新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
天気はやや下り坂ですが過ごしやすい気温です。
宮城
好評「駅長オススメの旅」
舟運石巻の繁栄に思い 初企画じっくり名所巡り/
静岡
静岡市収蔵庫に井上馨の遺品 未開封外交文書など470点
兵庫
幕末の味「幸民麦酒」、三田青磁でいかが
福岡
駅の壁に巨大竜馬 JR博多駅に広告
宮城
好評「駅長オススメの旅」
舟運石巻の繁栄に思い 初企画じっくり名所巡り/
JRの駅長が推薦する観光コースを歩き、地域の歴史や文化に触れる「駅長オススメの小さな旅」が好評だ。石巻駅は「石巻の名所と歴史を散策」と銘打って事前に参加者を募り、15日に初めて実施。仙台や県南を中心に山形、福島、埼玉から21人が訪れ、江戸時代には舟運で栄えた経済都市に強い関心を寄せた。
参加者は石巻駅前に集合。秋元達夫駅長が「けがなく、無理なく石巻の街中を歩いて楽しんでほしい」とあいさつ。案内役の石巻観光ボランティア協会メンバーの紹介に続いて、中瀬方面を目指した。
駅前から立町のマンガロードを通り、1925年に建設された鉄筋コンクリート3階の「旧東北実業銀行石巻支店」(第2SSビル)、31年に完成した石巻初の百貨店で、現在は陶器店になっている「陶芸丸寿かんけい丸」を外から見学。
引き続き、幕末には寄席劇場、戦後に映画館として使われるようになった岡田劇場、現存する木造教会堂建築としては国内最古級の旧石巻ハリストス正教会堂、石ノ森萬画館のある中瀬へ。歌枕「袖の渡り」の住吉公園、仙台藩が銭を鋳造した鋳銭場跡地も見て、いにしえの街に思いをはせた。
参加無料で、入館料などは各自負担し、昼食も各自が自由に飲食店を選択する方式。仙台市から訪れた60代男性は「石巻には仕事でも何度も訪れているが、じっくり見たいと思って参加した。石巻の歴史をあらためて知ることができた」と話していた。
秋元駅長は「22日はサン・ファン祭りに合わせて実施するが、応募は順調だ。少しでも地域観光のPRに役立ちたい」と話している。
静岡
静岡市収蔵庫に井上馨の遺品 未開封外交文書など470点
高杉晋作、久坂玄瑞らと尊皇攘夷(じょうい)を誓い合った文久2年(1862年)の「御楯組(みたてぐみ)血盟書」など、幕末維新期に活躍した井上馨侯(1835~1915年)の遺品が静岡市清水区の市埋蔵文化財センター収蔵庫に眠っていることが18日、分かった。遺族が市に寄贈した約470点で、未開封の外交機密文書や太政官達書(辞令)などもある。収蔵前に詳細な調査を行っていないため、歴史的新事実の有無は未解明。市は「遺族が公開を望まなかった」として史料の受け取りを公表していない。
御楯組血盟書は井上侯(当時は志道聞多)ら11人が署名。血判が確認でき、激しさを増した攘夷運動を裏付ける史料とされる。署名した高杉、志道らは後に英国公使館焼き打ち事件を決行したことで知られる。
1939年、大典記念山口県立教育博物館(現・山口県立山口博物館)で開催された「元勲侯爵井上馨公展覧会」(8月31日~9月6日)に井上家がこの血盟書を出品し、公開された記録が残っている。遺族などによると、その後は門外不出だったという。
未開封の外交文書は、当時在朝鮮特命全権公使だった井上侯にあてて陸奥宗光外相が記した。辞令はパリ万博の事務総裁就任や年給額を記したものなど種類が多い。明治天皇勅書(ちょくしょ)や裁判所の出頭通告書などもある。
国立国会図書館によると、井上侯に関する史料は同図書館や三井文庫が所蔵し、調査研究が進んでいる。同館政治史料課は「幅広い分野にわたる史料は歴史的人物を再評価する上で貴重。特に井上馨の辞令類は国会図書館の憲政資料室にも少なく注目したい」という。
近現代の生きた教材
皇室や華族制度に詳しい小田部雄次静岡福祉大教授(日本近現代史)の話 近現代史の生きた教材と評価できる。血盟書は攘夷(じょうい)を誓い合った若者の生々しい息遣いを感じ取ることができ興味深い。天皇勅書(ちょくしょ)や御下賜品、諸外国の勲章をたどれば、当時の内政、外交を裏付ける実物史料となる。井上馨は伊藤博文の陰に隠れがちだが、本県ゆかりの元勲として再評価されるべきだ。清水・興津地域に政財界の要人が別荘を構え、盛んに往来していた歴史的事実を県や市は重視したい。資料を散逸させることのないよう保存研究し、公開してほしい。
井上馨 長州藩(山口県)出身の政治家。坂本龍馬、伊藤博文、西郷隆盛、勝海舟らと並び鎖国と攘夷(じょうい)に揺れた幕末維新期に名前が登場する。尊皇攘夷運動に加わり英国公使館焼き打ち事件にかかわった後、伊藤博文らと英国に密航し、帰国後は開国論に転じた。第1次伊藤内閣で外相に就任するなど主要閣僚を歴任。欧化主義政策を進め、鹿鳴館を設立したことで知られる。晩年は元老として政財界に絶大な影響力を及ぼし、静岡市(旧清水市)に建てた別邸「長者荘」で81歳の生涯を閉じた。
兵庫
幕末の味「幸民麦酒」、三田青磁でいかが
日本で初めてビールをつくったとされる三田藩出身の蘭学者(らん・がく・しゃ)、川本幸民(1810~71)の生誕200年を記念して、三田市は6月から、幸民の肖像をデザインしたグラスや三田青磁のビアカップを販売する。一方、伊丹市の小西酒造は、三田市の依頼で幸民と同様の製造法による「幸民麦酒」を来月から発売予定だ。三田市の担当者は「カップやグラスは幸民ビールを飲むのに最適。ぐいっと飲んで幕末に思いをはせてみては」と売り込んでいる。
三田青磁のビアカップは、陶芸家伊藤伸一さん(46)が、同市下相野の自身の窯でつくった。高さ18センチで容量は360ミリリットルほど。200個限定で、一つずつにナンバーが入っている。値段は幸民の生年にちなんで1810円。
ガラス製のビアカップには、砂をガラスの表面に吹き付けて絵を描くサンドブラストの方法で幸民の肖像画を描いた。ペアグラスもあり、それには当時の蒸気船の絵も描かれている。市ガラス工芸館の講師がつくった。ビアカップは高さ14センチで600円、ペアグラスは同8センチで1200円。
6月5日午前11時から同市駅前町のまちづくり協働センターである講演会「幸民ビールの秘密を探る」で販売を始め、同市屋敷町の三田ふるさと学習館などでも販売する。幸民麦酒は6月8日から市内の酒店などで販売する。330ミリリットル入りで630円。問い合わせは駅前町のツキモト酒類(079・563・2023)へ。
福岡
駅の壁に巨大竜馬 JR博多駅に広告
幕末の志士、坂本竜馬をあしらった巨大広告が、福岡市博多区のJR博多駅中央改札口と東改札口に今月登場し、乗降客の注目を集めている。
長崎、鹿児島両県とJR九州(福岡市)の観光企画「龍馬キャンペーン」のPRで、紋付きはかまにブーツ姿の竜馬とともに長崎市の亀山社中記念館などの写真が並び、竜馬ゆかりの地への列車の旅をいざなう。
キャンペーンは12月末日まで。特典に提携飲食店の特別サービスなどが付くほか、長崎向けの特別切符は、往復割引と路面電車1日乗車券などが付く。長崎県観光連盟の中島英治さん(30)は「竜馬は、長崎で亀山社中を設立し、鹿児島へは新婚旅行で訪れた。ぜひ彼の足跡をたどってみて」と呼び掛けている。
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今日は暑かったですねぇ……湿度が低いのでベタベタしないことが、何よりもありがたいです。
北海道
咸臨丸終焉の地~サラキ岬~
栃木
幕末の激動佐野でも 市郷土博物館で企画展
群馬
小栗まつり:小栗上野介しのぶ 遣米150周年シンポも--23日・高崎 /群馬
東京
23日に板橋駅前で新選組まつり
神奈川
放送ライブラリーでNHK大河ドラマ「龍馬伝」の巡回展
兵庫
川本幸民ビアカップやグラス販売 三田市
長崎
青餅祭り:優雅な舞堪能--長崎検番 /長崎
社会
江戸を東京に、明治時代の史料見つかる
歴史的な発見なようですので、続報が楽しみです。
ブックレビュー
『新・雨月〈上〉〈下〉』 船戸与一 著 (徳間書店・各1995円)
エンターテインメント
倉科遼マンサンで新連載、ヤンキー坂本龍馬が大暴れぜよ
ビジネス
坂本龍馬の生き様をのぼりに!のぼりストア新シリーズ、『坂本龍馬のぼり』を発表
北海道
咸臨丸終焉の地~サラキ岬~
先日松前に花見に行く途中、偶然立ち寄ったサラキ岬に、このような碑がありました。
今NHK大河ドラマで話題の「龍馬伝」。
その龍馬の師である勝海舟が、幕末に、太平洋を渡ってサンフランシスコに渡るときに乗った「咸臨丸」が、北海道に縁があったことを最近知りました。
長崎海軍伝習所の練習艦だったこの船は、その後明治政府に接収され、開拓使の輸送船になったそうです。
そして、なんと、仙台藩の片倉氏の人々を小樽に移住させる輸送の途中、1871年の9月に道南・木古内町の沖で暴風に遭遇し沈没してしまったとか。
ジョン・万次郎や福澤諭吉も乗ったと言う「咸臨丸」が、こんなに近くで最後を迎えていたとは・・・
ちなみに、本当の目的である松前の桜、ゴールデンウイーク最後の日だったのですが、あまり咲いていませんでした。
栃木
幕末の激動佐野でも 市郷土博物館で企画展
【佐野】黒船来航による開国以来、激動の幕末期の佐野を紹介する企画展「幕末の佐野」が、大橋町の市郷土博物館で開かれている。NHKの大河ドラマ「龍馬伝」で注目が集まる幕末に、市内でも討幕運動や、桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼に関係した動きがあり、それらを記した文書など約50点を展示している。6月15日まで。
同展は、水戸藩士を中心とする天狗党に参加し処刑された旧船越村の亀山嘉治や、出流山で挙兵した出流山事件で処刑された旧小中村の赤尾清三郎らをクローズアップ。「佐野の近代への胎動の原動力となった」(同博物館)史実を紹介している。
また、直弼が藩主を務めた彦根藩は市内にも多くの領地を所有。日光東照宮からの帰途、直弼が市内に立ち寄り、当主の年老いた母親に「若いな」と声を掛けたと伝える文書や、同藩の領地とその他の土地を色分けした地図など、興味深い資料もある。
29日午後2時からは同博物館講座室で、宮地正人東京大名誉教授による講演会「幕末維新期の人々と下野国西南部」も開かれる。
月曜休館。入館料は一般210円。問い合わせ、講演会の申し込みは同博物館電話0283・22・5111。
群馬
小栗まつり:小栗上野介しのぶ 遣米150周年シンポも--23日・高崎 /群馬
江戸時代末期に日米修好通商条約批准書交換のための使節団メンバーとして渡米し、その経験をもとに造船所建設など日本近代化の礎を築いた小栗上野介忠順(ただまさ)の功績をたたえる「小栗まつり」(小栗上野介顕彰会主催)が23日、小栗の菩提(ぼだい)寺・東善寺(高崎市倉渕町)と、市立倉渕中央小学校を会場に開かれる。今年は遣米から150周年に当たり、高崎市の協力による記念シンポジウムが行われる。
シンポジウムは、午前10時40分から、元大正大学大学院教授、鈴木健次さんが「遣米使節の日本近代化の意義」と題して基調報告。同11時から「サムライが見たアメリカと世界、そして日本--遣米使節と日本の近代化の功績」をテーマに、鈴木さんや作家の鳴海風さんら4人が語り合う。会場は同小体育館で先着200人。
シンポ会場では午後2時半まで小栗上野介を紹介する写真パネル展も開催される。また、東善寺では▽墓前祭(午後1時15分)▽群馬マンドリン楽団による記念演奏会(午後2時)▽昼市(午前11時~午後3時)が行われる。問い合わせは高崎市倉渕支所内の同顕彰会事務局(電話027・378・3111)へ。【増田勝彦】
◇江戸末期、近代化の礎築く
小栗上野介顕彰会などの資料によると、小栗は1827(文政10)年、江戸で生まれた。小栗家は上野、下野などに領地を持つ旗本で、55(安政2)年に29歳で家督を継いだ。 幕末期、来航する外国船に対し攘夷(じょうい)論が主流の幕府内で、海外との貿易を求める開国思想を推進。大老・井伊直弼の目にとまり、59(安政6)年9月、日米修好通商条約の批准書交換使節団の「目付」に選ばれ、米軍艦で渡米した。この使節団には勝海舟が艦長を務める「咸臨丸」が随行、福沢諭吉らが乗船していたことでも知られる。
小栗はその後、米艦で大西洋を回り世界を一周してから帰国。勘定奉行や軍艦奉行などを務め、横須賀製鉄所(造船所)や、洋式軍隊を養成するための陸軍伝習所を開くなど、日本の近代化の足がかりを作った。
大政奉還後、小栗は倒幕の薩長を相手に戦う主戦派だったといわれ、68(慶応4)年1月に幕府の役職を辞めた。同年、領地の権田村(現高崎市倉渕町)に移り、塾を開いたり水田整備などをしていたが、倒幕軍の追討令により捕えられ、烏川の河原で首を切られ42歳の生涯を終えた。
東京
23日に板橋駅前で新選組まつり
新選組局長、近藤勇の墓所がある東京都北区滝野川に近いJR板橋駅東口駅前で23日、「第8回滝野川新選組まつり」が開催される。
まつりは平成14年から、近藤勇の命日である旧暦の4月25日と時期が重なる5月下旬に開催されている。
当日は、新選組の隊士にふんした約100人が近くの商店街を巡りながら、討幕浪士と戦うパフォーマンスを繰り広げるほか、駅前広場特設舞台で「真剣居合斬り」や、坂本龍馬を取り上げた「龍馬と新選組」と題した寸劇などが行われる。
神奈川
放送ライブラリーでNHK大河ドラマ「龍馬伝」の巡回展
横浜情報文化センター内の放送ライブラリー(横浜市中区日本大通11、TEL 045-222-2828)で、5月18日よりNHK大河ドラマ「龍馬伝」の全国巡回展が開催されている。
会期中は写真資料をはじめ、映像、番組に登場する衣装や小道具などを展示し、「龍馬伝」の魅力を伝える。主催はNHK横浜。
「龍馬伝」は、第49作となる2010年NHK大河ドラマで、「幕末史の奇跡」と呼ばれた風雲児・坂本龍馬33年の生涯を、幕末屈指の経済人・岩崎弥太郎の視線から描いたオリジナル作品。歌手の福山雅治さんが、土佐に生まれたひとりの男が幕末の動乱のなかに飛び込み、日本中を駆け巡り世界を動かす「龍」へと成長していく姿を演じる。
展示は「番組紹介ゾーン」、「龍馬の時代 体感ゾーン」の2部構成で、「番組紹介ゾーン」には、年表や時代背景、人物相関図、みどころ、収録現場をリポートしたメイキングスナップ、ドラマのストーリー紹介パネル、出演者のサイン色紙を展示。出演者のコメントやドラマのメイキングビデオを収録した映像も流す。
「龍馬の時代 体感ゾーン」では、龍馬クイズや時代考察パネル、タッチパネル式「龍馬三択クイズ」を通して歴史を学ぶことができるほか、会場では、番組で使用した衣装「黄八丈着物」「小倉袴」「矢羽柄着物」や小道具「大刀」「鳥かご」などを紹介する。
会場は放送ライブラリーのイベントホール、映像ホール。開館時間は10時~17時。月曜休館(祝日・振替休日の場合は翌日)。5月26日まで、入場無料。
兵庫
川本幸民ビアカップやグラス販売 三田市
三田出身の蘭学者川本幸民(1810~71年)生誕200年を記念し、三田市は17日、幸民をデザインしたオリジナルの青磁ビアカップや、ペアグラスなどを販売すると発表した。幸民はビールを醸造した最初の日本人とされ、復刻ビール「幕末のビール復刻版 幸民麦酒」も来月から販売される。市は「カップやグラスは幸民麦酒に最適。地域の歴史と文化を味わってほしい」とPRしている。
青磁ビアカップは、三輪明神窯史跡園で技術指導する伊藤伸一さん(46)が、下相野の窯で制作した。高さ18センチで容量は360ミリリットルほど。200個限定で、一つ一つにシリアルナンバーが入る。価格は、幸民の生年にちなんで1810円。
幸民の肖像画をサンドブラストで描いたガラス製ビアカップと、ペアグラスも作る。市ガラス工芸館が手掛け、ペアグラスには、当時の蒸気船の絵も描かれる。ビアカップは高さ14センチで600円、ペアグラスは8センチで1200円。
6月5日午前11時からまちづくり協働センターで開かれる講演会「幸民ビールの秘密を探る」で販売を始め、三田ふるさと学習館などでも売る。市生涯学習課TEL079・559・5144
幸民麦酒は市と協力して小西酒造(伊丹市)が製造。6月8日から市内の酒店や量販店などで販売する。330ミリリットル入りで630円。駅前町のツキモト酒類TEL079・563・2023
(本田純一)
長崎
青餅祭り:優雅な舞堪能--長崎検番 /長崎
江戸時代からの花街の伝統を守る「長崎検番」の芸子衆(げいこし)と市民が交流する催し「青餅祭り」が16日夜、長崎市の料亭「青柳」であり、約40人が風流なお座敷遊びを体験した。
花街の歴史を研究する「青柳」の若だんな、山口広助さん(40)によると、客に出すよもぎ餅が名物の「青餅亭」という遊郭が幕末から明治期にあり、べたべたした親密な男女を「青餅」と呼ぶほど繁盛していたという。
青餅亭は1879年の大火で全焼したが「季節の催しを復活させ、伝統を取り戻したい」と、山口さんたちは2年前から祭りを開催している。
参加者は、よもぎ餅付きのしっぽく料理を味わいながら、芸子衆の「長崎ぶらぶら節」など優雅な舞を堪能。興が乗ると一緒に踊りもした。最後は長崎検番伝統の、玄関での「送り三味線」の風流な音色で見送られた。【錦織祐一】
社会
江戸を東京に、明治時代の史料見つかる
広島県廿日市市の美術館に保管されている「東京奠都の詔」の草案です。奈良大学の佐々木克教授が、美術館が所蔵しいる岩倉具視に関わる文書を調査していて見つけました。
「大発見。詔という大変重要なものが残っていたということが驚き」(奈良大学 佐々木克教授)
「東京奠都の詔」は1868年に出されたもので、明治天皇自ら政務にあたることを宣言するとともに、江戸を東京として新しく都と定めています。また、新政府の閣僚にこの草案への意見を求める回覧文書も見つかりました。
文章の作成には、最上級の公家しか関われなかった江戸時代とは違い、位のない者も含まれていることから、明治維新による大きな変化を伝える貴重な史料だとしています。
「明治初年の政府の政策決定の過程がはっきり分かる史料は本当に少ないんですけども、その中の第1級史料です」(奈良大学 佐々木克教授)
史料は佐々木教授などが翻訳し、来年の秋ごろ製本化される予定です。(18日03:03)
歴史的な発見なようですので、続報が楽しみです。
ブックレビュー
『新・雨月〈上〉〈下〉』 船戸与一 著 (徳間書店・各1995円)
●無名者たちで描く戊辰戦争 高山文彦 作家
この小説は、単純至極な発端からはじまった鳥羽伏見の戦いから箱館戦争にいたるまでの日本史上最大の内戦であった戊辰(ぼしん)戦争の内幕を通史として描いている。
日清戦争とほぼ同数の戦死者を出した戊辰戦争とは、明治の新時代に切り替わるさいの「全身痙攣(けいれん)」であったと船戸与一は言う。上下巻で一千ページを超えるこの大河小説は、歴史の表舞台にはあらわれにくい藩士や間諜(かんちょう)ら無名者たちを思い切り動かして、幕末の英雄たちの奸計(かんけい)や謀略のありさまをあばきだし、各藩の離反や裏切り、殺戮(さつりく)戦の構造をあざやかに浮かびあがらせて一気に読める。
主人公はひとりではない。長州、薩摩、会津、長岡といったそれぞれに滅ぼしあおうとする新政府軍と旧幕府軍に属する名もない武士たちがいて、複数の主人公が動きまわり物語るのだが、船戸与一はそうすることによって複雑きわまる内戦の経過を歴史に疎い私のような者にもわかりやすく紐解(ひもと)いてくれるのだ。
私は半藤一利の「戊辰戦争とは、いってみれば幕末の“関ケ原の戦い”であった」(『幕末史』)という言葉を思い出した。すなわち戊辰戦争期の各藩にとっては、新政府軍につけばよいか旧幕府軍につけばよいか、それだけがもっぱらの関心事で、国全体の新しいあり方を眺望したうえでこの戦争の意義を見定めようとした者はほとんどいなかった。その意味できわめて無慈悲でニヒリスティックな様相を呈した戦いは、たとえば新政府軍による会津攻めのさいの強姦、略奪、死者への弔いの禁止といったような獣のおこないを野放しにした。
「死体を見過ぎた。うんざりだ」と、船戸与一は獣みたいに育ち楽しむように殺人を重ねた娘に言わせ、「生き残って戊辰の戦いで何が起きたかを後世に伝えよ」との命をうけた長岡藩の博徒を略奪衆にあっけなく殺させてみせる。薩長を軸とした明治新政府の刹那(せつな)的で無情な成り立ちを、いまその延長線上に生きるわれわれはどう受けとめればよいのだろうか。
人がばたばたと死んでいく。武士の情けなどあったものではない。冷戦構造を背景に量産された船戸与一の冒険小説世界が、百四十年まえの日本を舞台によみがえる感がある。
『新・雨月』とは不思議なタイトルだ。死者をして語らしめた上田秋成の一書にならっている。至難の業を剛腕が書きとげてみせた。
エンターテインメント
倉科遼マンサンで新連載、ヤンキー坂本龍馬が大暴れぜよ
倉科遼原作によるみね武の新連載「幕末ヤンキー龍(RYO)」が、本日5月18日発売の週刊漫画サンデーNo.20(実業之日本社)にてスタートした。
「幕末ヤンキー龍(RYO)」は日本人なら誰もが知る偉人・坂本龍馬を“メリケンかぶれの変わり者”としてアレンジした時代劇。アメリカ人を表す単語「ヤンキー」に漢字を当てた「野ん奇異者」を名乗り、幕末を自由奔放に生きる竜馬の姿を描く。
「艶恋師」で知られる倉科・みねの黄金タッグが挑む、異色の偉人伝「幕末ヤンキー龍(RYO)」は「大河ファン卒倒!?」の煽り文を引っさげて巻頭カラー43ページ掲載。「野ん奇異者」の龍馬が今後どのようなドラマを生み出すのか期待しよう。
ビジネス
坂本龍馬の生き様をのぼりに!のぼりストア新シリーズ、『坂本龍馬のぼり』を発表
株式会社ムーヴ(所在地:岡山県岡山市野田3丁目6-7 パックマート2階 代表取締役:前田 美則)は、自社が運営するのぼり・のぼり旗販売サイト“のぼりストア”において、激動の幕末期を駆け抜けた坂本龍馬をイメージした『坂本龍馬のぼり』を発表いたしました。
わずか33年という短い生涯でありながら、独自の思想と行動力で幕末期を駆け抜けた坂本龍馬。その熱き想いをデザインとしてのぼりに込めました。龍が舞うが如く躍動感あふれるオリジナルの筆文字と、おしゃれでどのシーンにも合う配色デザインによって、想像の世界にいた龍馬が身近に感じる仕上がりとなっております。
■特徴
・特徴ある創作筆文字は坂本龍馬の生き様そのままに、のぼりのインパクトを最大限に引き立てます。
・フルカラーによる高品質な印刷と、対候性に優れた素材を使用しております。
・いろいろな場面で使用できるよう、デザイン豊富な5種類のバリエーションをご用意いたしました。
今日は真夏日になりましたね。暑いですが、梅雨の前なので湿度が低く過ごしやすいです。
北海道
満開サクラの下、維新行列 箱館五稜郭祭 往時の姿で500人
青空に響く祝砲 五稜郭祭最終日
箱館戦争戦没者を供養 五稜郭祭開幕
静岡
われこそ「龍馬ぜよ」/下田・黒船祭
奈良
「天誅組は幕末太平記」 - 河内長野市長 五條で講演
以下の購読は有料となります。
岡山
200年前の座敷保存 セントラルホテル岡山 明治の元勲も宿泊
北海道
満開サクラの下、維新行列 箱館五稜郭祭 往時の姿で500人
【函館】第41回箱館五稜郭祭(実行委主催)のメーンイベント、維新行列が16日、函館市中心部を練り歩いた。箱館戦争当時の装いの旧幕府軍と新政府軍が白兵戦パフォーマンスで沿道をわかせ、満開のソメイヨシノに彩られた五稜郭公園を目指した。
会社員、大学生など一行500人余りは中島廉売通を出発。軍艦の開陽丸を先頭に仙台額兵隊や会津遊撃隊、薩摩・長州先遣隊など両軍各隊が続いた。中高生らの吹奏楽パレード約500人と合流後、にぎやかな演奏とともに進んだ。
行啓通ではパフォーマンスが行われ、大砲が響く中、抜刀した兵士たちが「死闘」を繰り広げた。
新選組の土方歳三が銃弾に倒れるシーンでは、前日のコンテストで優勝した渡島管内森町の小川利人さん(30)が土方を演じ、会場から拍手を送られた。
初めて維新行列を見た市内美原の主婦工藤邦子さん(66)は「満開のサクラに迫力の維新行列。最高の祭りですね」と話していた。(山村晋)
青空に響く祝砲 五稜郭祭最終日
第41回箱館五稜郭祭(同協賛会主催)は16日、榎本軍と新政府軍が練り歩くメーンイベント「維新行列」や「開城セレモニー」を終え、2日間の日程に幕を閉じた。青空の下、沿道には多くの観客が詰めかけ、パレードで表現された歴史絵巻に見入っていた。
ここ数年、天候がすぐれず中止になるイベントなどが多かったという同祭。今年は快晴に加え、サクラも見ごろとあり、祭りは例年以上の盛り上がりを見せた。
維新行列は、陸上自衛隊第11音楽隊の演奏を先頭にスタート。開陽丸やサスクハナ号に当時の軍服姿で乗り込んだ西尾正範市長らは、函館が開国するに至った「安政の五カ国条約」締結国の関係者など約400人と行進した。バトントワリングと函館地区吹奏楽連盟のパレードも同時に実施され、祭りを彩った。
榎本軍と新政府軍の戦闘シーンが目玉となっている行啓通でのパフォーマンスでは、両軍が一斉に切り掛かる迫真の殺陣を披露。鉄砲隊の銃声や土方歳三の熱演に、沿道の市民からは「かっこいい」などの声とともに大きな拍手が送られていた。
五稜郭公園内特設ステージでの「開城セレモニー」では、榎本武揚が黒田清隆に「海律全書」を手渡すシーンなどが再現された。クライマックスには開城と戦争終結を祝う祝砲が打ち鳴らされ、そのごう音に観客は驚きながらも惜しみない拍手を送っていた。
箱館戦争戦没者を供養 五稜郭祭開幕
戊辰戦争終結の地、五稜郭を舞台にしたイベント「第41回箱館五稜郭祭」(同協賛会主催)が15日、2日間の日程で開幕した。初日は五稜郭タワー(五稜郭町43)で恒例の「土方歳三コンテスト全国大会」が行われ、出場者の熱のこもった演技や殺陣が大勢の観客を楽しませた。
午前中は実行委メンバー約40人が新政府軍にふんして、市内に点在する箱館戦争ゆかりの地を巡る碑前祭を行った。空は祭りの開幕を祝うような快晴に恵まれ、中島三郎助父子最後之地碑(中島町)、碧血碑(谷地頭町)、土方歳三最期之地碑(若松町)、箱館戦争供養塔(五稜郭町)の4カ所で、祭文を読み上げ、礼砲を撃ち鳴らし、戦没者を供養した。
午後からは同タワーアトリウムで記念式典が実施され、同祭のシンボル“錦旗”(きんき)の授与が行われた。函館観光大使の女優、平田まりさんも駆けつけ、オリジナル曲「五稜の星」を熱唱するなど、イベントに花を添えていた。
今回で23回目の「土方コンテスト」には、例年より多い女性3人を含む25人がエントリー。その人気をうかがわせるように約350人の観客が集まり、熱演に引き込まれた。出場者は殉じる土方の姿を自分なりに表現し、小道具を使ってコミカルにしたりアクションを加え臨場感を出すなど工夫を凝らしていた。
優勝は森町在住の会社員、小川利人さん(30)。7回目の出場で悲願の栄冠を手にした。野外劇出演などで刀使いを習得し、仲間と練習を続け、精悍(せいかん)な土方を演じるため20キロのダイエットをして臨んだという。小川さんは「夢がかない、生きてきた中で一番うれしい。仲間の支えに本当に感謝している」と喜びを語った。
16日には優勝した小川さんらも参加するメーンイベント「維新行列」(午後1時から)も行われ、当時の衣装をまとった参加者が市内をパレードする。本町の行啓通では榎本軍と新政府軍の戦闘シーンが繰り広げられる。行啓通から五稜郭公園までは午後1時から2時半まで全面交通規制がある。
静岡
われこそ「龍馬ぜよ」/下田・黒船祭
下田市の第71回黒船祭最終日の16日、第1回世界大会と銘打った「幕末コスプレショー&下田龍馬くんコンテスト」が市民文化会館駐車場で開かれた。県内外から計24人が参加、幕末ムードを盛り上げた。
コスプレショーには二宮金次郎、一心太助、腰元、殿様、忍者などの衣装姿の14人が参加。坂本龍馬に似ているかを競う「龍馬くんコンテスト」には子ども2人を含む10人が参加、鉄砲にブーツなど「龍馬」になりきった女性がポーズを決めると、会場から大きな拍手がわいた=写真。
奈良
「天誅組は幕末太平記」 - 河内長野市長 五條で講演
「維新の魁(さきがけ)・天誅組」保存伝承・顕彰推進協議会は15日、五條市近内町の登録有形文化財「藤岡家住宅」で、講演会「平成の千早越え・五條」を開いた。県内外から約300人が参加した。
芝田啓治・大阪府河内長野市長が講師となり、大化の改新や「太平記」の時代、明治維新の三つの変革期には、大和と河内がかかわっていたことを紹介。
その上で、明治維新の先駆者となった天誅組が、河内から金剛山を越えて五條に向かった理由を「河内でヒト・モノ(武器)・カネを集めるだけでなく、損得を超えて時代の変革を求めた楠木正成の志を受け継ごうとした」と解釈。「まさに幕末太平記だった」と位置付…
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岡山
200年前の座敷保存 セントラルホテル岡山 明治の元勲も宿泊
セントラルホテル岡山(岡山市北区田町1丁目、杉山栄彦社長)に、幕末有名な歴史的人物や歴代首相らが宿泊したと伝わる座敷が移築され保存されている。宿泊では使われていないが、月に1回、朗読会や茶会などで活用されている。
今日の東京は、晴れ間の覗く曇り。風は爽やかというより少し冷たいぐらいです。午後はもう少し晴れ間が増えるようで、過ごしやすい一日になりそうです。
北海道
「なりきり土方歳三」全国から函館に参集
土方さんを演じるために20キロ減量したって、凄い(@_@)。写真、とても決まっていると思います。
土方歳三全国コンテスト 森町の小川さん優勝
準優勝の函館市の佐藤実さん(50)とともに16日の維新行列に参加する。
なりきり土方歳三が競演 五稜郭祭でコンテスト
恒例もちまき、廉売にぎやか 中島三郎助まつり開幕
福島
只見の「いい話」1冊に
栃木
足利市・梁田地区の歴史マップ完成
東京
津軽家上屋敷跡に石組み下水遺構/東京・墨田区
静岡
まちかど:下田市・黒船祭公式パレード /静岡
三重
龍馬にエール?勝海舟の書 四日市
京都
柴田是真展:幕末~明治の漆職人・絵師 描写力と小粋なセンス--上京 /京都
アスニーセミナー「石碑を読む─京都の幕末史」
佐賀
戦国末期の大名・龍造寺隆信 佐賀城内に居城遺構
コラム
サムライNY席巻 150年前 使節団パレード
ブックレビュー
【書評】『幕末維新に学ぶ現在』山内昌之著
毎週木曜日にニュース検索でかかってくるのを楽しみにしている連載が本になりました。
昨日、歴史好きの針灸の先生と雑多な話をしていた時に幕末の歴史関係で面白い著作者を訊かれ、山内氏の著作を挙げました。
北海道
「なりきり土方歳三」全国から函館に参集
幕末の箱館戦争で戦死した新撰組副長の土方歳三になりきって「らしさ」を競うコンテストが15日、北海道函館市で開かれ、森町の会社員小川利人さん(30)が優勝した。
コンテストは、この日から始まった「箱館五稜郭祭」の人気イベントで今年で23回目。明治新政府軍に包囲された仲間を助けに出撃し、壮絶に散る土方の最期を、自分なりに演出する。全国から過去最多の男女25人が集まった。
優勝した小川さんは7回目の挑戦。精悍(せいかん)さを出すために約20キロ減量して臨んだ小川さんは「夢のような気分。男っぷりを表現できた」と感無量。
土方さんを演じるために20キロ減量したって、凄い(@_@)。写真、とても決まっていると思います。
土方歳三全国コンテスト 森町の小川さん優勝
【函館】新撰組副長の土方歳三になりきってパフォーマンスを競う「第23回土方歳三コンテスト全国大会」が15日、函館市五稜郭町の五稜郭タワーで開かれた。
同日開幕した箱館五稜郭祭の名物イベント。地元函館のほか、札幌、東京、名古屋などから、18~50歳の男女25人が出場。最近の歴史ブームも手伝い過去最多となった。
参加者は土方が新政府軍との最後の戦いに散る場面を熱演。容姿や思い入れなど5基準での採点結果、渡島管内森町の会社員小川利人さん(30)が優勝した。
7回連続出場の小川さんは、昨年の大会後、20キロ以上も体重を絞って役作り。「まさか選ばれるとは。夢がかなった」と感激の面持ちだった。
準優勝の函館市の佐藤実さん(50)とともに16日の維新行列に参加する。
なりきり土方歳三が競演 五稜郭祭でコンテスト
戊辰戦争最後の舞台となった北海道函館市で15日、「箱館五稜郭祭」が開幕し、新選組の土方歳三に扮して寸劇を披露、土方らしさを競う恒例のコンテストが開かれた。
今回で23回目となるコンテストには道内のほか愛知県や岡山県から男女25人が参加。新政府軍に包囲された仲間を救うため出陣し、馬上で銃弾に倒れた壮絶な最期を演じた。
赤いテープで血しぶきを表現したユニークな演出や、出場者が客席に「(せりふ)何だった?」と問い掛けるハプニングに、会場は歓声や笑いに包まれた。
7回目の出場で優勝した北海道森町の会社員小川利人さん(30)は、りりしい土方を演じるため前年から約20キロ減量し、迫力ある立ち回りを熱演。小川さんは「生きてきた中で一番うれしい」と喜びを爆発させていた。
恒例もちまき、廉売にぎやか 中島三郎助まつり開幕
第17回中島三郎助まつり(中島商店街振興組合主催)が14日、函館市中島町の中島廉売で開幕した。同町ともゆかりが深く、箱館戦争で散った中島三郎助父子の冥福を祈る祈願祭やもちまきなどが実施された。16日まで。
祈願祭で同組合の二本柳秀樹理事長は「3月に4件が被災する火災の発生やスーパーなどの競合が多く厳しい現状が続いているが、くじけることなく祭りを契機に商売も気温と同じように温かくなるように頑張りましょう」とあいさつ。祭壇前で焼香し、手を合わせて父子の御霊を慰め、中島廉売の発展を祈念した。
毎年恒例で人気となっているもちまきが引き続き行われ、組合関係者がもちや菓子をばらまくと、大きな袋を抱えた市民らがわれ先にと手を伸ばして「こっちにも」などと威勢のよい声が聞かれていた。市内の女性(68)は「にぎやかな廉売はやっぱり活気があっていい。大変なことが続いているようだが、頑張って欲しい」と話していた。
15日は市内の洋菓子6店舗の味が楽しめる「春のスイーツ祭り」、午後1時からは食品や日用品などを100円で販売する市場も開催。同3時からはYOSAKOIソーラン大競演も行われる。16日には中島三郎助隊として約20人が参加する維新パレード(午後1時)も催される。
福島
只見の「いい話」1冊に
町広報のコラム16年分再編集
只見町は、月1回発行の「広報ただみ」に16年にわたって掲載しているコラム「町史 とっておきの話」を再編集して1冊の本にまとめ、「只見 とっておきの話」として出版した。町史に未掲載となった興味深い内容やエピソードなどを紹介しており、同町の自然、歴史、民俗などを多面的に知る上で、貴重な資料となりそうだ。
1994年7月号~2010年1月号に掲載された全186話で、町は昨年8月、町制施行50周年を迎えたことを機に、記念事業として再編集に着手。89~03年に行われた町史編集に携わった関係者のほか、同町に調査に訪れた専門家や研究者28人が執筆したコラムを自然、歴史、民俗各編に整理した。
ブナの天然林をはじめとする多様な植物、イヌワシやユビソヤナギなどの絶滅危惧(きぐ)種などを紹介した自然編では、河野昭一京大名誉教授が「北半球における希少な固有植物の宝庫が只見町」と指摘。
また、戊辰戦争を中心とした歴史編では、長岡藩家老の河井継之助が、亡くなった只見の地での空白の「最後の十二日間」について、飯塚恒夫同町文化財調査委員が、史実と聞き取りに基づいて足跡をたどり、読み応えのある文章に仕上げた。
民俗編では、職人の免許状にあたる「巻物」が同町に数多く存在し、受け継がれているという全国的にも珍しい事実が取り上げられている。
今回の出版について、目黒吉久町長は、「この本が、将来を担う子どもたちから歴史の体現者である高齢者まで幅広く愛読され、郷土を愛するよすがとして活用されることを期待したい」と話している。
A5判で310ページ。2500部発行し、すでに町内全戸(約1900世帯)と関係機関団体に無償配布した。郵送希望者には、町内の米屋書店(0241・82・2778)が1500円(送料別)で販売する。
栃木
足利市・梁田地区の歴史マップ完成
元市職員らが資料200冊参考に
足利市の梁田地区の住民で作る「梁田地区史料調査委員会」が「梁田地区 歴史マップ」を製作、地区の約2000戸すべてに無料配布した。戊辰戦争時に梁田地区で新政府軍と旧幕府軍が戦った「梁田戦争」の関連場所を示しているほか、両軍で戦った人物の説明も載っている。長谷川有三委員長は「自分たちの街の歴史を知ってほしい」と話している。
梁田戦争は、新政府軍約200人が、旧幕府軍約900人に奇襲をかけ、勝利した戦い。戊辰戦争の東日本最初の戦いと言われている。
自分たちが住んでいる街の歴史を詳しく知ろうと、長谷川さんらは梁田公民館が改築された約15年前に委員会を発足。梁田戦争の展示室が公民館にできることが決まり、資料集めを始めた。
製作や発行にかかる約30万円は、地区の自治会連合会からの年間約5万円の助成金をため、資金の準備ができた昨年秋から、マップの製作に取りかかった。
足利市職員だった長谷川さんは市史の編集をするなど、約40年前から梁田戦争に関する資料を集めていた。自宅には幕末史に関する資料が約200冊あり、資料を参考にしながら編集していった。製作には、長谷川さんのほか、5人の委員も加わり、元新聞記者の女性が校正を担当したり、ほかの委員も場所が正しいかチェック作業を手伝った。
旧幕府軍側に坂本龍馬暗殺の真犯人と目されている今井信郎が参戦しているなど、人物に関する秘話を取り上げたほか、例幣使街道沿いの梁田の宿に陣を構えていた旧幕府軍に新政府軍が三方から攻撃を仕掛けたことについても書いた。現在の地図に当時の地名を加えて、興味を引くように工夫したという。
長谷川委員長は「梁田地区は明治維新という日本が変わるきっかけとなった場所だということを知ってもらいたかった。今後も歴史を掘り起こしていきたい」と話している。
マップは梁田公民館でも無料配布されている。問い合わせは(0284・71・1872)。
東京
津軽家上屋敷跡に石組み下水遺構/東京・墨田区
現在の東京・墨田区にあった弘前藩主津軽家の上屋敷跡から、区が1月から3月まで行った屋敷跡の緊急発掘調査で、縦横無尽に張り巡らされた木製の水道管の遺構が確認された。特に幕末ごろとされる石組みの下水は過去の屋敷跡発掘も含めて初の出土となり、水回りが整備されていた当時の屋敷の構造がより鮮明になった。墨田区役所で27日まで、上屋敷発掘の速報展が開かれている。
区教育委員会によると、上屋敷は江戸に出た大名が公邸として利用した施設。津軽家上屋敷は元禄元年(1688年)、弘前藩4代藩主信政公の時に江戸の別な場所から移転、4年がかりで完成させた。以来、幕末まで歴代藩主が居住した。
区による上屋敷跡の発掘調査は1988年から数えて3度目で、これまでも木製の水道管である木樋(もくひ)が発掘されている。
今回調査では屋敷跡西側の一部約600平方メートルを発掘。その結果、比較的古い年代に整備されたと推測される上水道の木樋を過去の調査に引き続き確認した。周辺には井戸や穴蔵も見つかった。
さらに新しい地層には石を敷き詰めた石組みの下水を新たに発見。細やかに上下水道を巡らした屋敷の構造がうかがえる。このほか、敷地の水はけを良くするために利用されたとみられる大量の貝殻も出土した。
また主な遺物には、津軽家の家紋をあしらった「津軽牡丹の鬼瓦」や瀬戸焼、伊万里焼といった量販品とは異なる高品質の焼き物が多数出土した。
区教委は上屋敷の発掘成果について、都内の発掘で見られる一般的な江戸遺跡の域は出ないとしながらも、「区内のこれまでの遺構と比べ規模が大きく、良いものが出た」と話している。
静岡
まちかど:下田市・黒船祭公式パレード /静岡
祭りのハイライト、公式パレードが15日行われた。午前11時半、ペリー上陸記念公園付近を出発。石井義徳・下田署長がパトカーで先導し、石井直樹市長、川勝平太知事、下田港沖に停泊中の米軍艦カーティス・ウィルバー号のポール・ホーグ艦長らのオープンカーなど約20台、総勢約450人が500メートル近い列を組み、中心街を行進した。
米海軍第7艦隊の音楽隊、一輪車の小学生、市立下田中の吹奏楽部、侍やお姫さまの衣装を着た市民なども参加。沿道の観光客らが盛んな拍手を送った。
最終日の16日は、にぎわいパレードや、初企画の「幕末コスプレショー&下田龍馬くんコンテスト」などが行われる。
三重
龍馬にエール?勝海舟の書 四日市
大河ドラマ「龍馬伝」など幕末ものが人気になる中、勝海舟ら「幕末三舟」の書を表装した掛け軸が、四日市市文化会館(同市安島2丁目)で展示されている。表具師でつくる四日市表具内装研究会の「和を考える作品展」。和風建築を見直してもらおうと、ふすまや掛け軸、ついたて、びょうぶなど27点を並べた。
特別出品として研究会の会員が表装を手がけた勝海舟(1823~99)、山岡鉄舟(1836~88)、高橋泥舟(1835~1903)の「二行書」を市内の個人宅から借り受けた。
勝海舟の書は2行目に「老在人材望嘱只後生」とある。自分は老いても安心なのは人材があることで、後輩に託すのみ……と、自分を慕う坂本龍馬ら若者たちへの期待をしたためたようだ。16日まで。
京都
柴田是真展:幕末~明治の漆職人・絵師 描写力と小粋なセンス--上京 /京都
◇米からの初里帰り作品も--相国寺承天閣美術館
幕末から明治期の漆職人で、四条派の流れをくむ絵師としても活躍した柴田是真(ぜしん)(1807~91)の米国からの里帰り品などを一堂に展示した「-江戸の粋・明治の技- 柴田是真の漆×絵」展が、京都市上京区の相国寺承天閣美術館で開催されている。【野宮珠里】
是真は江戸・両国の宮彫師(社寺の欄間などに彫刻を施す職人)の家に生まれた。11歳で名工・古満寛哉(こまかんさい)に弟子入りし、蒔絵(まきえ)の技術を習うが、他人の下絵を元にした仕事に限界を感じ、その後四条派の画家の鈴木南嶺や岡本豊彦に師事、画技を磨いた。漆工・絵画の両方で才能を発揮。明治維新後は、欧米の万国博覧会へも積極的に出品して評価を得、日本の近代美術工芸の発展にも貢献した。
是真の作品は、自ら生み出した「変塗(かわりぬり)」の技法を駆使、四条派の描写力と江戸の小粋なセンスを兼ね備えた独特の世界が魅力だ。
実際には紙に漆で描いたものを、金属の砂張(さはり)の盆や紫檀(したん)地に描いた蒔絵の額に見せるなどの「だまし漆器」「だまし絵」は高度なテクニックとセンスの結晶だ。和紙に漆で描いた「漆絵」も、漆ならではの質感を生かした表現に加え、掛け軸にして巻いても割れない高度な技術が用いられている。
同展では、米国テキサス州のエドソン夫妻が収集、今回初めて里帰りした漆工・絵画約70点のほか、20歳代に描いた、妙心寺塔頭・大雄院方丈のふすま絵(京都展のみ出品)など国内の優品も展示され、見応えのある内容となっている。
今回監修を務めた板橋区立美術館の安村敏信館長は「幕末・明治という時代の狭間、あるいはジャンルの狭間で、国内での評価が進まなかった作家。しかし、欧米での評価は高く、多くの優品が海外で所蔵されている。この機会に日本でもコレクターが育ってくれれば」と話している。
6月6日まで。入館料は一般1000円、65歳以上・大学生800円、小・中・高校生500円。問い合わせはハローダイヤル(電話03・5777・8600)へ。
アスニーセミナー「石碑を読む─京都の幕末史」
6月18日(金)14時~16時、京都アスニー(京都市中京区丸太町通七本松西入ル。市バス「丸太町七本松」または「京都アスニー前」下車。有料Pあり)TEL075・812・7222。※ご来場の際は交通機関をご利用ください。
京都の幕末の歴史が石碑にどう表現されているか。碑文を詳細に読みます。石碑の碑文も古文書におとらない「史料」ですが、読まなければはなしになりません。とくに蛤御門の変で敗走した長州藩士の遺跡の碑をとりあげます。
講師=伊東宗裕(京都市歴史資料館歴史調査担当課長)。
受講料800円。
申し込み・問い合わせTEL075・812・7222/FAX075・803・3017(京都アスニー)。
佐賀
戦国末期の大名・龍造寺隆信 佐賀城内に居城遺構
佐賀市教委は14日、佐賀藩鍋島家の居城・佐賀城の前身で、戦国大名龍造寺(りゅうぞうじ)隆信(1529-84)が拠点とした中世の平城(ひらじろ)「村中(むらなか)城」の関連建物遺構を、佐賀市城内1丁目で初確認したと発表した。佐賀城跡周辺は佐賀県が公園整備を進めているが、村中城の遺構は痕跡すら見つかっていなかった。同市教委は「九州で一大勢力を誇った龍造寺氏の実像に迫る重要な発見」としている。
遺構が確認されたのは、佐賀城西堀に架かる西の御門橋付近の一角。約350平方メートルの調査区画から、東西に整然と並ぶ大型掘立柱(ほったてばしら)建物2棟の25の柱穴が見つかった。柱穴は江戸期の地層から約80センチ掘り下げた土中から、16世紀後半に製造された中国・景徳鎮や朝鮮半島産の磁器などと一緒に出土したことから、村中城関連遺構と判明した。
同市教委によると、柱穴の直径は55-65センチで、当時、佐賀平野にあった建物では群を抜く規模。ただ、村中城に関する絵図や文書はないため建物の名称や用途は不明で、館や寺院など重要施設であることが推定されるという。
龍造寺隆信は戦国末期の16世紀後半、薩摩の島津氏、豊後の大友氏と九州を三分する大名に成長。最盛期は肥前から筑後、肥後、筑前、豊前、壱岐・対馬に勢力を伸ばし、「五州二島の太守」と号した。隆信は島津氏との戦いに敗れ戦死するが、領国を継承した鍋島直茂・勝茂父子が江戸期の1608-11年、村中城を拡張。巨大な堀を有する佐賀城に整備した。
丸山雍成(やすなり)・九大名誉教授(日本中近世史)は「幕末維新期に近代日本形成の一翼を担った佐賀藩のルーツを知る上でも、村中城関連遺構の確認は意義深い」と話している。
コラム
サムライNY席巻 150年前 使節団パレード
百五十年前の六月、江戸幕府の遣米使節団は、ニューヨーク・ブロードウェーで、沿道に約五十万人を集めて堂々と行進した。史料から、当時の新興国だった米国が公式使節訪問を素直に喜んだ様子がうかがえる。 (ニューヨーク・阿部伸哉)
◆アイドル視
沿道を埋め尽くす群衆、ビルの窓という窓を飾る日章旗、ちょんまげ姿の代表団を恭しく迎える市長-。当時の写真や新聞のさし絵は、米国の熱狂的な興奮ぶりを伝える。
「この高揚感を逐一記録するのはわれわれの義務だ」。一行到着二日後の一八六〇年六月十八日付ニューヨーク・タイムズ紙は、この一文で始まる長大なルポを掲載した。
記事によると、一行の行く先々の駅、ホテルで、サムライを一目見ようとする群衆が膨れあがり「ジャパニーズ」「タイクーン(大君=将軍)」などの掛け声が。ホテルの窓にちらりと人影が見えるだけで、路上から大歓声がわいた。
特に使節団最年少の十七歳、通訳見習だった立石斧次郎は米メディアに「トミー」と呼ばれ、新聞の一面を飾る「アイドル」に。表情が乏しいサムライたちの中で愛想よく振る舞い、若い女性の「追っかけ」も登場したという。
◆詩人も感銘
使節団は、正使(大使)四人をはじめとする約八十人。幕末に結ばれた日米修好通商条約の批准書交換のため派遣された。
ワシントンでは、条約内容を変える権限がない使節団が「通貨交換比率が日本に不利」と突然、不平を申し立てて米側と再交渉に持ち込み、比率を改善させるハプニングも。
その後、ボルティモア、フィラデルフィアを経て最大都市ニューヨーク入り。サムライへの好奇心で始まった新聞報道もやがて熱を帯び、関心は市民にも広がった。
中でも最後の訪問地ニューヨーク市の歓迎ぶりは群を抜き、騎兵隊ら七千人を動員する大パレードを実施。一万人規模の舞踏会まで開催した。
詩人ホイットマンは地元紙に「ブロードウェーの行進」という詩を寄せた。
一行の肌の色は「赤銅色」と表現されたが、パレードで目立った妨害や差別的言動はなかったようだ。
◆一等国入り
日米修好通商条約といえば、日本では治外法権を押しつけられ、関税自主権を否定された「不平等条約」として知られる。倒幕の動きも加速した。
「黒船」の圧力で日本の鎖国をこじ開けたはずの米国だが、当時の報道によると、米国側は「武力によらず貿易を推進した」と、全く違う自己評価をしていた。使節団を英雄扱いした背景には、こうした評価もある。
「平和の意思と善意で貴国を訪れたペリー司令官も、貴国での米国代表のハリス領事も、ここニューヨークの市民なのです」
日本での混乱を知ってか知らずか、ニューヨーク市のウッド市長は歓迎式典でこうあいさつ。さらに「私たちに優越感をひけらかす欧州も、戦争や脅迫なしで貿易拡大は可能だと学ぶだろう」と続け、欧州の帝国主義政策を批判した。
「米国の商業力は、列強の武力にも屈しない東洋に認められた」。ニューヨーク・タイムズ紙も社説で、日本が公式使節団を真っ先に米国に派遣した意義を解説した。
当時、ニューヨークも、ロンドンやパリから見れば辺境だった。使節団は単なる東洋の島国からの訪問でなく、「一等国入り」を目指す米国のプライドをくすぐる大事件だったというわけだ。
◇
使節団訪問百五十周年を記念し、ニューヨーク市博物館は在ニューヨーク日本総領事館と協力して、六月二十五日~十月十一日、当時の資料を集めた特別展「サムライ・イン・ニューヨーク」を開催する。
ブックレビュー
【書評】『幕末維新に学ぶ現在』山内昌之著
政界混迷にタイムリーな一冊
永年「産経新聞」を愛読しているが、2009年3月から楽しみが倍加した。山内昌之氏の「幕末から学ぶ現在」の連載が始まったからだ。
今回、再読したことになるが、巻を措(お)く能(あた)わず読了させられる著者の筆力と説得力に改めて驚嘆させられた。
吉田松陰、岩崎弥太郎、松平容保(かたもり)、徳川慶喜(よしのぶ)、大久保利通、河井継之助(つぎのすけ)、坂本龍馬など53人の生き方を学びながら現代の政治家に重ね合わせて検証する本書に、読者はさぞや啓発、啓蒙(けいもう)されるのではなかろうか。
以下に具体的な記述を引く。
「小松の業績は、現代の政治改革にも剛胆さとともに緻密さが必要であり、多士済々の議論をまとめる政治家には変革への情熱を人格面でも分け隔てなく包容する大きな器が欠かせないことを教えてくれる」=小松帯刀(たてわき)=
「彼の悟達は晩年に詠んだ句がよく示している。“琴となり下駄となるのも桐の運”。いま世襲議員の功罪がしきりに取り沙汰されている。社会で堅実な下積み経験を持たず官庁や企業の採用試験も受けずに二十代で家業として政治家を継ぐ若者には、世襲を擲った忠崇の心意気とまではいわぬが、せめて一時でも“桐の下駄”となる試練だけは味わってほしいものだ」=林忠崇(ただたか)=
「ところで、尾去沢銅山事件は、旧南部藩つまり岩手県にまつわる事業である。政治的にはそれなりの人物だった井上は、ついに宰相の地位に手が届かなかった。小沢幹事長に『井上馨をどう評価するか』と尋ねてみたい有権者はさぞかし多いことだろう」=井上馨(かおる)=
著者はイスラーム研究の第一人者として名高いが、古今東西の歴史に通じた碩学(せきがく)であることを本書は呈示して余りある。その蘊蓄(うんちく)、含蓄ぶりにはいつもながら感服させられるが、日本国の政界が混迷を深める中で、警鐘を鳴らすタイムリーな本書が一人でも多くの人々に読まれることを願わずにはいられない。
上梓(じょうし)に際し加筆したことによって、格段と読み応えを増した。併せて評価したい。(中央公論新社・1890円)
評・高杉良(作家)
毎週木曜日にニュース検索でかかってくるのを楽しみにしている連載が本になりました。
昨日、歴史好きの針灸の先生と雑多な話をしていた時に幕末の歴史関係で面白い著作者を訊かれ、山内氏の著作を挙げました。
午前中は晴れていたので、ちょっと散歩しました。午後は薄ら寒いぐらいでしたね。
山形
旧藩士の志継ぎ130年ぶりに茶栽培 鶴岡・松ケ岡開墾場
群馬
小栗上野介で町おこし 高崎・倉渕
東京
勝海舟邸跡地に「赤坂酒場ながや」-文明開化テーマにメニュー提供 /東京
神奈川
咸臨丸 懸け橋 150年越しの面会 勝海舟の玄孫 鎌倉の高山さん
伊豆の韮山代官所が管轄する幕府の直轄地の名主が勝海舟の渡航費用を出したというのは興味深いです。
「勝がどのような経緯で七郎平と接触したかは不明だが、双方と面識があった韮山代官が仲介した可能性が高い」ということは……坦庵公こと江川英龍は咸臨丸の渡航より5年前に亡くなっているので、坦庵公の片腕で英敏を補佐した柏木忠俊が実質的に仲介していた可能性もありますね。
静岡
ブームを反映「はやぶさ」「咸臨丸」登場、静岡の模型ショー
【見に行く!】下田「黒船祭」 今年は龍馬も盛り上げ
石川
石川県でブームを巻き起こした“会いにいける”イケメン集団「HIROZ」が、全国制覇に向け新メンバーを募集中
兵庫
上野彦馬賞作品展:あすから 作品の展示作業着々--尼崎 /兵庫
鳥取
日々彩彩:仁風閣・宝隆院庭園 /鳥取
高知
高知・龍馬ろまん社中、入館者が20万人を突破
福岡
北九州市出身の作家・秋山さん 「雨に添う鬼 武市と以蔵」出版 師弟間の憎悪 リアルに
大分
日田市咸宜園教育研究センター:今秋開館 資料収集急ピッチ /大分
長崎
長崎銘菓クルス【珈琲】 小浜食糧(長崎)
鹿児島
鹿児島県が世界遺産候補を調査へ 17日から紡績所跡など4カ所
文化芸能
新選早乙女太一「これからは男役を柱に」
舞台版『薄桜鬼』、早乙女太一さんの土方歳三ですか……流し目でオナゴを落としまくるトシさんを見てみたいです(^^)。
草刈民代が再登場 大河ドラマ「龍馬伝」 「寺田屋」の女将役、6月13日から
山形
旧藩士の志継ぎ130年ぶりに茶栽培 鶴岡・松ケ岡開墾場
明治維新後に旧庄内藩士が切り開いた山形県鶴岡市羽黒の松ケ岡開墾場で、地元の農家が約130年ぶりに茶の栽培に挑んでいる。旧藩士たちの茶作りの挑戦は挫折したものの、地元には庄内地方で尊敬を集める西郷隆盛がつけた茶の名前が、今も残っている。農家は歴史が香る茶の生産を軌道に乗せ、新たな特産品にしようと意気込んでいる。
栽培に取り組むのは、開墾場の山田鉄哉理事長(63)ら数戸の農家。埼玉県茶業研究所(狭山市)と同県の入間市博物館(入間市)の協力を得て先月中旬、同研究所から無償提供された狭山茶3品種の苗約600本を場内の畑に植えた。
開墾場は刀をくわに持ち替えた旧庄内藩士約3000人が明治初期に切り開いた。面積は約300ヘクタールで、現在は地元農家約50戸が所有する。
茶の栽培は1874年(明治7年)に開始。維新後も藩主・酒井家の処遇を気に掛けていた西郷隆盛は翌年、旧藩士を励まそうと、開墾場の茶に「林月」「白露」など六つの名を贈った。西郷直筆のこれらの名前の掛け軸は今も、場内の開墾記念館に展示されている。
当時は茶葉の品質が上がらず、加工技術も未熟だったことから、栽培は数年で終わり、これまで「名前はあっても実物の茶がない」(山田理事長)という状態が続いていた。
栽培に協力する入間市博物館によると、一定以上の規模で二番茶まで摘み取っている商業用の茶産地は新潟県村上市が日本海側の北限とされる。
山田理事長は「栽培に成功すれば、日本海側で『最北の茶産地』になる可能性がある。商業ベースに乗るまで3~4年はかかると思うが、旧藩士たちの夢を実現できるよう、関係機関の指導を仰ぎながら頑張りたい」と話している。
群馬
小栗上野介で町おこし 高崎・倉渕
徳川幕府の使節団がアメリカを初めて訪問して今年は150周年。その一員だった小栗上野介を見直し、地域おこしの核にしようとする動きが、小栗が最期を遂げた高崎市倉渕町で高まっている。
幕末、監察として訪問団に加わった小栗はアメリカで最新鋭の工場を見学。工業力の重要性を痛感し、帰国後、横須賀造船所の建設を幕府に提言した。また、株式会社による資本の集中と事業化にも関心を示し、日本最初の株式会社とされる「兵庫商社」の設立に尽力した。
23日に倉渕町で「小栗まつり」が開かれ、倉渕中央小学校で記念シンポジウムが催される。元大正大学教授の鈴木健次さんが、遣米使節団が日本の近代化に果たした役割について講演。著作で小栗を紹介してきた作家の鳴海風さんらを交えたパネル討論で、「サムライが見たアメリカと世界、そして日本」を語り合う。講演、パネル討論とも定員200人で、参加は当日受け付ける。
小栗まつりは、地元有志でつくる小栗上野介顕彰会が毎年開いている。小栗の墓がある同町権田の東善寺で墓前祭を開くほか、倉渕中央小で生涯を紹介するパネル展示などがある。
また、高崎市は、倉渕支所と隣接する倉渕公民館を改修し、道の駅「小栗の里」として整備する。行政部門を2階に集め、1階に小栗の功績を紹介する資料やパネルを設置する。「小栗の里」の開設で、小栗と倉渕のかかわりをより広く知ってもらう場にしたいという。2013年度の開館を目指している。
東善寺の村上泰賢住職(68)は「遣米使節150周年では勝海舟が乗った咸臨丸の太平洋横断に目が向きがちだが、小栗ら本来の使節団の功績を評価してもらう機会にしたい」と話している。
小栗まつりの問い合わせは倉渕支所地域振興課(027・378・3111)へ。
東京
勝海舟邸跡地に「赤坂酒場ながや」-文明開化テーマにメニュー提供 /東京
江戸時代末期から明治時代に活躍した政治家・勝海舟邸跡地に4月23日、居酒屋「赤坂酒場ながや」(港区赤坂6、TEL 03-3584-7507)がオープンした。運営はバリュ エージェント(港区)。(赤坂経済新聞)
現在放送中のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で勝海舟役の武田鉄矢さんが登場するようになり、同店も次第に注目を集めるようになった。
店舗面積は約8坪。座数はカウンター5席、テーブル6席の計11席。6人からの貸し切りも可能。「仕事の打ち合わせやプロジェクトの打ち上げなどに使って使ってほしい。貸しスペースと飲食がコラボレーションしたような空間」と同社の小林英里さん。「かつては、勝海舟をはじめ日本の政治・経済を動かしてきた人が出入りしていた場所。ただ飲みにきていただくだけでなく、ここから仕事が生まれたり、人がつながったりするコミュニティーのような場所になっていけば」とも。
メニューは、「豚塩ねぎの固焼きそば」(1,200円)をはじめ、「豆もやしと豚のシャキッと甘味噌」(1,000円)、「ポテトサラダ」(400円)などをそろえる。幕末をテーマにした九州の焼酎は、「竜馬の海援隊」「竜馬」(以上600円)など8種類を用意。今後は、農家とのつながりを生かし、料理研究家とのタッグを組むなどして季節限定メニューを打ちだすことも予定する。勝海舟をキーワードに明治にはやった食材などを取り入れ、和洋折衷のメニューを提供していく。
営業時間は18時~23時30分。土曜・日曜・祝日定休。
神奈川
咸臨丸 懸け橋 150年越しの面会 勝海舟の玄孫 鎌倉の高山さん
幕末に太平洋を横断した咸臨丸(かんりんまる)の艦長・勝海舟の玄孫(やしゃご)でガラス工芸作家の高山みな子さん(47)=鎌倉市材木座四=が二十九日、静岡県富士宮市を訪れる。勝の依頼に応えて航海費用の一部を援助した同市の豪商の子孫と面会、当時の協力への感謝を伝える。咸臨丸の出港から百五十年。かつて大海原を越える夢を追った“同志”の末孫の間に、新たな交流が生まれる。(林啓太)
高山さんが面会するのは富士宮市の豪商・池谷家の十二代目当主邦之さん(83)。咸臨丸の渡海を支援した八代目の七郎平の子孫。
乗組員の子孫らでつくる「咸臨丸子孫の会」(小林賢吾会長)の関係者によると、池谷家がある同市の旧大宮町地区は、伊豆の韮山代官所が管轄する幕府の直轄地だった。七郎平は地場産の茶やたばこを江戸に輸送、販売する事業を手掛ける一方、代官所から同町の名主を任され、地元の行政を担っていた。
勝は、そんな七郎平に渡航費の援助を依頼。太平洋の海原を駆けて米国を目指す勝の意気に感じ、七郎平は膨大な費用の一部を用立てた。勝がどのような経緯で七郎平と接触したかは不明だが、双方と面識があった韮山代官が仲介した可能性が高いという。
勝は帰国後、部下を富士宮に派遣して四カ月間余りの航海や滞米の体験を報告。その内容を七郎平が書き留めた冊子「亜米利加行記」は、咸臨丸の渡航の様子を伝える重要な史料として幕末史研究者が注目している。
明治維新後も勝と池谷家は親密に交流。勝が死去した際には、同家が施主となり地元の寺で法要まで営んだ。が、その後は勝と池谷家の子孫同士のつながりは、一世紀にわたり絶えていた。
そこへ今回、富士宮市の市民団体「富士宮人づくりの会」が、市民と咸臨丸子孫の会の会員との交流会を企画。両会の会員の尾駒真理さん(57)=富士宮市小泉=が高山さんと池谷さんに参加を呼びかけ、対面が実現する運びとなった。
高山さんは「百五十年前の渡航への援助に、あらためて池谷家に感謝を伝えたい」、池谷さんは「勝さんのご子孫と貴重なお話ができるのはなにより」と、それぞれ“再会”に期待を寄せている。
伊豆の韮山代官所が管轄する幕府の直轄地の名主が勝海舟の渡航費用を出したというのは興味深いです。
「勝がどのような経緯で七郎平と接触したかは不明だが、双方と面識があった韮山代官が仲介した可能性が高い」ということは……坦庵公こと江川英龍は咸臨丸の渡航より5年前に亡くなっているので、坦庵公の片腕で英敏を補佐した柏木忠俊が実質的に仲介していた可能性もありますね。
静岡
ブームを反映「はやぶさ」「咸臨丸」登場、静岡の模型ショー
国内の模型メーカーがプラモデルや鉄道模型の新製品などを展示する「静岡ホビーショー」(静岡市・ツインメッセ静岡)が13日、業者や報道向けに公開された。今年、発売30周年を迎える「ガンプラ」など人気商品をはじめ、6月に帰還が予定されている小惑星探査機「はやぶさ」や坂本龍馬と関わりのあった勝海舟や福沢諭吉が乗った幕末の軍艦「咸臨(かんりん)丸」など、昨今の人気にあやかった模型も展示された。(アサヒ・コム編集部)
「アポロ宇宙船」や「スペースシャトル」など宇宙関連の模型が展示される中、来場者の注目を浴びていたのが小惑星探査機「はやぶさ」のプラモデル。さまざまなトラブルに遭いながらも6月13日、7年ぶりに地球に帰ってくると話題の衛星だ。人工衛星のモデル化は珍しく、大きく開いた太陽電池パネルやパラボラアンテナなどが再現されている。青島文化教材社製で、帰還前の6月上旬の発売予定(税込み2100円)。
木製模型の製造、販売をするウッディージョー(静岡市駿河区)が展示した「咸臨(かんりん)丸」は、木の部品を組み合わせて完成させる模型。帆を取り付けた帆走状態と帆を取り外して蒸気機関で航行する状態の2モデルがある。完成時の長さは約82センチと大きく、帆走時と非帆走時で煙突の形状やスクリューの位置の違いがわかる細かい作り。
「部品は精度の高いレーザーで加工、説明書もカラーにした。レーザー加工以前のものとは比べものにならないくらい組み立てやすい」と、同社荒田茂部長は話す。帆付きモデルが3万9900円(税込み、発売日未定)、帆なしモデルが3万7800円(同、発売中)。
バンダイの展示ブースでは、アニメ「機動戦士ガンダム」に登場する人気ロボットのプラモデル「ガンプラ」が発売30年を迎えるにあたり、80年7月に発売された「ガンプラ第1号」をはじめ、歴代のガンプラがずらりと並べられた。また、7月24日から開催される「模型の世界首都 静岡ホビーフェア」会場内の東静岡広場(静岡市葵区)に約18メートルの実物大ガンダムが設置されるのに先立ち、風景模型(ジオラマ)が展示された。昨年夏、東京・お台場をにぎわせたガンダムが、右手にビームサーベルを持って再登場する様子が表現されている。
15、16日の一般公開日には、プラモデルやラジコンなども販売される。包装紙に模型などがあしらわれた「安倍川もち」や静岡模型教材協同組合のロゴが描かれたピンバッジなど、限定商品も販売される。
◇
◆第49回静岡ホビーショー(静岡模型教材協同組合主催)
◆日程(一般公開日)
2010年5月15日 午前9時~午後5時
2010年5月16日 午前9時~午後4時
◆会場
ツインメッセ静岡(静岡市駿河区曲金 3―1―10)
※JR静岡駅南口、およびJR東静岡駅南口から無料送迎バスあり
◆公式ホームページ
http://www.hobby-shizuoka.com/
【見に行く!】下田「黒船祭」 今年は龍馬も盛り上げ
下田が幕末に染まる-。静岡県下田市の中心市街地で14日、「第71回黒船祭」が始まる。今回も参加者が幕末の衣装に身を包んでのパレードや了仙寺(同市七軒町)の境内で日米和親を約した下田条約調印の再現劇など内容は盛りだくさん。今年は、下田がNHK大河ドラマ「龍馬伝」の撮影地にもなり、幕末の志士・坂本龍馬が脱藩を許された地でもあることから「下田龍馬くんコンテスト」も開かれ、祭りに花を添える。
黒船祭は昭和9年から戦時中の一時期を除き、下田を代表するイベントとして県内外から人気を博してきた。期間中は、市内の会場で、誰もが映画会社の着付け師に町娘や悪代官、米軍人に変装させてもらえるため、町中が幕末に様変わりする。一番の目玉となるパレードは、米海軍や海上自衛隊の音楽隊の演奏に合わせカラーガード隊など計486人が市内を練り歩く。
「下田龍馬くんコンテスト」は、同市四丁目の下田市民文化会館で16日開かれる。自称16~33歳なら誰もが参加でき、龍馬へのなりきり度を競う。同市の龍馬ファンらでつくる「伊豆龍馬会」のメンバーが審査員を務める。市観光協会は「初めての試みなので、今後の祭りの目玉になるよう盛り上げたい」と意気込んでいる。
一方、下田港には海自護衛艦「しらゆき」と米海軍のミサイル駆逐艦「カーティス・ウィルバー」が来港。同市三丁目の志太ケ浦遊歩道から両艦の雄姿が眺められる。
14~16日。記念式典は15日10時、パレードは15日11時半と16日11時から。【問】下田市観光交流課(電)0558・22・3913。
石川
石川県でブームを巻き起こした“会いにいける”イケメン集団「HIROZ」が、全国制覇に向け新メンバーを募集中
石川県の『日本元気劇場』でブームを巻き起こした、イケメン30人の“会いにいける”エンターテインメント集団「HIROZ」が、2010年全国展開に向けて本格始動に乗り出す。本拠地を置く東京での活動の拡大に伴い、新メンバーの募集をスタートする。
09年春に始動したイケメンパフォーマンス集団「HIROZ」。芝居をベースに、ダンス・アクション・殺陣・歌を織り交ぜた“新しい形の大衆娯楽”で、幅広い年代の支持を獲得。「若いイケメン集団が夢に人生を懸けて一生懸命に演じ、お客様に忘れかけていた情熱を思い出していただく」というテーマの下、幕末や戦国を舞台にしたミュージカルドラマや、ダンスユニット、音楽ユニットによるライブを30分に凝縮して上演し人気を博している。
昨年7月の石川県・日本元気劇場オープンとともに初公演。北陸を中心に着実にファンを拡大し、TVCM、雑誌、映画出演のほかCD、DVDなどもリリース。3月には赤坂BLITZで初の東京公演を行い、石川県からも多数のファンが弾丸バスツアーで公演に押し寄せるほどの熱狂を見せた。
4月からは東京・大江戸温泉での公演もスタート「全国制覇」に向けて活動を拡大していくという。 HIROZの団長・松岡泰之は、「世に出たい! というそれぞれの野望を持って集まったHIROZ。芝居、アクション、ダンス、歌など様々なステージを繰り広げる新しいエンターテインメント集団です。結成、拡大を遂げた09年に続き、10年はいよいよ全国制覇に乗り出します! 各地にある拠点を充実させつつ、本拠地を置く東京での活動を拡大。テレビ、映画、CMなどの映像メディアにも進出し、一気にスターダムを目指します」と抱負を語る。
そして現在、このHIROZの新メンバーを募集中。年齢不問で男子をオーディションする。「新しい時代はいつも野望を持った『素人』が作るもの。芸能界を目指す強い意思があれば、経験は一切問いません。現メンバーの夢は俳優、モデル、歌手など本当に様々。そんなメンバーが1つとなった『HIROZ』にあなたの夢を乗せ、ともに芸能界を目指しましょう。お会いできるのを楽しみにしています」とメッセージを送る。
応募の要項は、オーディション情報誌『月刊デ☆ビュー』の公式サイト『WEBデビュー』、携帯サイト『デビューしようよ』に掲載中。締め切りは6月15日まで。
■「HIROZ」新メンバー募集
http://www.deview.co.jp/ds/search.html?cmd=view&id=8187&
兵庫
上野彦馬賞作品展:あすから 作品の展示作業着々--尼崎 /兵庫
幕末から明治期にかけて活躍した長崎の写真家、上野彦馬(1838~1904)にちなみ、プロ・アマ問わず若手写真家の発掘を目指す「第10回上野彦馬賞九州産業大学フォトコンテスト受賞作品展」が15日から、尼崎市昭和通2の市総合文化センターで始まる。会場では作品の展示作業が進められている。
同センターと毎日新聞社などが主催。一般部門(39歳以下)と高校生・中学生部門があり、会場では計3310点の中から入賞した106点を展示する。
一般部門の最高賞「上野彦馬賞」は、スペイン・バルセロナ在住の森本徹さんの「コソボ-虐殺の記憶」(5枚組)。白黒写真で家族を虐殺された人の表情をとらえ、想像力をかき立てられる作品。高校生・中学生部門の最高賞「ジュニア大賞」には、筑陽学園高校(福岡県)の島ノ江理沙さんの「はぐれんよ~に」が選ばれた。
同時開催の特別企画展「上野彦馬と内田九一の写真でめぐる幕末明治の日本」では、上野が坂本龍馬ら幕末の志士を撮影した写真や、同時期に活躍した写真家の内田による、明治天皇の写真など約150点が展示される。
6月6日まで。入場料は一般500円、大学・高校生400円、中学生以下無料。火曜休館。問い合わせは、市総合文化センター(06・6487・0806)。【大沢瑞季】
鳥取
日々彩彩:仁風閣・宝隆院庭園 /鳥取
仁風閣は当初、「扇邸」とも呼ばれた。十一代藩主池田慶栄の正室宝隆院が住んでいた「扇御殿」の跡地に建てられたためだ。慶栄は夭折し、若くして独り身に戻った宝隆院を慰めるため、十二代慶徳が1863(文久3)年に造らせた庭がそのまま残されている。久松山を背景とし、鶴の形をした池に亀島が浮かぶ。江戸末期の庭園と明治期の洋館に挟まれた芝生広場には、白い椅子と卓が置いてある。座って見上げると鳥取城の石垣。日本中が沸騰した維新から明治にかけてを空想するのにこの静かな空間はぴったりだ。【大川泰弘】
高知
高知・龍馬ろまん社中、入館者が20万人を突破
今年1月に開幕した「土佐・龍馬であい博」のメーン会場、JR高知駅前の「高知・龍馬ろまん社中」の入館者が5日、20万人を突破した。当初、8月に20万人突破を見込んでいたが、入館者は順調に増加。想定より約3カ月早い、開幕から110日目での達成となった。
20万人目の来館者となったのは、岡山県から家族で訪れた佐藤泰容さん一家。尾崎正直高知県知事から認定証と県の特産品などの記念品が贈られた。
5日時点でのサテライト会場含む4会場の入館者数は以下の通り(カッコ内はゴールデンウイーク期間中の入館者数)。
「高知・龍馬ろまん社中」20万2645人(2万4243人)▽「安芸・岩崎弥太郎こころざし社中」4万873人(6810人)▽「土佐清水・ジョン万次郎くろしお社中」2万5828人(6429人)▽「ゆすはら・維新の道社中」2万9443人(8997人)。
来年1月10日の閉館までに、入場者目標を高知40万人、安芸、梼原10万人、土佐清水5万人に設定している。
高知県内の観光施設 入場者数が過去最高
高知県観光コンベンション協会によると、ゴールデンウイーク期間中の県内主要観光施設(28施設)の入場者が過去最高の25万8366人を記録した。主要28施設のうちで、龍馬関連で大きく来場者数を伸ばしたのは、「龍馬の生まれたまち記念館」で、前年同期比371%、「中岡慎太郎館」は同332%、「高知県立坂本龍馬記念館」は同276%など。主要観光施設に含まれていない「岩崎弥太郎生家」は、1万7076人で、同1952%など、大河ドラマ「龍馬伝」のブームを印象づけた。
5月2、3日では、県内全体の宿泊施設が満室状態となり、桂浜などで車中泊をする観光客もいた。また、高速道路のETC割引の影響で、当初から車中泊での予定で来県した観光客でサービスエリアも混雑した。
福岡
北九州市出身の作家・秋山さん 「雨に添う鬼 武市と以蔵」出版 師弟間の憎悪 リアルに
北九州市門司区出身の作家秋山香乃さん(42)=静岡県沼津市=が、幕末の土佐勤王党を率いた武市半平太と、半平太に師事し“人斬(き)り以蔵”と恐れられた岡田以蔵を描いた時代小説「雨に添う鬼 武市と以蔵」を講談社から出版した。尊王攘夷(じょうい)を目指す半平太と以蔵の師弟愛が政敵暗殺を続けた後、破局へと向かっていく歴史ドラマ。人間の憎悪の心理がリアルに描き出された作品だ。
秋山さんは、中学時代に演劇部でシナリオを書き、中間高校時代に小説を手掛けた。活水女子短大を卒業後は歴史サークルを主宰し2002年、「歳三往(としぞうゆ)きてまた」で作家デビュー。高杉晋作を描いた「晋作蒼(あお)き烈日(れつじつ)」など、これまで主に時代小説を手掛けてきた。
今回の作品は、以蔵が勤王のために突き進む半平太に認められたい一心から、「天誅(てんちゅう)」として次々と暗殺を続けるところから物語が佳境に入る。最後は「半平太に見捨てられた」と思い込み半平太に不利な自白へと追い込まれて…、というストーリー。
激動の幕末。「身の置き場のない時代」を迎えた以蔵の不安心理や、半平太が獄舎にいる以蔵の口封じのため毒薬を飲ませようとするときの動揺や憎悪の描写はリアルだ。秋山さんは「その役になりきって、演じている気持ちで書き上げました」と話す。演劇経験が生きた作品でもある。
「悲しい以蔵の人生を描きたかった。20年前から書きたい、と考えて獄中の記録などを調べていたが、出版社から“マイナーな人物”と言われて長い間、本にするまでいかなかったのでうれしい」と秋山さん。NHKの大河ドラマ「龍馬伝」などで坂本竜馬らが注目されたことも追い風になったようだ。
夫で、時代小説「口入屋(くちいれや)用心棒」シリーズが百万部を突破した作家の鈴木英治さん(49)は「純粋で鮮烈な二人。なのに悲劇。武市と以蔵を書いた話はいくつかあるが、だれも書かなかった武市像。納得できる仕上がり」と評している。
「雨に添う鬼‐」は286ページ、1575円。
大分
日田市咸宜園教育研究センター:今秋開館 資料収集急ピッチ /大分
◇広瀬淡窓や咸宜園研究 「門下生の子孫集合!」企画も
明治維新を彩る多くの英傑を育てた江戸後期の儒学者、広瀬淡窓(1782~1856)や私塾・咸宜園(国指定史跡)調査研究の“メッカ”となる日田市咸宜園教育研究センター=日田市淡窓2=が完成し、今秋開館に向け資料収集が本格化した。一方、命日(11月1日)に淡窓をしのぶ「淡窓祭」のころ、全国5000人以上と言われる門下生(塾生)の子孫に呼びかけ、「平成の咸宜園」開催を企画している。【楢原義則】
咸宜園敷地内にできたセンターは総事業費1億8300万円。クラシックな木造平屋(392平方メートル)で展示室、研究室、研修室、収蔵庫など。1890年建築の土蔵造り書蔵庫もすぐ横に移設した。市制施行70周年記念事業として、9月末か10月初めに開館予定。
淡窓や咸宜園の思想や学問、事跡を調査研究し公開、江戸後期最大の私塾の姿を再現する。機運が盛り上がる弘道館(水戸市)、足利学校(栃木県足利市)、閑谷学校(岡山県備前市)と連携した世界遺産(近世日本の学問・教育資産群)登録運動にも、大きな力を発揮しそうだ。
現在、散在資料の収集が急ピッチで進む。和本や掛け軸など淡窓図書館の約550点、土蔵の約100点、故・田中晃氏ら民間研究家の数千点などを運び込み、整理分類中。「市民にも提供をお願いし、資料や書画類が一目で分かるシステムを構築したい」という。
一方、咸宜園は淡窓が1817年に開き、没後の97年に閉塾した。塾生は全国68カ国のうち隠岐を除く67カ国、5000人以上で、子孫のほか、淡窓が交遊した頼山陽や田能村竹田らの子孫にも「全員集合!」を呼びかける方針だ。
「平成の咸宜園」は20年前の90年に下敷きがある。民間の地域活性化懇話会(当時)の赤尾重信氏は「91年の高速道開通をにらみ、淡窓や咸宜園をアピールしようと企画した。全国から子孫約200人が集まり、シンポジウムの後、平成咸宜園推進協を結成。資金難から3年間で終わった」と振り返る。「当時の子孫リストが残っており、市に協力したい」と話している。
長崎
長崎銘菓クルス【珈琲】 小浜食糧(長崎)
クルス(CRUZ、ポルトガル語で十字架の意味)は「異国情緒豊かな長崎の味を」と生まれた焼き菓子で、発売以来45年のロングセラー。生地にホワイトチョコが挟んである。クルス【珈琲(コーヒー)】は昨年12月発売の新製品。幕末期に長崎で飲まれていたコーヒーを再現した「龍馬が愛した珈琲」を生地に練り込み、珈琲チョコをサンドし、さらにおいしく仕上げた。
今年1月の長崎県特産品新作展龍馬部門(特設)で優秀賞を受賞。今や“元祖クルス”をしのぐ人気を得ている。6枚入り315円、15枚入り630円。
雲仙市小浜町北本町14の15(電)0957・75・0115
■ ひとこと
パリッ、サックリ。こんがりしたコーヒーの苦味とチョコの甘味がマッチング。 (S)
鹿児島
鹿児島県が世界遺産候補を調査へ 17日から紡績所跡など4カ所
鹿児島県は17日から、鹿児島紡績所跡など鹿児島市にある幕末~明治期の史跡4カ所を発掘調査する。「九州・山口の近代化産業遺産群」の世界文化遺産登録を目指し、県内の新たな資産候補を探る。
「近代化産業遺産群」世界遺産登録推進事業の一環。仙巌園前の紡績所跡(吉野町、17日~7月28日)のほか祇園之洲砲台跡(浜町、9~11月)、天保山砲台跡(天保山町、来年1~3月)と、鹿児島市が調査する寺山炭窯跡(吉野町、8~9月)の4カ所。
同遺産群はユネスコの世界遺産暫定リストに記載。今回の4カ所は専門家委員会が「詳細な調査が必要」と指摘、重要な発掘物が見つかれば、3件ある県内の構成資産に追加する可能性があるという。
文化芸能
新選早乙女太一「これからは男役を柱に」
「流し目王子」と呼ばれる天才女形役者の早乙女太一(18)が本格的な男役に挑戦する。テレビゲームが原作の舞台「薄桜鬼(はくおうき)(仮題)」(10月1日開幕、天王洲銀河劇場)で、主演の新選組の土方歳三を演じることが13日、分かった。また、同舞台では、ロックバンドORANGE RANGEのボーカルRYO(24)が俳優デビューする。
大衆演劇で9歳から女形を演じてきた早乙女が、今度は新選組の中でも“鬼の副長”と異名を取った土方を演じる。「僕ならば、てっきり女性説もある沖田総司役だと思っていました。男っぽい土方役に驚きましたが、うれしいです」。
テレビゲーム原作の舞台は、既存のゲームファンへの集客力があるため、無名の新人俳優を抜てきすることが多い。しかし、西宮貴子プロデューサーは「優れた原作は、優秀な俳優で舞台を作りたい」と、「薄桜鬼」の主演を探していた。09年の舞台「MISSING BOYs」で、早乙女が尾崎豊をモチーフとしたカリスマロック歌手を演じた姿に一目ぼれ。「声は優しいけど、芯の強さを感じて、男っぽさやセクシーさが必要な土方にピッタリでした」。舞台化の構想を練り、4月にオファーした。
早乙女にとっても、渡りに船の仕事だ。「皆さんには女形として知ってもらっていますが、これからは男役を柱にして俳優活動していきたいと思っていたところでした」。身長も173センチに伸び、筋肉質な体つきの素顔は、むしろ男っ気が漂う。共演者も、黒川智花(20)や木村了(21)と、テレビや映画で活躍中の同世代。「そういう人たちと共演するのは、ほとんど初めて。今後はテレビや映画もやりたいので楽しみです」。役者人生の分岐点になりそうだ。
舞台版『薄桜鬼』、早乙女太一さんの土方歳三ですか……流し目でオナゴを落としまくるトシさんを見てみたいです(^^)。
草刈民代が再登場 大河ドラマ「龍馬伝」 「寺田屋」の女将役、6月13日から
幕末の志士、坂本龍馬の波瀾(はらん)万丈の一生を描くNHKの大河ドラマ「龍馬伝」(日曜午後8時)に、元バレリーナで女優の草刈民代が再登場する。京都・伏見の旅館「寺田屋」の女将、お登勢役で、すでに龍馬の生母で病没した幸を演じており、一人二役となる。
今月6日、東京・渋谷のNHK放送センターで開かれた記者会見に出席した草刈は、お登勢について「世話好きで、志のある男の人たちの気持ちが分かり、協力するという、器の大きな女性。これはやらねばならぬと思って演じています」と張り切って役に挑んでいる。
草刈は4月にヌード写真集を発売して話題を呼んだが、「ヌード写真集は多くの人にとって予期せぬことだったと思います。写真集を作ったのは発売のもっと前のことで、演技が発売の前後で変わることはありません」と笑顔で答えた。
草刈は昨年春にバレリーナを引退。女優として新たな一歩を踏み出しており、「龍馬伝」が初めてのテレビドラマ出演作となる。
鈴木圭チーフ・プロデューサーは、草刈の起用の理由について「京都での龍馬の母親のイメージ。骨っぽく、幕末のしんの通った女性としてピッタリ」と説明した。
草刈が演じるお登勢は、6月13日放送分から登場する。(村上智博)
小ぶりの鰯が6尾200円でしたので夕食に買いました。一部を包丁と手で裂いて生姜醤油で刺身(というか叩きに近い見かけ^_^;)に、一部を塩焼きにしました。どちらも脂が乗っておいしかったです。
寒さで高騰していた野菜の価格もちょっと下がってきて、おかずにする野菜の選択肢が増えてきたことも嬉しいです。
北海道
14、15日に中島三郎助まつり
栃木
「梁田戦争」伝える地図作成 戊辰戦争、東日本最初の戦い
長野
象山ゆかりの地巡り ツーデーウオークを22・23日開催
静岡
しずおか観光大賞に「黒船祭」 21日に表彰
山口
おお第九の友よ 独で再会/山口市
香川
高松城“石材工場”発見
高知
「人斬り以蔵」初の命日祭…ファンも祈り
土佐の維新志士・吉村寅太郎、高知の生徒が東吉野で墓参
佐賀
佐賀の大名行列、再び米へ NYで幕末使節団再現
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(61)東大教授・山内昌之 田宮如雲
文化芸能
NHK次期朝ドラ『てっぱん』追加キャスト17名発表 安田成美が『春よ、来い』以来2度目の朝ドラ出演
エンケンさん、デビュー作は『壬生の恋歌(リンク先はwikipedia)』なんですね。こちらは未見です。テレビ東京『壬生義士伝~新選組で一番強かった男~(リンク先は同じくwikipedia)』の永倉新八役がとてもよく似合っていたので、ちょっと気になる役者さんです。
寒さで高騰していた野菜の価格もちょっと下がってきて、おかずにする野菜の選択肢が増えてきたことも嬉しいです。
北海道
14、15日に中島三郎助まつり
第17回中島三郎助まつり(中島町商店街振興組合主催)が14、15日の2日間、函館市中島町の中島廉売で開かれる。今年もYOSAKOIソーランの演舞や「春のスイーツまつり」、「100円市場」などのイベントを実施。今年初めて同廉売のパン店と商店街の女性たちが共同開発した調理パンを限定販売する。同組合の川崎正博専務理事は「売り出しもやっているので、この機会にぜひ廉売に足を運んでほしい」と来場を呼び掛ける。
14日は午後3時から、箱館戦争に散った中島三郎助父子を供養する祈願祭を行い、もちまきなどを実施。15日は午後1時から約50店による「100円市場」、同3時から5チームによるYOSAKOIソーラン大競演が行われる。
2日間通したイベントでは、午前10時半から、市内の和洋菓子店やレストラン6店舗が参加する「春のスイーツまつり」が開催され、ケーキやプリンなどが並ぶ。限定販売の調理パンは、同廉売の女性グループ「ひまわり会」とフレッシュベークヨシダが考案し、2種類ともパンに福島町産の黒米と今金町産の小麦粉を使った。
堂守豆腐店の「オカラ炒コロッケ」を使った「オカラ炒ポテコロサンド」は両日20個限定、1個180円で販売。パンに挟むパテにホッケのすり身などを使い、中村商店のしょうゆ味のキュウリの漬け物をピクルス代わりに入れた「春ホッケの照りマヨバーガー」は15日のみ35個限定、1個200円で提供する。
問い合わせは同組合TEL0138・56・7615。
栃木
「梁田戦争」伝える地図作成 戊辰戦争、東日本最初の戦い
【足利】江戸から明治へと時代を変えた戊辰戦争で、東日本最初の戦いとなった「梁田戦争」を広く知ってもらおうと、梁田地区史料調査委員会(長谷川有三委員長)は歴史マップ3千部を作成し、約2千部を同地区に配布した。長谷川さんは「地域の人々が家族みんなで手にとってほしい」と話している。
1868年3月9日、江戸城陥落を目指す官軍約200人は、梁田宿(現足利市)に滞在する旧幕府軍に攻め込んだ。旧幕府軍は朝食の準備中で奇襲攻撃に対応できず、約900人の大軍はわずか4時間で敗退した。この戦いには後に海軍大将となる川村純義(官軍)らが参加し、会津、五稜郭の戦いなどにつながっていく。
長谷川さんは、市職員時代に史跡足利学校遺跡図書館の館長を務めた。公民館や小学校などで梁田戦争の話をすると、後日、子どもたちから「お母さんやおじいちゃんも知らなかった」と聞かされた。
そこで梁田地区の歴史を広く伝えるため1996年、同委員会を発足。梁田公民館に史料展示室を作るなど活動してきた。歴史マップは、自治会からの助成金などを使い、8年掛かりで完成させた。
マップには周辺の寺院や石碑のほか、梁田戦争の解説や、坂本竜馬を暗殺したとされる今井信夫(旧幕府軍)など戦争に参加した人々が紹介されている。
サイズはA3判、蛇腹折りの両面カラー。残りの1千部は梁田公民館などで無料配布している。
問い合わせは梁田公民館電話0284・71・1872。
長野
象山ゆかりの地巡り ツーデーウオークを22・23日開催
初夏の長野市を歩いて楽しむ「2010ながのツーデーウオーク」は、22日と23日に行います。5回目の今年は「坂本龍馬グランプリウオーク」の一環として開催。同市松代町を中心に、坂本竜馬の師であり、来年に生誕200年を迎える旧松代藩の幕末の先覚者・佐久間象山ゆかりの地を巡ります。
実行委員会と信濃毎日新聞社、日本ウオーキング協会の主催。22日は、象山ゆかりの3コースと「奥裾花自然園コース」(7キロ)を開催。このうち「象山 砲術コース」は、佐久間象山が大砲を試射した跡地(千曲市生萱)、象山が電信の実験をした旧松代藩鐘楼(長野市松代町松代)などを訪ねる22キロの最長コースです。
「象山 清滝コース」は14キロ。象山書の碑がある清滝阿弥陀堂、象山の墓がある蓮乗寺、象山神社など長野市松代町内を巡ります。「城下町松代コース」(5キロ)では、城下町の街並みと象山ゆかりの場所を歩きます。「奥裾花自然園コース」は、ミズバショウの群落を訪ねます。
「象山 清滝」「城下町松代」の2コースは23日も実施。同日は、戸隠神社奥社や鏡池などを巡る「戸隠コース」(10キロ)も行います。
「象山 砲術」「象山 清滝」「城下町松代」の3コースは長野市松代町の松代城跡に集合し、午前9時に出発。「奥裾花自然園コース」は奥裾花観光センター、「戸隠コース」は奥社参道入り口に集合して、それぞれ午前10時スタートです。
参加費は、2日間が大人2000円、中学生以下1000円。1日のみは各半額。小学生以下は保護者、障害者は介助者の同伴が必要です。
希望者は、住所、氏名、生年月日、電話番号、参加希望日とコースを明記し、ながのツーデーウオーク事務局へ、郵便(〒380-0935 長野市中御所1-53)か、ファクス(026・291・8614)で申し込み、参加費を郵便振替(口座番号00520-5-58816)で送ってください。当日参加も受け付けます。
問い合わせは、平日午前10時~午後5時に事務局(電話026・267・5818)へ。
静岡
しずおか観光大賞に「黒船祭」 21日に表彰
県観光協会はこのほど、観光地の新しい魅力づくりなど独創的な取り組みを表彰する「第11回しずおか観光大賞」に、下田市の「黒船祭」を選出したと発表した。21日に静岡市内で開く県観光協会総会で表彰する。
「黒船祭」は歴史行事の継承のほか、幕末絵巻の仮装パレードなど工夫を凝らした参加型イベントを行い、国際親善やにぎわいづくりに貢献していることが評価された。
また、奨励賞・ほろ酔いにぎわい賞に「藤枝居酒屋グランプリ」(藤枝市)、同・食のまちづくり賞に「富士山しらす街道事業」(富士市)、特別賞の伝統・文化継承賞に「島田髷(まげ)まつり」(島田市)がそれぞれ選ばれた。
山口
おお第九の友よ 独で再会/山口市
◆山口の合唱団と独の楽団 合同コンサート 今年も
山口市の合唱団、第九を歌う会「アン ディ フロイデ」(上田美子代表)が今月、ドイツ・マンハイム市の「マンハイム青少年交響楽団」と合同でコンサートを開くことになった。両団体は昨春、山口市で合同コンサートを開き、きずなを深めた間柄。1年ぶりの合同のステージを、上田さんらは楽しみにしている。
(箕田拓太)
(中略)
この交流コンサートの際、同楽団のメンバー約80人は日本に1週間滞在。「歌や観光だけではもったいない」と、同楽団から希望のあった原爆ドーム訪問のほか、箏曲、茶道の体験など大内文化に触れる機会も盛り込んだ。最終日の「別れの会」では、福島県に伝わる「白河踊り」を一緒に踊った。幕末の戊辰(ぼしん)戦争で戦った歴史のある長州藩と会津藩の友好を願って、山口市の平川地域で受け継がれる踊り。「この子たちは決して戦争をしないだろう」。説明に真剣に耳を傾け、体を動かす青年らを見た独楽団の関係者がそう漏らしたと通訳から伝え聞き、上田さんの胸にも熱いものがこみあげたという。
香川
高松城“石材工場”発見
屋島の東斜面
高松市屋島の東側斜面で、高松城の修築用とみられる石切り場が見つかり、市教委が発表した。同城の石切り場が特定されるのは初めて。何らかの理由で使用されなかった加工途中の石も多数出土しており、市教委は「採掘から加工まで行う〈巨大石材工場〉だったのでは」とする。
発表によると、標高60~120メートル付近の国有林で、縦横約1~1・5メートルの石約30個が見つかり、周囲には破片も散乱していた。石には割るためのくさびを打ち込む「矢穴」があり、一部は天守台などの四隅に使われる方形の「角石(かどいし)」と推定されるという。
高松城の石垣は、初代藩主・松平頼重(1622~95)による1645年の工事を手始めに、南海地震で被災した幕末まで何度か修築された。しかし、石切り場については、小豆島などの島々や同市庵治町など諸説あり、文献資料もないため特定されずにいた。
今回出土した石は、同城の石垣とほぼ同じ組成の花こう岩で、「矢穴」も残っていたことなどから石垣用に切り出されたものと断定された。市教委は「矢穴の大きさが微妙に違い、複数の工事でこの地の石が採用されたのではないか」と推測している。
高知
「人斬り以蔵」初の命日祭…ファンも祈り
幕末に「人斬(き)り以蔵」と恐れられ、処刑された岡田以蔵(1838~65年)の初めての命日祭が11日、高知市薊野北町の真宗寺山の墓前で開かれた。
地元住民らが約5年をかけて墓の周辺を整備。死後145年にして“光”が当てられた墓前には、坂本龍馬ブームもあって約50人のファンや住民らが訪れ、時代に翻弄(ほんろう)された若い志士の冥福を祈った。
以蔵は土佐藩の郷士で土佐勤王党に参加。藩重臣・吉田東洋の暗殺を捜査していた役人井上佐一郎らを次々に暗殺したとして、慶応元年閏(うるう)5月11日(旧暦)、打ち首となった。
墓は山中にあり、訪れる人はいたものの、竹やぶが茂って見つけにくかった。地元住民グループ「薊野コミュニティ計画推進市民会議」のメンバーらが、案内板を設置するなどして、史跡を巡るコースとして整備した。
以蔵の本名「岡田宜振(よしふる)」と刻まれた墓石に、参加者が花を手向けるなどした。追悼の尺八演奏も行われた。以蔵の遠縁にあたる坂本正宏さん(72)は「人斬りと呼ばれ、歯がゆい思いをしてきたが、人一倍忠誠心の強い人だった。多くの人が集まってくれ、感激している」とうれしそうに話した。高知市塚ノ原の主婦近藤美那子さん(27)は「何度かお参りしようとしたが、場所が分からずたどり着けなかった。つらい生き方だったろうけど、今日は墓の下で喜んでいるはず」と話していた。
土佐の維新志士・吉村寅太郎、高知の生徒が東吉野で墓参
高知県津野町立東津野中学校(竹田章男校長)の2年生24人が12日、同町出身で天誅(てんちゅう)組3総裁の一人、吉村寅太郎が眠る東吉野村の墓所を訪れ、明治維新の大業を見ずに27歳で生涯を終えた郷里の志士の遺徳をしのんだ。
寅太郎は土佐藩出身の幕末の志士で、土佐勤王党に参加し、文久2年(1862年)に脱藩して討幕に奔走した。藤本鉄石(岡山藩脱藩)らと大和五條(現五條市)で挙兵したが政変で幕府軍に追われ、東吉野村内で最期を遂げた。同村や天誅組顕彰会などが慰霊碑を建立。同中学校は2003年から、修学旅行を利用して墓参りをしている。
生徒たちは、墓前で同村の阪本基義教育長から、武士としての切腹を許されず、銃殺された寅太郎の最期の様子などを聞いた後、神妙な様子で手を合わせていた。上田颯(はやて)君(14)は「志半ばで最期を遂げ、さぞ無念だったでしょうね」と話した。
佐賀
佐賀の大名行列、再び米へ NYで幕末使節団再現
佐賀市の佐嘉鍋島三十六萬石大名行列まつり推進委員会(野中弘義理事長)が、6月にニューヨークで開かれる「ジャパンデー@セントラルパーク」に参加する。4月にサンフランシスコであった桜祭りに次ぐ〝アメリカ出張〟で、マンハッタンの摩天楼を背景に日本伝統の大名行列を披露する。
ジャパンデーは日米市民の交流促進などを目的に2007年に始まり、前回は4万5千人が「日本」を満喫した。ミニマラソンと日本の伝統文化を紹介・体験するフェスティバルの2部構成で、大名行列はメーン行事の一つとなる。
日米修好通商条約批准のため、遣米使節団がニューヨークを訪問して150周年。「本物の日本文化を紹介したい」と考えた実行委員会が、ネットで桜祭り出演を伝える佐賀新聞の記事などを見つけ、出演を要請した。
招待を受けて推進委からは3人が渡米。現地での参加者を加え、50人規模の行列となる見込み。6月6日の本番では正使、副使、目付の遣米使節団は烏帽子(えぼし)姿で登場。その後ろを羽織や陣笠(じんがさ)など江戸時代の装束に身を包んだサムライが1・5キロを行進する。正使は駐米大使がふんする予定。
150年前の使節団を再現するため、鍋島藩の家紋の付いた提灯(ちょうちん)や掛け声などはなく整然とした行列となるが、野中理事長は足の運び方や目線の位置など「当時の大名行列を忠実に再現したい」という。
思いがけない2度目の渡米に野中理事長は「日米友好の橋渡しになる一方、佐賀藩を代表とする正統なサムライ文化を伝えたい」と意気込む。
【写真】「侍パレード」を披露する野中弘義理事長(中央)ら=4月18日、米サンフランシスコ
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(61)東大教授・山内昌之 田宮如雲
■捨て身の忠誠心
多くの人びとは、鳩山由紀夫首相の沖縄県知事や首長との会談、徳之島3町長の官邸招請に素朴な疑問を感じたに違いない。せっかく、現地に出かけて県民と対話し、首長とも面談するというなら、なぜもっと早いタイミングを選ばなかったのだろうか、と。
地元の首長や住民がこぞって普天間基地移設に厳しい反応を示しているのに、わざわざ言葉を冗長に重ねるだけの旅に、なぜ出たのだろうか。普天間第二小学校で首相に向かって「くとぅばじゅんぢけ」(言葉を大事に使いなさい)と諭した女性の毅然(きぜん)とした表情が印象的であった。
首相にも同情すべき点がある。それは捨て身で首相を守ろうとする人が周りにいないことだ。今更ながらに首相は、母親からの寄付疑惑の責任を沈黙とともに背負った勝場啓二・元公設第一秘書や芳賀大輔・元政策秘書の“捨て身の忠誠心”を懐かしんでいるかもしれない。かれらの鳩山家への尊敬心や信頼感とまで言わずとも、いまの官邸に“慇懃(いんぎん)恭敬”の念が乏しいことも普天間問題の混迷を深めた一因にほかならない。
◆どこまでも慶勝とともに
幕末維新の危機に、捨て身で主君と藩の利益を守った人間として尾張名古屋の田宮如雲が挙げられる。8代将軍吉宗との暗闘に敗れ、一度も将軍を出せなかった徳川御三家の尾州(尾張)藩は、11代家斉の子などを押し付ける幕府に複雑な感情を抱いていた。支藩の高須松平家から本藩に徳川慶勝を迎えるために「金鉄組(党)」という同志集団をつくった如雲は、幕府寄りの家老や重臣に嫌われ、生涯に転補21回、解職6回、幽閉3回ともいわれる辛苦をなめた。
その間に慶勝を尾州藩主に迎えることに成功しながら、主君が大老井伊直弼に嫌われ、隠居を命じられると、自分も隠居処分を受けるなど、どこまでも慶勝と浮沈を共にした。井伊直弼が殺害されると、慶勝と一緒に政局にカムバックした如雲は、尾張徳川家の矛盾した立場を調整しながら、幕末の難局に対処する。
慶勝は御三家筆頭にして将軍・慶喜のいとこであり、2人の実弟たる松平容保(かたもり)(会津藩主)が京都守護職、松平定敬(さだあき)(桑名藩主)が京都所司代として佐幕派のリーダーだったことを考えれば、流動する政局で薩長に対抗する徳川の有力藩屏(はんぺい)になることは必至と思われた。
◆佐幕派14人斬首の粛清
しかし、藩内では、「金鉄」を溶かす比喩(ひゆ)で名付けられた「鞴(ふいご)党」と「金鉄組」との政争も激しく、藩論は容易にまとまらなかった。京都に出ていた如雲は鳥羽伏見の戦い以後の政治情勢を観望しながら、藩論を勤王に統一することを慶勝に説いた。尾州藩の帰趨(きすう)を猜疑(さいぎ)のまなこで見ていた薩長の批判をかわすために、慶勝は佐幕派の元凶と思われた重臣3人を含む14人を斬首、20人を処罰した。この粛清がいわゆる“青松葉事件”にほかならない。
如雲は、東海道を東下して倒幕に向かう新政府軍に中立や傍観をきめこむ難しさを痛感したのだろう。そこで、藩祖・義直(家康の九男)が尊王思想を語った『軍書合鑑』に兵乱が起きれば「官軍に属すべし」とあり、徳川一門のよしみで「朝廷へ弓を引くべからず」と戒めていた故実を引いて、藩論統一をはかったのだろう。
そして、何事も如雲は慶勝第一という方針を貫いたのだ。尾州藩の幕府に対する近さへの岩倉具視の猜疑心、慶勝が総督となった第一次幕長戦争で重臣3人を入れた14人が切腹・斬首になった長州藩の報復感情の強さを肌で感じたのは如雲である。坪内逍遥が、如雲を木戸孝允や西郷隆盛にも憶(おぼ)えられた「傑物」だというのは、このあたりの機微も含んでいる。
◆認められなかった尾州藩
これだけ新政府に忠誠を尽くしても、新政府は尾州藩を認めなかった。紀州藩ならまだ津田出(いずる)や陸奥宗光も出たが、尾州はまったく目立たない。時代を下げても大臣は田中不二麿や加藤高明くらいのものだ。
とはいえ、如雲は、1871年に死ぬまで、まかりまちがえば幕長戦争の恨みで長州に報復されかねない慶勝を守り抜いた。如雲のような側近はすぐつくれるものではない。政治とカネ、普天間問題。鳩山政権を揺さぶる2つの問題は、ヒトの面でも搦(から)め手で結びついているといえよう。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】田宮如雲
たみや・じょうん 文化5(1808)年、尾張生まれ。12代藩主徳川斉温(なりはる)の死後、尊攘派・金鉄組の中心として、支藩高須松平家の高須秀之助(のち徳川慶勝)の尾州藩主擁立を目指す。活動をとがめられ左遷されたが、慶勝が襲封すると、側近として勘定奉行などを務め、藩政改革を補佐。慶勝とともに浮き沈みをともにした。大政奉還後、朝廷に参与として出仕。版籍奉還後、名古屋藩大参事となった。明治4(1871)年、死去。享年64。
文化芸能
NHK次期朝ドラ『てっぱん』追加キャスト17名発表 安田成美が『春よ、来い』以来2度目の朝ドラ出演
NHKは12日、今秋からの朝の連続テレビ小説『てっぱん』(NHK総合・前8:00~ほか)でお好み焼き屋を開業する主人公・村上あかり役の瀧本美織 、あかりの祖母・初音役の富司純子に続く追加キャスト17名を発表した。急逝したあかりの母親に代わって、あかりを我が子同然に育ててきた母・真知子を安田成美が演じる。安田は『春よ、来い』以来、2度目の朝ドラ出演。あかりの父・錠には遠藤憲一、あかりの長兄に遠藤要、次兄に森田直幸が決まった。
(中略)
一方の遠藤は「デビュー作が、以前のNHK大阪の建物で収録した新選組の話でした。それ以来のNHK大阪なので、新鮮な気持ち」と感慨深げに話したかと思えば、「20代前半で、東京の連続テレビ小説のオーディションを受けたこともあったのですが『朝の顔じゃない』って言われて落っこちた。今は、もっと恐い顔しているので、本当にオレでいいのかな?という感じがするのですが」と笑いを誘った。
エンケンさん、デビュー作は『壬生の恋歌(リンク先はwikipedia)』なんですね。こちらは未見です。テレビ東京『壬生義士伝~新選組で一番強かった男~(リンク先は同じくwikipedia)』の永倉新八役がとてもよく似合っていたので、ちょっと気になる役者さんです。
六代目三遊亭圓生の落語を聴いていて、「昔の人の手紙の中には狂歌のひとつもないと」という解説が入ってました。その瞬間に「報国の 心わするる 婦人哉」という句が頭に浮かんでしまう自分って^_^;……狂歌でなくて戯れ句じゃん(汗)。
狂歌といえば太田蜀山人。「それにつけても金の欲しさよ」、……どんな上の句にも付けられる上、どんな風流もぶちこわしてしまう破壊力(苦笑)。
静岡
茶文化の魅力体験 都内参加者ら静岡を堪能
14日から黒船祭 “幕末の下田”多彩に
三重
幕末の桑名藩主ら紹介 市博物館で「龍馬の駆けた時代」展
香川
高松・屋島に「石切丁場跡」 高松城修復に使用か 市教委発見
高知
岡田以蔵:脚光、人斬り以蔵 初の命日祭、生涯しのぶ--高知・真宗寺山 /高知
長崎
HTB龍馬伝館が入館5万人突破 リニューアル奏功、予想より早く
鹿児島
薩摩琵琶歌本を復刻
狂歌といえば太田蜀山人。「それにつけても金の欲しさよ」、……どんな上の句にも付けられる上、どんな風流もぶちこわしてしまう破壊力(苦笑)。
静岡
茶文化の魅力体験 都内参加者ら静岡を堪能
茶の魅力などを体験する宿泊ツアー「静岡の歴史と文化発見の旅」が11日、静岡市で開かれた。東京都で茶道具の販売を手掛ける忘水庵(本田泰士代表)が主催。都内や県内から参加した約40人が、徳川家康が愛した駿府公園などを巡った。
一行は同公園の紅葉山庭園茶室で茶会を楽しみ、幕末の僧侶太田垣蓮月作の掛け軸なども優雅に鑑賞した。本田さんは貴重な茶器の数々を紹介し「茶会は日本にしかない貴重な文化」と話した。
SBS学苑講師黒沢脩さんの案内で駿府城の巽櫓(たつみやぐら)や東御門も見学。家康ゆかりの寺院や三保の松原にも足を運んだ。12日も市内の名所を巡る。
14日から黒船祭 “幕末の下田”多彩に
開国の地で日米関係の構築に尽くした先人たちの偉業を顕彰するとともに、世界平和や国際親善を願う「第71回黒船祭」(同祭執行会主催)が14~16日まで、下田市内で開かれる。国際色豊かな記念式典やパレードをはじめ、下田港が開港した幕末当時の歴史を感じさせる多彩なイベントが繰り広げられる。
祭りの中心となる記念式典とパレードは15日に実施を予定。両国の行政関係者が下田公園内の記念碑に献花した後、参加者が在日米軍や海上自衛隊所属の音楽隊に引率された20台以上のオープンカーに乗って市街地をパレードする。
また、祭りの期間中は「幕末タイムスリップ」と題し、市内商店街の有志が和服姿などで観光客を出迎える「開国市」などが開かれるほか、16日には時代衣装の着こなしなどを競う「第1回世界大会幕末コスプレショー&下田龍馬くんコンテスト」も開かれる。
問い合わせは同市観光協会〈電0558(22)1531〉へ。
三重
幕末の桑名藩主ら紹介 市博物館で「龍馬の駆けた時代」展
幕末の桑名藩の活躍などを紹介する企画展「幕末×(かける)桑名-龍馬の駆けた時代」が、桑名市京町の市博物館で開かれている。入場無料。30日まで(月曜休館)。
幕末の桑名藩主で京都所司代を務めた松平定敬(さだあき)と兄の会津藩主松平容保(かたもり)の動向や、戊辰(ぼしん)戦争で旧幕府側として転戦した桑名藩士の行動、当時の文化などを所蔵品104点で紹介している。
定敬時代に京都所司代が使った書類箱、勝海舟や山岡鉄舟らの書、「電気治療機」(エレキテル)などを展示。定敬がしたためた短冊や幕末の桑名を描いた浮世絵、刀剣などもある。
22日午後2時から、学芸員による展示説明を開催する。「激動の時代を駆け抜けた先人の足跡を追い、幕末という時代への理解を深めてもらえればうれしい」という。
問い合わせは、桑名市博物館=電0594(21)3171=へ。
香川
高松・屋島に「石切丁場跡」 高松城修復に使用か 市教委発見
高松市教委は11日、屋島で、江戸時代に高松城修築などに使われた石材を切り出したとみられる石切丁場(いしきりちょうば)跡を発見したと発表した。高松城の石材産出場所はこれまで分かっておらず、城の歴史や当時の石材供給の実態解明につながると期待される。
石切丁場跡は、屋島東側の斜面(屋島東町、東西150メートル、南北300メートル)と、北端の丘陵部(屋島西町、東西100メートル、南北250メートル)の計2カ所で確認。いずれも、くさびを打ち込んだ「矢穴(やあな)」のある花こう岩や、切り出した石を成形したとみられる破片が多数見つかった。
東側斜面の石は、矢穴のサイズが高松城の石垣にある矢穴と一致。天守閣の石垣に使われた「角石」(角に置く立方体の石)によく似た形の石もあった。
市教委によると「初代高松藩主松平頼重が1645年から70年に行った高松城の大修築や、その後の補修で石を切り出していた可能性が極めて高い」という。
屋島の東海岸には石場という地名があり、市は「切り出した石を、ここから船で高松城に運んだのでは」と推測する。
北側で切り出した石は、幕末に屋島突端の岬に築造された砲台に使われたとみられる。
高知
岡田以蔵:脚光、人斬り以蔵 初の命日祭、生涯しのぶ--高知・真宗寺山 /高知
◇住民ら地域活性化へ、史蹟巡りコース整備
幕末に“人斬(ひとき)り以蔵”と恐れられた土佐勤王党員、岡田以蔵(1838~1865)の命日に当たる11日、高知市薊野北町1の真宗寺山にある墓前で、初めての命日祭が開かれた。龍馬ブームの中、高知を訪れる観光客が増えていることなどから、「地域の活性化につなげたい」と住民が企画した。映画や小説、舞台などで取り上げられ、根強いファンも多い以蔵。県内外から約60人が参列し、その生涯をしのび、思いを語り合った。【千脇康平】
同市中心部から車で約10分。大型電気店裏手にある真宗寺山には、岩崎弥太郎らを門弟に持った儒学者の岡本寧浦や、幕末土佐の絵師金蔵(絵金)、自由民権家で初代高知市長の一円正興など、高知を代表する先人の墓が点在する。
「大河ドラマに出てくるような山道ですね」。急な坂道を登りながら、参列者の一人がつぶやいた。竹やぶに囲まれた道はぬれた落ち葉に覆われ、滑りやすい。5分ほど歩くと、岡田一族の墓が数基並ぶ一角に出る。右端が以蔵の墓で、本名の「岡田宜振(よしふる)」が刻まれている。命日祭に参列した、以蔵の弟・登稔の妻の直系、小松義明さん(71)=高知市=によると、以蔵の墓は処刑後間もなく真宗寺山内の別の場所に建てられ、昭和40年代後半に現在の場所に移されたという。
「家族連れでも気軽に回れ、歴史が学べる場所にしよう」。市と連携し、住民主体のまちづくりを進める「薊野コミュニティ計画推進市民会議」で、真宗寺山の活用の話が出たのは03年のこと。同会議代表の西森一郎さん(79)ら中心メンバー数人で、「ふれあい史蹟(しせき)巡りコース」の策定を開始した。
何度も山へ入っては、所在が分からなくなっていた墓を捜索。元々あった道に加え、災害時の避難場所の市立泉野小学校へ抜ける避難ルート沿いにも墓があることが分かり、コースに追加。12の墓を選び、子孫らに了解を取るなどして昨年11月末、ようやく約2時間で回れるコースができた。
命日祭では、住職による読経の後、参加者一人一人が花などを手向け、手を合わせた。以蔵のファンで、広島県廿日市市から駆けつけた会社員、香川さおりさん(28)は「うれしいのと同時に、ちゃんとお墓を建ててもらえていたんだと安心した」。叔母が岡田家に嫁いだ、会社役員の坂本正宏さん(72)=高知市=は「人斬りというインパクトがあまりに強かったが、徐々に雪解けしている感がある。こんなに集まってくれてありがたい」と話した。
西森さんは「以蔵をしのぶと同時に、地域の発展に結びつくきっかけにもなった」と手応えを口にした。
長崎
HTB龍馬伝館が入館5万人突破 リニューアル奏功、予想より早く
幕末の志士、坂本龍馬の生涯を描くNHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなみ、佐世保市のハウステンボス(HTB)に2月27日開館した「佐世保・ハウステンボス龍馬伝館」の入館者数が11日、5万人を突破した。
5万人目は、熊本県阿蘇市の会社員、森永倫由(みゆき)さん(36)、妹で佐賀市の主婦、藤田理恵さん(34)。「龍馬伝」ファンという姉妹は初めて同館を訪ねたという。
同館前でセレモニーがあり、HTBの本山眞一郎パーク事業本部長とサンメールさせぼの内海幸子さんが花束と龍馬グッズを2人に贈呈。着ぐるみの「龍馬ちゅーりー」も祝福した。2人は「びっくりしました。うれしいです」と笑顔で話した。
同館は、ドラマの衣装や写真パネルなどを展示。先月28日からは内容を一部リニューアルし、大村湾で行われたドラマのロケの模様を紹介する写真パネルも並んでいる。
HTB宣伝部によると、5万人突破は、開館から74日目で、予想より22日早いという。1日当たりの入館者数は676人。ゴールデンウイーク期間中は1日当たり2500人が訪れ、HTBリニューアルの波及効果があったとみている。
一方、県内のほかの龍馬伝関連施設の5万人突破は、長崎市浜町の「長崎まちなか龍馬館」が1月2日の開館から98日目、同市立山1丁目の長崎歴史文化博物館内の「長崎奉行所・龍馬伝館」は1月9日の開館から48日目だった。
鹿児島
薩摩琵琶歌本を復刻
薩摩琵琶の歌詞をまとめた45年前に出版された本を、薩摩琵琶同好会龍洋会が復刻した。入門者には欠かせない教科書だったが、在庫が尽き、手に入りにくい状況になっていた。名人の演奏4曲を収録したCDも付いており、会の加治木道場代表、島津義秀さん(46)は「地元鹿児島で薩摩琵琶の伝統が続いていることを多くの人に知ってもらえるのでは」と話す。
本は「注解薩摩琵琶歌集 新装版」。龍洋会の創設者萩原龍洋氏が編集したもので、1965年、龍洋氏の喜寿を記念して会が出版した。西郷隆盛の活躍を描いた勝海舟作の「城山」など64曲の歌詞と、バチをどの弦にあてるかを示す弾き方の図が載っている。
薩摩琵琶は、16世紀に島津忠良が盲僧琵琶を改良して始めた。大きなばちを琵琶にたたきつける勇壮な演奏が特徴で、武士が自己修練のために習っていた。幕末、京都では、薩摩琵琶の会ということで藩士らが集まり、討幕の話し合いをしていたという。
維新後に東京に伝わり、大正時代には国民的な大衆音楽として広まったが、戦意高揚に使われたこともあり、戦後は演奏者が減った。演奏できる人は今、県内に20人程度、東京に約300人ほどという。それでも最近、女性や若者の入門希望者が出てきており、まず必要となる教科書の復刻を決めたという。
島津さんは「県内に薩摩琵琶を作れる人は1人しかおらず、材料の木も手に入りにくい厳しい状況。でも、今回の復刻で、一歩前に進めるのではないか」と話している。
本は3500円で、鹿児島市内の一部書店にも置かれる。問い合わせは龍洋会加治木道場(0995・62・5716)へ。
今日は土方さんの命日(新暦と旧暦の違いがありますが)。ちょうど五稜郭の桜が満開だそうです……土方さん、函館の空のどこかからご覧になってますか?
北海道
鮮やか…五稜郭公園サクラ満開
大阪
龍馬、見参!スポニチプラザで“龍馬博”PR始まる
広島
竜馬妻のつぶやき 曲に乗せ
山口
幕末維新村:下関にオープン 「志士らの稲荷町」PR 龍馬の部屋も再現 /山口
鹿児島
幕末・奄美の豊かな食紹介 「南方新社」出版
文化芸能
豪華な衣装で観客魅了 舞台「大奥」、6月に再演
北海道
鮮やか…五稜郭公園サクラ満開
函館海洋気象台は10日、函館市の五稜郭公園にある標本木のサクラ(ソメイヨシノ)が満開になったと発表した。平年より2日遅く、昨年より9日遅かった。同公園では堀の外周が淡いピンク色で彩られた。公園内を行き交う人々は、「きれいだね」「花びらが落ちていないから満開なんだね」などと会話しながら、携帯電話やデジタルカメラで、熱心にサクラを撮影していた。
今年のサクラは5日に開花し満開まで5日掛かった。前日の9日はまだ6分咲きだったが、好天のまま天候が推移したことで、一気に満開を迎えた。
同公園駐車場には札幌、旭川などの道央、道東圏のナンバーの車が並び、公園内は修学旅行生や観光ツアー客でにぎわっていた。毎年夫婦で写真を撮りに来るという市内の男性(69)は、「サクラの色づき具合が華やかで、何回来ても良い」と満足そうな表情で話していた。
大阪
龍馬、見参!スポニチプラザで“龍馬博”PR始まる
幕末のスーパーヒーロー・坂本龍馬のふるさと・高知を同県内4会場で体験できる「土佐・龍馬であい博」(来年1月10日まで)の大阪でのPRイベントが10日、スポニチプラザ大阪で始まった。
身長1メートル73だったとされる龍馬の等身大の像がミニステージに飾られ、龍馬が姉の乙女にあてた手紙文(複製)や「新政府綱領八策」(同)など貴重な文献も。ほかにもNHKの大河ドラマ「龍馬伝」とタイアップした福山雅治のポスターなども多数展示され、入場者は食い入るように見入っていた。
尾崎正直高知県知事も同プラザを突然訪れ、展示を見学。「であい博は当初の動員目標を大きく上回る人気。高知市内のメーン会場だけでなく、サテライト3会場の動員も好調。龍馬ブームのおかげで、高知の知名度が全国的に高まっている。県内の人口は減っているが『地産外商』で頑張っていきたい」と力を込めた。
同県大阪事務所が2体作った龍馬の像は貸し出し依頼が多く、うれしい悲鳴。同事務所の観光担当チーフ・南香枝さんは「龍馬をきっかけに、であい博で岩崎弥太郎やジョン万次郎らの人物や歴史、食などを体験してもらえれば」と話す。
この日、先着100人に龍馬オリジナルの手ぬぐいがプレゼントされ、物産販売ではゆずこしょう、ゆずサイダーなどがよく売れている。
このPRイベントは16日まで同プラザで開催。
広島
竜馬妻のつぶやき 曲に乗せ
福山ばら祭のテーマ曲を手掛けた作曲家坪北紗綾香さん(28)=呉市=たちが、坂本竜馬と妻の竜を題材に新曲「幕末ツイッター」を作った。15日、今年のばら祭のコンサートで初披露する。
「あなたは青い海の話をしてくれた」「替え歌好きなの分かっているけど」…。激動の幕末を生きた竜馬を妻の目線で追い、つぶやくような歌詞。約4分半のゆったりとしたポップスになっている。
坪北さんは2006年5月、自作の「心に咲く花」がばら祭テーマ曲に選ばれた。ひろしまフラワーフェスティバルの「きんさいYOSAKOI」の基本曲を手掛けた広島市安佐南区の作曲・編曲家加藤健一さん(40)とともに、竜が得意とした弦楽器「月琴」で情緒たっぷりに奏でる。
【写真説明】加藤さん(左)の月琴に合わせて歌声を響かせる坪北さん
山口
幕末維新村:下関にオープン 「志士らの稲荷町」PR 龍馬の部屋も再現 /山口
幕末の志士らが闊歩(かっぽ)した「稲荷町」をPRする展示施設「幕末維新村」が10日、下関市赤間町にオープンした。坂本龍馬が妻お龍と住んだ一室「自然堂」をイメージ豊かに再現するなど「龍馬が住んだ下関」もアピール。これまで光が当たっていなかった新しい下関の魅力を発信しようと趣向を凝らしている。
現在の赤間町、唐戸町、中之町のあたりはかつて稲荷町と呼ばれ、盛り場として繁盛した。志士らが飲んで遊んで、談論風発、維新の夢を語らった。
この地をアピールするため、フグ料理店「喜多川」の北川道雄社長が旧店舗を提供。まちおこしグループ「下関イベントネットワーク協議会」や旅行関係業者でつくる「関門関旅会」などが昨春から準備してきた。
2階建てで、1階は腰かけてくつろげる休憩スペース。見どころの2階には、龍馬とお龍が143年前、約400メートル東の大旅籠(はたご)屋、伊藤九三邸=阿弥陀寺町=に間借りした3畳間「自然堂」も再現した。2人が横になるのがやっとの狭さで、龍馬の雌伏の時がしのばれる。
狩野芳崖の父、狩野晴皐が描いた1830年ごろの下関の絵図コピーや志士らの写真約50点も展示。「幕末博物館」の風情だ。
2階の展示鑑賞料は200円。営業は午前10時~午後5時で水曜定休。【取違剛】
鹿児島
幕末・奄美の豊かな食紹介 「南方新社」出版
江戸時代末期の鹿児島県・奄美大島の食文化を紹介する「名越(なごや)左源太の見た 幕末奄美の食と菓子」が南方新社(鹿児島市)から出版された。薩摩藩の役人をもてなした鶏飯のルーツや黒砂糖の菓子作りなど、奄美の豊かな食をうかがわせる内容になっている。
著者は、東京の老舗菓子「虎屋」資料室勤務の今村規子さん。1850年(嘉永3年)から約5年間、小宿村(現奄美市名瀬小宿町)に遠島された薩摩藩士名越左源太が著した「南島雑話」「大島遠島録」(日記)を基に本土と異なる奄美の食文化を考察している。
本では、左源太が日記に書いた島民との交流から食を再現。奄美独特の鶏飯が江戸時代の料理書に散見され、具材をご飯で包んで汁をかけて食べる「包飯(ほうはん)」がルーツではないかと指摘している。
また、島民は当時、黒砂糖を食べることを禁じられていたが、黒砂糖を使った菓子類が家ごとに作られていたことも紹介している。
東京生まれの今村さんは「左源太の日記に菓子や食に関する記述がふんだんに出てくる。日記の舞台になった奄美の魅力にすっかりはまってしまった」と書いている。
四六判、263ページで1890円。全国の主要書店で販売中。南方新社=099(248)5455。
文化芸能
豪華な衣装で観客魅了 舞台「大奥」、6月に再演
江戸城に暮らす女たちを描き、フジテレビ系で放送されて大ヒットしたドラマの舞台版「大奥」(浅野妙子脚本、林徹演出)が6月2日から、東京・浜町の明治座で再演される。
舞台版「大奥」は、幕末の13代将軍家定、14代将軍家茂の時代設定で、実在した大奥総取締、瀧山(浅野ゆう子)が主人公。家茂のもとに嫁いできた皇女・和宮(安達祐実)、家茂の生母、実成院(多岐川裕美)ら権力と美を競い合うさまざまな女たちの愛と憎しみが描かれる。
「瀧山の生き方、考え方がすてき。毎日、肩をたたかれて、頑張りなさいといわれるような気がします」と主演の浅野は言う。
明治座では平成19年に上演され、その後は全国を回り、多くのファンを魅了した。この作品では女優たちが着用する豪華な衣装も注目だが、今回も浅野が着る「爪掻(つめか)き本綴(つづ)れ縫(ぬ)い箔(はく) 孔雀(くじゃく)文様打掛」の豪華さが観客を驚かせそうだ。
6月27日まで。7月は福岡・博多座、11月は大阪・松竹座でも上演される。
今日は、今年に入って訪れた幕末史跡の訪問記まとめを本宅にアップできました。
久しぶりにIBMホームページビルダーに触ったなぁ……ブログに慣れてしまうと、ファイル転送でのちょっとしたトラブルでもおたおたしてしまいます(汗)。とりあえず応急的に対応しましたが、ビルダーの転送設定を修正しなければならないかも……(汗)。
北海道
館戦争行列 迫力の殺陣
東京
時代超え 勇姿堂々と “ふるさと”日野で新選組まつり
大阪
坂本龍馬も気に入る? 大阪市の造幣局で「龍馬硬貨」の打ち初め式
「龍馬であい博」スポニチプラザ大阪で“きょう開幕”
リンク先、広告サイトで音が出る様子です。お気を付けください。
高知
岡田以蔵:刑死後145年、初の命日祭 高知・真宗寺山
<岡田以蔵>初の命日祭、高知の墓前で 人斬り以蔵、思い伝えたい 「龍馬伝」でファン増
山口
【ふるさと便り】「幕末維新村」オープン 山口・下関
久しぶりにIBMホームページビルダーに触ったなぁ……ブログに慣れてしまうと、ファイル転送でのちょっとしたトラブルでもおたおたしてしまいます(汗)。とりあえず応急的に対応しましたが、ビルダーの転送設定を修正しなければならないかも……(汗)。
北海道
館戦争行列 迫力の殺陣
【厚沢部】第25回館城跡まつり(館観光促進会主催)が9日、厚沢部町の国指定史跡・館城跡公園で開かれた。
会場では、箱館戦争当時に館城周辺で繰り広げられた松前藩兵と旧幕府軍との激戦を再現する「館戦争行列」が披露された。両軍は観客の目前で大砲を撃ち合い、激しい斬り合いを繰り広げた。観客は城跡を行進する勇壮な行列に盛んな声援を送り、往時の激戦に思いをはせていた。
館城は松前藩の新たな居城として1868(明治元)年に完成。国内最後の城郭建築として、現在も発掘調査が続いている。箱館戦争で新政府軍に加わった18代目の藩主徳廣が入城したが、その直後に旧幕府軍の猛攻を受けて落城した。徳廣が城内に滞在したのはわずか10日ほどだったという。
同公園はサクラの名所で知られるが、春先から低温が続き、ようやくつぼみがほころび始めた。大勢の住民や観光客は、ジンギスカンに舌鼓を打ちながら、演歌歌手の近江亜矢さんによる歌謡ショーや、郷土芸能の当路鹿子舞(ししまい)などのイベントを楽しんでいた。
東京
時代超え 勇姿堂々と “ふるさと”日野で新選組まつり
日野市の街おこしイベント「第十三回ひの新選組まつり」(東京新聞など協力)が八、九日の両日、同市高幡の高幡不動尊境内などを会場に催された。九日は、隊士に扮(ふん)して市内を練り歩く呼び物のパレードが行われ、市民らを楽しませた。少年剣士らによる「八坂神社奉納試合」(同市剣道連盟・八坂神社主管、東京新聞後援)もあり、“新選組のふるさと”で力いっぱいの熱戦を繰り広げた。 (堂畑圭吾)
パレードには、四月二十九日の「隊士コンテスト」で参加者三十七人から選ばれた九人が近藤勇や地元出身の副長土方歳三、井上源三郎など幹部、隊士に扮した。市民や保育園児など総勢約六百人が高幡不動尊周辺と、八坂神社を出発して日野駅周辺をめぐる二つのコースを練り歩いた。
沿道では、馬上の土方歳三など、時代を超えた隊士らの勇姿に、市民らが盛んにシャッターを切っていた。
一方、同市日野本町の八坂神社境内で行われた奉納試合には、小中学校の少年少女剣士約五十人が参加し、技量を競った。
新選組誕生前の一八五八(安政五)年、後に局長となる近藤勇ら天然理心流一門が剣術の上達を祈念して、同神社に額を奉納した史実にちなんだ。
勝ち負けとともに礼儀、試合ぶりも評価に含まれ、子どもたちは気合のこもった竹刀さばきを見せた。近藤勇賞は、勇の子孫で天然理心流九代目宗家の宮川清蔵さん、井上源三郎賞は、源三郎の子孫の井上雅雄さんから、それぞれ入賞者に手渡された。奉納試合後には、同流の演武も披露された。
入賞者は次の通り(敬称略)。【近藤勇賞】小笠玄水(多摩平)【土方歳三賞】鈴木誠(東京至誠館)【井上源三郎賞】渋川大樹(多摩平)【東京新聞賞】今別府魁(日野警察)【八坂神社宮司賞】伊藤さくら(東京至誠館)森内勇樹(同)【日野市剣道連盟会長賞】広松大輔(錬成会館)小沼涼(万願寺)
大阪
坂本龍馬も気に入る? 大阪市の造幣局で「龍馬硬貨」の打ち初め式
幕末の志士・坂本龍馬の肖像をデザインした硬貨など、高知、福井、岐阜3県分の記念貨幣の打ち初め式が10日、大阪市北区の造幣局で行われた。
地方自治法施行60周年の記念貨幣で、千円銀貨と五百円硬貨の2種類。高知県の尾崎正直知事らが製造器のスイッチを押すと、真新しい硬貨が次々に出来上がった。
硬貨に実在の肖像を採用したのは高知県分の硬貨が初めて。尾崎知事は「龍馬は新しいものが好きだったので、本人も喜んでいるだろう」と話していた。
「龍馬であい博」スポニチプラザ大阪で“きょう開幕”
リンク先、広告サイトで音が出る様子です。お気を付けください。
幕末の風雲児、坂本龍馬の軌跡をたどる「土佐・龍馬であい博」のPRイベントがきょう10日、スポニチプラザ大阪で開幕。16日まで開催される。桂浜から太平洋を見据える龍馬の等身大(1メートル73)の銅像がやって来るほか、姉・乙女にあてた手紙文(複製)や「新政府綱領八策」など貴重な文献が展示される。
乙女への手紙は、寺田屋で負った傷を癒やすため妻・お龍(りょう)と薩摩へ新婚旅行に出かけたが、その時の様子を霧島山の写生を交えながら記したもの。ほのぼのとした龍馬の性格がしのばれる。
「新政府綱領八策」は龍馬が暗殺される直前、新政府の政体案を自ら起草。龍馬の「日本の夜明け」への熱い思いが込められている。そのほか、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」とタイアップした福山雅治のポスターや、高知県の魅力を紹介するポスターなどを多数展示。龍馬ワールドを堪能できる。
15、16日には、ミス高知キャンペーンレディーの江淵未来(みき)さんが来場し、来年1月10日まで高知県内4カ所で開催中の「土佐・龍馬であい博」と高知への旅をPR。四万十川のノリつくだ煮や塩ケンピなどの物産展も開催される。
高知
岡田以蔵:刑死後145年、初の命日祭 高知・真宗寺山
幕末に“人斬(ひとき)り以蔵”と恐れられた土佐勤王党員、岡田以蔵(1838~1865)の命日に当たる11日、高知市薊野(あぞうの)北町1の真宗寺山にある墓前で、刑死後145年にして初めての命日祭が開かれる。NHK大河ドラマ「龍馬伝」を機に墓を訪れる歴史ファンが増え、地元住民が企画した。
真宗寺山には以蔵を含む岡田家の墓のほか、三菱財閥創始者の岩崎弥太郎らを門弟に持った儒学者の岡本寧浦、絵師金蔵(絵金)ら高知を代表する先人の墓が点在する。歴史ファンが訪れることもあったが藪が多く、道も整備されていないため、墓までたどり着けない人もあった。
このため住民組織「薊野コミュニティ計画推進市民会議」が03年から山を歴史の学べる場所にしようと、子孫を捜して許可を得るなどして昨年11月、12の墓を巡るコースを造った。子供も歩ける約2時間の道で、人物の案内板も設置した。
西森一郎・同会議代表(79)によると、若者を中心に以蔵の墓を訪れる人が増え、お供えの花が絶えない。墓石は隣りあう一族の石より黒ずみ、「お酒をかけてあげる人がいるんでしょう」。これらの人気から、初の命日祭の開催を決めた。西森さんは「切るか切られるかの時代の中、信念を貫き通した以蔵に学びたい」と話す。
命日祭は墓前で午後2時から約1時間、岡田家の子孫も出席する予定。以蔵への思いを伝えあう意見交換会も行われる。【千脇康平】
<岡田以蔵>初の命日祭、高知の墓前で 人斬り以蔵、思い伝えたい 「龍馬伝」でファン増
幕末に“人斬(ひとき)り以蔵”と恐れられた土佐勤王党員、岡田以蔵(1838~1865)の命日に当たる11日、高知市薊野(あぞうの)北町1の真宗寺山にある墓前で、刑死後145年にして初めての命日祭が開かれる。NHK大河ドラマ「龍馬伝」を機に墓を訪れる歴史ファンが増え、地元住民が企画した。【千脇康平】
真宗寺山には以蔵を含む岡田家の墓のほか、三菱財閥創始者の岩崎弥太郎らを門弟に持った儒学者の岡本寧浦、絵師金蔵(絵金)ら高知を代表する先人の墓が点在する。歴史ファンが訪れることもあったがやぶが多く、道も整備されていないため、墓までたどり着けない人もあった。
このため住民組織「薊野コミュニティ計画推進市民会議」が03年から山を歴史の学べる場所にしようと、子孫を捜して許可を得るなどして昨年11月、12の墓を巡るコースを造った。子供も歩ける約2時間の道で、人物の案内板も設置した。
西森一郎・同会議代表(79)によると、若者を中心に以蔵の墓を訪れる人が増え、お供えの花が絶えない。墓石は隣り合う一族の石より黒ずみ、「お酒をかけてあげる人がいるんでしょう」。
これらの人気から、初の命日祭の開催を決めた。西森さんは「切るか切られるかの時代の中、信念を貫き通した以蔵に学びたい」と話す。
命日祭は墓前で午後2時から約1時間、岡田家の子孫も出席する予定。以蔵への思いを伝えあう意見交換会も行われる。
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■ことば
◇岡田以蔵
土佐藩の郷士。土佐勤王党盟主の武市半平太に師事し、佐幕派の要人らを次々と暗殺した。藩による勤王党弾圧後、京都で捕まり高知に送られ、28歳で打ち首にされた。破滅的・悲劇的な生涯が小説や舞台、漫画などで取り上げられている。
山口
【ふるさと便り】「幕末維新村」オープン 山口・下関
幕末・維新期の“聖地”としての下関をPRしようと、山口県下関市に10日、「幕末維新村」がオープンした。坂本龍馬や高杉晋作らが闊歩(かっぽ)した当時の街の雰囲気が体感できる展示室や休憩所を備え、観光客のもてなしと情報発信を目指す。
地元のまちおこしグループや旅行業団体などが、幕末の志士ゆかりのスポットが多数残る唐戸地区の拠点づくりに企画・運営。ふぐ料理店だった建物を活用し、1階に無料休憩所、2階に有料(小学生以上200円)の展示室を設けた。
1階には、龍馬や晋作ら幕末・維新期に名を連ねた44人のイラストが壁面にずらり。ゆかりの地の酒類も販売する。2階は、龍馬が下関で暮らした「自然堂」や通ったとされる遊郭の一室などを再現。龍馬愛用の刀や銃の複製品も展示されている。
施設を運営する関門関旅会は「2階の展示は折々にテーマを変え、下関が幕末・維新期の中心地だった歴史を全国に発信したい」と話している。
水曜休館。問い合わせは(電)083・232・9338(13日から)。
暑かったですね。ひの新選組まつりのパレードに参加された方々は、さぞ暑かったのでは。
東京
ひの新選組まつり:局長・組長役10人、きょうパレード /東京
皇居観光人気じわり 都心で自然・歴史も実感
神奈川
都市発展記念館で「西洋館とフランス瓦」展-横浜生まれの近代産業
京都
石清水八幡宮:篝火御影を公開 元襲来で祈願? 京都
福岡
幕末・勤王の歌人 野村望東尼の遺徳しのぶ 幽閉先 糸島市姫島で慰霊祭
ブックレビュー
【書評】『勝海舟』松浦玲著
「龍馬はなぜあんなにモテたのか」 歴ドル美甘子さんが新刊
エンターテインメント
フィギュア「薄桜鬼 新選組奇譚 羅刹Ver.」抽選販売を受付中 by おとめん
東京
ひの新選組まつり:局長・組長役10人、きょうパレード /東京
新選組副長、土方歳三らの生地である日野市で8日、「第13回ひの新選組まつり」が開かれ、コンテストで選ばれた組長役の10人がお披露目された。10人は局長や組長として9日の隊士パレードを率いる。
10人は4月29日の隊士コンテストに応募した全国の36人から選ばれた。8日は中央公園でそれぞれ役になりきり、剣術など得意技を披露。集まった新選組ファンから熱い声援と拍手が送られた。
市民会館では、新選組にまつわる演劇や歌手、朝倉由美子さんらの歌謡ショーも開かれた。9日のパレードは午前に高幡不動、午後は甲州街道周辺であり、新選組の扮装(ふんそう)であればだれでも参加可能。土方役の宇都宮市、自営業、小堀恭嗣さん(27)は「過去最高のパレードにして、日野市と新選組に貢献したい」と張り切っていた。
まつりの情報はホームページ(http://www.shinsenhino.com)。【喜浦遊】
皇居観光人気じわり 都心で自然・歴史も実感
皇居・東御苑が観光客に人気だ。都心にありながら自然を満喫できるうえ、史跡も多く、歴史を実感できる。NHK大河ドラマ「龍馬伝」など幕末を扱った番組や書籍の人気も後押しする。入園者は昨年、九十七万五千人を数え、今年も四月末現在で前年同期を大きく上回り、年間百万人に達する勢い。規制エリアにある宮殿前や二重橋も観光できる「一般参観」では外国人の姿も目立っている。 (小鷲正勝、沢田千秋)
約二十一ヘクタールある東御苑には江戸城天守閣の石垣(天守台)が残り本丸や大奥跡が庭園として整備されている。月、金曜を除いて開放され、入園は無料。
宮内庁によると、入園者は二〇〇〇年に約五十五万二千人だったが、昨年は約九十七万五千人に。今年も四月末現在で約三十六万九千人が訪れ、前年同期の約三十五万人を引き離した。今年のゴールデンウイーク(四月二十九日~五月五日)には約五万六千人が訪れている。
「園内の樹木や花々に説明板が設けられ、宮内庁のホームページには開花状況のお知らせもある。リピーターが多いようだ」と同庁管理課。さらに「歴女」との言葉も生んだ歴史ブームは多くの若者を引き寄せている。
デジタルカメラの普及も大きな要因と指摘するのは、千代田区観光協会の印出井(いんでい)一美事務局次長。
「奥行きのある自然、大番所や百人番所などの建物、丸の内や大手町のビル群も望める被写体の宝庫。入園者がメールやブログで発信し、情報が共有されて入園を促す面がある」と語る。
一方、平日二回行われる一般参観は事前の手続きが必要。〇四年春からインターネットでも申し込め、英語版もあるため外国人の希望者が急増。今年四月末現在で三千六百人が参加し、〇五年同期に比べ三倍に増えた。
八日に娘二人と来園した栃木県佐野市のパート小畑雅代さん(49)は「テレビで見ていて、いつか来たかった。都心の真ん中なのに、緑がいっぱいで整備も行き届いていて、ここだけ別世界」と感動した様子。
都内で自営業を営む倉本美和さん(41)はインターネットで下調べをして訪れた。「桜やツツジなど季節の花が絶えず、いつ来てもいい。無料っていうのも大きいかも」と話していた。
神奈川
都市発展記念館で「西洋館とフランス瓦」展-横浜生まれの近代産業
横浜都市発展記念館(横浜市中区日本大通12、TEL 045-663-2424)で、横浜生まれの近代産業を紹介する企画展「西洋館とフランス瓦」が開催されている。
開港以後の洋風建築を特徴づける要素として、日本にはなかった煉瓦(れんが)や西洋瓦(フランス瓦)などの建設材料があげられる。幕末に来日したフランス人の実業家アルフレッド・ジェラールは、横浜山手に瓦工場を建設し、日本で初めてフランス瓦を製造した。
同展では、フランス瓦誕生の地の「山手のジェラール工場」を中心に、洋風建築の広がりの背景にあった黎明期の近代産業のすがたを紹介する。
展示は「ジェラールが伝えたフランス瓦」「横浜近郊の煉瓦工場」「発掘がすすむ近代遺跡」の3構成。
展示品は、御幸煉瓦製造所の鉄製銘板(川崎市市民ミュージアム所蔵)、画像「山本煉瓦製造所での作業風景」(高橋秀和さん所蔵)、フランス瓦の木製押型(植竹康之さん所蔵)、ジェラール煉瓦I型(同館所蔵)、銅版画に描かれたジェラール工場「日本絵入商人録」(横浜開港資料館所蔵)、青木周蔵那須別邸使用の和風煙道管(那須塩原市所蔵)、アメリカ海軍病院跡出土遺物(同館所蔵)ほか。
ジェラールの工場は蒸気機関を備えた近代設備が整い、彼の名前を刻んだフランス瓦や煉瓦、土管を製造していた。発掘調査などから、ジェラールの瓦は当時、横浜居留地を中心に多くの西洋館の屋根を彩り、東京方面にも広がっていたことが分かっている。
会場は横浜都市発展記念館の3階企画展示室。開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)。月曜休館。入館料は一般500円、小・中学生250円。開催は5月9日まで。
京都
石清水八幡宮:篝火御影を公開 元襲来で祈願? 京都
日本三大八幡宮の一つ、石清水(いわしみず)八幡宮(京都府八幡市)は、鎌倉時代の制作とされる曼荼羅(まんだら)「篝火御影(かがりびのみえい)」を9日から一般公開。同宮に残る江戸時代の古文書に、中国の元が襲来した弘安の役(1281年)で本殿に掲げ、亀山上皇らが敵の降伏を祈願したと記録されており、同宮は「祈願に使われた実物の可能性が高い」としている。
「篝火御影」は縦約84センチ、横約46センチの絹地で、掛け軸になっている。同宮に付属する大乗院に保管されていたが、幕末の「鳥羽伏見の戦い」で行方不明となった。07年8月、同宮敷地内の若宮社内で見つかり、修復作業をしていた。
曼荼羅には、中央上部に八幡神(応神天皇)が袈裟(けさ)を掛けて座り、剣と印板らしきものをかざす姿が描かれている。左右には仏を守る8神などが居並んでいる。額装から鎌倉時代の制作とみられ、室町時代の1431(永享3)年に大乗院に寄進されたとの裏書きがある。
同宮社務所書院で23日まで一般公開する。【玉置勝巳】
福岡
幕末・勤王の歌人 野村望東尼の遺徳しのぶ 幽閉先 糸島市姫島で慰霊祭
幕末の歌人で勤王家の野村望東尼が晩年流刑にされた糸島市志摩の姫島で8日、恒例の慰霊祭があり、志摩望東会(吉村勝会長)のメンバーら約60人が遺徳をしのんだ。
福岡藩士の妻だった望東尼は、隠せいした平尾山荘(福岡市中央区平尾)で勤王の志士らと交流。1865年、藩の弾圧で姫島に幽閉されたが、翌年、長州藩の高杉晋作らの手配で救出された。
慰霊祭は望東尼が幽閉されていた旧跡で行われ、松本嶺男市長も出席。吉村会長が「学ばなければならないのは高潔な人格と精神。ご慰霊に誠をささげる」との祭文を読み上げた。
姫島小と志摩中姫島分校の児童、生徒19人が望東尼の歌を合唱し姫島での日々をしのんだ。
ブックレビュー
【書評】『勝海舟』松浦玲著
■いよいよ好きになった
勝海舟に、かねてから親しみを感じていた。明治維新の立役者の中で、「勝さん」とさん付けで呼びたくなるのは彼だけであった。江戸城引き払いについて、都府というものは天下の共用物であって、決して一個人の私有物ではないといった勝さんはすばらしい。勝てない戦争は戦ってはならないという姿勢は、女性を大切にすることにもつながっていたと思う。その彼に、福沢諭吉はどうして厭味(いやみ)をいったのか。ぶ厚いこの本は、どこから読み出してもよいという自由さがあった。それは、勝海舟という一人の人間の幅広い魅力からきているように思われた。いつの時代の彼もいい。ただ咸臨(かんりん)丸の艦長になってからは、少し痛々しい。
せっかく艦長になったのに船酔いをして、使いものにならなかったというように一緒に航海した福沢諭吉は皮肉っている。真実は、どうだったのだろう。後の勝海舟、麟太郎は熱病を押して出発した。どうしても、アメリカ合衆国にいってみたかった。体調を気にしてくれたのは、アメリカ人士官の同乗者ブルックだけだったらしい。それからしても、福沢諭吉とは最初からウマが合わなかったことがわかるのである。船酔いは本当だった。しかし、麟太郎はただ寝ていただけではなかった。甲板上で、ブルックとのミーティングをしている。
しかし明らかに指揮権は、ブルックに移っていた。麟太郎が動かしたのではないことを皮肉る一方で、福沢諭吉はブルックには少しも助けて貰(もら)わなかったと強弁した。意識的な「嘘(うそ)」であると、この本には書かれている。日清戦争に勝利した後の臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の時期の福沢のナショナリズムに通じている、と著者の松浦氏は解説される。福沢諭吉は日清戦争を、文明(日本)の野蛮(清国)に対する戦いだとした。しかし、勝海舟は不義の戦争、道理から外れた戦争だと明治維新の関係者の中でたった一人、反対した。その後に三国干渉がくることも、勝さんにはわかっていた。足尾銅山鉱毒問題でも元が間違っていると、新聞にはっきりと書く彼はすがすがしい。いよいよ好きになった。(筑摩書房・5145円)
評・太田治子(作家)
「龍馬はなぜあんなにモテたのか」 歴ドル美甘子さんが新刊
歴史好きのアイドル「歴ドル」として活躍中の美甘子(みかこ)さん(26)が新刊「龍馬はなぜあんなにモテたのか」をKKベストブックから刊行した。
著者は小学生の時に漫画「おーい!竜馬」を読み大の坂本龍馬ファンに。歴史マニアの女子「歴女」の代表的存在として活躍中だ。龍馬ばりの紋服、ブーツ姿もなかなか決まっており、テレビや雑誌でその姿を見た人も多いだろう。
本著の触れ込みは「歴ドルが分かりやすく解説した幕末入門」。「男ぶりは悪いが女がほれる」と豪語した龍馬の女性関係を高知、江戸、京都、長崎とゆかりの地ごとに考察しつつ、近代国家づくりに尽力した龍馬の功績をひもといてゆく。龍馬の手紙の読み下し文や時代背景の平明な解説が随時織り込まれ、口語調の文章も親しみやすい。手軽で楽しい「龍馬・幕末入門」といえる。
著者は龍馬が女性に好かれた理由の一つを「女性に囲まれて育ったために女性の気持ちを理解できた」とみる。ただ、男性が最も気になる「龍馬がもてた理由」はやや突っ込み不足の感も。「歴女」ならではのユニークで鋭い分析も読みたかった。
新書判。価格は980円。
エンターテインメント
フィギュア「薄桜鬼 新選組奇譚 羅刹Ver.」抽選販売を受付中 by おとめん
コトブキヤより4月に発売されたワンコイングランデフィギュアコレクション「薄桜鬼 新選組奇譚」の羅刹Ver.の抽選販売が、ホビー情報サイト「とれたて!ほびーちゃんねる」にて開始されている。
コトブキヤより4月に発売されたワンコイングランデフィギュアコレクション「薄桜鬼 新選組奇譚」。ほびーちゃんねる女子部限定版の羅刹Ver.として、初回1,500セットの抽選販売が開始されている。申込みは2010年6月15日(火)までとなっている。
詳しい商品のレビューは、ほびーちゃんねる女子部にて公開予定。随時サイトを要チェックだ。
髪の毛と瞳のカラーリングを新たにした和装姿の土方歳三・沖田総司・斎藤一・藤堂平助の4人
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