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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日からFIFAワールドカップ2010が開催されます。私がサッカーに夢中になったのは'86メキシコW杯のフランス対ブラジルをたまたまテレビ中継で見てからですが、かれこれ24年。
 サッカー観戦からしばらくご無沙汰していますが、ワールドカップともなると往年のサポーターの血が騒ぎます。

福島
銀のしゃちほこ45年ぶり地上に 会津若松・鶴ケ城
 福島県会津若松市の若松城(鶴ケ城)で10日、天守閣に鎮座していた「銀のしゃちほこ」の取り外し作業が行われた。現在の黒い瓦を幕末当時の赤瓦にふき替える「天守閣再現事業」のためで、45年ぶりに地上に降ろされた。
 若松城のしゃちほこは、1965年に天守閣が再建された際、請け負った建設会社の社長が寄贈した。雌雄一対で、高さ1.5メートル、重さは各200キロあり、うろこには銀箔(ぎんぱく)が張られている。
 作業員は大型クレーンを使い、地上37メートルにある5層の天守閣の上から慎重に取り外した。
 しゃちほこは19日から11月23日まで、城の走長屋(はしりながや)で一般に公開される。


茨城
大洗・『幕末と明治の博物館』 町営で再出発
 大洗町磯浜町の「幕末と明治の博物館」が運営していた財団法人常陽明治記念会から大洗町に寄付され、今月から町営としてスタートした。館長に就いた長嶺家光副町長は「町の観光客は夏が中心だが、北関東道の整備などで利便性が増す中、年間通して楽しめる観光文化施設として展開していく」と話している。 (北爪三記)
 同博物館は、土佐藩出身で明治時代に宮内大臣を務めた田中光顕(一八四三~一九三九)が、一九二九(昭和四)年に常陽明治記念館として創立。三一年に同記念会が設立された。
 九七年に施設を増設し、「幕末と明治の博物館」としてリニューアル。徳川慶喜や吉田松陰、西郷隆盛の書など、収蔵品は五百十八作品(六百五十一点)に上る。ほかに図書・刊行物数千点も所蔵。
 町によると、記念会関係者が高齢化しており、資料を散逸させないためのよりよい運営を模索する中で、町に土地、建物、収蔵品などを寄付することになった。敷地内の「大洗キャンプ場」も町が引き継ぐ。博物館の閲覧室は閉めるという。
 町営となった記念に、収蔵品の中から、田中が師事した土佐勤王党首領武市半平太の肖像画を展示。今後、春と秋に企画展を開くなどして、本年度(六月~来年三月)はここ三年の同期比20%増にあたる入場者数約一万四千二十人を目指すという。
 開館は午前九時から午後五時で、水曜休館。問い合わせは、同博物館=電029(267)2276=へ。


神奈川
竜馬夫妻の生き方に学ぶセミナー、ゆかりの割烹女将が講師に/横浜
 幕末を駆け抜けた坂本竜馬と妻おりょう。その生き方から学ぶセミナーが22日、横浜市中区本町の横浜市開港記念会館で開かれる。
 講師は高知県立坂本竜馬記念館の森健志郎館長と、横浜市神奈川区台町の割烹(かっぽう)・田中家の女将(おかみ)平塚あけみさん。「ビジョンに向かいつづける意志から生まれる大事なもの」を共通のテーマに講演する。
 森館長は高知新聞社で社会部長や学芸部長などを務め、退職後に中国新疆ウイグル自治区ウルムチの新疆大学に語学留学し、帰国後、館長に就任している。
 平塚さんは、おりょうが竜馬暗殺後、勝海舟からの口利きで仲居として働いていたと伝わる神奈川宿の田中家5代目女将を務めている。
 講演は午後6時から。参加料2千円。申し込み・問い合わせは(株)アフコ内、心の元気力創生実行委員会事務局電話045(715)6260。


宮前の江戸学ぶ 入門講座
 宮前市民館では、「龍馬の生きた時代〜幕末〜川崎」をテーマにした江戸入門講座を7月から9月まで開催する。講座は無料。古文書を通じて江戸時代の人や文化、地域を学ぶことが出来る。
 開催日は、7月24日(土)14時〜16時30分、8月28日(土)、9月25日(土)14時〜16時の3回。各日定員200人。
 申し込みは、往復はがきに住所、氏名、年齢、電話番号、参加希望日(複数記入可)、この講座を何で知ったかを記入の上、〒216−0006宮前区宮前平2−20−4宮前市民館まで。30日(水)必着。1枚につき1人まで。【問】同館(【電話】044・888・3911)


石川
北前船?いかりを脱塩 貴重な史料 消滅させない
珠洲で大学教授 8月、学生と保存実習
 貴重な史料の保存に向け、国士舘大21世紀アジア学部・沢田正昭教授(保存科学)が十日、珠洲市蛸島町の珠洲古窯復元実験場で北前船のものとみられる鉄製いかり二点の脱塩処理をした。沢田教授は八月に、学生の実習を兼ねて本格的な保存処理を施す。
 沢田教授は同市出身。昨年九月、市珠洲焼資料館で開かれた日本海域水中考古学会の公開フォーラムに参加。いかりの存在を知り保存処理を申し出た。
 いかりは、同市三崎町の漁業九千房信雄さん(61)が所有している。全長百六十センチと百二十八センチで、いずれも四本のつめが付いている。十年ほど前、三崎町寺家の沖合約一キロの岩礁地帯で刺し網に掛かった。引き揚げた漁業者から、九千房さんが譲り受け自宅に保管していた。資料館の大安尚寿学芸員によると、形状や大きさなどから、幕末から明治ごろの木造輸送船のいかりと推定されるという。
 この日は、沢田教授ら専門家三人が指導。縦九十センチ、横百八十センチ、奥行き九十センチの木箱にビニールシートを張って水を入れ資料館職員らが二本のいかりを沈めた。近く、さび止め剤を投入。その後、二週間おきに水を交換する。
 保存処理は八月十二~十四日に予定。水から出して乾燥させたいかりに、グリスを何層にも塗り重ねて保護膜をつくる。空気や水を通さない透明シートで袋を作り、いかりを脱酸素・脱水分剤と一緒に入れて保存する計画。沢田教授は「(いかりは)貴重な史料。今、大事に残しておかないとどんどん酸化して、いずれ消滅してしまうだろう」と話した。 (近江士郎)



京都
名勝記念 入館者に絵はがき
来月19日まで 下京・角屋の文化美術館

 島原の太夫や芸妓(げいこ)を呼んで宴会を開く揚屋(あげや)だった「角屋(すみや)もてなしの文化美術館」(下京区)の庭園が今春、京都市の名勝に指定されたことを記念し、財団法人・角屋保存会は、入館者に招待券付き記念絵はがきを贈っている。プレゼントするのは7月19日まで。
 角屋は江戸時代初期に建てられ、文化人が集まるサロンとして栄え、幕末には坂本龍馬ら志士や新選組の隊士らも訪れた。1952年、建物が重要文化財に指定。89年、内部や所蔵品を公開する美術館となった。
 名勝指定では、庭園(643・3平方メートル)は「現存する唯一の揚屋に伴う庭」として評価された。43畳の大宴会場に面する座敷庭の中心にある「臥龍松(がりょうのまつ)」は、枝ぶりが龍がふせた姿に例えられ、江戸後期の読本作者、曲亭馬琴(1767~1848)が旅日記に「この庭の松甚だよし」と記し、客らが書画の題材とした。現在の松は3代目で、1958年に3本を組み合わせ、独特の形を再現した。
 座敷庭の写真が印刷された招待券付き記念絵はがきは一人につき1枚が渡される。
 角屋15代目の中川清生・同保存会理事長(62)は「建物だけでなく、庭も含め、一流のもてなしの場だったことが評価されて光栄です」と話している。
 月曜休館(祝日の場合は翌日)。入場料1000円(大学生以上)。問い合わせは同美術館(075・351・0024)へ。


OSK桜花昇ぼる、念願の龍馬に挑戦
 京都南座7月公演、OSK日本歌劇団「レビュー in KYOTO 4」(7月10日~16日)の製作会見が10日、京都市内で行われた。今回は坂本竜馬の軌跡を描く「みやこ浪漫~Ryoma~」、と幻想的な夢の世界をテーマにした「ダンシング・ラプソディ」の2本立て。
 1部で坂本龍馬を演じる桜花昇ぼるは「幕末のミュージカルは私の夢のひとつでした。幕末の志士たちは若くして亡くなられた方がほとんどですが、私たちは“生きる”というテーマをみなさんに見ていただきたい」と瞳を輝かせた。また2部のショーでも1部と同じ“生きる”がテーマになっており「OSKの元気な姿を見ていただいて、皆様も元気になっていただける公演にしたい」と意気込んだ。


奈良
十津川屋敷跡:明治維新直前の御所警護の拠点に石碑--京都・上京区 /奈良 
◇古地図、古文書から突き止め--村教育委員の松實さん
 明治維新直前の動乱の京都で、御所を警護した十津川村の郷士たちの拠点となった十津川屋敷跡の場所を、村教育委員の松實豊繁さん(68)=同村上野地=が古い地図や古文書などから4年がかりで突き止めた。村民たちの負担で建設され、歴史の舞台となったが、長い間不明だった。判明した京都市上京区新烏丸頭町下切通上ルの市道端には、「十津川屋敷跡地」の石碑が立てられた。【栗栖健】

 記録に残る十津川の京駐屯は、1862(文久2)年の借家に始まる。63年、郷士は「(十津川は)古来御由緒ノ土地」だから「王事ニ尽力」したいと誓願し、御所警護を認められた。同年8月、大阪から淀川の舟で100人が到着し、約170人態勢で警護に当たった。

 当時の京都は公武合体派と尊攘派の抗争のただ中。応援の郷士が大阪を出発した63年8月14日夜には、天誅組の一行も淀川を下り、17日に五條代官所を襲撃。18日の政変で長州ら尊攘派は京都から追放された。村に残った人たちは一度は天誅組に参加したが、政変を知って離脱。64年7月には長州と薩摩、会津が対決した蛤(はまぐり)御門の変が起こる。

 混乱の中でも、郷士たちの志は変わらず、65(慶応1)年4月に屋敷が完成。費用は村民が各戸割り当てで負担し、十津川から用材3000本を運んだ。屋敷は1872年まで残っていたという。

 松實さんは知人の依頼で04年4月、屋敷跡を捜し始めた。手がかりは記録にある「新烏丸切通シ」の地名と、大家だった「円満院宮」の跡地。これらは離れており、京都、滋賀などの図書館、資料館を調べ歩いた。

 08年、1786(天明6)年の地図にある円満院とみられる寺の土地と古地図の「十津川」の場所が一致することが分かったが、寺の名は判読できず、1866(慶応2)年の地図では「慈受院」となっていた。その後、円満院が慈受院から借りていたことを示す資料が見つかり疑問は解消した。

 石碑は高さ140センチで、村教委が設置。昨年12月8日、村関係者が出席して除幕式をした。石碑の背後が屋敷跡、西側の寺町通の向かいが京都御苑だ。松實さんは「ほっとした。若い人に村の先人たちがやったことをもっと知ってもらい、自信を持ってほしい」と話している。


広島
仙酔島に竜馬像お目見え
 「鞆で待っちゅうきに」―。福山市鞆町後地の国民宿舎「仙酔島」玄関口に坂本竜馬像がお目見えした。鞆は竜馬が沈没した「いろは丸」の賠償交渉をした舞台で、りりしい幕末の志士が今秋まで観光客を出迎える。
 高さ175センチ、台座35センチの強化プラスチック製。和服姿に懐手、ブーツを履き、高知市桂浜にある銅像とほぼ同じデザイン。福山市出身の弁護士土肥将人さん(52)=東京都=が「鞆の浦の観光振興に役立ててほしい」と市に寄付した。
 国民宿舎「仙酔島」では、竜馬といろは丸をテーマに展示会を開催中。友人と訪れた倉敷市老松町、西本愛子さん(60)は「竜馬ブームに合わせた良い試みだと思う。インパクトもあって、観光客へのPR効果も大きいのでは」と話していた。11月30日まで設置される。


鳥取
鳥取西高改築計画 日本考古学協理事ら来県
 現在地での校舎改築計画がある国史跡・鳥取城跡内の鳥取西高(鳥取市東町2丁目)周辺を10日、全国の考古学研究者らで組織する日本考古学協会の理事ら2人が現地視察した。理事らは現地確認と計画に反対している動きについての経緯把握のため来県した。
 訪れたのは、協会の埋蔵文化財保護対策委員会の担当理事である近藤英夫東海大学教授と橋口定志事務局長。
 昨年、アリーナの建設予定地となっている第2グラウンドから、新たに幕末期の大規模な籾(もみ)蔵跡など貴重な遺跡が発見されたことを、協会員から報告を受けていた。
 県教委文化財課歴史遺産室の中原斉室長と市教委文化財課の佐々木孝文係長から、鳥取城跡の歴史や改築計画の内容、国との協議経過などの説明を受けた。
 近藤教授は、江戸時代の城跡やその周辺開発に関する問題は全国で起きているという。今後、協会内で協議を重ね、計画変更などが必要と判断した場合は、県や市に要望書を提出するという。



広島
仙酔島に竜馬像お目見え
 「鞆で待っちゅうきに」―。福山市鞆町後地の国民宿舎「仙酔島」玄関口に坂本竜馬像がお目見えした。鞆は竜馬が沈没した「いろは丸」の賠償交渉をした舞台で、りりしい幕末の志士が今秋まで観光客を出迎える。
 高さ175センチ、台座35センチの強化プラスチック製。和服姿に懐手、ブーツを履き、高知市桂浜にある銅像とほぼ同じデザイン。福山市出身の弁護士土肥将人さん(52)=東京都=が「鞆の浦の観光振興に役立ててほしい」と市に寄付した。
 国民宿舎「仙酔島」では、竜馬といろは丸をテーマに展示会を開催中。友人と訪れた倉敷市老松町、西本愛子さん(60)は「竜馬ブームに合わせた良い試みだと思う。インパクトもあって、観光客へのPR効果も大きいのでは」と話していた。11月30日まで設置される。


高知
山内資料館で史料公開 長宗我部一族を召し抱える
 戦国時代まで土佐(高知県)を支配し、江戸幕府に滅ぼされた長宗我部の一族が、後の領主山内家に仕えたいきさつを記した史料などが、高知市の土佐山内家宝物資料館に寄託され、報道関係者に10日公開された。
 江戸時代、土佐藩では、山内支配に抵抗した長宗我部配下の武士たちは下士として差別されたとされるが、山内家が藩を安定させるため、長宗我部家の一部を取り込んでいたことを示す貴重な手がかりといえそうだ。
 史料は戦国末期の長宗我部元親の弟に当たる親房の子孫に伝えられ、土佐藩士として勤務した履歴を記した文書から、昭和天皇が元親に正三位を追贈した贈位記まで16点。親房の子孫で東京都在住の長宗我部友親さん(68)が寄託した。
 17世紀末に藩に提出された差出(報告書)によると、親房の家系を継いだ島五郎左衛門は大坂の陣で豊臣方に参戦、土佐で4年の入牢後、藩士に召し抱えられた。
 長宗我部家復興の機運が高まった幕末から明治にかけては「元親公より血脈連綿」と記した連判状や、一族をまつる秦神社の創建を藩に願い出た文書も含まれている。


慎太郎の像さわやかに
 室戸市の室戸岬で9日、四国電力の室戸、安芸両営業所や関連企業の社員14人が幕末の志士、中岡慎太郎の像を清掃した。電線補修に使う高所作業車に乗り、ブラシで汚れを落とした=写真。
 四国電力の「環境月間」に合わせて実施された。慎太郎像は高さ5・3メートルで、台座を含めると14メートルになる。清掃作業が終わると、潮風を受けて白っぽく見えていた像が、ブロンズ像特有の緑青色に戻った。午後から、北川村にある慎太郎の生家周辺でも清掃作業をした。





山口
萩往還観光案内人:歩いてたどる萩往還の歴史 養成講座、受講者を募集 /山口
◇来月4日間
 江戸時代の萩往還を歩きながら案内する「萩往還観光案内人」の養成講座が7月にある。県観光連盟や萩市観光協会、防府市観光協会など8団体(事務局・山口商工会議所)で実行委を組織。歴史の道・萩往還を全国に発信し、観光振興を図る狙い。
 萩往還は、萩城下(萩市)から三田尻(防府市)までの全長53キロ。毛利公の参勤交代道として整備され、庶民の交通路でもあり、幕末には吉田松陰や坂本龍馬など志士が駆け抜けた。今でも殿様の休憩所・御駕籠建場(おかごたてば)跡や石畳、一里塚など歴史の遺構が数多く残されている。
 研修は7月9、14、23、28日。1日3時限制で、▽観光案内人の心構え▽応急手当て▽毛利家、萩、山口、防府各市の歴史・文化などの講義と、明木-佐々並間を歩いての実地研修もある。
 開催場所は山口商工会議所と萩市民会館。募集は30人。応募要件は、すべて受講し萩往還を歩きながら案内できる人。受講は無料だが、テキスト代として1000円が必要。
 養成講座を全課程修了すると「案内人の証」(仮称)を交付する。申し込みは25日まで。問い合わせは山口商工会議所(083・925・2300)。【川上敏文】



佐賀
全国大会に合わせ、食育イベント多彩に
 食育推進全国大会「さが食育フェスタ2010」(12、13日・佐賀市文化会館など)に合わせて、多彩なイベントが繰り広げられている。佐賀市の県立図書館は食育のルーツを探る企画展を開催。エスプラッツは、佐賀の魅力をアピールする観光紹介所を設けるなど、大会の盛り上げに一役買っている。


「食育」のルーツ探る企画展  県立図書館

 佐賀市の県立図書館は、食の安全や地産地消などに関する約100冊を展示。食育を題材にした明治時代のベストセラー小説もあり、注目を集めている。
 明治時代の本は2冊。小説家村井弦斎著の「食道楽」(1903年)の中には「食育論」の章があり、「知育や体育よりも一番大切なのは食育」と説いている。また、日本で最初に「食育」の言葉を使ったとされる軍医石塚左玄著の「通俗食物養生法」(1898年)も展示している。
 担当者は「食育は最近の言葉と思われがちだが、実は100年以上前から使われていることが分かる」と話す。企画展は29日まで。問い合わせは同図書館、電話0952(24)2900へ。


県外客に佐賀の観光アピール  エスプラッツ展示

 県外からの来客に佐賀の魅力を伝えようと、佐賀市のエスプラッツでは「佐賀ほとめき観光フェア」が開かれている。バルーンフェスタや古湯映画祭などを200点以上のパネルなどで紹介している。20日まで。
 展示しているのは、木製のえびす像やバルーンのゴンドラ、幕末の佐賀藩が建造した「凌風丸」の模型など。古湯映画祭のコーナーにはポスターや俳優らのサインをはじめ、佐賀でロケが行われた映画「張込み」(1958年)の撮影の様子を収めた写真なども飾っている。
 フェアは12日夜に白山名店街で開かれる「ほとめき祭」に合わせて佐賀観光協会が企画。問い合わせは同協会、電話0952(20)2200。

【写真】古湯映画祭など佐賀の観光を紹介している=佐賀市のエスプラッツ


シンポジウム:佐賀の偉人、語り合おう 伝記集刊行を控え、27日に開催 /佐賀
 幕末や明治期の地元の偉人伝が今秋から出版されるのに伴い、県出身の偉人について語り合うシンポジウムが27日午後1時半、佐賀市の佐賀城本丸歴史館で開かれる。無料。
 シンポには明治期の文学に詳しい佐賀女子短大の横尾文子教授や杉谷昭・同館館長、古川康知事ら4人のパネリストが登壇。“七賢人”をはじめ、各人が思う佐賀の偉人を挙げながら、同館の古川英文副館長の進行でパネル討論する。
 偉人伝は近年、九州・山口の近代化産業遺産群が世界遺産の候補として取り上げられる機会が増えたことから「県民に地元の歴史を知ってもらって機運を盛り上げよう」と県教委が刊行を計画した。
 幕末・明治期に日本の近代化をリードした偉人約15人を選び、1人1冊の読本にまとめて今秋から5年間かけて刊行する。7月から編集委員会が始まるのを前に、県民に関心を持ってもらおうとシンポジウムを企画した。問い合わせは同館0952・41・7550。【竹花周】



長崎
【動画】幕末長崎古写真展が入場2万人突破 歴文博、上野彦馬製作カメラ展示も
 長崎歴史文化博物館(長崎市立山1丁目)で開催中の企画展「幕末長崎古写真展」(同館、長崎大付属図書館主催)の入場者が11日、2万人を突破した。
 2万人目の入場者は、大分県宇佐市の宇佐商工会議所女性会会長、大神(おおが)すみ子さん(60)。長崎市内で開催された九州商工会議所女性会連合会の総会に参加するため来崎し、同展にも足を運んだ。 長崎大付属図書館の柴多一雄館長と長崎歴文博の大堀哲館長から記念品のクリアファイルなどを手渡された大神さんは「大河ドラマ『龍馬伝』を見て、時代背景や歴史の流れを知りたくなった」と喜んでいた。
 同展は幕末長崎の風景と人物を撮影した約400点を展示。好評のため当初の会期を1カ月延長し、6月30日まで開催。会期延長に合わせ、熊本市の写真館が所蔵する幕末の写真家上野彦馬が製作したカメラ「スタジオ用キャビネ判暗箱」を新たに展示している。


ひらどしマンに龍馬が仲間入り 平戸市が新事業、練り歩き観光PR
 「観光活性化へ変身!」-。平戸市は11日からローカルヒーロー「ひらどしマン」や「坂本龍馬」に扮(ふん)した若者が市内を練り歩き観光をPRする「ひらどキャラクターまちなか賑(にぎ)わい事業」を始める。10日は観光ガイド研修として、平戸焼の「平戸茂右ェ門窯」(同市鏡川町)でメンバーが透かし彫りに挑戦。平戸の魅力を体得した。
 市によると、同事業は市が県の緊急雇用対策を活用し、市内のイベント会社に委託。土、日、祝日を中心にそれぞれの衣装に身を包んだ若者が市内を歩き、観光客をガイドしたりパンフレットを配布する。
 「ひらどしマン」は、「平戸牛ピンク」「ごぼうもちグリーン」など、特産品PRのため2000年、地元有志が立ち上げたキャラクター。幕末ブームにあやかろうと、今回は「龍馬」も加えた。窯元ではメンバーが変装し平戸焼の歴史を学んだ後、ランプシェード制作を体験。細かい作業に苦心しながら制作に取り組んだ。
 「龍馬」役の大石正輝さん(19)=同市前津吉町=は「平戸のいいところを紹介し、満足してもらいたい」と意気込んでいる。キャラクターには今後、平戸ゆかりの宣教師「フランシスコ・ザビエル」なども加わる予定。


ニューヨーク
150年前、“侍姿”の将棋披露 当時のNYタイムズ紹介
 幕末期に勝海舟らを乗せた軍艦「咸臨丸」とともに太平洋を渡った日本の遣米使節団が、現地で将棋を指した様子が当時のニューヨーク・タイムズ紙に載っていたことが明らかになった。10日、日本将棋連盟がホームページで紹介した。同連盟によれば、海外で初めて指された将棋の可能性が高いという。
 「咸臨丸」渡航から今年で150周年を迎えたが、将棋ファンの米国人が記事を見つけ、同連盟ニューヨーク支部に連絡してきた。
 1860年6月16日付の同紙によると、“侍姿”の使節団は同15日にフィラデルフィアで将棋の駒を現地の人たちに披露。チェスボードに81マスを描いた盤を使い、日本人同士で実戦も行った。
 記事では駒の動かし方なども説明され、取った駒が使えることなどから将棋はチェスよりはるかに複雑と指摘。しかも、日本人はかなりの早指しで、現地の人が驚いたことも紹介している。
 現在のような形の将棋は、室町時代半ばの15世紀には指されるようになったとされ、江戸時代に入ると対局を記録した棋譜も残されている。


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(65)東大教授・山内昌之 相楽総三
■政治家の使い捨て

 鳩山由紀夫氏に代わって首相となった菅直人氏の人気はひとまず高い。その原因は、菅氏が政治を家業として選挙区の地盤を世襲する国会議員でなく、普通のサラリーマン家庭の出身者であることも大きいのではないか。
 最近だけでも、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫の4氏は、祖父や父が首相だった政治家の家系に生まれた。鳩山氏にいたっては、富裕な資産家でもあり、庶民感覚から隔絶したカネの問題を説明しきれていない。
 これと比べると、菅氏は日常生活も慎ましやかであり、落選などの辛酸を嘗(な)めながら市民運動家から宰相の地位にたどりついたのだから、与野党問わず氏の志と使命感には拍手を送るべきかもしれない。しかし、党人や官僚から育った政治家はしたたかである。政治構造の暗黙知に挑戦する異分子に思いもよらぬ罠(わな)を仕掛けてくるかもしれないからだ。
 少なくとも、参院選用の顔の差し替えや不祥事隠しの目くらましとして割り切り、「使い捨て」にしようとしている勢力が民主党内にもいないともかぎらない。

 ◆薩摩の意受け江戸騒乱

 菅氏とすぐ比べられないにせよ、幕末維新史で最大の「使い捨て」となったのは、相楽総三である。現在の取手(茨城県)あたりの地の郷士の子として生まれた相楽は、文久3(1863)年の上州赤城山の挙兵計画や、翌年3月の天狗(てんぐ)党による筑波山の蜂起に加わって頭角を現した。
 相楽にとって運命の分かれ道となったのは、薩摩の西郷隆盛らと交誼(こうぎ)を結んだことである。相楽は慶応3(1867)年、西郷の意を受けて、江戸市中と近辺で倒幕運動を公然と始めた。ことに、江戸市中への放火や強盗や暴行を繰り返して徳川政権を挑発したのである。
 相楽は、大政奉還によって徳川慶喜を武力討伐する大義名分を失った西郷によって、江戸の幕臣を挑発し戦端を開く口実を作る役回りを与えられたのだ。西郷の政治謀略の凄(すご)みは、関東在の一本気の相楽の及ぶところではない。
 西郷の策はあたり、市中警固(けいご)の任にあたった庄内藩が激高して芝三田の薩摩藩邸を焼き討ちにした。大事の前の小事といわんばかりに、薩摩藩士の一部も切り捨てたのだから、西郷の権力リアリズムははかりしれない。

 ◆「偽官軍」として処刑

 しかし挑発は功を奏し、鳥羽・伏見の戦いが起きて幕府軍の敗走をもたらした。薩長から歴史を眺めれば、相楽は維新成功の功労者として顕彰されてしかるべきであった。しかし、事態はそうならない。
 慶応4(1868)年1月、京都に逃れていた相楽は再び西郷の意を受けて官軍先鋒(せんぽう)となる赤報隊を結成し、東山道を進んだ。彼は、自らの建白で採用された年貢半減令を布告しながら颯爽(さっそう)と東山道を進軍したが、まもなく「偽官軍」として捕縛され、官軍参謀の進藤帯刀(たてわき)によって信濃国下諏訪にて処刑されたのである。
 長谷川伸の名作『相楽総三とその同志』は、この割り切れない事件で死んだ犠牲者の鎮魂の書にほかならない。
 もちろん京都で認めさせた年貢半減の理想を高らかに掲げた相楽を、出先の参謀が一存で処刑できるはずもない。そこに大きな暗い意志が働いていたと見るのは自然であろう。出所はさすがに西郷でなく、岩倉具視(ともみ)だろうという説もある。もちろん年貢半減が実施不能と悟った新政府にとって、相楽の理想主義が邪魔になったことは否定できない。
 しかし倒幕のためとはいえ、薩摩藩邸を根城に犯罪の限りを尽くした相楽の存在は、新政府の門出にとって忌まわしいものであった。政治の理想とリアリズムとの間には、使い捨てにされる存在がどうしても出てくる。
 菅氏を水魚の交わりで支えてきた同志たちは必ずしも氏の傍らで新政権の要職に起用されていない。菅氏は、かれらを使い捨てた冷たい政治家だと世論に思われないことも大事だろう。もっとも、菅氏も鳩山氏と同じく、政治の大きな流れのなかで、使い捨てにならないともかぎらない。
 それにしても、政治家は使い捨てにされる存在だと看破した小泉純一郎元首相は、まさに政治リアリズムの極致を見抜いていたのかもしれない。(やまうち まさゆき)

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 本連載をまとめた「幕末維新に学ぶ現在」(中央公論新社)が発売中。

                   ◇

【プロフィル】相楽総三
 さがら・そうぞう 天保10(1839)年生まれ。国学と兵学をおさめたのち、上野(こうずけ)、信濃など東国各地を遊歴し、尊攘の同志を募る。慶応3年、西郷隆盛の指令で浪士を集め、江戸騒乱をくわだてた。のち赤報隊結成に加わり、1番隊隊長となる。東征軍先鋒として、自らが建白し、太政官に採用された年貢半減令を布告しながら東山道を進むが、維新政府に「偽官軍」として捕らえられ、慶応4(1868)年、信濃国下諏訪で処刑された。享年30。




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 菅総理が新しい内閣を「奇兵隊」と表現してましたね。さすが長州ご出身。
 一般的には高杉晋作率いる庶民の隊という颯爽としたイメージなんでしょう。自分は戊辰戦争終了後に奇兵隊がどうなったか、ついつい考えてしまうんで……もごもご(汗)。
 一昨日聴いた立川志の輔師匠は前任の鳩山さんについて、「あの方は50年以上にわたって閉められていたパンドラの箱を次々開けてしまったんです。そりゃ短期間では解決しませんよ、開けたこと自体を評価すべきです。ただ……閉め方をご存じなかったという」と、笑わせてくれました。菅さんがパンドラの箱を収拾できるよう、祈っております。

神奈川
展示:横田七郎氏没後10年の回顧展--小田原「岩瀬家住宅」 /神奈川
◇幕末のお屋敷で、彫刻や版画55点
 国の登録有形文化財に指定されている小田原市鴨宮の「岩瀬家住宅」で、地元の彫刻家で版画家、横田七郎氏(1906~2000年)の没後10年の回顧展が始まった。屋敷内を地域文化交流の拠点にしようと築80年の蔵を改装、ギャラリーと小ホールのある「巨欅(おおけやき)の居(いえ)」を開設した“こけら落とし”に岩瀬家とつながりが深い横田氏の回顧展開催となった。
 同住宅は安政4~5(1857~58)年の建築で、幕末から明治期の豪農の形態を残す貴重なかやぶきの農家造り。戦後の三越の社長として長年、財界で活躍した岩瀬英一郎氏の生家でもある。
 ギャラリーを開設したのは岩瀬家当主・康家さん(87)の長男忠司さん(57)。かやぶきの母屋に住んでいた康家さんが敷地内に建てたバリアフリー住宅に移ったのを機に、母屋や昭和初期の鉄筋コンクリート造りの蔵、土蔵を改装した。
 忠司さんによると回顧展を開く横田氏は岩瀬本家の貸家に住んだほか、岩瀬別家の当主と意気投合し兄弟のような付き合いや金銭的支援を受けたという。
 回顧展には80歳を過ぎてからも新しいことに挑戦した横田氏の原点とも言える作品から晩年のものまで彫刻約40点、版画約15点と幅広く展示した。横田氏の長男で小田原市議の八郎さん(65)も全面的に協力、初公開の珍しい作品のほか、地元との交流、岩瀬家とのかかわりなどエピソードも紹介している。
 同展は20日まで(10~18時)で無料。13日午後1時から、近隣の6カ所にあるモニュメント作品や、横田氏が制作の場としていたアトリエを見学する「屋外作品見学ウォーク」がある。
 問い合わせは同ギャラリー(0465・49・6077)。【澤晴夫】


将軍の生活描いた浮世絵展、川崎で7日から
 江戸時代の徳川家の将軍の生活や、江戸城の年中行事を描いた浮世絵を紹介する「千代田之御表」展が7日から、川崎市川崎区の川崎・砂子の里資料館で開かれる。
 浮世絵は幕末の武士で、戊辰戦争に参戦した後に絵師になった楊洲(ようしゅう)周延(ちかのぶ)が1897年に描いたもので、将軍が剣術試合を観覧する「武術上覧」など33点を展示する。
 奉行が事件を選んで将軍の前で裁いて見せた「公事上聴」を描いた浮世絵では、罪人として町奉行の前に引き出された遊女が華やかに着飾っており、将軍に見せる特別な裁判だったことがうかがえる。
 斎藤文夫館長(81)は、「当時は江戸時代を覚えている人もたくさんいた。人々のノスタルジーをかき立てた徳川三百年の伝統をぜひ見に来てほしい」と話している。26日まで。日曜休館。入館無料。

愛知
「仁吉」をしのび吉良でまつり
 吉良町上横須賀の源徳寺(藤原知貴住職)で6日、30回目の仁吉まつりが開かれ、町関係者や商工会などが仁吉の墓前で供養した。
 吉良の仁吉は、幕末に活躍した同町出身の侠客。清水次郎長の子分で義理と人情に厚いことで知られている。仁吉まつり実行委員会が、仁吉の人柄をしのんで毎年この時期に開いている。
 この日は、吉良小唄保存会員や子ども約200人が、町中の道路を赤い法被姿で鳴子を手に踊りながら練り歩き、見物客らから大きな拍手が贈られた。境内では、特産品の販売や抹茶がふるまわれ、多くの町民で賑わっていた。



三重
[9]亀山城 多門櫓、今夏から衣替え
 亀山城(三重県亀山市)は不運の城だ。
 寛永9(1632)年、丹波(京都府)亀山城の天守閣を解体するように幕府から命じられた堀尾忠晴は間違えてここ伊勢亀山城の天守を取り壊してしまったとされる。
 現在、市役所隣に天守台と称される石垣が残る。上に立つ多門櫓(やぐら)は、江戸時代の中核的城郭建築としては三重県内では唯一の遺構なのだが、建物だけでなく石垣も含めた全体で県史跡となっている。
 不当な低評価だと思われるのだが、市側は「明治以降から近年まで市役所の会議室などとして使われ、外観、内部に至るまで改造されてしまっていたので仕方ない」と説明する。何と水洗トイレまで設けられてしまっていたのだ。
 その多門櫓が「逆襲」に転じている。陣頭指揮に立つのが同市文化部まちなみ文化財室の嶋村明彦室長(49)だ。
 嶋村さんは学生時代に建築史を学び、92年からは長野県の旧楢川村に移り住んで奈良井宿の町並み保存に尽力。95年から旧関町の招きで東海道関宿の町並み保存に力を注いだ。そして合併で亀山市職員となり、今度は城下町整備に取り組んでいる。
 昨年、多門櫓を徹底的に調査した。櫓の建立年はよくわかっていないが、「櫓は嘉永7(1854)年の大地震で大破した後に建てられたものだと思う。大規模な修理のあとがなかったので、完全に建て直されたものだろう」と嶋村さんは推測する。
 城の外観・内部とも今とは違ったものが浮かんできた。現在は板壁だが、当時は白壁。瓦の種類も窓の位置や数も違っていた。櫓内部は現在板敷きになっているが、一部土間であることがわかった。「古い建築物の本来の姿を明らかにし、多くの方々に見ていただけるようにすることが、私たちの仕事の面白いところ」と嶋村さんは話す。
 今年夏ごろから始まる工事では、極力、幕末時点の姿に戻す作業となる。2012年春までの長丁場だ。「城下町亀山のシンボルが修理のため見えなくなってしまうのは申し訳ないが、文化財保存のためにしばらくの間我慢していただきたい」と嶋村さん。
 12年春には白壁の多門櫓が登場。「今度は建造物として櫓単独で文化財に申請したい。この櫓はそれだけの価値があります」。町並み保存のプロの自信だ。(斉藤勝寿)



大阪
「ひらかた大菊人形」今秋限りの復活 京阪100周年で
 関西の秋の風物詩として長年愛され、2005年に閉幕した菊人形展「ひらかた大菊人形」(京阪電鉄、朝日新聞社など主催)が、今秋限りで復活する。同電鉄が、開業100周年の記念事業として行う。テーマは幕末の志士・坂本龍馬の予定で、10月9日~11月28日に大阪府枚方市のひらかたパークで開催する。
 龍馬の生涯を薩長同盟や寺田屋事件など11の場面に分け、約1万株の菊などを使った人形27体で描く。妻のお龍(りょう)や桂小五郎など多彩な登場人物を鑑賞通路近くに展示し、「龍馬になった気分を味わえる」(京阪電鉄)という。
 ひらかた大菊人形は1910(明治43)年、京阪電車の大阪・天満橋―京都・五条(現・清水五条)間の開通を記念し、同府寝屋川市で開かれた菊人形展が始まり。44~45年を除いて毎年開催されてきた。ピークの74年には約85万人が来場。しかし、菊人形をつくる職人・菊師の高齢化や後継者不足から、96年間の歴史に幕を下ろした。
 ひらかたパークでは閉幕後も毎秋、菊師から従業員らが技術を学ぶため、5体ほどの製作、展示を続けてきた。しかし本格的な再開を求める声が多く寄せられたため、1年限定での復活が決まった。


香川
渡米150年 咸臨丸支えた塩飽水夫35人の功績たたえる石碑建立
 江戸幕府の軍艦「咸臨丸」が幕末に渡米してから150年を記念して、香川県の歴史愛好家の会「讃岐龍馬会塩飽(しわく)社中」は、同船に水夫として乗り込んだ塩飽諸島出身の35人の功績をたたえる石碑を同諸島の櫃石(ひついし)島(坂出市)に建立。26日、子孫を招いて、除幕式を行う。同会の丸野忠義会長は「日本の船として初めて太平洋横断に成功した咸臨丸で、塩飽の人々が果たした役割は大きく、その歴史を語り継ぎたい」と話している。
 咸臨丸に乗り込んだ50人の水夫のうち35人が同諸島の本島、広島、高見島、櫃石島、牛島、佐柳(さなぎ)島、瀬居島の7島の出身者だった。
 塩飽の人々は古くから瀬戸内海の海運を担い、江戸時代は中期まで幕府の御用船方として城米の輸送など重要な役割を果たした。操船技術に長けていたことから、幕府の徴用を受けて咸臨丸に乗り込んだ。
 しかし、咸臨丸の航海での塩飽の人々の活躍は全国的にはあまり知られておらず、「過酷な航海を支えた塩飽の人々に光をあてたい」と、歴史愛好家ら約25人が2002年、会を結成。子孫や、墓を訪ねる調査などを進めてきた。漁港跡地に建てられる石碑は花こう岩で高さ2メートル、幅2・5メートル。太平洋の荒波を進む咸臨丸の写真を転写し、「郷土の誇りとして その名を永く 後世に伝えん」とする文字と、水夫35人の氏名を刻む。
 同会は04年6月、佐柳島出身で、同船の水夫で後に海援隊士となり坂本龍馬と行動を共にした佐柳高次(1835~91)を顕彰する石碑を同島に建てている。除幕式には大阪や櫃石島から水夫の子孫3人が訪れる予定で、子孫の1人で大阪市港区在住の藤本増夫さん(59)は「水夫たちの活躍は歴史の闇に埋もれている。全員の名を記した碑を故郷に建てることは意義があり、誇りに思う」と話している。


兵庫
「幸民ビール」復刻版の試飲会、人気上々…兵庫
 兵庫県三田市出身で「日本の化学の祖」と称される蘭(らん)学者・川本幸民(1810~71)によって、1853年に日本で初めて醸造されたビールの復刻版の試飲会が5日、市まちづくり協働センター(駅前町)の多目的ホールで開かれ、招待客約160人が〈黒船来航〉の時代に思いをはせながら、香り高いビールを味わった。
 幸民はペリー提督の黒船来航と同じ年に、西洋の化学書を参考にしてビールを醸造。市は幸民の生誕200年記念事業の一環で、地ビールの醸造に明るい酒造会社「小西酒造」(伊丹市)に、当時に近いやり方で再現するよう依頼した。
 この日、「幕末のビール復刻版 幸民麦酒(ばくしゅ)」の試飲に先立ち、醸造を担当した同酒造の地ビール主任技師・辻巌さん(52)が「幸民ビールの秘密を探る」と題して講演した。
 辻さんは、幸民が黒船で味わったビールに関心を寄せ、日本酒の酵母を使うなどしてビールを醸造したことや、桂小五郎や緒方洪庵らと試飲したことを紹介。一足早く「幸民麦酒」を味わった幸民のひ孫の川本裕司さん(83)や妻、みち子さん(76)(東京都練馬区)らから「おいしい」と〈合格点〉をもらったことを報告した。
 続いて招待客が試飲を始めると、次々と「うまい」「おいしい」と声が上がった。宝塚市月見山、主婦杉本紀江さん(53)と西宮市名塩南台、主婦田中曜子さん(60)は「味が濃いのに、のど越しはすっきり」「三田の周辺でしか売っていないのが残念」、同酒造の小西新太郎社長(58)は「このビールと三田の名前が全国に広まってほしい」と話し、竹内英昭市長は「三田の売りが、またひとつ誕生した」と胸を張った。
 「幸民麦酒」は、一般向け330ミリ・リットル瓶が予定価格630円。JA兵庫六甲運営の農産物直売所「パスカルさんだ」(川除)など市内14か所のほか、神戸市北区の3店舗や西宮市北六甲台の酒店で、8日から発売される。問い合わせは三田市生涯学習課(079・559・5145)。


幕末ビール、お先にグイッ 三田で試飲会
 日本で初めてビールをつくったとされる三田藩出身の蘭学者(らん・がく・しゃ)川本幸民(1810~71年)と同じ手法で醸造した「幕末のビール復刻版 幸民麦酒」の試飲会が5日、三田市駅前町の同市まちづくり協働センターであった。参加した約160人からは「コクがあっておいしい」などと好評だった。
 幸民生誕200年の記念事業に取り組む三田市が、伊丹市の小西酒造に醸造を依頼。同社の地ビール主任技師、辻巌さん(52)が幸民の翻訳書「化学新書」などを調べて醸造方法を研究し、試行錯誤を繰り返して約2カ月がかりで完成させた。
 できあがったビールは、色は今のものよりやや濃いめだが、アルコール度数は4・0~4・5度でほぼ同じ。
試飲会に参加した宝塚市の主婦杉本紀江(のり・え)さん(53)は「おいしい。コクがあってこうばしく深い味がする」といい、「川本幸民ってどんな人か知りたくなった」と話した。
 試飲会に先立ち、辻さんの講演があり、辻さんは「幸民は清酒の酵母を使ったとみられる。同じ方法でつくった」などと話した。
 6日から三田市の酒販店や伊丹市の白雪ブルワリービレッジ長寿蔵などで販売する。330ミリリットル入りの瓶で630円(税込み)。インターネットでの販売もする。



広島
海から見える鞆の浦 広島県福山市
■船上から 時超えた美

 万葉集にうたわれ、天然の良港として栄えてきた広島県福山市の鞆(とも)の浦。江戸の風情が残る町は山と海に囲まれた箱庭のようだ。海から眺めてみたくなり、船で目指した。江戸時代にタイムスリップしたような錯覚にとらわれた。(中野寛)
 JR尾道駅前の桟橋からクルーズ船に乗り込んだ。潮風を受けながら瀬戸内海を走る。島々と、次々現れる巨大な造船工場群。約40分後、左方に鞆の町並みが見えてきた。坂本龍馬率いる海援隊の使った蒸気船「いろは丸」が紀州藩の船と鞆の浦沖で衝突、沈没したため、龍馬が一時身を寄せた町だ。
 港には、江戸時代の商家や港湾施設が立ち並ぶ。切り出した石を積んでつくられた防波堤「波止」が波を遮り、鞆港内は静寂に包まれている。雁木(がん・ぎ)(階段状の船着き場)に係留された漁船が、小刻みに揺れていた。
 はやる気持ちをじらすように、船は港を通り過ぎて弁天島(百貫島)を一周。右手には江戸期の朝鮮通信使がそこからの眺めを「日東第一形勝」(朝鮮半島より東で一番の景勝地)とたたえた対潮楼が見える。デジカメを構えた観光客が時を越え、瀬戸内海の美しさにうっとりと見とれていた。
 船は常夜灯を左に見ながら鞆港へ入り、桟橋に寄せられた。「いろは丸事件」の際、助けられた紀州藩の船で、龍馬も鞆港に入った。幕末の英雄は、何を思いながら入港したのだろう。
 「海から見る鞆の浦は、本当に美しかった」。東京から母親と2人で旅行に来た鈴木宏さん(52)が、満足げに船を下りていった。親子に続いて船を後にし、夕日を受けてぼんやりとオレンジ色に輝き始めた町を歩いた。どこからか、魚を焼くにおいが漂ってくる。この生活感も、鞆が持つ大きな魅力の一つだ。華々しさはない。だが鞆の浦は、心にじんわりと染みる昔ながらの風情に包まれていた。

    ◇

 クルーズ船は11月21日まで土・日・祝日。鞆から尾道への便もあり、片道1500円。問い合わせは瀬戸内クルージング(0865・62・2856)へ。

◎味わう
 「いろは丸事件」で龍馬が談判した「旧魚屋萬蔵(うお・や・まん・ぞう)宅」をNPOが修復した「御舟宿(おん・ふな・やど)いろは」。自慢メニューの一つが鯛(たい)漬け御膳(ご・ぜん)だ。昆布やみりんなどで漬け込んだ瀬戸内産の鯛をわさびじょうゆでいただくと、ご飯が進む。薄めのダシでお茶漬けにすれば、違った味わいに。考案したシェフの渡辺裕右さん(27)は「よそでは味わえない食べ方です」。午前10時~午後5時。火・水曜定休。電話084・982・1920。

◎お土産
 大正時代のレトロな雰囲気漂う喫茶店「友光軒」では、オリジナルキャンドルがお土産に人気。店長の武田典子さん(64)が市内の野山で採ってきた草花を押し花にし、ロウで押し付けてある。1個315円~約1万円。坂本龍馬などのデザインも。子供の手足形をとってデザインにすることもできる。武田さんは「コーヒーもキャンドルも楽しんで」。午前10時~午後6時。月曜定休。電話084・982・2721。

◎名物
 「長居してもらって構いません」。江戸中期の民家を改装したギャラリー喫茶「櫻や」の店長渡辺直美さん(31)の優しい笑顔に、つい足を止めてしまう旅人は多い。店内の時はゆったり流れ、本を読んだり、昼寝したりしてしまう人も。町内の菓子工房から仕入れる作りたてのタルトやロールケーキを食べながら、渡辺さんとおしゃべりを楽しんではいかが? 午前10時~午後6時。不定休。電話084・982・2110。

◎出会う
  尾道から鞆港までクルーズ船のかじを取る瀬戸内クルージングの航海士芹沢美冴(み・さえ)さん(21)。この春、海上技術を学ぶ静岡県の短大を卒業した新米だ。在学中に色々な海を見たが、瀬戸内海の美しさに魅せられてこの職を選んだ。「海に浮かぶ島々と、それぞれの島を結ぶ橋がきれい」と満面の笑み。潮の流れを読みながら、揺らさないよう船を進める。「操縦していて、お客さんにすごい、と言われるとうれしい」とはにかんだ。

 ■アクセス クルーズ船で鞆港に向かう場合は、JR山陽線の尾道駅から乗降場所まで徒歩3分。クルーズ船の乗船時間は約55分間。陸路では、JR福山駅から路線バスで約30分。




高知
土佐藩士の日記、関心呼ぶ 竜馬一家との交流もつづる
 坂本竜馬一家と交流のあった無名の土佐藩士の日記が専門家の間で静かな注目を集めている。幕末の血なまぐさい政治情勢をよそに日ごろの生活や竜馬の兄との交流が淡々とつづられ、専門家は「世間の激動から一歩距離を置いた中年武士の思いが表れ面白い」と評価している。
 筆者は作家安岡章太郎さんの祖先の土佐藩郷士安岡文助。1800年代中ごろの日常を約30年間、約220ページにわたって書き留め、幕末維新期の祖先を取り上げた安岡さんの小説「流離譚」にも登場する。
 次男嘉助は藩の重職吉田東洋の暗殺犯で、過激な政治活動に打ち込んだ志士。だが、暗殺があった62年は「嘉助 大石団蔵 那須新吾 坂本龍馬 亡命」(4月8日)など3日分しかない。暗殺に触れず、名前の表記や日付が事実と異なる個所もあった。
 県立坂本竜馬記念館の三浦夏樹主任学芸員は「息子の行動にショックを受けたのだろう。書くのがはばかられたのかもしれず、複雑な思いが読み取れる」と話す。
 日記は、緊迫した状況と一見無関係の出来事を多く記した。高知県香南市の安岡家で保管され、一般公開はしていない。


長崎
くんちさるく:参加者、心躍るシャギリの音--市民塾 /長崎
 長崎くんちの愛好家でつくる市民グループ「長崎くんち塾」(楊爾嗣(ようちかし)塾長)がこのほど、「くんちさるく」を開いた。祭り幕開けの神事「小屋入り」の日に参加した30人は奥深い伝統芸能に興味津々の様子だった。
 長崎市のまち歩き観光「長崎さるく」の一環。「くんちさるく」は今年で3年目だが昨年までは10月7~9日の祭り期間中が中心だった。今年は同塾の結成10周年を記念し、初めて小屋入りから9月の公開練習、直前の庭見せまで計12回開催する。
 昨年の踊町(おどりちょう)の一つ、筑後町の総監督だった平浩介さん(46)らが、1863年に始まったくんちの歴史や、キリシタン対策など当時の背景などを説明。踊町が関係団体を回って囃子(はやし)やシャギリを披露する「打ち込み」も見学した。
 参加した元会社員、黒田雄彦さん(64)は「勉強になったし、シャギリの音を聞くと『いよいよだな』と感じる。幕末に坂本龍馬も耳にしていたかも」と話した。【錦織祐一】


ニューヨーク
150年ぶり、NYでサムライお練り 遣米使節団を再現
 【ニューヨーク=田中光】幕末に結ばれた日米修好通商条約の批准書を「遣米使節団」が持参してから150年になるのを記念したパレードが6日、ニューヨークで開かれた。当時を再現した和装、帯刀姿の日米両国関係者がセントラルパークを練り歩き、ニューヨーク市民から歓声が上がった。
 遣米使節団は、江戸を出発した後、途中まで勝海舟や福沢諭吉を乗せた咸臨丸(かんりんまる)の護衛を受けながら、サンフランシスコ、ワシントンなどを訪問。1860年6月、最終訪問地のニューヨークに着き、約50万人の市民が出迎えるなか、目抜き通りを正装で行進したとされる。
 この日のパレードは、ニューヨーク市警楽団がアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌などを演奏しながら先導。日本総領事館や日系企業関係者、ボランティアなど日米の約200人が参加した。
 米軍普天間飛行場の移設問題などこのところぎくしゃくしている日米関係だが、先頭を歩いた西宮伸一総領事は「次の150年の友情の一歩としたい」と話した。





 これは嬉しいニュースです。

大沢&綾瀬「JIN」でラブラブ再共演
 俳優・大沢たかお(42)が主演して大ヒット作となったTBS・MBS系ドラマ「JIN‐仁‐」の続編が制作されることが7日、分かった。来年4月から連続ドラマとして、日曜午後9時枠で放送される。大沢は、ヒロイン役の綾瀬はるか(25)と熱愛報道があったばかり。作中では切ない間柄の登場人物を演じる2人だが、ストーリー展開と併せて、プライベートの恋模様も注目される。

  ◇  ◇

 “『JIN』がつないだ仲”で話題の2人が続編に挑むことになった。ドラマ「JIN‐仁‐」は、現代社会に生きる脳外科医・南方仁(大沢)が幕末の江戸へとタイムスリップして、歴史に影響を与えるSF時代劇。昨年10~12月に連ドラで放送され、最終回では2009年の民放連ドラ最高視聴率となる25・3%を記録した。
 大沢は、ヒロインで看護師の橘咲を演じる綾瀬と、プライベートで“通い愛”を報じられたばかり。双方の所属事務所は熱愛を否定したが、大沢は「(共演陣は)みんな仲がいいんで、(前作終了後も)電話で話したりしてました。『結局のところ、続編はないんですかね』みたいな感じで」とキャスト同士の深いキズナを打ち明けた。
 続編には、西郷隆盛、徳川慶喜といった歴史的人物が新たに登場。前作では、仁と咲の切ない恋の行方や、仁が親友となった坂本龍馬(内野聖陽)の暗殺を食い止められるかなど、いくつかのナゾが残された。連ドラ第2弾はすべてが解決する完結編になり、映画化の可能性はないという。
 期待の高い続編に挑む大沢は、「俳優史上でもっとも大きな決断でした。次に普通のモノをやったらこづかれるし、ちょっといいモノをやっても『そんなモノか』と言われますから」と胸中を吐露。「大きな作品を汚してはいけない。『1』の頑張りではダメだし、『1』の新鮮さはもうないので、それを超える何かがないと」と並々ならぬ覚悟で来年2月のクランクインに備えている。


大沢「JIN」が帰ってくる!! 大反響TBSドラマ続編決定!!
 昨年大反響を呼んだTBS系の連続ドラマ「JIN-仁-」の“続編”が来年4月から放送されることが7日、分かった。主演の俳優大沢たかお(42)、女優の綾瀬はるか(25)ら前作の主要キャストに加え、新たな実力派俳優陣も登場。一段とスケールアップした物語が、いよいよ最終章を迎える。
 幕末の江戸にタイムスリップした脳外科医・南方仁の生きざまを描いた「JIN-仁-」は、最終回の平均視聴率が25・3%と昨年度連続ドラマの最高視聴率を記録。SFや歴史、医療、恋愛などの要素を巧みに盛り込んだヒューマンストーリーは、ギャラクシー賞や橋田賞など国内外“23冠”に上る栄誉も獲得した。
 8年ぶりのドラマ出演となった大沢も「俳優人生の大きなターニングポイントになった作品」と振り返る。「仁はどんな逆境でも自分にあるものを信じて前に進もうとする。こんなに孤独でも一生懸命生きようとする。自分もそうでありたい」と魅力を語る。
 続編の見どころについて同局の石丸彰彦プロデューサーは「歴史と仁との戦いがテーマ。前作は江戸の人々の笑いがあふれていたが、今回は大政奉還という大きな波が近づき、時代の終息感が漂ってくる」と話す。
 前作では仁と友情を深めていく坂本龍馬の運命や、仁のタイムスリップなど数々の謎を解き明かさないまま終了したため、同局には問い合わせが殺到。原作の漫画は今も連載が続いているため、続編の行方が注目されていた。
 続編では西郷隆盛や徳川慶喜などの新たなキーマンも登場し、すべての謎に答える“完結編”となる予定だ。「ROOKIES」など数々のヒット作を手がけ“歴史オタク”を自称する石丸プロデューサーは「スケール大きく描きたい。作品としては自信あります」と言い切る。
 綾瀬は「続編はあるのかとすごく聞かれて、多くの方々に支えられていたことを実感しました。お応えできることがとてもうれしい」とコメント。来年2月からクランクインする予定だ。

 ◆ドラマ「JIN-仁-」 村上もとかの漫画が原作の歴史SFストーリー。現代から幕末の江戸にタイムスリップしてしまった脳外科医・南方仁(大沢たかお)が、満足な医療器具もない中で自らの知識や技術を駆使して人々の命を救っていく。幕末の英雄・坂本龍馬(内野聖陽)らと交流と深めていく仁は人の運命を変えてしまうことに悩みつつ、幕末の動乱へと巻き込まれていく。仁を支える武家の娘・橘咲(綾瀬はるか)や、仁の恋人・友永未来にそっくりの花魁(おいらん)野風(中谷美紀)との恋模様も見どころ。2009年10月11日から12月20日にかけて11回にわたり放送された。


「JIN―仁―」続編で完結!来春放送へ
 昨年の民放ドラマ最高視聴率25・3%を記録したTBS「JIN―仁―」の続編が、来年4月から放送される。
 前回と同じ「日曜劇場」(日曜後9・00)枠。幕末の江戸へタイムスリップした大沢たかお(42)演じる脳外科医が人々の命を救い、歴史の渦に巻き込まれていく物語。綾瀬はるか(25)、中谷美紀(34)、内野聖陽(41)ら出演陣は変わらず、大政奉還へ向かう江戸を描く。大沢は「続編はハードルが高く悩んだが、プロットを読んで感動した。僕の俳優史上で最も大きな決断だったが、トライしてみたいと思った」と話した。石丸彰彦プロデューサーによると、この続編で完結する。
 大沢と綾瀬は交際が取りざたされている最中。ドラマでも2人の淡い恋は描かれており、こちらの展開も注目だ。


綾瀬はるか、続編決定「とてもうれしい」
 TBS系で昨秋放送され高視聴率を獲得した連続ドラマ「JIN-仁-」の続編が、来年4月期の連ドラ(日曜後9・0)として制作されることが7日、分かった。主演の大沢たかお(42)は、続編決定に「絶対に楽しんでもらえるという確信がある。自分の俳優史上で最も大きな決断」と並々ならぬ決意を示した。前作に続いて共演する女優、綾瀬はるか(25)とは先ごろ、写真誌に熱愛を報じられたばかり。双方否定はしたが、再共演に注目が集まりそうだ。
 綾瀬は「『続編はあるのか』とすごく聞かれて、多くの人に支えられていたことを実感しました。お応えできることがとてもうれしい」と続編決定を喜ぶ。咲役について、「優しくて強い女性で、あこがれるところがあります。一生懸命演じたい」と誓った。
 仁の現代の恋人・未来と江戸吉原の花魁・野風の2役を演じた中谷は「野風と未来を大切に演じたい」。坂本龍馬役の内野も「『JIN』の世界と龍馬にまたじっくり向き合えるのを楽しみにしています」とそれぞれ意欲満々だ。


09年度の連ドラNo1視聴率を記録した
『JIN-仁-』の続編が決定!
11年4月期連続ドラマで完結を迎える!
さらに!ギャラクシー賞、橋田賞をはじめ数々の賞を受賞!
海外の賞もあわせ、その数何と23冠!

TBSで2009年10月クールに放送された日曜劇場『JIN-仁-』の続編がこの度決定した。2011年4月期の日曜劇場枠で連続ドラマとして放送され、物語も完結する。

日曜劇場『JIN-仁-』は、現代の脳外科医・南方仁(大沢たかお)が、ある事件がきっかけで江戸時代にタイムスリップしてしまい、満足な医療器具もない中で幕末の人々の命を救い、その医術を通して幕末の英雄である坂本龍馬(内野聖陽)らと交流を深めながら、公私に渡り支えとなる橘咲(綾瀬はるか)や吉原の花魁・野風(中谷美紀)らと共に、自らも幕末の動乱に巻き込まれていく壮大なヒューマンストーリー。現代に生きる私たちが忘れかけている「生きる」という意味を視聴者に問いかけ、いつの時代でも懸命に生きる事の大切さ、人が人を想う気持ちの美しさ、そして人の笑顔の輝きを伝えた。

昨年のドラマでは初回の放送から大きな反響を得て、第5話では、同クールの連ドラ初の20%越えを果たし、最終回は平均視聴率25.3%を記録、09年度連続ドラマの最高視聴率を獲得した。(瞬間最高視聴率は29.8%!)
最終回では、CHILD・TEEN・F1・F2・F3・M1・M2でTOPを獲得し、まさに世代を超え支持されたドラマとなった。(ビデオリサーチ調べ・関東地区)

また放送終了後から現在までに『JIN-仁-』は様々な賞を受賞。作品やスタッフ、キャストが受賞した賞は、ギャラクシー賞、橋田賞など日本を代表する賞から海外の賞まで、現段階で何と23冠!近々では、まもなくグランプリの発表となるモンテカルロ賞にもノミネートされている。

そして、視聴者から続編を希望する声も数多く寄せられ、様々な情報も飛び交うなか、連続ドラマでの続編・完結が決定した。
キャストは主演の大沢たかおをはじめ、前回の共演者が集結。綾瀬はるか・小出恵介・桐谷健太・小日向文世・中谷美紀・内野聖陽らと共に最終回のその後が描かれる。

仁の頭の痛みは何だったのか――
仁はタイムスリップして再び現代に戻るのか、それとも江戸で生きるのか――
咲の想いは届くのか――
吉原を離れた野風のその後は――
現代の未来は果たして――
そして刻々と近づく坂本龍馬暗殺という史実――

また、完結となる続編では、坂本龍馬・勝海舟に加え、西郷隆盛・徳川慶喜・皇女和宮など、新たに歴史上の人物も登場。仁が歴史の史実とどう対峙していくかも注目だ。

果たして仁は坂本龍馬を救うことができるのか!?
神が与えた試練でもある「歴史の修正力への挑戦」となり、全ての謎も解き明かされる。
今を生きる私たちが、その祖先が、魂が、どこかで出会い繋がっていたかもしれない、そんな江戸の町―
2011年4月、あの江戸が、帰ってくる。
そこにはこの世で一番美しい夕陽と奇跡が待っている――


<大沢たかお>
『JIN-仁-』続編への挑戦は、僕の俳優史上で最も大きな決断です。
続編の制作というのは、本当に勇気がいることです。ですが、続編で描こうとしているストーリーを読んだとき、前回出演を決めた際のときめきと同様、もしくはそれ以上のときめきを感じて「これは逃げられないな」と思いました。続編を制作することによって、より前作がきらめいて、これまでご覧になっていらっしゃらなかった方たちにも「最初から見てみたい」と思っていただけるぐらい楽しんでもらえるような作品になることを確信しています。

<綾瀬はるか>
前作を見て頂いてた方々から続編はあるのかとすごく聞かれて、多くの方々に支えられていたことを実感しましたし、お応えできることがとてもうれしいです。
咲は優しくて強い女性で憧れるところがあります。一生懸命演じたいと思います。

<中谷美紀>
仁先生や龍馬さんのその後を気にかけてくださっている皆様に楽しんで いただけるよう、野風と未来を大切に演じたいと思います。

<内野聖陽>
あの『JIN-仁-』の世界と坂本龍馬にまたじっくり向き合えるのを楽しみにしています。

<プロデューサー・石丸彰彦>
『JIN-仁-』の続編制作が決定しましたので、ここにご報告をさせて頂きます。キャスト・スタッフとも前作と同様のまま、「完結編」として連続ドラマを制作することになりました。放送は来年4月クールの日曜劇場です。多くの方に支えられて最終回を迎えた『JIN-仁-』ですが、放送が終わってからもたくさんのご声援をいただき、今回の続編へとつなげる事ができました。完結編のテーマは、「歴史の修正力への挑戦」です。キャスト・スタッフ一同、さらなる想い、さらなる情熱を作品に捧げ、『JIN-仁-』という作品の持つ世界を全うしたいと思っています。


◆JIN-仁- 賞リスト◆
■第4回ギャラクシー賞マイベストTV賞グランプリ 「JIN-仁-」
■第47回ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞 「JIN-仁-」
■ギャラクシー賞2009年12月度月間賞 「JIN-仁-」
■放送人グランプリ2010特別賞 「JIN-仁-」
■放送文化基金テレビドラマ番組賞 「JIN-仁-」
■第18回橋田賞 「JIN-仁-」
■第18回橋田賞 「大沢たかお」
■第18回橋田賞 新人賞 「綾瀬はるか」
■第13回日刊スポーツドラマグランプリ助演男優賞 「内野聖陽」
■日経エンタテインメント!ヒットメーカー・オブ・ザ・イヤー2010 「石丸彰彦」
■ハリウッド・レポーター誌'10年『アジアの次世代(NEXT GENERATION ASIA)「石丸彰彦」
■月刊TVnavi ドラマ・オブ・ザ・イヤー2009 大賞 「JIN-仁-」
■月刊TVnavi ドラマ・オブ・ザ・イヤー2009 最優秀作品賞 「JIN-仁-」
■月刊TVnavi ドラマ・オブ・ザ・イヤー2009 最優秀主演男優「大沢たかお」
■月刊TVnavi ドラマ・オブ・ザ・イヤー2009 最優秀助演男優賞「内野聖陽」
■月刊TVnavi ドラマ・オブ・ザ・イヤー2009 最優秀助演女優賞「綾瀬はるか」
■第63回 ザテレビジョンドラマアカデミー賞 最優秀作品賞 「JIN-仁-」
■第63回 ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演男優賞 「大沢たかお」
■第63回 ザテレビジョンドラマアカデミー賞 助演男優賞 「内野聖陽」
■第63回 ザテレビジョンドラマアカデミー賞 助演女優賞 「綾瀬はるか」
■第63回 ザテレビジョンドラマアカデミー賞 監督賞 「平川雄一朗ほか」
■第63回 ザテレビジョンドラマアカデミー賞 脚本賞 「森下佳子」
■第63回 ザテレビジョンドラマアカデミー賞 ドラマソング賞「逢いたくていま」MISIA
現在計23冠!!!

<途中経過のもの>
■モンテカルロ賞ノミネート
・優秀国際演出賞 「石丸彰彦」
・優秀男優賞 「大沢たかお」「内野聖陽」
・優秀女優賞 「中谷美紀」「綾瀬はるか」
■エミー賞出品、最終結果は本年11月22日発表
■ソウルドラマ賞出品、6月22日発表


TVドラマ「JIN-仁-」完結編となる続編の制作が決定
 村上もとか原作のTVドラマ「JIN-仁-」の続編が、2011年4月期に連続ドラマとして放送されることが決定。キャストやスタッフは前作と同じで、この続編をもって完結となる。
 「JIN-仁-」はスーパージャンプ(集英社)にて連載中。現代から幕末の日本にタイムスリップした脳外科医・南方仁が、現代の医療技術を駆使して江戸の人々を救う医療マンガだ。TVドラマは2009年10月より放送され、ギャラクシー賞など多くの賞を獲得した。


「JIN」続編決定!熱愛、大沢&綾瀬再び共演
 俳優・大沢たかお(42)が主演、ギャラクシー賞など23冠に輝いたTBS系ドラマ「JIN―仁―」の続編が来年4月から放送(日曜・後9時)されることが7日、分かった。幕末にタイムスリップした脳外科医の物語で、大沢との熱愛が写真誌で報じられた綾瀬はるか(25)や、中谷美紀(34)、内野聖陽(41)ら前作の俳優陣がそのまま出演。今回が完結編となり、仁のタイムスリップの謎、綾瀬演じる橘咲との切ない恋の結末も描かれる。

 珠玉の歴史ミステリーが連ドラに戻ってくる。「JIN―仁―」は2009年10月期に「スーパージャンプ」に連載の人気コミックをドラマ化。江戸時代にタイムスリップした現代の脳外科医・南方仁(大沢)の活躍を描き、最終回は09年度連続ドラマトップの平均視聴率25・3%を記録。ギャラクシー賞、橋田賞など、海外を含めた各テレビ賞で計23冠を獲得した大ヒット作だ。

 前回は数々の謎が明かされず、続編を期待させるエンディングだったが、TBSの石丸彰彦プロデューサーは「もともと続編や映画化は一切、考えていなかった」と言う。放送後に視聴者から続編希望の声が殺到して決定した。

 現在、原作は連載中だが、ドラマは次作で完結する。仁のタイムスリップや、突然、襲われる頭痛の理由も描かれる。また、大政奉還や坂本龍馬(内野)暗殺を軸に急速に展開し、プライベートで大沢との熱愛が報じられた綾瀬演じる咲と仁の恋も「一層、切なくなる」(制作側)と見どころになりそうだ。

 大沢にとって同作は約8年ぶりの連ドラ。台本を読んで出演を決意したそうだが、結果的には大成功を収め「撮影は緊迫感が全員にあって、丁寧に撮った。成功、失敗しようが、僕にとって愛すべき作品です」と思い入れは深い。

 その分、続編への登板は「僕の俳優人生で最も大きな決断」と悩んだ。決め手は全体の構成という。「前以上のトキメキがあった。同じなら新鮮な『1』の方がいい。作品は子供。『長男』も『次男』も輝かせたい」と意気込む。クランクインは来年2月。「集中していくことが大事。みんなに生きる勇気を与えられる作品になれば」と誓った。

 ◆西郷隆盛、徳川慶喜らも登場 続編では新たに歴史上の主要人物が続々、登場する。西郷隆盛、徳川慶喜、皇女和宮らが仁と深くかかわり合い、物語のキーマンになっていくそうだ。現在、キャスティングが進行中で、石丸プロデューサーは「仁の世界観に合う、実力派の俳優を考えている」と説明。

 ◆中谷美紀らも気合十分 大沢以外の“仁ファミリー”も続編の決定を受け、気合十分だ。綾瀬は「前作を見ていただいた方々から『続編はあるのか』とすごく聞かれて、多くの方々に支えられていたことを実感しましたし、お応えできることがとてもうれしいです」とコメント。江戸時代では吉原の花魁(おいらん)野風、現代で仁の婚約者・未来の2役を演じる中谷も「仁先生や龍馬さんのその後を気にかけてくださっている皆さまに楽しんでいただけるよう、野風と未来を大切に演じたいと思います」。


 大沢さん・綾瀬さん・内野さん・中谷さんに続くキャスティングも楽しみです! 



 昨日は横浜にぎわい座で「志の輔noにぎわい」昼席に行ってきました。今日もにぎわい座。談春独演会「宿屋の富」他一席を楽しみにしています。


福島
「天守閣再現事業」の寄付で 若松城に記名の赤瓦
 若松城(鶴ケ城)の黒瓦を幕末当時の赤瓦にふき替える「往時の天守閣再現事業」に取り組んでいる福島県会津若松市は、赤瓦に自分の名前を記入できる寄付金を募っている。天守閣や走長屋(はしりながや)鉄門(くろがねもん)の瓦のふき替えなど総事業費約5億円の財源の一部となる。
 赤瓦が納入されるのは7月中旬になるため、それまでに寄付した人は芳名帳に名を記し、市職員が代理で瓦に記入する。7月中旬から11月末までは本人が直接、瓦に記入できるようにする。
 寄付は誰でも可能で、若松城の本丸に受付所を設けて日、月、水、金曜日の午前10時~午後3時に対応する。1枚2000円で、個人はもちろん家族、団体など5人までの名を一緒に瓦に記入できる。連絡先は市観光課0242(39)1251。


栃木
「よみがえれ!宇都宮城 市民の会」大岡幸雄さん /栃木
◇市民の心の古里守る--「よみがえれ!宇都宮城 市民の会」の事務局長・大岡幸雄さん(61)=宇都宮市中央
 宇都宮城址(じょうし)公園で毎年開かれる「宇都宮城址まつり」を主催する市民団体「よみがえれ!宇都宮城市民の会」の事務局長。今年で3回目を迎える祭りは、毎年200~300人が参加する大型イベントに成長した。参加者は侍やお姫さまの衣装など江戸時代の衣装を身につけ、市街地を練り歩く。今年は10月24日の予定。
 市は07年3月、戊辰戦争や戦後の高度成長期の開発工事などで姿を消した宇都宮城跡に宇都宮城址公園を整備。その際、同会は総工費約32億円のうち、約7000万円を募金で集めた。現在、事務局長として同公園のPRイベントの開催に携わる。
 城址公園では城址まつりの他、桜まつり、七夕飾りなど季節に合わせたイベントが開催されている。芝生が広がるスペースは市民の憩いの場にもなっている。大岡さんは「(宇都宮城は)市民の心のよりどころ。古里として大切にしてほしい」と話している。【中村藍】




神奈川
将軍の生活描いた浮世絵展、川崎で7日から
 江戸時代の徳川家の将軍の生活や、江戸城の年中行事を描いた浮世絵を紹介する「千代田之御表」展が7日から、川崎市川崎区の川崎・砂子の里資料館で開かれる。
 浮世絵は幕末の武士で、戊辰戦争に参戦した後に絵師になった楊洲(ようしゅう)周延(ちかのぶ)が1897年に描いたもので、将軍が剣術試合を観覧する「武術上覧」など33点を展示する。
 奉行が事件を選んで将軍の前で裁いて見せた「公事上聴」を描いた浮世絵では、罪人として町奉行の前に引き出された遊女が華やかに着飾っており、将軍に見せる特別な裁判だったことがうかがえる。
 斎藤文夫館長(81)は、「当時は江戸時代を覚えている人もたくさんいた。人々のノスタルジーをかき立てた徳川三百年の伝統をぜひ見に来てほしい」と話している。26日まで。日曜休館。入館無料。
 問い合わせは同資料館(044・222・0310)へ。
(2010年6月6日23時20分 読売新聞)


企画展:日本サッカー発展に貢献した英国人・ヘーグしのぶ--横浜で /神奈川
◇名前刻むプレートなど草創期探る資料展示--W杯代表応援し8日から
 横浜で日本サッカーの発展に貢献した英国人ウィリアム・ヘーグ、日本サッカーミュージアム提供=をしのびながら、ワールドカップ(W杯)で日本代表を応援しようと、横浜開港資料館(横浜市中区)は8日から、企画展「横浜サッカー事始めとW・ヘーグ」を開く。日本で初めてサッカーがプレーされたのが横浜だったことを紹介し、W杯に出場する横浜F・マリノスの中村俊輔選手のスパイクも展示する。【木村健二】
 日本サッカー協会によると、ヘーグは1913年に来日して英国大使館に勤め、1920年から横浜副領事となった。大使館チームでプレーする傍ら、全国大会の優勝チームに与えるイングランドサッカー協会杯の寄贈を提案。銀杯の寄贈が実現したのをきっかけに、1921年に大日本蹴球協会(現日本サッカー協会)が創立され、全国優勝競技会(現天皇杯全日本選手権)が開かれた。
 ヘーグは1923年9月、総領事館で執務中に関東大震災に見舞われ、32歳の若さで死去し、横浜外国人墓地に眠る。08年には日本サッカー協会が、功労者をたたえる「日本サッカー殿堂」にヘーグを加えた。横浜開港資料館の旧館は再建された英国総領事館で、ヘーグを含む犠牲者4人の名前を刻んだ記念プレートが現存する。
 企画展は、記念プレートを中心に横浜と草創期の日本サッカーの関係を探る資料を展示する。幕末の1866年1月の英字紙は、外国人居留地で日本初となる横浜フットボール・クラブの設立発起会が開かれたことを報じる記事が掲載されており、パネル展示で紹介。サッカーはクリケットと並ぶ居留外国人の余暇として盛んで、明治から大正時代にかけた写真資料も目にすることができる。
 折しも日本代表はW杯を控えた強化試合でイングランドに敗れたばかりで、資料館の伊藤泉美・主任調査研究員は「日本は当時も今もイングランドから学び続けている。W杯をきっかけに横浜とサッカーの深いかかわりを見つめ直してほしい」と話している。
 企画展は30日まで。展示場所は旧館記念ホールで、入場無料、月曜休館。問い合わせは資料館(045・201・2100)。


坂本竜馬の生き方を学ぼうと、講演会/相模原
 「さがみ龍馬先生顕彰会」の発足記念講演会が5日、相模原市中央区中央の市立産業会館で開かれた。幕末の志士、坂本竜馬の生き方を学ぼうと、約200人が参加した。
 同会会長を務める溝渕誠之相模原市議があいさつし、「竜馬のような精神を持って、一人一人が今の時代を頑張ってほしい」などと話した。
 同会顧問で前大和市長の土屋侯保大正大学招聘(しょうへい)教授は記念講演で、現在の貿易商社にあたる「亀山社中」を結成するなど、時代の最先端を行っていた業績から、人気の背景を解説した。竜馬の目指した平和革命にも触れ、「徹底抗戦を主張した勢力を抑え、無血で大政奉還を実現しようとした政治力のある人だった」などと説明。「三十数年と短い人生ながら、竜馬の先見性や実行力はすごいものがある」とたたえた。
 来場者の有志も登壇し、「財政状況の悪化など、日本の将来が案じられる中、竜馬のような政治家を待つだけでなく、みんなが竜馬のようになる必要がある」など、それぞれ熱い思いを語った。

 同会は4月、相模原市内の大学学長や経営者、作家らの有志が、竜馬の思想を学ぼうと結成した。



兵庫
「うまい!」幕末ビール復刻版、試飲会で好評
 兵庫県三田市出身で「日本の化学の祖」と称される蘭(らん)学者・川本幸民(1810~71)によって、1853年に日本で初めて醸造されたビールの復刻版の試飲会が5日、市まちづくり協働センター(駅前町)の多目的ホールで開かれ、招待客約160人が〈黒船来航〉の時代に思いをはせながら、香り高いビールを味わった。
 幸民はペリー提督の黒船来航と同じ年に、西洋の化学書を参考にしてビールを醸造。市は幸民の生誕200年記念事業の一環で、地ビールの醸造に明るい酒造会社「小西酒造」(兵庫県伊丹市)に、当時に近いやり方で再現するよう依頼した。
 この日、「幕末のビール復刻版 幸民麦酒(ばくしゅ)」の試飲に先立ち、醸造を担当した同酒造の地ビール主任技師・辻巌さん(52)が「幸民ビールの秘密を探る」と題して講演した。
 辻さんは、幸民が黒船で味わったビールに関心を寄せ、日本酒の酵母を使うなどしてビールを醸造したことや、桂小五郎や緒方洪庵らと試飲したことを紹介。一足早く「幸民麦酒」を味わった幸民のひ孫の川本裕司さん(83)や妻、みち子さん(76)(東京都練馬区)らから「おいしい」と〈合格点〉をもらったことを報告した。
 続いて招待客が試飲を始めると、次々と「うまい」「おいしい」と声が上がった。兵庫県宝塚市月見山、主婦杉本紀江さん(53)と同県西宮市名塩南台、主婦田中曜子さん(60)は「味が濃いのに、のど越しはすっきり」「三田の周辺でしか売っていないのが残念」、同酒造の小西新太郎社長(58)は「このビールと三田の名前が全国に広まってほしい」と話し、竹内英昭市長は「三田の売りが、またひとつ誕生した」と胸を張った。
 「幸民麦酒」は、一般向け330ミリ・リットル瓶が予定価格630円。JA兵庫六甲運営の農産物直売所「パスカルさんだ」(川除)など市内14か所のほか、神戸市北区の3店舗や西宮市北六甲台の酒店で、8日から発売される。
 問い合わせは三田市生涯学習課(079・559・5145)。


佐賀
世界遺産に期待 三重津海軍所跡で公開説明会
 世界遺産登録を目指す「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産候補として佐賀市が調査を進める三重津海軍所跡で6日、現地説明会があった。新たに確認された階段状のドック木製護岸や建造時期特定に結び付く幕末期の焼き物を公開。3回の見学会に約140人が訪れた。
 佐賀市教委の中野充・文化振興課主査が、ドックの護岸構造解明のため調査したことを説明。木製護岸は丸太や板材を複雑に組み合わせ、砂と粘土を交互に積み重ねた造成土が盛られた階段状の構造で、3段目まで確認されたとし、「江戸時代以来の伝統的技術を用いて、軟弱地盤に対応した頑丈な造り」と解説した。
 また、1850~60年に海軍所の備品として特注されたと考えられる磁器や、船の部品加工の際に出たとみられる鉄くずが展示された。
 時尾久美子さん(59)=佐賀市嘉瀬町=は「幕末期にいろんな文化を吸収し、最先端の技術力を有した佐賀を誇りに思う。世界遺産に登録され、佐賀の優れた技術を世界に発信できれば」と期待を寄せていた。

【写真】配布された資料を見ながら階段状の木製護岸などを見学する参加者=佐賀市川副町の佐野常民記念公園


ブックレビュー
今週の本棚・本と人:『幕末維新に学ぶ現在』 著者・山内昌之さん
(中央公論新社・1890円)

◇今が失った向上心や克己心
 代表的イスラム史研究者が、幕末・明治維新期に活躍した43人の生涯を1人あたり4ページで描いた。吉田松陰を14世紀アラブの歴史家イブン・ハルドゥーンに、坂本龍馬を19世紀ロシアのナロードニキ運動活動家になぞらえるあたり、著者らしい。「維新史は元々、趣味としても好きな分野です。また、日本の学者としてどんな視点でイスラム史や世界史を研究すべきか常に自問してきましたから、その意味でも関心がありました」
 取り上げたのは著名人ばかりではない。特にひかれるのは「当時目立たなくとも、後世から見て重要な人たち」。たとえば幕府の官僚だった小栗忠順(ただまさ)。中央銀行や鉄道建設などを構想したが、新政府軍に処刑された。小栗のつくった横須賀造船所は維新後、海軍の基礎になり、東郷平八郎は日本海海戦の勝利を小栗のおかげと感謝した。「徳川幕府が自己変革できたら、小栗は初の首相になったでしょう。革命期には、象徴的人物がつまらない理由で殺される。どこかで血が流れないと新しい時代は来ないという悲劇があります」
 昨年、明治維新を引き合いに政権交代が語られた。本書も題名通り、今の政治を踏まえる。
 「当時と今を比べると、平和と繁栄の代償を痛感します。現代人には向上心や克己心、競争心が乏しい。幕末、明治期にはそれがなければ国が滅ぶとの危機意識があった。しかも当時の人は、准国家である藩同士の関係で外交経験を積めた。だからこそ、世界についての知識が今よりはるかに少なくとも、危機に対応できた」。彼らの外交や戦争での胆力は、武士の教育とも無関係ではない。「武士は常に責任や死の意味を考えていました。今の政治家にこの胆力を期待しても……」
 本書の元になった産経新聞での連載は今も続く。「ネタが尽きるまでやれと言われています(笑い)。著名人物に限っても、西郷隆盛や高杉晋作、勝海舟に木戸孝允、陸奥宗光も、まだ書いていませんから」<文・鈴木英生/写真・岩下幸一郎>


 今日は雨が降るという予報でしたが、私が行動した範囲は降られませんでした……折り畳み傘を持って出かけたせいでしょうか。雨女なのに、折り畳み傘を持って外出すると降られにくい、というジンクスをまた重ねました(苦笑)。

北海道
十勝川温泉「三余庵」がサービス優秀賞
 音更町十勝川温泉・第一ホテル(林文昭社長)の別館「三余庵(さんよあん)」(11室)が、JTBの2009年度「サービス優秀旅館ホテル」(北海道地区・小規模施設)に輝いた。三余庵は06年度の最優秀賞を獲得しており、過去2年間の選考対象外期間が明けて、連続の受賞となった。全国の利用者から「北海道一のサービス」と認められた。
 3日午後、鹿児島県の城山観光ホテルで表彰式が行われ、同県の伊藤祐一郎知事ら500人が出席する中、林社長に感謝状が贈呈された。
 三余庵は04年、管内では初のデザイナーズ旅館としてオープン。十勝開拓の祖、依田勉三が師事した幕末の漢学者、土屋三余の名前から取った。全室に温泉風呂を配置、十勝・北海道の食材を使った料理を追求するなど、「五感へのもてなし」をテーマにサービスを提供している。
(以下略)


秋田
大仙市 戊辰戦争の縁で口蹄疫被害の宮崎に義援金
 大仙市は、市民から義援金を募り、宮崎県で感染が拡大した家畜伝染病「口蹄疫(こうていえき)」の被害に遭っている宮崎市佐土原町に送ることにした。戊辰戦争(1868~69年)が縁で、大仙市の協和地区(旧協和町)と佐土原町は18年前から、住民同士の交流が続いており、「支援したい」と決めた。
 戊辰戦争当初、旧幕府側だった久保田藩(秋田藩)が新政府側に回り、周囲から攻撃を受けたため、九州の佐賀藩や佐土原藩などから援軍が駆け付けた。協和での戦いは激しく、佐土原藩士が何人も命を落としている。
 市では、毎年交流を続ける協和の市民交流団体「さどわら会」や、市職員にも協力を呼び掛けることにしている。募金受け付けは6月7日~7月30日。市役所本庁と総合支所のほか、公共施設8か所に募金箱を設置する。問い合わせは同市協和総合支所(018・892・2111)。


岩手
全国番付に稲子沢長者
前頭6枚目に堂々掲載
江戸期の番付集成千葉周作やカツオ節産地も

 音に聞こえた気仙郡猪川村(現大船渡市猪川町)の稲子沢長者が、本当に全国にもその名を轟かせていた。柏書房から昨秋出版された『決定版番付集成』には、文化14年(1817)作成の長者の項目に「奥州 稲子沢利兵衛」の名が、堂々と西前頭6枚目に位置づけられている。同集成には、剣豪千葉周作や気仙沿岸のカツオ節産地もランクインしており、興味深い内容となっている。
 相撲番付や芝居番付の形式をまねて作られた「見立番付」。江戸後期から明治中期にかけ、名所や温泉などをランク付けして楽しもうと作成されたが、同集成(青木美智男編)は江戸時代の見立番付の中から全国版、江戸版、大坂版、地域版に分けて計150点を収録している。
 本来の手書き字を右側に、現代人にも読みやすい翻刻を左側に配置して対照できるよう工夫。B3判332ページ、本体価格2万円の大冊で、そのトップを飾るのが「資料編全国版」の長者だ。
 文化14年に木村屋繁蔵という人物が版元となって作成し、「三ケ津分限帳(ぶげんちょう)・諸国大福帳」の副題がある。番付の東方に京都、大坂、堺の三ケ津と江戸の長者が、西方にはその四都を除く全国各地の分限者(長者)が列挙されている。
 東の大関は江戸の三井八郎衛門。呉服の「越後屋」を経営した伊勢商人の代表で、両替商として幕府や諸藩にも出入り。江戸の土地持ちとしても君臨していた人物。
 西方を見ると大関、関脇、小結の三役を筆頭に、諸国を代表する長者130人の名がズラリと並ぶ。その前頭6枚目に「奥州 稲子沢利兵衛」の名がある。横綱がない時代だけに、大関から数えて9番目。まさに〝ベスト10〟に稲子沢長者の名があることは、改めて同長者の伝説が全国レベルだったことを証明している。
 稲子沢氏の遠祖は日向の国(宮崎県)から日頃市村に移り住んだ荻野長門。その5代孫に与次衛門重恒がおり、元禄4年(1691)に猪川村稲子沢の地に独立して稲子沢鈴木氏の初代となった。
 以来、稲子沢氏は農業や金融資産などで巨富を形成していくが、番付に掲載された利兵衛は3代目の与兵衛荒栄。与兵衛は、宝暦元年(1751)に改名して「利兵衛」を名乗っている。
 経営が軌道に乗り、藩に多額の献金をしたり田茂山村(現盛町)洞雲寺の山門を寄進したりで、その豪勢ぶりが仙台藩内にあまねく知れ渡った。明和4年(1767)には、藩から「苗字永代」の許可を得、正式に鈴木利兵衛の名乗りが認められた人物でもある。
 実際に、長者番付が江戸で作成された時期の当主は7代目の与次衛門孝治。「稲子沢鈴木氏の中興」とされる人物だが、歴代当主が誠実で「積善の家」とも評されていた。
 幕府御用の川普請や江戸藩邸の焼失、参勤交代費用など、藩財政が厳しくなると冥加金(みょうがきん)を献納。度重なる飢饉でも義援活動に尽くし、寺社の文物や藩への献物では京の仏師や九州の刀鍛冶を依頼するなどしたことから、稲子沢長者の名が全国に知れ渡ったようだ。
 『番付集成』の武術家の項目にはまた、伊東一刀斎や宮本武蔵らの番付とは別枠に「剣道三功労」が記され、そこに「出玉ケ池 千葉周作」の名がある。周作は今泉村(現陸前高田市気仙町)出身の剣士で、江戸に北辰一刀流の玄武館を開設。幕末維新の志士たちにも大きな影響を与えた。
 また、「かつほぶし位評判」の項目には、全国のカツオ節産地がランク付けされている。その東前頭の49枚目以下に、「仙タイ」領内のヒロタ、気せん、小友、細浦、大渡戸、越木来、綾里、唐丹といった旧気仙郡の浜の名が並んでいる。
 気仙沿岸はかつてイワシ網漁が盛んだったことから、カツオ船がそれをエサとして買い付けに入港することが多く、全国のカツオ節産地に名を連ねた。
 大船渡町の郷土史家・平山憲治氏は「稲子沢長者の名が広く世間に知られていたことは周知の事実だが、全国番付にも載っていたとは初耳。気仙沿岸のカツオ節産地に『気せん』の名があることは今泉と長部両村が合併した明治以降の記録でないか。カツオ節の技術はよそから学んだものだが、最盛期には本場の焼津に出稼ぎして逆に指導するほどの技術まであった」と話している。


東京
【フード/トラベル】ご当地検定ブーム 懐の深い東京の素顔 尽きぬ好奇心
 ご当地検定のブームを担う東京に、さらに新顔が加わった。懐の深い街の素顔が好奇心旺盛な人々を刺激する。
 「駅舎の設計者は?」「大正期に日本で初めて導入された物は?」。JR東日本のサイト「東京ステーションシティ倶楽部」に今春登場した「東京駅検定」は東京駅や周辺に関する豆知識を10問にまとめ、正解数に応じ1~3級に認定、問題は順次更新する。「雑学を通じ東京駅の新たな魅力を見つけて」と同社。
 「中央区観光検定」は観光客誘致とともに、増加中の新住民に愛着を深めてもらうのを目的に昨年スタート。過去2回、一般受検料3150円を払った受検者は40代を中心に計1000人強。うち約500人が「お江戸中央区“通”」の認定を受け、副賞の古地図(複製)も好評という。
 海軍や電信から、お子さまランチまで「発祥の地」だらけの同区。食文化や風物詩も網羅した公式教則本はガイド本も顔負け。主催の区観光協会は「銀座や築地は知っていても中央区とは知らない。そんな状況を変えたい」と意気込む。
 その点、下町の足立区が昨年からホームページで始めた20問の「あだち検定」は小学生でも解ける難易度に設定。「片方が地元出身の若手お笑いコンビは?」など、くだけた内容が楽しい。「楽しみつつ“通”になれる」と評判という。
 一方、2006年の第1回以来、延べ3万人が受検し、1級合格は約60人だけという「江戸文化歴史検定」は、江戸東京博物館が監修する本格派。今秋の第5回では、全100問の2割を「幕末」から出題する。主催の同検定協会は「大河ドラマでブームの中、坂本竜馬ら激動期の志士の生きざまに学ぶべき点は多い」と話す。


神奈川
ペリー提督の置き時計を公開
 幕末にアメリカのペリー提督が日本に来航した際に、江戸幕府の役人に贈ったとされる置き時計がこのほど修復され、横浜市の開港資料館で6日まで公開されています。
 公開されているのは、156年前の安政元年に日本に来航したペリー提督が、伊豆の下田で江戸幕府の役人に贈ったとされるゼンマイ式の置き時計です。役人から譲り受けた知人の子孫が保存してきたもので、このほど資料館が預かるようになったのをきっかけに修理したところ、再び時を刻みはじめ、時報も鳴るようになりました。会場には時計を贈られたいきさつなどを記した幕府の役人の手紙も展示され、この時計がペリー提督が船に戻る際に、感謝のしるしとして贈られたことなどが書かれています。横浜開港資料館の西川武臣主任調査研究員は「ペリー提督も聞いたはずの時計の音を、ぜひ多くの人に聞いてほしい」と話しています。この時計は6日まで一般に公開されています。




山梨
「江戸の和時計」公開 山梨市 
時の記念日に特別展

 藤原時計店(山梨市一町田中、藤原久雄店主)で12日まで、10日の「時の記念日」に合わせ、江戸時代の時計を中心とした特別展「江戸の和時計」を開いている。
 大型の櫓やぐら時計や香の燃え方によって時刻を伝える香時計、和前懐中時計など江戸時代から明治初期にかけて製作された和時計7点を展示。また、全国で6点しか確認されていない「垂揺すいよう球儀」(複製品)も展示している。振り子の原理を応用した時計で、加賀藩が幕末期に製作。同藩の高度な精密機械製作技術を駆使していたことがうかがえる。
 同店は、ほかにも千点以上の時計コレクションを展示している。時間は午前9時~午後7時半。問い合わせは同店、0553(22)0701。
 

兵庫
上野彦馬:幕末の長崎で曽祖父を撮影 松山さん宅から「肖像」--大阪・住吉 /兵庫
 大阪市住吉区の松山宜子さん(75)宅で、国内初の職業写真家、上野彦馬(1838~1904)が幕末の長崎で撮影した肖像写真が見つかった。1866(慶応2)年の撮影で、被写体は松山さんの曽祖父で大洲藩士だった小野充之助。この年、上野彦馬は坂本龍馬も撮影し、龍馬の海援隊は大洲藩が所有した蒸気船「いろは丸」を借りていた歴史的経緯もあるだけに、松山さんは「曽祖父が長崎で龍馬と出会ったのだろうかと想像すると楽しい」と話す。【津久井達】
 写真は松山さんの母の死後、たんすから見つかった。松山さんが文献で調べたところ、大洲藩が「いろは丸」を購入する際、充之助も藩の一員として長崎に出向き、彦馬の写真館で撮影に臨んだとみられるという。写真が張られた台紙の裏には、「慶応二年四月」「於長崎」「上野」「写真」などの文字が読み取れる。
 松山さんは先月29日、尼崎市で開催中の「第10回上野彦馬賞九州産業大学フォトコンテスト受賞作品展」(毎日新聞社など主催、6日まで)の会場を訪れ、東京大学大学院の倉持基・特任研究員=歴史写真論=に写真の鑑定を依頼。倉持研究員によると、充之助が座っている椅子、背景、床などが彦馬の写真館の特徴に一致するという。
 倉持研究員は「写真は保存状態がよく、彦馬の写真を研究する上で貴重な資料だ」と話している。松山さんは、写真を研究機関に提供する意向を示している。
〔阪神版〕


佐賀
大規模な修理施設か 佐賀市教委 ドック遺構の木組護岸確認 三重津海軍所
 幕末佐賀藩の海軍基地「三重津(みえつ)海軍所」跡(佐賀市川副・諸富町)の全容解明を進める佐賀市教委は、本年度初回となる発掘調査で船のドック遺構の木組(きぐみ)護岸を確認した。護岸は、階段状に縦横に丸太材や木板を複雑に組み合わせた造りで、佐賀藩所有の軍艦「電流丸」(全長約50メートル)などの艦船を修理できる大規模な修船(しゅうせん)施設であった可能性が高まった。

■磁器など出土品多数 6日一般公開と説明会

 木組護岸は極めて良好な保存状態だった。前年度調査で確認したドック遺構と併せて検証すると、海軍所のドック幅は30メートル前後になるという。
 調査現場からの出土品も多彩だ。「海」「役」の文字や「灘越蝶文(なだごしちょうもん)」と呼ばれる文様が入った磁器は、三重津海軍所だけで使用された特注品(嬉野地方で生産)。木製のげたも出土した。また、蒸気船の燃料に使われた可能性のある石炭や、船の部品加工で排出されたとみられる鉄滓(てつさい)も見つかった。

   ◇   ◇

 市教委は6日午前9時-正午、今回発掘調査についての現地の一般公開と説明会(3回実施)を行う。小雨決行。当日の問い合わせは市教委文化振興課=0952(40)7368。



 自分は「最後の30秒ほどのエピソードさえなければ……(涙)」派ですが。

<JIN~仁~>賛否両論の最終回「そもそもあそこで終わらすつもりだった」 プロデューサー説明
 人気を集めながら多くの謎を残したまま終了し賛否両論を巻き起こしたドラマ「JIN~仁~」(TBS系)について番組プロデューサーの石丸彰彦さんは、「私が会社に提出した企画書では、あそこで終わってます。そもそもあそこで終わらすつもりだったので、何の計算もなくあそこで終わらせていただきました」と説明した。同ドラマは第47回ギャラクシー賞に入賞し、石丸さんは3日、東京都内であった贈呈式であいさつに立った。

 ドラマ「JIN~仁~」は、「スーパージャンプ」(集英社)で連載中の医療マンガが原作。大学病院の脳外科医だった南方仁(大沢たかおさん)が、幕末の江戸時代にタイムスリップしてしまい、満足な医療器具や薬もない状態で人々の命を救う中、坂本龍馬(内野聖陽さん)や勝海舟(小日向文世さん)ら幕末の英雄と知り合い、歴史の渦の中に巻き込まれていく……という物語。ドラマ中では、仁がなぜ過去にタイムスリップしたかなど、その原因について憶測を呼ぶ場面が幾度も登場したが、結局多くの謎が解決されないまま終了。視聴者からは「これで終わりのはずがない」と続編を要望する声も出ていた。

 こうした終わり方は同賞の審査でも賛否両論を呼んだという。石丸さんは最終回のラストカットについては、「賛否があってブーム、流行が生まれるのかなと心に刻んでおります」と話したが、続編などについての言及はなかった。

 「JIN-仁-」は、視聴者投票で選ばれる「第4回マイベストTV賞」とテレビ部門優秀賞に選ばれた。そのほかの優秀賞は、HTBスペシャルドラマ「ミエルヒ」(北海道テレビ放送)、「カミングアウトバラエティ!秘密のケンミンSHOW『2010年今年もよろしく友愛スペシャル』」(読売テレビ、ハウフルス)の計3作品が受賞。大賞はETV特集「死刑囚 永山則夫~獄中28年間の対話」(NHK)だった。(毎日新聞デジタル)

 ただいま図書館から借りた『御乱心 落語協会分裂と、円生とその弟子たち』三遊亭円丈を読んでます。面白いです。

北海道
高知の記念館全面協力、広尾で今夏に坂本龍馬展
【広尾】幕末の志士・坂本龍馬のおいの孫で、広尾町ゆかりの自然画家坂本直行が広尾に来町して80周年になるのを記念し、今夏、町海洋博物館で開催予定の特別展(町教委主催)に、龍馬の故郷・高知にある同県立坂本龍馬記念館(高知市)が史料提供などで全面協力することが決まった。

特別展示開催に向け、坂本龍馬記念館から届いた龍馬の全身写真ポスター
 特別展は「北海道への軌跡〜龍馬の夢と気骨を受け継いだ者たち〜」と題し、龍馬から直行に至る坂本一族がなぜ北海道開拓を志し、いかに根付いていったかの解明を目指す内容。同博物館が収蔵する直行真筆の油絵60点とともに、史料のパネル展示などで構成する構想だ。
 高知の同記念館からは、1863年に龍馬が姉の乙女に「日本を今一度せんたくいたし申候」と書き送った書簡や、薩長同盟盟約の裏書き、龍馬が設立した海援隊の約規といった史料画像のデジタルデータ20点以上が提供される。町教委は画像を90センチ×150センチ大のパネルに印刷して展示したい考えで、パネルの台紙に龍馬の故郷の特産品・土佐和紙も使うという凝りようだ。
 このほか、イラストで龍馬の一生を紹介するパネルも記念館から借り受け、大人から子供まで楽しめるよう工夫するという。同記念館からはこのほど、龍馬の全身写真ポスターが届いた。
 直行生誕100年の2006年、同記念館が開いた坂本直行展に町海洋博物館が直行の絵画を貸与して以来、両館の交流が続いており、今回の史料データ貸し出しにもつながった。
 特別展は夏休み期間の7月下旬から8月末までを予定しているが、町教委は「龍馬ブームも再燃しており、なるべく前倒しで開催できるよう準備を進めたい」としている。


宮城
■興味津々ペリー来航時資料
2010.06.03
石巻・田道町 梅圃文庫で展示会
当時の”港町”に思い/

 石巻市田道町の自宅資料館「楊慮原梅圃(うつぎはらうめばたけ)文庫」で、ペリー来航(1853年)前後の資料を集めた展示会が開かれ、市民の関心を集めている。
 林子平の無人島之図を張った「ペリー来航絵貼交巻付無人島之図」のほか、安政2年(1855年)にアメリカ船石巻渡来時の停泊場所だった船魂神社の写真や渡来図巻の文章コピーなど渡来時の記録の参考資料を展示している。
 1869(明治2)年8月から1年間、石巻県知事を務めた山中献(1822~85年)の短歌が目を引く。明治初期の石巻の多彩なデザインのマッチラベルも来場者の関心を呼んでいた。
 ほかに二晶、石芝ら石巻の俳人の短冊、巻物、儒者や書家の漢詩、扇面書画など幕末から明治初期の石巻に関する資料も。
 来場した市民は、石巻へのアメリカ船渡来が何をどう変えたのか?と当時に思いをはせながら見入っていた。
 旧石巻ハリストス正教会創建当時の資料や、昭和初期の石巻に関するさまざまな展示物もある。
 展示会は8月9日まで。開館は土、日、月曜の午後1時~4時半。無料。問い合わせは伊藤智子さん(22)2563へ。

【ペリー来航時の資料を集めた展示会=石巻市田道町】


福島
鶴ヶ城を幕末時の姿に…寄付者名は赤瓦に残る
 福島県会津若松市は2日、鶴ヶ城天守閣を幕末時と同じように赤瓦にふき替える費用として、1口2000円の寄付を募り始めた。
 寄付者には赤瓦の裏に名前を記してもらう。
 鶴ヶ城は幕末時、寒さで割れることを防ぐため、上薬を塗った赤瓦を使用しており、この姿を再現しようと、来年3月の完成を目指し、今年3月から工事が始まっている。
 改修費は国の補助金と市の基金計4億3000万円。基金は将来、鶴ヶ城周辺整備に使うため、支出を抑えようと、使用される赤瓦約10万枚に名前を書いてもらうことで寄付を募ることにした。
 記名は、寄付1口につき1枚で、1枚には家族や団体客などを想定して5人まで一緒に記名できる。1人で何枚でも可能。赤瓦が納入される7月中旬までに、鶴ヶ城本丸内の受付所を訪れて寄付した人には、永年保存する芳名帳に記名してもらう。
 その後、市職員が赤瓦に代理記名する。赤瓦納入後は、11月頃まで直接記名できる。受付は日、月、水、金曜の週4日の午前10時~午後3時。郵送などでの受付はしない。
 菅家一郎市長は2日の記者会見で「100年後の街づくりを見据えたもので、多くの人に参加してもらいたい」と話した。問い合わせは、市観光課(0242・39・1251)へ。


鶴ケ城の赤瓦ふき替え、寄付を募集/若松
 会津若松市の鶴ケ城天守閣などを黒瓦から幕末当時の赤瓦にふき替える工事で、市は2日から赤瓦に名前を記すことができる特典付き寄付の募集を始めた。
 寄付は1口2千円で、赤瓦1枚の裏側に名前を書き入れることができる。
 芳名帳にも記名し永久保存する。
 赤瓦は7月中旬ごろに焼き上がる予定で、それまでは寄付の受け付けだけを行い、その後に職員が代理で記名する。
 赤瓦が完成した後は寄付者に直接、名前を記してもらう。
 受け付けは鶴ケ城本丸の特設テントで毎週日・月・水・金曜の4日間、午前10時〜午後3時に行う。
 問い合わせは市観光課電話0242(39)1251へ。


安積艮斎の漢詩集出版
ゆかりの神社の宮司ら 現代文訳付き

 幕末の志士らに影響を与えた儒学者・安積艮斎(ごんさい)(1791~1860)が記した漢詩集に、郡山市清水台の安積国造(くにつこ)神社第64代宮司、安藤智重さん(42)が学者と一緒に訳を入れ、今月、この本が出版される。艮斎は同神社第55代宮司の3男。安藤さんは「NHK大河ドラマ『龍馬伝』にも名前は出てきたが、改めてその存在に光を当てられたら」と話している。(佐藤雄一)
 艮斎は、若くして江戸へ向かい、1814年に私塾「見山楼」を神田駿河台に開設。昌平坂学問所教授にも登用され、全国諸藩の武士らに学問を教えた。私塾で学んだのは約2300人に上るとされる。艮斎自筆の門人帳(県重要文化財)には、吉田松陰や高杉晋作、岩崎弥太郎らの名も記されている。
 安藤さんは、神社が生んだ偉人の資料が神社にほとんど残されていないことを知り、艮斎の書物の収集を始めた。「艮斎がどんな人物でどんな考え方をしていたのか知りたい」と思い、その時々の気持ちが表現される漢詩を読み解こうとした。2003年からは、漢学を専門とする早稲田大文学部の名誉教授の指導を受け、漢学を訳注するポイントや当時の文化的背景などを学び始めた。
 知識を深めたうえで、08年7月から、艮斎の研究を行っている菊田紀郎・岩手大学名誉教授と一緒に、漢詩集「艮斎詩略」を訳す作業を始めた。艮斎が40~60歳代に記した100以上の漢詩をまとめて1853年に出版されたもので、これまで訳されたものは一部だけだった。
 漢詩の中には、江戸幕府の政治を批判したもの、西洋の列強諸国によるアジア進出に危機感を抱くもの、また、故郷の郡山から訪れた知人と酒を飲み交わし、故郷への思いを一層強くした漢詩もあった。安藤さんは訳しながら、「海防論などで幅広い知識があったことが再認識できた」という。
 漢詩集を訳し終えた今年1月。人文学系の書籍を扱う明徳出版社(東京)に声をかけられ、出版が決まり、タイトルは「安積艮斎 艮斎詩略 訳注」とした。
 専門的な知識がない人でも読めるように心がけ、当時の文化的背景を交えた現代文の訳にしたという。本はB6判、381ページで、3150円(税込み)で、今月上旬には各地の書店に約1000冊が並ぶ予定。
 安藤さんは「原文は難しいものだが、数多くの偉人を輩出した艮斎が漢詩に込めた思いを知ってもらいたい」と話している。

(2010年6月4日 読売新聞)



神奈川
幕末の志士に学べ「さがみ龍馬先生顕彰会」5日発足/相模原
 幕末の志士、坂本竜馬の生き方を学ぼうと、相模原市内の有志らが「さがみ龍馬先生顕彰会」(溝渕誠之会長)を発足させ、記念講演会を5日、相模原市中央区中央の市立産業会館で開く。入場無料。
 同会顧問で前大和市長の土屋侯保大正大学招聘(しょうへい)教授が「不世出の偉人 坂本龍馬先生」と題し、記念講演する。竜馬をテーマにした日本舞踊なども披露されるほか、収集家が所蔵する肖像画(複製)なども展示される。
 同会は4月、幕末の動乱期、思想家や政治家、実業家として多方面で活躍した竜馬の人物像を学ぼうと設立された。
 竜馬ゆかりの地である高知県出身で相模原市議の溝渕会長は「名誉や地位などにこだわらず、自分の生き方を貫いた竜馬の生き方は、現在の行き詰まった日本の中で学ぶことが多い」などと話している。
 講演会は午後0時半開場、同1時開演。先着200人。問い合わせは、事務局電話042(770)7358。





福井
本県ゆかり荒川区住民が福井へ 養浩館など見学、歴史満喫
 福井県と歴史的なゆかりがある東京都荒川区の住民らが4日福井市を訪れ、養浩館や同市郷土歴史博物館など福井の豊かな文化や歴史を満喫した。
 同区の回向院には幕末の福井藩士・橋本左内や小浜藩士・梅田雲浜の墓がある。同市出身の作家津村節子さんの夫で作家の故吉村昭さんが同区民栄誉賞を受賞しているなどの縁があり、県と同区は交流を続けている。
 訪れたのは、同区勤労者サービスセンターの呼び掛けでツアーに参加した30~70代の区民17人。解説ボランティアの黒田智津子さん(55)の案内で、養浩館と同市郷土歴史博物館を見学した。
 養浩館では、黒田さんの解説に耳を傾けながら建築様式や歴史について知識を深めた。「月見の間」では池を望む美しい庭園を楽しんでいた。
 同市郷土歴史博物館では、足羽山古墳の石棺などの出土品や、橋本左内が記した啓発録の複製などを見学。展示品を興味深く眺めていた。
 参加者の平野美智子さん(60)は「養浩館はすごく工夫された建物。庭園も趣がありすてきだった。来てよかった」と笑顔。夫婦で参加した北村たつさん(71)は「知人から福井の土産をよくもらっており、一度福井へ来てみたかった。歴史や文化を大切にしているのがよく分かった」と話していた。
 一行は永平寺町の大本山永平寺や勝山市の県立恐竜博物館なども訪問。本県には6日まで滞在し、一乗谷朝倉氏遺跡や三方五湖などを訪れる。


三重
三重津海軍所跡:木杭護岸から特注磁器 佐賀市教委「幕末期のドック裏付け」 /佐賀
 佐賀市教委は3日、昨年9月に見つかった三重津海軍所跡(佐賀市川副町)のドック跡とみられる木杭護岸で、同海軍所で使われていた特注品の磁器が発掘されたと発表した。同委は「護岸が幕末期のもので、三重津海軍所のドックであることが裏付けられた」とみている。6日午前9時半から一般公開される。
 昨年9月に見つかった護岸周辺を掘ったところ、護岸が3段以上の階段状になっていることが確認された。丸太や木板を組み合わせ、護岸が崩れ落ちないよう頑丈な造りとなっていた。
 また、護岸付近からは、三重津海軍所特注品とされる「海」「役」の銘のある皿や杯、チョウが波間を舞う絵柄の皿などの破片が出土した。
 同委によると、これらの磁器は1850年末から60年初期に作られた三重津海軍所の特注品であることが史料で裏付けられており、護岸が同海軍所のものであることが確認できるという。
 三重津海軍所は、幕末期に佐賀藩が建造。佐賀市は世界遺産リストへの登録を目指し、発掘調査を進めている。【田中韻】


滋賀
「鬼神と霊」展:異界へのいざない 能面など名品25点--彦根城博物館 /滋賀
◇井伊家十五代・直忠さん収集
 彦根市の彦根城博物館で、テーマ展「鬼神と霊-能にみる異界」が開かれている。自らも能を演じた井伊家第十五代当主・直忠さん(1881~1947)が収集した鬼や神、霊に関する能面など25点を公開している。15日までで会期中無休。
 直忠さんは幕末の大老で、第十三代彦根藩主・直弼の孫。能に打ち込み、能を演じる役者目線でさまざまな演目が演じられるように能道具を収集した。
 展示品のうち、大きく開いた口と鋭いまなざしが特徴の能面「獅子口」は演目「石橋(しゃっきょう)」などに使われた。室町時代の面打ち「赤鶴(しゃくづる)」の作と伝えられる能面の古い形式を伝える名品とされる。
 能面「泥眼(でいがん)」は桃山時代の面打ち「是閑吉満(ぜかんよしみつ)」の作で女性の霊を表す面。能装束「縫箔(ぬいはく) 黒地丸紋尽し文様」は箔と刺しゅうで文様を表し、鬼女が身につける装束。降矢淳子学芸員は「暑い日々に、異界へと誘う能面を通じて涼しさを楽しんでもらえれば」と話している。
 観覧料は一般500円▽小・中学生250円。問い合わせは同館(0749・22・6100)。【松井圀夫】



奈良
黄金茶碗:寧楽美術館で特別展示--奈良、14日まで /奈良
 国名勝の庭園「依水園」(奈良市水門町)にある寧楽美術館で、収蔵品の「黄金茶碗(わん)」の特別展示が開かれている。長州藩・毛利家から伝わった品で、由来について講演会も開かれた。14日まで。
 黄金茶碗は木製の碗に、薄い金の板を張り付けたもので、口径12・6センチ、高さ7・5センチ、重さ299グラム。毛利家が借金の利子軽減などを大口債権者に説得するよう依頼した際、毛利家から大阪の両替商、加島屋(広岡)久右衛門に贈られた。4年前に史料から由来が分かり、特別公開されている。今回は、平城遷都1300年と同美術館を運営する財団法人の設立70周年を記念して再び展示された。
 講演会では、毛利家伝来を解明した大阪市史料調査会の野高宏之調査員が「幕末に長州藩と密接な関係にあった加島屋は幕府から取り調べを受けた。謝罪の気持ちなどもあって黄金茶碗という特別な品が贈られた」と時代背景を解説した。【山田宏太郎】




広島
ほうじゃね:ご当地検定問題より /広島
問 幕末、京都で尊皇攘夷(じょうい)による倒幕を目指していた公卿(くげ)7人が公武合体派に敗れ長州に落ち延びた後、再上洛を図ったとき投宿した鞆の宿で、現在、国の重要文化財になっている住宅の名前は何か。

 (1) 太田家住宅

 (2) 岡本家住宅

 (3) 入江家住宅

 (4) 八田家住宅

      ◇

 <答え>

 (1) 太田家住宅
 ※「福山知っとる検定」から出題


高知
龍馬ファンの空手家、ニコラス・ペタスさんが高知訪問
 幕末の志士・坂本龍馬ファンというデンマーク出身の空手家、ニコラス・ペタスさん(37)が3日、龍馬の故郷である高知県を訪れ、尾崎正直知事らと交流を深めた。
 ニコラスさんは18歳の時に来日し、極真空手の創設者、故大山倍達さんの内弟子になった。以来、空手のけい古に励み、人気の格闘技大会「K-1」にも出場。流暢(りゆうちよう)な日本語を話し、最近はタレントとしても活躍している。
 今回は開催中の観光イベント「土佐・龍馬であい博」を応援するため高知を訪問。県庁では龍馬にふんしたスタイルで登場し、学生時代に合気道などを習っていたという尾崎知事と格闘技談義を交わした。
 ニコラスさんは「明確なビジョンを持ち、それに向かって走った龍馬を尊敬している。若者に空手を伝える時は龍馬の精神を心がけている」と話した。


山口
幕府・長州激戦 写真で解説
 山口県田布施町麻郷の写真愛好家南野繁さん(68)が、幕末に江戸幕府と長州藩の間に起こった第二次長州戦争大島口の戦い(1866年)をテーマにした写真展を町郷土館で開いている。27日まで。
 ゆかりの神社や史跡に説明文と地図を添えた約60点を展示。第2騎兵隊が本陣を置いた専福寺(同町波野)の碑文、麻郷神社(同町麻郷)に残る志士世良修蔵たち43人の墓標などを切りとっている。浄西寺(山口県周防大島町油宇)では、幕府軍の艦船「富士山丸」が放った砲弾跡を撮影した。
 南野さんは2008年10月、大島口の戦いを紹介する写文集を自費出版し、モノクロ約200枚を掲載。今回はこのうち田布施町内と近郊を選び、カラー写真を展示した。無料。月曜休館。

【写真説明】大島口の戦いをテーマに写真展を開いている南野さん


佐賀
佐賀藩蒸気船に運航記録 佐賀市教委確認 遺構に木組護岸も 三重津海軍所建造「凌風丸」 
 幕末佐賀藩の海軍基地「三重津(みえつ)海軍所」跡(佐賀市川副・諸富町)の調査を進めている佐賀市教委は、海軍所で建造された蒸気船「凌風丸(りょうふうまる)」が江戸幕府要人を移送するなど、国産蒸気船として実用運航されていたことを初めて裏付ける「運航記録」を確認した。市教委は「日本の近代化を先駆けた佐賀藩の先進性を証明する貴重な確認」としている。
 記述があったのは、佐賀藩の記録文書「白帆注進外国船出入注進(しらほちゅうしんがいこくせんでいりちゅうしん)」(鍋島報效(ほうこう)会所蔵)。1866(慶応2)年3月、幕府大目付(おおめつけ)の田澤対馬守の来航に際し、佐賀藩が凌風丸で有明海から海軍所がある早津江(はやつえ)川まで送迎したとする「運航記録」を確認した。市教委によるとこれまでは大正期など後世の編さん物から、凌風丸は、幕府製造の蒸気船に先立つ国産初の実用蒸気船(全長約18メートル、10馬力)とされていたが、今回の運航記録の確認でその史実が実証された。
 市教委は佐賀大や佐賀県と、幕末維新期の文献史料や絵図の調査を実施。これまでに運航記録のほか、1854(安政元)年11月に佐賀藩が蒸気船建造を意思決定したことなども確認している。
 また、市教委は3日、本年度初回となる海軍所跡の発掘調査成果を発表。船のドック遺構から、階段状に設けた大規模な木組(きぐみ)護岸を確認した。ドック幅は30メートル前後と推定され、佐賀藩がオランダから購入した軍艦「電流丸」(全長約50メートル、幕府の咸臨丸(かんりんまる)と同クラス)などの艦船を収容し、修理する機能を備えた修船施設だった可能性が高まった。
 海軍所は世界遺産登録を目指す「九州・山口の近代化産業遺産群」構成遺産候補。10月以降の調査では、凌風丸を建造した造船遺構の確認にも取り組む。


IT
戦国時代の武将や幕末志士があなたのメールを彩る! 『歴史メール 戦国武将の密書・幕末志士の密書』レビュー
 株式会社ジャストシステムより、戦国武将と幕末志士の気分が味わえる、一風変わったPCメールソフトが発売されました。

 その名もズバリ『戦国武将の密書』『幕末志士の密書』。歴史好きとしては押さえねばなるまい! と、いうわけで早速使ってみました。

■起動してすぐの伏兵攻撃! 音とアニメーションで歴史の舞台へ!
 「歴ーっしゅ!」。突然の伏兵攻撃に一瞬たじろいでしまいました。
 そう、このソフト、起動時・終了時、またメールを捨てた時などに、ボイスや効果音が流れるのです。
 歴ーっしゅ! とは歴ドル美甘子さんの決めセリフ。もはや歴史ファンの間で定番化しつつある「歴っしゅ」の伏兵。侮れなし戦国武将の密書!
 美甘子さんの他に、俳優の唐橋充氏のボイスも収録されており、「出陣」「わしに続けい」「退却じゃ」「討ち取ったり」など、戦国気分を味わえるセリフも充実しております。
 『幕末志士の密書』でも同様の動作をしたところ、ゴミ箱にメールを捨てる際に「天誅!」というセリフが。ゴミ箱の中に潜む人斬りを想像すると笑えます。
 そして“隠しボイス”といった遊び心も盛り込まれております。この隠しボイス、隠しておくにはもったいない内容です!

 効果音も充実しております。『戦国武将の密書』で受信アイコンをクリックすると、騎馬武者が駆けるアニメーションと合戦を髣髴とさせる効果音が流れます。これがなかなかリアル!
 『幕末志士の密書』では、船のアニメーションと波風の効果音が流れます。
 どちらも実際はネットワークを通してメールが配信されているわけですが、馬や船といったアナログな手法でメールが送られていく感覚が思い起こされ、新鮮な気分に浸れます。まさに戦国武将・幕末志士の気分でメール(密書)が送れるということです!

 それにしても、こんなにも簡単に世界中の人にメールが送れる時代になったと知ったら、龍馬さんはなんて言うでしょうか!?

■背景イラストは人気イラストレーターの諏訪原寛幸氏
 本ソフトの最大の目玉は、イラストレーターの諏訪原寛幸のイラストによる背景イラストです。
 起動して早速登場されたのは伊達政宗殿。眼光鋭い伊達殿に射抜かれて、もやはメールを打つどころではありません。
 メニュー欄には、他のメーラーでは絶対にお見かけすることはできない「武将」メニューがあり、背景のデザインを変更することが可能です。
 『幕末志士の密書』では「志士」メニューになっております。些細なことですが、こういった心配りが歴史ファンにとって嬉しいところです。
 以下の武将・志士の背景デザインが、計24種類収録されております。

【戦国】
伊達政宗 真田幸村 織田信長 明智光秀 武田信玄 上杉謙信 前田慶次郎 直江兼続

【幕末】
坂本龍馬 龍馬ゆかりの人物(岩崎弥太郎、中岡慎太郎、岡田以蔵) 新撰組(近藤勇、土方歳三、沖田総司) 薩摩藩士(西郷隆盛、大久保利通、島津斉彬と島津久光)

長州藩士(高杉晋作、木戸孝之) 幕府の要人達(勝海舟、井伊直弼、徳川慶喜) 日本の夜明け(幕末の名場面など)

 まずは戦国時代の代名詞ともいえる「織田信長」をクリック。炎に包まれ、本能寺の変を髣髴とさせるデザインに思わず絶句。
 「人間五十年…」と信長おなじみの幸若舞 『敦盛』 の一節までデザインされ、織田信長ファン涙モノです。
 それぞれ武将の名場面をイメージしたデザインが施されており、デザイナーさんの武将にかける並々ならぬ情熱が感じられます。
 また『幕末志士の密書』で特筆すべきは、薩摩藩士の島津斉彬と島津久光。こんなに緊張感のある背景デザイン、見たことありません! メールを打つ手にも自然に力が入ります。

 私の好きな武将・志士がいない…とお嘆きのあなた、ご安心召され。なんと全9回にわたり、毎月新しいデザインが追加されるそうです。
 収録された人物のマニアックさから察するに、通好みの人物がセレクトされる予感です。

■メーラーとしての機能の充実
 本メールソフトは株式会社ジャストシステムが開発・販売しているメールソフト「Shuriken(しゅりけん)」をベースにしているため、メーラーとしての機能が充実しております。
 使う前は歴史グッズの一つとしてメーラーに毛が生えた程度と思っておりましたが、その機能の使い心地に驚きました。「しゅりけん」という商品名も戦国にぴったりですね。
 密書だからといって、メール送信中に敵の忍者の手に落ちて届かない…なんてトラブルはありませんからご安心を!

■歴史ファンだけでなく、ビジネスの現場にも
 歴史好きのための仕様が施されたメーラーですが、歴史ファンならずとも、先人達の熱い心意気を感じながら仕事をしたいビジネスマンにもオススメです。
 あの坂本龍馬も、熱くてユーモアあふれる手紙をたくさん残しています。龍馬に倣いたくさん熱いメールを書けば、ビジネスが成功すること間違いなしです!


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(64)東大教授・山内昌之 辻将曹
地方政治家の現実感覚

 仲井真弘多(なかいま・ひろかず)沖縄県知事は、米軍普天間基地の辺野古近辺への移転を定めた日米共同声明(5月28日)に寄せて、県や地元の了解を得ずに決めたことを遺憾とした。受け入れを「極めて厳しい」と語ったのである。現在の日本政治でいちばん難しいポジションにあり、苦しい胸の内を十分に明かせない政治家といえば、まず仲井真知事であろう。
 鳩山由紀夫首相は2日、辞任を表明したが、もともとギリギリの決断から、辺野古近辺への移転を受け入れたのは仲井真知事である。知事からすれば、満足に問題の経緯や本質を精査した形跡もなく、沖縄県民と何度も向かい合ったわけでもない首相が普天間基地を「最低でも県外」に移すと見えを切ったときから、その政治姿勢に困惑していたにちがいない。言葉を軽く翻してきた首相と違って、現実の埋め立てにゴーサインを出せるのは知事だからである。
 民主党政権は、政治リアリズムと民意との緊張関係に苦吟してきた知事に最大限の支援をすべきだが、いったん県民の信頼感を失った政策の実現はますます険しい道のりになる。しかし、期待したいのは、地方自治の担い手として慎重かつ筋を重んじる知事の一貫した政治姿勢であろう。今では辺野古移転に賛否を言わない苦渋の重みに、首相にはなかった強い現実感覚を感じるのは私だけではあるまい。 

長州に味方する正論

 幕末にも陪臣(ばいしん)でありながら、政治の転回に大きな役割を果たした地方の藩重役がいた。その一例として辻将曹の名を逸することはできない。芸州(広島)藩上士の家に生まれた辻は改革派として執政に抜擢(ばってき)された。
 彼は、第2次幕長戦争を「無名の師」と非難し、外国との攘夷(じょうい)戦争に踏み切った長州藩に日本国内あげて制裁する挙に反対する正論を展開した。隣国の政治指導者として、長州藩への寛典(かんてん)を主張したために、幕府に睨(にら)まれ、謹慎を命じられる気骨もあった。

 彼は第1次戦争でも、幕府軍の出陣拠点となった広島の重役として、長州藩の利益代弁者たる岩国藩の吉川経幹(つねまさ)らをパートナーに、ほぼ無血で紛争を処理する手際の良さを見せた。陪臣ながら中央政治をリードした辻の得意の絶頂は、慶応3(1867)年に薩長芸三藩の同盟を結び、徳川慶喜に圧力をかけて大政奉還を実現させたあたりであった。

 
勝海舟も高い識見評価

 第2次戦争で長州藩の広沢兵助(真臣(さねおみ))や井上聞多(もんた)(馨)との会談を厳島で調停した辻について、勝海舟は高い識見と周旋家たる能力を評価している。
 将軍慶喜が二条城で大政奉還を議した際、辻は薩摩の小松帯刀(たてわき)や土佐の後藤象二郎と一緒に陪臣の身ながら堂々と弁舌をふるった。慶喜は辻らの意見をいれて、大政奉還を決意したのである。大政奉還は坂本龍馬や横井小楠(しょうなん)だけの専売特許でない。
 とはいえ、辻の鋭さや芸州藩の幕府への共感は、倒幕に傾斜する薩長両藩の疑心暗鬼を刺激することになり、芸州藩は倒幕勢力の中心から外された。芸州よりも後から旗幟(きし)を鮮明にした肥前佐賀藩のほうが新政府で優遇されたのだから、辻には割り切れない思いも残ったかもしれない。実際に、新政府では参与や知事としてわずかの期間、出仕した後すぐ辞任した。

政治を動かした自負

 辻は政治の中枢から去って戻らず、困窮する旧芸州藩士族の授産事業を進めた後、明治23(1890)年に漸(ようや)く元老院議官に任じられたくらいで官途には恵まれなかった。しかし、失意の晩年を送った辻にしても、幕末政治を大きく動かした自負はもっていたに違いない。
 ますます硬化する県民世論と民主党政権との間に立つ仲井真知事の仕事ははかりしれぬほど難しい。幕府と長州と薩摩といった複雑な3変数を処理した辻の調停能力こそ、寡黙な仲井真知事が政治家として真骨頂を発揮する上で参考になることを願っておきたい。(やまうち まさゆき)

                    ◇

【プロフィル】辻将曹

 つじ・しょうそう=まさとも 文政6(1823)年、広島生まれ。本名、維岳(いがく)。安芸広島藩の年寄役(執政)に登用され、藩政改革を推進。第1次幕長戦争では幕長間の周旋に当たる。第2次戦争に反対し、幕府から謹慎処分を命じられるが、ほどなく解除。慶応3年、藩を代表して薩摩、長州、土佐と折衝し、大政奉還を勧告する建白書を幕府に提出、王政復古実現に貢献した。新政府では内国事務局判事などを歴任。のちに元老院議官、男爵。同進社を設立し、旧藩士族の授産に当たった。明治27(1894)年、死去。享年72。
                   


 本連載をまとめた「幕末維新に学ぶ現在」(中央公論新社)が発売中。
 以前に百均で見かけた「龍馬が惚れた炭焼珈琲キャンディ」が、キオスクの店頭に進出していた(汗)。



 右側の姉妹品はフルーツドロップだったか金平糖だったか、忘れちゃった^_^;。




 鳩山首相の辞任表明スピーチを聴きながら書いています。小沢幹事長にも辞任を求め、小沢氏も「わかった」と言ったとのこと。

京都
幕末扮装パレード:龍馬はん「集合」--東山・霊山護国神社 /京都
 坂本龍馬ら幕末の志士約300人が眠る京都市東山区の京都霊山護国神社で、「幕末扮装(ふんそう)パレード~うちと龍馬はん」があった。約85人が参加し、観光客でにぎわう三年坂などを練り歩いた。
 これまでも龍馬に扮(ふん)して同神社に参拝する観光客がいたが、今年はNHK大河ドラマ「龍馬伝」が放映されている影響からか、急増しているという。このため、神社が作る志士ファンの同好会「霊山社中」が初めて企画した。衣装も龍馬10人分、妻のお龍(りょう)10人分、太夫37人分を準備。公募すると「歴女ブーム」もあってたちまちいっぱいに。自前の衣装の参加者を合わせ、約20人の“龍馬”が集まった。
 和歌山県有田市の橋本聖也君(10)は「大好きな坂本龍馬の格好ができて、うれしい。機会があればまた参加したい」と満面の笑みだった。【望月亮一】


山口
市立東行記念館が開館…遺品訴訟で1か月半遅れ
 幕末の志士、高杉晋作の菩提(ぼだい)寺、下関市吉田の東行庵に1日、ゆかりの品々を展示する市立東行記念館が開館した。
 「幕末維新期の下関」をテーマに、晋作の書や奇兵隊隊士の書状、晋作が愛人おうのに贈った外国製のかばんなど54点を陳列。資料やパネルで、奇兵隊の創設時の歴史背景なども紹介している。今後、2~3か月おきに展示替えをする。
 同館は、宗教法人の東行庵が運営していたが、資料の保存設備が不十分だったため、市が1700万円かけて空調や照明などを整備。晋作の命日の4月14日に開館する予定だったが、遺品の所有権を巡る訴訟が起きたことから、1か月半ほど遅れた。愛用の三味線など、訴訟の対象になっている資料は当面、展示しない。
 開館について、東行庵の松野實應・兼務住職は「素晴らしい施設。これをきっかけに、高杉先生のことを多くの人に知ってもらえれば」と喜び、同館学芸員の溝口純一さんは「これまで日の目を見なかった資料も多く展示しているので、ぜひ見てもらいたい」と話していた。入館料は大人300円、大学生200円、18歳以下と70歳以上は無料。


福岡
糸島高文化祭で 巨大“竜馬”登場 3年生がモザイク画
 糸島市の糸島高校で5月29日、文化祭が開かれ、幕末の志士、坂本竜馬を描いた巨大モザイク画(横12メートル、縦7・5メートル)がお目見えした。
 巨大モザイク画は昨年に続き、2年連続の企画で、3年生280人が「全員参加で一つのものを作り上げよう」と、一人一人がB4判用紙に引かれたマス目(2・5センチ四方)に指定された色紙(6色)を張り、実行委員会のメンバーが1221枚の用紙をブルーシートの上で合わせて完成させた。
 昨年同様、何を描くのか、全体像については実行委メンバーなど一部しか知らず、校舎に張り出された竜馬の姿を見て、生徒からは「迫力たっぷり」と驚きの声が出ていた。3年の学年主任古川浩光教諭は「力を合わせて、大きなことを成し遂げたことが実感できたと思う」と話していた。


ブックレビュー
ブックウオッチング:歴史好きの女性にとっておきの3冊 さよなら、おじさん史観
●「乙女の日本史」(堀江宏樹、滝乃みわこ著・東京書籍・1470円)
●「平安朝の父と子 貴族と庶民の家と養育」(服藤早苗著・中公新書・777円)
●「歴女おすすめ! 戦国武将の美味しい旅」(歴女委員会著・KKベストブック・980円)

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 何事にもがつがつしない「草食系」男子が話題になる一方で、力強い男子像を歴史に求める女子が増えている。歴史好きの女性=「歴女(レキジョ)」とも呼ばれ、おじさん史観に代わる「乙女史観」や子育てに共同参画する平安の男子像など、女性目線を意識した歴史本が出版され、新しい風となってきた。
 「歴史能力検定」を運営する歴史能力検定協会によると、2001年度に5252人だった女性受検者が、09年度は1万2997人と2倍以上にはね上がり、全受検者に占める比率も35・15%から39・27%と4ポイントアップ、歴女の躍進が顕著だ。
 歴史関係の書籍に力を入れる書店として有名な「時代屋」の新百合丘オーパ店(川崎市)の店員、大内学さんは「女性たちは勝者よりは敗者により関心を持つ傾向がある」と指摘する。
 「乙女の日本史」は6万部のベストセラーとなった歴女の入門書だが、幕末を彩った「人斬(き)り以蔵」や源義経に倒された木曽(源)義仲など、歴史上の敗者も手厚く取り上げた。
 「歴女たちのトークを本にしたい」(編集者の藤田六郎さん)と企画され、神話の時代から昭和まで「さよならおじさん史観」の視線で歴史をみる。たとえば、戦国武将については、「おじさん」ならば彼らの統率力や決断力、合戦の上手下手や人身掌握術などに関心がゆきそうだが、「乙女」の視線は「戦国のイケメン」へと向かう。遺物や遺骨、同時代の記録など「史実のみで、誰がいい男だったかをジャッジ!」とユニークで、おじさんの歴史ファンでも楽しめそうだ。
 坂本龍馬の評価もおもしろい。司馬遼太郎は「竜馬がゆく」で、明治維新の立役者にして剣の達人、男も女も惚(ほ)れさせる人たらしとして描いた。しかし「乙女」は「愛してくれた女を不幸にしてしまう体質」と分析する。
 何が女性を歴史に向かわせているのか。
 埼玉学園大教授の服藤(ふくとう)早苗さんは「男子と同じように、女子も『草食系』が増えているのではないでしょうか。実際の恋愛で傷つきたくないから、歴史の世界でバーチャルな恋を体験している」と語る。

◇平安の子育て男子
 歴史家、網野善彦の教えを受け「歴女の先輩」でもある服藤さんの最新作が「平安朝の父と子」。服藤さんはこの中で、約1000年前、平安時代の男たちが出産に立ち会い、育児や教育など子育てに深く関与していたことを明らかにする。現代の父親に子育てへの積極的参加を呼びかけるメッセージでもあるという。
 時代屋の大内さんも共同執筆者に名を連ねる「歴女おすすめ! 戦国武将の美味しい旅」は、武将の人となりだけでなく地元の名物やグルメの情報を満載、史跡めぐりに役立ちそうだ。【栗原俊雄】




 6月になりましたが、今日はいい天気ですねぇ。爽やかなので快適です。

群馬
小栗上野介:ねじくぎ150年ぶり里帰り 米国から持ち帰る /群馬
◇遣米使節記念展に展示
 幕末に遣米使節のメンバーとして渡米した小栗上野介忠順(ただまさ)が米国から持ち帰ったとされ、小栗の墓がある高崎市倉渕町権田の東善寺(村上泰賢住職)に収蔵されている「ねじくぎ」が、150年ぶりに里帰りすることになった。ニューヨーク市立博物館で開催される「遣米使節150年記念展」に展示するため31日、現地に向けて発送された。
 小栗は1860年、日米修好通商条約の批准書交換使節団の目付として米軍艦で渡米した。村上住職によると、ワシントン海軍造船所を見学した際、蒸気機関を駆使した総合工場に驚き、「こういうのを作れる国になりたい」との思いから多数のねじを持ち帰った。小栗の提唱で横須賀造船所が造られたが、築造が決定されるまで、ねじを配って近代化を説いて回ったという。同寺に収蔵されているのは、真ちゅう製で長さ4・3センチ、頭部の直径が1・1センチのマイナスねじ。
 ニューヨーク市立博物館での記念展は、同館と在ニューヨーク日本総領事館広報センターの共催で、6月25日から10月11日まで開催される。同博物館から「小栗が近代文明のシンボルとして持ち帰ったものであり、展示したい」との要請があったという。
 村上住職は「日本の工業近代化は、小栗の提唱で造られた横須賀造船所で始まった。ねじが小栗の行動のシンボルとして米国の人たちにも認識してもらえてうれしい」と話している。【増田勝彦】


神奈川
下岡連杖が撮ったガラス写真と判明
 1854(安政元)年にペリーから置き時計が贈られたとされる下田奉行所与力の山本謙兵衛の肖像写真が、日本写真の開祖ともいわれる下岡蓮杖が横浜で撮った1枚であることが分かった。敷物の柄から横浜開港資料館元調査研究員の斎藤多喜夫さん(62)が突き止めた。
 ガラス板に溶液を塗って感光性を持たせて撮影されたガラス写真。縦8センチ、横7センチほどで、置き時計とともに横浜市港北区の但馬惟義さんが保管していた。但馬さんの祖父の海軍中佐が、1890年に山本本人から譲り受けたという。
 写真には帯刀したまげ姿の山本が写っている。下岡撮影と判断した決め手になったのが敷物。肖像写真をパソコンに取り込んで、敷物の柄を分析、写真集に収録されている作品と同じ敷物であることを突き止めた。現存する下岡撮影のガラス写真としては5例目という。
 斎藤さんによると、下岡は静岡・下田の出身で、山本と同じ時期に下田奉行所で働いていたという。その後、下岡は1862(文久2)年に横浜で写真館を開設。同じころ山本も異動し、神奈川奉行所で働いていた。写真は幕末の横浜で撮られたらしい。
 山本は写真や置き時計を譲るときに、どのような経緯で時計を手に入れたかをまとめた和紙5枚の「時計来歴」も渡した。そこには日米交渉の山本の働きに対し、感謝したペリーから時計をもらったと記されていた。
 分解、洗浄し、再び動き出した時計は、短針を除き当時の部品を使った。少し速い「カチカチ」、1時間ごとに鳴る振り子の「ボーン」はペリーが聞いた音色と同じ。ゼンマイを一度まわすと、約30時間動き続けるという。
 斎藤さんは「下岡の名前は有名だが、現存する作品は非常に少ない。特にガラス写真は希少で、今後もそれほど出てこないだろう」と話していた。6日まで、開港資料館で展示される。
(佐藤善一)

※写真説明・・・米国ペリー艦隊から時計を贈られた下田奉行所与力・山本謙兵衛の肖像写真。敷物から下岡蓮杖のスタジオで撮影されたガラス写真であることが分かった=横浜開港資料館提供


静岡
県立図書館に鉄舟の書簡を寄贈 東京・ゆかりの寺院
 幕末に日本の近代化に貢献した山岡鉄舟ゆかりの寺院「全生庵」(東京都、平井正修住職)が31日、静岡市駿河区の県立中央図書館に、関口隆吉初代県知事と鉄舟が交わした書簡など9点を寄贈した。
 関口知事が鉄舟あてにしたためた書簡は4通。静岡市の徳川屋敷を地元の名士に払い下げるよう要望したり、静岡を訪問中に体調を崩していた鉄舟を案じて帰京を勧めたり。書簡を通じて二人が親交を深めていた様子がうかがえる。鉄舟が1883年、関口知事に書簡を送る際に書いた下書きも寄贈された。清書の書簡はすでに同館に所蔵されていて、127年ぶりに下書きと並んだ。
 平井住職は「下書きまで残っていたことに驚いた。貴重な資料を多くの人に見てもらいたい」と話し、土屋光永館長に目録を手渡した。
 鉄舟は西郷隆盛と駿府(現静岡)で交渉し、江戸城の無血開城に貢献した。牧之原茶園開拓への資金集めにも協力するなど、静岡との深いかかわりが知られている。土屋館長は「鉄舟と静岡のつながりを示す資料はさまざまな所に残されている。1カ所に集めて解読を進めれば、新たな歴史の一面が浮かび上がるかもしれない」と期待を述べた。
 寄贈された資料は1~14日、入り口のインフォメーションホールで一般公開する。 

兵庫
県内ファン会長楠本さん 龍馬の紙芝居披露
 高知で来年1月まで開かれている「土佐・龍馬であい博」。JR高知駅前のイベント会場では、週末を中心に坂本龍馬の活躍を描いた紙芝居が披露されている。制作したのは尼崎市大西町3丁目の会社員楠本剛(くす・もと・たけし)さん(45)。兵庫県内の龍馬ファンらでつくる「兵庫龍馬会」の会長だ。
 長いひげと袴(はかま)をつけて三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎に扮した弁士が、紙芝居をめくりながら土佐弁で語りかける。「西郷さん、ニッポン人同士いくさをしても、誰っちゃあ得はせんろう?」。龍馬の仲介で実現した薩長同盟の場面だ。
 ほかにも幼少期から脱藩までの「青春篇(へん)」、脱藩後から暗殺されるまでの「波濤(は・とう)篇」がある。「幕末に龍馬が何をしたか、とても分かりやすい」と評判で、人だかりが出来るほどの人気だという。
 楠本さんが龍馬に初めて夢中になったのは大学生のころ。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み始めたら止まらなくなった。「けんかの仕方や交渉術、失敗してもめげない根性……。読む度に新たな魅力を発見できる」。1997年ごろからは、高知県立坂本龍馬記念館(高知市)が主催する絵手紙展に、龍馬のイラストとメッセージを添えてほぼ毎年応募。2001年には兵庫龍馬会も立ち上げ、史跡巡りのルポなど幕末の歴史をたどる年3回の会報作りをしている。
 「紙芝居をつくってほしい」と依頼されたのは昨年9月。ファンでつくる高知市の「坂本龍馬倶楽部(く・ら・ぶ)」の会員がゆかりの地を巡るツアーで神戸市を訪れた際、一行を迎えた楠本さんに同倶楽部の事務局長が頼んだ。
 楠本さんは大阪の広告会社で15年間ほどデザインの仕事をしていた。この経験を生かし、紙に下絵を描いたうえで、パソコンのデザインソフトで彩色しながら今年3月に完成させた。来月には紙芝居の絵本化を予定しているほか、幼少期の龍馬が土佐の妖怪を退治するという創作紙芝居「少年篇」も制作中だ。
 楠本さんは「怒ったり泣いたり、ときに格好悪かったり。いろんな表情の龍馬をこれからも描いていきたい」と話している。(山下龍一)



山口
伊藤・山縣 素顔まざまざ
◆周南の書店、秘書著作の復刻版出版

 幕末や明治維新の歴史資料の復刻出版などを手掛ける周南市の「マツノ書店」が、山口出身の明治期の元老2人を描いた「伊藤公と山縣公」の復刻版を出版した。伊藤博文(1841~1909)と山縣有朋(1838~1922)を中心とした逸話集で、伊藤の秘書などを務めた文筆家、小松緑が昭和に入って執筆した。日露戦争など歴史上の大事件を、政界の内部から顧みた貴重な資料という。
(小暮純治)

◆歴史の舞台裏 生き生きと

 伊藤と山縣は、明治維新期に身分の低い出自から首相にまで上り詰めた代表的な元老。小松は本のなかで、2人を「性格の違ったしかし力量の似寄った一対」とし、伊藤を「宰相の器」、山縣を「統軍の帥」と評している。2人の公私の様々なエピソードが盛り込まれている一方、歴史の舞台裏を当時の政治家たちの発言を通じて生き生きと描き出している。
 復刻出版は、同書店の松村久店主(77)が10年ほど前に、1934(昭和9)年刊行の小松の著作「春畝公と含雪公」を東京の古書店で手に入れたのがきっかけ。
 小松が当時の新聞に長期連載した記事をまとめた本だったが、36年には、この本を別の出版社が漢字に読み仮名を振って写真を鮮明にするなど読みやすくして「伊藤公と山縣公」の題名で再刊行していたことを松村さんが知り、インターネットで手に入れて復刻の計画を温めてきたという。
 「2年後に再出版とは、当時かなり人気があったに違いない」と松村さん。昨年9月に行った常連客らへのアンケートでも、一番人気だったことで刊行を決めたという。
 同書店としては通常より多めの400部を発行。特別価格の6千円で販売する。松村さんは「政治への関心が高まっている昨今。当時の大政治家たちと比較してみるのも面白いのでは」と話している。問い合わせは同書店(0834・21・2195)。


熊本
豊後街道に「龍馬」呼ぼう
阿蘇市観光協会などが会を設立

 江戸時代、肥後藩が参勤交代で使い、幕末には坂本龍馬や勝海舟らも歩いた豊後街道について学び、地域おこしに役立てようと、阿蘇市観光協会などが、NHK大河ドラマ「龍馬伝」で龍馬、勝の役を演じる福山雅治さんと武田鉄矢さんを阿蘇市に呼ぶ会を設立した。市民による「ラブレター作戦」で2人を招き、豊後街道を歩いてもらう。(田川憲一)
 「山上より阿蘇嶽(あそだけ)を見る。この嶽に並び立ちたる高峯あり。猫(根子)が嶽という。人跡到らず。山の頂上、大石、剣の如く成るもの直立す」(「海舟日記」より)。
 1864年(文久4年)、米英仏蘭から開国を迫られ、攘夷(じょうい)派の突き上げにもあっていた徳川幕府は、外国公館のある長崎に、勝ら50人前後を派遣、水面下で交渉に当たらせようとする。龍馬もその中にいた。
 豊後・佐賀関に着いた一行は、鶴崎、久住、阿蘇、熊本と九州を徒歩で横断し長崎へ渡る。阿蘇では往、復路とも内牧でわらじを脱いだ。「内の牧に宿す。この地もまた山中、山泉自由なり」と、勝は日記に記している。
 呼ぶ会は、阿蘇市観光協会、同市、阿蘇火山博物館などで構成。5月30日には手紙作戦を手伝うサポーターらが、活動拠点となる同市内牧に集合した。市の人口約2万9000人と観光客に呼びかけ、「豊後街道を歩いて」という2人への思いをつづってもらう。
 会世話役の一人、高木立(たつお)・市商工会事務局長(54)は「豊後街道は九州の参勤交代道の中でも特に険しい『男道』。そこを勝、龍馬だけでなく吉田松陰、伊能忠敬らも歩いた史実を多くの人に知ってもらい、誇りに思ってほしい」と話す。
 活動に協賛する飲食店では、資料などを基に再現した当時の料理を提供することも計画。関連行事として、阿蘇市内で▽龍馬とジオパーク展(阿蘇火山博物館、7月11日まで開催中)▽坂本龍馬&勝海舟の足跡展(仮称)(あそ街角ギャラリー、7月20日~8月末)▽海舟&龍馬散策案内(うちのまき案内人協会、6~8月)などを実施、予定している。

【豊後街道】 熊本城下から大津、阿蘇、久住を経て豊後・鶴崎(大分市鶴崎)まで31里(約120キロ)を結ぶ。阿蘇の山道は急で、二重峠、滝室坂(ともに阿蘇市)、弁天坂(産山村)と難所が続いた。参勤交代では5日かけ歩いたとされる。石畳の道が保存されているところもある。

(2010年6月1日 読売新聞)

 

エンターテインメント
docomo、SoftBankより『防衛ゲーム剣豪 土方歳三』他、新作ゲーム3本を配信開始!
 元気モバイル株式会社(本社:東京都中野区、代表取締役社長:津守正樹)は、docomoにて展開中の『定番スポーツ大集合』『元気SゲームランチDX』と、SoftBankにて展開中の『定番スポーツ☆大集合』『元気ゲームランチBOX』にて、2010年6月1日(火)より新作ゲーム3本を配信開始致します。
 『防衛ゲーム剣豪 土方歳三』は、土方歳三、斎藤一、市村鉄之助など、戊辰戦争時の新撰組隊士が登場し、新政府軍の侵入を防ぐ防衛ゲームです。敵のタイプや行動ルートに合わせてキャラクターを配置し、入口から侵入してくる敵キャラを出口に到達するまでに撃退します。防衛ゲームの醍醐味である奥深い戦略性と、オリジナリティ溢れるド派手な必殺技の爽快感をお楽しみいただけます。
 『超高校級バッテリー』は、プレイヤーがキャッチャーとなり、強烈な魔球を投げてくるピッチャーの球を受け止めるアクションゲームです。タイミングよくキーを押して球を受け止めます。球種は消えたり、蛇行したり、分裂したり等様々あり、どんな球が来るかわからない、緊張感溢れるゲームをお楽しみいただけます。ネットワークランキング対応で、全国のユーザーとアウトを取った数を競えます。
 『脱出ゲーム王墓の扉』は、古代エジプトの王墓の部屋を調べ、閉ざされた扉を開ける脱出ゲームです。謎がふくらみ、冒険心がかき立てられる仕掛けが満載です。
 当社は今後も幅広いジャンルのゲームを追加し、サイトの更なる認知度アップ、ユーザーの増加を狙います。






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