新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
昨日受けたマッサージの効果で首肩の張りと痛みがだいぶ和らぎました……凝りをためないようにしたいものです。
北海道
はこだて外国人居留地研究会 英国商人の活躍、リーフレットで紹介
栃木
高杉とのつながり紹介 研究の第一人者が講演
神奈川
米海軍基地内の近代化遺産を見学-春休み親子ツアー、参加者募集 /神奈川
岐阜
鉄舟の人生に学ぶ 高山・宗猷寺で研究会例会
滋賀
「赤備え」甲胄など市外3者から寄贈 彦根城博物館「研究に役立てる」
長崎
堤さんが新作手ぬぐい2種製作 「龍馬・長崎奉行」と「軍艦島」
本県初上陸地に「島原湊龍馬館」 旧広馬場交番、記念碑も設置
ブックレビュー
ぶっく・えんど:『決めぜりふ』=齋藤孝・著 /東京
エンターテインメント
裏主役・弥太郎の奮闘劇、大河ドラマ「龍馬伝」配信―NHKオンデマンド
文化芸能
明治の大阪 生き生きと 「舞い舞い虫独り奇術」初の舞台化
北海道
はこだて外国人居留地研究会 英国商人の活躍、リーフレットで紹介
【函館】はこだて外国人居留地研究会(岸甫一代表)は、英国と函館の交流史の研究成果をまとめたリーフレット「はこだてと外国人居留地 イギリス編」を作成した。英国人居留地の地図、英国商人の活動の様子などを盛り込んだ力作で、3月1日から、函館市末広町の市地域交流まちづくりセンターで無料配布する。
リーフレットは両面カラーのB3判で、3千部印刷した。
英国は、1859年(安政6年)の自由貿易開港から1934年(昭和9年)まで、函館に領事館を置いた。開港以来、英国の商人は函館の貿易の中心を担い、宣教師や船員らも市民と交流を深めた。
リーフレットでは、主に幕末から明治期にかけての英国人の活動を紹介。英国の商人と函館の華僑との関係や、英国人と結婚した函館の女性たち、英国が源流のキリスト教の一派、聖公会の布教活動や、聖公会によるアイヌ民族の教育なども写真と記事で解説した。
同会は「市民に忘れられている、イギリス商人の歴史を伝えたい」とPRしている。(小森美香)
栃木
高杉とのつながり紹介 研究の第一人者が講演
【壬生】町歴史民俗資料館は21日、開催中の企画展「壬生剣客伝」に合わせ、壬生城址公園ホールで、幕末の長州志士高杉晋作研究の第一人者で山口県萩博物館特別学芸員の一坂太郎さんを招いた講演会を開いた。
晋作は1840年、自らの剣術の腕試しなどで壬生を訪れたことが本人の日記から分かっている。企画展はその足跡や高杉を打ち負かせたとの言い伝えがある壬生の剣客の姿などをテーマにした。
約120人が耳を傾ける中、一坂さんは当時の時代背景を「ペリー来航で日本人は米国の脅威を感じたが、剣の技なら負けないと剣術が盛んになった」と話し、晋作の日記を基に足どりについて、想像される本人の心中とともに解説した。
桂小五郎を破った別の壬生剣士がいたことを紹介し、「高杉も桂も長州のスーパーヒーロー。その2人が壬生剣士にかなわず、うちひしがれた。だが、そこで沈んでしまわず活躍したのが、すごいところ」などと語った。
神奈川
米海軍基地内の近代化遺産を見学-春休み親子ツアー、参加者募集 /神奈川
横須賀造船所跡などの近代化遺産を見学する歴史ツアー「春休み!親子で学ぶベースの歴史~第3回 横須賀造船所歴史研究会」が4月4日、米海軍横須賀基地・ヴェルニー公園で行われる。主催は「横須賀の文化遺産を考える会」、西武パートナーズ。(横須賀経済新聞)
同ツアーは、横須賀造船所を設計したヴェルニーらフランス人技師たちの足跡をたどり、同公園から米海軍基地内の施設を4~5時間歩く歴史ガイドツアー。ガイドは横須賀市自然・人文博物館学芸員の安池尋幸さんほか。
現在の米海軍横須賀基地内には、幕末の横須賀製鉄所、明治以降の横須賀造船所の近代化遺産が数多く残る。「旧海軍横須賀鎮守府」の建物は米海軍極東基地司令部として使われており、玄関ロビーには同製鉄所を建設した小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)やヴェルニーの肖像写真も飾られる。1867年(慶応3)年に掘り始め、1872(明治4)年に完成したレンガ積み第1号ドライドックなども現存する。
参加対象は、小学4年~中学生とその家族。抽選で50人。申し込みは、往復はがきに参加者全員(1枚5人まで)の郵便番号・住所・名前(ふりがな付き)・電話番号・国籍・性別・生年月日を記入。あて先は、〒238-0003 横須賀市稲岡町82 三笠公園管理事務所。2月28日必着。
開催時間は9時~15時。参加費200円。米海軍基地入場時にはパスポート・運転免許証などの写真付き証明書が必要。問い合わせは同事務所(TEL 046-824-6291)まで。
岐阜
鉄舟の人生に学ぶ 高山・宗猷寺で研究会例会
山岡鉄舟研究会(東京都)が、高山市宗猷寺町の宗猷寺で例会を開いた。会員や市民ら30人が参加し、幕末に江戸城無血開城に貢献した鉄舟の生き方から人生の粋を学んだ。
研究会は、鉄舟の偉業と人物像から、現代人の指針を見いだそうと研究を続けている。鉄舟は幼少時を高山で過ごし書を学んだ。研究会の例会が高山で開かれるのは初めて。
同会会長で経営コンサルタントの山本紀久雄さんが「鉄舟大悟す」と題して講演。剣術の世界では「向かうところ敵無し」だった鉄舟が幕末の剣客、浅利又七郎との立ち会いで完敗したことを挙げ「鉄舟は負けたことを簡単には忘れず、自分の過去を整理してその後の人生に生かした。人間の多くは過去を思い出だけにしておくが、鉄舟のように生きていくことが大事だ」と語った。
(白山泉)
滋賀
「赤備え」甲胄など市外3者から寄贈 彦根城博物館「研究に役立てる」
彦根城博物館(滋賀県彦根市)はこのほど、江戸時代に彦根藩士が所有したと推定される甲冑(かっちゅう)など計19点の寄贈を市外の3者から受けた。甲冑は朱色を基調にし、戦場で恐れられた「井伊の赤備え」の典型的な形式で、藩祖の井伊直政か、二代藩主直孝ごろの江戸初期の具足とみられるという。
甲冑は「朱漆塗紺糸威縫延胸取二枚胴具足(しゅうるしぬりこんいとおどしぬいのべむなどりにまいどうぐそく)」。全体に朱色の漆を施し、兜(かぶと)に半月型の金箔(きんぱく)の飾り「前立(まえたて)」を付ける形式から、彦根藩士の所有と推定。所有者を示す旗指物がないなど伝来は不明だが、漆の質感や、太もも部分を守る「草摺(くさずり)」の枚数の特徴から、江戸時代初期ごろの甲冑とみられる。
同博物館は「江戸初期の藩士の甲冑は現存がほとんど確認されていない。研究に役立てたい」としている。
ほかの寄贈品は、江戸後期に彦根藩が奨励した湖東焼の煎茶(せんちゃ)碗5点があり、中山道の高宮宿に住んだ絵付師「赤水」の作品。幕末に彦根藩の御用絵師だった佐竹永海の養子、佐竹永湖(1835~1909)が、中国の伝説を描いた絵「西王母図」もある。
長崎
堤さんが新作手ぬぐい2種製作 「龍馬・長崎奉行」と「軍艦島」
愛らしい「たぬき絵」で知られる長崎市八幡町の画家、堤けんじさん(59)が新作の手ぬぐい「軍艦島上陸記念」と「龍馬・長崎奉行 幕末物語」の2種類(いずれも縦34センチ、横88センチ)を作った。
「軍艦島」は「せっかく軍艦島を観光したのに記念のお土産がないのは寂しい」と思い製作。船に乗って軍艦島観光を楽しむ「たぬき」を描いた。価格は600円。シーマン商会(長崎市旭町)が運行するクルージング船「さるく号」船内で販売中。
「龍馬・長崎奉行」は「龍馬ブームで長崎を訪れた人のために」と製作。「たぬき」の坂本龍馬、岩崎弥太郎、大浦慶らと幕末長崎の風景をにぎやかに描いた。価格は700円。長崎市の長崎歴史文化博物館(立山1丁目)と石丸文行堂(浜町)などで販売中。
堤さんは「手ぬぐいは安価で荷物にならない。本県の魅力をアピールするいいお土産だと思う」と話している。
本県初上陸地に「島原湊龍馬館」 旧広馬場交番、記念碑も設置
島原市は22日、幕末の志士、坂本龍馬が本県の土を初めて踏んだ同市津町に「島原湊龍馬館」を開設した。大河ドラマ「龍馬伝」にちなむ観光活性化策の一環。
龍馬は1864年、江戸幕府の軍艦奉行並、勝海舟の長崎出張に随行。「海舟日記」によると、2月22日未明(日記は21日と記述)、熊本から船で島原に上陸し、長崎へと向かった。
龍馬館は、島原署旧広馬場交番の1階部分27平方メートルを活用。龍馬の実物大の写真パネルや、龍馬の島原での足跡を紹介するパネル、観光パンフなどを置いている。龍馬が下り立ったとされる石段の近くには記念碑も設置した。
オープンセレモニーが22日あり、龍馬と勝海舟に扮(ふん)した観光ガイドが船から下り立ち、上陸風景を再現。横田修一郎市長は「龍馬館を基点とした『龍馬の道』を観光客増加につなげたい。観光客が憩い、思い出を胸に刻む場所となることを期待している」とあいさつ。テープカットで開館を祝った。
この後、武者や町娘などの衣装を着た観光ガイドらが島原城まで歩き、チラシを配って龍馬館の開館をアピールした。
ブックレビュー
ぶっく・えんど:『決めぜりふ』=齋藤孝・著 /東京
幕末から明治維新の激動を生き抜いた先人たちの名言集。「そんな時代の言葉こそ、今の時代に知恵と勇気をもたらす」と唱える著者が、天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)から坂本龍馬、清水次郎長、渋沢栄一まで37人の決めぜりふについて、どんな状況で語られ、どんな意味が込められたのかを解説する。
「飛耳長目(ひじちょうもく)」は吉田松陰が松下村塾で掲げたスローガン。松陰は、遠くのことまで耳にし、遠くまで目が行き届くよう、常にアンテナを高くして多くの情報から判断せよと説いた。
著者は「師弟関係でも上司と部下の関係でも会社のポジションでも、固定化した関係に甘んじてレベルの低い安心感を持つな。ネット社会でも、自ら出向いて人に出会い、語り合って学ぼう」と説く。
当時の人々はみんなテンションが高い。筆者に言わせると「そのエネルギーが人々の間で交換され、さらにハイテンションを生み出し、時代を前向きに動かしていた。今、みんながそれぞれの持ち場で先人の志を胸に頑張れば、何かがきっと動いていく」。
著者はコミュニケーション論を専門とする明治大文学部教授。朗読ブームを巻き起こしたベストセラー「声に出して読みたい日本語」の著者でもある。人物相関図など図解も多く分かりやすい。世界文化社。1575円。【合田月美】
エンターテインメント
裏主役・弥太郎の奮闘劇、大河ドラマ「龍馬伝」配信―NHKオンデマンド
理不尽な仕打ちに抵抗する弥太郎―、大河ドラマ「龍馬伝」の第8回「弥太郎の涙」が、NHKオンデマンドの見逃し番組サービスに配信されている。視聴料金は315円(税込み)。
父の葬儀後のあいさつ回りに出かけた龍馬(福山雅治)は、弥太郎(香川照之)の父・弥次郎(蟹江敬三)が男たちに囲まれて殴られている現場を目撃する。弥次郎は庄屋による理不尽な振る舞いをめぐり争っていた。江戸で学問修行についたばかりの弥太郎の元に父のけがの知らせが届き、大急ぎで土佐に帰郷する。
弥太郎は庄屋や奉行所に訴えに行くものの、取り合ってもらえないばかりか、行く先々ですでに龍馬が抗議を申し立てにきていたことを知る。
一方、攘夷の主張をますます強くする半平太(大森南朋)は、岡田以蔵(佐藤健)、平井収二郎(宮迫博之)らとともに江戸へ出発。剣術修行を表向きに、半平太は龍馬に、各藩の攘夷派の人間と江戸で接触すると打ち明ける。
奉行所が取り合ってくれないことに納得できない弥太郎と龍馬は、ある噂を聞きつけ、藩の実力者・吉田東洋(田中泯)に直談判に赴く。しかし東洋は2人に、思いがけない言葉を投げかける。業を煮やした弥太郎はある決意を秘めて再び奉行所の門前へ…。
今回の見どころは、“裏主役”というべき弥太郎の奮闘。ラストシーンも重要だが、急報を知って江戸から土佐まで強行軍を押して駆け抜けていく様子は圧巻。シーンそのものは数十秒に過ぎないが、5つのブロックに分け、3カ月もかけて撮影されたという。時代劇では、今の感覚からは計り知れない江戸と地方との距離感がどうしても見落とされがちだが、そのギャップを埋めようとするユニークな演出に、ありのままの幕末を描こうとする工夫が見え隠れする。
文化芸能
明治の大阪 生き生きと 「舞い舞い虫独り奇術」初の舞台化
劇作家、土井陽子が明治時代の大阪に生きる人々の人生模様を描いた小説「舞い舞い虫独り奇術」が関西俳優協議会によって初めて舞台化されることになり、26日から28日まで吹田市メイシアターで上演される。
「舞い舞い虫独り奇術」は明治半ばの大阪・千日前を舞台に、当時まだ荒れ地だったこの地を道頓堀に負けない興行地にしようと命をかけて頑張った人々の夢と挫折、生きざまを綴(つづ)った作品。タイトルの舞い舞い虫は、古い大阪弁でミズスマシのこと。ヒロインのキサが小さな水たまりのような千日前から出られなかったことを意味するという。
土井自ら脚色し、演出は田中弘史が担当。キサに関西芸術座の梅田千絵がふんするほか、和泉敬子、紅萬子、八田麻住、大竹修造、楠年明、芝本正ら関西演劇界で活躍する役者総勢約40人が出演する。
「いま、テレビでは坂本龍馬をはじめ幕末から明治にかけて偉大な足跡を残した英雄たちが取り上げられているが、ここ大阪の片隅にも、決して英雄ではないが、大阪の発展のために懸命に生きた人たちがいたことを知っていただきたい」と土井は話している。
問い合わせは関西俳優協議会TEL06・6458・6935。(亀岡典子)
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2週間ぶりにマッサージを受け、前回よりほぐれやすくなっているのを感じました。今夜も熟睡できるかな……。
北海道
第4弾はイギリス編…外国人居留地研がマップ作成
東京
「絹の道」パソコンで学ぶ 東京工科大生3人が教材開発
長野
松代藩主、多くは江戸生まれ 真田宝物館が講演会
愛知
明治から昭和期の田原の写真展
山口
和ろうそく舞踊 幻想リハーサル
香川
地域通貨:寛永通宝でお買い物 香川・観音寺市、4月から1枚30円
大分
歴史散歩 着物でいかが、小京都・杵築「来て着て!」
長崎
「島原湊龍馬館」を開設 本県初上陸の地にちなみ
ロシア
ロシア正教会、笹川氏に勲位=聖ニコライの日記出版
北海道
第4弾はイギリス編…外国人居留地研がマップ作成
市民有志でつくる「はこだて外国人居留地研究会」(岸甫一代表)が、国別居留地マップ第4弾としてイギリス編を作成した。3月1日から、函館市地域交流まちづくりセンター(末広町4)で無料配布する。
同研究会はかつての外国人居留地や居留外国人の活動などを掘り起こし、市民の知的財産とする目的で活動を続けている。今回、「からトラスト(公益信託函館色彩まちづくり基金)」の本年度事業として実施した。
今回はイギリスに着目。1855(安政2)年からの長く、深いかかわりを文と年表などで分かりやすく解説。イギリス人と結婚した地元の女性6人にまつわるエピソードをはじめ、貿易や布教、教育活動、北洋漁業など多彩な観点から函館とのつながりをまとめた。編集責任の清水憲朔さん(63)は「忘れられた深いかかわりを2ページに凝縮した。メンバーの研究調査の成果をまとめたので濃い内容に仕上がった」と太鼓判を押す。
岸会長は「読みながら西部地区を散策するとイギリス領事館など普段と違う目線で見られる」とPRする。B3判両面カラーで、3000部作る予定。
東京
「絹の道」パソコンで学ぶ 東京工科大生3人が教材開発
幕末から明治にかけて生糸の輸送路として使われた「絹の道」について、東京工科大メディア学部(東京都八王子市片倉町)の学生3人が、パソコンで学べる教材を開発した。21日は「八王子市絹の道資料館」(同市鑓水)で、26~28日は「同市郷土資料館」(同市上野町)で教材を体験することができる。関係者はインターネット上で教材を公開したい考え。
教材を開発したのはいずれも4年生の崎浜直子さん(22)、上妻唯さん(22)、品田裕子さん(22)で、パソコンやインターネットなどの情報技術を活用した教材を開発する「eラーニング研究室」に所属している。
担当の松永信介准教授(41)が昨年5月、同大近くにある絹の道資料館の見学を3人にたまたま勧めたことがきっかけ。3人は「資料館の展示は面白かった」が、公式ホームページがなく、交通の便も悪いことから「もっと多くの人に知ってほしい」と研究テーマに決めた。
まずは、2か月ほど資料館に通い、資料館の展示内容や絹の道に関連する歴史について学び、資料を整理したり、年表を作成したりした。その上で、資料をもとにパソコンの専用ソフトを使って教材化した。
教材は、学習のページとクイズページがある。学習のページは「八王子の製糸工場」や「横浜開港と生糸商人」など三つのテーマに分かれている。絹の道にまつわる歴史をコンピューターグラフィックスなどを使ってわかりやすく説明している。地図や年表などの資料を見ることもできる。クイズページでは、計15問の選択問題に挑戦することができる。
品田さんは「3人とも八王子の出身ではないので、八王子について学べてよかった」と話している。教材作成に協力した八王子市教育委員会文化財課の金子征史さん(43)は「教材はいい出来栄え。今後、この教材をどこかのホームページ上で公開できれば」と意気込んでいる。
教材体験は午前10時~午後4時。無料。学生が使い方などを説明してくれる。
〈絹の道〉 八王子―横浜間(約40キロ)を結んだ道。1859年(安政6年)の横浜開港から、明治時代中頃にかけて、八王子やその周辺の生糸は、この道を通って横浜に運ばれ、海外に輸出された。その後、鉄道輸送に切り替わった。絹の道資料館は1990年、鑓水の生糸商人・八木下要右衛門の屋敷跡に開館した。
長野
松代藩主、多くは江戸生まれ 真田宝物館が講演会
お殿様は都会っ子-。長野市松代町松代の真田宝物館が20日開いた講演会「松代藩主と江戸幕府」で、真田家の文書を数多く所蔵する国文学研究資料館(東京)教授の大友一雄さん(54)が、江戸育ちの藩主たちの立場を紹介した。市松代支所で開き、住民ら約100人が聴講した。
大友さんは、幕末まで10代を数えた松代藩主のほとんどが江戸生まれで、正式なお国入りまで江戸にとどめられたと説明。反幕府の動きを封じるためだったとし、「第2代信政のように60歳を過ぎてお国入りし、その翌年に亡くなった人もいる」。3年に一度程度、江戸城大手門の警備を任されていたことも紹介した。
宝物館は3月1日まで、松代藩主の江戸での生活を紹介するテーマ展を開催中。学芸員の米沢愛さん(28)は「藩主の正妻には松代に一度も来たことがない人もいる。幕府との知られざる関係を知ってほしい」と話していた。
愛知
明治から昭和期の田原の写真展
明治から昭和までの古きよき田原の街並みを写した写真を集めた「田原今と昔写真展」が、田原市の複合商業施設セントファーレの2階ミーティングルームで開かれている。28日まで。
1922(大正11)年ごろの「二・七の市」や旧渥美線三河田原駅、田原中部尋常高等小学校(現田原中部小)など、貴重な古写真50枚を展示した。
もっとも古いものは幕末に撮られた田原城。ほかにも石造りの船倉橋、当時は新町地区にあった木造の田原署など、昔をしのばせる写真が多数。地元旧家や愛好家が持ち寄ったものを集めた。
駅前やセントファーレ前の通りなどは、古写真とともに現在の写真も展示。移り変わりが一目で分かるようになっている。また、中には写っている場所や建物の屋号などが分からないものもあり、来場者に記入してもらうようになっている。
(松井俊満)
山口
和ろうそく舞踊 幻想リハーサル
瑠璃光寺、来月6日公演
山口市の舞踊家、花柳寿寛(はなやぎじゅかん)さん(62)や弟子がろうそくの明かりを頼りに日本舞踊を披露する「和蝋燭(ろうそく)の世界~和~」が同市香山町の瑠璃光寺本堂で行われるのを前に、リハーサルが20日夜、報道陣に公開された。
花柳さんは、芯が太く、大きな炎が揺らめく和ろうそくを照明にした舞台を約10年前から開いている。今回は、昨年没後150年を迎えた幕末の思想家、吉田松陰の半生を詩吟に合わせて表現する新作や、湯田温泉音頭、尺八の演奏など八つの演目を披露する。
花柳さんは「松陰の新作舞踊は、獄中で親を思う彼の心情が見どころ。和ろうそくが作る空間を楽しんでもらいたい」と話している。
公演は3月6日と4月3日の2回で、いずれも午後6時半開演。予約制で1人5000円。問い合わせは実行委員会(083・922・1350)へ。
香川
地域通貨:寛永通宝でお買い物 香川・観音寺市、4月から1枚30円
◇時代劇の雰囲気楽しんで
江戸時代の通貨・寛永通宝の巨大砂絵があり、「銭形(ぜにがた)」の町として知られる香川県観音寺(かんおんじ)市で、4月から寛永通宝を地域通貨として使えるようになる。同市の町おこしグループ「ドピカーン観音寺実行委」が考えた。白川晴司市長は「支払いの度に、時代劇の雰囲気が味わえそう。観光の魅力が高まる」と期待を込める。
同市には、砂を盛り上げて「寛永通宝」をかたどった巨大な銭形砂絵(東西122メートル、南北90メートル)がある。江戸初期に丸亀藩主が巡視した際、住民らが歓迎のために造り上げたとされ、観光名所になっている。実行委によると、寛永通宝は1636年~1860年代後半に作られた銅・鉄製の硬貨で、法的には1953年まで通用したという。実行委の藤田圭造さん(53)は「300億~400億枚作られ、古い民家などを中心に相当数眠っているという説もある」と話す。地域通貨として使うことに法的問題はないといい、実行委は市などの協力を得て4月4日から市内の商店などで1枚30円で使えるように、使用可能な店を募っている。
日本貨幣協会の野崎茂雄理事(67)によると、寛永通宝は作られた時期などによって、500~600種類に分類され、大阪・難波で享保年代に作られたものなどは希少性があり1枚100万円にもなる。しかし、多くは買い取り価格が1枚5~10円程度、売値も50~100円ぐらいという。野崎理事は「幕末ごろの寛永通宝は今のお金で20円前後の価値と言われ、30円は妥当な額ではないか」と話している。【松田学】
大分
歴史散歩 着物でいかが、小京都・杵築「来て着て!」
着物姿で気軽に散策を楽しんでもらおうという試みが各地で盛んだ。ひな祭りのイベントに合わせて観光客らに着てもらったり、和装での小旅行を仕掛けたり。レンタルや着付けのサービスもある。着物で歩くまちでは、土地の歴史まで身近になりそうだ。
白壁の商家が並ぶ町並みは、まるで江戸時代にタイムスリップしたようだ。大分県杵築市の中心部にはそんな趣がある。
「はっきりした色のほうが顔映りがいいですね」。同市に今月開業したばかりの呉服店「豊後屋大兵衛(たへい)」のレンタル着物コーナーで、着付け講師の女性が同市の会社員高野史織さん(37)にそう助言していた。
「お祝い事の時にピンク系の着物を着付けてもらうぐらい」という高野さんは、大輪のボタンが描かれた紫の鮫(さめ)小紋の着物を選んだ。着付けを終えた姿はりんとしていて、すてきだった。高野さんはそのまま通りへ。「和服が似合う町並みを誇りに思います。普段着のように着て歩けたらいいですね」
同店では、市のひな祭りイベント「城下町杵築散策とひいなめぐり」(3月7日まで)に合わせ、着物のレンタル(2000円。足袋は持参か600円で購入)と無料着付けを毎日行っている。
「一人でも多くの人に着物の魅力を知ってもらいたい」と店主の堀川啓(あきら)さん(33)。父の代から38年間、同県別府市で呉服店を営んでいたが、昨年4月に「きつき和服応援宣言」をした杵築市の取り組みを応援しようと店を移したという。
市は商店街などと連携して様々なサービスを展開している。和服で散策する人は杵築城など5か所の観光施設の入場料が無料。30か所の飲食店や商店などでは料金割引や粗品進呈もある。毎月第3日曜日は「きもの感謝祭in小京都きつき」として着付け体験や無料の写真撮影。21日も実施予定だ。
こうした活動が評価され、昨年11月、NPO法人「きものを着る習慣をつくる協議会」(京都市)から、「きものが似合う歴史的町並み」の第1号に認定された。「着物を着て歩くだけで非日常を味わうことができ、気分転換になるという人もいる。着物の人たちがたくさん歩いているような杵築にしたい」。堀川さんはそう力を込めた。
そろいで華やか バスツアー
佐賀市卸本町の呉服店「絹乃屋」は、和服での小旅行や観劇ツアーを行っている。「着物を持っていても着る場所がない」「一人では恥ずかしい」といったお客さんの声に応えようと、中山龍郎社長(61)が10年ほど前に始めたという。
今月14日はバスツアーで、長崎市の老舗料亭「花月」を訪ねた。着物愛好者ら20人余りが長崎名物の卓袱(しっぽく)料理を味わい、長崎検番の芸妓(げいぎ)による舞踊などを楽しんだ。幕末の志士たちも出入りしたという花月。参加者たちは、坂本龍馬が酔って斬りつけたとされる床の間の柱の刀傷を目の当たりにして歓声を上げた。
着付けをしてもらって参加したという佐賀県白石町の白石美智子さん(57)は「着物姿だと、歴史的な出来事がより身近に感じられますね」と話していた。
人生豊かにする
NPO法人「きものを着る習慣をつくる協議会」の理事長、中塚一雄さん(55)=写真=に、着物の魅力について聞いた。
◇
ぜひ着物を着て古い町並みを歩いてみてほしい。ジーンズやスラックスで歩く時とは歩幅が違う。足元の石畳や小さな花の美しさに自然と目がいくはずだ。そうした「気づき」は、人生をより豊かなものにしてくれる。
また、袖を押さえて何かを取る、すそをそろえてひざまずくといった立ち居振る舞いは、「奥ゆかしさ」「上品さ」といった言葉について考える機会にもなる。着物を着ていると、「いい着物ですね」「母からもらったものです」と、コミュニケーションが広がっていくのも魅力の一つだ。
杵築市観光協会=0978・62・3131(杵築市商工観光課内)
豊後屋大兵衛=080・6404・8458(22日からは0978・68・8820)
絹乃屋=0952・31・7411
各地のひな祭りイベントでは、着付け体験や和服の人への特典が用意されている。
▽福岡県うきは市の「筑後吉井おひなさまめぐり」(4月3日まで)
「あなたも着物でおひなさまめぐり」と題し、「着物の似合う町づくりの会」がレンタル着物を着付けてくれる。3月の毎週日曜午前10時~午後2時、居蔵の館。500円。うきは市観光協会=0943・76・3980
▽大分県日田市の「天領日田おひなまつり」(3月31日まで)
期間中に着物姿で豆田みゆき通り商店街を散策すると、店舗ごとに粗品進呈などの特典がある。人力車の無料乗車(2月28日、3月7日)や、地元の着物愛好家グループによる無料着付け(2月28日、3月7日午前10時~午後2時、天領日田資料館休憩室)も。日田市観光協会=0973・22・2036
▽熊本県人吉市の「人吉球磨は、ひなまつり」(3月31日まで)
市中心部の九日町商店街で3月13、14日に「おひな通り着物ぶらり歩き」が行われる。着物の人には無料の写真撮影や温泉入浴券などが当たる抽選会も。木本商店=0966・22・4004、ビラ・エステ=0966・23・4866
長崎
「島原湊龍馬館」を開設 本県初上陸の地にちなみ
島原市は22日、幕末の志士、坂本龍馬が本県の土を初めて踏んだ同市津町に「島原湊龍馬館」を開設した。大河ドラマ「龍馬伝」にちなむ観光活性化策の一環。
龍馬は1864年、江戸幕府の軍艦奉行並、勝海舟の長崎出張に随行。「海舟日記」によると、2月22日未明(日記は21日と記述)、熊本から船で島原に上陸し、長崎へと向かった。
龍馬館は、島原署旧広馬場交番の1階部分27平方メートルを活用。龍馬の実物大の写真パネルや、龍馬の島原での足跡を紹介するパネル、観光パンフなどを置いている。龍馬が下り立ったとされる石段の近くには記念碑も設置した。
オープンセレモニーが22日あり、龍馬と勝海舟に扮(ふん)した観光ガイドが船から下り立ち、上陸風景を再現。横田修一郎市長は「龍馬館を基点とした『龍馬の道』を観光客増加につなげたい。観光客が憩い、思い出を胸に刻む場所となることを期待している」とあいさつ。テープカットで開館を祝った。
ロシア
ロシア正教会、笹川氏に勲位=聖ニコライの日記出版
幕末から明治にかけ、日本でロシア正教の布教に生涯をささげた聖ニコライ(1836~1912)の日記出版で日ロ交流に寄与したとして、ロシア正教会から日本財団の笹川陽平会長に勲位が贈られ、東京・麻布台の在日ロシア大使館で22日、授与式が行われた。笹川会長には、ロシア自然科学アカデミーの会員証も授与された。
1861年から日本に滞在した聖ニコライの日記は、大妻女子大の中村健之介教授が1979年、サンクトペテルブルクの古文書館で再発見した。日本財団は翻訳事業を支援し、日本語版が2007年に出版された。聖ニコライは、東京・神田駿河台の「ニコライ堂」(東京復活大聖堂教会)にその名を残している。
少し寒さが緩んできて、野菜が安くならないかなーと期待してます(特に長ネギや葉物野菜……野菜が高く、冬の夕食定番メニューの鍋ものを諦めたことがしばしば^_^;)。
東京
「絹の道」パソコンで学ぶ
京都
京の仏像:/34 吉備観音像 くろ谷・金戒光明寺 /京都
ブックレビュー
【文庫】『スッキリ!幕末』かみゆ歴史編集部著
うーん、すっきりしないところに歴史の面白さを感じるのは少数派なんでしょうか?(苦笑)
コラム
【日本人とこころ】岩崎弥太郎と志(下)事業は国家社会への貢献
東京
「絹の道」パソコンで学ぶ
工科大生3人 教材開発
幕末から明治にかけて生糸の輸送路として使われた「絹の道」について、東京工科大メディア学部(八王子市片倉町)の学生3人が、パソコンで学べる教材を開発した。21日は「八王子市絹の道資料館」(同市鑓水)で、26~28日は「同市郷土資料館」(同市上野町)で教材を体験することができる。関係者はインターネット上で教材を公開したい考え。
教材を開発したのはいずれも4年生の崎浜直子さん(22)、上妻唯さん(22)、品田裕子さん(22)で、パソコンやインターネットなどの情報技術を活用した教材を開発する「eラーニング研究室」に所属している。
担当の松永信介准教授(41)が昨年5月、同大近くにある絹の道資料館の見学を3人にたまたま勧めたことがきっかけ。3人は「資料館の展示は面白かった」が、公式ホームページがなく、交通の便も悪いことから「もっと多くの人に知ってほしい」と研究テーマに決めた。
まずは、2か月ほど資料館に通い、資料館の展示内容や絹の道に関連する歴史について学び、資料を整理したり、年表を作成したりした。その上で、資料をもとにパソコンの専用ソフトを使って教材化した。
教材は、学習のページとクイズページがある。学習のページは「八王子の製糸工場」や「横浜開港と生糸商人」など三つのテーマに分かれている。絹の道にまつわる歴史をコンピューターグラフィックスなどを使ってわかりやすく説明している。地図や年表などの資料を見ることもできる。クイズページでは、計15問の選択問題に挑戦することができる。
品田さんは「3人とも八王子の出身ではないので、八王子について学べてよかった」と話している。教材作成に協力した八王子市教育委員会文化財課の金子征史さん(43)は「教材はいい出来栄え。今後、この教材をどこかのホームページ上で公開できれば」と意気込んでいる。
教材体験は午前10時~午後4時。無料。学生が使い方などを説明してくれる。
京都
京の仏像:/34 吉備観音像 くろ谷・金戒光明寺 /京都
◇所願成就の仏さま
735年に遣唐使として中国へ渡った政治家で学者の吉備真備が帰朝する際、荒波に浮かぶ船の上で「南無観世音菩薩(ぼさつ)」と唱え、遭難を免れた。その時に持ち帰ったせんだんの香木を用い、僧侶行基が刻んだとされるのがこの像だ。
左京区の吉田寺(きちでんじ)に伝わったが、廃寺に伴って1668年に金戒光明寺へ移された。幕末には会津藩が京都守護職を置いたことでも有名な同寺で、今も所願成就の仏さまとして広く信仰を集めている。御影堂に安置。隣には吉備真備像(江戸時代作)が鎮座する。
像高268・2センチ。奈良後期~平安初期作の重文。左京区黒谷町121。075・771・2204。【橘建吾】
ブックレビュー
【文庫】『スッキリ!幕末』かみゆ歴史編集部著
◎『スッキリ!幕末』かみゆ歴史編集部著(文庫ぎんが堂・680円) 今年は国民あげて龍馬ブーム。NHK大河ドラマ「龍馬伝」では岩崎弥太郎はじめ桂小五郎、河田小龍ら数多くの人物が登場。果たしてそんな人々は龍馬とどんな関係なのか。その疑問に図解入りで応えるのが本書。55人を取り上げている。
うーん、すっきりしないところに歴史の面白さを感じるのは少数派なんでしょうか?(苦笑)
コラム
【日本人とこころ】岩崎弥太郎と志(下)事業は国家社会への貢献
終戦を迎え、日本へ乗り込んできたGHQ(連合国軍総司令部)は、占領政策の名のもとに、三菱や三井、住友といった大財閥に自発的解体を突きつけた。日本経済の壊滅を狙った、いわゆる、財閥解体である。
GHQが大号令を発する少し前、東京・湯島にある岩崎家本邸。明治29(1896)年に建築された優美な洋館では、三菱創始者である岩崎弥太郎の息子で三代目社長、久弥と四代目社長、小弥太が膝を突き合わせていた。いとこ同士で、共に欧米へ留学経験を持つ2人の目には、日本の敗色が濃厚だった。国が負けたら、国に協力してきた三菱はどうなるのか。いや、どうするのか。
岩崎家は、自発的解体を拒否する決断をする。「三菱は国家・社会に対し不信行為を行ったことはなく、国策に従い、国民としてなすべき当然の義務を果たしたのであって、顧みて恥ずべき何ものもない」(「三菱のあゆみ」)と、小弥太は言い切った。
◇
明治6(1873)年、土佐藩の海運業を引き継いだ1人の武士、弥太郎を社主として誕生した「三菱商会」は、明治から昭和にかけての激動の時代を国とともに歩み、成長してきた。
「三菱は、三井や住友などの財閥とは大きく違いました」と指摘するのは、三菱史アナリストの成田誠一さん(68)。「三井や住友は三菱よりも何百年も歴史が古く、江戸時代にはすでに確立されていた。三井家や住友家は資本家。実際に経営するのは優秀な大番頭。資本と経営が分離した、先進的な企業でした」
一方、三菱は、一本気で妥協を許さない土佐の「いごっそう」、弥太郎が育てた上げた企業だ。「弥太郎は、幕末のどさくさで成り上がった武士です。弥太郎にとって理想の武士とは、戦場を駆け回る戦国武将。自分が先頭に立って、すべてを仕切りました」
会社を設立した当初、弥太郎は幹部たちが自分の顔色をうかがいながら話し合うのを見て、「今後、自分がすべて判断する」と宣言した。しかし、3隻しか持たなかった小さな汽船会社の三菱が、海運界を制するまでには、国内外のライバルとの熾烈(しれつ)な競争があった。
戦場に向かう武将さながらの弥太郎は、社員の士気を高めた。政府の保護を受け、国内最大だった日本国郵便蒸気船会社を「主宰統括する人物が凡庸」「船舶は概して腐朽に傾き、実用に適せざるもの多し」と切り捨て、「我が商会は社船少数なるも、いづれも堅牢(けんろう)快速」「実力を比較すれば最後の勝利は必ず我が手に」と鼓舞した(「岩崎彌太郎伝」)。
明治7(1874)年、風向きが変わる。政府は台湾出兵に踏み切ったものの、輸送の頼みにしていた英米の汽船会社から中立を理由に協力を拒否された。日本国郵便蒸気船会社に運航を委託しようとするも、その間に三菱に客を奪われるのを懸念し、二の足を踏んでいた。
最後にお鉢が回ってきたのが、三菱だった。台湾蕃地事務局長官、大隈重信は、弥太郎を呼んで協力を要請した。弥太郎の答えは、「国家有事の際、私利を顧みず公用を弁ずる」(「岩崎彌太郎伝」)。
「弥太郎は武士の出だったために、常に国のことを考えていた」と成田さんは話す。「所期(しょき)奉公」という言葉が、三菱には伝わる。事業の目的は国家社会への貢献という意味だ。
台湾出兵を機に、三菱は飛ぶ鳥を落とす勢いで拡大してゆく。海運業のみならず、鉱業、金融業など後の三菱の基礎となる事業が展開された。これに対し、三井など反三菱勢力が共同運輸を設立。三菱と激しいダンピング競争に突入していった。
その最中、弥太郎は病に倒れ、明治18(1885)年に胃がんでこの世を去る。享年50。新時代を志した武士の、壮絶な戦死でもあった。
◇
「三菱は他の財閥と違い、“岩崎財閥”とは言わなかった。個人で所有するのではなく、国のため人々のためという考え方がある」と岩崎家本邸だった邸宅を管理する、都立旧岩崎邸庭園サービスセンター長、松井修一さん(58)。9カ所ある都立庭園のうち3カ所が弥太郎ゆかり。息子の久弥は、岩崎家が有していた六義(りくぎ)園や清澄庭園を開放するために寄付。現在は大勢の人々が訪れる憩いの場となっている。ここにも、弥太郎の志は生きている。
戦いに明け暮れた弥太郎の唯一の趣味が、造園だった。土佐の生家には、大きな世界を志していた若き弥太郎が置いた庭の石が残されている。それは、日本列島をかたどったと伝えられている。(猪谷千香)
今日は久しぶりに暖かくなりました。天気予報で寒さの底を越えたと聞いて、そろそろ梅見に行こうかと思います。
岩手
漂着先祖の恩忘れず 陸前高田の菊池さんら小笠原へ
宮城
街の文化、歴史に感心
観光モニター市民ツアー「教えてけらいん石巻」
茨城
「桜田門外」“浪士の古里”水戸で映画化
静岡
映画好き集まれ! 26日から静岡でフェス
福井
天狗党争乱史料一堂に 敦賀市立博物館
兵庫
幕末の豪農、古東領左衛門 子孫が書寄贈 南あわじ
補足すると、元治元年7月、禁門の変に端を発した京都の大火が六角獄に近づき、過激犯の逃亡を怖れた官吏が斬首した33名(未決囚を含む)のひとりです。平野国臣や古高俊太郎もこの時に処刑されました。
高知
龍馬と半次郎に思いはせ 高知で歴史ファン交流
鹿児島からも参加、焼酎で歓談
長崎
HTB龍馬伝館27日オープン ドラマ衣装など展示
全国各地
東京
一味違う お役所食堂
ブックレビュー
【書評】『坂本龍馬の10人の女と謎の信仰』平野貞夫・著
コラム
【次代への名言】武士道の系譜編(19)
☆★☆★
追記。記事一点追加です。
岩手
雑記帳 江戸時代のオランダ料理再現 岩手・一関
「オランダ正月」料理の再現、嬉しいです。
岩手
漂着先祖の恩忘れず 陸前高田の菊池さんら小笠原へ
陸前高田市気仙町の菊池達(さとる)さん(66)ら4人は23日、東京都の小笠原諸島への旅に出発する。菊池さんは、幕末に小笠原諸島に漂着した同市の商船中吉(なかよし)丸の船主の子孫。乗組員を助けた島民の子孫と会い、170年ぶりに感謝の気持ちを伝える。
かつお節などを積んだ中吉丸(乗組員6人)は1839(天保10)年11月15日に同市を出港。暴風に遭って漂流し、翌年1月4日に日本のはるか南海上にある小笠原諸島の父島に到着した。2カ月間滞在して船を修理し、同年3月24日に千葉県・銚子に戻った。
父島で乗組員を助けたのが、その10年前に米国から移住していたナザニエル・セーボレー氏ら。乗組員は同氏の署名入りの聖書を贈られ、持ち帰った。聖書は現在、陸前高田市立博物館が所蔵している。
今回の旅のきっかけは、同市米崎町の及川征喜(せいき)さん(65)が、古文書を解読する中で中吉丸漂流の歴史に興味を持ったことだった。船主の庄兵衛の子孫である菊池さんと共に、それぞれ妻を伴って4人で小笠原を訪れることにした。
小笠原村教委のセーボレー孝教育課長(52)は、ナザニエル・セーボレー氏の子孫。「先祖ら欧米系の島民が役に立てたことを誇りに思う。訪島を楽しみにしている」と語る。
菊池さんは「セーボレー孝さんと会って、感謝の気持ちを伝えたい。乗組員の子孫のメッセージも届ける」とし、及川さんは「民間交流の輪を広げたい」と期待を膨らませる。
一行は25日から3月6日まで小笠原諸島に滞在し、同7日に帰県する予定。
宮城
街の文化、歴史に感心
観光モニター市民ツアー「教えてけらいん石巻」
まちを歩きながら石巻市の歴史や文化を学ぶ観光モニターツアー「教えてけらいん石巻」が20日、石巻マンガロードと住吉公園コースで行われた。石巻専修大・清水義春特命教授のゼミが作成したマップを活用。市民ら約20人が参加し、何げなく通っている場所に残っている歴史や文化などに触れた。
参加者はJR石巻駅前のロマン海遊21で事前説明を受け、雪が舞う中を出発。立町のマンガロードを通り、1925年に建設された鉄筋コンクリート3階の「旧東北実業銀行石巻支店」(第2SSビル)、31年に完成した石巻初の百貨店で、現在は陶器店になっている「陶芸丸寿かんけい丸」を見学した。
1870年に建てられた市内で最古の蔵屋造り様式の高橋園茶屋や旧テアトル東宝の前を通り、住吉公園では歌枕で知られる「袖の渡り」、石巻の地名になったとされる「巻石」の由来などについて理解を深めた。
この後、旧北上川沿いを歩いて中瀬へ。1882年に開通した内海橋、幕末ごろから歌舞伎や落語などを公演していた岡田劇場、完成から約130年が経過する旧石巻ハリストス正教会などについて説明を受け、全長2・2キロのコース上に残る地域の歴史遺産と文化に感心した。
参加した女性は「説明を聞かなければ、雑然として寂しいイメージのまち。でも、説明を聞きながら見て歩くと、まちの中が歴史博物館のような感じがした。古いものを修復したり、説明したりすることも中心街活性化につながるのでは」と話していた。
モニターツアーはマップの完成度を高めるため、清水ゼミが石巻観光協会や石巻観光ボランティア協会の協力を得て13日に1回目を実施。今回が2回目だった。
マップは市中心部、湊地区、北上運河沿いなど計12コースあり、道順や史跡の説明などを表記。3回目は3月6日に「石巻文化財探訪と北上川の風景浪漫」、4回目は3月11日に「日和山からの絶景とアイトピア」のコースで実施する。
3、4回目とも参加者を募集している。連絡先は石巻観光協会事務局(93)6448。
茨城
「桜田門外」“浪士の古里”水戸で映画化
幕末の「桜田門外の変」が発生から150年になる今年、「桜田門外ノ変」として初めて映画化されることになり、撮影が始まった。
映画で地域活性化を目指す茨城県の地元有志の発案が、大手配給会社の東映を動かした。
江戸城桜田門などを再現した巨大オープンセットがある水戸市内を中心に、撮影は3月末まで続き、今秋、全国公開される。
構想は2006年、同市でまちづくりコンサルタント会社を経営する三上靖彦さん(51)や、県出身の陶芸家・板谷波山の生涯を映画化した経験を持つ県職員の橘川栄作さん(48)らの間で持ち上がった。
歴史的評価が定まらない事件を扱うため、文献収集や勉強会から活動をスタート。歴史講演会や、事件の背景などを解説するPR誌の発行を重ね、地域に映画が受け入れられる素地づくりを行ってきた。三上さんは「とにかくたくさんの人に映画に参加してもらいたいという気持ちで続けてきた」と振り返る。
映画は、吉村昭さんの「桜田門外ノ変」(新潮文庫)を原作に、襲撃する側の水戸浪士、関鉄之介の視点で事件の全容を描く。主人公の関役に人気俳優の大沢たかおさん(41)を起用。水戸藩9代藩主徳川斉昭は北大路欣也さん(66)、井伊直弼は伊武雅刀さん(60)がそれぞれ演じる。
先月には、水戸市の千波湖畔に、江戸城の桜田門やお堀、彦根藩邸など、当時の街並みを再現した全長100メートルのオープンセットも完成。総額で10億円を超える製作費を賄うため、地元の首長や経済団体による「支援の会」が映画鑑賞券やオープンセット入場券が付いた「映画製作協力券」(2000円)を売り出した。撮影現場では、炊き出しを行ったりする多くのボランティアも活動している。
東映の遠藤茂行・映画宣伝部長は「ここ数年、中高年層が映画館に戻ってきており、骨太の時代劇に対するニーズがあると判断した。全国で200万人の動員を目指す」と期待を込める。
監督は、「敦煌」や「男たちの大和/YAMATO」などの作品で知られる佐藤純彌氏(77)。佐藤監督は「桜田門外の変が歴史上、何を生み出したかを考えると一つのテロと片づけるわけにはいかない。時代にかかわった人々のドラマや悲劇を通して、幕末という時代を描き出したい」と話している。
◆桜田門外の変=1860年3月、江戸城桜田門外で、大老の井伊直弼を水戸浪士らが襲撃、暗殺した事件。尊皇攘夷(じょうい)派らを弾圧した「安政の大獄」を実行した井伊への反感が、事件の背景にあったとされる。テロという題材の制約もあり、史実に基づいて事件を掘り下げた映画はこれまでなかった。
静岡
映画好き集まれ! 26日から静岡でフェス
「シズオカシネマパークフェスティバル2010」(静岡市など主催)が、26日から3月4日までの日程で開かれ、国内外の映画上映会や関連の路上パフォーマンスで静岡市の中心街が映画一色に染まる。
開催は昨年に続き2回目。メーンイベントの名作上映会は、静岡市葵区七間町の映画街にある「静岡東宝会館」や「静岡ピカデリー」などの6劇場で行われる。前売り券は800円、当日券は1千円。
納棺師の視点で人間の死を見つめ、昨年に米アカデミー賞を受賞した「おくりびと」、高度経済成長期の東京の下町を描いた「ALWAYS 三丁目の夕日」といった近年人気を呼んだ邦画に加え、名作洋画の「ゴッドファーザー パート2」「俺たちに明日はない」など新旧の計14作品が上映される。
「プラモの聖地・静岡」ならではのイベントとして、27日と3月5日(期間外の特別上映)には、アニメ「機動戦士ガンダム」3部作のオールナイト上映も企画されている。
上映会以外には、幕末ブームに合わせ、新選組研究者らによる殺陣演舞の披露や、映画にちなんだクイズ大会が予定されている。前回好評だったSF映画「スターウォーズ」の登場人物の衣装に身を包んだ劇団員が今年も登場し、商店街を練り歩く。
同フェスティバル実行委員会は「今年は若い人から年配者まで幅広い年齢層に楽しんでもらえるように、新旧の映画をバランス良く選んだ。アニメや時代劇の上映会もあるので、それぞれのファンにも楽しんでもらえるはず」と話している。問い合わせは同実行委事務局(電)054・254・9009。
福井
天狗党争乱史料一堂に 敦賀市立博物館
幕末に尊皇攘夷を掲げ挙兵し、京を目指すも幕府の追撃で敦賀で最期を遂げた水戸天狗(てんぐ)党に関する史料を集めた展示が28日まで、福井県敦賀市立博物館で開かれている。総大将の武田耕雲斎の陣羽織や行軍の様子を伝える書状や冊子、幽閉中の兵士が手慰みで作った工芸品など興味深い史料を披露している。
冬のテーマ展として企画。同博物館はこれまで、天狗党関係の史料を常設していたが、このほどスペースを縮小したため、一堂に披露されるのは貴重な機会。
耕雲斎のゆかりのものは同市指定文化財の肖像画や陣羽織、短刀や脇差しなど。陣羽織は全体は黒色のフェルト生地で、金箔(きんぱく)をあしらった革製とみられるカエデの模様が大胆に施されており、ざん新なイメージを醸す。
行軍関係では、当時の敦賀の鞠山藩が獺河内の集落に対し、天狗党襲来に備えて警護に当たる人数などを決め、気勢ののぼり旗を作るよう指示した際の旗の見本を紹介。大野藩が戦闘に備えて見晴らしをよくするため、集落を丸ごと焼き払ったことを記した書状、敦賀での警備の配置を記した図なども展示。兵士の処刑後、全国各地で作られていたとみられる幕府の報告書の写しもあり、天狗党の乱の騒動と世情の衝撃の大きさが分かる。
敦賀で捕らえられ幽閉された兵士が、手慰みとして紙のこよりで作ったとされる精巧な茶托(ちゃたく)なども披露されている。
当時の情勢を伝える関係資料として、幕末期に起こった日本海と琵琶湖を結ぶ運河計画についての史料などもある。
入館料は一般200円、小中高生50円。月曜休館。
兵庫
幕末の豪農、古東領左衛門 子孫が書寄贈 南あわじ
南あわじ市津井地区出身の大地主で幕末に討幕運動に参加した、古東領左衛門(1819~64年)の子孫の男性がこのほど、領左衛門直筆の書2点を津井地区公民館に寄贈した。同公民館では知られざる郷土の偉人を紹介しようと書を展示しており、川上彰館長(67)は「多くの人に領左衛門の功績を知ってほしい」と呼び掛けている。(橋本 薫)
領左衛門は庄屋を務める古東家11代当主で、田畑や山林を多く所有する豪農。1833年から始まった天保の大飢饉では、父と蔵を開いて民衆の救済にあたり、私財を投じて津井港の開削や岩屋港の改修にも尽力した。
40歳代で政治運動にのめり込み、尊皇倒幕派の天誅組に参画。63年、京都の借家に潜伏していたところ、土方歳三が指揮する新撰組の奇襲を受けて捕らえられ、翌年獄舎で首をはねられた。明治になって名誉は回復し、91年、靖国神社に合祀された。
2点の書は漢詩で、大阪に住む子孫の男性夫妻が墓参りに訪れた際「故郷での保管が一番いい」と、同公民館に寄贈。川上館長が読み解き、雅号には地元の龍棲山(現・辰美山)からとった「龍棲」が使われていることも分かった。
現在は津井浄化センターになっている同公民館近くの古東家跡地には、領左衛門の顕彰碑や辞世の句を彫った石碑などもあり、川上館長は「地元の小中学校で学習に取り入れてもらい、偉大さを学んでほしい」と話している。津井地区公民館TEL0799・38・0201
補足すると、元治元年7月、禁門の変に端を発した京都の大火が六角獄に近づき、過激犯の逃亡を怖れた官吏が斬首した33名(未決囚を含む)のひとりです。平野国臣や古高俊太郎もこの時に処刑されました。
高知
龍馬と半次郎に思いはせ 高知で歴史ファン交流
鹿児島からも参加、焼酎で歓談
鹿児島の焼酎を飲みながら、坂本龍馬と桐野利秋(中村半次郎)に思いをはせる歴史ファンの集いが14日、高知市のホテルで開かれた。鹿児島から5人が参加、高知の龍馬ファンら約100人と、幕末の英雄2人の奇妙な縁について語り合った。
高知市の酒店が、「『謎と浪漫(ロマン)と憧(あこが)れ』と本格焼酎で平成の交流」と題して開いた。今年はNHK大河ドラマで「龍馬伝」が放映され、桐野も9月に映画「半次郎」が公開されるなど、2人は今注目の幕末志士。
集いには、全国の酒販店120店で構成される「日本・侍士の会」の前畑浩一代表(曽於市財部)らが参加、桐野利秋の妹の子孫に当たる伊東輝容さんら関西在住の県出身者も駆けつけた。
前畑さんらが「侍士の門」などの焼酎約60本を持ち込んだ。歴史作家桐野作人さんが「坂本龍馬と中村半次郎の謎を解く」と題して講演、龍馬殺害に半次郎はかかわっていないことなどを史料をもとに解説した。
焼酎や桐野について知らない人が多く、鹿児島の歴史文化を紹介する機会になったという。前畑さんは「今後も焼酎と歴史を通して、四国と鹿児島の交流を深めていきたい」と話している。
長崎
HTB龍馬伝館27日オープン ドラマ衣装など展示
佐世保市のハウステンボス(HTB)に27日開館する「佐世保・ハウステンボス龍馬伝館」の報道機関向け内覧会が19日開かれた。
大河ドラマ「龍馬伝」にちなんだ展示施設(約300平方メートル)で、「海がつないだ龍馬伝説」のサブテーマが付いている。スパーケンブルグ地区に来年2月末まで開設する。
市と佐世保観光コンベンション協会、HTBでつくる佐世保・ハウステンボス連携事業推進会議が主催し、県や市教委、長崎新聞社佐世保支社などが後援。
施設では▽ドラマの衣装や小道具の展示、出演者紹介の「大河ドラマ情報エリア」▽HTB所有の復元帆船観光丸と龍馬のつながり、航海術などを紹介する「テーマ情報エリア」▽佐世保・県北の観光案内「地域情報エリア」-の3ゾーンで展示。ドラマ要約版の放映や出演者のサイン展示、クイズコーナーも。
入館料は大人500円、4歳~高校生300円(ファミリエ会員割引)。期間中は隣接施設で龍馬グッズを販売。観光丸「幕末帆船クルーズ」(所要時間35分、中学生以上800円、小学生400円、ファミリエ会員無料)、場内レストランでは「お龍御膳」(吉翠亭、3150円)など各種龍馬メニューも用意する。
問い合わせはHTB総合案内センター(電0956・27・0001)。
全国各地
東京
一味違う お役所食堂
ちゃんこ風カレー/「龍馬」「金太郎」あやかり
安い、早い、でも味はそこそこ。そんなイメージが強かった自治体の食堂に変化が表れている。
ある果物をスパゲティのソースに使おうと、開発を急ぐ市もある。それは……?
東京の下町、墨田区役所。お昼時、2階の喫茶店「あづま」は職員や一般客で満席だ。一番人気はかつおだしの和風ルーに野菜がたっぷりの「すみちゃんカレー」(780円)。ゴボウ、ダイコンなど根菜類をふんだんに使い、国技館のある同区らしく、ちゃんこ鍋の雰囲気をカレーに演出していた。2007年5月に登場し1日15~20食売れるという。
週1回、合唱クラブの練習で役所に来る杉並区の主婦、澤田啓子さん(77)は「何回食べても飽きない」と太鼓判。このレシピを考えた外食産業「東京ビジネスサービス」(新宿区)の総料理長、三家(みつや)史朗さん(51)は「役所の食堂も、市民を取り込める目玉を作らないと生き残れない」という。
すみちゃんカレーのお陰で店の客足は増え、09年発売のレトルトカレーも月300食売れる好調ぶり。「ヘルシーでおいしい」との評判から、最近では地元保育園の給食や病院の食堂にも広がっている。
同じカレーでも、長崎市役所の場合は「龍馬伝説カレー」。幕末の志士、坂本龍馬が滞在したこの文明開化の地には江戸末期、すでにコーヒーやチーズがあった。これを隠し味に使っており、「龍馬さんも食べたとじゃなかろうか」との想像のもとレシピが作られたという。
「金太郎」伝承の地の一つ、兵庫県川西市役所の食堂では、とろろ芋など地産の食材を取り入れた「きんたくんの元気いっぱい弁当」を発売。ウナギや肉も使ったスタミナ食だ。
こうした新メニューの背景の一つが「役所の食堂離れ」。手作り弁当がブームになり、コンビニも弁当やおにぎりを値下げ。安価なファストフードも売れる中、職員も敬遠しがち。「経営が厳しく、一般の方の利用も増やしたい」(徳島県の担当者)との狙いがある。徳島県庁内の食堂は今月から、「阿波尾鶏(あわおどり)」という銘柄の地鶏を使ったササミカツ丼を新発売。食堂のにぎわいを取り戻すメニューとして期待を寄せている。
奈良県庁の職員食堂には、特産の大和肉鶏を使った親子丼(650円)がある。県職員が考え、07年11月にお目見えすると、東京などの観光客が食べに来るほど人気が出た。限定1日20食がほぼ完売。職員互助会では「地産地消メニューのPRにもなる」と話す。
だが、「うまい」話ばかりではない。「ブルーベリー栽培の国内発祥地」をうたう東京・小平市役所の食堂には08年、ブルーベリーの炊き込みご飯の弁当が売り出されたが、すぐに姿を消した。市の担当者は「味は悪くなかったのだが、見た目かなあ」と青いご飯を振り返る。この夏の再販売を目指して改良中で、スパゲティのソースにすることも検討しているとか。
楽しみだなあ。
(小泉朋子)
ブックレビュー
【書評】『坂本龍馬の10人の女と謎の信仰』平野貞夫・著
■坂本龍馬をより深く知る一冊
小沢一郎民主党幹事長の懐刀で元参院議員の著者だが、高知県出身で土佐の文化、人物研究の第一人者でもある。坂本龍馬も研究してきた。
前半は、落ちこぼれだった龍馬が幕末の風雲児へと変貌(へんぼう)を遂げた裏には、女性の存在があったと分析。姉の乙女や妻のお龍らにとどまらず、影響を与えた10人の女性を取り上げている。
後半は、龍馬が修行した北辰一刀流の精神的背景である妙見信仰に着目する。北極星など星を尊び、平将門、鎌倉幕府成立、北辰一刀流を興した千葉一族にも影響を与えた信仰。著者は龍馬が大政奉還、明治維新、近代化に邁進(まいしん)した原点はこの信仰にあったとする。龍馬をより深く知りたい人にお薦めの一冊。(780円、幻冬舎新書)
コラム
【次代への名言】武士道の系譜編(19)
■「さだめなき浮世に候へば、一日先は知らぬ事、我々事などは浮世にあるものとはおぼしめし候まじく候。 恐々(きょうきょう)謹言」(真田幸村)
敵味方に分かれた姉の婚家への書状の一節だ。日付は旧暦の1615年3月10日。すでに大坂城の内・外堀は埋められ、半年前の冬の陣で東軍を悩ませた、出城・真田丸は破壊されていた。幸村は遠からぬ死を予期していたのだろう。
兄、信之は弟を「柔和忍辱(にんにく)にして強からず、言動少々にして怒り、腹立つことなかりし」と評した。その挙措は夏の陣でも変わらなかったはずだ。時代は幕末だが、志士、吉田松陰は大事をなす人物をこう描いている。「平時は大抵用事の外一言せず、一言する時は必ず温然(おんぜん)和気婦人好女の如し。是れが気魄(きはく)の源なり」
「大御所(家康)はいずくぞ。真田左衛門佐信繁(さえもんのすけのぶしげ)(幸村)見参!」
同じ年の5月7日。大坂城から撃ち出た幸村軍は、家康の本陣を攻め立て、その首に迫った。彼の丈夫(ますらお)ぶりは敵の有力大名までが、「古今にこれなき大手柄」「真田、日本一の兵(つわもの)、古(いにしえ)よりの物語にもこれなき」とたたえ、家康でさえ、その死を惜しんだ、という。
幸村は、一生に富貴ではなく、一瞬の輝きを求めた。「きっかい(奇怪)とも御すいりやう(推量)候」。彼が長姉を通じて後世に残した手紙には、そう記されている。(文化部編集委員 関厚夫)
☆★☆★
追記。記事一点追加です。
岩手
雑記帳 江戸時代のオランダ料理再現 岩手・一関
岩手県一関市の酒造会社「世嬉(せき)の一」は20日、同市出身で江戸時代の蘭学(らんがく)者、大槻玄沢が私塾で振る舞ったというオランダ料理を再現、新酒を楽しむ会で提供した。
玄沢の料理は「オランダ正月」と呼ばれた長崎・出島のオランダ人の祝宴をまねたもの。同社は当時の資料から、ほうれん草のポタージュや鶏のクリーム煮、魚のムニエルなど5品を用意した。
今では普通の西洋料理だが、同社は「当時、新しいものに挑戦していた玄沢の精神を学びたい」と企画。新酒とともに舌鼓を打つ参加者の五臓六腑(ごぞうろっぷ)に、進取の気風が染みたようだった。【山中章子】
「オランダ正月」料理の再現、嬉しいです。
今日はフィギュアスケート男子フリーの中継に釘付けになりました。高橋大輔選手が日本のフィギュア男子界で初のメダルを獲得したことも素晴らしかった(靱帯を切る大けがを乗り越えての快挙、ということも)し、織田信成選手は靴ひもが切れるという大舞台でのアクシデントを立て直したことにじーんとしたし、小塚崇彦選手の4回転ジャンプには目が覚める思いでした。
眼福です。感謝!
神奈川
春の東京湾と日本近代史に刻まれた名所巡りが楽しめるクルーズ実施へ/神奈川
滋賀
250体のみやび…滋賀・西教寺でひな人形展示
佐賀
大隈重信の肉声、佐賀で聞ける iPhone向け配信へ
長崎
カバの龍馬薩摩へ
絶妙な見出し……(笑)。
ビジネス
サークルKサンクス、サントリー2商品に幕末志士ストラップ
幕末の6人……プレスリリースのPDFをざっと見たところ、坂本龍馬、吉田松陰、近藤勇、勝海舟、高杉晋作、西郷隆盛とな。近藤勇の名言は、予想通り、辞世の漢詩からの抜粋でした。
眼福です。感謝!
神奈川
春の東京湾と日本近代史に刻まれた名所巡りが楽しめるクルーズ実施へ/神奈川
春の東京湾と日本近代史に刻まれた名所巡りが楽しめる「横ヨコアイランドクルーズ」が、3月1日から31日まで行われる。東京湾・相模湾の新たな観光資源開発を目的とした県の事業の一環。
航程は、横須賀市・三笠―同市・猿島―横浜市金沢区・八景島―猿島―三笠。土日曜の1、2便では猿島でのガイドが受けられる。
NHKドラマ「坂の上の雲」にちなみ、三笠公園内の記念艦「三笠」で開かれている特別展「秋山真之と正岡子規」や、幕末に来航したペリー提督が八景島沖合の海域に名付けた「アメリカン・アンカレッジ」の記念碑(八景島内)といった、イベントや観光スポットも楽しめるという。
料金は片道1200円(1区間あたり600円)。問い合わせは、クルーズ実施のトライアングル電話046(825)7144。
滋賀
250体のみやび…滋賀・西教寺でひな人形展示
江戸初期―昭和初期のひな人形の展示会が、大津市坂本の西教寺で開かれている。本格的な御簾(みす)越しに仲良く座る「御殿びな」や、本物と見まがう冠をつけた女びななど、日頃は見られない約250体を鑑賞できる。
供養を求めて同寺に持ち込まれたひな人形やひな飾りのうち、地域的な特色があったり、歴史的に貴重だったりするものを処分せずに保管し、2000年から公開している。
立派な御殿の奥に男びな、女びなが並ぶ「親王飾り」や、つややかな表情に本格的な冠をかぶった幕末の作品などを展示。女児に家事を教えるために制作され、ミニチュアのかまどや火鉢などをセットにしたひな飾りもあり、来場者は興味深そうに見入っていた。
3月3日まで。大人400円、子ども200円。同日には、全国から寄せられた人形約2000体の供養も営む。期間中、ひなずしやゴマ豆腐などの精進料理「ひな御膳」(要予約、2000円)も賞味できる。問い合わせは西教寺(077・578・0013)。
佐賀
大隈重信の肉声、佐賀で聞ける iPhone向け配信へ
「帝国議会は解散されました。今、全国は選挙の競争が盛んにおこっておるとみております」。佐賀市出身で総理大臣を務めた大隈重信(1838~1922)の演説を携帯電話iPhone専用のソフト「セカイカメラ」で聞けるサービスを、同市が20日から始める。大隈記念館(同市水ケ江2丁目)周辺でソフトを起動すると、重信公の写真が携帯電話の画面に映し出され、肉声が流れる趣向だ。
1915(大正4)年、帝国議会選挙の地方遊説の際に行った「憲政に於(お)ける輿論(よろん)の勢力」と題する約20分間の演説では、帝国議会の運営には世の中の声が必要で、声を届けるために選挙に行くべきだと主張。政治を大きく動かすのは世論だと訴えている。演説の原盤は重信公の創設した早稲田大が保管していた。
今回のサービスでは、セカイカメラを大隈記念館の半径約300メートル以内で起動すると、重信公の静止画が現れ、冒頭の25秒の演説を聞くことができるという。
企画した市観光振興課は「政権交代もあり、幕末をテーマにしたNHK大河ドラマ『龍馬伝』や明治維新が注目される時代。重信公の演説も世直しを訴える内容なので、流れに乗りたい」。(伊豆丸展代)
長崎
カバの龍馬薩摩へ
絶妙な見出し……(笑)。
長崎県西海市の民間動植物園「長崎バイオパーク」のオスの子カバ「龍馬」が3月17日、繁殖のため、鹿児島市の平川動物公園に婿入りする。
龍馬は、日本で初めて人工哺(ほ)育で育てられた「モモ」(メス)の第3子として昨年4月に誕生。長崎ゆかりの幕末の志士坂本竜馬にあやかって命名された。現在は体長約1・1メートル、推定体重200キロに成長。平川動物公園では、神戸市立王子動物園からやってくるメスの「ナナミ」とのお見合いが予定されている。
鹿児島は、竜馬と妻のお竜(りょう)が日本初となる新婚旅行で訪れた土地。バイオパークのスタッフは「竜馬のように、鹿児島ですてきな思い出をつくってほしい」と旅立ちを見守ることにしている。 (長崎)
ビジネス
サークルKサンクス、サントリー2商品に幕末志士ストラップ
サークルKサンクスは、「幕末 志士ストラップ」を景品に付けたサントリー「ザ・プレミアム・モルツ2缶セット」(350ml/500ml)と「金麦2缶セット」(350ml/500ml)を3月2日から販売する。
大河ドラマをきっかけに、坂本龍馬や近藤勇、高杉晋作など幕末に活躍した志士への人気が急速に加熱。とくに坂本龍馬は2010年に入って、各地で関連イベントが開かれ、数多くの書籍やグッズが発売され、全国的に空前の“龍馬フィーバー”が巻き起こっている。
これまで2度、同様に戦国武将をあしらったストラップを景品としたキャンペーンを行ったが、いずれも発売当初から多くの購入があり、人気の高いキャンペーンとなった。
今回は坂本龍馬や近藤勇などを含む6人の“幕末志士”にフォーカスしたストラップを景品に用意した。
また、対象商品も「サントリー ザ・プレミアム・モルツ」だけではなく「サントリー 金麦」 も加え、それぞれパターンの違うストラップを付け、より多くの“幕末志士ファン”の期待に応える。
このキャンペーンでは、同封のはがきで応募した人から抽選でそれぞれ 100人にサークルKサンクス限定デザイン「龍馬 デジタルフォトフレーム」や「龍馬の故郷土佐名物 かつおのたたき(2人前)」が当たるクローズド懸賞も行う。
幕末の6人……プレスリリースのPDFをざっと見たところ、坂本龍馬、吉田松陰、近藤勇、勝海舟、高杉晋作、西郷隆盛とな。近藤勇の名言は、予想通り、辞世の漢詩からの抜粋でした。
東京では昨夜から今朝にかけて雪が降りましたが、積もらず、午後には陽差しが見えました。明日の最高気温は今日より3度近く上がるそうで、それが楽しみです(でも7度^_^;)。
長野
龍馬の写真チョコに
大分
杵築市で「ひいなめぐり」開催中 27か所でひな人形を展示
長崎
出島 世界遺産候補に 「歴史的価値」スウェーデンが申請 江戸期に学者滞在 「日本植物誌」拠点
『風雲児たち』愛読者の自分には、「ツンベルク」というより「ツンベリー」ですが^_^;。
鹿児島
やごろうどん:舞台貸し /鹿児島
龍馬も見た? 臥竜梅見ごろ/鹿児島市・小松帯刀屋敷跡
火山灰使って記念像
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(50)東大教授・山内昌之 武市半平太
IT
【新撰組検定】スタート ○●検定総合サイト『検定道 KENTEI-do』 にて●○
着信音でよみがえる坂本龍馬の“肉声”が人気
ビジネス
旅行の比較ポータルサイト『Travel.jp(トラベル・ジェーピー)』
「ゴールデンウィーク特集2010」を開始
今年最大の大型連休を満喫しよう!
長野
龍馬の写真チョコに
曽祖父が親交 上田の三吉さん所蔵基に
光にかざすと坂本龍馬の姿が浮かび上がるホワイトチョコレートが、上田市の市民グループによって作られた。龍馬と親交があった長州支藩の長府藩士、三吉慎蔵(1831~1901)が残した資料を基に作られた。
チョコレートは額縁も入れて13・5×11・5センチ。表面に凹凸があり、裏からあかりを照らすと、腰に刀を差して座った姿勢の龍馬が浮かび上がる。基となった写真は、1867年(慶応3年)に撮影されたもので、上田市大手の三吉治敬さん(71)の蔵に保管されている。
三吉さんの曽祖父・三吉慎蔵は長府藩士で、1866年の寺田屋事件では、襲撃された龍馬とともに逃げのびたとされる。慎蔵の長男・米熊(よねくま)が長野県の官員となって移り住んだ。三吉家の蔵には、寺田屋事件を詳細に振り返った慎蔵の日記など幕末・明治維新の資料が保存されている。龍馬が慎蔵にあてて万が一の場合に妻・お龍の後事を託した手紙など、慎蔵と龍馬の交流を示す資料も多く残され、チョコレートの基となった写真も龍馬が慎蔵に送ったものだ。
こういった資料を保存、活用しようと、地元住民らが2002年に歴史資料研究市民グループ「米熊・慎蔵・龍馬会」(島喜治会長)を発足。同会はこれまで三吉家に残る資料の展示会などを行い、3年前には三吉家に残る資料がテレビ番組で紹介された際に、記念にチョコレートを約200枚を作り、関係者に配った。以降は作られていなかったが今年、龍馬を主人公としたNHK大河ドラマ「龍馬伝」が始まり、関連施設から問い合わせがあり、再生産した。
チョコレートは、フジフイルムスクエア(東京都港区)で25日まで開かれている写真展「写真で辿(たど)る『坂本龍馬の生きた時代』」と、長崎歴史文化博物館(長崎市)で、1000円で販売されている。三吉治敬さんは「大切に保存されていた写真がチョコレートに生まれ変わり、びっくりしている。チョコレートで、あまり知られていない龍馬と上田のつながりを全国に発信して、上田の魅力を伝えられれば」と話している。
大分
杵築市で「ひいなめぐり」開催中 27か所でひな人形を展示
杵築市の旧城下町一帯と山香地域で、「城下町杵築散策とひいなめぐり」が開かれている。武家屋敷跡や商店など27か所で、江戸時代の貴重なひな人形や、小学生らの創作びなを展示している。3月7日まで。
このうち、旧城下町の「土谷商店」では、市商工会女性部(160人)の部員たちが持ち寄った人形約200体をひな壇に飾り付けた。幕末の時代の人形もあり、観光客の目を楽しませている。店内には休憩所があり、ぜんざい(300円)が味わえる。
同女性部長の山下和子さん(67)は「歴史ある城下町と美しいひな人形は私たちの誇り。多くの人に見てほしい」と話している。
また、アマチュア無線愛好家でつくる「杵築臥牛(がぎゅう)アマチュア無線クラブ」は全国の無線仲間と交信し、ひいなめぐりを紹介している。交信相手に郵送する交信証明書にも、ひな人形の写真やイベントの概要を載せた。大嶋進二会長(75)は「全国各地の人が興味を持ってくれている」と言う。
武家屋敷跡などの一部の公共施設は有料。問い合わせは市観光協会(0978・62・3131)へ。
長崎
出島 世界遺産候補に 「歴史的価値」スウェーデンが申請 江戸期に学者滞在 「日本植物誌」拠点
江戸時代、唯一の外国への窓口だった長崎市の出島が、スウェーデン政府の申請で国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産暫定リスト入りしていたことが17日、分かった。出島に滞在した同国の植物学者カール・ツンベルク(1743―1828)が、日本国内の植物調査の拠点としたことが理由。長崎市は遠い北欧からの朗報に驚きながらも「歴史的価値を高く評価され、ありがたい」(同市世界遺産推進室)としている。
ツンベルクは1775年に来日し、1年間滞在。日本の植物を紹介した「日本植物誌」などの著書を残し、幕末に滞在したドイツ人医師のシーボルトらと並んで「出島の3学者」と評されている。
長崎市によると、ツンベルクが住んでいたスウェーデン中部のウプサラ県から昨年6月、「出島の世界遺産登録を目指している」との電子メールがあり、資料類を提供。先週、暫定リスト入りの連絡があったという。
スウェーデン政府の申請は「体系的な生物学の起源」がテーマで、ツンベルクや「分類学の父」といわれた恩師のカール・リンネ(1707―1778)らのゆかりの地を構成遺産としてピックアップ。対象は8カ国13カ所にまたがり、日本では、出島のほか、ツンベルクが江戸訪問の道中で植物を採集した箱根もリストに入った。
出島については、一昨年に暫定リスト入りした長崎など6県の「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成遺産候補に推す声もあったが、往時の面影を残す建造物がないことなどから候補とすることは見送られていた。
文化庁記念物課によると、世界遺産の本登録には構成遺産所在国の政府が価値を認め、ユネスコに推薦書を提出することが必要。ユネスコは推薦書を受け、現地調査などに着手する。国立西洋美術館(東京)がフランス政府の申請で暫定リスト入りした際、推薦書を出した例があるという。
今のところ、スウェーデン側からの要請はなく、同課は「寝耳に水」としているが「正式に申し出があれば、協議を進めたい」としている。
× ×
■出島
1636年、キリスト教の布教を禁じた江戸幕府が、長崎にいたポルトガル人を収容するために築造した約1万5千平方メートルの人工島。1641年に長崎県平戸市にあったオランダ商館が移設され、鎖国中の約220年間にわたり海外貿易の拠点となった。現在は周辺が埋め立てられているが、長崎市が復元整備に着手し、2006年に観光施設としてオープンした。同商館跡は国指定史跡。
『風雲児たち』愛読者の自分には、「ツンベルク」というより「ツンベリー」ですが^_^;。
鹿児島
やごろうどん:舞台貸し /鹿児島
歴史がブームだ。郷里の後輩が(とはいえ面識はないけれど)主演のNHK大河ドラマ「龍馬伝」も滑り出し上々。リリカルな龍馬像が新鮮で、いい感じだ。
生まれ育った長崎市は、幕末期の重要な舞台であった。志士たちの足跡が街中に残る。龍馬が刀で床柱に傷を付けた丸山の料亭「花月」は、小学校の通学路にあり、朝夕その前を歩いた。界隈の路地裏が僕らの遊び場でもあった。
ただ舞台ではあったが、当の長崎人に維新で功績を挙げたという気負いはない。国中が騒然としていた時代、貿易での恩恵を享受し「春はハタ揚げ、秋はおくんち」に興じた土地柄。命懸けで倒幕を闘ったご当地の方には、いささか申し訳ない。天領で藩や城もないから、旧肥前に属しても薩長土肥が枢軸の明治新政府で活躍した人物が出ないのは、当然だった。
やがて長崎が画面をにぎわすだろう。舞台を貸しただけ、と思って気楽に見ようか。【馬場茂】
龍馬も見た? 臥竜梅見ごろ/鹿児島市・小松帯刀屋敷跡
鹿児島市原良町にある小松帯刀屋敷跡の臥竜梅(がりょうばい)が満開となった。10日ごろから咲き始めた樹齢約300年といわれる古木。週初めに花散らしの雨があったが、今年も白い花をたくさんつけた。
幕末の薩摩藩家老で明治維新を推進した小松。坂本龍馬も訪れたという屋敷跡は現在、平川至道さん(71)の個人宅。大河ドラマ「篤姫」や「龍馬伝」の影響で県外から訪れる人も多いという。
平川さんの妻、秋江さん(67)は「毎年この花が咲くと春が来たと感じる。心まで温まってほっとする」と笑顔で話す。幕末の偉人たちも見たであろう梅の花。今年も春の訪れを伝えてくれた。
火山灰使って記念像
昨年、年間の爆発的噴火回数が過去最多を記録し、なお噴火が続く桜島。日常生活などへの影響も甚大で、今や火山灰は厄介者扱いだ。その灰を原料に、鹿児島市中山町の造形美術会社が、県ゆかりの偉人をモチーフにした卓上型記念像作りを進めている。造形のプロが手がけるだけに、細部にわたって立体的に表現。制作者は「活発な火山活動のおかげで原料確保には当分困らない」と販路開拓を見据えている。(安斎耕一)
制作しているのは、オブジェや胸像などを手がける久保造形美術研究所の久保利昭代表(61)。
火山灰を使った記念像作りは、降灰に悩む鹿児島市が1990年ごろに実施した降灰対策調査研究補助事業に採用されたのがきっかけ。当時は樹脂に火山灰を混ぜ、コースターやプレートなどを試作。まずまずの出来だったが、単年度事業のため、試作段階でいったん区切りをつけた。
火山灰も、見方を変えれば鹿児島ならではの産物。噴煙を見るたび「灰を使って鹿児島らしい特産品が作れないか」と創作を思案していた久保さん。2008年から記念像作りを始めた。
原料は昭和火口近くに堆積(たい・せき)している灰。ポリエステル樹脂と灰を混ぜた液をシリコンの型に流し込む。それを4、5回繰り返し、厚みのある像に仕立てる。最後につや消し剤で表面の照りを抑え、重厚な雰囲気に仕上げる。
使う灰は3種類。像の表面に当たる部分にはふるいにかけた粒子の細かい灰を使い、強度が必要な内部には粗い粒子を用いるなど、きめ細かさを損なわないように工夫した。土産品として販売することを考え、像の内部は空洞にして軽量化した。
作品テーマは観光客に不動の人気を誇る西郷隆盛と篤姫、桜島の三つを選んだ。西郷像と篤姫像は高さが35センチ前後で、重さは1・5キロ程度。卓上にも置きやすい大きさを意識した。それぞれ色つきと色なしの2パターンがある。
昨年春、第1弾作品が完成。鹿児島市加治屋町の維新ふるさと館の展示品として採用され、商品としての手応えをつかんだ。これまで知人を通じて10体ほど販売した。記念像は大久保利通や小松帯刀などを順次商品化し、「薩摩の偉人シリーズ」として売り出すことを計画している。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」や来春の九州新幹線全線開業で、鹿児島が再び注目を浴びる絶好の機会。久保さんは「原料もモデルも鹿児島づくし。鹿児島らしさをアピールできたら」と話す。手作りのため1日3体程度が限度だが、型を増やせば量産も可能。取扱店を探している。
問い合わせは、久保造形美術研究所(099・267・3924)
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(50)東大教授・山内昌之 武市半平太
■手段選ばぬリアリスト
≪暗いマキャベリズム≫
「富と貴(たっと)きとは、是(こ)れ人の欲する所なり。其(そ)の道を以てこれを得ざれば、処(お)らざるなり」(『論語』里仁第四)。誰でも富と地位を欲しがるものだが、それ相応の方法(正しい勤勉さや高潔な人格)で得るのでなければ、そこに安住することはできない。
いま、自らの政治資金疑惑を招いている民主党政権のツートップは、孔子の言葉をどのような思いで聞くことだろうか。
なかでも、腑(ふ)に落ちないのは、長年政治生活を共にしてきた分身の秘書や、国会議員になった側近が訴追や拘置を終えて、ひとまず無事に日常生活へ復帰したのに鳩山首相や小沢幹事長が、彼らを案じる慰労もせず、健康の変調を気遣うわけでもないことだ。
少なくとも、自分の事務所や政治団体を通過した政治資金を、尊敬する先生のために良かれと処理した行為が法に触れたとすれば、自らの関与や承認の有無にかかわらず勝場啓二元公設秘書や石川知裕衆院議員に事情を聴きつつ、慰藉(いしゃ)するのは政治家の見識以前に人として自然の道ではないだろうか。
幕末では、理想をまず広く据えた上で、それを政治で実現するために手段を選ばぬ方策に徹したリアリストといえば、土佐の武市半平太こと瑞山であろう。私の子ども時分の東映時代劇映画の定番『月形半平太』のモデルとなった武市は、色白で身長180センチほどの偉躯(いく)を誇った男前でもあった。
しかし、そのさわやかな言説や高潔な人格の裏には、大久保利通や木戸孝允にも負けないマキャベリズムが潜んでいた。政敵の打倒や異論の封殺のために暗殺テロを使った政治手法の暗さは、同じ土佐でも常に大同団結をめざす陽性の行動派の坂本龍馬と対照的である。
しかも、武市はテロに用いた者を手駒として使い捨てにできる非情さを持ち合わせていた。ついでにいえば、NHK大河ドラマ『龍馬伝』で武市に扮(ふん)する大森南朋(なお)はその暗い理知性をまずまず巧みに演じている。
≪抜群のカリスマ性≫
確かに、武市の組織者としての能力と、人を糾合するカリスマ性は抜群であった。もともと郷士身分の出身でありながら、剣術道場を舞台に土佐勤王党の土台をつくり、中岡慎太郎や岡田以蔵らを育てた手腕は凡でない。
また、安政3(1856)年に江戸へ出て、鏡心明智流の桃井春蔵道場で塾頭となる一方、桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作など尊攘派の長州藩士と交わる人脈をつくりあげた才も見事である。
文久元(1861)年に、「一藩勤皇」の理念によって、坂本龍馬や天誅(てんちゅう)組のリーダーになる吉村寅太郎なども集めて、江戸で土佐勤王党を結成したまではよい。
問題は、自分の進言を退けた土佐藩参政の吉田東洋を開国・公武合体派の首魁(しゅかい)として同志に暗殺させた陰湿さに始まる。一度、テロに手を染めた者は、血の臭いを消しきれない。京都でも無数の佐幕派暗殺に関与し、天誅や斬奸(ざんかん)と称して刺客を放ち、政敵を次々に暗殺させた。なかでも武市の命で動いた“究極のテロリスト”は人斬(き)り以蔵こと岡田以蔵である。
しかし、文久3年8月18日の政変で長州藩が中央政界から追われると、土佐藩でも前藩主の山内容堂が返り咲き、武市も捕縛され、やがて切腹を命じられた。彼は、容堂腹心の吉田東洋の暗殺を否定したが、岡田以蔵の自白により罪状が確定したらしい。
一説に武市は、性根の据わらぬ以蔵の捕縛を知って、牢(ろう)役人を使って以蔵に毒を盛ったとさえ言われる。以蔵は、毒飼いを憤ったあまりに自白供述に及んだという説も残っているから、陰惨なことおびただしい。
政治では、目的の高邁(こうまい)さと手段の卑俗さが乖離(かいり)する例は珍しくない。政治家らは、時に忠実な同志を切り捨てる非情さを発揮してきた。現代の政治家も、自分を慕い尊敬してきた側近を“使い捨ての駒”にするのは、私欲のためでなく、“大義親を滅す”ともいうべき公の覚悟に立ったからだ、とあくまで正当化するのだろうか。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】武市半平太
たけち・はんぺいた 文政12(1829)年、土佐藩(高知県)郷士の長男として生まれる。号は瑞山(ずいざん)。高知で剣術道場を開いた後、江戸に出て尊攘派と交わる。文久元年、一藩勤皇を掲げて坂本龍馬、中岡慎太郎ら同士を集めて土佐勤王党を結成。公武合体派の参政、吉田東洋を部下に暗殺させ、一時藩政をにぎり、京に出て朝廷工作や佐幕派暗殺に関与するが、8月18日の政変後、前藩主・山内容堂の勤王党弾圧を受けて投獄され、慶応元(1865)年、獄中で切腹する。享年37。
IT
【新撰組検定】スタート ○●検定総合サイト『検定道 KENTEI-do』 にて●○
○●検定総合サイト『検定道 KENTEI-do』 にて●○
【新撰組検定】スタート
http://www.kentei-do.com
この度、弊社 株式会社ルート(兵庫県神戸市 代表取締役:中田孝成)は、検定総合サイト『検定道 KENTEI-do』において【新撰組検定】のサービスを開始致しましたのでご報告させていただきます。
■ 新撰組検定とは ■
時代に流されながらも、必死に幕末を生きた彼ら。ファンなら知っていて当然?!
という問題を作りました。是非ともお試しあれ!
<検定詳細画面>
http://www.kentei-do.com/test/details/841
■ 検定概要 ■
試験形式 : インターネット試験 (総合検定サイト『検定道』内で提供)
開催期間 : 常時開催中
試験時間 : 制限時間なし
出題数 : 10問(ランダム出題)
合格基準 : 100点満点中60点以上
受験資格 : どなたでも受験いただけます。
検定料金 : 0円
受験回数 : 何回でも (合格後も受験可能)
●● 本件に関するお問い合わせ先 ●●
株式会社ルート 検定事務局
< TEL > 078-393-5117 (土日祝を除く 9:00~18:00)
< FAX > 078-393-5124
着信音でよみがえる坂本龍馬の“肉声”が人気
歴史的なスポットを訪ねる「歴旅」や歴史好きの女性の総称である「歴女」が流行するなど、今は空前の歴史ブーム。特に、幕末の英雄・坂本龍馬の人気は、NHK大河ドラマ「龍馬伝」がスタートして、ますます盛り上がりを見せている。そんななか、その龍馬の“肉声”を携帯電話の着信音にした「龍馬ボイス」が注目を集めている。
約150年の時を経て龍馬の声をよみがえらせたのは、日本着信メロディ研究所の「モンタージュボイステクノロジー」という技術。声紋・音響解析のほかに、生体の発声器官を解剖学的に分析・シミュレートすることで、歴史上の人物などの肉声を再現する技術だ。これにより、科学的に検証された龍馬の“肉声”が現代に復活。さらに、インデックスの携帯サイトで携帯電話の着信音として、誰でも手軽に耳にすることができるようになった。
今回配信された着信音は、「坂本龍馬です」「時代を変えなあかんぜよ」の2種類。さらに、2月10日から新たに「もう朝じゃき、はよう起きないかんちゃ」などの「龍馬目ざましボイス」が3種類加わった。GIGAッchサイトの「着ネタ」コーナーランキングでは、人気芸人のオードリーやU字工事を抑えて、龍馬ボイスが1位と2位を独占する人気ぶりだ。さらに、1月末からの配信スタートで、多い日では1日で100ダウンロードを超えるダウンロード数を誇る。タレントボイスではないコンテンツで、この数字は驚異的という。このサイトの「龍馬特集」では、ほかにもアニメや待ち受け画面画像など、龍馬に関するコンテンツが数多くそろう。興味がある人は、チェックしてみては。
(文/荒井奈央=アジト)
ビジネス
旅行の比較ポータルサイト『Travel.jp(トラベル・ジェーピー)』
「ゴールデンウィーク特集2010」を開始
今年最大の大型連休を満喫しよう!
株式会社ベンチャーリパブリックは、2010年2月18日より、旅行の比較ポータルサイト『Travel.jp(トラベル・ジェーピー)』(http://www.travel.co.jp/) において、「ゴールデンウィーク特集2010」を開始いたしました。(http://www.travel.co.jp/special/g_week/)
株式会社ベンチャーリパブリック(本社:東京都港区、代表取締役社長:柴田啓 以下:ベンチャーリパブリック)は、2010年2月18日より、旅行の比較ポータルサイト『Travel.jp(トラベル・ジェーピー)』(http://www.travel.co.jp/) において、「ゴールデンウィーク特集2010」を開始いたしました。(http://www.travel.co.jp/special/g_week/)
今年のゴールデンウィークは土日祝日だけで5連休、休みの取り方次第では最大で11連休にもなります。「ゴールデンウィーク特集2010」では、主要な旅行会社約200社が提供するお得な国内・海外ツアーをエリア別・目的別に探すことができます。国内なら幕末のヒーローの生誕地「土佐・龍馬であい博」や平城遷都1300年の歴史に触れる旅、海外なら史上最大規模と呼び声の高い上海万博やワールドカップ直前の南アフリカなど、今年ならではの見逃せない旅行が目白押しとなっております。今年最長となる大型連休を大いに楽しんでみてはいかがでしょうか。
また、個人手配で自由な旅行を計画したい方は、『Hotel.jp』(http://hotel.jp/)との連動により、ホテル・宿の写真や動画、クチコミなどホテル選びの参考になる情報も掲載されておりますので、是非お役立てください。
以 上
<Travel.jp (トラベル・ジェーピー)について>
『Travel.jp』は、海外および国内旅行の情報を専門に扱うポータルサイトです。主要旅行会社約200社が販売する格安航空券、国内外パッケージツアーを同時に検索・比較できるサービスを提供しています。また、週2回発行「トラベル・ジェーピー メールマガジン」を発行しています。
今日も寒かったですねぇ……予報によれば、関東の一部では明日にかけて雪が降るところもあるとか。暖かくしてお休みください。
茨城
映画「桜田門外ノ変」ロケ応援 豚汁食べてホットな演技を 地場産でおもてなし/茨城・JA水戸女性部【関東】
千葉
和宮愛用の雛人形紹介
佐倉・歴博でミニ企画展
福井
竜馬ゆかりの街歩きを 県観光連盟、HPに見どころ紹介
三重
県文化財:保護審が答申、県行政文書など指定へ /三重
広島
龍馬ガイド、鞆の浦で脚光…いろは丸など焦点
鹿児島
玉里島津家の資料100点 鹿児島市・黎明館で企画展
文化芸能
大沢たかお「幕末という時代が必要とされている」と使命感を実感『桜田門外ノ変』記者会見
IT
アナタは坂本龍馬タイプ!?『幕末偉人占い』他、SoftBankより新作ゲームが続々登場!
茨城
映画「桜田門外ノ変」ロケ応援 豚汁食べてホットな演技を 地場産でおもてなし/茨城・JA水戸女性部【関東】
【茨城・水戸】JA水戸女性部員らは10日、水戸市で撮影中の映画「桜田門外ノ変」で、炊き出し支援隊として、地元産農産物を使った豚汁を振る舞った。屋外の撮影で体を冷やした俳優やスタッフに「温まって」と差し出し、応援した。女性部員らによる炊き出し支援は19、20の両日にも行う。
この日は、同市の千波湖畔に建設された約1万3000平方メートルのオープンセット内で撮影が行われた。豚汁は、舞台となる幕末の江戸城などを再現したセットの一角で、作った。参加した女性部員の一人は「JA水戸の農産物の良さを知ってもらいたい」と、話していた。
佐藤純彌監督がメガホンを取り、人気俳優の大沢たかおさんが主演を務める映画は、水戸藩の開藩400周年を記念した企画。1860年に水戸藩脱藩浪士ら18人が江戸城の桜田門外で大老・井伊直弼を襲撃した桜田門外の変を描く。
地域活性化を目指し、一昨年に結成した「『桜田門外ノ変』映画化支援の会」が全面的にサポートするなど、地域発案型の映画としても注目を集めている。
千葉
和宮愛用の雛人形紹介
佐倉・歴博でミニ企画展
幕末の動乱期に波乱にとんだ生涯を送ったことで知られる皇女和宮が愛用していた雛(ひな)人形や雛道具を紹介するミニ企画展示「和宮ゆかりの雛かざり」が佐倉市城内町の国立歴史民俗博物館第3展示室で開かれている。
和宮親子内親王は1846(弘化3)年、仁孝天皇の第8皇女として誕生。1861(文久元)年に「公武合体」の証しとして、14代将軍・徳川家茂に降嫁した。江戸時代に広まった雛祭り行事は次第に装飾が豪華になり、さまざまな種類の人形や精巧な作りの道具類が生み出された。和宮も多くの雛人形を手元に置き、大奥で雛祭りを楽しんだという。
会場には、同館所蔵の「和宮所用雛人形御所人形」から約100点を展示。貴族的な面持ちの上品な内裏雛や、当時の流行を反映したガラス(ギヤマン)製の器といった精巧な雛道具のほか、兄・孝明天皇の形見として和宮に譲渡された御所・三ツ折人形などが並び、江戸時代の女性の暮らしや職人の優れた技術を紹介している。
福井
竜馬ゆかりの街歩きを 県観光連盟、HPに見どころ紹介
県観光連盟は春の観光シーズンに向けて、観光情報ホームページ「ふくいドットコム」内に、坂本竜馬と幕末の福井とのつながりを紹介するコーナーを設けた。題して「歴史ロマンあふれる 熱き幕末の福井へ」。連盟の担当者は「竜馬とのかかわりを感じながら、街歩きをしてみませんか」と薦めている。
「ふくい龍馬伝」「ふくいゆかりの幕末の偉人」「大人の粋な遊び」の3項目で構成され、アクセスマップも載せた。
「龍馬伝」では、坂本竜馬がたどったと思われる街道沿いを福井市、越前市、南越前町(今庄宿)の3エリアに分け、竜馬が宿泊したとされる莨屋(たばこや)旅館の跡地や老舗のそば屋、酒造店などを紹介している。
「幕末の偉人」では、福井藩主の松平春嶽や幕末の志士橋本左内ら4人の人物を取り上げている。それぞれのゆかりの地や土産、菓子の情報も併せて掲載し、盛りだくさんの内容になっている。
コーナーはNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送や歴史ブームを受けて開設した。ホームページは「ふくいドットコム」で検索。
(長谷川寛之)
三重
県文化財:保護審が答申、県行政文書など指定へ /三重
県文化財保護審議会(会長・八賀晋三重大名誉教授)は16日までに、幕末から昭和32(1957)年にかけて作成され、県庁に保存されてきた「県行政文書」など8件を県文化財に新たに指定するよう県教委に答申した。3月の県教育委員会で正式決定される見込みで、指定されれば県文化財は565件となる。
県行政文書は、計1万1643点に上る公文書や地図、絵図などがそろった状態で保存されており、全国でも珍しいという。
他に答申されたのは▽室町時代に描かれたとみられる「絹本著色両界曼荼羅(けんぽんちゃくしょくりょうかいまんだら)図」(松阪市中町)▽江戸時代の絵画「絹本著色釈迦涅槃(しゃかねはん)図附貞享(つけたりじょうきょう)四年銘箱」(熊野市二木島町)▽1812(文化9)年に転写された「三国地志(藤堂采女(うねめ)家旧蔵本)附伊賀国式社考(しゃこう)」(伊賀市上野丸之内)▽鎌倉時代の古写本「斎宮女御集(資経本(すけつねぼん))」(明和町竹川)▽「斎宮女御集(正般(しょうはん)所蔵本)」(同)▽江戸時代に印刷された「岡寺版集帖板木(しゅうじょうはんぎ)並びに関係資料」(松阪市中町)▽小古墳から見つかった「ワキ塚1・2号墳出土品」(伊賀市比土、緑ケ丘本町)。
この他、既に指定されている「参宮講看板附たわら屋看板」(伊賀市阿保)に7点を追加指定するよう答申した。【岡大介】
〔三重版〕
広島
龍馬ガイド、鞆の浦で脚光…いろは丸など焦点
広島県福山市鞆町で、地元のNPO法人「鞆の浦振興事業団」(林真至代表)が1月中旬から始めた幕末の志士・坂本龍馬ゆかりの地を回る史跡巡りガイドが、およそ1か月で観光客ら約1000人が利用するなど、人気を呼んでいる。
担当するガイドは13日、龍馬についてより深く学ぼうと勉強会を開き、「歴史好きの龍馬ファンにも満足してもらえる内容に」と意気込んでいる。
鞆の浦は、1867年(慶応3年)、龍馬率いる海援隊が乗った蒸気船「いろは丸」が紀州藩の軍艦と衝突、沈没、龍馬が賠償金交渉のために滞在した歴史を持つ。
同NPOは従来、鞆の浦の歴史全般を紹介する史跡巡りガイドを行ってきたが、NHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせ、龍馬関連に絞ったコースを新たに設けた。
いろは丸沈没後、龍馬らが滞在した回船問屋や、紀州藩との談判に臨んだ商家跡、いろは丸ではないかとみられる船から引き揚げられたドアのノブなどゆかりの品を展示する「いろは丸展示館」などを、ガイドと一緒に約1時間半かけて回る。
同NPOの観光ガイドの2009年1月の利用者は659人だったが、10年1月は、龍馬コースの人気もあり1516人と倍以上に増えた。3月中旬までに、北海道や福島県などからの観光客も含めて、約2500人が龍馬コースを予約しているという。
こうした人気ぶりに、担当するガイドは「より案内の質を高めたい」と、2月から随時、勉強会を開催。13日は、ガイド歴25年の宮本和香さんから説明を受けながら、新人ガイドら6人が、龍馬ゆかりの5か所を巡った。小林由里恵さん(36)は「しっかり勉強して、また来たいと思われるガイドをしたい」と意欲を燃やしていた。
今後、龍馬の古里、高知市から講師を招いた勉強会も計画しており、同NPOの片岡明彦事務局長(46)は、「より充実した鞆の浦の旅を楽しんでもらいたい」と話していた。
ガイドの申し込みは、希望する日の3日ほど前までに、鞆の浦観光情報センター(084・982・3200)へ。(向井友理)
鹿児島
玉里島津家の資料100点 鹿児島市・黎明館で企画展
鹿児島市の黎明館で16日、企画展「薩摩藩『玉里邸』とその文化」が始まった。幕末の実力者である島津久光(1817~87年)が興した玉里島津家に関する日記や衣装など約100点を展示している。5月9日まで。
玉里島津家は71(明治4)年、薩摩の国父と呼ばれた久光が興した島津家の分家。久光は文化にも力を注ぎ、貴重な史料が数多く残された。
今回の展示は「玉里島津家資料」を所蔵する黎明館と、「玉里文庫」のある鹿児島大学付属図書館が共同で企画。10代藩主の島津斉興が現在の鹿児島市玉里町に創建した玉里邸の成り立ちに始まり、久光ゆかりの品々や2代忠済(ただなり)の夫人・田鶴子が約40年間書きとめた日記などが並ぶ。玉里邸の構造図や、歴史編輯(へんしゅう)所の設置に関する文献もあり、玉里島津家の学術への傾倒ぶりや幕末から昭和にかけての時代背景が伝わる。
黎明館の新福大健学芸専門員は「玉里島津家といえば久光が浮かぶが、今回はいろんな人物に焦点を当てた。同家が作った薩摩の文化を知ってほしい」と話した。
文化芸能
大沢たかお「幕末という時代が必要とされている」と使命感を実感『桜田門外ノ変』記者会見
2月7日(日)、茨城県水戸市にて撮影中の『桜田門外ノ変』のオープンセットが公開され、キャストの大沢たかお、北大路欣也と、監督の佐藤純弥が記者会見に登場した。
本作は、1860年に水戸藩の浪士たちが大老・井伊直弼を暗殺した事件「桜田門外の変」を、その指導者であった藩士・関鉄之助を中心に据えて描いた本格歴史巨編。3月末にクランクアップ予定で、その後、本作のために作られたセットは2月20日より一般公開する予定。
水戸市千波湖畔につくられたセットでは、高さ約9m、全長100mにもおよぶ大名屋敷の街並みをみごとに再現。お濠をはさんだ対岸には、高さ約15mの桜田門がそびえたつ仕様となっており、セットからも作品の壮大さを感じることができる。また、本作の応援団として「桜田ファミリア」という団体を結成し、茨城県をあげてロケ誘致を目指し、キャストやスタッフ、多くのエキストラたちをバックアップしている。
今回、記者会見はオープンセットの一部を使って行われた。大ヒットしたTBS系ドラマ「JIN‐仁‐」に引き続いての幕末モノとなった大沢たかおは、それについては「とくべつ意識していたわけではない」とコメント。大沢たかおが扮する関鉄之助は、「けれど、幕末という時代を思い出すことが必要となっている時代にいるのかもしれないという気がしています。関鉄之助を演じるうえで緊張するのは、幕末にたくさんのひとが国を思って、未来を憂いて生きていたという事実。政治家だけじゃなくて、老若男女問わずに、国を動かすことができるんだという熱い思いを感じてもらえれば」と、凛然と語った思いに、本作に参加することで被ったプレッシャーの重さを感じさせていた。
また当日は、気温は低いものの日差しが強く、雲ひとつない快晴。ゆえに撮影も順調かと思いきや、佐藤純弥監督は、「『桜田門外の変』が起きた3月3日は大雪だったので、天気がいいのは撮影的には非常に困るんです。クランクアップが延びてしまうかも」と、淡々と天気に対して文句をポロリ。これには、“快晴”相手に撮影待ちを喰らった大沢たかお、北大路欣也も思わず苦笑いを浮かべていた。
IT
アナタは坂本龍馬タイプ!?『幕末偉人占い』他、SoftBankより新作ゲームが続々登場!
元気モバイル株式会社(本社:東京都中野区、代表取締役社長:津守正樹)は、SoftBankにて展開中の携帯ゲームサイト『定番スポーツ大集合』『元気ゲームランチBOX』にて、2010年2月17日(水)より新作ゲーム6本を配信開始致します。
『幕末偉人占い』は、プレイヤーが幕末に生きた偉人の内、どのタイプに近いかを占うゲームです。
TVドラマ等で人気の坂本龍馬を始め、様々な偉人タイプが用意されています。
生年月日を入力するだけで占えますので、自分だけでなく友達や家族や芸能人など、様々な人を占って楽しむこともできます。
『黄昏は瑠璃の追憶』は、人気の推理アドベンチャー「探偵・癸生川凌介事件譚」最新作です。
退行催眠療法で著名な女性セラピストの過去に絡む殺人事件に、お馴染みの癸生川探偵事務所の面々が挑みます。
この度公開の第6話は、遂に殺人事件の犯人が明らかになり、過去と現在が繋がり、全ての謎が解ける完結編となっております。
『ハーメルンの笛吹き男』は、同タイトルの童話をモチーフとしたアクションゲームです。
笛吹き男を操作して、ネズミや子供たちを長い行列にし、川や洞窟に連れて行くことでクリアします。
昭和のゲームのようなゲーム画面とサウンド、そしてシンプルなルールと操作方法で、様々な年齢層にお楽しみいただけます。
『蛙(かわず)跳ぶ』は、蛙を操作して蓮の上を跳び進むワンボタンアクションゲームです。
軽快に跳びはねるアクション性と、ゆったりとしたゲーム画面から、爽快感と癒し感たっぷりのゲームです。
『おおなまズ』は地下で暴れる大ナマズが起こす地震による落下物をうまく避けながら、ひたすら走る横スクロールアクションです。
途中に現れる、大ナマズを眠らせたり、走るスピードを上げる等のアイテムを駆使して走行距離を伸ばし、最高の称号を手に入れます。
『ありえねー棒高跳び』は、連打することで棒を伸ばし、通常ではありえないほど高く跳ぶことができる棒高びのアクションゲームです。
ランキング機能を搭載しており、全国のユーザーと高さを競うことができ、白熱すること間違いなしです。
当社は今後も幅広いジャンルのゲームを追加し、サイトの更なる認知度アップ、ユーザーの増加を狙います。
雨が降る寒い一日でした。今週の予報を見ると、雨や雪の日が多く、寒い週になりそうです。
福島
鶴ケ城ふき替え赤瓦に 藩制時代再現、天守閣を修復へ
幕末まで赤瓦だったそうで、往事を偲ばせる姿になるのが楽しみです。
島根
松江誕生物語 : (44)朝鮮ニンジン
佐賀
佐賀の先人の偉業実感 「近代との遭遇」展閉幕
コラム
【日の蔭(かげ)りの中で】京都大学教授・佐伯啓思
ビジネス
赤穂化成、土佐(高知)の海洋深層水「龍馬(わし)の水ぜよ」を発売
IT
アナタは坂本龍馬タイプ!?『幕末偉人占い』他、docomoより新作ゲームが続々登場!
福島
鶴ケ城ふき替え赤瓦に 藩制時代再現、天守閣を修復へ
福島県会津若松市のシンボルで国史跡の若松城(鶴ケ城)が、3月下旬から約1年間の予定で修繕工事に入る。今回の工事の中心は天守閣の瓦の全面ふき替え。現在は黒い色だが、藩制時代の赤い瓦に戻し、観光客にかつての城の様子を知ってもらう計画だ。
市によると、若松城は1648(慶安元)年ごろから赤い瓦だったと記録されている。うわぐすりを掛けて焼き、雪国でも割れにくいようにしたという。
市の若松城総合整備計画では、想定する時代は江戸末期。幕末までは赤瓦だったためで、2001年に復元した食料貯蔵庫の「干飯櫓(やぐら)」と武器庫の「南走長屋」は既に赤瓦になっている。天守閣修繕で、城全体の瓦の色調が統一される。
天守閣は1965年に復元されたが、40年以上経過し、外壁にひび割れや汚れも目立ってきた。外壁の塗り替え工事なども併せて行われる。工事期間中、天守閣はシートで覆われるが、内部の博物館には入場できる。
修繕費用は約5億円で、国の補助金と天守閣の入場料収入などによる若松城等整備基金で賄う。
若松城整備計画では天守閣再建50年に当たる15年度までに、かつて本丸東側にあった建物の「御三階」も復元されることになっている。
会津若松市観光課は「史実に示されている赤瓦の天守閣を再現することで、史跡全体の魅力が増す」と期待している。
幕末まで赤瓦だったそうで、往事を偲ばせる姿になるのが楽しみです。
島根
松江誕生物語 : (44)朝鮮ニンジン
栄光示す専用「千両箱」
千両箱のふたに「弐拾壱番 金千両入」、裏底には「弘化二年 新出来 人参(にんじん)方」とある。1845年製作の箱だ。時代劇でおなじみのアイテムだが、朝鮮ニンジン専用、それも通し番号付きには初めてお目にかかる。松江市殿町の松江郷土館。松江藩で朝鮮ニンジンの果たした役割がいかに大きかったか、所蔵の千両箱から伝わってくる。
◇ ◇
日本の朝鮮ニンジン栽培は、8代将軍吉宗の殖産興業策として始まった。自生に頼る中国と朝鮮で採り尽くされ、17世紀ごろには品不足。日本でも需要に反比例して輸入量が減り、価格が高騰したからだ。「出雲国朝鮮人参史の研究」(小村弌著)によると、松江藩では6代藩主・松平宗衍(むねのぶ)が栽培を手掛けたという。
延享2(1745)年の宗衍の初入国当時は、相次ぐ風水害やイナゴの害で藩財政は最悪。豪商の献金などでしのぐ中、江戸藩邸内で宝暦10(1760)年、試験栽培に着手した。その後、幾度も挫折しながら、のちに「雲州人参」ともてはやされる逸品を生み出し、日光神領、会津藩と並ぶ大産地に。収穫の大半は陸路、長崎に運んで大部分は輸出され、莫大(ばくだい)な利益をもたらした。
天保元(1830)年に朝鮮ニンジン専用の金蔵が新築され、弘化年間に1棟増築している。蔵には専用の千両箱が山積みされた。郷土館で目にしたものは、まさに当時作られたものだった。
栽培事業を取り仕切る人参方は弘化4年、独立の役所となる。嘉永4(1851)年の「諸役所御有物高」では、総計32万4777両のうち人参方5万7099両と記され、御札座(藩札製作所)、木実方に次ぐ資金を有していた。こうしてニンジン資金は藩財政改革の立役者となり、黒船が来航した幕末には新鋭軍艦2隻の購入資金になるなど、軍事費の中核を担った。
朝鮮ニンジンの栽培地は津田、古志原など市内近郊のほか、三瓶山、大原郡、出雲市、斐川町まで広範囲。現在も産地として知られる大根島(松江市八束町)では天保年間に栽培が始まり、面積は約5町6反18歩という記録が残る。ただJAくにびきによると、大根島の今季出荷予定者は2人、収量は7アールで245キロ程度にすぎない。
松江開府四百年を機に、市は朝鮮ニンジンの名称を「御種(おたね)人参」に統一し、他の朝鮮ニンジンと区別するという。栄光の歴史が、いつの日か復活することを祈るばかりだ。
(文・写真 本社報道部・伊藤英俊)
佐賀
佐賀の先人の偉業実感 「近代との遭遇」展閉幕
幕末から明治にかけて海外に渡った佐賀人の功績をたどる特別展「近代との遭遇-世界を見る・日本を創(つく)る」(県立佐賀城本丸歴史館・県立美術館・佐賀新聞社主催)が14日、閉幕した。会場の佐賀県立美術館には、1月1日の開幕から休館日を除く42日間に大勢の人が訪れ、日本の近代化を築いた先人たちの偉業を実感した。
特別展では、百武兼行や久米桂一郎、岡田三郎助ら、日本の近代化に多大な影響を与えた佐賀人に関連する歴史資料や絵画など約150点を展示。幕末から明治初頭にかけて海外を訪れた佐賀の先人たちの足跡などを詳しく紹介した。
最終日は、学芸員によるギャラリートークが行われ、熱心に聞き入る人も多かった。伊万里市の山口幸子さん(72)は、「幕末や明治期に活躍した佐賀県人がこんなにたくさんいると知り、驚いた。佐賀県は人材の宝庫」と感動していた。
同展は美術関係者の注目も高く、最終日に訪れた佐賀市川副町出身の二科会理事大隈武夫さん(75)は「岡田の若いころの作品に触れ、真っすぐで素直な画風に衝撃を受けた」と話していた。
【写真】岡田三郎助や久米桂一郎の若いころの作品の解説など、学芸員のギャラリートークに大勢が熱心に耳を傾けた=佐賀市の佐賀県立美術館
コラム
【日の蔭(かげ)りの中で】京都大学教授・佐伯啓思
■歴史の「ものがたり」と「論理」
NHKの大河ドラマで坂本龍馬をやっている。また、昨年末には、秋山好古・真之兄弟を扱った司馬遼太郎の『坂の上の雲』を数回放映した。こちらは、3年計画だそうだ。いずれも、幕末から開国へかけて、そして維新から日露戦争への時代を扱ったもので、近代国家形成からその頂点へいたる日本を描こうとしている。明治政府の成立が1868年、日露戦争が1904年。その間わずか36年である。西南戦争が1877年、帝国憲法発布が1889年、日清戦争が1894年だから、日本は息つく間もなくあわただしく近代国家へと変身し、国際関係の大きな波の中に飛び込んでいった。
そこで、おおよそ、われわれの頭には次のような想念が植えつけられることとなる。すなわち、幕藩体制が行き詰まりつつあった幕末に、めずらしく大きな構想力と行動力をもった若い下級武士たちが現れ、「国の将来」を憂えるその純粋な行動力が、旧態依然たる支配体制を覆して新生日本をうみだした。それに続く先見の明をもった明治の指導者たちは、アジアの植民地化をもくろむ列強の中にあって、日本を列強と並ぶ一等国にまでもちあげた。しかし、日露戦争の勝利に酔い、第一次大戦の戦勝に調子に乗る日本は過度の傲慢(ごうまん)におちいり、その後、昭和に入って軍部の台頭とともに日本は帝国主義化し大戦へと突き進んでいった。
要するに明治の近代国家形成は、世界的視野と健全な愛国心をもったすぐれた政治指導者によってなされ、近代日本の栄光の時代であったが、昭和に入って、軍部の台頭と過剰な愛国心によって日本は道を誤った、というわけだ。
龍馬をはじめとする幕末維新の志士たちへのわれわれの共感も、また、秋山兄弟をはじめ、明治の元勲たちへの関心も、おおよそこのような「ものがたり」から発している。
私も、この「ものがたり」を認めるのにやぶさかではないのだが、それはあくまで暫定的であって、心中はもう少し複雑である。少なくとも、「論理」の問題としていえば、明治と昭和をそれほど簡単に明暗で区別するわけにはいかない。
今、「論理の問題」という言い方をした。変な言い方であることはよくわかっている。歴史に論理も何もないだろう。あるのは、出来事が生み出す事態の生成・変化のみであって、歴史の論理などというものはない、というのはその通りであろう。にもかかわらず、ここであえて「論理」といいたかったのは、次のようなきわめて単純なことを改めて想起したかったからである。
近代日本の目的の第一は、西洋列強による植民地化を回避し、日本を強国にすることであった。ところでもしそれに成功すると日本は列強と肩を並べる。列強と肩を並べれば、日本も列強と同様の行動をとり、そのことは列強との摩擦を引き起こす。となればどうなるか。いずれは列強との戦争になるであろう。これはあまりに明確で単純な「論理」である。もちろん、「論理」がそのまま「現実」になる必然性もないし、そうなる必要もないのだが、驚くべきは、この単純な論理が、本当に「現実化」してしまった点にこそあろう。
この「論理」をもっとも明快に意識していたのは、たとえば福沢諭吉であった。今年は、日韓併合から100年である。いうまでもなく、福沢は、日本でもっともはやく朝鮮からの留学生を受け入れ、金玉均らの朝鮮独立派を強く支援した。にもかかわらず、朝鮮独立運動が失敗するや、彼は、手のひらを返したように朝鮮への支援を排し、「脱亜入欧」を説く。アジアの悪友との交際は遮断すべきだ、というのである。それどころか、文明の度合いの高い国が、低い国を指導するのは当然である、とまでいう。
その結果はどうなるか。さきほどの「論理」である。列強の仲間入りをした日本は列強と争わざるを得ない。福沢は、自分は決して主戦論者ではないが、行き着くところは戦争と覚悟だけは決めておけばよい、というようなことを書いている。
こうなると、明治の政治指導者はりっぱだったが、昭和に入って軍部の台頭によって日本は道を誤ったと簡単にいうわけにはいかない。問題は、日本の近代化そのものなのである。もし、道を誤ったというなら、それは明治の西欧模倣型近代化の帰結だとしなければならないだろう。文明国になるために、日本はわずか三十数年の間に急激に西欧的な近代化を行った。それは、一方では、列強との強い軋轢(あつれき)を生みだし、他方では、「日本的なもの」の深い喪失感を生み出していった。その両者が相まって、強烈なナショナリズムへと行き着くのである。
われわれは、国の方向が見えにくくなり、自信喪失に陥ると、しばしばこの「ものがたり」を思い起こそうとする。近年もまた、維新の志士や明治の指導者にこの「ものがたり」を訪ねようとしているようだ。この「ものがたり」は、坂本龍馬や岩崎弥太郎や、秋山兄弟などの「青春群像」を描くことで、あの若くて元気で希望に燃えた日本を思いださせてくれる。それはそれでよいのだが、この青春群像の背後に隠れてしまう、日本の近代化、とりわけ西欧模倣の近代化というもののもつ問題へと、われわれの視界が届かなくなってしまうのでは困る。西欧型の近代化と、「日本的なもの」の喪失というテーマは、今日でも決して消失したわけではないからである。(さえき けいし)
ビジネス
赤穂化成、土佐(高知)の海洋深層水「龍馬(わし)の水ぜよ」を発売
大河ドラマ『龍馬伝』ロゴ付き
坂本龍馬の故郷土佐(高知)の海洋深層水
『龍馬(わし)の水ぜよ』を新発売
赤穂化成株式会社(本社:兵庫県赤穂市、代表取締役社長:池上良成)では、坂本龍馬が愛した土佐(高知)の海から汲み上げた室戸海洋深層水(※1)を100%使用した飲料『龍馬(わし)の水ぜよ』(容量500ml/税込価格137円)を2010年3月1日(月)より全国のスーパーや通信販売などで順次発売いたします。
土佐に生まれ、「日本を今一度せんたくいたし申候」という名言を残した坂本龍馬は、幕末の政治・経済に大きな影響を与えた志士です。日本を動かし世界を目指した龍馬は、現代でも多くの人から支持され、今年の1月3日よりスタートした大河ドラマ『龍馬伝』の放送で再び社会的注目を集めています。当社では、その龍馬の生まれ故郷である土佐の室戸海洋深層水を使用した飲料水を開発しました。
新商品の『龍馬(わし)の水ぜよ』は、室戸沖2200m、水深344mから取水した海洋深層水を100%使用した飲料です。本商品は当社独自の脱塩技術を用いて海水の自然のミネラルバランス(Mg(マグネシウム):Ca(カルシウム):K(カリウム)=3:1:1)を維持し、硬度(※2)100の爽やかで飲みやすい飲料です。パッケージデザインには毛筆書体で書かれた商品名を坂本龍馬の写真と一緒に大きく配することで、本品が龍馬の故郷である土佐の海から汲み上げた水(海洋深層水)であることと、土佐から世界を目指した龍馬の世界観を表現しています。また、大河ドラマ『龍馬伝』のロゴも使用しました。尚、弊社関連会社の株式会社天塩(※3)から「龍馬シリーズ」として、『龍馬(わし)の塩ぜよ』(200gポリ袋入)を同時発売します。
新商品『龍馬(わし)の水ぜよ』の商品概要は、次頁のとおりです。
※1 室戸海洋深層水
一般的に海洋深層水とは、太陽の光さえ届かない水深200m 以深の水温が急に冷たくなっている層にある海水のことをいいます。その海水は陸水や大気由来の化学物質にさらされる機会が少ないため、極めて清浄で、安心・安全です。当社の「室戸海洋深層水」は、高知県室戸沖の水深344m から汲み上げられた水を使用しております。
※2 硬度
カルシウムとマグネシウムのミネラル含有量を一定の式で求める指標。硬度の数値が大きくなるほど、ミネラルを多く含みます。
※3 株式会社天塩
弊社の関連企業。「塩」や「にがり」を原料とした食品、飲料などを販売している。
<『龍馬(わし)の水ぜよ』商品概要>
*添付の関連資料を参照
お問い合わせ先
赤穂化成 お客様相談室 0120-40-4139
<会社概要>
*添付の関連資料を参照
IT
アナタは坂本龍馬タイプ!?『幕末偉人占い』他、docomoより新作ゲームが続々登場!
元気モバイル株式(本社:東京都中野区、代表取締役社長:津守正樹)は、docomoにて展開中の携帯ゲームサイト『元気SゲームランチDX』にて、2010年2月15日(月)より新作ゲーム4本を配信開始致します。
『幕末偉人占い』は、プレイヤーが幕末に生きた偉人の内、どのタイプに近いかを占うゲームです。
TVドラマ等で人気の坂本龍馬を始め、様々な偉人タイプが用意されています。
生年月日を入力するだけで占えますので、自分だけでなく友達や家族や芸能人など、様々な人を占って楽しむこともできます。
『ハーメルンの笛吹き男』は、同タイトルの童話をモチーフとしたアクションゲームです。
笛吹き男を操作して、ネズミや子供たちを長い行列にし、川や洞窟に連れて行くことでクリアします。
昭和のゲームのようなゲーム画面とサウンド、そしてシンプルなルールと操作方法で、様々な年齢層にお楽しみいただけます。
『蛙(かわず)跳ぶ』は、蛙を操作して蓮の上を跳び進むワンボタンアクションゲームです。
軽快に跳びはねるアクション性と、ゆったりとしたゲーム画面から、爽快感と癒し感たっぷりのゲームです。
『おおなまズ』は地下で暴れる大ナマズが起こす地震による落下物をうまく避けながら、ひたすら走る横スクロールアクションです。
途中に現れる、大ナマズを眠らせたり、走るスピードを上げる等のアイテムを駆使して走行距離を伸ばし、最高の称号を手に入れます。
当社は今後も幅広いジャンルのゲームを追加し、サイトの更なる認知度アップ、ユーザーの増加を狙います。
今日はバレンタインデー。今年は日曜日に当たるので義理チョコは例年より出回らない気がしますが(汗)、なぜかケーキショップは混雑していました。ご家族向けでしょうか。
東京
「冨嶽三十六景」全46点を展示 大田区
関東~伊豆
桜や梅が満開!“恋を実らせる”春の縁結び散歩へ
静岡
伝馬船:松陰密航、リアルに 下田の弁天島に、龍馬ファンらが協力し設置 /静岡
兵庫
「幕末の三舟」高橋泥舟の書あった…兵庫・三田の心月院
広島
鞆で脚光 龍馬ガイド 1か月で1000人利用
愛媛
「米山日記」宝の202冊 愛大HPで公開
佐賀
「近代との遭遇」展 いよいよ最終日
宮崎
寒天で地域おこし 創作料理高城の主婦ら
ブックレビュー
【書評】『坂本龍馬の10人の女と謎の信仰』平野貞夫著
今週の本棚:池内紀・評 『河原者ノススメ--死穢と修羅の記憶』=篠田正浩・著
文化芸能
【日本人とこころ】岩崎弥太郎と志(上)常に広い世界を意識
東京
「冨嶽三十六景」全46点を展示 大田区
大田区中央の区立龍子(りゅうし)記念館で、幕末時代の浮世絵師、葛飾北斎の代表作「冨嶽三十六景」全46点が展示されている。
冨嶽三十六景は富士山の多彩な姿を描いた晩年の北斎の最高傑作。当初は36枚の予定だったが、評判を呼び10枚追加したとされる。
展示されるのは、記念館創立者の日本画家、川端龍子(1885~1966年)が収集した作品。記念館によると、全46景ぞろいは世界でも数十組といわれるほど珍しく、刷りの状態もよいという。14日まで。入館料大人200円。
関東~伊豆
桜や梅が満開!“恋を実らせる”春の縁結び散歩へ
まだ暦のうえでは2月だけど、春はもうすぐそこ! 本州一、早咲きの「河津桜」は1月下旬になるとピンクの花が咲き始め、都内では梅の花が満開を迎え各地で祭りが続々と開催される。そこで、散歩もかねて、恋愛運もアップさせちゃうプランをご紹介。花名所と神社を一緒に巡ろう。
【第20回河津桜まつり】 ※期間/開催中~3月10日(水) 見ごろ/~3月中旬
河津川沿いの約800本をはじめ、全体で約8000本の河津桜が咲き誇り、町一帯がピンク色に。期間中は地元物産品が手に入る出店が毎日登場するほか、夜のライトアップで幻想的な桜を楽しむのもおすすめ。恋愛成就祈願には、河津川沿いから少し入った場所ある「川津来宮(かわづきのみや)神社」(静岡県賀茂郡河津町田中)に立ち寄って。 会場/静岡県賀茂郡 河津駅前、河津川堤(河口~峰温泉周辺) 時間9:00~17:00(出店)18:00~21:00(ライトアップ) HP/www.kawazu-onsen.com/
【第53回 湯島天神梅まつり】 ※期間/開催中~3月8日(月) 見ごろ/2月中旬~3月上旬
学問の神様、菅原道真公が愛した花として知られる梅が、約300本咲き乱れる。中には「想いのまま」と呼ばれる珍しい品種も。梅まつりの期間中は土・日曜、祝日を中心に太鼓演奏や神輿渡御などが行われる。祭神の大黒様が縁結びなどのご利益をもつとしても有名な「神田明神」(千代田区外神田2-16-2)に立ち寄って恋のお参りもお忘れなく。 住所/文京区湯島3-30-1 時間/8:00~19:00(梅まつり) 料金/無料 HP/www.yushimatenjin.or.jp/
【春を呼ぶ小石川後楽園 黄門様のお庭で梅まつり】 ※期間/開催中~2月28日(日) 見ごろ/2月中旬~3月上旬
小石川後楽園では2月28日(日)まで梅まつりを開催。毎週日曜に、週替わりで多彩な音楽演奏も行われる。徒歩圏内には、最近“恋に効く”ことで知られる女性に大人気の「東京大神宮」(千代田区富士見2-4-1)も。住所/文京区後楽園1-6-6 時間/9:00~17:00 料金/入園一般300円
【郷土の森梅まつり】期間/開催中~3月7日(日) 見ごろ/2月上旬~3月上旬
府中市郷土の森博物館にある梅林で行われる梅まつりでは、土・日曜、祝日に旧矢島家住宅で明治の郵便取扱所がよみがえるなど、レトロな雰囲気を楽しめるイベントが満載だ。近くにある「大國魂(おおくにたま)神社」(府中市宮町3-1)の祭神は、大黒様の名で親しまれる大國魂大神。 住所/府中市南町6-321 時間/9:00~17:00 料金/入館200円
【第33回せたがや梅まつり(梅ヶ丘・羽根木公園)】開催中~2月28日(日) 見ごろ/~2月下旬
羽根木公園の南側斜面には紅梅約230本、白梅約420本が咲く梅林が広がる。祭りでは、梅大福や梅ようかんなど梅にちなんだフードが味わえる売店や、野点(のだて)、園芸市など多彩な催しを楽しもう。幕末の志士・吉田松陰を祀る神社「松陰神社」(世田谷区若林4-35-1)にも縁結び御守りがあるのでぜひ祈願して。住所/世田谷区代田4-38-52 電話/03-5432-3333 時間10:00~16:00 料金/入園無料
女同士で散歩に行くにもピッタリなコース。花を愛でながら周辺の神社を訪ねれれば、アナタのもとにもひと足早く春が来るかも!?【詳細は東京ウォーカー2月3日発売号に掲載】
※花の見ごろ時期は天候などにより変動になることがあります
静岡
伝馬船:松陰密航、リアルに 下田の弁天島に、龍馬ファンらが協力し設置 /静岡
幕末の思想家・吉田松陰が密航のため、沖に停泊中の米国船に向かって小船をこぎ出した下田市柿崎の弁天島に13日、当時の和船の雰囲気を持つ伝馬船が1隻設置された。坂本龍馬ファンの集まり・下田龍馬伝支援隊(竹岡幸徳隊長、隊員170人)が、地元ボランティアグループの柿崎松陰会(植田一二三会長、80人)などの協力を得て、吉田松陰と弟子の金子重輔の銅像前に置いた。
同島周辺には「松陰の小径(みち)」や「ハリスの小径」、初のアメリカ総領事館が置かれた玉泉寺などがあり、多くの歴史ファンが訪れている。最近は櫓(ろ)でこぐ和船が少なく、訪れる人たちに松陰密航の場面をリアルに思い浮かべてもらえればと、設置した。
船は松陰会の植田会長が寄贈。幅1・8メートル、長さ8メートル、櫓は3丁。松陰が使った船より一回り大きく、10年前までタカベ漁で実際に使われていた。今年6月には、実際の大きさに近い和船を島の岸壁につなげ、操船体験ができるよう同隊が準備を進めている。【中村隆】
兵庫
「幕末の三舟」高橋泥舟の書あった…兵庫・三田の心月院
江戸幕府の第15代将軍徳川慶喜に仕え、「幕末の三舟」と称される武士、高橋泥舟(1835~1903)の書が、兵庫県三田市西山の曹洞宗「心月院」(児島正龍住職)で見つかり、奥書院で横額(縦0・5メートル、横1・43メートル)に入れられ飾られている。同院には2年前に見つかった三舟の一人の山岡鉄舟(1836~88)の書も掲示されており、児島住職は「坂本龍馬の時代に生きた幕府の要人の書は今、注目されるはず。ぜひ見に来てほしい」と話している。
「性曰其遂」と書かれ、左下隅に「泥舟居士」の落款が入った書で、児島住職が院の古い資料を調べていて見つけた。児島住職は「物事を成し遂げるとともに、心もしずかになる」と解釈する。鉄舟の書は約2年前に見つかった「白雲抱幽石」で、江戸末期の21代住職「機外黙應(もくおう)」をたたえて書いた、と同院に伝わる。
泥舟は槍(やり)の達人で、慶喜から伊勢守に任ぜられた。江戸城の無血開城交渉の際、勝海舟(1823~99)から西郷隆盛への使者に選ばれたが、代わりに義弟の鉄舟を推薦した、とされる。慶喜には恭順するよう説き、開城後は水戸に赴く慶喜を護衛したという。
同院本堂ではまた、釈迦の入寂の様子を描いた江戸後期の釈尊大涅槃(ねはん)絵図(縦3・5メートル、横2・65メートル)が、27日まで公開されている。同院に墓がある三田藩第10代藩主・九鬼隆国(1781~1853)が文化3年(1806年)に寄進したもので、永平寺の涅槃絵図より大きいという。
広島
鞆で脚光 龍馬ガイド 1か月で1000人利用
勉強会開き「より深い内容を」
福山市鞆町で、地元のNPO法人「鞆の浦振興事業団」(林真至代表)が1月中旬から始めた幕末の志士・坂本龍馬ゆかりの地を回る史跡巡りガイドが、およそ1か月で観光客ら約1000人が利用するなど、人気を呼んでいる。担当するガイドは13日、龍馬についてより深く学ぼうと勉強会を開き、「歴史好きの龍馬ファンにも満足してもらえる内容に」と意気込んでいる。(向井友理)
鞆の浦は、1867年(慶応3年)、龍馬率いる海援隊が乗った蒸気船「いろは丸」が紀州藩の軍艦と衝突、沈没、龍馬が賠償金交渉のために滞在した歴史を持つ。
同NPOは従来、鞆の浦の歴史全般を紹介する史跡巡りガイドを行ってきたが、NHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせ、龍馬関連に絞ったコースを新たに設けた。いろは丸沈没後、龍馬らが滞在した回船問屋や、紀州藩との談判に臨んだ商家跡、いろは丸ではないかとみられる船から引き揚げられたドアのノブなどゆかりの品を展示する「いろは丸展示館」などを、ガイドと一緒に約1時間半かけて回る。
同NPOの観光ガイドの2009年1月の利用者は659人だったが、10年1月は、龍馬コースの人気もあり1516人と倍以上に増えた。3月中旬までに、北海道や福島県などからの観光客も含めて、約2500人が龍馬コースを予約しているという。
こうした人気ぶりに、担当するガイドは「より案内の質を高めたい」と、2月から随時、勉強会を開催。13日は、ガイド歴25年の宮本和香さんから説明を受けながら、新人ガイドら6人が、龍馬ゆかりの5か所を巡った。小林由里恵さん(36)は「しっかり勉強して、また来たいと思われるガイドをしたい」と意欲を燃やしていた。
今後、龍馬の古里、高知市から講師を招いた勉強会も計画しており、同NPOの片岡明彦事務局長(46)は、「より充実した鞆の浦の旅を楽しんでもらいたい」と話していた。
ガイドの申し込みは、希望する日の3日ほど前までに、鞆の浦観光情報センター(084・982・3200)へ。
愛媛
「米山日記」宝の202冊 愛大HPで公開
●「無酒にて認(したた)めし故いつもほど出来よろしからず」
江戸時代末期の松山に生まれ、数多くの作品を残した書道家「三輪田米山(み・わ・だ・べい・ざん)」。「倒れるくらいまで飲まないとあの字がかけない」と語るなど数々の逸話も残す米山を、より親しんでもらおうと愛媛大学は、米山が記した日記202冊をホームページ(HP)で公開した。日記に解説を付けた教育学部の福田安典教授は「日常の仕事から松山のうわさ話まで幅広く書き留めている。愛媛を知る上での宝のような史料を見て欲しい」と話す。(松山尚幹)
江戸末期の1821年、市内の日尾八幡神社の神主の長男として生まれた米山は、明治維新を挟んだ激動の時代にほぼ独学で書を学んだ。既存体を崩した豪快な字体が特徴で、1908年に亡くなるまでのほとんどを、この地で過ごした。人々に愛され、隣人から酒をもらい作品を書くことも日常的だった。作品数は正確には分かっていないが2万点以上はあるという。
現在でも日尾八幡神社の鳥居前に建っている注連石(し・め・いし)に深く彫られた「鳥舞魚躍」や、椿(つばき)神社の注連石に記された「龍游鳳舞」など、市内外の神社で米山の勢いのある字を見ることが出来る。
今回公開されるのは、愛媛大学に所蔵されていた米山28歳の1848年から86歳の1906年までの日記202冊と自作の屏風(びょう・ぶ)3作品。福田教授らが解説を付けたページもあり、同大は今後解説付きのページを順次増やしていくとしている。
日記の内容は多岐にわたる。深刻な水不足の中、頼まれた雨ごい祈祷(き・とう)の効果がなかったのに慰労会に誘われてしまったことや、松山城の東門に書いてあった落書きについての記述。安政南海地震(1854年)で道後の湯が止まったことにも触れる。中には「無酒にて認(したた)めし故いつもほど出来よろしからず」(酒を飲まずに書いたのでいつもほど出来がよくなかった)といった一節や、あまりに酒に酔いすぎて妹に代筆させたことなど、米山の酒好きを表す内容もある。
米山日記を見るには愛媛大学図書館のHP(http://www.lib.ehime-u.ac.jp/)で「米山日記」のタブをクリックする。
佐賀
「近代との遭遇」展 いよいよ最終日
佐賀県立美術館で開催中の特別展「近代との遭遇-世界を見る・日本を創る-」(佐賀新聞社などでつくる実行委主催)は14日、最終日を迎える。幕末から明治にかけて海外で学んで近代化に尽くしたり、日本洋画界を引っ張った人々に焦点を当てた展覧会。13日も多くの観覧者が訪れた。
この日は担当の松田和子佐賀城本丸歴史館学芸員らが歴史資料や絵画について展示解説。職場の友人と訪れた佐賀市の糸山優子さん(25)は「幕末維新期には興味があったが、佐賀の先人たちが偉大な貢献を残したことを再確認できた。詳しい解説も聞け、より深く理解できた」と話した。
特別展は1月1日に開幕。欧州留学を経て日本近代洋画の発展に貢献した百武兼行や久米桂一郎らの名画約50点と、海外への派遣を経験した佐賀の先人たちを顕彰する資料約100点を公開している。最終日の14日にも学芸員による展示解説がある。観覧料は一般1000円、大学生800円、高校生以下は無料。
【写真】松田学芸員の展示解説を聞き、作品を熱心に鑑賞する観覧者=佐賀市の県立美術館
宮崎
寒天で地域おこし 創作料理高城の主婦ら
都城市高城町の地域おこしグループが12日、都城地域で薩摩藩が幕末に財政を支えるため寒天を密造していた史実を地域再生につなげようと、手作りの寒天料理を市民ら約25人に振る舞った。
参加者は料理を味わいながら地域の歴史を再認識した。
市内には山之口町などに寒天工場の史跡が残っている。料理の振る舞いは、国の地方再生事業を活用して、高城の主婦らでつくるばあばの知恵袋さくら(末永陽子代表)が実施した。
ブックレビュー
【書評】『坂本龍馬の10人の女と謎の信仰』平野貞夫著
小沢一郎民主党幹事長の懐刀で元参院議員の著者だが、高知県出身で土佐の文化、人物研究の第一人者でもある。坂本龍馬も研究してきた。
前半は、落ちこぼれだった龍馬が幕末の風雲児へと変貌(へんぼう)を遂げた裏には、女性の存在があったと分析。姉の乙女や妻のお龍らにとどまらず、影響を与えた10人の女性を取り上げている。
後半は、龍馬が修行した北辰一刀流の精神的背景である妙見信仰に着目する。北極星など星を尊び、平将門、鎌倉幕府成立、北辰一刀流を興した千葉一族にも影響を与えた信仰。著者は龍馬が大政奉還、明治維新、近代化に邁進(まいしん)した原点はこの信仰にあったとする。龍馬をより深く知りたい人にお薦めの一冊。(幻冬舎新書・780円)
今週の本棚:池内紀・評 『河原者ノススメ--死穢と修羅の記憶』=篠田正浩・著
◇池内紀(おさむ)・評
◇『河原者ノススメ--死穢(しえ)と修羅の記憶』
(幻戯書房・3780円)
◇「錦を着た乞食」の浩然たるエネルギー
大きな木の梢(こずえ)を鳥がたえまなく飛びあるくぐあいだ。そして刺すようなさえずりを通して、縦横にもつれ、からみ合い、まるで反対の向きにのびている枝が同じ太い幹から生い出たこと、その幹は深々と地中にのびて、激しく水と養分を吸い上げていることを告げていく。
日本芸能史への--時代を軸にしてきれいに、清潔に、整頓された芸能史への厳しい異議申し立てである。四百ページにちかい書き下ろしの初めのところに、壬生(みぶ)狂言のことが出てくる。章名は「排除された雑技芸」。
「壬生狂言の発生と伝承の過程には、さまざまな時代の地層が積み重ねられていて複雑である」
俗に壬生念仏といって、京都中京区の壬生寺では四月の十日間にわたり、鎮花(はなしずめ)、大念仏会(え)がとり行われる。一般の人にわかるように利生(りしょう)談や能狂言を入れ、壬生の里の人々が演じるのだが、すべてパントマイムと仮面劇で、セリフは一切なし。太鼓、笛などの単調なリズムから、京の人は「ガッデンガン」とも言いそやしてきた。
篠田正浩は「洛中洛外図屏風(びょうぶ)」にある壬生寺境内の念仏堂に目をとめる。そこには三匹の猿が天井から吊(つ)るされた綱にぶら下がり、芸を見せているさまが描かれている。はたしてほんものの猿なのか、それとも人間が猿の縫いぐるみを身につけたのか。さらに古い絵図には「褌脱舞(こだつまい)」と呼ばれた散楽が描かれている。動物の骨や内臓を取り払った皮をかぶって、その獣のまねをする芸である。その芸、また芸能者をいうのにフンドシ(褌)と脱の字をあてているところからも、強烈な侮蔑(ぶべつ)と差別が見てとれる。
この本をつらぬくモチーフであって、つねにここに立ちもどる。篠田正浩は壬生寺を訪ね、幕末に再建された狂言堂に「獣台(けものだい)」という足場があることをたしかめた。舞台の下手を支える柱の上部に取り付けてあって、そこを起点にして太綱が堂をつらぬき、上手舞台正面と結んでいた。
「獣台を設備した壬生寺の狂言堂こそ、門付(かどづ)けの放浪芸能が定着して上演する劇場の祖形の一つではなかったのか」
アルキ巫女(みこ)、ササラ乞食(こじき)、傀儡(くぐつ)、瞽女(ごぜ)、日本の伝統芸能の深層をめぐる考察は数多くあるが、『河原者ノススメ』はきわめてユニークな叙述が展開されている。カラー図版を含めて絵図類がふんだんに入っているとおり、先人の論考にもまして映画監督篠田正浩の目が大きくはたらいた。視覚による認識の強みだが、それは自在に時間と歴史をとびこえ、底にひそんでいるもの、隠された「獣台」をひとつかみで引き出してくる。
白拍子(しらびょうし)とは何か、興行者の誕生、歌舞伎と浄瑠璃、近松門左衛門、助六誕生……。学者の論考とはおよそ異質の連想と語りがたのしい。視覚に支えられた密度の濃い想像のせいだろう。ここに「心中天網島(てんのあみじま)」や、「卑弥呼」や「写楽」など、目の底にやきついている篠田映画のさまざまなシーンを思い出す人がいるかもしれない。むろん、まちがってはいないのだ。たくましく、情熱的に語られた日本の伝統芸能論は、個人的な告白でもあるからだ。
錦着て畳の上の乞食かな
四代目市川團十郎は、この句を吐息のように洩(も)らしたかもしれないが、篠田正浩は浩然と「ススメ」るべき河原者のテーゼとした。みずから背負いこみ、内面的エネルギーとして果敢に発散してきたからである。だからこそ長い時間をかけた考察を自分の「歌」に、また自分のドラマにすることができた。
文化芸能
【日本人とこころ】岩崎弥太郎と志(上)常に広い世界を意識
喧噪(けんそう)のすき間を縫うように、東京には江戸から継がれる庭園が点在する。そのなかで、清澄庭園、六義(りくぎ)園、旧岩崎邸庭園の名園はいずれも明治初め、ひとりの男が手に入れた広大な土地が礎になっている。
岩崎弥太郎-。幕末の志士にして、日本を近代化に導いた実業家。あるいは土佐の貧乏浪人の家から、一代にして巨万の富を得た成り上がり。弥太郎の生涯は、毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばしている。
弥太郎を語る前に、避けては通れない男がいる。弥太郎より1歳年少の坂本龍馬。いわずと知れた幕末のヒーローだ。作家、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を、いまさら取り上げるまでもないだろう。
「龍馬は今、国民的英雄ですが、私たちの龍馬像は司馬遼太郎の小説で作られました。龍馬をすばらしい人物として描くには、引き立て役が必要。そこで、後に大金持ちとして成功した同郷の弥太郎が選ばれた。史実にヒントを得たフィクション(架空)です」
2人の関係を語るのは、長年、三菱や岩崎家の歴史を研究してきた三菱史アナリスト、成田誠一さん(68)だ。司馬作品や放送中のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で脚光を浴びている龍馬の影として、弥太郎は人々に知られるようになった。「それまで、『三菱を作った人』程度のイメージしかありませんでしたが、小説やドラマをきっかけに、弥太郎に興味を持っていただきたい」
◇
弥太郎は天保5(1835)年、土佐国井ノ口村(高知県安芸市)で、貧しい地下(じげ)浪人の家に生まれた。地下浪人とは、生活苦から没落した武士。若き弥太郎が土佐で貧しい暮らしを余儀なくされていたころ、日本は岐路に立っていた。
嘉永6(1853)年、黒船来航。米提督ペリーは幕府に開国を迫り、情勢は混迷していた。そうした時代に呼応し、弥太郎は江戸に惹(ひ)かれていく。土佐随一の儒教学者、岡本寧浦(ねいほ)について学んでいた弥太郎は、江戸遊学のチャンスを掴む。ペリーが2度目の来日を果たし、ついに日米和親条約が結ばれた安政元(1854)年のことだった。
〈吾れ志を得ずんば、再びこの山に上らず〉
江戸へ旅立つ前、弥太郎は太平洋を望む裏山に登り、神社の門扉にその決意を墨書したという(「岩崎彌太郎傳」)。
金も名もない弥太郎だが、志だけは高かった。だが、夢にまで見た江戸遊学は、実家のトラブルから中断される。郷里に戻った弥太郎が再び、土佐から飛び出て頭角を現すのは、慶応3(1867)年まで待たなければならない。弥太郎は三十路を二つ超えていた。
◇
藩に登用された弥太郎が赴いたのは、外国人貿易商が集まる先進都市、長崎。土佐藩の商務組織「開成館長崎商会」の主任に命じられる。そこに登場するのが長崎で活躍していた龍馬だった。脱藩した龍馬が罪を許され、立ち上げた貿易結社は土佐藩所管の「海援隊」となった。弥太郎は海援隊の世話も任されたことで、龍馬と運命的な出会いを果たす。
〈午後坂本良(龍)馬来置酒〉(「岩崎彌太郎日記」)
弥太郎の日記によると、6月3日に龍馬が来たとある。晴天。自身の素志を伝えたところ、龍馬は手をたたいて「善(よ)し」と称えたという。また、大政奉還で活躍することになる龍馬の上洛を長崎で見送った弥太郎は、6月9日にこう記している。
〈余不覚流涙数行〉
思わず泣いてしまったというところか。2人には不仲説もあるが、成田さんは「2人の活動は違ったが、常に広い世界を意識していた点では共通していた」とみる。
弥太郎も転換を迎える。明治2(1869)年、長崎から開成館大阪出張所へ異動するものの、明治政府は藩営事業を禁止しようとしていた。土佐藩はその前に土佐人による私商社を立ち上げ、海運事業を引き継ごうと試みる。それが、「九十九(つくも)商会」。6(1873)年には、経済官僚だった手腕を買われた弥太郎が社主となり、「三菱商会」と改称する。
弥太郎38歳。没するまでの12年間、怒濤のように駆け抜けるが、この時が後に強大な富を得る三菱財閥への船出だった。(猪谷千香)
◇
【プロフィル】岩崎弥太郎
いわさき・やたろう 天保5(1835)年、土佐(現・高知県)生まれ。一代で三菱を築いた実業家。土佐藩の藩営事業を手がけた後、明治3(1870)年に九十九商会を創設、海運事業などを成功させる。18(1885)年、反三菱勢力との熾烈な競争の中、病いに倒れた。享年50。
◇
■GHQが接収 激動の戦後史の“証人”岩崎家本邸
東京・茅町に置かれた岩崎家本邸。現在は、「旧岩崎邸庭園」として公開され、親しまれている。岩崎家と同じく、この本邸もまた、歴史の奔流に数奇な運命をたどった。
明治11(1878)年、弥太郎は旧舞鶴藩主の屋敷地を買い取り、周囲の土地も入手して1万坪にまで広げ、和風邸宅を建てた。最期を迎えたのも、本邸だった。弥太郎の没後、息子の久弥が自らの屋敷を建てる。そのひとつが、明治政府に招聘(しょうへい)され、鹿鳴館を手がけたことで知られる英建築家、ジョサイア・コンドルによる洋館。29(1896)年に建築、17世紀初頭のジャコビアン様式を基調とした、優美な邸宅として日本建築史に名を残している。
この洋館は岩崎家のゲストハウスとして用いられ、関東大震災や第二次世界大戦の戦火にも耐えたが、終戦となってGHQ(連合国最高司令官総司令部)に接収される。そして、新たな家主となったのが、占領中の日本に色濃く影を落としたGHQの諜報機関、いわゆる「キャノン機関」だった。
彼らは庭で大切に育てられていた樹木を銃の的に使い、和紙と金属箔で見事な細工が施された金唐紙の壁をペンキで塗りこめたという。厨房(ちゅうぼう)やボイラー室などがあった地下。「ここでキャノン機関が何をしていたのか、何人が亡くなったのかわかりません」と都立旧岩崎邸庭園サービスセンター長、松井修一さん(58)は話す。コストなどの理由から、地下は公開されていないが、激動の戦後史の“証人”でもある。
その後、洋館は修復され、重要文化財に指定された。西に富士山を遠望できたという台地の上に、今も静かなたたずまいを見せている。
土曜日はケーブルテレビで落語の番組が複数放送されるので、嬉しいです。横浜にぎわい座の寄席の番組には昨年11月に収録された玉置さんのお姿が……合掌。
岩手
全国高校生パンコンテスト:盛岡農高2年・森まどかさん優勝 数十回試作重ね /岩手
埼玉
シャモ鍋、天下取ったぜよ…鍋料理コンテストで優勝
京都
元気が出る商売の話:「ビジネスサロン365」から/391 このままが… /京都
山口
もう一人の花神/松村邦洋さん
高知
須崎まちかどギャラリー 第一弾オープン
佐賀
「近代との遭遇」展あす14日まで 佐賀県立美術館
ブックレビュー
【書評倶楽部】古美術鑑定家、エッセイスト・中島誠之助 『円朝の女』
【書評】『捏造(ねつぞう)されたヒーロー、遠山金四郎』棚橋正博・著
ビジネス
視聴率20%超えで好調な出足の大河「龍馬伝」 関連書籍も予想外の売れ行きで経済効果も
岩手
全国高校生パンコンテスト:盛岡農高2年・森まどかさん優勝 数十回試作重ね /岩手
静岡県伊豆の国市の特産であるミニトマトを使ったパン作りの技能と出来栄えを競う「全国高校生パンコンテスト」でデニッシュにケーキを挟み、富士山の形に仕立てた県立盛岡農業高校2年、森まどかさん(17)の「よくばり富士山」が優勝した。準優勝は静岡県立静岡農業高校3年、山中綾乃さんの「きびっとトマトブレッド」。3位には同校2年、片山莉香子さんの「六つ編みロングとまパン」がそれぞれ輝いた。
日本で初めてパンを焼いた「パン祖」とされる幕末の江川坦庵(たんなん)(太郎左衛門)の出身地にちなんで開かれた「パン祖のパン祭」の関連行事。
市観光協会と同祭実行委員会が主催し、4回目の今年は17都道府県24校から過去最多の231人が応募。レシピ審査を通過した19人が6日、6時間かけてパンを作った。
優勝した森さんのパンは、ドライトマトとトマトジュースをデニッシュ生地に混ぜた。ケーキには、学校で育てたあきたこまちの規格外の米粉100%を使った。2年から学校の「パン研究班」に所属し、パン作りを本格的に始めた。コンテストに向け、昨年11月からデニッシュは23回、ケーキは約40回試作したという。
森さんは「納得いくまで練習した。まさか優勝できるなんて。協力してもらった研究班の仲間や先生、地元の指導者の方に恩返しできた」と話した。
パン祭総合プロデューサーで審査員も務めた俳優、藤田弓子さんは「出場者の情熱と発想力は計り知れない」と絶賛。祭りは6~7日に行われ、全国の有名パン店が出店し、延べ約8000人でにぎわった。【安味伸一】
埼玉
シャモ鍋、天下取ったぜよ…鍋料理コンテストで優勝
「龍馬さんが背中を押してくれた」
尾崎知事(左)に鍋を振る舞い、優勝を報告する「ごめんシャモ研究会」のメンバーら(県庁で) 埼玉県和光市で開かれた日本最大級の鍋料理コンテスト「第6回彩の国鍋合戦」で、シャモ鍋を出品し、初出場で優勝を飾った「ごめんシャモ研究会」(高知県南国市後免町)のメンバー8人が12日、県庁を訪れ、尾崎知事に優勝を報告した。シャモ鍋は、幕末の志士坂本龍馬の好物とされ、京都の近江屋で暗殺直前に食べようとしていたとも言われており、メンバーは「龍馬さんが背中を押してくれた優勝。シャモ鍋を全国へ発信していきたい」と意気込んでいる。
コンテストは和光市商工会が主催し、1月31日に開かれた。7都県から39団体が出場。同会は、歯ごたえのあるシャモを主に、地元特産の四方竹、白菜、シイタケなどを入れ、ショウガとしょうゆで味つけした鍋を出品。シャモ鍋が優勝にあたる「第6代鍋奉行(埼玉県知事賞)」に選ばれた。
コンテストに出品されたシャモ鍋(ごめんシャモ研究会提供) 12日、メンバーのうち、小笠原治幸会長が鍋奉行の証しとして貸与された陣羽織と陣がさを着用し、掛水伸一副会長は龍馬にふんして、県庁入り。尾崎知事に持参したシャモ鍋を振る舞った。尾崎知事は「特産の野菜との相性も良い。龍馬ゆかりの料理を全国に売り出してください」とエールを送った。
坂本家の初代~3代の墓がある南国市才谷では、約10年前まで、龍馬祭が営まれ、墓前にシャモ鍋を供えていたという。この話を聞いた小笠原会長らは、シャモを市の特産にしようと、昨年6月、同会を結成した。
小笠原会長は「昔、市内の農家が鶏を庭先で放し飼いにしていたように、シャモを飼ってもらえるようにしたい」と話していた。シャモ鍋は、居酒屋「べんべん」(南国市大■乙)と「魚魚(とと)」(同市大■甲)で食べることができる。
■=「踊」のへんが「土」
京都
元気が出る商売の話:「ビジネスサロン365」から/391 このままが… /京都
◇このままがいい…?
「え~、そういうことなんだ」と、目からうろこが1枚ポロリ…。さしたる思いもなく読んだ本が「幕臣たちの明治維新」(安藤優一郎著)。尊皇攘夷、いや開国と、二派に分かれて血で血を争った幕末。戊辰戦争などの戦にも直接かかわらず、大政奉還を経て、1868年の明治を迎えた徳川家直参の家臣団(旗本、御家人)3万人強。その家族や家来を合わせるとその数倍。この人たちの明治維新。どう人生を選択したかを知って、感慨にふける。
徳川幕府から、明治政府への政権交代。徳川将軍家は“静岡の一大名”となった。800万石の所領のほとんどが召し上げられ、10分の1以下の70万石となった。当然のこと、深刻な財政難。徳川家臣団のリストラが始まった。
まず、徳川家は俸ろく(給与)ストップを通告。そして、三つの選択肢を提示した。(1)新政府に出仕する。そうすれば、旧ろく高も屋敷もそのまま。(2)武士を辞め、農業や商業を始める。(3)無ろく覚悟で家臣として静岡に移住する。
結果、お暇願いを出し、徳川から離れたのは、約4500人。大勢をしめたのは、無ろくでも家臣のままでいたいとする者だった。
この人たちは、以後、辛酸をなめる。しかし、そんな中でも、牧ノ原台地などに移住し、飢えと闘いながら、茶畑の開墾に挑んだ人たちがいた。これがいしずえとなって、静岡が全国的なお茶の名産地へとなっていったのだ。
時代は変われど、激動・激変の今日。社会の枠組みや構造、仕組みまでが変わるパラダイムシフトの時代。人生の大きな岐路と、とらえて、広い視野をもって対処しよう。<文・水野勝弘(毎日ビジネスサロン365代表、帝京平成大准教授)/イラスト・伊納淳平>
山口
もう一人の花神/松村邦洋さん
今年の元旦は友人の嶋田哲也セ・リーグ審判員に呼ばれ、山陽小野田市で過ごしました。翌日は嶋田審判のお兄さんに、下関の東行庵に連れていっていただきました。ここには高杉晋作をはじめ、奇兵隊の皆さんの墓があります。高杉没後、高杉の遺言により愛人だったおうのさんがずっと墓守をしていたことでも有名です。
奇兵隊諸氏の墓を見ていて、子供のころ見た大河ドラマ「花神」の記憶がよみがえりました。当時ウルトラマンエースのタック隊長役だった瑳川哲朗さんが演じていた、高杉にお金を惜しまず投資した白石正一郎の墓や、当時は脇役だった松平健さんが演じた時山直八の墓がありました。ドラマの中では裏切り者呼ばわりされ斬首された、柱島出身の赤根武人の墓は、後に作られたということが東行庵には書いてあり、幕末好きにはたまらない空間です。
一番感動したのは、僕の尊敬する福田侠平の墓が、大きく高杉のとなりにあったことでした。この福田侠平は、司馬遼太郎さんの作品の中にもあまり登場せず、ドラマ花神の中にはまったく出てきません。お酒が好きで、高杉が一番心を許す友であり、高杉が義のために戦った赤穂浪士にならって12月14日に功山寺で挙兵する時「無駄死にしては駄目だ」と強く反対したそうです。しかし高杉の熱意にうたれ、84人で挙兵し、高杉を親身になってサポートし、その後太田・絵堂の戦いで、長州の保守的な俗論派を一掃しました。討幕に向けて高杉の参謀・軍監を任せられ、奮戦した人です。高杉が野球でいう星野仙一監督なら、この福田侠平は島野育夫ヘッドコーチといった感じでしょうか。高杉の死後は、山縣有朋らとともに倒幕を果たし、明治という新しい時代を確認して亡くなります。
維新という花を咲かせ、自分の役目を果たして去っていった長州のもう一人の花神、福田侠平。坂本龍馬や大村益次郎のように、司馬さんが取り上げた人は、人物像が独り歩きするほど後の人に語り継がれますが、取り上げられなかった人は、今も無名のままです。今年の大河ドラマが岩崎弥太郎目線で龍馬伝を描いていますが、福田侠平目線の「晋作伝」も見てみたい気がします。
■ まつむら・くにひろ ■
お笑いタレント。1967年、田布施町生まれ。大学在学中にアルバイトをしていたテレビ局で、片岡鶴太郎氏にものまねを認められ、芸能界入り。歴史が好きで、特に中世から幕末・維新の歴史に興味がある。
(来週土曜日は筑波大教授の土井隆義さんです)
高知
須崎まちかどギャラリー 第一弾オープン
市街地の空き店舗をギャラリーとして活用する取り組みを進めている須崎市で12日、第一弾の「まちかどギャラリー」が同市青木町にオープンした。大正時代に建てられた建物の1階に、幕末に活躍した土佐の絵師、絵金の芝居絵など41点を展示している。
ギャラリーは市教委が企画。地元の有力商家だった三浦家住宅の1階を改装して開いた。
絵金は土佐藩家老のお抱え絵師だったが、贋作(がん・さく)事件に巻き込まれて城下追放となり、各地を放浪。須崎市にも知人の染め物職人を頼り、しばらく滞在したことが知られている。
館内には、その際に残した個人所有の作品の一部が展示されている。歌舞伎の場面を描いた芝居絵の巻物や白描画(下絵)などが並ぶ。このうち行灯(あん・どん)絵1点は珍しい作品で、市教委の担当者は「行灯絵は使用後は焼かれてしまうため、原画が残っているのは貴重だ」と話している。
同ギャラリーでは3月末まで、市内に残る絵金の作品を3回に分けて展示する予定でいる。入場無料。お茶のサービスもある。
開館時間は午前9時~午後5時。月曜休み(月曜が祝日の場合は火曜休み)。問い合わせは同ギャラリー(050・8803・8668)へ。
佐賀
「近代との遭遇」展あす14日まで 佐賀県立美術館
佐賀県立美術館で開かれている特別展「近代との遭遇-世界を見る・日本を創る-」(佐賀新聞社などでつくる実行委主催)は14日で閉幕する。幕末から明治にかけて海外に学び、日本近代化に活躍した人々に焦点を当てた展覧会。終盤を迎え、多くの観覧者が訪れている。
特別展は欧米に学んだ佐賀の先人たちを顕彰する資料約100点と、留学を経て日本洋画界をリードした久米桂一郎や岡田三郎助らの名画約50点を公開。元日の開幕以来、多くの観覧者を集めてきた。
会期末を迎え来場者も増加。12日は平日ながら学芸員による展示解説もあり、説明を聞きながら見入る姿もあった。鳥栖市の佐々木政敏さん(80)光子さん(72)夫婦は久米や岡田らの作品をじっくり鑑賞し「日本の洋画の原点といえる作品群。デッサンなどもあり、大変苦労をして学んだことも実感できた」と感心していた。
観覧料は一般1000円、大学生800円、高校生以下と障害者は無料。13、14日は学芸員による展示解説が随時行われる。
【写真】12日も展示解説があり、来場者は説明を聞きながら名画に見入った=県立美術館
ブックレビュー
【書評倶楽部】古美術鑑定家、エッセイスト・中島誠之助 『円朝の女』
■色恋を艶っぽく、さらりと
古美術品を鑑賞するときに一番大切なことは、その品物が制作された歴史の背景を知り心の眼をその時代に移行させて相対することだ。
人情噺(ばなし)という難解な話芸を完成した三遊亭円朝が生きたのは江戸時代末期の天保年間から文明開化期を経た明治三十三年までで、この人は江戸の湯島に生まれ東京となった下谷の車坂町に没している。
著者の松井今朝子はその転がるような筆さばきで、読者をしていきなり江戸から東京へと移り変わる上野浅草界隈(かいわい)へ連れ込むのだ。その確かな時代考証は吉原の妓楼(ぎろう)の風情から道行く人々の足取りまで、東京をトウケイと発音したことまでぬかりはない。
物語は円八という円朝の弟子が述懐する構成で、円八の語り口は百五十年も昔の幕末明治に飛んでいった著者の心眼に他ならない。そこで著者の見たものは瓦解する幕府の要人や新政府の顕官ではなくて、遊里に生きる花魁(おいらん)たちと下町の横丁で暮らす庶民たち、気風(きっぷ)のいい柳橋の芸者衆と鹿鳴館の馬鹿騒ぎや健気(けなげ)に生きる没落武家の娘たちだ。
登場する円朝の女関係が五章に分けて語られるが、その一つ一つにじわんと心に喰(く)いこむようなオチのよさがあり一冊読み終わる頃(ころ)には全身が余韻の波に包まれてしまう。
歌舞伎の役者たちは男ばかりで、男が演じる女形(おやま)だからこそ、舞台は女性にない不思議な美しさがにじむ。この本の著者も同じことで京都は祇園の料理人の娘に生まれたばかりに、東京の男どもには表現できない円朝とその周辺の色恋沙汰(ざた)がかくも艶(つや)っぽく、そのくせさらりと書けるのだ。
喉(のど)から手が出るほど欲しいカネだが、その円朝が後援者の井上馨(かおる)に援助を断るくだりが、小気味いい。そして全編を貫く思いは、富国強兵をもくろむお上に対して、戦争をしてほしくはありませんやという庶民の強い願いなのだ。(松井今朝子著/文芸春秋・1500円)
◇
【プロフィル】中島誠之助
なかじま・せいのすけ 昭和13年生まれ。東京・青山の骨董通りの名付け親。著書に『ホンモノの人生』『やきもの鑑定五十年』ほか。
【書評】『捏造(ねつぞう)されたヒーロー、遠山金四郎』棚橋正博・著
■激動期に生きた影元の実像迫る
「この桜吹雪が目に入いらね~か!」という名ぜりふでおなじみ“遠山の金さん”。金さんは実在した江戸の北町奉行・遠山金四郎影元を題材にしている。
さぞかしすばらしい人物だったのだろう、と思いきや、実像は大きく違うというのだ。
金さんが活躍したのは幕末・天保の世。実際の金さんは、老中・水野忠邦のもと、悪評高い天保の改革を推し進め、庶民を泣かせたその人だったという。では、なぜにそんな人物が、一転してヒーローになったのか。
江戸文化を広く研究する著者が、江戸から明治にいたる時代の流れの中で揺れ動く遠山金四郎影元の実像を見いだすとともに、金さんとして桜吹雪を背負うまでの史実を克明に追っている。(777円、小学館)
ビジネス
視聴率20%超えで好調な出足の大河「龍馬伝」 関連書籍も予想外の売れ行きで経済効果も
今年1月3日にスタートしたNHK大河ドラマ「龍馬伝」は、1カ月が過ぎた今も視聴率20%以上を維持し好調だ。
「龍馬伝」は、土佐出身の幕末の風雲児、坂本龍馬33年の生涯を、三菱グループ創始者・岩崎弥太郎の視線から描いた青春群像劇である。もともと幕末が人気の高い時代の上に、龍馬は日本の歴史上で最も人気のある人物の一人。さらに、龍馬を演じているのが、女性に絶大な人気を誇る歌手で俳優の福山雅治とあって、放送前から期待が高かった。
その好評ぶりを示しているのが、関連書籍の売れ行きだ。ドラマのガイドブック「NHK大河ドラマ・ストーリー 龍馬伝 前編」(NHK出版)は、これまでに同社から発売された同シリーズの中でも異例の売れ行きを示している。
同ムックには、出演している豪華俳優陣の配役紹介とインタビュー、ドラマ前半のあらすじ、主要キャストの座談会、舞台地の紹介などが掲載されている。NHK出版によると、これまでに同シリーズで一番売れたのは、前編、後編、完結編の3部に分かれていた一昨年の「篤姫」。「篤姫 前編」は前年12月に25万部からスタートし、後編が発売された6月にさらに売り上げを伸ばし、これまでに34万5000部を売り上げた。ところが、昨年12月19日に同じく25万部でスタートした「龍馬伝 前編」は、放映開始とともに部数が伸び、1月末現在ですでに40万部に達した。ここ10年間で最も早く達成したとのこと。
ドラマの原作ではないが、同じく坂本龍馬を描いている司馬遼太郎のベストセラー『竜馬がゆく』の売り上げも、「龍馬伝」の影響でさらに伸びている。文春文庫の『竜馬がゆく 新装版』は全8巻だが、一巻目と二巻目はアマゾンランキングの本の中で200位以内をキープ。文芸春秋社の文庫編集部によると、同文庫は去年11月に各巻約20万部ずつ増刷。今も現状で売れ行きが伸びているとのこと。
毎年、大河ドラマのゆかりの地では大々的な地域振興のキャンペーンが繰り広げられる。今年はドラマの主な舞台である高知県や長崎県だけでなく、京都や広島、東京、静岡などでも盛り上がりを見せている。中でも龍馬生誕の地・高知県では、『土佐・龍馬であい博』を1年間にわたって開催。大河ドラマと連動する地域博では初めて、JR高知駅前のメイン会場だけでなく、弥太郎の故郷の安芸市、ジョン万次郎が生まれ育った土佐清水市、脱藩の道で知られる梼原の3カ所にサテライト会場が設けられている。また、亀山社中があった長崎県でも、「龍馬伝」長崎県推進協議会が設立され、観光客誘致に努めている。
日銀によると、高知県への経済波及効果は約234億円(高知支店試算)、長崎県へは約210億円(長崎支店試算)。どちらも観光客の増加とそれに伴う間接的な消費増を試算したもの。龍馬人気、幕末人気、福山人気の相乗効果によって、低迷する日本経済に好影響を与えてほしいものだ。
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