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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 4月も半ばを折り返すというのに、この寒さ。クリーニングから上がってきたダウンジャケットを着込む羽目になりました(汗)。
 明日もまた寒いそうで……関東の一部では雪の予報。

北海道
五島軒130周年 フルコース試食会に200人
 函館市内の老舗フランス料理店、五島軒(若山直社長)は12日夜、創業130周年を記念して新たに創作したフランス料理を味わう試食会「五島軒21世紀のフルコース」を同市末広町の本店で開き、市民ら約200人が道産食材などを使ったコース料理を堪能した。
 五島軒は1879(明治12)年4月12日に創業。昨年から130周年の節目に合わせて開業時のロシア料理を再現した晩さん会や、カレーフェアーなど記念イベントを開催してきた。今回はフィナーレイベントとして地元住民らに新作メニューをお披露目した。
 この日は昨年夏に第12代本店総料理長に就任した佐々木政則さん(56)が道内産とフランス産の食材を融合した創作料理を披露。佐々木さんがスライドを使って食材や調理法などを解説し、「蝦夷鮑(えぞあわび)と北寄貝のポワレ」や、タラやイカ、帆立などが入った「ブイヤベース函館風」など計8品を提供した。 会場にはピアノの生演奏が流れ、参加者は円卓を囲みながら次々と運ばれるメニューを満喫した様子。各テーブルを回る佐々木さんに味付けや素材などを尋ねる姿もあり、「また機会があれば来たい」などの声も上がっていた。

 五島軒の初代料理長が箱館戦争経験者(リンク先は五島軒五稜郭タワー店)ということで、ご紹介。

福島
若松で懐かしい町並みの写真展
 明治や大正のころの会津若松市の懐かしい町並みや建物の写真を集めた企画展「ひと昔まえの会津若松」が、5月7日まで同市の東邦銀行会津支店ロビーで開かれている。
 会津歴史研究会が企画した。
 市内の昔の写真と、現代の同じ場所を同じアングルで撮った写真を比較しているのが特徴で、合わせて約50点を展示している。
 例えば、明治初期の鶴ケ城天守閣の写真には戊辰戦争の痛々しい弾痕が残る。
 昭和初期の阿弥陀寺の写真には大仏が写っている。



東京
ダイヤモンドダイニング、土佐十景シリーズ7弾『幕末個室居酒屋 龍馬の空』4月16日、新宿西口にオープン!
 2008年から2年がかりで7業態7店舗まで作り上げた 土佐十の味、十の風景を十の物語になぞらえ発信する“土佐十景シリーズ”を展開するダイヤモンドダイニング(港区新橋 代表取締役 松村厚久氏)は、4月16日新宿に『龍馬の空』をオープンする。
 今回は186席(133.66坪)の大箱な為、随所に工夫が施されている。今までは、店名を変えエリアに合った土佐をメインとする業態を作ってきたが、『龍馬の空』は幕末にフォーカスした大規模のものとなる。
ほぼ、個室となる贅沢な造り。階段を降り店内に入るとエントランスには未来を見据えるがごとく、太平洋を望む龍馬像に出迎えられる。店内は幕末の舞台となる6つのエリアからなり 例えば、新鮮組のエリアにはボックスシートに主要メンバー(近藤勇、土方歳三、沖田総司)の名前を使い、また近江屋に模した個室など、幕末オールスターや名場面がイメージコンセプトとして反映されている。
 郷土料理も今回は土佐だけでなく幕末ゆかりの土地の食材を使い、ネーミングは出来事にちなんでいる。例えば、「幕末蒸篭蒸し」(1人前:1,380円~、注文は2人前より)は新撰組にちなみ“新鮮魚介”、薩摩藩は“薩摩芋と黒豚”などのラインナップで、宴会の際も注文可能だ。刺身は龍馬が乗り込んだ「いろは丸」に盛り込んであったり(刺身3点盛り:1,380円)新しい政治の方針となる「船中五策」(刺身5点盛り:1,980円)など出てきたときにあっと言わせ、会話が弾むように演出が施されている。「今回は、カジュアルに仕上げて、皆さんが使いやすいようにしました。」と松村氏。
 幕末ファンだけでなく、ドラマをみた新しいファン層が放送とリンクしながら食事を楽しむことができる。部屋の造りで盛り上がり、料理を頼む時に盛り上がる。ある時間になるとスタッフ達の“よさこい節”が聞こえたり、参加型エンターテインメント性の強い居酒屋のスタイルはまさしく、次世代の居酒屋の在り方である「ネオ大衆酒場」を思わせる。
 実は、4月27日に、浜松町で個別店舗数累計93店舗となる鉄板料理やスモーク料理の店舗オープンも控えている。ダイヤモンドダイニング、土佐だけではない!
(近藤 倫代)


気分は幕末 西新宿に龍馬居酒屋オープン
 NHKの大河ドラマの影響などで「龍馬ブーム」が続く中、東京・西新宿に16日、幕末個室居酒屋「龍馬の空 新宿社中」がオープンした。エントランスには、未来を見据えるがごとく、太平洋を臨む等身大の龍馬像がそびえ立つ。
 店内は土佐や、北辰一刀流を学んだ江戸、海援隊を結成した長崎、終焉(しゅうえん)の地の京都など、龍馬の人生の主要な舞台となった6つの土地をテーマに激動の時代を表現。幕末の雰囲気を体感しながら、飲むお酒はどんな味?


歴ドル・美甘子がオススメする、今行くべき“龍馬ゆかりの公園”
 大河ドラマ「龍馬伝」(NHK)の放送を機に、空前の坂本龍馬ブームが到来している。そこで、龍馬を敬愛する歴ドル・美甘子(みかこ)さんがセレクトした、龍馬にゆかりのある“いま行くべき公園”ベスト3を紹介!

【ベスト3】北浜川児童遊園(東京都品川区)

東京で龍馬像が見られるのはココだけ! 高知の桂浜に立つ銅像と、同じたたずまいの坂本龍馬像が立つ公園だ。黒船来航の際、江戸湾警護の一員として若き日の龍馬が過ごした場所として伝わり、その縁で04年に高知市より寄贈された。「ここで龍馬さんは巨大な黒船を見て、新しい時代が訪れたことを肌で感じたそうです」(美甘子)

【ベスト2】中央区立十思(じっし)公園(東京都中央区)

龍馬に影響を与えた吉田松陰最期の地。園内には辞世の碑など、松陰ゆかりの石碑が3基ならぶ。ちなみに、松陰と龍馬が出会うことはなかったが、松陰の思想を受け継ぐ志士を介して影響を受けたとされている。「史実にはありませんが、龍馬伝のように下田で松陰先生と龍馬さんは出会っていたかもしれませんね」(美甘子)

【ベスト1】旧岩崎邸庭園(東京都台東区)

龍馬の盟友・岩崎弥太郎ゆかりの地。岩崎家の繁栄を伝える豪華な庭園と、迎賓館として用いられた西洋木造建築の洋館などが見られる岩崎本邸跡だ。弥太郎の意志を継いで、息子の久彌が建てた同邸の敷地内には、当時、20棟以上の建物があったそうだが、現存するのは洋館・和館・撞球室(ビリヤード場)のみ。スイスの山小屋を模した撞球室は注目だ。「海外交易で世界を飛び回ることを志した龍馬さんの夢を継いで、弥太郎さんは海運業で財を成しました。それを受け継いだ長男の久彌さんが建てたのがこの本邸洋館です。華美な建物から弥太郎の成功をうかがい知ることができますね」(美甘子)

龍馬ゆかりの地で幕末に思いをはせるお出掛けって、なんだかロマンチック! 歴ドル・美甘子さんオススメの公園で、のんびり過ごす休日はいかが? 【詳細は東京ウォーカー4月6日発売号に掲載】

美甘子プロフィール●1984年愛媛県生まれ。テレビや雑誌など多方面で活躍するほか、「戦国武将とお姫様の残酷物語」(光文社)、「歴女 私の愛する戦国武将」(ビジネス社)などの著書もある

■北浜川児童遊園
 東京都品川区東大井2-25-22
 TEL 0357426792
■中央区立十思公園
 東京都中央区日本橋小伝馬町5-2
 TEL 0335465435
■旧岩崎邸庭園
 台東区池之端1-3-45
 0338238340


神奈川
横浜都心部各所で「ヨコハマ大道芸」-日本の伝統奇術「和妻」も
 みなとみらい21地区を含む横浜市内各所で4月17日と18日、春恒例の「ヨコハマ大道芸2010」が開催される。
 期間中は、みなとみらい21地区、伊勢佐木町1・2・3丁目、 吉田町通りを舞台に、国内外で活躍するパフォーマーがジャグリングや中国雑技、ベリーダンスやサンバ、和太鼓演奏、ストリートジャズ、パントマイムなど多彩な技を目の前で披露する。
 NPOヨコハマ大道芸、伊勢佐木町1・2丁目地区商店街、振興組合 吉田町名店街会が協働で行い、イセザキモールに14組25人、みなとみらい21地区に31組244人、象の鼻パークに5組10人が参加する(各日)。
 出演者は、イセザキモール会場が、動パフォーマンスを行う「王輝」(ジャンピングロープ)や「張&張」(アクロバット)、「Mr アパッチ」(BMXアクロバット)など。静パフォーマンスがパントマイム劇場「シルヴプレ」、「山本光洋」、「チクリーノ」ほか。
 「アート&ジャズフェスティバル」を実施する吉田町会場では、ジャズ演奏とアートの展示・即売を行う。今年は新たな企画として個展を開く機会が与えられる「吉田町アートグランプリ」も開催する。
 みなとみらい21地区では、横浜ジャックモール、美術の広場、よこはまコスモワールド、ガーデンスクエア(ランドマークプラザ1階)、日本丸メモリアルパーク、象の鼻パークなどを会場に多彩なパフォーマンスを展開。
 ガーデンスクエアには、日本古来の口伝で受け継がれてきた伝統的な奇術「和妻(わづま)」が初登場し、中国雑技藝術団が高難度の「六丁いすのアクロバット」に挑戦する。美術の広場では、初登場の雪竹太郎が演目「人間美術館」を披露。クインズサークルは「SOLSORA」の空中芸、歌う似顔絵師・桜小路富士丸とギタリスト・服部こうじによるエンターテインメント。グランモール公園円形広場では、エンターテインメント集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」のメンバー矢部亮と若手ジャグラー「ボンバングー」のコンビによる最強ジャグリングテクニックなど。
 ヨコハマ大道芸実行委員会事務局長の新村輝昭さんは「昨年開港150周年を期に新たに整備された『象の鼻パーク』では、幕末から明治にかけて横浜の港から民間人として初めて海外に出た芸人さんたちの歴史を踏まえ、当時の芸と今、海外から日本に流入しているフレッシュな芸を対比させたスペシャルショーをご覧いただけます」と話す。
 開催時間は11時~17時(会場により異なる)。詳細は「ヨコハマ大道芸」公式WEBサイトより。
 4月24日・25日には「第36回 野毛大道芸」が開催される。


福井
カメラ探訪:ふくい春まつり 武将姫君ら500人 あっぱれな時代行列 /北陸
「ふくい春まつり」のメーンイベント「越前時代行列」が今月10日、福井市中心部で行われた。満開の桜の下、古代から幕末までの人々に扮(ふん)した総勢約500人の行列が市内を練り歩いた。約9万6000人の見物客と一緒にまつりを楽しんだ。
 出発前の「出陣式」では、柴田勝家役の俳優、阿藤快さんが「越前福井の歴史を、力を、誇りをこの行列に乗せて人々の胸に届けようぞ」と高らかに宣言。お市の方役の女優、大地真央さんや、新田義貞、結城秀康など福井ゆかりの歴史上の人物が、福井城跡をスタートした。
 お市の方を先導するのは、公募で選ばれた県内の3姉妹9人。お茶々、お初、お江として彩りを添えた。行列はさくら通りからフェニックス通り、駅前電車通りを経てJR福井駅西口広場に至る約1・8キロのコースをゆっくりと進んでいく。
 この日の福井市内の最高気温は24・6度と5月下旬並みで、沿道では腕まくりをしたり、半袖姿で行列を待つ人の姿も。いよいよ白馬にまたがった阿藤さんや、きらびやかな着物姿の大地さんが現れると、「こっち向いてー」「きれい」などとあちこちから声が聞こえ、2人は笑顔で手を振って応えていた。
 ゴール後、阿藤さんは「長き道のりご苦労だった。本日の行列、誠にあっぱれじゃ」とあいさつ。大地さんは「わずかな間でございましたが、3人の娘と幸せに過ごすことができた時間でした」と締めくくった。【橘建吾】



京都
京の自転車マップ 一新
おすすめコースも紹介

 NPO法人環境市民(京都市中京区)と「自転車ライフプロジェクト」(大津市)は、2005年に製作した「京都自転車マップ」(西日本出版社)の改訂版を発行した。ボランティアが実際に自転車で走って確認した情報を更新し、おすすめコースも紹介している。
 マップは向日市、長岡京市を含む「京都市内版」と、京都府と滋賀県湖西、湖南、大阪府北東部の茨木・高槻市などが範囲の「京都郊外版」の2種類。63・5センチ×80センチで、前作よりも紙を強化した。
 マップ上には走りやすい道や交通量、駐輪場やレンタサイクル店など自転車に必要な情報を示した。同封の冊子では壬生寺、蛤(はまぐり)御門などを巡り京都霊山護国神社に至る幕末史跡巡りや琵琶湖周辺の自然を楽しむルートなど、計28コースを解説している。
 市内版1000円、郊外版1100円。市内主要書店で販売。環境市民事務局TEL075(211)3521でも受け付けている(要送料)。


京中心部ホテルラッシュ
東宝公楽跡に「町家風」来秋開業

 京都市中心部の繁華街や京都駅周辺でホテルの進出が相次いでいる。三菱地所は三条通河原町東入ルの東宝公楽会館跡地(中京区)に来秋開業するホテルの概要を15日発表した。京都駅周辺でも昨年から来年にかけて開業ラッシュとなり、観光客やビジネス客の争奪戦が激化しそうだ。
 三菱地所が開設するのは、9階建ての「ロイヤルパークホテル ザ 京都」で175室。宿泊機能に特化し、外観は町家をイメージしたデザインにする。繁華街にあり、周囲に幕末関連の史跡も多いため「ビジネスと観光の両面で集客が期待できる」(広報部)という。
 京都駅周辺では八条口(南区)に10階建ての「ホテルビスタ京都」(215室)が昨年6月に開業した。専用タクシー乗り場などを備えた観光に便利なホテルで「新幹線から降りてすぐの立地で安全。女性の利用が増えている」(サン・ビスタ東日本)と手応えを示す。
 駅北側では、下京区の塩小路通沿いに9階建ての「ドーミーインプレミアム京都駅前」(202室)が5月1日に本格オープンする。プレオープンでは天然温泉の大浴場が人気で、交通アクセスの良さも打ち出して集客を図る。
 市中心部では、下京区寺町通四条下ルに快適さを重視した低価格のカプセルホテル「ナインアワーズ京都寺町店」が昨年末にオープンしたばかりで、ホテルの種類も多様化している。
 来秋には、近畿日本鉄道が京都駅上に建設中のホテル(約370室)も開業する予定で、ホテル部屋数は一気に増える。既存ホテルも交えて利用客の選択肢が増える中、価格設定や便利な立地を生かした特徴あるサービスが顧客獲得の鍵となりそうだ。


山口
高杉晋作:144回忌、しめやかに東行忌 晋作の功績たたえる /山口
◇遺品の所有権争いも
 幕末の志士、高杉晋作(1839~67年)の144回忌に当たる14日、晋作の墓がある下関市吉田の東行庵で恒例の「東行忌」が営まれた。今年は幕末ブームに沸く一方、庵が晋作の子孫や萩市と遺品の所有権を争う複雑な状況での法要だったが、地元住民など約300人が参列。維新の英雄の変わらぬ功績をたたえた。
 晋作は長州藩内の非改革派を打倒するため1865年に挙兵。薩長同盟、倒幕への大きな流れを作ったが67年4月、同市新地町で病没した。
 東行忌では、地元の吉田緑保育園の園児による「散華の舞」や尺八演奏、吟詠などを奉納。晴天に恵まれ、つつがなく執り行われた。晋作の子孫と萩市を相手に訴訟で遺品の所有権を争う松野實應兼務住職は「今は遺品が早く戻るよう、ただそれだけ。確実に帰ってくると思う」と話していた。
 庵の隣の市立東行記念館は当初、14日オープンを予定していたが、所有権争いなどのため5月以降にずれ込む見込み。
 また、新地町の「終えんの地」でも東行忌碑前祭が行われた。剣舞チーム「ソードダンサー」の演舞や劇団はぐるま座の劇などが披露された。【取違剛】
〔下関版〕



高知
龍馬の言葉 紫舟さん書展 高知
「ぶんと屁のなるほどやってみよ」

 NHK大河ドラマ「龍馬伝」の題字を手がけた書家、紫舟(ししゅう)さんの県内初の個展「龍馬のことば展」が、高知市九反田の市文化プラザかるぽーとで開かれている。幕末の志士・坂本龍馬の手紙から抜粋した言葉のほか、立体オブジェや映像を駆使して表現した書き下ろし作品など計36点が展示され、訪れた人たちの目を楽しませている。5月1日まで。
 市と土佐・龍馬であい博推進協議会が主催。会場には、長さ約2メートルの土佐和紙に「日本を今一度せんたくいたし申候」と大書した作品のほか、大河ドラマの題字の原本や、武田鉄矢さん原作の漫画「お~い!竜馬」から引用した言葉の作品などを展示。
 龍馬自身の人生観がつづられた姉乙女あての手紙から引用した「ぶんと屁(へ)のなるほどやってみよ」の書と、黒い鉄の棒で文字をかたどったオブジェを組み合わせた作品では、オブジェに光を当てて文字の影を壁に投影させており、同市介良の主婦山岡京子さん(68)は「すごいの一言。型にはまらない表現方法は龍馬を連想させ、どの作品からも龍馬の思いや人柄が感じ取れる」と感激していた。
 午前9時~午後7時(5月1日は午後4時まで)。入場無料。4月25日午後1時、同3時の2回、帯屋町筋商店街アーケードで、紫舟さんによる講習会「龍馬の言葉を書こう」がある。参加費500円、各回先着50人。申し込み、問い合わせは市観光振興課(088・823・9457)。



長崎
老朽化進む聖福寺で創作劇
◇来月2日、踊りや大道芸も

 坂本龍馬ゆかりの聖福寺(長崎市玉園町)で5月2日、長崎弁で創作劇を演ずる「劇団しっぽくパラダイス」(同市)が旗揚げ10周年記念公演を開く。「聖福寺五月晴れ」と題し、境内の庭で劇のほか、約10団体が踊りや大道芸を披露するが、歴史の舞台になった寺の「いま」に焦点を当てる狙いもある。(藤田愛)
 聖福寺は1677年から続く禅寺。幕末の1867年、坂本龍馬が率いる海援隊の「いろは丸」と紀州藩の「明光丸」が瀬戸内海で衝突した際、事故の談判の場になったことでも知られる。
 本堂や門は県指定有形文化財だが、300年の時を経て老朽化が進んでいる。檀家(だんか)が約40軒と少ないため、修復費用のめどが立っていない。「今回の公演は、そうした現状に目を向けてもらうことも目的」と劇団事務局の松原一成さんは話す。
 劇の演目は聖福寺にちなんだ「異聞じゃがたらお春」、「龍馬と弥太郎」など。日本舞踊やフラメンコ、獅子舞、猿回し、チンドン屋などの団体も入れ替わり出演する。駄菓子やあめ細工の出店もある。
 松原さんは「聖福寺は、庭から街のビルが見えない異空間。多種多様な芸能と大道芸を楽しみに来て」と話している。午後1~4時、木戸銭2500円。前売りは2千円で浜屋プレイガイドで発売中。問い合わせは松原さん(090・4993・3594)へ。


【動画】亀山焼の卓袱皿を公開 史跡料亭「花月」、一式現存は貴重
 長崎市丸山町の史跡料亭花月は15日、江戸後期以降に同料亭で使用していたとみられる貴重な亀山焼の卓袱(しっぽく)皿一式を報道関係者に公開した。
 公開したのは、長崎伝統の卓袱料理に使用する食器一式。大中小の皿▽飯わん▽丼▽酒盃(しゅはい)▽燗瓶(かんびん)▽トンスイ(さじ)-など計約30点が完全な形でそろっている。
 いずれもシンプルな唐傘紋様が絵付けされ、皿などには当時花月を経営していた山口家の紋「一ツ巴(ひとつともえ)」が描かれている。箱書きには「文政11(1828)年3月購入」とある。
 「崎陽の名陶」と呼ばれ、幕末に廃絶した亀山焼の卓袱皿が一式現存しているのは大変珍しいという。現在、長崎市内の個人が所蔵し同市歴史民俗資料館(平野町)に寄託中。花月はことしに入り一式の現存を把握した。
 花月史編纂(さん)プロジェクトリーダーの加藤貴行さんは「一式の内容は現在の卓袱皿とほぼ同じ。江戸後期には現代に近い形で卓袱料理が供されていたと裏付けられた。花月に来遊した坂本龍馬もこの食器で料理を楽しんだかもしれない」と話した。
 長崎市は「長崎まちなか龍馬館(浜町)で一般公開できないか検討する」としている。


6月に「ながさき龍馬フェスタ」 リレーさるく、なりきりコンも
 幕末の志士、坂本龍馬と本県とのかかわりや、長崎の歴史と文化を発信する「ながさき龍馬フェスタ2010」(同実行委主催)が6月19、20の両日、長崎市内で開かれる。実行委が14日、発表した。
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」が7月11日放送分から長崎が舞台になるのを前に、龍馬ブームをさらに盛り上げようと企画。
 19日は「“長崎龍馬の道”リレーさるく」。長崎市新大工町の長崎街道を出発し、大浦居留地までをリレー方式で5人のさるくガイドが案内。途中、史跡などをめぐり2~3時間かけて歩く。定員150人で、参加無料。来月1日から長崎さるくのホームページで受け付ける。
 20日は長崎市公会堂で「龍馬の歌音楽祭」と「龍馬と幕末ヒーローなりきりコンテスト」の本選。音楽祭では龍馬を思い描かせる6分以内のオリジナル歌謡曲(ジャンル・人数は問わない)を募集。コンテストは、龍馬や幕末に活躍した人たちになりきって、全国に向けて長崎のPRができる人物を発掘するのが目的。いずれも募集中で、来月25日締め切り。書類選考などで本選出場者を決める。
 応募は〒850-8799、郵便事業株式会社長崎支店私書箱78号、ながさき龍馬フェスタ2010実行委員会まで。応募要綱など問い合わせは同実行委(電095・862・1264)。


ブックレビュー
徳川宗英『徳川家が見た幕末維新』
 著者は田安徳川家十一代当主。
 田安家は一橋家、清水家とともに御三卿の一つで、将軍家存続のために八代将軍吉宗が創設したものだけに、屋敷も江戸城内に置かれていたし、将軍家にごく近い親族として遇されてきていて、将軍に世子がない場合は後継に推されやすかった。
 とにかくエピソードが豊富でおもしろい。それも知られざる逸話が多くて、文章が平易で読みやすいから下手な小説を読むより楽しく、講談本を読んでいるような趣だ。
 説得力があるのはやはり徳川家自身の伝承という信頼感だろうか。幕末以降の歴史は明治新政府がつくったものが一般に広まったものだろうけれども、ここで徳川家からの視点は一層新鮮に感じられるからおもしろい。
 それと驚かされるのは、複雑に絡み合った係累の広がりだ。
 著者自身にしても、祖父の妻は島津斉彬の孫娘だし、曾祖母は岩倉具視の娘で、「わたしのからだのなかには徳川の血だけではなく、勤王も、佐幕も、開国派も、攘夷派も、すべての血が混じり合っている」という具合で、だから、「幕末維新を現象だけでとらえると、なにがなんだかわからなくなってしまう。敵と味方が入り乱れ、主張がくるくると変わった。その混沌を、わたしの遺伝子に組み込まれたさまざまな立場から整理し、正史にはない側面や視点から論じてみた」と述べている。
 さて、まずは最後の将軍十五代徳川慶喜から。毀誉褒貶相半ばする人物だが、先の先まで読める人が将軍だったからこそ日本は幕末の激動期を乗り越えることができたとし、「維新の最大功労者」と評価している。つまり、大政奉還や王政復古によって内乱を防ぎ、列国の侵略から日本を護ったということだろう。
 また、攘夷を迫る長州についても、当時の長州は一方で井上馨、伊藤博文らをイギリスに密航させ、西洋の知識を密かに学ばせていて、「新しい開国の時代がすぐにやって来ることを確信して、下級武士に西洋文明を学ばせようとしたのだろう。攘夷はマニフェスト(宣言)であってコントラクト(公約)ではないから、状況が変われば方向転換の舵をすぐに切らなければならない。そういう複眼的なものの見方ができたからこそ、維新のリーダーになれたのだ思う」と述べている。
(文春新書)

 この本、面白そうです。


経済
「龍馬銀貨」人気、応募最多の59万通
 造幣局は15日、幕末の志士・坂本龍馬の肖像をデザインした記念銀貨(9万セット)に過去最多の59万1002通の応募があった、と発表した。近く抽選を行い、当選者には5月中旬から払込用紙を発送、入金を確認後、5月下旬から順次記念硬貨が発送される。
 地方自治法施行60周年記念硬貨はこれまでに7道府県分が発行。応募枚数では、2008年度の源氏物語絵巻をデザインした京都府の記念硬貨の55万7702通が最多だったが、これを3万3300通上回った。
 造幣局は「龍馬人気が大きい」と分析し、高知県分権広域行政課も「景気が悪い中での過去最多は、さすが龍馬さんですね」としている。


コラム
【平成志事術】マーケティングコンサルタント・西川りゅうじん
■花好きの「文化的種子」

 「日本人の国民性の著しい特色は、庶民でも生来の花好きであることだ。気晴らしに、始終、好きな植物を少し育てて、無上の喜びにしている。花を愛する国民性が、人間の文化的レベルの高さを証明するものであるとすれば、日本の庶民はわが国の同じ階層の人たちに比べると、ずっとまさってみえる」
 面はゆいばかりのこの言葉は、幕末の1860年と61年の2度にわたって日本を訪れた、英国の園芸学者、ロバート・フォーチュンが著した『江戸と北京』の一節である。日本人が読んで喜ぶことを想定して書かれたのではなく、客観的視点から述べたものだ。
 彼は透徹した目を持った学者かつ植物ハンターであり、商人であった。
 ロンドンの園芸協会に勤務後、英国東インド会社によって、植物を収集するために、アジアに派遣された。そして、欧米人として初めて、紅茶と緑茶が同じ種類の木から採れることを発見し、茶の木を清国から英国植民地のインドにもたらした。これによって、欧州市場における中国茶の独占を終焉(しゅうえん)させ、後のダージリンティーやセイロンティーの隆盛の礎を築いた。
 緑茶の葉を、中国から高温多湿の赤道直下を経て欧州まで船で運ぶ間に、うっかり発酵させてしまい、飲んでみるとおいしかったため、偶然にできたのが紅茶の始まりだという説があるが、まったくの作り話だ。
 茶の酸化酵素は熱すると活性を無くすので、摘んですぐ加熱して作る緑茶が船底で紅茶になることなど有り得ない。
 17~18世紀ごろには、欧州でも中国産の緑茶やウーロン茶(青茶)が飲まれていた。その後、18世紀末に、中国でウーロン茶を進化させて生まれた紅茶が、欧米人の食生活や気候風土に合っていたため広がったといわれる。
 彼は大英帝国の手先として、拡大する紅茶市場の利権を獲得しようと東奔西走する最中、日本を訪れたのだ。
 著書では、「サボテンやアロエなど南米産の植物に注目した。それらはまだ中国では知られていないのに、日本には来ていたのである。これは日本人の進取の気性の現れである」「純粋な英国原産のイチゴが売られているのを見て驚いた」と、日本が島国で、しかも長く鎖国を続けていたことからすれば信じがたい事実をも報告している。
 たしかに日本人は昔から花と緑が好きだった。各藩による見事な庭園が全国各地に造営されていたし、江戸中期からは下級武士や町人の間でも盆栽や観葉植物などの栽培が流行した。それに、例えば江戸でも、幕府が桜の木を植えた上野の寛永寺や王子の飛鳥山、隅田川堤、品川御殿山などで身分に関係なく老若男女が花見を楽しんでいたし、ソメイヨシノを生んだ染井村(現・東京都豊島区駒込)は世界最大の園芸センターだった。
 当時、世界中を知っていたフォーチュンが驚きと敬意をもって伝えた、幕末の日本人の民度の高さや進取の気性という種子が明治維新という苗代で花開いたのに違いない。今こそ花と緑を愛する日本人の「文化的種子」を蒔(ま)き直すべきだ。(にしかわ りゅうじん)

 当時イチゴがあったんですね。驚き。

文化芸能
真木よう子、寺田屋の入浴も「頑張る!」NHK大河「龍馬伝」“お龍”初お披露目
[eiga.com 映画ニュース] 今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」でヒロイン・お龍を演じる真木よう子が、初めて役衣裳姿を披露した。
 4月15日、坂本龍馬役の主演・福山雅治とともにNHKで会見し、お龍のイメージカラーに合わせ紫と黒を基調にした着物姿で登場した。この日が撮影3日目で、「まだちょっと緊張しているけれど、楽しく演じさせてもらっています」とニッコリ。今後に向け「100%力を出し尽くして頑張っていきたい」と意気込んだ。
 お龍は、坂本龍馬の妻として日本中を駆けめぐる龍馬を陰で支えた幕末を代表する女性。父を早くに失った家庭の長女として育ち、気が強く心優しい性格だったとされる。龍馬とは日本人で初めて新婚旅行をした夫婦としても有名。
 龍馬を危機一髪で救ったことで広く知られる寺田屋の事件では、お龍は入浴中で裸のままだったとされる。寺田屋事件の再現に、真木は「有名な話なので是非頑張りたい」とヌードも辞さず真っ向から挑む構え。鈴木圭チーフプロデューサーは、具体的な演出は明かさなかったものの「ショッキングな寺田屋を見せられると思う」と自信をのぞかせた。
 福山は、真木とは実質初共演。真木演じるお龍を「誰もが思い描くお龍のイメージを具現化してくれている」と大絶賛。自身が独身ということもあり、「芝居の上とはいえ結婚できるのはうれしい。新婚旅行もできるし」とニンマリ。既に広末涼子、貫地谷しほりと共演し、今後は蒼井優も出演予定と美女に囲まれての撮影が続くが、好みは「もちろん全員です!」と即答し笑わせた。
 「龍馬伝」は、放送が第2部に突入し撮影も順調に進行中。福山は「第2部は悲しい別れが多いけれど、別れを経て龍馬が本当の意味で自立していく。その中でお龍との出会いは大事な要素」とアピールしていた。NHK総合テレビ毎週日曜夜8時ほかで放送中。真木は、5月30日放送予定の第22回「お龍と以蔵」で初登場する。(eiga.com×文化通信)



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 夜更かしが続いてちょっと眠いので、これ書いたらちょい昼寝します^_^;。

山形
清河八郎と坂本竜馬テーマに企画展 庄内町
 幕末の志士・清河八郎と坂本竜馬をテーマにした企画展が清河八郎記念館で開かれている。
 同時代を駆け抜けた2人の年表や写真などを紹介。江戸の道場「玄武館」に在籍していた人の名前を八郎が書き出したとされる「出席大概(たいがい)」には竜馬の名前が記されており、2人が同館で剣の技術を磨いていたことが推測される。
 八郎が江戸から清川に戻る間に訪れた道場やけいこ相手を書いた「撃剣英名録」も展示している。11月30日まで。


栃木
滝尾神社で盛大に例大祭 日光
 日光市今市の滝尾神社で十四日、例大祭が二日間の日程で始まった。幕末から明治にかけて活躍した政治家・山岡鉄舟の書による大のぼりがはためく中、約二百五十人の行列が鳥居前を出発。市内九キロを練り歩いた。 (宮本斎)


静岡
黒船来航の地で、歴史情緒あふれるイベント満載の3日間
第71回黒船祭

 幕末の雰囲気溢れる「開国市」やパレードなど、当時を彷彿とさせるイベントを開催。1934(昭和9)年から続く「黒船祭」。1854(嘉永7)年、ペリー提督率いる米国艦隊が下田に入港し、鎖国政策に終止符が打たれた。その功績を後世に伝え、国際親善に貢献するために始まった、下田を代表する行事だ。
 当日は記念式典や墓前祭が厳かに行われる一方で、幕末の時代衣装に身を包んだ人々が登場する「開国市」や華やかな「賑わいパレード」など、活気あふれるイベントが満載。条約調印の舞台となった了仙寺では再現劇「日米下田条約調印」も行われる。

※地図は伊豆急行伊豆急下田駅を表示

京都
三菱地所グループ、“THE”シリーズの「ロイヤルパークホテル ザ 京都」を2011年秋に開業
~ロイヤルパークホテルズ:新機軸ブランド“THE”シリーズ第2弾で京都進出~
「ロイヤルパークホテル ザ 京都」出店のお知らせ

 三菱地所グループのホテル統括会社である株式会社ロイヤルパークホテルズアンドリゾーツ(所在地:東京都千代田区大手町1-6-1 取締役社長 宮内 豊久)は、京都市中京区に「ロイヤルパークホテル ザ 京都」を2011年秋に開業いたします。
 (株)ロイヤルパークホテルズアンドリゾーツでは、従来の総合型シティホテルに加え、新機軸ブランドとして宿泊主体型のコンパクトシティホテル「ロイヤルパークホテル ザ(+都市名)」シリーズの展開を進めておりますが、本物件は「ロイヤルパークホテル ザ 福岡」[2011年夏開業、福岡市博多区(JR 博多駅徒歩5分)]に続くシリーズ第二弾となります。
 「ロイヤルパークホテル ザ 京都」は、東宝株式会社が旧東宝公楽会館(映画館)の建替え事業として再開発するホテル建物を(株)ロイヤルパークホテルズアンドリゾーツが賃借し出店するものです。
 計画地は京都市営地下鉄・東西線「京都市役所前」駅や京阪本線「三条」駅から至近の距離にあるばかりでなく、京都の中でも有数の賑わいスポットである三条通に面し、木屋町・先斗町などの繁華街にも近く、食事やショッピングにも便利な立地です。また、周辺には新撰組池田屋騒動跡地や坂本龍馬ゆかりの酢屋(海援隊屯所跡)をはじめとした幕末史跡スポットも数多く点在しています。
 計画ホテルの意匠的な特徴としては、京都の伝統色を用いた石貼の外観をはじめとして、町屋露地風のエントランス廻り、庇をモチーフにしたファサードなど、各所に京都らしさをちりばめたデザインを採用しています。
 また施設構成としては、バスルームを充実させた25m2のツインルームを中心とした175室を計画しており、物販・飲食店舗やエステサロン等もテナントとして入居の予定です。
 ロイヤルパークホテルズでは、国内6カ所の既存ホテルに加え、東京都内並びに主要な政令指定都市等において今回の新機軸“コンパクトシティホテル”を中心とした新規ホテル出店を進め、チェーン拡大とブランド力の向上を図って参ります。

                記

■「ロイヤルパークホテル ザ 京都」計画概要
 ・所   在  :京都府京都市中京区中島町74番地他(三条通河原町東入ル)
 ・敷地面積  :約1,210m2(約366坪)
 ・延床面積  :約7,499m2(約2,268坪)
 ・構造・規模  :鉄筋コンクリート造、地上9階/地下1階、高さ30.7m
 ・施設構成  :客室(175室)、飲食施設、店舗等
 ・土地所有者 :東宝株式会社及び株式会社公楽会館(東宝(株)100%出資)
 ・建物所有者 :東宝株式会社
 ・設計者    :株式会社竹中工務店一級建築士事務所
 ・施工者    :株式会社竹中工務店
 ・ホテル経営 :株式会社ロイヤルパークホテルズアンドリゾーツ(三菱地所(株)100%出資)
 ・スケジュール:2010年4月 ホテル建物新築工事 着工
           2011年8月 ホテル建物新築工事 竣工
           2011年 秋 ホテル開業


※「ロイヤルパークホテル ザ 京都」完成予想図、参考資料などは添付の関連資料を参照



奈良
遣唐使たち<3>「大スター」真備伝説の絵巻
 唐の時代の長安(現・西安)で、遣唐使たち外国使節を応接したのは、鴻臚(こうろ)寺という役所だった。717年、阿倍仲麻呂らとともに唐に渡った吉備真備(きびのまきび)はここで学んだとされる。
 真備の中国での暮らしぶりを伝える記録はほとんどない。在唐17年で儒学、暦学、天文学、音楽などあらゆる知識を会得したとされるだけに、ひたすら勉学に励んだのだろう。よすがを求め、鴻臚寺があった長安城の南西隅を訪ねたが、商業ビルやマンションが立ち並ぶだけだ。
 市街地に足を向けると、イスラム教徒の回族が開く市に行き当たった。ザクロや菓子、シシカバブなどが並び、世界各地から観光に訪れた様々な人種の人たちでにぎわっていた。
 国際都市ならではの喧騒(けんそう)は、数十もの国や地域から人が集まったとされる唐代の長安も同じだ。1キロ四方という巨大な官営市が東西に二つあり、食料や服、薬はもちろん、牛やラクダ、西域の珍酒まで様々な品が売られた。
 真備らの遣唐使が到着した直後、市での買い物の許可を皇帝に申請した記録が残る。真備も市のエキゾチックなにぎわいを楽しんだのだろう。
 帰国後、真備は幾度か左遷の憂き目をみながらも、激しい政争をくぐり抜け、最後は正二位右大臣まで上り詰めた。
 その存在は死後、文字通りの「伝説」となる。
 平安時代に盛んに描かれた絵巻物の傑作に「吉備大臣入唐(にっとう)絵巻」がある。長安で客死して「鬼」になった設定の阿倍仲麻呂とともに、真備が空を飛び、難解な文章の暗唱や囲碁の勝負など、唐の皇帝から突きつけられる難題を次々と解いていく。
 荒唐無稽(むけい)な内容だが、人々は、実在した遣唐使の〈大スター〉が、中国を相手に超人的な活躍を演じたことに、痛快さを感じたのだと考えられる。
 絵巻は数奇な運命をたどる。当初は後白河法皇のコレクションだったらしいが、若狭(福井県)の寺に移る。江戸時代には京都の商家が所有していたとの説があり、幕末になって小浜藩(同)が購入した。相続問題で売りに出され、1932年、米国に渡り、今はボストン美術館が所蔵。日本に残っていたら国宝指定は間違いない。この反省から法律が整備され、現在の文化財保護法に受け継がれた。
 長安城の城壁外側の公園内に、「吉備真備紀念園」がある。1986年に、出身地の岡山県関係者が土地の提供を受けて、記念碑を建立した。散歩中の王振業さん(85)に、真備を知っているかと聞くと「もちろん。優秀な留学生だったらしいね」と返事が戻ってきた。
 外交辞令だろうか、と思いつつ、伝説の真備の足跡に触れた気になった。


大遣唐使展から

 吉備大臣入唐絵巻 本来は1巻だったが、保存上、4巻に分けられている。痛快なストーリーだけでなく、鮮やかな色彩と、生き生きとした人物描写が魅力だ。唐の皇帝の出す難問を次々と遣唐使が解決する内容は、平安時代の外交意識の表れとする見方もある。


広島
酒蔵でレトロに映画いかが
 庄原市東城町で17日、地元の若者たちが酒造場の蔵を会場に映画上映会「てくてく座」を開く。25年前まで町内にあった映画館「偕楽座」のことを知り、その雰囲気を今によみがえらせようと企画した。偕楽座(かいらくざ)の経営に携わった入江篤子さん(80)も、亡き夫とともに歩んだ当時の記憶をたどり、上映会を楽しみにしている。
 春まつりの行事の一つで、同町の美容師藤原幸保(さほ)さん(23)たち21~24歳の9人が、同町の北村醸造場の蔵を会場に、計画を進めている。
 偕楽座は町中心部に明治時代末、劇場として開業。篤子さんは、2代目である夫の文人さんとともに35年間、切り盛りしてきた。テレビの普及で客足が遠のき1985年に約80年の歴史を閉じた。文人さんは2年後、病気で亡くなった。
 会場に借りた蔵は築80年で、当時の偕楽座と同じくらい。約55平方メートルに約40人が入ることができる。広島市内の映画会社から映写機とフィルムを借り、2月に亡くなった藤田まことさん主演の喜劇「幕末てなもんや大騒動」を映す。残っていた映画ポスター10枚もはり、当時のムードを出す。
 午後1時と4時から2回上映。会費800円、ペア1500円。市東城支所地域振興室=電話08477(2)5003。



山口
東行忌で晋作しのぶ 下関
 幕末の志士、高杉晋作(1839~67年)の命日に当たる14日、墓のある下関市吉田の東行庵(とうぎょうあん)で144回忌の墓前祭「東行忌」があった。約300人が参列し、晋作をしのんだ。
 近くの吉田緑保育園の園児6人が稚児姿で墓前を清める「散華の舞」を披露。松野実応住職(78)たち僧侶8人が読経した後、参列者が焼香した。
 東行庵は、萩市の萩博物館が保管する晋作の遺品69点の所有権を主張。萩市と晋作のひ孫の高杉勝さん(77)=東京都三鷹市=に、遺品の返還を求める訴訟を3月に山口地裁下関支部に起こした。
 このため、下関市がこの日予定していた遺品などを展示する市立東行記念館のオープンは延期となった。
 参列に訪れた市内の主婦中川カツエさん(72)は「晋作は争いを好んでない。互いに歩み寄って円満に解決してほしい」と願っていた。

【写真説明】高杉晋作の命日に墓前であった東行忌


竜馬への書簡を初展示 木戸孝允が倒幕促す
 幕末の動乱期に木戸孝允から坂本竜馬へ送られた書簡の複製が、萩博物館(山口県萩市)で17日から初公開される。吉田松陰や高杉晋作など長州の志士ゆかりの品も多数展示され、歴史ファンの注目を集めそうだ。
 書簡は幕府の大政奉還を約1カ月後に控えた慶応3(1867)年9月4日付。倒幕を芝居に見立て「此狂言喰ひ違ひ候而は世上之大笑らひと相成候」(この狂言が食い違ってしまったら、世の中の笑いものになるだろう)などと書かれ、土佐の板垣退助と薩摩の西郷隆盛が協力することの重要性を説いている。
 明治29(1896)年に複製されたものだが原本の所在は分かっておらず、「幕末期の情勢を示す貴重な資料」(萩博物館)だという。
 同博物館は「平和的な大政奉還か武力倒幕か、どっちつかずの姿勢だったこの時期の竜馬に決起を促したもの。倒幕を芝居に見立てるなど、長州の余裕さえ感じられる」としている。


熊本
県立美術館本館「細川一門展」
 肥後細川家から分家した宇土や高瀬、それに栃木県の茂木(もてぎ)の3つの細川家に伝わった歴史資料を紹介する「細川一門展」が県立美術館本館で開かれています。会場には宇土に陣屋を置いた宇土細川家、幕末に現在の玉名市の高瀬へ下向した高瀬細川家、それに肥後初代・細川 忠興の弟、興元が初代となった茂木細川家の3つの支藩に残された家宝や資料57点が展示されています。宇土細川家のものでは鎌倉時代、新古今和歌集の撰者、藤原定家が父・俊成に宛てて和歌の意見を求めた直筆の書状が見られます。高瀬細川家では室町時代に作られた源氏物語の場面を描いた屏風や茶入れの名品、また茂木細川家のものでは初代・興元が所用したと伝わる「九曜紋」が入った胴具足や蒔絵文箱があります。この展示会は期間中に展示替えがあり、前期は5月16日まで、後期は5月18日から7月4日までです。


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(58)東大教授・山内昌之 岡田以蔵
■暗殺と政治の間

 フランス革命でマラーを殺害したシャルロット・コルデー、ロシア皇帝アレクサンドル2世を暗殺したポーランド人イグナツィ・フリニェヴィエツキなど、革命の歴史とテロリズムの活動は不可分である。幕末にも要人を暗殺した「人斬り」は多い。
 肥後の河上彦斎(げんさい)、薩摩の田中新兵衛はそれぞれ、佐久間象山や姉小路公知(あねがこうじきんとも)を暗殺した一件で知られる。

 ≪暗殺繰り返す日々≫

 革命期には、政治目的を実現する手段として限定されたテロと、やみくもに政敵とおぼしき人物を暗殺する行為との間に確たる違いを見いだすことはむずかしい。前者はやむにやまれず歴史を動かすために仕掛ける行動であり、後者はときに自分も理由を分からぬままに人の教唆で殺害する陰鬱(いんうつ)な仕業である。
 前者の例が薩摩の中村半次郎だとすれば、後者の典型は土佐の岡田以蔵ではなかろうか。陽性の南国人気質を十分にもつ以蔵が世界史でも屈指のテロリストに変貌(へんぼう)する様は、維新史を見ていてもやりきれない思いがする。
 足軽身分の以蔵を引き立てたのは、武市(たけち)半平太(瑞山)にほかならない。武市は万延元(1860)年に以蔵を連れて中国と九州を回るが、やがて武市の結成した土佐勤王党に加盟した。私は直接に確認していないが、その後連判から以蔵の名が削られたという指摘もある。
 だとすれば、以蔵がしばしば武市の指示で暗殺を繰り返した点を考えると、勤王党の連帯責任を避けるための方便だったのかもしれない。以蔵は武市を尊敬していたにせよ、武市のほうは無教養のテロリスト以蔵に利用価値を見いだしていたのだろう。
 NHK大河ドラマ『龍馬伝』では、以蔵に扮する佐藤健君のすがるような眼差(まなざ)しが印象的である。実際の以蔵の心中でも、恩師への信頼と懐疑がいつも交差していたことだろう。

≪地獄から救われる機会≫

 政治には多少の犠牲者が出ることは避けられない。それにしても、武市の暗いニヒリズムは以蔵をますます狷介(けんかい)な性格に育てたのではなかろうか。以蔵に殺人の無間地獄から救われる機会があったとすれば、坂本龍馬の紹介で勝海舟の家に住みこみ、京都でも身辺警固に当たった時期であろう。
 小説だが、子母沢寛の『勝海舟』は以蔵が海舟の薫陶で少しずつ明るさを取り戻し、平穏な人生や学問修業にも目覚めるあたりを温かい筆致で描いている。
 しかし、以蔵は武市と土佐のしがらみから逃れられず京都で捕縛され、政変の起きた土佐へ送られた。これを知った武市は、ある手紙に「あのような安方(あほう)」は早々と死ねばよいと書いたように、自分が指図した暗殺の真相が露顕することを恐れた。
 武市は、以蔵の自供で勤王党による暗殺テロの真相が漏れるのを恐れ、自分に信服した牢(ろう)役人を使って以蔵に毒飼いをさせたという説も根強い。毒を盛られた以蔵は師の冷酷さに憤って万事を自白し、武市をも死出の道連れにしたという暗い説もあながち否定できない。
 武市は吉田東洋暗殺で火ぶたを切った土佐テロリズムの元凶であるから、その政治責任は免れなかった。巨大な変革期にはどの国でも、政治とテロ、陰謀と暗殺、交渉と衝突などは入り組んで進行する。それでも、以蔵のように暗殺テロの専門家としてだけ、政治運動に関与した例は少ない。

≪偶然に翻弄された人生≫

 薩摩の中村半次郎などは確かに政敵を暗殺した事実も一回ほど確認されるが、全体としては各藩にも知られた談判や周旋の士としても成長していった。2人の差は、西郷吉之助(隆盛)と武市半平太の個性の違いでもあろうか。
 以蔵にも幕府の神戸海軍修練所や長崎の海援隊で勝海舟や龍馬の下で飛躍する可能性もあったのだ。人の出会いや歴史の偶然が人を不幸にする酷(むご)さを思わざるをえない。(やまうち まさゆき)
                   ◇
【プロフィル】岡田以蔵

 おかだ・いぞう 天保9(1838)年、土佐(高知県)の郷士の家に生まれる。江戸の桃井春蔵に剣術を学ぶ。武市半平太に従って九州などを回遊し、のち土佐勤王党に加わる。京都で薩摩の田中新兵衛らとともに天誅(てんちゅう)行動の急先鋒(せんぽう)となり、多くの暗殺事件に関与、「人斬り以蔵」と呼ばれた。藩吏に捕らえられて土佐に送られ、慶応元(1865)年、処刑された。享年28。


文化芸能
“福山龍馬”義理の妹・光枝役に『ピチレモン』専属モデルの前田希美
 ファッション誌『ピチレモン』(学研)の専属モデルを務める前田希美(16)が、NHK大河ドラマ『龍馬伝』で真木よう子演じるお龍の妹・光枝役を演じることが14日、わかった。初の時代劇出演で、のちに“福山龍馬”の義理の妹となる役どころをつかんだ前田は「不安もありますが、ご指導くださる先生方、演出やスタッフのみなさん、素敵な出演者のみなさんに助けていただきながら、幕末に生きた「光枝」という女性を、精いっぱい演じたいと思います」と意気込んでいる。
 福山雅治演じる龍馬の姪っ子役をAKB48の前田敦子が演じる一方、義理の妹は“もう1人の前田”が務める。初時代劇に挑む前田は「耳慣れない京ことば…」と不安の色は隠せないようだが「今は嬉しさと緊張とで、ドキドキしています」。初収録に向けて「台本をいただいたり、衣裳を合わせていただいたりするうちに、日曜の夜に祖母と観ている、あの『龍馬伝』に自分が出る? …なんだか不思議な気持ち」と心境を語っている。
 前田の初登場シーンは第24回『愛の蛍』(6月13日放送)。お龍の家を訪れた龍馬が月琴を弾きく場面でお披露目される。
 前田は、2006年より『ピチレモン』の専属モデルに就任。2007年には『おはスタ』(テレビ東京系)のおはガールを務めるなど、ティーンの少女たちを中心に支持を集めている。





 平日なのに記事数が多いので投稿を分けました。

福井
県有形文化財:福井城ゆかりの屏風など6件登録 /福井
 県教委は、「紙本金地著色群鶴図六曲屏風(びょうぶ)」1双(県立美術館所蔵)など6件を、新たに県指定有形文化財に登録した。
 計10羽のマナヅルの成鳥が描かれているこの屏風は、それぞれ縦170センチ、横357センチあり、かつて福井城本丸御殿の「鶴の御間」のふすま絵だったことが福井藩の史書などから分かっている。1669(寛文9)年の大火で焼けた福井城再建の際に制作されたとみられ、福井城ゆかりの品として歴史的に貴重な資料だという。
 他に登録されたのは、1927(昭和2)年に完成した洋風建築の旧大和田銀行本店(敦賀市相生町)▽江戸後期から幕末にかけて建てられた町屋、旧京藤(きょうとう)甚五郎家住宅(南越前町今庄)▽福井藩のお抱え絵師、岩佐又兵衛勝以(かつもち)が「伊勢物語」などを画題に描いた紙本著色和漢故事人物図(県立美術館所蔵)▽野外での野郎歌舞伎の興行を描いた紙本著色野郎歌舞伎図六曲屏風(越前市本町、大宝寺所蔵)▽浄土信州関連の女性を描いた室町時代の肖像画、絹本著色如祐(にょゆう)尼像(鯖江市杉本町、西光寺所蔵)。【安藤大介】


京都
【京都MONO語り】創作木工芸「酢屋」 龍馬を守り「木の良さ」を伝え
 高瀬川を行き来する高瀬舟が運んでくる材木の倉庫が立ち並ぶようになり、いつしか木屋町(きやまち)という名称になった。その木屋町地区に享保6(1721)年、創業した材木商「酢屋(すや)」。木の文化、木の良さを今に継承するこの店が、かつて日本の歴史の転換に大きな役割を果たしたということは以外と知られていない。

 ≪反体制の人物をかくまう「大変さ」≫

 倒幕と明治維新に大きな影響を与えたとされる坂本龍馬(1836~67年)を、京の都でかくまっていたのが酢屋だった。慶応3(1867)年6月24日、龍馬が姉などにあてた手紙に酢屋に投宿していると記していた。海援隊京都本部が置かれたのも酢屋だった。いずれも2階。下は材木屋で、かくまうのには都合がよかった。

■仕事柄、人の縁で

 ではなぜ、龍馬をかくまったのだろうか。文書などは残っていないが、酢屋の10代目、中川敦子(あつこ)さんはそれなりの背景があったという。

 当時、木屋町付近は水上交通の玄関口で、物資や情報の拠点として土佐藩を始めとした各藩が藩邸を置いていた。龍馬は各藩との折衝や伏見、大阪との連絡のためにこの地に身を寄せたとされる。

 「酢屋は当時6代目。すでに商売を始めて150年が経過しており、番組という小学校区ほどの地区の役についていた。さらに、龍馬の故郷、土佐は木の国でもある。そんな仕事柄、役柄、人の縁でかくまったのでしょう」

 今でこそ、現代日本の国づくりに少しは貢献したという思いはあるが、当時の龍馬は反体制の人物。中川さんは「それはそれは大変なことやったと思います」と先祖の苦労をしのんだ。

■「龍馬は売らん」苦境

 「木は売る。龍馬は売らん」

 こんな言葉が酢屋には代々引き継がれていると中川さんはいう。「龍馬は売らん」とは龍馬が身を寄せたこの創業地は手放さないということ。しかし、簡単なことではなかった。

 戦後、酢屋の材木商としての仕事は中川さんの父親で9代酢屋嘉兵衛(かへえ)さん(1919~88年)が「千本銘木商会」として継承。京都市中京区の千本通に店を移転した。創業地は住宅として置いていたが、京都市内でも有数の一等地。1980年代後半からのバブル景気に伴う地価の高騰で、有効利用をしないと維持できなくなった。

 ■木工品とギャラリー

 「どうしよう」

 中川さんは父親と悩み続け、出した結論は材木屋の一部を戻すとということだった。そして、86年に木工品を販売する創作木工芸「酢屋」をオープン。2階は龍馬ギャラリーとして龍馬の部屋を再現し、関係資料を展示している。

 事前調査をすることなく、理想、夢で進めてきたが今秋でリニューアルした酢屋も24年になる。

 「こういう使い方なら龍馬や先祖にも許してもらえるかな」

 中川さんは少し胸をなで下ろしている。(文:野瀬吉信/撮影:飯田英男/SANKEI EXPRESS)

       ◇

 ■酢屋 材木業を営んだ店の屋号で、享保6(1721)年創業。現在は千本銘木商会として京都市中京区千本三条下ル西側で材木業を継承している。創作木工芸「酢屋」の営業時間は午前11時~午後7時半(日曜~木曜)。午前11時~午後9時(金、土曜)。水曜定休。ギャラリー龍馬の営業時間は午前11時~午後5時。入場料500円(中学生以下無料)。水曜定休。京都市中京区河原町三条下ル一筋目(龍馬通)。(電)075・211・7700。


鳥取
日々彩彩:稲升「松虎図」 /鳥取
 57歳で明治維新を迎えた稲升が明治14(1881)年に描いた秀作。後ろ脚が長すぎるのは、写実性より松と虎のシンメトリーといった装飾性を優先させたのだろう。開花とともに流入した西洋画の手法に稲升は興味を示さず、古典的な作風を守り続けた。同じ明治14年の別の作品に「大日本大因幡国源成章」の印を押している。「成章」は稲升の名である。成澤勝嗣早大准教授は「西洋諸国を意識した近代日本人としての名乗り」と指摘している。渡辺美術館の「稲升・稲観秀品展」は30日まで。火曜休館。【大川泰弘】


山口
コレクション展開催、県立美術館
 山口市亀山町の県立美術館で13日、コレクション展が始まった。県出身の画家、狩野芳崖(ほうがい)(1828~88年)や香月泰男(1911~74年)などの収蔵作品を五つの展示に分けて紹介する。

 「日本画の明治維新 森寛斎と狩野芳崖」では、びょうぶや掛け軸など約30点を展示。幕末に京都画壇の重鎮として活躍した優雅な画風の森寛斎(1814~94年)と、東京で新日本画創作運動に取り組み、力強い作品を残した芳崖を対比させている。5月16日まで。

 「旅ニデヨウ」の展示では、香月がフランス・ニースやギリシャの風景を明るい色彩で表した版画など、旅をテーマにした絵画や写真など約50点を展示している。6月13日まで。

 このほか、防府天満宮と明治維新(5月9日まで)▽金工と赤間硯(すずり)(6月13日まで)▽永地秀太と近代の洋画(同)――と題した展示がある。

 同館の前田淳子普及課長は「寛斎と芳崖の日本画をこれだけまとめて展示するのは珍しい。『旅ニデヨウ』では旅する作家の視点を楽しんでほしい」と話している。

 一般300円、学生200円(18歳以下と70歳以上は無料)で、全展示を観覧できる。毎週土曜午後2時から、学芸員による解説がある。月曜休館(5月3日は開館、同6日休館)。

 問い合わせは同館(083・925・7788)へ。




長崎
「幕末長崎古写真展~龍馬と彦馬 維新のまなざし」の開催
長崎歴史文化博物館で龍馬イベントの開催

 坂本龍馬が訪れた幕末の長崎を撮影した「幕末長崎古写真展~龍馬と彦馬 維新のまなざし」の開会式が長崎歴史文化博物館で4月9に行われました。
「幕末長崎古写真展~龍馬と彦馬 維新のまなざし」 は長崎大学附属図書館や江崎べっ甲店などが所蔵する古写真コレクションを展示します。

幕末の長崎の風景や庶民の暮らし、そして坂本龍馬や上野彦馬など歴史に名を刻まれた人間の写真を鑑賞することができます。

上野彦馬とは
上野彦馬は日本における草創期の職業写真師であり、坂本龍馬、高杉晋作など肖像写真を数多く撮影しました。1877年の第1回内国勧業博覧会では鳳紋褒賞を受賞し、歴史的・文化的にも大いに評価され、写真の開祖とも呼ばれます。

同博物館では「龍馬も歩いた長崎の街を写真で体感してほしい」と思いを伝えています。詳細は下記、長崎歴史文化博物館でご確認ください。

■期間
2010年4月10日(土)~5月31日(月) 
■会場
3階企画展示室
■開館時間
8:30~19:00(最終入館18:30)
※休館日なし
■観覧料
大人 500円(400円) 小中高生 250円(200円)
長崎歴史文化博物館
〒850-0007 長崎市立山1丁目1番1号
TEL 095-818-8366 FAX 095-818-8407
E-mail info-his@nmhc.jp


社会
五月人形、龍馬も登場
優しい顔 ◆ ひな段飾り風も

 五月飾り商戦が大詰めだ。定番の鎧兜(よろいかぶと)の人気も根強いが、一方で坂本龍馬の人形も登場している。百貨店と老舗に足を運んで、五月飾りのトレンドを見てみた。

 新宿高島屋(東京都渋谷区)に設けられた五月飾りの展示即売会場をのぞいてみると、勇壮な武具が並ぶ中、幕末の志士・坂本龍馬の木彫り人形が展示されていた(写真〈1〉)。大河ドラマの影響で、今年初めて、店頭に登場したという。

 机に寄りかかり、右手を懐に入れた有名な写真の再現だ。注文生産方式をとっていて、引き渡しまで2か月かかるため、むしろ来年の端午の節句向けの商品とも言える。鎧兜を身につけない五月人形は異例だが、高島屋バイヤーの加藤裕忠さんは「大人はもちろん、子供まで『龍馬だ!』と反応してくれる」と手応えを感じている様子だ。

 男の子の人形が武具をまとった「大将飾り」にもちょっとした変化が見られる。以前はまゆや目がつり上がり、きりっとした表情の物が主流だったが、最近では、垂れ目で柔和な表情の大将飾り(写真〈2〉)が人気だという。

 一方で、ひな飾りを思わせる商品(写真〈3〉)も出ていた。一番上の段に兜、その下に桃太郎や金太郎などの人形、最下段にこいのぼり、といったものだ。飾り物はいずれも木彫りで、かわいらしい彩色が施されている。幅30~40センチ程度と小ぶりな上、段飾りを置く台にすべて収納できる。

 一方、東京都台東区浅草橋の老舗人形店「吉徳」にも足を運んでみると、こちらも子供連れや、孫のために品定めをするお年寄りでにぎわっていた。山田純一郎社長は、「伝統的なスタイルの兜飾り、鎧飾りが売れています。最近は戦国武将ものなどもはやっているようですが、流行にとらわれないお客様も多いです」と話してくれた。(経済部 平松洋志)

(2010年4月14日 読売新聞)


エンターテインメント
<薄桜鬼>主題歌CD発売記念、ライブとトークイベント 来月1日に新宿で
 アニメ「薄桜鬼」(はくおうき)の主題歌CDの発売記念イベントが5月1日、タワーレコード新宿店(東京都新宿区)で開かれる。イベントでは4月21日に同時発売のオープニング曲「十六夜涙」を歌う歌手の吉岡亜衣加さんと、エンディング曲「君ノ記憶」を歌うmaoさんがミニライブとトークショーを行う。
 「薄桜鬼」は、08年に発売されたPS2用ゲーム「薄桜鬼 新選組奇譚」が原作。幕末を舞台に、行方不明の父親を捜しに江戸から京都にやってきた少女・雪村千鶴が、化け物に襲われそうになったところ、「人切り集団」新選組に偶然助けられる。やがて行動をともにするようになるが、新選組や自身の出生の秘密も知ることになる……というストーリー。アニメは4月からテレビ神奈川やチバテレビなどで放送中。

 イベントは、「十六夜涙」か「君ノ記憶」のいずれかのシングルを同店で購入した人に優先的に整理券が渡される。整理券を持参するとライブ終了後、吉岡さんやmaoさんと握手ができ、「薄桜鬼」テーマソングの告知ポスターがプレゼントされる。(毎日新聞デジタル)

アニメ「薄桜鬼」公式サイト

http://www.geneonuniversal.jp/rondorobe/anime/hakuoki/





 平日なのに記事数が多いので投稿を分けました。

福井
県有形文化財:福井城ゆかりの屏風など6件登録 /福井
 県教委は、「紙本金地著色群鶴図六曲屏風(びょうぶ)」1双(県立美術館所蔵)など6件を、新たに県指定有形文化財に登録した。
 計10羽のマナヅルの成鳥が描かれているこの屏風は、それぞれ縦170センチ、横357センチあり、かつて福井城本丸御殿の「鶴の御間」のふすま絵だったことが福井藩の史書などから分かっている。1669(寛文9)年の大火で焼けた福井城再建の際に制作されたとみられ、福井城ゆかりの品として歴史的に貴重な資料だという。
 他に登録されたのは、1927(昭和2)年に完成した洋風建築の旧大和田銀行本店(敦賀市相生町)▽江戸後期から幕末にかけて建てられた町屋、旧京藤(きょうとう)甚五郎家住宅(南越前町今庄)▽福井藩のお抱え絵師、岩佐又兵衛勝以(かつもち)が「伊勢物語」などを画題に描いた紙本著色和漢故事人物図(県立美術館所蔵)▽野外での野郎歌舞伎の興行を描いた紙本著色野郎歌舞伎図六曲屏風(越前市本町、大宝寺所蔵)▽浄土信州関連の女性を描いた室町時代の肖像画、絹本著色如祐(にょゆう)尼像(鯖江市杉本町、西光寺所蔵)。【安藤大介】


京都
【京都MONO語り】創作木工芸「酢屋」 龍馬を守り「木の良さ」を伝え
 高瀬川を行き来する高瀬舟が運んでくる材木の倉庫が立ち並ぶようになり、いつしか木屋町(きやまち)という名称になった。その木屋町地区に享保6(1721)年、創業した材木商「酢屋(すや)」。木の文化、木の良さを今に継承するこの店が、かつて日本の歴史の転換に大きな役割を果たしたということは以外と知られていない。

 ≪反体制の人物をかくまう「大変さ」≫

 倒幕と明治維新に大きな影響を与えたとされる坂本龍馬(1836~67年)を、京の都でかくまっていたのが酢屋だった。慶応3(1867)年6月24日、龍馬が姉などにあてた手紙に酢屋に投宿していると記していた。海援隊京都本部が置かれたのも酢屋だった。いずれも2階。下は材木屋で、かくまうのには都合がよかった。

■仕事柄、人の縁で

 ではなぜ、龍馬をかくまったのだろうか。文書などは残っていないが、酢屋の10代目、中川敦子(あつこ)さんはそれなりの背景があったという。

 当時、木屋町付近は水上交通の玄関口で、物資や情報の拠点として土佐藩を始めとした各藩が藩邸を置いていた。龍馬は各藩との折衝や伏見、大阪との連絡のためにこの地に身を寄せたとされる。

 「酢屋は当時6代目。すでに商売を始めて150年が経過しており、番組という小学校区ほどの地区の役についていた。さらに、龍馬の故郷、土佐は木の国でもある。そんな仕事柄、役柄、人の縁でかくまったのでしょう」

 今でこそ、現代日本の国づくりに少しは貢献したという思いはあるが、当時の龍馬は反体制の人物。中川さんは「それはそれは大変なことやったと思います」と先祖の苦労をしのんだ。

■「龍馬は売らん」苦境

 「木は売る。龍馬は売らん」

 こんな言葉が酢屋には代々引き継がれていると中川さんはいう。「龍馬は売らん」とは龍馬が身を寄せたこの創業地は手放さないということ。しかし、簡単なことではなかった。

 戦後、酢屋の材木商としての仕事は中川さんの父親で9代酢屋嘉兵衛(かへえ)さん(1919~88年)が「千本銘木商会」として継承。京都市中京区の千本通に店を移転した。創業地は住宅として置いていたが、京都市内でも有数の一等地。1980年代後半からのバブル景気に伴う地価の高騰で、有効利用をしないと維持できなくなった。

 ■木工品とギャラリー

 「どうしよう」

 中川さんは父親と悩み続け、出した結論は材木屋の一部を戻すとということだった。そして、86年に木工品を販売する創作木工芸「酢屋」をオープン。2階は龍馬ギャラリーとして龍馬の部屋を再現し、関係資料を展示している。

 事前調査をすることなく、理想、夢で進めてきたが今秋でリニューアルした酢屋も24年になる。

 「こういう使い方なら龍馬や先祖にも許してもらえるかな」

 中川さんは少し胸をなで下ろしている。(文:野瀬吉信/撮影:飯田英男/SANKEI EXPRESS)

       ◇

 ■酢屋 材木業を営んだ店の屋号で、享保6(1721)年創業。現在は千本銘木商会として京都市中京区千本三条下ル西側で材木業を継承している。創作木工芸「酢屋」の営業時間は午前11時~午後7時半(日曜~木曜)。午前11時~午後9時(金、土曜)。水曜定休。ギャラリー龍馬の営業時間は午前11時~午後5時。入場料500円(中学生以下無料)。水曜定休。京都市中京区河原町三条下ル一筋目(龍馬通)。(電)075・211・7700。


鳥取
日々彩彩:稲升「松虎図」 /鳥取
 57歳で明治維新を迎えた稲升が明治14(1881)年に描いた秀作。後ろ脚が長すぎるのは、写実性より松と虎のシンメトリーといった装飾性を優先させたのだろう。開花とともに流入した西洋画の手法に稲升は興味を示さず、古典的な作風を守り続けた。同じ明治14年の別の作品に「大日本大因幡国源成章」の印を押している。「成章」は稲升の名である。成澤勝嗣早大准教授は「西洋諸国を意識した近代日本人としての名乗り」と指摘している。渡辺美術館の「稲升・稲観秀品展」は30日まで。火曜休館。【大川泰弘】


山口
コレクション展開催、県立美術館
 山口市亀山町の県立美術館で13日、コレクション展が始まった。県出身の画家、狩野芳崖(ほうがい)(1828~88年)や香月泰男(1911~74年)などの収蔵作品を五つの展示に分けて紹介する。

 「日本画の明治維新 森寛斎と狩野芳崖」では、びょうぶや掛け軸など約30点を展示。幕末に京都画壇の重鎮として活躍した優雅な画風の森寛斎(1814~94年)と、東京で新日本画創作運動に取り組み、力強い作品を残した芳崖を対比させている。5月16日まで。

 「旅ニデヨウ」の展示では、香月がフランス・ニースやギリシャの風景を明るい色彩で表した版画など、旅をテーマにした絵画や写真など約50点を展示している。6月13日まで。

 このほか、防府天満宮と明治維新(5月9日まで)▽金工と赤間硯(すずり)(6月13日まで)▽永地秀太と近代の洋画(同)――と題した展示がある。

 同館の前田淳子普及課長は「寛斎と芳崖の日本画をこれだけまとめて展示するのは珍しい。『旅ニデヨウ』では旅する作家の視点を楽しんでほしい」と話している。

 一般300円、学生200円(18歳以下と70歳以上は無料)で、全展示を観覧できる。毎週土曜午後2時から、学芸員による解説がある。月曜休館(5月3日は開館、同6日休館)。

 問い合わせは同館(083・925・7788)へ。




長崎
「幕末長崎古写真展~龍馬と彦馬 維新のまなざし」の開催
長崎歴史文化博物館で龍馬イベントの開催

 坂本龍馬が訪れた幕末の長崎を撮影した「幕末長崎古写真展~龍馬と彦馬 維新のまなざし」の開会式が長崎歴史文化博物館で4月9に行われました。
「幕末長崎古写真展~龍馬と彦馬 維新のまなざし」 は長崎大学附属図書館や江崎べっ甲店などが所蔵する古写真コレクションを展示します。

幕末の長崎の風景や庶民の暮らし、そして坂本龍馬や上野彦馬など歴史に名を刻まれた人間の写真を鑑賞することができます。

上野彦馬とは
上野彦馬は日本における草創期の職業写真師であり、坂本龍馬、高杉晋作など肖像写真を数多く撮影しました。1877年の第1回内国勧業博覧会では鳳紋褒賞を受賞し、歴史的・文化的にも大いに評価され、写真の開祖とも呼ばれます。

同博物館では「龍馬も歩いた長崎の街を写真で体感してほしい」と思いを伝えています。詳細は下記、長崎歴史文化博物館でご確認ください。

■期間
2010年4月10日(土)~5月31日(月) 
■会場
3階企画展示室
■開館時間
8:30~19:00(最終入館18:30)
※休館日なし
■観覧料
大人 500円(400円) 小中高生 250円(200円)
長崎歴史文化博物館
〒850-0007 長崎市立山1丁目1番1号
TEL 095-818-8366 FAX 095-818-8407
E-mail info-his@nmhc.jp


社会
五月人形、龍馬も登場
優しい顔 ◆ ひな段飾り風も

 五月飾り商戦が大詰めだ。定番の鎧兜(よろいかぶと)の人気も根強いが、一方で坂本龍馬の人形も登場している。百貨店と老舗に足を運んで、五月飾りのトレンドを見てみた。

 新宿高島屋(東京都渋谷区)に設けられた五月飾りの展示即売会場をのぞいてみると、勇壮な武具が並ぶ中、幕末の志士・坂本龍馬の木彫り人形が展示されていた(写真〈1〉)。大河ドラマの影響で、今年初めて、店頭に登場したという。

 机に寄りかかり、右手を懐に入れた有名な写真の再現だ。注文生産方式をとっていて、引き渡しまで2か月かかるため、むしろ来年の端午の節句向けの商品とも言える。鎧兜を身につけない五月人形は異例だが、高島屋バイヤーの加藤裕忠さんは「大人はもちろん、子供まで『龍馬だ!』と反応してくれる」と手応えを感じている様子だ。

 男の子の人形が武具をまとった「大将飾り」にもちょっとした変化が見られる。以前はまゆや目がつり上がり、きりっとした表情の物が主流だったが、最近では、垂れ目で柔和な表情の大将飾り(写真〈2〉)が人気だという。

 一方で、ひな飾りを思わせる商品(写真〈3〉)も出ていた。一番上の段に兜、その下に桃太郎や金太郎などの人形、最下段にこいのぼり、といったものだ。飾り物はいずれも木彫りで、かわいらしい彩色が施されている。幅30~40センチ程度と小ぶりな上、段飾りを置く台にすべて収納できる。

 一方、東京都台東区浅草橋の老舗人形店「吉徳」にも足を運んでみると、こちらも子供連れや、孫のために品定めをするお年寄りでにぎわっていた。山田純一郎社長は、「伝統的なスタイルの兜飾り、鎧飾りが売れています。最近は戦国武将ものなどもはやっているようですが、流行にとらわれないお客様も多いです」と話してくれた。(経済部 平松洋志)

(2010年4月14日 読売新聞)


エンターテインメント
<薄桜鬼>主題歌CD発売記念、ライブとトークイベント 来月1日に新宿で
 アニメ「薄桜鬼」(はくおうき)の主題歌CDの発売記念イベントが5月1日、タワーレコード新宿店(東京都新宿区)で開かれる。イベントでは4月21日に同時発売のオープニング曲「十六夜涙」を歌う歌手の吉岡亜衣加さんと、エンディング曲「君ノ記憶」を歌うmaoさんがミニライブとトークショーを行う。
 「薄桜鬼」は、08年に発売されたPS2用ゲーム「薄桜鬼 新選組奇譚」が原作。幕末を舞台に、行方不明の父親を捜しに江戸から京都にやってきた少女・雪村千鶴が、化け物に襲われそうになったところ、「人切り集団」新選組に偶然助けられる。やがて行動をともにするようになるが、新選組や自身の出生の秘密も知ることになる……というストーリー。アニメは4月からテレビ神奈川やチバテレビなどで放送中。

 イベントは、「十六夜涙」か「君ノ記憶」のいずれかのシングルを同店で購入した人に優先的に整理券が渡される。整理券を持参するとライブ終了後、吉岡さんやmaoさんと握手ができ、「薄桜鬼」テーマソングの告知ポスターがプレゼントされる。(毎日新聞デジタル)

アニメ「薄桜鬼」公式サイト

http://www.geneonuniversal.jp/rondorobe/anime/hakuoki/





 昨日夜更かしして今朝は早起きしたせいか、ジムでゲルマバスに浸かっている間に猛烈な睡魔に意識が吸い込まれそうになりました。何とか踏み止まりましたが、すぅっと気が遠くなる時の何と気持ちのいいこと^_^;。

北海道
【白老】姉妹都市で白老PRと特産品販売
 白老竹浦中学校(福岡俊文校長)の3年生14人が、4月下旬に仙台市を訪問して、特産品の販売活動に挑戦することになった。題して 「わが町白老PR大作戦」。地元の食材の魅力を学んできた生徒たちは「成果を出し切りたい」と張り切っている。
 食材の宣伝を通してふるさとに誇りを持ってもらおうと、竹浦中は3年前から、白老の食をテーマにした学習に取り組んでいる。3年生は、1年生の時に、白老牛加工品やシイタケなどの生産者を訪ね、昨年は札幌市内のホテルや菓子店に足を運んで、白老産食材の使用を呼び掛けた。
 大作戦は、いわばその仕上げ。22日からの修学旅行を利用して、24日に宿泊先の仙台市の秋保温泉で、虎杖浜たらこや白老牛ハンバーグ、ギョウジャニンニクのあえ物など町内4業者の加工品6種類を販売する。生徒たちは、宣伝のチラシを作り、接客のトレーニングにも励んできた。
 仙台市は、幕末の仙台藩が白老に元陣屋を築いたのを縁に交流を続ける姉妹都市。市長訪問のほか、地元のテレビ番組に出演してPRするという。実行委員長を務める成田祥史君(14)は「すべての商品を完売させます」と意気込んでいる。
 生徒たちは13日に、飴谷長蔵町長を訪ねて大作戦を報告。町長は「白老の食材は素晴らしいものばかり。仙台の方々に自信を持って販売してきてほしい」と、まちの若きセールスマン・レディーに期待を寄せていた。


岩手
高野長英夢物語大賞:奥州市、入賞作発表 海外16点含み応募総数1493点 /岩手
 奥州市水沢区出身で幕末の蘭学者、高野長英(1804~50年)の没後160年を記念して市が創設した「高野長英夢物語大賞」の入賞作品12点が決まった。5月に開かれる生誕祭の時に表彰式が行われる。
 夢をテーマに作文やエッセーなどを募集した。一般、高校生、中学生、小学生の4部門に、海外からの16点を含む計1493点が寄せられ、直木賞作家の高橋克彦さんを委員長にした審査委員会が、各部門の大賞計3点(一般部門は該当者なし)、次点2点、佳作7点を選んだ。
 高校生部門の大賞に選ばれた奥州市の石川妙子さん(18)の「地球人-大家族」は、中学時代に韓国へ交換留学に行った経験を基に、世界の人が国境を越えて一つの家族になる夢をつづった。中学生部門では、恐竜への興味から考古学者になる夢を描いた同市の村上勇馬君(13)の「夢を追い続ける」が、小学生部門は周りの人を幸せにすることを訴えた同市の菅野尊君(11)の「みんなの幸せ」が大賞を受賞した。

 一般部門の次点は、八幡平市の目時東次郎さん(80)の「奥州の漆をもっと」、ハンガリーのチェンドム・アンドレアさん(23)の「チェンゲの死」が選ばれた。【湯浅聖一】



千葉
御歌所のみやびに光 千葉・成田山書道美術館
 近代天皇制のもとで設立され、歌御会始(うたごかいはじめ)などの行事を一手に取り仕切った「御歌所(おうたどころ)」。その所長を務めた高崎正風(まさかぜ)ら、同所所属の歌人たちの歌と書に光をあてた展覧会「御歌所と近代のみやび」が、千葉県成田市の成田山書道美術館で開かれている。
 御歌所ができたのは1888(明治21)年のことだ。それまでの歌道御用掛、文学御用掛などにかわり、組織を拡張する形で設立された。
 初代所長は、幕末に志士としても活躍した薩摩出身の高崎正風。その下には主事、寄人といった職が設けられて、阪(ばん)正臣、黒川真頼、大口鯛二(周魚)、佐佐木信綱らが籍を置いていた。
 彼らが理想としたのは、歌では「古今調」であり、書では「平安古筆」だった。現在に至るまで、歌会始の和歌は毛筆で書くのが基本。御歌所の歌人の多くは能筆家でもあったのだ。
 展示は、軸装された和歌や色紙、短冊、手紙など約130点で構成する。
 高崎正風の書は、丸みを帯びた独特の書風だ。一方、「明治天皇御集」などを浄書した阪正臣の書や、古筆の研究者としても知られる大口周魚の書は、型どおりだが、品が感じられる。
 このほか、短冊や懐紙の書き方を解説した「筆のゆきかひ」や、1年間習えば書が上達するという「書道日記」など、御歌所の歌人たちが執筆にかかわった書籍もあわせて展示している。
 宮廷文化が求心力を増した近代日本という時代に、特異な役割を果たした御歌所の役割を俯瞰(ふかん)する内容になっている。4月25日まで、月曜休み。同館(0476・24・0774)。(宮代栄一)


ちばみなと研究所:房総半島を探求する 大多喜の交番爆発の真相は… /千葉
◇天然ガス求め、山師活躍!?
 大多喜町の交番のトイレで3月5日未明に爆発があり、当直中の警察官がやけどを負った。一体何が起きたのだ? 研究員が調査に乗り出すと……事実は小説より奇なり。実は房総半島が巨大な天然ガス田の上に乗っており、町にその昔、一獲千金を狙う「山師」たちが集まっていたようなのだ。そこに幕末の大多喜藩主やその子孫も関与して--調査は脱線し、天然ガスを巡る房総・大多喜秘史に迷い込んでしまった。【研究員・井上英介】

 午前0時すぎ、警部補はトイレでかすかに異臭を感じた。「まさか……」。換気のため窓を開け、ライターをつける。「ボン」。大きな音とともに、床面の排水口から火柱が吹き上がった。地中の天然ガスが排水管を伝って充満していたらしい。

 「半島の下に巨大な『南関東ガス田』があるのです」と、天然ガスを採掘する関東天然瓦斯(ガス)開発(茂原市)の国末(くにすえ)彰司グループマネジャーは解説する=<右>。

 天然ガスは、微生物が動物の死がいなど有機物を分解する際に出るメタンが主成分だ。地中での蓄えられ方により「構造性ガス」(岩盤の下に気体で溜(た)まる)や「水溶性ガス」(地下水に溶け込む)などに分類される。

 南関東ガス田は水溶性では国内最大規模。埋蔵量3685億立方メートルは、現在の年間産出量の800年分で、主に県内で使われている。「うちのガスは“地産地消”です」と国末さんは胸を張る。

 県内には川や水田でガスが泡となって出ているところもある。「ガス層は地中で傾き、浅い場所もあります」。天然ガスは昔「燃ゆる気」と呼ばれた。房総各地の「土気(とけ)」という奇妙な地名(千葉市緑区土気町など)は、土の中に気(ガス)が豊富--というのが由来だ。

 ◇最後の藩主に頼まれ…
 大多喜町の豪商、山崎屋。当主で幕末生まれの太田卯八郎(うはちろう)が、家業のしょうゆ醸造で使おうと、自宅兼醸造所の一角に井戸を掘った。水は出るには出たが、茶色く濁って泡立ち、到底使えない。落胆し、くわえたたばこを投げ込むと青い炎が上がった……これが、日本初の水溶性天然ガスの井戸となった。1891(明治24)年のことだ。

 その場所、同町上原を研究員が訪ねると、太田芳輝さん(68)が住んでいた。山崎屋7代目当主で、今も八千代市などで食品店を営む。「これです」と、赤く光る1枚の銅板を取り出した。ガス田発見の功績を後世に伝えようと卯八郎の息子が刻ませた銅版画の原版だった。

 卯八郎はガス田を掘り当て億万長者になった……と思いきや、芳輝さんは笑いながら「先代は殿様に(採掘権を)差し上げちゃったらしいんですよ」と言う。なんと、惜しい! 「江戸時代から頼まれて大金を用立てる関係でしたから。(ガスの件でも)言われるまま『はい、はい』と」

 殿様とは、最後の大多喜藩主の大河内正質(おおこうちまさただ)。戊辰戦争で敗れたが、のち華族に列せられる。維新後の山崎屋とのやり取りを知るすべはないが、大河内家はガス田の生む巨利を手にしたようなのだ。

 一方、芳輝さんの家の敷地には「天然ガス井戸発祥の地」という巨碑が一つ、立っていた。卯八郎以後、大多喜や茂原では民家が各自勝手に井戸を掘り、ガスを暖房や煮炊き、風呂炊き、灯火などに使い出す。大正、昭和に入ると、この動きに拍車がかかっていく。

 ◇日本最初のガス会社
 天然ガス商業化を最初に発想したのは最後の藩主の長男、大河内正敏(1878~1952年、子爵)のようだ。

 大多喜町に生まれ、東京帝大を主席で卒業。物理学者で事業家としても成功し、戦前には財閥の一つを率いた超エリートである。1929(昭和4)年、旧国鉄木原線(現いすみ鉄道)開通の式典に招かれて久しぶりに帰郷し、町長の案内で民家のガス利用を目の当たりにした。戻ると直ちに東京帝大の学者に調査を依頼。ガス田が商業利用に耐える規模であることが科学で証明された。

 帰郷から2年後、日本初のガス会社が誕生する。関東天然瓦斯開発の前身「大多喜天然瓦斯」だ。同社はまず、町でガス採掘権(鉱業権)を持つ者たちの組合から、80万円で採掘場所(鉱区)を買った。今の金では6億円以上だ。その組合の代表は、最期の藩主の次男・大河内正倫(まさとも)。ちなみに彼は同社の株主で、役員でもあった。

 天然ガスと大河内一族の深いかかわりについて、分かったのはここまで。晩年の正敏を世話したという86歳の義理の娘さんが、東京都内にいた。「天然ガスについて聞いた記憶はありません」

 ◇町に「山師」集まる?
 当時は「天然ガスが出れば石油も出る」というのが定説だった。関東天然瓦斯開発の社史はこんな話を紹介する。「ある者は深夜ひそかにガス井戸に原油を投入し、翌朝『わが家の井戸から石油がわき出た』と吹聴し、関係者を色めき立たせた」

 「山師」には「鉱物などを採掘する人」と「投機的事業で大もうけを狙う人」の両方の意味がある。全世界から山師を集めた19世紀半ばカリフォルニアのゴールドラッシュには比すべくもないが、大多喜でも山師たちが活躍した時代があったようなのだ。

 いまの町に、その痕跡は見当たらない。それでも、いすみ鉄道大多喜駅前の小さなロータリーに、今は珍しいガス灯が立っていた。

    ◇    ◇

 参考文献▽関東天然瓦斯開発株式会社など「五十年の歩み」▽京葉天然ガス協議会など「千葉県の天然ガスとヨウ素」▽国末彰司「わが国における水溶性天然ガスの開発」(社団法人石油学会「PETROTECH」2010年3月号)

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 ◇研究所長の感想
 千葉は本当に豊かだ。全国屈指の農業県、漁業県であるのに加えて、天然ガスまで豊富に産出するとは。東京湾沿岸部には日本有数の工場地帯も抱える。ここまでそろえば、「千葉独立論」まで思いは膨らむ……が、天然資源をめぐる秘史に浮かされた妄想だったようだ。【前田浩智】

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 ◇設立趣旨
 毎日新聞千葉支局は2010年4月、仮想シンクタンク「ちばみなと研究所」(通称・みなと研)を支局内に設立しました。千葉支局長が所長を、県内の毎日記者が研究員を兼務します。地元の特異な慣習、まちで見かけた奇妙な物体、都市伝説、郷土秘史、事件の意外な背景--など、森羅万象をテーマに房総半島の「謎」「不思議」にとことん迫ります。想像をたくましくする関係上、時にとっぴな結論を導くとしても、どうかご容赦を。読者の皆様からのテーマ提案や情報提供も歓迎します。あて先は、〒260-0026千葉市中央区千葉港7の3毎日新聞千葉支局内「ちばみなと研究所」。電子メールはchiba@mainichi.co.jp



滋賀
旧愛知川町史:「近江 愛知川町の歴史」の「第2巻 近世・近現代編」刊行 /滋賀
◇彦根藩と村のしくみ、「郡都」としての機能…400年間を収録
 愛荘町が編さんしていた町史「近江 愛知川町の歴史」のうち、江戸時代から現代までの約400年間を収録した「第2巻 近世・近現代編」が刊行され、町教委などで販売している。これで昨春の旧秦荘町全4巻に続いて旧愛知川町全4巻もそろった。
 06年3月に愛知川、秦荘両町が合併した後も、各旧町が取り組んでいた町史編さんを引き継いできた。「近江 愛知川町の歴史」は、05年度「第1巻 古代・中世編」▽06年度「第4巻 ビジュアル資料編」▽08年度「第3巻 民俗・文献史料編」--を刊行した。
 第2巻はB5判、800ページ。巻頭に文政10(1827)年の「江州愛知川駅の図」や「愛知川出水の図」などの図、大正11(1922)年の愛知郡役所落成時の写真などを収録。近世編は、彦根藩と村のしくみ▽商いと職人たち▽幕末維新期の愛知川--など8章に分け、彦根藩の地域支配のあり方や村社会に生きる人々の姿、「蚊帳商・麻布商」を中心にした愛知川商人の実態などを写真や図を多用して紹介している。
 近現代編は、愛知郡の「郡都」としての機能を、愛知郡役所に保存された行政文書などをもとに明らかにした。明治の教育と文化▽昭和恐慌から戦時体制へ▽大正・昭和戦前期の教育と文化▽戦後の愛知川▽現在の愛知川--など10章でつづっている。
 第四代彦根藩主・井伊直興以降、最後の第十四代直憲まで代替わりのたびに領内巡視が行われたことやその様子、嘉永5(1852)年の村人の「相対死事件」なども載せた。
 昭和初期には愛知川小学校の児童の多くの作品が児童文学雑誌「赤い鳥」に載り、国語教育が高く評価されたことや、太宰治の小説「斜陽」の主人公のモデルになった太田静子を輩出した愛知高等女学校の教育なども取り上げている。
 地域の人や大学生ら延べ約250人の町史編さん協力推進委員らの協力で資料を収集した。同町は「愛知郡の中心だった愛知川町の姿と実態を描き出した」としている。
 1000冊発行し1冊4000円。全巻一括購入は1万4000円。問い合わせは愛荘町教委町史編さん係(0749・37・8059)。【松井圀夫】


広島
街の映画館「蔵出し」/東城
 庄原市東城町の若者が「東城まちなみ春まつり」期間中の17日、中心商店街にある築80年の酒蔵を映画館にみたて、40年ほど前の懐かしい映画を上映する。企画した田辺元気さん(23)は「映画が一番の娯楽だった時代の楽しい雰囲気を味わってもらえれば」と話している。
 東城町には映画館が3館あったが、25年前に最後の「偕楽(かい・らく)座」が閉館。年配の人からこの話を聞かされた田辺さんら中学、高校の同級生9人が、まちおこしグループ「フロリック」を結成し、2カ月前から準備を進めてきた。上映作品は映画会社シネマキャラバンV.A.G(広島市南区)の協力で、2月に亡くなった藤田まことさん主演の「幕末 てなもんや大騒動」(1967年)に決まった。
 会場は北村醸造場が倉庫として使っていた蔵を借りた。縦11メートル横5メートルの広さに、約40脚のいすを置く。壁には、20~30年前に実際に映画館で使われたポスターを張る予定。イチゴあめなどを売り、「おせんにキャラメルを食べながら見ていた頃を再現する」という。また同醸造場は、にごり酒などを無料で振る舞う。
 田辺さんは「成功したら、次はアーティストを呼んでのライブなどを企画し、東城町を、庄原市を、もっと盛り上げていきたい」と意気込む。
 映画は午後1時と4時の2回。料金は800円、ペア1500円。

     ◇

 東城町中心部では、18日まで春まつりを開催中。旧暦の桃の節句に合わせ、約70軒の民家や商店に、代々伝わるひな人形を飾っている。問い合わせは市東城支所地域振興室(08477・2・5003)へ。(長尾大生)




文化芸能
長谷川京子「桜田門外ノ変」で本格時代劇初挑戦
[eiga.com 映画ニュース] 長谷川京子が、大沢たかおの主演最新作「桜田門外ノ変」に出演する。メガホンをとる佐藤純彌監督が、圧倒的な支持を得たドラマ「華麗なる一族」(2007)で木村拓哉扮する万俵鉄平の妻・早苗を演じた長谷川の凛(りん)とした立ち振る舞いに感銘を受け、ラブコールを送ったことで出演が実現した。
 同作は、水戸藩の開藩400周年を記念した映画化企画で、総製作費10億円の大型時代劇。桜田門外の変は、1860年3月に水戸藩士17人と薩摩藩士1人が、江戸城の桜田門外で大老・井伊直弼を暗殺した事件で、映画では首謀者を主人公に据えた視点で描かれる。
 長谷川が演じるのは、大沢扮する主人公・関鉄之助の妻ふさ。大老暗殺の計画実行部隊の現場指揮官の伴侶という難しい役どころで、息子の誠一郎役として加藤清史郎も出演している。同作は激動の幕末を生きた男たちの姿を描くため、極端に少ない女性キャストには知名度が高く、立ち姿が美しい女優を求めた佐藤監督が直々に指名。長谷川が茶道に造詣が深いことも奏功し、「襖(ふすま)の開け閉めや着物でのきめ細やかな所作が大変美しい」とベテラン監督も舌を巻いた。
 撮影は、3月25~29日に千葉・印旛郡の「房総のむら」で敢行。長谷川は、「2カ月半という長い撮影で、佐藤組というチームワークが出来上がっている中に、最後の最後5日間だけの参加だったので少し気後れするところもありました」と述懐。それでも、「監督はじめスタッフの皆さんが温かく迎えてくださったので、とてもうれしかったです。もう少し早めから参加したかったくらい」とコメントを寄せた。
 初共演となった大沢は、「とても真面目で、真しにシーンに取り組んでおり、所作がきれいでとても繊細にふさを演じていました」と絶賛。加藤も、“母”を「長谷川さんとは畑を耕すシーンなどで共演したのですが、とってもきれいで優しかったです」と語っている。
 「桜田門外ノ変」は東映配給で、10月16日から全国で公開。


映画『獄に咲く花』近衛はな×前田倫良対談
 NHK大河ドラマ『龍馬伝』を筆頭に、2010年は幕末ブーム。映画では今年生誕180周年、維新思想の先駆者として知られる吉田松陰の短い生涯をひとりの女囚の目を通して描いた『獄(ひとや)に咲く花』が4月10日より全国公開される。主人公の女囚・高須久を演じるのは、俳優・目黒祐樹の長女で女優の近衛はな。吉田松陰役の俳優・前田倫良とともに、作品の見どころを語った。

◆映画初主演作で、親子初共演が実現

――初主演の感想は?

【近衛はな】 脚本を読んで、主人公の久はなんて魅力的なんだろうと思っていたので、役をいただいてすごく嬉しかったです。プレッシャーももちろんありましたけど、本当に嬉しくて。久役を演じられたことが本当に幸せでした。撮影期間は1ヶ月ちょっとでしたが、いままでの人生で過ごしたことがないくらい毎日、毎日が濃厚で、忘れられない経験になりました。本当に勉強になりました。

――親子初共演は?

【近衛】 自分のお芝居に精一杯だったので、父との初共演を意識している余裕がなかった、というのが正直な感想です。これまで何度か父の撮影現場を見ているので、俳優・目黒祐樹の顔も知っていたので、お芝居の最中はほかの役者さんと同じように接していました。ただ、同じ画面の中に父と収まるというのは、どうも不思議な感じでした。でも、幸せなことですね。

【前田倫良】 傍から見ていて、目黒さんが何かソワソワしているなぁと思うことがなくはなかったですね(笑)。はなさんのことが気になるのかなぁ、なんて思って見ていました。お二人でいるところを見かけると、やっぱり親子なんだなぁと思って、僕はほのぼのとした気持ちで見守っていました。

◆人は人と出会い、人を愛することによって変わることができる

 後に吉田松陰と呼ばれる吉田寅次郎は、長州藩士にして、私塾『松下村塾』を開き、多くの才能を見出し育んだ稀代の思想家、教育者として知られる。高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋など、維新の指導者となる人材を教え育てた。国を思い、故郷を思い、人を思ったこの偉人は、その思いも半ば、安政の大獄によって刑に処され、わずか29歳でその生涯を終える。

【近衛】 私は今、ちょうど30歳。松陰さんが亡くなった歳です。それを思うと、松陰先生がなさったことのスケールの大きさが、人生の濃度が、現代を生きる私たちとは違う。あの激動の時代を生きた人々は、皆、何かを得るために潔く何かを捨てていた。それが、命をかけて何かを成し遂げようとするエネルギーにもなっていた気がします。

 時は幕末、1854年。寅次郎は黒船でのアメリカ密航を計画するが失敗し、長州・萩の武家専用牢屋敷の“野山獄”に投獄される。彼は獄中で、武士階級でありながら身分の低い者たちと交流した罪で捕えられた久と出会い、少しずつ交流を深めていく。同作では、独身のうちにその思想に殉じた彼の秘めたる恋慕の情景が描かれる。

――今回の役を演じて感じたことは?

【近衛】 久は、一生、外の世界を見ることはない、絶望の日々を送っていた。そこへ“寅次郎先生”が現れる。牢獄にいることは変わらないんだけど、気持ちがガラっと変化する。内なる変化によって、その先の人生までもが変わっていく。人は人と出会い、人を愛することによって変わることができるんですよね。そのような出会いが、私の人生にもこの先、あるのかなと希望を感じました。

【前田】 吉田松陰といえば、歴史の教科書にも載っているように、幕末の偉人として出来上がったイメージがあると思うんですが、あえてそのことは意識しないようにしました。本作に登場する吉田寅次郎は、当時においては偉人でも何でもなくて、新しい時代の到来を感じていた若者たちの中のひとりに過ぎない。人として魅力的な部分がたくさんあるけど、欠けている部分ももちろんある。一途にエネルギッシュな若者を演じようという思いがありました。

【近衛】 心から若い人に観て欲しいと思う。

【前田】 当時の若者は、現代の若者より精神年齢が高くて大人だと思うけど、その反面、現代の若者より純粋で子供っぽいところもある。そんな若者たちを上手く扱える大人たちが“大人”だったと思いました。大人が上手に叱ってくれるし、褒めてくれるし、認めてくれるから、若い者がどんどん力を発揮していく。だから、いろんなことを変えられた。本当にいい時代だったんだと思います。

――親今後の抱負を聞かせてください。

【近衛】 フィクションの世界にものすごく関心があります。現実の世界よりも現実的な部分もあって、面白い。計り知れない世界だと思います。なので、今回、久を演じて俳優の仕事の面白さを改めて実感しましたし、映画、舞台とどんどんチャレンジしてみたいと思いました。脚本家としても、誰も書いたことがないような物語を書きたいな。夢は大きく!

【前田】 僕もやりたいことは山ほどあります。役者というのはとても便利で、いろんな職業の役をもらって、短期間だけでも本気でその人として生きられる。それが、僕にとっては幸せなので、役者としていろいろな職業、いろいろな人物を表現し続けたいと思います。 近衛はな このえ・はな
1980年3月21日生まれ。東京都出身。父・目黒祐樹、母・江夏夕子、父方祖父・近衛十四郎、祖母・水川八重子、叔父・松方弘樹、母方曽祖父・市川松蔦二世と4世代続く俳優一家に生まれる。NHK教育テレビの教育番組の司会で芸能界デビュー後、映画『明日への遺言』(2007年)、テレビ等で活躍。2009年、NHKドラマスペシャル『白洲次郎』(全3話)では脚本家デビューを果たした。
前田倫良 まえだ・みちよし
1976年6月4日生まれ。山口県出身。山口県内の高校を卒業後、米大学で学ぶ。1999年に帰国後、舞台を中心に映画、TVドラマ等で活躍。『トーマの心臓』『ベニスに死す』などの演目で人気の劇団スタジオライフ作品に出演。幕末期、密かに欧州留学を果たした5人の長州藩士の青春を描いた映画『長州ファイブ』(2006年)で故郷の英雄の一人・遠藤謹助役を演じて注目を集める。


エンターテインメント
【公開まで待てない!】“イケメンの着流し萌え”の女子達は必見!『劇場版 銀魂 新訳紅桜篇』
 現在「週刊少年ジャンプ」で連載中の空知英秋によるSF時代劇『銀魂』。

 テレビ東京系でのアニメ放送も大人気のヒーローコミックが、この春待望の映画化。妖刀“紅桜”を巡って、銀時と宿敵・高杉晋助が壮絶な戦いを繰り広げるスケールの大きいエピソード「紅桜篇」をお届けする。銀時をはじめ、おなじみのキャラクター達が、架空の幕末時代を背景にスクリーンで大暴れの予感。

 “イケメンの着流し萌え”の女子達は必見!。笑えて、泣けて、心温まる、銀さんとその仲間たちの生き様、得とご覧あれ!『劇場版 銀魂 新訳紅桜篇』は4月24日(土)より全国ロードショー。

配給:ワーナー・ブラザース映画 (C)空知英秋/劇場版銀魂製作委員会

 イケメンの着流し萌えではありませんが、中井和哉さんヴォイスの土方十四郎ファン(かっちり着込んだ真選組の制服姿と胸はだけた着流し姿のギャップも好き)なので劇場に足を運びたいです。
 DOESの新曲『バクチダンサー』も和語が絶妙なブレンドの歌詞とハードロックなメロディ・リズムがいいですね。






 土方歳三資料館で今年の兼定刀身展示期間が案内されています……ゴールデンウィーク間近だなぁと感じます。今年は土方さんの遺品中心とのこと、これもまた楽しみです。

北海道
五稜郭のサクラのつぼみ緑になり始める
 五稜郭公園(函館市五稜郭町)のサクラのつぼみが、膨らんできた。散策する人から「きれいな花びらを楽しみにしているよ」との温かい言葉を励みに、陽光を受けて緑色の芽が春風に揺らぐ。
 同公園には約1600本のサクラがあり、大半がソメイヨシノだ。例年5月の連休時期に満開を迎え、国の特別史跡「五稜郭」が星形のサクラ色に染まる。
 12日に自転車で訪れた市内高盛町の白川芳二さん(56)は「この時期になるとサクラが気になってしょうがない。今年は寒い日が続いたので、いつ咲こうか戸惑っているかもしれない。早く満開を見たい」と心待ちの様子だった。
 日本気象協会北海道支社の独自予想によると函館の開花日は5月6日で、満開は同10日ごろ(4月7日発表)。



福島
郡山自由大学の教養講座、17日に開幕
 オープンカレッジ郡山自由大学の教養講座は17日から21日まで、郡山市のうすい百貨店10階バンケットルームで開かれる。
 歴史作家の星亮一さんが3月に発刊した「会津維新銘々伝」などを題材に、幕末の会津藩の人々を紹介するなど5つの講演が日替わりである。
 郡山自由大学の主催、八重洲ブックセンター郡山うすい店の共催。
 連日午後2時から開催する。
 受講料は1講座1200円、全講演受講で5000円。
 問い合わせは郡山自由大学本部電話024(933)5020へ。


東京
西新宿に幕末個室居酒屋「龍馬の空」-串を剣に見立てた「幕末剣術串焼き」も
 西新宿に4月16 日、居酒屋「幕末個室居酒屋『龍馬の空』新宿社中」(新宿区西新宿7、TEL 03-5332-1950)がオープンする。運営は都内を中心に飲食店を展開するダイヤモンドダイニング(港区)。
 同店では、幕末の風雲児・龍馬がたどったゆかりの地の郷土料理や、幕末がモチーフの料理を提供する。エントランスには等身大の龍馬像を配し、「長崎港の間」には長崎の舶来物を飾る。店舗面積は133.66坪、席数は186席。3人から20人まで、「桂小五郎の間」「勝海舟の間」「沖田総司の間」などのテーブル個室や堀ごたつ席を用意する。
 メニューは、「神道無念流 ~豚巻串~」「鏡新明智流 ~魚串~」など串を剣に見立てた「幕末剣術串焼き」(160円~)、龍馬の姉・乙女や千葉道場の佐那をテーマとした「はちきん地鶏と季節野菜の蒸篭蒸し」(1,480円)、「鬼小町佐那の懐刀~逸品~」(500円~)のほか、「四万十海老の唐揚げ」(880円)、「ペリーの黒船~海鮮桶寿司~」(1,200円)、「文明開化のぱふぇ」(680円)などを取りそろえる。客単価は3,600円を見込む。
 同社広報担当者は「刺身の名前には、海にまつわるさまざまな幕末史を盛り込んだ。幕末にタイムスリップしたような気分を料理でも楽しんでほしい」と話す。
 営業時間は、ランチ=月曜~金曜の11時30分~14時、ディナー=17時~23時30分(金曜・土曜・祝前日は翌4時30分まで。日曜・祝日は23時まで)。

 神道無念流が豚で、鏡新明智流が魚……「北辰一刀流とか心形刀流もあるのかな?」と、サイト検索しました。
ぐるなび - 幕末個室居酒屋 龍馬の空 ‐新宿社中‐ 
 北辰一刀流は鶏でした。天然理心流は野菜です(笑)。
 5本の串盛り合わせが、なぜか「沖田総司幻の五段突き」というネーミング。また「薩長同盟VS新撰組」なんてメニューもあります。
 とどめはデザート。「せっぷく茶屋」って^_^;。
 土方歳三の間、4名個室を指名で使ってみたいものです。伊東甲子太郎の間、6名個室というのもいいなぁ(^^)。

京都
漆職人・柴田是真 作品90点ずらり
 相国寺承天閣美術館
 相国寺承天閣美術館(上京区今出川通烏丸東入)で、幕末~明治に活躍した漆職人・柴田是真(ぜしん)(1807~1891)の作品を集めた展覧会「柴田是真の漆×絵」が開かれている。海外で高く評価されている是真の作品はほとんどが海外へ流出しており、まとまった作品が日本で展示されるのは30年ぶりという。
 江戸生まれの是真は漆職人を目指して蒔絵技法を習い始めた。その後「蒔絵(まきえ)には下絵を描く技術が必要」と気付き、京都などで日本画の技法を学んだ。各分野の技とセンスを磨き、絵画、漆芸、漆絵など多彩な作品を残した。
 会場には海外のコレクターや国内の寺などから集めたふすま絵や掛け軸、重箱など約90点がずらり。陶器に見えるが実は竹に漆を塗った「だまし漆器」やカタバミの葉を散らしコウモリが飛ぶ姿を描いた盆など、江戸っ子らしいしゃれの効いた作品が多い。また、巻いても漆にひびが入らない漆絵を完成させた高い技術も必見だ。
 6月6日まで午前10時~午後5時。会期中無休。一般千円、65歳以上・大学生800円、小中高生500円。4月25日午後2時からは冷泉家25代当主で同志社女子大客員教授の冷泉為人氏が「柴田是真の絵画ーー円山四条派をめぐって」と題して講演。整理券配布は午後1時から。


高知
龍馬が土佐に届けた手紙80年ぶり発見 長州で託される
 坂本龍馬が幕末に山口県萩市で託され、土佐勤王党を率いた武市半平太(たけち・はんぺいた=瑞山<ずいざん>)に届けた手紙が、当時土佐藩主だった山内家が高知県に寄贈した資料から見つかった。手紙は1927年に出版された資料集に紹介されたが、行方不明になっていた。23日から高知県立文学館(高知市丸ノ内1丁目)で公開される。
 山内家から県に寄贈された資料を収蔵している土佐山内家宝物資料館(高知市)が12日、約80年ぶりに見つかった手紙を報道陣に公開した。
 同資料館によると、手紙は、尊皇攘夷(じょうい)派の長州藩士で吉田松陰の門下生だった久坂玄瑞(くさか・げんずい)が文久2(1862)年1月、武市にあてて書いた。内容から長州を訪れた龍馬に託したとみられる。筆跡などから久坂の真筆と判断した。
 手紙には「諸侯不足恃、公卿不足恃、草莽(そうもう)志士糾合義挙の外には迚(とて)も策無之事」(大名も公家もあてにならず、在野の志士が力を合わせて立ち上がるほかに策はない)とあり、武市に奮起を促している。手紙の中で龍馬について触れ、「坂本君が来たので腹を割って話した」「詳しくは坂本君から聞いて、よく考えてほしい」などとの内容が記されている。
 1912年に出た「維新土佐勤王史」に手紙の写真が収められ、27年出版の「武市瑞山関係史料集成」に手紙の文章が収録されていた。


長崎
雑記帳:龍馬も飲んだお酒再現、幕末のこうじ菌使う 長崎
 これぞ龍馬が飲んだお酒--。坂本龍馬がつくった商社「亀山社中」が置かれた民家を所有していた豪商の子孫に当たる酒店「高田酒店」(長崎市)が、往時の日本酒を忠実に再現した。
 幕末、酒店を営む高田文平の妻トキが所有する民家を龍馬らが借りた。この逸話に基づき、文平から4代目の高田雄康(ゆうこう)社長(40)が「おとき」(500ミリリットル1890円)と命名した。
 幕末のこうじ菌を手に入れて仕込んだ労作。当時の日本酒の飲み方は水割りが主流だったというが、龍馬ファンなら情熱をロックで冷やすのが乙?【錦織祐一】




ブックレビュー
黒船前夜 渡辺京二著
 千島列島、サハリン、蝦夷(えぞ)という未開の地を舞台にした、ロシアとアイヌ、幕末日本、三者三様の思惑と行動を丹念にたどった力作である。ロシアは日露通商の道を探り、アイヌは恬淡(てんたん)と自活の道を求め、松前藩と幕府は穏便な鎖国策で済ませようとする。満足な地図もなく厳しい自然条件のもとでの手探りの航海と怪しげな通訳によって、異文化理解が深まっていく過程が伸びやかな史観によって浮かび上がる。
 ロシアの船長たちもなかなかに個性的だが、日本人も捨てたものではない。中でも蝦夷政策で老中へ大胆な提言をした河尻春之、荒尾成章など幕僚たちの志と気骨、潔くロシア船に捕らわれた豪商・高田屋嘉兵衛の豪胆ぶりな魅力など、幕末には現代より人物がいたと知る。レザーノフの駆け引きやゴローブニンの幽囚を書いた終章も日露前史として興趣が尽きない。外交のあるべき姿を考え、北方領土の歴史を知るうえでも役に立つ。(純)

洋泉社 3045円




 今日は雨、また冬に戻ったような寒さです。

山形
「清河八郎」の魅力探る 生誕180年記念シンポ開催
 明治維新の先駆けとなった庄内出身の志士・清河八郎(1830―63年)の生誕180年記念シンポジウムが11日、庄内町の清川公民館で開かれた。大勢の歴史ファンが出席し、記念講演やパネルディスカッションを通して“回天の士”の生涯をなぞった。
 シンポジウムは、まちづくりグループ「元気・まちネット」(矢口正武代表、事務局・東京都墨田区)が、地元の清河八郎顕彰会(齋藤清会長)、立谷沢川流域振興プロジェクト協議会(遠藤仁会長)と連携して企画。八郎が生まれた当時の庄内や、八郎が目指したものについて多角的な視点から考察し、古里の再発見につなげていこうというもの。
 この日は午後1時に開幕し、オープニングで元気・まちネットの矢口代表が「魅力あふれる清河八郎という人物を知り、彼が正当な評価を受けられるよう働き掛けていきたい」とあいさつした。
 続いて、藤沢周平・司馬遼太郎文学研究会(山形市)代表の佐竹迪さんが「藤沢周平作品『回天の門』―郷土が生んだ清河八郎の生涯」と題して基調講演。八郎の思想に大きな影響を与えたとされる桜田門外の変について「大老暗殺は幕政への不満が爆発したというよりも、幕府の弾圧で尊皇攘夷の志士たちが深刻な危機と恐怖を抱いたため、起こった事件ではないか」と話し、「名もない志士の行動が天下を動かしたことで、八郎は『回天の時は来た』と考えただろう」と解説した。
 このほか、八郎が18歳で清川村から上山まで歩いた街道を「回天の道」と名付け、昨年9月に踏査・検証した元気・まちネットの取り組みを矢口代表が解説。佐竹さんや矢口代表、清河八郎記念館常任理事の廣田幸記さんをパネラーに、パネルディスカッションなども行われた。
 シンポジウムに先立ち、八郎生誕180年の今年から没後150年の2012年までの3年間に清河八郎顕彰会が取り組む各顕彰事業の開幕式典が行われ、同会が製作した顕彰事業のPR看板がお披露目された。看板は清川地区の清河八郎記念館に設置される。


高知
武市瑞山あて書状を公開=各藩志士の連携説く-竜馬が届ける・高知
 幕末の長州藩士久坂玄瑞(1840~64)が土佐藩士武市瑞山(1829~65)にあて、幕藩体制打破を辞さない尊王攘夷(じょうい)運動を説いた書状が23日から、高知市の土佐山内家宝物資料館の企画展「山内容堂」で公開される。個人が所蔵していたため、資料集で活字として見ることはできたが、現物の一般公開は初めて。
 久坂が文久2(1862)年1月15日と21日、長州を訪れた坂本竜馬(1835~67)と会談し、武市に届けるよう託したとみられ、同館の藤田雅子学芸員は「各藩士が連携して進めた尊王攘夷運動の様子を伝える重要な資料だ」と話している。
 書状は同月21日付。2004年に山内家から高知県に寄贈された約6万7000点の資料に含まれていた。
 藩の枠組みの中で運動を進めようとしていた武市に対し、「草奔志士糾合義挙のほかにはとても策無きこと」と書状に記し、各地の志士の連携が不可欠という考えを提示。その上で、「尊藩も弊藩も滅亡しても大義なれば苦しからず」として、尊王攘夷のためには体制の崩壊も辞さない強い態度を示した。(2010/04/12-15:30)


竜馬が運んだ手紙見つかる 「志士よ、立ち上がれ」
 坂本竜馬が長州藩から土佐藩へ運んだ、土佐勤王党の決起を呼び掛ける手紙が約80年ぶりに見つかり、土佐山内家宝物資料館(高知市)が12日、報道陣に公開した。
 長州の尊王攘夷派の中心人物久坂玄瑞が勤王党の武市半平太にあてたもので、1927年に出版された史料集に掲載された後、行方が分からなくなっていた。同資料館の藤田雅子学芸員は「志士らしい情熱的な書体で、幕末の空気が伝わり貴重だ」としている。
 手紙は文久2(1862)年に書かれ、縦24センチ、横67センチの巻物。「諸大名も公卿も頼りにならず、草莽(在野)の志士を集めて立ち上がるしかない」「大義のためならば、長州藩や土佐藩が滅亡しても苦しくない」などの内容で、勤王党ら下級武士に決起を勧めている。
 当時は、嘉永6(1853)年のペリーの黒船来航を機に、天皇を尊重し外国勢力を追い払おうとする尊王攘夷論が各地で台頭。土佐でも勤王党が結成された。
 勤王党に参加した竜馬は、剣術修行の名目で長州へ出向き、久坂と武市の手紙を仲介。手紙には「坂本君とは腹蔵無く話し合ったので、詳しく聞いてください」とも書かれ、竜馬と久坂が熱心に話し合ったことがうかがえるという。


大義のためなら…久坂玄瑞が龍馬に託した手紙見つかる
武市瑞山あて「志士が義挙するほかに策はない」

 坂本龍馬が長州を訪れた際に尊皇攘夷(じょうい)の志士・久坂玄瑞(くさかげんずい)に託され、土佐へ持ち帰った手紙が、土佐山内家宝物資料館(高知市)の収蔵資料から見つかり、同館が12日、報道陣に公開した。土佐勤王党を主宰した武市瑞山(たけちずいざん)にあてて志士の決起を促す内容で、大義のためなら藩が滅んでもいいという持論の部分を大きな字で強調している。龍馬も久坂の影響を受け、帰郷直後に脱藩しており、明治維新前の緊迫した情勢を伝える文面だ。
 手紙は1862年(文久2年)1月21日付。久坂が武市に「大名や公家は頼れない」「草莽(そうもう)の志士が義挙するほかに策はない」と諭し、目立つ字体で「尊藩(土佐)も弊藩(長州)も滅亡しても大義なれば苦しからず」とつづっている。
 武市の使者として長州を訪ねてきた龍馬を「坂本君」と呼び、「腹を割って話し合ったので、しっかり聞き取って熟考してください」と、自分の思いを龍馬から聞くよう頼んでいる。
 手紙は昭和初期以降、行方不明だったが、同館で今年1月に見つかり、字体などが判明した。23日~6月27日、高知県立文学館(高知市)で公開する。
 木村幸比古・霊山歴史館学芸課長の話「まず藩論を勤王で統一すると主張する武市に対し、久坂は一刻も早く藩を超えて志士が連携すべきだと説いたのだろう。龍馬も、この久坂との出会いで感化され、脱藩を決意したと考えられる」



山口
山口 維新ゆかりの地巡る催し
 幕末の志士、高杉晋作のぼだい寺を出発して維新ゆかりの地を歩いて巡る催しが山口県下関市で開かれ、およそ2万人の人たちが散策を楽しんでいます。
 この「維新・海峡ウォーク」と名付けられた催しは、幕末の志士、高杉晋作をしのんで毎年開かれていて、ことしで25回目を迎えます。今回も、市民や観光客などおよそ2万人が、晋作が眠る東行庵の近くの小学校をスタートしました。催しは、晋作の像のある寺や長州藩の砲台跡などを巡り、下関駅に向かうコースと、関門海峡をトンネルで渡って北九州市の門司港に向かうコースの2つがあり、それぞれおよそ30キロあります。11日は時折、雨の降るあいにくの天気になりましたが、参加者の中には、幕末の志士さながらの格好をして歩く人の姿も見られました。家族で参加した44歳の女性は「雨になったのが少し残念ですが、沿道では桜の花も見えてとても楽しいです」と話していました。参加した人たちは途中で休憩をとりながら、およそ8時間かけてゴールを目指します。



長崎
【動画】長崎歴文博「龍馬伝館」10万人突破 熊本の東濱さん一家に記念品
 幕末の志士、坂本龍馬の生涯を描くNHK大河ドラマにちなみ、長崎市立山1丁目の長崎歴史文化博物館内に設置されている「長崎奉行所・龍馬伝館」の入館者数が10日、10万人を突破した。
 10万人目は熊本市から家族6人で訪れた公務員、東濱顕始さん(38)一家。ロマン長崎の高崎順子さんから花束、大堀哲館長から記念品のミニ龍馬像を手渡され、東濱さんは「龍馬は幕末に欠かせない人物。大河ドラマを見て大ファンになった」、長男の健太君(9)は「本を読んで龍馬のことを勉強している。龍馬はかっこいい」と話した。
 「龍馬伝館」は1月9日オープン。開館から92日目で入館者数10万人を突破した。同博物館によると、1日の平均入館者数は約1100人で、約7割を県外客が占めるという。
 同博物館は「目標の年間入館者数40万人に向けて順調。ドラマの進行に合わせて、5月には展示内容を変更する。これまで訪れた人にも楽しんでもらいたい」としている。

 【編注】高崎順子さんの高は、口が目の上と下の横棒なし


バスで「龍馬伝館」PR HTB・佐世保連携事業推進協 復元帆船など
 佐世保市のハウステンボス(HTB)に新設されたNHK大河ドラマ「龍馬伝」の展示施設をアピールしようと、HTBと佐世保市、佐世保観光コンベンション協会でつくるHTB・佐世保連携事業推進協議会は4月から、龍馬伝館のラッピングバスの運行を始めた。同協議会は「今年の佐世保観光の目玉として積極的にPRしていきたい」と意気込んでいる。
 ラッピングは、大村湾の青色を基調に、幕末ゆかりの復元帆船「観光丸」や坂本竜馬がデザインされている。西肥バス1台に描き、龍馬伝館が開館している来年2月末まで市内全域を運行する。
 福岡市内を運行する西鉄バスや長崎市内を走る路面電車の各1台にもラッピングしている。JR佐世保駅構内には特設コーナーを開設。佐世保市内のホテルなどにのぼりも設置していくという。


文化芸能
“歴女”杏、新選組の永倉新八が好き
 モデルで女優の杏(23)が11日、都内で、連載を執筆する雑誌「歴史スペシャル」のイベントでトークショーを行った。
 歴史好きな“歴女”として知られる杏。一番好きな人物に新選組の永倉新八をあげ、「大正時代まで生きて、義に熱いところと、剣一筋なところが好き」。さらに「新選組の前身の浪士組に、兄と一緒に志願した女性がいる。兄(渡辺大)も役者をやっているので2人でやりたい」と兄妹で時代劇共演を夢みた。また渡辺大は3月に第2子が誕生。「海外から帰ってきたばかりで、まだ会っていないけど、会うのが楽しみ」と祝福した。

 浪士組に兄と一緒に志願した女性、中沢琴についてもご存じとは、なかなか。

『龍馬伝』勝麟太郎役・武田鉄矢「福山君は光り輝くほどかっこいい」とジェラシー
 NHK大河ドラマ史上初となる4部構成で、4月から第2部に突入した『龍馬伝』(NHK総合 毎週日曜 後8・00ほか)。4月18日放送の第16話では、脱藩して浪人となった龍馬(福山雅治)の人生に大きな影響を与える幕臣・勝麟太郎(海舟)との出会いが描かれる。
 本作で勝麟太郎を演じるのは、芸能界きっての龍馬好きとして知られる武田鉄矢。先日、同局で行われた取材会に出席した武田は、「昨年1月、NHKの方に会いたいと言われてお会いしました。『今度、龍馬をやるんです』というお話を聞いていたら、突然『出ていただけませんか?』と言われまして…。幕末は、若者たちのエネルギーがあふれていた時代です。私にできる役は何かと思っていたら、プロデューサーから『龍馬を育てていただけませんか』と言われて、思わず目頭が熱くなりましたね」と、出演オファーを受けたときの心境を明かした。
 ドラマの前半は、いち視聴者として『龍馬伝』を見ていたという武田。「龍馬通として悔しいですが、“福山龍馬”の後に次なる龍馬像を描くのは難しいと思います。毎回、完成度の高さに見とれています」と作品を褒めたたえ、“福山龍馬”についても「光り輝くほどかっこいい。あの美貌、あの若さ。うらやましいですね」と絶賛していた。




エンターテインメント
ケイブ『はじめて幕末王子』空前の幕末ブームを盛り上げる!新選組の無敵剣豪がついに配信!
 株式会社ケイブ(本社:東京都新宿区、代表取締役社長:高野健一 大証ヘラクレスコード:3760)は、女子力UP型コンテンツ『はじめて幕末王子』の新キャラクター追加に伴う大規模アップデートを本日行いますことをお知らせいたします。
【シリーズ第3弾 『はじめて幕末王子』 追加配信の概要】
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■2010年を盛り上げる幕末に、あの志士のシナリオが追加配信!
今、大河をはじめ数多くのメディアで注目を集めている時代、幕末。
「はじめて幕末王子」では、この幕末時代を活躍した新選組から「斎藤一」を追加配信いたします。
新選組で一、二を争う無敵の剣豪「斎藤一」が、激動の時代に翻弄されながら新選組で葛藤する様を描く、
壮大な幕末ストーリーをお楽しみください!

■新たなシナリオ追加で「池田屋」に挑む!
今回のキャラクター追加により、新たなシナリオと華麗なイラストが追加されました!
幕末の京都に衝撃を与えた三大事件の1つ、新選組の代名詞と言える「池田屋事件」をはじめ、
数々の事件を斎藤視点で体験することにより、幕末を生きた彼らの魅力をより一層、感じることができます。

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【キャラクター紹介】
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斎藤 一(さいとう はじめ)~寡黙で不器用な隻眼の剣豪~
「誓おう。いかなることがあろうと、彼らに尽くす…」

■アプリ画面
シナリオ途中で登場する選択肢の内容で、マルチエンディングとなる大好評のシナリオアプリです。
登場キャラクターたちが繰り広げる会話のやり取りや、多彩な表情から「斎藤一」のストーリーを、ますます楽しむことができます。

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【はじめてシリーズとは…?】
-------------------------------------------今や常識になりつつある歴史の”ちょっと気になる“”知らなきゃヤバい”を、完全ゲーム化!
ゲームを楽しみながら、ついつい誰かに話したくなる歴史ネタや会話のエッセンスを仕入れることができます。

(1)イケメン王子達に大接近!
・よりすぐりのイケメン王子たちがあなたと一緒に、歴史を駆け抜けます。
・理想のイケメン王子たちに恋をするも良し、あなた好みのカレに変えていくも良し。
・乙女心をくすぐる王子たちの反応で、女性のハートを満足させます。

(2)1日5分の超簡単プレイ!
・電車の中やお昼休み、就寝前などのちょっとした時間に「はじめて」シリーズはピッタリ!
・時間の無い方やめんどくさがり屋の方も、らくらくかんたんに進めることができます。


■主な仕様
対応機種:NTTドコモiアプリ対応機種
料金:月額315円(税込)
アクセス:iMenu⇒[メニューリスト]⇒[ゲーム]⇒「アドベンチャー/ノベル」
      ⇒[はじめて幕末王子]
PR用PCサイトURL:http://hajimete-baku.cave.co.jp/







 その3です。2~3日ためてしまうと結構な量になりますね^_^;。

広島
社告:上野彦馬賞受賞作品展 中区で13日から /広島
◇入場無料、86点展示
 幕末から明治に活躍し、日本の写真術の開祖と称される上野彦馬にちなんだ「第10回上野彦馬賞九州産業大学フォトコンテスト」の受賞作品展を開催します。グランプリの上野彦馬賞を受けたスペイン在住の写真家、森本徹さんの「コソボ--虐殺の記憶」(白黒5枚組=写真はその一枚)など一般部門の上位11点と高校生・中学生部門は入賞75点を展示します。広島での受賞作品展は初めて。入場無料です。

 <会期>13日(火)~18日(日)10~18時(最終日は17時まで)

 <会場>アステールプラザ(中区加古町)

 <問い合わせ>毎日新聞福岡本部事業部092・781・3636(土日不在)

 主催 九州産業大学、毎日新聞社

 後援 文化庁、日本写真芸術学会ほか


山口
市民フォーラム:「明治維新と下関」テーマ 東亜大学で、きょうスタート /山口
 東亜大学(下関市一の宮学園町)は「明治維新と下関」をテーマに13回、市民フォーラム下関学2010を開く。明治維新に大きくかかわった長州・下関。坂本龍馬が幾度も下関を訪ねたことはあまり知られていない。幕末や国内外の歴史、経済などに詳しい講師陣がさまざまな角度から論じる。受講無料で会場は同大13号館1階102教室。時間はすべて午後2時半~同4時。同大下関学事務局(083・256・1111)。【三嶋祐一郎】

 各回の演題、講師、期日は次の通り。

 (1)明治維新とは何か(変動する世界の中の日本)、猪飼隆明・大阪大名誉教授、10日▽(2)高杉晋作の戦略、田口由香・大島商船高等専門学校教諭、17日▽(3)高杉晋作と新東行記念館、溝口純一・下関市立東行記念館学芸員、24日▽(4)桜山神社と慰霊空間、磯永和貴・東亜大人間科学部准教授、5月15日▽(5)坂本龍馬と薩長同盟、古城春樹・市立長府博物館学芸員、同22日▽(6)香水と龍馬(お龍に贈ったほれ薬)、金刺一成・香水調香師(ヴィルセゾンうさぎオーナー)、同29日▽(7)医師たちの明治維新、亀田一邦・九州国際大講師、6月5日▽(8)絵師たちの明治維新(狩野芳崖と日本画革新)、岡本正康・市立美術館学芸員、同12日▽(9)国学と儒学(尊王攘夷論をめぐって)、上原雅文・東亜大人間科学部教授、同19日▽(10)秋田商会ビルと屋上庭園の謎に迫る、亀松靖弘・北九州市立大大学院国際環境工学研究科研究員、同26日▽(11)下関の対外経済関係、木村健二・下関市立大経済学部教授、7月3日▽(12)韓国併合100年と下関、崔吉城・東亜大人間科学部教授、同10日▽(13)歴史資源と下関観光(まとめにかえて)、伊藤寿真男・市民ミュージカル代表、萩原利生・下関商工会議所常議員観光部会部会長、同17日。
〔下関版〕


佐賀
佐野常民の「博愛」学ぶ…博愛少年団発足
 日本赤十字社の前身・博愛社の創立者で県出身の佐野常民(1822~1902年)などについて学ぶ「博愛少年団」が10日、佐賀市川副町の佐野常民記念館で発足し、入団式が行われた。
 佐野の功績などを紹介している同記念館が初めて企画し、佐賀市と福岡県大川市の小学4、5年生計20人が入団。活動は月1回で、幕末維新期に活躍した「佐賀の七賢人」などについて学び、記念館の案内ボランティアも目指す。
 入団式では江口善己館長が「博愛とはすべての人を平等に愛するということです。仲良く1年間頑張りましょう」とあいさつ。団員は「博愛精神を学び、明朗で社会に役立つ青少年になることを誓います」と宣誓した。
 式後は、団員がそれぞれ自己紹介し、早速1回目の学習会。記念館の案内や佐野をたたえる歌などについて学んだ。
 佐賀市の赤松小4年志佐悠(はるか)さん(9)は「色んなことを学びたい。すごく楽しみです」と目を輝かせていた。



長崎
長崎まちなか龍馬館:入館5万人を達成 /長崎
 長崎市などが中心市街地に1月2日にオープンさせたテーマ館「長崎まちなか龍馬館」(同市浜町)が9日、入館者5万人を達成した。
 5万人目は福岡県粕屋町の会社員、山本和明さん(30)。「中学生の時から龍馬が好き」といい、妻誠子さん(31)、長男寛人ちゃん(11カ月)との雲仙市への家族旅行の際に立ち寄ったという。
 田上富久市長からまち歩きマップなどの記念品を贈られた山本さん夫妻は「びっくりしました。ドラマもあるし、勉強して帰りたい」と笑顔だった。
 同館は、NHK大河ドラマ「龍馬伝」を受けてオープン。11年2月末までの開館期間中に30万人の入館者を見込む。入館料は一般300円▽高校生200円▽小中学生150円。【錦織祐一】
〔長崎版〕


古写真展:龍馬、彦馬、弥太郎…維新のまなざし きょうから歴史文化博物館 /長崎
◇貴重コレクションも
 幕末から明治初期の日本最大級の古写真展「龍馬と彦馬 維新のまなざし 幕末長崎古写真展」が長崎市立山の長崎歴史文化博物館で10日に開幕するのを前に、その開会式と内覧会が9日、同館で開かれ、関係者らが約400点に及ぶコレクションに見入った。【蒲原明佳】
 上野彦馬は1862年、長崎市新大工町に写真スタジオを開設。同年には、長崎養生所(長崎大医学部の前身)で医学を教えるため、オランダ人、A・F・ボードインが来日し、長崎の風景を撮りためていった。
 展示されるのは、長崎大付属図書館や江崎べっ甲店(長崎市魚の町)が所蔵する2人の作品や関連資料など。初公開される同図書館所蔵のアルバム「幕末明治期長崎来訪人物写真集」のオリジナルなど、貴重なコレクションを含む。
 また、2人が撮った長崎の街並みの写真と、現在の街並みの写真と比較できるコーナーや、明治初期の大浦居留地やそこで暮らす人々を写した写真3枚をほぼ等身大に引き延ばし、当時を再現したコーナーなどもある。
 同博物館の大堀哲館長は「写真撮影時期には、長崎に坂本龍馬や岩崎弥太郎が訪れていた。龍馬や弥太郎が見た当時の長崎の町や人々の暮らしを写した古写真を通し、長崎の過去から現在、未来を考えるきっかけになれば」と話していた。

〔長崎版〕


【動画】長崎歴文博「龍馬伝館」10万人突破 熊本の東濱さん一家に記念品
 幕末の志士、坂本龍馬の生涯を描くNHK大河ドラマにちなみ、長崎市立山1丁目の長崎歴史文化博物館内に設置されている「長崎奉行所・龍馬伝館」の入館者数が10日、10万人を突破した。
 10万人目は熊本市から家族6人で訪れた公務員、東濱顕始さん(38)一家。ロマン長崎の高崎順子さんから花束、大堀哲館長から記念品のミニ龍馬像を手渡され、東濱さんは「龍馬は幕末に欠かせない人物。大河ドラマを見て大ファンになった」、長男の健太君(9)は「本を読んで龍馬のことを勉強している。龍馬はかっこいい」と話した。
 「龍馬伝館」は1月9日オープン。開館から92日目で入館者数10万人を突破した。同博物館によると、1日の平均入館者数は約1100人で、約7割を県外客が占めるという。
 【編注】高崎順子さんの高は、口が目の上と下の横棒なし


鹿児島
“薩長同盟”交流ツアー 山口から観光モニター 鹿児島 新幹線全通にらみ企画
 来年3月の九州新幹線鹿児島ルートの全線開通をにらんで鹿児島県観光連盟が招いた山口県からの観光交流モニターツアー一行35人が10日、九州新幹線つばめで鹿児島入りした。2泊3日の日程で春の鹿児島を楽しむ。
 鹿児島市と山口市は全線開通で現在の約3時間10分から約2時間で結ばれる。このため両県の観光連盟は交流を深めようと幕末の“薩長同盟”にならって昨年10月、姉妹盟約を締結。交流事業として参加者にアンケートを行い観光振興につなげるモニターツアーを企画した。鹿児島から山口へのモニターツアーは3月下旬にあり、今回は鹿児島が受け入れた。
 一行が到着した鹿児島市のJR鹿児島中央駅では鹿児島県観光連盟の職員らが横断幕を掲げ歓迎した。10日は霧島、11日は指宿に宿泊し、桜島や知覧特攻平和会館など鹿児島の代表的観光地をめぐる。
 山口県下関市から夫婦で参加した岡本礼子さん(67)は「坂本竜馬の足跡をたどるのが楽しみ」と話していた。


コラム
【龍馬を慕(おも)う】(2)京都・烏丸今出川 維新回天見つめた「二本松」
 烏丸今出川の交差点の北東かどの広大な敷地に、赤レンガの建物群が建ちならんでいる。同志社大学今出川キャンパスである。今出川通をはさんだすぐ南側には、深いミドリにつつまれた京都御苑が広がる。

 いい場所にある。いい場所にあるが、いい思い出はなにもない。かつて、4年間ほど籍を置いた。以来、いちども足を踏み入れていない。

 この大学が坂本龍馬と因縁があるのは、かつてこの地に薩摩藩の京都藩邸があったからである。キャンパスの西門を出た右手に、

 「薩摩藩邸址(あと)」

 と刻まれた小さな石碑が立っていることは、当時から知っていた。

 歴史書には「薩摩二本松藩邸」とも書かれている。龍馬の手紙には、たんに「二本松」とだけ表記されている。なぜ二本松なのかは分からない。あたりに二本松という地名もない。

 ●薩長同盟の舞台

 維新回天の歴史のなかで、龍馬の最大の偉業は、慶応2(1866)年1月、薩長同盟を締結させたことであろう。締結されたのが、この二本松藩邸だとされる。「一条戻橋」ちかくにあった薩摩藩士、小松帯刀(たてわき)邸で結ばれた、という異説もある。

 いい思い出はなにもない、と書いたが、愛校心のカケラぐらいはのこっている。幕府を崩壊させるキッカケとなった薩長同盟は、わが母校で結ばれたと信じたい。

 長州側の代表である桂小五郎(木戸孝允(たかよし))が二本松藩邸に入ったのは、1月10日である。応接したのは西郷隆盛や大久保利通、帯刀らである。

 西郷らは連日のように桂に対し、酒食の接待をしたが、かんじんの同盟の話は一向に進まない。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』では、会談の冒頭、桂は、

 「われわれは薩州をうらんでいる」

 と陰湿な声で発した、とされる。「蛤(はまぐり)御門の変」や、第一次長州戦争のさいの薩摩側の対応を非難しているのである。

 西郷はひたすら謝った。だが沽券(こけん)にかかわるのか、自分のほうから同盟を持ち出すことはできない。

 龍馬が下関から、二本松藩邸にかけつけたのは20日である。龍馬と会うと、桂はいきなり、

 「坂本君、私は帰る」

 と言ったという。もう薩摩との同盟はあきらめ、長州は独自に維新回天の戦略をすすめるというわけである。

ここから龍馬の獅子奮迅の活躍が始まる。桂を時には怒ったように説き伏せ、西郷を叫ぶように叱咤(しった)した。『竜馬がゆく』では、西郷に対する、

 「長州が可哀そうではないか」

 という一言で、同盟が設立したとされる。この時点で、維新回天の歴史は大きく「回転」しはじめ、倒幕運動につながっていった。

 ●同志社を歩く

 今出川通側の門から入ると、同志社の創立者、新島襄の大きな碑がある。

 「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」

 と刻まれている。「丈夫」は「ますらお」と読ませるのであろう。4年間、通いながら、こんな碑があったことすら知らなかった。新島の期待に反し、筆者はたんなる「匹夫(ひっぷ)」のままである。

 新島は明治8(1875)年、元会津藩士で、京都府政に大きな功績をのこした山本覚馬から、山本所有の元薩摩藩邸の敷地を譲り受け、同志社を創設した。

 「至誠館」や「弘風館」や「明徳館」など、キリスト教系の大学にしては、維新の志士がこのむような武張った名前の学舎がつづく。記憶が正しければ、神学館のまえでは岡林信康がフォークをうたっていた。あまり関係はないが、明徳館の地階には学生食堂があり、素うどんが15円、朝の定食が25円であった。

 薩摩藩邸には、9棟の屋敷と多くの土蔵があった。龍馬はこのキャンパスのどこかで、「全身ニ充満シタル丈夫」ぶりを発揮し、同盟を締結させたのであろう。

 西門まえに来たとき、はっとなった。キャンパスをふさぐように高さ40~50メートルの松、さらに右手の同志社中学まえにも同じような高さの松の老樹が、それぞれ亭々とのびていたのである。

 「二本松」の理由がようやく分かった。当時、どろどろした観念ばかりをふくらませ、若者特有の視野狭窄(きょうさく)におちいっていたため、ずっと気がつかなかったのであろう。

 薩長同盟は、龍馬だけの功績ではない。龍馬とともに暗殺された中岡慎太郎の働きも大きい。

 その足跡をたどるためには、今出川通をずっと東に行った、もうひとつの大学を訪ねなければならない。(文 福嶋敏雄)

                   ◇

 ≪メモ≫

 薩長同盟締結の舞台となった薩摩藩邸跡(同志社大学)へは、JR京都駅から地下鉄烏丸線で「今出川」駅下車すぐ。キャンパス周辺は若い学生が行き交い、当時の面影はない。元治(げんじ)元(1864)年、薩摩・会津連合軍の前に長州が敗れた「蛤(はまぐり)御門の変」(禁門の変)が起きた蛤御門へは、今出川駅から南へ徒歩約5分。京都御所では11日まで、予約なしで参観できる「春季一般公開」を実施中。

                   ◇

 ≪きょうの「龍馬伝」≫

 ■NHK総合 午後8時~ ほか

 龍馬(福山雅治)は大坂から京へと向かっていた。京には、三条家に仕える加尾(広末涼子)がいる。半平太(大森南朋)も藩主・山内豊範(染谷将太)と共に、京に入っていた。半平太は公家の尊王攘夷(じょうい)派・三条実美(池内万作)に面会し、徳川幕府に攘夷を実行させるために、みかどの勅命を持って江戸に乗り込むことを提案する。半平太と共に京に入った平井収二郎(宮迫博之)は妹の加尾と久しぶりの対面をしていた。収二郎は龍馬が半平太を裏切り、土佐藩を脱藩したことを加尾に教える。岡田以蔵(佐藤健)は土佐勤王党のために、天誅(てんちゅう)と称し、開国派の人々を暗殺していた。龍馬が加尾を訪ねて来ると、加尾は兄の忠告を破り、龍馬と一夜を過ごす。


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(57)東大教授・山内昌之 来島又兵衛
■高齢政治家の情熱と使命

 人は見かけによらぬもの、という言葉がある。与謝野馨元財務相が自民党を離党して新党をつくるという報に接したとき、多くの人びとは政策通の理知的政治家らしからぬ印象をもったことだろう。

 しかし、内剛外柔と目された与謝野氏は見かけも剛直なところを見せるようになっている。先ごろの衆院予算委員会で鳩山由紀夫首相を「平成の脱税王」と追及した迫力は見事だった。氏の内面に潜む熱さを与謝野鉄幹・晶子の血に求める人もいるが、それは政治家与謝野氏を低く見すぎているだろう。今回の新党結成にも見せた思い切りの良さは、氏がいつもドブ板選挙を経験し、落選の修羅場をくぐった点と無縁ではない。

 激戦区で3回も落選し、浪人の試練を味わい、比例での復活も経験した自民党総裁・首相候補者は他に例を見ない。新党結成については、与謝野氏が71歳の高齢であり、展望が見えないと批判する声も大きい。

 しかし、自民党が頑迷固陋(ころう)で、変わる見込みもないというのは一つの判断である。ここが保守政治家として勝負時と大きな賭けに出たのだろう。

 ≪猛将と能吏の二面≫

 幕末でいちばん情熱と使命感をあらわにした老境の武士といえば、まず来島又兵衛が屈指であろう。禁門の変で散った来島については、「豪胆にして武技に長じ、慨世(がいせい)憂国の念、最も熾烈(しれつ)」(『大人名事典』第2巻、平凡社)という評価が一般である。剣術は新陰流の免許皆伝、馬術も驚くほど巧みで、戦国武士を思わせる剛毅(ごうき)な男であった。

来島は藩の役職でも順調に昇進しながら、尊攘(そんじょう)運動が長州藩をおおう文久年間には40代半ばでも血気盛んな男であり、高杉晋作らから「来翁」と親しまれていた。当時の40代後半とは、すでに老境と目された年格好なのである。

 来島の不思議さは、萩、京都、江戸の勤務を大過なく重ね、金銭の出納を手際よく管理した能吏の側面があることだ。来島といえば老将や猛将のイメージも強いが、算勘(さんかん)の道にもたけていたのだ。江戸では出費をまめにメモしながら、収支を国許(くにもと)の妻に知らせていたというから、ほほえましい。吉田松陰は、来島の特性を早くから見抜き、彼の胆力が人よりも優れていると同時に、計算に際して正確に数え、思慮深く考えると評価したこともあった。

 ≪目標実現へ命賭ける≫

 しかし、能吏たる来島の運命は、文久3(1863)年5月、馬関の外国艦砲撃戦で総督国司信濃(くにししなの)の参謀となって奮戦して以来、大きく変わる。長州藩兵が御門警固を解かれた8月18日の政変、ついで池田屋事件で失墜した藩の名誉を回復し、尊攘運動に再び火をつけたのは来島であった。

 京への進発に反対した高杉晋作を面罵(めんば)し、慎重だった久坂玄瑞をひきずるように武装上洛した先頭にはいつも来島の姿があった。京都でも御所を攻撃する不敬に恐れを抱いた久坂に、「臆病(おくびょう)者は東寺の塔か天王山で見物しておれ」と怒鳴ったというから迫力は凄(すご)い。

 49歳の来島や53歳の真木和泉が20代の若者を叱咤(しった)して政治目標実現のために命を賭ける執念は、その精神において現代の政治家も見習うべきではないだろうか。

 天龍寺に結集した来島の遊撃隊は、会津藩兵が守る蛤御門で激戦を交わした。禁門の変は一名蛤御門の変と呼ばれるほどだ。来島らは朝方早く蛤御門に突入、あわや御所を占拠する勢いであった。

≪勝利目前で撃たれ自刃≫

 もし、乾門から薩摩兵が加勢して横やりを入れなければ、来島らの勝利は目前であった。そのとき、葦毛(あしげ)の馬にまたがり颯爽(さっそう)と指揮していた来島は、薩摩の川路利良に胸部を狙撃され、落馬した。川路は後の警視庁大警視(警視総監)である。

 いまも蛤御門から御所に少し向かった所に樹齢300年ほどの「清水谷家の椋(むく)」という木が残る。来島が被弾し、自刃したのは、この椋の木のあたりであった。

 来島で驚嘆するのは、年を経ても政治への情熱が少しも衰えず、しかも先頭で若者をぐんぐん引っ張ったことだ。さて、普通なら安定と自足を望むはずの高齢者が情熱を注ぐ新党の使命感とは何か。

 高齢者問題は選挙の争点であり、有権者の相当な部分を高齢者が占める。さながら来島のように、算勘だけでなく、情熱もほとばしる与謝野氏が語る政治理念や抱負にまずは耳を傾けたいものである。(やまうち まさゆき)

                   ◇ 

【プロフィル】来島又兵衛

 きじま・またべえ 文化14(1817)年、長州(山口県)生まれ。江戸で剣術を学んだ後、大検使役などを歴任。文久3年、藩命で猟師を集めた狙撃隊を率いて尊攘運動のために上京。高杉晋作が奇兵隊を組織すると、遊撃隊を編成して総督となり、高杉と連携。元治元(1864)年、禁門の変に出陣し、蛤御門で戦死した。享年49。





 昨日は山形出身の人と会い、清河八郎の事績だとか人柄についてひとしきり話が弾みました。

山形
木戸孝允の書など初公開 長井・やませ蔵美術館「幕末明治展」
 明治維新の立役者だった木戸孝允の書とされる歴史資料などを紹介する「やませ蔵に残る幕末明治展」が9日から、長井市あら町の「やませ蔵美術館」(竹田義一郎館長)で始まった。
[MAP]
 同美術館は、かつて舟運のまちとして栄えた長井の文化を発信しようと、紬(つむぎ)問屋だった竹田家敷地内の5つの蔵を改修し1991年にオープンした。ふるさとづくり賞、東北建築賞、山形景観賞なども受賞。竹田館長の本業が忙しくなったため2003年11月に休館したが、その後も開館の要望は強く、竹田館長の退職を機に昨年9月、再開館した。
 竹田家に代々受け継がれてきたコレクションの中から、メーン会場となる「新蔵」に、木戸が現在の長井市成田を訪れた際にしたためたとされる書や、大久保利通の書簡、岩倉具視の書簡集など7点を展示。いずれも初公開の貴重な資料で、多くの市民や歴史愛好家の注目を集めそうだ。また、「東蔵」にはメリーアン・ライリーの点描画、「南蔵」には今野忠一、斎藤信夫ら本県ゆかりの作家の日本画、「みそ蔵」には長井紬の資料を展示している。
 「今年が実質的な再開館」と竹田館長。休憩室では新たに、200円でコーヒーセットも楽しめる。毎週金、土、日曜日の開館で、各日とも午前10時~午後5時。



神奈川
米国で発見 「神奈川台場の着色写真」
開港資料館で きょうから公開

 幕末に勝海舟が設計し、現在の横浜市神奈川区に1860年に築かれた砲台「神奈川台場」の写真に、明治時代の絵師が色をつけた「着色写真」が、10日から横浜市中区の横浜開港資料館で公開される=写真(山本博士氏所蔵)=。同館によると、神奈川台場の白黒写真はこれまでにも知られているが、着色写真は珍しいという。
 この写真は同市神奈川区に住む洋菓子製造販売業山本博士さん(40)が昨年末、インターネットの海外オークションサイトで発見し、米国の骨董(こっとう)屋から1000円相当の米ドルで購入した。
 大きさは横約14センチ、縦約10センチで、全体的に色あせているが、海が薄い青色、家が茶色など、当時の姿が浮かび上がっている。
 山本さんは「市内の古い史跡を大勢の人に知ってほしい」と、写真を同館に寄託し、同館は新資料として10~23日に展示することにした。
 同館は老朽化した空調設備を入れ替えるため約3か月間全館休館しており、10日から常設展示室が再開されるのを記念し、23日まで入館料を無料にする。


縁起菓子:縁起良い「勝サブレ」 海舟設計の神奈川台場モデルに /神奈川
◇箱に明治の写真、冊子入り
 幕末に勝海舟が設計した横浜港の神奈川台場をモデルにした縁起菓子「勝サブレ」が、「三陽物産」(横浜市中区)から発売された。
 台場を模した山形のサブレの中央に「勝」の文字が焼き込まれている。サクサクした食感だ。10枚1260円(税込み)で、横浜赤レンガ倉庫などで発売されている。
 歴史好きな同社の山本博士社長(40)は昨年末、神奈川台場の着色写真をインターネットのオークションで入手した。米国の写真店が出品したもので、明治初めの撮影。写真は包装箱にも印刷され、歴史を伝える冊子も入る。写真は10日から横浜開港資料館で展示される。
 神奈川台場は坂本龍馬の師、勝の設計で1860年に造られ、外国船の警備で大砲が設置された。現在の横浜市神奈川区にあたり、埋めたてられている。
 山本社長は「大砲は実戦には使われず、貴賓や外交団の祝砲に用いられた。『勝』は縁起良く、出陣式などお祝いものになれば」と期待を込めた。【網谷利一郎】

岐阜
幕末・明治の志士らの書、個性豊か 高山の光記念館
 高山市中山町の光記念館が所蔵する幕末・明治の志士らの書を紹介する「書コレクションⅠ」が、同館で開かれ、激動の時代の息吹を感じさせる作品が並んでいる。5月16日まで。

 展示されているのは、西郷隆盛や徳川慶喜、勝海、山岡鉄舟ら武士や政治家の作品のほか、現代書など計18点。
 高山市で少年時代を過ごした山岡鉄舟や、徳川慶喜による漢詩の一節を書き上げた作品、西郷隆盛の豪放で力強い書簡など、筆遣いにそれぞれの人間性が表れた書が並ぶ。
 現代書では、全国の書家が所属する独立書人団の創設者手島右卿らの作品が、訪れた人を引き付けている。


兵庫
川本幸民の生誕200年記念 三田で多彩な催し 
 日本で初めてビールを醸造し、カメラ、マッチも試作したことで知られる三田出身の蘭学者川本幸民の生誕200年を記念し、三田市は今年、幸民を学ぶ連続講座や、三田藩主九鬼家ゆかりの三重県鳥羽市との交流など、さまざまな催しを企画している。
 連続講座は今月から10月まで6回開催。幸民が試作したマッチやカメラ、薩摩藩主島津家とのかかわりなどをテーマに、博物館の専門家らが講演する。
 第1回は23日、市立高齢者大学・大学院の入学式の記念講演として、市総合文化センター「郷の音ホール」で。日本カメラ博物館(東京)学芸員の井口芳夫さんが「川本幸民と日本の写真とカメラの歴史」と題して話す。無料。午後2時半~4時。同大事務局TEL079・563・2991
 8月には、九鬼家ゆかりの鳥羽市から櫂伝馬船が持ち込まれ、武庫川で乗船体験会が開かれる。同市の市民グループによる鳥羽九鬼水軍太鼓の演奏もある。
 幸民や幕末にまつわる問題100問が出題される「川本幸民検定」は、秋に実施予定だ。


幸民麦酒幕末の味 小西酒造復元/伊丹
 幕末に日本で初めてビールを造ったとされる三田藩出身の蘭学者(らん・がく・しゃ)川本幸民(1810~71)の生誕200年を記念し、小西酒造(伊丹市)が6月、幸民のビールと同様の手法で製造する「幕末のビール復刻版 幸民麦酒(ばく・しゅ)」を全国に発売する。
 川本幸民はマッチを国内で初めて作ったことでも知られ、「日本化学の祖」と呼ばれる。ペリーが黒船を率いて開国を迫った1853年、自宅でビールを造ったとされ、詳しい醸造方法を翻訳書「化学新書」に記述している。別の文献では、できあがった幸民のビールの試飲会で桂小五郎や緒方洪庵、大村益次郎といった歴史上の人物が味わったと伝えられる。
 生誕200年記念事業に取り組む三田市が「幸民の業績を広くアピールし、三田を『みた』でなく『さんだ』と全国の人に読んでもらおう」と、小西酒造と取引のある会社を通じて依頼、同酒造が製造・販売を決めた。
 同社の地ビール主任技師辻巌さん(51)が、化学新書や文献などをあたって製造法や材料を研究した。ビール酵母ではなく日本酒の酵母を使う考えといい、日本酒の酵母とビール酵母を混ぜて造る手法も併せて研究している。
 味について辻さんは「キレを重く見る今のビールとは違い、豊かなあじわいになる」という。「幸民麦酒」は330ミリリットル入りの瓶で、予定価格は630円。酒店などで扱うほか、インターネットでも販売する。(安村弘)





長崎
【動画】龍馬や弥太郎の時代、古写真で体感 長崎歴文博、きょうから展覧会
 長崎市立山1丁目の長崎歴史文化博物館で9日、幕末から明治初期の長崎の古写真を一堂に集めた「幕末長崎古写真展」(同館、長崎大付属図書館主催)の内覧会と開会式が開かれた。
 世界屈指の7千点を所蔵する長崎大付属図書館、長崎の写真家上野彦馬の貴重なアルバムを保管している江崎べっ甲店(長崎市)のコレクションを中心に、計400点を一挙に公開。幕末長崎に焦点を当てた過去最大の展覧会だ。
 狙いは「体感」と「出会い」。眼鏡橋の風景や武士の集合など一部の写真は、高精度のデジタル技術を駆使し大きく引き伸ばした。坂本龍馬や岩崎弥太郎ら志士が活躍した時代の雰囲気と暮らしを体感できる。
 開会式には約140人が出席。長崎大付属図書館の柴多一雄館長は「写真家の彦馬やベアト、医師ボードインが撮影した時期は龍馬の来崎とぴったり重なっていた。今回の写真はまさに龍馬が見た長崎」とあいさつした。
 一般公開が始まる10日は午後2時から長崎歴文博1階ホールで、古写真に詳しい姫野順一・長崎大教授の講演がある。


長崎まちなか龍馬館が入館5万人 福岡の山本さん一家に記念品
 坂本龍馬を中心に幕末の歴史や現在の長崎の魅力を紹介する「長崎まちなか龍馬館」(長崎市浜町)の入館者数が9日、開館約3カ月で5万人を突破した。担当者は「大型連休や夏休みなどを機に、街のにぎわいにつなげたい」と意気込んでいる。
 1月3日にオープンした同館は、大型スクリーンの映像や展示などで龍馬や長崎を紹介。同月の入館者数は1万4983人、2月はランタンフェスティバルの集客効果で順調に数を伸ばし2万1128人、3月は1万1238人。特産品や龍馬関連グッズを並べた物販コーナーは、3月末までで約1850万円を売り上げた。
 5万人目となったのは、福岡県から家族旅行で来た会社員、山本和明さん(30)、誠子さん(31)、寛人ちゃん(11カ月)の親子。田上富久市長から記念品を受け取った山本さんは「中学時代から、幕末や龍馬が好き。よい記念になった」と話した。
 同館では、10日から「幕末英雄のハガキ」を先着1万人に贈り、29日からはクイズに答えながら展示を楽しめる企画を打ち出す。




 そろそろ散り桜の見頃、午後は見に行ってくる予定です。

東京
ネットワーク:展覧会 /東京
 幕末関係のみ抜き書き。
 ☆日蘭通商400周年記念展「阿蘭陀とNIPPON~レンブラントからシーボルトまで」

 24日~7月2日、渋谷区神南1のたばこと塩の博物館、4階特別展示室電話3476・2041。1609年から幕末までの約250年間に及ぶ日本とオランダの交流の歴史を貴重な美術工芸資料などを通して知ることができる。一般・大学生300円、小・中・高生100円、70歳以上無料。月曜休館。


神奈川
大奥などを描いた浮世絵を展示/川崎
 明治時代に活躍した浮世絵師、楊洲周延(ようしゅうちかのぶ)(1838~1912)の作品を展示した「豪華絢爛(けんらん)『千代田之御表(おんおもて)・千代田之大奥』全揃展」が、川崎市川崎区砂子の「川崎・砂子の里資料館」で開かれている。
 周延は幕末から約50年間、作画に携わった。戊辰(ぼしん)戦争で上野彰義隊に参加、五稜郭の戦いにも加わるなどした経験から戦争絵を得意とし、武者絵や美人画も残した。
 展示は全3回の初回で、江戸城の大奥などを描いた31点を展示。花や着物の色鮮やかさが目を引く「御花見」や、「かるた」「七夕」といった大奥の年中行事を描いた作品のほか、5枚続きの大作「婚礼」などが並ぶ。
 次回からは将軍や大名などの武者絵も展示されるといい、斎藤文夫館長は「江戸城の『御表』と『大奥』をともに見られる展覧会は、ほかにはないだろう」と話す。
 訪れた高津区の主婦(55)は「色がきれい。今にも動きだしそうですね」と感心していた。
 今回の展示は24日までで、2回目が5月10~29日、3回目が6月7~26日。午前10時~午後5時(日曜・祝日休館)。入場無料。問い合わせは同館電話044(222)0310。



山口
維新・海峡ウオーク:ゆかりの地を歩いて巡ろう--11日 /山口
 明治維新ゆかりの地を巡る恒例の「維新・海峡ウオーク」が11日、下関市を中心に開かれる。毎年2万人以上でにぎわう人気イベント。主催する実行委は「春の日差しを浴びて、関門海峡沿いを歩いてみませんか」と参加を呼びかけている。【尾垣和幸】

◇東行庵で開会式
 午前8時半から幕末の志士、高杉晋作が眠る同市吉田の東行庵で開会式。参加者は、王喜↓小月↓王司↓長府城下町と歩き、唐戸を経て竹崎町のシーモール下関まで歩く「30キロコース」▽関門国道トンネル人道を通って対岸の門司港(北九州市)を目指す「28キロコース」に分かれる。

◇沿道では太鼓演奏、あと「一歩」後押し
 ゴールや途中の関所など計12カ所でお茶を提供し、軽食の販売なども。力みなぎる太鼓を沿道で演奏、あと「一歩」を後押しし、“完歩”者に賞状や記念バッジを贈る。
 雨天決行で、参加費無料。当日は午前6時半ごろからJR下関▽新下関▽小月の3駅前、横野バス停前から東行庵行きの臨時バス(有料)を運行する。参加希望者は午前8時半までに東行庵へ集合を。問い合わせは実行委(083・223・0150)へ。
〔下関版〕


長崎
まちなか龍馬館 入館5万人 長崎市
 1月に長崎市浜町にオープンした「長崎まちなか龍馬館」の入館者数が9日、5万人を突破し節目の来館者となった福岡県粕屋町の会社員山本和明さん(30)一家に田上富久市長が記念品を贈った。
 山本さんは妻誠子さん(31)と長男寛人ちゃん=11カ月=と来館。雲仙への旅行の途中でパンフレットを目にし、長崎まで足を伸ばしたという。
 山本さんは「昔から竜馬が好きなので今日は勉強していきたい」と笑顔。田上市長は「いろいろ見て食べて楽しんでください」と祝福した。
 市は来年2月末までに入館者30万人を目指している。


幕末長崎の古写真400点 歴史文化博物館
 坂本龍馬が訪れた幕末期の長崎を写した古写真を中心に展示する「幕末長崎古写真展~龍馬と彦馬 維新のまなざし」の開会式が9日、長崎市立山1の長崎歴史文化博物館で開かれた。同博物館は「龍馬も歩いた長崎の街を写真で体感してほしい」としている。10日から5月31日まで。
 同博物館や長崎大付属図書館などが所蔵する幕末から明治初期までの写真約400点を公開。当時の街並みや庶民の暮らしぶりなどが写されている。
 ほぼ等身大に拡大した龍馬の肖像写真や、龍馬とゆかりの深い勝海舟、岩崎弥太郎、陸奥宗光らの写真も展示。上野彦馬が撮影した「外国人と3人の武士」、「長崎の留学生」なども初公開する。当時の街並みを撮影した鳥瞰(ちょうかん)写真と現在の同じ地点の景色を比較するコーナーなどもある。
 開会式で、大堀哲・同博物館長は「一枚ずつじっくりと見ると、当時の長崎の様子や、人物の立場の違いが分かり、興味をそそられる」、柴多一雄・同図書館長は「幕末の長崎の世界を見て、長崎が近代日本に果たした役割を再認識してほしい」とあいさつ。大浦居留地で1860年代~70年代にかけて撮影された写真3枚を編集し、当時の街並みを再現したコーナーでは、出席者らが記念撮影を楽しんでいた。
 大人500円、小中高生250円。問い合わせは同博物館(095・818・8366)へ。




エンターテインメント
ソーシャルアプリ 『幕末新撰組◆恋浪漫‘s』 「モバゲーオープンプラットフォーム」にて公開開始
携帯電話公式サイトを400サイト運営している株式会社エイチーム(本社:愛知県名古屋市、代表
取締役社長 林高生、以下エイチーム)は、株式会社ディー・エヌ・エー(本社:東京都渋谷区、
代表取締役社長兼CEO:南場智子、以下DeNA)が運営する、ケータイ総合ポータルサイト「モバ
ゲータウン」(2010年3月末現在会員数:1813万人、URL:http://mbga.jp )にて、『幕末新撰組
◆恋浪漫‘s』を公開開始いたしました。


時は幕末…
日本が変わろうとしている時代の
京都を舞台に繰り広げられるラブロマンス!

【ゲーム概要】
幕末志士とのドキドキ恋愛を楽しめる、女の子向け恋愛シミュレーションゲームです。ストー
リー中の選択肢を選択することによって物語を進めていきます。複数の彼氏候補キャラクターに
対して同時進行でアプローチしていくことも可能となっております。
また、他のユーザーの彼氏を誘惑する機能や、他のユーザーからの誘惑を防ぐことで彼氏の好感
度がアップするなど、ユーザー同士の交流がゲームに影響を与える機能が大きな特徴となってお
ります。

登場キャラクターはサブキャラクターを含め総勢15名となっており、初期段階では彼氏候補とな
らないキャラクターも、人気度によって彼氏候補として登場する予定となっております。


エイチームは、1月27日にオープンした「モバゲーオープンプラットフォーム」の先行開発パート
ナーとして、現在人気を博している『エターナルゾーン』『 ラブきゅん恋愛学園』『ゆうしゃ
村』など様々なジャンルのアプリをリリースして参りました。今回リリースいたします『幕末新
撰組◆恋浪漫‘s』を含め、現在22タイトルを提供しており、今後も様々なバリエーションのアプ
リを提供していく予定となっております。
(以下略)


文化芸能
シネマの週末・トピックス:獄に咲く
 舞台は幕末の長州藩、野山獄。生きて出ることは難しい獄舎で、囚人たちはすさんでいた。唯一の女囚高須久(近衛はな)もその一人。夫の死後、旅芸人とみだらな関係を持った嫌疑をかけられていた。そこに投獄されたのが、アメリカ密航に失敗した吉田松陰(前田倫良)。自らに厳しく他者に優しい松陰は、囚人たちの心に潤いをもたらす。だが、松陰には安政の大獄を進める幕府の手が伸びようとしていた。原作は直木賞作家古川薫の小説。前田の熱演で、松陰の希代の教育力が改めて実感できる。映画初主演の近衛も、松陰との切ない恋物語を清らかに演じきった。石原興監督。1時間34分。有楽町スバル座ほか。(栗)


超個性派俳優、ついに連ドラ初主演「カツラ被ることに…」
 シリアスからコメディーまで変幻自在に様々な役柄をこなし、引っ張りだこの個性派俳優、生瀬勝久(49)。NHK大河ドラマ「龍馬伝」でも、幕末の志士たちを育てた吉田松陰を熱演するなど、ヒット作には欠かせない存在だ。役作りの秘密に迫った。
 学園ドラマ「ごくせん」ではリーゼントヘアーの嫌みな教頭のイメージが強烈だったが、同じ先生でも、ちょんまげ頭で松陰を演じると、熱血教師に。切り替えのあまりの鮮やかさに、頭の中がどうなっているのか見たくなるほどだ。
 「ただ単純に、お芝居が好きなんです。いろんなキャラになるのが楽しくて仕方ない。アプローチにしても、そんなに作り込まないほうだと思う。自分のイメージでしか作れないし。動いて声を出してみて、だんだんと役が出来上がっていくんです」
 NHKのコント番組「サラリーマンNEO」もそうだが、演じるのは濃いキャラが多い。
 「小劇団出身だからかな。輪郭がハッキリした役は好きです。小劇団は、舞台で役者同士が競争する世界。1ポイントでどう印象に残るか。目立ってナンボですから」
 劇団時代の芸名、槍魔栗三助(やりまくり・さんすけ)としテレビに進出した約20年前のドラマ「新・部長刑事 アーバンポリス24」で、ハイテクに強いあか抜けた刑事を演じたこともある。「倉田小太郎って役だったんだけど、どっちが芸名で役名なのか紛らわしかった」と振り返る。
 人気ドラマ「TRICK」シリーズで演じる矢部謙三は全く違うタイプの刑事だ。手柄は独り占めし、失敗の責任は部下に押しつけようとする自分勝手な性格。誰が見てもわかるカツラをばれないか気にする姿が笑いを誘うが、カツラを被るキャラが生まれた背景には、こんな事情があった。
 「撮影が舞台の時期と重なって、途中で髪形を変えなきゃいけなくなった。衣装合わせで『なにかいい手はないか』と、カツラを被ることにしたら、これを逆手にとれば面白いということになったんです」
 9日には、謙三が主役で難事件に挑むスピンオフドラマ「警部補 矢部謙三」(テレビ朝日系、金曜午後11時15分)が始まる。連ドラ主演は意外にも初めて。
 「野球でいうなら、1回も投げきってないのに、先発で完投を要求されるようなもの。僕なんて適材じゃない。クタクタです。作品をラーメン店でたとえるなら、背脂たっぷりの濃い味で床がぬれているような店だから」と苦笑する。
 重責については、ドラマの主人公・謙三さながらに、「ヒットすれば僕のおかげ。そうならなければ、悪いのはプロデューサー、演出家、脚本家…。あ、脚本は面白いから責任はないかな。いずれにしろ、僕を主役に起用するなんて冒険ですよ」。
 さらなる冒険に期待したい。(宇野貴文)

■なませ・かつひさ 1960年10月13日、兵庫県西宮市生まれ。同志社大卒。「劇団そとばこまち」で4代目座長をつとめ、テレビ、映画に進出。「警部補 矢部謙三」では、池田鉄洋、貫地谷しほりらが共演。「サラリーマンNEO Season5」(NHK総合、木曜午後10時55分)もスタート。映画「劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル」(堤幸彦監督)が5月8日公開。


ブックレビュー
薩摩藩の維新を支えた残酷な史実
(NPO連想出版 新書マップ編集部 川井 龍介)
『明治維新のカギは奄美の砂糖にあり 薩摩藩隠された金脈』
大江 修造 著
アスキー・メディアワークス
760円
 奄美大島、あるいは奄美諸島と聞いて、すぐにはっきりとしたイメージを浮かべられる人は多くはないだろう。おなじ大島だからといって、伊豆大島と混同する人もいるくらいだ。
 昨年の夏は、皆既日食の絶好のスポットとしてその名前がメディアに登場した。最近では、沖縄の普天間基地の移転先の候補として、奄美諸島の一つ徳之島の存在が浮かび上がった。しかし、全体としてこの地域が話題になることはほとんどない。
 同じ南方の島々で、沖縄が太陽とするならば、奄美は月のようなイメージがある。その中心となる奄美大島は平地は少なく緑が濃く、瑞々しい亜熱帯の空気が漂う。島唄も本来は奄美で生まれた唄であり、そのメロディーも、どちらかといえば陽気な沖縄音楽に比べると、湿ったもの悲しさが印象に残る。
 この島唄のなかには、サトウキビをつくる際の辛い労働を表したものがある。長い間、薩摩藩によって支配されてきた奄美は、サトウキビをこれでもかというほど作らされ、納めるよう求められた。収穫するときは、土から上、ぎりぎりのところで刈り取るよう命令されたと、島の人に聞いたことがある。
 苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)を極めたこの支配は、奄美の人に薩摩に対する反発や怨恨を抱かせた。その反対に、薩摩はサトウキビによって巨大な財力を蓄えた。そして、この経済力をもとに戦艦を購入するなど近代化を進めやがて幕府を倒すまでになる。つまり、本書にあるように、明治維新には奄美の砂糖が一役買っているのだ。
 幕末、明治維新に詳しい人なら、この事実はよく知っているだろうが、一般にはサトウキビがこれほど力をもっていたことや、奄美が収奪されていたことを知る人は少ないだろう。本書の著者は、化学工学が専門の大学教授だが、両親が奄美大島の出身で母方の家系は琉球王の末裔である田畑家だという。
 慶長14(1609)年、薩摩藩がそれまで琉球の支配下にあった奄美諸島に侵攻し、以後支配下に置く。
 「しかし、奄美侵攻は、奄美人以外多くの日本人は知らない。傷の痛みを訴えようにも、持っていきどころがない。ここに、悩みの深さがあり、先が見えない点がある」。著者は奄美にルーツを持つものとしてこう嘆いている。
 というのも、本書にあるようにその支配の方法は、本土(薩摩藩)と比べて著しく差別的であった。名前や容姿についてまで島の人間とわかるように決められた。稲作を禁じサトウキビだけを作らせ、通貨の代わりに砂糖を使わせるなどすべてが砂糖のため、といっていいほどだった。
 これほどまでにして獲得した砂糖の販売利益で薩摩藩は、軍艦の購入や近代的な工場の運営、あるいは留学生の派遣を賄い、また幕府から命じられた木曽川の治水工事もなんとか成し遂げたという。
 幕末、明治維新の物語は、「龍馬伝」や「坂の上の雲」などのテレビドラマの人気を見てわかるように日本人の心をかき立てる。大変革が成し遂げられ、あわせてその舞台にかかわるさまざまな人間ドラマが展開されるからだ。
 当然、そこでは英雄譚が目立つが、その陰には知られざる物語もまたある。企業やビジネスの成功でも同じだろう。「一将功成りて万骨枯る」というように、表舞台に立つ人間や組織に光があたる一方、奄美諸島の砂糖のように陰でそれを支えたものの辛苦もまたあるのだ。


長くなりそうなので分割してアップします。





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