新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
NHKゆうどきネットワークで紹介されていました。
龍馬からの恋文(ラブレター) もちづき製紙
遊び心があって面白い製品ですが、龍馬ファンは喜んで使ったりする……のかな?
自分は、フィクションであっても、土方さんからのメッセージをお尻に当てるなんて……あわわ、めっそうもないっ(イグアスの滝汗)。
龍馬からの恋文(ラブレター) もちづき製紙
遊び心があって面白い製品ですが、龍馬ファンは喜んで使ったりする……のかな?
自分は、フィクションであっても、土方さんからのメッセージをお尻に当てるなんて……あわわ、めっそうもないっ(イグアスの滝汗)。
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『龍馬伝』に先週から新選組が登場してますが、「基本、記号なのね……(苦笑)」という感想です。あまり作品に入れ込んでないんで本気で悔しがれない……^_^;。
東京
明治維新展:勝海舟、慶喜の書も 台東・東本願寺慈光殿で展示 /東京
仙台弁のハムレット「破無礼」 早稲田大学で無料公演
神奈川
お城バックに和装コスプレ、”なりきり武将”ら100人が集合/小田原
岐阜
大垣市史:第1、3巻発刊 「古代・中世」と「近世2」 /岐阜
京都
龍馬やお龍になりきり80人、京都で幕末扮装パレード
山口
高知名産展:龍馬ゆかりの地、下関でイベントPR /山口
鹿児島
講演:土佐と同様に民権の気風 鹿大の原口教授、鹿児島の歴史を /鹿児島
ブックレビュー
「史実の採り入れ巧み」 マンガ大賞『へうげもの』
コラム
特集ワイド:歴史に学ぶ 河井継之助 民を守る冷静さを--作家・半藤一利さん
東京
明治維新展:勝海舟、慶喜の書も 台東・東本願寺慈光殿で展示 /東京
勝海舟直筆の弔文や徳川慶喜の書など、幕末から明治にかけての志士の書画を展示する「明治維新展」が、台東区西浅草1の東本願寺慈光殿ギャラリーで開かれている。
東本願寺は、大政奉還後に徳川慶喜を護衛するため、「彰義隊」が結成され、明治初期に現在の全国知事会にあたる「地方官会議」が初めて開催された場所であり、明治維新とのかかわりは深い。
江戸城の無血開城に尽力した勝海舟が、5000人の弔問のあったとされる山岡鉄舟の葬儀で読んだ弔文を東京で初公開する。勝は弔文の中で「清爽(せいそう)の心瞻(しんたん)を以て、勇剛の気象を吐露す」と鉄舟の性格と功績を称賛している。
また、大政奉還直前の慶喜の胸中が読み取れる書や、皇女和宮、福沢諭吉らの作品も展示されている。
6月7日まで。入場無料。午前10時~午後4時。問い合わせは東本願寺展覧会企画室(電話03・3843・9512)。【小泉大士】
仙台弁のハムレット「破無礼」 早稲田大学で無料公演
東北地方の方言を駆使したシェークスピア劇に取り組む仙台市の劇団「シェイクスピア・カンパニー」が、東京都新宿区の早稲田大学大隈記念講堂で、代表作「破無礼 奥州幕末のハムレット」を上演する。幕末の奥州を舞台に、仙台藩主の嫡男・破無礼の葛藤(かっとう)と狂気を、古典的な仙台の言葉で激しく、哀(かな)しく語る。
◇
「すっか、すねがだ。なじょすっぺ」。≪To be, or not to be, that is the question≫。ハムレットに登場する有名なこのせりふ。「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」など、多様な訳がなされ、いまなお研究されているが、仙台弁にするとこんな響きになる。
劇団は東北学院大学の下館和巳教授が旗揚げ。平成7年の「ロミオとジュリエット」をはじめ、「恐山の播部蘇(マクベス)」などを国内外で公演している。下館教授は宮城県出身。自身の方言を「恥ずかしい」思ったこともあったが、英国留学を通し、多彩な方言の魅力を知ったという。
「シェークスピアの世界は、人間の喜怒哀楽、生死を描いている。表現する言葉は違えども、普遍的な物語であることに変わりはない」と下館教授は指摘する。劇団はシェークスピアの新たな魅力を発見し、東北地方の言葉の魅力、文化・歴史を発信している。
公演第1部では、下館教授がシェークスピア翻訳のパイオニアである坪内逍遥について講演。その後、第2部で「破無礼」を上演。
6月19日午後4時半から。入場無料、全席自由。問い合わせは早稲田大学文化推進部文化企画課TEL03・5272・4783(平日午前9時~午後5時)。
神奈川
お城バックに和装コスプレ、”なりきり武将”ら100人が集合/小田原
小田原市城内の小田原城址(じょうし)公園で30日、和装コスプレーヤーが集合するイベントが開催された。アニメやテレビゲームに登場する戦国武将や新撰組などのキャラクターに扮(ふん)した若者たち100人が天守閣や城門を背景に思い思いのポーズをとり、撮影し合った。FMおだわらなどが初めて企画。遠く石川県や福島県からの参加もあった。
手作りした衣装を着てキャラになりきった姿を撮影、作品に残すコスプレ。「お城など日本的なところで写真を撮りたかったが、合成で我慢するしかなかった」と企画者の一人で市内の自営業の男性(35)は話す。FMおだわらを巻き込み、市に要望すると「批判はあるかもしれないが、それを恐れていては文化は生まれない」と許可が出た。
特に大がかりな告知はしなかったが、「本物の城でできるなら」と10代から30代の女性を中心に100人が集まった。「こんなに来るとは思わなかった」と市も驚く人気だ。
参加者は参加料1500円を支払い、テントなどで化粧と着替えを済ませ、あこがれのキャラに変身。観光客でにぎわう公園内に繰り出した。福島県から新幹線で来たという女性会社員は忍者の格好で「往復で1万8千円だったが、お城で写真が撮りたかった」。甲冑(かっちゅう)風や着物風の衣装は観光客にも好評で「頑張ってね」、「一緒に写真を撮って」と声を掛けられていた。
”先輩格”で、観光ボランティアを務める北條手作り甲冑隊とも交流が生まれた。一緒に写真に収まり、「新旧のコスプレだね」「どうやって作ったの?」と話が弾んでいた。
岐阜
大垣市史:第1、3巻発刊 「古代・中世」と「近世2」 /岐阜
大垣市が編さんを進めている市史のうち、第1巻の資料編「古代・中世」と第3巻の資料編「近世2」が発刊された。太閤検地が高福寺村(現在の興福寺町)でも行われたことや、幕末に始まったとみられていた水郷地帯独特の「堀田」が江戸時代中ごろまでさかのぼることなど、多くの新しい資料が盛り込まれている。
03年から新しい市史編さんのための調査を進めており、08年に第2巻の資料編「近世1」と第10巻の「民俗・輪中編」、09年に第5巻の資料編「近代」を発刊。13年までに全10巻を発行する予定。
資料編「古代・中世」は、古代から慶長年間までの文献史料や木簡などの出土資料、仏教絵画などを体系的に収録。重点的に真宗寺院を調査し、年代が記録された絵像裏書きや円興寺に残る過去帳の全記録を掲載した。
資料編「近世」は地域別に1~3巻あり、今回の「近世2」は1589(天正17)~1868(慶応4)年の旧安八郡を中心とした村々の資料を収録。大垣藩の支配や村人の生活の様子が分かる資料や県内22カ所目となる太閤検地帳の新資料などを収めている。
コラム欄も26カ所設け、古文書の内容を分かりやすく解説。村絵図や朝鮮通信使の宿舎図など6枚の付図を別冊とした。
いずれもA5判ケース入り。本文約1000ページ。各巻2000部作成、各3000円。市スイトピアセンター内の市史編さん室や市役所売店などで販売。電話やファクスなどでも注文できる。問い合わせは市史編さん室(0584・81・1803)。【子林光和】
京都
龍馬やお龍になりきり80人、京都で幕末扮装パレード
幕末から明治期にかけ活躍した志士らの衣装を身にまとって行進する「幕末扮装(ふんそう)パレード~うちと龍馬はん」が30日、京都市東山区の京都霊山護国神社(木村隆比古宮司)付近で行われた。坂本龍馬や妻のお龍、京太夫などにふんした約80人が一年坂から産寧坂にかけてを約1時間かけて練り歩いた。
同神社には龍馬の墓があり、龍馬の格好をした参拝者もいることから、「龍馬ファンで一堂に会そう」と初めて企画。同神社の崇敬団体「霊山社中」が主催した。
はかまにブーツ、腰刀姿の龍馬を先頭に、あでやかな衣装の京太夫、質素な着物姿のお龍らが行進。観光客は盛んにカメラを向け、拍手を送った。
お龍になった中京区の会社員、河合優さん(24)は「いつもと違って景色が新鮮に見え、楽しかった」と笑顔。木村宮司(45)は「新緑の中、石畳の続く風情ある街並みを堪能してもらえた。天国の龍馬もきっと喜んでいるはず」と話した。
山口
高知名産展:龍馬ゆかりの地、下関でイベントPR /山口
下関市豊前田町の海峡メッセ下関で29、30日にあったオール電化フェスティバル(中国電力下関営業所主催)に、高知市観光協会が「土佐まるごと!うまいもの市」を出展。高知県の名産品の展示即売や、幕末の志士、坂本龍馬関連のイベントなどをPRした。
高知県を知ってもらおうと、全国の龍馬ゆかりの地を巡回中で、下関は妻お龍と暮らした地。会場には、ユズやカツオ、鯨の加工品など約200品がずらり。舞台ではミス高知観光キャンペーンレディの吉松絵美さん(26)が、高知市で開催中の「土佐・龍馬であい博」(来年1月10日まで)をPRした。協会主事の吉野秀樹さんは「龍馬を温かく迎えてくれた山口の人々に、高知の良さをお伝えしたい」と話していた。
6月19、20日には、龍馬が脱藩後に船で上陸した防府市の「デザインプラザHOFU」でも開催予定。【尾垣和幸】
鹿児島
講演:土佐と同様に民権の気風 鹿大の原口教授、鹿児島の歴史を /鹿児島
郷土の歴史や文化、産業などを学ぶ生涯学習講座「かごしま学舎」の10年度の1回目の講座が30日、鹿児島市の県民交流センターであった。「かごしまの心を伝える」をテーマに鹿児島大の原口泉教授を講師に招き、約100人の聴講生が坂本龍馬と鹿児島の縁や離島の歴史について学んだ。【川島紘一】
鹿児島の情報発信の一翼を担う人材を養成しようと、かごしま県民大学中央センターが開催。原口教授は、龍馬が妻お龍と共に、新婚旅行で霧島を訪れ、犬飼滝やキリシマツツジを楽しんだエピソードを披露。「33年の人生の中で濃密な、幸せな時を過ごしたというだけで、鹿児島の良さが表れている」と話した。
また、1816年に徳之島の村民が板付舟で本土に来て、税の高さを藩に強訴しようとした「母間(ぼま)騒動」を引き合いに「薩摩にも政府に対してものを言う民主主義の根本があり、土佐藩と同様に民権の風が吹いていた」とも。
講演では時折、現代社会の問題への言及も。感染が広がる口蹄疫(こうていえき)で、行政の対応が遅れたとされることに触れながら郷中教育を説明。「鹿児島では昔から問答を繰り返し、考える訓練をしていた。先を読む力など『段取り』の良さが幕末での藩の運命を分けた」と解説した。
さつま町から出席した淵之上三男さん(70)は「西郷さんや離島の歴史を興味深く聞けた。もっと勉強しないと」と意欲を新たにしていた。
ブックレビュー
「史実の採り入れ巧み」 マンガ大賞『へうげもの』
第14回手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催)の記念トークショーが28日、東京都内で開かれた。作家の荒俣宏さんと陶芸に詳しい永青文庫館長の竹内順一さんが、マンガ大賞を受賞した山田芳裕さんの『へうげもの』(講談社)について「数寄とひょうげ――古田織部から現代へ」と題して語り合った。
『へうげもの』は織部焼の生みの親とされる武将茶人、古田織部が主人公。茶道具に熱を上げる「数寄者」で、ひょうきんな「へうげ(ひょうげ)もの」として描かれている。
トークショーではまず、竹内さんが「織部焼は流行を採り入れて何でもありの焼き物。その頂点に織部がいた」と解説。「『へうげもの』は自己表現が初めて解放された時代を活写している。巧みに史実を採り入れている」と評価した。
荒俣さんは織部が表情豊かに描かれていることに触れ、「戦国時代は荘園から解放され、日本人が大きく変わった。そんな表情を表している」と述べた。
続いて、作品に登場する場面の現実性を史実に照らして検討した。例えば織部がハート模様を使ったのぼりを掲げる場面。竹内さんは「のぼりまでは(使って)ないだろうが、あってもいい」、荒俣さんは「耶蘇(やそ)会が使っていたこともあり、ありえた」。ともに表現の大胆さをたたえた。
最後は作品の今後の展開を語り合った。史実だと織部は徳川家康に切腹させられる。
竹内さんは、家康が茶の湯に否定的な人物として描かれていることに注目。「お茶は金持ちが農民のような暮らしをする遊び。農本主義の家康は、都会人が農民の顔をすることを受け入れられなかった」と指摘した。
荒俣さんは「家康は奔放な人物を排除し、武士を文化人にした」と受け、竹内さんが「その幕府に対して、(幕末期に)薩長は武器の近代性を認識した。そこまで予感させる展開になれば、すごいマンガになる」と述べて対談を締めくくった。(高津祐典)
コラム
特集ワイド:歴史に学ぶ 河井継之助 民を守る冷静さを--作家・半藤一利さん
<この国はどこへ行こうとしているのか>
戦後初の本格的な政権交代から8カ月。雇用、年金、福祉--日本の政治課題は依然として山積し、閉塞(へいそく)感も漂う。羅針盤が失われたような時代。歴史上の人物たちはどう生き、どう動いたか。識者と共に考える。
それが何の音かを理解するのに時間はかからなかった。新潟県石津村(現長岡市)にある父の実家で目を覚ました半藤一利さんは、急ぎ2階の屋根によじ登る。「真ん前を流れる信濃川の下手が真っ赤に染まって(7キロ先の)長生橋が炎の中に浮かび上がって見えました」。1945(昭和20)年8月1日深夜。米軍機による爆撃は長岡中心街の8割を焼き尽くし、1476人を犠牲にした。
当時15歳の半藤少年はこの年3月の東京大空襲を生き延び、疎開先の茨城県でも米戦闘機の機銃掃射に狙われる。石津村には7月中旬に移って来たばかりだ。「僕は花火が嫌いなんです。ごう音と共にパパーッと開く様子が焼夷(しょうい)弾そっくりでね。花弁は38発のクラスター型弾。下に広がるのは地獄絵ですよ」
惨禍の2週間後、玉音放送が流れる。無謀な戦争の末の無条件降伏。同時に半藤さんは勤労動員から解放され、旧制長岡中で初の授業に臨んだ。そこで教えられたのが、河井継之助だった。
1868(明治元)年の北越戊辰(ぼしん)戦争で、長岡城下が焼け野原になった際の上席家老。「侍の誠を貫いた人物」として昨今の歴史ブーム前からファンがいる。私もその端くれだ。「しかし」と、半藤さんは言う。
継之助は財政の実理を学ぶ一方、ペリー来航以来の尊皇攘夷(じょうい)の嵐の中で横浜の異人商館に寝泊まりし、世界の動向を探る。役職に恋々としない「出処進退」の潔さは、司馬遼太郎の「峠」などに詳しい。
目指したのは一藩「武装中立」。明治新政府にも旧幕府にもくみしない。最新鋭の西洋銃で装備を固め、フランス式の訓練を実施する。日本に3門しかない機関銃「ガトリング砲」2門も購入し、専守防衛態勢を成し遂げた。
間もなく錦の御旗(みはた)を掲げた数万の官軍が、越後の地にも現れる。諸藩が次々従う中、藩兵1500人足らずの長岡にも恭順を迫ってきた。
「はは。『官軍』なんて片腹痛い。幕府に不平不満を持つ公家を利して若い天皇を抱き込み、政権奪取の野心を抱く薩長の暴力集団です」。半藤さんが解説する。越後人には単なる「西軍」。「官軍」とはおこがましい。長岡では、今日も変わらぬ認識だ。
「そうだとしても」。半藤さんは続けた。「薩長軍の目的は革命です。いやが応でも敵を武力で倒し、政権交代を天下に知らしめる。革命戦争では、恭順でも主戦でもない中立なんてありえません」
かもしれない。だが継之助は恭順に傾きかけた藩意をより戻し、佐幕・中立に統一した。「徳川家の主恩に報い義に生きる」侍の道を選んだのである。戦は避けたいと考えたが、西軍との交渉は30分で決裂。3カ月の攻防の末に弾も尽きて落城し、自身も非業の死を遂げる。享年42。
かつて城があったJR長岡駅から徒歩5分。継之助の生家跡に「河井継之助記念館」が立つ。06年暮れに開館し、来館者は4万人。館長の稲川明雄さん(65)によると、そのほとんどが県外からだ。継之助も見ていた庭に深呼吸しに来るファンも多いという。「人としての美を感じ取りにおみえになるようです」
しかし長岡で、継之助評は二分される。誠と筋を通した英雄と、故郷を灰じんに帰した男。継之助の墓は何度も倒され、ところどころが欠けている。歴代市長も記念館建設には足踏みしたといい、完成しても館長のなり手がいない。「仕方なく引き受けた」稲川さんも、実は反・継之助派だ。
「一市民なら義や情に生きてもいい」。再び半藤さんが語りだす。「河井継之助の生き様は鮮やかですよ、個人としては。しかし為政者は冷静で合理的なリアリストであるべきです。己の正義と思想に陶酔し、歴史の流れに抗して国を滅ぼしてしまった。為政者として認めませんね」
辛らつである。親・継之助派が聞いたら怒るだろう。謀略を尽くした薩長に隷属しろと言うのかと。「そうです。徳川のためといっても、既に慶喜は恭順していましたよ。屈辱的だが焦土となるより良い」。空襲の体験が、継之助を反面教師にさせるのだ。
「民を守る」ことが最上の為政者という視点に立つと、鳩山由紀夫首相はどうか。沖縄の普天間飛行場移設問題では、結局県内移設に回帰した。
「米国や他県との談判を始める前に『最低でも県外』と言ってしまった。沖縄への『思い』という自身の情緒に酔ったのでしょうが、成算も覚悟もなく結果として沖縄県民の期待と希望を葬ってしまった」
半藤さんは、鳩山首相は辞任すべきだと主張する。
「鳩山さんは『対等な日米関係』を目指すと言ってきた。聞こえは良いし、私もそうありたいと思いますよ。ただ戦後の日本が、米国に安全保障を頼ってきたのは事実です。首相という職に居座るのなら、米国のアジア戦略を踏まえた中での日本の立ち位置を改めて定めて、国民に説明すべきです。抑止力とは何かも含めてです。でなければ口八丁の美学、正義に終わる」
普天間の県外移設について鳩山首相は「命懸け」で取り組む、と言ってきた。半藤さんは「小学生並み」と切り捨てる。
「継之助は西軍との交渉が決裂した後、非戦派だった親友に『戦が嫌なら我が首をはね敵に持っていけ』と言っている。少なくとも捨て身の覚悟はあったわけです」
もし覚悟なき者が首相の座にあるとしたら、民にとって大きな不幸である。【根本太一】
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◇かわい・つぎのすけ(つぐのすけと呼ぶ説もある)
戊辰戦争で、越後・長岡藩を率いて新政府軍に徹底抗戦した家老。行・財政改革にも秀で、藩士の禄高(ろくだか)是正や門閥解体を断行し、為替取引や江戸で買った米を需給逼迫(ひっぱく)の北海道・函館で売るなど商人顔負けの才覚も。司馬遼太郎が短編「英雄児」や1966~68年の毎日新聞に「峠」を連載するなど多くの作家が取り上げる。
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■人物略歴
◇はんどう・かずとし
1930年、東京・向島生まれ。「文芸春秋」編集長などを経て作家活動に。93年に「漱石先生ぞな、もし」で新田次郎文学賞。「昭和史」戦前篇・戦後篇で06年に毎日出版文化賞特別賞。
NHK-BS2『アニソンのど自慢』を見ながら幕末ニュースをまとめています。
東京
龍馬ゆかりの地巡り心地よい汗 500人が産経大江戸ウオーク
神奈川
横浜開港祭スタート、魚に触れるイベントなど開催
新潟
龍馬伝にも登場 輸送船の部品
愛媛
【美人女将の宿】300年守り続けるぬか床 愛媛・松屋旅館
広島
キャンドルに龍馬や「いろは丸」、福山の喫茶店主が手作り
高知
近江屋対談:「龍馬と啄木」で絆 高知、岩手知事が生き残りへ共通ビジョン /高知
山口
志士に愛された温泉宿【百年企業】
長崎
龍馬に会いたい:/17 土佐商会跡 /長崎
龍馬伝に合わせ東京で「長崎学講座」 講演や検番の踊りで魅力発信
ブックレビュー
【書評】『日本力』松岡正剛、エバレット・ブラウン著
文化芸能
<歌舞伎>新解釈の『佐倉義民伝』 来月、コクーン歌舞伎で中村勘三郎
エンターテインメント
【プレミアムシート】“出会い”に恵まれた大沢たかお「俺ってしょぼい」
東京
龍馬ゆかりの地巡り心地よい汗 500人が産経大江戸ウオーク
東京の風情と歴史を楽しみながら歩く「産経大江戸ウオーク 幕末・龍馬が駆けた江戸」(主催・産経新聞社、共催・メタボリックシンドローム撲滅委員会)が29日、東京都千代田、中央、港区内の史跡などを巡る約12キロのコースで行われ、ウオーキング愛好家ら約530人が心地よい汗を流した。
今年は幕末の風雲児・坂本龍馬がテーマ。午前9時すぎ、日比谷公園を班ごとにスタート。銀座を経て、龍馬が剣術修行のおりに寄宿した築地の土佐藩邸跡(中央区役所)や千葉定吉道場跡などを巡り、彦根藩主・井伊直弼屋敷跡の憲政記念館では龍馬の息遣いが感じられる薩摩、長州両藩の軍事同盟の裏書きなどについて説明を受けた。
午後からは龍馬の人生を大きく変えた勝海舟邸跡、桜田門外の変で水戸藩浪士らが集結した愛宕神社など回り、浜離宮恩賜庭園にゴールした。
長男に誘われて参加した江戸川区の主婦、平川祐子さん(51)は「歩きながら息子とゆっくり話ができて楽しい一日でした」と話していた。
神奈川
横浜開港祭スタート、魚に触れるイベントなど開催
幕末の横浜開港を記念する「横浜開港祭」がみなとみらい地区の臨港パークなどで29日に始まり、横浜港で当日釣った魚に触れる「タッチプール」や、自衛隊護衛艦「しらゆき」への体験乗船など各種のイベントが行われた。
タッチプールは、身近な海の環境保全の大切さを伝えようと、NPO法人の水辺基盤協会東京湾支部などが実施。スズキやクロダイなど大小さまざまな魚に触れ、集まった子供たちは歓声を上げていた。タッチプールは無料で、30日も開催される。
新潟
龍馬伝にも登場 輸送船の部品
江戸幕府の輸送船で、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」にも登場する「順動丸(じゅんどうまる)」の部品の一部が、新潟県長岡市で展示されています。
「順動丸」は江戸時代の末期に、幕府がイギリスから購入した当時の最新鋭の蒸気輸送船で、戊辰戦争の際に長岡市の寺泊沖に停泊中、薩摩藩や長州藩らの攻撃を受けて幕府側がみずから爆破しました。長岡市では、地元と関係のある船を知ってもらおうと「順動丸」のシャフトと呼ばれる部品を展示しています。シャフトは船に動力を伝える回転軸で、海に沈んでいたものを地元の人たちが引き上げ保存してきたということです。「順動丸」には、坂本龍馬や勝海舟も乗ったとされ、長岡市では大河ドラマ『龍馬伝』にも登場する船で観光客を呼び込みたいとしています。展示は長岡市の旧寺泊町役場の車庫で、来年1月末まで行われています。
愛媛
【美人女将の宿】300年守り続けるぬか床 愛媛・松屋旅館
江戸中期から昭和初期の古い町並みが残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれた愛媛県西予市宇和町卯之町。その一角にある「松屋旅館」のたたずまいは旅人をいにしえの世界へ誘う。女将の大気(おおき)洋子さん(74)は6代目の夫を支えながら、風情ある江戸時代の建物と創業当時から受け継がれた“ぬか床”で作った漬物で宿泊客をもてなしている。(松山支局 浅野幸治)
創業は江戸中期。客室には犬養毅や尾崎行雄の書がさりげなく飾られており、幕末から昭和初期にかけて多くの政治家や文人、画家が宿泊していたことをうかがわせる。
松屋の玄関に家紋の入った紺色の幕が張られると要人が泊まったことを示し、「頭を下げて前の通りを通らなければならなかったと聞いています」というエピソードを披露。「歴史と一緒に松屋も栄えてきました」とのれんの重さを語る。
保存地区には、明治15年に建てられた、洋風でモダンな校舎の開明学校(国指定重要文化財)や蘭学者、高野長英の隠れ家などが残っており、古き日本の散策が楽しめる。
代々の女将が守ってきたのはのれんだけではない。「300年近く続いたものはほかにないと聞いています。絶対におわけすることのできない松屋の家宝です」と話すぬか床だ。「毎日毎日、子供を育てるように慈しんでいます」という。大学の研究者は「やわらかな風味があり、酵母菌や乳酸菌など良質な菌がたくさんある」と折り紙をつけた。
ぬか漬けは宿泊客らが食べる時間にあわせて、四季折々の野菜などを夏は4時間から6時間、冬は15時間から27時間と、その時の気温、湿度によって漬け込んでいる。
テレビの取材で宿泊した女優の菅井きんさんは、自身も40年のぬか床を持っているといい「自分が辞めるまでに一度は松屋にきて漬物を食べたかった」と喜んでいたという。
「受け継いだ昔の料理や宿屋のイメージを大切に、家族的な旅館経営を心がけ、人のつながりを大事にしてきました」という大気さんは「もてなしは、お金のかからない心のこもったサービスです」が持論。「『また来るから元気におってよ』と言っていただけるのがうれしい」と話す。
ドイツに留学していた四男が7代目を継ぐことも決まった。建物も「大工さんに『あと100年はもつ』と太鼓判を押された」と、伝統は着実に受け継がれている。
重要伝統的建造物群保存地区と松屋旅館 重要伝統的建造物群保存地区とは各地に残る歴史的な集落、町並みを保存するため、国が選定し、市町村への財政的援助や技術的指導を行う。江戸時代の卯之町は、宇和島街道沿いの宿場町や四国遍路43番札所明石寺の門前町として栄えた。明治後期から宇和島街道の南に県道(現市道)や鉄道などが並行して開通。商業施設や官公庁などがそれらの沿線に集まるようになり、宇和島街道沿いは商家や宿屋、酒屋、住宅、寺院などが混在する歴史的な町並みが残った。
松屋旅館は宿泊客60人。200人収容の会議や宴会もできる。1泊2食付き7350円から。食事だけの利用も可能で1575円から。問い合わせは(電)0894・62・0013。
広島
キャンドルに龍馬や「いろは丸」、福山の喫茶店主が手作り
坂本龍馬ら海援隊が乗った蒸気船「いろは丸」が沈没した事件の舞台・広島県福山市の鞆の浦で、龍馬やいろは丸をあしらった手作りのキャンドルが発売され、観光客らに好評だ。
喫茶店「友光軒」の店主武田典子さん(64)が自作販売。球形(直径6センチ)と立方体(高さ5センチ)のキャンドルに龍馬などを描いた和紙を張り、溶かしたロウで表面を包み込んだ。
今春、店内に飾ったところ「土産に」との要望があり、販売を決めた。1個作るのに約30分かかるといい、武田さんは「龍馬が世の中に希望の灯をともした時代をしのんで」。
(2010年5月29日 読売新聞)
高知
近江屋対談:「龍馬と啄木」で絆 高知、岩手知事が生き残りへ共通ビジョン /高知
石川啄木と父一禎の歌碑が高知市に建立されたことが縁で交流を深めている岩手、高知両県の知事による「近江屋対談」が28日、同市浦戸の国民宿舎「桂浜荘」であった。ひざをつき合わせた達増拓也知事と尾崎正直知事のやりとりは、坂本龍馬からお国自慢、国との関係にまで及び、「地方が生き残るには、地方同士の結びつきを強めていかねば」と共通のビジョンを確認し合った。【千脇康平】
両県は昨年9月の歌碑建立を契機に今年度の交流事業を企画。歌などから龍馬と啄木の共通点を探る「龍馬と啄木展」や、物産展の相互開催などが予定されている。
会場に集まった観客は約100人。別の時代に生きた龍馬と啄木に通ずることとして、達増知事は「国のあり方について正面からぶつかっていった」、尾崎知事は「思想家であり人間味にあふれている」とそれぞれ分析した。
また、尾崎知事は、江戸幕府を倒した後の国家像を考えていた龍馬にならい、「旧弊を打ち壊した後に新しい時代をどうつくるかが重要」と提言。達増知事も「日本はグローバル化に対応できていない」と指摘し、「幕末、戦国時代の日本にもグローバル化はきていたが、見事切り抜けて強い国をつくった。それは地方が強かったからだ」と述べた。2人は最後に「今度は岩手県で対談を」と約束し、握手を交わした。
◇啄木と一禎の歌碑で一首--岩手県知事
また、達増知事ら訪問団はこの日、高知市のJR高知駅南口広場にある啄木と一禎の歌碑を訪問。歌碑建立を実現させた「啄木の父 石川一禎終焉(しゅうえん)の地に歌碑を建てる会」(代表、高橋正・高知ペンクラブ会長)のメンバーや尾崎知事らが出迎えた。
達増知事は「直接来たいと楽しみにしていた」とあいさつし、得意という短歌で「大空と海を越え来て友に会い光の中で啄木を見る」と詠んだ。同会事務局長の梶田順子さんも「啄木の父のえにしに岩手人土佐人つどふ父子の歌碑に」と返歌。高橋代表は「岩手県と高知県がますます交流を強め、社会に貢献していけたら」と期待を込めた。
山口
志士に愛された温泉宿【百年企業】
◆ 松田屋ホテル ◆
龍馬も入った温泉宿――。そんなロマンのある旅館が山口市にある。創業335年の「松田屋ホテル」。西郷隆盛や木戸孝允らも訪れ、館内には明治維新の資料室を備える。幕末ファンには以前から知られた存在だ。最近は「歴女」と呼ばれる若い女性の姿も多い。「土地の歴史を伝えるのが使命」。8代目当主の松田康義さん(66)は、ホテルに残る歴史の足跡を、自ら宿泊客らに説明する「語り部」でもある。
(小西宏幸)
◆歴史の足跡「維新伝承」
傷ついた白キツネが見つけたという伝説が残る山口市の湯田温泉。市中心部に位置し、温泉街というより、どこにでもある地方都市の風情だ。そんな中、松田屋ホテルの4千平方メートル近い敷地は、白壁と、5階建てのビルぐらい高い山桃や松などに囲まれている。庭園に、オシドリが羽を休める池や滝まであるとは、外から想像もできない。薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通と、長州藩の木戸孝允や伊藤博文らが会ったとされる東屋風の「会見所」が残る。
「履信居仁(りしんきょじん) 己亥6月2日 博文」
ロビーにある揮毫(きごう)額は、明治32(1899)年に伊藤博文が書いたと伝わる。「『礼にもとづき、思いやりの気持ちで』という意味があり、私たちの心得としています」と松田さん。
創業は延宝3年(1675年)。当初は部屋を提供しながら、旅人からお茶代を受け取っていたという。幕末には本格的な旅籠(はたご)となり、勤王の志士が集った。
松田屋の名を幕末ファンに知らしめているのが、坂本龍馬も入ったとされる「維新の湯」だ。1860年に造られたもので、本来の場所から移設されたが、浴槽と洗い場、天井は当時のままだ。
「あなたが坂本さんでありますか」
何度も宿泊した作家の故・司馬遼太郎は小説「竜馬がゆく」で、高杉晋作との出会いの場に湯田温泉の旅館を持ってきた。「フィクションでしょうが、私たちはうちで2人が出会い、維新の湯で親交を深めたと信じてます」
◇ ◇ ◇
「家業に縛られず、好きな道を歩みなさい」。1988年に亡くなった7代目の父に、松田さんはそう言われてきた。小さいころは敷地内の自宅で育ち、客だった三波春夫や長谷川一夫に遊んでもらった思い出がある。慶応大を卒業後、旧住友銀行に入社したが、70年、山口に戻った。
父の背中を見て当主業を学ぶなか、父からホテルに代々伝わる話を初めて聞かされた。「祖母は、酔うとすぐに刀を抜く高杉晋作を恐れていたそうだ」。そんな話がたくさん残っていた。繰り返し行われた改装も最小限に抑えられ、志士たちが書き残した書なども大切に保管されていた。
「維新」を前面に出し始めたのは、維新百年にあたる67年以降だ。71年に明治維新資料室を設置し、高杉晋作が刻んだ文字が残る「憂国の楓(かえで)」などを展示。75年に山陽新幹線が開通した。2年後には、大村益次郎や吉田松陰など山口ゆかりの人々が登場する大河ドラマ「花神」が放映され、高視聴率を記録。萩(はぎ)や津和野(島根県)を訪れた観光客が、湯田にも足を伸ばすようになり、にぎわいをみせた。「代々、自然な形でこの宿に残されていたものが、時代に求められ、利用されたお客様に愛されてきたのでしょう」
◇ ◇ ◇
湯田温泉に来る客は、減り続けている。湯田温泉旅館協同組合(25旅館が加盟)によると、宿泊客は91年度の約67万人をピークに、ここ数年は40万人をきった状態だ。旅行業界の厳しさを何とかしたいと、松田さんの次男で従業員の健慈さん(30)は2年前からホテルのホームページでブログを始め、周辺のイベントや飲食店の情報などを紹介。今年はツイッターも始めた。1泊3万円前後と安くはないがネット予約も増えているといい、「今の若者が何を求めているかを知り、ホテルに還元できれば」との思いからだ。
「微々たる存在感ですが、これからもホテルを続けていければうれしいですね」と、取材には終始、控えめだった松田さん。受け取った名刺には、「維新伝承」の文字があった。「志士たちが愛した湯田温泉に誇りはあります」と、客に求められれば自然と、伝える言葉が口をついて出てくる。
「歴史を鑑(かがみ)として未来に、という気持ちを忘れず、この土地の語り部になれれば」と、何度も繰り返し語った。
■ 松田屋ホテルの歩み ■
1675年 創業。家系図には「初代は徳川中期、宝暦年間の直之進」と書かれているという
1860年 「維新の湯」の浴槽を建造
67年 西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允が倒幕について協議
87年 新客室棟を増築。初代総理大臣・伊藤博文が来泊
1932年 法人化。「松田屋」から「松田屋ホテル」に
■ 松田屋ホテル ■
本社所在地 山口市湯田温泉3丁目
従業員数 約60人(2010年5月、パート含む)
客室数 33室(全て和室)
長崎
龍馬に会いたい:/17 土佐商会跡 /長崎
◇海援隊の活動を支援
三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎(1835~85年)が雄飛したのが、幕末の開港でぼっ興する長崎だった。
1867年、土佐藩が長崎に設置していた商社「開成館長崎商会」、通称「土佐商会」の主任となり、その手腕を発揮。外国人居留地のグラバーら貿易商と丁々発止渡り合って蒸気船や洋式銃を次々買い付け、激動の時代に経営感覚を磨いた。坂本龍馬の海援隊の活動も陰から支えたことでも知られる。
三菱史アナリストの成田誠一さん(68)=東京都文京区=は「土佐では得られなかった国際ビジネスのセンスが長崎で得られ、龍馬や海援隊のやり方も吸収できた。長崎は弥太郎の『ビジネススクール』だった」と分析する。
その土佐商会跡(長崎市浜町)にこのほど市などが新たにモニュメントを設置した。東彼杵町立千綿中教諭で彫刻家の藤原健太郎さん(35)=大村市=が、土佐藩船「夕顔丸」の銅製モニュメント(高さ50センチ)を作製。夕顔丸は、坂本龍馬が大政奉還を提案した「船中八策」の舞台とされるが、弥太郎は、龍馬が乗った夕顔丸が長崎から出港するのを涙を浮かべて見送ったという。
藤原さんは「夢や志を持つことの大切さを感じてほしい」と語った。【錦織祐一】
龍馬伝に合わせ東京で「長崎学講座」 講演や検番の踊りで魅力発信
東京・両国の江戸東京博物館で開催されているNHK大河ドラマ特別展「龍馬伝」に合わせ、長崎の歴史の魅力を発信する「旅する長崎学講座 龍馬が生きた時代~幕末長崎へ旅に出よう」が29日、同博物館で開かれ、歴史ファンら約450人が詰め掛けた。
県の主催。開会に際し、中村法道知事が亀山社中記念館など多彩な歴史スポットを紹介し「長崎の魅力は和華蘭。古くから海外と交流を重ね文化を育ててきた。ゆっくり堪能してください」などとあいさつ。
県文化振興課の石尾和貴氏が「なぜ龍馬は長崎をめざしたのか」と題し講演。龍馬が妻お龍とカステラを持って鹿児島県霧島へ新婚旅行に出かけたり、お龍が長崎で「月琴」を習ったりしたエピソードに触れながら、「長崎は近代化の学校。西洋だけでなく、国内の諸藩の情報も集まった」などと龍馬が長崎を目指した歴史的背景を説明した。
幕末長崎の古写真をめぐる姫野順一氏(長崎大教授)と本馬貞夫氏(県参与)の対談や、長崎検番の芸妓(げいこ)衆による踊りの披露などもあった。
ブックレビュー
【書評】『日本力』松岡正剛、エバレット・ブラウン著
知のフェロモンを刺激
この本は私の内なる何かを刺激する。まず、表紙である。単なる白黒写真とは明らかに違う。読み進めて157ページ目で、日本に22年間住むエバレット・ブラウン氏が、対談相手の松岡正剛氏を撮ったものとわかる。安易に答えを教えないのは、文化はじっくり味わうものというメッセージであろうか。
湿板写真という幕末・明治に使われていた技法を使用して、大型カメラで5分、10分と時間をかけて撮影すると、薬品や場所の湿度や季節や光など自然の要素が仕上がりに大いに影響し、「偶然とか予想外のもの、いわゆる不安定で不完全なものが写真に現れる」とブラウン氏は言う。さらに、この撮影方法を「千利休などが進めた『不完全な美』の世界に一番近い」と表現する。なるほど、日本文化研究の第一人者である松岡氏が「日本人以上に日本の本来を感じさせる思索力や観察力を持ったとびきりのガイジン」とブラウン氏を高く評価するわけである。
松岡氏が「ガイジン」と言うとき、異質な人間を排除しようとする閉鎖性は皆無だ。異文化からきた人間だからこそ、日本に生まれ育った日本人が見逃しがちな日本本来の文化の水流をガングロなどの若者文化の中にも見いだす力を持つ者として捉(とら)えている。
2人が「謎めく」日本について縦横無尽に語り合う熱気は、私がアメリカで「ガイジン」だったとき、どんなテーマで取材をしても、良くも悪くも開拓精神あふれるアメリカの根っこにつながっていることを実感できて面白くて面白くてたまらなかった興奮を思いださせた。私の場合、13年の異国での生活後、改めて日本を知りたくなって帰国したが、取材や日常で会う日本は、アメリカ制度の後追いであったり、閉塞(へいそく)的であったりした。ところが、この本には私が求めていた日本が凝縮されていた。松岡氏は「日本人から日本を感じるための『知のフェロモン』のようなものが希薄になり、衰退している」と言う。冒頭、この本は私の内なる何かを刺激すると書いたが、それは弱った私の知のフェロモンだったのだ。(パルコ・1680円)
評・井口優子(評論家)
文化芸能
<歌舞伎>新解釈の『佐倉義民伝』 来月、コクーン歌舞伎で中村勘三郎
中村勘三郎が串田和美の演出、鈴木哲也の脚本で、新しい解釈の「佐倉義民伝」を六月三日から東京・渋谷のシアターコクーンで上演する。江戸時代前期、領主の圧政に苦しんだ下総佐倉(今の千葉県)の名主・木内宗吾が将軍に直訴して、家族とともに処刑された凄惨(せいさん)な実話に基づく狂言。勘三郎は「宗吾の怒りを小さな私憤に終わらせないように筋や結末を大胆に変えた。十分納得してもらえる出来」と自信を見せれば、串田も「見たこともない宗吾伝になる」と語る。 (藤英樹)
「佐倉~」は歌舞伎には珍しい農民劇。三世瀬川如皐の作で幕末の一八五一年に江戸中村座で初演され好評を博した。当時は幕府を憚(はばか)り室町時代の設定にしていた。その後河竹黙阿弥が追補し、明治時代になると舞台を江戸時代に改め、現在の形となった。
全七幕だが、これまで頻繁に上演されてきたのは、宗吾が将軍への直訴のため江戸に赴く前、累が妻子におよぶのを避けようと離縁しに自宅に戻る「子別れ」と、寛永寺に参詣する将軍家綱に宗吾が駆け寄り願書を渡す「直訴」。
勘三郎は二〇〇二年に歌舞伎座で初演しており、今回二度目。勘三郎と串田が組んだコクーン歌舞伎としては五年ぶりの新作となる。
「実は僕は別の作品を温めていて、『佐倉~』と聞いて最初は難題と感じ、少したじろいだ。でも味付けを考えるうちにアイデアが次々とわいてきた」と串田。宗吾の悲しみや苦しみを描く従来の世話物的な要素に、農民の実情など客観的な話を加えて「もう少し乾いた心理描写になる。それを軽快なリズムで伝えたい」と言う。
宗吾を演じる勘三郎は「農民一揆を起こそうという周囲の声を押さえて領主と話し合い、最後まで平和的な解決を目指した宗吾は理想主義者で、悲しくて強い人。すぐ感情を発散する僕とは正反対の性格かな。舞台では抑えに抑えて勤めたい」と語る。
今回の新解釈の中で特に注目されるのは、新たに登場させる「駿河弥五衛門」(中村橋之助)。幕府転覆を謀った歴史上の人物由比正雪を自称する大道芸人という設定で、宗吾のやり方を批判し一揆をあおるなど対極のキャラクター。人間の醜さを肯定し、理想主義を軽蔑(けいべつ)しながらも宗吾に引かれていく。
「実は宗吾の中にも葛藤(かっとう)がある。弥五衛門という人物を登場させることで、宗吾の“化身”かもしれないということを観客に感じてもらえれば。僕が宗吾と二役でこの人物を勤めるという話も出たが、訳が分からなくなるのでやめましたが」と勘三郎。
今回の舞台では、領主に裏切られ一緒に処刑されるわが子に向かって、宗吾が「成仏などするな。恨みを残して死ね」と呼び掛ける壮絶な最期や、宗吾の霊に取りつかれた領主が家臣を斬殺(ざんさつ)し、藩改易となる場面までも描かれる。そしてあっと驚く結末。勘三郎は「見てのお楽しみ。現代にも通用する新鮮なドラマになった」と力を込める。
時間を節約しドラマをテンポよく進めるため義太夫は使わず、歌舞伎史上初めてラップ音楽を使う。ほかの出演は中村七之助、坂東弥十郎、中村扇雀ら。二十七日まで。一万三千五百~五千円。(電)0570・000・489。七月二~八日には、串田が芸術監督を務める長野県松本市の市民芸術館でも上演される。一万五千~五千円。(電)0570・02・9999。
エンターテインメント
【プレミアムシート】“出会い”に恵まれた大沢たかお「俺ってしょぼい」
「危険な香りがするよね。誰もやったことない舞台だから怖いけど、自分でもドキドキするほど楽しみ」。さらりと言い放ったかと思うと、真っ白な歯を見せて笑った。
来月、奈良・薬師寺の特設舞台で、朗読活劇「一期一会『義経』」を上演する。壇ノ浦で平家を滅ぼしたものの、兄・頼朝との不仲から奥州に落ち、ついに悲劇の最期を遂げる源義経。その生涯を、朗読と芝居と音楽で描きあげる野外劇で、原作は司馬遼太郎。
「義経は血と運命に翻弄(ほんろう)された人。僕は大好きだし、そんな義経の思いを、司馬さんの文体を大切に読ませていただきながら現代に伝えたい」
本を手にしながら、ときに義経、ときに弁慶、ときに静御前と、すべての人物になりきり、語り分け、叫び、苦悩し、演じる。表現のルールなどない。
「飛び出す絵本みたいになれば。薬師寺という特別な場所がインスピレーションを与えてくれそう。スリリングな舞台にしたい」
× × ×
昨年、主演したドラマ「JIN-仁-」は、最終回が25・3%と、平成21年度の連続ドラマの最高視聴率を記録。幕末にタイムスリップした脳外科医の苦悩を自分の血と肉とする好演で橋田賞も受賞した。
しかし当人は、「もう、忘れちゃった」といたってクール。「過去はどうでもいい。いま、しかない」
大学在学中からモデルとして活躍。俳優に転向した当初はトレンディードラマなどにも主演。181センチの長身、整った容姿で一躍人気俳優になった。
「デビューして数年は、俺ってすごいなと思ってた」と打ち明ける。「でも、あるときから、『あ、俺ってしょぼいな』って。俳優としての演劇的才能がそれほどあるとは思えない。ただ、人に出会う才能だけはとびっきり恵まれてる」
近年は映画「解夏(げげ)」で人間の内面に分け入るような繊細な演技を見せる一方、激しいアクションもこなし、硬派な人間ドラマにも存在感を発揮。映像のイメージが強いが、社会派劇「ディファイルド」やミュージカル「ファントム」など舞台にも意欲的だ。
「役者は不特定多数の人に自分を認めてもらえて、喜んでもらえて、愛してもらえるすごい職業。仕事以上の欲を満たしてもらってるのに、人生に安定なんて求めない」
× × ×
40代を迎え、「役者としてこれからおもしろくなる」と自分に期待をかける。
今秋には、幕末の水戸藩士にふんした主演映画「桜田門外ノ変」も公開。
「いつも心がけていることは現場に本気で立つこと。そして作品や周りの人に誠実であり続けること」
額にかかる髪を長い指でさりげなくかきあげる。危険な男の香りにぐらりときた。(文・亀岡典子、写真・頼光和弘)
■おおさわ・たかお 昭和43年、東京生まれ。大学在学中からモデルとして活動。平成6年に俳優に転向してからは映像、舞台などで幅広く活躍。代表作にテレビ「深夜特急」、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」、「解夏」(日本アカデミー賞優秀主演男優賞)など。
舞台「朗読活劇一期一会『義経』」は6月5、6日いずれも午後6時半から、奈良・薬師寺の特設舞台で上演される。
今週は四日連続で落語会を見ました。毎日堪能しましたが、本日さすがに飽和状態でございます……録画した落語中継を再生して見ているところではございますが(苦笑)。
北海道
旧函館博物館1号が18年ぶり一般公開
秋田
佐藤信淵没後160年展:江戸の経済学者、特別展 羽後で文書や自筆本38点 /秋田
福島
会津藩士族復帰の文書 東京の会社役員宅で発見
茨城
県立歴史館でテーマ展「狛犬の魅力」を好評開催中!
栃木
企画展:幕末動乱の様子、貴重史料で紹介--佐野市郷土博物館 /栃木
神奈川
ペリーの時計再び時刻む 横浜開港資料館で公開
石川
幕末と現代、理系タッグ からくり記念館と金沢工大
岐阜
各務原復元の「脇本陣」完成
30日から公開美術展や演奏会も
復元「宗和の庭」に来て 高山・宗猷寺が30日に一般公開
長崎
福山「龍馬」が長崎凱旋
伊勢谷晋作、写真に合わせ前髪切った
故郷で演技「照れる」 龍馬伝主演の福山さん
福山竜馬に長崎沸く 大河ドラマロケ開始
エンターテインメント
6人の隊士が魅せる! 薄桜鬼キャラクターCD!
文化芸能
『JIN―仁―』ギャラクシー賞マイベストTVグランプリ賞です。おめでとうございます。
TBS「JIN」は世の中を勇気づけた
『龍馬伝』第3部で“福山龍馬”イメチェン ビジネスマン仕様に
北海道
旧函館博物館1号が18年ぶり一般公開
函館公園内(青柳町)の市立函館博物館本館に隣接する道指定有形文化財の「旧函館博物館1号」が25日、1992年以来18年ぶりに一般公開された。市民ら約250人が来場。開館当時に展示されていたとされる標本や民族資料が並べられた館内で、往時の雰囲気を体感した。
同館1号は函館公園のオープンより約半年早い明治12(1879)年5月25日に「開拓史函館仮博物場」として開館した。国内に現存する地方博物館では最も古い洋風木造建築の建物。この日、開場131周年を迎えた。公開は本館で開催中(7月11日まで)の函館ゆかりの研究者の足跡をたどる特別展「いきもの事始め―函館発 博物学大事典」の一環として実施した。
館内では開館当時に使用していた展示台の上に、ニシンやクロダイの標本や、アイヌが日々の生活で使用していたさじや火ばしなどが並べられた。幼少時に訪れたことがあるという宝来町の田嶋幸さん(86)は「当時はすごく広く感じられた館内だが、今はまた違ったふうにみえる。すごく懐かしい」と興味深そうに館内や展示物を眺めていた。
同博物館は「現段階では次回の公開はまだ予定していないが、今回の公開の反応を見て検討したい」としている。
秋田
佐藤信淵没後160年展:江戸の経済学者、特別展 羽後で文書や自筆本38点 /秋田
羽後町西馬音内生まれとされる江戸時代後期の経済学者、佐藤信淵(のぶひろ)(1769~1850)の全業績をたどる特別展「佐藤信淵没後160年展」が、町歴史民俗資料館で開かれている。7月4日まで(月曜休館)。
公開されているのは、佐藤信淵文書や自筆本(一部は県指定文化財)▽当時の画人による肖像画(掛け軸)▽北海道から九州の全国遊歴地図--計38点。
資料館によると、佐藤家は平安後期の源平時代にさかのぼる名族で、第33代から信淵までの5代で家学を大成した。信淵は故郷を著書「農政本論」で西馬音内、別書「草木六部耕種法」で郡山(福島県)と記している。
佐藤信淵が足跡を刻んだ時代は、明治維新につながる激動期。幕藩体制が揺らぐとともに、世直しの“経世済民”を唱える在野の知識人、いわゆる経世学者らが活躍した。
中でも信淵は医学や農政、経済など森羅万象の学問に通暁したある種の巨人で、江戸湾干拓や来航する洋艦を火炎で打ち払う「自走火船」建造なども献策したという。
増沢廣館長は「信淵の先見性を、郷土の子供たちにも知ってもらいたいと思って企画した」と話している。問い合わせは同館(0183・62・5004)。【佐藤正伸】
福島
会津藩士族復帰の文書 東京の会社役員宅で発見
東京都杉並区の製薬会社役員大河原晃さん(69)宅で、幕末の戊辰(ぼしん)戦争で敗れた会津藩士の士族復帰を示す文書が見つかった。大河原さんは27日、会津若松市を訪れて文書を公開、子孫への返還を希望している。
会津藩は戊辰戦争後の明治初め、青森に移り、斗南(となみ)藩を立てたが、士族として認められなかった藩士が多数おり、廃藩置県で福島県に戻った人たちもいた。
公開した文書は「辞令書入」4通。当時の日下義雄福島県知事が1894年(明治27年)6月20日付で、小川吉蔵(若松台ノ町)、藤田忠平(馬場下一ノ町)、柏木栄吉(若松川原町)、清水キク(博労町)の4人に「士族ニ編入ス」と命じている。
大河原さんが3年前、引っ越しのため、荷物を整理した際、祖父の又次郎さんの遺品の中から、他の関係資料11点とともに見つかった。会津若松市の図書館などで子孫を探したが、柏木さんの子孫が北海道余市町へ渡ったことが確認できただけで、分からないままになっているという。
大河原さんは「祖父の兄は会津若松に住んでいたようだが、祖父がどういう経緯で文書を保管していたのか分からない。個人あての文書なので、ぜひ子孫に返したい」と話している。
問い合わせは、大河原さん(03・3394・3285)へ。
(2010年5月28日 読売新聞)
茨城
県立歴史館でテーマ展「狛犬の魅力」を好評開催中!
県立歴史館(水戸市)では、現在、テーマ展「狛犬の魅力」を開催しています。
今回展示している狛犬は、参道などに置かれている石造の狛犬ではなく、神殿内に置かれた木造や陶製のもので、普段はなかなか見ることができないものばかりです。
狛犬は仏教とともに日本に伝わったといわれています。角がなくて口を開けた獅子(阿形(あぎょう))と、角があって口を閉じた狛犬(吽形(うんぎょう))の2体で1対となっています。
県・市町村指定文化財の狛犬や、今回の展示に向けた調査中に発見された県内最古(平安時代後期)の狛犬(鹿島神宮蔵)など新発見の資料も紹介し、茨城の神道美術を探るとともに、造形美の魅力にふれていただきます。
会期は6月27日(日曜日)まで。
展示解説は、5月30日(日曜日)と6月19日(土曜日)の午前11時と午後2時に行います。
また、同時期開催として、一橋徳川家記念室展示「茶の湯」、学習支援展示「ちょっと昔のくらし」、さらに、2階ギャラリーで幕末の水戸藩士を紹介するパネル展「描かれた水戸藩士」を開催していますので、併せてご覧ください。
詳しくは県立歴史館へお問い合わせください。
電話 029-225-4425
栃木
企画展:幕末動乱の様子、貴重史料で紹介--佐野市郷土博物館 /栃木
佐野市大橋町の市郷土博物館で、企画展「幕末の佐野」が開かれている。佐野で起きた幕末の動乱の様子を現在に伝える貴重な文書などの史料約50点が展示されている。期間は6月15日まで。
文書が中心に展示されており、彦根藩13代藩主で大老の井伊直弼(いいなおすけ)を中心に取り上げ、日光東照宮への社参の帰りに寄った佐野の領地巡見、桜田門外の変(1860年)で暗殺された状況などが分かる。また、尊王攘夷(じょうい)運動の太平山事件や出流山事件に参加した浪士や農民に関する史料もある。入館料は一般210円、大学・高校生100円、小中学生50円。6月15日は無料。月曜休館。問い合わせは同館(電話0283・22・5111)。【古賀三男】
神奈川
ペリーの時計再び時刻む 横浜開港資料館で公開
幕末に黒船で来航した米提督ペリーが静岡・下田の武士に贈った置き時計が、修理されて再び時を刻み始め、29日に横浜市中区の横浜開港資料館で公開された。展示期間は6月6日まで。
横浜開港資料館によると、時計はぜんまい式で、1850年ごろに米国で製造された。下田に来航したペリーが54年に下田奉行所の武士に贈ったもので、横浜市に住む現所有者の祖父が90年にこの武士から譲り受けた。
4年前、止まった状態で同資料館に1カ月間展示。昨年、古時計研究家によって修理され、再び動きだした。文字盤などは修復したが、機械部分の部品はほとんど当時のまま。1時間おきに「ポーン」と時を告げる。
公開期間中は休館日の月曜以外は毎朝、資料館の職員がぜんまいを巻いて動かす。
石川
幕末と現代、理系タッグ からくり記念館と金沢工大
金沢工大と金沢市の県金沢港大野からくり記念館は7月から、子どもたちに科学の楽しさを伝える連携事業を展開する。第1弾として、幕末の科学者大野弁吉が行っていたという測量に光を当て、幕末と現代の測量法の説明や衛星利用測位システム(GPS)を使った遊びなどを行う計画で、「理科離れ」食い止めに力を入れる。
専門知識を交えた多彩な催しで、子どもたちに理科に興味を持ってもらおうと記念館が協力を求め、金沢工大が応じた。
7月19日に行う企画第1弾は、同市大野町4丁目の大野お台場公園で、GPSで位置情報を確認しながら園内で「宝探し」を行う趣向。同大環境土木工学科の鹿田正昭教授と研究室の学生が参加し、学生がGPSを使った測量などについて説明する。
このほか、江戸期の技術を用いた測量体験や測量板、日時計、弁吉が使用した歩数計や測量に使う計算式が書かれた書物などの展示も行う。
記念館と同大は今後も協力し、科学関連のイベントを企画する予定。伊林永幸館長は「現代と江戸期の科学を同時に学べる新しい取り組みになる」と期待を込め、鹿田教授は「子どもたちは、科学は面白いというイメージをあまり持っていない。これを覆したい」と意欲を示した。
岐阜
各務原復元の「脇本陣」完成
30日から公開美術展や演奏会も
各務原市は28日、同市鵜沼西町の旧中山道鵜沼宿に復元した「脇本陣」を報道関係者に披露した。30日から一般公開する。市は施設を利用した美術展やコンサートを開催し、新たな歴史スポットとして市民にPRしていく。
脇本陣は江戸時代、街道の各宿場町に置かれ、大名や公家が利用した本陣の脇にあり、お供や一般の旅人の宿として使われた。
鵜沼宿は、中山道52番目の宿場町で、この脇本陣は幕末の安政年間(1854~60年)まで坂井家が管理を任されていた。
復元された脇本陣は、元治元年(64年)に描かれた同家の間取り図と、現存する中山道太田宿脇本陣林家(美濃加茂市)などを参考にして造られた。14部屋と3か所の湯殿があり、庭園や防火用のうだつなどを備えている。総事業費は約2億6600万円。
玄関前には、1688年、脇本陣に投宿した松尾芭蕉が詠んだ即興の句が彫り込まれたとされる句碑も移設された。市都市建設部の北川貴敏・景観政策室長は「江戸時代の建築様式や工法、県産のヒノキやケヤキといった本物にこだわった。コンサートや囲碁会場としても活用してもらいたい」と話していた。
入館無料。月曜(祝日の場合は翌日)を除く午前9時~午後5時。
復元「宗和の庭」に来て 高山・宗猷寺が30日に一般公開
高山市宗猷寺(そうゆうじ)町の宗猷寺は30日、復元整備した庭園(市指定名勝)を一般公開する。庭園は、高山城主・金森氏ゆかりの宗和流茶道の祖、金森宗和の好みを取り入れたとされる。今城東徹住職(68)は「しっとりした石の雰囲気と新緑の対比を楽しんでもらいたい」と話している。
宗猷寺は、金森氏二代可重(ありしげ)を弔うため、3代重頼と弟の重勝が1632(寛永9)年に開山した。宗和は可重の長男にあたる。庭園(広さ約800平方メートル)は本堂の裏山を借景に造られ、小さい石や低い灯籠(とうろう)で形成された落ち着いた雰囲気が特徴だ。
2004年の台風で裏山が崩れ、08、09年度に復元整備。庭園などの研究者、京都工芸繊維大の中村昌生名誉教授のアドバイスを受けて進めた。整備費の約半分(1000万円)は市の補助を得た。
裏山は今、サツキやミヤマワスレが咲いており、今城住職は「新緑の季節が一番きれい」と話している。境内には「幕末三舟」の山岡鉄舟の父母の墓や、木地師の集団墓地などもある。
庭園の公開は30日午前10時~午後3時。無料。問い合わせは宗猷寺=電0577(32)1958=へ。
(白山泉)
長崎
福山「龍馬」が長崎凱旋
NHK大河ドラマ「龍馬伝」(日曜・後8時)の長崎ロケが27日、同市内の崇福寺で行われ、主演の福山雅治(41)、蒼井優(24)、伊勢谷友介(33)、余貴美子(54)が参加した。
寺内には、九州に5つしかない国宝のうち第一峰門、大雄宝殿の2つが存在。薩摩に向かう途中の坂本龍馬(福山)が祭りでにぎわう長崎に立ち寄ったシーン、奇兵隊を作った長州の高杉晋作(伊勢谷)と出会うシーンなどが収録された。
役者として故郷に凱旋となった福山。昨年は夏の野外ライブ、紅白歌合戦の中継で市内を訪れたが、ドラマの撮影では初めてで「生まれ育った、(普段)来たことのある場所でお芝居をするのは照れ臭い。長崎に来て土佐弁をしゃべっていることにも照れ臭さを感じる。(今回は)友達にも連絡せず、黙って帰ってきました」。10代後半の青春時代を思い返し「デートは寺派じゃなく、海派だったな~」と懐かしんだ。
芸妓お元役の蒼井はあでやかな着物姿で登場。父方が五島列島出身という縁もあって「(長崎に)久しぶりに来て落ち着く気がします。その中でお芝居をするのは、とてもいい気がする」と笑顔。伊勢谷も「幕末の志士の熱い思いが、皆さんに伝わるように努力していきたい」と誓った。
長崎ロケは29日まで。7月18日の第29回「新天地、長崎」から放送予定。
伊勢谷晋作、写真に合わせ前髪切った
歌手で俳優、福山雅治(41)が27日、故郷の長崎市で、主演するNHK大河ドラマ「龍馬伝」(日曜後8・0)のロケを行った。また、市内のロケ地の1つ、崇福寺(そうふくじ)で高杉晋作役の伊勢谷友介(33)らと会見。
高杉晋作役の伊勢谷は「幕末の志士たちのエゴなき戦いは、現代とリンクしている。そういう志士のような人に現代こそ出てきてほしいと思っていたので、この作品に参加できてうれしい」と力強く抱負を語った。
晋作の現存する写真に合わせて自身の前髪を短くしたと明かし、「ちょっと短くしすぎて、あちらの方(オカマ、の意)かと思った。そう見えないように演じたい」と冗談っぽく笑った。長崎の芸妓・お元役の蒼井優(24)、茶貿易で成功する大浦慶役の余貴美子(54)も会見に出席した。
故郷で演技「照れる」 龍馬伝主演の福山さん
NHK大河ドラマ「龍馬伝」の長崎ロケが27日始まり、主演の福山雅治さんら4人が会見して意気込みを語った。
‐長崎の印象と役への意気込みを。
福山さん 長崎の5月は本当にいい季節なので帰って来られてよかった。撮影でカメラ越しに映像を見て、こんなに絵になる場所だったんだとあらためて思った。
伊勢谷友介さん(高杉晋作役) 海から岩崎弥太郎が築き上げたビジネスが見え、現在もドラマとつながっていることに感動した。幕末の志士たちの熱い思いが伝わるよう努力したい。
蒼井優さん(お元役) 父が五島列島出身なので長崎には何度か来たが、やっぱり落ち着く。史実に残っていない役なので、自由にやれるのではないかと楽しみだ。
余貴美子さん(大浦慶役) 早速しっぽく料理を堪能し、和洋中ミックスされていて長崎ってこういうところなんだと感じた。慶に対し長崎の人は熱い思いを持っているので誠実に演じたい。
‐長崎検番から踊りの指導を受けてどうか
蒼井さん すそさばきが難しい。何かを表現するときには表情などを作りがちだが、内側に秘めるだけという奥ゆかしさを楽しみたい。
‐地元で龍馬伝の撮影に臨む気持ちを。
福山さん 生まれ育ったこの場所で芝居をしたことがなかったので、急に照れくさくなった。「なんかおれ、地元で芝居しよるばい」と。長崎編の放送開始が7月からだが、夏休みに全国から観光客が来ていただけると本当にうれしい。
‐長崎市民へのメッセージを。
福山さん 大河ドラマの舞台となることはなかなかない。これを機にみなさんも盛り上げる方法を考えてほしい。
福山竜馬に長崎沸く 大河ドラマロケ開始
竜馬、いよいよ長崎入り‐。NHK大河ドラマ「龍馬伝」の長崎市ロケが始まった27日、長崎の街は「この日を待っていたぞ」と活気に沸いた。ロケ現場となった同市の崇福寺は、地元のエキストラ約100人が協力し幕末の長崎がよみがえった。
赤い中国提灯、鳴り響く爆竹、龍踊(じゃおどり)に獅子舞…。中国盆でにぎわう街には、和服、ドレス、中国服の人々が練り歩く。この日撮影された第3部の冒頭シーン、初めて長崎を訪れ「和華蘭文化」に魅了される竜馬を描く大事な場面。鈴木圭プロデューサーは「忠実に再現され番組の見どころになる」と表現した。
龍踊の囃子(はやし)役でエキストラ出演した男性(46)は「くんちのときと音の出し方など勝手が違って難しかったが、めったにない経験をさせてもらった。映像を見るのが楽しみ」と話していた。
エンターテインメント
6人の隊士が魅せる! 薄桜鬼キャラクターCD!
新撰組に心奪われるのは男子だけじゃない! 話題のアニメ「薄桜鬼」、その中でも人気キャラクター6人の魅力を存分に味わえるCDシリーズ「幕末花風抄」が誕生!
5月26日にリリースされたのはシリーズ第1弾の“鬼の副長”こと土方歳三&“端麗な天才剣士”とうたわれる沖田総司の2人。キャストはもちろん三木眞一郎さんと森久保祥太郎さんです。
珍しいのはキャラクター“ソング”ではなく、「イメージ曲」に「語り」を乗せたキャラクター“イメージ曲”であること。各キャラクターをイメージした楽曲を背景に、思い思い情感たっぷり“語って”くれています。もちろんミニドラマも収録。株式会社ティームエンタテインメントのサイトでは“語り”の部分を少しだけ視聴できちゃいますよ。
6月9日には第2段として斎藤一(CV:鳥海浩輔)&原田左之助 (CV:遊佐浩二)、6月23日の第3段では藤堂平助(CV:吉野裕行)&風間千景(CV:津田健次郎)が発売予定です。
彼らの魅力にますます釘付けになってしまいそう!
文化芸能
『JIN―仁―』ギャラクシー賞マイベストTVグランプリ賞です。おめでとうございます。
TBS「JIN」は世の中を勇気づけた
TBS系ドラマ「JIN-仁-」が、番組の向上と発展促進を目的として、優れた番組を表彰するギャラクシー賞の中で、視聴者も投票するマイベストTV賞グランプリを受賞した。28日、主催する放送批評懇談会が都内で発表した。「医療ドラマと幕末ものを融合させた珍しいドラマ」「久々に来週が待ち遠しいと思わせるドラマ」などと、投票者からの声が多数寄せられたという。
『龍馬伝』第3部で“福山龍馬”イメチェン ビジネスマン仕様に
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第3部「RYOMA THE NAVIGATOR」(7月18日スタート)から、福山雅治演じる坂本龍馬のヘアスタイルが“ビジネスマン仕様”にイメチェンする。27日、今年2月に行った大村湾での船上ロケ以来、2度目となる長崎ロケがスタートし、新キャストの伊勢谷友介(高杉晋作役)、蒼井優(お元役)、余貴美子(大浦慶役)の初扮装姿に加え、髪を後ろで束ねた福山龍馬が初お披露目された。
この日は龍馬、近藤長次郎(大泉洋)、沢村惣之丞(要潤)たちが船で大坂から薩摩に向かう途中で立ち寄った、長崎・崇福寺(そうふくじ)で収録。爆竹が鳴り響き、龍踊りや獅子舞が練り歩く祭りで賑わうシーンなど、地元のエキストラ約100人が参加した。現地で会見も行われ、鈴木圭チーフプロデューサーは「崇福寺さんの協力を得て、幕末当時を再現させてもらった」と報告した。
第3部で龍馬は、薩摩藩家老・小松帯刀や長崎の商人・小曽根家の援助を受け、外国との交易で栄える長崎で「日本最初の商社」といわれる海運会社・亀山社中を開始、本格的にビジネスを始める。鈴木プロデューサーは「今回の長崎ロケは大変大がかりなもの。外国人やエキストラも多い」とスケール感に自信をのぞかせ、「第3部から龍馬は髪型を変えている。ソリッドな感じでビジネスマン龍馬。注目してほしい」と話した。
福山も「3部からリーダーになったので髪型がかわった。責任感のあらわれ?」と髪型をアピール。報道陣から長崎時代に崇福寺にデートできたことがあるかと問われると「デートは、寺派ではなく海派です。このあたりは、バンドの練習などでギターを抱えて徘徊していた。まさか、20年後に袴でくることになるとは夢にも思わなかった」と笑いを誘った。
2度目の凱旋ロケに「長崎市内でお芝居をするのは初めてなので照れくさい」「地元長崎で土佐弁をしゃべっているのがとても照れくさい」と少し恐縮気味。長崎を「歴史好きにはたまらない深い歴史のある街」とし、「このお寺にも何度かお参りにきたことがあるが、カメラ越しにお寺の映像をみて、こんないい画がとれるのかと改めて思った。もっといろいろな場所で撮影してほしい」と故郷への愛を口にした。
龍馬は長崎のどこに惹かれていたのか。福山は「外に開けていたところに尽きると思う。長崎は希望だとも龍馬さんは言っていた」と思いを馳せ、「自分がやっていることで長崎が活気づけばいいと思う。他のドラマにまつわる地域(高知や京都など)も活気がでたら嬉しい。そこに参加できることが嬉しい。他の仕事ではできないことだと思う」と胸を張る。一方で「大河の舞台になったのを機に、長崎市のみなさんに長崎を盛り上げる方法を考えてほしい」と地元の奮起も促した。
会見に参加した新キャスト3人は「自立した女性のさきがけ。本人になったような気分」(余)、「前髪がとにかく短い。“あちらの方”に見えないように役になりきりたい。みんなと格好が違うので楽しませていただいている」(伊勢谷)、「頭の飾りが毎回違うのでそれも楽しんでいる。『ごめんちや』『ぜよ』を使っています」と楽しみながら撮影に臨んだ。
また、さらなる追加キャストとして、龍馬が厚い信頼を寄せ、薩長同盟を結ぶため京に向かう際に同行した長州藩士・三吉慎蔵役に筧利夫、後に伊藤博文内閣の外務大臣などを務める井上聞多役に加藤虎ノ介、グラバー商会を設立し茶や武器、艦船などを取引した長崎随一の外国商人トーマス・ブレーク・グラバー役にティム・ウェラードが発表された。
東京では昼過ぎに大雨。皆さんはどこにいらっしゃいました? 私は雨の中を立ち寄った立ち食い蕎麦屋さんで難儀していたら「前にお客さんが忘れたものだから返しに来る必要はないからね」とビニ傘を譲っていただきました。多謝。今後、贔屓にさせていただきます(^^)。
東京
絹の道 バスツアー
日帰りバスで募集
昼食込みガイド付きバスツアー、5900円……いいなぁ。自分で車を持っていないと、こういう旅程で動くことはできないし。
神奈川
「今こそ、龍馬を学ぶとき」 勉強会発足
6/5記念講演 トーク参加者募集中
静岡
紫と白、境内に初夏/下田・了仙寺
井上馨の遺品公開へ 静岡市長が表明
岐阜
戦国、幕末の可児ひと目 市史第2巻予約受け付け
京都
リンク先、音楽が流れますので飛ぶ時には環境にご注意ください。
翔(かけ)る!龍馬
山口
高杉晋作の遺品返還訴訟:「晋作の歴史遺産守る会」、萩市であす結成式 /山口
復刻:「伊藤公と山縣公」対照的な2人を軽妙に 周南・マツノ書店が400部 /山口
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(63)東大教授・山内昌之 堀田正睦
エンターテインメント
「薄桜鬼」キャラCD2タイトル「土方歳三」&「沖田総司」がリリース!
何と歌っている?空耳議論沸騰「龍馬伝」オープニング歌詞の謎
「ミドリガメ」説に爆笑^_^;。
ブックレビュー
「恋する日本史講談」を出版した女流講談師、神田 蘭さん 35
雑件
グーグルな女性、ヤフーな女性の異なる結婚観
「幕末」がキーワードで、こういう見出しの記事が引っかかってくるとは、と思って読んで見たんだけど……えーと、とりあえず『龍馬伝』の登場人物と万札擦られている人物って、知名度だけで選んでそうなランキングですな(爆)。
東京
絹の道 バスツアー
日帰りバスで募集
町田市観光コンベンション協会が主催する「絹の道日帰りバスツアー」の参加者を募集中。
昨年の横浜開港150周年を機にクローズアップされた「絹の道」。幕末から明治時代に最大の輸出品であった絹を、八王子から町田を中継して横浜港まで運んだルートをたどる。
同協会では生糸商人の栄華の跡を偲びながら、ガイドによる説明を加え、絹の道をたどる日帰りバスツアーを企画した。
開催日は6月22日(火)。町田バスターミナルに朝8時集合。主なルートは絹の道資料館、絹の道記念碑、横浜中華街(昼食)、横浜シルク博物館、三渓園など。18時30分町田駅解散予定。
旅行費用は5千9百円(バス代、昼食代、各施設入場料等含む)。申込みは6月10日(木)までに同協会へ。■申込み・問合せは【電話】042(724)1951
昼食込みガイド付きバスツアー、5900円……いいなぁ。自分で車を持っていないと、こういう旅程で動くことはできないし。
神奈川
「今こそ、龍馬を学ぶとき」 勉強会発足
6/5記念講演 トーク参加者募集中
幕末の偉人・坂本龍馬を多面的に学ぶ勉強会「さがみ龍馬先生顕彰会」(溝渕誠之会長)による、発足記念講演会が市立産業会館(中央区中央)で、来月5日(土)開催される。12時半開場、13時開演。入場無料(先着200名)。
思想家、政治家、実業家としての坂本龍馬の思想や人となりを学ぶことを目的に結成された同会。相模原市議の溝渕氏を筆頭に、(株)ハシモトコーポレーション(中央区宮下)社長の橋本欽至氏や古淵商栄会の内藤勝二氏らが会員に名をつらねる。このほか顧問として、大和市前市長で現在大正大学招聘教授の土屋侯保氏や、麻布大学学長の政岡俊夫学長が参加する。
龍馬への思いを語ろう
講演会当日は、「不世出の偉人 坂本龍馬先生」と題した土屋氏による特別講演が行われるほか、有志による「熱きトーク」を開催予定。現在事務局では、このトーク参加者を募集している。参加者にはもれなく龍馬の複製画軸装品がプレゼントされるので、“先生”への思いのたけを聴衆に語りかけてみては。
詳細や問い合わせは、同会事務局【電話】042(770)7358まで((株)ハシモトコーポレーション内)。
静岡
紫と白、境内に初夏/下田・了仙寺
幕末の日米和親下田条約の舞台となった下田市の国指定史跡・了仙寺で、初夏の風物詩のアメリカジャスミンが満開となった。境内は紫と白の花が日差しに映え、特有の芳香に包まれている=写真。
約40年前、1鉢が寄贈されたのをきっかけに挿し木で増やし、今では約1200株になった。今年の開花は平年より1週間、昨年より10日遅かった。6月初めまで見頃が続くという。
井上馨の遺品公開へ 静岡市長が表明
小嶋善吉静岡市長は26日の定例記者会見で、同市清水区の市埋蔵文化財センター収蔵庫にある幕末維新期に活躍した井上馨侯(1835~1915年)の遺品について、専門家による詳細な調査を行った上で公開する考えを明らかにした。
小嶋市長は「遺族が公開してもよいという話になった」と説明。「貴重なものの寄贈を受けている。本物かどうかなどを調査、検証した上で、公開すべきものを公開したい」とした。
遺品には高杉晋作らと尊皇攘夷(じょうい)を誓った血判状「御楯組(みたてぐみ)血盟書」などが含まれ、市長は「その時代の攘夷派の人たちの血判状などはあまりに生々しい。同様のたぐいのものがある」などと述べた。
市文化財課によると、市が寄贈を受けた遺品は書画27点、工芸品20点、硬貨(古銭)269枚、勲章類76点、書簡58点など計469点。幕末維新期に詳しい歴史研究者などの協力を得て、遺品の公開の在り方などの検討に入る。
市はこれまで「遺族が希望していなかった」とし、遺品の受け取りを公表していなかった。
岐阜
戦国、幕末の可児ひと目 市史第2巻予約受け付け
可児市史編さん室は、夏ごろに発刊予定の市史第2巻「通史編 古代・中世・近世」の予約を受け付けている。
B5判800ページ。古代から江戸時代までの可児市の歴史を通史として記述した。戦国時代や幕末の可児の動向もまとめ、領主千村氏、山村氏についての新資料も採用している。別冊の付録では江戸時代の市域の絵図35点をカラーで収録する。
既刊の第1巻「通史編 考古・文化財」、第4巻「自然編・民族編」、第5巻「資料編 古代・中世・近世」、第6巻「資料編 近・現代」に続く5冊目となる。
予約は「広報かに」5月15日号に折り込まれたチラシに付いている申し込みはがきを郵送するか、電話やファクスで直接、市史編さん室に申し込む。
1冊3500円。7月31日までに申し込むと送料無料で、8月1日以降は送料が実費負担となる。
問い合わせは市史編さん室=電0574(62)1111、内線2621=へ。
京都
リンク先、音楽が流れますので飛ぶ時には環境にご注意ください。
翔(かけ)る!龍馬
京都市東山区の幕末維新ミュージアム・霊山(りょうぜん))歴史館で、坂本龍馬の生涯を紹介する年間特別展「大龍馬展」が開かれています。第2期(5月7日~8月29日)のテーマは「翔る!龍馬」。土佐を脱藩して各地を巡り、有識者と親交を結び、社会への視野を広げていくまでを紹介します。勝海舟の塾頭で龍馬の兄弟子だった佐藤政養の世界地図「新刊輿(よ)地全図」や、幕府に開国を迫ったペリーの書状など約100点の資料を通じて「龍馬の時代」に迫ります。
山口
高杉晋作の遺品返還訴訟:「晋作の歴史遺産守る会」、萩市であす結成式 /山口
◇市民に関心喚起へ
幕末の志士、高杉晋作の遺品などを巡り、下関市の東行庵が遺族と萩市に対し返還訴訟を起こしている問題で、晋作を顕彰する全国晋作会連合会や萩文化財保護協会など6団体が呼びかけ人となって28日、「高杉晋作の歴史遺産を守る萩市民の会」(仮称)を設立する。「事態の経緯を理解し、市民として裁判の成り行きを見守ろう」との狙いだ。
萩市では、「高杉家から寄託を受けている」として萩博物館にゆかりの資料を展示しているが、今年3月、晋作の墓がある同庵が晋作のひ孫の高杉勝さんらを相手取り、晋作の産着など遺品69点の引き渡しを求める訴訟を山口地裁下関支部に起こしている。
結成式は28日午後4時半から萩博物館であり、設置要綱、役員を決め、活動内容や市との連携などについて協議する。設立世話人の全国晋作会連合会は「裁判の傍聴などを通して市民の関心を喚起し、晋作の歴史遺産を守るため啓発、支援活動を行う」としている。
裁判は4月に第1回口頭弁論があり、6月21日に第2回が予定されている。【川上敏文】
〔山口版〕
復刻:「伊藤公と山縣公」対照的な2人を軽妙に 周南・マツノ書店が400部 /山口
明治維新史の文献を復刻出版する周南市銀座2のマツノ書店が、ともに首相を務めた光市出身の伊藤博文(1841~1909)と萩市出身の山県有朋(1838~1922)のエピソードが盛り込まれた1936(昭和11)年刊行の「伊藤公と山縣(やまがた)公」を復刻し、400部限定で発売した。店主の松村久さん(77)は「幕末の志士に比べて評価が低い伊藤と山県の素顔に少しでもふれてもらいたい」と話している。【内田久光】
「伊藤公と山縣公」の原本は、伊藤の秘書を長く務めた外務官僚の小松〓(みどり)(1865~1942)が「中外商業新報」(現日本経済新聞)夕刊に連載した原稿をまとめ、東京・京橋の千倉書房から出版した。
「芸者好き」で知られた伊藤と、歌や踊り好きの「粋人」だった山県。政治姿勢など対照的に語られがちな2人の人間性について、近い立場にいた小松ならではの「秘話」を軽妙な筆致でつづっている。廃藩置県から日露戦争にいたる明治の激動を内幕も含めて語っており、興味深い。
「伊藤公と山縣公」の復刻は、松村さんが約10年前から原本を収集して計画。希望者が最も多かった昨年秋の顧客アンケートを受けて今年1月から作業を進め、5月に400部を発行した。A5判、500ページの復刻版は、B6判の原本を拡大して活字がより大きくなり、読みやすくなった。
マツノ書店(0834・21・2195)は5月中、復刻版を定価(税込み8000円)より25%安い特別定価6000円(税・送料込み)で販売する。残り部数が100部ほどになっており、松村さんは「興味のある方は早めの注文を」と話している。
〔山口東版〕
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(63)東大教授・山内昌之 堀田正睦
空気の変化読めない宰相
鳩山由紀夫首相は5月23日、沖縄県庁で仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事に対して普天間飛行場の移転先として辺野古周辺を明言し、協力を求めた。首相にしても、現地に2度出かけて、“誠意”を見せれば、反基地感情の強さを打開できると考えたわけでもなかろう。
それでも、沖縄の歴史と県民の独特な心性を学ばず、基地の県外移転の約束をほごにする首相に対する県民感情の厳しさを無視して、沖縄を再訪問する意図はどこにあったのだろうか。自分なりに主観的誠意をみせれば、相手も分かるといった幼稚な非歴史的発想なのか、説明責任を果たしたという政治的アリバイづくりなのか、そのいずれかなのだろう。
◆一身の責任で調印なら…
場の雰囲気や人の気分を理解せず、政治の大舞台に主役が出かけても成果どころか、失敗をもたらした例といえば、安政5(1858)年の老中首座、堀田正睦の入京が思い浮かぶ。
日米和親条約によって赴任したハリス総領事と堀田との修好通商条約の調印は難航したが、ともかく優秀な幕府官僚たちの努力で署名の直前までこぎつけた。
ここで堀田は、大政委任の慣行に従って自分一身の責任で調印すればよかったのである。積み重ねてきた議論に依拠しながら、自らの裁量権を行使して調印を断行したとしても、諸大名や諸藩の志士の力はまだ弱く、朝廷への遊説の影響力も限られていた。
堀田は丁重に伺いを立てるなら容易に勅許(ちょくきょ)を得られると考え、幕閣をリードする立場として、阿部正弘と違う手法で内政と外交を結合しようとしたのかもしれない。うるさ型の水戸斉昭(なりあき)の口を封じようという魂胆もあったのだろう。
しかし、堀田は、武家伝奏(てんそう)を通して関白や大臣を動かし、あとは「黄金の魔力」をばらまき朝廷工作をしてきた旧習にとらわれていた。公卿(くぎょう)の間で少しずつ「尊攘(そんじょう)の空気を呼吸する者」があり、京都の空気が変わってきた微妙な情勢変化に無頓着だったのである。
◆尊攘派に口実与える
それでも、もし堀田が自ら不意に入京して論弁したなら、勅許を得ていたかもしれない、と幕臣だった福地桜痴は『幕末政治家』で語っている。林大学頭(だいがくのかみ)(復斎)などの属官を出張させたために、「日本の安危にかかわる大事」なのに、朝廷を軽んじたと尊攘派公卿に理屈をこねさせる原因をつくってしまった。
そこで、自ら上京という段取りになったのだが、政治を動かすにはタイミングと決断が大事だということを堀田はつくづく悟ったに違いない。京で遊説した堀田は、訥弁(とつべん)に加え、煩瑣(はんさ)な宮中儀礼などで悪ずれした公卿にあしらわれ、むなしく失敗の歴史をのこして江戸に帰ったのである。ここが幕府と朝廷の力関係の変化の分岐点となった。
堀田はもう少し存分に、随行させた有能な幕府官僚の川路聖謨(としあきら)や岩瀬忠震(ただなり)を使いこなすべきだったのである。重大決定に際しては、懸案の経過と対処法を検討熟知する官僚を使わずに断を下すことができない。老中若年寄クラスの政治家と実務官僚の提携の失敗こそ、京都の雰囲気を理解しないリーダーがわざわざ乗り込んで失敗を重ねた原因である。
優秀な人材を多数育てる
ただし、堀田の名誉のためにいえば、彼は将軍家定のハリス接見など日米関係の好転に道をつけていた。そのうえ、外国事情通の賢侯であり、順天堂をつくった佐藤泰然、英語のパイオニア手塚律蔵を育てた人物である。堀田と佐藤の流れから、松本良順(りょうじゅん)、林董(ただす)など、堀田と手塚の流れから、西周(あまね)、神田孝平、津田仙、木戸孝允などの人材が出たことは特筆すべきである。
堀田については、棺を蓋(おお)いて事定まる、という見本であった。もし、現代に官僚を使いこなせないばかりか、人材を育てることもできず、国民の期待も失望に変わった指導者がいるとすれば、その人は何の面目があって政治家を続けているのであろうか。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】堀田正睦
ほった・まさよし 文化7(1810)年、佐倉(千葉)藩主堀田正時の次男として生まれる。文政8年藩主となり、寺社奉行、大坂城代などをへて老中。水野忠邦を補佐して天保の改革を推進したが、挫折し、辞任する。勧農政策や蘭学導入など藩政改革にも尽力。ペリー来航後、再任されて老中首座となりハリスと面接、日米修好通商条約を商議する。勅許を朝廷に求めたが失敗した。将軍継嗣問題では慶喜擁立を試みるが、井伊直弼の大老就任の後は勢力を失い、罷免される。蟄居(ちっきょ)を命じられ、元治元(1864)年、死去した。享年55。
エンターテインメント
「薄桜鬼」キャラCD2タイトル「土方歳三」&「沖田総司」がリリース!
女性向け人気恋愛ADVゲームを原作に、現在TVアニメが絶賛放送中となっている「薄桜鬼」より、キャラクターCD2タイトル「幕末花風抄 土方歳三」、「幕末花風抄 沖田総司」が5月26日にリリースされました!
6人の人気キャラクターの魅力をたっぷりと感じることができるこのシリーズ。今回リリースされる2タイトルには、“鬼の副長”土方歳三(CV:三木眞一郎)と、“端麗な天才剣士”沖田総司(CV:森久保祥太郎)による語りとミニドラマを収録。シリーズ全6タイトルに収録されるミニドラマは“同じ一日の中で起きた出来事”として展開されるという、まさに「薄桜鬼」ファン必聴の内容となっています!
また、ティームエンタテインメントのサイトではCDの試聴も公開中。気になる人は今すぐにチェックしよう!
何と歌っている?空耳議論沸騰「龍馬伝」オープニング歌詞の謎
NHK大河ドラマ「龍馬伝」のオープニングで坂本龍馬演じる福山雅治(41)のバックに流れるあの主題歌。歌詞は何と歌っているのか、ファンの間で議論が沸騰している。そんな中、歌っている張本人であるオーストラリア出身の歌姫、リサ・ジェラルド(49)が来日し、真相を語った。
オープニングは福山龍馬が颯爽と歩く迫力満点のCG映像に合わせ、NHK交響楽団の壮大なハーモニーが響き渡る。佐藤直紀氏(40)が手がけたテーマ曲は、激動の時代・幕末らしい力強さを表現。そこに天上から降り注ぐのが、無国籍ムードあふれるリサの歌声だ。従来の大河のテーマ曲とは大きく異なる。
その“歌詞”をめぐり、ネット上では「タモリ倶楽部」の名物コーナー“空耳アワー”のようにファンの間で勝手な解釈が盛り上がっていた。
「♪みどーりがーめー」に聞こえるという人もいれば、「♪うらーみまーすー」と、“中島みゆきパクリ説”を唱える声も。
真相をリサがあっさり明かした。(以下略)
「ミドリガメ」説に爆笑^_^;。
ブックレビュー
「恋する日本史講談」を出版した女流講談師、神田 蘭さん 35
歴史に残る大恋愛の数々を、現代の言葉に置き換えてわかりやすく語り継ぐことができたら……。昨年末、出版社からこんな企画を持ち込まれたとき、一も二もなく、「やります!」「書いてみます!」と返事をしていたという。
婚活(結婚活動)をテーマにした創作講談を手がけ、テレビニュースでも取り上げられるなど一躍話題の人となったからこそ持ち込まれた企画だった。
「落語の世界では、男性にかないっこしない、と思いました。だから、講談。講談は落語と違って『オチ』をつけなくてもいい。見たまま、感じたままを語りにできる自由があるんですよ」。
5月に発売されたばかりの「恋する日本史講談」も、その自由闊達な語り口が魅力だ。登場するのは12人。安定した結婚をけって、流罪になっていた源頼朝を愛して駆けつけた北条政子。魔性の女と呼ばれつつも、男の出世のために尽くした幕末の女、村山たか。どんな境遇にも負けず夫、明智光秀への愛を貫いた明智熙子。最後の「女心」の部分だけは、独自にセリフを考え出して書き、どの人物も魅力的に描かれている。
婚活講談を創作する際、周囲の女性たちに取材を重ねた。恋人が定職を持たず、不安定なアルバイト程度の経済力しかないからと結婚をためらっている人や、「だれか、いい人いないかしら」と真顔で尋ねてくる人もいた。
「燃えるような恋や、目先の利益だけでない、それこそ人生や命そのものを懸けた愛の物語は、きっと現代の女性へのエールにもなると思うんですよ」
自身も迷いのまっただ中にあるからこそ、婚活講談にも熱がこもる。「恋する日本史講談」は文庫でぶんか社刊(税抜き590円)。
雑件
グーグルな女性、ヤフーな女性の異なる結婚観
独自ドメインウェブショップのEストアーは、全国の16歳以上の「グーグル(Google)」および「ヤフー(Yahoo! JAPAN)」ユーザを対象に、「理想の結婚相手」に関するインターネット調査を実施した。調査期間は4月23日から24日まで。87名のグーグル女性ユーザおよび236名のヤフー女性ユーザが回答した。
「幕末に活躍した人物で結婚したい相手は?」について、グーグルユーザでは、福澤諭吉(17.2%)が1位で、坂本龍馬、岩崎弥太郎がともに11.5%で同率の2位。ヤフーユーザでは、坂本龍馬が22.9%と圧倒的な1位に輝き、福澤諭吉(9.7%)、岩崎弥太郎(6.4%)がこれに続く結果となった。
Eストアーでは、「ヤフーな女性は、頼りがいや引っ張っていってくれることを求める」、一方で「グーグルな女性は、結婚相手に対して金銭的な面を含めた安定を求めていることが想定される」と分析している。
「幕末」がキーワードで、こういう見出しの記事が引っかかってくるとは、と思って読んで見たんだけど……えーと、とりあえず『龍馬伝』の登場人物と万札擦られている人物って、知名度だけで選んでそうなランキングですな(爆)。
関西などでは大雨だったそうで、影響のあった方々にお見舞い申し上げます。雨の範囲は東に移っているようで、被害地域が大きくならないよう祈っております。
福島
藩校・日新館「什の掟」が小6教科書に 会津の教育全国発進
東京
新選組と龍馬が対決? 近藤勇の墓前で新選組まつり
「板橋」の地に「流山」「玉造」の新選組同好会が集結というのは感慨深いものがあります。
京都
井伊直弼狙撃?拳銃初めて公開…伏見・大黒寺
週刊まちぶら【京都編】
壬生川通(京都市中京・下京区)
高知
【龍馬を慕(おも)う】(7)高知・北川村 個性あふれる笑顔の写真
エンターテインメント
幕末から明治への移り変わりが舞台のシミュレーションRPG『維新の嵐・幕末志士伝』iモードに登場
福島
藩校・日新館「什の掟」が小6教科書に 会津の教育全国発進
ならぬことはならぬものです―。会津藩の藩校「日新館」が入学前の藩士の子どもたちに武士の心構えを示した「什(じゅう)の掟(おきて)」が、来年度使われる小学6年生向けの社会科教科書に掲載される。当時の会津の高い教育水準が注目されるきっかけにもなりそうで、会津若松市など地元の関係者は「会津の精神が全国の子どもに伝わる」と喜んでいる。
掲載するのは、東京書籍(東京)の「新しい社会」上巻。「江戸の文化と新しい学問」の単元で藩校に焦点を当て、日新館を1ページ取り上げた。
日新館について「文武両道の考え方のもとで学問や武芸を学んだ」と説明した上で、入学前の藩士の子どものグループ「什」に対し、七つの戒めを説いた「什の掟」を紹介している。
掟は「年長者の言うことに背いてはなりませぬ」に始まり「虚言を言うことはなりませぬ」「ひきょうな振る舞いをしてはなりませぬ」「弱い者をいじめてはなりませぬ」などと続き「ならぬことはならぬものです」と締めくくられる。
東京書籍社会編集部は「現代の子どもが江戸時代の武士の考えを知る良いきっかけになる」と話している。
同社によると「新しい社会」は本年度、東北の小学6年生の8割以上が使用。全国でも半数に当たる約60万人が使っているという。
1987年に観光・研修施設として復元され、多くの修学旅行生が訪れている「会津藩校・日新館」(会津若松市)の宗像精(ただし)館長(77)は「教科書を通じ、会津の義を全国に発信できるのは光栄だ。善と悪の認識が欠けがちな中、今後も什の掟を伝えていきたい」と話している。
日新館は1803(享和3)年に鶴ケ城の西側に設立。10歳以上の藩士の子弟はすべて就学し、生徒数は約1000人に上った。天文台や水練場も備え、多くの人材を輩出。諸藩校中の雄と評されたが、戊辰戦争で焼失した。
什の掟は、会津若松市が青少年の健全育成のために作成した「あいづっこ宣言」にも引用されている。
東京
新選組と龍馬が対決? 近藤勇の墓前で新選組まつり
新選組局長、近藤勇の墓所がある東京都北区滝野川のJR板橋駅東口前で23日、滝野川新選組まつりが開かれ、新選組の衣装をまとった約100人の隊士が商店街をパレードした。
参加したのは、新選組ゆかりの地で結成されている新選組滝野川隊、新選組流山隊、新選組茨城玉造隊のメンバー。雨の中、びしょぬれになりながら約2時間にわたって行進し、途中3カ所で隊士役と倒幕浪士役のメンバーが殺陣パフォーマンスを披露。沿道を埋めた観衆の喝采(かつさい)を浴びた。
同駅前広場には特設舞台も設けられ、新選組と坂本龍馬の寸劇が演じられたほか、居合の実演、和太鼓演奏も行われ、訪れた新選組ファンの熱気に包まれていた。
同まつりは近藤勇の命日の旧暦4月25日に近い5月の第4日曜に行われ、今回で8回目。地元の5商店会による実行委員会が主催した。
「板橋」の地に「流山」「玉造」の新選組同好会が集結というのは感慨深いものがあります。
京都
井伊直弼狙撃?拳銃初めて公開…伏見・大黒寺
京都市伏見区の大黒寺(黒坂尭栄住職)で23日、水戸浪士らに大老井伊直弼が狙撃された「桜田門外の変」(1860年)で使われたとされる拳銃が、初めて一般公開された。幕末の「寺田屋騒動」(62年)で斬(ざん)殺された薩摩藩士の橋口壮助の護身具「鉄扇」も展示され、訪れた人たちは幕末の志士らに思いをはせた。
大黒寺は同藩の菩提(ぼだい)寺で、一般公開は、寺田屋騒動で殺された薩摩藩士を慰霊する追慕会(薩摩義士・薩摩九烈士・伏見義民追慕会主催)に合わせて企画された。拳銃は大阪市東成区の古式銃砲の鑑定士、沢田平さん(75)の所有。全長35・4センチで、銃身には水戸藩の9代藩主・徳川斉昭(なりあき)が好んだ桜の文様が刻まれている。
週刊まちぶら【京都編】
壬生川通(京都市中京・下京区)
【「流儀」貫く流れは今も】
京都の中心部からは少し離れた壬生川通。昔はその名の通り、ここに川が流れていたという。静かなたたずまいの通り沿いでは、現代の名工や弓道の錬士、ピアニストらが、気負わずに自分の流儀を貫きながら活動していて、通りかかった人の気持ちまで和ませてくれる。電車が刻むリズムに合わせて、そぞろ歩きの足が進んだ。(小林正典)
交通量の多い四条通から南に下がるとすぐ、京福電鉄(嵐電)嵐山線の踏切に突き当たる。電車が通過し、警報機が鳴り終わって遮断機が上がると、静けさの漂う壬生川通が待っていた。
右手の銅工房からは金属をハンマーでたたくような音が響いてきた。近くにある新選組ゆかりの壬生寺を詣でたのか、修学旅行生らしいグループが笑い声をあげながら横切っていった。
さらに南下して交通量の多い五条通を渡る。旧花街・島原へ続く花屋町通を西に入ると、町家からジャズの音色が聞こえてきた。
野沢好子さん(56)が営む「ギャラリーのざわ」だった。大正末から昭和初めに建てられたという。「もとは足袋屋だったそうです。島原に踊りを習いに行った人たちも買いに来たのでしょう」。大阪に住んでいたが、「京都の、よそ行きでない雰囲気が気に入って」、3年ほど前に買い取りギャラリーに。ライブも定期的に開催する。
通り庭から入り、靴を脱いで板間の「会場」に上がる。床にぺたんと腰を下ろすと、音が床板の下から響いてきた。
演奏していたのはジャズピアニスト歳森(とし・もり)彰さん(53)たち。歳森さんはボーカル、ドラム、サックスなど相手を変えながら、月1度のペースでライブをする。「ここは、文化的な雰囲気のあるところが面白い」と語る。
町家の外で「無音ストリート」という独特のライブも展開している。スピーカーをオフにし電子ピアノを演奏するため、客はヘッドホンをつけないと音が聞こえない。「音にはその場を支配する押しつけがましさがある。その特権をなくした時、ミュージシャンはどうなるのか試している」のだという。
◆記者ナビ◆
壬生川通は、派手さはないがほっとする味の宝庫だ。
仏光寺通を下がった「中華そば珍元」もその一つ。懐かしさが染み込んだようなしょうゆベースのめんをすすると、店の30年の歴史を感じた。映画監督の故伊丹十三がこのカウンターに座り、ラーメン店が舞台の映画「タンポポ」の構想を練ったこともあったとか。
ギャラリーのざわの数軒東には、手焼きの京あられ、京おかきの店「菱屋」があった。
1886年創業で、店主の藤田光一さん(63)は4代目。かつては島原で、お茶菓子としてもよく出されたという。素朴な味わいのものばかりで、一番人気は風が強いと散ってしまうほど薄い「うすばね」。「割れやすいので配送は断っています」と藤田さん。ここでしか買えないと聞き、口の中でゆっくりと味わった。
◆ひと◆
〈昭和×モダン隠れ家に〉
綾小路通との北東角に「カフェサンナミジ」がある。調理師専門学校のクラスメートだった杉本さやかさんと山下愛さんが2008年12月に始めた。「自分たちが行きたくなるような場所」を目指し、フードメニューはもちろん、店内の内装、音楽にまでこだわった。「昭和の懐かしい感じと今のモダンな感じを合わせたような、ゆったり、のんびりできる空間です」と山下さんはいう。綾小路通に面した入り口からそのまま上がれる2階も、隠れ家風でおすすめ。
赤ワインとブランデーの香り漂うハヤシライスはスープ付きで950円。特製メープルシフォンケーキ(550円)や黒蜜きなこパフェ(780円)なども人気。月・金休み。電話075・757・1654
〈銅でかたどる自然の姿〉
軒下に飾られた銅製の竜やトンボが目を引くのが「銅工房」。開け放たれたガレージには、木に見立てたステンレスの柱に、緑青色の「葉」や黒色の「カブトムシ」「セミ」などを張り付けたオブジェがさりげなく展示され、道行く人たちが足を止める。制作者で工房室長の桶本忠弘さん(69)は建築板金工として1999年度、「現代の名工」の表彰も受けた。「自分の思った通りの作品を作ろうと、会社を息子に譲った60歳のころから始めました。まだ駆けだしですさかい、これから挑戦です」
輝く色だけでなく、薬品を使って緑青色や黒色にも変化させられるのが銅の特徴。抗菌効果もあるとされる。数千円の桶(おけ)や洗面器、三角コーナーなども販売する。電話075・811・3930
〈作業場くるり弓道場に〉
高辻通との南東角で山登(やま・とう)工務店を営む大工、山口喜由さん(64)は弓道錬士6段の腕前。店の壁に的を描き、作業場にはいつでも練習ができるよう巻きわらも備え付けている。作業場はからくり仕掛けのようになっており、柱を取り外し、壁を外側に倒すと弓道場に早変わり。隠し階段で地下の練習場に下りると、夏場でも比較的涼しく稽古(けい・こ)ができる。「弓道は踊りと同じで歩き方や姿勢、醸し出す雰囲気などの美的センスも必要」と山口さん。作業場の一角には礼法を教える畳部屋もある。
予約をすれば弓道体験も可能。弓、矢、手にはめる「かけ」と呼ばれる道具など一式がそろっている。本格的に始めたいという人には道場の紹介も。電話075・841・8175
〈アートが出会うカフェ〉
「こもれび庵(あん)」は山本ふじ子さん(61)が「昨年7月にこっそり始めた店です」。所有する物置に積んであった布などを片付け、ギャラリー兼雑貨店兼カフェという自由なスタイルの店に一新させた。若いアーティストのアトリエにもなっている。木製のカウンターやいすは手作りで、柿渋で塗った。「いろんな人たちがここで出会い、アートを発信してもらえたら」。ネコ好きが高じ、ネコの置物やはがきなども多く取り扱う。「気ままな性格といい、ネコは絵になりますね」
山本さんが応援する作家の作った小物入れや刺し子の手法を使ったふきんなど、いずれも数百円から。しば漬けやちりめん山椒(さん・しょう)入りピラフは500円。木・金休み。電話090・1134・4392
高知
【龍馬を慕(おも)う】(7)高知・北川村 個性あふれる笑顔の写真
その写真には、ちょっと心を惹(ひ)きつけるような魅力があった。むきだしの右腕でアゴをささえ、やや横向きかげんになってカメラに向かっている。しかも、いかにも楽しげに笑い、白い歯ものぞかせている。
写真技術についてはまったくの無知だが、150年ちかくもまえ、笑顔の写真を撮るのは大変だったのではないだろうか。顔の筋肉が微妙にバイブレートするであろうし、口元あたりの焦点がボケてしまうおそれもある。
維新の志士たちのなかで、破顔した笑い顔が残っているのは、中岡慎太郎の写真ぐらいではないだろうか。個性がよくあらわれているという意味では、もっとも好きな写真である。
坂本龍馬をはじめ、大久保利通や桂小五郎、近藤勇、土方歳三(ひじかた・としぞう)、徳川慶喜ら、幕末に活躍した武士の写真は多くのこされている。だが、どれも表情がかたい。
龍馬の写真のなかでは、左手をフトコロに入れ、目をほそめながら、やや上のほうに視線を遣(や)った革靴姿の写真が、もっともポピュラーであろう。縁台に片足をのせた写真や、長崎で仲間と撮った写真などもある。
龍馬には「近眼説」があり、モノを見るときに目を細めるクセがあったらしい。だからどの写真にも、目のなかの黒い部分に輝きが感じられない。
実務的な革命家
土佐くろしお鉄道奈半利(なはり)駅でおりた。紀貫之の『土佐日記』に「奈半の泊」という港が出てくるが、駅から見わたしたかぎり、港らしきものはなにも見えなかった。潮の匂いもしない。
駅前からタクシーに乗った。奈半利川沿いの、かなり舗装された道路をくねくねと15分ほど走ると、柏木という山あいの集落についた。
タクシーのドアを開け、身をかがめておりたところ、目の前に慎太郎の、あの笑顔の写真が展示されていたので、さすがに驚いた。向こう側には、土蔵のようなかたちをした「中岡慎太郎館」の建物があった。反対側の山の麓(ふもと)には、生家の復元家屋もあった。
天保9(1838)年4月、慎太郎は北川郷柏木の大庄屋の長男として生まれた。19歳で龍馬が江戸に剣術修行に出たころ、奈半利の隣町にできた田野の藩校に通いはじめた。
田野までは、ずっと山あいの、険しい道である。スギやヒノキが茂り、まるでケモノ道のようであったらしい。現在でも保存され、「向学の道」という標識が立っていた。
田野の藩校で、尊王攘夷思想に目覚め、武市半平太率いる土佐勤王党にもくわわった。
20歳で庄屋見習いとなったが、なかなかの名庄屋だったらしい。不作の年などには、自らの山林や田畑を担保にし、近村の富家から米を借り入れて年貢におさめた。いまでは、この村の名産になっている柚子(ゆず)の栽培もはじめた。
文久3(1863)年10月、脱藩し、以降、周防の良港・三田尻(山口県防府市)を中心に活動をはじめた。脱藩のさい、仲間から「拝借仕居候(そうろう)金子之儀」について、こういう事態になったから、いまは約束通りには払えない、という手紙を送っている。律儀(りちぎ)な性格な男だったのであろう。
埋葬された「遺髪」
元治元(1864)年7月の「蛤御門(はまぐりごもん)の変」では、来島又兵衛が率いる嵯峨・天竜寺の陣にくわわった。もちろん死は計算済みだ。戦を前に、父に手紙を送っている。「遺髪」を添えたうえで、こんな決意を語っている。
「私共も最早(もはや)此(これ)限りの命と御あきら(おおせ)付けらるべく候。御父上様には御年も行かせられ御気の毒千万……(略)此度(このたび)は皇国の御為に一天万乗の大君の為に闕下(けっか)に死し候はば何も★うら御座無く候」
「闕下」とは「天子の御前」という意味である。慎太郎が龍馬と接触をはじめるのは、慶応2(1866)年1月の薩長同盟に向けてである。「向学の道」のわきにあった碑には、「薩長連合は龍馬がやったと云(い)われておりますが、早くから着想し、工作し、推進していったのは慎太郎でした」と書かれていた。
たしかに薩長同盟まえの慎太郎は長州だけでなく、京、大坂、薩摩などを奔走し、八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍ぶりを見せた。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』でも、
「中岡慎太郎こそ、うまれついての実務的な革命家という、稀有(けう)に属する型であろう」
と評価している。
記念館のわきには、古びた石段があり、のぼると松林寺という小さな寺があった。本堂の左手が墓地だった。その中に、
「中岡慎太郎先生遺髪埋葬之地」
という朽ちかけた墓があった。墓石の周辺には、5円玉や1円玉の賽銭(さいせん)が散っていた。慎太郎の遺体はもちろん、京都・霊山にねむっている。(文 福嶋敏雄)
★=くの字点
≪メモ≫
陸援隊隊長で、龍馬とともに暗殺された中岡慎太郎の生家は高知県北川村にあり、村営の「中岡慎太郎館」(TEL0887・38・8600)には直筆の手紙などが展示されている。今年中は、休館日なし。館へはJR高知駅から土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線に乗り換え、約1時間半で終点の「奈半利」駅に着く。タクシーか北川村営バスで約15分。
≪きょうの「龍馬伝」≫
■NHK総合 午後8時~ ほか
龍馬(福山雅治)は、大坂の専称寺で航海術の勉強に励んでいた。収二郎(宮迫博之)が投獄されたことを知った龍馬は、京に滞在中の勝(武田鉄矢)に会いに行く。龍馬と入れ違いに、兄の権平(杉本哲太)が専称寺を訪れる。脱藩を許された龍馬に会いに来たのだった。龍馬は勝から海軍塾を続けていくための資金が足りないと聞き、越前福井藩の前藩主・松平春嶽(夏八木勲)の元へと向かう。春嶽に会った龍馬は、生きる金として、千両を貸してほしいと頼む。土佐では、弥太郎(香川照之)が商売を始めようと材木を仕入れたが、売れずに困っていた。そして、半平太(大森南朋)は後藤象二郎(青木崇高)に収二郎の命ごいをする。
エンターテインメント
幕末から明治への移り変わりが舞台のシミュレーションRPG『維新の嵐・幕末志士伝』iモードに登場
コーエーテクモゲームスは、iモード向けRPG『維新の嵐・幕末志士伝』を配信開始しました。
『維新の嵐・幕末志士伝』は、1998年にPC版、1999年にPS2版として人気を博した同タイトルのiモード版となります。幕末から明治への移り変わりを舞台とし、坂本龍馬、土方歳三といった国の行く末を憂う「志士」の一人となって、動乱の続く日本を一つにまとめ上げるべく奔走するシミュレーションRPGです。
ゲーム中に発生する幕末を彩る70以上の事件や出来事は、選択したキャラによって展開が異なります。例えば、龍馬が目指した「大政奉還・共和制」や、土方歳三が目指した「幕府存続・薩長討伐」など実現することが可能です。また、メインマップ上には、日本各地の町や城、関所、名所などが点在し、当時の雰囲気を味わえます。
幕末に起こった「池田屋事件」などの屋内戦闘や、「鳥羽伏見の戦い」といった大規模戦闘は、HEX戦で楽しめます。そのほか、異なる思想を持つ相手を自分の信じる思想に転向させ、同志にするために「説得」を行います。説得は、ゲーム内に登場する500人以上の登場人物から話を聞いたり、書物を読んだりすることで得た情報を「情報カード」として収集し、集めた情報カードを説得したい相手と出し合って議論を戦わせます。
なお、今アプリでは、課金継続期間によって機能が追加されるとのことです。課金初月は遊べるキャラが坂本龍馬のみですが、課金継続1か月後に土方歳三、2か月以降は名前、出身地、思想、能力などを自由に設定できるフリーキャラクターが作成可能となります。このほか、ゲーム中のミニゲームのみをプレイできる「練習モード」の追加など、さまざまな特典が用意されています。
『維新の嵐・幕末志士伝』は、SDカードスロットをもったFOMA703i/903i以降に対応し、月額525円(税込/初月無料)で楽しめます。
アクセス方法:メニューリスト→ゲーム→ロールプレイング→維新の嵐
特段に相撲好きというわけではありませんが、今日は心して魁皇の通算一千勝と白鵬の二場所連続全勝優勝を堪能しました。魁皇関と白鵬関の素晴らしい記録に感服です。
北海道
野外劇、成功させよう! キャストら結束誓う
栃木
土佐藩と黒羽藩の関係 栃木・黒羽RCの記念講演会
長野
素朴な民家、観光客魅了 妻籠「一石栃 立場茶屋」
新潟
東山油田施設撤去を開始 今年度閉山
静岡
アメリカジャスミン:下田市の了仙寺で見ごろ /静岡
初代県知事関口隆吉の業績紹介 菊川常葉美術館
「ペルリ時計」幕末来航の音よみがえる
山口
文化審答申:「長州藩下関前田台場跡」国の史跡に 世界遺産登録へ大きな前進 /山口
大分
銅像と歌碑を建てる会 海舟・竜馬CD製作
熊本
文化審答申:国指定史跡に、熊本藩・川尻米蔵跡 /熊本
ブックレビュー
【新書】『伊藤博文 知の政治家』瀧井一博著
北海道
野外劇、成功させよう! キャストら結束誓う
市民創作「函館野外劇」の会(フィリップ・グロード理事長)主催の「第23回市民創作函館野外劇 星の城、明日に輝け」の関係者、キャストが一堂に会するパーティーが22日夜、函館国際ホテル(函館市大手町5)で行われた。7月9日の開幕に向け、パーティー参加者は野外劇への思いをより強めた。
冒頭、欠席したグロード理事長に代わり、家口利明事務局長が「創作劇にかける理事長の熱い思いを受け止め、全員で成功を目指しましょう」とあいさつ。会場では大きな拍手が沸いた。来賓の函館中央病院、辻繁事務部長も「野外劇の舞台となる五稜郭は有形文化財。野外劇は個人的には無形文化財だと思っている。無事に成功させましょう」と語った。
東京から駆けつけたデザイナーで、野外劇の美術スーパーバイザー、土屋茂昭さんの発声で乾杯が行われ、浜野幸子市議会議員も応援のあいさつをした。演出家の木村かなえさんは「本番に向け、けいこも本格的になってきている。当日は、多くの人に見てもらいたい」と抱負を語った。
栃木
土佐藩と黒羽藩の関係 栃木・黒羽RCの記念講演会
栃木県大田原市の黒羽ロータリークラブ主催の記念講演会が21日夜、同市黒羽向町のホテル花月で行われた。「黒羽藩と土佐藩、黒羽人と土佐人の意外な関係」と題し、大田原東高教諭で郷土史家の大沼美雄氏が講演した。
大沼氏は土佐藩と黒羽藩が奥州戦争(戊辰戦争)で官軍として一緒に戦い、土佐藩主、山内容堂の孫娘、寿子が黒羽藩主の大関家に嫁いだなど両藩の意外な関係を紹介。また、早稲田大学の創立に深くかかわった旧土佐藩士の小野梓の米国留学費用を大関家が負担したことも明かした。
長野
素朴な民家、観光客魅了 妻籠「一石栃 立場茶屋」
中山道妻籠宿(南木曽町)~馬籠宿(岐阜県中津川市)の中間地点にある休憩所「一石栃(いちこくとち) 立場(たてば)茶屋」(南木曽町妻籠)が、昨春の“復活オープン”以来、好評だ。来場者は近く累計5万人に達しそう。山中の旧民家の素朴さが、国内外からの観光客を引きつけている。
妻籠宿から友人と歩いてきたカナダ・トロント市在住の針きゅう師アレックス・オデットさん(40)が、茶屋に立ち寄った。「歴史ある建物と自然。感動します」。ひと息つくと、オランダ人の2人組も訪れた。土間のテーブルを囲み、英語での旅行談議が盛り上がった。
木造平屋の茶屋は、妻籠宿本陣から約4・7キロ、馬籠宿から3キロ地点にある。住民らによる財団法人「妻籠を愛する会」(小林俊彦理事長)が管理する。
元来、立場茶屋とは宿場の中間にある休息所。一石栃地区には、木材の出荷統制をする番所のほか、立場茶屋があり、旅人が休んだ。幕末には17軒があった家も徐々に減り、三十数年前には最後に残った1軒の所有者も転居した。愛する会が借り、観光用にお茶サービスなどをしたが、消費者の志向の多様化などで来場者は減少。十数年前から開店休業状態になっていた。
しかし、ここ数年、外国人を含め妻籠~馬籠を歩く人が増えてきたため、昨年4月から再スタート。屋外トイレも新設し、会員が常駐する態勢にした。
1年間の来場者は約3万5400人。予想外の好評さに、午前10時~午後3時だった開所時間を、今年4月から午前9時~午後4時に延長した。それもあって今月19日までの累計来場者は4万4000人余にまで達した。外国人は全体の2割弱だが、以前の不調期に比べれば圧倒的に増えた。
愛する会の藤原義則常務理事(62)は「国内での健康への関心の高まりや、世界で売れている本『死ぬ前に観るべき千の場所』に中山道が紹介されたことなどで、宿場間を歩く人が多くなった。状況は以前とは違う。茶屋の人気は続くはずだ」とみる。
茶屋は年末年始の5日間を除き、毎日開く。交代で会員3人が詰め、いろりに火をつける。ひのき笠、法被姿が制服。
3人のうちの1人、愛する会の鈴木省吾副理事長(68)は、時に木曽節を披露するなどサービスに余念がない。「土間に立て掛けてあるうすや農具は、片付けないでいます。その方が自然だから」。歩き疲れた観光客がお茶をゆったりと飲むのを眺め、満足そうな表情を見せていた。
(近藤隆尚)
新潟
東山油田施設撤去を開始 今年度閉山
国内唯一の「坑道掘り」も
今年度で閉山する東山油田(長岡市など)の施設撤去作業が22日、始まった。かつては国内有数の石油産出量を誇り、県の産業発展を支えた存在だが、年内には、採油施設では国内唯一の「坑道掘り」を含めたすべての施設について撤去などする見込み。地元関係者からは惜しむ声が聞かれた。
東山油田は、石油王国と言われた県内の主要油田の一つで、最盛期の1900年頃には年5万キロ・リットル以上を産出し、戊辰(ぼしん)戦争で荒廃した長岡地域の復興と、機械産業の振興に大きく貢献した。昭和期には、戦時増産に対応するため、油層まで斜めに坑道を掘り、その後水平に掘る、世界でも珍しい坑道掘り採油も行ったが、産油量の減少やコスト高などにより、97年に採油を停止した。
この日は、午前9時頃から、同市浦瀬町の丘にある、採油機(高さ約3・9メートル)の解体作業が行われた。94年まで使われていたが、今ではすっかりさびついた機器を、作業員が解体し、クレーンでつり上げるなどしていた。
鉱業権を持つ不動産会社「サンレックス」(東京都)によると、坑道堀り跡は6~7月頃、入り口をコンクリートで閉じて整地する予定。11か所あるやぐらも撤去し、閉山手続きを進める。
解体作業は、施設の一部保存を求めている「東山油田保存会」の関係者も見守った。前会長の石川行恵さん(76)は「地域への貢献の意味でも、戦争関連史跡としても貴重で、撤去は残念。せめて、坑道掘りは残してほしい」と話す。
サンレックス社は「引き取って保存する機関などがあれば、提供する」としているが、長岡市は「文化財行政は、所有者に保存の意志があって初めて補助できる」として、今のところ具体的な動きを見せていない。
静岡
アメリカジャスミン:下田市の了仙寺で見ごろ /静岡
「ジャスミン寺」の愛称で知られる下田市三丁目の了仙寺(松井大英住職)の境内で、アメリカジャスミンが見ごろを迎えている。天候不順で例年より開花が1週間ほど遅れたため、6月上旬まで楽しめそうだという。
アメリカジャスミンの和名はニオイバンマツリ。南米、アフリカが原産とされ、甘い香りを放つ。開いたばかりの花は濃い紫色だが、時間がたつにつれ、白くなっていく。
50年ほど前から植え始め、現在は約1000株に増えた。了仙寺は幕末、日米和親条約・下田条約が結ばれた歴史の舞台。訪れた人は華やかな花と、由緒ある建物のツーショットを楽しんでいた。【中村隆】
初代県知事関口隆吉の業績紹介 菊川常葉美術館
常葉美術館の2010春季特別企画「初代県知事・関口隆吉展」(静岡新聞社・静岡放送後援)が22日、菊川市半済の同美術館で始まった。7月4日まで。
牧之原の茶園開拓に尽力するなど県の基盤を築き、同市にもゆかりの深い関口隆吉(1836~1889年)の生涯と業績を、県立中央図書館の所蔵品を中心に紹介。関口が勝海舟にあてた書簡や伊藤博文、山岡鉄舟らから関口の元に送られた書簡、肖像画など約100点の貴重な資料を時代ごとに分けて並べる。
開会式では、常葉学園の木宮一邦副理事長が「地域の偉人である関口隆吉を広く知ってもらう機会にしたい」とあいさつ。同市の太田順一市長は「幕末から明治の激動期の中で関口隆吉がどのような活躍をしたのか、多くの人に理解していただければ」と期待した。
開館時間は午前9時半~午後5時。入館料は大学生・一般が500円、高校生以下は無料。木曜休館。問い合わせは同美術館〈電0537(35)0775〉へ。
「ペルリ時計」幕末来航の音よみがえる
幕末に黒船で下田(静岡県)に来航したペリー艦隊が日本人に贈った置き時計が修復された。
横浜市内の民家から時計を寄託された横浜開港資料館(横浜市中区)は29日~6月6日にぜんまいをまいて針を動かして公開する。
時計は、1854年にペリー艦隊からペリー艦隊の世話役だった下田奉行の役人に贈られたもので、横浜市港北区の無職但馬惟義さん(84)方に「ペルリ時計」として伝わっていた。但馬さんは、同資料館に「時計を動かしてほしい」と要望していた。
同資料館の依頼を受けた古時計愛好家の武田信雄さん(66)が内部のさびを落とし、長針を取り付けるなどして時計を修復。ぜんまいをまけば、振り子が左右に動いて「コチコチ……」という音を出し、毎時、時間に応じた回数の「ボンボン……」という音が響くようになった。
米国の「古時計収集家協会」会員で古時計研究家の加藤晃正さん(72)は「この時計は、ペリー艦隊が日本人に贈った時計の中で唯一現存が確認されているもので大変貴重な史料。今回の修復でペリー来航時の音をよみがえらせることができた」と話している。
山口
文化審答申:「長州藩下関前田台場跡」国の史跡に 世界遺産登録へ大きな前進 /山口
明治維新はここから始まった--。文化審議会が国の史跡にするよう答申した「長州藩下関前田台場跡」(下関市前田)は、長州藩が馬関戦争(1864年)で英仏蘭米に大敗し、開国、倒幕に転じた「維新起点の地」。下関市の試掘から17年目にして日の目を見ることになった。(18面に「なるほドリ」)
前田台場跡は、関門海峡沿いの国道9号を唐戸町から長府方面へ走る途中の左側、前田1丁目の高台だ。
幕末、攘夷(じょうい)を強硬に唱える長州藩は彦島から長府にかけて約20の砲台を築造し、青銅製の大砲などを設置した。前田台場はその一つ。文化審は「低台場(標高10メートル)」と「高台場(同16メートル)」の形状をほぼ当時のままとどめる点などを評価した。
存在が確認されたのは市教委が試掘した94年。99~02年には県教委が発掘調査し、土塁や大砲を据えた平たん面などが見つかった。その後、市民にもほとんど知られていなかったが、08年9月、福岡県など6県10市が組む「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして世界遺産登録の暫定リスト入り。一躍脚光を浴びた。
現地を訪ねて高台場から見下ろすと、思いの外、海峡が近く迫ってくる。市文化財保護課の濱崎真二主任らによると、馬関戦争の往時、台場から撃った大砲の弾は4国連合艦隊にまるで届かなかった。一方、艦隊からの砲撃は台場に降り注いだという。埋め立てで海岸線は遠のいたが、変わらない海峡の眺めが146年前の戦闘をしのばせる。
市は今後、文化庁と協議し、遺跡を守りながら歴史的価値を顕彰するスポット作りを模索する。文化財保護課によると、国の史跡指定は「近代化産業遺産群」の世界遺産登録へ向けても大きな前進だという。ユネスコへの推薦に国の指定は不可欠で、前田台場跡は関門をクリアしたといえる。同課は「スタート地点に立てた。それもありがたい」と二重の喜びに沸く。【取違剛】
大分
銅像と歌碑を建てる会 海舟・竜馬CD製作
大分市鶴崎の「勝海舟・坂本龍馬の銅像と歌碑を建てる会」(辻野功会長)は、オリジナルCD「海舟・龍馬豊後路をゆく」を製作した。竜馬と勝海舟が長崎を目指して佐賀関から鶴崎、野津原の街道を歩いたという史実を基に「日本の行く末、憂いて語る…海舟龍馬、長崎めざし―」と作詞。維新への志を力強く歌い上げた。収益は史実を伝えるための活動資金に役立てる。
同会は2009年、2人が佐賀関や鶴崎を訪れたという史実を生かして地域おこしにつなげようと発足。2人の銅像や歌碑、交流を目的とした広場建設などの構想実現を目指して活動している。
CDで歌っているのは県内のご当地ソングを数多く手掛ける松井猛さん(65)=大分市中津留。鶴崎出身の松井さんが会メンバーに「活動を盛り上げるため歌をつくっては」と提案したのがきっかけ。史実に詳しい同会の北川徹明実行委員長(76)が作詞し、松井さんが作曲した。編曲やパッケージのイラストは松井さんの友人らが協力。地元の人がより親しみやすく、誰もが歌えるように、海舟が鶴崎で詠んだ歌を歌詞の一部に取り入れたものや、音程を変えたバージョンも収録している。
「維新の心を後世に伝えていくためにも多くの人に歌に親しんでもらい、活動に協力してほしい」と北川さんと松井さん。
CDは1枚千円。毛利空桑記念館(市内鶴崎)で購入できる。問い合わせは同会事務局(TEL097・527・3343)か、毛利空桑記念館(TEL097・521・4893)まで。
熊本
文化審答申:国指定史跡に、熊本藩・川尻米蔵跡 /熊本
国の文化審議会は21日、熊本市川尻の熊本藩川尻米蔵跡(外城蔵跡、船着場跡)を国の史跡に指定するよう文部科学相に答申した。指定されれば県内では37件目となる。【勝野俊一郎】
川尻地区は中世から緑川や支流の加勢川を利用した水運の拠点。1588年、肥後に入国した加藤清正が本格的な整備をしたとされる。軍港としての側面もあり、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際には兵や兵糧を送り出した。
米蔵跡は江戸時代、熊本藩が年貢米の集積や搬出の拠点として利用した。主に藩南部から集めた年貢米をいったん納入して大坂に搬送していたという。1832年の絵図には3カ所に蔵が描かれているが、現存するのは外城蔵の一部だけ。幕末の19世紀中ごろに造られたとみられ、東棟と西棟がある。ともに木造平屋建てで東棟が585平方メートル、西蔵が210平方メートル。個人所有で、二十数年前までは農協の倉庫として使用されていた。
船着場は16世紀末に整備された。加勢川右岸に13段の石段形式で造られ、全長約150メートル、幅平均4・7メートル、高さ平均3メートル。終戦直後まで天草からの木材を運ぶためなどに使われていたという。
市教委は「お蔵跡と船着場がそろって残っており、近世の物流、水運の様子を知る上で、全国的にみても貴重な史跡だ。保存や公開方法なども検討したい」としている。
ブックレビュー
【新書】『伊藤博文 知の政治家』瀧井一博著
◎『伊藤博文 知の政治家』瀧井一博著(中公新書・987円) 初代首相として知られているが、その歴史的評価はほかの維新の志士と比べるときわめて地味。幕末に長州5人のひとりとして英国に留学した経験を生かし、明治新政府では憲法を制定、議会を開設した。生涯をたどって彼の素顔に迫る。
今日はおでかけ日和。用事で自由が丘に行ったらマリ・クレール通りでイベント。生ビールが5種類ほど、ワインもボトルやグラスで30種類以上出ていましたので、ついグラスワインをいただいてしまいました……美味しかったです(*^。^*)。
福島
文化審答申:「小峰城跡」が国史跡に 2カ所の範囲拡大も /福島
【東北女子アナコラム】戊辰戦争にさかのぼる青森との深~い縁 福島テレビ・関口由香里アナウンサー
会津と斗南のつながりは存じてますが、磐梯町でむつのホタテや大間のマグロを売っているということには驚きます。
栃木
『幕末の佐野』 振り返る 郷土博物館で企画展
大河ドラマ題材に歴史講義20年 元中学校長の新井さん
千葉
旧八幡村名主 寺嶋家文書を解読
古文書研が第5集発刊 市原八幡・五井地区
東京
「まんがで読む 八王子歴史物語」刊行-年齢差50歳コンビが執筆
神奈川
幕末~明治前期の東本願寺法主が嫁ぐ娘にあてた手紙発見、横浜人形の家で公開
小田原城で初の和装コスプレイベント開催へ/神奈川
高知
土佐藩主・山内容堂の企画展 高知県立文学館
山口
文化審答申:「長州藩下関前田台場跡」国の史跡に 世界遺産登録へ大きな前進 /山口
熊本
文化審答申:国指定史跡に、熊本藩・川尻米蔵跡 /熊本
宮崎・鹿児島
文化審、鹿児島、宮崎の3件答申
全国各地
平城宮東院庭園など特別名勝に 文化審議会答申
福島
文化審答申:「小峰城跡」が国史跡に 2カ所の範囲拡大も /福島
国の文化審議会が21日答申した国史跡の新指定で、県内から歴代白河藩主の居城だった「小峰城跡」(白河市)が選ばれた。市のシンボルとして親しまれてきた城跡の指定に、同市教育委員会は「石垣の保存状態が良く、復元も当時の絵図に忠実に行った。歴史的、学術的価値が高いと評価された」と喜んでいる。
同市教委などによると、小峰城は1340(興国元)年に結城親朝(ゆうきちかとも)が、小峰ケ岡と呼ばれた丘陵に城を築いたのが始まりとされる。1629(寛永6)年から初代白河藩主の丹羽長重(にわながしげ)が大改築した。
1868(慶応4)年の戊辰戦争で石垣などを残し焼失したが、1991年に天守にあたる三重櫓(やぐら)、94年に前御門(まえごもん)が復元された。丘と阿武隈川周辺の平地を利用した典型的な平山城(ひらやまじろ)で、石垣の石が半円状に積み上げられるなど、建築学的にも珍しいとされる。
今回の答申では、2カ所の指定範囲拡大もあった。うち、「白河官衙(かんが)遺跡群」(同市、泉崎村)は7~10世紀の役所跡で、84年に「関和久(せきわく)官衙遺跡」として国史跡に指定。その後の調査で近くの寺院跡「借宿廃寺跡」も関連遺跡と分かり、追加と名称変更がなされた。
「白河舟田・本沼遺跡群」(同市)は古墳群で、新たに「野地久保古墳」が追加された。
3史跡の指定を記念し、同市教委は今夏、市歴史民俗資料館で出土品などを集めた特別展を開く予定。【関雄輔】
【東北女子アナコラム】戊辰戦争にさかのぼる青森との深~い縁 福島テレビ・関口由香里アナウンサー
山々に囲まれた福島県磐梯町の「道の駅ばんだい」で、青森県むつ市のホタテや大間のマグロが販売されています。
なぜ福島県で青森県の海産物が!?
答えは戊辰戦争にさかのぼります。
青森県むつ市は、戊辰戦争で敗れた会津藩が移封された斗南藩ゆかりの地。
そこで、会津と斗南の歴史にちなんだ交流をしようと、アンテナショップの設置になったのです。
むつ市の特産はホタテ。大間町がむつ市に近いことから、大間のマグロも販売されることになりました。
取材で訪れたときも、大間のマグロを買い求める地元の方の姿が見られました。道の駅では大間のマグロを使ったマグロ丼や海鮮丼も頂けます。
時をへても変わらぬつながり…。
歴史に想いをはせつつ頂く高級マグロは絶品です。(福島テレビアナウンサー)
会津と斗南のつながりは存じてますが、磐梯町でむつのホタテや大間のマグロを売っているということには驚きます。
栃木
『幕末の佐野』 振り返る 郷土博物館で企画展
佐野市大橋町の市郷土博物館で、企画展「幕末の佐野」が開かれている=写真。幕末の動乱の様子を今に伝える貴重な史料約五十点が並ぶ。六月十五日まで。
展示は文書が中心。市内に領地があった彦根藩の藩主井伊直弼に焦点を当て、井伊の佐野領巡見や桜田門外の変で倒れた際の状況などが分かる。尊王攘夷(じょうい)運動の太平山事件や出流山事件への佐野からの参加者の史料もある。
入館料は一般二百十円、大学・高校生百円、小中学生五十円。二十九日には東京大の宮地正人名誉教授の記念講演会もある。問い合わせは同館=電0283(22)5111=へ。 (清水祐樹)
大河ドラマ題材に歴史講義20年 元中学校長の新井さん
【那須烏山】NHK大河ドラマのテーマに合わせて歴史を講義する、元中学校長で歴史研究家新井正義さん(81)=さくら市喜連川=の歴史講座が、本年度で20回目を迎えた。今回は「幕末・政局の動きと龍馬の生涯」のテーマで、20日に第1回を市烏山公民館で開いた。15年以上通う熱心な受講生もおり、新井さんは「自分の勉強の成果を聞いてくれ、ありがたい」と、坂本龍馬が駆け抜けた幕末の講義に力を入れている。
新井さんは喜連川中で16年間日本史を指導。1982年には県立烏山青年の家所長を務め、89年に同校校長で退職した。すぐに公民館の歴史講座の講師となり、旧南那須町で6年間、それ以降は旧烏山町で担当している。両町合併後も続けている。
講座担当3年目からは大河ドラマの内容に合わせてテーマを設定。毎年、次回作が決まると関連書籍で毎日3時間から5時間勉強する。今回も5カ月間準備してきた。
新井さんは「大河ドラマで予習してもらい、講座では史実とドラマのフィクション部分を比較しながら話している」という。
歴史講座は市民対象で、毎月1回(10月2回)の計8回。1回目は約60人が受講した。今後、龍馬の脱藩や海援隊結成、薩長同盟などの講義のほか、宇都宮城など戊辰戦争の県内戦跡巡りも行う。
約15年受講を続ける野上、無職石田なみさん(76)は「この講座は生きる張り合い。昨年は米沢に行き、直江兼続の墓も訪ねた」と言う。講座づくりを担当してきた前社会教育指導員の桜井恵子さん(61)は「新井さんは歴史を現代の政治経済問題と結び付けてくれる点もおもしろい」と、講義の魅力を話している。問い合わせは市生涯学習課電話0287・88・6223。
千葉
旧八幡村名主 寺嶋家文書を解読
古文書研が第5集発刊 市原八幡・五井地区
市原市八幡・五井地区などに残る古文書を研究するグループ「市原の古文書研究会」(山岸弘明代表、5人)がその成果をまとめた「市原の古文書研究」の第5集を発刊した。“目玉”は旧八幡村名主・寺嶋家の文書。維新混乱期の第一級史料からは乱暴者が横行した村の緊迫した様子や、今まで不確かだった房総知県事の本陣の場所が初めて明らかになった。「梅谷家文書」は珍しい一般農家の文書。いずれにも分かりやすい解説がついており、当時の庶民らの暮らしぶりが楽しく理解できる。
同研究会は同市史編さんにも携わった郷土史研究家、秋葉平さんを講師とする同市立八幡公民館のサークル「古文書学習会」の有志が2001年に結成。
かつて市原の中心地でありながら、都市化により多くの史料が失われた八幡・五井地区の文書を掘り起こし、その解読と研究に取り組んできた。成果は04年発刊の1集から計4冊にまとめられ、今回の5集は約2年ぶりの発刊となる。
今集の“目玉”「寺嶋家文書」は、江戸中期以降に名主を務めた旧八幡村屈指の名家で見つかった。江戸から明治にかけての同家の文書類はほとんどが県文書館に寄託されたが、今回は同家、同館の協力で一般公開に先立って調査解読を許された。
維新期の戦乱に、江戸から県内に疎開した家族の状況を領主に伝える1868(慶応4)年の礼状には「昼は乱暴人に金子を脅し取られ、夜は6、7人が抜き身(刀)を携え、村人が恐怖している」など緊迫した様子を記した一文が。また同年、房総(安房、上総)の領主として赴任した柴山文平が八幡本陣を構えた期間と場所が、この文書で初めて明らかになった。
「梅谷家文書」は同研究会で初めて解読する一般農家の文書。江戸から明治にかけての、商品を売買した領収書やメモなどからは庶民の生活ぶりがうかがえる。「深山家文書」「飯香岡八幡宮文書」は以前から同会が解読に取り組んでいる。
B5判302ページ。送料込み2500円で販売する。詳しくはファクスで同研究会の佐野さん、電話0436(75)0130。
東京
「まんがで読む 八王子歴史物語」刊行-年齢差50歳コンビが執筆
八王子の郷土史を漫画で学ぶことができる書籍「まんがで読む 八王子歴史物語」の第1巻が現在、多摩地域の書店などで販売されている。
同書は市内で歯科医院を開く新藤恵久さんと教育漫画家・松田純さんの2人が執筆。八王子をテーマとしたフリーペーパー「はちとぴ」などを発行している清水工房(八王子市追分町)の出版事業部門「揺籃社」が手がけた。1巻では「八王子」という町が作られはじめた戦国時代から江戸時代にかけてのエピソードを、八王子生まれの機織り(はたおり)神・ハタガミちゃんとそれを取り巻くキャラクターたちが楽しく説明する。
新藤さんは本職の歯科医としての仕事の傍ら、市郷土資料館運営協議会の会長を務めていたほどの郷土史研究家。「2002年、地元市民が郷土の歴史になかなか関心をもってくれないのを嘆き、知人に相談したところ、漫画で伝えるアイデアを得たことがこの企画の発端」と作画を担当した松田さん。
「当時、角川書店より漫画家としてデビューしたばかりのわたしに、新藤さんの知り合いの歯科器材の業者の方を通じて、八王子の歴史を漫画化する企画をご相談いただいた」と松田さん。東京都立大学(現在の首都大学東京)に在学していたころは歴史学を専攻していたこともあり、申し出を快諾。当時70代だった新藤さんと20代だった松田さんという、年齢差50歳のコンビが生まれた。
「コンビ結成」から2年後の2004年から八王子の各地を巡る取材を開始。「八王子城跡や滝山城跡・大善寺跡などの史跡を一緒に取材をした」と松田さん。「新藤さんから生きた郷土の歴史を学び、地元のさまざまな先生方からもお話をうかがう貴重な機会をいただきつつ、千人同心や八王子の歴史を各エピソードごとに漫画化していった」という。
ある程度漫画がたまったところでいったん、出版社に企画を持ち込んだが不発に終わった。2人は「未経験のジャンルなので冒険はできない」と構成を見直すことに。企画を温め直し、再び手がけることになったのは昨年のこと。7年がかりで出版にこぎ着けた格好だ。「再び構成を練り直して、新しい研究成果も交えながら加筆修正した」と松田さん。
1巻は今年3月に刊行。今後は年に1冊のペース(計6巻)で刊行していく予定。「2巻では江戸時代の後期から、幕末の動乱と戊辰戦争・大政奉還にかけてを千人同心や八王子の歩みを絡めながら、楽しく読める作品にしたい」と松田さん。「新しい市民の方々、とりわけ新しい街で生まれ育っていく子どもたちに読んでもらえれば」とも。
サイズはA5判、全208ページ。価格は945円。
神奈川
幕末~明治前期の東本願寺法主が嫁ぐ娘にあてた手紙発見、横浜人形の家で公開
幕末から明治前期に京都・東本願寺の第21代法主を務めた大谷光勝(こうしょう)(1817~1894年)が、明治維新を主導した公家岩倉具視の子に嫁ぐ娘にあてた手紙が横浜市内で見つかった。光勝が娘に託した市松人形とともに、横浜市中区の「横浜人形の家」で22日から公開される。30日まで。
東本願寺などによると、光勝の手紙は岩倉具視の三男具経(ともつね)に嫁いだ六女梭子(おさこ)にしたためたもの。「天朝の御恩(ごおん)の程難有(ありがたく)存し奉(たてまつ)り政令(政府が定める命令)にそむく間敷(まじき)事」など5カ条が記され、激動の時代を経験した光勝が宮中や明治政府への配慮をにじませている。
具経と梭子の長女の孫にあたる横浜市泉区緑園の中嶋信光さん(74)がこのほど、仏壇にあった手紙を見つけた。中嶋家に伝わる由来によると、光勝から梭子には手紙とともに市松人形「御小姓(おんこしょう)人形」(高さ35センチ)が渡された。その後、長女が嫁いだ中嶋家の家宝となったという。
中嶋さんによると、人形は江戸後期の作で、伏見宮から嫁入りした光勝の妻が持参した。太平洋戦争時の空襲では顔に傷が付いた程度で着替えの着物とともに焼失を免れた。1986年に人形の家に寄贈された。
2006年の改装後は公開されていなかったが、今回見つかった手紙も人形の家に寄贈される運びとなったことから、手紙の写しとともに展示されることになった。中嶋さんは「手紙を通じて人形がたどった数寄な歴史を伝えたい」。学芸員の伊井さえこさん(34)は「人形を今に伝えてきた人たちの思い感じてほしい」と話している。
小田原城で初の和装コスプレイベント開催へ/神奈川
和装を中心とするコスプレイベント「小田原写真館~in小田原城」が30日、小田原城址公園(小田原市城内)で初めて催される。国指定史跡の小田原城を舞台に、若者の和装コスプレーヤーが集う催しが開催されるのは珍しいという。
一大仮装イベントの北條五代祭りや「着物でまちあるき」、茶会など「和」のイベントが小田原城で催されてきたことから、「小田原城址公園全体をロケーションとする仮装と撮影を目的とした参加型イベント」として、和装コスプレを愛好する若者らとFMおだわらが初めて共催する。
若者らに小田原城の歴史的な価値を再認識・再評価してもらおうという狙いもある。
コスプレは、アニメやゲームなどの愛好者が、自らが好きなキャラクターの衣装をまねて作った服を着てキャラクターになりきり、気に入った背景に収まって写真を撮るまでの一連の流れをいう。和装コスプレは、将軍や幕末などの人物をイメージして自作した衣装が特徴となっている。
当日は、参加者がそれぞれの衣装を身にまとい、お堀端や銅門(あかがねもん)、馬出門(うまだしもん)などの気に入った撮影場所で自らを撮影する。
午前10時半から午後4時まで。参加費は1人1500円。申し込み・問い合わせはFMおだわら電話0465(35)5150。
高知
土佐藩主・山内容堂の企画展 高知県立文学館
「最後の将軍」徳川慶喜に大政奉還を提案するなど幕末に大きな役割を果たした土佐藩の15代藩主・山内容堂の足跡、人柄を紹介する企画展が、高知市丸ノ内の高知県立文学館で開かれている。6月27日まで。
同県に寄贈された山内家の資料の調査を進めている土佐山内家宝物資料館(同市)が開館15周年を記念して企画。慶喜ら幕末の権力者とのかかわり、自らを「鯨海酔侯(南海の酔いどれ大名)」と名乗り、詩や書を愛した一面などを約50点の展示資料を通じて紹介している。
大政奉還建白書の写しは初公開で、長さ約2メートル。冒頭部に「慶応3(1867)年9月に幕府に建白書を差し出す」と、後に書かれたことを示す注記がある。慶喜が将軍に就任する直前に容堂にあてた書状では「京都に上京し朝廷の警護にあたってほしい」と依頼した内容が記されている。
このほか、容堂の肖像画や赤色の地に白い数珠の模様を配した陣羽織なども展示されている。会期中は無休。観覧料は400円(高校生以下は無料)。
山口
文化審答申:「長州藩下関前田台場跡」国の史跡に 世界遺産登録へ大きな前進 /山口
明治維新はここから始まった--。文化審議会が国の史跡にするよう答申した「長州藩下関前田台場跡」(下関市前田)は、長州藩が馬関戦争(1864年)で英仏蘭米に大敗し、開国、倒幕に転じた「維新起点の地」。下関市の試掘から17年目にして日の目を見ることになった。(18面に「なるほドリ」)
前田台場跡は、関門海峡沿いの国道9号を唐戸町から長府方面へ走る途中の左側、前田1丁目の高台だ。
幕末、攘夷(じょうい)を強硬に唱える長州藩は彦島から長府にかけて約20の砲台を築造し、青銅製の大砲などを設置した。前田台場はその一つ。文化審は「低台場(標高10メートル)」と「高台場(同16メートル)」の形状をほぼ当時のままとどめる点などを評価した。
存在が確認されたのは市教委が試掘した94年。99~02年には県教委が発掘調査し、土塁や大砲を据えた平たん面などが見つかった。その後、市民にもほとんど知られていなかったが、08年9月、福岡県など6県10市が組む「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして世界遺産登録の暫定リスト入り。一躍脚光を浴びた。
現地を訪ねて高台場から見下ろすと、思いの外、海峡が近く迫ってくる。市文化財保護課の濱崎真二主任らによると、馬関戦争の往時、台場から撃った大砲の弾は4国連合艦隊にまるで届かなかった。一方、艦隊からの砲撃は台場に降り注いだという。埋め立てで海岸線は遠のいたが、変わらない海峡の眺めが146年前の戦闘をしのばせる。
市は今後、文化庁と協議し、遺跡を守りながら歴史的価値を顕彰するスポット作りを模索する。文化財保護課によると、国の史跡指定は「近代化産業遺産群」の世界遺産登録へ向けても大きな前進だという。ユネスコへの推薦に国の指定は不可欠で、前田台場跡は関門をクリアしたといえる。同課は「スタート地点に立てた。それもありがたい」と二重の喜びに沸く。【取違剛】
熊本
文化審答申:国指定史跡に、熊本藩・川尻米蔵跡 /熊本
国の文化審議会は21日、熊本市川尻の熊本藩川尻米蔵跡(外城蔵跡、船着場跡)を国の史跡に指定するよう文部科学相に答申した。指定されれば県内では37件目となる。【勝野俊一郎】
川尻地区は中世から緑川や支流の加勢川を利用した水運の拠点。1588年、肥後に入国した加藤清正が本格的な整備をしたとされる。軍港としての側面もあり、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際には兵や兵糧を送り出した。
米蔵跡は江戸時代、熊本藩が年貢米の集積や搬出の拠点として利用した。主に藩南部から集めた年貢米をいったん納入して大坂に搬送していたという。1832年の絵図には3カ所に蔵が描かれているが、現存するのは外城蔵の一部だけ。幕末の19世紀中ごろに造られたとみられ、東棟と西棟がある。ともに木造平屋建てで東棟が585平方メートル、西蔵が210平方メートル。個人所有で、二十数年前までは農協の倉庫として使用されていた。
船着場は16世紀末に整備された。加勢川右岸に13段の石段形式で造られ、全長約150メートル、幅平均4・7メートル、高さ平均3メートル。終戦直後まで天草からの木材を運ぶためなどに使われていたという。
市教委は「お蔵跡と船着場がそろって残っており、近世の物流、水運の様子を知る上で、全国的にみても貴重な史跡だ。保存や公開方法なども検討したい」としている。
宮崎・鹿児島
文化審、鹿児島、宮崎の3件答申
文化審議会が21日、文部科学大臣に答申した新たな国指定には、鹿児島、宮崎両県から「ヤクシマカワゴロモ生育地」(天然記念物、鹿児島県屋久島町)▽「小湊(こみなと)フワガネク遺跡」(史跡、同県奄美市)▽「賀来飛霞(かくひか)標本」(登録記念物、宮崎市)‐の三つが含まれた。どんな価値があるのかを紹介する。
ヤクシマカワゴロモは屋久島固有の水生植物。世界自然遺産の屋久島でも北部の一湊(いっそう)川の流域でしか確認されておらず、生息地は貴重と評価された。
宮崎や鹿児島の本土にも分布するカワゴロモ属の一種で、種子植物だが、コケや藻のような形状が特徴。流水に適応し、平たい根で岩の表面に広がる。花こう岩上に生息することが本土のカワゴロモとは異なる。
鹿児島県立博物館の寺田仁志・主任学芸主事(57)は「屋久島の自然の豊かさを示す特別な文化財。国の天然記念物として大切にされるのは、うれしい」と話す。
小湊フワガネク(外金久)遺跡は、奄美市名瀬の南部の海岸近くにある。6-8世紀の生活や交易の在り方が分かる集落として評価された。現地は太平洋に面し、幕末には米国ペリー提督の艦隊が立ち寄ったとの言い伝えも残る。
市教委の高梨修主幹は「あの時の衝撃が忘れられない」と話す。1996年、専門学校の建設現場から大量のヤコウガイの貝製品や土器のかけらが見つかった。97年に発掘を始め、2000年から本格調査。約2万5千平方メートルの範囲で土器片だけでも約1万8千点が出土した。貝製品の工場跡も見つかり、6-8世紀の遺跡と判明した。
高梨さんは「奄美の歴史の空白部分が埋まった。ヤコウガイは平安時代に螺鈿(らでん)細工に使われ、宮廷貴族が重宝したとされる。奄美が供給地だった可能性がある」と話す。
賀来飛霞標本は、本草学者で医師の賀来飛霞(1816-1894)が集めた760点の動物、植物、地質鉱物の標本で宮崎県総合博物館所蔵。幕末の本草学から明治時代の近代植物学の先駆けまでに作成された標本として重要と評価された。
全国各地
平城宮東院庭園など特別名勝に 文化審議会答申
文化審議会(西原鈴子会長)は21日、日本庭園の原型とされる平城宮東院庭園(奈良市)を特別名勝に指定するよう川端達夫文部科学相に答申した。庭園の中心にある池は、当初、中国などから伝わった直線的な技法で造られたが、なだらかな曲線を備えた日本独自の様式に造り替えられた。 また、長州藩と4カ国連合艦隊による幕末の下関戦争の舞台となった「長州藩下関前田台場跡」(山口県下関市)など8件を史跡にすることなどを求めた。
また、山部赤人の短歌に詠われた干潟、島嶼(とうしよ)などからなる「和歌の浦」(和歌山市)など2件を名勝に、およそ4000年前に噴火した火山「大室山」(静岡県伊東市)など3件を天然記念物にそれぞれ指定するよう答申した。答申はいずれも近く認められる見通し。
◇
主な答申は次の通り。
【特別名勝】平城宮東院庭園(奈良市)
【名勝】和歌の浦(和歌山県和歌山市)▽円月島 高嶋(和歌山県白浜町)
【史跡】長州藩下関前田台場跡(山口県下関市)▽小峰城跡(福島県白河市)▽常陸国府跡(茨城県石岡市)▽大町釈迦堂口遺跡(神奈川県鎌倉市)▽阿波遍路道 鶴林寺道 太龍寺道 いわや道(徳島県阿南市、同勝浦町)▽妙見山古墳(愛媛県今治市)▽熊本藩川尻米蔵跡 外城蔵跡 船着場跡(熊本市)▽小湊フワガネク遺跡(鹿児島県奄美市)
【天然記念物】大室山(静岡県伊東市)▽多度のイヌナシ自生地(三重県桑名市)▽ヤクシマカワゴロモ生育地(鹿児島県屋久島町)
NHK人形劇『新・三銃士』、ラスト前1回でまたドラマチックな展開。次が最終回が最後なのは寂しいですが、最後までわくわくして視聴します。
北海道
幕末のヒーローあんぱんに
土方さんと榎本さんのあんパン、次回函館旅行の時にぜひ入手させていただきたく。
茨城
伊達家グッズいかが
仙台藩領地龍ヶ崎に土産物店
東京
竜馬がテーマの個室居酒屋 東京・新宿、幕末好きで盛況
神奈川
「ペリー時計」動いた
艦隊からの贈り物を修復、開港資料館で29日から公開
静岡
江川坦庵の実像に迫る 交友歴や抗争小説に
坦庵先生研究の第一人者による小説! 早速注文しました(^^)。早く読みたいです!
福井
幕末絵師の大和絵並ぶ 敦賀市立博物館で冷泉為恭中心に
滋賀
舟橋聖一賞:昨秋の「青年文学賞」「文学奨励賞」作品集、彦根市制作 /滋賀
兵庫
みみより情報:上野彦馬賞九州産業大学フォトコンテスト、受賞作品展 /兵庫
福岡
7月博多座公演「大奥」-浅野ゆう子さん、安達祐実さんが来福
全国各地
奈良・平城宮庭園を特別名勝に 文化審議会が指定答申
北海道
幕末のヒーローあんぱんに
函館市内近郊の9社が組織する「函館スイーツの会」(若山直会長)は20日、函館市末広町の五島軒本店で例会を開き、土方歳三と榎本武揚をイメージしたあんぱんなど、新たに4商品を「函館スイーツ」に認定した。週明けにも同会アンテナショップ(函館市松風町8)などに並ぶ。
同会は、函館発のブランド菓子の創出を目指し2009年に発足。定期的に行われる例会では、各社が工夫をこらした新製品を持ち寄り、全会員に承認されれば認定商品として販売することができる。
この日は、木古内町の北島製パン(北島孝雄社長)が、函館にゆかりの深い土方歳三と榎本武揚のイラストをパッケージに使用した「土方歳三あんぱん」と「榎本武揚薩摩芋(さつまいも)あんぱん」の2種類を発表(各160円)。土方あんぱんには北海道産の金時豆のあんを、榎本あんぱんにはさつまいものあんを使用し、どちらもあっさりとしながら味わい深い逸品に仕上がった。北島社長は「幕末のヒーローとして人気の二人。あんぱんとの異色の組み合わせは、観光客にも評判を呼ぶのでは」と期待する。
このほか、季節商品として花園正家(函館市港町1)の「よもぎ味くじらもち」(150円)、はこだて柳家(同市万代町3)の6種のゼリー「はこだて果樹」(各250円)、昭和製菓函館志濃里(同市西桔梗町589)の「新雪チーズケーキ」(315円)も承認された。
新商品と函館スイーツの会についての問い合わせは、同アンテナショップTEL0138-21-1811。
土方さんと榎本さんのあんパン、次回函館旅行の時にぜひ入手させていただきたく。
茨城
伊達家グッズいかが
仙台藩領地龍ヶ崎に土産物店
戦国武将の伊達政宗が基礎を築いた仙台藩。幕末までその領地だった龍ヶ崎市で、伊達家にちなんだオリジナルグッズを扱う土産物店「みやこや」が開店した。仙台藩との縁を生かした地域活性化を目的に、市民グループが始めた店舗で「伊達の発信基地として盛り上げていきたい」としている。
龍ヶ崎など当時の26村は、1606年(慶長11年)に「仙台藩常陸国龍ヶ崎領」として徳川家康から政宗に与えられ、政宗も龍ヶ崎を訪れた記録が残る。2代藩主・忠宗は龍ヶ崎出身のたけを側室に迎え、その孫は同藩5代目を継ぐなど、かかわりは深かったという。
みやこやを運営するのは、4年前に発足した市民グループ「龍ヶ崎・伊達都祭りの会」。武将にふんした子どもたちが仮装行列する祭りを毎年10月に開いてきた。昨年初めて商店街で祭り準備の臨時事務所を開設した際、「空き店舗が開き、商店街が明るくなった」という商店主たちの声が開店の後押しとなった。
関東鉄道・竜ヶ崎駅にほど近い商店街の空き店舗を借りて今月1日に開店。同会長の藤木妙子さん(56)が店主に就任した。接客は会員がボランティアであたり、都祭りにちなむTシャツ(900~2000円)や地元菓子店に委託した菓子「みやこサブレ」(110円)などを販売している。
今月末には、忠宗とたけの恋を題材に、中学校の元音楽教諭だった藤木さんが作詞作曲したCD「龍ヶ崎恋歌」と、藤木さん著作の小説「大輪の椿(つばき)」の販売を始める。だて巻きにヒントを得た「伊達ロールケーキ」を売り出す計画もあるという。
藤木さんは「仙台藩とのかかわりを知る人は、地元でも少なくなった。歴史を振り返り、後継者不足で元気がない商店街を活性化する一助になれば」と話している。営業時間は午前10時~午後5時(月曜定休)。問い合わせは同店(0297・62・3882)へ。
東京
竜馬がテーマの個室居酒屋 東京・新宿、幕末好きで盛況
大河ドラマ「龍馬伝」によるブームの中、坂本竜馬をテーマにした個室居酒屋「龍馬の空 新宿社中」が東京・新宿にオープンした。幕末好きの“歴女”らで盛況だ。
エントランスで出迎えるのは、自身の言葉をバックに立つ等身大の竜馬像。高知・桂浜で太平洋を見据える雰囲気を演出し、一緒に記念撮影もできる。
店内は少人数用から大人数用まで25の個室に分かれ、高知や九州などの郷土料理を提供する。個室ごとに「勝海舟の間」「江戸三大道場の間」「近藤勇の間」などとネーミング。志士の写真や剣道防具、船の模型といったグッズも展示するこだわりようだ。
メニューは刺し身5点盛り合わせ「船中五策」や、くしを剣に見立てた「沖田総司 幻の五段突き」、「おりょうの流し目ハイボール」など。ランチも営業。運営は外食チェーンのダイヤモンドダイニング。不定休。
神奈川
「ペリー時計」動いた
艦隊からの贈り物を修復、開港資料館で29日から公開
幕末に黒船で下田(静岡県)に来航したペリー艦隊が日本人に贈った置き時計が修復された。横浜市内の民家から時計を寄託された横浜開港資料館(横浜市中区)は29日~6月6日にぜんまいをまいて針を動かして公開する。
時計は、1854年にペリー艦隊からペリー艦隊の世話役だった下田奉行の役人に贈られたもので、横浜市港北区の無職但馬惟義さん(84)方に「ペルリ時計」として伝わっていた。但馬さんは、同資料館に「時計を動かしてほしい」と要望していた。
同資料館の依頼を受けた古時計愛好家の武田信雄さん(66)が内部のさびを落とし、長針を取り付けるなどして時計を修復。ぜんまいをまけば、振り子が左右に動いて「コチコチ……」という音を出し、毎時、時間に応じた回数の「ボンボン……」という音が響くようになった。米国の「古時計収集家協会」会員で古時計研究家の加藤晃正さん(72)は「この時計は、ペリー艦隊が日本人に贈った時計の中で唯一現存が確認されているもので大変貴重な史料。今回の修復でペリー来航時の音をよみがえらせることができた」と話している。
静岡
江川坦庵の実像に迫る 交友歴や抗争小説に
伊豆の国市の元高校教諭で歴史研究家の仲田正之さん(63)がこのほど、韮山反射炉などの建造を手掛けた幕末の代官江川太郎左衛門英竜(坦庵、1801~55年)の生涯を描いた980ページに上る時代小説「実伝 江川太郎左衛門」(四六判、鳥影社)を出版した。これまでの江川研究の集大成として4年がかりで執筆した。
7章に分けて、英竜の青年期から反射炉建造を前に亡くなるまでの人物像や、政官財界から伊豆の名主までの多彩な交友を浮き彫りにした。周辺人物の日記など膨大な資料を当たり、伊豆の住民とのかかわりや狩りの様子、悪党との抗争なども詳細に描いている。
大学時代から英竜の研究を重ねている仲田さんは1985年に英竜の歴史書を出版。そのころから小説の構想はあった。英竜は代官就任前の少年期や青年期の記録がほとんどなく、「歴史書や論文は限界があった。周辺の取材から浮かび上がる、架空の人物や出来事を入れないと生涯を描けなかった」と仲田さん。経験のなかった小説執筆を決めた。
高校教諭を定年退職後に本格的な執筆活動に入り、長年の英竜研究で少しずつ集めていた資料をつなぎ合わせ、想像をかき立てて一冊の本にまとめた。仲田さんは「劇的な人生を送った英竜を人間として描きたかった。この小説を通し、英竜の生きた時代を感じてほしい」と、大作を手に満足げな表情を浮かべる。
坦庵先生研究の第一人者による小説! 早速注文しました(^^)。早く読みたいです!
福井
幕末絵師の大和絵並ぶ 敦賀市立博物館で冷泉為恭中心に
敦賀市相生町の市立博物館で、幕末に活躍した絵師の冷泉為恭(れいぜいためちか)の作品を中心に紹介する「館蔵名品展~冷泉為恭~」が開かれている。6月6日まで。
為恭は「国学」が盛んになり、日本古来の物事への関心が高まった江戸時代後期の絵師で、平安、鎌倉時代の古典をもとに復古大和絵を数多く描いた。小浜藩酒井家とも親交が深かったことでも知られる。
同館が所蔵する為恭の作品を一堂に紹介しているほか、復古大和絵の絵師らの作品など計約30点を展示。
平安時代の絵巻物を模写した為恭の「三祭図(祇園祭礼図)」は、田楽や獅子舞、見物する庶民の姿が細密に描かれている。「平家物語」の一場面を絵に表した「忠孝図」や、炎を背後にまとった力強い不動明王を描いた作品もある。休館は毎週月曜日。入館料は一般200円。 (安福晋一郎)
滋賀
舟橋聖一賞:昨秋の「青年文学賞」「文学奨励賞」作品集、彦根市制作 /滋賀
彦根市は昨年秋の「第21回舟橋聖一顕彰青年文学賞」「第24回舟橋聖一顕彰文学奨励賞」の受賞作品集を作った。全入賞者やその在学校のほか、県内や隣接県の図書館や大学、彦根市内の全小・中学校、高校などにも送っている。
両賞は、幕末の大老で旧彦根藩十三代藩主・井伊直弼を描いた小説「花の生涯」の作者で彦根市名誉市民の故・舟橋聖一氏の業績をたたえ、市が制定した。
青年文学賞は、最優秀賞の冨士野督子さん=さいたま市=の小説「虹待ち」▽佳作の漆原正雄さん=鳥取市=の小説「棚子」の2作品を収録。文学奨励賞は、▽小学生の部1席の作文「初めて見たホタル」▽中学生の部1席の作文「『脳死』と『尊厳死』」▽高校生の部1席の創作「仮面」など、小・中・高校の各3席までの計9作品を作者の顔写真付きで載せている。選考の講評、表彰式の様子の写真なども収録した。
また、一昨年8月から1年間に出版された単行本の小説が対象の舟橋聖一文学賞は、「商人(あきんど)」で受賞した作家・詩人のねじめ正一さん(東京)を顔写真入りで紹介している。【松井圀夫】
兵庫
みみより情報:上野彦馬賞九州産業大学フォトコンテスト、受賞作品展 /兵庫
◇尼崎市総合文化センター--来月6日まで
世界の紛争や日常の一場面など一般と高校・中学部門106人
若手カメラマンの登竜門とされる第10回上野彦馬賞九州産業大学フォトコンテスト受賞作品展(毎日新聞社、九州産業大、尼崎市総合文化センター主催)が尼崎市昭和通2の同センターで開かれている。
幕末から明治にかけて写真館を営んでいた上野彦馬(1838~1904)は「写真の祖」とされる人物。2000年に同大建学40周年を記念して創設されたこのコンテストはプロアマを問わず39歳以下の若手の写真家の育成などが目的となっている。
今回は入賞した一般部門31人、高校・中学生部門75人の作品を展示。コソボ紛争を題材としたドキュメンタリー写真や人込みではぐれないように傘で子どもを引っ張る老人の姿などのユニークな日常の一場面を切り取った作品など、若手ならではのアイデアに満ちた写真が展示される。
同時開催として、特別企画展「上野彦馬と内田九一の写真でめぐる幕末明治の日本」も開かれている。坂本竜馬やロシア皇帝ニコライ2世といった、どこかで見たことがある写真など約150点を展示する。
6月6日まで。入館は午前10時から午後4時半まで。入場料一般500円、大高生400円、中学生以下無料。問い合わせは同センター(06・6487・0806)。
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◇プレゼント
この展覧会のチケットを2枚1組で10人にプレゼントします。はがきに「上野彦馬展チケット希望」と書き、郵便番号、住所、氏名、電話番号も記入して、〒660-0892 尼崎市東難波町5の16の29、毎日新聞阪神支局みみより情報係へ。26日必着。応募多数なら抽選します。
福岡
7月博多座公演「大奥」-浅野ゆう子さん、安達祐実さんが来福
7月に博多座(福岡市博多区下川端町2)での公演を予定している「大奥」に出演する浅野ゆう子さん、安達祐実さんが5月20日、会見を行った。
2003年に放送されたフジテレビ系列のドラマ「大奥」。豪華絢爛な衣装や女性同士の愛憎劇を描き、翌年には「大奥~第一章~」、2005年には「大奥~華の乱~」のほかスペシャルドラマも放送。さらに2006年には映画化され、女性を中心に高い人気を集めた。2007年に初の舞台化。博多座には初登場となる。
舞台では和宮降嫁から幕末にかけての時代を描く。大奥総取締・瀧山を浅野さん、仁孝天皇の第八皇女、家茂御台所・和宮を安達さんが演じる。
2人は2003年から7年間、同じ役を演じ続けている。「7年同じ役を演じられるのは役者にとって幸せ」と浅野さん。「回を追うごとに瀧山に深く愛情を感じる。一緒に成長して、新しくも怖い瀧山を演じたい」と話す。安達さんは「初めて演じたときは21歳。28歳の今、自身が積み重ねた部分を役に反映できれば」という。
「総額1億円の豪華な衣装も見どころ。華やかさを楽しんでいただければ」と浅野さん。安達さんは「楽しみながら頑張りたい」と話す。
料金は、A席=1万3,000円、特B席=1万円、B席=7,000円、C席=4,000円。上演は7月3日~27日。
全国各地
奈良・平城宮庭園を特別名勝に 文化審議会が指定答申
文化審議会(西原鈴子会長)は21日、平城宮の東南部で発見・修復された「平城宮東院庭園」(奈良市)を特別名勝に、幕末の四国連合艦隊下関砲撃事件の舞台となった「長州藩下関前田台場跡」(山口県下関市)など8件を史跡に、それぞれ新規指定するよう川端達夫文部科学相に答申した。
また万葉集にも詠まれた「和歌の浦」(和歌山市)など2件を名勝に、単成火山と呼ばれる噴火様式の典型例である「大室山」(静岡県伊東市)など3件を天然記念物に新規指定するよう答申。
近く答申通り告示される予定で、史跡1669件、名勝359件(うち特別名勝36件)、天然記念物982件となる。
平城宮東院庭園は8世紀初頭に造営。池の護岸手法などから、日本古来の意匠や工法が大陸伝来の庭園文化と融合し、日本独自のものに変化していく過程がうかがえる。
長州藩下関前田台場跡は、攘夷戦争で外国船への砲撃が行われ、イギリスなどの連合艦隊に破壊、占拠された場所で、幕末の動乱期の痕跡をとどめている。
今日は一日降ったり止んだり。気温はさほど高くないのですが、湿度が高く、じめじめしています。東京はこれから雷を伴うざーざー降りがあるそうです。
明日は晴れて25度以上になる地域が多いとのこと、洗濯日和になるかな。
東京~神奈川
【絹の道 東京~神奈川】
横浜に居留する外国人にとって、八王子が外出の西北端というのは興味深いです。
1.街の発展 生糸が呼ぶ
2.桑都の盛哀伝えたい
龍馬“電”、ラッピング京急出発進行ぜよ
神奈川
郷土の英雄伝に感動
磯子図書館で紙芝居上演会
三重
黎明期の写真術、津に源流 堀江鍬次郎の功績に光
滋賀
霊力漂う能面、能装束
彦根城博物館で展示
大阪
大阪城天守閣で「幕末維新」展
リンク先、動画が埋め込まれてナレーションが始まりますのでお気を付けください。
高知
『土佐・龍馬であい博』盗まれた福山&宮迫のサイン色紙を23日より再展示
福岡
龍馬とメードがコラボ?-西日本新聞会館屋上に「幕末メード伝」ビアガーデン
幕末とメードのコラボって(汗)……「沖田ソーセージ」って駄洒落にも苦笑。
佐賀
全国の竜馬ファンと交流 「からつ海援隊」発足
長崎
ながさき龍馬フェスタ:「龍馬観光」全国区へ 県と長崎市が来月19、20日 /長崎
「龍馬」で特産品売り込め 長崎で企業と全国百貨店商談会
踊りや料理、花街文化を市民ら満喫 料亭青柳「青餅祭り」
鹿児島
かごしまよかとこ旅:観光情報を厳選 九州新幹線全通控え、県がガイド本 /鹿児島
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(62)東大教授・山内昌之 前田慶寧
文化芸能
伊勢谷友介が高杉晋作…「龍馬伝」7・18から登場
「龍馬伝」キャスト小出し発表 今度は高杉晋作役に伊勢谷友介
今年は本当に小出しですね。また随分と端整で長身な高杉……(苦笑)。
明日は晴れて25度以上になる地域が多いとのこと、洗濯日和になるかな。
東京~神奈川
【絹の道 東京~神奈川】
「横浜から馬で3時間ほどのところにある小さな美しい村の発展・繁栄は、横浜が豊かになったお陰」
幕末の横浜にやって来た英国の報道写真家、フェリックス・ベアト。今や相武地方最大の繁華街となった町田市(原町田)を撮影した写真に、こう書き添えている。
町田の発展は八王子と横浜の中間という地理的要因が大きい。かつて養蚕や織物が盛んで「桑都(そうと)」と呼ばれた八王子。その市(いち)で生糸を販売していた農家は、1859(安政6)年に横浜港が開港すると、「港に運べばもっと高く売れる」と知った。現在、絹の道資料館が立つ、八王子市の鑓水(やりみず)付近には、そんな農家出身の商人が住んでいた。八王子には長野、山梨県などからも生糸が集荷された。
八王子市の郷土史家で作家の故・橋本義夫氏は、同市から横浜への商いに使われた道を「絹の道」と呼ぼうと提唱。1957年に記念碑を建てた。以後、八王子から横浜への道は「日本の絹の道」と言われるようになった。
横浜開港資料館主任調査研究員の西川武臣さんは「生糸を横浜に運んだルートは数多くあった。ただ、町田を通る道が、主要な一本だったことは間違いない」と言う。
生糸を運んだ馬や荷車を空荷で帰すことはなく、珍しい舶来品や日用品を積んで戻った。「当時、肥料に使われたイワシも、千葉あたりから船で下田~横浜へと運ばれ、横浜から町田経由で相模原や綾瀬に運ばれたようだ」
「絹の道」は新しい文化も運んだ。八王子郊外にも早くからキリスト教が広がった。カトリック八王子教会の稲川圭三・主任司祭によると、多摩郡下壱分方(現八王子市西部)の教会には1878(明治11)年に約50人、1890年には約250人の受洗者がいたという。
また、「絹の道」は外国人の観光ルートでもあった。幕末当時、外国人の商取引は居留地内に限られ、商売以外の外出も「横浜を中心に10里(約40キロ)四方」と決められていた。八王子は横浜から行ける西北端に当たる。
トロイの発見で知られるドイツの考古学者シュリーマンは「日本中国旅行記」に、1865(慶応1)年の横浜~町田~八王子の小旅行を「横浜滞在中、最も興味深かったことの一つ」とし、「(八王子の)それぞれの家屋には大抵、手動式の生糸紡績機がある」と記している。
西川さんによると、最も大量に生糸が運ばれたのは利根川の舟運だった。だが、にわかに脚光を浴びた陸上ルート同様、1889(明治22)年の甲武鉄道(後に国有化)新宿―立川間、立川―八王子間の開通で主役を奪われる。1908年には「絹の道」に沿うように横浜線も開業した。
生糸を運び、文化を持ち帰った「絹の道」の寿命は50年弱。そのはかなさもまた、ロマンを駆り立てる。
(村山恵二)
◇
歴史ブームを背景に養蚕文化への関心が高まっている。観光資源にと期待する自治体も。日本版シルクロードに思いをはせる人々に会った。
横浜に居留する外国人にとって、八王子が外出の西北端というのは興味深いです。
1.街の発展 生糸が呼ぶ
2.桑都の盛哀伝えたい
雑木林のトンネルに、しっとりとした山道。静寂の中、ひと足踏み込むと、まるで100年前にタイムスリップしたかのよう。八王子市鑓水(やりみず)地区に残る「絹の道」だ。
幕末から鉄道網が発達する明治半ばまで、積み出し港の横浜につながるこの道を何人の生糸商人が往来したのだろうか。未舗装の約1キロの区間は1996年11月、国の「歴史の道百選」に選ばれた。
「絹の道資料館」は、その南側の入り口近くに立つ。かつて八王子で生糸の取引を仕切った鑓水商人の一人、八木下要右衛門の屋敷跡地に90年に建てられた。絹の道や製糸、養蚕に関する資料を展示する。復元された石垣が当時の面影をとどめている。
この資料館に今、ITの光が当てられようとしている。
取り組んでいるのは、近くの東京工科大メディア学部の女子大生。今春、卒業した4年生3人が開発したのが、パソコンで展示資料や歴史について学べる「eラーニング」のソフトだ。
学習コーナーとクイズコーナーがあり、八王子での生糸取引の様子や、横浜開港による変化など、テーマ別に、資料館の内容がほぼそのまま学習できる内容だ。機織り機の動きがコンピューター・グラフィックスを使った3Dアニメで再現されている。
昨年3月、地域にも貢献できる素材を探していた松永信介准教授(41)が勧めたのがきっかけだった。3人のうちの一人、会社員の品田裕子さん(22)は「資料はおもしろかったけど、展示の仕方をもっと良くできると思った」と話す。3人は全員が八王子市以外の出身。2カ月間資料館に通い、市役所にも足を運んで調べた。
完成したのは今年2月。計6日間、資料館などで公開された。普段の来客は日に30~40人のところ、資料館で公開した3日間は計200人以上が訪れた。
協力した市教委文化財課の金子征史さんは「3Dなどは私たちには出来ない発想。資料館のホームページにリンクするなど活用していきたい」と絶賛する。品田さんも「『絹の道』は物だけでなく、キリスト教や自由民権など思想も運んだ。もっと知ってもらわないともったいない遺産。多くの人に伝えられる助けになれば」と話す。
市の郷土資料館との新たな教材ソフト開発話も進行中だ。今回も開発を担当するのは市外出身の女子学生2人だ。瀬川香純さん(21)は「どこまでできるかと不安」としながらも「物語のように歴史を伝えられたら」。
「桑都(そうと)」と呼ばれた八王子も今や養蚕農家はわずか2軒が残るのみ。養蚕の衰退と急速な都市化により「絹の道」が途絶えてから約100年。「絹の道」がネットにつながり、「文化」を運び始める日が来るのかもしれない。
(杉浦幹治)
龍馬“電”、ラッピング京急出発進行ぜよ
“龍馬ラッピング電車”が24日から首都圏を走ることが、19日分かった。土佐から上京した坂本龍馬にゆかりの深い地区に路線を持つ京浜急行(本社・東京都品川区)が、快特電車のドア横に「龍馬が愛した長崎。」をテーマにポスター16種計64枚をはり付けるもの。龍馬ラッピングの交通機関は首都圏初登場で、龍馬ファンを中心に注目されそうだ。
京浜急行の快特電車が24日、坂本龍馬のラッピング車両として出発する。運行区間は品川~三崎口間で、6月27日まで走る。8両編成の「ブルースカイトレイン」(1車両2つドア)で、各ドアの両側に「龍馬が愛した長崎。」と銘打ったポスターがはられる。長崎港を一望する龍馬像やグラバー邸、そのほかに長崎の観光地の写真を配した16種が各4枚ずつ計64枚ラッピングされる。
今回は長崎県からの強力な要請で実現した。龍馬ブームで、長崎県には4月29日から5月5日のゴールデンウイーク期間中、主要30観光施設に54万6656人が訪れた。前年同期比で28・5%増。しかし、県観光連盟では「龍馬といえばやっぱり高知なんです。亀山社中や海援隊は長崎が発祥ということは意外と知られていない。まだ『龍馬伝』でそこまで進行していないので」と話す。
「龍馬伝」で長崎が舞台になるのは7月11日の放送分から。県は夏休みに突入する前に首都圏で目立つ観光誘客策を探っていた。そこに京急側からラッピング広告の申し入れがあった。京急も沿線に幕末の土佐藩主山内容堂の墓がある鮫洲駅、龍馬の立像のある立会川駅、妻お龍の墓がある京急大津駅など、沿線に点在する龍馬拠点をアピールしたかった。長崎と空路で結ばれる羽田空港に京急が乗り入れていることもあって、両者の思いが合致して龍馬ラッピング電車が実現した。
大規模な豪華ラッピングもデザインされたが、京急の走る東京都、川崎市、横浜市、横須賀市の屋外広告物条例で「電車における車両の外面に表示する広告物の面積の合計は当該外面の10分の1とする」と規定されて幻に。車両面積は87・5平方メートルなので、8・75平方メートルまでデザインできたが、車両としての景観も審査対象になることから、今回はドア横へのポスターのみで1車両につき計3平方メートルのラッピングとなった。今回は6月27日で終了するが、京急では「今後、高知市にも営業したい。新たなラッピングを考えてみたい」とした。【寺沢卓】
神奈川
郷土の英雄伝に感動
磯子図書館で紙芝居上演会
磯子図書館(本多俊雄館長)で5月4日、朗読会「磯子のかみしばいを楽しもう」が行われた。
図書館が子ども読書週間と大型連休に合わせ、家族で参加できるイベントとして企画したもの。
当日は、年齢別に4回開催され、幼児から高齢者まで約60人が参加した。
上演されたのは「いそえもんのせっけんづくり」というオリジナル紙芝居。現在の磯子区出身で、幕末から明治時代にかけ、私財を投げうって初の国産石鹸づくりに取り組んだ、堤磯右衛門の奮闘を描いている。昨年度の手づくり紙芝居コンクールでは、審査員特別賞を受賞した。
当日、朗読を行ったのは、この紙芝居の作者で、故郷が磯子区という片岡直子さん。普段からボランティアで紙芝居の読み聞かせを行っている片岡さんは、強弱のある発声や巧みな朗読術を披露。参加者たちは楽しいストーリーと話術を聴き、ぐいぐいと紙芝居の世界に引き込まれていた。
図書館では「今回の紙芝居を作る際に片岡さんが参考にした資料など、図書館には多くの郷土資料がある。今後も、郷土の歴史やそれに関する資料と、市民を結びつけるようなイベントに取り組んでいきたい」と話した。
三重
黎明期の写真術、津に源流 堀江鍬次郎の功績に光
幕末の日本にもたらされ、激動の時代の姿を今に伝える写真。その黎明(れいめい)期に、技術の礎(いしずえ)を築いた先駆者が津にいたことはあまり知られていない。堀江鍬(くわ)次郎(1831-66)がその人だ。その功績に光を当て、津の文化風土を考えようとの動きが生まれている。
津市大門の津センターパレス1階のギャラリー。市や三重大などでつくる「地域が応援するミニギャラリー運営委員会」が、堀江に関するパネル展示を21日まで開いている。
堀江は36歳で亡くなった。文化財担当の市教委の中村光司さんは「若くして亡くなった堀江については、これまで市民にもあまり知られてこなかった」とし、パネル展示を「堀江に光を当てることで津の文化の源流を知ることができる」と意義づける。
22~30日は津都ホテル2階に場所を移す。6月には研究者らを呼び、講演会も開く。
講演会は6月19日午前9時半から津センターパレス5階ホールで。堀江を研究する、日本大芸術学部の田中里実助教が「堀江鍬次郎の業績とその生涯」と題して講演する。無料だが、事前申し込みが必要。詳しくは運営委員会事務局(津センターパレス内)=電059(225)5595=へ。
(渡辺泰之)
滋賀
霊力漂う能面、能装束
彦根城博物館で展示
井伊家当主が集めた能の道具を紹介するテーマ展「鬼神と霊」が21日から、彦根市の彦根城博物館で開かれる。人間を超越した強さや恐ろしさを表現した能面・装束25点で能の世界観を伝える。
展示では、関東大震災(1923年)で井伊家伝来品が焼失、散逸した後、幕末の大老井伊直弼(なおすけ)の孫で能を愛好した15代当主の直忠(なおただ)氏が収集した室町から昭和の作品を並べる。
能面「獅子口」は、室町時代の伝説の名工・赤鶴(しゃくづる)の作と伝わる。獅子の眉やヒゲが生き生きと描かれ、面の形式が定型化される前の独創的な一品という。
能面「泥眼(でいがん)」は、豊臣秀吉が天下一とたたえた面打ちの是閑(ぜかん)吉満の作。白目や歯に金泥を施し、妖気漂う女性の怨霊が登場する演目で使われる。
昭和初期ごろの能装束「縫箔(ぬいはく) 黒地丸紋尽し文様」は約20個の紋が付けられ、鬼女の強い霊力を表すという。
6月15日まで。会期中無休。
大阪
大阪城天守閣で「幕末維新」展
リンク先、動画が埋め込まれてナレーションが始まりますのでお気を付けください。
幕末ブームの今、大阪城天守閣にある博物館で「幕末維新の世相と志士」展が開かれています。展示物は幕末関連の絵画、瓦版など約50点。開国を迫るため日本にやってきた「黒船」といえば、浦賀に来たアメリカのペリーの艦隊が有名ですが、大阪湾にもロシアの“黒船”が現れ、その時の様子を伝える瓦版もあります。また、幕末の志士・坂本龍馬を描いた絵などが鑑賞できます。7月15日まで。
大阪城天守閣 http://www.osakacastle.net/
高知
『土佐・龍馬であい博』盗まれた福山&宮迫のサイン色紙を23日より再展示
高知県は20日、NHK大河ドラマ『龍馬伝』の放送に合わせて開始した観光イベント『土佐・龍馬であい博』(安芸・梼原)のサテライト会場で盗難に遭っていた、主人公・坂本龍馬役の福山雅治と土佐勤王党・平井収二郎役の宮迫博之のサイン色紙を23日(日)より再展示すると発表した。
4月24日に「安芸・岩崎弥太郎こころざし社中」で宮迫のサインが、5月3日に「ゆすはら・維新の道社中」で福山のサインが盗まれたことを受け、各会場の実行委員がNHKエンタープライズを通じて両名に再度サインを要望。盗難事件は解決していないが、改めて福山は新色紙に「戻んてきたぜよ!!」、宮迫は「もう盗ったらいかんぜよ!!」としたためた。
再展示にあたり、12名のサイン色紙を木製の壁に打ちつけてアクリル板で覆い、アクリル版の隙間も木の枠で囲うなど盗難対策を強化。22日の閉館後に取り付け作業が行われ、23日より展示を再開する。
福岡
龍馬とメードがコラボ?-西日本新聞会館屋上に「幕末メード伝」ビアガーデン
西日本新聞会館(福岡市中央区天神1)屋上に5月6日、ビアガーデン「天空五風 幕末メイド伝」(TEL 092-712-4650)がオープンした。
昨年「メードと執事」をコンセプトに展開し、人気を集めた同店。今年は「メードに加え、龍馬伝や歴女(歴史好きの女子)ブームを取り入れてさらに楽しんでいただければ」(石橋弘紹店長)と「幕末メード伝」をテーマにした。スタッフはメードのほか坂本龍馬、新撰組に扮(ふん)したコスチュームで来店客を出迎える。
フードメニューは、ホワイトソースのパスタ「私とあなたを結ぶ赤い糸」や照り焼きチキン「愛情こってりチキン」、グリルドソーセージ「沖田ソーセージ」、おでん「新撰おでん組」など約40種。ドリンクメニューはビールのほか、「幕末五風」「沖田総司」「坂本龍馬」などと名付けられたオリジナルカクテルも用意する。売り上げは前年比5%増を目標に据える。
120分食べ飲み放題の料金は、大人=3,800円(男性)・3,500円(女性)、中高生=2,000円、小学生=1,000円、幼児=500円、3歳以下無料。ソフトドリンクのみの食べ飲み放題は、大人=2,700円。営業時間は17時30分~22時。9月30日まで。
幕末とメードのコラボって(汗)……「沖田ソーセージ」って駄洒落にも苦笑。
佐賀
全国の竜馬ファンと交流 「からつ海援隊」発足
NHK大河ドラマ「龍馬伝」で人気を集める坂本竜馬。唐津市にその直接の足跡はないが、竜馬の大胆かつ柔軟な発想や生き方に共感する市民有志が18日、「からつ海援隊」の設立総会を開いた。
空前の竜馬ブーム。竜馬会のネットワーク組織「全国龍馬社中」によると、数年前から竜馬会が続々と誕生し、国内外に130団体以上あるという。佐賀県内には同様の組織はなく、同社中からラブコールを受け、市民有志が「海援隊」を立ち上げることになった。
同市のまちなか集い館であった設立総会には、約20人が出席。龍馬の歩みをたどる勉強会や全国の竜馬会との交流、海や港を中心としたまちづくり会議に参加するなど初年度の活動方針を決めた。会長にはまちづくりグループ「からつ夢バンク」代表の小島起代世さん(57)を選んだ。
総会に先立ち、唐津市近代図書の元館長、中島直幸さんが竜馬の生きざまや幕末期の歴史などについて講演した。
会員は現在35人で、新入会員を募集する。問い合わせは小島さん、電話0955(75)3168へ。
長崎
ながさき龍馬フェスタ:「龍馬観光」全国区へ 県と長崎市が来月19、20日 /長崎
◇さるくや音楽祭
県と長崎市などは6月19、20日、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の舞台が幕末の長崎となるのを前に「ながさき龍馬フェスタ」を同市内で開催する。まち歩き観光「長崎さるく」で坂本龍馬らゆかりの史跡巡りや、龍馬をテーマにした歌募集などを通じ、長崎と龍馬の関係を全国区に押し上げようとする。実行委員長の馬渡善裕・長崎龍馬会長は「『龍馬観光』が長崎に定着し、新たな目玉になれば」。イベントは次の通り。問い合わせはいずれも実行委(095・862・1264)。
【「長崎龍馬の道」リレーさるく】19日午後1時~3時半。旧長崎街道から旧外国人居留地まで、長崎市の中心市街地を貫く一本道「長崎龍馬の道」を市民ボランティアガイドの案内で散策。定員150人、無料。
【龍馬と幕末ヒーローなりきりコンテスト】20日午後1時、市公会堂。龍馬や岩崎弥太郎、お龍ら幕末の人物を演じたパフォーマンスを募集。18歳以上の男女を5月25日まで募り、1次選考で本選出場の約10人を選ぶ。
【龍馬の歌音楽祭】20日午後2時半、市公会堂。6分以内のオリジナル歌唱曲を5月25日まで募集。1次審査の後、8組前後が本選に進む。【錦織祐一】
「龍馬」で特産品売り込め 長崎で企業と全国百貨店商談会
百貨店による催事の構成商品を厳選する全国規模の合同商談会が19日、長崎市内のホテルで開かれた。全日本デパートメントストアーズ開発機構(東京、A・D・O)が主催し、九州各県で加工食品などを製造、販売する地場企業151社とA・D・O加盟百貨店22社の買い付け担当者が面談した。
九州地区は地域特産が豊富で、全国のA・D・O加盟店が開いている九州関連の物産展の2008年度総売上高は36億円超。北海道物産展に次ぐ人気があり、売り上げと集客の核になっている。
一方で、競合他社との催事の同質化や商品構成のマンネリ化傾向もあり、各百貨店は「隠れた逸品を求めて川上(供給地)のさらに奥に分け入って探している状況」(木村康幸A・D・O本部長)という。
合同商談会で長崎関係は、長崎市の浜屋百貨店と取引関係にある35社が出展。麦焼酎の「龍馬伝 長崎希望篇」(壱岐の華)、「龍馬to鶏ちゃんぽん」(荒木商会)、「長崎幕末ロマン 龍馬伝説カレー」(さかもと)など、放映中のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に関連した独自商品の売り込みが目立った。
百貨店側は九州勢に加え、伊勢丹や松屋、京急、名鉄などが参加した。
大型連休中に開いた九州フェアで龍馬コーナーを企画した岩田屋(福岡市)の佐藤克美食品催事担当バイヤーは「物産展にはエンターテインメント性も求められる。『龍馬が食べたかもしれない』といった売り方は面白い。客から『楽しい』という反応が多く、大好評だった」と関連商品の発信力を語った。
A・D・Oには全国34社67店の百貨店が加盟。08年度総売上高は約1兆9400億円で、全国百貨店売上高の3割を占めている。
踊りや料理、花街文化を市民ら満喫 料亭青柳「青餅祭り」
若葉が芽吹くさわやかな時季に踊りや料理を楽しんでもらい、かつての花街の文化を知ってもらおうと長崎市丸山町の料亭青柳は16日「青餅(もち)祭り」を開き、市民ら約40人が初夏の夕べを楽しんだ。
ヨモギ味で中にあんこが入った青餅は、幕末から明治時代に丸山の名物として売られていたといい、ベタベタしていることから男女の仲が良いことを表す代名詞だったという。
祭りは、青餅のように今では失われかけた伝統文化を見直そうと開かれ、今年で3回目。参加者は、お座敷のマナーを学びながら木の芽など季節の食材を使った卓袱(しっぽく)料理と長崎検番による演舞を楽しみ、青餅を味わった。
初めて参加したという同市宝栄町の会社役員、柴田正明さん(34)は「以前から長崎の歴史に興味があった。お座敷でのマナーも知ることができて勉強になった」と話した。
鹿児島
かごしまよかとこ旅:観光情報を厳選 九州新幹線全通控え、県がガイド本 /鹿児島
県は観光情報を集めたガイドブック「かごしまよかとこ旅」を作製した。1万部を印刷し、11年春の九州新幹線全線開業へ向けて、県内外に鹿児島をPRする。
06年度からテーマ別に刊行した「かごしまよかとこ100選」全5冊の中から、記事と写真を厳選した。全ページカラーで、巻頭には屋久島や小宝島(十島村)の絶景を掲載。
歴史解説を添えた「明治維新の舞台鹿児島を旅する」や、指宿、霧島の温泉を巡る「女磨きの旅」などの特集を加えた。一般のガイドブックでは紹介されることの少ないトカラ列島や、大隅半島についても詳しく書かれている。
県内や首都圏、関西地方の書店で販売するほか、県外の旅行会社へもツアー立案の参考のために配る。AB判240ページ。980円。問い合わせは県観光課(099・286・5050)。【黒澤敬太郎】
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(62)東大教授・山内昌之 前田慶寧
■運も実力のうち
イギリスの政治思想家アイザイア・バーリンは、政治家と歴史家には現実感覚が必要な点で共通した側面もあると述べた。また、政治家には庭師や料理人と同じく即興の才能も欠かせない。こうした点から見れば、気勢が上がらない自民党でも気を吐く議員の一人として、小泉進次郎氏の名を挙げても大方の異議はあるまい。
彼の魅力は、政治を“家業”として世襲する血筋に生まれながら、ひ弱さや尊大さのいずれも感じられず、真っ直ぐな“叩(たた)き上げ”の雰囲気を醸し出している点にある。甘い容貌(ようぼう)はともかく、今ではすっかり死語となった党人派のような雰囲気さえどこか漂わせているのだ。
昨今では、育ちが良くても、たくましさを身につけた政治家はめったにいない。幕末でも毛並みはよくても、ここ一番でふんばりがきかず、判断ミスを重ねた“ジュニア”もいた。
金沢103万石の前田慶寧は、最大の雄藩リーダーとして改革への抱負をもちながら、失意のうちに世を去った大名である。恐竜化して身動きのとれない大藩に生まれたのも運というものであった。
母は11代将軍・家斉の寵愛(ちょうあい)を受けた美代(専行院)が生んだ溶姫(やすひめ)であり、徳川将軍の外孫という抜群の血筋に恵まれていた。それでいながら、世子のころから勤王派の側近に囲まれ、長州びいきだったらしい。育ちようでは随分と面白い大名になったはずである。
◆絶好機に京を離れる愚
絶好のタイミングは、元治元(1864)年に藩主・斉泰(なりやす)の名代として御所警固のために上洛したときに訪れた。彼は長州藩宥免(ゆうめん)のために斡旋(あっせん)する豪胆さをもっていたが、禁門の変が起こると、長州藩と干戈(かんか)を交えるのを潔しとせず、京を離れてしまった。
この判断こそ加賀藩の行方を暗くする誤った判断となった。薩摩や会津とは同盟ならずとも、不即不離の関係を維持しながら、103万石大藩の存在感を誇示しておけばよかったのだ。そうすれば、いかようにも道を後につなげることができたのである。京に近い加賀の地理的優位性は、薩長に勝っており、強力な武備を再編して、佐賀藩レベルの脅威を薩長に与えられたのにもったいなかった。
ともかく実父の斉泰は、不戦の慶寧を謹慎・幽居させ、取り巻きの臣を一掃した。徳川の親藩同然の藩でありながら、敵前逃亡も同然に戦を避けたとあれば、幕府の忌諱(きい)に触れると考えたからだろう。こうして加賀藩から主だった尊攘(そんじょう)派の士は粛清されてしまう。
慶応2(1866)年に斉泰が隠居すると、新藩主の慶寧は改革を試みたが、勤王派が一掃されたために手足となる側近を欠くことになった。積極的に新時代を開けなかったのはまだよい。
慶寧が政治の本流を誤って読んだことは致命的であった。襲封(しゅうほう)から2年後に鳥羽伏見の戦が起こると、親しい徳川慶喜との交わりを重んじて、徳川軍を支援しようと、出兵の動きを見せた。さすがに、このちぐはぐな動きは途中でさたやみになっている。
辛うじて新政府軍に加わり、北越戦争に出兵したものの、大藩なるが故の動きの鈍さは尾州徳川や仙台伊達とも共通していた。家斉の娘を正室に迎え、親幕派だった父の斉泰と、新たな政治を心がけた慶寧の変革への反応の温度差はいかんともしがたかった。
◆新政府に人材出せず
隠居した父が実権をもち藩政を総攬(そうらん)したことは、子の成長を妨げただけでなく、若い優秀な家臣を育てる機会を逸した原因となる。
世代交代に失敗した加賀藩は、新政府に人材を出せず、前田家は公爵でなく、侯爵に甘んじなければならなかった。わずかに、大久保利通の暗殺者6人のうち島田一郎ら5人が加賀藩士だったというあたりの逸話が物悲しい。自分の手足と言葉をもたない慶寧は、つくづく運に恵まれていなかった。
ところで、小泉進次郎氏の簡明な言い回しは父親譲りという声も聞くが、進次郎氏はそれだけでない判断力を持っているようだ。しかも、バーリン風に言えば、優れた判断力をもつ人は他人より「純粋な運」に恵まれているのだ(上森亮『アイザイア・バーリン--多元主義の政治哲学』春秋社)。
「運も実力のうち」とは、日本の政治家にもあてはまる何がしかの真実なのである。慶寧になかった運を進次郎氏が生かせるか否か、恐竜化した“現代の大藩”自民党の運命とともに興味は尽きない。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】前田慶寧
まえだ・よしやす 天保元(1830)年、加賀(金沢)藩主前田斉泰の長男として生まれる。慶応2年、家督を継ぎ14代となる。世子のときから側近に尊攘派が多く、元治元年、京都警固にあたったときも長州のため斡旋に努めた。禁門の変の際に病気と称して京を離れたため、斉泰に謹慎を命じられ、側近の勤王派は処刑された。戊辰戦争では一時、幕府に援軍を出そうとしたが、中止し、新政府について北越に出兵。維新後、金沢藩知事に任ぜられた。明治7(1874)年、死去。享年45。
文化芸能
伊勢谷友介が高杉晋作…「龍馬伝」7・18から登場
俳優の伊勢谷友介(33)がNHK大河ドラマ「龍馬伝」(日曜・後8時)で長州藩士・高杉晋作役を演じることになった。幕末の革命児と呼ばれた晋作は福山雅治(41)演じる坂本龍馬と並ぶ人気の人物。伊勢谷にとっては昨年、同局で放送された「白洲次郎」以来、2度目のドラマ出演となる。20日から収録に参加し、7月18日の放送回から登場予定。
ネット上で配役が話題になっていた注目の高杉晋作役が伊勢谷に決まった。晋作は師匠・吉田松陰の教えを実行し、明治維新の原動力になった幕末の革命児。身分にとらわれない民兵組織の奇兵隊を結成し、幕府との戦いでは海軍総督として幕府艦隊を退けた。
龍馬は晋作から贈られたピストルを持つなど、尊敬し合っていた仲。鈴木圭チーフプロデューサーは「晋作と龍馬は、若くして亡くなり、型破りなファッション感覚を持ち、海外への飛躍を夢見ていたなど、共通点もたくさんある。同じ魂を持つ者(ソウルメート)として、2人の交流と友情を熱く描く」とコメント。劇中の主要キャストを順次、発表してきたが伊勢谷が“大トリ”になる。
伊勢谷は2008年公開「ブラインドネス」で、ブラジルのフェルナンド・メイレレス監督を始め外国人スタッフ、キャストによる海外での撮影に、飛び込んだ。また、俳優業と並行して環境保護活動「リバース・プロジェクト」を行っている。力石徹役で出演する映画「あしたのジョー」では、過酷な減量に耐えて全身全霊で撮影に臨みクランクアップで号泣。真っすぐな性格や大きな理想、大胆な行動力は晋作と似ている。
1999年公開「ワンダフルライフ」(是枝裕和監督)で俳優デビューして以降、映画に絞って出演してきた伊勢谷だが、昨年の「白洲次郎」でドラマに初出演。映画並みの豪華な共演者やセットのなかで白洲役を好演し、スタッフとの信頼関係を築けたことが今回の2度目の出演の決め手になったという。
先ごろ髪を短く切り、カツラをつけず地毛で出演。実際の晋作が三味線を弾いたため練習を始めた。29日は34歳の誕生日。気持ちも新たに晋作役に臨む。
「龍馬伝」キャスト小出し発表 今度は高杉晋作役に伊勢谷友介
また「後出しじゃんけん」かよ。NHKもよくやるよ――。そんな声が民放関係者から聞こえてきそうだ。高視聴率を続けるNHK大河ドラマ「龍馬伝」の高杉晋作役に伊勢谷友介が決まり、7月18日の放送から登場することが明らかになった。
高杉晋作は長州藩士で、坂本龍馬と並ぶ幕末のヒーロー。龍馬伝でも龍馬との絡みがドラマのひとつの見せ所になると話題になっていた。
伊勢谷はTVドラマ初出演となった昨年の「白州次郎」で、端正な風貌、切れのある台詞回しで注目され、映画「あしたのジョー」にも力石徹役で出演している。福山雅治との『競演』ということになれば、視聴率にも一層の弾みがつくというものだ。
NHKは龍馬伝の注目キャストをさみだれで発表していて、今月初めには龍馬が愛した船宿「寺田屋」の女将・お登勢役にバレエの草刈民代をあてることを明らかにしたばかり。話題のキャスティングを小出しにすることで、話題を引っ張っていこうという狙いなのだろうけれど、NHKも「商売」がしたたかである。
今年は本当に小出しですね。また随分と端整で長身な高杉……(苦笑)。
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