音楽でもてなす。英国生まれのからくり人形も登場し、5人が触れた“文明開化”を追体験する一日になる。【蒲原明佳】

 長州藩士の伊藤博文、井上馨、井上勝、遠藤謹助、山尾庸三は幕末の1863年、藩命で先進技術を学ぶため英国へ密航した。きっかけをつくったのが杉孫七郎。1861年に幕府の視察に同行し、長州では初めて西欧を訪れた。帰国して藩に西洋の産業や軍事力を報告。5人の英国留学につながった。
 館内には、パネルや藩の公文書、手紙などを展示。杉が西洋で見たものを危機感を持って藩に報告する様子がつづられているほか、5人に力を貸した人々を紹介。5人の旅の様子やその後の人生は9月の展示で詳しく説明する。
 12日は入館無料で、午後1時から紅茶とスコーンをサービス。記念式典では、ひかり吹奏楽団が「威風堂々」「宇宙戦艦ヤマト」などを披露し、当時の命がけの旅立ちを演出する。午後1時半と午後3時40分からは映画「長州ファイブ」(2006年、五十嵐匠監督)を上映する。
 市出身の原田和明さんや英国製のからくり人形(オートマタ)は11日から最終日の26日まで展示。ユニークな動きに、子供たちも楽しめそうだ。
 市文化・生涯学習課は「一介の長州藩士だった伊藤博文の人生を変えた英国留学。子供たちやこれまで資料館に来たことがない方々にぜひ楽しんでほしい」と来場を呼び掛けている。
〔山口東版〕
5月11日朝刊


大分
郷土・偉人漫画本:幕末の剣豪・島田虎之助が登場 中津市、中学の武道必修化で /大分
◇5000冊出版、公立校などへ配布

 中津市が進めている「漫画で見直す郷土の偉人」の事業で、幕末の三剣豪の一人・島田虎之助(1814〜1852年)を取り上げた。12年度から中学で剣道など武道が必修化されたのを契機に、郷土の剣豪・島田をクローズアップさせた。

 島田は「剣は心なり。心正しからざれば、剣又(また)正しからず」の言葉を残しており、弟子の一人に勝海舟がいる。定価700円で5000冊を発行。市内の小中学高校や公民館などに無料配布するほか、一般にも販売する。

 同事業ではこれまでに西洋歯科医の始祖と言われる小幡英之助など3冊を出版している。問い合わせは市立小幡記念図書館0979・22・0679。【大漉実知朗】


熊本
展示会:見る人に新たな発見を 幕末期から現代の八代焼と西山宗因の色紙並ぶ /熊本
 八代に縁のある江戸時代の俳人・連歌師、西山宗因の直筆色紙12枚に、幕末期~現代の八代焼などの陶器を添えた異色の展示会「くまもと・やつしろ 温故知新」が、八代市萩原町の珈琲店「ミック」で開かれている。28日まで。

 西山宗因は八代城主加藤正方に仕えて連歌を学んだ後、関西を拠点に活躍した。色紙は、旅先などで詠んだ俳句を書き記したもので、同市本町の正教寺所蔵。「竹の子は うぢよりふし見 そだちかな」という句にはタケノコを描いた紙が使われるなど、色紙にもセンスが満ちている。
 また、象嵌(ぞうがん)の装飾で知られる八代焼(高田(こうだ)焼)は、幕末期前後の作品とみられる湯のみや小皿、400年の歴史を持つ上野窯の作品や若手作家の新作などが並ぶ。
 八代地域の埋もれていた歴史財産でもある西山宗因の色紙と、日常生活の中で使われている八代焼が並ぶことで、見る人に新たな発見をしてほしいというのが、展示会のコンセプトという。【笠井光俊】
5月17日朝刊

ブックレビュー
大河ドラマで容保ファンになった人には必読の書
王城の護衛者
2013年05月17日 読了
ジャンル :歴史・時代小説キーワード : 松平容保

著者:司馬遼太郎  出版社:講談社 価格:¥ 730
Amazon.co.jp楽天ブックス紀伊國屋書店BookWebTSUTAYA online
 歴史書などで見かける、会津藩第9代藩主松平容保の容姿は、いまだ少年の俤を残した初々しい青年である。
 会津のジャンヌ・ダルクと称され、のちに同志社大学創設者新島襄の妻となった山本八重の生涯をドラマ化したNHK大河ドラマ「八重の桜」でも当然重要な役どころとなっている。
 演じるのは、新鋭の綾野剛。写真で見る容保に、雰囲気はそっくりだ。
 容保役に綾野剛を配役したのはNHKの手柄といっていい。

 この物語は、松平容保の人間像を描いた司馬遼太郎の歴史小説である。
 雑誌「オール讀物」3月号に大矢博子の「この新撰組小説がすごい!」という記事があった。その中で、新撰組全体がわかる背景として推奨されていたのが、この物語だ。
 司馬の作品ではあくまでも容保の生涯を追っているが、大矢いわく、「どのような状況で新撰組が会津藩お預かりとなったのか、それが何を生んだのかがよくわかる」としている。
 但し、これはいささか過剰な評価だろう。
 この物語は純粋に、松平容保がいかに幕末という時代に翻弄されたかを描いたものとみていい。

 「オール讀物」のこの記事では、司馬がこの小説を書いて松平家ののちの当主からお礼の電話をもらったというエピソードが紹介されている。
 賊軍として会津藩の崩壊とともに降伏した容保だが、先の孝明天皇からどれほど慕われていたかが、司馬の感情を抑えた文章でもよくわかる。
 維新後、生き残った容保が孝明天皇からの書面を肌身離さず持っていたというエピソードを最後に持ってきたのは、司馬のロマン嗜好の現れだろう。
 徳川慶喜に対する恨みだけでなく、それほどに自分に信頼を寄せてくれた孝明天皇の期待に応えられなかった自身の不甲斐なさ。けれど、それにあまりある天皇の書面の温かさは、晩年の容保の拠り所だったにちがいない。

 司馬作品としては短編小説に属するこの物語は、容保の初々しさだけでなく、慶喜の性格の厭らしさをよく描いている。
 ちなみに、司馬は代表作の一つである『街道をゆく』の「白川・会津のみち」の中でも「容保記」という章を設けている。


エンターテインメント
近藤勇と龍馬が友人の大河ドラマ「設定」はデタラメではない
 NHKの大河ドラマの新シリーズが放映されると、必ず「事実と違う」と指摘される点がでてくる。しかし、一見、突拍子もないようにうつるドラマの「設定」も、実はデタラメとは言い切れない。みずから歴史番組の構成と司会を務める編集者・ライターの安田清人氏が解説する。

 * * *
 NHK大河ドラマを見たのがきっかけで、歴史が好きになったという人は多い。よくよく聞くと、専門の歴史学者にも、その手の元歴史少年(少女)が少なくない。

 だからこそだろう。大河ドラマは「フィクションを描いてはいけない」という意見をよく目にする。しかし、歴史上の人物のすべての行動、発言、人間関係、思想がわかるはずがないのは、いまさら言うまでもない。あらゆる歴史書や記録に目を通しても、どんな歴史学者に学ぼうと、フィクション抜きにドラマを描くことは不可能なのだ。

 しかし、天下のNHK、天下の「大河ドラマ」なのだから、できるだけウソは描かないで欲しいというのは理解できる。制作者側もそれは十分に理解していて、歴史上の人物が「いつ、どこで、何をしたか」という確定的な事実はできるだけいじらない。

 ただし、どこで何をしていたのか確定できない部分、いわゆる史実の隙間に創作を盛り込んで、ドラマとしての独自性を打ち出したいと、〈篤姫〉や〈新選組!〉を担当したプロデューサーの屋敷陽太郎さんは折に触れ語っている。

 平成16年(2004)に放送の〈新選組!〉は、香取慎吾演じる主人公の近藤勇が、実は京都に上る前から坂本龍馬と親しい友人だったという「設定」だった。これはもちろんフィクションだが、いち早く新聞、雑誌などがこの「設定」に反応し、さまざま識者が「史実と違う」と発言したためか、〈新選組!〉には史実をないがしろにするデタラメなドラマだというイメージがついてしまった。

 確かに近藤と龍馬が友人だったことを示す資料や記録はない。しかし両者に接点はなかったのか、知り合いであった可能性は本当にゼロなのか。

 新選組は、幕府が浪士を集めて作った特殊部隊。その母体となった浪士組の結成に当たり、幕府は江戸の剣術道場などで名を挙げていた志士たちをリストアップし、浪士組への参加を募っていた。

 そのリストには、平野国臣(くにおみ)や真木和泉(まきいずみ)、久坂玄瑞(くさかげんずい)といった尊王攘夷派の志士たちと並び、坂本龍馬の名前も挙がっていた。

 この事実を指摘したのは、〈新選組!〉の時代考証に「資料提供」という形で参加した歴史学者の三野行徳(みのゆきのり)さんだった。

 結論から言えば、龍馬は浪士組には参加せず、独自の路線を歩んだわけだが、ひとつ間違えば浪士組に参加して、近藤勇と同僚になっていたかもしれないのだ。

 龍馬にしても近藤にしても、当時、黒船来航以来の国難によって覚醒した青年たちだった。彼らは剣術で腕をみがき、社会情勢に注目し、最先端の尊王攘夷思想を掲げるオピニオンリーダーでもあった。彼らは互いの交流の中で切磋琢磨し、人脈を築いていった。とすれば、彼らが友人だったという「設定」は、けっして突拍子もないデタラメなどではないのだ。

 従来、龍馬と近藤は「好敵手」として扱われてきた。だから友人だったとする「設定」に違和感が持たれ、「時代考証がなってない」とされたわけだが、より深く歴史を理解するならば、それが「あったかもしれない」可能性が見えてくる。時代考証は、一筋縄ではいかないのだ。

■安田清人(やすだ・きよひと)1968年、福島県生まれ。月刊誌『歴史読本』編集者を経て、現在は編集プロダクション三猿舎代表。共著に『名家老とダメ家老』『世界の宗教 知れば知るほど』『時代考証学ことはじめ』など。BS11『歴史のもしも』の番組構成&司会を務めるなど、歴史に関わる仕事ならなんでもこなす。

※週刊ポスト2013年5月3・10日号

 『新選組!』好きな人はたぶんその点については寛容だと思います。史実で否定されない限り、そういう設定でもフィクションとして説得力があれば「いいんじゃないでしょうか」と思う人が『新選組!』好きの芯にあると思います。

【注目アプリレビュー】『薄桜鬼』の真のトキメキは日常でこそ感じられる!
日常にあるトキメキで心をあたためませんか?

いきなりですが私たちの日常は、そうそう剣を握って戦ったりするような事件は起こりませんよね。真のトキメキは、日常で感じ取るものではないでしょうかっ! ……と、ライター岩崎ちょっとアツくなってしまいました。久しぶりに乙女ゲームのレビューなので、気合いがボーダーを超えているようです。今回ご紹介するタイトルは、『薄桜鬼 懐古録』です。多くの女性を泣かせた人気タイトル『薄桜鬼 ~新選組奇譚~』のファンに向けたアナザーストーリー。新選組隊士との日常が語られています。あたたかい、だけどちょっと切ない気持ちを味わってください。



●たまにはみんなでお茶でも飲みましょう

本作は、お話が数巻にわかれています。まずは序巻からプレイしてみましょう。何事もない、ごくふつうの一日。掃除の最中、主人公は山崎さんに呼び止められます。彼はこれまでの、新選組の活動や隊士たちの記録をつけようとしているとのこと。そういうことであれば、集まって話すのがいちばん早い! ということで、お茶を飲みながら思い出話をすることになりました。

▲指1本タッチで進む、1本長押しで自動進行、2本タッチでメニュー呼び出し……など、操作がものすごくスムーズです!

▲記録をつけるために、思い出話で過去を振り返るという形式で、本作は進んでいきます。

▲お茶を飲みながら話を……ということに。

▲続々とみんなが集まってきました。この雰囲気、つい目が細くなりますね。
こうやってみんなが集まり、お茶を飲みながらゆっくり話をするなんて、珍しいこと。主人公は、平助君や原田さんの手を借りて、お茶の用意をしました。穏やかで貴重な日常が始まります。

▲ここからは、あらすじを参考に遊びたい巻から購入することができます。

▲私は順番通り派ですので、巻ノ一を選びました。

▲読み進めると、ときどき選択肢が出現します。

▲それぞれ、別のお話に繋がっていますので、ぜひすべて読んでください!
巻ノ一は、主人公が屯所で暮らすようになってから数ヵ月のころのことが語られます。ただ居るだけというのも申し訳なく思った主人公は、屯所の手伝いを始めます。そんな主人公の様子を見守る隊士たちは……。まだ完全に打ち解けていない、手探りでお互いを理解しようとしている主人公と隊士たちが初々しいです!

▲俺の部屋へ来い? いきなり大胆なシーンが出て来ました! ええ行きます、行きますとも。

▲まだ信頼が得られず、外出を許されない主人公。そんなとき、沖田さんが主人公を、意外な場所に連れ出します。意外な一面が見られますよ!

▲巻ノ二では、池田屋襲撃の裏側を見てみましょう。

▲原田さんを追うと、秘められていた命を巡るドラマが展開されます。
●読み物以外のコンテンツでもドキドキ!

読み進める合間に、ぜひ動画や人物紹介といったコンテンツも楽しんでください。こちらは、メニュー画面から無料でいつでも見ることができます。人物紹介を眺めているだけで、かなり長い時間ニヤニヤできると思いますよ!

▲オープニング、クレジットムービーは吉岡亜衣加さんによる歌が流れます。私はダウンロード以来、毎日再生しています!

▲人物紹介では、サンプルボイスの試聴もできます! しかもこのサンプルボイス、セリフが甘~い。再生ボタンを連打です!

▲一巻クリアするごとに、懐古絵図に隊士が一人ずつ現れます。もちろん、全巻クリアすると全員揃うとのこと。全員揃った画像はそのまま、隊士たちとの思い出の証ですね。
分岐でいくつかのお話が読めるうえに、全編フルボイスですから、一巻でたっぷり楽しめますよ。本作とはぜひ、長いお付き合いをしてください。ゆっくり、隊士たちと思い出を振り返り、気がついたら懐古絵図が賑やかになっていた……という遊びかたをしていただきたいです!

 巻之三以降、楽しみにお待ちしております。
 今日は野間みつねさんのヘルプでビッグサイトに行ってきました。

北海道
松前藩屋敷 今期もオープン
【松前】城下町として栄えた江戸時代の町並みを再現したテーマパーク「松前藩屋敷」(町西舘)が13日、冬期休業を終え営業を再開した。開館式には関係者ら約120人が出席、石山英雄町長らのテープカットで開門した。

 藩政時代の松前の姿を今に伝える施設としてオープン。町の人気観光名所として毎年大勢が足を運んでいる。館内には武家屋敷や商家など14軒が軒を連ねる。

 開館式では、神事の後に関係者によるテープカットが行われ、開門すると来場者が館内に歩を進めた。記念品として「大漁くん絵馬」もプレゼントされ、子どもたちも大喜びだった。

 10月末までの期間中は無休。開館時間は午前9時から午後5時まで(最終入館時間は同4時半)。入館料は大人350円。小中学生230円、幼児は無料。10人以上の団体は大人280円、小中学生180円。


福島
望郷の念 おけいに重ね 若松の小池さん 18日米国で震災体験スピーチ
 会津大短期大学部1年の小池さつきさん(18)=福島県会津若松市=が米国カリフォルニア州で18日に開かれる「若松コロニーフェスティバル」で東日本大震災の体験についてスピーチをする。若松コロニーは明治時代に会津藩出身者らが入植した場所。渡米した一人で、日本からの米国移民女性第1号といわれる、おけいの望郷の念と、東京電力福島第一原発事故に苦しむ県民の思いを重ね「絆の大切さを訴えたい」と話している。
 若松コロニーでは戊辰戦争後、会津藩出身者らが養蚕業や農業を行った。数年で崩壊したが、地元の自然保護団体アメリカン・リバー・コンサーバンシー(ARC)が保存に取り組み、おけいの墓などが残る。今年のコロニーフェスには、おけいと同年代の3人が日本から招待された。震災体験を米国民に伝えてほしいと会津若松市からは小池さんが選ばれた。
 小池さんは郡山東高2年生の時に被災した。校舎の一部が損壊し、双葉地方から避難してきた生徒と一緒にプレハブの校舎で学校生活を送った。中には古里への帰還を諦め掛けている友人もいるという。
 入植後2年ほどで亡くなったおけいの心境を想像し、小池さんは「人生は何が起きるか分からない。困難に直面したときこそ、団結して世界とつながることが大切」と話す。
 小学4年のころから習っているという民謡も参加を後押しした。大好きな歌の一つという「新相馬節」は、出稼ぎ先から古里を思う内容。これまでの体験と身の回りの人々のことを思い、英語で行う約3分間のスピーチの内容をまとめた。
 現地と会津若松市を結ぶ窓口となっている「おけいと震災を考える会」の福西依子さん(64)は「帰国後はおけいの足跡を広める役割も担ってほしい。来年以降も会津から派遣できるよう、後押ししたい」と話している。


広がれ「八重」効果 GW、若松「予想以上の観光客」
 ゴールデンウイーク後半の4連休が3日、スタートした。NHK大河ドラマ「八重の桜」の物語が前半のヤマ場、戊辰戦争へと展開する中、風評被害に苦しむ会津観光は物語と呼応するかのように盛り上がりを見せる。会津若松市を中心に、観光施設によっては震災前を上回る入り込みを記録。観光関係者は「予想以上」とうれしい悲鳴だ。一方、周辺市町村では旅行者数が期待したほど伸びず“八重効果”を実感しにくい地域も。同市から会津各地の波及が課題として浮かぶが、新島八重とゆかりのない地域では、妙策を見つけづらいのが実情だ。
 会津観光のシンボル、鶴ケ城(会津若松市)は大河ドラマ館(同市)との相乗効果で天守閣の登閣者が急増、大型連休の前半を含めた4月は震災前の7万人台を大幅に超える11万6958人が入場した。鶴ケ城を管理、運営する同市観光公社は「八重効果は予想以上」と説明、連休後半も大きな期待を寄せる。


会津戦争、落城後の攻防 南会津・奥会津博物館で企画展
 南会津町の奥会津博物館は4月27日から、同館で新企画展「南山御蔵入領の戊辰戦争~会津戦争終結の地~」を開催しており、来場者を魅了している。6月30日まで。
 NHK大河ドラマ「八重の桜」に合わせて開催。会津若松城の落城後も、南会津郡で西軍と攻防を繰り広げていたことなどを学んでもらおうと、開催している。
 企画展には当時使用されていた「駕籠(かご)」や会津軍から郡民がもらったという「藍絵花模様磁器皿」、会津若松城での籠城を伝える当時の書状など33点を展示している。
 入場料は大人300円(20人以上の団体は250円)、高校生200円(同150円)、小・中学生100円(同50円)となっている。開館時間は午前9時から午後4時まで。


萩市民迎え盆踊りで交流 白河
 山口県萩市白河踊り訪問団の歓迎交流会は28日、福島県西郷村のホテルサンルート白河で開かれた。
 山口県内の多くの場所で「白河踊り」と呼ばれる盆踊りが残っている。戊辰戦争白河口の戦いに参戦した長州藩の兵士が、戦死者の慰霊のため白河の領民と一緒に踊った盆踊りを、長州に持ち帰ったものと伝えられている。平成20年に萩市で開催した「戊辰140年」の記念式典に、鈴木和夫市長らが招待され、白河民舞愛好会とともに本場の「白河盆踊り」を披露した。この時に萩市側が5年後に白河を訪問することを約束、この約束に基づいて萩市民27人が白河市を訪れた。
 交流会では市や市観光物産協会、しらかわ歴史のまちづくりフォーラム会員らが萩市民を迎えた。しらかわ歴史のまちづくりフォーラムの人見光太郎理事長、鈴木市長が歓迎の言葉を述べた。訪問団代表の吉田松陰研究家で医師の山本貞寿さんが「両市の絆を強め、東日本大震災からの復興に協力していきたい」とあいさつした。
 両市を結ぶ縁とも言える「白河盆踊り」が披露された。白河市の白河民謡馬喰節保存会(鈴木光子会長)と内海道敬会(内海道敬代表)が歌とおはやしに合わせて踊りの輪を広げた。
 訪問団は2泊3日の日程。白河市泊の前日は郡山市に宿泊した。


奈与竹之碑碑前祭で慰霊 戊辰戦争、犠牲の女性ら 若松
 戊辰戦争で亡くなった会津の女性や子どもの霊を慰める奈与竹(なよたけ)之碑碑前祭は1日、会津若松市の善龍寺で行われた。
 嫋竹(なよたけ)会の主催で遺族や会員ら約100人が参列した。吉田幸代会長が「今こそ会津の先人の生き方を範として、震災復興へ心を一つに頑張っていく」と祭文をささげ、室井照平市長、目黒章三郎市議会議長が追悼の言葉を述べた。献花や読経、焼香に続き詩吟が披露された。
 桜吹雪の中、葵高の舞踊部員が薙刀(なぎなた)を手に舞い、薙刀部員が形の演武をした。りりしい姿に大きな拍手が送られた。
 同寺には会津藩家老西郷頼母の自刃した一族31人の墓と、妻千恵子の辞世の歌にちなむ「奈与竹之碑」がある。

千葉
名産を展示販売 流山商議所サロンに「棚ショップ」 千葉
 千葉県流山市旧市街の散策を楽しむ人に休憩スペースとして開放されている、流山商工会議所(同市流山)の1階サロンに、地元の特産品を展示販売する「棚ショップ」が完成し30日、記念式典が行われた。オープンは1日。

 商工会議所職員の手作りという壁に作られた棚は、縦約27センチ、横約60センチ、奥行き約30センチの25の区画に区切られ、1区画を月1千円で市内の菓子店や酒店などに貸し出す。

 流山ゆかりの新撰組がテーマの飾りたこ(800円)や、みりん(300ミリリットル入り555円)など、流山自慢の物産や、市内企業が開発した、イオンの作用で口臭を消すという歯ブラシ(300円から)などが並び、売り上げの1割を商工会議所が受け取るという。

 平日の午前9時~午後5時半、土・日曜と休日は午前10時~午後4時半に利用できる。


新潟
「幕末の三筆」偉業に光
住民有志が巻菱湖没後170年で法要

 ことしは、新潟市西蒲区巻地域の生まれで「幕末の三筆」に数えられる書家、巻菱湖(まきりょうこ)(1777~1843年)の没後170年。地元の有志らが菱湖の功績を後世に伝えようと取り組んでいる。4月末に法要を行ったほか、17~31日には展覧会を開く。「節目の年を機に地元の偉人を知ってほしい」との思いが込められている。

 菱湖は幼少の頃に新潟市中心部に移り、19歳で江戸へ出て、書と漢詩を学んだ。篆(てん)書や隷書など7書体のいずれも巧みで、弟子は1万人を数え、書道界に大きな影響を与えたとされる。

 巻地域には住民でつくる「巻菱湖会」があり、記念碑を立てたり、会報誌を発行したりして菱湖の偉業を伝えてきた。会員の高齢化などでここ数年、活動は下火になっていたが、顕彰活動を再び盛り上げようと、会員や有志計9人でつくる実行委員会が法要を企画した。

 27日に行われた法要では、西蒲区の萬福寺に住民ら約20人が集まり、僧侶の読経に合わせて合掌、菱湖に思いをはせた。巻地域で養育された漢詩人、館(たち)柳湾(りゅうわん)の法要も合わせて行ったほか、巻菱湖記念時代館(新潟市東区)の館主が菱湖の人柄などについて講演。館主は「弟子が1万人もいた菱湖は人格者だったのだろう」などと語った。

 一方、17日からの展覧会は西蒲区巻甲の交流館「囲炉裏」で開き、実行委のメンバーが所有する菱湖の作品を展示、販売する。そのほか、菱湖をPRするのぼりを作り、巻地域の中心商店街に掲げる計画もある。

 実行委代表は「若い人にも菱湖のすばらしさが伝わるよう、発信に力を入れたい」と意気込んでいる。

 「囲炉裏」は入館無料。22、29日休館。
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