新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
今日はとても暖かかったので、ダウンジャケットではなく革のジャケットを着て外出しました。今年に入って初めてです。
福島
京都府庁に「容保桜」
神奈川
明治の消防 備え怠らず
「ポンプ取り扱い文書」発見 横浜
滋賀
華やか、4隻目の屋形船 彦根城内堀で就航
高知
須崎・まちかどギャラリー入場500人目
長崎
グラバーゆかりのラン、長崎県が増殖・限定販売へ
文化芸能
ザ テレビジョン ドラマアカデミー賞
最優秀作品賞 『JIN―仁―』
おめでとうございます。『JIN―仁―』原作・ドラマともに好きな白牡丹も嬉しいです。
龍馬を愛した女たち 福山雅治が「魅力」語る
【 03月06日(土) 総合/デジタル総合 21:15 ~21:58 】
倹約でも心豊かに生きる知恵 映画『武士の家計簿』製作進む
IT
幕末の志士たちを「ちみキャラ」化して公開!
幕末キャラクターサイト「ちみキャラ龍馬伝」オープン!
龍馬も西郷さんもこんなにカワイくなっちゃった!
ちみキャラ、幕府方は勝海舟だけかな?
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(52)東大教授・山内昌之 桐野利秋
【次代への名言】子、曰わく編(5)
ビジネス
[近畿日本ツーリスト株式会社]
映画『桜田門外ノ変』オープンセット・ロケ地見学 オフィシャルツアー 販売開始!
福島
京都府庁に「容保桜」
●「勤皇の志」再び花開く
幕末に京都守護職を務めた会津藩主、松平容保(かたもり)(1836―93)が、京都府庁の桜の木に名を残すことになった。府は、山桜の変種とわかった府庁旧本館中庭の桜を「容保(かたもり)桜」と命名した。敷地に江戸時代、京都守護職の上屋敷があった縁で、最後の守護職だった容保の名をあてることにした。
◎山桜の変種、府が命名/最後の守護職の縁
府によると、この桜は山桜の遺伝子を持ちながら、大島桜の両方の特徴も持つという珍しい品種。府内の桜守、佐野藤右衛門さんが昨春に気づき、府側に「容保桜」の名を提案したという。
高さ約7メートル、枝は約8メートルに広がっている。樹齢は不明。3月下旬から4月上旬にかけてピンク色の花が咲き誇り、一般的な山桜より花が大きいという。
容保は幕末、京都で配下の新撰組(しんせんぐみ)などを使い、倒幕を目指す薩長の武士らを厳しく取り締まり、薩長の恨みを買った。明治新政府からは「朝敵」と見なされ、鶴ケ城も舞台に旧幕府軍と新政府軍が激しく戦った「戊辰戦争」に発展した。
そうした半面、容保は守護職当時、天皇の信頼が厚かったとされる。会津若松市の郷土史家鈴木邦意さんは「容保は決して『天皇の敵』ではなかった。こうした事実を知ってもらえるきっかけになって欲しい。容保の『勤皇の志』が再び花開きました」と喜ぶ。
府は12日、容保桜の案内板の除幕式をする。県大阪事務所長や、会津にゆかりがある京都府民らでつくる「京都会津会」の関係者も参加する予定。府庁の桜を管理する府府有資産活用課参事の植村義弘さん(56)は「この春、福島県からのお越しをお待ちしています」と話している。
神奈川
明治の消防 備え怠らず
「ポンプ取り扱い文書」発見 横浜
明治時代初期、横浜の九つの消防隊が導入した西洋式消防ポンプを取り扱う際の規則を記した文書が、横浜市の民家で見つかった。横浜では当時、消防隊員やポンプを押す要員ら計約460人が在籍していたことがわかっているが、具体的な規則が判明したのは初めて。調査した横浜開港資料館(横浜市中区)は「横浜の近代消防事情がわかる極めて貴重な記録」としている。
文書は、現在の横浜市中区や西区内の元町、野毛町、戸部町など9消防隊の消防ポンプを統括していた石橋六之助の子孫で、中区の無職石橋サク子さん(71)方にあり、昨年12月、同資料館に寄託された消防隊の記録に含まれていた。
ポンプは蒸気の力で放水するもので、それまで使われていた手押し式ポンプに比べて放水する際の圧力は数百倍高まったという。西洋式ポンプの登場によって、周囲の建物を壊して延焼を防ぐ破壊消防から火を水で消す消防に変わっていった。
当時の東京府がイギリスから1870年(明治3年)に最初に輸入したとされる。横浜の9消防隊には翌71年に各1台が配置された。
横浜の消防隊の規則は76年に定められ、和紙3枚につづられていた。〈1〉出火の際には消防ポンプをすみやかに出火場所に持って行く〈2〉消防ポンプを持ち帰った際、ポンプの放水口を掃除して道具が壊れていないか調べる〈3〉ポンプの番人が不在になる際には神奈川県に届け出る〈4〉常にポンプの放水口と付属の機械をしっかりと磨いておく――という内容。
また、「頭取」と呼ばれる各消防隊の代表者が、六之助に「不都合のないよう消防ポンプを保存し、出火の際には少しも差し支えないようにする」と誓った別の文書も見つかった。
同資料館主任調査研究員の西川武臣さんは「横浜では幕末に大火が繰り返し起きており、街を守る消防ポンプにかける期待は大きかったのではないか。そのため、消防ポンプがいつでも出動できるように点検を怠らなかっただろう」と話している。
滋賀
華やか、4隻目の屋形船 彦根城内堀で就航
春の観光シーズンを前に、彦根城(滋賀県彦根市)の内堀で運航される4隻目の屋形船「柳王(りゅうおう)丸」が2日、就航した。江戸時代の藩主用の船を復元し、伝統工芸の彦根仏壇の技術で漆や金箔(きんぱく)を施して華やかに装飾した。
柳王丸は、船体が長さ11メートル、幅2・4メートルで、高さ1・4メートルの屋形を取り付けた。屋形の屋根の破風を漆や金箔で飾り、幕末の大老で13代彦根藩主の井伊直弼(なおすけ)の雅号「柳王舎(やぎのわや)」から命名した。彦根城北側の玄宮園前の船着き場で発着し、内堀約3キロを往復する。
3年前から屋形船を運航するNPO法人小江戸彦根が、県産業支援プラザの補助金を得て約600万円をかけて製造した。これに合わせて彦根城西南側に、2カ所目の船着き場「山崎郭(くるわ)前船溜(だま)り」を新設した。3月20日からここで下船できるようにして、周辺にある米国人建築家ヴォーリズ設計の洋館や和風キリスト教礼拝堂のスミス記念堂など近代遺産を見られる観光ルート作りに役立てる。
就航を祝う式典がこの日あり、法人メンバー約20人が参加した。棚橋勝道理事長(50)は「屋形船の新造はこれが最後。彦根の観光資源として定着させたい」と意気込みを語った。
高知
須崎・まちかどギャラリー入場500人目
須崎市青木町の空き店舗に2月12日にオープンした「まちかどギャラリー」の入場者が3日、500人を超えた。500人目となった中土佐町久礼の喫茶店経営、政岡千恵子さん(59)に、笹岡豊徳市長から花束と記念品が贈られた=写真。
政岡さんは友人の日林千恵さん(60)と津野町に行く途中、立ち寄ったという。幕末に活躍した土佐の絵師、絵金の芝居絵などの展示品を見た政岡さんは「展示もすごいし、気軽に立ち寄れるのもいい」と喜んだ。
4日は展示替えのため休館。5日から再開する。オープン以来、17日目(休館日を除く)の好成績に、企画した市教委の担当者は「派手さはないが、じっくりと作品を鑑賞できる施設です」と満足そうに話していた。
長崎
グラバーゆかりのラン、長崎県が増殖・限定販売へ
幕末に長崎で貿易商として活躍した英国出身のトーマス・グラバー(1838~1911年)が日本に持ち込み、国内最古とされる洋ラン、通称「グラバーさん」(学名・シンビジウム・トラキアナム)の苗を長崎県などが栽培し、一般に販売する計画を進めている。
グラバーが持ち込んだ1859年にちなみ、売り出すのは通し番号を付けた1859鉢。3年後の発売を目指している。
「グラバーさん」は東南アジア原産の洋ランの原種。一部が緑色を帯び、黒っぽい斑点がある花びらと、甘いにおいに特徴がある。グラバーが上海経由で来日した際に持ち込み、長崎市のグラバー邸の敷地内に造った温室で育てたとされる。晩年に拠点を東京に移す際、庭師の加藤百太郎に譲り、加藤家が3代にわたって栽培。約20年前、市内の県亜熱帯植物園が譲り受けた。
ランは開花させるのが難しく、同園では数年に一度しか開花していない。株数を増やそうと、2008年に県花き振興協議会・育種研究会部会長の立光(たちこう)一孝さん(55)に相談。立光さんが協力を求めた香川県の企業がクローン技術で増殖させ、現在はフラスコ内で約2000本の苗が順調に生育している。
販売は、同園が「最古の洋ランの存在をもっと知ってほしい」と県に相談し、個数限定で行われることになった。苗は来春までに同協議会の会員宅などに移され、開花させる予定。販売方法はまだ決まっていない。
「本家」の「グラバーさん」は1月中旬に見事に開花。グラバーとゆかりが深い幕末の志士、坂本龍馬の足跡をたどる同市浜町の「長崎まちなか龍馬館」に5日まで展示され、その後は同園に移される。
立光さんは「龍馬もかいだであろう香りを、楽しんでほしい」と話している。
文化芸能
ザ テレビジョン ドラマアカデミー賞
最優秀作品賞 『JIN―仁―』
出演=大沢たかお、中谷美紀、綾瀬はるか、小出恵介、桐谷健太、武田鉄矢、麻生祐未、小日向文世、内野聖陽ほか
幕末にタイムスリップした脳外科医・仁(大沢)が、江戸に生きる人々の命を懸命に救っていく姿を描いた。丁寧に作り上げられた世界観と、役者陣の迫真の演技で高い支持を集めた。
石丸彰彦プロデューサー
「ザテレビジョンの作品賞は常々意識しているものですから、獲れて非常に光栄に思っています」と喜びの言葉を語ってくれた石丸彰彦プロデューサー。
視聴率で苦戦するドラマの多い中で高評価を得た要因を「タイムスリップという奇想天外な設定に、役者さんたちのしっかりとした演技、どっしりとした脚本という3つのバランスが非常に良かったんじゃないかといます」と分析。
「民放で大河ドラマのような作品を作れないかと模索していたんです」というのが「JIN-仁-」を作ったきっかけだったそうですが、初の時代劇で「あの時代の塀を探したり、ロケ地を見つけるのに苦労しました」との事。
ペニシリン精製のシーンなども大変だったそうですが「スタッフの力が素晴らしくて、僕は『うちの美術はペニシリンを作れるんじゃないか?』と思っています(笑)」とスタッフへの信頼感(?)を明かしてくれました。
作品賞 得票結果
読者票
1. 「JIN-仁-」(TBS系)
2. 「マイガール」(テレビ朝日系)
3. 「東京DOGS」(フジ系)
4. 「天地人」(NHK総合ほか)
5. 「ROMES/空港防御システム」(NHK総合ほか)
審査員票
1. 「JIN-仁-」(TBS系)
2. 「天地人」(NHK総合ほか)
3. 「東京DOGS」(フジ系)
4. 「猿ロック」(日本テレビ系)
5. 「深夜食堂」(TBSほか)
TV記者票
1. 「JIN-仁-」(TBS系)
2. 「天地人」(NHK総合ほか)
3. 「外事警察」(NHK総合ほか)
4. 「リアル・クローズ」(フジ系)
5. 「ギネ・産婦人科の女たち」(日本テレビ系)
おめでとうございます。『JIN―仁―』原作・ドラマともに好きな白牡丹も嬉しいです。
龍馬を愛した女たち 福山雅治が「魅力」語る
【 03月06日(土) 総合/デジタル総合 21:15 ~21:58 】
大河ドラマ「龍馬伝」をもっと楽しみたい人や、これから見始めようという人のために、幕末のヒロインたちに注目して「『龍馬伝』スペシャル」を送る。「龍馬を愛した女たち~ヒロインたちの龍馬伝~」と題し、龍馬にまつわる女性たちの生涯を紹介する。
龍馬を演じる福山雅治は、幕末の女性たちの魅力を語る。また、幕末のヒロインを演じる広末涼子と貫地谷しほりは、それぞれの役どころの女性の墓を訪れる。2人があらためて感じた龍馬のすごさとは何か。
*『龍馬伝』スペシャル
倹約でも心豊かに生きる知恵 映画『武士の家計簿』製作進む
日本刀の代わりにそろばんを武器に、幕末を生き抜いた下級武士の一家を描いた映画「武士の家計簿」(森田芳光監督)の製作が進んでいる。激動の時代にあって、倹約に励みながらも明るさを失わず生きる知恵は、不況にあえぐ現代人の参考になりそうだ。京都の撮影現場をのぞいた。 (石原真樹)
原作は、磯田道史・茨城大学准教授が神田の古書店で見つけた古文書をもとに書いた新書「武士の家計簿『加賀藩御算用者』の幕末維新」。加賀藩で藩財政をつかさどるそろばん役人「御算用者」を務めた猪山家が破綻(はたん)した家計を立ち直らせるまでの道のりを、古文書にあった同家の家計簿「入払(いりばらい)帳」から読み解いた。
映画は同書のエピソードをもとに脚本化。家計簿をつけ倹約に励む猪山家八代当主・直之(堺雅人)と、そんな夫を明るくもり立てる妻・駒(仲間由紀恵)ら家族の姿を描く。
◇
底冷えのする一月の京都。松竹京都撮影所のスタジオ内に猪山家が再現されていた。
この日は、直之の父の葬儀場面が撮影されていた。故人の枕辺で悲しみに暮れる駒ら。その隣室で、そろばんをはじく音が静かに響く。直之が葬儀費用を計算しているのだ。直之の息子・成之はそんな父に「身内の葬儀でもそろばんですか」と涙声で迫る。
台本にある直之の答えは「そうだ」。真っすぐな気持ちをぶつける息子に父はどう向き合うのか。直之の人間性が問われる重要な場面だ。
この三文字をめぐり、堺と森田監督の応酬があった。「(直之には)後ろめたさがあるのでは」と問う堺に、森田監督は「違うと思う」ときっぱり。そして、「(父を失った)悲しさと、自分の職業への思い。二律背反した感情がセリフに表れている。ただ冷たく『おまえは関係ない』と言うのではなく、そう生きなければならないという悲しみをセリフに含ませて」と続けた。
本番。息子の問いに対し、堺は長い沈黙を挟み、「そうだ」と静かに口にした。この演技に森田監督は「セリフを忘れたんじゃないかと思うほどの間だった。あの間が、彼の息子へのメッセージだと思う」。
成之を演じた子役の大八木凱人(9つ)も、「背中に表情が出ている」と森田監督も納得の演技。撮影前、堺が大八木のそばにしゃがみ込み「自分の好きな人が死んだのにお父さんが悲しんでいないかもしれない、それはすごい悲しいよな。お父さんに怒っているのかもしれないな」とアドバイスしたのが効いたのかもしれない。
◇
直之は家族の着物をはじめ武士の命である刀までも売り払い、同僚のさげすみをよそに愛妻弁当を持参、息子の通過儀礼には高価なタイの代わりに絵に描いたタイを祝い膳(ぜん)に出す。駒は、大根の葉まで調理するなどして夫を支える。作品で描かれるのは、体面よりも家族を守ることを重んじた夫と彼に寄り添った妻であり、倹約にも心すさぶことなく豊かに生きる家族の姿だ。
殺陣や騎乗のシーンがない一風変わった時代劇。森田監督は「武士としてどう仕事を全うするか、その勇気づけは家族の存在。そして家族を生き抜くには相手を理解し、それを面白がることができないとだめ。そんな信頼ある家族っていいなあと思ってもらえたら」と狙いを話す。
公開は十二月四日。
IT
幕末の志士たちを「ちみキャラ」化して公開!
幕末キャラクターサイト「ちみキャラ龍馬伝」オープン!
龍馬も西郷さんもこんなにカワイくなっちゃった!
世の中、大河ドラマやゲームの影響で、空前の歴史ブーム。そんな中、(株)デジターボが坂本龍馬や西郷隆盛といった、幕末に活躍した人物をカワイくディフォルメした「ちみキャラ」として現代に蘇らせた! その名も「ちみキャラ龍馬伝」(公式サイト)。
なお、ちみキャラとはグラフィックデザイナーのゆーぽん氏が描く、小さくディフォルメした可愛らしいキャラクターのこと。これまでも様々なゲームやアニメ、マンガなどのキャラクターを「ちみキャラ」としてリデザインし、その多くは商品化され高い評価を受けているのだ。
この「ちみキャラ龍馬伝」はどんなサイトなのかと言うと、幕末の有名人たちをちみキャラとして紹介、配信していくキャラクターサイトで、ちみキャラになった坂本龍馬(ちみ龍馬)が「ちみキャラ」ワールドでくり広げる新しい坂本龍馬ストーリーを展開していく。坂本龍馬(ちみ龍馬)、西郷隆盛(ちみ西郷)、勝海舟(ちみ海舟)、岩崎弥太郎(ちみ弥太郎)、高杉晋作(ちみ高杉)など、幕末に活躍した人物たちが数多く登場するぞ。
キャラクターたちの人物紹介、相関図など、幕末の複雑な情勢を誰にでも分かりやすく紹介するほかに、壁紙の配信や動画、ゲームなど続々とコンテンツが増えていく予定だ。なお、サイトオープンを記念して、プレゼントコーナーにて15キャラの壁紙をドーンと一気に大放出するとのことなので、アクセスしてダウンロードしちゃおう!
また、関連グッズとして、3月上旬にはNHK大河ドラマ「龍馬伝」の公式ロゴがついたTシャツを販売し、4月下旬からは全国の土産物屋にて根付けストラップを販売するという。歴史(幕末)好きにはドラマと同じく、このサイトも目が離せないぞ!
ちみキャラ、幕府方は勝海舟だけかな?
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(52)東大教授・山内昌之 桐野利秋
サブリーダーの役割
桐野利秋(きりの・としあき)という名を知らない人でも、中村半次郎という旧名を聞いたことはあるに違いない。西郷隆盛の無二の弟子あるいは弟分として陸軍少将まで昇りつめ、西郷をかついで西南戦争のデザインを描いた人物である。
◆つきまとう誤解
幕末には「人斬り半次郎」という異名で世に知られた。しかし実際には、暗殺は1件くらいだと言われている。仇名(あだな)とは裏腹に半次郎の本領は、西郷や大久保利通の代理として長州藩と折衝し水戸天狗(てんぐ)党と接触する役目など、周旋活動でもおおいに才能を発揮した点にある。このように、半次郎には各種の誤解がつきまとう。その豪快かつ貧困のイメージから郷士の出身と理解されがちだが、5石という微禄であっても歴とした城下士の出である。
また半次郎には、どういうわけか無学という印象も強い。しかし、父が徳之島に流されて貧窮の極みになったので、10代は小作や開墾に従事するあまり正規の武家教育を受けなかったというにすぎない。武骨であっても雄渾(ゆうこん)な書をしたため、素朴ながら和歌もたしなんだ事実はもっと知られてもよい。
西郷が「半次郎にもっと学問の造詣があれば」と述べたのは、おそらく武家方の教養の基礎たる漢語を学ぶ四書五経の教育を受けなかったという意味であろう。「頼山陽(らいさんよう)の日本外史を読めたら天下をとってみせる」と吹いたというから、真面目さと「チャリ」(薩摩でユーモアの意)の入り交じった人間なのである。勝海舟や大隈重信も相当の人物として認めているほどだ。
「人斬り半次郎」の虚像が先行しがちなイメージは、薩摩のサブリーダーとして桐野利秋に成長する人物にとって愉快でなかったかもしれないが、それをあまり意に介した形跡もないからやはり相当に剛腹だったのだろう。
◆花も実もある美徳
彼が薩摩人らしい情誼(じょうぎ)や豪放さを発揮したのは、戊辰戦争の激戦地、会津若松城(鶴ケ城)受け取りの役目を命じられ見事に大任を果たした時のことだ。有職(ゆうそく)故実にあまり詳しいとも思えぬ半次郎が無事に仕事を終えたのを訝(いぶか)しく思った者たちが尋ねると、“ナニ、小屋にかかっている講談の赤穂浪士の城明け渡しの場面を再現したのだ”と答えるあたりも半次郎人気の秘密なのだろう。
何よりも会津藩士に武士の名誉を許したあたりの花も実もある美徳が持ち味なのだ。藩主松平容保(かたもり)が感謝の印として刀剣を謹呈したのも頷(うなず)ける。いまでも長州人には含むところのある会津人も薩摩には格別に遺恨のこだわりを見せない一端は、中村半次郎の温情を徳としているからかもしれない。
◆成否度外視した一本気
桐野利秋として実家の本姓に戻った半次郎は、明治6(1873)年10月、征韓論をめぐる政変で西郷隆盛が下野するとともに官を辞して帰郷した。これ以後2人の運命は大きく変わっていく。私学校の指導にあたった同僚とは別に、吉野開墾社を指導し率先して開墾事業に励むあたりにも桐野の現場主義感覚が表れている。
しかし、桐野でいちばん目立つのは、尊敬する西郷と終始行動を共にし城山で一緒に斃(たお)れるまで、成否を度外視して新たな政治の可能性にかけた一本気であろう。政党の離合集散や新党結成と理想を説くようでいて、その実は利害得失を忘れない現代の政治家とは異質な生一本さこそ、サブリーダーの花形たる桐野利秋こと中村半次郎の魅力なのであろう。
こうした人間的磁力に魅(ひ)かれて個人の篤志や法人の寄付で映画『半次郎』をつくろうとするさわやかな人びとも現れた。今年秋公開予定の映画で桐野こと半次郎を演じる榎木孝明氏たちである(東京事務局連絡先はTEL03・5770・1805)。現代の日本人に投げかける映画『半次郎』のメッセージが楽しみである。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】桐野利秋
きりの・としあき 天保9(1838)年、薩摩(鹿児島県)生まれ。はじめ中村半次郎(なかむら・はんじろう)と名乗る。示現流剣術をおさめ、島津久光に従って京に入り、朝彦親王付の守衛となって諸藩志士と交流。西郷隆盛のもとで国事に奔走し、戊辰戦争では会津若松攻めの軍監となる。維新後は陸軍少将、陸軍裁判所長を務めるが、明治6年、政変で西郷が下野すると、それに従って辞職。西南戦争で西郷軍の総指揮を執り、明治10(1877)年、鹿児島城山で戦死した。享年40。
【次代への名言】子、曰わく編(5)
■「死して後已(や)む。亦(また)遠からずや」
坂本龍馬をはじめ、幕末の志士の生涯を象徴するこのことばの主は、『論語』の記載では、孔子の弟子、曾子(そうし)である。
≪士(君子)は以(もっ)て弘毅(心が広く、意志が強いこと)ならざるべからず。任重くして道遠し。(君子は)仁を以て己が任となす。亦重からずや≫
「死して後已む」の前文だ。中国史の泰斗、貝塚茂樹によると、この曾子の一節が全体として、「人の一生は重荷を負(おう)て、遠き道をゆくが如(ごと)し-」という徳川家康の有名な遺訓のもとになったことに「疑問の余地はない」という。
〈あるとき、孔子は曾子に「吾が道は一つで貫かれている」と言った。「はい」と答えた曾子に門人があとでその意味を尋ねると「先生の道は忠恕(ちゅうじょ)(誠実さと思いやり)のみ」と答えた〉(論語)
曾子は孔門の俊英のようにみえる。ところが中国古代文学の鬼才、白川静によれば、彼は最晩年の弟子であり、この問答の事実性は「疑問」という。
でも、次のようなことばを残しているところをみると、曾子もやはり君子だったにちがいない。「吾、日に三つのことを反省する。人のために忠だったか。友に信だったか。知ったかぶりで話をしなかったか」(文化部編集委員 関厚夫)
ビジネス
[近畿日本ツーリスト株式会社]
映画『桜田門外ノ変』オープンセット・ロケ地見学 オフィシャルツアー 販売開始!
近畿日本ツ-リスト株式会社(本社:東京都千代田区、社長:吉川勝久 以下、KNT)は、水戸藩開藩四百年記念事業として企画され、今年10月に公開予定の、映画『桜田門外ノ変』〔監督:佐藤純彌(男たちの大和/YAMATO)、主演:大沢たかお、出演:北大路欣也、伊武雅刀、他〕のオープンセット・ロケ地を先行見学するオフィシャルツアー(http://www.knt.co.jp/ec/2010/sakuradamon)の販売を、このほど開始しましたのでお知らせします。
このツアーは、水戸藩開藩四百年記念『桜田門外ノ変』映画化支援の会(代表:狩野 安)の協力のもと、KNTが、茨城県内の観光素材を組み合わせ、県全体の観光誘客をはかる目的で、企画・発売したものです。
映画公開前から毎月1本の割合でツアー実施を行い、ツアーやイベントを積極的に仕掛けていくことで、地元と映画を盛り上げていきます。また、公開後も、ロケ地を訪問するツアーやイベントの企画により、さらなる地域の活性化を目指します。
KNTでは今後、こうした映画をきっかけに、映画のオープンセット・ロケ地見学ツアーをはじめ、その地域の特性や隠れた観光素材をコースに盛り込んだ、地域活性化のためのツアーやイベント展開を全国の地域の方々と協力しながら進めていきます。
KNTでは、このツアーの実施により、2010年3月から2011年2月までの映画公開終了までの間に、約5,000人のお客さまを、茨城県にご案内することを目標としていきます。
【企画のポイント】
1.映画『桜田門外ノ変』のロケで使われたオープンセットを先行見学!
映画関係者からのオープンセットの説明や、ロケのこぼれ話など臨場感たっぷりのお話を聞けます!
2.実際ロケの時に俳優やスタッフが食べていたロケ弁当をご用意!
オープンセット内でロケ弁を食べて映画の世界に浸ってください!
3.オープンセット内では、幕末コスプレイベントも開催中!幕末の時代にタイムスリップした気分になれます。
4.偕楽園梅まつりも見学! 紅梅・白梅約3,000本の梅をぜひお楽しみください。
5.ロケ地でもある弘道館を見学!ロケ当日の様子などを弘道館の方にお話いただきます。
6.徳川博物館では映画『桜田門外ノ変』にも登場する徳川斉昭や徳川家の貴重な資料やゆかりの品を見ることができます。学芸員の方の説明付きです。
【ツアー概要・基本プランの場合】 ※申込み締め切り 3月19日(金)12:00まで
(期 日)2010年3月27日(土)
(日 程)東京駅08:30発=バス=水戸オープンセット見学(見学+映画関係者の話/ロケ弁当ご賞味)=
=偕楽園梅まつり(自由見学)=弘道館(ロケのお話/自由見学)=徳川博物館(学芸員のお話
/自由見学)=東京駅17:30着 (※横浜発着コース有り:旅行企画・実施 相鉄観光)
(食 事)朝0回・昼1回・夕0回 (添乗員)同行します。(最少催行人員)35名
(旅行代金)大人お一人様 7,100円、子供(小中学生)お一人様 6,500円 (※横浜発着は各200円プラスです)
PR
ネットニュースを読んでいたら、右下隅の画面を、見たことのある肖像写真がつつつーっと流れていったような気配(爆)。
リンク先をクリックしてしまいました。
綾鷹特設サイト 幕末周遊紀行
幕末史に登場する人物に関連する史跡の紹介や紀行を投稿する企画のようです。第一回は新選組で、作家の逢坂剛さんがNETレテレビドラマ『新選組血風録』に関連して随想を書いています。
……徳大寺さんの原田左之助、粋な男だったなぁ。
リンク先をクリックしてしまいました。
綾鷹特設サイト 幕末周遊紀行
幕末史に登場する人物に関連する史跡の紹介や紀行を投稿する企画のようです。第一回は新選組で、作家の逢坂剛さんがNETレテレビドラマ『新選組血風録』に関連して随想を書いています。
……徳大寺さんの原田左之助、粋な男だったなぁ。
今日は足下が薄ら寒いので暖房を入れました。
栃木
映画「桜田門外ノ変」 大老襲撃 大規模セットで再現
千葉
「子育て善兵衛」の生涯紹介
奈良
「天誅踊り」存続ピンチ
京都
京都府庁旧本館に「容保桜」
桜守・佐野さん発見、命名
京都に「容保桜」……花見に行きたいですねぇ(うっとり)。
岡山
玉島の歴史の地活写 公民館受講生写真展
キャラバン隊が鹿児島観光をPR
長崎
「龍馬が駆けた長崎」が切手に
エンターテインメント
ノンフィクションW 武士の商法 激変の時代に生きる術 WOWOWで放送
栃木
映画「桜田門外ノ変」 大老襲撃 大規模セットで再現
幕末史に大きな影響を与えた井伊直弼暗殺事件を描く映画「桜田門外ノ変」の撮影が進んでいる。作品のハイライトは、江戸城桜田門外での襲撃シーン。水戸市内に大規模なオープンセットが組まれ、歴史の一ページが大迫力でよみがえった。(堀晃和)
「よーい、スタート!」。メガホンを通して佐藤純彌監督の声が辺りに響く。そしてカチンコの音。
彦根藩邸の赤門を出た武士の列が、真っ白な“雪”の上を足早に進んでいく。そこに書状を掲げながら飛び出してきた1人の武士…。安政7(1860)年3月3日、大老の井伊直弼が、水戸の浪士らに暗殺された有名なシーンだ。史実では大雪だったという。現場を訪れた2月上旬のこの日は、あいにくの晴天。雪に見えたのは、地面に敷き詰められた「寒水石」という真っ白な石だ。撮影はテストを数度繰り返して曇りの天候待ちとなった。
映画は吉村昭の同名小説が原作。今年は事件から150年後に当たり、1月20日にクランクインした。
セットは、水戸市や茨城県など地元の協力を得て、約2億5千万円かけて1月に完成した。千波(せんば)湖畔の東京ドーム1個分という広大な敷地に、井伊家の彦根藩邸や桜田門、江戸城のお濠(ほり)などが再現されている。セットの端から端までが約120メートル、桜田門の高さが約15メートル、赤門は約9メートルという壮観な眺め。コンピューターグラフィックス(CG)が使える現代では珍しいスケール感だ。
佐藤監督は「このセットがなければ撮影はできないですよ、と頼んだんです。ここまでのスケールとリアル感のあるものができるとは思わなかった」と喜ぶ。
主人公の水戸藩士、関鉄之介を演じる大沢たかおは「国を変えようとした男たちの気概とか思いみたいなものを、今の時代は求められているのだと思う。自分の中にあるこの気概を大きく膨らませて、作品にぶつけていきたい」と熱い気持ちをアピールする。
また水戸藩主の徳川斉昭役の北大路欣也は「日本国を愛し、そこに情熱を爆発させた事件だと思う。それが今のどこかにつながっているのではと感じる」と作品への思いを語った。
セットはロケの後、一般にも期間限定で公開されている。映画は3月中にクランクアップし、10月に公開される予定だ。
千葉
「子育て善兵衛」の生涯紹介
幕末から明治時代にかけて貧しい子供たちを預かって養育したことから、「子育て善兵衛」と呼ばれた大高善兵衛(1822~1894)の生涯を紹介するパネル展が山武市殿台の成東文化会館のぎくプラザで開催されている。同市富田で生まれ、間引きは人道に反するとして戒め、私費で恵まれない子供や貧しい人たちを救ったという。28日まで。
子孫の同所、元会社員大高栄一さん(68)が長年、調べてきた資料をもとに展示しており、栄一さんは「現在はほとんど知られていない郷土の偉人のことを少しでも知って欲しい」と話している。
パネルには栄一さんの弟の佐瀬政明さん(66)が描いた挿絵がついている。
パネルや栄一さんが収集した資料によると、善兵衛は広大な田畑、山林を持ち、酒造業も営む名主だった。人道家として知られ、育児が難しい家庭の子供を預かり、乳母を雇って養育し、天然痘対策に多くの子供たちに種痘を無料で実施した。母乳不足には牧場を作って乳牛を飼い、牛乳の普及に努めた。
村民の生活を安定させるためには、養蚕業を始め、新田作りにも取り組んだ。コメが不作の時は金を村人に与えたという。
栄一さんは20代のころ、両親から善兵衛の活動を聞いて興味を持ち、関係者から話を聞いたり、文献を調べたりしてきた。その成果を分かりやすくパネルにまとめた。子育て事業は明治時代の県からも高く評価されたという。
6日午後2時から同文化会館視聴覚室で栄一さんの講演が予定されている。問い合わせは、山武市歴史民俗資料館(0475・82・2842)へ。(高木和男)
奈良
「天誅踊り」存続ピンチ
尊皇攘夷 急進派しのび100年
五條市の旧大塔村天辻地区で、明治維新の先駆けといわれる天誅(てんちゅう)組の遺徳を偲(しの)び、100年以上にわたって続く「天誅踊り」が存続の危機に立たされている。高齢化や過疎化が進んで後継者不足となり、最盛期に約40人いた舞踊経験者は4人になった。住民たちは「このままでは、伝統ある踊りが途絶えてしまう」と懸念している。
尊皇攘夷(そんのうじょうい)の急進派集団だった天誅組は、1863年に大和五條(現五條市)で皇軍の先陣として決起。五條代官所を襲撃して気勢を上げたが、政変によって幕府軍に追われ、鷲家口(現東吉野村)で壊滅した。
市内には天誅組ゆかりの戦跡が残り、天辻地区では、本陣跡が地域のシンボルにもなっている。本陣跡では、毎年夏に盆踊りの恒例行事として、天下国家のために散った若き志士たちを弔う天誅踊りが披露されてきた。
紋付きはかまで刀を手にした「男踊り」と、扇子を持った着物姿の「女踊り」があり、二重の輪になって「四海太平治る御代に外に不思議はサテ……」と歌に合わせて踊る。
50年前には40人近い踊り手が集い、大阪市など県外の催しにも参加。保存会もできたが、後継者問題が深刻化した10年程前に自然解散した。
戦後間もない頃、約150人いた地区住民は現在、約20人に減少。女性4人(65~76歳)の踊り手に加え、歌い手の1人も高齢のため、継承自体が年々難しくなっている。
結婚後、地区で暮らす踊り手の一人、打集(うちあつめ)スミコさん(76)は「天誅組の義挙にならった勇壮な踊りで、このまま途切れてしまうのは寂しい」と話している。
京都
京都府庁旧本館に「容保桜」
桜守・佐野さん発見、命名
京都市上京区の京都府庁旧本館で、ヤマザクラとオオシマザクラの両方の性質を持つ珍しい桜が1日までに見つかった。花がやや大ぶりで、表皮がめくれたような独特の木肌が特徴といい、発見者で桜守の佐野藤右衛門さん(81)が、幕末に府庁がある場所に屋敷を構えた京都守護職の松平容保(まつだいらかたもり)にちなみ、「容保桜」と命名した。
■ヤマザクラの突然変異
きっかけは2008年春のこと。佐野さんが世話を任されている旧本館中庭のシダレザクラの様子を見に来た際、樹齢80年ぐらいとみられる一本の桜が目についた。「あれ、この桜は何やろ」。品種はヤマザクラのようだが、オオシマザクラの特徴である表皮がはがれたような木肌をしていた。
翌春の開花期に花を持ち帰り、詳しく調べると、通常のヤマザクラよりも花がやや大きく、「花梗(かこう)」と呼ばれる花を支える枝も長目だった。多くの桜を見てきた経験から「これはヤマザクラの突然変異や」と確信した。
府に旧本館の地の歴史を聞いたところ、幕末に京都守護職の上屋敷があったと知り、容保桜と名付けることを考えた。松平容保の子孫らの了承もこのほど得られ、正式に名前が決まった。
佐野さんは「これだけ変異したヤマザクラは珍しい。植えられた経緯はよく分かっていないが、京都の歴史と自然のなせる業だろう。大事にしてほしい」と話す。府は近く案内板を設置し、府庁の新たな名物にする考えだ。
京都に「容保桜」……花見に行きたいですねぇ(うっとり)。
岡山
玉島の歴史の地活写 公民館受講生写真展
倉敷市玉島地区の歴史や言い伝えにまつわる土地、史跡などをとらえた写真展「玉島伝説の今を撮る」が同市玉島阿賀崎、市玉島支所で開かれている。4日まで。
玉島北公民館の「やさしい写真講座」受講生と講師計18人が出品。円通寺で修行した禅僧良寛や命を賭して幕末の戦乱から玉島を救った備中松山藩士・熊田恰(あたか)、水島灘を舞台とした源平水島合戦など、それぞれが興味あるテーマに沿い、昨年5月から撮影した。
キャラバン隊が鹿児島観光をPR
2011年3月に九州新幹線全線開通を控えた鹿児島市から1日、観光PRキャラバン隊が岡山市北区柳町の山陽新聞社を訪れ、食や温泉、歴史などの魅力をアピールした。
メンバーは、西郷隆盛役の茶屋道秀次さん(39)、篤姫(あつひめ)役の南里佳さん(26)ら鹿児島を代表する幕末の偉人にふんした5人と広報スタッフ2人。
茶屋道さんが「黒豚のしゃぶしゃぶや地鶏の刺し身と焼酎をぜひ味わって」と食をPRすれば、南さんは「県庁所在地の中で鹿児島市は温泉の源泉数日本一。温泉は銭湯で気軽に楽しめます」。新幹線全通後は、岡山から最短3時間10分と近くなる鹿児島。「かごんま、行っがーっ(鹿児島へ行きましょう)」と声をそろえた。
一行は2日はJR倉敷駅、3日はJR岡山駅でパンフレットなどを配布し、観光宣伝を行う。
長崎
「龍馬が駆けた長崎」が切手に
郵便局会社九州支社長崎県本部は1日、幕末の志士坂本竜馬とゆかりが深い長崎市内の名所の写真をあしらった記念切手シート「龍馬が駆けた長崎」を発売した。鹿児島県を除く九州の郵便局で、12月30日まで販売する。
80円切手10枚の1シートで1200円。竜馬が設立した日本初の貿易商社「亀山社中」跡や竜馬の銅像など切手に使った写真は、市内の郵便局長2人が場所の選定から始め、好天を待つなど半年以上かけて撮影した。
日本各地を旅した竜馬は、数多くの手紙を出した筆まめぶりでも有名。PR担当の村上俊幸・深堀郵便局長は「竜馬のように手紙をたくさん書いてもらえれば」と仲間の“労作”を売り込んでいた。 (長崎)
エンターテインメント
ノンフィクションW 武士の商法 激変の時代に生きる術 WOWOWで放送
3月14日(日) 午後4:30 [HV]
空前絶後の政権交代「明治維新」後、
窮地に立った武士たちは、いかにして成功し社会貢献できたのかを紐解く
「武士の商法」とは、急に不慣れな商いをして失敗する例えとして使われる言葉である。それは、今まで働かずして食えたシステムが“御一新”と呼ばれた明治維新で跡形もなくなり、窮地に立った武士たちが心機一転挑んだ末の結末に由来している。
しかし、その「武士の商法」の中には成功を収め、日本を代表する“一大産業”と成ったものも存在する。津軽のリンゴ、庄内の生糸、名古屋のコーチン飼育、静岡のお茶…。そこには自分だけの利益ではなく「中途で挫折するは、武士の道にあらず。斃れて後已む」と公のため仲間たちのために慣れない仕事に一生を捧げた名も無い士族たちの姿があった。彼らは、論語の素読などを通じ身に付けた武士の心を“新しい商い”の中に実現しようとしたのである。
まさに武士ゆえの「起業精神」、現代の“ベンチャー起業”の走りともいうべきものだったのだ。
明治維新は、日本史上、空前絶後の「政権交代」。それまで最高位の身分で既得権を得ていた者が全てを失って下野したとき、武士たちは新しい暮しを
自ら作り、さらに社会に貢献していった。新しい世の中で、なぜ彼らは成功し社会貢献できたのか…。
この番組は、その答えを明治初期の日本各地に探っていく。 各地の「政権交代」後の武士の姿を、現代と重ね合わせ読み解き、今に繋がるヒントを探す。
ナビゲーター/宮崎哲弥
書店の文庫コーナーを何気なく見たら、新潮文庫になっていてびっくり……腰帯の惹句が、龍馬ブームに乗って悪いかみたいなノリだったので、やんやの喝采。この作品が多くの人の目に触れるなら、龍馬ブーム万歳ですよ(笑)。
前に作品解説をしたことがあったなぁ、と過去ログを掘ってみると……『ヒメガミ』紹介のついでに土方さんトンデモ作品特集で紹介してた^_^;。
土方さんトンデモ設定創作もの総ざらえのついでに……『箱館妖人無頼帖ヒメガミ』
コスプレが趣味としか思えない桂小五郎とか、鬼畜な土方歳三とか、デブだけど餅肌な沖田総司とか、トンデモなキャラ設定だけど『サカモト』大好き^_^;。この機会に『組!』ファンや『龍馬伝』ファンにも、うっかり買ってしまう人が出てくればいいなぁと願ってます(苦笑)。
自分も、今回文庫版で収録されたおまけの2ページを読み返したいがために、購入する予定です(爆)。
前に作品解説をしたことがあったなぁ、と過去ログを掘ってみると……『ヒメガミ』紹介のついでに土方さんトンデモ作品特集で紹介してた^_^;。
土方さんトンデモ設定創作もの総ざらえのついでに……『箱館妖人無頼帖ヒメガミ』
コスプレが趣味としか思えない桂小五郎とか、鬼畜な土方歳三とか、デブだけど餅肌な沖田総司とか、トンデモなキャラ設定だけど『サカモト』大好き^_^;。この機会に『組!』ファンや『龍馬伝』ファンにも、うっかり買ってしまう人が出てくればいいなぁと願ってます(苦笑)。
自分も、今回文庫版で収録されたおまけの2ページを読み返したいがために、購入する予定です(爆)。
2月も今日で終わり、明日から3月。時の経つのは早いものだなぁと思います。寒暖の差が激しいこの頃ですが、寒い日にも陽差しが明るかったり、春近しと思います。
宮城
作並温泉で回文全国コンテスト
栃木
「梁田戦蹟史」を復刻 戊辰戦争、東日本最初の戦い 山口県の出版社
「サツマイモの天ぷらを売っていた町のてんぷら屋が薩摩兵に怒られた」……なぜ怒られたのか今いち不明な記述(苦笑)。
敗れた?晋作 日記白紙に 長州藩士と勝負の『壬生剣客伝』 町立『資料館』で企画展
長野
下諏訪宿に新博物館「花屋茂七館」完成 木喰上人の菩薩像も
静岡
街中まるでスクリーン シネマフェスに合わせ 静岡
滋賀
歴史的風致形成建造物:彦根市、6件指定 国の補助で修復・保全へ /滋賀
京都
【龍馬ゆかりの地を行く・京都番外編】御所に砲声、蛤御門の変
高知
自由民権記念館で最初の龍馬小説紹介 高知
長崎
NHK大河ドラマ:「龍馬伝」、大村湾上で県内初のロケ /長崎
「HTB龍馬伝館」オープン 幕末帆船クルーズも実施
ブックレビュー
今週の本棚:山内昌之・評 『鳥羽伏見の戦い--幕府の命運を…』=野口武彦・著
今日はつい歴史CGスーパームックを購入してしまいました^_^;が、野口武彦氏による鳥羽伏見の戦い、早く読みたい本のリスト最上位の一冊です。
今週の本棚:松原隆一郎・評 『アメリカの公共宗教』=藤本龍児・著
米国は多民族多文化の国ですが、「アメリカ教」的なものがあるということを以前から感じていたので、ちょっと関心を引く本です。
宮城
作並温泉で回文全国コンテスト
上から読んでも下から読んでも同じ読み方になる「回文」の全国コンテストが27日、仙台市青葉区の作並温泉で始まった。県内外の回文ファン約50人が、即興で作品を披露するなど言葉遊びを楽しんだ=写真。28日まで。
コンテストは、幕末の仙台で千以上の回文を作った「仙代庵(あん)」という作者の作品が刻まれた道標が旧作並街道にあることから、地域の活性化につなげようと12年前から毎年開かれている。
句や歌など計277点の応募があった。「策なんか 仕分けはけわし 官泣くさ」など時世を読んだ作品も。審査の結果、最優秀賞は青葉区の会社員荒井正生(まさ・き)さん(52)の「もどれない 恋の旅路よ 燃ゆる夜 湯もよし飛騨の 憩いなれども」。
栃木
「梁田戦蹟史」を復刻 戊辰戦争、東日本最初の戦い 山口県の出版社
薩摩・長州藩を中心とする新政府軍と、旧幕府軍が戦った戊辰戦争。東日本最初の戦いとなった下野梁田宿(現足利市)の戦いを大正期の在野の歴史家、真下菊五郎が解明した「明治戊辰梁田戦蹟史」(1923年刊)が山口県周南市のマツノ書店から330部限定で復刻された。両軍関係者への取材と地元の人たちへの聞き取りを加えた手法は今日の郷土史に通じる。維新や戊辰戦争の非日常性をあぶり出す地元民の目撃、体験談は今でも新鮮だ。
鳥羽伏見の戦い(1868年)から箱館の戦い(69年)に至る戊辰戦争は、国内最大の内戦。本県でも宇都宮城や壬生城をめぐり攻防戦が続いたが、梁田戦はわずか1日の戦闘で決着がついたため、これまで注目度が低かった。しかし大敗を喫したこの初戦こそ、旧幕府軍を越後へ、さらに箱館へと向かわせた大きな要因となったとみる。
真下は梁田に近い群馬県の出身。身近に聞き及んだ戊辰戦争の史跡や記録が消滅することを憂え、「防長回天史」「古屋作左衛門日記」(幕臣)などの史書、記録類と官軍、旧幕府軍の将官や家族、地元古老らの聞き取り調査を行い、戦いの実態を解明した。
本書は「官軍」「幕軍」など全5編と付録で構成。圧巻は「戦争関係者の談」。80人余の地元の人たちの声が加わったことで視界が広がった。証言も修飾せずに収録されているため、史料的価値も高いという。
例えば坂本龍馬暗殺に関与したとされる旧幕府軍の幹部の長男による「今井信郎の生涯」をはじめ、若き日の田中正造が官軍の宿陣に奔走したことや、サツマイモの天ぷらを売っていた町のてんぷら屋が薩摩兵に怒られたことなどを生き生きと伝えている。
同書を出版したマツノ書店は出版と古書売買を手掛ける老舗。山口県史料の復刻を中心に幕末、維新史料を限定出版している。経営環境が厳しい地方出版界で、予約特価による宅配便での直送方式など独自戦略を講じ、地方から全国に質の高い文化を発信している。店主の松村久さんは、こうした功績で2007年に菊池寛賞を受賞。「今回は宇都宮市の顧客の熱意で優先順位を繰り上げて出版した」と話している。A5判、617ページ。1万6千円。(問)同書店電話0834・21・2195。予約販売につき残部わずか。
「サツマイモの天ぷらを売っていた町のてんぷら屋が薩摩兵に怒られた」……なぜ怒られたのか今いち不明な記述(苦笑)。
敗れた?晋作 日記白紙に 長州藩士と勝負の『壬生剣客伝』 町立『資料館』で企画展
壬生町本丸の町立歴史民俗資料館で、企画展「壬生剣客伝」が開かれている。展示の目玉は、剣術修行の途中に壬生藩を訪れた幕末の長州藩の志士・高杉晋作(一八三九~六七年)の日記。高杉を破ったといわれる、地元ゆかりの知られざる剣客たちにスポットを当てている。 (小倉貞俊)
幕末の壬生藩は、内憂外患に備えるため武芸を奨励し、盛んに剣術が行われた。江戸時代に隆盛を極めた「神道無念流」の流祖・福井兵右衛門の出身地でもあり、同流派を教えた江戸三大道場の一つ「練兵館」には、同藩出身の実力者が名を連ねた。
六〇(万延元)年九月、壬生の城下町に入った高杉は、すでに五十歳を超えていた剣術師範・松本五郎兵衛と対戦。それまでは旅程や心境などが詳細に記されていた日記が試合直後から白紙になり、その後は雑多なメモの書き付けに変わった。
五郎兵衛の子孫で同町在住の大橋悦子さん(65)方には代々、「高杉と試合をした五郎兵衛は一度も負けなかった」との言い伝えが残る。同館の中野正人学芸員(51)は「高杉は自信を砕かれて強いショックを受け、日記を書く気を失ったのでは」と推測する。
また、練兵館の塾頭も務めた壬生藩士・野原正一郎は四九(嘉永二)年、全国を回る他流試合で長州藩を訪問、桂小五郎(一八三三~七七年)ら百人と対戦した。長州藩側の記録には「我が剣士ほとんど皆及ぶ者なし」とあり、同藩は流派を神道無念流に転換。後に桂自身も練兵館に入門し、塾頭にのぼり詰めることになった。
中野学芸員は「彼らの活躍が知られていないのは、壬生藩が幕府を守る立場の譜代大名だったため。藩の名前が前面に出てしまい、個人に光が当たらなかった」と分析。「剣術が盛んだった壬生から、多くの逸材が生まれたことを知ってほしい」と訴えた。
企画展は三月十四日までで、入場料は一般二百円、中学生以下無料。月曜休館。
問い合わせは同館=(電)0282(82)8544=へ。
長野
下諏訪宿に新博物館「花屋茂七館」完成 木喰上人の菩薩像も
下諏訪町横町木の下の温泉街、中山道下諏訪宿に新たな集客施設として期待される街かど博物館「花屋茂七館」が完成、27日の開館式には青木悟町長ら多数の関係者が祝福に駆けつけた。3月1日、正式開館する。
花屋茂七は元教諭で館主を務める小松秀夫さん(71)の3代前の先祖。1861年、同地に茶屋兼旅籠(はたご)を開いた。茂七とその父が信心深かったことから宗教関係の掛け軸、書画、浮世絵などが多数集まり、家宝として約1200点が受け継がれてきた。
町の観光振興条例に基づく補助を受け、自宅1階部分の約20畳を展示場に改修した。小松さんは「広く公開する場を得て心からうれしい」と喜びを口にした。
開館を記念した企画展では庶民信仰をテーマに60点を公開。木喰(もくじき)上人(1718~1810年)作の「虚空蔵菩薩(ぼさつ)像」(町指定文化財)や諏訪大社大祝自書の諏訪大明神軸、幕末・明治期に活躍した山岡鉄舟、金井之恭(ゆきやす)らの書もある。
入館無料。通常開館日は金土日曜日の午前9時から午後4時まで。問い合わせは同館=電0266(27)5911=へ。
(梅村武史)
静岡
街中まるでスクリーン シネマフェスに合わせ 静岡
静岡市葵区七間町の映画館や近隣商店街で3月4日まで開催中の「シズオカ・シネマパーク・フェスティバル2010」(同実行委、市主催、静岡新聞社・静岡放送共催)に合わせて、映画にちなんだ「まちなかシネマイベント」が27日、葵区の中心市街地で繰り広げられた。
「スター・ウォーズ」シリーズに登場する、帝国軍キャラクターの世界的コスプレ団体「第501軍団」日本支部のメンバーが呉服町商店街などを練り歩き、家族連れやカップルの注目を浴びた。
また、新撰組を描いた「幕末残酷物語」など時代劇作品の16ミリフィルム上映会のイベントとして、殺陣師集団が同区紺屋町の小梳神社境内を舞台に、幕末を想定した演武を披露。時代劇ファンを楽しませた。
「まちなかシネマイベント」は、28日にも行われる。
滋賀
歴史的風致形成建造物:彦根市、6件指定 国の補助で修復・保全へ /滋賀
◇金亀会館/旧鈴木屋敷長屋門/中村商家保存館/旧彦根藩足軽組辻番所/中居家住宅/太田家住宅
彦根市は、旧彦根藩足軽屋敷に現存する「旧彦根藩足軽組辻番所」(同市芹橋2)や旧彦根藩校の講堂だった「金亀(こんき)会館」(同市中央町)などの建造物6件を、歴史まちづくり法(歴まち法)に基づく「歴史的風致形成建造物」に指定した。今後、国の補助を受けて修復・保全し、まちづくりに生かす。【松井圀夫】
同市は昨年1月、歴まち法で国の認定を受けた「彦根市歴史的風致維持向上計画」で17件を候補に挙げ、所有者と同建造物の指定に向けた協議を進めている。今回、初めて指定したのは、市を含む各所有者との協議が整った建造物。
「辻番所」は、足軽屋敷の通りの辻の要所に配された建物。城下町の歴史的景観を伝える唯一の施設として貴重という。「金亀会館」は幕末の大老で第十三代彦根藩主・井伊直弼も学んだ。
他は▽中級武家屋敷の長屋門として貴重とされる「旧鈴木屋敷長屋門」(立花町)▽江戸期の建造物の様式が残る町家の「中村商家保存館」(旭町)▽足軽屋敷の形態を伝える「中居家住宅」(芹橋2)と「太田家住宅」(同)。
6件は同時に景観法に基づく「景観重要建造物」にも指定された。市は今後10年間で残る11件の指定作業を進める。指定されると、建造物の修復や改築にかかる事業費の2分の1について国の補助が受けられる。(写真は彦根市提供)
京都
【龍馬ゆかりの地を行く・京都番外編】御所に砲声、蛤御門の変
「パン、パン、パン」。元治元(1864)年7月19日朝、京都御所周辺から乾いた音が何度も響き渡った。「蛤御門(はまぐりごもん)の変」の勃発だ。気勢とも断末魔ともとれる声も交錯する中、御所の中で息を潜める公家たち。
「蛤御門」は京都御苑の西側を南北に走る烏丸通沿いに建つ。門柱には鉄砲から発射された数発の弾痕がえぐれたような形で残り、戦いのすさまじさを今に伝えている。
ペリー来航後、幕府が朝廷の勅許を得ず外国との不平等条約に調印。この幕府の弱腰ぶりに天皇の絶対的な権威を背景に外国を討とうとする長州藩ら尊皇攘夷(尊攘)派と、幕府と天皇が一体化して幕藩体制を強化しようとした公武合体派が対立した。
それは東西700メートル、南北1300メートルの範囲に約200の邸宅が並ぶ京都の公家町でも顕著で、狭い通路を隔てて幕府側の九条家から長州藩側の鷹司家がにらみ合い、この戦いでは大砲を撃ち合うという状態だったという。
× × ×
蛤御門の変前の文久3(1863)年8月18日、薩摩・会津・土佐藩の公武合体派により長州藩が京都を追放された(八・一八の政変)。さらに翌年の元治元年、三条の池田屋に集まった尊攘派の志士が新選組に殺傷・逮捕されたことで、その報復として挙兵した長州藩。
約3千人が伏見と天王山(京都府大山崎町)、嵯峨・天龍寺の三方から御所を目指したのに対し、守る幕府軍は8万人。長州軍は中立売御門と下立売御門を突破し、幕府軍を押す。蛤御門から御所の南西角まで進むと長州藩遊撃隊総督の来島又兵衛の討ち死にした場所とされるムクノキがある。
蛤御門を守るのが八・一八の政変の首謀者で、新選組を抱える会津藩というだけに、特に激しかったという。だが多勢に無勢。しかも三方の連携に欠けた長州軍が幕府軍に敗れた。
× × ×
長州側には、幕府寄りの藩の弾圧から逃れるため脱藩した多くの土佐藩士がいた。中岡慎太郎は天龍寺から目指したが途中で負傷し薩摩藩の支藩に助けられる。千屋菊次郎や松山深蔵、能勢達太郎、安藤真之助らは天王山で近藤勇ら新選組と会津兵の攻撃を受け、真木和泉(久留米)らとともに自刃している。
京都と大阪の境、天王山の麓に建つ宝積寺。この境内にあるハイキングコースの入り口から結構険しい山道を登ること約30分、頂上に近い、うっそうとした木々に囲まれた中に真木らを顕彰した「天王山十七烈士の墓」がある。
中央の17人の業績を記した石碑を取り囲むように並ぶ墓石。いずれもコケむし、木々の間から差すわずかな光で何とか名前を読むことができるが、長い時代の流れを感じずにはいられない。
× × ×
長州以外の中、四国の諸藩も尊攘か佐幕かで揺れ、京都でその一端を見ることができる。
文久3(1863)年、因幡鳥取藩の尊攘派が西本願寺北隣にあった本圀寺で藩主側近の公武合体論者を襲っている。また、蛤御門の変では長州藩邸から逃げ出した桂小五郎を御所に近い堀川の藩邸に一時、匿っている。親藩の松山藩でも池田屋事件で討たれた尊攘派の中に同藩出身者の名前が見えるなど、内部では両派のせめぎ合いがあったとみられる。
そして、当時の坂本龍馬は、貿易と海軍の必要性を説く勝海舟が設立した海軍総練所で船のけいこに励んでいたが、尊攘派として池田屋事件にかかわった総練所の塾生がいたために総錬所は閉鎖。このころから次第に龍馬も幕府から目をつけられるようになる。(園田和洋)
高知
自由民権記念館で最初の龍馬小説紹介 高知
幕末の志士・坂本龍馬を題材にした最初の小説「汗血千里の駒」の挿絵などを紹介する企画展が、高知市桟橋通の市立自由民権記念館で開かれている。「龍馬の遺志を継ぐもの」をテーマに、同記念館が取り組む年間企画の第1弾。3月28日まで。
龍馬のおいで同じように自由民権運動にかかわった坂本直寛と交流があった坂崎紫瀾が明治16(1883)年に地元新聞に連載した小説の挿絵の複製66点を展示。身分制度の厳しい土佐藩で起きた井口村刃傷事件や龍馬が仲介した薩長同盟、京都・近江屋での龍馬暗殺など主要な出来事に分けて紹介している。
さらに妻のお龍や師事した勝海舟ら龍馬の周辺にいた人物の挿絵を並べたコーナーも設置。小説の貴重な初刊本や挿絵を描いた絵師が残した錦絵などの資料約50点も展示している。
同記念館は「龍馬について人々の記憶が残る時代に書かれており、今の小説やドラマの原点ともいえる」としている。入場無料。問い合わせは同記念館((電)088・831・3336)。
長崎
NHK大河ドラマ:「龍馬伝」、大村湾上で県内初のロケ /長崎
◇自衛官、住民エキストラ出演
NHKで放送中の大河ドラマ「龍馬伝」で県内初のロケがこのほど、大村湾の海上で行われた。4月18、25日、5月2日に放送される。
長崎市出身の歌手で俳優、福山雅治さん(41)演じる主人公・坂本龍馬が、勝麟太郎(りんたろう)(海舟)に幕府軍艦「咸臨丸」の船上でジョン万次郎を紹介されるシーンや、龍馬と勝が神戸に向かうシーンを撮影。勝役の武田鉄矢さん(60)、万次郎役のトータス松本さん(43)らが出演した。
ハウステンボス(佐世保市)が幕末の蒸気帆船を復元した「観光丸」を、「咸臨丸」「順動丸」として想定。海上自衛隊大村航空基地(大村市)の自衛官らが乗組員を演じるなど地元住民約40人がエキストラとして出演した。NHKによると、今後も県内でのロケを検討しているという。【錦織祐一】
〔佐世保版〕
「HTB龍馬伝館」オープン 幕末帆船クルーズも実施
佐世保市のハウステンボス(HTB)に27日、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の衣装や小道具、写真パネルなどを展示する佐世保・ハウステンボス龍馬伝館が開館、記念式典が現地であった。市、佐世保観光コンベンション協会、HTBの3者が事業主体で、来年2月末まで。
朝長則男市長は式典あいさつで、「ドラマの世界をリアルに体感してほしい」、東園基宏HTB社長は旅行大手エイチ・アイ・エス(HIS、東京)が支援企業に決まった再建問題に触れ「荒波の中にあったハウステンボスが新たな航海に出る。今後もご支援を」、金子原二郎知事は「龍馬ブームに乗って、ハウステンボスを全国にPRして」とそれぞれ述べ、テープカットで開館を祝った。
式典後、政財界、観光業界などの来賓約80人や一般客らが施設内を見て回った。
入館料は大人500円、4歳~高校生300円。龍馬ゆかりの復元帆船観光丸による幕末帆船クルーズも実施中。問い合わせはHTB総合案内センター(電0956・27・0001)。
ブックレビュー
今週の本棚:山内昌之・評 『鳥羽伏見の戦い--幕府の命運を…』=野口武彦・著
◇『鳥羽伏見の戦い--幕府の命運を決した四日間』
(中公新書・903円)
◇無言の死者たちから聞き取る旧幕軍の敗因
慶応四(一八六八)年一月の鳥羽伏見の戦いは、落日の徳川家の命運を決しただけでない。
野口武彦氏は、もし徳川が勝っていたなら、天皇を政治利用した薩長中心の専制政体も出来なかったのでは、とマクロな歴史解釈を示す。著者は、新政府軍と旧幕軍の双方から約四〇〇人の戦死者を出した事変の解釈に、戦史の説明に必要な親切心がこれまで欠けており、戦死者たちの「無言の悲哭(ひこく)に耳を傾ける敬虔(けいけん)さ」に乏しかったと指摘する。旧幕軍の将兵が京都を目指して進撃したのは、前将軍の本意でないという『徳川慶喜公伝』(渋沢栄一著、一九一八年)のような慶喜弁護の説と死者への冷淡な態度には我慢がならないらしい。
野口氏は、慶喜が再入京して政治の実権を薩長から取り戻す野心から「討薩の表」を掲げて、新鋭の元込銃(もとごめじゅう)たるシャスポー銃も備えた軍隊を進発させたものの、戦い利あらずと見るや衝突は我が意志でないと白(しら)を切る卑怯(ひきょう)さを、慶喜の側に仕えた小姓の証言などで証明する。
錦旗が掲げられると動揺した慶喜は、会津や桑名の両藩が暴発したとして「勝手にせよ」と臣下に責任を転嫁してしまう。大坂城で連敗の報に接した慶喜は、声涙ともに下る大演説をぶって士気を鼓舞したかに思える。城下を焦土と化し自分が死んでも江戸の忠義の士が志を受け継ぐから当地で死を覚悟して戦おうという弁なのだ。将兵たちが感動してこの御大将の下で勇戦しようと覚悟した矢先、慶喜はまさに舌の根の乾かぬうちに大坂城から逃亡して海路江戸に遁走(とんそう)する見苦しい有様を著者は時間を追って微細に描く。
この卑怯な振る舞いは、慶喜に裏切られ朝敵の汚名を着せられた会津藩士らから「例の変節病」と厳しく批判された。慶喜は演説も「方便だよ」と脱走の下地を描いたかのように説明をする。とてもリーダーの器とは思えない。それでも、幕末の大政奉還のばくちから鳥羽伏見の戦いの決心にいたるプロセスでは、政治外交家としてのすぐれた片鱗(へんりん)も見せるのだから複雑な人物には違いない。野口氏は、慶喜が頭脳明晰(めいせき)・言語明瞭(めいりょう)・音吐(おんと)朗々と三拍子揃(そろ)っていながら、肉体的勇気が欠けていたと指摘する。確かに、目の前にいる主戦派家臣であれ薩摩軍であれ、強そうな相手に恐怖を感じるタイプだったのであろう。「せめてしばらくの間、恐怖感の発作が過ぎ去るのを待っていたら、続いて起きた事の経過はかなり違っていただろう」という指摘には、かなりの説得力がある。
入京してから薩摩と「限定戦争」をすると青写真を描いていた旧幕軍には機動的な判断能力が欠けていた。薩摩軍と接触した時にすぐ開戦に踏み切ればよかったのだと、野口氏は、旧幕軍の「お人好(よ)しぶり」に同情する。しかし、会津藩や新選組の奮闘ぶりには愛惜の念をこめて筆を進める。なかでも会津藩大砲奉行の林権助(ごんすけ)は、薩摩藩砲兵陣地の正面になる伏見奉行所の危険な持ち場を離れず、わずか十メートルの至近距離で銃を撃ち合い白兵戦に入る局面を指揮する。三発被弾しても「雷のような声で槍(やり)入れを命じる」権助には鬼神がとりついたような迫力が感じられる。勇士たちはいたのである。また、著者渾身(こんしん)の実証努力で旧幕軍がシャスポー銃を装備していたこともつきとめた。兵器も劣っていなかったのである。旧幕軍が敗北したのは高級旗本ら奉行指揮官の無能力もさることながら、ひとえに最高司令官慶喜の卑怯と怯懦(きょうだ)のせいである。歯噛(はが)みして悔しがる野口氏の見方を共有する読者も多いことだろう。
今日はつい歴史CGスーパームックを購入してしまいました^_^;が、野口武彦氏による鳥羽伏見の戦い、早く読みたい本のリスト最上位の一冊です。
今週の本棚:松原隆一郎・評 『アメリカの公共宗教』=藤本龍児・著
(NTT出版・2940円)
◇見え隠れする「聖書的伝統」
幕末以来、アメリカは日本にとってたえず気になる大国だった。黒船到来で幕藩体制は倒壊し、恐怖は日露戦で無根拠の自信に転化、大戦で激突した後には一転して帰依の対象となった。関係は敵対と宥和(ゆうわ)の間を揺れ動いたが、研究すべき相手であったことだけは変わらない。戦後には先進国の強さの秘密が近代化にあると見立て、社会科学の近代化論が輸入された。
ところが近代化論のレンズを通すと、アメリカは妙に屈折して見える。というのも近代化論では、科学が進み経済が発展すれば宗教性は薄れるとされるからだ。なるほどヨーロッパ諸国はそうである。
しかしハンチントンの『分断されるアメリカ』(集英社)によれば、「国を誇りに思う人々の割合」と「暮らしの中で神の重要性を高く位置づける人々の割合」の相関を取ると、なんとアメリカはトルコやナイジェリア、インドと同等になる。つまりアメリカは、国と神を重視する人口比において先進国中唯一、途上国並みの「神の国」なのだ。それゆえに9・11とそれへの報復は、イスラム原理主義対キリスト教原理主義の戦いとも評された。現代のアメリカを知るには、宗教は必須なのである。
では、社会科学の前提を敢(あ)えて疑い、「宗教的なるもの」に目を凝らしてアメリカを眺めるとどうなるか。アメリカ史や社会哲学、社会学・宗教学の膨大な資料に分け入り、「ニューエイジ」や「原理主義」「リヴァイヴァル」「宗教右派」「ネオコン」「コミュニタリアン」「新保守」等のキーワードを丹念に精査して、「アメリカは公共宗教の国である」という大胆な仮説を提示したのが本書である。
宗教社会学では近年、宗教は近代化論が言うようには衰退せず、「個人化・私事化」するのだとされている。一九七○年代のカウンターカルチャーに発し霊性に注目する自己啓発やヒーリング等の「ニューエイジ」では、世俗外の神による抑圧を解き、「ほんものの自分」を追求することが試みられた。
聖書の批判的な検討や公教育での進化論の授業に対しては、「聖書無謬(むびゅう)説」や「千年王国説」を奉ずる原理主義が対抗した。終末が到来する直前に千年間の王国が実現するとして、神と直接に交わる「回心」のような神秘体験が史上幾度か流行した(リヴァイヴァル)。
カウンターカルチャーの波に乗って唱えられた中絶合法化や「祈りの非合法化」に危機感を抱いた福音派は宗教右派となって内政に圧力を加え、ネオコンは中立的価値観にもとづく外交の弱腰に異を唱えて「悪の枢軸」打倒を目指した。
科学の進歩や経済発展、聖書批判や進化論教育という近代化は単線的には進まず、カウンターカルチャーやニューエイジ、原理主義やリヴァイヴァル、福音派やネオコン等の反作用を爆発させたのである。これらは個人化・私事化した宗教と一括(ひとくく)りにできるだろうか。
著者はベラーにならい、多様な宗教と文化が共存し競争するアメリカであればこそ、多文化が差異に固執して分裂せず、むしろ最大多数として共有され愛や救済よりも秩序や法を重視する、公共宗教への道を育(はぐく)んだと見る。それが独立宣言や憲法、大統領の就任演説等の公的言説に見え隠れする「心の習慣」すなわち「公共宗教」であり、要は「聖書的伝統」だという。
みずからの「正しさ」を絶えず問うたリンカーンが永遠のヒーローだとのことだが、では天皇制は公共宗教なのか?と連想させられる。新世代の斬新なアメリカ論である。
米国は多民族多文化の国ですが、「アメリカ教」的なものがあるということを以前から感じていたので、ちょっと関心を引く本です。
今日は朝から陽が差さず、寒い一日でした……というか、徐々に寒くなってきています。暖かくしてお休みください。
岩手
大正建築に古式びな 紫波町日詰商店街で祭り
東京
歴史好きのバー「レキシズルバー」とは!?
三重
松浦武四郎:古里・松阪をアピールする大看板が完成--あす祭りも /三重
山口
竜馬ブーム 下関参入
高知
自由民権記念館で最初の龍馬小説紹介 高知
長崎
社告:「上野彦馬フォトコン」長崎市で受賞作品展 3月2日から /長崎
HTB:“龍馬メニュー”登場 施設内の飲食店で6品 /長崎
文化芸能
<歌舞伎>菊五郎 気合入れて『弁天小僧』 3月・歌舞伎座
岩手
大正建築に古式びな 紫波町日詰商店街で祭り
紫波町日詰で26日、日詰商店街ひな祭りが始まった。中心市街地活性化に取り組む第三セクターよんりん舎(鈴木勝見社長)が主催。大正期の邸宅・平井邸を主会場に、町内に保存される江戸時代から現代までのひな人形を展示。商店街の15店も店先に個性豊かな人形を飾り、歴史を感じさせる町並みを彩っている。
ひな祭りは「大切な心」がテーマ。同商店街南側の平井邸には、日詰地区だけでなく、町内各地に残るひな人形約20組を展示。幕末以前の作とみられる享保びな、素朴で温かみのある表情の花巻人形、御殿飾りに小型の人形を収めた古式京びななどを集めた。
陶器やガラス製のかわりびな、住民が手作りした木目込み人形、旧家に残る嫁入り衣装や着物も目を引く。
平井邸は1921(大正10)年完成の木造2階建ての町屋建築で、豪商平六商店(現菊の司酒造)が当時の首相原敬を接待するため建築した邸宅。歴史的建造物に古い人形が溶け込み、同町桜町の関諦子さん(72)は「享保びなは初めて見た。感激した」と目を奪われていた。
商店街の活性化を目指し3年目の開催。よんりん舎事務局の岡村日出子さん(61)は「日詰は歴史ある町で、いいものが多く残っている。今回はさらに日詰だけでなく、町内の協力を得て充実した展示になった」と説明していた。
祭りは28日まで。平井邸では琴・尺八の演奏会や百人一首かるた会なども行う。入場協力金は中学生以上300円、小学生100円。
【写真=幕末以前の作とみられる享保びな】
東京
歴史好きのバー「レキシズルバー」とは!?
神田駿河台、カウンターだけのこじんまりとしたバーが、水曜日の夜だけ数千年の時空を巡る…。
小川町駅より徒歩5分、暗い路地裏に煌々と明かりが灯り、ところどころ小さなバーがお店を開きはじめる午後六時、噂のレキシズルバーに潜入してみた。
レキシズルバーとは、神保町にショットバーを構える渡部商店が毎週水曜日に開いている、歴史好きのためのバーだ。いわゆる「コンセプト居酒屋」のように店内に甲冑が並んでいたり、戦国武将の家紋やのぼりが飾られているわけではない。メインは歴史を語るお客さんらしく、15人も入れば一杯になってしまう店内は、どちらも歴史の話題でもちきりだ。
早速カウンターに腰を下ろすと、まずは「何時代が好き?」「どの戦国武将が好き?」などの質問攻めにあう。店内は20代女性から60代男性まで、幅広い客層だ。立場や肩書きなど関係なく、皆が歴史の話題に華を咲かせている。
かつて歴史を語る人と言えば、中年サラリーマンと相場が決まっていて“男の世界”という印象があったが、昨今の歴史ブームにより、女性の歴史好きも堂々と語れる時代になってきた。それを存分に発揮できるのが、ここレキシズルバーなのだ。話題は戦国・幕末・三国志から源平、南北朝、はては甲冑の魅力にまで及び、バラエティに富んでいる。
店の中が一杯になると、同建物の3階に通された。3階は応接間サロン兼事務所になっていて、既に数人のお客さんが歴史語りをしている。薄暗い店内で額を突き合わせて戦国時代の戦略について語り合う…まるで軍議中の戦国武将のようだ。
代表の渡部氏にレキシズルバーを始めたきっかけを聞いてみた。水曜日のバーテンさんが諸事情で辞めてしまい、どうしようか悩んでいたところ、歴史プロデューサー・六龍堂さんと歴史語りができるバーをやらないかという話になり、営業を始めたのだそうだ。今では戦国武将のご子孫も顔を出す、穴場的スポットになっている。
都会に咲いた歴史オアシス。歴史語りがしたい方は、一度訪れてみてはいかがだろうか?
(みかめゆきよみ 山口敏太郎事務所)
三重
松浦武四郎:古里・松阪をアピールする大看板が完成--あす祭りも /三重
幕末の探検家、松浦武四郎(1818~88)の古里・松阪をアピールする大型看板が、松阪市小野江町の県道嬉野津線の交差点に面した「松浦武四郎記念館」の駐車場に完成した。28日には記念館で第15回武四郎まつりが開かれる。
看板は、武四郎生誕190年記念事業(08年)で募集した今城茉莉さん(津市)のデザインをもとに作った。縦2メートル、横3メートルで、マスコットキャラクター「たけちゃん」や、「たけちゃん」を追いかけて北海道からついてきたエゾヒグマの姉弟「レプ」「ペウ」(ペウレプはアイヌ語で「小熊」の意)、市制5周年を記念して作られた松阪市のイメージキャラクター「ちゃちゃも」が、案内地図と共に描かれている。また、これらのキャラクターを分かりやすく紹介した別の看板を設置した。
武四郎まつりは28日午前10時に始まり、午前11時15分と午後1時半に札幌ウポポ保存会の「アイヌ古式舞踊」を披露。ほかにも、市立三雲中吹奏楽部の演奏や餅まき、武四郎クイズなどがある。また、館内で特別展示「武四郎涅槃(ねはん)図の世界」が無料公開される。【橋本明】
〔三重版〕
山口
竜馬ブーム 下関参入
◆新婚生活の地PR 観光客増狙う
幕末の志士、坂本龍馬のブームにあやかり、ゆかりの都市で、地元経済を元気にする動きが広がる。龍馬の足跡がいくつも残る下関市もその一つ。人々はこぞって、龍馬と激動の時代にちなんだ施設やグッズを生み出そうと取り組む。商店街に、にぎわいを取り戻し、観光客誘致につなげることができるか――。
(島津洋一郎)
◆「維新村」や独自グッズ構想
同市中心部の唐戸地区で、「幕末維新村」という構想が進む。薩長同盟の成立に力を尽くした龍馬は下関にも滞在。高杉晋作や長府藩士・三吉慎蔵ら志士と交流し、妻のお龍(りょう)と新婚生活を過ごした。唐戸商店街に近い稲荷町の遊郭にもたびたび足を運んだという。構想はそんな歴史を切り口にした街の再興策だ。
「開業した頃は、行き交う人々の肩があたるくらい込み合っていた」。1966年から、地区の商店街でラーメン店「一龍軒」を営む中尾弘明さん(79)が振り返る。
関門海峡に面する唐戸地区はかつて、九州からの玄関口として栄えた。しかし、ご多分に漏れず、市内に大型商業施設が相次いで開店。不景気の影響もあった。中尾さんが理事長を務める唐戸商店会には、昭和40年代初頭には優に百を超す店舗が加入していたというが、今では50店前後という。近くには、観光客に人気の唐戸市場があるが、商店街まではなかなか足を運んでくれないそうだ。
構想はそんな状況を変えようと昨年末に生まれた。地元の料理店や旅行会社などで作る「関門関旅会」は、地区にある空き店舗を改装した「幕末維新村館」をつくろうと動く。ゴールデンウイーク前にはオープンにこぎつける予定。「晋作餅」や「維新ワイン」などオリジナル商品の販売のほか、龍馬の住んでいた家を再現するアイデアも温める。
長崎、京都の商店街なども龍馬の足跡を頼りに地域振興を図る。「唐戸地区全体が盛り上がれば、観光客の増加につながる」。同会幹事長でフグ料理店「喜多川」社長の北川道雄さんは力を込める。
市も側面支援する。中尾友昭市長は、名刺に龍馬と下関の志士が並んだイラストを刷り込み、龍馬と下関を売り込む。「京都の寺田屋事件で龍馬が使った拳銃は、高杉晋作から贈られたものなんです」。今月16日、京都展の宣伝で市を訪れた芸妓(げいこ)さんにも名刺を示して「逆PR」。市は来年度、観光客向けに龍馬ゆかりの土地に案内板を立てる計画も進める。
市立長府博物館の友の会は3月から、同館が所蔵する龍馬直筆の「新政府綱領八策」の複製を販売する。
同書は暗殺される直前の1867(慶応3)年、龍馬が新しい日本の国家体制を説いたものだ。現存するのは、同館のほかでは国立国会図書館(東京)ぐらいという。金田満男会長は、「最も評価の高い直筆の書が下関にあるということを、全国に知ってもらう意義は大きい」と言う。
「龍馬とお龍の下関」の著書がある同館学芸員の古城春樹さんは言う。「下関は高杉晋作一辺倒だったが、時代は多様化している。ジャニーズ事務所のアイドルのように、晋作とともに、龍馬や三吉慎蔵もグループで売り出してはどうか。相乗効果で別の人物にもスポットがあたり、ゆかりの人物への関心が高まる」
高知
自由民権記念館で最初の龍馬小説紹介 高知
幕末の志士・坂本龍馬を題材にした最初の小説「汗血千里の駒」の挿絵などを紹介する企画展が、高知市桟橋通の市立自由民権記念館で開かれている。「龍馬の遺志を継ぐもの」をテーマに、同記念館が取り組む年間企画の第1弾。3月28日まで。
龍馬のおいで同じように自由民権運動にかかわった坂本直寛と交流があった坂崎紫瀾が明治16(1883)年に地元新聞に連載した小説の挿絵の複製66点を展示。身分制度の厳しい土佐藩で起きた井口村刃傷事件や龍馬が仲介した薩長同盟、京都・近江屋での龍馬暗殺など主要な出来事に分けて紹介している。
さらに妻のお龍や師事した勝海舟ら龍馬の周辺にいた人物の挿絵を並べたコーナーも設置。小説の貴重な初刊本や挿絵を描いた絵師が残した錦絵などの資料約50点も展示している。
同記念館は「龍馬について人々の記憶が残る時代に書かれており、今の小説やドラマの原点ともいえる」としている。入場無料。問い合わせは同記念館((電)088・831・3336)。
長崎
社告:「上野彦馬フォトコン」長崎市で受賞作品展 3月2日から /長崎
幕末から明治に活躍し、日本の写真術の開祖と称される上野彦馬にちなんだ「第10回上野彦馬賞九州産業大学フォトコンテスト」の受賞作品展を開催します。グランプリの上野彦馬賞を受けたスペイン在住の写真家、森本徹さんの「コソボ--虐殺の記憶」(白黒5枚組=写真はその一枚)など一般部門の上位11点と高校生・中学生部門の入賞75点を展示します。入場無料です。
<会期>3月2日(火)~7日(日)10~18時。最終日は16時まで
【会場】長崎ブリックホール内ギャラリー(長崎市茂里町)
<問い合わせ>毎日新聞福岡本部事業部092・781・3636。
主催 九州産業大学、毎日新聞社
後援 文化庁、日本写真芸術学会ほか
〔長崎版〕
HTB:“龍馬メニュー”登場 施設内の飲食店で6品 /長崎
再建問題で揺れたハウステンボス(HTB、佐世保市)の飲食各店に27日、長崎も舞台のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の坂本龍馬にちなんだメニューが登場する。
妻お龍(りょう)の故郷・京都の野菜を使い、メーンは豚肉の開花丼の「お龍御膳(ごぜん)」(写真、3150円)や、龍馬が好きだったという軍鶏スープ付き「『龍馬の船中八策』トルコライスセット」(1500円)、幕末のブレンドコーヒー仕様の「龍馬ラテ」(450円)などランチを中心に6品・コース。
HTBには龍馬が操船術を学んだ観光丸の復元船遊覧もあり、海と龍馬に関する展示館も同日オープン。龍馬いわく「日本の、否、新生HTBの夜明けに食し、知り、乗るぜよ」?
〔佐世保版〕
文化芸能
<歌舞伎>菊五郎 気合入れて『弁天小僧』 3月・歌舞伎座
尾上菊五郎が、音羽屋のお家芸・弁天小僧菊之助で東京・歌舞伎座の三月御名残公演(三部制・二~二十八日)を盛り上げる。出し物は「弁天娘女男白浪(めおのしらなみ)」(二部・午後二時半開演)。武家の娘に変装した弁天がガラリと悪党の正体を現す「浜松屋」と、五人の悪党が居並ぶ「稲瀬川勢揃(せいぞろ)い」の名場面で江戸前の“華”を咲かせる。今回で二十八回目。「二年前に演じたのが最後と思っていましたが、また声がかかって。気合を入れ直さなくちゃ」 (剱和彦)
菊五郎は二〇〇八年五月に演じて以来のこと、現歌舞伎座ではこれが見納めとなる。
三月はほかに「楼門(さんもん)五三桐(ごさんのきり)」(一部・午前十一時)の真柴久吉、最終の四月は「三人吉三」のお嬢吉三、「助六」の白酒売りと、美女に化ける白浪(悪党)や白塗りの色男の役柄が続く。
「今月半ばから減量に努め、六五キロ切りぐらいにしないと、女形の帯が苦しくて。弁天のときは、いつも朝食を軽めにし、後は炭水化物をとりません。もちろん、酒も飲みませんし」
幕末明治の大作者・河竹黙阿弥の世話物で、「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」(全五幕)の中から名場面を取りそろえたのが今回の演目。初演の時十九歳の名優・五世菊五郎(当時十三世市村羽左衛門)の出世作となり、「浜松屋」で「知らざぁ言って聞かせやしょう」と七五調で名乗りを上げる場面は、必ず観客から大きな拍手と掛け声が飛び交う。
音羽屋の家の芸として代々継承され、最近は長男・菊之助もすっかり板についてきている。「おやじさん、いつ病気になってもかまいませんから、なんて言ってる」と苦笑い。息子に教えた数少ない演目の一つ。ポイントは「セリフ回しと小道具の扱い方。キセルや手ぬぐい、タバコ盆とか。それに(正体がばれて)着物を脱いだとき、絵面になってないと。袂(たもと)がきれいにそろってないといけない。そういうところが難しい」
キセルを片手でクルクルと回す場面で落としたことはないが、「キセルの吸殻(すいがら)をタバコ盆にポンと落とす際に、力が入りすぎてその雁首(がんくび)を飛ばしてしまったことがありました」と笑う。
最近演じる上で考えたこと。「若いときは六代目のリアルさに固執していましたが、最近は五代目の派手さのあった演技のほうが歌舞伎らしくていいかなと思ってます」。「また弁天かと思う人もいて、やりにくいこともありますが、衣装をパッと脱ぐところまで何とか引っぱりこめれば、見てくれますよ。お客さまにわくわくしてもらわないと、やってて意味がないですから」とも。
「勢揃い」では「しら浪」の字を書いたそろいの番傘をきれいに見せるコツ。「必ず自分の右肩を見て(隣の傘と)字をそろえています」
共演は首領の日本駄右衛門・松本幸四郎、南郷力丸・中村吉右衛門、赤星十三郎・中村梅玉、忠信利平・市川左団次という「御名残」ならではの豪華版。
「楼門」の真柴久吉は二回目。大仕掛けの山門の欄干で桜満開の景色を愛でる石川五右衛門(吉右衛門)に、久吉が巡礼姿で階下に現れる。五右衛門に気付き「石川や浜の真砂は…」と声を掛けると、あやしんだ五右衛門が手裏剣を打つ。久吉はひしゃくで受け止め、「巡礼に ご報謝」と言う。錦絵のような絵面の美しさが見どころ。「初回はもう覚えていないなあ。一幅の絵となるよう、どうやろうかと考えてます」
一万七千~二千五百円。(電)03・5565・6000。
図書館の新刊書コーナーで見かけたので、借りてきました。
船戸与一は久しぶりです……冒険小説に凝っていた頃、『山猫の夏』など何冊か読みました。
西軍(新政府軍)と奥羽越列藩同盟の攻防をめぐる、慶応4年3月から9月にかけての史実を背景に、船戸与一がどんな歴史小説を描くのか……ちょっとどきどきしながら借りてきました。
上下巻ある大作ですので読み切れるかどうかわかりませんが、無事読めましたら感想をアップします。
船戸与一は久しぶりです……冒険小説に凝っていた頃、『山猫の夏』など何冊か読みました。
西軍(新政府軍)と奥羽越列藩同盟の攻防をめぐる、慶応4年3月から9月にかけての史実を背景に、船戸与一がどんな歴史小説を描くのか……ちょっとどきどきしながら借りてきました。
上下巻ある大作ですので読み切れるかどうかわかりませんが、無事読めましたら感想をアップします。
今日放映の『新・三銃士』、ダルタニアンを惑わせるミレディの役者っぷりが凄いなぁ……この展開、『組!』の沖田総司君とお梅さんを思い出しますが(^^)。
千葉
東葛の文化遺産に注目
歴史巡りなどの催し展開 来月、満喫フェア
香川
咸臨丸150周年、横須賀で多彩イベント
長崎
長崎歴文博「龍馬伝館」5万人突破 福岡の北原さん夫妻に記念品
鹿児島
西郷さんの古里に感激
エンターテインメント
2009年最大の話題作『JIN-仁-』が待望のDVD化
ブックレビュー
「福翁自伝」 諭吉の生き方が今教えるもの
コラム
二千円札の肖像、本当は坂本龍馬だった!?
【次代への名言】武士道の系譜編(25)
文化芸能
映像が映画っぽい?カメラと照明の合わせ技 NHK『龍馬伝』の疑問、制作者に聞いた
千葉
東葛の文化遺産に注目
歴史巡りなどの催し展開 来月、満喫フェア
早春の観光キャンペーン「きらきら房総春いっぱい」の特別企画「ちばのふるさと満喫フェア」が来月、松戸、流山、野田各市で開かれる。江戸川沿いに残る江戸・明治時代の歴史・文化資源にスポットを当てたイベントを展開する。
2008年から始まった満喫フェアは今回9回目を迎える。これまで南房総や九十九里方面を舞台に開催してきたが、今回初めて東葛飾方面に注目した。
イベント「江戸時代から続く醸造のまちの風情を満喫」(3月7日、野田市街)は、野田の原風景を訪ねる街歩きやガイドツアーなどの内容。「幻の将軍徳川昭武ゆかりの戸定邸で風雅を満喫」(3月14、22、28日、松戸市戸定が丘歴史公園)は国の重要文化財の戸定邸を舞台にサクソホンコンサートや現代陶芸展、房総の名産品販売などを繰り広げる。
このほか、「江戸川流域の歴史的名園を芸術家と訪ねる」(3月21日、松戸、流山、野田)、「新撰組の近藤と土方離別の地・流山を満喫」(3月27、28日、流山市街)の各イベントが行われる。
香川
咸臨丸150周年、横須賀で多彩イベント
1860年、塩飽諸島の水夫らを乗せ、日本の軍艦として初めて太平洋を横断した「咸臨丸(かんりんまる)」。それから150年にあたる今年、ゆかりの神奈川県横須賀市がさまざまなイベントを計画している。先日は、「咸臨丸子孫の会」事務局長の小杉伸一さんが市民を前に講演、咸臨丸の偉業を紹介した。
咸臨丸は、遣米使節を乗せた米軍艦「ポーハタン号」の護衛艦として1860年2月に横須賀市の浦賀港を出港。悪天候に悩まされながらも無事サンフランシスコに到着した。乗組員96人中35人が塩飽諸島出身であったことから、香川との縁も深い。
同市では太平洋横断150年にあたる今年、幕末の偉業に再び光を当てようと、咸臨丸関連のイベントを計画。4日間にわたって行われた小杉さんの講演には大勢の市民が駆けつけ、乗組員の子孫の口から語られる咸臨丸の歴史に耳を傾けた。
今後は4月24、25日に「咸臨丸フェスティバル」を開催するほか、9月にはアメリカの関係者らを招いた祝賀式典も行う計画。
また、秋には坂出市や丸亀市などでも記念イベントの話が進んでおり、小杉さんは「150年を機に、全国の咸臨丸ゆかりの地が連携を深めることができれば」と話している。
長崎
長崎歴文博「龍馬伝館」5万人突破 福岡の北原さん夫妻に記念品
幕末の志士坂本龍馬の生涯を描くNHK大河ドラマにちなみ、長崎市立山1丁目の長崎歴史文化博物館内に設置されている「長崎奉行所・龍馬伝館」の入館者が25日、5万人を突破した。
5万人目は福岡県筑前町の無職、北原勇夫さん(63)。妻知香子さん(61)と一緒に長崎観光で訪れた。大堀哲館長から記念品のミニ龍馬像などを手渡された勇夫さんは「歴史好きで全国の城や史跡を巡っている。今回はドラマを見て龍馬伝館を訪ねてみたいと思った」と話した。
「龍馬伝館」は1月9日オープン。14日に開幕した長崎ランタンフェスティバルの影響で入館者数が急増。1月の1万6500人に対し、2月は既に3万2900人(24日現在)が訪れている。来館者アンケートでは7割が県外客という。
大堀館長は「目標の40万人に向けて順調。5月には展示内容を変更するので、まだ見ていない県民にも早めに足を運んでいただければ」と話した。
鹿児島
西郷さんの古里に感激
庄内藩家老の子孫が訪問
西郷隆盛の教えをまとめた「南洲翁遺訓」を発刊した庄内藩の家老菅実秀の子孫らが24、25の両日、鹿児島市を訪れ、西郷ゆかりの地を巡った。
訪れたのは、菅実秀の子孫の徹さん(66)=東京都在住=ら山形県鶴岡市出身の約20人。かつて同市を治めていた庄内藩は戊辰戦争で西郷率いる官軍と激しく戦い敗れたが、西郷は寛大な戦後処理で臨んだ。
西郷の人徳に感服した菅実秀は1875年(明治8年)、自ら鹿児島に出向いて、直接、西郷から教えを受けた。また、多くの庄内藩士を鹿児島に留学させ、「南洲翁遺訓」をまとめたとされる。鹿児島市の西郷公園には2人が対話する銅像もあり、両市が兄弟都市として交流するきっかけになった。
一行は鹿児島市の南洲神社などを見学した後、森博幸市長と面会し、「鶴岡出身者にとって、鹿児島はあこがれの地。念願がかなってうれしい」と喜びを伝えた。
菅さんは「西郷公園の対話像を見た時は本当に感激した。鹿児島に来て、西郷さんの大きさを改めて感じた。交流を大切にしていきたい」と話した。
エンターテインメント
2009年最大の話題作『JIN-仁-』が待望のDVD化
~歴史に逆らっても、神に背いても、救いたい命がある。~
最終回は25%越えの最大の話題作『JIN-仁-』が待望のDVD化!
3月17日の発売に合わせてAmazon×「JIN-仁-」特設ページ登場!!
2009年一番の支持を受けた感動の超大作!
2009年No.1平均視聴率(19.0%)
2009年No.1最高視聴率(25.3%)
2009年No.1最終回視聴率(25.3%)
今回、Amazon×「JIN-仁-」特設ページが開設されました。
JINファンにとってはたまらない~名場面集、人物相関図、予告編等なんと言ってもこの作品の石丸プロデューサーのインタビュー!作品の思い入れや舞台裏を語っていただいています。
3月の発売まで色々と展開をして行く予定です。
いますぐチェックしてみて下さい!
⇒『JIN-仁-』Amazon特設ページ
只今、歴史×医療作品ブーム!
今年はNHK大河ドラマ「龍馬伝」がスタート!
本作品では坂本龍馬、勝海舟、緒方洪庵、伊東玄朴等と歴史上の人物が登場し、歴史好きにはたまらない。
主役の医師・南方仁の役には8年ぶりの連続ドラマ出演の大沢たかお。中谷美紀、綾瀬はるか、内野聖陽、他に武田鉄矢、小出恵介、麻生祐未、中村敦夫等ベテランから若手技派役者が脇を固める。プロデューサーには「ROOKIES」「華麗なる一族」「MR.BRAIN」のヒットメーカー石丸彰彦、脚本は「白夜行」「MR.BRAIN」の森下佳子。
原作は集英社「スーパージャンプ」で、好評連載中の村上ともか原作の『JIN-仁―』。シリーズ累計420万部突破!
∞ストーリー∞
幕末の江戸へタイムスリップしてしまった脳外科医・南方仁(大沢)が、満足な医療器具も薬もない中、出会う人々の命を救う。侍の家に生まれた咲(綾瀬)、花魁の野風(中谷)と出会い。医術を通して坂本龍馬(内野)、勝海舟(小日向)、緒方洪庵(武田)らの幕末の英雄たちと交流を深め、いつしか自らも歴史の渦の中に巻き込まれていく…。果たして南方は現代に戻れるのか?
DABA-0680
【JIN-仁― DVD-BOX】全11話・合計7枚(本編6枚+特典1枚)
22,800円(税込23,940円)
<購入はこちら>
原作:村上ともか『JIN-仁-』(集英社「スーパージャンプ」連載中)
キャスト:南方仁…大沢たかお、野風・友永未来(2役)…中谷美紀、橘咲…綾瀬はるか、坂本龍馬…内野聖陽、橘恭太郎…小出恵介、佐分利祐輔…桐谷健太、山田純庵…田口浩正、緒方洪庵…武田鉄矢(特別出演)、新門辰五郎…中村敦夫、橘栄…麻生祐未、勝海舟…小日向文世、夕霧…高岡早紀、鈴屋彦三郎…六平直政
脚本:森下佳子
演出:平川雄一朗/山室大輔/川嶋龍太郎
プロデューサー;石丸彰彦/津留正明
主題歌:「逢いたくていま」MISIA (アリオラジャパン)
製作:TBS
ブックレビュー
「福翁自伝」 諭吉の生き方が今教えるもの
講談社は2010年2月10日、講談社学術文庫から「福翁自伝」(福沢諭吉=著、土橋俊一=校訂・校注)を発売した。
「福翁自伝」は、幼時期から老後に至るまでの経歴を速記者に口授して筆記させたものだが、戦後に発見された資料から、諭吉自身が新たに書き下ろしたところもかなりあったことが分かっている。また、同書は、数多い諭吉の著作の中でも唯一「口語体」作品で、同氏の口語文の記述力も非凡であったことがうかがえる。
豊前中津奥平藩の下級藩士の末っ子に生まれた諭吉は、洋学を志して長崎、大阪、江戸、そして欧米へと渡り、見識を広めていく。幕末・維新の大変化の時代を生き、そこに得た大望は、やがて慶應義塾創設という形になって表れた。夢を失いがちな今の時代、諭吉の「独立自尊」を信とする生き方に触れるのもいい。
A6判、390ページ。
定価1050円。
コラム
二千円札の肖像、本当は坂本龍馬だった!?
すっかり見かけなくなった二千円札。何の絵が描いてあったか思い出せない方も多いだろう。
そんな二千円札の肖像が、もしかしたら坂本龍馬になっていたかもしれないという話がある。
二千円札の発行を決めたのは、2000年に急逝した元総理の小渕恵三氏。
龍馬に心酔するあまり、官邸ホームページのプロフィールにまで「総理が語る坂本竜馬」なるページを設けていたほどだ。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』をバイブルと呼び、政治家を志すきっかけになったともいう。
新紙幣のデザインを決める際には、もちろん坂本竜馬も候補に挙がっていた。しかし「二千円札の肖像じゃ竜馬にかわいそうだから、やめたよ」と採用を断念したという。
このコメントは、幕末史研究家・小美濃清明氏が官邸を訪ねた時に直接、小渕氏から聞いたものである。詳しくは『大田区・品川区関連の戦国と幕末』という本に掲載されているので、興味のある方はご一読願いたい。
結局、表面には沖縄の守礼門。裏面には源氏物語絵巻が採用された。
もともと二千円札は、バブル崩壊後に低迷した日本経済を立て直すため、自販機などの切り替え需要を見込んでの方策だった。しかし国民からは「使いにくい」との声が多く、目に見える経済波及効果はあまりなかったようだ。
不況になると坂本龍馬が流行るなどといわれるが、もしも龍馬の肖像が採用されていたら、もっと国民に浸透し、日本の経済復興に貢献したかもしれない…などと考えるのは、筆者だけだろうか?
◆首相官邸ホームページ「総理が語る坂本竜馬」
http://www.kantei.go.jp/jp/obutisouri/profile/ryoma/ryoma.html
(犬山秋彦 山口敏太郎事務所)
【次代への名言】武士道の系譜編(25)
■「イヤ生命(いのち)もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ、と云つた様な始末に困る人です」(西郷隆盛)
≪但(ただ)し、あんな始末に困る人ならでは、御互(おたがい)に腹を開けて、共に天下の大事を誓ひ合ふ訳には参りません≫
勝海舟によると、そう西郷隆盛はことばを継いだ。「始末に困る人」とは山岡鉄舟。引用されることも多い西郷のこの名言は、幕末と明治維新を分ける江戸城明け渡し交渉のなかから生まれた。
「朝敵、徳川慶喜家来、山岡鉄太郎(鉄舟)、大総督府(関東征討軍の司令本部)へ通る!」。1868年3月9日(旧暦)。鉄舟は敵兵を前に大音声でそう自己紹介し、駿府(静岡市)に進駐していた大総督府参謀の西郷と会見した。
「最早(もはや)今日の我国(わがくに)に於(おい)て、幕府の薩摩のと、そんな差別はない。挙国一致だ、四海一天だ。天業回古の時機は今だ!」
勝が「当時こんな思想を持っていたものは、外にいなかったよ」と驚いた鉄舟の至誠に西郷という山が動く。彼が道筋をつけた西郷-勝会談で、江戸城の無血開城が決まるのはその5日後だった。
「自分が住む国の仕事をしたまでだ。功績なんぞと誇り顔にする次第に非ず。拙者はなお今日、その及ばざるを恥じるのみ」。維新後、勲章授与の話が出たとき、鉄舟はそう言って辞退した。実に、彼らしい。(文化部編集委員 関厚夫)
文化芸能
映像が映画っぽい?カメラと照明の合わせ技 NHK『龍馬伝』の疑問、制作者に聞いた
NHK大河ドラマ「龍馬伝」(日曜午後8時)が好調を維持しているが、いつもの大河らしくない作風に、視聴者からは素朴な「?」もわき上がっている。特に気になるのが、何だか映画っぽい映像と、大河史上かつてない汚さの岩崎弥太郎。素朴な「何で?」を制作者にぶつけてみた。 (宮崎美紀子)
「今までの大河とは明らかに変わったので、『どういうことですか?』という問い合わせは多いです。まず一つは、カメラが違うんです」と鈴木圭チーフプロデューサー(CP)。
今回使われたのは「プログレッシブカメラ」と呼ばれるカメラ。「白洲次郎」や「坂の上の雲」でも使われたが、大河では初めて。ごく大まかに説明すると、通常、テレビの動画は一秒間に三十コマの画像でできている。通常の番組で使われているインターレース方式は、この一コマを半分ずつ二回に分けて見せている。プログレッシブ方式はそのまま三十コマ。ちなみに、映画のフィルムは一秒間に二十四コマ。コマ数が近いので、映画とよく似た映像になる。「ややコマ落とし感はありますが、黒みが濃く出たり、明暗がくっきりしたりして、深みのあるリアルな映像になるんです」(鈴木CP)。
「龍馬伝」の演出は「ハゲタカ」の大友啓史監督。照明も特徴的で、「ハイビジョンだから隅々まで明るく、きれいに」ではなく、まぶしいほど光が当たるところもあれば、濃い影が落ちているところもある。「風」も隠し味になっている。竜馬(福山雅治)が出るシーンは扇風機で風を起こし、たかれたスモークがかすかに漂い、文字通り「空気感」を生み出すのだ。カメラの違いだけではなく、これら演出のこだわりが相まって「映画っぽい」印象を与えているようだ。
ただし、今後の大河はすべて映画風になるのかといえば、そうでもなさそう。
「幕末って、わずか百五十年ほど前の、本当にひと昔前の話だから、作り物っぽくない、今までの大河では見たことがないリアルな映像を作りたいという狙いがあり、その手段としてこのカメラを使った。どんな作品でもプログレッシブがいい、ということではありません」
◆汚すぎる!?弥太郎の外見
「何もここまで…」と思いつつ、目が離せなくなる香川照之演じる岩崎弥太郎の汚さ。
鈴木CPによると、「儀式」と呼ばれるものがあるという。撮影前に出演者に扇風機の前に立ってもらい、料理に使うコーンスターチの粉を振り掛ける。粉がかかった衣装はなじんだ風合いになり、絶妙なリアル感が出るという。
「それを行き着くところまでやったのが弥太郎。歩くと鱗粉(りんぷん)状態。香川さんもご自分で『オレは蛾(が)だ』って言ってます」。粉は弥太郎の家のセットにも、まんべんなく振り掛けてある。テレビで見ていると、家に入っただけで服が汚れそうだが、まさにその通り。
歯はメーク用の塗料で黒く塗っていて、着物はもともと古いものを、さらに破ったり汚したりしてぼろぼろにしている。
実は弥太郎の汚れレベルは心理状態や状況に応じて五段階くらいあり、加尾(広末涼子)に求婚した場面はレベル2程度のオシャレな部類だったとか。
「確かに『やりすぎ』という声はあるし、実際はここまで貧乏ではなかったという説もあるけど、弥太郎は、すごろくで言えば、どんどん上がっていく人。それを分かりやすく見せるために、全部で十段階くらいの扮装(ふんそう)を経ていきます。また、竜馬との対比で強調しているところはあります」
弥太郎が背負う鳥かごも「やりすぎ」感が強い。もはや体の一部と化し、誰が呼んだか「ハウルの動く城」との異名が。
ところが、これが意外に人気で、高知県安芸市の「土佐・龍馬であい博 安芸・岩崎弥太郎こころざし社中」では、再現された鳥かごが展示され、その前が記念撮影ポイントとなっている。
最新号の『TV Navi』で山本耕史さんの対談ゲストが愛之助さん。『組!!』収録に関する話題も嬉しかったけど、愛之助さん、スーツ姿も凛々しいです。山本耕史さんと並んでのショットが素敵すぐる(^^)。
岩手
高野長英旧宅:奥州市が買い取り 修復後公開、文化財施設保存へ /岩手
神奈川
春休み、なかなか見られない米海軍基地内の見学ツアー
オランダ人船長殺害事件150年、横浜外国人墓地でセレモニー開催へ
長野
子どもの成長願うひな人形や羽子板―上田市立博物館で企画展
京都
都をどり:芸舞妓25人、衣装合わせ /京都
華やかに衣装合わせ
佐賀
佐賀市教委:幕末遺産調査、国史跡目指し2カ年計画 /佐賀
世界遺産登録へ後押し 佐賀藩近代化遺跡委が発足
長崎
春のイベント 多彩に ハウステンボス27日から 「龍馬伝館」開館へ 海テーマ 船や小道具展示
鹿児島
26日から「龍馬コーナー」 鹿児島市の黎明館
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(51)東大教授・山内昌之 大久保一翁
【次代への名言】武士道の系譜編(24)
エンターテインメント
DVD発売が決定した「JIN-仁-」の特設ページがAmazonに登場!
ビジネス
黒船ペリーがパワポで開国提案 新入社員の研修に役立つ?
岩手
高野長英旧宅:奥州市が買い取り 修復後公開、文化財施設保存へ /岩手
奥州市が同市水沢区にある幕末の蘭学者、高野長英(1804~50)の旧宅(国指定史跡)を買い取ったことが24日、分かった。16代当主の高野彰男さんが所有。数年前から居住しておらず、貴重な文化財施設を保存するために取得した。市は修復後の12年度以降をめどに一般公開する方針で、周辺の文化財施設と合わせた中心市街地の歴史拠点づくりを目指す考えだ。
旧宅は木造2階建て延べ約162・68平方メートル。長英が17歳で江戸に出るまで暮らしていた。元々は平屋だったが、1876(明治9)年に2階が増築された。当時では貴重な手すきガラス、明かり取り窓や欄間など、明治時代の意匠が残されている。特に階下の2室は長英の居室として、当時のままにしている。1933年に国史跡に指定された。
彰男さんの母親が住んでいたこともあり、非公開だった。しかし、数年前からはほぼ空き家状態で、高野家が管理保存していたものの、雨漏りなどの傷みが激しくなっていた。
今月13日に契約。隣接する古希庵の寄贈も受けた。古希庵は14代当主の長経が、父長運の古希を祝って1931年に建築した。内部の意匠と庭が一体になった現在では珍しい建物だ。修復作業をし、旧宅と同様に12年度以降には公開したいという。総事業費は約2300万円。
同市の中心市街地には、他に明治時代の近代和風住宅「高萬家」や、江戸時代の武家住宅「内田家旧宅」、後藤新平旧宅などがある。市教委歴史遺産課の佐久間賢課長は「一帯の文化財施設を保存し、町の人気スポットにしたい」と話している。【湯浅聖一】
神奈川
春休み、なかなか見られない米海軍基地内の見学ツアー
普段はめったに見られない米海軍横須賀基地
神奈川県横須賀市といえば、米軍基地の街としてその名を知られています。
普段は、勿論一般の人たちは入れない敷地。ですが、春休みは、親子で敷地に入る見学ツアーが開催され、応募が殺到しています。横須賀は、米軍基地があることから、その歴史や遺産などが謎であり、貴重なものです。それを間近で見られるチャンス!親子の思い出にいかがでしょうか。
米海軍基地内の近代化遺産を見学できる春休み親子ツアー
「横須賀の文化遺産を考える会」が主催する、「春休み!親子で学ぶベースの歴史~第3回 横須賀造船所歴史研究会」が、4月4日、米海軍横須賀基地・ヴェルニー公園で行われます。実は、現在の米海軍横須賀基地内には、幕末の横須賀製鉄所、明治以降の横須賀造船所の近代化遺産が数多く残っていて、現在は、米海軍極東基地司令部として使われています。ツアーは学芸員のガイドと一緒に回るので、基地内に入るだけでなく、横須賀の歴史も一緒に学べる、お得感いっぱいの見学ツアー。思い出に残ること間違いなしです!
応募は往復はがきで。今月末必着です!急いで!
参加対象は、小学4年~中学生とその家族。毎回大人気なので、今回は抽選で50人と狭き門。参加申し込みは往復ハガキで。2月28日必着なので、急いで応募しましょう!これは一見の価値ありのツアーです!
<春休み!親子で学ぶベースの歴史
~第3回 横須賀造船所歴史研究会~>
開催日時:
2010年4月4日(日)9:00~15:00
開催場所:
米海軍横須賀基地ヴェルニー公園
対象:
小学生(4年生以上)または中学生と家族
講師:
安池尋幸氏(横須賀市自然・人文博物館学芸員)ほか
申込:
締切:2月28日(日)必着
往復はがきに参加者全員(5人まで)の国籍、住所、氏名
ふりがな、電話番号、性別、生年月日を明記の上、
〒238-0003 横須賀市稲岡町82 三笠公園管理事務所まで
問い合わせ:
三笠公園
三笠公園管理事務所
〒238-0003 神奈川県横須賀市稲岡82
046-824-6291
オランダ人船長殺害事件150年、横浜外国人墓地でセレモニー開催へ
開港間もない1860年、横浜・本町通り(現在の横浜市中区本町)で起きたオランダ人船長殺害事件。150年の節目となる26日、船長2人が眠る横浜外国人墓地(同区山手町)のオランダ人墓碑でセレモニーが催される。事件を後世に伝えるため、モニュメント建立に奔走するオランダ人男性のプロジェクトが実現へ向けて一歩踏み出した。
男性はミッシェル・ネリスさん(49)。幕末に異国の地であった事件に興味を抱き、昨年以降、横浜を数回訪れ情報を集めている。ミッシェルさんの活動はオランダの新聞にも掲載されたが、関係者からの連絡はまだないという。
プロジェクトの目標は、事件現場とされる本町通りへのモニュメント建立だ。150年のセレモニー開催は、ミッシェルさんの思いに賛同した横浜の友人らが協力した。
当日はオランダ大使館の職員らが参列し献花を行うほか、事件の概要などを伝える説明板を設置。モニュメント建立への寄付も受け付ける。「セレモニーを弾みに、できる限り早くモニュメント実現にこぎ着けたい」とミッシェルさんは期待を寄せる。
セレモニーは午後3時からで、外国人墓地元町門に集合。終了後は会食形式の懇談と、午後7時から本町通りでキャンドル点灯を行う。いずれも参加無料。問い合わせは、ギャラリーあいお☆らいと電話045(633)3475。
長野
子どもの成長願うひな人形や羽子板―上田市立博物館で企画展
上田市二の丸の市立博物館は、企画展「子どもの祝いと祈り」を開いている。例年はひな祭りにちなんだ企画展を開いていたが、今回は初正月を祝う羽子板や端午の節句ののぼり、天然痘にかからないように願うお守りなど、約80点をそろえた。
縄のように編んだショウブの葉を地面に打ち付けて音の大きさや丈夫さを競う端午の節句の遊び「菖蒲(しょうぶ)打ち」の様子をかたどった押し絵びなは幕末-明治初期の作で、子どもがショウブや刀を持って威勢の良い格好を見せている。張り子製の犬の置物は「居ぬ」とかけ、天然痘が立ち去る意味とされる。五人ばやしの代わりに、音管を束ねた「笙(しょう)」などで雅楽を演奏している「五人雅楽」を並べたひな人形もある。
4月4日まで。入館料は一般250円、高校大学生180円、小中学生60円。市内の高校生以下は無料。水曜日と3月23日は休館。
京都
都をどり:芸舞妓25人、衣装合わせ /京都
京都の花街、祇園甲部歌舞会の「第138回都をどり」(4月1~30日)を前に、東山区の祇園甲部歌舞練場で24日、衣装合わせがあり、出演する芸舞妓(げいまいこ)25人が、華やかな舞台衣装にそでを通してパンフレット用の写真撮影に臨んだ。
今年の演目は「桜花(はなに)訪京都歴史(きくみやこのれきし)」(全8景)。孝明天皇の妹和宮が、徳川幕府14代将軍の家茂に嫁ぐ前に八坂神社を訪れた場面など、一部に幕末の要素を取り入れたのが特徴という。また、第1景の「総をどり」で登場する舞妓がこれまでより4人増えて計24人となり、より華やかなオープニングとなる。
午後0時半、同2時、同3時半、同4時50分からの毎日4回公演。観覧券は▽茶券付特等4500円▽1等4000円▽2等2000円。問い合わせは祇園甲部歌舞会(075・541・3391)。【小川信】
華やかに衣装合わせ
京都の花街・祇園甲部の伝統の公演「第138回都をどり」の衣装合わせが24日、東山区の祇園甲部歌舞練場であった。今年はNHKの大河ドラマ「龍馬伝」の放映に合わせ、幕末の志士らの姿が舞台に登場する。
演目のテーマは「桜花訪(はなにきく)京都(みやこの)歴史」で全8景。4月1~30日、毎日4回上演する。観覧券は2千~4500円。問い合わせは祇園甲部歌舞会(075・541・3391)へ。
佐賀
佐賀市教委:幕末遺産調査、国史跡目指し2カ年計画 /佐賀
佐賀藩の幕末遺産の国史跡指定を目指す佐賀市教委が設置した市重要産業遺跡調査指導委員会の初会合が24日、同市で開かれた。市教委は指導委員会から発掘調査や分析について助言を受けた上で、11年度末に調査結果をまとめる。
市教委は世界遺産入りも目指す三重津海軍所跡など、市内の計4遺産について10年度に追加の発掘調査を行い、11年度に出土物の分析などをして調査報告書をまとめる。
指導委は専門家5人で構成。会長に国立科学博物館の鈴木一義・主任研究官が就いた。
初会合では、市教委がこれまでの調査結果を報告。三重津海軍所跡では木組護岸が見つかったドックの範囲の解明などを、築地反射炉跡では本体位置の特定をそれぞれ目指し、10年度に追加調査をすることを説明した。
委員からは、海軍所跡について「ドックをどう閉め切ったか分からない。全体像が見える発掘調査をした方がいい」などの助言があった。また、発掘をいったん終えた多布施反射炉跡にも「重い大砲をどう運び出したのか興味がある」など、さらなる発掘を期待する意見が相次いだ。
市教委は指導委の助言を受け、2カ年計画の内容を再検討するという。【姜弘修】
世界遺産登録へ後押し 佐賀藩近代化遺跡委が発足
委員会発足 佐賀市教育委員会の調査に
幕末の佐賀藩の近代化産業遺跡に関する佐賀市教委の調査を指導する委員会が24日、発足した。産業技術史の専門家ら6人で構成。初会合では、世界遺産登録を目指す三重津海軍所跡などを視察、今後の調査方法を助言した。
市教委は蒸気船を製造した海軍所跡や大砲を造った築地反射炉跡と多布施反射炉跡の世界遺産登録を目指している。登録条件となる国史跡指定のために報告書をつくる計画で、専門家の意見を聞くため、科学技術史や船舶技術史、分析化学などの有識者による委員会を設けた。
初会合で市教委の担当者は、海軍所跡でドック跡とみられる木杭(きぐい)護岸施設やボイラー製造など金属加工炉の跡を確認したことを報告。新年度からはドックと川を仕切る門の発掘調査などを進めて施設の全容を解明する方針を示した。
委員は「船舶修理の実績などドックの役割を詳しく調べてほしい」「国史跡のためには内容より遺跡の範囲特定を優先する必要がある」などと指摘。多布施反射炉跡で発見した耐火れんがについて「当時製造するのは難しい。成分分析などで産地が分かれば価値が高まる」と指導した。
委員会会長の鈴木一義国立科学博物館主任研究官は「近代化の始まりに佐賀藩が果たした役割が大きいのを証明するために調査を進めてほしい」と話した。8月と来年2月にも開く予定。
長崎
春のイベント 多彩に ハウステンボス27日から 「龍馬伝館」開館へ 海テーマ 船や小道具展示
経営再建を目指す佐世保市のハウステンボス(HTB)で27日から、約80万本が咲き誇るチューリップ祭に合わせ、多彩な春のイベントが始まる。4月から旅行大手エイチ・アイ・エス(東京)による再出発も決まっており、従業員たちは「HTBの魅力を精いっぱいアピールしたい」と意気込んでいる。
春のイベント最大の目玉となるのは、NHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなんだ展示施設「佐世保・ハウステンボス龍馬伝館」の開館だ。
施設はHTB港町エリアの空き店舗(約300平方メートル)を活用し、HTBと佐世保市、佐世保観光コンベンション協会が約7300万円かけて改装した。入り口すぐの「大河ドラマ情報エリア」には、出演者の福山雅治さんたちが劇中で着用した着物や海、海外に関する小道具を展示。
次の「テーマ情報エリア」には、ドラマ内でも使われている日本初の蒸気帆船を復元したHTB所有の「観光丸」の模型や竜馬の航海術などを紹介。海のシーンをまとめたドラマ映像も観賞できる。
龍馬伝館そばのHTB港を発着して大村湾を35分間周遊する「幕末帆船クルーズ」も27日から2011年1月まで実施(中学生以上800円、小学生400円)。
場内の各レストランでは、竜馬が愛した薩摩軍鶏を使った料理など竜馬にちなんだメニューも提供する。
龍馬伝館は2011年2月末までで、入館料は大人500円、4歳-高校生300円(HTB入場料別)。
■オルゴール40点再公開 美術館 18世紀の響きも復活
オランダ宮殿を模したパレスハウステンボス内にあるHTB美術館では、昨年5月の一部施設閉鎖でお蔵入りになっていたオルゴールが9カ月ぶりに公開される。
展覧会を前にオルゴールの演奏方法を確認する学芸員たち 昨秋から始めた所蔵品展の第4弾。「ヨーロッパの響き」をテーマに、閉鎖された美術ゾーンの「オルゴールファンタジア」にあった約40点が公開される。
複数の笛の音を重ねた18-20世紀のストリートオルガンや、バイオリンとピアノを一体にした自動演奏楽器など、ヨーロッパから輸入したオルゴールが復活。HTB学芸員が案内し、実際に音を楽しむこともできる。
4月11日まで開催。入館料500円(HTB入場料が別途必要)。
鹿児島
26日から「龍馬コーナー」 鹿児島市の黎明館
幕末の志士・坂本龍馬の肖像画や龍馬が薩摩藩士にあてた直筆書状など、鹿児島に残る龍馬ゆかりの史料が26日から、鹿児島市の黎明館2階に常設展示される。期間は2011年2月まで。
「龍馬コーナー」には、1866(慶応2)年、霧島の温泉に滞在していた薩摩の家老小松帯刀が、日当山(温泉)に西郷隆盛らもいることを告げたうえで「坂本も塩浸(温泉)に入湯」などと龍馬の鹿児島滞在を記した大久保利通あての書状や、「薩長同盟覚書写」(黒田清隆筆)など7点が並ぶ。
高知出身の画家公文菊僊(くもんきくせん)が描いた鮮やかな肖像画は、羽織と袴を着けた立ち姿。真剣な面持ちで遠くを見つめる龍馬をしのぶことができる。
同館の久木田昌之学芸専門員は「龍馬は西郷をはじめとする薩摩の志士らとは気を許しあう間柄だった。龍馬と薩摩のつながりに関心を寄せてほしい」と話した。
小松の書状など重要文化財の2点は、5月から8月にかけて展示予定(それ以外はパネル展示)。入館料は一般300円、高大生190円、小中生120円。黎明館=099(222)5100。
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(51)東大教授・山内昌之 大久保一翁
■卑屈さない「敗者の戦後」
「敗者の戦後」という言葉がある。政治も“いくさ”である以上、勝敗は時の運ということもある。問題は、敗北や挫折からいかなる教訓を引き出し、捲土(けんど)重来につなげていくかという点だろう。
先の衆院選挙でカタストロフともいうべき大敗を喫した自民党は精気が乏しすぎる。民主党ツートップの不祥事に加えて内閣支持率が落ちている現在、谷垣禎一総裁の自民党は長崎県知事選勝利に乗じて如何に反撃するのだろうか。負けるにも負け方というものがある。幕末の徳川幕府はきれいさっぱり瓦解しても、明治社会の各方面に多数の人材を送り出す力をもっていた。
◆典型的な出世官僚
新社会でも幕府の人材に光る人が多かったのは、近代革命としての明治維新の余裕であり、器量であった。なかでも勝海舟と並んで大久保一翁の果たした平和革命への媒介的役割の意味は大きい。
一翁こと越中守忠寛(ただひろ)は、大名から旗本まで多くの根を張った三河以来の譜代・大久保家の一門に生まれた。大久保家に多い「忠」の一字を諱(いみな)に用い、11代将軍の家斉から15代慶喜まで仕えたのだから、同志として幕末の難局に共にあたった勝海舟と比較できないほど名流の高級旗本であった。
小姓や小納戸(こなんど)から始めて奉行職をあれこれ経験して、旗本として最高の役職の大目付までたどりついたのは、典型的な出世官僚のキャリア・パターンであった。そのうえ、大名しかなれない若年寄にも就任したのだから、平時であれば一門の誉れとしてめでたいというほかない。
しかし、一翁は誰よりも早く大政奉還論を打ち上げて、幕府内部から冷笑や憤怒を買った勇気ある人物である。朝廷から委任された幕府に尊王攘夷(じょうい)の不実行について天皇の信任が得られないなら、家康が受けた将軍職を返上して三河・遠江・駿河の旧領に戻り、諸大名の列に下ればよいという「御職御辞の論」を展開した。
◆解職の憂き目にも
しかも、尊攘派の議論には愛国の志があり、無為に惰眠をむさぼる幕臣と違う英気もあると冷静な評価も忘れない。彼らをいたずらに弾圧するのは為政者の道でない、と井伊直弼による安政の大獄を疑ったために解職の憂き目にもあった。
越前の松平春嶽にも、「内乱を涎(よだれ)を垂らして待っている英国やロシアの術策に陥る事態が眼前に迫っているのは残念」と述べているように、一翁には国際関係における日本の危うい位置が見えていたのだ。江戸城の無血開城を勝海舟とともに成功させた一翁が、せめてもう少し早く老中格くらいになって勝や小栗上野介らとチームを組み幕政を仕切っていたなら、長州征伐という無謀な戦争で幕府瓦解を早める悲劇もなかったかもしれない。
また、持論の大小公議会つまり議会制度をつくることに成功していたなら、幕末政治の様相も随分と異なっていただろう。
◆新政府も要職に登用
一翁の偉いのは、大幅な減封で駿河に移された幕臣と家族の面倒をよく見たことだ。新たな主君、徳川亀之助(家達(いえさと))を補佐して駿府藩の藩政を担当した一翁がいなければ、徳川三百年の閉幕は画竜点睛(がりょうてんせい)を欠いたことだろう。その力量と人柄を買った明治政府はまもなく、静岡県知事、東京府知事、元老院議官に登用し、明治政府の議会政治の樹立にも協力させた。
しかし、薩長閥の新政権との距離感のとり方は絶妙なのだ。敗者の戦後において、その政治姿勢には微塵(みじん)も卑屈なところがない。また、三河以来の徳川家臣という矜持(きょうじ)と“江戸っ子”の潔さがあいまって、振る舞いに出すぎたところもない。風格のある人物とは、一翁のような人士を指すのであろう。
一翁に経綸(けいりん)の腕を存分に振るわせたかったと思うのは決して贔屓(ひいき)目ではない。一翁のような気骨と矜持にあふれながら、求められるなら能力のほどを出し惜しみしない政治家出でよと願う日本人も多い。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】大久保一翁
おおくぼ・いちおう 文化14(1817)年、江戸生まれ。安政元(1854)年、老中阿部正弘に登用され、目付兼海防掛となる。駿府町奉行、京都町奉行などを務めた後、安政の大獄で志士捕縛に当たった配下の横暴を処罰したことをめぐって井伊直弼に罷免されるが、直弼の没後、復帰。外国奉行などをへて、明治元(1868)年、会計総裁、若年寄となる。勝海舟らとともに、江戸城を無血開城に導いた。維新後は静岡県知事、東京府知事、元老院議官を歴任。明治21(1888)年、死去。享年72。
【次代への名言】武士道の系譜編(24)
■「善悪の理屈を知りたるのみにては、武士道にあらず。善なると知りたる上は直(ただち)に実行に顕(あら)はし来(きた)るを以(もつ)て武士道とは申すなり」(山岡鉄舟)
「丈(たけ)は六尺(180センチ)もあって、すべてのことが荒々しく、平素太い木刀を帯びて、その上高下駄(げた)で闊歩(かっぽ)する。ずいぶん、乱暴なようにみえて、性質が義情によって作られているから、一寸も他人に迷惑をかけるふるまいはしたことがない。外見(そとみ)とは天地の違いであった」
盟友、勝海舟の回想だ。幕末を疾走した剣と書と禅の達人。勝とともに江戸が火の海になるのを救い、維新後は、明治天皇の信任が厚い侍従としてしられた、至誠の人。それが山岡鉄舟である。
《世人、剣法を修むるの要は、恐らくは敵を切らん為(た)めの思ひなるべし。余の剣法を修むるや然らず。神妙の理に悟入(会得)せんと欲するにあり》
安政5(1858)年。鉄舟、満22歳の誓いである。のちに彼は無双の剣客に成長する。だが、このことばのとおり、生涯、人を切ったことはなかった彼は、次の死生観の持ち主だった。
「一体に死を恐れるのは卑怯(ひきょう)千万の事にて、云ふに足らぬ事なれど、又(また)死を急ぐと云ふに至つては、合点のゆかぬ次第なり。生死に執着する人は、迚(とて)も大事を共にする訳(わけ)にはまゐらぬなり。斯(かく)の如(ごと)きは本来我邦(わがくに)の武士道にはなき筈(はず)なり」(文化部編集委員 関厚夫)
エンターテインメント
DVD発売が決定した「JIN-仁-」の特設ページがAmazonに登場!
'09年にTBS系で放送されたドラマ「JIN-仁-」のDVD-BOXが、3月17日(水)に発売されることが決定。それに伴い、Webサイト「Amazon」に特設ページが開設された。
「JIN-仁-」は、幕末の江戸時代へタイムスリップした脳外科医・仁(大沢たかお)が、現代医術を施すことが歴史を変えてしまうという迷いと葛藤(かっとう)しながらも、侍の娘・咲(綾瀬はるか)らと共に出会った人々の命を救っていくヒューマンドラマ。仁は、医術を通して坂本龍馬(内野聖陽)、勝海舟(小日向文世)、緒形洪庵(武田鉄矢)ら幕末の英雄たちと交流を深め、壮大な歴史の渦に巻き込まれていく。
歴史×医療を軸に描かれるこの作品は、平均視聴率(19.0%)、最高視聴率(25.3%)、最終回視聴率(25.3%)のすべてにおいて'09年のナンバーワンを達成。ザテレビジョン主催「第63回ドラマアカデミー賞」においても最優秀作品賞を獲得するなど、同年の連続ドラマの中でも最大の話題作となった。
Webサイト「Amazon」の特設ページには、名場面集や予告編、人物相関図などのほか、ドラマ「ROOKIES」('08年、TBS系)、「MR.BRAIN」('09年、TBS系)なども手掛けたプロデューサー・石丸彰彦氏が、作品への思い入れや舞台裏を語るインタビューも掲載。今後も、発売日に向けてさまざまなコンテンツが展開される予定だ。
DVD-BOX「JIN-仁-」
3月17日(水)発売 23940円(税込)角川映画
「Amazon」特設サイト
http://www.amazon.co.jp/gp/feature.html?docId=1000319826
ビジネス
黒船ペリーがパワポで開国提案 新入社員の研修に役立つ?
もしペリーがパワーポイントを使って開国を提案してきたら――。そんな事態を想定したネット記事が人気だ。はてなブックマークが2000近くつき、「新入社員は必読」などとネット上で大きな話題となっている。
話題になっているのは、ニフティが運営するエンタメ系サイト「デイリーポータルZ」に2010年2月21日掲載された「ペリーがパワポで提案書を持ってきたら」という記事で、書いたのは同サイトのウェブマスター・林雄司さんだ。
■「東アジアとアメリカ合衆国のシナジー創出」
幕末、浦賀に来航したペリーになったつもりで、マイクロソフト・パワーポイントを使った提案書を作ってみたというもので、表紙ページは「開国のご提案」。署名は「東インド艦隊 司令官 ペリー」となっている。
次ページが「弊艦隊のご紹介」で、ペリーと艦隊のプロフィールを記載。ミッションは「東アジアとアメリカ合衆国のシナジー創出」とされている。シナジーは通常「相乗効果」などと訳される言葉だ。開国はアメリカが一方的に要求したが、「そういう場合、たいていメリットは片方にしかありません」。その後も通商条約締結で「win-winの関係」という「王道の提案書語」を入れている。
そして、実際に開国するに当たっての計画、「スキーム」を説明する。日本はアメリカに燃料や水を提供する代わりに、アメリカは日本に通信機や時計など、当時の最先端技術を使った献上品を提供する。
また、「パナマ運河横断体験つき」の使節団受け入れや、外交官タウンゼント・ハリスの24時間対応など、「万全のサポート体制」を約束。最後は握手のイラスト付きで「新時代アライアンスによるコアコンピタンスの最適化を!」という抽象的なメッセージで結んだ。
いずれのページでも、グラフやイラストを多用してパワーポイント臭さを出すとともに、カタカナのビジネス用語を連発。幕末の浦賀にやってきたペリー艦隊の開国要求を、プレゼン発表風の資料に仕立てている。
■内容ゼロのプレゼンへの皮肉?
記事が公開されると、すぐに大量のはてなブックマークが付き、その数は24日現在で約1900。2~3日で1000以上のブックマークが付くのは極めて希だ。「よく笑った」「『開国のスキーム』がウケた」というもののほか
「新入社員はまじで全員読め」
「新人研修がだいたいこんな感じだった」
といったものもある。よくできたパワーポイント資料として「参考になる」という人が多いようだ。一方で、「これ、歴史ネタ&ビジネスあるあるネタに見せかけて、代理店や営業が出してくる 内容ゼロのプレゼンゼロに対する 痛烈な皮肉ですよねw」という感想もあった。
記事の最後には「生物編」としてサメとコバンザメの「共生のご提案」も紹介。コバンザメはサメにくっつくことで「移動手段」を得、サメはコバンザメを引き連れることで「ステイタス」を得る、というところまで考えたが、無理があったと断念している。
天気がよく暖かかったので、都内の某梅園で梅見してきました……梅が好きな土方さんのことを思いつつ、梅の香りも楽しみました。
福島
観光PR新マスコット次々
神奈川
横須賀「軍港めぐり」で観光バス誘致
長野
幕末維新期の松本城、城下町をCG化
京都
あでやかに「幕末」再現 京都、都をどり衣装合わせ
京都・祇園甲部歌舞練場で「都をどり」の衣装合わせ
幕末の京を再現「都をどり」 あでやか衣装合わせ 京都
兵庫
おいしい楽しい寄り道ガイド…武庫川女子大生が30店取材、冊子に
大分
県有形文化財、新たに6件
長崎
亀山社中記念館10万人突破 福岡の秋吉さんらに記念品
文化芸能
楽屋ばなし:佐々木愛 「王子の狐」を企画、主演
福島
観光PR新マスコット次々
◎城とロボット「お城ボくん」 会津若松市
福島県会津若松市は観光PR用のキャラクター「お城ボくん(おしろぼくん)」を発表した。若松城(鶴ケ城)をモチーフに、同市出身のアニメ監督笹川ひろしさんが手掛けた。
キャラクターは、間もなく始まる天守閣の修繕工事で再現する幕末当時の赤瓦で、左手に刀を持った個性的なデザイン。名前は「城」と、笹川さんの代表作ヤッターマンに多く登場する「ロボット」とを組み合わせた。菅家一郎市長が命名した。
会津地方では、民芸品「赤べこ」がモデルのマスコット「あかべぇ」が広く活用されている。市は今回、「城下町 会津若松」を前面に出した独自のキャラクターを目指した。パンフレットやポスターに使い、着ぐるみを作ることも検討する。
市はさらに「武士(もののふ)の郷(さと)」として観光誘客につなげるため、「SAMURAI CITY」を商標登録した。
菅家市長は「天守閣の瓦を赤に替える工事を控え、時宜を得たキャラクター。効果の高い活用法を考えたい」と話している。
(以下略)
神奈川
横須賀「軍港めぐり」で観光バス誘致
イージス艦や潜水艦が間近に見られる国内唯一のクルーズ「軍港めぐり」が神奈川県横須賀市で定期運航され、全国から観光客を集めている。産業観光ブームを背景に、観光バスツアーで立ち寄る女性客が増加したため、横須賀市は平成22年度当初予算案に大型バスの駐車場整備費用4千万円を計上。「どぶ板通り」など周辺の見どころへの波及効果を狙い、団体客誘致に乗り出す。
軍港めぐりは、米海軍の基地がある横須賀本港と、海上自衛隊が使う長浦港を巡る約45分のクルーズ。タイミングが合えば、原子力空母「ジョージ・ワシントン」も見られる。
市内の船舶運航会社「トライアングル」が20年9月、1日4便の運航を開始した。昨年1年間で約10万人が乗船し、今年は2割増の見込み。
「軍事マニアを見込んでいたが、ふたを開けると家族連れやカップルも。過半数が女性で、年配の女性グループが観光バスツアーで来るケースが多い」(同社)という。
背景には、地場産業の工場などを観光資源とする産業観光ブームがあるとみられ、横須賀ならではの軍港を生かした点が「他で見られないもの、新しいものが好きな女性」(同社)に受けているようだ。
スタッフによる解説も好評で、観光バスが年間1千台以上訪れる人気スポットに。ところが、乗船場の汐入桟橋付近に駐車スペースがなく、旅行業者などから駐車場整備の要望が相次いでいた。
市は、整備によりバスで訪れる観光客の滞在時間を長くして、どぶ板通りでの買い物や、横須賀の新名物「ネイビーバーガー」などの食事に足を伸ばしてもらいたい考えだ。
同市観光課は「市内には造船ドックや砲台跡など幕末から明治期の産業遺産、軍事遺産も多く、NHKの『坂の上の雲』効果で注目度が高まっている。この機会に、地域特性を生かした観光開発に力を入れていきたい」と意気込んでいる。
長野
幕末維新期の松本城、城下町をCG化
CG化するのは、99年策定の「松本城およびその周辺整備計画」に基づいて整備・復元している史跡や城下町の街並みが中心。松本城管理事務所職員が今年1月から、整備計画で復元対象となっている二の丸御殿や南西外堀などの資料収集を始めた。
4月中旬に、史跡松本城整備研究会会長の渡辺定夫・東大名誉教授ら学識経験者4人と、管理事務所職員2人でつくる監修委員会を設置し、来年度中にCG作成を業者に委託するための仕様書をまとめる予定だ。
京都
あでやかに「幕末」再現 京都、都をどり衣装合わせ
京都の花街、祇園の春を彩る「都をどり」の衣装合わせが24日、祇園甲部歌舞練場(京都市東山区)であり、出演する芸妓や舞妓計25人が華やかな着物姿を披露し、プログラム用の写真撮影に臨んだ。
さいたま市出身の舞妓紗矢佳さん(19)は3回目の出演。「毎回緊張します。初舞台を迎える舞妓のお手本になりたいし、気張ります」と表情を引き締めていた。
138回目の今年の演目は「桜花訪京都歴史」全8景で、幕末の京都を舞台に将軍家に嫁いだ皇女和宮の八坂神社参りの場面や、落命した志士や新選組の隊士を悼む場面などを再現。計112人の芸舞妓らが出演する。
公演は4月1~30日。茶券付きで4500円。問い合わせは祇園甲部歌舞会、電話075(541)3391。
京都・祇園甲部歌舞練場で「都をどり」の衣装合わせ
京都の花街・祇園甲部の「都をどり」(4月1~30日)に備えた衣装合わせが24日、京都市東山区の祇園甲部歌舞練場であった。新調した衣装をまとった芸舞妓(まいこ)25人がパンフレット用の写真撮影に臨んだ。
138回目。演目は「桜花訪京都歴史(はなにきくみやこのれきし)」(全8景)で、NHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなみ、舞台を幕末の京都に設定。14代将軍徳川家茂への降嫁が決まった皇女和宮が八坂神社に参拝する場面などを演じる。
出演する舞妓のまめ照(てる)さん(20)は「四季折々の京都で展開される幕末の物語を楽しんでおくれやす」と話していた。
幕末の京を再現「都をどり」 あでやか衣装合わせ 京都
京に春の訪れを告げる「都をどり」の芸舞妓(まいこ)の衣装合わせが24日、祇園甲部歌舞練場(京都市東山区)であり、写真撮影に臨んだ。
今年の演題は「桜花訪京都歴史(はなにきくみやこのれきし)」。NHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなんだ幕末の京都も組み込み、お茶屋「一力亭」の江戸時代の座敷も登場する。
公演は4月1日から。第1景は24人が出演し、総勢112人が優美な舞を披露。舞妓の佳(か)つ幸(ゆき)さんは「華やかな総おどりも楽しんでいただけたら」。
兵庫
おいしい楽しい寄り道ガイド…武庫川女子大生が30店取材、冊子に
武庫川女子大(兵庫県西宮市)生活環境学部情報メディア学科の松野精教授(コミュニケーションデザイン学)のゼミに所属する4年生12人が、大学周辺の地域についての情報を集めた冊子「M3(エムキューブ)」を5000部製作した。学生たちがふだんあまり巡ることのない、大学周辺の地域を知るきっかけにし、街を元気づけるのが狙いで、飲食店を中心に取材してまとめた。
◆
松野教授のゼミでは、以前にも神戸の喫茶店を特集した冊子を作ったことがあり、昨年4月から検討。冊子の名称は「もっと もっと 武庫女」の頭文字を取った。学生は日常的に大阪や神戸などで遊ぶことが多いため、「いつもの帰り道をおいしいたのしい寄り道へ」という基本発想で、同8月から約1か月かけ、3人一組で街を歩き、興味を持った店に取材した。
掲載したのは、鳴尾、武庫川地域が中心で、大学近くのハンバーグがおいしい洋食店、ダーツカフェ、和室でくつろげる居酒屋、たこ焼き店など計30店。また、散策で立ち寄る名所の提案として、高校野球ファンやプロ野球・阪神タイガースファンに親しまれている「甲子園素盞嗚(すさのお)神社」(甲子園町)、幕末に造られた「西宮砲台」(西波止町)なども写真とともに紹介した。
学生はこの冊子の製作について卒業論文にまとめた。中心になって編集にあたった太田里沙さん(22)は「卒業した後も、来たくなる場所がいっぱいあることがわかった。ほかの学生や地域の人たちにも知ってもらいたい」と話している。
冊子を一般にプレゼントする。問い合わせは松野教授の研究室(0798・45・9892)か、メールアドレス(how-to-mwu@live.jp)。
大分
県有形文化財、新たに6件
大分県教育委員会は23日、杵築市の旧大原家住宅など6件を有形文化財に、中津市の相原山首遺跡を史跡に指定した。今回の指定で県指定の有形文化財は462件、史跡は98件となる。
有形文化財に指定されたのは、▽旧大原家住宅の主屋、長屋門▽柞原八幡宮(大分市)の本殿など10棟▽竹田市笹尾自治会山田地区が所有する木造阿弥陀(あみだ)如来坐像と同観音菩薩(ぼさつ)立像(2件)▽国東市の飯塚遺跡から出土した木簡、墨書土器▽中津市が所有する惣町大帳、市令録。
旧大原家住宅は、幕末から明治初期に杵築藩の重役を務めた大原家の居宅。主屋(木造平屋建て、233平方メートル)は18世紀前期の建物で、杵築城内の御殿を移築した可能性が高い。現在は当時の様子を伝える建物として一般に公開している。
竹田市山田地区が所有する木造阿弥陀如来坐像(ヒノキ製・高さ85・8センチ)は平安後期の作品で、京都の仏師定朝の影響を色濃く残す。惣町大帳は江戸中期以降の中津城下の様子を記録、市令録はその“ダイジェスト版”。いずれも当時の様子をうかがうことができる歴史資料。
相原山首遺跡は、古墳時代末期の古墳から火葬墓への変遷をたどることができる珍しい遺跡。鎌倉初期の墓も残っている。
長崎
亀山社中記念館10万人突破 福岡の秋吉さんらに記念品
幕末の志士、坂本龍馬ゆかりの地として復元整備され、昨年8月1日にオープンした長崎市亀山社中記念館(同市伊良林2丁目)の入館者が23日、10万人を突破した。「10万人目」となったのは、友人同士で訪れた福岡市の看護師、秋吉真澄さん(27)と会社員、末光紀代美さん(27)で、田上富久市長から記念品が贈られた。
同館は、日本初の商社とされる亀山社中が使った家屋を同市が改装。龍馬が身に着けた紋服、刀、ブーツ(いずれも複製品)など約30点を展示している。
田上市長から記念品を受け取った秋吉さんは「10万人目になれて光栄。長崎は人が温かく、見る所も多い」、末光さんは「びっくりしている。龍馬は人柄の温かさが好き」とそれぞれ笑顔で話した。
秋吉さんらには、書を通じて全国の子どもたちに応援メッセージを送る島原市の詩人、田吾作さん(54)からもオリジナルTシャツなどが贈られた。
長崎市は当初、亀山社中記念館の入館者数を開館から1年で2万5千人とみていた。予想以上のペースに田上市長は「龍馬伝で長崎に舞台が移ると、ますます増えるのでは。受け入れ態勢をしっかり整えたい」と話した。
同館の入館者数は土、日曜で1日平均約800人。今月20日には2263人を記録し、1日の来館者数で最高となった。
文化芸能
楽屋ばなし:佐々木愛 「王子の狐」を企画、主演
「文化座の本拠地は東京都北区田端。同じ北区の王子では、毎年大みそかに多くの人が集まって、新年のカウントダウンと共に狐(きつね)の化粧、装束姿で王子稲荷神社へ初詣でします。7年前、地元の人に誘われて、私も劇団員と『王子狐の行列』に初参加したら、面白くて。これを題材にして劇を作りたいと思いました」
文化座が3月1~7日、東京・北とぴあ・つつじホールで、新作「王子の狐 かぎをくはえて」(瀬戸口郁脚本、西川信広演出)を上演する。劇団代表の佐々木愛が企画の発案者で、主役のおせんを演じる。
「浮世絵師の歌川広重の『名所江戸百景』の中に、たくさんの狐が集まる『王子装束ゑの木大晦日(おおみそか)の狐火』という不思議で魅力のある作品があります。幕末、大地震が相次ぎましたが、庶民はくじけない。おせんは王子の縄暖簾(なわのれん)の店の女将(おかみ)。苦労続きなのに信心深く、広重に稲荷神社と狐について熱心に説明するのです」
問い合わせは03・3828・2216へ。【高橋豊】
カレンダー
03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |
カテゴリー
最新記事
(03/25)
(03/24)
(02/03)
(12/20)
(08/11)
最新コメント
[12/14 白牡丹(管理人)]
[12/14 ゆーじあむ]
[11/08 白牡丹(管理人)]
[11/07 れい]
[01/21 ゆーじあむ]
[11/15 白牡丹@管理人]
[11/15 ゆーじあむ]
[05/25 長谷川誠二郎]
[07/23 白牡丹@管理人]
[07/23 伊藤哲也]
最新TB
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
カウンター
プロフィール
HN:
白牡丹
性別:
非公開
自己紹介:
幕末、特に新選組や旧幕府関係者の歴史を追っかけています。連絡先はmariachi*dream.com(*印を@に置き換えてください)にて。
リンク
アクセス解析
Livedoor BlogRoll
本棚