新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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ACTシアターの志の輔らくごも5年連続。初日。
第一部 大忠臣蔵〜仮名手本忠臣蔵のすべて
今回は顔世夫人についての言及はなし。桃井若狭助について強調しておいて、終幕の解説で引き立てる。家老の加古川半蔵については逆にトーンダウンし、山科の段では大石親子とのやり取りも省略され気味。
後半の五段目を理解するための通し解説といいつつも、本筋のところをしっかり押さえて。討ち入りは武士の敵討ちの話だけど、おかるの父与惣兵衛夫婦に象徴される農民、天川屋利兵衛に象徴される商人を登場させて武士以外の身分の観客にも共感性が持てるようにフィクション部分を膨らませている、というメッセージ。
第二部 落語 中村仲蔵
五段目の塩冶判官切腹の場にも太棹を鳴らして演出性を高めたところが新演出のようで、とてもよかった。中村仲蔵が演じる斧定九郎の部分も芝居性を高め、ライティングを強調し、志の輔が描写する様子は色彩のコントラストを強調し、あたかも芝居を見ているような。
芝居の歴史の一ページを刻む、役の革新。血筋や身分など伝統に縛られた制約、名人團十郎や師匠の夫婦とお岸を除いて周囲は敵という苦境からの産みの苦しみ、偶然出会った浪人から得られるセレンディピティ。それが舞台に結びついた時の新しさや洗練。
いろいろなものを感じたけど、「生きる勇気」をもらった、とまとめたい。
第一部 大忠臣蔵〜仮名手本忠臣蔵のすべて
今回は顔世夫人についての言及はなし。桃井若狭助について強調しておいて、終幕の解説で引き立てる。家老の加古川半蔵については逆にトーンダウンし、山科の段では大石親子とのやり取りも省略され気味。
後半の五段目を理解するための通し解説といいつつも、本筋のところをしっかり押さえて。討ち入りは武士の敵討ちの話だけど、おかるの父与惣兵衛夫婦に象徴される農民、天川屋利兵衛に象徴される商人を登場させて武士以外の身分の観客にも共感性が持てるようにフィクション部分を膨らませている、というメッセージ。
第二部 落語 中村仲蔵
五段目の塩冶判官切腹の場にも太棹を鳴らして演出性を高めたところが新演出のようで、とてもよかった。中村仲蔵が演じる斧定九郎の部分も芝居性を高め、ライティングを強調し、志の輔が描写する様子は色彩のコントラストを強調し、あたかも芝居を見ているような。
芝居の歴史の一ページを刻む、役の革新。血筋や身分など伝統に縛られた制約、名人團十郎や師匠の夫婦とお岸を除いて周囲は敵という苦境からの産みの苦しみ、偶然出会った浪人から得られるセレンディピティ。それが舞台に結びついた時の新しさや洗練。
いろいろなものを感じたけど、「生きる勇気」をもらった、とまとめたい。
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今月はチケットが取りやすかったので千穐楽に昼の部・夜の部を連続で見てきた(腰に悪いが)。
<評>染五郎、はまり役 歌舞伎座・四月大歌舞伎
2017年4月歌舞伎座
こういうプロの劇評を見ているとやはり重みが違う。誰からどういう芸を引き継いだ型で、どうふう工夫があって、それがニンに合っているのかどうかまできっちり評価している。
では、拙くも、私も。
昼は染五郎の福岡貢がまだ荒削りだけどよかった。幸四郎の熊谷直実はちょっと力み過ぎている感じがあった。相模を猿之助がやっていて、この人は女形もいけるのかと感心した。
夜は上方者が二本続いてちょっと辛かった。吃又は芸的に凄いのだろうけど私的にはちょっとオーバーリアクション気味。菊之助の女房おとくがいい女やった。桂川連理は主人公の長右衛門が姑と小姑の嫌がらせを我慢して我慢して、一回の過ちで隣のお嬢さんを孕ませちゃって、女房がよく出来た人なんだけど養子の悲しさで強く店と家族を仕切ることができない。あぁ見ててストレス溜まる。
最後のスーパーダンサー猿之助の奴道成寺が華やかで、大向こうも盛り上がって、そうそうこれがいいんだよなと楽しんだ。
<評>染五郎、はまり役 歌舞伎座・四月大歌舞伎
歌舞伎座昼の部の「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」は「追駈(おっか)け」から「奥庭」まで。市川染五郎が福岡貢(みつぎ)を片岡仁左衛門の型で演じる。初役だけに手いっぱいだが、柄にぴったりのはまり役で、キリリと引き締まった姿かたちの爽やかさが第一。やはり初役の市川猿之助の仲居万野は憎々しさがやや表層的。いずれも再演に大いに期待したい。片岡秀太郎の今田万次郎が春風駘蕩(たいとう)、独自のおもしろさで秀逸。嵐橘三郎の大蔵、市村橘太郎の丈四郎が現今難しい上方風の喜劇を腕で見せる。渡辺保の歌舞伎劇評
「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき) 熊谷陣屋」、松本幸四郎の熊谷はスケールが大きい。市川左団次の弥陀六(みだろく)が、武将の手づよさ、悔恨の情、義経・熊谷への複雑な思いをせりふで明瞭に描き出す。猿之助の相模はぐっと抑えた芝居に母の情がにじみ出す上出来。染五郎の源義経、市川高麗蔵の藤の方はともに品格があっていい。昼の部はほかに「醍醐(だいご)の花見」。
夜の部「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」の中村吉右衛門の又平は、サラサラと自然に演じているのにその境涯の悲哀の重さがひしひしと伝わってくる。中村歌六、中村東蔵の土佐将監(とさのしょうげん)夫婦が情愛に富み、尾上菊之助初役のおとく、中村又五郎の雅楽之助(うたのすけ)、中村錦之助の修理之助(しゅうりのすけ)まで好演ぞろいの一幕。
「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ) 帯屋」は坂田藤十郎の長右衛門の、真っ赤な鼻緒の木履を抱いて花道を引っ込む姿がしたたるように官能的。中村壱太郎(かずたろう)がお半と長吉の二役。上村吉弥のおとせは意地悪さの中に程よいおかしみがある。ほかに猿之助の「奴(やつこ)道成寺」。二十六日まで。 (矢内賢二=歌舞伎研究家)
2017年4月歌舞伎座
円熟の「吃又」
「吃又」は吉右衛門の当たり芸の一つであるが、今度は前回と違って一変している。むろんやっていることは前回と同じだが、その芸の心境が違うのでま
るで新しいものを見ているようであった。
どう変わったのだろうか。
第一に前回まではここぞという仕どころが目立って面白くもあり、よかったのだが、今回は総体に流れる如く自然でリアルでサラサラ運んで、それでいながら前回に倍増して見る者の心を抉る深さを持っている点。
たとえば花道の出。いつもの型通りだが、そこに深い思いが潜んでいて目が離せない。あるいは将監が修理助に名前をやったというのを聞いてスーッと顔をあげる。そのあとおとくに「こなたを吃りに産み付けた親御をうらみなさんせいな」といわれてのなんとも言えない表情。さらに必死のお願いの吃音もうまいが、その表情たるやいうにいわれぬ思いつめた無限の思いがあって引き込
まれる。あるいはまた「親もない、子もない」の寂しさ、孤独の翳が広がる。あるいは「(吃りでなくば)こうもあるまい」という悲痛さ。「斬らっしゃりませ」と階段を上がる必死の覚悟の姿。いずれもスッと肩の力が抜けていながらはるかに深く強い力が出ている。自分の運命に呆然としている表情が印象的で忘れられない。
第二にそのために余韻が出ている。
たとえば筆をもって手水鉢へ歩いて行くところ。なんでもなく歩いていているようで、今までになかった味わいが滲んでいる。芸の光彩である。これを円熟というのだろう。
第三に、以上の結果、又平という人間の悲劇が私たち現代人の身近な鮮やかさで迫ってくる。それでいていかにも歌舞伎的なのは、型が身体の身内に消化されて、この人が自由になったからである。しかも自然と型の本質にはまっている。手水鉢に絵を描く瞬間の、「名は石魂に止まれと」の必死の形相の凄さでも、力がだれよりも入っていながら軽くて快い。その快さが観客の共感を呼
ぶ芸の艶である。
たとえば「さりとはつれないお師匠様」や「嚊、抜けた」というところが前回までは多少の型の堅さがあったのに、今回はすんなりして一分の違和感もないのもそのためである。
以上三点。吉右衛門の芸の心境、長足の進歩である。
菊之助初役の女房おとくは、しっとりと嫌味の微塵もないいい出来である。吉右衛門を向こうに回して必死に情を出そうと大奮闘である。しかもこのおとくは独特なところがある。たとえば花道の出。普通は七三で本舞台を見て思わず足が止まるところへ又平が突き当たる。大抵はそうである。ところが菊之助は七三で俯いて思案に暮れるから足が止まる。おとくはおとくなりの思いに沈
んでいる。そういうおとく。この女には又平とはまた違った人生があるのだろう。しかしただ一ついけないのは、冒頭のしゃべり。ここは亭主の吃り を庇おうとしてしゃべるのはむろんだが、同時に女形独特のしゃべりの芸でもある。
女形にしゃべりの芸が生まれたのは、しゃべらずにはいられない女形独特の生理による。そのモチーフが菊之助に全くないのは菊之助が最近立役に手を染めているからだろう。
歌六の、きびしさと優しさの両面を描いて貫目もあるいい将監。前月の「岡崎」の幸兵衛女房に続く東蔵の北の方が品よく、気配りもいいふくよかさ。役者によってこうも役が膨らむものか。加えて錦之助一代の傑作修理助。前回よりも年を取ったのを考えて、白粉も厚く若返って色気も加味しているが、相変わらずこの役にピッタリ。将監が又平を手討ちにするというのを聞いて恐れて
平伏する芝居のほどよさ、手に入ったものである。
この三人がいい上に、吉三郎吉五郎以下の百姓までそろって、この連中が引込んで葵太夫寿治郎で「ここに土佐の末弟」とくると、さすがに広い間口の歌舞伎座の大舞台がピーンと一本綱を張ったように引き締まるから恐ろしいものである。これだからこそおとくと又平の出が新鮮になる
キッパリと歌舞伎味十分の又五郎の雅樂助も含めて、全員のイキがあって水も漏らさぬチームワークの近来稀な舞台。吉右衛門チームの勝利である。
夜の部はこの後の「帯屋」も見ものである。
藤十郎東京初役の長右衛門。私ははじめて見た。前半いささかたどたどしいところもあり、後半で布団に蹴躓いてハラハラしたが、今日はまだ二日目ゆえ是非もない。しかし長右衛門としてのニンは天下一品。私がかつて見た初代吉右衛門や寿三郎と違って柔らか味と色気のある持ち味は独特の上方風である。ことに幕切れ、死に行くお半を追って表へ出て、木履をもっての引込みは、濃厚
な持ち味で見ものであった。
扇雀の女房お絹が控えめでしっとりとしていい女房ぶり。ことに百両の金の使い道が自分の弟のためと聞いての驚きがうまい。ただ少し気の強そうに見えるところがあるのが玉にキズ。壱太郎の長吉とお半の二役は、長吉が意外にも舌足らずなところがあって滑稽味が薄い。お半は可愛らしさを出そうとして背を盗むのが丸見えで困る。一月の静御前の大当たりに大いに期待して行ったが
期待外れで残念。染五郎の儀兵衛は、全員大阪役者のなかでたった一人東京役者。ネイティブで
ない不利をなんとか器用にこなしてはいるが、何分ともにニンにないのは如何ともしがたい。ことに悪が効かずゲスっぽさがないのは是非なし。その点、吉弥のおとせはお手の物。手強いうちに滑稽味があって面白い。藤十郎を除けばこの幕第一の出来。壽治郎の隠居繁斎は、気の弱いのはいいが芸も弱いのは困る。
この後に猿之助の「奴道成寺」。器用に踊ってくどきの三つ面も鮮やかだが、どういうわけか終始不機嫌そうに見えるのは、愛嬌が足りないせいか。右近隼以下の所化、長唄は今藤尚之稀音家祐介、常磐津は兼太夫文字兵衛。
昼の部は幸四郎の「熊谷陣屋」。
花道へ出たところ、いつもより顔が赤く濃くニンは立派な熊谷だが、七三で珠数を刀にあててチャリンとさせたり、木戸の外で草履を脱いだりするのは困りものである。
しかし「妻の相模を尻目にかけ」でハッとする具合のうまさ、「オーイオーイ」の凛凛たる調子、物語の前後のカドカドで細かく相模の反応を伺う細緻さ、「討ち奉る」で二重の肚を効かせるうまさはさすがである。
二度目の出から制札の見得はスケールが大きいが、三度目の出からは味が急に薄くなり、ことに花道七三で編笠を被った後もう一度笠を揚げて観客に大きく泣き顔を見せるのは過剰な当ッ気。つづいてこらえかねての泣き過ぎのオーバーさはかえって余韻を失い、前半の好演が帳消しになりかねない。
どうかと思った猿之助の相模は、思いがけなくも神妙で、この人今月の三役中第一の出来。情もあり、色気もあり、「国を隔てて十六年」のくどきまで立派にやってのけた。真女形はだしのうまさである。
高麗蔵の藤の方は度重なるお勤めでおつとりとした品格が出て来て、猿之助の相模を向こうに回して確かにその女主人と見えたのは大手柄。
左団次の弥陀六が本役。述懐がさすがに聞かせて飽きさせない。
染五郎の義経、錦吾の梶原、松江の軍次。
幕開きの花褒めに高麗五郎の庄屋なる役が出て、梶原が弥陀六を連れて詮議に来ているという筋を売る。一見親切なようだが、そうなれば藤の方、相模の入込みもいわねばならず、結句無駄か。
この「陣屋」の前に舞踊劇「醍醐の花見」と染五郎初役の「伊勢音頭」。
役者の都合だろうが、本当は時代物の「陣屋」、世話物のくだけた「伊勢音頭」という狂言建が順当で、観客の生理からいえばこの立て方は疲れるし、役者も損をしている。
さてその「伊勢音頭」はいきなり追っ駆けから。ない例ではないが観客にはわかりにくい。
橘三郎の大蔵、橘太郎の丈四郎は今日では最上の配役。リアルで可笑し味があっていいのだが、私が昔見たたしか璃珏と九団次の大蔵丈四郎の上方風追っ駆けの面白さに比べると物足りない。あの時は満員の歌舞伎座の客席が抱腹絶倒で揺れたのである。あの狂熱がほしい。一つは時代が理に詰んで、野放図な喜劇が少なくなって来たせいだろうが、もう一つは下座の合方が東京風で淡泊なのと、役者の体がそれに乗りきっていないために両者一体の相乗効果が出ないためだろう。隼人の奴林平は真面目過ぎて硬い。この役にも実はとぼけた味がいる。
廻って二見ヶ浦。染五郎初役の福岡貢は、花道から出たところ、黄八丈の着付けがいくらか黒っぽ過ぎるように見えるが、まずは本役。いい貢である。秀太郎の万次郎は体の柔らかみ、仁左衛門や故人団十郎や梅玉の大舞台でも立派に通用する万次郎である。
さて二人が本舞台へきて丈四郎に突き当たっての、貢の「とんと気違いのようじゃ」は味も素っ気もないが、密書を口咥えた立身の姿はまことにいい味である。
だんまりになる。これに限ったことではないが、最近のだんまりは誰もが闇の中で人の気配を感じるという感覚がないために味も面白さもない。染五郎の貢も密書を読もうとするだけで、この闇、この人の気配への表現がないためにただの踊りじみた動きになってしまう。むしろ磯辺の白波の光で透かして読もうというキザな演出があった方がいい。したがって「嬉しや日の出、読めた」
が引き立たず、愛嬌不足で見ているこっちはちっとも「嬉しく」ない。まずは部分的に上出来。いい貢だけに再演に期待したい。
油屋になる。
染五郎の貢は、仁左衛門に教わったとかで道具がまず仁左衛門型。音羽屋型の上手二階の障子屋体ではなく、平舞台一階の簀戸の屋体である。奥庭の殺しも上手二重に丸窓がある。芝居も仁左衛門型。しかし仁左衛門型にしては大事な性根を覚え損なっている。仁左衛門の貢はあくまで女たちにやさしく、見栄っ張りでもあるところ。だから滅多に怒らない。それをいいことに女たちが付け込む。万野にいじめられた貢が思わずカッとなって立ち上がる、腰の刀を手で探す。ない。そこで菊五郎型ならば癇癪を起して扇を引き裂く。仁左衛門で行けば腰を探った時点でハッと気が付いて照れ隠しに手を後ろへ廻して帯を締め直すふりで胡麻化す。優しさとテレ性で見栄っ張り。仁左衛門の貢はそういう男なのであり、その性根はここにある。染五郎だとそれがあいまい。この人にはおっとりした仁左衛門型よりも本当は癇性の強い菊五郎型があっているのかもしれない。しかしこの点を別にすれば、姿のすっきりしたよさといい、柔らか味といい、いい貢。将来この人の当たり芸になるだろう。万野を斬ってののれんを肩に掛けた形、奥庭の殺しになってカドカドのキマリの形といい、まことに貢ぐらしいよさである。
猿之助初役の万野は、パッとのれんを揚げると突っ立つて居る姿といい、ものすごい怖い目つき、意地悪そうな唇の歪め方、全て現代風で観客大受けであるが、「伊勢音頭」の芝居らしくない。顔だけの現代式だからであり、主役の染五郎の貢とも釣り合いが取れていないし、芸の面白さになっていないからである。
万次郎のお鹿は、出て来たところお定まりの古風な拵えでさぞいいだろうと思いの外に面白くない。一つは染五郎、猿之助、梅枝に囲まれては浮いているからである。役者の看板、人気を別にすれば、芝居としてはこの人こそ万野、猿之助がお鹿に廻った方がずっといい舞台になったに違いないし、万次郎も猿之助も得だったに違いない。
梅枝のお紺はきれいだが、女郎ではなく芸者っぽい。仁左衛門型だから愛想尽かしの後の出はカット。いきなり奥庭の幕切れに出る。米吉のお岸も梅枝同断に芸者。伊勢古市の油屋はどうやら花柳界らしい。
松也の喜助は無暗に江戸ッ子がっている割には江戸前のすっきりしたところがない。
秀太郎の万次郎はここでも光っているが、米吉のお岸とはバランスが悪い。
京妙の千野が客を迎えて「舞の会」の演目は「伊勢音頭」と「保名」だというのは下座で「保名」を使うからだが、要らぬ説明。そんなことをしたら殺しは「山姥」だといわなければならなくなる。第一「保名」をいいたいならば「小袖物狂」というべきだろう。
桂三、由次郎、錦一の阿波のお客一行。
「醍醐の花見」は中内蝶二の作詞、吉住小三郎が曲をつけた長唄の人気曲。
これに今度はじめて勘十郎が振りをつけた舞踊劇。今井豊茂補綴。
鴈治郎の秀吉、扇雀の北の政所、壱太郎の淀殿、右近の三条殿、笑也の松の丸殿、笑三郎の前田利家夫人まつ、歌昇の大野治長、松也の秀次の亡霊、右団次の石田三成、種之助の大野治房、万太郎の曽呂利新左衛門という歴史上の大人物を集めてわずか三十分で全員を裁いたのは器用ともなんとも言いようがない。しかしそれにしても昔の有名人揃いも揃って踊りがうまくなかったらしい。
もつともその頃は歌舞伎踊りは存在しなかったが。
Copyright 2017 Tamotsu Watanabe All rights reserved.
『渡辺保の歌舞伎劇評』http://homepage1.nifty.com/tamotu/
こういうプロの劇評を見ているとやはり重みが違う。誰からどういう芸を引き継いだ型で、どうふう工夫があって、それがニンに合っているのかどうかまできっちり評価している。
では、拙くも、私も。
昼は染五郎の福岡貢がまだ荒削りだけどよかった。幸四郎の熊谷直実はちょっと力み過ぎている感じがあった。相模を猿之助がやっていて、この人は女形もいけるのかと感心した。
夜は上方者が二本続いてちょっと辛かった。吃又は芸的に凄いのだろうけど私的にはちょっとオーバーリアクション気味。菊之助の女房おとくがいい女やった。桂川連理は主人公の長右衛門が姑と小姑の嫌がらせを我慢して我慢して、一回の過ちで隣のお嬢さんを孕ませちゃって、女房がよく出来た人なんだけど養子の悲しさで強く店と家族を仕切ることができない。あぁ見ててストレス溜まる。
最後のスーパーダンサー猿之助の奴道成寺が華やかで、大向こうも盛り上がって、そうそうこれがいいんだよなと楽しんだ。
千穐楽のチケットを押さえていたので2回目に挑戦。前回は弟と母を亡くした直後で、特に太郎が転生する中で一部の太郎に弟を思い出させる設定があったので見るのが辛かった。
今回も多少辛くはあったが、よく出来ていると思った。
なぜ赤坂大歌舞伎は「ドラえもん」借用を明示しなかった
赤坂大歌舞伎「夢幻恋双紙」 作者、俳優が「現代」模索した傑作
ドラえもんに着眼点、大絶賛の「赤坂大歌舞伎」 セリフは現代語、歌舞伎初心者でも聞き取れる
千穐楽とあってスタンディングオベーションあり。二回目だったのでいくらか落ち着いて見られた。歌舞伎のようでもあり、センスは現代劇で、SF的でもあり。
今回も多少辛くはあったが、よく出来ていると思った。
なぜ赤坂大歌舞伎は「ドラえもん」借用を明示しなかった
そうは書かれていないが、「ドラえもん」の歌舞伎化である。もっともドラえもんは出てこない。ドラえもんのいない世界で、のび太はどう生きるのかという話だ。作・演出は若手劇作家の蓬莱竜太で、初めて歌舞伎に挑む。ドラえもんの世界から人間関係を引っ張ってきて、それが転生によってどう変化するかを見せるのはなかなか巧い手だと思う。でも私もちょっと引っかかった。
歌舞伎とは何かという答えのない質問には、「歌舞伎役者がやれば歌舞伎」という乱暴な、それでいて的確な回答もあるが、赤坂大歌舞伎「夢幻恋双紙~赤目の転生~」はまさにそういう歌舞伎だ。セリフは現代語でテンポよく進む。舞台装置の転換も鮮やか。ピアノ音楽も違和感がない。何よりも演劇として出色の出来だ。
舞台は江戸時代。どこかの原っぱで、子供たちが遊んでいるシーンから始まる。子供時代から大人までを同じ歌舞伎役者が演じるのだが、子供に見えるからさすが。とくにジャイアン(剛田武)にあたる「剛太」役の市川猿弥がうまい。
中村勘九郎演じる主人公「太郎」は、のんびりしているので「のび郎」というあだ名。「静」は中村鶴松、スネ夫にあたる「末吉」は中村いてう。この4人は幼馴染で、大人になってもその関係が続く。ヒロインは静ではなく、最近引っ越してきた「歌」で、中村七之助が演じる。その兄を中村亀鶴、父を片岡亀蔵。歌の父は病床にあり借金もあって苦労している。太郎はそれを助け、2人は夫婦になるが、うまくいかない。太郎は殺され、気がつくと子供時代に戻っている。
冒頭のシーンが繰り返されるが、今度の太郎は性格が異なっていた。太郎は前の記憶を持ったまま、前とは異なる人生を歩み、そしてまた……と劇中、3回ループする。この芝居はどうやって終わるのだろうと引き込まれる。見事な結末を迎えるが、それは真の結末ではない。だから、幕は下りないで終わる。観客が劇場を出た後も、太郎は延々とループしているはずだ。
赤坂大歌舞伎「夢幻恋双紙」 作者、俳優が「現代」模索した傑作
人間生き直すことができたら! 今の不運をリセットしたい。失恋のつらさを消去して、今度こそもっと巧みに彼女を誘導しよう。現代演劇界の気鋭劇作家で演出家の蓬莱竜太が、中村勘九郎・七之助兄弟の要請を受け、初めて書き下ろした新作歌舞伎「夢幻恋双紙(ゆめまぼろしかこいぞうし)-赤目の転生」は、幼き日の恋のファンタジーを、成人してリアリティーで終局させる物語である。
江戸時代。貧しい長屋の子供たちが集う原っぱ。不思議な異空間のように子供たち(太郎=勘九郎、剛太=市川猿弥(えんや)、末吉=中村いてう)が転生を繰り返す。核となるのは、長屋へ引っ越してきた歌(七之助)への、太郎の恋心の行く末だ。
人物設定に巧妙な伏線が張られ、太郎や歌だけでなく、長屋のもう1人の娘の静(中村鶴松)や、歌の兄で酒浸りの源乃助(中村亀鶴(きかく))の描き方も変化する。現代劇で人間心理の複雑さを活写する、蓬莱の真骨頂が貼りつく。
太郎は最初、グズでのろまで気弱だが、転生によって粗暴な人格に変貌する。一方、源乃助は常に太郎への敵意をむき出しにする。太郎は右目が赤く、源乃助は右目に眼帯をしている。歌の太郎への愛は涼しいが、実の兄へ向けるまなざしは熱い。最後に成人した歌の口からもれる一言が衝撃的。口語せりふにも違和感はなく、歌の父(片岡亀蔵)も含め、作者、俳優全員による歌舞伎の現代を模索した傑作である。25日まで、東京・赤坂の赤坂ACTシアター。(劇評家 石井啓夫)
ドラえもんに着眼点、大絶賛の「赤坂大歌舞伎」 セリフは現代語、歌舞伎初心者でも聞き取れる
東京・TBS赤坂ACTシアターで上演中の赤坂大歌舞伎「夢幻恋双紙(ゆめまぼろしかこいぞうし)赤目の転生」。演劇記者は「面白い話だが、登場人物が人気アニメのキャラクターのオマージュというか」と大絶賛する。太郎は歌を幸せにするために転生を続け、しかしいずれも性格に何らかダメ男の要素があるためにうまく行かず、時には剛太に恋を譲るが諦めきれずに悲劇を起こす。さらに、太郎の転生を断罪し殺してやり直させる源乃助は太郎の合わせ鏡的存在で、歌とは……。
歌舞伎俳優の中村勘九郎(35)が気鋭の劇作家、蓬莱竜太氏(41)に作・演出を依頼した作品。
江戸時代、憧れの歌(中村七之助)を幸せにするために輪廻転生を繰り返す太郎(勘九郎)の物語だが、登場人物の性格付けや呼び名が「ドラえもん」を彷彿とさせると、前出の演劇担当者は指摘する。
「太郎のあだ名はのび太郎、市川猿弥は合田ならぬ剛太、中村鶴松が静、中村いてうが末吉。のび太、しずかちゃん、ジャイアン、スネ夫です」
物語は4人の子供時代から始まる。弾けるように遊ぶ姿をみせ、子供という設定を伝えるため、「僕たち、こう見えても12歳だから」というせりふで笑わせる。
そこに歌が登場することで、仲間内のパワーバランスが崩れ出す。以前はアイドル的存在だった静ちゃんは歌への不満をぶつくさ。すかさず剛太と末吉が「時代は変わるんだよ」と突き放すと、どっと笑いが起きる。
「印象深いのは猿弥が演じる剛太。子供時代の剛太はまさにジャイアン。ガキ大将っぽいせりふ回しも猿弥の大柄な体形もぴったりの役です」(前出・演劇担当記者)
子供時代の関係性のまま大人になるケース、子供時代の関係性が逆転するケースなど、時間をうまく遊ぶ物語を構築しているが、「ここが蓬莱さんの巧みなところ。時間を描くために、観客に『ドラえもん』を意識させる。『ドラえもん』は未来を良くするために過去をきちんとしなきゃという話ですからね。本当に着眼点がうますぎる」(エンタメライター)
せりふはすべて現代語で、歌舞伎初心者でも聞き取れる。音楽は義太夫は一部だけで、ほとんどがピアノ。「エリック・サティのようなけだるさを内包した音楽で歌舞伎にも合っていた。物語もいろんな見方ができる。『ラ・ラ・ランド』のように、かなえられなかった別の物語の持つ切なさが描かれています」(前出・エンタメライター)
2008年に勘九郎と七之助の父、故中村勘三郎さんが始めた赤坂大歌舞伎。今回が5回目。確実に根付いている。
千穐楽とあってスタンディングオベーションあり。二回目だったのでいくらか落ち着いて見られた。歌舞伎のようでもあり、センスは現代劇で、SF的でもあり。
毎回、出演者がはっちゃけたり、くすぐりを次の演者が拾ったり、いろいろ楽しい「よってたかって」。
やかん泥/あおもり
三遊亭白鳥門下。これがなかなかしっかりした古典をする。白酒さんに「白鳥の下にいる意味あるのか?」といじられる。
短命/白酒
「週末でお子様もいるのに」と言いながらバレ噺をかける白酒さん、さすが羊の皮をかぶった狼。女房が亭主のためにご飯をよそうのは普通じゃない、とか、ハッつぁん夫婦の生活ぶりが見える仕込みがよかった。
母恋いくらげ/喬太郎
前半は街の擬人化。京橋にへつらい、日比谷は(皇居があるから)微妙に丁寧に接し、築地や新橋にはぞんざいな銀座。大塚と目白に挟まれる池袋は、目白が半分豊島区半分文京区で上から目線。デパートの擬人化も面白い。三越本店、三越池袋店、西武池袋店と東武池袋店。
それでかなり時間を使ったけど、後半は母恋いくらげでちゃんと落語。しかも、くらげの仕草はさん喬師匠が仕込んでくれてパワーアップされたとか。はける時もタコの擬態で爆笑。
かぼちゃ屋/一之輔
さすが一之輔、与太郎がかぼちゃを荷売りする途中で、唐茄子を売り歩く元若旦那に出会って、「そっち誓願寺店の方には行かない方がいいよ」とアドバイスし、「よしっ、歴史を変えた」というくすぐりが入って大笑い。
豆腐屋ジョニー/白鳥
中入前に喬太郎師が新作ではっちゃけた後なので古典っぽい新作で来るかと思ったけど、空気読まずに豆腐屋ジョニー。
殿様と海/三三
「何やっても三三がきっちり古典やってくれるから」と暴れた白鳥師の後に上がった三三、ここで古典でなくて白鳥の新作「殿様と海」かけちゃうんですね。
そして、浅草の釣り名人、魚鱗堂の助三を三太夫が訪ねるところで、唐茄子を売り歩く元旦那に誓願寺店の方に行くよう促して歴史修正。
六代目助三から借り受けた釣り竿が左甚五郎作で初代助三の魂が宿っているスーパー釣り竿なのが白鳥作らしい。そして、殿様がご機嫌で釣り竿を垂らす仕草に「野ざらし」がちょっと入ったり、役立たずの船頭さんが「船徳」の徳さんだったり、くらげの母子が登場したり、三三も遊んでます。そして最後は座布団をマグロに見立てて殿様が担ぎ上げ、マグロに乗って無事にご帰還。
喬太郎師以降は擬人化まつり。大笑いできました。
やかん泥/あおもり
三遊亭白鳥門下。これがなかなかしっかりした古典をする。白酒さんに「白鳥の下にいる意味あるのか?」といじられる。
短命/白酒
「週末でお子様もいるのに」と言いながらバレ噺をかける白酒さん、さすが羊の皮をかぶった狼。女房が亭主のためにご飯をよそうのは普通じゃない、とか、ハッつぁん夫婦の生活ぶりが見える仕込みがよかった。
母恋いくらげ/喬太郎
前半は街の擬人化。京橋にへつらい、日比谷は(皇居があるから)微妙に丁寧に接し、築地や新橋にはぞんざいな銀座。大塚と目白に挟まれる池袋は、目白が半分豊島区半分文京区で上から目線。デパートの擬人化も面白い。三越本店、三越池袋店、西武池袋店と東武池袋店。
それでかなり時間を使ったけど、後半は母恋いくらげでちゃんと落語。しかも、くらげの仕草はさん喬師匠が仕込んでくれてパワーアップされたとか。はける時もタコの擬態で爆笑。
かぼちゃ屋/一之輔
さすが一之輔、与太郎がかぼちゃを荷売りする途中で、唐茄子を売り歩く元若旦那に出会って、「そっち誓願寺店の方には行かない方がいいよ」とアドバイスし、「よしっ、歴史を変えた」というくすぐりが入って大笑い。
豆腐屋ジョニー/白鳥
中入前に喬太郎師が新作ではっちゃけた後なので古典っぽい新作で来るかと思ったけど、空気読まずに豆腐屋ジョニー。
殿様と海/三三
「何やっても三三がきっちり古典やってくれるから」と暴れた白鳥師の後に上がった三三、ここで古典でなくて白鳥の新作「殿様と海」かけちゃうんですね。
そして、浅草の釣り名人、魚鱗堂の助三を三太夫が訪ねるところで、唐茄子を売り歩く元旦那に誓願寺店の方に行くよう促して歴史修正。
六代目助三から借り受けた釣り竿が左甚五郎作で初代助三の魂が宿っているスーパー釣り竿なのが白鳥作らしい。そして、殿様がご機嫌で釣り竿を垂らす仕草に「野ざらし」がちょっと入ったり、役立たずの船頭さんが「船徳」の徳さんだったり、くらげの母子が登場したり、三三も遊んでます。そして最後は座布団をマグロに見立てて殿様が担ぎ上げ、マグロに乗って無事にご帰還。
喬太郎師以降は擬人化まつり。大笑いできました。
よくできた舞台なんだろうと思うのですが、身内にいろいろあった直後の私には辛い。。。また状況変わったらビデオか何かで見ます。
なかなかチケットが取れない人気企画になってきた。夜の新作も見たかったのだけど、何とか2コマだけチケット取れた。
【春爛漫 白酒一之輔二人会】
トーク/白酒一之輔
落語協会の理事になりました、というエイプリルフールねた。まじ騙された(^_^;)。
四段目/白酒
定吉の芝居がかった場面が忠臣蔵の四段目、塩冶判官切腹の場。なのでコミカルな旦那や番頭と定吉のやりとりとのコントラストが引き立つように、芝居の場面を大きくやって、良かった。
粗忽の釘/一之輔
箪笥をかついだ熊さんは、八王子の方まで行ってしまいました。たらいで水浴びした新婚夫婦の「土星踊り」が超受けた。
愛宕山/一之輔
一之輔さんの「愛宕山」は初めて。期待にたがわず。
文違い/白酒
白酒さん、以外に(失礼)廓の女性がうまい。
【江戸暦】
やかん/あおもり
短命/菊之丞
久しぶりの菊之丞。
三方一両損/一朝
さすがの江戸弁。これぞ江戸っ子。
夢の酒/扇辰
色っぽい夢の女も、悋気で泣くお花も、いい感じ。
子別れ/文蔵
けなげなおかみさんと亀に泣けた。
【春爛漫 白酒一之輔二人会】
トーク/白酒一之輔
落語協会の理事になりました、というエイプリルフールねた。まじ騙された(^_^;)。
四段目/白酒
定吉の芝居がかった場面が忠臣蔵の四段目、塩冶判官切腹の場。なのでコミカルな旦那や番頭と定吉のやりとりとのコントラストが引き立つように、芝居の場面を大きくやって、良かった。
粗忽の釘/一之輔
箪笥をかついだ熊さんは、八王子の方まで行ってしまいました。たらいで水浴びした新婚夫婦の「土星踊り」が超受けた。
愛宕山/一之輔
一之輔さんの「愛宕山」は初めて。期待にたがわず。
文違い/白酒
白酒さん、以外に(失礼)廓の女性がうまい。
【江戸暦】
やかん/あおもり
短命/菊之丞
久しぶりの菊之丞。
三方一両損/一朝
さすがの江戸弁。これぞ江戸っ子。
夢の酒/扇辰
色っぽい夢の女も、悋気で泣くお花も、いい感じ。
子別れ/文蔵
けなげなおかみさんと亀に泣けた。
歌舞伎座「三月大歌舞伎」 素晴らしい仁左衛門の知盛
渡辺保の歌舞伎劇評
こちらでもニザ様の知盛はベタ褒め。
夜の「助六」はひたすら長く、最後の方は腰痛で記憶が薄れてしまった。
昼の「渡会屋」「大物浦」はしゅっとしてカッコイイ銀平、真っ白な知盛、返り血を帯びた勇壮な知盛、平家滅亡は父清盛の専横の応報だと悟る知盛など、魅力満載。シネマ歌舞伎でまた見たい。
昼。「義経千本桜 渡海屋(とかいや)・大物浦(だいもつのうら)」の片岡仁左衛門が素晴らしい。渡海屋銀平の花道の出。美しく涼しく、早春の白梅のよう。寒気を貫く気品が辺りに薫る。一転、銀平実は平知盛の修羅の形相のすさまじさ。義経(中村梅玉(ばいぎょく))に守護された幼き安徳帝から「仇(あだ)に思うな」と諭(さと)され平伏する姿に平家滅亡の道理を悟る。「昨日の敵は今日の味方」と感謝するせりふの潔さに特色がある。続く碇(いかり)知盛の最期も、残酷、悲惨なのが「人」ではなく「時」なのだと教える。明解な知盛像である。仁左衛門型と呼べるのではないか。銀平女房お柳実は典侍(すけ)の局に中村時蔵。
前に真山青果の新歌舞伎「明君行状記」。武家社会の法理を追究し合う藩主(梅玉)と藩士(坂東亀三郎)のせりふ劇。後に坂東三津五郎家所縁の常磐津舞踊「どんつく」を、十代目三津五郎三回忌追善として十代目の長男、巳之助が、尾上(おのえ)菊五郎以下好配役を得てにぎやかに軽やかに踊りしのぶ。
夜。松本幸四郎の南方十次兵衛(なんぽうじゅうじべえ)で「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」の「引窓」。坂田藤十郎の女五右衛門、仁左衛門の真柴久吉で「けいせい浜(はまの)真砂(まさご)」。最後に「助六由縁江戸桜(ゆかりのえどざくら)」。本狂言に欠かせない河東(かとう)節開曲三百年を祝い、市川海老蔵の助六がいきいき楽しく見せる。理屈抜き江戸歌舞伎一大絵巻物だ。揚巻の中村雀右衛門(じゃくえもん)、くわんぺら門兵衛の中村歌六(かろく)、髭(ひげ)の意休の市川左團次、白酒売新兵衛の菊五郎ら豪華俳優陣が愛嬌(あいきょう)の華を競う。27日まで、東京・銀座の歌舞伎座。(劇評家 石井啓夫)
渡辺保の歌舞伎劇評
こちらでもニザ様の知盛はベタ褒め。
夜の「助六」はひたすら長く、最後の方は腰痛で記憶が薄れてしまった。
昼の「渡会屋」「大物浦」はしゅっとしてカッコイイ銀平、真っ白な知盛、返り血を帯びた勇壮な知盛、平家滅亡は父清盛の専横の応報だと悟る知盛など、魅力満載。シネマ歌舞伎でまた見たい。
かめありリリオホールは6年ぶり。あの時は大工調べだった。
談春独演会 @かめありリリオホール
開演時は9割ぐらいの入り。年齢層はちょい高め。
談春さんにとっては、ゲストに家元が来ていて自分の噺を袖で聴いていたのが気になって、高座を下りる時に足首をくじいたのがとても思い出のホールだそうだ。
ちはる/小噺
入門して一年だそうだ。頑張って欲しい
マクラで喬太郎師の映画を話題にしたり、亡き勘三郎さんに銀座に飲みに連れていってもらった時の思い出。なぜこういうマクラになったかというと、自分たちは遊郭が廃止されてから生まれてきたから遊郭というものを知らない、でも今でも落語界の大御所は大きなイベントの打上げに吉原に繰り出すということがあった、という流れだった。その中で「ルンペンがションベンしてそうな」路地にあるバーの描写。「中に喪黒福造がいそうな」というところが、うん、談春版の佐平次って「キシシ……」って笑うの、やっぱそのイメージなんだなと思った。
同業者についての噂は、喬太郎さんの映画以外に、例のごとく志らくさんの悪口。『赤めだか』はゴーストライターが書いたと思っている人が結構いて、新聞記者のインタビューでも失礼な質問を受けた、実は志らくも最初、自分が書いたと信じなかったという流れで。
会話主体でほとんど説明のなかった品川版に比べて、亀有版はこってり言葉の説明が入る。品川の大店に足を踏み入れると自分の顔が映るぐらい磨き込まれた廊下があって、引き付け《しきつけ》と呼ばれる交渉部屋に通される。そこで出てくる「おばさん」つまり遣り手の説明があって、そこでやっと佐平次が登場し、客を小馬鹿にしたおばさんを驚かせる遊び慣れた宴会のリクエスト。宴会場面は短く、同行した四人《よったり》の正体が明かされる。そこからは、お直し、すなわち会計をさせてお金を回収したい若い衆《わかいし》と、はぐらかす佐平次。ぱあぱあとすごくて、どこまでやるのかなーと思っていたら、お金がないと佐平次が言い出して前半幕。何と今日は前後編で佐平次という趣向。
後半は布団部屋に収まった佐平次が店の繁盛時を狙って店内を歩き回り、若い衆の目が行き届かない客を取り巻き始めた途端に人気者になり、居残り目当ての客がつくという展開。そして、今日は、勘定を踏み倒して居残った上に客を取り巻いた佐平次に五十円と結城の着物一式を献上して表から返す主人の理由の説明が丁寧だった。女性の身体を商売にする稼業で非難されることもあるけど、この稼業にすがらないと生きていけない女性もいるから、これはこれで必要と思ってはいる。けど、こういう稼業だからか、何年かに一回、ああいう奴が来る。「あれは言ってみれば鬼のようなもので」と今回は説明がついた。若い頃は逆らおうとしたが、今となっては、来たら逆らわずに受け容れた上で退散をお願いするしかない。
下げは談志から引き継いだ版。でも今日はサービスでスタンダード版「旦那の頭がごま塩ですから」も解説付きで。
品川プリンスでは会話中心で映画のような居残り。今日のはいろいろ解説がついた上に説明が丁寧な居残り。
「紅葉坂の佐平次」の祟り神的な禍々しさをちょっとだけ感じた。
2010年9月12日 立川談春独演会@神奈川県立音楽堂
談春独演会 @かめありリリオホール
開演時は9割ぐらいの入り。年齢層はちょい高め。
談春さんにとっては、ゲストに家元が来ていて自分の噺を袖で聴いていたのが気になって、高座を下りる時に足首をくじいたのがとても思い出のホールだそうだ。
ちはる/小噺
入門して一年だそうだ。頑張って欲しい
マクラで喬太郎師の映画を話題にしたり、亡き勘三郎さんに銀座に飲みに連れていってもらった時の思い出。なぜこういうマクラになったかというと、自分たちは遊郭が廃止されてから生まれてきたから遊郭というものを知らない、でも今でも落語界の大御所は大きなイベントの打上げに吉原に繰り出すということがあった、という流れだった。その中で「ルンペンがションベンしてそうな」路地にあるバーの描写。「中に喪黒福造がいそうな」というところが、うん、談春版の佐平次って「キシシ……」って笑うの、やっぱそのイメージなんだなと思った。
同業者についての噂は、喬太郎さんの映画以外に、例のごとく志らくさんの悪口。『赤めだか』はゴーストライターが書いたと思っている人が結構いて、新聞記者のインタビューでも失礼な質問を受けた、実は志らくも最初、自分が書いたと信じなかったという流れで。
会話主体でほとんど説明のなかった品川版に比べて、亀有版はこってり言葉の説明が入る。品川の大店に足を踏み入れると自分の顔が映るぐらい磨き込まれた廊下があって、引き付け《しきつけ》と呼ばれる交渉部屋に通される。そこで出てくる「おばさん」つまり遣り手の説明があって、そこでやっと佐平次が登場し、客を小馬鹿にしたおばさんを驚かせる遊び慣れた宴会のリクエスト。宴会場面は短く、同行した四人《よったり》の正体が明かされる。そこからは、お直し、すなわち会計をさせてお金を回収したい若い衆《わかいし》と、はぐらかす佐平次。ぱあぱあとすごくて、どこまでやるのかなーと思っていたら、お金がないと佐平次が言い出して前半幕。何と今日は前後編で佐平次という趣向。
後半は布団部屋に収まった佐平次が店の繁盛時を狙って店内を歩き回り、若い衆の目が行き届かない客を取り巻き始めた途端に人気者になり、居残り目当ての客がつくという展開。そして、今日は、勘定を踏み倒して居残った上に客を取り巻いた佐平次に五十円と結城の着物一式を献上して表から返す主人の理由の説明が丁寧だった。女性の身体を商売にする稼業で非難されることもあるけど、この稼業にすがらないと生きていけない女性もいるから、これはこれで必要と思ってはいる。けど、こういう稼業だからか、何年かに一回、ああいう奴が来る。「あれは言ってみれば鬼のようなもので」と今回は説明がついた。若い頃は逆らおうとしたが、今となっては、来たら逆らわずに受け容れた上で退散をお願いするしかない。
下げは談志から引き継いだ版。でも今日はサービスでスタンダード版「旦那の頭がごま塩ですから」も解説付きで。
品川プリンスでは会話中心で映画のような居残り。今日のはいろいろ解説がついた上に説明が丁寧な居残り。
「紅葉坂の佐平次」の祟り神的な禍々しさをちょっとだけ感じた。
2010年9月12日 立川談春独演会@神奈川県立音楽堂
去年の二月歌舞伎見逃してすっごく口惜しい思いをしたので、夜の部だけでなく昼の部も。
猿若江戸の初櫓
江戸歌舞伎390年の歴史を祝うということで、猿若が勘九郎で出雲阿国が七之助ってだけでうれしい。勘九郎さん・七之助さん、夜の部の勘太郎・長三郎初舞台のケアだけでも大変だろうに、昼の部もかなり出演多い。でも猿若祭は中村屋さんが頑張ってくれて盛り上がるというもの。
大商蛭子島
天明四年に初演された作品の復活狂言。歌舞伎の時代物は、鎌倉時代の出来事を江戸時代の舞台にしたり、江戸時代の出来事を鎌倉時代に脚色したり、衣装や道具や舞台装置を見て混乱する。今回は源頼朝が蛭が小島で北条政子と結婚して(伊藤氏の娘と別れて)、後白河法皇の宣旨を受けて源氏再興をかけて挙兵するという史実を、天明期にお馴染みであったろう寺子屋を舞台にするという……あー、頭が混乱(^_^;)。
松緑さん主役の舞台はあまり見ていないので、主役で二枚目なのは珍しいかな。
あと時蔵さん演じるおふじ(実は伊藤氏の辰姫)による「黒髪」が見どころだと思うのだけど、期待していたより少し軽かったかも。
四千両小判梅葉
河竹黙阿弥の白浪物なのに、私ったら半分以上意識がなかったかも……(°°;)。
扇獅子
梅玉さんの鳶頭と雀右衛門さんの芸者が日本橋で舞うのがひたすら楽しい。
猿若江戸の初櫓
江戸歌舞伎390年の歴史を祝うということで、猿若が勘九郎で出雲阿国が七之助ってだけでうれしい。勘九郎さん・七之助さん、夜の部の勘太郎・長三郎初舞台のケアだけでも大変だろうに、昼の部もかなり出演多い。でも猿若祭は中村屋さんが頑張ってくれて盛り上がるというもの。
大商蛭子島
天明四年に初演された作品の復活狂言。歌舞伎の時代物は、鎌倉時代の出来事を江戸時代の舞台にしたり、江戸時代の出来事を鎌倉時代に脚色したり、衣装や道具や舞台装置を見て混乱する。今回は源頼朝が蛭が小島で北条政子と結婚して(伊藤氏の娘と別れて)、後白河法皇の宣旨を受けて源氏再興をかけて挙兵するという史実を、天明期にお馴染みであったろう寺子屋を舞台にするという……あー、頭が混乱(^_^;)。
松緑さん主役の舞台はあまり見ていないので、主役で二枚目なのは珍しいかな。
あと時蔵さん演じるおふじ(実は伊藤氏の辰姫)による「黒髪」が見どころだと思うのだけど、期待していたより少し軽かったかも。
四千両小判梅葉
河竹黙阿弥の白浪物なのに、私ったら半分以上意識がなかったかも……(°°;)。
扇獅子
梅玉さんの鳶頭と雀右衛門さんの芸者が日本橋で舞うのがひたすら楽しい。
門出二人桃太郎
三代目中村勘太郎(七緒也くん)、二代目中村長三郎(哲之くん)の初舞台目当てで行きました。舞台も観客席もみんながふたりのおじいちゃんおばあちゃんになったような、温かな一体感で見守る、この雰囲気。祖父の勘三郎さんがこの場にいれば、という思いがよぎるものの、この温かい祝祭感は他の豆役者ちゃんたちの初お目見えや初舞台をはるかに凌ぐものだった。
勘太郎くんはちゃんとお芝居をし、見栄を切り、ご挨拶もしっかり。長三郎くんは、他の役者さんたちの挨拶中は爆睡しちゃっておじじ(七之助)さんに支えてもらっていたりするくせに、瞬間的に役に入っている感じ。
おじいさんが芝翫、おばあさんが時蔵、息子と鬼大将はパパ勘九郎さん、お嫁さんは七之助さん。加えて、犬彦が染五郎、猿彦が松緑、雉彦が菊之助ってすげー豪華。彌十郎、雀右衛門、魁春、梅玉、菊五郎、児太郎、橋之助、福之助、錦吾、亀蔵。
絵本太功記
自分的に興味湧いたのは舞台が尼崎ってとこだけ。竹藪ちゅうと近松門左衛門ゆかりの公園の辺りに少し竹林が残ってたっけー。
自分の祖母を(人違いとはいえ)刺しておいて、取り乱しもしない主人公武智光秀に共感持てず、ところどころ意識が飛んだ……。
梅ごよみ
深川芸者の意地の張り合いを楽しみにしてた。染五郎の、ダメンズだけど色男でモテモテって役は結構ニンに合ってる。勘九郎さんの女形は初めてかも(過去の出演見たら、この役で仁左衛門さん玉三郎さんと共演してたので驚き)。吉原から流れてきた辰巳芸者で丹次郎にひたすら尽くし、かっとなったらちょっとやり過ぎてしまうぐらいのところがかわいい。そして、菊之助さんの仇吉がどこからどこまで見ても深川芸者のいっち売れてる感じ。児太郎ちゃんがまだ15歳のお蝶でこれまたかわいいお嬢様。筋立てやどんでん返しというほどのものはなく、役者と衣装を楽しむ世話物。
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