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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は大寒。暦の上では一年で一番寒い日であるにもかかわらず、ところによっては最高気温が20度を超えた(4月並み^_^;)という暖かい一日でした。
 明日の最高気温は、ところによっては今日以上(5月並み!)の暖かさだそうですが……夕方から夜にかけて急に冷え込む(ところによっては雪)そうですので、明日は夜まで外出している時には着る物に工夫が要りそうですね。

北海道
名所、イベント紹介…函館観光トランプ発売
 函館国際観光コンベンション協会は、市内の観光名所やイベント、食などを写真と文で紹介する「函館観光トランプ」を発売した。遊びながら函館の魅力を知ってもらう狙い。同協会は「子供からお年寄りまでが楽しみながら函館への理解を深めてもらい、観光客誘致につなげたい」としている。
 ブランド総合研究所(東京)による昨年の地域ブランド調査で、魅力度ランキング第1位となった函館の知名度アップを図ろうと製作。トランプは、名刺ほどの大きさで、ジョーカー2枚を含む54枚入り。すべてのカードに函館にまつわる人物や風景などを紹介する写真とその説明文が記されている。
 ハートなど4種類あるマークの「A(エース)」は高田屋嘉兵衛や土方歳三などの歴史上の人物、「2」は戸井マグロや塩ラーメンなどの函館名物が取り上げられている。
 「3」から「K」(キング)までは、教会や寺院などの歴史的建造物をはじめ、縄文遺跡、五稜郭公園の桜などの風景、「はこだてクリスマスファンタジー」などのイベントの写真も載せられている。「ジョーカー」は、函館を象徴するイカや教会のイラストがカラーで描かれたマンホールのふたで、「市内に点在しているから是非(ぜひ)見つけてね」とPRしている。
 価格は840円で、1000個限定。同協会のほか、市内の観光案内所と宿泊施設、旧イギリス領事館や函館山ロープウェイ山頂、五稜郭タワー、函館空港2階の各売店、文教堂書店昭和店で取り扱っている。問い合わせは同協会TEL0138・27・3535へ。

 土方さんは、どのスートのエースなのか気になります……スペードはもともと剣を意味するものだそうなので土方さんにふさわしいと思うのですが、ハートのエースだったりしたらハートに選んだ意図を訊いてみたい^_^;。

宮城
埋もれた偉人紹介します
幕末藩士・玉蟲左太夫 演劇で

 幕末に活躍した仙台藩士・玉蟲(たまむし)左太夫(1823~69)の生涯を描いた芝居が来月13日、若林区文化センター(仙台市若林区)で上演される。玉蟲は渡米の記録をまとめるなど、先進的な感覚を持った武士として知られるが、今ではほとんど忘れられた存在。企画した市民団体「先人のはなを啓(ひら)く会」は、「郷土の偉人を知ってほしい」と参加を呼びかけている。
 啓く会は、歴史に埋もれた人たちを紹介しようと昨年2月、仙台市民らで結成され、第1弾として玉蟲を取り上げた。
 芝居「超サムライ 玉蟲左太夫」には、仙台市内のアマチュア劇団員に加え、同会メンバーも役者として参加。米国への船旅で、嵐の中、艦長が水夫と一緒に徹夜で働く姿、清潔な病院で患者が丁寧に扱われる様子を見て、「平等」や「人間を大切にする」考えに触れ、玉蟲が変わっていく姿を描く。
 昨年末、仙台市内で行われた練習では、玉蟲役の会社員小松春武さん(26)が、指導を受けつつ、セリフや動作の練習を繰り返していた。小松さんは「芝居は初体験だが、玉蟲の気持ちの変化を感じてもらえるよう演じたい」と意気込む。
 当日は歴史作家星亮一さんが講演するほか、同市内のアマチュア落語家桂友楽さんが創作落語を披露し、多角的に玉蟲の生涯に迫る。玉蟲の子孫で、同会事務局長を務める山本三郎さん(73)は「玉蟲という人がいたことを知り、興味をもって、もっと深く調べてほしい。芝居をその入り口にしたい」と話している。
 午後2時開演。入場料は大人2000円(前売り1500円)、中高生1500円(同1000円)。小学生以下無料。定員700人。問い合わせは、同会(022・399・8249)。

 玉蟲左太夫、関心があるので評伝を入手しているのですが未読です。劇も面白そうです。

茨城
俳優大沢たかおさんが茨城訪問 「桜田門外ノ変」に主演
 今年秋に全国公開予定の映画「桜田門外ノ変」の主演俳優大沢たかおさん(41)と佐藤純弥監督(77)が19日、茨城県庁を表敬訪問し、橋本昌知事は「茨城は知名度が低い。それを破るいいチャンスになる」と期待を込め話した。
 作品の中心は幕末に桜田門外の変を起こした水戸藩浪士で、大沢さんは部隊の1人、関鉄之介役を演じる。
 地域活性化を目指し、茨城県民有志が映画化を提案。主に県内で撮影され、井伊直弼を襲撃するシーンのため水戸市内につくられた桜田門のセットの費用は2億4千万円。うち6千万円は県と市が負担する予定で、残り1億8千万円は一般公開するセットの入場料収入などで賄うという。
 佐藤監督は記者会見で「あれだけ大きなセットは一企業ではできない。地元の熱意のおかげだ。自分の経験と能力を生かして完成させる」と語った。20日にクランクインする。


東京
視覚揺さぶる超絶技巧 「柴田是真の漆×絵」展
 人は、外界からの情報の8割を視覚から得ているといわれる。美術とは、その視覚に直接訴える表現なのだろう。幕末・明治の漆芸家で画家の柴田是真(1807~91)の約90点に及ぶ展覧会を見ていると、しかし、そんな考えが、揺さぶられてゆく。
 展示の大半は米・エドソンコレクションからの出品で、第1室では、ガラスケースに同コレクションの漆器が並ぶ。そこに高級木材・紫檀(したん)製の小さな香合がある。重厚な木目が美しく、ふたの表から側面に走る小さな亀裂は木と金属の鎹(かすがい)で補修されている。
 だが実はこれ、すべてフェイク。漆で固めた紙に漆を塗り、一部をかき取りまた別の漆を塗って木目を表し、細かい木目は一筋ずつ彫っている。「紫檀塗」という「変塗(かわりぬり)」の技法で、亀裂もわざわざ彫り、別の変塗で鎹を施している。作品名は「紫檀塗香合」。この超絶技巧、説明なしでは、手にとってその軽さに驚くまで分からないかもしれない。視覚だけでは味わい尽くせない作品なのだ。
 江戸生まれの是真はまず蒔絵(まきえ)を学び、さらに四条派の絵を学ぶ。維新前後には絵画でも工芸でも高い評価を受け、以後も博覧会への出品などを通し、重鎮として活躍した。紫檀や金属、墨などを模した変塗で目指したのは、遊び心と同時に、蒔絵だけではない漆工の可能性の追究だったようだ。
 質感描写に優れ、台頭著しい油絵も意識。質感で対抗するなら変塗とばかりに、紙に描く「漆絵」でもその技量を発揮した。例えば「南瓜(かぼちゃ)に飛蝗(ばった)図漆絵」では、透明かつ立体感のある花や細密なバッタの描写で、油絵とは違う質感の魅力を見せる(同コレクション)。蒔絵の額を模した紫檀塗による漆絵も残す。これも持てば当然、紙ゆえに軽いはずだ。
 工芸品は本来、手にとり使って味わうもの。近代の展示システムではそれはかなわないが、それでも是真作品は、視覚とそれ以外の感覚のせめぎ合いにも、美術の楽しみがあることを示す。視覚偏重が進む映像化時代に、その教えの意味は大きい。(大西若人)
    ◇

 2月7日まで、東京・日本橋室町の三井記念美術館。月曜と31日休館。京都、富山に巡回。


神奈川
居酒屋店主が歴史本「龍馬とおりょうさん」発刊-龍馬と横須賀をテーマに執筆 /神奈川
 龍馬ファンが集まる横須賀の焼き鳥店「竜馬におまかせ」(横須賀市日の出町2.)の店主・斎藤秀一さんが1月19日、坂本龍馬と横須賀のゆかりを綴った歴史本「龍馬とおりょうさん」を発刊した。(横須賀経済新聞)
 同書の内容は、「龍馬夫妻の新婚旅行」「英雄が書いたラブレター」「おりょうゆかりの地を歩く(横須賀・横浜編)」など20章。19日は幕末の遣米使節船「咸臨丸」出航150周年にあたることから、番外篇「勝海舟と思い出の浦賀湊」も収録した。幕末史を研究する斎藤さんが、地元タウン紙に連載した原稿を全面リニューアルしてまとめたもの。
 斎藤さんは16歳のときに司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」を読んで感動して以来、熱心な龍馬ファンになったという。大学卒業後は郵便局に勤務していたが40歳で脱サラし、「龍馬や幕末の歴史を語り合う場を作りたい」と2年前に焼き鳥店をオープンした。
 龍馬の妻「おりょうさん」が晩年を横須賀で過ごし、お墓も同市内の信楽寺(しんぎょうじ)にあることから、龍馬やおりょうさんの足跡を訪ね歩き、「湘南海援隊文庫シリーズ」として4冊の本を執筆。2007年11月には斎藤さんが書いた「龍馬とおりょうの思い出物語」を原作に、女優・川上麻衣子さんが一人芝居「横須賀夢幻翔」を演じて話題になった。
 同店では、龍馬が鳥料理が好物だったことにちなんで焼き鳥「竜馬焼き」、鶏鍋「竜馬鍋」などオリジナル料理のほか、「龍馬の夢」「おりょうさんの想い」などの焼酎ボトルも提供。NHK大河ドラマ「龍馬伝」が始まったこともあり、歴史好きなファンとともに龍馬談義に花を咲かせてにぎわっている。
 斎藤さんは「横須賀は龍馬やおりょうさんとゆかりの深い場所。この本をきっかけに横須賀を訪ね歩いてもらえたら」と笑顔をみせる。
 同店・東叶神社などで頒布するほか郵送でも販売する。1冊500円。問い合わせは同店(TEL 046-825-8727)まで。


滋賀
ゆるキャラ:やちにゃん“出張”報告 大先輩ひこにゃんも激励--来月香港へ /滋賀
 来月14日の旧正月に香港であるパレードに関西2府4県の「ゆるキャラオールスターズ」の一員として派遣される彦根のゆるキャラ「やちにゃん」が19日、彦根市役所に大先輩の「ひこにゃん」を訪ね、出発の報告をした。
 やちにゃんは、幕末の大老で第十三代彦根藩主、井伊直弼の娘、弥千代姫がモデル。この日は同オールスターズチームリーダーの荒川深冊さん(38)らを従えて市役所を訪問した。「ひこにゃん」とともに出迎えた獅山向洋市長から「彦根をしっかり売り込んで来てください」と激励を受けた。
 この後、関西のゆるキャラが乗ってパレードする三輪自転車「ひこねリキシャ(ゆるキャラ仕様)」を作っているNPO法人「五環生活」の竹内洋行さん(38)が試作車1台を公開した。縦、横各1・4メートルの座席が付いた真っ赤なリヤカー風の作りでパネルには各キャラクターの写真と名前が入る。早速、「ひこにゃん」と「やちにゃん」が試乗したが、乗り心地は上々だったという。【松井圀夫】


京都
忠臣蔵や恋物語…京都で映画製作活況 産官学連携が奏功
 映画の聖地・京都が久々に活況を呈している。松竹京都撮影所(京都市右京区)では、撮影される映画が年間1本程度に減っていたが、昨秋から、時代劇や立命館大の学生スタッフが参加した作品など4本と相次いでいる。産官学連携による同撮影所の改装などの支援策が、効果を上げているようだ。
 昨年12月初めから撮影中の時代劇「武士の家計簿」(森田芳光監督)は幕末に藩の会計処理を預かる下級武士の物語で、堺雅人さんや仲間由紀恵さんらが出演。また、赤穂浪士の秘話「最後の忠臣蔵」(杉田成道監督)も1月上旬にクランクアップ。役所広司さんが主演、片岡仁左衛門さんが大石内蔵助にふんし、邦画で16年ぶりとなる時代劇の定番「忠臣蔵もの」の撮影現場は活気にあふれた。
 昨年に撮影を終えた2作のうち「京都太秦恋物語」は、立命館大と松竹の共同製作で、映像学部の学生が参加、山田洋次・客員教授が監督を務めた。一方、「ふたたび」(塩屋俊監督)は、ハンセン病で音楽を断念したジャズマンのドラマ。渡辺貞夫さんも出演した。この4本は今年公開予定。
 京都では1950年代に年間約150本の映画が作られたが、製作現場が東京に集中し、減少。このため、京都府や京都市、近畿経済産業局、映画会社、立命館大などが協力し、2006年に京都の映像産業復興支援策を始めた。松竹京都撮影所では府の補助を受けて撮影用スタジオ4棟を新設し、編集、音響などの仕上げやデジタル対応の試写をする最新システムを導入。北川淳一・同撮影所社長は「職人の熟練の技と経験、貴重なオープンセットを生かせる上、映画の企画から完成まで全作業を行える」とする。
 旧大映時代から京都で美術監督を務め、「最後の忠臣蔵」を手がけた西岡善信さんは、「簡単に映画が作れる今、かえって、映画人の『京都で上質の作品を撮りたい』という機運を感じる」と話している。


大阪
京都・壬生寺展:あす開幕 本堂障壁画を初公開--高島屋大阪店 /大阪
◇「仏心に響くよう」手描き友禅作家、あだち幸さん作

 新撰組の屯所跡と壬生(みぶ)狂言で知られる京都・壬生寺の寺宝や障壁画による「京都・壬生寺展」(壬生寺、NHKサービスセンター主催、毎日新聞社など協力)が21日~2月1日、大阪市中央区難波の高島屋大阪店7階グランドホールで開かれる。幻想的な「白い仏」を描く岡山県井原市美星町の手描き友禅作家、あだち幸(さち)さん作の本堂障壁画も初めて公開される。
 創建千年を超える壬生寺の歴史を「地蔵菩薩(ぼさつ)半跏(はんか)像」「壬生寺縁起」などの寺宝や資料で紹介するほか、「新たなる一千年の祈り」としてあだちさん作の障壁画(高さ2・7メートル、全長30メートル)を展示する。
 障壁画は「地獄から極楽への浄土絵巻」をモチーフにあだちさんが4年がかりで完成させ、07年に奉納した。また、壬生寺と縁の深い奈良・唐招提寺にあだちさんが昨年奉納したびょうぶ「同天の讃--讃仰鑑真和上(さんぎょうがんじんわじょう)」など最新作を含む7点の友禅画も公開する。
 あだちさんは京都伝統の手描き友禅に独自の技術を加えて宇宙の生命や神秘を仏の姿に描いており、「あらゆる生命をいとおしむ心こそ人間社会と地球を救う道と信じ、そうした『仏心』に響くようにと念じてきました」と話している。【松倉展人】

    ◇

 入場料は一般800円、大学・高校生600円、中学生以下無料。無休。

 大阪タカシマヤのサイトにリンクを貼っておきます。
7階グランドホール 京都・壬生寺展

兵庫
姫路城最古の写真 地元で公開
 幕末から明治初期に撮影され最も古いとされる姫路城の写真が20日から姫路市本町のイーグレひめじで公開される。明治期に陸軍に解体され、現存しない「絵図門」や「ヰ(うい)の櫓(やぐら)」などが確認できる。
 幕末から明治に来日したオランダ人医師ボードインのコレクションの1枚で、撮影者・撮影時期は不明。オランダに住むボードインの子孫から2007年に長崎大が譲り受けた。
 これまでは、兵庫県立歴史博物館(姫路市)の所蔵写真が最古とみられ、撮影時期は1874(明治7)~82(同15)年と推定された。同博物館の写真に写る陸軍の施設がボードインの写真にはなく、博物館所蔵よりも古いことが分かった。
 姫路の市民グループが開催する写真展「白鷺校区百三十七年の歩み」の中で公開。縦52ミリ、横83ミリの写真を複写し、縦61センチ、横100センチのパネルに拡大して展示する。24日まで。無料。イーグレひめじTEL079・287・0830
(山岸洋介)


山口
語り部:豊北の魅力伝えよう 養成講座に45人参加 /山口
 ようこそ、魅惑の豊北へ--。下関市豊北町の観光ガイド「語り部」を養成する一日講座が19日、同町であった。豊北町の郷土文化を研究する市民や下関の観光ボランティアなど45人が参加。豊北の歴史に詳しい熊井清雄・つのしま自然館館長(75)を講師に、角島や国指定天然記念物の「結びイブキ」などを見て回った。【取違剛】
 中小企業庁の助成事業で、下関商工会議所と下関市商工会が観光振興を目的に主催。「語り部」に知る人ぞ知る豊北町の魅力を伝えてもらう。昨年末には豊浦町でも催しており、旧4町と市街の相乗効果アップを狙う。
 豊北町といえば風光明媚(めいび)な角島のイメージが強いが、見どころはまだある。その一つが同町神田、恩徳寺の天然記念物「結びイブキ」。イブキの木の枝がどういうわけか複雑に絡み合い、大蛇のようにうねる。縁結びの木ともいわれ、初めて見た参加者らは興味津々だった。
 また、寺から下った肥中港は幕末、長州藩の密貿易港として使われ、坂本龍馬らの仲介で買い入れた米国製鉄砲もここから陸揚げされたと伝わる。「(長州藩士の)大村益次郎と伊藤博文が代金の千両箱を持ち込んだら、浜庄屋の床が抜けた」。熊井さんの巧みな語りはまさに「語り部」で、参加者たちは懸命にペンを走らせた。
 恩徳寺は地元の藤井憲男さん(63)ら住民が献身的な手入れを続けている。「お越しいただければ私たちが案内します」と藤井さん。名所旧跡や景勝だけでなく、人も魅力の豊北町だ。
〔下関版〕


佐賀
初の「佐賀城本丸けんてい」参加者募集
 佐賀市の県立佐賀城本丸歴史館で案内役を務める市民ボランティアがアイデアを出し合い、設問をつくった初の「佐賀城本丸けんてい」が3月22日、同歴史館で実施される。歴史館で販売している図録(500円)の内容や展示物に関する50問で、2月20日まで参加者を募集している。
 同歴史館は、幕末から明治維新期にかけての佐賀の歴史を様々な展示で紹介している。「けんてい」は昨年8月の開館5周年を記念して企画。約90人のボランティアが出し合った計287問の中から設問を厳選した。いずれも3択式で、試験時間は60分。
 対象は中学生以上。35問以上の正解で認定証を贈る。合格発表は4月11日、表彰式は同25日。高得点者は特別表彰し、受検者全員に解説書を配る。式後、ボランティアらと自由に歴史談議ができる「ヒストリーカフェ」も開く。
 市民ボランティアは、同歴史館のイベント開催なども無給で手がけている。ボランティアの山中輝見会長(66)は「来館者との触れ合いで喜びをもらってきた。けんていがお返しになれば」と話している。
 受検は無料。往復はがきに郵便番号、住所、氏名、年齢、性別、電話番号を記入して、〒840・0041 佐賀市城内2―18―1 佐賀城本丸歴史館内「ボランティア手づくり『佐賀城本丸けんてい』実行委員会」に申し込む(2月20日必着)。定員50人で、応募者多数の場合は抽選を行う。問い合わせは同実行委(0952・41・7550)へ。


鍋島直正ら幕末・明治に活躍 15人の生涯 偉人伝に 佐賀城本丸歴史館 新年度から出版
 県教委は新年度から5年計画で、幕末・明治期に活躍した佐賀の偉人たちをシリーズでつづる人物誌「佐賀偉人伝」を出版する。県民の郷土愛や誇りをはぐくむのが狙いで、「佐賀の七賢人」を含む計15人を紹介。最新の研究内容を盛り込む予定で、担当する県立佐賀城本丸歴史館は「単なる人物伝や歴史入門書とはひと味違う作品に仕上げたい」としている。
 偉人伝では、10代藩主鍋島直正▽大隈重信▽副島種臣▽佐野常民▽島義勇▽大木喬任▽江藤新平‐の七賢人のほか、近代化に大きく貢献した県出身8人を紹介。8人については、編集委員会を設けて選定する。
 1冊(A5判、100ページ程度)につき1人を紹介し、1年で3冊ずつ出版する予定。最新の研究で判明した史実やエピソードなどを織り交ぜながら、分かりやすい作品を目指す。事業費は、新年度当初予算に盛り込むことを検討している。
 県内では、日本初の近代海軍基地「三重津海軍所」跡(佐賀市)が、世界遺産登録を目指す「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成史跡候補に入ったが、同館は「激動の時代を生きた先人の活躍を知ることで、県内に残る史跡への関心も高まり、世界遺産登録への弾みにつながるのでは」としている。

    ×      ×

■「円を創った男」展23日から 大隈重信を紹介

 地方自治法施行60周年を記念し、各都道府県にちなんで発行されるデザイン貨幣のうち、佐賀県の図柄として、大隈重信侯の記念貨幣(500円と千円の硬貨2種類)が今秋発行される。県はこれに合わせ、23日-2月14日、佐賀市の佐賀城本丸歴史館でミニ展示「円を創(つく)った男‐大隈重信と貨幣制度」を開催する。
 大隈侯は内閣総理大臣に2度就任し、早稲田大学を創設した「佐賀の七賢人」の1人。1871(明治4)年の新貨条例を推進して、貨幣単位として現行の「円」の創設を提唱した。
 ミニ展示では、新貨条例と大日本貨幣史の原本を紹介。30日午後1時半からは、早稲田大の佐藤能丸講師による特別講演「大隈重信侯とその功績」がある。展示も講演も無料。講演の定員100人(当日受け付け)。
 県統括本部政策監グループ=0952(25)7360。


エンターテインメント
NHK大河ドラマで大盛り上がり 龍馬関連商品やイベント続々
幕末の志士、坂本龍馬の生涯を描くNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映が開始されたのにあわせて、関連商品が続々と売り出されている。龍馬の故郷、高知県では大々的なイベントも行われ、合計の経済効果は234億円とも試算されている。
坂本龍馬は、薩長同盟を成立させ、大政奉還にも尽力して幕末の日本を明治維新へと導いた人物だ。一方で海援隊と呼ばれる結社を組織し、実業家としての一面もあった。龍馬が主役の大河ドラマは実に42年ぶりという。

書籍はドラマガイド本「龍馬伝 前編」が売れ筋

そんな中で、龍馬関連書籍も続々発売されている。紀伊國屋書店の調べによると、「龍馬」「竜馬」が入った書籍は2009年10月~12月、120冊が刊行されていた。2010年1月14日現在、関連本売上1位は、NHK大河ドラマを紹介するガイド本「龍馬伝 前編」。購入者の7割が女性だった。そして、司馬遼太郎さんの小説「竜馬がゆく」全巻が続く。龍馬の生き様が躍動感たっぷりに描かれた同書は読みやすく、根強い人気の一冊だ。龍馬関連本は現在、特設コーナーを設け、目立たせている店舗もあるそうだ。
旅行会社でも龍馬ゆかりの土地をまわる企画商品が登場した。近畿日本ツーリストが2009年12月に売り出したのは「竜馬の道~坂本龍馬ゆかりの地を訪ねるツアー」。高知、長崎、京都を巡るプランを用意した。ホームページや旅行パンフレットには、小山ゆうさんが描く漫画「お~い!竜馬」で描かれた一コマとともに、見所となる名所が紹介されている。たとえば、長崎はグラバー園、京都は寺田屋という具合だ。
同社広報は「大河ドラマはまだはじまったばかり。紹介される機会が今後さらに増えれば、利用者が増えると見込んでいます。今後は個人型のプランの商品も増やしていきたい」と期待を寄せている。JTBも同時期、「熱き志士の足跡をたどる以心伝心の旅 坂本龍馬」を売り出した。

高知県では「土佐・龍馬博」を1年間実施

番組放送にあわせて、龍馬の生まれ故郷の高知県は2010年1月16日、大型イベント「土佐・龍馬であい博」を開催した。一年間かけて、高知県全域にある龍馬関連の名所をPRしていく。特設ホームページでは「土佐志士めぐりマップ」などが用意されている。
県内には、JR高知駅に設置されるメイン会場を含む4箇所のパビリオンを設ける。東部に「安芸・岩崎弥太郎こころざし社中」を、西部には「土佐清水・ジョン万次郎くろしお社中」を、北部には「ゆすはら・維新の同社中」がある。岩崎弥太郎もジョン万次郎も高知県に縁がある人物だ。パビリオン内では大河ドラマに関連した展示や体験コーナーなどがある。
イベントの推進協議会事務局の担当者は「龍馬の関連史跡や高知の料理を楽しんで欲しい」とPRする。また、大河放送と連動する形で、2009年末頃から県内の関連施設は入場者が増えているといい、「一番の見所は龍馬像がある桂浜。すぐそばには坂本龍馬記念館があります。直筆の手紙や所持していたピストルの模型が飾られていますよ」。
日本銀行高知支店は、大河ドラマ「龍馬伝」放映による高知県への経済効果は234億円と試算している。観光客の消費額も74億円増加することが見込まれている。
ところで、坂本龍馬の魅力は何だろうか――。前出の担当者はこう話す。
「広く世界を見渡し、自分の意志をもって突き進める、先を見渡せていける人柄には惹かれるものがあると思います。それでいて、人の意見にも耳を貸し、温かみがあった。また何より、日本の将来に向かって大胆かつ繊細に突き進めた。今の時代に生まれていれば、この閉塞感を突き破ってくれそうですね」
 



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 昼は最高気温13度まで上がっていい陽気でしたが、夕方になって冷えてきました。湯たんぽで足の裏から温める暖房法が気に入ってます。

神奈川
想い出の正月展:浮世絵双六やカレンダーなど展示--横浜市中央図書館 /神奈川
◇幕末から昭和100点--25日まで
 開港当時の横浜の地名入り浮世絵版画双六(すごろく)など新年にちなんだ資料が並ぶ「ヨコハマ・想い出の正月展」が25日まで、横浜市中央図書館1階展示コーナーで開かれている。書庫に保存されていて普段は見られない貴重な資料も多く、8種類もの双六を一度に展示するのは初めて。
 双六やかるた▽生糸業者が外国客向けに作った英字入りの浮世絵カレンダー▽新聞の元日紙面--など幕末~昭和の約100点を展示。図書館を訪れた利用者が足を止めて見入っている。
 1860年の五雲亭貞秀の浮世絵版画「横濱道中見物双六」は、日本橋を振り出しに東海道から横浜の地名が連なり、象の鼻パーク辺りで上がり。鮮やかな色彩も楽しめる。雑誌「少年世界」1909年12月号付録「少年丸世界一周雙六」は横浜港振り出しの船旅という設定。フランスで「沸國の首都パリ立派なのに驚く」、ドイツで「ベルリンでの土産話はツェッペリン伯飛行船」などと続き、「英京ロンドン着 滞在」で一回休みといった具合。富国強兵を目指した時代の雰囲気がしのばれる。【杉埜水脈】


石川
土清水塩硝蔵、主要道の遺構確認 金沢市が発掘調査
 加賀藩の黒色火薬製造施設だった土清水塩硝蔵(つっちょうずえんしょうぐら)跡(涌波町)で金沢市が進める発掘調査で18日までに、塩硝蔵中心部を縦貫する主要道の遺構が初めて確認された。昨秋の調査では、火薬の原料を粉末に加工していた搗蔵(つきぐら)の遺構なども確認されており、史料が極めて少ない一大軍事施設の解明が進むことになりそうだ。
 市埋蔵文化財センターによると、主要道は辰巳用水の脇に設置された搗蔵から、黒色火薬を製造していた中枢部の入口までを東西に結ぶ。同入口付近から調合所や硝石御土蔵などの施設につながる脇道が南北に延びており、原料などを運ぶための重要な道路だったとみられる。
 調査では、主要道の中央部からやや西側を道路を横断する形で発掘したところ、幅1.8メートル、高さ約0.4メートルの道路跡が見つかった。幕末から明治初期にかけての塩硝蔵の配置を記した「土清水製薬所絵図」に描かれている道路の位置とほぼ一致しており、砂利を混ぜた黄褐色土を台形状に盛り上げ、堅くつき固めた構造となっていた。
 同絵図では、道路幅は3間(約5.4メートル)となっており、本来の道路幅は発掘された遺構よりも広く、南側が明治期の開墾によって破壊されたとみられる。
 土清水塩硝蔵跡での市の発掘調査ではこれまで、塩硝を保存していたとされる硝石御土蔵や搗蔵の遺構が確認されたほか、辰巳用水から水を引き込む水路跡も見つかり、同用水との密接なかかわり合いがあらためて示されている。
 市は今回の主要道跡確認で「中枢部の具体的な構造が明らかになり、史跡としての価値がさらに高まることになった」(埋蔵文化財センター)としており、新年度以降も調査を継続する方針である。



京都
献血:「龍馬」も「新選組」と呼び掛け--JR京都駅周辺 /京都
 府赤十字血液センター(東山区)は18日、下京区のJR京都駅周辺で、坂本龍馬と新選組にふんして献血への協力を呼び掛けた。龍馬にふんしたのは看護師で劇団「あしたの会」の役者、谷進一さん(38)。「献血ぜよ」と盛んにPRしていた。
 日本赤十字社が1~2月に行う「はたちの献血」キャンペーンに合わせて実施。はかまをはいた谷さんと新選組の法被を着た職員は「切られたあの時、献血があったらよかったのに」などのせりふを交え、通行人の注目を集めていた。
 献血に協力する若者は減少傾向にあり、府内の08年度の16~19歳の献血は03年度から延べ3848人減の5369人。大学2年の時から219回の献血経験がある谷さんは「献血は身近でできるボランティア。若いうちにまず一度経験してもらえれば」と話している。【成田有佳】

 「切られたあの時、献血があったらよかったのに」などのせりふ……血液型を判定する方法が確立していることが大前提ですが、坂本龍馬、果たして血液型は何だったんでしょう。

コラム
【決断の日本史】(15)1853年10月 高島秋帆「嘉永上書」
■開国生んだリアリストの目

 高島秋帆(しゅうはん)(1798~1866年)といえば、歴史好きはすぐ幕末の砲術家と思い当たるだろう。彼が長崎で幼少期を送った19世紀初め、列島周辺にはロシア、イギリスなどの艦船が出没し始めていた。シベリア開発や毛皮採取、捕鯨のためである。鎖国政策を取っていた日本は「異国船打ち払い」の方針だったが、やがて揺らいだ。
 その理由は、アヘン戦争(1839~42年)だった。大国の清が、イギリス陸海軍の前にあっけなく敗れたとの知らせは「欧米の軍事力恐るべし」と、幕府上層部を恐れさせた。
 長崎町年寄(まちどしより)の息子として成長した秋帆は、出島のオランダ人らを通じて最新の西洋砲術を学び、私費で火器も収集するなど研究を進めた。アヘン戦争開始の翌年、秋帆は欧米の侵攻に備えるため、幕府の火砲の近代化を訴える「天保上書」を提出した。内容を認めた幕府は翌天保12(41)年5月、秋帆らを江戸に招き、徳丸原(とくまるはら)(板橋区高島平一帯の荒川河川敷)で日本最初の西洋砲術の演習を行わせた。
 この調練が評判を取った秋帆を、謀略が待ち受けていた。老中・水野忠邦の懐刀で儒学を重んじる大目付、鳥居耀蔵(ようぞう)の「密貿易を行っている」という讒言(ざんげん)によって秋帆は逮捕され約10年間、追放される。許されたのは、嘉永6(1853)年のペリー来航後だった。
 黒船騒ぎの中、秋帆は「海防が整わないいま、アメリカと戦っても勝ち目はない。交易を許しても国体にかかわることはない」とする献策を「嘉永上書」としてまとめ、幕府に出した。再度の処罰も覚悟のうえだった。有力大名らの世論は攘夷も少なくなかったが結局、幕府は開国を決めた。
 「秋帆の業績は、単なる軍事技術者という域を超えています。長崎で貿易に携わる家に生まれ、軍備や外交の重要性を知っていたからでしょう」
 秋帆の研究家、小西雅徳(まさのり)・板橋区立郷土資料館長は高く評価する。(渡部裕明)

 高島流砲術を受け継いだ坦庵先生の名前が出てこないのが、ちょっと寂しい……(涙)。

ブックレビュー
乙女の日本史 [著]堀江宏樹・滝乃みわこ
■“歴女”が歴史の見方を変えるかも

 以前、歴史・時代小説専門書店を取材したときはたまげた。なんと、甲冑(かっちゅう)姿の若い女性がいたのである。訊くと、戦国武将の大ファンとのこと。歴女と書いてレキジョと読む。歴史オタクの女性たちが急増中だ。関川夏央『おじさんはなぜ時代小説が好きか』(岩波書店)という評論がある。しかし、もはや歴史・時代小説はおじさんの独占物ではない(厳密にいうと、時代小説と歴史小説は違うけど)。
 堀江宏樹・滝乃みわこ『乙女の日本史』は〈さよなら「おじさん史観」。今こそ語ろう、乙女目線の日本史〉と高らかに宣言する。「女性の気持ちによりそって」語る日本史の本である。
 各章の冒頭に漫画があったり、歴史を題材にした少女漫画の紹介があったり、「週刊歴女」なんていう週刊誌仕立てのゴシップ欄ありと、おじさん向け歴史本とはまるで違う構成だ。ページの上下には花柄が散らしてある。51歳のおじさんである私には、電車の中で開くのに勇気がいる。
 歴史の中で女性がどう活躍したかと、権力者とその周辺の恋愛がポイントである。「今こそ、きちんと知りたい…男色の日本史」なんていうページもある。おもわず「へえ」というようなトリビアな話もたくさんある。
 個人的には「元・芸者たちの鹿鳴館」という話がおもしろい。明治維新政府の役人の妻は芸者など玄人出身が多かった。元上流階級出身のお嬢様たちは、御簾の後ろにいるのがあたりまえだったから社交下手。ところが元芸者の夫人たちは、「全身が磨かれて美しく、利発で、男性の視線にも物おじしない」。夜の鹿鳴館で華麗な力を発揮したというのである。
 が、明治維新は乙女の不遇時代の始まり。男尊女卑が強い薩長が中央で権力を握ったため、日本全体がそれに染まってしまった。西洋の影響で処女崇拝がはじまったのもこの時期だという。おじさん史観もここから。歴女の増加、乙女史観の台頭は、歴史の見方を根本から変えるかも。

 『乙女の日本史』と『おじさんはなぜ時代小説が好きか』が並んでいるのが、ちょっと笑えます。





 日曜朝の『侍戦隊シンケンジャー』が終盤に来て、まさかの展開で面白いです。
 戦隊リーダーで「殿」であるはずのレッドが実は影武者だったことが判明(本物のレッドは姫!)……先祖代々の君臣関係を超えて友情に近い感情を育んできたブルー以下4名の動揺や「本物の主君」である姫への忠義と「殿」の本心を思う気遣いとの板挟みなど、大人が見てもなかなか深みのある人間ドラマになっています。素性を知った上で「殿」として育ててきた「爺」(さすが伊吹吾郎さん)、途中参加で臣下ではなく幼なじみであるゴールド、影武者に命を張らせてきたことと自分の存在を潜めてきたことに割り切れないものを感じて存在を明かした「姫」、それぞれにキャラが立ってます。
 最終回まで楽しみです!

東京
東京ミッドタウンで「写真で辿る龍馬展」-大河ドラマの衣装も展示
 東京ミッドタウン・FUJIFILM SQUARE(港区赤坂9)1階ギャラリー「PHOTO IS」で1月16日、「写真で辿(たど)る『坂本龍馬の生きた時代』」が始まった。
 幕末の時代に生き、明治維新の原動力となった坂本龍馬は土佐藩脱藩後、亀山社中・海援隊の結成、薩長連合の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど、日本の新しい夜明けを夢見て活躍した人物。
 同展では、激動の時代を駆け抜けた坂本龍馬の人生を、同時代にともに活躍した人物や当時の地域・風俗などの写真で振り返り、生前に残した書簡や所持品などのコレクションも展示する。
 併せて、「NHK大河ドラマ『龍馬伝』」展(NHKサービスセンター主催)も同時開催しており、出演者のパネルや撮影風景の写真、龍馬を演じる福山雅治さんがドラマで使用したものと同じ衣装や小道具なども展示している。
 富士フイルム宣伝担当者は「写真1枚1枚を通して、坂本龍馬や共に生きてきた人たちの情熱と思い、そして幕末のロマンを感じてもらいたい」と話す。
 開催時間は10時~19時。入場無料。2月25日まで。


静岡
ゆかりの寺に竜馬像 下田・宝福寺 子孫ら逸話紹介
 幕末の志士・坂本竜馬とゆかりを持つ下田市で17日、地元の愛好家たちでつくる「伊豆竜馬会」(竹岡幸徳会長)による「第2回竜馬飛翔祭」が開催された。竜馬の土佐脱藩放免の舞台となった同市一丁目の宝福寺には高さ約3メートルの木製竜馬像が建立されたほか、竜馬や勝海舟の子孫たちによる特別対談も繰り広げられ、来場者らが維新の時代に活躍した歴史上の偉人たちに思いをはせた。
 竜馬像は本年度の「森の名手・名人」にも選ばれた河津町浜の土屋宗一郎さん(67)が昨年末から制作。同市でも撮影されたNHKの大河ドラマ「龍馬伝」や資料写真などを参考に、一本物の米杉を彫り出して仕上げられた。羽織はかまにブーツ、2本の刀を携えて遠方を見据える竜馬像が関係者らによってお披露目されると、見守る歴史ファンたちからも大きな拍手が上がった。
 特別対談には坂本家第9代目当主の坂本登さん(72)、海舟のひ孫五味澄子さん(86)、竜馬が免許皆伝となった北辰一刀流の開祖・千葉周作の子孫熊木慶忠さん(74)らが参加。宝福寺住職の竹岡会長も加わり、竜馬と海舟が下田で語り合った北海道開拓の夢を継承した子孫たちの活動や、各家に伝わる志士たちの逸話などを紹介した。
 会場ではそのほか、北辰一刀流を伝承する玄武館=東京都杉並区=による演武披露や竜馬を題材にしたグッズ販売なども行われた。




鳥取
江戸中期もお歳暮 津山藩主大喜び?
◆鳥取藩 贈答記録にメモ
 料理店のカニ鍋だけでなく、贈答品としても人気が高い松葉ガニ。これまで幕末ごろから食べられ始めたと考えられていたが、江戸時代中期にも高級な「お歳暮」として贈られていたことが、県立博物館(鳥取市東町2丁目)の調査でわかった。発見された古文書は、16日から同館で始まった「新収蔵品展」で展示されている。(徳永悠)
 この古文書は、1782(天明2)年に鳥取藩の記録係にあたる「御右筆(ご・ゆう・ひつ)」の山田左平太が仕事用に使っていたメモ帳。その中の贈答品記録に「十二月五日 津山 越後守様 鱈(たら)弐本 松葉蟹(がに)五枚 (がざみ)」と書かれていた。鳥取藩主が松葉ガニやタラ、ワタリガニといった地元食材を年末の贈り物として、津山藩主の松平康哉(やす・ちか)に贈ったときの記録で、大阪市に住む左平太の子孫が93年に同館に寄贈した古文書の中にあった。新収蔵品展に向けて学芸員の来見田博基さん(35)が調査していたところ、昨年の夏に見つけた。
 当時の大名らは互いに地元産品を贈りあって交流を深めていたという。ただし、水深200~400メートルに住む松葉ガニを捕る漁法は明治時代までなかったため、カレイ漁の縄などに偶然引っかからないと捕れないほどの珍味として贈られた可能性が高いと、来見田さんはみる。
 これまで松葉ガニについて記録した県内最古の古文書は、1845(弘化2)年に書かれた「町目付(めつけ)日記」の「松葉かに」だった。日記によると、鳥取藩の城下町を警備していた町目付の新しい職場が完成した際、宴会で松葉ガニが振る舞われたという。今回の発見で、この半世紀以上前から松葉ガニが食べられていたことがわかった。
 来見田さんは「鳥取藩主は地元の良い物を『お歳暮』に選び、津山藩主は珍しいものをもらって喜んでいた様子が思い浮かぶ。贈り物に込めた思いは現代とまったく同じ。松葉ガニに関する古文書を探すというのも、松葉ガニが特産の鳥取ならではですね」と話している。
 新収蔵品展は2月14日まで(1月25日は休館)。入場料400円。学生や70歳以上、障害のある人は無料。問い合わせは同館(0857・26・8042)へ。


山口
【地域の教育は】郷土の偉人、学べない? 吉田松陰、米内光政…一部教員クレーム
 郷土の偉人について学ぶ取り組みが各地で行われるなか、山口県教育委員会が幕末の志士、吉田松陰を公立小中学校の授業などで取り上げるよう推奨したのに対し、教職員組合などでつくる団体から「価値観の押しつけ」などとクレームがついた。軍人や武士に抵抗感を持つ教師もおり、「教師自身が日本の歴史人物に暗く、誇るべき偉人を知らない」との指摘も。
                   
◆没後150年も…

 山口県教委が吉田松陰を推奨したのは、平成21年度から「ふるさとの先人に学ぶ教育の推進事業」としてだ。新しい学習指導要領で伝統文化尊重や国や郷土を愛する態度の育成が盛り込まれたほか、昨年は松陰没後150年にあたり、県教委は「タイムリーな年と考え、松陰の生き方について学校の活動の中で紹介することをお願いした」という。校長の講話の中に盛り込むことや授業、地域調査など学校の実情に応じて学習を進めるものだ。
 これに対し、山口県教職員組合などでつくる「子どもと教育をまもる山口県民会議」は昨年、特定の価値観を強制する道徳教育を進めないよう県教委に申し入れた。同会は「幕府要人の暗殺計画を立てた人を道徳教育の対象とするのは間違っている。(松陰について)優れた先進的な見方もあるが、個人崇拝は公教育としてはふさわしくない」のだという。県教委は「価値観を強制する道徳教育を推進することではない」と回答したが困惑気味だ。

◆「軍人」に異論

 盛岡市では次代を担う子供たちに郷土の偉人らの生き方を学び、「夢」や「志」をはぐくむ教育に取り組んでいる。市小学校長会が発行した小学4年以上対象の副読本「盛岡の先人たち」で、新渡戸稲造、金田一京助、米内光政(よないみつまさ)、原敬、石川啄木の5人を取り上げたところ、教職員組合の一部教員から、海軍大将や首相を歴任した米内光政について「軍人は子供たちの生きる目標か」などと異論が。米内は先の大戦終結に努力した人物で関係者は「平和主義者なのだが」と首をひねる。
 国立教育政策研究所の平成18年度の学力調査(特定課題調査)で、小学校の学習指導要領で歴史学習で例示された42人の人物の業績を聞いた問題で、明治維新の人物を中心に理解が薄かった。学校の歴史の授業が人物ドラマに欠け面白くないことが要因との指摘がある。

◆生き方こそ重要

 本紙に「元気のでる歴史人物講座」を連載している日本政策研究センター主任研究員、岡田幹彦氏は「教師に国を愛する心が薄く、自国の歴史人物に暗い。教師自身が胸のうちに誇るべき尊敬すべき偉人をほとんど持っていない。血も涙も通わないような歴史の断片的知識をいくら与えても歴史は少しも面白くない」と話す。
 また福岡県立太宰府(だざいふ)高校の占部(うらべ)賢志教諭は「軍人がだめというなら武士もだめになる。それでは鎌倉期から近世まで教えられないことになり荒唐無稽(むけい)な話」とあきれる。
 偉人について「私は、私心を抑え、公のために悪戦苦闘の人生を送った人を偉人とみる。業績でなく、生き方が重要で有名無名を問わない。今の子供たちには、あの人のように生きたいという『あやかる人』がいない」と指摘。戦前、青年教師が書いて公募で教科書に採用された『稲むらの火』を例に「理屈をいくら言ってもそっぽを向かれるが、簡潔で無駄のないすぐれた文章は心に入ってくる。優れた言葉で語れるか、教師の技量を磨くことが重要だ」と話す。
                   ◇

 各地の教育を探る「地域の教育は」を随時掲載します。


文化芸能
文字に込めた龍馬の「志」 大河の題字手がけた書家・紫舟さん
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」(日曜午後8時)のオープニング、まるで龍が迫ってくるように勢いのある題字が印象に残る。手がけたのは気鋭の若手書家、紫舟(ししゅう)さん。放送中のスズキ「アルト」のCM出演でもおなじみだが、大河ドラマの題字という大作に挑むに当たって、「幕末の激動期に日本を変えようとした、名もなき武士たちが持ち合わせていた若い志や、龍馬のしんの強さを表現しようと試みた」と明かす。(村上智博)
 紫舟さんは出身地や年齢が非公表と謎が多い。6歳で書道に親しむようになり、大学卒業後、会社勤めを経て平成13年に書家デビューを果たした。昨年度に放送されたNHKスペシャル「沸騰都市」やロックバンド「甲斐バンド」が昨年秋に出したアルバム「目線を上げろ」などの題字で注目を集めている。
 本名の一部に「紫」の字があり、紫舟には「舟」が天職である書道に自分を運んでくれたとの意味があるという。「書という表現方法を通じ、文字に表情を持たせて意志を吹き込み、伝統的な書を世界に通用させたい」との思いで書と向き合っている。
 今回の大役は昨年春、NHKのコンペを突破し、引き当てた。その際、司馬遼太郎の長編小説「竜馬がゆく」を読破。龍馬についての洞察を深めると同時に、主演の福山雅治のアルバム収録曲すべてに耳を傾け、「福山龍馬」のイメージをふくらませたという。中でもNHK朝の連続テレビ小説「わかば」(平成16年度)の主題歌だったバラード「泣いたりしないで」との出合いが印象的だった。「この曲こそが大河ドラマの龍馬のイメージに近いと思った」と振り返る。
 自らのアトリエでひたすら筆を進めたが、「いくら書いても、なぜかしっくりこない。特に『龍』の字は誰が見てもどっしりと安定感のある字というある種の制約があり、納得できるまでは超えられなかった」と打ち明ける。
 完成した力作は、そんな葛藤(かっとう)から生まれた。「天地人」や「篤姫」など最近の大河ドラマの題字のように、ゴツゴツした力強く太い文字ではないが、一文字一文字に紫舟さんの深い思いが込められている。「龍」では「長身の福山さんを思い描き、シャープ感や繊細さも表現しました」。「馬」では馬がたてがみを揺らし、天空をかけるように、時代を自在にかけめぐった龍馬をイメージ。「伝」では北辰(ほくしん)一刀流という剣術の流派の達人でありながら、人をあやめることは一度もなかった龍馬の剣先の軌道を表現している。
 「龍馬伝」を担当するNHKの鈴木圭プロデューサーは、この題字について「大河ドラマは1年間の長丁場なので、1年を通して力強いメッセージを発信してくれると思います」と高く評価する。
 大河ドラマの題字への挑戦は、書道と出合った小学生のころからのあこがれだったという紫舟さん。その夢がついにかなったが、「今ではもう題字は私の手を離れ、皆さんのものになった。題字にはこの1年間、龍馬とともに、今の時代を、国を、駆けめぐってほしいですね」と願う。
 今後は、今の若者が高い志を持てるようにと、「世に生を得るは事を成すにあり」など龍馬の残した言葉を書くことに挑戦するという。


エンターテインメント
「薄桜鬼WEBラジオ新撰組通信」公開録音イベント決定!
 2月28日(日)にアニメイトTVで配信中のWEBラジオ『薄桜鬼WEBラジオ新選組通信』の公開録音のイベントが京都で開催されることが発表された。
 このイベントに参加するには、全国のアニメイトにて薄桜鬼関連賞品を3000円以上購入し、そこで配布される応募用紙をもらう必要がある。応募締切りは2月5日(金)まで。詳細はアニメイトHPにて確認しよう。
 関東ではなく関西のイベントなので、普段なかなかイベントに参加することができない方もこの機会にイベントに参加してみてはどうだろうか。

【『薄桜鬼WEBラジオ新撰組通信』公開録音イベント】
・開催日:2月28日(日)
・開催場所:大谷ホール(京都)
・ゲスト
土方歳三役:三木眞一郎
沖田総司役:森久保祥太郎
斎藤一役:鳥海浩輔






 昨日の夜、帰宅した時には気温が3度と表示されてました。うう、寒かったです。

茨城
「桜田門外の変」で井伊直弼襲撃の拳銃か?
 桜田門外の変(1860年)で大老、井伊直弼(なおすけ)を撃った可能性がある拳銃(けんじゅう)が15日、水戸市の茨城県庁で公開された。古い銃器を収集し、「堺鉄砲研究会」を主宰する沢田平さん(74)=大阪市東成区=が所有している拳銃で、沢田さんは水戸藩で造られたものとみており、銃身に刻まれている製作者の名前が水戸藩に関係があるかなど、情報を求めている。(城野崇)
 拳銃は米コルト社で1851年から製造された「51ネイビー」という銃を、日本で複製したものとみられる。
 量産された鉄製の純正品とは違い、純銀、シタンなどの高級素材で造られている。銃全体に桜の文様が彫り込まれており、安政年間など江戸時代後期に関東で活躍した彫工、鎌田壽次の銘があった。古い銃器類に詳しい沢田さんは「桜を好んだ徳川斉昭公が作らせたのではないか」と推測している。
 銃身の裏には、「中澤晃敬」という製作者と思われる銘が刻まれているが、沢田さんの調査では、その正体は不明。沢田さんは「水戸で仕事をしていた銃工なら水戸藩で造られた物である可能性が高まる」と話し、「中澤晃敬」に関する情報などを求めている。
 沢田さんによると、拳銃は米国の古銃研究家が所有していたもので、十数年前に入手した。箱には「森五六郎義士」「直弼公天誅の短筒」の記述があった。
 森は桜田門外の変に参加した水戸浪士の一人。最初に拳銃を発砲したという説もある。ただ、発砲したのは、ほかの浪士という説もある。
 桜田門外の変では、かごに向けて発射された弾丸が井伊直弼に命中。井伊直弼は動けなくなったところを浪士らに襲撃され、暗殺された。
 沢田さんは「確証はない」としながらも、「水戸・徳川家が造らせた拳銃が襲撃に使われても矛盾はない」としている。
 沢田さんは今回、公表した理由について、「歴史的事件の凶器である可能性を考え、これまでは明かしていなかった。映画化で機運が高まる中、自らの年齢を考え、銃の素性を知りたくなった」と話している。

 ■桜田門外の変 1860(安政7)年3月3日、江戸城桜田門近くで登城中の大老・井伊直弼が水戸・薩摩の浪士に暗殺された事件。直弼は朝廷の許可を得ぬまま日米修好通商条約を結び、安政の大獄で吉田松蔭や橋本左内ら尊皇攘夷論者ら反対勢力を一斉に処罰したことで尊皇派の志士に狙われた。事件は倒幕運動のきっかけになり、時代は明治維新へと突き進んでいく。


埼玉
坂戸の大宮住吉神楽 記録すべき文化財に
 国の文化審議会(西原鈴子会長)は15日、「須佐宝泉寺・黄帝社奉納船絵馬」(山口県萩市)など3件を重要有形民俗文化財に、富山県入善町の火祭り「邑町のサイノカミ」など2件を重要民俗無形文化財にそれぞれ指定するよう川端達夫文部科学相に答申した。また、坂戸市の「坂戸の大宮住吉神楽」を記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(通称・選択無形民俗文化財)に選ぶよう玉井日出夫文化庁長官に答申した。
 近く答申通り指定される予定で、重要有形民俗文化財は210件、重要無形民俗文化財は266件になる。
 船絵馬は、幕末から明治期の船乗りが海上安全を願って宝泉寺境内に奉納したもので、当時を知る貴重な資料となっている。邑町のサイノカミは毎年1月中旬に無病息災などを祈願して開かれる。
 坂戸の大宮住吉神楽は、同市塚越地区で伝承される神楽。年3回の大宮住吉神社祭日に境内神楽殿で演じられている。鈴や幣束などを手に持つ舞や、神話を題材にした黙劇で構成される。一演目中に、儀礼的な所作と演劇的な要素を併せ持つ点が特徴。地域芸能の変遷過程を示すことなどが評価された。現在22演目が伝えられており、このうち神話を題材とする12演目が「十二神楽」と称される。
 選択無形民俗文化財は、重要無形民俗文化財以外の無形民俗文化財のうち、消滅の恐れがある記録や保存、公開に際して国の経費補助を受けられるもの。県内ではこれまで、鶴ケ島市の「脚折の雨乞行事」や秩父市の「中津川の鉄砲堰製作技術」など13件が選択されている。


東京
坂本龍馬の生きた時代展:乙女姉への手紙など展示、大河ドラマ「龍馬伝」の小道具や衣装も
 福山雅治さん主演のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で注目が集まる幕末の志士、坂本龍馬を貴重な写真と資料で振り返る企画展「写真で辿る『坂本龍馬の生きた時代』」が16日から東京ミッドタウンの「フジフイルムスクエア」(東京都港区)で始まる。一般公開に先駆け15日、報道向けの内覧会が行われた。
 同展は、高知県立坂本龍馬記念館などの協力で、龍馬が生前に遺した姉・乙女にあてた書簡や所持品などのコレクション(複製品)も展示。幕末の志士や龍馬とその仲間たちなど写真パネルがずらりと並んでおり、激動の時代に生き、33歳の若さでこの世を去った龍馬の生涯を振り返ることができる。
 また、ドラマ「龍馬伝」の撮影風景を収めた写真や小道具などを展示する「NHK大河ドラマ『龍馬伝』展」(財団法人NHKサービスセンター主催)も同時開催。出演者とそのコメントなどが書かれたパネルのほか、福山さんがドラマで使用したものと同じ衣装や刀、小道具などがずらりと並んでおり、ドラマの世界を堪能できる。
 同展は2月25日まで、入場無料。午前10時~午後7時。2月6日午後2時からは歴史アイドル(歴ドル)の美甘子さんが登場する「歴ドル美甘子と学ぶ!『坂本龍馬幕末検定』事前対策講座」も開催。定員50人で事前予約制。問い合わせは(03・6271・3350)。美甘子さんが歴史の面白エピソードなどを交えて龍馬の魅力をたっぷりと語ってくれる。【栗原拓郎】



神奈川
龍馬 お龍 やっと会えた…
 幕末の志士・坂本龍馬と妻・お龍(りょう)が100年以上の歳月を越えて“再会”する法要が15日、お龍の墓がある信楽寺(しんぎょうじ)(横須賀市大津町)で行われた。
 龍馬の墓がある京都霊山(りょうぜん)護国神社(京都市東山区)の木村隆比古宮司が持参した龍馬の霊を分霊した神具「霊璽(れいじ)」を、お龍の法要に同席させる形で、神仏の垣根を越えた再会が実現した。
 木村宮司は6年前に宮司になった時から、「日本の将来や愛する人への思いを抱えたまま、志半ばで凶刃に倒れた龍馬の無念を軽くしたい」と、龍馬とお龍との再会を考えていた。先週、その思いを信楽寺の新原千春(にいはらせんしゅん)住職に伝えたところ、住職から快諾を得たという。
 木村宮司は「法要の最中、仏前に飾られた龍馬とお龍さんの写真の表情がだんだん和らぐように見え、胸がいっぱいになった」。新原住職は「お龍さんはやっと龍馬が来てくれたと思っているだろう」と話していた。
 法要にはテレビドラマ「龍馬伝」のお龍役、女優の真木よう子さんも参列。終了後、お龍の墓前に花を供え、手を合わせていた。


坂本龍馬:妻お龍と初の合同法要…真木よう子さんも出席
 幕末の志士・坂本龍馬の妻お龍(りょう)(1841~1906年)の命日の15日、お龍の墓がある神奈川県横須賀市大津町の信楽(しんぎょう)寺=新原千春住職=に龍馬の魂を分霊した「霊璽(れいじ)」が運ばれ、初の合同法要が営まれた。NHK大河ドラマ「龍馬伝」でお龍を演じる女優、真木よう子さんも法要に出席し、墓前で手を合わせた。
 龍馬の墓がある京都霊山護国神社(京都市東山区)が寺に呼びかけた。夫妻は龍馬暗殺(1867年)後、143年ぶりに再会を果たした形。龍馬の霊璽を持参した同神社の木村隆比古宮司は「龍馬は『お龍、待たせたな』と言っているでしょう」と感慨深げ。真木さんは「この機会に立ち会えたことは光栄です。少しでもお龍さんに近づけるように演じたい」と話した。
 お龍は龍馬の没後、再婚して横須賀に移り住んだことから信楽寺に墓がある。【吉田勝】



山梨
春待つ雛人形 華やかに 
ミニサイズや木目込み500点 
甲府・ライブ工房ホサカ 

 甲府市飯田5丁目のライブ工房ホサカ(保坂紀夫代表)は、3月3日まで「ちいさな雛(ひな)人形展」を開いている。今年で21回目で、本格的な節句飾りから指先ほどの小さな雛人形まで約500点を展示、販売している。
 木目込み人形の多くは、明治時代から昭和初期に作られた古ちりめんや、幕末に作られた江戸ちりめんなど、希少価値の高い布で作った着物を着ているのが特徴で、独特の風合いや質感が人気を集めているという。
 北海道や京都など、全国各地の職人が手掛けたミニチュアサイズの雛人形やつるし雛、タペストリー、オルゴールも来場者の目を引いている。
 娘の維乃ちゃん(2カ月半)が初節句を迎える☆(功の力が刀)刀南里さん(31)は「昔ながらの風合いだがモダンな感じがする。小さく飾りやすいものを選びたい」と話していた。展示は午前10時~午後6時半。


長野
駒ケ根の旧木下家住宅でロケ 井月の映画「ほかいびと」
 駒ケ根市中沢の市指定有形文化財「旧木下家住宅」で15日、幕末から明治期にかけて伊那谷を放浪した俳人、井上井月(せいげつ)(1822~87年)の映画「ほかいびと~伊那の井月~」が撮影された。井月が民家で正月料理を振る舞われ、そのお礼に句を詠む場面を、舞踊家の田中泯(みん)さん(64)が熱演。映画を製作する「井上井月顕彰会」会員も、井月をもてなす夫婦役で出演した。
 幕末の1850年代ころに建てられたとされる旧木下家住宅は、かやぶき屋根が特徴。顕彰会側が市教委に依頼し、映画撮影が実現した。この日、顕彰会員を含む計約20人のロケ隊は住宅内でいろりの火をおこし、雑煮や日本酒を用意して撮影に臨んだ。
 井月をもてなす夫の役を務めた顕彰会員の下島大輔さん(71)=駒ケ根市中沢=は戸をたたいた田中さんを民家に招き入れ、「久しぶりだねえ」と声を掛ける場面を落ち着いた様子で演じた。監督で映像作家の北村皆雄さん(67)=伊那市美篶(みすず)出身=は「自然な感じでいいですよ」と声を掛けていた。
 「ほかいびと」は伊那谷の四季や当時の人々の暮らしを織り交ぜながら井月を描く。撮影は2011年3月に終了、同年8月に完成する予定だ。



静岡
もちつきや竹馬… 懐かしい正月遊び満喫 駿河区
 「静岡民家の会」は16日、静岡市駿河区の「登呂もちの家・陣屋」前で、もちつきと竹馬、たこ揚げ、羽子板、めんこなど正月遊びを楽しんだ。
 静岡民家の会は、県内の古民家好きが2002年に結成し、定期的に県内の古民家を訪ねている。会員は約120人。
 「登呂もちの家・陣屋」は、幕末の戊辰戦争時に官軍の宿舎としても使用された福島県の旧庄屋宅で、1979年に現在地に移築された。室内のはりには、江戸時代の百姓一揆の際、おのやなたで付けられたという傷が残っている。
 会員の松永和広さん(56)は「昔の住居見学や遊びを通じて日本人の古き良き心を思い出したい」と話した。


龍馬ブームに下田も乗るぜよ
 幕末の志士、坂本龍馬ブームにあやかろうと、ゆかりの下田市で、多彩な行事や地域通貨の発行で誘客やまちの活性化を目指す動きが強まっている。龍馬ファンの会はあったが、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映開始を機に、観光・産業団体が加わって「下田龍馬伝志援隊」を結成した。龍馬のシンボル石像の制作なども計画している。(阪本昇司)
 土佐藩を脱藩した龍馬は、1863(文久3)年1月、勝海舟とともに下田港に入港したとの説がある。このとき海舟は、下田市の宝福寺で前土佐藩主の山内容堂と会い、龍馬の脱藩の許しを得たとされる。翌年には、同じく下田で、龍馬が海舟に蝦夷開拓の夢を語ったといわれる。
 志援隊は、下田が龍馬ゆかりの地であることを市民や観光客にアピールしようと、今月11日に結成された。下田での吉田松陰の密航の場面が大河ドラマで放映される予定の2月7日に、高知県の東京事務所から高さ約3メートルの「龍馬像」を借りてイベントを開き、活動を本格化させる。
 発行する地域通貨は、千円の硬貨と3千円の小判の2種類を作り、単位は千円を「1龍(りょう)」とする。龍馬ファンが一昨年設立した「伊豆龍馬会」のシンボルキャラクター「龍馬くん」を硬貨の表に、裏は龍馬の家紋を元にした同会のシンボルマークをあしらう。硬貨は5万枚、小判は2千枚作り、4月から9月末にかけて、協賛する旅館や商店などで使えるようにする。
 このほか、龍馬ゆかりの地を紹介する観光マップや、のぼり旗を製作し、龍馬のシンボル石像も立てる予定だ。
 これに先立ち、伊豆龍馬会が17日、2回目の「龍馬飛翔(ひ・しょう)祭」を下田市民文化会館で開く。坂本家9代目当主の坂本登さん、海舟のひ孫で咸臨丸子孫の会の五味澄子さん、龍馬が学んだ北辰一刀流の始祖千葉周作の子孫・熊木慶忠さんの3人が対談する。北辰一刀流の演武もある。
 伊豆龍馬会の活動に呼応し、河津町浜のログハウス建築会社社長の土屋宗一郎さん(67)が、樹齢300年のレッドシダー(米杉)をチェーンソーだけで高さ約3メートルの龍馬像に仕上げた。写真などを参考に正月休みを利用して約10日間で制作。顔は、ドラマで龍馬を演じる福山雅治さんに似せたという。同会に寄贈し、17日の龍馬飛翔祭でお披露目される。
 伊豆龍馬会会長で、志援隊の隊長に就任した宝福寺住職の竹岡幸徳さんは「下田は龍馬が羽ばたいた原点。龍馬の力を借りて、きずなと夢をテーマに下田の元気を取り戻したい」と話している。


福井
歴史資料紹介展:天狗党資料などを紹介--敦賀市立博物館 /福井
 敦賀市に残る約60点の歴史資料を展示した「歴史資料紹介展」が14日、市立博物館(同市相生町)で始まった。2月末まで。
 水戸藩士が結成した幕末の尊皇攘夷(じょうい)派で、1865年に敦賀で幕府に約350人が処刑された「水戸天狗党」にまつわる資料がメーン。首領の武田耕雲斎が使ったとされ、後に松原神社に寄進された陣羽織や軍扇、短刀(いずれも市指定文化財)などをそろえた。反乱軍とされながら、後に尊敬された水戸天狗(てんぐ)党の姿が詳しく分かる。
 また、17日に市内で開かれる国指定重要無形民俗文化財「敦賀西町の綱引き」で、江戸末期から使われた古衣装「恵比須(えびす)大黒衣装」も、同日まで特別に展示している。午前10時~午後5時、月曜休館。一般200円、小中高校生50円。問い合わせは同館(0770・25・7033)。【酒造唯】



広島
【龍馬ゆかりの地を行く】海援隊知らしめた沈没事件 鞆の浦
 最近の景観論争で一躍、脚光を浴びている「鞆の浦」(広島県福山市)。しかし、実は歴史上の大事件の舞台でもあった。幕末の志士、坂本龍馬とのかかわりで知られる、慶応3(1867)年に起きた「いろは丸沈没事件」である。国内初の蒸気船同士の衝突事故で、沈没した船に乗っていた龍馬ら海援隊一行は鞆の浦の中心部にあたる鞆に上陸。事故の相手方の紀州・徳川家と賠償交渉で堂々とわたり合い、海援隊の名を世間に知らしめた。
 事件の概要は、次のようなものだ。慶応3年4月23日夜、宇治島(現広島県福山市)沖で、龍馬率いる海援隊が乗り込んだ蒸気船「いろは丸」(160トン)が、徳川御三家のひとつだった紀州の蒸気船「明光丸」(870トン)と衝突、沈没した。龍馬ら海援隊一行は明光丸に乗り移って鞆の浦に寄港、紀州側と4日間にわたって賠償交渉を行った。その後、舞台は長崎に移り、交渉は難航したが、最終的に龍馬側が紀州側から多額の賠償金を勝ち取った。
 舞台は、護岸に石を階段状に据えた「雁木(がんぎ)」や、港のシンボルである石灯篭(とうろう)の常夜灯、国重要文化財の「太田家住宅」など、江戸時代から残る数少ない港湾遺産にも近い。
 「当然、龍馬や海援隊の一行も、この雁木を踏みしめて行き来したはず。雁木は歴史を伝える生き証人であると思います」
 江戸期の蔵を利用して近くに開設された「いろは丸展示館」館長の赤松宏記さん(67)は、こう語る。
 沈没現場の過去の潜水調査結果や、龍馬と鞆の関係など、貴重な資料が並ぶいろは丸展示館。引き上げられた帆船の滑車や索具、船室の蛇口やドアノブ、燃料の石炭。さらに、龍馬が鞆で滞在中に泊まった商家内で、用心のため使ったとされる隠れ部屋も再現、龍馬の息吹が伝わってくる。
 「龍馬は、ファンの年齢層が幅広いことが特徴。リピーターを期待して、龍馬には町おこしに一役買ってもらったわけですが、人気は期待以上」と、赤松さんは話す。
 鞆に残る龍馬ゆかりの地は多い。港から古い民家が軒を連ねる町並みをしばらく行くと、「御舟宿いろは」がある。事件で、龍馬らが紀州徳川家との賠償交渉で使った町役人の亀屋万蔵の旧宅を修復、改装した宿屋だ。
 「家は歴史的に貴重な史跡。周辺の古い家屋もなくなりそうな危機感もあって、購入、運営を決断しました」と、NPO法人「鞆まちづくり工房」代表理事の松居秀子さん(58)。
 白壁と格子に、色とりどりのギヤマンの窓が組み合わさった外観。入り口近くに喫茶室があり、奥には交渉の場となった部屋が再現されている。龍馬が残した走り書きをしたためた掛け軸や写真も飾られている。
 松居さんは、鞆の浦の景観保全活動にも取り組み、鞆港の埋め立て架橋計画をめぐって反対住民が起こした訴訟では、原告団の中心的存在だ。
 「紀州相手に談判する龍馬は、裁判を闘う私たちと、ある意味、似ており、その自在な活動は市民運動につながる面もあります。今考えてみれば、ご縁があったのかも」
 自身の境遇をいろは丸沈没事件と重ね合わせ、松居さんは龍馬の雄姿に思いをはせた。
 「鞆ならではの史料は、いろは丸しかない。原本を探し出して展示したい」
 鞆港や瀬戸内の島々を一望できる地に建つ「鞆の浦歴史民俗資料館」。平成20年秋、特別展「坂本龍馬といろは丸事件」が開かれた際、同館学芸員の園尾裕さん(56)は、史料探しに奔走した。
 園尾さんが求めたのは、昭和63年出版の「龍馬全集」(宮地佐一郎編、光風社)に収録された「いろは丸航海日誌・付録草稿」。研究家数人に尋ねても分からず、博物館などに調査を依頼するなど手を尽くした。
 それでも見つからず、あきらめかけたころ、NHK新潟放送局が20年前に放映した番組で、この史料を使っていたことを知った。
 所有者はすでに故人となっており、遺族から「原本は不明だがコピーがある」と返事があった。原本ではないが探し続けていた史料に、ようやくたどりついたのである。
 「コピーは全部で32枚。最初の表紙は(海援隊士の)長岡謙吉以外の筆で『坂本龍馬手記イロハ丸航海日誌』とありました。史料は展示が終わって撤収すれば何も残らない。だから記録集を残すんです」
 龍馬が鞆の浦にもたらした夢のような話をもうひとつ。鞆と対岸の仙酔島を結ぶ市営乗船場の前にある古刹(こさつ)「浄泉寺」。境内には観音像と並んで龍馬の立像が建っている。
 高さ約1メートルの「龍馬観音」。後方には、海援隊と紀州徳川家との別の交渉場所になったという対潮楼があり、龍馬の指差すかなたは、いろは丸沈没地点だという。
 住職の大仲伸隆さん(60)によると、夢枕に龍馬が現れ、観音を拝み、くるっと回って右手でいろは丸を指差した。平成21年夏に完成した龍馬観音は、その夢を具現化したもの。「龍馬観音を中心に町おこしがしたい」と、大仲さんは張り切る。
 龍馬の足跡は、いまなお鞆の浦の住民らの記憶にとどまり、勇気や夢を与え続けている。
 「鞆の浦歴史民俗資料館」 鞆港や瀬戸内の島々を眺望できる高台にあり、瀬戸内海中央部の歴史や文化資料を収集・展示している市の施設。七首の万葉歌、源平史跡、史跡「朝鮮通信使遺跡・鞆福禅寺境内」などの資料や県史跡「鞆七卿落遺跡」関連資料などがある。開館時間は午前9~午後5時。月曜休館。入館料150円。福山市鞆町後地536の1。(電)0849・82・1121
 (竹室輝之、豊田大祐)



高知
龍馬で観光維新、「土佐・であい博」開幕
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送にちなみ、高知で「土佐・龍馬であい博」(龍馬博)が16日、開幕した。
 JR高知駅前のメーン会場で開かれたオープニングセレモニーには、開幕を待ちわびた約1200人の観光客らが詰めかけた。2011年1月までの期間中、県内4会場を中心に幕末の志士・坂本龍馬らをテーマにした展示や体験型イベントが目白押し。06年の大河ドラマ「功名が辻」に合わせて開かれた「土佐二十四万石博」では、メーン会場に約86万人が訪れており、大河効果の再来を期待するとともに、〈観光維新元年に〉との機運も高まっている。
 メーン会場「高知・龍馬ろまん社中」前で行われたオープニングセレモニーには、尾崎知事や岡崎誠也高知市長のほか、ドラマに岩崎弥太郎役で出演する香川照之さんや、平井加尾役の広末涼子さんらが出席。
 尾崎知事は「幕末の志士を生んだ高知を、全国の人に知って、見て、触れて頂きたい」とあいさつ。広末さんは「龍馬の魅力は、無垢(むく)で自由な発想ができるところ」と多くの人を魅了し続ける龍馬に思いをはせた。
 パビリオンでは、龍馬と取り巻く人々を紹介。龍馬の生家を再現したジオラマや、床に大きく描かれた当時の城下町の地図などが展示され、案内役の地元ボランティアガイドも常駐。航海を疑似体験できるシアターや、龍馬の格好で記念撮影できるコーナーもあり、開幕直後は入場を待つ人の行列ができた。
 また、高知市の帯屋町筋商店街に設けられた特設ステージでは、学生らがよさこい鳴子踊りやストリートダンスなどを披露。サテライト会場でも、鏡開きなどで開幕を祝った。
 高知市宝町、会社員岡崎勝介さん(66)は、「龍馬は高知の切り札。県内全域が大勢の観光客で活気づく年になれば」と期待。徳島県東みよし市の作詞家井上功一さん(33)は「龍馬は私利私欲にとらわれず、国のために命を捨てた人。どんなに勉強しても新しい発見がある」と、楽しそうだった。


島根
藍板締め染めを民俗文化財に
 国の登録有形民俗文化財に、出雲の藍(あい)板締め染め用具及び製品を登録するよう、文化審議会が15日、答申した。江戸時代末から明治初めに行われた藍板締め染めの用具が確認されているのは出雲だけで、登録を機に研究が深まることが期待されている。
 出雲市大津町で代々村役人を務めた板倉家に保管されていた版木2557点、締め具56点、製品4点の計2617点。1999年、島根県に寄贈され、現在は一部が古代出雲歴史博物館(出雲市)で展示されている。
 版木は縦約46センチ、横約33センチで、トラやウサギなどの動物、松竹梅などの吉祥文様などを彫り込んでいる。版木40枚または20枚を積み上げ、その間に一反の木綿布を挟んで締め具で締め上げ、藍甕に浸したとみられる。文様が彫られたところに藍が染み込み染色される仕組み。技術伝承が途絶えているため詳細な技法は不明という。
 板倉家は1829年に藍板締め染めを始め、広く九州にまで販売した。幕末には売り上げが落ち、1870年に紺屋を廃業したという。出雲歴博交流普及グループの浅沼政誌課長は「全国に普及した技術。登録を機にもっと情報が出てくることを期待したい」と話している。



福岡
琴奨菊関の故郷 柳川市「雲龍相撲甚句会」 郷土力士を歌で応援
 直方市出身の大関魁皇関の幕内最多勝更新に沸く大相撲初場所。魁皇関の次代を担う琴奨菊関の故郷・柳川市に、七五調に思いを乗せ、歌声で郷土力士を後押しするグループがある。地元出身の横綱の名を冠した「雲龍相撲甚句会」だ。
 相撲甚句は、相撲や地域の名所などを題材にした七五調の歌詞を、「ドスコイ」や「ホイ」の合いの手を入れながら、独特の節で歌い上げる民謡。地方巡業などで余興として披露されるほか、全国各地にそれぞれの甚句が伝わり、宴席や結婚披露宴でも歌われる。
 雲龍相撲甚句会は1995年に発足。現在のメンバーは13人。市内の大和公民館で月2回の練習を重ね、地域の敬老会や文化祭などに参加している。雲龍は大和町出身の幕末の10代横綱で、横綱土俵入り「雲竜型」の創始者として知られる。
 琴奨菊関が十両に昇進した2004年ごろからは、九州場所の前後に市内で開かれるパーティーに毎年招かれ、本人や佐渡ケ嶽親方を前に、武末十治男会長(74)が作詞した「琴奨菊関甚句」を披露。歌詞には、琴奨菊関が進学した明徳義塾での活躍や十両優勝、得意のがぶり寄りなどを織り交ぜ、雲龍に続く横綱誕生の願いを込めた。
 昨年は、九州場所で市内の三柱神社に宿舎を構える桐山部屋の徳瀬川関=モンゴル出身=が十両に昇進。11月に開かれた桐山部屋の千秋楽パーティーでは、副会長の真崎康博さん(73)が桐山親方や徳瀬川関の活躍をつづった甚句を歌い上げた。「琴奨菊に徳瀬川もいて応援しがいがあります」と真崎さん。初場所に幕内昇進がかかる徳瀬川関からも目が離せない。
 武末会長は「誰でも歌えて、歌詞を自由に創作できる面白さがある」と甚句の魅力を語る。何より、大声を出すと健康に良いという。北原白秋や中山の大藤、有明海のノリ養殖など、郷土自慢を盛り込んだ「柳川名所名物甚句」もある。

 甚句会は会員を募集中。問い合わせは大和公民館=0944(76)1111。

■琴奨菊関甚句

筑後柳川 歴史の町で
アー 腕白相撲で 名をあげて
相撲の名門 明徳で
中学高校と 日本一
佐渡ケ嶽部屋に 入門し
2004年に 十両に
二けた勝ち越す その力
翌年春場所 初優勝
幕内以後も 好成績
2005年の 7月に
前頭での 筆頭と
負けん気根性で がんばって
この柳川の 名をあげた
雲龍に続けよ ヨーホ ホイ
アー 琴奨菊関ヨー

 (注・後半には最新番付を盛り込み歌う)


佐賀
「世界遺産目指せ」研究者講演
 「九州・山口の近代化産業遺産群の世界遺産登録推進講演会」(県主催)が16日、佐賀市の県立美術館ホールで開かれた。佐賀市のほか、鹿児島市や山口県萩市の近代化産業遺産群を知ってもらおうという取り組み。当時、重工業の近代化を進める日本で、3都市が先進的立場にあったという研究者らの話に、約150人が熱心に耳を傾けた。
 同遺産群は、近代日本の重工業の基礎を築いた九州・山口地域の炭鉱や製鉄、港湾などで構成され、2008年9月、世界遺産登録の前提となる暫定リスト入り。09年10月、遺産群の候補リストに海洋技術訓練所の遺構「三重津海軍所跡」も追加された。
 講演では、当時の反射炉の技術水準や、佐賀藩や薩摩藩から他藩へ技術者が派遣されたことなどが紹介された。当時の各地の先進性について、鹿児島市の尚古集成館の松尾千歳副館長は「世界的に見たら、(重工業で)むしろ東京の方が田舎だった」と指摘。世界遺産登録の意義については、「登録されることが目的じゃない。世界遺産になる価値があることを知って、心のよりどころにしてほしい」と強調していた。
 今後、世界遺産への登録に向けて、萩(はぎ)博物館の研究員は「各都市を旅して遺産を見られるツーリズムの調査が必要」。佐賀市教委の前田達男・世界遺産調査室長は「発掘が主体で地上の遺産が少ない佐賀は、考古学や文献で世界遺産的な価値付けをしっかりやりたい」と話していた。




長崎
龍馬も食べた?幕末の洋食ランチ 長崎歴文博「銀嶺」で販売
 長崎歴史文化博物館(長崎市立山1丁目)のレストラン「銀嶺」は、幕末の洋食をアレンジしたランチメニュー「龍馬伝館ランチ」の販売を始めた。
 9日に館内にオープンした「長崎奉行所・龍馬伝館」にちなみ「龍馬が生きた時代を感じながら食事を楽しんでほしい」と企画した。
 坂本龍馬が設立した貿易結社「亀山社中」の近所では日本最初の西洋料理店「良林亭(自由亭)」が営業していた。龍馬も洋食を楽しんだ可能性は高い。
 良林亭の経営者・草野丈吉は長崎の出島オランダ商館で修業。「龍馬伝館ランチ」は、オランダ商館員が食べていた「出島料理」と良林亭のメニューを参考にした。
 メニューの内容は▽鳥そぼろと春雨のパイ包み焼き▽カツオと野菜のサラダ仕立て▽牛ローストとポテトの重ね盛り・ジャポネソース-の3種に、スープ、パン(ライス)付き。価格は1200円。
 「鳥そぼろ-」は出島料理のパイ料理「パスティ」が基礎。「牛ロースト-」は良林亭で出されていた食材の牛肉とジャガイモを使った。いずれも砂糖、塩、しょうゆを中心にシンプルな味付けにしている。
 ランチタイムは午前11時半~午後3時。問い合わせは銀嶺(電095・818・8406)。


幕末の西洋料理学ぼう 長崎市・歴史民俗資料館で教室
 幕末の西洋料理や長崎の伝統料理について学ぶ教室が16日、長崎市平野町の歴史民俗資料館であり約70人が参加した。
 地産地消を推奨する長崎市や長崎西彼農協などが主催。幕末の資料を元に当時の西洋料理の復元に取り組む料理人の坂本洋司さんが講師を務め、レシピや調理方法などを説明し、長崎西彼農協の女性部が伝統野菜の唐人菜(長崎白菜)を使った長崎雑煮を紹介した。
 会場には坂本さんが再現した「ロースチキン(若鶏のあぶり煮)」「スートアップル(リンゴの赤ワイン煮)」など12品が並び、参加者たちは試食しながら「味付けはどうしているのか」など興味深そうに尋ねていた。同市梁川町の女性(50)は「長崎の食は奥が深い。普通の料理教室では学べないメニューで、とても勉強になる」と笑顔で話した。


タウンたうん:大半が初公開「幕末展」--長崎 /長崎
 長崎市シーボルト記念館(同市鳴滝、大石幸雄館長)で、第56回企画展「シーボルトや龍馬が生きた幕末展1」が開かれている。NHK大河ドラマ「龍馬伝」で幕末の長崎が注目されているのを受けて企画。24日まで。
 ドイツ人医師フランツ・シーボルトの護身用短銃(国指定重要文化財)や、著書「日本」初版など同館所蔵品に加え、長崎の砲術家・高島秋帆が洋式銃に合わせて開発した銃陣笠「トンキョ帽」など長崎ゆかりの貴重な史料を紹介。幕末の志士の自筆短冊や陣羽織など大半が初公開の80点を展示している。同館は「幕末の実物が持つ雰囲気を味わって」。入館料一般100円、小中学生50円。「同展2」も2月5日~3月22日に開催する。【錦織祐一】


「龍馬観光案内所」オープン JR長崎駅、ゆかりの地紹介
 JR長崎駅(長崎市尾上町)にこのほど、幕末の志士、坂本龍馬ゆかりのスポットを紹介する「龍馬観光案内所」がオープンし、観光客らの人気を集めている。
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映に合わせ、市が設置。市や地元商店会などでつくる実行委が運営している。スタッフ2人が常駐し、市内の「長崎まちなか龍馬館」や亀山社中記念館など観光施設を紹介している。市によると、15日現在で1日当たり200~300人が訪れているという。
 案内所を訪れた諫早市長田町の会社員、木野村咲さん(20)は「龍馬についてまだ知らないことばかり。龍馬ゆかりの地を巡ってみたい」と笑顔で話した。
 市の担当者は「(案内所は)長崎の玄関口にあり、気軽に立ち寄ってほしい」とPRしている。営業時間は午前9時~午後5時(年中無休)。設置期間は2011年2月28日まで。


本県の「龍馬伝」視聴率34・1% 高知は38・8%
 10日に放送されたNHK大河ドラマ「龍馬伝」第2回の本県の平均世帯視聴率が34・1%だったことが15日、ビデオリサーチの調べで分かった。全国でも坂本龍馬の古里、高知の38・8%に次ぐ高視聴率となり、龍馬人気を裏付けた。
 関東地区は21・0%、関西地区は21・4%、北部九州地区は22・9%だった。番組中の最高視聴率は、高知が午後8時44分に44・7%、本県が同8時42分、43分に37・9%を記録した。
 視聴率調査は、本県では年に24週実施。龍馬伝については、第2回が初めての調査となる。
 本県での大河ドラマの初回調査時の視聴率は、2009年の「天地人」が21・6%、08年の「篤姫」が19・8%。龍馬伝はいずれも10ポイント以上上回っており、県民の期待や注目度の高さを示している。
 長崎龍馬会の馬渡善裕会長(45)は「昨年から市民力で盛り上げてきたものが、一つの形となって現れたと思う。龍馬が活躍した長崎を、県内外にさらにアピールしたい」と話した。



文化芸能
ワイド視聴室:新撰組PEACEMAKER
◆新撰組PEACEMAKER TBS=20日深夜0:34

◇主眼は若者のいちずさや情熱
 政治も経済も行き詰まり、抜本的構造改革が求められていた時代が今と似ているからなのか。幕末をテーマにしたドラマが相次ぎ、人気を集めている。その流れを意識したのか、水曜深夜ドラマの新シリーズで描いたのは新撰組。といっても主人公は近藤勇でも沖田総司でもなく、入隊したばかりの15歳の少年だ。
 1864年の京都。新撰組会計方、市村辰之助(古川雄大)の元に一人の少年がやってきた。名は鉄之助(須賀健太)。辰之助の弟で「新撰組に入って、強くなりたい」と兄を追ってきたのだが、“人切り稼業”はさせたくないと門前払いをされる。そんなある日、市中で火事が発生、鉄之助は逃げ遅れた女の子を救うため、炎の中に飛び込む。
 原作は黒乃奈々絵のベストセラーコミック。いきなり倒幕派との戦闘シーンから始まるドラマは意表をつかれる。キャストの多くが10代の若手俳優で、たわいもない会話が飛び交うさまは時代劇というより学園青春ドラマ。奥深い心理描写やリアリティーより、若者のいちずさや情熱に主眼を置いたテイストはフジテレビ「月9」に近いものがある。それだけに深夜ドラマというのはいささかもったいない。【北林靖彦】


注目ドラマ紹介:「新撰組 PEACE MAKER」 イケメン続々、ポップな幕末青春活劇
 須賀健太さんが連続ドラマ初主演となる「新撰組 PEACE MAKER」の放送が15日、MBS系でスタートする。須賀さん演じる少年隊士・市村鉄之助を中心に、史実をアレンジしたポップな幕末活劇が繰り広げられる。 
 原作は、累計500万部を発行している黒乃奈々絵さんのマンガ「新撰組異聞PEACE MAKER」(マッグガーデン)。史実では、土方歳三とともに戊辰戦争を戦い、遺品を故郷まで届けた鉄之助の成長を中心に、沖田総司や山崎烝ら若き隊士と長州藩士の吉田稔麿ら敵味方が入り交じった青春群像を描いている。若手イケメン俳優集団「D-BOYS」の柳下大さんが沖田総司、荒木宏文さんが吉田稔麿を演じ、島田紳助さんがプロデュースするユニット「新選組リアン」の榊原徹士さんが山崎烝役で出演。土方はダンスユニット「Lead」の谷内伸也さん、近藤勇は、お笑いコンビ「ココリコ」の遠藤章造さんが演じる。
 第1話は、洋学者の父と母を目の前で長州人に殺された鉄之助が、敵討ちををするために新撰組に入隊しようとするが、見た目と態度の悪さから子供扱いされてしまう。京都市中では不審火が続き、幕府の転覆を図る長州藩の暗躍がうわさされていたが、鉄之助は火事に居合わせ、逃げ遅れた女の子・沙夜(滝澤史)を救うために炎の中に飛び込む……というストーリー。
 大橋孝史プロデューサーは制作発表会見で「時代劇を若い人たちに見てもらいたいと思っていた。若い人にも見やすい話で時代背景もなぞっているのが面白い」と話している。放送は、MBSで毎週金曜日深夜0時29分(初回0時44分)、TBSで20日から毎週水曜日深夜0時34分など。【服部美央】


<坂本龍馬の生きた時代展>乙女姉への手紙など展示、大河ドラマ「龍馬伝」の小道具や衣装も
 福山雅治さん主演のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で注目が集まる幕末の志士、坂本龍馬を貴重な写真と資料で振り返る企画展「写真で辿る『坂本龍馬の生きた時代』」が16日から東京ミッドタウンの「フジフイルムスクエア」(東京都港区)で始まる。一般公開に先駆け15日、報道向けの内覧会が行われた。
 同展は、高知県立坂本龍馬記念館などの協力で、龍馬が生前に遺した姉・乙女にあてた書簡や所持品などのコレクション(複製品)も展示。幕末の志士や龍馬とその仲間たちなど写真パネルがずらりと並んでおり、激動の時代に生き、33歳の若さでこの世を去った龍馬の生涯を振り返ることができる。
 また、ドラマ「龍馬伝」の撮影風景を収めた写真や小道具などを展示する「NHK大河ドラマ『龍馬伝』展」(財団法人NHKサービスセンター主催)も同時開催。出演者とそのコメントなどが書かれたパネルのほか、福山さんがドラマで使用したものと同じ衣装や刀、小道具などがずらりと並んでおり、ドラマの世界を堪能できる。
 同展は2月25日まで、入場無料。午前10時~午後7時。2月6日午後2時からは歴史アイドル(歴ドル)の美甘子さんが登場する「歴ドル美甘子と学ぶ!『坂本龍馬幕末検定』事前対策講座」も開催。定員50人で事前予約制。問い合わせは(03・6271・3350)。美甘子さんが歴史の面白エピソードなどを交えて龍馬の魅力をたっぷりと語ってくれる。【栗原拓郎】



 キッズステーションで『銀魂』の再放送をやっています。今日は総悟の「焼きそばパン買ってこいよぉ」が久々に聞けて満足です。

北海道
道警シリーズに境地 佐々木譲さんに直木賞
 「廃墟(はいきょ)に乞(こ)う」で第142回直木賞を受賞した佐々木譲さん(59)は、作家歴30年、北海道在住の実力派人気作家だ。生まれ育った北海道を舞台にした作品も数多く、道内の関係者からは受賞を喜ぶ声があがった。
 佐々木さんは夕張市生まれで、札幌月寒高校を卒業。一時期、東京にも住んだが、現在は根室支庁中標津町に仕事場を構えている。初期の代表作「エトロフ発緊急電」は父親の出身地、択捉島が舞台の冒険小説。幕末から明治の政治家で函館戦争を戦った榎本武揚を描いた「武揚伝」は歴史小説の大作。そして道警を舞台にした「警官の血」「制服捜査」などの警察小説シリーズと幅広い。
 北海道のミステリー小説に関する本を昨年出版した札幌大学教授の鷲田小彌太さんは「受賞までが長かったので、とてもうれしい。長い間の積み重ねの力と熟成の結果だと思う。決して派手ではないが、独特の切ない表現力があり、最近の作品には自分の文体や血脈のようなものが感じられる。今後さらに活躍が期待できると思う」と話す。
 道警シリーズは、2004年に発覚した道警裏金問題がきっかけで書いた「うたう警官」(後に『笑う警官』に改題)から始まった。リアルな描写で新境地を開いて大人気作となり、休職中の刑事を主人公にした今回の受賞作へつながった。
 裏金問題を告発した元道警釧路方面本部長で市民団体代表の原田宏二さんは、佐々木作品の中に実名で登場し、昨年は雑誌の企画で佐々木さんと対談した。「警官が自然体でしっかり描かれていて、よく調べていることに驚きました。『警官は法のみをよりどころとし、正義を語ってはいけない』という主張や、作品に流れる個人と組織の葛藤(かっとう)、そして組織に対する痛烈な批判にも共感を覚えます」
 静かな環境と自然を求めて中標津町に移った佐々木さんは、本紙のインタビューでは環境や景観保護の必要性を熱く語った。また、財政破綻(はたん)後の夕張市をルポするなど故郷への思いは人一倍のようだ。
 札幌の出版社、亜璃西(ありす)社社長の和田由美さんは、佐々木さんとは20年来の付き合い。「作品は骨太だけれど、心優しいロマンチストですね。女性に頼まれたら断れない人柄で、非常にストイックな男性。生まれ故郷の夕張、父親の出身地の択捉島など北海道に対する非常に強い思いが、作品に反映されていると感じます」と語った。

 掲載誌が廃刊されて連載が止まってしまった江川太郎左衛門の小説、どこかで再開してくれないでしょうか。

茨城
よみがえる幕末史 映画「桜田門外ノ変」 水戸に野外セット完成
 水戸藩開藩四百年を記念して制作される映画「桜田門外ノ変」で水戸藩の浪士らが大老・井伊直弼を襲撃するシーンを撮影する野外セットが水戸市千波町の千波湖畔に完成し、十四日、報道機関など関係者に公開された。
 高さ約十五メートルの桜田門やお堀、お堀沿いに並ぶ各藩の屋敷など江戸城の桜田門外周辺を約一万八千平方メートルの敷地に再現した。映画を機に文化振興を進める地元団体や行政が約二億五千万円を投じ、三カ月弱で完成させた。
 屋敷の外壁などには、造りたての建物を古ぼけて見せる「エイジング」という特別な塗装技術が駆使されているという。撮影は二十日から約一カ月で終了。セットは二月二十日から始まる「水戸の梅まつり」に合わせて一般公開される。 (高橋淳)


神奈川
龍馬とお龍、100年越しの再会へ…合同法要
 幕末の志士・坂本龍馬と、妻のお龍(りょう)の合同法要が、15日午後1時から、お龍の墓がある神奈川県横須賀市の信楽寺(しんぎょうじ)で営まれる。
 お龍は、龍馬が1867年に殺害された後、しばらく高知県の龍馬の実家に身を寄せたが、その数年後、横須賀市の商人と再婚。1906年に生涯を閉じた。
 一方、龍馬の墓は京都霊山(りょうぜん)護国神社(京都市東山区)にあり、同神社の木村隆比古宮司は毎年、お龍の命日に同寺に墓参している。合同法要はこれが縁で実現の運びとなり、神、仏の垣根を越えて二人をしのぶことになった。
 木村宮司は龍馬の魂を分霊する神具「霊璽(れいじ)」を、お龍の墓前に持参し、二人を引き合わせる。
 100年以上の歳月を乗り越えた“再会”に、信楽寺の新原千春(にいはらせんしゅん)住職は「お龍は龍馬の死後、苦労も多かった。再会を心待ちにしているだろう」と感慨深げ。木村宮司も「寺の墓石には、龍馬の妻の名で刻まれており、再婚後も龍馬への思いが途切れることがなかったことをうかがわせる」と話している。



大阪
澪標 ―みおつくし―
緒方洪庵生誕200年に寄せて 原田 彰子
熟塾代表

 今からから200年前、備中国(現・岡山市北区足守)足守藩士・佐伯瀬左衛門惟因の家に、3人目の男の子が生まれました。長じるにつけ生まれつき虚弱で病気がちなことに悩み疑問を感じます。「人は何故(なぜ)、病になるのか…」。自らの体に少年は問い続けました。やがて、大坂へ出て医学の道を志し蘭学を学び、蘭学塾「適々斎塾(適塾)」を開きます。
 ドイツの医師フーフェランドの医師の心構えを説いた扶氏医戒之略「金銭や名誉の為(ため)ではなくただ人を救え」を医師の心得として出版し、広く志を伝えました。全国から緒方洪庵を慕い多くの若者が集い、福澤諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲など幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人材を輩出しました。
 やがて緒方洪庵は幕府から請われて江戸城に入り、奥医師兼西洋医学所頭取となり、医師として最高の地位についたというのに、自由に市中の人々と交わり、塾生たちと過ごした適塾での日々を懐かしんだというのです。その適塾は、今も大阪の船場の地に現存しています。
 適塾を目指そうと藤本義一先生に「熟塾」と命名いただいた市民文化活動グループを旗揚げして16年。働きながらの活動ですが、学びの場を手作りしてきました。
 今年は、適塾を開いた緒方洪庵生誕200年を迎えます。私たちは、適塾を目指すことにより、緒方洪庵という“世の為、人の為に生きた”一人の志が、幕末から明治維新にかけて活躍する若者の心に宿り、やがて大きな時代の変革期を乗り越えていく一助になったことを学びました。
 今は明治維新にも似た時代の変革期であり、今までの価値観や、前例に倣うことができない時代ともいえます。しかし、今政治・経済はただ迷走するばかりで、そこに来るべき新しい時代の姿が浮かんできません。明確な指針のないまま、政治・経済が迷走し、人々の暮らしへの不安は拡大するばかりです。
 緒方洪庵が実践した志、「人の為、世の為」。政治家も経済人も、利己心に凝り固まり、かつて日本社会がもっていた「お互い様(さま)」という思いやりが希薄になってきました。緒方洪庵は、実践しました。医者として我(われ)を捨て人を救うことを…。
 そしてそのまなざしは当時流行した天然痘感染から人々を救うことへと広がり、除痘館を開くことに奔走します。冷静で温和な人柄の緒方洪庵のただひたすら「人を助けるために」奔走する姿は塾生はもちろん周りの人々を動かしたのでしょう。
 時代を超えて、師と呼べる人と出会える幸せ。それも同じ大阪の地で今は昔、聖徳太子の時代から無数に偉大な先人は存在するのです。それに気付くこと。歴史の教科書だけではなく、大阪の地に生きた先人の熱い思いに触れる時、大きな感動があります。今年は緒方洪庵生誕200年です。一人一人が「志」という指針を持って、この変革期を超えていきたいものです。
(大阪府八尾市)


高知
「であい博」あす開催 来年1月まで
 県内の経済活性化をめざす観光イベント「土佐・龍馬であい博(であい博)」が16日、開幕する。今月から放送が始まったNHK大河ドラマ「龍馬伝」に県内出身の坂本龍馬や岩崎弥太郎らが登場することから、これを機に観光客を呼び込もうと企画された。県などでつくる「土佐・龍馬であい博推進協議会」(会長=尾崎正直知事)の主催。高知市と安芸市、土佐清水市、梼原町の4会場で来年1月10日まで開く。
 高知市のJR高知駅南口では14日、メーン会場のパビリオン「高知・龍馬ろまん社中」と観光情報発信館「とさてらす」の落成式があった。尾崎知事は「上品で、楽しめる施設になった。全国の人に龍馬と土佐人の温かさを感じてほしい」とあいさつした。
 県土佐・龍馬であい博推進課では、県外からの年間入り込み客について、2008年実績の305万人を上回る400万人をめざしている。メーン会場の入場者数は40万人以上が目標という。
 県内では大河ドラマ関連のイベントとして、初代土佐藩主山内一豊と妻千代が登場した「功名が辻」の放送に合わせ、「土佐二十四万石博」(06年4月~07年1月)を開いている。


◎「熱い思い、世界に」

 高知市のメーン会場では14日、「龍馬伝」の題字を書いた書道家紫舟(ししゅう)さんが県内4会場向けに制作した作品の披露式があった。作品は「夢」「志」「海」「和」の4枚で、それぞれ高知、安芸、土佐清水、梼原の会場に展示される。
 紫舟さんは愛媛県出身で、CMの題字なども制作している。披露式では「『海』は高知の太平洋の荒々しさを表現し、『和』は地域の人たちのやさしさがにじみでるように書いた」と説明した。
 式の後、紫舟さんは「高知はおいしい魚を食べるために何度も来た場所で、陽気で温かい人が多い印象。(作品から)龍馬の熱い思いを世界に発信していけたらいい」と話していた。


■龍馬ろまん社中/高知

 高知市の「高知・龍馬ろまん社中」と「とさてらす」は県内産のヒノキやスギを使った木造1階建てで、延べ床面積は計約1200平方メートル。
 ろまん社中のテーマは「出会う!」。龍馬の生涯をたどりながら、維新前後の日本史を通観できる。撮影で使った坂本家の20分の1の模型や衣装のほか、龍馬の手紙、影響を受けた土佐勤王党のメンバーらを紹介。当時の高知城下の地図などで「幕末土佐通り」を再現する。甲板に見立てた通路からは大型スクリーンによる映像も楽しめる。
 とさてらすでは、サンゴ製の龍馬像が入場者を出迎える。県内市町村の情報を盛り込んだジオラマ「土佐名所立体図会」(高さ約3・3メートル、幅約5メートル)やサテライト会場からの映像などを映す観光シアター(20席)などがある。物販コーナーや観光情報のパソコン検索コーナー、総合カウンターもある。


■岩崎弥太郎こころざし社中/安芸

 安芸市の「安芸・岩崎弥太郎こころざし社中」は旧市観光物産センターを改装して開く。「志す!」をテーマに、同市出身で三菱グループの創始者となった岩崎弥太郎と龍馬のかかわりや、弥太郎の立志伝などを安芸の風土とともに解説する。大河ドラマ情報、立志伝の聖地・安芸、龍馬伝シアター、物販など5コーナーがあり、龍馬伝の主役の福山雅治さんが撮影で着用した衣装や、貧しかった頃の岩崎家のセットなどを再現。弥太郎役の香川照之さんが安芸の歴史や風土を語る映像も見られる。

■ジョン万次郎くろしお社中/土佐清水

 土佐清水市の「土佐清水・ジョン万次郎くろしお社中」は「海の駅あしずり」の建物を改装して設けた。「拓(ひら)く!」をテーマに、日米関係の進展に貢献した同市出身の中浜(ジョン)万次郎を中心に紹介する。会場入り口には、万次郎を救助した米国の捕鯨船船長ホイットフィールドのマサチューセッツ州フェアヘブンにあった自宅の外観を再現。万次郎ゆかりの地を映像で紹介するほか、龍馬が愛用していたものと同型のピストルも展示する。入場者には同市以布利の大阪海遊館研究飼育施設にいるジンベエザメ2匹の特別見学券を贈る(見学は土、日、祝日の午前9時~正午)。

■維新の道社中/梼原

 梼原町の「ゆすはら・維新の道社中」は町役場向かいの町立歴史民俗資料館1階を改装してオープンする。「駆ける!」をテーマに、町内産の杉板を使った回廊をぐるっと一巡しながら見学できる。地元出身の幕末の志士6人に焦点をあてるほか、龍馬伝シアターでは、なぜ龍馬が梼原から脱藩したかを8分間の映像で紹介する。「あなたの『脱藩』」のコーナーでは、入館者に自分が脱したいことを短冊に書いてもらい、板壁にかけて展示する。

◆安芸の会場で花700株植える

 安芸市のサテライト会場「安芸・岩崎弥太郎こころざし社中」前で14日、安芸商工会議所の女性会(山本美栄会長)の会員らがシクラメンやビオラ、マーガレットなど冬に咲く花約700株を植えた。
 内覧会があった13日に会場を訪れた会員らが「彩りがなく殺風景」と感じ、急きょ植栽した。会場前の広場の花壇で、雑草を抜いて花を植え替えた山本会長は「花いっぱいにして観光客をおもてなししたい」と話していた。


◇会場案内◇

◇メーン会場=「高知・龍馬ろまん社中」と観光情報発信館「とさてらす」(高知市北本町2丁目、088・879・6400)。開館は午前8時半~午後6時(7月17~8月31日は7時まで)。開幕日は午前8時55分~9時50分に入場制限あり。
◇サテライト会場=「安芸・岩崎弥太郎こころざし社中」(安芸市矢ノ丸1丁目、0887・34・8344)。午前8時半~午後5時半(7月17日~8月31日は6時まで)。
「土佐清水・ジョン万次郎くろしお社中」(土佐清水市養老、0880・82・3155)。午前8時半~午後6時。
「ゆすはら・維新の道社中」(梼原町梼原、0889・65・1187)。午前8時半~午後5時半。
◇当日入場券=メーン社中は大人500円、小中学生250円。サテライト社中は大人200円、小中学生100円。とさてらすは無料。
◇問い合わせ=県庁内の土佐・龍馬であい博推進協議会事務局(088・823・9043)。


山口
松陰、10代の博文に目
◆松下村塾の書 県文化財に
 大政治家の未来を予見? 長州藩出身の思想家吉田松陰が、伊藤博文を評した文書が新たに県指定文化財になった。後に初代内閣総理大臣となる伊藤に調整能力があると評価する内容。松陰は没後150年、伊藤は100年が過ぎた。関係者は「歴史の予見と結果でみれば面白い」と言う。
 文書(県文書館所蔵)は、松陰が1858(安政5)年に幕末の志士で当時江戸にいた門下生の久坂玄瑞にあてた書状(手紙)の控え。久坂は高杉晋作とともに、松陰の松下村塾の双璧(そうへき)と称された。


◆調整能力の高さ書き残す
 書状を出した頃の松陰は、萩の松下村塾で、日本の将来を見据え数多くの若者を育てていた。伊藤もその一人だった。書状には、松下村塾で勉強が盛んに行われていることが記され、門下生の批評も添えられていた。伊藤については、「利介(伊藤の当時の名前)亦(また)進ム、中々(なかなか)周旋家ニナリサフナ」と記述。伊藤の学問がはかどっており、様々な人の意見を調整して考えをまとめる才能がたけていたことを意味する。
 書状は松陰が亡くなる前年のもので、伊藤はまだ10代の若者にすぎなかった。同館の山田稔専門研究員は「結果として後に伊藤が偉くなりすぎたから注目される一文だが、この書状で松陰が門下生の将来にふれたのは伊藤ぐらい。その目にとまるぐらい人回しがうまかったのだろう」と言う。当時の社会では、幕府、朝廷、他藩の意見を調整する役割も重視されていた。
 書状は松陰の遺族が戦後の1954年に県に寄贈。半世紀前の59年にオープンした県文書館で保管され、調査や修復が行われてきた。没後150年の節目でもあった昨年の秋、他の関連資料とともに県指定文化財に選ばれた。
 天皇を貴び、開国に反対する尊皇攘夷(じょうい)を説いた松陰は、戦前の修身教育に利用された経緯がある。山田専門研究員は「松陰に先入観を持つ人もいるだろう。書状が文化財になったことで、見直しのきっかけにしていただきたい」と期待している。
(清水謙司)


松陰の初恋描く 映画ヒット祈願 萩市の神社
 明治維新の先覚者吉田松陰(1830―59)の生涯と初恋を描いた映画「獄(ひとや)に咲く花」が完成。松陰役を演じた前田倫良(みちよし)さんや恋の相手役近衛はなさんら出演者約20人が11日、山口県萩市の松陰神社を参拝して、映画のヒットを祈願した。
 原作は直木賞作家古川薫さんの著作「野山獄相聞抄」。海外への密航を企て投獄された松陰と女囚高須久との淡い恋と彼が刑死するまでを描く。古川さんは「映画は原作を超える感動で、涙が止まらなかった」と絶賛している。
 4月の全国公開を前に、2月6日から、山口県内7館と小倉北区のシネプレックス小倉、福岡市博多区のシネ・リーブル博多駅で先行上映される。前売り千円。


佐賀
築地反射炉の廃棄場跡確認、近くに本体跡も?
 幕末佐賀藩が建造した国内初実用反射炉「築地反射炉」があったとされる日新小(佐賀市長瀬町)の敷地で、金属を溶解する際に出たと見られる鉄かすや壊れた耐火レンガが出土した。佐賀市教委は、一か所に集まっていることから操業時の廃棄場跡と見ており、反射炉本体跡が近くにある可能性が高いとしてさらに調べる。同反射炉の関連施設の可能性が高い遺構の発見は初めて。
 市教委が4~7日、校舎近くの駐車場の一角を幅2メートル、長さ13メートルにわたって掘ったところ、地下1メートルで見つかった。
 鉄かすや耐火レンガは少なくとも10平方メートルの範囲にわたって、70センチ以上積み重なっていた。一緒に出土した磁器の染め付け方法などから築地反射炉があったとされる1850年代の遺構の可能性が高いという。
 市教委は鉄かすと耐火レンガの一部に焼けた跡があることから、溶解作業の際に材料の鉄の一部が残ったり、反射炉の壁に使われた耐火レンガの一部が劣化して落ちるなどしたと見ている。
 築地反射炉は熱を壁などで反射させることで炉内の温度を上げて金属を溶かす溶解炉で、1850年に建造された。佐賀藩はこれを使って国内初となる洋式鉄製大砲を作り、島などに設置。しかし、数年後、より高度な多布施反射炉(佐賀市伊勢町)を建造したため、出番がなくなったとされる。
 築地反射炉跡を巡っては、文化庁が世界遺産入りを目指すリストに入れている「九州・山口の近代化産業遺産群」に盛り込む対象を検討していた、遺産群関係自治体で作る協議会の専門家委員会が歴史的価値が高いと注目した。しかし、市教委の昨夏の調査では施設跡を発見できず、専門家委員会が昨年10月に提言した28の構成資産に入らなかった。
     ◇
 同市教委は、同専門家委員会が「九州・山口の近代化産業遺産群」に県内で唯一盛り込むよう提言した、佐賀藩の軍港跡「三重津海軍所跡」(佐賀市諸富町、川副町)について、2月から追加調査を行う方針。これまでにドックの壁の一部と見られる遺構などが確認されており、ドックの全容把握や船を造った形跡の発見などを狙う。その上で、世界遺産に選ばれるために必須である国史跡指定を目指す。



エンターテインメント
武田鉄矢、金八節で日本語の素晴らしさ熱弁
 俳優の武田鉄矢が1月14日、東京・帝京中学校で特別授業を行った。民放ラジオ101社統一キャンペーン「ラジオがやってくる」の一環として、同校で文化放送「武田鉄矢 今朝の三枚おろし」(月~金7時45分)の収録が実現したもの。
 2年3組の生徒31名に対し、「 “あいうえお”から始めよう」をテーマに日本語の素晴らしさについて“金八節”で熱弁。実際に中学校の教壇に立つのは初めてというが、教室をすっかり金八先生の国語の時間に染め上げ、「金八先生は国語の先生なんですよー」と生徒の笑いを誘った。
 中学生にも親しみやすいよう、自身が出演した人気ドラマ「仁 JIN」(TBS系)を例に、「(主人公の)医者がタイムスリップして幕末に行っても言葉が通じるところが面白いよね。これがイギリスだと言葉が変わっちゃって通じないんだよ」と日本語の素晴らしさを説明。真剣に聞き入る生徒に「日本語は世界に誇る財産。日常何気なく使っている日本語に注意を向けてみて」と笑顔で語りかけていた。
 この模様は、3月3日の同番組で放送。(eiga.com×文化通信)






 鼻風邪が続いてますので、外出を控えております。

宮城
竜馬ブーム、仙台でも 関連商品の売れ行き好調
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」などで高まる坂本竜馬ブームが、仙台市内に到来した。竜馬をモチーフにしたグッズの売れ行きが好調なほか、竜馬の好物料理を味わえる居酒屋や、ゆかりの地を訪ねる旅行ツアーが登場。閉塞(へいそく)感が漂う中、独創的な生き方で新時代を切り開いた幕末のヒーローにあやかる動きは、さらに広がりそうだ。
 青葉区の仙台ロフトでは先月末、「風呂で感じる男の心 幕末志士入浴剤」と銘打ったコーナーを設けた。「西郷隆盛」など4種類ある入浴剤のうち、一番人気は「坂本龍馬」(158円)だ。クリスマス時期には1週間に約100個が売れ、他3種の2倍に達した。
 お湯の色が竜馬から連想した「夜明け色(紫)」になり、「日本の夜明けを風呂で眺めるのも悪くないぜよ」とアピールする。担当者は「自宅用のほか、年始のあいさつの手みやげとして買う人もいる。男性客も目立つ」と話す。
 青葉区中央の和風創作料理店「オリジナルダイニングかまくら仙台店」は、今月末までの期間限定で「竜馬ゆかりの地フェア」を展開している。
 竜馬の好物とされるシャモをすき焼き風に創作した「竜馬鍋」(1554円)や、鹿児島、山口両県の素材を使った揚げ物「薩長同盟揚げ」(588円)など6種類のメニューを用意。高知県の米焼酎「海援隊」など、お酒の品ぞろえにもこだわった。
 関口学志チーフは「年配の方の注文が多い。味だけでなく、料理にまつわるエピソードも楽しんでほしい」とPRする。
 「竜馬の道」をテーマにした旅行のツアー商品を取り扱うのは、近畿日本ツーリストグループの旅行会社「KNTツーリスト」。高知、長崎、京都の3カ所に絞り、それぞれ竜馬の足跡をたどるという企画だ。
 主に東京発着で、仙台発着のツアーはないが、仙台営業所の伊藤亮嗣所長は「テーマのある旅行は旅慣れた年配の人にアピールできる。不況で業界が冷え込む中、竜馬ブームが回復の起爆剤になってほしい」と期待する。

 「幕末志士入浴剤」って……(笑)。

東京
龍馬も食べた!? 土佐&幕末再現料理が東京上陸!
 福山雅治主演の大河ドラマ「龍馬伝」(NHK)も好調発信し、どんどん色濃くなる龍馬ブーム。東京でも、龍馬をモチーフにした居酒屋が注目されているが、中でも要チェックなのは、龍馬も食べたかもしれない料理の“再現メニュー”や郷土料理など、雰囲気だけでなく味にもこだわった店の数々だ。

■龍馬再現メニューも!「銀座 若旦那 龍馬邸 -胡蝶蘭個室-」(中央区銀座)

黒潮がはぐくんだ山海の幸を贅沢に蒸し上げた「せいろ蒸し」(1150円~)が自慢の土佐料理専門店。今人気なのは、龍馬の好物といわれるさつま若しゃもを使った、1月31日(日)までの限定メニュー「しゃも鍋」(2900円)だ。当時、本人も食べたかもしれない“好物”をほお張りながら、時代を駆け抜けた龍馬に思いを馳せてみては? ちなみに、約900℃のわら焼きで仕上げた「かつをの塩たたき」(1500円)も人気の一品。分厚い切り身は、高知から取り寄せた山塩で食すのが、この店流なのだとか。

■龍馬ゆかりの酒も登場!「土佐料理 祢保希(ねぼけ) 赤坂店」(港区赤坂)

1972年から続く土佐料理の老舗。天然活け〆の刺し身と無農薬野菜で鮮やかに盛り付けした名物・皿鉢料理を筆頭に、都内では珍しい一品料理がそろっているが、もちろん酒も龍馬色があふれている。龍馬の会社名を冠した焼酎の古酒「海援隊」(グラス500円)など、「炭火焼き鰹たたき」(1200円)にぴったりのお酒がそろっているのが特徴だ。

■龍馬メモリアル焼酎で乾杯!「長崎出島厨房」(新宿区四谷)

龍馬の外交の舞台となった長崎県の地産食材を100%使った郷土料理が味わえる店。豚の角煮や長崎皿うどんなどの定番料理から麦焼酎発祥の地ならではの豊富な壱岐焼酎まで、長崎のハイカラな味を堪能できる。今は、「龍馬伝」の放送を記念して造られた本格焼酎「長崎の志士」も発売中で、麦焼酎、芋焼酎(各グラス680円)ともに人気の一品だ。

龍馬が駆け回った土佐や長州は、日本でも有数の食の宝庫。地元の味はもとより、外国貿易がもたらした当時最新の味覚は、龍馬の好奇心もくすぐったはず。今年は龍馬ブームに乗っかって、土佐の郷土料理に舌鼓を打ってみては? 【詳細は東京ウォーカー1/4発売号に掲載】

■銀座 若旦那 龍馬邸 -胡蝶蘭個室-
中央区銀座6-5-15 銀座能楽堂ビル3F
03-5537-3181

■土佐料理 祢保希(ねぼけ) 赤坂店
港区赤坂3-11-17
03-3585-9640

■長崎出島厨房
新宿区四谷1-10-2 長崎県東京産業支援センター 1F
03-5366-0536



東京見聞録:奥多摩消防署 山岳救助隊に体験入隊 /東京
 「ペンの力で強きを挫(くじ)き、弱きを助けたい」--。そんな志から新聞記者になり、まもなく6年。原稿の処理能力だけは向上したが、日々の仕事に追われるばかりで、「志」を果たす機会は一向に訪れない。幕末の志士や戦国武将の例に漏れず、古今東西、大望をなすには強靱(きょうじん)な肉体と精神力が不可欠。「今年こそ志を実現しよう」。そんな決意を胸に、奥多摩消防署山岳救助隊に体験入隊し、ハングリー精神をたたき込んできた。【袴田貴行】

◇日々訓練、山守る男たち

 消防署の1日は、午前8時半の「大交替」から始まる。前日の当務員から申し送り事項が伝えられ、ポンプ車や消防器材などの一斉点検を行う。「今日1日、どうぞよろしくお願いします」。慣れない消防服に身を包み、震え気味に声を絞り出すと、屈強な男たちの鋭い眼光に気圧(けお)されそうになった。
 東京都の西端、奥多摩町を所管する奥多摩消防署。管内人口は約6400人に過ぎないが、面積は約225平方キロで、東京都の約10分の1を占める。火災の発生件数は年5~10件程。一方、遭難事故の出動件数は年間約30回で、26~50歳の山岳救助隊員18人が日夜、山の安全を守っている。
 「大交替」が終わると、早速、基礎訓練に入った。ザイルで山の急斜面を登降する際に用いる器具「エイトカン」や「ユマール」の使い方を教わる。その後、実際にザイルを使い、署の裏の高さ約20メートルのがけを多摩川の河原に向かって降下。「準備ができたら『降下準備よし』と大きな声で」「声が小さい!」。関沢雅之隊長の怒声が頭上に響く。しどろもどろになるあまり「はい」と答える声が裏返ったが、無事に降下と登攀(とうはん)に成功。ほっと胸をなでおろした。
 昼食を済ませると、この日、最も恐れていた「体力練成」の時間がやってきた。ジャージーに着替え、一同車座になって準備体操をした後、署の周りをランニング。10分ほど走ると署に戻り、腕立て伏せ50回。またランニングをし、今度は腹筋50回。ランニング、懸垂10回、ランニング、背筋50回、ランニング、側筋50回……が延々1時間続いた。酒と夜回りで運動不足の体にはまるで拷問のようで、しまいには立ち上がれなくなる始末。「ファイト!」と叫びながらメニューをこなす署員たちを横目に、よほどの使命感がなければできない仕事だと痛感させられた。
 しばしの休息の後、今日のクライマックス、山岳救助訓練に移った。約30メートルがけ下に滑落する遭難者をハイカーが発見し、通報してきた--との想定で、署の向かいにある標高約50メートルほどの小山に向かう。山岳救助隊員5人、救急隊員3人、情報収集や全体の統括を担当する指揮隊員2人の計10人が入山。縦隊で山の斜面を登り降りしながら、遭難者の「捜索」を続けた。
 “見習い”山岳救助隊員の記者は、傷病者を担架に固定する重さ約13キロの器材「スクープストレッチャー」を背負い、息も絶え絶えよろめきながら後を追った。やがて「遭難者発見!」の一声。救急隊員らとともにザイルでがけ下に降下し、「遭難者」の引き上げ作業に加わった。その後、他の隊員とともに重さ約60キロの担架を担いで山を下り、署にたどり着いたころには、訓練開始から1時間15分が経過していた。
 こうして、山岳救助隊員としての1日も大過なく終了。己の肉体と精神力に自信を深め、意気揚々と奥多摩を後にした。しかし、そんな達成感もつかの間、翌朝から全身は想像を絶する筋肉痛に見舞われる。手すりにしがみ付かないと階段が上り下りできない状態が3日間続き、そんなぶざまな姿を人にからかわれ、一瞬手にした自信はすっかり喪失してしまった。
 年明けから2週間。志の達成へ向けた道には、早くも暗雲が垂れ込めている。

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 ■メモ

◇登山ブーム、高まる重要性
 東京消防庁では、奥多摩、青梅、秋川、八王子の4消防署に山岳救助隊が置かれている。中でも、全体の署員数が48人と最も少ない奥多摩消防署では、山岳救助のほかにも火災や交通事故など一人が何役もこなさなければならず、実績を積んだ署員しか配属されないという「精鋭部隊」。中高年を中心とした登山ブームで、都心から身近な奥多摩の山々が人気を集める中、「山の番人」山岳救助隊の重要性はますます高まってきている。


三重
松阪・射和の「見どころマップ」完成
 江戸や室町時代の史跡が残る松阪市射和(いざわ)町を案内する「射和見どころマップ」が完成した。同町出身の幕末の豪商・竹川竹斎(1809~82)の生誕200周年記念事業の最後の企画として作った。観光客への案内や小中学校での郷土史学習などに活用していく。 (石原猛)
 同町では7年前、地元の郷土史愛好家らでつくる「射和・昔を語る会」の中村貞夫さん(62)が中心になり、町内の史跡を紹介する地図を作っていた。今回、同会の浜博之会長(69)らが「射和を訪れた人に無料で手渡せるものを用意しよう」と、元の地図をベースにして、A4判4ページのリーフレットを12月末に作製した。
 見どころマップは、町内の寺社や石碑など約20カ所を地図と写真で紹介。市内最古の木造建築「延命寺山門」や、竹斎が整備したかんがい池「上池」などを巡るお勧めの散策コースも掲載し、表紙には竹斎の生家と同町の夏祭り「射和祇園祭」で登場する大屋台の写真をあしらった。
 記念事業実行委員会はリーフレットを5000部印刷した。市観光協会や地元の市民センターなどに置くほか、同町での文化行事の時などに配るという。浜さんは「このマップを使い、より多くの人に射和の魅力を伝えられれば」と話している。



和歌山
第25回毎日現代書関西代表作家展:県内作家の作品紹介 /和歌山
◇きょうから19日まで大阪・近鉄百貨店阿倍野店

 「第25回毎日現代書関西代表作家展」(毎日新聞社、毎日書道会主催、NHK大阪放送局、毎日放送など後援)を、大阪・近鉄百貨店阿倍野店で本日から19日まで開催します。
 毎日書道展の関西代表作家281人、毎日書道会の最高顧問ら22人の新作を展示。漢字、かな、近代詩文書、大字書、篆(てん)刻、刻字、前衛書を一堂に展示します。特別陳列「幕末維新の書」では、高杉晋作や木戸孝允ら、激動の時代を生きた志士たちの逸品を紹介。また、一般公募したえと「寅(とら)の書の入賞、入選作品1000点も展示します。
 【会期】19日(火)まで。入館は10時~18時半。ただし16、19日は16時半まで。前期(16日まで)と後期(17~19日)で作品の入れ替えがあります【会場】近鉄アート館(近鉄百貨店阿倍野店9階)【入場料】一般500円、大高中生400円。小学生以下無料【作品解説会】14日を除く各日午前11時【席上揮毫(きごう)会】14、16日を除く各日午後2時【国際交流デー】16日午後1時


広島
「平成いろは丸」作ろう 福山市 ペーパークラフト作製
 福山市は9日に就航した市営渡船「平成いろは丸」(全長22メートル、19トン)のペーパークラフトを作製した。NHK大河ドラマ「龍馬伝」を応援する官民組織・福援隊のホームページから無料でダウンロードできる。
 ペーパークラフトは実物の100分の1サイズ。平面図形をカラー印刷し、船体、甲板などのパーツごとに切り抜き、のり付けして組み立てる。マストや煙突の細部にもこだわり、「1時間くらいで完成できればプロ級」と市観光課。
 平成いろは丸は、鞆の浦で沈没した坂本竜馬率いる海援隊の蒸気船「いろは丸」を模して市が約8000万円かけて建造。鞆港―仙酔島間を約5分で結ぶ。黒い船体と3本のマストが幕末のムードを醸し、新たな観光資源として期待されている。
 同課は「手作りすることで親しみを感じてもらいたい。興味を持ったらぜひ、鞆に足を運び本物に乗って」と呼び掛けている。




関西
西日本、寒いぜよ 龍馬像が雪化粧
 強い冬型の気圧配置となった西日本では13日、厳しい冷え込みとなり、四国や九州でもまとまった雪が降った。14日も日本海側を中心に大雪になる見込みで、気象庁は注意を呼びかけている。
 各地の気象台によると、滋賀県北部では13日午後6時現在で88センチの積雪を観測。湖北地域に大雪警報を発令した。高知県西部・津野町の津野山で9センチ、愛媛県でも南部を中心に雪が降った。高知県西部の山あいにある梼原(ゆすはら)町では、坂本龍馬など幕末の志士らの像が雪化粧をまとった。町によると、役場周辺では13日夕までに15~20センチの積雪があったという。
 徳島県阿波市吉野町の阿波中央橋上の国道318号では同日午前11時ごろ、車4台がからむ事故があった。けが人はなかった。県警によると、当時、路面には雪が積もり、シャーベット状になっていたという。
 石川県珠洲市では37センチ、同県輪島市で22センチと平年の2~3倍を記録。14日は県内山間部で50センチ、平野部でも20~30センチ積もると予想している。
 広島県では13日午後11時10分、山陽自動車道広島東インター(IC、広島市東区)と福山西IC(福山市)間の上下線約70キロが、雪のために通行止めとなった。
 九州でも積雪が観測された。福岡県飯塚市では17センチ、鹿児島県伊佐市では11センチに達した。長崎空港の滑走路が終日閉鎖されたほか、高速道路が通行止めになるなど、交通機関が大きく乱れた。


関西ゆるキャラ 海外遠征
12体、香港旧正月パレード参加

 滋賀や京都など関西の「ゆるキャラ」12体が、香港で旧正月の始まる2月14日に催されるパレードに、日本代表として参加する。幕末大老で彦根藩主の井伊直弼(なおすけ)の娘、弥千代姫がモデルの「やちにゃん」を筆頭に、京都タワーの「たわわちゃん」、京都国際マンガミュージアムの「マミュー」などが自転車タクシーで巡行する。アニメやコスプレに次ぐ日本の新しい文化として、ゆるキャラを海外で発信する。

 ■「たわわちゃん」も「やちにゃん」も

 イベントは15回目の「チャイーニーズ・ニューイヤー・ナイトパレード」。香港政府観光局の招きで岩手の和太鼓パレードグループとともに「関西ゆるキャラオールスターズ」として参加する。
 関西2府4県のキャラと関係者がメンバー。京丹後市観光協会の「コッぺちゃん」、奈良市の平城遷都1300年祭の「せんとくん」、高野山金剛峯寺の「こうやくん」も参加し、結団式を18日に大阪市で行う。
 パレードは九龍半島にある繁華街の約2キロがコース。彦根市で自転車タクシーを運行するNPO法人(特定非営利活動法人)「五環生活」の協力で、各キャラが同タクシー12台で行進する。特設ステージもあり、歌手の橋幸夫さんの「ゆるキャラ音頭」に合わせ、踊りを披露する。15日には滋賀県の「キャッフィー」も加わり、関西圏への観光をPRするイベントに参加する。
 今回のチームリーダーで、ゆるキャラによるまちおこしを支援する民間団体「ゆるキャラさみっと協会」(彦根市平田町)の荒川深冊(しんさく)代表理事(39)は「ゆるキャラは彦根をはじめとする関西発のムーブメント。英国領だった香港で注目され、ヨーロッパに進出する足がかかりにしたい」と話している。


高知
「土佐・龍馬であい博」開幕秒読み
 16日に開幕する「土佐・龍馬であい博」の3か所のサテライト会場が、ほぼ完成した。安芸市役所に近い「安芸・岩崎弥太郎こころざし社中」では13日、内覧会が開かれ、貧しかった頃の弥太郎の生家を表したセットなどを同市のボランティアガイドら約100人が見学。土佐清水市養老の「土佐清水・ジョン万次郎くろしお社中」では、入り口に、漂流中の万次郎を助けた捕鯨船長の家が再現された。梼原町役場近くの「ゆすはら・維新の道社中」には、ゆかりの志士についての展示を用意。本番に向けて、準備が整いつつある。JR高知駅前のメーン会場も含め、16日午前8時半から開館する。
 安芸の会場は約300平方メートルあり、NHK大河ドラマ「龍馬伝」や市内の観光地などを5コーナーに分けて紹介。ドラマで実際に使われた小道具や衣装、出演者のサイン色紙などを展示する。市民らでつくる会場の運営団体「はばたけ弥太郎・龍馬伝安芸市推進委」の仙頭ゆかり会長は「志のパワーにあふれた社中にしたい」と意気込んだ。16日午後3時半頃には、ドラマで弥太郎を演じる香川照之さんが会場を訪れ、鏡開きなどが行われる。
 土佐清水の会場は、あしずり港岸壁の「海の駅あしずり」1階フロアに設営。万次郎が幕末、日米交流の架け橋となり、龍馬が世界に目を向ける契機となったことなどを年表や写真で紹介する。16日は開館とともに振る舞い酒や特産品の即売、もち投げなどを予定。先着100人に地元産の焼き菓子をプレゼントする。
 梼原では町立歴史民俗資料館1階に設けられ、テーマは「駆ける!」。吉村虎太郎、那須俊平・信吾父子ら町ゆかりの志士6人について展示する。周辺には6志士の墓や、同志が話し合いに集まったと伝えられる掛橋和泉邸、銅像が立つ「維新の門」などがあり、運営する地元実行委は「町全体がパビリオン」としている。
 サテライト会場の入場料は大人200円、小中学生100円。


空き店舗を活用 街角ギャラリー
 市街地の空き店舗を街角ギャラリーとして活用する取り組みが須崎市で始まった。第一弾として今月下旬から、大正時代に建てられた同市青木町の三浦家住宅で、幕末に活躍した土佐の絵師、絵金の作品を展示する。市街地ににぎわいを取り戻すため、今後もギャラリーを増やす計画だ。
 街角ギャラリーは文化財の活用と市街地の活性化をめざし、同市教委が企画。今年度の県緊急雇用創出臨時特例基金事業に選定された。近く2人を新規雇用する。
 三浦家は江戸末期から戦前まで続いた有力商家。須崎で作った土佐和紙の取引で繁盛し、海運や植林、水産業なども営んだ。住宅は1916(大正5)年の建造といわれ、店と母屋を分離した造りになっている。木造2階建ての店は壁をしっくいで塗り固めた重厚な外観を備えている。
 街角ギャラリーになるのは店1階の約65平方メートル。3月までは、土佐藩家老の御用絵師だった絵金が須崎の弟子の家に寄宿した際に残した作品を1カ月ごとに更新して展示する。4月以降は、民具や市民の芸術作品などの展示を予定している。入場無料。
 4月にはさらに2店舗をギャラリーに変える。同市教委の土居信一・生涯学習課長は「商店街を人が通ることで、市街地が元気になっていけばいい」と話している。


島根
学習まんが「龍馬」 海士出身漫画家が担当
 島根県海士町出身の漫画家、ながいのりあきさん(56)=東京都杉並区=が担当した学習まんが人物館シリーズ「坂本龍馬」が、小学館から発刊された。熱烈なファンが多い幕末志士・竜馬の人間的魅力を史実に基づきながら描き出した力作。竜馬は今年のNHK大河ドラマの主人公でもあり、ながいさんは「ぜひ手に取ってみてほしい」と笑顔を見せる。
 高校まで隠岐で過ごしたながいさんは、法政大学で漫画研究会に入ったのをきっかけに、漫画家を志した。これまで、サッカーを通して少年の成長を描いた「がんばれ!キッカーズ」、城山三郎原作の小説を元にした「男たちの好日」などの作品が人気を集めた。
 ながいさんが幕末に詳しいことを知る編集者から一昨年に今回の企画を打診され、快諾。昨春から本格的に描き始め、昨年12月に発売された。
 以前は、竜馬を商人というイメージで見ていたが、とらえ直したところ、西郷隆盛ら同時代の人物と比較しても「道を一つに決めていない」という融通性、柔軟性が竜馬の神髄であり、魅力であると確信。
 子ども向けシリーズだけに、史実を曲げてはいけないが、読んでもらうためには面白さが必要なため、その両立に腐心した。竜馬が襲撃を受け、危機一髪逃げる「寺田屋事件」にページを割くなどして、活劇のような躍動感を出したという。
 「ほぼ理想的な形で描けた」と振り返るながいさん。既に読者から「面白かった」というはがきも届いており、手応えを感じている。
 今後は4年以上温めてきた幕末のある人物をテーマにした新たな作品を世に送り出したいと意欲を新たにする。
 学習まんが人物館シリーズ「坂本龍馬」は、B5判、159ページ。945円。


長崎
長崎さるく:本木昌造「新町活版所」跡、モニュメント除幕--幕末編推進委 /長崎
 長崎市などでつくる「さるく観光幕末編推進委員会」(会長・松藤悟長崎商工会議所会頭)はこのほど、長崎市興善町にある本木昌造の「新町活版所」跡で、本木昌造にちなんだモニュメントの除幕式をした。
 本木昌造は日本の活版印刷の創始者。同委員会は坂本龍馬や幕末関連の史跡4カ所にモニュメントを設置することにしており、今回はその最初のもの。
 モニュメントは長崎市桜馬場、グラフィックデザイナー、吉田隆さん(51)がデザイン。鉛製の活字が透明のアクリルケースの中に並べられている。
 除幕式に参列した吉田さんは「活版印刷の技術の一部そのものを見てもらい、長崎の歴史を多くの人に知ってもらえたら」と話していた。【蒲原明佳】



コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(45)東大教授・山内昌之 伊庭八郎
■隻腕の剣士 滅びの美学

 伊庭八郎には不思議な人気がある。「伊庭八郎の会」なる同好の士の集いもあるらしい。おそらく「歴女(レキジョ)」なる好学の女性たちの間にもファンが多いのではないか。
 

江戸の女騒がす麒麟児
 
 幕府の直参だった八郎は、将軍の家茂(いえもち)に随行して西下しながら、鳥羽伏見の戦いで敗れ、江戸に戻った。その後も、蝦夷(えぞ)地に転戦して幕府瓦解の悲劇に殉じたヒーローである。日本人好みの滅びの美学に加えて、颯爽(さっそう)とした男前ぶりも人気の源であろう。背丈は5尺2寸(158センチ)と小柄であったが、とにかく「白皙(はくせき)美好」とか「眉目(びもく)秀麗、俳優の如(ごと)き好男子」と評判が高かった。
 剣も達人の八郎は、幕末江戸四大道場の一つ、御徒町の「練武館」を主宰した心形刀(しんぎょうとう)流宗家・伊庭家の御曹司という毛並みの良さだった。「伊庭の麒麟児(きりんじ)」は気風のよい江戸っ子の典型なのである。芝居や錦絵に登場する役者めいた男がそのまま当代随一の剣客だったのだから、江戸の女たちが騒がないはずはない。
 しかも、この超弩級(ちょうどきゅう)のスターは剣術だけでなく、漢学や蘭学への関心も失わなかった。むしろ剣術修行には学業よりも遅く入ったほどである。
 元治元(1864)年に任命された幕府の奥詰とは将軍の親衛隊士にほかならず、幕臣に武術を指導する講武所が開かれると、すぐに教授方を務めた。八郎のキャリアは武州三多摩の近藤勇や土方歳三とは異質であった。それでいて人を分け隔てせぬ、おおらかさは、奥詰が改編され遊撃隊となって、慶応3(1867)年に京都に入っても変わらなかった。
 非番の日にはよく京都などの名所を見物し、よく食らい、よく飲み、余暇を満喫したというから爽(さわ)やかである。「朝涼(あさすず)や 人より先へ 渡り舟」とか「其(そ)の昔 都のあとや せみしぐれ」といった句はこの時の手すさびだったに違いない。
 

滴る血をものともせず

 江戸に戻った八郎は、新政府軍への抵抗を決意し、遊撃隊の一部を率い、木更津に行き、請西(じょうざい)藩主の林忠崇(ただたか)らと合流、館山から出帆し、対岸の真鶴に上陸した。伊豆韮山から甲府や沼津を転戦しながら、江戸に向かう新政府軍を妨害するために箱根関所の占拠を企て、小田原藩と戦うはめになった。
 この時、箱根の三枚橋で左手首の皮一枚を残して斬(き)られても、右手片手斬りの神業で敵を倒し、「百人斬り」と江戸で喧伝(けんでん)されたものだった。滴る血をものともせず、仁王立ちになったまま、傷口からほとばしる血を吸いながら戦ったというから、これは阿修羅のようなものだ。
 しかも、左手の肘(ひじ)から下を麻酔をかけずに自分で切断しても、うめき声一つあげなかったのだから、気力や精神力の見事さには感心するほかない。
 戦(いくさ)に敗れた八郎は、横浜から借り上げの英艦で箱館(はこだて)に向かったが、この路銀を用立てたのは吉原で馴染(なじ)みの花魁(おいらん)だったというのだから、よほどに八郎は女たちの胸をときめかせる天晴(あっぱ)れな男ぶりだったのだろう。
 粋な風情を漂わせた八郎は、蝦夷地政府の入(い)れ札(ふだ)でも遊撃隊長にして歩兵頭並に選ばれた。新選組の土方も歩兵奉行並に推されたのだから、幕末の江戸と京都を駆け抜けたスター級の勇士が北辺の地で顔を合わせたことになる。絵になるシーンとはこういう光景を指すのであろう。

兄弟で政治変動の悲劇

 隻腕のハンディキャップをものともせず徹底抗戦した八郎は、木古内の戦いで重傷を負って、箱館病院で治療を受けた。命、旦夕(たんせき)に迫り、見かねた蝦夷地政府総裁の榎本武揚(たけあき)はモルヒネをすすめて楽に死を迎えさせた。辞世は、「まてよ君 冥土も共にと 思ひしに 志はし(しばし)をくるる 身こそ悲しき」と伝えられる。
 明治34(1901)年に東京市会議長の星亨(とおる)を暗殺して無期徒刑となった伊庭想太郎は実弟である。兄は忠義一途(いちず)に徳川家のために命を捧(ささ)げ、弟は消え逝く江戸の良風美俗を侮蔑(ぶべつ)した町人出身の政治家を襲って獄中で病死したのだった。幕末明治でも兄弟で政治変動の悲劇をもろにかぶった例は少ない。(やまうち まさゆき)

                   ◇

【プロフィル】伊庭八郎

 いば・はちろう 天保14(1843)年生まれ。本名・秀穎(ひでさと)。江戸に剣術道場を開いていた心形刀流8代・伊庭軍兵衛(ぐんべえ)=秀業(ひでなり)の長男。9代伊庭秀俊の養子となり、10代を継ぐ。旗本・御家人に武術を習得させる講武所から奥詰となったが、鳥羽・伏見の戦いで負傷。箱根戦争で左腕を失って敗退すると、江戸に戻り、彰義隊に入る。彰義隊滅亡後は陸奥で奥羽同盟に参加。明治2(1869)年、五稜郭の戦いで死去。享年27。

 山内教授、「武州三多摩」という地名は明治時代以降なんですが……(汗)。
 でも、わざわざ「粋な風情を漂わせた八郎は、蝦夷地政府の入(い)れ札(ふだ)でも遊撃隊長にして歩兵頭並に選ばれた。新選組の土方も歩兵奉行並に推されたのだから、幕末の江戸と京都を駆け抜けたスター級の勇士が北辺の地で顔を合わせたことになる。絵になるシーンとはこういう光景を指すのであろう」と、伊庭八と土方さんを並び立たせた図を描くなんて、旧幕府側ファン心をくすぐって下さいますねぇ。

ブックレビュー
オリコン本ランキング:ガイド本「龍馬伝 前編」が2位に 小説「竜馬がゆく」も急浮上
 14日発表されたオリコン本ランキング(18日付)によると、NHK大河ドラマ「龍馬伝」のガイド本「NHK大河ドラマ・ストーリー 龍馬伝 前編」が、2週間(09年12月28日~10年1月10日)で約7万2000部を売り上げ、BOOK(書籍総合)部門の2位になった。
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」は、土佐(高知県)出身の幕末の英雄・坂本龍馬の33年の生涯を、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の視点から描いたドラマ。龍馬にあこがれる岩崎が、師事していた藩参政・吉田東洋の暗殺を機に、龍馬を憎むようになるが、龍馬の「世界の海援隊を作る」という夢を引き継いでいく……というストーリー。ドラマの1回目、2回目とも20%以上の高視聴率を記録している。
 同書は、キャストの紹介とインタビューや、ドラマ前半のあらすじ、舞台の紹介などを掲載し、12月19日発売された。発売初週(12月28日付)は約2万5000部で11位だったが、翌週(1月4日付)は約3万6000部で5位。3日の放送開始から売り上げと順位をともに上げてきた。司馬遼太郎のベストセラー「竜馬がゆく」の文庫版も、新装版1巻が約3万1000部を売り上げ17位、2巻も約1万7000部で35位と、ともに文庫部門で100位圏外から急浮上した。【河村成浩】




文化芸能
「歴女」代表、杏さんの好きな史跡めぐりの旅
「歴女」代表として、2009年の新語・流行語大賞授賞式に参加した杏(あん)さん。「史跡を巡ると歴史上の人物と自分がリンクするかんじが楽しい」という彼女にその魅力を語ってもらいました。(アエラ編集部・四本倫子)

※AERAMook「幕末と戦国・このとき義を貫いた」から

 伊達政宗(だて・まさむね)の正室・愛姫(めごひめ)様を演じることになり、ご挨拶するためにゆかりの地を訪れました。
 私は特定の武将に入れ込むというよりは、「歴史そのもの」が好きなタイプ。戦国時代は、鎖国されていた江戸時代と比べるとヨーロッパの風が吹いているところが好きです。天正(てんしょう)遣欧少年使節団や支倉常長(はせくらつねなが)……。ルネサンス時代のローマを侍が歩いていたんだと想像するとおもしろいですよね。青葉城近くにはそういう史料がたくさんありました。また、愛姫の菩提(ぼだい)寺・瑞巌寺(ずいがんじ)では、愛姫と自分が「リンク」する感触を一番強く感じました。仙台市内からは電車で30~40分ほど。当時の面影が根強く残っている場所です。

■4代遡るだけで私が大好きな「あの時代」とつながるんだ!

 歴史が好きになったのは、中学校の授業で幕末を学んでからです。そのころは友達と新選組ゆかりの地を巡ったりしていました。車の免許を取ってすぐ、はじめて一人で訪れた史跡が会津若松でした。新選組隊士の斎藤一や、会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)一族のお墓。飯盛山など白虎隊ゆかりの地。大内宿にも足を延ばしました。飯盛山には夕暮れどきに訪れたので薄暗い雰囲気とがあいまって、当時を想像させるリアルな空気に包まれました。
 精力的に回りすぎて、カーナビから「休憩してください」と注意される始末で(笑い)。日帰りするつもりだったのに、もう少しこの場所に居たい気分になって、急いで宿を探しました。

■自分と歴史上の人物が「リンク」する

 15、6歳の頃からモデルの仕事を始めるようになると、地方に行く機会も増えて、訪れた土地の史跡などに積極的に立ち寄るようになりました。自分と歴史上の人物が「リンク」する感覚を求めて史跡をめぐっている気がします。柱や石や木に触って、「あの人もこれを触っていたのかな」と思ったり。当時から、ずっと変わらずに、残っているんだなと思うと感動します。
 日野高幡不動(ひのたかはたふどう)や、新選組の隊士の生家やお墓。池袋の近藤勇(こんどういさみ)祭りにも参加した中学時代。卒業旅行で、友達と一緒に新選組の発祥の地とされる京都の八木邸(やぎてい)や壬生寺(みぶでら)をまわって……。多くの若者が国を変えようと江戸や京都に集結し、理想に燃えた幕末って、本当に魅力的です。主義主張は違っても、全員に「正義」があったと思います。

■「歴史フェチ」な私

 史跡巡り以外にも、半藤一利(はんどう・かずとし)さんの『幕末史』(新潮社)を読みながら、登場人物の人間相関図を作ってみて……。佐幕派、倒幕派の入れ替わりの激しさに驚いて、人間関係が本当に入り組んでいるんだな~と。一方で、意外と接点が少ないのが新選組。当時の彼らの立ち位置が改めてわかった。こういう作業が本当に楽しいです。 歴史小説も大好きで、江戸市井ものを読み始めた頃は、その風景を知らないはずなのに、知っているかんじがすることが、すごく不思議でした。
 結局、私は「歴史フェチ」なんです。時の経過を感じられるような場所を訪れたときに生まれる感覚を大事にして、これからも歴史の奥深さを味わっていきたいと思います。

◇杏さんの平成21年史跡巡りの旅◇
 4月20日 愛媛県松山市 四国に行くのは初めて。松山城が素敵でした
 4月28日~29日 宮城県仙台市 青葉城など伊達政宗ゆかりの地を
 5月4日 静岡県伊豆市 修善寺 陶芸を習いました
 5月15日 福岡県太宰府市 「阿修羅展」を見に太宰府天満宮へ
 7月29日 東京都 神田明神、愛宕神社 江戸川橋近辺
 9月25日 長崎県長崎市 亀山社中やグラバー邸など
 10月9日 三重県伊勢市 伊勢神宮 一生に一度は行きたいと思っていた場所

◇これから行きたい!◇
・出雲大社[島根県出雲市] 一生のうち一度は行ってみたい!
・松下村塾など[山口県萩市]中国・四国地方はもっと行ってみたい。最近は長州藩にも興味が出てきた
・函館[北海道]五稜郭など新選組のゆかりの地として有名なのに、未踏の地です

    ◇

<杏/あん>
 1986年、東京都生まれ。15歳でモデルデビューし、現在も海外のコレクションに参加。2007年に女優デビュー。1月16日公開の映画「BANDAGE」、フジテレビ系ドラマ「泣かないと決めた日」(1月26日から、火曜21時)に出演。






 鼻風邪を引きました。半日でティッシュ激減(汗)です。

岩手
起源は幕末 160回目の元服式
 幕末の1851(嘉永4)年に始まった大船渡市の若者集団「佐野契約会」(佐々木純会長)の元服式が160回の節目を迎え、同市赤崎町の沢田地域公民館で成人の日の11日、今春中学校を卒業する3年生の男女20人が「大人」の仲間入りをした=写真。
 契約会は、外国船の来航が頻繁になった時期に地域の結束を図ろうと発足し、地域の15~42歳が伝統的な通過儀礼の儀式を守ってきた。
 元服式では「堪忍のならぬは心の掃除たらぬため」「喧嘩(けんか)口論は貧乏の種まき」など30カ条の「嘉永4年の定(さだめ)」を守ることを約束した宣誓書を読み上げ、一人ひとりが宣誓書に血判がわりの母印を押し、酒の代わりにブドウ液で「契りの杯」を飲み干した。
 代表して宣誓書を読み上げた安田優樹君は「これからは以前とは違う。しっかり、じっくりと、行動に責任を持って生活できればと思う」と「大人」への抱負を語った。



東京
@展覧会:柴田是真の漆×絵 技巧を極めた「だまし」
 柴田是真(ぜしん)(1807~91)は、幕末から明治期にかけて活躍した江戸出身の画家・漆芸家。最晩年には帝室技芸員に任命されるほど、実力は高く評価されていたが、現在の知名度は高くない。時代の転換期に作品が絵画と工芸の両分野に分散し、美術史のすき間に入ってしまったのだろう。だが、注目度アップは間違いなしの、充実した是真展が実現した。東京・日本橋の三井記念美術館で開催中の「柴田是真の漆×絵」である。
 彫工の家に生まれた是真は、漆工技法の一つ、蒔絵(まきえ)職人に弟子入りした。その後、下絵をきちんと描く必要性を感じて四条派に入門。絵画のうまさでまず評判を集めたが、生来の職人気質で漆のさまざまな変塗(かわりぬり)の開発・復興も手がけた。さらに、再興した技法を、本来の用途以外の器物に応用する柔軟な発想力もあった。
 漆と日本画。双方を体得した是真ならではの作品が「漆絵(うるしえ)」だ。和紙に色漆などで描き、屏風(びょうぶ)や額に仕立てたもので、独特のつや感、洒脱(しゃだつ)なデザインが際立つ。掛け軸にして巻いてもはがれない卓越した技術もあり、明治期は欧米への輸出品として人気を博した。
 そして、すべての技が「だまし漆器」と称された作品群に昇華されてゆく。代表作が「花瓶梅図漆絵(かびんにうめずうるしえ)」。題名から花瓶と梅が漆絵だと分かったとしても、見どころは多彩。背景の紫檀(したん)の木目は、和紙に漆を施し、筋を手彫りで再現。周囲の額も、木の節目を一筆ずつ漆で表現しているのだ。
 他にも金属製にしか見えない盆、瀬戸の茶入れと見まがう作品を、紙や竹に漆を施して作っている。江戸っ子の是真は、茶会などで人々を驚かせるのを楽しんでいたのかもしれない。
 出展作約100点の7割は、米国のコレクターが収集した作品群で初の里帰り。これまでは欧米で評価されてきたという是真が、逆輸入の形で注目を集めそうだ。
 2月7日まで。祝日を除く月曜と12、31日休館。【岸桂子】




神奈川
「新鮮組」の若手警察官、成果着々
 若手警察官の育成を図ろうと、神奈川県警が発足させた警察署の若手による検挙対策チーム「新鮮組」が、強盗や薬物事件を摘発するなど着々と成果を挙げている。
 昨年9月から始まった新鮮組。団塊世代の大量退職に伴う大量採用で、職務質問など捜査経験が浅い警察官が増えていることから、若手のスキルアップを目指している。
 52警察署の交番などに勤務する若手3~5人が計159チームを結成。犯罪の検挙や抑止を進めるため、ベテランの指導の下、チームで工夫したり、競い合ったりして実力向上に励んでいる。
 新鮮組を発案した県警地域指導課は、新たにキャラクター「新鮮組のシンちゃん」を作成したほか、相模原北署は新鮮組の歌を作るなど、側面からのサポートにも力を入れている。
 発足して間もないが、職務質問を事件の検挙につなげるなど、目立つ活躍も出てきているという。
 ある巡査長(28)は、深夜にビルの屋上駐車場で県外ナンバーの車を発見した。中にいた男を職務質問したところ、覚醒(かくせい)剤の所持が判明。男の逮捕が覚醒剤の大量押収につながった。
 海老名署ではコンビニ強盗の発生時に、駅で張り込みをしていた新鮮組チームが、自分たちを見てきびすを返した男を見逃さなかった。300メートルにわたり追いかけ、男を逮捕した。
 県警によると、新鮮組は昨年9~11月に914件の犯罪を検挙。1人あたり平均1・3件で、県警の地域警察官の平均1・25人を上回る活躍をしている。
 県警は「積極的に職務質問の指導員を招いている署もあり、各署が努力して取り組みが良好に進んでいる。若手がやる気を持つことで、警察署や県警全体に活気が出る」と話している。

 「新鮮組のシンちゃん」、なかなか可愛いです。

三重
「ええじゃないか、ええじゃないか」-仮装で江戸時代の伊勢参り再現 /三重
 「伊勢ええじゃない会」は1月10日、江戸時代に「ええじゃないか」「ええじゃないか」と明るく騒ぎ、社会不安を吹き飛ばそうと伊勢参りをした民衆の社会現象を再現しようと、伊勢神宮外宮から古市街道を通り内宮までの約3キロを練り歩いた。(伊勢志摩経済新聞)
 「ええじゃないか」は、江戸時代、幕末乱世の1867(慶応3)年、社会の不安や期待を「ええじゃないか」と踊り騒ぐことによって気を紛らわせ、東海地方を中心に広がった社会現象。天から伊勢神宮の札が降ってきたとのうわさが広がり、さらに江戸や四国にまで広がり「伊勢参り」のブームに拍車をかけた。
 同会は、不景気風吹く日本経済を少しでも明るく、江戸時代の社会現象にあやかろうと企画、今回で6回目を数える。11時に世木神社を出発し、伊勢神宮外宮、古市街道、猿田彦神社、おはらい町、内宮宇治橋前までを着物や旅姿、法被、「げげげの鬼太郎」のねずみ男や「千と千尋の神隠し」のカオナシなどのキャラクターに扮(ふん)して練り歩いた。
 各地の成人式とも重なった当日、道中で伊勢神宮に参拝に来る新成人たちを見つけると「新成人!新成人!」と掛け声をかけ、「祝新成人」などと書かれた札をほおに張るなどして新成人を祝福した。



福井
受験生にエール、ご当地品 「すべらない」靴バンド、若狭塗箸…
 16、17日の大学入試センター試験から本格的な受験シーズンが始まる。努力を尽くした受験生に、ささやかな験担ぎの品をと考えている皆さん。せっかくだから、福井ならではのご当地品はいかが-。 (谷悠己)

◇産地の技
 繊維王国の技が息づいている-。糸の製造加工を主業とする内田撚糸(福井市神当部町)が開発した摩擦力の強い特殊素材を織り込んだ靴用バンド「すべりとめ太郎」(1500円)。「大切な朝に転んで、出はなをくじかれないように」と内田一朗社長(50)。道路がいてつくことの多い受験期にぴったりだ。
 テレビドラマでおなじみとなった若狭塗箸(ばし)。小浜市竜前のせいわ箸店の「合格祈願箸」(840円)は朱色で合格の文字を塗ったシンプルな逸品だ。先端に滑り止め加工がしてあり、志望校を確実に「つかみ取る」ことができる。

◇神頼み
 定番のお守りにもう一工夫を、という人は越前町織田の劔神社へどうぞ。織田信長の氏神だったという由緒から子孫であるフィギュアスケートの織田信成選手が参拝して「勝運御守」を購入。見事2月開幕のバンクーバー五輪出場を勝ち取った。田中範夫宮司(61)は「信成選手の勢いに続いてほしい」と受験生にもエールを送る。「合格守」は500円。
 福井市大宮2の護国神社では、幕末の俊才・橋本左内の志を代表する言葉「大丈夫(ますらを)」(何事にも動じない意)をあしらったお守り(700円から)が手に入る。

◇電車で合格
 商品ではない変わり種企画として、中高生の利用者が多い福井鉄道福武線は、受験生の願いを込めた短冊を掲示する「応援電車」を2月5日から3月14日まで運行。5つの有人駅で短冊に記入できる。志望校への思いを乗せた電車が、真っすぐ延びるレールの上を走っていく。


奈良
特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 聖徳宗管長・大野玄妙さん
◇和と慈悲、原点に--大野玄妙さん(62)

 奈良の空は広い。南大門から境内に入ると、山を背にした五重の塔が見える。鬱々(うつうつ)とした世の中の気分から逃れたい。澄んだ心で新しい年の一歩を踏み出したい。そんな思いを携え、奈良・法隆寺に管長の大野玄妙さんを訪ねた。

 今の世の中、どう見ていますか。
 「宗教的な世界から見ると、物質的な分野に走り過ぎて精神的な分野が立ち遅れている、などとよく言われてきました。ところが、新聞やテレビで見聞きする今の状況は、その次元を通り越しているんじゃないかなと思います。親が子を虐待し、子が親を殺す。猟奇的としか言いようがない凄惨(せいさん)な事件も後を絶ちません」。08年には、無差別に何人もを殺傷する事件が続き、「誰でも良かった」という言葉が世間を震わせた。
 「世の中、少し忙しすぎるんじゃないかな。情報化社会になり、いろいろな情報が即座に分かるけれども、そのスピードについていけてないのではと思うんですよ。ついていけないからストレスになる。そこから問題が発生するように思いますね。もっとゆっくり時間をかけて、その時間を、例えば自分を見つめ直す時間にするとか、何らかの形で生かすことができれば、今起こっている現象は少しは緩和されるんじゃないかなあという気はします」
 確かに、ストレス過多社会だ。リストラ、就職難、いじめ、うつ……。自殺者の数は昨年、12年連続で年間3万人を超えた。
 「歴史を見てくると、人々が知恵を絞ってもどうにもならない時代というのは何度も経験しています。祖先はどうして乗り越えられたのか。考える必要があるんじゃないかな。一人で考えなくてもいい。仲間と話をしながら、共同して何か貢献できるものをつくり出していければいいなあと思うんです」

    ■

 「まだ文化も育っていないような古い時代、古事記の時代あたりを想定してください」と言われ、しばし古代に思いをはせる。ここ、法隆寺は西暦607年に推古天皇と聖徳太子により、創建された。1993年には日本で初めて世界文化遺産に指定された。
 「人は必ず病気や災害に見舞われます。自然に逆らうことはできません。だから、古代の人々は当然、自然の恵みを得ると同時に、自然に対して畏敬(いけい)の念を持ち、うまく共生していく社会を作らざるを得なかった。その中から、天の神、地の神をおまつりする神祇(じんぎ)祭祀(さいし)という日本古来の宗教観が養われてきたのです」
 推古2(594)年、推古天皇により三宝興隆の詔が発せられる。三宝とは「仏」とその仏の教えである「法」、教えを広める「僧」を指す。これら三つを信じ、帰依しなさい。つまり、仏教を受容すると定める詔である。「仏教を受け入れるからといって、今までのものをすっぱりと捨てて仏教になるのかというと、そうではない」
 法隆寺創建と同じ年、推古天皇は「祖先は神祇祭祀を行い世の中を平穏に保ってきた。私の時代にあっても、神祇祭祀を怠るようなことがあってはならない」という内容の詔を出した。「その6日後、仏教の擁護者であった聖徳太子と蘇我大臣が、官吏を引き連れて神祇祭祀を行っているんです」
 どういう意味があるのか。いぶかしく思ったこちらの表情を読み取ったのか、大野さんは微笑しながら続けた。「仏教を受容する中で、すでに神祇祭祀と共存しているということです。仏教にも、他とぶつからないという教えがありますが、神祇祭祀も同じ。自然に逆らわず、自然体で信仰心、宗教観を養っていく。すると、当然のこととして、他を排除するのでなく、共同の歩調を取るという考えが生まれてくる。これが日本人の精神性の原点だと思います」

    ■

 今年、平城遷都1300年にわく奈良。聖徳太子は平城京造営に和の精神を込めた。
 「聖徳太子の言葉に『諸悪莫作(しょあくまくさ)、諸善奉行(しょぜんぶぎょう)』がある」。悪いことはせず、いいことをせよという意味だという。
 「これが仏教の基本。菩薩(ぼさつ)の道です。では菩薩は何を基にしていくのか。慈悲です。慈悲による政治を行うのが、古代の人の非常に重要な考えです。もう一つ大切なのが、和の精神。みんな仲良く、慈悲の社会にしていこうと思うと何が生まれますか。いたわりの心、思いやりの心、相手の身になる心です。これは日本人の基本的価値観であり、社会の理想でもありました」
 今の日本は、その心をどこかに置き忘れてきたようだ。どこで道を間違えたのか。
 「明治維新です」。意外な答えだった。「維新」はこの国を近代化させ、発展させたのに、ですか?
 「明治政府は神仏分離令を出しました。西洋に追いつけ、追い越せですから、みんな仲良くの八方美人ではダメ。競争しなければいけない。宗教でも何でも一元的に支配する絶対主義なんです。そうして、それまでの価値観を無理やりに変えた。他のことを思いやる心を打ち捨てて、自分たちだけの平和に走った。その結果が戦争です」
 戦後、経済復興で豊かになった暮らしがさらに日本人の心を変えた。「むさぼりの世界」と大野さんは呼ぶ。
 「仏教には『諸法実相』という言葉があります。ありのままの在り方ということです。川は高いところから低いところへ流れます。低いところから高いところへ流そうとすると何が起きるか。洪水です。同じように、自然に逆らい続けてきたのが、戦後の生き方ではないでしょうか」
 私たちは原点に返れるのか。「自然に全く逆らわず生活できるかといえば、不可能です。現実には自然に逆らって得たもので生活しているんですから。ただ、そのことをもう一度問いただしてみることは大事だと思います。私たちは他の命をちょうだいして生きています。その生命の尊厳を重んじ、感謝する気持ちは絶対に忘れてはいけない」
 静まり返った寺務所の応接室に、大野さんの声だけが静かに深く響く。
 「善を行うことは難しいですよ。ものの命をちょうだいしなければ生きていけないわけですから、何をしてもどこかで悪いことをしていることになる。でも、その中でいいことをしようと思い続ける、努力をするということが重要なんです。私はこう思っています。せめてきょう一日、悪いことといいことを並べた時に、一つでも善が上回ることを目標に生きていきたいと」
 インタビューを終え、大宝蔵院へと足を延ばした。祈れば悪夢を吉夢に変えてくれるという夢違観音にしばし見入る。今年はこの国にいい夢を見せてくれるようにと祈りながら。【小松やしほ】

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t.yukan@mainichi.co.jp
ファクス03・3212・0279

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■人物略歴

◇おおの・げんみょう
 法隆寺第129世住職。1947年大阪市生まれ。小学3年生で得度。龍谷大学大学院修士課程修了。法隆寺執事長などを経て、99年に現職。「宗教者九条の和」呼びかけ人。共著に「聖徳太子の歴史を読む」など。



兵庫
第25回毎日現代書関西代表作家展:県内作家の作品紹介/上 /兵庫
◇幕末志士の逸品も--大阪・近鉄百貨店阿倍野店、あす開幕
 「第25回毎日現代書関西代表作家展」(毎日新聞社、毎日書道会主催、NHK大阪放送局、毎日放送など後援)を、大阪・近鉄百貨店阿倍野店で14日から19日まで開催します。

 毎日書道展の関西代表作家281人、毎日書道会の最高顧問ら22人の新作を展示。漢字、かな、近代詩文書、大字書、篆(てん)刻、刻字、前衛書を一堂に展示します。特別陳列「幕末維新の書」では、高杉晋作や木戸孝允ら、激動の時代を生きた志士たちの逸品を紹介。また、一般公募したえと「寅(とら)」の書の入賞、入選作品1000点も展示します。

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 【会期】14日(木)~19日(火)まで。入館は10時~18時半。ただし16、19日は16時半まで。前期(16日まで)と後期(17~19日)で作品の入れ替えがあります【会場】近鉄アート館(近鉄百貨店阿倍野店9階)【入場料】一般500円、大高中生400円。小学生以下無料【作品解説会】14日を除く各日11時【席上揮毫(きごう)会】14、16日を除く各日14時【国際交流デー】16日13時


三田の偉人もっと知って 川本幸民の書物、冊子に
 三田市民らでつくる特定非営利活動法人(NPO法人)「歴史文化財ネットワークさんだ」が、江戸時代末期に活躍した三田出身の蘭学者・川本幸民(1810~71年)の科学知識が書かれた「遠西奇器述」を現代語訳した冊子作りに取り組んでいる。幸民の生誕200年を機に、子どものころから地元の偉人に触れてもらうのが狙い。3~4月の発刊を目指しており、同会は「多くの人に、幸民の偉大さを知ってほしい」としている。
 遠西奇器述は、幸民が西洋の科学技術や機器について具体的に解説した書物。1854年に1冊目、59年に2冊目が出版され、いずれも弟子が編集した。写真術や蒸気船、熱気球などについて記され、日本の近代化に貢献したとされる。
 原本は使われている漢字も難しく、一般の人が解読するのは難しい。そこで生誕200年を前に、会員で元小学校教諭の足立元之さん(73)=武庫が丘=が現代語訳に着手。マッチは現代では判読できない漢字で記されていたが、「燐柿」と書き換えるなどし、約3年がかりで翻訳した。
 冊子にはさらに、機器の解説や2冊の違いなどの説明を追加。中学生でも理解できるよう平易な表現を用い、会員の大槻重之さん(71)=武庫が丘=と吉川幸男さん(69)=弥生が丘=が編集している。
 「遠西奇器述には、ペリーが来日時に持ち込んだ機器の多くが解説され、当時の日本に発想の転換を求めるような記述も見受けられる」と足立さん。「明治維新に向かう中で、福沢諭吉らにも影響を与えた。単なる発明家とは違う幸民のすごさを知ってほしい」と話す。
 500部程度を印刷予定。問い合わせは市歴史資料収蔵センターTEL079・562・7233
(横田良平)

 


山口
松陰を描いた映画 上演控え成功祈願
◆萩で出演者ら
  萩出身の幕末の志士・思想家、吉田松陰の淡い恋を描いた映画「獄(ひとや)に咲く花」が完成し、出演者らが11日、萩市の松陰神社で映画のヒットを祈願した。2月6日から山口、福岡の両県で先行上映される。
 映画は、海外密航に失敗し、萩の野山獄に収監された松陰と女囚の高須久子(映画では久)の恋の物語。原作は下関市在住の直木賞作家、古川薫さんの「野山獄相聞抄~吉田松陰の恋」。松陰を前田倫良さん=写真右=、久を近衛はなさん=同左=が演じている。
 この日の祈願には前田さんと近衛さんのほか、映画関係者、野村興児市長らが訪れた。前田さんは「松陰先生の偉大さだけでなく、みんなに愛される身近な姿も表現したつもり。多くの人に見てもらい、よかったといわれたらうれしい」。近衛さんは「映画を松陰先生に支えてもらうように祈願しました。みなさんにどう受けてもらえるか、ドキドキし、楽しみにもしています」と話した。
 同神社では撮影が始まった昨年6月にも出演者らが祈願している。


下関 坂本龍馬と長州 /山口
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」が人気だ。幕末のヒーローだけに、龍馬関係の本が書店に並ぶなど、多くのメディアで取り上げられている。
 龍馬といえば高知、長崎、京都が有名。下関が紹介されることは少なかった。幕末や明治に長州には高杉晋作も伊藤博文も乃木希典大将もいる。あえて土佐の龍馬に触れなくてもよかった。でも下関市立長府博物館に入ると黙っておられない。龍馬があれだけ活躍できたのは、三吉慎蔵ら長州藩士や豪商、白石正一郎らの支援があったからこそだ。長州と龍馬のかかわりがあまり知られていなかったのは、残念だ。
 本紙正月紙面で、長府博物館学芸員の古城春樹(41)、萩市特別学芸員の一坂太郎(43)両氏らの協力を得て、龍馬や幕末・維新、現代の新長州人について考えた。見えてきたのは長州は歴史の宝庫ということだ。
 長府博物館で開催中の企画展「坂本龍馬と下関」の鑑賞をお勧めする。龍馬の書状や飯碗(わん)などが公開され、龍馬を身近に感じることができる。龍馬は己の理想の実現のため物心両面で支えてくれた長州・下関の人間を信頼し、土地を愛していたことが伝わってくる。龍馬は下関で、薩長同盟を締結させたかったのだ。
 なのに、有名な作家やマスメディアが取り上げなければ「誰も知らないまま」になってしまうことも、分かった。県を挙げてもっと長州と龍馬の深いかかわりをアピールしていいと思う。「龍馬伝」はいい機会だ。
 晋作について多くの著作がある直木賞作家、古川薫さん(84)によると、龍馬は現代で言うならば、やりての経済人。「薩長同盟締結は龍馬の功績によるところが大きく、これを機に日本は維新に大きく始動。晋作が龍馬に短銃を贈ったのも長州藩の龍馬に対する高い評価を物語っており、長州・下関で龍馬が果たした維新への役割は最高に評価していい」と言う。<下関・三嶋祐一郎>
〔山口版〕




高知
サンゴ龍馬 とさてらすに胸像
 土佐・龍馬であい博の開幕を控え、サンゴで作られた坂本龍馬の胸像が12日、メーン会場となるJR高知駅前の観光情報発信館「とさてらす」に搬入された。高知市のサンゴ工芸作家で現代の名工にも選ばれた前川泰山さん(72)が、約40キロのサンゴをふんだんに使って1年がかりで制作。龍馬ファンの前川さんは「大事をなすため奔走した青年の血潮を感じてもらいたい」と話す。来年1月10日までの龍馬博期間中、展示される。
 銘は「暁翔(ぎょうしょう)」。高さ、幅1メートル、奥行き0・6メートルあり、約1メートルの台座に乗せられた。樹脂の芯の表面を、赤、ピンク、白、黒などのサンゴで覆って色づけし、生き生きとした若者を表現。1~10ミリの粒状のサンゴを何重にも重ね、微妙な色合いを出した。
 幕末を駆けた龍馬の若々しい情熱を表すため、胸元には「血の色」とも称される深紅のサンゴをあしらった。前川さんは「高知と言えば龍馬とサンゴ。『これがサンゴでできているのか』と驚いてもらうことで、サンゴへの関心を高めたい」と話した。



佐賀
佐賀藩功績PRへ「佐賀城けんてい」受験者募集
 佐賀市城内の佐賀城本丸歴史館のボランティアガイドによる検定試験「佐賀城本丸けんてい」が3月22日、同館である。ボランティアガイドが1年前から準備に入り、問題や解説書などすべて手作りした。「佐賀藩の幕末、明治維新時代の功績をより深く理解してもらいたい」と参加を呼び掛けている。
 来館者に展示物を解説するなど日ごろの活動の中で、「あらためて気付く点も多くあった」ことから、来館者への感謝の気持ちを込めて同館開館5周年に合わせて企画した。
 試験は50問で三択方式。92人のボランティアガイドが持ち寄ったものから”厳選”した。「1838(天保9)年、佐賀城本丸御殿を再建した藩主は?」など人物、城郭、歴史の3分野を展示物や同館で販売する図録から出題。広報担当の田中猛善さん(68)は「一度は訪れていないと解くのは難しい」と話している。
 受験終了後、全員に問題の解説や学芸員のコラムなどを掲載した解説書を無料で配布。35問以上正解した人には認定証を贈る。
 4月25日に上位得点者を特別に表彰。同日に受験者を対象とした、佐賀の歴史や隠れた魅力を語り合う「ヒストリーカフェ」も開く予定だ。
 受験料は無料。定員50人。希望者は往復ハガキで申し込む。締め切りは2月20日必着。申込先と問い合わせは、〒840-0041 佐賀市城内2丁目18の1、「佐賀城本丸けんてい」実行委員会へ。電話0952(41)7550。


【写真】「佐賀藩の幕末、明治維新時代の功績をより深く理解してもらいたい」とPRする田中猛善さん=佐賀市城内の佐賀城本丸歴史館


コラム
「龍馬」と「竜馬」のあいだ
【PJニュース 2010年1月12日】いま、NHKテレビの大河ドラマ「龍馬伝」が話題だ。視聴率もまぁまぁ、ということでかなり人気の番組になっている。しかし、PJの友人で歴史を研究している複数の研究者と話をすると「現在の坂本龍馬像は史実と違う」と必ず言われる。以下はその内容をまとめたものだ。
 「坂本龍馬」が、日本でこれほどもてはやされるようになったのは戦後、それも故・司馬遼太郎氏の小説「竜馬がゆく」からである。この小説は何度もテレビドラマ化され、今日の一般的な「龍馬像」ができあがった。それまでは幕末の登場人物たちの一人としては坂本龍馬はあまり注目されていなかったのだ。「竜馬がゆく」は産経新聞の新聞小説として1962年から連載された作品だ。
 この作品はあくまで小説であって、史実をもとにしているものの、史実とはかなり違う、という意味で司馬遼太郎氏はその主人公の名前を「龍馬」ではなく「竜馬」という表記にした、と言われている。実際、歴史上の人物としての坂本龍馬は、剣術には長(た)けていたものの、先見の明がなく目先だけのことで動き、幕末の登場人物としては今ひとつ精彩に欠ける。なにせ、当時は幕府がなくなる、という大政奉還の直後という時期なのに、龍馬は「公武合体」を叫んでいた。滅びゆく泥船の中で旧来の権威によりかかろうとしていた、というわけだ。
 当時、脱藩した武士というのは今で言えば不況で大企業や役所をリストラされた中年サラリーマンのようなもので、大企業の人脈と既に途切れた関係でしかない企業のブランドを看板に掲げてほそぼそとビジネスをする企業コンサルタントと考えれば良いだろう。しかも、その「ブランド」が既に地に落ちかかっていることもわからずに、結局はそのブランドと一緒に落ちていった、という感じが、坂本龍馬にはどうしてもする。本当の坂本龍馬とは、要するにそういう存在であった、というのが、多くの歴史家が言っていることだ。
 そうすると、公武合体を推進しようとした坂本龍馬の一生とは、要するに「ブランドだけで生き残っている倒産しかかった巨大企業」に「リストラされたサラリーマンがコンサルタントとして入って」「結局は事業に失敗した」という物語とも読めるだろう。現代でもありそうな話である。
 薩長連合も史実は福岡藩の月形洗蔵がはじめたものを坂本が受け継いだ、というだけだ。また、倒幕の密勅の中で新政府の閣僚名簿から坂本の名前が外れていた、というのも史実とは違う。坂本の名前は「参与」としてあった。また、それを見て驚いた、という西郷の話もウソである。この閣僚名簿を西郷は見ていない。また、「船中八策」も有名な話だが、これももともとは横井小楠の「国是七條」が元になった「写し」とも言われている。つまり、坂本龍馬には「独創性」もなかった、というのが定説になっている。これらの「ウソ」をはぎ取ると、坂本龍馬よりも中岡慎太郎のほうがより先見性と独創性があったように見える。ただ、あの時期に海運会社を作った、というところだけは彼が唯一評価されている。もし暗殺がなければ、岩崎と覇を競っていたかも知れない、とも言われているが、暗殺は岩崎との確執によるものかもしれない、という歴史家もいる。また、能力も志も低くはあったものの、坂本は人柄の良さはあった、とも言われている。現代で言えば、人柄は良いが能力的にはあまり高くないコンサルタント兼ベンチャー企業の創業者、というところか。
 この「正しいがさえない龍馬像」を一変させ「英雄」にまでしたのは、まさに司馬遼太郎氏の「筆力」とそれを取り上げた「テレビ」の影響だろう。司馬遼太郎氏の著作もいくつか読んだが、歴史を舞台にした壮大なテーマを扱いながら、その目指すところは高度成長期の日本人サラリーマンの処世を説く、という、どちらかといえば竜頭蛇尾に見えるセコさが気になってPJ にはいまだに読後感があまり良くない。
 いずれにしても、坂本龍馬を実際に語るときは、フィクションを楽しみつつ、事実ではない、ということには注意をしたほうがいいだろう。ああ、あんな人がいたらよかったのにな、という以上のことではない。私たちは真実を知るよりも「気持ちの良いことを知りたい」という存在である。事実は大体のところ小説ほど面白くない。だから、面白いフィクションはいつでも一人歩きを始める。
 やはり「龍馬」は「竜馬」とは違うのだ。【龍】じゃなかった【了】


文化芸能
「今まで見たことも聞いたこともないような次郎長を」…『ジロチョー 清水の次郎長維新伝』
 海道一の親分・清水次郎長を中村雅俊が演じる『ジロチョー 清水の次郎長維新伝』。
CGを駆使した映像、壮大なスケールの立ち回りシーンが注目を集める本作。
放送を前に、出演者による記者会見が行われました。
 主演の中村雅俊は、「これで次郎長を演じるのは三度目。今回は、すぐにリベンジに踏み切らない、次郎長の弱い部分も描かれている」と、これまでの次郎長とは一味違った描かれ方をアピール。
 関東綱五郎を演じた袴田吉彦が、「ワイヤーアクションで2階くらいの高さまで飛んだ」撮影時の体験を明かしながら、そのアクションシーンの斬新さについて触れると、桶屋の鬼吉を演じた真木蔵人は、別の意味でのこのドラマの新しさを表現。
 それは、パチンコ、パチスロなどのエンターテインメントで知られるFieLDS Presentsにより実現した、パチンコ台と連動した進行。テレビドラマの素材を使用してパチンコ台が作られることには前例がありながらも、同時進行は初めてといい、真木が「早くパチンコ屋で自分の目を揃えたい」と話して会場を沸かせる場面も。

そのような斬新な部分に加え、時代劇の本来の魅力として、大政役の内藤剛志が「次郎長と子分の話以外にも、善悪や人情などの大切なことを大きく言えるエンターテインメント」であることを改めて伝え、「次郎長を知らない人にもぜひ見てもらいたい」とPR。映像などの斬新さと、次郎長の弱い部分の描かれ方など…小政を演じた萩原聖人が「今まで見たことも聞いたこともないような次郎長」と表現した『ジロチョー~』に、こうご期待!

【出演者】
清水の次郎長…中村雅俊
小政…萩原聖人
法印大五郎…木下ほうか
桶屋の鬼吉…真木蔵人
関東綱五郎…袴田吉彦
森の石松…中村獅童
二代目お蝶…黒谷友香
都鳥吉兵衛…中野英雄
大政…内藤剛志

【詳細】
世は幕末の動乱期、清水次郎長は、海道一の親分と呼ばれ義理と人情に厚く誰からも慕われていた。その子分は、個性的で、強豪ぞろい。元侍で槍の達人、その上頭も切れる大政。居合い抜きの天才・小政。義理人情に厚く、酒癖が悪く喧嘩がめっぽう強い暴れん坊・石松。色男で女好き、喧嘩場では冷静沈着な網五郎。
馬鹿力で喧嘩場には自分用の棺桶を持参、常に死ぬ気で戦う・鬼吉。おっとりとした性格で、関西なまりの元坊主・法印大五郎。そして、次郎長の女房・お蝶。 次郎長一家は、清水の町を愛し、町民からも愛され、町の平穏を守っていた。そんななか、沼津の甚五郎一家が清水を狙っているという噂を聞きつける。その黒幕には、次郎長の宿敵・黒駒の勝蔵の姿があった・・・。

【放 送】  1月13日(水) 21:00~22:48
(テレビ東京系列・一部地域を除く)


ビジネス
「その時歴史が動いた」 あの人と行くツアー4種
 ANAセールスは、NHKの人気番組「その時歴史が動いた」(2009年3月放送終了)の司会を担当していた、フリーアナウンサーで現在ANA歴史大使を務める松平定知さんと、坂本龍馬ゆかりの地などを訪れる「松平定知先生とめぐるANA歴史ツアー」を2009年12月21日から発売している。
ツアーは「高地」「霧島」「長崎」「松山」の4種があり、それぞれの地で史跡をめぐり、松平定知さんによる講演会と夕食会が併催される。
たとえば2010年2月12日出発の「龍馬とおりょうの足跡をたどる 霧島1泊2日」では、「維新ふるさと館」や「霧島神宮」などを観光し、講演会は「日本初の新婚旅行」がテーマとなる。寺田屋事件で負傷した坂本龍馬が妻・おりょうを伴い、療養を兼ねて霧島温泉に赴いたことなどを、松平さんが独特な語り口で話す。
料金は、3万9800円から。
「高知」「長崎」「松山」のツアーについては、ホームページを確認。




 久しぶりの「お湿り」です。喉と唇がすっかり荒れているので、ありがたいです。

神奈川
横浜ロイヤルパークホテルで「竜馬フェア」-高知名物を提供
 横浜ランドマークタワー内「横浜ロイヤルパークホテル」(横浜市西区みなとみらい2)で1月8日より、期間限定の「新春プレミアム 竜馬フェア」が開催されている。
 同フェアは、明治維新に影響を与えた坂本龍馬の出身地である高知県に焦点をあてた企画で、期間中は地下1階の鉄板焼きレストラン「よこはま」、カフェレストラン「カフェ フローラ」2店舗で、高知県の食材をふんだんに取り入れた特別メニューを楽しむことができる。
 「よこはま」のメニューは、「季節の鮮魚のたたき土佐醤油」「高知県産牛サーロイン」など全7品(コーヒー付)がついた「高知県産牛ランチ」(5,775円)と、土佐名物「酒盗(しゅとう)」を用いた「鯛のグリル酒盗のクリームソース」「どろめ(生シラス)と鰹節の炒め御飯」など全9品(コーヒー付)がそろう「土佐和牛ディナー」(17,325円)。開催時間はランチ=11時~14時30分(土曜・日曜・祝日は15時まで)、ディナー=17時30分~21時。
 「カフェ フローラ」では、龍馬の姉の名前「乙女」にちなんだ「乙女鰤(ぶり)」や龍馬が妻おりょうや姉に贈った香水の瓶をイメージしたデザートなど、龍馬にまつわるエピソードをアレンジしたメニュー全5品「竜馬フェア レディースランチ」(1,963円)を提供する。開催時間は11時~14時30分。
 横浜ロイヤルパークホテル・営業企画部広報企画課の釜本晴美さんは「今回のフェアには龍馬の逸話と高知名物がたくさん盛り込まれています。鉄板焼レストラン『よこはま』のディナーで提供する『土佐和牛』は希少なので、ぜひこの機会に味わっていただければ」と話す。
 問い合わせは2店舗ともレストラン予約(TEL 045-221-1155)。フェアは2月28日まで。
 NHKでは1月3日より、坂本竜馬の生涯を描いた大河ドラマ「龍馬伝」を放送している。主演は歌手、俳優、写真家、ラジオパーソナリティなどさまざまなジャンルで活躍するアーティストの福山雅治さん。



長野
文武学校でぞうきんがけ、初稽古
 長野市松代町の小中学生らでつくる松代地区育成会剣道クラブが11日、初げいこを地元の旧松代藩文武学校で開いた。冷気の中、白い息を吐きながら、指導者を含む約40人が「めーん」「どう」などと気合十分に声を上げて竹刀を振るった。
 けいこに先立ち、小中学生24人は幕末に建てられた剣術所や槍術所の床をぞうきんがけした。



静岡
下田に「龍馬伝支援隊」 大河ドラマで観光客誘致
 幕末の志士・坂本龍馬を主人公にしたNHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなみ、ゆかりの地とされる下田市で11日、地元の観光・産業団体などによる「下田龍馬伝支援隊」の発足式が開かれた。支援隊では今後、龍馬のコイン型商品券やPR用のマップ、のぼりの製作などを計画し、観光客誘致と地域活性化を目指していく。
 同市には坂本龍馬に影響を与えた思想家、吉田松陰が下田港で米国の黒船艦隊と接触するなどのエピソードが残り、市内でも龍馬と松陰が共演するドラマシーンなどが撮影された。支援隊の発足式には約30人が出席し、伊豆龍馬会の竹岡幸徳会長が支援“隊長”に選任されたほか、今年の事業計画などが確認された。
 竹岡隊長は就任あいさつで「大河ドラマの放映に合わせ、龍馬と縁のある全国各地で宣伝活動が展開されている。下田も地域一丸となって盛り上げていきたい」などと期待を述べた。


冬こそウナギ 「寒の土用」PR/三島
 冬こそウナギを食べよう――。ウナギで街おこしをしている三島市で26日、ウナギ店の団体や三島商工会議所が、冬のウナギの消費拡大を狙ったイベントを開く。ウナギは一般に夏の「土用の丑(うし)の日」が有名だが、冬眠に備えて身に養分を蓄える冬の方が「旬」という。冬の「土用の丑の日」前日の26日に「寒の土用うなぎまつり」を開催。20日にはウナギで街おこしをしている全国4団体による「うなぎまつりサミットin三島」を初めて開き、さらなる認知度アップを狙う。(中沢滋人)
 同商議所などによると、かつて市内の川や三嶋大社の神池には多くのウナギが生息していた。地元の住民はウナギを神の使いとして食べることはしなかったが、戊辰戦争当時に官軍の兵隊が食べて以来、地元の人も食べるようになったという説がある。
 同市のウナギは、富士山の伏流水に数日さらすことで泥臭さが消え、身が引き締まるため、味が良いとされる。市内のウナギ店では2006年に「三島うなぎ横町町内会」を結成し、売り出しに力を入れている。
 同商議所で開かれる「まつり」では、「うなぎ横町」加盟28軒のウナギ弁当を一律千円で販売。昨年は450食を販売したが、購入制限を設けるほどの人気だったため、今年は800食に増やす。そのほか「うなぎコロッケ」「うなチョコ棒」などのオリジナル商品の販売や、抽選会などを予定している。
 「うなぎ横町」では昨年6月、稚魚であるシラスウナギを守るため「天然ウナギを使わないようにしよう」との宣言を出しており、「サミット」では「ウナギの資源保護」をテーマに掲げた。
 日本栽培漁業協会元参与の広瀬慶二さんが「日本のうなぎの現状と未来」と題して講演するほか、長野県岡谷市、さいたま市、横浜市のグループが、それぞれの活動と資源保護の考え方についてパネルディスカッションする。
 サミットを主催する同商議所の産業支援課は「ウナギによる街の活性化だけでなく、資源保護の点まで踏み込んで何かしらの発信ができれば」と話す。問い合わせなどは同商議所(055・975・4441)へ。

 「地元の住民はウナギを神の使いとして食べることはしなかったが、戊辰戦争当時に官軍の兵隊が食べて以来、地元の人も食べるようになったという説がある」……というところが興味深いです。


石川
合戦図パネル、手元で拡大 金沢、前田土佐守家資料館
 手元のタッチパネル画面を自在に操り、戦国時代の合戦の様子を描いたガラスケース内の屏風(びょうぶ)を拡大して閲覧できる装置を用いた展示会が23日、市の前田土佐守家資料館で始まる。県内の大学研究者らが開発した新システムで、屏風のような大判史料に使われるのは初めて。史料を詳しく観覧できる装置は、歴史展示の幅を大きく広げることにつながり、関係者は今後の活用に期待している。
 新システム「KukuRI(くくり)」は北陸先端科技大学院大、金大、金沢星稜大などの共同プロジェクト「遍(あまね)」が開発した。博物館などで見開きでしか展示されていない冊子状の古文書や巻物の中身のデータをパソコンに取り込み、モニターに映し出す。これまでの展示会では、冊子状の史料のみで使用されていた。
 今回KukuRIを用いて展示するのは前田土佐守家資料館所蔵の「四戦之図屏風(しせんのずびょうぶ)」。高さ約1・4メートル、幅約4メートルの六曲屏風2双に「姉川合戦」「柳ケ瀬合戦」「長久手合戦」「関ケ原合戦」の4図が描かれている。17世紀の加賀藩兵学者有沢永貞筆の原本を幕末に筆写したもので、1583(天正11)年の柳ケ瀬合戦の図には、羽柴(豊臣)秀吉軍と柴田勝家の指揮下で戦った「前田又左衛門(利家)」の名も見える。
 同資料館の竹松幸香学芸員は「ケース越しには見えなかった武将の名もつぶさに見ることができる。歴史愛好家にも満足してもらえるはず」と話す。企画展「史料にみる武具・軍装」ではほかに、利家が着用したと伝わる防具「頬(ほお)当(あて)」など約30点を展示する。4月11日まで。


大阪
「土佐維新バーガー」開発 期間限定販売
 大阪バーガーの専門店「華円(はなまる)」(大阪市中央区北久宝寺町1丁目、岡本吉博オーナー)は、NHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなみ、坂本龍馬の故郷・高知県の食材を使った「土佐維新バーガー」を開発した。13日から期間限定で販売する。
 大阪バーガーはお好み焼きの生地にさまざまな具材を挟み込み、ファストフード感覚で味わえるのが特長。華円では、トッピングの具材を代えることでこれまでにもオリジナルバーガーを考案し、鳥取県の食材を使った鳥取バーガーなどを生み出してきた。
 土佐維新バーガーは、高知県の土佐電気鉄道とのコラボレーションで実現し、昨年12月から高知県内で発売した。大阪でも高知産の食材を生かしたバーガーを味わってもらおうと、同店でも取り扱うことになった。
 メーンの具材には、坂本龍馬の好物だったとされるシャモと地鶏を掛け合わせた「土佐はちきん地鶏」を使用し、三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎の生誕地・安芸市の米ナスもトッピング。坂本龍馬とともに明治維新に奔走した中岡慎太郎の出身地・北川村産のユズを使った特製ソースで仕上げている。
 岡本オーナーは「維新を駆け抜けた偉人らの残した味を堪能してほしい」と話している。華円の店舗での取り扱いは2月末までで、1個380円で販売する。
 問い合わせは電話06(6263)1546、同店へ。


山口
松陰の恋 主演らが映画PR
 幕末の思想家吉田松陰(1830~59年)の生涯ただ一度という恋を描いた映画「獄(ひとや)に咲く花」に主演した近衛はなさん(29)と前田倫良さん(33)が11日、山口市を訪れ、2月6日の山口県内での先行上映に向け、映画をPRした。
 長州藩の野山獄に収監されていた松陰と女囚高須久との悲しい恋を描く。久役の近衛さんは「不幸の底から松陰先生の温かい心に触れ、内面、外見が変わっていく女性の姿をみてほしい」。松陰役の前田さんは「無謀で若者らしい先生の一面も伝えたい」と述べた。
 岩国ニューセントラルやMOVIX周南、山口スカラ座などで先行上映され、4月から全国公開する。


高知
首折られた龍馬像、“筋金入り”復活…高知空港
 16日開幕の「土佐・龍馬であい博」(龍馬博)を前に、首を折られたため高知県が新調した高知空港ターミナルビル(南国市)の坂本龍馬像が10日、再び設置され、記念式典が行われた。
 「観光振興に役立てて」という県民の寄付金で、約1か月ぶりに空の玄関口に復活した〈高知の顔〉。空港へ下り立った観光客らの中には、さっそく記念撮影する親子連れもおり、人気を集めていた。
 龍馬像は等身大(1メートル73)。元の像は昨年9月に設置されたが、胴体や刀部分が壊されたのに続き、12月2日には首が折られているのが判明。県民から「修復に協力したい」との申し出が相次ぎ、県が龍馬博開幕までに新調することを決めた。
 新しい像も発泡スチロール製だが、補強のため表面を厚さ1ミリのガラス樹脂で覆い、首や足に金属製の心棒を通した。幕末の偉人を紹介する空港2階ロビーの「土佐・メモリアル・スクエア」に再び据えられ、足元には「お願い衝撃を与えないで下さい」と書かれた看板を置いた。
 式では像の除幕の後、新調費40万円を寄付した高知市介良の不動産会社経営立石万寿男さん(68)に、県が感謝状を贈呈。立石さんは「高知の空の玄関に男前の龍馬が戻った」と喜んだ。
 家族3人で訪れた松山市来住町の会社員石田裕朗さん(38)は「像との記念撮影は旅の良い思い出になる。今年はNHK大河ドラマ龍馬伝の放送もあり、何度か遊びに来たい」と笑顔を見せた。

 首を折るなんて随分と心ないことをした人がいるものですね……強化された龍馬像が大事にされますように。

「おりょう物語」展:「何でも龍馬が相談」 高知の記念館で始まる /高知
 幕末の志士・坂本龍馬の妻お龍(りょう)(1841~1906年)に焦点を当てた企画展「おりょう物語」が9日、高知市立龍馬の生まれたまち記念館(同市上町2)で始まった。来月7日まで。入場料300円。
 お龍が愛用していた月琴や、龍馬がお龍にあてた手紙のレプリカなどを展示。月琴は、龍馬が中心になり設立した貿易結社「亀山社中」を支援していた長崎市の小曽根家から借りた。
 この日は小曽根家十七代目の当主、小曽根吉郎さん(62)と妻育代さん(62)が約40人を前に記念講演。育代さんは「末っ子の龍馬は、長女で世話好きのお龍に何でも相談していた。龍馬にとってお龍は誰よりも面白く、いい奥さんだった」と語り「男性の成功の影には妻がいることを、お龍の生き様を通して感じてほしい」と呼びかけた。
 講演を聴いた高知市八反町の主婦、沢田邦子さん(68)は「英雄視されることなく、2人の等身大の姿を感じられて良かった」と話した。【黄在龍】


月琴・手紙・龍馬との絆…「お龍」の愛用品展
 幕末の志士・坂本龍馬の妻「お龍」(1841~1906)の人生を紹介する企画展「おりょう物語~夢追い人の龍馬を追って~」が9日、高知県高知市上町の市立龍馬の生まれたまち記念館で始まった。
 愛用していたとされる楽器や、写真、手紙などの展示品を通し、お龍の人物像を浮かび上がらせている。2月7日まで。無休。
 お龍は、医師の娘として京都に生まれ、寺田屋事件で龍馬が襲撃を受けた際には、風呂に入っていたお龍がいち早く気付き、薩摩藩邸に駆け込んで助けるなどして絆(きずな)を深めた。事件後、龍馬が負った傷の療養のため湯治に訪れた鹿児島への旅は日本初の新婚旅行とされ、龍馬暗殺後は、土佐や京都、東京などを流転する人生を送った。
 企画展では、お龍の誕生から66歳で生涯を閉じるまでの人生を、14枚のパネルや年表などで解説。龍馬の危機を救った寺田屋事件や鹿児島への新婚旅行はもちろん、龍馬の死後に勤めていた神奈川県の料亭で、仲居の1人が「頭が良く酒を好み、人情深い」と評したことなども紹介している。
 また、お龍が約8か月間過ごした長崎の豪商・小曽根家所蔵の桐製月琴(縦約50センチ、幅約30センチ)は、実際にお龍が使用したとされ、来館者の目を引いていた。
 上野麻衣学芸員は「龍馬が『まことにおもしろき女』と評した通り、お龍の知られていない一面も垣間見ることができる」と、来場を呼びかけている。
 観覧料300円(常設展含む)、高校生以下無料。午前8時~午後7時(入館は6時半)。同館(088・820・1115)。


鹿児島
鹿児島と青森観光タッグ
来春新幹線でつながる

 CM青森鹿児島新幹線改二1008西2社 本州北端の青森県と九州南端の鹿児島県。遠く離れた両県がタッグを組み、2~3月に首都圏で観光キャンペーンに乗り出す。12月に東北新幹線、来春に九州新幹線鹿児島ルートが全線開業すると、新幹線でつながる縁にちなんだ。県土の形が似ているなど、意外な共通点がある両県。「端っこ同士が結ばれる話題性を生かし、観光地や特産品を売り込もう」と意気込んでいる。(森洋二)
 東北新幹線は現在、東京から八戸(青森県)まで。12月に終点の新青森まで延長される。新八代(熊本県)―鹿児島中央間で運行中の鹿児島ルートも、来春に博多―鹿児島中央間の全線で開業を予定。これで新青森から鹿児島中央までの約2000キロが東北、東海道、山陽、九州の各新幹線でつながることになる。
 この機会をとらえ、両県は「もうすぐ開業」をテーマに、共通点や歴史的つながりを紹介しながら一緒に売り込みを図ることにした。
 例えば、ともに大きな半島が二つあり、逆さまにすると形が似ている。1993年には白神山地(青森、秋田両県)と屋久島が同時に国内初の「世界自然遺産」に登録された。どちらも温泉の湧出(ゆうしゅつ)量が多く、アカイカの水揚げ量では鹿児島県が全国1位で、青森県が2位につけている。
 さらに、江戸時代の1842年(天保13年)には、薩摩藩から八戸藩に婿入りした南部信順(のぶゆき)が第9代藩主に就任した。この縁で、幕末の戊辰(ぼしん)戦争で八戸藩は中立を守ったとの史実もある。
 2月5~7日に千葉県習志野市で特産品を持ち寄った観光物産フェアを開く。同5日から3月7日までは、都内にある両県のアンテナショップでスタンプラリーを開催する。
 「お互いの魅力を競い合うことで、それぞれの良さを際立たせることができれば」と鹿児島県かごしまPR課。青森県新幹線交流推進課も「相乗効果でアピール度は高まるはず。関西方面でも展開したい」と話している。


コラム
大河ドラマ『龍馬伝』勝手にコラボ企画
店がまるごと龍馬! まったく歴史に関係ない、龍馬スポット巡り(後編)

 「ウチの店名は"龍馬"ではなく"竜馬"なの。それは、大好きな司馬遼太郎の歴史小説『竜馬がゆく』の表記からなんですよ」と、開口一番かなりの龍馬通をひしひしと感じさせてくれたのは、神奈川県・横須賀市のやきとり屋「竜馬におまかせ」店主・齋藤秀一さん。

"龍馬デコラティブ"の店内。愛が溢れています

 彼は坂本龍馬を感じられる飲食店を開こうと脱サラし、一昨年の5月に同店をオープン。横須賀の地での開業を選んだのも、齋藤さん自身の地元だったことが1割、龍馬の妻・おりょうさんの終焉の地だったことが9割という龍馬遁走ぶりです。齋藤さんが龍馬の虜になったキッカケは、中学三年生のときに、芸能界一の龍馬フリーク武田鉄矢さん率いる"海援隊"のコンサートへ行き、MCで武田氏が語った熱~い龍馬トーク(本当に熱そう...)に感銘を受けたことにさかのぼります。そんな異色な経歴で、龍馬ワールドに足を踏み入れた彼が手がけるやきとり屋の店内は、龍馬グッズでデコレーションされ、提供する料理も龍馬をキーワードに考案されたオリジナルメニューがズラリと並びます。

「龍馬焼き」を食べるときは海援隊を思い浮かべて!

 "竜馬焼き(200円)"と命名された、パプリカで鶏肉を挟んだやきとりは同店の看板メニューのひとつ。真っ赤なパプリカを使用したのは、"赤・白・赤"の三色で構成されている"海援隊"(龍馬が結成した貿易結社)の旗をイメージしたからなのです。竜馬焼きは梅ダレをつけて食べると旨さ倍増なのですが、この梅も土佐藩を脱藩のお尋ね者である龍馬が頻繁に使っていた偽名"才谷梅太郎"の梅に由来するとか。齋藤さん、マジ仕事が細かいッス!

龍馬鍋はその歴史を知れば、さらにうまさ倍増です

 女性客に好評なヘルシー系の"竜馬鍋(1人前600円)"は、龍馬の好物だった鶏肉にシイタケ、ネギなどの野菜を加え、高知産のカツオだしで煮込んだ逸品。この龍馬鍋にももちろん龍馬への思いが隠されています。
 1867年11月に京都・近江屋で、暗殺された坂本龍馬。実は龍馬の命日は彼の誕生日でもありました。刺客に踏み込まれる直前、龍馬の盟友だった中岡慎太郎が彼の誕生祝と称して、シャモ鍋を注文していたといわれているそう。しかし龍馬はシャモ鍋をひと口も食べることなく殺されてしまいます......。シャモ鍋を食べ損ねてしまった龍馬への供養の思いを込めて齋藤さんが考案したのが、まさにこの竜馬鍋なのです。
 そのほかにも、妻のおりょうさんとの新婚旅行の際に持ち歩いていたカステラを専門業者と再現した"かすていら(200円)"や、"竜馬の夢(グラス600円)""おりょうの想い(グラス600円)""竜馬の海援隊(グラス600円)"といったのオリジナル焼酎各種を取り揃えるなど、エッジもとい"龍馬"の効いたこだわりメニューでお客の舌を満足させてくれるのです。

「竜馬の夢」に酔いたい夜もありますよね

 並々ならぬ龍馬愛で営業するお店の噂を聞きつけ、現在では龍馬好きが集まるコミニティとしての役割を担うようになった「竜馬におまかせ」。そこで齋藤さんは月に一回"竜馬の日"なるイベントデーを設け、参加者に店主が龍馬の一生をレクチャーしたり、龍馬関連ビデオの上映会などを行なっているんだそう。時には"龍馬識者"をゲストに呼んでトークショーも開催されます。
 「『龍馬伝』が始まったことですし、今後も毎月竜馬講座を開いて、竜馬への思いを伝えていきたいですね」と齋藤さんの龍馬愛は天井知らずです! とはいえ、龍馬好きしか入れないお店では決してないのでそこはご安心を。さまざまなお客さんが集まる同店は、さながら藩と藩の枠組みを越えて明治維新へと駆け抜けた、龍馬ら幕末志士たちのよう......(多分)。『龍馬伝』を見て、ちょっとでも龍馬に興味を持った人は、この店に行けばいっぱしの"龍馬通"になれること間違いなし。

『竜馬におまかせ』
神奈川県横須賀市日の出町2-3
046-825-8727
15:30~24:00 
不定休

 坂本龍馬に魅了された人たちのマンパワーがカタチとなった龍馬スポット。どのスポットも龍馬を好きすぎるがゆえの突飛さやクセはかなり強いです。でも歴史的史実がどうこうと細かく追求するのはこの際、野暮ってもの。だって、残されている写真を見る限り、決してイケメンとは言いがたい龍馬を『龍馬伝』では福山雅治が演じているのですよ! 龍馬が常に夢描いていた"世界に通用する日本の国づくり"ような大きな心で各龍馬スポットを探訪していただければこれ幸いです!
(なかだゆうこ)


ブックレビュー
竜馬本がゆく 『龍馬と弥太郎』  童門 冬二著 ほか
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」関連本の出版が昨年からめじろ押し。いくつかご紹介する。共通項は副読本風。まずはドラマのご本家のNHK関連から。
 
 ●『龍馬と弥太郎』  童門 冬二著
 「大河」では狂言回しの役を務める、坂本と同郷でのちに三菱財閥の祖となる岩崎弥太郎。その幕末、維新の足跡と非命に倒れた坂本の生涯を対比しながら、彼らが目指した新生日本に経済的活動の面からスポットライトを当てる。(NHK出版・1365円)

 同出版からはほかに、「大河」時代考証に関わった歴史学者による著作も。「『龍馬』を読み解く100問」(大石学・佐藤宏之共著、693円、新書版)と「天翔(かけ)る龍」(山村竜也著、1575円)。

 ●『龍馬の如く』  茶谷 清志著  武田 双雲書
 著者は起業コンサルタント。坂本の「発想、感性、考え方、行動力、そして人間臭さ」を愛する著者が、風雲児の残した言葉から「自分らしく幸せに生きる82の法則」を選んだ。人気の書道家、武田の力強い書が随所に挿入されている。(インフォトップ出版・1575円)


『七人の龍馬』 出久根達郎編著 ●『七人の龍馬』  出久根達郎編著
 同じ名言集でも、こちらは元古書店主で直木賞作家による異色の名言集となっている。戦前、戦中、戦後の小説、戯曲、講談、映画などによる坂本像を丹念に紹介。「腕の立つ勤王の志士」(戦前)「海軍創始者・海戦の勇士」(戦中)「人間龍馬」(戦後)という多面的なキャラクターを解き明かしていく。時代時代の坂本像はまた日本人論ともなっている。 (講談社・1680円)

 ●『坂本竜馬の野望』  鷲田小彌太著
 著者は哲学、倫理学を専門とする大学教授。坂本の「船中八策」や「大政奉還」で示した政治ビジョンへの考察などを軸に、その多くの虚像を排しつつ、改めて坂本の「魅力」を明らかにする。(PHP研究所・1890円)

「図解 坂本龍馬の真実」 同研究所からはほかに「図解 坂本龍馬の真実」(日本博学倶楽部著、1000円)も。人脈図による事跡の解説。

 ●『坂本龍馬を英雄にした男 大久保一翁』  古川 愛哲著
 著者は放送作家を経て「雑学家」。「船中八策」「大政奉還」を坂本に授けたという幕臣大久保一翁の波乱の生涯をたどる。討幕派の志士たちにも一目置かれた人物とは何者だったのか。幕府方の高級官僚を通してみる幕末維新史。(講談社+〓(〓はアルファ)新書・920円)

 ●『「英雄」坂本龍馬はなぜ生まれたのか』  菊地 明著
 坂本についての著作の多い著者による文庫書き下ろし。坂本についての通説の真偽を検証しつつ土佐、長州、薩摩3藩から西郷隆盛ら9人の周辺人物を坂本との関わりを軸に生涯を概括している。 (大和書房・680円)

 このほか、関連本としては、昨年生誕100年で話題になった松本清張の「幕末の動乱」(河出文庫・798円)。帯には「大河ドラマ龍馬登場前夜。初文庫!」。PHP研究所からはまず「日本外史 幕末のベストセラーを『超』現代語訳で読む」(頼山陽著・長尾剛訳、1365円)。帯には「竜馬も読んだ。篤姫も読んだ」と、大河ドラマの新旧主役がぜいたくに登場している。「新編 氷川清話」(高野澄著、945円)は、坂本が師と仰いだ幕臣勝海舟の維新後の談話をまとめた名著の最新訳。







 今日も幕末関係の記事が目白押し……『龍馬伝』絡みの龍馬特需ですなぁ^_^;。

長野
息づく下諏訪宿の姿 名主らの日記を20年かけ解読
 下諏訪町の住民有志でつくる「友之町古文書を読む会」は、江戸時代半ばから明治初期にかけての地域の出来事が書かれた日記を20年かけて解読、約750ページの本にまとめた。かつての下諏訪宿は中山道と甲州道中が交わる交通の要衝。名主や村役人がつづった約1200枚に及ぶ日記は、徳川家に降嫁した皇女和宮ら歴史上の人物についての記述もあり、当時のにぎわいや民衆の暮らしぶりを伝えている。
 同会によると、友之町は元禄年間から明治初年まで、下諏訪宿の「加宿(かしゅく)」として、宿場としての課役の一部を請け負っていたという。日記には1750(寛延3)年から1872(明治5)年まで約120年間の出来事が記されている。1990年、区が集会所に使う建物の倉庫に保管されているのを区民が確認。町立諏訪湖博物館・赤彦記念館に寄託された。その後、同町西鷹野町の田中薫さん(84)ら古文書に精通した6人が分担して解読を進めてきた。
 将軍の妻や諸大名の姫による宿場の利用、公家の頻繁な往来、それらの対応に追われる村役人の様子をめぐる記述が目に付く。幕末には、徳川家降嫁の際に下諏訪宿に泊まった皇女和宮のほか、尊王攘夷(じょうい)を掲げて京都を目指す途中、和田峠で高島・松本両藩と戦闘を繰り広げた水戸浪士らの「天狗党」も登場。官軍の先鋒(せんぽう)隊として中山道を東進しながら「偽官軍」の汚名を着せられ、町内で処刑された赤報隊隊長・相楽総三の名も見られる。
 諏訪大社御柱祭をめぐる記録もあり、1866(慶応2)年の記述からは祭りが晩秋に行われたことも読み取れる。田中さんによると、こうした日記は名主や村役人個人の家々に分散されがちで、一つの集落でこれほどまとめて残していたのは珍しいという。
 「いくらかでも一般の人に読めるようにしたいと思って解読を始めた。完成した時は涙が出るほどうれしかった」と田中さん。地域の歴史について「資料集として、これを基に研究してほしい」と話した。
 A4判で、限定200部。価格は5千円。町や町立図書館、町立諏訪湖博物館・赤彦記念館などに寄贈した。古文書の写しは同記念館にあり、希望者は複写できる。問い合わせは田中さん(電話0266・27・5655、または27・0660)へ。


広島
「平成いろは丸」就航 福山
 坂本竜馬ら海援隊が乗り込み、福山市・鞆沖で沈没した商船「いろは丸」を模した市営渡船「平成いろは丸」が9日、鞆港―仙酔島間に就航した。黒い船体はレトロの雰囲気を醸し、観光客らが幕末の志士に思いをはせて乗船。地元の関係者はくす玉を割り、新たな観光資源の誕生を祝った。
 同市鞆町鞆の渡船乗り場で午前10時から就航式があり、羽田皓市長はNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映開始に触れ、「竜馬とゆかりの深い福山、鞆を全国発信するまたとない機会。観光客には竜馬気分と鞆の新たな魅力を味わってもらいたい」とあいさつ。出席者約100人は早速、船に乗り込むと、陽光にきらめく瀬戸内海の風景をめでながら、仙酔島まで約5分の船旅を楽しんだ。
 同市今津町、丹藤東亜子さん(67)は「景色はきれいで乗り心地も静か。人気の高い竜馬の力を借りて福山市の知名度アップにつながってほしい」と期待していた。
 平成いろは丸(定員99人)は全長22メートル、19トンで3本のマストを配置。内装は木目調の落ち着いた感じに仕上げ、かじを操る舵輪(だりん)やコンパス、竜馬の写真が飾られている。総事業費8000万円。1日40往復する。
 いろは丸は1867(慶応3)年、鞆沖で紀州藩船と衝突して沈没。竜馬は鞆などで藩を相手に談判し、多額の賠償金を勝ち取った。福山市は「龍馬伝」のロケ地にもなり、竜馬とのゆかりを観光振興に生かそうと、国の交付金を活用し船を新造した。


鞆皿山焼釜跡:保命酒のとっくり生産、幕末の登り窯調査 福山・鞆で始まる /広島
 福山市鞆町特産の保命酒のとっくりを焼き上げるために建設された同市鞆町後地の「鞆皿山焼釜跡」の発掘調査が8日始まり、調査に先立って、安全祈願祭があった。
 祈願祭では、事業主体となる「重要文化財太田家住宅を守る会」のメンバーや、発掘に携わる研究者ら17人が出席。おはらいを受け、玉ぐしを奉納し、保命酒を飲むなどして発掘の無事を祈った。
 釜は、12段の有段式連房釜(登り窯)で、たき口が二つあるのが特徴。全長は約50メートルにも及び、幕末に造られたものでこれほどの規模が残っているのは、全国的にも珍しいという。08年から準備を始め、市教委への発掘の届け出も完了したことから、本格調査に着手した。約10日間で測量や補強など、基礎的な作業を行うという。
 調査の中心となる、文化財保存全国協議会常任委員の鈴木重治さん(76)は「釜が自然崩壊の危機にあるが、歴史的な資産。行政とも連携して、遺跡の整備に取り組みたい」と話した。【村本聡】




高知
龍馬の盟友、陸援隊・中岡慎太郎館が衣替え
 16日に開幕する「土佐・龍馬であい博」(龍馬博)を目前に控え、高知県北川村柏木の中岡慎太郎館が9日、改装オープンした。
 記念企画展「陸援隊~組織と人物」も始まり、大勢の歴史ファンが、幕末の激動期を駆け抜けた志士たちの人生に思いをはせていた。
 中岡慎太郎(1838~67)は、北川郷柏木村(現・北川村柏木)出身で、坂本龍馬(1835~67)らとともに薩長同盟の成立に奔走。1867年、京都・近江屋で龍馬と共に襲撃され、命を落とした。現在、村の特産品となっているユズの栽培を奨励し、郷土の発展にも貢献した。
 今回の改装では、従来のパネル展示に写真や図を加えたほか、1994年の同館オープン後の調査で明らかになった史実も反映。慎太郎の生涯を再現したドラマを見たり、パソコン検索したりできる「慎太郎アーカイブ」のコーナーも設け、温度や湿度を管理できる展示ケースも整備した。
 企画展では、慎太郎の肖像写真や日記などを展示。慎太郎が結成した「陸援隊」のメンバーとその活動内容、慎太郎死後の隊士らの人生について、約80点の資料をもとに紹介している。午前9時~午後4時半(入館は午後4時まで)。年内無休。
 入館料は一般500円、小中学生300円。問い合わせは、同館(0887・38・8600)。


長崎
龍馬の偉業を漫画で解説 学研教育出版「幕末の風雲児―」など
 幕末の志士、坂本龍馬についての書籍が相次いで刊行される中、龍馬の偉業を分かりやすく伝える漫画も人気を集めている。
 学研教育出版は「学研まんが伝記シリーズ」として「幕末の風雲児 坂本龍馬」を発行。「尊王攘夷運動と公武合体運動」「薩長の対立と薩長同盟」「船中八策と大政奉還」など、ストーリーに合わせた解説のほか、用語解説などの豆知識も盛り込み、子どもにとどまらず、大人も楽しめる内容となっている。定価700円。
 これまでに織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などのシリーズも出版されている。
 トーラス発行の「長崎の記憶 龍馬が見た夢 亀山社中物語」はコンパクトサイズの入門書。県観光連盟、長崎国際観光コンベンション協会の協力も受け、龍馬と長崎のかかわりを観点に構成。長崎の龍馬ゆかりの名所、龍馬と交流のあった人物なども紹介。観光ガイドとしても役立つ。定価300円。


【動画】「龍馬伝館」長崎歴文博にオープン 福山さんの衣装など展示
 幕末の志士坂本龍馬の生涯を描くNHK大河ドラマにちなんだ「長崎奉行所・龍馬伝館」が9日、長崎市立山1丁目の長崎歴史文化博物館内にオープンした。初日は大勢の龍馬ファンが訪れドラマの世界を楽しんだ。
 開館式は約220人が出席。NHKの福地茂雄会長は「龍馬伝は東アジアにも売るので、海外からの観光客増加も期待できる」とあいさつ。金子原二郎知事、田上富久長崎市長らとテープカットして祝った。
 「龍馬伝館」は、江戸期の長崎奉行所立山役所を復元した「奉行所展示室」約340平方メートルにドラマの世界を再現。同奉行所は、英国水兵が殺害されたイカルス号事件(1867年)で、部下の関与を疑われた龍馬が出頭したゆかりの史跡でもある。
 館内には、龍馬役の福山雅治さんが着用した衣装や小道具などを展示。長崎の商人大浦慶、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎ら登場人物をパネルや映像で紹介している。
 長崎市に帰省中の熊本市の会社員、向田達宏さん(25)は「龍馬の『我がなすことは我のみぞ知る』という言葉が好き。館内は雰囲気がいい。故郷の長崎がドラマで盛り上がってほしい」と話した。
 同館は1年間で40万人の入館者を見込む。観覧料は大人500円、小中高生250円。


【龍馬ゆかりの地を行く】港町が生んだ偉大な功績 丸山
 長崎の花柳街・丸山は幕末期、江戸の吉原、京の島原、大阪の新町と並び称される遊郭だった。その一角で、当時からの建物で営業を続けているのが、県の史跡に指定されている「史跡料亭『花月』」だ。
 寛永19(1642)年に創業した前身の「引田屋花月楼」は、江戸時代を通じて丸山で最も格式の高い遊郭とされ、当時も外国商人と取引しようとする各藩の藩士らが盛んに利用していたという。
 坂本龍馬ら海援隊や土佐藩も例外ではなかった。施設内にある資料コーナーでは、海援隊が英国水兵殺害を疑われたイカルス号事件で、龍馬が長崎奉行所に提出した抗議文の下書きなど約50点を展示、幕末の志士の勇躍もしのばせる。
 そして、今も大広間の床柱には、「龍馬がつけた」と伝えられる刀傷が残っている。
 「刀傷については、後に高杉晋作がつけたとか、さまざまな説が出てきたが、店では、まだ龍馬が国民的なヒーローになっていなかった大正や昭和初期の時代から、龍馬がつけた傷という説があった。当時はそれほど有名ではなかった人物であり、龍馬説は店のPRのためとも思えない。だから、むしろ信憑(しんぴょう)性があると思う」
 花月の従業員で、花月史編集プロジェクトリーダーの加藤貴行さん(38)は、こう話す。
 戦後の高度経済成長期、司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」で一気に知名度が高まった龍馬。長崎にも数多くのファンが生まれ、その熱烈な思いが結実した名所もある。
 市街地や長崎港を見渡す風頭山頂の風頭公園一角に立つ高さ約3メートルの龍馬の銅像は、立案から資金集めまで地元の青年らが進め、平成元年5月に建立された。発起人は筋金入りの龍馬ファンで、焼き鳥店「風雲児焼とり竜馬」を経営する河野健一さん(62)。昭和54年に開業し、全国から口コミで龍馬ファンが集まるようになった。常連たちの前で、「長崎に龍馬の銅像ば建てたかねえ」と口にしたのがきっかけで、建立計画が動き出した。
 計画には、地元の龍馬ファンでつくる「長崎龍馬会」の前会長、柴崎賀広さん(53)が真っ先に賛同した。「全国龍馬社中」の理事を務めるほか、「現代龍馬学会」にも所属するなど、龍馬一途の柴崎さんは、「まるで龍馬になった気分」で計画を推進。昭和62年6月には「龍馬の銅像建つうで会」が発足し、会長として建立に全力を挙げた。
 1千万円を目標に始めた募金は約1200万円に達し、計画のスタートからわずか2年で念願の銅像建立が実現。建立計画を足がかりに、建つうで会はその後、長崎龍馬会に発展し、全国の龍馬ファンの組織と交流などを続けている。
 長崎を拠点に、龍馬自身も活動の舞台を広げ、数々の功績を残した。
 「歴史に残る龍馬の仕事のほとんどが、長崎に本拠地を持って以降。薩長同盟の実現、第2次幕長戦争での海戦、五箇条の御誓文の原型とされる船中八策の作成、大政奉還の立案、みんなそう。その長崎が、龍馬を忘れちゃいかんと思うたと」。柴崎さんは、龍馬に寄せる思いを熱っぽく語る。
 幕末当時、すでに横浜、函館、兵庫なども米英などに開港されていたが、長崎は長い鎖国の間もオランダ、中国との貿易が認められていた。
 司馬遼太郎は「竜馬がゆく」の中で、龍馬に「勝(海舟)先生、京のさきは大阪にすぎず、江戸のさきは小田原にすぎませんが、長崎のむこうは上海ですな」と語らせている。
 龍馬にとって、大きな飛躍の地となった港町・長崎。龍馬と長崎のかかわりについて、河野さんはこう指摘する。
 「龍馬は長崎の人やなかし、実際に住んだ期間は短かばってん、当時、日本で最も海外に向かって開かれていた長崎の街がなければ、亀山社中も海援隊も生まれんかったと思う」

                   ◇
 「龍馬と長崎」 龍馬が元治元(1864)年、初めて長崎を訪れたときの滞在日数は2月から4月にかけての41日間。約1年半後に亀山社中を結成するが、龍馬自身は京都、大坂、長州、薩摩を飛び回り、長崎にあまり落ち着いていない。その後の長崎での主な業績は、慶応3(1867)年春の海援隊の結成、同年5月のいろは丸沈没による紀州藩との賠償交渉、8月から9月にかけてのイカルス号事件の処理などがある。9月18日には、長州、土佐経由で兵庫に向けて長崎を出帆。11月15日に京都で暗殺され、長崎に戻ることはなかった。12月中旬には、長崎で海援隊士らによる慰霊祭が営まれている。(服部幸一)


コラム
【日本人とこころ】福地桜痴と「改良」(上)
■歌舞伎座を建てた新聞人

 言論人としての福地桜痴は歴史も認めるところだが、演劇人としての横顔は意外に知られていない。
 桜痴は幕末から明治初期にかけ、福沢諭吉や伊藤博文らとともに4度にも及ぶ洋行で見聞を広め、東京日日新聞(現毎日新聞)主筆(のちに社長)として、新聞創生期を支えた。
 だが、演劇人としての桜痴を伝えるシンボルが今でも、東京・東銀座の歌舞伎座正面に掲げられている。
 座紋である鳳凰(ほうおう)丸を染め抜いた櫓(やぐら)。
 江戸時代、各芝居小屋は幕府の許可を得て興行する証しとして、座元の紋を櫓で掲げた。顔見世興行の際に上る櫓はその名残だ。この鳳凰丸こそ、法隆寺宝物の紋にあやかって桜痴自宅の釘隠(くぎかくし)に使われ、明治22年(1889)に桜痴が歌舞伎座を建てた際、座紋に決めた紋なのである。
 現在の歌舞伎座は、桜痴が建てた劇場から数えて4代目。桜痴は当初、「改良座」「改良演劇場」の名称を考えた。歌舞伎の伝統を打ち破ろうとする動きが、出発点だったのである。
 演劇学者の河竹登志夫早大名誉教授(85)は、こう裏打ちする。
 「初代歌舞伎座の外観が洋風だったのが象徴的ですが、明治10年代後半から20年代にかけ、歌舞伎を西洋風にしようという演劇改良運動が起こった。花道や黒子まで否定しようという意見も出る中、桜痴は頑迷な改良論者ではなく、ただ自分の改良歌舞伎を書きたかった人物だと思います。それを九代目團十郎にやらせたかった」
 「改良」から出発した歌舞伎座は、なぜ古典芸能の殿堂に姿を変えたのか。

   ◇

 桜痴は長崎で蘭語、江戸で英語を学んで幕府に仕官し、文久元(1861)年、21歳で通弁方(通訳)として最初の洋行に出る。仏マルセイユ、パリ、ロンドン、蘭ハーグ、ベルリン、露ペテルスブルグ、ポルトガルを巡る道中は、同行の福沢諭吉の「西洋事情」にも詳しい。
 明治期、「天下の双福」と並び称されることになる2人の若者は、各地を貪欲(どんよく)に見回ったが、諭吉が興味を示さず、桜痴の心をとらえたのが演劇だった。
 使節一行は当初、劇場特等席に招待されても言葉が分からず、居眠りに終始した。しかし、桜痴が観劇前にあら筋を説明すると、次第に興味を示すようになる。桜痴自身、「櫻痴居士と市川團十郎」(榎本破笠著)の中で、《予(あらかじ)めセキスピア(=シェークスピア)やシルレル(=シラー)の脚本を読んで置いたが、何(いか)にも旨(うま)い物だと感心をした》と語り、この時期多くの脚本を読み、演劇人の土台が形作られたことが伺える。
 河竹名誉教授は「当時の西洋劇界は歴史的写実主義の全盛時代」と指摘。西洋の時代考証によるリアリズム劇に触れた桜痴に、様式化された歌舞伎はいかにも不自然と写った。
 《西洋の劇には自然の性格を巧に写してある(中略)善人にも時には悪念を起こし、悪人も時には善心を動かす等の変化を描いてある、然るに日本の劇に顕(あら)わる孝子、忠臣、節婦、義人らは積極的で、何れも忠孝節義の権化でなければ観物人が面白いと思わぬ》(同)
 桜痴は日本の演劇に不満を抱いたが、新聞人の傍ら東京府会議長になったり、立憲帝政党を設立するなど政治活動に忙しかった。本格的に「改良」に着手するのは、言論人としての盛りを過ぎた明治19(1886)年、末松謙澄らと「演劇改良会」を設立して以降である。
                   ◇

 明治22(1889)年11月21日、歌舞伎座こけら落としの座主挨拶(あいさつ)で、桜痴は演劇改良目的で建設した趣旨を述べた。
 洋風劇場開場は改良運動の柱だったが、桜痴は金策と役者集めに奔走した結果、脚本執筆まで手が回らず河竹黙阿弥原作の「黄門記」に手を入れ、「福地源一郎添削」とわざわざ番付にただし書きを入れ上演した。当然ながら観客は、見慣れぬ「改良」芝居に戸惑う。「これが果して演劇の改良なりや」(正岡子規著「筆まかせ」)。一高在学中の子規は冷ややかに記している。日本の演劇を「改良」しようという桜痴の意図は、のっけから不評を買った。(飯塚友子)

                   ◇
■社説を新聞に定着 西南戦争に従軍

 桜痴は東京日日新聞の主筆だった全盛期、「吾曹(ごそう)記者」と呼ばれていた。吾曹とは「われわれ」の意味。和漢洋に通じ、識見、筆力とも群を抜く桜痴の、「吾曹」を一人称とする社説は「日本の新聞に社説を定着させ、新聞の地位を上げた」と、新聞史に詳しい春原昭彦上智大名誉教授(82)は評価する。
 日本の新聞の創生期、桜痴の論説は、同僚の岸田吟香(ぎんこう)の雑報、朝野新聞の成島柳北の雑録(コラム)と並び、「三大記者」ともてはやされたという。
 明治10(1877)年の西南戦争では、桜痴は社長自ら現地に赴き、戦況を伝えた。当時、従軍記者は珍しく、桜痴が田原坂の激戦や、戦死した少年兵の英文混じりの手帳を拾い《可ほどに英学も相応に出来る少年が賊となりて死せし事可憐(かれん)》(3月24日付)などと伝えた連載「戦報採録」は評判になった。
 横浜の日本新聞博物館には「教導立志之基」(1885、小林清親作)と題する、西南戦争を現地取材する桜痴を描いた浮世絵が残されている。チェックのスーツに黒いブーツと帽子、なぜかステッキ小脇にメモ帳を開く雄姿である。
 桜痴はこの戦争の最中、京都で木戸孝允の依頼に応じ、明治天皇に戦況を奏上(そうじょう)している。「当時の新聞記者は、薩長中心の新政府にいられなかった旧幕臣が多かった。いわば認められない存在だった記者が、天皇に拝謁した初の例として、地位を向上させた」(春原名誉教授)
 しかし、太政官御用新聞として官報の役割を担い、自由民権派新聞に対抗し、国会開設漸進論を掲げて政府を擁護したことから、桜痴の意見は政府の代弁ではなかったのに「御用新聞」とのレッテルを張られた。明治14年の政変で政府攻撃に転じ、さらに東京日日を官報に昇格できなかったことから以後、言論人として影響力を失っていく。
                   ◇

【プロフィル】福地桜痴

 ふくち・おうち 天保12(1841)年、長崎生まれ。本名、源一郎。新聞記者、劇作家。長崎で蘭学、江戸で英学を修め、通訳として幕府に出仕。明治元(1868)年、江湖新聞発刊し、逮捕される。4度の洋行経験を生かし、東京日日新聞で主筆(のちに社長)を務める。演劇改良運動にも力を入れ、明治22(1889)年、歌舞伎座を創設。主な作品に「鏡獅子」「春日局」「幕府衰亡論」など。



都内に龍馬像が!? まったく歴史に関係ない、龍馬スポット巡り(前編)
 福山雅治が幕末の志士・坂本龍馬を演じる、NHK大河ドラマ『龍馬伝』。強めのパーマをかけて龍馬役に挑む福山のビジュアルが、さまざまなメディアで話題となっていますが、坂本龍馬の出身地である高知県が『龍馬伝』に便乗して町おこしを画策するなど、何度目かの"龍馬ブームリバイバル"もあちこちで起こりつつあります。
 が、実は全国各地に点在する、"龍馬ゆかりの地!"と銘打たれたスポットの中には、歴史的事実はちょいグレーだけれども、龍馬へのあふれる思いによって成り立っているものもあるです。今回はそんな、B級だけどかな~りホットな龍馬スポットを巡ってきました!
■龍馬が渡米し、ハンバーガーを食べた!?

 まずは東京・六本木でハンバーガー片手に泰然自若とたたずむ龍馬を発見!......といっても正確には、「佐世保バーガー 六本木店」に展示されている龍馬のパネルなんです。しかし、土佐藩(現在の高知県)出身の龍馬と、長崎ご当地グルメの佐世保バーガーがなぜゆえコラボしているのかというと......真相は同店のHPにありました。それによると、

坂本龍馬がアメリカへ渡った際、現地でハンバーガーに出会った。初めて食べたハンバーガーの美味しさに感動し、是非日本へ持ち帰ろうと思いたち、アメリカ人シェフから作り方を教わり佐世保へと伝来したと云われているとかいないとか...。
 とのことで、佐世保バーガーにとって何ともおいしすぎるエピソードが語られているではないですか! さらに先に紹介した龍馬パネルも

渡米の際に撮影されたとかされてないとか...。

 とあります。HPといい、パネルといい、「いるとかいないとか」というあやふやな言い回しが妙に気になります。というのも、龍馬が渡米した歴史的事実はないよう。けれど、その突拍子のない無茶な設定が、逆に「あの坂本龍馬ならやりかねないかも」と思わせてしまうもの確か。それも同店の行き過ぎた龍馬愛のたまものなのかも。佐世保バーガー(レギュラー690円・ジャンボ1380円)をほお張りながら、龍馬のように大志を抱くロマン派志向のアナタにおススメのスポットです。

『佐世保バーガー 六本木店』
東京都港区六本木3-13-10北麻布ビルディング1・2F

■あの有名な龍馬像が縄で縛られていた!?

 坂本龍馬像といえば、高知県高知市の桂浜にあるモノが有名ですが、それとまったく同じ型の龍馬像がなんと東京・品川区の北浜川児童公園に設置されていました! なんの接点もなさそうな品川と坂本龍馬。しかし彼が19歳の頃、江戸で武芸修行をする傍ら、品川にある土佐藩の浜川砲台で黒船を見張る海岸警備を担当していた、といわれているそうです。

 全長3.3mのプラスチック製の龍馬像を管理するのは、"全国龍馬会"の承認を得て昨年10月に発足した"品川龍馬会"。ちなみに、この龍馬を生き方や思想に感銘を受けた有志で結成された"龍馬会"と名のつく団体は、全国に132もあり(そのうち6つはアメリカ・ロサンゼルス、フランス・パリなどの海外にあるというから驚き!)、それらの各団体を取りまとめるのが全国龍馬会です。

 また、現在は立派な台座にそびえ建つ品川の龍馬像ですが、これまでに味わった苦難の道のりもご紹介していきましょう。元々はこの像、04年に高知県の坂本龍馬の屋敷跡に立つ宿 「ホテル南水」から譲り受け、京浜急行電鉄・立会川駅前に設置していたのですが......。

 「駅前に置いてると強風で何度も倒れるもんだから、龍馬像を縄で縛り付けていたこともあったね(苦笑)。その後、浜川砲台跡の近くの勝島運河沿いへと像を移転したんだけれど、普段はひと気のない寂しい場所で......。ようやく昨年末にしっかりとした台座を作り"カタチ"になりました」と話してくれたのは、品川龍馬会の会長浦山嗣雄さん。

 縛られたり隅に追いやられたりの龍馬像でしたが、大河ドラマ『龍馬伝』の放送決定と共に、立会川商店街のシンボルへと晴れて昇格! がしかし、浦山さんは『龍馬伝』便乗をやんわりと否定。



おいしそうですが、なぜに海苔なん
でしょう
「『龍馬伝』にあわせて品川龍馬会を発足したのではないんですよ。龍馬像も5年前から品川にありましたし。ただ『龍馬伝』の経済効果で商店街がまた活気づけばいいと思っています。今後、龍馬のイラスト入りの焼きのり(630円)をはじめ、さまざまな龍馬グッズを商店街の各店舗で作っていきたいと考えています」

 なるほど...。品川にある"全国龍馬会公認の龍馬像"。実のところ、その栄えある肩書きがどのくらい凄いことなのかピンとこないのですけど、平たく形容するのであれば、"熱狂的龍馬ファンたちにも認められた本格的な龍馬スポット"ということなのでしょう、きっと! というわけで、近くに行かれる際には、ぜひぜひこの苦難を経て鎮座している、龍馬像を拝みに行きましょう。
 
『品川龍馬会』
東京都品川区大井1-1-16
※入会費1000円・年会費3000円
※入会特典として龍馬帽がもらえる。

 「駅前に置いてると強風で何度も倒れるもんだから、龍馬像を縄で縛り付けていたこともあったね」って……プラスチック像なだけに、軽いのね^_^;。
 都内B級龍馬スポット巡り、後編も楽しみです。

ブックレビュー
【著者に聞きたい】渡辺惣樹さん『日本開国』
■ペリー派遣の真相“解読”

 1853(嘉永6)年、黒船艦隊を率いて浦賀沖へやってきたアメリカ海軍のペリー提督。幕末の日本人を仰天させたペリーは“開国の恩人”などではない。「鯨油を取るための捕鯨の補給基地確保」でさえ、主たる目的ではなかった。
 「アメリカは日本の先にある中国市場・労働力を見据えていた。ペリー来航の数年前にはメキシコからカリフォルニアを手に入れて西海岸に到達し、サンフランシスコ-上海を結ぶ『太平洋ハイウエー(シーレーン)構想』を描いていた。その中継地点としての“安定した日本”がほしかったのでしょう」
 シナリオを書いたのはロスチャイルド財閥とも深い関係を持つニューヨークのロビイストのアーロン・パーマー。ペリー来航前に彼が当時のクレイトン国務長官に提出した「日本開国提案書」を見れば、アメリカが日本や日本人のことをよく研究し、高い評価を与えていたことが分かる。
 「『名誉を重んじる騎士道のセンスを持っている』『アジア諸国に見られる意地汚いへつらいの傾向とは一線を画している』などと評価し、『日本は東洋におけるイギリスになるであろう』とまで言い切っています」
 つまり、アメリカが太平洋における覇権を確実なものにするために、高いポテンシャルを持った日本というパートナーがほしかった。何のことはない現在の「日米同盟」と同じ発想である。
 米海軍を代表する提督だったペリーと開国後に初代米国総領事として日本(下田)に来たハリスとの“格の違い”に触れたくだりも興味深い。
 「ハリスはノンキャリアの役人で専門は畑違いの教育行政。アメリカが日本とのビジネスを本気で考えていたのならこのクラスは送らない。日本を開国さえさせればよかったのですね」(草思社・1890円) 

 喜多由浩
                   ◇

【プロフィル】渡辺惣樹

 わたなべ・そうき 昭和29年、静岡県生まれ。東大経済学部卒。ソーワトレーディング代表。日本専売公社(現JT)勤務を経て、カナダ移住。近現代の日米関係の深層を新たな視点から探るべく、米側資料を中心に研究している。



 今日は新年初めてのサーキットトレーニングをしてきました。身体がなまっていたので、ストレッチ中心のメニューをこなしました……今年も続けられるといいなぁ。

北海道
本、酒、旅行…龍馬人気にあやかり手ぐすね
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」が今月から始まったことで、坂本龍馬人気が再燃した。逃す手はないと、苫小牧市内でも書店や酒店に特設コーナーがお目見えし、旅行代理店も龍馬ゆかりの地を訪ねるツアーを企画するなど、特需に期待感を高めている。
 進藤書店B―top店(渡辺尚也店長)は、司馬遼太郎著「竜馬がゆく」の文庫全8巻を平積みしてしている。「中高年を中心に、まとめ買いする人がこのところ増えてきた。関連の歴史本の問い合わせも多い」と話し、龍馬人気の風を感じている。
 イオン苫小牧ショッピングセンター内の未来屋書店(勝山翔店長)も、レジ近くの広いスペースにコーナーを設置した。新刊など15種類ほどの関連本を並べたほか、「龍馬伝」で主人公を演じる俳優の福山雅治さんを大型テレビで映し出している。「若い人たちに絶大な人気の福山さんの影響もあって、坂本龍馬への関心が高まっていくのでは」と関連本の売れ行きに期待を寄せる。
 苫小牧市美原町のアルス美原店。龍馬の出身地・高知県の地酒を並べたコーナーを設けた。酒は、「日本を今一度せんたくいたしたく申候」「坂竜飛騰(ばんりゅうひとう)」「船中八策」の3商品を仕入れた。龍馬が姉の乙女に送った手紙の文面などを商品名に使った日本酒だ。
 人気にあやかり、国内酒類メーカーは昨年末以降、龍馬関連の酒を続々と発売。美原店も「状況を見ながら仕入れの品数を増やし、PRしていきたい」とビジネスチャンスに意気込む。
 旅行業界も手ぐすね。JTBは5日から、「龍馬ゆかりの地へ行こう・みんなでてくてく龍馬キャンペーン」を開始。高知県と長崎県への個人旅行プランに、土産品や龍馬に関する記念品プレゼントの特典を設けた。
  近畿日本ツーリストも、個人旅行プランとして長崎県内の龍馬に関する史跡を巡るコース設定の「異国情緒西九州・龍馬ゆかりの地へ」を商品化した。
 なぜ龍馬か。高知市にある坂本龍馬記念館の森健志朗館長は「閉塞(へいそく)感など現代と幕末の状況が似ており、龍馬のように私欲を持たず、日本を変えてくれる人が求められていることの表れではないか」と話している。


愛媛
大洲歴史探訪館オープン 龍馬ブームで大洲に光 愛媛
 坂本龍馬の「脱藩の道」で知られる愛媛県大洲市は8日、龍馬と大洲藩の関係資料を写真やパネルで展示する「大洲歴史探訪館」をオープンした。初公開となる資料も紹介されており、龍馬ゆかりの観光施設として人気を集めそうだ。
 同館は明治時代の蔵を借り上げ、関係資料をパネル形式で展示。うち注目されるのは市立博物館所蔵の「大洲藩史料3巻」(天・地・人)と「いろは丸航海日記」、個人が所蔵する「いろは丸購入時資料」の3点は初公開という。
 なかでもいろは丸購入時資料は昨年12月に存在が明らかになった。いろは丸は、大洲藩が4万2千両でオランダ人から購入し、亀山社中(海援隊)に貸し出されたが、資料には契約内容や経過報告が古いポルトガル語で記されており、今後解読が進めば、新たな史実の発見につながる可能性もある。
 龍馬ブームのなか、企画・運営を担当するおおず街なか再生館の河野達郎専務(55)は「大洲藩は維新に向けて活躍していた。表に出ていない部分を知ってもらうため、多くの人に来てほしい」と期待を寄せる。
 3月31日まで、入館無料。展示替えなどを除き無休。


広島
鞆皿山焼釜跡:保命酒のとっくり生産、幕末の登り窯調査 福山・鞆で始まる /広島
 福山市鞆町特産の保命酒のとっくりを焼き上げるために建設された同市鞆町後地の「鞆皿山焼釜跡」の発掘調査が8日始まり、調査に先立って、安全祈願祭があった。
 祈願祭では、事業主体となる「重要文化財太田家住宅を守る会」のメンバーや、発掘に携わる研究者ら17人が出席。おはらいを受け、玉ぐしを奉納し、保命酒を飲むなどして発掘の無事を祈った。
 釜は、12段の有段式連房釜(登り窯)で、たき口が二つあるのが特徴。全長は約50メートルにも及び、幕末に造られたものでこれほどの規模が残っているのは、全国的にも珍しいという。08年から準備を始め、市教委への発掘の届け出も完了したことから、本格調査に着手した。約10日間で測量や補強など、基礎的な作業を行うという。
 調査の中心となる、文化財保存全国協議会常任委員の鈴木重治さん(76)は「釜が自然崩壊の危機にあるが、歴史的な資産。行政とも連携して、遺跡の整備に取り組みたい」と話した。【村本聡】


坂本龍馬:ゆかりの「平成いろは丸」就航 広島・鞆の浦に
 幕末の志士、坂本龍馬率いる海援隊が乗った蒸気船をモデルにした「平成いろは丸」(19トン、全長22メートル)が9日、広島県福山市・鞆(とも)の浦と沖合約600メートルの仙酔島を結ぶ市営渡船航路に就航した。いろは丸は1867(慶応3)年、鞆の浦で紀州藩船と衝突して沈没。龍馬は多額の賠償金を得たとされる。現行の渡船更新を機に、同市が約8000万円かけて建造した。【豊田将志】


竜馬のいろは丸“復活” 広島・鞆の浦
 幕末の志士坂本竜馬が瀬戸内海で乗船中に衝突、沈没した蒸気船「いろは丸」を模した公営観光渡船「平成いろは丸」が9日、広島県福山市の景勝地・鞆の浦―仙酔島間に就航した。
 福山市は、今月から放映が始まったNHK大河ドラマ「龍馬伝」のロケ地の一つ。市の名前と同じ竜馬役の福山雅治さんの人気にあやかり、新たな観光の目玉として集客アップに期待している。
 いろは丸は、全長約54メートル、約160トンの英国製で伊予大洲藩が所有。海援隊が借り受け、1867年に諸藩に売る武器などを長崎から大坂に向けて運ぶ途中、備後灘で紀州藩の蒸気船「明光丸」と衝突し、えい航中に鞆の浦沖で沈没した。
 平成いろは丸は全長約22メートル、19トンと本物より小ぶり。定員は99人で、船内には竜馬の写真や古い操舵輪、コンパスも設置され、レトロな雰囲気が漂う。
 仙酔島では、11月まで竜馬といろは丸展も開催される。


「龍馬の船」復活ぜよ!
 幕末の志士、坂本龍馬が率いた海援隊の船「いろは丸」を模した「平成いろは丸」が9日、龍馬ゆかりの広島県福山市の鞆の浦-仙酔島間に就航した。新たな観光資源として関係者の期待を集めている。
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなみ、市営渡船として建造された。全長22.3メートル、幅4.3メートルで、船体は黒。実際のいろは丸の4割ほどの規模という。船内には龍馬といろは丸関連のパネルが展示されている。
 いろは丸は慶応3(1867)年4月、鞆の浦沖で紀州藩船と衝突し、沈没した。鞆の浦には、龍馬が同藩と談判した屋敷や衝突事件の資料を集めた展示館もあり、地元は「福山の龍馬」をアピールしている。


山口
下関・唐戸商店街:龍馬人気で再興を 護国寺住職ら呼びかけ /山口
◇「幕末維新村」構想 店頭に写真飾り、グッズ販売も計画

下関市の唐戸商店街が幕末の志士、坂本龍馬人気に乗って商店街再興に動き始めた。龍馬は生前、幾度も下関を訪れており、再興プロジェクトはその名も「幕末維新村」構想。具体案は未定だが、護国寺(上田中町)の西嶋好文住職(59)らが後押しする。【尾垣和幸】
 唐戸はかつて、九州からの玄関口として栄えた。しかし、市内各地に大型複合商業施設などが誕生し、客足が徐々に減少。商店街の互助組織「唐戸商店会」加盟の店舗数も、この30年で半減した。
 そこで、JRや旅行会社などが集まる「関門関旅会」会長でもある西嶋住職がNHK大河ドラマで描かれる龍馬に着目。龍馬は当時、唐戸商店街近くの稲荷町(現在の赤間町)の遊郭で度々遊んでいたと伝えられている。
 西嶋住職らの呼びかけで、唐戸商店会は先月、「志士らの志と元気を(西嶋住職ら)」と、「幕末維新村」と書いたのぼり約80本を立て、商店主らを集めて会議を開き、活性化策などを話し合った。
 ラーメン店主の中尾弘明・唐戸商店会会長(79)は「まず、やれることは何でもしなければ何も変わらない」と早速店頭に龍馬の写真を飾った。会員からは「晋作餅」「龍馬ブーツ」を販売しようという声も上がる。
 護国寺は師走恒例の大福行列をここ数年、同商店街の「日曜市」に合わせて開催、活気づけに一役買っている。「即効を期待するのは難しいが、商店街の人たち自らが元気を出さねば、人は来ません」と西嶋住職。近くの唐戸市場には土曜祝日には県内外から大勢の観光客がやってくる。その人たちをいかに呼び込むかが、当面の目標だ。
〔下関版〕


佐賀
「佐賀城本丸けんてい」挑戦を 3月22日 維新期の歴史学ぶ
 昨年8月に開館5周年を迎えた佐賀城本丸歴史館(佐賀市城内2丁目)で、幕末・維新期の佐賀の歴史を学ぶご当地検定「佐賀城本丸けんてい」が初めて開かれる。同館の解説ボランティアによる実行委が主催し、手作りの問題を出題。「楽しみながら、佐賀の歴史に親しんでほしい」と、参加を呼び掛けている。
 3月22日午前10時半から、同館御座間(ござのま)で開催(同9時半から同10時まで受け付け)。設問は約100人のボランティアから募り、集まった287問の中から厳選した50問(3択式)。(1)歴史館の展示物(2)歴史館受付で販売している図録(500円)‐から「城郭」「歴史」「人物」に分けて出題する。制限時間は60分。
 70%以上正解した人に認定証を贈る。合格者は郵送による通知のほか、4月11日に同館内に掲示して発表。高得点者への表彰式・歴史座談会を同25日に行う。受験対象は中学生以上で定員50人(応募多数の場合は抽選)。参加無料。
 申し込みは、往復はがきに郵便番号、住所、氏名、年齢、性別、電話番号を明記の上、〒840‐0041、佐賀市城内2丁目18の1、ボランティア手作り「佐賀城本丸けんてい」実行委員会まで。2月20日締め切り(必着)。問い合わせは同館=0952(41)7550。


長崎
長崎「龍馬伝館」がオープン 奉行所跡地に
 幕末の志士坂本竜馬を描いた今年のNHK大河ドラマにちなんだ「長崎奉行所・龍馬伝館」が9日、竜馬も実際に訪れた長崎奉行所跡地にある長崎市立山の長崎歴史文化博物館内にオープンした。
 来館した福岡県久留米市の教師花田信一さん(30)は「当時を再現した奉行所の建物は雰囲気があり、なかなか見られない史料も展示してあってすごい。もっと竜馬を知りたくなった」と感激した様子で話した。
 龍馬伝館ではドラマの台本や衣装などが見られるほか、竜馬が長崎に設立した日本初の商社「亀山社中」のメンバーを紹介するタッチパネルや、勝海舟の居室をイメージした展示などがあり、竜馬や勝海舟になりきったガイドの案内もある。
 龍馬伝館を担当する同博物館の研究員深瀬公一郎さん(36)は「竜馬は歴史的必然で長崎に来た。竜馬の見ていたものや当時の空気を味わいながら、長崎の魅力を感じてほしい」と話している。



全国各地
“龍馬&勝”あの師弟が時代を超えてコラボした酒とは?
 2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」をきっかけに、全国各地で盛り上がる坂本龍馬ブーム。この“龍馬イヤー”を彩る限定品が、ザックザク登場している。その中には、龍馬や勝海舟の子孫が制作に携わったという逸品もあるのだ。
 江戸時代の洋酒をイメージした長崎・佐世保のブルーベリー焼酎「出島の珍駄酒(ちんだしゅ)」(2830円)。このボトルに刻まれている龍馬像は、龍馬とかかわりの深い勝海舟の子孫であるガラス工芸家の高山みな子さんがデザインしたもの。また、坂本家の子孫の承諾を得て、龍馬が家族に宛てた手紙の自署も彫り込まれている。
 つまり、同商品は幕末の時代に師弟関係となり活躍した2人が、時空を超えて“コラボ”したかのようなプレミアムアイテムなのだ。現在、WEBショップ「食彩の里 よかばい相浦」で販売されており、龍馬像が入ったグラスとのセット(5770円)もある。
 ほかにも、「土佐・龍馬であい博」の限定コラボ品「ベビースターラーメン うまいもん市 高知ゆずポン酢味」(100円、参考価格)が全国のコンビニなどで発売され、東急ハンズ渋谷店では“日本のモノ作り×龍馬”をテーマにしたオリジナルグッズなどが購入できるイベントを1月24日(日)まで開催している。
 今だからこそ手に入れられる龍馬の限定商品、見つけたらぜひゲットして。【詳細は東京ウォーカー1/4発売号に掲載】


文化芸能
“福山龍馬”に反響の声、『龍馬伝』プロデューサーも「狙い通り」と自信
 1月3日にスタートした福山雅治主演のNHK大河ドラマ『龍馬伝』(NHK総合)に、早くも多くの反響が寄せられている。NHKには、初回終了直後から3日間で感想を含めた問い合わせが500件以上届き、同局広報は「ここ数年を見ても非常に多い」と驚きを隠せない。番組チーフプロデューサー鈴木圭氏も「今まで見たことのなかった福山さんの魅力に触れたような感触。狙い通りです」と改めて自信をみなぎらせている。なお、10日に放送される第2話では、福山が泥まみれになる迫真の演技や、三味線を福山が実際に演奏するシーンなどが披露され、“福山龍馬”ならではの見所が控えている。
 福山は坂本龍馬という幕末志士に向き合うに当たり、当初から彼に抱いていた骨太なイメージをほどき、柔らかな部分に着目して役作りに没頭。同作のキーワードの1つでもある“進化した福山”を見出すきっかけに繋がった上で、鈴木氏は「先の展望が見えない昨今の時代に、『かっこいいヒーローが欲しい』という声が福山さんの龍馬にマッチしたと思う」と今回の反響の高さを分析する。
 第1話「上士と下士」では、厳しい階級制度のある土佐藩を舞台に、母・幸の死を経験する龍馬の幼少期から、剣術を磨きたくましく成長した青年期の姿を、香川照之演じる岩崎弥太郎目線で展開した。龍馬の大器晩成ぶりを感じさせる第2話は、福山が牛の糞や尿が混ざった泥水の中でひざまずいたり転んだりする場面があり、体当たり演技が光っているという。
 さらに鈴木氏は「三味線を弾いて歌っているのも必見。ミュージシャンとしての才能も垣間見れます」と“歌手・福山雅治”の魅力を伝えられる場面にも期待を寄せる。ちなみに、福山は昨年末のNHK『第60回紅白歌合戦』で「はつ恋」を披露し、1/2、3、4付のデイリーシングルランキングで連続首位を獲得。ミュージシャンとしても人気の高さを示す。また、ソフトバンクの孫正義代表取締役社長が自身のTwitter(ツイッター)で『龍馬伝』の感想を綴ったことも話題になっており、各方面から“福山龍馬”への関心が高まっている。





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