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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 雨で、ぐっと冷え込みましたね。明日朝が一番寒くて東京では摂氏5度ぐらいとか。冬布団セットに戻して暖かくして眠るよう準備しました。

東京
民権運動の紹介 多摩から武相全域へ 町田市立自由民権資料館
 多摩地域周辺の民権運動の変遷を紹介する町田市立自由民権資料館(同市野津田町)の常設展が十年ぶりにリニューアルされ、オープンした。入館無料。新展示では、「武相の民権/町田の民権」をテーマに、自由民権運動の経過と地域社会にもたらした影響について紹介している。 (堂畑圭吾)
 同館では従来、多摩地域の民権運動を扱っていたが、武相地域(現神奈川県に多摩地域を加えた旧神奈川県域)全体の動向から自由民権思想の広がりについて理解を深めてもらうことにした。
 新しい常設展には、民権運動に関する文献や写真など約三百点を展示。「黒船来航」「結社の時代」「国会と憲法の要求」「幕末の民衆運動と地域」「三多摩移管」など二十一コーナーに分けて、運動の変遷をたどることができる。
 民権結社の規則や自由党にかかわる民権家の書簡、国会開設後の政治運動に関する資料なども並ぶ。
 写真や図解などを多用して、分かりやすく見てとれるよう工夫した。文献の読み下しパネルも添えるなどして、小中学生にも理解しやすい構成になっている。
 開館時間は午前九時~午後四時半。問い合わせは、同館=(電)042(734)4508=へ。



大阪
幕末史がライフワーク
大阪龍馬会幹事
長谷 吉治さん
本当の龍馬を知ってほしい

休みのたびに文献で見つけた龍馬ゆかりの場所を訪ねたり、図書館で書物をひもとくという長谷さん

 「大阪龍馬会」の幹事で、幕末史研究をライフワークとする。会で発行する季刊誌「龍馬速報」で「大坂の史跡を訪ねて」のコーナーを連載中で、坂本龍馬や勝海舟ら幕末を彩る人物が訪れた神社や定宿などを紹介。連載回数は43回を数えた。NHK大河ドラマで「龍馬伝」が放送され、坂本龍馬が再び脚光を浴びる中、「過大視された龍馬でなく本当の龍馬を知ってほしい」と話している。

■夜中に高知へ
 なぜ、龍馬なのか。

 「薩長同盟も大政奉還も、いろんな人が画策しながら、行動に移したのは龍馬。一介の脱藩浪人が偉い人物と渡り合うのも魅力を感じさせる。手紙の内容も、ざっくばらんで面白い」と魅力を語る。

 子供のころから、ドラマや小説を通じて日本史に関心があった。大学1年のとき、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み始めたが、途中で挫折。以後、「幕末史は難しそう」と敬遠していた。

 龍馬にはまったのは1994年ごろ。通勤途中に読んだ海音寺潮五郎の小説「西郷と大久保」が面白くて、今度は土佐側から幕末を読もうと「竜馬がゆく」に再挑戦した。6巻目を読んでいたとき、坂本龍馬を知りたい衝動を抑えきれず、午前3時ごろに自宅を飛び出して車を走らせ、高知に向かった。

 龍馬生誕の地の近くの喫茶店に入ると、喫茶店は実は龍馬の本家筋だった。「龍馬が好きで大阪から来たと告げると『大阪に龍馬会がある』と紹介され、帰ってから早速、龍馬会の門をたたいた」と振り返る。

 書物を読み、知らない地名や気になる建物があれば、付せんを張り付けていく。インターネットや図書館で情報を集め、実際にその場所を探して、現地で話を聞くスタイルだ。

■発見が楽しい
 例えば、新撰組の定宿だった八軒屋の京屋忠兵衛の船宿の隣に、京都の寺田屋と布団の貸し借りなどで提携する堺屋源兵衛の船宿があり、龍馬が宿泊した可能性が高いことを発見。また、大阪市中央区淡路町にあった寺に龍馬の絵が残されていたが、戦火で消失したことも突き止めた。

 大阪や神戸で幕末にまつわる史跡を紹介する活動も。研究成果をまとめた史跡探訪本も近く発刊する予定だ。 「龍馬の魅力は人を集めて行動に移したところ。組織を固めてからでないと行動しない人が多い現代、龍馬の生き方は参考になるのではないか」

 ○…元劇団員で、企業の教育インストラクターも務めていたという異色の経歴を持つ長谷さん。やわらかで丁寧な話しぶりで説明を受けると、難しい話もすっと頭に入る。休日は史跡訪問や図書館通いに忙しいが、「休日動けるのは劇団員の経験があるからかも」とはにかむ。幕末に興味のある人には、ぜひ一度、長谷さんの解説を聞いてもらいたい。


大分
龍馬の足跡、歩いてたどる
大分―長崎230キロ~ファンら25人、11日かけ

 幕末の志士・坂本龍馬が大分市から長崎市まで歩いた約230キロをたどる「龍馬飛翔(ひしょう)ウオーク」が6日、始まった。全国の龍馬ファン25人がゆかりの地を巡りながら1日10キロ~30キロ歩き、11日間かけて長崎市の長崎奉行所跡を目指す。
 龍馬は1864年、幕府から英、仏、米、蘭の四国連合艦隊の下関攻撃を中止させるよう命じられた勝海舟に随行。神戸から海路で大分に入った後、長崎に赴いたとされる。
 ウオークは、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映で龍馬に関心が集まっている中、龍馬を研究・愛好する135団体でつくる「全国龍馬社中」などが、足跡をたどって思いをはせようと初めて企画した。
 一行は、龍馬が上陸したとされる大分市佐賀関を出発し、竹田市から熊本県の阿蘇山を越える旧肥後街道を経て、熊本港から船で長崎県島原市に入り、16日にゴールする。道中で横井小楠記念館(熊本市)や鍋島邸(雲仙市)など、ゆかりの場所に立ち寄る。1日間だけ歩く人も含めると約500人が参加する。
 この日は市佐賀関支所で出発式が開かれ、橋本邦健・全国龍馬社中会長が「土佐の一青年だった当時の龍馬に思いをはせながら完歩しましょう」とあいさつ。1日間だけの参加者を含む約50人が、龍馬が宿泊した記録が残る佐賀関の徳応寺などを巡り、同市鶴崎まで約20キロ歩いた。
 夫婦で参加している長崎市上西山町、青木長幹さん(73)は「話題の龍馬を深く知るために参加した。頑張って歩きたい」と話していた。


社会
「咸臨丸」航路しのぶ、「海王丸」が出航
 幕末に勝海舟やジョン万次郎を乗せて太平洋を横断した「咸臨丸」の航海から150年を記念して、乗組員の子孫らを乗せた練習帆船「海王丸」(2556トン)が7日、東京・品川区の桟橋から米国・サンフランシスコに向け出航した。
 海王丸には、航海訓練の実習生92人のほか、咸臨丸の「蒸気方手伝い」(機関士見習い)だった小杉雅之進の子孫、正井良治さん(62)(兵庫県宝塚市)も乗船。咸臨丸と同様、天文観測で船の位置を把握しながら、往事に近い航路を無寄港でたどる。正井さんは「船上で咸臨丸の航海日誌を読み、当時をしのびたい」と話していた。
 咸臨丸は1860年2月、遣米使節団を乗せた米国軍艦の随伴船として浦賀港を出航。約37日間でサンフランシスコに到着したという。

(2010年4月7日18時47分 読売新聞)


エンターテインメント
新選組のイケメンたちに囲まれハーレム!? 声優陣がアニメ「薄桜鬼(はくおうき)」の魅力を語る
 女性向け恋愛アドベンチャーゲームとして人気を集めている「薄桜鬼(はくおうき)」がアニメ化され、4月からTOKYO MXほかで放送がスタート。その合同アフレコ取材が行われ、主人公・雪村千鶴役の桑島法子をはじめ、土方歳三役の三木眞一郎、沖田総司役の森久保祥太郎、斎藤一役の鳥海浩輔、原田左之助役の遊佐浩二らメーンキャスト陣が集合し、作品の見どころや自身の演じるキャラクターなどについて語った。
 本作は、女性向け恋愛アドベンチャーゲーム「薄桜鬼 新選組奇譚」として'08年にPS2版が発売され話題を呼んだ作品。翌年にはPSP版が発売され、3月18日(木)にはDS版が発売、6月にはPS3版の発売も予定されているほどだ。幕末を舞台に、行方不明になった父を捜す少女・雪村千鶴と幕末を駆け抜ける男たちとの間で繰り広げられる物語を描いていく。
 アニメ「薄桜鬼」のアフレコに参加して、三木は「個性的で僕も大好きなゲームの絵をアニメ化するのは大変だろうなと思っていましたが、いざ現場で動いているものを見たら、ゲームのテイストが全面に出ていて雰囲気もそのままだったので、ゲームファンの方の期待も裏切らないと思います」とコメント。森久保も「今までは動く絵のない中でのアフレコだったので、僕の中でキャラクターのイメージが出来上がっていたんです。だから、台本を見てこの台詞をこう言いたいなと思っても、実際は絵が違う顔をしていたりすることがあって難しかったです(笑)。でもその擦り合わせが楽しかったですね」と感想を語った。
 また、自身の演じるキャラクターについて、桑島は「ただか弱いだけじゃなく、素直で度胸があって、同性から見ても好かれる子だと思います」と紹介。森久保は「新選組の沖田はいろんな作品でさまざまな描かれ方をされてますが、本作ではドSなところが強調されていますが、それがとても楽しいです。今後の千鶴との距離感の変化も沖田の見どころですかね」と語り、アニメへの期待を膨らませてくれた。
 続いて、男性の目から見た千鶴の魅力を聞かれると、「出過ぎない所」と三木がコメント。「言い方が良くないか、でも大事だよね」と言う三木に、他のキャストも同意しつつ、続いて「強さかな」「けなげさと隙のあるうかつさとか」「強くてかわいいところがいい」などそれぞれが魅力を語った。
 最後に、桑島は「最初は何も知らない千鶴と一緒に京の街を駆け巡りたいとおもいます。ゲームをやったことがない方も、アニメを見てゲームをしてみようかなと思ったり、相乗効果で『薄桜鬼』ワールドが広がっていけばいいなと思います!」とコメント。三木は「恋愛アドベンチャーながら、男の背中と生きざまを見せるゲームとして支持されてきた作品。アニメでもそこを楽しんでいただきたいです」と話し、鳥海は「僕も台本をもらうまで先が気になってうずうずしているので、皆さんも1週間早くたたないかなって毎週うずうずしてください(笑)。自信を持ってお薦めできます!」とファンにメッセージを送った。

アニメ「薄桜鬼」
毎週火曜夜2:00-2:30 TOKYO MXほかで放送中

【オープニング曲】
シングル「十六夜涙」吉岡亜衣加
4月21日(水)発売 1260円(税込)ティームエンタテインメント/クロスフューチャーレーベル

【エンディング曲】
シングル「君ノ記憶」mao
4月21日(水)発売 1260円(税込)ティームエンタテインメント/クロスフューチャーレーベル

公式HP
http://www.geneonuniversal.jp/rondorobe/anime/hakuoki/

(C)IF・DF/「薄桜鬼」製作委員会

 第一回、録画予約設定をミスって見逃しました(^^ゞ。

コラム
墓まいら~が行く! 木戸孝允(桂小五郎) 幕末編
 漫画ファンには、週刊少年ジャンプの看板コミック『銀魂』で「ヅラではない、桂だ!」でおなじみのキャラクター桂小太郎のモデル、桂小五郎こと木戸孝允とその妻幾松(松子)のお墓参りに行って来ました。

 場所は京都霊山護国神社。
 1868年(皇紀2528年。明治元年)に、明治維新の実現のために倒れた志士たちの御霊を奉祀するために、明治天皇の発案で京都 東山の霊山に創建された神社です。
 坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓をはじめ、千人を超える志士たちのお墓があります。
 木戸孝允は西郷隆盛、大久保利通とともに“維新三傑”とも評された維新の大物です。
 その一方、会津藩兵に捕らえられた時に隙を見て脱走。その後も新選組の追撃を間一髪で振り切るなど、変幻自在に逃げ回り「逃げの小五郎」の異名を得るほどでした。
 維新後は自分の立場をわきまえ中立の立場をとり、政府の中心となって版籍奉還や廃藩置県などの実現に尽力しました。

 桂小五郎といえば、妻、幾松(松子)のエピソードもたくさんあるのだが本当のところは…ただ幾松も従四位を賜るほどの女傑。昔も今も嫁さんが強いということかな(笑)。
 ちょっと親近感をもってお墓参りができました。

 お墓がある場所はアップダウンがあり足元も悪いため、動きやすい服装に運動靴をおすすめします。

京都霊山護国神社
京都府京都市東山区清閑寺霊山町1
一般300円・中学生以下200円 AM9時~PM17時
JR京都駅~市バス13分、バス停:東山安井下車~徒歩10分。
または京阪電気鉄道四条駅~徒歩25分
名神高速京都東IC5km20分

桂小太郎も活躍? 映画情報はこちら
「劇場版 銀魂 新訳紅桜篇 」2010.4.24 全国ロードショー
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/gintama/

(すぐれいち 山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou


ビジネス
サッポロ、「サッポロ生ビール黒ラベル『お~い!竜馬』コラボレーション缶」を限定発売
「お~い!竜馬」コラボレーション缶発売のお知らせ
サッポロ生ビール黒ラベル

※商品画像は添付の関連資料を参照


 サッポロビール株式会社(本社・東京、社長・寺坂 史明)は、「サッポロ生ビール黒ラベル『お~い!竜馬』コラボレーション缶」を、2010年4月21日(水)より四国、中国、九州地方限定、数量限定で発売します。
 2010年のサッポロ生ビール黒ラベルは「大人の☆生」をコミュニケーションテーマに掲げ、独自の強みである「生のうまさ」に加えて、「自分なりの価値観を持った大人同士が飲むビールである」という新しい価値訴求を行っています。
 今回発売するこの商品は、「大人の☆生 サッポロ生ビール黒ラベル」が自らの確固たる信念を持ち、時代を駆け抜けた「大人」として坂本竜馬に共感し、漫画「お~い!竜馬※」(原作:武田鉄矢、作画:小山ゆう)とタイアップして発売するコラボレーションデザイン缶です。
 缶体には、「お~い!竜馬」の坂本竜馬イラストと、世界へはばたくことを追い続けた竜馬の夢の象徴として海をわたる船を描き、サッポロ生ビール黒ラベルから坂本竜馬へのメッセージである「自ら信念を持ち、時代を駆け抜けた竜馬、サッポロ生ビール黒ラベル、竜馬の大志に乾杯」を表記しました。
 サッポロビールでは、坂本竜馬が持っていた開拓者精神と、自らの確固たる信念と価値観に敬意を表し、北の大地で開拓者精神から誕生した「サッポロ生ビール黒ラベル」を通じて、お客様に、その思いをお届けしたいと願っています。

※漫画「お~い!竜馬」について
 「少年ビッグコミック」、「週刊ヤングサンデー」(ともに小学館刊)で1986年~1996年まで連載された、原作:武田鉄矢、作画:小山ゆうによる漫画作品。幕末を舞台に風雲のごとく駆け抜けた快男児・坂本竜馬の生涯を、フィクションを交え、コミカルかつシリアスに描いた名作。単行本は累計発行部数1500万部。

  記

【商品について】

1.商 品 名
 サッポロ生ビール黒ラベル「お~い!竜馬」コラボレーション缶

2.パッケージ
 缶350ml 1函24本入り (6缶パック×4)

3.発 売 日
 2010年4月21日(水)

4.発売地域
 四国、中国、九州地方限定

5.小売価格
 オープン価格

6.販売見込数量
 20,000函(在姿)


● 関連リンク
サッポロビール(株) ホームページ


● 関連資料
画像1:「お~い!竜馬」コラボレーション缶350ml
画像2:「お~い!竜馬」コラボレーション6缶パック





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 今日は家族で外食してきました。話と箸がついつい進んでしまいました^_^;。

北海道
札幌の北半分まで 石狩のはずだった 17日に石狩市民図書館で講座
 【石狩】札幌市の北半分は石狩になるはずだった?! 幕末の探検家松浦武四郎(1818-88年)が北海道の国や郡の名称などを明治政府に提案した際に控え図として用いた「国郡検討図」から石狩と札幌のかかわりを考える講座が17日午後2時から、石狩市民図書館で開かれる。「札幌と石狩~道都はなぜ札幌になったのか」をテーマに専門家が熱い議論を戦わせる。(荻野貴生)
 石狩市民図書館といしかり砂丘の風資料館の主催。「北海道の名付け親」で知られる松浦武四郎は幕末に6回にわたり北海道や国後島を調査。1869年(明治2年)に明治政府に北海道の名と国、郡の領域を提案した。その際に使われたのが「国郡検討図」で、2002年に発見された。国郡検討図で石狩郡と札幌郡の境界線は、現在のJR札幌駅の南側に引かれており、札幌市北区・東区・手稲区の大部分と、中央区・西区の一部を石狩に含む形で分けられた。講座ではその後、なぜ札幌市が道都となり、現在の境界になったのか-などについて考える。
 「開拓史と北海道」(北海道出版企画センター)を出版し、国郡検討図を調べた札幌市文化資料室の榎本洋介氏と、いしかり砂丘の風資料館の工藤義衛学芸員が討論。市民図書館の丹羽秀人副館長が司会を務める。
 工藤学芸員は「松浦武四郎の定めた境界は現在の函館線とほぼ同じで、これを境に環境は大きく変わる。札幌はアイヌ語で『乾いた所』という意味だが、明治前から栄えていた石狩と何もなかった札幌で、どう境界が決まり、札幌がなぜ道都になったのかを話したい」と言う。
 無料で、直接会場へ。詳しくは市民図書館(電)0133・72・2000へ。


続豊治が作った仏壇発見 野外劇関係者が対面
 7月9日に開幕する「第23回市民創作函館野外劇 星の城、明日に輝け」(NPO法人市民創作「函館野外劇」の会主催)に、日本初の西洋船「箱館丸」を作った船大工として登場する続豊治(1798―1880)が製作した仏壇が、北斗市本町100の広照寺(坂口隆彦住職)に保管されていることが分かった。野外劇関係者ら7人が5日、同寺を訪れて「野外劇に新たな方向性を与えてくれる」と感激の対面を果たした。
 船大工の子として松前に生まれた続豊治は、高田屋嘉兵衛の経営する造船場で船大工として活躍。造船所が閉鎖された1833年からは仏壇師に転身したが、55年に函館に来航していたアメリカ船に興味を持ち、再び船大工となり、57年に「箱館丸」を完成させた。
 広照寺に置かれている仏壇は1846年に作られたものと見られる。同仏壇は同寺の檀家(だんか)が所有していたが、処分されるとの話しを聞いた同寺が2007年に引き取った。同寺の住職の甥にあたる坂口照真さん(24)が野外劇に続豊治が登場しているのを知り、「この仏壇が続豊治の作ったものだということを知っていたので縁を感じた」と、今年度のオーディションで続豊治役に挑戦し、見事に合格を勝ち取った。
 坂口さんから仏壇の存在を聞いた野外劇関係者が、貴重な続豊治の作品にぜひ対面したい」と、この日の訪問が実現。野外劇の演出コーディネーターの石川泰隆さん(29)は「一般的な知名度は低いが、劇中では重要な役割を担う人物。この日の貴重な体験を今後の野外劇で色濃く反映させていきたい」と話していた。


埼玉
坂本竜馬が喝 飲酒運転「いかんぜよ!」 春の全国交通安全運動
 「春の全国交通安全運動」が6日からスタート。「子どもと高齢者の交通事故防止」を重点テーマに、15日までの10日間、県内各地で啓発活動が展開される。寄居町では幕末の偉人「坂本竜馬」の巨大人形が登場。「飲酒運転はいかんぜよ」と交通安全を訴える。一方で、今年の県内人身交通事故が4日に1万件を突破。昨年より5日早い94日目での更新に、県警は危機感を募らせている。
 6日から始まる春の全国交通運動に併せて、寄居町桜沢の寄居署付近の交差点に、交通安全を呼び掛ける「坂本竜馬」の巨大人形がお目見えしている。毎年の春と秋の同運動期間に町内のボランティアグループが制作しているもので、今回で59体目になる。
 今回は、NHKの大河ドラマをはじめとする「竜馬ブーム」にあやかって、坂本竜馬を選んだ。高さは4・9メートル、幅1・5メートル。重さは約300キロ。材料は廃材や牛乳パックなどを再利用した。制作期間は37日。延べ約280人がかかわった。
 交通安全啓発ドールと名づけられたこの人形は、町内の交通安全団体などの会員らが中心となっている「交通安全ドールPS委員会」(高橋始司会長)が制作している。1981年から制作を始め、これまでドラマの主人公やスポーツ選手、町のゆるキャラなどの人形を作ってきた。会長の高橋さんは「“寄居の竜馬”で『飲酒運転はいかんぜよ』と訴えていきたい」と話していた。
 同町では6日午前10時からアタゴ記念館前で「春の全国交通安全運動」の出発式が行われる。県立寄居城北高校の吹奏楽部も参加し、運動を盛り上げる 。


東京
江戸の化粧や粧いに関する貴重書や古書を展示 『春のよそおい ― 江戸の粧い』開催!
(@Press) - 日本の文化を研究する大学共同利用機関、国際日本文化研究センター(所在地:京都府京都市)の研究員であり、『化粧にみる日本文化』の著書もある平松 隆円は、江戸の化粧や粧いに関する貴重書や古書の展示『春のよそおい ― 江戸の粧い』を企画監修し、4月1日~5月5日まで、アカデミーヒルズ 六本木ライブラリーにて開催しております。

■「江戸時代の化粧文化は、現代に活かせる」ことを感じられる展示

今回の展示では、幕末から明治にかけて刊行された書籍を通じて、「当時の人々はどんな化粧をしていたのか」という「粧い」について触れていただけます。

現代の化粧は、欧米的なものが主流となっており、伝統的な化粧に接する機会は、今日ではほとんどありません。しかしながら、伝統的な化粧は決して古典的なものではなく、現代においても興味深い示唆を与えてくれます。

本展示を通して、日本文化としての「粧い」を知ると同時に、当時の文化を現代に活用する可能性を感じていただけるでしょう。

また、国際日本文化研究センターが通常貸し出さない、江戸時代から明治にかけての貴重書も展示されています。

化粧の文化をより身近に知ることのできる貴重な機会です。ぜひご来場ください。

■イベント概要
◎タイトル: 『よそおいの春 ― 江戸の粧い』
◎会期  : 2010年4月1日(木)~5月5日(水)
◎企画監修: 平松 隆円
       (国際日本文化研究センター機関研究員(講師)/京都大学中核機関研究員)
◎協力  : 国際日本文化研究センター
◎展示場所: アカデミーヒルズ 六本木ライブラリー エントランスショーケース
       (東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー49階 コア)
◎アクセス: http://www.academyhills.com/library/map.html


■平松 隆円について
1980年、滋賀県生まれ。世界でも類をみない化粧研究で、博士(教育学)の学位を取得。専門は、化粧心理学や化粧文化論など、よそおいに関する研究で日本文化を解き明かしている。
国際日本文化研究センター機関研究員(講師)/京都大学中核機関研究員。
URL: http://researchmap.jp/ryuenhrmt/

■平松 隆円 著書『化粧にみる日本文化』について
2009年、水曜社から発行された著書『化粧にみる日本文化』は、著者が2008年3月に佛教大学大学院教育学研究科に提出した博士論文「日本の生活文化における化粧」をもとに、「なぜ、人は化粧をするのか」をテーマにした学術書。

「化粧」研究で博士号(教育学)を取得した、世界に類をみない内容となっており、心理と行動、文化と風俗の二つの側面から、わが国の「化粧」を捉えなおす初の試みです。

化粧とは何か。なぜ、人は化粧をするのか。化粧がこころや文化と、いかに関係しているのか。これまで学問として語られることのなかった化粧について解き明かします。

この度、研究書としては珍しい増刷が行われました。

URL: http://www.bookdom.net/suiyosha/1300shakai/1338keshou.html

※本書に関するお問い合わせは、下記までお願いいたします。
株式会社水曜社
Tel  : 03-3351-8768

@Pressリリース詳細ページ

神奈川
かながわ遊ナビ:日本近代洋画の成立と発展紹介 鎌倉で10日から /神奈川
 県立近代美術館鎌倉(鎌倉市雪ノ下2)で10日から、「春のコレクション展 日本近代洋画の名品選」が開かれる。同館のコレクションから、日本近代美術を代表する洋画家約20人の作品を紹介する。5月30日まで。
 幕末~明治初期に西欧文化との接触から生まれた洋画の成立と発展について、明治・大正時代の作品を中心にたどることで日本の洋画家が独自の作風を生み出した過程を知ってもらおうと企画された。
 パリの街角を独特の荒々しいタッチで描いた佐伯祐三「パストゥールのガード」や、色彩のコントラストが美しい安井曽太郎「卓上静物」など約50点を展示。また、生誕100年となる佐藤哲三の代表作「みぞれ」と関連作品を紹介する特集展示もある。
 月曜、4月30日、5月6日休館(5月3日は開館)。一般700円、20歳未満と学生550円、65歳以上350円、高校生100円。4月17日、5月1日、5月15日の午後2時からはギャラリートークがある。問い合わせは同館(0467・22・5000)。【松倉佑輔】



京都
坂本龍馬のパネル:京阪・中書島駅ホームに見参 町家風の待合室も /京都
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなみ、京阪電鉄京阪線の中書島駅(京都市伏見区)上りホームに町家風の待合室と等身大の坂本龍馬のパネル(高さ約170センチ)がお目見えした。
 同駅は龍馬が定宿としていた寺田屋の最寄り駅。同社が観光客に京阪線をPRしようと企画した。晩年、身を寄せた酢屋に近い三条駅(同市東山区)、龍馬ら幕末志士の墓がある霊山護国神社に近い祇園四条駅(同区)の各コンコースにも龍馬に関する写真と地図を使ったパネルを設置している。
 展示期間はいずれも放映時期に合わせ、12月中旬までを予定している。
 同社は「京阪線を利用し、龍馬スポット巡りをしてもらえれば」と話している。【入江直樹】


広島
福山ばら祭:来月15、16日 ゲストに嘉門達夫さん /広島
 5月15、16日に福山市内で開かれる「福山ばら祭2010」を主催する福山祭実行委員会は、大会の概要と出演者を発表した。
 大会テーマは「笑顔咲き 出逢(であ)い花咲く」。15日は「ローズ福山」の交代式や結婚式、川柳コンテストの授賞式などが催される。同日午後3時から「Rock’n’Ryoma」と題したコンサートがある。市が観光PRの中心としている幕末の志士・坂本龍馬が、時代を風刺する歌を作るのに秀でたことにかけ、替え歌で有名な歌手の嘉門達夫さんをゲストに招く。16日正午過ぎからは同市南町周辺でパレードなどが催される。
 今年は新たに「笑コ援隊」と称し、学校や企業、団体などのグループでリサイクル活動に取り組むボランティアを募集する。
 問い合わせは市環境啓発課「笑コ援隊」係(084・954・2619)。【豊田将志】


山口
下関市の東行記念館 遺品158点展示見送り
 幕末の志士、高杉晋作の墓がある下関市吉田の東行庵が晋作の遺品をめぐり提訴したのを受けて、市は5日、東行忌の14日に予定していた同庵内の東行記念館のリニューアルオープンを今月下旬に延期し、訴訟に関係のない資料のみを展示する方針を明らかにした。
 展示するのは「奇兵隊士長嶋義輔書状」や「高杉晋作一行書」などの資料約千点。萩市から同庵に移された甲冑(かっちゅう)や三味線など、本来展示すべき遺品158点については、裁判の結論が出るまで展示を見送る。市が158点を同記念館で展示することに高杉家の了解が得られなかったためで、保存・管理は引き続き行う。
 下関市、萩市、東行庵、高杉家は2008年9月、下関市が同館に学芸員を配置して良好な環境で遺品を管理することを条件に、萩市が管理していた遺品227点のうち158点を同庵に移すことに合意。しかし、東行庵は今年3月9日、萩市が管理する69点の引き渡しなどを求めて萩市と高杉家を提訴した。
 下関市は東行記念館を管理・運営するための予算を組んだが、市議会文教厚生員会から「訴訟が起きている状態で公金を投入するのは不適切」との指摘を受け、158点の展示に高杉家の了解を得る努力を続けていた。同日は、市教委が開館の延期と展示内容の変更を同委員会に報告し、承認された。
 委員会終了後の取材に対し、中尾友昭市長は「裁判もあるので慎重な対応が必要。晋作の遺品は大切なものばかりなので、展示は別にしても、引き続き保管、管理、研究はしていきたい」と述べた。


東行記念館:今月下旬オープンへ 所有権争いない1000点展示 /山口
 下関市は幕末の志士、高杉晋作ゆかりの資料を展示する市立東行記念館を今月下旬、オープンさせることを決めた。5日の市議会文教厚生委員会で報告し承認を得た。ただ、目玉だった遺品など158点を巡っては、宗教法人・東行庵と晋作の子孫が裁判で所有権を争う。当面は所有権争いのない約1000点を展示する。
 記念館は市が東行庵の敷地に約1700万円かけて建設。10年度は運営費など850万円を支出し、当初は今月14日にオープンする予定だった。
 しかし、東行庵は先月9日、晋作の遺品の所有権は庵にあると主張して、晋作のひ孫の男性と萩市を相手に提訴。裁判の行方次第では記念館の主役となる展示品がなくなるため、文教厚生委が10年度予算の執行凍結を求め、14日オープンが難しくなっていた。
 市は裁判に対しては「関与しない第三者の立場を貫く」と強調。所有権が誰にあっても遺品を大切に保管、研究するのが市の務めと説明し、予算執行を認められた。当面展示するのは「奇兵隊士長嶋義輔書状」「高杉晋作一行書」など。【取違剛】



文化芸能
歴ドルのさくらと小日向えりが幕末コスプレでトークバトル!
[eiga.com 映画ニュース] 直木賞作家・古川薫の「野山獄相聞抄」(改題:吉田松陰の恋)を映画化した「獄(ひとや)に咲く花」のイベント試写会が4月5日、東京・新橋のスペースFS汐留で行われ、歴史に精通するアイドル、通称“歴ドル”のさくらと小日向えりが佐幕派と倒幕派に別れてトークバトルを繰り広げた。
 同作は、思想家・教育者として知られる長州藩士・吉田松陰が牢獄「野山獄」に収監されていたころに経験した生涯ただ一度の恋を、唯一の女囚・高須久の目線で描いた史実に基づくドラマ。
 佐幕派(幕府のよう護派)のさくらは水色の新撰組風コスチューム、倒幕派の小日向は松陰の弟子・高杉晋作をイメージした衣装で登場。小日向が上司にしたい幕末の武士に、「懐の深い西郷隆盛! あと、今NHKの大河ドラマでもやっている坂本龍馬と一緒に海外を目指したら楽しそう」と話すと、さくらはすかさず「勝海舟でしょう!」と負けていない。
 また、主演の前田倫良がサプライズゲストとして登場し「思想家としての松陰というよりは、混とんとした時代を駆け抜けたひとりの若者を演じました」と述懐。小日向も「松陰先生は人を育てるのが本当に上手で、裏表のない誠実な人。映画を見て勇気と元気をもらいました」と熱くアピールした。対極に位置する佐幕派のさくらも、「幕末というと血なまぐさいイメージがあるけれど、女性も楽しめる映像美があります」とPRに努めた。
 「獄(ひとや)に咲く花」はThanks Lab配給で、4月10日から全国で公開。


エンターテインメント
女性向けAVG「薄桜鬼」の情報をまとめるポータルサイトが本日オープン
 ティームエンタテインメントは恋愛アドベンチャー「薄桜鬼」のポータルサイトを本日(4月5日)オープンした。
 薄桜鬼は新撰組を題材にした女性向けAVGの人気シリーズで,2010年3月18日に移植版の「薄桜鬼DS」(ニンテンドーDS)を発売。5月13日には「薄桜鬼 遊戯録」(PSP)の発売を予定している。
 本日オープンしたポータルサイトでは,薄桜鬼関連CD情報や着うた配信情報,イベント情報などが掲載されている。薄桜鬼ファンは本サイトをチェックして,最新情報を逃さないようにしよう。 また,4月3日からはTVアニメシリーズもスタートしている。地域によっては6日から放映のところもあるので,興味のある人はアニメ「薄桜鬼」オフィシャルサイトで詳細を確認しよう。


歌うゲーマー、“アニキ”水木一郎のゲーム・ソング集が登場!初CD化音源も
 “アニキ”の愛称で幅広い層から親しまれている、アニソンの帝王、水木一郎。“歌うゲーマー”と自ら宣言するアニキがこれまでに歌い上げてきたゲーム・ソングの数々を、メーカーの枠を越えて集めたアルバム『ゲーマーANIKI 完全攻略~水木一郎ゲームソングコレクション~』(COCX-36140 税込2,415円 / 写真)が、コロムビアミュージックエンタテインメントより4月28日に発売されます。
  本作は全16曲入り。うちパチンコ『~幕末鬼神伝~CR鬼の歳三』のテーマ曲(2曲)は今回が初のCD化で、またPlayStation2専用ソフト『太鼓の達人 とびっきり!アニメスペシャル』の「響け!太鼓の達人」は新たなアレンジで収録しています。
  自他共に認めるゲーマーというアニキのゲーム・ソングを攻略するのに必携な本作、アナタもぜひお手元に!

 『~幕末鬼神伝~CR鬼の歳三』ってあるんですね(汗)。




 今日から『よりぬき銀魂さん』の放送が始まりました。エンディングが映画版『銀魂』だったりして、ただの再放送ではないみたい……今日は途中から視聴できたものの、録画予約に失敗(; ;)。


静岡
郷土の偉人たたえる 松崎で「三聖まつり」
 松崎町中川地区出身の偉人3人をたたえる「中川三聖まつり」(同実行委主催)が4日、同町大沢の道の駅「花の三聖苑」で開かれた。
 昨年度限りで閉校となった旧中川小の児童が、同地区に伝わる唱歌「三聖の碑の前で」と「那賀川の思い出」を合唱した。太鼓や吹奏楽の演奏も繰り広げられた。会場内には特産品販売店や屋台が立ち並び、大勢の来場者でにぎわった。
 賀茂地区内の小中学生を対象とした、「依田佐二平文化賞」の表彰式も行われた。テニスで全国大会に出場した朝倉菜月さん(下田稲生沢小5年)と、昨年8月の第33回オール伊豆少年野球学童部大会で初優勝した「松崎野球スポーツ少年団」(松崎町)が受賞した。
 三聖は、漢学者で「三余塾」を開設した土屋三余、産業や教育の振興に尽力した実業家の依田佐二平、北海道帯広開拓の先駆者依田勉三の3人で、幕末から明治にかけて活躍した。


富山
加賀藩勤皇派、竜馬と眠る 京都霊山 安達幸之助らの墓 野々市の松田さん確認
 坂本竜馬の墓がある京都霊山(りょうぜん)護国神社(京都市東山区)の霊山に、加賀藩勤皇派志士として幕末に活躍した安達幸之助をはじめ加賀藩ゆかりの3人の墓があることを、野々市町三納の真言宗長幸寺住職、松田清幸さん(63)が4日までに確認した。NHK大河ドラマ「龍馬伝」などで幕末から明治維新期への関心が高まる中、加賀藩と勤皇派のつながりを示すとして注目される。
 松田さんの先祖である宮永良蔵は、南砺市(旧福光町)出身の医者で、幕末に大坂に「適塾」を開いた蘭方医緒方洪庵(こうあん)らと親交を深めた。他藩の勤皇派志士と通じ、新選組に捕らえられ、35歳で亡くなった良蔵の墓が同霊山にあることから、松田さんは9年前から定期的に墓参に訪れている。
 この間、松田さんは安達幸之助の墓と、京都にいた長州藩などの勤皇派志士と加賀藩勤皇派との連絡役などを務めたとされる医者駒井躋庵(せいあん)の墓も確認した。
 幸之助は、近代軍制の創設者大村益次郎に西洋兵学を学び、加賀藩の壮猶(そうゆう)館の教師を務めた。1869(明治2)年、京都で大村と会談中に刺客に襲われ、死亡した。
 安達家の菩提寺(ぼだいじ)である静明(じょうみょう)寺=金沢市材木町=の大橋俊幸住職によると、同寺の安達家の墓には幸之助が亡くなった後、妻「安」が遺髪を納めたと伝えられているという。大橋住職は「幸之助の亡きがらは京都の方にあるらしいが、はっきりしたことは分からない」と話している。
 松田さんは「竜馬の墓を訪ねることがあったら、ふるさとを思いながら時代を変えようと奔走した先祖たちの墓にも立ち寄ってほしい」と話した。


福井
えちぜん鉄道の三国港駅が改修完了 大正のぬくもり残す
 坂井市が改修を進めていた第3セクター「えちぜん鉄道」の三国港駅(同市三国町宿1)が3月13日、完成した。駅舎は大正時代に建てられた旧駅舎を引き継いだため、レトロな雰囲気がたっぷり。県内を見渡すと、大正、昭和期のぬくもりが感じられる施設があちこちにある。
 老朽化により改修された三国港駅。1913(大正2)年に建設された旧駅舎の梁(はり)や柱、瓦などはそのまま利用した。駅舎に入ると、木のにおいでいっぱい。えちぜん鉄道には木造駅舎が多く残っており、駅名が手書きされた看板も多い。
 改修を担当した坂井市の観光課職員は「改修前の駅舎をなるべく復元したかった。地域に親しまれ、観光ルートの要所になってほしい」と期待を寄せる。
 駅舎南側には観光情報施設があり、展示室にはえちぜん鉄道の歴史や国鉄三国支線の名残が分かるパネル展示もある。
 三国港から数百メートル離れた場所にあるのは三国昭和倉庫館(同市三国町新保)だ。昭和30~50年代の自動車や家電などが所狭しと並び、往時の日常がよみがえる。
 福井市下馬3の下馬中央公園には1933~97年まで走っていた福井鉄道福武線の車両が展示されている。近くを散歩していた越野守さん(74)は「通勤によく使った。時代がたつのは早いね」と語る。
 福井市月見5のおさごえ民家園には幕末に建てられ、昭和50年代まで住居として使われた古民家数軒が立ち並ぶ。すべてかやぶき屋根で、県内各地から解体、移築し、ほぼ当時の姿を再現した。従業員に依頼すれば、火を起こして暖を取れる。
 家族風呂の普及前、誰もが利用した銭湯。数年来続く原油価格の高騰や、スーパー銭湯の人気で、かつては福井市内に50軒以上あったが、現在では十数軒に減った。昭和以前の雰囲気を残す施設もあり、訪れてみるのも面白い。
 (川本光憲)


大阪
瀬戸内海をとにかく昼間に東西に動く魅力
 多島美に恵まれた観光資源・瀬戸内の魅力を、古くから瀬戸内航路の発着点だった大阪の港で語り合うシンポジウム「フジヤマから瀬戸内へ」(ものがたり観光行動学会主催)が17日午後1時半から、大阪市住之江区のWTCホールで開かれる。
 瀬戸内海は古来よりアジアとつながる交通の大動脈として栄え、寄港地の港町が発展。幕末から明治期に日本を訪れた外国人たちが、相次いで瀬戸内海の美しさを称賛し、日光や富士山と並び日本の代表的な観光地としての評価が定着していたという。
 瀬戸内の風景を研究している西田正憲・奈良県立大教授は「穏やかな海に浮かぶ島々の風景と、それぞれの島が持つ歴史や文化の多様性が、ふるさとにも似た親しみを与えるのではないか」と話す。
 だが、現在は旅客船は瀬戸内海を短時間で南北に横断する航路がほとんど。東西を結ぶのは大阪―九州間の大型フェリーぐらいだが、夜行便で景色を堪能できない。
 シンポを企画した一人で、大阪千代田短大(河内長野市)の李有師(りゆうじ)・特任准教授(同短大物語観光情報研究センター所長)は「宝の海はいまや単なる『物流道路』になってしまった。大阪を発着点に島々を巡る新たな海のルートを整備すれば、中高年層や訪日外国人にも支持され、疲弊した地方を再生するカギになる」と力を込める。
 当日は西田教授らの講演のほか、白幡洋三郎・国際日本文化センター教授、食文化研究家の熊谷真菜さん、国交省海事局の大黒伊勢夫局次長によるディスカッションがある。
 参加無料。事前申し込みが必要。往復はがきに住所、氏名、年齢、電話番号を明記し、〒530・0047大阪市北区西天満6の5の17 デジタルエイトビルS棟5階 ものがたり観光行動学会シンポジウム係へ。先着400人で締め切りは7日(消印有効)。問い合わせは同学会(06・6311・3325)へ。



社会
特集ワイド:大河でブーム、龍馬モテモテぜよ 司馬小説イメージ強く
 NHKの大河ドラマ「龍馬伝」効果で“大”龍馬ブームだ。旅行会社はこぞってゆかりの地ツアーを組み、書店は龍馬本だらけ。どっちを向いても龍馬、龍馬。一体どこがそんなにいいの?【小松やしほ】

 龍馬像の前で楽しそうに記念写真を撮る集団--といっても、高知・桂浜ではない。ここは東京・銀座にある居酒屋、その名も「龍馬邸」。同店を経営する「ダイヤモンドダイニング」の松村厚久社長が高知県出身で、ドラマに先駆け08年11月、新橋に「竜馬が如く」、09年7月には横浜に「龍馬外伝」を開店。龍馬邸は同8月にオープンした。
 記念写真を撮っていたのは、千葉大の元テニスサークル仲間というアラフォー集団。群馬県から来たという会社員の鎌倉宏吉さん(43)は、龍馬について「生き様がいい。とりわけスター性があるわけではなく、最初は弱いところもあるのに、歴史に残ることを成し遂げたところに共感する。自分だって、頑張ればデカい仕事ができるという希望がわいてくる」と話す。
 この日は偶然にも、龍馬情報の交流サイト「龍馬街道」を主宰する吉冨慎作さん(31)がツイッターで呼びかけ集まった面々も会合中。ほぼ初対面の20人が集まっていた。東京都八王子市の会社経営、中川直幸さん(44)は「時代をうまくつかんだところが魅力」と話した。吉冨さんは「龍馬を通して、これだけの人が集まる。龍馬の魅力はそこに尽きるのではないでしょうか」。
 みな熱い。尋常じゃない盛り上がりようである。

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 龍馬商戦はさまざまなところに広がっている。
 玩具メーカーの「バンダイ」は昨年12月におしゃべり人形「りょうまくん」を発売した。左手部分の刀を押すと「日本をいま一度せんたくいたし申し候!」「小さなことにこだわってちゃいかんぜよ!」といった龍馬の名言など6種類の言葉で励ましてくれるというもの。龍馬生誕150年にちなんで85年に発売されヒットした商品のリニューアルで「オフィスの机に置きやすいように、高さ11・5センチと小さくした」という。年内販売は目標5万個。「おかげさまで好調です」と担当者。
 クレジット会社「ライフ」では、券面に龍馬の銅像が印刷された「龍馬カード」を発行している。カード提示で高知県立坂本龍馬記念館入館料優待などのオリジナル特典があり、龍馬ファンの中高年男性の会員獲得をめざす。
 龍馬はお金にもなる。財務省発行の「地方自治法施行60周年記念貨幣」の高知県の図柄に採用された。発行される1000円硬貨と500円硬貨のうち、1000円は申込制。応募が多ければ抽選となる。締め切りは今月6日。「通常は約5倍の競争率だが、それより高くなると予測している」と造幣局担当者。
 書店では「坂本龍馬責任編集マガジン」と銘打つ雑誌を発見した。主婦の友社の「RYOMA」だ。便乗?と思いきや、本当に編集長は坂本龍馬さん(38)。1年間の期間限定誌として、今年1月に1号、3月には2号を刊行した。お父上が龍馬ファンだったことから名付けられたといい、本人ももちろん大の龍馬ファン。歴女をターゲットに「幕末イケメン図鑑」「龍馬 噂(うわさ)の真相」などの特集記事を「男性目線の歴史本にはなかった切り口」で女性誌ふうに見せる。「コアなファンには反感を買うかと思ったが、全国龍馬社中の会長にも『おもしろい』と褒めてもらえた」という。ちなみに全国龍馬社中は、日本各地、果てはロサンゼルスやパリなどの海外に計約200ある龍馬ファンクラブの総元締のようなもの。名誉顧問は中田宏・前横浜市長が務め、顧問にも龍馬とつながりがある自治体の首長がズラリと並ぶ。
 龍馬記念館では、有名な龍馬の写真の貸し出し申請が殺到している。例年は年間40~60件ほどの申し込みが、09年度は約400件で、8割は県外から。ほとんどがビジネス用途で、菓子や米、酒からパチンコ機器までと商品内容は幅広い。「少しでも龍馬やその思想を知ってもらえれば」との思いから「断ったのはトイレットペーパーと靴の中敷きぐらい」と森健志郎館長。入場者も多い。今年は1、2月に例年の3倍、3月に至っては4万9004人と例年の約4倍がやって来た。「開館19年で史上最高の入場者数になるでしょう。おかげさまで職員は対応に大わらわですわ」と森館長は笑う。

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 まさに猫もしゃくしも龍馬といった感があるが、龍馬ばかりがなぜモテる?
 「龍馬が幕末から維新の最大のスターになるなんて、思いもしませんでしたね」と話すのは歴史作家の半藤一利さん。「龍馬の功績と言われる薩長同盟は、中岡慎太郎と土方久元が計画しているところに、龍馬が後から来て乗っただけだし、大政奉還だって、発案者は幕臣の勝海舟と大久保一翁の二人ですよ。記録が残ってるんですから。でも、司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』の書き方が、あまりにもうまいんだね。それで読んだ人はみんな、龍馬がひらめいたことのように思っちゃう。実際の龍馬は、人に好かれるたちで人物の魅力はあったと思うけど、独自の発想なんてない。アイデアマンではなかったと思いますよ」
 作家の中村彰彦さんも「龍馬のイメージは司馬さんの『竜馬がゆく』で作られたもの」と言う。「大体、物書きはみんなそうですが、司馬さんは特に、自分の書きつつある小説の主人公にほれ込んでしまって、100点でいいところを120点あげちゃうようなところがある。龍馬の提言したことで明治維新に寄与したことが何かあるかというと、割にないんです」
 中村さんは「龍馬が評価されるようになったのは高度成長期。亀山社中を海援隊に育て上げ、それが国家に貢献したという議論が出てくれば、高度成長期の先兵となったサラリーマンたちは、自分たちの原形をそこに見いだして共感したのだと思います」と話す。龍馬ブームについて「ブームという割には、龍馬の思想の変遷や、幕末の状況などを掘り下げて、より深く人間像を洗い出すといった、あらまほしきブームにはなっていないですね。来年の今ごろは、別の人がブームになっているのでは。でも、歴史に対する知的好奇心がいろんな層に満ちてくるというのは、健全なことだと思います」。ただの浮かれたブームに終わらず、歴史の一幕を考える入り口になれば、龍馬も本望だろう。

 半藤さんの史実龍馬評、中村さんの司馬龍馬評がそれぞれ辛口でツボを突いてるところが受けました(^^)。
 そうそう、もうバラしてもいいと思いますが、拙サイトの幕末ニュースで「りょうまくん人形」に関する記事を紹介したところ、N◯K朝6時台の番組スタッフから「りょうまくん人形」を持っている龍馬ファンを取材したいとコンタクトされました。自分は幕末史ファンだけどとりたてて龍馬ファンというわけではないので、丁重に辞退させていただいたのですが……考えてみれば、龍馬ファンは自分の周りにいないかも?

海王丸挑む 150年前の咸臨丸たどる航海
 幕末の一八六〇年、勝海舟や福沢諭吉らを乗せて日本人初の太平洋横断に成功した軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」の航路をたどる遠洋航海に、国内最大級の練習帆船「海王丸」(二、五五六トン・乾真船長)が大学の実習生らを乗せて挑むことになった。太平洋横断百五十周年を記念した試みで、七日午後に東京湾を出港。二十八日間の無寄港航海を経て、米サンフランシスコを目指す。 (横浜支局・岸本拓也)
 咸臨丸は、日米修好通商条約の批准書交換のため一八六〇年二月、訪米する幕府の遣米使節団の護衛艦として日本を出発。悪天候による荒波に苦しみながらも、約四十日の航海でサンフランシスコに入港し、現地で歓迎を受けた。遣米使節団は約一カ月半滞在後、ホノルル経由で帰国した。
 今回の遠洋航海は、遣米使節団の入港百五十年の節目に、サンフランシスコの現地邦人らでつくる記念事業実行委員会が、咸臨丸と同じような大型帆船の寄港を要請。海王丸を所有する独立行政法人航海訓練所(横浜市)が実習生の訓練を兼ねて、長期航海に臨むことになった。
 海王丸には、職員・乗組員六十六人、東京海洋大学(東京都港区)の学生ら実習生九十二人と、一般の研修生十二人の計百七十人が乗船。咸臨丸の蒸気方手伝い(機関士)だった小杉雅之進の子孫にあたる男性も研修生として乗り込むという。
 実習生の多くは、遠洋航海は初めて。一月から海王丸に乗り込み沖縄まで航海するなど訓練を重ねてきた。
 機関士を目指す東京海洋大の野田悠太朗さん(23)は「節目の年に、日本の先駆けとなった咸臨丸と同じ航路を行けるのは誇りに思う」。航海士志望の同大の平良素明さん(22)は「当時の乗組員たちがどんな思いで航海したのか感じ取りたい」と意気込みを語った。
 海王丸は今月七日の出港後、五月五日にサンフランシスコに寄港。現地での記念式典に参加して、同九日にサンフランシスコを離れ、ホノルル経由で六月八日に東京湾に帰港する予定。

<咸臨丸> 1857年、江戸幕府の発注でオランダで建造された3本のマストを持つ木造蒸気船。長さ48・8メートル、排水トン数620トン。太平洋横断後の68年、海軍副総裁の榎本武揚の指揮で戊辰(ぼしん)戦争に参加。新政府軍に拿捕(だほ)され北海道開拓の運搬船となる。71年、函館から小樽へ航行中、暗礁に乗り上げ沈没した。


エンターテインメント
劇団EXILE華組「六惡党」を公演中!
 EXILEのHIROがゼネラルプロデューサーを務める、劇団EXILE華組の第2回公演「六惡党」の公開舞台稽古が4月2日(金)に東京・SPACE107で行われ、青柳翔、秋山真太郎、磯村洋祐、小澤雄太、施鐘泰、春川恭亮が囲み取材に応じた。
 「六惡党」は、幕末の土佐を舞台に、天下泰平を実現するため奔走する6人の武士の姿を描いた時代劇作品。
 5人の武士をまとめる葵を演じる春川は、「普段の素の華組に近いようなものが見れるんじゃないかなと」と、見どころをコメント。いっぽう、小澤は「今、自分たちが生きている中で、過去に絶対に必要な物語だと思うので、その中で繰り広げられる皆のやり取りや関係性を見てほしい」と熱く語った。
 さらに、秋山は「みんな、前回とは違う役作りの仕方をしてるので、成長した僕たちの姿を見てほしい」と意気込みを語った。
 舞台「六惡党」は、東京・SPACE107で4月29日(木)まで公演中。
 また、6月には東京・新宿シアターモリエールで、劇団EXILE華組 第3回公演「KILL THE BLACK」の公演も決定した。









 桜が満開になりましたので、花見散策に行ってきました。今日も雲が出て、せっかく咲きそろった桜の色がいまいち空に映えません……明日また天気が崩れるそうで、今年の桜は天候に恵まれていない気がします。

福島
霞ヶ城公園の桜は4500本
二本松市が上方修正毎年の植樹成果

 二本松市は、市内にある県立霞ヶ城公園のソメイヨシノなど桜の本数を従来の1700本から4500本に上方修正し、観光ガイドなどに表記した。桜の名所として知られる青森県・弘前公園の2600本を大きく抜き去ることになり、二本松市観光課は「城址(じょうし)公園の桜の本数では全国有数。数を強調して全国にPRしていきたい」と張り切っている。
 霞ヶ城公園内にある二本松城は室町時代に築城されたが、戊辰戦争で焼失した。城跡は2007年7月に国の史跡に指定され、日本城郭協会(東京都)が定める「日本100名城」の一つに数えられている。
 二本松市観光課によると、公園内の桜の数については30年以上前から1700本としてきた。しかし、1980年代に入って老人クラブなどが毎年、約200本の苗木を植えるようになり、大きく育った分の本数と面積から4500本と算出。桜のシーズン本番を前に、市の観光ガイドやホームページの数字を修正した。
 毎年20万人が訪れる「霞ヶ城公園桜まつり」は今年4月10日から5月5日にかけて開かれ、桜のライトアップや臨時バスの運行がある。二本松市観光課の紺野隆雄課長は「霞ヶ城公園の桜は、規模の点で全国の名所に負けていない。もっと桜を増やして日本一の桜の里を目指したい」と話している。



福井
郷土史家・上杉喜寿さん死去
 白山や九頭竜川など自然と歴史を題材にした著作を多く残した郷土史家の上杉喜寿さん(96)=永平寺町在住=が先月31日、死去した。故郷・福井県の山河の由来や伝承を克明に記した著作からは、野山を歩いて培った鋭い観察眼と郷土愛が伝わってくる。
 1914年3月、旧松岡町(永平寺町)生まれ。県立福井師範学校を卒業後、奥越や嶺南の小学校を中心に勤務した。73年に池田町の池田第一小学校校長で退職後、漢文や変体仮名などを独習し、古文書の解読に励んだ。
 「山々のルーツ」や「河川のルーツ」、「北前船の人々」といった著作の中で、最も力を入れていたのは「白山」だった。すべて違ったルートで100回以上も登頂。すそ野に点在する神社仏閣の有り様や登山道に咲く草花を丹念に記録した。
 「幼い頃に見た白山にあこがれを抱いていたようです。白山は福井の山だというのが口癖でした」と、長男の明さん(61)は振り返る。
 60~70代後半にかけて携わった池田町史や河野村史の執筆では、自宅から2~3時間の道のりを自転車で通った。道中の田畑や川、町並みを通じて着想を練った。山岳スキーの愛好家でもあり、勝山市で勤務時代の60年代には、雪崩など山岳遭難で何人もの命を救ったこともあった。
 晩年は、幕末に急進的な尊皇(そん・のう)攘夷(じょう・い)運動を展開した天狗(てん・ぐ)党に関心を持ち、「水戸天狗党 敦賀松原に散る」と題した遺稿(未出版)がある。
 著作を通じて上杉さんの業績に接した角鹿尚計(つの・が・なお・かづ)・福井市立郷土歴史博物館主任は「河川や地名などの由来を、文献だけでなく現地を実際に歩いて調べ上げる真摯(しん・し)な仕事ぶりに、感銘を受けていた。郷土・福井を心から愛しておられたと思う」と話している。


愛媛
明治期の日本考える 松山で講演会
 NHKドラマ「龍馬伝」や小説「坂の上の雲」で描かれる明治維新と明治期の日本像の問題点を考える講演会が3日、松山市内であり、精神科医で関西学院大教授の野田正彰氏(66)らの問題提起を通じ、市民ら約40人が歴史認識や日清・日露戦争について理解を深めた。
 平和や憲法問題に関心を持つ市民・団体が実行委を結成し開催した。
 高知市出身の野田氏は「若くしてテロに倒れた坂本龍馬は、青春像として理想を投影しやすい。しかしその後、どういう社会があったかをすべて忘れて龍馬だけ持ち上げていいのだろうか」と批判。高知での自由民権運動の弾圧や軍国主義への振幅などを紹介し、「わたしたちは個人としても社会としても統合された過去を持たなければならない」と歴史を部分的に切り取ることの問題を訴えた。

佐賀
美女と剣士、幕末風ゆるキャラ 佐賀・小城市が決定
 佐賀県小城市のキャラクターに2日、「ようかん右衛(え)門(もん)」と「こい姫」が決まった。市内のイラストレーター、山口あきさん(33)が地元の名物を題材に生み出した。
 かん右衛門は小城藩士で二刀流の剣術使い。手につまようじ、腰に有明海の珍魚ワラスボをかたどった「わらす棒」を携え、絶世の美女のこい姫を守るとの設定だ。
 6月に同市である名水サミットに着ぐるみで登場。「幕末」「ゆるキャラ」の二つのブームを意識した「二刀流」で全国区をめざす。


ブックレビュー
今週の本棚・新刊:『靖国神社の祭神たち』=奏郁彦・著
 (新潮選書・1365円)

 かつて兵士たちが死後の再会を誓った靖国は、時に首相が参拝して大騒ぎになることもあって、知名度という点では屈指の神社ではないか。そこには幕末の動乱で倒れた志士や、戊辰(ぼしん)戦争の官軍側戦没者、昭和の戦争の犠牲者らが祭られていることも、周知の事実だろう。
 だが246万余柱もの祭神が、どういう基準で選ばれているかは、さほど知られていないのではないか。例えば坂本龍馬と岡田以蔵はともに土佐藩出身で非業の死を遂げた。前者は合祀(ごうし)され後者はされていない。
 本書は謎に包まれた合祀基準の変遷を追う。保留されていた、東京裁判のA級戦犯が合祀される過程にも鋭く迫った。資料を渉猟し、冷静に事実関係を明らかにしてゆく、著者らしい力作だ。(栗)


コラム
【龍馬を慕(おも)う】(1)京都・河原町蛸薬師 奔馬が天に召された地
 NHKの大河ドラマ「龍馬伝」によって、戦後2度目の坂本龍馬ブームが起きている。最初のブームは司馬遼太郎が昭和37年から約4年間、産経新聞に連載した『竜馬がゆく』がキッカケであった。高度経済成長期の真っ盛りで、「坂の上の雲」も白く輝き、龍馬の向日性が多くの読者をとらえた。「坂の下」に、ふんぷんとしたドロ水がただよう閉塞(へいそく)状況の現在、なぜ龍馬なのか。維新期を奔馬のように駆け抜けた、この若者の軌跡をたどる。
  

コンビニの前に…

 「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」
 --の碑は、河原町蛸薬師のコンビニエンスストアのまえに立っていた。
 江戸末期、この地に「近江屋」という醤油(しょうゆ)商があった。慶応3(1867)年11月15日夜、2階の奥の間では、龍馬と慎太郎が寝ころびながら、新政府の官制などについて話しあっていた。武力倒幕一辺倒の慎太郎と激論をかわしていたという説もある。
 午後9時すぎ、幕府の京都見廻組(みまわりぐみ)組頭、佐々木唯三郎ら7人の武士が「十津川(とつがわ)郷士」をかたり、近江屋を訪ねてきた。うち3人が2階にかけあがり、襲いかかった。不意をつかれた龍馬は前額部を、慎太郎は後頭部を一撃された。
 龍馬は即死、慎太郎は2日後に死んだ。襲撃の模様が後世にまで生々しく残ったのは、意識があった慎太郎が証言したからだ。
 『竜馬がゆく』にも、このシーンは詳細に描かれている。だが引用したいのは、最後のくだりである。
 《天に意思がある。
 としか、この若者の場合、おもえない。
 天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。
 この夜、京の天は雨気が満ち、星がない。
 しかし、時代は旋回している。若者はその歴史の扉(とびら)をその手で押し、そして未来へ押しあけた》
 いかにも暗い夜だったように描かれている。だがこの時期、京の町はすさまじい喧噪(けんそう)につつまれていた。
 「ええじゃないか」という、三河ではじまったとされる民衆の騒乱が席巻していたのである。天からお札(神符)が降ったと騒ぎはじめ、「ええじゃないか、ええじゃないか」と騒ぎながら、深夜まで乱舞した。龍馬を召した天は、ときにはヘンなモノも降らす。
 なかには酒屋や商店などにも押しかけ、「これを飲んでも、ええじゃないか」「これをくれても、ええじゃないか」と酒を飲んだり、売り物を強奪したりした。店をメチャメチャに壊してしまう一団もいた。
 河原町通は、現在のように広くはなかった。おそらく道いっぱいになって「ええじゃないか」の集団が練り歩いていたはずである。暗殺団にとって、近江屋は襲撃し、逃亡もしやすいコンビニエンス(便利)な場所にあったのである。
 いまふうにいえば、世情不安による集団ヒステリーということになる。だが気になることがある。
 京ではじめて「ええじゃないか」の騒動がはじまったのは、10月22日で、徳川慶喜が大政奉還したのがその直前の14日。さらに大坂などではまだ騒動が続いていたのに、京での「ええじゃないか」は王政復古のクーデター前日の12月8日にピタリと終息している。
 もちろん、天からお札が舞い落ちてくることはない。だれかがまいた。では、だれか。分からない。分からないが、京の町に騒擾(そうじょう)を起こすと有利にはたらく勢力との推定は成り立つ。それ以上は、憶測となるからやめる。
  

「往時茫々」の想い

 池田屋など遭難の碑を求め、四条から三条にかけて、よろぼうように歩きまわった。すっかり、変わっていた。「築地」や「六曜社」など、記憶のなかの喫茶店がわずかに残っている程度で、どこの繁華街にもあるようなショッピング店やファッション店、大型居酒屋ばかりである。
 梶井基次郎が名作『檸檬(れもん)』のなかで、レモンを爆弾に仕立てた「丸善」も、すぐれた美術書を置いていた京都書院もなくなっていた。
 1980年代後半のバブルのさい、関西ではじめて大規模な地上げ攻勢を受けたのが、河原町通界隈(かいわい)とされる。小さな店舗など、ひとたまりもなかったのであろう。
 ふと去来したのは「往時茫々(ぼうぼう)」という、感傷じみた想(おも)いであった。かつて、この町の大学で、4年間ほど学んだ。学んだといっても、講義などにはほとんど出なかった。
 その大学に足を向けることにした。龍馬という若者が「その歴史の扉をその手で押し」た舞台となった場所にあるからだ。(文 福嶋敏雄)

                   ◇

≪メモ≫

 河原町通蛸薬師(たこやくし)の「近江屋」跡の石碑までは、阪急河原町駅から北に徒歩2分。京阪祇園四条駅から徒歩5分。JR京都駅からだと、市営地下鉄烏丸線四条駅から東に徒歩15分。河原町通を隔てて東側に、京都の土佐藩邸があった。脱藩の過去がある龍馬は安全な土佐藩邸に入らず、近江屋に宿泊していて難に遭った。ここを訪ねたあとは、ぜひとも鴨川の河原を歩いてほしい。龍馬や新選組が行き交った光景が広がっている。

                   ◇

≪きょうの「竜馬伝」≫

 ■NHK総合 午後8時~ ほか

 龍馬(福山雅治)は土佐を脱藩し、姿を消していた。そのころ土佐藩では、東洋(田中泯)を暗殺した半平太(大森南朋)が、藩の保守派と手を組み、藩主・山内豊範(染谷将太)の上洛(じょうらく)を実現しようとしていた。一方、象二郎(青木崇高)は姿を消した龍馬が、東洋暗殺の実行犯とにらみ、弥太郎(香川照之)と井上佐市郎(金山一彦)に龍馬の捕縛を命じる。弥太郎は佐市郎と共に大坂へ向かう。豊範の上洛のため、半平太も勤王党の平井収二郎(宮迫博之)、岡田以蔵(佐藤健)らと共に大坂に入る。同じころ、大坂の飯屋で惣之丞(要潤)が溝渕広之丞(ピエール滝)と、脱藩した後の龍馬の足取りについて語り合っていた。




 桜が満開になりましたので、花見散策に行ってきました。今日も雲が出て、せっかく咲きそろった桜の色がいまいち空に映えません……明日また天気が崩れるそうで、今年の桜は天候に恵まれていない気がします。

福島
霞ヶ城公園の桜は4500本
二本松市が上方修正毎年の植樹成果

 二本松市は、市内にある県立霞ヶ城公園のソメイヨシノなど桜の本数を従来の1700本から4500本に上方修正し、観光ガイドなどに表記した。桜の名所として知られる青森県・弘前公園の2600本を大きく抜き去ることになり、二本松市観光課は「城址(じょうし)公園の桜の本数では全国有数。数を強調して全国にPRしていきたい」と張り切っている。
 霞ヶ城公園内にある二本松城は室町時代に築城されたが、戊辰戦争で焼失した。城跡は2007年7月に国の史跡に指定され、日本城郭協会(東京都)が定める「日本100名城」の一つに数えられている。
 二本松市観光課によると、公園内の桜の数については30年以上前から1700本としてきた。しかし、1980年代に入って老人クラブなどが毎年、約200本の苗木を植えるようになり、大きく育った分の本数と面積から4500本と算出。桜のシーズン本番を前に、市の観光ガイドやホームページの数字を修正した。
 毎年20万人が訪れる「霞ヶ城公園桜まつり」は今年4月10日から5月5日にかけて開かれ、桜のライトアップや臨時バスの運行がある。二本松市観光課の紺野隆雄課長は「霞ヶ城公園の桜は、規模の点で全国の名所に負けていない。もっと桜を増やして日本一の桜の里を目指したい」と話している。



福井
郷土史家・上杉喜寿さん死去
 白山や九頭竜川など自然と歴史を題材にした著作を多く残した郷土史家の上杉喜寿さん(96)=永平寺町在住=が先月31日、死去した。故郷・福井県の山河の由来や伝承を克明に記した著作からは、野山を歩いて培った鋭い観察眼と郷土愛が伝わってくる。
 1914年3月、旧松岡町(永平寺町)生まれ。県立福井師範学校を卒業後、奥越や嶺南の小学校を中心に勤務した。73年に池田町の池田第一小学校校長で退職後、漢文や変体仮名などを独習し、古文書の解読に励んだ。
 「山々のルーツ」や「河川のルーツ」、「北前船の人々」といった著作の中で、最も力を入れていたのは「白山」だった。すべて違ったルートで100回以上も登頂。すそ野に点在する神社仏閣の有り様や登山道に咲く草花を丹念に記録した。
 「幼い頃に見た白山にあこがれを抱いていたようです。白山は福井の山だというのが口癖でした」と、長男の明さん(61)は振り返る。
 60~70代後半にかけて携わった池田町史や河野村史の執筆では、自宅から2~3時間の道のりを自転車で通った。道中の田畑や川、町並みを通じて着想を練った。山岳スキーの愛好家でもあり、勝山市で勤務時代の60年代には、雪崩など山岳遭難で何人もの命を救ったこともあった。
 晩年は、幕末に急進的な尊皇(そん・のう)攘夷(じょう・い)運動を展開した天狗(てん・ぐ)党に関心を持ち、「水戸天狗党 敦賀松原に散る」と題した遺稿(未出版)がある。
 著作を通じて上杉さんの業績に接した角鹿尚計(つの・が・なお・かづ)・福井市立郷土歴史博物館主任は「河川や地名などの由来を、文献だけでなく現地を実際に歩いて調べ上げる真摯(しん・し)な仕事ぶりに、感銘を受けていた。郷土・福井を心から愛しておられたと思う」と話している。


愛媛
明治期の日本考える 松山で講演会
 NHKドラマ「龍馬伝」や小説「坂の上の雲」で描かれる明治維新と明治期の日本像の問題点を考える講演会が3日、松山市内であり、精神科医で関西学院大教授の野田正彰氏(66)らの問題提起を通じ、市民ら約40人が歴史認識や日清・日露戦争について理解を深めた。
 平和や憲法問題に関心を持つ市民・団体が実行委を結成し開催した。
 高知市出身の野田氏は「若くしてテロに倒れた坂本龍馬は、青春像として理想を投影しやすい。しかしその後、どういう社会があったかをすべて忘れて龍馬だけ持ち上げていいのだろうか」と批判。高知での自由民権運動の弾圧や軍国主義への振幅などを紹介し、「わたしたちは個人としても社会としても統合された過去を持たなければならない」と歴史を部分的に切り取ることの問題を訴えた。

佐賀
美女と剣士、幕末風ゆるキャラ 佐賀・小城市が決定
 佐賀県小城市のキャラクターに2日、「ようかん右衛(え)門(もん)」と「こい姫」が決まった。市内のイラストレーター、山口あきさん(33)が地元の名物を題材に生み出した。
 かん右衛門は小城藩士で二刀流の剣術使い。手につまようじ、腰に有明海の珍魚ワラスボをかたどった「わらす棒」を携え、絶世の美女のこい姫を守るとの設定だ。
 6月に同市である名水サミットに着ぐるみで登場。「幕末」「ゆるキャラ」の二つのブームを意識した「二刀流」で全国区をめざす。


ブックレビュー
今週の本棚・新刊:『靖国神社の祭神たち』=奏郁彦・著
 (新潮選書・1365円)

 かつて兵士たちが死後の再会を誓った靖国は、時に首相が参拝して大騒ぎになることもあって、知名度という点では屈指の神社ではないか。そこには幕末の動乱で倒れた志士や、戊辰(ぼしん)戦争の官軍側戦没者、昭和の戦争の犠牲者らが祭られていることも、周知の事実だろう。
 だが246万余柱もの祭神が、どういう基準で選ばれているかは、さほど知られていないのではないか。例えば坂本龍馬と岡田以蔵はともに土佐藩出身で非業の死を遂げた。前者は合祀(ごうし)され後者はされていない。
 本書は謎に包まれた合祀基準の変遷を追う。保留されていた、東京裁判のA級戦犯が合祀される過程にも鋭く迫った。資料を渉猟し、冷静に事実関係を明らかにしてゆく、著者らしい力作だ。(栗)


コラム
【龍馬を慕(おも)う】(1)京都・河原町蛸薬師 奔馬が天に召された地
 NHKの大河ドラマ「龍馬伝」によって、戦後2度目の坂本龍馬ブームが起きている。最初のブームは司馬遼太郎が昭和37年から約4年間、産経新聞に連載した『竜馬がゆく』がキッカケであった。高度経済成長期の真っ盛りで、「坂の上の雲」も白く輝き、龍馬の向日性が多くの読者をとらえた。「坂の下」に、ふんぷんとしたドロ水がただよう閉塞(へいそく)状況の現在、なぜ龍馬なのか。維新期を奔馬のように駆け抜けた、この若者の軌跡をたどる。
  

コンビニの前に…

 「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」
 --の碑は、河原町蛸薬師のコンビニエンスストアのまえに立っていた。
 江戸末期、この地に「近江屋」という醤油(しょうゆ)商があった。慶応3(1867)年11月15日夜、2階の奥の間では、龍馬と慎太郎が寝ころびながら、新政府の官制などについて話しあっていた。武力倒幕一辺倒の慎太郎と激論をかわしていたという説もある。
 午後9時すぎ、幕府の京都見廻組(みまわりぐみ)組頭、佐々木唯三郎ら7人の武士が「十津川(とつがわ)郷士」をかたり、近江屋を訪ねてきた。うち3人が2階にかけあがり、襲いかかった。不意をつかれた龍馬は前額部を、慎太郎は後頭部を一撃された。
 龍馬は即死、慎太郎は2日後に死んだ。襲撃の模様が後世にまで生々しく残ったのは、意識があった慎太郎が証言したからだ。
 『竜馬がゆく』にも、このシーンは詳細に描かれている。だが引用したいのは、最後のくだりである。
 《天に意思がある。
 としか、この若者の場合、おもえない。
 天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。
 この夜、京の天は雨気が満ち、星がない。
 しかし、時代は旋回している。若者はその歴史の扉(とびら)をその手で押し、そして未来へ押しあけた》
 いかにも暗い夜だったように描かれている。だがこの時期、京の町はすさまじい喧噪(けんそう)につつまれていた。
 「ええじゃないか」という、三河ではじまったとされる民衆の騒乱が席巻していたのである。天からお札(神符)が降ったと騒ぎはじめ、「ええじゃないか、ええじゃないか」と騒ぎながら、深夜まで乱舞した。龍馬を召した天は、ときにはヘンなモノも降らす。
 なかには酒屋や商店などにも押しかけ、「これを飲んでも、ええじゃないか」「これをくれても、ええじゃないか」と酒を飲んだり、売り物を強奪したりした。店をメチャメチャに壊してしまう一団もいた。
 河原町通は、現在のように広くはなかった。おそらく道いっぱいになって「ええじゃないか」の集団が練り歩いていたはずである。暗殺団にとって、近江屋は襲撃し、逃亡もしやすいコンビニエンス(便利)な場所にあったのである。
 いまふうにいえば、世情不安による集団ヒステリーということになる。だが気になることがある。
 京ではじめて「ええじゃないか」の騒動がはじまったのは、10月22日で、徳川慶喜が大政奉還したのがその直前の14日。さらに大坂などではまだ騒動が続いていたのに、京での「ええじゃないか」は王政復古のクーデター前日の12月8日にピタリと終息している。
 もちろん、天からお札が舞い落ちてくることはない。だれかがまいた。では、だれか。分からない。分からないが、京の町に騒擾(そうじょう)を起こすと有利にはたらく勢力との推定は成り立つ。それ以上は、憶測となるからやめる。
  

「往時茫々」の想い

 池田屋など遭難の碑を求め、四条から三条にかけて、よろぼうように歩きまわった。すっかり、変わっていた。「築地」や「六曜社」など、記憶のなかの喫茶店がわずかに残っている程度で、どこの繁華街にもあるようなショッピング店やファッション店、大型居酒屋ばかりである。
 梶井基次郎が名作『檸檬(れもん)』のなかで、レモンを爆弾に仕立てた「丸善」も、すぐれた美術書を置いていた京都書院もなくなっていた。
 1980年代後半のバブルのさい、関西ではじめて大規模な地上げ攻勢を受けたのが、河原町通界隈(かいわい)とされる。小さな店舗など、ひとたまりもなかったのであろう。
 ふと去来したのは「往時茫々(ぼうぼう)」という、感傷じみた想(おも)いであった。かつて、この町の大学で、4年間ほど学んだ。学んだといっても、講義などにはほとんど出なかった。
 その大学に足を向けることにした。龍馬という若者が「その歴史の扉をその手で押し」た舞台となった場所にあるからだ。(文 福嶋敏雄)

                   ◇

≪メモ≫

 河原町通蛸薬師(たこやくし)の「近江屋」跡の石碑までは、阪急河原町駅から北に徒歩2分。京阪祇園四条駅から徒歩5分。JR京都駅からだと、市営地下鉄烏丸線四条駅から東に徒歩15分。河原町通を隔てて東側に、京都の土佐藩邸があった。脱藩の過去がある龍馬は安全な土佐藩邸に入らず、近江屋に宿泊していて難に遭った。ここを訪ねたあとは、ぜひとも鴨川の河原を歩いてほしい。龍馬や新選組が行き交った光景が広がっている。

                   ◇

≪きょうの「竜馬伝」≫

 ■NHK総合 午後8時~ ほか

 龍馬(福山雅治)は土佐を脱藩し、姿を消していた。そのころ土佐藩では、東洋(田中泯)を暗殺した半平太(大森南朋)が、藩の保守派と手を組み、藩主・山内豊範(染谷将太)の上洛(じょうらく)を実現しようとしていた。一方、象二郎(青木崇高)は姿を消した龍馬が、東洋暗殺の実行犯とにらみ、弥太郎(香川照之)と井上佐市郎(金山一彦)に龍馬の捕縛を命じる。弥太郎は佐市郎と共に大坂へ向かう。豊範の上洛のため、半平太も勤王党の平井収二郎(宮迫博之)、岡田以蔵(佐藤健)らと共に大坂に入る。同じころ、大坂の飯屋で惣之丞(要潤)が溝渕広之丞(ピエール滝)と、脱藩した後の龍馬の足取りについて語り合っていた。




 やっと晴れ間が見えたので桜を見に、近所の名所に行ってきました……昼間っから酒臭っ!(苦笑)

東京
「龍馬」で品川PRぜよ
好物シャモ肉の料理、「足跡パン」…続々

 龍馬ラーメンに龍馬ブーツ。幕末の志士、坂本龍馬ゆかりの地として、品川区の京急立会川駅近くの商店街が龍馬グッズによる町おこしに取り組んでいる。新たに発売された区内共通商品券の図柄にも龍馬が採用されるなど、NHK大河ドラマを機に取り組みが広がりを見せており、関係者は「龍馬ブームを盛り上げたい」と意気込んでいる。(土方慎二)
 龍馬と品川との縁は、江戸に出た若き龍馬が、土佐藩の品川下屋敷で過ごし、同屋敷近くの「浜川砲台」(現在の東大井地区)で黒船の警戒に当たったと伝えられることだ。
 足形に焼いた「龍馬の足跡ぱん」。休日には500個が売り切れるという(品川区東大井のカフェロティで) 大河ドラマ「龍馬伝」の放映が間近に迫った昨秋、砲台跡近くの「立会川駅前通り繁栄会」の関係者を中心に「品川龍馬会」を発足させた。駅前には2004年、高知市から寄贈された龍馬像が立ち、1月の放映開始以降、各商店が龍馬グッズ発売を本格化させた。
 例えば、龍馬の好物とされるシャモ肉を使った「龍馬ラーメン」は、シャモの風味をいかすため、あっさりした塩味が特長。「砲台跡周辺には龍馬の足跡が残ったはず」と、足形に焼いた「龍馬の足跡ぱん」は、平日200個、土日は500個が売り切れる人気だ。
 駅近くのそば店では、えび天を砲台にみたてた天ぷらそばを「砲台そば」として売り出し中。パッケージを龍馬のイラスト入りに替えて売り出した焼きノリは、土産物として店一番の売れ筋になったという。
 18日には、龍馬像前の広場で、龍馬や、出身地の高知にちなんだ歌や踊りを披露するイベントも開催される。経営する中華料理店で龍馬ラーメンを売り出した繁栄会会長の神通清一郎さん(62)は「今年の龍馬ブームは大きなチャンス。龍馬ゆかりの町としてPRしていきたい」と話す。
 盛り上がりはまだ立会川限定だが、同区商店街連合会会長で「品川龍馬会」会長もつとめる浦山嗣雄さん(77)は「一過性のブームで終わらせないために、品川全体で情報発信しなければ」と意気込む。大井町駅前で浦山さんが経営する靴店でも、龍馬の写真をもとに、履いていたブーツと似た形のものを仕入れ、「龍馬ブーツ」として売り出した。
 また、区商店街振興組合連合会は、1月に売り出した区内の約2000店で使える共通商品券の図柄に立会川駅前に立つ龍馬像の写真を採用した。同連合会では「今まさにタイムリー。品川が龍馬の町というイメージを区民に定着させたい」と話している。


咸臨丸:150年、太平洋渡る子孫 7日帆船出航「昔との違い比較」
 江戸幕府の軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」(620トン)が1860年、日本の船として初めて太平洋往復を成し遂げてから今年で150年。米サンフランシスコとの間を往復する独立行政法人・航海訓練所の練習帆船「海王丸」(2556トン)に、咸臨丸乗組員の子孫である兵庫県宝塚市武庫川町の無職、正井良治さん(62)が海洋研修生として乗り込む。出航は7日。正井さんは「昔と今の航海の違いを比較したい」と話している。【平井桂月】

 咸臨丸は幕末期の初期軍艦で、3本のマストを持つ木造の蒸気船。1858年に結ばれた日米修好通商条約の批准書を交換するため、幕府の遣米使節団が乗った米軍艦に随伴し、60年2月に浦賀港(神奈川県)を出航、3月にサンフランシスコに到着した。艦長は勝海舟で、福沢諭吉やジョン万次郎も乗っていた。万次郎以外の日本人乗組員90人余の大半は船酔いに苦しみ、技術指導のため乗っていた米国人乗組員の助けを借りた航海だった。
 正井さんの先祖は蒸気方手伝い(現在の機関士)の小杉雅之進(当時18歳)。68年に始まった戊辰戦争では旧幕府軍に参戦。明治維新後は逓信省などで海事行政を担当した。
 正井さんは今年1月、海王丸に乗り込む研修生を募集していると知って応募。研修生12人の一人に選ばれた。勤めていた塗料会社は3月19日に退職した。
 小杉が航海中につづった日記は復路のみしか残っていない。正井さんは「軍艦奉行木村摂津守らの日誌が残っている。咸臨丸の航海は38日、海王丸は30日と短い。季節も船の大きさも違うが、当時と比較して体験したい」と応募の動機を語る。
 明治維新後、咸臨丸は政府に接収され、開拓使の輸送船となったが、その偉業はその後も広く知られた。正井さんは「大政奉還で使節団はないがしろにされてしまった。大事なことを成し遂げたという歴史を知ってほしい」と願う。正井さんは今回の航海中、東京海洋大や神戸大の実習生93人に使節団のことを伝えたいと考えている。
 海王丸は7日、東京・お台場の船の科学館前岸壁を出航。5月5日にサンフランシスコに到着後、150周年記念行事に臨み、ホノルル経由で6月8日に帰国する予定だ。


福井
「人が集まる城下町に」 越前おおの結ステーションオープン 福井
 大野市の魅力を発信する拠点施設「越前おおの結(ゆい)ステーション」のオープニング式典が2日、越前大野城がある亀山公園の一角で盛大に行われた。
 ステーションは観光客らのまちなかへの回遊性を高め産業の活性化をはかるとともに、市民の交流の場となるエリアで、広さ約1・2ヘクタールに約9億2200万円をかけて施設(既存施設含む)整備が進められ、8月に完成予定の歴史的建造物展示・休憩施設「旧大野藩武者溜(藩主隠居所)」を除いて完成した。
 主な施設は、ランドマークとなる時鐘(ときがね)、「越前おおの結楽座」、休憩所と情報案内所となる「輝(キラリ)センター」、「越前おおのまちなか交流センター」、多目的広場兼駐車場などで構成されている。
 木造の時鐘は高さ約10メートル、電波時計と半鐘がある。外観は、越前大野城を築城した金森長近ゆかりの岐阜県美濃市にある長良川の川湊灯台をモチーフにしている。また結楽座は木造平屋建て327平方メートルの建物で、大野の逸品を販売する常設物産販売所をはじめ、地元のグループが野菜や加工品などを販売する「夕市」「昼市」を開催。幕末の歴史を紹介する展示などで観光客らをもてなす。
 式典で岡田高大市長は「市街地の年間観光客を平成24年度には10万人増の50万人にし商店街への人の流れを2割増やすため、結ステーションをおおいに活用し、人が集う活気に満ちた城下町にしていきたい」とあいさつ。時鐘の鳴らし初めやテープカットなどを行った。


京都
いそいそ衣装合わせ
 新緑の季節を彩る花街・先斗町の「鴨川をどり」(5月1日~24日)の衣装合わせが2日、中京区の先斗町歌舞練場であり、芸舞妓(まいこ)24人が、パンフレット用の写真撮影に臨んだ。
 舞台は2部構成。舞踊劇「女たちの幕末」は、追っ手を逃れ、先斗町のお茶屋に立てこもった新選組の隊士を、芸妓らが逃がす物語を描く。純舞踊「薫風歌絵巻」(5景)では、葵祭の場面などを表現。約20人の総踊り「京につどう」でフィナーレを飾る。
 初舞台の舞妓、もみ福さん(16)は「あこがれの舞台に立てるので、緊張しています。先輩のおねえさんたちの足を引っ張らないよう、一生懸命おけいこを頑張ります」と張り切っていた。
 1日3回公演。茶券付き4500円。問い合わせは先斗町歌舞会(075・221・2025)へ。


漆芸と絵画の世界 絶妙
上京で柴田是真展が開幕

 幕末から明治にかけ漆芸と絵画で活躍した柴田是真(ぜしん)(1807~91年)の世界を紹介する「江戸の粋・明治の技 柴田是真の漆×絵」展(京都新聞社など主催)が3日、相国寺承天閣美術館(京都市上京区)で開幕した。
江戸生まれの是真は24歳で京都に遊学、四条派の絵師岡本豊彦に師事、本格的な画法を学んだ。漆の作品は明治期に欧米で開かれた万国博覧会にも出品され、高い評価を得た。
 米国のコレクターの所蔵品約70点が初めて里帰りし、日本に残る優品と合わせ約90点を紹介。表面を金属や陶器そっくりの質感に仕上げた皿や茶入などトリックアートのような作品、漆で海の波の文様を施した重箱など超絶の技巧や、妙心寺塔頭大雄院の襖(ふすま)絵18枚など、工芸と絵画のジャンルを超えて活躍した全容に迫る。
 初日は午前9時半からの開会式のあと、内覧会が開かれ、招待客らが熱心に見入っていた。6月6日まで。有料。会期中無休。


佐久間象山ゆかりの絵や書公開
花園大歴史博物館で「大法院展」

 妙心寺塔頭・大法院(京都市右京区)の寺宝を紹介する「大法院展」が2日、中京区の花園大歴史博物館で始まった。松代藩の真田家と幕末の思想家佐久間象山(1811~64)ゆかりの絵画や書などが公開されている。
 大法院は、初代藩主真田信之(1566~1658)の菩提(ぼだい)所で、勝海舟や吉田松陰の師である藩士の佐久間象山の墓もあり、ゆかりの寺宝が多い。まとまった展示は初めてで、5月と6月に展示品を入れ替えて計58点を公開する。
 第1弾には、象山筆の情景詩のほか、京の絵師が合作し、桜の花も描かれた「佐久間象山追悼絵寄合書」(19世紀)、「佐久間象山聯吟歩良夜図」(明治36年)、象山所蔵と伝わる硯(すずり)が出展された。大法院を建立した長姫が描かれた土方稲嶺筆「長姫像」(江戸期)や雲谷等顔、海北友松、松花堂昭乗の墨画の優品も並んでいる。
 6月末まで。日曜休館(大学行事などで臨時休館あり)。無料。4月10日から5月10日まで大法院も特別公開される。


大阪
ホテル日航大阪で「龍馬会席」-高知の郷土料理を楽しむコース
 ホテル日航大阪(大阪市中央区西心斎橋1)3階の日本料理「弁慶」(TEL 06-6244-2419)は現在、期間限定で坂本龍馬の地元・高知の郷土料理楽しむ「龍馬会席」を提供している。
 「龍馬会席」(1人前=6,930円)は、幕末のヒーロー坂本龍馬の魅力を、地元・高知の食文化を通じて感じてほしいと同ホテルが企画したもの。ウツボの照り焼き、はちきん地鶏の竜田揚げ、ちゃんばら貝など地元の食材を、大ぶりの皿に豪快に盛り付けた「皿鉢(さわち)料理」をメーンに、どろめ(いわしの稚魚生しらす)の先付け、カツオのたたき、土佐茶の自家製くずもちなどを提供する。
 同店ではこれまで会席料理の料金を9,240円~としていたが、30~40代の「和食好き」に身近に会席料理を楽しんでもらおうと6,930円の「龍馬会席」を投入することで、新規客の開拓を目指す。
 提供時間は、ランチ=11時30分~14時30分、ディナー=17時30分~21時(土曜・日曜・祝日は17時~21時)。5月31日まで。


福岡
志津摩桜まつり:桜の下で幻想的な舞い 名家老が暮らした苅田町二崎で始まる /福岡
 幕末の小倉藩家老、島村志津摩(しづま)(1833~76)が晩年を過ごした苅田町二崎(ふたさき)のヤマザクラ(樹高16・5メートル)を楽しむ「志津摩桜まつり」が2日始まった。4日まで。【降旗英峰】
 島村は、小倉織や養蚕を奨励する藩政改革を進めた名家老。38歳で小倉城下から二崎に隠退し、44歳で亡くなったと伝えられる。ヤマザクラは島村の屋敷跡近くにあるため、「志津摩桜」と呼ばれて親しまれ、島村の紹介と地域おこしを目的に、地元住民で作る「二崎島村志津摩顕彰会」(崎田耕作会長)などが昨年からまつりを開いている。
 初日は夜神楽があり、町内に伝わる南原神楽が桜の下で幻想的な舞いを見せた。3、4日は午前10時から日没まで、島村に関する書籍や二崎産のタケノコ、貝汁などの販売があり、歴史に思いをはせながら花見を楽しむ。3日午後6時には琵琶の演奏もある。
 まつり事務局の町農政課は「ヤマザクラは樹齢約200年に及び、島村もめでたと思われる。歴史を感じてほしい」と来場を呼びかける。ヤマザクラは、町二崎浄水場前から二崎川沿いの上流約500メートルの二崎山山腹にある。同浄水場駐車場に車を止められる。
〔京築版〕


佐賀
小城に度々「旅」して 観光PR「たびたび隊」発足
 小城市への観光客誘致やふるさと納税などを呼び掛ける宣伝隊「小城たびたび隊」の発足式が2日、市役所小城庁舎であった。市の名産品をイメージし、新たに作成したマスコットキャラクター「ようかん右衛門」「こい姫」を活用しながら、PR活動に努めていく。
 宣伝隊はリーダーの犬塚浩さん(47)ら4人。県内外のイベント会場に出向くほか、インターネットのブログを活用して市の特産品や観光情報の発信などに取り組む。国の重点分野雇用創出事業を活用し、事業費は2300万円。「たびたび隊」の名前は「旅」と「たびたび来てほしい)」という思いを組み合わせた。
 キャラクターは小京都・小城をイメージ。「こい姫」は幕末の小城藩の名家に生まれ、「ようかん右衛門」と思いを寄せ合う仲という設定で、同市在住のイラストレーターあきんこ(山口あき)さん(33)が生み出した。あきんこさんは「長く愛されるキャラに育ってほしい」と話し、近く着ぐるみも登場する予定。
 発足式では、隊員がそろいのはっぴ姿で登場。犬塚さんが「小城を盛り上げるため精いっぱい努力します」と宣誓。江里口秀次市長が「市の素晴らしい観光資源をPRしてほしい」とエール送った。


文化芸能
「龍馬伝」大浦慶役に余貴美子さん 幕末の志士を援助した商人
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」の新たな配役が2日、発表された。長崎の女性商人・大浦慶は女優余(よ)貴美子さん(53)が演じる。
 大浦慶は長崎の油商人。オールトら外国商人と組んで嬉野茶を欧米へ輸出し成功、巨利を得た。坂本龍馬ら志士を援助したといわれている。
 余さんは2008年に映画「おくりびと」、09年に「ディア・ドクター」で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を2年連続受賞した演技派。大浦慶は7月から始まる長崎が舞台の第3部で登場する。
 このほか、新撰組の近藤勇役に原田泰造さん、土方歳三役に松田悟志さん、沖田総司役に栩原(とちはら)楽人さん、亀山社中隊士近藤長次郎の妻お徳役に酒井若菜さんが決まった。


<龍馬伝>ネプチューン原田、今度は近藤勇 酒井若菜、余貴美子ら新キャスト発表 NHK
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」で新選組局長の近藤勇をお笑いトリオ「ネプチューン」の原田泰造さん(40)が演じることが2日、明らかになった。原田さんは08年の「篤姫」で大久保正助(利通)役で出演している。
 「龍馬伝」は、龍馬の33年の生涯を、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の視点から描いたドラマ。龍馬を強く意識する岩崎が、藩参政・吉田東洋の暗殺を機に龍馬を憎むようになる。しかしその後2人は長崎で再会し、衝突を繰り返しながら、「世界の海援隊を作る」という龍馬の遺志を引き継いでいく物語。大河ドラマ初の4部構成で、4日から放送される第2部「RYOMA the ADVENTURER(冒険者 龍馬)」では、脱藩して浪人になった龍馬が、勝麟太郎(かつ・りんたろう、武田鉄矢さん)、西郷吉之助(高橋克実さん)、妻となる女性・お龍(真木よう子さん)と出会い、海軍創設のため奔走し、飛躍を遂げていく。
 また、新選組副長の土方歳三を俳優の松田悟志さん(31)、新選組一番組組長の沖田総司を俳優の栩原楽人(とちはら・らくと)さん(20)が演じるほか、日本で初めて茶の輸出貿易をして富を得た長崎の油商の娘で、龍馬や志士たちの活動を物心両面で支えたと言われる大浦慶を女優の余貴美子さん(53)、大泉洋さん演じる近藤長次郎の妻・お徳を女優の酒井若菜さん(29)が演じる。松田さん、栩原さん、酒井さんは大河ドラマ初出演。
 鈴木圭チーフ・プロデューサーは新たなキャスティングについて「生きのいい芝居を十分楽しめる俳優さん」と説明した。(毎日新聞デジタル)

 新選組の三人も配役発表……『篤姫』で大久保どんを熱演した原田泰造さんが近藤勇なのは、結構似合いそうです。とりあえず、実年齢に近い配役でよかった←どのキャスティングへの文句かは、ごにょごにょ^_^;。

武田鉄矢、福山龍馬は寄ってこない?
 俳優の武田鉄矢(60)が2日、都内で、4日放送分から第2部がスタートするNHK大河ドラマ「龍馬伝」(日曜、後8・00)のPR会見を行った。芸能界きっての龍馬フリークである武田は、第16回(18日放送)から勝海舟役で出演。主演の福山雅治(41)について「あまり近寄ってきませんね。私から龍馬話を聞くのが、うっとうしいようで。龍馬の話をすると、音楽の話に切り替えるんです」と暴露し、笑いを誘った。また新キャストとして、新選組・近藤勇役のネプチューン・原田泰造(40)が発表された。






 長くなったので、別記事にしてアップします。

東京
遊ナビ:ギャラリー /東京
(中略)
■版画にみる明治の装い~着物とフロックコート

 2日~6月27日10~17時、GASMUSEUMがす資料館ギャラリー(西武新宿線花小金井駅からバス)。明治維新で新政府は洋風化を進め、街には和服の上にフロックコートを羽織る者、晴天でも洋傘を持ち歩く者などが出現した。幕末から明治にかけ、男女の装いが文明開化の影響をどう受け入れていったか版画を通して紹介。写真は歌川広重(三代)「東京滑稽名所日本橋天地の魚市」(1883年)。月曜休(5月3日は開館し同6日休)。電話042・342・1715


神奈川
台場公園がリニューアル
歴史学べる案内板も設置

 横浜開港150周年を記念して横浜市が進めていた神奈川台場公園(区内神奈川1丁目)のリニューアル工事が3月25日に完了し、一般に開放されている。公園内には「案内板」などが設置され、歴史の街・神奈川区をアピールする。

 幕末の横浜開港当時に東海道神奈川宿の臨海部に築造された巨大な砲台『神奈川お台場』。台場本体は、神奈川宿から約200mの沖合を埋め立てて造られた人工島で、陸地と台場とは東西2本の土手「取渡り道」で結ばれていた。大部分は、JR貨物・東高島駅の下に埋没しており、今に伝えるのは、部分的に露出している石垣のみだった。

 開港150年に合わせ実施された2度の発掘調査の結果、神奈川台場公園の地下には、「西取渡り道」の石垣が完全に近い状態で埋まっていることが明らかになった。そこで、市環境創造局が昨年11月中旬から、神奈川台場公園の再整備工事に着手。既存の植栽を活かしながら、当時の台場を模した石垣を造るなどのリニューアルを行った。神奈川区は、地図や絵で神奈川台場の歴史を学べる案内板と、これまでの発掘調査の結果を公表する案内板を設置した。案内板の設置担当者は「開港期の歴史的遺産を知ってもらえるように整備した。ぜひ、150年前の横浜を感じてほしい」と話している。詳細は【電話】045・411・7027区区政推進課まで。

神奈川台場
 幕府の命で勝海舟が設計し、横浜開港の翌年(1860)に伊予松山藩が建てた海上警備のための砲台。約8000坪に大砲14門を備え、主に外国船を迎える際に祝砲を発射する施設として利用された。1899年に外国人居留置の撤廃に伴い役割を終えた。


京都
幕末の先斗町 華やかに彩る
 花街・先斗町の春の舞踊公演「第173回鴨川をどり」(5月1日開幕)の衣装合わせが2日午前、先斗町歌舞練場(京都市中京区)であった。真新しい舞台衣装の芸舞妓が、プログラム用の写真撮影に臨んだ。
 2部構成で、第1部はNHK大河ドラマ「龍馬伝」で注目を集める幕末の舞踊劇「女たちの幕末」。先斗町を舞台に勤王派に追われ、お茶屋に逃げ込んだ新撰組の新米隊士と芸舞妓を描く。
 第2部は舞踊「薫風歌絵巻」全5景。葵祭や柳の揺らめく鴨川堤など新緑鮮やかな5月の京の風情を、芸舞妓の踊りで見せる。
 衣装あわせでは出演する芸舞妓31人のうち、24人が振り袖や若侍の衣装に袖を通し、舞台でポーズを決めた。初舞台を踏む舞妓のもみ福さん(16)は「あこがれの舞台で緊張しますが、姉さん方の足を引っ張らないよう頑張りたい」と話した。
 5月24日まで。午後0時半、2時20分、4時10分の3回公演。4500~2000円。先斗町歌舞練場TEL075(221)2025。

春告げる京の舞 1日から都をどり、幕末の志士も登場
 京の春を彩る伝統の公演「第138回都をどり」が、1日から京都市東山区の祇園甲部(こうぶ)歌舞練場で始まる。31日は、けいこの総仕上げである「大ざらえ」があった。

 演目のテーマは「桜花訪(はなにきく)京都(みやこの)歴史」で、全8景。今年はNHKの大河ドラマ「龍馬伝」の放映に合わせ、幕末の志士役も舞台に姿を見せる。

 上演は30日までで、1日4回。観覧券は2千~4500円。問い合わせは祇園甲部歌舞会(075・541・3391)へ。


花と舞の“京都歴史案内”
祇園甲部「都をどり」大ざらえ

 京の春を彩る「都をどり」(1日開幕)の大ざらえが31日、京都市東山区の祇園甲部歌舞練場で行われた。芸舞妓が色鮮やかな衣装に身を包み、観客をみやびやかな舞の世界に誘った。

 今年の演題は「桜花訪京都歴史はなにきくみやこのれきし」全8景。「都をどりはヨーイヤサァ」の掛け声で、両花道に芸舞妓24人が登場して幕開け。梅の花咲く松尾大社や錦秋の御香宮など四季折々の京の風情を、舞で表現した。

 今年はNHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなみ、幕末を題材にした場面も盛り込んだ。第三景「和宮祇園社参」では、公家装束に身を包んだ芸舞妓が、都を離れ徳川家へ嫁ぐ和宮の憂いと覚悟を情感を込めて描いた。

 フィナーレは桜の咲き誇る平安神宮をバックに総踊り。招待客らが春らんまんの華やかな舞台に酔いしれていた。30日まで。


京都・祇園甲部で「都をどり」大ざらえ
 京都の花街のひとつ、祇園甲部の春恒例の「都をどり」を前に、けいこの総仕上げとなる「大ざらえ」が31日、京都市東山区の祇園甲部歌舞練場で行われた。大ざらえでは、舞妓(まいこ)や芸妓(げいこ)ら約70人が4月1日から始まる本番を前に舞や長唄を披露。招待客約600人は三味線などの音色に合わせて舞う美しい舞妓らに見入っていた。

 今年の都をどりは「桜花訪京都歴史」と題して、松尾大社での初詣から幕を開け、京都の春夏秋冬を華麗に舞い分けて、桜満開の平安神宮を背景に優雅に舞い終える。途中、幕末の京都を舞台に、志士が同志の死を弔い、鴨川に流される燈籠(とうろう)に手を合わせる場面などもある。

 4月1日から30日まで、1日4回公演。京都市左京区のパート店員、山口恵子さん(54)は「舞いも華やかで、着物もきれいだった。都をどりが始まると京都にも春が来たなと思えますね」と話していた。


ソフトバンクモバイル、位置情報利用した「京都さくらマップ 2010」と「龍馬と歩く京のまち」
ソフトバンクモバイルは、携帯電話の位置情報を利用した周辺情報配信サービス「ふらっと案内」で、京都の桜名所を紹介する「京都さくらマップ2010~歩いて訪ねる桜名所と幕末・維新史跡~」(京都市文化市民局提供)と京都の観光名所を紹介する「龍馬と歩く京のまち」(同)のコンテンツを3月31日から配信する。

京都市が配布している情報誌「京都さくらマップ 2010」と「龍馬と歩く京のまち」に掲載されている情報に位置情報を結びつけて「ふらっと案内」で配信する。これにより、「京都さくらマップ 2010」に掲載されている二条城をはじめとする京都市内社寺仏閣などの観桜ポイントや京都のさくらイベントなどに関するコンテンツと、「龍馬と歩く京のまち」に掲載されている坂本龍馬のゆかりの地や幕末の史跡・ 名所情報などのコンテンツを、「ふらっと案内」を通じて簡単に閲覧でき、京都観光がいっそう便利になる。

また、「京都さくらマップ 2010」の主要なコンテンツは英語版も用意し、海外からの観光客も京都のサクラを十分に楽しめる。なお、現在「ふらっと案内」はiPhoneのアプリケーションで利用可能。



大阪
堺市博物館 スポット展示「幕末の勤皇家板倉槐堂-その書画の世界-」を開催します
 板倉槐堂(いたくらかいどう)(淡海槐堂(おうみかいどう・1822~1879年))は儒者で勤皇家でもあり、文久2年(1862年)に私財を投じて洛東大仏日吉山(京都市東山区)に設けた文武館には、長州藩の桂小五郎(のちの木戸孝允)・広沢真臣・品川弥二郎、土佐藩の坂本龍馬・中岡慎太郎・武市端山など、幕末維新の著名な人物がしばしば訪れています。
 
 また、翌文久3年、最初の武力倒幕である天誅組の挙兵では、リーダー藤本鉄石に鉄砲数十挺を贈り、直後に起こった朝廷内のクーデターでは、敗れた尊皇攘夷派の公家三条実美らに金品を贈って都落ちの手助けをしています。
 
 坂本龍馬が慶応3年(1867年)、京都の近江屋で暗殺された事件は有名ですが、特に注目すべきは、襲撃の前日頃に龍馬を訪ねた最後の知人であるといわれ、龍馬の誕生記念に自作の書画を贈った人物が、板倉槐堂その人であったことです。
 
 このように、勤皇の志士らと深い関係を持ち、倒幕運動を経済的に支えた人物だった板倉槐堂は、その功績により明治新政府の官僚となり、明治5年(1872年)に病気を理由にわずか5年で官職を退いた後は、郷里の近江国坂田郡坂本村(現、滋賀県長浜市下坂中町)で風雅の世界に余生を送りました。

 本展は、本年1月よりNHK大河ドラマ「龍馬伝」がスタートしたことに因み、当時の文人たちが好んで描いた画題と個性的な筆跡が生み出す独特の趣きを持つ館蔵の板倉槐堂の書画作品を通じて、幕末維新の激しい時代を生きぬき、晩年を隠遁して過ごした板倉槐堂の心情を窺う契機としていただくことを目的に開催します。

【主な展示予定作品】
 ○板倉槐堂筆 「蘭図」自画賛     明治4年 1幅 
 ○板倉槐堂筆 一行書         明治5年 1幅
 ○板倉槐堂筆 「蘭石図」自画賛    明治5年 1幅
 ○板倉槐堂筆 「蘭図」自画賛     明治5年 1幅
 ○板倉槐堂筆 「花卉墨画巻」     明治5年 1巻
 ○板倉槐堂筆 「蓮花無腸子図」自画賛 明治8年 1幅
 ○板倉槐堂筆 扁額「懶是真」     明治時代 1面

■会期
 平成22年4月6日(火)~平成22年5月9日(日)

■開館時間
 午前9時30分~午後5時15分(入館は午後4時30分まで)

■会場
 堺市博物館
 (堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁 大仙公園内)
 JR阪和線「百舌鳥」駅下車 徒歩約6分

■休館日
 4月12日、19日、26日
 ※ゴールデンウィーク期間中(4月29日~5月9日)は無休です。
 
■入館料(カッコ内は20人以上の団体料金)
 ○一般       200円(160円)
 ○高校生・大学生  100円( 70円)
 ○小学生・中学生   50円( 30円)
 ※65歳以上の方、障害者及びその介助者、市内在住・在学の小・中学生は無料です。

■主催  
 堺市博物館


[関連リンクURL]
http://www.city.sakai.lg.jp/
http://www.city.sakai.lg.jp/hakubutu/


大分
杵築観光に新戦力 武家屋敷「能見邸」
 杵築市が改修工事をしていた同市杵築の武家屋敷「能見邸」の落成式が現地であった。武家屋敷が多く残る市中心部に、新たな観光・文化施設が加わった。1日から一般公開される。入場無料。

 能見邸は市内の北台武家屋敷群にあり、人気の観光施設の一つ「大原邸」に隣接。市教委文化・スポーツ振興課によると、幕末期の建物と推測されるという。敷地面積は約1440平方メートルで、延べ床面積は約250平方メートル。玄関の間、上段の間など12の部屋があり「格式の高さがうかがえる造り」と同課。
 所有していた能見マサさん(90)=横浜市中区=が2007年、市に土地と建物を寄贈。市は国のまちづくり交付金を活用し、08年7月に改修工事を開始。建築当時の状態への修復を目指し、壁土や柱などはできるだけ再利用した。改修、庭園整備などにかかった総額は約7200万円。
 神事、落成式には関係者約40人が出席。八坂恭介市長が能見さんの親族らに感謝状を贈り「徳川直系の能見家の邸宅が一般公開できるのは素晴らしい。城下町散策のスタートにふさわしい施設が完成したので、観光客誘致にさらに力を入れたい」と式辞。終了後、邸内を見学した。
 施設内では1日から、土産物などの買い物や飲食ができるスペースもオープンする。同課は「ギャラリースペースとして、団体や個人に貸し出すこともできる。文化発信の場としても活用してもらいたい」としている。


ブックレビュー
「シリーズ日本近現代史」完結
 岩波新書の「シリーズ日本近現代史」(全10巻)が完結した。新たな歴史の解釈を広い読者層に簡便に読める新書で提供する試みが成功し、累計部数は48万部に及ぶ。

 外国に「屈服」したと言われてきた、幕末の日本外交を再評価した井上勝生著『幕末・維新』(第1巻)の刊行は2006年11月。以降、1930年代の戦争で日本がいかに自らの行為を正当化したかを論じた加藤陽子著『満州事変から日中戦争へ』(第5巻)、60年代以降の日本社会の変容を描いた吉見俊哉著『ポスト戦後社会』(第9巻)など、第一線の研究者が最新成果を盛り込んで執筆。3年余をかけて完成させた。

 今回の新たな通史を貫いた観点は、「家族」「軍隊」「植民地」の三つ。その狙いを、『大正デモクラシー』(第4巻)を書いた成田龍一氏は、〈近代が作り出したものであるとともに、それぞれ現代の社会を深部で規定〉しており、これらを通して〈「日本」の歴史性と《いま》の課題が明らかになると考えた〉。最終巻の岩波新書編集部編『日本の近現代史をどう見るか』の終章でそう記す。

 6月からは「シリーズ中国近現代史」の刊行が始まる。

(2010年3月31日 読売新聞)


IT
幕末顔辞典: 坂本龍馬の時代の要人を、履歴書風味にして知るアプリ。顔ハメもあります。811
ランダムに出てくる歴史上の人物のプロフィールを確認することのできるアプリ、幕末顔辞典の紹介です。
ランダムに出てくる顔写真をタップし、歴史上100人の偉人のプロフィール(履歴書風)を確認できます。他にも「この人誰だっけ?」などの問題を出したり、偉人に自分や友人の顔をハメた写真を撮影することができます。【顔】【名前】の一覧からも検索ができます。

 ちょっと面白そうなアプリです。






 春先は天候が不安定とはいえ、今年の春は低音、強風。桜には試練の連続ですね。

宮城
寒湯番所輝き再び 一般公開を再開 栗原・花山
 岩手・宮城内陸地震で被災した宮城県栗原市花山の国史跡「仙台藩花山村寒湯(ぬるゆ)番所跡」の一般公開が1日、再開された。同市栗駒耕英地区では、市道馬場駒の湯線の通行時間規制も解除された。震災から2度目の春を迎え、被災地は復興への足取りも早めている。
 番所跡の修復工事は、表門の石垣(高さ1.2メートル、長さ約15メートル)が積み直され、倒れた名跡の標柱も元通りにした。関所守の居宅「役宅」は土壁や表具などが交換・補修された。書院造りの太いはりや柱は黒光りし、幕末期から続く歴史の輝きを取り戻した。
 公開再開の初日は早速、十数人の観光客が訪れた。家族5人で来た白石市の男性(39)は「少しでも被災地の支援になればと思った。役宅は造りが立派で、目を見張った」と話した。
 番所跡に隣接する温泉宿泊施設・温湯山荘の大山幸義副支配人(58)は「道路は今も山荘前までしか通れないため宿泊客に紹介できる観光拠点が少なく、心苦しかった。花山の観光産業にとって再開の意味は大きい」と喜んでいた。
 耕英地区に通じる唯一の幹線となっていた市道は警備ゲートが廃止され、終日通行可能に。今月下旬には県道の除雪も終わり、栗駒山の登山口、いわかがみ平まで通行できる見込み。
 温泉旅館「くりこま荘」を営む菅原次男さん(68)は「宿泊客に通行許可証を渡すため、ゲートまで下りていく必要がなくなった」と歓迎し、利用客の増加を期待する。
 高山植物の宝庫の世界谷地に続く市道も通行止めが解除され、第1湿原は見学できるようになった。


東京
山口敏太郎のパワースポット巡り「板橋の近藤勇墓所」
 己を貫いて生きる人が少なくなった昨今、信念を貫くことは厳しい状況に追いやられる事が多い。そんな時にお参りすれば、勇気と闘志が湧いてくる場所がある。JR板橋駅の東口にある「近藤勇墓所」こそが、乱世を戦う現代の男たちに力を与えてくれるパワースポットなのだ。
 新撰組局長として京都で勇名を馳せた近藤勇だったが、慶応4年4月流山で官軍の薩摩藩士・有馬藤太によって捕縛された。当初は、幕臣・大久保大和と名乗っていたが、元新撰組隊士の面通しによって近藤勇と判断され、慶応4年4月25日処刑されてしまった。この時、近藤勇は坂本龍馬を暗殺した犯人として、谷守部や香川敬三によって一方的に断罪され、処罰されているのだが、現在では無実であった可能性が高くなっている。
 斬首された後、首は京都に晒され、胴体はその他大勢と一緒に埋められたが、近藤勇の娘婿である近藤勇五郎が、見張り役の役人に金を握らせ、胴体だけは掘り起こし、多摩の龍源寺に埋葬した。なお、近藤の首は京都に晒されたあと、行方不明になり、愛知県に埋葬されたとも、福島県に埋葬されているとも噂されている。
 因みに この板橋の墓所は永倉新八によって建立されている。戊辰戦争の途中、近藤勇と袂をわかった永倉新八だが、晩年は旧友たちの名誉回復に努めている。なお、同所の石碑には「近藤勇宜昌」と書かれているが、「近藤勇昌宜」が正しい表記である。また石碑には、土方歳三義豊之墓とも彫られ、両側面には110名もの新選組隊士の名前が刻まれている。現代でも近藤勇や新撰組の武功を称え、参拝する人が多く、常に人で賑わっている人気のパワースポットなのだ。
 なお毎年、近藤勇の命日である4月25日には近藤勇供養祭が行われている。近藤勇の決断力と実行力にあやかりたい人はぜひ行ってもらいたい。

新撰組局長・近藤勇場所

住所
北区滝野川4-22-2 

最寄駅
地下鉄都営三田線 新板橋駅・西巣鴨駅 徒歩8分
JR埼京線 板橋駅東口 徒歩10分

山口敏太郎

参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou


神奈川
勝坂遺跡公園:オープン 国内初、ササぶき竪穴式住居も /神奈川
 縄文時代中期(約5000年前)に大きな集落がつくられた相模原市南区磯部にある国指定史跡「勝坂遺跡」の史跡公園が完成し、政令指定都市移行を記念して1日にオープンした。国内初のササぶきと関東地域では初の土ぶきの竪穴式住居を各1棟のほか敷石住居跡を復元した。74年の国史跡指定からようやく公園ができた。

 公園が整備されたのは、遺跡群のうち鳩川左岸の段丘沿い(広さ約2ヘクタール)。土質調査で屋根ぶき材と考えられるアズマネザサが多く見つかったことからササの葉を屋根に使ったと考証。ササぶき住居を復元したほか、冬季だけ住んだとみられる土ぶき住居も復元した。

 クリ材を柱にした半地下式の住居には入って見学できる。遊歩道が設けられ、縄文中期にあったとみられるタブノキやクリ、アラカシなど20種の幼木を園内に植栽。土器の捨て場があった場所には管理棟が建てられた。

 1926(大正15)年に顔面を表現した取っ手の土器などが出土して遺跡の存在が分かった。段丘沿いでは竪穴式住居跡が80棟以上見つかり、装飾的な文様の「勝坂式土器」は縄文中期を代表する土器となった。段丘の下にわき水や田んぼがあり、鳩川の両岸に広がる大きな集落があったとみられている。

 段丘林のシラカシ群集などの照葉樹林は市天然記念物。わき水の一つは、海老名市にある古社「有鹿(あるか)神社」の奥社になっている。入園自由で、復元住居内の見学は水曜~日曜日午前9時~午後4時。

 近くには唯一現存する幕末期の和洋折衷住宅で国登録有形文化財の旧中村家住宅がある。中村家から昨年、市に寄贈されたことから防火設備などを整え、1日から無料で一般公開された。開館は木曜~日曜日午前9時半~午後4時。問い合わせは市文化財保護課(042・769・8371)。【高橋和夫】


洋菓子店「モンテローザ」が神奈川台場をテーマに「勝サブレ」
 洋菓子販売店「モンテローザ」を展開する三陽物産(横浜市中区長者町9)は4月1日、老舗料亭「割烹 田中家」(神奈川区台町11)で新商品「勝サブレ」の記者発表会を行った。

 「勝サブレ」は「神奈川台場」の歴史性に注目した縁起菓子で、坂本龍馬の師である勝海舟が設計した「神奈川台場」の独特の形状をモチーフにしたサブレ。風味や食感にこだわった上品な味わいの高級サブレで、サブレの中央には夢の実現への願いを込めた「勝」のひと文字が焼き上げられている。

 神奈川台場は横浜開港の翌年の1860年に完成し、かつて国内外の貴賓や外交団に祝砲を放っていた史跡。今年築造150周年を迎え、現在、横浜市神奈川区内の地下にほぼ完全な形で埋もれていることが確認されている。

 発表会では、三陽物産の代表取締役社長の山本博士さんが「勝サブレ」の誕生秘話や神奈川台場の歴史性について説明会を実施。「横浜の歴史文化を継承する縁起菓子を作りたいという思いから生まれた新商品で、勝海舟とゆかりのある『割烹 田中家』さんでお披露目する運びとなりました。横浜の約150年の歴史の中で最も古い史跡のひとつであり、祝いのシンボルともいえる神奈川台場のもつ『勝』、『祝』、『運の強さ』といったキーワードにちなんだ縁起菓子。横浜の歴史を伝えるお菓子として広めていきたい」と抱負を語った。

 田中家の5代目女将・平塚あけみさんは「昔はこのあたりに1,300軒もの宿場があったが、現在残っているのは田中家のみ。龍馬伝の影響で多くのお問い合わせがあるが、これからも歴史を大切に語り継いでゆきたい。歴史を守ってくれる『勝サブレ』が誕生してうれしい」と喜びを表した。

 「勝サブレ」は10個入1,260円、20個入2,415円。商品リーフレット「神奈川台場ストーリー 横浜幕末物語」には、神奈川台場の歴史や松山出身の画家・八木彩霞さんが描いた「神奈川台場の図」、勝海舟の言葉、坂本龍馬の手紙の記録などが収められている。

 販売は、勝サブレ公式サイト(通信販売)、赤レンガ デポ、みなとみらい線みなとみらい駅改札口前「エムエムみやげ」、大さん橋X-PORT、横浜ランドマークタワー69階の「タワーショップ」、マリンタワー2階の「マリンタワーショップ」、神奈川県立歴史博物館、料亭 田中家など。

 モンテローザは1962年の創業以来、横浜の風景や歴史をイメージした菓子を販売しており、横浜の歴史的建造物である「横浜三塔」にまつわる伝説をイメージしたケーキ「横浜三塔物語」は「第13期ヨコハマ・グッズ横濱001」で「石坂浩二賞」、焼菓子「横浜ロリケット」は2008年度モンドセレクション賞を受賞している。

 本社ショールーム(中区長者町9)、モンテローザ大井町店(神奈川県足柄上郡大井町)、コーヒーバー「ブルーマウンテン」(横浜そごう5階)の3店舗を運営しており、近年は太陽光発電、風力発電発光ダイオード照明灯などを備えた工房を整備するなど「環境にやさしい」菓子作りにも取り組んでいる。



富山
吉久の町並み、映像で記録 高岡「考える会」、商人町の魅力、後世に
 高岡市吉久地区に残る格子戸の町並みや獅子舞などの風習を映像で記録する作業は1日、同地区で始まった。2008年8月に第1回の収録を行って以来、2回目の作業となる今回は、古民家の内部も対象に加え、建築様式の変遷などを新たに撮影する予定で、郷土の歴史や文化にさらに光を当てる。
 吉久地区は、加賀藩の御蔵(米蔵)を中心に繁栄した商人町として知られる。記録は「吉久の伝統的町並みを考える会」が市と共同で手掛けた。撮影は、高岡大仏の今昔をまとめたビデオ映像を制作している「高岡を記録する会」の伊藤博代表らが協力している。

 1日は、撮影場所の下見を行い、「考える会」の大菅正博会長と伊藤代表が同市吉久2丁目の神明宮や民家などを回った。今後は、民家の瓦や内部の柱を細かに映し、幕末から昭和期までの建築様式の変化をひもといていく。

 記録した映像は、5月中旬に予定されている「考える会」の総会に提出し、会員の承認を経た上で、一般に広く公開する。

 大菅会長は「将来、地元の良さを再発見できる材料として活用していきたい」と話し、伊藤代表は「20年後、30年後、町並みがどうなるかが心配。記録を大切に伝えていきたい」と意気込みを見せた。


滋賀
「井伊家伝来・能の小道具」展:十五代当主の“役者魂”--彦根 /滋賀
◇直忠さん収集45点
 彦根市の彦根城博物館で、テーマ展「井伊家伝来・能の小道具」が開かれている。自らも能を演じた井伊家十五代当主の直忠さん(1881~1947)が収集した扇類や装束・武具類など45点を公開している。13日まで、無休。

 直忠さんは、幕末の大老で十三代彦根藩主直弼の孫。観世流の梅若六郎らに師事して生涯、能に打ち込み、能を演じる役者の目線でさまざまな演目を演じられるように能道具を集めたという。

 展示品は、井伊家伝来品が関東大震災で焼失した後、直忠さんが収集したもの。金色の唐草文様が描かれた真っ赤な地に大輪の牡丹(ぼたん)を配した扇の「赤地牡丹唐草図」は、演目「道成寺」で鬼が手にし、牡丹は鬼にもなる女性の恋の執念を表しているという。武具の「太刀拵(こしらえ)」や木地に大波を描いた「水桶(おけ)」なども公開している。

 観覧料は一般500円▽小・中学生250円。問い合わせは同館(0749・22・6100)。【松井圀夫】


京都
芸舞妓が華やかな装い 「鴨川をどり」衣装合わせ
 京都花街、先斗町の歌舞練場(京都市中京区)で行われる春公演「鴨川をどり」を前に、出演する芸妓と舞妓の衣装合わせが2日あり、24人がプログラム用の写真撮影に臨み、会場は華やかな雰囲気に包まれた。
 173回目となることしの演目は「女たちの幕末」と「薫風歌絵巻」。主人公の新選組隊士が今の徳島県出身であることから、演じる芸妓が阿波の方言を話すのが話題になりそうだ。
 初舞台の舞妓で浜松市出身のもみ福さん(16)は「昨年は入り口で見たあこがれの舞台に上がることができる。多くのお客さんや母も見に来てくれるので、けいこを頑張りとおす」と話した。
 「鴨川をどり」は5月1~24日で1日3回。茶券付きで4500円。問い合わせは先斗町歌舞会、電話075(221)2025。


街かど:都をどり大ざらえ /京都
 京都の五花街の一つ、祇園甲部歌舞会の「第138回都をどり」(1~30日)を前に、東山区の祇園甲部歌舞練場で31日、「都をどり」の大ざらえ(最終げいこ)があり、芸舞妓(げいまいこ)が招待客ら約600人を前に華麗な踊りを披露した。

 今年の演目は「桜花訪京都歴史(はなにきくみやこのれきし)」(全8景)。第1景の「総をどり」で登場する舞妓の人数が、これまでより4人増えて計24人となり、より華やかに。また、孝明天皇の妹和宮が徳川幕府14代将軍の家茂に嫁ぐ前に八坂神社を訪れた場面を描いた「和宮祇園社参」など、一部に幕末の要素を取り入れたのが特徴という。

 入場料は▽特等4500円▽1等4000円▽2等2000円。公演は▽午後0時半▽同2時▽同3時半▽同4時50分--の4回。問い合わせは祇園甲部歌舞会(075・541・3391)へ。【小川信】



岡山
岡山城春季特別展 1万人突破
 岡山城(岡山市北区丸の内)で開催中の春季特別展「幕末の動乱 会津と長州そして岡山」(岡山市、おかやま観光コンベンション協会、山陽新聞社主催)の入場者が2日、1万人を突破した。歴史ブームの影響か客足は好調で、当初見込みより約1週間も早い達成となった。
 1万人目は、午前10時ごろに家族4人で訪れた埼玉県久喜市、会社員丸山茂さん(49)。同協会の岡〓彬会長が記念に備前焼のビアカップを贈った。城巡りが好きという丸山さんは「突然のことでびっくり。展示を知らずに来たが、幕末に興味があるのでゆっくり楽しみたい」と喜んだ。
 同展は会津、長州藩の成り立ちから、幕末に対立していく流れを、新選組や坂本竜馬の活躍を交えて紹介。両藩や岡山藩ゆかりの書や絵など約90点を展示している。

 同展は3月20日に開幕し、5月9日まで(午前9時〜午後5時半、入場は同5時まで)。会期中無休。入場料は15歳以上800円、5歳以上400円。

〓は崎の「大」が「立」


福岡
上野彦馬賞フォトコンテスト:入選106点の作品展 /福岡
 若い写真家の発掘と育成を目的とした「第10回上野彦馬賞九州産業大学フォトコンテスト」(九州産業大、毎日新聞社主催)の入賞作品展が中央区天神の県立美術館で開かれている。入場無料。4日まで。

 上野彦馬は幕末から明治にかけて長崎で写真館を開き、「日本の写真の祖」と知られ、コンテストは00年から始まった。今回は国内外から計3310点の応募があった。

 最高賞の上野彦馬賞に輝いたスペイン在住の写真家、森本徹さんの「コソボ--虐殺の記憶(5枚組み)」を始め、一般部門75と中高生部門31の計106点の入選作を展示。須恵町の自営業、伊東映子さん(60)は「自分も写真が趣味。生き生きとした人の表情など一瞬をとらえた作品が多く参考になった」と話していた。【反田昌平】



コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(56)東大教授・山内昌之 阿部正弘
瓢箪鯰と宇宙人

 鳩山由紀夫首相の日本語表現は格別に晦渋(かいじゅう)というわけではない。それでいて、聞いていると時々何を言いたいのか分からないことが多い。過剰な丁寧語や謙譲語の対象が時として人間だけでないことにも辟易(へきえき)する。いちばん厄介なのは、一つの流れのなかで前段と後段で語る内容が間々違うことだ。

 また、日がたつと全然違うことを平気で言い出すこともある。かつては普天間飛行場の県外国外移転を強く主張し、前政権の辺野古(へのこ)沖移転案を拒否したのに、3月23日には普天間飛行場の全面返還について「ゼロベース」で考えているとまで言い出した。

 住民の危険除去を根本の出発点にする肝心の移転作業をなおざりにして、「危険性除去と騒音対策」を条件に普天間飛行場の一部存続さえ示唆するのだ。危険な普天間の継続使用を何とかして止めようというのが超党派の基本的立脚点だったのに、いつのまにか「ゼロベース」という便利な言葉で問題の本質をそらしている。

 3月29日夕になると、普天間移設の政府案を一つにまとめる時期について「今月中と決まっているわけではない」と妙なことを言い始めた。首相は26日の会見で普天間移設案を「3月いっぱいをめどにまとめる」と強調していたのではなかったか。

  

優柔不断の八方美人

 鳩山首相には「言語の浮遊」ともいうべき特徴が見られて仕方がない。良く言えば関係者全員を満足させたい善意、悪く言えば近衛文麿あたりにも共通する責任を無意識に回避する性向。この2つを考えると、どうしても「八方美人」という言葉がすぐ浮かぶ。
幕末維新の歴史を語った徳富蘇峰は、『近世日本国民史』のなかで、嘉永6(1853)年のペリー来航時の老中、阿部正弘を優柔不断や八方美人と批判した。また、幕臣だった福地桜痴(おうち)も著作『幕末政治家』において阿部を「始終巧(たくみ)に八方美人の策」を施すのに得意であり、「果敢の断行をなすの人」でないと揶揄(やゆ)する。

 阿部は徳川譜代(ふだい)の閣老として祖法の鎖国にこだわる立場でありながら、列強の力と世界情勢を判断して開国に舵(かじ)を切らざるをえないジレンマに置かれた。それでいて、前水戸藩主の徳川斉昭のように極論を繰り返す攘夷(じょうい)派と妥協を図るために、八方美人になった面には幾分かの同情を禁じ得ない。

 阿部はペリー来航を機に、「国家の一大事」を挙国一致体制で乗り切ろうとした。外様と譜代を問わず大名や、身分の尊貴を超えて幕臣らに良策を諮問したのである。しかし、徳川斉昭を海防参与(最高顧問)に任命して攘夷の不可なることを悟らしめようとする逆転の発想は失敗に帰した。これが高等な政治戦術なのか、水戸の老公への阿諛追従(あゆついしょう)なのかは議論の分かれるところだ。

 確実なのは、斉昭が政策の現実性を無視し、攘夷の理念性を振りかざしながら、幕府の機密情報や政策議論の内容を平気で外に漏らし、いたずらに阿部を困らせ混乱を引き起こしたことである。海防や軍艦製造や大砲鋳造を斉昭にまかせれば、不平不満を「慰謝」できるという見込みは、幕府の基本政策と反対の斉昭を増長させる機会をつくったにすぎない。
したたかな交渉術

 現に斉昭の圧力で開国派の老中たちを罷免すると門閥の井伊直弼らは激高し、「八方美人」の限界をあえなく露呈する始末となった。孤立を恐れた阿部は開国派の堀田正睦(まさよし)を老中首座に起用し、攘夷派と開国派との融和を図ろうとしたが、これも責任を巧みに避けて禍を堀田に転嫁する術だとして福地桜痴は厳しく批評する。

 それでも、阿部正弘は急死しなければ、幕府中心の雄藩連合体に近い国家として幕末日本を再編していたかもしれない。しかし、開明派の外様雄藩や非門閥官僚を幕政に参加させたあたりは、八方美人ぶりと並んで弱気な政治姿勢とみられがちであり、政敵から「瓢箪鯰(ひょうたんなまず)」と仇名(あだな)された。

 しかし、この瓢箪鯰にはしたたかな所も多々あり、交渉術に冴(さ)えを発揮し、人心収攬(しゅうらん)にもたけていたことは否定できない。

 「調整の名人」という異名は政治家として決して悪い評価ではない。瓢箪鯰ならぬ「宇宙人」にも、せめてリーダーとして調整の名人になるように阿部から学ぶことを切に望みたいものである。(やまうち まさゆき)

                   ◇

【プロフィル】阿部正弘

 あべ・まさひろ 文政2(1819)年生まれ。備後福山藩(広島県)藩主。奏者番、寺社奉行をへて天保14年、25歳で老中に抜擢(ばってき)された。徳川斉昭や島津斉彬ら有力大名と連携し、海防政策に対応。ペリー来航の際は日米和親条約を締結させ、開国へ導く。勝海舟ら優秀な人材を登用し、品川台場の構築や軍艦発注をはじめ、講武所や蕃所調所、長崎海軍伝習所・洋学所を設立するなど洋式軍制改革を進めた。安政4(1857)年、病没した。享年39。


【龍馬を慕う】混沌の時代が求める快男児 4日、連載スタート
足跡訪ね、閉塞打破のヒントに

 平成の世に、坂本龍馬がよみがえっている。福山雅治さん主演のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送がきっかけだが、時代の混沌も“龍馬渇仰論”に拍車をかけている。龍馬は幕末の混乱期に生を受け、薩長同盟を作り上げ、大政奉還というシナリオを描いた。その精華を見届けることもなく、33歳(数え年)で暗殺された。しかしながら、龍馬の奔馬のような生き方は、現在の閉塞(へいそく)状況を打ち破るヒントになるのではないか。そんな思いで、4月4日から毎週日曜日に、龍馬の足跡を訪ねてみたい。案内は福嶋敏雄特別記者、山口晃さんの刺激的なイラストと題字が読者を「龍馬の世界」へと誘(いざな)うだろう。(渡部裕明)

 坂本龍馬は天保6(1835)年11月15日、高知城下に郷士・坂本八平の次男として生まれた。19歳のとき、剣術修業のため江戸に赴いた。この年、ペリーが黒船で浦賀沖に来航し、時代の激動を肌で感じることとなった。

 龍馬を飛躍させたのは、28歳での土佐藩脱藩であろう。土佐藩士という身分を離れ、勝海舟や横井小楠(しょうなん)、高杉晋作、久坂玄瑞(げんずい)らと交わり、視界を大きく開かされる。勝のもとで神戸海軍操練所の塾頭となり、海運を使った商社の創設を夢見るようになった。

 時代を見る目を得た龍馬は、いやおうなく「幕末の政治」に巻き込まれてゆく。弱体化した徳川幕府では、海外列強の侵略は防げない。薩摩や長州など雄藩の力を合わせ、新しい政権を作ることでしか対抗できないのではないか。

 こう信じた龍馬は、西郷隆盛と木戸孝允(たかよし)を面会させて「薩長同盟」を実現させる。対立していた両藩の和解は、龍馬でなくては成し遂げられぬ成果であった。

 この大きな仕事を果たす前、龍馬は長崎で「亀山社中」と名づけた貿易商社を結成する。自分が本当にやりたいのは、世界の海をかけめぐること。龍馬は何にも縛られない自由人であった。

 しかし、龍馬に残された時間は少なかった。ささやかな休暇を、妻のお龍(りょう)とともに九州・霧島に遊んだ。「日本最初の新婚旅行」としてよく知られている。

 慶応3(1867)年11月15日夜。京都河原町の醤油(しょうゆ)商「近江屋」の2階で同郷の陸援隊(りくえんたい)隊長、中岡慎太郎とともにいた龍馬は、刺客に襲われる。応戦したものの頭部を斬(き)られ、亡くなった。遺骸(いがい)は慎太郎とともに、京都・東山霊山(りょうぜん)に葬られた。

                   ◇

  

司馬遼太郎によりよみがえった龍馬

 今でこそ有名な坂本龍馬だが、明治や大正時代までは故郷の土佐以外、知る人も少なかった。高知で発刊された「土陽新聞」は明治16年から、「汗血千里駒(かんけつせんりのこま)」という龍馬を主人公にした小説を連載した。作者は坂崎紫瀾(しらん)。これが、初めての本格的な龍馬伝とされる。

 決定的に龍馬をよみがえらせたのは、司馬遼太郎である。昭和37年6月から41年5月まで、産経新聞夕刊に「竜馬がゆく」を連載し、彼の自由奔放な生き方は、多くの読者を魅了した。

 司馬はあとがきの中で、次のように書く。

 《日本史が坂本竜馬を持ったことは、それ自体が奇蹟(きせき)であった。なぜなら、天がこの奇蹟的人物を恵まなかったならば、歴史はあるいは変わっていたのではないか》

 司馬のこの見解は、いまでも新しい。史実とフィクションの区別は難しいが、龍馬という人物の魅力が、将来にわたって語り継がれることは間違いない。

                   ◇

 □毎回、イラストを執筆 山口晃氏

  新しい「龍馬像」創り出したい

 坂本龍馬に惹(ひ)かれたのは、大学を卒業した20歳代後半でした。絵の素材として日本の歴史に関心があったので、司馬遼太郎さんの小説を次々、読み始めました。私は本を読むスピードが遅いので、時間はかかったのですが、「坂の上の雲」や「竜馬がゆく」には引き込まれ、幕末から明治維新、そして文明開化期のおもしろさに目を見開かされました。
龍馬の魅力といえば、どんな相手でも時間をかけず懐(ふところ)に飛び込むことのできる人なつこさと、行動力でしょうか。私自身はどちらかというと内にこもるタイプなので、あこがれもあります。

 龍馬を撮影した写真は何枚か伝わっています。画家としては、参考にできる部分も少なくないのですが、毎週、毎週描くわけですから、こだわるつもりはありません。むしろ読者にとって、新しい発見につながるような「龍馬像」を創(つく)り出したいと思っています。応援をよろしくお願いします。(談)

                   ◇

【プロフィル】山口晃

 やまぐち・あきら 画家。昭和44年生まれ。平成8年、東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油絵)修士課程修了。平成19年、上野の森美術館での会田誠との2人展「アートで候」を開催し、話題に。昨年、五木寛之氏の新聞小説「親鸞」の挿絵を担当した。

                   ◇

 《坂本龍馬の年表》

 1835(天保6) 龍馬誕生

 1853(嘉永6) 剣術修業で江戸遊学

 1854(安政元) 帰国

 1856(安政3) 再び江戸に遊学

 1858(安政5) 土佐に帰国

 1862(文久2) 沢村惣之丞とともに脱藩

           勝海舟に会い、門下生に

 1863(文久3) 松平春嶽に謁見

           海軍操練所塾頭に

 1864(元治元) 海舟に従って長崎へ

 1865(慶応元) 亀山社中を設立

 1866(慶応2) 薩長同盟なる

           寺田屋事件

           お龍との霧島新婚旅行

 1867(慶応3) 海援隊の隊長に

           いろは丸が衝突、沈没

           船中八策提案、大政奉還

           刺客に襲われ死去


【大物が描いた夢 十勝大農場余話】第一部 渋沢農場
 明治中期、未開の地・十勝に可能性を求め、資本家や華族らを地主とする大農場が誕生した。“大物”たちが築いた大農場はその後さまざまな経過をたどり、農業王国・十勝に影響を与えた。大農場の足跡を訪ね今日に何を残してきたのかを探る。



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渋沢農場(清水町)上
「官尊民卑打破」 壮大な構想



十勝開墾会社構想が練られた旧渋沢邸の建物のひとつ「青淵文庫」
 東京都北区王子の小高い丘にある飛鳥山公園。都内の喧噪から離れた一角に、国の指定重要文化財「旧渋沢邸」の建物が静かに時を刻む。

農業改良に意欲
 明治初期、第一国立銀行創設など近代経済社会の基礎を築いた実業家で子爵の渋沢栄一(1840〜1931年)の本邸跡。現在は渋沢史料館として生涯500に上る会社創設・育成を手がけ、社会福祉増進に尽力した功績が伝わる。




 その渋沢をトップに据え、明治・大正期に十勝管内最大の耕作面積を誇った清水町熊牛の大農場「渋沢農場」の構想が、この地で動き出した。1887(明治20)年11月、渋沢は経済学者20人を同邸に迎え、北海道開拓を検討。渋沢史料館の井上潤館長(50)は「広い十勝では機械耕作するアメリカの大農法が可能でないかと考えた。軌道に乗れば最終的に、全国の農業改良につなげる思いを示した」と説明する。

 埼玉県深谷市血洗島で染料に使う藍玉の生産農家に生まれた。「原点は農業にあるうえ、広大な未開地は相当な魅力だったのだろう」(井上館長)。当時、北海道の原野を払い下げる国有未開地処分法が未制定だが、このころ札幌麦酒、北海道製麻、北海道炭鉱鉄道など創立で道内との接点がある。早くから、北海道振興の「富源」として農業の重要性を見いだしていたのだ。

けた違いの資本金
 振興策の推進にあたり渋沢が重視したのが民間主導の事業展開。渋沢栄一伝記資料では1886年7月12日、初代北海道庁長官岩村通俊が渋沢をはじめ、岩崎弥之助(三菱財閥)、益田孝(三井)、安田善次郎(安田)、大倉組創設者の大倉喜八郎ら在京財界人と会い、官業ではなかなか進展しない開拓事業で懇談。渋沢が農業会社設立の必要性を説いたと記述している。

 井上館長は「渋沢の基本的な考え方のひとつに『官尊民卑の打破』がある。民は官の補完ではなく、民が富を先導する力を持たなければ日本は発展しないという考え。北海道の振興も民に委ねることで自主的に進むと訴えた」と強調。鉄道による交通整備の重要性も指摘するなど壮大なプロジェクトが描かれる。

 そして1898(明治31)年2月、渋沢の思いを具体化する第一歩として「十勝開墾合資会社」が設立された。渋沢とともに幕末の混乱時に一橋慶喜に仕えた、いとこ渋沢喜作が社長。札幌麦酒や帝国ホテル創設で渋沢と縁が深い大倉ら計25人が出資した。現在の貨幣価値では億単位に上る資本金100万円の巨大資本を構築して熊牛の用地選定に入った。

初代長に町村金弥
 清水町史編さんにたずさわった榎波博さん(81)は「近代的な会社資本の考え方を取り入れた点で十勝の他の大農場と異なる。資本金をみてもけた違いだ」と分析。町村金五・元道知事の実父で近代酪農を伝えた町村金弥を初代農場長に抜てき、大農場が動き出す。(児玉匡史)
※北海道炭鉱鉄道の鉱の字は石へんに廣です。

近代資本主義の父・渋沢栄一
 渋沢栄一は一橋慶喜(のちに15代将軍徳川慶喜)に仕えた縁で、1867年から1年半、慶喜の弟昭武に随行してフランスのパリ万国博を見学するなど欧州を歴訪。株式会社組織や金融制度など経済政策への見聞を深めた。

 その経験が明治新政府に買われ、大蔵省で国策立案にかかわったほか、官営富岡製糸場や王子製紙などを創設。民間経済人としての道を歩もうと官を辞して第一国立銀行総監役と頭取を務めた。

 財界トップの東京商法会議所会頭に就任したが、「道徳経済合一説」を唱え、財閥を作らない経済人としても知られ、これが「近代資本主義の父」と称されるゆえん。

 かつて坂本龍馬とともに「海援隊」の運営にたずさわった三菱財閥創設者岩崎弥太郎が、渋沢と共同事業を営もうと2大経済人同士の連携を模索し接触した経緯もある。しかし渋沢は欧州訪問以来、出資を募って利益を分配する株式会社組織の基本理念として「合本主義」を主張、岩崎との考え方の違いから決別した。

<十勝開墾合資会社の主な役員>(1898年設立時、清水町百年史より)
▽社長=渋沢喜作(出資5万円、北海道製麻社長)
▽業務担当役員=渋沢栄一(同、札幌麦酒社長)大倉喜八郎(同、同取締役)
▽田中源太郎(同、北海道製麻取締役)田中平八(同、東京)
▽監査役=中村太三郎(同、三重県)植村澄三郎(2万円、札幌麦酒取締役)
▽出資5万円社員=小室信夫(東京)長尾三十郎(同)加東徳三(同)石崎政蔵(同)濱岡光哲(京都)阿部彦太郎(大阪)本野小平(宮城)
▽同3万円=渋沢篤二(東京)高山豊次(同)上原豊吉(同)渋沢作太郎(横浜)▽同2万円=書上順四郎(神奈川県)渡邊勘三郎(北海道雨竜郡)中村蔵次郎(紋別郡)福田彦四郎(栃木県)和久伊兵衛(大阪)大崎宗恭(三重県)水谷藤八(同)


文化芸能
清史郎くん、初のマゲ姿だ~い!
 人気子役の加藤清史郎(8)が、映画「桜田門外ノ変」(10月16日公開)で初の“ちょんまげ”姿を披露していることが1日、分かった。

 幕末の江戸を舞台に、桜田門外の変とその後を描く同作で、加藤が演じるのは、井伊直弼暗殺を指揮した主人公・関鉄之介(大沢たかお)の息子、誠一郎役。

 時代劇は、ブレークしたNHK大河ドラマ「天地人」や映画「座頭市 THE LAST」(5月29日公開)で経験している加藤も、少年武士のまげ“角前髪(すみまえがみ)”姿は初披露。さらに帯刀も初めてとあって、3月下旬に行われた撮影では「初めて刀を差してうれしい!」と大興奮。鞘(さや)から刀を抜き出し、力強く殺陣の構えで決めポーズ。「チャンバラやアクションにも挑戦したいな」と次の夢に目を輝かせた。


仲間由紀恵“琉球版オスカル”だ
 女優の仲間由紀恵(30)が、来年2月6日開幕の舞台「テンペスト」(東京・赤坂ACTシアター)に“男女一人二役”で主演することが1日、分かった。仲間の舞台は4年ぶり。幕末の琉球王国の天才美少女・真鶴が男性に姿を変えて王府に仕えながらも、男性と恋に落ちるラブストーリー。沖縄出身の仲間が、故郷を舞台に“琉球版オスカル”となる。

  ◇  ◇

 仲間が4年ぶりの舞台で、盟友たちと難役に挑む。

 同作は、作家・池上永一氏の同名ベストセラー小説が原作。幕末の琉球王国を舞台に、天才少女・真鶴が性別を偽って男性・孫寧温として国家試験を突破し、仕えた王府で薩摩藩の青年士族・浅倉と恋に落ちるなど、波瀾(はらん)万丈の人生を描く。女性が男性となり、運命にほんろうされながら男性との恋愛を展開するさまは、宝塚歌劇団の名作「ベルサイユのばら」の主人公オスカルに例えられる。

 仲間にとっては、07年の「ハルとナツ 届かなかった手紙」以来の舞台。沖縄県浦添市出身だけあって「生まれ育った沖縄を舞台にした作品に出演できて、うれしい気持ちでいっぱい」と“琉球版オスカル”に感慨深げだ。ステージでは、男女の琉球民族衣装でファンを魅了する。

 初の“一人二役”。しかも男女を演じ分けるというハードルに挑むことになるが、心強いのは“チーム仲間”の存在だ。その1人が舞台演出を務める映画監督の堤幸彦氏。仲間が主演するシリーズ最新作「劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル」(5月8日公開)の監督だ。ほかには、同作でコミカルなやりとりが評判となった俳優の生瀬勝久(49)が敵役で登場する。また、05年にNHK「紅白歌合戦」で司会コンビを組んだ俳優の山本耕史(33)が浅倉を演じる。

 仲間も「難しい一人二役に不安もありますが、堤監督や気心の知れた方々と共演できるのが何といっても心強いです」とコメント。舞台でも名コンビを期待できそうだ。

 東京公演は来年2月6~28日まで。大阪・新歌舞伎座公演は3月5~20日。


近衛はな、撮影中は父・目黒祐樹を突き飛ばすほどの熱演!でも普段はほんわか親子
 [シネマトゥデイ映画ニュース] 吉田松陰の知られざる恋愛秘話に迫った映画『獄(ひとや)に咲く花』で初の親子共演を果たした近衛はなと目黒祐樹がそろってインタビューに応じ、幕末の偉人への思いやお互いへの要望を明かしてくれた。

映画『獄(ひとや)に咲く花』

 本作は幕末に開いた私塾が、後に明治維新政府の指導者となる人物を数多く輩出するなど、理想の教育者としてたたえられている吉田松陰の生誕180年記念映画。吉田が海外への密航を図った罪で投獄されていた日々にスポットを当て、同じ場所に収監されていた実在の女囚との間に芽生えた淡い恋を絡めつつ、その実直な生きざまに迫る歴史ドラマだ。今回、その女囚の高須久役に抜てきされたのが俳優の目黒祐樹を父親に持ち、母親も元女優の江夏夕子、伯父が松方弘樹という芸能一家出身の近衛はな。これまでも司会者や脚本家としてマルチな才能を発揮してきた近衛は、本作で吉田との出会いによって希望を見いだしていく薄幸のヒロインをしっとりと演じている。

 近衛は演じ終えた現在「松陰先生が処刑された小伝馬町を地下鉄で通ると、思わず手を合わせてしまいます」と吉田松陰の偉大さが身に染みている様子。撮影中に演技の勢い余って目黒を突き飛ばして転び、貧血を起こして撮影を中断させたことがあるそうで「松陰先生が江戸へ連れて行かれるのを追いかけて、それを止めようとした父演じる牢獄長を振り払うシーンです。あのときは暑くて着物もきつかったし、すごく本気を出していたので……」と恥ずかしそうに振り返り、ヒロインさながらのいちずな性格をうかがわせた。

 すると突き飛ばされた方の目黒が「ヒロインは命懸けで松陰先生を愛していたから、あのぐらいの勢いがあっていい」とフォロー。初の大役を務めた娘の奮闘ぶりについて「自分のデビュー当時よりはましだったかな(笑)。及第点ではないけど、とにかく一生懸命さは伝わりました」と演技に対するひたむきな姿勢を評価した。そして「年の割に純粋さを残しているので、いつまでも失わないでほしいね」とほほ笑むと、近衛から「(父も)もう60歳過ぎているけど、とても好奇心旺盛。これからも年齢不詳のおじさんを目指してね」と言われ笑い合い、仲むつまじさを印象付けた。

 最後に、この映画にかかわるずっと前から吉田松陰を尊敬していたという目黒は「今の日本があるのは幕末という時代を通り過ぎたから。その時代を最初に呼び込んだのが吉田松陰先生。映画を通してこの方の偉大さを再認識していただけたら」と力を込めた。坂本龍馬をはじめ、今もなお現代人を魅了し続ける幕末の偉人たち。そんな彼らが活躍する礎を築いた吉田の潔い生きざまと切ない恋愛秘話に、日本人としてこの機会に触れてみてはどうだろうか。

映画『獄(ひとや)に咲く花』は山口・福岡県にて先行上映中 4月10日より有楽町スバル座ほかにて全国公開


エンターテインメント
幕末を舞台にした女性向け恋愛アドベンチャーゲーム「幕末恋愛革命(ばくまつラブレボリューション)」、NTTドコモ&ソフトバンクにて配信開始!
 株式会社ジー・モード(本社:東京都渋谷区、代表取締役社長:宮路武、以下、Gモード)は、基本料金無料の公式ゲーム総合サービス「ゲームバイキング」にて、「幕末恋愛革命(ばくまつラブレボリューション)」のサービスを序章無料でNTTドコモ、ソフトバンクに向けて本日より開始いたします。



「幕末恋愛革命(ばくまつラブレボリューション)」は、女性から絶大な人気を博している幕末を舞台にストーリーが展開する、恋愛アドベンチャーゲームです。

ユーザー自身がゲーム中の主人公となって、幕末の時代に活躍した坂本龍馬、高杉晋作、土方歳三、沖田総司、岡田以蔵の中から好きなシナリオを選択し、歴史上の人物との恋愛を成就させていきます。
1話終了時に相手の幕末志士からの「メール」や、ストーリーをクリアすることにより入手出来る限定の「まちうけ画像」をもらえたり、「キャラクターボイス」をダウンロードすることが出来ます。

 今回、メインキャラクターである坂本龍馬の声を幅広い分野で活躍している声優の鈴村健一氏、敵役の土方歳三の声を杉田智和氏が担当し、その他若手人気声優達も活躍し、一層華やかさを添えています。
更に、シナリオ制作として、乙女ゲームのプロデュース等を幅広く手掛けているツーファイブ(本社:東京都豊島区)とシナリオ工房「月光」(本社:東京都練馬区)を迎え、女性の心をときめくセリフがふんだんに盛り込まれたストーリーとなっております。

「幕末恋愛革命(ばくまつラブレボリューション)」の配信を記念して、Gモードが提供する「わいわいサービス」において、声優サイン入りキャラクターポストカードが抽選で10名様に当たるキャンペーンを実施します。






 やっと陽が差し、昨日より幾分か暖かくなりました。テレビのニュースに映っていた上野公園は、昼から花見客で賑わってました。

岩手
清河八郎を祭る神社、老朽化進む 庄内、屋根改修へ住民走る
 庄内町清川の住民約60人が「清河神社屋根改修実行委員会」(松田広委員長)を設立し、地区内にある同神社の屋根を直すための募金集めに奔走している。清川出身の幕末の志士で浪士組の幹部だった清河八郎(1830~63)を祭る同神社は、1933(昭和8)年の創建で老朽化が激しく、雨漏りの被害が年々ひどくなっている。松田委員長は「地域の誇りである神社を次世代に引き継いでいきたい」と善意を募っている。
 明治維新の先駆けになったとされる清河は、江戸で学問と剣の塾を開くなど文武両道にたけていたことで知られ、同神社は地元や東京の有志によって創建された。地元の小学生がみこ舞を披露する例大祭(5月)をはじめ、住民にとってなじみのイベントが毎年開かれており、隣接する清河八郎記念館の斎藤清館長は「神社は地域にとって欠かせない存在」と語る。また、合格祈願などに訪れる人も少なくない。
 しかし、管理運営に当たる氏子を構成していない上、宮司は同町の御諸皇子(ごしょのおうじ)神社の正木尚文宮司が兼務しているため常駐しておらず、「祈祷(きとう)料など維持管理に費やす資金がない」という。そのため、これまで建物を修復したことがなく、屋根の腐食による雨漏りが年々悪化。改修が急務となっていた。
 同実行委員会は「地域の誇りを守ろう」と、昨年10月に設立された。計画では、工期はことし5月から約3カ月間を予定、屋根は瓦から銅板にふき替える。工費は1300万円を見込む。既に地区内の各世帯に協力をお願いし、約280世帯のほか、計画を知った全国各地のファン約80人も協力し、29日現在、約600万円が集まっている。
 ただ、目標額には遠く、松田委員長は「清川では約9割の世帯に協力してもらったが、広く支援をお願いしたい」と語る。5000円以上の寄付者には、屋根の銅板(縦26センチ、横95センチ)の裏面に氏名、願いごとを書いてもらうことにしている。募金は少額でも受け付けている。問い合わせは同実行委員会0234(57)2104。


栃木
田崎草雲たたえる2市民団体 活動強化へ統合
 足利市ゆかりの文人画家田崎草雲(一八一五~九八年)の功績をたたえる二つの市民団体が統合し、新組織「画聖草雲会」が二十九日、発足した。
 二団体は、「画聖田崎草雲顕彰会」と「草雲美術館盛り上げ隊」。これまで別々に活動してきたが、美術館が開館四十周年を迎えたのを機に、効率化を進めようと発展的解消を図った。両会の会員を合わせると九十人ほどになり、顕彰や関連施設の活性化など従来の活動を強化していく。
 盛り上げ隊長だった亀田悦子さん(58)=同市旭町=が新組織の会長に就任。亀田さんは「絵師であり、幕末の志士でもあった草雲の偉業を今の文化やまちづくりに生かし、世界に発信したい」と語った。 (清水祐樹)


静岡
地域通貨「龍馬小判」でまちおこし=静岡県下田市
 静岡県下田市の温泉旅館協同組合や観光協会などでつくる「下田龍馬伝志援隊」は4月1日から幕末の志士・坂本龍馬の肖像をあしらった地域通貨「龍馬小判」を販売する。
 同市は、文久3年(1863年)1月、勝海舟が土佐藩主の山内容堂に面会し、坂本龍馬の脱藩を許してもらった宝福寺が所在するなど龍馬ゆかりの地として知られる。NHK大河ドラマ「龍馬伝」のロケ地にもなった。
 今回発売されるのは、龍馬小判2000枚(販売価格1枚3000円)と「龍馬くんコイン」5万枚(同900円)の2種類。それぞれ「参龍(さんりょう)」「壱龍」というように「龍」を単位にした。コインは1枚で1000円分の買い物ができるプレミアム付きだ。
 利用可能期間は4月1日~9月30日の半年間で、利用可能の表示シールが張ってある市内店舗で使用できる。観光協会などで直接購入できるほか、下田龍馬伝志援隊のホームページでも注文を受け付ける。
 下田龍馬伝志援隊の担当者は「既に東京など県外からも問い合わせが来ている。コイン付き宿泊プランを計画するなど地域活性化を目指していきたい」と話している。【


京都
漫画文化を体系化、新たに常設展示
3日からマンガミュージアム

 京都国際マンガミュージアム(京都市中京区)は、戦後の漫画史や産業としての漫画、海外でのとらえられ方など、漫画のあり方を体系的に紹介した常設展示を新設した。漫画にあまり関心のない人や外国人にも分かりやすい展示にしている。
 同ミュージアムは、これまで企画展などで漫画文化を紹介してきたが、体系的な常設展示は無かった。入館者の1割を占める外国人に日本の漫画文化を理解してもらうためにも、開館3年を機に常設展示の充実を決めた。
 常設展示は、これまでメーンギャラリーとして使ってきたスペースに、1945年から2005年までの雑誌と代表的な作品約6600冊を展示。幕末の風刺漫画から現代に至る変遷や、漫画の社会的機能、アニメーションや漫画の描き方、多くの企業がかかわる産業としての漫画文化などを幅広く紹介している。
 海外で翻訳されている日本漫画や海外の漫画を楽しめる「マンガ万博」コーナーも従来の1400冊から5250冊に増やし、書棚「マンガの壁」も従来の全長140メートルから200メートルに延長した。常設展は3日から正式にオープンする。入館料が必要で、水曜休館。


明治元年、新政府「五榜の掲示」の高札見つかる 岡野酒造で 
 福知山市野花、岡野酒造場(岡野俊之店主)の土蔵からこのほど、明治期の高札が見つかった。明治維新後に政府が出した「五榜の掲示」という太政官高札で、民衆に対しての禁令が板に墨書されている。
 五榜の掲示は1868年(慶応4年・明治元年)、新政府が民衆に対する禁止令として発したもの。第1札から第5札まであり、五倫のすすめやキリスト教の禁止、徒党・強訴・逃散などを禁じた。
 土蔵で発見されたのは、殺人・盗賊の禁止や人間関係を規律する孝行、忠誠、男女の役割、上下の秩序、信義の五倫を守るように記した第1札と、キリスト教の禁止などを書いた第3札。大きさはともに横58センチ、縦35センチで、表には禁止事項の内容と「慶応四年」「豊岡懸(県)」などの文字、裏には「天田郡野花村」と書かれていた。
 岡野酒造は江戸末期の1866年(慶応2年)創業。府道の築造工事のため、移転改築工事をすることが決まり、解体した酒蔵の跡地に築約150年の土蔵を「曳き家」で移動することになった。母屋も手壊しして、再建する。
 土蔵を片付けていた際、工事を請け負う会社の一つ、岸下建設(立原)の吉井幸男代表取締役社長(56)が、材木に紛れ込んでいた板を発見。「慶応四年」「太政官」の文字が見えたことから、五傍の掲示の高札ということに気づき、保管しておいた。
 岡野店主(61)は「子どものころは、それなりに古い家に生まれたという自覚はあり、いろいろなものがあることは聞いていましたが、これを見るのは初めてです」と感慨深く話す。
 市教育委員会によると、市内では数点確認されているという。
 土蔵からはこれとは別に、火付けや盗賊などを見つけた場合、捕まえて役所へ差し出すことなどを記した「火付高札」も出てきた。 
 
写真=第1札、第3札を持つ岡野店主(左)、岸下社長


    
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山口
ミニ「長州砲」 鋳造成功/萩市
◆萩・幕長研、当時の技術再現
  萩市に事務局を置く幕末長州科学技術史研究会(略称・幕長研、樹下明紀会長、50人)が28日、幕末期に長州藩が実戦に使った「長州砲」を再現しようと、当時の鋳造技術を使って実物の約6分1のミニチュア造りに挑み、悪戦苦闘の末に成功した。会員らは「いずれ実物大にも挑戦したい」と意気込んでいる。
 幕末期、長州藩は欧米諸国の脅威に対抗するため、鋳物師集団・郡司家を中心に「長州砲」と呼ばれる大砲を鋳造。英仏蘭米の4国連合艦隊と戦った下関戦争で使った。しかし、鋳造方法は明らかになっておらず、長州藩に関して記した「防長回天史」にも「炉で溶かした銅を鋳型の上部から流し込んだが、銅滓(どうさい)や気泡が邪魔をして大砲の鋳造はうまくいかなかった」と記述されているだけという。
 幕長研ではこの疑問を解明しようと、萩市椿東の「萩ガラス工房」の敷地に当時とほぼ同じ構造の手作り溶解炉(高さ90センチ、内径22センチ)を設置。1844(天保15)年に郡司喜平治が造り、下関戦争で敗れて英国に持ち去られた後、2008年に一時里帰りして萩博物館で展示された長州砲(長さ184センチ、口径8・8センチ、重さ760キロ)をモデルに、京都の鋳物師に鋳型づくりを依頼した。
 会員らはこの日朝、溶解炉に火入れをし、炭を燃やして炉内の温度を1200~1500度まで上げた。そのうえで銅材などとして水道メーター、水道蛇口、鉛の廃材、銅板樋(とい)の廃材を投入。正午ごろに湯口を開けたが、溶けた銅が固まって流れ出さずに失敗。炉を一部やり替えてさらに溶解を続けたところ、午後5時ごろ、なんとか鋳型に流し込むことができ、長さ27センチ、口径1・5センチ、重さ2・6キロの青銅製のミニ長州砲が完成した。
 溶解炉を設計した萩ガラス工房の藤田洪太郎社長は「長さは2センチほど足りなかったが、予想以上のできばえ」と満足顔。会員らは同夜、萩城跡で開かれた花見の会で祝杯をあげた。
(井口勝夫)


佐賀
佐賀、近代化に貢献した偉人紹介 県が15人の伝記出版
 幕末から明治の政・経・文化は佐賀人がリードしていた―。佐賀県教育委員会は2010年度から5年かけ、日本の近代化に貢献した郷土の偉人伝全15冊を出版する。「薩長土肥の一角だった佐賀には、大隈重信以外にも偉人が多い。古里への関心を高めたい」と県教委は意気込む。
 偉人伝は今年秋から冬ごろに刊行開始。1人1冊、約100ページにまとめ、定価は税込みで千円。県内外の書店で販売する。各4千部をそれぞれ5年で売り切るのが目標で、制作や販促の費用はすべて売り上げで賄う。県によると、自治体が大規模な出版事業をするのは、全国でも珍しいという。
 取り上げる人物は、郷土史で「佐賀の七賢人」と呼ばれる、日本赤十字社を設立した佐野常民や初代司法卿(法相)の江藤新平らが決定。ほかに日本銀行本店や東京駅を設計した辰野金吾や、牛痘種痘の普及に努め東大医学部の前身を築いた伊東玄朴が候補に挙がっている。


長崎
龍馬の足取りジオパークの視点で 雲仙岳災害記念館で企画展
 幕末の志士、坂本龍馬が歩いた長崎までの道のりをジオパークの視点で紹介する企画展「龍馬がやってきた!」が島原市平成町の雲仙岳災害記念館で開かれている。5月10日まで。入場無料。
 島原は1864年2月、龍馬が本県の土を初めて踏んだゆかりの地。昨年夏、世界ジオパークに認定された島原半島のジオサイト(地質学的見どころ)と龍馬の足跡を絡めて紹介し、関心を高めてもらおうと企画した。
 27日にあったオープニングセレモニーで河本冨士雄館長は「楽しみながらジオパークを理解できる内容。ぜひ多くの方に見てほしい」とあいさつ。会場には、島原街道など「龍馬の道」と当時の地図、島原半島の地質を丁寧に解説したパネル16枚などを展示。訪れた人たちは眉山や普賢岳、千々石断層などのパネルを見ながら、龍馬が歩いた当時の風景に思いをはせていた。
 同日は、全国龍馬社中会長の橋本邦健さんが来館。「龍馬が目指した維新への第一歩」と題し、記念講演を行った。


ブックレビュー
坂本龍馬責任編集「RYOMA」ってどんな雑誌!?
“坂本龍馬責任編集”って、そんなバカな!? いえいえ本当にそうなのです!

 主婦の友社の社員である坂本龍馬氏(本名)が責任編集を行う坂本龍馬雑誌が、同社から期間限定でリリースされ、注目が高まっております。
 「2時間で「龍馬」のウンチクが語れる」ことをテーマにした『RYOMA』、毎号ワンテーマで特集が組まれ、全4回で龍馬のすべてを知る事ができる内容になっています。
 NHK大河ドラマでは描かれないエピソードを知りたい、でも専門書では難しいという人のための、龍馬も幕末も維新も江戸のウンチクもわかる、エンタメ幕末マガジンなのです!

 1月29日にリリースされたVOL.1では「日本を洗濯いたし申し候」をテーマに、龍馬の言葉や龍馬の噂の真相を徹底調査しています。特別付録に龍馬のふるさと「高知」をフィーチャーしたお散歩BOOKがつき、読んで学んで行動できる充実の内容に仕上がっております。

 3月29日にリリースされたVOL.2では「龍馬からの手紙」をテーマに、龍馬にゆかりのある人物の紹介や現存する龍馬の手紙を大分析しています。VOL.2の特別付録は「龍馬&龍馬が見た世界地図-輿地航海図Wポスター」です。龍馬ファンは部屋に貼って龍馬の気分に浸るべし! またVOL.1に引き続き、長崎をフィーチャーしたお散歩BOOKがつきます。

 注目のVOL.3は「龍馬と女たち」がテーマ。お龍さんや佐那さん、幕末有名人の奥様たちをフィーチャーします。龍馬と勝海舟、西郷隆盛に学ぶ「勝者の瀬戸際の交渉術」では、現代にも通じる交渉術や生き方を学べちゃえます。ビジネスマン必読です! VOL.3のお散歩BOOKは龍馬×京都特集です。1号、2号を隅から隅まで読んで、3号の発売に備えておきましょう!

 編集責任者の坂本龍馬氏本人もあらゆるメディアに引っぱりだこ! 何気なくつけたTVやラジオに出演してるかも…!? 公式ブログ『坂本龍馬なう』やTwitterにて、”現代の坂本龍馬”の情報もチェックです!

公式ブログ『坂本龍馬なう』
http://blog.shufunotomo.co.jp/ryoma/

坂本龍馬Twitter
http://twitter.com/ryomanow/

(みかめゆきよみ 山口敏太郎事務所)

参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou


エンターテインメント
『薄桜鬼』ドラマCD第4弾が発売決定
●主演声優陣のコメントもお届け

 アイディアファクトリーの女性向け恋愛アドベンチャーゲーム『薄桜鬼』のドラマCD『薄桜鬼ドラマCD ~島原騒動記~』が、ティームエンタテインメントより2010年3月31日に発売される。価格は3150円[税込]。
 そのドラマCDに出演している声優の三木眞一郎、森久保祥太郎、鳥海浩輔、吉野裕行、遊佐浩二、坪井智浩、津田健次郎のコメントが到着したのでお届けしよう。

土方歳三(CV:三木眞一郎)

――収録を終えられての感想をお願いします。

三木 楽しかったです。

――印象に残ったシーンやセリフなど、“ここが聴きどころ!”を教えてください。

三木 全部。

――今回は千鶴とお千のふたりが登場しますが、着物姿の女性に対してどんなイメージをお持ちですか?

三木 ありません。

――思わずグっとくる女性らしい仕草や恰好などはありますか?

三木 ナイショ。

――このCDのリリース日はそろそろ桜が咲き始めるころです。ここの桜がおすすめ! またはお花見の想い出などがあれば教えてください。

三木 ナイショ。

――最後にファンへのメッセージをお願いします。

三木 楽しんでくださいマセ。

沖田総司(CV:森久保祥太郎)

――収録を終えられての感想をお願いします。

森久保 にぎやかでした!

――印象に残ったシーンやセリフなど、“ここが聴きどころ!”を教えてください。

森久保 一訓が口数多いです。

――今回は千鶴とお千のふたりが登場しますが、着物姿の女性に対してどんなイメージをお持ちですか?

森久保 和!素敵!

――思わずグっとくる女性らしい仕草や恰好などはありますか?

森久保 すべてにグッときます。

――このCDのリリース日はそろそろ桜が咲き始めるころです。ここの桜がおすすめ! またはお花見の想い出などがあれば教えてください。

森久保 西伊豆の海沿いの桜

――最後にファンへのメッセージをお願いします。

森久保 楽しく収録できました!! その楽しさがみなさんにも伝わりますように!!

斎藤一(CV:鳥海浩輔)

――収録を終えられての感想をお願いします。

鳥海 無口な斎藤が今回はいっぱいしゃべっていてビックリです。

――印象に残ったシーンやセリフなど、“ここが聴きどころ!”を教えてください。

鳥海 全部スミズミまで聞いてください

――今回は千鶴とお千のふたりが登場しますが、着物姿の女性に対してどんなイメージをお持ちですか?

鳥海 いいですねぇ。

――思わずグっとくる女性らしい仕草や恰好などはありますか?

鳥海 その人に似合っていればなんでも。

――このCDのリリース日はそろそろ桜が咲き始めるころです。ここの桜がおすすめ! またはお花見の想い出などがあれば教えてください。

鳥海 雨が降っている中で大きなテント的なものを建てて20人くらいでやったのは楽しかったですね。

――最後にファンへのメッセージをお願いします。

鳥海 楽しんでください。これからも『薄桜鬼』をよろしくです。

藤堂平助(CV:吉野裕行)

――収録を終えられての感想をお願いします。

吉野 やっぱり自分のことは自分で決めよう!

――印象に残ったシーンやセリフなど、“ここが聴きどころ!”を教えてください。

吉野 キャストクレジット……とか。

――今回は千鶴とお千のふたりが登場しますが、着物姿の女性に対してどんなイメージをお持ちですか?

吉野 パンツははいてないんだろうか……。着物の人ははかないっていうから……。トイレたいけんなんじゃ……とか。

――思わずグっとくる女性らしい仕草や恰好などはありますか?

吉野 忘れました。たぶんあるんだけど……。

――このCDのリリース日はそろそろ桜が咲き始めるころです。ここの桜がおすすめ! またはお花見の想い出などがあれば教えてください。

吉野 忘れました。あ! 雨の中の花見はまだまだ寒いよね! デンジャーーーー!!

――最後にファンへのメッセージをお願いします。

吉野 『薄桜鬼』をこれからもよろしく!!

原田左之介(CV:遊佐浩二)

――収録を終えられての感想をお願いします。

遊佐 いつもながら楽しいメンバーなので、ホッとします。

――印象に残ったシーンやセリフなど、“ここが聴きどころ!”を教えてください。

遊佐 斎藤が変な妄想に登場するところです。

――今回は千鶴とお千のふたりが登場しますが、着物姿の女性に対してどんなイメージをお持ちですか?

遊佐 あまり身近にはいない女性。テレビでしか見ないイメージですね。

――思わずグっとくる女性らしい仕草や恰好などはありますか?

遊佐 特にありません。硬派なので(笑)

――このCDのリリース日はそろそろ桜が咲き始めるころです。ここの桜がおすすめ! またはお花見の想い出などがあれば教えてください。

遊佐 花粉症なので花見はしない主義です。

――最後にファンへのメッセージをお願いします。

遊佐 もう何本目のCDドラマか分からなくなってきましたが、ますますチームワークがいい感じになってきました。楽しんで下さい。

永倉新八 (CV:坪井智浩)

――収録を終えられての感想をお願いします。

坪井 (千鶴の)着物姿は画像(色付き)でみたいなぁ~! CDに画像データ何パターンか入りませんかね?(笑)

――印象に残ったシーンやセリフなど、“ここが聴きどころ!”を教えてください。

坪井 島原に行ったのに、酒にのまれず普通だった、めずらしいCD。

――今回は千鶴とお千のふたりが登場しますが、着物姿の女性に対してどんなイメージをお持ちですか?

坪井 着物を着ただけで、お淑やかに見えますね。実際はともかく……。スミマセン……。

――思わずグっとくる女性らしい仕草や恰好などはありますか?

坪井 特にはないですが、歩きかたには目がいきます。

――このCDのリリース日はそろそろ桜が咲き始めるころです。ここの桜がおすすめ! またはお花見の想い出などがあれば教えてください。

坪井 学校等の桜で十分です。屋内から見られればなおよし……まだ寒い事が多いので。

――最後にファンへのメッセージをお願いします。

坪井 今後も拡大するであろう『薄桜鬼』ワールドをよろしくお願いします。ネタがなくなれば永倉が……ねぇな(笑)

風間千景(CV:津田健次郎)

――収録を終えられての感想をお願いします。

津田 いつもながらワイワイと楽しい現場でした

――印象に残ったシーンやセリフなど、“ここが聴きどころ!”を教えてください。

津田 新選組のたくらみを盗み聞きしている風間が好きです。それと優しさにも個性がある新選組の面々。

――今回は千鶴とお千のふたりが登場しますが、着物姿の女性に対してどんなイメージをお持ちですか?

津田 着物はいいですよね。しかも、キチンと着物を着ている女性は素敵です。着物はキチンと着るのがよし。

――思わずグっとくる女性らしい仕草や恰好などはありますか?

津田 着物や浴衣ですね。

――このCDのリリース日はそろそろ桜が咲き始めるころです。ここの桜がおすすめ! またはお花見の想い出などがあれば教えてください。

津田 アスファルトに囲まれて、わずかしか残っていない土の中に立って花を咲かせていた近所の桜がキレイだったなぁ……。

――最後にファンへのメッセージをお願いします。

津田 毎度ありがとうございます。是非ごゆるりとお楽しみ下さい。また会いましょう!

※ティームエンタテインメントの公式サイトはこちら
 昼外出したら寒暖計は5度でした……ぶるぶる~っ。

茨城
水戸市長 井伊直弼の墓参
150回忌 「市民の思い果たせた」

 幕末に「安政の大獄」を指揮し、江戸城桜田門外で水戸浪士らに暗殺された大老・井伊直弼(なおすけ)の命日にあたる28日、水戸市の加藤浩一市長が井伊が眠る東京都世田谷区の豪徳寺を初めて訪れ、墓前で手を合わせた。
 この日は井伊の150回忌法要も同寺で営まれ、井伊ゆかりの地で、水戸市と親善都市提携を結ぶ滋賀県彦根市の獅山向洋市長や井伊家18代当主の井伊直岳さんらも訪れた。
 法要後、井伊の墓前で供養と焼香を行った獅山市長は「水戸市長も来ていただき、150回忌法要に花を添えていただいた」と謝辞を述べると、加藤市長は「水戸市民の思いが果たせて良かった。当時は大きな対立があったが、互いに国の将来を思ってのこと。先人の犠牲の上に立って今日があることを忘れず、両市の発展を考えていきたい」とあいさつした。
 井伊直岳さんは「大きな意味を持つ一日になったことは間違いない。水戸市長はじめ多くの関係者に感謝したい」と感慨深げだった。


コスプレ:映画のロケ地で 若者200人、幕末の雰囲気に--水戸
 【茨城】映画「桜田門外ノ変」のため水戸市千波町に設けられている撮影用の野外セットで27日、「幕末ロケセット コスプレフェスティバル」(同映画化支援の会など主催)が行われ、忍者、武士、歴史上の人物などの衣装に身を包んだ若者約200人が集まった。
 セットは、大老・井伊直弼の襲撃現場や周辺を細かく表現している。幕末の雰囲気に触れられるとして、歴史好きコスプレファンの人気を集めた。
 新選組がテーマのテレビゲーム「薄桜鬼」や、幕末が舞台の漫画「銀魂」などの登場人物に扮(ふん)した女性6人は、彦根藩の赤門を模したセットの前で記念撮影。6人のうち、笠間市に住むフリーターで、ファンの間では明気吉冬夜(あきよしとうや)で通る20代女性は「(コスプレは)心のよりどころ。映画セットで場所を貸してくれたのは県内でここだけ」と喜んでいた。【杣谷健太】


東京
水戸・彦根両市長、井伊直弼命日に墓参
墓前で握手、親善誓う
 幕末の「桜田門外の変」で水戸浪士らに暗殺された大老井伊直弼の命日の28日、150回忌が菩提寺である東京・世田谷区の豪徳寺で執り行われ、加藤浩一水戸市長と彦根市関係者が墓参した。
 水戸市長の墓参は、彦根市の招待により初めて実現。加藤市長のほか、獅山向洋彦根市長と彦根城博物館長で井伊家18代当主の井伊直岳さんらが本堂での法要の後、直弼の墓前で焼香した。
 墓参後、あいさつに立った加藤市長は「先人の犠牲の上に今日があり、両市の発展のために今後も努力していきたい」と述べた。加藤市長の墓参に対し、獅山市長と直岳さんから謝意が示され、加藤市長らは墓前でがっちり握手、両市のさらなる親善を誓い合った。
 両市は直弼による尊攘派弾圧「安政の大獄」や桜田門外の変以来のわだかまりを超え、1968年に親善都市提携。昨年11月には獅山市長と直岳さんらが、安政の大獄で刑死した水戸藩家老安島帯刀らを墓参している。

【写真説明】
大老井伊直弼の墓前で親善の握手を交わす加藤浩一水戸市長(左から2人目)と井伊直岳さん(同3人目)、獅山向洋彦根市長(同4人目)ら=東京・世田谷区の豪徳寺


神奈川
黒船ペリーにちなんで、地サイダー「横須賀ペリーサイダー」販売 /神奈川
 横須賀市観光協会(横須賀市小川町11)は3月28日、「黒船来航」「開国のまち」にちなんだ地サイダー「横須賀ペリーサイダー」の販売を始めた。350ミリリットル入りで1本150円。(横須賀経済新聞)
 幕末の嘉永6(1853)年、米国・ペリー提督率いる黒船が浦賀に来航した際に飲料水の一部として「炭酸レモネード」(レモン風味の炭酸水)を積んでいたと伝えられる。同協会では「これが日本に炭酸飲料が伝わった最初という説が有力。ペリーも飲んでいたといわれる炭酸レモネードをイメージして作ったもの」という。
 ペリーサイダーは、名水として知られる「走水湧水」を一部使用し、炭酸とレモン果汁を加えてすっきりとした味に仕上げた。
 同日開催された「日米親善スプリングフェスタ」に合わせて三笠公園・走水水源地でお披露目されたほか、YYポート横須賀・ヨコスカドブイタステーションでも販売する。製造元は川崎飲料。販売数量は1万8,000本。


京都
龍馬になって鴨川を駆けよう
4月29日に幕末マラソン

 鴨川沿いを幕末の装束に仮装して駆ける「幕末・京都龍馬マラソン」が4月29日に行われる。参加者が坂本龍馬や妻おりょう、新選組の隊士ら、幕末の歴史人物になりきって、寸劇も交えながら約5キロのコースを走るユニークな大会で、参加者を募っている。
 龍馬ゆかりの地を巡るジョギングコースを設定し観光客にアピールしているホテルフジタ京都(京都市中京区)と、「わか練!300回記念実行委員会」が主催する。「わか練」はラジオパーソナリティーの若林順子さん主宰のマラソン好きの集まりで、毎週木曜夜に京都御所で練習している。
 コースは、鴨川右岸の二条大橋(中京区)付近を発着点に、四条大橋-賀茂大橋間を往復する約5キロ。レース中、俳優らが志士姿の走者を斬(き)り付ける寸劇などを繰り広げ、給水ポイントと称した茶店も設ける。
 若林さんは「龍馬になりきり、龍馬も駆け抜けたかもしれない鴨川を、楽しみながら一緒に走りたい」と参加を呼び掛けている。ホテルフジタ京都の福井三千男総支配人(60)は「幕末の歴史に思いをはせながら、楽しい汗をかいてほしい」と話している。
 定員は先着80人で「わか練」ホームページから4月11日までに申し込む。参加費2千円。有料でレンタル衣装をあっせんする。問い合わせは同実行委員会TEL06(6905)4005。


長崎
【動画】岩崎弥太郎と三菱の歴史学ぶ 長崎でシンポ、400人参加
 本県とかかわりが深い三菱財閥の創始者岩崎弥太郎について学ぼうと、シンポジウム「弥太郎の夢・三菱グループの歴史」(長崎新聞社主催、西日本菱重興産、長崎三菱信用組合協賛)が28日、長崎市茂里町の長崎新聞文化ホールで開かれた。
 弥太郎は高知県安芸市出身。幕末に長崎土佐商会の主任を務め坂本龍馬を支援したほか、明治維新後は高島炭鉱や長崎造船所を取得し本県の近代化に貢献した。NHK大河ドラマ「龍馬伝」で弥太郎への関心が高まっており、シンポジウムには約400人が参加した。
 弥太郎と三菱財閥に詳しい三菱史アナリスト成田誠一さん(68)は基調講演で「弥太郎は武士階級の最下層からはい上がっただけに、武士の理想を強く追い求めた」と説明。三菱の国家に尽くす企業精神と社長が陣頭指揮を取る伝統は弥太郎から受け継がれた、と解説した。
 パネル討論「岩崎弥太郎が長崎に残したもの」では、元長崎新聞社論説委員長の梅原紘児さん(68)が司会を務め、成田さんと長崎史談会相談役の宮川雅一さん(75)が意見を交わした。宮川さんは「造船所などの働き口、軍艦島などの近代化遺産、失敗しても立ち上がる精神の三つは、弥太郎が長崎に残してくれた大きな遺産だ」と述べた。


龍馬と同じポーズで写真
 幕末・明治期に活躍した日本初のカメラマン、上野彦馬の旧宅があった長崎市伊勢町の中島川沿いに、当時の写真機やひじ置き台をかたどったブロンズ製のモニュメントが完成し、28日に除幕式があった。
 彦馬が開設した「上野撮影局」では、長崎を訪れた坂本竜馬など多くの志士を撮影。モニュメントは、NHK大河ドラマ「龍馬伝」を機に、観光客が楽しめる場にしようと長崎市が設置した。台にひじを掛けた竜馬の有名な写真と同じ構図で記念撮影ができる。
 ドラマで長崎が登場するのは夏場になる見通しで、観光客の増加を期待する同市。彦馬のレンズは、今の竜馬ブームをどう写すだろうか。
 (長崎)


コラム
沖田総司はイケメンではない!? 新撰組にまつわる意外な雑学
 MBS、TBS系列で大好評の内に放送を終えたドラマ「新撰組 PEACE MAKER」。昨今の歴史好き女子、いわゆる「歴女」ブームと相まって、新撰組人気が再び高まってきているようです。かく言う僕も、歴女でこそありませんが、ドラマがきっかけで新撰組にハマった一人。新撰組についてもっと詳しく知りたい! ということで大学で幕末史について研究している女学生のMさんに、意外な新撰組雑学を教えていただきました。

――早速ですが、沖田総司に関する雑学を教えていただけませんか? 美少年で剣が強くて、それでいて病弱・薄命という特徴で、ファンの心をワシづかみにしているものですが……
「確かに沖田は『美少年』というイメージが一般的ですが、実はそういった記述のある文献は残っていないんです。それどころか、『ヒラメ顔で色黒』、『猫背』なんていう、『美少年』の印象からは遠く離れた証言をされていたりもするんですよ」

――そうなんですか! ではなぜこんなにも「沖田は美少年」というイメージが定着したんでしょう?
「沖田は剣技に優れていたにもかかわらず、結核に苦しんで死んでいったというドラマチックな人生を送りました。そのため、司馬遼太郎の『燃えよ剣』をはじめ多くの作品ではかなげなキャラクターとして描かれました。そういった印象がそのまま沖田に定着していったんでしょうね」

――なるほど、歴史上の人物の印象なんて、意外と後世の人間が勝手に作っちゃっているものなのかもしれないですね。そうなると、新撰組副長・土方歳三がよく色男として描かれているのもまゆつばモノなんでしょうか。
「それが、土方に関しては面白い資料が残っているんです。土方本人が小島鹿之助という親せきにあてた書簡なのですが、これが、『ものすごくモテて困る』といった内容なんです」

――えー! 親せきにモテ自慢をしてるんですか!? 「鬼の副長」なんて呼ばれてますが、意外とおちゃめなところもあったんですね。面白いエピソードです。

――さて、そろそろ人物以外についても聞きたいんですが、新撰組といえばあの水色の隊服! 女性から人気があるとはいえ、新撰組は一応戦闘集団のはずですよね? 本当にあんな派手な服を着て戦いに臨んでいたんですか?
「あさぎ色に染められた羽織のことですね。確かに派手ですよね。新撰組があの羽織をドラマのように着用していたかというと、そうではないようです。普段は汚れや返り血などが目立たない黒い羽織を着ていたそうですよ」

――やっぱり!
 「しかし、このあさぎ色の羽織には新撰組の覚悟が表れているんです。武士は切腹時、あさぎ色の裃(かみしも)を着たのですが、新撰組はそのあさぎ色を隊服に取り入れることによって『死を覚悟の上で戦いに臨む』という姿勢を示したんですね。この隊服は副長・土方によって考案されたのですが、こういう粋なことを考える土方ってやっぱりかっこいいですよね!」
――あれれ、Mさん、熱心に幕末を研究している方だと思っていたら、ご自身も土方に入れ込んでいる歴女だったんですね! いやあ、熱のこもった雑学、いろいろとありがとうございました!
 ドラマがきっかけでハマった新撰組ですが、お話を伺ううちに、幕末の歴史や文化そのものにも興味がわいてきました。知識を増やして、さらに深く楽しんでいきたいと思います。皆さんも、この機会に新撰組にどっぷり浸かってみませんか?

(永田兄弟/オモコロ)


ゆとり世代がついに社会人デビュー 2010年度新社会人が選ぶ「上司にしたい幕末の人物」
 コカ・コーラシステムは、急須で淹れたようなお茶の味わいをさらに進化させた、本格緑茶ブランド「綾鷹上煎茶」を3月1日(月)より全国でリニューアル発売いたしました。「綾鷹上煎茶」は、創業450年の歴史を持つ宇治の老舗茶舗「上林春松本店(かんばやししゅんしょうほんてん)」の協力のもと、2007年秋に誕生しました。「綾鷹」という名称は、それまで将軍家などの限られたところを得意先に販売をしていた「上林春松本店」が、幕末期の1870年頃に初めて一般大衆に向けて販売した高級玉露に名付けられたものとされています。


 コカ・コーラシステムでは、こうした、「綾鷹」と幕末との関連性を背景に、綾鷹「幕末周遊紀行-お茶が育む人と人との絆-」を、日本経済新聞、地方紙7紙との連合企画として、新聞紙面やWEB、店頭などで展開。幕末期の「人と人との絆」にまつわる秘話を、3名の直木賞作家によるリレー連載形式で紹介していきます。
 そして3月30日、逢坂剛氏による第1回土方歳三編につづき、三浦しをん氏による第2回大久保利通編を掲載。今後も全8回にわたり、作品が連載される予定です。そこで、同キャンペーンに合わせ、歴史好きの全国の男女を対象に「幕末の人物に関する調査」を行いました。結果は以下の通りです。
 詳しい調査データは以下URLをご覧下さい。(URL:https://www.prtimes.jp/data/corp/2153/838397cbe185bdd1d4e3792e49e49077.pdf)

《トピックス》

●ゆとり世代新社会人が選ぶ上司にしたい人物。男性票は『坂本龍馬』、女性票は『近藤勇』に現職管理職が部下にしたいのは、忠実でかわいい『沖田総司』、有能そうな『土方歳三』

 男性新社会人が「上司にしたい」のは、「カリスマ性がある」「引っ張ってくれそう」な『坂本龍馬』、女性新社会人が「上司にしたい」のは、「部下を思いやってくれそう」な『近藤勇』でした。

●新社会人がお茶を飲み交わしたいのは、ゆったりと穏やかに語り合えそうな人ダークホース!?『大久保利通』が男性新入社員に人気!

 新社会人が「一緒にお茶を飲み交わしたい」のは、「話が楽しそう」などの理由から『坂本龍馬』が圧倒的人気。2位以下の票は男女間で分かれましたが、「穏やかにお茶が楽しめそう」「落ち着いて話ができそう」といった理由が特徴的でした。

●婚活歴女OLが結婚したいのは、一緒にいて安らげる人。『坂本龍馬』『福沢諭吉』が人気恋人にしたいのは、見た目重視で『土方歳三』、『沖田総司』

 婚活歴女OLが「結婚したい」のは、「頼りがいがある」「大切にしてくれそう」な『坂本龍馬』、次いで「経済力がある」「安定した生活が送れそう」な『福沢諭吉』でした。

【調査概要】
対象エリア:全国調査期間:2010年3月6日~2010年3月8日方法:インターネット調査
対象者:22歳~59歳の歴史好き、有職者(2010年度新社会人を含む)の男女計1,000名(男性553名、女性447名)

■綾鷹「幕末周遊紀行~お茶が育む人と人との絆~」キャンペーンサイト■
期間:2010年3月1日(月)~2010年9月30日(木) URL:http://www.nikkei.co.jp/ps/ayataka/
 激動の時代、幕末。「綾鷹」は、永禄年間に創業の宇治の老舗茶舗、「上林春松本店」にて、幕末期に誕生しました。「綾鷹」は、それまで将軍家などの限られたところを得意先に販売をしていた「上林春松本店」が、1870年頃に初めて一般大衆に向けて販売した高級玉露の名称とされます。
「幕末周遊紀行~お茶が育む人と人との絆~」サイトでは、直木賞作家、逢坂剛、三浦しをん、津本陽の3名による「人と人との絆」にまつわる幕末秘話全連載(計8回)を掲載。その他、ユーザー投稿で作る「幕末マップ」(幕末に縁のあるスポットを紹介する投稿コンテンツ)など、多彩なメニューをご用意。幕末好きもそうでない方も楽しめる、綾鷹のオリジナルサイトです。※日本経済新聞、地方紙7紙(北海道新聞、岩手日報、河北新報、信濃毎日新聞、四国新聞、西日本新聞、熊本日日新)、紙面上でも同時展開。

《調査詳細》

●ゆとり世代新社会人が選ぶ上司にしたい人物。男性票は『坂本龍馬』、女性票は『近藤勇』に
現職管理職が部下にしたいのは、忠実でかわいい『沖田総司』、有能そうな『土方歳三』

 4年制大学卒業の場合は2010年度が第1号となる、いわゆる「ゆとり世代」の新社会人。社会へのデビューを目前に控えた彼、彼女らと、現職管理職の男女に、「上司にしたい・部下にしたい幕末の人物」をそれぞれ調査。
 新社会人が選ぶ「上司にしたい幕末の人物」は、男女間で票が分かれました。男性新社会人は、カリスマ性がある、引っ張ってくれそうな坂本龍馬が1位。次いで、大切に扱ってくれそうな西郷隆盛が2位と続きます。女性新社会人は、部下を思いやってくれそうな近藤勇が1位。次いで、決断力がありそうな勝海舟が2位でした。
 また、「(将来)部下にしたい幕末の人物」では、男女ともに、忠実でかわいい沖田総司、有能そうな土方歳三に人気が集中しました。
 一方、現職の管理職が「上司にしたい」のは、部下の力を引き出してくれそうな勝海舟がトップ。以下、器が大きそうな西郷隆盛、行動力がありそうな坂本龍馬と続きます。
 また、「部下にしたい」と1位に選ばれたのは、新社会人同様、沖田総司。ハンサムだからなどの理由で特に女性票を集めました。ちなみに、男性管理職から、最も「部下にしたい」という声があがったのは坂本龍馬。行動力がありそうう、仕事が効率的に進みそうと、現実的な意見が多くを占めました。

●新社会人がお茶を飲み交わしたいのは、ゆったりと穏やかに語り合えそうな人
ダークホース!?『大久保利通』が男性新社会人に人気!

「一緒にお茶を飲み交わしたい幕末の人物」として、新社会人、管理職の男女ともに圧倒的に人気が高かったのは、坂本龍馬。生き様がかっこいい、話が楽しそう、今後の世の中を占なって欲しい、など様々な声があがりました。それ以外の人物で目立って票を集めたのが勝海舟、土方歳三、西郷隆盛、大久保利通。特に男性新社会人には、お茶を楽しめそう、ためになる話が聞けそうなどの理由から大久保利通が3位と意外にも多くの票を集めました。
 「一種にお茶を飲み交わしたい理由」として新社会人に特徴的だったのは、穏やかにお茶が楽しめそう、落ち着いて話ができそうなどでした。
 この結果より、社会人デビューを目前に控え、期待と不安が交錯する新社会人が、「お茶を飲み交わす」ときに求めるものは、ゆったりと穏やかに語り合える存在なのではと推測できます。
 
 なお、現在公開中の綾鷹「幕末周遊紀行~お茶が育む人と人との絆~」キャンペーンサイト
(http://www.nikkei.co.jp/ps/ayataka/)では、3月30日(火)より、このランキングでも上位にあがった大久保利通、西郷隆盛にまつわる幕末秘話を公開。西郷隆盛の故郷、鹿児島を舞台に、直木賞作家、三浦しをん氏がオリジナル原稿を執筆。4月中旬には直木賞作家、津本陽氏による坂本龍馬にまつわる秘話を公開予定。あわせてご覧ください。
※本調査では、1987年以前の生まれで2010年4月に企業へ入社予定の学生をゆとり世代の新社会人と位置づけています。

●婚活歴女OLが結婚したいのは、一緒にいて安らげる人。『坂本龍馬』『福沢諭吉』が人気。
恋人にしたいのは、見た目重視で『土方歳三』、『沖田総司』

 婚活中の歴女OLに「恋人にしたい・結婚したい幕末の人物」を調査。「恋人にしたい幕末の人物」1位は坂本龍馬、2位以下は土方歳三、沖田総司がランクイン。その理由として多くあがったのは、かっこいい、イケメン、美形と見た目重を重視した回答でした。
 一方、「結婚したい幕末の人物」は、坂本龍馬がダントツの1位で、2位は福沢諭吉となりました。それぞれの人物を選んだ理由として、坂本龍馬は大切にしてくれそう、頼りがいがあるなど、精神的な安らぎを求める回答が多く見られ、福沢諭吉は、経済力がある、安定した生活が送れそうなど、経済的安定を求める回答が多く見られました。
 婚活歴女OLが結婚相手に求めるものは精神的な安らぎや経済的安定と、堅実な彼女たちの姿がます。

■3/30(火)より綾鷹「幕末周遊紀行~お茶が育む人と人との絆~」キャンペーンサイトでは
ワンクリック投票型のランキングコンテンツを実施中。あわせてご覧ください。(URL:http://www.nikkei.co.jp/ps/ayataka/)

 ランキング結果を見ると、幕末に関しては余り世代のギャップを感じないですね。

エンターテインメント
「銀魂」最終回の日に両国国技館でイベント、全国で約2万人が“2期宣言”に拍手喝采(かっさい)
 イベントに登場した主要キャスト陣と、謎の生物・エリザベス(webザテレビジョン)3月25日(木)に4年間の放送に幕を閉じたテレビアニメ「銀魂」(テレビ東京系)が同日、東京・両国国技館でイベント「銀魂春祭り2010(仮)」を開催した。主人公の坂田銀時役・杉田智和ら9人の人気声優が大集合し、アニメのテーマ曲を歌ったバンドのDOES、Prague、Qwaiも生ライブを披露。加えて4月24日(土)公開の「劇場版 銀魂 新訳紅桜篇」の冒頭映像も初披露され、満員の国技館と、全国主要都市のシネコン28スクリーンで行われた生中継も合わせて約2万人のファンが最終回を惜しむ一方で、劇場版への期待をふくらませた。
 アニメ「銀魂」は「週刊少年ジャンプ」(集英社)に連載中の空知英秋による同名漫画が原作。幕末から開国後をモチーフに、異星人によって支配された江戸で“なんでも屋”万事屋(よろずや)を営む坂田銀時と仲間たちの笑いあり人情ありアクションありの日常を描く。下ネタの連発や、話題の時事ネタをパロディーにしたりとやりたい放題の過激なギャグも話題になった。4月からは毎週月曜夜6時に再放送番組「よりぬき銀魂さん」がスタートする。
 イベントでは同日に放送されたアニメ最終回「人類みなサンタ」を、PragueとQwaiによる生のオープニング&エンディング曲ライブ付きで上映。最終回にもかかわらずいつも通りのギャグ展開で、会場は爆笑に包まれた。その後は杉田のほか、阪口大助(志村新八役)、釘宮理恵(神楽役)、千葉進歩(近藤勲役)、中井和哉(土方十四郎役)、鈴村健一(沖田総悟役)、太田哲治(山崎退役)、石田彰(桂小太郎役)の主要キャストがそろって登場し、4年間のアニメ放送を振り返って反省会を開き、特に関係者に迷惑を掛けたと思われるエピソードの生アフレコを披露。だが、杉田は「どーも、4年間すみませんでしたー。反省してまーす」と役柄同様やる気のない謝罪ぶりで会場を沸かせていた。
 続いて、作品中の人気アイドル・寺門通役の高橋美佳子が登場し、寺門のスペシャルライブを開催。代表曲「お前の母ちゃん何人(なにじん)だ!」「放送コードがなんぼのもんじゃい!」など4曲を熱唱した。イベントのクライマックスには劇場版の初披露映像が上映され、劇場版でテーマ曲を、テレビアニメでも2曲を提供した3人組バンド・DOESが登場。劇場版から「バクチ・ダンサー」「僕たちの季節」、テレビシリーズから「曇天」「修羅」を演奏すると会場の熱気はピークに達した。
 最後の締めのあいさつでは、高松信司監督、藤田陽一監督も登場。藤田監督が「今も空知先生は原稿を描いていらっしゃると思う。原作のストックがたまったらまた帰ってきたい」と2期への期待を語ると、会場からも大きな拍手が起きた。
 役柄同様眼鏡キャラの阪口は「きょうは着物まで新八と一緒で、もう誰が新八で誰が阪口なのか分からなくなってきました。多分本体はこれ(眼鏡)だと思います」と笑いながらコメント。釘宮は「銀魂大好き! みんな大好き!」と絶叫。杉田は「てめぇらァァァ!! それでも銀魂ついてんのかァァァ!」と役柄の名ぜりふを叫び、「4年間爆笑させてもらいました。1人でいるよりみんなで楽しんだ方が面白い。皆さん、隣にいる人に優しくして、みんなで楽しく爆笑していきましょう!」と心温まるメッセージを送った。

映画「劇場版 銀魂 新訳紅桜篇」
4月24日(土)より全国公開

公式HP
http://wwws.warnerbros.co.jp/gintama/


ブックレビュー
戊辰戦争像に一石投じる 船戸与一さん新作
 作家の船戸与一さん(66)が戊辰戦争を題材にした小説『新・雨月 戊辰戦役朧夜話』(上・下巻、徳間書店)を刊行した。史実と創作が判読できる作品に仕上げ、虚実入り交じって広がる「戊辰戦争」像に一石を投じた。船戸さんは「歴史は小説の奴隷ではない」と話す。
 物語は1868(慶応4)年、徳川慶喜が大坂城を離れて江戸に戻る頃から、会津藩が敗れるまでをたどる。主人公は長州藩の間諜(かんちょう)、会津藩の家臣、長岡藩の元博徒の3人。いずれも架空の人物だ。
 山県狂介(有朋)ら実在の人物は、内面を描くのを控えた。登場しても、「小倉口の戦いで山県狂介が軍監を務める奇兵隊のなかにいた」など、脚色のない事実を連ねた。船戸さんは「実在の人物がどう思った、というのは確かめようがない。本当は話すのも避けたかった」という。
 さらに、作中に史料によった文章を織り交ぜた。架空の主人公らが会話する間に、「藩主・松平容保は先非を悔悟し、恭順謹慎につき」などの古い言い回しが挟まる。「歴史小説は史実か作家の想像なのか、うまくなればなるほど分からなくなってくる。だからわざと読みにくくした」
 そこには、小説が持つ「力」への自覚がある。同じ戊辰戦争を題材にした司馬遼太郎の小説『峠』で描かれる主人公「河井継之助」と、船戸さんが史実から読み取った長岡藩家臣の河井継之助像はずれる。だが小説のイメージが広がると「定着したものはなかなか壊せない」と話す。
 船戸さんの思い描く歴史小説とは何か。答えは「終章」にある。900ページ以上の物語を終えたあと、登場人物のその後を史実で約30ページにわたり、淡々とつづった。架空の人物の物語に引き込まれると、史実を知らなければいられない感情がわき起こる。
 小説は史実と緊張感をもって対峙(たいじ)するべきだとする船戸さん。「終章を面白いと感じてもらえたら、この小説は成功だと思う」と話した。(高津祐典)

 自分は上巻の半ばで読みさしたまま、止まってます(^^ゞ。
 それにしても、佐伯泰英さんを始め、森詠さん、船戸与一さん、かつて愛読していた冒険小説の作者が時代小説を書くようになって久しく……自分も現代ミステリから遠ざかっているとはいえ、複雑な心境です。



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