新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
2月に入りました。四季の中では春が一番好きなので、春が近くなったことが嬉しいです。
今日は冷えますね。夜は関東でもかなり雪が降るようで、暖かくしてお休みください。
長野
桑の段々畑 石垣を復元 上田、蚕種の歴史伝える
京都
気分はもう時代劇、志士や新選組も見た「八坂ノ塔」
広島
龍馬弁当のアイデアを募集/福山
高知
龍馬の先祖の地、才谷公園で梅見…高知
「龍馬を描いた文学者たち」展
山口
志の大切さ 歴史に学ぶ/松野浩二さん
長府博物館:「龍馬と下関」再検証 新コーナー設置--来月2日から /山口
長崎
本紙連載を再編「龍馬と弥太郎」発売 年表やコラム追加し内容充実
龍馬に会いたい:/番外編 海軍操練所 /長崎
文化芸能
【戯言戯画】香川照之 美しくなさすぎる弥太郎
個人的には、まさしく、王子様のような龍馬と貧乏どん底暮らしでギラギラしている弥太郎とのギャップがあまりにも激しいために作品世界に自分をどう馴染ませるか苦労していたのですが……タニショー桂小五郎が登場してから、すっと入れました(苦笑)。渡辺いっけいさん演じる重太郎若先生の妹大好きぶりもラブリーですね。
『JIN-仁-』大ヒットも、映画制作に踏み切れないTBSの懐事情
原作の龍馬暗殺未遂事件→脳手術のエピソードが一段落しないと映画製作が難しいかもなぁと思ってますが、いろいろと大人の事情もあるようで。気長に進展を見守ります。
ビジネス
日本橋三越本店でバレンタインフェア-ルレ・デセール、歴女向けチョコなど /東京
「幕末ショコラ」……(笑)。「歴女」向けとのことですが、贈られる相手も歴史好きという条件が必要かも?
今日は冷えますね。夜は関東でもかなり雪が降るようで、暖かくしてお休みください。
長野
桑の段々畑 石垣を復元 上田、蚕種の歴史伝える
かつて桑が栽培されていた上田市上塩尻の段々畑の跡地で、石垣を復元する作業が市民有志の手で進められている。幕末から明治時代にかけて上田地方は全国有数の蚕種生産地として知られ、上塩尻地区では特に生産が盛んだった。地元産業の歴史を伝える構造物として、数年かけて復元する予定だ。
段々畑は虚空蔵山の南斜面にあり、標高差は300メートルを超え、幅は1・5キロもある。蚕業の発展とともに農家が広げていったという。ふもとから確認できる標高差約100メートル、15段前後について畑を結ぶ道も含めて復元する。
30日は、「ゆうすげと蝶(ちょう)の里の会」のメンバー10人余が作業をした。これまでに手作業で積み直した高さ約2メートルの石垣の上部に土とわらを敷き詰めて補強。会社員の早川潤さん(55)=上田市上塩尻=は「これだけの段々畑を作ったのはすごい」と話していた。
同会は2004年から、子どもたちが動植物を観察できるように、チョウの食草を育てたり、雑草や雑木を刈り取ったりしている。段々畑についても地元の遺産として復元することにした。清水卓爾さん(69)=同=は「近代化産業遺産といえるのではないか。活動が保存のきっかけになってほしい」と話した。
京都
気分はもう時代劇、志士や新選組も見た「八坂ノ塔」
【検定1級記者が語る京都】
京都市東山区の料亭「京大和」内の築後約360年といわれる「送陽(そうよう)亭」の座敷から障子越しに見える八坂ノ塔。塔の姿は優美で、月を背景にシルエットで浮かべば、もう時代劇の世界。
かつての西本願寺別邸「翠紅館(すいこうかん)」跡で、文久3(1863)年1月27日に桂小五郎、真木和泉、武市瑞山ら尊王攘夷派の志士が倒幕に向けて話し合った会場として知られる。
「送陽亭」は当時の姿そのままで、桂らがこの座敷から八坂ノ塔を眺めながら策を練っていたことだろうと思うと、ちょっとわくわくしてくる。
今月早々、志士の京都で活躍した足跡を記事にするためインターネツトで題材を探していたところ、約100年前に撮影された八坂ノ塔の写真を見つけた。テレビでよくみるような東側から塔を見下ろした感じの写真だったが、周囲の雰囲気が意外に変わっていないのには驚いた。
この一帯は伝統的建造物群保存地区として景観が守られている。ということは幕末期もそんなに変わっていないかもと思った筆者は、幕末の雰囲気で塔を撮影したいという思いに駆られ、特別に「京大和」さんに頼んで撮影したのが今回の一枚。
八坂ノ塔は、飛鳥時代以来の歴史を持つ法観寺五重塔の通称。高さは46メートルで五重塔としては京都では東寺(南区)の塔(55メートル)に次ぐのだが、東寺ほど威圧感がなく、2番目といった印象はない。
それは、度重なる火災で焼失した後、永享12(1440)年、室町幕府6代将軍・足利義教が再建したときの流行もあるだろう。江戸初期に建てられた東寺の塔と比べて各層の屋根の勾配(こうばい)が緩やか。それだけに屋根に厚みがない分、重厚感に欠けるが優美である。
再建されて約570年。塔もこれまでに応仁の乱、戦国時代、織田信長・豊臣秀吉の織豊政権、徳川家康の征夷大将軍就任といったさまざまな出来事を静かに見届けてきた。
そして幕末の動乱期、坂本龍馬や桂小五郎らの志士と、それに対する近藤勇、土方歳三ら新選組が塔の周辺を走り回っていたのだろうと思うと、感慨もいっそう深い。
(園田和洋)
広島
龍馬弁当のアイデアを募集/福山
福山市を中心に8店舗のスーパーを展開するニチエー(同市南松永町2丁目)が、幕末の志士・坂本龍馬と鞆(とも)の浦にちなんだ弁当のアイデアを募っている。NHK大河ドラマの放送開始に合わせ、龍馬ゆかりの地としての福山を全国へ情報発信する様々な取り組みが地元で盛り上がっている。集まったアイデアを商品化して“相乗効果”でより一層のPRにつなげる狙いだ。(松尾俊二)
1867(慶応3)年4月、龍馬が率いた海援隊の商船いろは丸が同市の鞆の浦沖で紀州藩の軍艦と衝突して沈没。鞆の浦は、龍馬と紀州藩側の談判の舞台になったことで知られている。
募集しているのは、龍馬や鞆の浦にちなんでいる▽地元福山や鞆の浦の食材や名産品を使っている▽福山をPRできる、の三つの要素を備えた弁当のアイデアとその名前。レシピはなくても可。応募用紙に弁当の中身、素材、特徴とネーミングの理由などを書き、できれば絵などで弁当の内容を表現してもらったうえ、名前、住所、電話番号、応募者が利用するニチエーの店舗名を記入して各店舗にある応募箱に投函(とう・かん)する。募集期間は今月20日まで。3月21日に審査結果を発表する。
最優秀賞(1人)に2万円分、優秀賞(3人)に3千円分、アイデア賞(5人)に千円分の商品券をそれぞれプレゼントする。最優秀賞に選ばれたアイデアを基に弁当を商品化し、花見のシーズンに合わせて3月から4月にかけて販売する予定。
同社は「龍馬ブームにあやかって弁当で福山をもっと知ってもらえれば。地元の料亭やホテルと提携して商品化を進め、イベントなども催したい」と話している。問い合わせはニチエー(084・934・9090)へ。
高知
龍馬の先祖の地、才谷公園で梅見…高知
幕末の志士・坂本龍馬の先祖の墓がある高知県南国市才谷(さいだに)の才谷龍馬公園で31日、地元住民らでつくる「坂本龍馬才谷保存会」(岡雅司会長)が、初めての梅見会を開き、約50人が満開の紅梅と持ち寄った料理を楽しんだ。
才谷には、坂本家の初代太郎五郎、2代彦三郎、3代太郎左衛門の墓がある。龍馬が「才谷梅太郎」の変名を使っていたことにちなみ、地元住民らが約10年前、紅梅と白梅計110本を植えた。NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送が始まり、梅の木も育ち開花するようになり、初めて梅見会を開いた。
この日は、雨模様だったが、住民らは公園内の四阿(あずまや)で、カラオケを楽しんだ。近くの大工武村進一さん(67)は「才谷は龍馬の先祖の地。梅を見て、歴史も感じてほしい」と話していた。
現在は紅梅のみ開花しているが、2月中旬頃から白梅も咲き、2月下旬頃までは花を楽しめるという。
「龍馬を描いた文学者たち」展
文学者の目を通した坂本龍馬を紹介
NHK大河ドラマに関連し、文学者の目を通して、龍馬の魅力に迫る。幕末の志士、坂本龍馬を日本で最初に紹介したのは高知県出身の明治の文学者、坂崎紫瀾(さかざきしらん)の著書『汗血千里駒』。その後昭和37年から昭和41年まで産経新聞夕刊に紹介された司馬遼太郎著『竜馬がゆく』、山岡荘八著『坂本龍馬』、津本陽著『龍馬』など、文学者の目を通して「坂本龍馬」は紹介されてきた。本展では、これらの文学者たちが、龍馬という人物を小説の中でどのように描いたか、歴史を背景に紹介する。
上村洋行氏(司馬遼太郎記念館館長)による記念講演会なども開催する。
山口
志の大切さ 歴史に学ぶ/松野浩二さん
東京の県人会「防長倶楽部(クラブ)」は1923年設立以来の伝統を持つ。講演会などを開いて会員の懇親を図るほか、東京にある伊藤博文の墓所の維持管理も任されている財団法人だ。その理事長として、「人間にはふるさとという精神的なよりどころがいる。日本中が金太郎アメになり、志を失っているなか、郷土の歴史を大切にしなければならない」と話す。
防府市に生まれ、山口大経済学部を経て日立金属の社長や会長を務めた。若いころから歴史の本を読みあさっていたが、40代で米国の現地子会社の社長として赴任したころから、自分が日本のことを知らないことに気づき、ふるさとの歴史についても、より深く考えるようになった。
仕事が多忙を極めるなかで歴史への関心を持ち続け、ビジネスの一線を退いた後の2005年に、幕末以降、山口県人がどう人を育ててきたかをまとめた著書も出版した。
「吉田松陰は『このままで日本はダメになる、理屈でなく行動しなければいけない』と訴え、若者に精神的な革命を起こさせた」。自らの企業人としての原点も、戦争に負けた日本を立て直したいという一念だったという。「屈辱的な敗戦だったから、今に見ていろという気持ちだった」と話す。「会社でも、若い人には何のために仕事をするのか志を持ち、どんな小さなことでもいいから自分の『旗』を立てろと言い続けてきた」
経済発展だけを追い求めればいい時代が終わり、価値観も多様化した成熟社会。若者が志を描きにくい時世だが、「明治維新で若者たちが四苦八苦しながら考えたように、日本をどうしたらいいのかという方向性を、若い世代に探ってほしい」と話す。
(青山直篤)
長府博物館:「龍馬と下関」再検証 新コーナー設置--来月2日から /山口
◇ゆかりの日、入館無料に
下関市長府川端の長府博物館は、2月2日から坂本龍馬の関連資料をそろえた新コーナーを設け「龍馬にとっての下関」を再検証する。国民的ヒーローとも言える幕末の志士だけに、NHK大河ドラマを機に関心は高まるばかり。龍馬と下関の深いかかわりを象徴する4日間を入館無料にしてアピールする。
無料日は、龍馬が長府藩士、三吉慎蔵の助けで寺田屋での窮地を脱した1866年「1月23日」▽妻お龍と下関の豪商、伊藤九三宅に住み込んだ1867年「2月10日」▽長府藩士、印藤聿(のぶる)に夢を語った同年「3月6日」▽お龍のことを三吉に託す遺言状を残した同年「5月8日」。
龍馬と三吉、伊藤、印藤らとの親交などを示す資料や、幕末関連の品々、資料を随時公開していく。古城春樹学芸員は「当時の下関の人たちが、薩長同盟など維新に重要な役割を担っていたことを多くの人に知ってほしい」とPR。問い合わせは長府博物館(083・245・0555)へ。【尾垣和幸】
〔山口版〕
長崎
本紙連載を再編「龍馬と弥太郎」発売 年表やコラム追加し内容充実
幕末の志士坂本龍馬の長崎における足跡と、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の人物像に迫った長崎新聞社刊行の「龍馬と弥太郎 長崎風雲録」(A5判、196ページ)が31日、県内の書店などで発売された。
同書は長崎新聞連載の記事「龍馬と長崎 動乱の幕末をゆく」を第1部、「風雲児弥太郎の軌跡 『龍馬伝』陰の主役」を第2部として再編。新たに龍馬と弥太郎の事跡をまとめた年表を付けた。さらに「龍馬と長崎」に「小曽根英四郎の救出」など計9編、「風雲児弥太郎」には「弥太郎と外国商人」など計2編のコラムを追加、本文も一部加筆するなど内容が充実された。序文は霊山歴史館(京都市)学芸課長の木村幸比古氏が寄せた。
各書店とも店頭の新刊コーナーや「龍馬」特設コーナーに平積みするなどアピール。龍馬ファンらが早速、買い求めていた。
価格は1260円。問い合わせは長崎新聞出版室(電095・844・5469)。
龍馬に会いたい:/番外編 海軍操練所 /長崎
◇培った技術で亀山社中設立
1863(文久3)年、勝海舟は私塾に諸藩士や浪人を集め、翌(元治元)年に海軍操練所を開いた。場所は現在の神戸の繁華街・三宮に近い。「塾生の中には、諸藩の浪人が多くて、薩摩(鹿児島)のあばれものも沢山(たくさん)居たが、坂本龍馬がその塾頭であつた」。氷川清話(講談社学術文庫)で勝はそう語る。
勝と龍馬は師弟関係だが、その出会いは変わっている。龍馬は当初、勝を殺害しようとしたからだ。しかし、勝の話を聞いた龍馬は、逆に弟子入りしてしまう。「彼(あ)れは、おれを殺しに来た奴(やつ)だが、なかなか人物さ」「なんとなく冒しがたい威権があつて、よい男だつたよ」(氷川清話)
禁門の変に参加した塾生が出たため、操練所は1年で閉鎖されたが、この1年がその後の日本に与えた影響は計り知れない。操練所には龍馬のほか、伊藤俊輔(博文・初代内閣総理大臣)、陸奥陽之助(宗光・外務大臣)もいたからだ。
閉鎖後、龍馬は陸奥と長崎に渡り、操練所で培った技術を基に1865(慶応元)年5月、亀山社中を設立する。幕末の沸騰は既に各地で始まっていた。
史跡旧海軍操練所跡には、戦艦のいかり(10トン)がそのまま碑として使われている。広がっていた海は埋め立てられ、すぐ近くには阪神高速道路が通る。龍馬や勝がいた当時の様子はもうわからない。【山本泰久】
〔長崎版〕
文化芸能
【戯言戯画】香川照之 美しくなさすぎる弥太郎
こっちにも正岡子規が出てるのかぁ、と思ったら岩崎弥太郎でした。というのは口が滑ったけど、この人はカリエス患ってるからなぁ…なんて程度の錯覚はしました。だって似てんだもん(いや同一人物か)。
年末に第1部が放送された「坂の上の雲」に続いて大河ドラマ「龍馬伝」にも登場。どちらもNHKの歴史もの。ちょっとキャスティング考えてほしいところです。役者としては冥利(みょうり)に尽きるでしょうけど。
醸し出してる悲壮感が強烈。もともといい役者だけど、なんか取り憑(つ)いた感じ。
とくに弥太郎。美しすぎる市議ならぬ、美しすぎる龍馬の所作(物思う横顔とかエロすぎ)はついつい時代を忘れさせるけど、弥太郎がチラッと登場するたびに物語世界に引き戻されます。冷や水を浴びせる役回りを喜々として担ってる印象。惨めな生活を体現する演技は超リアル。やつれてるし、汚れてるし、つば飛ばすし…美しくなさすぎて目をそらしたくなる。テレビなのに。おそるべし。
ま、おかげで、幕末と明治は直結していたんだな、という気がしてます。明治維新が日露戦争とどうつながっていくのか-も暗喩(あんゆ)しているようで。あ、もしやそういう歴史観による周到なキャスティング?…なわけないか。(篠原知存)
個人的には、まさしく、王子様のような龍馬と貧乏どん底暮らしでギラギラしている弥太郎とのギャップがあまりにも激しいために作品世界に自分をどう馴染ませるか苦労していたのですが……タニショー桂小五郎が登場してから、すっと入れました(苦笑)。渡辺いっけいさん演じる重太郎若先生の妹大好きぶりもラブリーですね。
『JIN-仁-』大ヒットも、映画制作に踏み切れないTBSの懐事情
昨年の大ヒットドラマ『JIN-仁-』(TBS系)の映画化が決定したと、29日付の日刊スポーツが報じた。同紙によれば、今年夏にクランクインして、来年公開される予定だという。ところが、TBS側は「『映画化』などの決定している事はまだない状況」「(日刊スポーツの記事は)誤った情報」と否定する公式コメントをFAXでマスコミ各社に送付。同ドラマのプロデューサー・石丸彰彦氏のコメントとして、公式サイトにも掲載している。だが、「今後に関しては現在検討している段階」と含みを持たせており、映画化を完全否定しているわけではない。
村上もとかの人気コミックが原作の『JIN』は、大沢たかお演じる脳外科医・南方仁が、現代から幕末にタイムスリップし、歴史を変えることに苦悩しながら、現代の医療技術を駆使して江戸の人々を救うSF時代劇。大沢たかお、内野聖陽、小日向文世ら実力派の俳優陣と、中谷美紀、綾瀬はるかといった艶やかな女優陣の共演も話題となり、全11話の平均視聴率19.0%、最終回は25.3%の高視聴率をマークし、2009年最大のヒットドラマとなった。
しかし最終回では、ホルマリン漬けの胎児、現代に現れた坂本龍馬とおぼしき包帯だらけの男の正体など、数々の謎が解明されないまま終了し、視聴者の不評を買った。仁が再びタイムスリップすることを予感させて終わったため、番組終了当初から「映画化への布石ではないか」と見られていた。
だが、これまでに何度か映画化を報じられたものの、そのたびにTBS側は否定している。
「TBSは当初、『JIN』がここまでヒットするとは思っていなかったらしく、映画化の話は番組がスタートしてしばらくした後に持ち上がりました。ですが、あれだけの豪華キャストのスケジュールを、数カ月にわたる映画撮影のために急に押さえるのは難しい。たとえば、同局の『ROOKIES』は、佐藤隆太や市原隼人など旬の若手俳優が揃っていましたが、今ほど売れている状況ではなかったため、ドラマ開始後でもスムーズに映画化が進行しました。『JIN』は映画化が決まったとしても、今年クランクイン、来年始めに公開というスケジュールを組むのが厳しい状況で、あまり遅くなれば企画そのものの話題性がなくなる。『ガリレオ』(フジテレビ系)のように開始前から映画化が決まっていれば可能だったでしょうが、せっかくのドル箱を放置せざるを得ないTBSは歯がゆい思いをしているでしょうね」(テレビ局関係者)
また、TBSは12月に公開される予定の大作映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト』の準備を数年前から進めてきた。木村拓哉を主演に据えた同作を絶対に成功させなくてはならないため、『JIN』の映画化に予算や労力を割けないという裏事情もある。さらに、TBSの視聴率低迷や台所事情も関係しているようだ。
「TBSは次の改編で、視聴率が低調だった『総力報道! THE NEWS』の打ち切りを決め、夜7時台は1週間すべてバラエティー番組に変更します。社運を懸けてスタートさせた『総力報道』ですが、ゴールデンタイムに視聴率が連日一ケタという悲惨さで1年と持たなかった。とにかく視聴率を盛り返せという厳命が下っており、社員は改編時期のことで頭がいっぱいです。『JIN』の映画化のために動ける社員は、ほとんどいません。また、一時期は本業のテレビと同じくらいの利益を上げていた不動産事業も、最近は落ち込みを見せているらしく、数億の予算が掛かる『JIN』の映画化に簡単には手を出せないのが正直なところでは」(前同)
これらの理由だけでなく、権利関係の問題も浮上しているという。
「現代の恋人の存在など、もともと原作にはないオリジナル要素が多かった『JIN』ですが、映画版では現代に再びタイムスリップした仁と、別の人間として生まれ変わった恋人の再会をテーマにしたいとの案が出た。ドラマの続きとしては納得できなくはないですが、完全に原作とかけ離れた内容ですから、作者と版元が難色を示したようです」(前出)
多くの障害がある『JIN』の映画化だが、尻切れトンボで終わったドラマに不満を抱くファンも多かっただけに、何とか実現してほしいものだ。
原作の龍馬暗殺未遂事件→脳手術のエピソードが一段落しないと映画製作が難しいかもなぁと思ってますが、いろいろと大人の事情もあるようで。気長に進展を見守ります。
ビジネス
日本橋三越本店でバレンタインフェア-ルレ・デセール、歴女向けチョコなど /東京
日本橋三越本店は1月27日(水)より、バレンタイン商戦に向けた「2010 三越のバレンタインフェア」を本館地下1階で開始した。(デパチカドットコム)
今年のバレンタインフェアのテーマは「SWEET CHIC」。大人の女性をターゲットに、贈り物に最適な本物志向の商品を提案。日本初登場の注目ブランドや三越限定企画商品などを多彩にそろえた。「和のバレンタイン」では「源氏物語」をモチーフにした老舗和菓子を特集し、ラッピングには三越オリジナルの特別包装紙を用意する。
(中略)
今年の新企画として、「歴女」をターゲットにした新商品を展開。話題の坂本龍馬をはじめ、土方歳三、西郷隆盛、ペルリ(ペリー)、それぞれの出身地の名酒を取り入れ、パッケージにもこだわった三越限定「Histoire de chocolat 幕末(幕末ショコラ)」(4種類、8個入り=各1,050円)を販売する。
「幕末ショコラ」……(笑)。「歴女」向けとのことですが、贈られる相手も歴史好きという条件が必要かも?
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桑栽培の段々畑、上田で復元進む
かつて桑が栽培されていた上田市上塩尻の段々畑の跡地で、石垣を復元する作業が市民有志の手で進められている。幕末から明治時代にかけて上田地方は全国有数の蚕種生産地として知られ、上塩尻地区では特に生産が盛んだった。
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企画展:「江戸時代の刈谷藩 維新の真の魁・天誅組」--31日まで市美術館 /愛知
◇「偉業を後世に」
今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」が象徴する幕末・維新ブームで、明治維新(1868年)の先駆けとされる尊王攘夷(じょうい)派の挙兵事件・天誅(てんちゅう)組の変(1863年)も注目されそうだ。天誅組総裁だった松本奎堂(けいどう)(1831~63年)らの出身地・刈谷市の美術館では、企画展「江戸時代の刈谷藩--維新の真の魁(さきがけ)・天誅組」が開かれている。戦場になった奈良県の五條市や東吉野村から村長らが会場を訪れ、刈谷市との交流を深めることになった。
天誅組には当時の刈谷藩から脱藩した松本のほか、決死隊副隊長の宍戸弥四郎(1833~63年)、連絡役の伊藤三弥(1836~1917年)らが加わっていた。刈谷市には3人の墓や石碑、生家跡、遺品などがある。五條市には天誅組拠点の寺が残り、東吉野村には天誅組の記念碑や松本らの墓があって地元住民が毎年、法要を営んでいる。
企画展は旧刈谷藩士の子孫で作る財団法人刈谷頌和(しょうわ)会(高野基弘会長)の主催で、毎日新聞社などの後援。東吉野村教育委員会所蔵の「和州騒動の図」や「天誅組河内国甲田村水郡邸出発之図」「大和国吉野郡鷲家口村天忠党古戦場略図」をはじめ、松本と宍戸の肖像画や掛け軸、書画帳、戦場の図。さらに徳川家康の生母・於大(刈谷藩主の娘)の肖像画や刈谷城絵図など数十点が並ぶ。31日まで。入場無料。
高野会長は「時代変革の先駆けに郷土の先人がいたことは大きな誇りであり、今の刈谷市民に広めたい。五條市や東吉野村との交流も深め、先人らの偉業を後世に伝えていく」と話している。【安間教雄】
京都
1万円で二条城「一口城主」に、京都市が修理の寄付募る
京都市は、世界遺産・二条城(中京区)を約30年ぶりに大修理する方針を決め、夏頃から寄付を呼びかける。1万円の寄付者には「一口城主」の位を贈り、入城無料などの特典がある城主手形を発行する。財政難の中、歴史ブームに乗って、事業費の半分にあたる約50億円を集める計画だ。
二条城は、徳川家康が1603年に築城。幕末に慶喜が大政奉還を発表した場としても知られ、年間約150万人の観光客が訪れる。耐震診断で、二の丸御殿(国宝)=写真、京都市提供=や東大手門(重要文化財)などが大地震で損傷する恐れがあるとされ、2011年度以降、文化庁と協議しながら補強工事をする。
寄付は少額でも受け付けるが、「一口城主」には、修理現場説明会への招待や記念品贈呈をする予定。単純に計算すると50万人の〈城主〉が必要だが、市は「二条城は、海外の観光客にも人気があり、広く協力を得られると期待している」としている。
同様の取り組みを1998年から進める熊本城は約15億6000万円、名古屋城は2002年から約43億円、姫路城は昨年4月から約6000万円を集めた。
死に向かう志士、寺田屋と近江屋 龍馬ゆかりの地を行く
【龍馬ゆかりの地を行く】
坂本龍馬ゆかりの宿として有名な寺田屋(京都市伏見区)は、焼板に格子窓をしつらえた伝統的な日本家屋のたたずまいだ。1階には、当時の女将だったお登勢の部屋、2階には龍馬が愛用していたとされる龍馬の部屋がいまも残る。
龍馬はお登勢を「おかあ」と親しみ、後に妻となるお龍を養女にしてもらうなど、何かと世話になった。「お登勢は、志士たちの面倒見がよかったとされているし、龍馬も『お国みたい(高知と同じだ)』と手紙に記しており、とても寺田屋が気に入っていたのでしょう」と、霊山歴史館学芸課長の木村幸比古さんはいう。
薩長同盟締結後の慶應2(1866)年1月23日夜、龍馬は長府藩士の三吉慎蔵と寺田屋の2階にいた。1階ではお龍が入浴中だった。そのとき、幕吏50人が寺田屋を取り囲んだ。司馬遼太郎「竜馬がゆく」では次のように記されている。
〈(捕吏。-)と思ったとたん、おりょうはそのままの姿で湯殿をとびだした。自分が裸でいる、などは考えもしなかった。裏階段から夢中で二階へあがり、奥の一室にとびこむや、「坂本様、三吉様、捕り方でございます」と、小さく、しかし鋭く叫んだ。竜馬はその言葉よりも、むしろおりょうの裸に驚いた。昂奮しているせいか、目にまばゆいほどに、桃色に息づいている。〉
寺田屋にはいまも裏階段が残る。お龍は愛する男のため必死になって駆け上ったに違いない。龍馬は、高杉晋作からもらったという短銃で幕吏数人を射殺した。自身も負傷はしたが、お龍のおかげでなんとか命拾いした。
× ×
身に迫る危険を幾度も回避してきた龍馬だが、慶應3(1867)年11月15日、醤油(しょうゆ)商の近江屋で暗殺された。現在、河原町通り沿いの近江屋跡地はコンビニエンスストアなどが入るビルになっており、ビル前には龍馬と中岡慎太郎が遭難した地であることを示す碑がひっそりと立っている。
龍馬の霊は京都霊山護國神社(同市東山区)に祀られ、墓前では手を合わせるファンの姿が見受けられる。
33歳で非業の死を遂げた龍馬。暗殺の背景については、これまで数々の検証が試みられてきたが、真相はいまだに解き明かされていない。
新選組隊士の鞘が近江屋に残されていたため、当初は新選組の犯行とみられていたが、明治時代、新選組隊士の証言から京都見廻組だったことが判明した。
その後、見廻組隊士だった今井信郎が、龍馬を襲撃した一人だったことを告白した。隊士8人で近江屋を襲撃したとみられ、京都市東山区の霊山歴史館には現在、龍馬を切ったとされる桂早之助の刀が展示されている。
× ×
「暗殺の黒幕は見廻組の上部団体だった京都守護職の松平容保が有力ですが、徳川慶喜を新政府の盟主にしようとした龍馬の行為は許されないと考えた薩摩藩の陰謀説もあります」
幕末史に詳しい霊山歴史館学芸員の木村武仁さんは、こう指摘する。
黒幕をめぐっては、大政奉還の功労を独占しようとした「後藤象二郎陰謀説」や、暗殺者のターゲットは中岡慎太郎だったという「巻き添え説」といったさまざまな説がある。
「一般的に暗殺に関する史料は少ないものですが、龍馬暗殺の史料は40点にのぼって多く、記述もそれぞれ少しずつ違っているので混乱するほど。龍馬暗殺だけで1冊の本ができるぐらい」と、木村さんはいう。 幕末の英雄だけに、作家たちもそれぞれに思いを巡らせ、いろいろな暗殺説が創り上げられたのかもしれない。
◇
「龍馬とお龍」 龍馬とお龍の出会いの時期は諸説ある。龍馬は姉の乙女にあてた手紙の中で、「私しニにており候」(木村幸比古著『日本を今一度せんたくいたし申候』より)と、お龍が自分と同じ名前であることを紹介している。また、父・将作が病死して家が没落した後、悪者にだまされて女郎に売られた妹を、お龍が取り戻したことも手紙に記されており、姉にお龍を認めてもらおうとした思いが伝わってくる。(山田淳史)
福岡
小説、詩など5部門 光る表現 5人に福岡市文学賞 受賞者「重みを感じる」
第40回福岡市文学賞(同市、市文学賞運営委員会主催)の受賞者が29日発表された。
小説、詩など5部門があり、受賞したのは、小説は小河扶希子(すまこ)さん(68)=博多区▽詩は尚(なお)泰二郎さん(60)=西区▽短歌は山崎つぎのさん(81)=宗像市▽俳句は三舩熙子(みふねひろこ)さん(66)=同▽川柳は敷田(しきた)無煙さん(75)=南区。
小河さんは、新たに見つかった書簡集の分析を通し、福岡の幕末の歌人、野村望東尼(もとに)の人間性に迫った評論が評価された。「これで初めて、『勤皇歌人』としてではなく『文人』として市民権を得ることができた。望東尼本人が一番喜んでいるだろう」と述べた。
約10冊の詩集を発表している尚さんは「賞には縁がないとあきらめていた。うれしい気持ちでいっぱい」と感慨深げ。65歳で短歌の道に入ったという山崎さんは「昔から病弱で、勉強らしいことをしてこなかったのでただただびっくりしている」とほほ笑んだ。
三舩さんは「昨年、くも膜下出血で伏せたが、周りのおかげで元気になり、賞までもらえた」と笑顔。敷田さんは「少しずつ受賞の重みを感じている。これを通過点と思い、賞にふさわしい活動をしたい」と語った。
市文学賞は、優れた功績を挙げた福岡都市圏の文学表現者に贈られ、今までに227人が受賞。贈呈式は3月6日、赤煉瓦(れんが)文化館内の市文学館(中央区天神)で行う。
長崎
バレンタイン:催し多彩 スペシャルチョコも味わえる--HTB、きょうから /長崎
佐世保市のハウステンボス(HTB)では、2月14日のバレンタインに向け、さまざまなイベントが開かれる。
30日~2月14日まで、ビネンスタッド地区の物販ゾーン「マルシェ・ド・パラディ」では、参加証(800円)を購入すると20種類のチョコレートから五つを選んで味わえる「ショコラテイスティング祭」。モーツァルトも食べたウイーンの伝統菓子「ヴィーナスの乳首」や「合格のお守り」「幕末貯古齢糖(ちょこれいとう)」などさまざまなテーマに合わせたスペシャルチョコレートもある。
また、バレンタインデー当日、アートガーデン特設会場である「ハウステンボスの中心でロマンスを叫ぶ~St・Valentineのチカラをかりて~」の参加者を募集中。参加資格は「ロマンスを叫ぶことのできる女性」。参加者と、その思いを告げられる対象者も入場無料になる。HTB総合案内センター0956・27・0001。【野呂賢治】
コラム
龍馬の月給は60万円だった?
龍馬の月給は60万円。日銀高知支店は幕末の志士坂本龍馬が率いた日本初の商社とされる「亀山社中」の月給を試算し、公表。
龍馬と亀山社中の1人当たりの月給はいずれも3両2分。同支店はそば1杯の値段から、幕末期の1両を現在の18万~22万円として換算。
ブックレビュー
今週の本棚・新刊:『龍馬の天命 坂本龍馬 名手の八篇』=末國善己・著
(実業之日本社・1680円)
坂本龍馬を描いた八つの短編小説やノンフィクションを収録した。今や幕末・維新期で最も人気のある人物だが、描く人が異なるとこんなにも違う肖像になるのかと面白い。
大岡昇平の「竜馬殺し」は、龍馬の生涯を史料から考察している。たとえば、勝海舟を暗殺に行った龍馬が勝に一喝されて恐れ入るというエピソードは、攘夷(じょうい)から開国への転向を合理化するための作り話だという。さらに、「彼の行動には親幕路線が一貫」していて、「そこに規模雄大な近代日本創生の構想を見るよりも、陰謀家の両面作戦を見る方が簡単」と断定する。暗殺の真相も、あっけないぐらい単純だ。司馬遼太郎が描く龍馬像とは随分と違う。
他に、隆慶一郎、北原亞以子、津本陽、安部龍太郎など。(重)
【話題の本】「乙女の日本史」堀江宏樹・滝乃みわこ著
■おじさん史観ではない女性誌的目線
今まで、歴史小説はおじさんの愛読書と決まっていた。戦国武将や幕末の志士に自らを(勝手に)なぞらえ、不況下で先の見えない世の中、何かしらヒントを得ようとしているのであろう。
そんなデキる男、ヒーロー続出の「おじさん史観」に決別を告げ、乙女目線で日本史をとらえたのが本書。帯に書かれたコラムニスト、辛酸なめ子さんの「セレブゴシップより刺激的!」の推薦文と「さよなら『おじさん史観』!」のキャッチフレーズも歴女に響き、昨年8月の出版以来、9刷5万5千部を発行している。
例えば「元祖冷血美男子 ヤマトタケル」の項では、兄弟を殺しても平然としている美しいヤマトタケルを、「美男子はほとんど性格に難がある」という日本の美形の象徴的なタイプとして紹介。このほか「『不思議ちゃん』の愛されレッスン 坂本龍馬」「『男装の麗人』のセクシュアリティ 川島芳子」など、神話時代から昭和まで歴史上の人物を無理やり持ち上げることなく、女性誌に近い切り口で取り上げる。しかしそこは教科書の編集・出版で知られる東京書籍。史実もしっかり押さえ、関連する歴史マンガや大河ドラマの紹介も交えた。
担当編集者の藤田六郎さん(38)によると、NHKの平成20年の大河ドラマ「篤姫」に共感する若い女性に注目。歴史に強い若手作家の堀江宏樹さん、イラストレーターの滝乃みわこさんと、若い歴女向けに新しい歴史本を企画。史実の裏にある人間関係をくみ出すうち、おじさん史観ではない乙女目線が生まれたという。「歴史の編集部が作ったのではないのですが、中身がしっかりしているとの感想を寄せていただいています」と、歴史ブームの追い風も受けて好調は続いている。(東京書籍・1470円)(飯塚友子)
一部マスコミで『JIN―仁―』の映画化が報道されましたが、TBSサイドは否定しています。
「JIN」映画化!大沢らキャストも同じ
以下、日刊スポーツの記事です。
“『JIN-仁-』映画化決定”の報にTBSが「決定している事はまだない」と反論
テレビドラマの終わり方は、映画化なりテレビドラマスペシャルなりテレビドラマ続編なり、何らかの続きがないとすっきりしない感じではありましたが。
そういえば、昨年11月の時点にもこんな記事が出てましたたっけ。
好調の「JIN―仁―」映画化決定? 「ドラマ引き継ぐ」と女性誌が報道。
……気長に進展をお待ちします^_^;。
「JIN」映画化!大沢らキャストも同じ
以下、日刊スポーツの記事です。
TBS系連続ドラマで最終回の平均視聴率が25・3%(関東地区、関西地区は18・3%、ビデオリサーチ調べ)の高視聴率をマークした「JIN-仁-」が映画化されることが28日、明らかになった。今年夏にクランクインして、来年公開される予定だ。
昨年10月期に放送された同ドラマは全11話で平均19・0%の視聴率をマーク。最終回の視聴率は、昨年の民放ドラマでは最高の瞬間最高視聴率は29・8%を記録した。TBSには放送終了直後から、映画化を要望する声が殺到、調整に当たっていた。
主演はドラマと同じく大沢たかお(41)。中谷美紀(34)綾瀬はるか(24)内野聖陽(41)などの豪華キャストも同じままだ。現代から江戸時代末期にタイムスリップした大沢演じる外科医・南方仁が、満足な医療器具のない中で、孤独と戦いながら人々の命を救っていく。その中で、綾瀬演じる旗本の娘・咲、中谷演じる花魁(おいらん)野風、現代に残してきた恋人未来(中谷2役)との恋模様、さらに坂本龍馬、勝海舟ら歴史上の英雄との交流を描く。
昨年12月20日放送の最終回のラストで、仁が再び転落しそうになったところで終了。再びのタイムスリップを予感させたことで、映画化への布石と見られていた。TBS製作の映画は、今年は12月にSMAP木村拓哉(37)主演の話題の大作「SPACE BATTLESHIP ヤマト」の公開が控えている。話題作に次ぐ、人気連ドラの映画化で今年末から来年にかけての映画界を席巻する。
“『JIN-仁-』映画化決定”の報にTBSが「決定している事はまだない」と反論
本日29日に日刊スポーツ紙で大ヒットドラマ『JIN-仁-』(TBS系)映画化決定の報を受け、TBSがマスコミ各社にFAXで公式見解を発表した。同ドラマのプロデューサー・石丸彰彦氏は「『映画化』などの決定している事はまだない状況での本日の記事は我々も困惑しております」とコメントしている。以下は石丸氏のコメント全文。
本日、一部スポーツ紙にて『JIN-仁-』の映画化決定の記事が出ましたが、これは我々『JIN-仁-』スタッフサイドがオフィシャルに出したニュースではありません。『JIN-仁-』最終回の放送後は、お蔭様で多くの視聴者の皆様から続編を希望する声が届きました。その反響を受け、今後に関しては現在検討している段階です。
『映画化』などの決定している事はまだない状況での本日の記事は我々も困惑しております。誤った情報が流れた事で、視聴者の皆様をはじめ、関係各位の皆様にもご迷惑をおかけした事を心よりお詫び致します。
また、今後、皆様にお伝えできる事がありましたら、必ずお知らせ致しますので、どうぞよろしくお願い致します。
TBSテレビ『JIN-仁-』番組プロデューサー・石丸彰彦
テレビドラマの終わり方は、映画化なりテレビドラマスペシャルなりテレビドラマ続編なり、何らかの続きがないとすっきりしない感じではありましたが。
そういえば、昨年11月の時点にもこんな記事が出てましたたっけ。
好調の「JIN―仁―」映画化決定? 「ドラマ引き継ぐ」と女性誌が報道。
……気長に進展をお待ちします^_^;。
昨日の夕方に体調を崩しましたが、早めに休息して一段落しました。
神奈川
「横浜開港の考古学」展を開催、開港当時の遺跡から発掘された食器やれんがなど展示/愛川町
長野
華やか、昔のひな人形 箕輪の「箕沢屋」で展示
愛知
企画展:「江戸時代の刈谷藩 維新の真の魁・天誅組」--31日まで市美術館 /愛知
京都
坂本竜馬ら幕末の志士の埋葬記録、整理を開始──京都の霊明神社
佐賀
多布施反射炉:発掘調査 砲身製造、鋳坪の遺構か 位置特定に期待 /佐賀
コラム
歴ドル小日向えりが行く 「三成ゆかりの史跡を訪ねて」
【幕末から学ぶ現在(いま)】(47)東大教授・山内昌之 井上馨
ビジネス
お~い!竜馬:近ツー国内旅行パッケージにイラスト起用で参加者が増加
IT
【リリース】スパイク,「喧嘩番長3」「侍道2ポータブル」をダウンロード販売
科学的に再現!坂本龍馬の“肉声”が着ボイスに
懐かしいなぁ、土方さんの着ボイス、いまだに保存しておりますのよ(苦笑)。
神奈川
「横浜開港の考古学」展を開催、開港当時の遺跡から発掘された食器やれんがなど展示/愛川町
愛川町半原の愛川町郷土資料館(県立あいかわ公園内)で、「横浜開港の考古学」展が開催されている。同町教育委員会と県教育委員会の共催で、「かながわの遺跡展2009」巡回展の一環。日本の近代化を導いた横浜開港当時の遺跡から発掘された建築素材や生活用品、半原地区の縄文時代の遺跡から出土した土器や石器など計107点が展示されている。2月21日まで(月曜日休館)。入館料無料。
「横浜開港の遺跡」では、2007年、08年にかけて山下居留地遺跡から発掘された食器、れんが、瓦などが展示されている。幕末から明治初めにかけて、横浜に生活していた外国人の生活がうかがわれて興味深い。
また、清川村宮ケ瀬に外国人が避暑に訪れた様子の資料も展示されている。
このほか、町内の遺跡から出土した縄文土器や石器、地域の数千年の歴史をほうふつとさせる資料もあり、訪れた人たちの目を楽しませている。30日と2月6日には展示解説も行われる。
また、2月6日午後2時から、愛川町文化会館で「縄文文化研究の最先端」をテーマに、山本暉久昭和女子大学大学院教授の講演会が開かれる。定員100人。申し込みは、郷土資料館電話046(280)1050。
長野
華やか、昔のひな人形 箕輪の「箕沢屋」で展示
箕輪町沢にある旧豪農の小原家住宅「箕沢屋(みさわや)」に、3月末までの予定でひな人形が飾られている。住宅を管理する町民有志の「信州箕沢屋の会」が、できるだけ多くの人に見てほしい-と毎年この時期に展示している。
敷地内の蔵に保管されていたという江戸時代の「享保びな」をはじめ、押し絵びな、会員所有の昭和時代のひな人形など計約70体が並ぶ。27日に妹と訪れた伊那市高遠町東高遠の森良子さん(62)は「人形はとても良い状態で保存されている。昔の家の風格と立派な人形が相まって、趣がありますね」と話していた。
箕沢屋は木造一部2階建て。幕末の1861(文久元)年に建てられて以降、ほとんど手が加えられておらず、幕末の地主の屋敷構えと当時の生活様式を現代に伝える。敷地内には水車小屋や蔵もある。
所有者は神奈川県逗子市に居住。現在は建築士、新井暢(とおる)さん(47)が1室を事務所として借りている。見学希望者は事前に新井さん(電話0265・70・6067)へ。
(提供:信濃毎日新聞)
愛知
企画展:「江戸時代の刈谷藩 維新の真の魁・天誅組」--31日まで市美術館 /愛知
◇「偉業を後世に」
今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」が象徴する幕末・維新ブームで、明治維新(1868年)の先駆けとされる尊王攘夷(じょうい)派の挙兵事件・天誅(てんちゅう)組の変(1863年)も注目されそうだ。天誅組総裁だった松本奎堂(けいどう)(1831~63年)らの出身地・刈谷市の美術館では、企画展「江戸時代の刈谷藩--維新の真の魁(さきがけ)・天誅組」が開かれている。戦場になった奈良県の五條市や東吉野村から村長らが会場を訪れ、刈谷市との交流を深めることになった。
天誅組には当時の刈谷藩から脱藩した松本のほか、決死隊副隊長の宍戸弥四郎(1833~63年)、連絡役の伊藤三弥(1836~1917年)らが加わっていた。刈谷市には3人の墓や石碑、生家跡、遺品などがある。五條市には天誅組拠点の寺が残り、東吉野村には天誅組の記念碑や松本らの墓があって地元住民が毎年、法要を営んでいる。
企画展は旧刈谷藩士の子孫で作る財団法人刈谷頌和(しょうわ)会(高野基弘会長)の主催で、毎日新聞社などの後援。東吉野村教育委員会所蔵の「和州騒動の図」や「天誅組河内国甲田村水郡邸出発之図」「大和国吉野郡鷲家口村天忠党古戦場略図」をはじめ、松本と宍戸の肖像画や掛け軸、書画帳、戦場の図。さらに徳川家康の生母・於大(刈谷藩主の娘)の肖像画や刈谷城絵図など数十点が並ぶ。31日まで。入場無料。
高野会長は「時代変革の先駆けに郷土の先人がいたことは大きな誇りであり、今の刈谷市民に広めたい。五條市や東吉野村との交流も深め、先人らの偉業を後世に伝えていく」と話している。【安間教雄】
京都
坂本竜馬ら幕末の志士の埋葬記録、整理を開始──京都の霊明神社
坂本竜馬や幕末の志士が埋葬された霊明神社(京都市)が、実際に遺体を墓地に葬ったことを示す埋葬記録や、書状など100点以上の古文書の整理作業を始めた。
1809年の創建。62年の尊皇派長州藩士の埋葬を契機に、幕末までに約900人の志士が実葬されたが、埋葬記録書の存在はあまり知られていない上、志士の書状は未整理のままだった。
2010年中の図録化を目指すという。村上繁樹神主(61)は「志士の生きざまや国の在り方を語り合える材料になれば」と期待している。(共同)
佐賀
多布施反射炉:発掘調査 砲身製造、鋳坪の遺構か 位置特定に期待 /佐賀
佐賀市伊勢町で進められている幕末の遺産「多布施反射炉」の発掘調査で、溶かした鉄を流し込んで砲身を作るための「鋳坪(いつぼ)」の一部とみられる遺構が見つかった。鋳坪は反射炉に付随する設備。先に見つかった地下の基礎工事跡と合わせ、佐賀市教育委員会は「反射炉位置の特定につながる発見」と話している。
多布施反射炉は、幕府発注の大砲50門を作るため、佐賀藩が1853年に起工した反射炉。幕末の文書によると、炉は東西に2基ずつあり、その間に鋳坪があったとされる。鋳坪は四角い穴で、反射炉で溶かした鉄を流し込む砲身の鋳型を立て、周囲を砂などで固めたという。
遺構は鋳坪の壁の一部とみられ、計2カ所で見つかった。壁面の粘土に張ったとみられる板材も出土し、周辺から耐火レンガや鉄くずも見つかっている。
佐賀藩が反射炉築造の参考にしたオランダの資料では、鋳坪は一辺約4メートル。今回の遺構は同3メートル以上と推測され、基礎工事跡との位置関係から、鋳坪の可能性が高いという。
発掘現場は民間会社の敷地内にあるため、市教委は近日中にいったん調査を終え、埋め戻すことにしている。【姜弘修】
コラム
歴ドル小日向えりが行く 「三成ゆかりの史跡を訪ねて」
好評発売中のAERAMook「幕末と戦国 このとき義を貫いた」には、いま大人気の歴史アイドル(「歴ドル」)小日向えりさんによる戦国武将・石田三成の足跡をたとどるレポートもあります。豊臣秀吉に見いだされ、豊臣政権の参謀として活躍した石田三成。歴史アイドルの小日向えりさんは、関ケ原で敗れたこの知将のことを想っていると「時々涙がこぼれます」といいいます。この三成ゆかりの史跡をめぐる小日向さんの「旅」の一部をどうぞお楽しみください。
◇ ◇
■三成公が大好き!史跡を訪ねてきました!
歴史は勝者によって書かれるといいます。関ケ原の戦いで敗者となった石田三成公は、徳川幕府によってその人物像をゆがめられ、史料も破棄され、長らく虐げられてきました。
それが近年になって、正当な評価を受けるようになりました。いまや三成公は「歴女」が選ぶ好きな戦国武将ランキング上位の常連さん。モテモテなんです!
旅のスタートはやっぱり三成公生誕の地、滋賀県長浜市。三成公はこの地で、当時は織田信長家臣で長浜城主だった羽柴秀吉と出会いました。
出会いの舞台は、JR長浜駅から車で30分ほどのところに立つ観音寺でした。観音寺で寺小姓をしていた三成公は、鷹狩りの途中で寺に立ち寄った秀吉にお茶を出します。いわゆる「三献茶」のエピソードがここで展開されたんですね。
現在の観音寺には、門を入ってすぐ左手に進んだ辺りに、お茶を出す際に三成公が水をくんだとされる「石田三成 水汲みの井戸」が残っています。ちなみにJR長浜駅前には、この時の様子を再現した「秀吉公と石田三成公 出逢いの像」もあります。子どものころの三成公の像が、かわいいんです。
観音寺からJR長浜駅方面に25分ほど歩くと、今度は「石田三成公出生屋敷跡」があります。住所が石田町ということで、あちこちに「石田」という文字が!
屋敷跡に着いて真っ先に目に入るのは三成公の銅像です。軽くほほ笑んでいるような、とても優しいお顏をしていました。すぐそばにある石田会館では、三成公グッズや資料も販売しています。私も、地図と花押を購入しました。周辺には石田家の氏神だった八幡神社などもあり、三成ファンにとっては「聖地」といってもいい町です。この地で生まれ、育った三成公は、秀吉が天下人への階段を上るのにあわせて出世していきます。
◇ ◇
■「過ぎたる城」を実感し丸墓山からの風景で知る
ところで三成公は時々、「治部」と呼ばれていますよね。この通称は天正13(1585)年、秀吉が関白に就任したのに伴い、三成公も従五位下治部少輔に叙任されたことに由来します。そしてこの後、三成公は近江の佐和山城主になります。
「三成に過ぎたるもの二つあり、島の左近と佐和山の城」
といわしめた佐和山城です!
まずは正面玄関からお邪魔します、というわけで大手門跡へ行ってみました。ススキ原の真ん中を、くっつき虫をつけながら勢いよく前へ前へと進む私。しかし、ふもとの辺りで道がなくなり行き止まり! 実は佐和山城跡に登るハイキングコースはちょうど真裏にあたる龍潭寺側から始まっているのです。
龍潭寺へ回ると、ここにも「石田三成公像」が。こちらはどこか厳しい表情をしているように感じました。ごあいさつをしてから、今度こそ佐和山城へいざ!
登り始めると、規模の大きさに驚かされます。曲がりくねった険しい道が続き、ところどころ絶壁になっています。これはハイキングでなく、登山ですね。塩硝櫓跡や西の丸跡などをチェック。秋だというのに汗をかきながら登ること30分あまり、やっと本丸跡に着きました。
本丸跡からの眺めは絶景です。国宝・彦根城を眼下に望み、その先には琵琶湖が水をたたえています。苦労して登ったかいがあろうというもの。所々に石垣も残されていて、それを見つけるのが楽しかったりもします。
登ってみて、本当に強固な城だったことを実感しました。19万石程度の大名が持つには「過ぎたる城」といわれたのもうなずけます。でもこの佐和山城も、関ケ原の戦いのわずか2日後、東軍によって攻め落とされてしまいます。
「女郎谷」はその悲劇をいまに伝えています。落城時、多くの女中がここから身を投げたといわれています。それから三日三晩、女性たちのうめき声が聞こえていたそうです。そばの紅葉は「血染めの紅葉」と呼ばれています。ほかの紅葉と比べて一段と赤いという話を聞いていたのですが、本当に真っ赤で驚きました。
この後、「旅」は、三成公が駆け抜けた戦跡へ。「関東七名城」のひとつで、水攻めをした忍城(おしじょう、埼玉県行田市)、そして、いざ関ケ原!
◇ ◇
■最後は京都を訪ねました
関ケ原から落ち延びた三成公でしたが、東軍の追撃隊に捕縛されます。そして10月1日、京都の六条河原で斬首されてしまうのです。
三成公のお墓は大徳寺三玄院にあります。通常はお参りすることはできません。今回、長谷川大眞住職のご厚意で特別に、お墓参りをさせていただきました。
緊張しながら長谷川住職について行くと、三成公のお墓は境内の最も奥まったところ、歴代住職のお墓と同じ一角にひっそりとありました。お墓のそばで、長谷川住職が三玄院に伝えられているお話を聞かせてくれました。
三玄院の開祖の弟子数人がある日の夜中、六条河原で斬首され、さらされていた三成公の首と胴体を引き取りに行ったのだそうです。運ぶ際、首は弟子のひとりが衣の袖に抱えて持ってきたと伝わっているとのことでした。
三成公のお墓ですが、元々は戦国武将で茶人の古田織部正重然のお墓の隣にあったそうです。ところがそばに生えていた木の根が張りだし、そのために墓石が倒れてしまい、明治40(1907)年にそこから10メートルほど離れた現在の場所に改葬されました。改葬にあたり、お骨を納めた石室には大量の炭を一緒に詰めたそうです。墓石には、倒れた衝撃でついたという傷がいまも残っていました。
ところでこの墓石には戒名も年号も彫られていません。お墓が三成公のものだと特定できたのは、三玄院に残っていた言い伝えと、首と胴体を引き繋いでいた小柄が出てきたからです。それにしてもここに三成公が眠っているんだと思うと、言葉にできない想いが込み上げてきて、涙が止まらなくなってしまいました。
三玄院には、関ケ原で東軍につき、後に美作津山藩主となった森忠政のお墓もあり、それがまたひときわ巨大で立派なんです。それに比べると敗者となった三成公の墓石は本当に小さく見えます。
関ケ原で負けてしまったのは悔しいし、その最期はとてもとても悲しい。でも最後まであきらめなかった不屈の精神は本当に格好いい。三成公はいまたくさんの人に敬愛されている……。悲しさやうれしさや、色んな想いで胸がいっぱいになりました。お寺を後にしても涙が止まらず、しばらく嗚咽するほど泣き続けてしまいました。
今回の旅は、六条河原で締めくくることにしました。六条河原のほとりでしばらく三成公に想いをはせ、そっと辞世の句をそらんじました。
筑摩江や 蘆間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我身なりけり
◇石田三成プロフィール◇
1560年生まれ、1600年没。
長浜城主時代の羽柴(豊臣)秀吉に見いだされ、一貫して豊臣政権を支えた。近江佐和山19万4千石の大名となり、賤ケ岳の戦いから文禄・慶長の役まで、秀吉による主だった戦のすべてに関与した。兵站面を中心に功績をあげる。また太閤検地や諸大名との交渉などに手腕を発揮して、高い行政能力を見せた。一方で武断派の福島正則、加藤清正らからは嫌われ、対立を深めてゆく。秀吉の死後、天下への野望を見せる徳川家康に対して挙兵。慶長5(1600)年の関ケ原の戦いで西軍を率いて大敗し、斬首となった。
【幕末から学ぶ現在(いま)】(47)東大教授・山内昌之 井上馨
■「政治家とカネ」の源流
民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体による土地購入事件は、政治とカネにまつわる問題が日本政治の宿痾(しゅくあ)であることを見せつけている。政権交代を実現した政府与党の中核で起きた事件だけに、その衝撃ははかりしれない。
◆尾去沢銅山事件の貪欲
ところで、政権交代で成立した明治新政府のカネにまつわる醜聞といえば、すぐに井上馨の関係した尾去沢(おさりざわ)銅山事件を思いだす人も多いだろう。もともと井上は、幕末に英国へ密航しながら、四国艦隊の長州攻撃の急を聞くと帰国し、藩論を攘夷(じょうい)回避に変えようとする情熱や使命感をもっていた。
しかし、公私のカネを区別する感覚が希薄な井上は一時、実業界に出て、三井系企業に関係したせいもあり、西郷隆盛に「三井の番頭さん」と揶揄(やゆ)されるほど金銭感覚が発達していた。
事件は、南部藩の御用商人だった村井茂兵衛(もへい)(鍵屋)の採掘する現秋田県鹿角(かづの)市にあった尾去沢銅山を、明治4(1871)年に大蔵大輔(たいふ)の井上が旧藩時代の証文をたてに政府に公収したところから生じた。没収した鉱山を井上が腹心の政商・岡田平蔵に競売で払い下げたから、村井はおさまらない。官権の不当行使として司法卿の江藤新平に訴えたのである。
しかも、一説には、後に井上は尾去沢銅山に「従四位井上馨所有」という立札を立てさせたというから図太(ずぶと)いものだ。
佐賀閥の江藤は、井上の胡乱(うろん)な行為に不正を嗅(か)ぎつけ、厳重に処分しようとしたが、長州閥の木戸孝允(たかよし)の妨害にあってうまくいかなかった。司法卿が大木喬任(たかとう)に代わると、取り調べは俄然(がぜん)、厳しくなった。大木も佐賀人だったので、井上はかねてから懇意の佐賀人、大隈重信にとりなしを頼み、岡田にも鉱山の工部省返上を願い出させた。
◆藩閥間の暗闘に発展
しかし、井上の日頃(ひごろ)の貪欲(どんよく)ぶりを快く思わない政府高官も多かった。まず参議の土佐人、板垣退助はもっとも強硬であり、あくまで井上の厳重処分を主張して譲らない。困り果てた木戸は、渋沢栄一や陸奥宗光(むつ・むねみつ)を司法省の河野敏鎌(とがま)のもとに送って穏便な処置を懇願させたらしいが、峻厳(しゅんげん)な土佐人の河野ははねつけてしまった。事態は、藩閥間の暗闘にも発展したのである。それにしても、関係者の顔ぶれが何ともいえず“豪華”なのが上昇期の明治らしい。
結局、事態を収拾したのは、“清濁併せのむ”か“なあなあ”の大風呂敷だった大蔵卿の大隈である。いかにも大雑把(ざっぱ)な大隈らしく、井上も廃藩置県の際に、混乱を極めた各藩財政を中央政府にまとめ、苦労して1年半ぐらいで整理したのだから、多少の不備や過誤があったはずだと曖昧(あいまい)な判断を下したのだった。
大蔵省は、村井茂兵衛に2万5千円の還付金を支払い、明治8年12月に裁判所も「情を知らない」という摩訶(まか)不思議な理屈で井上に30円の罰金支払いを命じて、3年越しの事件を片付けたのである。
◆辛うじて政治生命保つ
しかも、井上は判決の後に元老院議官となり、明治9年に特命副全権大使として朝鮮問題の処理にあたった。こうして井上は辛うじて政治生命を保ち、のちに明治の元老として重きをなすのであった。
銅山は、明治20年に東京の長谷川芳之助に所有権が移るまで岡田平蔵が経営していたというから呆(あき)れるといえば呆れてしまう。
政権交代を達成した明治新政府の要人らの間には、幕末の志士とは思えぬほど貪欲な政治家に変貌(へんぼう)した者も少なくない。一部では、金に恬淡(てんたん)とした幕臣や徳川幕府のほうがましだという声さえ聞かれたのだ。こうした汚濁の政権交代を実現するために、純粋無垢(むく)の志士たちは非業の最期を遂げたのかと、西郷が絶望感に襲われたことはよく知られている。
尾去沢銅山事件は、旧南部藩つまり岩手県にまつわる事案である。政治的にはそれなりの人物だった井上はついに宰相の地位に手が届かなかった。小沢幹事長に「井上馨をどう評価するのか」と尋ねてみたい有権者もさぞかし多いことだろう。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】井上馨
いのうえ・かおる 天保6(1835)年生まれ。周防(山口)出身。萩の藩校明倫館に学び、江戸に出て蘭学や砲術を習得。文久2(1862)年、イギリス公使館を焼き打ちするなど攘夷派だったが、翌年には伊藤博文らと渡英留学し、開国派に転ずる。明治新政府では参与となり、外国事務局判事などを歴任。銀行制度の創設に尽力し、三井などの政商と深くかかわる。明治12年には外務卿に就任。第1次伊藤内閣では外相となり、不平等条約改正のため鹿鳴館を中心に欧化政策を進めるが、失敗。その後、農商務相、蔵相などをへて元老、侯爵。大正4(1915)年、81歳で死去。
ビジネス
お~い!竜馬:近ツー国内旅行パッケージにイラスト起用で参加者が増加
近畿日本ツーリストは、3日に放送が始まった福山雅治さん主演のNHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなんだ国内のパッケージツアーを09年夏から発売。「幕末のジャパニーズ・ヒーロー 竜馬の道 坂本龍馬ゆかりの地を訪ねる」で、武田鉄矢さん原作のマンガ「お~い!竜馬」の作画を担当した小山ゆうさんの描き下ろしイラストをパンフレットの表紙などに掲載したところ、問い合わせが急増した。首都圏発の四国方面へのツアー参加数は09年の1~3月期と比べて15%増加したという。
「お~い!竜馬」は、「少年ビッグコミック」や「週刊ヤングサンデー」(小学館)で86~96年に連載していたマンガ。司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」を基に武田さんが原作を書き、92年にはNHKでアニメ化され、全39話が放送された。05、06年には舞台化もされている。
パンフレットなどに使われた小山さんのイラストについて担当者は「龍馬関連の文書は小説などいろいろありますが、文字ばかりだと手に取りにくい人もいるはず。アニメは老若男女問わずとっつきやすいと思い、09年6月に小山さんにイメージキャラクターをと打診しました。社員もマンガを読んで、龍馬を知り、(客に)よりよい説明ができればPRにもつながる。募集は今年いっぱい続くので大河ドラマの内容や現地の盛り上がりとの相乗効果でツアーの参加者が増えればいい」と話している。
ツアーパンフレットは、龍馬が生まれた高知市の「才谷屋」などを回る「立志編」、世界を船で巡ろうと夢をはせた地、長崎県にスポットを当てた「青雲編」、龍馬の活動拠点であり、最期の地となった京都を中心にした「回天編」の3種類。ほかに、京都フリープラン、九州エスコートプランなどさまざまな企画を用意している。また龍馬が天保6年11月15日生まれということから、毎月15日を「龍馬の日」とし、15日に出発するプランの価格を1人500~1000円割り引くサービスもある。また、申込者を対象に毎月5人に抽選で「お~い!竜馬」の新装版コミックス全12巻をプレゼントする。出発日は2月1日~9月30日。【西村綾乃】
IT
【リリース】スパイク,「喧嘩番長3」「侍道2ポータブル」をダウンロード販売
PSP『喧嘩番長3~全国制覇~』
PSP『侍道2ポータブル』
PlayStation Storeにてダウンロード版の販売を開始!
株式会社スパイク(本社 東京都渋谷区 代表取締役 櫻井 光俊)は、PSPRソフト『喧嘩番長3~全国制覇~』及び『侍道2ポータブル』のPlayStationRStoreでのダウンロード販売を、希望小売価格『喧嘩番長3~全国制覇~』を2,000円(税込)、『侍道2ポータブル』を3,000円(税込)にて開始したことをお知らせします。
『喧嘩番長3~一年戦争~』とは
本作は、2005年に発売されたPlayStation 2『喧嘩番長』を皮切りに展開するアクションアドベンチャー「喧嘩番長」シリーズの第3作目となります。本作では、全国の47都道府県を代表する番長たちが、修学旅行先である郷都(きょうと)に集結し、全国制覇をかけた戦いを繰り広げます。プレイヤーは自分で選べる任意の県の番長代表として全国制覇を目指します。メンチビームや豊富なカスタマイズ要素、男の器システムなど、本シリーズに受け継がれる数々のシステムは、本作でももちろん健在!全国47都道府県中、最強の番長を目指し、熱い戦いを繰り広げる本作を、お手持ちのPSPにダウンロードしプレイが可能です。
(中略)
『侍道2ポータブル』とは
2003年にPlayStation 2で発売しユーザーの皆様から熱い支持をいただいた『侍道2』が、PSPダウンロード版『侍道2ポータブル』として登場します。本作は黒船の襲来に国が揺れる幕末を舞台に、江戸から遠く離れた“天原”の地で物語が語られるアクション・アドベンチャーです。プレイヤーはこの地に訪れた流浪の侍となり、一人の侍としての生き様を体現していきます。天原には、それぞれ思惑が異なる3つの勢力が存在します。この地でどのように振る舞うか、どの勢力に荷担するか。どのような侍になるかは全てプレイヤー自身の選択に委ねられます。プレイヤーの起こす行動が、天原の各勢力のパワーバランスや信頼度に如実に反映され、行動次第で、異なる物語を味わうことができます。PSP版での登場となる本作は、ユーザーに人気のキャラクターを使用したステージバトル「武士の挑戦状」を新たに搭載。本編で鍛えた刀を使いバトルを楽しむことが可能です。とにかくバトルを楽しみたい、とことん刀を鍛えて腕を試したい!そんなプレイヤーの要望に応える新モードです。
また、本作ではアドホックモードを使用し好きなキャラクターで対戦プレイが可能です。対戦専用ステージは、全12種用意。友だち同士でバリエーションたっぷりに楽しむことができます。
科学的に再現!坂本龍馬の“肉声”が着ボイスに
NHK大河ドラマ「龍馬伝」がスタートし、ますます盛り上がりを見せる幕末の英雄“坂本龍馬”。なんと、その龍馬の肉声が着ボイスとなって現代によみがえったという。GIGAッchサイト内「坂本龍馬特集」で配信中の“龍馬ボイス”だ。
これは、日本着信メロディ研究所で“モンタージュボイステクノロジー”という技術を用い、科学的に検証された坂本龍馬の肉声を再現したもの。“モンタージュボイステクノロジー”とは声紋・音響解析のほかに、生体の発声器官を解剖学的に分析し、シミュレートすることで歴史上の人物などの肉声を再現する技術。それを駆使して、ついに龍馬の肉声が現代に復活したのだ。
今回登場の着ボイスは、「坂本龍馬です」「時代を変えなあかんぜよ」の2種類。GIGAッchサイトで着ボイスを配信している“着ネタ”コーナーランキングでは、人気芸人のオードリーやU字工事を抑えて、龍馬ボイスが1位、2位を独占する人気ぶりだ。
「この度、坂本龍馬の肉声が着ボイスでよみがえりました。まさに、日本の夜明けです!『坂本龍馬特集』ではほかにも、アニメからデコメまで龍馬に関するコンテンツが目白押し。このサイトを見るだけで龍馬マニアになれること間違いナシです!」と話すのは企画編成部の藤田さん。
前出の大河ドラマオープニング曲の着メロや「お~い!竜馬」の表紙待受画像などもそろうので、気になった人はチェックしてみて。【東京ウォーカー】
懐かしいなぁ、土方さんの着ボイス、いまだに保存しておりますのよ(苦笑)。
明日は久しぶりにお湿りがあるそうで、唇がかさかさに荒れている自分は雨歓迎です。
栃木
壬生城址公園の2つの巨石 「言い伝え」は事実だった
茨城
奥原晴湖見つめ直す 画室を移築、復元 茨城・古河
東京
坂本龍馬のルーツを辿る写真展
神奈川
元NHKキャスターが「軍港めぐり案内人」に-航海中にニュース伝える!? /神奈川
愛知
埋もれた新撰組隊士に光
京都
2階部分を幕末当時の姿に再現 龍馬ゆかりの京都「酢屋」
和歌山
友ケ島を国の史跡に、和歌山市と県が協議
島根
松江・床几山入口に、案内石碑復元
山口
長府博物館:「龍馬にとっての下関」 長州藩士資料など公開--来月2日から /山口
佐賀
龍馬愛用の茶わん、忠実に復刻 佐賀玉屋で展示会
長崎
龍馬らの足跡たどり 長崎の魅力など語る
文化芸能
龍馬だけじゃない!“明治維新の先駆者”吉田松陰の生き様に注目
ビジネス
竜馬ビジネス絶好調!写真貸し出し希望殺到
栃木
壬生城址公園の2つの巨石 「言い伝え」は事実だった
壬生町藤井の国指定史跡吾妻古墳の巨大な硬質岩製石室の全容が昨年度から本年度にかけて行われた発掘調査で明らかになった。壬生城址公園にある巨石が同石室の天井石と分かったことで、従来の「言い伝え」が事実と確認され、天井石や同公園に置かれた同石室の入り口の玄門にあらためて注目が集まっている。町教委は「石室や二つの巨石を見れば、その重量感や埋葬された人物の権威をより実感できる」としている。
「えっ、これが古墳の石なんですか」。城址公園でベビーカーを押していた30代の女性は、いつもの散歩コースにある石を意識してはいなかったという。
天井石は駐車場脇の芝生の上に置かれている。奥行き約2・4メートル、幅約1・7メートルの石室をちょうど覆う大きさで、厚さ約70センチ。石室の左右と奥の壁に密着させるため溝が刻まれ、材質も同じ青みがかった硬質岩だ。
吾妻古墳は6世紀後半に造られ、長さ約128メートルの墳丘を持つ県内最大の前方後円墳。古代下野国首長墓とされる。全国でも珍しい硬質の一枚岩を目の当たりにした県内の研究者からは「県内最大の古墳にふさわしい威厳のある石室」と感嘆の声も出た。
石室の姿が明らかになるまで、研究者には「城址公園の石は本当に天井石なのか」と疑問視する見方も強かった。「地域の古墳は加工しやすい凝灰岩の切り石」が定説だったからだ。
もう一つの巨石、玄門は、城址公園内の壬生中央公民館南側の木立の中にある。高さ約1・8メートルの石室にぴたりとはまるサイズの凝灰岩で、中央部がくりぬかれている。天井石とともに、幕末の壬生藩主鳥居忠宝が「自分の隠居所の庭石に」と運び出し、隠居所があった上稲葉から1989年に移された。
地元の藤井小には「吾妻古墳の石」との言い伝えがある横約2メートル、縦約1メートル、厚さ約30センチの凝灰岩も残る。
現在、石室を見て城址公園を訪れる人が後を絶たない。石室は近く埋め戻されるため、町教委担当者は写真を用意し二つの巨石を見学してもらう考えだ。
茨城
奥原晴湖見つめ直す 画室を移築、復元 茨城・古河
幕末から明治にかけ活躍した茨城県古河市出身の女流南画家、奥原晴湖(せいこ)=1837~1913年=が埼玉県熊谷市に画室を兼ねて暮らしていた「繍水草堂(しゅうすいそうどう)」が古河歴史博物館(古河市中央)へ移築、2月下旬に一般公開される。これまでも古河市内にありながら、あまり知られていなかった史跡の“復活”。同館では「復元工事で本来の姿を取り戻した画室とともに晴湖の画業を改めて見直してほしい」と期待を込める。(田中千裕)
晴湖は古河藩重臣の家に生まれ、17歳ごろから絵画を学んで江戸での文人墨客らとの交流を重ねた。水墨画に、詩で絵の情景を表現する南画の代表作家として高く評価されている。
移築された画室は、明治24(1891)年、熊谷に拠点を移した時代のもの。昭和4(1929)年、晴湖の子孫によって晴湖の実家がある古河市西町に移築されていた。しかし、「住宅地の中に人知れず置かれていた」(同館)状態だったという。
今回の移築は、所有する子孫から寄贈の申し入れを受けた古河市が国のまちづくり交付金事業を活用。約1年をかけた移築工事では残されていた熊谷時代の図面を基に、当時の姿に近い復元を目指したという。玄関から画室につなぐ廊下を設置。茶道をたしなんでいた晴湖が使用した炉も切られており、伝統的日本家屋の茶室としても使用できるようになった。
同館では、隣接する鷹見泉石記念館とともに、新たな歴史観光資源として活用したい考えだ。
2月の一般公開では晴湖の複製作品や残されている写真やパネルなどを画室に展示するが、室内へは入場できず、庭園からの観覧となる。また、隣接の同博物館では3月20日から移築記念の「奥原晴湖展」を開き、博物館所蔵品はじめ、県立歴史館などの協力で約50点に及ぶ作品を並べ晴湖の初期から晩年に至る画業を紹介することになっている。
東京
坂本龍馬のルーツを辿る写真展
NHK大河ドラマ「龍馬伝」で人気が再燃中の坂本竜馬のルーツを辿る写真展、写真で辿る『坂本龍馬の生きた時代』が、FUJIFILM SQUARE(東京都港区六本木、東京ミッドタウン内)1Fギャラリー「PHOTO IS」において開催されている。期間は2010年1月16日(土)から2月25日(木)まで。入場無料。
神奈川
元NHKキャスターが「軍港めぐり案内人」に-航海中にニュース伝える!? /神奈川
横須賀の人気観光スポット「軍港めぐり」で、元NHKキャスターの川原恵美さんが「特別案内人」に起用され話題を呼んでいる。1月22日・23日、同クルーズに乗船した川原さんは日米艦船ガイドの合間に「軍港ニュース」を読み上げるなど、ユニークなガイドぶりが好評。(横須賀経済新聞)
川原さんは8年前にNHK青森放送局に在籍した元キャスターで、tvkテレビ神奈川などでレポーターとしても活躍。プレゼンジム代表。
当日のクルーズでは、横須賀本港に停泊する潜水艦や空母など日米艦船の説明途中に「突然ですがここでニュースをお伝えします」とアナウンス。昨年実施された「日米ネイビーフレンドシップデー」「米空母ジョージワシントン一般公開」「引退した旧南極観測船しらせに買い手現る」などのニュース記事を読み上げて紹介。歴史をさかのぼって幕末の黒船騒動や横須賀造船所建設など歴史的事件もニュース風に解説するなど、観客を飽きさせない工夫を凝らした案内を行う。
同クルーズを運営するトライアングルの鈴木隆裕さんは「案内人の説明が好評なことから社内スタッフ以外の『特別案内人』コーナーを設けた。郷土史家・お笑い芸人など個性的な人材も案内役に起用して不定期に実施している」という。
川原さんは「毎日停泊する艦船が違うため、当日朝にならないと船舶の種類がわからないことも。事前に用意した原稿に加えて、同乗する専門スタッフのアドバイスも受けながら工夫している」と話す。「原稿にアドリブを加えて伝えるのはニュース現場のレポートに似ている」とほほ笑む。
軍港めぐりは1日4便。乗船料は、大人=1,200円、小学生=800円。汐入桟橋から出航する。
愛知
埋もれた新撰組隊士に光
【蟹江町 30日に佐野七五三之助検定】
●講演会や墓地案内板設置も
蟹江町出身の新選組隊士、佐野七五三(しめ)之助(の・すけ)(1834~67)。地元でもあまり知られていない人物に光をあてようという動きが町内で高まっている。30日には研究家を招いた講演会を開く。「佐野七五三之助検定」も初めて催される。町は近く、墓地への案内板を3カ所に設置する。(中村尚徳)
七五三之助は同町須成にある須成神社神職の長男として生まれた。尊皇攘夷(そん・のう・じょう・い)を志して江戸に行き、新選組が名を上げた1864年の池田屋事件の後、隊士募集に応じ京都へ上った。3年後、全隊士の幕臣取り立てに反発、離脱を画策したが、失敗して自刃した。
地元ではほとんど埋もれた史実だった。5年ほど前、新選組研究家の清水隆さんから知らされ、「かにえガイドボランティア歴史・文化夢案内人(あないびと)」副代表の山田靖宣さん(67)らが調べ始めた。郷土の歴史を掘り起こすとともに、町おこしや観光につなげようという思いもあった。
その後、七五三之助の妹の次男が、県内初の首相、加藤高明(1860~1926)だったことが分かり、山田さんらはのめり込んだ。岩崎弥太郎の長女と結婚し、三菱から官界に転じた加藤は、おじが新選組隊士だったことを隠したらしい。死後に発行された伝記でも、母方の家系図から七五三之助の名前は削除されていたという。
今年は、かにえガイドボランティア組織の発足5年目の節目にあたる。さらに同じ幕末が舞台のテレビドラマ「龍馬伝」が放映されていることも手伝って力が入る。山田さんは「表舞台に登場する人物ばかりが歴史じゃない。郷土に埋もれた歴史があることを知ってもらいたい」と話す。
講演会は30日午後1時半から町産業文化会館で。講演会の後「佐野七五三之助検定」がある。また、2月7日午前10時には、同町須成の寺院「龍照院」からの約800メートルを新選組の羽織姿で歩く行事もあり、参加隊士を募集している。問い合わせは、講演会が主催の町教委(0567・95・3812)、2月7日の行事は、ボランティア代表の金森伍朗さん(0567・95・0895)へ。
【家康公検定の岡崎市】
●作家招き職員研修
来年度から「家康公検定」を実施し、観光による活性化を目指す岡崎市で25日、市職員や市議、自治会長らを対象にした講演会があり、歴史家で作家の加来耕三氏が「徳川家康に学ぶリーダーの条件」をテーマに話した。
加来氏は、テレビドラマなどの歴史上の人物設定で、史実と明らかに異なる点が多いことなどを説明。「未来は過去、現在の延長線上にある。日常生活で歴史から学び、活用するには、固定観念にとらわれず、歴史を疑う姿勢が大事だ」と強調した。
家康公検定の実施については、「日本人の多くの人がイメージしている家康像も誤解されている面もあり、一から見直すべきだ。中国人の間では家康は一番人気で、中国からの観光客誘致につなげることも可能だ」と助言した。
京都
2階部分を幕末当時の姿に再現 龍馬ゆかりの京都「酢屋」
幕末の志士、坂本龍馬が海援隊の活動拠点として、暗殺される3日前まで過ごしていたと伝えられる材木商「酢屋」(京都市中京区)の2階部屋などが、当時の様子に再現され公開されている。NHK大河ドラマ「龍馬伝」も好評なだけに、龍馬ゆかりの観光スポットとして注目を集めている。
酢屋は、江戸時代の享保6(1721)年創業の材木商。高瀬川の木材独占輸送権を得て運送業も行っていた6代目、酢屋嘉兵衛が幕末、取引先の土佐藩で知り合った龍馬と意気投合し、酢屋の2階でかくまったとされる。
龍馬は、ここに海援隊京都本部を置き、隊士らとともに寝泊まりしていた。慶応3(1867)年6月には長い手紙を書き、姉の乙女に投宿していることを知らせている。
酢屋の事業は現在、「千本銘木商会」に引き継がれている。半年前に「龍馬が寝泊まりしていた建物の雰囲気を知ってもらおう」と、ふさいでいた2階天井部分を開放。梁などの屋根裏が見えるようにした上、龍馬がピストルの試し打ちを行ったとされる出格子のある方向に、すずりと筆を置いた机を配し、「龍馬の部屋」を再現した。
建物2階には、龍馬に関する史料も展示されており、早くも大勢の龍馬ファンが訪れているという。
酢屋10代目で、千本銘木商会社長の中川敦子さんは「龍馬ゆかりの建物が現在も街中に残っているのは大変珍しい。屋根裏の梁は龍馬の声を聞いていたはずです」と話している。
和歌山
友ケ島を国の史跡に、和歌山市と県が協議
明治時代に築かれたレンガ造りの砲台跡など貴重な遺跡群が残 友ケ島について、所有者の和歌山市が国史跡指定(戦跡)に向けて取り組んでいることが分かった。具体的な史跡の範囲などはまだ確定していない模様だが、4島でなる友ケ島のうち当面は砲台跡のある沖ノ島と虎島の2島の史跡指定化を目指す。指定されれば近代の歴史的遺産では県内初で、和歌山市の観光振興にとってもメリットは大きいと期待されている。
友ケ島は明治20年代に、外国艦船の侵入を防ぐ目的で沖ノ島に5カ所、虎島に2カ所砲台を建造し、軍用道路を設けて要塞化。第二次世界大戦までは要塞地帯として一般人の立ち入りは禁止されていた。
終戦時に米軍によって破壊された第2砲台跡以外は軍事施設跡は比較的良好な状態で残存。特に第3砲台跡にあるレンガ造りの倉庫跡は当時の最先端の技術の粋を結集した貴重な文化財で、映画などのロケに使用されたり、観光の人気スポットともなっている。
近代の要塞跡では、山口県下関市が世界遺産候補の1つ「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産にもなっている幕末期の「前田砲台跡」を中心に、平成22年度中の国史跡指定を目指し取り組んでいる。
和歌山市では史跡指定に向けて県と協議を開始。市文化振興課は「史跡の範囲などまだ具体的なことは決まっていない」と申請内容などは明らかにしていないが、県によると、今春には文化庁の現地調査が入る予定で、ことし12月の文化審議会の答申を目指したい考え。
市観光振興課は「国史跡となれば、友ケ島がこれまで以上に着目され、市の観光振興にとってもメリットは大きい」としている。
島根
松江・床几山入口に、案内石碑復元
松江開府の祖・堀尾吉晴が江戸初期、松江市雑賀町の床几山から眺望し、松江城を築く場所を決めたという逸話にちなんでこのほど、地元住民によって、来訪者を床几山に導く石碑が同町の国道432号線沿いに復元された。
新たに設けられた案内石碑は「床几山入口」と掘られ、御影石製で高さ約1・8メートル、幅、奥行きともに70センチ。
元の石碑は、1935年に同町出身で首相を務めた若槻礼次郎の銅像が床几山山頂に造られた際に合わせて、新しい石碑と同じ場所に設置されたが、80年ごろ、道路拡張に伴い、姿を消した。
それに対し、松江開府400年祭の追い風もあり、相生町通りの住民43人が「松江発祥の地へ導くものを、もう一度作ろう」と寄付をして復元した。
雑賀地区は、幕末から明治初頭にかけ、寺子屋などが数多く設けられ、学問の町として多くの偉人を生んだ。若槻礼次郎のほかに、近代スポーツの父と呼ばれる岸清一らを輩出した。
雑賀まちづくり推進協議会の佐々木武男会長(76)は「市民をはじめ、訪れる人々に、歩いて町の歴史を理解してもらうためにも今後も整備を続けていきたい」と抱負を話した。
山口
長府博物館:「龍馬にとっての下関」 長州藩士資料など公開--来月2日から /山口
下関市長府川端の長府博物館は、2月2日から坂本龍馬の関連資料をそろえた新コーナーを設け「龍馬にとっての下関」を再検証する。幕末の志士だけに、NHK大河ドラマを機に関心は高まるばかり。龍馬と下関の深いかかわりを象徴する4日間を入館無料にしてアピールする。
無料日は、龍馬が長府藩士、三吉慎蔵の助けで寺田屋での窮地を脱した1866年「1月23日」▽妻お龍と下関の豪商、伊藤九三宅に住み込んだ1867年「2月10日」▽長府藩士、印藤聿(のぶる)に夢を語った同年「3月6日」▽お龍のことを三吉に託す遺言状を残した同年「5月8日」。
龍馬と三吉、伊藤、印藤らとの親交などを示す資料や、幕末関連の品々、資料を随時公開していく。古城春樹学芸員は「当時の下関の人たちが、薩長同盟など維新に重要な役割を担っていたことを多くの人に知ってほしい」とPR。問い合わせは長府博物館(083・245・0555)へ。【尾垣和幸】
佐賀
龍馬愛用の茶わん、忠実に復刻 佐賀玉屋で展示会
長崎県佐世保市の藤本岳英さん(52)=五光窯=の「卵殻手(らんかくで)と龍馬が愛した器展」が、31日まで佐賀市の佐賀玉屋で開かれている。幕末の志士、坂本竜馬が愛用した長崎・亀山焼の茶わんの復刻品のほか、極薄の卵殻手の器など約100点を並べている。
亀山焼は1865年に廃窯し、竜馬がその仕事場跡に「亀山社中」を創立。龍馬は亀山焼の器を愛用したとされる。
藤本さんは平戸藩御用窯の13代目。亀山焼は三川内焼を手本に始まり、原材料も同じだったことが文献で分かり、亀山焼の再現を試みた。竜馬愛用の茶わんは、山口県下関市立長府博物館に所蔵される亀山焼を忠実に再現し、染付の龍の紋様が力強く躍っている。
また、藤本さんは三川内焼秘伝の卵殻手の技法を4年前に再興。会場には、厚さ0・9ミリと卵の殻のように薄い器も並び、皇太子殿下やスウェーデン王妃に献上したコーヒーカップなどが目を引いている。
長崎
龍馬らの足跡たどり 長崎の魅力など語る
◇鹿児島大教授招き来月
「龍馬と幕末の長崎・薩摩」と題した講演会が2月7日午前10時、長崎市立山1丁目の長崎歴史文化博物館で開かれる。講師は、原口泉・鹿児島大教授。NHK大河ドラマ「翔(と)ぶが如く」「篤姫」などの時代考証を手がけた経験も踏まえ、坂本龍馬ら幕末の志士の足跡をたどりながら、長崎の歴史や魅力を語る。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせた「長崎さるく英雄編」の一環として、市が主催。入場無料。定員先着140人。長崎さるくのホームページ(http://www.saruku.info/)か電話(095・811・0369)で申し込む。
文化芸能
龍馬だけじゃない!“明治維新の先駆者”吉田松陰の生き様に注目
NHKの大河ドラマ『龍馬伝』が始まり、坂本龍馬や明治維新に再びスポットが当たっているが、今年生誕180周年、維新思想の先駆者として知られる吉田松陰の存在も忘れてはならない。『獄(ひとや)に咲く花』(4月より全国公開。山口、福岡県のみ2月6日より先行公開)は、30歳で没した吉田松陰の短い生涯をひとりの女囚の目を通して描いた作品だ。
1830年に長州藩士の家に生まれた松陰は、1853年にペリーが浦賀に来航すると、龍馬と同じく西洋の先進文明に心を打たれる。翌年、再び来航したペリー艦隊に密航を企てるも、計画は失敗し、故郷で幽閉の身に処される。そこで、私塾「松下村塾」を開き、木戸孝允、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文らを育てていた松陰だが、1858年に幕府が日米修好通商条約を締結したことを知るや、討幕を表明。老中首座の暗殺を計画し、野山獄に送られて処刑されてしまう。
いわゆる志なかばで散った不遇の幕末武士で、その先駆的な思想から、松陰は明治維新の精神的指導者、理論者として多くの人々に影響を与えた。明治維新のスターである坂本龍馬に比べれば随分と地味な印象だが、龍馬の活躍も松陰が作った下地があってのものだったのだ。
劇中ではそんな松陰が野山獄に収監されていた執念の日々が描かれる。表舞台で輝いた龍馬もいいが、吉田松陰の“陰”での輝きにも注目だ。【トライワークス】
ビジネス
竜馬ビジネス絶好調!写真貸し出し希望殺到
NHK大河ドラマ「龍馬伝」の効果もあり、坂本龍馬の肖像写真を商品のパッケージやキャラクターに使いたいと、原板を管理する高知県に貸し出し申請が、県外などから急増している。県立坂本龍馬記念館(高知市)には例年40件程度の申請が約10倍に殺到。過熱する“竜馬ビジネス”に経済効果を期待する一方、トイレットペーパーに使用許可を求められるなど安易な便乗商法には「イメージが損なわれる」などと不安の声も出始めた。
右手を懐に入れ、革ブーツ姿で立つ坂本龍馬。この有名な写真は1866年、土佐藩の町医師で写真家、井上俊三によって長崎県で撮影されたとされる。商業利用する場合、同記念館(高知市)と歴史民俗資料館(南国市)が、1回5150円でデータなどを貸し出している。
福山雅治(40)主演の「龍馬伝」が、龍馬を主人公にした大河ドラマとして42年ぶりに撮影されることが決まると、貸し出し申請が急増。同記念館は、2009年度が12月末時点で396件、同資料館も毎年50件だったのが120件以上にはね上がった。龍馬と関係ない大阪、東京の業者も多く、8割以上が高知県外からという。
使われる商品は出版物や菓子、酒からパチンコの機械までさまざま。何個作っても、いくらもうけてもロイヤルティーを要求されることはない。ただし条件があり、「加工せずそのまま使ってもらう」と記念館の森健志郎館長。以前、貸し出した画像が口を開けて叫んでるようにトリミングされ、公営ギャンブルのポスターに使用されたという。また、トイレットペーパーにも打診があったが断った。
「龍馬伝」は今月24日放送分まで3週連続で週間視聴率1位を記録しており、過熱一途の龍馬人気に森館長は「県外業者の商売魂は凄い。ファンを増やす千載一遇のチャンス」と期待。日本銀行高知支店の西川正治総務課長は「先行き不透明な世の中だから、幕末の英雄に期待がかかるのだろう。ビジネスチャンスはまだいっぱいある」と分析する。
一方でファンからは「商売に使うのはおかしい。イメージが損なわれる」と批判的な意見もあり、記念館の前田由紀枝学芸主任は「龍馬の思想や人柄にも関心を持ってくれればいいが」と不安顔。資料館の寺川嗣学芸員も「“バブル”で終わってしまうのではないか心配」と話している。
昨日は2年ぶりに京都の新選組関係史跡を散策しました。後日サイトに訪問記をまとめたく思っています。
北海道
函館の歴史 多くの人に 無料ガイドツアー好評
静岡
下田市挙げ、坂本龍馬で町おこし 静岡
富山
企画展:「富山町人の姿」 維新の前後、生き生きと--富山市郷土博物館 /富山
京都
京都で「大龍馬展」
リンク先に飛ぶとmidi音楽が流れますので注意ください。
昨日、高台寺まで足を運びながら、霊山歴史館への坂道を上るのがかったるくて「大龍馬展」観覧を断念した自分のへたれさには、苦笑ものです。
広島
福山の町舞台に歴史ミュージカル
島根
幕末の四境戦争 題材に 3月「暁の風」上演
山口
吉田松陰、高杉晋作 歴史上人物の商標「ダメ」
佐賀
うれし恥ずかしコスプレ楽し
長崎
勝海舟の書など100点 森の美術館in雲仙で龍馬展
エンターテインメント
京都に根付く“伝統的エコ”学ぶ
モデルの杏さんが江戸文化の魅力を紹介、「鬼平に想いを馳せて『江戸の味わい食べ歩き』」イベントにて
エイチーム、幕末が舞台の携帯向け恋愛ゲームを配信
幕末の志士との恋愛が楽しめる! シミュレーションゲーム『幕末竜馬伝◇恋の掟』登場
ブックレビュー
今週の本棚・新刊:『第二の男』=小島英記・著
ビジネス
引っ張りだこの竜馬サマ…トイレットペーパーはNGに
京都・寺田屋など彼の足跡を辿りたい人に「坂本龍馬ゆかりの旅特集」
北海道
函館の歴史 多くの人に 無料ガイドツアー好評
五稜郭タワー(函館市五稜郭町43)では今月から、観光客を対象とした無料の歴史ガイドツアーを実施している。はこだて検定(函館歴史文化観光検定)上級合格者で同タワー企画室長の木村朋希さん(47)がガイド役を担当。分かりやすい解説により評判を呼んでいる。
以前から団体の小学生などを案内する機会が多かった木村さんは「もっと深く五稜郭の歴史を学んで、利用者に喜んでもらいたい」の思いから、勉強を積み重ねて知識を深めていった。2007年に行われたはこだて検定の上級試験では、合格率2・3%という難関を見事に突破した。
ガイドツアーでは、展望台のガラス窓から見える今年オープン予定の箱館奉行所を眺めながら、五稜郭の役割や箱館戦争のエピソードなどを紹介していく。観光客の出身地や年齢に応じて説明内容を臨機応変に変更するなど、興味を持ってもらうために様々な工夫をこらしている。
ツアーに参加した、仙台から観光で訪れた高橋勝彦さん(69)は「『箱館』から『函館』へと名前が変わった経緯がよくわかった」。妻秀子さん(66)は「漠然としていた五稜郭のイメージが鮮明になった」と新たな発見に目を輝かせていた。
ガイドツアーの実施時間や回数は、日によって異なるが、開始1時間前には館内放送で参加を呼び掛ける。木村さんは「自分のガイドを通じて、函館や五稜郭の歴史を多くの人たちに知ってもらえればうれしい」と話していた。
静岡
下田市挙げ、坂本龍馬で町おこし 静岡
幕末の志士、坂本龍馬の人気にあやかり街を活性化しようと、静岡県下田市で地元の観光協会や旅館組合、商工会議所などが一体となり、盛り上げている。
龍馬が土佐藩主・山内容堂に脱藩を許された地とされる宝福寺(下田市一丁目)住職の竹岡幸徳(ゆきのり)さん(59)は大の龍馬ファンで今回の動きの中心人物。NHK大河ドラマ「龍馬伝」放送に合わせて今月、「龍馬伝志援隊」を発足させ、地域通貨の発行やイベントを準備中だ。
4月から発行する地域通貨は小判とコインの2種類で単位は「龍(りょう)」。独自にデザインした「龍馬くん」や坂本家の家紋が表面に描かれる。小判は2千枚、コインは5万枚作られ、それぞれ2700円と900円で販売し、市内の加盟店で3千円分、千円分の買い物ができる仕組みだ。観光協会や商工会議所、旅館組合に加盟している旅館などで扱う。志援隊の増田健太朗さん(40)によると「地域通貨で買い物をした場合の特典をお店に工夫してもらう」という。
下田と龍馬の縁は、「文久3(1863)年、土佐藩を脱藩した龍馬を預かっていた勝海舟が、宝福寺で藩主の山内容堂と会談し、許しを得たこと」と竹岡さん。龍馬は自由に行動できるようになり、その後の活躍につながったという。
同寺では2人が会談した「謁見の間」も復元されており、今回、新たに作られた龍馬の木像も寺の入り口に置かれた。竹岡さんは「今年1年に限らず、地域住民や観光客と一緒に“龍馬ゆかりの地・下田”をアピールしていきたい」と意欲を見せている。
富山
企画展:「富山町人の姿」 維新の前後、生き生きと--富山市郷土博物館 /富山
戊辰(ぼしん)戦争の勝利を祝う富山城下を記録した版画集「御慶事賑物(ごけいじにぎわいもの)」など、明治維新前後の様子を紹介する企画展「富山町人の姿」が、富山市郷土博物館(富山市本丸)で開かれている。4月18日まで。
戊辰戦争で富山藩は新政府軍側に立ち、勝利に貢献。藩は藩主・前田利同(としあつ)の功績をたたえるため、1869(明治2)年6月、町人に命じて8日間の祝賀行事を開かせた。
「御慶事賑物」はその模様を描いた版画集で、踊る老若男女と町内を練り歩く曳山(ひきやま)、芝居や浄瑠璃が上演される場面など60点余りを収めている。今回はそのうち約40点を展示している。
入館料は高校生以上200円。小中学生は100円だが、土日祝日は無料。開館時間は午前9時~午後5時。問い合わせは同館(076・432・7911)。【岩嶋悟】
京都
京都で「大龍馬展」
リンク先に飛ぶとmidi音楽が流れますので注意ください。
京都市東山区の幕末維新ミュージアム・霊山(りょうぜん)歴史館で、坂本龍馬の生涯を紹介する年間特別展「大龍馬展」が開かれています。第1期(~5月5日)は「龍馬誕生・夢」がテーマ。龍馬の社会への視野を広げ、商業隊の構想を与えたとされる土佐藩の絵師・河田少龍の遺品など約100点の資料で龍馬の実像に迫ります。
昨日、高台寺まで足を運びながら、霊山歴史館への坂道を上るのがかったるくて「大龍馬展」観覧を断念した自分のへたれさには、苦笑ものです。
広島
福山の町舞台に歴史ミュージカル
福山市元町のNPO法人「F.Roseエンターテイメントスタジオ」は今夏、市内各地の歴史をテーマにしたオリジナルミュージカル「龍馬が見た福山」を同市東桜町の県民文化センターふくやまで上演する。NHKの大河ドラマ放映を機に注目されている幕末の志士・坂本龍馬を案内人にして福山の魅力を広く伝える狙いだ。出演者を公募しており、同スタジオは「龍馬ブームに乗って一緒に福山を盛り上げよう」と呼びかけている。(中野寛)
ミュージカルでは、平安時代から昭和期までの福山市にゆかりのある人物に光を当て、歌詞をアレンジしたポップス音楽などに乗せてそれぞれの人物にちなむ五つの物語を演じる。
江戸末期、芦田町・新市町を舞台に特産の備後絣(がすり)を完成させた富田久三郎を取り上げたエピソードや、神辺町で童謡詩人の葛原しげるが童謡「夕日」を誕生させた大正・昭和時代の物語などが演じられた後、龍馬率いる海援隊の商船「いろは丸」が鞆町の近海で紀州藩の軍艦と衝突して沈没したとされる事件の話で幕を閉じる。幕あいごとに、龍馬と各物語の主役たちが「天国にいる」という設定で登場し、それぞれのエピソードに関する裏話などを語り合う。
脚本は市立福山高校と近大付属福山高校の演劇部顧問の教諭2人と、同市在住のフリーライター海野瑞樹さん(48)が執筆。宝塚歌劇団出身の原田由乃さん(46)と富良野塾出身の六条寿倖(ひさ・ゆき)さん(49)が演技を指導する。現在、同スタジオに通う生徒らが公演に向けて発声などの基礎練習を行っている。
市民の出演者も積極的に募っており、対象は小学生以上で、週2回のレッスン(小学校低学年は1回)に通える人。オーディションはなく、全員何らかの役を担当してもらうという。
事務局の高田利都子さん(51)は「福山のおもしろさと舞台を作り上げる楽しさを味わい、その魅力を一緒に発信していきたい」と話している。
公演日は7月25日の予定で上映時間は約2時間の見込み。開演時間は決まっていない。第1回の公演後は物語の舞台となる市内の各町でも上演する計画だ。問い合わせは同スタジオ(084・973・2415)へ。
島根
幕末の四境戦争 題材に 3月「暁の風」上演
「益田にも歴史の節目」商議所青年部劇団 旗揚げ
幕末、益田市街であった四境戦争(第二次長州征伐)・石州口の戦いを題材にした演劇「暁の風」が3月28日、同市有明町の県立いわみ劇場で上演される。益田商工会議所青年部が昨年6月に発足させた劇団「夜明け」の旗揚げ公演。団員約50人の中には演劇初心者も多いが、本番に向けて練習を積んでいる。
劇団は、地元の歴史・文化を市内外に発信する目的で結成。「歴史の大きな転換点が益田にあったことを、まずは市民に認識してもらいたい」と、石州口の戦いをテーマに取り上げた。
石州口の戦いは1866年(慶応2年)、長州軍が幕府軍に大勝し、明治維新への流れをつくった。長州軍指揮官・大村益次郎や、同市多田にあった扇原関門を一人で守った浜田藩士・岸静江ら実在の人物が登場し、岸を慕う地元の若者4人を軸に、懸命に生きる人々を描く。
同青年部会員のほか、呼びかけに応じた中高生、一般市民も加わり、昨年8月から週2回の練習を重ねている。主役の若者の一人を演じる明誠高2年石田晴香さん(17)は「前から演劇に興味があった。チャンスをもらった」と意気込んでいる。
午後2時開演。全席自由で1000円。問い合わせは同青年部(0856・22・0088)。
山口
吉田松陰、高杉晋作 歴史上人物の商標「ダメ」
特許庁は、山口市が出願した同市出身の詩人、中原中也の名前の商標登録を認めない一方、東京都内の会社による幕末の志士、吉田松陰や高杉晋作、桂小五郎の名の商標登録を取り消すことを決定した。
歴史上の人物の名前に関して、ゆかりのない企業から商標登録の出願が相次ぎ、出身地などとトラブルが生じたことから、特許庁は昨年10月、審査基準を策定。人物の著名性や名前の利用状況、出願目的などを考慮したうえで、公共の利益を損なうおそれがある場合や利益を独占する意図に基づく場合には登録を認めないことにした。
山口市は昨年2月、「中也の名を文化的資源として保護する」として出願。特許庁は8日付の通知で、「山口市の独占的な使用が、全国の観光振興策などの妨げになると判断した」と説明している。
一方、吉田松陰ら3人の名の商標は2005年6月、宮城県の会社が出願し、07年9月に登録された。その後、貸金業などを行う東京の会社に商標権が移っていた。3人の出身地の山口県萩市は08年2月、商標登録取り消しを求めて異議を申し立てた。特許庁は「人物名を使った地域おこしを阻害する」として、13日付で申し立てを認め、登録取り消しを決定した。
佐賀
うれし恥ずかしコスプレ楽し
佐賀市柳町の市歴史民俗館で23日、アニメや漫画、テレビゲームなどのキャラクターに扮するコスプレ(コスチュームプレイ)愛好者たちの撮影イベント「浪漫画喫茶」が開かれた。旧古賀家、旧牛島家、旧三省銀行といった歴史の香り漂う建物で、参加者らは思いおもいの扮装をし、写真に収まっていた。
県内のコスプレ愛好者らが、佐賀文化の良さを今に伝える建物でイベントがしたいと思い立ち、実行委を結成。市観光振興課の許可を得て、昨年6月に旧古賀銀行(同市同町)で初めて開催し、130人が参加した。今回が3回目になる。
実行委代表の池田安治さん(35)=鹿島市=によると、レトロな撮影ポイントが好評で、イベントをきっかけに愛好者同士の交流も生まれているという。旧古賀家の座敷で、新撰組の斎藤一に扮していた佐賀市の女性(26)は「実際に人が住んでいた建物で、当時の暮らしなどの世界観を感じる」とイベントを満喫していた。
長崎
勝海舟の書など100点 森の美術館in雲仙で龍馬展
「坂本龍馬・その刻(とき)と文化」(長崎新聞社など後援)と題し、書画などを集めた企画展が雲仙市小浜町雲仙の「森の美術館in雲仙」で開かれている。4月11日まで。
龍馬が活躍した幕末の島原半島の歴史、文化、生活などにスポットを当てた。1864年、熊本から船で島原半島に渡り、長崎入りした勝海舟の書や、龍馬らを支援した長崎の豪商・小曽根乾堂の篆書(てんしょ)、龍馬が好んだ亀山焼の大皿や、亀山焼に下絵を描いた「長崎三筆」と呼ばれる木下逸雲や日高鉄翁らの南画、島原藩主の松平忠房の書など約100点を展示している。
24日、オープニングセレモニーがあり、長崎歴史文化博物館館長の大堀哲さんのあいさつにつづいて、南島原市商工観光課長で、郷土史家の嶋田惣二郎さんが講演し、「幕末の島原藩は島原大変(1792年)を引きずり財政に苦しんでいたが、半島内には多くの寺子屋や私塾、藩校があり、子どもたちの教育にはお金をつぎ込んだ」などと話した。このほか、小曽根家17代当主夫人で「お龍さんの長崎日和」著者の育代さんの講話、夫の吉郎さんによる勝海舟の書など展示作品の解説もあった。
エンターテインメント
京都に根付く“伝統的エコ”学ぶ
「もったいない」をテーマに、いにしえの都、京都に伝わる先人の知恵からエコロジーを学ぶ知的バラエティーが、読売テレビで30日放送の「MOTTAINAIは京に学べ 京都びっくり幕末ツアー」(前10時30分)です。
幕末ブームに沸く京都を訪れた南原清隆と渡辺真理が、かつて新撰組が拠点にした旧前川邸で、時空を超えタイムスリップしてきた近藤勇(ブラックマヨネーズ・小杉竜一)、土方歳三(同・吉田敬)と遭遇。4人で京都の町を巡りながらエコを体験していくのですが、坂本龍馬(柳沢慎吾)と妻のおりょう(大沢あかね)、さらには豊臣秀吉(カンニング竹山)など歴史上の人物が次々に登場。ハプニング連続の爆笑珍道中を繰り広げます。
新撰組の羽織を作った大丸呉服店(大丸京都店)では、江戸時代から店先に無料の傘を置きレンタルしていたり、京銘菓「八つ橋」は米びつに残った米粒のリサイクルから生まれたものだったりと、京都に根づくエコの精神に一同びっくり。
南原は「京都には他の都市にはない賢いエコがあるんですね」と感心しっ放し。一方、新撰組という大役を演じたブラマヨ小杉は「故郷に錦を飾る気持ちでロケに来たら、みんなかつらなのに僕だけ地毛で勝負ということで、こんな仕打ちあっていいのかと…」。ブラマヨ吉田は「昔の人は、はかまなのでトイレに行くのが大変やったろうな。僕は2回も汚してしまいました」と、時代劇の苦労!?を語りました。ご期待下さい。
モデルの杏さんが江戸文化の魅力を紹介、「鬼平に想いを馳せて『江戸の味わい食べ歩き』」イベントにて
東京都商店街振興組合連合会は1月24日、墨田・浅草エリアにおける商店街の活性化を目的としたプロジェクトの一環として、「鬼平に想いを馳せて『江戸の味わい食べ歩き』」イベントをすみだリバーサイドパーク/うるおい広場で開催した。同イベントでは、モデルおよび女優で“歴女”としても注目されている杏さんをスペシャルゲストに迎え、江戸文化の魅力や江戸の食事について語るトークショーが催された。
パリやミラノなどの世界的なコレクションのモデルとして活躍されている杏さんは、昨年流行語大賞にも選ばれた“歴女(歴史好きな女子)”としても注目を集め、歴史に関連するテレビや雑誌などに引っ張りだこ。今回のトークショーには、いつもとは趣を変えて、着物姿で登場してくれた。そんな杏さんは、なぜ歴史にのめり込むようになったのだろうか。こうした話からトークショーがスタートした。「一般的な“歴女”というと、戦国武将好きな人をいう場合が多いが、私は江戸時代のとくに幕末の歴史が大好き」とのこと。「きっかけは、中学時代の先生の教え方が上手だったということもあり、その後江戸時代を取り上げた漫画などを読むにつれて魅力にはまっていった」と、歴史の授業が発端だったという。「モデルの仕事で地方に行った時は、必ずその土地の史跡巡りをしている」と、今では時間があれば歴史の探究に費やしていると述べていた。
さて、今回のイベントは、墨田・浅草エリアにゆかりの深い池波正太郎の「鬼平犯科帳」をからめて、同エリアの江戸時代の「文化」と「食」を紹介している。そこで、杏さんに池波正太郎の小説を読んだことがあるかを聞いてみると、「新撰組の永倉新八を取り上げた『幕末新選組』が大好きで、この小説を読んでから幕末の歴史に傾注していった」と、杏さんが幕末好きになったきっかけは、池波正太郎の小説でもあったようだ。「『鬼平犯科帳』も大好きで、小説だけでなく漫画も読んだ」と、「鬼平犯科帳」も読破した様子。「江戸時代の街並みは、実際にみたことがないので知らないはずなのに、池波先生の小説では、読んでいると情景が頭に浮かび、知っているような気分にさせてくれる」と、池波正太郎の小説は情景描写が魅力であると語っていた。
杏さんは、時代物の小説を読んだり、文献で出来事を調べたりするなど、インドアな“歴女”ではなく、アウトドアな“歴女”であることは、地方を訪れた時に史跡巡りなどをしている点からも推察できる。それでは、墨田・浅草エリアを歴史という視点で巡るとすると、どんな巡り方がよいのだろうか。「隅田川の水上バスから街並みを眺めるのも楽しいと思うし、電車でポイントとなる場所を訪れたり、ドライブをしながら脇道の存在を発見するなど、どんな方法でも江戸時代の雰囲気を楽しめるのが墨田・浅草エリアだと思う」と、杏さんにとって同エリアはまさに魅力あふれる街であるという。
また、今回のイベントのテーマである「食」について聞いてみると、「昨年、江戸東京博物館には17回も訪れたのだが、その展示品に酔いしれるだけでなく、博物館周辺でちゃんこ鍋を食べるといった楽しみもあり、計17回もいってしまったのだと思う」と、同エリアにはおいしい料理を提供するお店が豊富とのこと。「実は、まだ“どじょう料理”を食べたことがないので、ぜひ墨田・浅草エリアのお店で食べてみたい」と、食についての目標があることも語ってくれた。
最後に、「歴史を探究している中で、自分と共通するものだったり、出来事があるとグッとくる。最近では、こうした体験が、プライベートに加えて、歴史の仕事をたくさんいただいていることもあって、増える傾向にある。この時は、最先端のファッションを追い求めている自分とはまた違った、キラキラとした自分に出会えるのでうれしい」と、自分自身も変えてくれる、それが杏さんが歴史に魅了される所以であるようだ。
なお、同イベントでは、杏さんの他に、文藝春秋で当時、池波正太郎の担当だった「WiLL」編集長でワック・マガジンズの花田紀凱取締役が、池波正太郎の魅力や「鬼平犯科帳」誕生秘話などを語るトークショーも催された。
東京都商店街振興組合連合会=http://www.toshinren.or.jp/
エイチーム、幕末が舞台の携帯向け恋愛ゲームを配信
株式会社エイチームは、1月25日より、携帯電話向け恋愛シミュレーションゲーム「幕末竜馬伝◇恋の掟」の配信を、開始した。
このゲームは、江戸時代末期を舞台にした、携帯電話で遊べる女性向け恋愛ゲームで、坂本竜馬、勝海舟、桂小五郎などの幕末志士たちとの恋愛を体験できるというもの。
対応機種は、docomoが904シリーズ以降と903シリーズの一部端末(F903iX・D903i・SH903i)、auがW41シリーズ以降、SoftBankが9シリーズ、8シリーズ(一部端末を除く)、ディズニーモバイル、となっている。料金は、月額315円(税込)。
幕末の志士との恋愛が楽しめる! シミュレーションゲーム『幕末竜馬伝◇恋の掟』登場
エイチームは、恋愛シミュレーションゲーム『幕末竜馬伝◇恋の掟』を1月25日より配信しました。
『幕末竜馬伝◇恋の掟』は、江戸時代末期を舞台に坂本竜馬、勝海舟、桂小五郎などの幕末志士たちとの恋愛を体験できるゲームです。エンディングは、選択肢の選び方で変わっていくマルチエンディング方式となっています。
■ストーリー
主人公は、江戸末期の城下町に住む平凡な女の子。
そこへ突然、自分とそっくりな女の子がやってきます。
その女の子に「少しだけ私と入れ替わって」とお願いされ、強引に着物を取り替えられてしまいます。
事情がわからないまま、しぶしぶ引き受けた主人公ですが、入れ替わった相手はなんと、この国のお姫様!!
そして彼女の婚姻が、倒幕の成功を左右していくことになります。
この婚姻が成功すれば、尊皇攘夷を掲げて幕府を倒すことが難しくなってしまうため、主人公をお姫様だと勘違いした幕末志士たちが大暴れ!
婚姻推進派の勝海舟、西郷隆盛と反対派の桂小五郎、高杉晋作に分かれ、主人公を巡り激しい攻防を繰り広げます。
さらに、高みの見物をしていた坂本竜馬も、「俺の女にする!」と参戦して大混乱!
でも入れ替わりがバレると、打ち首獄門の刑になっちゃう…!?
ドキドキのお姫様ライフ、ここに始まる!
『幕末竜馬伝◇恋の掟』は、ドコモFOMA904以降/auW41シリーズ以降/Yahoo!ケータイ9シリーズ、8シリーズ、ディズニーモバイルに対応し、月額315円(税込)で楽しめます。また、無料体験版も用意されています。
ブックレビュー
今週の本棚・新刊:『第二の男』=小島英記・著
(日本経済新聞出版社・1680円)
歴史に残る偉大なリーダーも、自分一人でことを成し遂げられたわけではなく、そこにはなくてはならない協力者がいた。参謀、家老、軍師、宰相、副社長、ナンバー2の呼称でくくられる「第二の男」たちで、時に主人をしのぐ存在感を歴史の中で見せている。
新撰(しんせん)組で近藤勇の右腕だった土方歳三、世界のホンダを築いた本田宗一郎を陰で支えた藤沢武夫、革命家の西郷隆盛に対するリアリストの大久保利通。ナポレオンと複雑な関係で結ばれたタレイラン……。古今東西の11人を取り上げた本著の面白さは、忠誠心や縁の下の力持ちといった美談ですますのではなく、主人との葛藤(かっとう)と相克、時には打算の複雑な心理に彩られた人間ドラマとして彼らを描いたところにある。(恵)
ビジネス
引っ張りだこの竜馬サマ…トイレットペーパーはNGに
右手を懐に入れ、革ブーツ姿で立つ坂本竜馬。この有名な写真を商品のパッケージやキャラクターに使いたいと、原板を管理する高知県に貸し出し申請が急増している。過熱する“竜馬ビジネス”に経済効果を期待する一方、安易な便乗商法への不安の声も出てきた。
写真は1866年に長崎県で撮影されたとされる。商業利用の場合、県立坂本竜馬記念館(高知市)と歴史民俗資料館(同県南国市)が、加工しないことを条件に1回5150円でデータなどを貸し出している。
記念館では毎年度40件程度の申請が、2009年度は12月末までで396件、資料館も50件が120件以上に急増。竜馬と関係ない大阪、東京の業者も多く、8割以上が高知県外からだ。商品は出版物や菓子、酒からパチンコの機械まで。トイレットペーパーもあったが「そんなものに使われるのは」と断ったという。
記念館の森健志郎館長は「県外業者の商売魂はすごい。ファンを増やす千載一遇のチャンス」と期待。日銀高知支店の西川正治総務課長は「先行き不透明な世の中だから、幕末の英雄に期待がかかるのだろう。ビジネスチャンスはまだいっぱいある」と分析する。
一方、ファンからは「商売に使うのはおかしい」「イメージが損なわれる」と批判的な意見もあり、記念館の前田由紀枝学芸主任は「竜馬の思想や人柄にも関心を持ってくれればいいが」と不安顔。資料館の寺川嗣学芸員は「“バブル”で終わってしまうのではないか心配だ」と話している。
京都・寺田屋など彼の足跡を辿りたい人に「坂本龍馬ゆかりの旅特集」
福山雅治主演、NHK大河ドラマなどをきっかけに坂本龍馬ブームが起こっているが、旅行情報、宿・ホテル予約サイト「BIGLOBE旅行」が「坂本龍馬ゆかりの旅特集」を公開した。関連イベントなどの情報も掲載されている。
「坂本龍馬ゆかりの旅特集」では、坂本龍馬にゆかりのある観光スポットや宿泊施設を紹介。また、龍馬が生涯で出会った幕末の人物にもスポットを当て、人物ごとにゆかりの地や宿もガイドされている。「坂本龍馬ゆかりの地」では、高知県桂浜の坂本龍馬像、高知県立坂本龍馬記念館、龍馬生誕地の碑から、定宿だった京都・寺田屋や最期の地となった近江屋、円山公園にある坂本龍馬と中岡慎太郎像などのスポットを紹介している。
イベント情報では「土佐・であい博」、「長崎まちなか龍馬館」など龍馬にまつわる各地のイベント情報やパビリオンを紹介。イベントの開催時期、アクセス方法といった情報を掲載している。そのほか、「幕末の人物ゆかりの地」として龍馬が生涯に出会った西郷隆盛、桂小五郎、岩崎弥太郎、中岡慎太郎とのエピソードにも触れており、「岩崎弥太郎生家」、「中岡慎太郎館」など人物ごとのゆかりの地を紹介している。
昨日は2年ぶりに京都の新選組関係史跡を散策しました。後日サイトに訪問記をまとめたく思っています。
静岡
下田市挙げ、坂本龍馬で町おこし 静岡
京都
京都で「大龍馬展」
リンク先に飛ぶとmidi音楽が流れますので注意ください。
広島
福山の町舞台に歴史ミュージカル
島根
幕末の四境戦争 題材に 3月「暁の風」上演
山口
吉田松陰、高杉晋作 歴史上人物の商標「ダメ」
佐賀
うれし恥ずかしコスプレ楽し
長崎
勝海舟の書など100点 森の美術館in雲仙で龍馬展
エンターテインメント
京都に根付く“伝統的エコ”学ぶ
モデルの杏さんが江戸文化の魅力を紹介、「鬼平に想いを馳せて『江戸の味わい食べ歩き』」イベントにて
エイチーム、幕末が舞台の携帯向け恋愛ゲームを配信
ブックレビュー
今週の本棚・新刊:『第二の男』=小島英記・著
静岡
下田市挙げ、坂本龍馬で町おこし 静岡
幕末の志士、坂本龍馬の人気にあやかり街を活性化しようと、静岡県下田市で地元の観光協会や旅館組合、商工会議所などが一体となり、盛り上げている。
龍馬が土佐藩主・山内容堂に脱藩を許された地とされる宝福寺(下田市一丁目)住職の竹岡幸徳(ゆきのり)さん(59)は大の龍馬ファンで今回の動きの中心人物。NHK大河ドラマ「龍馬伝」放送に合わせて今月、「龍馬伝志援隊」を発足させ、地域通貨の発行やイベントを準備中だ。
4月から発行する地域通貨は小判とコインの2種類で単位は「龍(りょう)」。独自にデザインした「龍馬くん」や坂本家の家紋が表面に描かれる。小判は2千枚、コインは5万枚作られ、それぞれ2700円と900円で販売し、市内の加盟店で3千円分、千円分の買い物ができる仕組みだ。観光協会や商工会議所、旅館組合に加盟している旅館などで扱う。志援隊の増田健太朗さん(40)によると「地域通貨で買い物をした場合の特典をお店に工夫してもらう」という。
下田と龍馬の縁は、「文久3(1863)年、土佐藩を脱藩した龍馬を預かっていた勝海舟が、宝福寺で藩主の山内容堂と会談し、許しを得たこと」と竹岡さん。龍馬は自由に行動できるようになり、その後の活躍につながったという。
同寺では2人が会談した「謁見の間」も復元されており、今回、新たに作られた龍馬の木像も寺の入り口に置かれた。竹岡さんは「今年1年に限らず、地域住民や観光客と一緒に“龍馬ゆかりの地・下田”をアピールしていきたい」と意欲を見せている。
京都
京都で「大龍馬展」
リンク先に飛ぶとmidi音楽が流れますので注意ください。
京都市東山区の幕末維新ミュージアム・霊山(りょうぜん)歴史館で、坂本龍馬の生涯を紹介する年間特別展「大龍馬展」が開かれています。第1期(~5月5日)は「龍馬誕生・夢」がテーマ。龍馬の社会への視野を広げ、商業隊の構想を与えたとされる土佐藩の絵師・河田少龍の遺品など約100点の資料で龍馬の実像に迫ります。昨日、高台寺まで足を運びながら、霊山歴史館への坂道を上るのがかったるくて「大龍馬展」観覧を断念した自分のへたれさには、苦笑ものです。
広島
福山の町舞台に歴史ミュージカル
福山市元町のNPO法人「F.Roseエンターテイメントスタジオ」は今夏、市内各地の歴史をテーマにしたオリジナルミュージカル「龍馬が見た福山」を同市東桜町の県民文化センターふくやまで上演する。NHKの大河ドラマ放映を機に注目されている幕末の志士・坂本龍馬を案内人にして福山の魅力を広く伝える狙いだ。出演者を公募しており、同スタジオは「龍馬ブームに乗って一緒に福山を盛り上げよう」と呼びかけている。(中野寛)
ミュージカルでは、平安時代から昭和期までの福山市にゆかりのある人物に光を当て、歌詞をアレンジしたポップス音楽などに乗せてそれぞれの人物にちなむ五つの物語を演じる。
江戸末期、芦田町・新市町を舞台に特産の備後絣(がすり)を完成させた富田久三郎を取り上げたエピソードや、神辺町で童謡詩人の葛原しげるが童謡「夕日」を誕生させた大正・昭和時代の物語などが演じられた後、龍馬率いる海援隊の商船「いろは丸」が鞆町の近海で紀州藩の軍艦と衝突して沈没したとされる事件の話で幕を閉じる。幕あいごとに、龍馬と各物語の主役たちが「天国にいる」という設定で登場し、それぞれのエピソードに関する裏話などを語り合う。
脚本は市立福山高校と近大付属福山高校の演劇部顧問の教諭2人と、同市在住のフリーライター海野瑞樹さん(48)が執筆。宝塚歌劇団出身の原田由乃さん(46)と富良野塾出身の六条寿倖(ひさ・ゆき)さん(49)が演技を指導する。現在、同スタジオに通う生徒らが公演に向けて発声などの基礎練習を行っている。
市民の出演者も積極的に募っており、対象は小学生以上で、週2回のレッスン(小学校低学年は1回)に通える人。オーディションはなく、全員何らかの役を担当してもらうという。
事務局の高田利都子さん(51)は「福山のおもしろさと舞台を作り上げる楽しさを味わい、その魅力を一緒に発信していきたい」と話している。
公演日は7月25日の予定で上映時間は約2時間の見込み。開演時間は決まっていない。第1回の公演後は物語の舞台となる市内の各町でも上演する計画だ。問い合わせは同スタジオ(084・973・2415)へ。
島根
幕末の四境戦争 題材に 3月「暁の風」上演
「益田にも歴史の節目」商議所青年部劇団 旗揚げ
幕末、益田市街であった四境戦争(第二次長州征伐)・石州口の戦いを題材にした演劇「暁の風」が3月28日、同市有明町の県立いわみ劇場で上演される。益田商工会議所青年部が昨年6月に発足させた劇団「夜明け」の旗揚げ公演。団員約50人の中には演劇初心者も多いが、本番に向けて練習を積んでいる。
劇団は、地元の歴史・文化を市内外に発信する目的で結成。「歴史の大きな転換点が益田にあったことを、まずは市民に認識してもらいたい」と、石州口の戦いをテーマに取り上げた。
石州口の戦いは1866年(慶応2年)、長州軍が幕府軍に大勝し、明治維新への流れをつくった。長州軍指揮官・大村益次郎や、同市多田にあった扇原関門を一人で守った浜田藩士・岸静江ら実在の人物が登場し、岸を慕う地元の若者4人を軸に、懸命に生きる人々を描く。
同青年部会員のほか、呼びかけに応じた中高生、一般市民も加わり、昨年8月から週2回の練習を重ねている。主役の若者の一人を演じる明誠高2年石田晴香さん(17)は「前から演劇に興味があった。チャンスをもらった」と意気込んでいる。
午後2時開演。全席自由で1000円。問い合わせは同青年部(0856・22・0088)。
山口
吉田松陰、高杉晋作 歴史上人物の商標「ダメ」
特許庁は、山口市が出願した同市出身の詩人、中原中也の名前の商標登録を認めない一方、東京都内の会社による幕末の志士、吉田松陰や高杉晋作、桂小五郎の名の商標登録を取り消すことを決定した。
歴史上の人物の名前に関して、ゆかりのない企業から商標登録の出願が相次ぎ、出身地などとトラブルが生じたことから、特許庁は昨年10月、審査基準を策定。人物の著名性や名前の利用状況、出願目的などを考慮したうえで、公共の利益を損なうおそれがある場合や利益を独占する意図に基づく場合には登録を認めないことにした。
山口市は昨年2月、「中也の名を文化的資源として保護する」として出願。特許庁は8日付の通知で、「山口市の独占的な使用が、全国の観光振興策などの妨げになると判断した」と説明している。
一方、吉田松陰ら3人の名の商標は2005年6月、宮城県の会社が出願し、07年9月に登録された。その後、貸金業などを行う東京の会社に商標権が移っていた。3人の出身地の山口県萩市は08年2月、商標登録取り消しを求めて異議を申し立てた。特許庁は「人物名を使った地域おこしを阻害する」として、13日付で申し立てを認め、登録取り消しを決定した。
佐賀
うれし恥ずかしコスプレ楽し
佐賀市柳町の市歴史民俗館で23日、アニメや漫画、テレビゲームなどのキャラクターに扮するコスプレ(コスチュームプレイ)愛好者たちの撮影イベント「浪漫画喫茶」が開かれた。旧古賀家、旧牛島家、旧三省銀行といった歴史の香り漂う建物で、参加者らは思いおもいの扮装をし、写真に収まっていた。
県内のコスプレ愛好者らが、佐賀文化の良さを今に伝える建物でイベントがしたいと思い立ち、実行委を結成。市観光振興課の許可を得て、昨年6月に旧古賀銀行(同市同町)で初めて開催し、130人が参加した。今回が3回目になる。
実行委代表の池田安治さん(35)=鹿島市=によると、レトロな撮影ポイントが好評で、イベントをきっかけに愛好者同士の交流も生まれているという。旧古賀家の座敷で、新撰組の斎藤一に扮していた佐賀市の女性(26)は「実際に人が住んでいた建物で、当時の暮らしなどの世界観を感じる」とイベントを満喫していた。
長崎
勝海舟の書など100点 森の美術館in雲仙で龍馬展
「坂本龍馬・その刻(とき)と文化」(長崎新聞社など後援)と題し、書画などを集めた企画展が雲仙市小浜町雲仙の「森の美術館in雲仙」で開かれている。4月11日まで。
龍馬が活躍した幕末の島原半島の歴史、文化、生活などにスポットを当てた。1864年、熊本から船で島原半島に渡り、長崎入りした勝海舟の書や、龍馬らを支援した長崎の豪商・小曽根乾堂の篆書(てんしょ)、龍馬が好んだ亀山焼の大皿や、亀山焼に下絵を描いた「長崎三筆」と呼ばれる木下逸雲や日高鉄翁らの南画、島原藩主の松平忠房の書など約100点を展示している。
24日、オープニングセレモニーがあり、長崎歴史文化博物館館長の大堀哲さんのあいさつにつづいて、南島原市商工観光課長で、郷土史家の嶋田惣二郎さんが講演し、「幕末の島原藩は島原大変(1792年)を引きずり財政に苦しんでいたが、半島内には多くの寺子屋や私塾、藩校があり、子どもたちの教育にはお金をつぎ込んだ」などと話した。このほか、小曽根家17代当主夫人で「お龍さんの長崎日和」著者の育代さんの講話、夫の吉郎さんによる勝海舟の書など展示作品の解説もあった。
エンターテインメント
京都に根付く“伝統的エコ”学ぶ
「もったいない」をテーマに、いにしえの都、京都に伝わる先人の知恵からエコロジーを学ぶ知的バラエティーが、読売テレビで30日放送の「MOTTAINAIは京に学べ 京都びっくり幕末ツアー」(前10時30分)です。
幕末ブームに沸く京都を訪れた南原清隆と渡辺真理が、かつて新撰組が拠点にした旧前川邸で、時空を超えタイムスリップしてきた近藤勇(ブラックマヨネーズ・小杉竜一)、土方歳三(同・吉田敬)と遭遇。4人で京都の町を巡りながらエコを体験していくのですが、坂本龍馬(柳沢慎吾)と妻のおりょう(大沢あかね)、さらには豊臣秀吉(カンニング竹山)など歴史上の人物が次々に登場。ハプニング連続の爆笑珍道中を繰り広げます。
新撰組の羽織を作った大丸呉服店(大丸京都店)では、江戸時代から店先に無料の傘を置きレンタルしていたり、京銘菓「八つ橋」は米びつに残った米粒のリサイクルから生まれたものだったりと、京都に根づくエコの精神に一同びっくり。
南原は「京都には他の都市にはない賢いエコがあるんですね」と感心しっ放し。一方、新撰組という大役を演じたブラマヨ小杉は「故郷に錦を飾る気持ちでロケに来たら、みんなかつらなのに僕だけ地毛で勝負ということで、こんな仕打ちあっていいのかと…」。ブラマヨ吉田は「昔の人は、はかまなのでトイレに行くのが大変やったろうな。僕は2回も汚してしまいました」と、時代劇の苦労!?を語りました。ご期待下さい。
モデルの杏さんが江戸文化の魅力を紹介、「鬼平に想いを馳せて『江戸の味わい食べ歩き』」イベントにて
東京都商店街振興組合連合会は1月24日、墨田・浅草エリアにおける商店街の活性化を目的としたプロジェクトの一環として、「鬼平に想いを馳せて『江戸の味わい食べ歩き』」イベントをすみだリバーサイドパーク/うるおい広場で開催した。同イベントでは、モデルおよび女優で“歴女”としても注目されている杏さんをスペシャルゲストに迎え、江戸文化の魅力や江戸の食事について語るトークショーが催された。
パリやミラノなどの世界的なコレクションのモデルとして活躍されている杏さんは、昨年流行語大賞にも選ばれた“歴女(歴史好きな女子)”としても注目を集め、歴史に関連するテレビや雑誌などに引っ張りだこ。今回のトークショーには、いつもとは趣を変えて、着物姿で登場してくれた。そんな杏さんは、なぜ歴史にのめり込むようになったのだろうか。こうした話からトークショーがスタートした。「一般的な“歴女”というと、戦国武将好きな人をいう場合が多いが、私は江戸時代のとくに幕末の歴史が大好き」とのこと。「きっかけは、中学時代の先生の教え方が上手だったということもあり、その後江戸時代を取り上げた漫画などを読むにつれて魅力にはまっていった」と、歴史の授業が発端だったという。「モデルの仕事で地方に行った時は、必ずその土地の史跡巡りをしている」と、今では時間があれば歴史の探究に費やしていると述べていた。
さて、今回のイベントは、墨田・浅草エリアにゆかりの深い池波正太郎の「鬼平犯科帳」をからめて、同エリアの江戸時代の「文化」と「食」を紹介している。そこで、杏さんに池波正太郎の小説を読んだことがあるかを聞いてみると、「新撰組の永倉新八を取り上げた『幕末新選組』が大好きで、この小説を読んでから幕末の歴史に傾注していった」と、杏さんが幕末好きになったきっかけは、池波正太郎の小説でもあったようだ。「『鬼平犯科帳』も大好きで、小説だけでなく漫画も読んだ」と、「鬼平犯科帳」も読破した様子。「江戸時代の街並みは、実際にみたことがないので知らないはずなのに、池波先生の小説では、読んでいると情景が頭に浮かび、知っているような気分にさせてくれる」と、池波正太郎の小説は情景描写が魅力であると語っていた。
杏さんは、時代物の小説を読んだり、文献で出来事を調べたりするなど、インドアな“歴女”ではなく、アウトドアな“歴女”であることは、地方を訪れた時に史跡巡りなどをしている点からも推察できる。それでは、墨田・浅草エリアを歴史という視点で巡るとすると、どんな巡り方がよいのだろうか。「隅田川の水上バスから街並みを眺めるのも楽しいと思うし、電車でポイントとなる場所を訪れたり、ドライブをしながら脇道の存在を発見するなど、どんな方法でも江戸時代の雰囲気を楽しめるのが墨田・浅草エリアだと思う」と、杏さんにとって同エリアはまさに魅力あふれる街であるという。
また、今回のイベントのテーマである「食」について聞いてみると、「昨年、江戸東京博物館には17回も訪れたのだが、その展示品に酔いしれるだけでなく、博物館周辺でちゃんこ鍋を食べるといった楽しみもあり、計17回もいってしまったのだと思う」と、同エリアにはおいしい料理を提供するお店が豊富とのこと。「実は、まだ“どじょう料理”を食べたことがないので、ぜひ墨田・浅草エリアのお店で食べてみたい」と、食についての目標があることも語ってくれた。
最後に、「歴史を探究している中で、自分と共通するものだったり、出来事があるとグッとくる。最近では、こうした体験が、プライベートに加えて、歴史の仕事をたくさんいただいていることもあって、増える傾向にある。この時は、最先端のファッションを追い求めている自分とはまた違った、キラキラとした自分に出会えるのでうれしい」と、自分自身も変えてくれる、それが杏さんが歴史に魅了される所以であるようだ。
なお、同イベントでは、杏さんの他に、文藝春秋で当時、池波正太郎の担当だった「WiLL」編集長でワック・マガジンズの花田紀凱取締役が、池波正太郎の魅力や「鬼平犯科帳」誕生秘話などを語るトークショーも催された。
東京都商店街振興組合連合会=http://www.toshinren.or.jp/
エイチーム、幕末が舞台の携帯向け恋愛ゲームを配信
株式会社エイチームは、1月25日より、携帯電話向け恋愛シミュレーションゲーム「幕末竜馬伝◇恋の掟」の配信を、開始した。
このゲームは、江戸時代末期を舞台にした、携帯電話で遊べる女性向け恋愛ゲームで、坂本竜馬、勝海舟、桂小五郎などの幕末志士たちとの恋愛を体験できるというもの。
対応機種は、docomoが904シリーズ以降と903シリーズの一部端末(F903iX・D903i・SH903i)、auがW41シリーズ以降、SoftBankが9シリーズ、8シリーズ(一部端末を除く)、ディズニーモバイル、となっている。料金は、月額315円(税込)。
ブックレビュー
今週の本棚・新刊:『第二の男』=小島英記・著
(日本経済新聞出版社・1680円)
歴史に残る偉大なリーダーも、自分一人でことを成し遂げられたわけではなく、そこにはなくてはならない協力者がいた。参謀、家老、軍師、宰相、副社長、ナンバー2の呼称でくくられる「第二の男」たちで、時に主人をしのぐ存在感を歴史の中で見せている。
新撰(しんせん)組で近藤勇の右腕だった土方歳三、世界のホンダを築いた本田宗一郎を陰で支えた藤沢武夫、革命家の西郷隆盛に対するリアリストの大久保利通。ナポレオンと複雑な関係で結ばれたタレイラン……。古今東西の11人を取り上げた本著の面白さは、忠誠心や縁の下の力持ちといった美談ですますのではなく、主人との葛藤(かっとう)と相克、時には打算の複雑な心理に彩られた人間ドラマとして彼らを描いたところにある。(恵)
今日は「1月23日」、「1・2・3」ということで元気が出る日なんだそうです。語呂合わせですが、あやかりたいものです。
宮城
■華やぐ昭和、躍る銀幕スター
2010.01.23
石巻「岡田劇場」所有 映画ポスター展
アート喫茶 来月1日まで/
福島
安積艮斎講演会/3月2日・郡山市で
神奈川
直系4代目がジョン万次郎を語る、幕末ブームにタイムリー企画/平塚
八重水仙 早くも見ごろ 三浦県立城ケ島公園で「まつり」
【湾岸プロムナード】浦賀の燈明堂
京都
【龍馬ゆかりの地を行く】水陸に利点ある京の拠点 酢屋
兵庫
維新期の神戸、版画で克明に 欧米の新聞など収集
岡山
津山の新資料館 3月オープン
島根
演劇「暁の風」参加者、稽古に熱
佐賀
江戸幕府の大砲製造多布施反射炉基礎84年ぶりに確認
長崎
「長崎奉行所・龍馬伝館」1万人突破 福岡の堂上さんに記念品
コラム
城ブーム!1000円高速乗り「歴女」参上
エンターテインメント
幕末の志士たちが大富豪で勝負! iモード向け『天晴!幕末大富豪』が登場
本格歴史マンガ誌、月刊コミック大河を先読みぜよ
宮城
■華やぐ昭和、躍る銀幕スター
2010.01.23
石巻「岡田劇場」所有 映画ポスター展
アート喫茶 来月1日まで/
石巻市の老舗映画館「岡田劇場」(菅原聖人社長)が所有する映画ポスターが20日から同市中里6丁目のアート喫茶「カフェ・ヌーン」で展示され、話題を集めている。往年の銀幕のスターが躍動するポスターに、年配の客が懐かしさと思い出をよみがらせている。
(中略)
岡田劇場は幕末・明治から庶民に親しまれた芝居小屋が前身。48年に映画館に衣替えし、邦画を中心に上映してきた。保存ポスターは上映作品のほか、知り合いの映画館などから譲られたものという。
福島
安積艮斎講演会/3月2日・郡山市で
郡山が生んだ幕末の儒学者安積艮斎の没後150年を記念した講演会が3月2日午後4時から、郡山市清水台の安積幼稚園で開かれる。
主催する「ごんさい先生に学ぶ会」は受講者を募集している。
艮斎が万延元(1860)年に亡くなってから150年の節目の年を記念し、安積国造神社の氏子青年会が母体となって学ぶ会を結成、講演会を企画した。
学ぶ会顧問の安藤智重宮司が「安積艮斎先生と岩崎弥太郎」の題で調査報告する。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」のもう一人の主役・弥太郎の人生に艮斎の教えがいかに影響を与えたかなどを語る。
続いて艮斎研究の第一人者の早稲田大名誉教授村山吉広氏が「偉大なる儒学者安積艮斎先生〜歴史に残した功績とは」の題で講演する。
受講料500円で、定員は170人。
申し込み、問い合わせは安積国造神社電話024(932)1145へ。
神奈川
直系4代目がジョン万次郎を語る、幕末ブームにタイムリー企画/平塚
ジョン万次郎(中浜万次郎)の直系4代目で作家の中浜武彦さん=大磯町在住=が万次郎について語る講演会が2月14日、平塚市中央公民館で開かれる。
市文化連盟の主催。日本古来の文化の魅力などを伝える恒例の講演会で今年で10回目。あらためて幕末ブームの兆しがある中で、タイムリーな企画となった。
万次郎は坂本竜馬と同郷の土佐(高知県)生まれ。江戸末期に米国の捕鯨船に救助され、日本人として初めて米国大陸に渡ったことで知られる。英語や航海術、造船技術などを学んだ後、鎖国下の祖国に帰国。幕末の激動期に通訳などとして活躍、竜馬にも多大な影響を与えたという。
講演では、万次郎の三男・慶三郎さんの孫で、「ファースト・ジャパニーズ・ジョン万次郎」の著書もある中浜さんが、時代背景や曾祖父の生涯や志について語り尽くす。
入場無料。午後1時~3時半。定員250人。事前申し込みは不要。
八重水仙 早くも見ごろ 三浦県立城ケ島公園で「まつり」
三浦市三崎町城ケ島の県立城ケ島公園で、第九回「水仙まつり」が開かれ、約十万株の八重水仙が早くも見ごろを迎えている。二月七日まで。入場無料。
例年は一月末ごろに満開となるが、今年は暖冬の影響で一足早く最盛期を迎え、公園内は水仙の甘酸っぱい香りに包まれている。二宮町から訪れた主婦(65)は「水仙を見るなら三浦半島ではここが一番。数が多く、香りも強い」と語った。
三十一日には公園内で、幕末の黒船来航以来の伝統を持つ海防陣屋太鼓の演奏会が開かれ、地元の魚のつみれや野菜が入った陣屋汁も振る舞われる。 (新開浩)
【湾岸プロムナード】浦賀の燈明堂
江戸時代の慶安元(1648)年、神奈川県横須賀市の浦賀港入り口の岩場の上に、灯台の役割の燈明堂が建てられた。菜種油の明かりは、7キロ先にも達したといわれ、夜の海上安全に貢献した。その明るさの程度はともかく、夜の闇が深かった時代には、相当の効果があったのだろう。
燈明堂は明治5年に廃止になるまで、毎晩明かりをともしたから、幕末に来航したペリーの黒船も見たのだろう。
その建物は、明治中頃に風雨で崩壊したが、平成になって復元され、もちろん今は電気がつく。
海辺の岩場の夕暮れは、いい雰囲気だ。
だけど、散歩に来た人が言った。
「暗くなるまで撮る? 気を付けてください、出るらしいから。昔はこの辺りは、浦賀奉行所の首切り場だったので」
その一言で、早々に取材を切り上げた! (写真報道局 野村成次)
京都
【龍馬ゆかりの地を行く】水陸に利点ある京の拠点 酢屋
京都の繁華街、河原町通から高瀬川へ向かう小路は、「龍馬通」と呼ばれている。かつて坂本龍馬も歩いたとされ、道沿いにはカラオケ店や飲食店が立ち並ぶが、通りを進むと異彩を放つ建物が目に入る。坂本龍馬が暗殺される3日前まで過ごしていたと伝えられる材木商「酢屋(すや)」である。
酢屋の事業は現在、別の場所で営まれており、江戸時代の面影を残す当時の建物は、龍馬に関する史料を展示する「ギャラリー龍馬」などとして運営されている。
2階の表通りに面した場所には、出格子がみえるスペースがある。当時は、6~8畳くらいの部屋だったというが、現在は2畳ほどの畳の上に机を配し、机上にはすずりと筆が置かれている。
「手紙を書いていた龍馬の部屋を再現してみました。あの出格子から、龍馬は持っていたピストルの試し打ちをしていたそうです」
酢屋の10代目当主にあたるという中川敦子さんは、そんなエピソードを交えながら、館内を案内してくれた。
× ×
龍馬が投宿先として酢屋に着目したのは、立地条件が大きかったようだ。
かつては浜地で、高瀬川へつながる舟入(港)が広がっていたとされ、中川さんは「陸路や水路に利点があったので、龍馬は酢屋を拠点にしました」と説明する。
幕末当時、酢屋の当主は高瀬川の木材独占輸送権を得て運送業も行っていた6代目の酢屋嘉兵衛。取引先の土佐藩で龍馬と知り合ったとされる嘉兵衛は、京都に移った龍馬に支援を惜しまず、酢屋の2階には海援隊京都本部が置かれていたという。
「海援隊が京に入ってきた目的は、龍馬が一番やりたかった『国を変える』ということですが、新しい日本を目指した龍馬に理解を示さなければできないことです。(嘉兵衛は)命がけで匿い、勤王家であっても黙っていました」と、中川さんは祖先の功績を回想する。
× ×
慶應3(1867)年6月、龍馬は酢屋で、姉の乙女に手紙を書いた。投宿を知らせる内容だったが、その手紙は長さ5メートルにもおよんだという。
幕末史に詳しい霊山歴史館(京都市東山区)の学芸課長、木村幸比古さんによると、現存する龍馬の手紙は家族や他の志士らにあてた130通余だが、なかでも乙女あてが13通で最も多いそうだ。
「乙女姉さんは母親代わりでしたからね。兄に手紙を送ったところで『早よ帰ってこい、うろうろするな』の一点張りだし」と、木村さんは笑う。
幼いころ母を亡くした坂本龍馬は、生涯にわたって姉の乙女を慕っていた。龍馬より3歳年上で、身長175センチ、体重110キロの大柄な女性だったとされ、「坂本のお仁王様」とも呼ばれていた。剣術や馬術、水練など何でもこなし、少年期は泣き虫だったとされる龍馬を教育した。
出格子から高瀬川を舟が行き来する様子がみえる酢屋は、日増しに身に危険の迫る龍馬にとって心癒やされる空間でもあったのだろう。そして、郷里・土佐にいる乙女はいつまでも大きな心の支えだったようで、龍馬は机に向かいながら熱心に筆を走らせていたに違いない。
そんな龍馬にとって、酢屋は安住の地だったが、やがて、この場所でも身の危険を感じるようになり、醤油(しょうゆ)商の近江屋に移ることになる。
◇
「酢屋」 享保6(1721)年創業という京都の材木商。現当主は10代目になるが、事業はグループ企業の千本銘木商会(京都市、中川敦子社長)に引き継がれ、酢屋は従来の建物で「創作木工芸酢屋」や「ギャラリー龍馬」を運営する会社として存続する。海援隊の支援に尽力した6代目当主時代、海援隊京都本部が置かれ、坂本龍馬や陸奥宗光、長岡謙吉ら数多くの藩士が投宿していた。毎年、龍馬の命日とされる11月15日には「追悼献酒」が行われ、あわせて海援隊士が龍馬が暗殺される模様をまとめた「涙痕帖」が特別公開されている。(山田淳史)
兵庫
維新期の神戸、版画で克明に 欧米の新聞など収集
約140年前、当時のアメリカやイギリスの新聞・週刊紙が、明治維新期の神戸を報じていた。神戸市中央区の桝田輝郎さん(67)が所有する原紙には克明な木版画が掲載されており、欧米の記者たちが当時の神戸をどのように見ていたのかを今に伝えている。(大月美佳)
桝田さんは約15年前から東京の古書店や海外のインターネット競売サイトを活用し、神戸を報じた英、米、仏の新聞や週刊紙を収集。大手商社を退職し、一昨年に故郷の神戸に戻ってからも、収集を続ける。
当時、全米で購読された週刊紙「ハーパーズ・ウイークリー」の1868年5月9日号(旧暦)は同年の「神戸事件」を取り上げた。フランスの水兵が岡山藩士の行列を横切ったことに端を発し、米英も巻き込んだ銃撃戦に発展。維新政府にとって初めての外交問題になった。記事には英文でこう記された。
2月4日、松平備前守(かみ)と200~300の武装した藩兵が、侮辱し、外国人居住者を攻撃しながら神戸の大通りを進行した。運上所(税関の前身)に近づくと発砲し、フランス水兵2人とアメリカ水兵1人にけがをさせた。
版画では、米兵が運上所を占領し、外国人居留地に進む場面を再現。星条旗や英国旗が棚引き、兵士が列をなし上陸する姿が描かれている。
芦屋大学の楠本利夫教授によると、外国人の居住者は当時ほとんどおらず、発生場所も史実との食い違いがあるという。「外交問題が背景にあったのか、きちんと事実を把握していないのかは分からないが、謝罪した日本側が悪いという前提で書いたのでは」と推測する。
一方、同年4月4日号には、日本ではあまり知られていない、米国艦隊の遭難事故の記事と、神戸港から遺体を揚げる風景を描いた版画を掲載。米艦隊司令官の提督ら12人が水死した悲劇を目の前で目撃したという画家が、事故を詳細に伝えている。版画は縦32センチ、横52センチ。見開きで大きく描かれており、衝撃的なニュースとして報じられていたことがうかがえる。
当時、国内では新聞発行が始まっていたが、日本初の日刊紙が創刊されたのは1871年。資料は、報道機関の発達の違いを知る上でも貴重だ。
桝田さんは「外国メディアから見た日本の姿を、研究などに役立ててもらいたい」と話している。
岡山
津山の新資料館 3月オープン
■洋学探究 より深く
津山市西新町の旧出雲街道沿いに新しく建設された津山洋学資料館が、3月19日にオープンする。所蔵品は、同市川崎の旧資料館時代より約1千点多い約7千点。うち350点を常設展示する。全国で唯一の洋学専門資料館として、津山市は新たな観光拠点にと期待している。
新館は旧館の西約700メートル、城東町並み保存地区の一角で、津山藩医・箕作(み・つくり)阮甫(げん・ぽ)の旧宅に隣接して建てられた。鉄筋一部木造の平屋で、約1400平方メートル。2008年4月に着工し、09年5月に完成の後、内部の燻蒸(くん・じょう)や乾燥作業を続けていた。
入り口のプロローグ室、3常設展示室、スポット展示室など正五角形の部屋が続き、最奥に企画展示室がある。総工費は11億1千万円。
展示資料は、津山藩の学者・宇田川家3代(玄随(げん・ずい)・玄真(げん・しん)・榕庵(よう・あん))、箕作阮甫、帝国議会の衆議院初代副議長・津田真道(ま・みち)らの著訳書などが中心。第1展示室は洋学黎明(れい・めい)期、第2展示室は箕作阮甫をメーンに、第3展示室は幕末から明治までの資料を紹介している。
代表的な物には、杉田玄白らが訳した「解体新書」や、玄随が翻訳した日本最初の西洋内科学書「西説内科撰要」、玄真のベストセラー医学書「医範提綱」、榕庵の本格的植物学書「植学啓原」、箕作阮甫が翻訳した「和蘭文典」などがある。
また、企画展示室では期間ごとに約50点を展示する。
下山純正(よし・まさ)館長は「旧館は老朽化などもあって思うような展示ができなかった。新館は大型模型や映像も利用して、わかりやすさを工夫した。近代国家の礎を築いた先人の生き様を見ていただきたい」と話している。
同館はオープンを機に、オランダ・ライデン市にある博物館「シーボルトハウス」と友好提携することにした。同ハウスは、シーボルト(1796~1866)が日本から持ち帰った約800点の浮世絵などを展示する日本博物館。開館行事に合わせ、館長や駐日オランダ大使を招いて調印式を行う予定だ。(中村二郎)
島根
演劇「暁の風」参加者、稽古に熱
◆住民手作り 石州口の戦い/舞台の益田で3月上演◆
明治維新への流れを決めたといわれる幕末の幕府と長州藩の戦争「石州口の戦い」を描いた演劇「暁の風」が、戦いの舞台となった益田市の県芸術文化センター・グラントワ大ホールで3月28日午後2時から上演される。益田商工会議所青年部(益田YEG)や市民劇団などでつくる「益田まちおこしの会」主催で、小学生から社会人までの同市近隣の住民約60人が手作りの舞台を披露する。(水田道雄)
石州口の戦いは、1866年6月17日、当時益田を支配していた浜田藩など幕府連合軍と長州軍が益田市周辺で激突。1500人の軍勢を率いた長州軍が勝利したが、わずか二十数人で関所を守った浜田藩のやりの名手岸静江や、地元の若い猟師、農民の奮闘は今も語り継がれている。
上演時間は約2時間。2幕に分かれ、岸静江が奮闘の末に亡くなるまでと、生き残った若者たちが時代に流されながらたくましく生きる姿を描いた。脚本・演出を担当した一人で、益田市中垣内町の会社員武内早苗さん(53)は「歴史書をかみ砕き、一般の人も楽しめるよう架空の人物を加えて仕上げた」と話す。
益田YEGが市民劇団のメンバーらに働きかけ、昨年6月に劇団「夜明け」を立ち上げた。同8月から毎週2回、学校の体育館などを使って稽古(けい・こ)を重ねてきた。
19日夜は、グラントワで初めてのリハーサルがあった。岸静江役を務める自動車学校教官の森下高博さん(39)=津和野町日原=は「一本筋の通った岸の凜(りん)とした姿を表現したい」、物語の重要な役割を果たす若い女性猟師役に公募で選ばれた明誠高校2年、石田晴香さん(17)=益田市東町=は「前から芝居をやってみたかった。役の人格を表現するのが難しいけど、がんばりたい」と話していた。
「益田まちおこしの会」代表で益田YEGの平井健会長(37)は「益田にも日本の夜明けにつながる歴史があることをたくさんの人に知ってほしい」と話す。全席自由で入場料は千円。問い合わせは益田YEG(0856・22・0088)へ。
佐賀
江戸幕府の大砲製造多布施反射炉基礎84年ぶりに確認
佐賀市教委は22日、幕末の佐賀藩が江戸幕府発注の大砲を造ったとされる多布施反射炉の基礎部分とみられる遺構を84年ぶりに確認した、と発表した。
発表によると、同市伊勢町の会社駐車場を縦5メートル、横2メートルにわたり発掘。地下1・4メートルのところに拳大からその倍ほどの大きさの石が少なくとも6平方メートルの範囲に敷き詰められ、角材を並べて置いた跡があった。その上には砂と粘土の層が交互に50センチ以上重なり、下にも粘土や砂の層が確認された。
出土した磁器の染め付けから江戸時代後半の遺構とみられ、反射炉の壁に使われたとみられる耐火レンガの一部も出土した。
反射炉は熱を壁に反射させて炉内の温度を上げる溶解炉。多布施反射炉は佐賀藩が1850年に日本で最初に造った築地反射炉の後継として数年後に建造された。ペリー来航(1853年)で危機感を強めた江戸幕府が江戸湾防衛のため、佐賀藩に注文した鉄製大砲50門がこの反射炉で製造されたとされる。
1926年(大正15年)に本体跡を探す発掘調査が行われ、今回と同じ基礎部分が確認されていた。
市教委の前田達男・世界遺産調査室長は「特異で頑丈な基礎。高さ16メートルを超える重い反射炉を支えるためだったのではないか」と話している。
長崎
「長崎奉行所・龍馬伝館」1万人突破 福岡の堂上さんに記念品
幕末の志士坂本龍馬の生涯を描くNHK大河ドラマにちなみ、長崎市立山1丁目の長崎歴史文化博物館内に設置されている「長崎奉行所・龍馬伝館」の入館者が23日、1万人を突破した。
1万人目は福岡市の30代の専門学校講師、堂上美智子さん。友人のパート従業員、松村高子さん=山口県下関市=と一緒に参加した観光ツアーで訪れた。
大堀哲館長から記念品の花束とミニ龍馬像を手渡された堂上さんは「長崎にはよく遊びに来るが、ことしは龍馬伝の年なのでインターネットで情報を調べてから来た」と笑顔で話した。
「龍馬伝館」は9日オープン。長崎歴文博によると、22日までの1日平均入館者数は、目標の約1100人を下回る666人。来館者アンケートでは6割が県外客という。
大堀館長は「観光のオフシーズンということを考慮すれば出足は順調と思う。観光客が増加する春と、ドラマで長崎が登場する夏以降が勝負」と話した。
コラム
城ブーム!1000円高速乗り「歴女」参上
城を訪れる観光客が増えている。
「歴女(れきじょ)」と呼ばれる歴史ファンの女性が増えたことや高速道路の利用料割引が背景にあるようだ。各地の城郭は「この機を逃さず、魅力を広めたい」と集客にいっそう力を入れている。
加藤清正が1607年に築いた熊本城(熊本市)。入場客数は近年、80万~100万人程度で推移していた。しかし、藩主の住居だった本丸御殿大広間を復元・公開した2008年には約204万人、09年も約177万3000人を集めた。
週末にもなると、城周辺の駐車場は県外ナンバーの車が目立つ。人気俳優の妻夫木聡さんが主演したNHK大河ドラマ「天地人」のロケも城内で行われたこともあってか、熊本城総合事務所は「若い女性や県外からの入場者が増えている」と話している。
ほかの城郭も同じ傾向にある。岩国城(山口県岩国市)には09年、約15万5000人が訪れ、08年より1万4000人以上増えた。「女性グループをよく見かけます」と市観光課。小倉城(北九州市)の入場者は07年の約9万4000人から、09年は約11万4000人に。今月上旬、天守閣を見学して回った福岡県久留米市の女子大学生(21)は「一番好きな時代は幕末。お城はタイムスリップしたみたいで楽しい」と声を弾ませる。
高速道路のノンストップ自動料金収受システム(ETC)割引を活用した来訪者も目立つ。
島原城(長崎県島原市)では入場者が年々減り、07年は約21万9000人にまで落ち込んだ。しかし08年から増加に転じ、09年は約24万9000人に上った。女性客の増加に加え、ETC割引が始まった昨年3月以降は、関東など遠方のナンバーの車が目立つようになったという。
これを機に城の魅力を発信しよう、と島原城振興協会は小学生向けの歴史講座や城内梅園での茶会といったイベントを次々に展開。「女性に人気の福山雅治さんが主役のNHK大河ドラマ『龍馬伝』は長崎も舞台になる。さらに長崎への旅行者も増えそう」と同協会。
09年の来館者は15万4000人と前年並みだった県立佐賀城本丸歴史館(佐賀市)は3月、佐賀城のいろいろな話題を出題する検定試験「佐賀城本丸けんてい」を初めて実施する。
06年に「日本100名城」を選定した日本城郭協会(東京)は「城は地域の歴史を知り、文化を楽しむのに最適の場所」と話す。「現在の人気がブームに終わることなく、さらに城への理解が深まってほしい」と願っている。(堀家路代)
エンターテインメント
幕末の志士たちが大富豪で勝負! iモード向け『天晴!幕末大富豪』が登場
ビービーエムエフは、1月25日よりiモード向けゲームサイト「iゲーム大好き!」にて、大富豪ゲーム『天晴!幕末大富豪』の配信を開始すると発表しました。
『天晴!幕末大富豪』は、トランプゲームでおなじみの大富豪にすごろくの要素をプラスしたユニークなゲームです。
ゲームは、「幕末モード」と「フリーモード」が用意されています。「幕末モード」では、大富豪の成績によって進めるマス目の数が決まる鳥羽伏見から函館まで移動するすごろくも同時に楽しむことができ、プレイヤーは坂本龍馬、西郷隆盛、近藤勇、篤姫の4名からキャラクターを選択します。なお、エンディングはキャラクターごとに異なります。
「フリーモード」は、大富豪を思う存分遊べるモードで、各地のローカルルールにカスタマイズできるのが特徴です。
『天晴!幕末大富豪』は、FOMA703iおよび902iに対応し、月額315円(税込)で遊べます。
アクセス方法:iMenu→メニューリスト→ゲーム→ミニゲーム→iゲーム大好き!
本格歴史マンガ誌、月刊コミック大河を先読みぜよ
PHP研究所から新しい歴史マンガ誌、月刊コミック大河が1月25日に創刊される。「本格」をキーワードに、これから歴史を勉強したい人からマニアまでを満足させる濃厚な作品をラインナップ。歴史の醍醐味をエンターテイメントたっぷりに堪能させてくれる。
コミックナタリーでは、創刊を直前に控えた月刊コミック大河の魅力を特集。小説家の宮部みゆきが原作を務める菊地昭夫「ぼんくら」、江川達也が太平洋戦争と幕末の因果関係を描く「戦争と平和~石原莞爾と宮沢賢治~」、桝田道也が描く本格的なお城擬人化もの「どっからみても 波瀾万城」と注目の3作品の試し読みを設けた。
さらに、話題の歴史人物をフィーチャーする創刊号の巻頭特集「龍馬と岩崎弥太郎」、脳科学者・茂木健一郎が歴史上の人物たちの脳を分析するコラム「英雄たちの決断脳」など読み応えある特集記事も紹介。創刊号発売を前に、気になる掲載ラインナップをチェックしよう。
季節外れの暖かさから一転して平年並みの寒さに。
福島
「白虎隊の会」4月発足 会津の「義」後世に
栃木
坂本家9代目ら龍馬精神語る あす那須塩原でトークショー
長野
亡き父が編さんした郷土史を形に 上田の男性が自費出版
県教委、飯山城跡に高校建設計画
広島
龍馬ブーム福山市で過熱 4図書館がイベント
佐賀
大名行列 米をパレード 佐賀のNPO法人 4月披露へ 「サムライ文化伝えたい」
「近代との遭遇展」であらかしコンサート 23日
福島
「白虎隊の会」4月発足 会津の「義」後世に
福島県会津の「白虎隊」の子孫や研究者、ファンらが4月、「白虎隊の会」を設立する。飯盛山の悲劇で知られる士中二番隊だけでなく、300人以上になるという白虎隊全体の子孫に参加を呼び掛け、交流や史実の研究に取り組む。戊辰戦争から142年の時を超え、隊士が残した「義」の精神を伝えていく。
呼び掛けの中心は、士中二番隊で生き残った飯沼貞吉の孫一元さん(66)=東京都世田谷区=。隊士の子孫は現在、多くがひ孫の代。さらに時代が進めば、子孫という意識が希薄になることが予想され、結集する最後のチャンスと考えた。また、士中二番隊以外の隊士の足跡やその後の人生は、あまり知られていない。隊士の姿を語り継ぐのも狙いだ。 現在はインターネット上で趣旨を紹介しており、近く参加を募る。すでに数十人から問い合わせがあり、3月22日に東京で発起人の会合を開く。白虎隊士で後に東京帝国大総長などを務めた山川健次郎の子孫、会津藩家老の西郷頼母の子孫も加わる予定だ。
調査研究、交流、企画の三つを活動の柱とする。子孫同士や研究者が交流することで、新たな資料の発見、史実の研究促進などを期待している。将来のNPO法人化も検討する。
一元さんは「義に生きた先祖を思い起こし、その精神を伝えたい」と思いを語る。
飯沼貞吉の研究で知られ、幕末の会津に詳しい郷土史家佐藤一男さん(80)=喜多方市=は「新たな資料が出れば、正しい歴史検証につながる」と参加を楽しみにする。
インターネット掲示板のアドレスはhttp://9309.teacup.com/byakko/bbs 連絡先は飯沼一元さん方 電話03(3429)6652へ。
栃木
坂本家9代目ら龍馬精神語る あす那須塩原でトークショー
【那須塩原】テレビドラマなどで話題の坂本龍馬について語り合う「龍馬精神を語る」(いなむらコミュニティ推進協議会、坂本龍馬龍悠会主催)が23日、桜町のいきいきふれあいセンター大会議室で開かれる。
「龍馬精神」とは、勢いがある行動力・実践力で今を力強く生き抜くことの意。龍悠会は、幕末の混乱期を力強く生きた龍馬をかんがみ、明るく元気な社会をつくることを目的に「龍馬精神」を広める活動を行っている。
当日は坂本家9代目当主の坂本登氏と龍悠会会長でテレビ番組の司会などで有名なタレントの大木凡人氏がトークショーを行い、参加者から龍馬に関する質問にも答える。龍馬グッズなどが当たる抽選会もある。
午後5時半開場、同6時~同7時。入場無料。定員は先着120人。問い合わせは龍悠会理事吉成平さん電話090・3346・7765(携帯)。
長野
亡き父が編さんした郷土史を形に 上田の男性が自費出版
上田市常磐城1の西沢一さん(81)が、地元西脇地区の歴史をまとめた「郷土 西脇村のあゆみ」を自費出版した。1990年に亡くなった父の辨吉(べんきち)さんが続けていた編さんを受け継ぎ、親子二代、約30年かけて完成させた。300冊を作り、自治会の全戸に配った。
A5判、125ページ。平安時代から太郎山のふもとにあった西脇村が、戦国時代に真田氏の上田城築城に合わせて現在地に移されたことや、稲作や養蚕で発展した歴史を記している。江戸時代から昭和にかけ住民が地域のために出資した頼母子(たのもし)講の記録や、人力車を営業する店など多くの商店が並んで繁栄していた幕末から明治にかけての様子が分かる地図もある。
西沢さんによると、歴史に興味があった辨吉さんは、78(昭和53)年ごろから郷土史の編さんを考え、江戸時代の火災など、地域の出来事を記録した西沢家に伝わる日誌を調べ始めた。住民にも資料の提供を呼び掛け、明治時代に学校新築のため住民が寄付をした記録を集めるなど精力的に取り組んでいたが、完成を見ることなく92歳で亡くなった。
西沢さんは、辨吉さんの没後、すぐに原稿を探し始めたがなかなか見つからず、2006年になって自宅敷地内にある土蔵でやっと発見した。「かつては矢出沢川の川岸に道祖神があって祭りを行っていたことなど、知らなかったことが書かれていた」と西沢さん。西脇稲荷(いなり)社の改築など、辨吉さんが亡くなった後の地域の動きを追加し、東信史学会副会長の桜井松夫さんに時代考証などを依頼して原稿を完成させた。
西沢さんは「時間がかかったが父の願いをかなえられ、子の務めを果たせて良かった」と話している。今後、市内の図書館や市西部公民館にも置く予定。少し残部があり、希望者に分ける。問い合わせは西沢さん(電話0268・22・4899)へ。
県教委、飯山城跡に高校建設計画
戦国武将、上杉謙信が築城した「飯山城」(長野県飯山市)の跡地に、県教育委員会が県立高校2校統合後の新校舎建設を計画していることが分かった。計画地は県史跡の隣接地で、城の施設があったとされるため市教委が遺跡に指定。計画を問題視した県考古学会は昨年12月、保存などを求める要望書を県教委に提出した。
建設が計画されるのは飯山、飯山北両校の2014年統合後の新校舎。計画地は飯山城跡の北側で、現在は市営城北グラウンドとして使われている。
17世紀前半の絵図によると、計画地には築城当時、北門があり、食事を作った「下御台所」や「下御長屋」などの施設があった。市遺跡内のため、工事の際は文化財保護法で文化庁への届け出が義務付けられている。
考古学関係者は「城施設の遺構などが埋まっている可能性が高い」と指摘。県考古学会の会田進会長は「文化財保護を第一に考えなければならない県教委が計画したことが悲しい」と訴える。
これに対し、県教委高校教育課の担当者は、同グラウンドを候補地の一つと認めた上で「正式に建設地に決まった場合は工事前に発掘調査を行う。どういう保存方法がいいのか考えていく」と説明。市教委は「城跡の一角にあることは無視できない。市民の意見を聞きながら対応を検討したい」との姿勢だ。
文化庁記念物課の禰宜田(ねぎた)佳男主任文化財調査官は「工事前の調査など必要な手続きを取れば法的には問題ないが、遺構などが出土した場合は学校の敷地の中で保存し、教材として活用するという方法もある」と話している。
【飯山城】 信濃一円に侵攻した武田信玄に対抗する「最後のとりで」として、上杉謙信が築城した千曲川河畔の丘陵に位置する平山城。江戸時代には有力諸侯の居城として、飯山市の基礎となる城下町が発展した。1868年の戊辰戦争で、旧幕府軍の攻撃を受け焼失。1965年に長野県史跡に指定された。
広島
龍馬ブーム福山市で過熱 4図書館がイベント
今月からスタートしたNHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなみ、坂本龍馬ゆかりの広島県福山市で、4つの図書館が関連の展示会を開催している。鞆の浦で就航した「平成いろは丸」に続く催しで、市民の“龍馬熱”は高まっている。
展示会を開いているのは、中央、松永、新市、かんなべの各図書館。このうち、中央図書館では「交換観光展示会『龍馬と高知~まっこと面白き高知ぜよ!~』」を開催。高知県立図書館と連携して、坂本龍馬記念館などのポスター7点をはじめ、「土佐・龍馬であい博」「高知県観光ガイドブック」などのパンフレットやチラシ64種類を展示、配布している。関係図書約300冊の貸し出しも行っている。
松永図書館では、昨年12月から「まるごと坂本龍馬」を開催。市鞆の浦歴史民俗資料館から借りた龍馬の等身大パネルなど写真パネル7点のほか、龍馬が率いた「いろは丸」事件の解説文も掲示している。
新市図書館は「坂本龍馬と高知観光展」で、高知県観光協会のパンフ11種類を並べている。南国市図書館から借りて「土佐弁カルタ大会」も実施した。かんなべ図書館では「坂本龍馬と幕末の男たち~日本の夜明けぜよ~」を開催中。西郷隆盛、桂小五郎、新撰組など龍馬をめぐる相関図などを展示している。
佐賀
大名行列 米をパレード 佐賀のNPO法人 4月披露へ 「サムライ文化伝えたい」
江戸時代の大名行列を各地で再現している佐賀市のNPO法人「鍋島三十六萬石大名行列まつり推進委員会」(野中弘義理事長)が、4月18日に米国サンフランシスコで開催される「北カリフォルニア桜祭り」の大パレードに初めて参加する。幕末期の咸臨丸が通商条約批准のためにサンフランシスコに入港して150周年の今年、桜祭りを盛り上げようと組織された現地の実行委員会が招待した。
サンフランシスコがあるカリフォルニア州には30万人以上の日系人が暮らし、全米で三つしかない日本人街が残る。
桜祭りは、日系人が中心となって1967年に開始し、同種のイベントでは全米で2番目の規模。日本舞踊や太鼓、茶道、食事など日本文化を紹介する一大イベントで、今年は週末の4月10、11、17、18日の計4日間開く。日本からは12団体が参加を予定する。
大名行列は最終日の18日の大パレードに参加し、市庁舎を出発して日本人街など約2キロを行進する。最終日の大パレードでは毎年約15万人が沿道を埋めるという。
大名行列の渡米を呼び掛けたのは現地在住の日本人や日系人で組織する実行委。ここ数年、中国風の獅子舞が参加するなど、祭りに日本的な色彩が薄れたと感じていた実行委の椎名映夫さん(61)が、同推進委のホームページを見て、「本物の日本文化を紹介したい」と出演を依頼。野中理事長が快諾した。
同推進委は、佐賀市中心部のにぎわいを取り戻そうと2001年に設立。同市内を中心に、福岡県など市外にも出向き、年間計約10回、大名行列で街を練り歩いている。
同推進委からは10人が渡米。現地での参加者を加えて行列の規模は100人前後となる見込み。現地の参加者の衣装は推進委が準備する。野中理事長は「私たちは、掛け声に至るまで当時の大名行列を忠実に再現している。サムライ文化を伝えたい」と意気込む。
椎名さんは「日本人街の存続も危ぶまれている今、日本への関心を喚起する機会になってほしい」と期待を寄せている。
「近代との遭遇展」であらかしコンサート 23日
県立博物館・美術館は「第12回あらかしコンサート」を23日午後2時半から、県立美術館ホールで開く。開催中の特別展「近代との遭遇」の”応援企画”として女性3人組「楓雅(ふうが)」が来演。明治時代に米欧諸国を歴訪した岩倉使節団が米国ボストンでの「世界平和記念国際音楽祭」(1872年)で聴いた名曲などを奏でる。
同コンサートは縄文遺跡出土のドングリから育った「縄文アラカシ」などの木々に囲まれて楽しんでもらう音楽会。今回は特別にホールに会場を移して行う。
楓雅はバイオリンとビオラ、ピアノで編成し、九州を中心に歴史的建造物や教会、離島でのコンサートなどユニークな活動を展開している。
今回は特別展にちなんだ楽曲を準備。岩倉使節団が”見聞”した「世界平和記念国際音楽祭」のプログラムにあったモーツァルト作曲「魔笛」から「夜の女王のアリア」や、ヨハン・シュトラウス作曲「春の声」などを予定。ピアソラ作曲「リベルタンゴ」、葉加瀬太郎作曲「情熱大陸」、楓雅のオリジナル楽曲なども演奏する。
同館は「特別プログラムで、幕末・明治期に西洋文化に”遭遇”した日本人・佐賀人に思いをはせてみては」と話す。
▽参加無料(申し込み不要)。午後2時開場で定員は約480人。
実写版『新撰組PEACEMAKER』見ました……恥ずかしながら、イマドキのイケメンの見分けがつかず、誰が誰を演じているのやら、わからん場面もありました(爆)。
セリフなしで廊下を歩いて場面に出ていたのは山崎丞ですよね?(汗)
原作はもちろん、アニメ版も見ていた(野間みつね様、その節はいろいろとお世話になりましまた……m(__)m)白牡丹としては、実写版は予見を持たずに見なければならんなぁと思った次第です。
宮城
■幕末の事件伝える古文書発見
ペリー来航情報
東松島?に迅速に届いた
図書館企画展で展示中/
東京
遊ナビ:写真 /東京
大阪
美と幽玄の世界 京都・壬生寺展はじまる
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/150 佃煮余話 大阪市西淀川区 /大阪
佃煮が発明されたのは、意外にも幕末だったんですね……江戸時代初期、大坂から江戸の佃島に漁民が移住した時に関西から伝わったものだと思ってました。
この記事にあるように「豆じゃこ」とか「えび豆」とか小魚や小海老を大豆と甘辛く煮付けたもの(関西では「炊いたん」っていいそう)って東京ではあまり見かけず、関西発祥という気がします。くるみとじゃこor小海老は東京でもよく見かけますが。
広島
麦焼酎「いろは丸」をリニューアル販売
広島県福山市箕島町の酒造・飲料メーカーのアシードブリュー(寺地実社長)は、幕末の志士・坂本龍馬が率いた海援隊の商船の名前にちなむ本格麦焼酎「いろは丸」の味わいを改良し、ラベルも一新して売り出した。NHKの大河ドラマ「龍馬伝」の放送開始に合わせてリニューアル。「龍馬ブームにあやかって『焼酎維新』を」と、販路拡大へPRに力を入れている。(松尾俊二)
いろは丸は1867(慶応3)年4月に同市鞆(とも)町の鞆の浦沖で紀州藩の軍艦と衝突して沈没。鞆の浦は龍馬と紀州藩側の談判の舞台となったことでも知られている。
同社は2008年10月から県内を中心に「いろは丸」を販売していたが、本格的に全国へ普及させるためリニューアルすることにした。原材料は海援隊の発祥地として龍馬にゆかりの深い長崎県で生産された二条大麦「にしのほし」の量を倍増し、まろやかさとコクを増した。福岡県朝倉市にある同社の九州酒類工場で製造し、割り水には筑紫山系の古処山の豊かな伏流水を使用。フルーティーな香りと甘みがあふれる香味豊かな味わいに仕上げた。白地に黒く「いろは丸」と書いただけだったラベルも、光沢のあるえんじ色をベースに変えた。
同社西日本営業部の中原良美部長(57)は「龍馬を思いながらロックや水割りなどお好みのスタイルで味わってほしい。ゆかりの地として福山のPRにもつながればうれしい」と話している。
アルコール度数は25度。価格は720ミリリットル入りで1050円(税込み)。問い合わせはアシードブリュー(084・954・3661)へ。
山口
パネル展:映画「獄に咲く花」上映前に 俳優の横顔など紹介--シーモール /山口
大分
ブームにあやかれ 幕末維新の道フォーラム
佐賀
「近代との遭遇展」であらかしコンサート 23日
長崎
器と弁当で“龍馬コラボ” 波佐見焼「和山」と鯨専門店「くらさき」
長崎まちなか龍馬館が入館1万人 中島さん夫妻に記念品
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(46)東大教授・山内昌之 山城屋和助
「龍馬ブーム」と飲食店
文化芸能
自他ともに認める“日本一”武田鉄矢「竜馬を好きになって」
ブックレビュー
オリコン本ランキング:司馬遼太郎「竜馬がゆく」がトップテン入り 「龍馬伝」効果で
セリフなしで廊下を歩いて場面に出ていたのは山崎丞ですよね?(汗)
原作はもちろん、アニメ版も見ていた(野間みつね様、その節はいろいろとお世話になりましまた……m(__)m)白牡丹としては、実写版は予見を持たずに見なければならんなぁと思った次第です。
宮城
■幕末の事件伝える古文書発見
ペリー来航情報
東松島?に迅速に届いた
図書館企画展で展示中/
NHK大河ドラマなどをきっかけに歴史や時代劇がブームを呼ぶ中、東松島市内で幕末のペリー来航を伝えた古文書が見つかった。古文書は市に寄贈され、同市図書館で開催中の幕末特集企画展で、ほかの歴史書とともに紹介されている。市の文化財関係者は「地方にも迅速に情報が伝達されるほど、当時としても大事件だった様子がよく分かる。時代背景や社会情勢を知る上でも貴重な資料だ」と話している。
古文書は、同市大曲筒場、浅野茂道さん(66)が所有していた。「亜美理駕(あめりか)合衆国 伯理璽天徳書翰(ぷれじでんとしょかん)」と表題がつき、大きさはB5判ほどで全10ページある。
1853(嘉永6)年7月のペリー来航を伝え、米国が江戸幕府に対して、燃料の補給基地などのために開国を要求するといった内容が記されている。
古文書の末尾には、他の文献などから写した日付と思われる「嘉永七年如月中旬」という表記がある。来航の翌年2月には地方にも情報が届いたことが分かる。情報通信網が乏しい時代としては迅速で、国内中が話題騒然となった大事件をうかがわせる。
古文書は黄ばんで傷みもあるが、浅野さんによると、40年ほど前、東松島市小松地区の実家から、ほかの約400点の古文書類とともに譲り受けたという。
浅野さんは「興味はあったが、資料が膨大な数のため、確認作業に手を付けられずにいた。処分すれば二度と戻らない」と話し、昨年、市に全資料を寄贈した。
浅野さんの所有する古文書類は以前、旧矢本町時代の町史編さんにも活用された。今回寄贈された資料の整理には、市文化財保護委員の松谷英世さん(70)が携わった。
松谷さんは「ペリー来航関連の古文書が市内で公になったのは初めて。当時はさまざまな文書を見て写したと思われる。内容に違いはあるが、社会情勢などを知る上で貴重だ」と話している。
写しは、市図書館で2月末まで開催中の企画展「幕末特集 歴女・龍女」で展示している。企画展では歴史書のほか「竜馬がゆく」(司馬遼太郎)や「徳川慶喜」(童門冬二)など、著名作家の小説も紹介している。
東京
遊ナビ:写真 /東京
(中略)
■写真で辿る「坂本龍馬の生きた時代」
2月25日まで10~19時、フジフイルムスクエア・ギャラリー「PHOTO IS」(地下鉄六本木駅)。写真技術が日本に伝来した幕末の志士、坂本龍馬の人生を、共に活躍した人物や当時の風俗の写真で振り返る。生前の書簡なども展示。NHK大河ドラマ「龍馬伝」展も同時開催。入場無料。電話03・6271・3350
大阪
美と幽玄の世界 京都・壬生寺展はじまる
新選組ゆかりの寺として知られる京都の名刹(めいさつ)「壬生寺」の寺宝を紹介する展覧会「京都・壬生寺展」(壬生寺など主催、産経新聞社協力)が21日、大阪・難波の高島屋大阪店で始まり、多くの来場者でにぎわった。
開会セレモニーでは、同寺の松浦俊海貫主や友禅画家、あだち幸さんらがテープカット。会場では、あだちさんが平成19年に制作、奉納した障壁画と襖絵のほか、壬生狂言で使用される仮面や衣装、平安時代の地蔵菩薩立像なども紹介され、来場者らは美と幽玄の世界を堪能していた。
2月1日まで。無休。会期中、同寺の松浦康昭副住職やあだちさんらによるギャラリートークも開かれる。入場料は一般800円、大学・高校生600円、中学生以下無料。
問い合わせは高島屋大阪店((電)06・6631・1101)。
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/150 佃煮余話 大阪市西淀川区 /大阪
◇剣豪が売り出し--ハゼ塩煮ヒントに 創作ない交ぜ、真偽は???
大阪の佃を離れて、東京・佃島が発祥とされる佃煮の話を続ける。
佃煮が商品化されたのは幕末の1862(文久2)年と伝わる。北辰一刀流の免許皆伝の剣士、大野佐吉が舟釣りに出た際、品川沖でしけに遭い、佃島に流れ着いた。漁師が雑魚を塩煮にしているのに着想を得て、小魚をしょうゆで煮て売り出した。これが今に続く佃煮の老舗「日本橋鮒佐(ふなさ)」だ。
4代目の宮内隆平さん(62)に電話で話を聞いた。宮内さんは、佃島と佐吉の因縁について「これもねえ、本人(佐吉)がそう言ってるだけで。佃島は漁師町だったので、新鮮な魚が取れる場所というイメージで作ったフィクションなのでは」と懐疑的だ。
その理由の一つが、江戸でしょうゆが大衆化する時期にある。「江戸では、しょうゆは西からの下り物がほとんどで、江戸製が出るのは18世紀終わりから。佐吉が佃煮を作ったとされるころは、しょうゆは高級品で、食通の間で珍味としてはやったんじゃないか」と推しはかる。
佐吉が剣豪だったのは確かなようだ。「明治20年代、靖国神社の奉納試合に行司役で出ている。剣の世界では名が通っていた」。ところが、佃煮を売り出すころ、佐吉は小鮒を串(くし)に刺してしょうゆで付け焼きする「鮒寿々(すず)め焼」を売っていたという。「なぜ剣豪がそんな商売をしていたのか」
では、佃煮のヒントになったという雑魚の塩煮は? 宮内さんは「佃島にあったんだろうと思います。雑魚はたぶんハゼ。腹がすぐ切れて輸送に耐えないので、売り物にならなかった。うちも昭和30年代まで、東京湾のを佃煮に使っていましたが、東京オリンピックからパッタリ取れなくなった」という。
佃島で塩煮がなんと呼ばれていたかはわからないが、「佃煮とは呼んでなかったはず。フランスではフランスパンと呼ばないでしょう」。なるほど、そりゃそうだ。「名付けたのは江戸の人間」。佐吉が名付け親だった可能性はある。「最初に大野煮とか鮒佐煮と付けておいたら良かった」と佐吉が漏らしたと伝わっているそうだ。
佃島のハゼの塩煮にヒントを得て、高級珍味として佃煮という名前で売り出された。のちになって、佃島に漂着したというドラマチックな要素を付け加えたのではないか--。これが宮内さんの推理だ。
ちょっとした食べ物にも、これだけ推測を巡らせる歴史があるわけだ。あだや、おろそかにすまじ。
◇佃島の先っちょだから、三角に並ぶマンション
前回について、読者からお手紙をいただいた。亡くなったお母さんが佃の生まれで、お母さんの思い出と重ねて、「佃煮はかねてから大阪の佃の料理法ではないかと思っておりました」と書かれていた。
お母さんが得意だった煮物の中でも、「豆じゃこ」と呼ぶ大豆とモロコを煮たものは、1カ月たっても食べられるほど日持ちがして、みなに配っていたという。「酒のつまみに良し、おかずに良し、お茶漬けに良し」で、飲んべえから子どもにまで人気があった。
お母さんが若いころは「はいじゃこ」という小魚を煮た。モロコも取れなくなり、料理法を教わることはなかったので、「佃煮本家の味だと思われるものが幻となってしまいました」と残念そうだ。
「まだ今でも佃のどこかで、どなたかが豆じゃこを煮ておられるのでしょうか。母を思い、復活させられれば」。手紙はこう結ばれていた。「豆じゃこ」の作り方をごぞんじの方がおられたら、ぜひご一報を。
◇
大阪の佃に戻ろう。田蓑(たみの)神社の裏手に回ると、児童公園があって、子どもたちが日差しをいっぱいに受けて走り回っていた。仲間外れにされたのか、女の子が一人、ベンチで泣いていた。
公園の向こうにはマンションが並んでいる。大阪案内人の西俣稔さんがマンションを指さして、「三角形になってるやろ。佃島の先っちょやから」。なるほど、真ん中の棟を頂点に、左右の棟が辺を形作っている。こんなところからも地形が読み取れる。【松井宏員】
==============
「豆じゃこ」については、〒530-8251(住所不要) 毎日新聞社会部大阪面「わが町」係まで。
佃煮が発明されたのは、意外にも幕末だったんですね……江戸時代初期、大坂から江戸の佃島に漁民が移住した時に関西から伝わったものだと思ってました。
この記事にあるように「豆じゃこ」とか「えび豆」とか小魚や小海老を大豆と甘辛く煮付けたもの(関西では「炊いたん」っていいそう)って東京ではあまり見かけず、関西発祥という気がします。くるみとじゃこor小海老は東京でもよく見かけますが。
広島
麦焼酎「いろは丸」をリニューアル販売
広島県福山市箕島町の酒造・飲料メーカーのアシードブリュー(寺地実社長)は、幕末の志士・坂本龍馬が率いた海援隊の商船の名前にちなむ本格麦焼酎「いろは丸」の味わいを改良し、ラベルも一新して売り出した。NHKの大河ドラマ「龍馬伝」の放送開始に合わせてリニューアル。「龍馬ブームにあやかって『焼酎維新』を」と、販路拡大へPRに力を入れている。(松尾俊二)
いろは丸は1867(慶応3)年4月に同市鞆(とも)町の鞆の浦沖で紀州藩の軍艦と衝突して沈没。鞆の浦は龍馬と紀州藩側の談判の舞台となったことでも知られている。
同社は2008年10月から県内を中心に「いろは丸」を販売していたが、本格的に全国へ普及させるためリニューアルすることにした。原材料は海援隊の発祥地として龍馬にゆかりの深い長崎県で生産された二条大麦「にしのほし」の量を倍増し、まろやかさとコクを増した。福岡県朝倉市にある同社の九州酒類工場で製造し、割り水には筑紫山系の古処山の豊かな伏流水を使用。フルーティーな香りと甘みがあふれる香味豊かな味わいに仕上げた。白地に黒く「いろは丸」と書いただけだったラベルも、光沢のあるえんじ色をベースに変えた。
同社西日本営業部の中原良美部長(57)は「龍馬を思いながらロックや水割りなどお好みのスタイルで味わってほしい。ゆかりの地として福山のPRにもつながればうれしい」と話している。
アルコール度数は25度。価格は720ミリリットル入りで1050円(税込み)。問い合わせはアシードブリュー(084・954・3661)へ。
山口
パネル展:映画「獄に咲く花」上映前に 俳優の横顔など紹介--シーモール /山口
◇古川薫さん原作
幕末の思想家、吉田松陰をテーマにした映画「獄(ひとや)に咲く花」の公開を前に、下関市竹崎町のシーモール下関専門店街で、この映画を紹介するパネル展が開かれている。2月5日まで。
「獄に咲く花」製作委員会の主催。ストーリーや松陰役の前田倫良(33)さん、高須久を演じる近衛はなさん(29)のプロフィルなどを紹介。映画の原作となった「野山獄相聞抄」の著者で地元在住の直木賞作家、古川薫さん(84)のメッセージなども並ぶ。
映画は松陰没後150年の昨年、萩市の東光寺や松陰神社、下関市の功山寺などで撮影された。来月6日からシーモール内の下関スカラ座シアター・ゼロなどで先行上映される。【尾垣和幸】
大分
ブームにあやかれ 幕末維新の道フォーラム
竹田市の九州アルプス商工会青年部久住支部(高城猛支部長)と直入支部(古荘聡一支部長)は、勝海舟や坂本竜馬らが大分を縦断して駆け抜けた道を「幕末維新の道」と名付け、地域活性化に結び付ける事業に取り組むことになった。第1弾として、24日午後1時半から同市久住町の久住公民館サンホールで「幕末維新の道フォーラム」を開く。
勝の「海舟日記」によると、勝は1864年、徳川幕府の命令で海軍塾の筆頭だった竜馬を連れて佐賀関に上陸。鶴崎、野津原、久住で泊まりながら豊後(肥後)街道を歩き、熊本から長崎に渡ったと記されている。両支部では幕末の混乱期に国内を奔走した竜馬らが竹田市にも訪れていた史実に着目。まずはフォーラムを開催し、市民らに関心を深めてもらうことにした。
フォーラムでは別府大学客員教授の辻野功さんが「歴史的背景から見る幕末維新の道について」の演題で基調講演。続いて辻野さんと阿蘇地域振興デザインセンターの坂元英俊事務局長、首藤勝次市長の3人による「新時代を切り拓(ひら)く地域振興戦略」をテーマにしたトークセッションがある。入場無料。
両支部では同市直入町と久住町の豊後街道沿いに勝や竜馬らの似顔絵を描いた看板の設置を計画しているほか、市内外の団体などと連携して活性化策を講じる方針。「NHK大河ドラマ『龍馬伝』が始まり、全国的に竜馬ブームが起きている。大分、竹田とのかかわりについても多くの人に知ってもらいたい」と呼び掛けている。フォーラムの問い合わせは九州アルプス商工会(TEL0974・76・0151)へ。
佐賀
「近代との遭遇展」であらかしコンサート 23日
県立博物館・美術館は「第12回あらかしコンサート」を23日午後2時半から、県立美術館ホールで開く。開催中の特別展「近代との遭遇」の”応援企画”として女性3人組「楓雅(ふうが)」が来演。明治時代に米欧諸国を歴訪した岩倉使節団が米国ボストンでの「世界平和記念国際音楽祭」(1872年)で聴いた名曲などを奏でる。
同コンサートは縄文遺跡出土のドングリから育った「縄文アラカシ」などの木々に囲まれて楽しんでもらう音楽会。今回は特別にホールに会場を移して行う。
楓雅はバイオリンとビオラ、ピアノで編成し、九州を中心に歴史的建造物や教会、離島でのコンサートなどユニークな活動を展開している。
今回は特別展にちなんだ楽曲を準備。岩倉使節団が”見聞”した「世界平和記念国際音楽祭」のプログラムにあったモーツァルト作曲「魔笛」から「夜の女王のアリア」や、ヨハン・シュトラウス作曲「春の声」などを予定。ピアソラ作曲「リベルタンゴ」、葉加瀬太郎作曲「情熱大陸」、楓雅のオリジナル楽曲なども演奏する。
同館は「特別プログラムで、幕末・明治期に西洋文化に”遭遇”した日本人・佐賀人に思いをはせてみては」と話す。
▽参加無料(申し込み不要)。午後2時開場で定員は約480人。
長崎
器と弁当で“龍馬コラボ” 波佐見焼「和山」と鯨専門店「くらさき」
東彼波佐見町の窯元「和山」(広田和樹社長)が、幕末の志士・坂本龍馬が愛用したといわれる長崎発祥の亀山焼の飯わんを復元。器は長崎市の鯨専門店「くらさき」(小嶺信介社長)と共同企画した「ながさき鯨カツ弁当 龍馬が愛した望龍碗(もうりゅうわん)」に使われ、東京の大手百貨店が今月開いた駅弁イベントで人気を集めた。
再現したのは、山口県の下関市立長府博物館に現存するふた付きの飯わん(幅約12センチ、高さ約11センチ)。白磁の胴とふたに、呉須(あい色の顔料)で竜が染め付けられている。
小嶺社長(32)が百貨店の依頼でイベントに向けた新商品を考案中、広田社長(41)ら波佐見焼の若手窯元と知り合ったことがきっかけ。広田社長や県窯業技術センターの職員らが昨年9月、同博物館を訪れ、模様や形を細かく撮影。写真を基に10月から復元作業に取り掛かり、石こう型制作から絵付けまで約2カ月間をかけて完成させた。
「実物はまるで日本画のような高度な絵付けで(復元は)自信がなかった」と広田社長。顔料のぼかし具合やうわぐすり配合に繊細さが求められたが、苦心の作品は「いい出来栄え」。
「-望龍碗」はご飯の上に鯨そぼろや鯨カツ、鯨の竜田揚げが盛られた長崎らしい一品。龍馬人気や器の珍しさも手伝い、駅弁イベントでは毎日即完売する人気ぶり。小嶺社長は「利益は出ないが、波佐見焼のPRに貢献したい」と話している。
くらさきと、JR長崎駅のキヨスク(1日3個限定)で1個2100円(税込み)で販売中。25日からは1個2500円(同)。問い合わせはくらさき(電0120・094083)。
長崎まちなか龍馬館が入館1万人 中島さん夫妻に記念品
坂本龍馬を中心に幕末から現在に至る長崎の歴史や魅力を紹介する「長崎まちなか龍馬館」(長崎市浜町)の入館者が20日、今月2日のオープンから1万人を突破した。1万人目となった同市平山町の無職、中島一夫さん(60)、眞弓さん(60)夫妻に、田上富久市長が記念品を贈った。
同館は地上1階、地下1階のスペースで構成。地下1階には龍馬が中心となって組織し、日本初の商社とされる亀山社中の一室を再現。龍馬と後藤象二郎が会談した清風亭の調度品なども並んでいる。1階には物販コーナーやさるくインフォメーションコーナーがある。
龍馬のファンだという中島さんは「(1万人目ということで)びっくりしている。龍馬に限らず、長崎のいろいろな歴史を全国の人に知ってもらえたら」と話した。
オープンから約2週間で1万人を達成したことについて田上市長は「良いスタート。(同館を)市民に見てもらい、伝えてほしかったので1万人目が市民でありがたい」と話した。
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(46)東大教授・山内昌之 山城屋和助
■武士だった意地
民主党衆院議員の石川知裕容疑者の逮捕にやりきれない思いをした人も多いだろう。容疑は、小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる政治資金規正法違反である。石川容疑者はこれまでも取り調べで動揺を見せ、精神状態も不安定だったという報道もある。無理もないことだ。
“尊敬する先生”小沢氏の土地購入疑惑がもちあがったのだ。自分の証言の重みを理解すればするほど、新しい政治に賭ける抱負と現実のしがらみとの間で自縄自縛となったに違いない。不慮の事態を危惧(きぐ)した東京地検が身柄を押さえたという解釈もあながち根拠のないものではない。
山県関係の汚職事案
幕末明治初期にも各種の動機から多くの人物が自裁している。なかでも山城屋和助事件は、新政府の陸軍卿だった山県有朋の関係した汚職事案にほかならない。長州藩の奇兵隊員だった野村三千三(みちみ)は、維新後に事業に転じて山城屋和助と改名した。
最初は兵部大輔(たいふ)の山県が和助の属した奇兵隊の上官だった縁から、兵部省の御用商人になったのだ。軍需品の納入を一手に引き受け、莫大(ばくだい)な利益を得て豪商に成り上がった和助は、その見返りとして山県に多額の献金を行っている。職務権限の伴う賄賂(わいろ)の授受ということにもなりかねないが、今でも謎に包まれた部分が多い。
しかし、陸軍の公金を勝手に和助に貸し付け、生糸貿易に投資するのを許したのは事実のようだ。国際相場の怖さを2人はまだ知らない。果たして、折から勃発(ぼっぱつ)した普仏(ふふつ)戦争は生糸相場にも大暴落をもたらし、陸軍の金を原資にした取引は失敗したのだ。
これで懲りないのだから山県も相当なものだ。山県は欠損を補填(ほてん)させるために、またしても和助に公金を貸し付けたらしい。それで地味に営利事業に投資すればよかったのに、和助はこの公金を携帯してフランスに渡り、仕事もせずにパリで日夜豪遊したというから呆(あき)れてしまう。
このあたりは、幕末に藩の公金を品川の遊郭「土蔵相模」で蕩尽(とうじん)した高杉晋作や伊藤博文、井上馨の若き日このかた、幕末長州人の公私のけじめのなさを受け継いでいるのだ。和助には公金横領の罪を犯した実感さえなかったに違いない。「井上や伊藤と同じに振る舞って何が悪い」と。
冷酷な絶縁へ抗議の死
しかし、新政府も薩長による公私混同に寛容な時期を過ぎようとしていた。在仏の日本公使館は破格の大尽遊びに驚き、陸軍省も秘密調査によって山県がらみの不正を突き止めたのだ。
さすがの山県も慌てふためき、すぐにパリから和助を呼び戻し、貸し付けた公金の即時返済を迫ったが、破産同然の和助に返済する能力があるはずもない。何しろ和助に貸し付けた公金総額の約65万円は、陸軍省予算の1割にもあたるという説もあるから呆(あき)れて物も言えない。
山県は金銭面でさんざん和助に頼っていたにもかかわらず、火の粉が自分に及ぶと絶縁する冷酷さを発揮した。腹を据えたのは和助のほうだ。山県に司直の取り調べが及ぶのを止めるために、証拠書類をすべて焼却し、陸軍省の一室で切腹して果てたのであった。
明治5年11月29日のことである。かつての上官で恩義もそれなりにあったからだろう。山県の本拠、陸軍省で割腹したというのは、心で武士に戻った和助の意地であり、山県への物言わぬ抗議だったのかもしれない。
辞世は、「誉(ほま)れある越路(こしじ)の雪と消えもせず永らへてこそ恥ずかしきかな」。今際(いまわ)には、山県の下で転戦した越後の雪のひんやりとした感じを思い浮かべていたのか。
事件の真相は闇の中
和助が自殺したことで、事件の真相は闇に葬られてしまった。処分は責任者を藩閥外から出すことで決着する。山県は順調なコースを歩んで首相や元老になり、陸軍の長州閥も安泰だったのだから、和助の義理堅さにどれほど感謝しても足りることはない。山県の私宅だった椿山荘を訪れるたびに、この豪奢(ごうしゃ)な庭園をつくる原資が一体どこから出たのか、訝(いぶか)しく思うのは私だけではあるまい。
閑話休題。石川容疑者が小沢氏の土地購入疑惑に関連して追及されているのを思うとき、山県の資産形成と山城屋事件の深い闇をふと思いだしてならない。父親も心配した石川容疑者には、ひとり思い悩んで最悪の選択をしなくてよかった、とむしろ今の境遇を逆に考え、一個の政治家として真実を有権者に告白する意地を見せてほしい。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】山城屋和助
やましろや・わすけ 天保8(1837)年生まれ。周防(山口)出身。幼少のころ両親を失い、寺の小僧となるが、後に還俗して野村三千三を名乗る。文久3(1863)年に奇兵隊に入隊し、山県有朋の部下となって戊辰戦争に参加。維新後は横浜で貿易商となり、山城屋和助と称する。山県の庇護(ひご)を受け、諸省の御用商人となって富を築くが、生糸貿易で失敗。陸軍省から多額の金を借り入れ、仏に洋行するが、豪遊の疑惑を招いて政治問題化。借金を返済できなくなり、明治5(1872)年、割腹自殺した。享年36。
「龍馬ブーム」と飲食店
NHKの大河ドラマ「龍馬伝」は福山雅治を龍馬役に起用するというキャスティングが話題となり、老若男女問わず人気を呼んでいるようだ。この「龍馬ブーム」到来を好機に、飲食業界でも"龍馬居酒屋"や"龍馬メニュー""龍馬フェア"などが続々と登場してきそうだ。
けっこう飲食店オーナーには“龍馬好き”が多く、昔から「龍馬」を店名に冠する個店の居酒屋やラーメン屋などは全国に点在する。自由闊達でアイデアにとんだ龍馬の生き様や発想が、独立志向の強い飲食店オーナーたちに通じるところがあるのだろう。また、先週の当欄で書いたが、龍馬というキャラクターがかもし出す“ゆるさ”も時代の空気を映して支持される所以かもしれない。そんな“龍馬的ゆるさ”を代表する店が新橋の立ち飲み「竜馬」だろう。ここ数年の立ち飲みブームの中で、「新橋に竜馬あり」といわれる人気店だ。いまは姉妹店のスタンディングバー「ORYO」の2店だが、もともとは10坪足らずの「ORYO」の物件からスタートしている。「ORYO」の女将さくらさんは、龍馬の姉の乙女や龍馬の妻のお龍を彷彿とさせるところがある。彼女のつくる氷を入れない「ハイボール」は最高で、一口飲むと幕末にワープさせてくれる雰囲気がある。新橋のサラリーマンはここで、「俺も時代を変えちゃるがよ!」と魂を鼓舞させるのである。
同じ新橋に「龍馬が如く!」、銀座に「龍馬邸」、横浜に「龍馬外伝」を運営しているのがダイヤモンドダイニング。同社の松村厚久社長は高知県出身で、“100店舗100業態”構想の一つとして、高知食材、土佐料理をコンセプトにした「土佐十景」(土佐テーマで10店舗10業態展開)プロジェクトを進めてきた。「龍馬が如く!」「龍馬邸」はその中の2店舗である。「龍馬が如く!」では料理オペレーションが難しいといわれた“鰹の藁焼き”を前面に打ち出し、「龍馬邸」では170cmの等身大の龍馬像を設置、いずれも大きな話題となった。松村さんは言う。「別に龍馬ブームを当て込んだわけではないのですが、大河ドラマのおかげで大変な人気です。ヤフーファイナンスの株式ニュースでは、『龍馬銘柄』の筆頭に挙げられました。龍馬関連の取材、インタビューも殺到しています」と嬉しい悲鳴。松村社長には、高知県から「観光特使」のオファーあり、承諾する予定だと言う。
閉塞した時代、デフレ不況の出口も見えない。そんな暗闇の環境は、どこか幕末の時代背景に似ている。「龍馬伝」がヒットしているのはそうした必然的要素があるのかもしれない。こういう時代には、朝日新聞がシリーズ特集をしているように、“大きな物語”を描く人物や発想が求められている。司馬遼太郎氏も「竜馬がゆく」や「翔ぶが如く」を書いたときは、時代を根底から変革し、新しい日本と日本人を作り直す“大きな物語”をイメージしていたに違いない。「龍馬ブーム」に乗るのはいいが、その底流にある本質を見失ってはいけない。外食・飲食店業界も大きな時代の変革期にある。せっかくの龍馬ブームである。外食企業、飲食店経営者は龍馬の生き様、発想、構想力から学ぶべきことはたくさんあるのではないだろうか。
文化芸能
自他ともに認める“日本一”武田鉄矢「竜馬を好きになって」
歌手で俳優の武田鉄矢(60)が20日、都内で著書「私塾・坂本竜馬」の発売を記念してサイン&握手会を行った。自他ともに認める“日本一の竜馬ファン”の武田が、初めて竜馬の生き様、魅力を著し、それに自らの人生を重ね、生きていくこと、人間の素晴らしさを綴っている。
武田は「読むと私が竜馬のところへ案内します。元気に明るく幕末を生き抜いた竜馬と接して元気になってください。そして竜馬を好きになってください」と笑顔でPRした。
ブックレビュー
オリコン本ランキング:司馬遼太郎「竜馬がゆく」がトップテン入り 「龍馬伝」効果で
21日発表されたオリコン本ランキング(25日付)によると、98年9月発売の司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」(文春文庫)新装版1巻が約1万6000部を売り上げ、文庫部門の9位に入った。
福山雅治さん主演のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送開始前の11月、同書は200位前後だったが、1月の放送開始と同時に売り上げが伸び、18日付ランキングでは17位に上昇していた。2巻も26位、3巻も44位といずれも先週よりも順位を上げている。また、NHK大河ドラマ「龍馬伝」のガイド本「NHK大河ドラマ・ストーリー 龍馬伝 前編」も約2万2000部を売り上げ、先週と同じ2位をキープしている。
「竜馬がゆく」は1962年から「産経新聞」に連載された小説で、坂本龍馬の生涯を描いたベストセラー。北大路欣也さん主演でNHK大河ドラマが放送されたほか、何度もドラマ化されている。ドラマ「龍馬伝」は、土佐(高知県)出身の幕末の英雄・坂本龍馬の33年の生涯を、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の視点から描いたドラマ。龍馬にあこがれる岩崎が、師事していた藩参政・吉田東洋の暗殺を機に、龍馬を憎むようになるが、龍馬の「世界の海援隊を作る」という夢を引き継いでいく……というストーリー。【河村成浩】
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