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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 
福島
白虎隊士の孫、長州に礼尽くす 養育説を確信、あす山口訪問
 戊辰戦争で新政府軍と戦い、集団自刃した会津藩の白虎隊士でただ一人、命を取り留めた飯沼貞吉(1854~1931年)の孫で、東京都の会社社長飯沼一元さん(67)=仙台市出身=が20日、かつての宿敵・長州(山口県)を訪れる。山口には、貞吉が戊辰戦争後の一時期、長州藩士の屋敷で過ごしたとの説が残る。一元さんは自らの調査などで「長州滞在」がほぼ確実だったと考えており、現地の人たちに感謝の気持ちを伝える。
 飯盛山(福島県会津若松市)で白虎隊の隊士が自決したのは、1868(慶応4)年10月。生き残った貞吉は戦争後、新政府軍によって東京に送られたらしい。
 1872(明治5)年に当時の逓信省の技師になり、下関を振り出しに神戸、東京などで勤務。日清戦争に従軍後、仙台逓信管理局の工務部長を務めた。長く仙台で暮らしたが、会津にはあまり戻らなかったとされる。
 一元さんによると、逓信省に勤めるまで数年間の足跡は明確になっていないが、意外にも、今の山口県美祢市で過ごした可能性が高いという。
 戊辰戦争で会津に攻め込んだ長州藩士楢崎頼三(1845~75年)が、貞吉を会津から東京に護送し、さらに山口県まで連れて行って自分の家で養育したとされ、楢崎家で働いていた女性の話として地元に伝えられている。事実だとすれば、貞吉の「長州滞在」は1869年前後の約1年半とみられる。
 会津では、あまり知られておらず、地元研究者の間では「証拠がない」などと否定する意見も少なくない。
 一元さんも以前は「敵の本拠地に行って、世話になることなどあり得ない」と思っていた。2年前に現地で語り継がれている内容を聞いたり、自らも調査したりした結果、今ではほぼ間違いない事実とみている。
 一元さんは「貞吉が逓信省に入るまでには、(一人だけ生き残ったという)絶望の淵から立ち直るきっかけが必要だったはず。美祢では勉強の機会も与えられたようだ」と話す。
 一元さんは20日から山口県を訪れる。郷土史家らとの公開座談会に参加して会津と長州の歴史などを語り合う。楢崎家の墓参りもするほか、ゆかりの地を訪ねて祖父の足跡をたどる予定だ。
[白虎隊]会津藩が1868(慶応4)年、朱雀、青龍、玄武とともに設けた部隊。武家の16、17歳の男子約300人で構成。本来は予備隊だったが、戊辰戦争で戦った。各隊は身分によって、さらに士中、寄合、足軽に区別された。飯盛山での自決の悲劇として知られるのは士中二番隊。


茨城
まちのおすすめスポット:「桜田門外ノ変」セット /茨城
◇幕末の息吹と撮影現場の臨場感を
 水戸藩開藩400年を記念して製作が進む映画「桜田門外ノ変」。井伊直弼襲撃シーン撮影のため2億円以上を投じて作られた千波湖畔のオープンセットが先月下旬から一般公開され、偕楽園の梅まつりと併せて多くの観光客や家族連れでにぎわいを見せている。
 江戸城桜田門や周辺のお堀、彦根藩や安芸広島藩などの大名屋敷の町並みを細かく再現した。井伊が襲撃された安政7(1860)年3月3日は、古文書などから雪が降っていたことが確認されている。このため、東京ドームに相当する敷地には真っ白な寒水石を敷き詰めて「雪化粧」が施され、臨場感を演出する。
 このセットを使ったシーンの撮影は既に終えた。幕末の息吹と撮影現場の空気を感じようと、休日は1日4000人近い観光客が訪れるといい、一躍人気の観光スポットとなった。セット内には当時の時代背景を説明するボランティアもおり、周辺には屋台も出店している。
 セットの公開は来月4日まで。4月下旬には江戸城内のセットを展示館に改装して、リニューアル公開される。今月27、28日両日にはセットを会場にしたコスプレ大会も開催される予定だ。【八田浩輔】





群馬
精巧な建築彫刻 写真で紹介 下仁田町商工会 諏訪神社の冊子を作製
 下仁田町商工会は、同町下仁田の諏訪神社をテーマにした冊子「上州下仁田 諏訪神社社殿の建築彫刻」を作製した。町重要文化財に指定される精巧な彫刻を約九十枚の写真などで分かりやすく紹介した労作。一部の執筆や撮影も担当した桜井栄信・商工会事務局長は「町の活性化のため、まずは町民に、そして観光客にも彫刻の素晴らしさを広めたい」と意気込んでいる。
 同神社は一八三七(天保八)年から、国重文の建築物を手掛けた名工の一番弟子、信州・諏訪の矢崎善司昭方(一七七二~一八四一年)が中心となって建立した。
 冊子に解説を寄せた大河直躬・千葉大名誉教授(日本建築史)によると、竜や獅子、花鳥などの彫刻は精巧な上、大規模で力強く、幕末期の社殿の建築彫刻としては、関東地方の代表作という。
 冊子は昨秋から二月までにかけて作製。彫刻部分を拡大した写真に、同町の元文化財保護担当職員だった桜井事務局長が説明を記した。同神社の例大祭で使われる山車や人形の写真、矢崎が属した大隅流の系統図や建造物一覧も付けた。
 A4判、三十六ページ。町の補助金も受けて千部刷り、近く町内の教育・公共施設などに無料配布する。希望者には一部五百円(送料別)で配る。問い合わせは同商工会=(電)0274(82)3206=へ。 (菅原洋)


東京
ソメイヨシノ発祥の駒込をPR=東京都豊島区
 一斉に咲きそろい、散り際も見事なことから全国で愛されるサクラ「ソメイヨシノ」は、東京都豊島区駒込の「染井村」が発祥の地。それを知ってもらおうと同区では、サクラの季節に向けたPR作戦を展開している。
 江戸時代、駒込の染井村には植木屋が多く、幕末から明治にかけ、染井の植木屋が観賞用のサクラとして全国に広めたことなどからソメイヨシノと名付けられたという。
 同区では、駒込周辺の見所を分かりやすく紹介したお花見散策マップを作成、地元商店街や観光情報センターなどで配布している。また、撮影地を駒込小学校から半径1キロ以内に限定した「さくらフォトコンテスト」は今年3回目を迎え、4月15日締め切りで作品を募集中。審査委員長に写真家の関口照生氏を迎え、5月中旬に入賞作品が発表される。
 このほか、純米吟醸酒「染井櫻」を3月21日から販売する。吟醸酒には秋田県・浅舞酒造製の「淡いにごりタイプ」と鳥取県・江原酒造製の「芳醇辛口タイプ」の2種類があり、岡山県・利守酒造製の純米梅酒と合わせたグラス付きの3本セットでも販売する。【もぎたて便】


長野
「歴史の中の五稜郭」 佐久で井出孫六さんが講演
 佐久市出身の作家、井出孫六さん(78)=東京都=が16日、同市田口の田口会館で「歴史の中の五稜郭」と題して講演した。地元住民でつくる「竜岡城五稜郭保存会」の会員ら約150人が集まり、熱心に聞き入った。
 竜岡城跡は国内2カ所だけの星形城郭で国史跡。井出さんは約70年前に訪れた時の思い出などに触れながら、江戸時代末期に築城した松平乗〓(まつだいらのりかた)や、竜岡城の歴史を紹介。「150年ほどたった今、一つの欠くことのできない観光資源として生きているなら(築城費用の)約4万両は高くない。歴史は長い目で見るといろいろな意味合いが出てくる」と話した。
 佐久間象山など幕末に活躍した人物についても詳しく述べ、「古文書など史料を大切に保管し、勉強会などを開くことがおもてなしにつながるのではないか」とまとめた。
 井出さんは講演に先立ち、保存会員の案内で約70年ぶりに竜岡城跡を見学。築城当時の建物で古文書などを保管している「御台所」では時折、会員に質問しながら興味深そうにさまざまな史料に見入っていた。
 講演会は保存会の総会に合わせて佐久市が主催。保存会長の細谷繁夫さん(73)は「日本中を歩いている井出さんのお話は観光客などをもてなす参考になります」と話していた。
(〓はごんべんに莫)


愛知
難度6段階、わくわく謎解き宝探しゲーム
明治探険隊Ⅴ 創・世・紀 外・伝
(犬山市・博物館明治村)

 「探険の書」に記されている謎や問題を解きながら、村内に隠された財宝を探し出す博物館明治村(愛知県犬山市)の宝探しゲーム「明治探険隊Ⅴ 創・世・紀 外・伝」が家族連れやカップルらの人気を集めている。

 同村は明治時代の由緒ある建物や車両など67点を保存、展示。庭園や木々なども豊かで訪れた人らがクラシカルな雰囲気の中、見学や散策を楽しんでいる。

 明治探険隊は実体験型ロールプレーイングゲーム。自分が主人公になったつもりで謎を解きながら宝物を見つけるゲーム。探険の書を購入して4つの謎を解読し、「財宝の手がかり」の隠し場所を推理。隠し場所には「ヒントの箱」があり、箱には「財宝」の隠し場所を示すヒントが書かれ、最後は4つのヒントをもとに「財宝」を見つける。児童向けから中高生、中・上級者向け、超難関のコースまで計6種類のコースが用意されている。

 探険隊ゲームは宝探しゲーム専門のメーカーが制作し、今年で5年目の実施。昨シーズンは4万8000冊が売れた人気のゲーム。今年は「明治維新の混乱で隠された財宝を探せ」がテーマ。初級コースは2、3時間で財宝を見つけられるが、そのほかは半日以上か、難関コースは1日では無理。このため、年間パスポートを購入して何日もかけて挑むマニアも。初・中級コースに挑んでいた岐阜市のグループも「本当に難しい。答えを教えてほしいくらい」と話しながら、ゲームを楽しんでいた。

案内
 「明治探険隊Ⅴ 創・世・紀 外・伝」は7月25日まで。各コース1冊200円~1000円。財宝を見つけると記念品がもらえる。休村日=3月から11月までは無休。入村料=65歳以上1200円、18歳以上1600円、高校生1000円、小・中学生600円 電話0568(67)0314。


岡崎城東隅櫓を再建 27日から内部公開
 江戸時代の岡崎城(岡崎市康生町)で東側の防備を担っていた東隅櫓(やぐら)が、往時の工法で再建された。明治維新後に取り壊されて以来約140年ぶりに、優美さと機能性を兼備した姿がよみがえった。
 東隅櫓は、望楼式二重櫓と呼ばれる木造2階建てで、白しっくい塗りの壁が映える。入り母屋造りの屋根は、岡崎藩主を務めた譜代大名本多家の家紋「立ち葵」が刻まれた本瓦ぶき。高さ約9・4メートルで、かつて「東曲輪」だった岡崎公園駐車場の南東角に位置する。
 詳細な設計図は残っていないため、旧岡崎藩士和田家が保存する1781(天明元)年の「岡崎城絵図」と、松山市に現存する松山城の櫓を参考に、江戸時代の工法を忠実に再現。城内で発掘された石材を使い、石垣も築いた。隣接して同時に整備した長さ約45メートルの城壁と合わせ、総工費は約1億円。
 直径60センチ以上の巨大なマツ材の梁(はり)や、ヒノキ材の柱の木組みが見学できるよう、27日から年中無休で内部を公開。公開は午前9時~午後5時で、4月11日までは、特別に2階にも上れる。
 担当した岡崎市公園緑地課の加藤栄一主幹(54)は「東海道の名城・岡崎城の雄姿が復活した。市民の誇りになってくれれば」と話した。
 (中野祐紀)




滋賀
火縄銃サミット開催! 「全国古式砲術鉄砲サミット in 彦根」
 3月20日と21日に、滋賀県彦根市にて『全国古式砲術鉄砲サミット in 彦根』が開催される。
 国宝彦根城の大手前公園で行われる本サミット、北は山形、南は鹿児島から総勢320人、23団体が駆けつける。過去の火縄銃サミットの中でも最大級の規模だ。

 火縄銃は15世紀末、ヨーロッパで開発された。先込め式で黒色火薬を使用する初期の鉄砲形態の一つで、「マッチロック式銃」ともいう。
 日本には1543年、種子島より伝来し、群雄割拠の戦国時代にその威力を大いに発揮した。砲術も初めは10家ほどであったが、幕末近くには200家に及んだという。
 それらを再現・伝承している全国各地の火縄銃演武団体らが、甲冑など時代衣装を纏い演武を行う。

 20日は京都女子大学教授・母利美和氏による「彦根藩の砲術」の記念講演会や、参加代表者によるパネルディスカッションが行われる。
 21日は各隊が午前・午後の部に分かれ演武を行う。午前・午後の最後に各1回開催される一斉演武では、轟音が響きわたること間違いなしだ。
 また、当日はシンボルキャラクター「ひこどん」や、今やゆるキャラNo.1の「ひこにゃん」が応援に駆けつける予定だ。
 戦国ブーム真っ只中、戦国時代の合戦を変えた火縄銃の迫力を体感してみてはいかがだろうか?

参加団体
1 会津藩鉄砲隊 福島県
2 米沢藩古式砲術保存会 山形県
3 中島流炮術千葉城鉄炮隊 千葉県
4 江戸幕府鉄炮組百人隊保存会 東京都
5 駿府古式炮術研究会 静岡県
6 松本城鉄砲隊 長野県
7 信州真田鉄砲隊 長野県
8 愛知県古銃研究会炮術隊 愛知県
9 名古屋城鉄砲隊 愛知県
10 長篠・設楽原鉄砲隊 愛知県
11 大垣城鉄砲隊 岐阜県
12 国友鉄砲研究会 滋賀県
13 日野筒鉄砲研究会 滋賀県
14 堺火縄銃保存会 大阪府
15 大阪城鉄砲隊 大阪府
16 根来史研究会根来鉄砲隊 和歌山県
17 紀州雑賀鉄砲衆 和歌山県
18 備州岡山城鉄砲隊 岡山県
19 岩国藩鉄砲隊保存会 山口県
20 葦北鉄砲隊 熊本県
21 種子島火縄銃保存会 鹿児島県
22 豊後大友宗麟鉄砲隊 大分県
23 彦根商工会議所青年部古式銃研究会 彦根鉄砲隊 滋賀県

全国古式砲術鉄砲サミットin彦根 http://www.hikone-cci.or.jp/teppou/index.html

(みかめゆきよみ 山口敏太郎事務所)

参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou

関西
嵐璃寛:上方歌舞伎名門の息吹 片岡仁左衛門家寄贈の錦絵、500点公開へ
 歌舞伎俳優、片岡仁左衛門家が所蔵していた上方歌舞伎の名門、五代目嵐璃寛(りかん)(1871~1920)家の遺品が阪急学園池田文庫(大阪府池田市)に寄贈され、来月展示公開される。保存状態のいい錦絵約500点など、江戸時代から明治期の上方歌舞伎の様子を知ることができる貴重な資料だ。
 璃寛家は初代が「大璃寛」と呼ばれるなど名優を輩出した家柄。五代目は女形中心に立役(男の役)もこなし人気があった。
 遺品は約35年前、璃寛の遺族が十三代目仁左衛門(94年死去)に贈った。錦絵は、幕末から明治初期までの三、四、五代目璃寛の色鮮やかなもので、4冊の画帳に張られていた。璃寛の錦絵ばかりを集めたのは他に例がないという。
 また二代目璃寛(1788~1837)の一代記「橘草紙」は和紙に墨書され、芝居の出勤記録の他、江戸時代の歌舞伎界の様子も描かれている珍しい本。他に、当時のファンクラブ「大手連」が使った袋入りの拍子木、姿見、明治初期の番付27枚も寄贈された。
 上方歌舞伎に詳しい梅花女子大教授で池田文庫の荻田清理事は「錦絵は今刷られたかのように保存状態がいい。また、橘草紙によると、二代目璃寛が七代目仁左衛門に非常に可愛がられていたことが初めて分かった」と評価。十三代目の三男で十五代目仁左衛門さんは「多くの人に見ていただく方が(璃寛家にとっても)幸せで、遺品も生かされると思う」と話している。
 資料展は4月16日~5月30日。問い合わせは池田文庫(072・751・3185)。【宮辻政夫】





岡山
20日から特別展「幕末の動乱」 岡山城周辺にPRのぼり設置
 20日に開幕する岡山城春季特別展「幕末の動乱 会津と長州そして岡山」(岡山市、山陽新聞社など主催)をPRするのぼりが17日、会場の岡山城(同市北区丸の内)周辺にお目見えした。
 のぼりは縦1・5メートル、横45センチで、展示品の「会津戦争の図」をプリント。石山公園(同石関町)から岡山城にかけての旭川沿いや内堀に架かる橋に15本を設置した。
 同展は幕末に活躍した会津、長州藩や新選組、岡山区長を務めた手代木(てしろぎ)勝任(かつとう)ゆかりの書や刀など約90点を展示。ランニングしていた同奥田西町、藤井正浩さん(67)は「会津や長州をテーマにした展示は岡山では珍しい。歴史が好きなので、妻と見に行きたい」と話していた。
 会期は5月9日まで(午前9時〜午後5時半、入場は同5時まで)。入場料は15歳以上800円、5歳以上400円。


おかやま大研Q:奇祭「練供養」 極楽再現、太古のミュージカル /岡山
◇岡山の趣異なる仏教文化
 「仏像ブーム」と言われる。仏像関連の展覧会や出版物は数多く、来場者が殺到した阿修羅像の展示会は記憶に新しい。岡山にも、また趣の異なる仏教文化が息づいている。全国でも伝統的に続くのは約30カ所という「練(ねり)供養」。仏像の面をかぶり、通りを練り歩く奇祭が醸し出す“仏教ワールド”に浸ってみた。【石井尚】

□阿弥陀(あみだ)信仰が源□

 そもそも「練供養」とは一体何なのか。練供養研究を続ける美術史家の関信子さん(61)=東京都杉並区=によると、練供養は仏教儀式の一つで、弘法寺に残る木版画に記されているように、元々は「踟(ねり)供養」と表記されていた。ゆっくり歩きながら供養するという意味があるという。さらに、平安期に始まったとされる阿弥陀如来信仰にかかわる行事の一つ、「迎講(むかえこう)」が源流と言われる。
 迎講では、来世から阿弥陀如来が現世へ衆生を迎えに来る場面を劇化、実際に演じられた。関さんは「迎講を演じることで、字が読めなかった人々に極楽浄土の存在を明確にし、極楽往生を信じさせる効果があったのではないか」と話す。しかし、「江戸時代になると宗教色が薄れ、興行的な意味合いが強くなった」という。
 岡山では、誕生寺(久米南町)と弘法寺(瀬戸内市牛窓町)の2カ所の練供養が有名。県重要無形民俗文化財指定の両寺の練供養は、全国的に見ても奈良・当麻(たいま)寺、長野・十念寺などと並び、日本三大練供養にも数えられる歴史と伝統を誇る。凛(りん)としたたたずまいの仏像が放つ厳かな雰囲気もいいが、時にダイナミックな動きで周囲を圧倒する練供養には、また違う魅力がある。

□「中将姫伝説」□

 誕生寺の練供養は「二十五菩薩(ぼさつ)練供養」と呼ばれる。起源は定かではないが、寺には「江戸時代に復活した」という記録が残っている。
 県がまとめた「岡山県の文化財」によれば、その形式は浄土宗の開祖・法然上人の両親を、西方の極楽浄土に迎える--という内容。25種の菩薩の面を付けた信徒が法然上人の両親の像を輿(こし)に乗せ、練り歩く。太鼓や鐘を鳴らし、壮麗さが際立つ。久米南町が法然上人の生誕地ということもあり、全国から約1万人の信徒らが参集する。
 一方、弘法寺の練供養は室町期以前に始まったと伝わる。寺が1967年に焼失した後は30年間ほど途絶えていたが、97年に地元の尽力で復活した。現在の形式は菩薩面が6種、地蔵面が2種、天童面が2種--という計10人の信徒が登場する。奈良・当麻寺に伝わる中将姫の伝説が劇化されているという。観音面を付けた信徒が、中将姫像を蓮(れん)台に乗せ、迎え仏である阿弥陀如来像のもとへ運ぶという物語。
 前出の「岡山県の文化財」などによれば、中将姫は奈良時代の公卿、藤原豊成の娘。継母に責められたことに耐えかねて出家。阿弥陀信仰によって浄土の世界に導かれたという。当麻寺所蔵の絵巻物や室町~江戸時代にかけて成立した絵入り物語「御伽草子」にも、その記述がある。

□唯一の迎え仏□

 弘法寺最大の特徴は、何といっても阿弥陀如来像。鎌倉時代の作と伝わる阿弥陀像は高さ約2メートル。内側がくりぬかれ、人がかぶれるようになっている。供養は、阿弥陀像の中に入った一人を左右から二人が支え、中将姫を出迎える。いわゆる“迎え仏”のスタイルで行われる。現在、この迎え仏形式が残っているのは全国でも弘法寺だけという。関さんによれば、こうしたスタイルの練供養は幕末に始まったとされ、それ以前は中将姫の代わりに行者像が乗せられていたという。
 今年、誕生寺では4月18日、弘法寺では5月5日に練供養が行われる。時に太鼓や鐘の伴奏に乗り、眼前で実際に動く仏たちは、人々が抱いた「どうすれば極楽浄土へ行けるのか」「極楽へ往生したい」--そんな願望に応え、極楽を再現する内容だったのだろう。今風に言えば、神々しいまでの太古のミュージカルだったのではないだろうか。



福岡
あすから国際ツバキ会議 久留米
全国椿サミットも

 2010国際ツバキ会議久留米大会と第20回全国椿(つばき)サミット久留米大会が20日、久留米市で始まる。国際ツバキ会議は24日まで、全国椿サミットは21日まで。古木や名木が一般公開されたり、様々なイベントが開かれたりして、市内はツバキ一色に染まる。
 国際ツバキ会議は、16の国と地域から約300人のツバキ愛好家らが集い、研究発表や情報交換を行う。国内での開催は1999年の宮崎市に続き4回目。全国椿サミットにはツバキをシンボルとする13市町から約350人が参加、取り組みなどを紹介する。
 久留米市の耳納北麓(ろく)地域では、江戸時代から植木、苗木の生産が盛んで、同市は全国一のツバキの苗木生産量を誇る。幕末にシーボルトが欧州に持ち帰ったとされるツバキ「正義(まさよし)」は同市が原産で、市内には約80本の古木、名木が残っている。約7割は同市草野町に集中。多くが住宅敷地内にあり、大会に合わせ、20~22日に4か所が公開される。
 このうち、今村ヒトエさん(88)方には、樹齢300年を超え、「正義」の原木とされる古木があり、濃い紅色に白斑の花を咲かせている。今年は例年よりも2週間ほど早く満開となった。今村さんは「大会に合わせて咲いてくれたのでは。多くの人に見てもらいたい」と話す。
 20~22日には「久留米つばきフェア」も開催。メーン会場の石橋文化センター(午前9時~午後5時)では、ツバキの歴史の紹介や切り花展、苗木やツバキをあしらったグッズや菓子の販売などがある。ほかの主なイベントは次の通り。
 ツバキフォーラム 20日午後2時半、石橋文化ホール。市出身ミュージシャンの鮎川誠さん、シーナさんらによる講演会など。
 まちなか椿めぐり 20~22日午前10時~午後5時、中心部の商店街。ツバキ関連グッズの販売やツバキをテーマにした料理などが試食できるカフェなど。
 耳納北麓草野つばきまつり 20~22日午前10時~午後5時、久留米つばき園や同市草野町一帯。ウオーキングやバザー、ステージイベントなど。
 問い合わせはいずれも大会実行委事務局の市みどりの里づくり推進課(0942・30・9165)へ。
(2010年3月19日 読売新聞)


長崎
長崎の「龍馬」が鹿児島へ…カバのお話です
 長崎県西海市の「長崎バイオパーク」で飼育されていたカバの赤ちゃん「龍馬」(雄)が、鹿児島市平川動物公園にもらわれることになり、17日、トラックで移送された。
 鹿児島は、幕末の志士で、「龍馬」の名前の由来でもある坂本龍馬が妻、お龍とともに新婚旅行に訪れた地とされる。「龍馬」も近くお嫁さんをもらう予定で、同パークの担当者は「坂本龍馬が楽しく過ごした場所で、夫婦仲良くしてほしい」と期待している。
 龍馬の母親は、国内で初めて人工飼育され、一時、「泳げないカバ」として絵本にも描かれ、話題となった「モモ」(16歳)。龍馬は昨年4月、その第3子として誕生した。
 この日は、職員10人が、体長約1メートル10、体重約200キロの龍馬を、池に設置した輸送箱に1時間半をかけて誘導。龍馬は、途中、モモの姿が見えたのか、名残惜しそうに暴れたが、午前10時過ぎ、職員や来園者に見送られて出発。同日夕、平川動物公園に着いた。
 同公園では26日の改装オープンに合わせ、龍馬をお披露目し、今秋、神戸市立王子動物園から、雌のカバ「ナナミ」を受け入れる予定。


幕末の癒し「龍馬マッサージ」好評 文献からアレンジ、整腸など効果
 長崎市浜町のマッサージ店「りらく庵」(北川めぐみ店長)に、江戸時代のマッサージを現代風にアレンジした「龍馬マッサージ」(3500~8500円)が登場。利用者に好評だという。
 オーナーの島田猛さん(51)がNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせ、長崎活性化のためにと企画。通常のボディーマッサージなどに加え、当時の文献などを参考に頭蓋(ずがい)骨マッサージと整腸マッサージを取り入れた。
 頭蓋骨マッサージは顔のゆがみを整え、片頭痛を軽減。整腸マッサージは胃や腸の調子を良くする効果があるという。島田さんは「幕末から現代にまでいたるストレスをマッサージでたたき切ってやるぜよ」とPR。



鹿児島
種子島特産の安納芋、「高級食材」で英進出へ
 濃厚な甘さが特長の鹿児島県・種子島特産の安納(あんのう)芋が、高級食材としてイギリスに輸出されることになった。
 ロンドンで民宿を営む藤田康子さん(66)(神戸市出身)が味に感動し、イギリスで農産物の生産販売関係者に紹介したところ、「食べたことのないおいしさ」と、高い評価を受けた。
 「クリームのような口触りですごく甘い。ポテトとは思えない」。藤田さんが持ち込んだ安納芋を口にしたイギリスの農園経営者は「信じられない」と繰り返した。
 安納芋はねっとりとした食感や強い甘さが特長。一般的なサツマイモの約2倍の糖度がある。銀座三越が焼き芋にして売り出したのをきっかけに、2004年頃から全国で人気が急上昇。JA種子屋久によると、出荷量は04年度に70トンだったが、09年度は50倍の3500トンに急増している。
 計画では種子島・西之表市の西田農産が生産し、2か月以上熟成させた安納芋を、イギリスのケント州ブルックランドで高級食材を生産・販売する農園「オールドホールファーム」が輸入する。
 藤田さんは2年前からイギリスで日本野菜の普及に取り組んできた。昨年11月に一時帰国した際、初めて食べた安納芋のおいしさに感動し、その足で種子島を訪れ、西田農産を見学。熱意に打たれた西田春樹社長(56)が約200キロ分を寄付した。
 サツマイモはイギリス人にとって一般的な食材だが、今年1月、藤田さんがロンドンで開いた試食会では味の良さが絶賛された。なかでも同ファームは「ロンドンではレストランが厳しい競争を繰り広げ、料理人は独創的な一皿を支える新しい食材を求めている。安納芋は彼らのめがねにかなうだろう」とし、すぐに輸入を申し込んできた。
 安納芋1本は200~300グラムで、日本では1キロが1000円前後で売られているが、ロンドンのレストランからは「1本3000円でも欲しい」との注文も入っているという。
 4月から試験的に輸出を始める予定にしている西田社長は「生産者冥利に尽きる。将来的には、イギリスでも安納芋が作れるよう協力したい」。藤田さんは「薩摩藩士が幕末にイギリスに留学して維新の原動力となった。安納芋という食文化でお返しをしたい」と話している。(角亮太)


米国
カリフォルニア州サンフランシスコ
咸臨丸入港150年の記念碑除幕=サンフランシスコで式典
 【サンフランシスコ時事】幕末の1860年に日本初の太平洋横断を果たした幕府の軍艦「咸臨丸」乗組員一行が米国に到着して以来、丸150年を迎えた17日、当地で地元政財界から約100人が出席し、両国友好親善のための記念プレートの除幕式が行われた。
 約1カ月間の航海を経て咸臨丸が着岸したサンフランシスコ港にある観光スポット近くの歩道上で、「遣米使節団入港150周年記念」と日本語と英語で併記されたプレートを除幕。出席者を代表し、ニューサム・サンフランシスコ市長の代理人が「深い友情と親密な関係は両国民共通の目的と希望」とあいさつした。(2010/03/18-11:18)


文化
幕末の賢候・島津斉彬の鞍と鐙、大阪で発見
 大阪府高槻市立しろあと歴史館が所蔵する馬具の鞍(くら)と鐙(あぶみ)が、篤姫の養父で、西郷隆盛や大久保利通らを登用したことで知られる薩摩藩11代藩主・島津斉彬(なりあきら)ら島津家の所有品だったことが判明したと、市教委が17日、発表した。
 市教委は「伝来不明な馬具が多い中、その歴史や、大名家とのかかわりなどを知る上で貴重な史料」としている。20日から始まる企画展で展示する。
 同市内の美術品愛好家が1989年、市に寄贈したもので、采配(さいはい)と龍文様の軍配を蒔絵(まきえ)で表現。鞍の裏には「延徳2年」(1490年)の年紀と花押(かおう)があるが、これまで製作時期や作者が特定できなかったという。
 しかし、2006年頃、薩摩島津家のオークション目録に似た写真が掲載されているのを見つけ、島津家の伝来品と推測。同館が武具専門家に照会したところ、▽江戸時代、将軍家や大名家が中世の由緒ある鞍を塗り直す例が多い▽花押は、馬具製作の名門で室町幕府政所執事・伊勢貞宗のものと一致する――ことが判明した。
 さらに、関連資料を調べ直す中で、「島津斉彬文書」に、島津斉興(なりおき)から子の斉彬への譲渡目録として、この「鞍」と「鐙」の名称が記され、作者と特徴も一致することが確認されたという。
 5月16日まで展示する(月曜、祝日の翌日休館)。問い合わせは同館(072・673・3987)へ。
(2010年3月18日19時32分 読売新聞)

 立派な鞍と鐙ですね。お宝だなぁ。

エンターテインメント
世は幕末!皇国と新政府の争いに参戦せよ「ブレイドクロニクル」
 MMORPGといえば中世ファンタジー、というありきたりなパターンを打破する野心作が「ブレイドクロニクル」だ。黒船の来航と異世界の妖物に脅かされている幕末乱世の「日ノ本」で、プレイヤーは皇国と新政府に分かれ、敵陣営と争いつつ愛刀を鍛え武士の高みを目指す。
(以下略)


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(54)東大教授・山内昌之 河井継之助
政治家の器、組織の器

 鳩山邦夫氏が自民党からの離党を表明した。新党結成の話題がかまびすしいが、いつも話題の中心にいるのは、舛添要一氏である。その行動力に加え、周辺に放つ独特な発信力は確かに自民党内でも目立っている。

 しかし、政治の難しいところは、いかに個人として精彩を放ったとしても、同志や部下がいないと政治意志を実現できない点にある。政治は集団の営みであることが多いからだ。この意味で舛添氏にとって自民党という枠は、驥足(きそく)を展(の)ばす上でしがらみになっているのかもしれない。

 ≪藩と河井の双方に不幸≫

 しかし、小さな組織なら才能を発揮できるわけでもない。幕末でいえば、表高7万4千石の長岡藩の政治を河井継之助が仕切ったことは、藩と河井の双方にとって不幸な面もあった。河井は小藩を仕切るには気宇広大にすぎ、傑物を受け入れるには藩の器が小さすぎたからである。

 内戦の勃発(ぼっぱつ)を見切っていた河井は、藩士の俸禄(ほうろく)や藩の出費を整理して新鋭銃2千挺はじめ近代兵器の購入をはかり、奥羽越随一の近代軍事力を完備した。

 たとえば、手回し式の機関銃のガトリング砲2挺はいざ戦の火蓋(ひぶた)が切られるとすぐに威力を発揮した。7年前の南北戦争(1861~65年)に登場したばかりの最新兵器を自ら横浜へ買い付けにいき、3挺しかない現物のうち2挺を購入する手際の良さであった。軍と政の事実上の最高指導者の河井みずから、前線でハンドルを握って撃ちまくるわけだから凄(すご)い。しかし、防御板がなかった欠陥のせいで敵に狙撃されて死にいたる。

 ≪小藩の水準越えた発想≫

 政治外交でも河井の発想は、小藩重役の水準を越えていた。彼は、藩論を武装中立に統一して新政府軍との談判を図り、旧幕府軍と新政府軍との調停によって紛争の平和解決をめざそうとした。あわよくば両者の間で漁夫の利を得ようとするか、戦後処理で長岡藩を実力以上に高く売りつけようとしたか、このいずれかであろう。

 しかし、壮大な意図を隠して無血の解決を策した相手が若輩の土佐藩士、岩村高俊だったのは河井にとって不幸であった。せめて長州の山県有朋か、薩摩の黒田清隆であれば、河井とうまく折り合いをつけた可能性もあり、そもそも厄介な衝突を起こす危険のある河井を黙って帰す愚は犯さなかったであろう。実際、山県はじきに始まる北越戦争で盟友の時山直八(なおはち)を失う打撃を受ける。

 戦略家、河井の冴(さ)えは、新政府軍の占拠した長岡城を裏手の沼地・八丁沖から深夜に奇襲した作戦にも発揮された。源義経の鵯越(ひよどりごえ)のように常識的にはあり得ない戦術を敢行したわけである。大参謀だった若き日の西園寺公望は寝巻きのまま逃げ出したらしい。

 ≪指揮官の重傷で士気低下≫

 長岡城奪還作戦は日本戦史に残る快挙ではあったが、指揮官の河井がやがて重傷を負い、長岡藩兵の指揮能力や士気は低下してしまった。この小さな藩は河井がいなければ政治外交も軍事も思うにまかせない組織になっていたのだ。

 スケールの大きな外交戦略が破綻(はたん)しても、もし長岡藩に西洋の最新鋭兵器で武装された兵力がなかったなら、他の中小藩と同じくひたすら恭順の低姿勢に徹して新政府の鋭鋒(えいほう)が過ぎるのを待てたかもしれない。器に不釣合いのリーダーをもったことが、長岡の士民を不幸にしたと言えなくもない。

 さて、舛添氏にとって依然として大政党の自民党は格好の器であり、新党は小さすぎるのだろうか。あるいは、舛添氏の器にとり、自民党は大きすぎて手にあまり、小ぶりの新党で間に合うくらいなのだろうか。政党と政治家の器の比較較量(こうりょう)で見逃せない政治決断の時期が近づいている。(やまうち まさゆき)




【プロフィル】河井継之助

 かわい・つぐのすけ 文政10(1827)年、越後(新潟県)長岡生まれ。名は秋義。江戸で儒学者の斎藤拙堂や山田方谷(ほうこく)、佐久間象山らに学ぶ。長岡藩に戻り、家老などを務め藩政改革を断行。藩財政再建に取り組んだほか、洋式の銃砲を購入してフランス式の練兵を行った。王政復古で誕生した新政府に対し、徳川への大政再委任を建言、戊辰戦争では中立の立場をとろうとしたが、認められず、奥羽越列藩同盟に加わる。長岡城に籠城(ろうじょう)して政府軍を苦しめたが、負傷し、慶応4(1868)年、落城後に死亡した。享年42。


ブックレビュー
岩波新書「シリーズ日本近現代史」
 2006年11月刊行の第1巻井上勝生『幕末・維新』から2010年1月刊行の第9巻吉見俊哉『ポスト戦後社会』まで本編9巻が刊行されてきていて、新書版だから手頃の分量だし、通して読むと近代から現代に至る通史ともなっていて、その大半を読んできた。ただ、当初はほぼ隔月の配本でリズムもよかったのだが、7巻以降は大幅に刊行が遅れてとぎれとぎれとなって間延びした。
 また、楽しく読んだかというと必ずしもそうではない。つまり、新しい視点を示していて新鮮な興味をそそられもしたものの、概して説得力に弱いものが少なくなかった。
 著者の多くは50代の少壮学者。力の入った内容のものが多かったのではあるが、国民を「人民」と呼ばれるとさすがに違和感がつきまとった。
 シリーズの中でおもしろかったのは、第1巻井上勝生『幕末・維新』、第5巻加藤陽子『満州事変から日中戦争へ』あたりか。
 さて本書、シリーズ日本近現代史第10巻『日本の近現代史をどう見るか』である。
 本書はシリーズの最終巻として各巻の筆者がそれぞれの担当分野で最も集約化されたキーワードを「問い」として執筆を連ねている。つまり、シリーズ全体の紹介である。だから、シリーズを何冊か読んだ後に読むのもいいが、シリーズを読み始める前に読んでおくというのも本書活用としてはよろしいのかもしれない。
 本書を読みながら傍線を引いた気になる部分を少し拾い出してみよう。
 ・幕府の外交について、これまで私たちは、低く評価しすぎてきたのだと思います(第1章:幕末期、欧米に対し日本の自立はどのように守られたか)
 ・天皇の存在がなければ、幕藩制の解体と中央集権国家の確立を短期間に実現するのはかなり困難でした(第2章:なぜ明治の国家は天皇を必要としたのか)
 ・ロシアの韓国進出を防ぐために、日露戦争が始まります。(中略)朝鮮国の列国共同管理案が実現していれば、日清戦争も日露戦争もなかったのではないでしょうか(第3章:日清・日露戦争は日本の何を変えたのか)
 ・敵対する国家が行った戦争行為を、自らの国家が行った戦争行為と区別した上で、それは戦時国際法の規定する「戦争」ではなく「犯罪」だと認定できれば(中略)種々の法的しばりを受けることなく行動する自由を自国は享受しうるだろう、との予測が挙げられます(第5章:一九三〇年代の戦争は何をめぐる闘争だったのか)
 ・ともすれば大陸中国が中心になりがちなアジアの歴史像を、むしろ日本列島や朝鮮半島から琉球諸島、台湾を経てフィリピンやインドネシア諸島、マレー半島に至る長大な半島・島嶼地帯の視座から相対化していく役割があるという気がします(第9章:歴史はどこへ行くのか)
 なお、終章:なぜ近現代日本の通史を学ぶのか、で本シリーズを貫くキーワードは「家族」「軍隊」「植民地」だとしていて、従来の歴史書が為政者たちの歴史だったものが、このシリーズでは「国民」とか「民衆」とかに立脚した歴史としたと述べている。
(岩波新書)



経済
龍馬記念1000円銀貨、受け付け始まる
 造幣局(大阪市)は、幕末の志士・坂本龍馬の肖像をあしらった1000円銀貨の通信販売の受け付けを始めた。
 実在人物を描いた記念硬貨は国内で初めて。
 地方自治法施行60周年を記念して都道府県ごとに発行される硬貨の高知県分で、桂浜を背景に、懐に右手を入れたおなじみのポーズの龍馬を描いている。通常(6000円)、特製ケース入り(7400円)、記念切手付き(7800円)の3種類で、計10万枚発行する。申し込み多数の際は抽選。
 はがきに住所、氏名、電話番号と、3種類のいずれが希望かを記入し、〒539・0052 郵便事業大阪支店 造幣局高知千円係。4月6日(消印有効)までで、問い合わせは050・5548・8686。
(2010年3月17日22時26分 読売新聞)


IT
国立公文書館:ネットアーカイブがリニューアル 検索機能を充実させ
 国立公文書館が、収蔵する公文書や目録、重要文化財の画像をインターネット上で無料公開し、自由にダウンロードできる「国立公文書館デジタルアーカイブ」(http://www.digital.archives.go.jp/)をリニューアルした。アーカイブは2005年から公開しているが、今回は検索機能を充実させるなど、より使いやすくなった。
 目録は約120万冊分、公文書の画像は869万点、重要文化財などが1170点。今のところ、同館収蔵の資料類のうち1割程度。今後、全資料公開に向けてアップしていく。一般的なキーワード検索の他、関連性の高いものを絞り込んでいく階層検索もある。省庁組織変遷図を使った検索は、組織名をクリックすると関連文書の一覧が出てくる。部局レベルまでの変遷図があり、絞り込みも楽だ。
 文書には、天皇の署名がある憲法や法律、条約などの公布原本をはじめ、各省庁の資料がある。法案の検討過程が分かるものもある。戦前の特高警察のものや、旧陸海軍の文書で戦後いったん連合国に接収されたもの、旧琉球王国の最高機関、評定所の記録文書なども見られる。
 重要文化財などの資料は、文化財自体の画像と解説を一緒に印刷でき、生涯学習などの教材にも使いやすい。拡大してかなり細かい部分まで見られるのも特徴だ。戊辰戦争で官軍が使った錦の御旗(みはた)の模写や板垣退助らによる民選議院設立建白書といった幕末、明治期の資料だけでなく、戦前の空襲啓発ポスター「防空関係資料全防空図解一般防空」、旧海軍の戦闘機、紫電改の取扱説明書などもある。都道府県ごとの検索もできる。
 国立公文書館業務課は「研究者だけでなく、ぜひ、一般の方にも利用してほしい」と話している。【鈴木英生】

幕末維新関係も充実しているようで、検索閲覧してみようかな。










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 昨日に比べて気温が10度ほども下がっていますが、陽差しは春ですなぁ。

山形
最上川再発見の旅(5)紅染め
∞ 一握りの種から進化

 米沢市松が岬2丁目にある機屋「新田(にった)」。米沢織の工場の向かいに、草木染の工房がある。紅花の色素がとけ込んだ染め液が、入り口に置かれていた。
 「紅花染めができるのは父と母のおかげです」
 染め物担当の新田克比古(かつ・ひ・こ)さん(52)はしみじみと言う。1884(明治17)年創業の同社が紅花染めを始めたのは1963(昭和38)年。機織りと染めの分業が徹底していた土地の慣習を破ったのは、父で3代目の秀次(しゅう・じ)さん(88)と母富子(とみ・こ)さん(81年に他界)の決断だった。

  ■   ■

 シルクロードを通って古代日本に渡ってきたとされる紅花。山形での栽培は江戸時代に最上川流域で急拡大し、紅花商人が京染めなどの原料として北前船で上方に運んだ。最盛期だった幕末の作付面積は最大約1500ヘクタールと推計される。だが明治になると、中国産や化学染料の普及などで、県内の紅花畑は急速に姿を消していった。
 復活したのは戦後だ。山形市内の農家が一握りの種を守っていることがわかり、再び栽培されるようになった。
 江戸時代、県内はあくまでも原料の供給地で、紅花染めは京都などの富裕層のものだった。だが復活後、県内で紅花染めに取り組む動きが広がった。紅花の「地産地消」だ。
 新田もその一つだ。
 小学生だった克比古さんは、夜な夜な紅花染めを試していた両親の姿を覚えている。
 「『良い色が出た』と喜んでいる姿が幼心に印象的でした」
 大学卒業後、京都で3年間草木染の修業をして米沢に戻り、紅花染めに本腰を入れた。
 染めに教科書はない。濃い赤に染めるには、染めと乾燥を8回は繰り返す必要がある。寒いほど発色がよく、朝だけ作業をすることもある。湿気にも左右される。「自分の色を出せるようになるまで10年かかった」
 こだわるのは「山形産100%」。一度途絶えた山形の紅花を、ずっと咲かせ続けたいという思いからだ。約1千平方メートルの会社の畑で、春、社員と家族が総出で種をまき、夏、朝露が残るうちに花を摘む。その日のうちに発酵させて、せんべい状の「紅餅」に固める。
 紅餅から取れる色は黄と紅。藍(あい)の青を加えた「三原色」を組み合わせることで、たいていの色が表現できる。さらに梅の枝や、クルミやクリの実の皮から抽出した色素で独特の茶色を出す技法を両親から受け継いだ。

   ■   ■

 克比古さんは「米沢の自然を色で表現したい」と模索し、地元に芽吹くザクロやモミジ、クヌギ、ネコヤナギなどからも色を抽出している。紅花の色を重ねると、柔らかさが醸し出されるという。「土などが違えば、同じ植物でも同じ色にはならない。時間がたつほど深みも出る。微妙な色合いに『ここまで』という限界はないんです」

 最上川の源流の地で、紅花染めが今も進化を続けている。
=おわり
(南日慶子が担当しました)



茨城
【水戸にコミケがやってくる】(中)萌え商品、老舗も開発
 開港間もない茨城空港の土産品売り場で、女性店員が「コミケ関連商品です」と声をからす。アピールするのは、幕末志士にふんした少女キャラクターのイラストを箱にあしらった「桜田門外の変みるく饅頭(まんじゅう)」。嘉永5(1852)年から続く老舗菓子店「亀印製菓」(水戸市見川町)が「コみケッとスペシャルin水戸」(水戸コミ、21、22日)向けに企画した商品だ。
 美少女ゲームのイラストレーター、七尾奈留(ななおなる)さんを起用したイラストが受け、6日の発売以来、好調な売れ行きという。ほかにも、美男子キャラクターを生かしたチョコ菓子「純愛つくば」も人気だ。
 これらの“萌(も)え系”商品を展開するのは7代目、林太一社長(42)。新規客開拓のためキャラクター商品を企画していた際に水戸コミを知り、地元実行委に参加した。「大勢の人が水戸に来る。コンビニだけがもうかったというのではもったいない」として、水戸コミを大きな商機ととらえる。自社だけでなく水戸全体を盛り上げようと、他社とも協力、計11社の地元企業が水戸コミ関連商品を取りそろえた。
 酒類製造・販売「明利(めいり)酒類」(同市元吉田町)が茨城産ベニアズマを使った芋焼酎を女性にも飲みやすくブレンドした「若き日の黄門さま」には、美青年漫画で人気のヤマダサクラコさんのイラストを使用した。同社の小川真幸(まさき)相談役(71)によると、ネット販売が好調で「購入者は女性が100%」という。
 地元で名の通った企業が萌え系という従来と違う路線の商品を扱う形だが、小川相談役は「萌え系商品目当ての客が定番商品も買ってくれることが多い」と話し、林社長も「キャラクター商品をきっかけに亀印を知ってもらえる」と利点を強調する。両社とも、「商品には手を抜かない」のが前提だ。ブランドイメージへの配慮も忘れないという。
 林社長も小川相談役も「(水戸コミ)開催日の売れ行きはまったく読めない」と口をそろえる。ただ、2人とも「水戸コミ終了後も売れ行きを見ながら萌え系商品を扱っていきたい」と話していた。(城野崇)

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茨城空港でコスプレ大会 21日からは「水戸コミ」

 

静岡
「龍馬小判」完成
 幕末の志士・坂本龍馬ゆかりの地をアピールしている下田市で、地域通貨「龍馬くんコイン」と「龍馬小判」=写真=が完成した。龍馬ブームを地域の活性化に役立てるのが狙い。NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映を機に観光協会や旅館協同組合などが結成した「下田龍馬伝志援隊」が製作し、4月から発売する。(阪本昇司)

◆下田は「一龍」を通貨とするぜよ

 この地域通貨は、千円を「1龍(りょう)」と呼んでもらう。コイン、小判とも金めっき仕立てで高級感を演出。コインの表には、地元の龍馬ファンらが設立した「伊豆龍馬会」のシンボルキャラクター「龍馬くん」、裏には坂本家の家紋を元にした同会のシンボルマークをあしらった。1枚900円で販売するが、地元で千円分の買い物ができる。5万枚を製作した。
 小判は、表に「下田龍馬伝」「飛翔之地」などを、裏に龍馬の顔のイラストをあしらった。3千円分として使える桐(きり)の箱入りの1枚が3千円。2千枚製作。小判1枚とコイン2枚の箱入り(5千円)もある。
 4月1日に下田市民文化会館で発売会を開くほか、観光協会、商工会議所などで販売する。9月末まで市内の土産品店や飲食店、観光施設など約200カ所で利用できる。コインをサービスする宿泊プランも用意するという。問い合わせは「下田龍馬伝志援隊」の増田健太朗さん(0558・23・7577)へ。


福井
曙覧研究会、福井市で来月発足 若い世代へ業績周知
 幕末の郷土の歌人、橘曙覧の業績を広め作品への理解を深める「橘曙覧研究会」が4月1日、福井県の福井市内で発足する。曙覧の学術的研究や作品鑑賞を主な活動とし、「曙覧を福井ブランドの偉人として打ち出していきたい」と会員を募っている。
 曙覧は、「たのしみは…」で始まり「…とき」で終わる「独楽吟」が代表作として知られる。没後に歌集が出版され、正岡子規や斎藤茂吉ら日本を代表する文学者が注目。明治期の歌壇に大きな影響を与えたとされ、熱心な国学者でもあった。独楽吟は、クリントン元米大統領のスピーチでも引用され反響を呼んだ。
 発起人は斎藤茂吉の研究者で、福井実践国語の会顧問の東出市二郎さん(80)=同市下荒井町。東出さんが昨年11月、同市橘曙覧記念文学館で、曙覧にまつわる文学講座を開いたのがきっかけ。これまで2回の準備会の会合で、会則や事務局を東出さん宅とすることを決め、同館が開館10周年を迎える4月に会を発足させることにした。
 活動の柱は▽曙覧の専門家らによる学術的研究▽一般も気軽に参加できる作品鑑賞▽広く県民にかかわってもらうための曙覧に親しむ会-の三つ。
 準備会会員の内田好美同館学芸員によると、曙覧の研究者は少なく、専門的なグループは昭和初期にあった研究会以来という。
 東出さんは「県は幕末の福井を観光材料として売り出しており、松平春嶽と懇意だった曙覧を福井ブランドとしてPRするいいタイミング。曙覧が日本文学史上、重要な役割を果たしていることを広め、若い世代にも愛好者を増やしていきたい」としている。
 県内外を問わず会員を募集しており、会費は年間2千円。基本的に毎月第1日曜を活動日とし、午後1時半から同館に集まる。初日の4月4日は、作品の輪読会を開く。【ハッピーニュース】


愛知
古地図で名古屋散歩 市が冊子発売、10コースを掲載
 名古屋市は16日、幕末の古地図を見ながら町歩きを楽しむ冊子「古地図で歩く城下町なごや」を20日から発売すると発表した。愛知、岐阜、三重の中部3県の書店や名古屋城の売店などで売り出す。販売価格は1000円で初回発行部数は5000部。市は古地図と現代の地図を比較しながら市内を歩くウオーキングイベントも開く計画。
 冊子は古地図ウオーキングとして10コースを掲載。物流の中心だった堀川を南下するコースや、芝居見物が好きだった奉行にちなんだ名古屋城から大須まで歩くコースのほか、熱田神宮の周辺を巡るコースなどが盛り込まれている。
 市民経済局観光推進室の担当者は「開府400年を迎えるに当たり、名古屋の歴史を改めて発信したい」としている。


市民寄贈168点展示
刈谷の資料館、28日まで

 刈谷市城町の市郷土資料館で、市民らから寄贈された史料などを展示する恒例の「収蔵品展」が開かれており、市民が鑑賞に訪れている。今回は、太平洋戦争の戦費調達のために発行された「戦時貯蓄債券」や募集チラシ、1965年代に製造された8ミリ映写機など168点を展示している。
 中には、モウソウダケに漢詩を刻んだ「竹筒刻漢詩(ちくとうこくかんし)」や、刈谷藩士で幕末に倒幕の戦いを起こした天誅(てんちゅう)組の松本奎堂(けいどう)の書とされる掛け軸などもある。28日まで(23日休館)。入館無料。
 国の登録有形文化財に指定されている同館は、耐震補強工事のため、4月から1年間休館する。
(2010年3月17日 読売新聞)




高知
土佐の便りに「龍馬印」…高知の郵便局
 高知市内の6郵便局と郵便事業会社高知、高知東両支店で幕末の志士・坂本龍馬をかたどった料金別納、後納郵便のスタンプ=写真=の使用が17日から始まる。大河ドラマ「龍馬伝」効果もあり、全国的に盛り上がる〈龍馬ブーム〉にあやかり、年々進む手紙離れに歯止めをかけるのが狙い。郵便事業会社四国支社高知県営業サポート室の菅隆正本部長は、「県外に発送する郵便物に使ってもらい、高知の魅力を全国に売り込みたい」と意気込んでいる。
 料金別納、後納郵便は大量の郵便物を差し出す時に、切手をはる手間が省け、料金も一括して支払える便利な仕組み。スタンプの利用は無料で、印影の電子データでの提供もあり、封筒にプリントして利用することもできる。
 スタンプは、右手を懐に入れた龍馬おなじみのポーズの写真がデザインされ、別納郵便には「土佐の便りぜよ」、後納郵便には「龍馬のふるさと高知」と書き添えられている。
 料金別納は10通以上から利用でき、同窓会の案内状などの発送に便利。料金後納も、毎月50通以上の郵便物を発送するなどの条件に合えば郵便局などに申請して利用でき、すでに県土佐・龍馬であい博推進課が封筒に使用することが決まっている。
 菅本部長は「龍馬の力も借り、はがきを書く人を増やしたい」と期待していた。


鹿児島
種子島特産  英国へ進出
安納芋 甘さ「アンビリーバブル」

 濃厚な甘さが特長の種子島特産の安納(あんのう)芋が高級食材としてイギリスに輸出されることになった。ロンドンで民宿を営む藤田康子さん(66)(神戸市出身)が味に感動し、イギリスで農産物の生産販売関係者に紹介したところ、「食べたことのないおいしさ」と、高い評価を受けた。(角亮太)
 「クリームのような口触りですごく甘い。ポテトとは思えない」。藤田さんが持ち込んだ安納芋を口にしたイギリスの農園経営者は「信じられない」と繰り返した。
 安納芋はねっとりとした食感や強い甘さが特長。一般的なサツマイモの約2倍の糖度がある。銀座三越が焼き芋にして売り出したのをきっかけに、2004年頃から全国で人気が急上昇。JA種子屋久によると、出荷量は04年度に70トンだったが、09年度は50倍の3500トンに急増している。
 計画では種子島・西之表市の西田農産が生産し、2か月以上熟成させた安納芋を、イギリスのケント州ブルックランドで高級食材を生産・販売する農園「オールドホールファーム」が輸入する。
 藤田さんは2年前からイギリスで日本野菜の普及に取り組んできた。昨年11月に一時帰国した際、初めて食べた安納芋のおいしさに感動し、その足で種子島を訪れ、西田農産を見学。熱意に打たれた西田春樹社長(56)が約200キロ分を寄付した。
 サツマイモはイギリス人にとって一般的な食材だが、今年1月、藤田さんがロンドンで開いた試食会では味の良さが絶賛された。なかでも同ファームは「ロンドンではレストランが厳しい競争を繰り広げ、料理人は独創的な一皿を支える新しい食材を求めている。安納芋は彼らのめがねにかなうだろう」とし、すぐに輸入を申し込んできた。
 安納芋1本は200~300グラムで、日本では1キロが1000円前後で売られているが、ロンドンのレストランからは「1本3000円でも欲しい」との注文も入っているという。
 4月から試験的に輸出を始める予定にしている西田社長は「生産者冥利に尽きる。将来的には、イギリスでも安納芋が作れるよう協力したい」。藤田さんは「薩摩藩士が幕末にイギリスに留学して維新の原動力となった。安納芋という食文化でお返しをしたい」と話している。
(2010年3月17日 読売新聞)


ビジネス
JTB西日本、龍馬の「船中八策」にちなんだ特典付きエースJTB(関西発)「龍馬を旅する」を発売
 エースJTB(関西発)は、NHK大河ドラマ「龍馬伝」で注目を浴びている坂本龍馬のゆかりの地を訪れる商品を販売開始した。高知・鞆の浦・京都・長崎・鹿児島の全19施設を設定し、それぞれの地区で龍馬の「船中八策」にちなんだ8大得典が付いているという。
 今回の商品では、パンフレットそのものを読み物としても活用してもらえる工夫をし、旅行商品の掲載だけでなく、坂本龍馬が結んだ「人と人」「藩と藩」などの「出会い」についても紹介しているとのこと。龍馬は、男女を問わず大変多くの人に愛され、今なおその人気は衰えることを知らない。龍馬がいたからこそ結ばれた出会いも多く、その功績は計り知れないものがある。また昨今の歴史ブームで歴史好きな女性が増えており、女性に親しみを持ってもらうことをパンフレット制作のコンセプトにしたとのこと。そこで、パンフレットでは龍馬が出会った女性にスポットをあて、それぞれと交わした手紙の内容やエピソードも紹介しているという。
 「船中八策」とは、江戸時代後期の幕末に、坂本龍馬が長崎から上洛する途中、船中で起草した八ヶ条からなる新国家体制の基本方針。後の「藩士同盟」や「大政奉還に関する建白書」の基案となり、明治新政府の綱領「五ヶ条御誓文」につながるものとなる。

●新商品の概要[PDF]

JTB西日本=http://www.jtb.co.jp/west/


エンターテインメント
新作ゲーム紹介:「薄桜鬼DS」 新選組テーマの恋愛アドベンチャーがDSに
 新選組がモチーフの女性向け恋愛アドベンチャー「薄桜鬼DS」が発売される。

 「薄桜鬼」は、アイディアファクトリーが展開する女性向けブランド「オトメイト」で08年、PS2用で発売された。江戸の蘭方医の娘、雪村千鶴が、音信が途絶えた父親を捜して京都を訪れ、ある事件を目撃したことを契機に新選組と行動を共にするようになり新選組や自身の出生の秘密も知ることになる。

 ゲームは、新選組の隊士と行動を共にしながら、史実をベースにした伝奇ストーリーが楽しめるアドベンチャー。上画面にグラフィックとストーリー、下画面に選択肢が表示され、選択肢によって各キャラクターとの好感度などが変化する。隊士との結びつきの深さなどで結末が変化し、選択次第でハッピーエンドを迎えられる。

 DS版では、新たにクイズゲームの「新選組質疑試合」が追加された。プレーヤーは隊士のうち1人を選択し、補佐役として問題に答えていく。試合は第3試合まであり、勝てば隊士同士の掛け合いが見られる。総問題数は500問で、隊士の組み合わせでさまざまな掛け合いが楽しめる。

薄桜鬼DS(DS) 1人用 CEROレーティングC(15歳以上対象) アイディアファクトリー 3月18日発売 5040円

【関連リンク】
公式サイト
http://www.otomate.jp/hakuoki_ds/


ブックレビュー
インフォメーション:「RYOMA GRAPHICS~坂本龍馬と生きた幕末の…」
◇「RYOMA GRAPHICS~坂本龍馬と生きた幕末の100人」
 新人物往来社より発売中(1575円)。トーハンが、MVPブランド(More,Value,Produce)と題して新人物往来社と共同で開発。「RYOMA GRAPHICS~坂本龍馬と生きた幕末の100人」は、書籍に坂本家の家紋と龍馬の一言をあしらった手ぬぐいと、筆まめな龍馬にちなんだ一筆せん、幕末志士の家紋シールの3点の付録がついた一冊。詳しくはトーハン広報室電話03・3266・9587もしくはhttp://www.tohan.jp/まで。


経済
龍馬、1000円銀貨受け付け開始…造幣局
 造幣局(大阪市)は16日、幕末の志士・坂本龍馬の肖像をあしらった1000円銀貨の通信販売の受け付けを始めた。実在人物を描いた記念硬貨は国内で初めて。
 地方自治法施行60周年を記念して都道府県ごとに発行される硬貨の高知県分で、桂浜を背景に、懐に右手を入れたおなじみのポーズの龍馬を描いている。通常(6000円)、特製ケース入り(7400円)、記念切手付き(7800円)の3種類で、計10万枚発行する。申し込み多数の際は抽選する。
 はがきに住所、氏名、電話番号と、3種類のいずれが希望かを記入し、〒539・0052 郵便事業大阪支店 造幣局高知千円係。4月6日(消印有効)までで、問い合わせは050・5548・8686。










 今日は外に出たら寒暖計が22度と表示していて、暖かいどころか暑いぐらいでした。今晩から明日にかけて気温は10度近く下がるそうで、春が来たという気分にはまだなれませんが。

北海道
本丸御殿と礎石の配置酷似 館城跡の発掘調査報告会
 【厚沢部】国指定史跡・館城跡の発掘調査成果報告会(町教委主催)が14日、館地域振興センターで開かれた。本年度見つかった多数の礎石について、調査を担当する石井淳平学芸員が「本丸御殿の記録と遺構の整合性が確かめられた。予想外の大きな成果だった」と解説し、館城跡の全容解明への期待感を熱く語った。
 地域住民を中心に約30人が参加した。本年度の発掘調査では、建物の基礎を支えた多数の礎石を発見。江差町の旧家・増田家に伝わる本丸御殿の平面図と照らし合わせたところ、建物の構造や寸法がよく一致したという。石井さんは「図面に描かれた建物と礎石の配置が非常に似ている。今後はさらに詳しい発掘調査が必要。明治になって多くの城郭は軍の施設や学校になり遺構が破壊された。幕末期の御殿建築を知る上でも貴重な発見」とした。新年度の発掘は5月から8月中旬に予定している。
 報告会では、今後の館城跡の活用について意見交換した。参加者が館城跡の魅力や活用策を発表。「史跡を花いっぱいにする」「散策路やキャンプ場を作りたい」「発掘体験ツアーを行ってはどうか」など、活発な意見が出された。館城攻防戦で勇戦の末に戦死を遂げた、松前藩法華寺の僧で、藩の正義隊隊長も務めた三上超順(1835―1868)のキャラクター化といったユニークな案も。参加者の意見は、専門家による館城跡発掘調査検討委員会の検討材料として提供する。


茨城
映画「桜田門外ノ変」オープンセットが人気
 水戸市の千波湖畔に作られた、映画「桜田門外ノ変」のオープンセットが人気を集めている。
 幕末の江戸城周辺を忠実に再現した物珍しさに加え、偕楽園の「水戸の梅まつり」との相乗効果もあって、先月20日に一般公開されてから約2万5000人が訪れている。
 茨城空港が開港した11日には韓国人の団体客の姿も見られた。観光資源に乏しいとされる県の観光誘致にどこまで効果を上げられるか注目を集めそうだ。
 今年1月初旬に完成したセットは江戸城の桜田門やお堀、彦根藩邸など、150年前の街並みが再現された。セットでの撮影が終了して一般公開されてからは連日、家族連れなど観光客でにぎわっている。
 東京ドーム1個分の面積があるセット内には、真っ白な寒水石70トンが敷き詰められ、雪景色を演出。桜田門をバックに写真を撮る観光客や、井伊直弼襲撃の様子をイメージして殺陣のまねをする若者たちの姿も見られ、13日は約3000人の来場者があったという。
 渋滞を避けるため電車で来たという北茨城市磯原町の会社員男性(27)は「映画のセットを生で見るのは初めて。当時の雪の状況がリアルに再現されているところがすごかった」と目を丸くし、梅まつりの帰りに寄ったという川崎市の会社員男性(25)は「今の桜田門と昔の桜田門の違いを見比べることができて楽しめた。映画もぜひ見たい」と満足そうだった。
 茨城空港の開港で、セットは外国人客の観光スポットになる可能性も秘めている。セットは4月24日からは記念展示館として新装オープンする。
 セットを管理・運営する「『桜田門外ノ変』映画化支援の会」事務局の小林弘之さん(27)は、「日本での『冬のソナタ』ブームのように、韓国で『桜田門外ノ変』ブームが起き、オープンセットが新たな観光スポットになれば」と期待を寄せていた。




神奈川
龍馬とおりょうの夫婦像も! 横浜&横須賀でゆかりの地を巡る
 大河ドラマ「龍馬伝」でアツイ龍馬ブーム。龍馬にまつわる土地といえば、長崎や高知が有名だが、実は龍馬との死別後、龍馬の妻・おりょうが晩年を過ごしたのは横浜と横須賀。西郷隆盛の紹介で料亭「田中家」で仲居をしたと言われており、同店で知り合った男性と再婚、その後、横須賀で過ごしたのだ。そこで龍馬ブームを体感できる神奈川のスポットを紹介しよう。

■龍馬が愛した妻おりょうが眠る寺院「信樂寺(しんぎょうじ)」

 おりょうが眠る寺。おりょう没後100年を迎えた2006年、「よこすか龍馬会」により作られた龍馬とおりょうの木彫夫婦座像が本堂に安置されている。像は約1mの高さがあり、龍馬・おりょう両者ともに等身大の大きさと言われている。 住所/横須賀市大津町3-29-1 開館時間/常時開放、本堂は7:00~17:00 休館日/なし

■神奈川宿の名残を残す料亭はおりょうの故郷「割烹 田中家」

 創業1863(文久3)年。龍馬の死後、おりょうが仲居として働いた料亭で、座敷は当時と変わらぬまま現在も使用されている。おりょう会席(1万5000円)も味わえる。 住所/横浜市神奈川区台町11-1 電話/045-311-2621 営業時間/11:30~14:00、17:00~22:00※完全予約制 定休日/不定

■龍馬が食べたと言われるレシピを再現「龍馬の焼いたカステラ」(1個200円)

 龍馬を中心に結成された海援隊が残した雑記帳「雄魂姓名録(ゆうこんせいめいろく)」に書かれていたレシピを基にアレンジ。龍馬夫婦が新婚旅行で食べたとも。「御菓子司 精栄軒 浦賀駅前支店」で販売。 住所/横須賀市東浦賀町1-1 電話/046-841-1146 営業時間/9:00~20:00(LO19:30) 定休日/なし

■全国から幕末ファンが集合!? 「やきとり 竜馬におまかせ」

 龍馬に心酔する店主が2008年にオープン。月に一度「龍馬の日」を開催し、龍馬談議に花を咲かせる。次回は3月20日(土)15:00~予定。「龍馬の焼いたカステラ」の販売も。 住所/横須賀市日の出町2-3 電話/046-825-8727 営業時間/14:00~24:00(LO) 定休日/なし 
 幕末を駆け抜けた龍馬、そして龍馬を想って過ごしたであろうおりょうに思いを馳せながら、“龍馬さんぽ”に出掛けてみては?【詳細は横浜ウォーカー3月2日発売号に掲載】


長野
鈴木善人を顕彰し 小諸で囲碁大会
 小諸市の鈴木翁之寿碑顕彰会は14日、「鈴木善人翁顕彰囲碁大会」を市内で開いた。小学生から70代までの52人が参加し、交流した。幕末から明治時代にかけて小諸を拠点に囲碁の指導をした鈴木の足跡をまとめた冊子の完成記念祝賀会も開いた。
 大会は5段以上、3・4段、2段以下の3クラスに分かれ、4回の対局で競った。参加者は腕組みをして碁盤をにらみ、次の一手が浮かばずに頭をかいたり、小学生と対局した後に戦法を教えたりしていた。
 上田市出身で、棋譜解説など冊子の編集に携わった棋士六段の中山典之さん=千葉県=が2月中旬に病気で急逝したため、追悼コーナーも設けた。佐久市出身の棋士三段、柳沢理志さん=愛知県=の指導碁もあった。
 徳田和美会長(77)=小諸市田町=は「中山さんが亡くなったのはショックだった。大会はできれば毎年開き、小諸を囲碁の里にしていきたい」と話していた。冊子はB5判、138ページで600部製作。問い合わせは徳田会長(電話0267・22・0506)へ。
(提供:信濃毎日新聞)


静岡
郷土の名将しのぶ献茶祭前に 御前崎新野地区で新茶摘みと手揉み
 戦国時代に御前崎市新野地区の領主だった新野(にいの)左馬助(さまのすけ)(生年不詳~1564年)の遺徳をしのび、地域や茶業の発展を祈願する献茶祭(4月11日)を前に、献上する新茶の手摘みと手揉(も)みが14日、同地区であった。
 献茶祭は地区住民らでつくる新野左馬助公顕彰会が主催する恒例行事。手摘みには約50人が集まり、ハウス内で栽培した新茶の生葉18キロを丁寧に摘み取り、地元の丸池製茶に運んで市茶手揉み保存会が3キロの手揉み茶に仕上げた。
 左馬助は徳川家康側近の猛将井伊直政(1561~1602年)が2歳の時に命を助け、井伊家を救った情けの武将として知られる。幕末の大老井伊直弼が家来に左馬助の墓を探させ、1851年に見つかった。墓所の左馬武神社で毎年献茶祭が開かれる。
 顕彰会の鈴木東洋会長(84)は「左馬助公は情け深くて潔い自慢の領主。重要な産業といえるお茶を献上し、地域の発展を祈願したい」と語った。市茶手揉み保存会の中嶋誉明会長(60)は「御前崎で今年最初の新茶。心を込めて揉んだ」と晴れやかな表情だった。
(中野吉洋)



島根
和歌短冊、米子の旧家に192枚 歌人や皇族作品も
 米子市の旧家・鹿島家(同市立町2丁目)に、江戸時代から大正にかけて詠まれた和歌の短冊が大量に保存されていることが分かった。作品の歌人には、鹿島家の関係者をはじめ、当時の著名な歌人や皇族・公家も含まれ、調査に当たった米子高専の原豊二准教授(文学博士)は「幕末から明治にかけて、米子の豊かな町民文化を知る手がかり」と評価。4月9日午後6時から同市・立町まちかど広場で開く同地区の「2世桜誕生さくら祭り」に併せて同家で公開する。
 短冊は192枚あり、春夏秋冬、それに雑と大きく五つに分類され、木箱に納められていた。30年ほど前、現当主、鹿島恒勇さん(74)の妻倭子さん(69)が土蔵で見つけ、その後短冊は2冊の折帖(おりちょう)で保管していた。2008年11月、同家が大量の古文書を同市立山陰歴史館へ寄贈。この調査を依頼された原准教授がその過程で、短冊の存在を知った。
 短冊の中には、新婚や金婚などのお祝いや故人への追悼などをはじめ、「春さればおきつしら浪音絶て 雲井にかすむ船上の山」と船上山を詠んだ、5代前に当たる9代鹿島長行の作品など鹿島一族によるものが並ぶ。国学者で出雲大社第78代国造の千家尊孫氏、上冷泉家18代の冷泉為則氏など著名な人たちの作品も含まれ、米子の町人が当時、和歌を通して幅広い交遊関係を持っていた証しといえる。
 今回の調査を担当した原准教授は「幕末から明治にかけて、財力を背景にした米子の町人たちが多くの文化人と接点を持ち、和歌を楽しんでいたことが分かる」とし、9日の公開について「書や紙の美しさも味わってほしい」という。
 鹿島恒勇さんは「今までは短冊を公開する機会もなかったが、大切に保管し、要望があれば公開もしたい」と話している。


長崎
雑記帳:龍馬とお龍のランタン 長崎
◇長崎市中心部のアーケード街に、幕末の志士・坂本龍馬と妻お龍のランタン(中国ちょうちん、高さ2・5メートル)オブジェが登場し、買い物客らを驚かせている。
 ◇NHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせ、今年2月の長崎ランタンフェスティバルのため、祭り実行委が200万円かけ台湾で製作。祭りの後に“再利用”することとなった。
 ◇設置場所は、市がアーケード街に設けたテーマ館「長崎まちなか龍馬館」前。市担当者は、輝く龍馬像前で「短くともまぶしく光った人生を送った龍馬に、思いをはせに来て」。【錦織祐一】


文化芸能
「好色一代男」これが紅葉、露伴が読んだ本
 明治の文豪、尾崎紅葉や幸田露伴らが友人の淡島寒月から借り、読みふけった井原西鶴の代表作「好色一代男」の実物(1682年刊)が見つかった。
 紅葉が寒月にあてて、「西鶴の本はもう少し貸してほしい」と頼んだ全集未収録のはがきが添えられている。京都の古書・美術商「思文閣」が入手、東京都内で開かれた古書フェアで13日まで公開された。
 旧蔵者の寒月は幕末の1859年生まれ。奇人・趣味人として知られる。西鶴など江戸文芸の魅力にいち早く目覚め、紅葉や露伴らに勧めたことで、文壇で西鶴ブームが起こるきっかけを作った。




IT
国立公文書館:ネットアーカイブがリニューアル 検索機能を充実させ
 国立公文書館が、収蔵する公文書や目録、重要文化財の画像をインターネット上で無料公開し、自由にダウンロードできる「国立公文書館デジタルアーカイブ」(http://www.digital.archives.go.jp/)をリニューアルした。アーカイブは2005年から公開しているが、今回は検索機能を充実させるなど、より使いやすくなった。
 目録は約120万冊分、公文書の画像は869万点、重要文化財などが1170点。今のところ、同館収蔵の資料類のうち1割程度。今後、全資料公開に向けてアップしていく。一般的なキーワード検索の他、関連性の高いものを絞り込んでいく階層検索もある。省庁組織変遷図を使った検索は、組織名をクリックすると関連文書の一覧が出てくる。部局レベルまでの変遷図があり、絞り込みも楽だ。
 文書には、天皇の署名がある憲法や法律、条約などの公布原本をはじめ、各省庁の資料がある。法案の検討過程が分かるものもある。戦前の特高警察のものや、旧陸海軍の文書で戦後いったん連合国に接収されたもの、旧琉球王国の最高機関、評定所の記録文書なども見られる。
 重要文化財などの資料は、文化財自体の画像と解説を一緒に印刷でき、生涯学習などの教材にも使いやすい。拡大してかなり細かい部分まで見られるのも特徴だ。戊辰戦争で官軍が使った錦の御旗(みはた)の模写や板垣退助らによる民選議院設立建白書といった幕末、明治期の資料だけでなく、戦前の空襲啓発ポスター「防空関係資料全防空図解一般防空」、旧海軍の戦闘機、紫電改の取扱説明書などもある。都道府県ごとの検索もできる。
 国立公文書館業務課は「研究者だけでなく、ぜひ、一般の方にも利用してほしい」と話している。【鈴木英生】

 幕末維新関係の史料を参照しやすくなっているといいなぁ。
国立公文書館 デジタルアーカイブ
 国立公文書館といえば、今日図書館で特別展のチラシを見つけました。
平成22年度春の特別展 「旗本御家人II-幕臣たちの実像-」 (入場無料)
平成22年春の特別展のテーマは、昨年と同様、旗本御家人。今回は「旗本御家人Ⅱ 幕臣たちの実像」と題して、出生から臨終まで、人生の折々に作成された文書から、幕臣(旗本御家人)たちの知られざる姿に光をあてます。
タテマエとホンネが巧みに使い分けられ、先例や格式に縛られていた幕臣の世界。それでも研究に情熱を注ぎ、すぐれた著述や編纂物を残した人もいれば、政治や外交の難局で卓越した能力を発揮した人もいました。
さらに幕末になると、幕臣の中から若き才能が輩出。彼らは維新後もさまざまな分野で活躍します。展示ではこれら異才たちの業績も紹介します。
期間:平成22年4月3日(土)~4月22日(木)
時間:月~水・土・日曜日 午前9時45分~午後5時30分
木・金曜日 午前9時45分~午後8時
※入館は、それぞれ閉館30分前まで(特別展は、期間中無休)

 展示期間が短いのが難ですが、特別展を見たついでに内堀の桜を見て散策するのはなかなかいいものです。




 昨日夕方、東北地方を中心に地震がありました。遠い震源地から比較的に大きな地震が伝わった時の特徴か、地上3階にいた割にゆっくりとゆらゆら揺れました。乗り物酔いしやすい体質のせいか、ちょっと気持ち悪くなりました(苦笑)。
 その晩、NHK特集が地震による津波を特集してました……地震のあった直後でもあり、シミュレーションドラマが怖かったです。

茨城
オープンセット人気
新たな観光スポットへ期待

 水戸市の千波湖畔に作られた、映画「桜田門外ノ変」のオープンセットが人気を集めている。幕末の江戸城周辺を忠実に再現した物珍しさに加え、偕楽園の「水戸の梅まつり」との相乗効果もあって、先月20日に一般公開されてから約2万5000人が訪れている。茨城空港が開港した11日には韓国人の団体客の姿も見られた。観光資源に乏しいとされる県の観光誘致にどこまで効果を上げられるか注目を集めそうだ。
 今年1月初旬に完成したセットは江戸城の桜田門やお堀、彦根藩邸など、150年前の街並みが再現された。セットでの撮影が終了して一般公開されてからは連日、家族連れなど観光客でにぎわっている。
 東京ドーム1個分の面積があるセット内には、真っ白な寒水石70トンが敷き詰められ、雪景色を演出。桜田門をバックに写真を撮る観光客や、井伊直弼襲撃の様子をイメージして殺陣のまねをする若者たちの姿も見られ、13日は約3000人の来場者があったという。
 渋滞を避けるため電車で来たという北茨城市磯原町の会社員男性(27)は「映画のセットを生で見るのは初めて。当時の雪の状況がリアルに再現されているところがすごかった」と目を丸くし、梅まつりの帰りに寄ったという川崎市の会社員男性(25)は「今の桜田門と昔の桜田門の違いを見比べることができて楽しめた。映画もぜひ見たい」と満足そうだった。
 茨城空港の開港で、セットは外国人客の観光スポットになる可能性も秘めている。セットは4月24日からは記念展示館として新装オープンする。
 セットを管理・運営する「『桜田門外ノ変』映画化支援の会」事務局の小林弘之さん(27)は、「日本での『冬のソナタ』ブームのように、韓国で『桜田門外ノ変』ブームが起き、オープンセットが新たな観光スポットになれば」と期待を寄せていた。




栃木
市民が観光マップ
戊辰戦争テーマコース考案

 歴史好きの女性「歴女」ブームに乗って、歴女が楽しめる史跡巡りなどの観光コースを紹介し、誘客につなげようと、宇都宮市の市民組織「宇都宮プライド創造ボランティア」のメンバーが観光マップの作成に乗り出した。「歴史的に重要な地であった宇都宮のことを知ってもらい、観光客の呼び込みに一役買いたい」といい、14日には宇都宮城周辺で土塁などを視察した。
 創造ボランティアは、「宇都宮ブランド推進協議会」(事務局・宇都宮市)が昨年、市のブランドメッセージを検討する際に公募した市民ボランティア。その後も街づくりに寄与しようと、グループを設けて活動を継続している。
 歴史マップの作成にあたっているのは「歴史歩き隊」で、会社員や公務員ら30~50代の歴史愛好家4人が参加している。2月末から活動を始め、宇都宮市にゆかりのある武将や歌人など歴史上の人物をリストアップ。その中から大河ドラマでブームになっている幕末に注目し、歴女から人気が高い新選組の副長、土方歳三を中心として戊辰戦争にスポットをあてたマップを作成し、観光コースを作ることにした。
 14日には、幕府軍を率いて宇都宮に攻め上がった土方歳三が足を負傷したとされる宇都宮城の「松ケ峰門」付近、周囲に残る土塁などを視察したほか、マップに掲載するための写真を撮影した。
 グループでは、ゴールデンウイーク前までにマップを作成し、オリオン通りにある市のアンテナショップ「宮カフェ」のホームページに掲載するほか、宮カフェ内で配布する考えだ。

 そのうち「土方歳三負傷の地」とか掲示板が立ったりして……。

東京
原町田商店街 江戸期は幅18メートル大通り
元校長・矢沢さん解明 市場の出店スペース

 町田駅前の「原町田商店街」の前身となる通りは、道幅が約18メートルもあったとする研究を、日大三高(町田市)の元校長、矢沢湊さん(85)(川崎市多摩区)=写真=が雑誌で発表した。現在の3倍の広さで、江戸時代では日本橋などメーンストリートの規模に匹敵する。なぜ、こんな大通りがあったのか。古地図や古文書を読み解いた結果、そのカギは「二六の市」にあった。
 矢沢さんは同高の社会科教諭時代から、町田市の歴史に関する研究を続けている。今回の調査は、「原町田村古地図」という江戸時代の地図の写しを、所有者から見せてもらったことがきっかけとなった。
 古地図は、1767年に当時の原町田村の名主が描いた地図を元にしており、住居表示図の体裁。半農半商の生活をする53軒の家があり、村の中心は長さ約330メートルの原町田宿(現在の原町田3~4丁目)。矢沢さんは、原町田宿通りの道幅が周辺より一回り太い赤色で描かれていたことに注目した。
 江戸幕府がまとめた地理・歴史書「新編武蔵国風土記稿」の町田編の草稿(1814年)である八木家文書(神奈川県相模原市)を調べると、「原町田宿ノ内道巾ハ10間」と書かれていて驚いた。当時の街道の道幅は、9尺(約2・7メートル)が普通で、10間(18メートル)は日本橋など城下町の大通り並みになるからだ。英国人カメラマンのF・ベアトによる幕末の原町田宿通りの写真も見て、その広さを確認した。
 矢沢さんは、広さの理由を、江戸時代から1944年まで続いた「二六の市」で説明する。毎月2と6のつく日に開かれていた市で、広い通りは出店スペースとなり、出店者からは賃料を取っていたという。根拠となるのが、1922年の原町田道路図(所蔵・都南多摩東部建設事務所)。通りの道幅は約6・3メートルだが、両側に並ぶ民家との間には、それぞれ平均約5・85メートルの空き地(民有地)がある。通りとこの空き地を足すと、道路の幅は約18メートルとなり、八木家文書と一致する。
 八木家文書によると、原町田には水田がなかった。そのため、矢沢さんは「江戸時代、二六の市の賃料収入は貴重だったから、住民は家の前に広い空間を確保した」と結論づける。しかし、二六の市がなくなると、道路ぎりぎりまで家を建てるようになり、18メートル道路は姿を消したという。
 研究は、雑誌「地図中心」(09年12月号)に、「『原町田村古地図』と『原町田宿ノ道巾10間』の検証」として掲載されている。



神奈川
寄せ木細工:金子皓彦さんのコレクション展 座間できょうまで /神奈川
◇魅惑のモザイク
 世界屈指の寄せ木細工を見られる「魅惑のモザイク~金子皓彦 寄木細工コレクション」が座間市民文化会館「ハーモニーホール座間」で14日まで開かれている。世界的に著名なコレクターである金子さん所有の約2万5000点の中から、国内外で収集した江戸時代から現代までの150点が並ぶ。
 展示作のうち、明治時代に箱根で作られた「ライティング・ビューロー」は、大きな机で扉などが開け閉めできる仕組み。「もう二度と見られない素晴らしい作品ですね」と漏らす来場者もいる。金子さんは、海外の博物館から鑑定や助言を依頼されるほど寄せ木細工に詳しい。来場者の質問にも気軽に答え、幕末期の作品について「黒船で来航したペリーに、米国への帰国の土産として贈られた。開国にも貢献している」などと説明している。
 午前10時~午後5時、入場無料。14日は午後2~3時に金子さんのギャラリー・トーク、午前11時~午後5時は寄せ木細工の製作実演と小品販売が予定されている。【長真一】



長野
小諸市で鈴木善人顕彰の囲碁大会
 小諸市の鈴木翁之寿碑顕彰会は14日、「鈴木善人翁顕彰囲碁大会」を市内で開いた。小学生から70代までの52人が参加し、交流した。上田市出身で、棋譜解説など冊子の編集に携わった棋士六段の中山典之さん=千葉県=が2月中旬に病気で急逝したため、追悼コーナーも設けた。
 また、幕末から明治時代にかけて小諸を拠点に囲碁の指導をした鈴木の足跡をまとめた冊子の完成記念祝賀会も開いた。冊子はB5判、138ページで600部製作。問い合わせは徳田和美会長(電話0267・22・0506)へ。


静岡
郷土の名将しのぶ献茶祭前に 御前崎新野地区で新茶摘みと手揉み
 戦国時代に御前崎市新野地区の領主だった新野(にいの)左馬助(さまのすけ)(生年不詳~1564年)の遺徳をしのび、地域や茶業の発展を祈願する献茶祭(4月11日)を前に、献上する新茶の手摘みと手揉(も)みが14日、同地区であった。
 献茶祭は地区住民らでつくる新野左馬助公顕彰会が主催する恒例行事。手摘みには約50人が集まり、ハウス内で栽培した新茶の生葉18キロを丁寧に摘み取り、地元の丸池製茶に運んで市茶手揉み保存会が3キロの手揉み茶に仕上げた。
 左馬助は徳川家康側近の猛将井伊直政(1561~1602年)が2歳の時に命を助け、井伊家を救った情けの武将として知られる。幕末の大老井伊直弼が家来に左馬助の墓を探させ、1851年に見つかった。墓所の左馬武神社で毎年献茶祭が開かれる。
 顕彰会の鈴木東洋会長(84)は「左馬助公は情け深くて潔い自慢の領主。重要な産業といえるお茶を献上し、地域の発展を祈願したい」と語った。市茶手揉み保存会の中嶋誉明会長(60)は「御前崎で今年最初の新茶。心を込めて揉んだ」と晴れやかな表情だった。

(中野吉洋)


福井
平成独楽吟、曙覧賞に阿久津さん 一般短歌は朝日さん
 福井に生きた幕末の歌人、橘曙覧にちなんだ全国短歌コンクール「第15回平成独楽吟」(福井市、歴史のみえるまちづくり協会主催、福井新聞社など共催)の入賞作品が14日発表され、平成独楽吟部門最高賞の橘曙覧賞には青森県三沢市の阿久津凍河(とうが)さん(71)の「たのしみは漬物樽の大根に亡母(はは)のリズムで塩を振るとき」が選ばれた。同部門では、福井県内から福井市至民中3年の飛山日和さん(県知事賞)ら5人が入賞した。
 一般短歌部門では、橘曙覧賞に同市下森田町の朝日敏子さん(69)の「腑(ふ)のひとつ無くしし吾のうつし身に触れくる柚子(ゆず)を湯船にすくふ」が選ばれた。このほか、県内からは3人が入賞した。
 今回は、昨年より423首多い総数5195首の応募があった。平成独楽吟部門は4323首から入賞10首、学校賞1校、秀作20首を選考。一般短歌部門は872首から入賞9首、秀作21首を選んだ。
 福井市橘曙覧記念文学館で行われた表彰式には秀作を含む入選者25人が出席。平成独楽吟部門の審査委員長を務めた作家の定道明さんは、橘曙覧賞の阿久津さんの作品を「母が特別な存在であることがうかがえる。グランプリにふさわしい作品。満場一致だった」などと講評した。
 一般短歌部門橘曙覧賞の朝日さんの作品について、同部門審査委員長の歌人、福島泰樹さんは「臓器を失った体をゆずが癒やし、命の重みが伝わってくる」とたたえた。
 「たのしみは」で始まり、「とき」で終わる独楽吟は、曙覧が質素な生活の中で見つけた喜びを詠んだ短歌。


京都
【龍馬ゆかりの地を行く・京都番外編】謎残る新選組との接点
 坂本龍馬は心酔した幕臣、勝海舟の海軍操練所の設立に参加したが、元治元(1864)年6月5日に起きた池田屋事件で、新選組に切られた尊皇攘夷(尊攘)派の中に操練所の塾生がいたため、操練所は解散させられる。
 事件後、八坂神社と清水寺を結ぶ二年坂に続く産寧坂沿いにあり、龍馬も定宿にしていた明保野亭で尊攘派の残党を探索中の新選組らが長州浪士と間違って土佐藩士を負傷させた明保野亭事件も起きている。
 一方、龍馬は池田屋事件の3日前、操練所の塾生として「黒龍丸」に乗り江戸に向かうため京都を発(た)っている。
 このため、龍馬が事件をどう知ったかは不明だが、幕末史に詳しい霊山歴史館(京都市東山区)の木村幸比古・学芸課長は「龍馬は豪商の分家の出で損得勘定が働くというだけに事件当時、京都にいたとしても、むやみにやり返すようなまねはしなかっただろう」と推測する。
 思いとは別に池田屋事件を機に、龍馬は反乱分子として幕府から狙われることになる。だが、新選組と直接に対決したという記録や話は意外と出てこない。

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 龍馬の定宿、寺田屋のある京都・伏見。町中を通る豪(ほり)川沿いに酒蔵が立ち並ぶ姿は、京情緒を伝える景観のひとつだ。
 京都と大坂を結ぶ舟便の高瀬舟から三十石舟への乗り換え地でもあり、寺田屋は船着き場前という絶好の足場だった。
 八・一八政変以来、犬猿の仲の長州と薩摩両藩が同盟を締結した直後の慶応2(1866)年1月23日深夜、締結の立役者、龍馬が宿泊中の寺田屋が、幕府の捕り方に囲まれた。入浴中のお龍がこれに気づき、知らせたおかげで、龍馬は右手を負傷したが、間一髪で逃れている。
 寺田屋事件のときは伏見奉行所からの手配。そして慶応3年11月15日、盟友の中岡慎太郎と暗殺された近江屋事件は新選組という説もあるが、京都守護職配下の京都見廻組という説が通説とされる。これについて木村学芸課長は「龍馬は幕府からすれば第一級の政治犯。そんな大物を新選組が直接に取り締まるようなことはできなかった」と説明する。

 新選組同様も京都守護職配下だが、新選組が浪士だったのに対して見廻組は御家人。新選組は見廻組より格が下ということで、龍馬vs新選組は成立しなかったのだという。そういう意味では、直接的ではないにしても新選組との最大の接点は池田屋事件だったのかもしれない。

               ×  ×  ×

 龍馬は、新選組をどのように見ていたのだろうか。壬生の八木邸(京都市中京区)を拠点に新選組が結成された文久3(1863)年ごろ、龍馬とお龍が知り合ったとされる。
 八木邸から北東に徒歩約15分、龍馬とお龍が出会ったとされるエノキが武信稲荷神社に残る。風雲急を告げる時代とはいえ、いささかゆるやかな風も残っていた時代だったのだろう。
 しかし、狙われて以後の龍馬は、新選組も所司代も関係なく、身の危険を感じていた。海援隊屯所の「酢屋」ですら「今のウイークリーマンションのようなもの」(木村学芸課長)というほど、龍馬は居場所を転々と変え、活動範囲はつねに土佐藩邸など、いざという場合に逃げ込める場所の近くを選んでいる。
 しかしながら、近江屋は、土佐藩邸とは河原町通を隔てた斜め向かいにあったにもかかわらず、龍馬の終えんの地となる。皮肉な運命としかいいようがない。(園田和洋)


佐賀
「平成の寺子屋」で折り紙など楽しむ 小城・深川家住宅
 市民に折り紙や書道などを手ほどきする「平成の寺子屋inおぎ」が13日、小城市小城町の国登録有形文化財「深川家住宅」であった。同市CSO市民活動センター「ようこそ」(西岡久富美(ひふみ)代表)の会員たちが講師を務めた。
 深川家住宅は幕末の建築と伝えられ、昨秋から不定期で公開中。現在はひな飾りが施され、22日までの金曜‐日曜日と祝日に公開されている。


ブックレビュー
【新書】『幕末維新を「本当に」動かした10人』松平定知著
◎『幕末維新を「本当に」動かした10人』松平定知著(小学館101新書・756円) 元NHK「その時歴史が動いた」キャスターによるシリーズ第2弾。番組の名調子そのままに、龍馬、篤姫と和宮、近藤勇と土方歳三ら、大河ドラマの主役級を並べるが、10人目には意外な人物も。


【著者に聞きたい】秦郁彦さん『靖国神社の祭神たち』
■近現代史、生々しく映す

 坂本龍馬=◯、西郷隆盛=×、武市半平太=◯、岡田以蔵=×、蛤御門の変の会津藩兵=◯、八甲田山の遭難将兵=×、シベリア出兵中の尼港事件で殺害された在留邦人=×、ソ連参戦後、樺太・真岡電話局で自決した女性交換手=◯…。
 以上は、靖国神社への合祀(ごうし)の有無をめぐる本書の事例研究のほんの一部だ。左右を問わず心情的、観念的議論に傾きがちな靖国論が多いなか、著者・秦郁彦さんはあくまで事実関係の解明に徹する。「特定の運動や哲学にコミットすることなく、どういう人が読んでも資料になる本を意識して書いたつもりです」
 明治2年に前身である東京招魂社が創建されて以来、現在までに祭神は246万余柱。秦さんは、祭神を大きく2種類に分ける。圧倒的多数を占める対外戦争の戦没者と、明治維新前後を中心とした「国事殉難者」だ。第二次大戦のA~C級戦犯、いわゆる「昭和殉難者」も、秦さんは後者の系統の中に位置づける。最も話題となるA級合祀の経緯については、特に一章を設けてその真相に迫った。「ただ、靖国神社も宮内庁も肝心の上奏文と提出名簿を見せてくれないんですよ。だから完全に詰め切れず、やや両論併記的になったのが心残りですが、推論で書くよりはと思った。これをきっかけに決め手の資料が出れば」
 だが本書の重点はむしろ、「昭和殉難者」の起源といえる明治期の「国事殉難者」の合祀事情にあるという。「誰をまつり、誰をまつらないかというところに政治判断が出るわけです。当然そこから明治新政府の歴史認識が見えてくる」
 合祀の基準は、政治や社会とともに徐々に変化していった。近代国家の形成期から国家総力戦の時代、そして戦後へ。日本近現代史を生々しく映した神社の姿が浮かび上がる。(新潮選書・1365円)
 磨井慎吾

                   ◇

【プロフィル】秦郁彦
 はた・いくひこ 昭和7年、山口県生まれ。東大法学部卒業。法学博士。大蔵省財政史室室長、プリンストン大客員教授、千葉大教授などを歴任。『昭和史の謎を追う』など著書多数。






 用事があって朝9時前に家を出たのですが、その時点で外気温は20度(汗)……明日は冷えるとかで、気温の上下が激しい彼岸前です。

静岡
「伯理璽天徳」と書いて…
 幕末、米大統領がペリーに託して日本に開国を促した親書の和訳写本が、ゆかりの下田市・了仙寺へ寄贈された。同寺はすでに漢文を書き下した写本3部を所蔵しているが、今回の写本は、書き下し文とともに漢文体も収められている。松井大英住職(52)は「貴重な資料だ。まだ詳しく見ていないが、漢文がどんな内容なのか興味深い」と話している。(阪本昇司)
 写本を寄贈したのは岐阜県土岐市の近代仏教史研究家柏木隆法さん(60)。約10年前、先祖が幕府の役人だったという横浜市の旧家で見つけ、持ち帰った。最近、資料整理をしていて改めて写本の存在に気づき、「開国資料のひとつとして役立ててほしい」と、日米和親条約の細則を定めた日米下田条約の締結場所である了仙寺へ寄せた。
 写本の表紙には、嘉永6(1853)年の日付とともに「合衆国伯理璽天徳書翰漢文和解書」と記されていて、「伯理璽天徳」は「プレジデント」と読める。内容は「捕鯨のため中国へ行く船が多い。日本海岸に近づく船が遭難した場合、救助してほしい。蒸気船などが石炭や食料、水を得るために日本に入ることを許してほしい」などとしている。ペリーへの信任状やペリー自身の親書などもあり、いずれも漢文体と書き下し文が収められている。
 松井住職と柏木さんによると、原文の親書は嘉永6年6月、神奈川県・久里浜で幕府がペリーから受け取った。約1カ月後、老中阿部正弘が、和訳、写本させ諸大名や幕臣に配り、建白を許したという。写本は繰り返されたとみられ、はっきりした数はわかっていない。翌年、日米和親条約と日米下田条約が結ばれ、下田、函館両港が開港された。
 松井住職によると、今回寄贈された写本には、収蔵している写本にはない、ペリーの日本到着後の日付がある文書も含まれているという。松井住職は「漢文と書き下し文の違いがあるかも知れない。意識的に文章を換えることもあるようなので、専門家に詳しく調べてもらう」と話している。


三重
武士の給与明細、文化財に…名張藤堂家家臣あて
 三重県名張市教委は、江戸時代初期、名張藤堂家当主の藤堂高吉が上級家臣だった田中文兵衛に与えた村名と石高を書いた3通の文書「村部家旧蔵田中文兵衛知行文書(むらべけきゅうぞうたなかぶんべえちぎょうもんじょ)」を、市文化財(書跡)に指定したと発表した。
 市教委は「名張藤堂家の内政を知るうえで貴重な資料」と評価している。
 3通は、縦32・5センチ、横39~49センチの和紙で、寛永14年(1637年)~承応2年(1653年)に書かれた。年代順に見ると、1通目は伊勢飯野郡上七見村で70石、多気郡大垣内村で50石の計120石を給付されたことが書かれている。
 2通目には、伊賀名張郡瀬古口村で30石、3通目には伊勢多気郡川尻村で30石をそれぞれ加増されたことが記され、名張藤堂家も本家の津・藤堂藩と同様、村を指定して家臣に与え、得られた年貢を家臣の収入とする「地方(じかた)知行制」を採用していたことを裏付けている。
 市教委は「知行として田中文兵衛に与えた村は、地元の名張だけでなく伊勢にも分散している。災害時の収入減や、与えられた村と家臣が強く結びつくことを回避するねらいがあった」と分析している。
 田中文兵衛は、伊予・今治で藤堂高吉に仕え、名張藤堂家でも監察役の「大横目付」の役職で200石を与えられたとされる。晩年、高吉から村部次左衛門の名を賜り、高吉が亡くなった翌年の寛文11年(1671年)に没した。村部家は幕末まで8代にわたって名張藤堂家に仕え、2代目以降は十文字槍(そう)術師役を務めた。
 3通の文書は2007年、村部家の子孫が名張市に寄贈。名張藤堂家が家臣に発給した知行文書としては初めて見つかった。市教委が内容を詳しく調査し、08年4月、市文化財調査会に諮問、市の指定文化財とするよう答申を受けた。今回の指定で市内の指定文化財は76件(国指定8件、県指定13件、市指定55件)になった。


京都
「容保桜」の案内板に感慨 京都府庁、ゆかりの会津若松関係者
 京都市上京区の京都府庁旧本館で見つかったヤマザクラとオオシマザクラの特徴を持つ「容保(かたもり)桜」の案内板除幕式が12日、現地で行われた。命名の由来となった京都守護職で会津藩主の松平容保とゆかりが深い福島県会津若松市の関係者も式に参加し、明治期に「逆賊」のレッテルを張られた容保の復権に感慨を深めた。
 容保桜は桜守の佐野藤右衛門さん(81)が見つけ、京都守護職の上屋敷が府庁のある場所にあったことにちなんで命名した。ヤマザクラでありながら花が大ぶりで、表皮はオオシマザクラの特徴があるという。
 容保と会津藩は新選組とともに京都の治安維持に当たったが、1868年の「鳥羽伏見の戦い」を境に新政府軍から「朝廷に背く賊軍」の烙印(らくいん)を押され、京都を追われた。除幕式に出席した京都會津会の岸弘幹事長(71)=京都府精華町=は「容保公の名誉回復につながり、会津出身者にとって喜ばしい」と容保桜に目を細めた。
 京都外国語大との交流で京都を訪れていた会津大大学院2年の平田幸介さん(24)=会津若松市=も「地元住民は容保公への思い入れが今も強い。容保桜が会津若松市と京都市の交流が深まるきっかけになれば」と期待していた。
 容保桜の命名は福島県にも報道で伝わっており、佐藤雄平同県知事、菅家一郎会津若松市長から「容保公の名がゆかりの地に刻まれることは県民にとって大きな誇りであり、深く感謝申し上げます」とメッセージが寄せられるなど喜びが広がっている。


香川
郷土の傑物足跡たどる/「日柳燕石ゆかり展」
 琴平町が生んだ幕末の勤王家、日柳燕石(くさなぎえんせき)にまつわる品々を公開する「日柳燕石ゆかり展」が、同町の町立ギャラリー・ACTことひらで開かれている。町内の家庭などに保管され、これまで一般に公開されていなかった書籍や掛け軸などが郷土の傑物を紹介している。4月25日まで(水曜休館)。
 燕石は1817(文化14)年、天領だった榎井村(現在の同町榎井)の豪農商家に生まれた。数多くの漢詩をつくるなど才能を発揮したほか、勤王思想に感化され、明治維新に貢献したという。
 ゆかり展は、先人の活躍を広く伝えようと同ギャラリーが企画。燕石をたたえようと活動する町内の「燕石会」や「日柳燕石先生顕彰会」の会員ら、町民約20人が協力し、展示する機会の少なかった“秘蔵”の逸品約100点を持ち寄った。
 会場には、燕石が「柳東(りゅうとう)」の雅号でつくった漢詩を自書した掛け軸がずらりと並ぶほか、高杉晋作ら3人の似顔絵を描いた指名手配書、晋作をかくまった罰として獄中で過ごした約4年間に書き上げたという「皇国千字文(こうこくせんじもん)」なども展示している。


高知
龍馬が食の“宣伝隊長” 品名や包装イラスト…高知で商談会
「全国から注目好機生かす」

 高知県産食材や加工食品の販路拡大を図るため、県内外のスーパーや百貨店などの仕入れ担当者に売り込む商談会「四銀『食』の商談会」が12日、高知市九反田の市文化プラザ・かるぽーとで開かれ、県内の農家や食品加工業者が63ブースを設け、自慢の一品を売り込んだ。〈龍馬イヤー〉にちなみ、ロビーには幕末の志士・坂本龍馬の関連商品を紹介するコーナーも設けられた。


 四国銀行が2008年から毎年開いているイベントで、08年は270件の商談で33件、09年も350件の商談で50件が成約した。今回は、同行が県と産業振興に関する包括協定を結んで初めての取り組みとなった。
 会場前のロビーには、龍馬にちなんだ商品の展示ブースを設け、龍馬と銘打った酒やアイスクリーム、人気漫画「おーい!竜馬」のイラストがパッケージに描かれた芋けんぴ、みそ、ジュース、ゴルフボールまで約30種類の商品が並んだ。
 商談会でも龍馬関連の商品が目立ち、芋けんぴ販売ブースの担当者は「龍馬をテーマにした催しは全国的にも多い。パッケージが龍馬というだけで、高い関心を持ってもらえる」と笑顔。
 半年前に開業し、独自ブランドの天然塩を出品した田野町の佐藤京二郎さん(38)は「(商談会は)食べた人の反応がすぐに分かるのが魅力」とし、中土佐町の地場商品を開発する「ど久礼もん」の川島昭代司理事長も「商談を重ねるうち、バイヤーと相談しながら商品を磨いていく必要性に気付かされた」と話していた。
 青木章泰頭取は「商談を通じ、素材だけではなく加工や包装を含む商品全体の魅力が求められていることを理解してほしい。龍馬ブームで全国から注目されているチャンスを十分に生かして」と期待していた。



鳥取
番所でござる 若桜駅横に宿場町再現
 幕末、藩の出入りを警戒した若桜町の浅井番所の門などが若桜鉄道・若桜駅横に“再現”された。実際に番所が置かれたのは、町の中心部を流れる八東川をはさんで若桜宿の向かいにある浅井集落のはずれだったが、SLが走り若桜の観光スポットになっている駅に町が再建した。太さ35センチの杉を角材を使った堂々とした門と木塀、由来などを記した銘板があり、宿場町の雰囲気を醸している。
 浅井番所は、新撰組が作られた文久3(1863)年に設けられた。維新の5年前で国中が沸騰していた時代。国境の取り締まり強化のため智頭、鹿野、岩井とともに置かれた。若桜は、但馬、播磨、美作に通じる交通の要所で人々の往来が盛んだった。
 他国からの来訪は、摩尼寺や三徳山への参詣客、吉岡温泉や岩井温泉への湯治客、繭から糸を取り出す作業に出稼ぎにくる女性などが多かったという。番所では入国者から名前と行き先を聞き、不審者は追い返した。荷物も内容と送り先を届けさせたという。明治2(1869)年に廃止された。【大川泰弘】


江戸期の史料など4000点 岩美の旧家から発見
 鳥取県岩美町で江戸時代に大庄屋を務めた中島家に、江戸から昭和にかけての行政史料や蔵書約4千点が保存されていることが、県立博物館の調査で12日までに分かった。中でも江戸前期から中期の古活字本などの史料が、大量に残ったのは県内に例がなく、当時の藩政や地域の実情を伝える。廃棄寸前に町民が史料を引き取ることで、貴重な文化財を守った。
 確認された史料は、1624~1818年の間に鳥取藩からの通達や日々の出来事を記した大庄屋の日記約100冊、100年分など江戸時代の行政史料2千点▽江戸時代の蔵書500点▽明治から昭和までの公文書など1500点。

□県内で初確認□

 中島家は、岩井郡大谷(現・岩美町大谷)で、江戸初期から幕末にかけて同郡の大庄屋を務めた。現在の当主・中島俊一さんは東京在住。日記は東京で保管していたが、2007年に老朽化した岩美町の家を取り壊すことにした。
 取り壊しの直前に、残っていた史料を松本美佐子さん=同町大谷=ら町民が、大谷地区の自治会長(当時)、大西将さん宅に運んだ。松本さんは県史編さん室の坂本敬司室長に連絡。坂本室長と県立博物館の大嶋陽一学芸員が調べて貴重な史料と判明し、今年1月に同館に寄贈された。
 蔵書は写本が中心。多くは実際に起こった敵討ちや、お家騒動を題材にした実録本で約100冊ある。写した年月日を明記しており最古は1602年。
 実録本のうち90冊は、1757~90年にかけて7代目当主の正之が書き写し、86年には29冊と精力的に写本している。
 さらに1590~1630年代に活字を使って出版された「古活字本」の「塵滴(ちんてき)問答」と「弁慶双紙」が現存。古活字本が現存するのは珍しく、県内では初めて確認された。

□奇跡に近い□

 県立博物館の古文書解読ボランティアを務める松本さんは「初めて史料を見たとき、大変なものが出てきたと興奮した。町民の協力で貴重な史料が残ってうれしい」と喜ぶ。
 米子高専の原豊二准教授(国文学)は「江戸初期の1600年代の写本や古活字本は貴重。当時の本は古本屋に買われるなどで転々とすることが多く、手付かずのまま大量に残ったのは奇跡に近い。町民の機転で全国的に重要な史料が残った」と評価する。
 「江戸時代後期以降の史料はよくあるが、前期から中期の史料がこれほど残っているのはほかにない。写本は地域の財産として残そうとしたもので当時の文化の高さを示す」と話すのは坂本室長。
 大嶋学芸員は「実録本は出版が禁止されており、筆写して人に貸すなどで流通した。本の入手ルートを解明すれば、大庄屋や武士、町民など身分や国を越えたネットワークが分かるのでは」と、今後の研究に意欲をみせる。


エンターテインメント
桜田門外ノ変 幕末に国を思うこととは 歴史の意味、問い直す 水戸に本格セット、10月公開へ
 1860年の旧暦3月3日、水戸藩の浪士らが、彦根藩主で江戸幕府の大老井伊直弼を江戸城桜田門外で襲撃し暗殺した。150年前の大事件だ。吉村昭の小説「桜田門外ノ変」を原作とする同題の映画(佐藤純弥監督、東映配給)の撮影が、10月の公開に向けて進められている。
 原作と同様、映画も暗殺事件の現場指揮者、関鉄之介を主人公として描かれる。関を演じるのは大沢たかお、水戸藩主徳川斉昭に北大路欣也、井伊直弼に伊武雅刀。
 昨年が水戸藩開藩400年だった茨城県水戸市の千波湖のほとり、東京ドーム1個分の広い敷地にオープンセットができていた。雪化粧をした桜田門や堀、彦根藩などの大名屋敷を、2億円強を投じて再現した。セットを訪れたとき、ちょうど襲撃の場面を撮影中だった。
 襲撃の実行部隊は、水戸脱藩士17人と薩摩藩士1人の計18人。現場で1人が死亡、明治期まで生き延びた2人を除く15人のほとんどが事件後自刃したり死罪に処せられたりした。関も約2年間の逃亡の末に捕らえられ、処刑された。
 映画は関を「歴史のヒーロー」として描いているのではない。関はなぜこの事件にかかわったのか、事件後の逃亡中に何を考え悩んだのかを見つめることで、この時代の意味を、ひいては現代の日本を考える手掛かりに-という制作趣旨だ。
 映画「世界の中心で、愛をさけぶ」(2004年)やテレビドラマ「JIN-仁-」(09年)など多くの作品に主演している大沢。会見で「幕末には、歴史に残っている人だけでなく、いろんな人が国を思い未来を思って行動したということに共感を覚えます。この映画が、今を生きる人に勇気を与えることができれば」と語った。
 この事件で敵対した水戸(茨城県)と彦根(滋賀県)は、明治維新100周年の1968年10月、長年のわだかまりを乗り越えて和解し親善都市を結んでいる。
 撮影中のオープンセットのすぐ横、千波湖の湖面を白鳥が泳いでいた。友好の印に彦根市が水戸市に贈った白鳥という。
 (井手俊作)


ファミリーマート、「劇場版 銀魂 新訳紅桜篇」とタイアップ
デジタル特典付き映画前売券(2種類)をファミリーマート限定で発売開始!
~劇場版 銀魂グッズも「ファミマ・ドット・コム」サイトで発売~

 株式会社ファミリーマート(本社:東京都豊島区/代表取締役社長:上田準二)とファミリーマートのサービス企画・運営を手がける株式会社ファミマ・ドット・コム(本社:東京都豊島区/代表取締役社長:浦元康彦)は、4月24日(土)公開予定の映画「劇場版 銀魂 新訳紅桜篇」とタイアップし、ファミリーマート限定デジタル特典付き映画前売券(2種類)を全国のファミリーマートで発売いたします。

また、劇場版 銀魂グッズもファミリーマートのインターネットショッピングサイト「ファミマ・ドット・コム(http://www.famima.com)」にて3月16日(火)より予約販売を開始いたします。

■「劇場版 銀魂 新訳紅桜篇」
【作品概要】
*原作:空知英秋(集英社「週刊少年ジャンプ」掲載)
*監督:高松信司
*監修:藤田陽一
*キャスト: 杉田智和 阪口大助 釘宮理恵 石田彰 子安武人 千葉進歩 中井和哉 鈴村健一 日野 聡 山寺宏一
*公開日:2010年4月24日(土)

週刊少年ジャンプの看板コミック『銀魂』 テレビシリーズから、いよいよ“銀幕”へ!
週刊少年ジャンプにて連載中で関連書籍も含めると3000万部を超える大ヒット作品、大江戸SFギャグ漫画『銀魂』がいよいよ2010年GW待望の「劇場版アニメ化」。こんな男、かつて見たことない!!型破りなジャンプヒーロー・坂田銀時を主人公に、動乱の幕末を斬新な切り口でアレンジ。抱腹絶倒のギャグと壮絶アクション、そして熱い人情をも詰めこんだ天下無敵の痛快エンターテイメントです。

■ファミリーマート限定デジタル特典付き全国共通前売券(2種)発売!
ファミリーマート店内に設置しているFamiポートにて、ファミリーマート限定デジタル特典付き映画前売券(2種類)を発売します。
ファミリーマートで前売券をご購入いただくと、描きおろし絵を使用した携帯電話用のオリジナルFlash待受がダウンロードできます。Flash待受は、第1弾が「銀さんバージョン」、第2弾が「白夜叉バージョン」となり、購入期間を分けて2種類発売します。
第1弾は4月12日(月)まで、第2弾は4月13日(火)から4月23日(金)まで、Famiポートの「チケットぴあ」→「映画前売券」よりご購入いただけます。

詳細は、「ファミマ・ドット・コム」サイトの映画券ページ
(http://www.famima.com/contents/service/pia_cinema/index.html) をご確認ください。

【商品概要】

商品名:ファミリーマート限定「劇場版 銀魂 新訳紅桜篇」デジタル特典付き前売券 第1弾銀さんバージョン
価格:一般(高校生以上)1,300円(税込) 小人(3歳~中学生)800円(税込)
販売期間:~4月12日(月)まで
特典内容: 描きおろし絵を使用したデジタル特典(携帯電話用のFlash待受「銀さんバージョン」)がダウンロードできる
    (1)待ち受け表示毎にランダムで絵が変化。レアパターンも??
    (2)桜の花びらの量で電池残量を表現
    (3)映画公開日までのカウントダウンにエリザベスが??


商品名:ファミリーマート限定「劇場版 銀魂 新訳紅桜篇」デジタル特典付き前売券 第2弾白夜叉バージョン
価格:一般(高校生以上)1,300円(税込) 小人(3歳~中学生)800円(税込)
販売期間:4月13日(火)~4月23日(金)まで
特典内容: 描きおろし絵を使用したデジタル特典(携帯電話用のFlash待受「白夜叉バージョン」)がダウンロードできる
    (1)待ち受け表示毎に、抜刀&刀のきらめきで電池残量を表現
    (2)100分の1の確立でレア画像に変化??
    (3)映画公開日までのカウントダウンにエリザベスが??


■ファミリーマート店頭雑誌コーナーにて関連書籍発売(店舗限定)
ファミリーマート一部店舗では、店内の雑誌コーナーにて、はじめて「銀魂」を読む人にもわかりやすく、面白く読める「銀魂総集編 たまはじめ」を展開いたします。

また、4月2日(金)にジャンプコミックス『銀魂』33巻を4月30日(金)に34巻を発売いたします(各定価420円)。


商品名:集英社マンガ総集編シリーズ『銀魂総集編 たまはじめ』
価格:500円
発売日予定(重版日):4月16日(金)
内容:初めて読んでも、どこから読んでも、面白い、500ページ超の大ボリュームで、ジャンプ本誌と同じサイズ。


■「劇場版 銀魂」グッズ予約販売開始!
「劇場版 銀魂」グッズを、インターネットショッピングサイト「ファミマ・ドット・コム」サイトにて3月16日(火)より予約販売を開始いたします。特に、坂田銀時のリアルフィギュア劇場版限定Ver.は、ファミマ・ドット・コム限定先行予約商品です。

【商品概要】

★ファミマ・ドット・コム限定先行予約商品★
商品名:G.E.M.シリーズ 劇場版 銀魂 新訳紅桜篇 坂田銀時 お妙さんから借りた番傘・木刀付
価格(販売価格):8,295円(税込)
商品概要:『俺だっていい年こいてヤンチャなんかやりたかねーけどよ』主人公、坂田銀時のリアルフィギュア劇場版限定Ver.登場。紅桜篇の各シーンを完全再現しました。全長245mmの彩色済みフィギュアです。
予約期間:3月16日(火)~4月19日(月)
お渡し日:8月(予定)
©空知英秋/劇場版銀魂製作委員会


商品名:G.E.M.シリーズ 銀魂 土方十四郎
価格(販売価格):6,930円(税込)
商品概要:『スゲーや土方さん、カツ丼を犬のエサに昇華できるとは』
土方スペシャルフィギュアがついに完成しました。もちろん、マヨネーズなしでも飾れます。全長250mmの彩色済みフィギュアです。
予約期間:3月16日(火)~4月19日(月)
お渡し日:6月(予定)
特典:土方の純金マヨネーズを商品を購入いただいた方の中から抽選で1名様にプレゼントいたします。また、はずれた方にも金メッキのマヨネーズを50名様にプレゼントいたします。詳細は、商品パッケージに記載しております。
©空知英秋/集英社・テレビ東京・電通・サンライズ


※その他、映画主題歌のCDやドラマ版「銀魂」のDVDなど、関連商品も販売いたします。詳細は、「ファミマ・ドット・コム」の「劇場版 銀魂」特集ページ(http://www.famima.com/disp/CFmDispListPage.jsp?dispNo=001009078)をご確認くださ
い。
※商品は数に限りがございますので、あらかじめご了承ください。

以上

関連URL:http://www.famima-com.co.jp/news/2010/20100312_185.html




 陽差しは春らしくなりましたねぇ……週間予報を見ると、まだ来週に最低気温が3度という日が何日かありますが、最高気温が10度以下という日はないようです。波はあっても確実に春になりつつあるのですね。

栃木
多宝塔拝んだ? 岬を確認 足利の国史跡・樺崎寺跡
 足利市教委は十一日、同市樺崎町の国史跡・樺崎寺跡で進めている発掘調査の結果、園池の北部東岸に張り出した部分が岬だったことなどを新たに確認したと発表した。十四日に一般向けの現場説明会を開く。
 岸が張り出した部分や周辺を詳しく調べたところ、西側の山へ延びていることが分かった。市教委は、人々が岬の先から、正面の山にあった多宝塔を拝んでいたと推測。多宝塔が建てられた鎌倉時代から岸は岬だったとみられる。
 この寺は一一八九年、源姓足利氏二代目の足利義兼が奥州藤原氏との戦いに出発する際、戦勝祈願のために創建したとされる。明治維新後の神仏分離令によって廃寺となったが、鎌倉時代初期の浄土庭園をもつ貴重な寺院遺跡として二〇〇一年に国史跡に指定された。市教委は一九八四年度から発掘調査を続け、史跡指定後は保存・整備を進めている。
 説明会は午前十時半から。問い合わせは市教委文化課=(電)0284(20)2230=へ。 (清水祐樹)


千葉
特集:09年度毎日・わがまちPRコンクール 郷土愛、かるたに込め
 09年度「毎日・わがまちPRコンクール」(毎日新聞社主催)の入賞者がこのほど決まった。最優秀賞は、子どもたちへ郷土の歴史を伝えるための、かるたづくりをつづった千葉県佐倉市の主婦、坪井栄子さん(67)の「『佐倉こどもかるた』より」が選ばれた。優秀賞は地元の安心して歩ける道について語った、東京都日野市の大西賢さん(37)が受賞。優良賞は福島市の高村亮一郎さん(51)、神奈川県三浦市の横山恭子さん(26)に、それぞれ贈られた。同コンクールには毎日新聞東京本社管内の16都県から108件の応募があった。

■最優秀賞

◇城下町400年の歴史、伝えたい--坪井栄子さん(67)=千葉県佐倉市
 夢と病が織り成す半生で、見つけた生きがいのひとつが「佐倉こどもかるた」。その経緯をつづった一文が最優秀賞に輝いた。
 「かるた」との出会いは群馬県だった。冬はスキー、夏は避暑に、毎年訪れる草津で「上毛かるた」を目にする。「子どもたちに夢と希望を与え、郷土愛と日本国民としての誇りをもってもらいたい」との思いで戦後、地元の有志らの呼びかけで作られた同かるたは、総発行数100万組を突破。かるた大会などを通じ、子供たちが「郷土」に親しみを感じるために一役買っている。それを手にした瞬間、「これだ」と思う。というのも常々、「城下町として400年余の歴史を持つ佐倉の歴史を子供たちに伝えたい」との思いがあった。
 製作に取り掛かったのは08年5月。今も通う「佐倉市民カレッジ」の2年生の時だ。
 授業で出された課題が「まちづくり」。早速仲間に、かるたづくりを呼びかけたところ15人が賛同。「あいうえお」44文字、言い換えれば数ある史跡の中から44カ所に絞り込む作業からはじまった。場所が決まれば次はそれぞれが分担して「取材」。提案者自ら「う」の「臼井宿」、「た」の「竹若丸」など3カ所を担当した。
 東京に生まれ、2歳の春に「東京大空襲を母の背中で逃げ惑ったことだけ覚えている」という。その母の影響か、5歳で俳句に興味を持つ文学少女でもあった。それゆえに自ら「原稿用紙症候群」と言わしめるほど書くことが好きになる。それに2度の病が行動力を付加させた。
 2歳年上の浩さんと結婚後、肺の病で4年間苦しんだ。手術で健康を取り戻した直後、夫の勤めの関係でアラスカへ。そこでスキーを覚えたことが後の人生を大きく変える。
 スキーの指導員になりたくて1級まで上り詰めるがそこでまた壁が。一時的に記憶が途絶える病で夢をあきらめる。ならばと市民カレッジへ入学した。かるたが完成した今は、取り上げた史跡を、問い掛け形式で紹介する小冊子の編集に汗を流す。「『かるた』、さらにはこの小冊子が学校の副読本に採用されるのが当面の夢」という。
 その傍ら、身についた行動力はとどまることを知らない。今でも夫の実家のある東久留米市スキー連盟(東京都)に所属。「孫2人を指導したい」と年間30日ほどは板を履く。さらに夏はゴルフ、テニスと忙しい。本人いわく「必殺遊び人」の生活はまだまだ続きそうだ。
(要旨)
 幕末。時の老中、堀田正睦(まさよし)が5代目藩主である佐倉藩(千葉県佐倉市)は、もともと幕閣の中心人物が入封するという重要な藩であった。正睦も日米通商条約交渉の責任者で日本を鎖国から開国へ導いた。その佐倉、城下町としての歴史は古く、約400年たった今も基本的な町割りは変わらず、往時をしのばせる建物や史跡が多い。
 私は現在、4年制市民カレッジの3年生に在籍。2年生の時に「まちづくり」という課題を与えられ、私の発案で集まった16人が「佐倉こどもかるた」作りに取り組んできた。
 紹介したい事項は多いが、「あいうえお」44文字にするために、絞り込み、かるた文を推敲(すいこう)し、絵も皆でパソコン等も利用して描き、とりあえず2個の箱入りの手作りかるたを仕上げた。3年生の現在は、それらの解説文と、「しってるかい?」という内容に付随した問い掛け形式の小文を創作し、小冊子の編集を行っている。
 全部を紹介したいが、その中のいくつかで、素晴らしい魅力あふれる佐倉市を知ってもらいたい。

「て」 展示見て 日本史学べる 歴博館
 旧佐倉藩居城跡の城址(じょうし)公園の一角に国立歴史民俗博物館がある。日本最大の同博物館は歴史学、考古学、民俗学の3分野にわたる数多くの資料と大小さまざまな模型、ジオラマ等が展示されている。

「に」 西の長崎 東の佐倉 近代医学の順天堂
 江戸で評判の蘭医・佐藤泰然は、堀田正睦の招きで同市に蘭医塾兼診療所順天堂を開いた。同診療所の一部は記念館として公開されている。

 「ふ」 風車が目印 ふるさと広場 ぼくらが咲かせる チューリップ
 日蘭修好400周年を迎え、印旛沼のほとりに造られた「佐倉ふるさと広場」では大型風車が回っている。毎年4月に開催される「チューリップ祭り」には50万本もが咲き誇る。


神奈川
寄せ木細工、逸品を展示
 寄せ木細工のコレクターで研究者の金子皓彦(てるひこ)さん(68)=大和市在住=が、収集した2万5千点の中から厳選した174点を公開する「魅惑のモザイク」展が、座間市緑ケ丘1丁目のハーモニーホール座間で開かれている。国内はもとより、海外に流出した作品を買い戻すなど、約20年間にわたって集めた逸品ぞろいだ。
 金子さんは元東京女学館大学教授(考古学・博物館学)で、現在は座間市文化財保護委員会会長を務める。たまたま骨董(こっとう)品店の店先で見つけた寄せ木細工の美しさに魅せられ、「日本の財産。これは残さなければいけない」と思ったのが収集のきっかけ。仕事で海外の博物館に行く機会も多く、江戸時代から明治にかけて輸出されていた品物を買い集めてきた。
 寄せ木細工の中でも、家具や調度品などの大型のものは静岡で発達。箱根では江戸時代後期に土産物として作られたが、明治以降は外国人向けに家具を作って輸出もしていたという。こうした歴史は職人自身の手で記録されることはほとんどなく、金子さんは浮世絵や古い写真をもとに、箱根の店先に並んでいたことなどを調べ上げた。
 寄せ木細工は、幕末の頃から海外にも知られた。黒船でやってきたアメリカのペリーが日米和親条約を締結後、幕府から贈られた品物の中に寄せ木細工が含まれ、イギリスの外交官アーネスト・サトウも箱根で寄せ木細工を買ったとの記述があるという。
 コレクションは自宅には収まらず、普段は借りた倉庫で保管している。金子さんは「この機会に、多くの人に見てもらいたい」と話している。展示は14日まで。13日と14日にはそれぞれ午後2時から、金子さんによるギャラリートークがある。入場無料。

(関根光夫)


京都
京都府庁に「容保桜」 会津藩主にちなみ命名
 京都府庁旧本館の中庭にある珍しいヤマザクラが、京都守護職だった幕末の会津藩主松平容保(1835~93年)の名にちなんで「容保桜」と命名され、12日に案内板の除幕式が行われた。
 命名したのは現代の桜守として知られる造園家の佐野藤右衛門さん。佐野さんの調査で、中庭にあるサクラのうちの1本が、ヤマザクラの亜種でオオシマザクラの特徴も併せ持つ珍しい品種と判明した。通常のヤマザクラと比べて花びらが大きいのが特徴という。
 佐野さんは、現在の府庁の敷地に京都守護職上屋敷があったことにちなんで、府に容保桜の名前を提案。14代当主の松平保久さんの了解を得て命名した。
 府庁旧本館は1904年に完成したれんが造りの本格的西洋建築で、国の重要文化財。西欧風の中庭には容保桜以外にもシダレザクラなどが植えられ、4月には見ごろを迎える。


最古級の高麗仏画、宮津の集落風景など
府文化財 新たに11件

 京都府教委は11日、府文化財保護審議会(永井規男会長)の答申を受け、府文化財として世界最古級の高麗仏画「絹本著色弥勒下生変相図(けんぽんちゃくしょくみろくげしょうへんそうず)」(京都市左京区・妙満寺蔵)を指定するなど新たに11件を指定、登録、選定した。府文化財は計686件(指定403、登録206件など)となる。

 「弥勒下生変相図」(縦227センチ、幅129センチ)は、銘文から高麗の宮廷画家李晟(りせい)によって1294年に制作されたことが判明。赤や緑の顔料を多用するなど高麗仏画の特徴を備えている。年代などが確認できる宮廷画家の作品としては世界最古という。

 そのほかの府指定・登録、選定文化財は次の通り。

◇…指定…◇

 【建造物】建仁寺法堂(はっとう)ほか8棟(東山区)法堂は1765(明和2)年上棟で、正統的な形式の大規模な禅宗様仏堂として貴重。ほかに浴室や大鐘楼が指定▽斎(いつき)神社本殿(綾部市)一間社流造で部分的に禅宗様が取り入れられており、室町中期の建築とみられる。

 【美術工芸品】絹本著色虚堂智愚(きどうちぐ)像(北区・瑞峯院)日本の臨済禅に大きな影響を与えた中国南宋の禅僧智愚を描いている。智愚の自賛から1265年制作と判明▽木造十一面観音坐像(ざぞう)・木造不動明王、毘沙門天立像(りゅうぞう)(舞鶴市・満願寺)坐像は1218(建保6)年、大仏師僧寿賢が造立、作者や年代が判明する鎌倉前期の観音坐像として貴重。不動明王、毘沙門天像は三尊形式を整え、ほぼ同時期の制作とみられる▽亀山藩史料(亀岡市文化資料館)1748(寛延元)年から明治維新まで藩主だった形原松平家を中心に、歴代藩主の記録や家臣団の家ごとの系譜など198点が残る。同藩は京都の火消し役を務め、1788(天明8)年の京都大火の消防記録もある▽赤坂今井墳墓出土品(京丹後市)弥生時代後期後半に築造され、被葬者の頭の部分から、装着したまま埋葬されたとみられる勾玉(まがたま)(30点以上)と管玉(171点以上)を連ねた耳飾りや頭飾りが出土した。

◇…登録…◇

 【無形民俗】東一口(ひがしいもあらい)の双盤念仏(そうばんねんぶつ)(久御山町)大型の伏鉦(ふせがね)を打ちながら特殊な節を付けて念仏をとなえる民俗芸能で、安養寺で毎年3月に行われる春祭りで演奏される。

 【名勝】楽々荘庭園(亀岡市)亀岡出身の貴族院議員田中源太郎が明治30年代に造園した池泉回遊式庭園で、同時期建築の洋館、和館に隣接。7代目小川治兵衛の作とされる。

◇…選定…◇

 【文化的景観】向日市西ノ岡の竹の径(みち)・竹林景観 選定範囲は竹林9.8ヘクタールで、散策路や案内板が整備されている。地元タケノコ農家などにより、季節ごとに変化する竹林景観が良好に保全されている▽宮津市上世屋(かみせや)の山村と里山景観 山間部の傾斜地にある集落と水田など670ヘクタール。フジを素材とする「藤(ふじ)織り」(府無形民俗文化財)が伝わり、自然林や二次林の状態も良好。過疎化で20戸ほどに減っているが、住民やNPOが連携して景観維持に努めている。




岡山
坂本竜馬の足取り解説 新見で歴史講座
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなんだ「早春特別大衆歴史講座」(新見図書館主催)が10日、新見市新見の同図書館であり、元岡山大教育学部非常勤講師の石本彰さん(84)=岡山市=が、幕末の志士・坂本竜馬の事跡について話した。
 市民ら約40人が聴講。福山市・鞆沖で竜馬率いる海援隊の商船が沈んだ「いろは丸事件」などを解説。石本さんは自作のビデオを流しながら、同事件の際、竜馬が宿泊した鞆の浦の宿屋、談判を重ねた宿所の跡地を紹介した。事件については「紀州藩船の明光丸と2度衝突している」などと詳細を語った。
 次回講座は24日、同図書館で山城をテーマに開かれる。時間は午後1時〜3時。入場無料。




高知
「汗血千里の駒」 最初の本
高知で発見、展示 現存2冊目

 幕末の志士・坂本龍馬を初めて主人公にした新聞小説「汗血千里の駒」の最初の単行本が、高知市内の民家で見つかり、市立自由民権記念館(高知市桟橋通)で開催中の企画展「『汗血千里の駒』の世界」で展示されている。新聞小説と同じ挿絵や原文で大半を構成しており、これまで国立国会図書館にある1冊しか確認されていなかった。展示は28日まで。無料。
 見つかったのは「汗血千里の駒」(坂崎紫瀾著)の単行本のうち、最も早い1883年5月に駸々(しんしん)堂から出版された書。歴史書のコレクターで歯科医の島崎誠さん(58)(同市一宮中町)が自宅に保管していた。
 単行本は、新聞連載された全68回分のうち、龍馬の土佐藩脱藩直前までの15回分計78ページで構成。当時は新聞で連載した作品を単行本にするのが流行していたらしく、同館によると「汗血千里の駒」は少なくとも6社が単行本化したが、編集段階で挿絵や原文に手が加えられたものも多いという。
 駸々堂出版の本は初編分しか存在しないが、同館は「最初の単行本であることに加え、新聞連載とほぼ同じ内容という点でも貴重」としている。


長崎
すてきな出会い求めて 長崎のカバ「龍馬」、鹿児島へ
 長崎県西海市の長崎バイオパークで昨年4月に生まれたオスのカバ「龍馬」が17日、1歳の誕生日を前に、鹿児島市の平川動物公園へ旅立つ。
 名前の由来は、「龍」が水の神として知られ、カバは漢字で「河馬」と書くことから。さらに、バイオパークの坂本信吾社長にちなみ、「坂本」という姓ももらった。
 神戸から来る同い年のメスと一緒に暮らす予定。鹿児島は幕末に坂本龍馬が新婚旅行で訪れた土地。見守ってきた職員は「カバの龍馬もすてきな出会いをしてほしい」。



エンターテインメント
和月、美樹本、矢吹が志士描く「幕末烈士伝チョコ」発売
 和月伸宏、美樹本晴彦、矢吹健太朗ら豪華ラインナップによる描き下ろしイラストカード付きのチョコレート菓子「幕末烈士伝チョコ」がバンダイより発売されている。
 バンダイは2009年にも、戦国武将を描いたイラストカードを同梱した「戦国絢爛チョコ」を発売。安彦良和、和月伸宏、美樹本晴彦、沙村広明、鶴田謙二らが参加し、注目を集めた。「幕末烈士伝チョコ」では和月・美樹本が引き続き参加するほか、新たに「To LOVEる―とらぶる―」の矢吹健太朗が初参戦。イラストレーターらを加えた計11名のクリエイターがイラストを手がけている。
 イラストカードの表面には坂本龍馬や土方歳三など幕末に活躍した志士達をイメージしたイラストを、裏面にはそれぞれの人物像や逸話などを掲載している。カードはノーマルカード15種のほかホログラムカード9種、またシークレットカードである箔押しスペシャルカード2種の全26種類。価格は1個105円となっており、全国のコンビニエンスストア、量販店、スーパーの菓子売場などで販売中だ。






 一昨日昨日と比べると、ずいぶん暖かい一日でした。明日はもう少し気温が上がるとの予報で、春らしくなってきたなぁと嬉しいです。
 ……明日朝は寒いんですね(苦笑)。

宮城
火伏せの護符50年ぶり神事
高僧・栄存ゆかり代々お札守る高橋家
新しい菰で包む/

 仙台藩主・伊達政宗の知遇を得て、法力で石巻の発展に努めたとされる天台宗の高僧・栄存法印ゆかりのお札(火伏せの護符)を、新しい菰(こも)で包む神事が先ごろ、石巻市の牧山零羊崎神社内にある栄存神社であった。湊地区が大火に遭った際、お札を守っていた高橋家(石巻市湊町1丁目)だけが難を逃れたというエピソードがある。高橋家では今後もお札を大切に保管する決意を新たにした。
 神事は、江戸時代からお札を保管してきた高橋家17代目当主の高橋英一さんが、栄存法印330年祭という節目と、自分自身が9日に70歳の誕生日を迎えることから企画。親類ら7人が集まり、桜谷鎮雄宮司に依頼して実施した。
 英一さんによると、神事は1代に1回限り、当主の判断で行う。亡父英雄さんが実施して以来約50年ぶりで、古い菰の上から新しい菰を巻くなどして神事を終えた。「高橋家を継いだものとして無事に終えてほっとしている」と英一さんは話していた。
 栄存と高橋家の関係は、高橋家初代が米蔵の役人で、地域振興に法力を発揮したとされる栄存との付き合いが始まった。3代目まで約40年間かかわりがあった。お札は、栄存が無実の罪で江島へ流される前、高橋家に感謝の意味を込めて贈ったらしい。
 その際、栄存は「四つ足の動物を食べたり、飼ったりしなければ、火事から高橋家を守る」と伝え、以来、高橋家は教えを守ってきた。江戸時代から幕末にかけて3度あった湊地区の大火でも、いずれも難を逃れた。
 お札は、歴代当主が包んできた菰で太さを増している。神事後は、英一さんが自宅のはりに再び結び付け、大切に保管している。
 栄存法印 豊臣秀吉の家臣・片桐且元の孫に当たるとされる。大坂冬の陣後、仙台へ。川村孫兵衛と北上川開削や産業振興などに力を注いでいた領主・笹町但馬が1641(寛永18)年、石巻に招いた。栄存は但馬の信頼に応えて貢献したが、但馬の養子・新左衛門には良く思われなかった。但馬の死後、新左衛門は、栄存が世の中を乱すとして、江島へ流刑。栄存は81(天和元)年に死去するまでの3年間、新左衛門をのろい、湊地区は大火に見舞われたという。栄存の遺骨は後に江島から牧山に移され、栄存神社に祭られた。


東京
【集う】早乙女貢さん一周忌しのぶ会(2月8日、東京・丸の内の東京会館)
■歴史作家の“士魂”会津へ
 呵々(かか)とした笑い声が、パネルから聞こえてきそうだった。着流し姿に満面の笑顔。献花台は、参加者の供えたウメですぐさまにぎやかになった。「会津士魂(しこん)」などの歴史小説で知られ、平成20年12月に逝去した作家、早乙女貢さん(享年82)の一周忌しのぶ会は終始、和やかな雰囲気で執り行われた。
 戊辰戦争を戦った会津藩士を曾祖父に持つ早乙女さん。幕末の会津藩の悲劇を描いた「会津士魂」は単行本で正続21巻に及ぶライフワークで、平成元年には吉川英治文学賞を受賞した。
 あいさつに立った作家で日本ペンクラブ会長の阿刀田(あとうだ)高さん(75)は、二十数年前に偶然同じマンションに越したのをきっかけに、常任理事だった早乙女さんからペンクラブへの入会を勧められたエピソードを紹介。「入会後、『ペンクラブ会員証はアメックスより信用性がある』と祝福された。でもその後、言われたほどいい思いをしたことがない気がします」と笑いを誘った。
 この後、遺言に基づき遺品整理などに取り組む「士魂の会」メンバーで文芸評論家の高橋千劔破(ちはや)さん(67)が、相続した遺産を使って日本文芸家協会の富士霊園に眠る早乙女夫妻の墓を今夏、近藤勇の墓もある福島県会津若松市の天寧寺に移すことを発表。「会津は先生が『心のふるさと』と言い続けてきた土地。皆さんのご協力をお願いしたい」と話し、今後同市内に早乙女文学を保存・検証する施設の設立を目指すことも明らかにした。
 会場には、テレビドラマ「白虎隊」主題歌で歌手、堀内孝雄さんの「愛しき日々」が、繰り返し響いていた。“会津色”一色に染まった会場で、参加者は早乙女さんの写真や趣味だった絵を眺めながら、在りし日の人気作家に思いをはせていた。(三品貴志)


神奈川
南下浦地区の歴史学ぶ、13日に史跡巡り/三浦市
 三浦市内の歴史や文化に親しんでもらおうと、市教育委員会は13日、「三浦市史跡めぐり 三浦の歴史探訪」を開催する。史跡巡りはおととし、約25年ぶりに復活した企画。今回は全3回シリーズの最終回で、南下浦地区の史跡や文化財を見て回る。
 市内には神社仏閣など貴重な文化財や伝統芸能が受け継がれている。こうした魅力を伝えようと市教委は1965年に史跡めぐりを始め、83年まで実施。その後は専門性を高めた形で継続したが、08年からさまざまなジャンルを網羅した史跡めぐりが復活した。
 今回は、同市在住の郷土史家田中健介さんが講師となり、幕末の海防陣屋跡(同市南下浦町上宮田)や三浦義村が愛用したと伝わる鞍(くら)と鐙(あぶみ)がある福寿寺(同町金田)など約20カ所を1日かけて見学する予定。
 参加費無料。事前申し込みが必要。申し込みは、市生涯学習課電話046(882)1111。


長野
演奏会や野だてに活用 駒ケ根の「旧木下家住宅」
 駒ケ根市は、同市中沢にあり、市有形文化財に指定している古民家「旧木下家住宅」で、音楽鑑賞会や野だてなどの催しを開く準備を進めている。市民に同住宅を広く知らせ、地域づくりに役立ててもらうよう促す初の試み。市は、市議会3月定例会に提出済みの2010年度一般会計当初予算案に関連予算13万円を盛った。
 市教委によると、同住宅はかやぶき屋根の木造平屋(床面積約200平方メートル)で、江戸時代後期の建築。市が所有者から寄贈を受け、1994年に有形文化財に指定した。これまでは傷んだ個所の修復を重視してきたが、市文化財審議委員からの指摘で活用にも取り組むことにした。1月には、幕末から明治にかけて伊那谷を放浪した俳人井上井月を描く映画のロケ地にもなっている。
 催しは計3回の計画。春は同住宅周辺に咲く桜やハナモモの見ごろの時期に大正琴の演奏会や野だてを開く。夏は、日本体育協会日本スポーツ少年団などの主催で交流を続けている日本、ドイツ両国のスポーツ少年団に対し、同住宅を滞在先として提供するとともに、地元を巻き込んで交流会を開催。秋には参加者を募り、キノコやそばなど旬の味覚を楽しみながら音楽鑑賞をする集いを用意する。


静岡
雇用創出で歴史資料続々 県、民間に調査委託
 県が民間に委託し、昨年秋から実施してきた歴史資料状況調査の現地調査がこのほど終了し、2000点を超える新しい資料を確認した。相良油田(牧之原市)の採掘にあたって事業家石坂周造が述べたとみられる祝辞など地域史上価値の高い資料も多く含まれ、県は今後、本格調査の必要性を検討する。
 調査は、県が募集した緊急雇用創出民間アイデアの一部。県立中央図書館の県史関連資料情報の充実を目的とし、提案した調査会社が昨年12月から調査員を雇用、情報提供があった県内の旧家など20件について現地で簡易調査を行った。
 石坂周造の祝辞は、油田開発にかかわった牧之原市相良の民家の土蔵に残っていた。昨年8月の駿河湾沖地震で土蔵が崩れ、家人が存在に気付いたという。墨文字で記され、試掘開始以来の苦労に触れつつ、「彼ノ輸入ヲ墜シ此輸出ヲ増シ富強ノ基ヲ開キ」などと、国内での石油産出により豊かな国をつくる決意を述べている。
 相良油田は明治5年(1872年)に発見され、翌年石坂が採掘を開始。最盛期には年間720キロリットル余りを産出した。祝辞には明治12年8月20日の日付と石坂の名があり、採掘がいったん不調に終わった後、米国研修を経て、再度採掘を開始した時のあいさつとみられる。
 そのほか、西南戦争に出征した兵士が家族にあてた18通もの書簡や、昭和まで9代続いた和傘職人の家に伝わる江戸時代の家業の由緒書きなども見つかった。書簡の中には戦況を詳細に記した手紙もあった。
 調査内容について意見を求められた静岡大の山本義彦副学長は「いずれも史実を裏付ける上で貴重な資料。県史編さん以来、12年ぶりの収集作業だが、継続的な調査の必要性をあらためて感じる」と話した。
 事業を所管する県立中央図書館歴史文化情報センターの担当者は「跡継ぎのいなくなった蔵などのとりつぶしがここ10年ほどで進み、貴重な資料が急速に失われている」と危機感を募らせる。

 石坂周造(1832~1903年) 幕末の尊皇攘夷論者。事業家。浪士組の中心人物として知られた。維新後石油事業に取り組み、日本の石油王とも呼ばれた。


「山岡鉄舟と静岡」紹介 駿府博物館
 幕末の激動期に日本の近代化に貢献した山岡鉄舟と静岡ゆかりの人物を紹介する「山岡鉄舟と明治の群像」展(県文化財団など主催、駿府博物館特別協力)が10日、静岡市葵区の同館で始まった。22日まで。
 文化庁地域文化芸術振興プラン事業の一環。西郷隆盛と駿府で交渉して江戸城の無血開城を果たしたり、牧之原開拓への資金協力をしたりと静岡にも縁深い鉄舟が残した手記、初代県知事の関口隆吉と交わした書簡など177点を展示している。
 開幕と同時に歴史愛好家が詰め掛け、県内外から集まった資料に見入った。鉄舟ゆかりの全生庵(東京都)住職平井正修氏が講演し、「剣術や書道など、やろうと決めたことに誠心誠意向き合った」と鉄舟の人となりを紹介した。
 13日午後2時から、講演「教育事始メ―寺子屋から学校へ―」を同館講座室で開く。問い合わせは県文化財団<電054(203)5714>へ。


岐阜
歴史講演会:上石津で生きた人々の暮らし探る--大垣で22日 /岐阜
 「上石津歴史講演会~古文書にみる明治維新と大垣」が22日午後2時から、大垣市上石津町上原の上石津地域事務所で開催される。市上石津郷土資料館主催。入場無料。
 講師は岐阜聖徳学園大学の秋山晃則(まさのり)教授。名古屋大学や地元に残る、江戸時代に上石津町の多良、時地区を治めていた旗本・高木家の古文書を通して、この地域に生きた人々の暮らしなどを探る。定員70人。先着順。問い合わせは同資料館(0584・45・3639)。【子林光和】



三重
名張藤堂家発給の知行文書、市指定文化財に 名張市
 名張市教育委員会は、市文化財調査会から答申を受けていた江戸時代の書跡「村部家旧蔵田中文兵衛知行文書」を3月9日付で市の文化財に指定したと発表した。同文書は名張藤堂家の祖、藤堂高吉から家臣に発給されたもので、同家の内政を知る貴重な資料。市内の指定文化財としては76件目となる。【文化財に指定された「知行文書」の1通目】
 市教委生涯学習室によると、同文書は江戸時代初期の1637年から53年にかけ、高吉から家臣の田中文兵衛へ与えられた。文兵衛は晩年、高吉から「村部次左衛門」の名を授かり、村部家は幕末まで8代にわたって名張藤堂家に仕えたとされている。
 文書は3通あり、奈良県内に住む村部家の子孫から市へ2007年に寄贈。文書からは、藩主が家臣に村を指定し、その村からの年貢を家臣の収入とする「地方知行(じかたちきょう)制」をとっていたこと、現在の名張市や松阪市にあった村を給付されていたことなどが読み取れるという。【写真右=「知行文書」の2通目(上)と3通目】
 ※写真提供:いずれも名張市教育委員会


京都
江戸後期のポンプ・龍吐水、東山へ
右京の男性遺品を消防署に

 江戸後期の消火ポンプ「龍吐水(りゅうどすい)」が、京都市東山区の東山消防署にこのほど寄贈された。1864(元治元)年の東本願寺の火災や81(明治14)年の東福寺の火災にも使われ、右京区の男性が「2度の火災をくぐり抜けた守り神」と大切に保管していた。同消防署は「今度は、東山を火災から守る守り神になってほしい」と署内に展示している。
 龍吐水は、高さ40センチ、幅100センチ、押し手約2メートル。幕末から明治にかけ、多くの龍吐水を作った消火用具職人「平井権七」の焼き印がある。
 所有していたのは故・竹内嘉信さん。竹内家はもとは東本願寺の近くにあったが、約100年前に東福寺の近くに製針工場を構えた際、工場近くに移り住んだ。このため東本願寺と東福寺、いずれの火災にも出動し、「2度の火事からわが家を守った守り神」と代々伝えられてきた。75年前に右京区に引っ越した際も、嘉信さんが「何より大事な家宝」と持ち運んだ。
 2年前、嘉信さんが90歳で亡くなり、「このまま置いていても、いずれ処分されるかもしれない。大事にしてもらえるところがあれば譲りたい」と譲渡先を探していた。
 9日には妻の登美代さん(84)と、次女の丹羽美代子さん(59)が東山消防署を訪れ、展示された龍吐水を見学した。林敏哉署長(53)が「貴重な守り神をいただき、感謝しています」と謝辞を述べた。


高知
宿毛人物伝:宿毛ゆかりの偉人8人を絵はがきに /高知
◇宿毛駅の産直市やホテルなどで販売
 吉田茂元首相や早大建学の母と言われる小野梓など、宿毛市ゆかりの偉人8人の絵はがき「宿毛人物伝」が発売され、話題になっている。早大関係者や住民有志で作る「梓会」(浜田俊久会長)が企画。小野の誕生日の2月20日に発行した。
 8人は吉田や小野のほか、吉田の兄で小松製作所を創設した竹内明太郎▽岩崎弥太郎の右腕と呼ばれた三菱財閥大番頭の小野義真▽幕末の陸援隊士の大江卓▽出版社「冨山房」を創立した坂本嘉治馬▽日本飛行機協会創立者の伊賀氏廣▽西本願寺の執行長を務め、武蔵野女子学園を創立した後藤環爾--。
 はがきは、同市やそれぞれの子孫などから提供を受けた本人のモノクロ写真をあしらい、経歴なども掲載。8枚セットで1セット800円。土佐くろしお鉄道宿毛駅の産直市や同市内のホテルなどで販売されている。【真明薫】


 
鳥取
友禅画展:あだち幸さん、仏画中心に25点--米子高島屋 /鳥取
◇胡粉仕上げで淡い印象
 友禅染の技法で仏画を描く友禅画家、あだち幸さん(岡山県井原市)の友禅画展が10日、米子市の米子高島屋美術サロンで始まった。16日まで。
 あだちさんは、友禅染の技法に独自の技法を加えた「友禅画」で知られる。07年に新撰組ゆかりの壬生寺(京都市)で極楽浄土へと連なる命のつながりを表現した障壁画を描きあげた。09年には唐招提寺(奈良市)にびょうぶを奉納している。
 今回は絹に菩薩(ぼさつ)を描いた作品を中心に25点を展示。貝殻を砕いた胡粉(ごふん)仕上げの独特なぼかしで淡い印象を与えている。【小松原弘人】


山口
晋作遺品の所有権争い 東行庵が萩市と子孫提訴
 幕末の志士、高杉晋作の遺品69点の引き渡しなどを求め、晋作の墓がある下関市吉田の東行庵を管理している宗教法人「東行庵」が9日、遺品を保管している萩市と晋作の子孫の男性(77)を相手取って山口地裁下関支部に訴訟を起こした。
 訴状によると、遺品は高杉家から寄贈を受けて1966年から同庵の東行記念館で保管していた。2003年に高杉家が修繕を理由に200点以上を搬出して萩市に寄託したため、同庵が返還を要請。同庵と下関市、萩市などで協議し、09年1月に下関市であった晋作の企画展を契機に多くが返還されたが、産着や剣道免許皆伝書など69点が企画展後に萩市に戻され、萩博物館で保管されている。
 東行庵は「遺品は高杉家から東行庵に贈与されたもので、萩市が持ち出しを一方的に進めた」と主張。遺品が搬出されたことで記念館の入館料が減少したとして300万円の損害賠償も求めている。同日、下関市役所で会見した同庵の松野實應兼務住職(78)は「裁判になるのは心苦しいが、遺品を東行庵に返してほしい」と述べた。
 萩市の野村興児市長は「遺品の所有権は高杉家にある。不当訴訟以外の何ものでもない」との談話を発表。晋作の子孫の男性は「遺品の所有権は私にあると思っている。晋作には萩と下関で歴史があるので両市で大事に分けてほしい」とコメントした。


晋作遺品返還求め提訴、東行庵が萩市・ひ孫相手取り
 幕末の志士、高杉晋作(1839~67年)ゆかりの品を展示する山口県下関市の東行記念館(休館中)を運営する宗教法人東行庵(松野實應代表役員)が9日、同県萩市と晋作のひ孫の男性(77)(東京都三鷹市)を相手取り、萩市が保管している遺品69点の返還などを求める訴訟を山口地裁下関支部に起こした。
 訴状などによると、東行庵は晋作の墓を管理し、産着や木刀、書簡などの遺品を記念館で保管。だが、高杉家側が2003年2月、「管理が不十分」として遺品の大半にあたる227点を引き揚げ、04年11月から晋作の生誕地・萩市の萩博物館で展示してきた。その後、施設改善などを条件に、高杉家が記念館での保管を了承。下関、萩両市と東行庵の合意で08年9月以降、萩博物館が69点、記念館が残り158点を管理していた。
 東行庵の代理人弁護士は9日記者会見し、「高杉家から記念館に寄贈されたことは、長年の周知の事実」と主張。08年の合意については「東行庵が萩市に貸し出しただけ」と強調した。
 一方、萩市の野村興児市長は「そもそも晋作の遺品は高杉家のもの。不当訴訟以外何ものでもない」とコメント。ひ孫の男性は「遺品の所有権は私にある。晋作には萩と下関での歴史があり、両市で大事に分け合ってほしい」と話している。



清酒:「龍馬の休日」 下関酒造が発売 /山口
 幕末の志士、坂本龍馬が幾度も足を運んだ長州。その下関市幡生宮の下町にある酒蔵、下関酒造(内田忠臣社長)が、維新にかけた龍馬の情熱を現代に伝える清酒「若き獅子の酒 龍馬の休日」を売り出した。
 山田錦などが原料米で、辛口の純米酒。下関酒造によると「キリッとした飲み口」という。龍馬が土佐藩を脱藩し、最初に訪れたのが下関とされ、下関の豪商、白石正一郎らが龍馬の活動資金を支えたという。龍馬は妻お龍と新婚生活を下関で過ごし、赤間町(当時の稲荷町)にあった遊郭から朝帰りをした際にはお龍にたしなめられ、その文も残る。
 「龍馬の活躍は、下関での休暇があったからこそ」が内田社長の持論で、「維新に向け奔走した龍馬を思い起こしながら一杯」とPRする。720ミリリットルで、1380円(税込み)。【尾垣和幸】


福岡
幕末志士の母、野村望東尼ゆかりの「平尾山荘」改装記念式典 開催
 福岡市教育委員会では、「平尾山荘」(福岡市中央区)の改装記念式典を開催する。
 「平尾山荘」は幕末の女流歌人・野村望東尼ゆかりの福岡市指定史跡で、草庵の茅葺きや補修工事などの改装を行なっていた。
 野村望東尼は、幕末に多くの志士たちと交流をもったことでも有名である。特に長州・高杉晋作の交流は厚く、その最期を看取ったと言われている。その際、晋作の辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく」に続いて、下の句の「すみなすものはこころなりけり」と詠じたエピソードが残っている。

<日時>
 3月20日(土) 10:00~14:00
<場所>
 平尾山荘
 (福岡市中央区平尾5-2-28)
<入場料>
 無料
<事前申込>
 不要
<内容>
 記念式典
 アトラクション(平尾子ども太鼓)
 望東会によるぜんざいの振る舞い
 松風園による野点
<主催>
 福岡市教育委員会
<協賛>
 平尾望東会
<詳細・お問い合わせ>
 福岡市 平尾山荘改装記念式典について(3月8日発表)


最初で最後の一般公開 柳川市三橋町 ヨシ葺き住宅「吉開邸」 3月末の解体前に 21日まで
 柳川市三橋町下百町に残る、築140年のヨシ葺(ぶ)き住宅「吉開邸」が、今月末の解体を前に、21日まで一般公開されている。市内で開催中の「柳川雛(ひな)祭り・さげもんめぐり」に合わせ、座敷には「さげもん」が飾られ、吉開邸が建てられた幕末や明治初期のたたずまいを感じることができる。
 地域に残る文化を広く知ってもらおうと、同市の市民グループ「柳川まちづくり樂校」(西嶋洋代表)が、1月末からもちつきや座談会を開催。今回は“最初で最後”と銘打って、ひな壇とさげもんを飾り付け、西嶋代表が市内で撮影した、城下町の雰囲気あふれる写真25点も展示している。
 ヨシ葺きを夫婦で守り続けてきた吉開順子さん(74)は「最後に一花咲かせてくれてとてもうれしい。この屋根も喜んでいると思います」と感慨深げ。吉開さんが嫁いできた1959(昭和34)年ごろには、近くにわら葺きの民家が数軒あり、屋根の葺き替えを手伝いに行っていたという。
 20、21日には、吉開邸や同市三橋町百町の目野酒造を訪ねるイベント「ハルイロ柳川日和-むかし柳川へでかけやう」を開催。参加無料で両日とも定員30人。目野酒造では酒蔵見学や試飲もできる。女性の希望者には、有料で“大正浪漫風”着物のレンタルと着付け(先着5人で要予約、2千円)を行う。
 吉開邸は、西鉄柳川駅から徒歩10分ほど。

■季刊誌「ゆらり」創刊

 柳川まちづくり樂校の西嶋洋代表は季刊のフリーペーパー「ゆらり」を創刊した。自ら写真と文章を手がけた創刊号は、A5判でカラー16ページ。春の水郷の風景とともに、さげもん祭りや、吉開邸のイベントを特集している。
 西嶋代表は「古いものや懐かしいものは、癒やしや落ち着きを与えてくれる。筑後のスローな時間を感じてもらいたい」と話し、次号以降では、筑後地区の中でも、旧柳河藩の地域を取り上げていくという。


大分
佐伯藩の歴史を一冊に…佐伯市教委長が執筆
 佐伯市教育委員長の宮明邦夫さん(52)(佐伯市大手町3)が、歴史読本「シリーズ藩物語 佐伯藩」(A5判、206ページ)を現代書館から出版した。佐伯藩について研究した資料や、合併前の旧市町村が発行した史料集を基に約半年かけて執筆した。
 全6章のうち、豊臣秀吉の子との説もある初代藩主毛利高政(1559~1628年)の生い立ちから、戦国武将として幾多の戦いを経て、佐伯藩を治めるまでの経緯を3章にわたって紹介。
 八代藩主毛利高標(たかすえ)(1755~1801年)が収集した国内外の書物約4万冊を収める「佐伯文庫」が、現在の貨幣価値で150億円以上も投じていたことや、凶作や飢饉(ききん)が相次いで一揆も起こった江戸中期から幕末にかけての出来事も取り上げた。
 種田山頭火を題材にした「山頭火の恋」を昨年2月、現代書館から出版した友人の古川敬さん(58)が同社の担当者に、宮明さんが佐伯藩について研究していることを話したのがきっかけで、執筆を依頼された。
 古川さんは「宮明さんの文章は明快で、楽しみながら読める」と話す。
 宮明さんは「自分の古里を知り、自慢できる人間は幸せだと思う。この本がふるさとづくりの一助になれば。次は高政を主人公にした歴史小説を書きたい」と意気込んでいる。
 1680円。問い合わせは現代書館(03・3221・1321)へ。


佐伯藩の歴史書 宮明市教育委員長が執筆
 大分合同新聞「灯」同人で、佐伯市教育委員長の宮明邦夫さん(52)が、「シリーズ藩物語」(現代書館)の「佐伯藩」を執筆した。分かりやすく、読みやすい文章で初代藩主の毛利高政(たかまさ)らを紹介しており、「佐伯の歴史を知って郷土自慢になってほしい」と話している。本は全国の書店で販売中、A4判変形、206ページ。1680円。
 第1章は「秀吉子飼いの戦国武将・毛利高政」。高政が成功に導いた高松城水攻めや織田信長の死に伴う「中国大返し」、毛利輝元の申し出で、森から毛利に改名する経緯などを取り上げている。
 第2章は「大友氏改易から高政の佐伯入封まで」。豊臣秀吉の九州征伐、朝鮮出兵、石田三成との確執や佐伯に入るまでを記述。
 以下は第3章「佐伯藩制の確立」、第4章「凶作・藩政の乱れに中興の祖登場」、第5章「学者大名・高標(たかすえ)の功罪」、第6章「農民の反乱、一揆から幕末へ」。各章は、当時の魅力あふれるエピソードを満載している。
 宮明さんは「この人なくして秀吉の天下取りはあり得なかった」と、高政を高く評価。将来は高政を主人公にした小説を書きたいという。「この本を読んでますます佐伯が好きになったり、訪れてみたくなることで、佐伯の元気に役立てれば」と話す。


佐賀
唐津市の旧大島邸 保存求め署名、要望書を提出
 唐津市の大志小の新校舎建設用地となるため、新年度に解体される方針が示されている旧大島邸について、「大島邸を守る会」(辻いく子代表)のメンバー8人が10日、県内外から集まった保存を求める3264人分の署名と要望書を坂井俊之唐津市長に提出した。大塚稔市教育長は「子どもたちに安心安全な校舎と運動場を提供する義務がある」と解体に理解を求め、溝は埋まらなかった。
 要望書は「地域に残る唯一の武家屋敷で、江戸時代の建築様式を残す貴重な建物。何億をかけても再現できない」として現地保存を求めた。進藤健介市議会議長と古川康佐賀県知事にも提出した。
 守る会は昨年末、1800人の署名を提出。その後約3カ月で3200人余りの署名があり、5000人を超えた。先日旧大島邸で開いたひな祭りの観光客の多くが署名したという。
 旧大島邸は佐賀銀行頭取だった大島小太郎氏の旧宅で、明治12~13年に建てられた。茶道宗徧流の普及に貢献したとされる茶室があり、建具などには江戸後期~明治初期の特徴的な細工が施されている。文化財指定がなかったことなどで管理が行き届かず、床や屋根の一部が崩れ落ちている。
 市は「財政面を含めて保存は困難」とし、敷地活用で仮校舎建設費(5~6千万円)が節減できることなどを含めて解体を決め、3月議会に新校舎建設費4億3300万円と土地契約に関する議案を提案しているが、「守る会」のほか、文化財保存県協議会も「幕末から明治維新にかけての唐津城下町を後世に伝える上で、欠落させてはならない文化財」などとして保存を求めている。

【写真】旧大島邸の茶室。障子など建具の一部が老朽化しているが、今でも茶会などで市民が活用している=唐津市西城内



長崎
竜馬ゆかりの地<上>(長崎市) 坂の街で聞いた土佐弁
「おう、よう来たのぉ」
 懐かしい土佐弁が耳に飛び込んできた。どっしりとした、低くて太い声。なんだか安心感すら覚える。
 声の主は幕末の志士、坂本竜馬。長崎市に今年オープンした「長崎まちなか龍馬館」で、骨格を基に復元した声を聞けた。
 竜馬とは縁を感じる。私の母は高知県出身で、旧姓は「坂本」。親類から竜馬の話を聞くたび、心が熱くなった。今年はドラマ「龍馬伝」が始まり、竜馬がブームに。私ももっと竜馬を知りたい。そう思い、商社「亀山社中」を結成した、長崎市へ足を運んだ。
 龍馬館は、旅行者でにぎわうベルナード観光通りにある。館内に入ると、長崎での軌跡を紹介する大スクリーンが目に飛び込んできた。興味を引かれたのは、霧島を新婚旅行中に姉の乙女にあてた手紙。達筆な文字と山の絵に、分かりやすく伝えようとする優しい人柄が出ていた。
 館の中央には、竜馬の肖像写真そっくりに記念撮影できるコーナーも。友人と撮影していた地元の40代女性に出会った。「世の中のことを一番に考えていた竜馬がすてき」と語ってくれた。館内で「船中八策」を学んだ私はうなずいた。
 竜馬の活躍ぶりに胸を躍らせ、実際に足跡をたどってみたくなった。参加したのが「龍馬が見上げた長崎の空」と題するガイドツアー。街歩きイベント「長崎さるく」の人気コースだ。坂本龍馬之像がある風頭(かざがしら)公園や亀山社中跡を巡る。
 風頭公園では、ボランティアガイドの小杉徳寿(のりひさ)さん(67)が、竜馬の肖像写真を撮った上野彦馬の墓に案内してくれた。「彼がいなかったら、竜馬がどんな容姿をしていたのか想像もできなかった」と小杉さん。竜馬の写真は数パターンあり、それを名刺代わりに使っていたという。西郷隆盛にはどんなふうに渡していたのだろうか。そう想像しながら、墓のそばの高さ約3メートルの銅像を見上げた。
 坂を下ると「龍馬通り」と名づけられた細道。竜馬が描かれた手作りの案内板をいくつも見かけた。会員が140人もいる「亀山社中ば活(い)かす会」が作ったものだという。顔はひとつひとつ違っていた。坂の街・長崎に暮らす人々が、それぞれ独自のイメージを持っているのだと感じた。
 「この街には時代を変える力があるがよ」。来た坂道を振り返ると、竜馬の声が聞こえてきた気がした。

●ちょっと より道=しっぽく料理堪能

 竜馬がよく通っていたという史跡料亭花月(長崎市丸山町)の「竜の間」で、長崎名物のしっぽく料理を堪能した。おかみ加藤公子さん(61)が「長崎流のおもてなし」を教えてくれた。
 「まずはお鰭(ひれ)をお召し上がりください」。おかみの合図でわんのふたを開けると、タイのひれが入った吸い物だった。食べた後に、あいさつと乾杯をするのだという。一口味わうと、カツオと昆布のだしがのどを潤し、はしが止まらなくなった。豚の角煮や中華風スープといった料理が次々に並び、すぐにおなかいっぱいに。最後は甘さ控えめの上品な汁粉で締めた。花月=095(822)0191。

 「長崎まちなか龍馬館」はJR長崎駅から10分ほど、長崎電気軌道の路面電車「観光通り」電停下車。入場料は大人300円、高校生200円、小中学生150円。2011年2月28日まで無休。同館=095(821)2112。長崎さるくの問い合わせは長崎国際観光コンベンション協会=095(811)0369。ホームページ=http://www.saruku.info。亀山社中ば活かす会=095(828)1454。


フレーム切手:「龍馬の駆けた長崎」発売 /長崎
 郵便局会社九州支社はこのほど、幕末の志士・坂本龍馬をテーマにしたオリジナルフレーム切手「龍馬が駆けた長崎」の販売を、鹿児島県を除く九州各県の郵便局で始めた。
 昨年5月、長崎市内の郵便局長らが、龍馬の商社「亀山社中」があった風頭山(長崎市)に建つ龍馬の銅像の建立20周年を記念して発行したのに続いて2回目の「龍馬切手」。前回は1万枚を完売した。
 今回の切手デザインには、龍馬像や亀山社中跡、グラバー園など長崎市内の龍馬ゆかりの名所に加え、NHK大河ドラマ「龍馬伝」で副主人公となる岩崎弥太郎の銅像も登場。郵便局長らは「長崎と龍馬の関係を、切手を通じて全国に知ってもらえれば」と話す。
 80円切手10枚のシートで1200円。1万6000枚を発行。郵便局会社のホームページ上の「通販ショップ」(http://www.postal‐jp.com/psc/goods/index.html)でも販売する。【錦織祐一】



コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(53)東大教授・山内昌之 世良修蔵
■成り上がりの末路

 悪役や敵役のいない政治の歴史などはあるはずもない。勢いで国会議員に成り上がった男女でも人品骨柄の良くない人のなかには、これまで刑事罰すれすれの行為でマスコミをにぎわした人もいた。

◆全面戦争を引き起こす

 それでも、いかなる嫌われ者であれ、幕末屈指のアンチヒーロー、長州藩の世良修蔵にはまずかなわないだろう。この人物を欠いて、戊辰戦争や幕末維新の歴史を語れないのは、東北諸藩をほぼ全部敵に回して、せずともよい全面戦争を引き起こした男だからである。ずっと前に読んだ子母沢寛の長編小説『からす組』にも出てきた記憶がある。最近、復刻された藤原相之助著『奥羽戊辰戦争と仙台藩』(マツノ書店)には、彼の事績がいろいろと出てくる。
 世良は大島(屋代島)の漁師の出身ながら、第二奇兵隊の軍監にのし上がり、戊辰戦争では奥羽鎮撫(ちんぶ)総督府の下参謀を務めた。行く先々で酒色に耽(ふけ)った破廉恥な行状は、「官軍」ならぬ「官賊」に過ぎないという批判を受けるに十分であり、「勤王」の軍隊の低いモラルを満天下に知らしめた。
 もともと武士でない世良には、そもそも名を惜しむという観念がない。同じ長州藩の品川弥二郎が、世良の参謀任命の話を京都で聞き、仙台藩の家老、但木土佐に「世良とはひどいのが行くな」と同情したのだから処置なしである。世良の仙台出発の前に米沢藩士が大坂にやってきて「どうかひとつ穏便に」と訴えると、芸妓(げいぎ)に膝(ひざ)枕をさせたまま応対し公文書を足で蹴(け)飛ばして威嚇したというのだから話にも何にもならない。
 世良は奥羽諸藩に会津討伐の出兵を督促したが、出張の先々で、錦旗と官軍の勢威をよいことに伊達陸奥守など名門の藩主や重役に威張り散らしてやまなかった。

◆「軍務」と称し遊興の日々

 世良は、「軍務」と偽り旅籠(はたご)の部屋に引きこもったきり、朝から酒を飲みながら遊興(ゆうきょう)の日々を送った。二本松城下から少し南の本宮宿では、お駒なる19歳の遊女に惑溺(わくでき)して流連(いつづけ)してしまい、上参謀の公卿(くぎょう)でまだ20歳の醍醐忠敬少将まで“甘い生活”に引き入れたというから呆(あき)れてしまう。
 以上については中村彰彦氏の短編「上役は世良修蔵」(『禁じられた敵討(あだうち)』所収、文春文庫)が小説ながら詳しく、氏のご教示にも負うところが多い。会津藩救済を願う各藩使者の陳情を、ちっとも受けつけようとしない傲岸(ごうがん)な様子の描写は史実に近いだろう。もともと会津藩に同情的だった東北諸藩は怒って奥羽越列藩同盟を結成したのである。
 仙台藩重役の手に入った世良の手紙には、「奥羽はみな敵だ。とくに朝廷を軽んじる米沢藩や仙台藩は片時も油断できない」という趣旨が書かれていたからたまらない。心ある侍たちは激昂(げきこう)した。
 慶応4年閏(うるう)4月20日、福島城下の金沢屋で世良が遊女と同衾(どうきん)していたところに仙台藩士の姉歯武之進らが踏みこむと、世良は敵娼(あいかた)の名を叫びながら、慌ててピストルを撃つが、不発に終わった。
 まことの武士でない見苦しさが土壇場で露呈してしまう。裏口に引きずり出された世良は、ぶるぶる震えながら命ごいをした。しかし、会津救済を一顧だにしない男が、自分の命を惜しむ見苦しさに刺客たちは呆れ果てた。斬首された胴体は、阿武隈川の河原に埋められるという悲惨さであるが、同情する者はいない。

◆勝者と敗者から爪弾き

 後日談も後味が悪い。世良にも妻がいた。その千恵の末路は哀れで言葉にもならない。誰からも見放された世良の未亡人は掘っ立て小屋や野宿で命をつなぐのが精々であったが、78歳まで生きたのだから気の毒というほかない。毒キノコまで食べて精神に異常を来したという説もある。
 ここでも、誰一人この寡婦に救いの手を差しのべなかった長州人の酷薄さが気になる。勝者と敗者の大きな落差は悲惨に違いない。
 しかし、世良がもう少し情けのある士なら無事生きながらえ、千恵も維新功労者の夫人として綺羅(きら)を飾ったかもしれない。勝者と敗者から共に爪弾(つまはじ)きにされる悲惨さは、歴史の悲劇性の極致である。(やまうち まさゆき)

                   ◇

【プロフィル】世良修蔵
 せら・しゅうぞう 天保6(1835)年、周防(山口県)生まれ。長門藩重臣、浦靫負(ゆきえ)の養子となり、世良氏を継ぐ。江戸遊学後、奇兵隊に入って書記となり、第二奇兵隊の編成に当たって軍監となる。長州征討で大島口に戦い、戊辰戦争では奥羽鎮撫総督府下参謀となって仙台藩に会津藩攻撃を命ずる強硬論を主張した。会津藩への寛容な処置を求める仙台藩からの使者が送られたが、拒否。慶応4(1868)年、福島で仙台藩士らに殺害された。享年34。

 自分はばりばりの旧幕府側ファンだからでしょうか、西軍はなんでこんな人物を仙台に派遣したのかと……その後の東北での戦火での犠牲者のことを思うと、やりきれないです。

ビジネス
坂本龍馬の生涯を辿る、セブン-イレブン限定ドリンクキャンペーン
「海洋堂フィギュアコレクション 坂本龍馬 ─ その生涯の軌跡 ─ 」
3月15日(月)より全国のセブン-イレブンで開催

 株式会社セブン-イレブン・ジャパン(所在地:東京都千代田区、代表取締役社長 最高執行責任者〔COO〕:井阪 隆一)とフィギュア製作会社の株式会社ケンエレファント(所在地:東京都千代田区、代表取締役社長:石山 健三)は、2010年3月15日(月)より全国のセブン-イレブン店舗にて、ドリンクキャンペーン「海洋堂フィギュアコレクション・坂本龍馬 ─ その生涯の軌跡 ─ 」を実施いたします。対象飲料1本につき海洋堂オリジナル・坂本龍馬フィギュア1個が付き、フィギュアを介して彼の生涯の軌跡を辿ることができます。

■今年注目の人物・坂本龍馬にクローズアップ
 ドラマも放映され、今年注目の人物「坂本龍馬」。「海洋堂フィギュアコレクション・坂本龍馬 ─ その生涯の軌跡 ─ 」は、新しい日本を築くために龍馬が駆け巡った日本中の土地に焦点をあて、その土地での龍馬の姿をフィギュア化したコレクションシリーズです。幕末風雲児、33年間の生涯を凝縮したフィギュアシリーズをお楽しみ下さい。

■企画・制作は世界の海洋堂
 フィギュアの企画・製作は、食玩ブームを起こした株式会社海洋堂(所在地:大阪府門真市、代表取締役社長:宮脇 修一)です。海外の博物館の展示物製作も手がける、世界にも認められた海洋堂のハイクオリティな造形により、龍馬が生きた時代を生き生きと表現。おりょうとの新婚旅行や、新撰組とすれ違うなど、誰も見たことのないシーンを海洋堂ならではの豊かな発想で、リアリティのある造形に仕上げています。

【フィギュアラインナップ】〈全7種類〉
 誕生の地・高知から、命を落とすことになる京都まで、龍馬が駈け巡った日本各地から龍馬の偉業やエピソードを知るにふさわしい土地をピックアップ。その土地で起きた歴史的事件や龍馬の人間性がよくわかる7つのテーマをラインナップしました。

〈1〉龍馬誕生(1835年)~高知~
〈2〉黒船来航(1853年)~浦賀港~
〈3〉海軍操練所練習船「観光丸」(1863年)~神戸~
〈4〉グラバー邸(1865年)~長崎~
〈5〉新婚旅行(1866年)~鹿児島~
〈6〉龍馬落命の地(1867年)~京都~
〈7〉坂本龍馬銅像(1928年)~高知桂浜~

【解説書】
 各フィギュアごとについている解説書には、造形についての解説だけではなく、高知県立坂本龍馬記念館の監修のもと、それぞれのテーマと龍馬との関わりやエピソード、当時の歴史的背景なども解説されています。


■「海洋堂フィギュアコレクション・坂本龍馬 ─ その生涯の軌跡 ─ 」概要
実施期間:2010年3月15日(月)より ※景品がなくなり次第終了
実施場所:全国のセブン-イレブン店舗
実施内容:セブン-イレブンにて対象飲料1本につき
     フィギュア1個がついています。
対象飲料:ファンタ オレンジ  500ml/147円
     ファンタ グレープ  500ml/147円
     カルピスウォーター 500ml/147円
     午後の紅茶 茶葉2倍ミルクティー   460ml/157円
     TEAS'TEA GREEN&RED アップルティー 500ml/147円
     C1000 レモンウォーター       500ml/147円
     7&i 黒麦茶 490ml/147円
※表示価格は全て税込みです。        以上

 ……えーと、「龍馬落命の地」というタイトルのフィギュア、なんで新選組隊士のダンダラ羽織を着てる人がいるんですか?(汗)
 今どき、坂本龍馬を殺したのは新選組だという説を取るとは……史実よりも見た目のインパクト優先というのは悲しいです(涙)。

エンターテインメント
「仁―JIN―」の真実味はどこから?京都で養老とトーク
 「仁―JIN―」村上もとかと養老孟司による対談が、3月22日に京都国際マンガミュージアムにて開催される。
 対談では村上とマンガミュージアムの館長である養老が、「仁―JIN―」を題材にマンガにおける医療や歴史描写について語り合う。村上はフィクションとして描かれたマンガでいかにリアリティを演出できるか、その創作方法についても話す予定だ。定員は250人。事前の申し込みは不要で、当日午前10時より会場にて整理券が配布される。
 「仁―JIN―」は、スーパージャンプ(集英社)にて連載中。現代から幕末の日本にタイムスリップした脳外科医を描いた人気作で、2009年に放送されたTVドラマも話題となった。

村上もとか×養老孟司対談
マンガのリアリティ~「JIN―仁―」の人気のわけ~
日時:2010年3月22日(祝) 14:00
場所:京都国際マンガミュージアム
料金:無料 ※ミュージアムへの入場料は別途必要
出演者:村上もとか、養老孟司、吉村和真






 今日は寒いですねぇ……この冬最後の寒波になって欲しいと願いつつ、ジムで運動。一汗かいて、ぽかぽか。

北海道
「咸臨丸」の軌跡 野外劇で描く 「夢見る会」が構想、台本完成
 【木古内】幕末の軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」がサンフランシスコを目指し太平洋を横断してから150年目の今年、木古内町のまちづくり団体「咸臨丸とサラキ岬に夢みる会」(久保義則会長)が、野外劇上演の準備を進めている。すでに台本は完成。同会では「キャストやスタッフは町民が中心となり、手作りで舞台を完成させたい」と意気込んでいる。
 咸臨丸終えんの地、木古内町サラキ岬を中心に地域活性化に取り組む同会は、2011年が同船沈没140年の節目の年となることから、昨年から大きなイベントを計画。その中で野外劇上演構想が持ち上がった。
 舞台の脚本は、同会顧問で「咸臨丸 栄光と悲劇の5000日」などの著書がある札幌在住の作家、合田一道さんが執筆した。タイトルは「永久(とこしえ)に、咸臨丸」。舞台は3幕構成。同船で太平洋横断の快挙を果たした勝海舟と福沢諭吉の2人がサラキ岬に立ち、沈没した同船を回想する場面からスタートする。
 物語は、1860(安政7)年、日米修好通商条約を批准するため、幕府の使節団とともに、太平洋を横断した37日間の航海や大政奉還、箱館戦争、輸送船として迎えた最期などが描かれている。時代の波に翻ろうされ悲劇的な運命をたどる同船の歴史を、激動の幕末、明治史と合わせ表現。壮大な歴史絵巻となっている。
 キャストは勝海舟や福沢諭吉、榎本武揚ら主要な登場人物が約20人。同会事務局長の多田賢淳さんは「メーンキャストのほか乗組員らを入れると100人くらいの規模になる。町全体でひとつの舞台を作り上げていく。『咸臨丸子孫の会』にも参加してもらいたい」とし、「小さな規模から始めるが、毎年、イベントの際には上演し、いずれまちの新たな観光資源になれば」と期待を込める。
 脚本を担当した合田さんも「『夢みる会』が夢を見るだけでなく、大きな動きとなってきた。歴史遺産としての咸臨丸を多くの人に知ってもらうことには大きな意味がある。舞台づくりでは難しい部分もあるが成功させたい」と話している。
 初演は、同会が来年に計画している同船沈没140年記念イベントが有力。同会では今後、町民を中心にキャストやスタッフの募集をする予定だ。


群馬
六合村の思い出かるたに込め 28日に編入合併 群馬
 「愛と和と 人情厚き 六合の郷」-。今月28日、中之条町に編入合併され110年の歴史に幕を下ろす群馬県六合村で、村内の名所や特産品を取り上げた郷土かるたが完成した。小学生も絵札の作成に携わるなど、村民の力を結集した力作。村関係者は「由緒ある歴史と美しい自然の魅力を、かるたを通して語り継いでいきたい」と期待を込めている。(時吉達也)
 村教育委員会の呼び掛けでかるたの作成が始まったのは、合併が取りざたされた昨年2月。作成委員長の山本茂さん(71)は「今を逃したら作る機会を失う、という危機感があった」と振り返る。村民から題材を募集したところ、選定数の44点を大きく超える146点の応募があった。約3カ月かけて実地調査などを行い、「苦渋の決断」(山本さん)の末、題材が決まった。
 応募総数914点の読み句から選定された44点は、大自然を誇りキャンプ場としても人気の野反湖(野反湖の 豊かな自然 日本一)や、わらに布を巻いた特産品「こんこんぞうり」(名人つくる めんばしゃもじに こんこんぞうり)などのほか、村の歴史にも言及。「六合」の語源(天地四方を以って 六合となす)や、幕末に開国論を唱えた蘭学者・高野長英が隠れ住んだとされる史実(蘭学医 長英かくまう 湯本の館)も登場するなど、多彩な内容となった。
 また、絵札の作成には村内の絵画サークルなどのほか、児童・生徒も積極的に参加し、約8割の絵札を担当。村の総力を挙げた作品は2月、村内約700戸に全戸配布された。村民の反応は上々で、六合小6年の霜田唯さん(12)は「姉と弟と、家で何度も勝負した。半分くらいは知らない内容で、勉強になる」と笑顔を見せる。
 村教委では、郷土学習にかるたを活用していく方針。今月7日にかるた大会を開いたほか、今後はかるたに登場する名所旧跡を歩く「かるた巡り」も企画する予定という。
 山本さんは「合併すれば、人々の関心は町の中心部など便利な所に向きがちになる。かるたを通じて六合の魅力を再認識し、次世代に継承していってほしい」と話している。


富山
幕末活躍の女性画家 奥原晴湖の絵?発見
高岡の民家で署名入り12点
 幕末から明治にかけて活躍した女性南画家として知られる奥原晴湖(せいこ)(一八三七~一九一三年、写真=古河歴史博物館提供)と署名がある南画十二点が、富山県高岡市吉久一の元会社員串岡弘昭さん(63)宅で見つかった。
 絵は大きさがいずれも縦約一三六センチ、横五二・五センチ。梅や菊、ツバメの飛ぶ様子など、春夏秋冬の自然を描いた水墨画に、漢詩が添えられている。
 串岡さんによると、同居している義母の好子さん(84)が、十年余り前に同県射水市放生津の実家にあった絵を譲り受け、自宅に保存していた。串岡さんは昨年五月ごろ、高岡市立博物館などの専門家に依頼して作者を調査。「晴湖」の署名があることが分かった。
 串岡さんは「晴湖は自立した日本人女性の先駆け的な存在。本物とはまだ断定できないが、今回見つかった絵を通して、多くの人に彼女のことを知ってもらいたい」と話している。
 晴湖は古河藩に生まれ、幕末の文人や木戸孝允らと交流があったといい、女性南画家として名声を博した。

(中村真暁)


滋賀
20、21日に火縄銃サミット 滋賀・彦根城で
 全国各地の火縄銃愛好家総勢約320人、計23団体が集結し、“鉄砲隊”が演武を披露する「全国古式砲術鉄砲サミットin彦根」(同実行委員会主催)が20、21日に滋賀県彦根市の彦根城で開かれる。
 火縄銃は1543年に鹿児島の種子島に伝来、戦国、江戸時代に広まり、幕末には砲術の流派が全国に200以上あったという。サミットでは種子島火縄銃保存会(鹿児島県)や中世に鉄砲産業が栄えた堺市の堺火縄銃保存会らが、甲冑や裃姿で火縄銃で空砲を撃つ演武を披露する。
 20日は井伊家を研究している京都女子大の母利美和教授が「彦根藩の砲術」を題に講演。火縄銃の歴史を生かした町づくりをテーマにパネルディスカッションも行う。21日は演武のほか、彦根藩の甲冑「赤備え」の変身体験やゴム鉄砲の射的コーナーも設置される。
 サミットのシンボルキャラクター「ひこどん」や彦根市の人気キャラひこにゃんらも登場の予定。同実行委員会は「参加者は過去最多。めったにない機会なので鉄砲隊について知見を深めてもらいたい」と話している。
 見学無料。問い合わせは彦根商工会議所、0749(22)4551。


ひこにゃんが住む(!?)「彦根市」ってどんなとこ?
 ゆるキャラ「ひこにゃん」を生み、今や"ゆるキャラの聖地"とまで呼ばれる彦根市。一体どのような町なのか、皆さんはご存じだろうか?
 滋賀県彦根市は、びわ湖と鈴鹿山系にかこまれた豊かな自然に恵まれたびわ湖東北部の中核都市だ。彦根市によると、平成22年2月末の人口は、111672人(男:55000人 女:56672人)と発表されている。現在の彦根市の形となった昭和43年の人口は76564人とされているので、着実に人口がふえてきた市といえそうだ。
 特産品は、鮒ずし、あゆ、紅かぶら、彦根梨など食欲をそそるものから、仏壇といった渋めのものまで多数。よく知られたイベントとしては、かつて桂三枝の司会で知られたテレビ番組「鳥人間コンテスト」の開催地でもあった。数々の自作人力飛行機がびわ湖に向けて飛びたつ姿が放送されたが、あの発射台が設置されていたのは、彦根市の松原水泳場である。
 ところで、彦根出身者の中で、教科書にのるほど有名な人物がいるのをご存じだろうか?幕末に江戸幕府の大老になった井伊直弼(なおすけ)だ。安政5年(1858年)に日米修好通商条約をむすび、吉田松陰などを処刑した「安政の大獄」を命じたことで知られる人物だが、当時の日本の置かれた状況を鑑み、開国を決断したことを評価する声も少なからずある。彼が文化12年(1815年)に生をうけたのが、彦根城である。彦根城は当時の様子が今も残っており、城内に設置された彦根城博物館には、井伊直弼直筆の和歌、刀、鎧など貴重な品々が数多く所蔵されている。ちなみに、「井伊直弼と開国150年祭」の特設ページによると、ひこにゃんの趣味は「彦根城の周辺を散歩」とされており、彦根城天守閣広場や彦根城博物館では、ひこにゃんが登場することもあるようだ。
 彦根城は、世界遺産への登録推薦候補として「暫定リスト(平成4年より)」にのっている。つまり、世界遺産になる可能性がある城なのだ。"ゆるキャラの聖地"の中に"世界遺産"がある、そんな状況がいつかおとずれるかもしれませんね。



京都
府庁の桜*「容保」命名
幕末に追われた京都へ「返り咲き」
京都守護職上屋敷跡地◆山桜の変種?珍しい品種

 毎年春に多くの見物客が訪れる府庁旧本館中庭の桜の1本に、「容保(かたもり)桜」の名前がついた。山桜の変種とみられる珍しい品種ということが分かり、幕末に京都守護職として活躍した会津藩主の松平容保の名をとった。一時は朝敵として京を追われた容保の「返り咲き」を、子孫らも喜ぶ。
 旧本館中庭には、中央に円山公園(東山区)のしだれ桜の子どもに当たるしだれ桜を始め、6本の桜が咲いている。今回「容保桜」と命名されたのは、その中庭南西部にある1本の桜。「桜守」として活躍する造園家の佐野藤右衛門さんが昨春、桜の調査のため訪れた際、「異彩を放つ山桜」と興味を持ち、花や芽を持ち帰って調べた。
 その結果、一般的な山桜より花弁が大輪で、山桜と大島桜の両方の特徴を持ち合わせた珍しい品種ということが分かったという。
 現在の府庁は、かつて会津藩士たちが暮らした京都守護職上屋敷の跡地に当たることから、佐野さんが「容保桜」の名を提案した。子孫である14代当主の松平保久(もりひさ)さんに確認したところ、かつて追われた京都に桜の名として戻ることを、「非常に喜ばしい」とし、名を使うことを快諾してくれたという。佐野さんは桜の特徴などを記した案内板に「今昔の京都を見続けた場所にこのような桜があるのはおもしろい。今後も末永く府の行政を見続けるよう、守り育てたい」と書いた。
 中庭は常時公開。例年はしだれ桜が20日前後に開花し、その後容保桜など周辺の山桜などが開花していく。見頃に合わせ、23日~4月4日までは「観桜会」として旧本館のガイドツアーやアートなどのイベントが同時に開かれる。

 容保は孝明天皇の信頼を受け、新選組を配下に置き京都の治安維持に努めた。だが、鳥羽・伏見の戦いで会津藩は朝敵とされ、敗走した。


さくらマップ、京都市が40万部発行
市役所や観光案内所などで配布

 京都市はこのほど、市内約40カ所の桜の名所や、ライトアップなどのイベント情報を満載した「京都さくらマップ2010」を40万部発行した。
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなみ、壬生寺や高瀬川など幕末・維新史跡の桜名所を特集。歴史やアクセス情報のほか、周辺の史跡情報も地図で掲載した。
 「龍馬伝」展示委員も務める木村幸比古霊山歴史館学芸課長の寄稿もあり、龍馬が嵐山に花見に訪れた際、浪士狩りの一団と出会ったエピソードを紹介している。市役所や各区役所、観光案内所などで無料配布している。


山口
岩国の史跡を巡りませんか
 岩国郷土史会(中村良雄会長)が10日、岩国市内の史跡を巡る会を開く。午後1時半に錦帯橋近くの永興寺に集合し、今津町の白崎八幡宮一帯を巡る。参加者を募っている。
 永興寺は大内氏が1309年に創建したとされ、中村会長が寺にまつわる歴史について説明する。白崎八幡宮一帯では、護国神社や戊辰戦争戦死者の墓を巡る。
 会は、中村会長と同人誌仲間の松田行芳さん=鹿児島県指宿市=が、岩国の史跡巡りを希望したのを機に企画した。10日は松田さんも参加し、参加者と交流する。9日までに、中村会長に申し込む。電話0827(46)1701。



講演:作家・古川さん、松陰の「恋」テーマに 隠れた一面説く--北九州 /山口
 直木賞作家、古川薫さん(84)が7日、北九州市小倉北区で講演した。幕末の志士、吉田松陰(1830~59)が入獄中に知り合った女性との恋をテーマに、松陰の隠れた一面を説き明かした。北九州市など主催の全国女性俳句大会in北九州のイベントの一環。
 松陰は旧長州藩の牢(ろう)に入っていた高須久子と相聞歌句を交わした。松陰が米国密航を企てた罪で入牢した際、俳諧をたしなみ、同世代の久子との交流が始まったという。
 古川さんは、久子が先に出獄する松陰に送った「鴫(しぎ)立つてあと淋(さび)しさの夜明けかな」や、松陰の「一声をいかで忘れんほととぎす」を紹介。「2人の間でプラトニックな恋が成立していたのではないか」と言い「松陰は当時二十数歳の若者。恋心を抱いたとしても人格を傷付けることにはならない」と強調した。【平元英治】



長崎
グラバーのラン販売へ
 幕末に長崎で貿易商として活躍した英国出身のトーマス・グラバー(1838~1911年)が日本に持ち込み、国内最古とされる洋ラン、通称「グラバーさん」(学名・シンビジウム・トラキアナム)の苗を県などが栽培し、一般に販売する計画を進めている。グラバーが持ち込んだ1859年にちなみ、売り出すのは通し番号を付けた1859鉢。3年後の発売を目指している。(貞末ヒトミ)
 「グラバーさん」は東南アジア原産の洋ランの原種。一部が緑色を帯び、黒っぽい斑点がある花びらと、甘いにおいに特徴がある。グラバーが上海経由で来日した際に持ち込み、長崎市のグラバー邸の敷地内に造った温室で育てたとされる。晩年に拠点を東京に移す際、庭師の加藤百太郎に譲り、加藤家が3代にわたって栽培。約20年前、市内の県亜熱帯植物園が譲り受けた。
 ランは開花させるのが難しく、同園では数年に一度しか開花していない。株数を増やそうと、2008年に県花き振興協議会・育種研究会部会長の立光(たちこう)一孝さん(55)に相談。立光さんが協力を求めた香川県の企業がクローン技術で増殖させ、現在はフラスコ内で約2000本の苗が順調に生育している。
 販売は、同園が「最古の洋ランの存在をもっと知ってほしい」と県に相談し、個数限定で行われることになった。苗は来春までに同協議会の会員宅などに移され、開花させる予定。販売方法はまだ決まっていない。
 「本家」の「グラバーさん」は同園で1月中旬に見事に開花した。立光さんは「なんとも言えない深い色合いと、甘い香り。当時の人々の異国への思いをかき立てたのではないか。龍馬もかいだであろう香りを、多くの人々に楽しんでほしい」と話している。


龍馬の時代の銃など86点を初展示 22日まで長崎市シーボルト記念館
 坂本龍馬が出島で購入したライフル銃の同型品など、龍馬や出島のオランダ商館医だったシーボルトにまつわる史料を紹介した「シーボルトや龍馬が生きた幕末展2」が長崎市シーボルト記念館(鳴滝2丁目)で開かれている。22日まで。
 86点の大半は、個人所蔵の実物。ほとんどが同記念館では初めての展示という。
 龍馬に関する史料では、海援隊が1867(慶応3)年に出島のオランダ商人、ハルトマンから1300丁を購入したエンフィールド銃と同型の銃などを出展。同記念館によると、エンフィールド銃は西南戦争で西郷隆盛の率いる薩摩軍も使用したという。このほか、下関市立長府博物館が所蔵する「龍馬が愛用した湯飲み」と同じ絵付けの焼き物も展示している。
 一方、シーボルト関係では、国外追放処分を解除されたシーボルトが58(安政5)年、オランダ・ライデンから、出島商館長のドンケル・クルチウスに送った顔写真付きの手紙などを紹介。処分解除のため幕府に働き掛けてくれたクルチウスへの謝辞が記されている。シーボルトは翌年、再来日を果たした。
 龍馬は、シーボルトが62(文久2)年、日本を去った後に長崎を拠点に活動しており、2人が直接出会ったことはなかった。同記念館は「本来、2人は並列して論じられるものではないが、同じ幕末の長崎で活躍した歴史上の人物という観点からテーマを設定した。幕末の長崎への理解を深めてもらえればうれしい」としている。
 【編注】幕末展2の2は、ローマ数字の2



鹿児島
「龍馬とお龍」初午祭に登場/霧島市の鹿児島神宮
 霧島市隼人の鹿児島神宮で7日にあった初午(はつうま)祭の妙見温泉振興会(只野公康会長)踊り連に、今年話題の坂本龍馬とお龍(りょう)の格好をした2人が参加し、見物客を喜ばせた。
 龍馬が近くの犬飼滝など訪れたことをアピールしようと、隼人を拠点にサロンを展開する「さつきブライダル」に同振興会が依頼。えびの市の新原史也さん(19)と霧島市の高校生安達万基子さん(17)がモデルを務めた。
 あいにくの雨で地毛の髪結いはできなかったが、日ごろの技術を生かし服装やメークで幕末の雰囲気を醸し出した。温泉街やJR肥薩線嘉例川駅でも披露し、初午祭では記念撮影に応じるなど人気者となった。
 只野会長は「雨の中でも見物客が多く、ゆかりの地を大いに宣伝できた」と話した。

エンターテインメント
美麗イラストで幕末志士が蘇る! 「幕末烈士伝チョコ」
 株式会社バンダイの「キャンディトイ」より、3月8日に「幕末烈士伝チョコ」がリリースされる。

 パッケージ内容は、ウェハースチョコ1枚に描き下ろしイラストカードが1枚。2009年3月に第1弾、12月に第2弾が同社より発売された「戦国絢爛チョコ」の幕末編となり、幕末の新たなコレクションアイテムとして歴史ファンから早くも注目されている。

■イラストレーター陣が豪華!
 『るろうに剣心』の和月伸宏氏、『超時空要塞マクロス』の美樹本晴彦氏、『TOLOVEる -とらぶる-』の矢吹健太朗氏など、当代の人気漫画家・イラストレーターを起用し、歴史ファンだけでなくイラストレーターのファンも楽しめるラインナップとなっている。
 「歴史ジャンル以外で人気のイラストレーターが、幕末の人物を描いたらどんな絵になるか?」というコンセプトの元にイラストレーターを選定したということで、イラストレーターの幅が広く、そのラインナップの豪華さにも驚かされる。

■カードに対するこだわり
 イラストだけでなく、裏側にも強いこだわりがある。幕末志士一人ひとりをヒロイックに仕上げることに重点を置き、史実を押さえつつその人物の魅力を伝える解説がされている。関係する人物についての記載もあり、人物相関図もはっきりとしている。また、その人物がどの立場にいるのかをはっきりさせるため、「倒幕」「佐幕」「新撰組」と色分けされている。
 NHK大河ドラマで龍馬に興味を持った方でも手にとりやすい内容にし、また龍馬から他の人物にも興味が持てるような工夫がされている。

■今後もリリース検討中!
 バンダイキャンディ事業部の歴史シリーズとして、今後の新ラインナップも検討される。新たなイラストレーターの起用、人物や歴史の選定など、期待が高まる。
 「幕末烈士伝チョコ」は、全国のコンビニ、スーパーなど、お菓子売り場で3月8日発売。

■開発者インタビューもチェック!
 歴史時代書房「時代屋」元女将・宮本さんとバンダイキャンディ事業部・吉井さんの対談が行われた。
 開発の裏話、オススメポイントやこだわり、イラストレーターさんとのエピソードなど、詳しい内容はケータイサイト「歴史専門店 時代屋」に掲載される。
 和月伸宏氏の直筆コメントもあり、こちらも要チェック!

 「歴史専門店 時代屋」は、戦国・幕末・三国志を中心に、幅広く歴史が楽しるエンターテイメント型歴史専門ケータイサイトです。

歴史専門店 時代屋 http://www.jidai-ya.com/service/index.html
株式会社バンダイ http://www.bandai.co.jp/
株式会社バンダイ キャンディトイ http://www.bandai.co.jp/

(http://www.bandai.co.jp/candy/products/2010/589149.html)

(みかめゆきよみ 山口敏太郎事務所)

参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou

 作風が随分違うイラストが並んでますが、力は入っているみたい。

ビジネス
KNT、映画「桜田門外ノ変」ロケ地見学オフィシャルツアーを発売
 近畿日本ツーリスト(KNT)はこのほど、水戸藩開藩400年記念事業として企画された映画、桜田門外ノ変のオープンセットやロケ地を見学するオフィシャルツアーの販売を開始した。これは、同映画化支援の会の協力のもと、観光客誘致をはかるねらいでKNTが茨城県の観光素材を組み合わせ企画、発売した。10月の映画公開前から毎月1本の割合でツアーを実施し、ツアーやイベントを積極的に展開することで地元と映画を盛り上げる。公開後もロケ地訪問のツアーやイベントを企画する予定で、2010年3月から2011年2月までの間に茨城県への送客約5000人を目標としている。
 ツアーでは、映画関係者からの説明やロケのこぼれ話などを聞きながらロケで使用したオープンセットを見学し、実際のロケで俳優やスタッフが食べていた弁当を用意するほか、オープンセット内での幕末コスプレイベントなども実施する。実施日は3月27日で、東京発着であれば大人1名7100円。申込み締め切りは3月19日12時までとなる。


文化芸能
超巨大な“桜田門”セットが水戸に出現!規模はなんと東京ドーム1個分
 大河ドラマ「龍馬伝」でも描かれている動乱の時代・幕末。この時代を象徴する大事件であり、明治維新のきっかけになったとも言われている“桜田門外の変”が、大沢たかお主演の歴史大作『桜田門外ノ変』となって、今秋、全国公開される。本作の撮影ため、茨城県水戸市にはなんと東京ドーム1個分という巨大オープンセットが建てられ、江戸城桜田門外周辺の町並みが丸ごと再現されたのだ。
 そもそも“桜田門外の変”とは、アメリカの外圧に屈して開国を決め、安政の大獄などで尊王攘夷派の弾圧を行った大老・井伊直弼が、1860年3月に水戸と薩摩の浪士らに江戸城桜田門外で暗殺された事件のこと。今回のオープンセットの建設は、昨年が水戸藩の開藩400年目という節目に当たり、茨城県が映画の撮影に全面協力してくれたことで可能になったという。
 ちなみにこちらのセットには、建築費用が約2億円、敷地面積が約1万3000平方メートルという莫大な予算と土地が使用されており、同県の人々から多くの期待が寄せられている作品であることをうかがい知ることができる。また、主演の大沢も「初めてこのオープンセットを見た時には、“水戸市ってすごいな”って純粋に驚きました」と、セットの壮大さに感嘆のコメントをこぼしている。
 ちなみに、映画のハイライトとなる桜田門外での襲撃シーンは、降り積もる雪を再現するため70トンもの“寒水石”という特殊な石を用意。これを削ってセット中に撒くことで、襲撃時の様子をリアルに表現することに成功している。映画がどこまで、この事件を再現できているのか“体感”するために、今から“桜田門外の変”について勉強しておくのもいいかもしれない。【トライワークス】






 昨夜は結局雪にはならなかったのかな? 今朝は弱いながらも陽差しが出ているので、布団干ししてます。

群馬
六合村の思い出かるたに込め 28日に編入合併 群馬
 「愛と和と 人情厚き 六合の郷」-。今月28日、中之条町に編入合併され110年の歴史に幕を下ろす群馬県六合村で、村内の名所や特産品を取り上げた郷土かるたが完成した。小学生も絵札の作成に携わるなど、村民の力を結集した力作。村関係者は「由緒ある歴史と美しい自然の魅力を、かるたを通して語り継いでいきたい」と期待を込めている。(時吉達也)
 村教育委員会の呼び掛けでかるたの作成が始まったのは、合併が取りざたされた昨年2月。作成委員長の山本茂さん(71)は「今を逃したら作る機会を失う、という危機感があった」と振り返る。村民から題材を募集したところ、選定数の44点を大きく超える146点の応募があった。約3カ月かけて実地調査などを行い、「苦渋の決断」(山本さん)の末、題材が決まった。
 応募総数914点の読み句から選定された44点は、大自然を誇りキャンプ場としても人気の野反湖(野反湖の 豊かな自然 日本一)や、わらに布を巻いた特産品「こんこんぞうり」(名人つくる めんばしゃもじに こんこんぞうり)などのほか、村の歴史にも言及。「六合」の語源(天地四方を以って 六合となす)や、幕末に開国論を唱えた蘭学者・高野長英が隠れ住んだとされる史実(蘭学医 長英かくまう 湯本の館)も登場するなど、多彩な内容となった。
 また、絵札の作成には村内の絵画サークルなどのほか、児童・生徒も積極的に参加し、約8割の絵札を担当。村の総力を挙げた作品は2月、村内約700戸に全戸配布された。村民の反応は上々で、六合小6年の霜田唯さん(12)は「姉と弟と、家で何度も勝負した。半分くらいは知らない内容で、勉強になる」と笑顔を見せる。
 村教委では、郷土学習にかるたを活用していく方針。今月7日にかるた大会を開いたほか、今後はかるたに登場する名所旧跡を歩く「かるた巡り」も企画する予定という。
 山本さんは「合併すれば、人々の関心は町の中心部など便利な所に向きがちになる。かるたを通じて六合の魅力を再認識し、次世代に継承していってほしい」と話している。



千葉
史跡ガイドお任せを
年450人案内「感動伝えたい」 流山の有志グループ

 「明治の初期、千葉の県庁はここに置かれていたんです」-。流山市内の意外と知られていない歴史を伝えようと、市民有志が設立したボランティア団体がある。「流山史跡ガイドの会」。本格的な活動を開始してまだ1年半ほどだが、史跡を一つ一つ地道に歩いて訪ね、紹介。昨年は約450人を案内した。ガイドのコースや趣向を増やすなど、今年はさらに活動が活発化しそうだ。
 同会は2007年に同市などが主催した「史跡案内人養成講座」が母体。講座終了後に、有志らが自主的に活動を始めた。会員は現在5人。歴史の専門家集団ではなく、歴史好きの素人集団だ。もちろんガイドの経験もなく、手探りの状態での出発だった。
 市内の史跡や資料を丹念に調べ、ガイドコースの地図や歴史年表などをスケッチブックに手書きしてまとめた。ガイドの所要時間を測ったり、会員の役割分担を決めるなどして、おととしの夏からいよいよガイドを始めた。
 交通機関を使わない、徒歩で巡るスタイル。歩くのは健康に良いという側面もあるが、流山の史跡はバスが入れない細い道沿いにあることが多いという事情もある。
 ガイドしたのは、一般市民や各種団体、地元の小学生などさまざま。コースも依頼に応じて組み立てる。新選組の近藤勇の陣屋跡や俳人・小林一茶ゆかりの地「一茶・双樹記念館」、日本有数の運河「利根運河」など流山を代表する史跡は知名度が高く、人気があるという。
 同会では、そうした名所だけではなく、市民にさえ案外知られていない「埋もれた歴史」に着目。市内には県内初の史跡が多いことが分かり、これをガイドの特徴の一つにしている。
 青柳会長は「土地の記憶をどう感動的に伝えられるかがガイドの役割。でも、それが難しい。まだまだ勉強中です」と語る。同会の問い合わせは流山市中央公民館、電話04(7158)3462)。


御神楽:五穀豊穣祈り、香取・木内大神で奉納 /千葉
 香取市木内の木内大神で、市無形民俗文化財の御神楽の奉納があった。投げられたタイを観客が必死に奪い合う姿も見られた。
 神楽保存会によると奉納は江戸時代中期の1740年代の文献に記されており、それ以前から五穀豊穣(ほうじょう)を祈って奉納されてきたとされる。明治維新で一時途絶えたが、1882年に地元の有志が復活させ、1963年に保存会が設立された。
 3日の奉納では、銚子で取れたタイが観客に向けて投げ込まれ、見事につかみ取った市内の小学3年、菅谷侑真君(9)は「すごくうれしい。今年はいいことがある気がする」と笑顔だった。【駒木智一】



石川
弁吉の噴水模型寄贈 金沢・からくり記念館に
 大阪府柏原市の木型師西口邦夫さん(67)が7日、金沢市の県金沢港大野からくり記念館に、大野に住んだ幕末の科学者大野弁吉が作ったと伝わる木製の「自噴水」模型2種類を寄贈した。一つは内部の構造が分かるよう工夫が凝らされており、同館は弁吉の功績を伝える模型として4月から展示する。噴水の実演も予定し、来館者にものづくりへの興味を喚起する同館の「名物」の一つとする。
 寄贈された模型は高さ50.5センチの六角柱型で、黒く塗られたものと、木目が見えるものの2種類。黒く塗られた自噴水は気圧や位置エネルギーを利用して水を噴き上げるように作られ、もう一方は周りの板の一部を取り外して中の構造が分かるようになっている。
 西口さんは、おもちゃやからくり作りが趣味で、昨年8月に弁吉作と伝わる木製の自噴水を独自に入手、噴水の模型を製作した。11月に同館を訪れて職員に模型を見せたところ、展示の依頼を受けたことから、西口さんは新たに模型を作って寄贈することにした。
 この日、同館を訪れた西口さんは「弁吉は偉大な科学者。多くの人に弁吉の優れたアイデアを知ってほしい」と話し、伊林永幸副館長は「素晴らしい模型。茶運び人形などと実演の目玉になる」と感謝した。回すと笛のような音が鳴る竹製のこまも寄贈された。


富山
奥原晴湖の絵か、富山で発見 女性画家の先駆
 幕末から明治にかけて活躍した女性画家の先駆者とされる奥原晴湖(1837~1913年)と署名がある絵12点が7日までに、富山県高岡市の串岡弘昭さん(63)の自宅で見つかった。
 四季折々の自然を描いた水墨画で、伸び伸びとした画風に晴湖らしい特徴がある。これまで確認された署名とはスタイルが違うものがあり、専門家は「真作かどうかの検討は必要だが、研究資料として興味深い」と話している。
 晴湖は古河藩士の家に生まれ、幕末の文人や木戸孝允、岡倉天心らと交流があったと伝えられ、女性南画家として中央画壇で活躍。明治初期に男性のまげを落とすことを定めた断髪令で、自らざんぎり頭になるなど逸話の多い画家としても知られる。
 串岡さんによると、親せきから受け取った絵をそのまま保管、最近になって、晴湖の署名のあることに気付いたといい、「筆に勢いがあり驚いた。晴湖のことが知りたくなった」と話している。


京都
【龍馬ゆかりの地を行く・京都番外編】三条小橋 暗殺続いた背景
 三条小橋。東海道の起点であり終点でもある三条大橋の西すぐ、南北に流れる高瀬川に突き当たる。そこに架かる小さな橋。その周辺は現在、川沿いに桜並木が続き、春ともなると白い花の帯に川の流れも相まって古都の情緒を醸し出している。
 今から146年前の元治元(1864)年6月、橋の近くの旅館「池田屋」に集まった尊皇攘夷(尊攘)派が新選組の捜索を受け、肥後の宮部鼎(てい)蔵、土佐の石川潤次郎、杉山松助ら十数人が討ち死にし、20人が逮捕される事件が起きる。池田屋事件である。
 この前後、三条小橋の周辺で暗殺事件が相次ぐ。文久2(1862)年、越後の本間精一郎が殺害される。江戸に攘夷を促す勅使の人選をめぐって争う土佐藩の岡田以蔵の仕業とも言われる。岡田は土佐勤皇党の武市瑞山に剣の腕を買われて暗殺を繰り返し、「人斬り以蔵」の異名を持つ。
 この現場のすぐ北に、武市の住む料亭「四国屋丹虎」(当時)があったのは偶然だろうか。
 このほか、元治元年の佐久間象山、明治2(1869)年の大村益次郎ら。高瀬川沿いに歩くと3人が殺害された現場に石碑が建つ。
               ×  ×  ×
 高瀬川は、森鴎外の小説「高瀬舟」の舞台でも知られる。江戸時代の初め、京都の豪商、角倉了以・素庵親子が京都の中心地から伏見までの物資運搬用に開削した運河。それから200年後、高瀬川添いには各藩邸の蔵が軒を並べ、物資の一大集積地となる。
 例えば、二条通近くの一之舟入の近くには長州藩と対馬藩、さらに南には岩国藩、加賀藩、彦根藩、土佐藩の藩邸が続く。その藩邸を取り巻くように、三条小橋のすぐ北にあった「四国屋丹虎」の隣に、武市と同じ土佐勤皇党で後に天誅(てんちゆう)組の乱で戦死した吉村寅太郎の住居跡があり、それぞれ石碑で当時の様子をしのぶことができる。
 そして、四条河原町近くには、土佐の中岡慎太郎や池田屋事件の発端となった古高俊太郎の「桝屋」跡がある。
               ×  ×  ×
 池田屋事件当時、前年の八月十八日の政変で京都を追放された長州藩の尊攘派が、藩主の失地回復などを目指してひそかに活動。まさに尊攘派は過激な行動も辞さない構えで、新選組に逮捕された古高が、京都に火を放ち混乱させた上で、公武合体派を襲撃するとともに、天皇を長州に移す計画を自白している。
 隣の対馬藩は、長州藩とは藩邸同士で盟約を結んでいて、池田屋事件のとき桂小五郎は対馬藩邸にいて無事だった話も残る。しかし蛤御門の変で長州が劣勢にまわると、対馬の尊攘派も一時押されている。
 その隣の岩国藩は尊攘の活動はあったが佐幕的な態度を示し、加賀は外様とはいえ大藩として幕府側。彦根藩も井伊直弼が暗殺されて以後、発言力を失ったとはいえバリバリの幕府側。土佐藩は藩自体は幕府寄りながら尊攘派と公武合体派で大きく揺れ、極めて不安定な政情だった。
 まさに、諸藩のほか尊攘派と公武合体派と、いろんな思惑が複雑にうごめいていた。
               ×  ×  ×

 京都には当時、天皇が住む洛内では捕物をしない暗黙の了解があったという。都の東橋といえば寺町通で三条小橋は洛外だった。しかも京都の東の玄関口の三条大橋にも近い。
 ということで、世情が不安定の幕末時代、橋周辺はは捕物有り、切り合い有りの世界になったところで何の不思議もない。しかも諸藩の利害も渦巻く。
 一時、坂本龍馬も高瀬川沿いに住んでいる。高瀬川の先は伏見。そこにはあの寺田屋も…。何となくつながってきた。(園田和洋)


和歌山
元和歌山・新宮領主の子孫、独から里帰りへ
 和歌山県の元新宮領主、水野家の子孫でドイツ在住のモニカ・ベロイターさん(49)と息子の健・ヨアヒムさん(11)母子が9日から1週間、新宮市を訪れる。
 「自分たちのルーツを確認したい」としており、市を挙げて歓迎準備を進めている。
 水野家は初代、重仲が紀州藩主になった徳川頼宣の附家老として新宮に入り、築城した。新宮城は1633年(寛永10年)、2代城主重良の時に完成した。
 11代、忠幹の時に明治維新を迎え、城は廃藩置県後の1875年(明治8年)に取り壊された。市内に残る水野家墓所は2002年、市に寄贈された。
 モニカさんは14代目の娘、慈子さん(74)(横浜市在住)とドイツ人の父との間に生まれ、12歳まで日本に住んだ。現在、画家の夫ヨアヒムさん(64)とハンブルクに住み、日独語通訳として活躍している。
 今回の訪問は和歌山日独協会から市に連絡があり、市と水野家の墓所を守っている元新宮領主水野家顕彰会(松本吉殖会長)、新宮青年会議所などが迎える。
 モニカさん母子は9日に仁坂知事を表敬訪問し、同市に入る。健さんはホームステイし、市立千穂小学校に体験入学する。10日に歓迎式を行うほか、墓所参拝や川船下りなどを予定している。




鳥取
旧岡崎邸:幕末の2階建て屋敷 NPOが報告会--鳥取 /鳥取
 鳥取市馬場町の武家屋敷「旧岡崎邸」の修復に取り組んでいるNPO市民文化財ネットワーク鳥取(理事長、渡辺一正・鳥取環境大教授)は6日、地元住民らを交えて調査報告・検討会を鳥取市のとりぎん文化会館で開いた。修復に向け調査をしてきた専門家らが、いかに貴重な建造物かなどについて話し、住民からは盛んに質問が飛んだ。
 会は「皆で修復し活用しよう!岡崎邸」のタイトルで開かれた。冒頭、渡辺理事長が「解体工事中の昨年10月に屋敷を購入し、結果として解体修理することになった。好都合な面もあり、外からは分からないことが分かってきた」と水を向けた。
 文化庁の主任研究官として主に建築物の調査をした江面嗣人・岡山理科大教授が「2階建ての武家屋敷は、江戸時代の前期、後期では考えられない。幕末になって出てきた。旧岡崎邸も明治の建築ではないかとの声があったが、文書などの調査で天保期の建築であり、通し柱があることから当初から2階建てだったことが確認された」と報告した。
 屋敷のゆがみを直す応急処置を担当した渡辺隆さんは「屋敷は倒れる寸前だった。最大で45ミリ傾倒し、30ミリも沈下していた。昨年暮れの緊急避難的な補強で水平は確保されたが、傾倒はまだ25ミリ残っている」と話した。
 続く討論会で宮大工の鈴木和明さんは「屋敷は理由があって残った。大工からするといい教科書。どんなに立派でも壊れてしまったら意味はない」と指摘。使われているクリの板について「15ミリの厚みであれだけ幅があるのにまったく狂いがない。木目も素性もいい」とたたえた。
 一般参加者からは「天保年間には大飢饉(ききん)があった。そんな時に藩政を担う岡崎家がどうして立派な屋敷を造ったのか」「土台の石はどこから運んだのか」といった質問が出された。建造理由については、徳川本家から池田家に嫁いだ泰姫の江戸御殿の試作品との説明がなされた。石については周辺の河原石だろうとされた。用瀬が河原石の産地だったという。【大川泰弘】


文化芸能
超巨大な“桜田門”セットが水戸に出現!規模はなんと東京ドーム1個分
 大河ドラマ「龍馬伝」でも描かれている動乱の時代・幕末。この時代を象徴する大事件であり、明治維新のきっかけになったとも言われている“桜田門外の変”が、大沢たかお主演の歴史大作『桜田門外ノ変』となって、今秋、全国公開される。本作の撮影ため、茨城県水戸市にはなんと東京ドーム1個分という巨大オープンセットが建てられ、江戸城桜田門外周辺の町並みが丸ごと再現されたのだ。
 そもそも“桜田門外の変”とは、アメリカの外圧に屈して開国を決め、安政の大獄などで尊王攘夷派の弾圧を行った大老・井伊直弼が、1860年3月に水戸と薩摩の浪士らに江戸城桜田門外で暗殺された事件のこと。今回のオープンセットの建設は、昨年が水戸藩の開藩400年目という節目に当たり、茨城県が映画の撮影に全面協力してくれたことで可能になったという。
 ちなみにこちらのセットには、建築費用が約2億円、敷地面積が約1万3000平方メートルという莫大な予算と土地が使用されており、同県の人々から多くの期待が寄せられている作品であることをうかがい知ることができる。また、主演の大沢も「初めてこのオープンセットを見た時には、“水戸市ってすごいな”って純粋に驚きました」と、セットの壮大さに感嘆のコメントをこぼしている。
 ちなみに、映画のハイライトとなる桜田門外での襲撃シーンは、降り積もる雪を再現するため70トンもの“寒水石”という特殊な石を用意。これを削ってセット中に撒くことで、襲撃時の様子をリアルに表現することに成功している。映画がどこまで、この事件を再現できているのか“体感”するために、今から“桜田門外の変”について勉強しておくのもいいかもしれない。【トライワークス】





 週間予報を見て、ちょっと萎えました。週明け前半は最低気温が1度程度の日が続くようで……「暑さ寒さも彼岸まで」とは言いますので、あと少しの辛抱だと思いますが。

福島
容保桜:京都府庁旧本館に ヤマザクラ変異種に命名、会津九代藩主にちなむ /福島
 京都守護職上屋敷があった京都市の京都府庁旧本館で、オオシマザクラの特徴を備えた珍しいヤマザクラが見つかり、幕末に守護職を務めた会津藩九代藩主の松平容保(かたもり)にちなみ、「容保桜」と命名された。京都府は命名の由来を説明する案内板を設置し、12日除幕する。
 同府有資産活用課によると、容保桜は旧本館中庭に植樹された6本のうちの1本。同府文化功労賞受賞者の造園家、佐野藤右衛門さん(81)が、ヤマザクラの変異種であることに気付いた。花がやや大ぶりで、表皮がめくれたようなオオシマザクラ特有の木肌を持つ。
 幕末に京都守護職の上屋敷があったことから、佐野さんが容保桜と名付けたという。
 菅家一郎・会津若松市長は「会津藩ゆかりの地の桜に、容保公の名を付けてもらったことに感謝する。今後、交流に結びつくよう取り組みたい」と話した。【太田穣】



静岡
「下田志援隊」が龍馬小判の地域通貨発行
 幕末の志士・坂本龍馬ゆかりの静岡県下田市で、「下田龍馬伝志援隊」が4月1日から発行する地域通貨のデザインが決まった。
 小判には龍馬の顔をあしらい、金メッキを施した。硬貨にはオリジナルのキャラクターを使い、周囲を金メッキにして高級感を出した。
 3000円の小判2000枚と、900円の硬貨5万枚を発行し、硬貨は1000円分買い物できる。市内の飲食店や土産物店など約200店で9月30日まで使える。
 販売は4月1日から。志援隊事務局がある下田温泉旅館協同組合(下田市一丁目)や市商工会議所(同市二丁目)などで受け付ける。
 下田市は龍馬の土佐藩脱藩について、勝海舟が前土佐藩主・山内容堂に宝福寺で直談判し、許しを得たとされる。同寺の住職で志援隊の竹岡幸徳隊長は「地域通貨が下田の活性化につながってほしい」と期待を寄せている。


島根
藩主奉納品や油絵商店などお宝開帳
津和野で観光キャンペーン

 津和野町後田の旧城下町地区で、商店街の商店がそれぞれ自慢の家宝を展示する「津和野お宝展」が開かれている。先祖伝来の道具や人形、昭和の雑貨まで、個性的なお宝が店先に並び、春の津和野観光に彩りを添えている。4月4日まで。
 山口市などとの広域観光キャンペーン「おいでませ山口お宝めぐり」に合わせた企画。町商工会が呼びかけ、和菓子店や自転車店など29店が応じた。
 江戸後期の古伊万里の皿や、町出身の画家、中尾彰(1904~94年)の油絵などの芸術品から、真空管ラジオ、足踏み式ミシンなどの懐かしの品、各地で集めた福助人形やSL関連グッズまで、お宝は様々。
 町内最古の商店・分銅屋本店では、和ろうそくや鬢(びん)付け油を津和野藩主に納める際に使った御用箱や、御用商人8店の商標が刻まれた花器などを展示。幕末の頃と変わらない店構えと共に、歴史を伝えている。同店の椿由紀子さん(56)は「蔵にしまっておいた品々だが、やはり多くの人に知ってもらう機会が得られてありがたい」と話している。
 商店のほか、太皷谷稲成神社宝物殿(拝観料500円)は、藩主亀井家が奉納した江戸時代の天球儀、地球儀などを紹介し、津和野今昔館(入館料=大人300円、中学生以下150円)は明治から昭和の生活道具を展示中。また、町商工会館でも昔懐かしい津和野の写真を展示している。
 問い合わせは町商工会(0856・72・3131)。


山口
林忠彦の「長州路」写真展
 周南市出身の写真家で、アマチュア写真の発展に尽力した林忠彦(1918~90年)のオリジナルプリント展「若き修羅たちの里―長州路」が5日、市美術博物館で始まった。明治維新の志士ゆかりの旧跡を中心に81年発表の写真集に収録した66点を展示している。
 松下村塾(萩市)▽小郡から萩への街道(美祢市)▽武家屋敷の土塀(下関市)―などと題名を付けた風景写真。夕暮れのストロボ撮影で松下村塾の室内案内板を見えにくくしたり、街道沿いの住宅のトタン屋根が積雪で隠れるまで待ったりするなど、志士の時代の様子に近づけようとした撮影の工夫も紹介している。22日までで無料。



大分
求来里喜平しのぶ 「観音桜」七分咲き 25日までライトアップ
 明治初期に農民一揆を指導したとして処刑された求来里喜平(くくりきへい)をまつる日田市求町の慈母観音前にある4本の桜「観音桜」が、花をほころばせ七分咲きとなっている。訪れる人たちのために夜間はライトアップされ、濃いピンク色の花びらが、夜空に映えている。
 喜平は1870年に凶作や明治維新後の混乱による窮状を訴えた「日田県竹槍(やり)騒動」の指導者として仲間4人とともに死罪となった。喜平の子孫で、近くに住む足立栄子さん(74)と静岡県に移り住んだ故森野スミ子さんが、喜平をしのんで1992年に観音像を建て、3年後に桜を植えた。森野さんは苗木を植えた年に亡くなったため、桜の開花を見ることはなかった。足立さんは「森野さんの古里への思いが込められた観音桜で温かい気持ちになってほしい」と話した。今年は暖冬のため、桜は例年より早い15日ごろの満開が見込まれている。ライトアップは25日まで。





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