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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 たまったポイントカードを買い物券に換えて半藤一利『幕末史』を買うつもりが、店頭になかったのでついついビジネス書を2冊買ってしまいました……『幕末史』は、また少しポイントを貯めてから買うことにします、とほほ(苦笑)。 

東京
大田ゆかりの志士ら紹介
タウン誌編集長が1冊に
 大田、品川の話題を扱うタウン誌の制作会社が、坂本龍馬や西郷隆盛、加藤清正ら、この地域にゆかりの深い幕末の志士と戦国武将を紹介する「戦国と幕末」を発行した。
 執筆したのは、タウン誌編集長の西村敏康さん(61)。大田区の池上本門寺に、加藤清正ら歴史上の人物の供養塔などが数多く残されていることから、歴史に関心を持ち、2年ほど前から取材結果をタウン誌上で20回近く特集してきた。
 「戦国と幕末」は、それをベースに最近のトピックスも盛り込んで仕上げた作品。坂本龍馬が品川にあった土佐藩下屋敷近くで黒船来航時に警備にあたったとされるエピソードや、大田区にある洗足池の風景を愛したという勝海舟が池付近に別荘を構えた逸話などを紹介し、大政奉還から明治維新への流れを作った立役者の1人、薩摩藩家老・小松帯刀については、大田区に住む子孫へのインタビューも掲載した。
 西村さんは「歴史を動かした人物で大田、品川に縁がある人がたくさんいることを知ってもらえれば」と話している。
 112ページで、980円(税込み)。大田、品川区内の書店などで販売中。

(2009年12月13日 読売新聞)

 地元なので今日書店で見かけ、手元に取って買おうかどうしようか迷いました。うーん、戦国と幕末に限定せずにもう少し地元ゆかりの歴史上の人物や史跡を取り上げたらよかったのに……というか、いわゆる歴史ブームが戦国や幕末に限定されていることを意識したつくりというのが、ちょっと不満です。
 そして、品川区の幕末ゆかりの地といえば品川沖のお台場! 行政区としては港区とか江東区だけど、品川の歴史に「お台場」は欠かせないと思うんだけどなぁ……坦庵先生こと江川太郎左衛門の項目がなかったので、ちょっとがっかり。
 源氏が旗を立てたことにちなんだ旗が丘八幡神社とか、洗足池も勝海舟ゆかりの地というだけでなく、日蓮上人が足を洗う時に袈裟をかけたと伝えられる袈裟懸けの松とか、源氏方の名馬池月があらわれたという伝承とか、新田義興が謀略にはめられて自害した矢口渡(平賀源内の歌舞伎『神霊矢口渡』はこの史実をもとに書かれた作品)とか……まだまだ興味深いところがたくさんあるんだけどなぁ。

京都
龍馬葬送の道?巡る
30人、近江屋から霊明神社へ

 幕末の志士・坂本龍馬の遺徳をしのぼうと、NPO法人「京都歴史地理同考会」「京都龍馬会」のメンバーら約30人が、142年前、龍馬が埋葬された日にあたる12日、当時の葬送コースを想像しながら歩くイベントを実施した。
 龍馬は慶応3年(1867年)11月15日に近江屋で盟友中岡慎太郎とともに襲撃され絶命。2日後に霊明社(現・霊明神社)に埋葬された。新暦では埋葬日が12月12日になるため、この日に企画した。
 参加者は近江屋跡地付近(中京区)を出発し、約2キロ離れた霊明神社(東山区)までゆっくりと練った。葬列の経路を示す史料はないが、八坂神社の南門では、京都女子大非常勤講師で歴史地理学者・中村武生さんが「当時からあり、葬列の人たちの目にもこの風景が映ったのでは」などと解説、参加者は当時に思いをはせながら歩いた。
 霊明神社では、村上繁樹神主に代々受け継がれている帳簿などを見せてもらい、勤皇の志士たちが霊明社に神としてまつられた経緯などの説明を受けた。
(2009年12月13日 読売新聞)


竜馬ゆかりの史跡 マップに
木屋町共栄会など企画

 京都市中京区の木屋町通沿いの商店主らでつくる木屋町共栄会(三条―四条間)と上木屋町会(二条―三条間)は、幕末ゆかりの史跡などを通じて、同通を紹介した「龍馬と歩く木屋町マップ」をつくり、11日から配布を始めた。

■舟入や土佐藩邸紹介

 共栄会ではこれまでに2度、マップを作製している。今回は、来年のNHK大河ドラマの主役が坂本竜馬であることから、竜馬にもゆかりの深い木屋町を、より多くの人に知ってもらおうと企画。上木屋町会も参加した。
 マップは現在の木屋町の地図に重なる形で、半透明のトレーシングペーパーに描いた幕末期の木屋町を紹介。現存する絵図や文献などと照合し、9カ所にあった「舟入」や土佐藩邸、商店などの場所も具体的に示した。加えて、両会に参加する125カ所の飲食店やビルの情報を掲載している。A5判で3万部を作り、会員の飲食店や観光案内所、旅行社などで配る。
 この日は商店主らが集まり、完成したマップを眺め「これで木屋町に来る人が増えるはず」と話し、マップの束を抱えて持ち帰り早速、配布を始めていた。


大阪
3枚の「大相撲通券」語る 明治の侠客 救済心意気
小林佐兵衛が興行

「大相撲通券」と印刷された、やや黄ばんだ紙が3枚、手元にある。「通券」とは入場券のこと。セットになった「寄附大相撲御案内書」は、大阪市北区真砂町(現・西天満)にあった、貧困者の収容施設「私立小林授産場」の支援をうたう。言わばチャリティー相撲だ。興行主の名は「小林佐兵衛」。幕末から明治にかけ、大阪で名をはせた侠客(きょうかく)だった。興行や土木請負だけではなく、消防業務を請け負う「消防頭取」を務め、慈善事業を行った。いくつもの顔を持つ、小林佐兵衛の足跡を追った。(関口和哉)

 伝記などによると、1830年生まれの小林は当初、明石屋万吉と名乗り、11歳で任侠(にんきょう)の世界へ。「勤王論」に共鳴して桂小五郎らを助けたこともあり、維新後は米相場で資産を築き、府知事の依頼で73年、消防頭取に就く。
 小林授産場は、地裁などが入る合同庁舎の西側にあった。自宅を開放して火事の被災者や貧困者らを収容、85年には府知事の認可を得て一時は300人以上の面倒をみた。
 寄付相撲は、1901年(明治34年)3月13日から10日間、ミナミで開催。料金は15銭(現在の1500円程度)だった。案内書は開催理由を、「授産場を自費のみで運営してきたが、予算もなく高齢となり、寄付を募って授産場を整理、改良すべしという忠告を受けたため」と説明する。
 16年後に87歳で死亡。その年、船橋半三郎編「小林佐兵衛伝」が刊行された。司馬遼太郎は、小林をモデルに小説「俄(にわか)―浪華遊侠伝―」を著し、そこに描かれた姿は破天荒で痛快だ。


 今では地元でも知る人は、ほとんどいなくなった。授産場があった場所について、西天満周辺に軒を連ねる商店などの人々に聞いても、首を振るばかり。ようやく出会ったのが幕末から続く質屋の4代目、一瀬禎三さん(86)。「直接は知らないが、祖父から店の筋向かいに小林授産場があったと聞いた。祖父は『慈善事業をたくさんして、たいしたもんや』と話していた」
 入場券と案内書は、西天満でそば店を営む高木浩也さん(49)が10月末に、京都市内の古美術商から入手した。高木さんは1909年に起きた「北の大火」の関連資料を収集。小林が大阪天満宮の類焼を防いだ、という言い伝えがあったことから関心を持った。「『東の(清水)次郎長、西の佐兵衛』と呼ばれた大親分だったらしい。地元にこんな人物がいたとは驚き」と言う。
 飯田直樹・大阪歴史博物館学芸員は「小林の実像を知る資料は少なく、入場券や案内書は貴重。行政がすべき貧困者の救済を侠客が行い、相撲という娯楽を利用していたことを裏付けている」と話す。
(2009年12月13日 読売新聞)


兵庫
小野そろばん銀幕デビュー 江戸期の会計用を再現
 来年冬に公開予定の映画「武士の家計簿」(森田芳光監督、堺雅人さん主演)で使う江戸時代のそろばん61丁を、小野市の播州算盤(そろばん)工芸品協同組合や伝統工芸士らが忠実に再現した。映画は加賀藩(金沢市)の会計担当で「算盤ざむらい」と呼ばれた実在の武士が主人公の物語。時代に合わせて上枠に二つ、下枠に五つの玉がある特別製。同組合は「映画を機に、古くからそろばんが果たしてきた役割などを再確認してほしい」と期待を寄せる。(金井恒幸)
 作られたのは、藩の財政などを担った「算用場」用など9種類。算用場用は縦11センチ、横42センチ、高さ3センチと、通常品と比べ1・5倍ほどの大きさで21けたある。時代を感じさせるため木目の明確な素材を使い、玉の色もやや黒くくすんだ感じに仕上げた。
 10月下旬に依頼を受け、同組合役員と伝統工芸士ら11人が、当時の資料などを基に約40日かけて製作した。
 小野市はそろばん生産で全国の6割以上のシェアがあり、年間約15万丁を製造。「播州そろばん」として伝統的工芸品に指定されている。
 同組合の宮永英孝理事長(58)は「映画がそろばんを見直すきっかけになれば」と話している。
 映画は今月、撮影が始まり、来年4月に完成予定。原作は磯田道史さんのベストセラー『武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新』(新潮新書)。


南あわじ市のシンボル「日本水仙」「黒松」に
 南あわじ市の「花」「木」などのシンボル案を、市内の各種団体代表者らでつくる「南あわじ市市民参画のまちづくり委員会」がまとめ、11日、榎本悟朗委員長が中田勝久市長に最終案を提言した。花は「日本水仙」で、木は「黒松」。ほかに市民音頭と市民憲章案も作成し、来年2月に開かれる市制5周年記念イベントで市民に披露する。
 淡路島内3市で唯一、市章以外のシンボルがなかったため、同委員会が約1年をかけ、部会に分かれて議論。シンボルには鳥や魚、野菜、昆虫なども検討したが「多く定めると混乱を招く」などの理由で、花と木に限定した。
 花では梅やツツジも候補に挙がったが、灘黒岩水仙郷が日本水仙三大群生地として全国的に知名度が高く、幕末から特産品であった歴史もあることなどから日本水仙を選んだ。木はユズリハやウバメガシを抑え、名勝慶野松原で保存、管理していく機運を高める狙いも含めて黒松を選定した。
 市民音頭は歌詞を公募し、市内外から集まった42点から、埼玉県の能登濱吉さんの歌詞を選んだ。諭鶴羽山や観潮船、淡路人形浄瑠璃などを盛り込み、5番まで。市内の作曲家がボランティアで曲を作り、子どもから高齢者まで気軽に踊れるような振り付けにした。
 市民憲章は、市民の判断と行動の規範となることや、朗読した時の響きの良さを考慮。旧三原郡4町が合併して誕生した経緯から、前文に「三原郡域を引きつぎ」の文言を取り入れた。
 この日は市中央庁舎別館で、市文化団体連絡協議会のメンバーが中心となって市民音頭も披露。榎本委員長は「市として誇れる立派なものができたと自負している。来年から本格的に市民に周知したい」と話している。
(橋本 薫)



広島
歌川国芳の四十七士展始まる<動画あり>
 「浮世絵で見る忠臣蔵~国芳の四十七士展」が12日、広島市中区のひろしま美術館で始まった。幕末の絵師歌川国芳が、赤穂浪士をいきいきと描いた50点など浮世絵62点が並ぶ。同館、中国新聞社の主催で1月17日まで。 討ち入りがあった今月14日に時期を合わせて開いた。広島市西区の美術愛好家徳井寛二さんのコレクションを中心に展示。美術館の宇田誠館長、中国新聞社の川本一之社長ら5人がテープカットした。
 赤穂浪士が題材の戯曲「仮名手本忠臣蔵」を基に1847年、国芳が描いた。陣太鼓を構える大星由良之助(大石内蔵助)、なぎなたを操る礒合重郎右衛門(磯貝十郎左衛門)など、実在の人物になぞらえた四十七士の勇壮な姿を描いている。

動画はこちら

【写真説明】ひろしま美術館で始まった「浮世絵で見る忠臣蔵~国芳の四十七士展」。個性的な赤穂浪士の姿が来場者を引きつける(撮影・奥村菜穂)


愛媛
【龍馬ゆかりの地を行く】志開いた「脱藩の道」 河辺
 高知との県境付近にある愛媛県西予市野村町の榎ケ峠に、「坂本龍馬の通りし道 武田鉄矢」と記された小さな石碑がある。俳優、武田鉄矢さんが龍馬を慕い、平成13年に訪ねたときのものだ。

 文久2(1862)年3月26日早朝、坂本龍馬は土佐藩の同志、沢村惣之丞とともに土佐の梼原(ゆすはら)村(高知県檮原町)の那須俊平、信吾父子の案内で「宮野々関」と「松ケ峠」の番所を次々と破り、同日昼ごろ、県境にある韮ケ峠(970メートル)を越えた。

 この峠で、信吾は1人で土佐に引き返したが、龍馬、惣之丞、俊平の3人は榎ケ峠を通って、肱川上流の大洲藩河辺郷(愛媛県大洲市河辺町)へ降りたとされる。「龍馬脱藩の道」として語り継がれるルートの一部である。

 榎ケ峠から南西に約2・2キロ進むと、北平という集落があり、谷底の天神社にたどり着く。


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 天神社は安永2(1773)年創建と伝えられ、参道には長さ約8・3メートル、幅約1・8メートルの屋根付き太鼓橋「御幸の橋」が架かる。橋は神社創建時に併せて架けられ、ケヤキ造りで屋根はスギ皮葺きだ。明治19年に復元され、県の民俗文化財に指定されている。

 梶川吉彦宮司(71)は「橋も周囲の景色も幕末とほとんど変わらないと思います。龍馬さんも、ここでひと休みし、ホッと浮世を忘れたかもしれませんね」と話す。

 御幸の橋の周辺地区は、ダム問題で注目される地区の上流に位置し、深刻な過疎・高齢化に直面、まちの活性化が大きな課題となっている。そんななか、河辺町では「龍馬脱藩の道」を観光文化資源として全国にアピールしようと、平成10年に韮ケ峠を越えて脱藩した龍馬、惣之丞、俊平の姿を描いた銅像「飛翔(ひしょう)の像」を建立。資料館「坂本龍馬脱藩之日記念館」も開設して、龍馬脱藩ルートを写真パネルや精巧な模型などで紹介している。

 地元住民らでつくる「龍馬脱藩の道保存会」も平成元年から毎年9月、河辺町内の龍馬脱藩ルート約15キロを歩くイベント「わらじで歩こう龍馬脱藩の道」を行っており、今年も全国から約300人が参加した。ボランティアで沿線の草刈りや弁当作りも行うなど、龍馬ファンと地域住民が一体となって盛り上がっている。


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 天神社を出発した龍馬は、再び険しい山道を登って泉ケ峠で1泊し、翌朝、五十崎(いかざき)(大洲市内子町)の宿間にたどり着いた。宿間は当時、伊予国第一の大河「肱川」の支流、小田川の港としてにぎわっていた。龍馬は宿間から川船で約37キロ下り、河口の港町、長浜(同市長浜町)に至った。

 このように、脱藩した龍馬の足跡が随所に残る河辺町周辺。来年にはNHK大河ドラマ「龍馬伝」が放映されることもあって、地元では龍馬ブームの再来に期待が高まっている。

 「来年は御幸の橋の屋根も葺き替え、観光客を迎えたい。訪れる人が増えると地元も元気が出ます」と天神社氏子総代の山本徳平さん(84)。大洲市河辺町支所職員の柴田学さんも「この地は、龍馬さんが新しい国づくりに向けて第一歩を刻んだところ。その志を全国からかぎ取りに来てほしい」という。




 「坂本龍馬脱藩の道」 文久2(1862)年3月24日、同志の沢村惣之丞とともに土佐藩を脱藩し、大洲藩の港町、長浜にたどり着いた坂本龍馬がたどった道程。境界を突破するために出発した高知県檮原町から愛媛県大洲市河辺町の泉ケ峠までの約49キロの旧街道は、「坂本龍馬脱藩の道」として保存されている。道程は標高500~1千メートルの急傾斜の連続だが、龍馬らはたった1日で歩き切ったという。当時の龍馬は28歳。この瞬間から、日本は明治維新に向かって大きく動き始める。(黒河仁朗)


高知
ジョン万次郎:生家復元へ 実行委員会設立--土佐清水 /高知
◇寄付集め来年9月完成予定 10月の「祭り」で市に寄贈
 ジョン万次郎の生家を出身地の土佐清水市中浜に復元しようと「ジョン万生家復元実行委員会」(会長、広田勝・土佐清水商工会議所会頭)が11日設立された。今月から来年6月末を目途に1000万円を目標に寄付を集め、来年9月末までに完成させる予定。来年10月の「土佐清水ジョン万祭り」で市に寄贈する。【真明薫】

 この日、土佐清水商工会議所で設立総会が開かれ、各種団体の代表ら17人が参加。会則や事業計画などについて協議した。詳しい生家の建設場所は未定だが、出身地の中浜には生家跡の碑が残っていることからこの近くに約66平方メートルほどの茅葺(かやぶ)きの民家を建築する予定。
 ジョン万次郎は168年前の天保12(1841)年に漁に出て遭難。米国の捕鯨船に救助され、米国で航海術や英語を学び帰国し、坂本龍馬など維新の立役者たちに大きな影響を与えた。万次郎が米国滞在中に暮らした捕鯨船のホイットフィールド船長の家は、聖路加国際病院の日野原重明理事長の提案で寄付を元に修復され、今年5月に記念館として開館している。
 広田会長は「米国では交流の家ができたのに本家本元に生家がないのは寂しい。全国に呼び掛けて復元をしたい」と話している。



島根
鏝絵見学 石見の魅力再発掘
 古民家や土蔵の壁に飾られたしっくい彫刻の鏝絵(こてえ)を見学するツアーが12日、益田市であった。市内などの18人が参加し、バスで約20カ所を巡った。
 ガイドは大田市の1級建築士渡部孝幸さん(59)。「新築祝いとして施主に贈った職人の心意気があふれる芸術作品です。改築で壊されることも多く、郷土の文化として見直してほしい」と説明した。
 参加者は、躍動感ある竜や鳳凰(ほうおう)などの鏝絵に見入りながら「身近に素晴らしい芸術があるとは知らなかった」などと感心していた。
 幕末から昭和初期に活躍した石州左官と呼ばれる石見地方の職人は、芸術性が高い鏝絵を数多く作り、市内で約70カ所確認されている。ツアーは観光資源として活用しようと、市などが企画。2月に2回開いた。

【写真説明】民家の土蔵に飾られた鏝絵を見学する参加者



山口
2009歳末点描:復興PR「ふくみこし」 護国寺が「大福行列」 /山口
 下関市上田中町、護国寺の年末の風物詩「大福行列」が12日、唐戸商店街やカモンワーフを練り歩いた。今年は商店街の復興が目的。約2時間、歴史ある商店街をPRしながら人々を元気づけた。
 「甲子大黒尊天像」を抱え、「ふくみこし」を担いで練り歩く祭りで29回目。今年は西嶋好文住職(59)が「幕末で商店街復興を」と提案。新たな行列を企画した。
 坂本龍馬が商店街近くの花街「稲荷町」で遊んでいたことにちなみ、「幕末維新村」などと書かれたのぼり約80本を沿道に。また、幕末の奇兵隊の格好をした大学生2人も行列に参加し、「志士の愛した唐戸商店街」をPRした。
 大黒尊天像が通りかかると、みんな笑顔。唐戸商店会の中尾弘明会長(79)は「大黒様をきっかけに、頑張っていきます」と話していた。【尾垣和幸】


佐賀
大河ドラマ「龍馬伝」あやかれ 「佐賀藩丸ぼうろ」発売
 竜馬ブームにあやかれ─。佐賀市の本村製菓が、2010年放送のNHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなんで「佐賀藩丸ぼうろ」を発売した。パッケージに「龍馬もブーツで駆け抜けた、そこが佐賀藩」などのキャッチフレーズを入れて、幕末維新期に輝いた佐賀藩と結びつけている。
 佐賀弁を前面に押し出した企画商品シリーズ「がばい佐賀」の新商品。袋は2種類あり、「維新の魁(さきがけ)こいが佐賀藩」のキャッチフレーズも。駆け出す坂本竜馬の姿と、佐賀藩が作った反射炉のイラストも添えている。
 7個520円(化粧箱入り)で、長崎自動車道上り金立サービスエリアなど3カ所で販売中。デザインを担当した佐賀市の企画会社「ディーズ」は「竜馬の活動拠点は長崎なので、きっと佐賀にも訪れたはずだ。竜馬とともに佐賀藩の功績をアピールしたい」と話している。

【写真】坂本竜馬や反射炉などをほのぼのと描いた「佐賀藩丸ぼうろ」。化粧箱の写真は朝日が昇る佐賀市中心商店街



長崎
わが町さるくマップコンテスト:最優秀賞に伊藤さん 戸町の名所掘り起こし /長崎
 長崎市のまち歩き観光「長崎さるく」の一環で、小中学生から募った「わが町さるくマップコンテスト」の表彰式が12日、市内であった。応募は5点の中から、「戸町の海のコース、山のコース」で最優秀賞に選ばれた戸町中2年、伊藤大志(たいし)さん(13)は「(マップ作りでは地元の)知らないことばかりで、戸町が好きになりました」と話していた。
 伊藤さんは、祖父武治さん(68)が「さるく」のボランティアガイドで、かつて港町として栄えた戸町地区を夏休みに祖父のアドバイスを受けながら実際に巡った。江戸時代に長崎港を警備した魚見岳台場跡(国指定史跡)などのほか、花街跡や鉱泉の結晶を使った温泉施設「戸町カルルス」跡など埋もれた名所を紹介した。
 また、滑石中の生徒らが地元・滑石地区の被爆遺構をまとめた「滑石平和さるく」のマップが「さるく観光幕末編推進委員会特別賞」に選ばれた。同中は実際に生徒がガイドとなって散策するツアーを、期間限定の「通さるく」として今年10、11月に計4回、開催している。【錦織祐一】




文化芸能
龍馬伝:龍馬の全身写真3日限定で公開 東京など4都市でNHK大河ドラマ記念展
 10年1月から放送されるNHK大河ドラマ「龍馬伝」と連動し、坂本龍馬の写真や書簡などの歴史資料を約180点展示する特別展「2010年NHK大河ドラマ特別展『龍馬伝』」が6月から、東京、京都、高知・南国市、長崎の4都市で開催される。
 東京展では、4月27~29日の3日間限定で龍馬の全身を写した「坂本龍馬オリジナルガラス板写真」(他都市は展示日未定)が公開される。ほかに、龍馬が妻のお龍と新婚旅行に行った際に姉の乙女に宛てた「坂本龍馬書簡」、京都の近江屋2階の龍馬暗殺現場にあった血の付いた屏風(びょうぶ)「近江屋旧蔵『書画貼交屏風』」などの重要文化財が展示される。
 東京展は4月27日~6月6日、東京都江戸東京博物館(東京都墨田区)で。6月19日~7月19日は京都府京都文化博物館(京都市中京区)で、7月31日~8月31日は高知県立歴史民俗資料館(高知県南国市)、10月2日~11月3日には長崎歴史文化博物館(長崎市)で開催される。【服部美央】


JIN―仁:注目のラストへ 高視聴率マーク 現代風の明るい映像で原作マンガも倍増
 マンガをドラマ化した「JIN―仁」(TBS系)が人気だ。物語の面白さもさることながら、時代劇だが現代風の明るい映像で幅広い世代にも受け入れられ、今期のドラマで最高の視聴率22・3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録している。撮影が行われた緑山スタジオ(横浜市青葉区)のセットを訪れた。【細田尚子】
 「JIN―仁」は、マンガ誌「スーパージャンプ」(集英社)で村上もとかさんが連載中の医療マンガ。大学病院の脳外科医だった南方仁(大沢たかおさん)が、幕末の江戸時代にタイムスリップしてしまい、満足な医療器具や薬もない状態で大けがをした町民を手術し、コレラが流行した江戸の人々の命を救う。坂本龍馬(内野聖陽さん)や勝海舟(小日向文世さん)、緒方洪庵(武田鉄矢さん)ら実在の人物とも交流し、歴史とかかわりを持っていくうちに、現代に残した恋人・友永未来(中谷美紀さん)の運命に変化が現れる……という物語。中谷さんは吉原のおいらん・野風との2役を演じ、仁の心の支えとなる旗本の娘、橘咲を綾瀬はるかさんが演じている。
 毎週日曜日午後9時の「日曜劇場」枠で放送中で、10月11日の初回の視聴率は16・5%、その後も順調に数字を伸ばし、11月8日放送の第5話で20・3%と秋ドラマで初の20%超えを記録。同月29日の第8話は、世界ボクシング評議会(WBC)のフライ級タイトルマッチ「内藤大助―亀田興毅戦」の直後の放送で22・3%とシリーズで最高の視聴率を記録した。
 また、ドラマのヒットに伴い、現在16巻まで発行されている原作のコミックスも売り上げを伸ばしている。放送前は累計175万部だったが、6月に「ドラマ化決定」という帯を付けて売り出したところ、放送前の9月から売り上げが伸び出し150万部を増刷。現在は累計で360万部を突破している。芳林堂書店所沢駅ビル店の関根俊英さんは「40~50代の普段マンガを読まない層のお客さんが1巻から“一気買い”していくケースが目立った」といい、ドラマを見て原作に興味を持った人も多かったようだ。
 「JIN」は室内のセットはおもに緑山スタジオ、町並みなど屋外は「日光江戸村」(栃木県日光市)や「ワープステーション江戸」(茨城県つくばみらい市)のオープンセットを使用している。
 緑山スタジオには野風がいる吉原の遊郭「鈴屋」や、咲の実家「橘家」の旗本屋敷、仁が開いた診療所「仁友堂」などのセットが組まれていた。目を見張るのは「鈴屋」のセットだ。赤を基調にした2階建てで、ふすまには大輪の花が大胆に描かれている。美術を担当した永田周太郎さんは「吉原のセットを建てる機会なんてそんなにないので気合が入った」といい、2階でも演技ができるよう、しっかりと建てられているセットについて「パッと見たときに華やかな方がいいと思って、全部白木で明るめに作った」と強調した。
 中庭にある「太鼓橋」は竜宮城のようなイメージで設置。橋の色は「赤にしようかなと思ったけれど、黒の方がかっこいいので黒にして、くぎ隠しで金色を使った」と現代風にアレンジした。旗本の橘家は三十石程度の下級武士の屋敷としてつつましく、庭には家庭菜園を置き、だが室内は暗くならないようにした。
 6日放送の第9話では「江戸の大火」の場面で“壊すセット”も作った。「延焼を防ぐのに家を壊すシーンがあって、そこはコントのセットのように家がバターンと倒れるようにした」と工夫も施している。
 スタッフの技術力と熱意、キャストの好演や物語の面白さで高視聴率を続ける「JIN」は、20日放送の第11話でついに完結する。タイムスリップの謎は解けるのか? 残り2回の放送は見逃せない。

 記事は前にも紹介したものと同じような気がします(汗)が、鈴屋のセットの写真画像が沢山あるのが嬉しいです……吉原の大店らしい豪華なセットも、あと少しで見納めとはもったいないなぁ。
 ちなみに、最終回は今日でなくて来週なんですね……スポットCMが今日にも最終回かという感じで大量に流されていたので、今日が最終回かと思ってました(苦笑)。今日は最終回の手前ということを知って、ちょっと落ち着いてみることができます。







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 今日は一日雨ですが、友人とちょっと遠出しました。雨天にもかかわらず、とても楽しかったです。

北海道
歴史カレンダー:函館開港150周年記念、完成 「箱館真景」なども /北海道
 明治から大正期にかけての函館の古地図や写真を複製したカレンダー「時代(とき)をめくる」が完成した。開港150周年を記念し、昨年制作されたものの第2弾。江戸末期の1868(慶応4)年作の函館港の鳥かん図「箱館真景」など、歴史的にも貴重な資料が楽しめる。
 使用しているのは市中央図書館所蔵の資料。同館には幕末から昭和初期にかけての古地図や絵図、古写真の膨大な資料が収集されており、03年度から公立はこだて未来大と共同で、貴重な史料の保存や公開を目的に最新のデジタル技術を使いデータ化する作業を進めている。
 カレンダーは地域アーカイブ事業を手掛ける業界団体「函館マルチメディア推進協議会」(会長、川島稔夫・同大教授)が制作。「箱館真景」のほか▽1854(安政元)年の米ペリー艦隊の函館来航を描いた「蝦夷廻浦図絵」=1919(大正8)年模写▽大正末期の繁華街、十字街の街並みを写真撮影した絵はがき▽25(大正14)年作の市内案内図「函館案内漫画鳥瞰図」の4点を採用した。
 川島会長は「当時にぎわった街の様子をいきいきと感じてもらえると思う」と話している。カレンダーは縦46センチ、横62センチで1セット1000円。函館市末広町の地域交流まちづくりセンターなどで販売する。問い合わせは同協議会(0138・23・1181)へ。【昆野淳】



群馬
タウン:桐生・木工作家3人展 /群馬
 桐生市本町の有鄰館で、県内で創作する木工作家3人の「のんびり・木~古裂(ふるきれ)と木工展」が13日まで開かれている。元酒蔵の小さな空間に、木工作品と世界各地の古布が展示された、ユニークなコラボレーションだ。
 渋川市の旧小学校舎を拠点にする倉金宏行、多田秀美、松土忠の3氏が出品。多田さんは作品と組み合わせるため世界の古布を収集。4世紀ごろのエジプトのコプト織り、400年前のペルシャ錦、幕末の鍋島更紗(さらさ)などが展示されている。入場無料。【塚本英夫】


千葉
常夜灯照らす公園誕生 市川市指定有形文化財 あす旧江戸川堤防に
 市川市指定有形文化財の石灯籠(どうろう)「常夜灯」をシンボルにした常夜灯公園が、同市本行徳の旧江戸川の堤防上にほぼ完成し、十二日に開園する。当日は午後二時から開園式を行い、午後四時半ごろから常夜灯をライトアップ、あんどんを点灯して開園を祝う。 (林容史)
 市と県、浦安市が二〇〇二年にまとめた基本構想で、市川市本行徳-関ケ島間約三百メートルを、堤防の幅を広げる「スーパー堤防」のモデル地区に位置付け、〇六年十月から整備を進めてきた。
 市川市はこの堤防上に約三千五百平方メートルの公園を造成し、あずまややトイレなどを建設。直立護岸だった川沿いも、県が緩い斜面の河川敷に改修、水辺を散策できるテラスを設け、緊急の船着き場として使えるようにもした。本年度中に全体工事を終える。
 開園後は、あずまやで土、日曜日と祝日に軽食や県内の農産物、海産物を販売する。
 市地域街づくり推進課は「行徳地区の寺町めぐりの拠点になる。市内の旧江戸川沿いでは唯一、水に親しめる場所。ジョギングや散歩コースとして市民の憩いの場になれば」としている。
 常夜灯は、行徳特産の塩を江戸に運ぶ「行徳船」の航路安全を祈願して一八一二(文化九)年に立てられ、成田山に奉納された。小松石(安山岩)製で高さ約四・五メートル。一九六〇年、同市の第一号有形文化財に指定された。行徳船は幕末期には六十二隻まで増えたという。



静岡
次郎長の勝負運にあやかり勝札づくり 静岡観光コンベンション協がホビーフェスタに出店
 静岡市の静岡観光コンベンション協会は、同市駿河区のツインメッセ静岡で12、13日に開かれるホビーの一大イベント「クリスマスフェスタ09」に、「手づくりMY勝札(かちふだ)つくりまショップ」を出展する。静岡が誇る幕末~明治のきょうかく・清水次郎長の勝負運にあやかったお守り「勝札」の、装飾を体験するコーナー。クリスマスの“恋の大勝負”を控えた女性たちの注目を集めそうだ。 (美細津仁志)
 同協会によると、勝札は清水区美濃輪町の観光施設「次郎長生家」で販売され、20年以上にわたり根強い人気を誇っている。競馬や競輪、パチンコなどをはじめ、宝くじなどでも「勝つ」といわれ、お見合いを控えた県外者が、勝負運にあやかって郵送で取り寄せた例もあるという。1枚100円。
 イベントでは、同協会は、女性や家族連れをターゲットにした南館の「手づくりホビーワールド」に出展する。通常とは異なる勝ち札(縦13センチ、横9センチ)を使い、七色の台紙が選べるほか、「恋愛成就」「合格祈願」など七種の願いごとシールを準備する。フェルトのシールや、ネイルアートに使われるハートや星形のラインストーンなどでも豪華な飾り付けもできる。
 このほか、姫や旅人に仮装できる写真サービスも実施。その場で写真をシールに印刷し、勝札に張れるようにする。いずれも有料。
 同協会の渡辺一弘事務局長は「ものづくりを掲げたイベントの趣旨に沿う試みになった。自分だけの願い事を書き込んだ勝札を作ってほしい」と話している。
 問い合わせは静岡観光コンベンション協会=電054(254)2212=へ。


兵庫
幕末描く映画で使用、七つ玉そろばんを復元…兵庫・小野の職人11人
 兵庫県小野市の播州算盤(そろばん)工芸品協同組合(宮永英孝理事長)が、激動の幕末、加賀藩の財政に携わった御算用者(ごさんようもの)一家を描いた映画「武士の家計簿」(撮影中)で使われる「七つ玉そろばん」を復元した。
 江戸時代に使われていた上が二つ玉、下が五つ玉のそろばん。来年4月に完成予定の映画で使うため、製作会社の依頼を受けた職人11人が、松竹京都撮影所のスタッフらと相談しながら、40日がかりで仕上げた。
 同市に現在、七つ玉そろばんを作る職人はいないが、枠に使う黒檀(こくたん)や玉の削り方などは伝統技法が生かされており、宮永理事長は「この映画をきっかけにそろばんに興味を持つ子どもが増えれば」と話している。

 播州小野と聞くと、大河ドラマ『新選組!』の松原忠司のセリフ「わしは、小野じゃ!!」が即連想されてしまいます(^^ゞ。

司馬氏の自筆原稿展示へ 小説「峠」、姫路文学館で
 兵庫県姫路市の「姫路文学館」は10日、関係者から寄託された司馬遼太郎氏(故人)の歴史小説「峠」の自筆原稿を、来年1月6日から展示すると発表した。
 幕末の越後長岡藩家老河井継之助の生涯を描いた「峠」は1966~68年に毎日新聞で連載された。ブルーブラックの万年筆で書かれた2144枚の原稿には、赤鉛筆で推敲を重ねた跡が残っており、司馬氏独特の文体が生み出されていく過程がうかがえる。
 寄託したのは同市で生まれた俳人の故赤尾兜子(本名・俊郎)氏の妻恵以さん(79)。兜子氏は毎日新聞学芸部で連載を担当していた。
 司馬氏と兜子氏は大阪外国語学校(現大阪大)の同級生。作家と記者として再会し、ともに「峠」の取材旅行に行くなど交流を深めていたという。
 原稿は連載全543回のうち536回分で、兜子氏が81年に亡くなった後、恵以さんが毎年虫干しして大切に保管してきた。姫路文学館に兜子氏の資料が展示されており、司馬氏の祖父が姫路出身という縁もあることから、恵以さんは同館への寄託を決めた。
 恵以さんは「多くのファンの方に見てもらいたい」と話している。展示は来年3月28日まで。


愛媛
松浦武四郎の蝦夷地図、宇和島で調査 愛媛 
 幕末に蝦夷地(現在の北海道)の地図を作製した探検家、松浦武四郎の調査に取り組む国文学研究資料館(東京)などの研究グループは10日、宇和島伊達文化保存会(愛媛県宇和島市)が所蔵する蝦夷地図について、「地図作製の過程がわかる貴重な資料」と明らかにした。
 国文学研究資料館のほか、北海道開拓記念館(札幌市)と松浦武四郎記念館(三重県松阪市)の専門家ら4人が来県し、8日から宇和島伊達文化保存会が所蔵する地図や日誌などの資料を調査。この日、宇和島市内で本紙の取材に応じ、調査の成果について語った。
 開拓記念館の学芸員、笹木義友さん(60)は、地図が北の樺太から緯度1度ごとに1枚で構成され14度14枚で製作されていることを説明したうえで、「地図は国会図書館も含め6カ所で所蔵されているが、張り合わせたものしか残っておらず、張り合わせていない保存会の地図は、どうやって地図を作ったかがわかる貴重な資料」と強調した。
 また、武四郎記念館の学芸員、山本命さん(33)は、日誌などについて「挿絵に彩色を施した記録は初めて見た。保存状態のよさにも驚いている」と話した。
 松浦武四郎は松阪市出身で、幕末から明治にかけて未開の蝦夷地へ頻繁に足を運び地図を作製した。宇和島藩とも親交が深く、藩主の伊達宗城に蝦夷地図や蝦夷日誌などを献上している。


高知
龍馬の味?「土佐維新バーガー」高知で販売
 高知県特産の土佐はちきん地鶏、米ナス、ユズなどをお好み焼きで挟んだ「土佐維新バーガー」を、土佐電気鉄道(高知市桟橋通)が大阪市のハンバーガー会社と開発し、運営する高知自動車道南国サービスエリア(SA)下り線の売店で11日、販売を始めた。
 同鉄道の関係者らが10日、高知県庁を訪問し、試食した尾崎知事は「佐世保バーガーのように名物になれば」と期待した。
 幕末の志士ゆかりの食材を使っているのが、名前の由来。坂本龍馬の好物でもあったシャモと地鶏をかけ合わせた土佐はちきん地鶏を、メーン具材にした。米ナスは、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の出身地の安芸市特産。中岡慎太郎の出身地、北川村のユズを使ったマヨネーズで味を調えた。土佐の郷土料理によく使われるコンニャクも挟んだ。
 開発には、大阪市や奈良県橿原市などで「和」をテーマにしたハンバーガー店を展開する「大阪バーガー華円(はなまる)」(大阪市中央区)が協力。お好み焼きに挟むのは同社の売り。この日、尾崎知事に新バーガーを勧めたSAの野口和明支配人は「ほかにないご当地バーガーとして売り出せたら」と意欲を見せた。
 尾崎知事は「晩ご飯になるくらいボリュームがあるのに、ユズのおかげでしつこさがない。歴史情緒もたっぷり」と期待した。
 1日50個限定、380円(税込み)で販売する。




長崎
長崎さるく:「英雄編」計画決まる 長崎と龍馬の関係、全国区に /長崎
◇上野彦馬らにスポット
◇マスコットさるく「衣替え」
 長崎市のまち歩き観光「長崎さるく」が、10年放送のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせて展開する「英雄(ヒーロー)編」の実施計画が10日決まった。来年1月2日~12月26日のほぼ1年間を通じて展開される。マスコットキャラクター「さるくちゃん」も坂本龍馬や上野彦馬風に衣替えすることも決まり、「ドラマを機に、長崎と龍馬の関係を全国区にしたい」と意気込む。【錦織祐一】
 市は09年、長崎開港150年を記念して「長崎さるく幕末編」を4月23日~11月30日に展開、ガイドツアーの参加者が前年同期比1・5倍以上に急増するなど効果を上げた。
 10年は幕末編をベースに、龍馬ら志士に加えて幕末の長崎で活躍した豪商・大浦慶、写真家・上野彦馬ら「英雄」をクローズアップ。「龍馬と長崎のつながりをアピールすることで、ドラマ放送以降も『長崎ファン』を増やす」(市さるく観光課)ことを目指す。
 ガイドツアー「通さるく」では、グラバー園や大浦天主堂など旧外国人居留地を、龍馬の足跡に焦点を当てて巡るコース「ある晴れた日に、龍馬が夢見た長崎居留地」を新設。期間限定で、亀山社中記念館を目指し坂道「龍馬通り」を登る健脚コースも新設する。さらに、「プレミアム学さるく」として、通常は公開されない三菱重工業長崎造船所の構内を巡り、岩崎弥太郎の足跡をたどるツアーも開催される。


長崎1万人乾杯:来れ「龍馬の道」沿線住民--新年2日 /長崎
 幕末の志士、坂本龍馬の商社「亀山社中」跡付近から旧外国人居留地周辺を結ぶ2・7キロの沿線住民が、中心商店街に集う「長崎1万人乾杯」を来年1月2日に開催すると、商店主ら長崎市民有志が9日発表した。この2・7キロは市が「長崎龍馬の道」と命名。有志も「新年を長崎の『夜明け』に」と一堂に集う乾杯を企画した。
 市民有志は今年1月に「グランドデザイン研究会」を設立し「まちの10年後のあるべき姿」を検討。市街地を貫く2・7キロの一本道を「まちなか軸」と位置付け「交流のなかった住民同士が出会うことで、新しい魅力づくりにつながる」と、「1万人乾杯」を企画した。
 1月2日は中心市街地の初売り。さらに、NHK大河ドラマ「龍馬伝」放映を前に、長崎市が「長崎まちなか龍馬館」を開設するため、この日に決めた。
 午後6時から観光通りアーケードに集合。「まちなか魅力発見宣言」「まちなか軸調印式」の後、一斉に乾杯。参加費1000円で、ドリンクに加え「まちなか龍馬館」に入場でき「長崎龍馬の道」の折り畳みまち歩きマップも贈られる。
 呼びかけ人の一人、安元哲男さん(61)は「この道は開港から使われてきた、長崎の歴史を体現する道。いろんな文化や個性をまちなかに集結させたい」と話す。【錦織祐一】


龍馬らが生きた動乱の時代紹介 シーボルト記念館で幕末展
 同じ時代に生き、日本の将来を憂えながらこの世を去ったシーボルトと坂本龍馬。彼らが生きた幕末の日本にスポットを当てた企画展「シーボルトや龍馬が生きた幕末展」が、長崎市鳴滝2丁目のシーボルト記念館で開催されている。来年1月24日まで。
 同展では、幕末に活躍した人物の肖像画や書、当時の版画などの資料80点で、安政の開国から明治維新に至る幕末動乱の時代を紹介している。
 展示資料のうち、伊藤博文や勝海舟直筆の短冊、当時の武具など約50点は個人の所有物で、今回初公開となる。同館は「龍馬とシーボルトは直接出会ったことはなかったが、ともに日本を憂えていた。本物の資料から、彼らが生きた幕末に思いをはせてほしい」と話している。
 入館料は一般100円、小・中学生50円。


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(40)東大教授・山内昌之 秋山好古・真之兄弟
■独立自尊の生きかた

 NHKドラマ『坂の上の雲』が始まった。秋山好古・真之兄弟の貧しくても志の高い青春を知るにつけて、実母からそれぞれ11億円以上の金を“恵贈(けいぞう)”されたと伝えられる鳩山由紀夫・邦夫兄弟の姿がゆくりなくも浮かび上がる。聡明(そうめい)で成功を収めた点では変わりなくても、両兄弟の間には越えがたい溝が横たわっている。
  

食べるために何でも

 佐幕藩の侍として立身出世の道を断たれた秋山兄弟は、藩閥に引き立てられた薩長の若者と違って、独立自尊の生きかたを探さねばならなかった。兄弟は、とにかく食べるためには何でもしたのである。好古は銭湯の釜焚(た)きで家計を助けたし、真之も出面(でづら)をもらうために細々とした仕事を厭(いと)わなかった。しかし、このくらいの手伝い仕事は程度の差こそあれ、1960年代の高度成長以前には日本の津々浦々で間々(まま)見られた光景である。
 秋山兄弟は、なるべくして軍人になったわけではない。いずれも、授業料を払わずにすむ官費の学校で学びたい意欲から、松山を去って大阪や東京に出たのである。官費という言葉も今や死語であろう。教師になるために師範学校へ入るのも、軍人として陸軍士官学校を志すのも、好古にとって格別の違いはなかった。
 また、大学予備門で文学に憧(あこが)れるのも、海軍兵学校に入って軍人を志望するのも、真之には特別の違和感はなかった。「藩」という独立割拠の小さな半国家でなく、「国」という近代統一国家形成のために何事かをなさんという決意をした者に、選ぶべき道は究極で同じ目標にたどりついたからだ。

古典教育と肉体訓練

 彼らの素質や才能は固定したものでなく、その可能性はどこにも開かれていたのである。幕末に生まれた武士の子供たちには、儒学という伝統的な古典教育に加えて、剣道はじめ武道を通した肉体訓練も課せられていた。この自主独立の精神こそ秋山兄弟に生きるたくましさを教えたに違いない。
 好古は日露戦争の戦場、満州で世界屈指のコサック騎兵を相手に貧弱な日本馬を駆って争わなくてはならなかった。好古の偉いのは、決して勝てなくても絶対に負けない戦に徹したことだ。強力なコサック集団が現れると、下馬して陣地をつくり、機関銃という最新兵器で応戦する。
 さながら西部開拓民が先住アメリカ人に襲われたときに、幌(ほろ)馬車を拠(よ)り所(どころ)に抗戦したようなものだ。騎兵が歩兵の真似(まね)とは何事だと昭和のエリート参謀なら文句を言うかもしれない。操典に忠実でも負けたら仕方がない。好古は、彼我の力の差を見て柔軟に戦術を組み替えたのだ。一言でいえば、戦略的に組織化されたゲリラ戦めいており、ベドウィン部族民を率いた「アラビアのロレンス」の機動戦と似たところもあった。

  
統率力で最少犠牲者

 冷静沈着な指揮と統率力によって人びとを集中させ、統一と規律の下におけば、犠牲者は最少で済むことを好古は実証した。すぐ数字をはじく秀才エリートなら、1の力で10には勝てないと考える。
 しかし、何事も実地に出れば1の力で10にあたる状況も出て来る。それを巻き返すには、弱体なほうが常に率先して状況をつくり、それを有利に運用できる場合に限る。昭和陸軍にありがちな匹夫(ひっぷ)の勇や暴虎馮河(ぼうこひょうか)の勇では、犠牲者が増えるだけのことだ。
 好古だけでなく、真之が連合艦隊作戦参謀として日本海海戦を勝利に導けたのも、独自の兵術を編み出したからである。兄弟は、それぞれナポレオンやマハン(米海軍の戦史家)を金科玉条にした硬直したリーダーではなかった。この柔軟性は政治の世界にもあてはまるのではないだろうか。
 海軍中将の真之は若き日に憧れた文学者に戻れなかった。しかし、宗教家めいた悟りの境地で生涯を終えた。陸軍大将の好古は最初の職業だった教師に戻って地方中学の校長として人生を全うする。長男を軍人にせず、尊敬した福沢諭吉の慶応義塾に進ませた。
 そして好古は昏睡(こんすい)状態に陥ったときに同じうわ言を叫び続けたという。「奉天へ」と。(やまうち まさゆき)

                   ◇

【プロフィル】秋山好古・真之

 あきやま・よしふる、さねゆき 伊予(愛媛県)松山藩出身の軍人で兄弟。兄の好古は安政6(1859)年生まれ。陸軍士官学校卒業後、陸軍大学校第1期生となる。明治20年にフランスに留学し、騎兵を学ぶ。日清戦争で名をあげ、日露戦争では騎兵第1旅団長として出征し、黒溝台の会戦などで活躍。戦後は近衛師団長などを歴任。昭和5(1930)年、72歳で死去。
 弟の真之は慶応4(1868)年生まれ。東京大学予備門から海軍兵学校に転じ、首席で卒業。日清戦争に従軍後、米国に留学し、米海軍を視察。帰国後、海軍大学校教官となる。日露戦争では連合艦隊作戦参謀として死力を尽くし、日本海海戦の「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」など艦隊戦報の多くを起草。その後、海軍中将。大正7(1918)年、51歳で死去した。



文化芸能
まんたんプレス:ドラマ「JIN-仁」が高視聴率 現代風の明るい映像
<サブカルチャーの最前線>

 マンガ、アニメ、ゲームなどのサブカルチャーを紹介する「まんたんプレス」。今回は人気マンガをドラマ化した「JIN-仁」(TBS系)だ。物語の面白さもさることながら、時代劇だが現代風の明るい映像で幅広い世代にも受け入れられ、今期のドラマで最高の視聴率22・3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録している。撮影が行われた緑山スタジオ(横浜市青葉区)のセットを訪れた。【細田尚子】
 「JIN-仁」は、マンガ誌「スーパージャンプ」(集英社)で村上もとかさんが連載中の医療マンガ。大学病院の脳外科医だった南方仁(大沢たかおさん)が、幕末の江戸時代にタイムスリップしてしまい、満足な医療器具や薬もない状態で大けがをした町民を手術し、コレラが流行した江戸の人々の命を救う。坂本龍馬(内野聖陽さん)や勝海舟(小日向文世さん)、緒方洪庵(武田鉄矢さん)ら実在の人物とも交流し、歴史とかかわりを持っていくうちに、現代に残した恋人・友永未来(中谷美紀さん)の運命に変化が現れる……という物語。中谷さんは吉原のおいらん・野風との2役を演じ、仁の心の支えとなる旗本の娘、橘咲を綾瀬はるかさんが演じている。
 毎週日曜日午後9時の「日曜劇場」枠で放送中で、10月11日の初回の視聴率は16・5%、その後も順調に数字を伸ばし、11月8日放送の第5話で20・3%と秋ドラマで初の20%超えを記録。同月29日の第8話は、世界ボクシング評議会(WBC)のフライ級タイトルマッチ「内藤大助-亀田興毅戦」の直後の放送で22・3%とシリーズで最高の視聴率を記録した。
 また、ドラマのヒットに伴い、現在16巻まで発行されている原作のコミックスも売り上げを伸ばしている。放送前は累計175万部だったが、6月に「ドラマ化決定」という帯を付けて売り出したところ、放送前の9月から売り上げが伸び出し150万部を増刷。現在は累計で360万部を突破している。芳林堂書店所沢駅ビル店の関根俊英さんは「40~50代の普段マンガを読まない層のお客さんが1巻から“一気買い”していくケースが目立った」といい、ドラマを見て原作に興味を持った人も多かったようだ。
 「JIN」は室内のセットはおもに緑山スタジオ、町並みなど屋外は「日光江戸村」(栃木県日光市)や「ワープステーション江戸」(茨城県つくばみらい市)のオープンセットを使用している。
 緑山スタジオには野風がいる吉原の遊郭「鈴屋」や、咲の実家「橘家」の旗本屋敷、仁が開いた診療所「仁友堂」などのセットが組まれていた。目を見張るのは「鈴屋」のセットだ。赤を基調にした2階建てで、ふすまには大輪の花が大胆に描かれている。美術を担当した永田周太郎さんは「吉原のセットを建てる機会なんてそんなにないので気合が入った」といい、2階でも演技ができるよう、しっかりと建てられているセットについて「パッと見たときに華やかな方がいいと思って、全部白木で明るめに作った」と強調した。
 中庭にある「太鼓橋」は竜宮城のようなイメージで設置。橋の色は「赤にしようかなと思ったけれど、黒の方がかっこいいので黒にして、くぎ隠しで金色を使った」と現代風にアレンジした。旗本の橘家は三十石程度の下級武士の屋敷としてつつましく、庭には家庭菜園を置き、だが室内は暗くならないようにした。
 6日放送の第9話では「江戸の大火」の場面で“壊すセット”も作った。「延焼を防ぐのに家を壊すシーンがあって、そこはコントのセットのように家がバターンと倒れるようにした」と工夫も施している。
 スタッフの技術力と熱意、キャストの好演や物語の面白さで高視聴率を続ける「JIN」は、20日放送の第11話でついに完結する。タイムスリップの謎は解けるのか? 残り2回の放送は見逃せない。

 この記事は撮影のために組まれたセットの裏話もあり、ドラマファンには読んで欲しいです。
 原作ファンとしては、最終回の予告映像を見る限りでは、原作から離れたオリジナル要素が多そうでちょっと不安……一方、広げた風呂敷がどのくらい畳まれるか、「この後は映画で」的な引きでほとんど畳まれなかったりするのも嫌だしなぁ(汗)。
 高視聴率に加えて、原作を読んでいない視聴者の方々からも高評価を得て、長いこと原作を愛読してきたファンとしては、有終の美を飾って欲しいのですが。


エンターテインメント
須賀健太が新撰組少年隊士役に挑戦
 TBS系ドラマ「新撰組PEACEMAKER」(水曜深夜0時34分、来年1月20日スタート)の制作発表が11日、都内で行われ、主演の須賀健太(15)D-BOYSの荒木宏文(26)原幹恵(22)新選組リアンの榊原徹士(20)が出席した。累計500万部発売の人気コミックが原作で、これまでとは違ったテイストで新撰組隊士の青春を描く。


名子役から美少年に成長した須賀健太、新撰組隊士への抱負を語る!
[シネマトゥデイ映画ニュース] 11日、セルリアンタワー東急ホテルにて、連続テレビドラマ「新撰組 PEACE MAKER」制作発表会見が行われ、主演の須賀健太、原幹恵、榊原徹士(新選組リアン)らキャスト陣が劇中衣装で登場した。
 映画『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズで天才子役といわれ、映画『釣りキチ三平』で主演を務めるなど、現在15歳ながら順調なキャリアを積んでいる須賀が、ついに連続テレビドラマでも主役を射止めた。土方歳三の小姓という役柄で新撰組の隊士を演じる須賀は「原作ファンの方がたくさんいるので緊張しています」と現在の心境を告白。
 これから撮影を開始するにあたって「主人公は一生懸命な性格なので、自分も同じように演技に取り組みたい。視聴者の方々に次の話も気になると感じてもらえるよう、頑張ります!」と初々しく決意を語った。最後のフォトセッションでは、テレビカメラに向かって自らVサインをしてみせるなど、時折15歳の無邪気な顔をのぞかせていた。
 一方、新撰組隊士たちの世話をする役どころを演じる原は、紅一点着物姿で清楚(せいそ)な色香を振りまき、「着物を着ると、自然と身が引き締まりますね。わたしは本来おしとやかじゃないのですが……着物の力を借りて、そういう雰囲気を出せたら」と謙虚に語っていた。
 「新撰組 PEACE MAKER」は、累計500万部を突破した黒乃奈々絵による人気コミックを原作にしたテレビドラマ。幕末を舞台に、両親のあだを討つため新撰組に入隊した市村鉄之助(須賀)を中心に、新撰組の隊士たちの青春を描く。

連続テレビドラマ「新撰組 PEACE MAKER」はMBSにて2010年1月15日より、TBSにて2010年1月20日より放送


IT
ゼータ ニュースリリース】 第5弾!「iPhone / iPod touch」対応 『i 模試』 にてエンタメ系 「新撰組クイズ」 100問をリリース!
 『i 模試』の「マーカー機能」を使って、エンターテイメント系クイズとして、『新撰組』に、特化したクイズ100問を解説付きでメジャーなモノからニッチなモノまでを提供。
 ・新撰組好きの彼女の前でのウンチクに!
 ・新撰組ファンのあなたなら何問まで解けるかチェレンジ!
などなど・・・
(以下略)

 iPhone持ってないので挑戦できません……(涙)。ただ、新選組は史実的にも異説異論の類が多いので、テスト問題にできるのはコアなファンにはあまり面白みのない部分じゃないかなぁとも思ってしまいます(苦笑)。






100均で見かけて吹きました……龍馬はいいけど、おりょうさんが陰気すぎてとても惚れそうにない(焦)。


北九州市のメーカーの製品で特に龍馬とは関連がある地ではなさそうですが、小袋ひとつひとつに名言集がプリントされているようなのが、ちょっと楽しみです。「日本をせんたくする」なんてセリフが小袋に印刷されていたら、いっちょ仕事も頑張る気にもなるでしょうね……でも「槙太、あしは脳をやられたようじゃ。こりゃいかん……」なんて入っていたりしたらどうしたらええねん(ここ最近の白牡丹脳内龍馬は小汚い内野さんになってます)。

おりょうさんのビジュアルがもちっとよかったら、せめて龍馬地元の土産もの屋さんで人気商品になれただろうにと思います。


 週間予報を見てて、来週は最高気温が10度を割る日が何日かあるのを知りました……いよいよ本格的な冬到来ですねぇ。なお、土曜日は最高気温18度だそうで、気温の高低に応じて体調に気をつける必要がありそうです。

北海道
白と青で幻想的な輝き…五稜郭タワー
 五稜郭タワー(函館市五稜郭町43)1階アトリウムでは毎夜、白と青のイルミネーションが輝いている。広場一帯を包み込むような飾りで、クリスマスの雰囲気を盛り上げており、訪れた観光客らは「幻想的なライトできれい」と喜んでいる。
 11月28日から始まった五稜郭公園の掘を電飾で浮かび上がらせる「五稜星の夢(ほしのゆめ)」に合わせて企画。午後5時から2時間は、アトリウム全体の照明を抑えて点灯する。特設ステージの壁には大きな流れ星を、らせん階段にはびっしりとライトが付けられ、足元を淡い光で照らしている。
 埼玉県から観光で訪れた大学生の瀧澤舞子さん(22)と会社員の稲田美菜さん(22)は「雪を連想させる光がとてもすてき。この青色が好きで、北海道旅行の最高の思い出になった」と記念撮影を楽しんでいた。
 このイルミネーションは2月末まで。


神奈川
出版:相模原の歌人・尾崎裕美さん、短歌から「憲政の神様」尾崎行雄を解説 /神奈川
 相模原市津久井町青根の歌人、尾崎裕美さん(70)が、「憲政の神様」と呼ばれる尾崎咢堂(本名・行雄)の短歌から、家族や友人との心の通い合いを掘り下げた「歌人・咢堂 家族そして友を詠う」(文芸社刊)を出版した。妹との短歌での応答など未公開を含む515首を収録し、歌人の心で「人間・尾崎行雄」の胸奥を感じ取り、新たな咢堂像に迫った。
 「尾崎行雄の短歌日記」を副題に、家族と友、旅を詠んだ短歌を収めた3部構成。咢堂の短歌と人生の軌跡を分かりやすく解説している。
 「家族を詠う」では、幕末に勤王の志士として活躍し、明治維新後に政府の官吏となった父行正と母貞子、妹千代子、死別した先妻繁子や後妻のテオドラ、娘ら家族への思いやりをつむいだ短歌を追った。「友を詠う」は、東京市長の咢堂を慕って訪ねてきた20歳の石川啄木との出会い、短歌を師事した歌人の佐々木信綱、与謝野鉄幹との交流を拾った。「旅を詠う」では、伊勢原市の大山への登山や長野県上高地の散策、趣味の乗馬と狩猟の歌を掲載した。
 尾崎さんは06年、咢堂をひ護した千葉県銚子市の旧家を訪問。保存されていた未公開の短歌約5000首を複写し、歌人としての咢堂を探求しながら人としての生き様に光を当てる活動を続けてきた。07年に津久井地域で生まれ育った咢堂をしのび、「咢堂と津久井~尾崎行雄ふるさとを詠う」を刊行。今回は第2弾となる。
 表紙の「咢堂」の文字は昨年11月8日に死去した咢堂の三女相馬雪香さんの揮毫(きごう)。A5判200ページで税抜き1400円。同市津久井町中野の山本書店(042・784・0016)などで販売している。【高橋和夫】


愛知
火縄銃など4300万で購入へ
収集家から展示資料107点 新城市

 設楽原歴史資料館に展示されている火縄銃  新城市は、同市設楽原歴史資料館で一般公開している火縄銃などの展示資料107点を豊川市の収集家から約4300万円で購入することを決めた。購入代金を含む補正予算案は12月市議会最終日の18日に可決される見込み。
 購入するのは、江戸時代に国内で製造された火縄銃や幕末の洋式銃など古式銃55点と火薬入れ、砲術秘伝書など。同資料館では、1996年に開館して以来、豊川市の収集家からコレクションを借り受け、展示してきた。今回、収集家から購入を打診され、買い取ることにした。
 金額は国立歴史民俗博物館の専門家などの鑑定結果をもとに算定。最も高価なものは国内に数丁しか残っていない幕末の連発気砲銃で、1丁300万円するという。新城市文化課の湯浅大司学芸員は「火縄銃を含む古式銃の常設展示では、国内でもトップクラスの内容」と話している。


滋賀
「直弼の心」茶の湯で 彦根城児童45人が体験
 幕末の大老で、茶の湯でも一派をなした彦根藩13代藩主・井伊直弼への理解を深めようと、彦根市立城西小学校の6年生45人が8日、同市金亀町の彦根城博物館御座之御間(ござのおんま)でお茶会を体験した。
 児童たちは総合的な学習の時間を利用し、客を一生に一度の出会いとしてもてなす茶の精神「一期一会」を学んでおり、お茶会はその一環で企画した。
 市内で表千家流の教室を開く外海(とのがい)和子さん(54)と、弟子計8人が講師を務め、外海さんは「茶道ではおもてなしの心が一番大切」などと心構えについて話し、菓子の食べ方、茶わんの扱い方などを指導した。
 御座之御間は、政務を取り扱う表御殿にあった藩主の居室。厳かな雰囲気に、児童たちはやや緊張しながらも、お茶が出されると、「少し苦いけどおいしい」などと喜び、児童を代表して堀田航希君(12)が「大先輩である井伊直弼の心に触れられたと思う」と外海さんらに感想を語った。


京都
冬の京都で「新酒造り」特別公開へ-「ニューツーリズム創出事業」支援受け
 京都に関する出版物やサイトの企画・制作を手掛ける企画会社「のぞみ」(京都市中京区御池通間之町東入ル、TEL 075-254-0789)は来年1月11日から、京都伏見の酒造会社で新酒造りの特別公開を行う。
 京都市の「ニューツーリズム創出事業」の支援を受けた同企画は、これまで一般見学を受け入れていなかった松本酒造と招德酒造(伏見区)の協力を得て実現。伏見から幅広い世代に向けて日本酒の魅力をPRしたいという思いで企画に至った。
 特別公開では、新酒造りの見学や、当主の案内による酒蔵見学、利き酒体験を行い、見学後は伏見の町を自由に散策してもらう。伏見の見どころを記載した特製マップ「伏見幕末さんぽ」は、同社オリジナルのもので今回のみ配布する。
 松本酒造は1791年創業。「桃の滴」「日出盛」などの銘柄がある。近年ではイタリア料理に合う日本酒「RSSIMO」を発売。茶室を備えた迎賓館や枯山水庭園を持ち、大正・昭和の蔵や明治に作られたレンガ造りの煙突などを見ることができる。招德酒造は1645年創業。「花洛」「きもと」などの銘柄があり、女性が杜氏を務める酒蔵。木造の蔵や大きな梁(はり)が見どころで、英語での案内も行う。
 同社担当の白井さんは、同イベントの目玉を「ただ蔵を見学して終わるのではなく、職人さんと対話できるところにある」と話す。「少しでも日本酒を身近に感じていただき、見学が終わるころには『日本酒を飲んでみよう』と感じてもらえれば」と意気込みを語る。
 開催日時は1月11日~2月28日の9時30分~11時。月曜・火曜・木曜・金曜=招徳酒造、水曜・土曜・日曜=松本酒造。チケットは同社で電話予約を受け付けるほか、市内のホテルで扱う。料金は1人2,500円(20歳以上)。


兵庫
幕末に勝海舟が設計、「和田岬砲台」80年ぶり改修へ
 外国船の襲来に備え、幕末に勝海舟(1823~99)が設計した兵庫県内初の国史跡「和田岬砲台」(神戸市兵庫区)の老朽化に伴い、約80年ぶりとなる本格的な改修工事が8日、始まった。阪神大震災以降、外壁がはがれ落ちるなど危険な状態が続いていたため、砲台を所有する三菱重工業神戸造船所(同区)などが<平成の大修理>を計画。2012年度までに修理を終え、震災以降は公開を中止していた砲台内部を見学できるようにする。
 砲台は1864年に完成。外側は花こう岩の石造り、内側は木造2階建ての円筒形で、直径約15メートル、高さ約12メートル。実戦には使用されず、1921年に国史跡に指定された。
 円筒形の砲台は江戸末期、大阪周辺の4か所で造られたが、内部の木材が現存するのは和田岬だけ。砲弾を保管するための棚や、砲身を冷やすための井戸など当時の様子がうかがえる。
 大規模な修理は、1927年以来。近年、外壁の石の剥落(はくらく)や、内部のシロアリ被害などが目立つようになり、同造船所は震災後、内部の一般公開を中止。危険なため、2006年からは周辺への立ち入りも禁止した。
 改修は、国などの補助を受け、約5億6000万円をかけて取り組む。内部の木材を一度すべて取り外し、古いケヤキの柱などを交換したり、外壁の石のすき間を埋めたりする。
 この日は、近くの和田神社(奥田雅人宮司)で安全祈願祭があり、関係者約20人が工事の無事を祈った。同造船所の担当者は「大切な史跡を多くの市民らに再び見てもらえるように、しっかり修復したい」と話している。


高知
龍馬、硬貨になるぜよ…地方自治法60年記念の高知県分
 地方自治法施行60周年を記念して財務省が各都道府県ごとに発行している記念硬貨で、高知県分のデザインは幕末の志士・坂本龍馬像にすると、同省が8日発表した。実在の人物の肖像がデザインされた硬貨は国内初。県は「新時代を切り開いた龍馬らしい。来年の土佐・龍馬であい博の盛り上げにも一役買いそう」と喜んでいる。
 1000円銀貨(直径4センチ)=写真上=と、ニッケルと黄銅で金銀2色にした500円(直径2.6センチ)=同下=の2種類。おなじみの右手を懐に入れた写真を元に、龍馬の顔や上半身を彫り込む。1000円の背景はカラーで桂浜を印刷する。県民から意見を募ったところ、デザインの題材は龍馬が1位となり、有識者による委員会も「高知が誇る龍馬の像がいい」と結論を出したことから、採用された。
 1000円硬貨はすべて通信販売で、2010年3月頃から造幣局で申し込みを受け付け、5月頃から発送予定。ケースに入って6000円。10万枚を発行予定で、申し込みが多ければ抽選。県内在住であれば、当選確率は倍になるという。500円硬貨は7月頃から銀行などで引き換えが始まる。発行枚数は未定だが、これまでに発行されている例では180万枚前後だった。
 記念硬貨は08、09年度で7道府県にちなんで発行され、銀貨はそれぞれ10万枚に対して5道府県で50万枚以上の希望があった。人気の高い龍馬がデザインされるとあって、県は「100万枚以上の応募があるかも」と予想。勝賀瀬淳・県分権広域行政課長は「郷土の偉人がデザインされるのはすばらしい。全国に積極的にアピールしたい」と話した。


サイエンス
小惑星に「伊藤博文」命名 没後100年、夜空が祝福
 ことし没後100年を迎えた山口県出身の初代首相伊藤博文にちなみ「Hirobumi」と名付けた小惑星が、国際天文学連合(IAU)に登録された。山口県立山口博物館が8日発表した。
 名付け親は、愛媛県久万高原町の久万高原天体観測館に勤める中村彰正さん(48)。2001年に発見した小惑星で、地球から肉眼では確認できない。
 山口県出身の中村さんは、これまでに計90個の小惑星を命名。同県ゆかりの幕末の志士吉田松陰や詩人中原中也の名を冠したもののほか、中村さんがファンのプロ野球広島カープにちなんだ「Carp」などもある。
 小惑星の命名提案権は発見者にあり、IAUが審査する。政治家の名前は没後100年を経過しないと認められない。
 中村さんは「没後100年の節目に命名したいと思っていた。天体に興味を持ってもらえたら」と話した。


エンターテインメント
幕末の英雄を一人前の武士に育てよう!au版『いつでも手乗り龍馬』12月10日より配信開始!
 ビービーエフエムは、au版『手乗り龍馬』の配信を12月10日より開始します。
 本作は、生まれて間もない幕末の武士「坂本龍馬」を立派な武士に育てることが目的の幕末育成歴史シミュレーションゲームです。1度起動するとリアルタイムで成長していく龍馬を、毎日コツコツとお世話することが主なプレイ内容となります。
 またゲーム内の龍馬は、お世話の仕方によって性格や体格が変化。食事を与えすぎると太り、お風呂に入れないとハエがたかってしまいます。龍馬の健康や嗜好を考えて食事を与え、時には釣りや狩猟などのミニゲームで汗を流させましょう。また贈物を与えることで龍馬のパラメータを成長させることもできます。
 見事、龍馬の生涯を見届けることができれば、龍馬から感謝のメッセージとお世話の評価が届けられますが、お世話をサボっているとお世話役を解任されることも?頑張って彼を育て上げ、一人前の武士にしてあげましょう。
 au版『いつでも手乗り龍馬』は2009年12月10日(木)より配信予定で、価格は315円(税込)となっています。なおiモード版は既に配信中です。


<プレスリリース>ハピネット、「SAMURAI刀」を発売
 ハピネット(本社:東京都台東区、代表取締役:苗手一彦)は、誰でも簡単にサムライ気分が楽しめる、超爽快&豪快なバーチャルソード『サムライ刀』(税込各2,079円)を、2009年12月下旬より玩具店、雑貨店・量販店・家電量販店の各玩具売り場、一部コンビニエンスストアで発売します。
 『サムライ刀』は刀の柄(つか)部分のみでできている刀で、振ると刃の部分から発信されている赤外線センサーが感知して、時代劇さながらの斬りつけ音や、空を切ったような風きり音などのサウンドが鳴ります。臨場感のあるバトルBGMと全部で48種類ある様々な効果音で、サムライになりきってチャンバラ遊びを楽しむことができます。

<BGMのビートに乗って、サムライになりきる!>

 本体のスイッチをONすると、本体のスピーカーからBGMが流れてきて、サムライ気分を盛り上げます。何もないところで振ると「風切り音」が、壁や物に向かって振ると「鍔迫り合い音」または「斬りつけ音」が鳴ります。「鍔迫り合い音」や「斬りつけ音」はそれぞれ数種類あり、ランダムに発生します。

<コンボ機能で、バトルの臨場感を味わう!>

 物に向かって振ったときに、タイミングよく連続で「斬りつけ音」を鳴らすことができると“コンボ”が発生します。コンボが発生すると「斬りつけ音」のあとに「敵のうめき声」が鳴ります。さらに連続してコンボを発生させると、連続回数に応じて「敵のうめき声」も変化していきます。
 また物に向かって本体を振り、「斬りつけ音」や「鍔迫り合い音」が連続して24回鳴ると、25回目に「決め台詞」や「特殊効果音」が鳴ります。
 『サムライ刀』は刃のない安全な刀なので、様々なシーンで楽しめる玩具です。
 仕事などで溜まったストレスを、自宅に帰ってひたすら振って斬りまくれば気分もスッキリ!ストレス解消に役立ちます。
 また今年の流行語大賞トップ10にも選ばれた「歴女」やTBSのドラマ「JIN-仁-」のヒット、さらに来年スタートのNHK大河ドラマ「龍馬伝」などで、歴史や歴史上の人物への関心度は高い状態が続きそうです。
 さらにNYメトロポリタン美術館では、昨年10月から開催されている、国宝を含む日本の武具展「アート・オブ・サムライ」が注目を集めています。また歴女ブームが後押しして、刀剣に興味を持つ女性も増加しているとのこと。
 『サムライ刀』は、戦国武将や幕末のヒーローになりきって殺陣を真似てみたり、サムライコスプレの小道具としても活躍できるアイテムです。また新年会や歓送迎会など宴会の余興や、お子様とのチャンバラごっこなど、一人ではもちろん、複数でも楽しめる玩具となっています。

■問い合わせ先■ハピネット<7552.T>





ドラマがTBSテレビで高視聴率を取っているせいか、本屋で『JIN-仁-』が平積みされているのが嬉しいです。ちなみに、第17巻は年明け1月4日発売だそうで、お年玉のように楽しみ(笑)。


北海道
NHK大河ドラマ次は坂本竜馬 図書館で企画
 苫小牧市立中央図書館で、展示貸し出し企画「坂本竜馬」が開かれている。
 次の年のNHK大河ドラマにちなんで開いている。坂本竜馬に関する小説や明治維新にかかわった人物の本、幕末の風俗や歴史などを紹介する約180冊を集めた。人気の高い人物・時代だけに関連書籍も多い。
 図書館によると、年配の人や普段から歴史小説をよく読んでいる人の関心が高いのはもちろん、当時の写真を集めた本などを若い人が手に取る姿もよく見られるという。24日まで。


神奈川
県立歴史博物館「横浜開港の考古学」1月11日まで
日時 2009年12月12日 午前9時30分~午後5時00分
会場 神奈川県立歴史博物館
住所 横浜市中区南仲通5-60
費用 有料(一般300円、20歳未満・学生200円、65歳以上・高校生100円)
概要 近年、発掘調査により明らかになった横浜山下居留地遺跡を中心に県内出土の幕末から近代こにかけての遺跡・遺物を展示・解説。12月12日(土)と23日(水)の午後2時~4時に講演会。

愛川町郷土資料館(愛川町半原5287)で巡回展。
1月23日(土)~2月21日(日)、無料。
会期 12月12日(土)~1月11日(月)

開館時間 午前9時~午後5時(入館は4時30分まで)
休館日 毎週月曜日、12月27日(日)~1月5日(火)


福井
幕末の福井人を首都圏でPR 安政の大獄150年記念
 県は幕末に活躍した福井出身者を首都圏でPRしている。橋本左内が処刑された安政の大獄から150年を迎えた記念の年でもあり、パネルを持ち込んで展示会などを開催。情報が集まる日本の中心から幕末福井人を発信し、観光誘客などにつなげたい考えだ。
 県は昨年から首都圏での知名度向上を目指し、東京23区全区で宣伝活動を展開。地域の祭りに福井のブースを出展するなどして人脈をつくった上で、幕末関連のイベントを提案して今年夏から開催を続けている。
 首都圏の中でもゆかりがある地域を選定。橋本左内の墓がある荒川区、福井藩上屋敷のあった千代田区、小浜藩下屋敷が建っていた新宿区で、順次福井藩主松平春嶽関連などのパネル展を開いた。
 明治大では、学生から歴史に興味を持つ社会人までを対象に「幕末維新期の福井藩-松平春嶽とその周辺」と題した連続講座を開催。11月には関連のシンポジウムも開いた。
 今後は観光誘客に加え、ドラマ・小説の題材に取り上げてもらう目標を設定している。県ブランド営業課の担当者は「開催で蓄積した記録、資料を出版社や研究機関、小説家などに持ち込み、次のステップにつなげたい」と話している。
 (渥美龍太)


京都
冬の京都で「新酒造り」特別公開へ-「ニューツーリズム創出事業」支援受け
 京都に関する出版物やサイトの企画・制作を手掛ける企画会社「のぞみ」(京都市中京区御池通間之町東入ル、TEL 075-254-0789)は来年1月11日から、京都伏見の酒造会社で新酒造りの特別公開を行う。
 京都市の「ニューツーリズム創出事業」の支援を受けた同企画は、これまで一般見学を受け入れていなかった松本酒造と招德酒造(伏見区)の協力を得て実現。伏見から幅広い世代に向けて日本酒の魅力をPRしたいという思いで企画に至った。
 特別公開では、新酒造りの見学や、当主の案内による酒蔵見学、利き酒体験を行い、見学後は伏見の町を自由に散策してもらう。伏見の見どころを記載した特製マップ「伏見幕末さんぽ」は、同社オリジナルのもので今回のみ配布する。
 松本酒造は1791年創業。「桃の滴」「日出盛」などの銘柄がある。近年ではイタリア料理に合う日本酒「RSSIMO」を発売。茶室を備えた迎賓館や枯山水庭園を持ち、大正・昭和の蔵や明治に作られたレンガ造りの煙突などを見ることができる。招德酒造は1645年創業。「花洛」「きもと」などの銘柄があり、女性が杜氏を務める酒蔵。木造の蔵や大きな梁(はり)が見どころで、英語での案内も行う。
 同社担当の白井さんは、同イベントの目玉を「ただ蔵を見学して終わるのではなく、職人さんと対話できるところにある」と話す。「少しでも日本酒を身近に感じていただき、見学が終わるころには『日本酒を飲んでみよう』と感じてもらえれば」と意気込みを語る。
 開催日時は1月11日~2月28日の9時30分~11時。月曜・火曜・木曜・金曜=招徳酒造、水曜・土曜・日曜=松本酒造。チケットは同社で電話予約を受け付けるほか、市内のホテルで扱う。料金は1人2,500円(20歳以上)。


長崎
龍馬グッズ発売相次ぐ――龍馬伝効果
 来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」放映を前に、坂本龍馬をテーマにしたお茶や器など、「龍馬グッズ」の発売が県内で相次いでいる。県は「地域振興にも効果的」と注目している。
 「龍馬が愛用した器を再現しました。長崎ブランドとして県外にも発信したい」。佐世保市三川内本町の三川内焼「五光窯」の藤本岳英さん(51)は、龍馬がご飯茶わんなどとして使った、亀山焼の器の復元に挑戦。器の側面とふたの部分に「五爪龍」の文様を描き、5月から販売を始めた。価格は10万5000円。
 昨年、龍馬伝の放映が決まったことをきっかけに、1865年に途絶えた亀山焼の資料を読んだり、学芸員を訪ねたりして研究を重ね、完成させた。藤本さんは「今回の龍馬人気を、一過性にしたくない」と話す。
 「西田鋳物」(長崎市小瀬戸町)は今月から、龍馬の顔、坂本家の家紋をかたどったブロンズ製の文鎮(各4980円)をインターネット上の「長崎ICHIBA」で販売している。「長崎をテーマにした鋳物をつくりたい」との考えから、長崎市の彫刻家に原型を作ってもらった。将来、店舗での販売も視野に入れている。
 「前田園」(長崎市片淵4)は、幕末期の志士たちを支援したとされる長崎の茶貿易商、大浦慶(1828~84年)の取り扱ったお茶に着目。「龍馬も支援を受け、玉緑茶を飲みながら日本の将来を熱く語ったのではないか」と、特別に作った県産茶を「龍馬が愛した玉緑茶」(80グラム、1050円)と名付け、龍馬の生まれた11月15日に発売した。
 県も、龍馬伝の県推進協議会を設立し、マスコットキャラクター「ながさき龍馬くん」をつくるなどしてPRを図る。同協議会は「商品にキャラクターを使わせてほしいという問い合わせも多い。観光、物産振興のためにも龍馬をどんどん活用してほしい」と期待している。
(2009年12月8日 読売新聞)


沖縄
琉球処分官、松田道之の書簡発見
 琉球を廃し沖縄県を設置したときの琉球処分官・松田道之(1839~82年)が、1879(明治12)年3月の来琉直前と帰京後に書いた直筆書簡がこのほど、古文書収集家の和田正義さん(65)=那覇市=によって発見された。
 さらに72(同5)年、琉球が明治政府に派遣した維新慶賀使が、明治政府に対し台湾出兵を求めたとみられると記述する「滋賀新聞」も見つかった。
 中琉日関係史を専門とする西里喜行沖縄大教授は「松田の私的な面が垣間見えるもので、非常に貴重で面白い資料だ」と話しており、松田の人物像や琉球王国末期の歴史を掘り下げる資料として今後注目を集めそうだ。(高良由加利)

◆精神的負担 赤裸々に/“琉球情報”国内で操作 滋賀新聞
 今回見つかった琉球処分官・松田道之の直筆書簡と、「琉球処分」の契機となった「台湾出兵」に関連する「滋賀新聞」の記事からは、日本へ併合される前、琉球の情報が日本国内で操作されたことなど、当時の琉球王国を取り巻く情勢が浮かび上がる。
 書簡は松田の滋賀県令時代の部下で同県の大書記官だった酒井明(後に徳島県知事)にあてたもので、沖縄県設置を宣告するため横浜港から琉球へ出発する直前の1879年3月5日と帰京後の同年8月10日に書いている。
 3月5日付には「小生ハ五十名以内之属官ト百五十名之巡査ト三百名之兵員トヲ引率シテ来ル十二日横浜出発」とあり、帰京後の書簡には返信が遅れたことをわびた上で「病にかかり、吐血や半面痛に襲われ、医者からは精神的なことはすべて忘れるよう強く言われた」旨を記している。
 一方、「滋賀新聞」は、72年10月に大阪に滞在していた琉球の維新慶賀使に触れている。71年、台湾に漂着した琉球人54人が殺害された事件について「琉球王ヨリ薩州ヘ愁訴シ復讎ノ意ヲ含ミテ出仕セリト風説アリ」(琉球王が薩摩へ訴え、復讐(ふくしゅう)してほしいと伝えるために東京へ行ったとのうわさがある)とし、「琉球処分」の契機となった74年の「台湾出兵」が琉球の希望だったように記述している。
 実際には、琉球は最後まで台湾への出兵に反対していた。
 西里喜行沖縄大教授は、75年にも来琉した松田が日本専属を強要し、琉球の強い反発を買い決着を見なかった出来事に触れ「松田は75年当時、2カ月にわたり論争し、暴動的な状況を経験している。手紙の病気の描写は返信が遅れた言い訳かもしれないが、79年の『処分』時にストレスは相当あっただろう。琉球が台湾への報復を訴えたという記事も、琉球に関する情報を日本が操作した一端を示すものと考えられ、非常に興味深い」と述べ、今後の研究に期待を寄せた。
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<用語>松田道之
まつだ・みちゆき 明治時代の内務官僚。1872年初代滋賀県令。明治政府の琉球処分官として75年7月14日に首里城で「琉球処分」の方針を伝えた。79年3月27日、軍隊と警察官を伴い首里城へ乗り込み琉球王国を廃し、沖縄県設置を宣告。同年、東京府知事に就任。


コラム
励まし人形『りょうまくん』の復刻版が登場
 現在放映中のドラマ『JIN -仁-』をはじめ、来年の大河ドラマ『龍馬伝』の放送も控えていて、“坂本龍馬”がアツい。そんな坂本龍馬に励ましてもらえる!? こんな商品が登場した。
 それは株式会社バンダイから26日より発売される『りょうまくん』。
 この『りょうまくん』、左手の刀部分のスイッチを押すと、「くよくよしてちゃいかんぜよ」「心はいつも太平洋ぜよ!」といったコトバで励ましてくれる。
 もしかしたら、ご存知の方もいるかもしれない。さらには、今なお持っている人もいるかもしれない。というのは、この『りょうまくん』は、当時の株式会社ナムコ(現:株式会社バンダイナムコゲームス)が発売したものの復刻版なのだ。20年以上前の1985年に発売された当初はヒットを記録し、話題となったという。
 「この不況の時代、元気を無くした日本に対して、坂本龍馬の励ましが必要なのでは!?」との思いがきっかけとなり、同商品のリリースとなったという。
 そもそも、初代が発売されたのは、発売当時が坂本龍馬生誕150周年にあたっていたということもあるが、“元気のない若者に、龍馬だったらどう励ますか”と龍馬ファンだったナムコ社のデザイナーが考案したもの。
 ただ、今回の新『りょうまくん』のメインターゲットユーザーは30代~50代の男性だという。当時は“若者”だったのにどうして?
 「いま一番励ますべきなのは、社会の荒波に揉まれている世代であり、龍馬ファンも多いと考えたところから、高めの世代に設定いたしました」(バンダイ・プレイトイ事業部・松田さん)
 復刻版との違いは、セリフは励ましのコトバ4種類から、「日本をいま一度せんたくいたし申し候!」といった名言を含めた6種類に、サイズもデスク周りに置きやすいよう小さめにリニューアル。
 時計や貯金箱など他の機能がいっさい搭載されておらず、「励ます」――これひとつを目的とした人形、というのが素敵だ。
 「朝出勤の前や、大変だった仕事の後とかに、ひっそりと聞いて、元気を取り戻していただきたいと考えております」(松田さん)
 『りょうまくん』は12月26日より発売開始。全国の雑貨店・百貨店・量販店の玩具売り場等で購入することができる。
 落ち込んだとき、自分を奮起させたいとき、是非、刀スイッチを押してほしい。
(岩田大祐)


時を駆ける-「歴女」の実態 史実を勉強/戦国武将の生きざまに共感
 今年の新語・流行語大賞トップテンに選ばれた「歴女(れきじょ)」。戦国武将に引かれる20~30代女性のことだ。しかし、歴史好きの女性には「歴女と呼ばれたくない」との気持ちもあるという。コミックエッセー「戦国武女子、参る!」(メディアファクトリー)でデビューした漫画家、そらあすかさんに歴女の生態を聞いた。(寺田理恵)

≪キャラ萌えと一線≫

 歴女の増加は、戦国武将が登場するゲームや大河ドラマの影響とされる。武将関連グッズを集めたり、城や墓を旅したりと、旺盛な消費意欲から経済効果も期待されている。
 20代のそらさんも、そんな一人。家紋入りの名刺に和柄の服。月に1回は「青春18きっぷ」で全国の史跡をめぐる。1回の旅行にかける費用は、武将グッズの購入費も含め約5万円。
 上杉氏ゆかりの山形県米沢市には、家老の直江兼続を主人公とする大河ドラマ「天地人」が始まる前から毎年訪れている。兼続の墓で「この下に眠っている」と感動し、「愛」の飾りの付いた兼続の兜(かぶと)を鑑賞して本物の迫力に圧倒される。自宅には愛の兜の置物や兼続マスコット「かねたん」がずらり。
 好きな歴史上の人物は、兼続や「三国志」の諸葛亮孔明ら知略にたけた軍師タイプ。「命がけで戦いながら文人的な面も併せ持つタイプが、かっこいい」
 典型的な歴女のそらさんだが、書名に歴女ではなく武女子を用いた理由は「歴女と呼ばれるのが嫌という子が多い」。歴史が好きなのに、イケメン武将が戦うゲーム「戦国BASARA」のキャラに対する“萌(も)え”とひとくくりに語られるからという。
 「戦国BASARAはネタ。笑えるゲームが入り口でも史実を勉強した人も多く、まとめて歴女と呼ばれることに抵抗があるんです」。歴女はキャラ萌えか歴史マニアか。そらさん自身は萌えより、武将の生き方に共感する「燃え」だ。

 ≪司馬作品が好き≫

 歴史に興味を持ったのは小学生のとき、新撰組の土方歳三を描いた司馬遼太郎の小説「燃えよ剣」を読んだのがきっかけ。“オヤジ向き”とみられがちな歴史小説も、ブームのおかげで堂々と「好き」と言えるようになった。人物に興味を持ち、史実を調べて資料館や史跡を訪ねる。「古文書は難しくても、解説文を読むだけで面白い」と話す。
 歴史を勉強したり、歴史小説を愛読したりする女性は少なくない。「天地人」効果で入館者が急増した米沢市上杉博物館では「上杉家文書」を熱心に見入る女性が増えている。兵庫県姫路市の姫路文学館では司馬作品の読書会を10年以上続け、「参加者の3、4割が女性」という。
 歴女は、キャラ萌えの一言で片づけられない奥深さがあるようだ。

 ■「レッドクリフ」の影響大

 「草食男子」「肉食女子」を命名したコラムニスト、深澤真紀さん 「女にマニアはいないといわれていたが、『鉄子』によって女性にもマニアが存在すると認めざるを得なくなった。男性が俺(おれ)たちの牙城だと思っていた歴史にも、女性のマニアが大勢いたということ。
 『歴女』は『おかしな私』でいることを気にしない面白い存在。急増したのは『三国志』をもとにした映画『レッドクリフ』の影響が大きい。キャラクター萌えに近いが、情熱を燃やすためにくべる“石炭”は、キャラ萌えより歴史上の人物の方が埋蔵量は多い。“伊達さま”について知りたければ、史実や史跡が山ほどあり、マニア心をくすぐる。世界中の人が趣味として歴史を楽しみ、一生、退屈しない。
 20年前に登場したオヤジギャルによって、競馬や立ち飲みを楽しむ女の存在が認められた。それが今では普通になっているように、歴女も10年たてば普通になり、歴女向けのツアーやムック本も常態化する。歴女は今後も増えるだろう」

 「典型的な歴女のそらさんだが、書名に歴女ではなく武女子を用いた理由は『歴女と呼ばれるのが嫌という子が多い』」……「歴女」も嫌だけど「武女子」も「腐女子」を連想されるので嫌です(きっぱり)。





 今日は外出の道すがら芝増上寺に立ち寄りました。紅葉がきれいでした。

北海道
NHK大河ドラマ次は坂本竜馬 図書館で企画
 苫小牧市立中央図書館で、展示貸し出し企画「坂本竜馬」が開かれている。
 次の年のNHK大河ドラマにちなんで開いている。坂本竜馬に関する小説や明治維新にかかわった人物の本、幕末の風俗や歴史などを紹介する約180冊を集めた。人気の高い人物・時代だけに関連書籍も多い。
 図書館によると、年配の人や普段から歴史小説をよく読んでいる人の関心が高いのはもちろん、当時の写真を集めた本などを若い人が手に取る姿もよく見られるという。24日まで。


東京
上野彦馬賞フォトコンテスト:入賞作品の展示が始まる--都写真美術館 /東京
 写真界の人材発掘と育成を目的とした「第10回上野彦馬賞-九州産業大学フォトコンテスト」(同大、毎日新聞社主催)の入賞作品の展示が5日、目黒区三田の都写真美術館(恵比寿ガーデンプレイス内)で始まった。
 同賞は、幕末から明治にかけて長崎で写真館を開業し「日本の写真の祖」として知られる上野彦馬の名を冠し00年に創設された。
 今回は全国から過去3番目に多い3310点の応募があった。一般部門31人と中高生部門75人が入賞。最高賞の上野彦馬賞を受賞したスペイン・バルセロナ在住の写真家、森本徹さんの「コソボ--虐殺の記憶」をはじめ、紛争地のドキュメンタリーやほのぼのとした日常を切り取った作品など106点のほか、彦馬の作品55点が展示されている。
 13日まで。入場無料。7日は休館。【小泉大士】


滋賀
出版:「井伊直弼と黒船物語」 横浜の豊島さん、ゆかりの地訪れ紀行文 /滋賀
◇ブログ連載をまとめ
 幕末の大老で第十三代彦根藩主、井伊直弼のゆかりの地を訪ね歩いた紀行文をまとめた「井伊直弼と黒船物語 幕末・黎明の光芒を歩く」(A5判、268ページ)を、横浜市港北区の銀行員、豊島昭彦さん(50)がサンライズ出版(彦根市)から出版した。
 豊島さんは02年3月、直弼が不遇の青年期を過ごした「埋木舎(うもれぎのや)」を訪れ、「(直弼の)部屋住み時代15年の忍耐と、可能性がほとんどゼロに近くてもあきらめない闘志」に感銘を受けたという。これをきっかけに彦根や京都、東京などの直弼ゆかりの地を訪ね歩き、紀行文を書いてきた。
 08年11月、長浜市の旅館「須賀谷温泉」の取締役を務めていた知人の依頼で、同旅館のブログで紀行文「直弼の史跡を訪ねて」の連載を開始。09年2月までに、埋木舎や彦根城、桜田門などを題材に13回にわたって掲載した。「ブログを見た」と泊まりに来る人がいたり、出版を勧める声も上がったため、再度現地を訪ねて歴史的事実を確認したり、加筆修正して、本にまとめた。
 同書は2部構成。第1部「夜明け前の桜花」は、直弼と深く関わった女性、村山たか女の肖像画が伝わる高源寺(多賀町)などを収録した彦根編、彦根藩上屋敷跡や墓所がある豪徳寺などの江戸編、たか女の終焉(しゅうえん)の地・京都編--など。第2部「黒船物語」はペリー来航の浦賀、下田や久里浜のほか、アメリカ領事館跡地、神奈川宿などを訪れ、その歴史に迫っている。
 豊島さんは「直弼の人間としての大きさが心にしみ、キラリと輝く人物に出会えた旅だった。幕末の苦悩と混乱の中で彼らがいかに生きたかに思いを馳(は)せ、それが混とんとした今の時代を生きる道標になればうれしい」と書いている。
 1680円(税込み)。問い合わせはサンライズ出版(0749・22・0627)。【松井圀夫】



京都
飲酒運転:根絶訴え、京都府警伏見署員が路上で寸劇
 京都府警伏見署は5日、幕末の志士、坂本龍馬や妻お龍(りょう)に扮(ふん)して飲酒運転根絶を訴える寸劇を、龍馬の定宿だった寺田屋(京都市伏見区)前など3カ所で披露した。
 来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映を前に酒蔵の街・伏見の特色を生かしたPRをと署員が提案。酔っぱらって自転車に乗った新撰組隊士を龍馬が峰打ちで倒した。
 野外撮影と見まがう熱演に観光客らが記念写真を撮る姿も。龍馬役の交通課長は「酒造りの街から飲酒運転根絶を。伏見の夜明けは近いぜよ」と決めゼリフ。【藤田健志】

 「酔っぱらって自転車に乗った新撰組隊士を龍馬が峰打ちで倒した」……酔って暴走する新選組隊士って、どんだけ新選組のイメージ悪いんだか(涙)。

京都・読書之森:春秋 京大和翠紅館-平安から平成まで 京の雅 /京都
(写真・平垣内悠人 文・梅原猛ほか 思文閣出版・2940円)

 京都市街を一望できる立地と、幕末の志士の会合にも使われるなど由緒ある建物が伝わる「翠紅館(すいこうかん)」の四季の移ろいや歴史を、写真と各分野の専門家の文章で紹介する。

 現在は老舗料亭「京大和」として使われている翠紅館は、東山の高台にあり、愛宕山を背景にした八坂の塔、二条城、御所などの眺望が楽しめる。平安時代に最澄によって開山された正法寺の塔中(たっちゅう)の一つ、東光寺が起源とされ、以降、天皇家や足利義満、豊臣秀吉、徳川幕府ともゆかりを深め、江戸時代後期に西本願寺の所有となった。幕末には、公卿の三条実美や土佐藩の武市半平太、長州藩の桂小五郎ら勤王の志士が討幕の会合に使うようになり、歴史上の舞台ともなったという。

 桜や藤棚、紅葉、雪景色など、四季折々の変化をとらえた多数の写真をカラーで掲載。障子の間から八坂の塔が眺められるよう設計された室内からの風景や、さまざまな趣向が凝らされた各間の特長も伝える。また「歴史」「庭」「建物」の各分野について専門家が解説文を寄せ、写真と見比べながら読むと、理解が一層深まるだろう。

 訪れた際は、おいしい料理ばかりでなく、風景や建物も楽しみたい。機会と気持ちの余裕があれば、ですが。【田辺佑介】



和歌山
醤油醸造元「角長」 発祥の地で170年間綿々と
 「さしすせそ」の一つにも数えられ、古くから日本料理に欠かせないうまみ調味料として愛された醤油(しょうゆ)。鎌倉時代に高僧、法燈国師(はっとうこ くし)が中国から伝えた経山寺味噌(みそ)の製造工程で桶(おけ)にたまる液体が源泉で、和歌山県湯浅町で発祥したとされる。同町で昔ながらの手作りを守 り続ける醸造元「角長」(加納長兵衛社長)を訪ねた。(文・池田美緒)

手作り支える熟練

 江戸情緒あふれる古い町家や土蔵が立ち並ぶ重要伝統的建造物群保存地区にある。幕末の慶応2(1866)年に建てられた仕込み蔵を利用した醤油職人蔵と 資料館、そして天保年間の創業以来170年受け継ぐ仕込み蔵や作業場と隣り合わす本店。狭い小路には甘い麹の香りがただよう。「この香りは醪(もろみ)を 持っているからこそ。手作りの証し」と、代表取締役で醤油職人の加納誠さん(60)は胸を張る。

 寒仕込みの真っ最中の作業場に“潜入”した。岡山県産大豆600キロを高圧で1時間かけて蒸し、いって砕いた岐阜県産小麦510キロと種麹を手で混ぜ合 わせていく。100年前から使われる諸蓋(もろぶた)と呼ばれる木枠に入れて寝かせた後、オーストラリア産岩塩を溶かした水を加えていよいよ仕込み蔵に。 麹は蔵で醪に変化する。2日に1度かき混ぜながら1年半から2年以上発酵させ、うまみを凝縮していく。

 熟成した醪は、圧搾所で熟練の作業員の手で絞り出され、「生揚(きあ)げ」と呼ばれる生醤油になる。釜でアクを取り除きながら半日たきあげる「火入れ」 を経て完成。味を左右する火入れは、醤油職人の加納さんにしかできない重要な作業だ。江戸時代とほぼ変わらぬ工程の一つ一つが、熟練の技に支えられてい た。

歴史にふれて

 一般公開されている醤油職人蔵と資料館では、醤油作りの歴史が体感できる。

 職人蔵には、仕込み桶など醤油作りに使われた道具類が製造工程順に並べられている。全国的にも珍しい「足踏み式小麦割砕機」は江戸〜明治中期ごろ、いっ た小麦を割り砕くのに使われた。滑車のあまりの大きさに、当時の手間がしのばれる。てこの原理を利用して生揚げを絞り出した太く長い「締木(しめぎ)」も 圧巻だ。小麦をいり続けて底の抜けた平釜など、使い込まれた道具には職人の汗と苦労が染みこんでいる。

 平成7年にオープンした資料館では、湯浅醤油の由来を示す古文書などを展示する。古文書からは約200年前、92軒もの醤油蔵が並び栄えた湯浅の様子が 思い浮かぶ。日清、日露戦争時の大福帳はとくに分厚く、出征兵士らに祖国の味として親しまれたことが分かる。製造工程を紹介するビデオコーナーなどもあ り、湯浅町見物の休憩所としても重宝できそう。

伝承するプライド

 加納さんが“宝”と呼ぶのが、170年の歴史を誇る仕込み蔵に住み着いた「蔵つき酵母」である。はりや柱に白く浮き出た微生物の底力が、こくの深い味わ いを生み出す。醪を寝かせるゆりかご、深さ約1.8メートルの仕込み桶も「作れる職人はもういない」ほどの貴重品だ。先祖から受け継いだ道具と技が味を 守っている。

 全国に1500ある醤油製造業者のうち、昔ながらの手作りを続けるのは約1割。そんななか、価格よりも醪で勝負してきた。鎌倉時代の味を再現した「濁り 醤(びしお)」は、2年以上熟成した醪を特殊な濾し器で抽出、加熱処理しないことで豊かな香りを残した自信作。「海外へも魅力を伝えていきたい」と意欲を 見せる。

 蔵や資料館には多くの小学生や観光客も訪れる。「醤油発祥地の、伝統を受け継ぐ醤油屋としての責務と誇りを感じる」と加納さん。「もううちだけの商売ではない。湯浅の名に、恥ずかしくないものを作っていきたい」と力を込める。

 自慢の醤油を一口なめれば、甘く優しい香りと深い味わいが広がる。一滴一滴に職人魂が込められているのを感じた。

角長 和歌山県湯浅町湯浅7。醤油発祥の地と伝わる湯浅町で、昔ながらの麹からの手作りを守る唯一の店。天保12(1841)年の創業。資料館は毎週 土曜午前9時から正午、午後1時〜5時開館(入館無料)。その他の曜日は要予約。予約、注文はTEL0737・62・2035。ホームページ http://www.kadocho.co.jp



愛媛
社告:上野彦馬賞-九州産大フォトコン 松山で受賞作品展--22日から /愛媛
 幕末から明治にかけて活躍し、日本の写真術の開祖とされる上野彦馬にちなんだ「第10回上野彦馬賞-九州産業大学フォトコンテスト」の受賞作品展を開催します。一般部門の上位入賞作11点と高校生・中学生部門の入賞作75点を展示します。四国での開催は初めて。入場無料です。

 <会期>22日(火)~27日(日)9時40分~18時=最終日は15時まで<会場>愛媛県美術館=松山市堀之内<問い合わせ>毎日新聞福岡本部事業部092・781・3636

 主催 九州産業大学、毎日新聞社

 後援 文化庁、日本写真芸術学会ほか


高知
にぎわう産業祭
 「第26回土佐清水市産業祭」が5日、同市西町で始まった。メジカのつみれ汁やタルメのすまし汁、豚汁が無料で振る舞われ、大勢の買い物客でにぎわった=写真。6日まで。
 市内の農林水産商工業者らでつくる実行委員会の主催。会場脇の漁港岸壁には漁船が横付けされ、いけすで泳ぐ清水サバ約300匹が格安で販売された。
 メジカやサバなどを使った料理コンテスト(土佐清水青年会議所主催)もあり、5チームが料理の腕を競った。幕末に活躍した同市中浜出身の中浜(ジョン)万次郎の生家復元をめざす募金活動もあり、募金発起人会の田村泰輔さんらが協力を呼びかけた。
 6日は午前9時~午後3時。伊勢エビ汁の振る舞い、鮮魚の競り市、丸太切り競争などがある。


龍馬イヤーへ探訪マップ 志士相関図や歴史も紹介
 来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送を前に、幕末の志士とゆかりの地を紹介するパンフレット「幕末維新の土佐 探訪図会」(A4判、41ページ)が完成し、発行した。今後、数万部を配布予定で、県内各市町村のほか、「土佐・龍馬であい博(龍馬博)」の4か所のパビリオン会場などで配る。土佐・龍馬であい博推進協議会は「幕末維新の史跡を巡るバイブルとして役立て、高知の魅力を再発見してほしい」としている。

 同協議会と県内の博物館や文化施設など約50の機関でつくる「こうちミュージアムネットワーク」が発行。龍馬博のプレイベントとして、県内9会場で実施する巡回講座「幕末ゆめ道場『幕末維新の土佐』」でテキストとして使用するほか、県内4か所のパビリオン会場などで、観光客にも配る。

 坂本龍馬を中心とする幕末維新期の土佐藩の志士の人物相関図のほか、藩に関係する主な史実も略年表を付けて紹介。また、県内を東部、中部、城下、西部の4ブロックに分け、それぞれのエリアに残る志士ゆかりの地や史跡などを地図付きで説明し、藩が戊辰戦争で果たした役割や、維新後の志士の足跡なども紹介されている。無料。問い合わせは、同協議会(088・823・9706)。

(2009年12月6日 読売新聞)
 

山口
維新の志士育てた長州藩校「明倫館」新築時の姿 絵図発見
 高杉晋作や木戸孝允(たかよし)ら幕末から明治維新の志士を育てた長州藩(今の山口県)の藩校「明倫館」が、西日本最大規模に新築された直後の嘉永2(1849)年ごろに描かれたとみられる萩城下町の絵図が、萩市内で見つかった。萩博物館は「明治維新の原動力となった人材育成へ、藩の気概が伝わる貴重な資料」としている。

 絵図は縦1・7メートル、横1・9メートルで、二曲一隻のびょうぶ仕立て。市内の個人住宅の整理中に見つかり、所有者が11月上旬、同博物館に寄贈した。城下町開発の進み具合などから、江戸時代後期の嘉永2年ごろに描かれたという。

 当時は、明倫館が萩城三の丸から城下町のほぼ中央に移り、西日本一の規模を誇る藩校に建て替えられた直後で、その状況が見て取れる。絵図の中央には「明倫館」の文字がはっきりと記され、大きな敷地に築かれた様子も分かる。

 武家屋敷や社寺、農地などをそれぞれ色分けして詳しく示す一方、城の本丸や二の丸付近は雲で隠されていた。博物館では「町人が描かせたため、城についてはおそれ多くて詳しく載せなかったのかもしれない」と推測する。

 現在でも江戸時代の古地図を見て散策できるほど、当時の町割りがよく残っている萩城下町。清水満幸・統括学芸員は「高杉たちが歩いたのと同じ道を踏みしめることができる町並みがあり、この絵図のような資料を大切に守ってきた住民の高い意識がうかがえる」と話す。来年1月28日まで同博物館で公開されている。

      ◇
【用語解説】明倫館

 長州藩の5代藩主・毛利吉元が享保4(1719)年、家臣の子弟教育のため萩城三の丸に創建。「孟子」の「皆人倫を明らかにする所以なり」から命名。13代藩主・敬親が、老朽化と人材育成を理由に嘉永2(1849)年、城下町のほぼ中央に移転新築。敷地が約5万平方メートルに拡張され、剣術場や水練池なども備えた西日本一の規模を誇る藩校となった。現在は、跡地に萩市立明倫小学校が建っている。


佐賀
茶貿易の先駆け 顕彰
 幕末から明治初期にかけて活躍し、嬉野茶の名声を高めた長崎市出身の女性貿易商・大浦慶(おお・うら・けい)(1828~84)の資料展示室の開設を、嬉野市が進めている。4日開会の12月議会に「うれしの茶情報発信事業」として、展示室を「嬉野交流センター」1階に開設する予算案を提案した。「感謝の気持ちを表したかった」と市。可決されれば来年1月には公開する予定だ。(長沢豊)
 「お慶さん」と呼ばれた大浦慶は幕末、長崎・思案橋に近い油屋町にあった「大浦屋」に生まれた。しかし、その後、油屋町を含む526戸が焼失する大火に見舞われ、約250年続いた油商が行き詰まる。そこで考えたのが茶の輸出。1853(嘉永6)年、長崎・出島在留のオランダ人に嬉野茶の見本を手渡して、販路を英国、米国などの貿易商に求めた。
 3年後、見本を見た英国貿易商人・ウィリアム・オールトから1万斤(6トン)の嬉野茶の注文を受ける。この大量の注文に、嬉野茶だけでは応じきれず、九州一円の産地を駆け回って茶を確保。米国へ輸出。これが日本茶の輸出の先駆けとなったといわれる。
 市によると、当時、世界の市場で、お茶は高額商品とされ、長崎にやってきた外国人商人は日本緑茶を買い求めたという。嬉野茶は英国やアラビアにも輸出され、慶は30代にして女性貿易商として巨額な財を得たといわれる。市では「坂本龍馬などとの交流や維新の志士らの援助者という話も残る」という。ただ、明確な史料は残っていない。
 その後、明治の初め、熊本藩士のたばこ輸出売買契約の保証人になったが、たばこは渡されず、このつまずきで財産を失い、細々と茶の輸出を続けていたが、1884(明治17)年4月13日に他界した。市では「大浦慶が、嬉野茶の名声を高めることに、多大な貢献をしてくれた。この感謝の気持ちを表したかった」としている。
 資料展示室に展示するのは慶の生きた時代の年表パネルや坂本龍馬の資料、慶が輸出したとされる釜いり嬉野茶など。現在の嬉野茶の展示も計画している。



鹿児島
北海道展、断トツ1位は鹿児島 百貨店売り上げ9年連続
 全国の百貨店で催されている北海道物産展で、鹿児島市の「山形屋」がダントツの売り上げを記録している。首都圏の有名百貨店などを抑え、9年連続ナンバー1。なぜこれほど北海道展が受けるのか。

 山形屋では、今年も北海道物産展が11月6日から25日まで開かれた。初日は午前10時の開店と同時に買い物客がエスカレーターを駆け上がり、6階特設会場の売り場に向かう姿が見られた。約15分後には長蛇の列ができ、すれ違うのも難しい盛況ぶりだった。

 昨年は20日間で、鹿児島市の人口とほぼ同じ延べ約60万人が来場。過去最高の約7億6千万円を売り上げた。今年はさらに上回り、8億円を超えた。06、07年も期間中の売り上げは6億円超だった。

 北海道貿易物産振興会などによると、売り場面積や期間などで単純比較できないが、昨年、全国36会場で開かれた北海道主催の物産展の中で、1回あたりの売上額は山形屋がトップ。2位は東京の東武百貨店の約5億1千万円。九州の次点は宮崎市の宮崎山形屋が約3億円、長崎市の浜屋百貨店が約2億4500万円、福岡市の岩田屋が約2億1千万円だった。山形屋は08年まで「9年連続トップ」(同振興会)で、10年連続トップも確実な情勢だ。

 山形屋によると、年間のイベントで秋の北海道物産展に次ぐ売り上げは、ゴールデンウイークに8日間催す「初夏の北海道物産展」。以下、石川県の「加賀百万石のれん市」、京都府の「大京都のれん市」が続く。

 ちなみに昨年全国で開催された鹿児島物産展の売上高1、2位は東京と千葉にある東武百貨店で、北海道は上位に入っていない。

 なぜこれほど鹿児島で北海道展が受けるのか。

 「遠さに魅力を感じるのでは」とみるのは鹿児島県特産品協会。6~10月の季節限定で運航されていた北海道直行の航空便は08年に廃止され、北海道は県民にははるかな地となった。山形屋に親子で来ていた女性(46)は「旅費を考えたら、ほかの物産展に比べて断然お得でしょう」。

 「北海道へのあこがれ感」を挙げるのは、鹿児島市出身のタレントはしのえみさん(36)だ。「初めて行ったときは雪があって、別世界のようだった。アイスクリームやバター、ウニやイクラ、シャケといった産品も、キビナゴやカツオ、黒砂糖などになれた県民には新鮮で、聞くとテンションが上がるんだと思います」と語る。

 一方、歴史的な背景を指摘する意見も。

 NHK大河ドラマ「篤姫」の時代考証を担当した鹿児島大の原口泉教授によると、幕末や明治期の北海道開拓には多くの鹿児島の人々がかかわっており、上富良野町には島津氏の神社があるほどゆかりがある。さらに、昔から鹿児島ではコンブなど蝦夷地の産物を収穫祭などの儀式に多く使っており、今でもコンブやカズノコなしでは新年を迎えられないという。「昔から受け継がれてきたものが、広く浸透している。いわば、北海道は(鹿児島県民にとって)第二のふるさととも言える」

     ◇

 人気の陰には山形屋の企業努力もあるようだ。

 商品の味付けに鹿児島ならではのアレンジをしている。

 例えばイクラの醤油(しょうゆ)漬けは、北海道では辛口醤油を使うが、山形屋では鹿児島でなじみ深い甘口醤油にする。

 バイヤーとして出品業者と交渉にあたる日高博昭・食品仕入部長は「慣れ親しんだ味の方がお客様には受け入れやすい」と、業者に希望の味付けを伝え、納得いくまでサンプル品を作らせるという。北海道側の関係者は「ここまで徹底して独自の味付けにするのは珍しい」と感心する。

 仕入れに工夫も。

 物産展では鮮度や売れ残りの問題で少量ずつ仕入れ、補充するのが定石だが、山形屋では担当者が20日間かけて道内を回り、ジャガイモ20トン、カニ12トンと大量に買い付け、コンテナで運ぶ。「仕入れ値や輸送費を抑え、現地と同じ価格を実現した」と同部長。

 戦後間もない1950年に北海道の物産展を初めて開いたとされる福岡の岩田屋では、毎回初登場の商品を多くそろえるなどの工夫をしているが、山形屋の売り上げには舌を巻く。研究のために山形屋へ視察に出向いたこともあるという岩田屋の物産展担当バイヤーは「品ぞろえはピカイチ。地元好みの味付けに変えるなど商品開発力がすごい」と話していた。(白井伸洋)






 明日は雨で寒く、日曜日は晴れとの予報です。日曜には予定を入れているので、他に外出するなら明日ということになるけど……どうしようかなぁ(汗)。

宮城
タイムスリップで戦時下の生活体験 七ヶ宿中生が創作劇
 宮城県七ケ宿町七ケ宿中の全校生37人による創作演劇が5日、同町活性化センターで上演される。7年目を迎えた今年のタイトルは「追憶の不忘山―時を超えた絆(きずな)」。太平洋戦争の時代にタイムスリップした中学生を演じ、平和を訴える。
 舞台は七ケ宿町の不忘山(1705メートル)の山頂を目指した七ケ宿中生3人が滑落事故に遭い、太平洋戦争時の1945年にタイムスリップするシーンで幕を開ける。
 不忘山には同年3月、米軍の爆撃機「B29」3機が墜落している。3人は戦時下の暮らしや軍国教育を経験。墜落事故をきっかけに現代へ戻り、平和の誓いを新たにする筋書きだ。
 生徒は今年7月、墜落事故に詳しい郷土史家や戦時中の生活を知る高齢者に取材した。夏休みからシナリオの作成を進め、10月には不忘山登山を体験。今月1日には通しげいこを始めた。当日は全員が出演する。
 創作演劇は同校生が2003年から毎年取り組んでいる。これまで七ケ宿ダム建設や戊辰戦争などをテーマに取り上げているが、今回が最もメッセージ性が強いという。
 主役の一人、3年海藤輝君(15)は「今の中学生は途中で投げ出す人が多いが、当時は責任感が強く率先して仕事をした。見習いたい」と語る。
 別の主役の3年渡部亮太君(15)は「劇を通じて平和の尊さや友情の大切さを感じ取ってもらえたらうれしい」と話している。
 劇は午前9時50分開演。入場無料。連絡先は七ケ宿中0224(37)2360。


石川
映画:加賀藩が舞台「武士の家計簿」 金沢城公園でロケ始まる /石川
 幕末の加賀藩を舞台にした映画「武士の家計簿」のロケが3日、金沢市丸の内の金沢城公園で始まった。会計係の武士を演じる主役の堺雅人さん(36)に交じり、県内から選ばれたエキストラ9人が参加。しっかり脇を固め、撮影は順調にスタートした。6日まで市内で撮影される予定。
 原作は磯田道史・茨城大准教授の「武士の家計簿『加賀御算用者(ごさんようもの)』の幕末維新」(03年、新潮社)。加賀藩に実際にあった家計簿をもとに、会計の専門家「御算用者」として働く下級武士の生活と、一丸となって暮らしを支える家族のつながりを描く。「家族ゲーム」「模倣犯」などの森田芳光さん(59)がメガホンを取る。ヒロインは仲間由紀恵さん(30)が演じる。
 この日は、堺さん演じる猪山直之が金沢城に出仕する場面などを撮影。エキストラは硬い表情で、スタッフから「緊張しないで」と言われたが、演じきった。堺さんは「金沢でいろいろなものを見て、いろいろな食べ物を食べ、加賀の侍を演じる糧にしたい」と話した。映画は来年暮れに公開予定。【宮嶋梓帆】




京都
☆龍馬本 熱いぜよ☆
大河ドラマ放映後押し  9~12月で新刊100点以上

 坂本龍馬を主人公にした大河ドラマ「龍馬伝」が来年、NHKで放映されるのに合わせ、龍馬を題材にした本の刊行が相次いでいる。書店での売り上げも好調で、1月の放映開始に向けて、龍馬が活躍し臨終を迎えた京都でも「龍馬熱」が高まっている。
 中京区の出版社、ユニプランは9月以降、龍馬関係の本を4点刊行した。幕末史に詳しいNPO法人「京都龍馬会」理事長の赤尾博章さん(57)らに監修や執筆の一部を依頼し、地図や修学旅行教材の製作などで蓄えた歴史資料も活用した。
 「龍馬伝 京都幕末地図本」(税込み800円、144ページ)と「龍馬・新選組らの京都史跡を歩く 13コース」(同580円、34ページ)は、歴史解説つきの観光ガイドブック。京都の幕末の史跡などをめぐるコースを紹介する。
 「その時、龍馬は、新選組は 維新の胎動 幕末年表帖(ちょう)」(同1200円、312ページ)は、幕末から明治初期のできごとを年表形式で並べ、日付まで明記。「龍馬・新選組が駆けた幕末京都めぐり地図」(同680円、縦約90センチ・横約60センチの地図と索引24ページ)は、現在の京都市の地図に、当時の藩邸などの施設や事件の跡などを重ねた。
 同社の岩崎宏さん(35)は、「京都は龍馬の活躍のメーン舞台で、幕末の史跡も多い。ドラマ放映に合わせて、幕末の京都をまとめてみようと思った」と出版の理由を説明。「いずれも情報量が充実しているのが特徴」と胸を張る。赤尾理事長も「幕末史は事実と虚構が混同されている事項も多いが、今回は資料の裏付けがあるものだけを盛り込んだ」とアピール。「ドラマをきっかけに多くの人に京都を訪れてもらい、街の活性化につなげてほしい」と話す。
 書店側も、龍馬本の販売に力を入れている。
 10月から龍馬本のコーナーを設けている同区の大垣書店烏丸三条店。現在約50点が並ぶ。店長の梅垣直茂さん(38)は、「売れ行きが好調なので、11月下旬ごろ、コーナーを店の中ほどから入り口付近に移しました」と話す。
 梅垣店長によると、タイトルに「龍馬」と付く新刊は9~12月で計100点以上。「点数が多すぎて、並べる場所に困るほど」と明かす。売れ筋は「龍馬伝 京都幕末地図本」など京都の観光ガイドを兼ねる本や、幕末史を平易に解説した本。購入客には30~40代の女性の姿が目立つという。司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」など、定番の作品も根強い人気だ。
 梅垣店長は「『歴女』ブームなど歴史への関心の高まりに加え、名前がよく知られる龍馬がドラマの主人公になったことが大きい」と指摘。「ドラマが始まると、より深く読める文庫本や歴史読み物も売れてくるのでは」と期待を寄せる。龍馬コーナーは、来年1月15日ごろまで置く予定だという。


「龍馬本」出版続々 はやブーム
京の書店 特設コーナーも

 来春のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせ、坂本龍馬に関する本が続々と出版されている。「篤姫」「天地人」などとは違う勢いで、1カ月で1万5千冊のヒットも。売り上げ低迷に悩む出版関係者らは「源氏物語千年紀のように一大ブームになるか」と期待を膨らませている。

■大河ドラマで勢い別格

 全国書店ネット「e-hon」によるとタイトルに「坂本龍馬」を含み、今年出版されたのは約70冊。うち11月だけで約30冊を占めた。生涯を追う「史伝坂本龍馬」(学研M文庫)、「坂本龍馬事典-虚構と真実」(東京堂出版)、「足跡ガイド 海はるか坂本龍馬」(京都新聞出版センター)などだ。
 誕生から暗殺まで記録した「坂本龍馬日記」(新人物往来社)は2万千円。このほか、競馬必勝法を指南する「龍馬の法則MAX12」(ベストセラーズ)に加え、来年1月に期間限定雑誌「RYOMA」(主婦の友社)も刊行の予定だ。
 修学旅行の教材や地図を手がける「ユニプラン」(京都市中京区)は、今年9月から地図本など4冊を出版した。人気は年表や史跡散策の途中に立ち寄るカフェ情報を含む「龍馬伝京都幕末地図本 龍馬完全年表付」。1カ月で約1万5千冊を売り、「短期間にこれだけ売れたのは創業以来初めて」と喜ぶ。
 アバンティブックセンター(京都市南区)は今年10月から特設コーナーを設けた。人文や文芸など毎日5、6種類の新刊が入荷する状態が4カ月続いているといい、「放映開始前なのに、すでに通常の大河ドラマの倍の種類が出版されるのは異例。漫画や現代語訳などにも関連本が広がった源氏物語千年紀の売れ行きと似ている」。毎日、棚の並べ方を変え対応している。


徳島
絵画や古文書 多彩に 徳島城博物館5日から「新収蔵品展」
 徳島市の徳島城博物館の新たな収蔵品を展示する企画展「新収蔵品展」が5日、同館で始まる。同展は約3年に1回開催。今回は2005~08年度の収蔵分で、ほとんどが初公開となる。会期は来年1月31日まで。
 展示するのは、徳島藩士の子孫や古美術愛好家の家族ら県内外から寄贈された約70点。江戸前期から明治時代までの絵画や具足、古文書、着物など多彩な内容だ。
 公家の鷹司家と徳島藩主・蜂須賀家の家紋が入った運搬用の箱「長持ち」は、鷹司家の姫君の嫁入り道具とみられ、両家の交流を具体的に示す貴重な史料。水戸徳川家が編さんした歴史書「大日本史」には、蜂須賀家の蔵書を示す「阿波国文庫」の朱印がある。
 このほか、藩の御用絵師・渡辺広輝(ひろてる)が大黒天を描いた「日出牛乗大黒天図(ひのでうしのりだいこくてんず)」や弟子の守住貫魚(つらな)の「鳴門真景図(しんけいず)」など、徳島の美術史を語る上で貴重な作品もある。
 企画展と関連し、12月13日に「阿波踊り・節句関係資料」、20日に「広輝・貫魚・魚淵(なぶち) 幕末明治期の住吉派の展開」、1月23日に「鷹司家から嫁いできた姫君」と題した学芸員の講演会がある。いずれも午後2時から。
 担当の一人、根津寿夫学芸員は「徳島の歴史と文化の豊かさを楽しんでほしい」と話している。
【写真説明】【左】新収蔵品展で初めて展示する「日出牛乗大黒天図」【右】水戸徳川家が編さんした「大日本史」=徳島市の徳島城博物館



高知
京都ツアー:桂浜で舞子さんPR 龍馬ゆかりの地巡る /高知
 坂本龍馬ゆかりの地を巡る京都ツアーを売り込もうと舞子さん2人が3日、高知市浦戸の桂浜を訪れ、観光客らに「おいでやす」と観光パンフレットを配り、PRした。
 ツアーは京都市や同市観光協会などが「幕末と世界遺産に出会う冬」と題して企画。龍馬が伏見奉行所に襲われた「寺田屋騒動」の舞台となる船宿や龍馬の墓がある「京都霊山護国神社」などを巡るという。
 京都市東山区宮川町の花街から来た舞子さんは、それぞれ白と薄い紫色の着物をまとい、坂本龍馬像や県立坂本龍馬記念館を見学。桂浜の海を見て「すごく大きい」とびっくりしていた。観光客らは舞子さんを見て「可愛いね」と言いながら、一緒に写真を撮ったりしていた。
 舞子さんのとし愛(ちか)さん(16)は「京都にも龍馬さんに関係する観光地がいっぱいあるから高知の人にも来てほしい」と話していた。【黄在龍】


長崎
長崎さるく:「幕末編」が終了 龍馬コース、前年比5倍超 /長崎 
 「安政の開港」(1859年)から150年の今年、長崎市のまち歩き観光「長崎さるく」が幕末の歴史をクローズアップして展開した「幕末編」が11月30日終了した。この日はクロージングセレモニーが市内であり、ガイドツアー「通さるく」「学さるく」などの参加者が、前年同期比1.5倍以上と急増したことが報告された。
 幕末編が開催された4月23日~11月30日の参加者は2万3169人(速報値)で、前年同期1万5089人から急増。最も人気があった坂本龍馬ゆかりの亀山社中跡や風頭公園を巡る「龍馬が見上げた長崎の空」コースは6308人と前年同期比5倍以上だった。
 市は、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送が始まる来年1月3日を前に、同2日から「長崎さるく英雄(ヒーロー)編」を新たにスタート。龍馬や岩崎弥太郎らに加え、勝海舟、木戸孝允、伊藤博文、大隈重信ら長崎ゆかりの多くの志士らをクローズアップする。【錦織祐一】


「長崎居留地おみやげ龍馬屋」開店 菓子やタオルなど500点並ぶ
 幕末の志士、坂本龍馬にかかわる土産品を集めた「長崎居留地おみやげ龍馬屋」が1日、長崎市南山手町にオープンし、多くの観光客でにぎわっている。
 ギフトとお土産の専門商社「ひろたか」(同市魚の町、廣高信彦社長)がグラバー園周辺の同社の土産品店を改装してオープン。2010年放送のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせ、長崎を盛り上げようと企画した。
 約40平方メートルの店内に、龍馬をモチーフにしたポストカードや菓子、コーヒー、Tシャツ、タオル、キーホルダー、陶器、本など約500点が並ぶ。「龍馬伝」のロゴが入った商品もずらり。龍馬が故郷に送った手紙の複製などもある。
 廣高社長は「店は、グラバー園と亀山社中跡を結ぶ『長崎龍馬の道』の沿道にある。お土産をきっかけに、長崎と龍馬のつながりを知ってほしい」と来店を呼び掛けている。
 オープンを記念し、千円以上の購入で龍馬の写真をあしらったポスター(A4判)をプレゼント。20日まで。問い合わせは同店(電095・828・4577)。


長崎まちなか龍馬館:1月オープン 中心市街地一体で盛り上げ /長崎
◇亀山社中の再現セットも
 幕末の長崎を舞台に坂本龍馬の活躍を描くNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送開始(来年1月3日)に合わせ、長崎市などはこのほど、同市浜町の中心商店街に「長崎まちなか龍馬館」を来年1月2日にオープンさせると発表した。龍馬の商社「亀山社中」跡付近から旧外国人居留地があった大浦地区を結ぶ2・7キロを「長崎龍馬の道」と命名することも決定。市は「龍馬が歩いた長崎の街を楽しんで」と話す。【錦織祐一】
 龍馬館は、商店街の空き店舗を改装。亀山社中の再現セットや、龍馬と土佐藩参政・後藤象二郎が会談した料亭「清風亭」の調度品などを展示。上野彦馬が龍馬を撮影した当時の写真機による撮影体験などもできる。1階は、まち歩き観光「長崎さるく」のガイドステーションにもなる。
 龍馬の道は、亀山社中や清風亭、グラバー園など龍馬ゆかりの史跡を結ぶ2・7キロを旗で彩り、その間の交差点ごとに45カ所の案内番号を設定。観光客が番号を手掛かりに市内を散策できるようにする。
 市さるく観光課は「この道は龍馬が絶対に歩いたはず。観光客の回遊性が高まるし、龍馬館で中心市街地に人が集まり、活性化にもつながる。沿道の地域が一体となって盛り上げていきたい」と意気込んでいる。
〔長崎版〕


文化芸能
福山雅治、紅白から大河!NHK出ずっぱり…「龍馬伝」完成披露
 歌手で俳優の福山雅治(40)が主演する来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」(1月3日放送、日曜・後8時)の完成披露試写会が3日、東京・渋谷の同局で行われた。07年12月の企画の成立から2年。満を持しての作品の船出に、福山は「自信をもってオンエアできる、そういう手応えを感じている」。NHK紅白歌合戦出場など大みそかまで多忙な日々が続くが、来年の同局の「顔」としてフル稼働する。
 凛(りん)としたたたずまいが、福山のこの作品にかける強い決意を感じさせた。時代劇初挑戦にして、同局の看板番組の主演。先月下旬に初回放送分を見終えると、不安、重圧は消えていた。「これからどれくらいのエネルギーを持つ作品になるのか、自分でも想像するだけでワクワクするような第1話。自信をもってオンエアできる、そういう手応えを感じている」。通常のドラマ会見の倍以上、100人を超える報道陣が集まる中、ひと言、ひと言をかみ締めるように話した。
 初回放送分では田畑で泥まみれになったり、池の中に落ちたり。特訓を重ねた殺陣や土下座のシーンもある。不惑の体にムチを打って、文字通り“体当たり”で演じている。10月のクランクインから2か月、擦り傷や打ち身も絶えなかったが「現場で苦労したこと、大変だと思ったことが報われたという思いがある」。改めて「龍馬伝」への思いを募らせた。
 キャストも作品にかける思いは同じ。岩崎弥太郎役の香川照之(43)が「この1話を見て興奮したし、ゾクゾクした。この努力が実っている誇りがある」と話せば、武市半平太役の大森南朋(37)も「気持ちが潤っていて興奮して現場に来られる。(共演者と)対峙(たいじ)したときに生々しい感情を味わえる」と充実感を口にした。
 撮影と並行して、福山には16年ぶり2度目の紅白のステージが控える。休息の時間はないが、覚悟の上で「出演が決まって『おめでとう』と言われるのは『大河』と『紅白』の2つ。改めて重み、期待を感じている。全力でいつも以上に、未知なる力で頑張りたい」。
 最近10年間の大河の初回視聴率の最高は「新選組!」(04年)の29・0%。低迷するテレビ業界の志士として“福山龍馬”が新たな歴史を築く。

 最近10年間の大河ドラマの初回最高視聴率は『新選組!』がレコードホルダーなんですねぇ……そう言われるとDVDでまた見たくなってしまうんですが^_^;。

福山雅治、納得の第1話も「あくまで始まり」NHK大河「龍馬伝」完成試写会
[eiga.com 映画ニュース] 歌手で俳優の福山雅治が坂本龍馬を演じる、来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」第1話の完成試写会が12月3日、都内の同局で行われ、福山をはじめメインキャスト陣が顔を揃えて意気込みなどを語った。
 第1話「上士と下士」の出来栄えに、福山は「コーンスターチの粉にまみれて池に落ちて……、いろんなことがあったけれど、苦労が報われました」と納得の様子。「でも、あくまで始まり。これからこのドラマがどのくらいのエネルギーを持っていくのか自分でもワクワクします」と、今後の撮影に気合を込めた。
 「龍馬伝」は、幕末の風雲児・龍馬33年の生涯を、同じ土佐藩出身の経済人・岩崎弥太郎の視点から描く青春群像劇。岩崎を香川照之、龍馬の幼ななじみ・武市半平太を大森南朋、姉・乙女を寺島しのぶ、龍馬に恋する平井加尾を広末涼子が演じる。
 第1話では、龍馬の幼少期からの成長と土佐藩の武士社会における厳しい上下関係が描かれる。福山は、香川や大森らとともに、ほこりと泥にまみれながら若き土佐藩士を熱演。「寺島さんに蹴り起こされるシーンは、お尻じゃなく“危険なところ”にヒットしました。これは(記事に)書いてくださいよ!」と、ハードな撮影を冗談めかした。第2話では、三味線に挑戦し、歌も披露している。
 また、16年ぶり2回目の出場が決まった「紅白歌合戦」に向け、福山は「出演が決まっておめでとうと言われるのは、大河と紅白の2つだけなんだなと、改めてその重みを感じました。自分の未知なる力が出せるように頑張ります」と抱負を語った。
 香川は「時代を切り開いた龍馬を意識しているのか、(この作品は)あらゆる意味で特殊な撮影方法なんです。これがNHKで行われているのは奇跡!」と斬新な撮影手法について熱弁。一番“汚れる役”を引き受けているが「努力が実っています。このうねりのような力で1年間乗りきっていきたいと思います」と力強く話していた。
 「龍馬伝」は、来年1月3日よりNHK総合で毎週日曜夜8時放送。初回は74分の拡大版。他に衛星ハイビジョン、衛星第2でも放送。(eiga.com×文化通信)






 雨で洗濯物がなかなか乾かず、大量に部屋干ししているせいか、結露がすごいことに(汗)。

東京
立川発、貨物線経由の伊豆急下田行「黒船電車」を運行 - 伊豆急とJR東日本
 伊豆急行とJR東日本横浜支社は、1月9日~11日に「黒船電車」を使用した臨時特急「リゾート踊り子91号・92号」を運行する。JR立川駅と伊豆急下田駅を、南武線、東海道貨物支線などを経由して結ぶという。全席指定席でグリーン車は連結しない。乗車するには乗車券のほかに指定席特急券が必要となる。
 「黒船電車」は伊豆急行が保有する特急用車両「リゾート21」の1編成(4次車)を、伊豆下田に来航した黒船に見立てたラッピング車両とのこと。先頭車はハイデッカータイプで運転席越しの展望を楽しめる。中間車は海に向いたパノラマシートとなっている。車内には車内には、「黒船の来航と幕末」「当時の下田」を紹介する資料や図版などを展示しているという。
 「リゾート踊り子91号」はJR立川駅10:30発 - 伊豆急下田駅14:08着。南武線、南武線支線、東海道貨物線、東海道線、伊東線、伊豆急行線を経由する。途中停車駅は府中本町・登戸・武蔵溝ノ口・武蔵小杉・横浜・小田原・湯河原・熱海・伊東・伊豆高原・伊豆熱川・伊豆稲取・河津。「リゾート踊り子92号」は伊豆急下田駅16:17発 - JR立川駅20:04着。経由路線と停車駅は同じ。なお、途中、浜川崎駅で車両の方向転換を実施するとのこと。

 「黒船電車」については以前にも取り上げました。
5月13日~14日の幕末ニュース
 乗りたいなぁと思っているのですが、立川か横浜から乗り込むというのは自分にはやや不便……せめて川崎に停まってくれればいいのに(爆)。

遊ナビ:美術 /東京
■江戸の粋・明治の技柴田是真の漆×絵

 5日~来年2月7日10~17時、三井記念美術館(地下鉄三越前駅)。幕末から明治期に活躍した漆芸家で画家、柴田是真(1807~1891)は、和紙に色漆を用いて描く「漆絵」も発展させ、海外の評価が高い。今回は米国テキサス州のエドソン夫妻のコレクション約70点が初めて里帰り。国内所蔵の約30点と合わせて。一部展示替えあり。1200円。月曜(1月4・11日除く)と12月28日~1月3日、1月12・31日休。電話03・5777・8600
(以下略)


新潟
「天地人」後 始動
 県内が主な舞台となったNHK大河ドラマ「天地人」の放映が11月22日で終了した。1月の放送開始以来、県内のゆかりの地には連日多くの観光客が詰めかけた。この効果を来年以降も生かそうと、「戦国時代」をテーマにした観光拠点づくりやイベントを行う動きも出始めている。(伊木緑)

   ◇

■「観光客、来年以降も」各地で模索

 主人公の直江兼続生誕の地、南魚沼市。JR六日町駅前で1月から開催している博覧会「愛・天地人博 南魚沼」の入場者数は11月末、42万人を超えた。主催者側が当初、会期終了の年末までに見込んでいた入場者数は20万人。すでに2倍以上だ。平日でも、団体客を乗せた県外ナンバーの観光バスが次々と到着しては、駐車場を埋め尽くした。
 「わしはこんなとこ来とうはなかった」の名ぜりふの舞台となった古寺「雲洞庵」(同市雲洞)も10月末までの10カ月間で入場者が40万人を超えた。昨年の7倍のペースだという。
 観光客の増加は、飲食店や土産物屋にも「特需」をもたらした。同市の国道沿いのそば屋「田畑屋」(同市目来田)は観光客が増えるのを見越して昨年10月、従来の店の隣に団体客用のスペースを作った。春から11月末まで一日も休まず営業。多い日には観光バス十数台分の客が入っり、売り上げは例年の約4割増になったという。店主の田畑敏晴さんは「これほど来てもらえるとは思わなかった」と満足げだ。

   ◇

■大河の「先輩」は軒並み苦戦

 だが大河ドラマによるブームがそう長くは続かないことは、これまでに舞台となった自治体の経験から明らかだ。
 山内一豊と妻千代の夫婦愛を描いた「功名が辻」が放映された06年、静岡県掛川市に開設された展示館の入場者は年間30万人を超えた。ブームが続くことを当て込み、翌年も改装して再オープンしたが、来館者は見込みの4割にとどまった。
 山内が城主を務めた掛川城には06年、年間約35万人が来場したが、翌07年には15万人に減少。現在は10万人前後だという。
 同市商工労働観光課の担当者は「放映中の年に来るお客さんは、『歴史ファン』ではなく『ドラマファン』。掛川市の『顧客』ではないんです」とやや自嘲(じちょう)気味。それでも「全国での知名度アップは間違いない。遺産は大切にしていかないと」と話す。
 昨年放送された「篤姫」のふるさと鹿児島県は、放送終了後の対策について昨年の早い時期から検討を始めた。09年が篤姫の養父・島津斉彬の生誕200周年とJR肥薩線の全線開通100周年に当たることをアピールするキャンペーンを張った。
 「ゆかりの地」として話題になった島津家の別邸・仙巌園(鹿児島市)は今年、入場者が昨年より13%ほど落ちるなど「昨年上がった分だけ反動はあった」(県観光課)が、博覧会「篤姫館」(同市)を模様替えして再オープンした「維新ふるさと館」は昨年比103%の入場者をマーク。いまのところ、「篤姫ブーム」の延長に成功している。それでも「ブームが去った後の観光地づくりに力を入れなければ」と同課の担当者は気を引き締める。

   ◇

■「戦国」をテーマにイベント

 翻って県内は――。
 南魚沼市は、最近の戦国武将ブームに目を付けた。「天地人」に加え、「イケメン武将」が次々と登場する人気のゲーム「戦国BASARA」は今年、歴史好きの若い女性を指す「歴女」なる流行語を生んだ。
 大河ドラマのブームは去っても、戦国ブームは簡単には去らないと見込み、「愛・天地人博」の会場を来年、戦国時代をテーマにした博覧会に模様替えする計画を進めている。
 今月6日には市内で、「戦国BASARA」のプロデューサーや声優を招いてトークイベントを開催する。「ポスト天地人」に向けて、新たなスタートを切る。
 上越市は07年の「風林火山」から立て続けに大河ドラマの舞台となり、「謙信のまち」として知名度を高めた。市観光企画課の担当者は「大河ドラマはきっかけにすぎない」と言い切り、「民間と協力して、リピーターの受け入れ態勢を改善していくことが今後のテーマ」と話す。

 「放映中の年に来るお客さんは、『歴史ファン』ではなく『ドラマファン』。掛川市の『顧客』ではないんです」という掛川市関係者の言葉が耳に痛いですねぇ。今の「戦国」「幕末」人気も、ドラマやアニメやゲームによって生まれたものという一面を否定できませんし。その中から史実に目を向ける人が生まれてくれれば(自分も小説やマンガから入りましたし(^^ゞ)。


静岡
広域行政の推進支援 サンフロント21懇話会
 県東部の活性化策を探る静岡新聞社・静岡放送「サンフロント21懇話会」(代表幹事・岡野光喜スルガ銀行社長)の第15回全体会が2日、三島市内のホテルで開かれ、伊豆の国市在住の女優、藤田弓子さんが「いくつになっても旬」と題して記念講演を行った。全体会に先立つ運営委員会で、2010年度活動方針となる四つの地区テーマについて協議した。
 全体会は約80人が出席した。あいさつで松井純静岡新聞社・静岡放送社長は、藤田さんが10月の国民文化祭・しずおか2009で、幕末の代官「江川坦庵」の演劇を演出したことに触れ「藤田さんの活動は清涼剤。地域文化を掘り起こし、活躍されている」と評価し、講演に期待した。
 運営委員会(委員長・井口賢明あさひ総合法律事務所長)では、事務局から▽広域行政の推進支援▽ファルマバレープロジェクトの推進支援▽東部地区におけるコンベンション機能の促進▽富士、箱根、伊豆を束ねた広域観光の促進―の地区別4テーマが示された。
(以下略)

 『江川坦庵』、また公演しないかなぁ……見損ねたのがとても残念です。

三重
人気ドラマ「JIN-仁-(じん)」-音楽担当は伊勢出身の長岡成貢さん
 高視聴率で人気を集めているドラマ日曜劇場「JIN-仁-(じん)」(TBS系)の音楽制作に伊勢出身の長岡成貢さんがかかわっている。
 「JIN-仁-」は、2000年9号から「スーパージャンプ」(集英社)に連載されている漫画作品をテレビドラマ化したもので、毎週日曜21時から放送中で全11話。10月11日の放送の第1話の視聴率は16.5%で、以降16.4%、17.2%、17.2%、20.3%、20.2%、16.8%(視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ)の高視聴率を維持している。
 幕末の江戸へタイムスリップしてしまった脳外科医「南方仁」が、満足な医療器具も薬もない環境で人々の命を救っていき、その医術を通して坂本龍馬・勝海舟・緒方洪庵ら幕末の英雄たちと交流を深め、いつしか自らも歴史の渦の中に巻き込まれていくというストーリー。
 主人公の「南方仁」役には大沢たかおさん、仁の現代での恋人「友永未来」とタイムスリップした江戸・吉原の最上級位の花魁(おいらん)「野風(のかぜ)」の二役を演じる中谷美紀さん、幕末の江戸で仁の世話をし公私共に支えになる「橘咲」役を綾瀬はるかさん。そのほか内野聖陽さん、小日向文世さん、武田鉄矢さんらが出演する。
 長岡さんは、中島美嘉、EXILE、SMAP、CHEMISTRY、MISIAなどJ-POPのトップアーティストのプロデュース、アレンジ、リミックスなどを手掛ける一方、ベルリン・国際映画祭ワールドプレミア上映の映画「白銀帝国」の音楽を作曲するなど世界的に注目される作曲家、音楽プロデューサー。
 長岡さんは「今回は高見優さんと作曲を分担している。ドラマのキーワードの一つである手術の緊迫したシーンで特徴的に使われる和太鼓サウンドや、主人公の精神的な葛藤、ミステリアスな世界観、江戸時代という時代を演出する日本的で優美な旋律などを僕が担当。そもそも『斎宮物語』(長岡さん作曲の明和町の斎宮テーマの曲)など、日本的なメロディー・サウンドはわたしの最も得意とするところ。僕の中では江戸時代=『伊勢』と結びついているので何の違和感もなかった」と話す。
 12月2日には同ドラマのオリジナル・サウンドトラックが発売されたばかり。

 『JIN-仁-』、音楽もいいなぁと思ってました。オリジナルサウンドトラック、気持ちが動きます。

コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(39)東大教授・山内昌之 渋沢栄一
■日本資本主義の父

 鳩山由紀夫首相と新政権には「マクロ経済政策がない」とか、「成長戦略がない」という声をよく聞く。確かに、福祉や教育をめぐって国民への分配や再分配を熱心に進めようにも、基礎となる税収が落ち込むなら持続的な社会発展は期待できない。
 このあたりの舵(かじ)取りに巧みだったことが、明治新国家の成功した秘訣(ひけつ)であろう。19世紀のアジアやイスラムの世界は、外国資本主義の圧迫にあえいでいた。そのなかで、遅く開国しながら、日本がいちはやく産業化に成功して、欧米に伍(ご)する近代国家に成長した理由は、リーダーシップの問題とも関係している。  

近代国家へ任務分担

 幕末明治に活躍した日本の政治家やエリートくらいの外国語能力なら、はるかに優秀な人材がオスマン帝国やエジプトにも多かった。しかし、政界と官界だけでなく、実業界や学界が有機的に結びつきながら、類まれなリーダーシップを発揮して協力しあう構図は日本独特のものであった。
 ことに役どころを任務分担するかのようだった3人が日本にいなければ、明治に始まる近代日本国家の成長はありえなかった。それは財政の松方正義、理財学の福沢諭吉に加え、各種銀行をつくった金融の渋沢栄一の活躍であった。
 渋沢は武蔵の血洗(ちあらい)島という変わった名前の村に生まれた。藍(あい)玉の製造販売と養蚕を兼営し、米、麦、野菜の生産も手がける大農家に育ちながら、原料の仕入れや藍の販売に従事した経験が、やがて欧米の合理的な資本主義システムにもいちはやく適応できる素地を形作った。
 しかし、彼は尊皇攘夷(じょうい)の気風に染まり、高崎城の乗っ取り、横浜の焼き討ち、幕府転覆などの物騒な計画を練り上げた。従兄弟(いとこ)の渋沢成一郎はやがて上野で薩長軍に抵抗する彰義隊の指導者になったが、栄一は一橋家の家臣になって穏健な変革の道を志した。

西欧見聞で人生観一変

 彼の人生観を大きく変えたのは、パリの万国博覧会見学による西欧での知見の広がりであった。主君の慶喜(よしのぶ)が将軍となった際に、名代としてパリに派遣された弟、徳川昭武(あきたけ)の随員としてフランスを訪れたのである。パリなど西欧滞在の経験を誰でも生かせるものではない。
 しかし、栄一は渡航の途中にエジプトの悲惨な半植民地状態の観察などを通して、日本が欧米に従属しない道とは何かを考え続けたのである。この救国の問題意識こそ、帰朝後に彼を政界や官界よりも実業の道に向かわせる大きな動機になったのだ。第一国立銀行、王子製紙、日本郵船、東京証券取引所などの企業や団体の設立と経営は、誰かが果たさなくてはならない仕事であった。
 この事業に、養蚕農家経営、尊攘志士、徳川家臣、外国視察など多彩な経験を積んだ教養人の栄一があたったのは、黎明(れいめい)期の日本資本主義にとって幸いなことであった。しかも栄一の偉いのは、三井や岩崎や安田と違って「渋沢財閥」をつくらなかったことだ。

私利を追わず公益を図る

 これは、彼の経営姿勢が「私利を追わず公益を図る」という全体への奉仕に貫かれていたからかもしれない。実際、渋沢ほど社会活動に熱心だった資本家もいない。当世風に言えば、メセナにも関心があったのだ。東京養育院、東京慈恵会、日本赤十字社、癩(らい)予防協会の設立、聖路加国際病院やYMCAの指導にもあたっている。
 また、高等商業教育を振興したのは、渋沢の大きな功績にほかならない。商法講習所(一橋大学)、大倉商業学校(東京経済大学)は渋沢の熱意と協力があって初めて誕生した。
 早稲田、二松学舎、国士舘、同志社、日本女子大、東京女学館などの設立や発展の背景には必ず渋沢の姿があった。まさに、言葉以上に「日本資本主義の父」としての重みをもつ逸材であった。(やまうち まさゆき)
                   ◇

【プロフィル】渋沢栄一

 しぶさわ・えいいち 実業家。天保11(1840)年、武蔵国榛沢(はんざわ)郡(埼玉県深谷市)生まれ。一橋家につかえ、幕臣となる。慶応3年、後に最後の水戸藩主となる徳川昭武とともに渡欧し、パリ万国博覧会を見学、西洋の近代産業や財政制度を学ぶ。維新後、大蔵省に出仕。明治6年に退官すると、第一国立銀行のほか、保険・運輸・鉄道など多くの近代的企業の創立、発展に尽力する。実業界の地位向上や実業学校の創設、「論語」を通じた道徳教育にも努めた。昭和6(1931)年、92歳で死去。

 土方ファンには知られていることだけど、渋沢栄一と土方歳三は幕末の京都で出会っているんですよね。
渋沢栄一と土方さんの遣り取り♪
 土方ファンにはちょっと嬉しいエピソードです。

文化
山田風太郎の直筆原稿435枚見つかる
 兵庫県養父市関宮出身の作家、山田風太郎(1922~2001)が、月刊誌などに連載した時代小説の短編「笊(ざる)ノ目万兵衛(まんべえ)門外へ」の直筆原稿全78枚と、風太郎が旧制豊岡中(現・県立豊岡高校)時代に、社会科教諭だった歴史家の奈良本辰也氏(1913~2001)の思い出をつづった原稿「拝啓 奈良本先生」の7枚が新たに見つかった。
 一部が見つかっている古今東西の著名人の死に際を描いたノンフィクション「人間臨終図巻」350枚も新たに見つかった。いずれも同市の山田風太郎記念館に寄贈され、開催中の特別展で公開している。
 風太郎の妻の啓子さん(東京都在住)が、自宅の庭にある物置で見つけ、10月下旬に同館に寄贈した。400字詰め原稿用紙に書かれており、編集者が赤ペンで修正した個所はあったが、書き直しなどはほとんどなく、完全原稿に近いという。
 「笊ノ目万兵衛門外へ」は1972年に発表。幕末の老中・安藤信正が、志士に襲撃された坂下門外の変(1862年)をモチーフに、安藤の部下だった主人公の笊ノ目万兵衛の活躍と悲劇を描いた。志士たちの暗躍を防ぐため、妻と母ら家族3人を犠牲にし、最後は安藤を襲う刺客の一人として加わったという筋立て。
 風太郎の研究家の有本倶子さん(65)(養父市中瀬)は「風太郎独特の歴史観と人物観がよくでており、弱者への優しさがかいま見られる」としている。
 「拝啓 奈良本先生」は、風太郎が授業中、奈良本氏の似顔絵を描いたことや、さっそうとした雰囲気が映画俳優の嵐寛寿郎に似ていたことなどが記されている。編集者らの校正の跡はなく、風太郎の随筆「風眼抄」の中で、こうしたエピソードが触れられているという。
 「人間臨終図巻」は、正岡子規やモーツァルトら約300人の死に際が描かれており、今回の発見で計520枚分がそろった。

(2009年12月2日22時27分 読売新聞)




 師走に突入したと意識しているせいか、時間の経つのがいつも以上に早く感じられます。
 この日曜日に放映された『JIN-仁-』が視聴率22.3%を記録したそうで、原作は初回連載時からのファン&ドラマもそれなりにファンとしてはとても嬉しいです。

北海道
土方隊進攻の道、踏破へ 森から江差へ 16日かけ旧道忠実に
 函館市内で旅人向けの無料の宿「自遊旅」を開設している土方歳三ファンの毛利剛さん(66)が5日から、箱館戦争(1868~69年)で旧幕府軍の土方隊が進攻したルート250キロを歩く一人旅に出る。2年前には国道伝いに踏破したが、今回は土方隊と同じ季節に、できるだけ史実に忠実に16日間かけて旧道をたどる。毛利さんは「どんなに過酷な状態で進攻したか、身をもって感じたい」と話している。
 毛利さんは森町鷲ノ木の榎本軍上陸跡地をスタート、噴火湾沿いに南下し、函館・五稜郭入りする。その後、津軽海峡沿いに進み、20日に江差町でゴールする計画だ。
 この間には道なき川汲峠(函館)や廃道となった白神山道の峠(松前)、急傾斜の小砂子(ちいさご)山道(上ノ国)などの難所もあり、雪に覆われた山道中心の険しい旅になりそうだ。
 毛利さんは5年前から森町史や関係する紀行文、現地調査をもとに土方隊のルートを調べてきた。2年前の4~5月にはこのルートを国道中心に18日間かけて歩いた。
 吹雪の日以外は野営するため、マウンテンバイクのタイヤを利用した自作のキャリアー(押し車)にテント、寝袋、衣類、ガスバーナーなどを積み、計13キロの車体を押しながら歩く。新撰組の名将の名を記した亡母サキさんの形見のはんてんを羽織り、トレードマークのバンダナを身につける。
 毛利さんは「この道の挑戦は最後。当時の状況や地形を想像して歩きたい」と話し、毎朝、日の出前に大森浜を歩いて足腰を鍛えている。一方で「いずれこのルートがフットパス(遊歩道)になり、みんなに歩いてもらえるといい」との夢もある。
 土方歳三率いる400~800人の隊は25日間かけてこのルートを進攻。その後、土方は乙部から上陸した新政府軍との二股(現在の北斗市)での激戦をへて、箱館で銃弾に倒れた。(久保吉史)
 
 「も~さん」こと毛利さんからは9月に函館を訪問した時にこの計画を聞いておりました。いよいよ出立されたのですね。
も~さんのサイト「自遊旅
 道中のご無事、そして実り豊かな旅となりますようにと、お祈り申し上げます。

岩手
鉄の検定:釜石で児童・生徒ら約370人受検 市支えた郷土の歴史に思いはせ /岩手
「鉄の記念日」の1日、近代製鉄発祥の地とされる釜石市で、鉄の歴史や文化に関する知識を試す鉄の検定(鉄検)が行われた。児童・生徒を対象にした初級では5校の計373人が受け、鉄と共に栄えた郷土の歴史に思いをはせた。
 市や新日鉄釜石などでつくる「鉄のふるさと釜石創造事業実行委員会」が昨年に続いて実施した。釜石東中では、2年生80人が釜石で1857(安政4)年、鉄鉱石を原料にして洋式高炉で初めて銑鉄を取り出すのに成功した盛岡藩士・大島高任の生涯をビデオで学習し、初級問題に挑んだ。
 幕末期の日本を取り巻く情勢や高任と水戸の反射炉、戦時中の艦砲射撃などに関する50問を30分で解く問題。狐鼻俊介君(14)は「教科書にも載っていなくて難しかった」と顔をしかめた。
 一般向けの上級(80問・60分)は6人が受けた。実行委は6日、小中学生、一般の各3位までを表彰する。鉄の記念日は日本鉄鋼連盟が1959年、高任の成功した日にちなんで制定した。【鬼山親芳】


東京
にわか知識人の気分 日本橋「丸善カフェ」
早矢仕ライス

 ティファニーで朝食はとれないし、丸善で檸檬を求めることは出来ない。でも、日本橋丸善ではハヤシライスは食すことが出来る。いやここのハヤシライスはカタカナでなく「早矢仕ライス」と書く。3階のカフェでの話。
 福沢諭吉のバックアップをうけ、明治2年に丸善を創業した早矢仕有的に由来するのだそうだ。医師でもあった有的だが友人が訪れると、ありあわせの野菜をごった煮にし、ご飯を添えて饗応するのが常だったとか。幕末か明治初年か、人々はそれを「早矢仕ライス」といい、ついにはレストランのメニューに書かれるまでになった、と丸善はいう。


微妙な甘さと酸っぱさと

 ここの早矢仕ライスのご飯の量は健康的で、やや物足りない向きもあろう。私はそうだ。この日、その早矢仕ライス1000円を食すべく出かけたが、「本日のおすすめ1200円」に、早矢仕ライスにロールキャベツが付き、しかも150円するご飯の大盛りがサービスとあった。少しお得な気分がする。
 早矢仕ライスは濃い茶色でいかにもきつい味に見えるが、一口ほおばると外見を裏切ってやわらかい味で甘い。しかもほんのりと酸っぱい。この甘さはたまねぎを中心とした野菜の甘さ、酸っぱさはリンゴなどを中心とした果物の酸味と推測される。そのほの甘さに当初は頼りなさを感ずるが、食べ進めると味覚が慣れるためか、その淡い味の中に深みを感じてくる。


洋食屋といった風情

 店の名前はカフェとなっているが、洋食屋といったほうがぴったりする雰囲気。騒音もなく、余裕のある空間使いの垢抜けた洋食屋。シュガーポットも含めたすべての食器がアッシュフォードのビエナブルーで統一されている。純白に深いブルーとゴールドの線が特徴的に鮮やか。いかにも上品な洋食といった景色を作り出す。
 もちろんカフェであるから、スイーツ類も充実している。遅い昼下がりに若い男性がケーキを食している場面を目撃することなどもある。普段男一人でケーキを頼むのは勇気が要るが、ここでは文庫本の一つも手にしているとさほど不自然に見えないから不思議だ。もちろん老若の女性たちがゆっくり午後の時間を過ごしている姿も多い。年中無休、営業時間中ならいつでも食事が取れるのも便利だ。


気分の良い錯覚

 明治34年に煉瓦のビルが出来たときの落成パーティーには漱石も参列している。いち早く洋書や文具を取り扱った丸善は文明開化の知的拠点であった。ビルや内装はすっかり新しくなったが、どことなくそんな文明開化の匂いを感ずるのは気のせいか。下の書店で求めてきた本をぱらぱらめくっていると、なんだか自分も知識人の仲間入りをしたように錯覚してしまう。
 ハヤシライスはその発祥や語源について丸善説以外にもいくつかあるようだが、まぎれもなく日本生まれの料理だ。白状するのは少し恥ずかしいが、私はカレーライスのように渡来の料理だと漠然と思っていた。偶然丸善カフェに寄らなければ、一生そう思い込んでいたに違いない。


山梨
甲州勝沼フットパス祭り:史跡やブドウ畑の寺院…120人が地域交流楽しむ /山梨
◇史跡や紅葉に染まるブドウ畑の寺院…

 甲州市の旧勝沼町地区で29日、歩きながら地区内の史跡などを巡る「甲州勝沼フットパス祭り」(勝沼フットパスの会主催)が開かれ、県内や近隣の都県から約120人が参加した。
 フットパスは英国発祥の観光イベント。町にある産業施設や歴史遺産などを、交通機関を使わずゆっくりと歩いて回る。市内各所に看板が設置され、週末には地図を片手に歩く観光客も多い。
 今回のコースは、町内を東西に貫く甲州街道から、11の寺院が集まる同町等々力の寺町地区までを歩く約2時間のコース。5組のグループに分かれた参加者たちは、ボランティアの案内で、幕末期の史跡や、紅葉に染まるブドウ畑にある寺院などを見て回った。
 ゴール地点の萬福寺では、地元の人たちが手作りしたほうとうなどが振る舞われ、地域住民との交流を楽しんでいた。家族で参加した埼玉県新座市新堀3、公務員、吉岡正幸さん(44)は「初めて参加しましたが、どこに行っても地元の人のおもてなしがあって楽しいですね」と話していた。【中西啓介】



長野
薄井竜之の顕彰碑が完成 飯田で入魂式
 飯田市で7年目に1度開く伊那谷最大の民俗芸能祭「飯田お練りまつり」で、メーン出し物の一つ「大名行列」の道具をあっせんした同市出身の薄井竜之(1829~1916年)の功績をたたえる顕彰碑が、市内に完成した。命日に当たる29日、大名行列を披露する「本町三丁目大名行列保存会」の会員らが出席して、入魂式を開いた。
 同保存会によると、薄井は江戸時代後期に現在の本町3丁目の地に生まれ、幕末には志士、明治時代は政府の司法官などとして活躍した。お練りまつりの大名行列は、それまでの出し物で使っていた道具を焼失した地元住民らが薄井に相談し、江戸時代の参勤交代で使ったとされる行列道具を入手したのが始まりとされる。
 顕彰碑は、同保存会の前会長、長瀬宰治さん(89)が呼び掛け人になって、保存会が同市箕瀬町の薄井の菩提(ぼだい)寺、長源寺の参道脇に設置。高さ約2・4メートルで、近くには功績を記した約1メートル四方の碑文も並べた。
 お練りまつりは来年3月26日からの3日間で、大名行列の本格的な練習は年明けにも始まる。保存会長の大島明さん(72)は「道具が贈られて今があることを忘れず、伝承していきたい」。顕彰碑設置に尽力した長瀬さんは、薄井と大名行列の関係などを紹介した冊子も作っており「大名行列について、さらにまとめていきたい」と話していた。
(提供:信濃毎日新聞)



静岡
袋井市の新名物料理「たまごふわふわ」 観光協会がPRキャラクターの名称募集
 袋井市観光協会は、市の新たな名物料理「たまごふわふわ」をPRするキャラクターの名称を募集している。
 キャラクターは、幕末に活躍した新撰組の近藤勇がモデル。NHKの大河ドラマ「新撰組!」で、近藤が「ふわふわたまごが好物」と答えたことから、同協会が同じ卵を使った料理「たまごふわふわ」のPR用キャラクターとして創作した。
 「新鮮組」の法被を着た笑顔の男の子をデザイン。出生地は袋井宿。明るく、前向き、さわやかな性格に設定した。
 応募は一人1点に限り、命名者には賞金1万円と食事券が贈呈される。締め切りは今月20日。採用された名称は、関連商品のパッケージやPRグッズなどに使用される。
 同協会は「明るく、親しみやすい名前をつけてほしい」と期待している。
 問い合わせは同協会=電0538(43)1006=へ。 (夏目貴史)

 何と、大河ドラマ『新選組!』放映後5年もたって、ドラマ設定から観光キャラが生まれたとは……(汗)。しかも、ドラマでは「ふわふわたまご」だったのに、こちらでは「たまごふわふわ」という名称を使うとか微妙に違う(確かに、当時のレシピ名は確かに「ふわふわたまご」「たまごのふわふわ」など複数あったようです……苦笑)。しかも袋井市って新選組とは接点がなさそうな……(爆)。
 ……でも、『組!』ファンのファン心をちょっとつついてくれる、ちょっと嬉しいニュースでした。機会があったら袋井市の「たまごふわふわ」を食してみたいものです。

偉人の書ずらり 清水文化センター 直江兼続も
 静岡市清水区の第一倉庫(宮崎久雄社長)の創業60周年記念事業として、宮崎社長が館長を務める宮崎文庫記念館(富山県黒部市)の所蔵品展「幕末・維新・明治を駆けぬけた人びと」(静岡新聞社・静岡放送後援)が1日、清水文化センターで始まった。6日まで。
 国学伝承の4家の一つである宮崎家が代々受け継いでいる貴重な所蔵品を清水で公開するのは11年ぶり。勝海舟、西郷隆盛、吉田松陰、山岡鉄舟、福沢諭吉、頼山陽らの書の掛け軸や書籍、橋本雅邦の絵などが展示されている。
 宮崎社長は「特に見てほしい所蔵品」として林子平の「海国兵談」や「五浦地図」を挙げた。
 幕末から明治という時代からは外れるものの、テレビの時代劇で一躍名が知れた直江兼続の書状も出品されている。
 午前9時~午後4時半(6日は午後4時まで)。




京都
【新・都名所図絵 京都検定1級合格記者版】三条通
過去と今をつなぐ

 行ってしまったというのか、行かざるを得なかったというのか。前々回、この企画で「紅葉と桜の時期には行かない」などと書いた嵐山を訪ねた。嵐山は紅葉の真っ盛りということもあって、月曜日の午前中というのに何という人の多さ。だが、こちらの目的は紅葉ではなく三条通にある。
 上の写真は、にぎわう嵐山・渡月橋の光景をとらえているが、この橋が三条通の起点でもあり終点でもある。三条通といえば、三条大橋を経て河原町通周辺の繁華街へとつながる京都有数のメーンストリート。「へぇ~っ、あの三条が…」と意外に思っている人も多いのでは。
 歴史的、文化財的にみても三条通は面白いので、ちょっと歩いてみた。芸能人に信仰のあつい芸能神社のある車折(くるまざき)神社、聖徳太子ゆかりの太秦・広隆寺、三本柱鳥居がある蚕ノ社(かいこのやしろ)などと古式ゆかしい社寺が並ぶ。拝観は別として歩いて30分~1時間もあれば巡ることができる。
 太秦天神川からは“文明の利器”地下鉄に乗って烏丸三条へ瞬間移動。ここから東へと再び歩を進めると、時代も一気に明治以降の近現代の世界へ。
 若者が集う今風のビルや商店の中に、明治35年完成の中京郵便局(旧京都中央郵便局)と明治39年完成の京都文化博物館別館(旧日本銀行京都支店)の2つの赤レンガ建物を中心に、近代建築をあちこちで見ることができる。
 古都の風情漂う嵐山から近代化の面影残る烏丸、河原町。三条通は、まさに過去と現代をつなぐ懸け橋と言っても言い過ぎではないだろう。ところが三条通の社寺・史跡巡りはこれで終わらない。さらに東へ進むともっと面白い。
 三条小橋周辺は新選組襲撃で有名な池田屋跡、佐久間象山・大村益次郎遭難の地など幕末・維新史跡のオンパレード。三条大橋の東には刀鍛冶、三条小鍛治宗近ゆかりの合槌(あいづち)稲荷、「旅立ちの神」の粟田神社、源義経が置いたという蹴上の石仏…と、山科区内の終点まであげれば限りない。
 今月13日には京都検定の第6回試験が行われる。締めくくりといっては何だが、三条通巡りは最後の復習にふさわしいと思った。(園田和洋)


公家町 歴史を絵図で
京都市歴史資料館 ◆ 40点で往時を振り返る

 京都御所(内裏(だいり))の周囲に広がる国民公園・京都御苑は江戸時代まで御所を中心とした公家町だった。その変遷を往時の内裏図などで振り返る企画展が、御苑近くの京都市歴史資料館(上京区寺町通丸太町上ル)で開かれている。同館で数々の内裏図を見た後、歴史解説の案内板もある近くの御苑を散策し、往時の公家町の姿を思い浮かべてみませんか――。
 会場には、江戸時代を中心に大正時代までの御所周辺の絵図など40点がずらり。出版された御所周辺の絵図の中では最古とされ、国内では1点のみ存在する江戸初期の「新改 内裏之図」も並ぶ。
 「新改 内裏之図」は、京都の地図出版業者として有名な林吉永が1677(延宝5)年に刊行した。後水尾法皇や霊元天皇らの時代にあたる。天皇や法皇らの御殿などは絵入りで、御所の左近の桜、右近(うこん)の橘(たちばな)まで描かれている。公家屋敷の中には和歌を家業としてきた冷泉家も記されている。
 同館の伊東宗裕・歴史調査担当課長は「出版物であっても、彩色されている部分は手で塗られ、一種の工芸品ともいえる。保存状態が素晴らしく、価値は非常に高い」と話す。会場には、その拡大図もはられ、とても見やすい。
 ほかにも、幕末の孝明天皇の時代にあたる1863(文久3)年刊の「内裏図」などユニークな絵図がある。飛び出す絵本のように御所(禁裏)の部分を開くと、御所の御殿群が現れる仕掛けだ。現在は閉じた状態で展示しているが、来年1月5日からは開いた状態で展示する。
 古い時代から見ていくと、御所の周りに公家や宮家の屋敷が集まり、公家町が広がっていったことが分かる。しかし、1869(明治2)年の東京遷都に伴って公家の多くが移住し、その跡地が現在の京都御苑となった。
 会期は来年3月7日まで。無料。休館日は月曜と祝日、12月28日~1月4日。問い合わせは同館(075・241・4312)へ。


京の龍馬ゆかりの地巡る
観光ツアーが相次ぎ登場

 来年のNHK大河ドラマ主人公の坂本龍馬にちなみ京都市内のゆかりの地を巡る観光ツアーが相次ぎ登場している。龍馬に扮したガイドが夜の繁華街を案内するコースが人気で、今月中旬からは定期観光バスも関連コースを設定する。

 ■ガイドが扮そう、観光バス定期運行…

 ヤサカ観光(京都市下京区)は10月から金、土、日曜と祝日に「龍馬・幕末をゆくナイトツアー」を始めた。午後5時から約2時間半で料金は5千円。ホテルから市内中心部へ参加者を送迎し、着物姿で龍馬に扮した山内浩一さん(68)らが木屋町周辺を徒歩で案内する。
 コースの舞台は、龍馬が創設した海援隊が拠点を置いた酢屋や最期を遂げた近江屋跡など。タクシーで三条大宮近く移動し、龍馬と妻りょうゆかりの武信稲荷神社も参拝する。龍馬が歩いた夜の京を体感できる魅力に、参加した大阪府東大阪市の自営業笹川秀行さん(53)は「車で回っては分からないところでも歩いて巡ると雰囲気が分かる」と話していた。同社は来年、伏見の寺田屋などを加えたツアーの企画も予定している。
 一方、京都市と京阪バスが共同運行する京都定期観光バスは今月12日から「龍馬が駆けた京の史跡めぐり・うるわしコース」の運行を始める。龍馬ゆかりの寺田屋から墓がある霊山護国神社(東山区)などを訪れるコースで昼食付き9千円。市観光協会は「ドラマの舞台の京都でブームが来る。来年には龍馬関連でアレンジした違うコースも設定したい」と期待を寄せている。


奈良
歴史的遺物 私が守る
○台風で損壊の王寺・白山姫神社鳥居

 王寺町畠田の白山姫(しらやまひめ)神社(定村守人宮司)で、10月に県内を襲った台風で損壊した石造鳥居の修復工事が進められ、近く完成する。鳥居は180年ほど前、近くの明神山(みょうじんやま)(275メートル)にあった送迎(ひるめ)太神宮(だいじんぐう)から移築されたもので、幕末の「おかげ参り」の歴史を伝える貴重な遺物でもある。文化財指定がないため行政の補助が受けられず、再建のめどが立たなかったが、地元の石材店が赤字を覚悟で工事をかって出た。(沖真治)

◆地元石材店主 赤字覚悟で修復

 10月7~8日にかけて接近した台風18号では、参道入り口に立つ大木の幹や枝が折れて、鳥居の2本の柱上をわたす「笠石」を直撃、石材の継ぎ目が外れた。落下は免れたが、危険だったため氏子らが笠石と下の中貫(なかぬき)を取り外し、鳥居は柱が立っているだけの状態になった。
 定村宮司は「小さな神社には費用の工面がつかない」と困惑していた時、同町本町の石材店経営、田中哲司さん(66)が修復を申し出た。「地元の自治会や氏子に知人が多く、何とかしてほしいと頼まれた。歴史的な由緒もあり、引き受けた」と話す。
 約1トンの笠石は三つの石材に分かれ、鉤(かぎ)の手状の継ぎ目が2カ所にある。「中央の石材の重みで左右の石材を支えている珍しい型式。どう処置したら重さに耐え、落ちないかと考え、眠れなかった」と田中さん。取り外す時に落ちて折れた中貫を新しい石材に取り換えたが、笠石は一部を補強しただけで使えた。氏子の酒店経営、吉村修一さん(51)は「お正月の初もうでに間に合うので、ほっとした」と田中さんに感謝する。
 「王寺町史」によると、送迎太神宮が造営されたのは1830(文政13)年。幕末に流行した、庶民が集団で伊勢神宮にお参りする「おかげ参り」で、数万人が大和に入ったとされる年だ。「明神山に伊勢神宮のお札が降った」という話が広まって、山頂に社殿が造営され、伊勢神宮にお参りするのと同じ霊験があると信じられた。参拝者が殺到したが、翌年、郡山藩によって取り壊されたという。
 この時、同太神宮の鳥居がふもとの白山姫神社に移された。鳥居の柱には「天保2(1831)年」の年と、寄進した大和や大坂の商人ら28人余の名前が刻まれ、奉納の経緯がわかる。鳥居は、わずか1年で姿を消した同太神宮の数少ない遺物だけに、研究者の間では文化財としての価値が高いと評価されている。




兵庫
和田山町史:下巻出版 幕末以降の歴史や民俗行事--朝来市教委 /兵庫
 朝来市教育委員会は幕末以降の旧和田山町域の歴史をまとめた「和田山町史」下巻を出版した。合併前の04年に同町教委が発刊した上巻に続くもの。
 第1章「近代和田山の夜明け」は幕末、隣接する旧生野町で尊皇攘夷派の浪士が起こした「生野の変」(1863年)を紹介。浪士の呼びかけに応えた農民と、浪士の思惑のずれなどを追った。
 第2章「明治後期の和田山」は播但線の開通(1906年)など和田山の近代化を記し、3、4章では町に電灯がついた大正時代、第二次世界大戦が起こった昭和初期の様子をそれぞれ紹介している。最終の5章は諏訪、表米神社の「竹田秋祭り」など民俗行事を写真入りでまとめている。
 A5判、505ページ。500部出版し、1部2500円で販売。電子書籍版(1000円)もCDで200枚発行。問い合わせは市教委社会教育課(079・677・2116)へ。【吉川昭夫】
〔但馬版〕



徳島
来年のえと トラずらり 徳島城博物館で新春テーマ展
 来年の干支(えと)・トラなど、正月に関連する収蔵品を集めたテーマ展「新春の美&寅(とら)・虎・トラ」が、徳島市の徳島城博物館で開かれている。来年1月31日まで。
 掛け軸やびょうぶなど18点を展示。トラを描いた掛け軸は5点あり、江戸後期から明治時代にかけて活躍した牟岐町出身の日本画家三木恒山(こうざん)の「虎図」は毛並みの細部まで写実的に描かれている。
 幕末の三筆として名高い徳島市出身の書家貫名(ぬきな)菘翁(すうおう)の書「めでたくかしく」や美馬市脇町出身の画家藤桃斎(とうさい)(江戸後期)の「鶴亀図屏風(びょうぶ)」も並び、来場者は一足早く正月気分を味わっていた。
【写真説明】来年の干支・トラの絵などを集めたテーマ展=徳島市の徳島城博物館


広島
大河ドラマ機に観光振興図れ 福山市「福援隊」がHP きょう開設
 幕末の志士・坂本龍馬の生涯を描く来年のNHKの大河ドラマ「龍馬伝」に合わせ、官民一体で福山市の観光振興などを図る「福援隊」(会長=小川雅朗・福山市経済部長)は1日午前10時、ホームページ(http://www.fukuyama‐ryoma.com)を開設する。
 内容は、同市鞆町沖で1867年、龍馬率いる海援隊の船が紀州藩の軍艦と衝突して沈没した「いろは丸事件」について文章や写真で紹介。龍馬らが宿泊や賠償交渉で使ったとされる商家などを一覧にした地図や、鞆町周辺の宿泊・飲食施設、観光名所を紹介するコーナーもある。
 今後は、展覧会やイベントの情報も充実させていくといい、同市観光課は「龍馬とのゆかりを広くアピールしたい。多くの観光客が鞆の浦を訪れるきっかけになれば」と期待している。問い合わせは同課(084・928・1043)。

(2009年12月1日 読売新聞)


山口
武家屋敷 歴史学ぶ拠点 【家と生きる】
◆山田家本屋/周南市

 足湯から湯煙が立ち上る周南市の湯野温泉の一角に、江戸時代中期に建てられたという、かやぶき屋根、延べ床面積約140平方メートルの大きな平屋建てが立つ。県指定有形文化財の「山田家本屋(やまだけほんや)」だ。外観は古い民家を思わせるが、客間の床の間の下には引き出し状の「刀隠し」、外側から開けられない回転雨戸、中2階の隠し部屋など、武家屋敷の様相も色濃い。
 地元有志でつくる「山田家保存会」によると、母屋から部屋が前庭に突き出した「中門造り」で、さらに客間として利用しているのが全国的にも珍しいという。
 山田家は戦国時代末期に毛利元就の三男・小早川隆景の家臣に仕えた。江戸時代には長州藩重臣の家臣となり、現在の周南市戸田、湯野温泉につながる山陽道沿いに移り住んだ。
 「客間には、長州藩7代目の毛利重就(しげたか)公が、狩りの帰りに立ち寄って茶をたてたという記録が残っているんです」と会長の山下恒夫さん(80)。幕末には、勤王の志士たちも立ち寄ったという。
 1955年に県指定文化財保存顕彰規定による指定を受けたが、すでに老朽化が進んでいた。64年に山田家から旧徳山市に寄贈され、翌年、市内中心部に移築復元された。県総合庁舎の建て替えに伴う移築の話が浮上したのを機に、湯野地区の住民が市に働きかけ、03年、再び戻ることになった。
 建物は保存会のメンバーが交代で管理し、現地で解説もする。室内には山田家が宮家や長州藩、徳山藩などから拝領した品々などが展示されている。
 「埋もれた地元の歴史を後世に残すため、歴史研究の拠点にしたい」と山下さん。「山田家があるから、子どもたちにも歴史を勉強する機会をつくれるようになった」と喜んでいる。
(斎藤靖史)

□■ 山田家本屋 ■□
  周南市湯野4202の2。入場無料で午前10時から午後4時半まで。月曜と年末年始は休み。問い合わせは山田家本屋(0834・83・2009)。



長崎
「まちなか龍馬館」来月2日オープン
 来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映にあわせ、長崎商工会議所や長崎市などは、長崎市浜町に坂本龍馬に関する展示を集めた「長崎まちなか龍馬館」をオープンする。期間は2010年1月2日から11年2月28日まで。
 ベルナード観光通りに面した空き店舗の1階と地下1階の計約1000平方メートルを活用。龍馬ゆかりの人物や品々を写真タペストリーで紹介するコーナーや、長崎の観光地などに残る龍馬にまつわるエピソードを紹介するムービーなどを展示する。市さるく観光課は「観光客だけでなく、市民も楽しめる龍馬館にしたい」とPRしている。
 また、長崎市は諏訪神社前の新大工町からグラバー園のある南山手町まで続く約3キロの一本道を「長崎龍馬の道」と命名。道の45か所に龍馬ゆかりのスポットを紹介する案内板を設置し、新しい街歩きのスポットとして整備する。
 龍馬館の観覧料は大人300円、高校生200円、小中学生100円。問い合わせは同館(095・821・2112)へ。

(2009年12月2日 読売新聞)


「長崎まちなか龍馬館」1月2日オープン ベルナード観光通り
 2010年放送のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせて、地元商店街や長崎市などでつくる実行委(松藤悟会長)は30日、同市浜町に「長崎まちなか龍馬館」を来年1月2日にオープンすると発表した。
 龍馬館は、同市浜町のベルナード観光通りにある民間商用ビルの地階と1階(延べ約1千平方メートル)に11年2月末までの期間限定で開設する。
 地階部分には亀山社中の一室を再現。清風亭の調度品の展示、上野彦馬や大浦慶に関するコーナーなども設ける。1階部分は、龍馬や幕末に関連する物販ゾーンのほか、長崎さるくのインフォメーションコーナーも設置する。地階部分の入場料は一般300円、高校生200円、小・中学生150円(1階部分は無料)。
 沿道に龍馬ゆかりのスポットが並ぶ同市新大工町から同市南山手町までの約3キロの道を「長崎龍馬の道」とし、各ポイントに案内番号板を設置。地図と照らし合わせながら街歩きを楽しんでもらう。中間にある同館を「沿道の魅力の発信や街歩きのための拠点」(実行委)と位置付ける。
 江戸末期の「安政の開港」から150年を記念して銘打った「長崎さるく幕末編」のクロージングセレモニーも30日、同市南山手町の長崎全日空ホテルグラバーヒルであった。 さるく観光幕末編推進委によると、予約制の街歩き「通さるく」「学さるく」の期間中(4月23日~11月末)の参加者数の速報値は延べ2万3169人。前年比154%の増加。一番人気の「龍馬が見上げた長崎の空」コースは前年比525%と急増した。
 セレモニーには推進委メンバーやさるくガイドら約150人が参加。松藤会長は「多くの方が長崎を訪れてくれた。来年に向け、市民全体で盛り上げていくことが大事」と話した。
 来年1月2日からは、坂本龍馬や長崎の偉人などにスポットを当てた「長崎さるく英雄(ヒーロー)編」が始まる。



維新の志士、竜馬の足跡紹介 ガイド本刊行 長崎文献社
 長崎市の長崎文献社は、維新の志士、坂本竜馬が長崎に残した足跡をたどるガイド本「龍馬とあるく幕末長崎」を刊行した。店頭には4日ごろから並ぶ予定。
 同書は6章で構成。長崎の古写真や古地図を使いながら幕末の長崎に滞在した薩長土肥の志士らの顔触れや竜馬ゆかりの地を紹介したり、武器売買の場でもあった外国人居留地や竜馬も足しげく通ったとされる花街・丸山を特集したり、硬軟とりまぜて長崎が維新で果たした役割を伝えている。
 同社の堀憲昭専務は「竜馬もマルチ人間だが、長崎の街自体も訪れる人への多面的な接し方があることを知ってもらえれば」と話している。
 同書はB5判、80ページ。初版1500部。長崎市内主要書店をはじめ、県内約50店舗で販売する。価格は1100円。同社=095(823)5247。

=2009/12/02付 西日本新聞朝刊=


長崎さるく幕末編が閉幕 前年度比1・5倍 8000人増 「龍馬コース」は5倍に
 安政の開港150周年を記念して4月23日から始まった長崎市の街歩きイベント「長崎さるく幕末編」が30日、閉幕した。222日の期間中、幕末編も含めたさるく全体の参加者は約2万3千人に上り、前年同期比約8千人増(約1・5倍)となった。
 最も人気を集めたのは8月オープンした亀山社中記念館や風頭公園の竜馬像などを巡る「龍馬が見上げた長崎の空」コースで、参加者は昨年の約5倍。イベントに合わせて幕末の志士に焦点を当てた31コースの掘り起こしや、ペン型音声ガイド機器を使った新企画もイベントを盛り上げた。
 市さるく観光課は「この不況下に信じられない参加率だと旅行会社も驚いている。大河ドラマ龍馬伝の期待の高まりと亀山社中記念館のオープンなどが影響したのでは」と分析している。

=2009/12/01付 西日本新聞朝刊=


コラム
大河ドラマの予習に幕末の“イケメン”!
来年の大河ドラマは坂本龍馬

 大好評のうちに幕を閉じた2009年大河ドラマ「天地人」。そして、早くも話題沸騰の2010年大河ドラマ「龍馬伝」。主役を演じる福山雅治さんの“イケメン龍馬”っぷりが楽しみですね。


幕末のイケメンは、龍馬よりも歳三!?

 今、くしくも“幕末ブーム”。せっかくだから、放映前に、本当の幕末のイケメンの足跡を辿ってみませんか?
本当の幕末のイケメンとは…土方歳三!といわれています。

 土方歳三といえば、新撰組の副長として活躍しました。その歳三が生まれたのが、現在の東京都日野市。
東京都の日野市には、そんな土方歳三ゆかりの地がたくさんあります。

歳三ゆかりの地(日野市高幡周辺)を訪ねて

 まずは、歳三邸「土方歳三記念館」。開館日を限定して土方歳三の生家の一部を開放し、遺品や関連商品を80点前後展示しています。
 土方家の菩提寺「高幡不動尊金剛寺」。日本一大きいといわれる歳三の銅像や殉節両雄の碑が建てられています。お礼所には、歳三グッズもあり、肖像が描かれた「絵馬」や開運厄除守の「歳三ストラップ」なども購入できます。

 年末、足を延ばして幕末に思いをはせてみてはいかがでしょう?

<土方歳三資料館>
住所:
 東京都日野市石田2-1-3
電話:
 042-581-1493
<高幡不動尊金剛寺>
住所:
 東京都日野市高幡733
電話:
 042-591-0032

 「イケメン」かどうかというのは主観が入るのでそれぞれの方の主観にお任せしますが……土方さんファン歴10年を超えてしまった白牡丹の主観では、歴史上の人物で最も「ダンディ&イケメン」な殿方ナンバーワンの地位を10年以上保持されてらっしゃいますなぁ(もって回った表現ですが^_^;)。







 永倉新八が会津に滞在していた時の宿の名前がわかった(通説を変えた)というニュースをトップでお送りしています。

北海道
永倉新八の会津城下の宿:通説覆す 「石塚」でなく「石津屋」
 新選組の元幹部、永倉新八が1868(慶応4)年8月の会津戦争の際、現在の福島県会津若松市内で宿泊した先は、通説の「酒造家石塚」ではなく、「酒造家石津屋」とみられることが、幕末明治史の研究に取り組んでいる札幌市教育文化会館館長、好川之範氏らの調査でわかった。好川氏は長い年月の中で「いしづや」が「いしづけ」「いしづか」と誤って伝わったと推測している。
 永倉は晩年を小樽で過ごした。小樽新聞記者に語り伝えた「新撰組顛末(てんまつ)記」(新人物文庫)によると、宿泊先については「会津城下へ着いて酒造家の石塚という家に一泊し……」と記されている。
 好川氏は会津藩士の子孫。札幌市在住の永倉のひ孫、杉村悦郎氏と親交があり「『石塚』という酒造家が現存するなら、子孫としてお礼がしたい」と話したことがきっかけとなって今年夏、「石塚」探しを思い立った。
 地元紙の福島民報や知人を通じて情報を呼びかけるなどした結果、「石塚」という酒造家は存在せず、屋号が「石津屋」という酒造家がかつて会津若松市行仁町にあったことが判明。その子孫が東京に住んでおり、調査に協力してくれた同市の遠藤健一氏が確認したところ「戦争当時、武士が何人か泊まったという話を祖母から聞いた」「土蔵に弾跡が残っていた」という証言を得た。
 永倉が取材を受けたのは、死去する2年前の1913(大正2)年だった。好川氏は「いしづや」が「いしづか」と変化した理由として(1)永倉の記憶違い(2)記者の聞き間違い--などと推測。「『石塚家』でも『石津屋』でも歴史上の大きな問題ではないが、多くの人の協力によって歴史の空間を埋めることができた。大人の遊びと思って満足している」と話している。
 永倉は近藤勇や土方歳三らとともに新選組を創設。剣客として知られ池田屋事件や油小路事件など、数多くの修羅場をくぐり抜けた。【筑井直樹】


秋田
康楽館の常設公演が千穐楽 来年は4月10日から
 小坂町の芝居小屋・康楽館のことしの常設公演が29日、千穐楽(せんしゅうらく)を迎えた。大衆演劇界のスター・松井誠さんの弟子たちでつくる「下町かぶき組」の構成劇団の一つ「劇団 誠流(せいりゅう)」が熱のこもった舞台で、最後の公演を締めくくった。
 ことしの常設公演には下町かぶき組の6劇団が出演。いずれも芝居と舞踊ショーの2部構成で、4月11日の開幕以来、205日、計471回の公演を行い、4万1580人が来場した。
 誠流は10月31日から登場。千穐楽も幕末を舞台にした人情芝居・唐人お吉物語や、華やかな踊りで340人の観客を魅了し、客席から盛んな拍手が送られた。
 来年の常設公演は4月10日から11月28日まで。下町かぶき組の5劇団が舞台を繰り広げるほか、創建100年を記念し、環境問題をテーマに小坂町の歴史を取り入れた特別公演も行う。


埼玉
幕末写真が縁 ひ孫対面
◇川越藩重臣を京都で撮影 141年ぶり

 江戸時代末期に京都で撮影された川越藩の重臣の写真が縁で、重臣と撮影者の双方のひ孫が、撮影から141年後の今秋、初めて対面した。重臣の子孫として写真を受け継いできた歴史研究家の講演がきっかけだった。

◇講演がきっかけ「大切に」

 対面を果たしたのは、川越藩の史実を調べている東京都目黒区の歴史研究家池上俊之さん(73)と、川越市の薬剤師堀内慶治さん(84)。
 池上さんによると、藩の年寄役だった曽祖父・七郎右衛門の写真が保管されてきた桐(きり)箱のふたには、慶応4(1868)年6月29日、京都・東山で「堀内辰蔵」によって撮影されたと記されている。当時、藩は官軍に恭順の意を示し、七郎右衛門ら藩士約100人は藩主松平康英とともに京都に滞在していたという。
 池上家には七郎右衛門の日記や康英からの書状も残る。池上さんは5月、市文化財保護協会の会合で、康英の京都入りについて講演。京都市での調査もふまえ、七郎右衛門の写真のコピーを示し、堀内辰蔵が京都・知恩院で撮影したと説明した。
 これを聞いた服部民俗資料館(川越市)の服部安行館長は、川越の歴史と文化を著作で紹介している同市の龍神(りゅうじん)由美さん(52)の祖先が知恩院の写真師だったと思い出し、龍神さんに伝えた。
 10月27日、龍神さんの伯父の堀内さんと、池上さんが市内で対面。七郎右衛門の写真が桐箱から取り出され、堀内さんと龍神さんは「立派な方ですね」と見とれた。池上さんは「不思議なご縁ですね」と応じた。
 川越市立博物館の大野政己館長によると、川越藩は康英ら藩主2人の写真が残っているが、家臣の写真は「珍しく貴重なもの」という。
 堀内家に伝わる文書などによると、「堀内信重」の名でも知られた辰蔵は知恩院に仕えた武士で、幕末・維新時には近くに茶屋を開き、参拝客らを相手に写真業も営んだ。
 堀内さんの父は、京都から札幌などを経て、1930年ごろ川越市に移住。堀内さんは、辰蔵が撮ったとされる京都・嵐山などの写真を保管しており、「(池上家との)ご縁を大切にしたい」と言う。
 康英は、1868年2月まで幕府の老中も務めた。池上家に残る書状によると、同年3月、京都にいた康英が七郎右衛門に「一同申し合わせの通り、勤皇勉励の心得にて、皆に徹底するように」と通達。朝廷への恭順の姿勢を重視したことをうかがわせる。
 同年4月の江戸城開城後、彰義隊の「上野戦争」の前後も川越は戦火を免れ、七郎右衛門は6月5日に京都に入った。写真撮影後の夏、康英と家臣の一行は川越へ戻ったという。池上さんは「川越藩の情報収集力は素晴らしく、朝廷や官軍の動きを逐一つかんだ」とし、「七郎右衛門は中枢で指示を出していた」と曽祖父の役割を説明している。


愛知
東三河法人会で松平氏講演
 NHKテレビの歴史検証番組「その時歴史が動いた」の司会を担当した松平定知氏が来豊、番組制作の意図、勝者の薩長からしか見られなかった幕末から明治維新までの歴史観の裏側などについて話した。
 同講演会は、東三河法人会豊橋支部(高須博久支部長)主催で29日、ホテル日航豊橋で開いた第6回市民講演会。
 松平氏は、1昨年11月に同放送を退職、現在は、早稲田大学と立教大学大学院客員教授。同番組は、今年3月で終了した。
 講演テーマは「私の取材ノート~その時歴史が動いた~の現場から」。
 松平氏は「勝ったものが正義なのかということだ。歴史観は、勝利者側が作った一面だ。負けた側からみた史実を掘り起こそうと番組が始まった」と制作意図を話した。
 薩長戦争に始まる倒幕の戦いについて「必要ない戦争だった」とし、「新しい史実を視聴者に提示することで支持を得た。同時にいくつもの新しい研究のスタートになった」と同番組の成果を話した。


奈良
講演会:平城京遷都の真実探る 650人、専門家の知見傾聴 /奈良
 「いま解き明かされる平城京遷都の真実」と題した講演会(奈良文化財研究所主催)が28日、奈良市のなら100年会館大ホールであった。参加した約650人は、文化財を研究する専門家の知見に耳を傾けた。
 講演会では田辺征夫同所長が「これからの平城宮跡~遷都1300年を迎えて」と題し、幕末以降、官民一体で進んだ平城宮跡保存の歴史や国営公園化後の展望を語った。田辺所長は「保存は簡単ではなかった。市民の力あってのこと」と強調。近年、平城宮跡が市民に身近になった一方、不審火なども多発する現状を取り上げ、「多様に利用されようやく、国民の遺跡になった。国営公園化後も市民型の遺跡としてより発展させることが大きな課題」と総括した。
 また、都城発掘調査部の井上和人部長は、藤原京から平城京へ遷都された理由について、唐による軍事侵攻を防ぐため、遣唐使らの助言で巨大なスケールの都が作られたとの見方を話した。【泉谷由梨子】



大阪
寄贈品は最後の薩摩藩主の夫婦甲冑か 大阪・高槻の歴史館が所蔵
 大阪府高槻市の市立しろあと歴史館が所蔵する甲冑(かっちゅう)2領が、江戸時代末期の薩摩藩最後の藩主、島津忠義(1840~1897)と同夫人のものだった可能性が高いことが、市教委と歴史資料センター黎明館(鹿児島市)の調べで分かった。甲冑研究の専門家は「夫婦の甲冑が確認された例は聞いたことがなく、研究資料としても価値が高い」と注目している。
 2領の甲冑は愛好家が平成2年に高槻市に寄贈したもの。同館は昨年から所蔵する甲冑について調査を進めており、所蔵品からは、米沢藩最後の藩主、上杉茂憲の甲冑も確認された。
 高槻市教委によると、夫人用とされる「紅裾濃胴丸(くれないすそごどうまる)」は、室町時代様式で着用者の身長は140センチ程度とみられている。島津家の家紋が随所に施されているほか、包み布などに忠義夫人の所有を示す記述や制作年とみられる「慶応三丁卯歳二月日」との表記もあった。
 黎明館は「記述通りならば島津斉彬の娘にもあたる●(=日へんに偉のつくり)子(てるこ)夫人のものではないか。裏付け調査を進めたい」としている。
 女性用甲冑は林原美術館(岡山市)や彦根城博物館(滋賀県彦根市)にも残されている。婚礼道具などともいわれているが、その用途はまだ不明だといい、甲冑研究の第一人者でもある奈良県立万葉文化館(同県明日香村)の宮崎隆旨参与は「女性の甲冑は現存数が少なく、夫婦で正式に確認された例は聞いたことがない。用途も不明で、研究資料としても価値が高い」と話していた。
 一方、忠義のものとみられる甲冑「紫糸威腹巻(むらさきいとおどしはらまき)」も室町時代様式。かぶとには島津家一門の特徴であるキツネの飾りがつけられている。豪華な陣羽織やずきん、金紙製の采配(さいはい)などと一緒に収められていたという。
 しろあと歴史館の千田康治学芸員は「幕末期における大名文化の一端を示す貴重な資料。明治維新の主役でありながら、伝統の復古調の作りを守っており、島津家の気風を感じる」としている。


香川
レジャー情報
(中略)
■土佐・龍馬伝フリーきっぷ
 JR四国と土佐くろしお鉄道は、坂本龍馬ら幕末の志士たちが生まれ育った高知・安芸・奈半利の観光に便利な「土佐・龍馬伝フリーきっぷ」を2010年末まで販売している。JR高知―御免間の特急・普通列車自由席、土佐くろしお鉄道御免―奈半利間の快速・普通列車自由席が1日乗り放題になる。大人2100円、子ども1050円。購入はJRみどりの窓口やワープ支店などで。問い合わせは〈0570(00)4592〉。


山口
下関市吟剣詩舞道大会:500人、日ごろの成果披露--あす市民会館 /山口
◇多くの来場を
 下関市吟剣詩舞道大会(市、市教委、市吟剣詩舞道連盟など主催)が29日、竹崎町の市民会館で開かれる。
 第32回市長杯合吟コンクールを兼ね、大会名誉会長に中尾友昭市長、大会顧問に湖舟流吟剣詩舞道江湖会宗家の一木湖舟さん、大会会長に市吟剣詩舞道連盟理事長の中野吼関さんらが名を連ねる。
 6部構成で幼少年から高齢者の約500人が出場。独吟のほか、複数による合吟、連吟、剣詩舞など、日ごろのけいこの成果を披露する。今年は幕末の志士で思想家、吉田松陰没後150年とあって、吟詠や吟舞などでその遺徳をしのぶプログラムを組んだ。一木さんは「各会が結集して吉田先生の精神をたたえ、追慕する構成にしました。多くの皆さんに見て、聞いていただきたい」と話す。
 午前9時半開場、同10時開会。入場無料。【三嶋祐一郎】
〔下関版〕



佐賀
タウンTOWN:茂義収集の蘭学資料紹介--武雄 /佐賀
 幕末の武雄領主、鍋島茂義が集めた蘭学資料を紹介する「日蘭通商400年 武雄の蘭書展」が、武雄市武雄町の市図書館・歴史資料館で開かれている。12月13日まで。
 科学や医学の書など170点を展示。資料は、茂義が亡くなった1862年までに集めた138冊で、特にフランスの農学者、ショメルの「日用百科事典」は正編、続編、簡約の3種ともそろっている。
 茂義は西洋の技術や文物を積極的に取り入れ、佐賀藩の近代化に貢献した。展示物は、昨年9月、所有していた武雄高同窓会が市に寄贈した。【原田哲郎】



長崎
江戸初期創建の時津茶屋を公開 町民ら郷土の歴史堪能
 西彼時津町教委は29日、同町元村郷に江戸時代から残る時津茶屋(本陣)跡を一般公開し、町民ら約270人が郷土の歴史に触れた。
 町教委によると、時津茶屋は1633(寛永10)年、当時の大村藩が時津街道を往来する幕府役人や諸大名の休憩所として浦郷の港近くに設置したとされる。62(寛文2)年に現在地に移築、1848(嘉永元)年に建て替えられた。
 近年は民家として使用されていたが、書院造りの座敷や縁側、庭園などが残っており、大村藩が宿場町に設けた茶屋の中で建物が現存するのは時津だけという。屋敷の門は1995年、町の有形文化財に指定された。2008年に所有者から建物の寄贈を受け、町が保存管理している。
 一般公開は寄贈後初。庭園を開放し、訪れた人たちは町史談会の小田教治会長らの案内で、外から座敷内に飾られている幕末に活躍した大村藩士、渡辺昇の書などを見学した。
 訪れた同町浜田郷の永友重之さん(62)は「一度見てみたいと思っていた。時津町が発展する中で、古い建物が残っていることは意義深い」と話した。


龍馬に会いたい:/番外編 鹿児島・塩浸温泉 /長崎
◇激動の中、唯一平穏な旅
 鹿児島空港から車で約10分、北東方向に向かうと、新川渓谷(しんかわけいこく)温泉郷の一角にたどり着く。ここは、坂本龍馬がその妻お龍(りょう)と共に訪れた場所だ。
 1866年1月、京都市伏見区の船宿「寺田屋」で龍馬が刺客に襲われた事件は「寺田屋事件」として知られる。龍馬は所持する拳銃を撃ち、九死に一生を得る。一緒にいたお龍が龍馬救出に一役買ったことでも有名だ。
 同年3月、寺田屋で負傷した龍馬は、薩摩藩(鹿児島県)の西郷隆盛らの勧めで、お龍と共にこの温泉郷を訪れた。温泉郷の塩浸(しおひたし)温泉で傷を癒やしながら、霧島を楽しんだという。よほど楽しかったのか、その時の様子を姉の乙女に手紙で書き送ってもいる。
 後世、この時の旅行は「日本最初の新婚旅行」と呼ばれるようになった。幕末の激動の中で結ばれた2人にとって、この旅行は唯一の平穏な時間だっただろう。龍馬はこの旅行の翌年、京都市中京区のしょうゆ商・近江屋で、盟友の中岡慎太郎と一緒に暗殺された。
 旧牧園町塩浸温泉福祉の里には龍馬とお龍の銅像が立つ。霧島市観光課によると、この施設は老朽化のため、今年7月から解体・改修工事を実施。現在は立ち入り禁止だが、来年4月1日から日帰り入浴や足湯、龍馬関連資料が楽しめる公園に整備されるという。
 同課の担当者は「来年1月からNHK大河ドラマ『龍馬伝』がスタートする。龍馬ゆかりのこの地を観光資源として活用できれば」と語った。【下原知広】
〔長崎版〕


対馬藩主の銅印など17点を一般公開 対馬歴史民俗資料館で宗家史料展
 県立対馬歴史民俗資料館(対馬市厳原町)は28日、「新たに発見された宗家史料展」を同町の市交流センターで開き、朝鮮国王が対馬藩主に発給した銅印「図書」(としょ)とみられる二つの印など計17点を一般公開した。
 県の文化財公開月間の一環。本年度から3カ年で始まった宗家文庫史料調査の途中報告として企画した。
 図書は15~16世紀、倭寇(わこう)対策として通行を統制するため、朝鮮国王が貿易権を与えた九州や中国地方の大名や商人などに発給。日本の正式な使節としての証明をするため、外交文書や渡航証明書に押していた。江戸時代は、朝鮮との外交・貿易を独占した対馬藩だけに発給。藩主交代のたびに返還したため、近世の図書は国内に存在しないとされてきた。
 二つの印には第13代、宗義章(よしあや=在任1839~42年)、第14代、宗義和(よしより=同42~62年)の名をそれぞれ刻印。市民らが幕末の日朝交流史を物語る貴重な資料に見入っていた。
 江戸時代の動植物絵図(写真パネル)や万病に効くとされた漢方薬「みいら」、測量道具「大方儀」なども展示された。
 「若い専門職員によるリレー講座」では、同資料館学芸員の山口華代さんが「対馬にあった東照宮の謎~近世日朝交流の舞台裏」、県教委主任文化財保護主事の中尾篤志さんが「弥生時代における海上交易民の謎」と題して講演した。


鹿児島
西南戦争 語り10年
 西南戦争で没した薩摩志士らが多く眠る鹿児島市の南洲墓地で、語り部のボランティア活動に10年間取り組んでいる男性がいる。薩摩川内市の森田重徳さん(68)だ。「少しでも多くの人に鹿児島の歴史を知ってもらいたい」と戦史を独学。観光客らを相手に毎週土曜日と日曜日、独特の節回しで語り継いでいる。あなたも「森田節」を聞きに足を運んでみては?(白井伸洋)
 語り部のボランティアを思い立ったのは、11年ほど前のことだ。南洲墓地を訪れたときのガイドの説明が気になった。一部史実と違うところがあったという。「自分がきちんと説明したい」と決意。薩摩川内の自宅から南洲墓地に通うように。半年に一度、3カ月に一度とペースを上げ、退職後は毎週末、駆けつけている。
 中学生時代、刀剣や城に興味を持った。「刀や城を知るためにはその時の時代背景を知らないとだめだ。どんどん調べるようになった」と振り返る。語り部になるべく仕事の合間を縫って、西南戦争関連の書物などを渉猟。マイカーを駆って、県内外の史跡を訪ね、勉強を重ねた。
 今では、墓地内に建つ約750基の墓のうち、約200人分の生涯などをそらんじているという。
 サービス精神が旺盛で、説明は節をつけて講談調ですることもある。「聞く人の興味を引きつけることができ、楽しんでもらえると思った」。一番得意なのは西郷隆盛が敗戦を覚悟し、部下を連れて城山の洞窟(どう・くつ)から出て、自害するまでの場面を語るものだ。西南戦争の始まりから終わりまでの一部始終を語ると、50分かかる説明もある。2日間、延べ10時間かけて案内した観光客もいたという。
 半年ほど前から、南洲墓地を管理する南洲神社からお墨付きをもらった「南洲神社公認」と書かれたカードを首から下げ、資料と差し棒を手に観光客らを幕末前後の時代に案内している。
 錦江町から来た前田真吾さん(24)はついつい森田節に引き込まれた。「知らないことをいろいろ聞けてよかった。興味を持たせてくれるのがありがたいですね」と話す。
 全国から礼状が届く。「手紙は一番うれしい」。観光客の喜びが、森田さんにとって、何よりの活力源だ。
 雨の日や年末年始を除いて毎週土曜日と日曜日の午前9時~午後3時ごろまで、南洲墓地にいる。11月中は都合で休んでいるが、12月からは再開する予定だ。




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