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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
歌舞伎&落語ブログと化しているので、たまには幕末のお話を。今日は史実ねた限定で。

坂本龍馬、桂小五郎に敗れる 「幻の剣術大会」新史料か
 坂本龍馬と桂小五郎が対決――。幕末志士の両者が1857年(安政4年)3月1日、江戸・鍛冶橋の土佐藩上屋敷で催された剣術大会で対戦し、2対3で龍馬が敗れたと記録する史料が、前橋市の群馬県立文書館に保管されていることが30日、分かった。歴史研究家、あさくらゆうさん(48)が存在を確認した。

坂本龍馬が剣術大会で桂小五郎に敗れたことを記す史料(群馬県立文書館所蔵)=共同
 藩主、山内豊信(後の容堂)の上覧試合とされた大会を巡っては、これまでも複数の史料の存在が伝えられている。だが、開催された日が既に龍馬が江戸を去った後だったり、小五郎の名前が当時は使用していない「木戸準一」だったりするため、いずれも「偽書」というのが定説。山内家の日記などにも記録はなく、大会そのものが作り話とされている。

 文書館によると、今回の史料は前橋藩領だった上州・中箱田村(現群馬県渋川市北橘町箱田)で名主を務め、医院も営んだ「根井家」に伝わり、1994年に寄託された。

 折り畳んだ縦約16センチ、横約1メートルの和紙で、冒頭に「安政四三月朔日 松平土佐守様上屋敷ニ而御覧」と記載。龍馬らに加え、著名な剣客だった斎藤弥九郎(2代目)や石山孫六、海保帆平ら計43人が、一対一で戦った22試合の結果を毛筆で縦書きに記している。

 あさくらさんによると、この時期の龍馬は江戸遊学中で、土佐藩上屋敷近くにあった北辰一刀流の千葉道場(玄武館)で修行。小五郎も、盛んに対外試合をした神道無念流の斎藤道場(練兵館)で腕を磨いた。

 史料は各剣士の出身や流派も正確に記し、一部は別の史料に残る後日の足取りとも矛盾がない。大会には上州出身者も出場したため、試合結果の書き付けが根井家に残された可能性があるとみている。

 龍馬は今年で没後150年。あさくらさんは「この史料だけで断定はできないが、実際に大会があったのか、もう一度議論するきっかけになる。近年は龍馬の剣術が特に優れていたとする傾向もあるが、小五郎には負けたとある。イメージではなく、本当の姿はどうだったのか考えていくことが大切だ」と話す。〔共同〕
 あさくらゆうさん、またもお手柄。千葉道場の坂本龍馬と練兵館の桂小五郎が手合わせしたというのは史実だった。しかも練兵館の二代目斎藤弥九郎、江川英龍の大親友も史料に名前が見えるなんて嬉しい。

陸軍中将の書簡10通発見 日露の激戦を伝える
 日露戦争で陸軍中将として指揮を執った立見尚文(1845~1907年)が、戦地から同郷の豪商、諸戸清六(1846~1906年)に送った書簡計10通が見つかった。立見の出身地である三重県桑名市が発表した。激戦で知られる黒溝台会戦の様子などを伝えた貴重な史料だ。

 立見尚文が黒溝台会戦の様子をつづった手紙=共同
 桑名市博物館の杉本竜館長(43)によると、諸戸の子孫から寄贈を受けた史料の中に、便箋に書かれた手紙6通とはがき4通が含まれていた。うち9通は日露戦争中の04~05年、戦地から軍事郵便で出されていた。

 陣中見舞いへの返礼といった私的な内容が主だが「黒溝台附近に於る連日連夜の戦い中々激烈なり」「戦場へ遺棄したる死体約二千」などと激戦の様子が記されている。

 立見は幕末の戊辰戦争では「雷神隊」を率いて、新政府軍と対決。明治維新後は陸軍軍人となり、西南戦争、日清戦争にも参加した。日露戦争時は中将で、後に大将となった。

 杉本さんは「立見自らの手で戦場の生々しい様子を今に伝えており、貴重だ」としている。同博物館で開催中の企画展「幕末維新と桑名藩」で、26日まで一部が展示されている。〔共同〕
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天皇皇后両陛下と同じ演劇空間を共有してしまった(汗)。

両陛下、歌舞伎を鑑賞
 天皇、皇后両陛下は25日午後、東京都千代田区の国立劇場を訪れ、文化庁芸術祭主催公演の歌舞伎「霊験亀山鉾」を鑑賞された。
 実際にあった敵討ちを題材にした作品で、両陛下は2幕目の第4場から大詰めまでを鑑賞。片岡仁左衛門さんらの熱のこもった演技に、何度も拍手を送っていた。 
席に向かわれる両陛下

 にざさま、色悪が似合う。敵討ちを返り討ちにしてトドメを刺すとか、おびき寄せて殺すとか、極悪非道な二枚目。悪の華、それもふたり違うタイプの悪。脇を固める役者さんたちもよく、花道が近くて低い国立劇場ならではの楽しさも花道近くで楽しんだ。

(評・舞台)国立劇場「霊験亀山鉾」 仁左衛門、冷酷な「悪」も見せ場
 四代目鶴屋南北作「霊験亀山鉾(れいげんかめやまほこ)」は国立劇場で3回目。15年前の上演を踏襲して、片岡仁左衛門が時代と世話の悪を演じ分けて、当たり役とした。

 南北作品で江戸時代から上演が続くものは実は少なく、近代に再発見、復活された作品の方が多い。ここ半世紀に限っても、女性主人公の可能性の拡張や、スペクタクルによる視野の拡大など、いくつかの視角があるが、男の強い欲望と悪を体現した主人公を甦(よみがえ)らせたという点では、仁左衛門主演による「絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)」と「霊験亀山鉾」の2作が、平成歌舞伎の成果だろう。

 本作は俗に「亀山の仇討(あだうち)」と呼ばれる作品世界だが、藤田水右衛門を敵と狙う石井一族が、次から次へと返り討ちに遭う。大胆にして細心、強悪非道の水右衛門を、仁左衛門が水際立った役者ぶりと重厚なせりふ術で造形する。八郎兵衛と早替(がわ)りする2幕目が眼目で、中でも「焼場(やきば)」で燃える棺桶(かんおけ)からの登場が最高の見せ場。冷酷無残な殺し場が続いても、それを悲惨と思わせず、お芝居の楽しみ、慰みに転換してみせる稀有(けう)な芸質である。

 江戸の錦絵を見れば、水右衛門は白塗りではなく砥(と)の粉の入ったリアルさが特長だったかもしれない。早替りの都合と芸風から、水右衛門を蒼白(そうはく)で色気ある敵役に、八郎兵衛も白塗りで闊達(かったつ)な愛嬌(あいきょう)ある役に変えたのは、仁左衛門ならではの成功。原作からは少し離れるが、現実的な処理というべきか。

 仁左衛門が圧倒的ではあるが、周囲も堅実。中村錦之助の石井源之丞は、ベテランらしい安定感を増した。中村又五郎の石井兵介と下部袖介も手堅く、上村吉弥も甲斐甲斐(かいがい)しい。中村雀右衛門の芸者おつまは、焼場での体当たりの立ち回りがよかった。

 (児玉竜一・早稲田大学教授)

 27日まで。

長谷部浩【劇評86】仁左衛門の実悪。水右衛門に色気。
 歌舞伎劇評 平成二十九年十月 国立劇場。

天皇の退位の時期が決まり、平成の世も遠からず終わることになった。平成歌舞伎の光芒を伝える舞台を目に焼き付けておきたい。そんな気持ちで国立劇場の『通し狂言 
霊験亀山鉾 ー亀山の仇討ー』を観た。
仁左衛門が座頭として藤田水右衛門と古手屋八郎兵衛を勤める。脇を固めるのは、播磨屋吉右衛門と同座することの多い雀右衛門、又五郎、歌六。そこに彌十郎、錦之助、孝太郎も加わるのだから、座組に不足はない。実力のある俳優で、四世鶴屋南北が仕組んだ台本を味わう。至福の体験である。
序幕第二場、石和河原仇討の場から、役者の魅力があふれでる。仁左衛門が演じると実悪の水右衛門に色悪の魅力が加わる。兵介の又五郎のきりりとした様子、官兵衛の彌十郎の捌き役の風格さえ漂わせる大きさ、三人が絵面に決まっただけで、歌舞伎は役者ぶりを観る演劇だと思い知らされる。役柄と役者の複雑な関係に、観客の想像力がからむとき、喜びが生まれる。
時代の幕ばかりではない。二幕目、世話となってからも、こうした役柄、役者、観客のせめぎあいが舞台を作る。仁左衛門が水右衛門から八郎兵衛に替わりるのが最大の見どころだ。加えて弥兵衛実ハ源之丞の錦之助をあいだに、芸者おつまの雀右衛門と丹波屋おりきの吉弥がやりとりする場面に陶然となる。ひとりのいい男に、ふたりの女。
また、この場では団扇の絵を手掛かりに、おつまが八郎兵衛と瓜二つの水右衛門と思い込む取り違えもまた見物になる。『鰻谷』を踏まえている。
近代の劇構造からすれば不自然な取り違えも、初演の五代目幸四郎の存在が前提にあり、今、大立者となって風格を漂わせる仁左衛門がいれば、十分に成り立つ。歌舞伎は役者を観るものとすれば、なんの不自然もない。
駿州中島村の場では、狼が出没してふたつの棺桶が取り違えられ、次の焼場の場で火に掛けられた棺桶のタガがはずれて、水右衛門が不敵に登場する趣向へと繋がっていく。
芝居になっているのは、三幕目機屋の場。ここでは秀太郎の貞林尼がみずから自害して肝の臓の生血を孫に与える件がみもの。息をつめた芝居を秀太郎が全体を締めつつ運んでいく。いささか身体が不自由に見えるもののさすがの芸力を見せつける場となった。秀太郎が品格を失わず、孝太郎が派手なところをのぞかせるのも対照の妙。
大詰は祭礼の雰囲気を、陰惨な敵討に取り入れるのが趣向。ここでも仁左衛門が実悪の大きさを見せつける。水右衛門をおびきよせる頼母一役を歌六が勤め舞台を引き締める。
母子に助太刀もあって水右衛門が敵討されると、直って「まずはこれぎり」と幕切れ。古典歌舞伎の醍醐味をもたつくことなく趣向で見せた好舞台。二十七日が千穐楽だが必見であろう。
10月22日(日)夜の部
一、沓手鳥孤城落月
 玉三郎の淀の方がとても美しかったのだけど、途中から正気を失ってしまって、感情移入しにくい。七之助の秀頼が美しくて賢いけど家康にしてやられてしまった感。米吉の千姫、児太郎の常盤木がちょっといいな。

二、漢人韓文手管始
 浪花もののせいか、男の嫉妬が実直な男を殺人に追い詰めるのだけど、何かねっちりした描かれ方ですっきり感がない。でも芝翫の悪役は憎々しさが豪華でよい。

三、秋の色種
 玉三郎、梅枝、児太郎の舞。夜の部はこれが一番よい出来だったと思う。

10月23日(月)昼の部
極付印度伝
マハーバーラタ戦記
 序章 神々の場所より
 大詰 戦場まで

 パーカッションが異国情緒溢れて印度歌舞伎っぽいところがよい。ステージの使い方や大道具も現代劇っぽいセンスだったけど、たとえば最終幕の戦いを表現する幕や柱、旗の使い方がとてもよい。衣装も、特に神々がきらきらしくて素敵。
 菊之助の迦楼奈にはうまく感情移入できなかったのは途中居眠りしてしまったからか(汗)。太陽神の子で非の打ち所がない性格なのになぜ戦いに巻き込まれてしまったのか、その辺りの葛藤が今いち。ライバル役、帝釈天の子の阿龍樹雷王子を演じた松也が位負けしてない演技で、今月新橋演舞場『ワンピース』で負傷した猿之助の代役に入った右近などと浅草歌舞伎を盛り上げているだけあって早くもこの世代が主役級を演じられるように育ってきたなぁと感じる。そして何と言っても七之助。新作でスケールの大きい、いっちゃってる王女を美しく演じられる七之助が素晴らしい。


「マハーバーラタ」歌舞伎化でインド神話と源平の無常感融合 歌舞伎座「芸術祭十月大歌舞伎」
 昼の部一杯を割いて、新作歌舞伎「極付印度伝 マハーバーラタ戦記」を上演。古代インドの大叙事詩「マハーバーラタ」からバラタ族の王位継承をめぐっていとこ同士の王族たちが争うさまに焦点をあてた。「マハー」とは“偉大な”の意。「マハーバーラタ」歌舞伎化への尾上(おのえ)菊之助の熱情で実現した。青木豪脚本、宮城聰演出。
 象の国(インド)で起こった戦争がついには世界を滅ぼすと憂えた神々は、慈愛に満ちた太陽神の子、迦楼奈(かるな)(菊之助)と武力を培った帝釈天の子、阿龍樹雷(あるじゅら)(尾上松也)を地上で誕生させ、慈愛と力のどちらが争いを止められるか、眺める。現在の世界情勢にも敷衍(ふえん)できるインドの叙事詩の描写は、そのまま源平時代に重なり、戦乱から生まれる無常感は歌舞伎の古典作と通じる。
 菊之助の着眼がそこにあり、本作が肚(はら)にインドの物語を据えつつ、展開はすべて古典歌舞伎の仕様であり意匠である。浄瑠璃、三味線が主導し、ガムラン音楽風な木琴の調べがエスニックな情感を湛(たた)える。両花道を使い、つらね、見得、くどきなど、万全な時代物風味。新作歌舞伎の方向性を指針したのではないか。尾上菊五郎、市川左團次、中村七之助らが出演。
夜。「沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)」。坂東玉三郎が初役で淀の方。和事のおかしみがたっぷりな「漢人韓文手管始(かんじんかんもんてくだのはじまり)」。中村鴈治郎(がんじろう)、中村芝翫(しかん)ら。打ち出しが、玉三郎他で長唄舞踊「秋の色種(いろくさ)」。25日まで、東京・銀座の歌舞伎座。(劇評家 石井啓夫)
渡辺保の劇評
2017年10月歌舞伎座

歌舞伎版「マハーバーラタ」

 
 インド神話の叙事詩「マハーバーラタ」が歌舞伎化された。
 序幕第一場、屏風絵風の極彩色の背景に高い壇上に黄金の仏像風の菊五郎の
那羅延天を中心に上手へ松也の梵天、下手に菊之助のシヴァ神、楽善の大黒点
が並んで「忠臣蔵」大序の竹本のオロシ、東西声で幕が開き、そこへ本花道か
ら左団次の太陽神、仮花道から鴈治郎の帝釈天が出揃ったその神々しさ、金色
まばゆい豪華絢爛さは目を奪うばかり、さすがにインドの大叙事詩が歌舞伎座
のスケールにはまって拍手喝采であった。
 青木豪脚本、宮城聡演出。
 まずは快調の滑り出しであり、あの長大にして難解複雑な物語が意外にわか
りやすく、むずかしいインドの人名もなんとかこなして、前後幕間をいれて五
時間弱。よくまとまったとは思うが、それでも三つの問題点がある。
 一つは、物語を通すのに急で、役者の仕どころ、観客の側からいえば芝居の
見どころがないこと。これではただの絵巻物であって、芝居としては組まれて
いない。
 二つ目は、人間の性根が描かれていない。
 この作品の主人公は、シヴァ神と菊之助二役の迦楼奈であるが、彼は太陽神
の子として生まれながら人間たちの戦争を止め、世界を救うという宿命を持っ
ている。しかしふとしたことから従兄弟の一人王位につくべき悪女鶴妖だ王女
と友情を結び、実の弟たちと敵対する。自分の運命からいえば、戦争を止めな
ければならない。これが彼の性根であるが、その戦争を止めるといっても大し
た苦労も見せる場がなく、なんでこの場にこの男がいるのかがわからないシー
ンが多い。つまり人間の行動が、モチべーションがきっちり描かれていない。
 三つ目は、せりふが乱暴すぎる。こういう原作である以上、現代人にもわか
りやすい言葉に書かれる必要があるし、現代語が時に入ってくるのはやむを得
ないにしても、その人物の行動や思想を表す言葉が貧しい。たとえば迦楼奈が
自分の運命を悟って、那羅延天に教えを授けられるところは、大詰の白眉であ
るはずだが、原作の哲学がむずかしい上に、せりふがうまく書けていないため
に、見ていてなんのことかよくわからない。
 以上三点。折角の大企画にもかかわらず絵巻物にとどまった理由である。
 菊五郎の那羅延天はさすがに座頭の貫禄。菊之助の二役迦楼奈は凛々しいが、
すでにふれた三点によってドラマとしては彫が浅い。対する松也の阿龍樹雷王
子は力演であるが、実の兄を殺してしまった悔悟と悲しみがうすい。しかしこ
れは台本のせい故、仕方がないか。
 時蔵の汲手姫は、これも性根がもう一つ鮮明でないが、これは時蔵のせいで
はない。梅枝の若き日の汲手も平凡。梅枝はそれよりも二役森鬼飛がいい。
 七之助の悪女鶴妖だは手強くていい。そのほかの役々のうちでは、亀蔵の風
い魔王子が目につく。
 夜の部第一は、玉三郎初役の淀君で「沓手鳥狐城落月」の奥殿、乱戦、糒庫
の三場。
 玉三郎の淀君を期待して行ったが、歌右衛門以来だれも坪内逍遥をうたわな
くなって玉三郎もしかり。きわめて心理的で奥殿など次の糒庫につなげるため
だろうか、後半半分気が狂っているように見えて面白くない。玉三郎ならば堂
々とせりふをうたって、この役の面白さを復活してくれるかと思ったがそうは
ならなかった。それのみならず今夜は二日目の故もあるだろうが滑舌あざやか
ならず、息つぎ、間の取り方も十分ではなかった。その点は日ならずしてなお
るだろうが。
 糒庫になると、さすがに「また来おったか」の第一声から凄味がついて奥殿
よりはいい。「わらはの化粧箱も同然」あたりのスケール、凄味はいいが、そ
の後は平凡である。
 万次郎の正栄尼と彦三郎の氏家内膳がしっかりとしている。児太郎の常盤木
は役に負けているが是非なし。梅枝の饗庭の局,鴈成の大蔵卿の局、松也の大
野修理、米吉の千姫。
 七之助の秀頼がキッパリしているが、母への情愛、豊臣家の崩壊を一身に背
負う悲劇の深さまでは出なかった。
 さて、今月一番の見ものは、次の芝翫、鴈治郎の「唐人殺し」。上方版で序
幕が長崎丸山千歳屋の門口と奥座敷、廻ってもとの門口。二幕目が国分寺客殿
と奥庭殺しの二幕五場。奈河彰輔補綴の台本をさらに整理して一時間半。短く
簡潔になったのはいいのだが、お宝内見の時刻、にわかの出船のいきさつがわ
かりにくい。その混乱はプログラムにも及んで、唐の使節の出船が「都へ向け
て出船」と書いた数行あとに、唐使が「自国へ帰る」とある。「都」といえば
当然京都(実は江戸)であり、「自国」といえば中国だろう。この船はどこへ
行くのか。これでは初心者は混乱する。
 今月これ一役の芝翫の大通辞幸才典蔵がいい。序幕の花道の出から、ごく普
通のいい人という解釈は、これはこれで面白く、なによりも世話の、地の芝居
が確かなのが芝居を盛り上げる。
 伝七に高尾のことを頼むために、フッと持っていた紅葉の扇子を渡しての引
込みの伝七への思い入れも芝居としては十分の出来である。
 もっともその普通の人が、伝七と高尾の仲を知って怒りに燃えるのはいいと
しても、ここでガラリと変わる凄味が少し足りない。「心の闇」という、その
闇が多少うすいからである。
 国分寺になってからも最初はやはり普通の人でいるのが、それはそれで一理
ある解釈だが、もう観客は典蔵の変心を知っているのだから敵役で行った方が、
あとの芝居が盛り上がるだろう。ここでも普通の人でいてガラリといじめにな
る方がいいという考え方だろうが、それでは序幕と同じになってつまらず、こ
こははじめから敵役に徹して奥庭までグイグイ押していくべきだろう。「忠臣
蔵」の師直とは違うのである。
 しかしその難点を差し引いても、芝翫は立派な大敵。線の太さ、スケールと
もにいい典蔵である。
 対する鴈治郎の伝七は、こういう役に色気が出て、ユーモラスなところが自
然に出ている具合がいい。まだまだこれからであるが、この珍しい作品を復活
したのはお手柄である。
 この二人の奥庭の殺しは、昼の「マハーラバタ」の大詰めの立ち廻りにうん
ざりしていた私には一服の清涼剤。歌舞伎はこれでなければならない。
 七之助の高尾は、まだこの役には無理。つい典蔵の情けにほだされて伝七と
の仲を口走ってしまう辺りの芝居の面白さ、女心のはかなさはまだ不十分。
 米吉の名山は、ほとんど飾りものの如く、さすがに高麗蔵の和泉之助が、又
五郎や秀太郎ほどではないが、こういう現代ばなれのしたつつころがしの役を
よくやっている。努力賞。
 下役須藤丹平は、この芝居では大事な役で若い福之助には無理。ワキの端敵
の腕達者がつとめるべきだ。
 亀蔵の呉才官、橘太郎の珍花慶。
 友右衛門の千歳屋の女房、松也の奴光平。
 奥庭の殺しは、今まで純日本風の渡り廊下であったように思うが、今度は朱
塗りの中国風で、序幕の千歳屋との対照を失ってよくない。
 夜の部の最後は、玉三郎の舞踊「秋の色種」。もとより長唄の素の曲として
有名なものだが今度花柳寿応・寿輔の振付で私ははじめて見た。
 踊りとしてはさして面白くはないが、玉三郎の持ち味のあでやかさ、背景の
月や星の美しさ、勝国の三味線の虫の音、それに今度は梅枝と児太郎の二人が
からんで、しかも琴を弾くという大サービス。キレイづくめのムード舞踊。玉
三郎が若い二人に入ってなおだれよりもきれいに見えるのは驚くほかない。二
人の琴がおわると黒の衣裳にかわって、今度は二人の娘の母親という景色もい
い具合である。 

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ちょっとだけ遅れたのですが無事に着席しました。白鳥さんが入院して点滴されていた時に輸液バッグを点滴箇所より低いところに置いて輸液に出血が混じったとか、病院の中で迷ったとか、白衣のお婆さんがエレベーターから出て来てぎゃぁだったとか、お婆さんは地下の風呂に行きたかったんだけどエレベーターで迷ってたとか、相変わらず実話が落語みたいに面白い。
 お腹回りが随分凹んでシュッとしてます。力が出ないそうで、一席目でくらくらしてるとか。でもやりきってくれてありがとう。

真夜中の襲名/白鳥
 私が落語デイズとかお台場とかネット配信でいろいろ聞きかじっていた頃、聴いたネタですね。白鳥さん(師匠と呼びにくい)が言うには、こぶ平の正蔵襲名の時につくってかけ、一平の三平襲名の時にもかけたネタで久しぶりだとか。作風的には「流れの豚次 任侠流山動物園」の原型で、私の頭の中では白鳥さんの動物イラストとともに白鳥どうぶつシリーズとして記憶されています。
 上野動物園のふれあい公園に連日子供たちに触られている(虐められている)パンダウサギのピョン吉が、大名席の「カンカン」に憧れるが、「カンカン」は生まれたばかりのジャイアントパンダの赤ちゃん「シャンシャン」がいずれ襲名する名前に決まっていた。生まれによって決まってしまう襲名に怒って動物舎に抗議に行くピョン吉だが、長老のあした順子インド象先生のとりなしで、「ラビット亭園長」の大名席を襲名することが決まり、まん丸お月様の下で襲名ご挨拶するというおめでたい一席。
 「任侠流山動物園」のパンダがすげーヤクザで笑えるんだけど、こちらは赤ちゃんパンダが母パンダの政治力によって笑点出演が決められていたりで親の七光りでいい思いもするけど実力不足にいじけているというキャラクター造型。
 そういえば三平はNHK『落語THE MOVIE』で「ざる屋」をかけていた。寄席では漫談以外『ざる屋』しか聴いたことがないのだけど、だいぶ聴けるようになった。まぁニンも米あげざる屋にとても合っているので、ネタ数は少なくても寄席で生きていける芸人でいてくださいね。

牡丹の怪/白鳥
 柳家ミミちゃんが主人公で、師匠の小三治も登場する。『牡丹灯籠』をパロディ化していて、練馬の飯島病院の院長先生が再婚して、後妻と折り合いのつかない令嬢お露さんが目白の別邸にお手伝いの米さんと一緒に暮らしている。身体が弱くて庭の草花を育て、落語を聴くのが趣味。師匠に紹介されたミミちゃんはお露さんといい仲になるのだが……。
 途中展開にちょっとエッチな場面あり、後半はB級ホラーじみた展開。けど、オチは白鳥作らしい駄洒落。高田馬場と目白の間に素敵な名所ができました(ネタ)。

仲入り

雪国たちきり/白鳥
 白鳥さんの故郷の高田のお隣の城下町で、商家の若旦那が津軽から来た芸者の小糸に惚れ……津軽三味線が鳴るラストがちょっともの悲しい白鳥版「たちきり」。
 こりゃ確かに十何年か一度にしかかけられないわ(汗)。
たまたま都合がよかっただけなのだが、初日に見に行った。

シネマ歌舞伎「四谷怪談」

 コクーン歌舞伎を生で観た時の感想は下記。
渋谷・コクーン歌舞伎「四谷怪談」

 舞台で見た時と印象あまり変わりないかも。現代と江戸時代の混ぜ方があまり効果的でないように思う。現代でもあり得る話というメッセージだけなら、モブを割り込ませなくても音楽だけでかなり効果があったと思う。『三人吉三』がすっきりした画面で効果上げていたので、こちらは過剰な気がした。

 業と強欲が殺人やらお家乗っ取りやら近親相姦やらに繋がる、物語の力は強い。民谷伊右衛門とお岩の因縁話だけでなく、お岩の妹お袖を巡るふたりの男を後半で際立たせ、忠臣蔵のサイドストーリーである設定。

 勘九郎さん七之助さん獅童さん扇雀さん笹野高史さんなど俳優陣の魅力はほんと素晴らしい。勘九郎さん演じる直助と獅童さん演じる民谷伊右衛門。殺人を含めて手段を問わず、欲を見たそうとするが決して報われない。強欲と業の物語。

 やっぱり大きなスクリーンといい音響、シネマ歌舞伎は生の歌舞伎とは違う魅力。ネットで何度か見ているのに『め組の喧嘩』予告編で勘三郎さんを見て、ぽろぽろ泣いてしまった。
9/22夜の部

・ひらかな盛衰記 逆櫓
前半は、平和な船頭一家が取り違えで預かった子の素性が知れ、人のいい入り婿の正体が実はという話。小さな第二場があって、遠景に主人公が若い船頭に逆櫓を教えている場面、子役で遠景に見せるという趣向が面白い。第三場は碇知盛の着想の元となった、船頭多数との戦闘シーンから大碇を投げつけるシーン、最後は畠山重忠が出て来て締め。でも主人公はお縄になり、守った主君の子の命と引き換えに切腹する運命。
 ……吉右衛門がもう少し若い時に見たかったなぁ(ぼそ)。

・再桜遇清水
 最初は北条の桜姫と千葉家の若侍の恋物語で始まり、ちょっとシェイクスピア『真夏の夜の夢』か『十二夜』あたりのテーストなんだけど、桜姫の美しさに魅せられて彼女のために殺生戒を破った僧清玄が破戒僧に墜ちてなお桜姫を求める展開はプッチーニ『トスカ』も真っ青。衆道あり強盗殺人あり、小姓ふたりの入水自殺あり、どうなるかと思ったら最後は『四谷怪談』ばりの怪談オチ。死して成仏できない清玄が化けてなお桜姫を求めるスリラー仕立ての幕は後味がよくはなかったけど、高潔な僧が恋に落ち、肉欲物欲に怪物化するあたりは結構好き。染五郎が陽気な奴と破戒僧清玄の両方を演じ、時には笑いを呼びつつ最後のスリラーまでよく化けてくれた。雀右衛門の桜姫はやはりハマリ役だし、米吉と児太郎の若衆コンビが可愛美しい。

9/23昼の部

・彦山権現誓助劔 毛谷村
仇討ちものの傑作。女武道の菊之助が美しい。染五郎&菊之助の美男美女でうっとり。

・仮名手本忠臣蔵 道行旅路の嫁入り
通しで踊りなので、ついうとうとと。

・極付幡随長兵衛 「公平法問諍」
やはり吉右衛門は似合うなぁ。

芝居も極付、感動の長兵衛 歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」
 初代中村吉右衛門の俳名を冠し、功績をたたえる「秀山祭」。孫の二代目吉右衛門が、初代ともどもの当たり役である2作品に主演した。

 昼の「極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)」が河竹黙阿弥の名ぜりふと呼応して感動的。江戸・花川戸の侠客(きょうかく)長兵衛(吉右衛門)と旗本水野十郎左衛門(市川染五郎)との男の意気地をかけた対決。「長兵衛内」の場がことにいい。吉右衛門が、死を覚悟して後事に思いをはせる「歎息なして…」の語りにつれ、顔を硬直させる。無言の容貌に宿る芝居の醍醐味(だいごみ)。竹本葵太夫の炎のような浄瑠璃も、名演に火をつける。染五郎初役の水野の作りも眼を射る。白塗りに映える憂愁。含みある面立ちに人間性の分の悪さをあらわにする。見事な水野像だ。

 夜に「ひらかな盛衰記」から名場面「逆櫓(さかろ)」。せりふ、見得と俳優の器量で見せる時代物。吉右衛門が軟から硬へ、町人の船頭松右衛門から実は武将樋口次郎へと鮮やかに変わる。漁師権四郎に中村歌六(かろく)。

 夜の最後に吉右衛門が松貫四(まつかんし)の筆名で書いた「再桜遇清水(さいかいざくらみそめのきよみず)」。歌舞伎伝来の「清玄桜姫物」にアイデアを借りた。美しい桜姫(中村雀右衛門(じゃくえもん))に恋い焦がれてしまった僧侶清玄(染五郎)が破戒、堕落をものともせず、殺され幽霊になっても姫に付きまとう。人間の業を諧謔(かいぎゃく)味たっぷりに描く。吉右衛門が32年前に作、主演。歌舞伎座では初上演。昼はほかに「毛谷村(けやむら)」と舞踊「道行旅路の嫁入」。25日まで、東京・銀座の歌舞伎座。(劇評家 石井啓夫)
<評>吉右衛門、緩急自在 歌舞伎座「秀山祭大歌舞伎」
 歌舞伎座は初代中村吉右衛門の芸をしのぶ秀山祭。昼夜にゆかりの演目が並ぶ。
 昼の部「極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)」の吉右衛門が素晴らしい。緩急自在のしみ通るようなせりふで、「たかが町人風情」の自分の死に場所を見定めた男の覚悟を浮き彫りにする。その覚悟をあくまでも静かに受け止める中村魁春(かいしゅん)の女房お時も感動的。中村又五郎が劇中劇の坂田公平と出尻清兵衛で好演を見せ、中村錦之助の近藤登之助に悪が利いていい。中村歌六の唐犬権兵衛、市川染五郎の水野十郎左衛門。
 「彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち) 毛谷村」は染五郎の六助、尾上菊之助のお園が華やかにして爽やか。お園のクドキに悲哀がにじみ、六助は出立で義太夫にのるところがわくわくさせるおもしろさ。又五郎の微塵弾正(みじんだんじょう)実は京極内匠、上村吉弥の後室お幸。昼の部は他に坂田藤十郎の戸無瀬、中村壱太郎(かずたろう)の小浪、中村隼人の奴(やっこ)で「仮名手本忠臣蔵 道行旅路の嫁入(よめいり)」。
 夜の部は「ひらかな盛衰記 逆櫓(さかろ)」から。吉右衛門の松右衛門実は樋口次郎兼光は、カドカドの見得(みえ)が錦絵そのまま。中村歌六の権四郎は孫の死を聞いての衝撃と悲嘆、そして怒りと、胸の内が手に取るように伝わるきめ細かさ。中村東蔵の女房およしとともに、名もなき生活者のリアリティーに満ちている。中村雀右衛門のお筆、市川左団次の畠山重忠。
 「再桜遇清水(さいかいざくらみそめのきよみず)」は吉右衛門が松貫四(まつかんし)の名で清玄桜姫物の古作を書き改めた作品。芝居の足取りがやや重いが、適役ぞろいで、埋もれた演目を甦(よみがえ)らせる意義ある試み。二十五日まで。
(矢内賢二=歌舞伎研究家)
渡辺保の歌舞伎評
2017年9月歌舞伎座新しい長兵衛
 今日、私は新しい長兵衛を見た。吉右衛門の「湯殿の長兵衛」である。別に

変った新演出があるわけではない。いつもの通り。しかし回を重ねて洗練され

て、今まで見えなかった一本の線がつながって、長兵衛という男の人生のドラ

マがはっきり浮かび上がった。これだから古典は同じものを何度見てもその度

に新しい発見があるのだ。

 むろん「湯殿の長兵衛」はいつ見ても江戸ッ子の男一匹、意地の張り合いか

ら殺される男の話であるが、今度はそうではなかった。死に場所を自ら発見す

る男の話であった。人間はいつか死ぬ。しかしいつ死ぬかはだれもわからない。

死を自ら求めるのは単なる自殺に過ぎない。長兵衛は自殺者ではない。自ら死

に場所を発見した。ここで死ななければならないと思い、そうすることが自分

の人生を全うすることだと思った。全てを終わらせようとしたのではない。そ

こが自殺と違う。

 たとえば二幕目の花川戸の長兵衛の内の長兵衛自身の告白を聞いているとよ

く分かる。今度の吉右衛門のそれは、自然な軽さのなかに実がこもっていて、

そのリァリティがこれまでにない深さである。すでに夫の覚悟を知っている魁

春の女房お時がせっかく仕立てた黒紋付がこんな役に立とうとは思わなかった

という。そうすると長兵衛はこれが一世の晴れ舞台だからこそ仕立て下ろしを

着るのだという。なぜ晴れ舞台なのか。実力があっても所詮しがない町奴にと

って士農工商の身分制度は鉄壁であった。その鉄壁に向かって長兵衛は革命を

起こしたわけではない。八千石の旗本と対等に死ぬのは晴れ舞台だと思った。

むろんたかが八千石である。八万石でも八十万石でもない。そこに長兵衛の勇

気と哀れさがある。

 彼が偉いのは彼がプライドを捨てなかったこと。体を張って血の涙を流しな

がら生きて来たからである。多くの人の難儀になることを知りながら、ここが

自分の人生の終末だと思った。そこにこの男の発見がある。今度の吉右衛門の

長兵衛はそういう男のドラマであった。

 序幕村山座の名調子もさることながら、それ以上に大事なのは坂田金左衛門

に対してあくまでお詫びに出たのでございますといっていることである。この

卑下した態度が一貫している。初代吉右衛門の長兵衛は愛嬌こぼれるばかりで

あったが、その愛嬌こそ士農工商の最下位にいる人間の被差別感覚とそれを超

えようとする方便から出る。当代またそれに近く初代の光彩につながっている

と同時に、次の幕の花川戸の内での述懐で爆発する。私が一本筋が通って男の

ドラマが浮かび上がったといい、新しいという所以である。

 大詰水野の屋敷では、風呂場へ誘われてよんどころなく立ち上がって向うを

見る思い入れが、夫婦、親子の別れの情が出てうまい。それに引きかえて湯殿

では満場を沸かせる、ここ一番の大タンカ、胸のすく出来である。

 魁春のお時は、あえてベタベタせずにサラリとしながら、夫の気持ちは底の

底まで知っている女房を描いて、しかも風格がある。

 又五郎が村山座の坂田金平の大荒事のあとすぐ引っ返しての三枚目の出尻清

兵衛で腕を見せる。ことに金平で舞台番に思わず「もう大丈夫なんだろうね」

というさり気なさ、可笑しさがうまい。橘三郎の慢容上人が手に入ってうまい。

 染五郎の水野は悪が効かないが、この年配では仕方がない。その分錦之助の

近藤登之助が悪を聞かせて水野を助けている。

 歌六の唐犬権兵衛が舞台を締めている。

 錦吾の渡辺綱九郎、吉三郎の保昌武者之助、吉兵衛の舞台番、蝶十郎の中間。

脇のなかでは吉之亟の坂田金左衛門がいい。

 児太郎の頼義、米吉の御台、松江、亀鶴、歌昇の子分。

 以上この芝居がこの興行一番の見ものである。

 昼の部はこの前に染五郎、菊之助の「毛谷村」と藤十郎、壱太郎の「八段目」

の道行がある。

 「毛谷村」は次代の歌舞伎を背負う二人。ことに染五郎の六助がいい出来で

ある。前半の「なんとでごんす、ぼろんじどの」の愛嬌から、太鼓を叩いてス

キを見せずにお園への物語がいい。お園と知れてからの居所が真中へ出過ぎて

せせこましいほかは、ニンも芝居もいい。後半、斧右衛門が出てからはやや力

不足。タッチが弱くなる。しかし「義の一字」と扇を開いた大見得で大分取り

返した。まずは上出来である。

 菊之助のお園は花道の出がよくない。女が男装しているという面白さがはっ

きりしない。男か女かわからぬ中途半端。相手が六助と知れてからは、尺八を

火吹き竹と取り違へたり、臼を持ち上げたりするのがとかく段取りめく。六助

への狂熱的な思いが出ていないからである。くどきはカラミを使って一通り。

型通りであるが、もう少し色気が欲しい。

 この一幕では又五郎の微塵弾正が、凄味、憎みともによく、今月昼の部の三

役、大当たり。

 吉弥のお幸は、人品卑しからず、立派な吉岡家の後室。ことに後半斧右衛門

が入ってから舞台にスピードが出たのはこの人のリードの力である。吉之亟の

斧右衛門は突っ込みが足りず不発。

 次の「八段目」は、私は藤十郎の戸無瀬をはじめて見た。九段目は再三見た

が八段目は東京では初役。小浪とともにせり上がったところはさすがに立派な

風格。しかし仕どころがあまりない役だから、それまでである。

 藤十郎とともにせり上がった壱太郎の小浪が十分藤十郎に対抗するだけの立

派さには一驚した。ここのところ大いに芸格が上がったからである。しかしと

かく顔を上げすぎるのはよくない。むろん小浪は力弥に会えて嬉しいだろうが、

同時に不安もあるはず。上を向いてばかりいては、その性根を失う。

 隼人の奴。

 夜の部は、吉右衛門の「逆櫓」と染五郎、雀右衛門の「清玄桜姫」。

 吉右衛門の樋口は、前半花道のはなやかさから、梶原に目通りしての物語の

うまさが、浮き立つようで面白い。後半は「権四郎、頭が高い」で門口の柱に

つかまって向こうを見込んでのキマリ、二重に上がりかけて振り返っての裏見

得、表になっての大見得まで錦絵の美しさ。これぞ歌舞伎という味わいで堪能

させる。物語はわずかな動きでありながら大波が波頭に砕ける如き面白さであ

る。「そめろの山、千尋の海」の情愛、遠見を挟んでの逆櫓の松の大立ち回り、

物見のカドカドの見得の立派さ。いずれも堪能させる。

 歌六の権四郎が秀逸。ことにお筆の話を聞いている間の、絶望に打ちひしが

れてジッと動かずしかもハラで芝居を受けている具合が印象的であった。今日

の権四郎である。

 東蔵のおよしは、お筆が帰るというのを聞いて引き留めるところに、わが子

可愛さからせめてこの人と話をして居たいという母親の情、女の気持ちが出て

ホロリとさせる。このあと権四郎に手を引かれてのれん口へ入る時、二重に上

がった歌六、東蔵がフッと立ち止まる。その二人の背中に親子の不運を思わず

にはいられなかった。結婚によって血族には他人が入ってくる。そして新しい

絆が生まれる。およしの再婚、樋口の入り婿。まして武士と船頭という身分の

差。その人間関係の複雑ななかから樋口はむろん、およしも権四郎も生きてい

かなければならない。そう思わずにはいられない親子の後姿であった。

 雀右衛門のお筆はベテランに囲まれてまずは神妙な出来。又五郎、錦之助、

松江の三人が船頭に出る顔揃い。

 左団次が重忠。

 次の「清玄桜姫」は南北の名作「桜姫東文章」の先行作。南北のネタは全部

ここに揃っていることがわかる。その「遇曽我中村」という古い脚本を吉右衛

門が三十年余り前に「松貫四」の筆名で脚色、四国と大阪で上演したが、私は

どちらも見なかったので今度はじめて見た。吉右衛門監修、戸部和久補綴。

 全三幕のうち、序幕新清水花見の場は、染五郎の清玄上人と奴波平の二役早

変わり、錦之助の千葉之助清玄、雀右衛門の桜姫、魁春の山路という適役揃い

なのに、いささか冗長な上に、演出がキッパリせず、役者が芝居に慣れぬとこ

ろもあって芝居がこなれていない。

 一つだけ例を挙げる。千葉之助と桜姫の不義が証拠の手紙で手詰めになった

時、山路がその手紙は「キヨハル」ではなく「セイゲン」だと主張するのを思

いつくところ、セイゲンが偶然石段の上に立っているのは、芝居としては面白

くない。なんのためにここへ清玄が出て来たのかがわからず、その分山路が思

いつく運命的な瞬間が立体的になっていない。

 桂三の荏柄の平太が手強くない上に、一味の吉之亟の大藤内が神職だといい

ながら雑色みたいな格好しているのも軽々しい。敵役陣が弱いので主役たちに

枷が掛からないのである。もっと整理して演出を面白くすればいい芝居になる

のに惜しいことである。

 二幕目雪ノ下桂庵宿の場は、原作の風俗描写をするには装置が原作と違って

ありきたりの店先であるのが不自由。原作が面白いだけに残念。

 大詰六浦庵室になってもまだ物語がごたつく。児太郎、米吉の寺小姓も、京

妙の富岡の後室もカットしてここまで来たらばもう清玄桜姫に筋を絞った方が

インパクトもあり、役者も仕甲斐があったろう。現に染五郎、雀右衛門、錦之

助の三人もここでグッとよくなる。

 再演に期待したい。

 

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8月から頸椎手術のため休養していた小三治師匠を心配していたのだが。

国宝・柳家小三治さん高座復帰 手術で療養、1カ月ぶり
 頸椎(けいつい)の手術で療養していた人間国宝の落語家柳家小三治さん(77)が13日夜、岐阜県多治見市で開いた落語会で、約1カ月ぶりに高座に復帰した。
 口座にちょっと上がってくれてお喋りしてくれたらいいなぁ、という思いで「柳家小三治独演会」のチケットを手に大田区区民ホールアプリコへ。
 「独演会」は「一門会」に変更。それでも大トリに師匠が上がってくださる。

元犬/小八
そば清/〆治

仲入

目薬/一琴

マ・ク・ラ
転宅/小三治
 京都で頸椎手術を受け、療養のため京都をあちこち見てきました、という話からいろいろ派生。東寺、大原三千院(永六輔の歌詞をくさす)、鞍馬、御所、二条城、十分行けなかった嵐山の渡月橋。ようかんの虎屋の本家は御所のそば。でも小三治さんにいろいろ廓の話を聞かせてくれた浅草の結髪さんのおすすめは先代の白松がヨウカンの栗羊羹。それぞれに派生する話がたくさんあった。
 口開けだけちょっと言葉が出て来なかった感じだったけど、後は滑らか。
 しかも「転宅」までかけてくれた。出来は療養前よりいいと思う。
 小三治師匠、寿命を延ばされたようだ。

新築のホールというのに、談春さんが「何かあったら二次災害起こりかねないので、出口に殺到せず、そのままじっとしていた方がいい」と案内する、非常口少ないつくり。はけた後の階段の込み具合は、よみうりホール並み。トイレも個室が狭いし複雑な構造のため人の流れが悪い。
 うーん、駅から少し歩くし、大箱はあまり好きじゃないので、あまり寄りたくない日本青年館ホール。



実はこけら落としではない。こけら落としに相応しいのは志の輔兄さんで、自分はむしろクローズの時。

映画「忍びの時」ではオープニングに顔アップで登場する。日曜劇場に落語家枠ができたらしい。

自慢話といえば志らくが面白い。

といった四方山話を枕に、
1. かぼちゃ屋
1. 三年目
(仲入)
1. 文七元結

文七元結には「2017 夏」という副題がついてました。現代的な解釈だと思いますが、なぜ文七が親分から五十両の借金をできたか(左官屋の腕もさることながら娘のおひさを吉原に売れば五十両は取れる)、なぜ佐野槌の女将が文七に金を貸したか・二年の期限を設けたか、とひとつひとつがロジックです。自分と家族が立ち直るための五十両を何の縁もない文七に五十両投げつけるように渡したかは「江戸っ子だから」としか言いようがない、のですが。

談春さんの長兵衛は腕はあってもどこかに甘えがある、時に子供のような見えをはる、という造詣で、江戸というよりは戸田競艇場の風が吹く感じがないでもないのですが(爆)、談春さんの文七です。

そして、今日ちらっと言ってましたが、歌舞伎「文七元結」を中村勘三郎・文七、佐野槌おかみ・玉三郎、おひさ・松たか子で見ていたらしい。少なくともおかみの玉三郎は談春さんの『文七元結』に反映されていますし、確かに勘三郎さんっぽさも文七にありました。


久々に幕末ニュースです。

北海道
辞林「幕末の三筆・市河米庵と一族門流展」 札幌・小原道城書道美術館 /北海道
 「幕末の三筆」と称された市河米庵(1779~1858年)の作品を集めた特別展「幕末の三筆・市河米庵と一族門流展」が、小原道城書道美術館(札幌市中央区北2西2)で開かれている。
 市河米庵は江戸唐様書の大家。剛健な書風で知られ、大名らにも書を指導。特別展では米庵を中心に父で儒学者の市河寛斎ら一族の書画や門流の書など約40点を展示している。

東京
土方の逸話や人柄紹介…町田の小島さん出版
奉公で指導力養う 手紙に「モテた」…

土方歳三(佐藤彦五郎新選組資料館蔵)
土方歳三(佐藤彦五郎新選組資料館蔵)
「幕末群像伝 土方歳三」を出版した小島さん
「幕末群像伝 土方歳三」を出版した小島さん

 新選組の研究をライフワークとする町田市小野路町、小島資料館館長の小島政孝さん(67)が、新選組副長の土方歳三の生涯やエピソードを伝える「幕末群像伝 土方歳三」を出版した。小島さんは「テレビなどでのイメージとは異なる土方の人間性を読み取ってもらえればうれしい」と話している。

 小島さんは、旧小野路村の豪農だった小島家の24代当主。20代当主の漢学者、小島鹿之助は自宅の庭を剣術の出稽古に開放し、のちに新選組局長となる近藤勇や土方、沖田総司らが訪れた。小島家には、1836年(天保7年)から1921年(大正10年)まで4代にわたって書き継がれた「小島日記」などの史料が所蔵されており、新選組に関する貴重な記録にもなっている。

 小島さんは今回、小島日記などをもとに、土方の出生、多摩ゆかりの剣術・天然理心流入門などから、北海道・函館で戦死するまでの様々なエピソードをつづった。

 土方は11歳から24歳の頃まで商家に奉公に出ており、この経験が新選組での指導力に生かされたとみられるという。また、土方から鹿之助の母に風邪薬が送られてきた際には、用法を詳細に記した手紙が添えられていたことや、京都で土方が女性にもてたことを自慢げに記した自筆の手紙などからは、女性への優しさがうかがわれることも紹介している。

 四六判、64ページ。2000部発行。税込み800円。希望者には送料込み1000円で分ける。問い合わせは小島資料館(042・736・8777)。

 小島さんは、「幕末群像伝~多摩の豪農・小島家を巡る人々~」の執筆にも取り組んでいる。土方や近藤、土方の義兄・佐藤彦五郎ら33人を取り上げる予定で、来年には出版するという。

土方歳三

 1835年(天保6年)、石田村(現日野市)生まれ。新選組副長として、幕末の京都で治安維持にあたった。局長の近藤勇が新政府軍に捕縛された後も宇都宮、会津などを転戦。69年(明治2年)、函館五稜郭の戦いで戦死した。

2017年08月26日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

歳三の新たな一面を紹介 文化小島資料館で上梓
 小島資料館の館長・小島政孝氏(小島家24代当主)が「幕末群像伝〜土方歳三」を上梓した。小島家20代当主である小島鹿之助は近藤勇、土方歳三らと親交があり、書簡など様々な資料が現在も残っている。新撰組副長のとしての土方歳三のほか、幼少期のことや女性自慢など新たな一面を資料を読み解きながら記している。

 今回の冊子は町田ジャーナルで連載していたコラム「博愛堂清話」(1998年〜2011年)の中から土方歳三の部分を抜き出し、加筆したもの。

 特に新しい発見は、歳三の幼少期のこと。武蔵国多摩郡石田村(現東京都日野市)で生まれた歳三は、幼少期に長年にわたり奉公にでたことが石田村の「宗門人別帳」を調べることで分かった。11歳から24歳までと長く、小島氏は書籍の中で「小学5年から、大学院修士課程までを、奉公で過ごしたことになる。彼の人生35年間においても、この期間は、長く人格形成にもおいても重要な時期であった」と記した。人の使い方や指導者としての立場など、後の新撰組副長としての指導力に活かされたと、小島氏は語る。

 小島家当主4代前にあたる小島鹿之助は、近藤勇、土方歳三と親交が深く、年齢は鹿之助が、近藤より4歳年長だった。そして近藤より1歳年下の歳三。数多くの書簡の中には、歳三の女性自慢もあり、いかに京の街で女性にモテているかを報告してきた。小説やテレビ、映画で知っている歳三とは違った一面も紹介している。

 冊子は四六版で61ページ。定価740円(税別)。希望者は現金書留で〒195―0064町田市小野路町950番「小島資料館」宛。送料込で1000円同封のこと。ほか、町田駅前のぽっぽ町田でも販売している。

静岡
幕末の英雄「書」展示 静岡・駿府博物館、「三舟」など30点(2017/8/20 09:08)
 静岡市駿河区登呂の駿府博物館で19日、大政奉還から150周年を記念する企画展「幕末維新 英雄たちの書~徳川慶喜、勝海舟、山岡鉄舟、他~」(同館、静岡新聞社・静岡放送主催)が始まった。11月19日まで。
 同館の所蔵品から、幕末から明治にかけて活躍した人物の書を中心に30点を展示した。江戸城無血開城に尽力し、「幕末の三舟」と呼ばれた勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の書や、江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の書も並んでいる。江戸中期の駿府の城下町を描いた土佐光成の「駿府鳥瞰(ちょうかん)図」も特別展示されている。10月7日からの後期展は、一部展示品を入れ替える。
 入館料は高校生以上500円、中学生以下無料。8月26日午後2時からは、書家大谷青嵐さんのギャラリートークが開かれる。問い合わせは同館<電054(284)3216>へ。

京都
京都幕末祭龍馬の新史料紹介 対談や報告 3日・東山 /京都
幕末維新の歴史を振り返る「第5回京都幕末祭」(NPO法人京都龍馬会主催)の講演会が3日午後1時半、京都市東山区の京都国立博物館平成知新館である。幕末の志士、坂本龍馬の没後150年を記念し、新発見の手紙などの史料を読み解き、知られざる姿を探る。

宮川禎一・同博物館上席研究員と京都龍馬会の赤尾博章理事…
 以下は有料記事となります。

【京都ホテルオークラ】10月13日で「大政奉還」表明から150年 オリジナルカクテルシリーズ 第5弾
[オークラ ホテルズ & リゾーツ]
歴史的瞬間にスポットをあてた一杯が9、10月に登場!

京都ホテルオークラ(本社:京都市中京区 (株)京都ホテル、東証2部上場、代表取締役社長 福永法弘)では、「大政奉還」が表明された10月13日に合わせ、2017年9月1日(金)~10月31日(火)に「大政奉還」にちなんだオリジナルカクテルを販売いたします。


京都ホテルオークラ オリジナルカクテル「維新」(左)と「決断」(右)
2017年は徳川家15代将軍慶喜が二条城で朝廷に政権を返上する「大政奉還」を表明してから150周年にあたります。京都ホテルオークラでは、幕末期、ホテルと同じ場所に長州藩邸があったことにちなみ、長州藩の志士「桂小五郎」と「二条城」をメインテーマに1月からオリジナルカクテルの販売を続けてまいりました。
2ヶ月毎にサブテーマや素材を変えながらシリーズ展開してきたこのカクテルを通じ、新たなお客様とのコミュニケーションや出会いの機会も生まれ、好評をいただいております。

今回、徳川慶喜が二条城二の丸御殿大広間に諸藩の重臣を集め「大政奉還」を表明したという10月13日に合わせ、その歴史的瞬間にスポットをあてた一杯が登場いたします。「二条城」をはじめ、幕末・明治維新ゆかりの地が数多くある京都で、歴史を動かした人々に思いを馳せる一杯をお楽しみください。

◆大政奉還150周年 オリジナルカクテル(9・10月)概要
「決断」(写真右)
「大政奉還」が表明された「二条城」大広間の障壁画と、新たな時代への幕開けをイメージし、美しい黄金色に仕上げた一杯。柚子やお茶など日本の素材にこだわった豊かなボタニカルが特長の「季の美 京都ドライジン」をベースに、きりっとした味わいの中に京都の「特別牛乳」でまろやかさをプラスしております。

「維新」(写真左)
朝の光に照らされた草原を思わせる鮮やかな緑で「大政奉還」後に新政府樹立へと歩みだした桂小五郎らの旅立ちを表現した一杯。明治初期に日本へもたらされて以来、多くのリーダーや文人に愛されたスコッチウイスキー「オールドパー」がベースの柔らかな味わいの中に、柚子の香りを利かせ、爽やかな飲み口に仕上げております。

【 価 格 】各1,782円(税・サービス料込)
【販売店舗】 2階 バー「チッペンデール」、17階 トップラウンジ「オリゾンテ」
*「オリゾンテ」はラウンジタイムのみ
【販売期間】2017年9月1日(金)~10月31日(火)
*大政奉還150周年カクテルシリーズは2017年12月29日(金)まで販売


【京都ホテルオークラについて】
京都市の中心部に佇む、1888年創業の伝統あるホテル。京の風情とヨーロピアンテイストが調和した落ち着いた趣の館内には国内外の賓客を迎えてきた歴史が刻まれています。高さ約60メートルの最上階レストランフロアからの眺めは美しく、東山三十六峰や鴨川、古都の街並みが一望できます。

〒604-8558
京都市中京区河原町御池
TEL:075-211-5111(代表)
アクセス:地下鉄東西線「京都市役所前駅」直結。/JR京都駅より車で約15分。
webサイトURL:http://okura.kyotohotel.co.jp/

企業プレスリリース詳細へ (2017/09/01-17:41)



兵庫
知られざる開港前夜に焦点 神戸で「開国への潮流」展
「長崎海軍伝習所絵図」など当時の様子を伝える資料が並ぶ会場=神戸市立博物館
拡大
「長崎海軍伝習所絵図」など当時の様子を伝える資料が並ぶ会場=神戸市立博物館
 神戸開港150年目の企画展「開国への潮流-開港前夜の兵庫と神戸」(神戸新聞社など主催)が、神戸市立博物館(神戸市中央区京町)で開かれている。幕末の開港までの準備段階に焦点をあてた展示。その後、貿易拠点として発展していく神戸の礎を築いた先人たちの軌跡をたどることができる。(ライター・加藤紀子)

 兵庫(神戸)港が開港したのは1868年。江戸幕府が欧米諸国と結んだ通商条約で開港場に選ばれていたが、幕末の混乱で5年遅れての実現となった。その間に、将軍徳川家茂の上洛艦隊を受け入れる港として整備されるなど、急速に近代化が進んだ。

 学芸員の三好俊さんは「準備段階の歴史は、開港後に比べてあまり知られていない」と、展覧会の狙いを話す。今回は当時の史料およそ100点を通じて、外国人の来日に衝撃を受けながらも、積極的に変化に対応していった街の姿を紹介する。

 注目の展示品は、最近になって見つかった「レザノフ屏風(びょうぶ)」だろう。1804(文化元)年に長崎に来航し、幕府に通商開始を求めて滞在したロシア人・レザノフ。自身の肖像のほか、将軍への献上のために持ち込んだ品々が描かれている。当時の人たちの視点で紹介してあり、初めて接する異国文化への認識が分かる。

 「長崎海軍伝習所絵図」は、幕末の海事教育施設の考証復元図。大坂湾の海図作成を手掛けた人材を育成したことで知られ、ここで学んだ多くが明治時代に活躍する。絵図は、海洋国家として成長していく日本に欠かせなかった伝習所の訓練の様子を伝える。

 神戸市指定文化財の「和田岬石堡塔外冑壁(せきほとうがいちゅうへき)之図」は、昨年までの修理工事で分かった砲台の調査結果の資料も併せて展示する。中央に円柱形の石造砲塔を備えるなど、海外で使われていた構造を日本で初めて導入した砲台だが、建造にあたっては日本の伝統技術も貢献した。

 例えば、火薬庫に大砲の冷却水が流れ込まないように、和船の造船で培われた高度な防水技術が使われている。海外の新工法を積極的に取り入れる過程で、従来の技法も織り交ぜながら模索した跡がうかがえる。

 神戸の開港を伝えるイギリスの絵入新聞「イラストレイテッド・ロンドンニュース」は、銅版画で表現した神戸港の光景と合わせてセレモニーの様子を記事にする。神戸港が世界に向けてデビューしたことを報道したもので、新しい時代の幕開けを感じる。

 三好さんは「神戸港の発展には、開港準備に奔走し、模索した先人たちの努力があったことを感じてほしい」と話している。

 24日まで。月曜休館(ただし、18日は開館し19日休館)。一般800円、大学生600円、高校生450円、小・中学生300円。JR三ノ宮駅、阪神、阪急神戸三宮駅から徒歩10分。TEL078・391・0035

■インフォメーション

・記念シンポジウム「神戸開港と港の近代化」 3日午後1時から。当日正午から入場整理券配布。

・サタデー・トーク 学芸員による見どころ解説 毎週土曜午後2時から。

 いずれも聴講無料。観覧券必要。先着160人。

岡山
徳兵衛漂流記米大統領選の記述発見 幕末の備中 4年ごとに「王」選ぶ 津山郷土博所蔵 /岡山
 2015年に津山市で見つかり、19世紀半ばの米国の様子を伝える日本人船乗りの漂流記に、米大統領選に関する記述があることが分かった。4年ごとに「王」を選んでいるなどと記され、米大統領選を紹介した県内最古の史料である可能性が高い。幕末の県内の町民が、世襲制とは異なるトップがいると知っていたことを裏付ける貴重なものだ。【小林一彦】

 記述があったのは、備中(現在の県西部)出身の徳兵衛が米サンフランシスコなどを訪れた体験を記した「漂流記」。徳兵衛が帰国を果たした後の1855年、津山城下の西今町(現・津山市西今町)の商家だった野々口屋佐一郎が聞き書きした。160年後、津山郷土博物館の所蔵品から発見された。

 漂流記で徳兵衛は「アメリカニ国王なし弐(二)十四ヶ国主より四年〓(しめ)其内ノ賢者を見立して王とするよし承り候」と述べている。「弐十四ヶ国」は24州を指すとみられる。米大統領選は当時も今も州政府のトップから選ぶ方法ではなく、州の数も徳兵衛のサンフランシスコ滞在時は31州になっていたため正確性に欠けるが、漂流記後半の付記冒頭に記され、徳兵衛や佐一郎の関心の高さがうかがわれる。

 徳兵衛と同じ「栄力丸」で漂流した船乗りたちが帰郷後、出身地の藩関係者に聴取された記録として知られる史料でも、「入札」で「年季を限り国王に見立て」(姫路藩)、「一任四年限りに代り持に」(鳥取藩)などと、やはり任期を限って国の代表を交代させていると報告している。

 徳兵衛が米大統領選について知ったのは、米国から移送された中国・上海滞在時だった可能性が高い。徳兵衛らの帰国を支援した先輩漂流民の山本音吉は当時、上海の英国系商社員として働いていた。栄力丸の乗組員が音吉から海外事情を教えてもらったと述べている史料もある。

 国内では、佐一郎が聞き書きした55年の前年に日米和親条約が結ばれ、津山出身の蘭学者、箕作阮甫(みつくりげんぽ)がペリー初来日時(53年)に持参した米国大統領国書の翻訳を手掛けるなどしている。米国への関心が国内で高まっていた時期で、徳兵衛のもたらした情報は多くの町民らに広がっていた可能性がある。

米サンフランシスコに滞在
 徳兵衛は1820年代初頭に現在の倉敷市玉島勇崎で生まれたとみられる。鎖国期の1850年に廻船(かいせん)「栄力丸」(乗組員17人)に乗船。江戸から上方方面に帰る途中、紀伊半島沖で嵐に遭遇し、かじや帆柱が破損するなどして約50日間太平洋を漂流した。

 米国商船に救助され、そのまま51~52年に米サンフランシスコに滞在。その後、中国に移送されて54年に長崎へ帰国。長崎奉行による取り調べを受けた後、翌年1月(旧暦)に当時兄が暮らしていた松山新町(現高梁市新町)に帰郷した。佐一郎による聞き書きは、その3カ月後だった。

高知
湿板写真や機材 維新映し出す・・・中岡慎太郎館
 江戸末期から明治期にかけて撮影されたガラス湿板写真などを展示する「幕末維新写真展」が、北川村の中岡慎太郎館で開かれている。同館は「写真を通じて当時の雰囲気を体感してもらえれば」としている。4日まで。

 維新期に活躍した武士らの写真や、当時のカメラ機材など約150点を展示。侍が刀を抜いて構える写真は初公開で、当時は抜刀行為が厳しく制限されていたため、非常に貴重だという。和装と洋装が入り交じった写真も初公開。坂本龍馬や中岡慎太郎ら幕末の志士のほか、町人や歌舞伎役者たちの姿も並ぶ。

 「日本写真の祖」とも評される上野彦馬や、明治天皇の「御真影」を初めて撮影した内田九一ら、当時の写真家が撮影した写真も。最初期の報道カメラマンと言われるフェリーチェ・ベアトが使っていたとされるカメラの現物も展示されている。このほか、当時の写真技法を記したテキストなどのマニュアル本や、被写体用の敷物を含めたカメラセット一式も紹介。同館の担当者は「写真の歴史を知る上で貴重な資料」としている。

 高校生以上500円、小中学生300円。問い合わせは、同館(0887・38・8600)。


佐賀
幕末の「精煉方」技術今に 副島硝子工業の「肥前びーどろ」 ガラスの美工芸の世界へ [佐賀県] 
 透き通る清涼感と、柔らかな手ざわりが魅力の「肥前びーどろ」。幕末佐賀藩の理化学研究所「精煉方(せいれんかた)」にルーツを持ち、副島硝子(がらす)工業=佐賀市道祖元町=がその技術を今に伝えている。

 精煉方は1852年、多布施川のほとりに設置。佐賀藩は、佐野常民を主任に秀才たちを集め、洋書の翻訳を基礎に蒸気船や大砲製造を進めた。カメラや紙、薬剤と研究分野は幅広く、佐野常民記念館の諸田謙次郎館長(63)は「日本の近代化と物づくりの発祥の地、原点になった」と話す。

 飽くなき好奇心と研究熱を支えたのが、敷地内に置かれたガラス工場だった。昼夜煌々(こうこう)と火がともる熔解(ようかい)炉で実験用ビーカーやフラスコが作られ、火を操る術は肥前陶工たちの知恵があったともいう。

 ガラス製造は日本では、弥生時代の勾玉(まがたま)製造などが確認されているが、本格的な国産が始まったのは17世紀前後から。出島での交易を通して製造技術が伝わったらしい。ポルトガル語がなまって「びーどろ」「ぎやまん」と呼ばれ珍重された。佐賀藩では武雄鍋島家が最初にガラス製造に着手し、精煉方での製造へとつながっていった。

 副島硝子工業の初代社長、副島源一郎さんは8歳で精煉方に弟子入り。孫にあたる副島太郎社長(69)は「祖父はまだ子どもだったので、佐野常民さんから文机(ふづくえ)や革帯(ベルト)をもらいかわいがられたそうです」と明かす。精煉方のガラス技術は明治に民営会社に受け継がれ、副島硝子工業は1903年に独立。ランプやビン類で近代化に貢献し、金魚鉢やハエ取り瓶などが広く普及した。

 昭和の高度成長期にはオートメーション工場の出現で経営難に直面する。太郎社長が営業担当として入社したばかりのころだった。「もう手作りはやめようとしていたら、職人さんが『30年ガラス一筋で、やっと作りたい物ができてきた。無念で仕方ない』と言うんです。そこで若造だった私にも物づくりへの羨望(せんぼう)が生まれた。『もうちょっと辛抱すれば、きっといい時代が来る』と、自分も工場に入って作り始めました」

 手作りガラスブームのあけぼのも見え始めていた。看板商品の「肥前びーどろ」は精煉方ゆかりのガラス棒を使う「ジャッパン吹き」で、型を使わない宙吹きで仕上げる。柔らかな曲線の酒器「肥前燗瓶(かんびん)」は佐賀の酒席に異国情緒を添え、用と美を兼ね備えた器たちは茶人にも愛された。

 近年では明るい色彩の虹色シリーズが人気で、「伝統を受け継ぎつつ、新しいガラスを作っていきたい」と太郎社長。アクセサリーや玉手箱なども企画中で、より工芸としてのガラスの美を生かしていきたいという。

 理化学研究から近代化の原動力に、そして日用品から工芸の世界へ。精煉方の物づくり精神は、今もガラスのきらめきの中に宿っている。

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 9月10日まで、佐賀市川副町の佐野常民記念館で企画展「ガラスの世界~佐賀藩精煉方の歩みと佐野常民」が開催中。精煉方の歴史と副島硝子工業の製品約30点を展示。一般300円、小学生~高校生100円。9月4日は休館。同館=0952(34)9455。副島硝子工業=0952(24)4211。展示販売あり。

=2017/08/31付 西日本新聞朝刊=

未来のヒント、佐賀に30年から「幕末維新博覧会」
 明治維新150年を迎える平成30年、佐賀県が「肥前さが幕末維新博覧会」を開催する。武士道を説いた「葉隠」や、優れた人材を輩出した藩校などを取り上げ、先人の言行をダイナミックに体感できるテーマ館を設ける。最新映像を駆使し、過去の偉業から未来のヒントをつかむ展示を目指す。 (高瀬真由子)

 中核施設「幕末維新記念館」は、市中心部にある市村記念体育館内に整備する。

 幕末、肥前佐賀藩は蒸気船や鉄製大砲、反射炉などを、国内で初めて実用化した。こうしたイノベーション(技術革新)を、最新技術を駆使して伝える。

 このほか、周辺施設に2つのテーマ館を整備する。旧三省銀行が会場の「葉隠みらい館」では、映像で葉隠の文章を写し出す。

 葉隠は佐賀藩の武士、山本常朝が語った教訓など約1300項目を弟子が記録したもので、写本がひそかに藩内に伝わった。藩士に対する教材として、重視された。

 旧古賀家を会場とする「リアル弘道館」では、藩校を再現し、先人の学びの様子を伝える。

 維新後、明治政府で活躍した大隈重信、副島種臣、大木喬任、江藤新平、佐野常民、島義勇らはいずれも弘道館で学んだ。

 150年前にタイムスリップしたような体験ができるよう、佐賀県は展示構成に知恵を絞っている。

 開催期間は、来年3月17日~平成31年1月14日。期間中、博物館など周辺施設でも特別展を検討する。特設レストランも企画し、県内の回遊性を高める。県の担当者は「歴史や文化を含め、佐賀全体を楽しんでほしい」と語った。

 維新を推進した「薩長土肥」のうち、肥前佐賀は注目される機会が少ない。県は博覧会を通じて、佐賀のアピールを図る。

「唐津八偉人」の志を未来へ 市が近代化貢献の8人選定 来年の維新150年に合わせ [佐賀県]
 唐津市は、来年の明治維新150年に合わせ、日本の近代化に貢献した人材を輩出した唐津藩の英語学校「耐恒寮(たいこうりょう)」出身の4人をはじめ、維新前後に活躍した人物計8人を「唐津八偉人」に選定した。先人の生き方や成し遂げた偉業を顕彰し、子どもたちに志をもって未来へと歩んでもらうのが目的。

 唐津出身者を対象に「耐恒寮」の他は「幕末」「石炭」「女性」「近代化」をキーワードにして決めた。八偉人をあしらったタペストリー(縦、横ともに2・4メートル)6枚を作って市中心街のビルなどの壁面に張り出したり、ポスター・チラシも制作したりする方針で、9月1日開会の定例市議会に提案する本年度一般会計補正予算案に243万円を盛り込む。小中学生向けに、八偉人の活躍を知ってもらうための教材作成も視野に入れている。

 八偉人は、小笠原長行(ながみち)▽大野右仲(すけなか)▽辰野金吾▽曽禰(そね)達蔵▽天野為之▽大島小太郎▽奥村五百子(いおこ)▽長谷川芳之助。

 小笠原長行は、幕末に唐津藩主だった長国の養嗣子。幕府に才覚が認められ、老中となって外交で手腕を振るった。戊辰戦争では、旧幕府軍に従って北海道・函館まで渡って忠誠を尽くした。大野は儒学者として藩に仕え、戊辰戦争では長行の側近として明治新政府軍に抗戦し、宮城県・仙台で新選組に入隊。指揮を執った土方歳三が狙撃で亡くなる最期を記した「函館戦記」で知られる。

 耐恒寮は1871(明治4)年、唐津藩知事だった長国が開いた。後に首相となる高橋是清を英語教師として招き、閉校後は薫陶を受けた生徒たちが上京。建築家となった辰野は日本の「表玄関」となる東京駅や日本銀行本店の設計を担う国家プロジェクトにかかわり、曽禰も建築家として、東京駅前にロンドンの銀行街をモデルにした「丸の内煉瓦(れんが)街」を手掛けた。天野も耐恒寮出身で、日本人による最初の経済原論を刊行、早稲田大の二代目学長に就任した。高橋から学んだ大島も唐津銀行を創設、鉄道や唐津港の整備にも力を尽くした。

 奥村は幕末の尊王攘夷(じょうい)、明治初期の自由民権運動で奔走して激動の時代を生き、戦没者遺族、傷病兵家族の支援組織として「愛国婦人会」を創設した。唐津藩士の家に生まれた長谷川は官費留学生として米国で鉱山学を学び、三菱に入社。炭鉱や鉱山の業務に携わった。三菱退社後は官営八幡製鉄所創設に関わった。

 欧米先進国に学び、近代国家へと大変革していった明治時代。けん引していった「唐津八偉人」について、峰達郎市長は「志を広く知ってもらい、唐津のプライドづくりをしたい」と話した。

=2017/08/31付 西日本新聞朝刊=
 大野右仲の資料、見たい……。

エンターテインメント
『風雲児たち』三谷幸喜脚本でドラマ化に大反響!「真田丸」キャスト・スタッフ再集結
 みなもと太郎のマンガ『風雲児たち』がNHKの正月時代劇としてドラマ化されることが分かった。この発表にファンからは「これは凄まじい驚きですよ!」「頬をつねりながらドラマ化の報せを読んでる」と大反響が起こっている。

 同作は、関ヶ原の戦いを機に始まる徳川幕府や江戸時代にスポットを当てた“大河歴史ギャグ”マンガ。今回のドラマ化では演出を大河ドラマ「真田丸」の吉川邦夫が手掛け、「風雲児たち~蘭学革命(れぼりゅうし)篇~」と題して前野良沢と杉田玄白の“蘭学事始”を描く。

 脚本を担当するのは三谷幸喜で、「真田丸」以来1年ぶりにNHK時代劇の脚本を担当することに。三谷は同作について「僕はこの作品で、歴史の新しい見方を学びました。『風雲児たち』には、今の日本を築き上げた先人たちの感動的なエピソードがぎっしり詰まっています」とコメント。「今回、そのほんのちょっと一部分をドラマ化しました。歴史ファン、みなもとファンとしてこれ以上の喜びはありません」と喜びを語っている。

 脚本を三谷が務めるとあって、ファンは大興奮のようすで「スーパー楽しみなんですけど!」「三谷幸喜がみなもと作品の脚本を担当するとかヤバすぎるでしょwww」「どこまでギャグが盛り込まれてくるかな?」「これでまたしばらく生きていけるわ」といった声が続出。

 これまでに発表されている出演者にも注目が集まっており、前野良沢役に片岡愛之助、杉田玄白役に新納慎也、平賀源内役に山本耕史、田沼意次役に草刈正雄と「真田丸」キャストが集結。強力な体制でのドラマ化にファンからは「『真田丸』キャスト・スタッフの再結集なんて最高かよ」「草刈正雄が田沼意次役とかハンパない」「真田丸ファンは正月時代劇に集合だな」などの反応が溢れている。

 みなもとは「私のギャグスピリットを最も良くご理解されている三谷幸喜氏の手でNHKでドラマ化されることを、大変うれしく楽しみにしております」とドラマ化に期待を寄せるコメント。喜劇王・三谷幸喜が原作の持つ“ギャグ”要素をどのように活かしてくるのか、正月の放送が今から待ち遠しい。

■正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命(れぼりゅうし)篇~」
放送予定:2018年1月初旬
原作:みなもと太郎
演出:吉川邦夫
脚本:三谷幸喜
音楽:荻野清子
出演:片岡愛之助、新納慎也、山本耕史、草刈正雄 ほか
制作統括:陸田元一、中村高志
公式ページ:http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=11289
幕末の彰義隊を通して、青春の悲劇を活写した『合葬』
今年は時代劇映画がちょっとしたブームになっていて、『無限の住人』や『たたら侍』『花戦さ』『忍びの国』、そして現在『関ケ原』が大ヒット中です。

個人的には、こうしたブームの基を築いたのは松竹の『超高速!参勤交代』2部作(14&16)や『殿、利息でござる!』(16)などコメディ時代劇のクリーン・ヒットではないかと密かに思っている次第ですが、同時期に松竹(正式には松竹メディア事業部)では、規模こそ小さいまでも、珠玉の時代劇映画を配給していました。

今回はその映画、2015年度作品『合葬』をご紹介したいと思います。

上野戦争をクライマックスに
新政府軍に徹底抗戦を誓う若者たち

『合葬』は、江戸風俗研究家兼漫画家でもあった杉浦日向子が雑誌『ガロ』に発表し、1984年に第13回日本漫画家協会賞・優秀賞を受賞した同名漫画を原作にしたもの。

舞台は江戸時代末期、いわゆる幕末の時代に幕府側について、薩摩や長州の新政府軍を迎え討つことになった彰義隊の若者たちの悲劇を描いたものです。

もともと彰義隊は将軍・徳川慶喜の身辺警護や江戸の秩序守護を目的に組織されたものでしたが、大政奉還によってその存在意義がなくなり、しかし隊員らはそれを認めようとはせず、薩摩や長州を中心とする新政府軍への徹底抗戦を誓うのでした。

その隊員のひとり秋津極(柳楽優弥)は、友人・福原悌二郎(岡山天音)の妹で婚約者でもある砂世(門脇麦)に別離を言い渡します。

それは砂世の身を気遣ってのことでしたが、悌二郎には納得できません。

しかし極は己の信念を変えようとはせず、さらには養子縁組をした家から追い出された吉森柾之助(瀬戸康史)を彰義隊に引きずり込みます。

そんな彼の気概を、隊の穏健派で上役の森篤之進(オダギリジョー)が認め、やがては悌二郎も彰義隊に入隊することに。

まもなくして江戸城の無血開城が決定となり、彰義隊は江戸警護の任を解かれますが、血の気の多い強硬派の若者たちはその命に従おうとせず、新政府軍との衝突は時間の問題に……。

閉塞感漂う現代ともリンクする
戦いに身を投じる若者たちの姿

合葬 映画 BD DVD

(C)2015 杉浦日向子・MS.HS / 「合葬」製作委員会

慶応4年(1868年)3月に西郷隆盛と勝海舟の間で盟約が結ばれて江戸城無血開城がなされた後も、幕府軍と新政府軍とのさまざまな激戦が繰り広げられていった事実は、歴史好きのかたなら先刻ご承知かと思われますが、本作では同年5月に勃発した上野戦争をクライマックスに、戦いに身を投じていく若者たちの悲劇を青春群像劇として活写していきます。

脚本に『ジョゼと虎と魚たち』(03)や『天然コケッコー』(07)など青春映画の旗手・渡辺あやを迎えているのも、この作品が幕末バトル映画ではなく、あくまでも青春映画にしたいという製作サイドの意向が汲み取れます。

その渡辺あやと『カントリーガール』(10)でタッグを組んだ自主映画作家・小林達夫監督が本作で商業映画デビューを飾りましたが、激動の時代に翻弄されていく3人の若者たちをドライに見据えたキャメラアイは、どこかしら現代のきな臭くも閉塞感漂う現代とも巧みにリンクしているかのようです。

本作はモントリオール国際映画祭やミンスク国際映画祭にも出品され、単に日本のサムライ情緒だけではなく、その奥にある世界中どこでも普遍的な青春の慟哭といった要素が大いに評価されました。

ASA-CHANG&巡礼の無調の中から哀しい情感を漂わせる音楽や、カヒミカリィのナレーションも、ここでは大いに功を奏しています。

そして、やはり特筆すべきは、群像劇としてそれぞれの運命を健気に体現していく若手俳優たちの熱演でしょう。

華やかな体裁のものとは趣が異なる作品なので、見る前は地味な印象をもたらすかもしれませんが、いざ見始めると芳醇かつ悲愴極まる青春の慟哭に引き込まれること必至。

これはぜひ一見をお勧めしたい作品です。

そして小林監督の次回作が早く実現しますように!

[この映画を見れる動画配信サイトはこちら!](2017年9月1日現在配信中)
超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』絶叫!熱狂!雷舞(クライマックスライブ)セットリスト発表!!
超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』絶叫!熱狂!雷舞(クライマックスライブ)セットリストを発表!!
新たなる、超歌劇(ウルトラミュージカル) 『幕末Rock』の動きに注目!!


『幕末Rock』とは、2014年2月にゲームがリリースされるや大ヒットし、7月にTVアニメが放送され、“幕末”という時代設定のもと、志士(ロッカー)たちが音楽で新しい時代を創る、斬新で魅力的なキャラクターにあふれた大人気コンテンツです。
舞台版は、超歌劇(ウルトラミュージカル)と銘打ち、2014年12月に吉谷光太郎氏の脚本・演出で上演され、本格Rockの楽曲の数々と圧巻の雷舞(ライブ)演出を、若手実力派俳優たちがミュージカルで表現し、全公演満席で、立見もでるほどの注目作となりました。原作ゲーム、アニメの世界観をそのままに、劇中の演出シーンの一部として、観客が実際にペンライトを振りながら公演を楽しむという観客参加型のライブ要素を取り入れた演出が大好評をいただきました。
その後、2015年8月に超超歌劇(ちょう・ウルトラミュージカル)として、東京・大阪で再演し、全公演即SOLD OUT。千秋楽には全国でのライブビューイングも敢行。そして2016年8月、9月には新作で新キャラクターも登場した「黒船来航」を上演。そして、2017年3月には超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』待望の雷舞(ライブ)を東京・大阪で開催することを発表、また公式Twitterでは、生誕祭企画など大きな盛り上がりをみせており、ロックの日に合わせ6月9日には公演日程を発表いたしました。
そしてこの度、雷舞(ライブ)にて歌われるセットリストを発表いたします!(一部未発表)
新たなる、超歌劇(ウルトラミュージカル) 『幕末Rock』の動きにぜひご注目ください!

★セットリスト★
☆楽曲は順不同で公開させていただいておりますので、ご了承ください。
☆???は日替わり楽曲となります。
☆今回の雷舞は「セットリストA」と「セットリストB」があり、楽曲が異なります。
☆公式サイトの公演日程に、「A」「B」を追記しております。

What's this?
Crash My Head
LAST SCREAM
REACTION
ハチノジディストーション
モット!!!
共鳴進歌
INTERSECT
GOD BREATH
グラデーション
不完全パズル
宙ノ翼
L or R
絶頂SPIRAL
MASTER COMMUNICATION
×××ing
???(日替わり)
[セットリストA]
非常幻想 -オーバーミラージュ-
Rolling Thunder
絶頂DAYBREAK
WHITE
[セットリストB]
黒曜蝶(ブラックバタフライ)
RIDE ON THE WAVE
五色繚乱
暁のFreebird

■公演日程:
【大阪公演】 2017年11月24日(金)~26日(日):大阪メルパルクホール
【東京公演】2017年11月29日(水)~12月3日(日):AiiA 2.5 Theater Tokyo

■スタッフ
原作:『幕末Rock』(マーベラス)
構成:吉谷光太郎 音楽制作:テレビ朝日ミュージック ステージング:MAMORU

■キャスト
坂本龍馬 役:良知真次 高杉晋作 役:糸川耀士郎 桂小五郎 役:三津谷亮 土方歳三 役:輝馬 沖田総司 役:佐々木喜英/お登勢 役:山岸拓生 勝海舟 役:岩﨑大/井伊直弼 役:吉岡佑 徳川慶喜 役:Kimeru/マシュー・カルブレイス・ペリー・ジュニア 役:兼崎健太郎

■主催/マーベラス テレビ朝日ミュージック NBCユニバーサル・エンターテイメント NAS
©2014 Marvelous Inc./幕末Rock製作委員会
©2014 Marvelous Inc./超歌劇『幕末Rock』製作委員会

■公式サイト:http://bakumatsu.marv.jp/stage/
■公式ブログ:http://www.marv.jp/message/bakumatsu.php
■公式twitter:https://twitter.com/bakumatsu69

■公演に関するお問い合わせ マーベラス ユーザーサポート
TEL:0120-577-405  (土日祝日 指定日除く 11:00~17:00)
千穐楽で第一部・第二部。第一部はいつもの3階席でしたが、第二部はチケット取りにくかったのでやむなく1階席を奢りました。後ろの方でしたが、やじきたの演出上花道以外の出入りがあり、勘九郎さんがかなり近くに見えたのが嬉しかったです。

第一部
刺青奇偶……玉三郎演出の好みなんだろうが、舞台がとにかく暗い。見づらい。そして長谷川伸のお涙頂戴な感じは私の好みでないこともあり、見ててしんどかった。七之助さんは玉三郎さんそっくりだったけど、第三部に自分を出し切っているせいか、ここではちょっと抑えめ。中車さんは歌舞伎でも新作ものは演技力が映える。でも収穫は染五郎さんの親分、この人の持ち味よりも風格が必要な役柄だと思うのだけど大親分の風格が出てた。

玉兎……勘太郎くん綺麗に踊りきった。踊りの名手の血筋なので期待も自ずと高くなるけど6才の今後が楽しみ。

団子売り……やっぱ踊り上手の舞台は素晴らしい。勘九郎さんも猿之助さんも軽やかに美しく踊るなあ。

修善寺物語……途中意識をなくしたところがあるが(汗)、勘九郎さんの頼家の後ろ姿が美しかった(橋之助さん弁慶を相手に富樫を演じた時の気品を思い出した)。彌十郎さんは最後の職人の執念というか芸術家としての狂気が、今月は桜の森が衝撃的だったのでちょっと物足りない。猿之助さんの桂が見事。

やじきた……前作はシネマ歌舞伎で見たけど笑いのセンスが自分には合わないと思う(そういえば猿之助さんの三谷幸喜さん舞台『エノケソ』でも合わないと思った)。でも猿之助さん染五郎さんの弥次喜多に若手もかなり出てて豪華だったし、途中からAパートBパート観客に選ばせる趣向とか凝ってはいた。子役では染五郎さん長男の金太郎くんは芸達者なのがデフォなんだけど猿之助さん長男の團子くんも以外にいい役者ぶりだった。いろいろ言われているけど、頑張って結果出してると思う。松也さんが劇中で狐忠信を演じる役者、巳之助さんが静御前を演じるけど松也さん役の事故で狐忠信を演じるという女形も立て役も演じる役者で身体能力高い。あと先月に続いて児太郎が悪婆っぽい役でドスのきく声出してて、可愛らしい姫役以外のレパートリーを広げつつあるので福助襲名が遅れているものの若手女形の中でも光ってる。勘九郎さん七之助さんもちょい顔出し。


 座頭役の中車さんのカマキリ好きに合わせてカマキリのご紋。

長谷部浩の劇評 【劇評82】玉三郎写しの『刺青奇偶』
歌舞伎劇評 平成二十九年八月 歌舞伎座

八月納涼歌舞伎の第一部、第二部は、高い青空が見えたとはいいがたい。

まずは長谷川伸の『刺青奇偶』(坂東玉三郎・石川耕士演出)は、玉三郎の目が光る。冒頭の酌婦、お仲(七之助)は、風情、口跡、所作いずれも玉三郎写しで、七之助が行儀良く初役を勤めている。冒頭、舞台の照明が暗いこともあって、玉三郎がお仲を勤めているのかと目を疑った。それほど忠実な写しだと思った。

中車の半太郎が、また、すぐれている。歌舞伎のなかでの居場所が次第に定まってきたが、慢心が見えない。

人生にとことん失望した女が、それでも惚れてしまういなせな様子がよく序幕で、ふたりの不安定な関係をしっかりと見せる。これは七之助、中車の柄と仁をよく踏まえた演出の力によるものだ。

長谷川伸の劇作は、ときに前半と後半で、主人公二人の立場が逆転する。はすっぱだった酌婦が、病を得て亭主の将来を案じる。博奕打ちだった夫は、足を洗ったが、どうにもあがきがつかない。ふたりの思いがどうにも噛み合わないところに、劇作の巧みさがある。中車は後半、決して捨て鉢にならずに、未来へと一縷の望みを捨てない。細いながらも一本芯が通っていて説得力を持つ。

錦吾の半太郎父、喜兵衛。梅花の母おさくが、ふっと人生のむなしさを漂わせてよい。これほど貫目が出たのかと感心したのは、染五郎の政五郎。たしかに衣裳のなかに「肉」はいれているのだろうが、そんな外見など必要としないだけの落ち着きと貫禄が備わってきた。来年の襲名に向けて、一歩、一歩、努力を重ねているのだろう。

続いて踊りは、勘太郎の『玉兎』と、猿之助、勘九郞の『団子売』。勘太郎は踊りも得意とされる家に生まれただけに修業中の身。これからが楽しみだ。また、猿之助、勘九郞は、踊りの巧さに溺れず、風俗を写す役者の踊りに徹している。

第二部は、岡本綺堂の『修禅寺物語』(市川猿翁監修)。初世坂東好太郎の三十七回忌、二世板東吉弥の十三回忌。父と兄の追善を出せる役者となって、彌十郎渾身の舞台となった。いわゆる芸道物である。彌十郎の夜叉王は、はじめ気難しい面打ちと見せたところが、最後は、姉娘桂(猿之助)の断末魔を絵に写し取るだけの覚悟のある芸能者へと変わっていく。はじめから決意のある人物とするか、それとも、桂が頼朝(勘九郞)に望まれて家を出て、しかも頼朝が闇討ちを受け、桂が手傷を負い戻ってくる過程で、芸能者としての覚悟を強くしたのか。彌十郎は、全体を一貫させており、この役者、持ち前の人の良さを見せまいと勤めている。そのため、自分を律するに厳しい夜叉王となった。ときに自分の芸に対する自負や末娘楓(新悟)に対する愛情を強く出してもよい。

秀調の修禅寺の僧、巳之助の楓婿の春彦が、役をよくつかまえて、劇を支えている。

続いて『東海道中膝栗毛 歌舞伎座捕物帖』(十返舎一九原作、杉原邦生構成、戸部和久脚本、市川猿之助脚本・演出)。ラスベガスへ染五郎の弥次郎兵衛、猿之助の喜多八が旅をした昨年の納涼歌舞伎を前作として、趣向本意の芝居を立ち上げた。(片岡)亀蔵の役名に「戸板雅楽之助」とあるように、劇評家戸板康二の一連の名探偵雅楽物を意識した推理劇仕立て。名探偵コナンなども意識しているのだろう。見どころは、沢潟屋の芸、『義経千本桜』の『四の切』をトリックとしているところで、舞台裏の仕掛を見せているところが観客を惹きつける。

また、金太郎の伊月梵太郎と團子の五代政之助が、弥次郎兵衛、喜多八と対になっているとこも、ご趣向。

かつて『野田版 研辰の討たれ』で、十八代目中村勘三郎が、染五郎と勘九郞(当時・勘太郎)を「坊ちゃん一号、二号」と呼んで大笑いさせたのを思い出した。『四の切』に対する言及とともに、こうした役者の血縁をチャリとするのはさじ加減がむずかしい。二十七日まで。
渡辺保 2017年8月歌舞伎座
(略)
「桜の森」の第三部に対して、第一部は中車、七之助の「刺青奇偶」と舞踊
の上下二幕。上の巻は勘太郎の清元「玉兎」、下の巻が猿之助、勘九郎の竹本
「団子売」。第二部が坂東好太郎、坂東吉弥追善で、好太郎の三男、吉弥の弟
である施主弥十郎の夜叉王で「修禅寺物語」と去年当たった染五郎、猿之助の
弥次喜多の新作「歌舞伎座捕物帖」。

 第一部の見ものは「団子売」である。猿之助の女房がほんのわずかな手ぶり
―――たとえば餅を取ってトントンとおこつく振りが絶妙の面白さで、この踊
りでやっと溜飲が下がった。対する勘九郎の亭主は、さすがに亡き三津五郎の
仕込みだけあってキッチリ踊って、猿之助の曲せ球に対して直球の対照的な面
白さ。この踊りくらべが第一部唯一の見ものである。
 勘太郎の「玉兎」は教わった通りに踊ってご愛嬌。
 さて「刺青奇偶」は玉三郎、石川耕士の共同演出。そのためだろう。七之助
の酌婦お仲は玉三郎生き写し。目をつぶって聞いていると玉三郎がやっている
のかと思うほどである。しかしそうなると玉三郎ではそう見えなかった序幕の
ふてくされ具合が、七之助だと実に嫌な女に見えてくる。七之助の個性が死ん
でいるためにお仲という女のイメージがつかまえられていないからである。
 その点、中車の手取りの半太郎は、それなりの独自の人間像を作っている。
ことに大詰の鮫の政五郎とのやりとりの、こんな瀕死の状況でも性根を失わないところがう
まい。
 猿弥の熊介がユーモラスでうまい。
 勘之丞の医者、芝のぶの近所の女房ともに生活感がない。錦吾と梅花の半太郎の親夫婦も平凡。
 染五郎が鮫の政五郎を付き合うが、まだ年配が足りないのは是非もない。
 かくして総体に水っぽい「刺青奇偶」になった。

 第二部の「修禅寺物語」は、弥十郎の夜叉王が抑えた心理的な芝居でいいが、
その分この男に潜んでいる職人としてのプライドの高さ、そのプライドゆえに
先の将軍頼家にも楯突く激情が薄い。これはのちにふれるせりふの朗誦法にも
かかわるだろう。
 幕開き、例の如く砧を打つ桂と楓姉妹のせりふで始まるが、猿之助の桂が観
客の気持ちを一気にとらえるリアリティがあってうまい。この女の生まれ、育
ち、そこから来る性格の権高さ、生き方の理想手に取る如くである。新悟の楓、
巳之助の春彦がこの猿之助に食いついていい。
 勘九郎の頼家は、この人ならばいま一息鋭いだろうと思ったが、意外に穏や
かである。
 亀蔵の金窪兵衛が本役。秀調の修禅寺の僧、万太郎の下田五郎。
 さてこのメンバーの一座過不足のない出来、リァリティは十分であるが、私
には大きな不満がある。いずれもせりふの歌うべきところを歌わないことであ
る。綺堂作品を歌舞伎役者が歌わなくなってからすでに久しい。おそらく幸四
郎歌右衛門の、久保田万太郎演出の「番町皿屋敷」以来だろう。しかしそれは
せりふを歌うことによってリァリティを喪失したことへの反省のためであった。
そのリァリティがこれだけ濃くて、しかもうまく表現されるようになったから
は、歌うところは歌ってもいいのではないかと私は思う。それが歌舞伎であり、
岡本綺堂の戯曲だろう。弥十郎の夜叉王にも猿之助の桂にも、今一歩激情が出
ないのはそのためである。考えてみればいくら芸術至上主義者でも、断末魔の
娘の死に顔をスケッチしようというのは異常だろう。父も父、娘も娘の狂気で
あるが、その狂気こそ歌うアリアに支えられているのであって、歌わなければ
夜叉王は唯の老父になってしまい、スケッチも芸術のためではなく、唯の遺品
を残すに過ぎなくなってしまう。それでは作者が書こうとした芸術にのみ生き
る人間の悲劇は意味を失うのではないか。 

 この後が、去年ラスベガスまで行った「弥次喜多」の第二編。杉原邦生構成、
戸部和久脚本、猿之助脚本演出。
 歌舞伎座で殺人事件が起きる。犯人はだれが。思い付きは面白いが、サスペ
ンスとしてはすぐ犯人がわかってしまうので面白くなく、ドラマとしての見せ
場もなく、喜劇としても爆笑とはいかなかった。劇中劇に「四の切」があって、
化かされの法師にバイトで出ていた弥次喜多が、間違いで宙乗りになるのが面
白いだけの芝居になった。構成も台本も芝居のツボを外しているからである。
 中車の座元、児太郎の女房、大道具の棟梁に勘九郎、鑑識の女医に七之助、
竹本に門之助、笑三郎、役人に亀蔵、猿弥、役者に巳之助、隼人、新悟、竹三
郎、弘太郎という、ほとんど一座総出なのにもったいない。
 
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『渡辺保の歌舞伎劇評』http://homepage1.nifty.com/tamotu/
歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」 金太郎と團子、成長ぶり披露
8月恒例の3部制。

 第1部。長谷川伸作の新歌舞伎「刺青奇偶(いれずみちょうはん)」。最下層で生きる博奕(ばくち)打ちの半太郎(市川中車(ちゅうしゃ)=香川照之)と、女房お仲(中村七之助)の純愛を描く。落ちぶれ、いらだちを表出する中車の自然な演技と、死病の床から夫に博奕をやめさせようと、画然と訴える七之助。現代劇と歌舞伎の融合を見るよう。市川染五郎が人情味あふれる賭場の親分で新境地。続いて6歳の中村勘太郎の「玉兎」と父、中村勘九郎、市川猿之助(えんのすけ)の「団子売」の舞踊2題。

 第2部。岡本綺堂の新歌舞伎「修禅寺物語」。初代坂東好太郎(こうたろう)三十七回忌、二代目坂東吉弥十三回忌追善で、好太郎の三男で吉弥の弟、坂東彌十郎が夜叉王(やしゃおう)。姉娘、桂(猿之助)の瀕死(ひんし)の顔を写生する夜叉王の恬淡(てんたん)さに、慙愧(ざんき)を捨てた彌十郎の解釈が見える。昨年8月公演での好評を受け、再び染五郎の弥次さん、猿之助の喜多さんで「東海道中膝栗毛 歌舞伎座捕物帖(こびきちょうなぞときばなし)」。2人の宙乗りを含め、俳優陣総出のにぎわい。松本金太郎と市川團子(だこ)がコンビで成長ぶりを披露した。

 第3部。野田秀樹作・演出「野田版 桜の森の満開の下」。坂口安吾作品の潤色で、野田の夢の遊眠社時代の人気作を歌舞伎化。壬申の乱時代を背景に、国家権力の権謀術数(けんぼうじゅっすう)ぶりをシニカルに描き出す。(遺産争いを喜劇的に描く)プッチーニ歌劇のアリアが随所に流れ、今作のテーマが「だまし・だまされ」ごっこと分かる。耳男(みみお)に勘九郎。27日まで、東京・銀座の歌舞伎座。(劇評家 石井啓夫)
玉三郎、猿之助、野田秀樹…演出家で見せる8月納涼歌舞伎
 8月の歌舞伎座は「納涼歌舞伎」。いつもの月とは異なり、3部に分かれ、1部の舞踊を除けば、徳川時代の芝居はひとつもなく、明治、昭和、平成の作品で、役者もさることながら、それぞれの「演出家」を意識させる月となった。

 第1部は長谷川伸の「刺青奇偶」。昭和7年初演で、六代目菊五郎と五代目福助が主演した。この2人のひ孫にあたる中村七之助が「お仲」を演じ、市川中車(香川照之)が「半太郎」。バクチ打ちと、身を持ち崩した酌婦が知り合い、数年後、2人は一緒に暮らしているが、女は重い病で長くはない――と、ストーリーは陳腐なのだが、坂東玉三郎による演出は、すべてが抑制的で、見る側の想像力を必要とする。往年のフランス映画のような雰囲気で、見ごたえがある。

 第2部最初は岡本綺堂の「修禅寺物語」。坂東彌十郎演じる「夜叉王」が主人公のはずなのだが、脇役の市川猿之助演じる「桂」のほうが主人公になってしまう。猿之助の存在感の凄さを改めて感じた。
 次が新作「歌舞伎座捕物帖」。バックステージものだが、歌舞伎座で役者の連続殺人事件が起き、犯人は誰かを、染五郎の弥次さんと、猿之助の喜多さんが解いていくミステリー劇でもある。2種類の結末が用意され、その日の観客の拍手でどちらにするか決める趣向。猿之助は演出も担い、ドタバタコメディーに仕上げた。これはこれで笑えて楽しいのだが、このストーリーならば、シリアスな芝居にしても面白いように思った。

 第3部が「野田版 桜の森の満開の下」。野田秀樹にとって4作目の歌舞伎座での演出。これまでは既存の歌舞伎、オペラを脚色して演出したが、今作は野田自身の代表作「贋作 桜の森の満開の下」を歌舞伎化したもの。もとのセリフを七・五調に書き換え、それが売り物のひとつらしいが、そうしたからと歌舞伎らしくなるわけではない。野田演劇を歌舞伎座で歌舞伎役者を使って上演してみました、という実験にすぎない。そもそも30年近く前の演劇を、なぜいまリメークするのか、その意図が伝わらない。役者は、みな熱演。

「刺青奇偶」と「野田版桜の森の満開の下」での中村芝のぶが、出番は少ないが、名演だった。

(作家・中川右介)
(評・舞台)歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」 愛の破壊衝動、三つ巴
 第三部野田秀樹作・演出「野田版 桜の森の満開の下」は、お盆興行のせいか、亡き十八代目勘三郎をしのばせる。

 古代の飛騨の国で、ヒダの王(扇雀)は耳男(勘九郎)、オオアマ(染五郎)、マナコ(猿弥)に、娘夜長姫(七之助)の守護仏ミロク像を彫らせる。

 彼らは3人で1人の匠(たくみ)を形作る分身たちである。耳男は師匠殺し。オオアマは壬申(じんしん)の乱の大海人皇子。マナコは山賊。

 大海人は権力を奪い、山賊は滅び、耳男は仏を彫って、夜長姫を殺す。バルザックの「知られざる傑作」の画家のように、芸術家は自分の作品を破壊したい衝動を抱く。芸術家に限らず人は、愛する者に対して同じ衝動を持っている。

 夜長姫は耳男の恋人で、作品の寓意(ぐうい)である。全ては耳男が桜の下で見た夢だった。坂口安吾の原作では耳男が主役(シテ)で、他の2人は主役に随伴する役(ツレ)の匠に過ぎない。

 それをオオアマとマナコという独自の性格に書き換え、3人が対等の主役として、三つ巴(どもえ)になる舞台に仕立てたのが、野田版の特徴である。十八代目勘三郎が上演を望んだが果たせず、遺児たちに手渡された。

 舞台の命は絵よりも短い。愛する者による破壊の手さえ待たずに消えていく。終幕耳男が独り夢から覚める寂しさは、演出家の思いであろうか。

 第一部「刺青奇偶(いれずみちょうはん)」は、中車の直情径行さが、手取りの半太郎の命がけの生き方によくはまっている。七之助の病身の女房お仲の情愛の濃(こま)やかさ。他に舞踊「玉兎」「団子売」。

 第二部は「修禅寺物語」。弥十郎の面作師夜叉(やしゃ)王のスケールが大きい。染五郎と猿之助の弥次喜多コンビで、娯楽本位の「歌舞伎座捕物帖」。

 (天野道映・評論家)
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