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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 平日の昼間だからガラガラかと思っていたら、ほどよく混んでいた。夜の部、トリ小三治は代演で小さんだったことと、眠気が強くて昼の部途中からこっくりこっくりし始めていたので、早めに引き揚げた。

《昼の部》
動物園/玉の輔
 安定して面白い若手真打ちのひとり。

辰巳の辻占/馬生

奇術/夢葉
 ロープを投げてプレゼントしてくれました。一瞬うつらうつらしていたから目を覚まさせるためにやられたという気がする(^_^;)。

猫の殿様/馬桜

短命/さん八

キセル漫談/ひびきわたる

六尺棒/文楽

新聞記事/木久蔵
 玉の輔さんにいじられていた木久蔵くんですが、やや新作とはいえ、古典をちゃんとやって会場を沸かせてました。三平も見習って欲しいね。

漫才/遊平かほり

強情灸/権太楼
 昼の部で自分の趣味にあったのは玉の輔と木久蔵と権太楼だけでした。さすがの面白さ『強情灸』。

噺家と万歩計/園丈

紙切り/正楽

昭和歌謡史&ラ・マラゲーニャ/川柳
 前半は『東京ラプソディ』など東京がつく歌謡曲、後半は春夏甲子園のテーマソング。おまけはソンブレロにかぶってギターかかえて『ラ・マラゲーニャ』メキシコ小咄つき。


《夜の部》
市助
 市馬さんところの弟子が前座噺したんだけど、何だったかな。市弥さんとはちょっと違うけど、いい感じだなという印象だったのは覚えているのだけど。

生徒の作文/駒次
 鉄オタ駒次さんらしいのは、地下鉄路線と駅を読み込んだ女の子の恋つづり。

漫才/ロケット団
 今日も山形弁ねたが面白い。

ざる屋/扇
 今月、二ッ目に昇進したばかり。楽しそうにかけているなぁ。

漫談/三平
 同じネタ二回目。これはこれで面白いけどね。でも二回聴けば十分。古典ちゃんと勉強して欲しい。







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 夜の部主任が小三治。

 昼夜入れ替えなしの末廣亭は昼の部から入って終了時に席替えするのがコツです。でも小三治が主任となると椅子席はほとんど動かず、一階の桟敷席。正座が苦手なので往生しましたが、桟敷席はパーソナルスペースが比較的に取りやすいのがメリットです。

 建物の古さといい、大きさといい、お客さんの雰囲気といい、古き良き時代の落語の伝統を引き継いでいる感じが末廣亭の魅力なのですが、アルコール持ち込み不可なのが唯一残念な点(酒癖の悪いお客がいたのでしょうか……鈴本は売店で缶ビール売ってます。国立演芸場はビールだけでなくカップ酒も売ってます。浅草と池袋は特に売ってはいないけど持ち込み禁止とまでは言っていないかな)。

《昼の部》
シンデレラ伝説/園丈
 途中から入って聴いたので、自信はないのですが、『桃太郎』の変形で子供にお伽話をする父親の話がシンデレラやら桃太郎やらに……たぶん白鳥作品。師匠に演じてもらえるなんて、白鳥さん愛されてる(笑)。

紙切り/正楽
 今日誕生日の人が、横顔を切ってもらってました。さすが、似てました。

ガーコン&ラ・マラゲーニャ/川柳
 川柳さん83歳でしたかね、声も身体も若いなぁ……一通り『ガーコン』やった後に舞台袖に引っ込んだんで、期待したらやっぱりソンブレロにギター抱えて『ラ・マラゲーニャ』。スペイン語学科卒でトリオ・ロス・パンチョスを愛聴していた私が「本格的」と太鼓判押します。

《夜の部》
穴子でからぬけ/まめ緑
 ライブで聴くのは初めての花緑さんの弟子。生で聴いたのは初めて。

転失気/志ん公
 ライブで聴くのは初めて、志ん五さん門下で師匠没後は志ん橋門下。

漫才/ロケット団
 やっぱり北の国からネタが一番面白い。

ざる屋/扇
 扇ちゃん二ッ目昇進おめでとう。黒の着物と羽織が渋い。

漫談/三平
 期待してはいないのだけど古典落語を勉強して欲しい。

親子酒/左橋

紀州/正雀
 あれ、正雀師匠ってこんなもんでしたか??(汗)

奇術/アサダ二世
 いんちき臭さがいい。

殺生鰻/今松

船徳/小はん

(中入り)

アジアそば/一琴
 わーい、白鳥さん作『アジアそば』初めて聴けた。しかも白鳥さん以外の落語家が白鳥さん作品をかけているのは、嬉しい。笑いまくった。

漫才/ホームラン
 ロケット団ほどの勢いはないけど安定の面白さ。

唖の釣り/小袁治
 ライブで聴いたのは初めてだと思う。ちょっと声の調子が悪くないですか?

のめる/小さん

太神楽/仙三郎社中

転宅/小三治
 長いこと桟敷席で足のしびれと格闘し、限界ぎりぎりで聴く小三治。
 落語なんてそんなに頑張って聴きに行くものじゃないし、そんなに頑張って聴くものでもないのだけど、小三治の落語は聴く機会がある限り聴きにいきたい。
 今日は音響がよくなかったせいか皆さん声が出なかった。近い席だったからよかったけど。

 『八重の桜』もう二本松少年隊のエピソード……二本松藩が陥落するといよいよ母成峠になってしまうのですよね。明治を生きた八重さんが主人公なので会津落城のエピソードを6月に持ってこないといけないのはわかるのですが、幕末史大好きな自分にはペースが速いと思えます。箱館戦争はナレーションとスチール写真の組み合わせで数秒で終わってしまう予感……「そして旧幕府軍を中心に終結した箱館も翌年に陥落した」ナレーションに土方戦死スチールとか(汗)。

北海道
新島襄の歩み知って…函館博物館で企画展
 新島襄(同志社大創立者)ゆかりの品を展示する企画展「新島襄と幕末の箱館」が14日、市立函館博物館(青柳町17、阿部司館長)で始まった。書や遺髪など約100点を並べている。9月1日まで。

 新島が函館から米国へ密出国した日に合わせてスタート。館内でセレモニーがあり、工藤寿樹市長が「新島の情熱、これを支えた函館の人々の気概について振り返ることは有意義」とあいさつ。学校法人同志社(京都)の大谷實総長が「函館は同志社発祥の原点。盛大に開催されたことは感慨もひとしお。市と連携を強化していきたい」と期待を込めた。大谷総長ら5人がテープカットして祝った。

 展示では、新島の脱国時の扮装(ふんそう)写真や、函館をたつときに詠んだ和歌、上海で断髪した際の遺髪のほか、妻八重の自筆の和歌なども紹介している。  同大卒業生の大江哲男さん(81)=函館市美原=は「これを機に、市民が認識を深めてくれれば。同志社の絶大なる協力にも感謝したい」と話していた。

 放映中のNHK大河ドラマ「八重の桜」で新島八重が主人公を務めていることや、来年で新島が脱国してから150年の節目を迎えるのを前倒しして、企画展を開催した。

 入館料は一般300円、大学・高校生150円、小・中学生100円。月曜定休。15日には午前10時と午後1時半の2回、解説セミナーを予定。申し込みは同博物館(TEL0138・23・5480)へ。


田本写真と〝現代版〟対比 及川さん同じ場所で撮影
 函館国際観光コンベンション協会が管理、運営する函館市写真歴史館(元町)は、幕末から明治期にかけて函館で活躍した写真師、田本研造が撮影した函館の街並みと、現在の風景をセットで紹介する新設展示「函館の町並み、今昔(いまむかし)」を始めた。田本の写真と対をなす形で〝現代版〟を並べ、時代の流れと街並みの変化を伝えている。

 田本研造(1831~1912年)は、明治政府の依頼を受けて開拓使や当時の函館の様子を撮影し、貴重な資料を残した。また、幕末の土方歳三、榎本武揚の肖像写真も田本の撮影といわれている。

 同館では街並みの変化を知ってもらおうと、今回の展示を企画。現在の風景を撮影したのは松陰町で及川写真事務所を営む及川雅夫さん(64)。昨年1月から約1年以上をかけて同じ場所を訪ねて撮影を試みた。

 会場には並ぶのは25組の作品。元町の基坂から函館山を望む風景や英国領事館、函館町会所(旧函館区公会堂)、函館公園などの今と昔を比較することができる。函館山からの眺望は4枚1組で紹介している。

 中には撮影ポイントの特定が難航した写真も。「地元住民の話を聞いて、全く別の場所で撮影していると分かった時もあった」と苦笑いする。また、田本については「じつにさまざまな場所で記録を残しており、精力的な活動ぶりがうかがえる」と話した。

 「写真の日」の6月1日には新設展示の記念イベントとして、及川さんが撮影秘話を語るトークイベントがある。同館では「見応えのある内容、多くの市民に見てもらいたい」と話し、来場を呼び掛けている。

 時間は午前11時、午後1時、同3時の3回。いずれの回も20分程度を予定している。当日は入館無料。問い合わせは同館(TEL0138・27・3333)へ。



福島
「八重の桜」福島展 開幕1カ月で1万人突破
 NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公、新島八重ゆかりの約200点を紹介する県立博物館(会津若松市)の「『八重の桜』福島展」(7月3日まで)の入場者が12日、1万人を突破した。

 開幕から25日目で、1万人目となったのは須賀川市の会社員、郷秀幸さん(34)親子で、戊辰戦争や会津藩にまつわる史跡めぐりが趣味という歴史マニア。会津藩の教え「什(じゅう)の掟」を記した手ぬぐいや民芸品などが贈呈され、「大河ドラマの舞台裏を知って、以前にも増して楽しみになりました」と話していた。

 「今回の特別展では高校生以下を無料にして、修学旅行生を含めて幅広く見てもらおうとしたことが好評につながった」と同博物館の担当者は喜ぶ。1万人突破を記念して、13日から17日までの5日間に来館した先着100人に記念ステッカーをプレゼントする。


京都
幕末の会津藩や新選組に光 霊山歴史館で特別展
 幕末の会津藩や新選組に光を当てた特別展が京都市東山区の霊山歴史館で開かれている。初公開となる新選組五番隊組頭の尾形俊太郎の詩書をはじめ、新島八重関連の史料も展示し、激動の時代を旧幕府軍側の視点も交えて伝えている。

 同特別展は、NHK大河ドラマ「八重の桜」に合わせて1月にスタートさせた通年企画の第2弾。約100点を展示している。

 初公開の史料は、尾形が晩年に記した漢詩2点で、子孫から寄贈された。尾形は会津戦争のさなかに姿を消し、その後の消息は不明とされていたが、史料により、故郷の熊本に帰ったことが分かった。尾形は私塾を開き、1913(大正2)年6月に75歳で病没した。

 漢詩は梅の花を詠んでいる。また、長生きした尾形自身のことを道歌も記されている。同館の木村武仁主任学芸員によると、「道歌は新選組の仲間は早死にして悲しい、生き残っている自分も哀れだとの内容を歌に込めている」という。

 また新島八重が京都で働いた日本最初の女学校「女紅場(にょこうば)」で同僚だった女性の辞令書なども公開されている。9月1日まで。入館有料。同歴史館TEL075(531)3773。


岩倉具視幽棲旧宅を公開=京都市〔地域〕
 幕末から明治時代の政治家、岩倉具視(1825~83)が一時隠れ住み、1932年に国の史跡に指定された「岩倉具視幽棲(ゆうせい)旧宅」(京都市左京区岩倉)が一般公開されている。
 岩倉具視は公武合体を唱え、尊王攘夷派から「佐幕派」とみなされた。攘夷運動が高まる中で失脚し、1862年から5年間隠せい生活を送った。64年に大工藤吉の住居(現在の付属屋)を購入し、かやぶきの母屋などを増築。維新に関する密議などをしていたという。
 旧宅の敷地面積は約1500平方メートル。母屋の東側にある展示・収蔵施設の「対岳(たいがく)文庫」は、京都市庁舎本館を手掛けた建築家武田五一が設計。2007年に国の登録有形文化財となり、岩倉具視の関係品を展示している。
 管理していた財団の解散に伴い、寄贈を受けた京都市が、08年から4年をかけ、国庫補助を得て本格修理を行った。開館時間は午前9時~午後5時(入場は午後4時まで)。月曜休館(祝日の場合は翌日休館)で有料。


京都の会津墓地で先人慰霊 若松商議所議員団
京都商工会議所との「相互交流Year推進協定」の一環で京都市を訪れた会津若松商工会議所(宮森泰弘会頭)の議員団は8日、会津墓地がある金戒光明寺・西雲院を訪れ、先人の霊を慰めた。
 会津墓地には鳥羽伏見の戦いなど幕末の京都で散った会津藩士らが眠っている。宮森会頭が代表して献花した後、約30人の議員がそれぞれ線香を上げ、手を合わせた。
 議員団は新島八重と夫の襄が暮らした新島旧邸なども訪れ、会津と京都の歴史的なつながりを再認識した。
 

兵庫
みみより情報:ファン必見、幕末の品々 大阪青山歴史文学博物館、あすから企画展 /兵庫
 川西市長尾町の大阪青山歴史文学博物館で15日、幕末から明治初期に活躍した人物の直筆やゆかりの品を集めた企画展「幕末の動乱」が始まる。幕末の思想家、横井小楠が近代国家の基本をまとめた直筆の「国是十二条」など、歴史ファン必見の24点を展示する。8月4日まで。

 1853(嘉永6)年のペリー来航に始まる幕末の変革期は、日本史上空前の動乱期であり、歴史ファンをひきつける。現在、大河ドラマ「八重の桜」の放送もあって改めて注目が集まっている。ドラマに登場する会津藩主、松平容保ゆかりの品もある。

 「国是十二条」は福井藩士、松平正直にあてた書状。近代国家として学校教育、富国強兵、外国との交流などの必要性を説いている。白いヤクの毛(はぐま)を装飾に用いた兜(かぶと)など、戊辰戦争時の軍用品、孝明天皇や岩倉具視の和歌懐紙、大久保利通の書、西郷隆盛の手紙も展示する。

 一般300円、65歳以上250円、大学・高校生200円。午前10時〜午後5時。月曜休館(7月15日は開館、16日は休館)。同館(072・790・3535)。

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 ◇プレゼント

 企画展「幕末の動乱」のチケットを5組10人にプレゼントします。はがきに、「幕末の動乱」の招待券希望と書き、郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号を記入し、〒660−0892 尼崎市東難波町5の16の29 毎日新聞阪神支局みみより情報係へ。19日(水)必着。応募多数の場合は抽選します。


岡山
方谷ゆかり旧備中松山藩御茶屋復元 高梁・奥万田 水車小屋1棟も 岡山
■新たな時代の交流拠点に

 県内外で顕彰の機運が高まっている江戸時代の学者、山田方谷ゆかりの旧備中松山藩御茶屋が、高梁市奥万田町に復元された。幕末の混乱期、方谷の教えを求めて多くの人が訪ねた場で、同市は「新たな時代の交流拠点になれば」と期待を込めている。

 同御茶屋は、江戸末期の同藩6代藩主、板倉勝職(かつつね)の別邸だった。現在のJR方谷駅付近の長瀬で私塾を開いていた山田方谷が、城下滞在時に宿舎としていたが、越後長岡藩士、河井継之助が方谷の教えを受けるために泊まったり、長瀬とを往復したりしたことでも知られ、方谷の門人、三島中洲らとの交流の場にもなっていた。

 復元された木造瓦葺き平屋建ての御茶屋(延べ約50平方メートル)は、吉備国際大に通じる伊賀谷川に架かる学園橋のたもとにあり、6畳と4畳半の和室、3畳の茶室の3室に加え、水屋、トイレ、縁側が付いている。敷地(約290平方メートル)内には水車小屋1棟も復元、駐車場も整備した。用地買収費を含めた総事業費は約3千万円。

 9日に行われた落成式で近藤隆則市長は「方谷を思うとともに、お茶などの生涯学習や交流の施設として多くの市民に役立てていただき、すべての人に愛される場所にしてほしい」と話していた。


高知
ジョン万次郎「漂巽紀略」写本が里帰り=高知市〔地域〕
 幕末に米国に渡り、日米の懸け橋となったジョン万次郎の体験記「漂巽紀略(ひょうそんきりゃく)」の写本が、100年ぶりに米国から日本に里帰りし、高知市の高知県立坂本龍馬記念館で展示されている。米ローゼンバック財団が「日本に米国を紹介した最初の本」として保管しているもので、米国の風物を描いた色鮮やかな挿絵が特徴。7月19日まで。
 漂巽紀略は、米国から11年ぶりに帰国した万次郎を取り調べた土佐藩の河田小龍が、万次郎を自宅に寄宿させ聞き取った話をまとめた4巻の著作。米国民の風俗や政治制度、米国の港湾の様子などを紹介しており、ペリー来航に先立つ1852年に完成した。土佐藩主に献上され、後に龍馬ら幕末の志士にも影響を与えたといわれる。
 原本は所在不明だが、写本が6点確認されており、今回展示されているのは1912年に米ブルックリン博物館の学芸員が米国に持ち帰ったもの。ペンシルベニア州フィラデルフィアのローゼンバック博物館・図書館が、欧州に初めて米国を紹介したアメリゴベスプッチの「新大陸」とともに所蔵している。
 万次郎の体験記は数十種類あるとされ、今回の展示では万次郎の漂流記の異本、写本など11点を集めており、互いの比較も興味深い。
 同記念館の三浦夏樹主任学芸員は、里帰りした漂巽紀略について「保存状態が良く、米国でとても大事にされてきたことが分かる。日米をつなぐ貴重な本で、多くの人に見てほしい」と話している。 


熊本
出版:米良家、激動の400年 末孫・近藤氏と研究家・佐藤氏、一族の足跡たどり /熊本
◇初代・熊本藩主に仕官~12代・シベリア抑留

 江戸時代から現代までの400年間の一族の歴史をたどった著書「肥後藩参百石 米良家」=写真=が出版された。著者は米良家の末孫で札幌在住の近藤健氏と、東京の歴史研究家、佐藤誠氏の2人。8年がかりで完成させた。
 米良家の系譜をさかのぼり、日本史上のさまざまな事件とのかかわりに触れる。米良家の初祖は、熊本藩初代藩主の細川忠利に仕官した。米良家の2代当主は、赤穂義士、堀部弥兵衛の介錯人を務めた。8代目は幕末の相模湾警備、2度の長州征討戦に従軍した。
 10代目は明治9年の神風連の乱に参加して自刃し、9代目は明治10年の西南戦争で熊本隊員として西郷軍に合流して戦死した。
 11代目は屯田兵に志願して北海道へ移住した。13代目は太平洋戦争のレイテ沖海戦にゼロ戦の操縦士として参加した。12代目はソ連軍によるシベリア抑留中に病死した。
 熊本を出自として変転を経て北海道へ移った一族の足跡を、豊富な史料とともに振り返っている。福岡市の出版社「花乱社」刊。346ページ、3800円。【大島透】
6月13日朝刊


エンターテインメント
テーマは「コンテンツと歴史」、「歴女」などを考察 コンテンツ文化史学会で
ジャンルに捉われないコンテンツという括りでの研究活動を掲げる学会が、コンテンツ文化史学会である。その2013年第1回例会が、7月7日13時より芝浦工業大学豊洲キャンパスにて開催される。
今回のテーマは、「コンテンツと歴史」だ。歴史を切り口に、個性たっぷりの研究発表が行われる。当日は学会員だけでなく、一般の聴講も可能だ。一般参加には、500円の費用がかかる。

例会では歴史がどのように表現・消費されているのかを検討する。歴史学の観点から小説、マンガ、ゲーム、アニメ、映画などが、史実であるかどうかという二項的な議論の疑問を投げかける。
実証主義と是とする歴史学との相対化を意識するのは、コンテンツ文化史学会ならではのテーマ設定と言える。

当日は、松下尚さん、堀内淳一さん、筆谷芳行さんらが発表者として登壇する。新撰組ふるさと歴史館の学芸員である松下さん、新撰組ふるさと歴史館の取り組みを紹介しながら、施設と歴史ファンとの関係について考察する。
学習院大学の堀内さんは独自に歴女の調査について発表する。詳細なデータにもとづいて、これまで曖昧であった「歴女」のイメージを紐解く。

筆谷さんは少年画報社の編集者として、編集側から見たマンガ表現を解説する。また筆谷さんは、東北芸術工科大学の吉田正高さんと「漫画における『歴史』表現」と題して対談する。
博物館、歴史ファン、出版社といった様々な角度から「歴史」についてディスカッションが行われる有意義な1日になりそうだ。

2013年第1回例会「コンテンツと歴史」
http://www.contentshistory.org/2013/06/11/1312/

日時: 7月7日(日) 12時半開場、13時開始
場所: 芝浦工業大学・豊洲キャンパス交流棟401号室
参加費: 500円(会員は無料)
 顔付けがよいので、昼の部に続いて夜の部も楽しんできました。

《昼の部》

 1時過ぎに入ったんだけど超満員。団体さんが混じっていたのかしら。

牛ほめ/歌も女
 三遊亭多ぼうさんが二ッ目昇進して歌も女さんに。
 辛口ながら、この与太郎は受け容れられなかった。落語は原則、声色を使わない。話芸で大人子供や男女を演じ分ける。声色に近い感じで与太郎の子供っぽさを演じたところが、赤ちゃん言葉みたいで私には鼻についた。第一、与太郎は子供っぽい感じじゃなく、むしろいっぱしの口をきくところが与太郎なんだな。

権助魚/柳朝
 6代目ですね。一朝さん門下。一度TBS落語研究会で『不動坊火焔』を聴いて以来。
 さすが大名跡を継ぐだけあって、安定感のある『権助魚』。安心して笑えた。

漫才/ホームラン

たらちね/三三
 三三さん得意のネタで、「我が名を問いたもうや」から「ちーん」まで笑いっぱなし。

鉄の男/小ゑん
 わーい、小ゑんさんお得意のアキバ噺をたっぷり聴けた上に「鉄の男」初めてライブで聴けた。
 家の中じゅう鉄道グッズであふれている家庭のお話、住まいじゅう新選組の本やグッズであふれている自分にはトホホなお噺(^_^;)。

太神楽/仙三郎社中

転失気/一朝
 うほー、「転失気」を一朝師匠で聴けちゃうとは。一朝師匠だと喬太郎師匠のほど珍念が腹黒くはならないのね。
 中入りに隣の女性から話しかけられ、ネタわかった上で笑うタイミングが通っぽいと褒められた(苦笑)。

ものまね/小猫
 テナガザルがお家芸に加わるのも間近でしょうか。

祇園祭/圓太郎
 夏らしいネタ。
 『祇園祭』といえば一朝さんか圓太郎さんだよなぁ。この強烈な京都人のキャラクター(^_^;)。

短命/喜多八
 先週も『短命』だったなぁ。喜多八師匠のは艶笑度が下品にならない程度でよいと思う。

三味線漫談/小圓歌
 そうか、歌武蔵師匠は弟弟子なんだ。

皿屋敷/歌武蔵
 本名松井秀喜のほかに北の金さんに似てるというネタが今日は特に爆発。床屋さんでサマーバージョンに刈り上げられた御髪が確かによく似せてる。
 やった、前から聴きたかった歌武蔵師匠の『皿屋敷』。これまた、夏らしくなってきた時期ならではのネタ。
 番町皿屋敷のお菊さんが、歌武蔵版だと最初からぶくぶく太っている(汗)。そして、『短命』で出てきた伊勢屋さんの三番目の婿さんの、丈夫一点張りで顔は「ぶりのあら」というあだ名がつくというネタを持ってきた……すごいお菊さんだな(^_^;)。
 そして、ショーアップされた挙げ句に芸が荒れて臭くなる描写がまた爆笑もの。

《夜席》

 雲助師匠の特別企画公演なんだけど入りはちょぼちょぼで昼席とは好対照。土曜の夜席でもこういう日があるんだな、と。

やかん/ちよりん
 今日はちょっとノリが悪かったというか、勢いが今ひとつだったような。

漫才/ロケット団
 いま漫才で一番おもしろいのはやっぱりロケット団でしょうか。四文字熟語とか、北ねたとか、鉄板で面白い。何度聴いても面白い。

出来心/燕路
 師匠のお顔と人となりが、ドジな泥棒のねたにぴたりと来る。落語に出てくる泥棒さんは「出来心」にしても「鈴ヶ森」にしても「夏泥」にしても真面目に悪事に励もうとすればするほどダメダメなところがいい。

爆笑龍馬伝/歌之介
 この浅い出番でもかけていただけました。鉄板で笑わせていただきました。

太神楽/和楽社中
 今日は珍しくナイフが(汗)。

粗忽の釘/馬石
 雲助さん門下は白酒さんといい馬石さんといい龍玉さんといい、揃って出来がいいなぁ……。
 お隣の部屋に釘を突き刺してしまったことを詫びに行くはずが、煙草ふかして夫婦の馴れそめをぱぁぱぁ喋っちゃう亭主、大好物です。

青菜/市馬
 うひゃあ、今年は早々に市馬さんの「青菜」聴いてしまった。夏だなぁと思う。「鞍馬山から」の遣り取りを、奥様がその場で機転を利かせた隠し言葉と説明することで、上流家庭の奥様のエスプリを強調。一方、植木屋の女房は今日は「タガメ」ではなかったけど、ふんぞりかえって煙草ふかしているふてぶてしさ。でも、この暑い中を押し入れに入って亭主の小芝居に付き合ってやるんだから、「短命」の女房(「夫婦じゃなくて親分子分」と言い切る)よりかわいいところがあるかな。

粋曲/小菊

手紙無筆/文左衞門
 今日は黒の着物。袖口から覗く裏が赤で派手なんだけど、はっきりした顔立ちの文左衞門師匠には似合うんだよなぁ。羽織もオレンジで、この方の着物の色使いは洋服感覚に近いなぁ。
 これまた安定の「手紙無筆」。

ダーク広和
 今日は珍しくネタが(汗)。

妾馬/雲助
 意外にこの大ネタ、ライブで聴けていない。三三さん、花緑さん、そして雲助師匠。
 さすがな雲助師匠。殿様と八五郎と三太夫のやりとりがいちいちおかしくって、大笑い。ありがとうございました。
 





 予定がぽこっと空いたので、ふらっと寄席に行きました……っていう感じが好きです。寄席は、独演会とかのように予約してがっつり行くところではないですから。

ガールトーク/駒次
 鉄道落語で頭角を現している二つ目の駒次さん、個人的には東急線ネタの『鉄道戦国絵巻』を聴きたかったのですが、喫茶店で噂話に花が咲く「ガールトーク」もいいネタでした。

ジャグリング/ストレート松浦

谷風情相撲/琴調
 落語では『佐野山』とも呼ばれるネタですね。なるほど、美談なのは講談ネタだったからか。

漫才/にゃん子金魚

あくび指南/志ん陽
 ライブで聴いたのは二回目ぐらいかな……去年真打ちに昇進した志ん陽さん、有望株だけあって面白い。

お血脈/扇辰
 このあたりの香盤でさらっと面白いネタを披露する扇辰師、さすが。

キセル漫談/ひびきわたる
 んー、すごい。

替わり目/白酒
 やはり、おもろい夫婦ときたら、白酒の「替わり目」ですね。

奇術/夢葉

支度部屋外伝/歌武蔵
 今日も、相撲部屋と落語家の楽屋の話で盛り上がりました。

短命/喜多八
 喜多八師匠が色っぽい質問にとことん鈍感な八っつぁんを演じると、じれったいですね(苦笑)。

漫才/遊平かほり

井戸の茶碗/伯楽
 先代馬生師匠の弟子なんですね。

 『八重の桜』、とうとう奥羽越列藩同盟まで来ましたね。ここから先がしんどいなぁ……慶喜さんが「わしに家臣はいたろうか?」と勝海舟に訊いた瞬間、この人は英明だけど臣下がついてこねぇと思いましたけど(^_^;)。

熊本
幕末の玉名で西洋銃製造 詳細な古文書見つかる
玉名古文書の会(森高清代表)は、刀工集団「同田貫[どうだぬき]」が幕末、玉名市亀甲で西洋銃の製造に取り組んでいたことを詳細に示す古文書を発見した。これまでも同田貫が玉名市亀甲と南関町で西洋銃を造っていたことは分かっていが、玉名市歴史博物館の村上晶子学芸員(57)は「南関町で開発、製造が盛んだったことを記した文献はあったが、玉名市での製造について詳しく書かれたものはなく、実像は不明だった。非常に価値のある発見」と話している。

 古文書は1858年、坂下手永(玉名市)の惣庄屋だった関忠之允が熊本藩で地方行政を監督する郡代にあてた「御内意申上覚」。長洲町の町中央公民館に所蔵されていたのを今年3月、同会の洲崎勝さん(68)が見つけ、西洋銃を研究している同会の平田稔さん(69)が読み解いた。

 同田貫は加藤清正の保護を受け、玉名地域で日本刀を作っていた刀工の一派。古文書には、西洋銃の製造に特に尽力した刀工や地方役人ら10人の名前が列挙され、それぞれの役割や功績が詳しく記されている。同田貫の名工として知られる小山寿太郎が、西洋銃製造の総責任者として職人たちを指揮していたことや、寿太郎の屋敷(玉名市亀甲)近くに工場があったことなども古文書から分かった。

 平田さんは「当時西洋銃は輸入物が多く、独自に製造していた藩は全国でも珍しかった。ペリー来航で洋式軍備の必要性を感じた役人と刀工が、力を合わせて西洋銃づくりに励んだ様子がありありと分かる。この発見で少しでも多くの人に同田貫銃について興味を持ってもらえれば」と喜んでいる。(東本由紀子)


山口
<奇兵隊>黒い上着にズボン 幕末の制服を復元 萩博物館
 山口県萩市の萩博物館で7日、幕末の戊辰戦争で活躍した奇兵隊の制服が披露された。戦後の1869(明治2)年9月に撮影された写真を基に復元した。

【戊辰戦争】殉難者慰霊 春季祭典に市民ら100人

 黒いコート風の上着にズボンの洋装。復元調査にあたった山口県立大の学生がモデルとなり、写真通り、模造品の日本刀や鉄砲、懐中時計などを手にポーズを決めた。

 高杉晋作が下関で奇兵隊を結成したのは150年前のこの日で、隊長服を着込んだ竹松侃(すすむ)さん(18)は「奇兵隊がいなかったら今の日本はない。身が引き締まります」。【川上敏文】


コラム
幕末「日米修好通商条約」対米屈服だったか?名外交官・岩瀬忠震「最良の選択」
【先人たちの底力 知恵泉 天下無敵の交渉術「幕末の外交官 アメリカと対峙する 岩瀬忠震の交渉術」】  教育/デジタル教育1 06月11日(火) 23:00 ~23:24
開国か攘夷かで揺れていた幕末、日本はアメリカと日米修好通商条約を結んだ。いままでこの条約はアメリカ側の全権・ハリスの強い圧力に政府が屈した「不平等条約」とされてきたが、最近の研究では「当時の日本が選択できた最良の結果」で、後の経済的発展を導いたと再評価されている。
ハリスとの交渉に挑んだ日本側全権のひとりが、今回取り上げる岩瀬忠震(いわせ・ただなり)だ。圧倒的な不利の中でも、岩瀬は脅しに屈することなく冷静に国際情勢を分析し、堂々と渡り合い日本に有利な条項をいくつも勝ち取った。後年のハリスに「彼のような全権を持ったのは日本の幸福だった」と言わしめたほどの岩瀬の交渉術は、どのようなものだったのか。
*先人たちの底力 知恵泉 天下無敵の交渉術「幕末の外交官 アメリカと対峙する 岩瀬忠震の交渉術」


幕末のお城にタイムスリップ
 「新発見」古写真にみる「本物の城」の迫力
慶応元年(1865年)撮影の「大坂城 本丸東面」や、尾張藩主・徳川慶勝が元治元年(1864年)に撮ったという広島城の写真などが、ずらり134城720点――『レンズが撮らえた 幕末日本の城』(山川出版社)が、近年各地で新たに発見された古写真を一挙紹介している。
「再興」の城とは気品が違う

レンズが撮らえた 幕末日本の城
現在では、鉄筋コンクリート造などで再興された「天守」を見ることができる城もある。しかし、同書監修者の一人である広島大大学院の三浦正幸教授は冒頭解説で、古写真と再興天守を見比べると、「大なり小なり相違している」として、「古写真に見られる気品のある外観が大きく損なわれていることをぜひとも確認」してほしいとしている。
本書の「主役」は貴重な写真の数々だろうが、解説やデータも充実している。各城の築城年や慶応3年時の城主と石高などを紹介。写真についても撮影時期のほか、場所の解説もある。たとえば「江戸城」の「二の丸大手三之門と下乗橋」では、「明治初期の撮影」「御三家以外の大名諸侯はここで乗り物を降りて徒歩で登城した」とある。
北海道から沖縄までの城が登場しており、故郷や地元にある城の「昔の姿」を探す楽しみ方もできそうだ。
2013年4月に発売された。編著・來本雅之、監修・小沢健志、三浦正幸。1890円。<モノウォッチ>
 ゴールデンウィーク中は北海道で降雪とのことでしたが、今週は関東周辺は25度を超える日が多く、比較的に湿度の低い暑い日が続きました。
 
北海道
箱館五稜郭祭で寸劇競う 高3「土方」が優勝
 戊辰戦争最後の舞台となった北海道函館市で18日、「箱館五稜郭祭」が始まり、新選組副長の土方歳三になりきって寸劇を披露するコンテストが開かれた。26回目のことしは、北海道函館工業高校3年の河野憲嗣君(17)が初出場で優勝した。

 寸劇は、新政府軍に包囲され、敵に撃たれて倒れる設定。参加者は、独自のセリフや動きで土方らしさをアピール。実戦さながらの切り合いを演じる姿に、詰めかけた約400人の観客からはどよめきも起きた。一方で、倒れる直前に「死にたくない」とつぶやき、笑いを誘う出場者も。


誠を貫き熱く 函館の高3優勝 土方歳三コンテスト
 【函館】箱館戦争で旧幕府軍に参加して戦死した新選組副長、土方歳三の最期の場面を演じる「第26回土方歳三コンテスト全国大会」が18日、函館市の五稜郭タワーで行われた。東京や岡山、名古屋などから駆けつけた17人が挑戦。初出場の函館工業高校3年、河野憲嗣(かわのけんじ)さん(17)が優勝した。

 同日開幕した箱館五稜郭祭の名物行事。女性5人を含む17~52歳の出場者が約400人の観客を前に熱演した。優勝した河野さんは「大河ドラマで新選組を知り、誠を貫く土方の生き方に憧れた。髪形は土方をイメージしました」とうれしそうに話した。<北海道新聞5月19日朝刊掲載>

土方歳三になりきって 北海道・函館で五稜郭祭
 戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争をしのぶ「五稜郭祭」が18、19日の2日間、函館市で開かれた。

 初日は、この戦いで戦死した新撰組副長・土方歳三のコンテストが五稜郭タワーアトリウムで開かれ、17歳から52歳までの男女17人が「土方らしさ」を競った。土方が鉄砲で撃たれて戦死する場面などを寸劇で演じ、容姿、演技力、土方への思い入れ度合いなどで採点。迫力のある殺陣を披露した函館工業高3年の河野憲嗣さん(17)が優勝した。

 数年前の新撰組の大河ドラマを見て、土方にあこがれたという河野さん。所属する函館野外劇の殺陣チームの仲間と、練習を重ねてきたという。「土方の『誠』を貫くところがかっこいい。新撰組に対する思いや、局長の近藤勇との友情が表現できるようせりふを考えた」と話した。

 19日には、旧幕府軍や官軍に扮した人たちが市中心部をパレードする「維新行列」が行われ、河野さんも参加した。行啓(ぎょうけい)通りでは、戦闘シーンのパフォーマンスも行われ、沿道の観客らが見守った。


箱館戦争の犠牲者安らかに 「総攻撃の日」慰霊祭
【函館】1869年(明治2年)の箱館戦争で新政府軍による箱館総攻撃があり、旧幕府軍として戦った土方歳三の命日でもある11日、戦没者を弔う二つの慰霊祭が函館市内で行われた。

 箱館戦争で亡くなった会津藩士をまつる「傷心惨目(しょうしんざんもく)碑」のある高龍寺では、函館福島県人会(熊坂成剛会長)が碑前祭を開催。同会の約20人が焼香し同郷の先人の霊に手を合わせた。熊坂会長は「箱館戦争の時も雨で、(会津藩士たちが)大変な思いをしたこともあっただろうなという思いがこみ上げてきた」などと語った。

 また、敷地内に箱館戦争供養塔がある五稜郭タワーでは、戦没者供養祭がアトリウム内で行われた。

 同タワー主催で、18、19の両日に開催する第44回箱館五稜郭祭の成功祈念も兼ねている。土方の像の近くに設けられ祭壇で、同タワーの中野豊社長が「戦没者の御霊安らかならんことを念じます」などと祭文を読み上げ、僧侶の読経が響く中、参列者約50人が焼香。新政府軍と旧幕府軍双方の戦没者の霊を慰めた。(大内聡顕)


7月開幕「函館野外劇」 安全と成功願い祝祷祭
 NPO法人「市民創作『函館野外劇』の会」は11日、函館市の五稜郭公園を舞台に7月5日から開催する「函館野外劇」の成功を祈り、同公園で祝祷(しゅくとう)祭を行った。

 降りしきる雨の中、スタッフや出演者、工事関係者ら約20人が参加。特別養護老人ホーム旭ケ岡の家の山内実神父が儀式を執り行った。今回は昨年12月に死去した野外劇の発案者フィリップ・グロード氏の追悼公演。祝祷祭では全員で黙祷(もくとう)をささげ、山内神父が野外劇の安全と成功を願い、会場に聖水をまいた。

 グロード氏から同法人理事長を引き継いだ中村由紀夫さんは「小中学生を中心に観劇者を増やし、次につながるような活動をしたい」と決意を新たにし「開演は午後7時40分だが、地元ゆかりの方が出演する同7時のプレステージから楽しんでほしい」と呼びかける。

 会場の工事は今月20日から始まり、公演は7月5日から8月10日までの11公演。入場料は大人2千円(前売り1800円)、高校、短大・大学生は千円(同900円)、小・中学生は500円(同400円)。前売り券は松柏堂プレイガイド市内各店やローソンチケットなどで扱っている。問い合わせは同会事務局(電)0138・56・8601へ。(野長瀬郁実)


宮城県
海辺の記憶 石巻湾周辺・門脇 コメの流通拠点に成長
<港の役割を重視>
 石巻湾を一望する場所に日和山はある。周辺の一帯には江戸期に門脇村が置かれ、石巻地方の中でも商業や漁業の盛んな土地の一つだった。
 旧北上川の対岸が「牡鹿湊」と呼ばれた鎌倉期、日和山には葛西氏の本城があった。その後、焼失したらしい。今の鹿島御児神社がある場所と考えられる。
 日和山には、伊達政宗が本拠を置こうとしたとする伝承も残る。岩出山(大崎市)時代の政宗が築城を幕府に願い出た地名には、青葉山、榴ケ岡(ともに仙台市)とともに日和山があったという。
 市教委生涯学習課の佐々木淳課長補佐は「築城の経緯は諸説あるが、政宗が石巻港の役割を重く見たのは確か。後に北上川大改修を命じ、江戸廻米の一大拠点となる契機をつくった」と説明する。
 大改修を任されたのが長州生まれの土木技師川村孫兵衛重吉だ。江合川や迫川を合流させ堤防を築き、はるか内陸の盛岡から石巻までの舟運を可能にした。流域では新田開発も進み、コメ集荷地として人や物が集結した。
 コメ輸送が盛んになるにつれて門脇も川岸に集落が形成され、石巻地方の運送・水産業拠点の地位を固めた。村所属の船は石巻村の3倍に及んだ。

<工業団地が集積>
 現在、釜・大街道地区と呼ばれる西部は明治になって旧士族が切り開いた。手付かずの荒れ地の開墾は困難を極め、多くの脱落者を出しながらも、大正期までに果樹栽培の盛んな農地に生まれ変わらせた。
 門脇の昭和史で最大の出来事は1940年、東北振興パルプ(今の日本製紙石巻工場)の操業だろう。
 実業家の渋沢栄一が会長を務めた東北振興会の働き掛けもあって誘致が進み、55年には石巻市の産業出荷額に占める紙製品の割合は56%に達した。
 61年には原材料の木材輸入のため石巻工業港が着工した。通称「大街道」の国道398号沿いに商業施設、南側には住宅や工業団地が集積し、先人の汗が染みこんだ農地の多くが消えた。
 釜地区は、川村孫兵衛が晩年に屋敷を構えた土地でもある。
 子孫で、先代まで名産の梨を栽培していた川村潤一さん(60)は東日本大震災の津波で家族5人を失い、自宅の一部は災害危険区域に入る。
 「先祖が好んだきれいな入り江の釜は、戦後の工業化と震災で大きく変わった。ここに住み続けようという気持ちに、今はなれない」と語る。

<メモ>大街道開拓の功労者で旧士族の細谷十太夫は、石巻を戊辰戦争の戦禍から救った人物として知られる。1868年9月、湊村などに布陣した新撰組など旧幕府軍と矢本村(現在の東松島市)に陣をかまえた官軍がにらみ合い、町場から人が消えた。細谷らの働き掛けで旧幕府軍は撤退。これにより石巻は東北の主要都市の一つとして存続していく。


茨城
企画展:幕末〜明治初期、著名人の書紹介 筑波銀本部で /茨城
 人となりがにじみ出ると言われる筆跡を通し、幕末の志士たちの生涯や時代背景に思いを巡らせてもらおうと、幕末〜明治初期に活躍した著名人の書を紹介する企画展が、つくば市竹園1の筑波銀行本部ビル2階ギャラリーで開かれている。

 企画展「近代日本を築いた幕末の志士、名士たちの息吹展」では、熊本藩細川家に仕えた重臣の子孫で龍ケ崎市の建築会社経営、橋本秀孝さん(60)が所有する作品約70点を展示。

 坂本龍馬が姉の乙女宛てに書いた手紙をはじめ、西郷隆盛や勝海舟、福沢諭吉らの肉筆の掛け軸やびょうぶなどが並んでいる。

 つくば市北中島の主婦、馬場明子さん(67)は「それぞれの字から誰にもまねできない個性が感じられる」と話した。

 7月4日まで。開場は午前9時〜午後5時、入場無料。問い合わせは筑波銀行(029・859・8111)。【松本尚也】


香川
幕末の寄進帳や売掛帳見つかる 小豆島のしょうゆ蔵元 香川
■50冊超の古書や船箪笥も 歴史的流れ知る貴重な資料

 江戸時代後期、弘化元(1844)年創業の香川県土庄町のしょうゆ製造販売会社「ヤマトイチ」を営む大森家から、地元・大部(おおべ)地区の港に波止場を造営した際の寄進帳とみられる台帳や、得意先との取引内容を記した売掛帳(うりかけちょう)など幕末から明治期の古文書が見つかった。50冊を超える古書も確認され、町教委は「古文書は小豆島のしょうゆや村落の歴史的流れを知る上で貴重。地方の商家の蔵書も興味深く、詳しく調べる価値がある」としている。

 同社によると、寄進帳と売掛帳のほか、銃や大砲の扱いを図解付きで解説した江戸期の専門書「砲術訓蒙」や冠婚葬祭のあいさつ言葉などの文例集「商人書輪便覧」、明治期に発行された史書「校正 日本外史」などが、大森家の土蔵から見つかった。船箪笥(ふなだんす)や香時計(こうどけい)、硯(すずり)と筆を組み合わせた携帯用筆記具の矢立(やたて)といった生活用具もあった。

 寄進帳とみられる古文書「波戸奇進長(帖)」は幕末の慶応年間につづられたもので、波止場を造る際の住民からの寄付金や都合した作業員について記録。また、売掛帳は安政から慶応年間のもので、得意先に販売したしょうゆの量や米の値段などが記載されていた。

 同社は江戸期から商品を港から船で岡山県に運んで行商していたといい、見つかった古文書から当時のしょうゆの販路をたどることもできそうだ。大森勝輔社長は「将来的にはもろみ蔵をギャラリーに改装して得意先や郷土史愛好家が閲覧できるようにしたい」と話している。

 同社は昭和51年の台風17号による豪雨で発生した土砂災害でもろみ蔵を含む工場全体が損壊するまでは自社でしょうゆを醸造していた。現在も委託醸造のしょうゆ商品を先祖に習って岡山県南部を主な販路に行商している。


山口
長州の幕末ひもとく展示一新
 山口市春日町の市歴史民俗資料館で、江戸末期から明治初期までの資料を紹介する常設展が2年ぶりにリニューアルされた。

 ここ2年間のテーマだった「維新再発見」から展示名を「幕末を紐解(ひもと)く」に変更。2年間の展示品と収蔵品を全て入れ替え、長州藩ゆかりの人物の直筆文書や恩賜品など29点を紹介している。

 大村益次郎が四境戦争(第2次長州戦争)で西洋の軍隊形式を採用して作った夜襲作戦の図や、薩長同盟締結の前年に第13代藩主毛利敬親の側近河北一が敬親から与えられた薩摩切り子のグラス、伊藤博文が大村益次郎に送った手紙などがある。

【写真説明】大村益次郎直筆の作戦図を紹介する原崎洋祐学芸員


佐賀
幕末のダビンチ・鍋島茂義 軍備、科学探究の足跡、九博で展示会
幕末の佐賀藩で蘭学(らんがく)に取り付かれた「お殿様」がいた。武雄鍋島家第28代領主で、佐賀藩の請役(うけやく)(家老)も務めた鍋島茂義(1800~62)だ。長崎で大量の蘭書や科学機器、武器などを買い付け、領内の軍備を増強して学問や文化も発展させた。科学から芸術に至るまで、多彩な才能を発揮し、イタリア・ルネサンス期に芸術や科学分野で万能な先覚者だったレオナルド・ダビンチをほうふつさせる。その一端が垣間見える展示会が、福岡県太宰府市の九州国立博物館で7月7日まで開催中だ。「幕末のレオナルド・ダビンチ」ともいえるユニークな茂義の人物像を探ってみた。

 茂義は、名君として知られる佐賀藩第10代藩主、鍋島直正(1814~71)の義兄に当たる。直正の藩政改革にも大きな影響を与えた。23歳で請役に抜てきされるほどの俊才で、好奇心や探求心も人一倍強かったという。

 その心に火を付けたのは、長崎・出島への赴任だ。佐賀藩は1642年から幕末まで、外国船が来航する長崎港を福岡藩と1年交代で警備した。いわゆる「長崎警備」である。そこで見たオランダ船の軍備に驚き、最新式の銃を輸入したのを皮切りに武雄領の軍備近代化を進めた。


九州国立博物館に展示されているモルチール砲
 西洋砲術の第一人者だった長崎の高島秋帆(しゅうはん)に家臣を入門させ、自らも教えを請う。高島が造った日本初の青銅製モルチール砲を導入して訓練を行い、製造にも挑戦した。

 茂義が幼少時代の1808年、英国軍艦が長崎港で食料などを強奪した「フェートン号事件」が発生。当時警備を行った佐賀藩は幕府から厳罰処分を受けた。この苦い思い出が茂義にもあったのか、請役になると防衛強化のため蘭学や西洋の科学、文化への関心を深めたともいわれている。

 茂義の興味は、軍事面だけにとどまらない。

 蘭書をはじめ顕微鏡や天球儀、時計、エレキテル(静電気発生装置)などさまざまな物を長崎で購入する。蘭書を基に、科学実験場で洋式の実験用国産ガラス製品なども製作している。医学にも力を入れ、茂義のお抱え医師だった中村凉庵(りょうあん)に命じ、英国人が発見した牛痘種痘(ぎゅうとうしゅとう)法で疱瘡(ほうそう)(天然痘)の予防接種を日本で初めて行ったとされる。

 茂義は「皆春齋(かいしゅんさい)」の雅号で画家としても活躍。江戸やオランダ、中国から絵の具を買って自ら絵筆を取った。中には、1700年代初めに開発されたプルシアンブルーといった合成顔料もあり、今も保存されている。植物図絵も収集した。

 このような茂義の蘭学導入の克明な記録は、貴重な資料にも残されている。「長崎方控(かたひかえ)」と題され、2冊目から5冊目までの4冊が現存する。

 佐賀県武雄市図書館・歴史資料館の川副義敦学芸員は「茂義は知識を詰め込むだけでなく、実験を通して実践的に西洋の科学や文化を身に付けてきた。偉大な蘭学者であり、研究者でもある」と言う。日本の科学の先覚者といっても過言ではない人物でもあった。

 「人間は一生の中に多くの仕事を成し遂げた者が長生きしたのである。たとえ事実において長命なるも、その成し遂げた仕事が少なければ、早死にしたのも同様である」

 生前、茂義が家臣に語ったとされる言葉だ。あらゆる事象に関心を抱いて、実証主義に基づく研究で科学や文化を探求してきた研究者としての茂義を表すエピソードである。その生きざまは「ものづくり日本」の原点とも重なる。

=2013/05/22付 西日本新聞夕刊=




ブックレビュー
大河ドラマで容保ファンになった人には必読の書
王城の護衛者
2013年05月17日 読了
ジャンル :歴史・時代小説キーワード : 松平容保

著者:司馬遼太郎  出版社:講談社 価格:¥ 730
Amazon.co.jp楽天ブックス紀伊國屋書店BookWebTSUTAYA online
 歴史書などで見かける、会津藩第9代藩主松平容保の容姿は、いまだ少年の俤を残した初々しい青年である。
 会津のジャンヌ・ダルクと称され、のちに同志社大学創設者新島襄の妻となった山本八重の生涯をドラマ化したNHK大河ドラマ「八重の桜」でも当然重要な役どころとなっている。
 演じるのは、新鋭の綾野剛。写真で見る容保に、雰囲気はそっくりだ。
 容保役に綾野剛を配役したのはNHKの手柄といっていい。

 この物語は、松平容保の人間像を描いた司馬遼太郎の歴史小説である。
 雑誌「オール讀物」3月号に大矢博子の「この新撰組小説がすごい!」という記事があった。その中で、新撰組全体がわかる背景として推奨されていたのが、この物語だ。
 司馬の作品ではあくまでも容保の生涯を追っているが、大矢いわく、「どのような状況で新撰組が会津藩お預かりとなったのか、それが何を生んだのかがよくわかる」としている。
 但し、これはいささか過剰な評価だろう。
 この物語は純粋に、松平容保がいかに幕末という時代に翻弄されたかを描いたものとみていい。

 「オール讀物」のこの記事では、司馬がこの小説を書いて松平家ののちの当主からお礼の電話をもらったというエピソードが紹介されている。
 賊軍として会津藩の崩壊とともに降伏した容保だが、先の孝明天皇からどれほど慕われていたかが、司馬の感情を抑えた文章でもよくわかる。
 維新後、生き残った容保が孝明天皇からの書面を肌身離さず持っていたというエピソードを最後に持ってきたのは、司馬のロマン嗜好の現れだろう。
 徳川慶喜に対する恨みだけでなく、それほどに自分に信頼を寄せてくれた孝明天皇の期待に応えられなかった自身の不甲斐なさ。けれど、それにあまりある天皇の書面の温かさは、晩年の容保の拠り所だったにちがいない。

 司馬作品としては短編小説に属するこの物語は、容保の初々しさだけでなく、慶喜の性格の厭らしさをよく描いている。
 ちなみに、司馬は代表作の一つである『街道をゆく』の「白川・会津のみち」の中でも「容保記」という章を設けている。


コラム
西郷隆盛はぽっちゃり好き!? 幕末志士たちの性癖、あだ名、趣味…
 歴史上の人物は、教科書で見ると○○年に○○をした人。とか、○○の息子で○○と結婚した。というように、その人が関わったり、活躍した出来事と家族関係ぐらいしか紹介されていない。だから、具体的にどんな人かイメージできず、ただ暗記しなければならないのでなかなか覚えられないし、あまり興味が持てないのだ。しかし、歴史が苦手だったり興味を持てなかった人でも楽しく歴史上の人物について学べちゃう本が登場した。それが、5月11日に発売された『幕末志士の履歴書 時代劇ではわからない意外なプロフィール』(クリエイティブ・スイート/宝島社)。この本では、タイトル通り幕末志士について履歴書形式で紹介されているのだが、教科書には載っていないエピソードが満載なのだ。

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 たとえば、彼らのあだ名。「安政の大獄」を行なった大老の井伊直弼には「チャカポン」というあだ名があった。これは、彼が禅や茶道、和歌や鼓、国学、居合術などを極めていたため、「チャカポン(茶・歌・鼓)」と呼ばれていたのだ。さらに、あの有名な板垣退助は、実は「退助」があだ名。本名は「乾正形」なのだが、戊辰戦争の時に「板垣正形」、明治に入ってからは「板垣退助」に統一したらしい。また、「美顔のうえ、気品あふれる男」と言われた三条実美のあだ名は「白豆」だし、医者として活躍した大村益次郎は「火吹きダルマ」、土佐藩士の武市半平太は「アゴ」、高杉晋作も「あずき餅」や「鼻輪のない暴れ牛」と呼ばれていたそう。身も蓋もないものからどうしてそんなあだ名が付いたのかわからないものまでさまざまだが、こんなふうにあだ名を覚えるとどんな人かわかって少しは覚えやすくなるかも。

 また、彼らの死因もとても興味深い。近藤勇のように斬首されたものや西南戦争で自刃した西郷隆盛は有名だが、病死や老衰以外の死因だった人もたくさんいる。新撰組の隊士で、剣の腕もかなりのものだった永倉新八は「酒に酔うとふんどし一丁になって傷を一つひとつ見せながら自慢する癖」があった。だが、そんな彼の死因が虫歯の悪化で敗血症をこじらせ、病死したからなんて驚き。他にも、風呂上がりにブランデーを一気飲みして脳溢血を起こした勝海舟や、糖尿病にかかっても酒を飲み続け、尿毒症になって死んだ明治天皇など、酒や自分の体調管理ができなくて病死した人も多かったようだ。

 さらに、意外なエピソードを知れるのもこの本の醍醐味。あの坂本龍馬を育てた姉が、坂本乙女なんて名前に似合わず、身長174cm、体重112kgの巨体だったなんて全然知らなかった。おまけに、深夜に銃を発砲してその音を楽しんでいたというから、「坂本のお仁王さま」と呼ばれていたのもうなずける。でも、こんな姉に育てられたからこそ、武芸や勉強ができるだけでなく、行動力溢れる坂本龍馬が生まれたのだろう。そして、犬にトラウマがあった勝海舟。実は9歳のときに睾丸を噛まれ、高熱を出したからなんだとか。これではトラウマになってしまうのも仕方がない。他にも、福沢諭吉が幼少の頃からお酒を飲んでいたとか、西郷隆盛はデブ専で料理屋で一目惚れした仲居には「豚姫」というニックネームをつけた。近藤勇は尊敬する加藤清正を真似して「げんこつを口のなかに出し入れする芸」を持っていたこと。現在放送されている大河ドラマ『八重の桜』の主人公である新島八重(旧姓:山本八重)にも、「14歳のときには4斗俵(およそ60キロ)を肩の高さまで上げ下げした」という怪力エピソードが残っている。

 こんなふうに、あだ名や趣味、トラウマまでわかれば一気に親近感がわいてくる。歴史が苦手なあなたも、これを読めば少しは歴史が楽しくなるかもしれない。

文=小里樹
(ダ・ヴィンチ電子ナビより)

 今日読んだ歴史読本では、永倉新八ッつぁんの死因は虫歯ではなかったと思う……たぶん虫歯から感染した何かの炎症だった。



 今年も野間みつねさんと兼定を拝んで参りました。ゴールデンウィークからこの週辺りにかけての特別拝観、みつねさんと一緒に日野詣でするようになってかれこれ10年にはなりますか……ほんと、長いお付き合いです。

 今年はバタバタしてて……最終展示日に間に合ってよかったです。今年も朱鞘の兼定を拝見できて、眼福でございました~。

 資料館内は撮影禁止ですので、石田寺の「土方歳三義豊之碑」写真です。


 雨女の白牡丹とスーパー晴れ女のみつねさんのコンビにありがちなバターンで、雨の予報→前日に雨マーク消える→帰宅するまで雨降らず、でした。

 去年は爆破予告でパレードが中止された「ひの新選組まつり」、今年は無事に行われたようで重畳です。そして今日は函館で土方歳三コンテスト、明日は五稜郭祭りパレード。蝦夷の今年の桜はちょっと遅いようで、パレードに花を添えられるかしら。
 そして、壬生浪士組の歴史に突如あらわれた谷右京って何者……そして、どのようにして壬生浪士組から消えたのか(汗)。

歴史
新選組前身のナンバー3か 壬生浪士組の谷右京、複数文献に
 新選組の前身「壬生浪士組」に谷右京という幹部がいたことを複数の文献から歴史研究家が確認した。局長の芹沢鴨、近藤勇に続いて名前が記載されたものがあり、「ナンバー3だったのではないか」とみている。砲術に秀でており、浪士組離脱後も研究を続け、自作の防弾盾を万国博覧会に出品したとされる。

 山口県文書館が保存する「上京有志姓名録」には、1863年に江戸から7組に分かれて京都に向かった浪士組隊士200人強の名前、出身、年齢などが記されている。谷は5番組の2番目に名前があり、丹波柏原藩(現兵庫県丹波市)元藩士で63歳とされている。

 京都での会津藩の動静などが書かれた「文久元治亥子太平録」(福島県会津若松市立会津図書館所蔵)では、「壬生浪士頭」として芹沢、近藤の次に「丹波産 谷右京」と出てくる。幹部として、名前が記載されているのは3人だけだった。

 谷が浪士組を離脱した理由は不明だが、1881年に漢学や医学などに詳しい学者蒲生重章が編さんした「近世偉人伝」に、かつて谷右京と名乗っていたとして、谷水石の名前で離脱後の活動が紹介されている。

 偉人伝によると、谷は黒船来航などをきっかけに独学で外国製と同じ仕組みの銃を開発したほか、車楯(くるまだて)という羽毛製の防弾盾を作った。幕臣・勝海舟の援助を受けて車楯を1873年のウィーン万国博覧会に出品したという。

 これらの文献を分析した歴史研究家あさくらゆうさんは「浪士組が砲術を用いていたことは分かっていたが、師範役は不明だった。谷がその役割を担っていたと十分に考えられる。志を忘れず、砲術の研究を続けた先見性のある人物だったのだろう」と話している。

 浪士組は薩摩、会津両藩と御所を警護し、長州藩などを追放した1863年の「八月十八日の政変」の功績が認められ、新選組を名乗ることが許された。新選組は今年で結成150年。〔共同〕


北海道
高3「土方」が優勝 五稜郭祭で寸劇競う
 戊辰戦争最後の舞台となった北海道函館市で18日、「箱館五稜郭祭」が始まり、新選組副長の土方歳三になりきって寸劇を披露するコンテストが開かれた。26回目のことしは、北海道函館工業高校3年の河野憲嗣君(17)が初出場で優勝した。

 寸劇は、新政府軍に包囲され、敵に撃たれて倒れる設定。参加者は、独自のセリフや動きで土方らしさをアピール。実戦さながらの切り合いを演じる姿に、詰めかけた約400人の観客からはどよめきも起きた。一方で、倒れる直前に「死にたくない」とつぶやき、笑いを誘う出場者も。

 河野君は「多摩は今ごろ新緑が見事だろう。近藤さん、2人で見に行きましょう」という死に際のセリフを披露。「土方歳三の新選組に対する思いや近藤勇との友情を意識して、悩みながらセリフを考えた。優勝できて本当にうれしい」と満面の笑みだった。コンテストには道内のほか、東京都や愛知県、岡山県から男女計17人が参加した。

 その土方のセリフ、目頭がじわっときました……(;_:)

箱館五稜郭祭で寸劇競う 高3「土方」が優勝
 戊辰戦争最後の舞台となった北海道函館市で18日、「箱館五稜郭祭」が始まり、新選組副長の土方歳三になりきって寸劇を披露するコンテストが開かれた。26回目のことしは、北海道函館工業高校3年の河野憲嗣君(17)が初出場で優勝した。

 寸劇は、新政府軍に包囲され、敵に撃たれて倒れる設定。参加者は、独自のセリフや動きで土方らしさをアピール。実戦さながらの切り合いを演じる姿に、詰めかけた約400人の観客からはどよめきも起きた。一方で、倒れる直前に「死にたくない」とつぶやき、笑いを誘う出場者も。


土方歳三になりきるコンテスト
箱館戦争で戦死した新選組の副長、土方歳三になりきり、演技力や思い入れの強さを競うユニークなコンテストが北海道函館市で開かれました。

このコンテストは、戊辰戦争の舞台になった五稜郭の歴史を語り継ごうと開かれている「箱館五稜郭祭」のイベントの1つとして毎年行われています。
ことしは、北海道をはじめ東京や岡山などから男女17人の土方歳三ファンが参加しました。
参加者は、新選組の羽織や当時の軍服などに身を包み、土方歳三になりきって、銃弾に倒れる最期の場面を演じました。
審査のポイントは、セリフの独創性など土方への思い入れをどう表現するかで、ことしは、初出場の函館市内の高校3年生、河野憲嗣さん(17)が優勝しました。
河野さんは「やったという気持ちです。1か月ほど前から練習を重ねてきたので、仲間に感謝したい」と話していました。
優勝した河野さんは、19日に行われるパレードに、土方役として参加することになっています。


宮城
亀の子岩を新調 七ツ森・笹倉山の道しるべ
 宮城県大和町七ツ森の主峰、笹倉山(別名大森山、506メートル)中腹にある亀形の「亀の子岩」が新しくなった。従来の岩は約150年前に刻まれたとされ、風化による損傷がひどかった。地元住民が二つの亀の像を奉納した。
 亀の子岩は戊辰戦争(1868~69年)から帰還した地元住民の故吉川恭輔氏が、地域安寧を願って岩肌に亀の姿を刻み、山頂に祭られている薬師如来に献じたと伝わる。現在は登山者を和ませる道しるべとなっている。
 岩は軟質でもろく、地元住民が数年おきに修繕してきた。最近は急速に風化が進み、消滅が危ぶまれていた。
 新たな亀の像は硬い御影石で、一つが全長1メートル、もう一つが70センチ。ともに大和町宮床の無職草刈恒夫さん(83)、宮床郵便局長戸津光郎さん(64)が奉納した。
 いずれも8日の山開きで登山者に披露された。山頂を目指す途中に立ち寄った人たちは早速、亀をなでたり、甲羅に水をかけたりした。
 草刈さんは下見や設置作業で計10回、笹倉山に登ったといい、「憩いの像として長く愛されればうれしい」と期待。戸津さんは「先人の願い同様、これからも地域の安泰を見守ってほしい」と話している。


福島
県立博物館で「八重の桜」展が開幕
 
「ハンサムウーマン」と称された会津出身の新島八重と戊辰戦争の敗戦を乗り越えた会津人の姿を通して県民に復興のメッセージを伝える「NHK大河ドラマ特別展『八重の桜』福島展」は17日、会津若松市の県立博物館で開幕した。大河ドラマで大山捨松役を演じる水原希子さん、山川健次郎役の勝地涼さんが来場し、開会式に花を添えた。
 開会式では佐藤雄平知事は「新たな時代を切り開いた八重に復興へ歩む県民の姿が重なる。『八重の桜』を追い風に復興を加速したい」とあいさつ。水原さんと勝地さんもあいさつし大役を演じる意気込みを披露した。関係者がテープカットし、水原さんと勝地さんは開幕を待ちわびた市民や大河ドラマファンと握手を交わすなど、来館者を笑顔で迎えた。
 開会式に先立ち行われた来賓向けの内覧会では福島民友新聞で「京に咲く八重 息づく会津の心」を連載する同志社社史資料センター社史資料調査員の小枝弘和さんをはじめ特別展の企画委員が佐藤知事、水原さん、勝地さんを案内した。
 水原さんと勝地さんは報道陣の取材にも応じ、水原さんは「元気を与えようと思って福島に来たが、福島人の笑顔に逆に元気をもらった。ドラマでは皆さんにパワーを送れるような芝居をしたい」と話した。
 特別展は県立博物館とNHK福島放送局などの主催で7月3日まで開催。八重や八重が生きた時代の貴重な資料約200点を展示する。時間は午前9時30分~午後5時。観覧料は一般・大学生1000円で高校生以下無料。


<戊辰戦争>青龍隊袖章の絵柄わかった 子孫宅から采配など発見 会津若松市に寄贈
 福島県会津若松市は15日、戊辰戦争を戦った旧会津藩の青龍隊幹部の子孫から、同隊の印が入った袖章や、指揮に使った采配など史料約170点の寄贈を受けたと発表した。

 青龍隊は同藩が1868年に新政府軍との戦いを前に、少年兵による白虎隊などと併せて組織した部隊。36~49歳の藩士で構成し、国境守備に当たった。史料は同隊の士中三番隊長を務めた木本慎吾の東京在住の子孫宅から見つかった。

 袖章は絹布に赤や青の印をあしらったもので、青龍隊の袖章の絵柄が初めて明らかになった。同藩の一部部隊の旗や袖章の図を記した古文書も見つかったが、同隊などの結成前のもので、白虎隊の袖章の絵柄は判明しなかった。

 白い毛を長さ約30センチの柄の先に束ねた采配は、入っていた袋に「戊辰之役越後表戦場デ使用シタル」と記されていた。また、安土桃山時代に領主だった蒲生氏郷が使用したと説明書きが付いた木製の笛も見つかった。

 同市教委の担当者は「ドラマなどに想像で描かれてきた当時の会津藩士の本当の姿が明らかになった。古文書の内容などの研究をさらに進めたい」と話す。10月に同市での芸術イベントで展示公開する予定。【乾達】


会津藩士の「袖印」発見 戊辰戦争時に着用か
 旧会津藩士木本家の子孫から会津若松市に贈られた古文書や武具の中から、木本家9代目の木本成三(慎吾)が戊辰戦争時に身に着けていたとみられる袖印が見つかった。同市が15日、発表した。
 袖印は戦いで敵、味方や階級を識別するために身に着ける。見つかった袖印の包み紙に木本の名が書かれており、由来が分かる会津藩士の袖印が見つかったのは初めて。
 ほかにも夜間の戦いで使う提灯(ちょうちん)の仕様が書かれている古文書など貴重な品々が見つかり、市は「会津藩の武家の実生活を物語る重要な資料」と位置付けている。


暗殺の長州藩士世良修蔵まつる 福島稲荷神社が墓整備
 戊辰戦争の官軍参謀として会津藩討伐を強行に主張し、滞在中の福島市内で暗殺された長州藩士世良修蔵(1835~1868)をまつった墓の整備工事が、9日までに完了した。墓は同市の福島稲荷神社(丹治正博宮司)境内にあり、墓を管理してきた同神社が改修。NHK大河ドラマ「八重の桜」では世良の暗殺シーンが6月中に放送予定で、同戦争を通じた同市と新島八重を結ぶエピソードに、多くの来訪が期待されている。
 墓は、戊辰戦争後に福島入りした官軍が慰霊碑として建立した「官修墳墓」。世良のほか、長州藩士4人の名前が刻まれている。建立場所が同神社の隣接地という縁もあって管理を委託され、戦後は境内に移された。暗殺時に血がついた石を葬ったものという。同神社が今年3月から整備工事を始め、4月の半ばに完了した。門扉や塀などを改修し、新たに説明板を設置した。
 世良は会津討伐の強硬論者で、同市北町の旅籠(はたご)「金沢屋」に宿泊中、会津藩の救済嘆願をしていた仙台、福島の両藩士によって襲撃され、阿武隈川の河原で斬首された。
 同神社は毎年春と秋の彼岸に、慰霊祭を行っている。丹治宮司によると、墳墓に花を手向ける人は絶えず、世良の出身地の山口県から訪れる人々は、敵地で没した世良が手厚く地元の人々によって慰霊され続けていることに驚き、感銘を覚えるという。
 近年は「歴女」と呼ばれるような歴史愛好家が訪れるなどし、来訪者は増えているという。「八重の桜」のほか、6月1、2の両日、同市で開かれる東北六魂祭(ろっこんさい)効果で県内外からの観光客も増えることが予想される。
 丹治宮司は「亡くなった方には等しく慰霊し、墳墓を守ってきた。県外だけでなく、市内の人にも墳墓を再認識してほしい」と話している。


バス「新島八重と幕末歴史号」毎日運行スタート JR東、新白河-若松間で
 JR新白河駅と会津若松駅を結ぶJR東日本のびゅうばす「新島八重と幕末歴史号」の毎日運行が11日から始まった。同日、白河市の小峰城跡で歓迎セレモニーが行われた。
 首都圏からの観光客約30人を前に鈴木和夫市長が「歴史のまち白河の魅力を多くの人に広めてほしい」と歓迎の言葉を述べ、草野幸雄JR新白河駅長があいさつした。
 観光客には市内で使える1000円分の買い物券と観光パンフレットが贈られた。一行はツーリズムガイド白河のボランティアの案内で城跡や集古苑を見学した。
 バスは今年度から土日曜日の運行がスタートしていた。毎日運行は9月30日まで。小峰城跡のほか下郷町の大内宿、会津若松市の鶴ケ城などを巡る。運賃は4500円で、予約が必要。

( 2013/05/12 10:27 カテゴリー:主要 )


戊辰の袖章など170点寄贈 若松市に会津藩士の子孫
 市教委によると、袖章や采配などは敵兵が持ち帰ったり散逸したりしており、会津藩が戊辰戦争で使ったものが残されているのは珍しい。主力部隊の一つ、青龍隊のうち上級藩士による士中隊の隊長を務めた木本慎吾(1839~1903年)の遺品で、保管していた東京の子孫から贈られた。慎吾は会津戦争の「一ノ堰の戦い」で負傷し、その後、斗南藩(現青森県むつ市)に移った。
 袖章は所属や階級が分かるよう武士が袖に着けた布。寄贈されたのは縦16センチ、横7センチの絹製で、包んでいた紙に「明治元年会津戦争ノ折 木本成三青龍隊袖印」と記されている。慎吾が着けていたとみられる。鮮やかな模様や線が示す意味は不明だ。
 采配は隊長が軍の進退を指揮するために使う道具。会津塗とみられる柄や先端の白い毛をまとめる金具など、ほとんど会津で作られたという。包んでいた袋には「九代慎吾成章戊辰之役越後表戦場デ使用シタル采配」と記されている。
 このほか、古文書「新御備組目印麁絵図」は各隊の旗や袖章、ちょうちんの模様の違いを絵入りで解説している。慎吾らが書き写して出陣の際に参考にしたとみられる。
 市教委文化課の近藤真佐夫主幹は「当時の軍制や工芸技術を知る貴重な資料」と話す。今後詳細に分析し、一般公開を検討する。



千葉
流山の名物 並べてPR 商工会館に「棚ショップ」
 小さな棚スペースから物産品や手作り作品の発信を-。流山商工会議所は、商工会館(流山市流山二)一階サロンで、こんな「棚ショップ」を開設した。「流山市を訪れた観光客らに地元物産などを紹介し、街の良さも知ってもらおう」というのが狙い。 (川田栄)
 棚は職員が手作りした木製で、一つ当たりのスペースは幅六十センチ、高さ二十七センチ、奥行き三十センチ。この大きさの棚が縦横に五段ずつ計二十五個並ぶ。有料で提供し、商工業者は物産のPRと販売に、市民は趣味の作品を発表する場としても使える。一番下の一部以外は借り手がつき、ガラス工芸品や歯ブラシ、飲めるみりんなど、さまざまな品物が並んでいる。
 商工会館がある流山本町地域は、かつて江戸川の舟運とみりん製造で栄え、明治時代の土蔵などが点在している。こうした古民家が観光施設やレストランに活用され、近くに新選組の「近藤勇陣屋跡」などもあることから市内外から訪れる人が増えているという。
 このため会議所は、四月から一階サロンを観光客らの休憩場所として平日だけでなく、土曜と休日にも開放してきた。「せっかくサロンを訪れる人がいるのだから、流山を宣伝する場にもなれば」(担当者)と、五月から棚ショップの運営を始めた。
 棚を借りるには初回登録料千円のほか、賃貸料が一スペースにつき月額千円(一部除く)が必要。物品を販売する場合、売り上げの10%が会議所の手数料となる。


埼玉
越谷をPR・滝野川新選組まつりで
 越谷時代まつりの実現をめざす会(広瀬知也会長)が4月28日、昨年に引き続き、板橋駅前で行われた「滝野川新選組まつり」でブースを出展。越谷をPRした。地場産業のだるまやひな人形、越ヶ谷秋まつりの山車などの紹介をはじめ、伝統ある越谷をPRしようと「日本の心の聖地 越谷」と題し、ゴールデンウイークに行われた「越ヶ谷宿の甲冑めぐり」や、中野形染の灯篭、国民健康保険発祥などを会場で説明した。
 ステージでは忍術道場の越谷武神館の演武もあり、広瀬会長の娘の小学校4年生の鈴音さんが大人を投げる技を見せ、大いに会場を沸かせた。同めざす会は、日光街道沿いの自治体と協力して観光振興しようと各市と連携しており、草加市、春日部市、幸手市の観光パンフレットも配布した。


東京
「ひの新選組まつり」 パレードに最多1300人
 日野市の街おこしイベント「第16回ひの新選組まつり」(実行委員会主催)が12日、JR日野駅東側の甲州街道や高幡不動尊の参道などで開かれた。新選組結成150周年と市制施行50周年を記念し、初めて甲州街道の一部500メートルを歩行者天国に。市制50周年記念の参加者も加わり、過去最多の延べ1300人(主催者発表)がパレードした。 (阿部博行)
 恒例の隊士パレードには延べ八百人が参加。十一日の「隊士コンテスト」で応募者三十二人の中から選ばれた十三人が、近藤勇局長や地元出身の土方歳三副長、井上源三郎・六番組隊長ら幹部隊士に扮し、勝ちどきをあげながら行進。馬上の近藤勇役と土方歳三役にはファンが多く、沿道の市民らが盛んにシャッターを切っていた。
 市制五十周年記念パレードも行われ、中学生の合同ブラスバンド隊や隊士に扮(ふん)した保育園児たち、みこしや山車も繰り出し、約五百人が練り歩いた。昨年は爆破予告電話のため午後のパレードが縮小されたが、今年は無事に終了した。
 土方役を務めた笹田千尋さん(22)=新宿区=は「昨年は沖田総司役でしたが、爆破予告騒ぎでゴールできなかった。土方役はプレッシャーを感じたが、沿道の声援に励まされ、やり遂げることができました」と笑顔。
 実行委員長の三浦盛好さんは「ホコ天でみんなが伸び伸びと行進できた。昨年の騒ぎのことがあるので、例年以上に喜びが大きい」と話した。


甲州街道 ホコ天に 「ひの新選組まつり」
 十二日に日野市で行われる「ひの新選組まつり」のメーン行事「隊士パレード」が、初めてJR日野駅東側の甲州街道を五百メートル区間、全面通行止めにして披露されることになった。全国の新選組ファンら四百人が当時の衣装に身を包んで練り歩くとともに、殺陣や勝ちどきなどのパフォーマンスを繰り広げる。「ホコ天」にすることで祭りを一段と盛り上げようと、街を挙げて準備している。 (福岡範行)
 これまでは、土方歳三ら新選組創設メンバーが剣術を磨いた日野宿本陣に近い日野第一小学校から、日野市役所までの二・五キロをパレードしていた。途中の甲州街道は片側のみ通行止めにして通過するだけ。パフォーマンス会場は発着点など数カ所に分散していた。パレード参加者や地元の人からは、甲州街道を歩行者天国にして、イベントを一カ所に集約するよう望む声が上がっていた。
 昨年、街道北側に都市計画道路の迂回(うかい)路が完成。新選組結成百五十周年と市制施行五十周年を記念して、全面通行止めが実現した。
 日野ふれあい商店会の滝本光男会長(76)は「これまでは大勢の人が慌ただしく通り過ぎるだけだった。今回は甲州街道を観客で埋め尽くさないと」と意気込む。おでんやカレーを売り、抽選会も開いて盛り上げるつもりだ。
 ホコ天会場には、江戸時代の街並みも再現する。時代劇用の大手門や和傘付きの休憩所を業者から借りる手はずを整えた。地元の人も積極参加し、かごの担ぎ手やチラシを配る瓦版屋といった町人になりきる。
 心配なのは当日の天気。雨だとパレードも通行止めも取りやめになる。貸衣装は雨にぬらせないためだ。まつり実行委員会の三浦盛好実行委員長(55)は「雨は降らないと信じて突き進む。万が一、雨天中止になっても、活性化のために一丸となったことは無駄にならない」と言い切る。
 通行止めは午前十時から午後三時まで。パレードは午後零時半と午後一時十五分からの二回ある。雨天中止の案内は市役所や観光協会のホームページに載せる。雨でも隊士のパフォーマンスは市民会館で行う。まつりは十一日が初日で、パレードで土方歳三や近藤勇らの役になる人を決めるコンテストを開く。


日野で「新選組まつり」-結成150周年・市政50周年で大規模に
 日野市内の各所を会場に5月11日・12日、新選組をテーマとした恒例イベント「ひの新選組まつり」が行われる。

「ひの新選組まつり」の旗が数多く舞う八坂神社

 今年で16回目を迎える同祭り。毎年、新選組の副長で、武蔵国多摩郡石田村(現在の日野市石田)で生まれた土方歳三の命日である5月11日に合わせて開催。土方の菩提(ぼだい)寺でもある高幡不動尊(日野市高幡)などを会場にさまざまなイベントを繰り広げる。

 今年は1863年の新選組結成から150周年。日野市の市政50周年でもあることから、これらを記念して、日野駅に程近い都道256号線(甲州街道)を初めて全面通行止めにし、メーンステージとして活用。「日野宿会場」と銘打ち、休憩所などで江戸時代の雰囲気を再現するなど盛り上げる。

 土方歳三や近藤勇、沖田総司など新選組各組の組長などをコンテストで選び、各組の隊士と共に練り歩く恒例イベント「新選組隊士パレード」のほか、ライブやスタンプラリーなどさまざまな催しを実施。高幡不動尊では、2004年以来となる「新選組隊士総慰霊法要」が11日に行われるほか、12日には初開催となる「高幡参道きものクイーンコンテスト」も予定する。

 通行止め区間は日野駅前東交差点から川崎街道入口交差点までの約500メートル。両日とも10時~15時。


静岡
「江川邸」入館50万人達成 伊豆の国
 伊豆の国市の国重要文化財「江川邸」の有料入館者数が11日、50万人に達し、同所で記念セレモニーが行われた。
 50万人目となったのは浜松市西区の菅沼国次さん、和子さん夫妻。江川邸を管理する江川文庫の藤井孝俊統括主任らが、幕末に活躍した江川坦庵公の名前を冠した酒や江川邸の資料など記念品を手渡した。
 家族旅行で立ち寄ったという菅沼さんは、「まさかと思い驚いた。ゆっくり見学していきます」と笑顔で話した。
 江川邸は、歴代当主が江戸幕府の韮山代官を務めた江川家の屋敷で2001年から有料公開されている。主屋や蔵などが重要文化財に指定されているほか、所蔵する文書や写真約4万点も近く、重要文化財となる見込み。


京都
新選組の刀剣も展示 上京・生谷家、修理終え公開
 京都市上京区室町通鞍馬口下ルにある国登録有形文化財・生谷家住宅主屋の修理が終わり、10日まで一般公開されている。生谷家に伝わる古文書や刀剣、書なども展示している。

 同家は、青物問屋を営んでいた旧家で号は「万(よろず)や」。天明の大火(1788年)で被災し、2階建ての京町家の住宅主屋は明治初期の建立という。老朽化が進んでいたため、梁(はり)を補強し、土壁も塗り替えた。また、庭園を「光臨の庭」と名付けて整備した。

 公開中の主屋では、同家の所蔵品を展示している。幕末に新選組が発注した刀剣や地租改正の折に出された嘆願書など珍しい史料もあり、きれいに修復された住宅で来場者が見入っていた。

 所有者の生谷準之助さん(71)は「茶道やいけばななどの文化サロンとして貸し出し、地域の交流の場にしたい」と話している。

 午前10時~午後5時。入場無料。


橋本左内:処刑前年の書状 貴重な4通、26日まで公開--県立歴史博物館 /福井
 福井出身の幕末の志士、橋本左内自筆の書状4通が、県立歴史博物館(福井市大宮2、0776・22・4675)の特別公開「橋本左内書状-書状から見える幕末の福井と日本」で展示されている。残された自筆書状が少ない、安政の大獄で処刑される前年のもので、歴史的価値が高いという。

 大坂の適塾で蘭学を学んだ左内は、福井藩主・松平春嶽が設立した藩校「明道館(めいどうかん)」の経営に携わり、その後、春嶽の側近として江戸で幕府の改革を訴えるため奔走。しかし、幕府による弾圧、安政の大獄で逮捕され、26歳で斬首された。
 展示の4通は、左内が逮捕される直前の1858(安政5)年5~9月に明道館の元同僚に宛てられた。弾圧が春嶽に及び、福井藩別邸での隠居、謹慎に処された直後の同7月15日付の書状には「臣下の心は痛嘆に耐えかね誠に血涙の至りです」と主君への思いをつづっている。4通は一つの巻物にまとめられ、明治から昭和にかけて活躍した言論人、徳富蘇峰(とくとみそほう)による前文と奥書が添えられている。
 特別公開は他に、横井小楠(しょうなん)や梅田雲浜(うんぴん)ら同時代を生きた福井ゆかりの人物の書状なども展示している。入館料100円。26日まで(22日休館)。【山衛守剛】
5月11日朝刊


石川
前田家当主の寄せ書き発見 金沢の専光寺
幕末維新期の加賀藩前田家の藩主・当主3人が書画を寄せ書きした掛け軸が17日までに、金沢市本町2丁目の真宗大谷派専光寺で確認された。専門家によると、廃藩置県と同年の1871(明治4)年に書かれた可能性が大きい。明治維新で武士の世が終わり、旧藩主の境遇も大きく変わった激動期に、前田家の人々が抱いた心情を伝える貴重な資料という。

掛け軸は縦約1・8メートル、横約90センチ。金沢市玉川図書館近世史料館などが調べた結果、13代藩主斉泰(なりやす)が漢詩をしたため、最後の藩主である14代慶寧(よしやす)が梅、15代当主利嗣(としつぐ)がランの絵を描いていることが分かった。大聖寺藩の14代藩主利鬯(としか)(斉泰の七男)、富山藩の13代藩主利同(としあつ)(斉泰の十一男)、一族の女性も筆を振るい、計12人の筆跡が見て取れる。

軸の上部には清らかで香り高いという意味の「清芬(せいふん)」と「八才」の文字が記されている。石川県立歴史博物館の北春千代学芸主幹によると、斉泰の十二男利武(としたけ)が8歳を迎えた1871年に「清芬」と書き、当主らが寄せ書きしたとみられる。

加賀藩主だった前田家は1871年7月の廃藩置県で東京に去った。斉泰が軸に記した漢詩は「門があっても客は来ず、風が吹き、月が見えるだけである」との内容で、北学芸主幹は「明治維新で前田家の境遇が変わり、斉泰が寂しさを感じたことが読み取れる。病気がちな息子の慶寧を案じる気持ちもあったのだろう」と指摘する。

一方、軸にしたためられた和歌には「栄」や、長い年月を示す「千世」などの言葉が織り込まれ、利武の将来に期待を込めながら、新時代にも前田家が末永く繁栄することを願ったとみられる。

1871年には、慶寧の六女貞姫(とくひめ)が専光寺の養女となっており、軸はその際、寺に渡った可能性がある。吉藤雅人住職(52)が蔵の整理中、裏に「前田家一門」と書かれた軸を見つけ、南砺市の表具店「岩崎精正堂」が修復した。

軸は18、19日に同寺で営まれる親鸞聖人の750回御遠忌法要で公開される。


岡山
高梁ゆかりの偉人紹介冊子 市教委が作製
 高梁市教委は、市出身やゆかりの歴史上の人物をまとめた「歴史人物誌」を初めて作製した。古代から現代までの438人を収録。備中地域の中核として時を刻んだ郷土の奥深さを伝えている。

 幕末に藩政改革を成し遂げた山田方谷をはじめ、江戸期に備中神楽の礎を築いた西林国橋(こっきょう)、県内初の女学校を明治期に創設した福西志計子(しげこ)、明治・大正期に渡欧して絵画収集にも当たった洋画家児島虎次郎ら多彩な偉人の業績を紹介している。

 江戸の大相撲で活躍した関取熊ケ嶽(くまがたけ)、新選組近藤勇局長の養子に一時なった谷周平、中国の文豪魯迅の主治医・須藤五百三(すとういほぞう)ら知られざる人物の記述も興味深い。ゆかりの人物は、高梁で落命した戦国武将山中鹿介、大正期に少年時代を高梁で過ごした作家石川達三、昭和初期に備中松山城を訪れた歌人・詩人の与謝野鉄幹・晶子夫妻らを取り上げている。

 市文化財保護審議会委員ら9人の編さん委員会を設け、旧市史や旧町史などを基にまとめた。

 A4判、138ページ。2千部作った。市内の小中学校、図書館などに配布。希望者は市教委社会教育課(0866-21-1516)へ。


山口
長州ファイブ:渡航150周年企画展 “文明開化”の追体験を あす、紅茶と音楽で英国気分に--光・伊藤公資料館 /山口
 光市出身の初代首相・伊藤博文ら近代日本の礎を築いた「長州ファイブ(長州五傑)」が、幕末に英国へ渡航して今年で150周年。記念の企画展「伊藤博文と杉孫七郎」が同市束荷の伊藤公資料館で開催されている。5人が横浜を出港した12日は午後1時から、来場者に英国気分に浸ってもらう紅茶を振る舞い、音楽でもてなす。英国生まれのからくり人形も登場し、5人が触れた“文明開化”を追体験する一日になる。【蒲原明佳】

 長州藩士の伊藤博文、井上馨、井上勝、遠藤謹助、山尾庸三は幕末の1863年、藩命で先進技術を学ぶため英国へ密航した。きっかけをつくったのが杉孫七郎。1861年に幕府の視察に同行し、長州では初めて西欧を訪れた。帰国して藩に西洋の産業や軍事力を報告。5人の英国留学につながった。
 館内には、パネルや藩の公文書、手紙などを展示。杉が西洋で見たものを危機感を持って藩に報告する様子がつづられているほか、5人に力を貸した人々を紹介。5人の旅の様子やその後の人生は9月の展示で詳しく説明する。
 12日は入館無料で、午後1時から紅茶とスコーンをサービス。記念式典では、ひかり吹奏楽団が「威風堂々」「宇宙戦艦ヤマト」などを披露し、当時の命がけの旅立ちを演出する。午後1時半と午後3時40分からは映画「長州ファイブ」(2006年、五十嵐匠監督)を上映する。
 市出身の原田和明さんや英国製のからくり人形(オートマタ)は11日から最終日の26日まで展示。ユニークな動きに、子供たちも楽しめそうだ。
 市文化・生涯学習課は「一介の長州藩士だった伊藤博文の人生を変えた英国留学。子供たちやこれまで資料館に来たことがない方々にぜひ楽しんでほしい」と来場を呼び掛けている。
〔山口東版〕
5月11日朝刊


大分
郷土・偉人漫画本:幕末の剣豪・島田虎之助が登場 中津市、中学の武道必修化で /大分
◇5000冊出版、公立校などへ配布

 中津市が進めている「漫画で見直す郷土の偉人」の事業で、幕末の三剣豪の一人・島田虎之助(1814〜1852年)を取り上げた。12年度から中学で剣道など武道が必修化されたのを契機に、郷土の剣豪・島田をクローズアップさせた。

 島田は「剣は心なり。心正しからざれば、剣又(また)正しからず」の言葉を残しており、弟子の一人に勝海舟がいる。定価700円で5000冊を発行。市内の小中学高校や公民館などに無料配布するほか、一般にも販売する。

 同事業ではこれまでに西洋歯科医の始祖と言われる小幡英之助など3冊を出版している。問い合わせは市立小幡記念図書館0979・22・0679。【大漉実知朗】


熊本
展示会:見る人に新たな発見を 幕末期から現代の八代焼と西山宗因の色紙並ぶ /熊本
 八代に縁のある江戸時代の俳人・連歌師、西山宗因の直筆色紙12枚に、幕末期~現代の八代焼などの陶器を添えた異色の展示会「くまもと・やつしろ 温故知新」が、八代市萩原町の珈琲店「ミック」で開かれている。28日まで。

 西山宗因は八代城主加藤正方に仕えて連歌を学んだ後、関西を拠点に活躍した。色紙は、旅先などで詠んだ俳句を書き記したもので、同市本町の正教寺所蔵。「竹の子は うぢよりふし見 そだちかな」という句にはタケノコを描いた紙が使われるなど、色紙にもセンスが満ちている。
 また、象嵌(ぞうがん)の装飾で知られる八代焼(高田(こうだ)焼)は、幕末期前後の作品とみられる湯のみや小皿、400年の歴史を持つ上野窯の作品や若手作家の新作などが並ぶ。
 八代地域の埋もれていた歴史財産でもある西山宗因の色紙と、日常生活の中で使われている八代焼が並ぶことで、見る人に新たな発見をしてほしいというのが、展示会のコンセプトという。【笠井光俊】
5月17日朝刊

ブックレビュー
大河ドラマで容保ファンになった人には必読の書
王城の護衛者
2013年05月17日 読了
ジャンル :歴史・時代小説キーワード : 松平容保

著者:司馬遼太郎  出版社:講談社 価格:¥ 730
Amazon.co.jp楽天ブックス紀伊國屋書店BookWebTSUTAYA online
 歴史書などで見かける、会津藩第9代藩主松平容保の容姿は、いまだ少年の俤を残した初々しい青年である。
 会津のジャンヌ・ダルクと称され、のちに同志社大学創設者新島襄の妻となった山本八重の生涯をドラマ化したNHK大河ドラマ「八重の桜」でも当然重要な役どころとなっている。
 演じるのは、新鋭の綾野剛。写真で見る容保に、雰囲気はそっくりだ。
 容保役に綾野剛を配役したのはNHKの手柄といっていい。

 この物語は、松平容保の人間像を描いた司馬遼太郎の歴史小説である。
 雑誌「オール讀物」3月号に大矢博子の「この新撰組小説がすごい!」という記事があった。その中で、新撰組全体がわかる背景として推奨されていたのが、この物語だ。
 司馬の作品ではあくまでも容保の生涯を追っているが、大矢いわく、「どのような状況で新撰組が会津藩お預かりとなったのか、それが何を生んだのかがよくわかる」としている。
 但し、これはいささか過剰な評価だろう。
 この物語は純粋に、松平容保がいかに幕末という時代に翻弄されたかを描いたものとみていい。

 「オール讀物」のこの記事では、司馬がこの小説を書いて松平家ののちの当主からお礼の電話をもらったというエピソードが紹介されている。
 賊軍として会津藩の崩壊とともに降伏した容保だが、先の孝明天皇からどれほど慕われていたかが、司馬の感情を抑えた文章でもよくわかる。
 維新後、生き残った容保が孝明天皇からの書面を肌身離さず持っていたというエピソードを最後に持ってきたのは、司馬のロマン嗜好の現れだろう。
 徳川慶喜に対する恨みだけでなく、それほどに自分に信頼を寄せてくれた孝明天皇の期待に応えられなかった自身の不甲斐なさ。けれど、それにあまりある天皇の書面の温かさは、晩年の容保の拠り所だったにちがいない。

 司馬作品としては短編小説に属するこの物語は、容保の初々しさだけでなく、慶喜の性格の厭らしさをよく描いている。
 ちなみに、司馬は代表作の一つである『街道をゆく』の「白川・会津のみち」の中でも「容保記」という章を設けている。


エンターテインメント
近藤勇と龍馬が友人の大河ドラマ「設定」はデタラメではない
 NHKの大河ドラマの新シリーズが放映されると、必ず「事実と違う」と指摘される点がでてくる。しかし、一見、突拍子もないようにうつるドラマの「設定」も、実はデタラメとは言い切れない。みずから歴史番組の構成と司会を務める編集者・ライターの安田清人氏が解説する。

 * * *
 NHK大河ドラマを見たのがきっかけで、歴史が好きになったという人は多い。よくよく聞くと、専門の歴史学者にも、その手の元歴史少年(少女)が少なくない。

 だからこそだろう。大河ドラマは「フィクションを描いてはいけない」という意見をよく目にする。しかし、歴史上の人物のすべての行動、発言、人間関係、思想がわかるはずがないのは、いまさら言うまでもない。あらゆる歴史書や記録に目を通しても、どんな歴史学者に学ぼうと、フィクション抜きにドラマを描くことは不可能なのだ。

 しかし、天下のNHK、天下の「大河ドラマ」なのだから、できるだけウソは描かないで欲しいというのは理解できる。制作者側もそれは十分に理解していて、歴史上の人物が「いつ、どこで、何をしたか」という確定的な事実はできるだけいじらない。

 ただし、どこで何をしていたのか確定できない部分、いわゆる史実の隙間に創作を盛り込んで、ドラマとしての独自性を打ち出したいと、〈篤姫〉や〈新選組!〉を担当したプロデューサーの屋敷陽太郎さんは折に触れ語っている。

 平成16年(2004)に放送の〈新選組!〉は、香取慎吾演じる主人公の近藤勇が、実は京都に上る前から坂本龍馬と親しい友人だったという「設定」だった。これはもちろんフィクションだが、いち早く新聞、雑誌などがこの「設定」に反応し、さまざま識者が「史実と違う」と発言したためか、〈新選組!〉には史実をないがしろにするデタラメなドラマだというイメージがついてしまった。

 確かに近藤と龍馬が友人だったことを示す資料や記録はない。しかし両者に接点はなかったのか、知り合いであった可能性は本当にゼロなのか。

 新選組は、幕府が浪士を集めて作った特殊部隊。その母体となった浪士組の結成に当たり、幕府は江戸の剣術道場などで名を挙げていた志士たちをリストアップし、浪士組への参加を募っていた。

 そのリストには、平野国臣(くにおみ)や真木和泉(まきいずみ)、久坂玄瑞(くさかげんずい)といった尊王攘夷派の志士たちと並び、坂本龍馬の名前も挙がっていた。

 この事実を指摘したのは、〈新選組!〉の時代考証に「資料提供」という形で参加した歴史学者の三野行徳(みのゆきのり)さんだった。

 結論から言えば、龍馬は浪士組には参加せず、独自の路線を歩んだわけだが、ひとつ間違えば浪士組に参加して、近藤勇と同僚になっていたかもしれないのだ。

 龍馬にしても近藤にしても、当時、黒船来航以来の国難によって覚醒した青年たちだった。彼らは剣術で腕をみがき、社会情勢に注目し、最先端の尊王攘夷思想を掲げるオピニオンリーダーでもあった。彼らは互いの交流の中で切磋琢磨し、人脈を築いていった。とすれば、彼らが友人だったという「設定」は、けっして突拍子もないデタラメなどではないのだ。

 従来、龍馬と近藤は「好敵手」として扱われてきた。だから友人だったとする「設定」に違和感が持たれ、「時代考証がなってない」とされたわけだが、より深く歴史を理解するならば、それが「あったかもしれない」可能性が見えてくる。時代考証は、一筋縄ではいかないのだ。

■安田清人(やすだ・きよひと)1968年、福島県生まれ。月刊誌『歴史読本』編集者を経て、現在は編集プロダクション三猿舎代表。共著に『名家老とダメ家老』『世界の宗教 知れば知るほど』『時代考証学ことはじめ』など。BS11『歴史のもしも』の番組構成&司会を務めるなど、歴史に関わる仕事ならなんでもこなす。

※週刊ポスト2013年5月3・10日号

 『新選組!』好きな人はたぶんその点については寛容だと思います。史実で否定されない限り、そういう設定でもフィクションとして説得力があれば「いいんじゃないでしょうか」と思う人が『新選組!』好きの芯にあると思います。

【注目アプリレビュー】『薄桜鬼』の真のトキメキは日常でこそ感じられる!
日常にあるトキメキで心をあたためませんか?

いきなりですが私たちの日常は、そうそう剣を握って戦ったりするような事件は起こりませんよね。真のトキメキは、日常で感じ取るものではないでしょうかっ! ……と、ライター岩崎ちょっとアツくなってしまいました。久しぶりに乙女ゲームのレビューなので、気合いがボーダーを超えているようです。今回ご紹介するタイトルは、『薄桜鬼 懐古録』です。多くの女性を泣かせた人気タイトル『薄桜鬼 ~新選組奇譚~』のファンに向けたアナザーストーリー。新選組隊士との日常が語られています。あたたかい、だけどちょっと切ない気持ちを味わってください。



●たまにはみんなでお茶でも飲みましょう

本作は、お話が数巻にわかれています。まずは序巻からプレイしてみましょう。何事もない、ごくふつうの一日。掃除の最中、主人公は山崎さんに呼び止められます。彼はこれまでの、新選組の活動や隊士たちの記録をつけようとしているとのこと。そういうことであれば、集まって話すのがいちばん早い! ということで、お茶を飲みながら思い出話をすることになりました。

▲指1本タッチで進む、1本長押しで自動進行、2本タッチでメニュー呼び出し……など、操作がものすごくスムーズです!

▲記録をつけるために、思い出話で過去を振り返るという形式で、本作は進んでいきます。

▲お茶を飲みながら話を……ということに。

▲続々とみんなが集まってきました。この雰囲気、つい目が細くなりますね。
こうやってみんなが集まり、お茶を飲みながらゆっくり話をするなんて、珍しいこと。主人公は、平助君や原田さんの手を借りて、お茶の用意をしました。穏やかで貴重な日常が始まります。

▲ここからは、あらすじを参考に遊びたい巻から購入することができます。

▲私は順番通り派ですので、巻ノ一を選びました。

▲読み進めると、ときどき選択肢が出現します。

▲それぞれ、別のお話に繋がっていますので、ぜひすべて読んでください!
巻ノ一は、主人公が屯所で暮らすようになってから数ヵ月のころのことが語られます。ただ居るだけというのも申し訳なく思った主人公は、屯所の手伝いを始めます。そんな主人公の様子を見守る隊士たちは……。まだ完全に打ち解けていない、手探りでお互いを理解しようとしている主人公と隊士たちが初々しいです!

▲俺の部屋へ来い? いきなり大胆なシーンが出て来ました! ええ行きます、行きますとも。

▲まだ信頼が得られず、外出を許されない主人公。そんなとき、沖田さんが主人公を、意外な場所に連れ出します。意外な一面が見られますよ!

▲巻ノ二では、池田屋襲撃の裏側を見てみましょう。

▲原田さんを追うと、秘められていた命を巡るドラマが展開されます。
●読み物以外のコンテンツでもドキドキ!

読み進める合間に、ぜひ動画や人物紹介といったコンテンツも楽しんでください。こちらは、メニュー画面から無料でいつでも見ることができます。人物紹介を眺めているだけで、かなり長い時間ニヤニヤできると思いますよ!

▲オープニング、クレジットムービーは吉岡亜衣加さんによる歌が流れます。私はダウンロード以来、毎日再生しています!

▲人物紹介では、サンプルボイスの試聴もできます! しかもこのサンプルボイス、セリフが甘~い。再生ボタンを連打です!

▲一巻クリアするごとに、懐古絵図に隊士が一人ずつ現れます。もちろん、全巻クリアすると全員揃うとのこと。全員揃った画像はそのまま、隊士たちとの思い出の証ですね。
分岐でいくつかのお話が読めるうえに、全編フルボイスですから、一巻でたっぷり楽しめますよ。本作とはぜひ、長いお付き合いをしてください。ゆっくり、隊士たちと思い出を振り返り、気がついたら懐古絵図が賑やかになっていた……という遊びかたをしていただきたいです!

 巻之三以降、楽しみにお待ちしております。
 落語ファンに長く愛されている大師匠、観客席の年齢層が高いです(^^)。

「道灌」小はぜ
 はん治さんの門下だそうな。

「笠碁」燕路
 寄席のよきバイプレイヤーという印象の燕路師匠、中入り前の出番ですが淡々という印象。

「水戸太神楽」柳貴家小雪
 初めて拝見しました。五階茶碗とか演し物は他の太神楽芸人と同じですが、少人数のお座敷に向いている芸と感じました。成功してよかったです。

「厩火事」柳家小三治
 王子での口演なので「王子の狐」かなと思ったのですが……おなじみ、小さん師匠の「了見になれ」という教えも出てましたので。小さん一門は「道灌」から始まることが多いとか、圓生師のところに稽古をつけてもらってテクニックに学ぶところがあると開眼して小さん師匠にいったら「関係ない。その了見になれ」と云われたこととか。たっぷり30分。

 「王子の狐」かと思っていたら、「厩火事」。いろいろまな噺家さんの「厩火事」の中では、市馬さんが一番好きかなぁ、ぱぁぱぁ喋るおさきさんの軽さに加えて、亭主もそんなにワルじゃないし。でも小三治師匠版を聴けたので満足。ありがとうございました。
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